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== 12世紀の歴史 == | == 12世紀の歴史 == |
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'''12世紀'''(じゅうにせいき)とは、[[西暦]][[1101年]]から西暦[[1200年]]までの100年間を指す。 == 12世紀の歴史 == === ヨーロッパ === 西ヨーロッパでは、前世紀に続き二度、第二回、第三回の[[十字軍]]の遠征が行なわれた(詳しくは以下の「西アジア」の節を参照)。また、[[古典]]の文化がイスラム・[[ビザンティン|ビザンツ]]の文化を経由してヨーロッパに伝えられ、[[哲学]]、[[美術]]、[[文学]]などの分野でも新しい動きを見せた([[12世紀ルネサンス]])。 === 西アジア === 十字軍に対するイスラムの反撃が始まり、[[1144年]]に[[シャンルウルファ|エデッサ]]が陥落する。これを受け、[[第二回十字軍]]が[[シリア]]の[[ダマスカス]]を攻撃したが、敗退した。[[1187年]]、[[アイユーブ朝]]の[[スルタン]]、[[サラーフッディーン]]により[[エルサレム王国]]軍が壊滅し([[ヒッティーンの戦い]])、約90年ぶりに[[エルサレム]]が[[イスラム]]側によって奪還された。この事件は第3回十字軍遠征(1189年-1192年)に発展したが、[[イングランド]]と[[フランス]]、そして[[神聖ローマ帝国]]の十字軍は薄く延びる沿岸地域の奪還にとどまった(ただし、[[休戦協定]]により[[キリスト教徒]]のエルサレム巡礼の自由は保証された)。 === 東アジア === ==== 中国 ==== [[中国]]では、[[遼]]朝に服属していた[[女真]]の反乱により[[金 (王朝)|金]]朝が建国された。金朝はその10年後には遼朝および[[北宋]]を滅ぼし北半を征服、新たに再興した南半を征する[[南宋]]と対峙することになる。 ==== 日本 ==== [[平安時代]]後期から[[鎌倉時代]]最初期にあたる。 [[皇室|天皇家]]・[[摂家|摂関家]]を巻き込む政争「[[保元の乱]]」「[[平治の乱]]」により[[武士]]の政治的地位が上昇した。両乱で活躍した[[平清盛]]の打ち立てた[[平氏政権]]が栄えたが、[[治承・寿永の乱]](源平合戦)における最終決戦「'''[[壇ノ浦の戦い]]'''」で[[清和源氏|源氏]]を筆頭とする勢力が勝利し[[平家]]が滅亡したことにより、源氏の頭領[[源頼朝]]による新たな[[武家政権]]、[[鎌倉幕府]]の成立に至る。 == できごと == * 1101年 - 大[[地震]]により[[興福寺]]金堂・大門倒壊する。興福寺と[[金峰山]]の僧徒争う。 * 1102年 - 北宋の[[蔡京]]が「元祐党籍碑」を建て、旧法党関係者を追放する。 * 1102年 - [[村上源氏]]が公卿の過半数を占める。 * 1107年 - [[堀河天皇]]が没し、宗仁親王が即位(第74代[[鳥羽天皇]])。 * 1107年 - 英国での[[叙任権闘争]]の終わりを意味するウェストミンスター合意なる([[アンセルムス]]の項参照)。 * 1115年 - 女真族の[[阿骨打|完顔阿骨打]]が金を建国。 * 1118年 - アラゴン王アルフォンソ1世のサラゴサ占領。サラゴサはアラゴンの首都となる。 * 1120年 - 北宋と金との[[海上の盟]]が結ばれる。北宋で[[方臘の乱]]が起こる。 * 1122年 - [[神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]と[[ローマ教皇]][[カリストゥス2世 (ローマ教皇)|カリストゥス2世]]が[[ヴォルムス協約]]を締結。叙任権闘争に一応の終止符をうつ。 * 1123年 - 鳥羽天皇が譲位し、第75代[[崇徳天皇]]が即位する。 * 1125年 - 金が遼を滅ぼす。 * 1126年 - [[靖康の変]]が起き、金が北宋を滅ぼす。翌年北宋皇帝の弟[[高宗 (宋)|趙構]]が[[南京市|南京]]で南宋を立てる。 * 1127年 - 新立の[[荘園]]を停止する(大治の荘園停止令)。 * 1130年 - [[ノルマン人]]が南[[イタリア]]・[[シチリア]]に[[シチリア王国]]を建国。 * 1131年 - コンスタンティノポリス総主教から[[キエフ大公]][[ユーリー・ドルゴルーキー]]に「[[ウラジーミルの聖母]]」が贈られる。 * 1132年 - 遼の皇族[[耶律大石]]が[[西遼]]を建国。 * 1137年 - アラゴン王国とバルセロナ伯国の連合によるアラゴン連合王国の成立。 * 1139年 - [[ポルトガル王国]]が建国される。 * 1140年 - [[スコットランド]]王[[デイヴィッド1世 (スコットランド王)|デイヴィッド1世]]がイングランドより[[カーライル (イングランド)|カーライル]]の[[貨幣]]鋳造所を支配下に納め、スコットランドで初めて[[硬貨|コイン]]を製造。 * 1142年 - 南宋と金の[[紹興の和議]]。 * 1142年 - 崇徳天皇が譲位し、第76代[[近衛天皇]]が即位。 * 1147年 - [[第2回十字軍]](-1149年)。 * 1147年 - [[ムワッヒド朝]]が[[ムラービト朝]]を滅ぼす。 * 1155年 - [[スウェーデン]]王[[エリク9世]]、[[フィンランド]]遠征。[[北方十字軍]]始まる。 * 1155年 - 近衛天皇が没し、第77代[[後白河天皇]]が即位。 * 1156年 - 保元の乱。 * 1158年 - 後白河天皇が譲位し、第78代[[二条天皇]]が即位。 * 1159年 - 平治の乱。 * 1161年 - 金が南宋との采石機の戦いで敗北。 * 1164年 - [[平重盛]]、[[正三位]]に叙される。 * 1164年 - 南宋と金の隆興の和議(乾道の和議)。 * 1165年 - 二条天皇が譲位し、第79代[[六条天皇]]が即位。 * 1167年 - 平清盛、[[太政大臣]]となる。 * 1168年 - [[朱熹]]と[[陸九淵]]の鵞湖の会がもたれる。 * 1168年 - 六条天皇が譲位し、第80代[[高倉天皇]]が即位。 * 1169年 - サラーフッディーンが[[エジプト]]の支配者となり、アイユーブ朝を興す。 * 1171年 - エジプトの[[ファーティマ朝]]が断絶。 * 1174年 - 平清盛が[[大輪田泊]]([[神戸市|神戸]])に経が島(経ヶ島)を築く。 * 1176年 - [[レニャーノの戦い]]で[[ロンバルディア同盟]]が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に勝利。 * 1177年 - 後白河法皇の側近達が[[鹿ケ谷の陰謀]]を企てるが失敗。 * 1180年 - 高倉天皇が譲位し、第81代[[安徳天皇]]が即位。 * 1180年 - 源頼朝が[[平氏]]に対して挙兵。[[福原京#福原行幸|福原行幸]]。 * 1183年 - 平氏とともに西走した安徳天皇と並立して第82代[[後鳥羽天皇]]が即位。 * 1185年 - 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。安徳天皇は祖母[[平時子]]に抱かれて入水し8歳で崩御。 * 1187年 - ヒッティーンの戦い。アイユーブ朝のサラーフッディーンによりエルサレム王国の十字軍が壊滅。 * 1189年 - スコットランド王[[ウィリアム1世 (スコットランド王)|ウィリアム1世]]、イングランドからの主権を回復(カンタベリー協定)。 * 1189年 - 第3回十字軍(-1192年)。 * 1189年 - [[奥州合戦]]により[[奥州藤原氏]]滅亡。 * 1191年 - [[アルスフの戦い]]により[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]の十字軍がサラーフッディーンを撃退。 * 1192年 - 源頼朝が[[征夷大将軍]]となる(一般的にはこれを以って、鎌倉時代の始まりとされる)。 * 1193年 - [[曾我祐成]]・[[曾我時致]]兄弟が父の仇[[工藤祐経]]を討つ([[曾我兄弟の仇討ち]])。 * 1193年 - [[ゴール朝]]の将軍ムハンマド・バフティヤール・ハルジーがインドの[[ナーランダ大学|ナーランダ寺院]]を破却。 * 1194年 - 南宋の孝宗(太上皇帝)が死去。皇帝[[光宗]]が趙汝愚・韓侂冑らに廃位され[[寧宗]]が即位(紹煕の内禅)。 * 1194年 - [[ホラズム・シャー朝]]が[[セルジューク朝]]を滅ぼし、[[イラン]]・[[イラク]]を制圧。 * 1195年 - アラコルスの戦いでムワッヒド朝の[[ヤアクーブ・マンスール]]がカスティーリャ軍に勝利。 * 1196年 - [[慶元の党禁]]により[[朱熹]]の学派が弾圧される。 * 1197年 - ムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールが哲学を禁止し哲学者イブン・ルシュドを追放。 * 1198年 - 後鳥羽天皇が譲位し、第83代[[土御門天皇]]が即位。 == フィクションのできごと == * 1193年 - [[saku saku]]に出てくるアパート「エスポワ〜ル横浜第2」が数々の名宮大工の手によって完成。 == 人物 == === キリスト教世界 === ==== フランス ==== * [[ギヨーム9世 (アキテーヌ公)|ギヨーム9世]]([[1071年]] - [[1126年]]) - 南フランスのアキテーヌ公(在位[[1088年]] - [[1126年]])・「最初の[[トルバドゥール]]」と称される * [[ピエール・アベラール]]([[1079年]] - [[1142年]]) - [[神学者]]・[[スコラ学|スコラ学者]](唯名論者)・[[エロイーズ]]との恋とそれに伴う[[去勢]]でも有名 * [[シュジェール]]([[1081年]]頃 - [[1151年]]) - [[サン=ドニ]]修道院長・国王ルイ7世不在の際の[[摂政]]・[[サン=ドニ大聖堂]]を建立・歴史家でもある * [[クレルヴォーのベルナルドゥス|クレルヴォーのベルナール]]([[1090年]] - [[1153年]]) - [[シトー会]]修道院長・神学者・説教者・[[教会博士]](甘蜜博士)・第2回十字軍を勧請 * 尊者ピエール([[1094年]] - [[1156年]]) - クリュニー修道院長・「トレド集成」の作成を指導し[[12世紀ルネサンス]]の研究に貢献 * [[サン・ヴィクトルのフーゴー]]([[1096年]] - [[1141年]]) - キリスト教神学者・サン・ヴィクトル学派の創始者・著作に『ディダスカリコン』がある * [[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]([[1120年]] - [[1180年]]) - [[カペー朝]]のフランス国王(在位[[1137年]] - [[1180年]])・第2回十字軍に参加 * [[クレティアン・ド・トロワ]]([[1135年]]頃 - [[1183年]]頃) - フランスの吟遊詩人・『聖杯の騎士ペルスヴァル』など[[騎士道物語]]を作品とする * [[ピーター・ワルドー|ピエール・ヴァルドー]]([[1140年]] - [[1218年]]?) - [[ワルドー派]]の始祖・[[リヨン]]出身の商人だったが[[巡回説教者]]になり教会に破門される * [[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]](尊厳王) ([[1165年]] - [[1223年]]) - フランス王(在位[[1180年]] - [[1223年]])・第3回十字軍参加 ==== イングランド ==== * [[スティーブン (イングランド王)|スティーブン]] ([[1096年]] - [[1154年]]) - [[ブロワ朝]]唯一のイングランド王(在位[[1135年]] - [[1154年]])・[[無政府時代 (イングランド)|無政府時代]]の内乱を招来 * [[マティルダ (神聖ローマ皇后)|マティルダ]]([[1102年]] - [[1167年]]) - イングランド王ヘンリー1世の王女・スティーブンと王位継承を争う・ヘンリー2世の母 * [[アリエノール・ダキテーヌ]]([[1122年]] - [[1204年]]) - [[アキテーヌ地域圏|アキテーヌ]]女公・フランス王[[ルイ7世]]王妃からイングランド王[[ヘンリー2世]]王妃となる * [[ヘンリー2世]]([[1133年]] - [[1189年]]) - アンジュー伯・[[プランタジネット朝]]の初代イングランド国王(在位[[1154年]] - [[1189年]]) * [[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]](獅子心王)([[1157年]] - [[1199年]]) - イングランド王([[1189年]] - [[1199年]])・第3回十字軍参加 * [[ジョン (イングランド王)|ジョン]](欠地王) ([[1167年]] - [[1216年]]) - イングランド王(在位[[1199年]] - [[1216年]])・兄リチャード1世に代わり国政を担当 * [[ロビン・フッド]](生没年不詳) - イングランドの伝説上の[[義賊]]・国王リチャード1世が十字軍で不在の時期に圧政に抵抗したとされる * [[バースのアデラード]]([[1080年]]頃 - [[1152年]]頃) - イングランド出身の学者・[[エウクレイデス]]『[[原論]]』や[[フワーリズミー]]『天文表』を翻訳 * [[ジェフリー・オブ・モンマス]]([[1100年]]頃 - [[1155年]]頃) - イングランドの聖職者・歴史家・[[アーサー王伝説]]を織り交ぜ『[[ブリタニア列王史]]』を執筆 * {{仮リンク|ソールズベリーのジョン|en|John of Salisbury}}([[1115年]]? - [[1180年]]) - イングランド出身の聖職者・[[シャルトル学派]]の一人・著作に『メタロギコン』がある * [[トマス・ベケット]]([[1118年]] - [[1170年]]) - イングランドのカンタベリー大司教・教会勢力を擁護しヘンリー2世に暗殺される ==== スコットランド ==== * [[デイヴィッド1世 (スコットランド王)|デイヴィッド1世]] ([[1080年]] - [[1153年]]) - スコットランド王(在位[[1124年]] - [[1153年]])・カーライルの貨幣鋳造所を獲得 * [[ウィリアム1世 (スコットランド王)|ウィリアム1世]]([[1143年]] - [[1214年]]) - スコットランド王(在位[[1165年]] - [[1214年]])・イングランドとカンタベリー協定を締結 ==== イタリア ==== * [[カリストゥス2世 (ローマ教皇)|カリストゥス2世]]([[1065年]]/[[1068年]]? - [[1124年]]) - ローマ教皇(在位[[1119年]] - [[1124年]])・[[ヴォルムス協約]]により叙任権闘争を終わらせる * [[ルッジェーロ2世]]([[1095年]] - [[1154年]]) - [[オートヴィル朝]]の初代シチリア王(在位[[1130年]] - [[1154年]]) * アルノルド・ダ・ブレシア([[1100年]]? - [[1155年]]) - ローマの参事会員・教会改革を訴えて教皇を放逐し共和政を樹立・後に火刑にされる * [[ヨハンネス・グラティアヌス]]([[1100年]]? - [[1150年]]?) - [[ボローニャ]]の法学者・『グラティアヌス教令集』を精選し「[[教会法|カノン法]]の父」と呼ばれる * [[ペトルス・ロンバルドゥス]]([[1100年]]頃 - [[1160年]]) - キリスト教神学者・『命題集(センテンティエ)』を著し「命題集の師」と呼ばれる * [[フィオーレのヨアキム]]([[1135年]] - [[1202年]]) - [[シトー会]]修道院長・[[ヨアキム主義]]と呼ばれる[[終末論]]的神秘思想を唱えるが異端ともされる ==== イベリア半島 ==== * [[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]([[1109年]] - [[1185年]]) - ポルトガル王国[[ブルゴーニュ王朝|ボルゴーニャ朝]]初代国王(在位[[1139年]] - [[1185年]])・[[リスボン攻防戦]]で[[リスボン]]を獲得 ==== 神聖ローマ帝国 ==== * [[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]([[1086年]] - [[1125年]]) - ザーリアー朝の神聖ローマ皇帝(在位[[1111年]] - [[1125年]])・[[ヴォルムス協約]]を締結 * [[コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート3世]]([[1093年]] - [[1152年]]) - [[ホーエンシュタウフェン朝|シュタウフェン朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1138年]] - [[1152年]])・第2回十字軍参加 * [[フライジングのオットー]]([[1114年]] - [[1158年]]) - フライジング司教・皇帝コンラート3世の異父弟・歴史家として[[普遍史]]『年代記』を執筆 * [[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]](赤髭王)([[1123年]] - [[1190年]]) - シュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(在位[[1152年]] - [[1190年]])・第3回十字軍参加 * [[ヒルデガルト・フォン・ビンゲン|ビンゲンのヒルデガルト]]([[1098年]] - [[1179年]]) - ドイツの[[ベネディクト会]]系女子修道院長・神秘家・作曲家・薬学者 ==== 北欧 ==== * {{仮リンク|エリク9世(聖王)|en|Eric IX of Sweden}}(? - [[1160年]]) - エリク家のスウェーデン王(在位[[1150年]] - [[1160年]])・フィンランド遠征(北方十字軍)に参加 ==== 東ローマ帝国 ==== * [[アンナ・コムネナ]]([[1083年]] - [[1153年]]) - 東ローマ皇帝[[アレクシオス1世コムネノス]]の皇女・女流歴史家で『アレクシアド』の著者 * [[マヌエル1世コムネノス|マヌエル1世]]([[1118年]] - [[1180年]]) - 東ローマ帝国[[コムネノス朝]]第3代皇帝(在位[[1143年]] - [[1180年]])・ローマ帝国の再興を目指す * [[イサキオス2世アンゲロス|イサキオス2世]]([[1156年]] - [[1204年]]) - 東ローマ帝国[[アンゲロス朝]]初代皇帝(在位[[1185年]] - [[1195年]])・兄弟争いで[[第4回十字軍]]を招く * ヤコボス・コッキノバフォス(生没年不詳) - 東ローマ帝国の修道士・ギリシア語による彩色写本『聖母マリア讃詞集』を作成 ==== 東欧 ==== * [[ステファン・ネマニャ]]([[1113年]] - [[1200年]]) - セルビア王国ネマニッチ朝初代国王(在位[[1171年]] - [[1196年]])・ヒランダル修道院を創建 * [[イーホル・スヴャトスラーヴィチ|イーゴリ・スヴャトスラーヴィチ]]([[1151年]] - [[1202年]]) - ロシアの[[ノーウホロド=シーヴェルシクィイ|ノヴゴロド・セーヴェルスキイ]]公・『[[イーゴリ遠征物語]]』の主人公 ==== 十字軍国家 ==== * [[ボードゥアン1世 (エルサレム王)|ボードゥアン1世]]([[1065年]]頃 - [[1118年]]) - [[第1回十字軍]]の指導者の一人・初代エルサレム王(在位[[1100年]] - [[1118年]]) * [[ギヨーム・ド・ティール]]([[1130年]]頃 - [[1186年]]) - [[ティルス]]大司教・[[ボードゥアン4世]]の家庭教師・歴史家として『エルサレム王国史』を残す * [[ボードゥアン4世]]([[1161年]] - [[1185年]]) - エルサレム国王(在位[[1174年]] - [[1185年]])・重病ながらも[[モンジザールの戦い]]では勝利を得る * [[ギー・ド・リュジニャン]]([[1159年]] - [[1194年]]) - エルサレム国王(在位[[1186年]] - [[1192年]])・ハッティンの戦いで敗れてエルサレムを喪失 === イスラム世界 === * [[ガザーリー]]([[1058年]] - [[1111年]]) - ペルシアのイスラム神学者・哲学者・神秘主義者([[スーフィー]])・著作に『哲学者の矛盾』がある * イブン・トゥーマルト([[1080年]]頃 - [[1130年]]頃) - ベルベル人のマフディー(救世主)・[[タウヒード|神の唯一性]]を唱えムラービト朝に反抗 * [[サナーイー]](? - [[1131年]]/[[1134年]]/[[1150年]]) - ペルシアの神秘主義詩人・代表作に「真理の園」があり[[アッタール]]や[[ルーミー]]に影響を与える * [[アフマド・サンジャル]]( [[1086年]] - [[1157年]]) - 統一セルジューク朝の最後のスルタン(在位[[1118年]] - [[1157年]])・王朝の再興に一時的に成功する * [[ザンギー]]([[1087年]]? - [[1146年]]) - [[アタベク]]政権[[ザンギー朝]]の初代君主(在位[[1127年]] - [[1146年]])・十字軍への組織的抵抗を開始 * [[アブドゥルムウミン]]([[1094年]] - [[1163年]]) - ムワッヒド朝の初代[[アミール]](在位[[1130年]] - [[1163年]])でイブン・トゥーマルトの後継者 * [[イブン・バーッジャ]]([[1095年]]? - [[1138年]]) - ムラービト朝の宰相・西方イスラム哲学の始祖・著作に『孤独者の経綸』がある * [[イドリースィー]]([[1099年]]/[[1100年]]? - [[1165年]]/[[1166年]]/[[1180年]]?) - シチリア王に仕えた地理学者・世界地図『ルッジェーロの書』を作成 * [[イブン・トファイル]]([[1105年]]-[[1185年]]) - ムワッヒド朝に仕えた侍医・西方イスラム哲学者・著作に『ヤクザーンの子ハイイの物語』がある * [[ヌールッディーン]]([[1118年]] - [[1174年]]) - アタベク政権ザンギー朝の第2代君主(在位[[1146年]] - [[1174年]])・[[エデッサ伯国|エデッサ伯領]]を滅ぼす * [[イブン・ルシュド]]([[1126年]] - [[1198年]]) - ムワッヒド朝の西方イスラム哲学の中心人物・ガザーリーの論敵・著作に『矛盾の矛盾』がある * [[モーシェ・ベン=マイモーン|マイモニデス]]([[1135年]] - [[1204年]]) - スペイン出身の[[ユダヤ教徒]][[ラビ]]・哲学者・サラーフッディーンの侍医・著作に『[[ミシュネー・トーラー]]』がある * [[サラーフッディーン]]([[1138年]] - [[1193年]])- アイユーブ朝の初代君主(在位[[1171年]] - [[1193年]])・イェルサレムを十字軍から奪回 * [[ニザーミー]]([[1141年]] - [[1209年]]) - ペルシアの詩人・『[[ホスローとシーリーン]]』『[[ライラとマジュヌーン]]』の作者 * [[イブン・ジュバイル]]([[1145年]] - [[1217年]]) - ムワッヒド朝の旅行家・アラビアからエジプトそしてシチリアを遍歴した『旅行記』がある * スフラワルディー([[1155年]] - [[1191年]]) - ペルシアのイスラム神学者・神秘主義者で照明学派(イシュラーク派)の祖・保守派と対立し獄死 * [[ヤアクーブ・マンスール]](? - [[1198年]]) - ムワッヒド朝のアミール(在位[[1184年]] - [[1198年]])・王朝の最盛期・哲学者[[イブン・ルシュド]]を追放 * [[アラーウッディーン・テキシュ]](? - [[1200年]]) - ホラズム・シャー朝の第6代君主(在位[[1172年]] - [[1200年]])・イラクのセルジューク朝を滅ぼす * [[ギヤースッディーン・ムハンマド]](? - [[1203年]]) - [[ゴール朝]]の君主(在位[[1163年]] - [[1203年]])・イラクから北インドまで領土拡大 === 南アジア・チベット・東南アジア === * [[ラーマーヌジャ]]([[1017年]] - [[1137年]]) - インドの哲学者・バクティ信仰で[[ヒンドゥー教]]を変革し[[カビール]]や[[グル・ナーナク|ナーナク]]に影響を与える * [[ミラレパ]]([[1052年]] - [[1135年]]) - チベット仏教の修行者・宗教詩人・四大宗派の一つである[[カギュ派]]の祖 * ヴィシュヌヴァルダナ(? - [[1152年]]) - [[ホイサラ朝]]の王(在位[[1110年]] - [[1152年]])・ホイサレシューヴァラ寺院を建立 * [[スーリヤヴァルマン2世]](? - [[1150年]]) - [[カンボジア]]の[[アンコール朝]]の国王(在位[[1113年]] - [[1150年]])・[[アンコール・ワット]]を建設 * [[バースカラ2世]]([[1114年]] - [[1185年]]) - インドの数学者・天文学者・『リーラーヴァティ』『ビージャガニタ』『シッダーンタ・シロマーニ』を著す * プリトヴィーラージャ3世([[1149年]] - [[1192年]]) - [[チャウハーン朝]]の王(在位[[1165年]] - [[1192年]])・[[ラージプート]]を糾合しゴール朝と戦う * [[ジャヤーヴァルマン7世]]([[1130年]] - [[1218年]]) - カンボジアのアンコール朝の国王(在位[[1181年]] - [[1218年]])・[[アンコール・トム]]を建設 === 東アジア === ==== 北宋・南宋 ==== * [[蔡京]]([[1047年]] - [[1126年]]) - 北宋末の政治家・宰相・書家・奸臣「六賊」の一人 * [[童貫]](? - [[1126年]]) - 北宋末の[[宦官]]で軍人・奸臣「六賊」の一人 * 方臘(? - [[1121年]]) - 北宋末の[[方臘の乱]]の指導者・喫菜事魔([[マニ教]]の流れか)を行う * [[宋江]](生没年不詳) - 北宋末の山東の反乱指導者・後に転じて方臘の乱の討伐に与したか・『[[水滸伝]]』では[[梁山泊]]の首領 * [[圜悟克勤]]([[1063年]] - [[1135年]]) - 北宋末期から南宋初期の禅僧・[[語録]]であり[[公案]]集でもある『[[碧巌録]]』を編纂 * [[徽宗]] ([[1082年]] - [[1135年]]) - 北宋の第8代皇帝(在位[[1100年]] - [[1125年]])・「風流天子」と呼ばれ画家で書家でもある * [[李清照]]([[1084年]] - [[1153年]]) - 北宋末期から南宋初期の女流詩人(詞人) * 張択端([[1085年]] - [[1145年]]) - 北宋の画家・首都[[開封]]の繁栄を描いた「[[清明上河図]]」で知られる * 孟元老(生没年不詳) - 北宋末期から南宋初期の文人・靖康の変で南渡し首都開封の記録である『[[東京夢華録]]』を執筆 * [[秦檜]]([[1090年]] - [[1155年]]) - 南宋の宰相・金との和平派・金と紹興の和議を結ぶ * [[欽宗]]([[1100年]] - [[1161年]]) - 北宋の第9代皇帝(在位[[1125年]] - [[1127年]])・靖康の変で父徽宗らと金に連行される * [[岳飛]]([[1103年]] - [[1141年]]) - 南宋の武将・金との主戦派・和平派に処刑される * [[高宗 (宋)|高宗]]([[1107年]] - [[1187年]]) - 南宋の初代皇帝(在位[[1127年]] - [[1162年]])・徽宗の子で欽宗の弟 * [[陸游]]([[1125年]] - [[1210年]]) - 南宋の政治家・詩人で「南宋四大家」の一人・詩集に『剣南詩稿』がある * [[孝宗 (宋)|孝宗]]([[1127年]] - [[1194年]]) - 南宋の第2代皇帝(在位[[1162年]] - [[1189年]])・南宋の最盛期を現出(乾淳の治) * [[趙汝愚]](? - [[1196年]]) - 南宋の宰相・朱熹の庇護者・光宗を廃し寧宗の擁立を謀る・韓侂冑らにより慶元の党禁で失脚 * [[朱子|朱熹]]([[1130年]] - [[1200年]]) - 南宋の儒学者・[[朱子学]](新儒学)の大成者・弟子のまとめた『[[朱子語類]]』が知られる * [[呂祖謙]]([[1137年]] - [[1181年]]) - 南宋の儒学者・朱熹と陸象山との会談(鵝湖の会)を準備したことで知られる * [[陸象山]]([[1139年]] - [[1192年]]) - 南宋の儒学者・朱熹の論敵・「[[心即理]]」の概念は[[陽明学]]の淵源となる ==== 金 ==== * [[阿骨打|完顔阿骨打]]([[1068年]] - [[1123年]]) - 女真族の金の初代皇帝(太祖)(在位[[1115年]] - [[1123年]]) * [[呉乞買|太宗]]([[1075年]] - [[1135年]]) - 女真族の金の第2代皇帝(在位[[1123年]] - [[1135年]])・阿骨打の弟・遼と北宋をそれぞれ滅ぼす * [[王重陽]]([[1112年]] - [[1170年]]) - 金の道士・[[道教]]の一派である[[全真教]]の開祖 * [[海陵王]]([[1122年]] - [[1161年]]) - 金の第4代皇帝(在位[[1150年]] - [[1161年]])・燕京に遷都・南宋と采石磯で戦うも敗北し廃位される * [[世宗 (金)|世宗]]([[1123年]] - [[1189年]]) - 金の第5代皇帝(在位[[1161年]] - [[1189年]])・南宋と乾道の和約を結ぶ ==== 西遼 ==== * [[耶律大石]]([[1087年]] - [[1143年]]) - [[西遼]](カラ・キタイ)の建国者・皇帝(徳宗)(在位[[1132年]] - [[1143年]]) ==== 高麗 ==== * [[金富軾]]([[1075年]] - [[1151年]]) - 高麗の官僚・儒学者・[[仁宗 (高麗王)|仁宗]]の命で現存する朝鮮最古の歴史書『[[三国史記]]』を編纂 ==== 日本 ==== * [[白河天皇]]([[1053年]] - [[1129年]]) - 第72代天皇(在位[[1072年]] - [[1086年]])・[[太上天皇|上皇]]([[法皇]])として堀河・鳥羽・崇徳の三代で[[院政]]を行う * [[覚猷]](鳥羽僧正)([[1053年]] - [[1140年]]) - 僧侶・[[天台座主]]・[[鳥獣人物戯画]]の作者に擬せられ戯画「[[鳥羽絵]]」の祖とされる * [[藤原顕隆]]([[1072年]] - [[1129年]]) - 公卿・[[権中納言]]・白河院の[[院近臣|近臣]]・摂関を越えて政策を決定したので「夜の関白」と評される * [[良忍]](聖応大師)([[1073年]] - [[1132年]]) - 僧侶・[[融通念仏宗]]の開祖・京都[[大原]]の[[来迎院]]を再興・天台[[声明]]を統一する * [[藤原忠実]]([[1078年]] - [[1162年]]) - 公卿・[[摂政]]・[[関白]]・[[太政大臣]]・白河院に圧迫されながら摂関家を維持・忠通や頼長の父 * [[源義親]](? - [[1108年]]) - 武将・源義家の子・対馬守に任じられるが九州各地で狼藉を行い[[平正盛]]に追討される([[源義親の乱|康和の乱]]) * [[覚鑁]](興教大師)([[1095年]] - [[1144年]]) - 僧侶・[[真言宗]]中興の祖にして[[新義真言宗]]の祖・[[根来寺]]開山 * [[源為義]]([[1096年]] - [[1156年]]) - 武将・左馬頭・[[河内源氏]]の棟梁・保元の乱で処刑される・義朝や為朝の父 * [[藤原忠通]]([[1097年]] - [[1164年]]) - 公卿・[[摂政]]・[[関白]]・太政大臣・[[書家]]([[法性寺流]])・直系子孫が[[五摂家]]に分立 * [[鳥羽天皇]]([[1103年]] - [[1156年]]) - 第74代天皇(在位[[1107年]] - [[1123年]])・[[院政]]を行う・崩御して保元の乱が発生 * [[源頼政]]([[1104年]] - [[1180年]]) - 武将・平治の乱では平氏方に与す・後に以仁王の挙兵に従い宇治平等院の戦いで敗死 * [[信西|藤原通憲(信西)]]([[1106年]]? - [[1160年]]) - 学者・僧侶・後白河院の近臣・[[保元新制]]を指導するが平治の乱で横死 * [[藤原俊成]]([[1114年]] - [[1204年]]) - 公卿・歌人・『[[千載和歌集]]』の選者・家集に『[[長秋詠藻]]』がある・[[藤原定家]]は子 * [[平清盛]]([[1118年]] - [[1181年]]) - 武将・公卿・太政大臣・平氏政権の全盛期・[[治承三年の政変]]や[[福原行幸|福原遷都]]で反発を招く * [[西行]]([[1118年]] - [[1190年]]) - 僧侶・歌人で『[[新古今和歌集]]』最多入撰・私家集として『[[山家集]]』がある * [[崇徳天皇]]([[1119年]] - [[1164年]]) - 第75代天皇(在位[[1123年]] - [[1142年]])・保元の乱で[[讃岐国]]に配流・[[怨霊]]伝説あり * [[藤原頼長]]([[1120年]] - [[1156年]]) - 公卿・左大臣(悪左府)・保元の乱で横死・日記『[[台記]]』を残す * [[重源]]([[1121年]] - [[1206年]]) - 僧侶・[[東大寺大勧進職]]・治承・寿永の乱で焼失した[[東大寺]]を再建 * [[藤原秀衡]]([[1122年]]? - [[1187年]]) - 奥州藤原氏第3代当主・治承・寿永の乱でも独立を維持・落ち延びた[[源義経]]を庇護 * [[源義朝]]([[1123年]] - [[1160年]]) - 武将・保元の乱では勝利するが平治の乱で敗死・頼朝や義経らの父 * [[後白河天皇]]([[1127年]] - [[1192年]]) - 第77代[[天皇]](在位[[1155年]] - [[1158年]])・治承・寿永の内乱を生き残る・『[[梁塵秘抄]]』を撰述 * [[藤原信頼]]([[1133年]] - [[1160年]]) - 公卿・権中納言・後白河院の近臣・平治の乱で信西を倒すが政権を守れず乱後に処刑される * [[平重盛]]([[1138年]] - [[1179年]]) - 武将・公卿・[[内大臣]](小松内大臣)・平清盛の長男・[[鹿ケ谷の陰謀]]で立場を失う * [[北条時政]]([[1138年]] - [[1215年]]) - 鎌倉幕府初代[[執権]](在任[[1203年]] - [[1205年]])・源頼朝の義父として挙兵を援助 * [[源為朝]]([[1139年]] - [[1170年]]) - 武将・平治の乱で敗北し[[伊豆大島]]へ配流・[[第二尚氏|琉球王家]]の始祖伝説あり * [[梶原景時]]([[1140年]]? - [[1200年]]) - 武将・鎌倉幕府[[侍所]][[所司]]・源頼朝に近侍し源義経と対立・[[梶原景時の変]]で滅ぼされる * [[平宗盛]]([[1147年]] - [[1185年]]) - 武将・公卿・内大臣(屋島大臣)・清盛没後の平氏一門を統率・壇ノ浦の敗北後に斬首される * [[源頼朝]]([[1147年]] - [[1199年]]) - 鎌倉幕府初代将軍(在任[[1192年]] - [[1199年]])・源義仲と平氏一門を滅ぼし奥州合戦に勝利 * [[九条兼実]]([[1149年]] - [[1207年]]) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・[[九条家]]の祖・この時代の記録として『[[玉葉]]』を残す * [[源通親]]([[1149年]] - [[1202年]]) - 公卿・後白河院の近臣・内大臣・「源博陸」・[[建久七年の政変]]で[[九条兼実]]を失脚させる * [[以仁王]]([[1151年]] - [[1180年]]) - 後白河院の皇子・「[[以仁王の令旨]]」により諸国の源氏に平氏打倒の挙兵を促したが敗死する * [[平知盛]]([[1152年]] - [[1185年]]) - 武将・公卿・[[権中納言]](新中納言)・兄宗盛を補佐し平氏都落ち以後は転戦・壇ノ浦で入水 * [[源義仲]]([[1154年]] - [[1184年]])- 武将・征夷大将軍(征東大将軍)・平氏一門を都落ちさせる・後に源義経に追討される * [[平重衡]]([[1157年]] - [[1185年]])- 武将・公卿・[[南都焼討]]により東大寺や興福寺を炎上させる・一ノ谷の戦いで捕虜となり斬首 * [[源義経]]([[1159年]] - [[1189年]]) - 武将・[[検非違使]]・壇ノ浦の戦いで平氏一門を滅ぼす・後に奥州合戦で兄の頼朝に追討される == 10年紀と各年 == : {| |- | '''[[1100年代]]''' || [[1100年|1100]] || [[1101年|1101]] | [[1102年|1102]] || [[1103年|1103]] | [[1104年|1104]] || [[1105年|1105]] || [[1106年|1106]] | [[1107年|1107]] || [[1108年|1108]] || [[1109年|1109]] |- | '''[[1110年代]]''' || [[1110年|1110]] || [[1111年|1111]] | [[1112年|1112]] || [[1113年|1113]] | [[1114年|1114]] || [[1115年|1115]] || [[1116年|1116]] | [[1117年|1117]] || [[1118年|1118]] || [[1119年|1119]] |- | '''[[1120年代]]''' || [[1120年|1120]] || [[1121年|1121]] | [[1122年|1122]] || [[1123年|1123]] | [[1124年|1124]] || [[1125年|1125]] || [[1126年|1126]] | [[1127年|1127]] || [[1128年|1128]] || [[1129年|1129]] |- | '''[[1130年代]]''' || [[1130年|1130]] || [[1131年|1131]] | [[1132年|1132]] || [[1133年|1133]] | [[1134年|1134]] || [[1135年|1135]] || [[1136年|1136]] | [[1137年|1137]] || [[1138年|1138]] || [[1139年|1139]] |- | '''[[1140年代]]''' || [[1140年|1140]] || [[1141年|1141]] | [[1142年|1142]] || [[1143年|1143]] | [[1144年|1144]] || [[1145年|1145]] || [[1146年|1146]] | [[1147年|1147]] || [[1148年|1148]] || [[1149年|1149]] |- | '''[[1150年代]]''' || [[1150年|1150]] || [[1151年|1151]] | [[1152年|1152]] || [[1153年|1153]] | [[1154年|1154]] || [[1155年|1155]] || [[1156年|1156]] | [[1157年|1157]] || [[1158年|1158]] || [[1159年|1159]] |- | '''[[1160年代]]''' || [[1160年|1160]] || [[1161年|1161]] | [[1162年|1162]] || [[1163年|1163]] | [[1164年|1164]] || [[1165年|1165]] || [[1166年|1166]] | [[1167年|1167]] || [[1168年|1168]] || [[1169年|1169]] |- | '''[[1170年代]]''' || [[1170年|1170]] || [[1171年|1171]] | [[1172年|1172]] || [[1173年|1173]] | [[1174年|1174]] || [[1175年|1175]] || [[1176年|1176]] | [[1177年|1177]] || [[1178年|1178]] || [[1179年|1179]] |- | '''[[1180年代]]''' || [[1180年|1180]] || [[1181年|1181]] | [[1182年|1182]] || [[1183年|1183]] | [[1184年|1184]] || [[1185年|1185]] || [[1186年|1186]] | [[1187年|1187]] || [[1188年|1188]] || [[1189年|1189]] |- | '''[[1190年代]]''' || [[1190年|1190]] || [[1191年|1191]] | [[1192年|1192]] || [[1193年|1193]] | [[1194年|1194]] || [[1195年|1195]] || [[1196年|1196]] | [[1197年|1197]] || [[1198年|1198]] || [[1199年|1199]] |- | '''[[1200年代]]''' || [[1200年|1200]] || [[1201年|1201]] | [[1202年|1202]] || [[1203年|1203]] | [[1204年|1204]] || [[1205年|1205]] || [[1206年|1206]] | [[1207年|1207]] || [[1208年|1208]] || [[1209年|1209]] |} [[Category:12世紀|*]]