「丸井」の版間の差分
細 (名曲CMソングコレクション全曲紹介 (トーク) による編集を Sysop による直前...) |
RxyはクロスウィキLTA (トーク | 投稿記録) |
||
(11人の利用者による、間の15版が非表示) | |||
149行目: | 149行目: | ||
|画像9=MitoMYM.JPG|説明9=水戸店(茨城県水戸市) | |画像9=MitoMYM.JPG|説明9=水戸店(茨城県水戸市) | ||
|画像10=Marui shizuoka-2.jpg|説明10=静岡店(静岡県静岡市葵区) | |画像10=Marui shizuoka-2.jpg|説明10=静岡店(静岡県静岡市葵区) | ||
+ | |11d= | ||
}} | }} | ||
既存の商業施設にテナント出店している店舗については後述「自社ブランド」の項を参照。 | 既存の商業施設にテナント出店している店舗については後述「自社ブランド」の項を参照。 | ||
373行目: | 374行目: | ||
*: 1966年(昭和41年)2月25日、千日通沿いに後の別館が開店。1〜3階が丸井、4〜7階は2スクリーンの映画館や軽飲食店が入居していた<ref>「横須賀市に「ヨコビル」24日に開館」 『神奈川新聞』(横須賀・湘南版)1966年2月23日付朝刊、第12面。</ref>。映画館は後に5スクリーンまで増設されている。[[1975年]](昭和50年)、中央大通り沿いに本館が開店。現在はともに雑居ビルとして利用されている。 | *: 1966年(昭和41年)2月25日、千日通沿いに後の別館が開店。1〜3階が丸井、4〜7階は2スクリーンの映画館や軽飲食店が入居していた<ref>「横須賀市に「ヨコビル」24日に開館」 『神奈川新聞』(横須賀・湘南版)1966年2月23日付朝刊、第12面。</ref>。映画館は後に5スクリーンまで増設されている。[[1975年]](昭和50年)、中央大通り沿いに本館が開店。現在はともに雑居ビルとして利用されている。 | ||
* 藤沢店 | * 藤沢店 | ||
− | *: {{Pathnav| | + | *: {{Pathnav|さいか屋旧店舗|丸井(2006年2月まで)|閉店|ビックカメラ(2006年8月から)|5d=|hide=}} |
*: 建物は改装され[[ビックカメラ]]藤沢店に。 | *: 建物は改装され[[ビックカメラ]]藤沢店に。 | ||
* 厚木店 | * 厚木店 |
2022年7月29日 (金) 00:26時点における最新版
株式会社丸井(まるい、OIOI・0101、英称:MARUI)は、日本で首都圏を中心にファッションビルなどの商業施設を展開する企業の一つである。
2007年(平成19年)10月1日、(旧)株式会社丸井が、「株式会社丸井グループ」に商号変更し、「小売事業」、「カード事業」、「小売関連サービス事業」からなる持株会社制へ移行。その際に、新たな小売事業会社(新)「株式会社丸井」が設立された。
丸井グループ も参照
目次
概要[編集]
日本百貨店協会には属さず(日本チェーンストア協会会員である)、月賦百貨店をルーツに持ち、新宿や渋谷という目立つ都心部の店舗が繋がっていない複数の建物に分散してファッションやインテリア、スポーツ用品など分野別にバラバラに展開していることや、DCブランド最盛期にそれらのブランドを大量に導入した頃からパルコと類似した売り場となっている場合があること、日本のデパートの代表的な売り場であるデパ地下と呼ばれるような食品売り場を展開していない店舗が多いことなどから、百貨店ではないとの見方をされることも多い。しかし、日経流通新聞は「日本の百貨店調査」の対象として扱い、その中で注目企業として記事を組んだ[1]こともあるほか、「一つの事業者が複数の分野にわたる多種類の商品を一つの店舗で扱う大規模な小売店舗で、セルフサービス方式の売り場が50%以下のもの」[2][3]に適合し経済産業省の商業統計調査の百貨店の定義に当てはまる(パルコなどの他のファッションビルも当てはまる)。しかし会社概要では小売事業としており、百貨店事業とする他の百貨店とは異なる。Yahoo!ではデパートではなくファッションビルとして掲載されている。[4]
グループ3事業のうち、小売事業は売上の76.4%を占める。ファッションを軸に、家具・雑貨・メガネ・宝石など、多くの商品を自前主義で展開。小売事業には、食品やレストラン、通信販売、Eコマース事業も含まれる。首都圏では大きな若年層シェアを獲得している。グループの連結子会社は18社、小売事業の関連会社は(株)丸井も含め10社あり、グループ連結の売上高営業利益率は7.9%, 小売事業単独では4.5%と、伊勢丹(連結4.1%, 国内百貨店事業3.76%)などより高い。
かつてはテレビコマーシャル「駅のソバの丸井」「赤いカードの丸井」のキャッチコピーのもと、駅前一等地に次々と出店することでブランド認知度を高め、かつてのDCブランドブームに乗って若者を取り込んだ。店舗形態は、丸井、マルイシティ、マルイファミリー、in The Room, FIELDなどがある(後述)。
1960年(昭和35年)に日本で初めて「クレジット」という名称を使用した「クレジット・カード」(現在の「エポスカード」)を発行。ファッションのイメージが強い丸井であるが、経営上は同等、あるいはそれ以上に金融業を重視している。元々月賦百貨店であり、割賦販売のノウハウを蓄積していた。店舗においては自社カードによる分割払いを勧め、単に衣服を売る利益でなく、分割手数料を得ることができ、さらにカード会員によるキャッシングなどの融資事業からも収益をあげている。これにより流行や気候に左右されるアパレル販売だけでなく、カード・金融事業から安定した利益を稼ぎ出すことに成功している。現在はグループのカード事業は持ち株会社への移行に伴い、株式会社丸井とは分けられている。
本社は創業地である東京都中野区中野。中野駅北口の本社ビル、南口にグループ各社、マルイグループユニオン、マルイグループ福祉会、丸井健保組合などがある。
社名の由来は1931年、富山県出身の創業者・青井忠治が月賦商の「丸二商会」から暖簾分けして新しい店を構え、店名を「丸井」としたものだという。当時は「丸」に自分の名前や姓を加えると繁盛するというジンクスがあった[5]。
年表[編集]
- 1931年(昭和6年) - 青井忠治が「丸二商会」からのれん分けで独立・創業。
- 1935年(昭和10年) - 称号を「丸井」に変更。これに合わせ、「井」の字を○で囲んだマークが制定された[5]。
- 1937年(昭和12年) - 株式会社化。
- 1941年(昭和16年) - 重要産業団体令施行により戦時商業統制の対象となり全店閉鎖。
- 1946年(昭和21年) - 重要産業団体令廃止、創業者が丸井の店舗を復活させる。
- 1960年(昭和35年) - 日本で最初にクレジットカードという名称を使用した「赤いカード」登場。
- 1965年(昭和40年) - 東京証券取引所市場第一部上場。
- 1973年(昭和48年) - ○|○|キャンペーン開始、CI制定。丸ゴシック風で、電話機のダイヤルの指止めをイメージして"○"の右下が途切れていた[5]。電話番号も"0101"に。
- 1981年(昭和56年) - 融資事業開始。
- 1990年(平成2年) - ヴァージン・グループとの合弁で、ヴァージン・メガストアーズ・ジャパン設立。
- 1995年(平成7年) - ○|○|新CIを制定(現在の○|○|マーク)。
- 2003年(平成15年) - グループ一体化の大再編を敢行。
- 2005年(平成17年) - カルチュア・コンビニエンス・クラブにヴァージン・メガストアーズ・ジャパンの全株式を約12億円で売却、株式会社ダイエーと店長級社員の派遣等による衣料部門の支援に係る業務提携。
- 2007年(平成19年) - ヤマトホールディングス株式会社(ヤマト運輸の持株会社)と資本・業務提携。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 小売事業を株式会社丸井に新設分割し、株式会社丸井グループに商号変更し、純粋持株会社へ移行。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 水戸店・柏VATに東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響が発生。柏VATは3月31日まで休業(近接する丸井柏店(マルイ館)は営業していた)、水戸店は4月14日まで休業。
店舗展開[編集]
概略[編集]
店舗展開としては長らく関東圏に限ってきたが、近年では関東圏を脱し全国展開を視野に入れている。
東日本では群馬県・栃木県を除く関東地方、および静岡県に店舗をもつ。また西日本へも進出しており、特に近畿地方においては神戸・三宮(神戸マルイ)のほか、2006年(平成18年)9月22日には大阪・難波(なんばマルイ)、さらに2011年(平成23年)4月27日には京都・四条河原町(旧阪急百貨店跡地)でも新店舗を開業している。
東海地方へは、丸井本体としてではなく「インザルーム名古屋」として2007年(平成19年)1月20日に名古屋・栄へ進出したが、2009年(平成21年)6月28日に閉店した。また近鉄パッセにテナント「スタジオゼロワン」を運営していたが、こちらも2009年9月に撤退している。但し近鉄パッセでは2011年より毎年夏季に「マルイの水着」ショップが期間限定で出店されている(2011年は丸栄にも出店していた)。
東北地方では2008年(平成20年)に丸井郡山店を閉鎖後、仙台にて自社ブランドのテナント出店やアウトレットストアの展開を開始している。また、2016年春をメドに福岡市の博多郵便局跡地に建設される商業施設のメインテナントとして九州へ初進出する予定である[6]。
東京では中野本店が2007年8月26日に一旦閉店し、2011年(平成23年)1月28日に中野マルイとして再オープンした(詳細はこちらを参照)。また、2007年(平成19年)10月12日には、有楽町駅前にオープンした新複合商業施設「有楽町イトシア」の中核店舗として有楽町マルイが新規開店している。
丸井には、駅前出店を基本とした多店舗化戦略を取っているイメージがあるが、その一方で新規大型店の開店に伴う小規模店舗の統合など、積極的なスクラップ・アンド・ビルド戦略を展開している。ただし、新店舗の開設を伴わない単純な不採算店舗の閉鎖も数多く行なわれている。また、業態変更によって実質「丸井」としての機能を廃した店舗(吉祥寺店キャンバス館→無印良品館→ドン・キホーテ)、マルイビィ町田→町田モディ)なども存在する[7]。
また米国の百貨店チェーンの様にプライベートブランド開発、SPA化、自社編集売り場などに力を入れ、旧来型の日本の百貨店からの脱却を図っているほか、また従来の画一的な展開から、商圏に適したきめ細かい展開に切り替えている。
既存店舗とは別の道を模索する動きも見られ、その一環として2007年(平成19年)5月に宅配大手のヤマトホールディングスと資本・業務提携を結び、在庫の調達管理から新たな通販ビジネス開拓への方針展開を目指す方針であると発表された。
現在多くの店舗の外観は「OIOI」マークを使用している。古くからある店舗の場合には、丸の右下が切れた形の「CICI」マークをそのまま使用している場合がある。また、関東・静岡地区で1990年代に開業・改築した店舗の一部には「MARUI」マークが用いられているところもある。これは当時、エリアごとの店舗展開を模索し始めており、その際のイメージのひとつが形になったものである。
昔は丸井の中に、丸井としての電化製品売り場が入っている店舗が存在した。現在は、北千住店・国分寺店・草加マルイ&アウトレット・マルイファミリー溝の口の4店舗にノジマが入っており、他の店舗は、近辺にヨドバシカメラやビックカメラやヤマダ電機(LABI)などの大型家電量販店があるため、すでに撤退となった。
出店形態[編集]
- 丸井(マルイ)- 一般型店舗。古くからある店舗は漢字表記(丸井○○店)、1980年代以降に開店した店舗はカタカナ表記(○○マルイ)である。
- マルイシティ(OICITY)- 都市型店舗。渋谷、横浜の各店舗。かつては新宿にもあったが現在はワン、アネックスに改称されている。また上野および池袋にもあったが現在は上野マルイ、池袋マルイにそれぞれ名称が変更されている。
- マルイジャム - ファッション激戦区・渋谷の立地に対応したレディス専門店。
- マルイファミリー - 郊外型ショッピングセンターを意識。食料品も扱う。溝口、海老名、志木の各店舗。
- マルイミニ - 一般・小規模店舗。現在は店舗なし。立川(→モディ→現ロフト)、町田(現町田マルイ)にあった。
- in The Room(インザルーム) - インテリア専門店。現在は単独店舗は存在せず、また2013年3月10日を以てテナント形態のショップも全店舗営業を終了した[8]。
- FIELD(フィールド) - スポーツ用品専門店。新宿店スポーツ館のリニューアルに伴い新たに作られた形態。後に池袋店スポーツ館もこの名称にリニューアルした。現在はテナント形態のみ。
- VAT - ティーンズ世代のファッション専門店。マルイの109とも言われている。柏店のみ。
- まるい食遊館 - 食料品専門店。国分寺、戸塚、北千住、溝口など。
- OIOI The DISH - レストラン街。新宿アネックス、上野など。錦糸町は類似形態の"錦糸町ダイニング 0141"。北千住は類似形態の"千寿万彩"(せんじゅまんさい)。
- マルイザッカ - ファッション雑貨専門店。現在は店舗なし。
- マルイヤング - ヤングファッション専門店。新宿と渋谷にあったが前者はカレン→閉鎖、後者はジャムとなり店舗なし。
- マルイビィ- 一般。町田大丸の跡地に開設された「丸井町田店B館」である。2006年(平成18年)9月に町田モディとなり、名称は消滅。
新宿マルイの出店形態[編集]
2009年(平成21年)より「新宿21.1世紀」のコンセプトを掲げた以下の店舗には「新宿マルイ」の名称が入る。
- 本館 - 4月24日オープン。
- アネックス - 9月18日リニューアルオープン(名称のみ4月24日より変更)。
- カレン - 2月27日オープン。2012年3月25日閉店。
- 「ファストファッション」をテーマとしたレディース専門店。店内にはユニクロやヴィレッジヴァンガードも出店。店舗名称のカレンとは、英語で「最新の」などを表す「Current」と、日本語の「可憐(Karen)」の2つの意味がある。
- ワン - 2月20日オープン。2013年9月25日閉店。
- 個性派ファッションの揃うレディース専門店。若手クリエイターの発掘・育成を掲げる。
- メン - 9月18日リニューアルオープン(名称のみ4月24日より変更)。
- メンズ専門店。アネックスから撤退した店舗がいくつか移転した。
旗艦店[編集]
丸井の本店は中野であったが2007年(平成19年)に一時閉店。その後2011年(平成23年)1月に再開店して本社も中野にあるが、店舗の売り場面積上現在の事実上の旗艦店は新宿3丁目(伊勢丹前)の新宿通り沿いに2009年(平成21年)にできた「新宿マルイ本館」である。新宿には丸井が入居するビルが6棟存在し、積極的にスクラップ・アンド・ビルドを行うため、これまでたびたび店舗(出店形態)の移動があった[9]。
出店形態ごとの立地の変遷[編集]
新宿3丁目の伊勢丹前にあったそれまでの旗艦店「マルイシティ」の建物はA館・B館をまとめて取り壊して建て替えることになったため、2007年(平成19年)2月9日にオープンした新宿3丁目の東映映画会館跡地の新宿三丁目イーストビル(新宿バルト9)と「新宿3丁目交差点前」(伊勢丹南東対角線上の建物。「フィールド」跡地)に分割して移転し、それぞれ、「マルイシティ1」、「マルイシティ2」と改称。旧「マルイシティ」の店舗は2009年(平成21年)4月24日に新宿地区の新たな旗艦店「新宿マルイ本館」として新規に開店した(詳しくは後述)。
「新宿3丁目交差点前」にあった「メンズ館」は、1998年(平成10年)9月に靖国通り沿いの「新宿5丁目交差点前」の旧・インテリア館に移転して「マルイメン」と改称している。
現在コメ兵がある伊勢丹東側の明治通り沿いに1992年(平成4年)9月に開店した「フィールド」(1984年(昭和59年)4月開店のスポーツ館が前身)は、1998年9月に「新宿5丁目交差点前」の「マルイメン」の裏に移転した後、2004年(平成16年)に「新宿3丁目交差点前」の旧・マルイザッカ館跡地に移転し、さらに現在では「マルイヤング」の地下に移転している。
旧・フィールド跡地に1998年9月にできた「マルイワン」は、2005年(平成17年)3月に「マルイヤング」の5-9階に移転している。
「新宿5丁目交差点前」に1984年(昭和59年)に開店した「インテリア館」は、1998年に一旦閉店した後に、2004年(平成16年)2月に甲州街道と明治通りの交差点の「新宿4丁目交差点前」の京王新宿追分ビル(ヴァージンメガストア跡地)に「インザルーム」として再出店している。
マルイシティ地下1階に1990年(平成2年)に開店した「ヴァージンメガストア」は、京王新宿追分ビルに移転。その後経営不振で2004年1月に閉店、2006年には株式も売却され丸井の関連会社ではなくなった。
2009年(平成21年)は「新宿21.1世紀。」のコンセプトを掲げ、全店舗改装・リニューアルを行い、新たに「新宿マルイ」の総称が入れられた。まず2月20日にマルイシティ-2を「新宿マルイワン」へ、2月27日にマルイヤングを「新宿マルイカレン」へ、それぞれ一新した。また前述の通り4月24日には新宿マルイの新たな旗艦店舗になる「新宿マルイ本館」がオープンした。その他の既存店舗も順次改装を行っており、インザルーム新宿本店は4月24日にリニューアルが完了し、またマルイシティ-1・マルイメンが初夏から秋にかけて、それぞれ「新宿マルイアネックス」「新宿マルイメン」にリニューアルされた。ただし店舗名称はマルイ本館オープンと同日にいち早く変更された[10]。なお、フィールドはマルイメン8階に移転したほか、女性向けランニング用品ショップをマルイ本館5階に、さらに9月からはアウトドア用品ショップをマルイアネックス7階に展開する。またマルイカレンは新宿3-17の路地にも別館がある。新宿ピカデリーの南側にある伊勢丹駐車場の裏だが、"OIOI"の看板とドアノブが見えるのですぐに見つかる。
「新宿マルイ」に刷新後も店舗再編が行われており、インザルーム新宿本店は2010年(平成22年)2月28日に、新宿マルイカレンは2012年(平成24年)3月25日に、それぞれ閉店している。ただしマルイカレンは閉店後も引き続き丸井が「丸井新宿東口ビル」としてビル管理を続け同年6月よりいくつかのテナントが入居している。また2013年(平成25年)秋にも再編が行われ、マルイワンがマルイアネックスと統合する形で閉店した(マルイワンで営業していたテナントの多くがマルイアネックスに移転した)。これによりアネックスにもレディース用品売り場が新設されたほか、本館にメンズ用品売り場も新設されている。
立地ごとの出店形態の変遷[編集]
- 新宿3-30-16(現在の「新宿マルイ本館」の場所。旧帝都座(新宿日活)の場所)
- ニュー新宿店→ファッション館→マルイシティ(初代)→(取壊・建替)→マルイ本館
- 新宿3-18-1(かつての「新宿マルイカレン」の場所、新宿地区最初の出店場所)
- 新宿店→ヤング館→マルイヤング→マルイヤング・マルイワン(その後フィールドも加わる)→マルイカレン→丸井新宿東口ビル
- 新宿3-17
- マルイカレン別館→2012年(平成24年)3月25日閉店
- 新宿5-16-4(新宿5丁目交差点前の現在の「新宿マルイメン」の場所。ここのみ屋上看板が旧CI)
- 新宿三光町店→(旧中野輸送新宿配送センター)→インテリア館A館・B館→マルイメン・フィールド→マルイメンA館・B館/M&Cシステム本社(新宿5-16-8)
- 新宿3-1-20 (新宿3丁目交差点前のかつての「新宿マルイワン」の場所。JTBやブラザー工業との共同ビル)
- スポーツ館→メンズ館→マルイザッカ→インザルーム→フィールド→マルイシティ2(2代目2号館)→マルイワン→2013年(平成25年)9月25日閉店
- 新宿3-1-13 (新宿4丁目交差点前のかつての「インザルーム新宿本店」の場所。京王新宿追分ビル。旧・京王線線路敷)
- ヴァージンメガストア→インザルーム→FOREVER 21新宿店(別会社)
- 現在のコメ兵の場所(建物自体は武蔵野興業が管理する賃貸ビル。旧・新宿松竹館の場所)
- フィールド→マルイワン→(空家)→コメ兵新宿店(別会社)
- 新宿3-1-26 新宿三丁目イーストビル(東映映画会館跡地。現在の「新宿マルイアネックス」の場所。上層階は「新宿バルト9」)
- (東映跡地に新築)→マルイシティ1(2代目1号館)→マルイアネックス
現在の店舗[編集]
既存の商業施設にテナント出店している店舗については後述「自社ブランド」の項を参照。
- ◎がついている店舗:前述の「MARUI」マークを使用している店舗
- △がついている店舗:旧ロゴ(CICI)を使用している店舗
東京都[編集]
新宿区[編集]
- 新宿マルイ本館
- 2009年(平成21年)4月24日、初代マルイシティ新宿跡地に新築オープン。
- 新宿マルイアネックス(旧・マルイシティ新宿-1)
- 2009年4月24日に店舗名のみ先行変更し、9月18日にリニューアルオープン。8Fにレストラン街OIOI The Dish。2013年(平成25年)10月5日に旧マルイワンにて営業していた多くのテナントが移転入居した。
- 新宿マルイメン(旧・マルイメン新宿)- △
- 2009年4月24日に店舗名のみ先行変更し、9月18日にリニューアルオープン。
- 詳細は [[新宿マルイの出店形態]] を参照
渋谷区[編集]
- 渋谷マルイ
豊島区[編集]
- 池袋マルイ(旧・マルイシティ池袋)
- Francfrancやヴィレッジヴァンガードも出店。2009年9月18日にはユニクロがオープン。
足立区[編集]
- 北千住マルイ(千住ミルディスI番館内)
- 当初はそごうの出店計画があったが断念し、ロビンソン百貨店との競願の末丸井が出店した。
- まるい食遊館が入居。OIOI初のBLUE MOON BLUEが出店し、4階に入っていたが、2012年2月3日をもって閉店した。
台東区[編集]
- 上野マルイ(旧・マルイシティ上野)
- 京成上野ビル内。京成百貨店から譲渡を受け開店。9FにOIOI The Dish。
墨田区[編集]
- 錦糸町店
千代田区[編集]
- 有楽町マルイ(有楽町イトシア内)
中野区[編集]
- 中野マルイ - 過去に存在した丸井の店舗の項も参照
武蔵野市[編集]
- 吉祥寺店 - △
国分寺市[編集]
町田市[編集]
- 町田マルイ
神奈川県[編集]
埼玉県[編集]
- 大宮店
- 草加マルイ(旧・丸井草加店→草加マルイ&アウトレット) - ◎
- マルイファミリー志木
千葉県[編集]
柏市内に2店舗ある。両店内及び丸井ホームページでは、「柏のマルイは2館です」と案内されている。
- 柏店(別称:マルイ館) - ◎(縦看板のみ)
- 柏VAT(旧・丸井柏店) - △(屋上看板のみ)
茨城県[編集]
- 水戸店 - ◎
静岡県[編集]
- 静岡店(A館・B館) - ◎
- 1996年(平成8年)、旧館裏手に新築されたA館が、また旧館に隣接する敷地にB館がそれぞれ完成。旧館を一旦営業休止し解体。その後旧館部分を建て替え、既に完成していた部分と合体させ「新・B館(愛称:けやきプラザ)」が完成しグランドオープン。のち現在に至る。
- 完成当時は新ロゴのひとつとして「MARUI」を採用(ほぼ同時期に移設開店した水戸店・柏店、新規開店した草加店も同様)。またA館とB館の間の道を「けやき通り」と命名、A館建設と同時に街路整備を行うなど、周辺と一体化した整備を行った。
京都府[編集]
- 京都マルイ
- 詳細は 京都マルイ を参照
大阪府[編集]
- なんばマルイ
- 詳細は なんばマルイ を参照
兵庫県[編集]
- 神戸マルイ
- 詳細は 神戸マルイ を参照
過去に存在した丸井の店舗[編集]
東京都[編集]
戦前、東京都内に数店舗、クレジット専用センター(現在の“ゼロファースト”店舗とは別組織)として八重洲、新橋、赤羽など数店舗があった。
中野区[編集]
- 中野本店(A館・B館)
- 新井薬師前駅前店
豊島区[編集]
- フィールド池袋店(旧・丸井池袋スポーツ館)
- 現在は、マルイシティ池袋の5階に入居。元の場所はビックカメラ池袋西口店に。
- インザルーム池袋
- 2007年(平成19年)8月19日インザルーム新宿本店(当時)に統合、閉店。
- 池袋ゼロファースト
板橋区[編集]
新宿区[編集]
- フィールド新宿店(初代。現店舗とは違う場所にあった)
- フィールド閉店後「マルイワン新宿」となるが、「マルイワン新宿」はマルイヤング新宿内5階-8階に移転。外装はそのままに「コメ兵買取センター」となる。
- マルイシティ新宿-1
- 現在は新宿マルイアネックスとしてオープン。名称のみ2009年4月24日に変更し、内装は同年9月18日にリニューアルオープン。
- マルイシティ新宿-2
- 現在は新宿マルイワンとしてリニューアルオープン。
- マルイヤング新宿、マルイワン新宿(マルイヤング内5階-8階)
- 新宿マルイカレンとしてリニューアルオープン(その後は後述)。マルイワン新宿は新宿マルイワンとして、マルイシティ新宿-2跡に移転。
- 高田馬場ゼロファースト
- 新宿西口ゼロファースト
- 西新宿1丁目 - 国際証券→ゼロファースト→廃止→セブン-イレブンに。
- 西新宿7丁目 - 加藤ビル内→りそなクイックロビーに。
- インザルーム新宿本店
- 2010年(平成22年)2月28日閉店。跡地にFOREVER 21が出店。
- 新宿マルイカレン(旧・マルイヤング新宿)
- ヤング→カレン改装時にリニューアル、屋上壁面のOIOIロゴも現行デザインになり設置位置も変更したが、2012年(平成24年)3月25日に閉店した。閉店後は丸井がビル管理者となる「丸井新宿東口ビル」として多くのテナントが出店。
- マルイカレン別館(中野ビル1階)
- 新宿マルイワン(旧・マルイシティ新宿-2)
- 2013年(平成25年)9月25日を以てマルイアネックスと統合する形で閉店。
- 新宿駅前店
- 新宿進出1号店。新宿店(後のマルイカレン)開店時に統合閉店。
- 新宿西口店
- 新宿進出3号店。新宿店(後のマルイカレン)開店時に統合閉店。
- 新宿三光町店
- 新宿進出2号店。新宿店(後のマルイカレン)開店時に統合閉店。中野輸送新宿配送センターを経て新宿インテリア館A館・B館として再度店舗化。
渋谷区[編集]
目黒区[編集]
杉並区[編集]
世田谷区[編集]
- 新宿店下北沢館(旧・下北沢店)
- 下北沢店として開店、末期は新宿店の分館。閉店後はマルイアウトレットストア「下北沢オルタネイトキングダム (Altern8Kingdom)、「J-CREW」下北沢店などを経て「final index下北沢」として営業していたが、2008年(平成20年)9月28日に閉店。
- 玉電大橋店
- 玉電の大橋電停前にあった。
品川区[編集]
- 大井町店
- 西小山店
- 荏原店
大田区[編集]
武蔵野市[編集]
- 吉祥寺北口店
- スクラップアンドビルド第1号となった小型店。
- 無印良品館(旧丸井キャンバス吉祥寺)
立川市[編集]
- マルイミニ立川(旧・立川店)
日野市[編集]
- 豊田店
八王子市[編集]
町田市[編集]
- マルイビィ町田
- 町田モディとしてリニューアルオープン。
神奈川県[編集]
- 横浜関内店
- 戸塚店
- 横須賀館
- 藤沢店
- 建物は改装されビックカメラ藤沢店に。
- 厚木店
- 小田原店
- 本館、インテリア館→VOX館。後者が先に閉鎖。VOX館は居酒屋などが入居する雑居ビルに。
埼玉県[編集]
- 熊谷店
- 川越店
- 2007年に川越モディとしてリニューアルオープン。
- 所沢店(A館、B館)
- 「赤いカード」登場直後の1961年(昭和36年)に開店した丸井の古参店舗。衣料品の他家具や家電製品も扱い、旧系列のヴァージン・メガストアも入居。創業以来丸井が取り扱ってきたものは一通り備え、埼玉県内の中心店舗であった。また旧大井町店のようにかつてはA館を「女の館」、B館を「男の館」として営業していた時期もある。テナントとして芳林堂書店所沢店、レストランもあった。A館、B館は渡り廊下で繋がっていた。2007年1月31日に閉店。同時にヴァージン・メガストア所沢店、芳林堂書店所沢店、レストランも閉店した。しばらく建物は未利用のまま閉鎖され、所沢市が再開店を要請していたが、2007年(平成19年)12月、丸井傘下のエイムクリエイツが管理する賃貸ビル「リ・クリエ所沢」(A館、B館)に業態変更した。A館には野村證券所沢支店、東急リバブルが入居。B館にはパチンコガーデン所沢店、東急リバブル、ラ・パルレ所沢店、Beautissimo tokorozawa(美容院)、アートネイチャー、安心ダイヤル所沢中央センターが入居した。2008年(平成20年)5月1日、A館にDHC所沢直営店が新規入居。2008年7月1日、A館に河合塾マナビス所沢校が入居した。ただA館、B館ともいまだに空きフロアがあり、現在もテナントを募集している。閉店時以降A館プロペ通り側は閉鎖されていたが、現在未改装状態のまま衣料品・インテリアなどの臨時店舗の営業が行われている。地下駐車場は閉鎖。丸井営業時より入居している武蔵野建設株式会社(建築工事・不動産取引)は引き続き営業している。なお芳林堂書店は所沢駅駅ビルにも出店しており、所沢駅前から撤退したわけではない。
- 大宮店浦和館(旧・浦和店)
- 川口店
- 本館、インテリア・スポーツ館。後者が先に閉店した。
千葉県[編集]
- 千葉店
- 船橋店
- 津田沼店
静岡県[編集]
静岡地区の店舗は昭和40年代にすべて開店しており、丸井の店舗の中でも古参であった。1990年代に入り一気に店舗の淘汰が行われたが、そのうち浜松店及び清水店の閉鎖は静岡店に経営資源を集中(前述のスクラップ・アンド・ビルド戦略の一端)するためであったとも言われている。
- 沼津店
- 清水店
- 1969年(昭和44年)開店、2001年(平成13年)1月閉店。「静岡店清水館」を経て閉鎖。建物は改装されシダックスに。
- 清水店の11km西に位置する静岡店は大規模小売店舗法を根拠とする出店調整から増床が不可能であった。当時の静岡市は出店調整に大きく影響を及ぼす商業活動調整協議会(商調協)の勢力が強く、大型店が出店しにくい地域であった。清水店は売場面積の小さい静岡店の別館的存在でもあったと言われており、静岡店で取り扱えなかった商品は清水店で扱っていた。大店法廃止と伴に商調協が解散した後は、清水店で扱っていた商品の大半が増床した静岡店へ移され、清水店は規模を大幅に縮小(6階建ての建物のうち、売り場を1階・2階のみとし3階以上は閉鎖)して「静岡店清水館」となった。その後2001年(平成13年)1月に完全に閉店した。
- 浜松店
茨城県[編集]
- 土浦店
- 本館、きもの館。2003年(平成15年)閉店。現在はカラオケ、居酒屋、パチンコ店などが入居。『ぷらっと』になった。
栃木県[編集]
- 宇都宮店
群馬県[編集]
- 前橋店
- 本館、メガネ館、きもの館。なお現在本館は隣接しているスズラン前橋店新館。
福島県[編集]
- 郡山店
- 1975年(昭和50年)11月8日開店 - 2008年(平成20年)2月29日閉店[20][21]。売場面積 約8,800㎡[22]。
- 1975年11月に開店して以来、丸井唯一の北限店舗としての強みにより、西友郡山西武店(現:アティ郡山)やうすい百貨店とともに郡山駅前の集客力を県内外から牽引していた。
- ビジネスホテルの入居希望を拒否してまで地権者は商業施設に拘っていたとされているが、2008年の閉店から解体される2013年まで空きビル状態が続いた。郡山駅前近辺ではトポス郡山店や太田記念病院の跡地ビルも空きビルとなり、また郡山駅の真正面に存在するため、郡山駅前の中心市街地活性化において大きな課題となっていた。
- しかし、2011年(平成23年)3月の東日本大震災により建物が大規模半壊となり、地権者側の解体要請と、国や郡山市の震災復旧の支援を受けて、2014年までに解体[23][24]。跡地には、大和ハウス工業のグループ会社であるダイワロイヤルによる複合ビル[25]が建設される予定である。
- 閉店した以降も1階において、ビルのテナントである呉服店が引き続き営業していたが、丸井側が退去を命じたこともあり、法廷闘争に発展。その後、和解が成立し撤退した。
- また、撤退店舗では唯一側壁看板のロゴが現行の"OIOI"だった(他は旧ロゴの"CICI"等。ただし屋上看板のロゴは"CICI"であった)。
愛知県[編集]
- インザルーム名古屋
大阪府[編集]
かつての丸井の店舗網拡大の経緯[編集]
かつては同業の緑屋(現・クレディセゾン)との「出店競争」があり、関東圏から東北方面へ店舗網の拡大を目論んでいた時期があった。その際「東北進出の足がかり」として、郡山店を開店させた。
また緑屋が当時進出していなかった東海道方面(静岡県)へは、緑屋進出前に先手を打つという考えから沼津、清水、静岡、浜松の順で4店舗を時期をおいて開店させたという経緯があったといわれている。そのうち静岡店においては、「商業活動調整協議会」[27]の力がたいへん強かったことから、店舗面積にも大変厳しい注文がつけられた。結果として極めて狭小な店舗での出店を余儀なくされ、隣接する清水店(当時の清水市ではここまで過激な反応はなく、むしろ出店を大歓迎されたとも言われている)を増床し、静岡店で扱えない商品を清水店や後に開店する浜松店(こちらも静岡店と違いかなり余裕のある床面積であったといわれている)にて展開していたという。
しかし、東海道線エリアでは戸塚・藤沢・小田原といった神奈川県内の店舗を含んで、浜松、清水、沼津は既になく、東北エリア唯一の店舗であった郡山店も閉鎖するなど、かつての店舗拡大も大きく軌道修正が図られている。
このほか、首都圏都市部以外の出店として、熊谷、前橋といった高崎線エリアや、宇都宮などの栃木エリアにも進出の実績があるが、すべて閉鎖されている。
現在では本拠の首都圏において、南関東のターミナルを中心とした店舗展開を行い、同時に首都圏を脱し京阪神へ進出、また一時期は関連事業を名古屋においても展開するなど、西日本での店舗展開も進めるという「2つの流れ」を見て取れる。
森永レストラン[編集]
少なくとも、昭和40年代後半から60年ごろにかけて、東京都心部の一部や地方の狭小店舗、また専門館を除いた全店舗最上階には、森永フードサービス(現:エムエフエス株式会社、当時は森永製菓子会社)運営による「森永レストラン」が併設されていた。
その後、昭和60年代後半から順次森永レストランは閉鎖され、2014年現在では森永レストランが併設されている丸井店舗は存在しない。
POSシステム[編集]
自社ブランド・外部出店[編集]
丸井が展開している自社プライベートブランド及びショップは下記の通りである。
- ビサルノ(VISARUNO, メンズビジネス)
- アールユー(ru, レディス)
- タスタス(tasse tasse, レディス)
- マルイモデル(OI MODEL, 旧:ヤングL、大きいサイズ専門レディス)
- インザルーム(in The Room, インテリア)
- オンボード(on board, メンズカジュアル)
- ナルーカ(Nalu:ca, サーフ)
- レッドシューズ(Red shoes, 婦人靴)
- シャンデリーク(chandelique, アクセサリー)
- フォードットウォッチ(4 DOT WATCH CO., 時計)
- フォーハートジュエリー(Four Heart jewelry, アクセサリー)
- アイスクエア オプティーク(OPTIQUE, メガネ)
- スタジオゼロワン(STUDIOI, レディスシーズン&オケーション)
- ジュール アン ジュール(jour en jour, アクセサリー)
- ココニー(coconie, ファッション雑貨)
- 良眼工房(メガネ)
- まるい食遊館(食品)
- ウェルト(W・E・L・T, 紳士靴)
- フィネステリア(Finesteria, メンズギフト・デイリーグッズ)
- クロスドロワー(Cross Drawer, 複合専門店)
など。
外部専門店[編集]
最近では自社ブランドを丸井だけではなく、子会社が運営しているモディや系列外のららぽーとなどのショッピングセンターにおいてテナントとして出店しているケース、及び単独店舗での出店が多く見られる。
テナントにおいても出店や業態変更、あるいは撤退を頻繁に行っており、特に仙台フォーラスに展開していたテナント5店舗は2009年8月までに全て撤退している。
南関東エリア[編集]
- ららぽーとTOKYO-BAY - クロスドロワー、ジュール アン ジュール
- サンシャインシティ アルパ - レッドシューズ
- 戸塚モディ - まるい食遊館
関西エリア[編集]
- 阪急西宮ガーデンズ - ビサルノ
仙台エリア[編集]
- 泉パークタウン タピオ - マルイモデル
アウトレットストア[編集]
自社ブランドを特別価格で提供する「マルイアウトレットストア」も各地で展開している。
- マルイアウトレットストア - 三井アウトレットパーク 多摩南大沢、三井アウトレットパーク 入間、三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド
- VISARUNO・RU OIOI - 佐野プレミアム・アウトレット、あみプレミアム・アウトレット
閉店したアウトレットストア
- final index下北沢(旧・丸井新宿店下北沢館。ロゴの「a」と「d」はそれぞれ「OI」と「oI」で表され、「OIOI」ロゴと掛けている。2008年9月28日閉店)
- マルイアウトレットストア アクアシティお台場(2010年(平成22年)2月21日閉店)
- VISARUNO・RU OIOI 仙台泉プレミアム・アウトレット(2010年(平成22年)9月20日閉店)、神戸三田プレミアム・アウトレット(閉店時期不明)
- Red shoes tokyo OIOI 三井アウトレットパーク 仙台港(2010年(平成22年)9月26日閉店)
丸井のクレジットカード[編集]
日本初の「クレジット」[編集]
丸井を語る上で欠かせないのが、クレジットカード「赤いカード」の存在である。
丸井はもともと月賦百貨店(割賦販売による月賦払いを中心とする小売店)であった。1960年(昭和35年)に日本で初めて「クレジット」という名称を用い、アメリカから機器を輸入し「クレジット・カード」「クレジット・プレート」の発行を開始した。これは今日のクレジットカードと同一のものではなく、上顧客への月賦払いの会員証という位置づけであった[28]。このカード、プレートは、エリート、スマートの証として特に若年層の受けがよく、販路拡大にも貢献した[28]。ちなみに同じ1960年に日本ダイナースクラブが設立され、日本で2番目のクレジットカード会社となっている。
当時は口座自動振替のシステムもなく、返済方法は店頭で直接支払うか集金員に直接支払うシステムのみであった。この集金=「回収」作業において、支払い延滞者への督促行為が時に闇金融まがいの強引な手法となることがあった。当然、現在であれば大きな問題となりうるものであるが、当時はまだ「返せないならむしり取るのが当たり前」という解釈の下そういった行為が許されていた時代でもあった。振込みによる返済が一般的になった現在でも、百貨店のクレジットカード同様に、店頭のカードカウンターへ出向いての返済が可能である。
ハウスカードから国際ブランドへ[編集]
長らく丸井グループと丸井店舗周辺の加盟店のみ扱えるハウスカードの立場を固持してきたが、1990年代初頭にDCカード及びJCBと提携・一体化した「エムワンカード」(M1カード)を発行する。世界中のVISAまたはJCB加盟店で利用できるようになったが、その分リスクが大きくなることから入会審査が厳くなり、また支払回数の制限などもあり、あまり発行されずに終息した。
1994年(平成6年)にハウスカードの名称を「マルイカード」に変更したが、2000年(平成12年)に元の「赤いカード」に戻した。
2001年(平成13年)にクレディセゾンとの提携によって、赤いカードとセゾンカードを合体した『赤いカード《セゾン》』を発行開始した。このカードはスイッチカードという提携カードの一種で、利用加盟店が赤いカードの加盟店か、セゾン及び付加国際ブランド(VISA・Master・JCB)の加盟店かによって、請求が丸井からの分とセゾンからの分に分かれて来るものであり、さらに支払方法や請求サイクルも全く別であるなど、悪い意味で「一枚二役」のカードであった。
2004年(平成16年)10月にはカード事業を分社化し連結子会社の株式会社マルイカードを設立し、VISAのスペシャルライセンシーを取得。2006年(平成18年)3月に長年に渡って親しまれた「赤いカード」に代わり、社内公募によって決定された「エポスカード」(EPOS CARD) を新ブランド名として採用。ハウスカードから脱し、VISA付帯で汎用性を高めたICクレジットカードへと衣替えした。同時に社名も株式会社エポスカードへ変更されている。しかし、一部のVISA加盟店では支払い回数が制限されているテンプレート:独自研究範囲
キャッシング[編集]
1981年に赤いカードでキャッシングサービスが開始。現在ほとんどの「赤いカード」・「エポスカード」で融資枠が設定されており(未成年者はショッピング専用カードとして発行)、グレーゾーン金利上限に迫る高利のキャッシング利息収益で長い間本業の(分社化した現在は連結)収益の一大部分を占めている。
丸井のカードは店舗従業員のノルマ達成のため、無職者や学生、低所得者層でも店頭で容易に発行されてキャッシングに使えることから、借り逃げなどの貸倒件数・金額によってはその年の業績にマイナス影響を与えるものとなり、「小売店の顔をした消費者金融」と呼ばれることもしばしばある。実際に、グレーゾーン金利撤廃以前のクレジット・消費者ローン事業の営業利益額は物販事業の営業利益額を大きく上回っていた。また、カード勧誘のための「丸井のカードはお持ちですか?」のフレーズは丸井店舗での買い物精算時のいわばお決まりの儀式となっており、その勧誘行為のエスカレートがカード嫌いの層等から丸井での買い物を遠ざける一因ともなっていた。
しかし最近では、提携カード化にともなう発行基準・与信の厳格化により以前のような無秩序なカード発行はなく、また、丸井内部での評価制度の見直しなどから、こうした行き過ぎ感のある勧誘などもほとんど姿を消した。
雇用体系[編集]
管理職以外のプロパー社員ほぼ全員を丸井子会社に転籍させ賃金改定する大胆なリストラを2003年に実行。丸井の各ショップで働く従業員は、丸井に属さず取扱商品やサービスに応じた販売子会社から「派遣」(労働法上の人材派遣ではない:後述)される形態をしばらくとっていたが、現在は、一部の子会社でのプロパー採用社員を除き、持ち株会社「丸井グループ」に再び人員と雇用を集約したうえで、旧販売子会社を祖とする後述の社内カンパニーでの勤務(店舗での商品販売など)をする形となっている。
従業員の転籍施策に纏わる諸問題[編集]
在籍社員の95%(5,100名:当時)を子会社に転籍させ、消費者ニーズに応え専門性を高め、経営資源の選択と集中を図るという大英断は、実施当時、株主や経済界からは一定の評価を得、同時に人件費の高騰と売上減少に悩む小売業界関係者から大いにその成否が注目された。しかし、その一方で、この改革を前後に発生した出向と転籍を繰り返す雇用形態の変更、それに伴う人事制度・給与体系等の度重なる見直しによる混乱、及び、完全成果型報酬体系がもたらす極端な年収のアップダウンにより生活設計がたてにくくなったことなどを理由に、旧来の丸井時代から会社を担っていた正規従業員らのモチベーション低下と多数の優秀な人材の外部流出を招いたといわれる。
また、当時の運営形態は各販売子会社と丸井本体との「業務委託契約」によるアウトソーシングの形であったが、実体として販社社員に対し丸井本体の管理職(店長・副店長など)が直接指揮命令を行っており、これが、いわゆる偽装請負にあたっていた可能性がある。もっとも、これは派遣法の理解不足や見解の相違がもたらした結果であり、製造業等で多発していたような最初から故意に違反行為を承知で実施した施策ではなかった要出典。また、実際に勤務していた販社社員にはこういったビジネスモデル的な説明は転籍に際して事前にほとんどされておらず、それまでの勤務形態と比較してなんら変化を感じるものではなかったため大きな問題にはならなかった。なお、事務代行を主なサービス領域とするマルイスマートサポートなど一部の子会社を除き、丸井本体及び販売系子会社は一般・特定を問わず労働者派遣事業の許認可取得・届出はしていない。
その意味では、今回の雇用形態の再転換は事業再編による組織力の強化という目的の他に、こういった諸問題の解消という狙いが含まれていると推測される。一部の革新系政党や労働団体まで巻き込んで議論がなされた一連の転籍騒動については、現在まで、当時の関係者も含め失敗であったと認める発言等は公式の場では見られない。一説には、この施策に不満を持ち早期退職していった人材数が会社側が当初想定していたものより遥かに多かったという現実に当時の青井忠雄社長が激怒し、施策の推進に大きく関与した関係役員を更迭したといわれるが、その因果関係は定かではない。
しかし、“失われた5年間”に浪費した貴重な時間・資金、そして何より従業員のモラールダウンにともなう販売力の低下という大きな損失を招いてしまったことは否めない。同業他社を含めた大手小売業でこの改革に追随した企業はなかった。
関係会社[編集]
株式会社「丸井」及び持株会社「丸井グループ」内における、社内カンパニーと関係は以下のとおり。小売事業の他、グループの他の2事業についても触れる。
小売事業
- 株式会社丸井(丸井店舗事業)
- 2008年(平成20年)10月1日付で下記小売事業各社は全て社内カンパニーとして株式会社丸井に統合された。尚アウトレット・催事部は株式会社丸井の一部門から社内カンパニーに移行された。
- パレット(旧・株式会社マルイパレット、婦人雑貨などの製造・販売)
- エムズモード(旧・株式会社マルイエムズモード、紳士靴・紳士雑貨などの製造・販売)
- ファッションナビ(旧・株式会社マルイファッションナビ、婦人服などの製造・販売)
- アクセス(旧・株式会社マルイアクセス・株式会社マルイフォードットウォッチ、ジュエリー・メガネ・ウォッチなどの製造・販売)
- フィールド(旧・株式会社マルイフィールド、スポーツアイテムなどの製造・販売)
- インザルーム(旧・株式会社インザルーム、家具・インテリア雑貨などの製造・販売)
- シーズニング(旧・株式会社マルイシーズニング、食料品の販売・レストランの運営)
- ヴォイ(旧・株式会社マルイヴォイ、Eコマース・通信販売事業)
- アウトレット(旧・アウトレット・催事部、店外催事およびアウトレット店舗の運営)
カード事業
小売関連サービス事業
- 株式会社エイムクリエイツ(店装・広告・商業施設運営)
- 株式会社シーエスシー(ビルメンテナンス・給食・警備などのビル管理)
- 株式会社エムアンドシーシステム(情報システム事業)
- 株式会社ムービング(運輸業)引越しや家電量販店の大型家電配達も請け負う。
- 株式会社マルイキットセンター(物流・用度品ピックアップ・商品検品事業)
- マルイスマートサポート - 総務(かつての店内総務)、人材派遣(丸井各店に事務系スタッフを派遣。丸井本体社員の転籍により労働者派遣の形になったもの)、教育
- ※ヴァージン・メガストアーズ・ジャパンは、2005年(平成17年)3月31日に全株式をカルチュア・コンビニエンス・クラブへ売却。
- ※マルイ旅行センターは、パシフィックツアーシステムズ(JTB子会社、元セゾン系)へ吸収合併、解散している。
ゼロファースト[編集]
1991年(平成3年)に消費者金融専業会社「ゼロファースト」(現在エポスカード子会社)を設立し、都市部の駅近くや繁華街のビル1階もしくは平屋建てに店舗を構え、ゼロファースト・丸井のカードのほかにクレジットカード・信販会社・消費者金融・郵便貯金カードが扱えるATM(店舗によっては24時間稼働)を複数台設置するなど独自に事業を行うが、丸井のカードによるキャッシング・入金(弁済)も行う点から、丸井店舗が撤退した地域にゼロファーストを出店する傾向がある。
なお、社名の【ZERO-FIRST】からも分かるように、丸井の0101が由来とされている。また、同社は消費者金融事業の他に、以前は当時の中野本店内に入居していたボウリング場(マルイボウル)の管理運営も行っていた。
2006年(平成18年)11月、丸井はゼロファーストの事業を大幅に縮小すると発表した。これは「貸金業法の改正による逆風やグレーゾーン金利の撤廃により貸付上限金利が引き下げられると、有人店舗の採算がとれなくなる」との判断によるもので、具体的には新規顧客の受け付け停止、関東(静岡含む)に74ある消費者ローン店舗の約7割を段階的に閉鎖する(有人店舗46店を順次無人化し、最終的に無人店舗すべてを閉鎖)というものである。都内の主力15店舗は一旦エポスカードに移管したうえ存続させるが、将来的には廃業も選択肢に含まれているという。
海外発展[編集]
2007年(平成19年)12月に海外向け通販サイト、MARUIONE.JPが立ち上げられた。日本語、英語、フランス語の3か国語で運営されている。「クールジャパン」のコンセプトを基に、ロリータ、ゴシックを含む日本のストリートファッション、漫画・アニメグッズに加え、伝統工芸品なども取り扱っている。同時に立ち上げられた姉妹サイトLiveJは日本についての情報を提供している。
宣伝活動[編集]
テレビ[編集]
丸井はテレビを宣伝媒体として積極的に利用してきた。昭和40年代前後には在京キー局すべてで夜の「スポーツニュース」(当時は5分程度の短いものだった)に番組提供を行い、知名度向上に努めた。日本テレビの「スポーツニュース」(関東のみ、地方によって違うスポンサーが提供)や、「キャッチアップ」(後述)打ち切り後新たに編成された「スポーツホットライン」(TBS)への番組提供がその名残である。
知名度向上とイメージ重視の戦略から、1990年代前半までは在京局や関東独立局のミニ番組に各社延べ102本[29]提供(すべて一社提供)していたほか、丸井が進出していた静岡・福島地区でも地元局のミニ番組(ニュースや天気予報など)に提供するケースがあった[30]。
当初提供していた番組には30代以降をターゲットとしたものが多く、中高年の夫妻を紹介する「ひとりよりふたり」[31]「われら夫婦」(日本テレビ)をはじめとして、「あの日あの時」「ヨーロッパ発あなたへ」(フジテレビ)、「スポニチ芸能ニュース」→「世界あの店この店」(テレビ朝日)、「各駅停車世界の旅」(テレビ東京)などがあったが、1980年代中頃に入ってからは20代を主軸に置いた番組(下記参照)へシフトしていくようになり、番組内での丸井とのタイアップ(連動企画)も多くなっていった(これらの番組の大半はスポニチテレビニュース社(当時)が制作を担当することが多かったことから、スポーツニッポンのテレビ欄での番組紹介が昭和50年代前半では多かった)。
若年層を主対象においた主なミニ番組としては、トレンド情報番組「キャッチアップ」(TBS)、当時流行の洋楽ビデオクリップを紹介する「丸井サウンドロフト」(フジテレビ)、ニューヨークのトレンドを紹介する「ニューヨーク情報」[32](後にスポンサー降板[33])その他の提供番組は、アメリカのニュース専門CATV局・CNNの最新ニュースを10分弱のダイジェストにまとめて紹介する「CNNヘッドライン」(共にテレビ朝日)、丸井の旅行部門とタイアップした海外旅行のガイド的番組「Zip's」(テレビ東京)[34]、そして最新の洋楽ヒットに乗せ世界のスポーツ映像を見せる「SPOPS」(テレビ神奈川)など。他にもフジテレビでは「丸井サウンドロフト」の後番組として、大学サークルの紹介番組「ライフサイズTV コンパス」、東京の街そのものをゲームの舞台とした「チキチキバンバン」、有名人が好きなものを10個選ぶ「パーソナル・カウントダウンTen」、東京で暮らす若者の部屋にスポットを当てた「ROOMS」など、意欲的かつ評判を呼んだ番組も制作されていた。
一般的な認知度が関東地区を越えて、全国規模になるのは1979年(昭和54年)にテレビCMで「好きだから、あげる。」が爆発的な反響を呼んだことで、当時、春の商戦では高島屋や三越といった老舗百貨店にならぶ売り上げを記録した。ちなみに「好きだから…」のコピーを書いたのは、「コピーライターの神様」と称される仲畑貴志である。
丸井のCM展開は1990年代前半までは「番組提供」が主であり、その中で丸井オリジナルブランドやインテリア、そして季節商品の単独イメージCMや「赤いカード」の告知など、さまざまなジャンルのCMを効果的に組み合わせていた。また関東エリアのヤング館共通CMや池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)、新宿インテリア館(のちの「イン・ザ・ルーム」)単独CMなども頻繁に流された。さらに4店体制が長く続いた静岡地区でも「静岡限定」として「静岡4店イメージCM」が作られたことがある。これは放送期間は短かったものの、TBS系の静岡放送では「静岡新聞ニュース」での番組提供時に頻繁に放送されていた。
新店の開店や既存店の新装開店などでは、それぞれの店舗立地のイメージに近い告知CMが多く作られた。例えば「京成百貨店」から経営譲渡を受け新規開店した上野店(マルイシティ上野を経て現・上野マルイ)では、近接する浅草の「三社祭」をイメージしたもの、浜松店(既に閉鎖)新装開店時には浜松まつりの「凧揚げ」をイメージしたもの、藤沢店(既に閉鎖)開店時には湘南をイメージしたものなど、凝ったCMが数多く作られた。
「丸井試写会」(後述)についての告知CMも提供番組内で流されていたが、丸井店舗があり、番組をネットで受けていた静岡・福島地区では丸井の別のCMに差し替えられていた[35]。これは、招待券の配布店舗が東京周辺の南関東に限られていたことによる。
しかしバブル崩壊をきっかけに様々な事情が絡み、1990年代半ば、レギュラー番組への提供からはすべて撤退した。一部には「番組提供として出している費用が、本来の番組制作にあまり使われていない」という事実を知り、比較的費用が安く上がるスポットCMへほぼ全面的に移行したことが、番組提供撤退の理由ではないかとの推測もされている。その後、単発番組へ散発的な番組提供へ移行し、現在はスポットCMを放送するのみにとどまっている。その後は一時のようなセール告知だけを行う地味なCMばかりでなく、有名タレントを起用したり、シーズン特性や流行に応じたファッション性の高いCMも再び制作されるようになってきている。
東海地区ではインザルーム名古屋の単独CMが、同店が開店してしばらくの間だけ制作・放送されていた。関連事業であり丸井本体の進出ではなかったことから、OIOIロゴは一切表示されていなかった。
なお丸井のCMはラジオも含めほぼすべてが「エイムクリエイツ」(旧・丸井広告事業社)によって現在まで制作されている。
池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)のCMソングは、大瀧詠一が制作し、歌唱もしている[36]。この曲は当時、スポーツ館内でも常時BGMとして流されており、レコードやCDでは店内で流されていたものと同じくフルコーラスバージョンで収録されている。尚、大滝が笛吹銅次としてミックスしたオリジナルバージョンと吉田保のリミックスバージョンの二種類がある。
坂本龍一が初めて手掛けたCM曲は丸井のメガネである。
2012年(平成24年)からは通販サイト「マルイウェブチャネル」の宣伝を丸井未出店エリアを含む全国で展開するようになった。当初は新聞広告や、電車の車内広告が中心だったが、2013年(平成25年)よりテレビCMも製作・放映されている[37]。
ラジオ[編集]
ラジオでの広告展開もFMを中心に行っており、関東地区での民放FM多局化以降、FMヨコハマ「MARUI 24CLUB」を始め、数局で番組提供を持った。
また、昭和50年代半ばに 文化放送にて「パンプキンパンプキン」(パーソナリティー:加藤タキ)という女性向け15分の深夜番組を提供していた。初期は試写会のお知らせ以外のCMなし。後期はプレゼントコーナーで尾崎亜美の「FOR YOU」(「好きだから あげる」キャンペーンソング)のBGMを使用しプレゼント商品を告知することにより実質CMにしていた。
映画試写会[編集]
宣伝活動のひとつとしての「丸井試写会」(会場:中野サンプラザ)も定期的に行われていた(試写会の告知CMについては前述)。チケットは都内主要店舗で配布されていたが、晩年は余程の話題作でもない限り話題になることは少なかった。しかし、会場のお膝元である当時の中野本店では、スパークリングセールなどの催事以上に、試写会チケット争奪のために長い列ができるといった現象が起きるほど人気を博していた。創業地でもあり地元に密着した中野本店ならではの光景であり、いったん閉店した同店を住民の声に応じて再開店させるという施策にもつながっている。
スポーツ[編集]
かつては社内に野球部を持ち、プロ入り前の大杉勝男などが所属していた。
1980年代、サーフィンの大会スポンサーに積極的に進出。千葉県・九十九里海岸で毎年開催されていた丸井プロサーフィン世界選手権は、多年度に渡って冠スポンサーを務め、「丸井プロ」の通称で非常に有名であった。また、他に開かれていたウィンドサーフィン大会にも後援や冠スポンサーとしてかかわることが多かった。
ちなみに、この時期には日本たばこ産業が後援するサムタイムワールドカップが静岡県・御前崎で開かれており、サーフィン愛好者からは(広義の関東エリア内での大規模サーフィンイベントとして)「西のサムタイム、東の丸井」などと持てはやされていた。
印刷媒体[編集]
丸井店内では1980年代まで、テレビでの宣伝活動と平行して月刊のフリーペーパーも配布していた。内容は、取り扱いブランドや商品の情報、着こなしの提案と丸井自体のお知らせなど。また当時店舗網の拡大を進めていた時期でもあり、新店情報や一部タウン情報的なものも掲載されていた。このフリーペーパーは1990年代に入り、通販カタログ(Voi・Men's Voi)やカード明細への添付パンフレットに形を変えていくこととなる。
その他[編集]
1980年代に活動していたコントグループ、コント赤信号の持ちネタとして、服装を一流ブランドで固めたリーダーの渡辺正行に「それだけ揃えるの高かったろう?」とメンバーの小宮孝泰が訊くと、「赤いカード」を出して「丸井よ!」(=全て月賦)と答えるギャグがあり、月賦の丸井の名を高めることとなった。
九州進出[編集]
2013年、日本郵便がJR九州と手を組み博多郵便局と近隣地域を一体で再開発することを決定したが、その再開発ビルのひとつに丸井が核テナントとして入ることとなり、九州への進出を果たすこととなった[38]。この決定以降、福岡県内の民放テレビ5社でもテレビCMを放送するようになったが、店舗開業までまだ時間を要することから、当初は将来の顧客確保という観点も含めて、内容はハウスクレジットカードの「エポスカード」とネット通販のみとなっている。
2014年に入り、開店に向けた準備室を博多区の奈良屋町に設けた[39]。またエポスカードがハウステンボスと提携し、「ハウステンボスエポスカード」を発行[40]、これに先立ち2013年の段階から長崎地区でもエポスカードのCM放送を始めた。
CM出演経験のあるタレント・モデル[編集]
男性[編集]
など多数
女性[編集]
- 葛岡碧
- 常盤貴子
- 江角マキコ
- 相沢紗世
- 加藤夏希
- 黒谷友香
- 榊ゆりこ
- 吹石一恵
- 手塚理美(フルネームで生きる の社内外共通キャンペーン)
- 向井亜紀(CMではなくフジテレビで放送された番組内インフォメーション担当)
- 米倉涼子(白いコートの女、JR駅の宣伝広告)
- 香里奈(CMではなく通販の雑誌のVoi表紙の担当)
- 佐々木希(CMではなく通販の雑誌のVoi表紙の担当)
- 山口美江(すきだから・あげる)
- 松雪泰子
など多数
脚注[編集]
- ↑ 日経流通新聞MJは百貨店調査の対象とするだけでなく注目企業としても掲載している。「2005年度の都市別店舗売上高伸び率ランキングで丸井の好調ぶりが目を引く。東京で新宿店以下1-4位を独占。神戸では03年10月に開業した関西地区初の店舗が2ケタ増でトップに立った。今秋の大阪・難波、来秋の東京・有楽町と新店計画が目白押し。大型店大競争の台風の目となりそうだ。 丸井の強みは商圏の盛衰に応じ店舗のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す機動力にある。 07年、新宿店に約9,000平方メートルの新館を開業。同時に新宿店の中核である「マルイシティ新宿」の建て直し工事に入る。同館は約1年半前に改装したばかりで売り上げも伸びているが「使い勝手が悪いから」とあっさり建て替えを決めた。 見切りの速さは成長力を失った店の撤収にも表れる。「赤字かどうかだけでなく店舗効率も加味する」(青井浩社長)。8月13日、売り場面積8,200平方メートルの埼玉・川越店を閉めた。神奈川の藤沢店に続き、今年2店目だ。この10年で6店舗を出す一方、閉鎖は19店舗を数える。 にもかかわらず、小売部門の営業利益は伸びている。川越店が開業した1970年、丸井は29店舗だったが、売り上げが10倍以上になった今は27。再配置と大型化を同時に進めてきた。だが下位にも登場するなど個店の競争力にはまだばらつきが大きく、新陳代謝が欠かせない。 」 『2005年度百貨店調査――増収率ランキング、丸井、機動力は成長力』日経流通新聞MJ 2006年8月16日
- ↑ 「百貨店:衣食住の各々の売上が10%以上70%未満という風に幅広い品揃えをしており、売り場面積の50%以上において対面販売を行う業態」 商業統計 業態別統計編(小売業)<概況>|商業統計|経済産業省
- ↑ 「百貨店とは産業分類上の百貨店からセルフサービス店を除いたもの」通商産業省官房調査統計部「わが国の商業」とされ、セルフサービス方式(小売業のみ) [1]商品が無包装,あるいはプリパッケージされ,値段が付けられていること,[2]備付けの買物カゴ,ショッピングカートなどで客が自由に商品を取り集められる形式,[3]売場の出口などに設けられた勘定場で客が一括して代金の支払いを行う形式,の三つの条件を兼ね備えている場合をいう。商業統計調査でいう「セルフサービス方式採用」の事業所とは上記条件による販売を売場面積の50%以上で行っている事業所をいう。 商業統計調査(指定統計第23号) 経済産業省経済産業政策局調査統計部産業統計室
- ↑ http://dir.yahoo.co.jp/Business_and_Economy/Shopping_and_Services/Retailers/Shopping_Centers/Fashion_Buildings/Marui_Co_/
- ↑ 5.0 5.1 5.2 (2013) 高橋書店編集部 [ ロゴの秘密 ] 高橋書店 2013 978-4-471-19122-1 116-117
- ↑ 博多駅前の商業施設、核テナントが丸井に決定 日本郵便(MSN産経ニュース、2013年10月29日)
- ↑ 「 丸井の強みは商圏の盛衰に応じ店舗のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す機動力にある。 07年、新宿店に約9,000平方メートルの新館を開業。同時に新宿店の中核である「マルイシティ新宿」の建て直し工事に入る。同館は約1年半前に改装したばかりで売り上げも伸びているが「使い勝手が悪いから」とあっさり建て替えを決めた。 見切りの速さは成長力を失った店の撤収にも表れる。「赤字かどうかだけでなく店舗効率も加味する」(青井浩社長)。8月13日、売り場面積8,200平方メートルの埼玉・川越店を閉めた。神奈川の藤沢店に続き、今年2店目だ。この10年で6店舗を出す一方、閉鎖は19店舗を数える。 にもかかわらず、小売部門の営業利益は伸びている。川越店が開業した1970年、丸井は29店舗だったが、売り上げが10倍以上になった今は27。再配置と大型化を同時に進めてきた。だが下位にも登場するなど個店の競争力にはまだばらつきが大きく、新陳代謝が欠かせない。 」 『2005年度百貨店調査――増収率ランキング、丸井、機動力は成長力』日経流通新聞MJ 2006年8月16日
- ↑ 同ショップのHPのトップページが「インザルームショップ閉店のお知らせ」のみの表記となっている。
- ↑ 「2005年度の都市別店舗売上高伸び率ランキングで丸井の好調ぶりが目を引く。東京で新宿店以下1-4位を独占。丸井の強みは商圏の盛衰に応じ店舗のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す機動力にある。 07年、新宿店に約9,000平方メートルの新館を開業。同時に新宿店の中核である「マルイシティ新宿」の建て直し工事に入る。同館は約1年半前に改装したばかりで売り上げも伸びているが「使い勝手が悪いから」とあっさり建て替えを決めた。 見切りの速さは成長力を失った店の撤収にも表れる。「赤字かどうかだけでなく店舗効率も加味する」(青井浩社長)。再配置と大型化を同時に進めてきた。」 『2005年度百貨店調査――増収率ランキング、丸井、機動力は成長力』日経流通新聞MJ 2006年8月16日
- ↑ 新宿の6つのマルイが生まれ変わる - Fashion Press
- ↑ 相原正義 (2005年) 相原正義 [ 柏 その歴史・地理 ] 崙書房出版 2005年
- ↑ 2010年冬「丸井中野店(仮称)」営業再開しますPDF
- ↑ もっともSTUSSYのショップは、新宿マルイアネックス3Fにも入居しており、こちらは引き続き営業中である。
- ↑ 「横須賀市に「ヨコビル」24日に開館」 『神奈川新聞』(横須賀・湘南版)1966年2月23日付朝刊、第12面。
- ↑ 「浦和市史 通史編IV」p558。
- ↑ 『丸井、千葉店、年末で閉店―増床できず品ぞろえ不足。』1987年10月27日付 日経流通新聞より
- ↑ 『丸井千葉店、年末に閉店。』1987年10月24日付日本経済新聞(日本経済新聞社)より
- ↑ ちなみに、現在の京成千葉駅(二代目)は、当時「国鉄千葉駅前駅」という名称
- ↑ 『首都圏、大型店不採算店の整理相次ぐ、閉鎖や業態転換、地元、集客力低下を懸念。』日本経済新聞(日本経済新聞社)1985年7月14日付 地方経済面首都圏より
- ↑ 「丸井郡山店が閉店 今後の跡地利用が課題に」『福島民友』(福島民友新聞社) 2008年3月1日、朝刊。
- ↑ 「丸井郡山店32年「幕」 商都「玄関口」巨大空き店舗抱え」『朝日新聞』(朝日新聞社)福島版 2008年3月1日、朝刊31面。
- ↑ 「丸井郡山店来年2月撤退へ 「手狭、品ぞろえ困難」」『福島民友』(福島民友新聞社) 2007年2月27日、朝刊1面。
- ↑ 2013年1月25日 旧丸井ビル、年度内解体着手 13年度中に完了へ(2013年3月5日閲覧)
- ↑ 2013年2月14日 福島民報 あぶくま妙『【郡山駅前再開発】ビル解体後の計画急げ(2月14日)』(2013年3月5日閲覧)
- ↑ 2014年10月25日 福島民報 『郡山丸井跡地に複合商業施設 216室、テナント15区画』(2014年11月18日閲覧)
- ↑ 名古屋・栄で開発推進中の都心型商業施設「WV SAKAE(ウーブ サカエ)」平成19年1月20日(土)開業 - 三井不動産ニュースリリース
- ↑ 商調協。自治体・商店街・出店企業が出店をめぐって調整・協議する場
- ↑ 28.0 28.1 『わが国クレジットの半世紀』社団法人 クレジット産業協会
- ↑ 102本という本数については、静岡・福島地区のローカル番組及びローカル提供も含まれる可能性がある(ノート参照)。テンプレート:要検証
- ↑ 在京局が関東ローカルとして制作した丸井一社提供番組を同時もしくは時差ネットしていたケースもある。
- ↑ この番組については、当時開局から間もなかった静岡第一テレビでも丸井の一社提供で同時ネットされていた。
- ↑ 「ニューヨーク情報」は放送時間が平日21:55からという、在京他局で放送されていた丸井一社提供番組と比して放送時間がかなり早いものであった。ちなみにテレビ神奈川で放送されていた「SPOPS」も比較的早い時間の番組であった。ちなみにバブル前後で早かったのはテレ東の「東京グラフィティ」が8:54からの実質2分番組(本編は45秒でCMが1分、15秒が提供クレジットであった。ちなみに8:57は 花王の「女のコラム」で当時テレ東では平均視聴率が8%〜9%と高かったとされている(理由は他局が前分8時54分代は地上波は教育を含め6局ともニュースだったからである)ただし視聴率調査は15分以上の番組が公開されるので定かではない。ちなみに、「ニューヨーク情報」関連として、池袋店に紹介商品の一部を展示する”New yorking"のミニコーナーが当時設けられていた。
- ↑ 1987年(昭和62年)には、丸井の一社提供枠がこの番組から「CNNヘッドライン」へ移動したことに伴い、スポンサーも富士通へ代わった。富士通の番組提供は、その後枠番組である「世界の車窓から」に引き継がれ現在に至っている。
- ↑ テレビ東京では月曜から日曜までの15分番組であったが、福島中央テレビでは10分での放送、それ以外の一部局(静岡県民放送…現:静岡朝日テレビなど)向け番版では「DAY OFF」とタイトルを改題し、番組枠はさらに短くなり5分番組となっていた(番組放送当時は「丸井旅行センター(現PTS)」のCMがこの番組のみで放送されていた。)
- ↑ ただし、昭和50年代の静岡地区では在京局制作の一社提供番組について、番組内でのCM差し換えをせず、そのまま放送されていたため、試写会の告知CMも見ることができた。
- ↑ CD「niagara CM Special」に「Marui Sports」として収録。
- ↑ 「マルイウェブチャネル」単独プロモーションもあれば、同一内容の商品CMを出店エリアでは「マルイ」名義で、未出店エリアでは「マルイウェブチャネル」名義でプロモーションを行うこともある。
- ↑ (2013-10-29) 博多駅中央街南西街区における開発計画の概要及びテナントの一部決定 PDF 日本郵便株式会社 [ arch. ] 2013-12-20
- ↑ (2014-04-24) 2016 年春の開店へ向け、株式会社丸井は 博多開店準備室を開設いたします。 PDF 株式会社 丸井グループ 広報室 [ arch. ] 2014-06-26
- ↑ (2014-05-09) 丸井グループのエポスカードとハウステンボス(株)が協業 「ハウステンボスエポスカード」を発行します。 PDF 株式会社エポスカード、ハウステンボス株式会社 [ arch. ] 2014-06-26