ゲーム開発
ゲーム開発 (英語: Game development)とは、コンピューターゲームの開発までの過程のことをいう。またここでは、テレビゲームの開発についても扱う。
概要
通常のゲーム開発は、差はあるものの高度な技術を要するため、ゲーム開発者(ゲーム開発者は、個人の場合も企業など団体の場合もある)によって行われる。特に大規模なゲームは、企業や団体によって行われる事も多い(もちろん例外もある)。現代のコンピューターゲームやテレビゲームの開発には、1,000,000USドルから20,000,000USドルもの費用がかかるといわれている。そうしたことから、例外もあるが、現代のゲームは開発から公開までに1年から3年かかる。
役割
1980年代前半までは多くのゲームが、個人で開発できる程度の役割しかなかった。しかし、現代のゲームでは多くのスキルやスタッフを有するプロジェクトとなる場合が多い(しかし、大規模なプロジェクトであるにもかかわらず、単独で役割をこなす者もいることがある)。これは、現実に基づいたゲームではなく、架空の世界などをテーマにしたゲームになるとなおさらである。
そのため多くの場合、複数の開発チームによって、役割を分けられて開発される場合が多い。現代のゲームにおける典型的な開発での役割は以下のようなものがある。
当然、1人につき役割がひとつとは限らない。よくあるのが、監督者もゲームデザイナーやアーティストの役割で開発するものである。しかし現代においては珍しくなってきている。また、1人ですべての役割をこなす開発者もいる。
大きなゲーム会社では、開発チームはアートディレクターや技術部長、デザイン・ディレクターなどによって監督される事が多い。開発者は普通、人事担当取締役として活動し、実際にゲームの開発に手を出す事は少ない。
個性
ゲーム開発での個性は、業務企画として高く受け入れられ、非常にカジュアルである。しかし、多くのゲーム開発者が、何らかの個性主義を持っている。そのため、ゲーム開発のグループや企業では、開発に関する思いが違い、仲違いして退社する事や、監督者によって辞めさせられる事も多い。
ゲームをつまらなくする技術力
今、海外では日本のゲーム業界に文句をつけるのが「かっこいい」と思われているようだ。有名なゲームサイトや業界雑誌に目を向けると、多数のコメンテーターが、アジアのゲーム業界は西洋に遅れをとっている、世界と競合することができないと愚痴をこぼしている。
近年では、アジアの歯に衣着せぬ開発者(特筆すべきは元カプコンの稲船敬二氏)でさえ、やり方を根本的に変えない限り西洋勢力に押し潰されると必死に指摘している今、日本のゲーム会社は気づかないフリはできない。
西洋のゲームに比べ日本の物が劣っていると言う人々の多くは、グラフィックについて述べている場合が多い。世界は綺麗なグラフィックを重要視するようになり、その結果、一世代前に作られたゲームのようなグラフィックであれば、そのゲームの内容よりも、ビジュアルが基準に達していないから等という理由だけで、素晴らしいアイデアのある作品がメガヒットを飛ばすことは少なくなってしまった。今、海外でのゲームの評価は、ゲーム本来の価値ではなくそのビジュアルによって下される傾向(紛れもなくハリウッドによる影響)にあるようだ。
最近では、2k games社長Christoph Hartmannが「ゲームがフォトリアリスティックにならない限り、新たなジャンルを生み出すことは難しい。現在のコンソールゲームに最適なアクションゲームとシューティングゲームにしか注力することができない」と述べ、ゲームの未来におけるフォトリアリスティック性の重要性を強調した。
しかし、「技術力の向上」がこれからのゲームに必要だという彼らの指摘は正しいのだろうか?
私は日本のゲームデザインは西洋と比べて遥かに成功の道を歩んでいると考えるし、それどころか、この「技術力の向上」こそが、ゲーム業界を繁栄させるのではなく蝕む考え方であると思う。
フォトリアリスティックグラフィックの導入は、テレビゲームの製作費用をさらに高騰させることになる。開発会社が利益を得ようと考えるならば、必然的に販売価格を上げなければならない。現状でも新作ゲームに60ドル近くの価格で販売されることはめずらしくなく、多くの人はそれを相当な額だと感じているだろう。
カートリッジ時代をはじめ、テレビゲームは常に高価なものであったにせよ、現在の世界的な経済状況において60ドルは多くの人々にとって大金であるのは事実であり、テレビゲームの平均価格をこれ以上上げることは将来の顧客を脅かしかねない。
さらには、「革新的で衝撃的なグラフィック」や華やかな特殊効果がなければ見向きもされないのだから、すでにゲーム市場は例えミリオンセラーを記録したとしても利益を得られないような大規模予算ゲームで埋め尽くされている。ゲームファンは一本でも高いのに、複数を買うことはできない。損害を出したゲーム会社は姿を消していく。「技術力」のあるゲーム会社だけが生き残る。さらに技術力を高める。開発費はさらに高騰し続け、ゲームの価格はますます高まっていく。いつかは、ゲーム市場でミリオンセラーを産み出すことさえ困難になり、業界全体が衰退していくのではないか。「技術力の向上」は、避けられることのできない終焉へと向かう、美しき負の連鎖の始まりなのだ。
また、『Call of Duty』シリーズを例に取るが、確かにこのFPSは素晴らしい作品であり、「技術力」という面ではシリーズを重ねるごとに飛躍的に進化し続けている。しかし、その内容自体はほぼ進化していないと言って差し支えないだろう。開発費の高騰は、内容について大きく舵を切ることをできなくさせてしまう。つまり、開発費の高騰は、期待を越える素晴らしいアイデアの作品が出て来にくくなることにもつながるのだ。
以上を踏まえると、ゲーム業界が自滅してしまう前にビジョンを狭めて物事を小さく考えるべきであることは明確だ。この状況で生き残るにはフォトリアリズムやハリウッド風のド派手なゲーム製作に挑み続けるのではなく、一歩下がって知的であったりアイデアのあるゲームを低予算で制作するより他ない。すでにいくつかの日本企業はこの路線へとシフトしているように思う。
私が近年お気に入りの日本ゲーム作品をご紹介しよう。
中年男性が娘の病を治すべく奮闘するPS3/Xbox 360版のアクションRPG『ニーア』と、Twin Peaksというテレビドラマに大いに影響を受けた、主役のFBI特別捜査官Francis York Morganがアメリカの田舎町を訪問して殺人事件を解決していくアクション/アドベンチャーゲーム『レッドシーズプロファイル』だ。
どちらもグラフィックが時代遅れだという理由だけで不当な不評を与えられた面もあるが、知的かつ深い感情体験を提示し、感情に訴えかけるストーリー性やユニークなセリフ、風刺的な内容で人々をとりこにし、世界中でコアなファンを獲得した。また、今年日本で発売された話題作の『TOKYO JUNGLE』や3DSのAR機能を活かして仲間を集める『電波人間のRPG』など、グラフィックの美しさではない部分で勝負する作品が増え、何より日本ゲーム制作者のアイデア力は、今なお世界で高いレベルを誇っている。
確かに日本のゲームは開発費や技術力の面で海外の大手と渡り合うことは難しいかもしれない。しかし、テレビゲームの質は技術力ではなくゲームに秘められたアイデアによって決まることを日本のゲーム開発者、そして何より日本のゲームファンは知っているのではないだろうか。それどころか、より制限された状況下でゲームを製作することによって、今日の多くのハイテク超大作作品に欠けているように思われる斬新な発想や真新しいアイデアが生まれる触媒となり得る。日本が誇るアイデア力こそ、ゲーム業界生存の鍵を握るものであり、今こそ日本にはチャンスがあるのではないだろうか。
大手のテレビゲーム販売会社は、ゲームの内容ではなく見た目を重要視してしまう価値観を築き上げてしまったが、ポリゴン数が多いからといって必ずしも強い土台が作られるわけではない、ということを近い将来思い知らされることだろう。