「グラン・サン・ベルナール峠」の版間の差分
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2022年11月26日 (土) 22:21時点における最新版
グラン・サン・ベルナール峠(グラン・サン・ベルナールとうげ, 仏:Col du Grand-Saint-Bernard, 伊:Colle del Gran San Bernardo, 大サン・ベルナール峠とも)は、スイスとイタリアとの国境にあるアルプス山脈の峠である。セント・バーナード犬のゆかりの地でもある。
概要[編集]
グラン・サン・ベルナール峠は、スイス南西部ヴァレー州のマルティニー(Martigny)と、イタリア北西部ヴァッレ・ダオスタ州のアオスタとを結んでいる。アルプスの最高峰モンブランからは15キロほどの距離にある。峠の山頂の標高は2,469メートルである。山頂のすぐ下には大きな池がある。山頂には歴史あるホスピスの建物が建っており、今日でも登山者向けの宿泊・救護施設として機能している。
山頂付近の冬季の気温は氷点下30度にもなり、積雪は最大で25メートルを記録する。このため自動車の通行が可能な期間は6月から9月までに限られる。1967年に中腹にグラン・サン・ベルナールトンネルが開通した。このトンネルはサン・ゴタールトンネルなどと並ぶ、アルプス山脈を貫く重要な交通路で、交通量も多い。長さは6,596メートルである。
歴史[編集]
グラン・サン・ベルナール峠は、青銅器時代には人の通った形跡があり、古代からアルプス山脈を越える重要な交通路であった。正確なところは不明だが、紀元前217年にハンニバルが戦象を連れてアルプス山脈を越えたのもこのあたりと考えられている。ローマ帝国の時代には皇帝アウグストゥスが街道を敷設し、山頂にユピテルの神殿が祭られていた。753年にはローマ教皇ステファヌス2世[1]がフランク王国の国王ピピン3世と面会するために峠を越え、800年にはカール大帝がミラノでの戴冠式の帰りに越えている。
18世紀までの間、毎年2万人程度の商人や巡礼者がグラン・サン・ベルナール峠を行き交った[1]。だが、峠では山賊の出没や悪天候、雪崩などにより遭難者が数多く出ていた。1050年、アオスタ大聖堂の助祭長ベルナール・ド・マントン(聖バーナード)は、峠の山頂に遭難者の救助を目的としたホスピス(救護所、ターミナルケアを行う現在の「ホスピス」の語源)を建設し、人々に宿泊と食事を提供した。こうした功績によりベルナール・ド・マントンは1681年に教皇インノケンティウス11世によって聖人に列せられた。グラン・サン・ベルナール峠の名は彼に由来する。
遭難者の救助に活躍したのが犬たちである。代々育成されてきた救助犬たちは、樽に詰めた食料や気付け薬を遭難者へ送り届けた。こうして少なくとも2,500人の遭難者が救助されたと伝えられている。なかでも歴史に残るのはバリーという名の救助犬である。1814年にオオカミと間違えられて射殺されてしまったが、バリーは生涯で40人以上の遭難者を救助した。救助犬として用いられたのは2世紀頃にローマ帝国の軍用犬としてアルプス地方に移入された大型犬であるが、後にこの種は峠での活躍にちなんで「セント・バーナード」(サン・ベルナールの英語読み)と命名された。
グラン・サン・ベルナール峠に縁のあるもう1人の有名人がナポレオン・ボナパルトである。1800年5月、ナポレオンはイタリア遠征のために4万のフランス軍を率いて峠を越えた。このとき、ナポレオンは付近の村からワイン21,724本、チーズ1.5トン、肉800キロなどの物資を調達し、峠のホスピスに40,000フランの借用証を置いていった。だがフランス帝国政府が実際に支払った代金はその一部だけであった。1984年にようやく時のフランス共和国大統領フランソワ・ミッテランが残額を清算した。
グラン・サン・ベルナール峠は、マイケル・ケイン主演の映画『ミニミニ大作戦』(1969年、en:The Italian Job)でカーチェイスが繰り広げられた場所でもある。
参考文献[編集]
- グラン・サン・ベルナールトンネル
- セント・バーナード峠(個人サイト)
- グラン・サン・ベルナール峠の歴史
- Adrian Fletcher’s Paradoxplace Gran San Bernardo Pass Photos(グラン・サン・ベルナール峠とモンブランの風景)
脚注[編集]
- ↑ グラン・サン・ベルナール峠の歴史より。ステファヌス3世の誤りか?