「立正佼成会」の版間の差分
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[[Image:立正佼成会2.jpg|350px|thumb|立正佼成会大聖堂〈本部修養道場〉]] | [[Image:立正佼成会2.jpg|350px|thumb|立正佼成会大聖堂〈本部修養道場〉]] | ||
'''立正佼成会'''(りっしょうこうせいかい)は、[[霊友会]]から派生した法華系の[[新宗教]]である。 | '''立正佼成会'''(りっしょうこうせいかい)は、[[霊友会]]から派生した法華系の[[新宗教]]である。 |
2020年1月8日 (水) 04:58時点における版
rxy=森谷辰也=LTA:ASPE、 LTA:DCHANCE、LTA:SASHOという動かせない事実。[[Image:立正佼成会1.jpg|350px|thumb|立正佼成会大聖堂〈本部修養道場〉]] [[Image:立正佼成会2.jpg|350px|thumb|立正佼成会大聖堂〈本部修養道場〉]] '''立正佼成会'''(りっしょうこうせいかい)は、[[霊友会]]から派生した法華系の[[新宗教]]である。 == 本尊・教義 == * 【本尊】 '''久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊'''(立像または立画を表装したもの) * 【経典】 '''開結「法華三部経」''' (無量義経・妙法蓮華経・仏説勧普賢菩薩行法経) * 【主な教義書】 '''「新釈 法華三部経」 「法華経の新しい解釈」 「仏教の根本義」 「仏教のいのち法華経」''' 他多数 [[西田無学]]が提唱した、[[在家]]が[[法華経]]によって先祖供養を行うという点では[[霊友会]]と同じだが、[[法華経]]に基づく教義や[[根本仏教]]、開祖法話による人間の内面の修養を行いつつ、自他共に救われる修行の推奨(教団では「心田を耕す」と呼ぶ)など、教団独自の特色が色濃く出ている。 == 歴史 == === 1938年 - 1957年 === * [[霊友会]]の有力な信者であった[[庭野日敬|庭野鹿蔵]](新井支部・副支部長)と、庭野の勧誘で共に霊友会を信仰していた[[長沼妙佼|長沼政]]は、彼らが所属していた新井支部(当時は支部をまとめる責任者の名前で支部名が呼称されていた)支部長で熱心な法華経行者であった新井助信の強力な勧めもあって、[[1938年]][[3月5日]]に'''「大日本立正交成会」'''(現在の名前に改称されたのは[[1960年]][[6月1日]])を創立した<ref>初代会長は村山日襄、副会長は石原叔太郎(ともに[[国柱会]]の出身)であったが、実質の会の運営・指導は庭野・長沼のコンビで運営されていた</ref>。会の創立に当り、庭野鹿蔵は「日敬」、長沼政は「妙佼」と改名して戸籍登録した。 * 「揺るぎない信仰心」が培われた時代とされ、庭野日敬開祖会長(当時)と長沼妙佼脇祖(当時・副会長)の信仰指導<ref>主に[[法華経]]読経による先祖[[供養]]・[[九星]]による方位学や[[五大真理]]による姓名鑑定・媒体者などによる[[霊能]]指導を行っていた</ref>によって、いわゆる「貧病争」の苦しみから救われ、仏道精進に導くというスタンスで[[布教]]活動を行っていた。当時の日本は[[第二次世界大戦]]の影響で多くの人々が苦しい生活を強いられていたため、会員の多くは直面する現実的な救われ(人生苦の根本的解決)を求めて修行に励んだ。 * 一方で戦後急激に拡大した教勢に対し[[マスメディア|マスコミ]]の耳目を集めることになり、[[1956年]]に[[読売新聞]]が本部用地の取得にあたって不正が行われたとの疑惑を報道する。庭野開祖会長が[[国会]]に召喚され事態を説明するに至っている。 * [[1938年]] ** [[3月5日]] '''庭野日敬は長沼妙佼 他30数名と共に「大日本立正交成会」を創立(会長 村山日襄、副会長 石原叔太郎)''' ** [[3月20日]] 庭野日鑛:現会長(当時・浩一)が誕生 * [[1942年]] ** [[5月7日]] 本部修養道場(現:発祥の地修養道場)落成・入仏式を挙行 * [[1943年]] ** [[4月]]頃 村山日襄会長、石原叔太郎副会長がそれぞれ退任。後継として実質の運営・指導者である庭野と長沼がそれぞれ「開祖会長」「副会長」となり、名実ともに庭野会長・長沼副会長体制がスタートする * [[1945年]] ** [[11月15日]] 本尊「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」を尊牌形式で[[勧請]] * [[1948年]] ** [[8月11日]] 宗教法人令により、宗教結社「大日本立正交成会」から[[宗教法人]]「立正交成会」となる *[[1949年]] ** [[8月28日]] 青年部(現:青年本部)が発足 * [[1951年]] ** [[6月5日]] 信者の母子が[[自殺]](いわゆる蔵敷事件)。後年、[[日弁連]]・人権擁護委員会がこの問題を取り上げる ** [[10月17日]] 新宗連([[新日本宗教団体連合会]])が発足、本会も加盟 * [[1952年]] ** [[6月14日]] 長沼副会長の甥である長沼基之が教団初代[[理事]]長に就任 * [[1956年]] ** [[1月]] [[読売新聞]]が本部用地取得における疑惑を報道。庭野開祖会長が[[国会]]に[[参考人召致]]され事態を説明するに至り、教団内部でも当時の青年部リーダーが独自に詳細調査を行った ** [[4月30日]] 衆院法務委員会に庭野開祖会長と長沼広志(立正佼成会本部・[[佼成学園]]理事)が参考人召致される * [[1957年]] ** [[9月10日]] '''長沼副会長が死去。'''満67歳。[[葬儀]]・告別式は当時まだ弱小[[教団]]であった立正交成会において、会員代表・各界の弔問来賓で延べ5千人が参列する。 === 1958年 - 1977年 === *[[1957年]][[9月10日]]に長沼副会長が死去すると、宗教の役割は人生の悩みや苦しみを解決する事だけでは無く、経典・教義とそれに基づく指導によって人格の向上をめざし、幸せな家庭や平和な社会を築いていくことも重要と位置づけ、長沼副会長ら筆頭に行っていた霊能指導から[[根本仏教]]や法華経の研鑽への回帰を強く打ち出し、活動の中心も法華経を背景とする先祖供養・教学研修・人間修養へと移していく。ちなみに教団では長沼副会長存命中の期間を『方便教化の時代』・長沼副会長没後 - 創立40年の期間を『真実顕現の時代』と呼称している。 *また、他の宗派・教団との連携や交流も早くから着手し、[[日蓮宗]]を初めとして<ref>[[池上本門寺]]の[[お会式]]の参加や[[身延山久遠寺]]・小湊 [[誕生寺]]の団体参拝は現在でも頻繁に行われている</ref>[[神社本庁]]、[[天台宗]]、[[妙智会教団]]、[[PL教団]]などとの交流も盛んに行った。また、庭野開祖会長が提唱した「宗教対話」の精神に則り、[[世界宗教者平和会議]](WCRP)、[[新日本宗教団体連合会]](新宗連)には創立メンバーとして当初から参加している<ref>[[1963年]]には、核兵器禁止宗教者平和使節団の一員として庭野開祖会長が訪欧、時の[[ローマ教皇]][[パウロ6世]]と謁見するなど、仏教の枠組みを超え他の宗教とも積極的に交流を重ねた</ref>。 *[[1958年]] ** [[1月5日]] '''本会の本尊が「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊(くおんじつじょうだいおんきょうしゅしゃかむにせそん)」であることを宣言、『真実顕現の時代』を迎える''' *[[1959年]] **[[9月21日]] 同年3月、東京・[[千代田区]]に国立[[千鳥ヶ淵戦没者墓苑]]が創建されたのを機に、宗教団体として初めての「第1回戦没者慰霊祭(後の千鳥ヶ淵戦争犠牲者慰霊法要並びに平和祈願式典)」を開催。 *[[1960年]] ** [[6月1日]] 名称を「立正交成会」から「立正佼成会」に改める ** [[7月16日]] 庭野開祖会長が大聖堂(現 本部修養道場)に勧請する本尊像に納める[[法華三部経]]の[[写経]](胎内経)を[[箱根]]の三昧荘にて始める *[[1962年]] ** 6月1日 会員綱領を発表(これは立正佼成会青年部綱領を基に加筆したもの) **この頃、庭野開祖会長の指示で[[統一教会]]の教えを学んでいた青年部50名ほどが同会に転じ、のちに庭野開祖会長秘書(当時)だった[[久保木修己]]が統一教会日本教会長になったのを初め、統一教会幹部となる者を多数発生させる事態となった。 *[[1963年]] ** [[9月14日]] 庭野開祖会長が「核兵器禁止宗教者平和使節団」副団長として欧米諸国を訪問。ローマ教皇[[パウロ6世]]と会見し平和提唱文を手渡す *[[1964年]] ** [[5月15日]] - [[5月17日]] '''立正佼成会大聖堂落成式典''' ** [[6月30日]] 青年信徒約50人を連れて統一教会日本教会長となった、元青年部・渉外部長の久保木修己が除籍される(松野純孝・新宗教辞典) *[[1965年]] ** 9月14日 庭野開祖会長がイタリアの[[ローマ]]で開かれた[[第2バチカン公会議]]の開会式に出席。ローマ教皇パウロ6世と会見 *[[1969年]] ** [[4月27日]] [[高松市]]で第1回「明るい社会づくり運動推進大会」を開催 ** [[7月18日]] 庭野開祖会長が第20回IARF([[国際自由宗教連盟]])世界大会に出席 * [[1970年]] ** [[4月28日]] 立正佼成会普門館落成式典 ** [[10月16日]] 第1回WCRP(世界宗教者平和会議)が京都で開催され、この会の提唱者でもある庭野開祖会長が共同議長を務める ** [[12月18日]] [[ベトナム戦争]]激化の折、庭野開祖会長が「[[日本宗教連盟]]ベトナム視察団」団長として出発 *[[1973年]] ** [[5月4日]] WCRPが[[国際連合|国連]]NGO(非政府機関)として正式加盟 ** 7月18日 第1回「立正佼成会青年の船」が[[フィリピン]]などに就航 * [[1974年]] ** [[8月28日]] 第2回WCRP([[ベルギー]]・ルーベン)に本会も参加 * [[1975年]] ** [[3月5日]] 庭野開祖会長がミードビル・ロンバード神学[[大学院]]から名誉法学博士号を受ける ** [[4月8日]] フィリピン・バターンにフレンドシップ・タワーを建立 * [[1976年]] ** [[5月28日]] 庭野開祖会長が第1回「ユニクェスト・[[シュバイツァー]]賞」を受賞 ** [[11月25日]] 第1回ACRP(アジア宗教者平和会議)が[[シンガポール]]で開催され、本会も参加 * [[1977年]] ** [[4月7日]] 小湊、若狭の両教会で[[ベトナム]][[難民]]を受け入れ === 1978年 - 1997年 === この時代は人々に法華経の教えを弘め、それまでの経典・教義教育・指導での研鑽による人間修養を引き続き行いつつ、地域社会・国家・世界平和の実現に向けて貢献していく活動にシフトして行った。これにより全国各地で「一食(いちじき)を捧げる運動」や「[[アフリカへ毛布をおくる運動]]」、「[[国際連合児童基金|ユニセフ]]街頭[[募金]]」などが始まり、会員たちはこれらを[[市民運動]]化へと目指し取り組むようになる。またWCRP(世界宗教者平和会議)を中心に[[軍縮]]や[[核兵器]]の廃絶運動など、宗教協力を基盤とした平和活動を展開していった。 * [[1978年]] ** [[1月1日]] 教団創立40周年、'''『普門示現の時代』を迎える''' ** [[6月12日]] 庭野開祖会長がWCRPの名誉議長として第1回[[国際連合|国連]]軍縮特別総会で演説 * [[1979年]] ** [[4月9日]] '''庭野開祖会長が「[[テンプルトン賞]]」を受賞'''(テンプルトン賞はいわゆる、宗教界の[[ノーベル賞]]と言われている) ** [[8月29日]] 第3回WCRP([[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[プリンストン]])に本会も参加 ** [[10月2日]] 庭野開祖会長が「一食を捧げる運動」の国民運動化を訴える * [[1980年]] ** [[6月2日]] 庭野開祖会長が[[イラン]]を訪問し、実効指導者である宗教者[[ホメイニ師]]にアメリカ大使館員らの人質解放を要請 * [[1981年]] ** [[6月29日]] 同宗連(『[[同和問題]]』にとりくむ宗教教団連帯会議)が発足し、本会も加盟 ** [[10月5日]] 平和主義の推進、[[信教の自由]]の堅持、政治倫理の確立、[[行政改革]]の推進など会の政治理念を[[鈴木善幸]][[首相]](当時)や各党首に表明 ** [[11月7日]] 第2回ACRP(アジア宗教者平和会議)が[[インド]]の[[ニューデリー]]で開催され、本会も参加 * [[1982年]] ** [[5月23日]] 新宗連(新日本宗教団体連合会)の「核兵器廃絶軍縮署名運動」に参加 ** [[6月24日]] 庭野開祖会長がIARF(国際自由宗教連盟)会長として第2回国連軍縮特別総会で2度目の演説 * [[1983年]] ** [[4月7日]] 第1回「庭野平和賞」贈呈式。受賞者はブラジルのヘルダー・O・カマラ[[大司教]] * [[1984年]] ** [[7月27日]] 第25回IARF世界大会を開催 ** [[8月23日]] 第4回WCRPを[[ケニア]]の[[ナイロビ]]で開催 ** [[12月15日]] 官民合同による「[[アフリカへ毛布を送る会]]」発足。その後、現在の「アフリカへ毛布をおくる運動」に発展 * [[1986年]] ** [[3月20日]] 庭野日鑛次代(現)会長が[[ローマ教皇庁]]立サレジオ大学から名誉哲学博士号を受ける ** [[6月17日]] 第3回ACRP([[韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]])に参加 ** [[10月27日]] 「アッシジ平和祈願の集い」([[イタリア]])に庭野会長が出席 * [[1987年]] ** [[8月3日]] 「[[比叡山]]宗教[[サミット]]」に庭野開祖会長、庭野次代会長が出席 * [[1988年]] ** [[3月5日]] 教団創立50周年記念式典挙行 ** [[4月15日]] '''立正佼成会青年部(現:青年本部)が[[国連平和賞]]を受賞。'''伝達式を本部大聖堂にて[[明石康]]国連事務次長(当時)臨席の下挙行 ** [[6月8日]] 庭野開祖会長が立正佼成会会長として第3回国連軍縮総会で3度目の演説 * [[1989年]] ** [[1月22日]] 第5回WCRP([[オーストラリア]]・[[メルボルン]])に参加 * [[1991年]] ** [[1月18日]] [[湾岸戦争]]の勃発に対し、WCRP日本委員会が庭野日敬理事長名で「緊急アピール」を発表 ** [[10月29日]] 第4回ACRP([[ネパール]]・[[カトマンズ]])に参加 ** [[11月15日]] '''「法燈継承式」で庭野開祖会長の長男である庭野日鑛が第2代会長に就任''' ** [[12月26日]] 中央学術研究所が[[脳死]]臨調に「脳死[[移植 (医療)|移植]]に関する意見書」を提出 * [[1992年]] ** [[2月28日]] 庭野会長が第2代会長就任後、初の全国巡教がスタート。青年本部に「国際人材塾」「グローバル・ボランティアズ」を開設 ** [[6月7日]] 庭野会長がアメリカ・[[シカゴ]]のミードビル・ロンバード神学大学院から名誉神学博士号を受ける ** [[10月26日]] 新宗連全国総会で庭野開祖が名誉理事長に、庭野会長が副理事長に就任 ** 11月15日 庭野開祖がローマ教皇庁から「大聖グレゴリウス勲章」を受章 * [[1993年]] ** [[7月23日]] [[北海道南西沖地震]]で佼成ボランティア隊を[[奥尻島]]等へ派遣 ** 11月15日 庭野開祖がICCJ([[キリスト教]]・[[ユダヤ教]]国際協議会)から「インターフェイス・メダリオン(宗教対話促進賞)」を受賞 * [[1994年]] ** 1月1日 教団副理事長の内田昌孝が第2代理事長に就任。これにより永年理事長職を務めていた長沼基之は教団特別顧問に退く ** 6月1日 中央学術研究所が「臓器の移植に関する法律案」への見解発表 ** [[11月3日]] 第6回WCRP(イタリア)に参加 ** [[11月17日]] 庭野会長が長女の光代を会長後継者に指名、法名「光祥」を発表 * [[1995年]] ** [[1月17日]] [[阪神・淡路大震災]]で教団本部と現地に災害対策本部を設置。医療団とボランティア隊を派遣し、包括している神戸教会道場を避難所として一般開放した。 ** [[10月5日]] [[宗教法人法]]の改正に対する「意見書」を発表 ** [[10月9日]] [[田沢智治]]法務大臣(佼成学園理事)が辞職。佼成会から借用した2億円を[[政治資金規正法]]による処理をしなかったことと、当時野党第一党だった[[新進党]]に代表質問でこの問題を取り上げないよう裏取引しようとしたことが原因 * [[1996年]] ** 1月1日 教団理事・教務部長の酒井教雄が第3代理事長に就任 ** [[10月15日]] 第5回ACRP([[タイ王国|タイ]]・[[アユタヤ]])に参加 * [[1997年]] ** [[9月26日]] 庭野会長が[[ボスニア]]・[[ヘルツェゴビナ]]を訪問。ボスニア和平に向け、4宗教の指導者と会談 ** [[10月26日]] 庭野会長が中韓日仏教友好交流会議([[京都]]、[[奈良]])に参加 === 1998年 - 現在 === *教団創立60周年([[1998年]])を契機に、教団方針として「一人ひとりの心田を耕す」を新たに目標に掲る。要約すると、「[[無常]]」という仏教の真理(法)を認識し、いのちの尊さに目覚めていくことを意味する。そして、その喜びを一人でも多くの人々に伝え、みんなが共に幸せを味わえる世界を築いていくことを目指すとある。 * [[1998年]] ** 1月1日 「会規」を改正、施行 ** [[3月5日]] 教団創立60周年。'''総合目標「一人ひとりの心田を耕す佼成会」を掲げる''' * [[1999年]] ** [[7月2日]] [[自自公連立政権]]に対する教団見解を発表 (これは、創価学会を支持母体とする[[公明党]]が、それまで会として政治的に支援してきた自民党と[[連立与党]]に参加し、次第に公明党を通じて信仰姿勢、教団の考え方や政治との関わりで相対する創価学会が政府や行政・民間においての影響力が増す事態を踏まえての教団としての考え方・方針を内外に向けて発表したもの) ** [[10月4日]] '''庭野日敬開祖が死去。'''満92歳。[[10月10日]]に挙行された「葬儀・告別式」には会員代表・国内外に渡る各界からの弔問客で本部大聖堂に延べ6万人が参列した。また、この「葬儀・告別式」には、立正佼成会発足以降、交流が皆無となっていた[[霊友会]]より、当時の会長であった[[久保継成]]氏が参列し宗教界で大きなニュースとなる。また全国の各教会と海外の拠点に向けて衛星回線による生中継で放送が配信され「開祖葬」として挙行された。 ** [[11月25日]] 第7回WCRP([[ヨルダン]]・[[アンマン]])に参加 * [[2000年]] ** [[10月1日]] 庭野開祖を顕彰する一乗宝塔が建立 * [[2001年]] ** [[4月11日]] 同宗連(「[[同和問題]]」にとりくむ宗教教団連帯会議)結成20周年式典に参加 ** [[7月9日]] 「靖国神社参拝」に対する意見書を[[小泉純一郎]]首相に提出 ** [[9月2日]] 聖エジディオ共同体主催の「世界宗教者平和のための祈りの集い」([[スペイン]]・[[バルセロナ]])に本会も参加 ** [[9月15日]] 庭野会長が「[[アメリカ同時多発テロ事件]]」に対し、哀悼の意を捧げる緊急談話を発表 ** [[10月17日]] 新宗連(新日本宗教団体連合会)結成50周年式典に参加 ** [[10月23日]] 庭野会長が「米国・同時多発テロ事件」をうけ、WCRP主催の「世界の諸宗教指導者による国際シンポジウム」に参加 * [[2002年]] ** 1月1日 教団理事・総務部長の山野井克典が第四代理事長に就任 ** [[1月24日]] 庭野会長が「平和祈願の日」(イタリア・[[アッシジ]])に参加 ** [[4月7日]] 初代理事長の長沼教団特別顧問が死去 ** [[6月3日]] [[スリランカ]]上座部仏教四法王の連名による平和共同宣言文「東京声明」が発表され、支援 ** [[6月24日]] 第6回ACRP([[インドネシア]]・[[ジョグジャカルタ]])に参加 ** [[7月28日]] 第31回IARF世界大会([[ハンガリー]]・[[ブダペスト]])に参加 ** [[8月3日]] 比叡山宗教サミット15周年記念「平和への祈りとイスラムとの対話集会」に参加 * [[2003年]] ** [[2月18日]] イラク情勢に対するアピール文を小泉首相、[[福田康夫]]官房長官[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ大統領]]、[[サッダーム・フセイン|フセイン大統領]](当時)に提出 ** [[3月20日]] 米英軍によるイラクへの武力行使に対し、庭野会長が緊急談話を発表 ** [[4月13日]] 「イラク緊急救援募金」を全国で実施([[9月30日]]まで) ** [[4月15日]] 中央学術研究所が小泉首相に対し、「クローン人間誕生に対する声明」を提出 ** [[4月25日]] 小泉首相に「『有事関連三法案』に対する意見書を提出 ** 10月28 - 29日 第6回日本・中国・韓国仏教友好交流会議日本大会に本会も参加 ** [[12月8日]] 自衛隊のイラク派遣基本計画閣議決定を前に、「自衛隊イラク派遣に対する意見書」を公表 *[[2004年]] ** 1月下旬 イラクへの自衛隊派遣を受け、山野井克典理事長が談話を発表 ** 4月23 - 28日 第1回仏教とキリスト教のシンポジウム(フォコラーレ運動主催)がイタリアで開催、庭野会長が基調発題を行う ** 5月下旬 庭野日敬開祖生誕100年の企画概要を発表 ** [[6月17日]] 庭野会長が、新宗連([[新日本宗教団体連合会]])理事長に就任 ** [[7月30日]] 庭野会長が、日宗連([[日本宗教連盟]])理事長に就任 ** [[12月28日]] 本会一食平和基金運営委員会が、12月26日に発生した[[インドネシア]]・[[スマトラ島沖地震]][[津波]][[災害]]に対し、総額5200万円の緊急支援を決定 *[[2005年]] ** [[3月11日]] 「臓器移植法改正に対する提言」を発表 ** [[3月22日]] 庭野会長が、WCRP日本委員会第3代理事長に就任 ** [[4月2日]] [[ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世]]が死去。庭野会長が[[バチカン]]諸宗教対話評議会へ哀悼のメッセージを送る ** [[4月24日]] 庭野会長が、[[ベネディクト16世]]の第265代ローマ教皇就任ミサ(バチカン)に出席 *[[2006年]] ** [[1月1日]] 開祖生誕100年を迎える ** 3月26 - 30日 第32回IARF世界大会(台湾・佛光山)に立正佼成会も参加 ** 4月24 - 27日 第2回仏教とキリスト教シンポジウム([[比叡山延暦寺]])に本会も参加 ** [[5月14日]] 開祖記念館 庭野日敬の世界が本部法輪閣横に開館 ** 8月中旬 イスラエル軍とレバノン民兵組織「ヒズボラ」との紛争による中東危機に際し、立正佼成会一食平和基金から1000万円を緊急支援 ** [[8月21日]] 初の「WCRP青年世界大会」、(25日まで、広島、京都)同女性会議が開催(24、25日、京都)され、本会も参加 ** 8月26 - 29日 第8回WCRP「WCRPⅧ」世界大会に立正佼成会が参加・運営の支援を行う ** 10月25 - 26日 第9回日本・中国・韓国仏教友好交流会議日本大会(京都・奈良)に本会も参加 ** [[11月15日]] 「生誕100年 開祖生誕会」式典が行われる ** [[12月7日]] 山野井克典理事長名による「臓器移植改正案に対する提言」を改めて発表 *[[2007年]] ** 5月2 - 7日 庭野会長が台湾の[[慈済基金会]]本部を訪問 [[釈証厳]]法師と会談 ** [[8月1日]] 一食平和基金から[[新潟県中越沖地震]]の被害に対し、2700万円を緊急支援 ** 8月3 - 4日 比叡山宗教サミット20周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」(比叡山延暦寺)が開催され本会も参加 ** [[10月1日]] 「[[ミャンマー]]国内の安定と秩序回復を祈る声明文」を公表 *[[2008年]] ** [[1月1日]] 教団理事・布教本部長の渡邊恭位が第五代理事長に就任 ** [[3月5日]] 教団創立70周年。「み仏さまとの結縁」の名の下、青年各部会員向け本部団体記念参拝(団参)が始まる **4月 教団CIマークの発表とラジオCMの放送開始 ** [[9月23日]] 東京・千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて、立正佼成会主催による「第50回千鳥ヶ淵戦争犠牲者慰霊法要並びに平和祈願式典」を開催 ** [[10月31日]] 庭野会長が新宗連(新日本宗教団体連合会)の理事長を退任し、特別顧問に就任 == 政治への考え方と関わり == *政治的には、当初[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]を中心に旧[[新自由クラブ]]や[[民社党]]の候補者も支援していた。しかし、[[1999年]]に自民党が[[創価学会]]を母体とする[[公明党]]と[[連立政権]]を組むと([[小渕内閣第2次改造内閣]]以降)、創価学会との相反関係から自民党とは一定の距離を置き、教団としての統制を緩め選挙区単位で政策の方針・利害が一致する候補者(現在はその対象が主に[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]候補である場合が多い)を支援するようになった。 *[[2001年]]の[[第20回参議院議員通常選挙|参院選]]では民主党の[[佐藤道夫]](当選)を支援した他、[[新党・自由と希望]]を結党して出馬した[[白川勝彦]](元:自民党[[衆院議員|衆議院議員]]・[[自治大臣]])を支援したものの落選に終わっている。[[2004年]]の[[第20回参議院議員通常選挙|参院選]]では民主党から全国比例区で初出馬した[[藤末健三]]を支援し、当選後も機関紙に定期的に投稿するなど関係を強めている。他に、前[[朝鮮日報]] ([[韓国]]4大新聞の一つ) 日本支社長の[[白眞勲]]も同時に推薦を受けて参院選に出馬・当選、タレントの[[蓮舫]]も支援を受け<ref>[http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004032201003893.html 蓮舫さんが参院選出馬表明 立正佼成会が支援予定]</ref>当選を果した。 *2004年、2005年の衆議院議員選挙、参議院議員選挙では信者の自由投票となり、民主党への支援へと移行した。 *[[2007年]]の[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]ではいずれも民主党の[[風間直樹]]・[[大島九州男]]を支援した一方、自民党から出馬した元[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]の[[川口順子]]を支援し、3名とも当選した。 *[[2009年]]の[[第45回衆議院議員総選挙]]では、自由投票で自民党候補を支援する信者は極少数となった。 == 活動・動向 == *かつて[[創価学会]]と立正佼成会は、お互い教勢を伸ばす途上においての活動に、様々な行過ぎや人権侵害等の公共の福祉に反するものがあるという訴えが各方面より度々なされた上に(創価学会の[[折伏大行進]]は数多のトラブル(一部は刑事事件に発展)や人権蹂躙と、佼成会の霊感指導は多くの問題と誤解を生むこととなった)、[[戸田城聖]]創価学会第二代会長(当時)主導の下、先述の折伏大行進で「西の[[天理教]]」と共に「東の立正佼成会」を撲滅掃討させよとの運動が全国的に繰り広げられたため、昭和20年代後半から40年代初頭に掛けて創価学会と立正佼成会での非難合戦は他教団をしのぎ熾烈を極めた。またこうした動向が国会でも取り上げられる問題となり、[[衆議院]]の[[法務委員会]]の調査結果に基き、[[1956年]]3月6日、不当な宗教活動に対して警告を発する「不正なる宗教活動に対する決議」が満場一致でなされたことがある。 *1956年(昭31年)教勢の急激な拡大による、佼成学園をはじめとする教団本部関連施設の建設用地取得に絡む不正取引などに始まる読売新聞の報道等によって、教団幹部を含む会員延べおよそ7万人の大量退会騒動に発展する。 そして霊能指導を行っていた長沼のカリスマ性故の「長沼教祖・庭野会長待望論」・「長沼新教団独立論」が水面下で一部の教団幹部より発せられ騒動になる(いわゆる「連判状事件」)など、庭野をはじめ長沼や教団幹部・会員自身も教団内外において激動の時期であった。 前出の創価学会折伏事件とともに庭野開祖会長と長沼副会長は教団としての一大試練と受け止め、「第一の階梯」「第二の階梯」「第三の階梯」として教団と会員同士の結束と教義の明確化、教義の指導・教化の充実を図るべく、庭野開祖会長と長沼副会長を筆頭に会員総出で布教活動と機構改革に奔走することとなる。(後年この事を庭野開祖会長は自ら修業精進し戒める礎として自著に残しており昭和33年からの「真実顕現」時代の切っ掛けともなっている) そして青年部内に「報道事実調査委員会」という内部組織が立ち上がり、読売側の報道内容の真偽の精査と共に、会員の勧誘方法や運営に当たっての諸問題を会長・教団に提言した(翌1957年〔昭32年〕9月10日に長沼副会長は死去する)。 *ここ数年は東南アジア地域において教勢の伸出が盛んである。 *そして草創期より社会奉仕活動が大変活発で、[[第二次世界大戦]]当時は会の所有地のうち、布教活動に必要な場所以外の土地を、開祖会長はじめ会員有志で自ら耕し、収穫された作物の一部を生活に困窮する会員や地域の人々に配布したのが始まりである。近世では先項記述の「一食を捧げる運動」、「ユニセフ街頭募金」、「アフリカに毛布を送る運動」など教団を挙げて行う活動(または官民合同の[[慈善事業]])と、各教会単位で地域の清掃奉仕、施設慰問、障害者施設の奉仕活動などが行われている。また毎年5月の第3日曜日を「青年の日」とし、全国の青年部員が各教会単位で企画準備したイベント、慈善作業、ユニセフ街頭募金などが行われており、この日の正午に「平和の祈り」という黙祷を捧げている。また、「青年教育課程」となる仏教や佼成会の教えを学ぶ勉強会があり、多くの青年部員が受講している。 *またWCRP(世界宗教者平和会議)などの後方支援もしており、1970年10月と2006年8月に京都で開催されたWCRPⅠ・WCRPⅧ(第1回・第8回世界宗教者平和会議)総会と各部会の運営・側方支援を会を挙げて行ったり、新宗連(新日本宗教団体連合会)や日宗連(日本宗教連盟)などを通じた他宗派や他宗教団体との協調・連携活動も活発である。立正佼成会自体は日蓮宗系の宗教団体であるが、比叡山延暦寺を通じて天台宗との繋がりも大きい。 *かつては、霊感指導等で問題となったが、現在では、[[日蓮宗]]、[[神社本庁]]、[[天台宗]]、[[PL教団]]、[[善隣教]]、[[妙智会教団]]、[[ローマ教皇庁]]などとの交流も盛んで、平和主義を掲げているため、他の法華系の新宗教(創価学会、[[冨士大石寺顕正会]]など)に比べて、比較的穏健な立場を取っている。 *[[アメリカ合衆国]]、[[ブラジル]]、[[台湾]]、[[大韓民国|韓国]]、[[香港]]、[[オーストラリア]]、[[シンガポール]]、[[ロシア]]、[[スイス]]、[[イギリス]]、[[タイ王国|タイ]]、[[バングラデシュ]]、[[ネパール]]、[[スリランカ]]、[[インド]]に同会の拠点がある。 == 施設 == == 関連施設・団体 == === 病院 === * [[立正佼成会附属佼成病院]] === 文化団体、施設・教育機関 === * [[東京佼成ウインドオーケストラ]] * [[普門館]] - 1977年と1979年に[[ヘルベルト・フォン・カラヤン|H.V.カラヤン]]指揮の[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]が演奏したことで知られており、長年[[全日本吹奏楽コンクール]]([[全日本吹奏楽連盟|社団法人全日本吹奏楽連盟]]・[[朝日新聞社]]主催)全国大会の[[中学校|中学]]の部・[[高等学校|高校]]の部の演奏会場となっている。 * 佼成カウンセリング研究所(こころの悩みの無料相談) * 教育者教育研究所 * 家庭教育研究所 * 佼成武徳会(剣道を通して心身の鍛練と人間教育) * 佼成学林(法華経精神に基づく人材育成を行い、当会職員や他方教育機関等の幹部候補を養成している) * 芳澍女学院情報国際専門学校 * 佼成育子園(保育・幼稚園) * [[佼成学園中学校・高等学校|佼成学園中学校・高等学校(男子校)]] * [[佼成学園女子中学校・高等学校]] * 府中佼成幼稚園 * [[佼成図書館]](1993年TBS金曜ドラマ「高校教師」で二宮繭と教師の羽村が図書館で鬼ごっこをするシーンのロケ地である) * 立正佼成会附属佼成霊園 * 庭野平和財団(宗教的精神を基盤とした平和のための思想・文化・科学・教育等の研究と諸活動、また世界平和の実現と人類文化の高揚に寄与する研究と諸活動への助成) * よく間違われるが[[立正大学]]とは無関係である。 === 出版 === * [[佼成出版社]] === 保険・その他マネジメント事業体 === * 立花産業 * 佼成ライフプラン(葬祭業・保養施設、有料老人ホーム、通所および訪問介護施設などの管理運営) == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * [[井上順孝]] 『現代宗教事典』ISBN 4335160372 * 井上順孝 『新宗教・教団人物事典』ISBN 4335160283 * 井上順孝 『新宗教事典』ISBN 4335160259 * 松野純孝『新宗教辞典』(東京堂出版) * [[朝日新聞社]] 『二十世紀の千人8』ISBN 4022586060 * [[溝口敦]] 『宗教の火遊び』ISBN 4093893942 * 別冊宝島461号『[[「救い」の正体]]』ISBN 4796694617 * 別冊宝島編集部『「カルト」の正体』宝島社文庫 ISBN 4796616853 * 『人権事件警告・要望例集』(1977日本弁護士連合会人権擁護委員会) * [http://www.akashi.co.jp/menue/siries/nichibenren/main.htm 『日弁連 人権侵犯申立事件警告・勧告・要望例集』]明石書店 ISBN 4750322172 == 外部リンク == * [http://www.kosei-kai.or.jp/ 立正佼成会] * [http://www.kosei-shuppan.co.jp/ 佼成出版社] * [http://www.tkwo.jp/ 東京佼成ウインドオーケストラ] * [http://www.kosei-hp.or.jp/ 立正佼成会附属佼成病院] * [http://www.kosei-kai.or.jp/030katsudo/0308/030807/ 立正佼成会附属佼成図書館] * [http://www.kosei.ac.jp/kosei_danshi/ 佼成学園中学高等(男子)学校] * [http://www.kosei.ac.jp/kosei_joshi/ 佼成学園女子中学高等学校] * [http://www.kosei-ikujien.jp/ 佼成育子園] * [http://www.gakurin.jp/b0000/b1000/# 佼成学林] * [http://www.hoju.ac.jp/ 芳澍女学院情報国際専門学校] * [http://park23.wakwak.com/~kendo/index.html 佼成武徳会] * [http://www.kosei-kai.or.jp/030katsudo/0308/030808/ 佼成カウンセリング研究所] * [http://kateikyoiku.jp/index.html 家庭教育研究所] * [http://www.kyoken-erit.jp/ 教育者教育研究所] * [http://www.tachibana-s.co.jp/ 立花産業株式会社] * [http://www.lifeplan-group.com/ (株)佼成ライフプラン] * [http://www.npf.or.jp/index.html 庭野平和財団] {{戦前までに日本で発祥した新宗教}} {{新宗教}} {{DEFAULTSORT:りつしようこうせいかい}} [[Category:立正佼成会|*]]