宇佐美勝夫
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宇佐美 勝夫(うさみ かつお、1869年 - 1942年)は、日本の官僚。山形県出身。帝国大学法科大学卒業。富山県知事、東京府知事などを歴任した。
経歴[編集]
旧米沢藩士の家に生まれる。幼名は慎平。帝国大学法科大学卒業後、高等文官試験合格。内務省参事官などを経て、1908年に富山県知事に就任。その後、韓国政府内務次官などを経て、1921年に東京府知事に就任。1925年、東京府知事を退任。1933年、満州国国務顧問に就任した。
家族・親族[編集]
池田成章の三女よし(芳子)との間に譲(夭折)、三菱銀行頭取・日本銀行総裁を歴任した洵、宮内庁長官を務めた毅と格(子に三菱ふそうトラック・バスの会長を務めた宇佐美隆)の四子を得たが死別した。成章の次女みつ(光子)はまだ独身で、妹の死後は子供達の世話をしており、家族の意向で再婚した(洵が「おばさんと暮らしたい」とせがんだという)。しかし、みつもスペイン風邪で病死し、更に後、四谷トクを後妻とした。トクとの間には一子の新(太平洋戦争で戦病死)がいた。
義兄に日銀総裁を務めた池田成彬が、義弟に三菱銀行頭取を務めた加藤武男がおり、妻の姪・敏(池田成彬の長女)は三菱財閥3代目総帥・岩崎久弥の次男で三菱製紙会長を務めた岩崎隆弥に嫁いでいる。