悪魔

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悪魔

悪魔(あくま)とは、諸宗教に見られる、「煩悩」や「」、「邪心」などを象徴する超自然的な存在のことである。

神話にはしばしば聖人預言者信仰心を試す存在として登場する。また、宗教上のに敵対するものを指し、異教の神々への蔑称でもあり、キリスト教の悪魔などはほとんどがそれに当てはまる。

西洋の悪魔は、人間に似た姿でありながら、黒や紺色の肌、赤い目、とがった耳、裂けたような口に尖った歯、尖った爪、コウモリのような羽を持つ存在として描かれることが多い。

数える際の助数詞は「人」「柱」「体」「匹」など。このうち「柱」は神道における神明の数え方の転用である。悪魔への使用例としてはソロモン72柱がある。

以下では主に「キリスト教における悪魔」を中心に叙述する。

「悪魔」とその関連語彙[編集]

「悪魔」という漢語は本来、漢訳仏典に由来する仏教語であるが、転じて西洋のデビルデーモンの訳語となった。仏教語としての悪魔はサンスクリット語マーラ(殺す者の意)の音訳「魔羅」「魔」と同義である。「」という漢字は、中国での仏典漢訳の際に「麻」と中国語の対応語「」とを組み合わせて作られたものとされる。

悪魔・魔王を指す西洋語のデヴィル(Devil, Teufel)はヘブライ語のサタンの訳語ディアボロステンプレート:lang-grc-shortDiabolus)から派生した言葉であり、主としてユダヤ=キリスト教の神に敵対する存在を指す。一方、デーモンは悪霊、鬼神、魔神、魔霊、悪鬼とも訳され、キリスト教の文脈以外での悪霊・悪鬼的存在にも適用される語彙である。もっとも、言葉の実際の用法においてはデヴィルとデーモンの語は必ずしも厳密に区別されない。

デーモンの語源はギリシア語のダイモーンテンプレート:lang-grc-short、ラテン翻字 daimon)である。ダイモーンは神霊、鬼神と訳され、ギリシア神話上の概念としては精霊、小神格、守護霊を指し、本来は善霊と悪霊とを包括する概念である。しかしギリシア語の旧約および新約聖書では悪霊的存在がダイモーンと記され、キリスト教が支配的になるとともにダイモーンの悪霊的意味合いが強まった。こうしてダイモーンのラテン語綴りダエモン(daemon)はキリスト教的文脈においてほぼ悪霊・悪魔の意味で用いられるようになり、そこから demon, Dämon といったデーモンに相当する西洋各国語が派生した。英語でも daemon は demon と同様に diːmən1 diːmən [diːmən] と発音され、ギリシア神話のダイモーンの意味で用いられる場合もあるが、悪霊としての demon の別綴りとして用いられることも多い。ネオプラトニズムの哲学者である古代の非キリスト教徒ポルピュリオスは、神々に姿を変じて人々をたぶらかすダイモーンがいると論じているが、キリスト教の教父アウグスティヌスも『神の国』においてポルピュリオスを批判しつつも同様のダイモーン観を提示しており、後世のデーモン観に影響を与えている。このようにダイモーンとデーモンは文脈に応じて区別される地続きの概念となっている。

アブラハムの宗教の悪魔[編集]

悪魔の起源[編集]

アブラハムの宗教における悪魔は元来、神とその使いを除く超越的な存在全てであった。

唯一神教であるユダヤ教は、他宗教の神々を悪魔と称して否定した。その派生であるキリスト教イスラム教も同様であった。西方キリスト教世界における悪魔は、地中海世界で信仰されていた古代文明の神々が否定され悪魔とされたものが多く、バアル神やモレク神などは代表的なものである(これらの神格はユダヤ教の時点で「魔神」シェディムであるとされていた)。 ただし、唯一神以外の神々が全て悪魔とされたわけではなく、キリスト教に取り込まれた例もある。その代表例は、かっては新バビロニア地域の神々、あるいは神の諸側面を表象する存在であったミカエルガブリエルである。ユダヤ民族のバビロン捕囚時代以降にペルシアの宗教(とくにゾロアスター教のアムシャ・スプンタ)に影響を受けて、ユダヤ教に天使として取り入れられた。ミカエルやガブリエルは旧約聖書にも登場し、キリスト教では大天使として継承された。ヨーロッパ土着の神々が矮小化され妖精伝承となったこともあるらしい。

故に人間に試練を与えるための神の道具であったサタン(「試みる・誘惑するもの」)は旧約聖書において悪魔ではなく、人間の敵ではあっても神の僕であった。サタンは「大敵」と呼ばれ、異教の神とは区別された。

異教の神々がサタンと結び付けられるのはキリスト教アタナシウス派の影響である。「イザヤ書」の記述にある「天より落ちた者」ルキフェルはサタンと同一視されるようになり、サタンは神に敵対する者とされ異教の神々は神に対して反乱を起こした天使であるとされるようになった。

一方イスラム教においては悪魔は「シャイターン」と呼ばれる。これはサタンの転訛である。その頭目は堕天使イブリース(=ルキフェル)であるが、キリスト教とは違いそれ以外の悪魔は単なる人に悪さをするジン精霊)にすぎない。

悪魔と迷信[編集]

また、西方キリスト教世界では悪魔と迷信が結びつき、魔女狩りのように残酷な蛮行が中世晩期から近世にかけてのヨーロッパにはびこった。十字軍時代やオスマン帝国膨張に伴って、イスラム教徒やギリシア正教徒との接触で文明的に啓蒙され、宗教改革ルネサンスの勃興を経て近代化が始まるまでは、西方キリスト教世界での迷信的な悪魔観は衰退しなかった。今日の欧米社会においても、そのような迷信的な悪魔観は完全には消失してはいない。

東方の悪魔観[編集]

その一方で、東方キリスト教世界では、ギリシア哲学(特に新プラトン主義)を基盤とした神学を発展させたためか、このような迷信的な悪魔観は起こらなかった。ただし、11世紀の東ローマ帝国の知識人で宮廷の有力者でもあったミカエル・プセルロスは悪魔学研究の著作を遺している(ただし、R. Greenfield, Traditions of Belief in Late Byzantine Demonology を参照)。

エクソシスト[編集]

カトリック教会における悪魔憑きは外から語りかけることによって始まり、体内に入り、体を乗っ取る「憑依」によって完成する。

  • 外から語りかける段階…電気製品から、「私を助けて」という子供の声などで話しかける。
  • 憑依する段階…呼吸音・骨のきしむ音・腸をごろごろ鳴らせる音で語りかけてくる。
  • 憑依後…本人の意思とは関係なく、口から完璧な言葉を話し、人に望む行動をとらせるよう働く。

これらの症状は、現代医学の観点からは精神疾患とも考えられるので、医学的見地に従うのがよい(考えられる疾患については悪魔憑きの項に詳しい)。悪魔観が比較的強い宗教であるローマ・カトリック教会でも、現代ではエクソシストによる悪魔払いの儀式(プロテスタント教会にはない)に慎重であり、まずは医師の判断を実行する。

ファティマの聖母による地獄と悪魔[編集]

1917年、聖母ポルトガルの子供達に出現し、数々の警告を人類に与えた。(カトリック教会公認の奇跡)聖母は「火の海の中で、男と女の人間の形をした霊魂達が、燃え、絶望の内に叫び、泣いている」情景を示し警告した。

  • 「多くの霊魂が地獄に行きますから、祈りなさい、沢山祈りなさい」
  • 「貴方達は罪人達が、悔い改めない時に、行く地獄を見ました」
  • 「より多くの霊魂達を地獄に導く罪は肉の罪です」
  • 「彼等はこの総体的な堕落を完成する為に特に子供達に焦点を絞るでしょう」

21世紀初頭、ヨハネ・パウロ2世は、「ファティマの聖母の言葉は、悪魔の罠に陥らないよう、改心を求めて私達の人間性に訴え掛けている」と述べ、戦争民族浄化麻薬汚染・中絶など惨事が悪の犠牲者を多く生み出していること、善と悪の戦いは(20世紀だけのものではなく)今日も続いていることから、社会は破壊を免れるために伝統的な価値観に立ち戻る必要がある、と述べている。

悪魔の姿形[編集]

悪魔の姿を見た、という伝承は古来から様々な形で残るものの、信頼に足る映像記録などは現在のところ存在しない。
よくある類型的な悪魔像は、ある程度「人間に似た形」をし、肌が紺色、あるいは黒や赤色で、目は赤く、とがった耳を持ち、とがった歯を有する裂けた口を持ち、頭部にはヤギのような角を生やし、とがった爪の付いたコウモリのような尻尾を持つ、といったもの。また、かかとがないことも重要な特徴とされる。
絵に描かれた悪魔は、これらの特徴のほぼすべてを備えているものもあれば、一部のみを有するものもある。
→『BSDデーモン』や『バフォメット』(ヤギ頭の悪魔)の項目を参照。
高等な悪魔は外見が男性的であったり女性的であっても実際は両性具有であるという説もある。

仏教の悪魔[編集]

より一般的な悪魔[編集]

各地の神話土俗信仰等においては、人を傷つけ、あるいは悪い感情を誘発するなど、人を不幸にするような神秘的力を持つものが語られる例は珍しくない。それが人格を持って語られる場合、それは悪魔的なものとなる。翻訳する際には悪魔とされることもあり得る。カレワラのヒーシなどはこれに当たる。

それらは悪意を持って人を傷つけるだけでなく、場合によってはいたずらが予想外な事態を引き起こし、巡り巡って新たなものの誕生などにつながる。そのようなものをトリックスターという。

比喩・強調としての「悪魔」[編集]

悪魔という言葉は、残忍・非道でずる賢い人間の喩えとしても用いられる。悪魔の証明もこの意味に近い。

また社会正義道徳に挑戦する存在という意味合いを持つ場合がある。『悪魔の辞典』、悪魔のパスポート(『ドラえもん』のひみつ道具)など。

小悪魔といった場合、可愛さと性的魅力とで男性を魅了する女性を指すことがある。神に従うのは潔癖さや信仰への忠誠が求められるなど厳しい道であるが、悪魔に従うのは堕落であり、むしろこちらの方が魅力的な場合が多い。「悪魔のささやき」は常に甘美である。

意外に見落とされがちではあるが、悪魔は人間ではない。神ではないが人間でもない。即ち悪魔を自称する人間は神を自称する人間と等しく矮小である。

常識を逸脱した技術や価値を有するものやそれを造り出した人間に対して「悪魔に魂を売った」という比喩が用いられることがある。

善悪の問題とは関係なく、単純に言葉の強さを深める修辞として悪魔という言葉を用いる場合もある。タバスコの400倍の辛さを誇る激辛ソースは悪魔の血(Satan's Blood)、ハバネロを用いている同じく激辛ソースは悪魔の復讐(Devil's revenge)と呼ばれている。

音楽[編集]

楽器の速弾きによる超絶技巧は往々にして悪魔に結びつけられる。神業でもあるのだが、音楽においては神のそれはゆったりしたものとの定見がある。遅いテンポで美しい旋律が流れる音楽は「天国的」といわれる。

また、モーツァルトの音楽は悪魔が書かせたもの、との言葉がある。音楽美において、アポロン的美とディオニューソス的美を対立させる考えがあり、モーツァルトのそれは後者の代表とされるが、ギリシャ神話多神教で悪魔の性質も神々が抱えており、中でも酒の神であるディオニューソスは集団的狂乱を呼び起こしたりと悪魔的な側面が強い。

西洋音楽においてはタルティーニの「悪魔のトリル」は悪魔の夢に触発されて書かれたというエピソードがあり、ブルース音楽においては悪魔に魂を売ったというロバート・ジョンソンの伝説はつとに知られている。

科学の世界の悪魔[編集]

科学の分野でも悪魔の存在を仮定する例がある。「マクスウェルの悪魔」「ラプラスの悪魔」が有名どころで、いずれもパラドックスに絡んでいる。人間には絶対に不可能と思われるものの、その定義される能力が何となく具体的なので、悪魔にならできるかもしれない、といったところであろう。

科学そのものも悪魔とは結構親和性がある。科学は積み重ねによって当たり前には人間の手の届かないところまで手を届かせてしまい、ありえそうにない現象をも扱ってしまう。しかもそこに絶対的な善悪を論じない、あるいはその判断が科学そのものからは生まれないから、神よりは悪魔の方が近しい。ゲーテの『ファウスト』で描かれるところのメフィストフェレスは「理性は持っているが悟性は持たない」ことになっており、これはある意味で科学そのものの姿でもある。

その結果、非人道的な発明実験を制止する論理を科学そのものは持たない。そのため、化学兵器とか核兵器など大量破壊兵器のようなものに関わる学者も実在し、彼らは往々にして「悪魔の科学者」といわれる。たとえばフォン・ブラウンは月ロケットを作る役に立つならV2号ミサイルを製造するのに協力を惜しまなかった。彼が第二次大戦を生き延びられなかったら、彼にもその名が与えられたであろう。創作の中でのマッドサイエンティストはその極端な例である。

悪魔の別称を持つ実在の人物[編集]

  • ジーン・シモンズ ハードロックバンドKISSのべーシストのデーモンは地獄から来た悪魔という設定。ちなみに、KISSのアルバムの邦題には多く「地獄」とい単語が入るが正しくは悪魔は、デーモンである彼だけであり他のメンバーは宇宙人や怪人という設定。
  • デーモン閣下(元地獄副大魔王にして悪魔教教祖としている)
聖飢魔II」活動当時は、デーモン以外の構成員も人間ではなく悪魔であると称していた。聖飢魔II解散後はデーモン閣下のみ、自身が悪魔であると称している。また、時折元メンバーの雷電湯澤も自分が悪魔であるかのような発言をしている。ただし彼の場合は、厳密に言えば設定上は悪魔ではなく雷神である。

悪魔をモチーフとした作品[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

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