「大韓民国」の版間の差分
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+ | == なぜ韓国は歴史を書き換えたのか == | ||
+ | 正当な理由がないにも関わらず、なぜ[[韓国人]]は優越感を滲まながら「戦犯国」などと日本を嘲弄しているのだろうか。いったい彼らの頭の中はどうなっているのか。 | ||
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+ | 答えは「史実をほとんど逆さまに認識しているから」だ。たとえば、「日帝が韓国を強制併合して収奪と民族抹殺を始めると、独立軍が各地で蜂起し、日本軍と果敢に戦った。[[太平洋戦争]]が始まると、臨時政府は日帝に宣戦布告し、連合国の一員になった。韓国の独立はこのようにして自力で勝ち取ったものだ。韓国人BC項戦犯については、あくまで強制動員され、犯罪を強要された“被害者”にすぎない」…という具合に。 | ||
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+ | こんなでっち上げの「建国神話」のせいで、彼らは自分たちが連合国側に属するなどと錯覚している。一般に、韓国人は、政治的なプロパガンダにすぎない“歴史教育”により、近現代史において以下の「四つの大きな真実」から完全に隔離されている。 | ||
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+ | * 第一、[[日韓併合]]の真実。 | ||
+ | * 第二、日本統治時代の真実。 | ||
+ | * 第三、戦後の独立と[[李承晩]]時代の真実。 | ||
+ | * 第四、[[朴正煕]]時代の「[[漢江の奇跡]]」の真実。 | ||
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+ | 以上の四つの項目について、韓国人の頭には公然たる嘘や[[トリミング]]された情報が詰まっており、その虚偽を「正しい歴史」などと呼んでいる。 | ||
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+ | 韓国の歴史教科書を読んだことのある人なら分かると思うが、それを規定する国史編纂委員会はプロの贋作者集団であり、非常に手の込んだ捏造をやっている。[[ジャーナリスト]]の[[石井孝明]]氏が「一冊の本だけを読む人に気をつけよう」という格言を紹介していたが、何も知らない人が韓国人の書いた歴史の本や、その影響下にある日本人の本だけを読めば、確実に騙される。それで罪悪感を持ち“良心”に目覚めてしまった厄介な日本人も少なくない(*それもまた彼らの手口なのだ)。 | ||
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+ | 幸い、今では、その捏造箇所や事実関係の誤りの指摘にプロの歴史研究者の方々がたくさん参加しておられ、関連するサイトや本も増えてきた。 | ||
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+ | したがって、それについてここで懇切丁寧に解説する意味はない。それよりも、もっと根本的なことを考えてみたい。それは「彼らがなぜ歴史を書き換えたのか、又はなぜ捏造せざるをえなかったのか」という、原因・理由・動機などの究明である。治療(する機会があるとして)のためには、それを突き止めることが不可欠だ。 | ||
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+ | === 元凶としての李承晩(イ・スンマン) === | ||
+ | では、その理由とは何か。おそらく、初代大統領として「李承晩が独裁権力を握ったから」だ。それゆえ、彼自身と臨時政府を「正統」とする歴史をでっち上げねばならなくなったのだ。つまり、始まりは、ほとんど個人的な動機だった。 | ||
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+ | むろん、理由は複合的で、その他にもある。 | ||
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+ | 第一に、歴史を“記録”する際の、東アジア文明圏の伝統的な手法が挙げられる。ちょうど[[司馬遷]]の『[[史記]]』で[[殷]]([[商]])の[[紂王]]が悪逆非道に描かれているように、彼らの社会では日帝という「前王朝」を冷酷無比な統治者に描けば描くほど、次の支配者の道徳的正当性が高まる。ましてや、独立戦争を通してその悪魔と戦い続けたと人々に信じさせることができれば、これ以上の正当性はなく、完全に人民のヒーローに収まれる。 | ||
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+ | 第二に、もっと切実で現実的な理由もあった。終戦後、3年間はアメリカが直接軍政を敷いたように、連合国を結成したボスがすぐ韓国の目の前にいた。捕虜虐待などでBC項戦犯として訴追されたように、韓国人は疑いを持たれていた。だから、保身上、戦犯の日本と同類に見られないよう、また自身の戦争犯罪があくまで強要されたものとの訴えが説得力を持つよう、徹底して「加害者と被害者の関係」に成りすます必要性があった。 | ||
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+ | そして第三に、これがもっとも大きな理由だと思うが、李承晩はとんでもない悪政をやらかして国民を苦しめ、貧困のどん底へと叩き落した。どんな民族主義者が見ても、日本時代より過酷で恐怖に満ちた社会であることは明らかだった。だから、李承晩は、独裁者として就任した時だけでなく、その後も歴史をでっち上げ続ける必要に迫られたのだ。 | ||
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+ | 少なくとも政権を握っている間、自分の時代よりも日帝時代をさらに悪虐非道に描かねば辻褄が合わなくなってしまった。それはまた内部矛盾から人々の目を反らす意味でも有効な手法だった。だが、政治的に不可欠な作業とはいえ、自国民の大量虐殺をやった独裁政治よりも悪く見せるとなると、もはや悪魔でも引っ張り出すしかない。だから韓国の歴史教育では、ほとんど悪魔として日本の姿が描写されるようになった。 | ||
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+ | === 独立運動家・臨時政府・独立軍の本当の姿 === | ||
+ | 仮に、独立の指導者たちが本物の英雄であったなら、こんなでっち上げはする必要がなかった。 | ||
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+ | そこがアジアの他の国との違いだ。[[インド]]では、[[ガンジー]]や[[ボース]]の軌跡をわざわざでっち上げる必要はない。事実をありのままに伝えるだけでいい。それで十分、彼らは英雄であり後世の手本となる。アジアの各国には[[ミャンマー]]の[[アウンサン]]、[[インドネシア]]の[[スカルノ]]、[[ベトナム]]の[[ホー・チ・ミン]]など、キラ星のごとく独立の英雄がいる。 | ||
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+ | ところが韓国には、このような偉大な独立の指導者が一人もいなかった。日本軍を打ち破った勇猛果敢な軍事指導者も、思想的人間的に偉大な文人指導者も、ついに現れなかった。 | ||
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+ | [[大韓民国臨時政府]]なるものを象徴するのが、中枢にいた三人の主要人物だ。一人は今挙げた李承晩。王朝に繋がる家系が自慢で、それゆえに民族主義者であり、庶民を人間とは思っていなかった(だから大虐殺できた)傲岸な人物だ。 | ||
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+ | もう一人は、強盗殺人犯で脱獄囚の[[金九]](キム・グ)。生涯、政争を繰り返した人物だ。こんな男が“警察本部長”に就いていたのだから、いかに怪しげな団体かが分かる。 | ||
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+ | 最後の一人は[[朴殷植]](パク・ウンシク)で、嘘つき・でっち上げの天才。『[[韓国独立運動之血史]]』という怪プロパガンダ文書を書いて、今日に至る韓国のトンデモ近代史の原型を作った人物だ。 | ||
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+ | 彼らの設立した臨時政府なるものは、いかなる国家からも承認されず、設立から26年間、一度も日本軍と戦わなかった口先だけのヘタレ集団だ。 | ||
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+ | 独立軍の中で同組織所属をとくに「光復軍」と呼んでいるが、日本軍と交戦したことはない。「人類史上最悪の植民地支配」などと糾弾するほど日帝の支配が過酷なら一度くらいは銃をとって戦っても良さそうなものだが、結局、設立から終戦までの間やっていたことといえば、内輪でのポスト争いと中国政府へのタカリ、市民社会に対する強盗略奪、政敵の同じ韓国人の暗殺くらいのもの。 | ||
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+ | 一方、独立軍とか抗日パルチザンと称する集団の正体は、要するに[[満州]]の匪賊や[[ソ連]]・[[中国共産党軍]]に所属していた韓国人のことである。 | ||
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+ | 「愛国心はならず者のなんとやら」とはよく言ったもので、強盗略奪が生業だった匪賊であっても「独立闘争」といえば名分が立ったのだろう。満州国軍官学校卒で朝鮮戦争の英雄である白善?氏は当時を直に知る人物だ。元帥は「独立軍など見たこともないのに、どうやって討伐できるのか」と呆れている。 | ||
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+ | もっと呆れるのは、韓国ではこの“独立軍”が日本軍に対して「青山里戦闘」なるもので大勝利したと信じられていることだ。 | ||
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+ | 実際には匪賊討伐の際に日本軍人に若干名の死者が出た事件だが、「日本軍に3千名以上の戦死者を出した」という嘘が定着している。驚くのは、この臨時政府の戦勝プロパガンダを韓国政府が未だに継承しており、毎年「戦勝記念行事」まで開催していることだ。虚しくないのかという疑問はさておき、この現実からも今の韓国政府が臨時政府の正統な後継者に他ならないことがよく分かる。 | ||
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+ | このように、独立運動家と称する連中が「ニセモノの英雄」であり、本人たちも十分それを承知していたから、歴史をでっち上げる必要に迫られた。 | ||
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+ | ちなみに、以上とは別個に、[[1905年]]の[[第二次日韓協約]]から併合初期まで、後に「反日義兵闘争」と呼ばれるものがあった。これは日本軍に計百名以上の死者を出す規模であったことは確かだ。しかし、この闘争がすぐにピークアウトしたのは、韓国が未だ国民国家でなかったことが主因だ。つまり、大多数の庶民にとって最大の関心事は己の暮らしであり、専制国家の運命などどうでもよかったのだ。 | ||
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+ | それどころか同時期、日韓合併を掲げる一進会が最大の政治勢力だった。当時、日本に敗北した[[清]]と[[ロシア]]は威信を失い、滅亡寸前の帝国だった。対して、世界の9割以上を欧米とその植民地が占める状況にあって、日本は全アジア、否、全有色人種の期待を担っていた。 | ||
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+ | 中世のレベルだった当時の韓国人からすると、日本は何百年も文明の進んだ近代国家に等しい。そうすると、「対等合併」を望んだ一進会は非常にムシのよい主張をしていたことになる。反日・独立どころか、案外、勝ち馬にタダ乗りして労せずに一等国民になろうとしていたのが政治意識のある韓国人の多数派だったというのが事の本質である。 | ||
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+ | === 数字まででっち上げる韓国人の驚異の贋作力 === | ||
+ | やや本筋から反れるが、独立軍の話が出たついでに、韓国人は日本人が絶対やらないことを平気でやる事実を知っておくのも無駄ではないと思う。それは「実在の人物名を流用して、具体的な数字を創作し、記録をでっち上げる」という行為である。 | ||
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+ | たとえば、“独立戦争”の実態と称して、 | ||
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+ | 「○月○日、日本軍がどこそこの村を襲い、○○戸を破壊し、○○名を殺害した。それに対して、誰々率いる独立軍○○名が戦い、日本軍○○名を殺害して撃退した」 | ||
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+ | などという話を次から次へと“歴史書”の中に書き加えていく。 | ||
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+ | ところが、これがまったくの創作なのである。「青山里戦闘」なるものも、この手法ででっち上げられた活躍のうちの一つだ。驚くべきことに、彼らは「実在の人物+具体的な数字」を使って、架空の詳細な“歴史記録”を作ってしまうのだ。目的が正義であれば手段は選ばなくてもよいとタカをくくっているのか、彼らは平気らしいのだ。 | ||
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+ | なぜそういうことをやるのかというと、科学性・客観性を装うことで、いかにも学術的な調査を経た公式の記録であるかのように見せかけることができるからである。 | ||
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+ | そうやってニセの記録をたくさん作って、己の政治的主張や立場を固めるのだ。つまり、最初から世間を騙すため、欺くためにやるわけだから、詐欺の確信犯である。中国も含めての話だが、政治とアカデミズムが分離しておらず、政治的な真実のほうが客観的なそれより優先される。だから真理を畏れず、平然と歴史(事実)に手を加える罪を犯す。 | ||
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+ | 彼らはこうして日本軍の“殺戮記録”や、独立軍の“戦勝記録”を次々とでっち上げていった。この手法で、臨時政府も「聖人君子の集まり」になり、独立軍も「各地で日本軍を撃退した勇猛果敢な部隊」に変えられた。何も知らない人が読めば、当然本物の記録であり、人々を次々と虐殺して回る悪逆非道な日本に対して正義の独立軍が不屈の精神で抵抗していた、と信じ込むだろう(実際これが韓国人の持つ日帝時代のイメージだ)。 | ||
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+ | こうやって、驚くほど詳細で念の入った改ざんで「日帝の犯罪」が創られ、韓国では今でも事実として流通している。日韓関係史ではこの種の「偽の記録」が膨大に紛れ込んでいる。不幸にして、このような卑怯な手法は、大多数の日本人にとって長らく常識外のことだったため、信じてしまう人が続出した。そして罪悪感、良心の呵責、贖罪意識から、謝罪するだけではすまず、相手側の手先となり、結果的に嘘の片棒を担ぐ人も現れた。 | ||
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+ | しかし、今では「具体的な数字を挙げてまで嘘をつく」という彼らの手口は、日本だけでなく世界に広く知れ渡りつつある。なにしろ、一国の政府や自治体、政治家、大企業や科学者までもが公然とそれをやり、しばしば顰蹙を買う。[[従軍慰安婦]]も同類だと、気づく欧米人も現れ始めたようだ。彼らは以前のように容易に人々を騙せなくなった。 | ||
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+ | ただし、公正を期すなら、まったく逆の韓国人も少なからずいる。たとえば、『親日派のための弁明』を記した[[金完燮]](キム・ワンソプ)氏のように、逮捕・暴行・脅迫されても決して真実の主張を曲げない人もいる。集団の空気に抗い、迫害にもめげずに真実を訴えている韓国の本物の知識人に対しては、心底、尊敬の念を覚えざるをえない。韓国ではすでに“親日派”は殺される時代に入った。命と引き換えても真実に忠実であらんとする…。彼らこそ真に日本の友人になれる人たちだと思う。 | ||
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+ | === 韓国の本当の不幸の始まりとなった李承晩時代 === | ||
+ | 日本の敗戦により、総督府からアメリカへと韓国の統治権が引き継がれた。当初は建国をめぐって諸派がゴタゴタし、[[ソ連]]はいち早く傀儡を立てた。 | ||
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+ | 臨時政府と独立軍自体は承認されなかったが、同政府出の李承晩個人はアメリカ留学組であり同国でロビー活動もしていたことから、結局、反共傀儡政権の首班に祭り上げられた。ただし、「韓国を連合国に加えてほしい」という身勝手な要求は退けられた。戦って血を流したわけでもない者たちがでしゃばる権利などないと考えられたからだ。だから、韓国人が“戦勝国民”だの“連合国民”だのと自称することは単純に事実に反する。 | ||
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+ | この人物が初代大統領として独裁権力を握ったことに関しては、同情を禁じえない。李が帰国してから亡命するまでの期間は「暗黒時代」であり、現代韓国人にその記憶が欠落しているのは異常なことだ。いろんな意味で、この李承晩こそ諸悪の根源であり、彼の時代こそ、まさに韓国の歴史教育で描かれる“日帝”そのままなのだ。 | ||
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+ | 李承晩が最初にやらかした悪事が「[[済州島事件]]」で、要するに[[共産主義者]]とその疑いをかけられた島民に対する大虐殺である。その結果、数万の市民が殺され、別の何万人かが日本に逃れ、そのまま居ついた。虐殺はその後も継続的に行われ、島民は激減した。規模は小さいが、似たような虐殺はその他の地域でも行われた。 | ||
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+ | 李承晩による対日戦争犯罪といえば、日本領・[[竹島]]の侵略強奪と日本人漁民の虐殺が有名だが、実はそれ以前に対馬を侵略しようとした。そのために韓国の南端に兵力を集結させていたところ、[[北朝鮮]]の電撃侵攻に合ったのである。自国民さえ平気で虐殺するほどだから、韓国軍が対馬で大虐殺をやらかしていたことは想像に難くない。 | ||
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+ | [[朝鮮戦争]]が勃発すると、李承晩は内部の敵に対する被害妄想を加速させ、共産主義者とその家族を教化する組織「国民保導連盟」に登録していた人たちを大量に処刑した。軍や警察によって虐殺された人の数は、正確には分からないが、百万以上とも言われる。戦争でうやむやになっただけでなく、その後の軍事政権下でも隠蔽され続けた。 | ||
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+ | 当初は半島南部に追い詰められた韓国軍だが、[[アメリカ軍]]の参戦で巻き返し、四ヵ月後には中朝国境の[[鴨緑江]]に達した。しかし、北朝鮮の滅亡によって終戦となるはずが、中国軍の参戦によって再び38度線まで押し戻され、戦争は結局3年間も続いた。これにより数百万の軍民が犠牲になり、朝鮮半島の大半が荒廃した。ちなみに、戦争を長引かせて犠牲を増やした中国に対して、韓国は過去の直視・清算を一言も要求していない。 | ||
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+ | その後も李承晩は1960年半ばまで独裁者の地位に居座り続けた。李は共産主義者だけでなく自分に反対する者は政治犯として粛清し、デモや反対運動は徹底的に弾圧した。 | ||
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+ | 日本時代を知る韓国人は当時、「いったいどこか“解放”なのか。日帝支配下よりもはるかに酷い社会じゃないか」と憤った。李承晩はこの動きを思想言論の統制・密告制度・秘密警察などの恐怖政治で取り締まった。こうして、懐日思想や言動を監視抑圧し、日本時代を体験で知る世代が恐怖心から口をつぐむようにして世代間の分断をはかり、子供たちにはメディアと公教育を使って「偽の記憶」を植え付けていった。 | ||
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+ | 太平洋戦争当時、韓国は爆撃も受けず、実質徴兵もなく(*若干の徴兵者は戦線投入前に終戦)、物資の徴発と労務の強制だけという、“植民地”としては破格の待遇を受けた。 | ||
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+ | 結果、終戦時、内地は大量の戦死者を出して灰燼に帰したが、韓国はほぼ無傷の状態だった。つまり、戦後、日本と韓国の経済社会状態は完全に逆転していたのである。ところが、李承晩が去った時には、韓国は最貧国へと転落しており、両者の状態は再逆転していた。 | ||
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+ | 結局、李承晩は、韓国社会と経済の発展には何一つ貢献せず、ただ単に独裁権力を振り回して圧政を敷き、自国民を大量虐殺し、貧困化させただけだった。ちなみに、韓国政府は未だにこの恥部を隠蔽し、逆に日本軍によるありもしない虐殺はでっち上げて、子供たちに嘘の歴史を教えている。 | ||
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+ | === なぜ嘘の国史が継承されていったのか? === | ||
+ | 李承晩亡命の後、韓国はしばし混乱したが、最終的に権力を掌握したのが[[朴正煕]]だった。周知の通り、彼は旧軍将校の出であり、[[日韓基本条約]]の締結によって両国関係を正常化させ、日本から莫大な資金を獲得した。朴は鉄鋼や石油化学などの重工業の育成と社会インフラの拡充を行い、「漢江の奇跡」と称される高度経済成長を実現した。 | ||
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+ | もっとも、国家予算の倍以上に及ぶ日本の資金と、使命感をもって手取り足取り技術やノウハウを教えてくれる隣人がいれば、勤勉な韓国人ならば「奇跡」を起こすことはそれほど難しいとは思えない。こうして韓国は、一度ならず二度までも、日本の援助と協力によって、貧困から脱することができたのである。 | ||
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+ | だが、朴正煕大統領もまた、日本を絶対悪とするプロパガンダを修正することはなかった。彼は反政府的なデモや運動を徹底的に弾圧したため、一部の市民からは怨嗟の的になった。必然的に内部の軋轢を生む軍事独裁政治にとって、人々の憎しみや不満の矛先を反らせる対象は不可欠である。北朝鮮とか共産主義者では役不足だった。だいたい反政府的な者はそのシンパが多かったのだ。思想の区分に関係ない「人民の敵」を必要とした。 | ||
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+ | そういった政治的な思惑からか、朴正煕は日本悪魔化教育をそのまま引き継いだ。 | ||
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+ | さらに日本の経済援助による成果もすべて自分の功績にしてしまったのだから、日本で一般に信じられている人物像とは違い、あまりフェアな人物だったとは言い難い。いや、それどころか、どうやら余計なものを公教育に付け足したらしい。それが「わが民族は昔から偉大だった」式のプライドの醸成である。つまり、自尊史観を強化したのである。 | ||
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+ | しかし、それは裏を返せば日本を「文化後進国」と貶めることでもあった。というのも、他者との比較によって自民族の優秀さが浮かび上がるわけだが、その対象は当然、中国ではありえず、古代・中世の日本だからである。 | ||
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+ | 韓国の子供たちは、「先祖が日本人に○○を教えてあげた」とか「昔は日本よりも進んでいた」と教えられる。韓国が伝えた先進文化として挙げられるのが、古代には稲作・織物・建築・仏教・紙・文字、秀吉の侵略時には陶器の製作技術、江戸時代には朝鮮通信使による医学・儒学・書画などだ。 | ||
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+ | こうして、日本との相対化によって「明治維新までは韓国のほうが文化先進国だった」とか、「わが先祖は野蛮な日本人を文明化させた先生である」というふうに、民族的な優越感を持つようになる。 | ||
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+ | そこへ秀吉の侵略や近代日本の侵略を大きく取り上げるわけだから、当然、「恩を仇で返された」と憤慨するようになる。こうして、現代にいたる、日本に対する優越感と被害者意識の両方を育むような「おかしな歴史教育」の基礎が完成する。 | ||
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+ | その後に大統領になった[[全斗煥]]・[[盧泰愚]]も、朴と同じ陸士系列であり、反日教育を引き継いでいった。理由はやはり上と同じようなものだ。軍事政権はどうしても人々の憎しみを引き受けてくれる対象を必要とする。ましてや全斗煥は、いきなり[[光州事件]]のような市民の弾圧を行った人物である。また彼は、朴のような奇跡をやりたくて、日本から巨額の経済援助を引き出そうとした。そのための手段として、教科書問題で因縁をつけにかかった――そういう男がなんで反日教育を修正するだろうか。 | ||
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+ | [[1988年]]、韓国はようやく民主体制に移行した。建前では、思想言論の自由もほぼ保障された。しかし、40年にわたる対内プロパガンダによって「偽の記憶」が完全に既成事実化しており、もはや手遅れになっていた。 | ||
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+ | 韓国人はすっかり「建国の父」と精神的に一体化していたのである。今や独立運動家たちが韓民族のアイデンティティなのだ。つまり、一般国民が「われわれは日帝という悪魔と勇敢に戦って勝利した」と思い込んでおり、その神話の守護者なので、覆すのは容易ではなくなっているのだ。 | ||
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+ | === 初めから存在しない“日韓友好” === | ||
+ | 個人の付き合いの中で、聡明で温厚な韓国人でさえ、ふと何かの拍子で歴史に話題が及ぶと、顔色が変わる点については奇異に思っていた。それはあたかも子供の頃に虐待を受けた人が、フラッシュバックで苦しめられる様に似ていた。 | ||
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+ | 私がその理由を知ったのは今から15年前、翻訳された韓国の歴史教科書を読んでからである。日本人は冷酷非情な「悪魔」として描かれていた。近代日本は朝鮮に対して「殺戮と収奪のみ」をしたことにされていた。韓国政府の嘘と捏造はそこまで容赦がないのだ。すぐに危険だと直感した。子供たちは当然、それがすべて事実だと信じ込んで育つ。これは日本が戦時中に喧伝した鬼畜米英以上の“鬼畜日本”プロパガンダに等しい。 | ||
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+ | 韓国の歴史教育が描く日韓関係とは、いわば「100%の加害者と100%の被害者」であり「絶対的な悪と絶対的な正義」のそれである。いかにもニセモノの英雄が考えそうな安っぽい勧善懲悪のストーリーになっている。李承晩が初代大統領として独裁権力を手にしたため、こんなフィクションが本当に建国神話となり、かつその洗脳が今日まで続いたことで、一般の韓国人までもがこのニセモノと精神的に一体化してしまった。 | ||
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+ | 韓国とは、こういう特定の民族への憎悪と偏見を植え付ける洗脳教育を国家として65年間も続けてきたアブノーマルな国なのだ。 | ||
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+ | しかも、事実に反するまがい物を「正しい歴史認識」などと称して、日本人にも強制しようとしている。国を挙げて科学的・客観的に事実でないことを信じているわけだから、これはもう“信仰”の域である。つまり、この地球上には、キリスト教国・イスラム教国・仏教国のほかに、第四の「反日真理教国」が存在すると思ったほうがいい。韓国とは一個のカルト教団なのだ。 | ||
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+ | だから、韓国が友好国だとか、同じ価値観を共有するパートナーだとか真顔で言っている日本人は、よほどの無知か、馬鹿がつくお人好しか、手先系か、どれかである。 | ||
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+ | 事実はもっとも非友好的で、価値観の異なる国なのだ。彼ら親韓派は今、韓国の“突然の”反日にうろたえ、「日韓はこれまでうまくやってきたはずなのに」とか、「政治家や政府のレベルでやり合っているだけで、しばらくしたら元の友好関係に戻れるはずだ」などとオロオロしている。「馬鹿につける薬はない」とはこのことだ。 | ||
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+ | 韓国とは、もともと、こういう国なのであり、今や片っ端から因縁をつけ始めたのは、情勢の変化により本性を隠す必要がなくなっただけの話である。 | ||
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+ | そもそも、日本人の考える日韓友好と、韓国人の考えるそれとでは、大きな隔たりがある。日本人は文字通り「対等な友人関係」をイメージする。ところが、韓国人の中では「100%の加害者と100%の被害者」という関係が前提になっていて、それゆえ彼らが「友好」とか「協力」を口にする場合、「日本人は加害者としての己の立場をよくわきまえろ」という意味が込められているのである。それは換言するなら「被害者に尽くせ」という意味だ。 | ||
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+ | よって、日韓が和解する必要性があるか否かはまた違う次元の問題として、それができると信じるのはナイーブにすぎる。日韓の個人的な交流と対話はぜひ推進すべきだが、その効果に過大な期待は禁物である。それはちょうど後方でエイリアンの卵を次々と産み続ける母体を放置しながら、前線で襲ってくる固体だけを倒すに等しい。それらが真に効果を発揮するには、まず母体(子供たちへの反日洗脳教育)を倒されねばならない。 | ||
+ | |||
+ | しかし、極度に誤っているとはいえ、その国の教育は、あくまで内政問題である。改革できるとすれば、韓国人しかいない。ただ、しょせんは、まがい物を「正当」とする非科学のオカルトである。真実の光が照射されるなら、虚偽は次第に溶解していく。ただ、それはある意味、大韓民国の「国体崩壊」に等しい。だから、政府は、歴史の真実を恐れ、事実上、思想言論の自由を統制し、口封じまでやっている。それは見方を替えれば「悪あがき」とも受け取れる。 | ||
+ | |||
+ | 一方、日本のとるべき態度ははっきりしていないだろうか。 | ||
+ | |||
+ | まず「歴史教科書を事実に沿って書き直せ」と要求していくべきだ。事ここに至っては内政問題もヘチマもない。韓国はこれまで子供たちに日本に対する憎悪と偏見を植え付けながら、政治レベルでは友人やパートナーのフリをしてきた。そうやって二重人格的な外交で日本を騙し、うまく利用してきたともいえる。 | ||
+ | |||
+ | おそらく、内心では「日本人をかつぐなんてチョロイもんよ」と舌を出していたのだろう。だが、これからは、表面では「日韓は互いに協力し合うべきだ」とか「本当は日本が嫌いじゃない」などとごまかしながら、裏では公教育で日本を悪魔だと喧伝するような欺瞞的な対日姿勢は通用しない。もうその手は食わない。 | ||
+ | |||
+ | 歴史の真実を直視しない韓国人に未来はない。まずは大本を正すべきだ。話はそれからだ。 | ||
== 政治 == | == 政治 == |
2013年10月5日 (土) 08:11時点における版
大韓民国(だいかんみんこく)、通称韓国(かんこく)は、東アジアにある朝鮮半島を主な領土とし、その南半部を主な支配地としている国。憲法上は朝鮮半島全土を領土としている。首都はソウル特別市。
目次
- 1 概要
- 2 国名
- 3 歴史
- 4 なぜ韓国は歴史を書き換えたのか
- 5 政治
- 6 「国際的に見て、韓国は法治国家と言いづらい。法より反日が優先される国」
- 7 地理
- 8 行政区域
- 9 経済
- 9.1 売春産業の規模は韓国GDPの5%、「売春大国」韓国。年間売春件数4605万件
- 9.2 根深い韓国の性売買文化を根絶するためには
- 9.3 日本以上に厳しい韓国の就活。サムスン電子の倍率は700倍
- 9.4 日本目指す韓国の頭脳、キャリア安定求め(2013年)
- 9.5 時給300円なのに物価は日本より高いという絶望のスタグフレーションへ(2013年4月)
- 9.6 韓国の勤労者、年113万人が「解雇」=OECD報告書 1年以内に再就職できるのは約43%(2013年5月)
- 9.7 経済浮揚策なく悲鳴上げる韓国。強まる反日攻勢(2013年8月)
- 9.8 高齢貧困層は45%で日本の約2倍、自殺率は大幅に高い
- 9.9 経済史概要
- 9.10 建築・土木・プラント
- 9.11 造船
- 9.12 軍需産業
- 9.13 工作機械・金型/製造装置
- 9.14 製鉄
- 9.15 自動車
- 9.16 半導体・電子部品
- 9.17 家電・情報通信製品
- 9.18 情報通信インフラ
- 9.19 農業
- 9.20 医療・生命科学
- 9.21 経済自由地域
- 10 韓国のお菓子
- 11 情報機関
- 12 軍事
- 13 国民と社会
- 14 文化
- 15 スポーツ
- 16 脚注
- 17 関連項目
- 18 外部リンク
概要
大韓民国は朝鮮半島において軍事境界線(38度線)を挟み朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治区域と対峙する分断国家であり、朝鮮民族国家としての統一を目指している。 日本海を挟んで日本と、黄海を挟んで中華人民共和国(中国)と国境を接する。韓国人口のほぼ半数は、人口約2,000万人を擁し、世界有数の大都市圏であるソウル都市圏(ソウル・仁川周辺)に集中している。
大韓民国の本来的な領土とされる朝鮮半島は1910年の日韓併合より大日本帝国の統治下に置かれていた。1945年8月15日、第二次世界大戦における日本の敗戦により、朝鮮半島は、直後に北緯38度以北にソ連軍が進駐し、南半分は上陸してきた連合国軍(実質的には米軍)の軍政下に入り、呂運亨らによって朝鮮人民共和国が建国されたが、連合国に否定され、半島は38度線を境に南北二つの体制に移っていった。南朝鮮では連合国の軍政に対して朝鮮人が蜂起する大邱10月事件が起きた。李王家の帰還を許さず、1948年5月10日に多くの反対を押し切って南単独で総選挙が実施され、8月15日、李承晩を初代大統領とする大韓民国の樹立が宣言され朝鮮半島南側だけの反共主義国家が成立した。また北側の共産主義勢力により済州島人民委員会が設立され対立が激化しつつあった済州島で済州島4・3事件を引き起こし韓国領とした。
1950年からの朝鮮戦争ではほぼ全土が戦場となり保導連盟事件等の民間人に対する大虐殺もあったことから国土が荒廃し世界最貧国となる。1952年に李承晩ラインを宣言し、対馬、竹島の領有を宣言し、竹島を軍事占領下においた。李承晩大統領の独裁に反対する四月革命によって12年間の独裁が終結したが混乱が続き、軍部によるクーデターにより、朴正煕、全斗煥、盧泰愚と軍部出身大統領による開発独裁がなされ、国際協調政策を採り、日本と国交を正常化することやアメリカに協力してベトナムに出兵することで得た経済支援を効果的に投資し高度成長を遂げる。建国以来、共産主義者や反政府主義者に対する極度の思想弾圧を経て、1987年の自由選挙、1993年には文民政権の実現など次第に民主的な体制に変化しつつある。
北朝鮮とは建国以来敵対関係にあり、朝鮮戦争以降も小規模な軍事衝突がたびたび発生しており、常に緊張状態にある。金大中および盧武鉉政権による北朝鮮への融和的な太陽政策により表面的には友好関係が築かれつつあったが、李明博政権の発足により、再び緊張状態が始まった。北朝鮮による核開発問題や拉致(拉北)問題など未解決の問題がいくつかある。また北朝鮮との経済格差や人権問題などもあり、南北統一の実現には未だ少なくないハードルが残されている。
アメリカ合衆国とも基本的に友好関係にあるが、金大中および盧武鉉政権下でおこなわれた過剰な太陽政策は、西側諸国から批判された。また、韓国国内の若年層が持つ反米感情が在韓米軍問題などをきっかけに噴出し、盧武鉉政権はアメリカと距離を置き、独自路線を志向した(親北反米)要出典。李明博政権になってからは、アメリカおよび日本などとの関係修復に動いている。
情報技術産業、自動車産業などを中心に世界で15番目(2008年)の経済力を持つが、中国の経済発展や内需不振などにより国内経済は低迷傾向にある。また国民の間の経済的な格差が社会問題となっている。
国名
日本語表記は、大韓民国。通称は、韓国。北朝鮮政府は、南朝鮮という呼称を使用している。日本においても、南韓・南朝鮮あるいは南鮮と呼ぶ場合があるが、前者は一般的に使用されることは少なく、後者は蔑称であるとして避けられている。英語ではRepublic of Korea通称、R.O.K. またはSouth Korea。
「韓」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓、辰韓、弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名。日本と清との間で取り交わした下関条約の後の1897年に当時の大朝鮮国(朝鮮王朝)が国号を大韓帝国に改めたことで正式の国名となった。1910年の大日本帝国による韓国併合後、この地域の呼称は朝鮮に戻された。のち、1919年に李承晩(のちの初代大統領)・金九ら独立運動家が国外につくった大韓民国臨時政府は、亡命政権の名称として「大韓」の名を用いると同時に、初めて共和制国家としての名を採用した。
- (注)
- 韓国において、「朝鮮」という呼称は「朝鮮民主主義人民共和国」を認め「大韓民国」を否定するものと理解される要出典ため、また、歴史的に韓国人からあまり芳しくないと考えられている李氏朝鮮を想起させることから、忌避される傾向がある。「朝鮮民族」「朝鮮語」などの言葉が日常で使われることはほとんどなく、「韓民族」「韓国語」などと呼ばれる。背景には、北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや、韓国を「南朝鮮」と呼称していることなどがある。また、朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮戦争を「韓国戦争」などと呼称するのが一般的である。北朝鮮は「北韓」、朝鮮人参も「高麗人参」という(「高麗人参」は土産物用、輸出用に限られ、韓国内では「人参」という。野菜のニンジンは「タングン」(唐根)という)。ただし、ホテル名や学校名、朝鮮日報のような新聞社名など、ごく少数の固有名詞で、日本統治時代からの歴史のあるものや伝統的な語感を生かそうとしている名称には「朝鮮」が使用されることもある。
歴史
大韓民国は、第二次世界大戦が終結し日本の統治から米軍統治を経て独立をした。大韓民国成立後の歴史は、憲法による政体の相違によって、7つの時代に区分される。
- アメリカ軍政庁期(非独立):1945年 - 1948年
- 1948年、済州島4・3事件。
- 第一共和国期:1948年 - 1960年
- アメリカの承認を得て李承晩が大韓民国の独立を宣言。
- 1948年、済州島4・3事件継続。
- 1948年、麗水・順天事件。
- 1949年、聞慶虐殺事件。
- 1950年、朝鮮戦争勃発。
- 1950年、保導連盟事件。
- 1952年、李承晩ライン宣言。
- 1953年、竹島占拠。
- 1953年、朝鮮戦争休戦
- 1953年、米韓相互防衛条約締結。
- 1959年、日本に北韓送還阻止工作員を揚陸。
- 四月革命によって李承晩が失脚し、第二共和国が始まる。
- 第二共和国期:1960年 - 1961年
- 朴正熙によるクーデターによって国家再建最高会議が設置される。
- 国家再建最高会議(軍政)期:1961年 - 1963年
- 朴正熙が軍職を辞して大統領となり、第三共和国が始まる。
- 第三共和国期:1963年 - 1972年
- 1965年、日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓条約)締結。日本との国交を回復する。
- 1966年、ベトナムに出兵する。
- 十月維新後の憲法改正で第四共和国が始まる。
- 第四共和国期:1972年 - 1979年
- 朴正煕暗殺事件によって崔圭夏によって第五共和国が始まる。
- 第五共和国期:1979年 - 1987年
- 1980年、光州事件。
- 盧泰愚による民主化宣言により第六共和国が始まる。
- 第六共和国期:1987年 - 現在
- 2002年、アフガニスタンに出兵する。
なぜ韓国は歴史を書き換えたのか
正当な理由がないにも関わらず、なぜ韓国人は優越感を滲まながら「戦犯国」などと日本を嘲弄しているのだろうか。いったい彼らの頭の中はどうなっているのか。
答えは「史実をほとんど逆さまに認識しているから」だ。たとえば、「日帝が韓国を強制併合して収奪と民族抹殺を始めると、独立軍が各地で蜂起し、日本軍と果敢に戦った。太平洋戦争が始まると、臨時政府は日帝に宣戦布告し、連合国の一員になった。韓国の独立はこのようにして自力で勝ち取ったものだ。韓国人BC項戦犯については、あくまで強制動員され、犯罪を強要された“被害者”にすぎない」…という具合に。
こんなでっち上げの「建国神話」のせいで、彼らは自分たちが連合国側に属するなどと錯覚している。一般に、韓国人は、政治的なプロパガンダにすぎない“歴史教育”により、近現代史において以下の「四つの大きな真実」から完全に隔離されている。
以上の四つの項目について、韓国人の頭には公然たる嘘やトリミングされた情報が詰まっており、その虚偽を「正しい歴史」などと呼んでいる。
韓国の歴史教科書を読んだことのある人なら分かると思うが、それを規定する国史編纂委員会はプロの贋作者集団であり、非常に手の込んだ捏造をやっている。ジャーナリストの石井孝明氏が「一冊の本だけを読む人に気をつけよう」という格言を紹介していたが、何も知らない人が韓国人の書いた歴史の本や、その影響下にある日本人の本だけを読めば、確実に騙される。それで罪悪感を持ち“良心”に目覚めてしまった厄介な日本人も少なくない(*それもまた彼らの手口なのだ)。
幸い、今では、その捏造箇所や事実関係の誤りの指摘にプロの歴史研究者の方々がたくさん参加しておられ、関連するサイトや本も増えてきた。
したがって、それについてここで懇切丁寧に解説する意味はない。それよりも、もっと根本的なことを考えてみたい。それは「彼らがなぜ歴史を書き換えたのか、又はなぜ捏造せざるをえなかったのか」という、原因・理由・動機などの究明である。治療(する機会があるとして)のためには、それを突き止めることが不可欠だ。
元凶としての李承晩(イ・スンマン)
では、その理由とは何か。おそらく、初代大統領として「李承晩が独裁権力を握ったから」だ。それゆえ、彼自身と臨時政府を「正統」とする歴史をでっち上げねばならなくなったのだ。つまり、始まりは、ほとんど個人的な動機だった。
むろん、理由は複合的で、その他にもある。
第一に、歴史を“記録”する際の、東アジア文明圏の伝統的な手法が挙げられる。ちょうど司馬遷の『史記』で殷(商)の紂王が悪逆非道に描かれているように、彼らの社会では日帝という「前王朝」を冷酷無比な統治者に描けば描くほど、次の支配者の道徳的正当性が高まる。ましてや、独立戦争を通してその悪魔と戦い続けたと人々に信じさせることができれば、これ以上の正当性はなく、完全に人民のヒーローに収まれる。
第二に、もっと切実で現実的な理由もあった。終戦後、3年間はアメリカが直接軍政を敷いたように、連合国を結成したボスがすぐ韓国の目の前にいた。捕虜虐待などでBC項戦犯として訴追されたように、韓国人は疑いを持たれていた。だから、保身上、戦犯の日本と同類に見られないよう、また自身の戦争犯罪があくまで強要されたものとの訴えが説得力を持つよう、徹底して「加害者と被害者の関係」に成りすます必要性があった。
そして第三に、これがもっとも大きな理由だと思うが、李承晩はとんでもない悪政をやらかして国民を苦しめ、貧困のどん底へと叩き落した。どんな民族主義者が見ても、日本時代より過酷で恐怖に満ちた社会であることは明らかだった。だから、李承晩は、独裁者として就任した時だけでなく、その後も歴史をでっち上げ続ける必要に迫られたのだ。
少なくとも政権を握っている間、自分の時代よりも日帝時代をさらに悪虐非道に描かねば辻褄が合わなくなってしまった。それはまた内部矛盾から人々の目を反らす意味でも有効な手法だった。だが、政治的に不可欠な作業とはいえ、自国民の大量虐殺をやった独裁政治よりも悪く見せるとなると、もはや悪魔でも引っ張り出すしかない。だから韓国の歴史教育では、ほとんど悪魔として日本の姿が描写されるようになった。
独立運動家・臨時政府・独立軍の本当の姿
仮に、独立の指導者たちが本物の英雄であったなら、こんなでっち上げはする必要がなかった。
そこがアジアの他の国との違いだ。インドでは、ガンジーやボースの軌跡をわざわざでっち上げる必要はない。事実をありのままに伝えるだけでいい。それで十分、彼らは英雄であり後世の手本となる。アジアの各国にはミャンマーのアウンサン、インドネシアのスカルノ、ベトナムのホー・チ・ミンなど、キラ星のごとく独立の英雄がいる。
ところが韓国には、このような偉大な独立の指導者が一人もいなかった。日本軍を打ち破った勇猛果敢な軍事指導者も、思想的人間的に偉大な文人指導者も、ついに現れなかった。
大韓民国臨時政府なるものを象徴するのが、中枢にいた三人の主要人物だ。一人は今挙げた李承晩。王朝に繋がる家系が自慢で、それゆえに民族主義者であり、庶民を人間とは思っていなかった(だから大虐殺できた)傲岸な人物だ。
もう一人は、強盗殺人犯で脱獄囚の金九(キム・グ)。生涯、政争を繰り返した人物だ。こんな男が“警察本部長”に就いていたのだから、いかに怪しげな団体かが分かる。
最後の一人は朴殷植(パク・ウンシク)で、嘘つき・でっち上げの天才。『韓国独立運動之血史』という怪プロパガンダ文書を書いて、今日に至る韓国のトンデモ近代史の原型を作った人物だ。
彼らの設立した臨時政府なるものは、いかなる国家からも承認されず、設立から26年間、一度も日本軍と戦わなかった口先だけのヘタレ集団だ。
独立軍の中で同組織所属をとくに「光復軍」と呼んでいるが、日本軍と交戦したことはない。「人類史上最悪の植民地支配」などと糾弾するほど日帝の支配が過酷なら一度くらいは銃をとって戦っても良さそうなものだが、結局、設立から終戦までの間やっていたことといえば、内輪でのポスト争いと中国政府へのタカリ、市民社会に対する強盗略奪、政敵の同じ韓国人の暗殺くらいのもの。
一方、独立軍とか抗日パルチザンと称する集団の正体は、要するに満州の匪賊やソ連・中国共産党軍に所属していた韓国人のことである。
「愛国心はならず者のなんとやら」とはよく言ったもので、強盗略奪が生業だった匪賊であっても「独立闘争」といえば名分が立ったのだろう。満州国軍官学校卒で朝鮮戦争の英雄である白善?氏は当時を直に知る人物だ。元帥は「独立軍など見たこともないのに、どうやって討伐できるのか」と呆れている。
もっと呆れるのは、韓国ではこの“独立軍”が日本軍に対して「青山里戦闘」なるもので大勝利したと信じられていることだ。
実際には匪賊討伐の際に日本軍人に若干名の死者が出た事件だが、「日本軍に3千名以上の戦死者を出した」という嘘が定着している。驚くのは、この臨時政府の戦勝プロパガンダを韓国政府が未だに継承しており、毎年「戦勝記念行事」まで開催していることだ。虚しくないのかという疑問はさておき、この現実からも今の韓国政府が臨時政府の正統な後継者に他ならないことがよく分かる。
このように、独立運動家と称する連中が「ニセモノの英雄」であり、本人たちも十分それを承知していたから、歴史をでっち上げる必要に迫られた。
ちなみに、以上とは別個に、1905年の第二次日韓協約から併合初期まで、後に「反日義兵闘争」と呼ばれるものがあった。これは日本軍に計百名以上の死者を出す規模であったことは確かだ。しかし、この闘争がすぐにピークアウトしたのは、韓国が未だ国民国家でなかったことが主因だ。つまり、大多数の庶民にとって最大の関心事は己の暮らしであり、専制国家の運命などどうでもよかったのだ。
それどころか同時期、日韓合併を掲げる一進会が最大の政治勢力だった。当時、日本に敗北した清とロシアは威信を失い、滅亡寸前の帝国だった。対して、世界の9割以上を欧米とその植民地が占める状況にあって、日本は全アジア、否、全有色人種の期待を担っていた。
中世のレベルだった当時の韓国人からすると、日本は何百年も文明の進んだ近代国家に等しい。そうすると、「対等合併」を望んだ一進会は非常にムシのよい主張をしていたことになる。反日・独立どころか、案外、勝ち馬にタダ乗りして労せずに一等国民になろうとしていたのが政治意識のある韓国人の多数派だったというのが事の本質である。
数字まででっち上げる韓国人の驚異の贋作力
やや本筋から反れるが、独立軍の話が出たついでに、韓国人は日本人が絶対やらないことを平気でやる事実を知っておくのも無駄ではないと思う。それは「実在の人物名を流用して、具体的な数字を創作し、記録をでっち上げる」という行為である。
たとえば、“独立戦争”の実態と称して、
「○月○日、日本軍がどこそこの村を襲い、○○戸を破壊し、○○名を殺害した。それに対して、誰々率いる独立軍○○名が戦い、日本軍○○名を殺害して撃退した」
などという話を次から次へと“歴史書”の中に書き加えていく。
ところが、これがまったくの創作なのである。「青山里戦闘」なるものも、この手法ででっち上げられた活躍のうちの一つだ。驚くべきことに、彼らは「実在の人物+具体的な数字」を使って、架空の詳細な“歴史記録”を作ってしまうのだ。目的が正義であれば手段は選ばなくてもよいとタカをくくっているのか、彼らは平気らしいのだ。
なぜそういうことをやるのかというと、科学性・客観性を装うことで、いかにも学術的な調査を経た公式の記録であるかのように見せかけることができるからである。
そうやってニセの記録をたくさん作って、己の政治的主張や立場を固めるのだ。つまり、最初から世間を騙すため、欺くためにやるわけだから、詐欺の確信犯である。中国も含めての話だが、政治とアカデミズムが分離しておらず、政治的な真実のほうが客観的なそれより優先される。だから真理を畏れず、平然と歴史(事実)に手を加える罪を犯す。
彼らはこうして日本軍の“殺戮記録”や、独立軍の“戦勝記録”を次々とでっち上げていった。この手法で、臨時政府も「聖人君子の集まり」になり、独立軍も「各地で日本軍を撃退した勇猛果敢な部隊」に変えられた。何も知らない人が読めば、当然本物の記録であり、人々を次々と虐殺して回る悪逆非道な日本に対して正義の独立軍が不屈の精神で抵抗していた、と信じ込むだろう(実際これが韓国人の持つ日帝時代のイメージだ)。
こうやって、驚くほど詳細で念の入った改ざんで「日帝の犯罪」が創られ、韓国では今でも事実として流通している。日韓関係史ではこの種の「偽の記録」が膨大に紛れ込んでいる。不幸にして、このような卑怯な手法は、大多数の日本人にとって長らく常識外のことだったため、信じてしまう人が続出した。そして罪悪感、良心の呵責、贖罪意識から、謝罪するだけではすまず、相手側の手先となり、結果的に嘘の片棒を担ぐ人も現れた。
しかし、今では「具体的な数字を挙げてまで嘘をつく」という彼らの手口は、日本だけでなく世界に広く知れ渡りつつある。なにしろ、一国の政府や自治体、政治家、大企業や科学者までもが公然とそれをやり、しばしば顰蹙を買う。従軍慰安婦も同類だと、気づく欧米人も現れ始めたようだ。彼らは以前のように容易に人々を騙せなくなった。
ただし、公正を期すなら、まったく逆の韓国人も少なからずいる。たとえば、『親日派のための弁明』を記した金完燮(キム・ワンソプ)氏のように、逮捕・暴行・脅迫されても決して真実の主張を曲げない人もいる。集団の空気に抗い、迫害にもめげずに真実を訴えている韓国の本物の知識人に対しては、心底、尊敬の念を覚えざるをえない。韓国ではすでに“親日派”は殺される時代に入った。命と引き換えても真実に忠実であらんとする…。彼らこそ真に日本の友人になれる人たちだと思う。
韓国の本当の不幸の始まりとなった李承晩時代
日本の敗戦により、総督府からアメリカへと韓国の統治権が引き継がれた。当初は建国をめぐって諸派がゴタゴタし、ソ連はいち早く傀儡を立てた。
臨時政府と独立軍自体は承認されなかったが、同政府出の李承晩個人はアメリカ留学組であり同国でロビー活動もしていたことから、結局、反共傀儡政権の首班に祭り上げられた。ただし、「韓国を連合国に加えてほしい」という身勝手な要求は退けられた。戦って血を流したわけでもない者たちがでしゃばる権利などないと考えられたからだ。だから、韓国人が“戦勝国民”だの“連合国民”だのと自称することは単純に事実に反する。
この人物が初代大統領として独裁権力を握ったことに関しては、同情を禁じえない。李が帰国してから亡命するまでの期間は「暗黒時代」であり、現代韓国人にその記憶が欠落しているのは異常なことだ。いろんな意味で、この李承晩こそ諸悪の根源であり、彼の時代こそ、まさに韓国の歴史教育で描かれる“日帝”そのままなのだ。
李承晩が最初にやらかした悪事が「済州島事件」で、要するに共産主義者とその疑いをかけられた島民に対する大虐殺である。その結果、数万の市民が殺され、別の何万人かが日本に逃れ、そのまま居ついた。虐殺はその後も継続的に行われ、島民は激減した。規模は小さいが、似たような虐殺はその他の地域でも行われた。
李承晩による対日戦争犯罪といえば、日本領・竹島の侵略強奪と日本人漁民の虐殺が有名だが、実はそれ以前に対馬を侵略しようとした。そのために韓国の南端に兵力を集結させていたところ、北朝鮮の電撃侵攻に合ったのである。自国民さえ平気で虐殺するほどだから、韓国軍が対馬で大虐殺をやらかしていたことは想像に難くない。
朝鮮戦争が勃発すると、李承晩は内部の敵に対する被害妄想を加速させ、共産主義者とその家族を教化する組織「国民保導連盟」に登録していた人たちを大量に処刑した。軍や警察によって虐殺された人の数は、正確には分からないが、百万以上とも言われる。戦争でうやむやになっただけでなく、その後の軍事政権下でも隠蔽され続けた。
当初は半島南部に追い詰められた韓国軍だが、アメリカ軍の参戦で巻き返し、四ヵ月後には中朝国境の鴨緑江に達した。しかし、北朝鮮の滅亡によって終戦となるはずが、中国軍の参戦によって再び38度線まで押し戻され、戦争は結局3年間も続いた。これにより数百万の軍民が犠牲になり、朝鮮半島の大半が荒廃した。ちなみに、戦争を長引かせて犠牲を増やした中国に対して、韓国は過去の直視・清算を一言も要求していない。
その後も李承晩は1960年半ばまで独裁者の地位に居座り続けた。李は共産主義者だけでなく自分に反対する者は政治犯として粛清し、デモや反対運動は徹底的に弾圧した。
日本時代を知る韓国人は当時、「いったいどこか“解放”なのか。日帝支配下よりもはるかに酷い社会じゃないか」と憤った。李承晩はこの動きを思想言論の統制・密告制度・秘密警察などの恐怖政治で取り締まった。こうして、懐日思想や言動を監視抑圧し、日本時代を体験で知る世代が恐怖心から口をつぐむようにして世代間の分断をはかり、子供たちにはメディアと公教育を使って「偽の記憶」を植え付けていった。
太平洋戦争当時、韓国は爆撃も受けず、実質徴兵もなく(*若干の徴兵者は戦線投入前に終戦)、物資の徴発と労務の強制だけという、“植民地”としては破格の待遇を受けた。
結果、終戦時、内地は大量の戦死者を出して灰燼に帰したが、韓国はほぼ無傷の状態だった。つまり、戦後、日本と韓国の経済社会状態は完全に逆転していたのである。ところが、李承晩が去った時には、韓国は最貧国へと転落しており、両者の状態は再逆転していた。
結局、李承晩は、韓国社会と経済の発展には何一つ貢献せず、ただ単に独裁権力を振り回して圧政を敷き、自国民を大量虐殺し、貧困化させただけだった。ちなみに、韓国政府は未だにこの恥部を隠蔽し、逆に日本軍によるありもしない虐殺はでっち上げて、子供たちに嘘の歴史を教えている。
なぜ嘘の国史が継承されていったのか?
李承晩亡命の後、韓国はしばし混乱したが、最終的に権力を掌握したのが朴正煕だった。周知の通り、彼は旧軍将校の出であり、日韓基本条約の締結によって両国関係を正常化させ、日本から莫大な資金を獲得した。朴は鉄鋼や石油化学などの重工業の育成と社会インフラの拡充を行い、「漢江の奇跡」と称される高度経済成長を実現した。
もっとも、国家予算の倍以上に及ぶ日本の資金と、使命感をもって手取り足取り技術やノウハウを教えてくれる隣人がいれば、勤勉な韓国人ならば「奇跡」を起こすことはそれほど難しいとは思えない。こうして韓国は、一度ならず二度までも、日本の援助と協力によって、貧困から脱することができたのである。
だが、朴正煕大統領もまた、日本を絶対悪とするプロパガンダを修正することはなかった。彼は反政府的なデモや運動を徹底的に弾圧したため、一部の市民からは怨嗟の的になった。必然的に内部の軋轢を生む軍事独裁政治にとって、人々の憎しみや不満の矛先を反らせる対象は不可欠である。北朝鮮とか共産主義者では役不足だった。だいたい反政府的な者はそのシンパが多かったのだ。思想の区分に関係ない「人民の敵」を必要とした。
そういった政治的な思惑からか、朴正煕は日本悪魔化教育をそのまま引き継いだ。
さらに日本の経済援助による成果もすべて自分の功績にしてしまったのだから、日本で一般に信じられている人物像とは違い、あまりフェアな人物だったとは言い難い。いや、それどころか、どうやら余計なものを公教育に付け足したらしい。それが「わが民族は昔から偉大だった」式のプライドの醸成である。つまり、自尊史観を強化したのである。
しかし、それは裏を返せば日本を「文化後進国」と貶めることでもあった。というのも、他者との比較によって自民族の優秀さが浮かび上がるわけだが、その対象は当然、中国ではありえず、古代・中世の日本だからである。
韓国の子供たちは、「先祖が日本人に○○を教えてあげた」とか「昔は日本よりも進んでいた」と教えられる。韓国が伝えた先進文化として挙げられるのが、古代には稲作・織物・建築・仏教・紙・文字、秀吉の侵略時には陶器の製作技術、江戸時代には朝鮮通信使による医学・儒学・書画などだ。
こうして、日本との相対化によって「明治維新までは韓国のほうが文化先進国だった」とか、「わが先祖は野蛮な日本人を文明化させた先生である」というふうに、民族的な優越感を持つようになる。
そこへ秀吉の侵略や近代日本の侵略を大きく取り上げるわけだから、当然、「恩を仇で返された」と憤慨するようになる。こうして、現代にいたる、日本に対する優越感と被害者意識の両方を育むような「おかしな歴史教育」の基礎が完成する。
その後に大統領になった全斗煥・盧泰愚も、朴と同じ陸士系列であり、反日教育を引き継いでいった。理由はやはり上と同じようなものだ。軍事政権はどうしても人々の憎しみを引き受けてくれる対象を必要とする。ましてや全斗煥は、いきなり光州事件のような市民の弾圧を行った人物である。また彼は、朴のような奇跡をやりたくて、日本から巨額の経済援助を引き出そうとした。そのための手段として、教科書問題で因縁をつけにかかった――そういう男がなんで反日教育を修正するだろうか。
1988年、韓国はようやく民主体制に移行した。建前では、思想言論の自由もほぼ保障された。しかし、40年にわたる対内プロパガンダによって「偽の記憶」が完全に既成事実化しており、もはや手遅れになっていた。
韓国人はすっかり「建国の父」と精神的に一体化していたのである。今や独立運動家たちが韓民族のアイデンティティなのだ。つまり、一般国民が「われわれは日帝という悪魔と勇敢に戦って勝利した」と思い込んでおり、その神話の守護者なので、覆すのは容易ではなくなっているのだ。
初めから存在しない“日韓友好”
個人の付き合いの中で、聡明で温厚な韓国人でさえ、ふと何かの拍子で歴史に話題が及ぶと、顔色が変わる点については奇異に思っていた。それはあたかも子供の頃に虐待を受けた人が、フラッシュバックで苦しめられる様に似ていた。
私がその理由を知ったのは今から15年前、翻訳された韓国の歴史教科書を読んでからである。日本人は冷酷非情な「悪魔」として描かれていた。近代日本は朝鮮に対して「殺戮と収奪のみ」をしたことにされていた。韓国政府の嘘と捏造はそこまで容赦がないのだ。すぐに危険だと直感した。子供たちは当然、それがすべて事実だと信じ込んで育つ。これは日本が戦時中に喧伝した鬼畜米英以上の“鬼畜日本”プロパガンダに等しい。
韓国の歴史教育が描く日韓関係とは、いわば「100%の加害者と100%の被害者」であり「絶対的な悪と絶対的な正義」のそれである。いかにもニセモノの英雄が考えそうな安っぽい勧善懲悪のストーリーになっている。李承晩が初代大統領として独裁権力を手にしたため、こんなフィクションが本当に建国神話となり、かつその洗脳が今日まで続いたことで、一般の韓国人までもがこのニセモノと精神的に一体化してしまった。
韓国とは、こういう特定の民族への憎悪と偏見を植え付ける洗脳教育を国家として65年間も続けてきたアブノーマルな国なのだ。
しかも、事実に反するまがい物を「正しい歴史認識」などと称して、日本人にも強制しようとしている。国を挙げて科学的・客観的に事実でないことを信じているわけだから、これはもう“信仰”の域である。つまり、この地球上には、キリスト教国・イスラム教国・仏教国のほかに、第四の「反日真理教国」が存在すると思ったほうがいい。韓国とは一個のカルト教団なのだ。
だから、韓国が友好国だとか、同じ価値観を共有するパートナーだとか真顔で言っている日本人は、よほどの無知か、馬鹿がつくお人好しか、手先系か、どれかである。
事実はもっとも非友好的で、価値観の異なる国なのだ。彼ら親韓派は今、韓国の“突然の”反日にうろたえ、「日韓はこれまでうまくやってきたはずなのに」とか、「政治家や政府のレベルでやり合っているだけで、しばらくしたら元の友好関係に戻れるはずだ」などとオロオロしている。「馬鹿につける薬はない」とはこのことだ。
韓国とは、もともと、こういう国なのであり、今や片っ端から因縁をつけ始めたのは、情勢の変化により本性を隠す必要がなくなっただけの話である。
そもそも、日本人の考える日韓友好と、韓国人の考えるそれとでは、大きな隔たりがある。日本人は文字通り「対等な友人関係」をイメージする。ところが、韓国人の中では「100%の加害者と100%の被害者」という関係が前提になっていて、それゆえ彼らが「友好」とか「協力」を口にする場合、「日本人は加害者としての己の立場をよくわきまえろ」という意味が込められているのである。それは換言するなら「被害者に尽くせ」という意味だ。
よって、日韓が和解する必要性があるか否かはまた違う次元の問題として、それができると信じるのはナイーブにすぎる。日韓の個人的な交流と対話はぜひ推進すべきだが、その効果に過大な期待は禁物である。それはちょうど後方でエイリアンの卵を次々と産み続ける母体を放置しながら、前線で襲ってくる固体だけを倒すに等しい。それらが真に効果を発揮するには、まず母体(子供たちへの反日洗脳教育)を倒されねばならない。
しかし、極度に誤っているとはいえ、その国の教育は、あくまで内政問題である。改革できるとすれば、韓国人しかいない。ただ、しょせんは、まがい物を「正当」とする非科学のオカルトである。真実の光が照射されるなら、虚偽は次第に溶解していく。ただ、それはある意味、大韓民国の「国体崩壊」に等しい。だから、政府は、歴史の真実を恐れ、事実上、思想言論の自由を統制し、口封じまでやっている。それは見方を替えれば「悪あがき」とも受け取れる。
一方、日本のとるべき態度ははっきりしていないだろうか。
まず「歴史教科書を事実に沿って書き直せ」と要求していくべきだ。事ここに至っては内政問題もヘチマもない。韓国はこれまで子供たちに日本に対する憎悪と偏見を植え付けながら、政治レベルでは友人やパートナーのフリをしてきた。そうやって二重人格的な外交で日本を騙し、うまく利用してきたともいえる。
おそらく、内心では「日本人をかつぐなんてチョロイもんよ」と舌を出していたのだろう。だが、これからは、表面では「日韓は互いに協力し合うべきだ」とか「本当は日本が嫌いじゃない」などとごまかしながら、裏では公教育で日本を悪魔だと喧伝するような欺瞞的な対日姿勢は通用しない。もうその手は食わない。
歴史の真実を直視しない韓国人に未来はない。まずは大本を正すべきだ。話はそれからだ。
政治
内政
建国以来、大韓民国は共和憲政体制を採用している。国家体制を定める憲法は、建国直前の1948年7月17日に最初の憲法を採択して以来、9回の改憲を経て現在に至っている。特に、国家体制を大きく変えた5回の改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法は第一から第六憲法と呼称されている。それにともない、各憲法に基づいて構成されていた政体も、第一から第六共和国と呼称されている。
現在の憲法は第六共和国憲法と呼ばれ、1987年10月29日に採択された。この憲法は、5年毎の直接選挙による大統領の選出を定めている他、大統領の再選禁止なども盛り込まれており、韓国憲政史上最も民主主義的な体制を規定した内容である。第六共和国憲法に基づいた第六共和国は、1988年2月25日に盧泰愚が大統領に就任して以来、今日まで持続している。1990年代以降には地方自治選挙もあるが、それ以前の広域自治体の首長は政府の任命、基礎自治体の首長は知事や特別市長、直轄市長による任命であった。現在でも役人の権限が非常に強い役人社会である。
南北関係・統一問題
建国以来、北朝鮮とは「朝鮮の正統な国家」としての立場を巡り、敵対的な関係が続いた。1950年に勃発した朝鮮戦争で朝鮮半島の分断は決定的となった。その後、韓国では民主化時代まで強い反共主義が取られ、北朝鮮のスパイや共産主義者に対して厳重な取締が行われた。
統一に向けた努力が試みられているが、実を結ぶには至っていない。1980年には、北朝鮮から高麗民主連邦共和国創設と、低い段階での連邦制を提示された。冷戦終結以後は雪解けが進み、韓国と北朝鮮の国連同時加盟や共同声明に結実した。韓国は金大中政権以降になって太陽政策をとり、初の南北首脳会談が実現するなど、国内に和解ムードが広がっている。一方で北朝鮮核問題、韓国人拉致疑惑問題など未解決のいくつかの問題がある。
国際関係
日本との関係
大韓民国は日本が唯一朝鮮半島の正統国家として承認している国であり、隣国であるだけでなく、かつては日本の一部であったという歴史的背景もあり、政治・経済・文化などあらゆる分野で緊密な関係にある。
一方で歴史的背景から元宗主国の日本に対して強い敵対意識を持つ側面もある。特に日韓併合から第二次世界大戦(大東亜戦争)までの日本の統治に対して否定的な意見は多く、盧武鉉政権になってから日本統治時代の「親日派」の子孫を排斥弾圧する法律(日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)が施行されている。この法律は法の不遡及の原則に反しており、このような法律が施行されることは世界的に見ても極めて異例である。また、公然と戦前・戦中の日本(韓国や北朝鮮では「日帝」と呼ばれる)について肯定的な発言をおこなう知識人や芸能人などは激しく批判され、出国拒否、発言の撤回などの社会的制裁を受けている。
韓国側では李承晩・金九ら右派民族主義者を中心として建国された当初から現在に至るまで、日韓併合と、それに伴う同化政策に屈辱的な感情を抱いており、伊藤博文を暗殺した安重根を英雄視するなど、根強い反日感情がある。
連合軍占領期と大韓民国建国後
第二次世界大戦が終結した後、日本の一部としての立場から、連合国軍の一国であるアメリカ軍を中心とした統治を経て独立をした。
一方、日本が自国領土とする竹島を、韓国が自国の領土と主張して武力占拠、日本海上に一方的に李承晩ラインを設定し、この線を越えて操業する日本漁船を拿捕し乗員を抑留・殺害してきた。この時代には、第一大邦丸事件のように、多数の日本人が韓国人によって殺害された。1965年に国交が回復するまでに、韓国によって、日本漁船328隻が拿捕され、日本人44人が殺傷され、3929人が抑留されることとなった。
1948年の大韓民国建国期に起こった済州島4・3事件では、韓国政府の弾圧から逃れるために済州島民が日本に移入することとなった。
1950年に勃発した朝鮮戦争では、連合軍占領下にあった日本は、韓国を助けるために海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年間だけでも56名が命を落としていることが確認されている。一方、韓国政府は犯罪者や密入国の韓国人の強制送還の大半を拒んだため、日本政府は抑留された日本人の返還と引き換えに密入国や犯罪韓国人の送還を諦めた。1959年には在日朝鮮人の帰還事業を阻止するために工作員を日本に送り込み新潟日赤センター爆破未遂事件を起こしている。
国交樹立
李承晩政権期は国交断絶状態であったが、朴正煕政権が成立して両国の国交正常化交渉が本格化した。国交正常化交渉の過程では請求権問題が最も紛糾した。韓国による対日請求権の主張に対して日本側は、日本統治時代に朝鮮半島に投下した資本および引き揚げた日本人が残した財産(GHQ調査で52.5億ドル)を主張することで韓国側に対抗した。
1965年、日韓基本条約とともに締結された財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定にもとづいて、日本が朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助することによって、日韓間の両国間及び国民間の請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されていることが確認された。しかし、韓国政府や韓国メディアは国民に積極的に周知を行わなかったため、日本政府への新たな補償を求める訴えや抗議活動がなされ続けていたが、2009年8月14日にソウル行政裁判所による情報公開によって韓国人の個別補償は日本政府ではなく韓国政府に求めなければならないことが韓国民にも明らかにされている。
現在
1997年のアジア通貨危機により、韓国の経済は危機に瀕した。発足したばかりの金大中政権は国際通貨基金の支援とその経済政策を受け入れ、新自由主義的傾向をもつ構造改革政策によって危機を乗り切った。この時期、首相は金大中と立場を異にするものの経済通と呼ばれた金鍾泌であった。IMF支援の際、日本は韓国に対する緊急支援のうち最大の百億ドルの準備を行なった。
2003年に発足した盧武鉉政権は、当初「歴史問題に言及しない」と発言するなど、両国関係の改善が期待されたが、国内においては日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定するなど、一貫して反日的な政策を取っていた。盧武鉉政権は日本時代の親日派問題の清算として、「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」及び「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を制定し、反民族行為認定者の子孫の土地や財産を国が事実上没収する人権蹂躙とも取れる法を制定し、実際に「親日派」10人の子孫が所有する約13億6000万円相当の土地を没収するなど適用を開始している。
両国の関係は、島根県の「竹島の日条例」の制定や日本の国連常任理事国入りを目指した動き、靖国神社や歴史教科書に対する内政干渉問題もあり悪化した。民間交流のあり方も一様ではなく、韓流ブームも影響して民間交流は活発化しているかに見える一方で、2004年から2005年にかけては日本に対する抗議デモの影響により、韓国側が交流行事をキャンセルする事態がいくつか発生した。
2008年の韓国通貨危機では日本は韓国と300億ドルの通貨スワップの協定を締結した。
2000年代以降、韓国は官民をあげて、日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める情報宣伝工作活動を世界各国で行っており、その結果、世界各国の議会で対日謝罪要求決議が可決され、米国の公共施設には韓国人によって当事国であるアメリカ軍慰安婦や韓国軍慰安婦ではなく、第三国である日本軍の慰安婦を対象とした追慕碑の設置が行われる事態となっている。同時に、韓国は官民をあげて世界各国で「竹島は韓国の独島である」「日本海呼称は東海呼称が正しい」という宣伝工作活動も行っており、VANK等の組織的宣伝活動により世界中の地図や教科書に「日本海/東海」または「東海」と標記される事態になっている。日本政府はこのような活動に対して抗議を行っている。
2010年のバンクーバーオリンピックの際にもニューヨーク・タイムズで韓国の日本に対する被害者意識が独立後半世紀以上経過してもスポーツでの日韓のライバル関係に影響が続いていると報道され、数日後の3月1日にキム・ヨナなどの発言などが発端となり2ちゃんねるに対して韓国から大規模なサイバーテロが発生した。
2010年の韓国哨戒艦沈没事件では日本政府は韓国を強力に支持している。
東亜日報・日本人観光客「ゲストハウスで性暴行されて」
日本人観光客が韓国旅行中、韓国人に性暴行されて警察が捜査に入った。
日本大使館側は異例の告訴状を被害者の代わりに警察に提出、強硬対応により外交摩擦に発展するのではないかという憂慮も出てきている。
ソウル麻浦(マポ)警察署は麻浦区西橋洞(ソギョドン)のゲストハウスで日本女性観光客が性暴行にあって捜査に入ったと2012年5月18日明らかにした。警察によれば日本人観光客Aさん(45・女)は韓国観光をするために入国した後、5月6日、ゲストハウス店主の友人に性暴行されたという。
Aさんは韓国観光をした後、この日、加害者を含む宿泊客らと一緒に酒を飲んで次の日午前1時頃、自分が泊まっている部屋で寝ついたが、ゲストハウス店主の友人が自分の部屋に入ってきて肛門性交および口腔性交を強要して性暴行したと主張した。
Aさんは直ちに駐韓日本大使館を訪れて申告した。大使館側はAさんの陳述を元に告訴状を用意し16日、麻浦警察署に提出した。警察関係者は「被害者でなく駐韓日本大使館領事が直接告訴状を提出したのは異例」としながら「敏感な懸案だけに容疑者逮捕に捜査力を集中する方針」と語った。
警察は男の身元を確認し、女性と連絡をとりながら捜査を進めていることを明らかにした。警察の関係者は、事件発生から時間が経過しているため現在も証拠品を探しているとし、「日本人女性の主張だけ聞き男を容疑者と呼ぶのは正しくない」と述べた。男は19日に警察で取り調べを受けた。
駐韓日本大使館が被害者の代わりに告訴状を提出するのは異例。警察の関係者は、「事件を特別扱いせず韓国国内の事件と同様に捜査を行う」と話したが、韓国メディアは「外交摩擦につながる恐れもある」と伝えた。
経済的関係
経済面において韓国は、日本との関係が深い。韓国から日本への電子部品や工作機械などの輸出も増大している。韓国の対外輸出の増加にともない、日本からの部品輸入や日本への特許使用権料の支払いも増加しており、戦後一貫して韓国の対日貿易は赤字が続いている。2007年度には対日貿易赤字が過去最高の289億ドル(約3兆2000億円)に達した。
原因として、韓国は自国で賄えない技術、部品、素材の日本への依存度が極めて高い上、その加工技術、信頼性は日本製品に比べて著しく劣ることから、韓国製品の日本輸出が難しいという構造的問題があり、「韓国が世界貿易で稼いでも、その半分以上を日本へ引き渡している構図である」と指摘されている。対日輸入の金額自体は増加しているが、輸入に占める割合は2005年には18. 5%、2006年は16. 8%まで下がっており全体的に減少傾向にあり、輸出でも同様の現象が起こっている。
李承晩政権時代には外貨流出や北送事業(北朝鮮帰国運動)への抗議を理由に、1955年8月~翌年1月と1959年6月~翌年4月の2度に渡り通商断交を宣言したことがあるあるが、2回とも韓国側の要請で1年以内に通商再開をしている。2003年に両国首脳は自由貿易協定 (FTA) 締結を目指すことで合意したが、交渉は難航している。
米国との関係
第二次世界大戦後、東西冷戦体制が形成されるなかで、右派を中心とする大韓民国が成立した。1948年11月20日、国会で米軍の無期限駐留要請が決議されたように、大韓民国の成立と、朝鮮戦争での大韓民国の防衛には、アメリカ合衆国(米国)を中心とする国連軍が大きな役割を果たした。1953年の米韓相互防衛条約締結によって韓国は米国の同盟国となった。
冷戦期には、韓国は軍事的、経済的に米国への依存を余儀なくされてきた。多数の韓国人が米国に移住し、在米韓国人は200万人に達している。またこの間、韓国政府は米政府の要請を受け、ベトナム戦争に軍を送ることを決めた。米国はその見返りとして、韓国が導入した外資40億ドルの内およそ20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本からは約11億ドル、西独などの西欧諸国からは約10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった技術者・軍人・建設者・用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や軍事援助(60年代後半の五年間で17億ドル)も、韓国の高度成長を支えた。こうして韓国は、ベトナム参戦を契機に急成長を遂げていく(漢江の奇跡)。[1]
1990年以降の東西冷戦体制の崩壊や韓国経済の躍進は、この構図を転換する要因となった。韓国はソビエト連邦、中華人民共和国、ベトナムと次々に国交を樹立し、これらの国々に対する経済投資も拡大している。1998年の金大中政権成立後は太陽政策によって北朝鮮との関係も金泳三政権期に比べて改善された。一方、1999年の老斤里事件報道後、在韓米軍に対する反感が強まり、2002年に米軍車両に韓国人女子中学生が轢き殺された事件によって米軍に対する反感がいっそう高まった。同時に米軍兵器の近代化と展開能力の向上により、想定される戦闘の様相が、米軍が駐留し始めた頃とは異なってきているため、米軍が韓国に駐留する必要性は減少している。このため、米国も在韓米軍を削減する政策を打ち出している。特に2006年に起きた北朝鮮の「核実験」では北朝鮮との宥和政策を推進する余り、親北反米政策を取ったため米国との関係は悪化した。
2008年に成立した李明博政権は従来の親米路線に方針を転換したため今後の対米関係も改善されると見込まれていた。しかし4月、BSE問題に端を発する米国産牛肉の輸入をめぐり反発する野党、市民と政権の対立が激化しており、今後も米国との良好な関係が維持できるのか不透明な状態が続いている。
アメリカとは固い絆を築いており、アメリカ軍への慰安婦として数十年に渡って提供された女性たちが謝罪と補償を求めているが、日本を相手とした場合とは異なり、韓国政府は女性たちを支援しないこととしており、韓国人とアメリカ人によってアメリカ各地の公共施設に建立が進められている慰安婦追慕碑にはアメリカ軍慰安婦や韓国軍慰安婦は対象外としている。一方で、日本軍慰安婦を非難することには共同歩調をとっている。
中華人民共和国との関係
国交樹立
1951年、中国人民義勇軍が朝鮮戦争に参戦し、一時はソウルを占領したことにより、韓国と中華人民共和国の関係は長らく敵対的なものとなった。韓国は中華人民共和国と敵対する中華民国と親交を深めた。しかし1979年の中華人民共和国の対外経済開放政策や1990年の東西冷戦体制の崩壊を要因として、韓国の対中政策は転換した。
人口が多く市場として有望で、安価な労働力の提供が可能な中華人民共和国との国交樹立を模索する産業界からの要請もあり、盧泰愚大統領は1992年8月24日に、中華人民共和国との国交を正常化、中華民国とは外交的に断交した。
経済的関係
これ以降、韓国では対中投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中華人民共和国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれを上回り、投資額は国家としては第1位となっている。とくに山東省青島、遼寧省大連、吉林省延辺朝鮮族自治州には、韓国企業の投資が累積している。また中華人民共和国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。
投資額が国家として1位とはいえ、韓国企業の対中投資実行額は04年の62億5000万ドルから、07年には1~11月段階で32億3000万ドルと3年でほぼ半減のペースとなっている。要因としては2008年1月より施行された外資優遇を原則廃止した新たな企業所得税法、従業員の待遇を向上させる労働契約法や現地トラブルも重なり「中華人民共和国離れ」が加速している。また、WTO香港ラウンドに於いて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。
軍事的脅威
その一方で韓国民の一部は、「中華人民共和国の超大国化によって韓国が飲み込まれるのでは」との恐怖を感じている。将来朝鮮半島が統一された場合、中華人民共和国と国境を接する可能性がある。中国人民解放軍は、現段階では軍隊の規模は韓国軍よりも大きく、装備の更新を進めている。
他方で、統一後は韓国が中華人民共和国に対して上位に立つとする見解もある要出典。全体的に見て中国人民解放軍の装備は、西側先進諸国の水準にある韓国軍に劣っている。また、有事の際、韓国軍は圧倒的な継戦能力を持つアメリカ軍による物資支援を受けるため、継戦能力においても韓国軍は優勢である要出典。
ソビエト連邦・ロシアとの関係
1945年の第二次世界大戦終結で、朝鮮半島は北緯38度線を完全な境界線として米軍の南部とソビエト連邦軍の北部に分断占領された。1948年にアメリカ合衆国主導の南北統一総選挙が国連で決議されたが、北部を軍政統治するソビエト連邦が拒否し、南北分断が確定した。同年8月15日には南部単独で大韓民国が成立、追って9月9日にはソ連軍の士官として朝鮮半島に帰還した金日成を指導者とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が北部のみで成立したため、韓国は建国当初からソ連と敵対関係になった。
ソ連は朝鮮半島北部で朝鮮労働党の指導による社会主義国家の建設に成功し、朝鮮戦争では北朝鮮軍の南侵を支持したが、国際連合安全保障理事会における欠席戦術を逆手に取られてアメリカを中心とした国連軍の編成と介入を許し、朝鮮半島全域への勢力拡大は失敗した。この際、ソ連軍は直接介入を控えたものの、軍事顧問団の派遣や兵器の供給で北朝鮮や中華人民共和国による軍事作戦を支えた。その後のベトナム戦争では、アメリカの要請に応じてベトナムに出兵した韓国軍が北ベトナムを通じてソ連の支援を受ける南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と激しい戦闘を行った。この東西冷戦の激しい時期では韓国とソ連の関係は絶たれていた。歴代の韓国の政権は反共主義を唱え、北朝鮮の背後にいるソ連や中国を強く警戒していた。金日成の個人独裁が強化された北朝鮮で親ソビエト派が一掃されても、ソビエト連邦は北朝鮮を朝鮮半島唯一の正統政権と認め、韓国とは全く外交交渉を行わなかった。
1981年、ソウルが1988年のソウルオリンピック開催都市に決まると、韓国はホスト国としてソビエト連邦を含む全ての国を安全に招待する義務を負った。しかし全斗煥政権は対ソ強硬姿勢と国内の民主化運動弾圧を継続し、1983年9月1日には大韓航空の旅客機がソビエト連邦領空を侵犯した後に撃墜された大韓航空機撃墜事件も発生して、両国間の関係は全く改善されなかった。
これが変化したのは、1985年に登場したソビエト連邦のゴルバチョフ政権が新思考外交による冷戦の緩和を訴えた以降である。韓国も1987年に成立した盧泰愚政権が民主化を進めつつソビエト連邦や中国との緊張緩和を目指す北方外交を提唱した結果、ソウルオリンピックはソビエト連邦や東欧諸国の参加を得て無事に開催された。この際に両国の接触が本格的に開始され、首脳会談を経て、1990年9月30日に韓国とソビエト連邦は国交を樹立した。1991年にはゴルバチョフが初訪韓(済州島を訪問)し、同年に韓国は北朝鮮と同時に国連加盟を果たした。また、第二次大戦後に旧日本領の南樺太(その後ソビエト連邦がサハリン州に編入)に取り残され、無国籍状態やソビエト連邦国籍になっていた残留朝鮮人の韓国訪問・帰還事業や、第二次世界大戦前にスターリンによって極東の沿海地方から中央アジアへ民族全員が強制移住させられたソビエト連邦国籍の朝鮮人(高麗人と称される)との交流が開始された。
1991年12月にソビエト連邦が崩壊してロシア連邦やその他の共和国が完全な独立国家として成立しても、韓国側からの積極的なアプローチは続いた。現代自動車はロシアの外国自動車市場で最大のメーカーとなり、LG電子も家電市場で3割のシェアを獲得したと伝えられている(ジェトロレポートより)。巨大財閥以外の韓国企業もロシアに進出し、ウラジオストクを重要な拠点としてシベリア開発にも関与している。ロシアは社会主義体制を放棄した現在でも北朝鮮との友好関係を維持している事から、北朝鮮の核開発問題をめぐる六者会合への参加国に含まれている。
また、中央アジアで新たに独立したカザフスタンやウズベキスタンにも韓国企業が進出している。両国には韓国からの直行便が就航し、高麗人への朝鮮語教育の支援などを含めた関係強化が進められている。
その他
2004年に、過去において韓国がウラン濃縮など核兵器開発の研究を行っていた事実が発覚し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受けている。
2005年には、同国の放射性アイソトープ販売企業であるキョンド洋行が、イラン企業のパトリス社に放射性物質であるニッケル63を売ったほか、フランスからは別の放射性物質である三重水素(トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが、報道された。
「国際的に見て、韓国は法治国家と言いづらい。法より反日が優先される国」
各国の司法に精通する丸山和也参院議員は「国際的に見て、韓国は法治国家とは言いづらい。政治的非難をそのまま法律にしている。法的体裁をとった『政治的反日報復行為』というしかない。あり得ないですよ。先進国から『文化レベルの低い国だ』と思われても仕方ない」という。
約15年前、丸山氏は韓国企業を相手取った国際仲裁事件の日本企業代理人となり、数千万円の債権を勝ち取った。韓国の裁判所でも判決の効力が承認されたが、なかなか判決の執行ができない。裁判所が債権回収に動こうとしなかったのだ。四方八方に手を尽くしたものの、債権回収ができなかった丸山氏に対し、検事OBの韓国人弁護士はこう教え諭したという。
「韓国では日本への恨みがあって、日本人のために韓国人の財産を没収するなんてことはやりたくない。そういうレベルなんだよ」
もはや法治国家のレベルを超えて、韓国は「善悪の判断」すらできないのではないか。
安倍晋三首相は、民主主義や「法の支配」を共有する国との連携を強化する価値観外交を進めるが、丸山氏は「司法と政治の区別すら確立できていないようでは、価値観外交のパートナーとして、韓国は合格点に達していない」という。
地理
韓国は朝鮮半島全域を領土と主張し、そのうちの南北軍事境界線(38度線)以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は、実際には北朝鮮政府が統治しているが、大韓民国では、地域を指す表現としての「'北韓:' プッカン、ほっかん」が用いられている。
西には黄海、東には日本海に面し、朝鮮海峡(対馬海峡、西水道)を隔てて釜山と対馬とは約50kmの距離である。全国土面積は98480km²で、これは北海道と四国を合わせた程度あるいは九州の約2.7倍(九州は36700km²)である。国土は山がちである。
地震は九州から伝わるものを除きほとんどないことから、比較的安価に高層マンションが建設可能であり戸建より人気がある。活火山も全く存在しない(済州島、鬱陵島は火山島だが活動していない)が少数の温泉はある。
日韓間には、竹島(韓国名:独島)領有問題が存在する他、1990年代以降になって日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称をめぐって日本政府と韓国政府が対立する等、いくつかの問題がある(参考:日本海呼称問題、李承晩ライン)。
気候
ケッペンの気候区分によると、春川、堤川などの北部や内陸部、山岳地帯は亜寒帯冬季少雨気候、それ以外の地域は温帯夏雨気候および温暖湿潤気候に属する。半島状に位置しているものの、顕著な大陸性気候であり、寒暖の差が激しく気温の年較差、日格差が大きい。南部や東部沿岸部を除いて、1月の平均気温は氷点下になり、特に最低気温が低くなる。半島部の緯度は日本の静岡県や大阪府中部から宮城県と同じだが、冬は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である。例えばソウルは福島県中通り北部、新潟県中越地方と同緯度にあるが、1月の平均気温は-2.5度で、冬の寒さは北東北から北海道南部と同じである。強烈なシベリア寒気団に覆われると、ソウルでも最低気温が-10度~-15度前後になり、郊外では-15度を下回ることもあるなど平年を大きく下回る寒さになることもある。また釜山は房総半島南部や名古屋、京都と同緯度にあるが、1月の平均気温は3.0度で、東京より平均気温が2、3度低い。全体的に、北関東から東北地方や北海道南部の気温に匹敵する。この気候はオンドルを発達させた。冬季は晴れる日が多いため朝夕の冷え込みが厳しい反面、江原道の一部を除けば雪は少ない。寒冷な気候はそれほど長く続かず2月になれば暖かくなる。
済州島は高知県や福岡県と同緯度にあり、韓国では最も温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国では最高峰である漢拏山(標高1950m)がそびえる地形的要因により、非常に風が強く体感温度は低く、済州市の1月の平均気温は5度~6度と東京などとほぼ同じ寒さである。西帰浦市の位置する南部は温暖で高知県や宮崎県北部の気温に匹敵する。
夏は半島部においては日本より湿気が少なく過ごしやすい。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、また内陸の盆地にある大邱は韓国で最も暑いとされるが、湿気が少なく、また、熱帯夜になることはほとんどないため、エアコンが無くても寝苦しいということはあまりない。
近年は中国の砂漠化の進行に伴う黄砂被害の拡大が問題となっている。
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均気温(C) | -2.5 | -0.3 | 5.2 | 12.1 | 17.4 | 21.9 | 24.9 | 25.4 | 20.8 | 14.4 | 6.9 | 0.2 | 12.2 |
降水量(mm) | 21.6 | 23.6 | 45.8 | 77.0 | 102.2 | 133.3 | 327.9 | 348.0 | 137.6 | 49.3 | 53.0 | 24.9 | 1,344.3 |
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均気温(C) | 3.0 | 4.3 | 8.3 | 13.4 | 17.4 | 20.5 | 24.2 | 25.7 | 22.1 | 17.3 | 11.3 | 5.6 | 14.4 |
降水量(mm) | 37.8 | 44.9 | 85.7 | 136.3 | 154.1 | 222.5 | 258.8 | 238.1 | 167.0 | 62.0 | 60.1 | 24.3 | 1491.5 |
行政区域
- 特別市(Teukbyeol-si、トゥクピョルシ)
- 1:ソウル特別市(ソウルとくべつし)
- 広域市(Gwangyeok-si、クァンヨクシ)
- 2:釜山広域市(プサンこういきし)
- 3:大邱広域市(テグこういきし)
- 4:仁川広域市(インチョンこういきし)
- 5:光州広域市(クァンジュこういきし)
- 6:大田広域市(テジョンこういきし)
- 7:蔚山広域市(ウルサンこういきし)
- 道(Do、ト)
- 8:京畿道(キョンギどう)
- 9:江原道(カンウォンどう)
- 10:忠清北道(チュンチョンブクどう)
- 11:忠清南道(チュンチョンナムどう)
- 12:全羅北道(チョルラブクどう)
- 13:全羅南道(チョルラナムどう)
- 14:慶尚北道(キョンサンブクどう)
- 15:慶尚南道(キョンサンナムどう)
- 特別自治道(Teukbyeol-jachido、トゥクピョルヂャチド)
- 16:済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう)
経済
売春産業の規模は韓国GDPの5%、「売春大国」韓国。年間売春件数4605万件
「売春大国」の汚名を返上すべく、韓国では売春の摘発が強化されたが、なくなるどころか地下に潜り、さらには“輸出”までされて、ますます世界から白い目で見られている。
例えば、韓国の高速鉄道KTXのソウル駅前には、いわゆる「ちょんの間」が密集していた。日本で言えば、上野駅前に大風俗街があるようなものだ。それが法改正によって壊滅した。
古くから韓国に存在する「頽廃理髪所」は、表向きは理髪店だが、別室で売春を行なう風俗店だ。
売春なしの理髪店との違いはサインポール(日本の床屋にもある、赤・青・白の回転するポール)が非常に大きいなどで、ひと目で「セックスあり」とわかるようになっている。比較的女性の年齢が高いことや、髪を切りたいだけの若い男性は美容室に行くことなどから、特別法が出来る以前から廃れていたが、2004年以降はいよいよ見かけなくなった。
また、「チケット茶房」は表向きは喫茶店だが、ウェイトレスがコーヒーを配達しに来て売春を行なう。もちろんコーヒーはインスタントで、実態は日本のデリヘルに近い。しかしこれも店舗を構えるため摘発の対象となりやすく、近年は減少傾向にある。
逆に増加の一途を辿っているのが、オフィステル(事務所+簡易宿泊施設。ワンルームタイプが多い)やマンションの一室を借りて、そこで売春するケースだ。ソウルでは江南エリアに集中しており、街を歩けばそこらじゅうにピンクチラシが落ちている。
かつて日本の電話ボックスに貼ってあった同種のチラシと違ってB5サイズほどの大きなもので、もちろん通りを歩いている高校生や主婦の目にもとまる。店舗を構えておらず、記載されている電話番号も携帯電話のため、警察も摘発しにくい。
また、キスバンと呼ばれる、個室で客とホステスが1対1になり、キスまではOKというサービスがあるが、このキスバンを装って売春するケースも増えている。こちらは女子大生など若い女性が小遣い稼ぎで働いていることが多い。
看板は出していないが、今も変わらず売春産業は根強く生き残っている。2004年の法律制定後も風俗産業は一向に衰えず、現在も一大産業となっている。
韓国政府の女性家族部がソウル大女性研究所に依頼して調査・作成させた『2010年性売買実態調査』の内容には驚く。結果は非公開だったが、それを入手した『ハンギョレ21』が2011年11月にスクープした。
それによれば、売春産業の規模は最大8.71兆ウォン(約6300億円)と報告され、韓国GDPの約5%を占めている。また、同調査では、年間売春件数が4605万件、売春従事者は14万2000人余であることを明らかにしている。
2010年11月にはハンナラ党最高委員を務めたホ・テヨル議員が、「観光事業を育成するため『フリーセックス』、『カジノフリー』のタブーのない特区を作らなければならない」と、闇の売春産業を認めて公然化する主張をしたため問題となった。
この時代に売春を観光の起爆剤にしようという発想が出てくるほど、韓国は売春大国なのだ。
根深い韓国の性売買文化を根絶するためには
キム・ジヘさん(32、仮名)はソウル下月谷洞にある「ミアリテキサス」で働いている。 一日平均3、4人の男性を相手にしている。ジヘさんが初めて売春を始めたのは学校の授業料のためだった。 2004年にソウル江南の「ルームサロン」が最初の職場だった。
その年、性売買特別法が施行された。風俗街が強制的に閉鎖された時期だった。このため売買春が可能な他の遊興店が“特需”を迎えた。ジヘさんは江南・瑞草などのルームサロンを転々としながら学費を稼いだ。しかし家に生活費を入れていたうえ、お金を遣うことも増え、休学と復学を繰り返し、結局、卒業できなかった。
ジヘさんがミアリテキサスに入ったのは2011年2月。性売買特別法でミアリテキサスがすべて消えたという噂は事実でなかった。ジヘさんは3カ月間、月平均500万ウォン(約38万円)稼いだ。これで学費は十分だと考えて復学した。しかし生活費がまた厳しくなった。他のアルバイトもしたが、給料があまりよくない。ジヘさんは2012年9月、またミアリに戻ってきた。
11月4日、ミアリテキサスでジヘさんに会った。ジヘさんは「事実上取り締まりもしないのに性売買特別法を作り、売春女性だけが犯罪者になった」と話した。ジヘさんのように風俗街を一度離れた後、また戻ってきたという女性が多かった。
この女性たちは「すぐにも家族の生計を維持する責任がある状況で、他の仕事に移るのは容易でなかった」と主張した。ソウル地域の風俗街で働くイさん(34)は「2010年以降、1回も取り締まりを見ていない。意味のない法をそのまま置いておく必要があるのか」と語った。性売買従事者と事業主からなる「全国ハント連合会」は9月、憲法裁判所に性売買特別法に対する違憲法律審判を申請した。
これに関し2004年に性売買特別法を代表発議した趙培淑(チョ・ベスク)元民主党議員は「性売買特別法のおかげで風俗街が大きく減り、女性の人権が改善された」と主張した。しかし趙氏も「当時、性売買集結地の問題に集中したため、新種の変態性売買への対応は不足していた」と話した。金康子(キム・カンジャ)韓南大警察行政学科客員教授はソウル鍾岩警察署長当時の2000年、ミアリテキサスで大々的な取り締まりを行った経験がある。
しかし金教授は「生計のための売春女性に対する具体的な支援策を用意せず、特別法に基づいて制裁したため、単発性の効果に終わった面がある」と述べた。金教授は「当初の目標とは違って新種の売春が広がり、よりいっそう肥大化してしまった」と指摘した。
金教授は「制限的な公娼制度は考慮するに値する」と主張した。しかし一部の女性団体はこうした主張に強く反対している。「性売買特別法は最小限の法であり、公娼制は女性を商品化するという発想」という理由からだ。実際、一部の店では今でも女性従業員に負債を抱えさせ、強制的に売春を要求したりもする。
2011年2月、Aさん(28)は500万ウォンが突然必要になり、知人の紹介でルームサロン経営者に会った。この経営者は「日本で男性と友人のように話をするだけで2000万ウォンを貯められる」と説得した。しかしAさんは日本に到着するとすぐにパスポート(旅券)を取り上げられ、宿舎に監禁された。その後、一日に5、6回ほど売春をすることになった。出血があっても綿で抑えて仕事を続けるように言われた。Aさんは日本女性団体の助けで辛うじて宿舎から抜け出せた。
韓国社会に根付いた性売買文化を根絶するためには、持続的な取り締まりとともに、女性の自活への誘導が重要だと、専門家は指摘している。ソウル江南区庁は2012年7月から違法店舗を取り締まるTFチームを設置し、大々的に取り締まりを行っている。現在まで257店舗が摘発され、18億9500万ウォンの税金・履行強制金を科した。申燕姫(シン・ヨンヒ)江南区庁長は「住宅街にまで入り込んでいるため取り締まりに難しさはあるが、続けていくことが重要」と強調した。
女性家族部は全国自活団体9カ所で女性の職業・進学教育を支援している。自活プログラムに参加する女性は年平均560人にのぼる。
日本以上に厳しい韓国の就活。サムスン電子の倍率は700倍
「大学新卒者が5人集まれば正規雇用は1人だけ。3人は非正規、1人は無職」と言われる韓国の就活事情は日本以上に深刻だ。韓国の学年度が終わる2月中旬、かつて日本語講師として教壇に立っていた大学の学生から、こんな連絡が来た。
「昨日卒業式だったのですが、私の学年はほとんど来ていませんでした」
その理由は就職留年。ある者はすでに秋から留学中で、ある者は就活で失敗し、卒業すると不利になるからと在学期間を延長したのだ。韓国学生の就活は日本以上に厳しい。
英語のほかに日本語か中国語の習得を、ほとんどの会社が求めている。誰もが憧れる財閥系企業ともなるとハードルは極めて高く、会社側は否定しているが、TOEICで990点満点中、800点以上でないと履歴書すら見てもらえない。
全企業数に対してサムスン電子やLGエレクトロニクスといった財閥系企業が占める割合は、わずか1%に過ぎない。しかし、主要財閥10グループの総売り上げはGDPの約75%を占める。その入社試験の倍率は少なくとも数百倍で、トップのサムスン電子に至っては700倍とも報じられている。まさに針の穴をかい潜るようなもので、秀才が集中するソウル大学ですら、就職率は50%に満たない。
韓国では、大学4年生の下半期が始まる9月に履歴書を送り、採用が決まるのは卒業間際だ。1回で就職が決まるケースは稀で、就活が何年も続く。途中、語学留学する者も少なくない。
大学に入ってから就職を意識する日本と違って、韓国では早いうちから就職を念頭に教育される。小学生で外国語の習得に勤しみ海外研修にも参加。選ばれし者は外国語高校で学び、さらに大学入学後には英語+第2外国語のスキルアップだけでなく、目指す企業が個別に入社条件として指定する資格試験の合格を目指して猛勉強を続ける。
書類審査では大学の成績も大きく考慮されることから、期末試験での激闘と、成績に不満がある者の教授への異議申し立ては当然のこと。筆者も成績を上げろと学生に脅されたことがある。
「苦労して大学に入っても勉強ばかりで楽しくないし、何のための学生生活なのかわからない」
やつれた姿で学生が愚痴をこぼすことは多々あった。その熾烈な競争を勝ち抜いた者だけに、財閥系企業への挑戦が許されるのだ。
日本目指す韓国の頭脳、キャリア安定求め(2013年)
「入社して何年で課長になれますか」。
2012年夏、韓国ソウル市でソウル大など名門大学に在籍する200人の学生が集団面接に挑んだ。開いたのは重工大手のIHIだ。
同社が韓国で新卒採用を始めたのは5年前。発電や社会インフラなど主力事業のグローバル化が背景だ。
「日本でも海外でも戦力となる人材が欲しい」(人事部採用グループ部長の馬場正)。
日本語ができることに加え、韓国以外で仕事をする意志があることが条件。書類選考には各大学から約500人が応募。毎年10人程度が入社する。
なぜ日本企業を目指すのか。出世競争の激しい韓国企業は20代で日本の管理職水準の給料を得るエリートも育つ。一方で戦線を外れれば誰もが失業リスクに直面する。安定してキャリアを積み重ねる働き方を求めて日本企業を選ぶ学生は多い。
馬場は「語学力では日本と韓国の学生で大差はない」と話す。異なるのは考え方だ。
「自らの成果に合った報酬と働き方を確実に得られるのか」「明確なキャリアを描けるか」――。韓国の面接会では学生からストレートな質問が飛ぶ。出世競争の光と影を直視した若者が日本企業で新たなキャリアを描こうとしている。
高等教育と雇用のミスマッチが韓国の若者にのしかかる。大学も生徒の就職先を見つけようと必死だ。
「よろしくお願いします」。2012年9月、釜山外国語大学の国際協力委員、金庸●(たまへんに玉、キム・ヨンガク)はある日本人を釜山市に迎えて握手を求めた。求人広告などを手掛けるホスピタブル(福岡市)の社長、松清一平だ。松清は福岡や東京のIT企業や人材会社の社長らを引き連れて釜山市を訪問した。同大で就職先が決まっていない学生8人との面談会を開くためだ。流ちょうな日本語を操る学生のうち3人がほどなく内定を得た。
同大学は8年ほど前から九州地方のIT企業を中心に学生の就職先を探している。金は「就職先がソウルでも福岡でも韓国の学生に抵抗感は薄い。今後も日本の就職先を開拓したい」と力をこめる。韓国では大学が就職率をインターネットなどを通して公表しており、就職率が大学選びの大きな決定要因になる。
少子化が進む韓国では労働力人口の減少が経済の活力を奪う懸念が強まっている。特に、国の将来をかたちづくる若者の海外流出をどう止めるのか。その課題は朴槿恵新政権にのしかかる。
時給300円なのに物価は日本より高いという絶望のスタグフレーションへ(2013年4月)
4月9日付韓国紙「朝鮮日報」によると、韓国では2013年初めに生鮮食品が大幅に値上がりしたことに続き、現在は洗剤、オムツ、歯磨き粉などの日用品価格も次々と上昇し、消費者の家計を圧迫している。国際在線が伝えた。
韓国のスーパー業界の8日の集計によると、同国産の歯磨き粉とシャンプーはそれぞれ5.3%、4.7%値上がりした。日本から輸入されるオムツ価格も6.3%上昇した。国内の洗剤メーカーも製品の値上げを計画しており、日用品価格はいずれも上昇基調にある。
2012年末から2013年初め、韓国の食品加工大手が政権交代を機に相次ぎ値上げを行った。ある食品大手はキムチ、みそ、調味料を6%~8.9%値上げ、あるブランドのビスケット価格は20%~30%引き上げられた。
先日あるテレビ局の時事番組がソウルと東京のコーヒーの値段を比較した。ソウル都心のスターバックスでカフェラッテ1杯の値段は3800ウォン(約470円)だ。これは東京の新宿と渋谷の340円(2800ウォン)より1000ウォンも高い。米国の2200ウォン、シンガポールの2880ウォン、英国の2970ウォンと比較しても値段は高すぎるようだ。
朝鮮日報が世界6都市で売られている世界的な8品目の価格を比較したところ、そのほとんどで韓国が最も高くなっていた。
韓国人アルバイトの46.8%、「最低賃金ももらっていない」
労働者のうち、半数近くが最低賃金以下の給料で働かされている。
1681人を対象に実施したアンケート調査の結果、46.8%が最低賃金の時給4320ウォン(約320円)より低い賃金だった。賃金のほか、勤労基準法違反はさまざまなものがあった。76%が勤労契約書を作成しておらず、事故が起きた時に守ってもらえなかったと答えた人は 65.9%に達した。
また、56.7%が「雇用主から一方的に勤労条件を変更させられた」と答え、「賃金未払いおよび削減」のケースは 26%に達した。セクハラや身体的な暴力を含む人格冒涜を経験した人は30.9%に達し、不当な待遇を受けた時は誰かに助けを求めれたケースはたったの7.7%だった。
韓国の勤労者、年113万人が「解雇」=OECD報告書 1年以内に再就職できるのは約43%(2013年5月)
韓国の勤労者は最大で年113万人が自発的な退職ではなく解雇によって離職し、このうち1年以内に再就職できたのは43%に過ぎないことが分かった。
経済協力開発機構(OECD)がこのほど発表した雇用報告書「再び職場へ」によると、韓国では20-64歳の就業者のうち2.5-5%が毎年解雇されていることが分かった。現在職に就いている韓国人勤労者を2255万人とすると、最大113万人が解雇されている計算になる。OECDは「解雇される人の半数は破産、あるいは破産に近い経済的な問題に直面する」と指摘している。
さらに、「韓国で解雇された人で1年以内に再就職できるのは43%にすぎず、そのほとんどが質の低い仕事に就く。ほとんどが正規職から非正規職に変わり、年間所得も実質所得基準で15%減ることが分かった」としている。
このように解雇された人が再就職や生活で困難に直面する理由について、OECDはセーフティーネットが不十分なためだとみている。OECDは「韓国は再就職に向けた教育を支援するプログラムが不足している。再就職できた人の3人に2人は、自分が以前していた職種とほぼ同じ職種に就いている」と述べた。これは、新しい仕事のスキルを教えるシステムが不十分なために、これまでしてきた職種の仕事を続けなければならないということだ。
韓国で失業後に受け取れる失業給付や雇用保険など「セーフティーネット」の所得代替率は32%で、OECD加盟国の中で最も低い水準だった。
スイスでは失業者が前の職場で受け取っていた給与の80%、ドイツでは65%、日本でも50%程度が保障されている。OECDは「失業者が求職で実質的な支援を受けるには失業給付をもらわなければならないが、韓国では解雇された3人のうち2人は失業給付対象者でないことも問題だ」と指摘している。
経済浮揚策なく悲鳴上げる韓国。強まる反日攻勢(2013年8月)
主要メディアが銀行の経営危機を真剣に伝え始めるなど韓国経済が悲鳴を上げている。
こうした中、朴槿恵大統領の肝煎りで5年ぶりに復活した経済の司令塔ポスト「経済副首相」兼企画財政相に抜擢されながら、効果的な経済浮揚策を打ち出せない玄●錫氏が厳しい批判にさらされている。
玄氏はことあるごとに安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」を激しく批判してきた人物。韓国の経済難は国内の構造的な問題に起因するが特効薬はない。政権への経済運営への批判が強まれば、 それはそのまま「反日」に絡めて日本経済への攻撃に向かうことは確実だ。
外交と安全保障に自信をもっていた朴大統領は、経済については経済副首相と未来創造科学省、さらに大統領府の未来戦略首席秘書官の“経済ライン”に丸投げした感が否めない。
朴大統領は戦略通り訪米、訪中で「史上最大の歓待」(韓国メディア自称)を受け、ワシントンと北京から歴史問題で日本を痛烈に批判。韓国内はこれを「日本に対してぶれない姿勢」として好感し、政権は支持率を伸ばしている。
しかし、朴大統領は新たな省庁を創設し経済副首相まで復活させておきながら経済の苦境については沈黙している。メディア、経済界、与党などから批判の集中砲火を浴びる玄氏に対して朴大統領は7月末の閣議で「4カ月にも満たない時間だが熱心に仕事をしてきた」と慰労。「経済司令塔の役割を一層、熱心に行うよう望む」と激励した。
だが日本の外交筋は「今の韓国経済は玄氏が一人で担うには悪すぎるし、その権限は各省庁や財閥の既得権益の壁を壊すほど無限ではない」と指摘する。
玄氏が繰り返し、世界の経済外交の舞台で日本のアベノミクス批判を展開していることから「今後さらに、日本批判を強めることは間違いない。日韓経済は韓国側の経済反日攻勢で、その距離はますます遠くなるだろう」と見通した。
高齢貧困層は45%で日本の約2倍、自殺率は大幅に高い
日本を常にお手本にしてきた韓国。だが、彼らが直面する高齢化は、日本を上回るスピードで進行しており、お手本がない。解決策を見つけられないまま、時限爆弾が炸裂しようとしている。
韓国の高齢化問題が深刻だ。出生率は2005年に1.08まで落ち込み、その後少し持ち直したものの、1.23(2010年)と同年の日本の1.39より深刻だ。2018年には早くも総人口がピークアウトすると予測されている。
ウォン安局面ではサムスンやLGの好調が伝えられてきた韓国経済だが、企業は栄えても国民は疲弊している。韓国の定年は55歳だが、実際には40代で退職を余儀なくされるケースも多い。子供の教育に莫大な費用をかける国で貯蓄もままならず、子供が社会人になる頃には親は職を失い、老後の蓄えもないのが現実だ。
社会保障制度も未熟である。「先成長後分配」を掲げ、国家の経済的発展を最優先してきたツケが回ってきている。
年金制度が整備され、「国民皆年金」となったのはなんと1999年だ。歴史が浅いため年金受給資格を得られる人は少ない。ほとんどの人が減額支給される。
年金に頼れないため、高齢者は働き続けるしかないが、企業に再雇用されるのは一部のエリート知識人だけで、多くは再就職が困難なため、自営業や単純労働または農業でなんとか生計を立てている。
そこに追い討ちをかけるのが、韓国市場の独特な独占・寡占状態だ。アジア金融危機の際に、政府主導で1業種1社または2社に絞り込んだため、ほとんど価格競争が起きない。市場が小さすぎて海外からの参入もない。だからLG製の液晶テレビは日本より韓国国内で売られている価格のほうが高いという逆転現象が起きる。国民を犠牲にして国や企業が繁栄するそのようなモデルは限界に達しつつある。
2009年に高齢者のうち貧困層(*注)に属する割合は45%で、日本の22%、アメリカの24%の約2倍となった。65歳以上の高齢者の自殺率は10万人当たり81.9人で、日本(17.9人)、アメリカ(14.5人)をはるかに上回る。原因のひとつに生活苦が挙げられている。だが、社会保障費を増やすことは難しい。
国会予算政策処が2012年発表した「長期財政展望報告書」は、2060年に政府債務がGDPの218%に達すると警告した。これでも、現状の社会保障制度のままで福祉を充実させないことを前提に試算している。しかも韓国国債の多くはドル建てであり、ウォン安になれば金利の支払いだけで国家財政を破綻させる破壊力を持っている。
【*注】全人口の可処分所得の中央値(数値を大きさ順に並べた場合に真ん中にくる値)の50%以下になる人
経済史概要
大韓民国の経済は、朝鮮戦争以降大きく立ち後れていたが、ベトナム戦争参戦と日本からの経済・技術援助を契機として所謂漢江の奇跡と呼ばれる高度経済成長を遂げ、新興工業経済地域 (NIEs) の一つに数えられた時期を経て、1996年にアジアで2番目のOECD(経済協力開発機構)加盟国になった。
1997年にはアジア通貨危機により韓国経済は大きな危機に直面し、大量倒産や失業と財閥解体が起こった。2000年頃には一時期な経済の立ち直りがあったものの、政府の金融政策のためクレジットカードを大量に発行した余波もあり、2003年頃には個人破産が急増し国内での信用不安が高まり金融が危機的状態となった。2005年以降も国内消費が低迷しており、2008年時点でも、大学新卒者が正規社員として働くのは困難であり、2009年大卒者就業見込みは55万人中4万人だけである。徴兵義務や就職難のため、優秀な若者は韓国国内の経済状況に関わらず海外への脱出を目指す傾向が強いが、経済的苦境のため、ますます国を離れて米国や日本の企業に就職する若者が多くなっており、頭脳流出が懸念されている。その一方、輸出産業は好調であり、富裕層も多いために不平等が拡大している。社会では「二極化」という言葉がよく使われるようになり、日本と同様、社会の不平等拡大が問題となっている。2000年頃から富裕層向けの高層マンションブームであり、不動産価格は高騰して問題となっている。
2008年時点での国内総生産は世界15位。主要な産業は情報技術、造船、鉄鋼、自動車などである。主要な企業としては、サムスン電子や、現代自動車、LG電子、ポスコ、現代重工業などがある。2007年度の統計によると、韓国の総貿易収支は146億ドルの黒字だが、核心技術や素材、部品産業を日本に依存しているために、日本との貿易収支は298億ドルの赤字である。近年は先行する日本と、大量生産により追い上げる中国の存在に悩まされており(サンドイッチ現象)、この現象の解消が韓国の経済分野での課題となっている。
近年は知的財産への投資も増加している(韓国の知的財産権問題も参照)。
建築・土木・プラント
韓国の建築・土木企業は1990年代頃まで、「不実工事」(手抜き工事)による三豊百貨店や聖水大橋、KBブリッジの崩落事故等により多数の死者を出したことから信頼性に疑問符をもたれることもあった[3]が、近年は韓国建設業界の発展は目覚しく、世界への進出を加速させている。
2000年以降、韓国建設業界は単純な土木工事から脱却し石油化学などのプラント受注等に力を入れていて、中東地域やアジアからの受注が多い。また、リゾートやニュータウンの建設にも力を入れており、サムスン建設がドバイで完成時点で世界一の高さになったブルジュ・ハリファを建設した。
韓国の建築企業は、発電所や淡水・発電プラント等の大型プロジェクトを一括(ターンキー方式)受注するだけでなく、高度な技術が必要とされる基本設計市場も開拓しており、海洋構造物市場では、韓国の造船企業が、FPSO(浮体式原油生産貯蔵設備)やドリルシップ(深海原油・ガス試錘設備)などの高価格の海洋試錘設備市場で大きなシェアを得た。
主な企業は、斗山重工業、現代重工業、サムスンエンジニアリング、サムスン物産、現代建設、サムスン建設、SK建設、SKエンジニアリング、GS建設、大宇インターナショナル、韓電KPS、ハンソルEME。
造船
現代重工業の鄭周永会長が、創建期に研修生を1年間日本の造船会社に派遣してコンテナ2台分の設計図などの各種資料を不法に盗み出させたことを告白しているように、韓国の造船業は日本からの技術移転や不法なスパイ行為による技術流出により発展してきた。
その後、プラザ合意以降の日本の円高による競争力低下とアジア通貨危機を受けての空前のウォン安が韓国造船業界に追い風になり、2000年に建造量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)で日本を抜き世界1位の造船大国になった。それと共に造船技術も発展し、2002年から2006年までに世界で発注されたLNG船の78.3%、ドリルシップの68%、油田開発用洋上石油生産設備(FPSO)の53.8%を韓国メーカーが受注し、高付加価値船舶市場でも高いシェアを得た。
しかし2008年に世界金融危機をうけて世界経済の収縮が始まると、造船業界の景気も急激に悪化し韓国造船業界の成長も急速に落ち込んでいる。2009年の9月期までの韓国大手造船メーカーの受注額は年初計画の3%から10%に留まり、年間建造量こそ世界1位を維持したが年間受注量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)が初めて中国に抜かれ世界2位になった。
軍需産業
韓国軍の兵器の製造の受注のほとんどが現代重工業が担っている。歩兵用銃器の製造に関しては大宇重工業が行っている。兵器のほとんどがアメリカからのライセンス生産で、少量を国産している。主な国産兵器にK2といわれる自動小銃がある。
工作機械・金型/製造装置
2000年代初頭より中小企業庁は富川市の金型産業を地域特化品目に認定するなど金型産業にも力を入れている。これを受け富川市は金型産業支援条例を制定し、世界で初めての金型集積化団地を造成し今では世界的な金型都市になりつつある。
事務用機器、医療用機器、自動車用ギアボックス、携帯電話、PDA・半導体用金型部品、プレス用金型部品、自動車用プレス金型部品、エンジニアリングプラスチック金型、二重射出金型、ダイキャスティング金型、ブロー金型、マシニングセンタ、放電加工機、NCフライス盤、研削盤等のさまざま金型メーカーが存在している。長らく金型・工作機械産業は輸入超過の赤字であり韓国の産業界では問題児とされていたが2005年以降黒字に好転し、外貨獲得率80~90%の優秀な産業に変貌している。
アメリカの最先端ブロンコ・スタジアムの骨組みとなる数十トンの鉄骨用高強度ボルト・ナットの輸出や独BMWの部品供給メーカー、カイザー社への工作機械供給など世界各国に輸出している。
韓国にはKPF、ファチョン機械、牙城精密、貨泉機工、ドラゴン電気などの中小企業から斗山インフラコアのような大企業まで1000社以上が存在している。
製鉄
ポスコ(POSCO=旧浦項製鉄)などの製鉄会社がある。ポスコは新日本製鐵から技術を導入した。近年、中国で粗鉄の需要が急速に伸び中国国内の調達だけでは間に合わないため、韓国から輸入するケースが出ている。ポスコは日本市場進出を計画している。
また、2007年、ポスコが次世代製鉄新技術「ファイネックス(FINEX)」を開発した。他の世界的な鉄鋼メーカー各社も、1970年代ごろから環境汚染がひどく原料加工費が高い溶鉱炉工法に取って代わる新技術を開発してきたが、本格的な商用化に成功したのはポスコが初めてである。 大韓民国の鉄鋼生産量は2008年53488トンである。
自動車
自動車は日本企業との提携が多く、現代自動車は三菱自動車、現代自動車の傘下に入った起亜自動車はマツダ、GM大宇はトヨタ、ルノーサムスン自動車は日産自動車と提携していた。韓国国内では1988年に自動車の輸入が自由化されたが、「輸入先多辺化(多角化)制度」と呼ばれる事実上の対日輸入禁止品目において自動車が指定されていたために、日本車の輸入・販売は1998年7月に至るまで禁止されていた。
韓国車はデザイン的には日本車の影響が強いが、日本以外の世界市場ですでに一定の低 - 中価格帯の車種のシェアを獲得していて、さらに高価格帯への参入を企図している。現代自動車は2008年にヒュンダイ・ジェネシスを販売し、海外高級車市場へ初めて製品を投入した。近年、韓国車の品質の向上が著しく、世界金融危機以降の円高ウォン安の影響もあり、特に米国市場で販売シェアを伸ばしている。また、韓国企業によるリチウムイオン二次電池シェアが日本企業のシェアを奪う形で拡大し、欧米の自動車メーカへの自動車用電池の供給が行われる予定であることから、次世代自動車の電気自動車の販売競争で韓国自動車メーカーがどのような位置を占めるかが注目されている。
2008年の現代自動車の年間販売台数は277万台で8位、起亜自動車は139万5千台で15位であり、現代-起亜自動車グループで換算すると世界5位であった。
半導体・電子部品
DRAMでは世界シェアの約半数近くを占める。半導体技術力が向上し、大規模な投資を行って高収益を上げ、その大半を再投資に振り向けて政府の後押しにより最先端生産ラインを増強した結果である。半導体技術力向上の一環として、世界中から人材を集めるのが特徴で、日本の技術者も高額の給料で雇われ、土日のアルバイトで働く者もいた。その結果、1990年代まで日本が優位にあったDRAM業界のシェアを韓国が塗り替えることになった。これに対し日本や他国の企業は技術流出の対抗策として、自社技術者の監視、生産技術の内製化を進めている。一方で韓国企業でも同様に他国への技術流出対策を積極的に行っている。しかし、実態は生産装置の80パーセント以上が日本製という現実もあり、対日貿易赤字の増加と、半導体産業の発展が諸刃の剣になっている。フラッシュメモリーは日本や米国にも輸出する反面で部品を輸入し、水平分業が盛んである。パソコンや携帯電話等で使われる汎用品の液晶パネルでもDRAMと同じ産業構造であり、韓国が世界トップのシェアを占めている。
家電・情報通信製品
韓国の家電・情報通信製品は世界有数の販売シェアを得ており、液晶テレビ等のAV機器や携帯電話等の情報通信機器の分野ではサムスン電子が様々な製品で世界トップシェアであり、冷蔵庫、洗濯機、エアコン等の白物家電の分野ではLG電子が世界的に有名である。
特にサムスン電子の製品は、新興国のみならず欧米でも価格や品質やデザインが高く評価されており、世界トップレベルのブランド価値を得ている。この分野での日本企業の凋落と入れ替わる形で韓国企業が世界的に躍進しており、近年ではウォン安の影響もあり、様々な製品の販売シェアで日本企業を完全に追い抜き国際的な認知を得ている。デジタルカメラやプリンターなど日本企業が健闘していた製品領域での伸びも著しい。携帯電話の分野では国際マーケットでノキアやモトローラなどと熾烈な競争を続けている。基幹部品のフラッシュメモリーや液晶パネルのシェアで世界トップであることが強みであり、第三世代携帯電話 を中心に韓国製のシェアが伸びている。この分野についてはOEM(相手先ブランドによる生産)やEMSなどが広範におこなわれており、いわゆるブランドシェアと実際の国際マーケットにおける貢献の詳細については不明な点も多い。
様々な製品で直接日本製品と競合するため、特許侵害を巡って日本企業と互いに提訴を繰り返しており、特に液晶テレビで顕著である。また日本企業と同じくアメリカ企業の「パテント・トロル」にも苦しめられている。
クレジットカード照会機、PCPOSシステムと周辺機器、複合クレジットカード照会機をはじめとした各種の電子機器の海外輸出も行われている。
情報通信インフラ
韓国ではブロードバンドが普及しており、インターネット放送や通信型ゲーム、サイワールド(Cyworld)などのソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social Network Service, SNS)やオーマイニュース(OhmyNews)などの市民参加型インターネット新聞サイトなど多様なサービスを展開している。部分的には、IPマスカレードが法律で禁止されているため、ルーターをあまり使用せず、IPアドレスが不足するといった問題もある。これは電話会社との料金設定上の契約によるものである。全世界のスパム発信元ランキングではワースト6位であり、全体としてのセキュリティ対策は十分とは言い難い現状である(日本は33位)が、セキュリティに対する関心は高まっている[4]。また、韓国国内ではネット上のマナーや倫理問題から、韓国内サイトでの発言は、匿名性を廃止し、個人名や国民番号を記載させる傾向にある。
無線通信技術の分野では、CDMA技術など米国の会社に対する基本技術への特許使用料が増加しており、新規技術開発が急がれていた。こうした中、韓国電子通信研究院 (ETRI)が 2007年に「WiMAX」規格の派生規格である「WiBro」の開発に成功し、「モバイルWiMAX wave1」規格はWiBroに準拠して策定された。しかし世界的に導入が進み事実上の国際標準になっているのは「モバイルWiMAX wave2」規格であり、期待通りの成果を収めたとはいえない。
農業
第二次世界大戦以降、韓国の農業技術は向上した。韓国の農業関係者の努力と、日本の農業技術の導入などが要因である。禹長春(ウ・ジャンチュン)博士の業績が知られている。
医療・生命科学
再生医療は世界的に将来有望な市場とみなされており、近年、韓国でも再生医学などの医療・生命科学技術(バイオテクノロジー)を振興している。2004年から2005年にかけてのソウル大学の黄禹錫教授のヒト胚性幹細胞(ES細胞)に関する一連の世界初の成果により、韓国は再生医学分野における世界の先頭走者に躍り出ると見られていた。しかし、実験に用いる卵子採取に際して倫理的な問題が浮上し、黄禹錫教授が米科学雑誌Scienceで発表した、世界初の「ヒトクローン胚からのES細胞作製に関する論文」についての捏造疑惑が浮上した。捜査と再検証によりイヌクローンの論文以外の一連の世界初の成果は全て捏造だということが判明し、この分野での韓国の信頼と経済的可能性は失墜した。これにより黄禹錫はソウル大学を免職処分になり、さらには詐欺と横領罪により起訴されるに至っている(事件の詳細は黄禹錫の項を参照)。その後2007年に、日米の独立したグループがほぼ同時期にヒトの皮膚から人工多能性幹細胞(Induced Pluripotent Stem Cell)の生成に成功したことにより、再生医療分野の経済的可能性は新しい段階に突入した。
経済自由地域
韓国政府は、2003年8月に「経済自由地域の指定運営法」に基づいて、仁川の永宗島、松島、青羅地区を経済自由区域に指定し、同年10月24日には釜山及び鎮海と光陽湾一帯に対しても同様の指定を行い、仁川・釜山及び鎮海・光陽湾による「3特区体制」を整備した。政府はこの3地域を「北東アジアのハブ(中心国家)構想(仁川は国際空港を中心とした金融・物流・国際業務センターとしての役割を担い、釜山及び鎮海(東南地域担当)と光陽湾(西南地域担当)は中国上海と競争する港湾物流・工業団地として育成する)」の拠点に据えるとの計画を発表した。
また、2006年からは、外国企業誘致の為、経済自由区域内では英語を公用化する必要性があるとして、公文書を英語で受付け、処理されるようになり、公文書や看板等には英語が併記される様になった。
他にも、外国企業誘致策の一環として、2006年3月より、松島地区において韓国では初めての公的教育機関としての外国人学校(対象は、韓国に住む外国人、仁川経済自由地域に進出する外国企業で働く外国人の子弟)となる松島国際学校の建設が進められ、完成すれば、幼稚園から高校までの13年課程の学校となる(永宗島と青羅地区にも、同様の外国人学区が建設される予定)。
韓国のお菓子
情報機関
- NIS (National Intelligence Service) - 国家情報院(韓国中央情報部 (KCIA) ―国家安全企画部 (ANSP) から改称)
- DIC (Defense Intelligence Command) - 国軍情報司令部
- DSC (Defense Security Command) - 国軍機務司令部(国軍保安司令部から改称)
軍事
大統領が陸・海・空軍の最高司令官であり、大統領、国防部長官、合同参謀総長のもとに陸海空軍本部が所属する。2008年の国防部報道資料によると、国防予算は24兆7,000億ウォン(269億ドル)、現有兵力は、陸軍56万、海軍6.3万人、空軍6.4万人である。26ヶ月から30ヶ月の徴兵制と志願兵制を併用している。
韓国軍の主たる国防対象は軍事境界線を挟んで対峙する北朝鮮であり、大半の戦力を向けている。朝鮮戦争以来の米韓同盟によりアメリカ軍と緊密な繋がりがあり、しばしば共同軍事演習を実施している。協定により平時の作戦統制権は韓国軍が単独行使するが、有事の際の戦時作戦統制権は米軍と共同行使する。2008年4月に行われた米韓首脳会談において、在韓米軍を2万8,500人体制で維持することが決定されている。
近年、韓国軍の装備の近代化は著しいものがあり、射程1500kmの玄武巡航ミサイルやイージスシステムを搭載した世宗大王級駆逐艦を保有するなど、明らかに対日兵器の装備を増強している。さらに政府要人や軍幹部が相次いで公然と日本に軍事的に対抗する意思を示しており[5]、実際に最新鋭機のF-15Kに空軍参謀総長が自ら乗り込んで竹島上空を飛行したり、新造する強襲揚陸艦に「独島」(竹島の韓国名)と名づけるなどしている。また済州島に海軍基地を建設中であり、独島級揚陸艦と最新鋭の214級潜水艦を配備する予定である。
全ての男性には26ヶ月以上の兵役義務があるが、近視等の身体的問題やその年度の予算不足のため免除や短縮勤務となる者もある。政治家の息子や有名俳優やスポーツ選手などの中には徴兵逃れをしている者もおり、度々報道されている。
国民と社会
民族構成と言語
民族構成は、そのほとんどが朝鮮民族である。日本同様、晩婚化や少子化が問題となっており2000年代以降の合計特殊出生率は世界最低レベルである。このため若年人口が減少傾向であり、2020年頃に総人口と労働力人口の減少が始まり、世界一急速に高齢化社会が進行し、2050年頃には高齢化率が日本に追いつき世界最高水準になることが予測されている。他にはごく少数ながら中国系住民(華僑・華人)も存在する。韓国に永住権をもつ外国人の大半は華人であるが、華人に対して排外的な風土と諸施策が影響し、過去数十万人いたが現在では数万人以下に減少している。
公用語はソウル方言をもとにした朝鮮語(「韓国語」)であり、文字は主にハングルを用いる。「韓国語」とは主に外国向けの表現であり、彼ら自身では「国語」(ウリマル)と呼ぶことが多い。最近ではハングルのみで読み書きするための教育を受けた世代が多くなり、古文書を扱う公務員や教育関係者など一部を除き、漢字を読むことができない国民が多い。最近は再び、学校での漢字教育も重視すべきとされているが、全般的に漢字表記は少ない。W杯の前後より、東アジアの漢字文化圏からの観光客への便宜及び同地域の国際交流推進を目的に、交通施設の標識などに漢字が増えてきている。
地域対立と不平等
人口の85%は都市部に住んでいる。特に首都のソウル特別市には全人口の2割に当たる約1000万人が住んでいる。また一般に首都圏として扱われるソウル、仁川、京畿道の合計人口は全人口の半分近くにのぼり、非常に強い人口の一極集中がみられる。人々の方言や、価値観や意識は地域間の差が大きく、現在でも地域対立は強く選挙などへの影響も強い。これは伝統的なものとされる。
軍事政権時代は朴大統領の出身地である慶尚北道の大邱市や慶州周辺に多額の予算が投入される一方、光州市など全羅道は、予算配分でも就職など社会においても、様々な差別があったことも、地域対立の原因である。大邱地域と慶尚道の出身者はTKとよばれ社会のあるゆる面で優遇された。嶺南圏(ヨンナムコン)といわれる慶尚道と、湖南圏(ホナムコン)といわれる全羅道の、東西での対立感情は今でも強い。ただし、この地域対立がいつから発生したのかについては諸説あり、実際には詳細がわかっていない。
現在は職業差別はほとんどなくなっているが、かつては職業差別は根強かった。とくに食堂や売店など人と接する職業は蔑視されていたため、日本のような老舗店は少ない。この価値観のため、韓国の自営業は長くは続かないことが特徴であった。また歌手や俳優などは、もともと貴族に仕えるための職業で、ホステスや水商売に近いイメージがあり、親戚に歌手がいる場合、恥ずべきこととして隠すことが多かった。しかし現在では、そのような価値観も大幅に変化している。韓国の経済成長期は、大量の人口が農村部から都市部へ移り、女性も工場労働者として、長時間労働により経済発展を支えたが、女性が働くことも身分が低いこととみなす差別感が根強い。最近では高学歴女性など積極的に働く人も多いが、女性の社会進出は遅れぎみであり伝統的な性別役割意識も強い。中国東北部(主に朝鮮族)や東南アジア、中央アジアなどからの外国人労働者が最近は増え、仁川広域市などには中華街もある。また、2006年の地方選挙では外国人参政権が認められた。一方で、韓国国会は2002年2月28日、永住外国人に投票権を与えるのは「主権は国民にあり」という大韓民国憲法第1条に反すると決議した。
宗教
2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割はクリスチャンであり、約2割は仏教徒である。古来中国の影響から仏教が重要な宗教であり、日本同様伝統信仰と仏教の融合もなされている。韓国のキリスト信者の比率は絶対信者数、人口に占める割合ともに(東ティモールを除けば)フィリピンに続きアジアでは第2のキリスト教国家である。韓国の宗教人口はほぼ半数で、残りのほぼ半数は無宗教者で祖先崇拝や法事は熱心に行う。
クリスチャンの多くはプロテスタントでとくに長老派やメソジスト派が多い。この教派は日韓合併の時から韓国の中で3・1運動の参加、神社参拝強要への拒否など反日本運動を続けてきた。李承晩初代大統領もメソジスト牧師出身である。プロテスタント信者の増加にはアメリカからの宣教師の影響も強かったが、朝鮮戦争後のキリスト教の急速な普及の背景には、日本と同様に経済成長期に多くの人口が都市部へ移動し、故郷を離れ孤独な人々が宗教組織に入ったという事実もあると言われる。
日本領時代の1930年代以来、キリスト教系の新宗教も数多く存在し、一部の教派(統一協会等)は社会問題になっている。
儒教と人間関係
韓国社会における人間関係上の慣習は急速に変容しているが、儒教の影響で宗族秩序などの影響は未だ色濃く残っている。上下関係に厳しく、現在でも目上の人の前での喫煙や、許可を得ないままの飲酒は礼儀違反とされている。親戚同士の結束は強く、6親等以内の親戚は助け合うべきだとされる。これをユックチョン(六寸)というが、現実に親戚づきあいは非常に多く、初対面の親戚でも就職や進学時の世話をすることは普通である。
学校の同窓生等の結束も強いが、見知らぬ他人との幅広い交際はあまり好まれず、人間関係はやや閉鎖的である。社交の場において遠慮はあまり歓迎されず、明確な主張を好む。また、お互いに迷惑をかけあい他人を思いやることが良しとされ、食事の際も割り勘という習慣はなく、目上の者や気分が良い者がすべて払うことがごく普通である。
教育
日本同様の6-3-3-4制の学校制度を持つ。日本以上の学歴社会であり大学受験は熾烈を極める。大学進学率は極めて高く子弟が塾へ通う割合も極めて高い。受験戦争が厳しく、予備校などのための教育費負担が大きいことも問題となっている。初代大統領の李承晩が、プリンストン大学で博士号を取った人物ということもあって、アメリカの一流大学で博士号を取得する学生が尊ばれた。政府高官や大学教授などの高い地位が約束されていて、1970年代後半までは、新聞に顔写真と経歴が掲載される程だった。また、企業や奨学財団も、アメリカ留学を積極的に推し勧めた。そのため、厳しい受験競争を勝ち抜いたトップクラスの学生は、アメリカ留学へと向かった。1980年代以降は、博士号取得者が増加し、その数は1998年までで3万人に達するといわれている。今では単にアメリカで博士号を取得した程度では、大学教員として迎え入れられることはなくなっているという。こうした人材が経済発展の礎となった。
愛国心と民族主義
韓国人は愛国心や民族意識が非常に強いことでも有名である。これは日韓併合やその他朝鮮半島に対する中国やモンゴルや日本など周辺国による支配により、二度とそのようなことが起きないように、愛国心教育や民族教育が徹底されているからである。ただし、近年の韓国人の愛国心は低下しているという調査結果もある。韓国人全体の1/4と、20代女性の半数が「韓国に生まれ変わりたくない」と世論調査で否定的な回答をしている。また、高麗大学の学生の51%が「韓国が嫌い」と回答した調査もある。
日本人に対する価値観については、現代の日本社会や文化に対するある程度の羨望と親しみを感じながらも、敵対心は強く、スポーツイベントなどでの激烈な愛国心を表出させ反日行動を起こすことがある。第1回WBCにおいて、韓国のマスコミ各社がイチローの「韓国侮辱30年発言」を捏造したため大規模なイチローバッシングがおき、LG球団からイチロー射殺Tシャツが発売されるまでに至った。韓国SBSが「国際的なフィギュアスケート大会で日本人選手が組織的に韓国人選手の練習を妨害している」と事実無根の報道をした。これにより日本人バッシングがおきyoutubeで日本人選手を非難する各種動画が投稿され100万件以上の閲覧がされた。キム・ヨナ参照>。
また、徹底した自民族優越主義的な愛国民族教育と反日教育により、韓国人は特に自国を「歴史的な文化先進国」とする価値観が一般的である。また、朝鮮半島の伝統的な思想である小中華思想と原理主義的な儒教の影響により、古代から明治期までの日韓関係に対して「文化先進国で優越な韓国人と、文化的に劣等で未開で残虐な日本人」と認識している韓国人は多い。こういった自民族優越主義的な価値観に基づいた韓国起源説はインターネットを介して日本や中国にも知られるようになり、韓国人に対するバッシングがおきる現象までになっている。
報道
1961年から1987年までは、軍事政権による言論統制が続き、新聞業界の再編などが行われた。放送局は民放2局が公営の韓国放送公社 (KBS) に統合され、残った民放の韓国文化放送 (MBC) も65%の株式をKBSが保有した。1987年以降は言論の自由が一応は保障され、新聞社が増大した。しかし政府が報道内容に干渉することも多く、本格的な言論の自由は1998年以降である。最近もKBSとMBCは、日本の日本放送協会 (NHK) 以上に政府の影響力が強く、テレビ報道の内容は政府寄りである。民放のSBSもあり、ケーブルテレビ局の放送も増えている。日本との間に起こる歴史期認識問題や領土問題などの報道では、日本側の主張を「歪曲」「捏造」「妄言」等と主観的な言葉で断じた上で報道することが多い。一般的に愛国心を鼓舞するような報道が頻繁になされ、スポーツイベントなどでも顕著である。
治安
韓国における治安は、世界的にはやや良好な部類に入る。
しかし、殺人、強姦、強盗などの犯罪発生率は日本より大幅に高い。聯合ニュースは2009年7月31日付けで韓国での殺人、強盗、強姦、窃盗、暴力の5大犯罪の発生件数がここ5年間で20%近く増加していることを伝えている。
公共の場所での犯罪では窃盗、置き引きなどが横行している。
また、タクシーにおける料金詐欺、相乗り客による暴行、強姦事件なども発生している。特に韓国での強姦発生率は日本の約10倍にあたり、世界的にみても高い数値である。過去には、アメリカ外務省が韓国情報で異例ともいえる警告を発している。『特に夜間、女性が一人でタクシーに乗るときは十分な注意を要する。タクシー運転手もしくは同乗者による女性同乗者への犯罪が報告されているからである。また、外国人旅行者への痴漢行為、レイプも報告されている。』(1999年10月29日付)
文化
チョゴリないし韓服、キムチに代表される韓食、オンドルに代表される住居などに伝統文化が息づいている。韓国の伝統社会では、地理的な関係から中華文明の影響が大きかった。
韓国の女子中高生、73%が運動量ゼロ
高校3年生のキム・ジヨンさん(18)は高校3年間、朝6時から夜11時30分まで授業と自習の繰り返しだった。休憩時間は売店でアイスクリームやスナック菓子を購入して食べ、ストレスを解消した。運動は1日に10分だけした。運動とは言っても、実際は運動場をしばらくうろうろして教室に戻る程度だ。ジヨンさんは高校に入学してから体重が5キロ増え、体力は徐々に低下した。そのためか、大学修学能力試験(日本のセンター試験の相当)直前に体調を崩し、試験はさんざんな結果に終わった。
文化体育観光部(省に相当)は2012年12月17日、韓国国民の年齢ごとの運動量について調査した結果を公表した。それによると、10代の女性は10人に7人(72.9%)が日常生活で運動をまったくしていないことが分かった。また、男子も同じくほぼ半分(46.5%)がまったく運動をしていなかった。20代になっても状況はあまり変わらず、男性はちょうど半分(50.0%)、女性は7割近く(67.3%)が運動をまったくしていないとの結果が出た。
今回の調査結果は、2011年に全国の19歳以上の男女4000人を対象に行われた「国民体力実態調査」と、今年満10歳以上の男女9000人を対象に行われた「国民生活体育参与実態調査」を総合的に分析するという形で行われた。欧州連合(EU)は10人中7人(65.5%)が週1回以上運動をしており、まったく運動をしないのは3人に1人(34.0%)程度だ。これに対し、韓国では週1回以上運動をしているのは半分(50.3%)で、半分近く(45.3%)が運動とはほぼ縁のない生活をしていた。
日本で2009年に20歳以上の男女1925人を対象に行われた調査によると「3カ月間に1日か2日、あるいはそれよりも少ない運動しかしなかった」という回答は3人に1人程度(30.7%)にとどまった。これに対し、韓国の20代は「まったく運動しない」が6割近く(58.3%)に達した。高麗大学教育学部体育教育科の柳泰浩(リュ・テホ)教授は「若者の体力がここまで低下するのは、先進国ではあり得ないことだ。韓国社会全体がこの問題に真剣に取り組むべきだ」とコメントした。
性犯罪が4年間で62%増加、1日60件・年間2万件以上に(2012年12月)
韓国の最高検察庁は17日、「2012犯罪分析」を公表した。過去4年間で性暴行・強制わいせつなどの性暴行犯罪が60%以上増加し、昨年は2万件を超えたことが分かった。複数の韓国メディアが報じた。 韓国メディアは「性犯罪4年間で62%増加、年2万件で1日60件」、「性犯罪が昨年2万件超え、4年間で60%増加」、「性犯罪が4年間で62%増加、30%は知っている人が犯人」などの見出しで伝えた。
「2012犯罪分析」によると、昨年の総犯罪発生件数は190万2720件で、刑法違反が99万7263件、特別法違反が90万5457件だった。午後8時から午前4時までの夜の時間帯に犯罪の3分の1が集中し、土曜日(15.6%)と金曜日(15%)に犯罪発生頻度が高かった。
性犯罪は2007年に1万3634件を記録し、2008年は1万5094件に増加した。以後、性犯罪は2009年に1万6156件、2010年1万9939件と増加傾向をみせ、昨年は2万2034件を記録した。これは2007年から61.6%増加したことになる。
主な凶悪犯罪別では、性暴力犯罪(暴行、強制わいせつなど)は1日平均60.4件発生しており、殺人(未遂、予備、陰謀を含む)は1日に平均3.3件、年間で1221件発生した。人口あたりの性的暴行発生率では、ソウルが最も高く、富川、水原が続いた。
また13歳未満の児童対象性犯罪と誘拐犯罪は、それぞれ1054件と89件発生し、親族、友人、隣人など知っている人による犯罪が23.8%と32.6%で、ほかの犯罪に比べてはるかに高かったという。
世界遺産
韓国国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が7件ある。
大衆文化
大衆文化については、韓国の歌やドラマ・映画などが、東アジアや東南アジアで広く受け入れられ、日本では韓流と呼ばれ、特に中高年の女性の間でブームとなった。現在では以前ほどのブームは見られないが、前述の一部の層の間ではある程度の人気がある。
また、韓国の文化産業の保護育成を目的とした、国内映画の上映割合を義務付ける排他的なスクリーンクウォーター(割当)制を実施している。スクリーンクウォーターとは別にアニメや歌謡曲に対する商業規制もあり、これは「国民感情に配慮」を名目としているが、事実上の国内文化産業の保護育成策にもなっている(文化の日韓関係を参照)。また国・地方自治体レベルでアニメーション産業を育成するなどしている。
インターネットにおける大衆文化
韓国では、多くの人が映画や音楽やゲームなどの様々な大衆文化をネット経由で楽しんでおり、韓国の大衆文化とインターネットは密接な関係にある。街中にPC房(PCバン、インターネットカフェ)が至る所にあり、ブロードバンドを手軽に利用することができ、インターネットテレビのストリーミング放送やミュージックビデオの無料閲覧が早くから実現するなど、特色あるインターネット文化を構築している。2000年には世界で逸早くブロードバンド利用者が1千万人を突破し、2002年の日韓ワールドカップの頃には盛んに「インターネット強国」を自称し海外に宣伝していた。韓国ではインターネットが現実世界に与える影響力が大きく、盧武鉉の大統領選挙当選や2008年韓国蝋燭デモにおいても大きな影響力を発揮している。
大衆文化における日韓関係
韓国では、長い間「国民感情を害する」との名目により、日本の大衆文化が流入することを事実上禁止してきた(倭色を参照)。過去には日本映画、ドラマ、音楽などは公には禁止で、日本人アーティストが訪韓しても日本語で歌うことは許されなかった。例外として、ソウルオリンピックや大田エキスポなどの時には日本語の歌が公の場で披露されたことはあった[6]。
実際には、韓国民は限定的ながら日本の大衆文化に接してきた。釜山や日本海側沿岸部の一部では日本の地上波放送の電波が届くため、日本のテレビ放送の視聴が可能でありこれらを鑑賞する、あるいは書籍は規制の対象外であるため輸入書籍を購読する、大使館施設という治外法権により70年代から公に日本文化に触れることができた在韓日本大使館公報文化院を利用する、台湾からの輸入CDや海賊版を購入することなどがあった。また、韓国のドラマ、アニメ、音楽、漫画、ゲームなどで日本の作品が盗作されるケースがかなり多くみられた。盗作はこういった物だけでなく、菓子などの食品類に至っているケースがあり、日本のテレビ局が食品の盗作元に取材した所「たまたま似てしまっただけ」と答えている。韓国司法による司法判断には日本側にとって不適切と考えられる例がいくつもみられた。その反面で、日本の出版社が韓流スターの肖像権を侵して提訴されるなどの現象も起きている。
韓国には大衆文化に限らず『日本で成功したものは必ず韓国でも成功する』という神話(ジンクス)があり、そのことから、特に大衆文化の分野において、実に様々な日本の事物が直輸入され『韓国風』への改装を経て韓国の市場に放たれてきた。金大中政権によって『日本文化開放』が提案された折には、支持の理由として『実現されれば韓国の根深い日本剽窃問題がなくなるから好ましい』との意見を表明する韓国人も多かった。
1998年に発足した金大中政権以降、日本の大衆文化開放が段階的に4回実施されている。現在では、インターネットの普及に伴い、韓国は直に日本の大衆文化に触れられるようになった。韓国デジタル衛星放送・スカイライフや多くのケーブルテレビ局が、韓国の総代理店(スバルコリア)を通じて日本放送協会(NHK) に使用料を支払い、NHKワールドプレミアムの再送信を行っている。しかし、現在も著作権侵害と疑われる事例がでている。
2002年には日韓ワールドカップ=サッカーワールドカップが韓国と日本により共同開催され、日韓国民交流年として850件を超える交流行事が行われた。これを機に日韓間の文化的交流が爆発的に広まった。日本のアーティストのCDも正式に発売されるようになり、2005年8月には、日本のロックバンドのL'Arc〜en〜Cielが、公式に大規模なライブを行っている。草彅剛は、チョナン・カンという名前で韓国で活躍しており、本人の公然わいせつ事件も韓国メディアで報道された。
一方、日本においてはBoAなどが歌謡界で活躍するほか、韓国TVドラマ『冬のソナタ』がNHKで放送され、40~50歳台の女性を中心として「韓流ブーム」が起きた。多くの韓国製のドラマや映画が放送、上映され、韓国芸能人がワイドショーや女性週刊誌などでたびたび取り上げられた。このブームの中、新大久保駅乗客転落事故で死亡した韓国人留学生を主人公として描いた映画『あなたを忘れない』が2007年に公開された。NHK等は公開を前後して「実際にあった美談を描いた映画」として大々的に報道や宣伝を行ったが、映画の内容の多くが事実とは異なる上に、異常なほど偏狭で非情な日本人と開明的で寛容な韓国人という表現に一貫していたため、特にインターネット上で非難の声が上がった。「韓流スター」の中では、近年、東方神起の人気が高く東京ドームでの講演や紅白歌合戦への参加を行っている。
このように日韓間の文化交流は拡大する流れにあるが、政治的問題でたびたび中断・停滞している。例えば、国交正常化40周年にあたる2005年には、小泉純一郎首相と盧武鉉大統領との合意の下に「日韓友情年2005」と題し、様々な文化交流行事が行われる予定であったが、竹島問題などの政治問題を発端として、韓国の一部の地方自治体が一方的に行事を中止・延期するケースが発生した。
また日韓間の人的・経済的交流が広がることによって、歴史や伝統を媒介とした文化交流も始まっているが、近年、特にインターネット上において日韓間で相違のある歴史認識や伝統文化の取り扱いが問題となっている。例えば、日韓ワールドカップを境に、韓国や日本のウェブサイト等を介して、韓国側のマスコミ報道や歴史教育や対日世論が日本側に紹介される事例が増えたが、ここで韓国起源説が注目され物議をかもしている。この問題は現実世界にも波及し、2005年には韓国起源説を大きく取り扱った『マンガ嫌韓流』が日本で出版されベストセラーとなり、韓国でも各種マスコミに報じられた。また韓国起源説のひとつの「コムド起源問題」では[[全日本剣道連盟及び、全日本剣道連盟配下の[[国際剣道連盟のウェブページで剽窃問題として正式に取り上げられるまでに至った。 また朝鮮通信使再現パレードや四天王寺ワッソなどの文化交流事業が韓国側に都合の良い歴史観を押し付けるものであり、韓国起源説を助長させるのではないかという異議が唱えられている。
大衆文化における表現の規制撤廃の動き
南北和解が進展するにともない、共産主義的な書籍の発行、共産主義的な言論を規制の対象としてきた「国家保安法」の改正が論議されているが、まだ同法は実行力をもっており、さまざまな規制と自主規制をもたらしている。
親日的な言論に対する法的な規制はないが、国内の反日感情により親日的な発言をした(と見なされる)人物は、自粛や弁解をする傾向にある。又、『親日派のための弁明』を書いた金完燮は猛烈な非難を国中から浴びた上に名誉毀損と外患煽動の容疑で告訴され一時逮捕され、『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』を書いた趙英男は番組降板の憂き目に遭うなど、親日的な発言を行なうことにより社会的制裁を受ける例が多い。
スポーツ
サッカー・野球・バスケットボールが盛ん。野球においては、1982年に韓国野球委員会が発足しプロ野球がスタート。サッカーにおいては、1983年にプロリーグであるKリーグが開幕し、バスケットボールにおいては、1996年に韓国バスケットボールリーグ(KBL)が開幕した。特にサッカーと野球は国民的スポーツの地位を得ていて、国際大会での国民の熱狂振りは有名である。また対戦相手が日本ともなれば、その熱狂振りの度合いは更に増す。
サッカー
サッカー大韓民国代表は、アジアの中では最多となる8回のFIFAワールドカップへの出場を果たしている。2002年には日本との共同開催という形で、第17回ワールドカップ開催を実現させている。この大会においては様々な疑惑の判定があったものの、代表チームはオランダ人監督のフース・ヒディンクの下、イタリアやスペインといった強豪国を破り、過去最高となる4位の成績を収めた。サポーターは「プルグン・アンマ」と呼ばれ、「テーハンミング」や「オー、ピルスンコリア 」といった熱狂的なコールが日本でも注目された。
日本のJリーグにおいては、かつてはサンフレッチェ広島などに在籍した盧廷潤を初めとして、洪明甫や安貞桓らが活躍していた。現在でも多くの韓国出身選手が在籍している。 また京都サンガF.C.でキャリアをスタートさせた朴智星は、現在イングランドプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCに所属しプレーしている。
野球
野球大韓民国代表は、2000年のシドニーオリンピックで初のメダルとなる銅メダルを獲得し、2004年のアテネオリンピックへの出場は逃したものの、野球が正式競技種目として最後の大会となった2008年の北京オリンピックでは念願の金メダルを獲得した。
またWBCにおいては、2006年の第1回大会では準決勝で日本に敗れ、2009年の第2回大会では決勝まで進んだが、接戦の末またも日本に敗れ準優勝となった。
日本のプロ野球においては、かつては宣銅烈が中日ドラゴンズで抑えとして活躍したのを初めとして、韓国の国民的英雄で、2003年に年間ホームラン56本のアジア新記録を打ち立てた李承燁が現在読売ジャイアンツに在籍しているなど、日本でプレーする韓国出身のプロ野球選手はここ数年で徐々に増えてきている。
その他
2000年のシドニーオリンピックから正式競技種目として採用されているテコンドーは国技とされる。また日本の相撲によく似たシルムという格闘技も存在する。
最近は冬のスポーツでも顕著な成績を上げている。中でも2010年のバンクーバーオリンピックにおいては、金妍兒が女子フィギュアスケートで韓国史上初の金メダルを獲得している。またスピードスケートでも、牟太釩を筆頭に金メダル3個・銀メダル2個の快挙を成し遂げた。
脚注
- ↑ 韓国兵による戦闘は勇猛とも残虐とも言われ、多くのベトナム人から憎まれる要因となった。近年ではベトナムに出稼ぎにきた韓国人労働者や韓国軍兵士とベトナム人女性との間に生まれた混血児問題に焦点が当たっている。
- ↑ 大韓民国気象庁
- ↑ その他にも2001年以降にシンガポールでサムスン建設の手によるビルが地盤沈下を考慮せずに設計施工されたために入居前であるにも関わらず傾いてしまったことがある。その後、建築基準が強化され、マスコミの監視も厳しくなったが、2005年には再建中の聖水大橋にも問題があると朝鮮日報で報道された。
- ↑ かつてはセキュリティに関心をもつ人々が少なくアンチウイルスソフトウェアをインストールする比率が低かった。ウィルスにより国中のネットワークがダウンした以後、セキュリティに対する関心は高まっている
- ↑ 韓国軍や盧武鉉を参照
- ↑ かつて、日本の楽曲が禁止されていることを逆手にとって、日本の歌を盗作していたアイドル・グループが、盗作していることを暴露されて自殺に追い込まれるという事件もあった。
関連項目
- 韓国人
- 韓国関係記事の一覧
- 韓国の著名人一覧
- 韓国の政党一覧
- 韓国の都市の人口順位
- 韓国のスポーツチーム一覧
- 韓国の軍事 - 韓国の警察 - 大韓民国中央情報部
- 韓国の知的財産権問題
- 韓国の民族主義
- 大韓民国の経済
- 大韓民国の鉄道 - KTX
- 日韓問題
- 李承晩ライン
- 開発独裁
- 北朝鮮核問題 - 軽水炉供与問題
- 韓流
- 少女隊 - 戦後初めて、韓国で日本語の曲をテレビ放送で歌ったアイドルグループ。