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若林 正恭 | |
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本名 | 若林 正恭 |
ニックネーム | 若ちゃん 若さん 若様 若の字 |
生没年月日 | 1978年9月20日((2024-1978)+((12-9)*100+(29-20)>=0)-1歳) - |
出身地 | 日本 東京都中央区 |
血液型 | O型 |
身長 | 170 cm |
方言 | 共通語 |
最終学歴 | 東洋大学文学部国文学科 |
師匠 | |
出身 | 現事務所直入 |
グループ名 | オードリー (旧コンビ名:「ナイスミドル」) |
相方 | 春日俊彰 |
芸風 | 漫才(ツッコミ)※ナイスミドル時代はボケ |
立ち位置 | 左 |
事務所 | ケイダッシュステージ |
活動時期 | 2000年 - |
同期 | U字工事 NON STYLE ダイアン など |
現在の代表番組 | 日曜×芸人 スクール革命! オードリーのオールナイトニッポン など |
過去の代表番組 | キャンパスナイトフジ 潜在異色など |
作品 | |
他の活動 | 俳優 |
配偶者 | 未婚 |
親族 | |
弟子 | |
公式サイト | 公式ブログ |
受賞歴 | |
『ダイナマイト関西 2010 first』優勝 | |
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若林 正恭(わかばやし まさやす、1978年9月20日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、司会者、声優であり、お笑いコンビオードリーのツッコミ担当(当初はボケだった)。相方は春日俊彰。
東京都中央区築地出身。ケイダッシュステージ所属。身長170cm、体重60kg。2歳違いの姉が1人いる。
目次
略歴[編集]
東京都中央区立明石小学校、日本大学第二中学校・高等学校、東洋大学文学部国文学科[1]卒業後に春日俊彰と「ナイスミドル」を結成。春日とは日大二高の同級生。
2005年4月に、コンビ名を「オードリー」に改名。
2008年2月、『R-1ぐらんぷり』2008準決勝進出。ネタの内容は野球のスイングを山手線で説明するというもの。
2009年8月、『ドリームマッチ09 真夏の若手芸人祭り!!』 で石田明(NON STYLE)と組んで優勝。
2010年2月、『言語遊戯王6』優勝。 キャッチフレーズは「日本一アクティブなひきこもり」[2]。
2010年3月、『IPPONグランプリ09 - 10春の陣』、準優勝。
2010年5月、『ダイナマイト関西2010 first』優勝[3]。
2010年8月、『言語遊戯王7』優勝、2連覇達成。キャッチフレーズは「人見知り鬼」[4]。
2011年5月、「瀬戸の花嫁」で音楽配信で歌手デビュー。[5]
2011年8月、『芸人交換日記〜イエローハーツの物語〜』で、舞台初主演。[6]
2013年3月、『ひまわりと子犬の7日間』で、映画初出演。[7]
芸人[編集]
立ち位置は、カメラから向かって左側。
漫才を披露する際には必ずスーツ姿で出るが、ネクタイを結ぶのが非常に苦手である。1日に何度も同じネクタイで舞台に上がることを嫌っており、いつも複数--のネクタイを持参している。
クイズや勉強は少々苦手である。一見インテリに思われることもあるが、実は春日の方が勉強の成績や学力が高く、『オレたち!クイズMAN』や『ネプリーグ』などのクイズ番組で、しばしば自分はポンコツだと話している。
芸は多才であり、藤岡弘、や窪塚洋介、立川談志、長州小力、矢沢永吉、郷ひろみ、IKKOなどの物真似をすることができる。2008年の『R-1ぐらんぷり』では、野球のスイングを山手線で説明するというピン芸で準決勝にまで進出した。
お笑いをやりたいと父に告白したところ大反対され、2007年に勘当されたが、2009年正月には実家に帰り、父とも打ち解けた。
『GyaOジョッキー』『そらを見なきゃ困るよ!』、『告っちゃ!』に出演している時期から、若林のツッコミは的確だと評判であった。また、当時から大喜利でも力を発揮していた。
2007年初頭、『ラ・ママ新人コント大会』のネタ見せで渡辺正行からは「頑張ればM-1の準決勝に行けるレベルだよ」とネタを褒められ[8]、それから毎月ネタ見せに呼んで貰えるようになった。もしここで認められなかったら芸人を辞めていたという。また、若林はその際、帰りの原付を運転しながら泣き、ヘルメットの内側が曇ったという。『行列のできる法律相談所』では、恩人の渡辺が登場し、改めて当時のエピソードを披露した。
お笑い芸人であることに誇りを持ち、生まれ変わってもお笑いをやりたいと思っている。
新宿区にある「ショーパブ・キサラ」を自らのホームと位置づけるほど、重要視している。最近では、地上波の番組出演が増えて来ているため、出番が少なくなりつつあるが、鍛錬のために月5日は出たいと思っている。
圧倒的なキャラクターを持つ春日俊彰を相方に持つため、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』においては、「じゃない方芸人」として出演し、自身の目立たないエピソードを披露した。 また、同じく『アメトーーク!』において、「人見知り芸人」をプレゼンし採用され、様々なエピソードを披露した。
自身はエピソードトークにおける多少の嘘は問題ないと考えている[9]。
また、一緒に仕事をさせて貰っている先輩は、全て他事務所であるにも関わらず優しく接してくれるが、1人だけ、キャイ〜ンの天野ひろゆきが、若林のクイズの出来を憂いて、本気で叱ってくれたという。「『キャイ〜ン』というコンビとしては、ウド鈴木の芸風を考慮し、天野自身は『ツッコミ』であるという自覚から、常にウドを上回る知識や学力を得ようと努力している。なぜならば、ツッコミはボケを『是正する』役割であるため(また、お互いの相方の共通項として、いわゆる"モンスター"である、という点も加味して)、ツッコミに説得力がなくなってしまう。だから勉強するという努力も怠らないことが大切だ」という趣旨のアドバイスを受けた[10]。ただし、春日をけなして笑いを取るスタイルは変わっていない。
なお、天野は、『高須光聖の御影流』にゲスト出演した際、高須の「今若手で一番ツッコミがうまい関東芸人は?」との問いに、「若林ですね」と即答しているが、その後に「クイズがバカなんですよね…」と、上記同様のコメントをしながら惜しんでいた[11]。
だが一方、大喜利は得意であり、『IPPONグランプリ』では最終決戦進出、『ダイナマイト関西2010 first』は優勝、『言語遊戯王』では2連覇達成など好成績を残している。
ライバルとして、ナイツの土屋伸之の名を挙げている(当然、お互いが売れない頃からの交友関係があり、また当時、『キャンパスナイトフジ』で共演していた、ということを加味しての人選である)。理由として、「ガヤが高度である」「同じ"じゃない方"芸人として負けたくない」などと述べた(『ロンドンハーツ』などで発言)。また、当時共演していた『キャンパスナイトフジ』のMCを務めたケンドーコバヤシも、若林・土屋両者のガヤは面白いと評価している(同じく『ロンドンハーツ』にて)。
趣味・嗜好[編集]
趣味は、散歩とランニング、そば打ち、ひとりジェンガ、バッティングセンター通い、裁判傍聴、人間観察、映画鑑賞、書籍の帯収集、サービスエリア巡り。KARAがお気に入り[12]。KARAの曲を歌っていた時、マネージャーがそれをKARAの歌と理解出来ず、「何ぶつぶつ言ってんの?」と言われたと語っている。
村上龍の熱烈なファンで、大学の卒業論文でも村上龍を論じた[13]。『カンブリア宮殿』にて、「僕らオードリーのこと、知っていますか?」と恐る恐る尋ねると、村上は「だって知りたくなくてもテレビを付けたらいつも出ているんだもん」と返し、その言葉に大感激した旨をラジオにて紹介した。『QuickJapan』87号で初めて、小規模ではあるが『ぜんぶウソ』のプロモーションのため、オードリーが取り上げられた際にも、同様の紹介をされた。
岡本太郎に深く傾倒しており、オードリーの今のスタイルである春日の胸を張ったポーズは大阪万博の太陽の塔がモデルである[14]。
「迷い吹き飛ばすパワー」と題して、売れるまで新幹線代すら稼げず、会いたくても会えなかった、売れない頃からの「恩人」と崇めている、岡本太郎の作品・太陽の塔を、大阪での仕事の際、宿泊先を抜け出して初めて見に行ったエピソードを紹介したコラムが、『読売新聞』にて掲載された。
若林は「オードリーの95%は太郎さん」とコメントしている。
そして「若林はいまも太郎の本を開く。『気を抜くと、臆病者の自分に戻ってしまう。だから太郎さんが必要なんです』」という本人の言葉を引用し、記事は締めくくられている[15]。
音楽では、チャットモンチーやアナログフィッシュ、エレファントカシマシ、中島みゆき、ZAZEN BOYSなどの大ファンである。
また、グランジ・オルタナティヴ・ムーヴメントの頃には、カート・コバーンの影響を受け、ボロボロのネルシャツにダメージデニム、そしてVANSのスニーカーと眼鏡でキメるのがお気に入りだった。だが、カートのように長髪にもしようと思ったが、くせ毛のため、みうらじゅんのようになってしまい、断念したという[16]。
自家用車に常時サングラスを置いている。
1番好きな食べ物はザーサイで、理由が「ずっと食ってられるから」。
2013年上期のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』の熱烈なファンである。
子供時代[編集]
- 幼稚園時代に幼稚園を抜け出し家中に半紙を敷き詰めたことがある[17]。
- 幼稚園、小学校時代の愛称は多数あり、時期にもよって様々だったが、「まーくん」と呼ばれることが最も多かった。
- 先天性の心房中隔欠損を患っていたため幼少時代はよく過呼吸の発作を起こしていた[18]。
- 実父が監督を務めていた少年野球チーム(チーム名「オール鉄砲洲」)や、剣道チームにも所属し活動していた。
- 少年野球チームを退団するまでの将来の夢は、プロ野球選手になって女性アナウンサーと結婚することを想い描いていた。
- 小学生の時からお笑い芸人を目指していて、小学生の頃の夢は「お笑い芸人かプロ野球選手」、中学の卒業文集「立つんだジャリ」に書いた将来の夢は、「日本一の漫才師になる」だった[19]。
- 杉並区に引越してからも転校はせず(ただし、塾は変えざるをえなかった)、小学校卒業までの2年間、電車で築地から杉並区間を通学していた。この時痴漢にあった経験がある[20]。
- 幼少期から人見知りで、近所の大人に年齢を訊かれた際に、9歳まで指で年齢を伝えていた。
日大第二中学・高校時代[編集]
― 学校生活 ―
- 中学・高校時代の愛称は「ジャリ」。理由は、大阪出身だった当時の担任が大阪弁で「子供」「小さい」などの意味の「ジャリ」という言葉を若林に使ったことから。それ以来、中学高校のほぼ6年間を同学年や先輩はもちろん教師からも「ジャリ」と呼ばれるようになり、本名を忘れられてしまうほど定着していた[21]。
- 春日とは対照的に「ズボンをずらして履く(いわゆる腰パン)ようなグループ」に所属していたという(春日俊彰の項も参照)。また、前述のように子供の頃から芸人を志しており、授業中の合間もネタを書いていたため、成績はあまり良くなかったと発言している。
― ラグビー、アメフト関連 ―
- 中学に入るとラグビーやアメフトに興味を持つようになった。
- 中学3年の時、ラグビー部に所属していたころに関東大会に出たと、以前『ぴったんこカン・カン』でラグビー部の顧問が発言していた。
- アメフト部では、ランニングバックだった若林はオフェンスチームのキャプテンをしていた。また「春日より僕のほうが中心選手だった」と本人が公言している。東京都でベスト4になった時、3年生に混ざって2年生でレギュラーになれたのが4人だけで、その中の1人に若林が選ばれた[22]。背番号は44[23]。
- 現在はアメフト選手のフィギュアを収集している。[24]
大学時代[編集]
- 高校卒業後は進学するつもりはなく、春日と共にお笑いの養成所に入ろうと思っていたが、春日が「大学に行きたい」と言ったため、本人も慌てて東洋大学第二部文学部に進学した。
- 夜間部の大学に通っていた若林は、帰宅する一般学生(昼間部)と入れ違いに独り登校するのが堪らなく悲しく感じていた。そのため当時はDragon Ashの「陽はまたのぼりくりかえす」を聴きながら登校していた[25]。
- 大学生時代は、毎日スケボーとナンパ三昧だった。その頃からの友人曰く「お笑いにも、ナンパにも真面目。ただし繁華街や渋谷方面ではなく、いつも国分寺や立川のロータリー」。その話を聞いた内村光良曰く、「荻窪から都心には行かないんだね。」とコメントしている[26]。
- 幼少期から人見知りだった若林だが、中学高校時代は学校が中高一貫校だったこともあり、仲の良い友人や部活仲間などとほぼ同じメンバーでいつも一緒にいることが多く、人見知りを覚えることはなかったが、大学に入ってから、環境の変化に馴染めず、人見知りも昂じて、大学ではほぼ一言も話すことが出来ず、サークル活動などにも積極的に参加できなかった[27]。
性格・他人からの内面の評価[編集]
- 『オードリーのシャンプーおじさん』(2010年3月16日放送)において春日は、番組ゲストに来たスザンヌについて『インサイド・ビューティー』と形容したのとは対極的に、若林の性格を『インサイド・クズ』と形容している。
- また、自身の内面を洞察した上で、『性根が腐っている』ということを公言している。
- 「人見知り」などのイメージで「ネガティヴ」な性格だと思われているが、本人の主張によると「『ネガティヴ』というのは一周して『ポジティヴ』の異名である。なぜならば、最悪の状況を常に想定して、それをいかにして避けるかをきちんと考える。これこそが真の『ポジティヴ』であると主張している。また、世間的に言うところの『楽観主義』というのは、「実は現実から目を背けている」という解釈も出来る。だが、どうあがいても「今」よりは良くならなければならない。強くならなければいけない。足りない部分は直視して、次の打開策を考えるのは、『ネガティヴ』を超越した、『超ポジティヴ』である」と主張している[28]。
- (オードリーと漫才師・号泣の時から親交がある)占い師の島田秀平(元漫才師・号泣)には「人前に立つ仕事をしているのが奇跡的なぐらい、ガラスのハートの持ち主。一見『春日が破天荒、若林が常識人』というイメージだが、実際は正反対で『春日が常識人、若林が破天荒』」と言われた。同じく天野ひろゆきからは、「お前の願望を具現化したのが春日だろ」また、「春日は若林のスタンド」とまで言わしめた[29]。
恋愛関連[編集]
- 好きな女性のタイプは「バンドエイドを常に持っているような子」、「白いブラウスにパステルカラーのカーディガンが似合う子」「セントフォース(若手女性キャスターが所属しているタレント事務所)系の子」。
- 好きな芸能人は裕木奈江。芸能界に入ってから、いつか会いたいと思っている。[30]
- ライブが終わった後に、ファンから本気の告白をされたことが5回あるが、本人は「普通は芸能人に告白しようとは思わない。同級生に告白するような感覚、つまり自分はタレント扱いされていない」と分析している[31]。
- 『侍チュート!』において、「若林がロシアンパブにはまり、お気に入りのホステスに花札を教え込んでいた」ことを春日に暴露された。それについて若林は「ロシアンバーちょっと好きでして…」と発言するに留まる。
- これまでの恋愛において、若林の彼女と若林の父が対面することがあり、その都度「ポット」や「草履の裏」などとあだ名を付けている[32]。
- 若林は、過去において春日に「俺は16歳で童貞喪失した」と伝えていたが、2010年8月5日放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』のゲスト出演時に「コンビ間のパワーバランスを保つため、また男として春日より優位に立ちたかった」等の理由により、童貞喪失年齢を詐称していたことを発表した(実際の若林の童貞喪失は19歳)。その2日後の2010年8月7日放送の『オードリーのオールナイトニッポン』内では、8月5日のラジオ音源を再び聞いて審議に入ったが、「アメフトチームを引っ張るための嘘」「ネタを書いている方が相方よりも早く童貞を捨てている」などの、荒唐無稽な独自の持論を展開した。
その他のエピソード[編集]
- 『関口宏の東京フレンドパークII』に出演時、賞品として三菱・パジェロを獲得した。
- 2004年に失恋した直後に、ショックで過呼吸になってしまい、呼吸が上手くできない状態で携帯電話で春日に助けを求めた。春日から「それは恐らく過呼吸だな」とすぐ判断され、続けて「ビニール袋に口を当てて呼吸するといい」と対処法を教えられる。すぐに若林は近くのコンビニに駆け込み、レジ近くにあった缶コーヒー1本を手に取ると店員から「袋はいりますか?」と聞かれると若林は「そっちの方が重要なんです!」と言って店を出て、春日に言われたとおりに実行すると症状が治まった[33]。春日がこの対処法を知っていた理由は、医療を題材にした漫画『スーパードクターK』を読んで覚えていたからであった[34]。
- 芸人としてまだ売れていなかった頃、金銭的にライブ会場を借りられず、春日の自宅でお客10人限定でライブを行ったことがある。その時話の流れで春日が買い物に行くことになったが、帰ってくるとなぜか客がニヤニヤしていた。ライブ終了後にお客さんが帰ってから若林にそのことを聞くと春日がいない間に、春日の500円玉貯金の全てを、お客さんに配ったとのこと。[35]。
- テレビ初出演は、『パオパオチャンネル』である[36]。
- 中学時代に家族と家で食事していた時、父親に「お前、学校でいじめられているのか?」と問われ続けた際、いじめられてもいないのに頷いてしまった。
- 今までに3回くらいドラマのオファーがあり、スケジュールの都合で断ったが全て「犯人役」だった。[37]
- 自宅で酒を飲みながら、ジェンガをしていて「素面でジェンガをしたら、名古屋のチャンピオンに勝った」という[38]。
- 南海キャンディーズの山里亮太とのユニット、たりないふたりによる、2012年8月20日中野サンプラザで行われた、たりふたSUMMER JAM '12、のコーナーにおいて、同様の旨の発言をしている。
出演[編集]
若林単独での主な出演
バラエティ[編集]
レギュラー[編集]
- ひみつの嵐ちゃん!(TBS系列、2011年9月8日-)リストランテBOTSUのコーナーの進行役として出演
- 日曜×芸人(テレビ朝日系列、2012年4月15日 )
- 世界は言葉でできている(フジテレビ、2012年10月24日 - 2012年12月19日)レギュラーコトバスターとして出演
- 本日、開店します!(TBS系列、2013年4月17日 - )
- ビックリしちゃった新記録(日本テレビ、2013年7月10日 - 2013年8月28日)
- 終電ごはん(テレビ東京、2013年-)
ゲスト出演など[編集]
- とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ系列、2004年6月10日・2008年3月27日)[* 1]
- Hi! Hey! Say!(テレビ東京系列、2008年4月5日)
- 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!(テレビ朝日系列、2009年4月9日・11月19日・2010年4月1日・15日・22日・11月25日・2011年2月10日・7月1日)「じゃない方芸人」「人見知り芸人」「立ちトーーク5」「おうち大好き芸人」「男子校芸人」「第11回プレゼン企画」
- 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーーーーーク!秋のゴールデン3時間SP(テレビ朝日系列、2010年10月7日)「学生時代部活しかしていなかった芸人」
- 人志松本の○○な話(フジテレビ系列、2009年4月14日・18日・6月16日・8月25日・9月1日・2010年2月2日・9日・2011年5月27日)
- 人志松本のすべらない話 ザ・ゴールデン(フジテレビ系列、2009年6月27日)
- ざっくりマンデー!!(TBS系列、2009年7月20日・9月28日)
- めちゃ²イケてるッ!(フジテレビ系列、2009年9月12日、2011年1月8日)
- ホリさまぁ〜ず(TBS系列、2009年12月15日)
- マルさまぁ〜ず(TBS系列、2010年7月28日・2010年8月4日)
- IPPONグランプリ〜開幕戦〜(フジテレビ系列、2009年12月28日)
- IPPONグランプリ〜春の陣〜(フジテレビ系列、2010年3月30日・準優勝)
- 学生才能発掘バラエティ 学生HEROES!(テレビ朝日、2010年4月7日・以降は春日のみ)
- なるほど!ハイスクール(日本テレビ、2010年5月30日・10月9日) 副担任
- 芸人報道 GNN -Geinin News Network.-(日本テレビ、2010年6月7日)
- サタデーバリューフィーバー「グッドライフ総合研究所 〜安心・快適!これが私の未来年表〜」(日本テレビ、2010年9月4日) MC
- 人志松本のすべらない話 Merry Christmas!聖夜スペシャル(フジテレビ、2010年12月25日)
- ヘタリスト名鑑(フジテレビ系列、2011年1月3日)
- 言語遊戯王(テレビ東京系列、2011年1月3日)
- 明石家さんまvs世界の珍人間(日本テレビ、2011年1月28日)
- グータンヌーボ(関西テレビ、2011年5月11日)
- 王様のブランチ(TBS系列、2011年7月2日)
- きらきらアフロ(テレビ大阪、2011年7月22日・2011年7月29日)ホワイトアフロ
- 内村コメディハウス 〜クセ者俳優と見たことない競演SP〜(MBS・TBS、2011年12月27日) - 番頭
- 相談バカ一代2(テレビ東京、2012年1月3日)
- SKE48のマジカル・ラジオ(日本テレビ、2011年10月11日 - 2011年12月27日 )構成作家・若林正恭としてレギュラー出演。
- たりないふたり(日本テレビ、2012年4月3日 - 2012年6月19日)
- SKE48のマジカル・ラジオ2(日本テレビ、2012年4月13日 - - 2012年6月26日)構成作家・若林正恭としてレギュラー出演。
- SKE48のマジカル・ラジオ3(日本テレビ、2013年1月20日- )構成作家・若林正恭としてレギュラー出演。
吹き替え[編集]
- きかんしゃトーマス ミスティアイランド レスキュー大作戦!!(バッシュ(初代))
ラジオ[編集]
- オードリー若林はフリートーカーキング
- オードリー若林のフリートーカーJ
- ナインティナインのオールナイトニッポン(ニッポン放送、2009年6月4日)[* 2]
- ナインティナインのオールナイトニッポン(ニッポン放送、2010年8月5日)[* 3]。
- オードリーのオールナイトニッポン
- 水曜JUNK山里亮太の不毛な議論~(TBSラジオ、2012年6月20日)
単独ライブ[編集]
- オードリー若林の男性用スプレー缶の正しい捨て方(阿佐ヶ谷ロフトA、2010年9月26日※男性限定[39])
テレビドラマ[編集]
映画[編集]
- ひまわりと子犬の7日間(2013年3月16日)佐々木一也役
舞台[編集]
- 『芸人交換日記〜イエローハーツの物語〜』(2011年8月)田中役(ボケ)
雑誌連載[編集]
CM[編集]
音楽[編集]
- HEART 〜鳩とお嫁さん〜
- 瀬戸の花嫁(小柳ルミ子のカバー)
- どちらの曲もユルアニ?での楽曲使用。『ユルアニ?×若林正恭(オードリー) 瀬戸の花嫁/HEART 〜鳩とお嫁さん〜』としてシングルもリリース(2011年10月26日発売、キングレコード)。
脚注[編集]
出典[編集]
- ↑ 学部については「社会学部ではない」とだけ言及していたが、2010年10月30日深夜放送分『オードリーのオールナイトニッポン』において「文学部だったので…」と発言している。
- ↑ 優勝は若林!雪の東京で白熱のZepp「言語遊戯王」開催
- ↑ 優勝は若林!「ダイナマイト関西2010 first」レポート
- ↑ 「言語遊戯王7」でオードリー若林が2連覇達成
- ↑ “歌手”オードリー若林、「瀬戸の花嫁」はお蔵入りの危機だった?!(ORICON、2011年5月10日)
- ↑ オードリー若林、鈴木おさむ原作小説で舞台初主演(ORICON、2011年5月23日)
- ↑ 映画初出演を果たしたオードリー・若林、俳優としての力量は? (MovieWalker、2013年3月13日)
- ↑ 実際にこの年にオードリーは初めてM-1で準決勝に進出した。
- ↑ 『オードリーのオールナイトニッポン』2010年10月30日放送分より
- ↑ 2010年6月7日『お笑いさぁ〜ん』より
- ↑ 『高須光聖の御影流』TOKYO FMより
- ↑ 2010年9月12日『笑っていいとも増刊号』(5Days)より
- ↑ 『ダ・ヴィンチ』2010年1月号より
- ↑ 『未来創造堂』より本人談
- ↑ 2010年1月14日 読売新聞より
- ↑ 『オードリーのオールナイトニッポン』
- ↑ インターネット番組『タケミネット』より
- ↑ 『絆』より
- ↑ 『絆』、『スクール革命!』より
- ↑ インターネット番組『タケミネット』より
- ↑ 2009年3月13日放送『さんま&くりぃむの第2回芸能界(秘)個人情報グランプリ』などの番組で語られている
- ↑ 2010年10月7日放送『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーーーーーク!秋のゴールデン3時間SP』より
- ↑ (2011-02-01) オードリーが今年も盛り上げる!! 2年連続スーパーボウルPR大使に就任 NFL JAPAN 2011-02-01 [ arch. ] 2011-02-05
- ↑ 2013年3月3日 『オードリーのオールナイトニッポン』
- ↑ 東京理科大学での『オードリーのシャンプーおじさん』の公開収録時に上記の曲をかけながら当時のエピソードを語った(2009年12月1日・8日放送より)
- ↑ 「スクール革命!」にて
- ↑ 『いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン』にゲスト出演した際などにて
- ↑ 『Splash!!』 Vol.3(要旨)
- ↑ 2010年5月15日『キャくれ家』(朝日放送)より
- ↑ 2013年3月19日放送『オードリーの神アプリ』および『オードリーのオールナイトニッポン』より
- ↑ 2009年3月30日放送『レコメン!』の「ハッキリ言います!オードリーの若林さんは地味だと思います!SP」より
- ↑ 2009年12月29日放送『アドレな!ガレッジ復活SP』において本人から詳細が語られている
- ↑ 2008年12月12日放送『恋するハニカミ!』より。ちなみに『FUJIWARAのありがたいと思えッ!』では、このエピソードが再現ドラマ付きで紹介された
- ↑ 2009年12月9日放送『ザ!世界仰天ニュース』より
- ↑ 2010年9月7日『コレってアリですか?』より。その時に若林は「マジでごめん」と笑いながら謝罪した
- ↑ 2010年11月14日放送分『オードリーのオールナイトニッポン』より
- ↑ 2011年06月28日放送『コレってアリですか? オネェだらけの2時間SP』より
- ↑ 『メレンゲの気持ち』より。
- ↑ このライブについてテレビ・ラジオでは一切告知されておらず、内容についても語られていない。
- ↑ リレー式ケータイ小説、ドラマ「LOVE17」にM-1ファイナリスト・オードリー若林が出演!!
- ↑ オードリー若林、雑誌「ダ・ヴィンチ」でコラム連載開始
注釈[編集]
外部リンク[編集]
- オードリー若林の「どろだんご日記」
- COLOPLOO MAGAZINE-オードリーと前田健の対談
- 若林正恭(@syakaijindaigak)- Twitter
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