横浜女児虐待死事件

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殺された山口あいりちゃん(6歳)
自分の娘を殺した山口 行恵

横浜女児虐待死事件とは、2013年神奈川県横浜市にて、山口行恵が自分の娘のあいりちゃん(6歳)を同棲相手で建設作業員の八井隆一と共謀して殺害した事件である。

事件概要

2013年4月、横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃん=当時6歳=の遺体が見つかった。母親の山口行恵は暴行と死体遺棄罪で、元同棲相手で建設作業員の八井隆一は傷害致死と死体遺棄罪で起訴された。

あいりちゃんは2012年7月22日ごろ、当時住んでいた横浜市南区のアパートの浴室で水を掛けられた上、頭などに殴る蹴るの暴行を受けて死亡、雑木林に遺棄された。

あいりちゃんは山口に引き取られた2011年6月以降、千葉県松戸市秦野市、横浜市などを転々とし、学齢期に達した後も小学校には通っていなかった。

横浜・女児虐待死事件から半年、祖父の消えぬ生き地獄(2013年10月)

なぜ娘を止められなかったのか、どうして孫を救えなかったのか-。

横浜市磯子区の雑木林で山口あいりちゃんの遺体が見つかった事件から、23日で半年がたつ。暴行と死体遺棄罪で起訴された母親の山口行恵の父親であり、あいりちゃんの祖父は今も自問し、悔い、自責の念にかられている。

「こんな所に埋めることはないだろう」。やりきれない思いが口をついた。

7月中旬。早朝に茨城県内の自宅を出て、初孫のあいりちゃんの遺体が発見された雑木林に来た。足元には花束やジュースが並ぶ。見知らぬ人たちの心遣いに頭が下がる。線香をたき、ゆっくり手を合わせ、静かに目を閉じた。

「ごめんな、ごめんな、ごめんな」

出来上がったばかりの位牌を持参した。戒名は「愛洸童女(あいこうどうじょ)」。

捜査本部のある秦野署に遺骨を受け取りに行く前日、菩提寺の住職に胸の内を吐き出した。「あーこは…」「あーこが…」「あーこと…」。震える声で何度も繰り返した身内でのあいりちゃんの呼び名「あーこ」が、戒名の由来になった。

帰り際、雑木林の様子を携帯電話で撮りながら、独りごちた。「あーこが映ったりして」。冗談のつもりだったが、最後は言葉にならなかった。首に巻いていたタオルで顔を覆い、肩を震わせ、むせび泣いた。

生後10カ月から5歳まで、山口に代わってあいりちゃんを育てた。明るく、人なつっこく、根は寂しがり屋だった。

朝の日課はハイタッチ。出勤時、パンッと響くまで何回でも繰り返した。「じぃじ、いってらっしゃーい。お仕事頑張ってねー」。

姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。「お茶、やってけよお」。日中、家の前を顔見知りのお年寄りが通れば、曾祖母をまねて声を掛けた。夜には「抱っこ、抱っこ」とせがみ、寝付くまで添い寝した。腕枕をしていた右肘は、いまも曲げるたびに痛む。

あいりちゃんが「母親」を意識するようになったのは、保育園に通うようになってからだ。そう感じる。

若い母親たちに交じり、曾祖母が参観日や遠足に来るのを嫌がるようになった。たまに顔を見せる山口との別れ際に声を上げて泣くようになり、いつからか、「お母さんが一番大好き」と言うようになっていた。

「自分で育てる」。

別居していた山口があいりちゃんを引き取ったのは、2011年6月。連絡なしに突然現れ、仕事から帰宅した時にはすでに2人の姿はなかった。

「あれじゃ、引き留められないね」。あいりちゃんのはしゃぎぶりは、近所の人がそう漏らすほどだった。娘の身勝手さに腹は立ったが、これでいいんだ、と自分に言い聞かせた。

振り返れば、実父の顔を知らずに育った自らの生い立ちに、あいりちゃんを重ね合わせていた。養父は自分の連れ子ばかりかわいがり、愛情を注いでもらった記憶がない。親のいない寂しさは身に染みて分かる。「(娘と孫は)ようやく親子になれた」。心底、思った。

父親である自分の目から見た山口は人見知りが激しく、おとなしい子どもだった。中学時代には一時、不登校になった。高校を中退してからは、家出を繰り返すようになり、たびたび金を無心した。不良仲間を連れて来ては騒ぎ、気に入らないことがあると家族を怒鳴り散らした。自身が築いた家族でも、孤独感は消えなかった。

それでも、あいりちゃんが生まれてからわずかな変化を感じた。曾祖母があいりちゃんに手を上げて叱った時だ。「私は一度も子どもをたたいたことがないよ」。山口がそう言ってかばった。「何だかほっとしました。あーこに愛情を持っていたんだ、と」

今年4月、不思議な夢を立て続けに見た。〈ガラステーブルの下をゴロゴロと転がるあいりちゃん〉〈山の中で穴を掘る2人組〉。

県警の捜査員が自宅を訪ねてきたのは、それから間もなくだった。山口があいりちゃんを引き取ってから、1年10カ月が過ぎていた。

風呂場での暴行、雑木林への死体遺棄…。事件の経過が明らかになるにつれ、夢で見た光景とつながっていった。

予兆は、あった。あいりちゃんが去年の正月に日帰り帰省した時、体に小さなアザを見つけた。とっさに虐待を疑った。どうしたのかと尋ねると「何でもないよ」。その言葉に胸をなで下ろしたが、すっかり忘れていた。「決して告げ口をするような子ではなかった」。それが最後の姿になった。

あいりちゃんは今、自宅近くの墓地に眠る。いつも一緒に歩いたお気に入りの散歩コースの途中だ。墓前には、遺体が見つかった雑木林から土を一握り持ち帰ってまいた。おうちに帰ろう-。そんな思いを込めて。

「じゃあ、行ってくるよ」。毎朝、カレーライスやオムライスなどの好物を仏壇に供え、遺影に話し掛ける。もうお決まりのハイタッチも、手を振る姿もない。

あの日から、酒の量も、たばこの本数も増えた。「あーこは、家庭のぬくもりを知らない私に初めて『家族』をくれた。ずっと分かり合えなかった娘を信じる機会をくれたんです」

家族の幸せを教えてくれた「あーこ」を奪ったのは、自ら育てた娘だった。だからこそ、自分を責める。「後悔、後悔、後悔の生き地獄。この思いは一生消えない」。そう覚悟している。

虐待の経緯

山口行恵は長女「あいり」ちゃんを出産。しかし、行恵はそのまま母親としてあいりちゃんの育児をすることなく、出産後すぐあいりちゃんは茨城県にある行恵の実家へ預けられる。そのまま2011年6月ごろまで、行恵の両親が、あいりちゃんの養育を行っていた。

2011年6月
しかし、このころ5歳になったあいりちゃんが「ママと一緒に暮らしたい」と言い始めたため、自身の両親からあいりちゃんを引き取り、行恵は、次女と、長女「あいりちゃん」と3人で一緒に暮らすことになる。

(※2007年頃、行恵はあいりちゃんの次女となる子どもを出産している。父親は不明)

しかし、同居が始まってすぐ、あいりちゃんはおじいちゃんおばあちゃんと過ごした日々を「楽しかったよ~♪」と行恵へ頻繁に話はじめる。

通常であれば、「よかったわね」で終わる話だが、行恵は、両親から虐待を受けて育っていた為、自分の時と違い、両親(あいりちゃんからしたら祖父・祖母)に愛されて育ったあいりちゃんの言動に苛立ちを覚えるようになる。その苛立ちは、暴力へと移行。これがあいりちゃんに対する虐待の始まりだった。

2012年4月
行恵は、娘2人と共に、神奈川県泰野市に住民票を移し、出会い系サイトで出会った、同市在住の男性の元へ転がり込む。

この時「おばあちゃんたちのお家に帰りたい」と言うあいりちゃんに対する行恵の虐待はますます酷くなっており、児童相談所から面会を求められていたが、面会すると自身の虐待がばれてしまうため、この頃から色々な男性の家を転々とし、児童相談所からの面会を避けるようになる。

2012年5月 行恵はmixiで八井隆一と出会う。

2012年7月
行恵は八井が暮らしていた横浜市南区のアパートに2人の娘を連れ、同居を始める。

行恵は八井が月収30万以上だと聞いていたが、実際に暮らしてみると、八井にそんな収入は無く、家賃を払うと手元には1~2万円の現金しか残らないというのが現状だった。

お金が無くなると、行恵は母に「病気になったから」等と嘘をつき、お金を工面してもらう生活が続いた。さらに八井からもDVを受ける日々。行恵の望む自由な暮らしは、そこに存在しなかった。

行恵は、お金がないことや、八井からの暴力、妊娠によるつわり(当時3人目を妊娠中※父親不明)などのストレスのはけ口を、あいりちゃんに向け、あいりちゃんに対する虐待はさらにひどくなっていった。

2012年7月3日
次女(4歳)を家の外に裸足で締め出していたのを近所の人によって、警察に通報される。

(その2日後、神奈川県南署は、横浜市中央児童相談所へ、虐待の恐れがあることを通告。横浜市中央児童相談所は、次女とあいりちゃんへの虐待の有無を調査し始める)

2012年7月21日
事件発生日。無類のアニメ好きだった行恵は、育児をすることなく、大好きなアニメDVDを鑑賞していた。するとそこへ、あいりちゃんが通りかかり、行恵の足を踏んでしまう。

足を踏まれた行恵は、あいりちゃんに謝るよう促しましたが、あいりちゃんは行恵に対し、「わざとじゃないもん。」と反抗した。あいりちゃんは当時6歳。幼稚園にも保育園にも通ったことがなく、母親からの育児も満足に受けていない女の子。こんな時、どうしたらいいのか、教えてやるのは母親である行恵の役目のはず。しかし、行恵はこのあいりちゃんの発言にカッとなり、水の嫌いなあいりちゃんを無理やり浴室へ引っ張っていく。

シャーーーーッ!!

行恵はあいりちゃんの顔に思いっきりシャワーで水をかけました。これであいりは私に謝るだろう。家で一番偉いのは私なんだよ。そう思った行恵でしたが、あいりちゃんはシャワーのノズルに手を伸ばし、シャワーの水を必死で止めた。謝らないあいりちゃんの態度に、さらにカッとなった行恵は、あいりちゃんに殴る・蹴るの暴行を加える。それでも怒りの収まらない行恵は、同居していた八井に

「ねぇ、私の言うこと全然聞かないんだけど。代わりに叱ってよ。」

と頼む。八井は行恵に頼まれた通り、浴室へ行き、行恵と共に、あいりちゃんの顔を浴槽に押し付けたり、シャワーで水を掛けたり、殴る・蹴るの暴行を加えた。

最後に八井があいりちゃんを蹴った時、あいりちゃんの頭が浴槽にぶつかった。その瞬間あいりちゃんの体は痙攣が始まった。

ここまでの時間、午後11時から午前4時。6歳の幼い女児に対し、5時間にもわたる、壮絶な虐待を行った。

しかし、その様子にも焦る様子を見せなかった2人は、しばらくあいりちゃんを浴室にそのまま放置。しばらくして浴室に行った2人は、ぐったりとしたあいりちゃんを発見。

八井は行恵に対し、「病院へ連れていった方がいいんじゃないか?」と言ったが、行恵は「病院なんて連れていかなくていいよ」と言い、2人はあいりちゃんを病院へ連れて行くことなく、リビングに放置した。

2012年7月22日
翌朝、リビングで冷たくなっているあいりちゃんを行恵は発見する。「まずいことになった」そう思った行恵は、八井と相談し、あいりちゃんの衣服を脱がせて裸にした後、横浜市磯子区峰町の雑木林に遺体を捨てに行くことにした。その雑木林は、幼少のころ、八井がカブトムシを幾度となく取りに行った場所。土地勘があったため、2人はそこを選んだ。

そして深夜。2人は八井の車に冷たくなったあいりちゃん乗せ、途中の資材広場で盗んだスコップを使い、あいりちゃんを遺棄した。

2012年7月31日
あいりちゃんが小学校に就学していないこと等の理由から、本格的に児童相談所が行恵に対し、「虐待」認定を下す。ここから職員が行恵に対し、何度も電話連絡や家庭訪問を試みますが、その度に行恵は「あいりは千葉県の親戚に預けている」「小学校の転校手続きをする」「今は、八井と学校に必要な物を買いに行っている」等と嘘をつき続け、面会をことごとく拒否した。

2012年10月
罪を背負った2人が長く一緒にいられるわけもなく、10月にはアパートを引き払い、八井とは別れ、行恵は一時所在不明になる。

2013年1月
横浜市中央児童相談所は、再三の面会に応じない行恵を不審に思い、神奈川県南署に、あいりちゃんの所在が不明という旨を報告する。

2013年2月
行恵の住民票がある「神奈川県泰野市」からも、泰野署へ「あいりちゃんが事件に巻き込まれた可能性がある」と報告を受ける。

2013年3月
このころ行恵は、千葉県松戸市で、次女と新たに出産した男児と3人で暮らしていた。するとそこへ、行恵が住民票を置いている、泰野市の児童相談所から、あいりちゃんについて面会を求める電話が幾度となくかかってくるようになった。

しかし、行恵は犯行がバレてしまうのが怖かったq/、その際も「体調を崩した」「今日は都合が悪くなった」等と嘘をつき、面会を全て拒否しつづける。

3月11日以降、行恵と連絡が取れなくなった児童相談所は、警察に連絡し、県警はあいりちゃんらが犯罪に巻き込まれた疑いがあるとして、捜査を始めた。県警は、ここから行恵が実家近辺に住んでいる可能性が高いとみて、茨城県の実家付近を徹底的に捜索する。

2013年4月
このころ行恵は、茨城県小美玉市に住む男性(20代)と出会い系サイトで新たに出会い、その男性の家に、次女と新たに出産した男児と3人で転がり込んでいた。

県警が捜査を続けていたところ、県警は、とあるレンタルビデオ屋から、今まで洋画しかレンタルしていなかったのに、最近になって急にアニメのDVDばかりをレンタルするようになった男が居るという情報をつかむ。県警は「行恵がある特定のアニメのDVDを頻繁に見ていた」という情報を元に捜索していたので、男性に情報を聞いたところ、行恵と同居していることが判明した。

警察が行恵に一連のことを尋ねたところ、行恵が犯行を自供。あいりちゃんの遺体を遺棄した場所まで行けるというので、警察が行恵と共に雑木林に行ったところ、白骨化した女児の遺体が出てきた。

被害にあったあいりちゃんは、実の母親から日常的に虐待を受けながらも、その母親に対し、

「ままいつか、らくになってもらえるかな。ままかわいそうだから、すきなものたべさせてあげよう。」「ままのことだれかたすけてくれないかな。まますごくかわいそうだよ」と折り紙につたない文字でメッセージを残していた。

関連項目