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		<title>徳田球一 - 変更履歴</title>
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		<title>Fromm: 新しいページ: '{{政治家 |各国語表記 =  |画像 = Kyuichi Tokuda 1949.jpg |画像説明 = 徳田球一、1949年。 |画像サイズ = 200px |国略称 = {{JPN}} |生年月日 = [[1894...'</title>
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				<updated>2009-11-08T06:23:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;新しいページ: &amp;#039;{{政治家 |各国語表記 =  |画像 = Kyuichi Tokuda 1949.jpg |画像説明 = 徳田球一、1949年。 |画像サイズ = 200px |国略称 = {{JPN}} |生年月日 = [[1894...&amp;#039;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|各国語表記 = &lt;br /&gt;
|画像 = Kyuichi Tokuda 1949.jpg&lt;br /&gt;
|画像説明 = 徳田球一、1949年。&lt;br /&gt;
|画像サイズ = 200px&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1894年]][[9月12日]]  &lt;br /&gt;
|出生地 = [[沖縄県]][[名護市]]&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[1953年]][[10月14日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = [[中華人民共和国]]&lt;br /&gt;
|出身校 = [[日本大学]]&lt;br /&gt;
|所属政党 = [[日本共産党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
|世襲の有無 = &lt;br /&gt;
|親族（政治家） = &lt;br /&gt;
|配偶者 = &lt;br /&gt;
|サイン = &lt;br /&gt;
|国旗 = &lt;br /&gt;
|職名 = &lt;br /&gt;
|当選回数 = &lt;br /&gt;
|就任日 =  &lt;br /&gt;
|退任日 = &lt;br /&gt;
|退任理由 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''徳田 球一'''（とくだ きゅういち、[[1894年]]（[[明治]]27年）[[9月12日]] - [[1953年]]（[[昭和]]28年）[[10月14日]]）は、[[日本]]の[[政治運動家]]、[[革命家]]、[[弁護士]]、[[政治家]]。[[衆議院議員]]（3期）、戦前の非合法政党時代より戦後初期に至るまでの[[日本共産党]]の代表的活動家で、戦後初代の[[日本共産党委員長|書記長]]を務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
[[沖縄県]][[名護市]]出身。「球一」の名は「[[琉球]]一の人物」になることを願って付けられた。旧制沖縄県立第一[[旧制中学校|中学校]]（現[[沖縄県立首里高等学校]]）卒後、[[第七高等学校 (旧制)|旧制第七高等学校]]に入学するも、教官の琉球出身者に対する差別に反発して退学、苦学して[[日本大学]]の夜間部を卒業、[[弁護士]]になった。[[1920年]]（[[大正]]9年）、[[日本社会主義同盟]]に参加。[[1921年]]（大正10年）に[[ソビエト連邦|ソ連]]を訪問。[[1922年]]（大正11年）、非合法の日本共産党（[[第一次共産党 (日本)|第一次共産党]]）結成に参加。[[1925年]]（大正14年）、[[1927年]]（昭和2年）にもソ連に渡った。[[1928年]]（昭和3年）の[[第16回衆議院議員総選挙|第1回普通選挙]]に[[労働農民党]]から出馬（福岡第3区）したが落選、直後の2月26日に[[治安維持法]]違反で逮捕された。これが直後の[[三・一五事件]]のはしりとなる。徳田はそのまま獄中で18年を過ごした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[image:Kyuichi Tokuda speech 1946.jpg|thumb|320px|[[1946年]]の[[復活メーデー]]において演説を行う徳田球一。]]&lt;br /&gt;
[[第二次世界大戦]]終戦後の[[1945年]]（昭和20年）[[10月10日]]に、[[府中刑務所]]を訪れた[[フランス]]人[[ジャーナリスト]]の[[ロベール・ギラン]]によって発見され出獄。[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]を「解放軍」と呼んだ。日本共産党を再建し、同年12月の第4回党大会で[[書記長]]に就任。[[1946年]]（昭和21年）には[[中華民国]]から帰国した[[野坂参三]]と共に[[衆議院議員]]に当選（続いて中選挙区の東京3区より以後3期連続当選）。同年、従兄・耕作の未亡人である徳田たつ（旧姓金原）と結婚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1950年]]（昭和25年）、[[徳田要請問題]]が発生し、[[証人喚問]]をされる。[[コミンフォルム]]から批判を受け共産党が内部分裂（[[所感派]]の項を参照）。また[[レッドパージ]]により[[公職追放]]された。同年、[[中華人民共和国]]に亡命し、亡命先から地下放送の「[[自由日本放送]]」を通じて武装闘争方針を指示した。[[1953年]]（昭和28年）に[[北京市|北京]]で病死。その死は[[1955年]]まで公表されなかった。同年[[9月13日]]に北京で開催された追悼大会は、3万人が参列した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==墓所・記念碑==&lt;br /&gt;
墓は[[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]][[多磨霊園]]、東京都[[港区 (東京都)|港区]][[青山霊園]]の「解放運動無名戦士墓」、[[千葉県]][[松戸市]][[八柱霊園]]の徳田家墓に分骨されている。多磨霊園の墓には「永重不朽」の字があり、これは[[毛沢東]]が徳田の死に際して贈った告別題詞であり、墓銘碑の文字は[[周恩来]]が書いたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出身地である沖縄県名護市の[[ガジュマル公園]]には、功績を記念して市によって記念碑が建立されている。記念碑には肖像の[[レリーフ]]とともに「為人民無期待献身（人民のために期待することなく献身する）」と彫刻されており、かつて徳田が好んで使い、書いた言葉である。この記念碑は1998年に公費によって建てられたが、建立に際しては自民党、公明党、社会党（当時）なども政党を越えて賛成をしたが、共産党は態度を保留していた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他、[[八王子市]]の[[東京霊園]]には「革命英雄記念碑」があり、徳田の功績を讃えている。これは[[日本共産党 (行動派)]]が独自に建てたものである。なお、徳田の妻、たつは後年日本共産党を除名され、日本共産党（行動派）に合流、同じく除名された[[渡辺政之輔]]の妻、[[丹野セツ]]と共に「[[徳田・渡政会]]」を結成、相談役となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物評==&lt;br /&gt;
「獄中18年」という経歴から共産党支持者から[[英雄]]視され、親しみやすい人柄で「徳球（とっきゅう）」のニックネームがあった一方、党内で「オヤジ」「徳田[[天皇]]」と呼ばれるような家父長的（親分子分的）指導体制であったという批判もある。特に、文化運動では、娘婿の[[西沢隆二]]の方針を支持し、〈ダンス至上主義〉といわれるほど社交ダンスを運動のなかにもちこんだ（その実態は[[徳永直]]の小説、『静かなる山々』にも描かれている）。また、[[宮本百合子]]は、1949年に、小説家を軽んじる徳田の方針に対する意見書を提出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[吉田茂]]とは政治的立場において全く相容れないものがあったが、意外にも人間的にはウマが合う間柄だったようである。吉田茂は晩年、随筆「大磯の松」で　｢共産党の徳田球一君は、議会で私を攻撃する時はまことに激しい口調であるが、非常にカラッとした人で、個人的には好きな型の人であった。敵ながら、愉快な人物であった｣と述べている。吉田茂は終戦時40日ほど獄中にあったが、その経験から18年獄中にあった徳田にある種の敬意を抱いていたとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:｢共産党には第一次組閣の当初から悩まされ続けたが、最初の書記長だった徳田球一という人物に対しては、私はどういうわけか、余り強い反感を持たなかった。もちろん、徳田君は粗野無遠慮、私の組閣阻止のためにその一党を以って夜中官邸を囲み塀を乗り越えて侵入したり、宮中の大膳部へ暴徒を連れ込んだり、例の2.1ストの時などは最後まで頑強に抵抗を続け警察をてこずらせたり、（粗野、無遠慮で）厄介且つ怪しからぬ男ではあったけれど、他の共産主義者が、何となく嫌味で、悪辣で執拗であったに反して、悪感を抱かせるようなところは少なかった。むしろ稚気愛すべしとも思われた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:｢この徳田君に私が特に感心していることが一つある。いつ頃だったか、とにかく在野時代であるが、党の幹部の一人が、百万円だったか幾らだったか、寄付をもらったが、これは党への献金だから、といって私に礼状を書いてくれというので、それを書いてやったのが問題になって、国会の何とか称する委員会に引き出されて、査問を受けたことが有る。社会党の議長が委員長で、社会党の委員がうるさく私に質問して、私の個人財産に亘ることを、微にいり細をうがって調べた。（中略）その時共産党の徳田君に至っては、一言もいわない。むしろ間接に私を助けたいような態度で、何とつまらぬことをいうのかというが如き風を示していた。議場の質問などでは、ずいぶん激しいことを言うが、毫も私事に亘ることはいわない。私は感心な男だと思った。議場で演壇に上がるときなど、私の前を通りながら『大いにやりますぞ』と声をかけたり、また戻りしなに『きょうは参ったでしょう』とかいって、からかったりする。他の連中が、眼の色を変えて、狂犬のような調子で食ってかかるに反して、徳田君は時々私の方を振り返ってにっこりするという調子で、どことなく憎めないところのある人間であった｣&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（吉田茂『回想10年』）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
また、[[第1次吉田内閣]]で[[大蔵大臣]]を務めていた[[石橋湛山]]（[[東洋経済新報社]]にて主幹・社長を歴任した[[ジャーナリスト]]。第55代[[内閣総理大臣]]）も好意的な印象を抱いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:　――当時の共産党のたとえば徳田球一などと話されたことは……。&lt;br /&gt;
:'''石橋'''　あった。おもしろい男だったですね。非常に正直な人間です。それに理屈はわかるほうでしょうね。わかるから話がしやすいですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（中略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:　――徳田球一というのは、だいたいどんな男だったんですか。&lt;br /&gt;
:'''石橋'''　おもしろい男だった。ガラガラして……。話はわかるですね。僕がはじめて彼に会ったのは、立川かどこかの選挙演説で休憩のときだった。そのとき徳田君は、ナタ豆キセルで煙草をのんでいる男がそれだった。「石橋さんですか、『東洋経済』にはたいへんごやっかいになりました」という。「監獄にいる間に、『東洋経済』だけは入れてくれた。『東洋経済』だけが世間を知る窓口になった」というのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（石橋湛山『湛山座談』）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献 ==&lt;br /&gt;
=== 著書 ===&lt;br /&gt;
*『天皇制の打倒 : 人民共和政府の樹立』（文苑社、1946年）&lt;br /&gt;
*『組織問題について』（暁書房、1946年）&lt;br /&gt;
*『日本の産業と農業の將來』（日本共産黨出版部、1947年3月）&lt;br /&gt;
*『共産黨は彈劾する! : 徳田球一議會演説集』（日本青年共産同盟出版部、1948年、1949年）&lt;br /&gt;
*『わが思い出』（東京書院、1948年11月）&lt;br /&gt;
*『國會演説集』（中城龍雄、1949年）&lt;br /&gt;
*『内外情勢と日本共産黨の任務 : 書記長報告集』（中城龍雄編、真理社、1949年2月）&lt;br /&gt;
*『私は何を要請したか : 参議院引揚特別委員会の証言より』（日本共産党出版局、1950年5月）&lt;br /&gt;
*『党生活の刷新のために』（日本共産党出版部、1950年1月）&lt;br /&gt;
*『日本共産黨三十周年に際して』（民主新聞社、1952年8月）&lt;br /&gt;
*『祖国解放のために : 日本共産党創立三十周年にさいして』（駿台社、1952年8月）&lt;br /&gt;
*『利根川水系の綜合改革 : 社会主義建設の礎石』（駿台社、1952年8月）&lt;br /&gt;
*『日本共産党の新綱領の基礎』（国民通信社、1952年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共著 ===&lt;br /&gt;
*『獄中十八年』（志賀義雄著、時事通信社、1947年2月）&lt;br /&gt;
*『若い人々え』（共同図書出版社、1948年）&lt;br /&gt;
*『私の青春時代』（九州評論社編集部編、九州評論社、1948年8月）&lt;br /&gt;
*『黨生活』（山邊健太郎編、日本勞農通信社、1948年12月）&lt;br /&gt;
*『国家とむすぶ独占資本の腐敗 . 戦後のフアッシズム . 民族問題について . 共産主義とモラル』（三一書房、1949年）&lt;br /&gt;
*『民族の危機と斗う : 第三・第四国会演説集』（日本共産黨宣傳教育部編、日本共産党出版部、1949年2月）&lt;br /&gt;
*『徳田球一自傳』（松筠譯、世界知識出版社、1955年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連文献 ===&lt;br /&gt;
*『徳田球一全集』（五月書房、1985-1986年） ISBN 4772700242（1）、ISBN 4772700250（2）、ISBN 4772700269（3）、ISBN 4772700277（4）、ISBN 4772700285（5）、ISBN 4772700293（6）&lt;br /&gt;
* 牧港篤三『沖繩自身との対話・徳田球一伝』（沖縄タイムス社、1980年）&lt;br /&gt;
* 『記念誌・徳田球一』（徳田球一顕彰記念事業期成会、2000年）ISBN 4876523967&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[ロベール・ギラン]]&lt;br /&gt;
*[[連合国軍最高司令官総司令部]]&lt;br /&gt;
*[[ダグラス・マッカーサー]]&lt;br /&gt;
*[[天皇制廃止論]]&lt;br /&gt;
*[[谷川昇]]&lt;br /&gt;
*[[32年テーゼ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本共産党}}&lt;br /&gt;
{{日本共産党委員長|初代：1945‐1953}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とくた きゆういち}}&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員 (帝国議会)]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:沖縄県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の弁護士]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の社会主義の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本共産党の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:革命家]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦に関わった人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1894年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1953年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Fromm</name></author>	</entry>

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