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== 事件の概要 == | == 事件の概要 == |
2022年2月10日 (木) 12:02時点における版
リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件(リンゼイ・アン・ホーカーさんさつがいじけん)は、2007年3月に日本の千葉県市川市において、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカー(英表記:Lindsay Ann Hawker 、英国籍、当時22歳)が市橋達也(当時28歳)に殺害された殺人事件の一般名称。 正式な事件名としては、「市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件」と呼称される。
目次
事件の概要
事件発生
2007年3月26日、被害者と同居していた女性から行方不明の相談を受けた千葉県警察船橋警察署員が、被害者宅を捜索。市橋の電話番号・メールアドレスと、被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、市橋宅の家宅捜査に急行した。
同日午後9時40分ごろ千葉県市川市の市橋宅(マンション4階)に生活安全課と刑事部の署員数人が到着した[1]。市橋は部屋から出てきてマンションの共用廊下で応対しようとした[1]。捜査員が部屋に入ろうとすると、市橋は非常階段を駆け下りて同マンション裏の駐車場を経て東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走した。予め逃走を防ぐ為に非常階段などにも捜査員が配置されていたが[1]、取り逃がす結果となった。
同日午後10時ごろ、捜査員は、市橋宅のベランダに置かれていた浴槽の内部で、全裸様の前傾座位で土に完全に埋められた被害者の遺体を発見した[1]。
逃走後の市橋はしばらく近隣の住宅地の物陰に潜んでおり、そこで探索中の捜査員に発見されて一旦羽交い絞めにされるが、ここでも逃走することに成功している[2]。
事件直後の捜査
- 千葉県警察行徳警察署は、市橋逃走の翌日、警察犬を投入して臭覚追跡を行ったところ、東京メトロ行徳駅付近で警察犬が感知し得る市橋の臭気が途絶するとともに、同駅付近において市橋が着用していたと見られる衣類(靴下)が落下しているのを確認した。
- 市橋は死体遺棄容疑で指名手配された。千葉県警行徳警察署捜査本部の捜査により、市橋と被害者の両名は被害者が所属していた英会話学校のプログラムとは無関係な個人的レッスンに合意していたことが判明した。
- 市橋は2005年に大学を卒業した。大学では植物や公園のデザイン、建築について学んだが、卒業後は就職していなかった。当時、海外の大学院に進学する為に市橋は英語の勉強をしていた。
- 被害者のルームメイト(カナダ人)の証言により、3月20日、市橋が千葉県市川市の東京メトロ行徳駅の改札前広場で被害者に声をかけ、その後被害者宅まで押しかけて、似顔絵を書く、メールアドレスを聞くなどした。その後数回のメールの交換を行い、3月25日に英会話レッスンを1回3500円でする約束をした。
- 3月25日午前9時には市橋と被害者が、英会話レッスンを行うために行徳駅前の喫茶店に来店した様子が防犯カメラに映っている[1]。レッスンの終盤、市橋はレッスンの代金を忘れたことを明かし、2人はタクシーで市橋の自宅にお金を取りに行くために移動した。9時54分、自宅マンションのエレベーターの監視カメラに2人が映っているのが確認されている[1]。市橋宅に入ったところで被害者を押し倒し、結束バンドなどで拘束して暴行した[1]。その後取り外し可能な浴槽を和室に置き、被害者を入れて監禁した[1]。監禁中には、拘束を解くように要求する被害者を殴りつけるなどしている。24時ごろには、当時交際中の女性に1週間ほど会えないとメールで連絡している[1]。翌3月26日2~3時頃、手の拘束を解いて被害者が逃亡しようとしたため頚部を圧迫して窒息死させた[1]。被害者の死亡後、ホームセンターで、赤玉土56リットル、園芸土50リットル、シャベル1個、発酵促進脱臭剤2個、脱臭剤2個、苗木1本を購入している[1]。ベランダに浴槽と遺体を移動させて、購入した土を投入した[1]。捜査員が訪れたのは、その日の夜であった。
- 司法解剖の結果、死因は、頚部を圧迫したことによる窒息死と判断された[1]。頚部を圧迫されたために2箇所の舌骨骨折を伴っている。また右眼窩下と左頬部に、殴打痕とみられる皮下出血が確認された[1]。部屋のゴミ袋からは、市橋のDNAと一致する体液が入った避妊具が発見され、避妊具の外側には被害者の細胞が認められた[1]。
懸賞金による情報公開
千葉県警行徳警察署捜査本部は、当初100人体制をとっていたが、のちに150人体制に捜査強化し、手配ポスターも3万枚余作成された。
後にこの事件は「公的懸賞金制度」の適用を受け、捜査特別報奨金の上限を100万円として、別の4事件と共に懸賞金が掲出された[3][4]。これを受け、同年6月29日、被害者遺族が駐日英国大使館において記者会見を開催し、市橋逮捕とその契機となる情報提供を広く訴求するとともに、新たに製作された手配ポスター約6000枚を配布し、その後も市橋の捜索に関してしばしばコメントを寄せた。後に、報奨金額は、1000万円まで引き上げられた。
2008年3月13日、千葉県警察行徳警察署捜査本部は、市橋が茶髪で眼鏡をかけた姿と女装姿の2つのイメージ画像を掲載した手配ポスターを新たに公開し、A3版を約4000枚掲示するとともに、A4判チラシ約3万枚をホテルや駅などで配布した。さらに2008年3月18日には、市橋が記した被害者の似顔絵付きのメモと、市橋の遺留品であるリュックサックや靴・靴下の写真を公開している[5]。
2008年10月24日、イギリス紙『タイムズ』が「警視庁は市橋が自殺したと断定した」という記事を掲載したが、同日、佐藤勉国家公安委員長が記者会見席上で市橋自殺について否定した[6]。
被害者の家族の活動
被害者の家族は、単独あるいはイギリスのマスコミと一緒に何度も訪日し、事件現場に慰霊に通ったり、駅でのビラ配りを行い市橋逮捕への協力を訴えた。2007年6月27日には専用サイトを立ち上げ、市橋の顔を印刷したTシャツをネット販売するとともに、事件の風化を防ぐため繰りかえしマスコミへの出演を行った。捜査協力はあらゆる方面に及び、イギリスのメディア『Mail Online』は、父親が日本のマフィア、つまりヤクザにも接触し、市橋探しの捜査を依頼していたと報道した[7]。当時のグレアム・フライ駐日英大使も2007年4月1日、東京都内で記者会見を行い、市橋逮捕への協力を求め、家族の活動を支援した。テレビ朝日『奇跡の扉 TVのチカラ』(2007年6月30日放送)において特別番組が編成され、来日中の被害者両親も出演して、日本国内に広く情報提供を求めた。
加害者の逃避行
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市橋は逃走開始直後に靴と靴下、上着を紛失したが、ゴミ捨て場からサンダルと上着を入手した。所持金は5万円程度であった[2]。自家用車を所有する当時交際中であった女性に公衆電話から連絡を取って共に逃亡することを依頼しようとしたが、女性が通話中だったために実現しなかった[1]。
逃走初日のうちに放置自転車や電車を利用して、市川市の自宅から上野経由で秋葉原まで移動し、途中立ち寄った東京大学医学部附属病院の障害者用トイレで、人相を変えるために鼻翼を左右から縫い縮める自己整形手術を行っている[2][8]。後にホクロを自らカッターナイフで切り落とし、下唇を小さくするためにハサミで切っている[9]。
その後は埼玉、群馬、茨城などの北関東周辺を放浪し、熱海を経て静岡県の駿河湾付近まで南下した後に青森県まで北上することを決める。事件前に福岡県の知人宛てに近々遊びに行く旨のメールを送信しており、パソコンの記録解析によって南方への逃亡が察知される危険性を考えた行動であった[2]。東京から新潟を経て青森まで移動したが、青森駅前公園で1週間ほど寝泊りするうちに青森の経済状況がよくないことを感じ取り、働いて生活するために大阪市西成区の職業安定所を訪れた。ここでは職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動した[2]。
四国では香川県高松市から徒歩で徳島県~高知県~愛媛県とお遍路を歩いた。これは贖罪の意味があったとしている[8][2]。一方で「逮捕されればさらしものになる」「指名手配されると、自首しても減刑にならない」と自主的な出頭は考えていなかった。お遍路の先々にも手配写真が掲載されているのを見て、このままでは逮捕されるのは時間の問題と考え、無人島での生活を考え始める。高知の図書館で無人島について調べ、滞在地として沖縄県のオーハ島を選択した[2]。お遍路を途中で止め、松山港からフェリーで別府港に移動し、その後鹿児島県を経て沖縄に渡った[2]。
初回のオーハ島渡航は準備不足で1週間ほどで頓挫した。資金が尽きた市橋は、沖縄本島の建設現場で偽名で働き金を稼いだ[2]。沖縄での経験で、市橋はオーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを考案した。住み込みでの仕事は解体現場や建設現場を選んだ。他にも船に乗る仕事や風俗に女性を派遣する仕事などをしないかと誘われたが市橋は断っている[2]。勤務態度は良好であったが、宿舎の近くに警察らしい車両が止まっていたりすると、身近に捜査が及んでいるのではないかと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返した[2]。2008年春には自宅の近隣に所在し、卒業論文のテーマであった東京ディズニーランドを訪れている[2]。住み込み労働で得た貯金で、2008年10月23日と24日に名古屋の形成外科にて眉間の形成手術を受けた[1]。
オーハ島での生活
市橋は、逃亡中に沖縄県の沖縄県島尻郡久米島町のオーハ島を4回訪れており最長で3ヶ月ほど滞在した[10]。最初の滞在では海岸近くの岩場に当初潜伏していたが、2回目以降の滞在は海岸近くのコンクリートブロック造りの小屋に移動した[11][12]。オーハ島はダイビングスポットや海水浴としては人気があったが、当時居住していたのは70歳代の男性が1人であった。隣の久米島で仕事を探したが適当な仕事がなく、自給自足の生活をしていた。最初の滞在は準備不足で魚釣りも満足にできず食料調達に失敗し1週間で頓挫した。オーハ島から沖縄本島に戻るときにはフェリーの代金が足りずキセルをして職員に捕まっているが、事件の市橋とは察知されず放免されている[2]。
2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して調査し、魚や蛇、ヤシガニを食べたり、野菜を栽培するなどして生活した[2]。飲料水は奥武島に泳いで渡り、1週間分の飲料水をペットボトルに積めて持ち帰るなどした[2]。燃料となる薪は流木が豊富に得られたので困ることはなかった。逮捕されたときも、この島を目指して移動途中であった。初公判で市橋は、もはや逃げ切れないと思い、オーハ島の小屋で死のうと思っていたと供述した[8]。2011年1月23日千葉県警は捜査員を派遣して、小屋の残留物を証拠品として押収した。
逮捕
2009年11月5日、名古屋市内の美容形成外科医院が、過去に美容形成術を行った患者カルテの顔写真を整理していたところ、男性には珍しいほくろの除去を不審に感じ報道された市橋との一致部分を確認し、病院スタッフが通報した。県警は骨格などから同市橋と断定。顔写真を公開した。同市橋はすでに整形していて、一重だったまぶたが二重になっているほか、鼻が高くなっていた。下唇は薄くなっていた。指名手配の顔写真は整形後の同院提供の顔写真に差替えられた。なお、同院は、手術前にすでに市橋が顔を整形していた模様であったため、実際の施術にあたっては気付かなかったとしている。
この手術後の新しい指名手配の報道を見て、同年10月ごろまで大阪府茨木市の建設会社において同市橋が住込みの土木作業員に従事していたとして、雇用主の建設会社が警察当局に対して通報を行った。2008年2月29日から6月26日までの間、偽名を使って神戸市の建設会社で勤務し、8月20日から10月10日までは大阪府茨木市内の建設会社で勤務した[1]。ともに会社の寮で生活していたが、無断で退去していた。なお、同建設会社は市橋を雇用する際に、あいりん地区に社有車を派遣して求職者を募集し、その場で雇用したという経緯から、当初は同事件の市橋であるとは気付かなかったとしている。イギリスの被害者両親にも市橋発見の報道は届いたが、既に建設会社を奔出した後だったので、日本の警察への不信感はより強まる結果となったと家族は述べている。市橋は福岡のホテルに滞在中にその報道を知った。雲隠れするためにオーハ島(後述)に行くために鹿児島まで移動したが、警察の警備を恐れて神戸からのフェリーで沖縄に移動することを選択した。この過程で制服警官より職務質問を受けているが、逃走に成功している。
同年11月10日、神戸市東灘区の六甲船客ターミナルにおいて、同社の従業員が、沖縄行き航路に搭乗しようとしていた乗客の中に、市橋に似た不審な男性を発見した。当日は、神戸発・沖縄行きの航路は欠航であったため、同日も同航路に就航していた大阪南港発の沖縄行き便を案内すると、市橋と思われる人物が乗船のため大阪南港に向かう旨の発言をしたことから、不審に思った同港担当者は警察当局ならびに大阪南港担当者に通報、大阪南港フェリーターミナルに先回りし待機していた警察官により身柄を確保され、移送された住之江署において同事件容疑で逮捕、さらに東海道新幹線を経由して千葉県警行徳署に移送された。市橋が逮捕された2009年11月10日は、俳優森繁久彌逝去の報道と報道日時が重複したこともあり、ニュース報道の視聴率が軒並み20%を超えた[13]。
同年12月2日、千葉地検は死体遺棄罪で同市橋を起訴。同年12月3日、現場に残された精液と同市橋のDNAの一致が確認されたことから、千葉県警行徳署は、殺人ならびに強姦致死容疑で再逮捕し、同年12月4日付、千葉地検あて送検した。
市橋は逮捕後数日間にわたって絶食していたが、同年11月24日にはじめて食事を摂り、以後は毎日食事を摂っている。取調べに対しては、逮捕初期には黙秘を続けていたが、食事摂取開始に前後して具体的な供述を開始した。 千葉地検は同年12月23日、殺人と強姦致死の罪で市橋を追起訴した。裁判員裁判で審理される。
市橋の手記
市橋は、逃亡生活の様子や心境などをまとめた手記[14]を、2011年1月26日に幻冬舎から出版し、手記による収入はすべて遺族への弁済に充てるとした。接見はできないため、間接的な原稿のやりとりだったが、編集担当者は「(被告の)観察眼、感性の豊かさを感じた」と話しているが、英国の遺族は「裁判の前に、こうした本を書くことが許されるのか。強い嫌悪感を抱いており、傷つけられた。私たちが求めているのは公正な処罰だけだ」と話した[15] [16]。2011年7月までに印税は1100万円となり、市橋は税引き後の912万円を遺族に渡したいとしたが[17]、被害者の両親は「娘を殺したことをネタに金儲けをしている」として、1銭たりとも受け取らない立場を千葉地裁で明らかにした。手記には遺族が受け取らない場合は印税を公益に代えるように記載されている。
公判
千葉地方裁判所に於ける初公判は2011年7月4日。起訴状の公訴事実は、殺人罪、強姦致死罪、死体遺棄罪。被害者の両親と姉妹の計4人が被害者参加制度を利用して裁判に参加した。検察側は市橋が事件の発覚を恐れて殺害に至ったとしたが、被告・弁護側は強姦と監禁、死に至らせた事実は認めたが、殺意については否認し[18]、殺人罪と強姦致死罪ではなく、傷害致死罪と強姦罪だと主張した[19][20][21][22]。
検察側は、市橋は非常に強い力で3分以上に頚部を絞めており殺意は明らかで、蘇生措置をしたというのは被害者の肋骨に損傷がないことから信用できないと主張した。被害者の遺族は、市橋の発言は減刑を意識したパフォーマンスで、反省が見られないとして死刑を求めた[1]が、検察は市橋に前科がなく犠牲者が1人のことから死刑は躊躇せざるを得ないと無期懲役を求刑した[1]。
供述内容及び弁護団発表
- 殺意はなかったが、結果的にリンゼイさんを死なせてしまった。その責任は取るつもりだ[23]
- 暴行目的で連れてきたのではなく、あくまでレッスン料を渡すために家に連れてきた[1]。
- 口をふさいだ時髪の毛が絡まったので切ったら怒られた
- 浴槽を和室に持ち込んでその中に入れた、毛布をかけてあげた(フジテレビ再現)
- 英会話をしたりキング牧師の演説をネットで聞いたりジュースを飲んだりした
- 拘束を一時解くこともあった
- 人工呼吸をした[1]
一審
2011年7月21日、千葉地方裁判所は検察側の求刑通り、市橋に無期懲役の判決を言い渡した。検察の主張する殺人罪と死体遺棄罪は認定したが、「首の圧迫は強姦後に相当の時間がたった後で、時間的に接着していない」として、強姦致死罪ではなく、弁護側が主張する強姦罪にとどまるとした。また遺族が死刑を求めた点について触れ、「計画性がなく、更生可能性がないとはいえない」と無期懲役とした理由を説明した[24]。地裁の判決に対し、被害者の遺族は「4年半、リンゼイのために正義が下される日を待っていた。今日、それに到達できた。とても満足している」とコメントをした[25]。
二審
上記の一審判決の後、市橋の弁護側は「刑を確定させるのは反対」と反発。事実認定の誤りと量刑不当などを理由に8月2日に東京高等裁判所に控訴した[26]。弁護団と接見した市橋は「自分の言っていることは事実である。どうして信頼できないと言われるのか」とあからさまに不満な表情で話していたという。
2012年3月15日、東京高等裁判所に於いて控訴審初公判が開廷され、被告人側が殺意を否認する弁論を行ったのに対し、検察側は一審の無期懲役判決を維持して控訴を棄却するよう求める陳述を行った[27]。控訴審審理はこの1日のみで終結した。
同年4月11日、東京高等裁判所は『被告人に真摯な悔恨が見られない』などとして、一審の千葉地方裁判所の無期懲役判決を支持して被告人の控訴を棄却した[28]。
同年4月25日の上告期限まで検察側弁護側双方が上告せず、判決が確定した。弁護団は市橋に対しこれ以上証拠を見いだせないので上告しない方針を伝えると市橋も上告しない意思を示したという。
その他
- 報奨金
- 同事件の、市橋逮捕に結びつく重要情報提供に対する報奨金1000万円は、整形手術後の顔写真を提供した名古屋市内の美容整形外科医院、逮捕当日の位置情報を提供したフェリー会社、フェリー会社まで市橋を乗せたタクシー会社の3社に支払われることとなった。
- ファンクラブ
- また、逮捕時直後には、同市橋を「イッチー」と呼びファンクラブを標榜するmixiコミュニティが乱立し、そのモラル面について批判が相次いだ[29]。
- TBS社員逮捕
- 市橋が送検される際、TBSテレビ情報制作局所属のディレクターが、送検される車内を撮影すべく、警察官を突き飛ばしたとして公務執行妨害の現行犯で逮捕された[30]。のちに不起訴となった。その理由について千葉地検は「社会的に制裁を受けていて、反省もしている」などと説明。
- 裁判費用募金の呼びかけ
- 大学時代の部活顧問だった千葉大学大学院名誉教授の本山直樹が「適正な裁判を受けさせる会」を立ち上げ、市橋の自首と募金を呼びかけた。マスコミ報道で大きく報じられたことに胸を痛め、あくまでも適正な裁判を受けさせ、社会復帰への道を、という元教授としての愛情からである。罪状が死体遺棄から強姦致死、殺人へと大きく変わり、国選弁護士として引き続き弁護していくためには費用の面で難しいことを支援の理由に挙げている[31]。募金の合計金額は2011年7月までに340万円に達したが、発足以来いたずら電話や通販を利用した悪質な嫌がらせが300回以上継続していることを法廷で明らかにした。市橋はこのことについて、逃亡中は知らなかった[8]。
- 市橋を雇用した建設会社
- 建設会社での勤務態度は比較的良好であったが、帽子などで顔を隠す、社内の催しに参加を渋るという態度が見られた。市橋の逮捕後は、指名手配の殺人犯を雇用した会社として契約を断られるなどの風評被害が発生した。
- 謝罪文
- 逮捕された市橋は、イギリスの被害者家族に向けて英語と日本語で手書きの4ページの謝罪文を送ったが、被害者家族は裁判対策だとして受け取りを拒否した。謝罪文はタイムズ2010年10月5日付で、その一部の文章を掲載して報じられた[32]。
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 市橋被告初公判 産経新聞 2011年7月5日
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録 幻冬舎 2011年1月26日 初版 ISBN 978-4-344-01941-6
- ↑ 官報(2007年6月29日 号外142号 捜査特別報奨金に関する公告)に掲載。
- ↑ (2007-06-29) 捜査特別報奨金に関する公告(平成19年6月29日官報掲載) 警察庁 arch. 2007-07-04 2007-06-30
- ↑ (2008-03-18) 証拠品をHP上で初公表 千葉、英女性死体遺棄事件 共同通信 [ arch. ] 2012-06-08
- ↑ (2008-10-24) 市橋自殺報道を全面否定 公安委員長、英紙記事で 共同通信社 47NEWS [ arch. ] 2009-12-27
- ↑ 殺害されたイギリス人女性の父親がヤクザに市橋市橋の捜査を依頼
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 市橋被告第6回公判(3)千葉→青森→四国の遍路道 整形は自分でも
- ↑ 市橋、自分で下唇切る整形手術…ハサミで 『読売新聞』2011年 1月26日(水)11時49分配信
- ↑ 市橋被告が逃亡生活手記に 『報知新聞社』 2011年1月25日
- ↑ リンゼイさん事件の市橋被告「本に書きたい」読売新聞2011年 1月24日(月)10時27分配信
- ↑ リンゼイさん殺害事件 市橋被告、潜伏の沖縄の離島について図書館やネットで調査 フジテレビ系(FNN)2011年 1月24日(月)12時14分配信
- ↑ (2009-11-13) 市橋逮捕のニュース報道の視聴率、20%越え シゴトの計画 ライブドア [ arch. ] 2009-12-27 (リンク切れ)
- ↑ 「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」幻冬舎(ISBN 978-4-344-01941-6)
- ↑ 被告の手記、26日発売 遺族は嫌悪感 『スポーツ報知』 2011年 1月25日(火)8時1分配信
- ↑ 市橋被告の逃亡手記にリンゼイさん遺族「強い嫌悪感」 - MSN産経ニュース
- ↑ 「被告、印税1100万をリンゼイさん両親に」 読売新聞 2011年7月4日
- ↑ 被告、突然床にひざまずき遺族に土下座 読売新聞 2011年7月5日
- ↑ 平成23年 7月21日 千葉地裁 判決 平21(わ)2764号 強姦致死、殺人、死体遺棄被告事件
- ↑ 門田成人・法セ 682号133頁
- ↑ 仲道祐樹・刑事法ジャーナル 31号76頁
- ↑ 中央大学真法会・受験新報 738号20頁
- ↑ (2011-07-04) 市橋被告は「殺意はありませんでした」と一部否認 千葉地裁で初公判 msn産経ニュース 産経新聞社 [ arch. ] 2011-07-16
- ↑ (2011-7-22) 読売新聞 読売新聞社 [ arch. ] 2011-7-25
- ↑ http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201107210681.html リンゼイさん父「正義下され満足」市橋被告無期刑判決
- ↑ 無期懲役の市橋達也被告が控訴 英国人女性殺害事件 共同通信47News 2011年8月2日閲覧
- ↑ 市橋被告二審も殺意否認 判決は来月11日 英国人女性殺害遺棄 千葉日報 2012年3月16日閲覧
- ↑ 「真摯な悔恨なし」 市橋被告に2審も無期懲役判決 東京高裁 産経新聞 2012年4月11日閲覧
- ↑ (2009-11-19) 【Web】コミュニティーに批判殺到 産経新聞 [ arch. ] 2009-12-27
- ↑ () TBSディレクター、市橋に突撃取材で逮捕 スポーツ報知 報知新聞社 [ arch. ] 2009-12-27
- ↑ 市橋達也君の適正な裁判を支援する会
- ↑ 市橋被告「私は悪だった」=謝罪文、遺族は受け取り拒否―英 時事通信2010年10月5日(火)21時6分配信
関連項目
- 指名手配
- 殺人事件被害者遺族の会(宙の会)
関連書籍
- 市橋達也『逮捕されるまで ―空白の2年7カ月の記録―』幻冬舎 2011年1月 ISBN 9784344019416