飯野矢住代

提供: Yourpedia
2021年6月26日 (土) 15:50時点における78.110.60.230 (トーク)による版

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
いいの やすよ
飯野 矢住代
飯野 矢住代
プロフィール
別名 飯野 裕代(本名)
オリベゆり
愛称
生没年月日 1950年3月9日
 - 1971年12月28日(-歳)
出身地 東京都渋谷区
血液型
民族 日本人
瞳の色
毛髪の色
公称サイズ(1968)
身長 / 体重 169cm/ 51kg
スリーサイズ 84 - 60 - 90 cm
ブラのサイズ
股下 cm
靴のサイズ cm
備考
活動
デビュー 1967年ミス東京グランプリ
1968年ミス・ユニバース・ジャパン
1968年ミス・ユニバース世界大会
ジャンル グラビア
モデル内容 一般・水着ヌード
備考 ジャニーズ事務所初の女性タレント
他の活動 女優
銀座の高級クラブ『姫』のホステス
その他の記録
1971年、男友達のマンションの浴室内で窒息死。21歳。
外部リンク
データベース FMDIMDb
モデル テンプレート カテゴリ

飯野 矢住代(いいの やすよ、1950年3月9日[1] - 1971年12月28日)は、日本モデルタレント女優である。本名は、裕代(読み同じ)。ペンネームはオリベゆり

1968年昭和43年)のミス・ユニバース日本代表として知られるほか、ジャニーズ事務所として初めての女性タレントであったものの、21歳で死亡した。

人物[編集]

東京都渋谷区円山町出身。渋谷区立松濤中学校卒。中学時代はテニス部員だった。

はじめは1967年(昭和42年)、『ミス東京』のグランプリとなった。翌1968年(昭和43年)にはミス・ユニバース日本代表となり、同年7月にアメリカ・フロリダ州のマイアミビーチで行われたミス・ユニバース世界大会に出場した。飯野はその大会で、入賞は出来なかったものの、特別賞『ミス・アミティ』を受賞している。当時のサイズは身長169cm、体重51kg、スリーサイズ84-60-90cm[2]

その後、ジャニーズ事務所に所属。雑誌グラビアや、テレビドラマ『プレイガール』の第18話や、映画『やくざ刑罰史 私刑(リンチ)!』に出演したものの、後に退社した。退社後には、作詞家で後に直木賞作家となった山口洋子が経営していた銀座高級クラブ『姫』のホステスを始め、職を転々とした。

1969年(昭和44年)12月、当時交際していたドラマー・ジョニイ・レイズとの間に男児を儲けるが、出産後間もなく死亡している。

1971年(昭和46年)の暮れ、幼馴染である声優・池田秀一が当時住んでいたマンションの浴室内にて池田の不在中に死亡した。死亡原因については、風呂を沸かしていたところ、そのまま居眠りをしている最中に空焚きによるガス漏れを起こしたことによる一酸化炭素中毒であると報じられたほか[3]、風呂水が漏れて少量しか入っていなかったことが原因で空焚きを起こしてしまったとの報道もされた。

ザ・スパイダースのシングル「サマー・ガール」のB面「なればいい」の作詞者としても知られる(ペンネームは「オリベゆり」作曲はかまやつひろし)。

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

  • プレイガール (1969年8月4日、テレビ東京)

映画[編集]

  • やくざ刑罰史 私刑 (リンチ)! (1969年6月27日、監督:石井輝男)

書籍[編集]

  • 愛の医学 ~ SEX DESIGN (編著:青木信光、1969年、ミクロ社)

提供楽曲[編集]

  • ザ・スパイダース 『なればいい』 (1966年7月1日)
  • ザ・バーズ 『ごめんなさいね』 (1968年1月)

参考文献[編集]

  • 山口洋子 『ザ・ラスト・ワルツ - 「姫」という酒場』 双葉社、1996年 ISBN 9784575232677 63~74頁
  • 「大女優も殺人犯もいる「ミスコン100年」美女たちの栄光と転落」『週刊新潮』2008年3月20日号 52~55頁

外部リンク[編集]

  1. 虚名とロマンスを着飾って生きたはかない21年の生涯 飯野矢住代が過ごした死の前夜6時間『週刊平凡』1972年1月20号 40頁
  2. 東京の飯野さん ミス・ユニバース代表『中日新聞』1968年5月6日14面
  3. 読売新聞』 1971年12月29日付ほか多数