ニコライ・ワルーエフ

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ニコライ・ワルーエフ
2009年11月14日
2009年11月14日
基本情報
本名Никола́й Серге́евич Валу́ев
(Nikolai Sergeyevich Valuev)
通称The Russian Giant
Beast From The East
階級ヘビー級
国籍ロシアの旗 ロシア
誕生日1973年8月21日(2024-1973)+((12-8)*100+(28-21)>=0)-1歳)
出身地ロシアサンクトペテルブルク
死没日
死没地
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数53
勝ち50
KO勝ち34
敗け2
引き分け
無効試合1
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ニコライ・ワルーエフ(Nicolay Valuev、1973年8月21日生まれ)は、ロシアのプロボクサー。元WBA世界ヘビー級チャンピオン。サンクトペテルブルク出身。スピードに欠けるが、圧倒的な巨体で威圧しながらオーソドックスなボクシングを展開する。

1993年10月15日、ドイツでプロデビュー。1999年1月22日、6回TKO勝利でロシアヘビー級タイトルを獲得。このタイトルは2度防衛した。2000年6月6日、判定勝利でPABAヘビー級タイトルを獲得。こちらは5度防衛した。

2005年10月1日、WBA世界ヘビー級タイトル挑戦者決定戦でラリー・ドナルドに判定勝利して挑戦権を獲得。同年12月17日、WBA世界ヘビー級チャンピオンジョン・ルイスに挑戦し、判定勝ちで43戦無敗のまま同タイトルを獲得。全階級を通じボクシング史上最長身(213cm)、最重量(147kg)の超巨人チャンピオンとなった。翌2006年6月3日、世界12位のオーウェン・ベックと対戦し、3回KO勝ちで初防衛に成功した。2007年1月20日にはジャミール・マクラインと対戦し、3回終了TKO勝利で3度目の防衛に成功した。2007年4月14日に行われた4度目の防衛戦で1位のルスラン・チャガエフと対戦。判定負けでタイトルを失い、プロデビュー以来の連勝記録は46で止まり、ロッキー・マルシアノ(49連勝)、ラリー・ホームズ(48連勝)の記録を更新することはできなかった。

2008年2月16日、WBA世界ヘビー級挑戦者決定戦でセルゲイ・リャコビッチに判定勝利し、挑戦権を獲得した。同年6月に指名挑戦者として対戦が予定されていたルスラン・チャガエフがアキレス腱負傷のため戦線離脱し、WBAはチャガエフを休養チャンピオンとして扱うことを決めた。同年8月30日、チャガエフがタイトルを保持したまま空位と認定された正規タイトルをジョン・ルイスと決定戦で争い、判定勝利でこれを獲得した。2009年2月現在、ワルーエフは“WBA WORLD CHAMPION”、チャガエフは“WBA CHAMPION IN RECESS”(休養チャンピオン)とされてタイトルが並立した状態にあり、6月26日までに対戦することが義務づけられていた[1]。これを受けて2009年5月30日に中立地のフィンランドヘルシンキでタイトルを統一するための両者の対戦が予定されていたが、チャガエフが前日計量後の検診をパスできず契約不履行により中止となり[2]、同年7月にはチャガエフのタイトルは剥奪された。この年、ワルーエフは沖縄ワールドリングボクシングジムで合宿を組み、その後も度々沖縄を訪れた。この時期、同ジムに所属していたサーシャ・バクティン(後のアレクサンドル・バクティン)とトレーニングを共にしたこともあった。2009年11月7日には元統一世界クルーザー級チャンピオンのデビッド・ヘイと2度目の防衛戦を行い0-2の判定負けでタイトルを失った。

関連項目

脚注

  1. ワルーエフ-Jルイスで決定戦 WBAヘビー級「月刊ボクシングワールド」オフィシャルサイト 2008年7月24日閲覧
  2. ヘビー級タイトル戦が中止 スポーツ報知 2009年5月30日閲覧

外部リンク

前王者
ジョン・ルイス
第57代WBA世界ヘビー級王者

2005年12月17日 - 2007年4月14日

次王者
ルスラン・チャガエフ
前王者
ルスラン・チャガエフ
第59代WBA世界ヘビー級王者

2008年8月30日 - 2009年11月7日

次王者
デビッド・ヘイ
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