マニー・パッキャオ
マニー・パッキャオ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2010年8月26日、フィリピンのネグロス・オクシデンタル州ドゥマゲテに所在するシリマン大学にて | ||||||
基礎データ | ||||||
本名 | Emmanuel Dapidran Pacquiao | |||||
通称 | Pacman | |||||
階級 | ライトフライ級 – ウェルター級 | |||||
身長 | ||||||
リーチ | ||||||
国籍 | フィリピン | |||||
生年月日 | 1978年12月17日((2024-1978)+((12-12)*100+(27-17)>=0)-1歳) | |||||
出生地 | フィリピン南コタバト州 ジェネラルサントス市 | |||||
没年月日 | ||||||
死没地 | ||||||
所属 | ||||||
構え | サウスポー | |||||
入場曲 | ||||||
アマチュアボクシング戦績 | ||||||
総試合数 | 64 | |||||
勝 | 60 | |||||
KO・RSC勝 | ||||||
敗 | 4 | |||||
分 | ||||||
無効試合 | ||||||
獲得メダル | ||||||
金 | 銀 | 銅 | ||||
オリンピック | 0 | 0 | 0 | |||
世界選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
ヨーロッパ選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
アジア選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
世界ユース選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
世界ジュニア選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
世界女子選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
0 | 0 | 0 | ||||
獲得タイトル | ||||||
全日本選手権優勝 | 0 | |||||
全日本社会人選手権優勝 | 0 | |||||
全日本女子選手権優勝 | 0 | |||||
全国高校総体優勝 | 0 | |||||
全国高校選抜優勝 | 0 | |||||
国民体育大会優勝 | 0 | |||||
0 | ||||||
0 | ||||||
0 | ||||||
プロボクシング戦績 | ||||||
総試合数 | 56 | |||||
勝 | 51 | |||||
KO勝 | 38 | |||||
敗 | 3 | |||||
分 | 2 | |||||
無効試合 | ||||||
テンプレートを表示 |
マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao、1978年12月17日生まれ)は、フィリピンのプロボクサー。本名はエマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ。ブキドノン州(現・南コタバト州)ジェネラルサントス市出身。政党 "People's Champ Movement" 党首。パッキアオ、パキャオとも表記される。元WBC世界フライ級チャンピオン、IBF世界ジュニアフェザー級(スーパーバンタム級)チャンピオン、WBC世界スーパーフェザー級チャンピオン、WBC世界ライト級チャンピオン。現WBO世界ウェルター級チャンピオン。
人物[編集]
パックマンの愛称で知られ、サウスポースタイルからの左ストレートを主武器に数々の豪快なKO勝ちや名勝負、番狂わせの勝利を連発して幾多の一流世界チャンピオンを撃破し、アジア人初のメジャー世界タイトル5階級制覇チャンピオンとなった。2008年12月6日のオスカー・デ・ラ・ホーヤ戦のフィリピンでのテレビ視聴率は98%を記録し、アジア人史上最高額となる1試合2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得した。現在、多くのボクシング専門誌・サイトのパウンド・フォー・パウンドランキングで1位となっている。その一方で、自らもボクシングプロモーターとしてMPプロモーションを設立。自身が選手としてプロモート契約しているボブ・アラム率いるトップランク社と提携して、有望なフィリピン人ボクサーを自分の興行に出場させている。
パッキャオは祖国フィリピンの国民的英雄でグロリア・アロヨ大統領とも懇意。自ら結党した政党は "People's Champ Movement"(パッキャオ運動)と名づけた。2008年12月にはフィリピンのアティエンザ環境天然資源相が2009年度予算の上院審議をすっぽかして、パッキャオの対デラホーヤ戦の応援に駆けつけた。アティエンザは「パッキャオ選手の応援は予算と同じくらい重要だ」と答弁をして話題になった[1]。2007年5月にはミンダナオ島南コタバト州から下院選挙に出馬したが落選。2010年5月の下院選挙に同島サランガニ州から再度挑戦し、選出された。弟のボビー・パッキャオもプロボクサーである。
来歴[編集]
アマチュアボクシングでナショナルチーム入りを果たすなど、64戦60勝4敗の戦績を残した後、1995年1月22日、16歳1か月にしてライトフライ級でプロデビュー。12戦目で初黒星を喫するまで、ライトフライ級とバンタム級の間を行ったり来たりしていた。この敗戦以降はフライ級に留まる。1998年5月18日には日本のリングにあがり、ノンタイトル戦で寺尾新を1回TKOで下した。
1998年12月4日、27戦目でチャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)から8回KOでWBC世界フライ級タイトルを獲得。1999年9月17日、2度目の防衛戦では、前日計量の体重超過で失格し試合前にタイトルを剥奪され、メッドグン・3Kバッテリー(タイ)に3回KO負けを喫した。
その後、スーパーバンタム級まで一気に3階級上げ、WBCインターナショナルタイトルを獲得。これを5度防衛し、2001年6月23日に、元チャンピオンのエンリケ・サンチェスの欠場で世界タイトル挑戦のチャンスを得て、IBF世界ジュニアフェザー級チャンピオンのレーロホノロ・レドワバと対戦。パッキャオはレドワバから3度ダウンを奪い、一方的な6回TKO勝ちで2階級制覇を達成した。
IBFタイトルを4度防衛し、2003年11月15日に、メキシコのスーパースター、マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)と対戦。下馬評はバレラが圧倒的に有利だったが、左ストレートを武器にバレラのガードを破って3回と11回にダウンを奪い、11回TKO勝ちでThe Ring世界フェザー級チャンピオンとなった。この番狂わせで評価と注目を獲得した。
2004年5月8日、WBA・IBF統一世界フェザー級チャンピオンファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦。この試合でパッキャオは1Rに3度もダウンを奪ったが、猛反撃を受けて、引き分けとなった。
2005年3月19日、階級をスーパーフェザー級に上げ、バレラにWBC世界スーパーフェザー級タイトルを明け渡したばかりの元3階級チャンピオンエリック・モラレスと対戦。善戦したが0-3で判定負けする。半年後のWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦で6回TKOで勝利すると、2006年1月21日にエリック・モラレスと再戦。10回TKO勝ちでリベンジを果たした。同年11月18日にモラレスとのラバーマッチは3回KO勝利し、ライバルとの決着をつけた。
2007年10月6日、マルコ・アントニオ・バレラとの再戦で12回判定勝ち(バレラは試合後に現役引退を表明)。
2008年3月15日、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と4年半ぶりに再戦、3回にダウンを奪うがマルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る激闘の末、2-1の判定勝ち。WBC・The Ring世界スーパーフェザー級チャンピオンとなり、アジア人として初のメジャータイトル3階級制覇を達成した。
2008年6月29日、デビッド・ディアス(米国)と対戦、初回から一方的に攻め続けて9回KO勝利、WBC世界ライト級タイトルを獲得すると共にアジア人として初のメジャータイトル4階級制覇を達成した。
2008年12月6日、オスカー・デ・ラ・ホーヤと "The DREAM MATCH"(夢の対決)と銘打たれたウェルター級ノンタイトルマッチで対戦。1Rからパッキャオが主導権を握り、一方的な攻勢の末に8R終了時TKO勝ちを収めた。この試合は2008年の The Ring 年間アップセット賞に選出された。
2008年末は表彰ラッシュとなり、フィリピンのSports man of the year 2008を受賞。さらに世界ボクシング評議会、Yahoo!スポーツ部門、Googleスポーツ部門、アメリカ合衆国最大の総合スポーツ雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』において2008年最優秀選手賞を受賞した[2]。
2009年5月2日、ラスベガスにて「スーパーライト級現役最強」と評価されていたイングランドの国民的英雄リッキー・ハットンと対戦。1Rからパッキャオが2度のダウンを奪い、2R終盤に左のカウンター一撃で痛烈なKO勝ちをし、IBO・The Ring世界ライトウェルター級タイトルを獲得した。この試合は2009年の The Ring 年間KO賞に選出された。
2009年11月14日、ラスベガスMGMグランドガーデンにてプエルトリコのスーパースター、ミゲール・コットの持つWBO世界ウェルター級タイトルに挑戦。パッキャオが3Rに右フックで、4Rに左アッパーで2回のダウンを奪うと試合は一方的になり、12Rにロープ際に詰められたコットにレフェリーがストップをかけた。こうして12RTKO勝ちを収め、5階級制覇を達成。WBO世界ウェルター級タイトルとWBCが新設したダイヤモンドタイトルを獲得した。
2010年3月13日、テキサス州のカウボーイスタジアムにてガーナの鉄人ジョシュア・クロッティを相手にWBO世界ウェルター級タイトルの初防衛戦を行い、防御一辺倒の挑戦者を終始圧倒、フルマークが付く大差判定勝ちで初防衛に成功した[3]。
戦績[編集]
- アマチュアボクシング:64戦 60勝 4敗
- プロボクシング:56戦 51勝 (38KO) 3敗 2分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1995年1月22日 | ☆ | 4R | 判定 | ティティング・イグナシオ | フィリピン | プロデビュー戦 |
2 | 1995年3月18日 | ☆ | 4R | 判定 | ピノイ・モンテジョ | フィリピン | |
3 | 1995年5月1日 | ☆ | 6R | 判定 | ロッキー・パルマ | フィリピン | |
4 | 1995年7月1日 | ☆ | 2R | TKO | デール・ダシアート | フィリピン | |
5 | 1995年8月3日 | ☆ | 6R | 判定 | フラッシュ・シンバジョン | フィリピン | |
6 | 1995年9月16日 | ☆ | 3R | KO | アルマン・ロルシ | フィリピン | |
7 | 1995年10月7日 | ☆ | 8R | 判定 | ロリト・ラロア | フィリピン | |
8 | 1995年10月21日 | ☆ | 2R | TKO | レナト・メンドネス | フィリピン | |
9 | 1995年11月11日 | ☆ | 3R | TKO | ロドルフォ・フェルナンデス | フィリピン | |
10 | 1995年12月9日 | ☆ | 10R | 判定 | ローランド・ツユゴン | フィリピン | |
11 | 1996年1月13日 | ☆ | 5R | TKO | リト・トレホス | フィリピン | |
12 | 1996年2月9日 | ★ | 3R | KO | ルスティコ・トーレカンポ | フィリピン | |
13 | 1996年4月27日 | ☆ | 10R | 判定 | マーロン・カリーリョ | フィリピン | |
14 | 1996年5月20日 | ☆ | 4R | TKO | ジョン・メディナ | フィリピン | |
15 | 1996年6月15日 | ☆ | 4R | TKO | バート・バティラー | フィリピン | |
16 | 1996年7月27日 | ☆ | 2R | TKO | イッポ・ガラ | インドネシア | |
17 | 1996年12月28日 | ☆ | 2R | TKO | イ・サンユル | 大韓民国 | |
18 | 1997年3月8日 | ☆ | 1R | KO | マイケル・ルナ | フィリピン | |
19 | 1997年4月24日 | ☆ | 1R | KO | 李旭基 | 韓国 | |
20 | 1997年5月30日 | ☆ | 6R | TKO | アリエル・オーストリア | フィリピン | |
21 | 1997年6月26日 | ☆ | 5R | KO | チョクチャイ・チョクビワット | タイ | OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ |
22 | 1997年9月13日 | ☆ | 10R | 判定 | メルビン・マグラモ | フィリピン | |
23 | 1997年12月6日 | ☆ | 1R 1:38 | KO | タノンディ・シンワンチャー | タイ王国 | OPBF防衛1 |
24 | 1998年5月18日 | ☆ | 1R 2:59 | TKO | 寺尾新 | 日本(八王子中屋) | |
25 | 1998年12月4日 | ☆ | 8R | TKO | チャチャイ・ダッチボーイジム | タイ王国 | WBC世界フライ級タイトルマッチ |
26 | 1999年2月20日 | ☆ | 3R | TKO | トッド・マケリン | オーストラリア | |
27 | 1999年4月24日 | ☆ | 4R 2:45 | KO | ガブリエル・ミナ | メキシコ | WBC防衛1 |
28 | 1999年9月17日 | ★ | 3R 1:32 | KO | メッドグン・3Kバッテリー | タイ王国 | WBC失冠 |
29 | 1999年12月18日 | ☆ | 2R | TKO | レイナンテ・ハミリ | フィリピン | WBCインターナショナルスーパーバンタム王座決定戦 |
30 | 2000年3月4日 | ☆ | 4R | KO | アーネリル・バロテリオ | フィリピン | WBCインター防衛1 |
31 | 2000年6月28日 | ☆ | 1R | TKO | 蔡昇坤 | 大韓民国 | WBCインター防衛2 |
32 | 2000年10月14日 | ☆ | 10R 2:00 | TKO | ナデル・フセイン | オーストラリア | WBCインター防衛3 |
33 | 2001年2月24日 | ☆ | 5R | TKO | 千里馬哲虎 | 日本(千里馬神戸) | WBCインター防衛4 |
34 | 2001年4月28日 | ☆ | 6R | KO | クマンペット・キャットボラフォン | タイ王国 | WBCインター防衛5 |
35 | 2001年6月23日 | ☆ | 6R 0:59 | TKO | レーロホノロ・レドワバ | 南アフリカ共和国 | IBF世界ジュニアフェザー級タイトルマッチ/2階級制覇 |
36 | 2001年11月10日 | 分 | 6R 1:12 | 負傷判定1-1 | アガピト・サンチェス | ドミニカ共和国 | IBF・WBO世界ジュニアフェザー級タイトルマッチ/IBF防衛1 |
37 | 2002年6月8日 | ☆ | 2R 1:09 | TKO | ホルヘ・エリセール・フリオ | コロンビア | IBF防衛2 |
38 | 2002年10月26日 | ☆ | 1R 2:46 | TKO | ファーブラコム・ラキットジム | タイ王国 | IBF防衛3 |
39 | 2003年3月15日 | ☆ | 5R 1:52 | TKO | エリクザーン・イェシュマンベトフ | カザフスタン | |
40 | 2003年7月26日 | ☆ | 3R 0:48 | KO | エマヌエル・ルセロ | メキシコ | IBF防衛4 |
41 | 2003年11月15日 | ☆ | 11R 2:56 | TKO | マルコ・アントニオ・バレラ | メキシコ | The Ring・世界フェザー級タイトルマッチ |
42 | 2004年5月8日 | 分 | 12R | 判定1-1 | ファン・マヌエル・マルケス | メキシコ | IBF・WBA世界フェザー級タイトルマッチ |
43 | 2004年12月11日 | ☆ | 4R 1:26 | TKO | ファーサン・3Kバッテリー | タイ王国 | IBF世界フェザー級挑戦者決定戦 |
44 | 2005年3月19日 | ★ | 12R | 判定0-3 | エリック・モラレス | メキシコ | WBCインターナショナル・IBA世界スーパーフェザー級王座決定戦 |
45 | 2005年9月10日 | ☆ | 6R 2:59 | TKO | エクトール・ベラスケス | メキシコ | WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦 |
46 | 2006年1月21日 | ☆ | 10R 2:33 | TKO | エリック・モラレス | メキシコ | WBCインター防衛1 |
47 | 2006年7月2日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | オスカー・ラリオス | メキシコ | WBCインター防衛2 |
48 | 2006年11月18日 | ☆ | 3R 2:57 | TKO | エリック・モラレス | メキシコ | WBCインター防衛3 |
49 | 2007年4月14日 | ☆ | 8R 1:16 | KO | ホルヘ・ソリス | メキシコ | WBCインター防衛4 |
50 | 2007年10月6日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | マルコ・アントニオ・バレラ | メキシコ | WBCインター防衛5 |
51 | 2008年3月14日 | ☆ | 12R | 判定2-1 | ファン・マヌエル・マルケス | メキシコ | WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ/3階級制覇、The Ring・世界スーパーフェザー級王座決定戦 |
52 | 2008年6月29日 | ☆ | 9R 2:24 | KO | デビッド・ディアス | アメリカ合衆国 | WBC世界ライト級タイトルマッチ/4階級制覇 |
53 | 2008年12月6日 | ☆ | 8R 3:00 | TKO | オスカー・デ・ラ・ホーヤ | アメリカ合衆国 | |
54 | 2009年5月2日 | ☆ | 2R 2:59 | KO | リッキー・ハットン | イギリス | IBO・The Ring・世界ライトウェルター級タイトルマッチ |
55 | 2009年11月14日 | ☆ | 12R 0:59 | TKO | ミゲール・コット | プエルトリコ | WBO世界ウェルター級タイトルマッチ/5階級制覇 |
56 | 2010年3月13日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ジョシュア・クロッティ | ガーナ | WBO防衛1 |
獲得タイトル[編集]
- OPBF東洋太平洋フライ級タイトル
- WBC世界フライ級タイトル
- WBCインターナショナルスーパーバンタム級タイトル
- IBF世界ジュニアフェザー級タイトル
- The Ring世界フェザー級タイトル
- WBCインターナショナルスーパーフェザー級タイトル
- WBC世界スーパーフェザー級タイトル
- The Ring世界スーパーフェザー級タイトル
- WBC世界ライト級タイトル
- IBO世界ライトウェルター級タイトル
- The Ring世界ライトウェルター級タイトル
- WBO世界ウェルター級タイトル
- WBCダイヤモンドタイトル
主な表彰[編集]
- The Ring 年間最優秀選手賞 – 2006年、2008年、2009年
- フィリピン Sports man of the year 2008
- WBC 2008年最優秀選手賞
- Yahoo! スポーツ部門2008年最優秀選手賞
- Google スポーツ部門2008年最優秀選手賞
- スポーツ・イラストレイテッド2008年最優秀選手賞 (2008 Sports Illustrated Boxer of the Year)
- TIME "The World's Most Influential People" Heroes & Icons部門2009年版100人入り
脚注[編集]
- ↑ <フィリピン>大臣が予算審議すっぽかし米でボクシング応援 毎日新聞 2008年12月12日
- ↑ 『ボクシング・マガジン』2009年7月号より。
- ↑ パッキアオ一方的判定勝ち WBO王座V1 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年3月14日
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
前チャンピオン チョクチャイ・チョクビワット |
第26代OPBF東洋太平洋フライ級チャンピオン 1997年6月26日 – 1998年9月(返上) |
空位 次タイトルホルダー メルビン・マグラモ |
前チャンピオン チャッチャイ・ダッチボーイジム |
第31代WBC世界フライ級チャンピオン 1998年12月4日 – 1999年9月17日(剥奪) |
空位 次タイトルホルダー メッドグン・3Kバッテリー |
前チャンピオン レーロホノロ・レドワバ |
第11代IBF世界ジュニアフェザー級チャンピオン 2001年6月23日 – 2003年(返上) |
空位 次タイトルホルダー イスラエル・バスケス |
前チャンピオン ファン・マヌエル・マルケス |
第28代WBC世界スーパーフェザー級チャンピオン 2008年3月15日 – 2008年6月16日(返上) |
空位 次タイトルホルダー ウンベルト・ソト |
前チャンピオン デビッド・ディアス |
第27代WBC世界ライト級チャンピオン 2008年6月28日 – 2009年2月24日(返上) |
空位 次タイトルホルダー エドウィン・バレロ |
前王者 ミゲール・コット |
第18代WBO世界ウェルター級王者 2009年11月14日 – 現在 |
次王者 N/A |
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・マニー・パッキャオを利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |