黒田慶樹

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黒田 慶樹(くろだ よしき、1965年4月17日 - )は、今上天皇明仁の女婿である。今上天皇明仁の長女(旧名:紀宮清子内親王(現:黒田清子)と2005年11月15日に結婚した。また、俳優柴田光太郎、紀宮内親王の兄、秋篠宮文仁親王学習院時代の同級生である。現在は東京都庁の職員。学習院時代の同級生である秋篠宮の妻は秋篠宮紀子、子供は眞子佳子悠仁親王がいる。黒田夫婦には子供がいない。

経歴[編集]

父・黒田慶次郎と母・寿美子の長男として生まれる。父・慶次郎は学習院初等科を経て学習院大学を卒業後、その父慶太郎上海租界人脈の関係から豊田紡織の収益を元に成立したトヨタ自動車に勤務。慶樹が大学3年のとき、父・慶次郎はガンにより死去した。母・寿美子の実家は東京・神田の呉服問屋である。慶樹には弟がいるが、神奈川県横浜市漁師の家に婿養子となっている。

学習院時代は妻・清子の実兄秋篠宮文仁親王学友であった。学友には、田宮二郎の息子で俳優の柴田光太郎もいる。 大学卒業後、祖父慶太郎の三井物産や父のトヨタ自動車とも強い結びつきを持つ三井銀行(現:三井住友銀行)に入行した。1996年、31歳の時退職。翌1997年東京都庁に転職した。母親のために転勤の少ない職種の地方公務員として、都市整備の仕事を望んだからとされる。結婚の2005年時点では都市整備局の次席(係長級)。2006年、同級生である秋篠宮の家で、3人目の子供「悠仁親王」が生まれた。同時に秋篠宮家では出産お祝いパーティーが開催された。

紀宮清子内親王と婚約して、一躍話題の人となる。この婚約には紀宮のすぐ上の兄である秋篠宮の仲介があった(秋篠宮自身が2005年11月22日の記者会見で、「最初二人が会うきっかけを作ったのは私でありますし、それから、二人が会ったうちの何回か、場所を提供したのも事実であります」と述べている)。黒田家は「家系」で後述するようにかつて華族との婚姻関係はあったが、一般庶民家系であり家柄というより慶樹の人柄・人物により結婚に至ったとされている。

家系[編集]

祖父の慶太郎は現在の大阪府堺市に黒田吉三郎の長男として生まれ東京高等商業学校(現:一橋大学)に学び、卒業後は三井物産に入社。後に上海租界を代表する日系紡績会社、上海紡績(シャンボウ)の代表取締役会長をつとめている。その時の華麗な人脈の一部としてトヨタ自動車のルーツとなった豊田自動織機豊田佐吉や、上海進出を図った美智子皇后の実家である日清製粉の正田家との関係等があり、そうした点も今回の婚姻に結びついた要因のひとつである可能性がある。慶太郎には二男六女があり、長男は秋月家から妻をむかえ、長女は税所家に嫁いだ。秋月家、税所家ともに旧華族子爵家)である。

なお江戸時代大名家で華族黒田家(近江源氏・筑前福岡藩主および丹党中山氏・上総久留里藩主)とは全く関係はない。

人物[編集]

  • 内親王の結婚相手としてはかつての皇族華族と近い血縁関係を持たない初めての人物である。
  • カーマニアであり、ロータス・エリーゼを愛す。
  • またカメラも趣味の一つであり、たびたび都内のカメラ店で目撃されている。アンティークのものを好む。


その他[編集]

  • 友人(秋篠宮柴田光太郎)などには『クロちゃん』というあだ名で呼ばれているとされる。

外部リンク[編集]

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