昭和電工事件

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事件の舞台となった当時の昭和電工本社
出頭した日野原節三・昭和電工社長 1948年6月23日 東京・警視庁


昭和電工事件(しょうわでんこうじけん)とは、戦後間もない1948年におきた贈収賄汚職事件である。昭電事件(しょうでんじけん)、昭電汚職(しょうでんおしょく)、昭電疑獄(しょうでんぎごく)とも呼ばれる。

事件のあらまし[編集]

復興資金として復興金融金庫からの融資を得るために、大手化学工業会社昭和電工日野原節三社長が行った政府高官や政府金融機関幹部に対する贈収賄事件。1948年6月に発覚したが収賄側としてGHQの下で日本の民主化を進める民政局GS)のチャールズ・ケーディス大佐ら高官の名前が取り沙汰され、ケーディスは失脚。裏にGSのライバルで反共工作を行っていたG2チャールズ・ウィロビー少将と右翼三浦義一の暗躍があった。

大蔵官僚福田赳夫(後の首相)や野党民主自由党の重鎮大野伴睦(後の自由民主党副総裁)の逮捕に始まり、やがて政府高官や閣僚の逮捕にまで及んだ。栗栖赳夫経済安定本部総務長官、西尾末広副総理が検挙され芦田内閣総辞職をもたらした。戦前軍部に対抗し大政翼賛会にも参加せず、首相としては閣僚の上奏を停止するなど、はっきりしたリベラルであった芦田均を失脚させるための、帝人事件同様の検察ファッショであったと考えることもできる。その後、芦田均自身も逮捕されたが、裁判では栗栖以外の政治家は無罪となった。

事件の経緯[編集]

  • 4月27日‥衆議院で昭和電工の復金融資を巡る贈収賄が問題化。肥料工場拡充のため23億円余の復金融資を受けた際に日野原社長が政・官・財界に膨大な運動費をばらまいた。
  • 6月23日‥日野原社長逮捕
  • 9月13日‥福田赳夫大蔵主計局長を10万円の収賄容疑で逮捕。
  • 9月18日‥大野伴睦民自党顧問、20万円の収賄容疑で逮捕。
  • 9月30日‥栗栖赳夫経済安定本部総務長官、30万円と他の収賄容疑で逮捕。
  • 10月6日‥西尾末広前副総理(社会党書記長)を100万円の収賄容疑で逮捕。
  • 10月7日‥芦田内閣総辞職
  • 12月6日‥衆議院本会議で芦田均、北浦圭太郎川橋豊次郎3氏に対する逮捕請求、20票の差で許諾。
  • 1962年4月‥最高裁で日野原元社長に懲役1年執行猶予5年の確定判決、同年11月に栗栖の懲役8ヶ月執行猶予1年追徴金150万円が確定。他の重要被告はほぼ無罪となる。

捜査取調結果[編集]

経済安定本部栗栖赳夫総務長官、昭和電工日野原節三社長ら15名の、復興金融金庫、日本興業銀行からの昭電融資にからむ贈収賄

  1. 日野原社長の贈賄と受領側の収賄
  2. 藤井孝常務の贈賄と受領側の収賄

関連項目[編集]