平惟範
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平 惟範(たいら の これのり、斉衡2年(855年) - 延喜9年9月18日(909年11月3日))は、平安時代前期の貴族。平高棟(高棟王)の3男で、桓武天皇の曾孫にあたる。母は、贈太政大臣藤原長良の娘で従四位上典侍従藤原有子。妻は人康親王の娘。子に時望、伊望がいる。
経歴[編集]
※日付は旧暦。
- 貞観16年(874年)1月23日、従五位下に叙位。12月6日、蔵人に補す。
- 貞観17年(874年)8月15日、[皇太后宮(摂政藤原良房娘・藤原明子)亮に遷任。
- 元慶元年(877年)11月21日、従五位上に昇叙。皇太后宮亮如元。
- 元慶3年(879年)2月15日、備後権介を兼任。
- 元慶4年(880年)1月11日、備前権介を兼任。備後権介を去る。4月15日、正五位下に昇叙。皇太后宮亮・備前権介如元。
- 元慶6年(882年)1月7日、皇太后宮藤原明子が太皇太后へ異動に伴い、皇太后宮は、皇太夫人藤原高子(贈太政大臣藤原長良娘)となる。
- 仁和2年(886年)1月7日、従四位下に昇叙。皇太后宮亮・備前権介如元。
- 仁和3年(887年)2月17日、民部大輔を兼任。5月13日、弾正大弼を兼任。民部大輔を去る。
- 寛平2年(890年)1月18日、式部大輔を兼任。
- 寛平5年(893年)3月15日、肥後権守を兼任。
- 寛平6年(894年)1月7日、従四位上に昇叙。皇太后宮亮・式部大輔・弾正大弼・肥後権守如元。
- 寛平9年(897年)5月25日、大蔵卿に転任。6月19日、太皇太后宮(前掲藤原明子)権大夫を兼任。
- 延喜2年(902年)1月26日、参議に補任。大蔵卿兼任如元。
- 延喜3年(903年)2月16日、播磨権守を兼任。
- 延喜4年(904年)1月7日、正四位下に昇叙。参議・大蔵卿・播磨権守如元。
- 延喜6年(906年)1月11日、播磨権守を兼任(重任扱い)
- 延喜7年(907年)1月13日、左兵衛督を兼任。大蔵卿・播磨権守を去る。
- 延喜8年(908年)1月16日、従三位に昇叙。中納言に転任。左兵衛督を兼任。3月5日、検非違使別当を兼ぬ。8月26日(または同月28日)、民部卿を兼任。検非違使別当・左兵衛督を去る。
- 延喜9年(909年)4月22日、右近衛大将を兼任。民部卿を去る。9月18日、薨去。享年55。