大下正忠
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大下 正忠 No.
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県 |
生没年月日 | 1950年4月26日((2024-1950)+((12-4)*100+(27-26)>=0)-1歳) |
身長/体重 | 172cm/ kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1968年 ドラフト7位 |
出場期間 | - 出場中
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年俸 | |
経歴 | |
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■テンプレート ■ウィキプロジェクト |
大下 正忠(おおした まさただ、1950年4月26日 - 2013年2月2日)は、大分県出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物[編集]
別府鶴見丘高校出身。1968年春の選抜大会に1番遊撃手として出場し市立神港高校の山口高志と対戦し初戦で敗れる。この試合、4打数1安打1打点の成績だった。1968年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから7位指名され入団した[1]。しかし一軍の試合には出場できず、わずか2年で引退した。
2013年2月2日、大腸癌のため大分県別府市内の病院で死去。享年62[2]。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
- 一軍公式戦出場なし
背番号[編集]
- 60 (1969年 - 1970年)
脚注[編集]
- ↑ () 過去のドラフト 第4回(1968年)田淵と山本、星野など大物ズラリ 日刊スポーツ [ arch. ] 2013-06-15
- ↑ ドラフト会議情報局2013…1968年巨人ドラフト7位選手が死去スポーツ報知、2013年2月23日4面