「社会民主党 (日本 1996-)」の版間の差分
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− | '''社会民主党'''(しゃかいみんしゅとう)は、[[日本]] | + | '''社会民主党'''(しゃかいみんしゅとう)は、[[日本]]のゴキブリ[[政党]]。略称は'''社民党'''、'''社民'''。 |
== 概要 == | == 概要 == | ||
− | [[1996年]]に[[日本社会党]] | + | [[1996年]]に[[日本社会党]]が改称して発足。議会勢力としては、左派(自称: 中道左派、旧社会党内の護憲派ないし市民改革派)を継承している。はじめ社会党末期の路線を継承して「社民・[[リベラル]]」を掲げたが、野党化以降は北欧型社会民主主義や[[フランス社会党]]のモデルに近い「[[社会民主主義]]」路線を押し出し、[[2006年]]決定の[[綱領]]「社会民主党宣言」では、[[プロレタリア独裁]]と同時に[[自由主義]](リベラル)の字句も完全に消え、アメリカ型の民主党路線とも一線を画している。 |
[[民主党_(アメリカ)|アメリカ民主党]]では、[[ビル・クリントン]]の「[[第三の道]]」以降、[[自由主義]](リベラリズム)から[[共同体主義]](コミュニタリアニズム)ヘ接近するグループが形成され、[[社会民主主義]]との境界が曖昧に使用されてきているという経緯がある。また欧州の社会民主主義政党は、特に「第三の道」以降、福祉や雇用の機会均等、中立政策を最優先する社会民主主義から自由主義競争を大幅に受け入れ、集団安全保障を肯定する立場に転じ、アメリカ民主党のリベラル中道や[[社会自由主義]]ともいわれる立場に近い政策が採られるようになった。 | [[民主党_(アメリカ)|アメリカ民主党]]では、[[ビル・クリントン]]の「[[第三の道]]」以降、[[自由主義]](リベラリズム)から[[共同体主義]](コミュニタリアニズム)ヘ接近するグループが形成され、[[社会民主主義]]との境界が曖昧に使用されてきているという経緯がある。また欧州の社会民主主義政党は、特に「第三の道」以降、福祉や雇用の機会均等、中立政策を最優先する社会民主主義から自由主義競争を大幅に受け入れ、集団安全保障を肯定する立場に転じ、アメリカ民主党のリベラル中道や[[社会自由主義]]ともいわれる立場に近い政策が採られるようになった。 | ||
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=== 政権交代、三党連立政権参加へ === | === 政権交代、三党連立政権参加へ === | ||
+ | [[2009年]][[第45回衆議院議員総選挙]]([[8月30日]]投票日)において、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]が圧勝し、社民党は、[[国民新党]]と共に政策合意に基づく歴史的な3党連立政権に参加することになった。この3党合意により、[[鳩山由紀夫内閣|鳩山内閣]]([[9月16日]]発足)において、党首の[[福島瑞穂]]の閣僚入り([[消費者及び食品安全担当大臣|消費者]]・少子化担当相)が決定した。[[基本政策閣僚委員会]]では事実上の拒否権をもっている。自社さ連立政権以来、分裂と小党化の「長期低落傾向」の中で、[[自由民主党 (日本)|自民党]]・民主党の[[二大政党制]]が確立していく過程ではあったが、13年ぶりに閣僚をは送り込み、11年ぶりに与党に復帰することになった。また、国土交通副大臣に辻元清美が就任した。 | ||
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+ | 2009年12月の社民党党首選挙で福島瑞穂は、アメリカ軍普天間基地の問題について、国外や県外への移設を強く主張し、党内の[[照屋寛徳]]ら国外・県外移設を強く主張する議員に応えたこともあり、福島が再選した。 | ||
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+ | [[普天間基地代替施設移設問題]]は、従来からの社民党の主張である基地の国外・県外への移設を連立政権の中でも主張し、閣僚である党首の福島は'''「鳩山内閣が万が一、辺野古沿岸部に海上基地をつくるという決定をした場合には、社民党にとっても、私にとっても、重大な決意をしなければならない」'''と述べ、基地問題の解決のために、連立政権からの離脱も辞さない覚悟で基地を国外・県外へ移設させる強い覚悟を示した。2009年[[12月15日]]、与党3党で基本政策閣僚委員会を開き、民主党が具体的期日を設けることを求めたのに対して社民党は「重要なことは期限ではなく、沖縄県民の負担軽減と、沖縄県民、日本国民の多くが納得するような結論を3党で力を振り絞って出すこと。そうでなければ結局、この問題は解決しない」と述べ拒否したため、米軍普天間基地の移設先に関する方針決定を先送りし、連立3党実務者でつくる協議機関で再検討することを決めた。 | ||
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+ | 2009年[[12月24日]]、社民党は基地を[[グアム]]に移転させるために、党内に米軍普天間飛行場の移設問題に関するプロジェクトチームを発足させた。プロジェクトチームは2010年1月中に米グアム島を視察し、米側の普天間移設問題に対する認識を確認するため、ワシントン訪問も検討している。[[2010年]][[1月10日]]、福島は、来日中の米議会下院外交委員会「アジア・太平洋・地球環境小委員会」の委員長エニ・ファレオマバエガ、マイク・ホンダ、ジョセフ・カオら下院議員と米軍[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]を主力とする普天間飛行場移設問題について意見交換した。ファレオマバエガは、会談後の記者会見で「誰もが納得できるような解決につなげるための情報収集を目的に来日した。同移設問題の方針決定は日本の国内問題だが、今後も行方を見守り、解決につなげていきたい」と述べた。 | ||
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+ | 福島は、「環境やジュゴンの問題も大事だが、一番大切なのは沖縄県民の気持ちだ」、「沖縄県民の大多数は県外、国外移設を望んでいると説明した。県民の思いが重要だというファレオマバエガ氏の言葉は沖縄の基地負担を理解しているようで印象的だった」と述べ、米下院での今後の動きに期待を寄せた。1月の[[名護市|名護]]市長選で当選した[[稲嶺進]]は、当選後、就任あいさつで「選挙中、辺野古の海にも陸上にも新しい基地は造らせないということを訴えた」と同市辺野古への米軍普天間飛行場の移設反対をあらためて主張した。[[2月24日]]の[[沖縄県議会]]本会議では、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書」案を全会一致で可決した。これらの世論の動向を受けるかたちで、福島からは、沖縄県内の民意を最大限尊重し、場合によっては、5月末決着を先延ばししてでも、慎重な政権運営を図っていきたいという意向が示された。また、政審会長の阿部知子は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設案として、米領グアムなどに全面移転する「国外移設案」や、国外移設までの期限付きで九州北部の既存自衛隊基地などに分散移転する「暫定県外移設案」など3案を、3月上旬にも開かれる政府・与党の沖縄基地問題検討委員会に提出し、最終調整に臨む方針(「私案」)も示した。 | ||
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+ | === 連立解消 === | ||
+ | しかし普天間問題で、鳩山首相は結局自公連立政権時代の案に近い内容で政府案をまとめ、福島にも同意の署名を求めたことから、福島はこれを拒否し、内閣府消費者・少子化担当特命大臣を罷免された。 | ||
+ | |||
+ | 直後に福島党首が開いた会見で「社民党は沖縄を裏切ることはできない」「数々の犠牲を払ってきた沖縄にこれ以上の負担を押し付けることに加担するわけにはいかない」と述べ署名に応じなかった経緯を説明した。また「言葉に責任を持つ政治をやって行きたい」と述べ上記の「重大な決意」を実行した社民党と、「国外、最低でも県外」の公約を守らなかった民主党を比較し民主党を批判した。 | ||
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+ | これを受け党内では、「党首たる福島が罷免された以上連立を維持する意味がない」として、連立解消を求める意見が大勢となり、[[2010年]][[5月30日]]に開いた全国幹事長会議で、最終的に連立を解消することを決定した。 | ||
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+ | これを受けて[[琉球新報]]と[[毎日新聞]]が合同で緊急の県民世論調査を行った結果、社民党の政党支持率が大幅に上昇し10.2%でトップとなった。県内で社民党の政党支持率が他党をおさえてトップになるのは初めてである。その調査では普天間基地の辺野古移設に反対が84%、賛成が6%となった。 | ||
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+ | [[第22回参議院議員通常選挙]]における選挙協力の見直しについては、各地域で事情が異なることから全国統一のルールは設けず、それぞれの地域事情に応じて是々非々の対応をとる方向で調整するものの、連立解消の影響を受けることは避けられなくなっている。 | ||
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+ | 第22回参議院議員通常選挙では、改選議席数3を2に後退させた。沖縄県では比例での得票数こそトップになったものの、[[沖縄県選挙区]]では自民党公認の[[島尻安伊子]]が再選され、社民党が推薦した候補は次点に終わった。 | ||
+ | |||
+ | 2010年[[7月26日]]、[[辻元清美]]が社民党離党の意向を表明。同日夜に[[重野安正]]幹事長が、翌27日に[[福島瑞穂]]党首が離党を思い留まるよう慰留したが辻元は受け入れず、離党届を提出。次期衆院選には無所属での出馬を表明した。社民党執行部は離党届を受理せず、慰留を続けていたが、[[8月19日]]にようやく辻元の離党を了承した。 | ||
+ | |||
+ | 沖縄の基地問題だけでなく自民党などが提出した[[柳田稔]]法相の問責決議案に賛成するなど菅内閣への対立姿勢を示しつつも、国会運営に必要な3分の2の議席を必要とする菅内閣からは政権への協力を呼びかけられている。社民党は与党には戻らないとしながらも、社民党の要求が通るならば政権に協力するいう立場を表明している。菅政権も[[武器輸出三原則]]の見直しを先送りさせるなどして社民党に配慮している。 | ||
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+ | 2011年9月28日、自民、公明など野党7党の国対委員長は、国会内で会談し、社民党を除く6党は、民主党の小沢一郎元代表の資金管理団体による土地取引事件について、小沢氏本人と、同氏の元秘書で有罪判決を受けた石川知裕衆院議員の証人喚問を求めることで一致し、29日の与野党国対委員長会談で民主党に申し入れた。この件で、社民党は衆院政治倫理審査会を主張した。翌29日午前の与野党国会対策委員長会談で、民主、国民新両党は、開会中の臨時国会を再延長せず、30日で閉会する方針を野党側に伝えた。石川知裕衆院議員ら元秘書3人が政治資金規正法違反の罪で有罪判決を受けた小沢一郎元代表の証人喚問についても「応じられない」と回答した。 | ||
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+ | === 脱原発運動との関係 === | ||
+ | 党首・福島は米国の外交専門誌フォーリン・ポリシーが選ぶ2011年の「世界の100人」に名を連ねた。脱原発の活動を長く続けたとして、福島の事実婚のパートナーで原発訴訟に携わる弁護士[[海渡雄一]]と共同で選ばれた。同誌は2009年から、その年に政治、経済、平和活動など幅広い分野で影響力をふるった人物を挙げている。日本の政治家では福島が初めてで、オバマ米大統領や英仏独の首相・大統領、ミャンマー(ビルマ)の民主化運動指導者[[アウン・サン・スー・チー]]らとともに選ばれている。 | ||
+ | |||
+ | 2012年2月、社民党の党首選が行われ、福島のみが立候補を届け出て、無投票で5選された。立候補には所属する都道府県連合の推薦に加え、党国会議員(10人)の3分の1以上(4人)か、党員200人以上の推薦が必要で、福島は[[重野安正]]・[[中島隆利]]・[[吉泉秀男]]・[[吉田忠智]]ら4人の国会議員から推薦を取り付けた。福島と対立する[[阿部知子]]・[[照屋寛徳]]・[[服部良一 (政治家)|服部良一]]らは立候補要件を満たせず、対立候補を立てられなかった。また党員推薦で立候補を目指した稲森稔尚・三重県伊賀市議も、同県連合の推薦確保に難航し断念。福島は記者団に「社民党を元気にしたい。衆参の選挙で勝つことが一番大事な仕事だ。生活再建と脱原発を頑張りたい」と語った。 | ||
+ | |||
+ | なお、[[民社国連立政権]]時代には与党の原子力政策([[鳩山イニシアチブ]]に基づく原発依存率の強化と原発増設)を容認し、2012年7月に実施された[[2012年鹿児島県知事選挙|鹿児島県知事選挙]]では原発再稼動に反対する反原発団体事務局長で新人の[[向原祥隆]]を支援せず、現職の[[伊藤祐一郎]]を社民党系の県議全員が支援した(社民党鹿児島県連は自主投票とした)。 | ||
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+ | === 第46回衆議院総選挙 === | ||
+ | [[2012年]][[11月15日]]、 社民党による政策実現に疑問を持った[[阿部知子]]が離党届を提出し[[日本未来の党]]に合流した。また、[[第46回衆議院議員総選挙]]の陣頭指揮をとるはずだった幹事長の[[重野安正]]が[[11月18日]]、[[脳梗塞]]で入院しているため、出馬断念に追い込まれた。 | ||
+ | |||
+ | 同選挙では第三極の台頭もあって、旧来政党でしかも小規模な社民党は新党乱立の中で埋没し、これまで以上の苦戦を強いられた。毎回安定した戦いを見せる[[照屋寛徳]]の[[沖縄2区]]を除く全議席が当落線上にあったものの、辛くも[[比例九州ブロック]]で1議席を確保。しかし総獲得議席数は小選挙区・比例各1議席ずつの合計2議席と、公示前の半減、阿部離党前と比すと3分の1に減少。比例代表における得票率は2.3%(前回総選挙は4.27%)、得票数は142万票(同300万票)とほぼ半減した(11ブロック中6ブロックで得票率が有効得票数の2%に達せず、新聞広告公費負担から外れた)。同じく第三極台頭の中で埋没した[[日本共産党]]が、議席減を1(9→8議席)にとどめて比較的善戦したのとは対照的な結果となった。 | ||
+ | |||
+ | === 第18回東京都議会議員選挙 === | ||
+ | [[2013年]][[6月23日]]の[[2013年東京都議会議員選挙|第18回東京都議会議員選挙]]では1人が社会民主党から立候補したものの議席獲得はできなかった。 | ||
+ | |||
+ | [[第183回国会]]会期末の2013年[[6月25日]]に安倍内閣総理大臣に対する[[問責決議]]を[[生活の党]]及び[[みどりの風]]とともに参議院に共同提出し可決させたが、[[電気事業法]]改正案や[[生活保護法]]改正案などが審議未了のまま廃案となった。 | ||
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+ | === 第23回参議院議員選挙 === | ||
+ | [[2013年]][[7月21日]]の[[第23回参議院議員通常選挙|第23回参議院議員選挙]]では、先の衆院選時における新党・第三極ブームは収まったものの、投票率の低下も相まって現行の与党勢力が復調し、参院でのねじれ解消という展開となる。その中でも共産党や日本維新の会、みんなの党といった中堅野党勢力はそれぞれの反与党票を確保し比較的堅調な戦いを見せ、公示前より勢力を拡大させた。一方の社民党は民主党や生活の党などと共に、反与党票の受け皿とはなり得ず、逆に公示前より勢力を減らしている。同選挙では選挙区に5人、比例区に4人擁立したが、比例で1議席([[又市征治]])を獲得するに留まった。この選挙でもかろうじて得票率が2%を越え、国会に議席が存在する限り[[2019年]]まで政党要件喪失を回避する結果とはなったものの、退潮傾向に歯止めがかからないことに変わりはなく、選挙結果を受けて党首の[[福島瑞穂]]は引責辞任を表明、党常任幹事会で了承された。次期党首が決定するまで、当面の間は[[又市征治]]幹事長が党首代行を務める。なお、照屋寛徳も[[山城博治]]を当選させられなかった責任を取り、国会対策委員長を辞任すると表明している。 | ||
+ | |||
+ | == 村山元首相、「社民党にこだわらず。次期衆院選は新党」で(2013年) == | ||
+ | [[村山富市]]元首相は8月18日夜、社民党の今後について「社民党はこのままいっても先がない。党にこだわらず勢力を結集しなければならない。新しい党をつくることがあってもいい」と述べ、憲法や原発の問題で共通する野党の再編に向けて発展的に解消すべきだとの考えを示した。都内で記者団に語った。 | ||
+ | |||
+ | 野党再編に関し、「社民党の皆さんが火付けになって働くことも大事だ。党の皆さんは理解してくれると思う」とも述べた。 | ||
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+ | [[BS-TBS]]の番組では「もう社民党なんてものにこだわらないで、憲法改悪などの共通課題で党派を超えて協力を呼びかけていく体制ができれば一番いい。次の衆院選までにはそういう体制をつくっていくことが大事ではないか」と強調した。 | ||
+ | |||
+ | == 中学生が職業体験で自衛隊希望→ロープの結び方など学ぶ→社民党が抗議「15歳未満の徴兵は禁じられている」(2013年11月) == | ||
+ | [[新潟県]][[上越市]]にある[[県立直江津中等教育学校]]の生徒が[[陸上自衛隊]][[高田駐屯地]]で[[職場体験学習]]を行ったことについて[[2013年]][[11月26日]]、社民党や[[労組]]などが同校を訪れ、[[武藤正美]]校長に抗議文を手渡し、来年度以降の中止を求めた。 | ||
+ | |||
+ | 同校では今年11月6~8日に3年生10人が同駐屯地で職場体験学習を行った。生徒たちは[[迷彩服]]を着用して行進などの基本動作やロープの結び方などを学んだという。同校では生徒から体験したい職種と職場をきいて行き先を決めており、自衛隊には17人の生徒が希望したが受け入れ側の高田駐屯地の都合で10人になったという。 | ||
+ | |||
+ | この職場体験学習に抗議したのは上越地区[[平和環境労組会議]]([[牧田正樹]]議長)と社民党上越協議会([[本城文夫]]代表)、[[新社会党]]上越支部([[小山一郎]]支部長)の3団体。 | ||
+ | |||
+ | 3団体の5人が同校を訪れ、「日本も批准している[[ジュネーブ条約]]では15歳未満の徴兵は禁じられている。体験学習とはいえ児童が自衛隊で職場体験することは条約の理念を踏みにじるものだ」などと抗議した。 | ||
+ | |||
+ | 武藤校長は「キャリア教育の大事な学習で、自衛隊もいろいろな企業などの中の一つと認識している。[[防衛大]]を受験する生徒も実際におり、職業選択の一つの選択肢としてしっかりと本物を見てもらいたいと思っている」と説明した。 | ||
+ | |||
+ | これに対して3団体は「自衛隊は軍隊だ。一般の企業と同列に捉えるのは平和学習の上でも問題だ」(新社会党の小山氏)、「生徒が迷彩服を着ていることに違和感を感じないのか」(社民党の本城氏)などと詰め寄った。 | ||
+ | |||
+ | 武藤校長は「自衛隊が軍隊かどうかについて私はここで論じる立場にない。批判があるということは認識したので、これまで通り職場体験学習をより良いものにするために検討したい」と答えた。上越市教育委員会によると、同市内では今年、同校のほか、市立中学校2校が自衛隊で職場体験学習を行っている。 | ||
+ | |||
+ | == 組織 == | ||
+ | === 本部 === | ||
+ | 社民党は[[国立国会図書館]]に隣接する[[三宅坂]]のビル社会文化会館に本部を構えている。このビルの運営は社民党の事実上の支配下にある[[財団法人]]社会文化会館が所有、運営しており、敷地は国有地を年間約2850万円で借り受けているものである。これは、かつての本部が[[東京オリンピック]]開催に伴う[[国道246号]]の拡幅工事で立ち退きが必要になったため、国が代替地を提供したことによる。 | ||
+ | |||
+ | === 社会民主党全国連合・執行部役員表 === | ||
+ | ; 常任幹事会 | ||
+ | {| class="wikitable" | ||
+ | !colspan="2" |党首 | ||
+ | |colspan="6" style="white-space: nowrap;"|[[福島瑞穂]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2"|副党首・組織局長 | ||
+ | |colspan="6" style="white-space: nowrap;"|[[又市征治]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2" |幹事長・選挙対策委員長 | ||
+ | |colspan="6" style="white-space: nowrap;"|[[重野安正]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2" |副幹事長・生活福祉担当常任幹事 | ||
+ | |colspan="6" style="white-space: nowrap;"|[[中島隆利]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2"|国会対策委員長 | ||
+ | |colspan="6" style="white-space: nowrap;"|[[照屋寛徳]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2" |政策審議会長 | ||
+ | |colspan="6" style="white-space: nowrap;"|[[阿部知子]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2"|財政局長・女性青年担当常幹 | ||
+ | |colspan="6"|[[吉田忠智]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2"|国民運動局長・国際担当常任幹事 | ||
+ | |colspan="6"|[[山内徳信]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2"|平和市民担当常幹・自治体担当常任幹事 | ||
+ | |colspan="6"|[[服部良一 (政治家)|服部良一]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2"|組織担当常任幹事・機関誌宣伝局長 | ||
+ | |colspan="6"|市川博美 | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2"|労働担当常任幹事 | ||
+ | |colspan="6"|[[吉泉秀男]] | ||
+ | |- | ||
+ | !colspan="2"|総務・企画局長・総務担当常任幹事・企画担当常任幹事 | ||
+ | |colspan="6"|河井卓弥 | ||
+ | |} | ||
+ | 名誉党首は[[村山富市]]、[[土井たか子]]である。 | ||
+ | |||
+ | ; 参議院議員団 | ||
+ | {| class="wikitable" | ||
+ | !style="width: 150px;"|会長 | ||
+ | |style="width: 120px;"|又市征治 | ||
+ | |- | ||
+ | !幹事長 | ||
+ | |又市征治 | ||
+ | |} | ||
+ | |||
+ | === 歴代の社会民主党全国連合・執行部役員表 === | ||
+ | {| class="wikitable" style="text-align: center; width: 100%;" | ||
+ | ! 党首 !! colspan="6" | 副党首 !! 幹事長 !! 政策審議会長 !! 院内総務会長<br/>国会対策委員長 !! 参議院議員会長 | ||
+ | |- | ||
+ | | [[村山富市]] | ||
+ | | [[久保亘]] | ||
+ | | [[岡崎トミ子]] | ||
+ | | [[日野市朗]] | ||
+ | | [[五十嵐広三]] | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | [[佐藤観樹]] | ||
+ | | [[伊藤茂]] | ||
+ | | [[池端清一]] | ||
+ | | 久保亘 | ||
+ | |- | ||
+ | | [[土井たか子]] | ||
+ | | 久保亘 | ||
+ | | 岡崎トミ子 | ||
+ | | 日野市朗 | ||
+ | | 五十嵐広三 | ||
+ | | [[野坂浩賢]] | ||
+ | | [[上原康助]] | ||
+ | | 伊藤茂 | ||
+ | | [[及川一夫]] | ||
+ | | [[秋葉忠利]] | ||
+ | | [[日下部禧代子]] | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 日下部禧代子 | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 秋葉忠利 | ||
+ | | [[前島秀行]] | ||
+ | | 〃 | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 日下部禧代子 | ||
+ | | 伊藤茂 | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | [[渕上貞雄]] | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[村沢牧]] | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[山口鶴男]] | ||
+ | | 伊藤茂 | ||
+ | | [[梶原敬義]] | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[濱田健一]] | ||
+ | | [[中西績介]] | ||
+ | | 梶原敬義 | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | 伊藤茂 | ||
+ | | 梶原敬義 | ||
+ | | [[清水澄子]] | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | [[福島瑞穂]] | ||
+ | | [[辻元清美]] | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | [[東門美津子]] | ||
+ | | | ||
+ | | 清水澄子 | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[山本正和]] | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | 東門美津子 | ||
+ | | [[谷本巍]] | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[大脇雅子]] | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | 東門美津子 | ||
+ | | 中西績介 | ||
+ | | 山本正和 | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[大渕絹子]] | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | [[照屋寛徳]] | ||
+ | | 中西績介 | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[阿部知子]] | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | |- | ||
+ | | 福島瑞穂 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | 照屋寛徳 | ||
+ | | 中西績介 | ||
+ | | [[横光克彦]] | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | [[又市征治]] | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 横光克彦 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | 照屋寛徳 | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[重野安正]] | ||
+ | | 〃 | ||
+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | 又市征治 | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
+ | | 重野安正 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | [[日森文尋]] | ||
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+ | |- | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 渕上貞雄 | ||
+ | | 又市征治 | ||
+ | | | ||
+ | | | ||
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+ | | | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 〃 | ||
+ | | 辻元清美 | ||
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+ | | 又市征治 | ||
+ | |} | ||
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+ | === 歴代社会民主党党首一覧 === | ||
+ | {| class="wikitable" | ||
+ | ! 代 !! 党首 !! 期 !! 就任日 !! 退任日 !! 退任理由 | ||
+ | |- | ||
+ | ! 1 | ||
+ | | [[村山富市]]<br/>[[ファイル:Murayama Tomiichi 1-1.jpg|80px]] || style="text-align:center" | 1 || [[1996年]][[1月19日]] || 1996年[[9月28日]] || [[第41回衆議院議員総選挙]]に向けた党体制の立て直し。 | ||
+ | |- | ||
+ | ! rowspan="4" | 2 | ||
+ | | rowspan="4" | [[土井たか子]]<br/>[[ファイル:Takako Doi in Tokyo congressist election 2.jpg|80px]] || style="text-align:center" | 2 || 1996年9月28日 || [[1998年]][[12月22日]] || rowspan="4" | [[第43回衆議院議員総選挙]]の敗北による引責。 | ||
+ | |- | ||
+ | | style="text-align:center" | 3 || 1998年12月22日 || [[2000年]][[1月21日]] | ||
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+ | | rowspan="4" | [[福島瑞穂]]<br/>[[ファイル:Mizuho Fukushima cropped 2 Mizuho Fukushima.jpg|80px]] || style="text-align:center" | 6 || 2003年11月15日 || [[2005年]][[12月2日]] || rowspan="4" | | ||
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+ | |- | ||
+ | | style="text-align:center" | 9 || 2009年12月4日 || (現職) | ||
+ | |} | ||
+ | === 所属国会議員 === | ||
+ | 社会民主党の[[国会議員]]は現在、[[衆議院議員]]'''6'''名、[[参議院議員]]'''4'''名の計'''10'''名である。 | ||
+ | {|class="wikitable" | ||
+ | |- | ||
+ | ! colspan="5"|衆議院議員 | ||
+ | |- | ||
+ | ! 小選挙区 | ||
+ | | [[重野安正]]([[大分県第2区|大分2区]]) | ||
+ | | [[照屋寛徳]]([[沖縄県第2区|沖縄2区]]) | ||
+ | | colspan="2"| | ||
+ | |- | ||
+ | ! 比例区 | ||
+ | | [[吉泉秀男]]([[比例東北ブロック|東北ブロック]]) | ||
+ | | [[阿部知子]]([[比例南関東ブロック|南関東ブロック]]) | ||
+ | | [[服部良一 (政治家)|服部良一]]([[比例近畿ブロック|近畿ブロック]]) | ||
+ | | [[中島隆利]]([[比例九州ブロック|九州ブロック]]) | ||
+ | |} | ||
+ | |||
+ | {|class="wikitable" | ||
+ | |- | ||
+ | ! colspan="4"|参議院議員 | ||
+ | |- | ||
+ | ! [[2013年]]改選 | ||
+ | | [[又市征治]](比例代表) | ||
+ | | [[山内徳信]](比例代表) | ||
+ | |- | ||
+ | ! [[2016年]]改選 | ||
+ | | [[福島瑞穂]](比例代表) | ||
+ | | [[吉田忠智]](比例代表) | ||
+ | |} | ||
+ | |||
+ | == 党勢の推移 == | ||
+ | * これ以前については、[[日本社会党#党勢の推移|党勢の推移(日本社会党)]]を参照 | ||
+ | |||
+ | === 衆議院 === | ||
+ | {| class="wikitable" | ||
+ | |- | ||
+ | !選挙!!当選/候補者!!定数!!備考 | ||
+ | |- | ||
+ | |(改称時)||63/- | ||
+ | |style="tetx-align: right;"|511||第41回総選挙前には30(大多数民主党へ移籍) | ||
+ | |- | ||
+ | |[[第41回衆議院議員総選挙|第41回総選挙]]||15/48 | ||
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+ | |- | ||
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+ | |} | ||
+ | |||
+ | === 参議院 === | ||
+ | {| class="wikitable" | ||
+ | |- | ||
+ | !選挙!!当選/候補者!!非改選!!定数!!備考 | ||
+ | |- | ||
+ | |(改称時)||39/- | ||
+ | |style="tetx-align: right;"|- | ||
+ | |style="tetx-align: right;"|252||第18回通常選挙前には20(大多数民主党へ移籍) | ||
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+ | |[[第22回参議院議員通常選挙|第22回通常選挙]]||2/14 | ||
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+ | |style="tetx-align: right;"|242||無所属共同推薦候補も4人いたが全員落選 | ||
+ | |} | ||
+ | |||
+ | (参考文献:[[石川真澄]](一部[[山口二郎]]による加筆)『戦後政治史』2004年8月、[[岩波書店]]・[[岩波新書]]、ISBN 4-00-430904-2) | ||
+ | * 当選者に[[追加公認]]は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。 | ||
+ | * 『戦後政治史』にない追加公認は国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1990年 - 1999年)・国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1996年 - 2003年)・国会議員会派別議員数の推移(召集日現在)(衆議院、2001 - 2008年)、参議院(1990 - 1999年)参議院(1994 - 2004年)・参議院 (召集日現在)(2000 - 2008年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。第20回通常選挙直後の召集はない。 | ||
+ | |||
+ | === 地方政治 === | ||
+ | * 地方議員:440人([[2010年]][[12月31日]]現在) | ||
+ | ** 都道府県議会:57人 | ||
+ | ** 市区町村議会:383人 | ||
+ | |||
+ | == 社会民主党の政権ポスト == | ||
+ | ()内の党内ポストは、入閣直前のポスト | ||
+ | |||
+ | * [[1996年]][[1月11日]]・[[第1次橋本内閣|第1次橋本龍太郎内閣]] | ||
+ | ** [[国務大臣]] | ||
+ | *** [[副総理]]兼[[大蔵大臣]]・[[久保亘]](副党首) | ||
+ | *** [[郵政大臣]]・[[日野市朗]](副党首) | ||
+ | *** [[労働大臣]]・[[永井孝信]] | ||
+ | *** [[総務庁長官]]・[[中西績介]] | ||
+ | *** [[環境庁長官]]・[[岩垂壽喜男]] | ||
+ | ** [[政務次官]]等 | ||
+ | *** 内閣官房副長官・[[渡辺嘉蔵]] ‐ [[藁科滿治]]【1996年[[10月11日]] ‐ 】 | ||
+ | *** 大蔵政務次官・[[鉢呂吉雄]] | ||
+ | *** 文部政務次官・[[日下部禧代子]] | ||
+ | *** 運輸政務次官・[[北沢清功]] | ||
+ | *** 建設政務次官・[[沢藤礼次郎]] | ||
+ | *** 経済企画政務次官・[[清水澄子]] | ||
+ | |||
+ | * [[2009年]][[9月16日]]・[[鳩山由紀夫内閣]] | ||
+ | ** [[国務大臣]] | ||
+ | *** [[内閣府特命担当大臣]]([[消費者庁|消費者行政推進]]・[[食品安全委員会|食品安全]]・[[少子化|少子化対策]]・[[男女共同参画社会|男女共同参画]]各担当)・[[福島瑞穂]](党首) | ||
+ | * 9月18日 | ||
+ | ** [[副大臣]] | ||
+ | *** [[国土交通副大臣]]・[[辻元清美]] | ||
+ | |||
+ | == 主な支持・支援組織 == | ||
+ | * [[全国労働組合連絡協議会 (1989-)|全国労働組合連絡協議会]](全労協) | ||
+ | * [[日本労働組合総連合会]](連合)<ref>主に民主党を支持しているが、社民党も支持する(地方によっては民主党よりも影響力の強いところもある)。</ref> | ||
+ | |||
+ | == 対外関係 == | ||
+ | === 中華人民共和国 === | ||
+ | [[福島瑞穂]]、[[照屋寛徳]]がそれぞれ[[北京オリンピックを支援する議員の会]]の顧問と幹事として所属している。 | ||
+ | |||
+ | ==== 中国による尖閣漁船衝突事件への姿勢 ==== | ||
+ | 中国漁船が[[尖閣諸島中国漁船衝突事件|尖閣漁船衝突事件]]を起こした際に社民党は、「[[尖閣諸島]]は、歴史的にみて明らかに日本の[[領土]]であり、[[沖縄県]][[石垣市]]に属する[[島]]である。[[領海]]内で他国の漁船が操業することは、特段の取り決めがない限り断じて認められないことであり、[[海上保安庁]]が取り締まることは当然である。」との談話を発した。この事件について中国が日本側に謝罪と賠償を求めたが、これは全く論拠がなく認められない主張であるとして社民党は、中国に謝罪と賠償の要求を直ちに取り下げるように求めた。 | ||
+ | |||
+ | === 社民党の照屋寛徳議員「沖縄、ついにヤマトから独立へ」、県民「沖縄の総意とは思わないでほしい」 === | ||
+ | "社民・照屋議員「沖縄は独立した方がいい」中国紙に同調、県民からは危惧の声" | ||
+ | |||
+ | 沖縄の本土復帰から41年を迎える2013年[[5月15日]]、沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」が設立される。これに関して、衆院沖縄2区選出の社民党の[[照屋寛徳]]国対委員長が自身のブログで | ||
+ | |||
+ | 『沖縄、ついにヤマトから独立へ』 | ||
+ | |||
+ | と題した文書を公表した。沖縄の独立をめぐっては中国共産党の機関紙、[[人民日報]]傘下の国際情報紙である環球時報が11日の社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」などと中国政府に提案したが、歩調を合わせるような一連の動きに、県民からも「独立が『沖縄の総意』とは思わないでほしい」と危惧する声があがっている。 | ||
+ | |||
+ | 照屋氏は、研究学会の設立を伝える[[4月1日]]の地元メディアの報道に対して、同日付のブログで | ||
+ | |||
+ | 「明治いらいの近現代史の中で、時の政権から沖縄は常に差別され、いまなおウチナーンチュ(沖縄出身者)は日本国民として扱われていない」 | ||
+ | |||
+ | との認識を表明。 そのうえで | ||
+ | |||
+ | 「沖縄は日本国から独立した方が良い、と真剣に思っている」と強調し、独立の研究学会設立に対して「大いに期待し、賛同する」との姿勢を打ち出した。 | ||
+ | |||
+ | こうした主張について沖縄在住のジャーナリスト、[[惠隆之介]]氏は「照屋氏の見方は一部の[[左翼]]勢力の歴史観をもとにしたもの。県民の7、8割は今のまま日本の統治下にあるのがいいと思っている」と反論。 | ||
+ | |||
+ | インターネットの普及によって若い世代を中心に、一部の極端な主張が地元メディアから「沖縄の総意」として扱われることへの反発も広がっているという。 | ||
+ | |||
+ | 惠氏はまた、明治以降の沖縄に対して日本が国を挙げて近代化に努め、当時の県民が感謝していた事実をあげ、「歴史の中で日本もアメリカもすべて敵というのは尋常な感覚ではない」と指摘。「照屋氏は議員のバッジを返上して主張すべきだ」と批判した。 | ||
+ | |||
+ | 一方、学会は5月15日午後、沖縄県庁で記者会見を開いたあと県内の大学施設で発会式を行う予定。独立を前提に他国の事例などを研究、国連機関への訴えなど「実践」も行うという。 | ||
+ | |||
+ | 沖縄の帰属をめぐっては8日付の人民日報が「琉球王国は明清両朝の時期には属国だった」とし、先の大戦の敗戦で日本の「琉球の領有権」はなくなったと主張する論文を掲載した。 | ||
+ | |||
+ | 「沖縄独立」への賛意をブログで表明したことについて、照屋氏は14日中の産経新聞の取材には応じなかった。 | ||
+ | |||
+ | === 朝鮮民主主義人民共和国 === | ||
+ | [[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)とは日本社会党時代から長きに渡り引き続き良好な関係を保っていたが、[[2002年]]の[[日朝首脳会談]]で[[金正日]]が拉致を認めた後、社民党の[[朝鮮労働党]]宛質問状に返答がなかったため同年12月関係を凍結し、それ以後の交流はない。 | ||
+ | * 拉致問題・核問題・ミサイル問題等の解決のために党以外の第三者の訪朝を含め、目に見える行動の可能性を最大限追求する。 | ||
+ | * [[在日本朝鮮人総聯合会]]に対して、従来通り友好関係を維持するとしている。また、地方組織レベルで、北朝鮮とは引き続き関係を保っている。 | ||
+ | |||
+ | ==== 北朝鮮による日本人拉致事件への姿勢 ==== | ||
+ | 社民党は、社会党時代の[[1963年]]に第一次訪朝団を派遣して以来、朝鮮労働党との交流を積み上げ、「[[朝鮮労働党]]唯一の友党」を標榜してきた。 | ||
+ | |||
+ | 一方で、党の拉致問題への対応について、社会党時代から[[朝鮮半島問題]]に取り組んできた[[田英夫]]は「『ご説ごもっとも。友好第一』で、本当の友人として批判する態度ではなかった」、「拉致を信じていなかった。だまされた」としている。 | ||
+ | |||
+ | [[1990年]]に自民党の[[金丸信]]と訪朝した[[田辺誠]]元社会党委員長は、当時拉致問題に関しては全く知らなかったと釈明し、「家族からの陳情も私には届いていなかった。行方不明者がいるという話を小耳にはさみ、訪朝前に外務省や警察庁に聞いたが確認できなかった」と主張した。 | ||
+ | |||
+ | 社民党機関誌『月刊社会民主』1997年7月号では、「20年前に少女が行方不明になったことは事実だが、それが北朝鮮によるものというのは何一つ根拠がなく、元工作員の矛盾だらけの又聞き証言やその他の意味付けがされて生まれたのが実態であり、日本政府が食糧支援をさせないために最近になって創作された事件である」という記載がなされた。[[2001年]]、[[日本人拉致事件]]が明るみに出て以降も同論文を同党のホームページに掲載し続けた。 | ||
+ | |||
+ | 2002年[[9月17日]]の[[日朝首脳会談]]以降、「これまで朝鮮労働党は、社民党が参加してきた森団長、村山団長の2度にわたる訪朝団との会談で『拉致は存在しない』『行方不明者として調査する』と対応してきた。社民党も同会議の席上、拉致・行方不明者の生存確認の追究を厳しく求めてきた。」との立場を取りつつも、上記論文について、2002年[[10月3日]]の常任幹事会後の記者会見で、[[保坂展人]]総合企画室長(当時)は、「党の見解と同一かを確認したことはないが、なるべく早い時期に見解を出したい」と述べ、当面は掲載を続ける考えを示していた。しかし、既に当該論文の内容や社民党における取り扱いなどがマスコミ等によって周知されており、この党の対応に対しては党の支持者からも抗議が殺到、保坂展人総合企画室長(当時)は「論文が拉致がなかったという内容で、家族の気持ちを思うと不適当だと判断した。今日、執筆者と連絡がとれ、削ってもいいという了解をもらった」として、論文の削除を行った。 | ||
+ | |||
+ | 2002年[[10月7日]]、所属する[[田嶋陽子]]が、一連の対応を「(拉致事件という)現実に対する対応にスピード感も柔軟性もない」と批判のうえ、離党を表明する事態に陥ると、福島瑞穂幹事長(当時)は、本来、党の政治的見解等の広報を担う機関誌に掲載した論文であるにもかかわらず「当時の状況下における個人論文で党の見解ではない」と釈明し、土井たか子党首(当時)は田嶋陽子の離党に関する記者会見において、「(朝鮮労働党との間で)拉致問題を取り上げなかったわけではないが、追及が十分とは言えなかった。被害者の家族には申し訳ありませんと、おわびしたい。」と謝罪している。 | ||
+ | |||
+ | [[平沢勝栄]]からは「拉致はないと言っていたんだから社会党は。それを(拉致がないと)信じていたんだから。」「拉致問題はないとは言ってないと言いますけどね、私は土井たか子さんの(発言を)鮮明に覚えてます。土井たか子さんはね、『拉致問題拉致問題って言うけど、先方が拉致なんかないって言っているんだからないんです』とTVで言った。これは鮮明に覚えています。」と厳しい批判を受け、また、拉致被害者家族の有本嘉代子からは「社民党ですか?私、あれ日本の政治家と思ってませんよ。あれは北朝鮮の政治家です。」と厳しく批判されている。 拉致被害者の有本恵子は土井たか子の地盤であった[[西宮市]]の出身であり、有本夫妻は当初、北朝鮮にパイプを持つ土井に拉致問題の調査を依頼したものの、拉致の存在を信じていなかった土井は積極的に取り組まず、土井や社民党に失望した有本夫妻は土井の対抗馬であり、[[民社党]]県議会議員時代から拉致問題に取り組んできた[[自由民主党]]の[[大前繁雄]]を[[2003年]]の総選挙において応援。結果土井は党首であるにもかかわらず小選挙区で落選を喫し、比例区で復活当選した。 | ||
+ | |||
+ | 2003年[[11月2日]]放送の『[[報道2001]]』では司会の「かつて社民党は拉致はでっち上げということをおっしゃっていましたよね」との質問に対し土井たか子は「そんなことを党として言った事はないですよ、それはおかしい報道ですね。それは事実と違います」と発言している。 | ||
+ | |||
+ | === ヨーロッパ === | ||
+ | [[ドイツ社会民主党|ドイツ社民党]]と[[社会党 (フランス)|フランス社会党]]と、友党関係にある。 | ||
+ | |||
+ | == 脚注 == | ||
+ | {{脚注ヘルプ}} | ||
+ | {{Reflist}} | ||
+ | |||
+ | == 関連項目 == | ||
+ | * [[ネット左翼]] | ||
+ | * [[ブサヨ]] | ||
+ | * [[プロ市民]] | ||
+ | * [[人権屋]] | ||
+ | * [[社共共闘]] | ||
+ | * [[社公民路線]] | ||
+ | * [[社会民主党を離党した国会議員一覧]] | ||
+ | * [[代理人運動]]、[[生活者ネット]] | ||
+ | |||
+ | {{DEFAULTSORT:しやかいみんしゆとう}} | ||
+ | [[カテゴリ:蛆虫]] | ||
+ | [[Category:日本社会党]] | ||
+ | [[Category:社会民主党]] | ||
+ | [[Category:社会主義インターナショナル]] | ||
+ | [[Category:日本の左翼]] | ||
+ | [[Category:反日主義]] |
2020年1月12日 (日) 18:41時点における最新版
社会民主党(しゃかいみんしゅとう)は、日本のゴキブリ政党。略称は社民党、社民。
目次
概要[編集]
1996年に日本社会党が改称して発足。議会勢力としては、左派(自称: 中道左派、旧社会党内の護憲派ないし市民改革派)を継承している。はじめ社会党末期の路線を継承して「社民・リベラル」を掲げたが、野党化以降は北欧型社会民主主義やフランス社会党のモデルに近い「社会民主主義」路線を押し出し、2006年決定の綱領「社会民主党宣言」では、プロレタリア独裁と同時に自由主義(リベラル)の字句も完全に消え、アメリカ型の民主党路線とも一線を画している。
アメリカ民主党では、ビル・クリントンの「第三の道」以降、自由主義(リベラリズム)から共同体主義(コミュニタリアニズム)ヘ接近するグループが形成され、社会民主主義との境界が曖昧に使用されてきているという経緯がある。また欧州の社会民主主義政党は、特に「第三の道」以降、福祉や雇用の機会均等、中立政策を最優先する社会民主主義から自由主義競争を大幅に受け入れ、集団安全保障を肯定する立場に転じ、アメリカ民主党のリベラル中道や社会自由主義ともいわれる立場に近い政策が採られるようになった。
現在の党首である福島瑞穂は、2003年以来の4回の党首選挙で全て無投票で当選している。また福島は、2011年現在の日本の政党で唯一の女性党首である。
国際組織の社会主義インターナショナルに加盟しており、党首の福島が副議長を務めている。
旧民社国政権与党3党での取り決めで社民党所属の国会議員の海外公務のファーストクラス利用を禁止していたが、連立離脱後の現在は不明。
国会内の勢力は民主党・自民党・公明党・みんなの党・共産党に次ぐ第6党で、衆議院議員6名・参議院議員4名である。
政策[編集]
平和と福祉、環境保護、脱原子力、格差是正、雇用安定が党の主張の中心である。
- 観光産業の不振で米海兵隊誘致に非常に熱心なテニアン島においては、地元政府である北マリアナ連邦上院と下院が普天間基地の移設先はテニアン島が「最適地」であるとの決議を全会一致でを採択するなど、受け入れに賛成している。なお、北マリアナ連邦は既に事実上財政が破綻している。
- 日米安全保障条約は、最終的に「平和友好条約」へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進める(2006年社民党宣言)。
- アメリカ軍基地への立ち入り権を新たに明記し、緊急の場合は通報のみで立ち入れるようにするなど、日米地位協定の改正を提起する。
- 日本国憲法を堅持し、平和憲法の理念の実現を呼びかけ、平和外交による紛争対処を唱える。
- 自衛隊を「違憲」とし、改変・解消をして非武装中立の日本を目指す(社民党宣言)。しかし、自社さ連立政権においては村山首相が所信表明演説において合憲と明言しており、民社国連立政権においても、福島党首自ら自衛隊は合憲と認めた。
- 都市を無防備にして、それを宣言することで他国からの攻撃を避けることを地方公共団体(地方自治体)のレベルで決めようという日本独特の無防備地域宣言運動に唯一賛成している政党である。
- 平和主義の理念に基づく平和政策を率先して立案し、外交政策に反映させる。特に、武器貿易条約の早期締結、クラスター爆弾の全面禁止、対人地雷禁止条約の強化、劣化ウラン弾の使用禁止などで日本がリーダーシップを発揮する。
- 核燃料サイクル計画を「非現実的で高コスト」「核拡散上の問題も多い」として批判。原子力発電については、危険性の高い炉や老朽化した原子炉を順次廃炉にし、最終的には風力発電によって置き換えることを主張している。
- 福祉社会を目標とし、雇用の安定・創出と社会保障充実を柱にした経済対策を行う。
- 女性の権利向上を志向する(社民党は他党と比較して土井たか子党首が積極的に女性候補を増加させるクォータ制を導入した結果女性議員の比率が高い。2000年の第42回衆議院議員総選挙後から2003年の第43回衆議院議員総選挙まで女性議員の比率が男女同数で女性議員が半数を占めた。(衆議院議員が男性9人で女性が10人で女性議員数の方が多くて、参議院議員が2001年までは男性が7人で女性が6人で2001年の第19回参議院議員通常選挙以降は男性が4人で女性が3人で、女性議員の比率が50%)であった。当時は田嶋陽子を参議院比例区に公認するなどフェミニズム政党と呼ばれたが、現在は少数政党化が進み女性議員の比率が減少して、最重要政策が女性政策から平和や労働政策となっている。党首も2代続けて女性である)。
- 院内交渉団体制度の撤廃。
- 救急患者のたらい回しをなくすため「周産期医療ネットワーク」と「救急搬送受け入れ体制」を早急に整備し、周産期医療の後方支援体制を確立する。
- 労働者の権利を守るため、客観的・合理的な理由がなく「就職内定の取り消し」をされた場合は、「就職内定の取り消し」を無効とし、悪質な「就職内定の取り消し」を行った企業は、企業名を公表する。
収入源[編集]
平成21年度の政治資金収支報告書によれば、党費による収入は約2億円。なお、平成21年度の党費納入者の数は21359人である。
歴史[編集]
自社さ政権時代[編集]
1996年1月日本社会党第64回大会での名称変更決定を受け、同年3月第一回大会を開き成立する。初代党首は村山富市、幹事長は佐藤観樹。村山内閣総辞職により成立した第1次橋本内閣に参加し、自社さ政権の枠組みを引き続き維持した。成立時はさらに新党を作るための過渡的政党との位置づけだった。佐藤観樹ら右派系および一部左派の議員多数は同年成立の旧民主党に参加したが、総選挙を控えた同年9月民主党は左派系長老議員の参加を拒否した。そのため社民党で選挙を戦うことになり、党首も土井たか子に代わる。旧支持基盤の労働組合の大半が旧民主党支持に転じたため、土井党首は辻元清美ら市民運動出身者を積極的に立候補者に起用したが、10月の第41回衆議院議員総選挙では15議席しか獲得できながった。彼女らは「土井チルドレン」と呼ばれた。
総選挙後は、閣外協力として引き続き連立政権に参加したが、1998年5月に連立政権から離脱した。
党名変更と自社さ連立政権に批判的な左派勢力は、1996年1月に離党し新社会党を結党している。新社会党に参加した議員・党員の中には、除名処分となった者もいる。
連立政権離脱から2003年総選挙敗北まで[編集]
政権離脱後の1999年東京都知事選挙で旧社会党時代から唯一の都知事選における自主投票。2000年第42回衆議院議員総選挙では4議席増の19議席を確保。しかし、2001年参議院選挙では得票・議席とも大幅に減らした。結果的に、同年の第7回党大会で自社さ連立政権以来の旧幹部が退き、幹事長に福島瑞穂、政審会長に辻元清美など市民派が重要ポストに就いた。これ以後、自民党に対する対決姿勢が強まった。
2001年10月、不審船対策として、停船命令に従わない不審船への船体射撃を認める海上保安庁法改正案が自民党から共産党まで圧倒的多数の賛成で成立する中で、社民党だけが反対投票を行った。この法案に賛成した山本正和は社民党を除名され、無所属の会へ移籍した。
2002年3月に市民派の代表・辻元清美が秘書給与問題で議員辞職する。この事件や日本人拉致問題の対応で、離党・除名者(田嶋陽子、大渕絹子、大脇雅子ら)が出た。
その後、社民党は公式HPで拉致事件を批判する声明を出し、朝鮮労働党との関係を凍結する。しかし、この対応は既に遅きに失し、2003年の第43回衆議院議員総選挙では6議席と惨敗し、党首の土井も小選挙区で落選、比例で復活した。市民運動出身の議員はほとんどが落選した。
2002年4月に国連の「テロ資金供与防止条約」を批准するための関連新法が国会で可決、成立した。テロ資金の授受で仮名口座などが受け皿になることが多いため、金融機関に対し口座開設や200万円以上の現金取引を行う際、顧客の身元確認(本人確認)を義務付ける法案であるが、自民党から共産党まで圧倒的多数の賛成で成立する中で、社民党だけが反対投票を行った。この法律については、日本弁護士連合会からも法案に反対する意見書が出ていた。
福島瑞穂党首就任[編集]
総選挙後、土井たか子は党首を引責辞任し、11月15日に福島瑞穂が後任に選ばれた。護憲、九条遵守の立場を維持するとともに、幹事長には自治労出身の又市征治が就任し、労組、エコロジー派、消費者運動、市民派(NPO)等の吸収を目指して、新しいグローバリゼーションの状況に対抗可能な社会民主主義の模索を開始している。
2004年参議院選挙では、前党首の土井が「選挙違反をやっていいとは言わないが、すれすれのところまで、本気になって頑張ろう」と声明を発した。 厳しい選挙戦の結果、福島をはじめ2議席を確保するに止まったが、複数議席獲得により解体・民主党への合流などの事態はまぬがれた。
2005年、政党交付金の激減による財政難から党職員の整理解雇を職員団体に通告した。党は直近の選挙でリストラ反対とワークシェアリングによる雇用確保を主張しており、党職員からは「『雇用を守る』という党の労働政策と矛盾している」と反発の声が挙がっていたが、当時幹事長の又市征治は「人件費を切り詰めざるを得ない」として、同年2月17日、33名の本部職員のうち、55歳以上の高齢者、兼職、職務怠慢のいずれかを理由に9名に指名解雇をした。被解雇者中3名は労働組合を結成し、解雇無効の訴訟を起こしたが、2007年4月11日の一審判決、同年9月13日の二審判決、2008年2月1日の最高裁判決は、ともに党が勝訴した。もう一人の訴訟者に対する同年8月30日の一審判決も党が勝訴したが、08年1月東京高裁で金銭和解が成立した。
2005年8月8日、衆議院が解散されると、翌9日、副党首の横光克彦が離党。8月17日、元政策審議会長の濱田健一が離党表明。いずれも民主党に鞍替えし、横光は大分3区、濱田は鹿児島4区から民主党の公認を受けた。横光は当選(比例区での復活)、濱田は落選した。一方、社民党は執行猶予中であったが、辻元清美を復党させ大阪10区で公認、比例近畿ブロックにおいて、名簿順位1位で重複立候補した。辻元は、同区では落選したものの、比例近畿ブロックで復活当選したが、比例近畿ブロック単独立候補であった元党首の土井たか子は落選(社民党の比例代表近畿ブロック当選者は1人で、土井は5位。ただし、2位から4位の候補者が供託金没収で復活当選ができないため、辻元が当選していれば当選していた。)した。議席数は公示前の5議席から7議席に回復した。
2006年2月11日、12日の第10回党大会で、自衛隊が「現状、明らかに違憲状態」であり、「縮小を図り」、「非武装の日本を目指す」との内容を含んだ「社会民主党宣言」が採択され、旧社会党時代の1994年に村山首相が打ち出した自衛隊合憲・容認路線は修正され、基本政策はほぼ村山内閣以前に戻った(ただし、福島は2010年3月1日の衆議院予算委員会において、自衛隊の憲法上の位置づけについて「(党として合憲か違憲か)結論を出していない」としており、同月12日の参議院予算委員会では、自民党の佐藤正久の「(自衛隊を)合憲と認めるか」との質問に対して、「閣僚としての発言は差し控えさせていただく」として回答を拒んだが、最終的に「社民党の方針は変わらない。内閣の一員としては内閣の方針に従う。自衛隊は違憲ではない」と答弁した。同時に、1993年に政治改革関連4法案に反対し処分された17名のうち離党した者を除く9名の処分を取り消したほか、元党首の村山富市、土井両氏の「名誉党首」就任も決定された。一方、新社会党及び「9条ネット」については、又市は「『戻ってらっしゃい』と言っている。『村山政権のときに安保・自衛隊を認めた』と、馬鹿みたいな話をまだしている。」と批判した。
2007年4月20日、国の海洋政策を一元化するための海洋基本法と、ガス田掘削施設などの周辺への船舶進入を規制する海洋構築物安全水域設定法が、自民・公明・民主・共産・国民新各党の賛成により可決成立したが、社民党のみ反対した。福島は「この法律は領土問題や資源問題について近隣諸国との関係に影響を与えるものである。拙速に行うと、交渉に悪い影響を与えることになる。」とコメントした。
2007年参院選での野党勝利から2009年衆議院解散まで[編集]
2007年参議院選挙では、「憲法9条と年金があぶない! 今回は社民党へ」をキャッチコピーに、憲法と年金問題を中心に主張し、近年各政党が力を入れる政党CMではアニメを採用するユニークなCMを福島などが強調した。結果は幹事長の又市を含め2議席確保の参議院計5議席にとどまる。
またこの選挙で民主党系会派と社民党の議席の合計が過半数に達し、野党は参議院における安定多数を確保し勝利した。
2007年12月22日、本部にて第11回党大会を開催し、立候補者1名のみの無投票で福島の党首当選(3期目)を正式に決定した。福島は講演で「次回の衆議院選挙で2桁(10人以上)の当選を目指す」とした。この党大会では1998年(自民党当時総裁の橋本龍太郎)以来久々に、他党幹部として民主党代表代行の菅直人や国民新党副代表の自見庄三郎らが来賓出席した。また、党役員人事では副党首に幹事長の又市征治、幹事長に国会対策委員長の重野安正、副幹事長に東京都連副会長だった保坂展人が就くことになった。また、参院選比例区候補だった上原公子は、社民党を労組依存体質から脱却し、市民運動やNPOの連合体を目指す党改革案を提出し話題となった。
一方、地方でも議席は減少傾向であるが、旧社会党組織が比較的強く残る地方では、民主党より議席数が多い地域もある(特に大分県)。東北地方と九州地方、そして沖縄県は旧社会党が強かった地域であり、現在も強い組織が残っている。
2007年よりYouTubeへ党の宣伝やニュースの動画をアップしている(外部リンク参照)。これは各党に見られるものである。2008年初頭に投稿された『【SDP】:党員募集!』では、大阪府高槻市市議会議員の川口洋一と福岡県田川市市議会議員の佐々木まことが出演し、党員になることを訴えた。この動画の中で川口は今までの社民党が閉ざされた政党であったことを逆説的に「皆さん、社民党は開かれた政党に生まれ変わりつつあります」と主張した。
2001年以来失って回復できていない東京都議会の議席を獲得するため、2009年東京都議会議員選挙では2人の候補を擁立し、福島党首が応援演説で「時代はだんだん社民党、時代はどんどん社民党」なるキャッチフレーズを掲げて支持を訴えたが、議席回復は果たせなかった。ただし、昭島選挙区の社民党や民主党など共産党を除く野党推薦する元生活者ネットワークの星裕子は当選した(当選後は生活者ネットの会派に所属)。
また、社民党から唯一、参院選全国比例で組織内候補を立てていた日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)が、渕上貞雄の引退に伴い、次から民主党から組織内候補を立てることを決定した。
政権交代、三党連立政権参加へ[編集]
2009年第45回衆議院議員総選挙(8月30日投票日)において、民主党が圧勝し、社民党は、国民新党と共に政策合意に基づく歴史的な3党連立政権に参加することになった。この3党合意により、鳩山内閣(9月16日発足)において、党首の福島瑞穂の閣僚入り(消費者・少子化担当相)が決定した。基本政策閣僚委員会では事実上の拒否権をもっている。自社さ連立政権以来、分裂と小党化の「長期低落傾向」の中で、自民党・民主党の二大政党制が確立していく過程ではあったが、13年ぶりに閣僚をは送り込み、11年ぶりに与党に復帰することになった。また、国土交通副大臣に辻元清美が就任した。
2009年12月の社民党党首選挙で福島瑞穂は、アメリカ軍普天間基地の問題について、国外や県外への移設を強く主張し、党内の照屋寛徳ら国外・県外移設を強く主張する議員に応えたこともあり、福島が再選した。
普天間基地代替施設移設問題は、従来からの社民党の主張である基地の国外・県外への移設を連立政権の中でも主張し、閣僚である党首の福島は「鳩山内閣が万が一、辺野古沿岸部に海上基地をつくるという決定をした場合には、社民党にとっても、私にとっても、重大な決意をしなければならない」と述べ、基地問題の解決のために、連立政権からの離脱も辞さない覚悟で基地を国外・県外へ移設させる強い覚悟を示した。2009年12月15日、与党3党で基本政策閣僚委員会を開き、民主党が具体的期日を設けることを求めたのに対して社民党は「重要なことは期限ではなく、沖縄県民の負担軽減と、沖縄県民、日本国民の多くが納得するような結論を3党で力を振り絞って出すこと。そうでなければ結局、この問題は解決しない」と述べ拒否したため、米軍普天間基地の移設先に関する方針決定を先送りし、連立3党実務者でつくる協議機関で再検討することを決めた。
2009年12月24日、社民党は基地をグアムに移転させるために、党内に米軍普天間飛行場の移設問題に関するプロジェクトチームを発足させた。プロジェクトチームは2010年1月中に米グアム島を視察し、米側の普天間移設問題に対する認識を確認するため、ワシントン訪問も検討している。2010年1月10日、福島は、来日中の米議会下院外交委員会「アジア・太平洋・地球環境小委員会」の委員長エニ・ファレオマバエガ、マイク・ホンダ、ジョセフ・カオら下院議員と米軍海兵隊を主力とする普天間飛行場移設問題について意見交換した。ファレオマバエガは、会談後の記者会見で「誰もが納得できるような解決につなげるための情報収集を目的に来日した。同移設問題の方針決定は日本の国内問題だが、今後も行方を見守り、解決につなげていきたい」と述べた。
福島は、「環境やジュゴンの問題も大事だが、一番大切なのは沖縄県民の気持ちだ」、「沖縄県民の大多数は県外、国外移設を望んでいると説明した。県民の思いが重要だというファレオマバエガ氏の言葉は沖縄の基地負担を理解しているようで印象的だった」と述べ、米下院での今後の動きに期待を寄せた。1月の名護市長選で当選した稲嶺進は、当選後、就任あいさつで「選挙中、辺野古の海にも陸上にも新しい基地は造らせないということを訴えた」と同市辺野古への米軍普天間飛行場の移設反対をあらためて主張した。2月24日の沖縄県議会本会議では、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書」案を全会一致で可決した。これらの世論の動向を受けるかたちで、福島からは、沖縄県内の民意を最大限尊重し、場合によっては、5月末決着を先延ばししてでも、慎重な政権運営を図っていきたいという意向が示された。また、政審会長の阿部知子は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設案として、米領グアムなどに全面移転する「国外移設案」や、国外移設までの期限付きで九州北部の既存自衛隊基地などに分散移転する「暫定県外移設案」など3案を、3月上旬にも開かれる政府・与党の沖縄基地問題検討委員会に提出し、最終調整に臨む方針(「私案」)も示した。
連立解消[編集]
しかし普天間問題で、鳩山首相は結局自公連立政権時代の案に近い内容で政府案をまとめ、福島にも同意の署名を求めたことから、福島はこれを拒否し、内閣府消費者・少子化担当特命大臣を罷免された。
直後に福島党首が開いた会見で「社民党は沖縄を裏切ることはできない」「数々の犠牲を払ってきた沖縄にこれ以上の負担を押し付けることに加担するわけにはいかない」と述べ署名に応じなかった経緯を説明した。また「言葉に責任を持つ政治をやって行きたい」と述べ上記の「重大な決意」を実行した社民党と、「国外、最低でも県外」の公約を守らなかった民主党を比較し民主党を批判した。
これを受け党内では、「党首たる福島が罷免された以上連立を維持する意味がない」として、連立解消を求める意見が大勢となり、2010年5月30日に開いた全国幹事長会議で、最終的に連立を解消することを決定した。
これを受けて琉球新報と毎日新聞が合同で緊急の県民世論調査を行った結果、社民党の政党支持率が大幅に上昇し10.2%でトップとなった。県内で社民党の政党支持率が他党をおさえてトップになるのは初めてである。その調査では普天間基地の辺野古移設に反対が84%、賛成が6%となった。
第22回参議院議員通常選挙における選挙協力の見直しについては、各地域で事情が異なることから全国統一のルールは設けず、それぞれの地域事情に応じて是々非々の対応をとる方向で調整するものの、連立解消の影響を受けることは避けられなくなっている。
第22回参議院議員通常選挙では、改選議席数3を2に後退させた。沖縄県では比例での得票数こそトップになったものの、沖縄県選挙区では自民党公認の島尻安伊子が再選され、社民党が推薦した候補は次点に終わった。
2010年7月26日、辻元清美が社民党離党の意向を表明。同日夜に重野安正幹事長が、翌27日に福島瑞穂党首が離党を思い留まるよう慰留したが辻元は受け入れず、離党届を提出。次期衆院選には無所属での出馬を表明した。社民党執行部は離党届を受理せず、慰留を続けていたが、8月19日にようやく辻元の離党を了承した。
沖縄の基地問題だけでなく自民党などが提出した柳田稔法相の問責決議案に賛成するなど菅内閣への対立姿勢を示しつつも、国会運営に必要な3分の2の議席を必要とする菅内閣からは政権への協力を呼びかけられている。社民党は与党には戻らないとしながらも、社民党の要求が通るならば政権に協力するいう立場を表明している。菅政権も武器輸出三原則の見直しを先送りさせるなどして社民党に配慮している。
2011年9月28日、自民、公明など野党7党の国対委員長は、国会内で会談し、社民党を除く6党は、民主党の小沢一郎元代表の資金管理団体による土地取引事件について、小沢氏本人と、同氏の元秘書で有罪判決を受けた石川知裕衆院議員の証人喚問を求めることで一致し、29日の与野党国対委員長会談で民主党に申し入れた。この件で、社民党は衆院政治倫理審査会を主張した。翌29日午前の与野党国会対策委員長会談で、民主、国民新両党は、開会中の臨時国会を再延長せず、30日で閉会する方針を野党側に伝えた。石川知裕衆院議員ら元秘書3人が政治資金規正法違反の罪で有罪判決を受けた小沢一郎元代表の証人喚問についても「応じられない」と回答した。
脱原発運動との関係[編集]
党首・福島は米国の外交専門誌フォーリン・ポリシーが選ぶ2011年の「世界の100人」に名を連ねた。脱原発の活動を長く続けたとして、福島の事実婚のパートナーで原発訴訟に携わる弁護士海渡雄一と共同で選ばれた。同誌は2009年から、その年に政治、経済、平和活動など幅広い分野で影響力をふるった人物を挙げている。日本の政治家では福島が初めてで、オバマ米大統領や英仏独の首相・大統領、ミャンマー(ビルマ)の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーらとともに選ばれている。
2012年2月、社民党の党首選が行われ、福島のみが立候補を届け出て、無投票で5選された。立候補には所属する都道府県連合の推薦に加え、党国会議員(10人)の3分の1以上(4人)か、党員200人以上の推薦が必要で、福島は重野安正・中島隆利・吉泉秀男・吉田忠智ら4人の国会議員から推薦を取り付けた。福島と対立する阿部知子・照屋寛徳・服部良一らは立候補要件を満たせず、対立候補を立てられなかった。また党員推薦で立候補を目指した稲森稔尚・三重県伊賀市議も、同県連合の推薦確保に難航し断念。福島は記者団に「社民党を元気にしたい。衆参の選挙で勝つことが一番大事な仕事だ。生活再建と脱原発を頑張りたい」と語った。
なお、民社国連立政権時代には与党の原子力政策(鳩山イニシアチブに基づく原発依存率の強化と原発増設)を容認し、2012年7月に実施された鹿児島県知事選挙では原発再稼動に反対する反原発団体事務局長で新人の向原祥隆を支援せず、現職の伊藤祐一郎を社民党系の県議全員が支援した(社民党鹿児島県連は自主投票とした)。
第46回衆議院総選挙[編集]
2012年11月15日、 社民党による政策実現に疑問を持った阿部知子が離党届を提出し日本未来の党に合流した。また、第46回衆議院議員総選挙の陣頭指揮をとるはずだった幹事長の重野安正が11月18日、脳梗塞で入院しているため、出馬断念に追い込まれた。
同選挙では第三極の台頭もあって、旧来政党でしかも小規模な社民党は新党乱立の中で埋没し、これまで以上の苦戦を強いられた。毎回安定した戦いを見せる照屋寛徳の沖縄2区を除く全議席が当落線上にあったものの、辛くも比例九州ブロックで1議席を確保。しかし総獲得議席数は小選挙区・比例各1議席ずつの合計2議席と、公示前の半減、阿部離党前と比すと3分の1に減少。比例代表における得票率は2.3%(前回総選挙は4.27%)、得票数は142万票(同300万票)とほぼ半減した(11ブロック中6ブロックで得票率が有効得票数の2%に達せず、新聞広告公費負担から外れた)。同じく第三極台頭の中で埋没した日本共産党が、議席減を1(9→8議席)にとどめて比較的善戦したのとは対照的な結果となった。
第18回東京都議会議員選挙[編集]
2013年6月23日の第18回東京都議会議員選挙では1人が社会民主党から立候補したものの議席獲得はできなかった。
第183回国会会期末の2013年6月25日に安倍内閣総理大臣に対する問責決議を生活の党及びみどりの風とともに参議院に共同提出し可決させたが、電気事業法改正案や生活保護法改正案などが審議未了のまま廃案となった。
第23回参議院議員選挙[編集]
2013年7月21日の第23回参議院議員選挙では、先の衆院選時における新党・第三極ブームは収まったものの、投票率の低下も相まって現行の与党勢力が復調し、参院でのねじれ解消という展開となる。その中でも共産党や日本維新の会、みんなの党といった中堅野党勢力はそれぞれの反与党票を確保し比較的堅調な戦いを見せ、公示前より勢力を拡大させた。一方の社民党は民主党や生活の党などと共に、反与党票の受け皿とはなり得ず、逆に公示前より勢力を減らしている。同選挙では選挙区に5人、比例区に4人擁立したが、比例で1議席(又市征治)を獲得するに留まった。この選挙でもかろうじて得票率が2%を越え、国会に議席が存在する限り2019年まで政党要件喪失を回避する結果とはなったものの、退潮傾向に歯止めがかからないことに変わりはなく、選挙結果を受けて党首の福島瑞穂は引責辞任を表明、党常任幹事会で了承された。次期党首が決定するまで、当面の間は又市征治幹事長が党首代行を務める。なお、照屋寛徳も山城博治を当選させられなかった責任を取り、国会対策委員長を辞任すると表明している。
村山元首相、「社民党にこだわらず。次期衆院選は新党」で(2013年)[編集]
村山富市元首相は8月18日夜、社民党の今後について「社民党はこのままいっても先がない。党にこだわらず勢力を結集しなければならない。新しい党をつくることがあってもいい」と述べ、憲法や原発の問題で共通する野党の再編に向けて発展的に解消すべきだとの考えを示した。都内で記者団に語った。
野党再編に関し、「社民党の皆さんが火付けになって働くことも大事だ。党の皆さんは理解してくれると思う」とも述べた。
BS-TBSの番組では「もう社民党なんてものにこだわらないで、憲法改悪などの共通課題で党派を超えて協力を呼びかけていく体制ができれば一番いい。次の衆院選までにはそういう体制をつくっていくことが大事ではないか」と強調した。
中学生が職業体験で自衛隊希望→ロープの結び方など学ぶ→社民党が抗議「15歳未満の徴兵は禁じられている」(2013年11月)[編集]
新潟県上越市にある県立直江津中等教育学校の生徒が陸上自衛隊高田駐屯地で職場体験学習を行ったことについて2013年11月26日、社民党や労組などが同校を訪れ、武藤正美校長に抗議文を手渡し、来年度以降の中止を求めた。
同校では今年11月6~8日に3年生10人が同駐屯地で職場体験学習を行った。生徒たちは迷彩服を着用して行進などの基本動作やロープの結び方などを学んだという。同校では生徒から体験したい職種と職場をきいて行き先を決めており、自衛隊には17人の生徒が希望したが受け入れ側の高田駐屯地の都合で10人になったという。
この職場体験学習に抗議したのは上越地区平和環境労組会議(牧田正樹議長)と社民党上越協議会(本城文夫代表)、新社会党上越支部(小山一郎支部長)の3団体。
3団体の5人が同校を訪れ、「日本も批准しているジュネーブ条約では15歳未満の徴兵は禁じられている。体験学習とはいえ児童が自衛隊で職場体験することは条約の理念を踏みにじるものだ」などと抗議した。
武藤校長は「キャリア教育の大事な学習で、自衛隊もいろいろな企業などの中の一つと認識している。防衛大を受験する生徒も実際におり、職業選択の一つの選択肢としてしっかりと本物を見てもらいたいと思っている」と説明した。
これに対して3団体は「自衛隊は軍隊だ。一般の企業と同列に捉えるのは平和学習の上でも問題だ」(新社会党の小山氏)、「生徒が迷彩服を着ていることに違和感を感じないのか」(社民党の本城氏)などと詰め寄った。
武藤校長は「自衛隊が軍隊かどうかについて私はここで論じる立場にない。批判があるということは認識したので、これまで通り職場体験学習をより良いものにするために検討したい」と答えた。上越市教育委員会によると、同市内では今年、同校のほか、市立中学校2校が自衛隊で職場体験学習を行っている。
組織[編集]
本部[編集]
社民党は国立国会図書館に隣接する三宅坂のビル社会文化会館に本部を構えている。このビルの運営は社民党の事実上の支配下にある財団法人社会文化会館が所有、運営しており、敷地は国有地を年間約2850万円で借り受けているものである。これは、かつての本部が東京オリンピック開催に伴う国道246号の拡幅工事で立ち退きが必要になったため、国が代替地を提供したことによる。
社会民主党全国連合・執行部役員表[編集]
- 常任幹事会
党首 | 福島瑞穂 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
副党首・組織局長 | 又市征治 | ||||||
幹事長・選挙対策委員長 | 重野安正 | ||||||
副幹事長・生活福祉担当常任幹事 | 中島隆利 | ||||||
国会対策委員長 | 照屋寛徳 | ||||||
政策審議会長 | 阿部知子 | ||||||
財政局長・女性青年担当常幹 | 吉田忠智 | ||||||
国民運動局長・国際担当常任幹事 | 山内徳信 | ||||||
平和市民担当常幹・自治体担当常任幹事 | 服部良一 | ||||||
組織担当常任幹事・機関誌宣伝局長 | 市川博美 | ||||||
労働担当常任幹事 | 吉泉秀男 | ||||||
総務・企画局長・総務担当常任幹事・企画担当常任幹事 | 河井卓弥 |
- 参議院議員団
会長 | 又市征治 |
---|---|
幹事長 | 又市征治 |
歴代の社会民主党全国連合・執行部役員表[編集]
党首 | 副党首 | 幹事長 | 政策審議会長 | 院内総務会長 国会対策委員長 |
参議院議員会長 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
村山富市 | 久保亘 | 岡崎トミ子 | 日野市朗 | 五十嵐広三 | 佐藤観樹 | 伊藤茂 | 池端清一 | 久保亘 | ||
土井たか子 | 久保亘 | 岡崎トミ子 | 日野市朗 | 五十嵐広三 | 野坂浩賢 | 上原康助 | 伊藤茂 | 及川一夫 | 秋葉忠利 | 日下部禧代子 |
〃 | 日下部禧代子 | 〃 | 秋葉忠利 | 前島秀行 | 〃 | |||||
〃 | 日下部禧代子 | 伊藤茂 | 渕上貞雄 | 〃 | 〃 | 村沢牧 | ||||
〃 | 山口鶴男 | 伊藤茂 | 梶原敬義 | 〃 | 濱田健一 | 中西績介 | 梶原敬義 | |||
〃 | 渕上貞雄 | 伊藤茂 | 梶原敬義 | 清水澄子 | 福島瑞穂 | 辻元清美 | 〃 | 〃 | ||
〃 | 渕上貞雄 | 東門美津子 | 清水澄子 | 〃 | 〃 | 〃 | 山本正和 | |||
〃 | 渕上貞雄 | 東門美津子 | 谷本巍 | 〃 | 大脇雅子 | 〃 | 〃 | |||
〃 | 渕上貞雄 | 東門美津子 | 中西績介 | 山本正和 | 〃 | 〃 | 〃 | 大渕絹子 | ||
〃 | 渕上貞雄 | 照屋寛徳 | 中西績介 | 〃 | 阿部知子 | 〃 | 渕上貞雄 | |||
福島瑞穂 | 渕上貞雄 | 照屋寛徳 | 中西績介 | 横光克彦 | 又市征治 | 〃 | 横光克彦 | 〃 | ||
〃 | 渕上貞雄 | 照屋寛徳 | 〃 | 〃 | 重野安正 | 〃 | ||||
〃 | 渕上貞雄 | 又市征治 | 重野安正 | 〃 | 日森文尋 | 〃 | ||||
〃 | 渕上貞雄 | 又市征治 | 〃 | 〃 | 辻元清美 | 〃 | ||||
〃 | 渕上貞雄 | 又市征治 | 〃 | 〃 | 照屋寛徳 | 〃 | ||||
〃 | 又市征治 | 〃 | 〃 | 〃 | 又市征治 |
歴代社会民主党党首一覧[編集]
代 | 党首 | 期 | 就任日 | 退任日 | 退任理由 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 村山富市 80px |
1 | 1996年1月19日 | 1996年9月28日 | 第41回衆議院議員総選挙に向けた党体制の立て直し。 |
2 | 土井たか子 80px |
2 | 1996年9月28日 | 1998年12月22日 | 第43回衆議院議員総選挙の敗北による引責。 |
3 | 1998年12月22日 | 2000年1月21日 | |||
4 | 2000年1月21日 | 2002年3月26日 | |||
5 | 2002年3月26日 | 2003年11月15日 | |||
3 | 福島瑞穂 80px |
6 | 2003年11月15日 | 2005年12月2日 | |
7 | 2005年12月2日 | 2007年11月27日 | |||
8 | 2007年11月27日 | 2009年12月4日 | |||
9 | 2009年12月4日 | (現職) |
所属国会議員[編集]
社会民主党の国会議員は現在、衆議院議員6名、参議院議員4名の計10名である。
衆議院議員 | ||||
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小選挙区 | 重野安正(大分2区) | 照屋寛徳(沖縄2区) | ||
比例区 | 吉泉秀男(東北ブロック) | 阿部知子(南関東ブロック) | 服部良一(近畿ブロック) | 中島隆利(九州ブロック) |
参議院議員 | |||
---|---|---|---|
2013年改選 | 又市征治(比例代表) | 山内徳信(比例代表) | |
2016年改選 | 福島瑞穂(比例代表) | 吉田忠智(比例代表) |
党勢の推移[編集]
- これ以前については、党勢の推移(日本社会党)を参照
衆議院[編集]
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(改称時) | 63/- | 511 | 第41回総選挙前には30(大多数民主党へ移籍) |
第41回総選挙 | 15/48 | 500 | |
第42回総選挙 | 19/76 | 480 | |
第43回総選挙 | 6/65 | 480 | |
第44回総選挙 | 7/45 | 480 | |
第45回総選挙 | 7/37 | 480 |
参議院[編集]
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(改称時) | 39/- | - | 252 | 第18回通常選挙前には20(大多数民主党へ移籍) |
第18回通常選挙 | 5/37 | 8 | 252 | |
第19回通常選挙 | 3/24 | 5 | 247 | |
第20回通常選挙 | 2(会派+1)/15 | 3 | 242 | |
第21回通常選挙 | 2/23 | 3 | 242 | |
第22回通常選挙 | 2/14 | 2 | 242 | 無所属共同推薦候補も4人いたが全員落選 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 『戦後政治史』にない追加公認は国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1990年 - 1999年)・国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1996年 - 2003年)・国会議員会派別議員数の推移(召集日現在)(衆議院、2001 - 2008年)、参議院(1990 - 1999年)参議院(1994 - 2004年)・参議院 (召集日現在)(2000 - 2008年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。第20回通常選挙直後の召集はない。
地方政治[編集]
社会民主党の政権ポスト[編集]
()内の党内ポストは、入閣直前のポスト
主な支持・支援組織[編集]
- 全国労働組合連絡協議会(全労協)
- 日本労働組合総連合会(連合)[1]
対外関係[編集]
中華人民共和国[編集]
福島瑞穂、照屋寛徳がそれぞれ北京オリンピックを支援する議員の会の顧問と幹事として所属している。
中国による尖閣漁船衝突事件への姿勢[編集]
中国漁船が尖閣漁船衝突事件を起こした際に社民党は、「尖閣諸島は、歴史的にみて明らかに日本の領土であり、沖縄県石垣市に属する島である。領海内で他国の漁船が操業することは、特段の取り決めがない限り断じて認められないことであり、海上保安庁が取り締まることは当然である。」との談話を発した。この事件について中国が日本側に謝罪と賠償を求めたが、これは全く論拠がなく認められない主張であるとして社民党は、中国に謝罪と賠償の要求を直ちに取り下げるように求めた。
社民党の照屋寛徳議員「沖縄、ついにヤマトから独立へ」、県民「沖縄の総意とは思わないでほしい」[編集]
"社民・照屋議員「沖縄は独立した方がいい」中国紙に同調、県民からは危惧の声"
沖縄の本土復帰から41年を迎える2013年5月15日、沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」が設立される。これに関して、衆院沖縄2区選出の社民党の照屋寛徳国対委員長が自身のブログで
『沖縄、ついにヤマトから独立へ』
と題した文書を公表した。沖縄の独立をめぐっては中国共産党の機関紙、人民日報傘下の国際情報紙である環球時報が11日の社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」などと中国政府に提案したが、歩調を合わせるような一連の動きに、県民からも「独立が『沖縄の総意』とは思わないでほしい」と危惧する声があがっている。
照屋氏は、研究学会の設立を伝える4月1日の地元メディアの報道に対して、同日付のブログで
「明治いらいの近現代史の中で、時の政権から沖縄は常に差別され、いまなおウチナーンチュ(沖縄出身者)は日本国民として扱われていない」
との認識を表明。 そのうえで
「沖縄は日本国から独立した方が良い、と真剣に思っている」と強調し、独立の研究学会設立に対して「大いに期待し、賛同する」との姿勢を打ち出した。
こうした主張について沖縄在住のジャーナリスト、惠隆之介氏は「照屋氏の見方は一部の左翼勢力の歴史観をもとにしたもの。県民の7、8割は今のまま日本の統治下にあるのがいいと思っている」と反論。
インターネットの普及によって若い世代を中心に、一部の極端な主張が地元メディアから「沖縄の総意」として扱われることへの反発も広がっているという。
惠氏はまた、明治以降の沖縄に対して日本が国を挙げて近代化に努め、当時の県民が感謝していた事実をあげ、「歴史の中で日本もアメリカもすべて敵というのは尋常な感覚ではない」と指摘。「照屋氏は議員のバッジを返上して主張すべきだ」と批判した。
一方、学会は5月15日午後、沖縄県庁で記者会見を開いたあと県内の大学施設で発会式を行う予定。独立を前提に他国の事例などを研究、国連機関への訴えなど「実践」も行うという。
沖縄の帰属をめぐっては8日付の人民日報が「琉球王国は明清両朝の時期には属国だった」とし、先の大戦の敗戦で日本の「琉球の領有権」はなくなったと主張する論文を掲載した。
「沖縄独立」への賛意をブログで表明したことについて、照屋氏は14日中の産経新聞の取材には応じなかった。
朝鮮民主主義人民共和国[編集]
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは日本社会党時代から長きに渡り引き続き良好な関係を保っていたが、2002年の日朝首脳会談で金正日が拉致を認めた後、社民党の朝鮮労働党宛質問状に返答がなかったため同年12月関係を凍結し、それ以後の交流はない。
- 拉致問題・核問題・ミサイル問題等の解決のために党以外の第三者の訪朝を含め、目に見える行動の可能性を最大限追求する。
- 在日本朝鮮人総聯合会に対して、従来通り友好関係を維持するとしている。また、地方組織レベルで、北朝鮮とは引き続き関係を保っている。
北朝鮮による日本人拉致事件への姿勢[編集]
社民党は、社会党時代の1963年に第一次訪朝団を派遣して以来、朝鮮労働党との交流を積み上げ、「朝鮮労働党唯一の友党」を標榜してきた。
一方で、党の拉致問題への対応について、社会党時代から朝鮮半島問題に取り組んできた田英夫は「『ご説ごもっとも。友好第一』で、本当の友人として批判する態度ではなかった」、「拉致を信じていなかった。だまされた」としている。
1990年に自民党の金丸信と訪朝した田辺誠元社会党委員長は、当時拉致問題に関しては全く知らなかったと釈明し、「家族からの陳情も私には届いていなかった。行方不明者がいるという話を小耳にはさみ、訪朝前に外務省や警察庁に聞いたが確認できなかった」と主張した。
社民党機関誌『月刊社会民主』1997年7月号では、「20年前に少女が行方不明になったことは事実だが、それが北朝鮮によるものというのは何一つ根拠がなく、元工作員の矛盾だらけの又聞き証言やその他の意味付けがされて生まれたのが実態であり、日本政府が食糧支援をさせないために最近になって創作された事件である」という記載がなされた。2001年、日本人拉致事件が明るみに出て以降も同論文を同党のホームページに掲載し続けた。
2002年9月17日の日朝首脳会談以降、「これまで朝鮮労働党は、社民党が参加してきた森団長、村山団長の2度にわたる訪朝団との会談で『拉致は存在しない』『行方不明者として調査する』と対応してきた。社民党も同会議の席上、拉致・行方不明者の生存確認の追究を厳しく求めてきた。」との立場を取りつつも、上記論文について、2002年10月3日の常任幹事会後の記者会見で、保坂展人総合企画室長(当時)は、「党の見解と同一かを確認したことはないが、なるべく早い時期に見解を出したい」と述べ、当面は掲載を続ける考えを示していた。しかし、既に当該論文の内容や社民党における取り扱いなどがマスコミ等によって周知されており、この党の対応に対しては党の支持者からも抗議が殺到、保坂展人総合企画室長(当時)は「論文が拉致がなかったという内容で、家族の気持ちを思うと不適当だと判断した。今日、執筆者と連絡がとれ、削ってもいいという了解をもらった」として、論文の削除を行った。
2002年10月7日、所属する田嶋陽子が、一連の対応を「(拉致事件という)現実に対する対応にスピード感も柔軟性もない」と批判のうえ、離党を表明する事態に陥ると、福島瑞穂幹事長(当時)は、本来、党の政治的見解等の広報を担う機関誌に掲載した論文であるにもかかわらず「当時の状況下における個人論文で党の見解ではない」と釈明し、土井たか子党首(当時)は田嶋陽子の離党に関する記者会見において、「(朝鮮労働党との間で)拉致問題を取り上げなかったわけではないが、追及が十分とは言えなかった。被害者の家族には申し訳ありませんと、おわびしたい。」と謝罪している。
平沢勝栄からは「拉致はないと言っていたんだから社会党は。それを(拉致がないと)信じていたんだから。」「拉致問題はないとは言ってないと言いますけどね、私は土井たか子さんの(発言を)鮮明に覚えてます。土井たか子さんはね、『拉致問題拉致問題って言うけど、先方が拉致なんかないって言っているんだからないんです』とTVで言った。これは鮮明に覚えています。」と厳しい批判を受け、また、拉致被害者家族の有本嘉代子からは「社民党ですか?私、あれ日本の政治家と思ってませんよ。あれは北朝鮮の政治家です。」と厳しく批判されている。 拉致被害者の有本恵子は土井たか子の地盤であった西宮市の出身であり、有本夫妻は当初、北朝鮮にパイプを持つ土井に拉致問題の調査を依頼したものの、拉致の存在を信じていなかった土井は積極的に取り組まず、土井や社民党に失望した有本夫妻は土井の対抗馬であり、民社党県議会議員時代から拉致問題に取り組んできた自由民主党の大前繁雄を2003年の総選挙において応援。結果土井は党首であるにもかかわらず小選挙区で落選を喫し、比例区で復活当選した。
2003年11月2日放送の『報道2001』では司会の「かつて社民党は拉致はでっち上げということをおっしゃっていましたよね」との質問に対し土井たか子は「そんなことを党として言った事はないですよ、それはおかしい報道ですね。それは事実と違います」と発言している。
ヨーロッパ[編集]
脚注[編集]
- ↑ 主に民主党を支持しているが、社民党も支持する(地方によっては民主党よりも影響力の強いところもある)。