「茶山豊也」の版間の差分
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茶山 豊也(さやま とよなり、1864年10月9日 - 没年不詳)は、日本海軍の軍人。
経歴[編集]
元治元年9月9日(1864年10月9日)、石川県の士族・細井金衛の二男として生まれる[1]。
明治5年(1872年)に茶山家に養子入りし、家督を相続[1]。
1888年(明治21)、海軍少尉に任じられる[1]。その後、昇進を重ね、1910年(明治22)に海軍少将[1]。
この間に、
- 厳島 分隊長
- 済遠 分隊長
- 天城 航海長
- 磐城 航海長
- 済遠 航海長
- 佐世保副知港事
- 松島 航海長
- 鎮遠 航海長
- 海軍兵学校教官兼監事
- 筑波 副長
- 金剛 副長
- 舞鶴海軍工廠 検査官
- 和泉 艦長
- 関東丸 指揮官
- 鈴谷 艦長
- 横須賀海軍工廠 検査官
- 周防 艦長
- 千歳 艦長
- 丹後 艦長
- 出雲 艦長
- 舞鶴海軍工務部長
- 舞鶴海軍工廠長
などを歴任[1]。
1914年(大正3)待命(役なし)の海軍少将となる[1]。
1921年5月1日頃、東京の自宅に川上初枝が寄寓していた[2]。同月16日、自宅で妹尾義郎と談義し、このとき夫妻で日蓮宗に帰依した[3]。
叙勲[編集]
1915年頃 正三位勲三等[1]
家族[編集]
1915年頃、養母、妻、子供3人と同居[1]。別に、長女は岡山県の士族・林真の家に嫁いでおり、五女・鶴(1903年・明治36年10月生まれ)がいた[1]。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 妹尾 (1974b) 妹尾鉄太郎・稲垣真美(編)『妹尾義郎日記 第2巻』国書刊行会、1974年、JPNO 73020138
- 人事興信所 (1915) 人事興信所(編)『人事興信録』人事興信所、p.さ33、NDLJP 1703995/846