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		<title>ルキノ・ヴィスコンティ - 変更履歴</title>
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		<title>Eifuku21: 追記</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;追記&lt;/p&gt;
&lt;a href=&quot;http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3&amp;amp;diff=396126&amp;amp;oldid=396091&quot;&gt;差分を表示&lt;/a&gt;</summary>
		<author><name>Eifuku21</name></author>	</entry>

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		<title>Eifuku21: 新規</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;新規&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;'''ルキノ・ヴィスコンティ'''(Luchino Visconti di Modrone, [[1906年]]11月2日 - [[1976年]]3月17日）はイタリアのネオリアリズム映画の父と言われた映画監督であり、また演出家、脚本家でもあった。後年は貴族制の没落に伴う、美と死の作家となった。ヴィスコンティ家は[[1277年]]から[[1447年]]まで歴代のミラノを支配した家系である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
===幼少期から青年期===&lt;br /&gt;
[[1906年]]11月2日に[[イタリア]]・[[ミラノ]]で生まれる。父は北イタリアの貴族であるモドローネ公爵[[ジュゼッペ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ]]、母は資産家の娘カルロ・エルバの第四子である。[[ローマカソリック]]の洗礼を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;[[小出幸子]]、[[川本晃]](2006)『ルキーノ・ヴィスコンティ』エスクァイアマガジン ジャパン&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[1910年]]から[[1915年]]は家庭教師につき、小学校の課程を学んだ。父はミラノ芸術演劇座を興し、ミラノ[[スカラ座]]オペラのボックス席を所有していたため、定期的にスカラ座に通う。[[1914年]]、第一次世界大戦が起こると、父は陸軍に入隊した。チェリストで作曲家のロレンツォ・デ・パオリスからチェロを学び、[[ジャコモ・プッチーニ]]、指揮者の[[トスカニーニ]]、作家の[[ガブリエーレ・ダンヌンツィオ]]と知り合う。&lt;br /&gt;
[[1920年]]、[[ミラノ音楽院]]で、チェロ独奏を行い、新聞に好意的な批評が掲載される。父に勧められてプルーストの長編小説『失われた時を求めて』を読み始める。&lt;br /&gt;
1922年、16歳初恋の女性の後を追い、[[ローマ]]に家出する。&lt;br /&gt;
1924年に両親が別居した後、18歳のルキノは母親につきミラノの家で育った(1920年別居説もある)。モンテ・カッシーノのベネディクト修道院に家出する。&lt;br /&gt;
1926年、20歳からピネロロの騎兵学校に2年間通う。特務曹長として、サヴォイ連隊に勤務し、除隊後は競走馬に飼育に没頭する。&lt;br /&gt;
1927年12月　父の出資するテアトロ・ダルテ劇団がゴルドーニの『賢妻』を上演し、ルキノは小道具を手伝う。&lt;br /&gt;
[[1928年]](22歳)、父の出資するテアトロ・ダルテ劇団の舞台「賢妻」の小道具を担当する。&lt;br /&gt;
1929年、23歳で[[リビア]]の砂漠を2ヵ月間旅行する。9月、ペアチャンツア付近で交通事故を起こし、同乗していた運転手が死亡する。12月には持ち馬のエストゥルゲオンが、モリッツの冬季レースで優勝する。&lt;br /&gt;
1930年、24歳で、サン・シーロに厩舎を建設する。&lt;br /&gt;
1931年、愛馬サンツィオは、翌年、ミラノとオステンダのレースで共に優勝。&lt;br /&gt;
1933年から1934年、新規に7頭の競走馬を購入する。[[フランス]]・[[イギリス]]を旅行。パリの社交界で、[[ジャン・コクトー]]、[[クルト・ヴァイル]]、セルジュ・リファール、[[ココ・シャネル]]に出会う。[[スタンバーグ]]の『[[嘆きの天使]]』や[[シュトロハイム]]の『[[結婚行進曲]]』、[[レゴーシン]]の『孤帆は白む』などに感銘を受けた。&lt;br /&gt;
1934年、28歳でイルマ・ヴィンディッシュ・グレーツ公爵令嬢と出あい、結婚を申し込む。イルマの父親の反対で断念する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===映画界へ===&lt;br /&gt;
1936年、ココ・シャネルは自分の友人ジャン・ルノワールを紹介した。映画監督として巨匠となっていたルノワールは、当時はまだ無名のヴィスコンティを助監督に起用したほか、シャネルが協力した代表作『どん底』と『ピクニック』の2作品では衣装を担当させた。ヴィスコンティは、まだ将来の進路を決めていなかったが、この経験から映画製作を主軸とする決心をした。ルノワールとコッホを通じてコミュニストや政治活動の世界に触れる。&lt;br /&gt;
1936年10月　コモのソチアーレ劇場でトラヴェルシの喜劇『世間の同情』の上演及び、翌月ミラノでのマロリーの喜劇『甘いアロエ』の上演で舞台装置を担当。&lt;br /&gt;
1937年、8月　ギリシアに旅行。翌年にかけてアメリカに渡り、主にハリウッドで映画製作の状況について見学し、遠近法などを学んで後の舞台美術に応用する。&lt;br /&gt;
1939年1月16日　コルティーナ・ダンペッツォで母親のカルラが他界。享年59歳。&lt;br /&gt;
1939年4月、ジャン・ルノワールのイタリア映画『トスカ』の脚本と撮影に協力するためにローマに向かう。&lt;br /&gt;
1940年、6月イタリアは枢軸国に加わり、参戦する。イタリアが枢軸国側に立って参戦したため、ルノワールは撮影数日にして帰国を余儀なくされる。その後、ヴィスコンティはチーフ助監督のカール・コッホを補佐してこの作品を完成させる。&lt;br /&gt;
1941年、ローマのコッホの家で、ダリオ・プッチーニに出会い、映画評論誌『チネマ』の同人に迎えられる。6月『チネマ』誌に「屍体」と題した論文を発表。また、『スティーレ・イタリアーノ・ネル・チネマ』誌に「伝統と発明」記事を書く。12月父ジュセッペが他界。ローマのサラリア街の別荘を譲り受ける。&lt;br /&gt;
===映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』===&lt;br /&gt;
1942年（36歳)6月から12月に掛けて映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の撮影を行う。12月　脚本に協力したマリオ・アリカータとジャンニ・プッチーニが、反ファシストの容疑で警察に逮捕される。&lt;br /&gt;
1943年(37歳)5月、映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』公開、数日で各地で上映禁止となる。9月8日「反ファシスト被害者救済委員会」に加わり、ローマのサラリア街の家で収容所や監獄からの脱走者を匿う。&lt;br /&gt;
10月28日、兄のグイドはエルアラメインで戦死する。&lt;br /&gt;
9月～10月　『チネマ』誌に「チネマ・アントロポモルティコ」記事を発表する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1943年10月27日　アプルッツォに潜伏していたが、ヴィスコンティは、友人達と連合軍に合流するため南下する。&lt;br /&gt;
1944年、2月　偽名で密かにローマに戻り、パルチザンを援助。&lt;br /&gt;
4月15日　ヴィスコンティはローマで逮捕されペンシオーネ・ヤッカリーノ収容所へ送られる。数日後、サン・ジョルジョ刑務所に移送される。&lt;br /&gt;
6月3日、ヴィスコンティは処刑される前日に脱走し、九死に一生を得る。&lt;br /&gt;
6月4日、アメリカ第五軍によって、ローマが解放される。&lt;br /&gt;
6月～7月、レジスタンスの経験を元に『ペンシオーネ・オルトレマーレ』の原案を執筆。秋に[[ミケランジェロ・アントニオーニ]]達とレジスタンス映画の企画を練る。&lt;br /&gt;
===戦後の舞台演出家===&lt;br /&gt;
1945年1月30日　コクトーの『恐るべき親たち』(ローマのエリゼオ劇場で)で舞台演出家デビューする。&lt;br /&gt;
3月、ローマのクイリーノ劇場でヘミングウェイ『第五列』を上演。&lt;br /&gt;
10月2日　ローマのエリゼオ劇場でコクトーの『タイプライター』を上演。&lt;br /&gt;
10月18日　ローマのエリゼオ劇場でアヌーイの『アンチコ゜ーヌ』とサルトルの『出口なし』を上演。&lt;br /&gt;
10月30日　ローマのクイリーノ劇場でアシャールの『アダム』上演。&lt;br /&gt;
12月4日　ミラノのオリンピア劇場でコールドウェルの『タバコ・ロード』上演。&lt;br /&gt;
12月14日　ミラノでの『アダム』上演禁止を受ける。&lt;br /&gt;
1946年、ローマのクイリーノ劇場でポーマルシェの『フィガロの結婚』上演。&lt;br /&gt;
11月　ローマのエリゼオ劇場で新劇団『罪と罰』を上演。&lt;br /&gt;
12月　ローマのエリゼオ劇場で『ガラスの動物園』上演。&lt;br /&gt;
1月　ローマのエリゼオ劇場でヴィスコンティ監修の『父との生活』が上演される。&lt;br /&gt;
2月　フィレンツェのデ・ベルゲラ劇場でアヌーイの『ユリディース』を上演。&lt;br /&gt;
===映画『揺れる大地』===&lt;br /&gt;
1947年(41歳)、イタリア共産党の要請により、南部同盟を扱ったドキュメンタリー映画を撮るためシチリア島に赴く。11月から翌年5月にかけて、シチリアのアーチ・トレッツアで『揺れる大地』を撮影する。&lt;br /&gt;
1948年(42歳)5月、ヴェネチア映画祭で映画『揺れる大地』が上演され国際賞を受賞する。&lt;br /&gt;
11月、ローマのエリゼオ劇場でシェークスピアの『お気に召すまま』上演&lt;br /&gt;
1949年1月、ローマのエリゼオ劇場で『欲望という名の電車』を上演。&lt;br /&gt;
4月、ローマのクイリーノ劇場で『オレステ』上演。&lt;br /&gt;
6月、フィレンツェ五月音楽祭でシェークスピアの『トロイラスとクレシダ』上演。&lt;br /&gt;
1951年2月、ローマのエリゼオ劇場でアーサー・ミラー『セールスマンの死』上演。&lt;br /&gt;
4月、ミラノのヌオーヴォ劇場で『欲望という名の電車』を新演出で上演。&lt;br /&gt;
10月　ヴェネチアのラ・フェニーチェ劇場でファッブリの『誘惑者』上演。&lt;br /&gt;
===映画『ベリッシマ』===&lt;br /&gt;
1951年12月、短編記録映画『ある三面記事についてのメモ』を撮影するが、イタリア国内では上映禁止になる。12月アンナ・マニャーニ主演の映画『ベリッシマ』公開。&lt;br /&gt;
1952年10月、ヴェネチアのラ・フェニーチェ劇場でゴルドーニの『宿屋の女主人』を上演。&lt;br /&gt;
12月　ローマのエリゼオ劇場でチェーホフの『三人姉妹』を上演。&lt;br /&gt;
1953年、スーゾ・チェッキ・ダミーコと『結婚行進曲』の脚本を書く。&lt;br /&gt;
3月　ミラノのヴィア・マンゾーニ劇場でチェーホフの『煙草の害について』とエリビデスの『メディア』を上演。&lt;br /&gt;
10月、オムニバス映画『われら女性』公開。&lt;br /&gt;
===映画『夏の嵐』===&lt;br /&gt;
1954年9月、映画『夏の嵐』がヴェネチア映画祭で上演。&lt;br /&gt;
1954年10月　ミラノのヌオーヴォ劇場でレビュー『フェスティバル』、オリンピア劇場でジャコーザの『木の葉のように』を上演。&lt;br /&gt;
12月　オペラ『ラ・ヴェスターレ』の演出でミラノのスカラ座デビューを実現。&lt;br /&gt;
1955年3月、スカラ座でオペラ『夢遊病の女』を上演。&lt;br /&gt;
5月、スカラ座でオペラ『椿姫』を上演。&lt;br /&gt;
11月、ローマのクイリーノ劇場でミラーの『るつぼ』を上演。&lt;br /&gt;
12月、ローマのエリゼオ劇場でチェーホフの『ワーニャ叔父さん』の上演。&lt;br /&gt;
1956年6月、パリのサラ・ベルナール劇場で『宿屋の女主人』を再演。&lt;br /&gt;
===映画『白夜』===&lt;br /&gt;
1957年1月　ローマのアルティ劇場でストリンドベリィの『令嬢ジュリー』を上演。&lt;br /&gt;
1月から3月にかけてチネチッタ撮影所で『白夜』を撮影。&lt;br /&gt;
4月　ミラノのスカラ座でオペラ『アンナ・ボレーナ』を上演。&lt;br /&gt;
6月　スカラ座でオペラ『トーリードのイフィジェニー』を上演。&lt;br /&gt;
8月、ヴェネチアのラ・フェニーチェ劇場でゴルドーニの『スミルネの興行師』を上演。&lt;br /&gt;
9月、ヴェネチア映画祭でチアス社製作の映画『白夜』が上映され、銀獅子賞を受賞。&lt;br /&gt;
9月、西ベルリンの国立オペラ劇場でバレエ『ダンス・マラソン』を上演。&lt;br /&gt;
===映画『若者のすべて』===&lt;br /&gt;
1958年1月、ローマのエリゼオ劇場でミラーの『橋からの眺め』を上演。&lt;br /&gt;
4月、パリで『スミルネの興行師』を再演。&lt;br /&gt;
5月、ロンドンのコヴェント・ガーデンでオペラ『ドン・カルロ』を上演。&lt;br /&gt;
6月、スポレートのヌオーヴォ劇場でオペラ『マクベス』を上演。&lt;br /&gt;
夏、映画『若者のすべて』の脚本執筆。&lt;br /&gt;
10月、ローマのクイリーノ劇場でジェラルド・クェリエーリによる追憶の夕べ『エレオノーラ・ドゥーゼの面影と時代』に参加する。ローマのクイリーノ劇場で『天使よ故郷を見よ』を上演。&lt;br /&gt;
11月、パリのアンバサドゥール劇場で『シーソーの二人』初演。ランペドゥーサの『山猫』刊行される。&lt;br /&gt;
12月、ローマのエリゼオ劇場で『ギポンズ夫人の子供たち』を上演。&lt;br /&gt;
1959年3月、ローマのエリゼオ劇場でファッブリの『芸術の子たち』を上演。&lt;br /&gt;
6月、スポレートのヌオーヴォ劇場でオペラ『アルバ公爵』を上演。&lt;br /&gt;
1960年2月～6月　映画『若者のすべて』の撮影。&lt;br /&gt;
9月、映画『若者のすべて』がヴェネチア映画祭に出品され、審査員特別賞・国際映画批評家連盟賞を授賞する。&lt;br /&gt;
12月　ローマのエリゼオ劇場でテストーリの『アリアルダ』上演。&lt;br /&gt;
1961年2月　ミラノで『アリアルダ』が上映禁止となる。&lt;br /&gt;
3月　パリのテアトル・ド・パリで『あわれ彼女は娼婦』を上演。&lt;br /&gt;
6月　スポレートのヌォーヴォ劇場で楽劇『サロメ』を上演。&lt;br /&gt;
===映画『山猫』===&lt;br /&gt;
1961年8月から9月、デ・パリオス撮影所で『ボッカッチオ’70』の挿話「前金」を撮影する。11月　シチリアで映画『山猫』のロケハンを行う。&lt;br /&gt;
1962年2月、オムニバス映画『ボッカッチオ’70』が公開される。ヴィスコンティはエピソード『前金』を担当（主演はロミー・シュナイダー）&lt;br /&gt;
1963年2月　パレルモのマッシモ劇場でオペラ『庭園の悪魔』を上演。&lt;br /&gt;
3月　映画『山猫』がカンヌ映画祭に出品され、グランプリを授賞&lt;br /&gt;
6月　スポレートのヌオーヴォ劇場でオペラ『椿姫』上演。&lt;br /&gt;
7月　スポレートのカイオ・メリッソ劇場でジイドの『十三番目の木』上演。&lt;br /&gt;
=== 映画『熊座の淡き星影』===&lt;br /&gt;
1964年5月　ローマのオペラ座でオペラ『フィガロの結婚』を上演。&lt;br /&gt;
9月　モスクワのボリショイ劇場で『イル・トロヴァトーレ』を上演。&lt;br /&gt;
11月　ロンドンのコヴェント・ガーデンで『イル・トロヴァトーレ』上演。&lt;br /&gt;
1965年1月　パリのデュ・ジムナズ劇場でミラーの『転落の後に』を上演。&lt;br /&gt;
9月　ヴェネチア映画祭に映画『熊座の淡き星影』が出品され、金獅子賞を授賞。&lt;br /&gt;
10月　ローマのヴァレ劇場でチェーホフの『桜の園』を上演&lt;br /&gt;
11月　ローマのオペラ座でオペラ『ドン・カルロ』上演。&lt;br /&gt;
1966年3月　ウィーン国立歌劇場でオペラ『ファルスタッフ』上演。&lt;br /&gt;
4月　ロンドンのコヴェント・ガーデンで楽劇『ばらの騎士』上演。&lt;br /&gt;
=== 映画『異邦人』===&lt;br /&gt;
1967年2月　オムニバス映画『華やな魔女たち』（『疲れ切った魔女』エピソード担当）公開。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月　ロンドンのコヴェント・ガーデンで新演出のオペラ『椿姫』を上演。&lt;br /&gt;
6月　フィレンツェのビッティ宮でゲーテの『エグモント』を上演。アルジェリアで『異邦人』を撮影する。&lt;br /&gt;
9月　映画『異邦人』公開。&lt;br /&gt;
10月　チェゼーナのポンチ劇場でテストーリの『モンツァの尼僧』を上演。&lt;br /&gt;
年末、映画『地獄に堕ちた勇者ども』の原案をまとめる。&lt;br /&gt;
1969年2月　ミラノのサン・パビラ劇場でギンズブルグの『インセルツィオーネ』を上演。&lt;br /&gt;
3月　ウィーン国立歌劇場でオペラ『シモン・ボッカネグラ』を上演。&lt;br /&gt;
10月　映画『地獄に堕ちた勇者ども』公開、ヨーロッパ各地で大ヒットとなる。&lt;br /&gt;
=== 映画『ベニスに死す』===&lt;br /&gt;
1970年『ベニスに死す』のタジオ役の少年を探して、デンマーク、スエーデン、ポーランドを旅行する。『失われた時をもとめて』のシナリオ完成。&lt;br /&gt;
6月「タジオを求めて」テレビ放映。&lt;br /&gt;
1971年3月、ロンドンで映画『ベニスに死す』のプレミア上演。&lt;br /&gt;
プルースト原作の『失われた時を求めて』映画化の準備をすすめ、ロケハンを行う。&lt;br /&gt;
=== 映画『ルートヴィヒ～神々の黄昏』===&lt;br /&gt;
1972年1月～4月　映画『ルートヴィヒ～神々の黄昏』のドイツ・オーストリアでロケを行う。&lt;br /&gt;
7月27日　ローマのエデン・ホテルで製作者達と新作を検討中、血栓症の発作で倒れる。&lt;br /&gt;
9月、スイスチューリッヒの病院を退院し、コモ湖畔チェルノビオの別荘で、映画『ルートヴィヒ～神々の黄昏』の編集を完了。スカラ座でワグナーの『ニーベルンクの指輪』の演出を計画するが、病状が芳しくなく断念。&lt;br /&gt;
1973年1月、西ドイツのボンで、映画『ルートヴィヒ～神々の黄昏』のプレミア上映。&lt;br /&gt;
=== 映画『家族の肖像』===&lt;br /&gt;
1974年4月～7月にかけてデ・パリオス撮影所で映画『家族の肖像』を撮影する。&lt;br /&gt;
12月、映画『家族の肖像』公開。&lt;br /&gt;
=== 遺作映画『イノセント』===&lt;br /&gt;
1975年、トーマス・マンの『魔の山』とダヌンツィオの『快楽』の映画化を企画するが、実現せず。&lt;br /&gt;
1975年4月　転倒して肩と大腿骨を骨折、数ヶ月間の病院生活を送る。&lt;br /&gt;
9月27日　ダヌンツィオ原作・映画『イノセント』の撮影開始。&lt;br /&gt;
1976年1月　映画『イノセント』の撮影完了&lt;br /&gt;
3月17日、ローマのフレミング街101番地の自宅マンションで死去。&lt;br /&gt;
3月19日、聖イニャツイオ教会で葬儀が行われる。&lt;br /&gt;
5月　カンヌ映画祭で映画『イノセント』が上映される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==フィルモグラフィ==&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ フィルモグラフィ&lt;br /&gt;
! 公開年 !! タイトル !! 原題 !! 主演&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1942年]] || [[郵便配達は二度ベルを鳴らす]] || OSSESSIINE||[[マッシモ・ジロティ]],[[クララ・カラマイ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1945年]] || 栄光の日々|| GIOENI DI GLOEIA||ドキュメンタリ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1948年]] || [[揺れる大地]]|| LA TERRA TREMA ||アントニオ・アルチディアコノ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
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|[[1976年]] || [[イノセント]]||  L'innocente ||[[ジャンカルロ・ジャンニーニ]]&lt;br /&gt;
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== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
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[[Category:映画監督]]&lt;br /&gt;
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[[Category:1976年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Eifuku21</name></author>	</entry>

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