佐倉市

提供: Yourpedia
2020年1月16日 (木) 11:04時点におけるSnowdome (トーク | 投稿記録)による版 (LTA:RXY荒らしの差し戻し。)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

佐倉市(さくらし)は、千葉県の北部に位置する都市東京衛星都市として知られている。 人口約18万人で、千葉県内の市の人口では隣接する八千代市に次いで第8位である。

地理[編集]

  • 千葉県の北部に位置する。都心から約40kmの地点に位置する。
  • 地価高騰のおりは都心50km圏まで通勤圏が拡大したことにより、都内へ通勤する人、いわゆる千葉都民が増加した。成田国際空港にも近いので空港勤務者も多く居住する。最近では根郷地区の発展・人口増加が著しい。高級住宅団地として染井野地区があり、パイロットや医者、上場企業会社員等が比較的多く居住している。

人口[編集]

600px
佐倉市と全国の年齢別人口分布(2005年) 佐倉市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 佐倉市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

}}

佐倉市(に相当する地域)の人口の推移
テンプレート:人口統計/12
総務省統計局 国勢調査より

人口統計[編集]

(以下は佐倉市ホームページより)

  • 総人口
    • 175,154人(2007年12月1日)
  • 男性
    • 86,542人(2007年12月1日)
  • 女性
    • 88,612人(2007年12月1日)
  • 外国人登録数
    • 1,779人(2007年12月1日)

歴史[編集]

印旛沼を中心に、多くの原始古代遺跡がある。市内中央部の江原台には、日本考古学草創期に注目を集めた遺跡があり、東端には、白鳳期の長熊廃寺跡が残る。

鎌倉時代室町時代を通じて下総守護として発展した下総千葉氏は、戦国時代になると本佐倉城国指定史跡、現・酒々井町本佐倉)を拠点とし、ここに佐倉千葉氏が成立した。戦国時代末期になると後北条氏の配下となり安房の里見氏の侵攻に対抗している。千葉親胤は鹿島城(のちの佐倉城)の建立に着手するが、暗殺され、一族の鹿島幹胤が引き継ぐも建設途上で死去。完成を目指した千葉邦胤は家臣に殺害される。後北条氏豊臣秀吉小田原攻めで滅亡すると、鹿島城は建設途上で焼かれ、千葉氏も滅亡してしまう。その後近くの臼井城徳川四天王の一人酒井忠次の息子である酒井家次が(臼井藩、後に佐倉藩領に編入)、同じく弥富城には北条氏一族の北条氏勝が(岩富藩、後に転封により収公)入城している。

江戸時代初期には土井利勝が鹿島城を改造して佐倉城を築き、その後、堀田氏の居城となり、老中首座となった堀田正亮が11万石とし、佐倉は城下町として繁栄した。佐倉藩は、武田(徳川)家、松平家等、老中や大老となる幕格の中心人物が入封する重要な藩であった。幕末の老中堀田正睦は蘭学を奨励し、佐藤泰然順天堂(現・千葉県指定史跡佐倉順天堂)を開かせた。また、「西の長崎、東の佐倉」として西洋医学の街としても栄えた。現在では、国道296号(新町周辺のみ)を通称蘭学通りとして、その名を残している。

明治4年1871年7月15日廃藩置県により佐倉県が置かれ、同年11月13日に佐倉県は印旛県と改められた。また明治6年に城跡に軍隊(佐倉連隊)がおかれた。

平成16年2004年10月4日に「佐倉市・酒々井町合併協議会」が設置されたが、平成17年2005年3月13日に酒々井町で実施された「佐倉市との合併の是非を問う住民投票」(投票率61.17%)では合併賛成4,016票、合併反対6,535票の結果となり、反対が賛成を上回ったため、酒々井町長綿貫登喜男は合併協議会の離脱を申し入れた。3月19日に開催された第9回合併協議会ではこの案件が協議され、その結果廃止することが決定し、3月29日に酒々井町議会、翌3月30日には佐倉市議会で合併協議会廃止議案が可決されたため4月30日をもって合併協議会は解散した。

沿革[編集]

佐倉市を構成している旧町村[編集]

行政[編集]

市長[編集]

  • 現・ 蕨和雄(2007年4月27日~)
  • 初代  木倉和一郎
  • 第2代 岩渕剛
  • 第3代 堀田正久
  • 第4代 菊間健夫
  • 第5代 渡貫博孝 

行政機関[編集]

警察[編集]

消防[編集]

佐倉市八街市酒々井町消防組合-昭和47年に設立された一部事務組合で、佐倉市、八街市、酒々井町の2市1町で運営されている。

  • 佐倉消防署
    • 神門出張所
    • 臼井出張所
    • 角来出張所
  • 志津消防署
    • 志津南出張所

消防団(全7分団)

  • 第1分団 佐倉地区
  • 第2分団 志津地区
  • 第3分団 臼井地区
  • 第4分団 根郷地区
  • 第5分団 和田地区
  • 第6分団 弥富地区
  • 第7分団 千代田地区

国の機関[編集]

県の機関[編集]

  • 千葉県印旛合同庁舎
    • 千葉県印旛健康福祉センター(印旛保健所)
    • 千葉県佐倉県税事務所
    • 千葉県北総県民センター
    • 千葉県農林振興センター
    • 千葉県印旛地域整備センター
    • 千葉県教育庁北総教育事務所
  • 千葉県水産総合研究センター内水面水産センター

産業[編集]

  • 農業
印旛沼や、印旛沼へ流れる鹿島川・新川・手繰川・高崎川周辺を中心に稲作が盛ん。また、和田地区では大和芋(ヤマトイモ)の栽培も行われている。
  • 工業
根郷地区に工業団地(第一~三、熊野堂)があり、フジクラデンカポリマーなどの工場がある。弥富地区には、複合研究都市「ちばリサーチパーク」がある。

市内の主な大型店・ショッピングセンター[編集]

地域[編集]

志津地区[編集]

佐倉市西部に位置し、最も東京寄りの地区。佐倉市の人口の約4割が住み、人口密度は市内で最も高い。京成線沿線のユーカリが丘駅志津駅を中心として都市化が急速に進んだ。ユーカリが丘駅前からは、新交通システムが走り、ショッピングセンターシネマコンプレックスなどの商業施設の他、120m級の超高層マンションが数棟ある。駅から離れた新川(印旛疎水路)沿いの地域などでは、田園風景や山林も見られる。

臼井地区[編集]

かつては、臼井城城下町として、のちに宿場町として北部を中心に栄えた。1970年代後半に大規模な区画整理事業が行われ、国道296号沿いに位置し利用者の増大により、狭隘著しい京成臼井駅が、区画整理事業と同時に現在の位置に移転が行われ、北部から南部に市街地が移った。現在、駅前にはショッピングセンターが位置し、閑静な住宅街が広がっている。また、現在でも北部には宿場町の頃の名残が見られ、自然資産などにも恵まれ、隣接する印旛沼と相まって、自然豊かな住宅地が形成されている。千代田地区との関わりが深く、「臼井・千代田地区」とあわせて呼ばれる場合もある。

佐倉地区[編集]

佐倉市の行政の中心で、京成佐倉駅周辺には市役所裁判所検察庁などの官公庁ほか、市立美術館、オフィスビル、郵便局、マンションなどが立地する。また、JR佐倉駅周辺には、佐倉警察署、千葉県印旛合同庁舎などの官公庁が位置する。この地区の台地には旧佐倉藩佐倉城があった事から、寺院の集中地や、変則交差点、クランク状の道など、城下町の面影が今も色濃く残る。現在、佐倉城の跡地は、佐倉城址として整備され、隣接する地には国立歴史民俗博物館が開設され、佐倉の歴史と文化を今に伝える。また、印旛沼を北に望み、草ぶえの丘、市民の森、岩名運動公園など各種レジャー施設などが位置する。人口密度は志津地区に次いで2番目に高い。

根郷地区[編集]

JR佐倉駅より南側の地域が、主に根郷地区である。かつては農村地域だった地区であるが、地区の南側を通る国道51号により、高度経済成長期より都市化が進み、昭和47年の東関東自動車道佐倉IC」の開通に伴い、大規模な工業団地が多く造成された。また、交通の便の良さから、住宅団地の造成が行われ、千葉県立佐倉南高等学校や、千葉敬愛短期大学などの学校も開設され、人口の増加も著しい地区となっている。また、近年、寺崎地区で区画整理事業が始まっており、今後発展が期待される地区である。人口も若年層を中心に増加傾向にある。

千代田地区[編集]

千代田地区は、かつて1950年代に四街道町(現・四街道市)から編入した地域である。農村が広がる地域だが、北部の臼井地区に隣接する地域には、大手デベロッパーにより1990年代より高級住宅街の染井野(佐倉そめい野邸苑都市)が造成された。現在、街の中心部にはショッピングセンターや大型量販店などが立地し、計画人口約1万人の街が完成する予定である。

弥富・和田地区[編集]

近郊農業が盛んな地域である。市内で最も人口が少なく面積が最も広い地区で、市の面積の3分の1を占めている。弥富地区には川村記念美術館が立地し、17世紀から現代絵画までの多くの作品が展示されている。また、千葉市とまたがる地域に開発研究施設が集まる千葉リサーチパークが造成されており、ハイレベルな開発研究拠点の集積などが図られている。和田地区は地区全体が市街化調整区域であり、養豚ヤマトイモの生産が主な産業となっている。近年、人口は減少傾向にある。

国際交流[編集]

  • オランダ王国
    1987年に佐倉日蘭協会を設立し、草の根の国際交流を続けている。日蘭修好380周年佐倉記念事業として、印旛沼のほとりにある佐倉ふるさと広場に、本格的なオランダ風車が建てられ日蘭親善のシンボルである。

教育[編集]

小学校[編集]

全23校

  • 佐倉市立間野台小学校
  • 佐倉市立王子台小学校
  • 佐倉市立青菅小学校
  • 佐倉市立寺崎小学校
  • 佐倉市立山王小学校
  • 佐倉市立染井野小学校
  • 佐倉市立白銀小学校

中学校[編集]

全11校

高等学校[編集]

大学[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

中心駅:ユーカリが丘駅京成佐倉駅

バス[編集]

道路[編集]

高速道路[編集]

志津、臼井、佐倉地区からは千葉北IC四街道ICの方が近い。 

国道[編集]

県道[編集]

主要地方道
一般県道
その他

報道機関・出版・放送局[編集]

ケーブルテレビ局[編集]

FM局[編集]

新聞社[編集]

観光[編集]

  • 市北部に印旛沼、その沿岸に自転車道(自転車歩行者専用道路)千葉県道406号八千代印旛栄自転車道線(通称「印旛沼自転車道」)があり、散策に適している。また、観光用の屋形船が市を南北に流れる鹿島川から出ている。

佐倉地区[編集]

南部

  • 佐倉武家屋敷、旧堀田邸、佐倉順天堂記念館などの、佐倉藩だった頃の姿をそのまま保存した歴史的建造物。
  • 佐倉城址公園
  • 国立歴史民俗博物館 佐倉城址公園に隣接。
  • 佐倉市立美術館
  • 佐倉新町おはやし館
  • 佐倉ふるさと広場
  • 塚本美術館 平安時代から現在までの日本刀専門のユニークな美術館。
  • 甚大寺
  • 麻賀多神社

臼井地区[編集]

  • 臼井城址公園
  • 印旛沼サンセットヒルズ
  • 野鳥の森
  • 佐倉草ぶえの丘
  • オランダ風車(佐倉ふるさと広場のシンボル)春には一面にチューリップ畑、秋にはコスモス畑が広がる。
  • 佐倉印旛沼国際花火大会 1956年の「佐倉樋之口橋納涼花火大会」に始まり、1989年に現在の名前になった。世界各国の花火を集め、佐倉ふるさと広場近くから花火を打ち上げる。毎年8月の第一土曜日に行われ、約2万人の見物客で賑わっていたが、市の財政難と見物客のマナーの悪さ、安全上の問題を理由に2005年度より中止される。しかし、市民からの要望や、蕨市長の公約の一つでもあり、2007年度より佐倉市民花火大会として再開した。

根郷地区[編集]

大日本インキ化学工業の創業者である川村家が収集した美術品を展示。JR佐倉駅前、京成佐倉駅前より直通シャトルバスを運行。(現在美術館は工事により休館中。2008年3月にリニューアルオープン予定。なお、美術館に併設された庭園や貸しギャラリー、レストランなどは営業中である。)

また、市内在住の有森裕子高橋尚子小出義雄監督と共に走っていたコースがあり、現在は金メダルジョギングロードとして整備されている。

文化財[編集]

番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 指定年月日 備考
1 建造物 旧堀田家住宅
  • 座敷棟
  • 居間棟
  • 書斎棟
  • 玄関棟
  • 湯殿
  • 門番所
  • 土蔵
鏑木町字諏訪尾余274 佐倉市 平成18年7月5日
  • 座敷棟、居間棟、書斎棟、玄関棟 明治23年
  • 湯殿 明治44年頃
  • 門番所 明治23年頃
  • 土蔵 明治後期
2 史跡 井野長割遺跡 井野字長割835-1他 佐倉市・他(佐倉市立井野小学校周辺) 平成17年3月2日 縄文時代後期から晩期、大規模な環状盛土遺構。
3 史跡 本佐倉城 佐倉市大佐倉字宮下1568他 佐倉市・他 平成10年9月11日
番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 登録年月日 備考
1 建造物 千葉県立佐倉高等学校記念館 鍋山町18 千葉県 平成17年7月12日 明治43年竣工。木造2階建、銅板葺。久野節後藤政次郎設計。

出身有名人[編集]

政治家[編集]

産業・実業[編集]

学者[編集]

スポーツ[編集]

芸能・マスコミ[編集]

市内在住の著名人[編集]

市内元在住の著名人[編集]

名誉市民・市民栄誉賞[編集]

名誉市民[編集]

市民栄誉賞[編集]

佐倉市を舞台にした作品[編集]

映画・ドラマ[編集]

CM[編集]

  • 進研ゼミ「若者たち」篇(2004年:ベネッセコーポレーション、京成臼井駅)
  • 進研ゼミ中学講座「つながるバトン」篇(2006年:ベネッセコーポレーション、佐倉市立佐倉東中学校など)

その他[編集]

  • 世帯数 67,729世帯(2007年9月1日)
  • 四街道市と一部の市議らが有志交流会を開くなどし、周辺市町村との合併で将来的に中核市を視野に入れている[1]
  • 市内には有名建築家が設計した建物が多く存在する。

関連項目[編集]

参考資料[編集]

  • 『電子図書館 満開佐倉文庫』内田儀久著・中央公論事業出版・2003年・ISBN 489514206X
  • 『写真に見る佐倉』佐倉市・2004年
  1. 朝日新聞 2002年1月8日付 朝刊、千葉地方面、P.35

外部リンク[編集]