秋川市
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秋川市(あきがわし)は東京都の西部、多摩地域に位置していた市。
目次
概要
東京都心から西側へ約45kmにある西多摩地域の秋川渓谷・関東山地の東側と秋留台地に位置し、中心部には多摩川、秋川、平井川が流れており、その流域には秋川流域の農業地帯として発展してきた[1]。しかし、第二次世界大戦後の高度経済成長期に当時の秋多町制時の1960年代頃から都心の過密化を緩和する為にベッドタウンとして発展し[2]、1972年(昭和47年)5月5日には秋多市を即時改称して秋川市となり、単独市制を果たし、合併直前には人口が約5万5000人近くまで跳ね上がった[3][4][5][6]。
1995年(平成7年)9月1日に五日市町と合併して、あきる野市となっている。
地理
丘陵地帯の関東ローム層と断層歴層の地層地帯であり、最高地点は346.1mであり、最低地点は98.0mである。[3][7][8]
隣接していた自治体
人口
- 合併直前は約5万5000人近くだった。高度経済成長期に伴う東京都心のベッドタウンとして人口が増加し、約3万人の人口で単独市制を果たした。[3]その後も増加していき、1990年には5万人を突破した。。[6]
歴史
二宮神社から縄文土器が発見されたことから縄文時代から居住していたと考えられ、[9]弥生時代から農地が開発されて、現在のような田園地帯が形成された。[10]奈良時代から平安時代にかけては国分寺建立の為に瓦の製造地として利用され、鎌倉時代以降は再び農地として利用された。、[7]
年表
- 1893年(明治26年)4月1日 - 西多摩郡が南多摩郡、北多摩郡と共に東京府へ編入。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 草花村、菅生村、瀬戸岡村、原小宮村が合併し多西村(たさいむら)を新設。
- 1925年(大正14年)4月21日 - 五日市鉄道(現在の五日市線)が開業。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 都制施行により、東京府、東京市が統合し東京都を新設。[7]
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 東秋留村、西秋留村、多西村が合併し秋多町(あきたまち)を新設。[7]
- 1964年(昭和39年)11月23日 - 初代の市章となる町章を制定する。[11][3]
- 1972年(昭和47年)5月5日 - 秋多町が市制施行し秋多市となるが、同日、秋川市と改名。[3][7]
- 1972年(昭和47年)10月24日 - 市木と市花が制定される。[3]
- 1982年(昭和57年) - 国道411号が制定。
- 1989年(平成元年)4月1日 - 「スポーツと音楽のまち宣言」をする。[4]
- 1992年(平成4年) 4月1日 - 2代目の市章を制定する。[4]
- 1995年(平成7年)9月1日 - 五日市町と合併、あきる野市新設に伴い廃止。
地域
大字
- 秋川
- 秋留
- 油平
- 雨間
- 牛沼
- 小川
- 小川東
- 代継
- 切欠
- 草花
- 下代継
- 菅生
- 瀬戸岡
- 二宮
- 二宮東
- 野辺
- 原小宮
- 原小宮
- 引田
- 平沢
- 平沢西
- 平沢東
- 渕上
行政
施設
- 秋川市役所
警察・消防
市内の警察署の管轄は福生警察署であったが、人口増加によって市内に警察署の設置が誘致されてきたが、実現しなかった。[12]消防署は秋川消防署がある。[13]
行政区域変遷
- 変遷の年表
秋川市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧秋川市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村が発足。[14][15] |
1893年(明治26年) | 4月1日 | 西多摩郡は南多摩郡・北多摩郡とともに東京府へ編入。 |
1921年(大正10年) | 4月1日 | 草花村・菅生村・瀬戸岡村・原小宮村が合併し多西村が発足。 |
1943年(昭和18年) | 7月1日 | 都制施行により、東京府、東京市が合併し東京都が発足。 |
1955年(昭和30年) | 4月1日 | 多西村・東秋留村・西秋留村とともに合併し秋多町が発足。 |
1971年(昭和46年) | 4月1日 | 八王子市の一部(高月町の一部)は秋多町に編入。 |
1972年(昭和47年) | 5月5日 | 秋多町が市制施行・改称して秋川市となる。 |
1995年(平成7年) | 9月1日 | 秋川市は五日市町と合併しあきる野市が発足。秋川市は消滅。 |
- 変遷表
秋川市市域の変遷表 | ||||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
雨間村 | 東秋留村 | 東秋留村 | 昭和30年4月1日 秋多町 |
昭和47年5月5日 秋川市に市制改称 |
平成7年9月1日 あきる野市 |
あきる野市 | ||
野辺村 | ||||||||
小川村 | ||||||||
二宮村 | ||||||||
平沢村 | ||||||||
引田村 | 西秋留村 | 西秋留村 | ||||||
淵上村 | ||||||||
上代継村 | ||||||||
下代継村 | ||||||||
油平村 | ||||||||
牛沼村 | ||||||||
上草花村 | 明治初年頃 草花村 |
草花村 | 大正10年4月1日 多西村 | |||||
下草花村 | ||||||||
菅生村 | 菅生村 | |||||||
瀬戸岡村 | 瀬戸岡村 | |||||||
原小宮村 | 原小宮村 | |||||||
高月村の一部 | 加住村 の一部 |
加住村の一部 | 昭和30年4月1日 八王子市に編入 昭和46年4月1日 秋多町に編入 |
市章・市旗
初代
- 秋多町制時の1964年11月23日に公募によって制定された。「ア」を中央に抽象的に置き、「川」は「市民・市長・議会」を三本の線で表し、それらを合わせて当市の融和と発展を表徴している、[11][3]市旗は制定されていないが、便宜的に地色は紺色であり、紋章は白色が指定されている[11]
2代
- 単独市制20周年を記念して1992年4月1日に制定された。「ア」を図案化し、全体の特徴は曲線を描いている。色が指定されており、青色は秋川、平井川などの河川を表し、緑色は秋留台地の丘陵を筆頭とする自然を表している。[4]市旗は地色は白色であり、紋章は指定色である。しかし、使用されたのは僅か3年半であった。
教育
中学校は単独市制施行前までは1校・小学校は単独市制施行前までは4校あったのが、東京都心のニュータウンによって若年家族を含む居住人口が増加しかつその居住者の児童と生徒が増加したことによって中学校は4校、小学校は8校になった。その他には幼稚園が新設された。[16][17]
高等学校
中学校
小学校
交通
鉄道
道路
観光地
出身著名人
参考文献
書籍
- 中川幸也 (1987-10-11) 中川幸也 [ シリーズ人間とシンボル第2号「都市の旗と紋章」 ] 中川ケミカル 1987-10-11
自治体冊子
- 秋川市役所 (1977-3) 秋川市役所 [ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 ] 秋川市 1977-3
- 秋川市秘書広報課 (1992-3) 秋川市秘書広報課 [ 秋川市制20周年記念市勢要覧 1992 ] 秋川市 1992-3
脚注
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- ↑ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p36
- ↑ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p12
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧目次
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 秋川市20周年記念市勢要覧 1992 p4
- ↑ 秋川市20周年記念市勢要覧 1992 p5
- ↑ 6.0 6.1 秋川市20周年記念市勢要覧 1992 p6
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p5
- ↑ 秋川市20周年記念市勢要覧 1992 p58
- ↑ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p2
- ↑ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p3
- ↑ 11.0 11.1 11.2 シリーズ人間とシンボル第2号「都市の旗と紋章」p28
- ↑ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p23
- ↑ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p21
- ↑ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978年、ISBN 4040011309より
- ↑ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
- ↑ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p28
- ↑ わが街 秋川 市制5周年記念秋川市勢要覧 p29