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'''みの もんた'''[[1944年]][[8月22日]] - )は、[[日本]]の[[フリーアナウンサー]]、[[タレント]]、[[司会者]]、[[実業家]][[安倍晋三]]信者。1967年4月から1979年9月まで[[文化放送]]社員。社員時代のほとんどの期間を[[アナウンサー]]として業務を担当。[[東京都]][[世田谷区]]、[[宮城県]][[栗原郡]][[鶯沢町]](現・[[栗原市]])出身。立教高等学校(現・[[立教新座高等学校]])、[[立教大学]][[社会学部]]卒業。[[神奈川県]][[逗子市]]在住。[[血液型]]はA型。
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{{Wikipedia}}[[Image:みのもんた1.jpg|300px|thumb|みの もんた]]
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[[Image:みのもんた2.jpg|300px|thumb|みの もんた]]
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'''みの もんた'''(本名:'''御法川 法男'''(みのりかわ のりお)、[[1944年]](昭和19年)[[8月22日]] - )は、[[日本]]の[[司会|司会者]]、[[タレント]]、[[実業家]]であり、自身の個人事務所である株式会社[[ニッコク]][[代表取締役]][[社長]]である。[[愛称]]は、'''みのさん''''''みのちゃん'''など。
  
==人物==
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[[東京都]][[世田谷区]][[祖師谷]]出身。現在は[[神奈川県]][[鎌倉市]]在住。
司会を担当するみのもんたの朝ズバッ! で不二家に対し中傷を行うなどの行いから多くの批判を浴びる。不二家に対する中傷問題では自称謝罪を行い余計に叩かれる。BPOというテレビ局の犬による腰抜け調査の結果正当化され、番組は現在も放送中である。(現在も嫌がらせ中である。)
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[[en:Norio Minorikawa]]
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== 来歴 ==
*[[wiki:みのもんた]]
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[[Image:みのもんた3.jpg|300px|thumb|みの もんた]]
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幼少時、伯父が[[森繁久彌]]と一緒に芝居をしていた関係で、世田谷区の自宅の離れに森繁が下宿していた事があり、森繁の出演する映画のチケットを貰って、よく見に行っていたため、小学校に入学した頃には、映画や芝居に興味を持っていたという。
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世田谷区立祖師谷小学校、[[立教池袋中学校・高等学校|立教中学校]](現:立教池袋中学校)、[[立教新座中学校・高等学校|立教高等学校]](現:立教新座高等学校)を経て、[[立教大学]][[経済学部]]へ進学。大学では放送研究会に所属し、ラジオドラマをやっていた。みのは、4年先輩の[[徳光和夫]]から「アナウンサーはいいよ」「これからはテレビの時代だよ」などと言われ、スタジオ見学などに連れて行ってもらっていたと述べている。
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立教大学経済学部卒業後、[[1967年]](昭和42年)[[文化放送]]に入社。なお、就職先の第一志望はTBS(東京放送)だったが、採用試験で不合格となっており、同年TBSに入社した[[久米宏]]を長年に渡り常に意識していたと再三語っている。なお、父親は[[宮城県]][[栗原郡]][[鶯沢町|鶯沢村]](現:[[栗原市]])出身である。
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=== 文化放送時代 ===
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文化放送ではほとんどの期間を[[アナウンサー]]として活動した。同期には[[落合恵子]]などがいる。
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初めの2年弱は研修として、同じ[[フジサンケイグループ]]の[[産業経済新聞社]](産経新聞社)に通っていた。新聞原稿をラジオニュース用の原稿(読み原)に書き換える仕事をしたが、まったくダメで「ニュースには向かない」と言われたと、後に当時アナウンス部長だった土屋恵が語っている。
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文化放送での初めてのレギュラー番組は『ゲリラでいこう』(15分番組)。そして、ニッポン放送の『[[オールナイトニッポン]]』や[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]の『[[パックインミュージック]]』で、[[深夜放送]]ブームに火が点き、遅れて始まった文化放送の『[[セイ!ヤング]]』の初代[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]([[1969年]]6月 - [[1973年]]3月まで担当)に抜擢される。
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ほぼ同じ頃、洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』(『[[全国ポピュラーベストテン]]』の前身)では、オープニングで「♪みのみのー、もんた、みのもんた」と、独特の節まわしでリスナーの関心を惹きつけた(高橋小枝子とDJを担当)。
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また[[プロ野球中継]]でもベンチリポーターを務め、[[後楽園球場]]の[[読売ジャイアンツ]]戦や[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]などを担当していたこともある。
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後に、『[[みのもんたのワイドNo1]]』、『[[ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜]]』等を担当し、文化放送と同じくフジサンケイグループに所属するフジテレビの番組にも出演。『[[オールスター水泳大会]]』の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転される。
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[[1979年]](昭和54年)[[9月]]に文化放送を退社。退社理由は、アナウンサー室にいながら、販売促進の仕事もしろという事になり、社内での嫌がらせやいじめがあったと、後に[[中村雅俊]]のラジオ番組にゲスト出演した際に語っている。
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=== 文化放送退社後 ===
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[[Image:みのもんた4.jpg|300px|thumb|みの もんた]]
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父親が経営する水道メーター製造・販売会社「[[ニッコク|日国工業]]」に入社し、10年間全国を営業で回った。
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その間、フジテレビに声を掛けられ、『[[プロ野球ニュース]]』の週末版で、雨が降って野球が中止になると、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]のビデオを流し、それに「よっ、真っ黒に日焼けして」などとナレーションを入れた所、これが当たった。また『[[なるほど!ザ・ワールド]]』の国内[[リポーター]]や、『[[オールナイトフジ]]』でオールナイターズの実家を訪ねる「深夜の家庭訪問」などを担当し、コミカル系サブ司会者(コメディリリーフ的存在)として認知される様になる。
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[[1989年]](平成元年)4月から『[[午後は○○おもいッきりテレビ]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])の司会を担当。番組が高視聴率を取るようになり、一気に人気司会者の地位を築くに至った。
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[[1999年]](平成11年)[[10月]]、父親が経営する「日国工業」を受け継ぎ(それまでの自身の個人事務所「オフィスモンタ」を[[合併 (企業)|合併]]し、現在の「ニッコク」に社名変更)、代表取締役社長に就任。
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=== タレント活動 ===
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* 大学卒業時、TBSに入社を希望していた経緯もあり、同局(TBSテレビ)との関係を強化。2005年にはTBSで、初の報道冠番組「[[みのもんたの朝ズバッ!]]」を持った。
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* 本人が語った所によると最近{{いつ|date=2009年5月}}の目標は深夜の生帯レギュラーを持つことだという。
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; 番組における発言
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* 番組中における歯に衣着せぬ発言と自身がレギュラー出演する番組が次々と高視聴率を稼ぐ為、テレビ界では「西の『[[やしきたかじん]]』、東の『みのもんた』」と言われている。<!--また、[[宮根誠司]]は「西のみのもんた」と言われることがある。-->
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*日本の政治家や政党が与野党に関係なく、みのの発言で相場観をはかっている現象を、東京大学大学院助手の逢坂巌が「みのポリティクス」と名付けている。
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=== 経営活動 ===
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* 1999年10月から株式会社ニッコクの[[代表取締役]][[社長]]を務めており、過密スケジュールの合間を縫って毎日出社し、業務を行っているといわれる。入社試験の面接でみのが現れると驚く人もいるという。世間では副業ではないかといわれているが、会社経営のほうが本業だと語っている。
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* 同社は、父親から受け継いだ水道メーターの会社「日国工業株式会社」に、自分の事務所「オフィスモンタ」を吸収合併したものである。
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* 自身経営の水道メーター会社のライバル社「[[愛知時計電機]]」の株式を個人として7.18%所有(2009年3月31日現在)する第2位の株主でもある<ref>経営者が競合企業の株式を所有することは、まま見受けられることであり特別なことではない。</ref>。
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=== 談合事件 ===
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[[Image:みのもんた5.jpg|300px|thumb|みの もんた]]
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自身の番組で頻繁に政・官・業の不適切な関係を厳しく追及しているが、みの自身も、同様の関係を保持している。
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* 株式会社ニッコクは[[談合]]([[独占禁止法]]違反)で、何度も刑事告発をされていて、2003年に、追徴金7500万円、和解金3900万円を支払い、翌2004年には、再び他のメーカーとの談合で刑事告発された。さらに別口の談合で家宅捜査を受け、2005年2月には、追徴金400万円を支払っている。
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* [[2004年]](平成16年)[[7月15日]]に、ニッコクと愛知時計電機は他17社とともに2003年7月から2004年7月までの間に行われた[[東京都水道局]]発注の水道メータ買入れに係る競争入札に、いわゆる談合を行っていたとして公正取引委員会から排除勧告を受けた。また、各社に対し審決に応じて東京都は損害賠償請求をしている。
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* 談合事件に関して社長としての責任を問われて、「名ばかり」のお飾り社長で実務はわからないと釈明しているが、上記来歴の通り実務には精通しており、自身の番組などでは「名ばかり」のお飾り社長を痛烈に批判したこともある。
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* その[[東京都水道局]]の広報誌では、司会者みのもんたとして御園良彦水道局長(当時)との特別対談が掲載されている。また同年10月には、同様にみのもんた名義として東京都から東京五輪招致大使に任命され、水道メーターの納入業者の社長と東京都との関係、報道を扱う番組の司会者と行政との関係に公正性が担保されるのか疑問が持たれている。
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=== セクハラ疑惑騒動、次男の逮捕 ===
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[[2013年]][[8月30日]]に放送された[[TBSテレビ]]の『[[みのもんたの朝ズバッ!]]』の生放送内のCM明け直後、隣に立つ[[吉田明世]]アナウンサーの腰付近に手を伸ばし、女性アナがその手を振り払ったようにみえる映像が一瞬流れた。これに対して、TBS広報部は「セクハラ行為があったとは認識していないが、紛らわしい行為だったため、今後このようなことがないよう『番組担当者』に口頭で注意した」と公式に発表している。みのもんた本人への注意には触れられていない。
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同年[[9月9日]]より、みのもんたは9月16日までの「夏休み」を理由にテレビ出演を休止した。みのもんたはこの年の8月9日から16日にも夏休みをとっており、情報番組の司会者が1年に2度も「夏休み」で番組を休むのは異例のことである。
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[[9月13日]]には、同月11日に当時[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]社員の次男が、泥酔し道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し現金を引き出そうとしたとして[[窃盗]]未遂[[容疑]]で逮捕されていたことがわかった。次男は同年[[10月8日]]付で日本テレビを[[諭旨解雇]]処分となった。
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====「朝ズバッ!」を降板====
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「夏休み」でマスコミの前から姿を消していたみのもんたは次男の逮捕を受け、報道機関各社へ送信したファクスで自身が出演する『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛すると発表。その後、10月25日にTBSから全ての報道番組を降板させることが発表された。『秘密のケンミンSHOW』と ラジオ番組『[[みのもんたのウィークエンドをつかまえろ]]』への出演は従来どおり続ける。
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;記者会見
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[[10月26日]]午後、記者会見を行う。その冒頭で「世間をお騒がせして、誠に申し訳ございません」と謝罪した上で、「辞めなければ収まらない風潮感じた」「(報道は憧れであり)忸怩たる思い」と語った。前述のセクハラ疑惑に対して記者から質問され、「(アシスタントやキャスターが)発言をとちることがあるので、『しっかりしろ』の気持ちで腰をたたいた。セクハラなどということは全くありません」と述べ、否定した。
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タレントみのもんた(69)が2013年10月26日、TBS系報道番組「みのもんたの朝ズバッ!」(月~金曜午前5時半)と「みのもんたのサタデーずばッと」(土曜午前5時45分)の降板や、窃盗容疑で逮捕された次男について都内で会見した。
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関係者によると、みのの「朝ズバッ!」の出演料は放送1回につき300万円という。「サタデーずばッと」を合わせると、月曜日から土曜日までの出演で、単純計算すると、1年間で9億円を超える出演料を手にしていたことになる。報道番組のキャスターとしては破格の収入を得ていたが、みのは今回の降板でこれをすべて失うことになる。
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==== 次男コネ入社発言で日テレ「秘密のケンミンSHOW」終了 ====
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「[[コネ]]入社」発言で[[読売テレビ]]制作「[[秘密のケンミンSHOW]]」([[日本テレビ]])の番組終了がほぼ確実となった。
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次男の逮捕を受けて先月会見したみのもんた。その後、雑誌などで、自分の思いなどをさまざまなことを語ったのだが、その中で、次男の日テレコネ入社だったことを認めた。
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ある制作会社関係者は「テレビ局なんて、[[スポンサー]]企業のご子息様だったり、[[政治家]]の親戚だったり、そういう人たちは多いですが、決して表面的にはコネ入社とは認めていない。それをみのは堂々と言ってしまったことに、日テレ幹部は大激怒。視聴率争いにも影響しかねないとカンカンですよ」。
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かつては息子を入社させるほどの関係だったが、この発言はズバっといき過ぎた。
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「今後、日テレ内ではみのの番組は持たないというのが内々に話されています。それほど激怒しているんです。継続していた『秘密のケンミンSHOW』もクレームの多さから打ち切りが検討されていましたが、この発言が背中を押して、来年3月で決定の方向にシフトしましたよ。後番組の企画も進行中で、『[[ミヤネ屋]]』で読売テレビと関係の深い[[宮根誠司]]を司会に持ってくるものにするそうです。」と同関係者。しかし、収録スタジオを大阪の本社に移したことによって、番組は継続されている。
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本人は世間から忘れられてしまう怖さから、さまざまな発言をしているが、「密約があるとも言われているTBSでも『危険すぎる』と今後のみのの起用には否定的な空気がある。それこそ、来年度以降はレギュラー番組ゼロとなる可能性は高いですよ」とは別のテレビ局関係者。テレビで姿を見なくなるのも時間の問題だ。
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== 人物 ==
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=== 愛称 ===
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愛称は「'''みの'''」、「'''みのさん'''」、「'''みのちゃん'''」。
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* ただし、「みのちゃん」と呼ぶのは[[和田アキ子]]と[[徳光和夫]]ぐらいである。
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=== 芸名の由来 ===
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* 芸名の名付け親は[[野末陳平]]。由来は当時、御法川を略して「みの」と呼ばれていて、[[申|申年]]生まれであることと、当時人気だった競走馬「[[モンタサン]]」に掛けて、「もんた」とした。
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<!--
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=== 睡眠時間 ===
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* 睡眠時間は2 - 3時間(本人談)。2007年4月26日放送のフジテレビ『[[ウチくる!?|ウチくる!?スペシャル]]』で本人が語ったところによると、月曜日から金曜日のスケジュールは、3時に起床、3時半に出発、4時半にTBSリハーサル5時半 - 8時半に生放送、8時半から11時に移動他、11時に日本テレビでリハーサル、12 - 14時に生放送、15 - 17時にジム、18 - 21時半に各局入り収録(収録がない場合もある)、21時半 - 22時半に食事、帰宅、24時に就寝。
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* 『[[みのもんたの朝ズバッ!]]』が放送を開始して以来、他局の番組中(特に昼帯の番組)でよく居眠りをする姿が見られる。
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*しかし、『[[午後は○○おもいッきりテレビ]]』→『[[おもいッきりイイ!!テレビ]]』が2009年3月に終了したため、帯番組は『[[みのもんたの朝ズバッ!]]』だけとなった。
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*なお、日曜日は基本的に休みであるが、番組収録をすることもしばしばある。
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--><!--出典なし-->
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=== 家族・縁戚 ===
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* 妻・御法川靖子は自身の専属[[スタイリスト]]だった。子供は2男1女がいる。長男の結婚披露宴には民放各局トップや大手芸能プロのトップのほか、自民党の[[石原伸晃]]、[[二階俊博]]、下川俊樹自民党和歌山県連幹事長、タレントの[[徳光和夫]]、[[古舘伊知郎]]、[[高田純次]]、[[加藤晴彦]]ら約360人が列席した。司会はTBS『みのもんたの朝ズバッ!』の裏番組である、日本テレビ『ズームインSUPER』のアナウンサー・[[羽鳥慎一]]が務め、局の枠を超えた式となった。次男は、前述通り不祥事を起こしている。長女は、母である御法川靖子が亡くなってからは、父の専属スタイリストに転身した。
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** 妻・御法川靖子はがんのため2012年5月22日に亡くなった(満66歳没)。その通夜では、[[野田佳彦]][[内閣総理大臣]](当時)からも供花があった。
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=== 交友関係 ===
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* 交友関係は幅広く、芸能界やスポーツ界はもちろん、政財界などにも私生活で交流のある人物が多いのが特徴である。特に政界では遠縁に自民党所属の議員がいる事などから自民党関係者が多い。
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* [[石原慎太郎]]と親密であるとされる。[[2007年]]には石原の要請を受け「東京五輪招致大使」に任命された。
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* [[安倍晋三]]との交流も深く、1回目首相時代は秘書官の[[井上義行]]と逗子市の居酒屋で情報交換を繰り返し、首相退陣の日には安倍自らがみのに電話している。
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* [[二階俊博]]との親交は有名で、二階はみのの長男の披露宴で主賓として祝辞を述べ、みのの「アナウンサー生活おもいッきり40周年ズバッと感謝の会」でも、芸能関係者に混じりお祝いのスピーチをした。2007年[[12月8日]]には、二階を団長とした[[日本経済団体連合会|経団連]]などを中心とした訪中団にみのも招かれていた。東海地方で「ニッコク」を興したみのの父親が、二階俊博が秘書を務めていた[[遠藤三郎 (政治家)|遠藤三郎]]の後援者だった縁によるもので、20年来懇意にしており、[[大下英治]]著『躍動の日本経済へ 二階俊博の挑戦』には、みのが推薦文を寄せている。
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=== その他・エピソード ===
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* 「[[黒]]の[[顔]]」「黒の存在」などと言われており、本人は、'''「[[日光浴]]でこうなった」'''と説明している。
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* [[誕生日]]は、[[タモリ]]と同じである(みのの方が1つ年上)。2人の共演は、みのが『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』(フジテレビ系列)の名物コーナー「[[テレフォンショッキング]]」にテレフォンゲストとして生出演。以後、みのが『いいとも!』の[[裏番組]]として『[[午後は○○おもいッきりテレビ]]』→『[[おもいッきりイイ!!テレビ]]』の司会を20年務めていたため出演できなかったが、[[2013年]][[5月3日]]放送分の『いいとも!』の「テレフォンショッキング」、[[雨上がり決死隊]]からの来週のゲスト紹介で[[1984年]][[7月12日]]放送分以来、29年ぶりの生出演が、[[2013年]][[5月6日]]放送分で実現した。
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* 主にTBS系列の連続[[ドラマ]]で、最終回のみゲスト出演することも多い。
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* [[2004年]]、[[2005年]]の[[長者番付]]芸能人の部一位。
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* [[2006年]][[11月28日]]に「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者(21時間42分)」として[[ギネス・ワールド・レコーズ]]に認定された。
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* 2007年、[[an・an]]「嫌いな男ランキング」3位、[[オリコンチャート|オリコン]]「好きな男性アナウンサーランキング」20位。
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* {{いつ範囲|date=2013年9月|現在}}逗子に豪邸を構えているが、[[鎌倉市]]の高級住宅街に引退後の隠居邸を建築中である。その際、市の景観重要建築物に指定されていた邸宅・[[鎌倉山#史跡・施設|山椒洞]](旧[[岩田宙造]]別荘、旧[[田中絹代]]邸、旧檑亭別館)を破壊していると一部マスコミで批判されている<ref>『[[週刊文春]]』[[2008年]][[3月6日]]号</ref>。
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* 2004年、[[東北福祉大学]][[客員教授]]に就任。
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* 日本[[火消し]]保存会の顧問を務めている。
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* 父親が[[宮城県]][[栗原市]]出身である縁から、同県の[[ふるさと大使]]「みやぎ夢大使」に任命された。
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== 現在の出演番組 ==
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===テレビ番組===
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* [[秘密のケンミンSHOW]]([[読売テレビ]])
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=== ラジオ番組 ===
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* [[みのもんたのウィークエンドをつかまえろ]]([[文化放送]])
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== 過去の出演番組 ==
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=== テレビ番組 ===
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==== NHK ====
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* [[第56回NHK紅白歌合戦]](2005年、[[日本放送協会|NHK]])
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==== 日本テレビ ====
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* [[午後は○○おもいッきりテレビ]]
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* [[体当たりスーパーレース]](1982年1月6日 - 4月28日)
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* みのもんた爆烈77
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* [[みのもんたの世渡りジョーズ!!]](1992年1月12日 - 1994年3月27日)
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* [[みのもんたの“さしのみ”]](2006年4月3日 - 9月25日)
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* [[おもいッきりイイ!!テレビ]]
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* [[みのもんたの人生相談デカ 〜おもいッきりテレビ殺人事件〜]]
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* [[現代に甦った闇の死置人 あなたの怨み晴らします]]
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* [[今夜あなたは目撃者!全国警察凶悪犯罪捜査網|全国警察凶悪犯罪捜査網]]
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* [[FBI超能力捜査官]]
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* [[衝撃スクープ裏のウラ 全部ホンモノ最強版]]
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==== TBS ====
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* [[学校へ行こう!]] → [[学校へ行こう!MAX]]
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* [[キャプテン☆ドみの]](2007年4月28日 - 7月21日)
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* [[どうぶつ奇想天外!]]
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* [[和田アキ子殺人事件]]
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* [[ドラゴン桜 (テレビドラマ)|ドラゴン桜]] - 最終話ゲスト出演。
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* [[花より男子]] - ゲスト出演。
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* [[山田太郎ものがたり]] - タズバ!の司会者 ゲスト出演 役
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* [[新参者 (小説)|新参者]] - 最終話ゲスト出演。
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* [[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]]
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** [[水戸黄門 (第31-38部)#第42部|第42部]] 第12話「ズバッ怒りの道場破り -篠山-」(2011年1月10日) - 町奉行役
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** [[水戸黄門 (第31-38部)#最終回スペシャル|最終回スペシャル]](2011年12月19日) - 美濃門太夫役
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* [[みのもんたの朝ズバッ!]](2005年3月28日 - 2013年11月1日)
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* [[みのもんたのサタデーずばッと]] (2002年4月6日 - 2013年11月1日)
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==== フジテレビ ====
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* [[ものまね王座決定戦]](1983年、1984年)
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* [[プロ野球ニュース]](1980年4月 - 1988年3月)
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* [[なるほど!ザ・ワールド]]
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* [[サントリー スポーツ天国]](1983年4月 - 1985年9月)
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* [[月曜ドラマランド]]「[[野球狂の詩#テレビドラマ版|野球狂の詩]]」(1985年1月7日)
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* [[みのもんたのSOSシリーズ]]
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* [[ザ・スクールコップ]](1988年5月11日 - 9月28日) - ナレーター。
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* [[プロ野球珍プレー・好プレー大賞|プロ野球珍プレー好プレー大賞]] - ナレーター。
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* [[FNNニュース工場]](1987年4月1日 - 9月30日)
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* [[FNN DATE LINE]]
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* [[ヒットパレード'90s]](1990年10月19日 - 1991年10月4日)
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* [[愛する二人別れる二人]](1998年10月18日 - 1999年11月8日)
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* [[ザ・ジャッジ! 〜得する法律ファイル]] → [[ザ・ジャッジEX]](2004年10月 - 2005年3月) → [[Dのゲキジョー 〜運命のジャッジ〜]](2005年4月 - 2007年9月21日)
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* [[独占!金曜日の告白]](2007年10月19日 - 2008年3月7日)
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* [[検定ジャポン]](2008年4月4日 - 9月19日)
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* [[人生もっと満喫アワー トキめけ!ウィークワンダー]](2008年10月17日 - 2009年2月6日)
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* [[27時間テレビ#FNS27時間テレビ みんなのうた|FNS27時間テレビ みんなのうた]](2001年、2002年)
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* [[新春かくし芸大会]](2003年 - 2008年)
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* [[クイズ$ミリオネア]](2000年4月 - 2007年3月はレギュラー番組であった)
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==== テレビ朝日 ====
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* [[大正テレビ寄席#この秋一番!|この秋一番!]](1985年10月、[[アフタヌーンショー]]打ち切りに伴うこの月限りの[[つなぎ番組]])
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* [[みのもんたの見たい知りたい]](1993年4月 - 1994年3月)
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* [[ザ・リクエストショー]]
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* [[年中夢中コンビニ宴ス]](2000年10月14日 - 2001年3月17日)
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* [[コールセンターの恋人]] - 最終話ゲスト出演(友情出演扱い)
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==== テレビ東京 ====
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* [[生放送!おもしろ寄席]]
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* [[愛の貧乏脱出大作戦]]
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* 大丈夫!!わが家の財産
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* [[ジカダンパン!責任者出て来い!]]
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* [[月曜エンタぁテイメント]](2004年10月18日 - 2006年3月6日)
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* [[いきなり結婚生活]](2006年4月17日 - 9月4日)
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* [[女と愛とミステリー]]「みの刑事の愛の事件簿大作戦」 - 蓑谷覚三役。
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* スペシャルドラマ「[[女優 麗子〜炎のように]]」 - 岸間浩次役。
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==== 読売テレビ ====
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* [[失楽園 (渡辺淳一)|失楽園]](1997年7月7日 - 9月22日)
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* [[くれなゐ (渡辺淳一)#読売テレビ|くれなゐ]](1998年4月13日 - 6月22日)
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* [[ヤッターマン (2008年のテレビアニメ)|ヤッターマン]]限定版!「今夜限りのドロンボーVSみのもんた!」(2008年5月5日) - 本人役でそのまま出演。その他、番組終了時の提供読みと、次に放送される単発特番としてみのが司会を務める『日テレ開局55周年記念番組 グッと来た名場面ベスト55』の宣伝も兼ねて務めていた。
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==== 朝日放送 ====
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* [[ABOBAゲーム]](1984年10月10日 - 1985年9月4日)
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* [[サムズアップ人生開運プロジェクト]](2003年4月 - 9月12日)
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* [[世界プチくら!]](2003年10月17日 - 11月28日)
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==== 東海テレビ ====
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* [[プロ野球オールスタースーパーバトル]]
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==== テレビ愛知 ====
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* みのもんたの時間ですよー(1983年9月3日 - 1984年3月31日)
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====配信番組====
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=== ラジオ番組 ===
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==== 文化放送 ====
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* ゲリラでいこう
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* [[セイ!ヤング]]
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* オール・ジャパン・ポップ20
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* [[みのもんたのワイドNo1]]
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* [[ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜]]
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*[[文化放送ホームランナイター]](文化放送のプロ野球中継〔土・日の[[ナイター]]〕の現行タイトル。)
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* みのもんたの激ラジモンターマン大逆襲(1979年 - 終了時期不明)
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=== コマーシャル ===
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後述の[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]に起用されている(放送が終了したものもある)。ちなみに報道を扱う番組(『[[みのもんたの朝ズバッ!|朝ズバッ!]]』、『[[みのもんたのサタデーずばッと|サタずば]]』、『[[午後は○○おもいッきりテレビ|おもいッきりテレビ]]』内「情報特急便」、『[[おもいッきりイイ!!テレビ]]』内「Newsエスプレッソ」など)の司会者がコマーシャルに出演するという事例は、日本以外の先進国では通常ありえない。これは、報道内容の公正性を担保できなくなるためである。ただし、過去にはTBSの夕方のニュース番組に出演していた[[ラサール石井]]が保険会社のコマーシャルに起用されたこともあり、最近ではあまり珍しいことではなくなってきている。
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;放送中のもの
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:* [[ロッテ]] 『健康産業』:飲み友
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;放送が終了したもの
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:* [[2016年東京オリンピック構想|2016年東京オリンピック]]PR
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:* [[アデランス]]
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:* [[エステー|エステー化学]] 『トイレの消臭力』
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:* [[大塚製薬]] 『[[SOYJOY]]』 - 広告コピー:「みのもんたは、ビズブレイク。」、[[小林麻央]]と共演したバージョンもあり
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:* [[銀河高原ビール]] 『おやすみビール』
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:* [[小林製薬]] 『タフデント』
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:* [[タマホーム]] 『企業イメージキャラクター』 - 同社は[[景品表示法]]に違反する表示を行ったとして、2007年3月29日に[[公正取引委員会]]より排除命令を受けるが、新聞各紙やNHKでは報じられたものの、みのの司会する番組ではこの件について一切報じられなかった。
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:* [[日本民間放送連盟|民放連]] 『[[CMのCMキャンペーン]]「Enjoy!CM」』 - テレビ放送開始記念日でもある2005年8月28日の「テレビCMの日」のみ、[[松浦亜弥]]と交互出演
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:* [[ハウス食品]] 『ハウスのレトルト[[カレー]]』 - 「とろける旨さのビーフカレー」など・おせちもいいけど、カレーもね・1999年 - 2000年ごろ?)
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:* [[ハドソン]] 『[[パワーリーグ]]』(1988年) - ナレーションのみだが、複数の種類有り。
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:* [[ヤマヒサ]] 『リフォーム・バス&キッチン』
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:* [[ホーユー]] 『ビゲンコーミングカラー』(1996年)
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=== ミュージックビデオ ===
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*[[V6 (グループ)|V6]]『[[グッデイ!!]]』
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=== 映画 ===
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* [[必殺! ブラウン館の怪物たち]](ナレーター)
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* [[ONE PIECE THE MOVIE エピソードオブチョッパー+ 冬に咲く、奇跡の桜]](ムッシュール)
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== CDリリース ==
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* 元気イキイキ!おもいッきり([[2003年]])
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** 自身が司会を務める「おもいッきりテレビ」放送15周年の企画曲。「イキイキふれんず」名義。カップリングは『健康!ピンピコピン』(「みのさん&かよちゃん」名義)。
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* 夜の虫/花と小父さん(作詞・作曲:[[浜口庫之助]]、[[2006年]][[11月22日]])
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** [[1967年]]に浜口自身の歌唱で発売した曲のカバーであり、これがソロCDデビューとなった。同じくB面も浜口作詞作曲の作品で、[[伊東きよ子]]や[[植木等]]のカバーである。
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** [[10月19日]]に行なわれたレコーディングでは、「シラフじゃ歌えない」とブランデー片手に歌を歌い、2時間後にはすでに曲も本人も出来上がっていた。「[[NHK紅白歌合戦|紅白]]のオファーは(司会としても歌手としても)当然来るでしょう」「もしかしたら[[日本レコード大賞|レコ大]]の司会オファーもあるかも」と発言している。結局は取り下げられてしまい、「よく分かりました。紅白の出演は年枠にします。」と発言。
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**2006年11月10日 - 16日の[[USEN]]の総合チャートで、[[浜崎あゆみ]]の『[[Secret (浜崎あゆみのアルバム)|JEWEL]]』に次ぐ2位、演歌チャートで1位を獲得した。[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]初登場で演歌チャート6位、総合チャート90位。
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* [[口説きながら麻布十番 duet with みの もんた]]
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== 著書等 ==
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* こころの案内図(朝日出版、1995年7月発行)
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* みのもんた十八番勝負 おもいッきり対談集(日本テレビ放送網、2002年9月発行)
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* それでも僕は立ち続ける(日本テレビ放送網、 2006年4月発行)
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* 腰痛スッキリ! 角川oneテーマ21 C-113(角川書店、2006年7月発行)
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* 義理と人情 僕はなぜ働くのか(幻冬舎、2007年3月発行)
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* 死んではいけない いじめ緊急レポート 7600通を超えた悲鳴!(TBS「[[みのもんたの朝ズバッ!]]」制作スタッフ著、毎日新聞社、2007年1月発行)
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== ものまね・パロディ ==
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カギカッコ内は、キャラクターの名前である。
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* [[栗田貫一]]、[[山口智充]](『[[爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル]]』で披露)
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* [[トニーヒロタ]](『[[ものまねバトル|ものまねバトル大賞]]』で披露)
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* [[松村邦洋]]([[東海テレビ放送|東海テレビ]]のスポットCMで披露、かつて『[[松村邦洋のオールナイトニッポン|オールナイトニッポン]]』では「ものみんた」のコーナーがあった)
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* [[木梨憲武]] 「みのりもんた」「みのりかわノリ男」(『[[とんねるずのみなさんのおかげです]]』『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』)、「みごもった」(『[[コラーッ!とんねるず]]』)
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* [[岡村隆史]] 「おかもんた」(『[[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ&sup2;イケてるッ!]]』、本人公認)、「みにもんた」([[ぐるぐるナインティナイン]])
 +
* [[矢部浩之]] 「ヤのもんた」(『めちゃ²イケてるッ!』)
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* [[中居正広]] 「みのまんた」(『[[SMAP×SMAP]]』)
 +
* [[今田耕司]] 「いまもんた」(『[[27時間テレビ]]』) - 今田自身、「おとつい(『27時間テレビ』での本番3日前)の夕方に生まれた」と語った。
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* [[ドロンズ石本]] 「みのとんた」(『[[DAIBAクシン!!GOLD]]』)他
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* [[ゴリ (お笑い芸人)|ゴリ]] 「ゴリもんた」(『[[ワンナイR&R]]』)
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* [[ビートたけし]] 「頭礼田 桂(ずれた かつら)」(2006年9月16日深夜放送『[[たけスポ|朝までたけし的ショー]]』内「朝ズラ!」)
 +
* [[山寺宏一]] 「やまちゃんた」「もんたクロース」「みのモンキー」「お花見のもんた」「桜の木のもんた」「休みのもんた」<ref>2011年12月以降に登場している「もんたクロース」~「休みのもんた」は山寺がそのパペットを使って声を演じている。</ref>(『[[おはスタ]]』)
 +
* [[やまだひさし]] 「上みのもんた」(『[[やまだひさしのラジアンリミテッドDX]])
 +
* [[ホリ (タレント)|ホリ]](数々の番組で披露。本人公認)
 +
* 「蚤もんたん」(漫画『[[浦安鉄筋家族|元祖!浦安鉄筋家族]]のキャラ)
 +
* 「のもた民夫」(漫画『[[アクメツ]]のキャラ)
 +
* 漫画『ともだちロボットギタローくん』(『[[午後は○○おもいッきりテレビ|おもいッきりテレビ]]』の電話らしきコーナーの場面で、「[[クイズ$ミリオネア|ファイナルアンサー?]]」と言っている。)
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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* [[文化放送]]
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* [[ニッコク]]
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* [[御法川信英]]
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* 日本酒造組合中央会 - 新聞広告に起用されている。
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* [[みのもんたの逆襲]]
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[[Category:フリーアナウンサー]]
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[[Category:ラジオ番組のパーソナリティ・DJ]]
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[[Category:日本の実業家]]
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[[Category:東京都出身の人物]]
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[[Category:1944年生]]
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[[Category:立教大学出身の人物]]

2023年12月13日 (水) 18:17時点における最新版

みの もんた
みの もんた

みの もんた(本名:御法川 法男(みのりかわ のりお)、1944年(昭和19年)8月22日 - )は、日本司会者タレント実業家であり、自身の個人事務所である株式会社ニッコク代表取締役社長である。愛称は、みのさんみのちゃんなど。

東京都世田谷区祖師谷出身。現在は神奈川県鎌倉市在住。

来歴[編集]

みの もんた

幼少時、伯父が森繁久彌と一緒に芝居をしていた関係で、世田谷区の自宅の離れに森繁が下宿していた事があり、森繁の出演する映画のチケットを貰って、よく見に行っていたため、小学校に入学した頃には、映画や芝居に興味を持っていたという。

世田谷区立祖師谷小学校、立教中学校(現:立教池袋中学校)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)を経て、立教大学経済学部へ進学。大学では放送研究会に所属し、ラジオドラマをやっていた。みのは、4年先輩の徳光和夫から「アナウンサーはいいよ」「これからはテレビの時代だよ」などと言われ、スタジオ見学などに連れて行ってもらっていたと述べている。

立教大学経済学部卒業後、1967年(昭和42年)文化放送に入社。なお、就職先の第一志望はTBS(東京放送)だったが、採用試験で不合格となっており、同年TBSに入社した久米宏を長年に渡り常に意識していたと再三語っている。なお、父親は宮城県栗原郡鶯沢村(現:栗原市)出身である。

文化放送時代[編集]

文化放送ではほとんどの期間をアナウンサーとして活動した。同期には落合恵子などがいる。

初めの2年弱は研修として、同じフジサンケイグループ産業経済新聞社(産経新聞社)に通っていた。新聞原稿をラジオニュース用の原稿(読み原)に書き換える仕事をしたが、まったくダメで「ニュースには向かない」と言われたと、後に当時アナウンス部長だった土屋恵が語っている。

文化放送での初めてのレギュラー番組は『ゲリラでいこう』(15分番組)。そして、ニッポン放送の『オールナイトニッポン』やTBSラジオの『パックインミュージック』で、深夜放送ブームに火が点き、遅れて始まった文化放送の『セイ!ヤング』の初代パーソナリティ1969年6月 - 1973年3月まで担当)に抜擢される。

ほぼ同じ頃、洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』(『全国ポピュラーベストテン』の前身)では、オープニングで「♪みのみのー、もんた、みのもんた」と、独特の節まわしでリスナーの関心を惹きつけた(高橋小枝子とDJを担当)。

またプロ野球中継でもベンチリポーターを務め、後楽園球場読売ジャイアンツ戦やオールスターゲームなどを担当していたこともある。

後に、『みのもんたのワイドNo1』、『ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜』等を担当し、文化放送と同じくフジサンケイグループに所属するフジテレビの番組にも出演。『オールスター水泳大会』の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転される。

1979年(昭和54年)9月に文化放送を退社。退社理由は、アナウンサー室にいながら、販売促進の仕事もしろという事になり、社内での嫌がらせやいじめがあったと、後に中村雅俊のラジオ番組にゲスト出演した際に語っている。

文化放送退社後[編集]

みの もんた

父親が経営する水道メーター製造・販売会社「日国工業」に入社し、10年間全国を営業で回った。

その間、フジテレビに声を掛けられ、『プロ野球ニュース』の週末版で、雨が降って野球が中止になると、MLBのビデオを流し、それに「よっ、真っ黒に日焼けして」などとナレーションを入れた所、これが当たった。また『なるほど!ザ・ワールド』の国内リポーターや、『オールナイトフジ』でオールナイターズの実家を訪ねる「深夜の家庭訪問」などを担当し、コミカル系サブ司会者(コメディリリーフ的存在)として認知される様になる。

1989年(平成元年)4月から『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会を担当。番組が高視聴率を取るようになり、一気に人気司会者の地位を築くに至った。

1999年(平成11年)10月、父親が経営する「日国工業」を受け継ぎ(それまでの自身の個人事務所「オフィスモンタ」を合併し、現在の「ニッコク」に社名変更)、代表取締役社長に就任。

タレント活動[編集]

  • 大学卒業時、TBSに入社を希望していた経緯もあり、同局(TBSテレビ)との関係を強化。2005年にはTBSで、初の報道冠番組「みのもんたの朝ズバッ!」を持った。
  • 本人が語った所によると最近 いつ?の目標は深夜の生帯レギュラーを持つことだという。
番組における発言
  • 番組中における歯に衣着せぬ発言と自身がレギュラー出演する番組が次々と高視聴率を稼ぐ為、テレビ界では「西の『やしきたかじん』、東の『みのもんた』」と言われている。
  • 日本の政治家や政党が与野党に関係なく、みのの発言で相場観をはかっている現象を、東京大学大学院助手の逢坂巌が「みのポリティクス」と名付けている。

経営活動[編集]

  • 1999年10月から株式会社ニッコクの代表取締役社長を務めており、過密スケジュールの合間を縫って毎日出社し、業務を行っているといわれる。入社試験の面接でみのが現れると驚く人もいるという。世間では副業ではないかといわれているが、会社経営のほうが本業だと語っている。
  • 同社は、父親から受け継いだ水道メーターの会社「日国工業株式会社」に、自分の事務所「オフィスモンタ」を吸収合併したものである。
  • 自身経営の水道メーター会社のライバル社「愛知時計電機」の株式を個人として7.18%所有(2009年3月31日現在)する第2位の株主でもある[1]

談合事件[編集]

みの もんた

自身の番組で頻繁に政・官・業の不適切な関係を厳しく追及しているが、みの自身も、同様の関係を保持している。

  • 株式会社ニッコクは談合独占禁止法違反)で、何度も刑事告発をされていて、2003年に、追徴金7500万円、和解金3900万円を支払い、翌2004年には、再び他のメーカーとの談合で刑事告発された。さらに別口の談合で家宅捜査を受け、2005年2月には、追徴金400万円を支払っている。
  • 2004年(平成16年)7月15日に、ニッコクと愛知時計電機は他17社とともに2003年7月から2004年7月までの間に行われた東京都水道局発注の水道メータ買入れに係る競争入札に、いわゆる談合を行っていたとして公正取引委員会から排除勧告を受けた。また、各社に対し審決に応じて東京都は損害賠償請求をしている。
  • 談合事件に関して社長としての責任を問われて、「名ばかり」のお飾り社長で実務はわからないと釈明しているが、上記来歴の通り実務には精通しており、自身の番組などでは「名ばかり」のお飾り社長を痛烈に批判したこともある。
  • その東京都水道局の広報誌では、司会者みのもんたとして御園良彦水道局長(当時)との特別対談が掲載されている。また同年10月には、同様にみのもんた名義として東京都から東京五輪招致大使に任命され、水道メーターの納入業者の社長と東京都との関係、報道を扱う番組の司会者と行政との関係に公正性が担保されるのか疑問が持たれている。

セクハラ疑惑騒動、次男の逮捕[編集]

2013年8月30日に放送されたTBSテレビの『みのもんたの朝ズバッ!』の生放送内のCM明け直後、隣に立つ吉田明世アナウンサーの腰付近に手を伸ばし、女性アナがその手を振り払ったようにみえる映像が一瞬流れた。これに対して、TBS広報部は「セクハラ行為があったとは認識していないが、紛らわしい行為だったため、今後このようなことがないよう『番組担当者』に口頭で注意した」と公式に発表している。みのもんた本人への注意には触れられていない。

同年9月9日より、みのもんたは9月16日までの「夏休み」を理由にテレビ出演を休止した。みのもんたはこの年の8月9日から16日にも夏休みをとっており、情報番組の司会者が1年に2度も「夏休み」で番組を休むのは異例のことである。

9月13日には、同月11日に当時日本テレビ社員の次男が、泥酔し道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し現金を引き出そうとしたとして窃盗未遂容疑で逮捕されていたことがわかった。次男は同年10月8日付で日本テレビを諭旨解雇処分となった。

「朝ズバッ!」を降板[編集]

「夏休み」でマスコミの前から姿を消していたみのもんたは次男の逮捕を受け、報道機関各社へ送信したファクスで自身が出演する『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛すると発表。その後、10月25日にTBSから全ての報道番組を降板させることが発表された。『秘密のケンミンSHOW』と ラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』への出演は従来どおり続ける。

記者会見

10月26日午後、記者会見を行う。その冒頭で「世間をお騒がせして、誠に申し訳ございません」と謝罪した上で、「辞めなければ収まらない風潮感じた」「(報道は憧れであり)忸怩たる思い」と語った。前述のセクハラ疑惑に対して記者から質問され、「(アシスタントやキャスターが)発言をとちることがあるので、『しっかりしろ』の気持ちで腰をたたいた。セクハラなどということは全くありません」と述べ、否定した。

タレントみのもんた(69)が2013年10月26日、TBS系報道番組「みのもんたの朝ズバッ!」(月~金曜午前5時半)と「みのもんたのサタデーずばッと」(土曜午前5時45分)の降板や、窃盗容疑で逮捕された次男について都内で会見した。

関係者によると、みのの「朝ズバッ!」の出演料は放送1回につき300万円という。「サタデーずばッと」を合わせると、月曜日から土曜日までの出演で、単純計算すると、1年間で9億円を超える出演料を手にしていたことになる。報道番組のキャスターとしては破格の収入を得ていたが、みのは今回の降板でこれをすべて失うことになる。

次男コネ入社発言で日テレ「秘密のケンミンSHOW」終了[編集]

コネ入社」発言で読売テレビ制作「秘密のケンミンSHOW」(日本テレビ)の番組終了がほぼ確実となった。

次男の逮捕を受けて先月会見したみのもんた。その後、雑誌などで、自分の思いなどをさまざまなことを語ったのだが、その中で、次男の日テレコネ入社だったことを認めた。

ある制作会社関係者は「テレビ局なんて、スポンサー企業のご子息様だったり、政治家の親戚だったり、そういう人たちは多いですが、決して表面的にはコネ入社とは認めていない。それをみのは堂々と言ってしまったことに、日テレ幹部は大激怒。視聴率争いにも影響しかねないとカンカンですよ」。

かつては息子を入社させるほどの関係だったが、この発言はズバっといき過ぎた。

「今後、日テレ内ではみのの番組は持たないというのが内々に話されています。それほど激怒しているんです。継続していた『秘密のケンミンSHOW』もクレームの多さから打ち切りが検討されていましたが、この発言が背中を押して、来年3月で決定の方向にシフトしましたよ。後番組の企画も進行中で、『ミヤネ屋』で読売テレビと関係の深い宮根誠司を司会に持ってくるものにするそうです。」と同関係者。しかし、収録スタジオを大阪の本社に移したことによって、番組は継続されている。 本人は世間から忘れられてしまう怖さから、さまざまな発言をしているが、「密約があるとも言われているTBSでも『危険すぎる』と今後のみのの起用には否定的な空気がある。それこそ、来年度以降はレギュラー番組ゼロとなる可能性は高いですよ」とは別のテレビ局関係者。テレビで姿を見なくなるのも時間の問題だ。

人物[編集]

愛称[編集]

愛称は「みの」、「みのさん」、「みのちゃん」。

芸名の由来[編集]

  • 芸名の名付け親は野末陳平。由来は当時、御法川を略して「みの」と呼ばれていて、申年生まれであることと、当時人気だった競走馬「モンタサン」に掛けて、「もんた」とした。

家族・縁戚[編集]

  • 妻・御法川靖子は自身の専属スタイリストだった。子供は2男1女がいる。長男の結婚披露宴には民放各局トップや大手芸能プロのトップのほか、自民党の石原伸晃二階俊博、下川俊樹自民党和歌山県連幹事長、タレントの徳光和夫古舘伊知郎高田純次加藤晴彦ら約360人が列席した。司会はTBS『みのもんたの朝ズバッ!』の裏番組である、日本テレビ『ズームインSUPER』のアナウンサー・羽鳥慎一が務め、局の枠を超えた式となった。次男は、前述通り不祥事を起こしている。長女は、母である御法川靖子が亡くなってからは、父の専属スタイリストに転身した。
    • 妻・御法川靖子はがんのため2012年5月22日に亡くなった(満66歳没)。その通夜では、野田佳彦内閣総理大臣(当時)からも供花があった。

交友関係[編集]

  • 交友関係は幅広く、芸能界やスポーツ界はもちろん、政財界などにも私生活で交流のある人物が多いのが特徴である。特に政界では遠縁に自民党所属の議員がいる事などから自民党関係者が多い。
  • 石原慎太郎と親密であるとされる。2007年には石原の要請を受け「東京五輪招致大使」に任命された。
  • 安倍晋三との交流も深く、1回目首相時代は秘書官の井上義行と逗子市の居酒屋で情報交換を繰り返し、首相退陣の日には安倍自らがみのに電話している。
  • 二階俊博との親交は有名で、二階はみのの長男の披露宴で主賓として祝辞を述べ、みのの「アナウンサー生活おもいッきり40周年ズバッと感謝の会」でも、芸能関係者に混じりお祝いのスピーチをした。2007年12月8日には、二階を団長とした経団連などを中心とした訪中団にみのも招かれていた。東海地方で「ニッコク」を興したみのの父親が、二階俊博が秘書を務めていた遠藤三郎の後援者だった縁によるもので、20年来懇意にしており、大下英治著『躍動の日本経済へ 二階俊博の挑戦』には、みのが推薦文を寄せている。

その他・エピソード[編集]

現在の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

過去の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

NHK[編集]

日本テレビ[編集]

TBS[編集]

フジテレビ[編集]

テレビ朝日[編集]

テレビ東京[編集]

読売テレビ[編集]

  • 失楽園(1997年7月7日 - 9月22日)
  • くれなゐ(1998年4月13日 - 6月22日)
  • ヤッターマン限定版!「今夜限りのドロンボーVSみのもんた!」(2008年5月5日) - 本人役でそのまま出演。その他、番組終了時の提供読みと、次に放送される単発特番としてみのが司会を務める『日テレ開局55周年記念番組 グッと来た名場面ベスト55』の宣伝も兼ねて務めていた。

朝日放送[編集]

東海テレビ[編集]

テレビ愛知[編集]

  • みのもんたの時間ですよー(1983年9月3日 - 1984年3月31日)

配信番組[編集]

ラジオ番組[編集]

文化放送[編集]

コマーシャル[編集]

後述のコマーシャルに起用されている(放送が終了したものもある)。ちなみに報道を扱う番組(『朝ズバッ!』、『サタずば』、『おもいッきりテレビ』内「情報特急便」、『おもいッきりイイ!!テレビ』内「Newsエスプレッソ」など)の司会者がコマーシャルに出演するという事例は、日本以外の先進国では通常ありえない。これは、報道内容の公正性を担保できなくなるためである。ただし、過去にはTBSの夕方のニュース番組に出演していたラサール石井が保険会社のコマーシャルに起用されたこともあり、最近ではあまり珍しいことではなくなってきている。

放送中のもの
放送が終了したもの

ミュージックビデオ[編集]

映画[編集]

CDリリース[編集]

  • 元気イキイキ!おもいッきり(2003年
    • 自身が司会を務める「おもいッきりテレビ」放送15周年の企画曲。「イキイキふれんず」名義。カップリングは『健康!ピンピコピン』(「みのさん&かよちゃん」名義)。
  • 夜の虫/花と小父さん(作詞・作曲:浜口庫之助2006年11月22日
    • 1967年に浜口自身の歌唱で発売した曲のカバーであり、これがソロCDデビューとなった。同じくB面も浜口作詞作曲の作品で、伊東きよ子植木等のカバーである。
    • 10月19日に行なわれたレコーディングでは、「シラフじゃ歌えない」とブランデー片手に歌を歌い、2時間後にはすでに曲も本人も出来上がっていた。「紅白のオファーは(司会としても歌手としても)当然来るでしょう」「もしかしたらレコ大の司会オファーもあるかも」と発言している。結局は取り下げられてしまい、「よく分かりました。紅白の出演は年枠にします。」と発言。
    • 2006年11月10日 - 16日のUSENの総合チャートで、浜崎あゆみの『JEWEL』に次ぐ2位、演歌チャートで1位を獲得した。オリコンシングルチャート初登場で演歌チャート6位、総合チャート90位。
  •  口説きながら麻布十番 duet with みの もんた

著書等[編集]

  • こころの案内図(朝日出版、1995年7月発行)
  • みのもんた十八番勝負 おもいッきり対談集(日本テレビ放送網、2002年9月発行)
  • それでも僕は立ち続ける(日本テレビ放送網、 2006年4月発行)
  • 腰痛スッキリ! 角川oneテーマ21 C-113(角川書店、2006年7月発行)
  • 義理と人情 僕はなぜ働くのか(幻冬舎、2007年3月発行)
  • 死んではいけない いじめ緊急レポート 7600通を超えた悲鳴!(TBS「みのもんたの朝ズバッ!」制作スタッフ著、毎日新聞社、2007年1月発行)

ものまね・パロディ[編集]

カギカッコ内は、キャラクターの名前である。

脚注[編集]

  1. 経営者が競合企業の株式を所有することは、まま見受けられることであり特別なことではない。
  2. 週刊文春2008年3月6日
  3. 2011年12月以降に登場している「もんたクロース」~「休みのもんた」は山寺がそのパペットを使って声を演じている。

関連項目[編集]

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