「東野幸治」の版間の差分

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*[[もはや神ダネ!!]](24時45分 - 25時10分、フジテレビ系)
 
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*[[ギョクセキっ!]](24時35分 - 25時30分、関西テレビ)
 
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*[[東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)
 
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*[[ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説 スペシャル2012夏]](テレビ東京系)
 
*[[ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説 スペシャル2012夏]](テレビ東京系)
 
スッキリ(2014年7月15日他。日本テレビ)
 
スッキリ(2014年7月15日他。日本テレビ)
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土曜日スタジオ(2014年9月27日。VTR。NHK)
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クイズバトル(2014年9月27日。NHK)
  
 
== 過去のレギュラー番組 ==
 
== 過去のレギュラー番組 ==

2014年9月28日 (日) 10:55時点における版

東野 幸治
本名東野 幸治
ニックネームひがしのり・ちりちり・かたやきそば
生没年月日1967年8月8日(2024-1967)+((12-8)*100+(29-8)>=0)-1歳) - 
出身地日本の旗 日本兵庫県宝塚市
血液型O型
身長178cm
方言関西弁
最終学歴兵庫県立宝塚高等学校
師匠
出身心斎橋筋2丁目劇場のオーディション
グループ名Wコウジ(非公式)
相方今田耕司(Wコウジとして)
芸風コント
立ち位置右(Wコウジとして)
事務所吉本興業東京本社
活動時期1985年 -
同期木村祐一
現在の代表番組レギュラー番組
ほこ×たて
ナマイキ!あらびき団
ノブナガ
スペシャル番組
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル
ものまね王座決定戦
過去の代表番組ダウンタウンのごっつええ感じ
4時ですよーだ
ダウンタウン汁
作品
他の活動
配偶者一般人(一度離別したが再び入籍)
親族娘2人
弟子
公式サイト
受賞歴
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東野 幸治(ひがしの こうじ、1967年8月8日 - )は、日本お笑いタレント司会者である。兵庫県宝塚市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー吉本興業)所属。身長178cm。血液型O型兵庫県立宝塚高等学校卒業。愛称はひがしのり(髪の毛が濡れた時に頭に海苔がのっているようだったから)、チリ毛(天然パーマから)、白い悪魔(色白で人の不幸をよく嘲う事から)、チリチリ、かたやきそば、陰毛食べ食べ(野性爆弾川島邦裕命名)、2軍のボス(有吉弘行による命名)。

来歴

1985年、高校3年生の時に吉本興業の新人オーディションを受け合格し、そのまま芸人となる。当時、お笑いブームが終わりダウンタウンという新しい世代の芸人を中心に吉本興業が新たなムーブメントを起そうとしていて、そのオーディションの一環でダウンタウンが2丁目劇場で公開録音していた「心斎橋お笑い探検隊」(ラジオ大阪)というラジオ番組に出演する。番組に出演すると豪華商品がもらえると友達に誘われたのがきっかけであるが、もらえたのはボールペンであった。なお、同じオーディションをリットン調査団も受けていた。一時期、大学に通う友人に乗せられ大学受験を決意し芸人を休業するも受験に失敗し、その後は芸人活動に本腰を入れる。

若手時代は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動、ダウンタウンが司会を務める公開生番組『4時ですよ〜だ』などに出演していた。番組開始当初は素人参加コーナー「ダウンタウンの欲望」の募集の告知を呼びかける「欲望の男」だけの役であったが、次第に頭角を現し、最後の半年は今田耕司石田靖らとともに司会を任されることとなる。また『4時ですよ〜だ』が放送されていた頃、今田とのコンビで2丁目劇場の超若手が出演するライブイベント「2丁目jrたんけんたい」(上部組織にダウンタウンがメイン司会を務める「2丁目探検隊」というライブがあった)の司会進行を担当していた。この頃の月収は7~8万円程度で、とくに危機感も向上心も湧かなかったという。

また、同時期に夕方の帯番組として放送されていた圭・修が司会を務める『素敵!KEI-SHU5』では、白いランニングにトレパン姿の「セニョール東野」というキャラクターで各地をリポートするVTR企画も担当(このセニョールのキャラは、当時の舞台上でのネタで演じられていたものだった)。

『4時ですよ〜だ』の終了後、今田らと共に、当時立て直しが急務とされていた吉本新喜劇の補強メンバーとして出向を命じられる。当初は吉本新喜劇行きをどうしても受け入れる事ができず、芸人を引退し植木屋への転職を考えていた。しかし、今田らの熱心な説得により芸人引退を思い止まり、新喜劇入りも受け入れる事になる。その吉本新喜劇では主に主役として出演する。その後、24歳で結婚、子供をもうける。今田同様、ダウンタウンを慕い、彼らが上京した1年後に東京へ進出。NSC出身ではないため、4期生で数ヶ月先輩である今田などには敬語を使い、ほぼ同時期に芸能界デビューした木村祐一には、東野の方が数ヶ月先輩ではあるものの同期として接し、(ただし、初対面の時木村は自分が東野より数ヶ月後輩という事を知っていたが、東野に「木村さん」と言われたのをきっかけに「東野」と呼び捨てになったと言う。)5期生の辻本茂雄に対しては先輩として振舞っている。ただし最近では、約2年後輩の石田靖や、約3年後輩の松村邦洋に対して『ほぼ同期』『40歳を超えたら(2~3年程度の芸歴差なら)同期と同じ』といった発言もしている[1]。同い年には山崎邦正(1年数ヶ月後輩)や雨上がり決死隊蛍原徹(2年数ヶ月後輩)や、他の事務所では前述の松村邦洋などがいる。

東京進出後、『ごっつええ感じ』のレギュラーを獲得。しかしコアな笑いを求める。

『行列の出来る法律相談所』に出演するようになってから、コアな笑いは茶の間には受けないことを知り、“距離感”を学ぶ。

人物

身体的特徴

  • 細身で「かた焼きそば」「チリチリ」と表現される天然パーマ頭がトレードマーク。
  • かつては視力が悪かったため、ハードコンタクトレンズを使用していたが、2004年にレーシック手術を受け視力回復に成功した。

性格

  • 『ダウンタウンのごっつええ感じ』にはレギュラー放送化前の特番には出演していたものの、レギュラー放送開始しばらくは、「東野は協調性がない」との判断で参加が見送られていた。そのため、他のダウンタウン・ファミリーの面々よりは全国区進出が遅れる形となっていたが、板尾創路の一時的な番組出演休止の際にピンチヒッターとして1994年10月よりメンバーに加わり、満を持して本格的な全国区進出を果たす。数々の傑作コントに出演し、板尾復帰後も不動のメンバーとして定着した。
  • 今田耕司や松本人志島田紳助らから「愛情がない」「人の心を忘れた冷徹なモンスター」「他人の心にスタッドレスタイヤを履いて踏み込んで来る」「本気で人のことを好きになったことが無い」「人の話に興味がない」「家では換気扇の絵ばかり描いている」などとネタにされ、その裏づけとしてのエピソードもいくつか語られている。
    • 例えば「飼っていたの死骸をゴミ箱に捨てた」という噂が流れていたが、これは病気になったとはいえ犬や猫ならともかく“亀”を病院に連れて行くことに疑問と不満を感じ、しかし「娘の情操教育のため」と渋々病院に連れて行った、というのが真相で、「ゴミ箱に捨てるほど生き物に愛着が無い」ということだったらしい。
    • 離婚後、東野家にあったタンスは東野が引き取ったが、すぐに捨ててしまった。このことに長女は「家族の思い出が詰まったタンスをどうして捨てられるの?」と言って大泣きしたが、東野は泣いている意味が解らなかったという(『松紳』にて)。
    • 千原ジュニア交通事故を起こし入院した際、見舞いに訪れた東野は『美味しんぼ』の単行本を土産に差し入れた。だが、未だ重体だったジュニアは摂食が困難で点滴や流動食から栄養を摂っていた為、まったく笑えないジョークとなってしまった。しかも、本屋に並んでいた単行本をそのままゴッソリと買ってきたため、1巻2巻4巻6巻6巻…というような穴空き・重複だらけだったという。
    • 以前マネージャーを務めていた人物が、何か自分に隠し事をしていると勘付きしつこく問いただした。すると彼は、同じ吉本の女性社員とコッソリ付き合っていて結婚を考えているとのこと。周囲にばれると気まずくなるからとマネージャーからは秘密にしてもらうようにお願いされ、その場ではそれを了承した。しかし、その直後の収録で何のためらいも無くそのことをばらし、更に二人のことを下ネタを交えて面白おかしくネタにした為、出演者やスタッフ全員に知れ渡ってしまう事となった。そのことが原因でマネージャーは彼女との間に亀裂が生じて破局、会社にもい辛くなって退社に追い込まれた。
  • やりにげコージー』で行われた箱庭を使った深層心理テストでは、東野の作り出した、中央にぽっかりと空間の空いた構成要素や人物が誰も交わる事の無い箱庭は、一同(カウンセラー含む)を戦慄させた。
  • 編集で自分の活躍がカットされる事が悔しく、傷つく為、基本的に自分の出た番組のオンエアチェックは行わず、脳内で自分が大活躍しているオリジナル編集版を製作し、それで満足しているという。

特技・嗜好

  • 学生時代、水泳ジュニアオリンピック候補に選ばれた事もある。
    • 1つ年上の兄と共に、「宝塚のスポーツ兄弟」「トビウオ兄弟」と呼ばれ、その評判は関西全域に轟いていたという。阪急沿線では十三駅近くに隣接しており、有名な履正スイミングクラブ十三に通っていた。
    • 同じく宝塚市出身の金村義明は、彼の親戚が東野と同じ高校で友達だったため、その親戚を介し「スポーツ兄弟」として有名だった東野の事を芸人デビュー前から知っていた。一方で、当時は高校野球のスターだった金村の事を東野は当然知っており、デビュー前から直接の面識は無いものの、互いにスポーツマンとして一目置く関係だったという。
    • 現在は体力の衰えが著しく、かつての「宝塚のスポーツ兄弟」は今や見る影もないという。健康に配慮し、久々にスポーツクラブで水泳を行った際、200m泳いだ時点で気分が悪くなり、その場で嘔吐した。また、以前は裸に自信があり、テレビ番組でよく裸やそれに近い姿になっていた(本人曰く、抱かれた女は東野の裸を見て「まるでギリシャ彫刻みたーい!」と驚くという)が、最近は乳首も下がってきて裸になることに抵抗が出てきたと漏らしている。
  • 水泳の実績を生かし、2009年・2011年、『行列のできる法律相談所』の番組企画で、トライアスロン大会に3回出場した。2009年4月26日『石垣島トライアスロン2009』、2011年5月15日『第25回指宿トライアスロン大会』、2011年9月4日『2011佐渡国際トライアスロン大会』。この内、2009年石垣島・2011年指宿の2つの大会で完走した。[2]
  • 高校では将棋部に所属。
  • かつてはアイドルなど、チヤホヤされることが最初から決まっている立場の人間に極めて厳しい態度を取っていた。特に不思議系アイドルには厳しく、鈴木蘭々と共演したときは「なんで? 自分、おしゃれ情報発信基地やん!」というセリフを何度も繰り返し、追い込もうとした。まだバラエティ慣れしていない頃に共演した雛形あきこにも、「いや、わからないじゃなくて何かしゃべって下さいよ」と何度も繰り返して追い込んだ。今田は、「『東野が同じセリフを繰り返してるとき』はキレてるとき」と言っている。ただし、これらはあくまで他のパーソナリティーからのツッコミによって番組自体はつつがなく進行することが前提での話であり、番組を破綻させるような行為はしない。また、『ごっつええ感じ』での「キャリー東野のアイドル虎の穴」のような肉体的にアイドルを痛めつける企画には、絶妙な塩梅で最大限の面白さを生み出せる東野が誰よりも適任であった。
  • 風俗が大好きで、昼夜問わず舞台の合間(1時間)にも赴くほど。店に予約を入れるときの偽名(通称「風俗ネーム」)は「東田」である(『ノブナガ』で公言)。普段は街中でも変装する事はないが、このときはレイバンのミラーサングラスを着用する。
  • 「風俗で働く女性は背が低い」という自説「風俗嬢リトルガール説」を掲げており、それを証明すべく『やりすぎコージー』で東名阪の風俗店各10店舗の協力の下、検証を行った。その結果、風俗で働く女性の身長は、厚生労働省が公表する同年代の女性より約1cm低いというデータが得られた。
  • 最近健康のため、ゴルフを始めた。ナインティナイン岡村隆史をゴルフに誘った際、岡村を担当していたキャディ、コース上でゴルフクラブを放り投げるなど、非常識な振る舞いをしていたため嫌われていたそうだが、現在は蛍原徹や大山英雄も参加し、「東野ゴルフクラブ」を設立。このクラブの教科書的存在が、いわゆるBIG3である。
  • 2000年には小説『泥の家族』で作家デビューを果たし、内容に関しては「7割が作り話で3割が実話」とコメントしている。テレビ番組で出版社に売れ行きを問い合わせたところ、1万部発行したところ実質3千部しか売れず、残りの7,000部は廃棄処分になったという。タレント本としては異例の少なさだったとのこと。
  • 性格を示すエピソードの一つに、芸人になってから最初の彼女との初デートで漫画喫茶に行き、3時間無言で漫画を読み続け、「芸人やったらちょっとはしゃべってよ!」とキレられたという。
  • 日本のロックシーンにも関心を持ち、『ROCKIN'ON JAPAN』や『snoozer』を愛読する。くるり岸田繁の発言がお気に入りらしい。イギリスのロックバンド、オアシスのファンでもあり、コンサートも観に行った。
  • 格闘技に興味があり「合気道」をしているが、最初の頃は「合気道のビデオ」だけを見て技の練習をしていたため、番組の共演者に笑われた。
  • 格闘家のなかではジャンボ鶴田をイチオシ。今田も引くほどである。
  • プロ野球に関しては、阪神タイガースのファンである。自ら司会を務めたレギュラー番組「ベストポジションSPORTS」で公言している。

親交関係

  • 今田と共に“Wコウジ”と呼ばれているが、ピン芸人である。手堅い今田に対して破滅的な芸風の東野というコントラストで、若手時代からコンビを組むことが多い。正式にコンビを組まない理由は2人で漫才やコントをやると必ずすべるとの理由の為。(ガキの使いの特番でWコージとしてネタみせ出演回にての発言)
  • 仕事以外では芸人仲間とは殆ど遊ばないらしく、たまに千原せいじなどの後輩を誘って食事に行っても、ずっと漫画や雑誌を読んで全くしゃべらないという。せいじとは『やりすぎコージー』の収録後に二人きりで食事に行くほど親しい関係であり、せいじは後輩でありながら東野を「ひがしのり」呼ばわりし、常にタメ口をきいているが、「せいじはため口のほうがおもろい。」と東野自身がせいじに勧める。その為せいじはテレビ本番中によく先輩芸人に叱られている。
  • 大阪における「東野軍団」として、ダイアンの西澤や天竺鼠の川原などがいる。

エピソード

  • 芸風としては、先輩芸人である笑福亭鶴瓶の「(困ったら)笑ろとったらええねん」というのを座右の銘としているようで、度々自分でもその台詞を言っている。
  • 「ちょっと待って下さいよ」、「やらしい話」、「正直」、「頭おかしい」が主な口癖である。
  • あまり知られていないが「どや顔」(したり顔、得意顔の意)というフレーズを最初に言いだした張本人である。いろもん貳に出演の際、共演者の笑福亭鶴瓶をからかった一言から生まれた。同日の収録中に繰り返し使ううち、どーやって顔→どーや顔→どや顔、と変化し完成していったので今田耕司との合作とも言える。その他にも土田晃之の「死ねばいいのに」や、前述の「ちょっと待って下さいよ」など他の芸人が良く使うフレーズに東野発信のものが多い。
  • 宇多田ヒカルと同じ幼稚園・中学校に通っていた。東野が用事でその中学校に行った時、デビュー前の宇多田が東野を見かけたことがあるという[3]
  • 日本テレビ24時間テレビ「愛は地球を救う」』の看板企画「チャリティーマラソン」のランナー候補に何度か挙がったこともあるが、東野自身は「僕は走っても良いんですけど、日本中が応援しないと思う」と否定的な発言をしている。
  • ダウンタウンが最もイジリやすい(絡みやすい)と感じている芸人のひとりであり、そのためいくつもの番組で何回もドッキリにかけられた。東野の芸風を汲み、松本が「おまえなんか絶対売れへんねん!」と貶め、東野が「ちょっと待って下さいよ!」と反論する事で笑いが生まれるというスタイルが確立されていた。
  • 若手時代に東野が着ていたジャケットを、松本人志に高速道路を走行中のタクシーの窓から投げ捨てられてしまう。後に松本から別のコートを貰うが、ポケットに手を入れると激痛が走る。中を見るとダーツの矢が尖っている方を上向きに仕込まれていた。この事を例に挙げて「(昔に比べて)ダウンタウンは(性格が)丸くなった」と若手芸人に語っている。
  • 大阪時代はダウンタウンと同じく、東野も今田耕司と共に関西ローカルの伝統的ラジオ番組『MBSヤングタウン』(通称『ヤンタン』)のパーソナリティを担当。もともと今田がサブで出演していたダウンタウン担当の木曜日から卒業独立し、新たに東野を迎えて金曜日を担当した。ダウンタウンの『ヤンタン』木曜日は岩石のように荒々しいハードな内容が特徴であったが、金曜日もその傾向を継いでおり、レギュラー出演していた加藤貴子(当時はアイドルグループLip'sのメンバーだった)はそれに耐えられず、大阪へ向かう新幹線の中で血を吐いたことがあるという。
  • 元夫人と結婚〜離婚〜復縁同居(現在)までを東野自身や共演者がネタとして話すことが多い。結婚〜離婚までは主にWコージによる地方ローカル(『正解るんです』〜『ノブナガ』)、離婚〜同居復縁(現在)までは「松紳」「ごぶごぶ」「行列のできる法律相談所」などでネタにしている。
  • プライベートにおける東野は寝癖などをセットしない為、ゴルフ場に現れる彼の頭髪は岡村いわく「ボビー・ブラウンのような状態」(『ナインティナインのオールナイトニッポン』より)。その岡村には偽物のロレックスをつかまされたことがある。
  • 『やりすぎコージー』のM(みうち)-1グランプリにて、出場芸人の父親のダメぶりを見て、「ウチなんかもっとひどかったよ」と、難波花月にホステスを連れて来場したなどのエピソードを披露した。
  • 山崎邦正たむらけんじ森三中黒沢宗子アンガールズなど、多くの後輩や若手の芸人にリスペクトされる存在である。特に山崎は日頃より「東野さんがもっとブレイクしないのはおかしい」等の東野の才能を啓蒙する発言を行っている。そんな山崎を東野は「親友」と思っているが、山崎はあくまで「先輩」と思っているという。 また、後輩や若手芸人以外では、V6岡田准一も東野が司会を務める「マルコポロリ」の番組内で東野ファンであると公言した。
  • 内村光良からは若手時代から妙に気にいられており、何度か共演している。いろもん2にウッチャンナンチャンがゲスト出演した際に東野はロケの休憩中は無言だから気が合ったと言っている。しかしウンナンの番組で東野が出たコーナーはどれも短命で、「俺もウリナリファミリーやのに」と愚痴っていたことも。「ウリナリ」における内村・東野コンビのコーナーで最も長寿コーナーとなった「シャドウマン」は子供たちに全身で様々な影絵を見せるというコーナーだったが、子供たちからは野次を飛ばされたり、影絵のリクエストを聞くと「ウンコ」と無理難題をリクエストされたりと散々な目に遭っていた。怒りが頂点に達した東野は子供たちに制裁を加えようとしたが、内村に止められた。
  • 1995年5月9日笑っていいとも!テレホンショッキングに出演したが、その週の東野以外のゲストが団体だったため、翌週の月曜のテレホンショッキングの当日のゲストを紹介する前に左側のゲストに来た写真を入れるカレンダーを見ながら、タモリから「東野以外は団体だったんだ」を言った後「東野一人でも団体みたいなもの」と言われた。
  • 同年『FNSの日・1億2500万人の超夢列島〜そのうちなんとか…23時間』の料理コーナーにて、同時中継されていたマラソンでトミーズ雅が完走しスタジオ内が感動で包まれているところ、東野はスタジオの隅で炊飯器を開けごはんを食べていた。それを見た笑福亭鶴瓶に、今皆が感動しているところなのに、と止められると、「どうでもええんじゃー!!」と逆ギレした。
  • 一方、1997年に放送されたテレビ朝日の特番『27時間チャレンジテレビ』では鶴瓶、今田、そしてビートたけしと共にブリーフパンツ一丁のスペシャルユニット「ブリーフ4」を結成。このとき居酒屋トークで酒を飲みすぎ、生放送中にも関わらず完全に泥酔した鶴瓶は、その後に訪れた深夜の丹波哲郎邸で暴走。意味不明の笑みを浮かべ、我を失ったままブリーフを脱ぎだし風呂場や庭でを試みようとした。のちに「鶴瓶上岡パペポTV」や「きらきらアフロ」で語られたところによると、生放送の画面には映っていなかったが、鶴瓶は実際に大をしており、東野はとっさに鶴瓶の尻の下に両手を挿し延ばし大をキャッチ。最悪の事態は避けられたという。
  • 2002年3月30日の「オールスター感謝祭'02春」では9位入賞を果たした。
  • 大御所を大御所として扱わない傾向は鶴瓶だけにとどまらず、萩本欽一との共演時も遠慮なく激しいツッコミを繰り返した事もあった。だが、逆にこれは萩本にとって好印象で、芸人としての東野を高く評価しているという。だが、「ひがしの」という名前は覚えてもらえず、誤って「とうの」と呼ばれている。
  • 愛のエプロン」で舘ひろしと2回共演し、舘が「前回はものすごい嫌なもの食わされて蕁麻疹が出た」と発言したところ、東野が「終わってから、石原軍団名物おはぎを食べればいいじゃないですか」と言ったのを、偶然収録に来ていた石原軍団の小林専務が聞いており、すぐさまおはぎを発注。東野の一言がきっかけで2〜3時間後の休憩時には4個入りのおはぎ200個が用意された。
  • 2007年8月19日に日本テレビで放送され、行列メンバーも集結していた「24時間テレビ30」に出演できなかった。これは裏番組(関西ローカルのマルコポロリ)出演のためであり、日本武道館からの特別生放送だった「行列のできる法律相談所」には出演したが、紳助や磯野貴理から裏番組出演を暴露された。それだけでなく、紳助から全館禁煙の武道館の楽屋煙草を吸ってしまい怒られていたことや、離婚した嫁の話などでいつも通りにいじられていた。
  • 「行列のできる法律相談所」への準レギュラー出演の仕事を「ぱぁーと行って、笑っていればギャラが入ってくる」と思っている。
  • ツイッター上で偽者が現れたため、誤解されないよう自身もツイッターを開始。ツイッター開設のお知らせを芸人仲間に送信したところ、桂三度から「お前偽者やろ。兄さんがツイッターなんかするかいな」という返信が返ってきた[4]
  • 先輩を呼び捨てにする事を嫌う。「行列のできる法律相談所」の中で香取慎吾見栄晴を呼び捨てにしたら「見栄晴さんやろ!!」と言い、ごぶごぶの中で浜田雅功笑福亭笑瓶を呼び捨てにしたら、「あのー、(笑瓶の方が)先輩ですよね?」と言っている。
  • 2011年10月1日の「オールスター感謝祭'11秋」ではMC未定だった為、リレー形式の3人目(最後)の司会者として出演した。「また次回、僕は(来年の春)いません!」と言って確かに居なかった。

芝居

  • コントの経験は豊富なものの、シリアスな芝居をさせると途端に大根役者になる。
    • ダウンタウンのごっつええ感じ』では彼の演技力を鍛えるためのコーナー(コーナー名は「龍としのぶ 俳優養成テレビ小説」)まで作られた。この企画では東野がセリフを言うシーンにだけ、台本に書かれている本当のセリフを字幕スーパーにして、画面下部に表示していた。これにより、ストーリーだけを見ればギャグの無いシリアスな筋書きのドラマなのであるが、本人が劇中で発するセリフが台本のそれとは全然違うことがわかり、視聴者の笑いを誘発するという仕掛けが施されていた。
    • その後2001年に『明日があるさ』で久々のドラマ出演を果たしたが、演技力は全く成長しておらず、挙句には彼の演技のあまりの酷さに他の共演者のNGを誘発する始末となった(撮影初日のシーンで出したNGは8回)。そのため、本来ならNG同然の箇所も見受けられるが「これ以上の演技力は求められない」として放送されている部分もある。ガチガチの動きは浜田曰く「東野だけ時代劇だった」とのこと。浜田がアドリブで東野に振った際には驚愕して固まっていたそうである。
    • 若手の頃Vシネマに出演し、ベッドシーンで騎乗位を行ったが、ガチガチで「高い高い」のようになっていた。
  • 2004年に子供向け特撮ドラマ『戦隊シリーズ』の司令官役での出演オファーが来ていた事を自身の番組内で公表していたが、これは東映制作のスーパー戦隊では無く、松竹制作の『魔弾戦記リュウケンドー』であった模様。後にこの役は諸処の事情から同じ吉本興業所属の清水圭が演じる事となった。
  • 尊敬する役者は萬屋錦之介である。

評価

  • 中心から少し離れた位置でのトーク力があり、「ちょっと待って下さいよ」と話に割り込んでくる姿は他のお笑い芸人たちに多くものまねされている。
  • 今田と共に「雛壇芸人」のお手本的存在と言われている。
  • 井上公造から「東野さんの仕事の量と日本の景気は連動している」と言われたことがある。テレビ局側の立場に立つと、景気が悪いからといって大御所芸人を降板させることはできず、また若手芸人はギャラが安いので景気が悪くても使える。東野のような中堅芸人が一番切りやすいため、その仕事量で景気が把握できるという説で、実際2001年頃のデフレ不況の時、東野はレギュラーが8本なくなった事があり、本人もこの説を支持している。

現在の出演テレビ番組

ワイドナショー。(フジテレビ)

単発

スッキリ(2014年7月15日他。日本テレビ) 土曜日スタジオ(2014年9月27日。VTR。NHK) クイズバトル(2014年9月27日。NHK)

過去のレギュラー番組

バラエティ

ドラマ

ラジオ

その他の出演作品

CM

  • ジョージア・エメラルドマウンテンブレンド(2010年・浜田率いる「王道派」)

テレビゲーム

著書

CD

メンバーとして参加したRe:Japanエキセントリック少年ボウイオールスターズ(ニイハオ役)、日影の忍者勝彦オールスターズ(アメ入道役)も参照。
また、テイ・トウワプロデュースによる今田のKOJI1200名義のアルバム「I LOVE AMERICA(アメリカ大好き!)」にも今田をサポートする役割で大きく参加した。歌とラップ、コーラス、ベース(の口真似)、コントを披露している。

脚注

  1. 朝日放送東西芸人いきなり!2人旅2012年7月8日7月29日放送分で発言。
  2. 各大会の詳細は公式HP参照。石垣島トライアスロン指宿トライアスロン大会佐渡国際トライアスロン大会
  3. 1999年4月11日放送分の『笑っていいとも!増刊号』での本人談
  4. 2012年3月30日『ブラマヨとゆかいな仲間たち』

関連項目

外部リンク

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