「相鉄本線」の版間の差分
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2014年8月28日 (木) 23:01時点における版
本線(ほんせん)は、神奈川県横浜市西区にある横浜駅と同県海老名市にある海老名駅を結ぶ、相模鉄道の鉄道路線である。
概要
横浜市中心部に近い交通ターミナル横浜駅と横浜市内陸部・神奈川県県央地域(大和市・海老名市)を結ぶ通勤・生活路線である。もともとは相模川の砂利を運ぶ貨物輸送のために海老名側から建設されたが、現在の起点は横浜駅であり海老名方面に向かう列車を「下り」としている。
横浜 - 二俣川間には二俣川駅で分岐するいずみ野線の列車が乗り入れる。路線の最高速度は100km/hだが、この区間は1駅ごとの距離が短いうえ連続急勾配や曲線が多く、直線区間が少ないために75km/h程度の箇所が多い。二俣川 - 海老名間では逆に1駅ごとの距離が長くなり、比較的直線区間も多いので列車は90km/h以上で走行する箇所が多い。
自社のいずみ野線には乗り入れるものの、現在は他社の路線への乗り入れは無い。かつては終点海老名駅より小田急小田原線に入り本厚木駅まで乗り入れていたほか、歴史的経緯から現在のJR相模線とも縁が深く、貨物や旅客列車が乗り入れていたことがある(現在も相鉄向けの甲種車両輸送列車は相模線経由で運転されている)。現在は連絡線を建設し、他社線へ直通することで神奈川東部方面線および東京へ乗り入れる計画が進んでいる(詳細は後述)。また、かつては二俣川駅から横浜駅まで地下新線を建設し複々線化する構想もあったが、乗客数の増加が止まって構想が流れていることもあり、神奈川東部方面線の計画に移行している。
路線データ
- 路線距離:24.6km
- 軌間:1067mm
- 駅数:18駅
- 信号所数:1信号所(かしわ台 - 海老名間)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 最高速度:100km/h
- 保安装置:ATS-P
沿線風景
横浜 - 星川
横浜駅は自社の駅ビル相鉄ジョイナス2階に4面3線の頭端式ホームとして設置されている。発車後すぐにJR東海道本線と横須賀線、それに帷子川と並走するも川はすぐに見えなくなる、駅名の由来になった平沼橋の下をくぐり、平沼橋駅に到着する。平沼橋を出ると右手に東京ガスのガスタンクやtvkハウジングプラザを見つつ西横浜駅に到着する。ホームの脇には留置線が並び、回送列車が留置されていることも多い。西横浜を出て北西にカーブしながらJR線と分かれて高架橋に上がっていくと、保土ケ谷区に入りすぐに相対式ホーム2面2線の高架駅天王町駅へ到着する。この駅はかつての東海道程ヶ谷宿があった付近であり、周辺には昔ながらの寺社や商店街がある。天王町を過ぎると再び帷子川が見え隠れするようになる。また、線路からは見えないが数百メートル離れて国道16号(八王子街道)が並走を始めている。車窓に横浜ビジネスパークや高層団地等のビル群を見つつ、保土ケ谷区役所の最寄り駅の星川駅に到着。各駅停車は急行・快速の待ち合わせで数分停車することも多い。
星川 - 二俣川
星川を出ると帷子川の渓谷地帯に入って行き、列車は川に沿うように谷を走る。もっとも、辺りは住宅地・商業地が続き、自然豊かな渓谷という雰囲気はない。横浜新道の下をくぐり和田町駅に到着する。この駅は横浜国立大学の利用者が多く、朝夕の時間帯には大学生で混み合う。また、駅を囲むように商店が多く建ち並び、賑わいを見せている。和田町を出ると帷子川を渡り、すぐに上星川駅に到着する。上星川を出ると上り勾配が始まる。東海道貨物線および環状2号線の下をくぐり、カーブを曲がって西谷駅に到着する。駅ホーム上には東海道新幹線が通過しているが新幹線に駅はない。西谷を出ると帷子川を渡り、旭区に入る。盛り土の路盤と上り勾配で高さを稼ぎながら南側の丘陵地に取り付くと鶴ヶ峰駅となる。当駅および二俣川地域は横浜市の副都心に指定されており、近年再開発が行われた。鶴ヶ峰を出ると八王子街道や帷子川と分かれ、その支流である二俣川の渓谷を走るようになる。道路は県道40号横浜厚木線(厚木街道)と並走を始める。保土ヶ谷バイパスをくぐると支線のいずみ野線が分岐する二俣川駅である。本線の列車の多くはこの駅で少々停車する。駅付近に横浜市営地下鉄グリーンラインの延伸構想があるが、進展は見られていない。
二俣川 - 大和
二俣川を出るといずみ野線の線路は徐々に高度を上げていく。本線はその高架橋の下をくぐり、谷沿いの住宅地を走る。右手には用水路並の川幅になった二俣川が並走する。間もなく希望ヶ丘高校の最寄り駅である、希望ヶ丘駅に到着する。周辺には戦後開発された広大な住宅地が広がっている。希望ヶ丘を出ると再び上り勾配が始まる。瀬谷区に入ってすぐに掘割区間になり瀬谷区役所最寄り駅の相鉄線で一番標高の高い所にある三ツ境駅に到着する。駅には駅ビル「三ツ境ライフ」が併設されている。三ツ境を出ると雰囲気が変わり、谷ではなく相模野台地の小高い丘の上を走るようになり、アンダーパスとなっている中原街道を越えて瀬谷駅に到着する。この駅は神奈川東部方面線構想に伴う特急運転のため、待避線を設けて2面4線化された。また、将来的には地下駅とする構想もある。路線はこの後も住宅街の中を通り、境川の上を鉄橋で渡り大和市へ入る。線路は地下へ潜り始め、大和駅に着く。もともとは地上駅だったものの、国道467号の渋滞緩和のためなどで地下化された。小田急江ノ島線の乗り換え駅であり、1分程度停車する列車が多い。両社の共同使用駅であり、改札を通らずに乗り換えることができる。
大和 - 海老名
大和を出てしばらくすると再び地上に出て厚木飛行場の横を通り、東名高速道路の上をまたぐと相模大塚駅である。飛行場での飛行訓練による轟音が車内からでも聞こえることがある。駅構内には留置線が並び回送列車が止まっていることもある。相模大塚を出ると海老名市に入り、さがみ野駅に到着する。駅前にはショッピングセンターの「さがみ野ライフ」がある。さがみ野を出るといったん座間市に入るが、座間市内には駅は設けられていない。再び海老名市に戻るとかしわ台である。駅構内は広大で相鉄線のかしわ台車両センターがあるために多くの留置車両を見ることができる。かしわ台を出ると台地を下り始め目久尻川を渡り快走する。団地群を左に見ていると、その先に路線が分かれる場所がある。これが相模国分信号所で、列車は停車せず通過していく。分かれていく路線はかつての貨物線の厚木線である。その後相模川の河岸段丘を下り始め、すぐに小田急小田原線が並走しその車両基地である海老名検車区が見えてくると終点の海老名駅である。時間帯によっては丹沢山地などへ向かう登山者を見ることも多い。
運行形態
かつての列車種別は急行と各停のみで、急行は二俣川駅で各停に接続するというものであった。1999年に快速が、2014年に特急が新設され、全線における速達性が向上している。各停以外の全種別とも横浜 - 二俣川間で通過運転を行い、特急はさらに二俣川 - 海老名・湘南台間でも通過運転を行う。
終日に渡って、二俣川駅において本線といずみ野線の緩急接続が行われる。夕方ラッシュ時には、同駅で本線同士の急行と各停の緩急接続も行われるほか、本数が多くなる朝方や夕方のラッシュ時には星川駅での緩急接続または通過待避が行われる。
平日朝ラッシュ時には1時間当たり約25本設定されている。混雑率は150%程度とされているが、横浜駅の出口に近い車両は特に混雑する傾向がある。使用車両は10両編成または8両編成で、各形式による限定運用はない。
現在、日中のダイヤパターンは平日、土休日ともに30分サイクルとなっている。かつては土曜日ダイヤが存在し、合計3パターンであった時もあった。
2014年4月27日改正ダイヤでの昼間1時間あたりの運行本数は、以下のようになっている[1][2]。
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現在の列車種別
すべて通勤型車両で運転され、乗車券のみで乗車できる。
特急
英語表記は「Limited Express」。2014年(平成26年)4月27日ダイヤ改正より新設された種別[1]で、相鉄線内最速の種別である。
従来ターミナル駅としてきた横浜駅を経由しない神奈川東部方面線(仮称)の進展に伴い、横浜駅の空洞化を避けるために、同駅及びその周辺施設のリニューアルなどと共に「県央地域と横浜駅をより速く結び利用客の逸脱を抑える」という目的で設定されたものであり、以前から計画されていた[3]。
2014年4月改正では10時から16時の日中時間帯のみ、毎時4本(内2本はいずみ野線直通湘南台発着)で運転されている。本線特急(海老名発着)は主に10両編成、いずみ野線特急(湘南台発着)は主に8両編成(土休日は10両編成)での運転が基本で、運行障害が発生した時は本線特急に8両編成、いずみ野線特急に10両編成が充てられることもある。横浜 - 二俣川間ノンストップは急行と同じ、かつ二俣川以西でも通過運転を行い、横浜-海老名間の所要時間は約26分と同区間を走る急行と比べて約6分短縮している。なお、途中駅始発・終着の特急は設定されていない。
基本的には二俣川駅において、本線特急はいずみ野線各駅停車に、いずみ野線特急は本線各駅停車に接続している。つまり、二俣川駅で接続する特急と各駅停車は、二俣川駅以西は、それぞれ違う方面へ運転されるため、下りの場合は横浜駅から先発する列車がどの種別であっても終点まで先着し、かつ後から発車する各駅停車とは違う方面へ向かう優等列車に乗り、二俣川駅で待避している各駅停車に乗り継ぐことができるダイヤとなっている。上りの場合は海老名駅および湘南台駅から先発する列車がどの種別であっても(その駅から発車する列車のなかでは)終点まで先着し、二俣川駅で違う方面からやってきた優等列車に乗り継ぐことで横浜方面へ早く行くことができるほか、後から発車する優等列車に乗り、二俣川駅で待避している違う方面から来た各駅停車に乗り継ぐことができるダイヤとなっている。
ただし例外として、平日下り1本の本線特急のみ二俣川駅で本線各駅停車に接続している。このほか、平日上り1本の本線特急のみ星川駅でいずみ野線各駅停車を追い抜く。
しかし、改正前の本線急行やいずみ野線快速より本数が減り、また途中停車駅では他列車との連絡が考慮されていない(若干待合わせが考慮されている二俣川でも、連絡に3分以上開いている。但し、これは各駅停車と接続する特急に続行する快速または二俣川始発・終着の各駅停車とも接続するためである。)ため、特急停車駅と通過駅とのあいだで横浜までの到達時間に大差がつき、途中乗り継ぎとなった場合とも到達時間に5分以上の差がつく[4]という結果になっている。
急行
英語表記は「Express」。1964年(昭和39年)11月5日ダイヤ改正から運行している。もともとは1957年から1958年にかけて日中時間帯に運転を開始した準急列車を基にし、徐々に運転本数・運転時間帯を増やし、後述の快速が設定されるまで唯一の主力種別であった。都心側の横浜 - 二俣川間がノンストップ、以西の郊外は各駅に停車するという停車形態で横浜 - 二俣川間の各駅停車と組み合わせることによって効率的で分かりやすいダイヤを実現している。
登場後長年にわたり、相鉄の最速達種別かつ唯一の優等種別として存在し、一貫して本線のみで運用されていた[5]。また全盛期には早朝から深夜まで多数設定されていた。近年他の優等種別として1999年に快速、さらに2014年に特急が新設されており、日中時間帯の急行の特急への格上げ、もしくは快速・各停への格下げがされるなど大きな変化が見られる。
特急に追い抜かれることはない。
快速
英語表記は「Rapid」。いずみ野線は開業以後各駅停車だけが運転されていたが、1999年(平成11年)3月10日の湘南台延伸開業を目前に控えた2月27日のダイヤ改正において、いずみ野線初の優等列車として快速列車が新設された。同年3月9日までの11日間はいずみ中央行として運転し、いずみ中央 - 湘南台間の新規開業部分は回送扱いで乗務員訓練を行った。
1999年の登場当時はいずみ野線直通列車だけが使う種別であったので、本線では二俣川以東の区間でのみで見られた。当初は朝ラッシュ時と日中時間帯に限り運転されており、日中は12分間隔で運転されていた。2003年ダイヤ改正では10分間隔に増発、2006年のダイヤ改正では各停を混ぜて運転間隔を20分おきに減らす代わりに、運転時間帯を増やし1日の運転本数をほぼ維持するという水増し的な改正が行われ、夕方・夜間にも設定されるようになった。2012年改正で西谷駅工事のために朝ラッシュ時の運転が休止された。
これまでいずみ野線直通列車のみ運行されていたが、2014年ダイヤ改正では本線の急行を快速に格下げするという形で初の本線海老名発着列車が設定[6]、またいずみ野線直通列車は特急に格上げされている(共に日中時間帯のみ)。なお、途中駅始発・終着の快速は設定されていない。
特急・急行に追い抜かれることはない。
各停(各駅停車)
英語表記は「Local」。各停は各駅停車の略称であり、その名の通り各駅に停車する。種別幕や路線図などでは「各停」と表記されることが多いが、駅や車内の案内放送などでは「各駅停車」と放送することが多い。二俣川以西の郊外区間を各駅に停車する急行の増発と共に、各停は二俣川以東の都心区間、また支線であるいずみ野線が開業すると直通列車を中心に運用されてきた。海老名発着の急行といずみ野線内発着の各停が分岐駅の二俣川で接続をとるという、分かりやすいダイヤが快速設定まで長く続いた[7]。
前述のような理由もあり、二俣川以西を走る各停は少なかったが、1999年の快速設定以後、二俣川以西、特に大和発着の各停が多く設定された。2003年 - 2006年の一時期は大和発着は無かったものの、2006年改正で再び設定されている。各駅に停まる急行が代替となるために、大和以西を走るものは非常に少なく、早朝深夜に僅かにあるのみであったが、2014年の日中の特急設定・急行廃止に伴い、急行の代替として日中にも海老名発着の各停が設定された。
2014年現在、日中時間帯は海老名発着毎時2本、いずみ野線直通同4本。それ以外の時間帯は早朝・深夜を除きほぼすべてがいずみ野線内発着で運転される。
過去の列車種別
準急
1957年(昭和32年)2月20日に上り列車、1958年(昭和33年)11月20日に下り列車が運行開始[8][9]。横浜駅周辺を自社で取得・開発していた相鉄が横浜駅周辺に県央地域の買い物客を呼ぶために設定した。横浜駅 - 希望ヶ丘駅間をノンストップで走り、希望ヶ丘駅以西は各駅に停車していた。1964年(昭和39年)4月15日に二俣川駅にも停車するようになり[8]、さらに同年11月5日に急行に変更され現在に至っている[9]。
おかいもの電車
1960年(昭和35年)11月1日のダイヤ改正で、サービス急行として設定された。停車駅は準急の停車駅に二俣川駅を追加したもの(現在の急行と同じ)で、上りは海老名駅9時55分発・横浜駅10時30分着、下りは横浜駅15時33分発・海老名駅16時6分着であった。また、上り列車では、二俣川駅から高島屋の女性店員が催し物やお買い得品の案内を行っていた。前述の準急が二俣川駅に停車するようになると、両者間で停車駅の差異はなくなり、1964年(昭和39年)11月5日に準急とともに、急行に変更され現在に至っている。
通勤急行
かつて運行されていたとのことだが詳細は不明[9]。
種別カラー
2007年11月3日ダイヤ改正時から一部の種別カラーが以下のように変更されており、2014年4月27日までに新色に入れ替わった。車両に装備されている種別カラーについても記載する。
旧 | 新 | 変更内容 | ||
---|---|---|---|---|
(特急)[注 1] | 特急 | 特急[注 2] | 特急 | 新旧とも橙色 |
急行 | 急行 | 急行 | 急行 | 新旧とも赤色 |
(準急)[注 1] | 準急 | 赤色 | ||
(通勤快速)[注 1] | 通快 | 緑色 | ||
快速 | 快速 | 快速 | 快速 [注 3] |
緑色→青色 |
本線・各駅停車 | 各停 | 本線・各駅停車 | 各停 [注 3] |
黒色→黒色および灰色 |
いずみ野線・各駅停車[注 4] | 各停 | いずみ野線・各駅停車 | 各停 [注 3] |
青色→黒色および灰色 |
かつては本線系統といずみ野線系統の各停色分けが一部車両の方向幕で行われていたが、その時も路線図や時刻表では、本線系統の各停でも青色で表記されていた。また上表の通り、この色は現在の路線図や時刻表では快速に使用されている。
2014年4月27日の特急運行開始に伴うダイヤ改正までに方向幕車両は全て新色に変更され、行先表示が装備されていない車両(7000系・新7000系)においては付せていずみ野線に乗り入れる列車(下りのみ)は"いずみ野線"の表示がなされる。
他社路線への直通計画
現在、相鉄は自社線であるいずみ野線との乗り入れしか行っていないが、他社線への相互直通運転計画が以下の通り進行中である(「神奈川東部方面線」も参照)。
相鉄・JR直通線(仮称)
相鉄と東日本旅客鉄道(JR東日本)は、2018年度内開業を目指し、相鉄本線西谷駅からJR東海道貨物線横浜羽沢駅までの間に約2.7キロの連絡線新設工事を行っている。横浜羽沢駅付近に共同使用駅として「羽沢駅(仮称)」を設置し、同駅が相鉄とJRの境界となる。
現段階において計画されている運行ルートは、西谷駅からこの連絡線に入り、東海道貨物線、横須賀線の線路を経由した後、湘南新宿ラインと同じルートで新宿駅方面に至る計画である。また、現在JR東日本が建設している東京駅 - 上野駅間の東北縦貫線(上野東京ライン)への直通も検討している。
2010年3月25日に着工され、当初の開業予定は2015年4月としていたが、2013年4月23日に整備主体の鉄道建設・運輸施設整備支援機構と相模鉄道が共同で、東海道貨物線との接続部の工事の遅れを理由として、前述した通り開業時期を2018年度とし、建設費用も約683億円から約782億円に増加すると発表した。
相鉄・東急直通線(仮称)
前述した相鉄・JR直通線に加え、相鉄と東京急行電鉄(東急)は、羽沢駅から東急東横線日吉駅までを結ぶ約10キロの連絡線を新設すると発表した。途中駅として新横浜駅と新綱島駅が設置される。新横浜駅が相鉄と東急の境目となる共同使用駅となる予定である(駅名はいずれも仮称)。
日吉駅においては、東急東横線渋谷駅方面と東急目黒線目黒駅方面の2系統の列車が運行される計画である。2019年開業を目指している。
なお、東横線は2013年3月16日から東京メトロ副都心線・東武東上線・西武池袋線方面との相互直通運転を開始しているが、相鉄・東急直通線を運行する列車はどこまで乗り入れるのかなど、具体的なことは決まっていない。ただし、西武鉄道については社内向け広報誌において「現時点で副都心線、東横線を介した相鉄方面への乗り入れは実施しない」と示している。
小田急小田原線への乗り入れ
海老名駅から小田急電鉄小田原線の本厚木駅まで乗り入れの復活、もしくは相鉄の路線を延伸する計画もあるが、大幅に費用がかかることを主たる理由に相鉄の株主である小田急電鉄が難色を示していることに加え、海老名駅の改築工事が既に終了(2010年整備完了)していることもあり、具体的な実現の目途は立っていない。
相模線への乗り入れ
かつて、厚木線を介してJR相模線に乗り入れる計画があった。相鉄は元来は現在の相模線を運営しており、第二次世界大戦中の1944年に国(国鉄)に買収されてしまったが、国鉄末期には買い戻すことも検討したとされる。なお、両線は厚木駅構内で線路がつながっており、1998年までは貨物列車の連絡が行われていた。現在もJR線上を甲種輸送されてきた相鉄向けの新型車両の引渡しが行われる。
歴史
本路線は、1926年に神中鉄道により省線程ヶ谷(現・保土ヶ谷)駅 - 海老名村河原口間の軌道敷設特許の請願が行われたのがはじまりである。762mmゲージの軌道として申請したが、その後1067mmゲージの軽便鉄道に変更している。開業は1926年の二俣川 - 厚木間からで、その後順次横浜へ向かって延伸を重ねていった。当初は保土ヶ谷駅に乗り入れる予定であったが、最終的には横浜駅起点になった。沿線はさしたる産業もない農村地帯であり、相模川で採取される砂利輸送を主眼に置いての開業であった。1929年には西横浜までの延伸開業と同時に西横浜 - 程ヶ谷間の貨物線も敷設し、国鉄との貨車連絡が図られた。ただしこの時点ではこの貨物線は構内の連絡線としての扱いであり、正式に免許を受けて開業するのは1948年(昭和23年)9月13日のことである。
開業後の収支は大幅な赤字であり、1935年上期にようやく黒字を計上した。その後1940年代になると、沿線には厚木海軍飛行場など軍施設が立地するようになり、旅客・貨物いずれの輸送量も増加傾向を示すようになった。この時期には、輸送改善のため電化が進められたが、最低限の資材で電化するため、変電所は自社のものを建設したほかに小田原線などの変電所からも受電することになった。そのため二俣川駅を境に架線電圧が異なる(二俣川以西1500V、以東600V)状態となり、全線が1500Vに統一されたのは1946年であった。終戦直後の混乱期には、資材・人員不足の中で輸送を維持するため、経営体力のある東京急行電鉄に経営を委託し、1945年から1947年まで「東急厚木線」としての運行が続いた。
戦後は沿線の宅地化が急速に進行し、輸送力増強を順次進めていった。1952年に西横浜 - 上星川間を複線化したのを皮切りに、1974年までかけて全線の複線化を進めていった。また、起点である横浜駅周辺はかつて町外れの場末であったが、相鉄自身の手により商業開発が進められた。1956年に横浜駅名店街を開業させたのを手始めにして、一大商業拠点へと変貌させていった。一方、沿線の宅地化はとどまるところを知らず、例えば1960年から1965年までの5年間で輸送密度が2倍になるほどであった。前述した複線化と並行して長編成化も進められ、1957年の4連運転開始、1965年の6連化と順次編成を伸ばし、1981年には10連運転を開始している。[8][10]
貨物輸送については、旅客輸送の伸長とは対照的に1960年代以後は衰退傾向となった。開業時から続いた砂利輸送については、相模川の砂利採取禁止により1964年までで終了した。代わって同年から保土ヶ谷 - 厚木間のセメント輸送が開始されたが、1979年以降は保土ヶ谷駅における国鉄との連絡貨物扱いが廃止されて、国鉄相模線で厚木まで運ばれてきた貨車を厚木駅構内で輸送するのみになった。また線内各駅の貨物取扱駅も縮小されていった。一方、厚木基地への燃料輸送は遅くまで取り扱いが続けられた。しかし1998年にはこれも輸送が終了し、貨物列車の運転はなくなった[11]。
年表
- 1915年(大正4年)6月25日 - 省線程ヶ谷駅 - 海老名村河原口間の軌道敷設特許請願。762mmゲージの軌道として申請したが、1918年(大正7年)に1067mmゲージの軽便鉄道に変更している。[8]
- 1926年(大正15年)5月12日 - 神中鉄道により二俣川 - 厚木間開業。
- 12月1日 - 星川(現在の上星川) - 二俣川間開業。
- 1927年(昭和2年)5月31日 - 北程ヶ谷(現在の星川) - 星川間開業。
- 1929年(昭和4年)2月14日 - 西横浜 - 北程ヶ谷間開業。同時に西横浜 - 程ヶ谷間の国鉄連絡貨物線も開業。
- 4月1日 - 厚木 - 中新田口間開業。
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)10月25日 - 平沼橋 - 西横浜間開業。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)8月20日 - 古河電線駅(平沼橋 - 西横浜間の古河電工付近)開業。
- 1941年(昭和16年)11月25日 - 相模国分 - 厚木間旅客営業廃止。厚木 - 中新田口間廃止。相模国分信号所 - 海老名間開業。海老名駅から小田急小田原線相模厚木駅(現在の本厚木駅)まで気動車で直通運転開始。神中鉄道発足時からの悲願であった厚木町(現・厚木市)乗り入れを他社線直通運転ながら達成した。
- 1942年(昭和17年)6月1日 - 横浜 - 西谷間直流600V電化。
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)6月1日 - 東京急行電鉄に経営委託。
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)6月1日 - 東京急行電鉄への経営委託を終了し自営化。
- 1948年(昭和23年)
- 1951年(昭和26年)11月18日 - 西横浜 - 上星川間複線化。
- 1952年(昭和27年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)
- 8月1日 - 休止中の新川島駅、二俣下川駅、二ツ橋駅廃止。
- 11月1日 - 三ツ境 - 大和間複線化。お買い物電車運転開始。
- 1964年(昭和39年)
- 1966年(昭和41年)4月1日 相模大塚 - 大塚本町間複線化。
- 1967年(昭和42年)4月10日 - 大塚本町 - 電車基地間複線化。
- 1968年(昭和43年)3月27日 - 天王町駅付近高架化。
- 1973年(昭和48年)9月28日 - 電車基地 - 相模国分信号所間複線化。
- 1974年(昭和49年)3月28日 - 相模国分信号所 - 海老名間複線化。全線複線化完成。
- 1975年(昭和50年)8月17日 - 大塚本町駅を移転し、さがみ野駅に改称。かしわ台駅開業。
- 1979年(昭和54年)10月6日 - 保土ヶ谷 - 西横浜間の貨物線廃止。
- 1993年(平成5年)8月1日 - 大和駅付近地下化。
- 1998年(平成10年)9月30日 - 貨物列車運転休止。
- 1999年(平成11年)2月27日 - ダイヤ改正により、快速列車の運転を開始。
- 2006年(平成18年)5月20日 - ダイヤ改正により、日中の快速が10分間隔から20分間隔に半減。平日夕ラッシュ時に快速列車の運転を開始。
- 2009年(平成21年)
- 2012年(平成24年)4月29日 - ダイヤ改正により、平日朝ラッシュ時の快速列車を休止。すべての快速列車が星川駅で緩急接続を行うようになる。日中のダイヤパターンが、平日は20分サイクル、土休日は30分サイクルになり、各駅の毎時の出発時刻を統一。
- 2014年(平成26年)
女性専用車
平日ダイヤの下記の時間帯において女性専用車が実施される。設定車両は横浜寄りから数えて4両目の弱冷房車となる。多くの事業者で採用されている先頭車両ではないのは、横浜駅と海老名駅の構造上、先頭車両の設定が不適切なためである。
平日日中および土休日ダイヤ、及び横浜駅を始発・終着としない列車では、女性専用車の設定は行われない。
本路線の女性専用車は、いずみ野線とともに2005年5月9日に初めて導入された。導入当初、夜間の設定は「横浜駅を22時以降に発車する全列車」となっていたが、同年12月5日からは現在の18時開始に設定時間帯が拡大された[12]。
駅一覧
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 快速 | 急行 | 特急 | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
SO01 | 横浜駅 | - | 0.0 | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:東海道線・横須賀線・湘南新宿ライン・京浜東北線・横浜線・根岸線 東京急行電鉄:東横線 (TY21) 京浜急行電鉄: 本線 (KK37) 横浜市営地下鉄: ブルーライン (B20) 横浜高速鉄道:みなとみらい線 (MM01) |
横浜市 西区 |
SO02 | 平沼橋駅 | 0.9 | 0.9 | | | | | | | ||
SO03 | 西横浜駅 | 0.9 | 1.8 | | | | | | | ||
SO04 | 天王町駅 | 0.6 | 2.4 | | | | | | | 横浜市 保土ケ谷区 | |
SO05 | 星川駅 | 0.9 | 3.3 | ● | | | | | ||
SO06 | 和田町駅 | 1.0 | 4.3 | | | | | | | ||
SO07 | 上星川駅 | 0.7 | 5.0 | | | | | | | ||
SO08 | 西谷駅 | 1.9 | 6.9 | | | | | | | ||
SO09 | 鶴ヶ峰駅 | 1.6 | 8.5 | ● | | | | | 横浜市 旭区 | |
SO10 | 二俣川駅 | 2.0 | 10.5 | ● | ● | ● | 相模鉄道:いずみ野線(横浜方面から直通運転あり) | |
SO11 | 希望ヶ丘駅 | 1.7 | 12.2 | ● | ● | | | ||
SO12 | 三ツ境駅 | 1.4 | 13.6 | ● | ● | | | 横浜市 瀬谷区 | |
SO13 | 瀬谷駅 | 1.9 | 15.5 | ● | ● | | | ||
SO14 | 大和駅 | 1.9 | 17.4 | ● | ● | ● | 小田急電鉄:江ノ島線 (OE05) | 大和市 |
SO15 | 相模大塚駅 | 1.9 | 19.3 | ● | ● | | | ||
SO16 | さがみ野駅 | 1.2 | 20.5 | ● | ● | | | 海老名市 | |
SO17 | かしわ台駅 | 1.3 | 21.8 | ● | ● | | | ||
- | 相模国分信号所 | 2.0 | 23.8 | | | | | | | 相模鉄道:厚木線(単線の貨物線、JR相模線厚木駅の南で接続) | |
SO18 | 海老名駅 | 0.8 | 24.6 | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:相模線 小田急電鉄:小田原線 (OH32) |
- 緩急接続可能な駅
- 星川駅・二俣川駅・瀬谷駅・かしわ台駅
撮影・作品の舞台
「早春スケッチブック」の舞台として
1983年に放映されたフジテレビ制作(山田太一脚本)の連続ドラマ「早春スケッチブック」の舞台として、希望ヶ丘駅周辺一帯や近接するいずみ野線南万騎が原駅付近を中心にロケが行われ、他に瀬谷駅周辺や横浜駅周辺、電車内でもロケが行われた。ちなみに、相模鉄道はこのドラマの制作に協力しており、オープニングでは旧6000系(クハ6517編成)が希望ヶ丘駅ホームに入線して来るシーンや、本編中に当時まだ宅地開発途上であった希望ヶ丘駅周辺の沿線風景、登場人物が電車に乗車しているシーンが登場している。
東海地震への対応
東海地震の警戒宣言が発令された場合、相鉄本線は大和駅以西で運転を見合わせることになっている[14]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 4月27日(日)、相鉄線のダイヤ改正を実施PDF - 相模鉄道、2014年3月10日、同日閲覧
- ↑ 時刻表(平成26年4月27日(日)ダイヤ改正以降)
- ↑ 新線開通前に「特急」を導入へ2009年9月16日付読売新聞
- ↑ このため、横浜から本線二俣川以遠の特急通過駅を利用する場合は、横浜を特急の2分後に発車する快速に乗車するのが最速である(二俣川あるいは大和乗換えで特急を利用しても、乗換え相手がこの快速になってしまう)。一方、横浜からいずみ野線二俣川以遠の特急通過駅を利用する場合は、本線特急でもいずみ野線特急でも二俣川で乗り換えとなる。
- ↑ 臨時のイベント列車でいずみ野線に急行が走ったことはある
- ↑ ただし、瀬谷駅での改良工事完了に伴う速度制限解除により、改正前の急行と比較すると所要時間が最大1分短縮されている。
- ↑ 但し、現在でも一部を除いて、二俣川駅での本線各駅停車といずみ野線優等列車またはいずみ野線各駅停車と本線優等列車の接続が行われている。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 柴田重利 『日本の私鉄13 相模鉄道』 保育社〈カラーブックス〉、1980年、149-151頁。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 生田誠、山田亮 (2014-02-01) 生田誠、山田亮 [ 懐かしい沿線写真で尋ねる 相模鉄道 街と駅の1世紀 ] 第1刷 彩流社 2014-02-01 6頁・53頁
- ↑ 青木栄一 「相模鉄道のあゆみ 戦後編」『鉄道ピクトリアル』672号、1999年、81-89頁。
- ↑ 渡辺一策 「相模鉄道の貨物輸送」『鉄道ピクトリアル』672号、1999年、102-107頁。
- ↑ 相鉄線「女性専用車」の運行時間を午後6時からに拡大PDF - 相模鉄道、2005年12月11日。
- ↑ 相鉄線全駅で「駅ナンバリング」を順次導入しますPDF - 相模鉄道、2014年2月25日。
- ↑ 東海地震の防災対策 神奈川県
注釈