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		<title>郷間機関 - 変更履歴</title>
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		<title>由亜辺出夫: 中島1977、菱刈1969、南洋商報1947により新規作成</title>
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				<updated>2020-04-25T04:15:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;中島1977、菱刈1969、南洋商報1947により新規作成&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;'''郷間機関'''（ごうまきかん）とは、[[日本占領下のシンガポール]]で、[[重慶無線超諜者検挙事件]]で検挙した[[重慶政府]]のスパイを[[逆スパイ]]にするなど[[華人]]を利用して、中国内地とのコネクションを作ったり、中国内地の情報を収集する情報工作をしていた日本軍の[[特務機関]]。陸軍嘱託の郷間某と[[菱刈隆文]]が機関員で、シンガポールの{{仮リンク|オーチャード・ロード|label=オーチャード路|en|Orchard Road}}に事務所があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==機関員==&lt;br /&gt;
{{Harvtxt|南洋商報|1947}}によると、郷間は陸軍嘱託で、[[広東]]で活動した経験のある人物だった。戦前[[シンガポール]]でスパイをしていたとも伝えられていた。以前から防衛司令部にも属しており、[[黄堆金]]と密接な関係にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Harvtxt|中島|1977|p=145}}によると、1942年7月の[[晒し首事件 (シンガポール)|晒し首事件]]の頃、郷間は、[[予備役]]大尉から何らかの理由で陸軍の諜報員となっていた。[[中近東]]へ行ったことのある人物で、戦前は中国で特務機関に属していたらしい、とのことだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同じ頃、[[中島健蔵]]は、[[菱刈隆文]]を通じて郷間を紹介され、[[第25軍宣伝班|第25軍の宣伝班]]と参謀部を兼務するようになり、午前中は菱刈・郷間と軍司令部に出勤し、午後は宣伝班に顔を出していた{{Sfn|中島|1977|p=153}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Harvtxt|中島|1977|p=171}}によると、機関員は郷間と菱刈の2人だった。責任者は情報参謀だった、ともいう。&lt;br /&gt;
中島自身は、考え方が謀略に向いておらず、2人の機密に立ち入ろうとしなかったため、2人との間に自然にわだかまりができたといい（郷間と合わず）、任期満了により帰国した{{Sfn|中島|1977|p=173}}。&lt;br /&gt;
*編注：中島は、帰国までの期間は、機関員として活動していたようでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事務所==&lt;br /&gt;
機関の事務所は{{仮リンク|オーチャード・ロード|label=オーチャード路|en|Orchard Road}}にあり、[[浪機関]]とも連絡を取っていた{{Sfn|南洋商報|1947}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==任務==&lt;br /&gt;
{{Harvtxt|中島|1977|p=171}}によると、郷間機関は、中国から潜入していた[[中国国民党|国民党]]軍のスパイを憲兵隊から引きとり、逆スパイにするような仕事をしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Harvtxt|菱刈|1969|pp=172-173}}によると、菱刈は、[[重慶無線諜者検挙事件]]で憲兵隊に逮捕され、銃殺されそうになっていた陳という大佐（[[陳奇山]]）以下の重慶政府のスパイをもらい受けて逆スパイにし、重慶との通信を利用して、中国内地の動向を探ったり、日本の動向についての偽情報を流す情報工作をしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
菱刈は1年半ほどでこの職務を離れて帰国し、それから数ヶ月後にこの工作は「どうも駄目になったよう」だったという{{Sfn|菱刈|1969|p=173}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Harvtxt|南洋商報|1947}}は、郷間機関の使命は、[[華人]]を利用して特権を手に入れることで、例えば、為替送金、中国内地に旅行すること、親日活動を鼓舞すること、親日分子を買収すること、中国内地で情報を収集すること、特に[[アメリカ軍]]の飛行場や軍事力に関する情報、内地の情報を収集することなどが目的だった、としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 付録 ==&lt;br /&gt;
=== 脚注 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|20em}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 参考文献 ===&lt;br /&gt;
*{{Aya|中島|year=1977}} [[中島健蔵]]『雨過天晴の巻 回想の文学5 昭和17年-23年』平凡社、{{JPNO|78000357}}&lt;br /&gt;
*{{Aya|菱刈|year=1969}} 菱刈隆文（述）「イエスかノーか - シンガポール陥落」[[東京12チャンネル]]報道部（編）『証言 私の昭和史 3』学芸書林pp.166-173、{{JPNO|73019406}}&lt;br /&gt;
*{{Aya|南洋商報|year=1947}} [https://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/nysp19470712-1.2.146 昭南時代 組織之秘密 浪機關]『南洋商報』1947年7月12日12面&lt;br /&gt;
**日本語訳：「5 浪機関の秘密」許雲樵・蔡史君(原編)田中宏・福永平和(編訳)『日本軍占領下のシンガポール』青木書店、1986年、ISBN 4250860280、134-143頁&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:こうまきかん}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本占領下のシンガポール]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の特務機関]]&lt;br /&gt;
[[Category:1943年のシンガポール]]&lt;br /&gt;
[[Category:1944年のシンガポール]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>由亜辺出夫</name></author>	</entry>

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