山崎達之輔
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日本の政治家 山崎達之輔 やまざき たつのすけ [[画像:|0200px|山崎達之輔]]
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生年月日 | 1880年6月19日 |
出生地 | 福岡県大川市 |
没年月日 | 1948年3月15日 |
死没地 | |
出身校 | 京都帝国大学 |
前職 | |
現職 | |
所属政党 | 所属政党の節を参照 |
所属委員会 | |
議員会館 | |
選挙区 | |
当選回数 | |
元首 | |
称号・勲章 | |
世襲の有無 | |
親族 | 山崎巌(弟)、山崎平八郎(甥) |
配偶者 | |
サイン | [[画像:|128px|サイン]] |
公式サイト | [ ] |
第11代農林大臣 | |
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内閣 | |
就任期間 | 1934年7月8日 |
第13代農林大臣 | |
内閣 | |
就任期間 | 1937年2月2日 |
第21代農林大臣 | |
内閣 | |
就任期間 | 1943年4月20日 |
初代農商大臣 | |
内閣 | |
就任期間 | 1943年11月1日 |
第40代逓信大臣 | |
内閣 | |
就任期間 | 1937年2月2日 |
その他の職歴 | |
山崎 達之輔(やまざき たつのすけ、1880年6月19日 - 1948年3月15日)は、日本の官僚、政治家。1924年以来衆議院議員に連続7回当選した。
来歴・人物[編集]
福岡県大川市出身。自治大臣を務めた山崎巌は達之輔の弟にあたる。また、元国土庁長官の山崎平八郎は達之輔・巌兄弟の甥にあたるが、平八郎の実父・四郎(達之輔の弟で巌の兄)が早世したため、子供のいない達之輔が平八郎を引き取って実の息子のように育てた。そのため人名事典等で「山崎平八郎は達之輔の息子」という記述が見られることがある。
略歴[編集]
- 1906年:京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、台湾総督府参事官として官界に入り、その後文部省に転じる。
- 1924年:退官して総選挙に初当選。初め中正倶楽部に属したが、その後立憲政友会に転じた。
- 1927年:田中義一内閣の文部政務次官に就任。
- 1934年:岡田内閣に党議に反して農林大臣として入閣したため政友会を除名。
- 1935年:床次竹二郎ら他の政友会除名・脱党組とともに昭和会を結成。
- 1937年:林内閣の農相兼逓信大臣として入閣。この頃より親軍的新党の結成を目指す。
- 1939年:旧昭和会のうち政友会出身者とともに政友会革新同盟に合流。
- 1940年:聖戦貫徹議員連盟を結成、大政翼賛会総務に就任。
- 1942年:翼賛政治会政調会長に就任。その後常任総務、代議士会長を歴任。
- 1943年:東條内閣の農相として入閣。その後農商務大臣となる。
- 1945年:日本進歩党の結成に参加。
- 1946年:公職追放。
- 1948年3月15日:不遇のうちに67歳で死去。
所属政党[編集]
業績[編集]
- 文部省時代は普通学務局長、図書監査官等を歴任した。
- 政友会では政調会長、総務等を歴任した。
エピソード[編集]
- 保利茂の師匠にあたる(岡田内閣の農相時代に保利は農相秘書官を務めた)。
関連項目[編集]
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