村上里和
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むらかみ さとわ | |
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村上 里和 | |
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プロフィール | |
本名 | |
愛称 | |
出身地 | ![]() 北海道札幌市育ち[1] |
国籍 | |
生年月日 | 1966年1月14日(59歳) |
没年月日 | |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 津田塾大学学芸学部卒業 |
勤務局 | 放送センター |
所属事務所 | |
部署 | ラジオセンター |
職歴 | 函館→札幌→東京アナウンス室→札幌→旭川→ラジオセンター |
活動期間 | 1989年 - |
ジャンル | |
配偶者 | あり |
家族 | |
公式サイト | NHK |
出演/担当番組・活動 | |
現在 | 本文参照 |
過去 | 本文参照 |
その他 | |
備考: | |
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村上 里和(むらかみ さとわ、旧姓:竹内、1966年1月14日 - )は、NHKのアナウンサー。
人物[編集]
北海道札幌南高等学校を経て津田塾大学国際関係学科卒業後、1989年入局[2]。
嗜好・挿話[編集]
- 1992年に札幌放送局に異動。その年には第74回全国高等学校野球選手権大会開会式リポーターとしてテレビ中継にも登場している[3]。
- その後、幼い子供がいる状況の中、女性でありながら東京への単身赴任を経験。全国放送にも出演したが、2000年4月に北海道にUターン。以後は地域密着の姿勢を貫き、母親としての視点を番組作りにも活かしてきた[4]。
- 2014年6月の定期異動で北海道を離れ、約14年ぶりにラジオセンターで東京勤務となった。
- 責任感が強い[5]。
- 長男出産後10年以上経って40歳を過ぎてから妊娠し、2009年初め頃に長女を出産した[6]。
- 好きな歌はMr.Childrenの『HERO』であり、この曲で勇気をもらったと語っている。
現在の担当番組[編集]
- レギュラー担当前に札幌・旭川発深夜便のアンカーも担当したことがある。
- アンカーとしては毎月第2・4火曜日レギュラー担当。コーナーアシスタントとして毎月第3日曜0時台の「五木寛之の聴き語り・昭和の名曲」がある。
過去の担当番組[編集]
- 北海道中ひざくりげ(函館放送局)※1987年番組開始以来、初の女性アナウンサー起用
- 第74回全国高等学校野球選手権大会開会式リポーター(1992年8月10日[3])
- ほくほくテレビニュース
- NHK週刊ニュース(1999年4月~2000年3月)
- ニュース北海道 キャスター
- ほっからんど北海道 キャスター
- ホンネで北海道(視聴者から寄せられた意見を紹介するサブキャスターとして担当。2008年3月まで)
- さわやか自然百景(ナレーション。主に北海道を取り上げる回を担当した・2014年5月4日 北海道 朱鞠内湖 春 回まで)
- 北の生きもの百科(ナレーション)
- 目撃!日本列島 ナレーション(2014年3月8日 新たな絆を作りたい~日・韓・在日 の交流合宿)
- 地方発 ドキュメンタリー ナレーション(2014年4月21日 格闘する 動物園 ~ 旭山 ・坂東園長 ハンターになる~)
- 厳密には番組ではないものとしては、旭川局のラジオ第1放送・FM放送のコールサインアナウンスも担当[7]。
脚注[編集]
- 元の位置に戻る ↑ 旭川放送局のプロフィールにて公表。
- 元の位置に戻る ↑ 同期には同じ津田塾大学出身の草野満代がいた。
- ↑ 以下の位置に戻る: 3.0 3.1 第74回全国高校野球選手権大会 開会式 1992年 平成4年 甲子園 - YouTube
- 元の位置に戻る ↑ 出典不明
- 元の位置に戻る ↑ 札幌放送局ホームページ等
- 元の位置に戻る ↑ 同様に旭川転勤後に公表した(出典不明)。実際には札幌放送局勤務(契約職)の経験があるフリーアナウンサーの長岐こずえが、たまたま出産直後の村上と面会する機会があったらしく(出典不明)、自身のブログ(現在は閉鎖)にそのことをうかがわせる投稿をしていた。
- 元の位置に戻る ↑ 総合テレビは2007年10月の地上デジタル放送開始当初から使用している赤松俊理によるアナウンスを継続使用。
外部リンク[編集]
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