練馬一家5人殺害事件
練馬一家5人殺害事件(ねりまいっかごにんさつがいじけん)は、1983年(昭和58年)6月27日に東京都練馬区大泉学園町で起こったバラバラ殺人事件。不動産競売の取引をめぐるトラブルから、幼い子供を含む一家5人が殺害された。
事件の経緯
1983年2月、当時48歳の不動産鑑定士(以下、鑑定士)は、鑑定士認可後の初仕事として、練馬区内の競売物件を約1億円で落札した。同年4月、都内の不動産業者に6月30日を引き渡し期限として当該物件を転売した。鑑定士は購入資金の大半を銀行からの借入金でまかなっており、金利負担だけでも月100万近くにのぼるため、早急に当該物件を売却する必要性があった。
鑑定士は当該物件に住む賃借人一家を相手に立ち退き交渉を始めた。旧地権者は賃借人一家の妻の父親であったが、賃借人一家は彼から立退料の吊り上げを要請されていたため、当該建物の占有を続けていた。鑑定士は立ち退きを求める裁判を起こすが、賃借人の「裁判を取り下げれば立ち退く」との言を受けて訴訟を取り下げた。しかし、この賃借人の言葉は引き伸ばし工作であり、賃借人は取り下げ後も全く立ち退く気配を見せなかった。鑑定士は、逆に賃借人の息のかかったヤクザに脅されたことから(実際には鑑定士の神経症からくる妄想であった)精神的に追い詰められ、賃借人の殺害を決意し、5月下旬から一家殺害の準備をすすめた。
同年6月27日、鑑定士は立退き交渉と偽って午後2時46分ごろに賃借人宅に入り込み、賃借人の妻(41歳)、次男(1歳)をかなづちで撲殺、三女(6歳)をかなづちで殴打後扼殺、小学校から帰宅した次女(9歳)の首を手で絞めた後電気掃除機のコードで絞殺、その後午後9時半に帰宅した賃借人(45歳)をマサカリで切りつけ殺害、賃借人と妻の遺体を浴室で切断し解体した。鑑定士は逮捕された後「賃借人を粉々にしたかった」と供述している。賃借人一家のうち小学5年生の長女(当時10歳)は、たまたま林間学校に参加していて留守だったため、難を逃れている。
事件の翌朝、電話が通じないことを不審に思った賃借人の義母が賃借人宅の隣家の主婦に様子を見に行って貰う様依頼し、主婦が様子を見に行き賃借人宅の中の様子を窺っていると鑑定士が応対に出て、「この家の人達は昨夜引越した。私はイチノセという者です。」と応対したが、不審に思った主婦が義母に連絡し義母が警察に通報して事件は発覚した。その後昼過ぎに、賃借人の兄弟と義母からの通報を受けた警官2人が共に賃借人宅に到着、鑑定士は賃借人宅の勝手口から逃亡しようとしたが警察に拘束され、一家殺害を認めたため逮捕された。
鑑定士は1985年12月20日に東京地方裁判所において死刑判決を受け、1990年1月23日に東京高等裁判所で控訴棄却され、1996年11月14日に最高裁判所で上告棄却されて死刑が確定した。
なお、賃借人の居座りは違法行為であり、法的手段を講じて立ち退かせることも可能であったが、法律の抜け穴が多かったために司法での解決には長期化することが多かった。
文献
- 『理由』 宮部みゆき著、朝日新聞社、1998年 - 競売・占有を題材としたフィクション
- 『バラバラ殺人の系譜』 龍田恵子著、青弓社、1995年 ISBN 4787231162
- 『深紅』 野沢尚著、講談社、2000年12月) - 明示はされていないが本事件を元にしたフィクション。2005年映画化。