氏ムシメ

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氏ムシメ(うじ ムシメ、1988年2月9日 - 2011年1月4日)とは、ブロガー、Web漫画家、イラストレーター、ネットラジオ放送主としても幅広く活動していたワーキングプアである。

人物[編集]

1988年2月9日生まれ。性別は男性で、血液型はB型。2人の妹がいる。

「氏ムシメ」というコテハンは、楳図かずおの代表作でもある漂流教室「ふん、うじむしめ!」というセリフからネーミングしている。

プロ漫画家志望として、2011年にサービス終了した無料漫画投稿サイト「マンマル」を中心にアマチュアのWeb漫画家やイラストレーターとしても活動していた。代表作に「ワープア漫画道」などがある。

Stickam JAPAN!ではネットラジオ放送主として「ワーキングプア☆ステーション」という番組名で自作漫画の制作実況を行っていただけではなく、日々の貧困生活やアルバイトに関するフリートークを毎回高いトーク力を活かしたマシンガントークで語っていた。

ニコニコ動画では「kurobuntyou」というユーザー名で動画を投稿していた他、ニコ生主でもあるニートスズキぴんすけらとも交流していた。

2009年には代々木アニメーション学院に入学。在学中はデッサン教室などにも通っていた他、数々の漫画大賞に応募していた。

漫画制作だけではなく、野鳥観察、ガラス工芸、フィギュア制作、園芸、テコンドーなど、趣味は多岐にわたるが、飽きっぽい性格だったようである。

華原朋美のファン。他に好きなアーティストとして、倖田來未misonoZARD坂井泉水らを挙げていた。

政治思想に関しては大の反自民党で、左寄りの立場を取っていた。自民党に関しては幼少期からずっと嫌悪しており、ブログでは自民党を批判する発言をしばしば書き込んでいた。その為、ネトウヨ全盛期だったブログ活動当時(2009年前後)は、ネトウヨによる炎上を何度も受けていた。

幼少期にはヒューザー製の新築マンションに引っ越しているが、高校生当時の2005年に起きたヒューザー物件の耐震偽装発覚事件により、氏が住んでいたマンションも耐震偽装物件という事実が発覚。氏の家族は当事件の被害に巻き込まれた事によって、多額の借金を背負わされた。

母親は氏を身籠る前に精神病の予兆によって先に身籠っていた子を堕産している。その後、氏が小学生の頃に2人目の妹を生んだ後に精神病(双極性障害の一種)を発症した。その為、日常生活では借金などによる経済の面だけではなく、母親の治療と介護の面でも苦労していた。ちなみに母親は、彼女自身の実家で別居暮らしをしている事が多かった。

元いじめられっ子で、保育園時代と小学校時代と中学校時代と高校時代はいずれもいじめを受けていた。いじめはその後のアルバイトでも受けており、「ワープア漫画道」ではその経験を元にしたエピソードを自虐交じりで自ら漫画化している。

経歴[編集]

生い立ちに関しては自身のブログで以下のように自ら表明していた。

誕生前から小学校時代まで[編集]

自分がワーキングプアになった経緯についてちょっと
思い出しながら書いていきたいと思います。


とりあえず今回は物心ついたときから小学校時代を。

父親は秋田県角館の出身で工業高校卒業後に上京してきて
会社販売のミツワ自動車という会社に就職しました。

非上場の会社ですけれども、業界では大手だったみたいです。
当時まだバブルの余韻のあるころでしたから高卒でも
割といい会社に入れたんですよね。

母親も同じく高卒後、荏原製作所とかを経て結婚退社し
以後は事務のパートとかで働いていました。

親子揃って先祖代々からの高卒一家じゃないか!って?
でも時代が違うんですってば!(汗)

本当、当時は高度成長のまっさかりでしたから
大学に行くほうがもったいないっていうような感覚もあったんです!

実際同学年の子のお母さん父さんも大卒のほうが珍しいですよ。
今じゃ考えられませんよね( ´_ゝ`)


で、何歳くらいなんだかわからないんですが、20代半ばで結婚して
そんで直後に自分が産まれたわけです。

自分以前に一回の妊娠があったみたいなんですが
当時からもう既に母親には精神病の予兆があったみたいで堕産しました。

その事はつい最近になって知ったんですが最初はびっくりでしたね。
水子供養とかも見たこともしたこともなかったですし。
自分はずっと長男だと思ってきたので、それ以前にまだ知らない
兄が姉がいたわけなんです。

だから、落ち込んだときとかは
「なんで自分のほうを産んだんだよ・・・」とか
「生まれたかったんなら人生譲ってやりたい!!」
「こんな苦労するんだったら堕ろしてもらったほうがマシ!」
なんて言い出したりして発狂しましたw

でも結局その事に関してはアレですよね。わかんない。
いまこんな腐った世の中に生きるくらいなら堕ろしてもらった
彼(彼女?)のほうが幸せだったのかもしれませんね。
だって現状こんなワーキングプアなんですから。


その当時は1DKのアパート住まいでしたけれども
すぐ近くの母親の実家で自分がだいたい育ったらしいですね。

で、一年後には妹が生まれるわけです。

妹とは喧嘩ばっかりしてました。
でもいっつも2人で行動するのがデフォルトでした。

なんだかんだいってもやっぱり兄妹なんてそんなもんですよね。

でも次に生まれるときは一人っ子がいいな・・・・・
いろんな意味で( ´_ゝ`)

当時から母の実家とアパートとの往復生活でした。
まったく気にしてなかったんですが、今思えばやっぱり
母親にとっては子育てがかなりの苦痛だったんでしょうね。

母親とより父親、祖父母との思い出のほうが多いです。


今日も長文すみませんでした (´`)
そんなこんなで保育園時代から活発でした。

でも家に篭って遊ぶのも好きでした。

絵とか模型遊びが好きでいろいろやりました。
フスマとか絵だらけになってた気がします。

祖父母のところの家をやたら壊して汚してしまって
今となっては少し申し訳ないな・・・と思います。


この頃電車の運転手さんとかになりたかったけれども
いつか電車も飽きてしまってました。

当時から飽きっぽい性格だったんですね・・・。


でも日本語の発音が悪いことを指摘されていて
ずっと言葉の教室みたいな所に通っていました。

小学校に入学するくらいまでずっと・・・・・


なんでこういう事になったのかわからないですし
自分でも自覚がなかったんですけれども
とにかくなんかおかしかったみたいで(汗)

「自分は他の子と同じように学校に通えないかも・・・」
と思って落ち込んだりしましたがなんとか
普通学校に通える事になりました。


思えば自分は遅生まれ(2月)だったので
他の子よりも物事を覚えるのはすごい悪かったし遅かったです。

なんか新聞とかでも遅生まれの子は他の子よりも
学校時代の成績、運動能力が低くなる傾向とかって
書いてあったから、自分もそうだったんでしょうか?


だから運動はとにかく苦手でした・・・・・・。
小学校時代の事を思い出すと本当に泣きたくなります。

跳び箱、鉄棒、水泳、幅跳び、ソフトボール、サッカー・・・・・

体育の時間は拷問だと思ってたし泣きたくなりました。

自分ひとりだけだいたいできなくってそれがつらかったですねw


学校の勉強も頑張ったけれども良くなかったです。
周りの子達が当然に出来ているのをみて
「本当にすごいな・・・」とか「同じ人間じゃないみたいだ・・」って
ことあるごとにコンプレックスを感じていました。

身長は低くてずっとクラスで一番前でしたし気が弱いしね。


そして小学校4年に入ると母親の精神病が悪くなって本格的に発狂しました。

突然金遣いがすごく荒くなったり、感情が不安定になって
泣いたり怒ったり、一日中寝てたりと・・・・・・

かと思えばわけのわからない事を口走ったり

こういう変化は自分たち家族にとってもすごい動揺でした。
「これまでのお母さんはどこに行っちゃったんだろう・・・・」
と思ったり
「自分たちのせいでこんなことになっちゃった」
なんて思ってすごい反省しました。

後になって「双極性障害」と診断されました。
いわゆる躁鬱病で、日本人の数百人に一人くらいの人が発症する
遺伝的な要素が強い病気だそうです。

普通のうつ病と違うところは突然の躁状態で上記のように
ヒステリーを起こしたり、物欲性欲の異常な向上、興奮とかの
症状を呈するところです。

病気が自然治癒することはまずないそうです。
一生こういう症状を抑える薬を飲みつづけなくてはならないですが
その副作用を嫌がって殆どの患者が途中で摂取をやめてしまい
症状が悪化→再発

ということを繰り返す本当に厄介な病気です。
wikipediaとかに詳しく載っていますね。

そんなわけで母親はその頃から家事とかまともに出来なくなって
実家に帰ってしまいました。
だから家の事はなんでもできるようになりました。
食事のこととか、洗濯掃除とか・・・・・

そういう困難な環境におかれても得られるものってあるんですね。


あと、同級生にいじめられるような事がなかったのは幸いでした。
皆仲良くしてくれて・・・・・・

でも先生にはムチャクチャいじめられました(泣)

だって何をやらせても一人だけ出来ないわけですし
忘れ物はするわ、女々しいわで。
そのうえ家庭環境がそんなだから、色々と迷惑をかけたのは事実ですが

毎日怒られてぶたれて・・・・

人間として、人としてどうかって思うようなことも
言われたりされたりしてそれは今でも許せないって思います。

「あんたも(お母さんと)同じで頭の病気なんじゃないの」とか
「特別学級に移す事だって出来る」なんてことも・・・・・

多分あの人たちは今もよその学校で同じようにしてるのかな。

けどそうやって虐められた事も家庭の事とか馬鹿にされても
辛いと思ったけれども一生懸命やろう!負けない!って思った。


でも本当に学校の先生なんてみんな酷い人たちばっかり。
今でも小学校の前を通ると当時を思い出してキツくなります・・・^^

いつか絶対にワーキングプア脱出して見返してやりたいですね。

中学校時代[編集]

なんとか小学校は卒業・・・・・・・

そしてどうにかこうにか中学校入学です。


ここは本当、パラダイスみたいなもんでした。


今までの人生を振り返ってみてもこんな幸せな
3年間はなかったんじゃなかったでしょうか。

本当にこの学校に入れてよかったと思います。


小学校みたいにとんでもない教師も居なくて
みんなとても優しい人ばかりでした。

中学校に入ると同時に園芸部に入部しました。

自分は年寄りみたいなところがあって
小さい頃から植物が大好きだったのです、

でも園芸部の部員は一人でした。


・・・・つまり自分だけです。

自分が入らなければ普通に廃部でした。


自分が思い描いていたような部活動・・・・・

先輩がいて、たのしい後輩!とかそいうのとは
無縁な活動内容で、ひたすら土堀なんかをする日々でした。


この頃、園芸少年として地元テレビにちょっとだけ
出演したりもしました。恥ずかしかったけれどもいい思い出です。


絵を描いたりするのも好きで毎日深夜遅くまでやってました。
小説やゲームのキラキラしたイラストに憧れていて
あんな風に描けたらいいなと思っていろいろ頑張った。

参考書も一杯買ったし、イラスト雑誌も読むのが楽しみだった。

こんな深夜まで起きたりして不健康な生活だった
おかげで中学校時代もぜんぜん成長はしなくって
学年で一番前のままでした(泣)

それでもかろうじて同じ位だった子が居たんですが
こないだばったり再開したらとんでもない高身長君になってた。

本当、人間ってどうなるかわかんないですね・・・・・


自分は一生このまま低身長を抱えて過ごしていくんだろうか。

貧乏、低学歴、低身長と最悪の3要素を抱えて・・・!!

>< オイオイオイ・・・・・・


せめてどれか一つだけでも自分に与えてくれたら
少しは救いようもあったというのに。

本当に神様は意地悪だなぁ・・・と思う。


そんなこんなで楽しく過ぎていた中学校生活。
でも・・・卒業式の数日前にとんでもない事が起きた。


(また明日書きます。)
自分はといえば都内でも3流で有名なバカ校に進学することが決まっていた。
そりゃもう、テレビ番組のネタにされたくらい・・・・・

なんでそんなことになったのか、自分でもわからない。
偏差値で考えてももうちょっとまともな学校に行けたのに・・・。

なりゆきでそうなったんだろうとは思うけれども一生の汚点だと思う。

いろいろ大変だった。

家庭的な問題もあったのでなるべく負担がない道を選んだらこうなった。

これから先、ワーキングプアとして色々と後悔はするんだろうけれども
これほどまでの大失態、大失敗はなかなかないと思う。


ひくらしのなく頃にみたいに何回でも遡って人生をやり直せるなら
本当に、高校進学の時期の数ヶ月だけでもいいから
たったの1回でもいいからやり直しさせて欲しいと思う。

でもそれは無理。たった1回の人生だからね・・・・・・・・。


それにひきかえ自分の隣の席のY君はスポーツ推薦で超一流校に
進学が決まっていた。

Y君は高身長でスポーツ万能。本当に羨ましいと思っていたので
「本当、アンタは最強の幸せ者だよ・・・・」とか
「うらやましい!!スポーツだけで人生渡っていけるなんて!」とか

今思えば無茶無茶な事を言ったりしてました(汗)

でもそのY君がなんと卒業式の3日前に自殺してしまった・・・・!!


朝のHRでそれを知らされたとき、みんなわけもわからず泣いた。
とにかく泣いてた。

自分は泣かなかった。というよりも泣けなかった。

Y君と仲が悪かったなんてことは無い。
だって自分の家でパソコンをして遊んだりもした仲だったしさ・・・。

なんだかわけもわからず呆然としてしまったと思う。


自分には持っていないもの全てを持っていた彼がなぜ・・・・・
そんな自分から命を絶たなければいけなかったのかな。

今でもわからない。

でも噂に聞いたところによれば卒業を目前しての失恋とも言われた。

それを聞いてますます唖然とした。

「恋愛・・・・・・・失恋・・・・・・・」


自分には一生縁の無いだろう世界の出来事に彼は失望し
そして死んだんだ。

恋愛とかって自分は全然わからないんだけれども
失恋とかもそんなに辛いことなのかな?

例えば、自分は朋ちゃんこと華原朋美さんの大ファンで今も聞いてます。
ブログのトップに書いてある文章も、タイトルも全て華原さんの曲や
歌詞から取りました。

アメリカで1から頑張ってデビューを果たした華原さんを心から
尊敬しているし自分も見習いたいと思います!

華原さんが電波少年に拉致されてからデビューまでの軌跡は
今でもNTVのHPで見れるみたいです。
ぜひ見て下さい! 電波少年WEB

華原さんが小室に振られて以来、自殺未遂したり精神崩壊して
メダパニダンスとまで言われたり・・・・・・・・
今はまた辛い状況でしょうが、絶対に負けないで復帰して欲しい!
心から応援してます。


そこまで人生を変えてしまうものだったんでしょうか。

自分はわからないな・・・・・・・・・

自分は恋愛とかしたことないからかな・・・・・・・・・

自分はずっと植物とか花とか小鳥とか動物が好きだったから
人が人の事好きになるのってどんな感覚なのかわからないな。

死にたくなるほど辛いもん?すごく幸せなことなのかな?


なんか、ウチの一家は揃ってそういう感情が欠落しちゃってるのかも。

だって妹だって恋愛なんかよりも頑張って成功したいって言ってて
今はワーキングプアしながら音楽活動とかしてます。

ウチは親が離婚したり、ずっと不仲だったからそういう感覚が
身についちゃったのでしょうか(泣)


そんな中でも時間だけが過ぎ、あっという間に高校生になった。

高校時代[編集]

で、今回はその都内のバカ高校に通った後の話。


その学校は花とか植物の専門系ってことらしくて
昔からの植物マニアだった自分は進学が楽しみでした。


でも通ってみたら実態は悲惨なもんでした。


毎日ひたすら植物を植え替えたり、ゴミを捨てたりの
雑用ばっかりさせられて、ぜんぜん技能は身に付かないし
知識もさっぱりつかなかった・・・・・。

なにより周りが植物好きな人たちばっかりかな、と思ってたら
ぜんぜんそういう人は居なくて、むしろ不良さんばっかりだった。

で、完全にやられたと思ったのは進路相談会で
「花とかやる仕事につきたい!」って言ったら
「それ、無理」

って即答されたことかな!!(怒)

「業界不況でこの5年くらい求人も来てないし、就いた人もいないよ」

と言われた。

それに、実際やってみて「あぁ無理だ」とおもった。


完全に進むべき道を間違えていた自分・・・・・・

このままこんな学校に通っていていいのだろうか・・・・


しかもこの頃に父親が会社が潰れて(これで3度目)また無職に。
仕方ないから近所でアルバイトを始め、どん底の生活になりました。


毎日11時まで働かされて、休みも無くなって廃人みたいになって・・・。

しかもその学校は郊外の寂びた場所にあるから電車で通うのも
億劫だったし、定期も買うお金がないので休みがちになり・・・。

もう辞めた方がいいんじゃないかと思って、中卒でも通える
学校を探したら、代々木アニメーション学院くらいしか無くて('A`)

それでもいいやとやけくそになって漫画家コースの資料を取り寄せたら
「高校を中退して入学するのはやめましょう、卒業しましょう」とか
なんか、やたらまともに書いてあった・・・・・。

まぁ、今思えばあの時にヤケを起こさなくて良かったかも。


その時の自分はバイトと学校のストレスダブルパンチで毎日
ワーワー泣いてました。

「あぁ~~嫌だよ~~バイト行くのが~~~~」と寸前まで泣いて
それでカックンカックンと出勤するような日々でした。

なんとか1年続けたけれども、給与はごまかされるわ
深夜勤務はさせられるわで限界になってしまい辞めた。

その職場に数年後、舞い戻る事になろうとは・・・・・・・・・
本当に運命は皮肉ですが、この時は知る由もありません。

(続く)

高校卒業後からブログ開設まで[編集]

高校卒業後は進学と就職のどちらもできなかった為に、ニートとして生きていた。

そんなニート時代には家庭の経済を救う為にも一攫千金を実現しようとして株や信用取引に手を出した事もあったが、いずれも失敗に終わっている。

その後はフリーターとなって人生を立て直そうと決意した。

そして、高校を卒業した翌年2007年10月24日にブログを開設した。(当時はLivedoorブログでやっていた)


ブログを立ち上げた際に投稿した最初のブログ記事。

自殺未遂・NEWS ZERO出演[編集]

ブログ初期の2008年2月頃、自身のブログに硫化水素自殺のやり方を書いた記事を投稿した事と、YouTubeに硫化水素の作り方を撮影した動画(【硫化水素】 ムトウハップとサンポールの混合実験 【化学実験】)を投稿した事や、実際に硫化水素自殺未遂をした事で日本テレビに目を付けられた事によって、同年5月12日放送のNEWS ZERO「硫化水素特集」に出演している。

しかし、氏にとって自身の取り上げ方は気障りな物であった為に、氏自身はこの出来事をずっと不快に思い続けていた。その為に、ブログでは以下のように不満を表明していた。


しかもその後、この一連の騒動によって、Livedoorブログでやっていた旧ブログは運営によって削除された。ブログはその後、Seesaaブログで再開している。


NEWS ZERO出演と後の旧ブログ削除のきっかけとなった、硫化自殺のやり方を書いた旧ブログの記事の魚拓。

自殺[編集]

2011年1月4日未明、東京都世田谷区野毛多摩川河川敷で自身の母親と共に硫化水素自殺を遂げた事によって、わずか23年弱の短い生涯を閉じた。享年22歳。

この件は当時、産経ニュースでは以下の内容で実際に報道されていた。

『多摩川で男女2人遺体見つかる 50代の母と20代の息子が無理心中
か 遺書に生活苦の悩み』 

 4日午前7時45分ごろ、東京都世田谷区野毛の多摩川河川敷で、ポ
リ袋をかぶった男性と女性が倒れているのをジョギング中の男性が見
つけ、110番通報した。 
 2人は搬送先の病院で死亡が確認された。警視庁玉川署によると、
亡くなったのは50代の母親と20代の息子とみられ、倒れていたそば
に遺書もあった。同署は無理心中とみて身元の確認を急いでいる。 
 同署によると、男性はうつぶせでポリ袋を頭からかぶり、女性はす
ぐ横にあおむけで倒れていた。 
 ポリ袋の中には、トイレ用洗剤と入浴剤を混ぜた液体入りの洗面器
があり、硫化水素で自殺を図ったとみられる。 
 遺書には生活苦や病気の悩みなどが書かれていたという。

氏は他にも、2chのスレッド「【ノックダウン】硫化水素による自殺111【H2S】」には、以下の内容の書き込み(自殺予告)をしていた。

242 :優しい名無しさん:2011/01/02(日) 22:22:38 ID:FTr98ctT
>>240 
奇遇ですね。私も明日の未明決行の予定です。 
河原でちょうど人気のない、良さそうな場所を見つけました。 


244 :優しい名無しさん:2011/01/03(月) 21:31:44 ID:TLVVNqgv
いよいよ今日決行となってしまいました。最愛の母と共に逝きます。 

こんにち、私の命があったのもドクターキリユ様はじめ 
硫化自殺の礎を作ってくださった先人の皆様のおかげのことと思い 
心から感謝している次第です。本当にありがとうございます。 
お先に失礼致します。 

2011年1月4日の未明に投稿されたブログ最後の記事「灯火」には、母親と硫化水素自殺を遂げる直前に撮影した河川敷の夜景写真が貼られており、それに加えて「街の灯り見てると切ない」という当時の心境を書いた文章だけが添えられている。

氏の自殺の件は他にも、生前の氏と交友関係があった教育評論家松本肇氏が警察や氏の親族に直接連絡して事実を確認した上で自身のブログに書いて報告している。

漫画・イラスト作品の特徴[編集]

作品内で自分自身を登場させる場合は必ず、自身の姿を骸骨人間として描いて自虐していた。これは氏曰く、自身が骸骨のような瘦せこけた顔と容姿をしていた事が理由である。実際に氏は他人からよく、「ゾンビに似ている」「骸骨に似ている」などと言われていた。また、この骸骨人間として描かれた氏の分身キャラは、氏のブログと漫画・イラスト作品におけるマスコットキャラクターとなっていた。

それに、年配者の顔の描き方には定評があり、どの作品においても、あらゆる年配者の顔が独特な感じの鬼のような形相で描かれていた。

また、氏が描いていた漫画作品のテーマはいずれも一貫して、世の中と人生の不条理、人間の暗部や残酷さ、自殺や貧困をはじめとした社会問題、そして氏自身のような、世渡りが不器用で人間的にも社会的にも弱い人間の苦しみと哀愁や、自分自身に対する自虐ネタなどを描いた、現実的かつ露悪的・厭世的でネガティブな内容のブラックジョーク物だった。

氏は主に尊敬する漫画家として、長谷川町子けらえいこ臼井儀人山田花子蛭子能収辛酸なめ子花くまゆうさくさくらももこ西原理恵子楳図かずおらを挙げていた上に、作風と絵柄共に彼らの影響を大いに受けていた他、漫画家として彼らと同じような路線を目指していた。

他に好きな漫画家として、 新條まゆ咲坂芽亜らも挙げていた。

主な漫画・イラスト作品[編集]

  • ワープア漫画道

ブログにて2009年1月20日から2010年12月11日にかけて連載(全410話)。マンマルにも連載していた。氏自身の貧困生活と日常などを自虐交じりに描いた四コマギャグ漫画であり、氏の最も代表的な作品。 初回は「ワープア漫画日記」というタイトルだった。

  • ワーキングプアのクリスマス

漫画デビュー作。後にリメイクし、「ワーキングプアのクリスマス2009」というタイトルでネットに公開していた。(※マンマルだけに投稿していた為、現在は閲覧不可能となっている)

イベントのポスターイラストを制作。

アイドル願望を持つアラフォーの中年女性がアイドルを目指して奮闘するストーリーを描いたショートコメディ漫画。初期企画案は主人公が少女で、最後はバッドエンドになる予定だった。

1ページ単発漫画作品。

短編漫画作品。

  • ハートに火をつけて♡

ネット上において最後に投稿した漫画作品。(※マンマルだけに投稿していた為、現在は閲覧不可能となっている)

亡くなった翌年に発売された氏の遺作。氏は漫画家・イラストレーターのぼうごなつこ氏と共にイラストを担当しており、松本肇氏が編纂を担当している。

関連項目[編集]

青林堂発行の月刊漫画ガロを中心に活動していた故人の女性漫画家。氏が大いに影響を受け、尊敬していた漫画家の一人でもある。描いていた漫画作品の作風や雰囲気だけではなく、生前の生い立ちと生き方や人柄と考え方などもよく似ており、最期はわずか20代前半の若さで自殺という同じ末路を辿った。

外部リンク[編集]

氏のブログ。

動画は2017年2月頃に全削除された為に現存しない。(親族が自主的に削除したのか、それとも運営が自ら削除したのかどうかは不明)

氏に関するまとめ。