「相模原市」の版間の差分

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相模原市は、神奈川県である。

概要[編集]

来歴[編集]

「相模原市」へ[編集]

  • 1954年11月20日に、市制が施行され、相模原市となる。人口80000人(今はその9倍であり、その当時の市民が来たら驚くだろう)。
  • 1960年6月1日には、100000人を超えるんです。
  • 1967年8月28日には、200000人を超えるんです。
  • 1971年7月5日には、300000人を超える。
  • 1977年6月6日には、400000人を超える(後に横須賀市を越えて県内3位の人口になって、今も維持している)。
  • 1987年8月10日には、500000人を超える。
  • 2000年5月29日には、600000人を超える。

平成の大合併から政令指定都市へ[編集]

行政区[編集]

緑区[編集]

  • 人口170000人、面積253.8km² 。
  • 北西部にある。
  • 区域は、橋本、大沢、城山町、津久井町、相模湖町、藤野町である。
  • 中央本線が神奈川県を通るが、すべてこの区である。

中央区[編集]

  • 人口260000人、面積36.8km² 。
  • 名の通り中央部にある。
  • 区域は、小山、清新、横山、中央、星が丘、光が丘、大野北、田名、上溝である。

南区[編集]

  • 人口270000人、面積38.2km² 。
  • 名の通り、南部にある。
  • 区域は、大野中、大野南、麻溝、新磯、相模台、相武台、桜台、東林 である。

交通[編集]

鉄道[編集]

JR東日本[編集]

京王電鉄[編集]

小田急電鉄[編集]

主要部へのアクセス[編集]

日中の東京・横浜方面への所要時間は以下のとおりである。なお、朝夕の通勤時間帯には5~25分程度所要時間が余計にかかる場合もある。なお、ここでは中心市街地と認定されている地区の駅である橋本駅と相模大野駅を取り上げる。

間を含む)

鉄道の計画[編集]

相模線で、上溝駅南橋本駅との間に作の口駅相武台下駅下溝駅との間に磯部駅の設置が検討されている。また、全線に渡る複線化と編成車両数の増強も計画されている。これに先行し、上溝駅の交換駅化が検討されており、これが実現すると橋本 - 原当麻間のすべての駅で列車の交換が可能となる。

小田急多摩線が、東京都多摩市にある現在の多摩線の終着駅である唐木田駅から相模原駅と、上溝駅を経由して、愛川町方面まで延伸する計画がある。この計画が実現すれば、小田急小田原線小田急江ノ島線京王相模原線と共に都心西部に繋がる動脈になる。さらに、新百合ヶ丘駅にて、川崎市営地下鉄との相互乗り入れ計画もあり、これが実現すれば川崎品川羽田方面へのアクセスが大幅に改善されると共に横浜線バイパス機能も担うこととなる。また、相模原駅で横浜線と交差する場合には在日米軍基地相模総合補給廠を縦貫するという問題もあるが、日米両政府は基地の一部返還・共同使用(相模原駅北口前約15ヘクタール)について基本的に合意している。小田急多摩線が延伸すると、小田急電鉄のすべての路線が相模原市を通ることになる。

  • 相模原市営交通(仮称)

相模原市が主体となって、相模大野駅を基点とし、北里大学、原当麻駅を経由し、橋本駅に至る新都市交通の導入が検討されている。どのような交通形態になるか不明である。

京王相模原線相模中野延伸計画に代わる、橋本駅から津久井方面への軌道系交通の整備が検討されている。

ただし、相模原市は公営企業を持たない方針である事を明確にしているため、民間事業者による運営になる事が予想される。

リニア中央新幹線を誘致しており、当初は神奈川県の北の玄関口として橋本駅をターミナルとして計画していたが、相模原駅周辺の二つの地区自治会連合会から米軍補給廠跡地を活用した相模原駅への誘致を求める要望書が提出され、対する橋本駅周辺の自治会や商店街は誘致促進同盟会を結成、松沢知事と面会し要望書を手渡した。松沢知事は、3線が乗り入れていてアクセスの良い橋本駅への設置が望ましいとの認識を示した。これは、橋本駅にリニア新駅を設置した場合、東海道新幹線新駅を倉見駅に誘致する活動を行う県として、相模線を通じた南北のリンクを期待したものである。それに伴い、両駅周辺の自治会団体で激しい誘致合戦が繰り広げられる事になったが、米軍補給廠は全面返還されるわけではないため、相模原駅案非現実的であるという見方もある。[1]

計画が中止になった鉄道路線[編集]

昭和の初期頃(1920年ごろ)に、相武電気鉄道という会社があり、鶴川駅から淵野辺駅・上溝駅を経由して、田名方面まで鉄道を建設する免許を取得し、(神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線とほぼ並行している)第1期線である淵野辺 - 田名間で工事に着工したが、恐慌による資金難によって断念し、解散を余儀なくされてしまった。もし、この鉄道路線が完成していれば、現在の相模原も姿が変わっていたのかもしれない。

1960年代に、西武多摩川線は、多摩ニュータウンへのアクセス路線として是政から多摩川を渡り、多摩ニュータウンを経て橋本まで延長する計画があったが、都心との連絡に当時輸送力が逼迫した中央線を経由する必要があったため、この計画は中止となった。

京王相模原線が橋本駅より津久井方面に延伸し、相模中野(相模原市津久井町中野)周辺まで延伸する計画があったが、現在は免許が失効している。なお、相模原市のウェブサイトには、合併後のマスタープランにこの計画に関する記事が掲載されていたが現在では削除されており(新市まちづくり計画PDF )、橋本駅開業時に京王電鉄と共に用地買収を行った不動産業者が京王線橋本駅の延長線上に自社ビルを建てたり、国道413号線沿いに路線用地として確保していた土地の大半を売却したため、この計画は完全に中止となったと言える。

小田急多摩線は、当初多摩センターから京王線の北側を通り、橋本で国鉄と直交し、城山町の城山中央駅(仮称)まで延伸する計画であったが、京王線と平行し、採算が取れない可能性が非常に高かったため、この計画は中止となった。

横浜港開港時、絹の道鑓水地区にて、鑓水商人の全盛期に、現在の府中市付近から鑓水地区を経由して旧津久井郡城山町までを結ぶ南津電気鉄道(南津は「南多摩」の「南」と「津久井」の「津」の意)の敷設も計画された。東京都八王子市の『絹の道資料館』近くには「鑓水停車場」と書かれた石碑が建っている。

道路[編集]

高速道路[編集]

市内[編集]
周辺の市[編集]

一般国道[編集]

都道府県道[編集]

林道[編集]

建設中および計画中[編集]

旧相模原市域と旧津久井郡4町を結ぶ道路で、国道412および413号線のバイパス機能も担う。すでに新小倉橋や勝瀬橋付近、旧相模原市域の区間ではすでに完成、供用されている。ルートは国道16号線橋本五差路から新小倉橋を通り国道413号線と交差してから勝瀬橋を通って中央道相模湖インター付近に接続する予定となっている。また将来的には新小倉橋付近で圏央道(さがみ縦貫道路)城山インターと接続する予定。

路線バス[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • (2009-04-13) 相模経済新聞 リニア中央新幹線駅 候補地巡り橋本と相模原が誘致合戦 相模経済新聞 2009-04-13 [ arch. ] 2009-06-11