神武会
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神武会(じんむかい)は、1932年2月に、大川周明らが行地社を母体として結成した右翼団体[1][2]。
陸軍の菊池武夫や河本大作、実業家の石原広一郎、徳川義親らが設立を支援した[1][2]。
1932年2月12日-18日に全国各地で政治演説会を開き、既成政党による政治と財閥の打倒、満蒙の権益の国民化(民主化)を訴えた[1][2]。
同年5月の5.15事件に関与したとして大川周明と清水行之助が逮捕されたことで打撃を受け、同会会長だった石原広一郎は事件後、会への出資を減らし、大川の急進主義的な方針と一線を画した明倫会を組織した[3]。
1934年11月9日に東京控訴院で5.15事件に関して大川に禁固7年の判決が下った後、徳川義親が小原直法相に大川の仮出所を要請、神武会の解散を条件として大川の保釈が認められた[4]。
このため、神武会は1935年4月に解散した[4]。
脚注
参考文献
- 小田部 (1988) 小田部雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年、ISBN 4250880192
- 中野 (1977) 中野雅夫『革命は芸術なり‐徳川義親の生涯』学芸書林、1977年、JPNO 78013751