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'''ザブ・ジュダー'''(Zab Judah、1977年10月27日生まれ)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。本名はザブディエル・ジュダー。ニューヨーク州ニューヨーク市出身。元WBA・WBC・[[国際ボクシング連盟|IBF]]統一世界ウェルター級王者。元IBF世界[[スーパーライト級|ジュニアウェルター級]]王者。元WBO世界ジュニアウェルター級王者。抜群の反応とハンドスピードが武器のオールラウンダー。「スーパー」の異名を持つ。鋭い左ストレートに加え、左アッパー・右フックなどのカウンターも得意とする。
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'''ザブ・ジュダー'''(Zab Judah、1977年10月27日生まれ)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。本名はザブディエル・ジュダー。ニューヨーク州ニューヨーク市出身。元WBA・WBC・[[国際ボクシング連盟|IBF]]統一世界ウェルター級、IBF世界[[スーパーライト級|ジュニアウェルター級]]、WBO世界ジュニアウェルター級チャンピオン。抜群の反応とハンドスピードが武器のオールラウンダー。「スーパー」の異名を持つ。鋭い左ストレートに加え、左アッパー・右フックなどのカウンターも得意とする。
  
 
1977年に、マイク・タイソンの出生地でもあるブルックリン区で生まれ、父親のヨエル・ジュダーの手ほどきでボクシングを始めた。アマチュア時代の戦績は115戦110勝5敗。
 
1977年に、マイク・タイソンの出生地でもあるブルックリン区で生まれ、父親のヨエル・ジュダーの手ほどきでボクシングを始めた。アマチュア時代の戦績は115戦110勝5敗。
  
1996年9月20日に18歳でプロデビュー。順調に勝利を重ね1998年6月7日にUSBA全米ジュニアウェルター級暫定王座を獲得した。1999年1月16日には[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界ジュニアウェルター級暫定王座を獲得し、2000年2月12日のヤン・ベルグマンとの王座決定戦で正規王座に即いた。
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1996年9月20日に18歳でプロデビュー。勝利を重ね1998年6月7日にUSBA全米ジュニアウェルター級暫定タイトルを獲得した。1999年1月16日には[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界ジュニアウェルター級暫定タイトルを獲得し、2000年2月12日のヤン・ベルグマンとの王座決定戦で正規王座に即いた。
  
2001年11月3日に当時WBA・WBC王者の[[コンスタンチン・チュー]]と王座統一戦を行うが2回TKOで敗れ、試合後にレフェリーのジェイ・ネイディに掴みかかり、リングを降りる際にはイスを投げつけた。このことでネバダ州アスレチック・コミッションから罰金75,000ドルと6か月のライセンス停止処分を受けた。
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2001年11月3日に当時WBA・WBCチャンピオンの[[コンスタンチン・チュー]]と王座統一戦を行うが2回TKOで敗れ、試合後にレフェリーのジェイ・ネイディに掴みかかり、リングを降りる際にはイスを投げつけた。このことでネバダ州アスレチック・コミッションから罰金75,000ドルと6か月のライセンス停止処分を受けた。
  
2003年7月12日に[[デマーカス・コーリー]]を判定で破り、WBO世界ジュニアウェルター級王座の奪取に成功した。同タイトルを1度防衛した後、階級を上げるために返上した。
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2003年7月12日に[[デマーカス・コーリー]]を判定で破り、WBO世界ジュニアウェルター級タイトルの奪取に成功した。同タイトルを1度防衛した後、階級を上げるために返上した。
  
ウェルター級に階級を上げ、2004年4月10日にWBA・WBC・IBF統一王者の[[コーリー・スピンクス]]に挑戦するが、12回判定で敗れる。しかし、同年5月15日にラファエル・ピネダを破って空位のWBOインターコンチネンタルタイトルを獲得し、2005年2月5日にコーリー・スピンクスに再戦を挑み、9回TKOで勝利し、WBA・WBC・IBFの3団体統一世界ウェルター級王座を獲得した。
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ウェルター級に階級を上げ、2004年4月10日にWBA・WBC・IBF統一チャンピオンの[[コーリー・スピンクス]]に挑戦するが、12回判定で敗れる。しかし、同年5月15日にラファエル・ピネダを破って空位のWBOインターコンチネンタルタイトルを獲得し、2005年2月5日にコーリー・スピンクスに再戦を挑み、9回TKOで勝利し、WBA・WBC・IBFの3団体統一世界ウェルター級タイトルを獲得した。
  
2006年1月7日にWBA・WBC・IBF王座を懸けて[[アルゼンチン]]の[[カルロス・バルドミール]]と防衛戦を行ったが、判定負けを喫した。ところが、勝ったバルドミールが試合後にWBC以外にはタイトル承認料の支払いを拒否したため、この試合はWBCのみのタイトルマッチということになった。ウェルター級のリミット内での敗戦のためWBA王座は剥奪されたが、IBF王座はジュダーの手元に残った。
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2006年1月7日にWBA・WBC・IBFタイトルを懸けて[[アルゼンチン]]の[[カルロス・バルドミール]]と防衛戦を行ったが、判定負けを喫した。ところが、勝ったバルドミールが試合後にWBC以外にはタイトル承認料の支払いを拒否したため、この試合はWBCのみのタイトルマッチということになった。ウェルター級のリミット内での敗戦のためWBAタイトルは剥奪されたが、IBFタイトルはジュダーの手元に残った。
  
2006年4月8日にそのIBF王座を懸けて[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]と対戦したが、これも判定負けを喫して王座から陥落した。この試合では2回にメイウェザーのグローブをリングにつかせたが、レフェリーはダウンを取らなかった。10回にはローブローで体勢を崩したメイウェザーに後頭部への反則打、ラビットパンチを打ち、メイウェザーの叔父でチーフセコンドを務めていたロジャー・メイウェザーがリングに入りセコンドと乱闘になった。乱闘は関係者と警備員に止められ、5分後に試合が再開された。
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2006年4月8日にそのIBFタイトルを懸けて[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]と対戦したが、これも判定負けを喫してタイトルを失った。この試合では2回にメイウェザーのグローブをリングにつかせたが、レフェリーはダウンを取らなかった。10回にはローブローで体勢を崩したメイウェザーに後頭部への反則打、ラビットパンチを打ち、メイウェザーの叔父でチーフセコンドを務めていたロジャー・メイウェザーがリングに入りセコンドと乱闘になった。乱闘は関係者と警備員に止められ、5分後に試合が再開された。
  
2007年6月9日には[[ミゲール・コット]]の持つWBA世界ウェルター級王座に挑戦。1回、3回と攻勢をとる度にコットのローブローを受けてジュダーの攻撃は寸断され、結果は11回TKOで敗れてタイトル奪取はならなかった。
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2007年6月9日には[[ミゲール・コット]]の持つWBA世界ウェルター級タイトルに挑戦。1回、3回と攻勢をとる度にコットのローブローを受けてジュダーの攻撃は寸断され、結果は11回TKOで敗れてタイトル奪取はならなかった。
  
2008年8月2日、IBF世界ウェルター級王座決定戦で[[ジョシュア・クロッティ]]と対戦。9回負傷判定負けを喫し、王座返り咲きに失敗した。2010年7月16日にはホセ・アルマンド・サンタクルスを3回TKOで破り、再起3連勝とした。
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2008年8月2日、IBF世界ウェルター級王座決定戦で[[ジョシュア・クロッティ]]と対戦。9回負傷判定負けを喫し、タイトル奪還に失敗した。2010年7月16日にはホセ・アルマンド・サンタクルスを3回TKOで破り、再起3連勝とした。
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
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[[Category:アメリカ合衆国のボクサー]]
 
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[[Category:アフリカ系アメリカ人のボクサー]]
 
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[[Category:ジュニアウェルター級世界王者]]
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[[Category:ウェルター級世界王者]]
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[[Category:ニューヨーク市出身の人物]]
 
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[[Category:1977年生]]
 
[[Category:1977年生]]

2010年9月3日 (金) 22:02時点における版

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ザブ・ジュダー
ジュダー.jpg
2010年頃
基礎データ
本名 Zabdiel Judah
通称 Super
階級 ウェルター級
身長
リーチ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1977年10月27日(2024-1977)+((12-10)*100+(29-27)>=0)-1歳)
出生地 ニューヨーク州ニューヨーク市
没年月日
死没地
所属
構え サウスポー
入場曲
アマチュアボクシング戦績
総試合数 115
110
KO・RSC勝
5
無効試合
獲得メダル
オリンピック 0 0 0
世界選手権 0 0 0
ヨーロッパ選手権 0 0 0
アジア選手権 0 0 0
世界ユース選手権 0 0 0
世界ジュニア選手権 0 0 0
世界女子選手権 0 0 0
0 0 0
獲得タイトル
全日本選手権優勝 0
全日本社会人選手権優勝 0
全日本女子選手権優勝 0
全国高校総体優勝 0
全国高校選抜優勝 0
国民体育大会優勝 0
0
0
0
プロボクシング戦績
総試合数 47
39
KO勝 27
6
無効試合 2
テンプレートを表示

ザブ・ジュダー(Zab Judah、1977年10月27日生まれ)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。本名はザブディエル・ジュダー。ニューヨーク州ニューヨーク市出身。元WBA・WBC・IBF統一世界ウェルター級、IBF世界ジュニアウェルター級、WBO世界ジュニアウェルター級チャンピオン。抜群の反応とハンドスピードが武器のオールラウンダー。「スーパー」の異名を持つ。鋭い左ストレートに加え、左アッパー・右フックなどのカウンターも得意とする。

1977年に、マイク・タイソンの出生地でもあるブルックリン区で生まれ、父親のヨエル・ジュダーの手ほどきでボクシングを始めた。アマチュア時代の戦績は115戦110勝5敗。

1996年9月20日に18歳でプロデビュー。勝利を重ね1998年6月7日にUSBA全米ジュニアウェルター級暫定タイトルを獲得した。1999年1月16日にはIBF世界ジュニアウェルター級暫定タイトルを獲得し、2000年2月12日のヤン・ベルグマンとの王座決定戦で正規王座に即いた。

2001年11月3日に当時WBA・WBCチャンピオンのコンスタンチン・チューと王座統一戦を行うが2回TKOで敗れ、試合後にレフェリーのジェイ・ネイディに掴みかかり、リングを降りる際にはイスを投げつけた。このことでネバダ州アスレチック・コミッションから罰金75,000ドルと6か月のライセンス停止処分を受けた。

2003年7月12日にデマーカス・コーリーを判定で破り、WBO世界ジュニアウェルター級タイトルの奪取に成功した。同タイトルを1度防衛した後、階級を上げるために返上した。

ウェルター級に階級を上げ、2004年4月10日にWBA・WBC・IBF統一チャンピオンのコーリー・スピンクスに挑戦するが、12回判定で敗れる。しかし、同年5月15日にラファエル・ピネダを破って空位のWBOインターコンチネンタルタイトルを獲得し、2005年2月5日にコーリー・スピンクスに再戦を挑み、9回TKOで勝利し、WBA・WBC・IBFの3団体統一世界ウェルター級タイトルを獲得した。

2006年1月7日にWBA・WBC・IBFタイトルを懸けてアルゼンチンカルロス・バルドミールと防衛戦を行ったが、判定負けを喫した。ところが、勝ったバルドミールが試合後にWBC以外にはタイトル承認料の支払いを拒否したため、この試合はWBCのみのタイトルマッチということになった。ウェルター級のリミット内での敗戦のためWBAタイトルは剥奪されたが、IBFタイトルはジュダーの手元に残った。

2006年4月8日にそのIBFタイトルを懸けてフロイド・メイウェザー・ジュニアと対戦したが、これも判定負けを喫してタイトルを失った。この試合では2回にメイウェザーのグローブをリングにつかせたが、レフェリーはダウンを取らなかった。10回にはローブローで体勢を崩したメイウェザーに後頭部への反則打、ラビットパンチを打ち、メイウェザーの叔父でチーフセコンドを務めていたロジャー・メイウェザーがリングに入りセコンドと乱闘になった。乱闘は関係者と警備員に止められ、5分後に試合が再開された。

2007年6月9日にはミゲール・コットの持つWBA世界ウェルター級タイトルに挑戦。1回、3回と攻勢をとる度にコットのローブローを受けてジュダーの攻撃は寸断され、結果は11回TKOで敗れてタイトル奪取はならなかった。

2008年8月2日、IBF世界ウェルター級王座決定戦でジョシュア・クロッティと対戦。9回負傷判定負けを喫し、タイトル奪還に失敗した。2010年7月16日にはホセ・アルマンド・サンタクルスを3回TKOで破り、再起3連勝とした。

関連項目

外部リンク

前王者
テレン・ミレット
第16代IBF世界ジュニアウェルター級王者

1999年1月16日 – 2001年11月3日

次王者
コンスタンチン・チュー
前チャンピオン
デマーカス・コーリー
第12代WBO世界ジュニアウェルター級チャンピオン

2003年7月12日 – 2004年(返上)

空位
次タイトルホルダー
ミゲール・コット
前チャンピオン
コーリー・スピンクス
WBA世界ウェルター級スーパーチャンピオン

2005年2月5日 – 2006年1月7日(剥奪)

空位
次タイトルホルダー
N/A
前王者
コーリー・スピンクス
第25代WBC世界ウェルター級王者

2005年2月5日 – 2006年1月7日

次王者
カルロス・バルドミール
前王者
コーリー・スピンクス
第9代IBF世界ウェルター級王者

2005年2月5日 – 2006年4月8日

次王者
フロイド・メイウェザー・ジュニア
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