自共共闘

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自共共闘(じきょうきょうとう)とは、自由民主党日本共産党の共闘による選挙運動、政権運営のことである。地方政界で見られる。

概要[編集]

保守政党である自由民主党と革新政党である共産党は通常では政策距離が大きく、連立や政策合意が見られることはめったになく、地方政界でもオール与党体制など共産党を外した市政・県政運営が常態化している。2000年代以降も自民党対民主党の構図になる首長選でも、共産党は独自候補を立て他党と共闘することはほとんど見られなくなっている。

一方で、地方政界における独自の「お国事情」により自民党と共産党の共闘が見られることもある。全国初の例としては1995年高松市市長選挙がある。脇信男市長のもとで助役を務めていた増田昌三が市政継承のため、異例の自共共闘により当選している。

特に特徴的であるのは2003年陸前高田市市長選である。この選挙戦では共産党所属の市議であった中里長門が自民党系会派である爽風会の支援を受け、民主党系で5選を目指していた現職の菅野俊吾を破り初当選を果たした。陸前高田市のある岩手県は近年は小沢一郎の地元ということもあり、全国的にも民主党が強い土地柄である。当時市は『タラソテラピー施設』を計画しており、その計画の是非が争点であったが、「反小沢」という旗印のもとに自共共闘による市長の誕生として話題になった。2011年に選出された自民党市議・副市長だった戸羽太も自共共闘により選挙戦に勝利している。

2011年大阪市長選挙では、民主党・自民党に加え共産党から支援を受けた現職の平松邦夫と、大阪維新の会代表で、大阪府知事からの異例の転出により立候補した橋下徹による選挙戦となった。この選挙では「独裁的」と批判される橋下の政治姿勢のあり方や、『大阪市と大阪府の統合による大阪都構想』『教育基本条例』『職員基本条例案』が争点となり、「既存政党」対「大阪維新の会」という構図となった。この選挙戦は橋下徹が勝利しており、既存政党への不信が橋下の勝利につながった。

関連項目[編集]