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2021年10月23日 (土) 18:04時点における最新版
堺市(さかいし)は、大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市。泉北地域の一つではあるが、河内地域など歴史的に泉北郡でなかった地域も多く含まれており他の泉北地域とは区別される。大阪府内で人口・面積ともに第2の都市である。
目次
がれき処理「検討」だけで復興予算約86億円。がれきは受け入れず[編集]
東日本大震災で発生したがれきを受け入れない堺市が、復興予算約86億円をごみ処理施設の新設費などとして受け取る。
がれきの処理に困った環境省が、受け入れを検討しただけの自治体にも復興予算の交付を決めたためだ。小さな自治体の年間予算にも匹敵する巨額の資金だけに、「本当にもらっていいのか」と疑問の声も上がっている。
堺区の臨海部に建設総額約182億円のごみ処理施設を整備中で、2013年4月に供用開始を予定している。市は2012年1月、この施設の建設事業費と老朽化している東区のごみ処理施設の改修事業費のうち約86億円分を平成24年度の国の交付金対象事業と位置付けた。国の交付率に基づき約40億円を要望し、残る約46億円分を地元で負担する予定だった。
しかし国は同4月、「堺市はがれき処理を検討している」として、市が求めていた通常枠の交付金ではなく、新たに設けた復旧・復興枠などでの措置を市に打診。約40億円に加え、地元負担の約46億円分も復興予算で交付する枠組みを示した。
市はがれき受け入れを決定していなかったが、国が「検討レベルでも交付条件に当てはまり、結果的に受け入れることができなかった場合でも返還を求めない」としたため、交付を申請。同6月にがれきの全体量が判明し市が受け入れなくても対応できることになったが、手続きは進行。同10月に交付が決まった。
開会中の定例市議会で市議からは「一部を被災地への義援金とするべきでは」「道義的におかしい」と異論が浮上したが、竹山修身市長は「財源の確保は首長の責務。ありがたくいただきたい」と答弁した。
がれき処理を検討しただけで同様に復興予算を受け取る自治体は堺市のほか、約36億円が交付された埼玉県川口市など6市町3組合ある。堺市の約86億円は突出して高い。
とはいえ実際には堺市はそもそも広域処理の受け入れの検討をしていたわけではないのにも関わらず、環境省は堺市が広域処理の受け入れを検討したことにして復興交付金を受け取るよう促したのである。
NZへ「ビジネスクラス」、市議1人80万円の旅費“公費負担”は妥当か(2014年7月)[編集]
堺市議会が、公費を使った議員の「海外派遣」を6年ぶりに再開する。景気低迷などを理由に、「海外視察」は中止してきたが、今回はニュージーランド・ウェリントン市の姉妹都市提携20周年を記念した招待に応じて、派遣を決めた。
議員1人あたり約80万円の旅費は公費負担で、航空機もビジネスクラスを使用。市議会内でも「議長以外の議員は自費でいけばいい」などとする反対意見も上がったが、最終的には賛成多数で承認された。その海外派遣の実態とは-。
「今回の目的は、ウェリントン市と堺市が交流をさらに深めることが第一義。重要な取り組みだ」
6月24日の市議会本会議。訪問予定の議員らは、反対派議員に派遣の目的を問われると、いわゆる従来の「海外視察」ではないことを強調した。
市議会は「議員海外調査研究派遣要綱」を定めている。反対議員は、この要綱の「要綱に定めるもののほか、議員の海外派遣について必要な事項は委員会で協議のうえ議長が定める」とした条項の手続きがとられていないとして、議長にも今回の派遣の手続きを不当として異例の質問をした。
さらに、「文化使節団」として今回、ウ市を訪れる市民は自費なのに、議員は公費でまかなわれるとし、「ためらいがないのか」ともただした。
これに派遣議員の1人が「税金が無駄にならないよう、むこうで一生懸命勉強し、議会や委員会などで市民の皆さんにも活発に(成果を)つなげていきたい」と答弁するなど、“攻防”が繰り広げられた。
今回のウ市訪問は、2014年3月、ウ市のセリア・ウェイドブラウン市長から竹山修身市長あてに、市長や議長、議員にも招待を呼びかける手紙が届いたことに始まる。議長の訪問は公務扱いとなるため、議決は不要だが、議員については議決が必要になる。
参加を希望したのは、大阪維新とソレイユ堺、自民党・市民クラブの3会派の議員各1人。派遣の日程は、8月21日に出発し、翌日はウ市市役所、ニュージーランド日本大使館、ニュージーランドラグビー協会を訪問。23日に日本祭に参加し、24日に桜の植樹や映像産業の視察をして、25日に帰国する予定だ。
議員は、航空機でビジネスクラスを使用し、旅費は1人あたり約80万円。これに対し、茶道や大正琴の「文化使節団」として訪問する市民は自費で、航空機もエコノミーを利用する予定だ。
議員が海外の先進事例などを調査・研究する、いわゆる「海外視察」について、市議会では、景気低迷による海外視察自粛の全国的な動きや米同時多発テロなどを受けて中止している。
20年1~2月に議員5人がドイツを訪問したのが、最後の海外派遣。この翌年もベトナムやシンガポールなどへのアジア視察が計画されたが、経済情勢の悪化などを理由に中止している。
結局、今回の派遣をめぐる市議会の採決では、反対議員の2人を除き、派遣議員のいない公明、共産も賛成し、賛成多数で承認された。これまで「海外視察」に厳しい目で対応してきた共産も、今回は「国際的儀礼に応えるもの」として是とした。
反対派議員の1人は本会議の討論で、「私たちは市民に選ばれた代表として、行政執行を監視し、注文をつけるための特別な権限を与えられているが、身分や立場にも『特権意識』があると考え違いをしていないか。市民の声にもっと謙虚に声を傾けるべきだ」と締めくくった。
さらに、この議員は今回の海外派遣について「要綱の手続きに違反しているのが一番の問題。要綱が適用されない海外派遣というのは詭弁だ。とにかく視察を復活させたいのでしょう」と主張。「交流、親善ということで行くことに意義はなく、公費を投入する必要はない」と指摘する。
これに対し、派遣される議員の1人は「正式な招待に応え、議員として交流発展の役割を果たす。政令市・堺として世界を見つめることは大事なことで、しっかり勉強してきたい」と意義を強調する。
賛成派議員の1人も「顔の見えるつきあいが大事。議員としても、外国からの正式な招待に応えるのは外交上の常識だ」としている。
一方、反対派議員が指摘する「手続き違反」については、議会事務局も今回の派遣が調査・研究目的の派遣には該当しないと判断。地方自治法と市議会会議規則により、議決によって派遣されるケースにあたるとしている。
従来の、いわゆる議員の「海外視察」が全国的に“自粛”傾向となっているのは、視察の具体的な成果が見えない「物見遊山」と市民に批判されたことも影響している。今回の公費による議員の訪問は交流促進が目的だが、その結果をどのように生かすかは今後、市民も注目するところだ。
市民グループ「見張り番」の松浦米子・代表世話人は「姉妹都市と交流して親善を深めることを、ただちに『けしからん』ということにもならず、難しいところ」としながらも、「自費で行く市民のことを思えば、議員もいくらか負担するとか配慮があってもいいのでは」と指摘。「税金を使って行くのであれば、きちんと市民に報告などをすべきなのは当然。さらには、今後にどう生かしていくかがが重要」としている。
地理[編集]
大阪平野のやや南を西流する大和川の左岸下流域に位置する。大阪湾に西面し、北は大阪市、北東は松原市、東は羽曳野市、富田林市、南東は大阪狭山市、河内長野市、南西は和泉市、高石市に接している。市内は7つの行政区に分かれ、堺区が北西部に、美原区が東端部に位置する他は、中区・東区・西区・南区・北区と方位による区割となっている。
市名の由来[編集]
「堺」の地名は平安時代には見られ、摂津国、河内国、和泉国の「境(さかい)」に発展したことによると言われている。「境」、「左海」などとも表記された(宿院交差点にある石灯籠には「左海たばこ庖丁鍛治」と書かれてある)。
鎌倉時代以降は、摂津国と和泉国の荘園名として見られ、江戸時代(元和年間)以降は、両国の国境に大小路という東西幹線を敷いた町となった。宝永年間には大和川の付け替えが行われたが、明治3-4年まで大小路は摂泉国境の役割を果たした。
国境が大和川に変更された後は和泉国のみに属する町となったが、1938年(昭和13年)の南河内郡金岡村編入以降、和泉国と河内国に跨る市域を形成するようになり現在に至っている。このため、他の泉州地域や泉北地域と区別して「堺・泉州」や「堺・泉北」のように併記されることが多い。
地域の概要[編集]
西部(堺区・西区)
- 沖積平野を含みおおむね平坦で、海岸線に沿って南北に通る紀州街道・熊野街道(小栗街道)に沿って早くから市街化している。元来の市街地である堺区の環濠内は紀州街道を大道と称して南北幹線としており、西区の中心となる鳳は小栗街道に沿う大鳥大社の鳥居前町として発展した。鉄道も両街道に沿うように南海本線・阪堺線・阪和線が通っている。これらの他、環濠内の堺市街地から東へ長尾街道と竹内街道、南東へ西高野街道が伸び、鉄道は西高野街道に沿うように南海高野線が通っている。
- おおむね熊野街道の東側は三国ヶ丘台地とも呼ばれる高台が広がり閑静な住宅地が多い。上野芝駅に近い霞ヶ丘や向ヶ丘といったやや規模の大きい住宅地は阪和線の母体である阪和電気鉄道により昭和初期に分譲された。また、この高台には北区にかけて古墳が多い(百舌鳥古墳群)。
- 沿岸部は旧堺港南側の大浜海岸をはじめとして、かつては一大海浜リゾート地で知られ、西区の浜寺には高級邸宅街も建設された。しかし、堺泉北臨海工業地帯の造成によって石津川以北は往時を偲ぶ影もなくなり、以南の浜寺水路と浜寺公園の松林に辛うじて名残が見られる。
中南部(中区・南区)
- 泉北丘陵などと呼ばれる丘陵地帯で、石津川水系の河川に沿って古くからの集落が見られる。上述の交通網の影響から、交通過疎地といった状態が続いて発展が遅れていたが、泉北ニュータウンの開発で一変し、大阪市のベッドタウンとなった。鉄道は南海高野線に乗り入れる泉北高速鉄道が縦断する。また、この地域は須恵器の窯跡が多数発掘されている(陶邑窯跡群)。
東部(北区・東区・美原区)
- 東区では、早くから高野沿線で住宅開発が行われ、南海鉄道(現・南海電気鉄道)の分譲による初芝住宅や、街の中央に噴水広場を設けた大美野の高級邸宅街が昭和初期に開発されている。戦前は堺市街の東縁・東郊に過ぎなかった北区は、戦後金岡団地・新金岡団地・中百舌鳥公園団地等の開発で急速に市街化した。1987年には御堂筋線が中百舌鳥駅まで延伸されている。また、この地域は美原区を中心に河内鋳物師ゆかりの地である。現在は何れの区も典型的な大阪市のベッドタウンとなっている。
歴史[編集]
石器時代[編集]
現在の堺市域に人が定住したのは古く旧石器時代とされる。市内各地の遺跡からは旧石器時代の打製石器や縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されている。また、浜寺の四ツ池遺跡は池上・曽根遺跡(和泉市・泉大津市)と並ぶ弥生時代の集落遺跡で、堺市域では最大規模を誇る(浜寺中学校造成と第二阪和国道敷設工事のため遺跡としての形はとどめていない)。1989年には国の史跡に指定された。このほか、石津川流域の下田町や鶴田町でも、竪穴住居跡を中心とする集落や土器・金属器などが出土している。
古墳時代(ヤマト王権の重要地)[編集]
古墳時代には、泉北丘陵を中心に須恵器の生産が行われた。生産は奈良時代を経て平安時代まで続いた。泉北ニュータウン周辺や信太山丘陵にかけて須恵器の釜跡などの遺跡が点在しており、「陶器」「釜室」などの地名が現在も残る。ヤマト王権成立後は大仙陵古墳など大小100数基の百舌鳥古墳群が造られた。
神功皇后が三韓征伐からの帰途、七道の浜に寄り、地元の豪族の田蓑宿禰に津守氏の姓を与え、住吉三神を祀るように告げたという(住吉大社の起源)。
飛鳥時代(難波大道と交通網)[編集]
飛鳥時代になると、難波宮、難波京や難波津から四天王寺を経て上町台地を南北に貫く難波大道と、飛鳥の都と方違神社を東西に結ぶ丹比道(竹内街道の前身)、大津道(長尾街道の前身)が整備される。奈良時代から室町時代にかけて、これらの街道沿いの美原区大保(丹南)や北区金岡・東区日置荘周辺には河内鋳物師と呼ばれる人たちが多く住んでおり、東大寺再興や鎌倉大仏の鋳造などで活躍した。
平安時代・鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)[編集]
平安時代には熊野詣の宿として境王子と大鳥居王子が設置された。鎌倉時代には京都、奈良など後背都市の産業を背景に南北の堺荘が成立。
南北朝時代(南朝と勘合貿易)[編集]
南北朝時代には、南朝(吉野朝廷)方の住吉大社宮司の津守氏に関係して南朝の外港的役割を担うようになり、廻船が発着する港へと発展した。地下請の特権を得て、室町時代には足利将軍家や三管領の細川氏などが行った日明貿易(勘合貿易)の拠点となる。戦国時代には明やルソン・カンボジアなど東南アジア方面での貿易で栄えた。
室町時代・戦国時代(東洋のベニス)[編集]
応仁・文明の乱以後、それまでの兵庫湊に代わり堺は日明貿易の中継地として更なる賑わいを始め、琉球貿易・南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる国際貿易都市としての性格を帯びる。布教のため来日していたイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた。この文章によって、堺の様子は当時の世界地図に掲載されるほどヨーロッパ世界に認識されることとなる。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもまた、マラッカの司令官宛に「堺は日本の最も富める湊にして国内の金銀の大部分が集まるところなり」と報告、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している。なお、江戸時代に宿屋町の十間筋付近(当時の大黒町。現在の宿屋町東2丁)が「るいすの町」と俗称されており、フロイスが堺に4年ほど滞在した地と言われている。
安土桃山時代(自治都市)[編集]
安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成。会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、中世の自治都市となるが、その価値に注目した織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服。自治機能が解体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれる。その後、秀吉が大坂城を築き、城下町が開発されるに伴い堺商人の多くが大坂へ強制移住させられたため、堺の都市機能は著しく低下した。同様に全国各地の城下町にも堺商人が移り住むようになる。産業面では戦国期より鉄砲生産が盛んに行われ、また文化面では今井宗久や千利休、津田宗及に代表される茶の湯などが特記される。特に信長から武装解除された橿原市の今井町との交流は深く、竹内街道を通じ江戸時代まで毎日行き来した。「海の堺」に対し「陸の今井」と呼ばれ、堺同様に自治都市として栄えた。
江戸時代(近世都市の源)[編集]
江戸時代には堺奉行が置かれ、糸割符など保護を受けるが、鎖国の成立とともに経済の中心は大坂へ移り、管轄も大坂町奉行が兼任する。1704年には大和川の付け替え工事が行われ、陸続きであった堺と住吉が分断された。しかも、この開削により河口付近に多量の土砂がたまったため、堺港に大きな船が停泊できなくなった。これにより、港湾機能も縮小せざるを得なくなった。
しかし、中世の自由都市堺と、江戸初期の堺の財力は莫大なものがあり、それが後世の日本に与えた影響は莫大である。中世の日本において一貫して大都市といえるのは京都だけであり、当時陸運の便利がよい京都に商人が集中していた。一方で堺は積極的に海運のため、全国の主に海岸の中小都市に莫大な投資を行った。その当時既に繁栄していた博多、鹿児島、大分などはともかく、それ以外の全国の多くの都市について、その発展の基礎部分に中世の堺商人の投資が大きな影響を与えているともいえ、それは大阪、名古屋、東京なども例外ではない。
江戸時代後期からそれ以降(工業都市)[編集]
江戸時代でも後期に入ると、醸造業などが栄えた影響で再度活気を取り戻すようになる。幕末になり、欧米列強が大坂の開港を要求すると、大坂が京都に近いことを理由に堺がその代港候補に挙がる。だが幕府内の勤皇派は、堺周辺には古墳が多いため、堺を開港地にすると外国人が無断で古墳に出入りする可能性があると指摘。そのため、第二候補であった兵庫(神戸)が開港地に選ばれた。この結果、堺は中世以来の国際貿易港への復帰の道を閉ざされ、その座を神戸に明け渡すことになった。明治以降は、紡績や煉瓦産業を中心に次第に工業都市へと変貌を遂げていき、阪神工業地帯の一角を占める経済的地盤を作り上げていく。また、戦後の高度経済成長期以降は大阪都市圏の発展・膨張とともに、泉北ニュータウンの開発に代表されるような、大阪市のベッドタウンとしての側面も兼ね備えるようになった。
なお、堺市の町名には「○丁目」の「目」がつかない。1872年の町名改正で、改正前までは独立していた小さな町を「○○東一丁」や「○○西一丁」などに変更し、「丁」に「町」と同格の意味合いを持たせたことに由来する。以後、周辺の町村を合併し市域に編入したが、町を細分する場合も前例に倣い「丁目」を使わず、美原区を除く市内全域が「丁」で統一されている。
年表[編集]
古代[編集]
- 5世紀 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)が造られる。
- 5世紀 ヤマト王権が茅淳県・大鳥県を設置する。
- 613年 竹内街道が開通。
- 704年 行基が生家を家原寺とする。
- 713年 河内国から摂津国が分離する。
- 757年 河内国の大鳥郡・和泉郡・日根郡が独立、和泉国ができる。
- 934年 紀貫之の『土佐日記』に「いしづ(石津)」の表記がみられる。
- 1054年 藤原定頼の歌集に「さか井」の名が現れる。
中世[編集]
- 1231年 小谷城が築城される。
- 1336年 堺北荘が住吉神社(現在の住吉大社)領となる。
- 1337年 大魚夜市が始まる。
- 1338年 北畠顕家が足利軍と戦い石津で戦死。
- 1399年 応永の乱で幕府軍が堺城を攻め大内義弘が戦死。
- 1476年 第1回遣明船が堺港から出発する。
- 1502年 金魚が明から堺へ輸入される。
- 1543年 堺で鉄砲生産が始まる。
- 1550年 フランシスコ・ザビエルが堺を訪れる。
近世[編集]
- 1568年 織田信長が軍用金2万貫を課す。会合衆は拒否するが攻撃され屈服。
- 1570年 織田信長が松井友閑を堺政所に任命(堺奉行の前身)。
- 1586年 石田三成が堺政所になる。
- 1588年 豊臣秀吉が環濠の土居川を埋めさせる。
- 1591年 豊臣秀吉により堺へ追放された千利休が自害。
- 1596年 慶長の大地震で600人以上が死亡。
- 1604年 堺商人が糸割符年寄に任ぜられ、朱印船貿易が許される。
- 1615年 大坂夏の陣で豊臣方の大野治胤による焼き討ちに遭い全焼する。
- 1615年 江戸幕府の直轄地となり堺奉行が置かれる。
- 1615年 元和の町割により市街地を北・東・南へ拡張し、土居川再築。
- 1684年 堺最初の地誌『堺鑑』が刊行される。
- 1696年 堺奉行が廃止され、大坂町奉行の管轄になる。
- 1702年 堺奉行が再び置かれる。
- 1704年 大和川が付け替えられる。
- 1854年 安政南海地震津波で堺港が打撃を受ける。
- 1863年 天誅組が堺港に上陸する。
- 1867年 堺奉行が廃止され、大坂町奉行が堺を管轄。
近代[編集]
- 1868年 堺事件が起きる。
- 1868年 堺県を設置する。
- 1870年 鹿児島藩が日本の近代紡績工場第1号となる戎島紡績所を開設。
- 1870年 工部省が鉄道寮堺煉瓦製造所を設立(日本で最初の煉瓦工場)。
- 1873年 日本初の公園となる浜寺公園が開園。
- 1875年 堺県が奈良県を併合する。
- 1876年 南宗寺境内で堺博覧会を開く。
- 1877年 明治天皇が堺に行幸し、熊野小学校などを視察する。
- 1877年 大浜灯台が完成。
- 1879年 郡区町村編制法により堺区(堺市の前身)が設置される。
- 1881年 堺県が大阪府に併合される。
- 1888年 阪堺鉄道(南海電気鉄道の前身)の難波 - 堺間開通。
- 1888年 大阪農学校(大阪府立大学の前身)が開校。
- 1889年4月1日 市制施行により堺市へ移行(最初に施行した31市に名を連ねた)。
- 1892年 旧堺奉行所跡に堺市役所ができる。
- 1894年 大鳥郡向井村大字七道を編入。
- 1895年 幕末に築かれた南台場跡が大浜公園として整備される。
- 1895年 堺市章を制定。
- 1897年 南海鉄道(阪堺鉄道が社名変更)の堺 - 佐野間開通。
- 1898年 高野鉄道(現在の南海高野線)の大小路(現在の堺東) - 狭山間開通。
- 1900年 高野鉄道の道頓堀(現在の汐見橋) - 大小路間開通。
- 1903年 大浜公園が第5回内国勧業博覧会の第2会場となる(第1会場は天王寺公園)。
- 1903年 大浜公園内に堺水族館が開館。
- 1905年 浜寺にロシア兵俘虜収容施設ができる。
- 1906年 浜寺海水浴場が開場する。
- 1907年 南海鉄道の浜寺駅(当時)駅舎が完成(後に東京駅を設計した辰野金吾博士による)。
- 1910年 天王貯水池と浅香山浄水場が造られ、上水道が整備される(全国で18番目、大阪府では大阪市に次いで2番目)。
- 1911年 阪堺電気軌道の恵美須町 - 浜寺間と大浜支線宿院 - 大浜海岸間開通。
- 1913年 大浜公会堂内に大浜潮湯が開業。
- 1916年 堺市立図書館(旧館)が開館。
- 1920年 大阪市北区野崎町にあった堀川監獄(現在の扇町公園)が堺市に移転、大阪刑務所となる。
- 1920年 泉北郡向井町・湊町を編入。
- 1920年 第1回国勢調査(堺市の人口は8万4995人)。
- 1922年 堺(大浜海岸) - 徳島(小松島市横須海岸)間に日本初の民間定期航空便が就航。
- 1923年 堺市公民病院(現在の市立堺病院)が開院。
- 1925年 泉北郡舳松村を編入。
- 1926年 泉北郡三宝村を編入。
- 1927年 阪堺大橋が完成する(大和川に橋が架かったのは大和橋以来220年ぶり)。
- 1929年 阪和電鉄(現在のJR阪和線)の天王寺 - 和泉府中間開通。
- 1930年 遠里小野橋が架設される。
- 1931年 全国初の市史となる『堺市史』が完成。
- 1931年 阪堺電鉄の芦原橋 - 浜寺間開通。
- 1932年 陸軍の騎兵隊・輜重隊兵舎(現在の長尾中学校)、陸軍病院(現在の大阪警察学校)、練兵場(現在の金岡公園)が大阪市東区山小橋町・法円坂町から金岡村(当時)へ移転。以後、通称金岡連隊基地として大阪南部の軍事拠点となる。
- 1932年 昭和天皇が堺に行幸し、堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を視察する(「三国ヶ丘御幸通」の地名はこの行幸に由来)。
- 1932年 大美野田園都市が町開き。
- 1936年 南海鉄道が創業50周年事業として中百舌鳥総合運動公園を開設。
- 1937年 大和川大橋が架設される。
- 1938年 泉北郡神石村・五箇荘村・百舌鳥村・南河内郡金岡村を編入。
- 1938年 光明池(人工の灌漑貯水池)が完成。
- 1939年 室戸台風が堺市を直撃。300人超の死者が出る。
- 1939年 大阪帝国大学(当時)産業科学研究所が浅香山に設立される。
- 1942年 泉北郡浜寺町・鳳町・踞尾村・八田荘村・深井村・東百舌鳥村を編入。
- 1944年 阪堺電鉄が大阪市に買収され、大阪市電三宝線になる。
- 1944年 堺市役所が堺東に移転する。
- 1945年 近鉄大浜線(当時)宿院 - 大浜海岸間休止(正式に廃止となったのは1980年)。
- 1945年7月10日 堺大空襲。死者1800人を超える。堺駅周辺の龍神地区や宿院、大浜公園などに大きな被害が出る。
現代[編集]
- 1947年 浜寺公園と金岡連隊基地跡がアメリカ軍に接収される(それぞれ浜寺キャンプ、金岡キャンプとなる)。
- 1948年 堺(鉢ヶ峯)公園墓地ができる。
- 1950年 ジェーン台風が堺市を直撃。
- 1955年 市民運動によって、いたすけ古墳の保存が決まる。
- 1956年 日本初の住宅公団による団地、金岡団地の入居開始。
- 1956年 浅香山浄水場のツツジの一般公開(通り抜け)が始まる。
- 1957年 南河内郡北八下村(大字河合を除く)を編入。
- 1958年 南河内郡南八下村(西部)・日置荘町を編入。
- 1958年 浜寺公園と金岡連隊基地跡がアメリカ軍から返還。金岡連隊基地跡は金岡公園として整備される。
- 1958年 堺泉北臨海工業地帯の造成開始。
- 1959年 泉北郡泉ヶ丘町を編入。
- 1960年 向ヶ丘団地の入居開始。最寄り駅として津久野駅が設置される。
- 1961年 八幡製鐵(後の新日鐵住金)堺製鐵所が設立。臨海部の工業化が開始される。
- 1961年 第二室戸台風が堺市を直撃。
- 1961年 泉北郡福泉町を編入。
- 1961年 南海電鉄が「浜寺ヘルスセンター」開設。
- 1961年 与謝野晶子の歌碑が生家跡にできる。
- 1962年 浜寺海水浴場が閉鎖される(堺市内の海水浴場がなくなる)。
- 1962年 南河内郡登美丘町を編入。
- 1963年 堺市民憲章を制定。
- 1963年 浜寺公園プールが完成。
- 1964年 天王貯水池が閉鎖。
- 1965年 堺市民会館が開館。
- 1965年 戦災復興事業が終わる。
- 1966年 泉北ニュータウン着工。
- 1966年 金岡ニュータウン(新金岡団地)が街開き。
- 1966年 土居川の埋め立てが始まる。
- 1967年 バークリー市と初の姉妹都市提携。
- 1967年 八田荘団地が完成する。
- 1968年 大阪市電三宝線が廃止。市営バスに転換される。
- 1968年 大浜灯台が廃止。
- 1968年 大阪大学産業科学研究所が茨木市に移転(跡地は住宅公団に売却され浅香山団地に)。
- 1969年 堺港と泉北港が統合され、堺泉北港になる。
- 1970年 阪神高速道路堺線が開通。
- 1971年 泉北高速鉄道の中百舌鳥 - 泉ヶ丘間開通。
- 1971年 堺市立図書館(現在の中央図書館)が大仙公園に移転。
- 1971年 大仙公園に平和塔が完成。
- 1971年 国立泉北病院が開院(現在の近畿大学医学部堺病院)。
- 1972年 大泉緑地が開園。
- 1972年 泉北ニュータウンに「青少年の町(ヤングタウン)」ができる。
- 1973年 泉北高速鉄道の泉ヶ丘 - 栂・美木多間開通。
- 1974年 堺まつりが始まる。
- 1975年 吾彦大橋が架設される。
- 1975年 堺市民オリンピックが始まる。
- 1976年 第二阪和国道の堺 - 高石間開通。
- 1976年 大阪女子大学が大阪市の帝塚山から移転(現在は大阪府立大学と統合)。
- 1977年 泉北高速鉄道の栂・美木多 - 光明池間開通。
- 1979年 市制90周年。
- 1980年 堺市博物館が開館。
- 1981年 大阪府立障害者交流促進センター(ファインプラザ大阪)開設。
- 1982年 阪神高速道路湾岸線の南港北 - 三宝間開通。
- 1982年 台風10号が堺市を直撃。大和川が氾濫し、大きな被害が出る。
- 1983年 全国初の政治倫理条例を制定。
- 1983年 連雲港市と友好都市提携。
- 1985年 南海本線の大和川 - 石津川間高架化。
- 1986年 第37回全国植樹祭が大仙公園で開催。
- 1986年 陶器山トンネルが開通。泉北ニュータウンと狭山ニュータウンが繋がる。
- 1987年 地下鉄御堂筋線が中百舌鳥まで延伸。
- 1987年 阪神高速道路湾岸線の三宝 - 出島間開通。
- 1987年 南大阪地域地場産業振興センター(じばしん南大阪、現在の堺市産業振興センター)開設。
- 1989年 市制百周年記念「オランダフェスティバル・ダッハらんど」開催。
- 1989年 阪和自動車道の松原JCT - 美原北IC 間開通。
- 1991年 阪和自動車道の美原北IC - 堺IC間開通。
- 1991年 堺泉北有料道路の供用開始。
- 1993年 阪和自動車道の堺IC - 岸和田和泉IC間開通。
- 1993年 阪神高速道路湾岸線の出島 - 助松間開通。
- 1994年 ウェリントン市と姉妹都市提携。
- 1995年 さかいハートフルランドが始まる。
- 1996年 中核市へ移行。
- 1996年 堺市の小学校33校で病原性大腸菌O157による集団食中毒が発生。
- 1996年 市立堺病院が移転、新装開院。
- 1998年 南海本線の浜寺公園駅と諏訪ノ森駅が、国の登録有形文化財に登録される。
- 1999年 第23回全国育樹祭が大仙公園と蜻蛉池公園(岸和田市)で開催。
- 1999年 大型児童館「ビッグバン」開館。
- 2000年 「世界民族芸能祭」が堺旧港と大仙公園で開催。
- 2000年 龍女神像(乙姫像)が旧堺港小波止(北波止)に復元。
- 2001年 国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)開設。
- 2001年 「ヤングタウン」が閉鎖。
- 2004年 南阪奈道路の供用開始。
- 2004年 さかい新事業創造センター開設。
- 2005年2月1日 南河内郡美原町を編入。
- 2006年4月1日 政令指定都市移行、区制施行。
- 2009年10月1日 世界最大級のシャープ堺工場が操業。
- 2014年 堺市民会館閉館
「堺町」のある都市[編集]
堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っている。
- 「堺町」もしくは「堺丁」がある都市 - 岸和田市、大和郡山市、和歌山市、姫路市、津山市、倉吉市、広島市、高知市、北九州市(旧小倉市)、京都市
- 「栄町」もしくは「栄」がある都市 - 会津若松市、甲府市、金沢市、福井市、静岡市、浜松市、名古屋市、岐阜市、彦根市、岡山市、浜田市、徳島市、北九州市(旧門司市)、久留米市、鹿児島市
- 「堺筋」がある都市 - 大阪市、富田林市
- 備考
堺空襲[編集]
1945(昭和20)年当時、日本には180の都市があり、うち58都市がアメリカ軍による空襲を受けた。アメリカ軍は180都市を人口の多い順に空襲する作戦をとり、堺市は人口18万人で空襲順位は24位であった。広義の「大阪大空襲」で着弾目標地点が置かれたのは大阪市(空襲順位2位)と堺市、尼崎市(同25位)のみである。アメリカ軍は堺市を空襲都市に選んだ理由を「堺の主要価値は大阪市に近接していて、その工業が大阪市と統合されていることである。また、この都市は大阪の軍需工場の労働者に住宅を提供している。大阪の工場に打撃を与えるために、堺の軍需工場は疎開可能箇所として重要である」(アメリカ軍の作戦任務報告より)としているが、実際は非戦闘員を目標にした無差別爆撃であった。被害は工場より民家に集中した。
- 3月13日・14日 - 第1次堺空襲(第1次大阪大空襲):B29焼夷弾
- 6月15日 - 第2次堺空襲(第4次大阪大空襲):B29焼夷弾
- 6月26日 - 第3次堺空襲(第5次大阪大空襲):B29焼夷弾
- 7月10日 - 第4次堺大空襲(第6次大阪大空襲):B29焼夷弾、着弾点を初めて堺に置く
- 8月10日 - 第5次堺空襲:艦載機・機銃掃射
市町村合併・政令指定都市への移行[編集]
2005年2月1日に東隣の美原町を編入合併した。この編入合併によって政令指定都市の実質上の要件である80万人を超えたため、2006年4月1日に政令指定都市へ移行した。
なお、隣接する高石市や大阪狭山市との合併も検討していたが、2003年に高石市で合併の是非を問う住民投票が行われ、反対多数により堺市との合併問題研究協議会は解散。大阪狭山市では合併協議会設置が議会で否決された。しかし、合併はならなかったが、高石市とは現在も消防事業は共同で行っており(堺市消防局)、大阪狭山市内には堺市の飛び地が存在する。また、高石・大阪狭山両市とは市外局番が同じ(072局・堺MA)である。
複数の政令指定都市が存在する都道府県は、これまでにも神奈川県(横浜市、川崎市、後に相模原市)、福岡県(福岡市、北九州市)の2つだけしかなく、堺市の政令指定都市移行により、全国3府県目の事例となった。その後、静岡県(静岡市、浜松市)も加わり現在は4府県となっている。また、都道府県内の人口占有率が1割に満たない初めての例であり、2010年4月に移行した相模原市が2例目となる。
政令指定都市への道のり[編集]
黎明期
- 1956年 政令指定都市制度が施行。
- 1961年 河盛安之介市長が、臨海工業地帯の造成と泉北丘陵の開発を柱とする「100万都市構想」を発表(事実上の政令指定都市昇格目標宣言)。
- 1963年 人口が40万人を超える。
胎動期(合併で移行めざす)
- 1966年 和泉市の横田礒治市長が、5市合併で政令指定都市になった北九州市を手本にした「泉北合併都市構想」を発表。堺市・泉大津市・和泉市と高石町(当時)・忠岡町の3市2町の大合併で政令指定都市移行を目指す。大阪府も合併を勧告。
- 1966年 河盛市長が合併構想を受け、泉北3市2町に加え松原市・羽曳野市・富田林市・河内長野市・美陵町(当時)・狭山町(同)・美原町(同)を含めた「広域都市構想」を発表。
- 1966年 堺市・泉大津市・和泉市の3市議会が合併案を議決。3市による合併協議会が設立(高石町は単独市制施行の道を選び、忠岡町は合併の利点がないとして加わらず)され、3市長も合併協定書に調印。
- 1966年 泉大津市の久保泰雅市長(社会党)と市議6人が合併汚職で摘発。
- 1967年 泉大津市の久保市長が辞任。その後行われた市長選で、合併反対派の茶谷徳松が当選。
- 1967年 泉大津市・和泉市で合併反対運動が激化。大阪府が合併不認可を表明し、3市合併は白紙に。
- 1967年 人口が50万人を超える。
模索期(合併白紙の余波)
- 1971年 河盛市長が引退。民社党などが推した土師半六が市長に当選。
- 1972年 人口が60万人を超える。
- 1972年 土師市長、浪速医科大学(仮称、不認可)誘致にからんだ汚職事件で逮捕。出直し選挙で我堂武夫が市長に当選。
- 1974年 人口が70万人を超える。
発展期(合併せず単独で移行めざす)
- 1976年 堺市が庁舎問題等審議会を設置。
- 1976年 我堂市長が政令指定都市昇格を正式に表明。
- 1983年 人口が80万人を超える。
- 1983年 堺市が指定都市準備室を設置。
- 1983年 堺市議会が指定都市問題対策特別委員会を設置。
- 1983年 仙台市・千葉市・堺市の3市で「事務連絡協議会」設立。3市揃っての政令指定都市移行を目指す。
- 1984年 田中和夫が市長に当選。
- 1986年 人口が81万9000人となり過去最高を記録。以後減少に転じる。
混迷期(支所制度の導入)
- 1989年 田中市長が急死。幡谷豪男が市長に当選。
- 1991年 市内を6地区に分割した支所制度を導入。支所区域名称選定委員会が「堺・中・東・西・南・北」を選定。
- 1991年 堺市役所高層館が完成。
- 1992年 東百舌鳥出張所(大野芝町)、深井出張所(深井中町)、八田荘出張所(八田寺町)、泉ヶ丘出張所(東山)を廃止して、中支所(深井沢町)が開所(実質的に深井出張所が中支所に昇格)。
- 1993年 堺商工会議所が堺市指定都市問題懇話会設立。
- 1993年 堺市が東京事務所を開設。
- 1994年 堺市が指定都市対策室を設置。
- 1995年 上神谷出張所(片蔵)、美木多出張所(美木多上)、泉北ニュータウン東出張所(茶山台)、泉北ニュータウン中出張所(原山台)、泉北ニュータウン西出張所(鴨谷台)を廃止して、南支所(桃山台)が開所(実質的に泉北ニュータウン中出張所が南支所に昇格)。
- 1995年 堺市・美原町広域行政課題連絡協議会設置。
転換期(中核市へ移行)
- 1996年 中核市制度施行。中核市へ移行した12市(宇都宮市、新潟市、富山市、金沢市、岐阜市、静岡市、浜松市、堺市、姫路市、岡山市、熊本市、鹿児島市)のうち、堺市は最大の人口を擁する都市として、「第1回中核市サミット」の開催地に選ばれる。
- 1996年 堺市指定都市問題懇話会が改組され、堺市指定都市推進協議会を設立。
- 1996年 浜寺出張所(浜寺諏訪森町中)、鳳出張所(鳳東町)、津久野出張所(津久野町)、福泉出張所(草部)を廃止して、西支所(鳳東町)が開所(実質的に鳳出張所が西支所に昇格)。
- 1997年 人口が80万人を割る。
- 1997年 南八下出張所(菩提町)、日置荘出張所(日置荘西町)、登美丘出張所(大美野)を廃止して、東支所(日置荘原寺町)が開所(実質的に日置荘出張所が東支所に昇格)。
- 2000年 五箇荘出張所(新堀町)、金岡出張所(金岡町)、百舌鳥出張所(百舌鳥赤畑町)、北八下出張所(中村町)、新金岡出張所(新金岡町)を廃止して、北支所(新金岡町)が開所(実質的に新金岡出張所が北支所に昇格)。
- 2000年 神石出張所(石津町)を廃止して、堺市役所旧本館に堺支所(南瓦町)が開所(実質的に本庁への統合)。6支所体制が完成する。
進展期(再び合併で移行めざす)
- 2001年 国の「合併支援プラン」で「2005年3月までに大規模な合併が行われた場合には、政令指定都市の弾力的な指定を検討する」と緩和の方向が打ち出される。
- 2001年 木原敬介が市長に当選。
- 2002年 堺市・高石市合併問題研究協議会を設置。
- 2003年 高石市、大阪狭山市、美原町に合併を申し入れ。
- 2003年 堺市・美原町合併協議会を設置。
- 2003年 高石市長選で合併反対派の阪口伸六が当選。堺市・高石市合併問題研究協議会が解散。
- 2003年 大阪府と堺市が「政令指定都市移行連絡準備会議」を設置。
- 2004年 堺市役所新庁舎(本館)が完成。堺支所が移転する。
- 2004年 大阪府と堺市が「政令指定都市移行連絡会議」を設置。
- 2005年2月 美原町を編入合併(美原支所設置)。人口が80万人を超える。
- 2005年3月 堺市議会が「堺市の政令指定都市の実現に関する意見書」を可決。
- 2005年5月 大阪府と「事務移譲等に関する確認書」を締結。
- 2005年5月 大阪府議会が「堺市の政令指定都市の指定に関する意見書」を可決。
- 2005年10月 政令指定都市移行が閣議決定。
- 2005年12月 区名が正式決定。
- 2006年4月 政令指定都市移行・区制(堺区・中区・東区・西区・南区・北区・美原区)施行。
行政[編集]
市長[編集]
- 竹山修身(たけやま・おさみ) - 任期:2009年10月8日 - 2013年10月7日
歴代市長[編集]
- 任命市長
- 一樋作兵衛(1889年4月 - 1893年8月)
- 北田豊三郎(1893年10月 - 1896年2月)
- 大西五一郎(1896年2月 - 1905年10月)
- 宮本通義(1906年3月 - 1910年2月)
- 斉藤研一(1910年11月 - 1912年12月)
- 熊野秀之輔(1913年1月 - 1917年1月)
- 斉藤研一(1917年6月 - 1926年11月)
- 森本仁平(1926年12月 - 1933年1月)
- 名誉職市長 - 無給奉仕の市長
- 河盛安之介(1933年4月 - 1946年5月)
- 公選市長
名誉市民[編集]
- 河盛安之介(市長)
- 我堂武夫(市長)
行政区[編集]
①堺区 | ②北区 | ||
③ 西区 | ④中区 | ⑤東区 | ⑥美原区 |
⑦南区 |
次の7区が設置されている。詳細は各区の項を参照のこと。
行政区施行に伴い、堺市議会(定数52、法令定数より4人少ない)および大阪府議会の旧堺市選挙区(定数10)は、以下のように分割された。
市議会 | 府議会 | |
---|---|---|
堺区 | 9 | 2 |
中区 | 8 | 1 |
東区 | 5 | ½ |
西区 | 8 | 2 |
南区 | 10 | 2 |
北区 | 9 | 2 |
美原区 | 3 | ½ |
½: 東区と美原区で定数1
産業[編集]
主な商業地[編集]
堺区中心部[編集]
小規模ではあるが堺市の繁華街とされ現在は高島屋、堺銀座商店街、ジョルノを中心に数多くの商店が集積している地域である。かつてはダイエー、イズミヤ、長崎屋、ニチイ、ユニードなど数多くの総合スーパーが堺東駅前に集積していたが、バブル崩壊とともにその多くの店舗が相次いで閉店し、かつての賑わいは衰退している。
- 高島屋
- 1964年、大阪市外で最初の百貨店として開店。堺東駅ビルの改築工事の一環として入居した。1984年に開業20周年を迎え店内を改装。店舗を拡張して「アップル専門店街」を併設した。以後、高島屋とアップル専門店街で「堺タカシマヤショッピングセンター (SC) 」を構成する。2002年にアップル専門店街を高島屋が統合する形で新たな「高島屋堺店」となり、ソフマップをテナントに入れるも2年で撤退。現在はユニクロやABCマートなどをテナントに入れており、最上階にはハローワークが入居している。なお地下レストラン街は、現在もアップルの名称やロゴ(upル)をそのまま使用している。
- ジョルノ
- 戦後の闇市を起源とする「堺中央マーケット」の老朽化が進んだため、1981年に行政と組合が開発主体となり再開発ビル「ジョルノ」として生まれ変わった。開業以来、核店鋪にはダイエーが入居していたが2001年に閉店。その後、核テナントとして生鮮館PASTO、キャップ書店、ダイソーなどが入居していたがいずれも2011年で閉店した(ハローワークも入居していたが、2011年に高島屋堺店の最上階に移転)。堺東駅とはペデストリアンデッキで結ばれている。
- 堺銀座商店街
- 明治時代に高野鉄道が開通した時からある古い商店街。戦中、堺東に市役所など官庁が移転してきたことや、旧市内の商店が空襲に遭い打撃を受けたことで、堺の中心商店街としての地位が高まった。1953年にアーケード(ビニール式)が完成。1988年にはモスク型のアーケードに生まれ変わった。ここ数年は、堺市の支所制度導入に伴う堺東の地位低下や郊外型ショッピングセンターの開業が相次いだこともあり、かつてのようなにぎわいはない。人気フォークデュオ、コブクロがインディーズ時代に路上ライブを行っていた地でもある。一時、空きビルに場外馬券場を誘致しようという動きがあったが、住民の反対運動により計画は潰れた。
- 宿院駅
- 江戸時代から宿院頓宮と開口神社の鳥居前町として栄えた。明治時代には劇場街となり、なかでも「卯の日座」は堺最大の劇場として有名だった。1891年には新派の川上音二郎一座が書生芝居の旗揚げ興行を行ったほか、曾我廼家五郎も一座を旗揚げ後、「卯の日座」で最初の興行を行った。山之口商店街は、戦前までは「堺の心斎橋」と称され、「電気館」など映画館も数多くあり大いににぎわったが、戦後は衰退の一途である。また、大小路筋を挟んで北側の通称「天神」は、菅原神社の鳥居前町として歓楽街を形成。現在も飲食店が軒を連ねる。
- 堺駅
- 1985年に現在地に移転、高架駅となるまでは、現在の南口に駅舎があった。1986年にイトーヨーカドーが駅前に出店(関西1号店)したが2011年2月13日に閉店。駅ビルに隣接する商業ビルは、入居する核テナントの誘致計画(西武百貨店やダイエー系のプランタンなど)がことごとく頓挫し、高架駅にしては不釣合いな駅舎のまま長年放置されていた。結局、南海電鉄がミドリ電化や紀伊国屋書店(旭屋書店を経て、現在はTSUTAYA)、食品スーパーのエース新鮮館などからなる自前の複合商業施設「PLATPLAT(プラットプラット)」を2000年に開業した。1993年には西口にリーガロイヤルホテル(現在のホテル・アゴーラ リージェンシー堺)が開業。大阪市営バスも乗り入れるようになった。
堺区・北区[編集]
(北区)
西区[編集]
中区[編集]
南区[編集]
- 泉ヶ丘駅
- パンジョ(高島屋)、ショップタウン泉ヶ丘、ジョイパーク泉ヶ丘(トイザらス・ベビーザらス、しまむら)
- 栂・美木多駅
- ダイエー、クロスモール(イズミヤ、TOHOシネマズ)
- 光明池駅
- アクト、サンピア、(ダイエー、イオン、コムボックスの所在地は和泉市)
(東区)
中百舌鳥副都心計画[編集]
1982年に発表された大阪府の総合計画で、豊中市の千里中央、東大阪市の荒本とともに、堺市の中百舌鳥が「大阪府の新都心」として位置付けられることになった。1983年には堺市も総合計画を発表し、中百舌鳥を「堺市の副都心」として位置付けた。ちょうど中百舌鳥にあった日本ピローブロック製造の本社工場が美原町(当時)に移転することになり、その跡地に大規模商業施設を誘致することも計画に盛り込まれた。同時に堺市役所の本庁機能の中百舌鳥移転も計画されたが、現本庁のある堺東駅周辺の商店会などから、同駅周辺の経済が地盤沈下することを理由に強い反対を受けて頓挫している。1987年4月に地下鉄御堂筋線が中百舌鳥まで延伸されたことを機に区画整理事業が始まった。大規模商業施設への出店を募ったところ、そごう、西武百貨店、阪急百貨店などが入札に参加した。設計競技段階では西武が落札したが、駅周辺の土地を先行取得していたそごうが西武への土地提供を拒否。「そごう所有地」の看板を掲げて、西武と縄張り争いのようになった。一方、堺市はなかなか進まない事業を後押しするため1991年、「第三次堺市総合計画」で、改めて中百舌鳥を新都心として位置付けるなど事態の収拾に乗り出したが、1992年に西武は「業績悪化」を理由に中百舌鳥進出を断念。事業からの撤退を表明した。バブル崩壊により、そごうも1993年、中百舌鳥からの撤退を表明。再開発事業は失敗に終わった。その後、西武とそごうは「ミレニアムリテイリンググループ」(→そごう・西武)として経営統合され、現在に至る。堺市にとっては何とも皮肉な結果となった。これらの経緯から、近年まで中百舌鳥駅北側は更地が多かったが、2002年になって駅前にロータリーが完成した。大規模計画がすべて頓挫したことによって、駅周辺には無秩序にマンションや商業ビルが林立している。
都市再生緊急整備地域[編集]
都市再生の拠点として国が定めたもので、都市開発事業などを通じて重点的に市街地整備を推進すべき地域とされている。堺市内では以下の3地域が指定されている。
- 堺臨海地域
- 新日本製鐵堺製鐵所の高炉休止・事業所縮小(1990年)によって生じた遊休地を開発する計画。堺市は「臨海新都心」(愛称・堺浜)と位置づけ、マリーナ、海とのふれあい広場、干潟などを整備している。2006年3月21日に「堺浜シーサイドステージ」の第1期工事が完成。シネコンなどを備えた大型複合施設(堺浜えんため館)も同年4月15日に開業した。また、2010年には天然芝のサッカーグランドやクラブハウス、宿泊施設を備えた西日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンター「J-GREEN堺」が完成した。将来的にはLRTの乗り入れも検討されており、堺製鐵所の敷地内には「トランスロール」堺浜試験線が引かれている。なお、新日本製鐵は当初、堺製鐵所の遊休地にアメリカのユニバーサルスタジオを誘致することでユニバーサル社と話を進めていた。かねてより日本進出を目論んでいたユニバーサル社と北九州市のスペースワールドを開業したノウハウを持つ新日本製鐵の思惑が合致したためだが、交通の便の悪さを理由に合意が得られなかった。
- 堺東駅西地域
- 大きく3地区の開発計画がある。(1)裁判所庁舎の建て替え工事など官庁街の整備、(2)銀座商店街南側に市民ホールなどを備えた再開発ビル建設、(3)(西地域ではないが)駅東側の車庫跡に高層マンション建設、である。このうち、(3)は完成、(1)も一部が完成している。堺東駅前はジョルノが1981年に開業して以来、市役所を除いてほとんど変化がない。むしろ寂れる一方で、1990年代にはスーパー(長崎屋・イズミヤ・ニチイ)の撤退が相次いだ。堺市の玄関駅でもあり、最も開発が急がれている地域である。
- 鳳駅南地域
- 東急車輛工場跡地に、高層マンションとシネコンなどが入った大型複合商業施設「アリオ鳳」(イトーヨーカドーが中核)が完成した。反面、鳳駅は阪和線でも重要な駅の一つだが「駅前」と呼べるものがないに等しく、今後は駅前ロータリーの整備が検討されている。
伝統産業[編集]
- 堺刃物(包丁など)
- 堺の刃物は堺打刃物と呼ばれ、高い技術で有名である。堺の包丁は料理人などが使う業務用包丁のシェアは9割を超えるが、一般用包丁では1割未満である。これは錆びないステンレス製の包丁が広まり、手入れのかかるものは使われなくなったためである。昨今では、世界の有名シェフが使っていることから、海外での人気も高まっている。
- 堺線香
- 堺の線香の生産量は戦前まで3割以上のシェアを占めており、全国一だった。しかし、戦後は中国などからの安価な輸入品や他業種の新規参入などで徐々に減り、最近ではシェアは12 - 13%、年間生産量は約1,000トン、年間生産額は約30億円で推移している。事業所数も戦前は市内に60か所以上あったが、今は約15か所となっている。これは家庭などから仏壇が消えて消費量が減ったことも一因である。
- 堺五月鯉幟
- 堺和ざらし浴衣
- 堺昆布(酢昆布など)
- 堺土人形
- 自転車
- 家具・木材(大阪木材工場団地)
- 堺式手織緞通(敷物、日本敷物団地)
- 和菓子
- 地酒
- 江戸時代中期から戦前まで堺市は、神戸市・灘に次ぐ全国第2位の酒造地だった。主な銘柄には「金露」「都菊」「菊泉」などがあった。なかでも「金露」は江戸時代から続く老舗銘柄で、堺一の名酒と評判が高かった。しかし、戦災で酒蔵が焼けたり、河川の濁りが激しくなったりしたことなどから、「金露」をはじめ堺の酒造会社は戦後、灘へ移転。堺市内の酒造会社はなくなった(ただし、美原区に「梅林」という地酒がある)。なお、「金露」は1995年の阪神・淡路大震災で機械設備の破損など大きな打撃を受けたため、経営が悪化。1997年に廃業している(キング醸造が「金露」銘柄を継承)。またアサヒビールは、堺の酒造家・鳥井駒吉が1889年に設立した大阪麦酒が前身である。
- (鉄砲)
堺市に本社を置く企業[編集]
上場企業[編集]
- シマノ - 東証1部。自転車用駆動・ブレーキ部品の総合メーカー。釣り具も展開。
- 堺化学工業 - 東証1部。酸化チタンの大手メーカー。製薬会社カイゲンの親会社である。
- ラウンドワン - 東証1部。ボウリング・ゲーム・カラオケの複合店を経営。
- コーナン - 東証1部。日曜大工小売店から出発した関西最大のホームセンター。
- くら寿司 - 東証1部。ロードサイド型の回転寿司店を展開。社名はくらコーポレーション。
- サカイ引越センター - 東証1部。引越し業界2位。「サカイ品質」で全国展開を図っている。
- サトレストランシステムズ - 大証1部。ファミリーレストランの「和食さと」などを展開。
- アサヒ衛陶 - 大証2部。便所や洗面台の関連製品を製造。
- ユークス - 大証ヘラクレス。家庭用ゲームソフトの受託開発メーカー。新日本プロレスを傘下に持っていた。
- 浅香工業 - 大証2部。創業350年 金象印のショベルスコップを製造。土工農具・園芸用品の製造メーカー。
- スーパーツール - JASDAQ5990上場。SUPERTOOL ブランドの作業工具を主として製造販売する企業。
- 誠建設工業 - 大証2部。戸建て分譲住宅の建売、注文住宅の建築、リフォーム事業を行う不動産会社。
- トウペ - 東証・大証1部上場の塗料メーカーである。古河機械金属(旧・古河鉱業)グループの塗料事業を担う中核事業会社。旧社名は東亜ペイント。
。
非上場企業[編集]
- タマノイ酢
- 前田製菓
- 日清シスコ
- 中野物産 - 「都こんぶ」を製造販売。
- はや - 「民芸肉料理」を看板に和食店やとんかつ店など多角展開。
- のらや - うどん・そばを主とする外食産業企業。「手打草部うどん のらや」を展開している。1996年創業。
- 大阪いずみ市民生活協同組合
- 生活協同組合エスコープ大阪
- タケモトピアノ
- 美津和タイガー - プロ野球選手用バット公認メーカー。「虎印」で知られる。
- 日本ピローブロック
- 大和川染工所
- ネット - パチスロの製造販売。
- 南海バス
- 南海ウィングバス金岡
- 太陽パーツ
- 日本フッソ工業
- 中村超硬
- 平創機
堺市に拠点・事業所を置く企業[編集]
- 堺区
- 堺ディスプレイプロダクト・堺工場(元シャープ堺工場)
- 新日鐵住金堺製鐵所
- クボタ堺製造所・大浜工場
- セントラル硝子堺工場
- 高速オフセット堺工場
- コニカミノルタ堺サイト
- 富士フイルム大阪事業所
- 大阪製鐵堺工場
- 昭和電工堺事業所 - 2001年まで旧昭和アルミニウムの本社が存在した。
- 福助 堺事業所- 2003年まで堺に本社があった。現在は事業所と商品センターのみ。
- 三菱伸銅大阪支社・三宝製作所 - 旧三宝伸銅工業。2008年4月1日に三菱伸銅と合併し大阪支社・三宝製作所になる。
- IHIインフラシステム - 2009年11月1日にIHIの橋梁・水門部門が、松尾橋梁堺工場を母体に隣接の栗本鐵工所大阪臨海工場を統合して設立。
- 中区
- 朝日新聞堺工場
- 東区
- ナカバヤシ - 「本社工場」がある。
- 西区
- 北区
- ダイキン工業堺製作所
- 美原区
- フルタ製菓美原工場
漁業[編集]
- 堺出島漁港 - とれとれ市
- 石津漁港
- 堺魚市場
農業[編集]
- 鉢ヶ峯健康朝市「コスモス館」
- フォレストガーデン
地域[編集]
人口[編集]
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.32%増の841,966人であり、増減率は府下43市町村中10位。区別では最高が3.76%増の北区、最低が1.48%減の南区。
教育[編集]
- 小中学校と高等学校、その他の学校については、各区の記事を参照のこと。
大学[編集]
短期大学[編集]
学校教育以外の教育施設[編集]
- 自動車教習所
スポーツ[編集]
野球[編集]
プロ野球[編集]
- 南海ホークス
- 中百舌鳥球場(南海電鉄が建設した最初の本拠地):1939年 - 1942年。1950年、大阪球場完成により主に二軍の練習場として使われるようになった。1987年には大阪球場を含む難波再開発事業計画に伴いホークス本拠地とする話も持ち上がったが、1988年にチームが福岡市に移転してからは賃貸グランドとなり、ボーイズリーグ「ジュニアホークス」の練習場や少年野球大会の会場などに使われていたが2001年に閉鎖。跡地には現在、マンションが建つ。
社会人野球[編集]
都市対抗野球大会出場チーム
- 新日鐵堺(9回出場。1974年ベスト4・1989年ベスト4。現在は休部中)
- NOMO Baseball Club(2005年)
相撲[編集]
大相撲[編集]
大相撲春場所(大阪場所)が難波の大阪府立体育会館で行われるため、距離的に近い堺市に場所中、以下の部屋が宿舎を構える。
- 宮城野部屋(白鵬が在籍) - 長らく堺区の西本願寺堺別院だったが、2008年から市立堺病院など堺区内で移転を繰り返している。
- 尾車部屋(師匠は元大関琴風) - 三宝小学校(堺区)
- 出羽海部屋 - 祥雲寺(堺区)
- 千賀ノ浦部屋 - 堺区中向陽町
- 追手風部屋 - 百舌鳥八幡宮(北区)
- 春日山部屋 - 中区土塔町「ふれあいの家」
かつて堺に宿舎を構えていた部屋
- 間垣部屋(師匠は元横綱二代目若乃花) - 堺東の商店街に面して稽古場があったが、現在は奈良県香芝市に移転。
- 井筒部屋 - 以前は、出雲大社大阪分祠(初芝)だった。2006年は大阪市西成区内。
- 立田川部屋 - 東光学園(東百舌鳥)。2000年に陸奥部屋へ吸収合併された(2006年の陸奥部屋の宿舎は大阪市住之江区内)。
- 甲山部屋 - 東光学園(東百舌鳥)。2002年に弟子が全員引退し、親方は湊部屋所属となった。
- 桐山部屋 - 天理教泉大教会(大浜)。2011年に閉鎖し、力士は朝日山部屋へ転籍する。
堺出身力士
学生相撲[編集]
大浜は学生(アマチュア)相撲発祥の地である。1919年、旧大浜相撲場で第1回全国学生相撲大会(毎日新聞社主催)が開かれた。その後、東京に主会場を変更したが、1974年から開催地が再び大浜に戻った(当初は大浜体育館の特設土俵)。1981年には大相撲と同じ規格の「大浜公園相撲場」が完成。現在、全国学生相撲選手権大会は、東京の両国国技館と隔年ごとに開催されている。なお、大浜公園相撲場は女子も土俵に上がることができる。
大浜公園相撲場で開かれる主な大会
- 世界相撲選手権大会(2006年に開催)
- 世界女子相撲選手権大会(2005年と2006年に開催)
- アジア相撲選手権大会(2005年に開催)
- 全国学生相撲選手権大会
- 西日本学生相撲選手権大会
- 西日本選抜学生相撲大会
- 西日本実業団相撲選手権大会
- 全日本女子相撲選手権大会
- 日本・モンゴル親善交流少年相撲大会(白鵬杯)
水泳[編集]
堺市には臨海工業地帯が造成されるまで海水浴場が4か所(大浜・湊・諏訪ノ森・浜寺)あった。なかでも浜寺は、海浜リゾート地として全国に名を知られていた。現在でも諏訪ノ森から浜寺公園にかけての一帯は、大仙公園周辺とともに「風致地区」に指定されている。また愛知県碧南市にはかつて、浜寺の白砂青松にあやかった「新浜寺海水浴場」があり、海岸が埋め立てられた今も「浜寺町」の地名が残る。泉大津市にも1960年代半ばまで「南浜寺」という地名が存在した(現在の松之浜町)。近くに助松海水浴場があり、「浜寺」ブランドにあやかった別荘地として知られた。現在も区画整理された町割に邸宅が点在する。
- 浜寺水練学校
- 浜寺水練学校は1905年、毎日新聞社が浜寺海水浴場開設と同時に海泳練習場として開校、100年の歴史を誇る。現在は浜寺公園プールを使用。クロールや平泳ぎなど基本泳法のほか、日本泳法も指導する。また、浜寺は日本のシンクロナイズドスイミング発祥の地であり、1950年代からシンクロを指導していた。
スポーツイベント[編集]
- 泉州国際市民マラソン - 2月第3日曜。浜寺公園をスタートに大浜中町折り返し、りんくうタウン(泉佐野市)ゴールのコース。読売新聞社が後援。
- 堺シティマラソン - 4月29日。大仙公園をスタート・ゴールに、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の周回コース。産経新聞社主催。
- ツアー・オブ・ジャパン(サイクリングロードレース) - 5月第2日曜。堺ステージ(第11回大会までは大阪ステージ)。第12回大会まで泉北周回コースだったが、第13回大会から大仙公園周回コースに変更。朝日新聞社主催。
- 浜寺レガッタ - 5月。漕艇。エイト、フォアなど浜寺運河で行う(主会場となる浜寺漕艇場は高石市にある)。
- 堺市民オリンピック - 体育の日(10月第2月曜・祝日)に金岡公園などで行われる。
現在、大津市の皇子山陸上競技場をスタート・ゴールに行われている「びわ湖毎日マラソン」と、京都市の西京極陸上競技場をスタート・ゴールに行われている「全国高等学校駅伝競走大会」は1960年代まで大阪で開催しており、堺市内もコースに含まれていた。両大会とも毎日新聞社主催のため、堂島の旧毎日新聞本社前を発着点にしていた時期もあった。現在の国道26号・府道堺阪南線をコースに使用していたが、交通渋滞などのため、いずれも変更された。
芸術[編集]
音楽[編集]
- 交響楽団
- 大阪交響楽団(旧大阪シンフォニカー交響楽団) - 1980年に大阪市住吉区帝塚山でアマチュア楽団として設立され、その後プロ化。2000年に本拠地を堺市へ移転した。大阪府に拠点を置く4大プロオーケストラ(他に大阪フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪センチュリー交響楽団)の一つである。2010年に、大阪シンフォニカー交響楽団から大阪交響楽団に名称を改めた。堺市が本拠とはいうものの、市内にはオーケストラ対応の音楽系ホールがないため(東区の北野田フェスティバル・メインホールは音楽機能を重視したホールだが、座席数が401席と小規模)、定期演奏会はザ・シンフォニーホール、いずみホール(ともに大阪市)、河内長野市のラブリーホールなどで行っている。そのため堺市では、老朽化した市民会館を堺東駅前に移転し、オペラやバレエ、オーケストラなどの公演が可能な音楽系舞台施設として建て替える計画がある。
- 堺フィルハーモニー交響楽団 - 1971年に堺市青少年吹奏楽団として発足。定期演奏会は堺市民会館のほか、SAYAKAホール(大阪狭山市)で行っている。南大阪最大のアマチュア・オーケストラ。
- 管弦楽団
- 吹奏楽団
- 堺市音楽団
- 合唱団
- 合唱団PHENIX
- 泉北混声合唱団
- オペラ
- 堺シティオペラ - 1986年に設立。堺市民会館やウェスティホールなどで行う定期公演のほか、日本国外の歌劇場との提携も積極的に行っている。日本を代表する「市民オペラ」である。
文芸[編集]
- 与謝野晶子倶楽部
芸術行事[編集]
- 利休忌(南宗寺。毎年2月下旬。千利休を偲ぶ)
- 白桜忌(覚応寺。毎年5月29日。与謝野晶子を偲ぶ)
- 坂田三吉名人杯将棋大会(毎年5月に開催。個人参加の大会では国内最大の参加者を誇る)
- 堺市美術新人展(6月。堺市立文化館)
- 堺市展(10月。堺市立文化館)
- みはら芸術展(11月。美原中央公民館)
隣接している自治体・行政区[編集]
交通[編集]
鉄道[編集]
市内には以下の鉄道路線がある。中心駅は市役所最寄駅である南海高野線の堺東駅。堺市内を走る鉄道は、全てが大阪市から郊外へ南北に縦断する路線で、東西方向の交通はバスに依存している。そのため、かねてより東西方向を結ぶ鉄軌道の導入が構想されていた。地下鉄なども候補に挙がっていたが、木原市長時代に堺東駅から南海本線堺駅を経て堺浜方面へ向かうLRT(超低床電車による次世代路面電車)の導入が決定した。しかし、LRTの建設中止を公約に掲げて2009年に就任した竹山市長は2010年1月、公約通り、南海電鉄に対してLRT計画の中止(事実上の白紙撤回)を申し入れた。計画予算も調査費用の300万円を残して削減。計画は暗礁に乗り上げた。これにより、LRT計画による活性化が見込まれていた阪堺電気軌道阪堺線も堺市内区間廃止の可能性が高まったが、堺市は2010年から10年間にわたり、運賃割引などの利用促進策に年間2億円を上限に補助するほか、新型車両の導入などに総額30億円を助成する支援策を公表した。
大阪モノレールの堺への延伸計画[編集]
大阪モノレールは大阪中央環状線上を通り、大阪空港と堺泉北臨海工業地帯を結ぶ路線として1970年代後半に計画。1980年に運営母体となる大阪高速鉄道が設立された。また、大阪府が計画した3大副都心地区「千里中央」「荒本」「中百舌鳥」(厳密には新金岡)を繋ぐ目的もあった。当初は大阪空港側と堺側から同時に着工する計画だったが、建設費などの問題から大阪空港側のみの着工となった(堺側は中央分離帯にフェニックスが植えてあるため、着工するには伐採する必要があった)。1990年に千里中央 - 南茨木間が開業し、現在は大阪空港から門真市まで開通しているが、南伸計画は今のところない。堺市の積年の課題である「東西交通の不備」は、このモノレールに期待を寄せていたことも原因のひとつとしてある。
バス[編集]
路線バス[編集]
市内交通のほとんどは南海バスが担っている。南海高野線の堺東駅のほか、南海本線の堺駅、泉北高速鉄道線の泉ヶ丘駅などにターミナルを持つ(北区の一部や美原区内の路線は、南海バスの子会社である南海ウィングバス金岡が担当している)。また、美原区や東区内には近鉄南大阪線の河内松原駅などをターミナルとする近鉄バスが運行されている。このほか、かつて大阪市電が乗り入れていた関係で、堺区には大阪市営バスも乗り入れている[1]。堺市自体には公営交通(市営バス)の運行実績がなく、現在も市営バスはないが、南海バスと近鉄バスに業務委託しているコミュニティバス(堺市ふれあいバス・みはらふれあい号)はあり、各区役所や老人福祉センターを拠点に各区域を循環している。乗車方法は後乗り前降り後払いで、運賃は整理券方式の区間制。なお、堺シャトルバスのみ乗降方式は前乗り後降り前払いで、運賃は均一制である。南海バス・近鉄バス・大阪市営バスともに磁気プリペイドカードであるスルッとKANSAI対応カードが使用できる。非接触型ICカードはPiTaPa、ICOCAが大阪市営バスのみ使用可能。
高速バス[編集]
南海バス運行便には「サザンクロス」、和歌山バス運行便には「サウスウェーブ」の愛称が付く
- 南海バス単独運行(2008年6月29日までは西日本ジェイアールバス・ジェイアールバス関東運行便もあった)
- 南海バス(江ノ電バスと共同運行)
- 南海バス(越後交通と共同運行)
- 南海バス(西肥バスと共同運行)
- 和歌山バス(成田空港交通と共同運行)
エアポートリムジンバス[編集]
深夜急行バス[編集]
- 南海バス - 南海深夜急行バス
自動車[編集]
2006年10月10日より、自動車登録番号標・車両番号標(ナンバープレート)の地名表示が和泉から堺へ変更された。いわゆるご当地ナンバーを、2005年7月に国土交通省が新たに認定したため。10月10日以降に和泉自動車検査登録事務所(和泉市)で新車購入時の新規登録をするか、他地域からの編入や名義変更などの際に取得できる。
道路[編集]
有料道路[編集]
- 阪神高速道路4号湾岸線
- 阪神高速道路15号堺線
- 阪神高速道路大和川線(2014年開通予定。大阪都市再生環状道路の一端を担う)
- 阪和自動車道
- 堺泉北有料道路
- 南阪奈道路
道路の愛称[編集]
堺市内の道路には以下のような愛称が付けられている。
- 大道筋(大阪府道197号深井畑山宿院線、綾ノ町駅から御陵前駅)
- 大小路筋(堺東駅から堺駅)
- フェニックス通り(国道26号・住吉橋町から安井町)
- けやき通り(三国ヶ丘から田出井町)
- 海岸通り(国道26号・大阪府道204号堺阪南線、大和川大橋から浜寺公園)
- 御陵通り(大阪府道197号深井畑山宿院線、出島から百舌鳥駅)
- 堺中央線(大阪府道30号大阪和泉泉南線 、遠里小野橋から鳳)
- 堺大和路線(大阪府道12号堺大和高田線、古川橋から南花田町)
- ときはま線(大阪府道28号大阪高石線、吾彦大橋から浜寺公園)
- 泉北1号線(大阪府道34号堺狭山線、大阪府道38号富田林泉大津線、浜寺石津町西から和泉市室堂町)
- 泉北2号線(大阪府道61号堺かつらぎ線、津久野駅から庭代台)
船舶[編集]
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
公園・緑地[編集]
- 堺区
- 中区
- 原池公園
- 東区
- 白鷺公園
- 西区
- 南区
- 光明池緑地
- 堺・緑のミュージアム ハーベストの丘
- 荒山公園
- 大蓮公園
- 西原公園
- 観光農園・南楽園
- 北区
- 美原区
- 舟渡池公園 - 大阪みどりの百選。
道・旧街道[編集]
- 長尾街道
- 大小路 - 大阪のみち99選
- フェニックス通り - 日本の道100選。大阪のみち99選
- 竹内街道 - 日本最古の官道
- 西高野街道
- 紀州街道
- 大道筋 - 大阪のみち99選
- 熊野街道(小栗街道)
- 下高野街道
- 中高野街道
- 上神谷街道(妙見道)
- 美木多街道
- 父鬼街道
- 和泉街道(伊勢道)
- 富田林街道
- けやき通り - 大阪のみち99選
- 泉北1号線 - 大阪のみち99選
- さつき野住宅街道路 - 大阪のみち99選
歴史的建造物[編集]
- 堺区
- 中区
- 土塔 - 国の史跡
- 西区
社寺[編集]
- 堺区
- 中区
- 東区
- 西区
- 南区
- 北区
- 美原区
古墳[編集]
堺市内の銅像[編集]
- 日本武尊 - 大鳥大社境内
- 行基 - 家原寺境内
- 呂宋助左衛門 - 堺市民会館前
- 千利休 - 堺市博物館前
- 武野紹鴎 - 堺市博物館前
- 河口慧海 - 七道駅前
- 与謝野晶子 - 堺駅西口
- 龍女神(乙姫) - 旧堺港小波止
祭事・行事[編集]
- 堺刃物まつり--2月上旬、じばしん南大阪
- ツツジの通り抜け--4月下旬 - 5月上旬、浅香山浄水場
- アジサイの通り抜け--5月下旬 - 6月上旬、三宝下水処理場
- 菖蒲祭--6月下旬、大鳥大社
- 堺大魚夜市--7月31日、大浜公園
- 住吉祭--8月1日、宿院頓宮
- ふとん太鼓--9月 - 10月
- こおどり--10月第1日曜、桜井神社
- 堺まつり--10月第3日曜とその前日、大小路筋、堺市民会館ほか
- 大茶会--同日、大仙公園
- だんじり祭り--10月
- 堺市農業祭--11月23日、大仙公園
- やっさいほっさい(火祭り)--12月14日、石津太神社
報道機関・出版・放送局[編集]
新聞社[編集]
- 朝日新聞堺支局
- 産経新聞堺支局
- 毎日新聞堺支局
- 読売新聞堺支局
- 日本経済新聞堺支局
- 大阪スポーツ(東京スポーツ関西支社)
- 泉北コミュニティ(泉北ニュータウンのミニコミ紙)
- ホームタウン(泉北ニュータウンのミニコミ紙)
- サンケイリビング堺・和泉版
- ぱど南大阪版(編集・発行はニワダニネットワークシステム)
出版社[編集]
- 堺泉州出版会(『堺泉州』『堺人』を発行)
- 関西鉄道研究会(『関西の鉄道』を発行)
- はとぶえ会(『はとぶえ』を発行。堺市内の小学生の詩、作文、習字などを掲載している)
- 曙出版 - 東湊にあったカストリ雑誌専門出版社。伝説の雑誌『奇譚クラブ』の最初の発行元である。
書店[編集]
- 天牛堺書店 - 大阪の道頓堀やアメリカ村にあった名物古書店「天牛書店」(現在は吹田市に移転)の暖簾分け(資本関係はない)で、堺市を中心に店舗を展開。新刊と古本を一緒に並べて販売する独特の様式で、これは全店共通である。
文学賞[編集]
- 自由都市文学賞 - 市制100周年を記念して1989年に制定。主題は「都市小説」である。選考委員は田辺聖子、藤本義一、眉村卓、難波利三。受賞作品は読売新聞(大阪版)に掲載される。
- 与謝野晶子短歌文学賞 - 産経新聞と堺歌人クラブ主催。「一般の部」と「青春の歌の部」がある。
ラジオ局[編集]
ケーブルテレビ局[編集]
ラジオ送信所[編集]
堺市を舞台とする作品[編集]
テレビドラマ[編集]
- 『黄金の日日』(城山三郎)
- 1978年に放送された16作目のNHK大河ドラマ。城山三郎の原作を市川森一が脚本化。主役の呂宋助左衛門は市川染五郎(現在の松本幸四郎)が演じた。大河ドラマで初めて町民が主役になった作品で、戦国時代の堺を舞台に貿易商人の活躍を描いた。
- 堺市にはこの作品の放映直後から、呂宋助左衛門ゆかりの南宗寺や大安寺を中心に観光客が押し寄せた。堺市は空襲で大きな被害を受けたため、戦後の旧市内は昔の面影をほとんど残しておらず、古い歴史を持ちながらも「観光地」という自覚は官民ともに希薄であった。放映より5年前の1973年に紀行文集『街道をゆく』の取材で堺を訪れた司馬遼太郎も、「現在の堺を見ても中世に輝きを放った自由都市を思い描くことができない」と記している。
- このため、堺市は急遽、「黄金の日日・観光ルート」という案内板を旧市内の数か所に建て、観光客向けに対応したが、堺の「観光」は「○○跡」などの石碑巡りが中心のため、繰り返し訪れるほどの魅力はないに等しかった。実際、ドラマの放映が終了すると堺を訪れる観光客は激減した。堺市が「観光」を全面に押し出したのはこの頃からで、先の案内板に代わる「てくてくろーど」という観光ルートを作成したり、「おいでよ堺へ」キャンペーンを実施したりするなど、観光客の誘致を図っていたが、集客にはつながらなかった。しかし、政令指定都市移行に先駆け平成17年から観光部を新たに設置。旧市街地及び仁徳天皇陵周辺エリアを重点エリアとし、市内外からの集客促進事業や情報発信を実施し、新たな観光施策の推進を図っており、それに伴い堺観光に訪れる来訪者も増加しつつある。
小説[編集]
- 『秀吉と利休』(野上弥生子)
- 『本覚坊遺文』(井上靖)
- 『堺事件』(森鴎外)
- 『堺港攘夷始末』(大岡昇平)
- 『行人』(夏目漱石)
- 「三人は浜寺で降りた。この地方の様子を知らない自分は、大きな松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘を開いたままさっさと行った。「もう来ているだろうか」「そうね。ことに因るともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」。自分は二人の後に跟いて、こんな会話を聴きながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚した。三人は段々を下りて細い廊下を通った。」
- 『卍』(谷崎潤一郎)
- 『雪たたき』(幸田露伴)
- 『日本永代蔵』(井原西鶴)
- 「比津(堺)は長者のかくれ里、根の知れぬ大金持ちその数知らず、(中略)堺は始末で立つ、大坂はばっとして世を送り(以下略)」(堺には大金持ちはたくさんいるが、積極的な商売をせず、倹約家が多い。大坂は派手に世を送る人(=金遣いが豪快)が多い)。江戸時代の堺と大坂の力関係や住民気質を表している。
落語[編集]
- 『さかい夢』
- 『堺飛脚』
- 『妙国寺の蘇鉄』
- 『高野駕籠』
- 『戒名書き』
漫画[編集]
アニメ[編集]
- 『織田信奈の野望』
- 第八回「黄金の自由都市・堺」で舞台となる。
舞台ではないがモデルとなった作品[編集]
堺市に関連する有名人[編集]
堺市出身者[編集]
あ行
- 相賀真理子(元テレビ神奈川アナウンサー、中学まで堺に住んでいた)
- 李英和(北朝鮮研究者、民主化運動家)
- 井岡一翔(プロボクシング世界チャンピオン)
- 井岡弘樹(元プロボクシング世界チャンピオン)
- 石川雅之(漫画家)
- 石若雅弥(作曲家)
- 今岡信治(映画監督)
- 今村泰典(リュート奏者・テオルボ奏者)
- 扇原貴宏(セレッソ大阪選手)
- 岡本英也(アルビレックス新潟選手)
- 岡山一成(コンサドーレ札幌選手)
- オレスカバンド(6人組のスカバンド)
か行
- 柿本雅徳(実業家)
- 角田信朗(正道会館師範・空手家・総合格闘技「K-1」競技統括)
- 片岡愛之助(歌舞伎役者)
- 香月秀之(映画監督)
- 桂吉朝(落語家)
- 六代桂文枝(落語家)
- 河井醉茗(詩人)
- 河口慧海(僧侶、チベット探検家)
- 河内洋(元競馬騎手、調教師)
- 河盛好蔵(フランス文学者)
- 木戸克彦(元阪神タイガース選手、野球解説者)
- 行基(奈良時代の僧侶)
- 旭堂南陵(講談師)
- 国木剛太(元広島東洋カープ選手)
- 久野収(哲学者、市民運動家)
- 久野節(建築家)
- 黒田俊介(フォークデュオ、コブクロ)
- 黒田慶太郎(実業家、今上天皇の女婿黒田慶樹の祖父)
- 黒谷友香(女優)
- 後藤仁(日本画家。アジアの美人画や絵本原画・金唐革紙の制作。堺市立若松台小学校、堺市立若松台中学校出身)
- 小西行長(安土桃山時代の大名)
- 小林よしか(タレント・市議会議員)
さ行
- 坂田三吉(将棋棋士)
- 阪本順治(映画監督)
- 阪口夢穂(サッカー日本女子代表選手)
- 桜井美馬(ショートトラック選手)
- 猿渡ゆか (女優・リポーター)
- 沢口靖子(女優、沢口家は元々彦根出身で、父の代に堺市に定住。14歳まで上野芝中学校在籍、後に赤坂台中学校に転校)
- CIMA(プロレスラー)
- 詩乃優花(声優、元宝塚歌劇団)
- 笑福亭純瓶(落語家、鶴瓶の弟子)
- 笑福亭松鶴(七代目。もと松葉。襲名直前に死去したため、死後に追贈)
- 白濱裕太(広島東洋カープ選手)
- 新橋遊吉(作家、『八百長』で直木賞受賞)
- 杉本理恵(元アイドル歌手・女優)
- 鈴木貫太郎(海軍軍人、第42代内閣総理大臣)
- 鈴木つかさ(お笑いタレント、ザ・プラン9)
- 泉州山喜裕(元大相撲力士)
- 千利休(安土桃山時代の茶人)
- 曾我廼家五郎(喜劇役者、大阪府岸和田市出身説もあり)
- 曽呂利新左衛門(落語家の始祖、豊臣秀吉に仕えた)
た行
- 武野紹鴎(茶人・豪商、千利休の師匠)
- 谷村美月(女優)
- 丹下健三(建築家)
- 辻尾真二(大分トリニータ選手)
- 津田宗及(茶人・豪商)
- 露の都(落語家)
- 寺脇康文(俳優)
- 土佐光起(土佐派の絵師)
- 鳥居駒吉(アサヒビール創業者)
- 大東駿介(俳優)
な行
- 永澤俊矢(俳優)
- 中島浩司(サンフレッチェ広島選手)
- 中谷彰宏(作家、俳優)
- 中村充孝(鹿島アントラーズ選手)
- 中村豊(阪神タイガースコーチ)
- 中村吉晴(元KAIENTAI-DOJOコミッショナー)
- 中山康樹(音楽評論家)
- 灘儀武(お笑いタレント、ザ・プラン9)
- 並木ひろし(演歌歌手、ぴんからトリオ)
- 西川悟平(ピアニスト、オペラ歌手)
- 西村眞悟(政治家)
- 二代前田竹房斎(竹芸家、人間国宝、重要無形文化財保持者)
- 鼠先輩(タレント)
- 野中和夫(競艇選手、横山やすしとは中学時代の同級生)
は行
- 畠田理恵(元女優、将棋棋士・羽生善治夫人)
- 羽地登志晃(徳島ヴォルティス元選手)
- 馬場園梓(お笑いタレント、アジアン)
- 浜本広晃(お笑いタレント)
- 林まゆみ(将棋棋士)
- ピーター / 池畑慎之介(歌手、俳優)
- 一二三慎太(阪神タイガース選手)
- 冨宅飛駈(プロレスラー、パンクラス所属)
- 藤井栄治(サンテレビ解説者、元阪神タイガース選手)
- 藤浪晋太郎(阪神タイガース選手)
- 藤本義一(作家、『鬼の詩』で直木賞受賞)
- 藤原康二(元プロボクシング世界ランカー)
- 別府あゆみ(女優。マジレンジャーのマジピンク役)
- 北條史也(阪神タイガース選手)
- 堀ちえみ(タレント、白鷺に住んでいた)
- 堀美矢子(タレント、堀ちえみの妹)
ま行
- Mark'e(マーキー、FM802のDJ)
- 前上博(死刑囚)
- 前田ちあき(声優、旧名・前田千亜紀。ゲーム『ときめきメモリアル2』の佐倉楓子役など)
- 町田康(作家、『きれぎれ』で芥川賞受賞)
- 松原みき(歌手、作曲家)
- 間宮吉彦 (空間デザイナー)
- 真山仁(作家、『ハゲタカ』シリーズの著者)
- 水野正範(刀工、ふぐ引包丁の考案者)
- 三ツ矢歌子(女優)
- 宮田てつじ(お笑いタレント、シャンプーハット)
- 武蔵(格闘家)
- 森ほさち(女優、元宝塚トップ娘役)
や行
- 矢野未希子(モデル)
- 薮内夏美(バスケットボール富士通レッドウェーブコーチ)
- 山田大介(お笑いタレント、元ストリーク)
- 山田花子(お笑いタレント、吉本新喜劇)
- 山根康広(ミュージシャン)
- 山本功児(野球評論家、元千葉ロッテマリーンズ監督)
- 由起しげ子(作家、『本の話』で芥川賞受賞)
- 与謝野晶子(歌人)
- 吉田サラダ(お笑いタレント、ものいい)
ら行
わ行
堺市にゆかりのある有名人[編集]
あ行
- 秋月りす(四コマ漫画の漫画家、福岡県朝倉市生まれ、堺市育ち)
- アニマル浜口(元プロレスラー、島根県から親戚を頼って堺市に来た)
- 安西冬衛(詩人)
- 家田荘子(ノンフィクション作家、堺市在住)
- 一休宗純(禅僧、大徳寺再建のため堺の豪商に寄進を募る)
- 伊東静雄(詩人)
- 稲本潤一(川崎フロンターレ(Jリーグディビジョン1)選手、生まれは鹿児島県)
- 今井宗久(茶人・豪商、大和国今井町から堺に出て武野紹鴎に茶を学ぶ)
- 大久保利通(政治家、伐採されそうになった浜寺の松林を守った)
- 大西宏明(福岡ソフトバンクホークス選手、生まれは兵庫県)
- 織田作之助(作家、北野田に住んでいた)
- 尾花高夫(元横浜ベイスターズ監督、社会人野球時代に新日鐵堺に所属)
か行
- 川淵三郎(日本サッカー協会名誉会長、大阪府立三国丘高等学校出身)
- 北側一雄(政治家、元公明党幹事長、生まれは大阪市)
- 金秀吉(映画監督、堺市在住)
- 倉橋仙太郎(劇作家、西野文化村の住人、大河内傳次郎と上田吉二郎を育てる)
- 黒岩重吾(作家、上野芝に住んでいた)
- 黒崎緑(推理作家、堺市在住)
- 後藤光貴(埼玉西武ライオンズスカウト、社会人野球時代に新日鐵堺に所属)
- 国分佐智子(女優・タレント、林家三平の妻、学生時代に堺市に住んでいた)
さ行
- さいとう・たかを(漫画家)
- 堺屋太一(作家、堺に住んでいた先祖が大阪市の谷町に移住し、名乗っていた屋号を筆名とする)
- 佐々木恭介(野球解説者、元近鉄バファローズ監督、堺市在住)
- 肖伯(連歌師、池田から堺へ移り住んだ)
- 白井鉄也(チーモンチョーチュウ、お笑い芸人)
- 杉浦忠(元南海ホークス監督・福岡ダイエーホークス初代監督、上野芝に住んでいた)
- 住田功一(NHK大阪放送局アナウンサー、堺市在住)
た行
- 鶴岡一人(元南海ホークス監督、金岡に住んでいた)
- 土居君雄(ドイ創業者、アルフォンス・ミュシャの絵画とBMWを堺市に寄贈)
- 土井隆雄(宇宙飛行士、大阪府立三国丘高等学校出身)
- 戸田孝(プロハスラー、堺市在住)
な行
- 中江兆民(思想家、『一年有半』を堺で執筆した)
- 夏目ナナ(セクシーアイドル)
- 難波利三(作家、堺市在住)
- 西川きよし(タレント、百舌鳥に住んでいた。娘でタレントの西川かの子は堺市生まれの箕面市育ち)
- 西村栄一(政治家、奈良県出身で堺市議会議員から衆議院議員に。民社党委員長を務めた)
- 野茂英雄(日本人メジャーリーガー、社会人野球時代に新日鐵堺に所属、NOMO Baseball Club設立)
は行
ま行
や行
- 八代英輝(弁護士、深井に住んでいた)
- 保田龍門(画家・彫刻家、帰国後堺市に在住)
- 籔内佐斗司(彫刻家、「せんとくん」の作者、大阪府立三国丘高等学校出身)
- 山崎豊子(作家、堺市在住)
- 山本富士子(女優、浜寺に住んでいた)
- 山本容子(版画家、浜寺に住んでいた)
- ゆでたまご(漫画家、初芝高等学校出身)
- 横山やすし(漫才師、生まれは高知県宿毛市、堺市立神石小学校出身)
わ行
脚注[編集]
- ↑ かつてはあべの橋方面から堺東駅への路線もあったが、2012年現在は住之江公園から堺駅までの路線のみ。
- ↑ 一等三角点 大浜公園 - 国土地理院測地部