ジャパンカップ
この項目では、ジャパンカップについて説明しています。その他については「ジャパンカップ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
ジャパンカップ | |
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開催地 | 東京競馬場 |
施行時期 | |
格付け | GI |
1着賞金 | 2億5000万円 |
賞金総額 | |
距離 | 芝2400m |
出走条件 | サラブレッド系3歳以上(国際)(指定) |
負担重量 | 3歳55kg、4歳以上57kg (牝馬2kg減) |
創設 | 1981年11月22日 |
特記事項: | |
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ジャパンカップとは日本中央競馬会(JRA)がジャパンカップウィークに東京競馬場の芝2400mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走(国際招待指定)である。
ジャパンカップの1着賞金の2億5000万円は日本国内の全競走の中で最高額である。
外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎や飼料にかかる費用、馬主、調教師、騎手、厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担する。このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走(招待競走)は日本ではこのほかに中山グランドジャンプ、ジャパンカップダートがある。世界ではドバイミーティング(ドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。
概要
ジャパンカップは1970年頃に海外の調教馬を招待して第1回を開催する計画も持ち上がっていたが、時期尚早ということであえなく立ち消えになった経緯がある。当時の日本最強馬といわれたスピードシンボリが高齢になりながらも現役を続行したのはそれまでの海外遠征で負け続けた分、このジャパンカップで海外の馬を負かしたいという陣営の思惑が色濃く残っていたためだった。
この競走は八大競走ではなかったものの国際競走であることやそれ故に賞金額が八大競走に匹敵しているため、八大競走と同等に扱われることもあった。
記念すべき第1回は1981年に開催された。北アメリカとアジアから招待馬が選出され、アメリカ、カナダ、インド、トルコから出走馬が招待された。翌年からは招待範囲がヨーロッパ、オセアニアにも広げられ、さらにその翌年(1983年)からは地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。
1984年にはJRAのグレード制導入によりGIに格付けされ、1992年には国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GIに指定されている。略称はJC(JはJAPAN・CはCUPのそれぞれの頭文字)。
1999年に成立したワールドレーシング・チャンピオンシップに初年度から加えられており、この年以降にほとんど馬産の行われていない香港、アラブ首長国連邦からも招待馬の選出がされている。また2000年から2006年までは外国馬がこの競走で優勝した場合に限り有馬記念の出走資格が与えられるようになった(2002年のファルブラヴと2005年のアルカセットが該当)が、行使した外国馬はいなかった。
なお、2008年からジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定されている。
正賞は外務大臣賞、農林水産大臣賞、アイルランド大使賞、ワールドシリーズ賞、日本馬主協会連合会会長賞、東京馬主協会賞。
「日本の馬が外国の馬と対戦するレースが見たい」という競馬ファンにとっては待ちわびた第1回だったが、日本馬はサクラシンゲキが大逃げでスタンド(客席)を沸かせるも(後に同馬は「日の丸特攻隊」と呼ばれるようになる)ゴールドスペンサーの5着が最高だった。その後も日本代表馬がことごとく敗れるばかりで、ファンにとっては海外との差を痛感するレースにもなった。しかし第3回の1983年になってキョウエイプロミスが2着と好走を見せ、競馬ファンを驚かせた。
日本馬の初勝利は翌年1984年、前哨戦の天皇賞(秋)を快勝したミスターシービーと菊花賞を無敗で制したシンボリルドルフの新旧三冠馬2頭が参戦、日本勢初優勝の期待を大いに集めた。しかし、日本馬の初優勝という褒章を得たのは単勝10番人気と期待の薄かったカツラギエースであった。
日本馬は優勝回数が12回と最も多いがその内3歳馬の勝利は1998年のエルコンドルパサーと2001年のジャングルポケットの2頭のみで、1984年には牡馬クラシックを無敗で制した三冠馬のシンボリルドルフが3着、1988年にはオグリキャップが3着、1993年には日本ダービー優勝馬ウイニングチケットが3着、1996年には秋華賞優勝馬ファビラスラフインが2着、1998年には日本ダービー優勝馬スペシャルウィークが3着、2002年にはシンボリクリスエスが3着、2003年には菊花賞優勝馬ザッツザプレンティが2着、2004年にはコスモバルクが2着、菊花賞優勝馬デルタブルースが3着、2006年にはドリームパスポートが2着とあと一歩のところで勝利できない馬も多い。
また、ジャパンカップで上位入賞した後に他のG1競走を勝つなどの活躍することで有名になった海外馬も少なからず存在する。代表例としては、1982年の2着馬で翌年に凱旋門賞、ロスマンズインターナショナル、ターフクラシック、ワシントンDCインターナショナルと欧米のGI競走に多く勝利した牝馬オールアロング、1996年の優勝馬で、翌年のドバイワールドカップ、コロネーションカップ、インターナショナルステークスに優勝したシングスピール、2000年の3着馬で翌年ブリーダーズカップ・ターフなどのGI競走を勝ちワールド・レーシング・チャンピオンシップのチャンピオンとなったファンタスティックライトや2002年の優勝馬であり翌年エクリプスステークスやインターナショナルステークスなどのG1を勝ったファルブラヴが挙げられるだろう。
逆に、その年の凱旋門賞を勝利して来日した馬は勝っていない。トニービン、キャロルハウス、アーバンシー、エリシオ、モンジューと全て敗れ去っている。
かつてジャパンカップは日本馬の層が薄いことと賞金的な魅力もあり、数多くの外国馬が参戦しジャパンカップは外国馬の草刈り場のようになっていた。
しかし近年は検疫の厳しさや賞金的な魅力が相対的に薄れ、ジャパンカップに登録を済ませる各国一流馬は多いものの出走を回避する外国馬も少なくはない。近年では日程間隔が殆ど無いブリーダーズカップや香港国際競走の賞金が上がってきていることや直航便の無くなったオセアニア勢の挑戦が少なくなったことも影響している。しかし、2億5000万円という賞金は下半期の北半球の芝競走の賞金では最高額であり、遠征費も全額負担となればかなりの厚遇である。
それでも外国馬の挑戦が減る理由としてあげられる最大の理由が、芝が主流の欧州のトップホースであっても速い時計に対応できない馬は日本の固い高速(時計の出る)馬場に適応できず惨敗することが多いからである。ジャパンカップが開催された当初はまだそれほど高速馬場化しておらず、加えて一部の日本馬を除いて日本馬と欧州馬のレベルに開きがあったために多少の不利でも勝利を挙げることはできた。しかし、その後は日本のトップレベルの馬が欧州馬などと互角以上になり近年は日本馬の全体のレベルが欧州と遜色なくなってきていること、そして日本の高速馬場で力を発揮する日本馬が増えたことでその傾向はさらに顕著になり、日本の固い芝に対応するためスピードと瞬発力のある日本馬に欧州の深い芝に対応するスタミナとパワーを重視されているといわれる欧州馬が日本馬に瞬発力勝負で競り負けることが多い。近年欧州馬でジャパンカップで好走する馬はある程度速い時計に適応性がある馬であり、遠征する側もその点を踏まえて遠征する傾向がある。実際、このレースに勝った外国馬のファルブラヴはロンシャン競馬場の深い芝が合わなかったため、このレースへの出走を決意したという前例がある。
このようにもはや現在、日本の競馬と欧州の競馬は同じ芝でありながらまったく違うものと考えられるようになってきている。その傾向は種牡馬でも顕著に出ていて、サドラーズウェルズなど欧州のリーディング上位に君臨する種牡馬を父に持つ競走馬が日本の競馬界ではあまり成功しておらず、サンデーサイレンスを筆頭にスピードのあるアメリカの種牡馬を父に持つ競走馬が多く活躍している。このような傾向もまた欧州勢のJC回避に拍車をかけている。
また、種牡馬ビジネスが重要視される近年の欧米では一流馬の3歳の中には競走成績が非常に優秀であれば早期引退して種牡馬入りする場合も多く(特に欧州は多い)、無理に長距離遠征という過酷なことを強いその結果戦績を悪くすることは種牡馬入り後に響くため、わざわざ勝ちにくいジャパンカップを選ぶことも少ない。よって、2億5千万円の賞金よりも種牡馬として買い取られるときに発生する遥かに高い金額を優先する。近年では英愛ダービー馬ガリレオが種牡馬とての価値を高めようと、凱旋門賞にすら出走せずダート競走の最高峰であるブリーダーズカップ・クラシックに出走するなど種牡馬になった後のことを考えてレースを選ぶ傾向がある。また、上記で説明されている日本の固い芝でたとえ外国馬が勝利を収めても深い芝の欧州やダートが主流のアメリカにおいてはその勝利は種牡馬入りしてもあまり価値がない。そのため、近年ジャパンカップに勝った外国馬は日本の生産者団体に買い取られることが多い。
1990年代半ばには天皇賞(秋)や菊花賞などを勝ったGIホースがこの後に一年の総決算とも言える有馬記念が控えていることもあって3戦連続のGI挑戦に慎重にならざるを得ないというローテーション上の問題もあり、早々とジャパンカップ回避を公言するなどしてファンを落胆させたこともあり、日本の出走馬が小粒になるということもあった。この行動は八大競走時代の名残やジャパンカップの歴史がまだ浅いことから、目指す目標の違いが回避か挑戦かに現れているとも言われていた。しかし近年では、賞金額が大幅に増額されたことや同一年に天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の全てに勝利した場合のボーナス制度ができたこと、さらに距離適性を尊重するようになってきた近代競馬では中距離の天皇賞(秋)を避けて中長距離のJCと有馬記念の2レースに標準を合わせる馬も増えてきている。その結果有力馬の回避は減少し、古馬に限っては故障以外の理由で回避することは皆無である。また、菊花賞が10月の第3週に開催されるようになってからは有力3歳馬の出走も増えてきている。なお、クラシックに登録していない3歳馬はクラシック競走への出走ができないため、三冠をあきらめる代わりに世界の強豪と対決することを目標とすることから本競走に照準を合わせる馬も少ないながらも存在する。
これらの影響によってか近年はほとんどの優勝馬が日本馬になってきており、外国馬が勝つ時も日本馬が手薄の時にランフランコ・デットーリがマークの緩い馬に騎乗している時に勝つことが多く(実際、21世紀になってからの外国馬優勝(2007年6月現在)は共にデットーリ騎乗の馬である)、21世紀に入ってから勝った馬は欧米での実績馬というよりは日本の馬場に適性のあった馬といった方が良い。
主な前走
以下はジャパンカップに出走する競走馬の主な前走。
競走名 | 格付 | 団体 | 施行競馬場 | 施行距離 | |
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1 | 凱旋門賞 | G1 | フランス | ロンシャン競馬場 | 芝2400m |
2 | チャンピオンステークス | G1 | イギリス | ニューマーケット競馬場 | 直線芝10f |
3 | 菊花賞 | JpnI | 中央 | 京都競馬場 | 芝3000m |
4 | 天皇賞(秋) | GI | 中央 | 東京競馬場 | 芝2000m |
5 | ブリーダーズカップ・ターフ | G1 | アメリカ | 持ち回り | 芝2400m |
6 | アルゼンチン共和国杯 | JpnII | 中央 | 東京競馬場 | 芝2500m |
この他オグリキャップがマイルチャンピオンシップから移動を伴う連闘でレースに出走するなどの例外も存在する(オグリキャップ以外では、バンブーメモリー、イクノディクタス、タイキフォーチュンが連闘で出走したことがある)。
歴史
- 1981年
- 東京競馬場の芝2400mの国際招待の混合特別指定競走、ジャパンカップとして創設。
- メアジードーツが当時のJRAレコードタイム(2分25秒3)で優勝。
- 1982年 - 当時の世界歴代賞金王ジョンヘンリー(アメリカ)が出走(13着)。
- 1983年 - 日本で初めてゼッケンに馬名が記入された(後述。当時はこの競走のみの特別仕様)。
- 1984年
- JRAグレード制施行によりGIに格付け。
- カツラギエースが日本生産馬として初優勝。
- 1985年 - 単勝1番人気馬(シンボリルドルフ:日本)が初優勝。
- 1989年
- ニュージーランドのホーリックスが従来のJRAレコードを2秒以上短縮するタイム(2分22秒2)で優勝。
- 1着賞金の総額が1億円台となる。
- 1992年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GI競走に指定。
- 1997年 - イギリスのマイケル・スタウトが調教師として史上初の2連覇。
- 1999年 - ワールドレーシング・チャンピオンシップに参加。
- 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
- 2002年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝2200mで施行。
- 2005年 - イギリスのアルカセットが芝2400mの日本レコードタイムとなる2分22秒1で優勝。
- 2006年 - ワールドレーシング・チャンピオンシップが一時中止(2007年現在)。
- 2008年 - ジャパン・オータムインターナショナルに指定される予定。
歴代優勝馬
回数 | 施行日 | 調教国・優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
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第1回 | 1981年11月22日 | メアジードーツ | 牝5 | 2:25.3 | C.アスムッセン | J.フルトン | A.D.シェフラー |
第2回 | 1982年11月28日 | ハーフアイスト | 牡3 | 2:27.1 | D.マクベス | S.ホッフ | B.R.F.ストーン |
第3回 | 1983年11月27日 | スタネーラ | 牝5 | 2:27.6 | B.ラウス | F.ダン | F.ダン |
第4回 | 1984年11月25日 | カツラギエース | 牡4 | 2:26.3 | 西浦勝一 | 土門一美 | 野出一三 |
第5回 | 1985年11月24日 | シンボリルドルフ | 牡4 | 2:28.8 | 岡部幸雄 | 野平祐二 | 和田農林(有) |
第6回 | 1986年11月23日 | ジュピターアイランド | 牡7 | 2:25.0 | P.エデリー | C.ブリテン | タビストック侯爵 |
第7回 | 1987年11月29日 | ルグロリュー | 牡3 | 2:24.9 | A.ルクー | R.コレ | S.ウォルフ |
第8回 | 1988年11月27日 | ペイザバトラー | 牡4 | 2:25.5 | C.マッキャロン | R.フランケル | E.ガン |
第9回 | 1989年11月26日 | ホーリックス | 牝6 | 2:22.2 | L.オサリバン | D.オサリバン | G.W.ド・グルシー |
第10回 | 1990年11月25日 | ベタールースンアップ | 騸5 | 2:23.2 | M.クラーク | D.ヘイズ | G.ファラー |
第11回 | 1991年11月24日 | ゴールデンフェザント | 牡5 | 2:24.7 | G.スティーヴンス | C.ウィッティンガム | B.マクノール |
第12回 | 1992年11月29日 | トウカイテイオー | 牡4 | 2:24.6 | 岡部幸雄 | 松元省一 | 内村正則 |
第13回 | 1993年11月28日 | レガシーワールド | 騸4 | 2:24.6 | 河内洋 | 森秀行 | (株)ホースタジマ |
第14回 | 1994年11月27日 | マーベラスクラウン | 騸4 | 2:23.6 | 南井克巳 | 大沢真 | 笹原貞生 |
第15回 | 1995年11月26日 | ランド | 牡5 | 2:24.6 | M.ロバーツ | H.イエンチ | イットリンゲン牧場 |
第16回 | 1996年11月24日 | シングスピール | 牡4 | 2:23.8 | L.デットーリ | M.スタウト | シェイク・モハメド |
第17回 | 1997年11月23日 | ピルサドスキー | 牡5 | 2:25.8 | M.キネーン | M.スタウト | ウェインストック卿 |
第18回 | 1998年11月29日 | エルコンドルパサー | 牡3 | 2:25.9 | 蛯名正義 | 二ノ宮敬宇 | 渡邊隆 |
第19回 | 1999年11月28日 | スペシャルウィーク | 牡4 | 2:25.5 | 武豊 | 白井寿昭 | 臼田浩義 |
第20回 | 2000年11月26日 | テイエムオペラオー | 牡4 | 2:26.1 | 和田竜二 | 岩元市三 | 竹園正繼 |
第21回 | 2001年11月25日 | ジャングルポケット | 牡3 | 2:23.8 | O.ペリエ | 渡辺栄 | 齊藤四方司 |
第22回 | 2002年11月24日 | ファルブラヴ | 牡4 | 2:12.2 | L.デットーリ | L.ダウリア | スクデリーア・ランカティ |
第23回 | 2003年11月30日 | タップダンスシチー | 牡6 | 2:28.7 | 佐藤哲三 | 佐々木晶三 | (株)友駿ホースクラブ |
第24回 | 2004年11月28日 | ゼンノロブロイ | 牡4 | 2:24.2 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | 大迫忍 |
第25回 | 2005年11月27日 | アルカセット | 牡5 | 2:22.1 | L.デットーリ | L.クマーニ | M.R.チャールトン |
第26回 | 2006年11月26日 | ディープインパクト | 牡4 | 2:25:1 | 武豊 | 池江泰郎 | 金子真人ホールディングス(株) |
第27回 | 2007年11月25日 | アドマイヤムーン | 牡4 | 2:24:7 | 岩田康誠 | 松田博資 | ダーレー・ジャパン・ファーム(有) |
第28回 | 2008年11月30日 | スクリーンヒーロー | 牡4 | 2:25.1 | M.デムーロ | 鹿戸雄一 | 吉田照哉 |
ジャパンカップの記録
- レースレコードタイム - 2分22秒1(第25回優勝馬アルカセット)
- 2着との最大着差 - 9馬身(第23回優勝馬タップダンスシチー)
特徴
- 馬番ゼッケンに馬名(片サイドに片仮名馬名、もう片サイドには英文馬名を記述)が入っているものを使用するのはこの競走の特徴である。第1回と第2回は従来の番号のみのゼッケンであったが、第3回開催からこの特別仕様のゼッケンを使用している。馬番ゼッケンに馬名を入れたのはこのジャパンカップがはじめてであった。また1986年までは馬名入りゼッケンはこのジャパンカップのみでしか使用していなかった(当時は日本ダービーなどの八大競走でも使用されていなかったが1985年の有馬記念では試験的に使用されていた)。このゼッケンは1987年秋以降順次他のGI競走やその他の競走にも拡大され、現在は中央競馬全場及び大井競馬場において一般競走を含む全競走に馬名入りのゼッケンを使用している(ただし英文馬名入りのゼッケンは一部の国際競走(外国馬の出走がある場合)でしか使用されない。なお、馬体の左側が英文と固定されているようである)。また本競走とジャパンカップダートでは2002年から、片仮名馬名の面にその馬の調教国の国旗があしらわれるようになった(2006年からは英文馬名側にも国旗を記載)。
- 本競走の正式名称はあくまでジャパンカップであるが2000年のジャパンカップダート創設以降、混同を避けるためかジャパンカップターフと称するファンや関係者もいる。
- 当日の東京競馬場は全11競走制であり、本競走は第10競走として施行される(2004年のゴールデンジュビリーデーについては最終第11競走(この時も全11競走制)としておこなわれた)。よって勝馬投票券購入に際しては競走番号を間違えないよう注意する必要がある(当日は東京競馬場をはじめとする各発売所、及び在宅投票システムでもこの旨注意喚起がされている)。
- 1993年にブリーダーズカップターフ優勝馬コタシャーンが単勝1番人気で出走したが、残り100m時点で鞍上のケント・デザーモが残り100mを示すハロン棒をゴール板と勘違いし、立ち上がって追うのを止めた。その後慌てて追い出したものの結果2着に終わったという事件があった(この時の優勝馬はレガシーワールド、日本のせん馬として最初のGI優勝)。この事件をきっかけとしてその後徐々に各競馬場の残り100mのハロン棒が撤去され、代わりに残り100mを示す表示が柵に表示されるようになっている。
- 1985年にシンボリルドルフとロッキータイガー(船橋競馬所属)による初の日本馬同士のワン・ツー・フィニッシュ(1・2着独占)が達成された。中央所属馬同士のワンツーは1998年(優勝:エルコンドルパサー・2着:エアグルーヴ)が最初で、以降中央所属馬同士のワンツーはこれまでの26回中5回ある。
- 日本馬が掲示板を独占(1着~5着)したのはこれまでに4回あるが(下記)、外国馬が掲示板を独占したことは初開催以来1度も無い。
関連項目
- ジャパンカップダート
- 天皇賞(秋)
- 有馬記念
- 凱旋門賞 - 世界の主要競走の1つ
- ブリーダーズカップ・ターフ - アメリカの芝の最強馬決定戦
- 香港カップ - 香港の最強馬決定戦
- コックスプレート - オーストラリアの最強馬決定戦
中央競馬のGI、JpnI、J・GI競走 |
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