「グレシャムの法則」の版間の差分
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また、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉は、悪人がはびこるような治安の悪い状態や、軽佻浮薄な文化が流行するような場合を指すときにもよく引き合いに出される。前述のアリストパネスの例のように、これはもともと転義的用法だが、主流や流行を非難する際に便利な言葉なので、本来の意義を離れてよく用いられる。 | また、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉は、悪人がはびこるような治安の悪い状態や、軽佻浮薄な文化が流行するような場合を指すときにもよく引き合いに出される。前述のアリストパネスの例のように、これはもともと転義的用法だが、主流や流行を非難する際に便利な言葉なので、本来の意義を離れてよく用いられる。 | ||
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+ | グレシャムが主張した「悪貨は良貨を駆逐する」という原則。 | ||
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+ | 品位量目の違う二種の貨幣に、同一の名目価格をつけて流通させる時、実質価値の高い貨幣(良質)は蓄蔵されたり、地金として使用されたりして市場から姿を消し、実質価値の低い貨幣(悪貨)のみ残るというもの。 | ||
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+ | ↑グレシャム Thomas Gresham †(1519頃-1579) イギリスの貿易商人。王室財務官。エリザベス一世時代に王室為替取引所を設立、貨幣改鋳を行なった。【噴水台】鋳潰の自由 | ||
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+ | 「悪貨は良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」は、実は誤って付けられた名前だ。 | ||
+ | 英国女王エリザベス1世の財政顧問だったグレシャムが著述した『備忘録』(1559)にはそうした主張が入っていない。 ただし、女王あてに送る書簡で「鋳貨の低質化が英国鋳貨(英ポンド)の交換比率を落とすはずであり、良い金貨が国外に流出している」と指摘しているだけだ。 | ||
+ | グレシャムの法則が、通常、国内の流通過程で起きるものだが、グレシャムは対外貿易で発生するのを見たのだ。 | ||
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+ | それは「コペルニクスの法則」になるべきだった。 地動説で有名なコペルニクスは『貨幣論』(1517)で「良質と低質の鋳貨が共に流通すれば、細工師らが良質の鋳貨を選び出して、銀を溶かした後、無知な大衆に売るだろう。....劣等鋳貨が良貨を追い出すために導入される」と主張した。 彼はまた、ポーランド国王に低質な鋳貨を発行し利得を取るよう建議する学者らに対し「貨幣は王の法に従うのではなく、自身の法に従う」と雄弁した。 | ||
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+ | コペルニクスの話にきちんと従った国がスウェーデンだった。 銅が豊かなスウェーデンでは、金・銀の代わりに小銭が使われた。 ところが、額面にあわせているため、小銭の重さが途方もなく重くならざるを得なかった。 初めて小銭を作ったクリスティーナ女王(1632~54)の当時、10ドルの小銭の重さは19.75キロに達した。 金持ちは家が崩れるのを防ぐために、地下室にお金を保管しなければならなかった。 | ||
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+ | 第1次世界大戦の前まで広範囲に施行されていた金本位制は、このように鋳貨の金属含有量、すなわち「内在価値(地金)が鋳貨に彫られた名目価値(額面)と一致する良貨」を前提としたものだ。 それを裏付けるのが、鋳造と鋳潰(いつぶすこと)の自由である。 金の価値が、同じ重さの金貨の額面価格より下落すれば、金の所持者らは中央銀行に金貨を作ってほしい、と要求できる権利が鋳造の自由だ。 反対に、金の価格が上がり金塊が金貨より高い場合、金貨を溶かして金塊に作れる権利が鋳つぶす自由だ。 それを通じて金貨と金塊の価値が一致できた。 | ||
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+ | 銅と亜鉛を混ぜて作った10ウォン(約1円)のコインが超優良の鋳貨になったもようだ。 材料費と額面が同じくなる「メルティングポイント」が崩れ、小銭を溶かして他の物を作るほうが良い状況に至った。 そのため、中央銀行の韓国銀行は10ウォンのコインを、さらに安い材料で、さらに小さく変える予定らしい。 すでに貨幣としての価値を失って久しいが、せめて所持者のポケットを軽くしてやりたい、というサービスマインドのようだ。 | ||
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2019年12月13日 (金) 23:01時点における最新版
グレシャムの法則(グレシャムのほうそく)は、経済学の法則のひとつ。一般には内容の要約「悪貨は良貨を駆逐する」で知られる。
貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通するという法則の事である。従って、主に金貨や銀貨など、それ自体に価値のある貨幣に当てはまる法則で、貨幣自体に大して価値のない信用貨幣の場合は殆ど当てはまらない。
例えば、金の含有量の多い金貨と少ない金貨の二種類が、同じ額面で同時に流通したとする。この二種類には、通貨としての価値は同じでも貴金属としての価値は違うという、二重の価値が生じる。仮に、貴金属としての価値の高い方を良貨、低い方を悪貨と呼ぶ。
すると、人々は良貨を手元に置いておき、日々の支払いには悪貨を用いる傾向が生じる。貨幣を用いるとはその貨幣を手放すという事であり、貴金属としての価値の高い良貨は手放したくなくなり、日々の支払いには貴金属としての価値の低い悪貨で間に合わせておこうと考えるからである。
『グレシャムの法則』という名称は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来する。これを19世紀イギリスの経済学者ヘンリー・マクロードが自著『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し『グレシャムの法則』と命名、以後この名称で呼ばれるようになった。
なお、悪貨が良貨を駆逐するという現象自体は、古くから各地で知られていた。古代ギリシアの劇作家アリストパネスは、自作の登場人物に「この国では、良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」という台詞を与え、当時のアテナイで行われていた陶片追放を批判している。
また、天文学者として知られるニコラウス・コペルニクスも、グレシャムの進言に先駆けて同様の説を唱えていたらしい。
時代はグレシャムより下るが、日本の江戸時代中期の思想家三浦梅園も、自著『価原』(1773年)の中で「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」という説を独立して唱えている。
また、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉は、悪人がはびこるような治安の悪い状態や、軽佻浮薄な文化が流行するような場合を指すときにもよく引き合いに出される。前述のアリストパネスの例のように、これはもともと転義的用法だが、主流や流行を非難する際に便利な言葉なので、本来の意義を離れてよく用いられる。
グレシャムが主張した「悪貨は良貨を駆逐する」という原則。
品位量目の違う二種の貨幣に、同一の名目価格をつけて流通させる時、実質価値の高い貨幣(良質)は蓄蔵されたり、地金として使用されたりして市場から姿を消し、実質価値の低い貨幣(悪貨)のみ残るというもの。
↑グレシャム Thomas Gresham †(1519頃-1579) イギリスの貿易商人。王室財務官。エリザベス一世時代に王室為替取引所を設立、貨幣改鋳を行なった。【噴水台】鋳潰の自由
「悪貨は良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」は、実は誤って付けられた名前だ。 英国女王エリザベス1世の財政顧問だったグレシャムが著述した『備忘録』(1559)にはそうした主張が入っていない。 ただし、女王あてに送る書簡で「鋳貨の低質化が英国鋳貨(英ポンド)の交換比率を落とすはずであり、良い金貨が国外に流出している」と指摘しているだけだ。 グレシャムの法則が、通常、国内の流通過程で起きるものだが、グレシャムは対外貿易で発生するのを見たのだ。
それは「コペルニクスの法則」になるべきだった。 地動説で有名なコペルニクスは『貨幣論』(1517)で「良質と低質の鋳貨が共に流通すれば、細工師らが良質の鋳貨を選び出して、銀を溶かした後、無知な大衆に売るだろう。....劣等鋳貨が良貨を追い出すために導入される」と主張した。 彼はまた、ポーランド国王に低質な鋳貨を発行し利得を取るよう建議する学者らに対し「貨幣は王の法に従うのではなく、自身の法に従う」と雄弁した。
コペルニクスの話にきちんと従った国がスウェーデンだった。 銅が豊かなスウェーデンでは、金・銀の代わりに小銭が使われた。 ところが、額面にあわせているため、小銭の重さが途方もなく重くならざるを得なかった。 初めて小銭を作ったクリスティーナ女王(1632~54)の当時、10ドルの小銭の重さは19.75キロに達した。 金持ちは家が崩れるのを防ぐために、地下室にお金を保管しなければならなかった。
第1次世界大戦の前まで広範囲に施行されていた金本位制は、このように鋳貨の金属含有量、すなわち「内在価値(地金)が鋳貨に彫られた名目価値(額面)と一致する良貨」を前提としたものだ。 それを裏付けるのが、鋳造と鋳潰(いつぶすこと)の自由である。 金の価値が、同じ重さの金貨の額面価格より下落すれば、金の所持者らは中央銀行に金貨を作ってほしい、と要求できる権利が鋳造の自由だ。 反対に、金の価格が上がり金塊が金貨より高い場合、金貨を溶かして金塊に作れる権利が鋳つぶす自由だ。 それを通じて金貨と金塊の価値が一致できた。
銅と亜鉛を混ぜて作った10ウォン(約1円)のコインが超優良の鋳貨になったもようだ。 材料費と額面が同じくなる「メルティングポイント」が崩れ、小銭を溶かして他の物を作るほうが良い状況に至った。 そのため、中央銀行の韓国銀行は10ウォンのコインを、さらに安い材料で、さらに小さく変える予定らしい。 すでに貨幣としての価値を失って久しいが、せめて所持者のポケットを軽くしてやりたい、というサービスマインドのようだ。