大分県立大分東高等学校
大分県立大分東高等学校 | |
過去の校名 | 5ヶ村組合立学校 東豊高等学校 |
国公私立の別 | 県立学校 |
設置者 | 大分県 |
教育方針 | 自立・努力・友愛 |
創立年 | 1920年(和暦??年)1月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 |
学科 | 普通科 国際コミュニケーション学科 |
単位制・学年制 | 学年制3年 |
学期 | 3学期制 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒870-0313 |
大分県大分市大字屋山2009番地 | |
電話番号 | 097-592-1064 |
FAX番号 | 097-592-1438 |
外部リンク | 公式HP |
大分県立大分東高等学校(おおいたけんりつ おおいたひがしこうとうがっこう)は、大分県大分市にある公立高等学校。
目次
設置学科
- 普通科
- 国際コミュニケーション科 - 1995年(和暦??年)4月 県立普通科高校として初めて設置された専門科
沿革
- 1920年(和暦??年)1月 - 坂ノ市町ほか5ヶ村組合立学校として開設
- 1953年(和暦??年)4月 - 大分県立東豊(とうほう)高等学校として独立
- 1964年(和暦??年)4月 - 大分県立大分東高等学校と改称
- 1979年(和暦??年)4月 - 現在地に校舎新築、全面移転
- 1985年(和暦??年)4月 - 大分市内普通科4校合同選抜(総合選抜)開始(大分上野丘、大分舞鶴、大分鶴崎、大分東)
- 1990年(和暦??年)4月 - 大分市内普通科2校合同選抜開始(大分鶴崎、大分東)
- 1995年(和暦??年)4月 - 大分市内普通科単独選抜開始 国際コミュニケーション科設置
- 2006年(和暦??年) - 創立85周年を迎える
教育方針
- 校訓
- 自立
- 努力
- 友愛
- 国際コミュニケーション科
- 10年間の「合同選抜」から「単独選抜」方式へ入試が移行するのに伴いそれまでの10年間で培ってきた学力レベルの低下を危惧し、また国際化の流れを鑑み設置。
- 2年生より「第2外国語」として韓国語、中国語、ドイツ語、フランス語の授業がある。これらの中から1つの言語を選択し、2年間に渡って日常会話やその国の文化を学ぶ。ドイツ語とフランス語は講師がALTであるため、基本的に英語による授業である。韓国語と中国語の講師は県内の大学院などに通う留学生が務めるため、日本語で行われる。
- 2年生の夏に行われる海外研修ではイギリスのウォリックシャーにあるレミントン・スパ近郊にホームステイする(およそ2週間)。このため1年生の段階より英語によるプレゼンテーションの授業を行う。
- 3年生では英語によるディベートの授業も行われる。
- 実績
- 英語弁論大会による表彰のみならず、日本語のエッセイコンテストや、韓国語、中国語における表彰実績がある。
学校行事
文化祭・体育祭(例年9月後半に実施)
文化祭、体育祭を合わせて「東輝祭(とうきさい)」と呼び、文化祭2日間、体育祭1日間の計3日間開催。
かつては文化祭初日を終日、大分県立芸術会館を借りて催すこともあった。
海外研修(「国際コミュニケーション科」)
2年時の夏期休暇を利用し、英国でホームステイや語学研修を約2週間行う。
部活動・生徒会活動
体育部
- ハンドボール部(男女)
- ハンドボール部(男女)
- ソフトボール部(男女)
- 硬式野球部
- 弓道部(男女)
- バスケットボール部(男女)
- ラグビー部
- バレーボール部(女)
- 卓球部(男女)
文化部
- 美術部
- 吹奏楽部
- 放送部
- 文芸部
- ESS部
- 書道部
- 茶道部
同好会
- 家庭同好会
- 創作ダンス同好会
- ユネスコ同好会
- ハンドボール部(特に女子)、女子ソフトボール部
- 1970年代においては全国大会で度々優勝するなどトップレベルを誇る。
- ラグビー部
- ボランティア活動
- ボランティア活動や奉仕活動など、ボランティア委員会を中心とした学外に向けた活動が特徴。主な活動として、丹生川土手の除草作業・花植活動、最寄り駅であるJR坂ノ市駅の清掃活動など。
その地
制服
1995年(和暦??年)より、単独選抜開始と共に学ラン・セーラー服からDCブランド「PERSON'S」デザインのブレザーに変更され、現在に至る。
特色
マルチリンガルを育成するため、校内表示が日本語、英語、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語で表示されている。
校内の過去と現状
合同選抜制度の影響
1985年(和暦??年)から1989年(和暦??年)まで行われた4校合同選抜では、入学者の半数以上が本来は大分上野丘と大分舞鶴を希望していた生徒であり、制度開始当初から合同選抜が完全に廃止されるまでの長い間、本校への入学辞退者が毎年発生[1]し民事裁判等の訴訟沙汰にまで発展するケースが多発した[2]。
また、通学に関しても、坂ノ市駅から自転車か大分バスが運行する本校行きのスクールバス[3]で通学しなければならないため、雨の日はスクールバスと駅付近のタクシー会社が運行するタクシーに乗り学校まで通学するケースも見られる(先輩・後輩関係なく人数合わせして乗り込んでおり、現在でも早朝・夕方に見られる)。
当時の教員は、この様な遠方より通学している生徒[4]のために学力を高めさせる努力を重ね、京都大学・名古屋大学・九州大学などの旧帝大への現役進学や地元大分大学の推薦合格者を数多く輩出し大分上野丘と大分舞鶴を凌ぐ実績を上げる。その反面、有名私立大学の指定校推薦数の違いや、在学生数の少なさから対外的に高進学レベルが分かりにくい経緯もあった。
合同選抜制度の廃止後
上記の4校合同選抜が大分鶴崎との2校合同選抜に再編された1990年(和暦??年)4月の入学学年より、大分上野丘と大分舞鶴を希望していた生徒が入学して来なくなった為に学力が低下し始め[5]、1995年(和暦??年)の合同選抜廃止以降は学力が著しく低下し、2007(平成19)年3月に閉校した大分県立佐賀関高等学校が実質的に編入された影響で学力が低く素行の悪い生徒が目立つ様になる。2009年現在では、普通科の偏差値が39、国際コミュニケーション科の偏差値が46であり[6]合同選抜当時の面影はほとんど見られない。また、過去には陰湿ないじめや悪質な校内暴力が多発し、生徒の退学処分や刑事事件に発展するまでの事態になった事もあった。
地域への発信と現状
1979年(和暦??年)に大分市大字屋山の現在地に移転して以降、登下校時の自転車通学生など一部の生徒のマナーにおいて地域住民からの苦情が続いてきた。1995年(和暦??年)の単独選抜開始以降は喫煙・飲酒をしながら通学する生徒も見られる様になったため、生徒の自尊意識と規範意識を高めて地域との相互理解を深めることを目的に、2004年(和暦??年)度からは地域の環境整備活動や協働作業、朝読書、少人数個別指導や部活動の活性化などの取組みを進めるようになる。
現在は、入学して来た生徒を育て自己実現をさせるために、生徒の自尊意識や規範意識・学習意欲を向上させ、生徒一人ひとりが進路達成できるように取組みを進めている。また、国際コミュニケーション科では、コミュニケーション能力の向上や海外語学研修の実施や資格取得の推進に取り組んだ結果、努力の甲斐あって海外の高校への留学や海外の大学等への進学も増えている。卒業後の進路は近隣の日本文理大学および別府大学に進学する生徒が多いが合同選抜当時の面影も僅かながら残っており、現在でも少人数ではあるが毎年、九州大学等の旧帝大や早稲田大学、地元大分大学への現役進学者を輩出している。また、国際コミュニケーション科の特性を生かして立命館アジア太平洋大学へ進学する生徒も増えている。
高校再編
2008年1月9日に大分県教育委員会が公表した2010 - 2014年度の後期高校再編計画の検討素案においては、大分県内に農業系学科を均等に配置するために、本校に農業系学科を新設することが提案されている[7]。
学校所在地
出身者
- 藤澤英雄(野球選手)
その他
- 映画恋空で『北崚高校』として大分県立大分東高等学校が撮影に使用された(ただし、撮影に使用された校舎は2007年(和暦??年)3月に閉校した大分県立佐賀関高等学校の校舎である)。
脚注
- ↑ 本校の入学辞退者は市内の大分高校と大分東明の特別進学コースや大分高専へ進んだ者も少なくない。また、一部は浪人し再度県立高校の再受験に挑んだ者もいた。
- ↑ 大分合同新聞1987年5月記載分の記事を参照。
- ↑ 2003年3月31日までは、JR九州バス坂ノ市線が本校行きのスクールバスとしての役割を担っていた。
- ↑ 当時、本校への入学辞退をしなかった者は「飛ばされた」・「回された」と呼ばれていた。
- ↑ 1989年度入学生(4校合同選抜の最終年)は国公立大学の現役進学者を84名輩出したのに対し、1990年度入学生(2校合同選抜開始年)は国公立大学の現役進学者が28名に減少した(1993年(和暦??年)・大分東高等学校のPTA進路報告書を参照)。
- ↑ 高校入試 高校偏差値情報 2009-大分県 高校偏差値を参照。
- ↑ 県教委 後期高校再編素案を発表 - 大分合同新聞「oita-press」2008年1月10日の記事を参照。
関連項目
外部リンク