天人の辯

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天人の辨(てんじんのべん)とは、中国思想史上における天道(天象・自然)と人道の関係についての論争。特に春秋戦国時代や唐代中期において論議された。

孔子は天に人格的な意志を認め、人に関わることを述べている。これに従い、子思孟子天人合一説を唱えて人の行為は天と連動していることを強調した。逆に荀子は天に人格的な意志を認めず、天道と人道とは関わらないとする天人の分を唱えている。

前漢董仲舒は国家が間違ったことを行うと天が警告として自然災害などを起こすという天人相関説を唱え、以後の天人の辨の主流を占める思想となった。

中期の柳宗元は天を人格的なものと見ず、無意志的な自然の法則として天人相関説を否定した。一方、劉禹錫は人格的な天を否定し、また天と人の働きの違いを区別するが、人道と天道のつながりをも認め、宋代につながる天人合一思想の枠組みを作った。