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2009年6月3日 (水) 07:58時点における版
ゼネラルモーターズ (General Motors Corporation,NYSE:GM) はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本社を置く企業で、1931年以降世界最大の販売台数を誇っていた自動車メーカーである。アメリカのビッグスリーの一角。略称は「GM」。2009年6月1日に連邦倒産法第11章の適用を申請し破綻した。
目次
歴史
1908年9月16日に、ウイリアム・C・デュラントがミシガン州フリントで組織した持株会社がゼネラルモーターズである。ビュイック・モーター(1903年創業)の経営を1904年に任されたデュラントは、社長としてビュイックを全米有数の自動車メーカーにした。デュラントはゼネラルモーターズ創設後、1908年末にオールズモビルを買収し、翌年にはキャディラック、エルモア、オークランド(後のポンティアック)などを買収してGMの一部とした。その後もミシガン州周辺のトラックメーカーを次々買収するが、1910年には買収費用により100万ドルの負債を抱えたデュラントはGMの支配権を失い、バンカーズ・トラストが会社の支配権を握った。
デュラントはその後シボレーの創立(1911年)に関わり、GMの株を買い戻して1916年には社長に返り咲き、シボレーを翌年GMの一部とした。彼の背後には1914年に最初の投資を行って以降1950年代までGMに関与し続けたデュポン社の社長ピエール・S・デュポンがいた。
1920年にピエール・デュポンはデュラントを追い出してGMの実権を奪い、アルフレッド・スローンの経営によって現在に繋がる経営基盤が確立され、政争に揺れたフォードを抜いて世界最大のメーカーとなった。商品方針は「どんな予算でも、どんな目的でも」。このために複数のブランドを所有し、北米では最下段にシボレー(1990年からサターンがシボレーとは別にベーシックブランドとして登場した。また、ジオというブランドが最下層として存在した時期があった)、最上段にキャディラックを位置付け、巧妙なマーケティングと、それに直結したスタイリング戦略で衆目を引き続け、業界シェアナンバー1であり続けた。消費者はGMの提供する上級ブランドに魅せられ、GMの金融サービスによるオートローンやクレジットで高額のブランド車を買うようになった。GMはこうしてクレジット商法を拒んだフォードを突き放した。
1920年代から1930年代にかけてGMはバス製造会社イエローコーチを買収し、グレイハウンド社の創設を手助けした。またGMは1936年に石油会社スタンダード・オイル・カリフォルニア(のちのシェブロン)やタイヤ会社ファイアストンと共同で「ナショナル・シティ・ラインズ」を創設し、1950年までに全米各地の路面電車会社や電鉄会社を買収し、これをバス運送に置き換えていったが、これは後に自動車関連各社による鉄道縮小の陰謀として非難を浴びた。(その詳細と正確性についてはアメリカ路面電車スキャンダル、パシフィック電鉄を参照)
GMは航空機製造に関心を示し、1930年にフォッカーの子会社アトランティック・エアクラフト・コーポレーション・オブ・アメリカを買収しゼネラル・アビエーション部門とし、1933年にはノースアメリカンを買収してノースアメリカンを存続企業としたが、1948年に株を公開し、これ以降航空機には関わっていない。
また初期のフォードは1つの車種を世界中で生産したが、GMは初期から各々の地域毎に多種多様な車種を供給し、そのために南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど世界中に生産拠点を設けた。1925年(大正14年)のアジアを視野に入れたフォード社日本進出に続き、1927年(昭和2年)から1941年(昭和16年)まで、大阪に日本法人日本ゼネラル・モータースを設立。シボレー車のアジア向けノックダウン生産および、販売サービスをおこなった。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独擅場だった。
ドイツではGMはオペルを1931年に子会社とするなど活発な投資を繰り広げ、ドイツでの自動車製造を利益の大きな重要事業とみていた。ナチス台頭後はオペルはGMの支配を離れ、GMはイギリスの子会社ヴォクスホールなどを通じ戦車など軍用車両を製造して第二次世界大戦下で連合軍を支えたが、一方でオペルはナチスの欧州侵攻を支え、GM首脳グレアム・K・ハワードやジェームズ・D・ムーニーらはナチスに個人的に深くかかわり、ムーニーは戦争前にヒトラーから受勲するなどしている。
戦後、1950年代にはGMはアメリカ最大の会社となり、1953年には社長チャールズ・E・ウィルソンはアイゼンハワー政権の国防長官となった。1955年12月末には、GMはアメリカで最初に年10億ドル以上を稼ぐ企業となった。
1970年代以降、オイルショックによって小型車の需要が高まると、それまでアメリカ国内で開発して来た小型車(コーヴェア、ヴェガ等)をオペル、いすゞ等の開発協力を得たモデル(『Tカー』、『Jカー』等)に代替するなどの販売戦略の転換が進められたが、品質と生産性の悪化が顕著となり、1981年から1990年まで会長職にあったロジャー・スミスの下、さまざまな取り組みが進められた。1984年にはトヨタ自動車との合弁会社『NUMMI』を設立し、QCに関するノウハウの吸収に努めたほか、アメリカ国内の工場のリストラ、労働条件の引き下げといった生産性を向上する取り組みにも着手した。日本車やドイツ車のコンセプトを模倣したサターンや高度にロボット化された工場の失敗などはあったものの、1990年代初頭には一定の成果を見せるようになった。また、1990年代を通じたアメリカの好景気は、フルサイズSUV・ピックアップトラックなどの需要を生み出し、アメリカ国内のシェア低下には歯止めが掛からなかったものの、高い利益率は好業績を維持することに貢献した。
2000年頃からは環境保護問題の高まりなどの外部環境の変化を受け、消費者の嗜好は再び燃費の良いサブコンパクトカーやハイブリッドカーにシフトしたが、GMは小型車部門のジオを整理・縮小していた。また2001年のアメリカ同時多発テロ事件直後に販売量が落ち込んだ際には、生産量を落とさない方針を採ったため次第に在庫が増加。在庫を捌くために販売店へのインセンティブの上乗せや値引き販売を激化させる悪循環に陥り、2005年までに企業収益は一気に悪化した。過去の従業員の退職年金や医療費負担なども財務を圧迫し続け、格付け会社からは社債を「投資不適格」にランク付けされるに至り株価は低迷、株式投資会社の介入を招く事態にもなった。部品調達で密接な関係を持つデルファイが経営危機を迎えた際にも、直接救済する体力は無かった。
2005年以降は、提携先の株式の処分も進められている。10月には、資本提携していた富士重工業株をトヨタへ売却、2006年にはいすゞ自動車株を売却し資本提携を解消、2006年3月には、スズキ株の大半を売却し、2008年11月18日付で資本提携を完全に解消した。こうした株式の処分は特別利益となり経営体質の改善に直結するが、一方でGMの伝統である、地域毎に多種多様な車種を生産し融通し合うという特徴(サブコンパクトカーの開発・生産はスズキやいすゞが担った)を薄めることであり、今後の商品開発力低下を危惧する見方もある。
2006年7月には、カーク・カーコリアン率いる投資会社トラシンダから、ルノー=日産アライアンスとの提携を推奨され協議に入ることが大々的に報じられたが、GM首脳部には提携の意志はなく、同年10月中に破談し交渉は終了している。
2007年の自動車販売台数は、トヨタ自動車グループと僅差で世界一(937万台)であったが[1]、ガソリン価格の高騰、サブプライムローン問題の顕在化の影響で、北米での売上が大きく落ち込んだ。その結果、2007年度決算で3兆円という途方もない額の赤字を生むこととなった。さらに、2008年上半期では約77年間も守り続けた販売台数世界一の座もトヨタに明け渡している[2]。
純損失額(億$)
- 2005年 105.67
- 2006年 19.78
- 2007年 387.32(繰延税金資産の取り崩し。将来の不安へのアナウンス効果)
- 2008年 212.51(1Q-3Q)
巨額の年金・退職者医療の債務を抱え2008年現在6兆円を超える債務超過に陥っている。株主配当も停止されており、金融市場から債券発行による資金調達も困難な状態になっている。環境対応車開発を名目にアメリカ政府に低利融資を求めている。
2008年11月2日のニューヨークタイムズは、「財務省がクライスラーとの合併に必要なリストラ費用100億$を2008年金融安定化法から支出することを10月31日に拒否した」と報じた[3]。 2008年10月のGMの新車販売台数が前年同月比45%減になる状況での決定である[4]。他はフォード30%、トヨタ23%、本田25%、日産33%、クライスラー35%減であった[5]。
2008年9月末7―9月期の売上高は前年同期比13%減の379.41億$、債務超過額は599億$で、6月末の570億$よりさらに拡大した。手元資金は6月末の210億$から9月末に約160億$に減少し、09年上半期には事業継続が難しくなるだろうと述べた。クライスラーとの合併協議を中断した。S&PはB-からCCC+に格下げし、見通しもネガティブとした。(両方とも投機級である)[6]。
- 2008年1Q-3Qの財務データは次の通り。(億$)
- 売上高 1186(-11%)
- 営業損失 -139(-758%)
- 純損失 -213(-49%)
- 営業キャッシュフロー -97(-350%)
- 2008年9月末
- 負債総額 1703(フォードは2440)
- CDS残高 2000
- 債務超過 599(フォードは19)
- 手元資金 162(フォード189、クライスラー61)
08年11月12日の終値は3.08$まで下がった(ピークは2000年の95$であった。直近のピークは2007年10月の43$である。フォードは現在2.35)11月11日にはザラ場で2.75$と1943年以来65年ぶりの安値になった。
2008年11月のGMの新車販売は2ヶ月連続の4割減、-41.2%だった。(クライスラーは-47.1%、トヨタは-33.9%)2008年11月に、GMは、Ford,Chrylerとともに、連邦政府による金融支援を求めたが、議会は、金融支援をうけるのに必要な経営再建策がないことなどを理由として、11月には、採決をおこなわなかった。3社は、12月1日までに経営再建策を議会に送付し、議会の上院と下院で、公聴会が開かれた。下院は、自動車産業の金融支援と再建法案を12月10日にまとめ、この法案は下院本会議で可決された。しかしながら、選挙前の勢力分布で伯仲していた上院では、修正案を採決にもっていくための投票で、必要な60票がとれず、この法案は、12月11日に廃案となった。 議会での救済策の流産に伴い、ブッシュ大統領が介入し、12月19日に、TARP(Troubled Assets Relief Plan)で、議会承認済みの3500億ドルのうち残っていた150億ドルをもとに、174億ドルのつなぎ融資を、GMとChryslerに実施することを決定した。
オバマ政権発足後も危機は継続し、2009年2月20日には、子会社のサーブ・オートモービルがスウェーデン政府からの公的支援を拒否されたこともあって事実上の経営破綻に追い込まれた。
しかし会社側と債権者の債務削減交渉が5月26日深夜にまとまらず、翌27日に交渉の打ち切りが発表された。結果、米政府が支援を継続する条件を満たせなくなる見通しが強まり、この影響により29日のニューヨーク株式市場ではGM株価が急落し0.75ドルで取引を終え、1933年以来76年ぶりに1ドルを割り込む形となった。
2009年6月1日、GMは連邦倒産法第11章の適用を申請し、負債額1728億ドル(約16兆4100億円)を抱え経営破綻した。この額は製造業としては世界最大である。今後はアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有し、実質的にアメリカ政府により国有化され再建を目指す。メディアから社名のGMはガバメント・モーターズと皮肉られた[7]。
ニューヨーク証券取引所は、ゼネラルモーターズの連邦倒産法第11章の申請を受け、2009年6月2日の取引開始前から、同社株を売買停止した後に、そのまま上場廃止する決定を下した[8]。
無視された抗議・・ドラッカー、デロリアン、ハルバースタム、ネーダー
GM北米乗用車・トラック部門担当副社長(旗艦ブランドのシボレー事業部長から昇進。日本風に言えば専務)に48歳でなったジョン・Z・デロリアン(映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の車は、彼が作ったデロリアン・カーである)は財務部門との内部抗争に破れ退社し、「晴れた日にはGMが見える」(原題:ON A CLEAR DAY YOU CAN SEE GENERAL MOTORS:1979)というインタビュー記録(本人不承認)が出版された。その中で特に強調されているのは外部や内部からの忠告・提言をたとえどんなものであっても拒絶する姿である。強く印象に残る内容はピーター・ドラッカーがGMを研究した好意的な著書「会社という概念」(1946)で書かれた「戦後期には組織・事業・目標を見直す必要がある」という穏健な記述に対して起こったGM内部の憤激である。「GMは世界一なのだから、批判はもってのほか」という理屈である。また最上層部(「十四階」)には自動車産業運営の知識と経験と能力がないとも書いている。
デビッド・ハルバースタムは『覇者の驕り―自動車・男たちの産業史』(原著1986)で、GMをはじめとするビッグスリーが驕り高ぶり、その結果として日本車の攻勢に徐々に破れていく姿と、それでも改革を拒む姿勢をいきいきと描いている。
ラルフ・ネーダーが「どんな速度でも安全ではない」という告発書のために活動したときGMから探偵の尾行を付けられ、GMは議会で謝罪するハメになった。あとで分かったのは、この活動は最上層部の承認なしに自動的に行われたということである。批判を色々な手段で抑圧する会社と見られた。(ネーダーは極めて禁欲的な人間であり、全く弱みを見つけることは出来なかった。)
ブランド一覧
北米地区
アメリカでのかつてのブランド
カナダでのかつてのブランド
欧州
アジア・オセアニア
主なプラットフォーム
デルタ・プラットフォーム使用車
イプシロン・プラットフォーム使用車
- オペル・ベクトラ
- サーブ9-3
- シボレー・マリブ
- サターン・オーラ
- ポンティアックG6
- キャディラック・BLS
シータ・プラットフォーム使用車
- シボレー・エキノックス
- ポンティアック・トレント
- サターン・ヴュー
- シボレー・キャプティバ/デーウ・ウィンストーム
- スズキ・XL7
ラムダ・プラットフォーム使用車
- ビュイック・エンクレイヴ
- サターン・アウトルック
- GMCアカディア
カッパ・プラットフォーム使用車
- ポンティアック・ソルスティス
- サターン・スカイ/オペルGT/デーウ・G2X
日本での販売と日本法人
1915年(大正4年)創業の梁瀬自動車が、輸入代理店として、GMのビュイック、キャディラックの販売を開始。ビュイックはビウイク号、キャディラックはカデラツク号だった。のち、シボレー号も販売開始。
1925年(大正14年)、フォード社が日本に進出、神奈川県横浜市に組立工場を開業した。GMは1927年(昭和2年)、大阪市大正区鶴町に日本法人日本ゼネラル・モータースを設立し、組立工場でのシボレー車のノックダウン生産と販売をおこなう。1941年(昭和16年)まで操業。フォード同様、日本だけでなく中国などアジア全体を視野にいれた進出だった。日本における影響は大きく、全国に渡る自動車販売サービス網を構築し、以後の自動車販売業界はここから発展したものである。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独擅場だった。
1936年の自動車製造事業法施行により、国産メーカーのみに大量生産が許され、発展の余地がなくなり、1941年太平洋戦争開戦の年に日本から撤退。第二次世界大戦後、再びヤナセが日本市場の販売代理店を長期間つとめる。
現在、日本法人は日本ゼネラルモーターズ (GMJ) とゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン (GMAPJ) の2社がある。2006年より、恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区恵比寿)から品川シーサイド(東京都品川区)へ本社を移転した。
かつての関連企業
- 富士重工業→資本提携解消。保有株式の一部をトヨタ自動車へ売却。
- フィアット(イタリア)→資本提携解消
- いすゞ自動車→資本提携解消(のち保有株式の一部を伊藤忠と三菱商事が取得)。ただし業務提携関係は維持。
- スズキ→資本提携解消
- GMはスズキの株式を20%取得していたが、2006年にその持ち株比率を20%から3%へ大幅に引き下げ、2008年11月18日付で全株をスズキに売却し資本提携を解消した。
提携関係
- トヨタ自動車 - カリフォルニア州での合弁事業(NUMMI)、燃料電池車の開発など。
- BMW、ダイムラー - ハイブリッドシステム「2モードハイブリッド」の3社共同開発。
- アフトヴァズ(ロシア) - ロシアでの合弁事業(GM-AVTOVAZ)。
- ボスホス - オートバイメーカー。自社製のV型8気筒エンジンを供給。
- カノン - 同上。フォード・モーターとともに自社製エンジンを供給。
- スズキ合弁企業 - CAMIオートモーティブ(カナダ)での生産や、スズキがGM大宇への出資を行っている。現在、スズキではGM車のうちシボレー・MWのみ生産販売を行っている。
関連項目
参照
- ↑ トヨタ、年間販売台数で初の世界一に届かず。読売新聞。2008年1月24日取得
- ↑ 08年上半期の世界販売台数でトヨタが首位、米GMは3%減。Reuter。2008年10月21日取得
- ↑ GM・クライスラー合併への公的支援、米財務省が難色
- ↑ [1]
- ↑ [2]
- ↑ フォードは125億円
- ↑ 2009年6月1日付MSN・産経ニュース
- ↑ 2009年6月1日付朝日新聞asahi.com(ロイター社提供)
外部リンク
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