阪急電鉄

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阪急電鉄株式会社は、大阪梅田神戸宝塚京都を結ぶ大手私鉄阪急阪神ホールディングスの子会社で、阪急阪神東宝グループに属する。略称は阪急

本社は大阪府大阪市北区、登記上の本店所在地は大阪府池田市栄町1番1号(池田駅の所在地)である。平均利用者数195万人/日、営業キロは143.6km(第二種鉄道事業区間含む)に及ぶ。また、女性のみの団員で構成される劇団「宝塚歌劇団」を運営していることでも知られる(「その他の事業」の節も参照)。

スルッとKANSAIでカードに印字される符号はHKである。

目次

歴史[編集]

阪急電鉄が運営している鉄道事業は、1907年(明治40年)に設立された箕面有馬電気軌道が、1910年(明治43年)3月10日に現在の宝塚本線箕面線にあたる梅田 - 宝塚間、石橋 - 箕面間を開業したのが始まり。創業者の小林一三は経営安定のため沿線開発に力を入れ、住宅地分譲、宝塚新温泉、宝塚唱歌隊(後の少女歌劇団、現在の宝塚歌劇団)などの事業を多角的に展開した。

続いて阪神間の輸送に参入。1918年(大正7年)、社名を阪神急行電鉄に改称。後に正式社名にも採用され現在まで続く略称の「阪急」はこれに由来する。阪神間に参入したことで、以後既に阪神間で都市間連絡電車を営業していた阪神電気鉄道とは激しく争うライバル関係となった。1920年(大正9年)に神戸本線十三 - 神戸(後の上筒井)間を開業し、1936年(昭和11年)には神戸市内の三宮へ高架線で乗り入れた。

なお、「電鉄」という語は、「電気鉄道」という語を商号に使用することに、鉄道省があくまで軌道法準拠の「電気軌道」であることを根拠として難色を示したことから、対策として小林一三が考え出した語で、以後軌道法監督下の各社が高速電気鉄道への脱皮を図る際に有効活用されることとなった。

1943年(昭和18年)、戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)により京阪電気鉄道を合併、京阪神急行電鉄となる(この経緯については「阪神急行電鉄#京阪電気鉄道の統合と分離」も参照)。なお、このとき「阪急」と「京阪」の略称は公式には使用されなくなり「京阪神(急行)」とされたが、世間には定着せず、大阪市電の電停名でも「阪急阪神前」(梅田)・「京阪前」(天満橋)・「京阪神急行前」(天六)などと、混合して用いられていたといわれている。

戦後の1949年(昭和24年)に京阪線交野線宇治線京津線石山坂本線が京阪電気鉄道として再分離。かつて京阪の路線であった新京阪線は阪急に残存し、京都本線・千里山線(後に千里線と改称)・十三線(後に京都本線へ編入)・嵐山線となった。この時、略称も「京阪神」から「阪急」へ戻している。

1959年(昭和34年)、梅田 - 十三間が3複線化され、京都本線のターミナルが天神橋駅(現・天神橋筋六丁目駅)から梅田駅になる。

1973年(昭和48年)、阪急電鉄に社名変更。1992年(平成4年)、後にスルッとKANSAIへ発展するラガールカードによるストアードフェアシステムラガールスルー」を開始する。

しかし、バブル崩壊で小林公平が主導した茶屋町地区などの再開発事業(ちゃやまちアプローズ)の失敗による巨額の損失を蒙った。追い討ちをかけるように、1995年(平成7年)1月17日阪神・淡路大震災では、神戸本線・伊丹線・今津(北)線などが甚大な被害を受けたが、同年6月12日にほぼ全線が復旧、1998年(平成10年)には伊丹駅も再建された。

震災以降も、長引く消費不況や西日本旅客鉄道(JR西日本)などとの激しい競合、少子高齢化、また2009年度の新型インフルエンザ発生などの影響により輸送人員は減少。不動産・ホテル事業の再編や、宝塚新温泉以来90年以上の歴史を持つ遊園地「宝塚ファミリーランド」の閉園、ポートアイランドにあった「神戸ポートピアランド」からの事業撤退(その後暫くは神戸市の手で運営を継続ののち、2006年(平成18年)閉園)など、グループ事業の再編が進められる。その集大成として、2005年(平成17年)4月1日に、旧・阪急電鉄から鉄道、不動産、レジャー、流通の4事業を分割承継する新・阪急電鉄(阪急電鉄分割準備(株)から商号変更)と、ホテル経営を統括する阪急ホテルマネジメント、旅行業の阪急交通社の直営事業会社2社の合わせて3社に再編し、旧・阪急電鉄は持株会社として阪急ホールディングス(現・阪急阪神ホールディングス)に移行した。

2007年(平成19年)10月19日に創業100年、2010年(平成22年)3月10日に開業100年を迎えた。

年表[編集]

箕面有馬電気軌道[編集]

  • 1906年(明治39年)1月15日 箕面有馬電気鉄道創立発起人会設立。
  • 1907年(明治40年)
    • 6月1日 箕面有馬電気軌道に社名変更。
    • 10月19日 箕面有馬電気軌道創立総会開催。
  • 1909年(明治42年)
  • 1910年(明治43年)
    • 2月22日 宝塚本線梅田 - 宝塚間、箕面線石橋 - 箕面間が竣工。
    • 3月10日 宝塚本線梅田 - 宝塚間、箕面線石橋 - 箕面間が開業。
    • 3月13日 池田車庫において開業式典を挙行。
    • 6月 池田室町住宅地の売出しを開始。当時としては珍しい月賦方式による住宅販売。
    • 7月1日 電灯電力供給事業を開始。
    • 11月1日 箕面動物園が開園。
  • 1911年(明治44年)
  • 1912年(明治45年)7月1日 宝塚新温泉内にパラダイスを新設。
  • 1913年(大正2年)7月1日 宝塚唱歌隊(現在の宝塚歌劇団)を組織。
  • 1914年(大正3年)4月1日 宝塚新温泉余興場において歌劇上演を開始。
  • 1916年(大正5年)3月31日 箕面動物園を廃止(閉園)。

阪神急行電鉄[編集]

  • 1918年(大正7年)
    • 2月4日 阪神急行電鉄に社名変更。阪神急行電鉄の略称として「阪急」、「阪急電鉄」の名称が用いられるようになる。
    • 5月23日 東京帝国劇場において宝塚少女歌劇団の初公演を実施。
  • 1919年(大正8年)1月6日 宝塚音楽歌劇学校を創立。
  • 1920年(大正9年)
    • 7月16日 神戸本線 十三 - 神戸(後の上筒井)間、伊丹線が開業。
    • 11月1日 阪急ビル(旧館)が竣工。
    • 11月5日 阪急ビル2階に食堂を開設。
  • 1921年(大正10年)
    • 4月1日 北大阪電気鉄道(1923年に新京阪鉄道へ事業譲渡)が十三 - 豊津間(現在の京都本線・千里線の一部)を開業。
    • 9月2日 西宝線(現在の今津線の一部)宝塚 - 西宮北口間が開業。
    • 10月26日 北大阪電気鉄道が豊津 - 千里山間を開業。
  • 1924年(大正13年)
  • 1925年(大正14年)
    • 6月1日 梅田阪急ビル(旧館)の2・3階に阪急直営マーケット(阪急百貨店の前身)を開業。
    • 10月15日 新京阪鉄道(1930年に(旧)京阪電気鉄道に合併)が天神橋(現在の天神橋筋六丁目) - 淡路間(現在の千里線の一部)を開業。
  • 1926年(大正15年)5月14日 宝塚ホテル開業。
    • 7月5日 梅田 - 十三間が高架複々線化。神戸本線・宝塚本線の分離運転を開始。旧線は北野線として営業を継続。
    • 12月18日 西宮北口 - 今津間開業。西宝線が全線開業し、路線名を今津線と改称。
  • 1928年(昭和3年)
    • 1月16日 新京阪鉄道が淡路 - 高槻町(現在の高槻市)間(現在の京都本線)を開業。
    • 11月1日 新京阪鉄道が高槻町 - 京都西院(現在の西院)を開業。
    • 11月9日 新京阪鉄道が桂 - 嵐山間(現在の嵐山線)を開業。
  • 1929年(昭和4年)
  • 1931年(昭和6年)
    • 3月31日(旧)京阪電気鉄道が新京阪線 西院 - 京阪京都(現在の大宮)間開業。関西初の地下鉄道の開業。
    • 10月15日 阪急神崎川ゴルフ場を開場。
    • 12月1日 梅田阪急ビルの第2期工事が竣工。
  • 1932年(昭和7年)
    • 8月 演劇、映画の興行を主たる目的として、東京宝塚劇場(現在の東宝)を設立。
    • 11月20日 梅田阪急ビルの第3期工事が竣工。
  • 1935年(昭和10年)
    • 1月25日 宝塚大劇場が全焼。
    • 4月1日 全焼した宝塚大劇場を復興。
  • 1936年(昭和11年)
    • 1月23日 阪急職業野球団(後の阪急ブレーブスの前身。現在のオリックス・バファローズ)を結成。
    • 2月26日 梅田阪急ビルの第4期工事が竣工。
    • 3月31日 神戸阪急ビルが竣工。
    • 4月1日 神戸本線 西灘(現在の王子公園) - 神戸(現在の神戸三宮)間が開業し全通。西灘 - 上筒井間は上筒井線として存続。
  • 1937年(昭和12年)5月1日 阪急西宮球場(後の西宮スタジアム)の開場式を挙行。
  • 1940年(昭和15年)5月20日 上筒井線廃止。
  • 1942年(昭和17年)4月1日 国家総動員法及び配電統制令に基づき設立された関西配電(現在の関西電力)に電灯電力供給業務を譲渡。

京阪神急行電鉄[編集]

阪急電鉄[編集]

  • 1973年(昭和48年)
    • 4月1日 阪急電鉄株式会社に社名変更。
    • 11月23日 梅田駅の移転拡張工事が完成。
  • 1975年(昭和50年)
  • 1987年(昭和62年)
    • 12月31日 大晦日の終夜運転を全線で開始(ただし開始後数年間は天神橋筋六丁目駅 - 淡路駅間は対象外)。
  • 1988年(昭和63年)
  • 1989年(平成元年)
    • 4月1日 プリペイドカードラガールカード」導入。
    • 12月7日 後の分社・持株会社化の準備のための完全子会社・阪急電鉄分割準備株式会社(現阪急電鉄)の前身となる株式会社アクトシステムズが設立。
  • 1992年(平成4年)4月1日 ストアードフェアシステム「ラガールスルー」開始。
  • 1994年(平成6年)9月1日 日本初の不正乗車防止システム「フェアライドシステム」を導入。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月17日 阪神・淡路大震災で各線に被害。同年1月23日までに京都本線、宝塚本線、神戸本線の一部などで運転再開。
    • 2月5日 今津線が全線復旧。
    • 3月1日 甲陽線が全線復旧。
    • 3月11日 伊丹線が新伊丹 - 伊丹(仮駅)間で運行再開。
    • 6月12日 神戸本線が全線復旧。
    • 9月1日 運賃改定に伴い時差回数券、土休日回数券導入。
  • 1996年(平成8年)
    • 1月1日 「ジェントルサウンドサービス」の一環として、駅・車内での案内を変更(詳細は特記事項参照)。
    • 3月20日 「ラガールスルー」を改良した関西圏の共通乗車カードシステム「スルッとKANSAI」開始。
  • 1997年(平成9年)11月17日 宝塚本線で能勢電鉄日生中央駅まで乗り入れを行う直通特急日生エクスプレスの運転を開始。
  • 1998年(平成10年)
    • 2月15日 山陽電気鉄道との相互直通運転を中止、神戸本線は新開地までの運転に。
    • 10月1日 今津(南)線、甲陽線でワンマン運転を開始。
    • 11月21日 伊丹駅本駅が完成。伊丹(仮駅) - 伊丹間は単線で運転再開。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月6日 伊丹(仮駅) - 伊丹間が複線運転再開、震災から実に4年ぶりに完全復旧。
    • 4月1日 全路線の全車両で優先座席を廃止(全車両の全座席を優先座席化)。
    • 10月1日 京都本線で女性専用車両を2か月間限定で試験導入。6300系の特急・通勤特急・快速特急のみに設定。同年12月2日から本格導入。
    • 12月16日 継続定期券発売機能付新型券売機導入(デビットカード対応は2000年3月6日から)。
  • 2001年(平成13年)3月1日 インターネットによる新規通勤定期券予約サービス「eていき」開始。
    • 10月1日 回数券カード発売(これまでの切符式と並行)。
  • 2003年(平成15年)
  • 2004年(平成16年)
    • 3月29日 休眠子会社となっていた株式会社アクトシステムズを阪急電鉄分割準備株式会社に社名変更。旧阪急電鉄の持株会社化への準備始まる。
    • 8月1日 非接触型ICカードPiTaPaによる乗車サービスを開始。HANA PLUSカード発行。
  • 2005年(平成17年)4月1日 阪急電鉄・阪急ホテルマネジメント・阪急交通社の各社を直轄する持株会社、阪急ホールディングスに移行。同日付けで鉄道・不動産等の事業は会社分割によって阪急電鉄分割準備株式会社に承継させた上で同社を阪急電鉄に改称、旧阪急電鉄を阪急ホールディングスに改称。
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
    • 10月1日 HANA PLUSカードに代わり、STACIAカード発行開始。
    • 10月19日 創立100周年を迎える。
    • 10月29日 全路線の全車両に優先座席を再設置。合わせて携帯電話電源オフ車両の場所を一部変更。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月10日 開業100周年を迎える。
    • 3月14日 これまでの路線図における「京都線」「宝塚線」「神戸線」という表記をそれぞれ、「京都本線」「宝塚本線」「神戸本線」に統一。
    • 10月1日 神戸高速線 新開地 - 西代間の第二種鉄道事業廃止。
  • 2011年(平成23年)
    • 4月 主要16駅にシースルー型改札「ごあんないカウンター」を設置、全駅で「駅係員よびだしインターホン」・旅客案内ディスプレイの使用を開始。
    • 9月1日 全駅の構内において、喫煙ルームをのぞいて終日全面禁煙になる。
  • 2013年(平成25年)

食材偽装を誘発した「阪急帝国」電鉄ヒエラルキーの“死角”(2013年)[編集]

メニュー表示と異なる食材を使っていた問題の発端となった阪急阪神ホテルズは社長が辞任にまで追い込まれ、「阪急」という関西屈指の名門ブランドに大きな傷が刻まれた。トップ交代で危機打開を図る今もなお、ブランド全体への影響は計り知れない。社長が当初「誤表示」と主張した食材偽装問題は、「阪急帝国」と呼ばれる一大企業グループの根底を崩す「蟻の一穴」となる可能性すらはらんでいる。

「上品」「高級」ブランドが…[編集]

「ブランド全体の信頼失墜を招いた」。阪急阪神ホテルズの社長だった出崎弘氏(11月1日付で辞任)が悔やんだように、食材偽装問題は「阪急」ブランドをおとしめるには十分だった。

替わって社長に就任したのは、同社の前身の一つ、旧第一ホテル出身の藤本和秀氏。2日の就任会見は、「ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」と、深々と頭を下げての謝罪から始まった。

阪急電鉄系列の車体は、独特の小豆色の「阪急マルーン」で、電鉄のコーポレートカラーは、「阪急に相応しい上品なワインレッド(Hankyuレッド)」。阪急といえば、「上品」「高級」イメージで知られる関西屈指の名門ブランドだ。関東では百貨店のイメージが強いが、グループの核はあくまでも電鉄であり、ホテルズのトップも藤本新社長までは電鉄出身者だった。

「一私鉄」の阪急はどうやってそこまでの地位を築き上げ、そして「偽装」で墜ちた名門ブランドはこの先、どこに向かうのか。

日本の私鉄経営モデル[編集]

創業者の小林氏は山梨県出身。明治40(1907)年に三井銀行を退職後、阪急電鉄の前身「箕面有馬電気軌道」の設立に参加した。

「乗客は電車が創造する」という考えのもと、小林氏は沿線の地域開発で人口が増加すれば、その住民の需要を満たすことに商機が生まれる-とみて次々に事業を起こした。明治43年には箕面の動物園、明治44年に大浴場「宝塚新温泉」、大正2年には「宝塚唱歌隊」(宝塚歌劇団の前身)を創設。昭和4(1929)年には世界初のターミナルデパート「阪急百貨店」を大阪・梅田にオープンした。

宅地開発にも力を入れ、現在の住宅ローンを日本で最初に考えたのも小林氏とされる。「小林モデル」は、日本の私鉄経営モデルとして、東急電鉄西武鉄道など全国の私鉄各社の経営に大きな影響を与えた。

阪急グループの拡大は続く。ホテル事業に加え、東京宝塚劇場東宝映画(昭和18年に両社が合併、現在の東宝に)設立といった娯楽事業でも成功を収め、多くの企業を有する阪急東宝グループに。阪神電気鉄道との経営統合を経て、関西の巨大ブランドとなった。

〝ブランドならでは〟の傷[編集]

だが、その小林モデルがまさに裏目に出たのが、阪急阪神ホテルズによる食材偽装問題だ。親会社の阪急阪神ホールディングス(HD)全体に占める売り上げや利益は微々たるものだが、「多くの事業の有機的なつながり」をブランド力の源泉としているだけに、ホテルズの失態の影響がグループ全体に及ぶのは避けられない。

ホテルズは親会社の経営統合などに伴う合併の末生まれた「寄り合い所帯」だ。電鉄出身者のトップを据えてきた理由の一つは、ホテル間の軋轢を軽減するためだった。だが、これが「現場から遠い」上層部と、部門間の風通しの悪い職場を生む要因にもなった。

巨大グループ内では、各ホテルやレストランのメニュー作成と調理や仕入れの現場での意思疎通がとれない中、ライバルとの苛烈な競争やコストカットの圧力が加わった。メニュー通りの食材は求められる原価で仕入れられず、伊勢エビバナメイエビに、ステーキ牛脂注入肉になっていることに、上層部は気づくことができなかった。

そして、問題がここまで世間のひんしゅくを買ったのは、出崎社長が最初の会見で「偽装ではなく誤表示」を繰り返したためだ。

阪急という名門ブランドのホテルやレストランでの食事は、単なる「食品の販売」ではない。施設の雰囲気やイメージなど、まさにブランドの価値そのものを利用者は購入している。利用者にとっては大切な記念日のディナーや奮発したランチだったからこそ、怒りはより大きかった。

同業他社でも次々と同様の問題が発覚した現実は、「小林モデル」にならって多角化を進めた私鉄各社にも同じ課題があることを浮き彫りにした。メニューの虚偽表示が発覚した「奈良万葉若草の宿三笠」(奈良市)などを運営する近鉄の子会社「近鉄旅館システムズ」も、新社長にはホテル事業部長の経験を持つ米田宗弘氏を充てた。

「ソーライス」[編集]

昭和4年に開業した阪急百貨店の名物は、食堂で提供された20銭のライスカレーと5銭の「ソーライス」だった。「ソーライス」とは、自分で卓上のウスターソースをかけて食べる白ご飯。町工場や馬力の運送屋が立ち並んでいた当時の大阪駅周辺で、勤め人や庶民に愛された。

そして何より、5銭の客にも扱いを変えぬようにと徹底された社員教育と、自ら無料の福神漬けを山盛り運んだという小林の「大衆第一主義」の姿こそが、阪急ブランドを作り上げてきた。名門として拡大を続けてきた阪急阪神だが、今もう一度その原点に立ち返ることが、信頼とブランド力の回復には必須だろう。

社章[編集]

左の画像が阪急電鉄の現在の社章で、CI(コーポレートアイデンティティ)導入に合わせて1992年に制定された。イニシャルのHを花のイメージでかたどり、新しい領域へ挑戦する成長力・若々しさを表現する。右の画像は京阪神急行電鉄時代に制定され、同年まで使用された旧社章で、大阪市澪標)と神戸市の市章が重なったものを京都市の市章をかたどった円で囲ったものであった。現在阪急バスがこれに類似した社章を使用している。

鉄道事業(都市交通事業)[編集]

阪急電鉄では、鉄道事業のことを「都市交通事業」と呼称し、同社都市交通事業本部の管轄下に置いている。

路線[編集]

大きく神戸線・宝塚線・京都線の3つに分けられ、それぞれに本線とそれに付随する支線を有する。神戸本線には、甲陽支線、今津支線、伊丹支線があり、宝塚本線には、箕面支線、京都本線には、千里支線、嵐山支線がある。以前は「…本線」や「…支線」を、「…線」と略されて表記されていたが、2010年3月14日における京都本線のダイヤ改正以降、本線系統の路線においては『京都本線』『宝塚本線』『神戸本線』と正式な表記で統一されている。また、神戸線と宝塚線は、車両をほとんど共有している(詳細は後述)ことから、まとめて「神宝線」と呼称されることがある(かつて軌道法に基づく路線であったことから「軌道線」とも呼称されたことがあった)。ラインカラーは、ホームの発車番線、普通電車の行先表示板(各支線のみ)などに使われている。2013年12月21日から駅ナンバリングが導入された。

現有路線[編集]

このほか、宝塚本線 十三 - 宝塚間、神戸本線 十三 - 西宮北口間、今津(北)線 宝塚 - 西宮北口間の環状区間を「環状線」と呼称する場合がある。かつては各駅の運賃表周辺に掲出されていた注意書きなどにもその記述が見られたが、同区間で環状運転は行われていないほか、「環状線」の呼称はJR大阪環状線をイメージさせることもあり、積極的には用いられていない。運賃計算における注意書きや企画乗車券・定期乗車券の有効区間表示などでわずかに確認できる程度である。

阪急の路線にはトンネルがほとんど存在しない。工期と費用がかさみ、明治 - 大正時代の土木技術では危険が大きかったため、意図的にトンネル工事を避けたためである。宝塚線はトンネルを必要とするルートを避けた結果、カーブの多い路線となった。また神戸線の住吉川周辺では1938年阪神大水害で甚大な被害が発生。そのため住吉川の河床や堤防が高く改修されたが、その際もあえてトンネルは掘削はおこなわず、住吉川を乗り越える形で線路を復旧させたため急な勾配が今でも残る。現在でもトンネルは第二種鉄道事業区間(神戸高速線)をのぞくと全線で3か所しか存在せず、そのうち2か所は西院 - 河原町間と天六付近の地下線へ通じる入口で、出入口がある純粋なトンネルは千里線の千里トンネルただ一つである。なお、直通運転を行っている能勢電鉄には数多くのトンネルがある。

廃止路線[編集]

京阪電気鉄道への譲渡路線[編集]

京阪神急行電鉄発足時に旧京阪電気鉄道から継承した路線。いずれも、1949年に京阪神急行電鉄から分離発足した京阪電気鉄道へ譲渡された。詳しくは「京阪電気鉄道の路線」の項を参照。

計画線・未成線[編集]

いずれも1961年事業免許取得。ただし、新大阪 - 十三をのぞく区間(淡路 - 新大阪 と 新大阪 - 神崎川)は、2003年3月1日付けで事業免許廃止となった(「新大阪駅#構想」を参照)。

列車種別[編集]

詳しくは、各種別および各路線の記事を参照のこと。

阪急電鉄において設定されている列車種別は次の通りである。

なお、関西の大手私鉄では唯一「区間急行」など、“区間…”といった区間種別名称での旅客案内を行っていない。ダイヤグラム上での正式な列車種別としては、一部区間で各駅に停車する列車という意味ではなく一部区間を運転する列車の意味で用いられ、区間急行(宝塚本線の雲雀丘花屋敷発着の急行列車)、区間普通(神戸・宝塚・京都各本線の途中駅折り返し普通列車)が存在している。宝塚本線の日生エクスプレスについても、設定当初の正式な列車種別は「特急」であったが、直通特急設定後は「直通特急」となっている。

毎年春秋の繁忙期には嵐山方面への臨時列車を走らせている。2008年からは神戸線(宝塚線からは上りのみ十三駅でこの臨時列車に接続する臨時特急を運転)や京都河原町からの直通列車、2011年からは大阪市営地下鉄堺筋線からの直通列車も走らせている。

列車愛称[編集]

  • 日生エクスプレス … 梅田 - 日生中央間を結ぶ能勢電鉄直通の特急列車。
  • さがの … 2011年から運行されている梅田 - 嵐山間を結ぶ臨時快速特急。
  • おぐら … 2011年から運行されている河原町 - 嵐山間を結ぶ臨時快速特急。
  • あたご … 2011年から運行されている高速神戸 - 嵐山間を結ぶ神戸本線・京都本線・嵐山線直通の臨時直通特急。
  • とげつ … 2011年から運行されている宝塚 - 嵐山間を結ぶ今津(北)線・神戸本線・京都本線・嵐山線直通の臨時直通特急。
  • ほづ … 2011年から運行されている天下茶屋 - 嵐山間を結ぶ堺筋線・千里線・京都本線・嵐山線直通の臨時直通特急。
  • いい古都エクスプレス … 2001年から2009年まで梅田 - 河原町間を結んだ臨時列車。登場当初は臨時特急として、晩年は快速列車として運行。
  • 嵯峨野エクスプレス … 2000年まで梅田 - 嵐山間を結んだ臨時急行。
  • ほたる … かつて6月の平日夕方ラッシュ時に運行されていた梅田 - 箕面間の定期準急。
  • 歌劇特急 … かつて京都(現在の大宮) - 宝塚間を今津線経由で運行した直通特急。
  • ドルフィン … 1998年に運行された梅田 - 須磨浦公園間直通の臨時列車。
  • EXPO準急 … 1970年の大阪万博開催時に梅田・動物園前 - 北千里間を結んだ臨時準急。
  • EXPO直通 … EXPO準急同様、1970年の大阪万博開催時に神戸線・宝塚線方面 - 北千里間を結んだ臨時列車。

★印は現在運行中の列車

列車種別の表示[編集]

列車種別は先頭車両前面の通過標識灯種別表示器(方向幕)で識別できる。 正面の種別・行先表示は他社とは異なり、『行先』・『種別』と逆の表示になっている。

通過標識灯の点灯パターンは以下の通りである。

  • 正面から見て両側が点灯 - 特急・特急日生エクスプレス・通勤特急・快速急行・回送・臨時・貸切・試運転
  • 正面から見て右側が点灯 - 急行・通勤急行・通勤準急・準急
  • 無点灯 - 普通

急行の点灯パターンは近畿日本鉄道と同じである。

方向幕は以下の通りである。

  • 赤地に白色 - 特急・通勤特急・臨時特急・快速特急・直通特急・特急日生エクスプレス・回送・臨時・貸切・試運転
  • 橙地に黒色 - 快速急行・急行・通勤急行・臨時急行
  • 緑地に白色 - 通勤準急・準急・快速(2013年12月20日まで)
  • 青地に白色 - 快速(2013年12月21日から)・宝塚南口行き
  • 黒地に白色 - 普通・行き先

他社線との直通運転[編集]

  • 大阪市交通局:京都本線・千里線と堺筋線が相互乗り入れ。
    • 大阪市営地下鉄の車両の乗り入れは原則として高槻市駅・北千里駅までだが、イベントで嵐山線嵐山駅まで乗り入れた実績がある。
    • 平日朝ラッシュ(下り列車のみ)および土休日の日中時間帯には河原町駅まで直通する準急が運転され、平日夕ラッシュに高槻市駅まで直通する準急が上り列車のみ運転されている。いずれも阪急車のみの運用。
  • 山陽電気鉄道:1998年まで神戸本線が神戸高速鉄道東西線(神戸高速線)を経由して山陽電鉄本線須磨浦公園駅まで乗り入れ、山陽の車両も神戸本線六甲駅まで乗り入れ。
    • 同年以降も山陽の車両は阪急の神戸三宮駅まで乗り入れているが、山陽も第二種鉄道事業者であった神戸高速鉄道東西線への乗り入れという扱いをとっていた。2010年10月1日より神戸高速鉄道の運営形態の変更(山陽の第二種鉄道事業廃止)により、山陽側からの営業上の直通運転が阪神神戸高速線経由で新開地駅・高速神戸駅を経て阪急神戸高速線神戸三宮駅への片乗り入れのみながら復活したことになった。山陽の車両は神戸三宮駅での折り返しの際、梅田側にも数百メートルながら神戸本線を構内運転ではあるが走行する。なお、1998年までは六甲駅から御影駅西側の待避線まで回送され折り返しが行われていた。
  • 能勢電鉄:宝塚本線が乗り入れ。
    • 能勢電鉄は阪急電鉄グループの一員で、2003年以降は塗色も阪急と同じくマルーン一色になっている。
    • 能勢電鉄の車両(元は阪急の車両)は車両検査やイベントの際に平井車庫や正雀車庫まで入線している。

共同使用駅[編集]

神戸三宮駅2010年10月1日より阪急と神戸高速鉄道共同使用駅から阪急の単独駅となった。

車両[編集]

箕面有馬電気軌道(箕有)、および、その後身の阪神急行電鉄(阪急)によって敷設された神戸線・宝塚線(神宝線)と、北大阪電気鉄道、および、その後身の新京阪鉄道によって敷設された京都線とでは、その成り立ちが異なるため、車両規格に違いがある。

車両の電装品も、神宝線は東芝製、京都線は新京阪時代の名残で東洋電機製造製と分けられており、今でもこの慣習を守り続けている。ほかに、阪急において東芝製品は神宝線の電装品のほかに全駅の駅務機器や電車の空調装置エレベーター、業務用パソコンなど幅広い分野で使用されている。ただし、ATSの車上子についてはパナソニック製、信号連動装置発車標京三製作所製が使われている。

1948年550形以後、すべての阪急車両は系列のナニワ工機(後のアルナ工機)が建造していた(阪急では車両を新規製造することを「建造」と表現する)。しかし阪急と東武鉄道東京都交通局大阪市交通局などの主な納入先が経営状況の厳しさから車両新造を抑制、受注が激減したため、2002年に同社は解散。その後の阪急車の建造メーカーに選ばれたのはそれまで関西の大手私鉄と取引がなかったが、公営である京都市大阪市とは取引があった 日立製作所 であった。ただし、京都線9300系9308F・神戸線9000系9006F・宝塚線9000系9003Fは日立製作所が鋼体だけを製造し、残りは正雀のアルナ車両でのノックダウン生産となった。なお、阪急の経営事情は依然として厳しいことから、新車投入と平行して、1960年代後半 - 1980年代前半に製造された車両をアルナ車両やグローバルテックにて更新工事を施工し、延命使用する措置を取っている。うち1970年代前半までの車両に関しては再度の更新工事施工となる。

外装のカラーリングには、伝統的にマルーン色(阪急マルーンお召し列車でも用いられる色)が採用されているほか、内装についても木目調の化粧板やゴールデンオリーブ色のアンゴラ山羊の毛のシートを採用するなど統一されている。最近の車両(更新車含む)では経年劣化も考慮して妻面やドア部の化粧板にかなり濃い色の物を使うようになった。

なお、外部塗色については8000系導入時と9300系導入時にメタリックオレンジやマルーンの帯化などの新色採用案が持ち上がったことがあるが、利用者や社内からも抗議や反対意見が続出したため、6000、7000系列の屋根肩部分をアイボリー色に改める以外は廃案となった。ただし現在でも、利用者や部内の中からはアイボリー帯を車体裾部分にも設ける程度であれば良いとの意見も少数ながら存在している。

なお、京都線に乗り入れる地下鉄堺筋線の車両に関しては、ステンレス車体に茶系の帯を巻いた66系が走っている。以前はアルミ製車体に茶帯を巻いた60系も走っていた。ともに、2000年以降阪急線内で営業運行する車両では唯一マルーン中心の塗装でない車両である(山陽電鉄車両は1998年以降三宮以東で営業していない)。

マスコンは、関西では珍しくワンハンドルマスコンを積極的に採用している。走行性能の面では特に神戸線・京都線用車両について戦前から150kW以上という大出力(神宝線系統は1967年から1969年にかけて実施された架線電圧の昇圧まで、実質的な出力はその80%に留まっていた)の主電動機を採用し、新性能車(界磁チョッパ車まで)は100km/h以上まで弱め界磁制御を行うなど高速運転に適合した仕様となっている。同時に経済性も重視され、編成内のMT比は1:1を基本とし必要に応じて電動車比率が上げられる。また異系列間の混結は、空気ブレーキの方式とマスコンの形態が同じであれば制御方式が異なっても可能とされている(例:6000系・7000系・8000系)。

編成形態としては、京浜急行電鉄ほど徹底してはいないが5100系以降は先頭電動車方式を多用する傾向にあり、そのうえで2両から8両までの編成を組むため、T車(中間付随車)が5両連なる8両固定編成も多数存在する。ただし、新1000系と新1300系では再び全先頭車が制御車となる。

京都線の特急用車両のみ、梅田方を1号車として号車番号を付与しており、車体にもステッカーが貼られている。

附番方法[編集]

阪急電鉄における車両番号の附番は次の通りである。阪急電鉄の形式番号は1980年代に廃車された810系を最後に、以後は全車4桁になっている。

  1. モーターの搭載されていない付随車(T車)には、同系の電動車(M車)の車番に、10の位が5から付番される。
  2. 神戸方の先頭車には、大阪方の先頭車の車番に100を足した番号が付番される。
  3. 中間車には、先頭車の車番に500を加えた番号を付ける。
  4. モハ(デハ)クハサハといった形式記号は付けない。

1.はすでに3桁時代の700系(神宝線の700系は後に800系となる)新造車から始まり、3.は3000・3300系から始められた。

7613号(7013Fに属する三宮よりの2号車)を例に取ると以下のようになる。

  • 7 (千の位)…車両形式の系列を示す。1から始まり、形態や性能ごとに現在9までの数字で分けられている(4は事業用車)。
  • 6 (百の位)…0 - 4先頭車、5 - 9中間車、0 - 2・5 - 7神宝線、3・4・8・9京都線。1100系 - 3100系までは0・5が神戸線用、1・6が宝塚線用だった。2・7は普段は使用せず、試作車や特別車両用に空けられている。
  • 1 (十の位)…0 - 4電動車、5 - 9付随車
  • 3 (一の位)…製造順位番号。製造順に他社のような1ではなく0から付けられる(ゼロ起番山陽電気鉄道も同じ)。ただし、3300系まで京都線用は新京阪時代の名残で1から始まるようにされていた。

ただし、もともと先頭車だった車両で、その後の改造で運転台を撤去(中間車化)した場合でも、改番されることなく、製造当時の番号のままで使用されている(例:3000系の3000号)場合がある。

しかし2013年秋ごろに導入される、阪急新1000系電車では先頭車の付随車が1000、1100になったり、中間の電動車が1550、1650になったりと、また阪急新1300系電車では先頭車の付随車が1300、1400になったり、中間の電動車が1850、1950になったりと上記の附番方法と異なるところがある。

現有車両[編集]

神戸線・宝塚線[編集]
京都線[編集]
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事業用[編集]

過去の車両[編集]

神戸線・宝塚線[編集]
京都線[編集]
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系列会社の車両の特徴[編集]

阪急の系列会社である北大阪急行電鉄(北急)や神戸電鉄(神鉄)、北神急行電鉄(北神)などでは、一部車両の車内装飾が阪急車両に準じたものとなっている(北急では8000形、神鉄では2000系5000系6000系、北神では7000系。内装画像はそれぞれ北急8000形、神鉄5000系を参照)。

車両基地[編集]

阪急と相互直通運転を行う大阪市営地下鉄堺筋線東吹田検車場が京都本線内(相川 - 正雀間)にある。

乗務員区所[編集]

  • 西宮北口乗務区(神戸本線・今津線・伊丹線・甲陽線)
  • 雲雀丘花屋敷乗務区(宝塚本線・箕面線)
  • 桂乗務区(京都本線・嵐山線)
  • 淡路乗務区(京都本線・千里線)

運賃[編集]

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。

キロ程 運賃(円) キロ程 運賃(円)
初乗り4km 150 34 - 42 370
5 - 9 190 43 - 51 400
10 - 14 220 52 - 60 470
15 - 19 270 61 - 70 530
20 - 26 280 71 - 76 620
27 - 33 320

金額が強調されている箇所は阪神の回数券を引き換えて利用できる区間を示す(詳細は「回数券」の節で後述)。

神戸高速線は阪急が第2種鉄道事業者となる区間も含めて別途運賃が設定されている。神戸高速線の運賃の詳細は「神戸高速線#運賃」を参照。神戸本線と跨って乗車する場合は、神戸三宮駅を境界として運賃を合算する形になる。

梅田駅での折り返し乗車[編集]

十三 - 梅田間の折り返し乗車は通常では不正乗車(この区間は運賃計算に含まないため)であるが、なにわ淀川花火大会(旧・平成淀川花火大会)の際には十三駅が大変混雑するため、梅田までの折り返し乗車を特例で認めている。

また、2008年度より実施している神戸線・宝塚線⇔京都線の直通臨時列車の運転に際し、十三駅で折り返しができない場合、梅田駅にて折り返しを行なうが、この場合も梅田までの折り返し乗車で複乗となる十三 - 梅田間の運賃は支払う必要がない。

回数券[編集]

以下の種類の回数券を発売している。有効期限は発売日から3か月後の末日まで。

なお、昼間時間帯とは10 - 16時の間に入場・精算使用することを指す。土休日には土休日ダイヤで運転する平日(お盆・年末年始期間)も含む。

  • 普通回数券 - 10回分の金額で11回乗車可能
  • 時差回数券 - 平日昼間・土休日有効。10回分の金額で12回乗車可能。
  • ハーフ時差回数券 - 5回分の金額で6回乗車可能。時差回数券のハーフ版。
  • 土・休日回数券 - 土休日有効。10回分の金額で14回乗車可能。
  • ハーフ土・休日回数券 - 5回分の金額で7回乗車可能。土・休日回数券のハーフ版。

能勢電鉄・神戸高速・山陽電鉄・神戸電鉄連絡は普通回数券・ハーフ時差回数券・ハーフ土休日回数券のみの発売である。

有効区間が阪急線内のみとなる場合は回数券カードでの発売も行っている。回数券カードのみ、普通回数券22回券(20回分の金額)を発売している。複数人で使用する場合は事前に券売機で回数券券片に引き換える必要がある。

2007年4月1日より、阪急と阪神で同額となる区間(2014年4月1日改定時点では190円、270円、280円、320円、370円)のすべての回数券については、有効期間内であれば阪神電鉄でも利用可能となった(阪急・阪神経営統合によるサービス向上策の一環として実施)。ただしそのままでは利用できず、阪神線で利用する際は入場前に青色の券売機で阪神の回数券に引き換える必要がある。また、阪神線の同額の回数券も同様に使用前に赤色の券売機で阪急の回数券に引き換えて阪急で使用可能である。2007年のこの取り扱い開始当時は180円、260円、310円区間が対象だったが、2009年3月20日より阪神なんば線の開業で阪神に270円区間が出現したため、270円区間回数券も同様の取り扱いを開始した。2014年4月1日の運賃改定で190円、270円、280円、320円、370円区間(それぞれ旧180円、260円、270円、310円、360円区間で、370円区間は新規)に変更されている。

阪急では乗り越し精算の際、回数券を1枚のみ券面に記載された額面の金券として使用することができる。例えば、470円区間を、280円の普通乗車券(または回数券)で入場・乗車した場合、出場時に190円の回数券をもって乗り越し精算をすることができる。不利を承知で合計金額が過剰になる場合も使用できる(例:530円区間を270円の普通乗車券(または回数券)で入場、出場時に270円の回数券をもって乗り越し精算)が、この時は改札機・精算機の利用はできず、係員窓口で精算する必要がある。また 2枚重ね対応改札機では入場済みの回数券と未使用の回数券を2枚重ねて投入可能であるが、大阪市交通局管理の天神橋筋六丁目駅は2枚重ね投入することはできず、改札内の阪急用精算機で出場証と引き換えなければならない。

2008年12月29日に偽造レインボーカード(大阪市交通局のスルッとKANSAI対応カード)の使用が発覚したため、2009年2月から3月にかけて自動券売機の改修が行われ、ラガールカードを含むスルッとKANSAI対応カードでの回数券および回数カードへの引き換えができなくなった。

乗車カード・企画乗車券[編集]

以下の各項目を参照。

これ以外にも、各種乗車カード・企画乗車券が発売されている。

その他の事業[編集]

阪急電鉄では、鉄道事業(都市交通事業)以外に不動産事業やエンタテインメント・コミュニケーション事業(創遊事業)・流通事業をそれぞれ行っており、鉄道事業(都市交通事業)に匹敵する売上や営業利益をあげている。

不動産事業[編集]

不動産事業本部が統括し、西宮北口駅にある大型ショッピングセンター「阪急西宮ガーデンズ」の開発や梅田エリアにある「梅田阪急ビル」や「NU茶屋町」・「グランフロント大阪大阪駅北地区)」などの開発を手掛けている。

分譲マンションの開発に関しては、同じグループの阪急不動産が行っている。

なお、国際文化公園都市(愛称:彩都)予定地の山林に土地を保有している。

エンタテインメント・コミュニケーション事業(創遊事業)[編集]

創遊事業本部が統括し、女性生徒のみで構成される宝塚歌劇団の運営や関連子会社を有する。なお、宝塚歌劇団自体は阪急電鉄直轄の組織である。

また、鉄道事業者では唯一、総務省より東経110度CS委託放送事業者認定を受けており、2002年より宝塚歌劇団専門チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」を放送していたが、2011年4月1日、番組制作・編成や送出・送信管理を担当していた子会社の宝塚クリエイティブアーツに放送事業者の地位を承継している。

その他の関連事業会社として、阪急コミュニケーションズという阪急阪神ホールディングス連結子会社が存在する(阪急電鉄が100%出資)。元々は大阪市で阪急電鉄創遊事業本部コミュニケーション事業部として阪急電鉄沿線の観光ガイド本・グルメ本や宝塚歌劇団の機関誌『歌劇』、『宝塚GRAPH』、『宝塚おとめ』、演劇専門月刊雑誌『レプリーク』、阪急電車関係の書籍・絵本等を発行していたが、2003年7月に『ニューズウィーク日本版』、『フィガロジャポン』、『Pen』などを発行していたTBSブリタニカの事業(百科事典事業のぞく)と阪急電鉄創遊事業本部コミュニケーション事業部の事業を統合して発足した。本社はTBSブリタニカ時代から継承して東京都目黒区に置き、大阪市北区の阪急電鉄本社ビル内(TOKKの編集部門・広告部門と宝塚歌劇団関連誌の広告部門)と宝塚市の宝塚大劇場内(宝塚歌劇団関連書籍・雑誌の編集部門)にも事務所を構えている。

現在は上記のほか、書籍・デジタル事業などを手がけている。

過去運営していたチャンネル[編集]

  • Ch.290 TAKARAZUKA SKY STAGE - 標準画質ながらアスペクト比16:9の画角情報を付加して放送。『阪急・浪漫沿線』等の番組では「制作・著作 阪急阪神東宝グループ 阪急電鉄株式会社」のクレジットが表示される。
  • Ch.101 TAKARAZUKA SKY STAGE プロモ - データ放送。2009年3月16日放送終了。

流通事業[編集]

流通事業本部が統括し、日本の中堅書店であるブックファーストを運営していた阪急リテールズを傘下に持つ。

なお、関西私鉄で初めて駅構内に立ち食いそば・うどん店を設けたのは阪急電鉄である(阪急そば)。

特記事項[編集]

プロ野球球団[編集]

阪急ホールディングス(現・阪急阪神ホールディングス)として持株会社となる前の旧・阪急電鉄は1924年から1929年までの宝塚運動協会、そして1936年から1988年まで阪急ブレーブス(後にオリックス・ブレーブス、現在はオリックス・バファローズ)というプロ野球球団を持ち、それらの本拠地(専用球場)として宝塚球場、阪急西宮球場(後の阪急西宮スタジアム2002年に閉鎖)を所有していた。

阪急電車という呼称[編集]

関西の私鉄では「○○電車」という呼称が定着しており、車内放送や駅の掲示、ウェブサイトにおいても「○○電車」という愛称が使用されているが、阪急電鉄は公式には「阪急電車」とは案内しない。これは1992年の創業85周年を機に、会社側が公式な通称を「阪急電鉄」と変更したためである。

ただし乗客の間では今でも「阪急電車」「阪急線」「阪急」という略称が多く使われ、京都市営地下鉄四条駅大阪市営地下鉄梅田駅といった、他社・他局からの乗り換え案内表示も、「阪急電車」となっている。ただし、阪急側でもグッズ・刊行物では時折「阪急電車」を使用する例がある。

阪急電鉄は、「電気鉄道」という呼称を「電鉄」と省略し正式な社名とした(当時の社名は「阪神急行電鉄」)日本で最初の鉄道会社である(「歴史」節も参照)。

ホームの呼称[編集]

  • 一般的にホームの呼び方は「○線」だが、阪急電鉄では「○線」という呼び方である(子会社の能勢電鉄も同様)。これは「○番線」が社内での構内配線に対しての呼び方であるため。ただし、神戸三宮駅では例外的に「○番ホーム」という呼び方をしている。
  • ホームが2本しかない駅では島式・対向式に関係なく原則として自動放送でホーム番号を言わず、「皆様、まもなく、大阪梅田方面に向かう電車が到着します」のように、行き先の方面で表現する。
    • 例外的にホームが3本以上ある駅でも番号を言わない場合もある(京都線の駅や、優等列車通過駅に多い。例:園田駅相川駅茨木市駅高槻市駅桂駅)。ただ車両が入線してくる時の放送では、「○号線に到着の電車は…」とホームの案内も含めて案内される。
    • また、仁川駅では阪神競馬開催時の臨時列車の関係で回送車の発着があるため行き先すら付かない。かつては正雀駅も配線の関係上1つのホームから両方向の列車が出るため行き先が付かなかったが、列車案内装置・放送機器の更新により2008年2月から優等列車停車駅並みの詳細放送に変更された。
  • 淡路駅には1号線が無く、2 - 5号線のみとなっている。1954年までは1号線が存在した(大阪側のターミナルが天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅)だった頃に淡路 - 十三間の列車に使用されていた)ためで、社内業務にも乗客にも混乱となることを防ぐために、1号線廃止の際に番号を順送りしなかった経緯がある。なお、正雀駅にも1号線ホームがないが、これは別の理由による(正雀駅#駅構造を参照)。また、桂駅には1号線の隣に「C号線」がある。もともとは、隣接する桂車庫のC号線であったものを、ホームを設置して駅としたものである。番号を順送りしなかった点で、1号線のない淡路駅と同じ理由である。

きわめて少なかった島式ホーム[編集]

待避線を有する駅や終着駅は別として、上下本線に挟まれたタイプの島式ホームがもともときわめて少なかった。1963年烏丸駅が開業し、東海道新幹線の建設に伴い上牧駅が現ホームに移設されるまで、上下本線に挟まれた島式ホームは中津駅春日野道駅しか存在しなかった。1963年の2駅のあと長く上下本線に挟まれた島式ホームは現れなかったが、宝塚本線の各駅の高架化に伴い1984年池田駅を皮切りに1992年に川西能勢口駅1997年豊中駅岡町駅2000年三国駅が島式ホームに改築されている。

駅・車内での案内[編集]

  • 駅の案内サインに関しては関西圏の大手私鉄にしては珍しく、さらにはいち早くほぼ全駅でユニバーサルデザインピクトグラムを導入している。
  • 天神橋筋六丁目駅に停車する列車は、「次は天神橋筋六丁目、天六です」といったアナウンスをする。略称を最初に言う車掌が多い中、珍しい例である。
  • 梅田、神戸三宮、宝塚といったJRの路線に乗り換え可能な駅に着く際の乗り換え案内では旧国鉄時代から2013年12月21日の京都線ダイヤ改正までは一貫してJR線への案内をしていなかった。ただし2006 - 2007年のダイヤ改正で路線図に関してのみ表記するようになっている。
    • なお、大阪市交通局は堺筋線扇町駅をJR大阪環状線への乗り換え駅として案内しているが、阪急電車の路線図にはその旨が記載されていない。
  • 駅構内の自動放送はタレントの片山光男丸子由美が担当している。2013年現在、丸子が駅構内の自動放送を演じる唯一の事業者となる。
  • 1996年(平成8年)1月1日、「ジェントルサウンドサービス」の一環として、駅・車内での案内を変更した。具体的には自社線内での車掌の手笛による発車合図を原則廃止。優等列車の停車駅の案内を「○○から、○○まで停まりません」(発車後)「次は○○まで停まりません」(到着時)から「○○の次は、○○に停まります」(発車後)「次は○○に停まります」(到着時)に変更された。また、次駅の案内を「次は○○でございます」から「次の停車駅は○○でございます」に、また案内回数を主要駅をのぞき原則1回としたが、2005年(平成17年)10月1日から車内での案内放送を「次の停車駅は○○でございます」から「次は○○、○○です」に再度変更している。2006年(平成18年)10月1日からは神戸本線・宝塚本線で、さらに2007年(平成19年)3月16日からは京都本線の駅ホームでの案内放送を「ただいま到着の電車は各駅停車梅田行きでございます」から「ただいま到着の電車は各駅停車大阪梅田行きです」に変更している。
    • 各線の起点・終点駅では接近放送を流していなかったが、2012年の放送内容の更新より、列車の接近放送を流すようになった。
  • 梅田・三宮(改称前から)・新開地・河原町の4駅については「大阪梅田」「神戸三宮」「神戸新開地」「京都河原町」のようにアナウンスする(繰り返す場合は2回目以降、大阪・神戸・京都の部分を省略する)。
    • ただし「神戸新開地」の呼称は大阪府内(梅田駅や十三駅など)のみ実施し、兵庫県内では単に「新開地」とアナウンスされる。また、神戸高速線内の上り列車では「阪急神戸三宮」「阪急大阪梅田」とアナウンスされる。
  • 下の写真にあるように、駅名標の駅名表示は、ひらがな表示を大きくしているが、1980年代までは漢字表示のほうが大きく、ひらがな表示はなかった。それ以前の駅名標は縦書き表示と、他社線とは一線を画していた(これは能勢電鉄も同様だった。酷似したものが、伊予鉄道の地表タイプに残っている )。また、近隣の他社線に同名の駅がある場合は「阪急」と記載することが多いが、駅ナンバリング導入後に交換された物では削除されている。

携帯電話電源オフ車両[編集]

阪急電鉄では、携帯電話の電源オフを終日ルールづけた車両「携帯電話電源オフ車両」を全列車に設定している。2003年(平成15年)6月10日から1か月間限定で試験導入、同年7月11日から本格的に導入した。また京都線に直通する大阪市営地下鉄堺筋線や同じ阪急電鉄グループの能勢電鉄神戸電鉄でも導入されている。またこの「携帯電話電源オフ車両」についてのアナウンスは、車掌によって少し違うことがある。オフ車両導入当初は先頭車両と最後尾車両がそれに指定されていたが、2007年(平成19年)10月29日から下記のように変更された。

  • 設定車両:1車両(神戸・宝塚・京都・北千里・伊丹・箕面・川西能勢口側の先頭車両)

復活した「優先座席」[編集]

優先席#優先座席の是非 も参照 もう一つ、阪急電鉄の独自ルールとして特筆されたものが「全席優先座席」である。阪急電鉄では「特定の席にこだわらず、すべての座席で譲り合いの精神を」とのことから、決まった優先座席を廃止して1999年(平成11年)4月から「全席優先座席」を導入していた。阪急電鉄で「携帯電話電源オフ車両」が設定されたのは、同業他社が「優先座席付近では携帯電話の電源をオフ」というルールをこぞって導入したが、阪急には特定の優先座席がなかったためこうなった。ただし、大阪市営地下鉄堺筋線から乗り入れている66系電車はこの間も優先座席の設置を継続しており、「携帯電話電源オフ車両」導入時は、優先座席付近で携帯電話の電源を切ることを義務付けない形として対応した。

ところが、阪急電鉄側の思惑とは裏腹にこの「全席優先座席」は浸透せず、ほとんど座席の譲り合いが行われていないという現状を受け、2007年(平成19年)6月末の阪急阪神ホールディングスの株主総会で再設置の要望があったのを機に全席優先座席を見直すことになり、同年10月29日に「全席優先座席」は廃止され、再び「優先座席」を設置した。「携帯電話電源オフ車両」は継続され、大阪市交66系電車同様に優先座席付近で携帯電話の電源を切ることを義務付けない形とした。

しかし、優先座席の設置箇所は基本的に各車両の「梅田を前方としたときの最後尾座席」であるのだが、運転台、もしくは運転台跡が存在する車両はそれらの逆側の座席となっており、中間に運転台およびその廃止改造を行った車両が含まれる編成(神戸線の8032Fなど)だと、優先座席が車両によって前の方にあったり後ろの方にあったりとあまり統一されていないという懸念がある。

自動改札[編集]

2007年11月28日に阪急電鉄は、鉄道向け自動改札システムの開発・実用化に関して、電気・電子・情報・通信分野における世界最大の学会であるIEEE(アメリカ電気電子学会)より、「IEEEマイルストーン」に認定され、同システムを共同で研究・開発してきた、大阪大学オムロン近畿日本鉄道と共に受賞したと発表した。1967年に自動改札機の試験導入が行われた千里線の北千里駅には、受賞記念の銘板が設置されている。

学生専用出口[編集]

日本の鉄道事業者で初めて改札口を設けないフリーパスゲート「学生専用出口」を1965年に甲陽線甲陽園駅を皮切りに一部の駅で開設した(制服着用が条件)。1969年には「通勤専用出口」を塚口駅池田駅富田駅に設置した。1994年の「フェアライドシステム」導入後も定期券の出場記録がなくても入場可能とする対応であり、現在も王子公園駅などにある。ただし磁気定期券のみ対象でICカード式の定期券には非対応のため、ほとんどの学生が改札機を用いて出場している。雲雀丘花屋敷駅には雲雀丘学園中学校・高等学校に直結している専用の改札口がある(自動改札機が設置されている)。

広報[編集]

阪急電車情報誌として、古くから『阪急沿線』→『Linea(リネア)』を発行してきたが、『Linea』は1990年代後半に『TOKK』に統合された(『TOKK』は『Linea』とは別に存在)。現在はTOKK毎月1日発行分の最終ページの前のページに『Linea』というコーナーで存続している。また各線でダイヤ改正を行ったときは改正ほぼ一週間前に時刻表が掲載された臨時増刊が必ず行われる。『Linea』では1990年から1994年まで「FREPPY(フレッピー)」というのようなマスコットキャラクターが存在した(愛称の「FREPPY」は公募により決定)。

CMキャラクター[編集]

阪急電鉄の企業CMはあまり放映される機会がなく、放映される場合は主に自社の社員としての身分も有する宝塚歌劇団の団員が主に出演(過去には阪急ブレーブスの選手も出演)するが、まれに宝塚以外のタレントが出演する場合がある。

競馬との関係[編集]

今津線仁川駅を最寄駅とする中央競馬阪神競馬場では、阪急杯として重賞競走が行われるほか、阪神競馬開催時に様々なイベントを実施する。阪神競馬開催時には仁川発梅田行きの臨時急行が運転される。

また、神戸線園田駅を最寄駅とする地方競馬園田競馬場への無料送迎バスは同じ阪急阪神東宝グループに属する、阪急バスが担当している。

その他[編集]

  • 登記上の本店所在地を大阪府池田市に置いていることから、池田市を所管する豊能税務署の法人税ランクでは常にトップである。
  • 地球環境問題に対する施策は関西圏の私鉄の中ではかなり先進的で摂津市駅9000系の2次車に代表されるようにLEDの照明灯を積極的に導入している。
  • 毎年年末年始は土曜・休日ダイヤ編成だが、宝塚線に限り正月三が日は「臨時ダイヤ」として、ともに宝塚行きの急行と普通をそれぞれ10分間隔で運転する。一時期は臨時特急も運転されていた時期もある。京都線でも昼間の特急が増発されるまでは正月三が日に限って、特急・急行を増発していた時期もある。
  • 朝夕のラッシュ時などの駅案内業務の臨時案内係(アルバイト)として学生班が設けられている。その名の通り、大学生と専門学校生が雇用対象(予備校生は対象外)である。
  • 阪急では公共性を重視する観点からゴシップ週刊誌の吊り広告を一切掲示していない。
  • 乗車マナーの向上のためのキャラクター「マナーアップ戦隊マナブンジャー」を制定している。
  • 1990年代後半頃に関西の鉄道事業者では初めて外部の事業者のテレビ番組映画ドラマ撮影を認めた。
  • 日本の大手私鉄で唯一、信号機筐体の裏側をわざわざ銀色に塗装する習慣がある。
  • 公衆無線LANは、神戸高速線の花隈駅を含め、全駅に順次設置されている。利用できる無線LANは「阪神電気鉄道#公衆無線LAN」を参照。
  • 大正時代の沿線開発では伊丹市に本社を置く小西酒造の支援を受けるかたちで沿線開発もなされ両社の結びつきは深い。今でも駅構内などの小西酒造の「白雪」ブランドの広告看板が多いのはその名残である。

関係企業[編集]

阪急阪神東宝グループに属する全企業の一覧は「阪急阪神東宝グループ」を参照。

  • 下津井電鉄 - 阪急電鉄が資本参加しているが、関係は比較的希薄である。
  • 全但バス - かつて阪急電鉄の関連企業であった。
  • 池田泉州銀行 - 阪急阪神ホールディングスが大株主で、阪急電鉄の駅構内に設置しているATM「PatSat」の管理銀行。
  • 毎日放送 - 開局に携わっている。
  • エフエム大阪 - 阪急阪神ホールディングスが株主になっている。また、現在SDD(ストップ・ドランク・ドライビング)プロジェクト(飲酒運転をやめる運動)のスポンサーに阪急阪神東宝グループとして参加。
  • Kiss-FM KOBE - 時期は不明だが、過去に提供番組があった。

阪急電鉄に関するメディア[編集]

提供番組[編集]

テレビ番組[編集]

  • 阪急ドラマシリーズ - 関西テレビで1970年 - 1980年代の木曜日22:30 - 23:00(のちに金曜19:00 - 19:30に移動)に放送されていた番組で、近畿地区では阪急百貨店・阪急不動産とともにスポンサーとなっていた。舞台は阪急沿線で、特に宝塚線・今津線・神戸線沿線が多かった。
  • MBSナウ - MBSテレビで放送されていたニュース番組。
  • 宝塚歌劇舞台中継 - 関西テレビで放送されていた宝塚歌劇団の番組。

ラジオ番組[編集]

映画・映像ソフト[編集]

  • She's Rain - 1993年公開の映画。ストーリーがほぼ全般に亘って阪急沿線で展開する。
  • アニメ映画:火垂るの墓 - 映画の冒頭、清太と節子を乗せた電車が駅ビルを出てゆくシーンは、阪急電車が阪急神戸駅(現:神戸三宮駅)を出発し、神戸阪急ビル(通称:阪急会館)の2階部分から出てくるというシチュエーションである。なお、神戸阪急ビルは1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により甚大な被害を受けたため、後日取り壊された。
  • DVDソフト栄光の車両たちと阪急の100年 - ナレーション:羽川英樹(第1章 - 第5章・第7章 - 第10章)、村田好夫(第6章)

小説[編集]

  • 阪急電車 - 有川浩の今津線を舞台とした小説作品集。後に『阪急電車 片道15分の奇跡』のタイトルで映画化され、2011年4月29日(関西のみ4月23日)に一般公開された。なお、映画の制作には阪急電鉄のほか阪急電鉄グループの関西テレビ放送も関わっている。
  • 決戦・日本シリーズ - かんべむさしの短編小説。阪急、阪神、両社沿線の様子や文化の違いを風刺した作品。

楽曲[編集]

漫画・アニメ[編集]

ゲーム[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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