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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>後藤忠政</title>
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				<updated>2026-02-13T07:27:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''後藤 忠政'''（ごとう ただまさ、本名: '''後藤 忠正'''=読み同じ、[[1942年]][[9月16日]] - [[2026年]][[2月8日]]）は、[[日本]]の元[[暴力団員]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴力団・[[川内組]]若頭補佐兼[[静岡]]支部長を経て、暴力団・[[後藤組]]を結成、後に伊堂組舎弟となった。[[指定暴力団]]・[[山口組]]の幹部構成員として、五代目山口組若頭補佐、六代目[[山口組]]舎弟などを歴任したが、2008年をもって引退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
1942年（昭和17年）、[[東京府]][[東京市]][[荏原区]]に4人兄弟の末っ子として出生。祖父は[[東京電灯|富士川発電]]や[[伊豆箱根鉄道]]を興した実業家の後藤幸正であった。戦争の激化により、2歳の時に父の実家がある[[静岡県]][[富士宮市]]に疎開して以降、同地で育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 経歴 ===&lt;br /&gt;
暴力団・川内組の組員だった1969年、富士宮市に暴力団・[[後藤組]]を結成して組長となった。川内組組長・[[川内弘]]は、[[菅谷組]]組長であり三代目[[山口組]]若頭補佐であった[[菅谷政雄]]の舎弟であった。後藤組はその後、静岡県における山口組勢力拡大の嚆矢となったが、1977年、川内の[[破門]]・殺害によって川内組が事実上消滅したため、[[浜松市]]を拠点とする山口組系伊堂組（組長・伊堂敏雄）に舎弟として移籍した。1984年7月、[[竹中正久]]を組長とする四代目山口組が発足すると伊堂は引退、後藤は山口組直参に昇格した。[[オウム真理教]]の[[富士宮市]]への進出を助けたことでも知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後藤は武闘派として、同年に勃発した[[一和会]]との[[山一抗争]]で積極的に働いた他、[[渡辺芳則]]を組長とする五代目山口組の[[東京]]進出に際しては、その先駆けとなって勢力の拡大に寄与した。1992年には後藤組組員5人が、暴力団を描いた[[映画]] 『ミンボーの女』の監督[[伊丹十三]]を襲撃した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年7月、山口組若頭補佐に就任した。2005年8月、[[六代目山口組]]の発足に伴い、同組舎弟に直った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本航空]]（JAL）の個人筆頭株主でもあった。2008年10月、山口組から除籍処分を受けた。山口組の会合への欠席などが問題視されたためと見られている。これを機に引退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アメリカでの肝臓移植 ===&lt;br /&gt;
2001年4月、肝臓が悪化したため、アメリカで肝臓移植を受けさせてもらうかわりに、[[連邦捜査局]]に山口組内部情報を米当局に教えると約束をし、弘道会の幹部らのリストや山口組の米国でのご用達の金融機関などを教えた。[[2003年]]11月ごろ、アメリカの捜査当局は、後藤からの情報を元に、[[五菱会]]の実質№2だった[[梶山進]]の資金2億ドルを発見し、警察庁に連絡した。資金2億ドルは、全額没収された。アメリカの捜査当局がスイスの捜査当局とも情報交換し、さらに50億円を没収した。山口組の損失が54億円。後藤組の損失は0であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 真珠宮ビル事件 ===&lt;br /&gt;
2006年5月8日、[[東京都]][[渋谷区]]のビル所有権を[[菱和ライフクリエイト]]（現：[[クレアスライフ]]）社長[[西岡進]]らと共謀し不正変更した、[[電磁的公正証書原本不実記録]]の容疑で、組関係者などとともに[[警視庁]]に[[逮捕]]、[[勾留]]された。容疑は否認した。翌2007年6月14日、病気を理由に弁護人が[[勾留]]の[[執行停止]]を申し立て、[[保釈金]]7000万円を払い[[保釈]]されたが、[[2012年]][[2月13日]]有罪が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 警視庁からの捜査情報漏出 ===&lt;br /&gt;
[[後藤組警察情報流出事件]]参照&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年6月12日までに[[警視庁]][[北沢警察署|北沢署]]巡査長のパソコンから情報が流出し、警察がグラビアアイドル出身の女優、レースクイーン出身のタレント、声優で歌手の女性の3人を、捜査・監視の対象である後藤の[[愛人]]として把握していることが発覚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 引退 ===&lt;br /&gt;
2008年10月、前月の後藤の誕生日を祝って開いたゴルフコンペに[[細川たかし]]、[[小林旭]]、[[角川博]]、[[松原のぶえ]]、[[中条きよし]]、[[須之内美帆子]]、[[益子梨恵]]らが参加していたことが報じられた。これを受け[[日本放送協会|NHK]]が細川、小林、角川、松原、中条の5人について、数カ月間番組への出演を見合わせた。事態を重く見た山口組執行部は、病気を理由に本部の定例会を欠席しながらゴルフコンペを開いたとして、後藤を山口組から除籍し引退させた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 芸能人とゴルフコンペ ====&lt;br /&gt;
NHKが、「暴力団組長らと共にゴルフコンペに参加した」と週刊新潮に報じられた細川たかしさん、小林旭さんら5人の歌手について、番組への出演を見合わせる方針を決めたことが7日、わかった。見合わせの期限は決まっていないが、年末に迫った紅白歌合戦への出場は事実上、難しくなったとみられる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コンペに参加した他の歌手は松原のぶえさん、角川博さん、中条きよしさん。細川さんが出演予定だった11月23日放送分の「NHKのど自慢」、細川さん、小林さん、角川さんが出演予定だった12月13日放送分の「BS日本のうた」は、代役を立てて収録する。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5人が出演する番組は、再放送や既に収録済みの場合も放送をとりやめる。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
コンペは9月中旬、静岡県内で暴力団後藤組長の誕生日を祝う会として開かれた。その後のパーティーには中条さんを除く4人が参加し、それぞれ歌を披露したという。週刊誌の報道を受け、NHKが各歌手の所属事務所やレコード会社に確認したところ、いずれもコンペやパーティーに参加したことを認めた。NHKと歌手側とで協議した結果、5人の出演見合わせを6日に決めた。見合わせの期限は短くても数カ月間とみられる。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
5人は、細川さんの32回を筆頭に、いずれも紅白歌合戦の出場経験がある。このうち、小林さん側は「金銭の授受などはないが、週刊誌に書かれた以上、公人として責任はあると考え、10月の出演予定を辞退した」、松原さん側も「事務所の判断で出演を自粛する」という。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 引退後 ===&lt;br /&gt;
2009年4月8日、[[神奈川県]][[伊勢原市]]の[[天台宗]]の寺院・無常山浄発願寺で得度、法名・忠叡を名乗る。&lt;br /&gt;
2010年、[[袴田事件]]を扱った映画『[[BOX 袴田事件 命とは]]』を企画。自叙伝『憚りながら』（[[宝島社]]）を出版、後藤組と[[創価学会]]の関係について明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 武闘派ヤクザ「後藤組元組長」出家の裏にあった&amp;quot;思惑&amp;quot;とは ===&lt;br /&gt;
後藤忠政組長といえば山口組の幹部であり、「武闘派」「経済ヤクザ」として知られながら、山口組を除籍処分となったことが話題になった大物ヤクザである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浮き沈みの激しいアウトロー社会では、仏教や神道を信奉する人間は意外に多いが、これは「政治家なども同様。しかし、出家というのは聞いたことがありません」（実話誌記者）という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、4月8日。[[神奈川県]][[伊勢原市]]の[[浄発願寺]]で、後藤元組長の得度式が執り行われ、元組長は剃髪し、法衣を授かった。式は、親類のほか親交のある作家や弁護士など40人ほどが列席、厳かに行われたという。この寺は、[[1993年]]に[[朝日新聞]]本社で自決した民族派右翼の故[[野村秋介]]氏の菩提寺でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「後藤さんは故野村氏の実子を含めて関係が深いといわれるので、そのご縁でしょうね」とは先の記者。ただし、元組長は「寺に迷惑がかかる」として、住み込まない在宅出家だという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元組長の出家の真意をめぐる&amp;quot;憶測&amp;quot;には、大きく分けて3つある。まずは、ヤクザ社会に嫌気が差したこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「これには異論を唱える人もいるんですが、後藤さんは山口組の幹部の中でも何かと話題の多い人。まったくのデタラメから信憑性の高いものまで、多種多様な怪文書や怪情報が飛び交っていましたからね。人気もあるけど、妬まれることも多かったんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たとえば、1992年の[[伊丹十三]]（故人）監督襲撃問題。後藤組の幹部らが、映画『ミンボーの女』の内容に抗議して、伊丹監督を襲って重傷を負わせたという事件だが、これには「よくぞやってくれた」と拍手喝采が送られた一方で、「余計なことを」という声もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の新聞には「『あそこの組（後藤組）はスタンドプレーがよう目につく。菱の代紋をはき違えとるのとちゃうか。（われわれが）暴力団対策法でまいっとるゆうのに』。大阪の繁華街・ミナミにあるマンションの一室。山口組直系の組幹部の一人は吐き捨てるように言った」（1992年12月3日付産経新聞）などと報じられている。暴対法は92年3月に施行されており、ヤクザ社会に微妙な緊張感があったのは確かだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これ以外にも除籍処分の発端とされる細川たかしらを招いたゴルフコンペ問題のほか、[[後藤組警察情報流出事件|警視庁北沢署巡査長の私物パソコンから流出したことで発覚した愛人問題]]（2007年）、米UCLAでの腎臓移植問題（2008年発覚）、日本航空（JAL）株式の100万株取得（99年）など、元組長に関する報道は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
妬まれてわずらわしさを感じることもあったかもしれない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
もうひとつ考えられる理由は、「隠れみの説」だ。「これは警察関係者も含めて、多くの人が考えている説です」とは前出の実話誌記者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「後藤さんは経済ヤクザとしても知られていますから、今までの蓄財をどうするか。宗教法人を隠れみのにするのではないかというわけです」（同）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後は「パフォーマンス説」。後藤元組長は、2006年に東証二部上場の不動産業者とともに電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪で逮捕・起訴され、2008年3月に無罪判決を受けている。共犯とされた不動産業者は無罪が確定したものの、元組長に対しては検察が控訴し、そろそろ控訴審がスタートすると見られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ヤクザ社会と縁を切ったと見せることで、裁判を有利に進めようというパフォーマンスだと警察は見ているようです。しかし、一時は警視庁内に『後藤組対策本部』もあったほどで、後藤さんの逮捕は悲願でした。二次団体の対策本部を作ることは、異例中の異例なんです。だから、簡単には諦めないんじゃないですか」（同）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
得度式でも警視庁、神奈川県警、静岡県警の関係者が周辺を探っていたというから、まだまだ警察の追及は続いており、元組長が俗世との関係を断つのは難しそうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 憚りながら（[[宝島社]]、2010）ISBN 9784796675475&lt;br /&gt;
* 憚りながら（[[宝島社]]、2011）ISBN 9784796681346&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 木村勝美 『さらば山口組 後藤組・後藤忠政組長の半生』 [[メディアックス]] 2010年5月26日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{オウム真理教}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ことう たたまさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:ヤクザ]]&lt;br /&gt;
[[Category:後藤組]] &lt;br /&gt;
[[Category:山口組]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2026年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都区部出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>小林竜司</title>
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				<updated>2026-02-01T00:30:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''小林 竜司'''（こばやし りゅうじ、[[1984年]][[12月22日]] - [[2026年]][[1月31日]]）は、東大阪大学生集団リンチ殺人事件の犯行グループの主犯である。[[岡山県]]出身。[[玉野市立日比中学校]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ショベルカーで穴を掘り、２人を生き埋めにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
収容先の[[大阪拘置所]]で自殺した。41歳没。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
*一　審 　2007年5月22日　大阪地裁　和田真裁判長　死刑判決  &lt;br /&gt;
*控訴審 　2008年5月20日　大阪高裁　若原正樹裁判長　控訴棄却　死刑判決支持  &lt;br /&gt;
*上告審 　2011年3月25日　最高裁第二小法廷　千葉勝美裁判長　上告棄却　死刑確定&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こはやし りゆうし}}&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:岡山県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1984年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2026年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>栗山龍</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''栗山 龍'''（くりやま りゅう、[[1964年]][[4月1日]] - ）は、[[バッキー事件]]の主犯。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
「ダイヤルQ2」で大成功し、巨万の富を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
SMクラブ「クラリス」、AVメーカー「バッキービジュアルプランニング」などを経営していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[長野刑務所]]で服役していたが、2023年に仮釈放、2025年3月に刑期満了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071219/trl0712191120001-n1.htm 「卑劣極まりない犯行」 AV撮影で強姦致傷の被告に懲役18年2007.12.19 11:20 産経新聞]&lt;br /&gt;
*[http://lazyemon.tripod.com/person.html バキ人物表]&lt;br /&gt;
* [https://www.youtube.com/@Ryu-Kuriyama 栗山龍youtube]&lt;br /&gt;
* {{Twitter|1309WithJesus|栗山龍}}&lt;br /&gt;
* [https://note.com/crisp_ibis3548 栗山龍note]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス|くりやまりゆう]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:性犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''栗山 龍'''（くりやま りゅう、[[1964年]][[4月1日]] - ）は、[[バッキー事件]]の主犯。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
「ダイヤルQ2」で大成功し、巨万の富を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
SMクラブ「クラリス」、AVメーカー「バッキービジュアルプランニング」などを経営していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[長野刑務所]]で服役していたが、2023年に仮釈放、2025年3月に刑期満了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071219/trl0712191120001-n1.htm 「卑劣極まりない犯行」 AV撮影で強姦致傷の被告に懲役18年2007.12.19 11:20 産経新聞]&lt;br /&gt;
*[http://lazyemon.tripod.com/person.html バキ人物表]&lt;br /&gt;
* {{YouTube|h=Ryu-Kuriyama|栗山龍}}&lt;br /&gt;
* {{Twitter|1309WithJesus|栗山龍}}&lt;br /&gt;
* [https://note.com/crisp_ibis3548 栗山龍note]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス|くりやまりゆう]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:性犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>栗山龍</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''栗山 龍'''（くりやま りゅう、[[1964年]][[4月1日]] - ）は、[[バッキー事件]]の主犯。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
「ダイヤルQ2」で大成功し、巨万の富を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
SMクラブ「クラリス」、AVメーカー「バッキービジュアルプランニング」などを経営していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[長野刑務所]]で服役していたが、2023年に仮釈放、2025年3月に刑期満了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071219/trl0712191120001-n1.htm 「卑劣極まりない犯行」 AV撮影で強姦致傷の被告に懲役18年2007.12.19 11:20 産経新聞]&lt;br /&gt;
*[http://lazyemon.tripod.com/person.html バキ人物表]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス|くりやまりゆう]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:性犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>片山虎之助</title>
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				<updated>2025-12-19T07:36:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''片山 虎之助'''（かたやま とらのすけ、[[1935年]]〈[[昭和]]10年〉[[8月2日]] - [[2025年]]〈[[令和]]7年〉[[12月18日]]）は、[[日本]]の[[政治家]]、[[自治省|自治]][[官僚]]。[[岡山県]]出身の[[参議院議員]]である。[[日本維新の会]]共同代表、元総務大臣、郵政大臣、元参議院自民党幹事長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[1935年]]08月02日、[[岡山県]]に生まれる。1958年[[東京大学]]法学部卒業。1958年(昭和33年)3月[[自治省]]入省、1974年4月、[[岡山県]]企画部長、1985年(昭和60)年岡山県副知事、1987年(昭和62年)自治大臣官房審議官となる。1989年7月参議院議員当選(1期目)。1995年(平成7年)7月参議院議員当選(2期目)。2000年12月[[郵政大臣]]兼自治大臣兼総務庁長官として入閣。2001年(平成13年)1月[[総務大臣]]、同年４月総務大臣に再任。2001年(平成13年)7月参議院議員当選(3期目)。2010年(平成22年)7月参議院議員当選(4期目)、2016年(平成28年)4月参議院議員当選(5期目)。2016年8月[[日本維新の会]]共同代表となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2021年]]11月26日、意識不明で重篤な状況が続くため、日本維新の会共同代表を辞任すると報道された&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.sankei.com/article/20211126-5DBX6746EFKY3JCHC2FPNW3UNU/ 維新・片山虎之助氏が意識不明　共同代表辞任へ]産経新聞,2021年11月26日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==姫の虎退治==&lt;br /&gt;
[[2007年]]7月29日の第21回参議院議員通常選挙では選挙運動で「姫の虎退治」をキャッチフレーズとし、[[民主党]]新人の[[姫井由美子]]が片山虎之助を破って当選した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/senkyo2007/news/TKY200707290299.html 自民党参院幹事長の片山氏が敗れる]朝日新聞,2007年07月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。現職の党幹部であり知名度を持つ片山を無名の新人が破ったと評判になった。片山虎之助が落選したのはこの1回だけである。次の2010年7月11日の参議院選挙では雪辱している。なお姫井はその後は、落選が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経歴==&lt;br /&gt;
*１９８０年７月自治省行政局振興課長&lt;br /&gt;
*１９８０年８月自治省行政局公務員部公務員第一課長&lt;br /&gt;
*１９８４年８月自治省行政課長&lt;br /&gt;
*１９８５年４月岡山県副知事&lt;br /&gt;
*１９８７年４月自治省官房審議官&lt;br /&gt;
*１９８７年５月自治省消防庁次長&lt;br /&gt;
*1989年7月23日、第15回参議院議員通常選挙岡山県選挙区自由民主党当選（1回目）&lt;br /&gt;
*１９９１年１１月参議院議運委理事兼自民党参議院国会対策副委員長&lt;br /&gt;
*１９９２年１２月大蔵政務次官&lt;br /&gt;
*１９９４年９月自民党国会対策副委員長&lt;br /&gt;
*1995年7月23日、第17回参議院議員通常選挙岡山県選挙区自由民主党　当選（2回目）&lt;br /&gt;
*１９９５年８月参議院大蔵委員長&lt;br /&gt;
*１９９６年１１月自民党地方行政部会長&lt;br /&gt;
*１９９８年８月自民党参議院国会対策委員長&lt;br /&gt;
*２０００年１２月郵政大臣兼自治大臣兼総務庁長官（総務大臣）&lt;br /&gt;
*２００１年４月総務大臣（小泉内閣）　&lt;br /&gt;
*2001年7月29日、第19回参議院議員通常選挙岡山県選挙区自由民主党　当選（3回目）&lt;br /&gt;
*２００２年９月総務大臣（留任）&lt;br /&gt;
*２００３年９月参議院予算委員長&lt;br /&gt;
*２００４年７月自民党参院幹事長&lt;br /&gt;
*２００６年５月日本消防協会長&lt;br /&gt;
*2007年7月29日、第21回参議院議員通常選挙岡山県選挙区自由民主党　落選&lt;br /&gt;
*2010年7月11日、第22回参議院議員通常選挙比例区たちあがれ日本当選（4回目）&lt;br /&gt;
*２０１２年１２月日本維新の会国会議員団参議院議員団会長&lt;br /&gt;
*２０１３年３月兼日本維新の会副政調会長&lt;br /&gt;
*２０１４年９月維新の党総務会長&lt;br /&gt;
*２０１５年１２月おおさか維新の会共同代表&lt;br /&gt;
*2016年7月10日、第24回参議院議員通常選挙比例区おおさか維新の会当選（5回目）&lt;br /&gt;
*2016年8月、日本維新の会共同代表&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==注==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:かたやまとらのすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:参議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:岡山県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1935年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2025年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>高市早苗</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''高市 早苗'''（たかいち さなえ、[[1961年]]〈[[昭和]]36年〉[[3月7日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]、[[内閣総理大臣]]（[[高市内閣|第104代]]）、[[自由民主党総裁]]（第29代）、[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]（10期）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
昭和36年3月7日生。[[奈良県]]出身。&lt;br /&gt;
[[奈良県立畝傍高等学校]]卒業。&lt;br /&gt;
[[神戸大学]]経営学部経営学科卒業。&lt;br /&gt;
[[松下政経塾]]卒塾後、平成5年に衆議院議員当選。&lt;br /&gt;
小渕内閣で通商産業[[政務次官]]、小泉内閣で経済産業[[副大臣]]を歴任。&lt;br /&gt;
落選中に[[近畿大学]]経済学部[[教授]]。&lt;br /&gt;
2004年9月、落選中に同じ[[森派]]の[[山本拓]][[衆議院議員]]と結婚。&lt;br /&gt;
2005年9月11日の[[総選挙]]で復活当選。&lt;br /&gt;
2006年9月、[[安部晋三]]内閣で[[内閣府特命担当大臣]]として入閣。沖縄及び北方対策、科学技術政策、[[イノベーション]]、[[少子化]]・[[男女共同参画]]、食品安全を担当。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 宗教 ==&lt;br /&gt;
[[新興宗教]]の[[天理教]]の信者（[[ようぼく]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ようぼく]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:神戸大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:奈良県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1961年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たかいちさなえ}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>村山富市</title>
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				<updated>2025-10-18T01:13:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{修正}}&lt;br /&gt;
{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|81&lt;br /&gt;
|村山 富市&amp;lt;br/&amp;gt;（むらやま とみいち）&amp;lt;br/&amp;gt;[[Image:村山富市.jpg|181px]]&lt;br /&gt;
|[[1924年]][[3月3日]] &lt;br /&gt;
|[[大分県]][[大分市]]&lt;br /&gt;
|[[明治大学]][[大学専門部 (旧制)|専門部]]&amp;lt;br /&amp;gt;政治経済科卒業&lt;br /&gt;
|[[桐花大綬章]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[名誉博士]]（[[明治大学]]）&lt;br /&gt;
|[[衆議院議員]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[日本社会党委員長]]&lt;br /&gt;
|無&lt;br /&gt;
|[[1994年]]（[[平成6年]]）[[6月30日]]|[[1996年]]（[[平成8年]]）[[1月11日]]&lt;br /&gt;
|大分1区&lt;br /&gt;
|衆8回&lt;br /&gt;
|[[日本社会党]]&amp;lt;br/&amp;gt;（退任後：[[社会民主党]]）}}&lt;br /&gt;
'''村山 富市'''（むらやま とみいち、[[1924年]][[3月3日]] - [[2025年]][[10月17日]]）は、[[日本]]の[[政治家]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第81代[[内閣総理大臣]]（在1994年6月30日-1996年1月11日）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[大分県]][[大分市]][[議会]][[議員]]、大分県議会議員、[[衆議院議員]]、[[衆議院]]物価問題等に関する特別[[委員長]]、[[日本社会党]][[国会対策委員会]][[委員長]]、日本社会党委員長、[[社会民主党 (日本)|社会民主党]]党首を歴任。[[財団法人]][[女性のためのアジア平和国民基金]][[理事長]]、[[学校法人]][[明治大学]][[顧問]]。[[桐花大綬章]]受章。[[称号]]は[[名誉博士]]（明治大学）、社会民主党[[名誉党首]]、明治大学校友会[[名誉会長]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
 [[自社さ連立政権]]において首相を務め、「[[自衛隊]]合憲、[[日米安保]]堅持」を打ち出した。結果的に自ら戦後の[[革新]]政党の流れを弱め、自公連立政権と[[民主党 (1996-)|民主党]]という、二大保守政党制への変革を加速化させた。{{要出典}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
=== 首相就任まで ===&lt;br /&gt;
* [[1924年]] [[大分県]][[大分市]]の[[漁師]]の家に生まれる&lt;br /&gt;
* [[1938年]] 東京に出て、働きながら東京市立商業学校に学んだ &lt;br /&gt;
* [[1946年]] [[明治大学]]専門部政治経済科卒業&lt;br /&gt;
* [[1955年]] 大分市議会議員選挙に日本社会党から出馬し当選（当選3回）&lt;br /&gt;
* [[1963年]] 大分県議会議員選挙に支持者の後押しで出馬し当選（連続3回）&lt;br /&gt;
* [[1972年]] 12月の[[衆議院議員総選挙]]に出馬し初当選（当選8回）&lt;br /&gt;
* [[1991年]] 4月、[[土井たか子]]に代わって日本社会党委員長に就任した[[田邊誠]]の下で日本社会党国会対策委員長に就任。&lt;br /&gt;
* [[1992年]] [[国連平和維持活動|PKO]]国会で国会対策委員長として陣頭指揮を執って粘り強く抵抗したものの、6月自公民3党の多数で成立。[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[梶山静六]]、[[公明党]]の[[神崎武法]]ら、各党国会対策委員長とのパイプを持つ。&lt;br /&gt;
* [[1993年]] 1月、日本社会党委員長に就任した[[山花貞夫]]の下で国会対策委員長に留任。8月、細川連立内閣が発足。10月、日本社会党委員長選挙に立候補し当選、日本社会党委員長に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1994年]]&lt;br /&gt;
** 4月、内閣総理大臣[[細川護煕]]のあとを受けて成立した[[羽田内閣]]では、日本社会党として閣外協力に転じた。&lt;br /&gt;
** 5月、内閣総理大臣[[羽田孜]]の日本社会党を排除する新党構想『改新』に激怒して連立政権から離脱したが、党内では、[[日本社会党書記長]][[久保亘]]、前副委員長[[佐藤観樹]]、副委員長[[上原康助]]、前書記長[[赤松広隆]]らが連立残留を主張したの対して、[[山口鶴男]]、副委員長[[大出俊]]、国会対策委員長[[野坂浩賢]]らが連立離脱を主張したため、党内抗争に発展。&lt;br /&gt;
*** 25日、羽田内閣が内閣総辞職し、日本社会党を巡り自由民主党、連立与党が協議を行う中、[[自由民主党総裁]][[河野洋平]]が日本社会党委員長首班の連立政権を打診、[[新党さきがけ]]を含めた[[自社さ共同政権構想]]に合意。元内閣総理大臣[[海部俊樹]]が「社会党委員長を首班に支持できない」と主張、元内閣総理大臣[[中曾根康弘]]も同調し、連立与党は海部俊樹を統一候補に指名。&lt;br /&gt;
** [[6月29日]]、首班指名が行われるが、衆議院で過半数に達せず、決選投票へ。村山が指名決選投票で海部俊樹を破り内閣総理大臣に指名され、自社さ連立内閣が発足。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 首相在任中 ===&lt;br /&gt;
* [[1994年]]&lt;br /&gt;
** 7月、[[第130回臨時国会]]で「[[自衛隊]]合憲、[[日米安保]]堅持」と発言し、日本社会党の政策転換を独断専行で強行した（[[村山富市#日米安全保障条約の維持|後述]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1995年]]&lt;br /&gt;
** 1月の[[兵庫県南部地震]]に伴う[[阪神・淡路大震災]]発生時、政府の対応が遅いと批判され、[[内閣支持率]]の急落につながった（[[村山富市#阪神・淡路大震災への対応|後述]]）。&lt;br /&gt;
** 3月に[[オウム真理教]]による[[地下鉄サリン事件]]が起こる（[[村山富市#オウム真理教に対する破壊活動防止法適用申請|後述]]）。&lt;br /&gt;
** 6月9日、衆議院本会議にて[[歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議]]（通称：[[不戦決議]]。自由民主党・自由連合、日本社会党・護憲民主連合、新党さきがけ3会派共同提出）可決。[[6月21日]]、[[全日空857便ハイジャック事件]]が発生。特殊武装警察に強行突入を指示し鎮圧（[[村山富市#ハイジャックへの特殊武装警察の投入|後述]]）。&lt;br /&gt;
** 5月の地方選、7月の[[参議院議員通常選挙]]で日本社会党が大敗北。村山は辞意を漏らしたが与党側が慰留し、内閣を改造した。&lt;br /&gt;
** [[5月10日]]、[[自由民主党幹事長]][[森喜朗]]が「村山総理は『過渡的内閣には限界がある』と洩らしている」と発言し、内閣総理大臣公邸での村山富市との会話を漏洩した。この発言を受け[[読売新聞社]]が「首相、退陣意向洩らす」と報道し、他社もこれに続く大騒ぎとなる。その結果、自社さ連立政権全体から森は猛反発を受け、閣内では村山の慰留に努める雰囲気が醸成され、[[村山内閣]]はその後も継続した。 &lt;br /&gt;
** 7月、「[[財団法人]][[女性のためのアジア平和国民基金]]」（通称：アジア女性基金）を発足させた（[[村山富市#女性のためのアジア平和国民基金設立|後述]]）。&lt;br /&gt;
**　8月15日　[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話]]（通称：[[村山談話]]）を閣議決定（[[村山富市#村山談話|後述]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1996年]]&lt;br /&gt;
** [[1月5日]]　内閣総理大臣を辞任し自社さ政権協議で自由民主党総裁[[橋本龍太郎]]を首班とする連立に合意した。11日に橋本連立内閣が発足。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 首相辞任後の足取り ===&lt;br /&gt;
* [[1996年]] [[1月19日]]、日本社会党を党名変更し、社会民主党を結成。初代社会民主党党首に就任。&lt;br /&gt;
* [[1996年]] [[9月]]、新党さきがけ代表幹事[[鳩山由紀夫]]が提唱する新党構想で社会民主党から30人が造反。[[衆議院解散]]を前に[[衆議院議長]]土井たか子を社会民主党党首に迎え、村山は社会民主党特別代表に就任。土井執行部で閣外協力に転じる。&lt;br /&gt;
* [[1997年]] 沖縄特別措置法案採決に与党ながら反対に回った。&lt;br /&gt;
* [[1998年]] 6月、社会民主党が自由民主党との政権協議を破棄し、自社さ連立政権が崩壊。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] [[野中広務]]と共に[[朝鮮民主主義人民共和国]]訪問（通称：村山訪朝団）。団長を務める。&lt;br /&gt;
* [[2000年]] [[5月14日]]、在任中に病に倒れた前内閣総理大臣[[小渕恵三]]が病没。村山が[[衆議院]]本会議で小渕への弔辞を朗読。&lt;br /&gt;
** 衆議院での内閣総理大臣経験者への弔辞は、野党第一党党首が行うのが通例。&lt;br /&gt;
** 本来なら民主党代表の鳩山由紀夫が弔辞を読むはずだが、小渕の遺族側が拒否したため、例外的に、内閣総理大臣経験者でかつ野党所属衆議院議員である村山が弔辞を読んだ。&lt;br /&gt;
* [[2000年]] 6月、衆議院解散と共に政界引退。&lt;br /&gt;
** 10月に財団法人女性のためのアジア平和国民基金理事長に就任。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[4月29日]]、「内閣総理大臣として国政を担当しその重責を果たすとともに、多年にわたり[[国会議員]]として議案審議の重責を果たした」&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www8.cao.go.jp/intro/kunsho/ 日本の勲章・褒章（賞勲局）]」[[内閣府]]、[[2006年]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;功労により[[桐花大綬章]]受章。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 村山内閣の施政 ==&lt;br /&gt;
[[村山内閣]]は、政権発足時から、戦後の政治的懸案事項に取り組んだ。[[55年体制]]下で続いてきた[[保革対立]]に終止符を打った[[自社さ連立政権]]だからこそ実現できた業績もある。反面、日本社会党は衆議院議員総選挙で大敗した政党であり、有権者にNOを突きつけられたはずの政党が、数の力で政権を取ってしまったという面も否定できない。その限界や課題も残した。&lt;br /&gt;
*村山は「『当時としては』全てにおいて最良の選択だった」と振り返っている。&lt;br /&gt;
*[[渡邉恒雄]]は「よい意味で進歩的内閣で、[[日本社会党|社会党]]の反安保・反米、国歌・国旗反対を潰して、国論統一の幅をぐんと広げてくれたことが最大の功績」と[[保守]]・[[右派]]・[[タカ派]]的立場から評価した。&lt;br /&gt;
*[[田中康夫]]は「[[自由民主党|自民党]]と[[日本社会党|社会党]]のいいとこ取りしたハイブリッド内閣」と評した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 施政方針 ===&lt;br /&gt;
* [[国会]]演説の中で村山内閣の施政方針として「[[人にやさしい政治]]」を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政策綱領 ===&lt;br /&gt;
*日本社会党と新党さきがけが結んだ政策合意に対し自由民主党が参画し、1994年6月に「[[自社さ共同政権構想]]」として合意され、村山内閣、[[第1次橋本内閣]]の政策綱領となった。&lt;br /&gt;
**[[日本国憲法]]の尊重&lt;br /&gt;
**[[小選挙区比例代表並立制]]の実施&lt;br /&gt;
**税制改革の前提として行政改革の断行&lt;br /&gt;
**条件つきながら[[消費税]]の引き上げの方向を認める&lt;br /&gt;
**自衛隊と日米安全保障条約を維持&lt;br /&gt;
**[[国際連合平和維持活動]]に積極的に参加&lt;br /&gt;
**[[国際連合]][[安全保障理事会]][[常任理事国]]参加問題には慎重に対処&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦後の総括 ===&lt;br /&gt;
==== 戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話 ====&lt;br /&gt;
* [[1995年]][[8月15日]]の戦後50周年記念式典において、村山は[[閣議決定]]に基づき、[[日本]]が[[戦前]]、[[戦中]]に行ったとされる「[[侵略]]」や「植民地支配」について公式に謝罪した。この「[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話]]（通称'''「村山談話」'''）は、以後の歴代政権に引き継がれて日本国政府の公式歴史見解として扱われている。&lt;br /&gt;
* しかし、これ以後も保守系議員などにより[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山談話]]とは見解を異にする内容のコメントが発せられ、その度に[[中国]]、[[韓国]]の政府から反発が起きた。&lt;br /&gt;
*[[保守]]的な立場からは、「日本は戦後、戦時中におこなったとされる侵略行為については当事国に公式に謝罪し補償も済ませているのでこれ以上の謝罪論は不要である」との批判がある。&lt;br /&gt;
*[[革新]]的な立場からは、「この談話は結局のところ『アジア太平洋戦争に日本政府は巻き込まれた。悪いとは思うが仕方がなかった』という立場を表すに過ぎない」との批判もある。&lt;br /&gt;
*「村山」と個人名を冠して呼称されることが多いが、閣議決定を経た談話であり、村山個人の私的な見解ではなく、当時の政府公式見解である。&lt;br /&gt;
*[[内閣総理大臣]][[小泉純一郎]]が村山談話を踏襲すると発表していたのに続き、[[2006年]][[10月5日]]に[[内閣総理大臣]][[安倍晋三]]も村山談話を「アジアの国々に対して大変な被害を与え、傷を与えたことは厳然たる事実」「国として示した通りであると、私は考えている」と、政府として、個人として受け継いで行く姿勢を見せている。&lt;br /&gt;
*なお、村山談話の中では、日本は「[[国策]]を誤り、戦争への道を歩ん」だとされている。この表現に対し、村山は「戦争が終わった時点で国内的にも国際的にも（[[昭和天皇|昭和]]）[[天皇]]の責任は問われていない。談話の『国策を誤った』ということをもって（先帝）[[陛下]]の責任を云々するつもりはない」と述べており、村山談話は[[昭和天皇]]の[[戦争責任]]を追及するものではないと明確に示している。さらに、具体的にどの[[内閣]]の誰が「国策を誤」ったのかについては、「どの時期かについて断言的に言うのは適当ではない」と述べており、どの内閣に責任があるのかについても明示はされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 被爆者援護法の制定 ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 女性のためのアジア平和国民基金設立 ====&lt;br /&gt;
* [[1994年]][[8月]]、「[[従軍慰安婦]]問題」に関して民間基金による見舞金支給の構想を発表し、[[1995年]][[7月]]、[[総理府]]と[[外務省]]の管轄下で「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」を発足させた。この基金により、[[1997年]][[1月]]、韓国人元慰安婦への見舞金支給が開始された。&lt;br /&gt;
* 村山内閣成立以前、国費による損害賠償と政府の謝罪を求めた元慰安婦による訴訟が各地で起こされていた。しかし、[[日本]][[政府]]は、他国との条約締結時にこれら諸問題は解決済みとの立場であり、国費投入による元慰安婦への損害賠償はありえないとされていた。村山が示した構想では、政府が基金を設立し資金は民間からの寄附とすることで、直接の国費投入を避けるとともに募金に応じた国民の真摯な思いが伝わるとアピールすることで、両者の主張を織り込みつつ問題解決を図る狙いがある。村山自身は、発足の経緯について「『あくまで[[政府]][[補償]]をすべきだ』という意見があれば、他方では『戦時賠償は[[法]]的にはすべて解決済みだ。いまさら蒸し返す必要はない』、果ては『[[慰安所]]ではちゃんとカネを払っていた』といった声まで、国内外の意見の隔たりは大き」&amp;lt;ref name=wp1&amp;gt;村山富市「慰安婦問題『河野談話を継承』こそ重要」『[[朝日新聞]]』[[朝日新聞社]]東京本社、2007年[[4月5日]]、15面。&amp;lt;/ref&amp;gt;く、「与党3党の間でも厳しい意見の対立があった」&amp;lt;ref name=wp1/&amp;gt;　が、「それを乗り越え一致点を見いだし、基金の発足にこぎつけた。」&amp;lt;ref name=wp1/&amp;gt;「元慰安婦の方々の[[高齢化]]が進むなか、何とか存命中に[[日本国民]]からのおわびの気持ちを伝え、悲痛な体験をされた方々の名誉回復を図る」&amp;lt;ref name=wp1/&amp;gt;には「いろいろ批判はあろうが、当時の差し迫った状況では、これしか方法はなかった」&amp;lt;ref name=wp1/&amp;gt;と記している。　&lt;br /&gt;
* 女性のためのアジア平和国民基金の初代理事長には[[原文兵衛]]、2代目理事長に内閣総理大臣退任後の村山が就き、約6億円の募金を集め、元慰安婦の生活支援のみならず女性の名誉尊厳一般に関する事業を展開してきた。[[フィリピン]]、[[韓国]]、[[台湾]]で支援事業を展開し、[[インドネシア]]事業終了を予定する[[2007年]][[3月]]に解散することが、理事長村山により発表された。&lt;br /&gt;
*2000年[[9月1日]]、[[第2次森内閣]]政権下にて[[内閣官房長官]][[中川秀直]]が、女性のためのアジア平和国民基金に関する記者会見を開き、同基金に対する日本政府の認識を改めて表明した。&lt;br /&gt;
*2007年[[3月6日]]、村山は記者会見を開き、従軍慰安婦問題で日本の謝罪を求める決議案が[[アメリカ合衆国下院]]にて審議されていることについて、「（女性のためのアジア平和国民基金を通じ）歴代総理が慰安婦の方へお詫びの手紙を出したことが理解されていないのが極めて残念」と発言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 危機管理 ===&lt;br /&gt;
==== 阪神・淡路大震災への対応 ====&lt;br /&gt;
*1995年1月17日、[[兵庫県南部地震]]により[[阪神・淡路大震災]]が発生した。この際、政府の対応が遅いと批判され、内閣支持率の急落につながった。&lt;br /&gt;
**村山はなぜ自衛隊派遣が遅れたのかを問われ、「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁し、内閣支持率の急落に繋がった。この村山内閣の対応の遅れは、広く国民から強い批判を浴びた。特に被災者・遺族からは絶対に許せないとの講義が噴出した。&lt;br /&gt;
**最も早く救援体制を敷いた米海軍[[第7艦隊 (アメリカ軍)|第7艦隊]]（[[神奈川県]][[横須賀市]]）が、「艦艇を[[神戸港]]に入港させて、[[ヘリコプター]]による負傷者の救援」を政府に申し入れたところ、神戸港を管理する[[神戸市|神戸市役所]]が「[[非核三原則|非核神戸方式]]」採用していたため、それを理由に拒んだことも批判の対象になっている。&lt;br /&gt;
**[[自衛隊]]出動命令の遅れは、法制度上、地元・[[兵庫県]][[知事]][[貝原俊民]]の要請がなければ出動できなかった点が挙げられる。当日午前8時10分には、陸上自衛隊[[姫路駐屯地]]（[[防衛庁]]側）から[[兵庫県|兵庫県庁]]に対し出動要請を出すよう督促されている。また、午前10時前には自衛隊のヘリコプターを飛ばし被災地の情報収集を行っている。しかし、貝原が登庁したのはその後で、さらに現況の把握に時間が費やされた。最終的に、貝原の命令を待たず兵庫県参事（防災担当）が出動要請を午前10時10分に行い、その4分後の午前10時14分には自衛隊が出動している。[[貝原俊民#震災当時の県知事|別項]]も参照。&lt;br /&gt;
***[[東京都知事]][[石原慎太郎]]は「神戸の地震の時なんかは、（自衛隊の派遣を要請する）首長の判断が遅かったから、2千人余計になくなった」&amp;lt;ref&amp;gt;「『震災で判断遅く犠牲者』発言兵庫県知事『失礼だ』」『朝日新聞』43460号、朝日新聞社東京本社、2007年4月10日、38面。&amp;lt;/ref&amp;gt;と発言し、地方公共団体の対応の遅れを指摘している。だが、[[貝原俊民]]は「石原さんの誤解。たしかに危機管理面で反省はあるが、要請が遅れたから死者が増えたのではない」&amp;lt;ref name=wp2&amp;gt;「石原氏『神戸の震災は首長の判断遅く２千人余計に死亡』」『朝日新聞』朝日新聞社東京本社、2007年4月9日。&amp;lt;/ref&amp;gt;と反論しており、派遣要請の遅れと犠牲者数の増加には直接の関係ないとしている。また、兵庫県防災監に震災後就任した[[斎藤富雄]]は石原の指摘は「全く根拠のない発言で、誠に遺憾」&amp;lt;ref name=wp2/&amp;gt;と指摘している。&lt;br /&gt;
**一方で、[[災害対策基本法]]105条に基づく各種の強制的規制の適用により、内閣総理大臣に権限を広く集め、効力のある「緊急災害対策本部」を早急に作ること等が可能であった。しかし、村山内閣成立に伴い、「自衛隊は違憲状態」との日本社会党の基本政策を、村山が半ば強制的に急転換した経緯もあり、日本社会党左派への配慮のため、長年、政権与党で日本の防衛・防災体制を担ってきた自由民主党出身閣僚の[[防衛庁長官]][[玉澤徳一郎]]、[[国土庁長官]][[小澤潔]]といった震災関連省庁[[主務大臣]]の判断に委ねようとしたが、権限を持たない各[[国務大臣]]からは当然そのような意見は出なかったため、設置を見送った。&lt;br /&gt;
**震災直後、村山は国土庁長官小澤潔に代えて[[小里貞利]]を[[国務大臣]]【震災対策担当大臣】に任命し復興対策の総指揮に当たらせる。また、[[下河辺淳]]を委員長とする震災復興委員会を組織し、復興案の策定を進めた。&lt;br /&gt;
**被災者への支援として、16本の法律を改正、および、制定し、被災者に対する税負担の軽減等を図った。&lt;br /&gt;
**歴代在任日数最長（当時）の[[内閣官房副長官]][[石原信雄]]（後に[[安倍内閣]]にて[[内閣官房]]「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」座長）は、「前例のない未曾有の災害で、かつ法制度の未整備な状態では、村山以外のだれが[[内閣総理大臣]]であっても迅速な対応は不可能であった。」&amp;lt;ref&amp;gt;石原信雄『官かくあるべし―7人の首相に仕えて』[[小学館]]、1997年。ISBN 9784094020311&amp;lt;/ref&amp;gt;と述懐、証言している。&lt;br /&gt;
**震災発生は午前5時46分ごろであったが、当時の官邸には、危機管理用の当直は存在しなかった。また、災害対策所管の国土庁にも担当の当直が存在しなかった。&lt;br /&gt;
**[[自社さ連立政権]]という[[連立内閣]]に対する[[内閣官房]]、[[官僚]]の[[ロイヤリティ]]（忠誠心）の低さも問題点として指摘されている。震災後、[[後藤田正晴]]に指示された[[佐々淳行]]が、村山を含む内閣総理大臣官邸メンバーの前で[[危機管理]]のレクチャーを行った。ところが、村山以外の政務、事務スタッフは皆我関せずの態度を取ったため、佐々が厳しく戒めたという。また、村山が震災直後に国民に向けて記者会見を開こうとしていたが、[[内閣官房]]スタッフから止められていた、との逸話も佐々の著書&amp;lt;ref&amp;gt;佐々淳行『後藤田正晴と十二人の総理たち』[[文藝春秋]]、2006年。ISBN 4163681205&amp;lt;/ref&amp;gt;で紹介されている。&lt;br /&gt;
**震災など危機管理対応への各制度が未整備な当時の状況は、内閣総理大臣の職務の困難さを示している。犠牲者が多数発生した事態に対し「神戸市民六千余名をイデオロギーで殺した大量虐殺犯」との批判もあるが、「危機管理面で反省はあるが、要請が遅れたから死者が増えたのではない。犠牲者の8割以上が、発生直後に圧死していた」&amp;lt;ref name=wp2/&amp;gt;とする[[貝原俊民]]の指摘もある。&lt;br /&gt;
**村山自身は、震災への対応を振り返り「初動対応については、今のような危機管理体制があれば、もっと迅速にできていたと思う。あれだけの死者を出してしまったことは、慚愧に堪えない。1月17日の朝は毎年、自宅で黙とうする。亡くなられた方のめい福を祈り、残された家族の幸せを願っている。」&amp;lt;ref&amp;gt;磯辺康子「[http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/2004interview/04.html 神戸新聞Web News　震災10年を語る]」[[神戸新聞社]]、2004年[[7月14日]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;と語っている。[[田中秀征]]は「震災のショックが大きすぎて，二人きりになると必ず辞めたいと漏らしたいう。『首相の資格がない，限界だ』というのを，なだめすかして，何とか続けさせた１年（1995年）だった」&amp;lt;ref&amp;gt; 田勢康弘『総理の座』[[文藝春秋社]]、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== オウム真理教に対する破壊活動防止法適用申請 ====&lt;br /&gt;
* [[1995年]]（平成7年）3月20日、[[地下鉄サリン事件]]が発生した。村山は[[内閣官房長官]][[五十嵐広三]]、[[法務大臣]][[前田勲男]]、[[国家公安委員会委員長]][[野中広務]]、[[警察庁長官]][[國松孝次]]ら関係幹部に徹底捜査を指示、陣頭指揮を執る[[パフォーマンス]]を見せ、事件捜査について「[[別件逮捕]]等あらゆる手段を用いて」と発言、[[テロリズム]]に対する内閣の断固とした決意を示した。&lt;br /&gt;
**地下鉄サリン事件等一連の事件を起こしたとされる[[オウム真理教]]に対し[[破壊活動防止法]]適用が検討され、[[公安調査庁]]が処分請求を行った。しかし、[[公安審査委員会]]は破壊活動防止法適用要件を満たさないと判断し、適用は見送られた。&lt;br /&gt;
* [[1952年]]に公布された[[破壊活動防止法]]は、暴力主義的破壊活動を行った団体に対し、規制措置を定めた[[法律]]である。当初は[[日本共産党]]や[[日本赤軍]]など[[社会主義]]勢力の拡大を防止する目的があったことから、[[日本社会党]]（ただし[[社会民主主義]]政党であり[[共産主義]]政党ではない）はじめ55年体制下の野党各党は、従来、法の適用に極めて慎重な立場をとっていた。&lt;br /&gt;
**オウム真理教への破壊活動防止法適用には、[[自由民主党]]の元[[副総理]][[後藤田正晴]]らから異論が出るなど賛否両論が噴出したが、[[法務大臣]][[宮澤弘]]、[[国家公安委員会委員長]][[野中広務]]と協議した村山は、[[公安調査庁]]の調査を尊重すると決断し、[[公安審査委員会]]への処分請求に道を拓いた。&lt;br /&gt;
**地下鉄サリン事件の捜査に関し「[[別件逮捕]]等あらゆる手段を用いて」との発言が、[[人権派]][[弁護士]]たちから大きな反発を受けるなど賛否両論となった。&lt;br /&gt;
**[[2007年]][[3月17日]]、「地下鉄サリン事件被害者の会」が編んだ『私にとっての地下鉄サリン事件』に警察庁長官（当時）[[國松孝次]]、『[[アンダーグラウンド (文学)|アンダーグラウンド]]』[[著者]][[村上春樹]]らとともに手記を寄せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ハイジャックへの特殊武装警察投入 ====&lt;br /&gt;
*1995年6月に[[全日空857便ハイジャック事件]]が発生した。&lt;br /&gt;
**[[東京国際空港]]発[[函館空港]]行の[[全日本空輸]]機857便（乗員・乗客365人）が[[ハイジャック]]され、「[[サリン]]」を所持した犯人がオウム真理教教祖[[麻原彰晃]]の釈放を[[政府]]に要求した。&lt;br /&gt;
**村山は[[国家公安委員会委員長]][[野中広務]]、[[運輸大臣]][[亀井静香]]と協議し、ハイジャック犯との交渉には一切応じない方針を固め、SAP(Special Armed Police;特殊武装警察)の実戦投入を指示した。&lt;br /&gt;
**SAPに対し突入を指示した後、村山は「もしも死者が出たら（[[行政]]の最高責任者として）[[白装束]]で遺族の下にお詫びに行く覚悟だ」と発言し、野中は「その際は私も同行する」と約束した。&lt;br /&gt;
**村山からの指令を受け、[[警視庁]]警備部第六機動隊特科中隊（いわゆるSAPの一）は[[北海道警察]]本部機動隊対銃器部隊、および、[[函館中央警察署]]とともに強行突入し、犯人を逮捕した。その結果、乗員・乗客の死傷者は0名、軽傷者1名のみとなった。逮捕後の取り調べにより、サリンとされた物質は単なる[[水]]であり、ハイジャック犯はオウム真理教とは全く無関係の元[[信託銀行]]職員だった。&lt;br /&gt;
**当時の[[警察庁]]は特殊部隊であるSAPの存在自体を極秘としており、実戦投入後もその存在が公にされることはなかった。[[1996年]]、警察庁は北海道警察本部、[[千葉県警察]]本部、[[神奈川県警察]]本部、[[愛知県警察]]本部、[[福岡県警察]]本部に部隊を増設し、警視庁、[[大阪府警察]]本部のSAPとともに、正式に「[[特殊急襲部隊]]」（Special Assault Team、通称SAT）の呼称を与え、正規部隊として公表された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外務 ===&lt;br /&gt;
[[Image:G8-halifax-1995-01.jpg|thumb|300px|[[1995年]]、[[カナダ]][[ノバスコシア州]][[ハリファックス]]での第21回[[先進国首脳会議]]にて]]&lt;br /&gt;
* [[羽田内閣]]からの[[政権]]交代により[[村山内閣]]が成立したが、過去の日本政府の外交方針を基本的に継承し、行政の継続性を保っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日米首脳の信頼構築 ====&lt;br /&gt;
*[[村山内閣]]成立時、[[海外]]では「日本に[[共産主義者]]&amp;lt;ref&amp;gt;当時の日本社会党は[[社会民主主義]][[政党]]を標榜しており、[[共産主義]]政党や[[社会主義]]政党ではない。英文党名も「Social Democratic Party of Japan」（直訳すれば「日本社会民主党」）である。現在の[[社会民主党 (日本)#社会民主党（日本 1996-）|社会民主党]]の英文党名と全く同一である。&amp;lt;/ref&amp;gt;[[内閣]]が誕生した」&amp;lt;ref&amp;gt;村山が国会で内閣総理大臣に指名された際、日本国外のマスメディアは村山の詳細な情報を持ち合せておらず、各社で情報が錯綜したとされている。&amp;lt;/ref&amp;gt;と報じられたため、懐疑論が根強くあった。[[アメリカ合衆国大統領]][[ビル・クリントン]]は、当初、[[日本社会党]]出身[[内閣総理大臣]]に警戒心を持っていた。しかし、[[1994年]]の第20回[[先進国首脳会議]]（ナポリ[[サミット]]）前の二国間首脳会談にて、村山が自らの生い立ちから今の政治信条に至る過程を話し、[[アメリカ合衆国]]の占領統治下で[[戦後民主主義]]に触れ政治家を志した、と語ったため、感銘を受けたクリントンはそれ以後は警戒心を解いたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日米安全保障条約の維持 ====&lt;br /&gt;
* 1994年[[7月20日]]、[[第130回臨時国会]]での[[所信表明演説]]にて「[[自衛隊]]合憲」、「[[日米安保]]堅持」と明言し、[[日米安全保障条約]]体制の継続を明確化した。&lt;br /&gt;
** この際、演説用原稿では「日米安保'''維持'''」だったが、所信表明演説では村山が「日米安保'''堅持'''」と発言した。&lt;br /&gt;
** 村山の出身政党である日本社会党にとっては政策の大きな転換にあたる。トップダウンでの政策転換に対し、独断専行との批判もあるが現実政党への脱皮を図ったともされる。また、村山はもともと日本社会党右派に属しており、政策転換への抵抗感も比較的薄かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 厚生 ===&lt;br /&gt;
==== リサイクル法の制定 ====&lt;br /&gt;
==== 水俣病患者救済 ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 運輸 ===&lt;br /&gt;
==== 成田空港問題への対応 ====&lt;br /&gt;
*[[1991年]][[11月]]から15回にわたって開催された「成田空港問題シンポジウム」、引き続き[[1993年]][[9月]]から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」の結論を受け、村山は[[1995年]]、これまでの経緯について地元に謝罪した。これにより、第2期工事への用地買収に応じる地主が現れた。その後、[[1996年]]に未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画された。村山ら政府首脳の謝罪に加え、中立委員らの度重なる働きかけにより、[[新東京国際空港]]反対派住民の強硬姿勢も次第に和らぎつつあり、反対運動は小康状態へと推移しつつある（詳細は[[成田国際空港#歴史]]参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 郵政 ===&lt;br /&gt;
==== インターネットでの情報公開 ====&lt;br /&gt;
* [[インターネット]]への接続が一般家庭にも普及し始めたのを受け、[[政府機関]]の[[ウェブサイト]]開設を積極化し、ウェブサイトを利用した情報公開を進めた。[[1994年]][[8月]]には[[総理大臣官邸]]の公式ウェブサイト『[http://www.kantei.go.jp/ 首相官邸ホームページ]』を開設した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 防衛 ===&lt;br /&gt;
==== 沖縄県の米軍基地問題 ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治思想 ==&lt;br /&gt;
*村山は、日本社会党党内では自治労右派、[[政権構想研究会]]、水曜会に所属しており、一貫して[[社会党右派]]として活動してきた。村山内閣成立後、小沢一郎らと連携を目指し自社さ連立政権に批判的な勢力を「社会党右派」、自社さ連立政権を支持する勢力を「[[社会党左派]]」とマスコミが便宜的に呼称したため、村山が社会党左派であるかのような誤解が生じた。なお、村山内閣で入閣した[[労働大臣]][[浜本万三]]、[[郵政大臣]][[大出俊]]、[[総務庁長官]][[山口鶴男]]らはいずれも社会党右派に属している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
=== 不慣れ ===&lt;br /&gt;
* [[総理大臣官邸]]が迷路のような構造になっていたため、村山は官邸内で何度も道に迷った。橋本通産相からは「いい加減覚えろよ」と呆れられたという。&lt;br /&gt;
* 総理在任中、夫人が長年の腰痛のために公務に同伴できない状態だったため、秘書をしていた娘が[[ファーストレディ]]の代役を務めた。&lt;br /&gt;
* [[イタリア]]の[[ナポリ]]で開かれた[[先進国首脳会議]]でのレセプションで腹痛と下痢を起こして中座、翌日も一部の会議を欠席するなどし、関係者を心配させた。海外訪問の経験が少ない村山は、滞在中は現地の飲食物に非常に注意しており、滞在先の総領事公邸で出された食事にしか手をつけなかった。しかし会談前に首脳が屋外で歓談した際、ウェイターが差し出した桃ジュースにうっかり手を出してしまい、それにあたってしまったと後に述懐している。同日夕刻のレセプションの頃にはすでに体調が悪く一切料理に手をつけていない&amp;lt;ref&amp;gt;にもかかわらずマスコミでは「側にいた大食漢の[[武村正義|武村]]蔵相につられて食べ過ぎたため」「食べ慣れない[[オリーブ油]]を多量に使った[[イタリアン]]を食べたため」など諸説が飛びかって一時騒然となった&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人となり ===&lt;br /&gt;
* 現在の閣僚資産公開制度が始まった1987年以降、村山の資産は歴代総理中の最下位で、自宅の時価が「数10万円台」と発表されため、清貧というイメージを持たれた&amp;lt;ref&amp;gt;ただし[[大分県]]には時価総額で9300万円の山林を所有していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*好々爺のような風貌とトレードマークの長い[[眉毛]]で、'''トンちゃん'''と呼ばれて親しまれた。&lt;br /&gt;
* [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[進め!電波少年]]』の企画で[[松村邦洋]]が自慢の眉毛を切るという無茶な企画にも、笑顔で参加した。&lt;br /&gt;
* 村山の人気にあやかり、村山をモデルとしたマスコット「とんちゃん人形」を[[日本社会党]]が発売した。&lt;br /&gt;
* 退任後は[[映画]]にも出演している。[[1995年]]公開の『[[男はつらいよ 寅次郎紅の花]]』と、[[2003年]]公開の『[[八月のかりゆし]]』。&lt;br /&gt;
*[[2005年]][[7月16日]]、[[大分県]][[大分市]]王子中町の市道交差点で、自らが運転する乗用車と自転車に乗った小学4年生男児とが接触する[[交通事故]]を起こし、男児の両腕に怪我を負わせた。[[業務上過失傷害]]容疑で[[書類送検]]されたが、事故は示談で解決。男児の怪我が軽かったこともあり、同年[[7月24日]]、大分[[地方検察庁|地検]]は村山を[[起訴猶予]]処分とする決定を下した。村山は以後、自動車の運転をしていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他の者の評価 ===&lt;br /&gt;
* 大分県議会議員時代の村山は、他の大分県議や市町村長らとともに、時の大蔵大臣・[[一萬田尚登]]に大分県への[[新産業都市]]指定を陳情した。ところが一萬田からは「国家全体を考慮して可否を判断すべき問題であり陳情には左右されない」とたしなめられてしまった。村山はそんな一萬田に失望するどころか、逆に感銘を受けたという。&amp;lt;ref&amp;gt;「[[私の履歴書]]」『[[日本経済新聞社]]』[[日本経済新聞社]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[細川内閣]]当時、総理の記者会見が深夜に行われることが度々あった。特に重大な発表&amp;lt;ref&amp;gt;コメ市場の部分開放、[[河野洋平|河野]]外相・自民党総裁との政治改革関連法案の修正合意、国民福祉税構想など。&amp;lt;/ref&amp;gt;ほど深夜に行われることが多く、そうした折には一夜明けると[[マスコミ]]や野党ばかりか、与野にも大きな驚きを与えることがあった。当時連立与党の[[日本社会党委員長|社会党委員長]]だった村山は、細川のことを「深夜に騒ぐ男じゃのう」と評していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== スポーツ ===&lt;br /&gt;
* [[趣味]]を聞かれ、「[[漁師]]の息子だから泳ぎは得意だ」。&lt;br /&gt;
* [[明治大学]]の出身で、[[早稲田大学]]出身の[[河野洋平|河野]]外相と[[森喜朗|森]]自民党幹事長に、[[東京大学]]の[[武村正義|武村]]蔵相を加えて、[[ラグビー]]の[[早明戦]]を観戦したこともある。&lt;br /&gt;
* [[1994年]]、[[オリックス・ブルーウェーブ|オリックス]]の[[イチロー]]選手が[[日本]]で初めてシーズン200本[[安打]]を達成した際、総理コメントを発表した。試合が行われていた[[グリーンスタジアム神戸]]では、コメントを読み上げる村山の姿が大スクリーンに映し出された。&lt;br /&gt;
* 同シーズン終了後、イチローはオリックスの[[仰木彬|仰監督]]らとともに答礼として官邸を訪問、村山にサイン入りバットなどを贈っている&amp;lt;ref&amp;gt;このとき、バットを握った村山はイチローの[[振り子打法]]の素振りを披露してみせたが、そのの軸足が左右逆だったため、イチローから「軸足をしっかりと」と指導を受けた。[[マスコミ]]によってはこのイチローのコメントに引っ掛け「[[日本社会党]]の大胆な政策転換により村山の軸足が定まらない」と揶揄した。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 同郷の[[大分県出身の有名人一覧|大分県出身]]の[[力士]]・[[大関]] [[千代大海龍二|千代大海]]とも親交がある&amp;lt;ref&amp;gt;『[[スーパーテレビ情報最前線]]』[[日本テレビ放送網]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- === 進め!電波少年 ===&lt;br /&gt;
* [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[進め!電波少年]]』の企画で[[松村邦洋]]が自慢の眉毛を切るという無茶な企画にも、笑顔で参加した。&lt;br /&gt;
* 背景には、『進め!電波少年』に対する当時の[[世論]]の寛容さがある。毎回無茶な企画が放送されるにもかかわらず視聴率は好調で、堅いイメージを持たれがちな[[国会議員]]が登場することも多かった。[[野党]]第一党だった[[日本社会党]]の議員の出演も多かった。&lt;br /&gt;
* 代表的な例としては、[[村山内閣]]当時の建設大臣[[野坂浩賢]]が、橋梁の落成記念式典に出席した際、アポなしで訪れた[[松本明子]]を大臣専用車に乗せ、そのまま渡り初めをしてしまった例が挙げられる。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- * 村山内閣発足時、村山富市の[[内閣総理大臣]]就任を祝う名目で、執務室の[[内閣総理大臣|総理]]の椅子に座ろうと目論む松村邦洋が[[総理大臣官邸]]をアポなしで訪れたものの、このときは警備担当者に断られている。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--  * [[2007年]][[3月6日]]、「女性のためのアジア平和国民基金」理事長の村山が開いた記者会見の席上、「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話]]」（いわゆる[[河野談話]]）に対する安倍晋三の「私の内閣で変更するものではない発言」について触れた。村山は「（女性のためのアジア平和国民基金は）河野談話の精神を踏まえ活動している。（安倍晋三）総理が『河野談話を継承する』と言う限り（総理を）信頼している」と述べた。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- *[[1972年]][[12月]]、[[第33回衆議院議員総選挙]]において、当時無所属の[[井脇ノブ子]]と対戦し勝利を収めている。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 最上部にあったので、こちらが相応しいと思い移動しましたが、文言は修正の必要ありでは？--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- *在任中も退任後も殆どマスコミから批判を受けることのなかった稀有の首相であった。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- *若いときはなかなかのイケ面であった。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 村山富市が語る「天命」の五六一日（村山富市著、ベストセラーズ、1996年）ISBN 4584182485&lt;br /&gt;
* 村山内閣総理大臣演説集（村山富市述、[[総理府|内閣総理大臣官房]]監修、日本広報協会、1998年）&lt;br /&gt;
* そうじゃのう…―村山富市「首相体験」のすべてを語る（村山富市談、[[辻元清美]]インタビュー、第三書館、1998年）ISBN 480749810X&lt;br /&gt;
* 若者と語る（後藤田正晴、村山富市、岡野加穂留述、明治大学政治経済学部編、明治大学政治経済学部、2002年）&lt;br /&gt;
* 我的奮闘歴程（村山富市著、王雅丹訳、2005年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 論文 ==&lt;br /&gt;
* [[私の履歴書]]（村山富市稿『[[日本経済新聞]]』[[日本経済新聞社]]、[[1996年]]）&lt;br /&gt;
* 慰安婦問題「河野談話を継承」こそ重要」（村山富市稿『[[朝日新聞]]』[[朝日新聞社]]東京本社、2007年4月5日、15面）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連文献 ==&lt;br /&gt;
* 村山富市－その軌跡と使命（清原芳治著、[[大分合同新聞]]文化センター、2006年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出演作 ==&lt;br /&gt;
=== 映画 ===&lt;br /&gt;
* [[男はつらいよ 寅次郎紅の花]]（[[山田洋次]][[原作]]・[[監督]]、山田洋次・[[朝間義隆]]脚色、[[松竹]]、1995年） - 内閣総理大臣役&lt;br /&gt;
* [[八月のかりゆし]]（高木弓芽[[脚本]]、[[高橋巖]]監督、[[ギャガ・コミュニケーションズ]]、2002年） - リウボウ役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 漫画 ===&lt;br /&gt;
* [[地獄先生ぬ～べ～]]（[[真倉翔]]原作、[[岡野剛]]作画、[[集英社]]）&lt;br /&gt;
* [[ネコなび]]（[[杉本ペロ]]、[[小学館]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
*2006年4月29日:[[桐花大綬章]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Wikiquote|村山富市}}&lt;br /&gt;
{{Wikisource|戦後50周年の終戦記念日にあたって}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話]]&lt;br /&gt;
* [[歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=all/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 上を2行あける--&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{people-stub|むらやまとみいち}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣|[[村山内閣|81]]|1994|1996|80|羽田孜|82・83|橋本龍太郎}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[社会民主党 (日本)#社会民主党(1996年)|社会民主党党首]]|1996|改称|[[土井たか子]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[日本社会党委員長]]|1993 - 1996|[[山花貞夫]]|改称}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[日本社会党|日本社会党国対委員長]]|1991 - 1993|[[大出俊]]|[[野坂浩賢]]}}&lt;br /&gt;
{{内閣総理大臣}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣|むらやまとみいち]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚|むらやまとみいち]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の衆議院議員(1947-)|むらやまとみいち]]&lt;br /&gt;
[[Category:大分県の政治家|むらやまとみいち]]&lt;br /&gt;
[[Category:1924年生|むらやまとみいち]]&lt;br /&gt;
[[Category:2025年没|むらやまとみいち]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E7%A0%B4%E8%8C%82&amp;diff=409851</id>
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				<updated>2025-01-18T01:58:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:Gates meets Ishiba 8 November 2007 cropped for Ishiba.jpg|thumb|250px|石破茂]]&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂　1.jpg|thumb|400px|ゲルこと石破防衛大臣]]&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂　2.jpg|thumb|400px|石破茂]]&lt;br /&gt;
'''石破 茂'''（いしば しげる、[[1957年]][[2月4日]] ‐ ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[衆議院議員]]（13期）。[[内閣総理大臣]]（第[[第1次石破内閣|102]]・[[第2次石破内閣|103]]代）、[[自由民主党総裁]]（第28代）、[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]（第46代）。[[防衛庁長官]]（第[[第1次小泉内閣第1次改造内閣|68]]・[[第2次小泉内閣|69]]代）、[[防衛大臣]]（[[福田康夫内閣|第4代]]）、[[農林水産大臣]]（第49代）を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[建設事務次官]]、[[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]]、[[自治大臣]]兼[[国家公安委員会委員長]]などを歴任した[[石破二朗]]の長男。[[慶應義塾大学]][[法学部]]卒業後、銀行員となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*所属政党 = ([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→)&amp;lt;br /&amp;gt;([[新生党]]→)&amp;lt;br /&amp;gt;([[新進党]]→)&amp;lt;br /&amp;gt;([[無所属]]→)&amp;lt;br /&amp;gt;[[自由民主党 (日本)|自由民主党]] ([[額賀派]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第49代 [[農林水産大臣]]　　内閣 = [[麻生内閣]]　　就任日 = [[2008年]][[9月24日]]　　退任日 = [[2009年]][[9月16日]]　　退任理由 = 内閣総辞職&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第4代 [[防衛大臣]]　　内閣 = [[福田康夫内閣]]　　就任日 = [[2007年]][[9月26日]]　　退任日 = [[2008年]][[8月2日]]　　退任理由 = 内閣改造&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第68・69代 [[防衛庁長官]]　　内閣 = [[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉内閣第1次改造内閣]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[第1次小泉内閣 (第2次改造)|第1次小泉内閣第2次改造内閣]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[第2次小泉内閣]]　　就任日 = [[2002年]][[9月30日]]　　退任日 = [[2004年]][[9月27日]]　　退任理由 = 内閣改造&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[衆議院議員]]　　選挙区 = (旧鳥取全県区→)&amp;lt;br /&amp;gt;[[鳥取県第1区]]　　当選回数 = 8回　　就任日 = [[1986年]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂　3.jpg|400px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂　4.jpg|400px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂　5.jpg|400px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
[[鳥取県]]八頭郡[[郡家町]]（現[[八頭町]]）出身。幼少の頃、父・[[石破二朗|二朗]]は[[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]]だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 学生時代 ===&lt;br /&gt;
[[鳥取大学附属小学校|鳥取大学教育学部附属小学校]]、[[鳥取大学附属中学校|鳥取大学教育学部附属中学校]]、[[慶應義塾高等学校]]を経て[[慶應義塾大学]][[法学部]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 銀行員時代 ===&lt;br /&gt;
大学卒業後、[[三井銀行]]に勤務する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政治家として ===&lt;br /&gt;
[[1981年]]、父・[[石破二朗|二朗]]が死去し、一周忌が済んだ頃、父・二朗の友人だった[[田中角栄]]に呼ばれ、田中から「おまえがあとに出ろ！」と強く薦められたことが[[政界]]入りのきっかけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第38回衆議院議員総選挙|1986年7月の衆院選]]で鳥取全県区で立候補をして初当選し、[[中曽根派]]に所属。以後連続当選8回。93年に[[政治改革4法|政治改革法案]]をめぐって自民党から役職停止処分を受けて離党。[[新生党]]に入党し[[新進党]]結党に参加するも、[[小沢一郎]]の[[安全保障]]政策に失望し、新進党を離党。1997年に自民党に復党する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともとは農水族として地歩を築いたが、自身が「国防がライフワーク」と語るとおり、「新国防族」などと呼ばれる安保通として頭角を現し、防衛政務次官、防衛副長官、[[拉致議連]]の会長などを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]8月に[[小泉純一郎]]首相が翌月の訪朝を決めた際、「[[拉致被害者]]全員を連れて帰らなければ倒閣に動く」と発言。結局は拉致被害者のうち5人の帰国にとどまり、石破の言った成果は得られなかったが、直後に発足した[[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉内閣第1次改造内閣]]において防衛庁長官に指名されるや、[[拉致議連]]の会長を辞任して初入閣を果たし、以後「倒閣」に触れることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[有事法制]]の制定に尽力し、防衛庁長官在任中に[[イラク戦争]]が勃発すると[[自衛隊イラク派遣]]を決定した。防衛庁長官の在任期間は、[[坂田道太]]に次ぐ歴代第2位。[[2007年]]、[[福田康夫内閣]]で[[防衛大臣]]に就任し、2度目の入閣を果たす。翌[[2008年]]、[[福田康夫]]首相の電撃辞任を受けて実施された[[2008年自由民主党総裁選挙]]に出馬するも[[麻生太郎]]が圧勝し、石破は最下位の5位に終わった。続いて成立した[[麻生内閣]]では、前任者たちの多くが不祥事に見舞われ、「'''鬼門'''」とされていた[[農林水産大臣]]に横滑りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[9月29日]]、前日に[[自由民主党総裁]]に選出された[[谷垣禎一]]の下で、[[自由民主党政務調査会|政調会長]]に就任（党鳥取県連によると、県選出国会議員からの党三役就任は初めて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]][[4月14日]]、会見で[[たちあがれ日本]]について、「私自身、新党『たちあがれ日本』に参加した[[与謝野馨]]と[[園田博之]]とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「『たちあがれ日本』とは、『[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の過半数を阻止しなければならない』という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]9月、自民党政調会長に再任。当初、谷垣総裁は石破を退任させ、[[林芳正]]政調会長代理を昇格させる人事を構想したが、党内の反対論を受け、石破を政調会長に留任させた。石破と共に[[政権力委員会]]の本部長代理を務める[[石原伸晃]]組織運動本部長、[[小池百合子]]広報本部長はそれぞれ[[自由民主党幹事長|幹事長]]、[[自由民主党総務会長|総務会長]]に就任し、党三役は全員50代が占めることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また党役員人事後に設置された[[自由民主党シャドウ・キャビネット]]（[[影の内閣]]）において、影の[[内閣官房長官]]に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]（平成24年）[[9月10日]]、次期自民党総裁選挙への出馬を表明した。同年[[9月26日]]、[[2012年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選挙]]の投開票が行われ、第1回で199票（地方票165票、国会議員票34票）を獲得して1位となるが、決選投票では89票に留まり、108票を獲得した元首相の[[安倍晋三]]に19票差で敗れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、党員票で過半数以上を集めたことで党内での存在感は高まった。同年[[9月28日]]に新総裁・安倍の下で第46代[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2013年]]（平成25年）1月、「[[無派閥連絡会]]」を結成。一部マスコミ・議員からは“事実上の[[石破派]]立ち上げ”と見られているが、当人は否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政策 ==&lt;br /&gt;
=== 防衛 ===&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂　6.jpg|300px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂　7.jpg|300px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂　8.jpg|300px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
自民党きっての[[防衛]]政策通として知られる。また、軍事マニアと揶揄されており、日本の政治家の中では、軍事知識の豊富さと知見の高さが傑出した存在である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年（平成15年）3月に情報収集機関の[[調査隊]]を改組し、防衛庁長官直轄部隊として[[情報保全隊]]を組織した。この隊は同月に勃発したイラク戦争に関する世論動向（主に市民団体）の調査をおこなっていたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[徴兵制度]]の利点を認める発言をしているが、現在の軍隊にはそぐわない制度だとして実際に採用することについては否定している。自民党の[[憲法改正]]草案で当初「[[徴兵制度]]の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破などの「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか？」という批判で消滅した（ただし、石破は徴兵制への反対を主張している。理由として、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいと考えているからである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
著書『国防』では、難解と思われがちな防衛問題を分かりやすく著し、保守論壇から高い評価を得ている。しかし、[[京都府職員労働組合]]は機関紙『京都府職新聞号外』2005年6月3日において、[[京都府]][[船井郡]][[京丹波町|丹波町]]で発生した[[浅田農産]][[鳥インフルエンザ]]事件における自衛隊出動についての記述が事実と異なると主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本テレビの番組『[[太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。|太田総理]]』では、しばしば[[太田光]]と激しい論争を繰り広げる。国防政策において太田によく噛み付かれており、番組内では[[山本一太]]と共に「[[天敵]]」と称されたこともある。石破もまた、太田のことを「天敵」と称し、互いに意識している（太田から[[F-22 (戦闘機)|F-22]]戦闘機のプラモデルをプレゼントされたことがある）。この番組では、[[第二次世界大戦]]が日本による[[侵略戦争]]だったことや、[[大東亜共栄圏]]が侵略戦争遂行のための詭弁でしかなかったとの認識を示している。同番組では、国家の安全保障について考える際はあらゆる非常事態を想定せねばならないと明言しつつ、仮に日本と米国が戦争状態に突入したらどうするかと太田に質問された際、「それはありえない」と回答し、未想定たる旨を表明した。また番組内ではアメリカの原爆投下について、「日本も原爆を開発する計画があった」「仮に[[本土決戦]]が行われていたら相当の犠牲が出ていた」とアメリカ側の認識に一定の理解を示しながらも、2発目（長崎への投下）については許容範囲を超えているとしてアメリカを批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[丸 (雑誌) |丸]]』（[[潮書房]]）を愛読し、国防関連の知識を吸収している。『[[週刊アサ秘ジャーナル]]』で『丸』から引用した問題を出題されると次々正解し、その豊富な知識を示した。ちなみに、「災害派遣時に自衛隊が[[実弾]]を発射した相手とは何か」の一問だけ解答できなかったが（正解は海獣。正確には[[トド]]類）の被害に悩む地元[[漁業協同組合|漁協]]からの要請を受け、海棲[[哺乳類]]である[[動物]]からの被害のため[[自然災害]]であるとの論理で、自衛隊が災害派遣名目で実弾を発射しこれを駆除した。詳細は[[トド#人間との関わり]]を参照されたい。つまりトド駆除）、石破は知らなかったため不正解となった。石破は当初初耳だったため、出題文に衝撃を受け、何度も「災派で撃った！？」と確認し、正解を聞いて驚いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福田総理辞任後の自民党総裁選で候補者として演説に立った石破は観衆に向かって「動乱が起き、北朝鮮の国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は（国内法の制約で）助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 農政 ===&lt;br /&gt;
近年は防衛において注目されることが多いが、議員五期目までは農林系であり、農水相就任前は、農家から防衛しか知らないと思っていたと言われた、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれないと語ったこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交 ===&lt;br /&gt;
防衛問題の論客の一人であるが、外交に関しては柔軟な対応をとっており、イデオロギー的な主張は少ない。朝日新聞社の論壇誌『[[論座]]』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]への単独制裁に対して疑問を呈している。[[内閣総理大臣|総理]]の[[靖国神社]]参拝にも反対を表明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮問題については、鳥取県が日本海側に位置していることから問題意識が強く、1992年には”'''見ないで批判するのはいかんだろう'''”という理由で[[自由民主党 (日本)|自民党]]・[[日本社会党|社会党]]・[[公明党]]合同の訪朝議員団に加わり[[金日成]]生誕80周年祝賀式典へ参加したことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日韓議員連盟]]幹事を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
朝日新聞社刊『[[論座]]』において、[[教育基本法]]に[[愛国心]]を明文化することに反対の姿勢を示した。「愛国心は国が政策面で強制するものではない」というのが理由である。同様の姿勢をとる議員は自民党内では稀であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 皇室 ===&lt;br /&gt;
2009年[[12月]]の[[天皇特例会見|天皇特例会見問題]]では、石破が委員長を務める「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」は民主党政権のとった行動を「陛下の政治利用にあたる」と指摘。石破は民主党政権の対応を「かなり異例」「大事じゃない国はルール通りだが、大事な国はひっくり返して会見するのは政治判断だ。そういうことをしていいのか」「（ルールが）時の政府の意向で左右されることであってはいけない」と民主党政権を重ねて批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年[[2月25日]]、政府（[[鳩山由紀夫内閣]]）が天皇の公的行為に関してまとめた統一見解に関し、[[内閣官房長官|官房長官]]の[[平野博文]]（当時）が記者会見で「本来、憲法で言っている概念からいくと、天皇は国政に関する権能を有しないので、政治利用が存在することはあり得ない」と述べ、天皇の政治利用はそもそも存在しないとしたことに対し、石破は「ルールはいらないというなら、憲法の趣旨や陛下の立場を無視した考えられない見解だ」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外国人参政権 ===&lt;br /&gt;
2010年の党大会で[[外国人参政権]]について、「憲法上の議論が多く残り、国民的議論も成熟していない。私どもは拙速な法案成立に断固反対する」と述べ、党として法案に反対する考えを表明、また「（憲法上の）住民とは[[日本国民]]をさすと考えており、私どもは多くの疑義があると考えている。国の形そのものにかかわる問題だ」、「この問題は国の形そのものにかかわるものだ。憲法のあり方からしても、拙速な法案成立には断固反対していく」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 夫婦別姓 ===&lt;br /&gt;
2010年[[3月3日]]、記者会見で、民主党政権が目指す選択的[[夫婦別姓]]導入を含む[[民法]]改正案について「これを待ち望む人々のニーズに応えながら、法案には反対だという姿勢を示したい」と述べた。また、自民党内にある選択的夫婦別姓に賛同する動きについて「党内には（夫婦別姓の）問題点が理解されず、『まあ、いいじゃないか』という風潮があるのも事実だ」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 他党の政策に対して ===&lt;br /&gt;
==== 子ども手当 ====&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂9.jpg|300px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
民主党の政策である[[子ども手当]]について、子どもを母国に残した在日外国人も対象になっていることに触れ「（在日外国人であるが）子どもさんは国外にいる。そして、子どもさんは[[日本国籍]]を有していない。どう考えても、こういう方々に対して、日本国民の税金を使って支給すべきではない」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 総裁候補 ==&lt;br /&gt;
長らく最大派閥であった[[平成研究会]]に属するが、派閥弱体化の進んだ小泉時代に頭角を現した石破は、派閥色を表に出さずに活動を続けてきたと言ってよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自由民主党総裁選挙|06年自民党総裁選]]では[[麻生太郎]]を支持したが、最後まで地元の鳥取県に地理的に近い山口県出身の[[安倍晋三‎]]を推薦するか迷っていたようである&amp;lt;ref&amp;gt;2007年8月[[報道ステーション]]で発言&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2007年自由民主党総裁選挙|2007年の自民党総裁選]]では[[福田康夫]]を支持している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
派内では[[茂木敏充]]、[[伊藤達也]]といった次代のリーダー候補の中でも経験・知名度とも一歩リードしており、若手を中心に支持を集めているが、かつて離党経験のある「外様」であることも響き、派内の全面的な掌握には至っていない。初出馬となった[[2008年自由民主党総裁選挙|08年自民党総裁選]]でも、派は自主投票の方針を決め、一部議員が麻生太郎・与謝野馨を支持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党が下野した後に行われた[[2009年自由民主党総裁選挙|09年自民党総裁選]]では、与謝野馨から立候補を推されるなど、マスメディアから総裁候補の一人として有力視されるも、前回の総裁選で推薦人となった20人のうち13人が落選するなど、推薦人集めが難航したことなどから立候補を断念し、谷垣禎一支持を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂10.jpg|300px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
* 防衛庁長官在任中に、自衛隊のことを「自閉隊」と呼ぶ発言をし、[[自閉症]]に対する誤解や偏見であるという批判を浴びた。&lt;br /&gt;
* 「佐藤正久君の時には大変お世話になった。今後3年後は海、その3年後は空というようにしていきたい。各幕の協力が必要だ」…H19.11.05各幕との懇談にて。&lt;br /&gt;
* 防衛大臣在任時、[[UFO]]の存在を日本政府としては確認していないという公式見解を出した。&lt;br /&gt;
* 防衛省の航空幕僚長であった[[田母神俊雄]]の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも「田母神・前空幕長の論文から思うこと」「文民統制」という記事を投稿し、かつての部下である田母神を批判した。&lt;br /&gt;
*イージス艦『あたご』の事故について事故直後・捜査が入る前に航海長を省へヘリで呼び出し、大臣同席で事情調査をしたことについて民主党の前原の質問『あなたは何をしているんですか？』と聞かれ、『今はあなたの質問に答えています』と答弁をした。&lt;br /&gt;
*テレビ朝日のサンデープロジェクトで核密約について聞かれたとき『秘密をばらすような人間を次官や大臣にするのが間違っている』と発言をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
==== 信仰 ====&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂11.jpg|300px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
母方の曽祖父[[金森通倫]]から4代目の[[キリスト教徒|クリスチャン]]であり、[[日本基督教団]]鳥取教会に所属している。18歳のときに日本基督教団鳥取教会で[[洗礼]]を受けた石破は、[[幼稚園]]も教会附属で、「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 嗜好･趣味など ====&lt;br /&gt;
大変な[[酒豪]]にして[[喫煙]]者。常温にして辛口の[[日本酒]]を好む。好物は[[カレーライス]]と[[コロッケ]]。[[納豆]]は苦手。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校時代から[[アイドル]]歌手グループ[[キャンディーズ]]の大ファンであり、中でも[[藤村美樹|ミキ（藤村美樹）]]がお気に入り。[[2007年]][[11月15日]]の[[守屋武昌]]元防衛次官に対する証人喚問において、[[久間章生]]、[[額賀福志郎]]両名の名前が出てきた日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。キャンディーズの30年ぶりの同窓会では、テレビのインタビューに「キャンディーズは青春そのもの。あの頃を思い出してもっと頑張ろうと思う」と答えている。。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自他ともに認める[[軍事]][[おたく|オタク]]にして、ミリタリー系[[プラモデル]]の愛好家でもある。[[静岡ホビーショー]]における自衛隊車輌展示も彼の働きかけにより実現したと言われている。少年時代は[[自動車]]、[[タクシー]]、[[蒸気機関車|SL]]が大好きな[[自動車|車]]マニア、[[鉄道ファン|鉄道マニア]]でもあった。現在でも[[戦車]]や[[戦闘機]]の[[プラモデル]]を集めるのが趣味のようである。防衛庁長官時代、[[ロシア]]国防大臣が来日した際に大臣を喜ばせるために2日間徹夜して[[航空母艦|空母]][[アドミラル・クズネツォフ (空母)|アドミラル・クズネツォフ]]の模型を組み上げた（この時、「在任中はプラモ制作を我慢する」という自戒を破ったと後に述懐している）。ただ、石破自身は、「子供のころから戦車、戦闘機、軍艦といった、乗り物が好きで、国防や外交について『筋金入りのオタク』という意見や批判はいささか買いかぶりのような気がしてならない」と述べている。また、近頃は「軍艦が好き」「プラモデルが好き」などと言うと、すぐに危ない軍事オタクのように言われるが、それは短絡的な決め付けであるとも述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[鉄道]]のファンでもあり、[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]「[[銀河 (列車)|銀河]]」の廃止の際、寝台券が入手できず残念がった。現在でも鳥取と東京の往復に[[寝台列車|寝台特急]]「[[出雲 (列車)|サンライズ出雲]]・[[瀬戸 (列車)|瀬戸]]」と[[特別急行列車|特急]]「[[いなば (列車)|スーパーいなば]]」を利用する姿がたびたび報じられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== その他 ====&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂12.jpg|300px|thumb|石破　茂]]&lt;br /&gt;
著書『国防』の中で、「総理になりたいとは全く思っていない」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2004年～2005年に「[[ULTRAMAN]]」「[[戦国自衛隊1549]]」「[[亡国のイージス]]」など[[自衛隊]]の大規模な協力を得て撮影された[[映画]]が公開されたが、これは防衛庁長官を務めていた彼の映画産業への理解が深かったことが大きい。そのため、当時は[[テロ]]や[[SF]]といった大胆なテーマの作品にも自衛隊の協力が得られるのが特徴であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石破は口頭による討論を沈着冷静に進める。略歴にも「全日本学生法律討論会第1位」とあることから、かねてから[[討論]]は得意であったといえる。噛んで含めるような独特の口調であるが、街頭演説や選挙活動では口調や声が別人のように変わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[道路特定財源]]を資金源とする[[道路運送経営研究会]]（道路特定財源の一般財源化に反対している）から献金を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コラムニストの[[泉麻人]]は高校のクラスメート。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年12月、政治家をモチーフにした商品を数多く手がけるお菓子問屋：大藤より「希望戦士 ISHIDAM」(定価735円)なる商品が、石破氏の地元である鳥取と秋葉原限定で発売された。同商品は二十世紀梨の果汁入り饅頭で、皮には農水大臣である氏にちなみ、米粉が配合されている。プラモデル風のパッケージには機動戦士ガンダムのコスプレとしか思えない氏をモチーフにしたイラストが描かれており、20種類＋シークレット2種類のオリジナル缶バッジが同梱されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 年譜 ==&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂13.jpg|300px|thumb|石破 茂]]&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂14.jpg|300px|thumb|石破 茂]]&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂15.jpg|300px|thumb|石破 茂]]&lt;br /&gt;
* [[1957年]]2月4日 - [[建設省|建設]][[官僚]][[石破二朗]] 和子の長男として生まれる&lt;br /&gt;
* [[1969年]]3月 - [[鳥取大学附属小学校|鳥取大学教育学部附属小学校]]卒業&lt;br /&gt;
* [[1972年]]3月 - [[鳥取大学附属中学校|鳥取大学教育学部附属中学校]]卒業&lt;br /&gt;
* [[1975年]]3月 - [[慶應義塾高等学校]]卒業&lt;br /&gt;
* [[1976年]]12月 - 昭和51年度[[全日本学生法律討論会]]第1位&lt;br /&gt;
* [[1979年]]3月 - [[慶應義塾大学]][[法学部]]法律学科卒業&lt;br /&gt;
* [[1979年]]4月 - 株式会社[[三井銀行]]（現、[[三井住友銀行]]）|入行&lt;br /&gt;
* [[1983年]]1月 - 同行退社&lt;br /&gt;
* [[1983年]]2月 - [[木曜クラブ]]（田中派）事務局勤務&lt;br /&gt;
* [[1984年]]9月 - 同事務局退職&lt;br /&gt;
* [[1986年]]7月 - [[第38回衆議院議員総選挙]]に[[自由民主党 (日本)|自民党]]公認で鳥取全県区より出馬し衆議院議員初当選（全国最年少）、[[政策科学研究所 (派閥)|政策科学研究所]]（中曽根派→渡辺派）に所属&lt;br /&gt;
* [[1992年]]12月 - 農林水産政務次官に就任（〜[[1993年]]6月）&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - 自民党離党&lt;br /&gt;
* [[1994年]]4月 - [[新生党]]入党&lt;br /&gt;
* [[1994年]]12月 - [[新進党]]結党参加&lt;br /&gt;
* [[1996年]]10月 - [[第41回衆議院議員総選挙]]で新進党離党。無所属で鳥取1区より出馬し再選、会派「21世紀」に参加&lt;br /&gt;
* [[1997年]]3月 - 自民党復党。[[平成研究会|小渕派]]に所属（前年の総選挙では無所属で再選）&lt;br /&gt;
* [[2000年]]7月 - 農林水産総括政務次官 12月 - 防衛総括政務次官に就任&lt;br /&gt;
* [[2001年]]1月 - 防衛庁初代副長官に就任（〜2001年4月）&lt;br /&gt;
* [[2002年]]3月 - [[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致議連]]会長に就任&lt;br /&gt;
* [[2002年]]9月 - [[防衛庁長官]]に就任（〜2004年9月）&lt;br /&gt;
* [[2004年]]4月 - [[第2次小泉内閣]]の閣僚の中で[[麻生太郎]]・[[中川昭一]]とともに[[国民年金]]保険料が未払いだったことが発覚&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月 - [[福田康夫内閣]]で[[防衛大臣]]に就任（〜2008年8月）&lt;br /&gt;
* [[2008年]]9月 - [[2008年自由民主党総裁選挙|08年自民党総裁選]]に出馬&lt;br /&gt;
* [[2008年]]9月 - [[麻生内閣]]で[[農林水産大臣]]に就任（〜2009年9月）&lt;br /&gt;
* [[2009年]]1月 - 新設の農政改革担当大臣を兼任（〜2009年9月）&lt;br /&gt;
* [[2009年]]9月 - 自民党政調会長に就任&lt;br /&gt;
* [[2010年]]&lt;br /&gt;
** 4月 - 自民党の[[政権力委員会]]（ネクスト・ジャパン）において、谷垣禎一本部長の下、[[石原伸晃]]組織運動本部長、[[小池百合子]]広報本部長と共に本部長代理に就任&lt;br /&gt;
** 9月 - 党役員人事で政調会長に留任&lt;br /&gt;
** 9月 - 政権力委員会に代わる影の内閣（シャドウ・キャビネット）において、影の官房長官に就任&lt;br /&gt;
* [[2011年]]&lt;br /&gt;
** 9月 - 自民党政調会長を退任。衆議院予算委員会筆頭理事に就任&lt;br /&gt;
** 10月 - 政調会長退任に伴い、影の内閣（シャドウ・キャビネット）における影の官房長官からも退任&lt;br /&gt;
** 12月 - 派閥横断型政策勉強会「さわらび会」を立ち上げる。初会合には38人を集めた&lt;br /&gt;
* [[2012年]]&lt;br /&gt;
** 9月 - [[2012年自由民主党総裁選挙|12年自民党総裁選]]に出馬。[[安倍晋三]]との決選投票の末、敗れる。&lt;br /&gt;
** 9月 - 安倍の下で自民党幹事長に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂16.jpg|300px|thumb|石破 茂]]&lt;br /&gt;
; 実家&lt;br /&gt;
* 父 [[石破二朗|二朗]]（官僚、政治家）&lt;br /&gt;
* 母 和子（官僚[[金森太郎]]長女、牧師[[金森通倫]]孫）&lt;br /&gt;
* 姉（2人）&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
* 妻 佳子&lt;br /&gt;
* 二女あり&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
[[Image:石破茂17.jpg|350px|thumb|石破 茂]]&lt;br /&gt;
; 石破家&lt;br /&gt;
: 石破家は[[鳥取県]]八頭郡大御門村大字殿（旧[[郡家町]]、現[[八頭町]]）の[[農家]]だった。祖父市造は大御門村の[[村長]]を数期にわたりつとめた&amp;lt;ref&amp;gt;鶴田憲治は著書『因伯青春の譜』の中で市造について､｢…数期にわたり大御門村の[[村長]]をつとめた篤実厳格な人、とくに子供の教育には熱心だった｣と書いている（『&amp;lt;small&amp;gt;回想録&amp;lt;/small&amp;gt;　石破二朗　&amp;lt;small&amp;gt;追想篇&amp;lt;/small&amp;gt;』682頁）。二朗は父市造について｢若い時から物好きだったと見えまして、他にさきがけて、山を拓いて[[二十世紀梨]]を作ったり、御所[[カキノキ|柿]]を植えたり、[[蚕]]種の製造をやったりなどしておりましたが、どれも成功とまではいかず随分[[母]]を困らせていたようでありました。それでもどこか良いところがあったと見えまして、後年[[中田政美]]さんが“君のおとうさんは君より偉かった”と仰言って下さったことがありました。中田さんは御承知の通り、[[建設事務次官]]をおやりになり、[[衆議院議員]]をなさった方ですが、若い時[[八頭郡]]役所にお勤めになった当時、父との御交際があった由であります。事実子供の私の方が出来が悪かったかと思いますが、兎に角有難い父であったと思います。｣と書いている（『&amp;lt;small&amp;gt;回想録&amp;lt;/small&amp;gt;　石破二朗　&amp;lt;small&amp;gt;追想篇&amp;lt;/small&amp;gt;』683頁）&amp;lt;/ref&amp;gt;。父 [[石破二朗|二朗]]は[[東京帝国大学]]法学部を卒業し内務官僚となり昭和30年（1955年）11月建設官僚トップの[[建設事務次官]]に就任、退官後[[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]]を4期務め、昭和49年（1974年）7月参議院議員に当選、昭和55年（1980年）7月[[自治大臣]]兼[[国家公安委員会委員長]]に就任した。母方の[[大おじ]]には[[金森次郎]]（実業家）、[[金森五郎]]（医師）、[[金森九郎]]（学者）などがいる。[[ジャパンタイムス]]の社長、[[会長]]、[[相談役]]を務め、[[国際基督教大学]]の設立に尽力した[[東ヶ崎潔]]は大おばの夫である。東ヶ崎は[[フリーメーソン]]の1960年日本グランドマスターでもあった&amp;lt;ref&amp;gt;「フリーメーソンの秘密」赤間剛著&amp;lt;/ref&amp;gt;が、この事実を周知させないためにウィキペディアから項目が全て抹消された。元[[同志社]]総長[[牧野虎次]]長男操の[[夫人]]弥生は母和子の[[従姉]]に当たる。　&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
石破常七━━石破市造━━石破二朗&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┣━━━━石破茂&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　┏金森太郎━━和子&lt;br /&gt;
　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　┣金森次郎&lt;br /&gt;
金森通倫━┫&lt;br /&gt;
　　　　　┣金森五郎&lt;br /&gt;
　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　┣金森九郎&lt;br /&gt;
　　　　　┃　&lt;br /&gt;
　　　　　┗娘&lt;br /&gt;
　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　東ヶ崎潔&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作 ==&lt;br /&gt;
* 『国防』（[[新潮社]] 2005年 ISBN 4104737011）&lt;br /&gt;
: 本書を原案としたコミックとして 『国防入門』（原望作画、[[あおば出版]] 2007年 ISBN 9784873177885）がある&lt;br /&gt;
* 『軍事を知らずして平和を語るな』（[[KKベストセラーズ]]、2006年 ISBN 4584189676）&lt;br /&gt;
* 『[http://www.jimin.jp/jimin/info/takeshima/index.html 竹島領有権問題について]』 （自民党領土に関する特別委員会 2006年5月16日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 「「いじめられっ子」石破茂の逆襲」 [[山村明義]] 『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』2004年5月号。&lt;br /&gt;
* 『国防』 [[新潮社]] 2005年 ISBN 4104737011&lt;br /&gt;
* 「生粋の愛読者が抱く『[[正論 (雑誌)|正論]]』『[[諸君!|諸君!]]』への違和感」石破茂 『[[論座]]』2006年8月号。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[鳥取県出身の人物一覧]]&lt;br /&gt;
* [[平成研究会]]&lt;br /&gt;
* [[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
* [[世襲政治家]]&lt;br /&gt;
* [[親族関係にある政治家一覧]]&lt;br /&gt;
* [[太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。]] - 幾度か出演する。&lt;br /&gt;
* [[モーニング娘。]] - 石破が贔屓にしているアイドル。&lt;br /&gt;
* [[キャンディーズ]] - 石破が贔屓にしていたアイドル。特に[[藤村美樹]]のファンだったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連人物 ==&lt;br /&gt;
* [[常田享詳]]&lt;br /&gt;
* [[奥田保明]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.ishiba.com/ 石破茂 Official Site]&lt;br /&gt;
* [http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/ 石破茂オフィシャルブログ]&lt;br /&gt;
* [http://www.hal.ne.jp/jimintou/shuuingiin.html 自由民主党鳥取県連ホームページ 石破茂]&lt;br /&gt;
* [http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/473701.html 『国防』刊行記念対談]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[農林水産大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[町村信孝]]（臨時代理）&lt;br /&gt;
| years  = 第49代：2008年 - 2009年&lt;br /&gt;
| after  = [[赤松広隆]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[防衛大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[高村正彦]]&lt;br /&gt;
| years  = 第4代：2007年 - 2008年&lt;br /&gt;
| after  = [[林芳正]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[防衛庁長官]]&lt;br /&gt;
| before = [[中谷元]]&lt;br /&gt;
| years  = 第68・69代：2002年 - 2004年&lt;br /&gt;
| after  = [[大野功統]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]]&lt;br /&gt;
| before = [[保利耕輔]]&lt;br /&gt;
| years  = 第52代：2009年 - &lt;br /&gt;
| after  = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いしは しける}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の副大臣経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:鳥取県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のプロテスタントの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1957年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:画像が多い記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=409792</id>
		<title>女子高生コンクリート詰め殺人事件</title>
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				<updated>2025-01-07T01:36:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 加害者の一覧 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;margin-left:14px; float: right;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! colspan=&amp;quot;2&amp;quot; |&amp;lt;big&amp;gt;女子高生コンクリート詰め殺人事件&amp;lt;/big&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;Murder of Junko Furuta&amp;lt;br /&amp;gt;[[画像:Junko_Furuta_01.jpg|280px]]&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;殺された古田順子さん&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|場所&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[東京都]][[足立区]][[綾瀬 (足立区)|綾瀬]]（監禁・暴行現場）&amp;lt;br /&amp;gt;[[東京都]][[江東区]][[若洲]]（遺体遺棄現場）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|標的&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[古田順子|古田順子さん]]（女子高生）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|日付&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[1988年]]11月25日 - [[1989年]]1月5日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|手段&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |拉致&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|攻撃側人数&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |計4人、およびその他複数&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|死亡者&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[女子高生]]1人（事件当時17歳）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|犯人&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |少年4人&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|動機&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |強姦目的&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|対処&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |逮捕・起訴&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|刑事訴訟&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |懲役刑（最大で懲役20年）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|影響&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|管轄&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |警視庁綾瀬警察署&amp;lt;br /&amp;gt;東京地方検察庁&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|補足&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
{{ウィキペディア半保護}}&lt;br /&gt;
'''女子高生コンクリート詰め殺人事件'''（じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん）は、[[足立区]]綾瀬にある[[日本共産党]]の地方幹部（事件後除名処分となる）[[湊靖人]]の自宅で起こった凶悪事件。[[昭和]]最後の[[少年犯罪]][[事件]]であり、少年犯罪史上最悪の事件でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
この事件は、当時17歳の[[八潮南高校]]の[[女子高生]]'''[[古田順子|古田順子さん]]'''を数十日間にわたって監禁し、集団強姦を行う、サンドバッグ代わりにし殴る蹴るなどの激しい暴行を加える、鉄アレイで体中の骨を叩き折る、油をかけてライターで着火し大火傷を負わせるなどの行為を執拗に繰り返した末に[[殺害]]し[[コンクリート]]詰めにして捨てるという、下記のような極めて悪質かつ残虐なものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* アルバイト帰りの女子高生を誘拐し、脅迫した上で不良仲間の家に連れ込む。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 不良仲間の家に監禁し、暴走族仲間十数人で輪姦、左記を知る関係者は１００人に及ぶ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 陰毛を剃り、陰部にロケット花火の軸木を挿入して発射させる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせ、自慰行為を強要される。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ゴキブリを食べさせられる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 性器や肛門に鉄棒、ビンなどを挿入される。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 性器や肛門に入れたビンに釘を打ち肛門内、性器内で割られた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 両鼓膜が激しく傷ついており、最後のほうはほとんど音が聞こえていなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 小指の生爪を剥がされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 度重なる暴行に耐えかねて、「もう殺して」と哀願することもあった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 左乳首はペンチのようなもので潰された。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てられた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲まされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 揮発性の高いジッポオイルなどを太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 固まった血で鼻が詰まり、口呼吸しかできなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 最初は手で火を消そうとするしぐさをしたものの、 やがてほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横臥したままになった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* あまりの地獄に、脳が自ら活動を停止する「自死」という状態だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 臨死状態の被害者をこんなの仮病とばかりに容赦ない殴打を浴びせた挙句に、ダンベルを１メートル以上の高さから腹部に向けて落とす。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 再現動画や映画と違って逮捕された四人以外からも殴打を受けており、死後も殴られている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 実際に被害者が亡くなったとわかったのは上記の後であり、証拠隠滅としてコンクリート詰めにして放置。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 遺体の乳房には数本の裁縫針が入っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 生存当時、被害者が見たがっていたドラマ「とんぼ」のビデオテープがコンクリート詰めにされたドラム缶の中から発見された。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 監禁された部屋に被害者の遺品となった下着が残っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 腸壁にも傷があった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 受精していた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 歯茎にまともに付いている歯は一本もなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* あまりのストレスに生前頭髪が抜け落ちていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 遺体の性器には、オロナミンＣの瓶が２本突き刺さっていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 性器と肛門、顔面は完全に破壊され原型をとどめていなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 腕や足は、重度の火傷で体液が漏れ出していた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 解剖してみると、脳が萎縮して小さくなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害者人物 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Junko_Furuta_02.jpg|thumb|right|300px|殺された古田順子さん]]&lt;br /&gt;
* 名前：古田順子（ふるた・じゅんこ）&lt;br /&gt;
* 出生：[[1971年]]1月18日（やぎ座）&lt;br /&gt;
* 身長：165cm&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星1&amp;quot;&amp;gt;160cm説もある（『週刊明星』 1989年4月20日号、207ページ）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 体重：51kg（事件前） 35kg（死体発見時）&lt;br /&gt;
* 学校：[[埼玉県立八潮南高等学校]][[商業 (教科)|商業科]]&lt;br /&gt;
* 成績：トップクラス&lt;br /&gt;
* 部活：テニス部（[[三郷市立南中学校|中学]]時代）&amp;lt;ref&amp;gt;『FLASH』 1989年4月18日号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 家族：両親と兄と弟&lt;br /&gt;
* 「[[アイドル|アイドルタレント]]の[http://marikostroom.o.oo7.jp/ 倉田まり子]に似た明るく活発な生徒」&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』 1989年3月31日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「スラリとした際立った[[美人]]」&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot;&amp;gt;『週刊明星』 1989年4月20日号、207ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「大柄で目鼻だちのはっきりとした[[美人]]」&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot;&amp;gt;『週刊明星』 1989年4月20日号、207ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「スラリとした感じのお嬢さんでまるで[[モデル]]さんのようにきれいな人でした」&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「今までに何か問題を起こしたことなんてありません。欠席も、3年間で1日か2日です」（八潮南高校教頭）&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「服装だって[[Tシャツ]]に[[Gパン]]という飾らない感じでね、それはマジメな子でしたよ」（バイト先の店長）&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 順子さんの最後の言葉は「'''苦しいです'''」だったと犯人のひとりは後に語っている。&lt;br /&gt;
在学当時の友人の話では[[アイドル]]に憧れていたとのことであり、成績はトップクラスだったという。人柄も大変よく、たくさんの同級生の[[女子高生|女子]]からも慕われているほどで、1989年4月2日に営まれた[[葬式]]では、[[テレビ|TV]]放映されているにもかかわらず、同級生はわき目も振らずに号泣し、弔辞を読んだ同級生も声を詰まらせての涙ながらのものだった。 &lt;br /&gt;
{{Quotation|順ちゃんの[[死]]を無駄にはしません。私たちに何があっても精いっぱい生きようとした順ちゃんを思い出して頑張っていきます…。||高校の同級生}}&lt;br /&gt;
{{Quotation|かれんな無抵抗な女の子に対して犯人たちのとった行いには、人間として怒りを押さえることはできない…。||古田順子さんのおじ}}&lt;br /&gt;
家電量販店への就職が内定しており、[[高校]]卒業後はそこに就職する予定だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害者を中傷するクズども ==&lt;br /&gt;
マスゴミ・[[人権屋]]などの[[チンカス]]どもは、「被害者が非行少女だった」と'''捏造報道'''（故人の名誉のために書くが、&amp;lt;BIG&amp;gt;事実無根&amp;lt;/BIG&amp;gt;である）を繰り返し、加害者をかばうという愚劣で許し難い行動に出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害者を中傷したカスども ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--情報提供求む。被害者を中傷するクズを書き込んで下さい--&amp;gt;&lt;br /&gt;
私の穢れた儀式こと生理を止めてくれない新聞勧誘の奴ら&lt;br /&gt;
生理を美化する奴ら&lt;br /&gt;
mizuki nishide&lt;br /&gt;
mizuki nakao&lt;br /&gt;
03-6863-3543&lt;br /&gt;
長谷川亮太&lt;br /&gt;
はぬまん&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 加害者==&lt;br /&gt;
[[画像:Junko_Furuta_03.jpg|thumb|right|300px|殺された古田順子さん]]&lt;br /&gt;
[[湊靖人]]と[[湊ます子]]はとも共産党の地方幹部。警察が逮捕状を持っていった段階で 速攻で弁護士を用意し、家宅捜索も弁護士立ち会いの元で行われた。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
湊の両親は、事件後すぐの段階で離党し、党は「共産党とは一切関係がありません」と発表。そして、「監禁という認識がなかった」「少女は帰る気がなかった」等の[[湊ます子]]（母親）の自己弁護的記事を赤旗によって同年、５月２０日～２７日まで連載コラムでバックアップ。 &lt;br /&gt;
:たとえ少女に帰る気がなかったとしても、犯人たち及び両親の罪はなんら軽くなるものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*共産党・[[橋本敦]]参議院議員（当時）の発言 &lt;br /&gt;
:さまざまな少年事件は、社会全体の構造の歪みや受験戦争などの教育の歪みといった背景の中で おきてくるものです。･･･ &lt;br /&gt;
:被害者による報復主義には反対ですし、20歳未満の少年はまだまだ未熟ですから、教育し、更生させていく必要があるんです。（インタビューより）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[氏賀Y太]]&lt;br /&gt;
:漫画家。事件の漫画を描いた。大筋は合っているが、事件と異なる点も見受けられる。鵜呑みにはしないように。&lt;br /&gt;
(ex.1989年1月4日の激しい暴行の最中に古田さんは痙攣を起こした。それに対して「仮病だ！」と怒ったのはCであるが、画中ではAの発言となっている。)&lt;br /&gt;
*[[はぬまん]]&lt;br /&gt;
:スマイリーキクチを犯人に仕立て上げた異常者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 加害者の一覧 ==&lt;br /&gt;
#[[横山裕史]]（旧姓=宮野） - [[1970年]][[4月30日]]生、身長160cm&lt;br /&gt;
#:主犯格。懲役20年の刑で千葉刑務所に服役中。←※2009年夏に満期出所。&lt;br /&gt;
#[[神作譲]]（旧姓=小倉） - 1971年5月11日生、2022年7月16日没。再犯で逮捕、懲役4年をくらった。&lt;br /&gt;
#:母親（悦子）は被害者遺族への嫌がらせと称し、現場近くに店を構える。&lt;br /&gt;
#::場所（埼玉県三郷市{{バキューン}}）&lt;br /&gt;
#[[湊伸治]] - [[1972年]][[12月16日]]生&lt;br /&gt;
#:2006年の秋{{ズダダダ}}人又は{{チョメチョメ}}人（？）と結婚。&lt;br /&gt;
#:2007年春まで寝屋川市で福祉の仕事、関東に移る？&lt;br /&gt;
#:現在、運送業に勤めているらしい･･･現在、埼玉県さいたま市南区に住居&lt;br /&gt;
#:父「[[湊靖人]]」は、[[鉄砲洲診療所]]（東京都中央区{{ズダダダ}}）事務長。&lt;br /&gt;
#:母「[[湊ます子]]」は、[[鉄砲洲診療所]]（東京都中央区{{ズダダダ}}）看護婦。&lt;br /&gt;
#:兄「[[湊恒治]]」は、[[神作譲]]と同級生。'''監禁に積極的に協力'''。&lt;br /&gt;
#[[渡邊恭史]] - 1971年12月18日生、2021年5月没。横浜市金沢区{{バキューン}}の姉夫婦と同居。母親＝渡邊ヤス&lt;br /&gt;
#:少年院でいじめに合い、引きこもり。東京都板橋区{{ズダダダ}}に住居。&amp;lt;!--事実が確認できないので両方のせます--&amp;gt;&lt;br /&gt;
#[[星寿和]] - 現在は暴力団事務所、極青会に所属。&lt;br /&gt;
#[[岩井哲夫]] - 地元スナックでこの事件の事を面白おかしく語る。その時、「本当はもっと酷い殺し方をしたんだよ」と笑いながら話したらしい。&lt;br /&gt;
#[[伊原真一]] - 現在、東京多摩地区小金井公園付近に居住、結婚し2人の子を儲ける、建設会社勤務。&lt;br /&gt;
#[[都築洋]] - 同じく極青会所属。現在、足立区{{ズダダダ}}に住居。&lt;br /&gt;
#[[石川あかね]] - 事件当時被害者の顔に笑いながらペンで髭を落書きした通称「落書き女」。現在は既婚、松戸在住、風俗勤務。'''なお、飯島愛は無関係。'''&lt;br /&gt;
#[[浅野コウジ]] - 被害者に暴行・強姦に参加。現在、千葉県松戸市{{バキューン}}&lt;br /&gt;
#[[相田孝一]]（旧姓=垣東） - 1971生、妻と娘2人&lt;br /&gt;
#:2006年に長女が中学入学、このとき離婚し直ちに再婚&lt;br /&gt;
#:妻の旧姓（相田）に改姓。次女は来年小学校入学の年頃&lt;br /&gt;
#[[はぬまん]] - スマイリーキクチに濡れ衣を着せて犯人に仕立て上げた異常者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
#[[日本共産党]] - 事件直後は湊一家をかばう。事件の概要が世間に知れ渡ると湊夫妻を除名し、「この事件と我が党は関係が無い」という旨の声明を発表。&lt;br /&gt;
#警視庁綾瀬警察署 - 普段からろくに仕事もせず、事件当時も住民からの通報、苦情に具体的対応策を取らず被害者を見殺しにした、役立たず。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--本当は住所を晒してやりたいのですが、投稿ブロックされるといけないので伏字にしました--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 準主犯格・神作譲（33）ほか “鬼畜”加害少年たちは今…(2004年) ==&lt;br /&gt;
「かみさくじょうです」。名前を尋ねた裁判官に、180センチあまりの長身の男は答えた。7月28日に開かれた、逮捕監禁致傷事件の被告・神作譲（33）の初公判。被害者男性に東京・足立区内で暴行を加え、車に乗せて母親の経営する埼玉県三郷市内のスナックに監禁。「俺の女を取っただろ」 とさらに殴る蹴るの暴行に及んだという事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は神作被告が、『俺は人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ』、『俺は10年懲役に行ってきた。警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出てこられる』などと脅迫したと主張したが、被告はこれを否認。「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんですけど」と述べるなど、その姿に反省の色はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再犯経緯 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Junko_Furuta_05.jpg|thumb|right|300px|古田順子さんの葬儀]]&lt;br /&gt;
「深夜2時ごろ、家の前に車が止まっていた。あいさつするといきなり『テメエ、この野郎』と殴りかかってきた」。復讐を恐れ、法廷に用意された異例の衝立の中で証言するのは被害者、円山勝男(27)＝仮名、以下同＝の同居人、大木勇三。2004年5月19日、かねてから円山に「女を取った」と濡れ衣を着せていた神作は、計画的に円山を襲撃したのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「右手をグーにして5、6発殴り、路上に血が落ちた。車のトランクを開け、金属バットを円山君の顔の高さぐらいまで上げて『これで殴って殺すぞ』と脅した。それで円山君はトランクに入り、連れ去られた」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌朝6時、大木の携帯に「迎えに来い」と神作から電話がかかる。神作は三郷市内にある母が経営するスナック内で朝まで円山を監禁し、リンチをしていたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、神作は「今回はこんなもんで済んだが、これからもっとエスカレートしていく」と2人に捨てゼリフを吐いて解放する。「今度は殺されると思い、2人で警察に届けを出した」（大木）。神作は逮捕監禁致傷容疑で再び警察の厄介になったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「殺される」と2人が思ったのはワケがある。神作はコンクリ殺人の前科を「実はオレが主犯だった」などと、あたかも輝かしい経歴として笑いながら自慢。そして「平然と『捕まっても警察をだますのは簡単だ』『簡単に刑務所から出れる。精神鑑定にひっかかるフリをすればいい』といっていた」（同）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作が豪語した巧みな法廷戦術。早くも公判で「人を殺したとは言っていない」と検察側の調べを一部否定してみせた。また、法廷に入る都度、裁判長と弁護士にキチンと頭を下げ「いい子ちゃん」ぶりをみせる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「証人は行方不明です」－。心苦しそうに語るのは検察官。神作を追い詰めようと検察側が法廷で証言させる予定だった被害者、円山は「（復讐を）怖がっていた。ノイローゼ気味になり、8月なかばにいなくなった」（大木）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害者の蒸発という異例の展開。希代の犯罪者は、また何をしでかすかわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女子高生コンクリート詰め殺人事件 ===&lt;br /&gt;
神作被告がかつて起こした事件。それが15年前の、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。’88年11月25日、三郷市の高校3年生古田順子さん（当時17）はバイト先から自転車で帰宅途中に姿を消した。発見されたのは’89年3月30日。コンクリートを詰められたドラム缶の中の腐敗した遺体という変わり果てた姿だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮野（当時18）、小倉（神作被告・同17）、湊（同16）、渡邉（17）の4人らは、順子さんを猥褻目的で誘拐して足立区綾瀬の湊の自宅2階に監禁し、41日間にわたってレイプや暴行を繰り返し殺したのだった。事件ではこの4人が起訴、ほか少年3人が少年院送致などされたが、その凄惨極まる暴力の内容は例えばこうだ。小泉今日子の『なんてったってアイドル』の曲に合わせて、「イエイ」と歌うたびに殴る。武田鉄矢の曲で「頑張れ」のフレーズに合わせてリンチを加え、女子高生は呟くようにしてその歌を歌っていた。50数キロあった体重は30キロ台に…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、監禁現場の目撃証言によれば、「女のコが全裸で柱に縛りつけられ、部屋の中にはシンナーや酒がごろごろあって、もうひどかった」という状況。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
’91年7月、東京高裁は宮野に懲役20年、神作被告に懲役5年以上10年以下、湊に懲役5年以上9年以下、渡邉に懲役5年以上7年以下を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年B＝神作被告の出所後 ===&lt;br /&gt;
神作被告は’99年8月に出所。4年前に中国人女性と結婚、昨年離婚していた。「神作は日本では働けないと思い、中国で生活するために結婚したようだ。だが、離婚でそれは実現しなかった」とは、さるジャーナリストの話だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出所後、一時コンピュータ関連の会社に就職したが、’02年ごろからは仕事に就かず、暴力団に出入りするようになった。同級生はこう語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今回の事件報道を見て、仲間と連絡を取り合いました。みんな 『やっぱりあいつはダメだったなぁ。懲りないやつだよ』 と話していましたよ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親と暮らしていたのは、埼玉県八潮市の木造2階家の2階。1階に入っている設備関連会社の関係者が言う。「お母さんは髪が長くてちょっとハデめ。気さくでいい人だったんじゃないの。せがれは昼間からラフなジャージー着てて遊び人なんだなと思ったね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
向かいの商店主はこんな印象を語る。「息子さんは髪を金色に染めていました。『黄色くなっちゃったね』と言ったら笑ってましたよ。道の向こう側を歩いていても会釈するし、あの人が昔、人間とは思えないひどい事件を起こしていたなんて信じられませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親のスナックで、ホステスを務める女性は今回の事件後、コンクリート殺人事件を知ったという。「7月5日にテレビを見てたら、『元コンクリート事件の小倉』 だって出てて初めて知ったんです。ママからは、『ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない』っていうメールがきました」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作被告にも前の事件の“後遺症”は出ていたようだ。ホステスが続ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「昼間でも『ギャー』とか、『ウー』とか叫び出すことがあったって。きっと感情を抑えられなくなるのよね。譲君は、『おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう』って言ってたらしい。譲君もママもずっと生き地獄なんだと思う。死刑になったほうがよかったのかもしれない…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、母親は店にも顔を出さず、自宅にもいない。「たぶん、車の中で寝泊まりしているんだと思います。最近、ママと会うといつも靴が同じなんです。お店に来る前にお風呂に入り、お店が終わってからもう一度入るような人ですから、靴が同じなんて考えられないんです」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月29日に母親に会った際、母親は神作被告から手渡された手紙を見せたという。「『これからは警察の世話になるようなことは二度としないから、おふくろも心配しないでくれ。しばらくの辛抱だからしのいでくれ』って書いてありました。『そんなふうに言われると信じちゃうのよね』ってママは涙を浮かべていました」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、事件後離婚し、別の家庭を持つ父親は本誌の直撃に、「帰ってください」と繰り返し、玄関のドアを閉めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 神作譲被告控訴を取り下げ、懲役4年の実刑が確定(2005年5月) ===&lt;br /&gt;
[[画像:Junko_Furuta_06.jpg|thumb|right|300px|古田順子さんの葬儀]]&lt;br /&gt;
東京地裁で懲役4年の実刑判決が下り、判決を不服とし東京高裁に控訴していた神作　譲被告が控訴を取り下げた。これにより、懲役4年の実刑判決が確定となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主犯宮野と監禁現場宅の湊は… ===&lt;br /&gt;
宮野は2009年夏に満期出所。以下は法曹関係者の話。「宮野は関西地方の保護司と養子縁組して、まったく別の戸籍に入る手続きが取られました。妹もいるし、家庭のことを鑑みてのことでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
監禁場所だった湊の自宅は事件後取り壊され、今は別の住居が建っている。近所の住民が言う。「もう15年もたつのねぇ。仕事から帰ってきたらロープが張られていて、事件を聞いたときはもうびっくりでしたよ。湊君の両親は事件後しばらくして引越していったし、その後どうしているか…」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両親が移ったのは埼玉県内である。父親が4～5年前まで勤めていた生花店社長はこんな話をする。「私生活のことはいっさい話さなかったから、事件のことは知らなかったよ。酒ばかり飲んでいたという印象だね」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、両親が住む家を訪ねると、父親とおぼしき男性がインタホン越しに、「お話しすることはありません。お帰りください」と語るのみだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊は出所後、一時両親のもとに身を寄せていたようだが、その後埼玉県内の1Kの木造アパートで暮らしていた。が、そこも1年ほど前に引き払っている。「仕事は運送業だったと思います。独身でした。4万数千円の家賃を毎月きちんと持ってきていましたし、普通でしたよ。アパートを出るときは、仕事を辞めていたようです」（アパート大家）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の神作被告の事件を湊は知っていたようだが、さる友人には、「何も答えたくない」と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
渡邉の母親が語った。渡邉は清掃の仕事をする母親と暮らしている。「あの事件のことは、どうして防げなかったのか今でもずっと考えています。息子は出所してから仕事はしていません。目が見えなくなる病気にかかっていて、すぐ入院しないといけないのですが、お金がなくて家でずっと寝ています。夕方になると近くの商店街に晩ご飯を買いに行き、自分の部屋に持って帰って食べています」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
姉家族だけには心を開いているようだが、母親と渡邉が顔を合わせることはほとんどないという。もっとも、最近は“日曜大工”をすることも。「エアコンを取り付けてくれたり、100円ショップでカーペットを買ってきて敷いてくれたりしています」（母親）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件後は（犯人の）親たちの間でこんなことがあったとも。「しばらくはお盆に親御さんが集まって、事件の家に花を捧げに行っていました。でも、最近はもう連絡を取っていません。皆さんも連絡を取りたくないでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親は、「買い物に行った息子に会うといけないので」と、いつもと違う道を隠れるように歩きながら語った。その姿からは、死ぬまで息子の面倒を見るしかないという諦めが伝わってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
順子さんが遺棄されていた、江東区若洲の現場には物流センターの建物が建ち、空き地だった当時とはすっかり様変わりしていた。「当時は寂しい所だった。あんなところに捨てられて、可哀相だったね。本当に悲惨な事件だったよ」（現場近くのセメント会社の運転手）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人の“元少年”が、今度は殺人未遂で逮捕(2018年8月) ===&lt;br /&gt;
[[8月19日]]、[[埼玉県]][[川口市]]の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の疑いで緊急逮捕された。逮捕された男は川口市の無職、湊伸治。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「18時5分に被害者の男性から『警棒で殴られ、刃物で首を切りつけられた』との110番通報があり臨場しました。男性は首の後ろから流血がありましたが、幸いなことに命に別状はありませんでした。湊はその場におりませんでしたが、駐車トラブルの原因となった車輌は残っていた。ナンバーから自宅を割り出し自宅に行くと、犯行を認めたため、19時50分に緊急逮捕しました。湊は『刺したことは間違いないが、殺すつもりはなかった』と言っています」(捜査関係者)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警棒は3段の伸縮式で全長41センチ。実際に警察が使用しているものとは少し異なり、いわゆる護身用として販売されているものだという。刃物のほうは折りたたみ式で、刃渡りは8センチ、広げたときの全長は19センチになるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[殺人未遂罪]]の法定刑は、[[死刑]]または[[無期懲役]]、もしくは5年以上の懲役である。しかし、死刑や無期懲役になることはめったになく、多くは懲役3年前後からおよそ7年程度とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに正当な理由なく、刃渡り6センチを超える刃物を携帯すれば、[[銃刀法]]違反で2年以下の懲役、または30万円以下の罰金となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ええ、そちらも視野に入れています」(前出・捜査関係者)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者は、いつにも増して徹底して罪に問おうとしているかのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「湊伸治」という名を聞いてピンとくる人は、多くはないだろう。しかし、すでに一部のネット民の間では話題の男なのだ。今から30年近く前になる。彼こそ[[1989年]]、日本中を震撼させた、綾瀬「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の4人の犯行グループの1人なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「当時16～18歳の少年が、見ず知らずの17歳の女子高生を拉致し、40日間に亘り監禁した上、なぶり殺し、遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固め、[[江東区]]の埋め立て地に遺棄した――鬼畜としか思えぬ犯行でした。しかも彼らが監禁に及んだ部屋は、少年の両親が同居する実家の2階の自室。その少年こそ、湊伸治(当時16歳)です。両親は[[日本共産党]]系の診療所に勤務し、父は診療所の経営する薬局の[[薬剤師]]、母は[[看護士]]でした。2人とも共産党員だったため、警察への対応も筋金入りでした。家宅捜索も弁護士立ち会いの下で認めるという具合で、そのために捜査が遅れたと言われたほどでした」(社会部記者)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊には懲役4年以上6年以下の不定期刑が下された。当時、実名で報じたのは[[週刊文春]]だ。記事を担当した[[コラムニスト]]の[[勝谷誠彦]]氏（57）が振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[少年法]]の名の下、実名報道はできないという風潮は今も変わってない。だけど、取材すればするほど、あの事件は酷かった。だから、“野獣に人権はない”と言って、実名報道に踏み切ったわけです。だって名前も報じられない彼らは、数年経ったら世の中に出てきて平気で歩き回るんですよ。逆に殺された、あんなに可愛い女子高生の名前は、じゃんじゃん報じられていた。どっちの人権が大事なのかと思ったけど、人権派という方々からは随分いじめられたね。日本は出所した者に甘すぎるんですよ。アメリカなんて性犯罪者にはGPSまで付けているわけですから。あれほどの性犯罪者、重犯罪者の名を、若いからというだけで実名で報じないのは、むしろ一般庶民に危険が及ぶのだから」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その言葉が実現してしまったということか――。では、現在の湊はどんな男になっていたのか。自宅周辺の住民からの評判はすこぶる悪い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あのアパートに越してきたのは2カ月ほど前ですよ。少し前に大家が変わってね、以前は6万5千円くらいの家賃で半分くらいしか入居していなかったんだけど、家賃を3万9千円なんかにしたものだから変な連中が入るようになったんだ。あの人は、最初は[[テキ屋]]かと思ったけどね。屋台に被せる“たこ焼き”とか“大判焼き”みたいな幕があるでしょ。あれが3～4枚ほど干されたりしていたからね。だけど、働かずに家にこもりっきり。たまに出てくると、大声上げて階段を降りてきたりしてた。周囲を警戒しているようにも見えたね。いつか何か起こすんじゃないかと思っていたけど……また帰ってくるのかねえ」(近隣住民)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「身長は160センチちょっとかな。小柄だけどガッシリしてる。坊主頭で、いつも短パンにダブダブでボーダーのTシャツだったね。突然話しかけてくることがあるんだけど、なぜかトランプ政権の話だったり、やけに社会派なことを言いたがるんだよ。だけど、働きもせずに何をやっているか分からないような奴に、そんな話を振られてもね……相手にしないようにしていた。だって、人が車の外からドアを半開きにして中のものを探しているときに、いきなりドアをバーンと閉めようとするんだ。ドアに挟まっちゃうじゃない。そんなところも見たしね。そうそう、それが下の階に住んでいる人で、事件のあった朝、ちょっと揉めていたみたいだよ」(別の近隣住民)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際、階下の住民に聞いてみると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ああ、そうなんですよ。夜中の3時でもお構いなく、2階の床をドンドンドンドン踏み鳴らしたり、大声上げたりするんで、うるさくてしょうがない。天井に付いている照明がグラグラしちゃってるの分かります？それで19日の朝も、うるさいから話し合おうと2階に上がってベルを押したんだけど、出てこない。僕が下に降りて部屋に入ると、またドンドンドンドン。その繰り返し……。しばらくすると外に出て行くのが分かったから、追いかけて行って、なんであんなことをするのか問い詰めたんですよ。でも、話をそらして、違う話をしてくる。『何か聞こえるの?』とか言ったりね。頭がおかしいんじゃないかと思ったけど、なんとか止めてもらえるようになったんですよ。そしたら夕方には、あの事件でしょ。ビックリしましたよ、下手をしたら刺されたかもと思うと、今になって恐くてね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件の原因は駐車トラブルと発表されているが、目撃者たちの証言は異なる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「駐車場に軽トラックが入ってきたんですけど、湊は仁王立ちして立ち塞がっていたんですよ。駐車トラブル?そんなんじゃないよ、因縁付けてたんだから。それで軽トラックの運転手が窓を開けたら、いきなり棒で殴ったんだよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いつ刺したのかは分からなかったけど、軽トラには助手席にも人がいてね。その人があの男をぶん殴っていました。それを止めようとしていたのが刺された人です。刺された人は弱っている感じではなかったけど、長袖Tシャツの背中は血に染まっていたね……」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊立ち会いの下で行われた現場検証を見ていた人は、次のように話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「なんだか、まったく悪びれる風もなく『ここら辺でやられたかな、こっちもやったけどさ』なんて言ってましたよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== [[スマイリーキクチ]]について ==&lt;br /&gt;
ヨン様似でお馴染みの芸人。わら人形と関っていたと言う根拠は無く、非行に走っていた時期が有るが、暴行・強姦に関わったという事実はない。ちなみに彼の特技も空手とキックボクシングである。&lt;br /&gt;
'''なお、事件とは無関係である。&lt;br /&gt;
'''彼のブログに抗議の書き込みなどをすると立件される恐れがある（殺す、人殺しなどと書き込み書類送検された者もいる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&amp;amp;hanreiSrchKbn=01&amp;amp;hanreiNo=20261&amp;amp;hanreiKbn=02 高裁判例集 東京高判H3.7.12 (平成2う1058 猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、殺人等被告事件)]&lt;br /&gt;
*[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/AA7836E2A5E1E03449256CFA0007BACA.pdf 高裁判決全文(pdfファイル)]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[1989年の日本の女性史]]&lt;br /&gt;
* [[古田順子]]&lt;br /&gt;
* [[少年犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[性犯罪]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しよしこうせいこんくり}}&lt;br /&gt;
[[Category:埼玉県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:古田順子]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:1989年の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:1989年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本共産党]]&lt;br /&gt;
[[Category:女子高生コンクリート詰め殺人事件]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%A5%9E%E4%BD%9C%E8%AD%B2&amp;diff=409791</id>
		<title>神作譲</title>
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				<updated>2025-01-07T01:27:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''神作 譲'''（かみさく じょう、[[1971年]][[5月11日]] - [[2022年]][[7月16日]]）は、[[女子高生コンクリ詰め事件]]を起こした[[性犯罪者の一覧|性犯罪者]]。本事件当時の「少年B」本人であり、元の名前は小倉譲。少年グループ中、正式に本名が公開された最初の人物。宮野とは中学時代からの先輩・後輩の間柄。年上の宮野の体格を上回る身長約180cmの体格と眉毛まで剃り落とした細いつり目が特徴である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
かつてはまじめに学校生活を送っていた過去があり、高校在学中に部を掛け持ちしていた。試合中の事故で怪我をしたのを機に退部。後に不良化して校内暴力を起こし、退学処分となる。足立区立東加平小学校卒業、[[足立区立東綾瀬中学校]]卒業、修徳高等学校中退、東京都立港工業高等学校（現・東京都立六郷工科高等学校）定時制中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校中退後にアルバイトを転々とした後に宮野・湊・渡邉（それぞれ少年A・C・D）とともにヤクザの使い走りとなる。下部組織「極青会」の副会長（名目上の役職）だが前述の三人同様に大した扱われ方はされておらず、事務所やトイレの掃除・洗車・買い出し・構成員の手伝いなどといった格下扱いだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本事件での逮捕当時、出所したら少しでも（遺族に）償いたいと泣きながら言っていたが、これは彼の周囲の同情を買うための演技であり、実際は出所してもあまり償っておらず（しかも遺族に慰謝料を払ったのはとても愛娘を殺された遺族に対する慰謝料とは思えないくらいの少ない額であり慰謝料として払うはずのお金をなんと高級住宅やセルシオ（トヨタの高級車）の購入に使っていた）、セルシオを乗り回してドラ息子のような生活を送っていた。また、かつての不良仲間も口を揃えて「あいつ、刑務所行っても、全然懲りてねえぞ。」と呆れ返っていた。後に知人を監禁、さらに暴行を加えた容疑でまたも逮捕される（この逮捕後に彼がコンクリ事件当時の少年B本人である事があきらかになった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コンピューター会社に勤めていた当時の勤務態度は非常に悪く、少年時代と素行の悪さは変わっていなかったため、彼をよく知っているヤクザからかなり怖がられていたようである。また、コンクリ事件を通報した（と思っていた）相手に逆恨みを抱いていた事から事件に対する反省のなさが窺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[1999年]][[8月]]、[[滋賀刑務所]]を出所&lt;br /&gt;
**中国人と結婚して、[[中華人民共和国|中国]]に行こうとするも離婚。&lt;br /&gt;
**更正保護司の神作久子と養子縁組。（実態のない養子縁組は違法：刑法157条公正証書原本不実記載となる）&lt;br /&gt;
*[[2002年]]、コンピューター関係の会社に勤めるも退職。&lt;br /&gt;
**暴力団事務所に出入りをし出す。&lt;br /&gt;
*[[2004年]][[6月]]、[[埼玉県]][[八潮市]]で逮捕監禁致傷により逮捕。（供述時にかつての「少年B」本人である事が明らかとなる）&lt;br /&gt;
*[[2009年]]、[[府中刑務所]]を出所&lt;br /&gt;
*[[2022年]][[7月16日]]、埼玉県の自宅で事故死。享年51。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 神作語録 ==&lt;br /&gt;
「オレは人を殺したことがあるんだぞ、本当に殺すぞ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オレは10年間懲役を受けてきて、そこで警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出て来られる。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「アレはマジで楽しかったなあ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「サブリーダーとか言ってるが、オレこそ本当の主犯なんだよ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勤務したコンピュータ会社とは…Japan Media System（末広町）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 準主犯格・神作譲（33）ほか “鬼畜”加害少年たちは今…(2004年) ==&lt;br /&gt;
「かみさくじょうです」。名前を尋ねた裁判官に、180センチあまりの長身の男は答えた。7月28日に開かれた、逮捕監禁致傷事件の被告・神作譲（33）の初公判。被害者男性に東京・足立区内で暴行を加え、車に乗せて母親の経営する埼玉県三郷市内のスナックに監禁。「俺の女を取っただろ」 とさらに殴る蹴るの暴行に及んだという事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は神作被告が、『俺は人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ』、『俺は10年懲役に行ってきた。警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出てこられる』などと脅迫したと主張したが、被告はこれを否認。「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんですけど」と述べるなど、その姿に反省の色はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再犯経緯 ===&lt;br /&gt;
「深夜2時ごろ、家の前に車が止まっていた。あいさつするといきなり『テメエ、この野郎』と殴りかかってきた」。復讐を恐れ、法廷に用意された異例の衝立の中で証言するのは被害者、円山勝男(27)＝仮名、以下同＝の同居人、大木勇三。2004年5月19日、かねてから円山に「女を取った」と濡れ衣を着せていた神作は、計画的に円山を襲撃したのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「右手をグーにして5、6発殴り、路上に血が落ちた。車のトランクを開け、金属バットを円山君の顔の高さぐらいまで上げて『これで殴って殺すぞ』と脅した。それで円山君はトランクに入り、連れ去られた」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌朝6時、大木の携帯に「迎えに来い」と神作から電話がかかる。神作は三郷市内にある母が経営するスナック内で朝まで円山を監禁し、リンチをしていたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、神作は「今回はこんなもんで済んだが、これからもっとエスカレートしていく」と2人に捨てゼリフを吐いて解放する。「今度は殺されると思い、2人で警察に届けを出した」（大木）。神作は逮捕監禁致傷容疑で再び警察の厄介になったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「殺される」と2人が思ったのはワケがある。神作はコンクリ殺人の前科を「実はオレが主犯だった」などと、あたかも輝かしい経歴として笑いながら自慢。そして「平然と『捕まっても警察をだますのは簡単だ』『簡単に刑務所から出れる。精神鑑定にひっかかるフリをすればいい』といっていた」（同）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作が豪語した巧みな法廷戦術。早くも公判で「人を殺したとは言っていない」と検察側の調べを一部否定してみせた。また、法廷に入る都度、裁判長と弁護士にキチンと頭を下げ「いい子ちゃん」ぶりをみせる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「証人は行方不明です」－。心苦しそうに語るのは検察官。神作を追い詰めようと検察側が法廷で証言させる予定だった被害者、円山は「（復讐を）怖がっていた。ノイローゼ気味になり、8月なかばにいなくなった」（大木）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害者の蒸発という異例の展開。希代の犯罪者は、また何をしでかすかわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女子高生コンクリート詰め殺人事件 ===&lt;br /&gt;
神作被告がかつて起こした事件。それが15年前の、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。’88年11月25日、三郷市の高校3年生古田順子さん（当時17）はバイト先から自転車で帰宅途中に姿を消した。発見されたのは’89年3月30日。コンクリートを詰められたドラム缶の中の腐敗した遺体という変わり果てた姿だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮野（当時18）、小倉（神作被告・同17）、湊（同16）、渡邉（17）の4人らは、順子さんを猥褻目的で誘拐して足立区綾瀬の湊の自宅2階に監禁し、41日間にわたってレイプや暴行を繰り返し殺したのだった。事件ではこの4人が起訴、ほか少年3人が少年院送致などされたが、その凄惨極まる暴力の内容は例えばこうだ。小泉今日子の『なんてったってアイドル』の曲に合わせて、「イエイ」と歌うたびに殴る。武田鉄矢の曲で「頑張れ」のフレーズに合わせてリンチを加え、女子高生は呟くようにしてその歌を歌っていた。50数キロあった体重は30キロ台に…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、監禁現場の目撃証言によれば、「女のコが全裸で柱に縛りつけられ、部屋の中にはシンナーや酒がごろごろあって、もうひどかった」という状況。まさに鬼畜の所業である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
’91年7月、東京高裁は宮野に懲役20年、神作被告に懲役5年以上10年以下、湊に懲役5年以上9年以下、渡邉に懲役5年以上7年以下を言い渡した。彼らの「今」を追った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年B＝神作被告の出所後 ===&lt;br /&gt;
神作被告は’99年8月に出所。4年前に中国人女性と結婚、昨年離婚していた。「神作は日本では働けないと思い、中国で生活するために結婚したようだ。だが、離婚でそれは実現しなかった」とは、さるジャーナリストの話だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出所後、一時コンピュータ関連の会社に就職したが、’02年ごろからは仕事に就かず、暴力団に出入りするようになった。同級生はこう語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今回の事件報道を見て、仲間と連絡を取り合いました。みんな 『やっぱりあいつはダメだったなぁ。懲りないやつだよ』 と話していましたよ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親と暮らしていたのは、埼玉県八潮市の木造2階家の2階。1階に入っている設備関連会社の関係者が言う。「お母さんは髪が長くてちょっとハデめ。気さくでいい人だったんじゃないの。せがれは昼間からラフなジャージー着てて遊び人なんだなと思ったね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
向かいの商店主はこんな印象を語る。「息子さんは髪を金色に染めていました。『黄色くなっちゃったね』と言ったら笑ってましたよ。道の向こう側を歩いていても会釈するし、あの人が昔、人間とは思えないひどい事件を起こしていたなんて信じられませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親のスナックで、ホステスを務める女性は今回の事件後、コンクリート殺人事件を知ったという。「7月5日にテレビを見てたら、『元コンクリート事件の小倉』 だって出てて初めて知ったんです。ママからは、『ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない』っていうメールがきました」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作被告にも前の事件の“後遺症”は出ていたようだ。ホステスが続ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「昼間でも『ギャー』とか、『ウー』とか叫び出すことがあったって。きっと感情を抑えられなくなるのよね。譲君は、『おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう』って言ってたらしい。譲君もママもずっと生き地獄なんだと思う。死刑になったほうがよかったのかもしれない…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、母親は店にも顔を出さず、自宅にもいない。「たぶん、車の中で寝泊まりしているんだと思います。最近、ママと会うといつも靴が同じなんです。お店に来る前にお風呂に入り、お店が終わってからもう一度入るような人ですから、靴が同じなんて考えられないんです」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月29日に母親に会った際、母親は神作被告から手渡された手紙を見せたという。「『これからは警察の世話になるようなことは二度としないから、おふくろも心配しないでくれ。しばらくの辛抱だからしのいでくれ』って書いてありました。『そんなふうに言われると信じちゃうのよね』ってママは涙を浮かべていました」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、事件後離婚し、別の家庭を持つ父親は本誌の直撃に、「帰ってください」と繰り返し、玄関のドアを閉めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 神作譲被告控訴を取り下げ、懲役4年の実刑が確定(2005年5月) ===&lt;br /&gt;
東京地裁で懲役4年の実刑判決が下り、判決を不服とし東京高裁に控訴していた神作　譲被告が控訴を取り下げた。これにより、懲役4年の実刑判決が確定となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕から判決確定まで拘置所等で過ごした未決勾留日数なども勘案して、神作受刑者は2009年に2度目の出所をした。また1989年のコンクリート事件で懲役20年の判決を受けた、主犯格の宮野受刑者も2009年夏に満期出所、凶悪犯人が次々と社会に戻る不安が大きい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主犯宮野と監禁現場宅の湊は… ===&lt;br /&gt;
宮野は2009年夏に満期出所。以下は法曹関係者の話。「宮野は関西地方の保護司と養子縁組して、まったく別の戸籍に入る手続きが取られました。妹もいるし、家庭のことを鑑みてのことでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
監禁場所だった湊の自宅は事件後取り壊され、今は別の住居が建っている。近所の住民が言う。「もう15年もたつのねぇ。仕事から帰ってきたらロープが張られていて、事件を聞いたときはもうびっくりでしたよ。湊君の両親は事件後しばらくして引越していったし、その後どうしているか…」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両親が移ったのは埼玉県内である。父親が4～5年前まで勤めていた生花店社長はこんな話をする。「私生活のことはいっさい話さなかったから、事件のことは知らなかったよ。酒ばかり飲んでいたという印象だね」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、両親が住む家を訪ねると、父親とおぼしき男性がインタホン越しに、「お話しすることはありません。お帰りください」と語るのみだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊は出所後、一時両親のもとに身を寄せていたようだが、その後埼玉県内の1Kの木造アパートで暮らしていた。が、そこも1年ほど前に引き払っている。「仕事は運送業だったと思います。独身でした。4万数千円の家賃を毎月きちんと持ってきていましたし、普通でしたよ。アパートを出るときは、仕事を辞めていたようです」（アパート大家）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の神作被告の事件を湊は知っていたようだが、さる友人には、「何も答えたくない」と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
渡邉の母親が語った。渡邉は清掃の仕事をする母親と暮らしている。「あの事件のことは、どうして防げなかったのか今でもずっと考えています。息子は出所してから仕事はしていません。目が見えなくなる病気にかかっていて、すぐ入院しないといけないのですが、お金がなくて家でずっと寝ています。夕方になると近くの商店街に晩ご飯を買いに行き、自分の部屋に持って帰って食べています」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
姉家族だけには心を開いているようだが、母親と渡邉が顔を合わせることはほとんどないという。もっとも、最近は“日曜大工”をすることも。「エアコンを取り付けてくれたり、100円ショップでカーペットを買ってきて敷いてくれたりしています」（母親）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件後は（犯人の）親たちの間でこんなことがあったとも。「しばらくはお盆に親御さんが集まって、事件の家に花を捧げに行っていました。でも、最近はもう連絡を取っていません。皆さんも連絡を取りたくないでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親は、「買い物に行った息子に会うといけないので」と、いつもと違う道を隠れるように歩きながら語った。その姿からは、死ぬまで息子の面倒を見るしかないという諦めが伝わってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
順子さんが遺棄されていた、江東区若洲の現場には物流センターの建物が建ち、空き地だった当時とはすっかり様変わりしていた。「当時は寂しい所だった。あんなところに捨てられて、可哀相だったね。本当に悲惨な事件だったよ」（現場近くのセメント会社の運転手）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[女子高生コンクリート詰め殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[古田順子]]&lt;br /&gt;
* [[横山裕史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かみさくしよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:1989年の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:古田順子]]&lt;br /&gt;
[[Category:女子高生コンクリート詰め殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都区部出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1971年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%AD%A7%E5%8D%83%E4%BD%90%E5%AD%90&amp;diff=409693</id>
		<title>筧千佐子</title>
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				<updated>2024-12-28T01:45:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:筧千佐子1.jpg|350px|thumb|筧 千佐子]]&lt;br /&gt;
'''筧 千佐子'''（かけい ちさこ、[[1946年]][[11月28日]] - [[2024年]][[12月26日]]）とは、遺産と保険金目当てに結婚と殺害を繰り返す殺人鬼である。青酸化合物を服用させ6人を殺害した。[[長崎県]][[長崎市]]生まれ、[[福岡県]][[八幡市]]育ち。[[福岡県立東筑高等学校]]卒業。子供2人いる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類似事件として[[婚活連続殺人事件]]がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件発覚 ==&lt;br /&gt;
=== 夫を毒殺、67歳女を逮捕。周辺では他にも男性5人が相次ぎ死亡 ===&lt;br /&gt;
[[Image:筧千佐子2.jpg|350px|thumb|筧 千佐子周辺の死亡者]]&lt;br /&gt;
[[京都府]][[向日市]]で2013年12月、無職・筧勇夫さん＝当時（75）＝が死亡し遺体から毒物の青酸化合物が検出される事件があり、[[京都府警]]は2014年11月19日、筧さんに毒物を飲ませ殺害した疑いが強まったとして、殺人容疑で、事件直前に結婚した妻の千佐子(67)を逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件発覚以降、府警は遺産や保険金目当ての事件とみて捜査していた。府警によると、容疑を否認している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同容疑者の周辺では他にも、大阪、兵庫、奈良3府県で結婚・交際相手の男性5人が相次ぎ死亡。うち1人から同様に青酸化合物が検出され、大阪府警が調べを進めている。捜査関係者によると、千佐子容疑者は13年12月28日夜、向日市鶏冠井町大極殿の自宅で、筧さんに青酸化合物を飲ませ、殺害した疑いが持たれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筧さんは[[インターネット]]で株取引をしている最中に容体が急変し、搬送先の病院で死亡。司法解剖の結果、血中から青酸化合物が検出された。当時一緒にいて119番した同容疑者から任意で事情を聴いたところ、「2階に見に行くと冷たくなっていた。毒物は知らない」などと説明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人は結婚相談所を通じて知り合い、同年11月1日に婚姻届を出した。京都府警が同容疑者の婚姻歴などを調べたところ、最初の夫と死別後の[[2006年]]以降、相談所を介して知り合った元夫2人と交際相手3人が死亡していたことが判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は絶対に殺していません」と容疑を否認している。府警は保険金や遺産目当ての可能性もあるとみて追及する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子をめぐっては2012年、交際していた[[大阪府]][[貝塚市]]の男性(当時71歳)がバイクで転倒した後に死亡し、血液から青酸化合物が検出されており、大阪府警も捜査を進めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筧さんらは2013年11月に結婚したばかりだった。京都府警は千佐子が筧さんと結婚する前に大阪や兵庫で3人の男性と結婚を繰り返し、相手がいずれも死亡していることを確認しており、経緯を詳しく調べる。ほかにも接点のあった男性数人の死亡情報がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子容疑者は2013年12月28日、自宅にいた筧さんに青酸化合物を飲ませ、急性中毒死させた。府警は千佐子容疑者が筧さんに青酸化合物を飲ませた詳しい経緯は不明としており、捜査本部を設置して青酸化合物の入手ルートや動機などを追及する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件当日の夜、千佐子容疑者は「夫の意識がなく体が冷たくなっている」と119番通報。自宅２階の居間であおむけに倒れていた筧さんは京都市内の病院に運ばれ、死亡が確認された。遺体に目立った外傷はなかったが、解剖の結果、胃の内容物と血液から青酸化合物の成分が検出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子容疑者は任意の事情聴取に「心当たりがない」と関与を否定したが、府警は青酸化合物を入手した可能性が高いことを突き止めた。一方で、筧さんに生命保険が掛けられていたことや、千佐子容疑者に多額の借金があったことも判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
府警は慎重に捜査を続けてきたが、最近になり、千佐子容疑者が周辺に「死にたい」などと自殺をほのめかし、所在が一時不明になったことから、逮捕状を取って行方を追っていた。19日早朝、大阪府熊取町内で千佐子容疑者を見つけ、任意同行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 妻の関係先から青酸化合物。逮捕の決め手に ===&lt;br /&gt;
京都、大阪府内で死亡した高齢男性の体内から相次いで青酸化合物が検出された連続変死事件で、京都府向日市の無職、筧(かけひ)勇夫さん(当時75歳)を殺害した容疑で逮捕された妻千佐子(ちさこ)(67)の関係先から青酸化合物が見つかり、京都府警に押収されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、筧さんの体内から、青酸化合物以外に睡眠を促す薬物も検出されていたことも判明。府警は、千佐子が筧さんの意識が薄れている間に青酸化合物を飲ませた可能性もあるとみて、入手ルートの解明を進める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子の関係先で捨てられた物品から少量の青酸化合物が検出された。府警は管理が厳しい青酸化合物が身辺から見つかったことが逮捕の決め手になると判断した模様だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、事件前、千佐子に似た小柄な女性が1人で薬局を訪れ、店員に「ミンザイ(睡眠導入剤)ちょうだい」と声をかけていた。店員が「処方箋がないと売れない」と言うと、女性は処方箋が不要な催眠鎮静剤を購入して帰ったという。自宅からはこの薬のレシートが見つかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子がこれまで結婚したり交際したりした高齢男性から相続した不動産や保険金などは計数億円分に上ることも分かった。結婚の度に公正証書を作るなど、多額の遺産を相続していた。ただ、不動産などすぐには処分できない財産も多く、知人などから1000万円以上の借金があったという。借りては別の人に返す自転車操業で、府警が千佐子の多数の口座を確認したところ、多額の現金が残っているものはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺害されたとされる筧さんにも土地を含めて数千万円相当の遺産があり、千佐子容疑者は死亡直後に遺産相続の手続きを開始。一部は相続したが、今夏、支払いを拒否した地元金融機関を相手取り、相続分の預託金425万円の支払いを求めて京都地裁に提訴し、係争中となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 京都男性変死:持病なく散歩趣味　死亡の筧さん ===&lt;br /&gt;
親族らによると、死亡した筧勇夫さん(当時75歳)は京都市内の大手電機会社を定年退職。千佐子とは2013年6月、[[結婚相談所]]を通じて出会い、同年11月に結婚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筧さんは自宅パソコンでの株価チェックが日課で、家庭菜園や早朝散歩が趣味だったという。小中高の同級生の男性(76)によると、筧さんは海外旅行やゴルフに行き、生活に余裕がある様子で、気さくで快活だったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筧さんの親族の女性は、これまでの毎日新聞の取材に「(筧さんは)持病もなく、毎日1時間ほどウオーキングし、『体を大事にしなければいけない』といつも話していた」と突然の死をいぶかり「死後、千佐子は遺産の処分を進めようと再三連絡をよこしてきた」と話していた。逮捕の情報には「真相がわからずじまいだったので、警察に感謝したい」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子について近所の女性(60)は「筧さんが亡くなった時、香典を渡したら『遺体から毒物が出て自分が犯人扱いされて困っている』と急に言い出したので、変だなと思っていた」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「根こそぎ調べてよ」千佐子容疑者 ===&lt;br /&gt;
千佐子容疑者はこれまで毎日新聞の取材に複数回応じ、事件への関与を否定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−筧勇夫さんが亡くなった時の状況は。&lt;br /&gt;
:自宅2階でパソコンで株取引をしていた。午後9時過ぎになっても下りてこないので行くと倒れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−その日は何を食べたのか。&lt;br /&gt;
:朝から家で夫と餅つきをして餅を食べた。夕食では前日の水炊きの残り物を食べ、特別な物は食べていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−警察に説明は。&lt;br /&gt;
:2人暮らしの家で毒を入れたとしたら、私が疑われるのは小学生でも分かる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−毒物に心当たりはないのか。&lt;br /&gt;
:ない。根こそぎ調べてよ。逆に手に入れる方法を教えて。夫を殺しても1円の得にもならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−結婚する際に資産を考慮したか。&lt;br /&gt;
:老後のことを考えて借金だらけの人とは結婚しない。魅力は子供がいなかったこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−交際相手の大阪府貝塚市の男性の血液からも毒物が出たが。&lt;br /&gt;
:誰かが私をおとしめたいのだろう。私は知らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
−−あなたの周辺では他にも数人が亡くなっている。&lt;br /&gt;
:真実は一つしかない。私は人生を楽しく生きたい。人を殺して子供に迷惑かけるほどぼけていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 高齢孤独男性たちを“籠絡”する手口 ==&lt;br /&gt;
逮捕された妻の千佐子(67)は京都府警向日町署捜査本部の調べに「(筧さんは)性格がさわやかで最高の人だった」と供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、筧さんの生前から複数の女性とも同時交際するなど、複雑な男女関係を築いていた形跡もうかがえる。千佐子は、どうやって交際範囲を広げたのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は、大阪市や堺市内など何カ所もの結婚相談所に登録。相手探しの拠点にしていた。条件は主に「資産がある」と「子供がいないか、疎遠」の2つ。資産のある孤独な高齢者がターゲットだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は狙いを定めた男性たちと食事の機会を設け、一気に親密な関係を築いた。その中から「持病」のある人を選び、本格的な交際に発展させていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
携帯電話にはたくさんの男性の電話番号が登録されていた。が、例えば「勇夫」が「勇美」になるように、女性のような名前に変更していた。昨年11月に筧さんと入籍した後も、結婚を隠して別の男性と繰り返し接触。偽名の登録は、交際男性にのぞき見られたときの“偽装工作”だったのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子から相手の男性にあてられたメールには、直接的な求愛メッセージが並ぶ。筧さんには「愛する勇夫さん」「あなたに会えて幸せ」といったメッセージが送られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人は昨年6月に出会い、11月に結婚。事件は入籍2カ月後の12月末に起きたが、千佐子はその間“通い妻”として、当時の自宅と向日市の筧さん宅を行き来していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者は「付かず離れずの距離でやきもきさせたかったのでは」とみる。「自分のペースに巻き込んでいく感じ。筧さんのメールの文面からも気持ちがどんどん動いていく様子がうかがえた」と分析した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査本部の調べには淡々と応じ、冗舌に語ってもいるというが、容疑については「殺してはいない」と一貫して否認を続けている。一方、留置場の布団が「ふかふかだった」と無邪気に喜ぶこともあったといい、留置場の待遇には不満はなさそうだという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
取調官は筧さんと知り合った経緯や2人の関係などを一つ一つ、本人の口から説明させている。捜査幹部は「供述と証拠を丁寧に積み上げることが大事だ」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== とぼけ続ける容疑者 ==&lt;br /&gt;
=== 夫の死因「薬を誤飲したのかも」容疑者供述 ===&lt;br /&gt;
京都府向日(むこう)市の筧(かけひ)勇夫さん(当時75歳)への殺人容疑で逮捕された妻千佐子(ちさこ)(67)が京都府警の調べに対し、筧さんの死亡原因について「薬を誤飲したのではないか」という趣旨の供述をしていることが、捜査関係者への取材で分かった。千佐子容疑者は逮捕当初から容疑を否認しているが、死亡原因への言及が判明したのは初めて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は2013年12月28日午後9時ごろ、自宅で筧さんを青酸中毒で殺害したとして11月19日に逮捕された。取り調べに対し、筧さんが普段から健康に気を使っていたとした上で、「(何らかの)薬を飲んだらそういうの(青酸化合物)が含まれていたのではないか」との供述をしているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、千佐子は筧さんの死について「分からない」とし、「自殺、事故、病気の可能性がないから当時、2人でいた私が疑われるのだろう」とも述べているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
京都府警は11月20日と21日、筧さん方を家宅捜索。漢方薬や胃腸薬、鎮痛剤など複数の医薬品を押収したが、青酸化合物の成分を含むものは発見されていない。事件当夜、筧さん宅に不審者が侵入した形跡も見当たらないため、府警は千佐子が青酸化合物を飲ませた以外の可能性はないとみて、引き続き詳しい事情を聴く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 容疑の妻、戸籍からバツ消す。京都・青酸殺害、再婚歴隠しか ===&lt;br /&gt;
[[京都府]][[向日市]]鶏冠井町の筧勇夫さん＝当時75歳＝が青酸化合物で殺害されたとされる事件で、[[京都府警]]捜査本部(向日町署)に殺人容疑で逮捕された妻の千佐子(67)が、戸籍簿上、再婚した経歴を消した上で、筧さんと結婚していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでに死別した夫や交際した男性の名前を女性名に変えて[[携帯電話]]に登録していたことも判明。捜査本部は、千佐子が過去の結婚や交際を隠すために工作していた可能性が高いとみて調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は筧さんとの結婚前に3人の男性と結婚し、いずれも死別。通常、妻が夫と死別や離婚をした場合は、妻の戸籍簿には夫の名前に「×」の印が付けられ、死別や離婚の理由が記載される。一方、2013年11月に筧さんと入籍した際、千佐子の戸籍簿では過去に2回再婚した男性の名前は記載されておらず、最初に結婚した[[大阪府]]の男性の姓に戻っていた。3度目の結婚の際にも、同様に戸籍簿には直前に再婚した男性名はなく、大阪府の男性の姓だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行政関係者によると、本籍地を別の場所に移す転籍の手続きなどをすれば、制度上、新たな戸籍簿に再婚した夫の名前などは記載されず、[[弁護士]]や[[司法書士]]が[[除籍簿]]などをたどらない限り再婚の履歴は確認できないという。捜査本部は千佐子が再婚歴を隠して筧さんに近づいた可能性があるとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子の携帯電話を調べた際、過去に結婚したり交際したりした男性の名前の漢字一字を変えた女性名で登録され、筧さんも女性の偽名で登録されていた。女性の知人らは実名のままだったといい、捜査本部は男性だけ名前を変えていた目的についても調べる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 取得した遺産1億円、使途不明　京都・夫殺害容疑の妻 ===&lt;br /&gt;
千佐子が、筧さんと知り合う前に結婚していた3人の亡夫らから得た遺産について、1億円近い使途不明金があることが分かった。過去に相続した遺産を[[マルチ商法]]にも費やしていたことも新たに判明。捜査本部は、殺人容疑の動機につながる可能性もあるとみて、千佐子が手にした遺産の使途を調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は、筧さんとの結婚前に死別した3人の夫や交際中に亡くなった男性らから計数億円の遺産を手に入れ、[[先物取引]]や投資目的でマンションを購入するなどしていた。マルチ商法にも手を出し、知人らを勧誘していたという。多くは金融商品への投資で多額の損失を出した。少なくとも1千万円の借金を抱えており、筧さんの資産の一部も借金返済に充てたとみて解明を急いでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、捜査本部が千佐子が管理する十数の口座など過去の支出を調べる中で、千佐子が資産として手に入れた金額と、投資やマルチ商法、光熱費などに使った金額との差が1億円近くあることが分かったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千佐子は逮捕前の取材に対し、死別した夫らからの遺産について「親族と分けたり税金で払ったりしたので、何千万円とかはもらっていない。昔の商売の借金が2000万円ぐらいあった。長いことかかって返済した」と話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
府警によると、千佐子は「絶対に殺していません」と容疑を否認しているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 毒物を使った主な殺人・変死事件 ==&lt;br /&gt;
* [[帝銀事件]](1948年) – [[1948年]]1月、東京の帝国銀行支店に東京都職員を装った男が現れ、行員らに青酸化合物を飲ませ12人を殺害&lt;br /&gt;
* [[名張毒ぶどう酒事件]](1961年) – [[1961年]]3月、三重県名張市の住民懇親会で、農薬が混入したぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状&lt;br /&gt;
* [[青酸コーラ事件]](1977年) – [[1977年]]1月、東京都内の電話ボックスで青酸化合物入りのコーラを飲んだ男子高校生(当時16歳)と無職男性(当時46歳)が死亡&lt;br /&gt;
* [[和歌山・毒物カレー事件]](1998年) – [[1998年]]7月、和歌山市内の夏祭りで、カレーライスを食べた住民67人が急性ヒ素中毒を発症、うち4人が死亡&lt;br /&gt;
* [[長野・青酸茶事件]](1998年) - 長野県内のスーパーで[[1998年]]8月、缶入りウーロン茶を飲んだ男性(当時58歳)が青酸中毒で死亡&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[婚活連続殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[結婚詐欺]]&lt;br /&gt;
* [[和歌山カレー事件]]&lt;br /&gt;
* [[完全犯罪]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かけい ちさこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の詐欺事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:結婚]]&lt;br /&gt;
[[Category:シリアルキラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:長崎県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1946年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2024年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E9%B3%A5%E5%B1%B1%E6%98%8E&amp;diff=409139</id>
		<title>鳥山明</title>
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				<updated>2024-10-17T10:57:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{漫画}}&lt;br /&gt;
'''鳥山 明'''（とりやま あきら、[[1955年]][[4月5日]] - [[2024年]][[3月1日]]）は[[日本]]の[[漫画家]]、[[キャラクターデザイン|キャラクターデザイナー]]。プロダクション名はBIRD STUDIO(バードスタジオ)。[[愛知県]][[西春日井郡]][[清洲町]]（現・[[清須市]]）出身・在住。妻は漫画家の[[みかみなち&amp;lt;!--（デビュー前は「みかみ那智」の表記もあり）--&amp;gt;]]。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1978年]]「ワンダーアイランド」でデビュー。主に『[[週刊少年ジャンプ]]』に作品を発表。代表作『[[Dr.スランプ]]』『[[ドラゴンボール]]』はいずれもTVアニメ化されており、『ドラゴンボール』は2005年時点で単行本42巻と完全版34巻を合わせて1億5000万部以上&amp;lt;ref&amp;gt;[http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200509/09adf.html]&amp;lt;/ref&amp;gt;、全世界で3億5000万部を超える&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sanspo.com/geino/news/081210/gnj0812100505015-n2.htm サンケイスポーツ 2008年12月10日 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;ヒット作となった。『Dr.スランプ』で第27回（1981年度）[[小学館漫画賞]]少年少女部門受賞。2006年の[[日本のメディア芸術100選]]では『ドラゴンボール』がマンガ部門3位に選出されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1980年-90年代の「ジャンプ黄金時代」の立役者であり、元『週刊少年ジャンプ』編集長・[[西村繁男]]は、「少年ジャンプの六百万部の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現しえたことは、誰も否定できないだろう」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』pp.282&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』をはじめゲームのキャラクターデザインも手がける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== デビューまでの経緯 ===&lt;br /&gt;
小さい頃から絵を描くことが好きな子供だった。子供の頃通っていた絵の教室で『[[101匹わんちゃん|101匹わんちゃん大行進]]』の絵を描いて表彰された事で絵を描く事に自信を持ったという&amp;lt;ref&amp;gt;『DRAGON BALL 大全集』6巻「鳥山明的超会見」、P216、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。小学校の写生コンクールでは何度か賞を貰い、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している&amp;lt;ref&amp;gt;『COMIC BOX』「ヒストリー・オブ・鳥山明」、1985年11月号。&amp;lt;/ref&amp;gt;。担当編集者の[[鳥嶋和彦]]によると、家は貧しかったが、両親共にのんびり屋の性格で、夕食を食べる金がないからと代わりに2人でワルツを踊るような人だった。そして子供時代の鳥山は、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていたという&amp;lt;ref&amp;gt;『オタク論!』唐沢俊一・岡田斗司夫（著）創出版 2007&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移りマンガをほとんど読む機会が無くなっていた&amp;lt;ref&amp;gt;「徹子の部屋」出演時の発言より&amp;lt;br /&amp;gt;『鳥山明○作劇場Vol.2』94ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし絵を描く事は好きで自信もあったため、[[愛知県立起工業高等学校]]デザイン科を[[1974年]]に卒業した後にデザイン会社に就職。ここでチラシなどを作っていたが、結局[[サラリーマン]]生活に嫌気が差し2年半ほどで退職した&amp;lt;ref&amp;gt;『鳥山明○作劇場Vol.2』166ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
退職後は気ままな生活を送っていたため金銭的に困る事になるが、たまたま手に取った『[[週刊少年マガジン]]』で新人賞への応募作品を募集している記事を見つける。賞を取れば賞金50万円が手に入ることを知り、賞金のために23歳にして初めて本格的に漫画を描き始めた。結局『週刊少年マガジン』の新人賞の締め切りには間に合わず、毎週作品を募集していた『週刊少年ジャンプ』へ作品を投稿するようになった&amp;lt;ref name=C&amp;gt;『ドラゴンボール ランドマーク 少年編〜フリーザ編』148ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。この頃は『[[スター・ウォーズ]]』の[[パロディ]]などを描いていたという&amp;lt;ref name=A&amp;gt;「神龍通信 第1号 歴代担当者座談会」『ドラゴンボール大全集』別冊付録、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の鳥山の作品は新人賞には及ばないものだった&amp;lt;ref&amp;gt;『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』pp.280&amp;lt;/ref&amp;gt;ものの、鳥嶋和彦は鳥山が作中の描き文字（擬音、擬態語など、[[写植]]以外の文字のこと）をカタカナでなくアルファベットで描いていることや、色々なものを色々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれている事にセンスを感じ&amp;lt;ref name=A&amp;gt;「神龍通信 第1号 歴代担当者座談会」『ドラゴンボール大全集』別冊付録、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;「今は下手だが頑張れば何とかなるかも」とアドバイスをした&amp;lt;ref&amp;gt;『鳥山明○作劇場Vol.2』184ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。そして鳥山は厳しくボツ（不採用）を出す鳥嶋の元で懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年間に500ページにも及んだ&amp;lt;ref&amp;gt;『鳥山明○作劇場Vol.1』36ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人気漫画家として ===&lt;br /&gt;
1978年11月(WJ52号掲載)に読み切り作品『ワンダー・アイランド』が『週刊少年ジャンプ』に掲載されデビューを飾ったが、アンケート結果は最下位であり&amp;lt;ref&amp;gt;『鳥山明○作劇場Vol.1』20ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も芳しいものではなかった。鳥嶋に促され描いた1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする「女性を主人公とした」作品だったが評判が良く、これを機に『週刊少年ジャンプ』での連載が決まった（この時期に描かれた作品は主に『[[鳥山明○作劇場]]』に収録されている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1980年開始の初連載作品『Dr.スランプ』はいわゆる「博士物」であり、鳥山は当初は自称天才科学者、則巻千兵衛を主役と考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に配し、千兵衛は脇に据えた&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』16巻、48ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。これが効を奏し、『Dr.スランプ』は当初より人気作となった。1981年より『[[Dr.スランプ アラレちゃん]]』として[[TVアニメ]]化もされ、最高視聴率36.9%を記録し歴代アニメ最高視聴率で3位になる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.amazon.co.jp/Dr-%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97-%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93-DVD-BOX-SLUMP-%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%83%E7%B7%A8/dp/B000IU38II amazon.com]&amp;lt;/ref&amp;gt;など大ヒットアニメとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『Dr.スランプ』連載1年目は、3日に1回しか寝られなかった&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』16巻34ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;、最高連続徹夜6日を記録した&amp;lt;ref&amp;gt;『ドラゴンボール ランドマーク 少年編〜フリーザ編』150ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;、ペン入れの記憶がない回がある&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』9巻作者コメント&amp;lt;/ref&amp;gt;などと、多忙を極めた。連載は5年程度続いたが、アイディアが不足してきたということで1984年に終了させた&amp;lt;ref&amp;gt;『鳥山明○作劇場VOL.2』 鳥山明コラムより&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1984年、『Dr.スランプ』終了後すぐに『[[ドラゴンボール]]』の連載を開始。これが鳥山の漫画家としての大きな転機となった。主人公・[[孫悟空 (ドラゴンボール)|孫悟空]]の冒険譚として始まった作品で、当初はアンケートでも大きな反響は無く、人気は低迷していた&amp;lt;ref&amp;gt;『ドラゴンボール ランドマーク 少年編〜フリーザ編』156～157ページ &amp;lt;/ref&amp;gt;が、次々登場する強敵と戦うことを中心としたシリアスな物語となることで人気を獲得。これがギャグ路線からシリアス路線へと発展するきっかけとなり、1995年まで11年もの間連載が続き、親子2代の壮大なスケールの作品が描かれた。1986年から1997年まで3つのテレビアニメシリーズが制作され、第2シリーズ『ドラゴンボールZ』は6年間の放送で平均視聴率20%を超えている&amp;lt;ref&amp;gt;「テレビアニメ完全ガイド 『ドラゴンボールZ』 孫悟空伝説」 198ページ &amp;lt;/ref&amp;gt;。アニメに関しては『Dr.スランプ アラレちゃん』から『[[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]]』『[[ドラゴンボールZ]]』『[[ドラゴンボールGT]]』『[[Dr.スランプ#アニメ『ドクタースランプ』|ドクタースランプ]]』（『Dr.スランプ - 』のリメイク）と、[[1981年]]から[[1999年]]にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は鳥山原作のアニメが放映されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後の活動 ===&lt;br /&gt;
長期連載でかなり大変な思いをしたことが元で、『ドラゴンボール』終了以降、漫画は『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌で読み切り、もしくは短期集中連載作品を描く程度である。またその一方自動車のデザイン等も手がけている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『ドラゴンボール』終了以降に描いた主な作品は『[[COWA!]]』、『[[カジカ (漫画)|カジカ]]』、『[[SAND LAND]]』ジャコ（いずれも『週刊少年ジャンプ』で短期集中連載として掲載された）、『[[ネコマジン]]』（短編）、『天使のトッチオ』（絵本）など。その中でも『SAND LAND』と『ネコマジン』は人気を得、『SAND LAND』は北米、ドイツ、フランスそのほかの地域でも多数翻訳出版され、『ネコマジン』もシリーズ化した。&lt;br /&gt;
ジャコはドラゴンボールゼノバース。エクストリーム。フリーザ。スーパーに登場した&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 画風・作画方法 ==&lt;br /&gt;
漫画作品ではあまりタッチをつけない均一な線が用いられており、[[スクリーントーン]]はあまり使われない。鳥山は自身を非常に面倒くさがりだとしており、トーンを使わないのも、切ったり貼ったりするのが面倒だから、自分に合わないという理由からである。本人曰く、「トーンを切り貼りする作業は漫画を描く作業ではない」とのこと&amp;lt;ref&amp;gt;『ドラゴンボール フォーエバー 人造人間編〜魔人ブウ編』150ページ &amp;lt;/ref&amp;gt;。ただしトーンが嫌いな訳ではなく、むしろ使いたいとも述べていたこともある&amp;lt;ref name=E&amp;gt;『ドラゴンボール大全集』1巻「鳥山明的超会見」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また漫画では[[ネーム (漫画)|ネーム]]を描かずに、いきなり下描きから始めるという製作方法を取っている。これも「3度も描くのが面倒」だと、担当編集者の鳥嶋に進言したことによる&amp;lt;ref name=D&amp;gt;『ドラゴンボール フォーエバー 人造人間編〜魔人ブウ編』151ページ &amp;lt;/ref&amp;gt;。これに対し2代目担当編集者の近藤裕は「いきなり下描きが上がってくるから、描き直しをさせていいものかどうか」と、戸惑ったという&amp;lt;ref&amp;gt;「神龍通信 第2号 歴代担当者＋鳥山明座談会」『ドラゴンボール大全集』別冊付録、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他に「面倒くさがり」を表すエピソードとして、『Dr.スランプ』では背景を描くのが面倒で村を舞台にし&amp;lt;ref name=A&amp;gt;「神龍通信 第1号 歴代担当者座談会」『ドラゴンボール大全集』別冊付録、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;、『ドラゴンボール』では、[[超サイヤ人]]は髪を[[ベタ (漫画)|ベタ]]塗りせずにすむので時間短縮になる、フリーザの最終形態もシンプルなデザインにすることで作画の手間をはぶかせた、描くのに時間がかかる[[都市|市街地]]などの背景はすぐに爆破（移動）させたい、などがある&amp;lt;ref&amp;gt;『ドラゴンボール フォーエバー 人造人間編〜魔人ブウ編』147～148ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鳥嶋は彼の絵に関して「基本的な絵の勉強を漫画ではなく、デザイン画などから学んでいるため、バランス感覚が優れている。」また「トーンを使わないので、白と黒のバランスを取るのが非常に上手い。」さらに「背景などを描かなくても画面が持つだけの構成力とデッサン力を持っている。」と述べている&amp;lt;ref name=A&amp;gt;「神龍通信 第1号 歴代担当者座談会」『ドラゴンボール大全集』別冊付録、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
描かれる作品には、動物が人間の言葉を操り普通に人間社会に溶け込んでいたり、様々なメカニックが登場する。サブキャラクターに動物が多いのは、普通の人間だけでは顔を描き分けるのが大変だからとのこと&amp;lt;ref&amp;gt;週刊少年ジャンプ特別編集『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』139ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、メカニックは『[[スター・ウォーズ]]』他、数多く見て来た[[SF映画]]からの影響が強く、物語の本筋以上にメカを描いているのが楽しいという&amp;lt;ref name=E&amp;gt;『ドラゴンボール大全集』1巻「鳥山明的超会見」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『ドラゴンボール』連載終了後は[[Macintosh|Mac]]を使いはじめ、以降の作品は制作過程で[[コンピュータグラフィックス|CG]]を用いたものがかなりの割合を占めており、パソコンが無ければ絵を描くのが完全に嫌になっていたとも&amp;lt;ref&amp;gt;『ドラゴンボール フォーエバー 人造人間編〜魔人ブウ編』146ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。Macを用いられて作られた作品例として、漫画では『カジカ』、『ネコマジン』、ゲームでは『ドラゴンクエストVIII空と海と大地と呪われし姫君』、『BLUE DRAGON』等が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』のキャラクター・モンスターデザインでは、[[堀井雄二]]の描いたラフ絵を元にデザインしているものもあるが、[[スライム (ドラゴンクエスト)|スライム]]に代表されるように（堀井のラフ絵では、スライムはドロドロの液体状のモンスターで、目も口もない）自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* 自画像や自分を作品の中に登場させるときは[[ガスマスク]]をかぶったロボットの姿で描かれることが多い。これは自分の似顔絵を描くのが照れくさいから&amp;lt;ref name=F&amp;gt;週刊少年ジャンプ特別編集『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』140ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
またトバルではこの姿で登場している&lt;br /&gt;
* 当初は本名ではなく、水田二期作（みずたにきさく）という[[ペンネーム]]を使おうとも考えたが、どうせ売れる訳がないと思い、結局本名でデビューした。しかし、「鳥山明」という名前が愛知県には数件しかいなかったために、イタズラ電話がよくかかって来たとのことで&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』11巻、48ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;、本人曰く漫画家になって一番後悔している&amp;lt;ref name=c&amp;gt;『ドラゴンボール ランドマーク 少年編〜フリーザ編』149ページ &amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 人付き合いが苦手だと公言しており、家族と気の合う友人、信頼できる仕事仲間以外の人物とは積極的に会いたいとは思わないと語っている。また、田舎に住んでいるのも同じ理由からとのこと&amp;lt;ref&amp;gt;「神龍通信 第1号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集』別冊付録、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 夫人と出会いのきっかけは、鳥山がイタズラ電話をかけたのが始まり&amp;lt;ref&amp;gt;「だからマンガ大好き」[[さくまあきら]]著&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 趣味・嗜好 ===&lt;br /&gt;
* [[モデルガン]]が好きで、多くを壁に飾っている。また、[[プラモデル]]作りの腕前は[[プロ]]級で、株式会社[[タミヤ]]の主催する1/35フィギュア改造コンテストで入賞している&amp;lt;ref&amp;gt;「タミヤニュース 人形改造作品集14」1986年&amp;lt;/ref&amp;gt;。愛知県唯一の[[プラモデル]]メーカー[[ファインモールド]]の社長と懇意であることから、同社関連の仕事もいくつか手がけている。&lt;br /&gt;
* 鳥山の父がかつてバイクのレーサーだった影響で、車やバイク等のメカニック関係が好き&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』14巻、145ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。『Dr.スランプ』では表紙や扉絵に車ばかりを描いていたら鳥嶋に「いい加減車は飽きた、この漫画は車が主人公だっけ？」とまで言われた&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』14巻、作者コメント&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただしメカの構造などに詳しいわけではなく、専門用語などは理解出来ないまったくのメカオンチ、との事である&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』12巻、作者コメント&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[恋愛]]物は見るのも描くのも大の苦手だと述べており、[[ラブコメディ|ラブコメ]]好きの鳥嶋が出したアラレとオボッチャマン、あかねと突詰、タロウと鶴燐、悟空とブルマを恋愛させろという指示に対しては頑なに拒否し、千兵衛とみどりの結婚をあっさりとすませた&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』16巻、130ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*「生まれも育ちも名古屋。当然、[[中日ドラゴンズ|ドラゴンズ]]・[[ファン]]」&amp;lt;ref&amp;gt;『COMIC BOX』「わしの裏話」、1985年11月号。&amp;lt;/ref&amp;gt;と語っている。『Dr.スランプ』内でもキャラクター達が中日ドラゴンズを応援するという一幕がみられる。&lt;br /&gt;
* 読者からもらった[[ショーツ|パンティー]]がヤニで黄色くなってしまう&amp;lt;ref&amp;gt;『ドラゴンボール ランドマーク 少年編〜フリーザ編』157ページ &amp;lt;/ref&amp;gt;ほどの[[喫煙|ヘビースモーカー]]であり、1日で多いと3箱&amp;lt;ref name=F&amp;gt;週刊少年ジャンプ特別編集『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』140ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;、締め切り前は100本以上吸う事もある&amp;lt;ref&amp;gt;「神龍通信 第4号 仕事道具紹介」『ドラゴンボール大全集』別冊付録、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。逆に酒は苦手で、飲んでもビールをコップ1杯ぐらいだという&amp;lt;ref name=F&amp;gt;週刊少年ジャンプ特別編集『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』140ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*『Dr.スランプ』の登場キャラ、空豆ピースケの趣味は[[署名|サイン]]集めであるが、これは鳥山の趣味がそのまま反映されたもの&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』11巻、110ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*動物が好きで犬や猫を始めウサギや、鳥類、魚類など多くの生き物の飼育を趣味としている。少年時代には馬やチンパンジーを飼いたいと親に駄々をこねたという&amp;lt;ref&amp;gt;『Dr.スランプ』14巻、62ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。その趣味は自身の作品にも活かされており、[[ハイギョ]]の飼育がテーマの短編漫画『ハイギョのマヒマヒ』や、『Dr.スランプ』内でも村の乱暴者が[[ブンチョウ]]の飼育を通じて更正するなどの話がある。また、動物好きの鳥山が例外的に苦手としていた[[ネズミ]]だが、子供にせがまれて飼い始めた[[ハムスター]]の影響で苦手意識も薄れたと語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『ドラゴンボール ランドマーク 少年編〜フリーザ編』156ページ &amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== マスコミへの露出 ===&lt;br /&gt;
* マスコミなどへの露出を好まず&amp;lt;ref&amp;gt;「神龍通信 第2号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集』別冊付録、集英社、1995年。&amp;lt;/ref&amp;gt;、インタビュー記事や本人の写真がマスコミに掲載されるケースは稀である。なおVJUMPのドラクエ1.2に顔写真が掲載されている&lt;br /&gt;
理由は自分が住んでいるのは小さな町なので顔がばれるのが嫌だったから&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sakumania.com/diary/nikki/061207.html さくまあきらのホームページ:仕事人裏日記] 2006年12月7日&amp;lt;/ref&amp;gt;。当該写真も顔にガスマスクが合成されている。&lt;br /&gt;
* ただかつては『[[徹子の部屋]]』に出演したり、[[日本放送協会|NHK]]特集『わが青春の[[トキワ荘]]〜現代マンガ家立志伝〜』に[[荒木飛呂彦]]と共に登場していた&amp;lt;ref&amp;gt;1981年5月25日放送&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、鳥嶋の指示により「ジャンプ」誌面や『Dr.スランプ』の単行本にも自身の写真を積極的に載せていた事もある&amp;lt;ref name=c&amp;gt;『ドラゴンボール ランドマーク 少年編〜フリーザ編』149ページ &amp;lt;/ref&amp;gt;。最近ではテレビゲーム『BLUE DRAGON』のCMに口周りのみながら出演している。&lt;br /&gt;
* 1984年の映画『[[ゴジラ (1984年の映画)|ゴジラ]]』に[[エキストラ]]出演したことがある。本編中では確認できないが、市販された一部ポスターにおいては群衆の中に確認できる&amp;lt;ref&amp;gt;さくまあきらホームページ:仕事人裏日記 [http://sakumania.com/diary/nikki/9912.html 1999年12月16日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作品リスト ==&lt;br /&gt;
短編作品は『[[鳥山明○作劇場]]』の項を参照の事。&lt;br /&gt;
* [[Dr.スランプ]]&lt;br /&gt;
* [[ドラゴンボール|DRAGON BALL]]（ドラゴンボール） - 『[[ドラゴンボール (アニメ)]]』、『[[ドラゴンボールZ]]』、『[[ドラゴンボールGT]]』も参照の事。&lt;br /&gt;
** [[DRAGONBALL EVOLUTION]] - 制作総指揮&lt;br /&gt;
* [[鳥山明○作劇場]] - 短編作品集&lt;br /&gt;
* [[鳥山明のヘタッピマンガ研究所]] - [[1982年]]より[[1984年]]まで『[[フレッシュジャンプ]]』に連載/原作：[[さくまあきら]]&lt;br /&gt;
* [[LADY RED]] - [[1987年]]に『[[スーパージャンプ]]』に掲載&lt;br /&gt;
* [[貯金戦士キャッシュマン]]&lt;br /&gt;
* [[GO!GO!ACKMAN]]&lt;br /&gt;
* 宇宙人ペケ - [[1996年]]に『週刊少年ジャンプ』に掲載。全2話&lt;br /&gt;
* TOKIMECHA - [[1997年]]に『週刊少年ジャンプ』に掲載。全3話&lt;br /&gt;
* 魔神村のBUBUL - [[1997年]]に『週刊少年ジャンプ』に掲載&lt;br /&gt;
* ハイギョのマヒマヒ - [[1999年]]に『週刊少年ジャンプ』に掲載&lt;br /&gt;
* ヒョータム - [[2000年]]に『e-ジャンプ』に掲載&lt;br /&gt;
* [[COWA!]]&lt;br /&gt;
* [[カジカ (漫画)|カジカ]]&lt;br /&gt;
* [[SAND LAND]]&lt;br /&gt;
* TOCCIO THE ANGEL てんしのトッチオ - [[絵本]]作品&lt;br /&gt;
* [[ネコマジン]]シリーズ&lt;br /&gt;
** ネコマジンがいる&lt;br /&gt;
** ネコマジンみけ&lt;br /&gt;
** ネコマジンZ&lt;br /&gt;
* [[ジャン・アンリ・ファーブル|ファーブル]][[昆虫記]]1-6巻 - [[奥本大三郎]]編訳による[[集英社]]文庫の表紙及び扉絵を描いた。&lt;br /&gt;
* [[CROSS EPOCH]] - [[2006年]]に『週刊少年ジャンプ』に掲載。[[尾田栄一郎]]との合作&lt;br /&gt;
* こちらナメック星ドラゴン公園前派出所 - [[2006年]]、「こち亀」連載30周年を記念して発売された書籍『[[超こち亀]]』に掲載。[[秋本治]]との合作。2016年1月18日のジャンプで両津のイラスト書いた&lt;br /&gt;
* Dr.MASHIRITO ABALEちゃん - [[2007年]]に『月刊少年ジャンプ』に掲載&lt;br /&gt;
*さちえちゃんグー!! - [[2008年]]に『ジャンプスクエア』に掲載。原作担当で作画は[[桂正和]]。&lt;br /&gt;
銀河パトロールジャゴ&lt;br /&gt;
2013年にJUMPに掲載された&lt;br /&gt;
ドラゴンボールの前日談である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== キャラクターデザイン ==&lt;br /&gt;
=== コンピュータゲーム ===&lt;br /&gt;
* [[ドラゴンクエストシリーズ]]&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエスト]]&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]]&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]]&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち]]&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]]（メインキャラクターデザインは主人公・パパス・ビアンカのみ）&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストVI 幻の大地]]（モンスターの一部は[[中鶴勝祥]]）&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち]]（メインキャラクター・モンスター担当。その他のモンスターは中鶴勝祥と[[かねこ統]]）&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君]]（サブキャラクターは[[レベルファイブ]]のスタッフ）&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストIX 星空の守り人]]（[[2009年]]発売予定）&lt;br /&gt;
** [[トルネコの大冒険 不思議のダンジョン]]シリーズ&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--***トルネコの大冒険（DQ4の流用。新規デザインは無し）--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*** [[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン]]（パッケージイラストのみ。他のイラストは中鶴勝祥）&lt;br /&gt;
*** [[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン]]（パッケージイラストのみ。他のイラストは中鶴勝祥）&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストモンスターズ]]シリーズ&lt;br /&gt;
*** [[ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド]]&lt;br /&gt;
*** [[ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵]]&lt;br /&gt;
*** [[ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート]]（原案）&lt;br /&gt;
*** [[ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー]]&lt;br /&gt;
** [[スライムもりもりドラゴンクエスト]]シリーズ&lt;br /&gt;
*** スライムもりもりドラゴンクエスト 衝撃のしっぽ団&lt;br /&gt;
*** スライムもりもりドラゴンクエスト2 大戦車としっぽ団&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン]]&lt;br /&gt;
** [[ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔]]&lt;br /&gt;
* [[クロノ・トリガー]]&lt;br /&gt;
* トバルシリーズ&lt;br /&gt;
** [[トバルNo.1]]&lt;br /&gt;
鳥山ロボとして登場している&lt;br /&gt;
** [[トバル2]]&lt;br /&gt;
* [[BLUE DRAGON]]（トリッポの声優としても出演）&lt;br /&gt;
* [[桃太郎電鉄]]シリーズ（メカボンビーRX）&lt;br /&gt;
* [[ドラゴンボール]]オンライン（全面監修）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[テレビ番組]] ===&lt;br /&gt;
* アップルポップ - 幼児番組『[[ひらけ!ポンキッキ]]』内の[[コーナードラマ]][[人形劇]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* QVOLT - 『[[CQモーターズ|チョロQモーターズ]]』の[[電気自動車]]。&lt;br /&gt;
* [[ジャンタ]] - [[ジャンプショップ]]オリジナルキャラクター。&lt;br /&gt;
* リードン - 伝説の読書龍として集英社のキャラクターとして使用。&lt;br /&gt;
* [[Vジャンプ]]イメージキャラクター「V龍（ブイロン）」（キャラクターデザイン）&lt;br /&gt;
* [[空想科学世界ガリバーボーイ]] - 一部メカデザイン。&lt;br /&gt;
* [[小助さま力丸さま -コンペイ島の竜-]] - 初の描き下ろしオリジナルアニメ。脚本もやっている。&lt;br /&gt;
* スーパーセンス ストーリー - [[本田技研工業|ホンダ]]の交通安全啓発用絵本。&lt;br /&gt;
* [[ファインモールド]]マスコットキャラ「五式犬（ごしきけん）」（キャラクターデザイン）&lt;br /&gt;
* ファインモールド「ワールドファイターコレクション」シリーズ（キャラクターデザイン） - 世界各国の陸軍兵士をリアルに再現した上でコミカルにデフォルメしたプラモデルフィギュア。&lt;br /&gt;
** ファインモールド関連ではこの他、商品開発ではないが、『ドラゴンボール』「其之五百一 救世主登場!?」のカラー扉絵で、ファインモールドがプラモデル化した「日本陸軍[[九七式軽装甲車]]テケ」を描いて[[ミスター・サタン]]を搭乗させ、その車体にFINE MOLDSと記している。&lt;br /&gt;
* 『[[モデルグラフィックス#アートボックス編集の他の模型誌|月刊アーマーモデリング]]』2009年1月号表紙描き下ろしイラスト（コミカライズされた日本陸軍[[九七式中戦車]]チハと日本兵たち）&lt;br /&gt;
* 『月刊アーマーモデリング』2009年1月号模型作例「1/35[[四式軽戦車]]」製作及び記事執筆（模型の車体はファインモールド製、砲塔は[[タミヤ]]製）&lt;br /&gt;
*  [[コアラ]]舎シンボルマーク - 名古屋市[[東山動植物園]]にあるコアラ舎のコアラのシンボルマーク（キャラクターデザイン）。&lt;br /&gt;
*  [[さくまあきら]]『燃えよ!フトリッパー』  - シングルレコードジャケットのイラスト&lt;br /&gt;
*  [[浜崎あゆみ]]『[[Rule/Sparkle]]』  - 初回盤ピクチャーレーベルのイラスト（映画『[[DRAGONBALL EVOLUTION]]』主題歌）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連人物 ==&lt;br /&gt;
; [[桂正和]]&lt;br /&gt;
: 共に鳥嶋和彦に才能を見出された漫画家仲間である[[桂正和]]とは交流があり、『[[ウイングマン]]』の作中に「[[生徒会]]トリヤマ」や「Mr.マヤリト」として鳥山が登場している。逆に『Dr.スランプ』には非常な田舎者として桂が登場しており、番外の短編漫画でエピソードが語られている。悟空が界王を笑わせる為に使ったギャグは、鳥山が桂に披露したもののバカにされたといわれるものである。また[[融合 (ドラゴンボール)|フュージョン]]のアイディアも桂正和が考えたものであると述べている&amp;lt;ref&amp;gt;『DRAGON BALL 大全集』6巻「鳥山明的超会見」 214～215ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。1984年に桂正和が病気療養のため約5ヶ月『ウィングマン』の連載を中断した際、週1ページの応援ページ「がんばれ!桂くん」が連載されたが、鳥山はタイトルとタイトルバックの似顔絵（病室で寝巻き姿の桂が元気にウイングマンの変身ポーズを決めている）を寄稿している。&lt;br /&gt;
; [[岸本斉史]]   &lt;br /&gt;
:岸本は『NARUTO』の連載が3周年を迎えたらご褒美として、鳥山のサイン色紙を貰うという約束を編集部と取り付けており、実際にサインを手に入れた際には、その喜びをジャンプの巻末コメントで語っていた。&lt;br /&gt;
; [[尾田栄一郎]]&lt;br /&gt;
: 尾田と鳥山の最初の出会いは1995年の集英社主催のパーティー。当時[[和月伸宏]]のアシスタントをしていた尾田は、コネを使って大ファンである鳥山と対面。イラスト入りのサインを貰った。その後尾田の希望で対談したことが元で、以降様々な場で交流があり、『天才パソコミ塾』（2002年 集英社インターナショナル）でMacを使った漫画の描き方で共演したり、2006年12月には『ONE PIECE』とドラゴンボールのコラボレーション漫画『CROSS EPOCH』（週刊少年ジャンプ2007年04・05合併号、2006年12月25日発売）を発表した。&lt;br /&gt;
; [[笑福亭鶴瓶]]&lt;br /&gt;
: 鳥山は無名時代、[[東海ラジオ放送]]の食堂で[[アルバイト]]をしており、ラジオ番組『[[ミッドナイト東海]]』に出演していた[[笑福亭鶴瓶]]と顔見知りになった。その縁で『Dr.スランプ』単行本第1巻に鶴瓶が登場している&amp;lt;ref&amp;gt;『[[鶴の間]]』[[2006年]][[2月21日]]放送&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アシスタント ===&lt;br /&gt;
* ひすゎし（現：[[田中久志]]）&lt;br /&gt;
* [[まつやまたかし]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考資料 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[手塚賞]] -  審査員の一人として務めている。&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とりやま あきら}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の漫画家]]&lt;br /&gt;
[[Category:キャラクターデザイナー]]&lt;br /&gt;
[[Category:愛知県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1955年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2024年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:鳥山明|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C&amp;diff=409138</id>
		<title>池田大作</title>
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				<updated>2024-10-17T10:54:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''池田 大作'''&amp;lt;ref&amp;gt;池田本人によれば、親から「太く大きく丈夫に育ってもらいたい」との願いをこめて「太作（たいさく）」と名づけられ、自然に「ダイサク」という読みにされるが、「太作」を「ダイサク」とは読みにくいので、「大作」に改名したという。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=rirekisyo&amp;gt;池田大作　『[[私の履歴書]]』　[[聖教新聞社]] 1993年4月&amp;lt;/ref&amp;gt;（いけだ だいさく、本名：成 太作(성 대작、読みはソン・テチャク)、[[1928年]][[1月2日]] - [[2023年]][[11月15日]]）は、[[創価学会]]名誉会長&amp;lt;ref&amp;gt;池田自身によれば名誉会長の職は名誉職ではなく、創価学会の会則としては「信心指導」「布教」「会員の擁護・育成」の役目があるが、創価学会の基本方針は会長を中心とした中央会議や総務会が決めるという。SGI会長としては日本も含めて全世界の会員の指導・育成・布教、全般に関与するという。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=ikisyonin&amp;gt;[[田原総一朗]]　『戦後五十年の生き証人』 （[[中央公論社]]　1996年４月）に掲載された　池田大作と[[田原総一朗]]の対談&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;1995年の国会で、当時、創価学会の会長であった[[秋谷栄之助]]は池田名誉会長の位置づけを「信仰の指導の上の指導者」と説明した。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=k19951204&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13412041177008c.html 第134回国会　参議院　宗教法人等に関する特別委員会　第8号] 平成7年（1995年）12月4日&amp;lt;/ref&amp;gt;、SGI（[[創価学会インタナショナル]]）会長、創価学会元会長（3代目）、[[公明党]]創設者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:池田大作　1.jpg|300px|thumb|池田大作]]&lt;br /&gt;
[[Image:池田大作　2.jpg|300px|thumb|大蔵商事時代の池田大作]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 入信以前 ===&lt;br /&gt;
*[[1928年]](昭和3年)[[1月2日]]に[[東京都]][[大田区]][[大森北]]（[[東糀谷]]ひがしこうじや）に[[海苔]]業者の父、子之吉（ねのきち）と母、一（いち）の間の7男として生まれる。(創価学会の公式サイトでは父母の名前をこのように記しているが、池田大作や両親の名前、本名、国籍などについては諸説があって明らかではない)生まれた時は「太作」であり昭和28年11月に「大作」に改名した。&lt;br /&gt;
*[[1930年]]　&lt;br /&gt;
**3歳の頃、[[蒲田]]（[[羽田町]]大字[[糀谷]] こうじや）に移る。&lt;br /&gt;
*[[1935年]]　 &lt;br /&gt;
**4月　羽田第二[[尋常小学校]]（現：[[大田区立糀谷小学校]]）に入学。生まれつき体が弱く、[[栄養失調]]で三・四回死にかけたこともある。&lt;br /&gt;
*[[1936年]]&lt;br /&gt;
**父が[[関節リウマチ|リューマチ]]で寝込むようになったため、家業の海苔作りを手伝う。兄たちの出兵で家計が苦しくなったため、朝夕の[[新聞配達]]もする。&lt;br /&gt;
**少年・青年時代に多くの[[在日コリアン]]と出会い、父から[[朝鮮語|韓国語]]を習う。&lt;br /&gt;
*[[1940年]]&lt;br /&gt;
**3月　尋常小学校卒業の後、兄が勤めていた「[[新潟鉄工所]]」に就職&lt;br /&gt;
**4月　羽田[[高等小学校]]（後に萩中国民学校と改称）に進学&lt;br /&gt;
**卒業後は[[蒲田]]にある[[新潟鉄工所]]に就職した&lt;br /&gt;
*[[1941年]]&lt;br /&gt;
**[[12月8日]]　[[太平洋戦争]]が始まる。&lt;br /&gt;
*[[1944年]]&lt;br /&gt;
**蒲田（糀谷）の家が強制[[疎開]]のため壊され、同区馬込町（後に[[大森区]]→大田区）の叔母の家に住む。&lt;br /&gt;
*[[1945年]]&lt;br /&gt;
**[[8月15日]]　終戦を迎える。6度目の[[結核]]による[[肋膜炎]]を患う。&lt;br /&gt;
**[[東洋内燃機]]に就職&lt;br /&gt;
*[[1946年]]&lt;br /&gt;
**[[新橋 (東京都)|新橋]]にある「[[昭文堂印刷]]」で[[文選 (出版)|文選]]工をする傍ら、私立の「東洋商業高校」（現、[[東洋高等学校]]）夜間部の2年に編入学する。 &lt;br /&gt;
**東京都大田区森ヶ崎にある「協友会」に加入。&amp;lt;ref&amp;gt;「協友会」は東大出身の経済学者が主導していた20名ほどの青年グループであり、文化・芸術・政治・経済・哲学などを研究していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;青年たちと国家や人生や天皇制などを議論する「郷友会」という研究会（読書会）を作り、学者や労働組合の指導者を訪ねたりする。&lt;br /&gt;
**高校卒業と同時に[[昭文堂印刷]]を退社。&lt;br /&gt;
**半年後、[[京急蒲田駅]]裏にある[[中小企業]]の組合「蒲田工業会」（現：「[[蒲田工業協同組合]]」）に[[書記]]として勤務。加盟業者への社会保険の指導と業界内の連絡などの仕事を任される。&lt;br /&gt;
*[[1948年]]&lt;br /&gt;
**「東洋商業高校」（現、[[東洋高等学校]]）夜間部を卒業、大世学院(現・[[富士大学]])の政経科夜間部に入学&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 入信以降 ===&lt;br /&gt;
*[[1947年]]&lt;br /&gt;
**3月　東洋商業学校を卒業&lt;br /&gt;
**[[8月14日]] 小学校時代の同級生の女性&amp;lt;!--  著名活動はしていないので実名を記載しないで下さい。--&amp;gt;から「[[仏教]]や[[哲学]]のいい話しがある」と誘われ、「協友会」の仲間で小学校の同級生の二人と共に蒲田(大田区北糀谷)の創価学会員宅で行なわれた[[座談会]]に出席。&amp;lt;ref&amp;gt;池田を誘った女性の妹&amp;lt;!--  著名活動はしていないので実名を記載しないで下さい。--&amp;gt;やその場に立ち会った元幹部などは、創価学会側の文献がこの座談会で池田が戸田と会い、即興の詩を読んだとしていることなどは事実と違うと語っている。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=kiru7/&amp;gt;&amp;lt;ref name=forum21gouryu1&amp;gt;[http://www.forum21.jp/contents/03-1-1a.html 「私の見た「池田大作」の実像１-龍年光氏（その１）」]　『フォーラム21』21号（2003年1月1日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。入信を拒むが、後に教学部長になる[[小平芳平]]に説き伏される&amp;lt;ref name=seikyou19571018&amp;gt;『[[聖教新聞]]』昭和32年（1957年）10月18日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=koguti/&amp;gt;&lt;br /&gt;
**8月24日　小平に付き添われ、創価学会に入信手続きを行なう&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会機関紙『[[聖教新聞]]』（[[1957年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;　。&lt;br /&gt;
*[[1948年]]&lt;br /&gt;
**「大世学院」（後の[[東京富士大学短期大学部]]）の政経科夜間部に入学。&lt;br /&gt;
*[[1949年]]&lt;br /&gt;
**1月3日　後に創価学会の第2代会長となる[[戸田城聖]]が経営する出版社「[[日本正学館]]」に入社し&amp;lt;ref name=koguti/&amp;gt;、少年雑誌『[[冒険少年]]』（同年8月に『少年日本』と改題）の編集に携わる。同年5月には編集長に。&lt;br /&gt;
**秋　戸田から自分が勉強を教えるからやめろと勧められ、「大世学院」を2年で中途[[退学]]する。&amp;lt;ref name=shinjin&amp;gt;『[[朝日新聞]]』（1965年2月2月）「新人国記」&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会の会長になった後、富士短大からの勧めで [[卒業論文]]を提出し、退学から20年になる[[1968年]]に経済科の卒業が認められた。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**10月　「日本正学館」の[[倒産]]により、同じく戸田が経営する、「[[東京建設信用組合]]」に日本正学館の全社員と共に入社。給料がまともに出ず苦しい生活を送る&amp;lt;ref name=f20030101/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**8月22日「東京建設信用組合」が[[大蔵省]]から営業停止を命じられたため、同年10月、戸田が新しく設立した、[[手形割引]]を主業務とする[[金融]]会社・「[[大蔵商事]]」（戸田城聖が顧問）&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会元教学部長の[[原島嵩]]によれば、「大蔵商事」は高利回りを謳い文句に資金を調達し、それを個人（ほとんどは学会員）に貸し付ける。池田は資金調達や取立てに殊腕を振るったという。&amp;lt;/ref&amp;gt;に移動。&lt;br /&gt;
*[[1950年]]&lt;br /&gt;
**11月27日　営業部長に昇格し&amp;lt;ref name=nenpu/&amp;gt;、業績を上げる。&amp;lt;ref name=nenpu/&amp;gt;&amp;lt;ref name=f20030101/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.forum21.jp/contents/04-1-1.html 特集／徹底比較―武富士・武井保雄と創価学会・池田大作]　 『フォーラム21』（2004年1月1日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;当時の『[[聖教新聞]]』の[[名刺広告]]に「大蔵商事」の幹部としての肩書きが載っている。『[[週刊新潮]]』平成15年（2003年）12月18日号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1951年]]&lt;br /&gt;
**5月　蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。&lt;br /&gt;
**７月　戸田会長直属の青年部(男予部)が結成され、第4部隊の幹部長に任命され、間もなく第1部隊長になる。&amp;lt;ref name=shinjin/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1952年]]&lt;br /&gt;
**2月9月 戸田会長の信頼を得て、創価学会青年部の参謀室室長（教育参謀）に[[龍年光]]と共に任命される。後に総務も務める。&amp;lt;ref name=shinjin/&amp;gt;&lt;br /&gt;
**３月 参謀室長となる。青年部１万人総登山や、体育大会などの斬新な企画を立てる。&lt;br /&gt;
**渉外部長に就任し、対外的交渉を行う。&lt;br /&gt;
**5月3日　香峰子と結婚。[[目黒区]]三田に住む。&amp;lt;ref name=hikari&amp;gt;『随筆　人間世紀の光』「師弟正義の目黒」（『聖教新聞』　2004年3月27日付）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**8月27日 創価学会は[[日蓮正宗]]の信徒団体（[[法華講]]）でありながら、[[東京都知事]]の例外的措置をもって[[宗教法人]]の認証を得る。&amp;lt;ref&amp;gt;戸田が日蓮正宗を外護するため創価学会の宗教法人化の必要性を強く主張し、宗門から「折伏した人は信徒として、各寺院に所属させること」、「日蓮正宗の教義を守ること 」、「三宝（仏・法・僧）を守ること」の3か条を守るという前提で承諾され、東京都はそれを創価学会の「設立の目的」に明記することで例外的に宗教法人として認証した。そのような経緯から、創価学会が宗門から破門されたことで宗教法人としての資格を失ったのではないかという指摘が一部である。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;gt;[http://www.forum21.jp/contents/contents7-15.html 創価学会「宗教法人規則」変更の認証の取り消し求め龍年光氏が異議申し立て]　 『フォーラム21』34号（2003年7月15日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1953年]]&lt;br /&gt;
**11月25日　25歳のとき長男の誕生を期に、正式に「太作」から「大作」に改名。&amp;lt;ref name=f20030101/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[[戸口浩]] 『創価学会の真実--　「地涌正統」からの通信』（[[日新報道]] 1992年4月）P200&amp;lt;/ref&amp;gt;当時は創価学会の[[文京区|文京]]支部長の地位にあった。&amp;lt;ref name=pen197605/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1957年]]&lt;br /&gt;
**7月4日 [[参議院]]大阪地方区の[[補欠選挙]]が行われ際に、渉外部長として6万人の創価学会員に戸別訪問を指示した[[公職選挙法]]違反の疑いで逮捕され、[[大阪東警察署]]と[[大阪拘置所]]に15日間[[勾留]]される（「[[大阪事件]]」）。同年7月29日 に創価学会幹部45人と共に[[起訴]]され、[[検察]]側から[[禁固]]10か月の[[求刑]]を受ける。&amp;lt;ref&amp;gt;（『[[朝日新聞]]』1957年7月29日付夕刊）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1958年]]&lt;br /&gt;
**3月1日　日蓮正宗の総本山[[大石寺]]の大講堂落慶法要の後、戸田会長から後継指名がなされたとされる。&amp;lt;ref&amp;gt;『人間革命』12巻では戸田から「あとはお前だ。頼むぞ」と[[エレベーター]]の中で後継指名がなされたとされるが、池田の入信に関わった当時の関係者は事実関係が違うと語っている。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=f20030101/&amp;gt;&lt;br /&gt;
**4月2日 急性心衰弱により、戸田会長が[[死|他界]]（[[享年]]58）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 会長就任以降 ===&lt;br /&gt;
*[[1960年]]&lt;br /&gt;
**5月3日 戸田の没後3年を経て、[[創価学会]]第3代会長に就任。戸田の[[命日|7回忌]]までに300万世帯の信徒獲得と邪教撲滅&amp;lt;ref&amp;gt;池田は会長就任の際に「西の[[天理教]]・東の[[立正佼成会]]を討て」と提言した。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=f20040115&amp;gt;[http://www.forum21.jp/contents/contents5.html 創価学会&amp;quot;他教団騙し&amp;quot;の構造] 『フォーラム21』（2004年1月15日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;池田大作監修　創価学会教学部編　『折伏教典』（P208、P286）には「邪宗教の本尊を拝めば、不幸になるのは当然」、「日蓮正宗以外は　ぜんぶ邪宗教であり害毒を流すもの」とある。&amp;lt;/ref&amp;gt;を目標に掲げる。（この当時140万世帯だった創価学会は、池田の指導の下、10数年後には、公称800万世帯&amp;lt;ref&amp;gt;[[NHK]]の出口調査などからは会員数は約400万人強であると推測されている。平成7年度の[[文化庁]]の[[統計]]における日蓮正宗の信者数は576万人であり、平成12年度は創価学会員の数を差し引いた信者数として約34万人となっていることから創価学会の会員数を542万人と推定する見方もある。（[http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r3-1.htm 「わが国における主な宗教団体名」] 日本における宗教の概要）&amp;lt;/ref&amp;gt;を超える国内最大規模の宗教団体となる）。&lt;br /&gt;
**10月　北・南米を訪問し、現地の創価学会員を激励。&lt;br /&gt;
*[[1961年]]&lt;br /&gt;
** 8月24日 最初の『会長講演集』を発刊。&lt;br /&gt;
*[[1962年]]&lt;br /&gt;
**「大阪事件」に関する[[裁判]]で、関わった創価学会員には罰金や[[公民権]]停止などが課せられたが、池田が戸別訪問を指示したことは立証されず、無罪判決を得る。&lt;br /&gt;
*[[1964年]]&lt;br /&gt;
**宗門から法華講総講頭に任命される。&lt;br /&gt;
**「公明政治連盟」を改組して「[[公明党]]」を結成。結党宣言で、[[日蓮]]の『[[立正安国論]]』を引用し、「『[[王仏冥合]]』・『[[仏法民主主義]]』を基本理念とする」旨を謳う。&lt;br /&gt;
*[[1967年]]&lt;br /&gt;
**1月29日　[[第31回衆議院議員総選挙]]で公明党が25議席を獲得し、[[衆議院]]に初進出。&lt;br /&gt;
*[[1968年]]&lt;br /&gt;
**9月8日 第十一回創価学会学生部総会における講演で、[[中華人民共和国|中国]]の正式承認と日中国交正常化、中国の[[国際連合|国連]]加盟などを提言。&amp;lt;ref&amp;gt;[[原島嵩]]教学部長と泰次が、公明党の紹介で[[外務省]]の[[官僚]]のレクチャーを受け、三日間ほど原稿を書いたという。（[http://www.forum21.jp/contents/contents10-1-1.html  特集／日中国交回復三十年　親中派・創価学会は何をしてきたか]　 『フォーラム21』15号　2002年10月1日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1970年]]&lt;br /&gt;
**創価学会と公明党が自らを批判する本の出版・流通を妨害したとされる「[[言論出版妨害事件]]」で社会的な批判にさらされ、国会で[[証人喚問]]の要請がなされるが、実現には至らず。&lt;br /&gt;
**5月3日　創価学会第33回本部総会において、「言論妨害というような陰湿な意図は全くなかった」と弁明しながらも、関係者や世間に対して謝罪した。社会的な批判を受けて、これまでの方針を一大転換し、日蓮正宗の国教化と見られて来た「[[国立戒壇]]」を目指さないこと、創価学会と公明党を制度的に分離すること、[[日本共産党]]に対して対決姿勢を取らないことなどを表明する。&lt;br /&gt;
*[[1972年]]&lt;br /&gt;
**[[イギリス]]の著名な[[歴史家|歴史学者]][[アーノルド・J・トインビー]]と対談。&lt;br /&gt;
*[[1974年]]&lt;br /&gt;
**5月29日　夫人や幹部らと共に中国を初訪問。&lt;br /&gt;
** 9月 ソ連を初訪問し、[[アレクセイ・コスイギン]]首相と会見。「中国を攻めるつもりがあるのですか」と質問し、 「攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」との答えを得、それを中国の首脳に伝える承諾を得たという。&lt;br /&gt;
**10月29日　平和・文化の推進のため海外での活動期間が多くなっているという理由で創価学会の代表役員を辞任し、[[北条浩]]が代表役員並びに理事長に就任。&lt;br /&gt;
**11月　中国の「[[文化大革命]]」を高く評価する『中国の人間革命』（[[毎日新聞社]]刊）を出版。&lt;br /&gt;
**創価学会本部総会で、「七つの鐘」構想を発表。昭和54年（1979年）もしくは昭和65年（1990年）までに[[広宣流布]]の総仕上げを目標に掲げる。&lt;br /&gt;
**12月5日　再び訪中し、[[周恩来]]首相と会見。&lt;br /&gt;
*[[1975年]]&lt;br /&gt;
**1月1日 創価学会本部に宗門に無断で模刻した[[本尊 (日蓮正宗)|本尊]]を安置し、密かに導師として入仏式を行なう。[[教義]]逸脱の問題として内部で大きな問題となる。&amp;lt;ref&amp;gt;この「学会本部安置本尊」は、1977年11月7日、日達より正式に許可されたが、他の七体の本尊は認可されず、1978年9月、総本山へ納められることとなった。 &amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**1月　創価学会の海外組織、SGI（創価学会インタナショナル）の会長に就任。&lt;br /&gt;
**この頃から全国に文化会館等の施設を建設。&amp;lt;ref&amp;gt;全国にある施設は池田の名を冠して「池田文化会館」と名づけられている。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**創価学会の青年部が中心になって集めた[[核兵器|核]]廃絶・原水爆禁止の1千万人の[[署名]]を[[ニューヨーク]]の[[国際連合|国連]]本部で事務総長と会見し、手渡す。&lt;br /&gt;
**7月27日　日本共産党と創価学会が互いの存在を認め、相互不干渉を約束したいわゆる「創共十年協定」を結んだことが発表される。（調印自体は約７ヶ月前）&lt;br /&gt;
*[[1976年]]&lt;br /&gt;
**池田と創価学会員の女性との関係を報じた[[月刊誌]]『月刊ペン』に対し、[[名誉毀損]]に当たるとして創価学会及び相手とされた創価学会員らと共に月刊ペン社の発行人と編集長[[隈部大蔵]]&amp;lt;ref&amp;gt;隈部大蔵は以前に創価学会の批判本を書いたことで、創価学会・公明党から出版に対する介入を受けた。「[[言論出版妨害事件]]」の記事を参照&amp;lt;/ref&amp;gt;を刑事告訴。&lt;br /&gt;
**8月　日本共産党の[[宮本顕治]]委員長から「創共十年協定」順守の会見を申し込まれるが、拒否。「創共十年協定」は１年後には崩壊。&lt;br /&gt;
*[[1977年]]&lt;br /&gt;
**1月15日 第9回教学部大会で「仏教史観」を語る。寺院否定論など、独自の教義を打ち出し、学会独自の[[経本]]や本尊を作る。（「昭和52年路線」と呼ばれる）。これに反発した宗門内の若手[[僧|僧侶]]が創価学会の教義逸脱を正すという活動を始める。&lt;br /&gt;
*[[1978年]]&lt;br /&gt;
**6月30日 「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを『[[聖教新聞]]』紙上で表明する。&lt;br /&gt;
**11月7日 創価学会創立48周年記念登山代表幹部会として、2千人の学会幹部と共に[[大石寺]]に出向き、御本尊模刻を初めとする教義逸脱を謝罪。（通称「おわび登山」）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 名誉会長就任以降 ===&lt;br /&gt;
*[[1979年]]&lt;br /&gt;
**4月24日 宗門との問題の責任を取り、創価学会会長を辞任。新しく創設したポスト名誉会長に就任。池田時代は終身制だった会長職は5年の任期と変更し、後任の会長には[[北条浩]]が就任。&lt;br /&gt;
**4月26日 [[法華講]]総講頭を引責辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束する。日蓮正宗の管長[[日達]]より、法華講名誉総講頭の辞令をもらう。&lt;br /&gt;
**5月3日 日達が創価学会第40回本部総会において、宗門の法主、日達が池田名誉会長ら創価学会幹部の反省を受け入れ、問題の収束を宣言。&lt;br /&gt;
*[[1982年]]&lt;br /&gt;
**10月15日　東京地裁における『[[月刊ペン]]』に関する差し戻し裁判（第27回公判）に[[検察]]側の[[証人]]として出廷。&lt;br /&gt;
*[[1983年]]&lt;br /&gt;
**1月25日　「SGIの日」記念提言を発表（これ以後、毎年発表）。&lt;br /&gt;
**6月 [[ルーマニア]]を訪問し、大統領官邸で（後に[[独裁者]]という評価がなされることになる）[[ニコラエ・チャウシェスク]]大統領と五十分にわたって会談。「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」との賛辞を贈る。&amp;lt;ref&amp;gt;『聖教新聞』昭和58年（1983年）6月10日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**8月8日　「[[世界保健機構]]」を初め、国連機関への貢献が評価され「[[国連平和賞]]」を受賞。&amp;lt;ref&amp;gt;受賞の前年にあたる1982年に国連広報局の「国連口述史」編纂計画に対して16万[[ドル]]（当時の[[為替レート]]で約四千万円）を寄付している。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=f20020801&amp;gt;『フォーラム21』11号(2002年8月1日)&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1984年]] &lt;br /&gt;
**1月2日 日達の後を継ぎ、67世の[[法主]]となった [[日顕]]は池田を再び「法華講総講頭」に再任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 宗門との決裂以降 ===&lt;br /&gt;
*[[1990年]]&lt;br /&gt;
**11月16日 [[衛星放送]]で全国の会員に中継された創価学会第35回本部幹部会において、宗門および日顕を批判。&lt;br /&gt;
**12月13日 宗門は、創価学会に対して池田のスピーチの真意を問う文章を提出したが、「出処不明のテープを本とした文書は受け取ることができない」と創価学会は受け取りを拒否。&lt;br /&gt;
**12月27日 宗門は法華講総講頭に任期制を導入。これにより1990年末の任期終了と共に池田が法華講総講頭の資格を自動的に失うことになる。&lt;br /&gt;
*[[1991年]]&lt;br /&gt;
**[[Japan News Network|JNN]]の報道特集で、直撃インタビューされた映像が放映される。宗門との対立について、「より高い次元に行くための現象」と説明、宗門からの独立についてはきっぱりと否定する。&lt;br /&gt;
**11月28日 創価学会とSGIが宗門から[[破門]]される。&lt;br /&gt;
*[[1992年]]&lt;br /&gt;
**8月11日 池田自身を含む全創価学会員が日蓮正宗から信徒除名処分にされる。&lt;br /&gt;
*[[1993年]]　&lt;br /&gt;
**創価学会独自の本尊の[[曼荼羅|曼陀羅]]を作成し会員に配布。&lt;br /&gt;
**8月8日 第69回創価学会本部幹部会において、[[細川内閣|細川連立政権]]の内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得した&amp;lt;ref&amp;gt;この[[細川内閣]]に公明党は非自民[[連立政権]]の一角として参加、[[郵政大臣]]、[[厚生大臣]]のポストを獲得した他、[[総務庁長官]]、[[環境庁長官]]にも議員が起用された。&amp;lt;/ref&amp;gt;と語ったことが、国会で問題となる。&amp;lt;ref name=&amp;gt; [http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/129/0380/12905240380008a.html 第129回国会　衆議院　予算委員会　第8号]　平成6年（1994年）5月24日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;当時創価学会会長であった秋谷は国会で、「当日の新聞の閣僚の予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない」という旨の説明をした。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=k19951204/&amp;gt;&lt;br /&gt;
**9月24日　アメリカの[[ハーバード]]大学で「[[21世紀]]文明と[[大乗仏教]]」と題して講演。&lt;br /&gt;
*[[1995年]]&lt;br /&gt;
**11月 [[衆議院]][[予算委員会]]の質疑で自民党の[[野中広務]]、[[亀井静香]]両議員から[[政教分離]]の問題に関し、証人喚問を要求される。公明党出身の[[新進党]]議員やその秘書らが、国会で [[労働争議#ピケット|ピケ]]を張り、座り込みをして抵抗する。創価学会の会則上では、池田は、組織における責任者ではないため、創価学会の代表者となっている[[秋谷栄之助]]創価学会会長が国会に出席することとなった。&lt;br /&gt;
*[[1997年]]&lt;br /&gt;
**12月1日 宗門の「宗規」の一部改正に伴い、創価学会員の日蓮正宗の檀信徒資格が喪失。&lt;br /&gt;
*[[1998年]]&lt;br /&gt;
**11月27日 東京・[[赤坂 (東京都)|元赤坂]]の[[迎賓館#赤坂迎賓館|迎賓館]]で中国の[[江沢民]]国家主席と約二十分間会談。「文化、宗教のわかる指導者です。主席は、実務上の経験も豊富であり、世界にとって、どれほど大切な存在か」と賛辞を贈る。&amp;lt;ref&amp;gt;『聖教新聞』（1998年11月28日付）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1999年]]&lt;br /&gt;
**6月4日　[[フィリピン]]の[[ジョセフ・エストラーダ]]大統領と会談。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]&lt;br /&gt;
**創価学会は会則を変更し、初代[[牧口常三郎|牧口]]会長、第二代戸田会長、第三代池田会長の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる。&lt;br /&gt;
*[[2003年]]&lt;br /&gt;
**3月22日 元[[ソビエト連邦|ソ連]]大統領の[[ミハイル・ゴルバチョフ]]と聖教新聞社で会談。&lt;br /&gt;
**4月末　6月にかけて、池田が重病で入院したという情報がマスコミを書け巡る。[[脳梗塞]]や[[心臓病]]だとの憶測が飛んだが、創価学会広報室は「風邪と疲労で体調を崩した」とのコメントを出す。&lt;br /&gt;
*[[2004年]]&lt;br /&gt;
**9月　アメリカの世界的経済誌『[[フォーブス (雑誌) |フォーブス (Forbes)]]』（2004年9月6日号）が「先生の世界」（「Sensei's World」）と題して、池田大作を５ページに渡って特集（執筆は[[ベンジャミン・フルフォード]]）。池田の権力志向や独裁性を初め、創価学会の問題点を批判。&lt;br /&gt;
*[[2006年]]&lt;br /&gt;
**9月22日 首相就任直前の[[安倍晋三]]の希望で、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、会談を持ったと主要新聞（『産経新聞』を除く）を初め各種[[マスメディア|メディア]]&amp;lt;ref&amp;gt;日経・毎日・朝日・読売の各紙の他、『[[週刊文春]]』は会談の詳細を報じた。&amp;lt;/ref&amp;gt;が伝えた。&amp;lt;ref&amp;gt;公明党の[[太田昭宏]]代表は同年10月11日の記者会見で、安倍首相と池田との会談について、「全く承知していない」と語った。（『[[朝日新聞]]』1996年10月12日付）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;安倍晋三は国会で池田との面会の事実を全面否定した。 [http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001c.html 第165回国会 参議院　予算委員会　1号] 　平成18年（2006年）10月11日、 [http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070213007.htm 第１66回国会　衆議院　予算委員書会　7号] 平成19年（2007年）2月13日（[http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&amp;amp;media_type=wn&amp;amp;lang=j&amp;amp;spkid=901&amp;amp;time=07:17:50.0 「インターネット審議中継」]での[[亀井静香]]の安倍晋三への質疑の動画）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**9月28日 [[小泉純一郎]]からの総理辞任挨拶の申し入れを受け、東京都内の聖教新聞本社で会談&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会広報室が発表。東京・中日新聞にも記事あり。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[2007年]]   &lt;br /&gt;
**4月12日 来日中の[[中国]]の[[温家宝]]首相と会談。日中友好を訴えた&amp;lt;ref&amp;gt;公明党幹部はこの来日は、日中間の政治問題となっている「首相の[[靖国神社問題|靖国神社参拝問題]]」に釘をさす狙いがあるとの見方を示した。&amp;lt;/ref&amp;gt;首相の国会演説を「不滅の名演説だった」と讃えた。&amp;lt;ref name=asahi20070413004757&amp;gt;[http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/politics/update/0412/TKY200704120252.html&amp;amp;date=20070413004757 温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談] asahi.com（2007年04月12日20時51分）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 略歴 ===&lt;br /&gt;
*[[1928年]]1月2日 東京都大田区に生まれる&lt;br /&gt;
*[[1947年]][[8月24日]]（19歳） 創価学会に入会、[[戸田城聖]]に師事&lt;br /&gt;
*[[1949年]]1月3日（21歳） 「日本正学館」（戸田城聖経営）に入社・後に戸田経営の金融業「大蔵商事」に籍を移す&lt;br /&gt;
*[[1952年]][[5月3日]]（24歳） 結婚  &lt;br /&gt;
*[[1960年]]5月3日（32歳） - 1979年4月24日（51歳） 創価学会第3代会長に就任&lt;br /&gt;
*[[1964年]]11月17日（36歳） 公明党発足&lt;br /&gt;
*[[1968年]]（40歳） 富士短期大学経済学科卒業。&lt;br /&gt;
*[[1968年]]4月8日（40歳） 創価学園創設&lt;br /&gt;
*[[1970年]]（42歳） 公明党と創価学会との分離を表明&lt;br /&gt;
*[[1971年]]4月2日（43歳） [[創価大学]]創設&lt;br /&gt;
*[[1975年]][[1月26日]]（47歳） SGI（創価学会インタナショナル）初代会長に就任&lt;br /&gt;
*[[1979年]][[4月24日]]（51歳） 創価学会会長職を退き、名誉会長となる&lt;br /&gt;
*[[1981年]] （53歳） 「桂冠詩人」の称号を受ける（世界詩人会議・世界芸術文化アカデミー）&amp;lt;ref&amp;gt;[[1995年]]8月にも“世界平和を目指す詩人の連帯”「世界詩歌協会」から「世界桂冠詩人」の称号を受けているが、どちらの称号も歴史的に知られる「[[桂冠詩人]]」とは別物であり、「世界詩人会議・世界芸術文化アカデミー」は世界的に知られる「[[世界詩人会議]]」 (World Congress of Poets) とは全くの別団体である。「世界詩人会議・世界芸術文化アカデミー」の発行している『ポエット』を初めとする詩集には、「[[パトロン]]　池田大作」と記されており、同団体の会長の代表スリニバスは称号を与えた理由の1つに、池田のパトロンとしてのサポートを挙げているため、同団体自体が主宰者個人の同人集団の域を出ていないと言う指摘もある。（『カルトとしての創価学会＝池田大作』[[古川利明]] [[第三書館]] 2000年11月）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1983年]]8月8日（55歳） [[国連平和賞]]受賞 &lt;br /&gt;
*[[1985年]]（57歳） [[創価女子短期大学]]創設&lt;br /&gt;
*[[2001年]]5月3日（73歳） [[アメリカ創価大学]]開学&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 関連団体の設立 ===&lt;br /&gt;
*政党：[[公明党]]&lt;br /&gt;
*教育機関：創価幼稚園（[[札幌]]、[[香港]]、[[シンガポール]]、[[マレーシア]]、[[ブラジル]]）、[[学校法人創価学園|創価学園]]（[[東京]]、[[大阪]]、ブラジル）、[[創価大学]]（東京、[[アメリカ]]）&lt;br /&gt;
*芸能・芸術関連：（財）[[民主音楽協会]]、（財）[[富士美術館]]（東京、[[静岡]]）&lt;br /&gt;
*学術関連：（財）東洋哲学研究所、戸田記念平和国際研究所&lt;br /&gt;
*財団：牧口記念教育基金会&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 執筆 ===&lt;br /&gt;
*随筆、[[小説]]、対談集などの他、仏法哲学の解説書、子ども向けの童話なども執筆している。&amp;lt;ref&amp;gt;[[原島嵩]]元創価学会教学部長、創価学会元顧問弁護士[[山崎正友]]初め、創価学会に反対する立場になった元幹部の多くは、創価学会内部に[[ゴーストライター]]的な役割を担う専門の部署があり、池田の著作のほとんどがそこで執筆されていると語っている&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=f20070401&amp;gt;[http://www.forum21.jp/2007/04/1005000.htm 特集／池田大作全集100巻・人間革命5000回礼讃の裏事情] 『フォーラム21』（2007年4月1日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[[内藤国夫]]『創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング―これでもあなたは信じますか』（日新報道　1989年6月）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&amp;lt;ref name=&amp;gt;[http://www.forum21.jp/contents/contents12-1.html 創価学会職員ＯＢ座談会 創価学会は「日本の北朝鮮」だ]　『フォーラム21』19号（2002年12月1日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=warau&amp;gt;[http://www.forum21.jp/contents/04-3-1.html 特集／「池田提言」と「秋谷インタビュー」を嗤う] 『フォーラム21』（2004年3月1日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[写真家]]・[[詩人]]としても活動している。&lt;br /&gt;
*[[人間革命]]：2代目会長戸田が書いていた創価学会を描いた小説を引継ぎ、『[[聖教新聞]]』紙上に、1965年から1993年まで連載した。続編の『[[新・人間革命]]』を1993年11月18日から現在まで同新聞に連載中。&lt;br /&gt;
*2007年3月7日にリリースされた[[アグネス・チャン]]の新曲「そこには　幸せが　もう生まれているから」の作詞を手がけた（山本伸一名義、作曲はアグネス・チャン）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===対談・講演===&lt;br /&gt;
*国家指導者を初め、教育者、文学者、科学者、芸術家、社会活動家などと会見を多数行っている。&amp;lt;ref&amp;gt;特に印象に残った人物として[[周恩来]]を挙げている。「名優のごとく、言葉がわかりやすく、しかも深い。鋭さと温かさがある。」と評している。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=ikisyonin/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*海外の大学・学術機関で講演を多数行なっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 顕彰 ===&lt;br /&gt;
*国家[[勲章]]、大学からの[[名誉学位]]、国連や学術機関からの表彰など、多くの顕彰を受けており、授賞のたびに、創価学会の機関紙『聖教新聞』の一面を華々しく飾る。創価学会や池田大作に否定的な人々は、それらの賞は[[寄付]]や経済援助などによる見返りであり、自らの権威づけをするものだと批判している。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.forum21.jp/contents/contents8-1.html  池田大作氏「称号・賞獲り」のカラクリ&amp;quot;勲章の権化&amp;quot;と化した池田センセイ]　『フォーラム21』11号（2002年8月1日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*2007年4月13日現在において、受賞した名誉[[称号]]は209ある。（名誉学術称号内訳：[[名誉博士]]106 [[名誉教授]]100 [[名誉学長]]3）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.totetu.org/a/a_02_3.html  創立者 池田大作SGI会長に授与された名誉博士号・名誉教授称号]　 財団法人「東洋哲学研究所」&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sokanet.jp/sg/sn/honor.html  「池田大作名誉会長の足跡　主な顕彰」]SOKAnet&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近年は外国の大学&amp;lt;ref&amp;gt;[[モスクワ大学]]、[[グラスゴー大学]]ほか、[[北京大学]]を始め、特に[[中華人民共和国]]所在の大学からが多い。&amp;lt;/ref&amp;gt;より「名誉博士号」を授与されることが多いが、日本の大学からは授与されていない。日本では[[静岡県]]の[[富士宮市]]の[[名誉市民]]となっている他、第２代会長、戸田城聖の故郷の[[北海道]]の[[厚田村]]（現「[[石狩市]]」）から「栄誉村民章」（1977年）を授与されている、&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.hokkaido-soka.jp/ikeda.html 北海道創価学会「池田大作第第会長と北海道」]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*創価学会系のメデｲアで平和活動としてアピールされる池田の活動は「[[ノーベル平和賞]]」をもらうための戦略だとの見方がなされることがあるが、かつて池田自身は「ノーベル平和賞」について、「そのような栄誉はほしくもありません。また下さるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもいいでしょう」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;1967年10月13日、[[オーストリア]]の政治学者、 [[リヒャルト・クーデンホーフ＝カレルギー]][[伯爵]]が対談の中で池田がいずれはノーベル平和貰をもらえるでしょうと語った際の言葉&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政見 ===&lt;br /&gt;
====公明党に関して====&lt;br /&gt;
*1976年11月16日に、「[[天下]]を取らない党ならやる必要はない、私が控えているから心配するな」など公明党議員と記念撮影において述べた。&amp;lt;ref name=k19951204/&amp;gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他の政見====&lt;br /&gt;
*安全保障&lt;br /&gt;
**[[1991年]]の[[湾岸戦争]]の直前には、5人の識者と共に、「戦争回避のための『緊急アピール』」を[[イラク]]の[[サッダーム・フセイン|フセイン]]大統領宛に送ったが、「[[イラク戦争]]」の開戦が迫っていた[[2003年]]1月26日の「SGIの日」を記念しての『聖教新聞』紙上の提言では、「[[軍事力]]を全否定するということは（中略）政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない」「武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。そうした毅然たる姿勢が[[テロリズム|テロ]]への抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはない」と武力行使を容認する見解を示した。&lt;br /&gt;
**日本は国連の[[常任理事国]]入りを望んでいるが、[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の機軸である[[集団的自衛権]]という考えと、それを禁じる日本の憲法との間には矛盾があるので、「 [[国際連合平和維持活動]](ＰＫＯ)に参加するために、自衛隊とは別個の組織を作るというのが正しい道であろうと思う」との見解を示した。（1991年・第16回｢ＳＧＩの日｣記念提言）&lt;br /&gt;
*選挙&lt;br /&gt;
**1999年 SGI（創価学会インタナショナル）の日（1月25日）付けの機関紙『聖教新聞』で[[首相公選制]]を提言。&lt;br /&gt;
**多様化した日本社会には、幅広い選択できるという理由で、中選挙区制が一番合っているとしている。&amp;lt;ref name=m20010925&amp;gt;『毎日新聞』（2001年9月25日付）でのインタビュー&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
**早くから「[[外国人参政権]]」を認めるべきだと主張してきており&amp;lt;ref&amp;gt;『[[諸君!]]』（文芸春秋社　平成12年10月号）[[櫻井よしこ]]　「野中幹事長さん、国を売る気ですか！」）&amp;lt;/ref&amp;gt;、創価学会を支持母体とする公明党も積極的に推進しているが、そもそもは、[[大韓民国|韓国]]の[[大統領]][[金大中]]と池田大作との間で、在日コリアンに地方参政権を与えることの見返りに、創価学会（韓国SGI）の韓国内での布教を認めるという密約があったとも言われる。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[静岡新聞]]』（2004年10月25日付）　論壇　[[屋山太郎]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;月刊『[[正論 (雑誌)|正論]]』（[[産経新聞社]]　2000年10月号）「バサリ　論壇」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*教育&lt;br /&gt;
**『朝日新聞』（2001年5月23日付）の「私の視点」という[[コラム]]で、「[[教育基本法]]」の見直しについて、「拙速は慎むべきである」、「『教育勅語』に盛られたような具体的な徳目は、基本法の性格になじまないと思う。法文化されれば、必然的に権威主義的な色彩を帯びてしまう」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 歴史観 ===&lt;br /&gt;
*[[豊臣秀吉]]の朝鮮出兵を、韓国から[[仏教]]を初め、様々な文化的恩恵を受けたことを踏みにじる侵略だとして強く非難している&amp;lt;ref&amp;gt;韓国SGI機関紙『[[和光新聞]]』（2005年4月22日 633号）　コラム「来光」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*日本が大恩を受けた韓国を裏切ったのは、心理的には“劣等感の反転”があるとしている&amp;lt;ref&amp;gt;『和光新聞』2005年5月20日 637号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[太平洋戦争]]中に、日本がアメリカにより[[原子爆弾|原爆]]投下を受けたことについて、[[日蓮正宗]]・[[創価学会]]を弾圧し、正法を誹謗した報いであると主張した&amp;lt;ref&amp;gt;池田大作『池田会長講演集　第3巻』聖教新聞社（1971年）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 池田本仏論 ===&lt;br /&gt;
池田が創価学会会長となった1960年以降、内部で池田会長を[[仏陀|仏]]であるかのような指導や主張があるとの指摘がなされ&amp;lt;ref&amp;gt;日達は1974年4月25日の法華講登山において、「最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。」 と会長本仏論を批判した&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.myokan-ko.net/menu/sr/212.htm 池田大作の慢心の正体を衝く（上）] [[妙観講]]　時局レポート&amp;lt;/ref&amp;gt;、内外から論議を呼んだ。&lt;br /&gt;
*1980年の『[[聖教新聞]]』において、池田は「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」と創価学会会長は指導者であって、仏ではないことを明言している&amp;lt;ref&amp;gt;『[[聖教新聞]]』昭和55年（1980年）4月2日付　「所感恩師のニ十三回忌に思う」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1983年10月31日、元創価学会幹部の[[山崎正友]]の裁判に証人として出廷した際に、「一部の同志が調子に乗って自分を美化したのでは」という旨を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===マスメディアとの関係===&lt;br /&gt;
*テレビなどのマスメディアに登場しない為、写真以外で見たことのある外部の人間は殆どいない。&lt;br /&gt;
*池田名誉会長について報道することは[[報道におけるタブー|タブー]]とされていると見られている。テレビ局によっては、国会で池田名誉会長のことが取り上げられても、取り扱わなかったり、名前を伏せることもある。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[みのもんたの朝ズバッ! ]]』は、池田との会談の事実を否定した国会（衆議院　予算委員書会）での安倍晋三の答弁の様子を流しながらも、池田の名前も、何を否定したかについてもわからないようにカットしていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=f20070401/&amp;gt; &lt;br /&gt;
*公明党が連立政権入りした1999年の前後から新聞を初めとする各種メディアに池田のインタビューや記事が掲載されるようになった。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊新潮]]』（2003年11月13日号）新「創価学会」を斬る　第2回そして誰も批判できなくなった「鶴のメディア支配」　[[山田直樹]]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』（2001年5月23日付）が池田大作の投稿を写真入りで大きく掲載。『読売新聞』（2001年7月4日付）が池田のインタビュー記事を掲載。『産経新聞』が、同年9月17日から20日まで、四回連続で池田の会見詳報を掲載。『毎日新聞』（2001年9月25日付）が全面を使って池田のインタビュー記事を掲載。&amp;lt;/ref&amp;gt;批判者らの間ではこれを、創価学会の豊富な資金を背景に、創価学会系列のメデイアの印刷を委託することにより、批判を封じ、礼賛記事を書かせるメディア戦略であると危惧されている。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊文春]]』（2002年9月19号）創価学会にアタマの上がらない新聞社はここだ！「聖教新聞」「公明新聞」印刷会社全リスト入手&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『[[SAPIO]]』（2005年3月9号）アメとムチで骨抜きに！ここまで来た創価学会の「メディア封殺」構造 （溝口敦）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『[[噂の真相]]』（2004年1月号）別冊『日本のタブー』自民党も大手メディアも裏で操る創価学会”鶴のタブー”のの恐怖支配&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.myokan-ko.net/menu/sr/211.htm 邪正を決判する眼を養おう！] 妙観講　時局レポート&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関係する人物や団体===&lt;br /&gt;
*[[安倍晋太郎]]：池田によれば、1985年、[[大石寺]]の[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成記念の祝典に[[岸信介]]の代理で安倍晋太郎が出席して以来、何度も面会したという。「きれいな心で学会のこと、世界のことなど私と話し合うことを楽しみにして下さったようである」と述べている。&amp;lt;ref&amp;gt;『聖教新聞』（2001１年3月付）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===評価===&lt;br /&gt;
*[[冬柴鐵三]]（公明党元幹事長の衆議院議員、[[国土交通大臣]]）：「人生で最も影響を受けた人物」として池田大作の名を挙げ、「あらゆる面で影響を受けた」と語っている。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.gov-online.go.jp/topics/honne/fuyushiba_02.html 大臣のほんね　冬柴鐵三国土交通大臣（後編）][[政府広報オンライン]]」&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[遠藤乙彦]]（元外交官、公明党所属の衆議院議員）：「人生に関するどんなことでも相談して、教えを受けられる先生」、「池田先生の思想・仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっと（世界の）問題が解決していくでしょう」&amp;lt;ref name=k19940221&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/129/0380/12902210380002c.html 第129回国会　衆議院　予算委員会　第2号]　平成6年([[1994年]])2月21日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===批判===&lt;br /&gt;
*[[田中角栄]]（元首相、自民党元幹事長）：池田を「[[法華経|法華]]の太鼓を敲く[[アドルフ・ヒトラー|ヒットラー]]」と評した。&lt;br /&gt;
*ポーリー・トインビー（アーノルド・J・トインビーの孫娘）：「池田氏のように、絶対的権力者の雰囲気をにじみ出させた人物と会ったことはありませんでした。」&amp;lt;ref&amp;gt;[[イギリス]]の新聞『[[ガーディアン]]』（1984年5月19日付）での手記。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[石原慎太郎]]：[[東京都知事選挙]]を直前に控えた1999年3月、池田大作に対する人物評価を尋ねたアンケートに「一言で表現すれば、『悪しき天才、巨大な俗物』。」と答えた。&amp;lt;ref name=&amp;gt;『[[週刊文春]]』（[[平成11年]]3月25日号）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世間からの攻撃や批判について、池田は「古今東西を問わず、歴史に残る人物は、みな迫害の連続です。そのなかで鍛え抜いて、精神的・肉体的に強靭な自分をつくっています。」、「（攻撃や批判は）ない方がいいに決まっているが、それをバネにして、どう自分を鍛えるかを考えたほうが利口だ」という旨を語っている。&amp;lt;ref name=ikisyonin/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
メディアにおいても批判があり、[[勝谷誠彦]]は、在阪テレビ局で池田を「法華ブタ」と揶揄している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== エピソード ===&lt;br /&gt;
*[[創価学会]]会長就任以前から「[[天下]]を取ろう」が口癖だったという。&amp;lt;ref name=forum21gouryu1/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;山崎正友『創価学会・公明党の犯罪白書』[[第三書館]] (2001年8月) &amp;lt;/ref&amp;gt; &lt;br /&gt;
*評論家・[[高瀬広居]]のインタビューにおいて、自らを「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」と語ったという。&amp;lt;ref&amp;gt;[[高瀬広居]] 『人間革命を目指す池田大作・その思想と生き方』[[有紀書房]] (1965年) &amp;lt;/ref&amp;gt;  &lt;br /&gt;
*1969年、『[[月刊宝石]]』紙上での「話せるなァ、会長は！」と題する[[青島幸男]]との対談において、「もし、それだけの理由と力があって、 しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認めます。」と述べた。池田の女性スキャンダルを書いた『月刊ペン』を告訴した裁判の中で、最高裁の裁判長はこの発言に言及し、「学会幹部の男女問題に疑惑を感じていた者らにとってはやはりそうであったかと思わせる素地につながっていることも否定し難いのである。」と述べた。（最高裁判所　第一法廷1981年4月16日）&lt;br /&gt;
*2005年6月、韓国の『[[東亜日報]]』（2005年6月18日付）が「[[小沢一郎]][[ 自由党 (日本) #自由党 (日本 1998-2003) |自由党]]幹事長（当時）の要請で、[[海部俊樹]]首相が韓国の[[盧泰愚]]大統領に池田大作との会見を依頼する[[親書]]を送った」と報じた。&lt;br /&gt;
*2007年4月12日　来日した中国の[[温家宝]]首相と会談。会談の冒頭５分間を報道陣に公開した。要人との会談を公にするのは極めて異例であるが、創価学会は「日中関係改善に向け役割を果たしていることを、国民に理解してもらいたかったため公開した」と説明した。池田がマスコミに姿を表したのは14年ぶりである。 『[[テレビ朝日]]』のニュース番組は、池田が温首相に「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の'''王者'''と会って'''ください'''。庶民は大事です」&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』のネット版も最初（2007年4月12日 10時42分）は「庶民の'''味方である私'''と会ってくださって」と記載されていたが、後に（2007年4月12日20時51分）」実際の発言とほぼ同じ「庶民の王者と会ってください。」の表現に修正された。&amp;lt;/ref&amp;gt;と話しかけた&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会広報室は池田の発言について、「『（庶民の王者と） &lt;br /&gt;
　会ってください』と温首相にお願いしたものです」と説明した。（[http://www.j-cast.com/2007/04/13006876.html 「創価学会池田会長発言『庶民の王者』の意味不明」]）[[J-CAST]]ニュース）。ちなみに『聖教新聞』の五面の〝体験のページ″には「庶民の王者」と題する[[コラム]]があり、模範とすべき信者の体験談が紹介されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;場面に「政治家でなくて庶民の'''味方である私'''と会ってくださって」との[[なぞりテロップ|テロップ]]を流した。このことで池田が自らを「庶民の王者」と称したものと解釈され、反発を買った。また実際の発言を確認した者は[[虚偽報道|捏造報道]]をしたとして『テレビ朝日』を批判するなど、物議を醸した。&amp;lt;ref name=asahi20070412/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族 ==&lt;br /&gt;
*父　子之吉（ねのきち）&lt;br /&gt;
*母　一（いち）&amp;lt;ref name=a/&amp;gt;&lt;br /&gt;
*兄　4人の兄がおり、長兄はビルマ（現：[[ミャンマー]]）で[[戦死]]。&amp;lt;ref name=seikyou20050619&amp;gt;『聖教新聞』（2005年6月19日付）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*妻　香峰子（かねこ）「インド創価池田女子大学」名誉校長。「創価世界女性会館」名誉館長。「創価女子会館」名誉館長。&lt;br /&gt;
*長男　[[池田博正|博正]]：創価学会副理事長。&lt;br /&gt;
*&amp;lt;div style=&amp;quot;font-size: 90%&amp;quot;&amp;gt;次男（著名活動をしていないので名前は伏せる）&amp;lt;!--  著名活動をしていないと思われるので、ウィキペディアの方針により、記載しないで下さい。--&amp;gt;：[[1984年]]10月 29歳で急逝。&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
*三男　[[池田尊弘|尊弘]]：　創価学会の総東京組織の副総東京長。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『[[人間革命]]』 聖教新聞社&lt;br /&gt;
* 『新・人間革命』 聖教新聞社&lt;br /&gt;
* 『私の履歴書』 日本経済新聞社&lt;br /&gt;
* 『若き日の日記』&lt;br /&gt;
* 『忘れ得ぬ同志』 聖教新聞社&lt;br /&gt;
* 『心に残る人びと』 角川書店&lt;br /&gt;
* 『法華経の智慧』 聖教新聞社&lt;br /&gt;
* 『アレクサンドロスの決断』 集英社&lt;br /&gt;
* 『青春対話』 聖教新聞社&lt;br /&gt;
* 『母の詩』 聖教新聞社（発行部数120万部のベストセラー）&lt;br /&gt;
ほか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共著 ===&lt;br /&gt;
* 『二十一世紀への対話』（共著：[[アーノルド・J・トインビー|A.J.トインビー]]）文藝春秋社&lt;br /&gt;
* 『人生問答（上・中・下）』（共著：[[松下幸之助]]）潮出版社&lt;br /&gt;
* 『社会と宗教』（共著：[[ブライアン・ウィルソン (社会学者)|B･ウィルソン]]）講談社&lt;br /&gt;
* 『人間主義の大世紀を―わが人生を飾れ』（共著：[[ジョン・ケネス・ガルブレイス|J.K.ガルブレイス]]）潮出版社&lt;br /&gt;
* 『太平洋の旭日』（共著：[[パトリシオ・エイルウィン|P.エイルウィン]]）河出書房新社 &lt;br /&gt;
* 『吉川英治　人と世界』（共著：[[土井健司]]、[[志村栄一]]）六興出版&lt;br /&gt;
* 『世界市民の対話』（共著：[[ノーマン・カズンズ|N.カズンズ]]）毎日新聞社&lt;br /&gt;
*『21世紀の精神の教訓（上・下）』（共著：[[ミハイル・ゴルバチョフ|M.S.ゴルバチョフ]]）主婦の友社&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[創価学会]]&lt;br /&gt;
*[[創価学会インタナショナル]]（SGI）&lt;br /&gt;
* [[公明党]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人創価大学]]&lt;br /&gt;
* [[学校法人創価学園]]&lt;br /&gt;
* [[民主音楽協会]]&lt;br /&gt;
* [[富士美術館]]&lt;br /&gt;
* [[人間革命]]&lt;br /&gt;
* [[戸田城聖]]&lt;br /&gt;
* [[池田博正]]&lt;br /&gt;
* [[池田尊弘]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/soka-info/information/ikeda_01.html 創価学会公式ページのプロフィール]&lt;br /&gt;
*[http://www.fujibi.jp/outline/meiyokaityou.html 富士美術館サイトにおけるプロフィール]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;font-size: 90%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いけたたいさく}}&lt;br /&gt;
[[Category:創価学会]]&lt;br /&gt;
[[Category:神|邪]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:カルト]]&lt;br /&gt;
[[Category:1928年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2023年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%A6%8F%E7%94%B0%E5%AD%9D%E8%A1%8C&amp;diff=407862</id>
		<title>福田孝行</title>
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				<updated>2024-06-14T02:54:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
{{ウィキペディア|光市母子殺害事件}}&lt;br /&gt;
'''福田 孝行'''（ふくだ たかゆき、[[1981年]][[3月15日]] - ）は、[[光市母子殺害事件]]を起こした、基地外レイプ殺人鬼である。[[聖光高等学校]]卒業。現在の氏名は、'''大月 孝行'''（おおつき たかゆき）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==容貌==&lt;br /&gt;
[[Image:福田孝行.jpg|400px|thumb|福田(大月) 孝行]]&lt;br /&gt;
*容貌は画像で知る事が出来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==言動==&lt;br /&gt;
*ある日犬がかわいい犬と出会ってやっちゃったこれって罪でしょうか???&lt;br /&gt;
*被害者さんでしょ、ありゃぁ調子づいとると思いますわぁ。&lt;br /&gt;
*無期懲役なら7年後にこっそり出て来れる。&lt;br /&gt;
*[[ドラえもんが何とかしてくれると思った]]。&lt;br /&gt;
*ちょうちょ結びをしてあげた。&lt;br /&gt;
*警察と検察の捏造。&lt;br /&gt;
*抱きついたら首が締まった。&lt;br /&gt;
*来世でAさんと夫婦になる。&lt;br /&gt;
*死体に精子を注入すれば生き返る。&lt;br /&gt;
*AさんとBちゃんは、Cさんが死刑推進運動をしてるのを見て、あの世で怒っている。&lt;br /&gt;
*ぼくをナメないでいただきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 獄中書簡 ==&lt;br /&gt;
　『誰が許し、誰が私を裁くのか・・・。そんな人物はこの世にはいないのだ。神に成り代わりし、法廷の守護者達・・・裁判官、サツ、弁護士、検事達・・・。私を裁ける物は、この世にはおらず・・・。二人は帰ってこないのだから・・・。法廷に出てきてほしいものだ・・・何が神だろう・・・サタン！ミカエル！ベリアル！ガブリエル！ただの馬鹿の集まりよ！』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『選ばれし人間は人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ドストエフスキー『罪と罰』からの引用&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『勝ったと言うべきか負けたと言うべきか？何か心に残るこのモヤ付き・・・。イヤね、つい相手のことを考えてしまってね・・・昔から傷をつけては逃げ勝っている・・・。まあ兎に角だ。二週間後に検事のほうが控訴しなければ終わるよ。長かったな・・・友と別れ、また出会い、またわかれ・・・（中略）心はブルー、外見はハッピー、しかも今はロン毛もハゲチャビン！マジよ！』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
（死刑判決を免れ無期懲役判決が下ったとき）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ？知ってます。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。・・・でも記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし』&amp;lt;br&amp;gt;（本村氏に対して）&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿（ジャンキー）は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君』 &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて「死」が近くても「信じる」心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。へへ』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『五年＋仮で８年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（面会に来た友人に対して、カミュの『異邦人』の主人公・ムルソーの事を）＜BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
『もろ俺ジャン！』とうれしげに語った。&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
（註：カミュの小説「異邦人」の主人公・ムルソーは殺人犯ですが、殺人の動機について尋問され、「太陽がまぶしかったからです」と不思議な答えをします。小説の中で死刑になります）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 弁護士一覧 ==&lt;br /&gt;
*[[安田好弘]]　第二東京 港合同法律事務所&lt;br /&gt;
*[[足立修一]]　広島 足立修一法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[村上満宏]]　愛知県 名古屋法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[新谷桂]]　第二東京 リベルテ法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[今枝仁]]　広島 まこと法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[新川登茂宣]]　広島 新川法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[山崎吉男]]　福岡県 大濠総合法律事務所天神オフィス&lt;br /&gt;
*[[大河内秀明]]　横浜 横浜シルク法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[小林修]]　愛知県 小林修法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[河井匡秀]]　東京 河井匡秀法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[本田兆司]]　広島 桂・本田法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[松井武]]　第二東京 港合同法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[山田延廣]]　広島 &lt;br /&gt;
*[[井上明彦]]　広島 広島法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[北潟谷仁]]　札幌 北潟谷法律事務所（[[北潟谷綜]]の父親） &lt;br /&gt;
*[[湯山孝弘]]　第一東京 湯山法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[舟木友比古]]　仙台 舟木法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[岩井信]]　第二東京 優理総合法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[中道武美]]　大阪 中道法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[岡田基志]]　福岡県 岡田基志法律事務所 &lt;br /&gt;
*[[田上剛]]　広島 たのうえ法律事務所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/yamaguchishikan.htm 山口屍姦] クソガキどもを糾弾するホームページ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふくた たかゆき}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:DQN]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:性犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:殺人鬼]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:朝鮮人]]&lt;br /&gt;
[[Category:ガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:在日コリアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:創価学会]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;br /&gt;
[[Category:氏ね]]&lt;br /&gt;
[[Category:偽善者]]&lt;br /&gt;
[[Category:狂人]]&lt;br /&gt;
[[Category:発達障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:アスペルガー障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:精神障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:躁病の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:偏執狂の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人格障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:解離性統一障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:統合失調症の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:虚言癖を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:精神障害者福祉手帳を持つ人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:自己顕示欲の強い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:幸福の科学]]&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教]]&lt;br /&gt;
[[Category:顕正会]]&lt;br /&gt;
[[Category:霊友会]]&lt;br /&gt;
[[Category:辻井伸行の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヒール]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヒール渇望症患者]]&lt;br /&gt;
[[Category:心に愛が無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:偏執狂の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:義家弘介の再教育を受けるべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:長田百合子に根性を叩き直してもらうべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:戸塚宏に扱いてもらうべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:上野のパンダの代わりに死ぬべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゴキブリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会のゴミ]]&lt;br /&gt;
[[Category:白痴]]&lt;br /&gt;
[[Category:売国奴]]&lt;br /&gt;
[[Category:非国民]]&lt;br /&gt;
[[Category:国賊]]&lt;br /&gt;
[[Category:クズ]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:バカチョン]]&lt;br /&gt;
[[Category:工作員]]&lt;br /&gt;
[[Category:腐れ外道]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
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[[Category:知恵遅れ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キモヲタ]]&lt;br /&gt;
[[Category:偽善者]]&lt;br /&gt;
[[Category:産業廃棄物]]&lt;br /&gt;
[[Category:左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:知的障害の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:我儘な人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:傲慢な人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:嫌われ者]]&lt;br /&gt;
[[Category:懲りない人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:反省ができない人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人の反感を買う人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:人から恨まれる人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会不適応者]]&lt;br /&gt;
[[Category:烙印マニア]]&lt;br /&gt;
[[Category:某・霊能者に呪殺されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>光市母子殺害事件</title>
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				<updated>2024-06-14T02:53:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:福田孝行.jpg|400px|thumb|福田(大月) 孝行]]&lt;br /&gt;
'''光市母子殺害事件'''（ひかりしぼしさつがいじけん）は、[[1999年]][[4月14日]]に[[山口県]][[光市]]で発生した[[凶悪犯罪]]。当時18歳の[[福田孝行]](後に大月孝行に改名)により主婦（当時23歳）が[[殺害]]後[[屍姦|暴行]]され、その娘（生後11カ月）の乳児も殺害された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
[[Image:本村一家1.jpg|400px|thumb|本村一家]]&lt;br /&gt;
以下、検察側主張、及びこれまでの判決が認定してきた内容に基づく[[事件]]の概要である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]][[4月14日]]の午後2時半頃、当時18歳の福田孝行が[[山口県]][[光市]]の社宅アパートに[[強姦]]目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した福田は、女性を引き倒し馬乗りになって[[強姦]]しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で[[強姦]]の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して[[窒息]]死させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後福田は女性を[[屍姦]]し、傍らで泣きやまない娘を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて[[窒息]]死させた。そして女性の[[遺体]]を押入れに、娘の[[遺体]]を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福田は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4月18日に[[逮捕]]された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弁護側主張 ===&lt;br /&gt;
[[Image:本村一家2.jpg|400px|thumb|本村一家]]&lt;br /&gt;
[[上告|上告審]]の段階になって主任弁護人となった[[安田好弘]]は、接見内容をもとに被告に母子を殺害する故意が無かったことを主張した。しかし、[[最高裁判所]]判決では「被告は罪の深刻さと向き合って内省を深めていると認めるのは困難」として採用されなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広島高裁での差し戻し審では、「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」として死刑の回避を求める方針を明らかにしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下は、弁護団の主張の一部である。&lt;br /&gt;
* 強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた&lt;br /&gt;
* （乳児を殺そうとしたのではなく）泣き止ますために首に蝶々結びしただけ&lt;br /&gt;
* （検察は）被告を極悪非道の殺人者に仕立て上げ、死刑にしようとしている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 福田孝行の手紙 ==&lt;br /&gt;
* 「無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す」 &lt;br /&gt;
* 「犬がかわいい犬と出合った…そのまま『やっちゃった』…罪でしょうか」 &lt;br /&gt;
* 『もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君』 &lt;br /&gt;
* 『オレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも』 &lt;br /&gt;
* （妻子を殺され陵辱され、死刑求める夫に対して）『ま、しゃーないですね今更。ありゃー(テレビに出て極刑訴える夫は)調子付いてると僕もね、思うとりました。』 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ？知ってま。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。…でも記事にして、ちーとでも、 気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ヤクザはツラで逃げ、 馬鹿（ジャンキー）は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて「死」が近くても「信じる」心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。へへ。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「男は女を求める、女は男を求める。コレ自然の摂理。犬がある日かわいい犬と出合った。…そのまま「やっちゃった」…これは罪でしょうか。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「無期はほぼキマリでして、7年そこそこで地表にひょっこり芽を出す。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「選ばれし人間は、人類のため、社会のため悪さができる。裁判官、サツ（警察）、弁護士、検事。私を裁けるものはこの世におらず。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「5年＋仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害者側の動き ==&lt;br /&gt;
被害女性の夫であり、被害女児の父である'''[[本村洋]]'''（もとむら・ひろし、1976年3月19日 - ）は犯罪被害者遺族として、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、同様に妻を殺害された元[[日本弁護士連合会]]副会長[[岡村勲]]らと共に犯罪被害者の会（現、[[全国犯罪被害者の会]]）を設立し、幹事に就任した。さらに[[犯罪被害者等基本法]]の成立に尽力した。本村は[[広島大学]][[工学部]]入学直後に被害者女性と知り合い（当時共に18歳）、[[遠距離恋愛]]の末、結婚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、裁判の経過中、[[死刑]]判決を望む旨、強く表明し続けてきた。たとえば2001年12月26日に行われた意見陳述の際に被告人に対し『君が犯した罪は万死に値します。いかなる裁判が下されようとも、このことはだけは忘れないで欲しい』と述べている。また一審判決後には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」と発言していたが、二審判決に際しては「裁判官も、私たち遺族の気持ちを判った上で判決を出された。判決には不満だが裁判官には不満はない」と発言している。犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて活動しながら、2008年4月22日の広島高裁における差し戻し控訴審の判決公判を迎える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判の経過 ==&lt;br /&gt;
[[Image:本村一家3.jpg|600px|thumb|福田孝行の弁護側主張]]&lt;br /&gt;
[[Image:本村一家4.jpg|400px|thumb|本村一家]]&lt;br /&gt;
=== 超簡単な裁判の流れ ===&lt;br /&gt;
1審　無期懲役 &lt;br /&gt;
　↓&lt;br /&gt;
2審　無期懲役 &lt;br /&gt;
　↓&lt;br /&gt;
最高裁　死刑&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 福田孝行とその弁護団の主張まとめ ===&lt;br /&gt;
精神的に幼い(12歳程度の)福田が、粘着テープとカッター持って、水道屋の作業服のコスプレの格好で設備点検を装いつつピンポンダッシュして遊んでたところ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前から目をつけていた奥さんの家にたまたま入り込んで、死んだ母ちゃんに似ている感じがしたから母親の体内に回帰したいという、赤子のような心情が高まって何やっても受け入れてくれるよねー、と思って押し倒して抱きしめたら、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜか激しく抵抗するものだから首を強く抱きしめたところ動かなくなって、じゃあ胸はだけたら恥ずかしがって起きるかなと思ってブラはずして、それでも起きないからいつ読んだかも買ったかも覚えていない小説に、精子を注入すれば生き返ると書いてあったからマムコにチンコ突っ込んだんだけど、&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
途中赤ん坊が泣いて俺を嘲っているような感じだったので、あやそうと抱き上げたら2回ほど床に落っことして、それでも泣き止まないから首にちょうちょ結びしたら泣き止んで、それから精子注入の生き返りの儀式をして一発抜いたらすっきりして生き返ったかどうか興味なくして、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
部屋の中を見渡すと赤ん坊が死んでいたので、押入れに入れればドラえもんが何とかしてくれるだろうと押入れに押し込んで、ようやくパニックになったから粘着テープと彼女の財布を間違えて持って帰ってしまって財布に入ってた地域振興券で遊んでいただけ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あと僕をなめないでいただきたい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 安田弁護士（死刑廃止派）らの意見…弁護団は21人構成 === &lt;br /&gt;
* 「[[遺体]]を[[強姦]]したのは、生き返らせるための魔術的儀式」 &lt;br /&gt;
* 「強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」 &lt;br /&gt;
* 「（夕夏ちゃんを殺そうとしたのではなく）泣き止ますために首に蝶々結びしただけ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 福田孝行の回答 === &lt;br /&gt;
*　「赤ちゃんの[[遺体]]を押し入れの天袋に隠したのは、ドラえもんが何とかしてくれると思った」 &lt;br /&gt;
*　「赤ちゃんをあやそうと抱いたら、手が滑って頭から落ちた」 &lt;br /&gt;
*　「死んだあとで服を脱がしたのは、女性だったら恥ずかしくて反応するかと思って」 &lt;br /&gt;
*　「[[精子]]を女性の体内に入れたら、生き返ると本で読んだ」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 裁判 ===&lt;br /&gt;
* [[1999年]][[6月]]、[[山口家庭裁判所]]が、福田孝行を[[山口地方検察庁]]の検察官に送致することを決定、山口地検は福田を山口地裁に起訴した。&lt;br /&gt;
* 1999年[[12月]]、山口地検は、死刑を求刑した。&lt;br /&gt;
* [[2000年]][[3月22日]]、[[山口地方裁判所]]は、[[死刑]]の[[求刑]]に対し、[[無期懲役]]の[[判決]]を下した。&lt;br /&gt;
* [[2002年]][[3月14日]]、[[広島高等裁判所]]は、検察の控訴を棄却した。&lt;br /&gt;
*: 山口地裁および広島高裁の判決は、いずれも、犯行時福田が18歳と1ヶ月で発育途上にあったことや、殺害については計画性がないこと、不十分ながらも反省の情が芽生えていることなどに着目して判決を下した。ただし、広島高裁は更生の可能性について、「更生の可能性が無い訳ではない」と曖昧な判断をしていた。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[6月20日]]、[[最高裁判所]]は、検察の上告に対し広島高裁の判決を破棄し、審理を差し戻した。最高裁は判決の中で、一審及び二審において酌量すべき事情として述べられた、殺害についての計画性のなさや被告人の反省の情などにつき、消極的な判断をしている。&lt;br /&gt;
*: 上告を受けて、最高裁は[[公判]]を開いた。また、公判の当初の予定日に主任弁護人の[[安田好弘]]弁護士・足立修一弁護士が欠席して弁論が翌月に遅延したことについて、最高裁からも不誠実な対応であると非難された。&lt;br /&gt;
* 差し戻し審の第1回公判は、2007年5月24日に開かれた。&lt;br /&gt;
*: 検察側は「高裁の無期懲役判決における『殺害の計画性が認め難い』という点は著しく不当」とした上で、事件の悪質性などから死刑適用を主張。弁護側は「殺意はなく傷害致死にとどまるべき」として死刑回避を主張した。&lt;br /&gt;
* 第2回以降の公判は6月26日から3日連続で開かれた。&lt;br /&gt;
*: 1審の山口地裁以来7年7か月ぶりに行われた被告人質問において被告は殺意、乱暴目的を否定した。&lt;br /&gt;
*: [[7月24日]]から3日連続の公判が行われた。弁護側が申請した精神鑑定人は被告の犯行当時の精神が未成熟だったと証言した。&lt;br /&gt;
*: [[9月18日]]から3日連続の公判が行われた。被告は1、2審から一転して殺意を否定したことについて「（捜査段階から）認めていたわけではなく、主張が受け入れてもらえなかっただけ」とした。20日の公判では遺族の意見陳述が行われ、改めて極刑を求めた。&lt;br /&gt;
*: [[10月18日]]に検察側の最終弁論が行われ、改めて死刑を求刑した。&lt;br /&gt;
*: [[12月4日]]に弁護側の最終弁論が行われ、殺意や乱暴目的はなかったとして傷害致死罪の適用を求めた。この日の公判で結審した。&lt;br /&gt;
* [[2008年]][[4月22日]]、[[判決]]公判が行われ、弁護側主張を全面的に退け死刑回避理由にはあたらないとして[[死刑]][[判決]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、未成年者が死刑確定した例としては戦後では[[小松川事件]]、[[少年ライフル魔事件]]、[[永山則夫連続射殺事件]]がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
永山基準の枠組みでは当該事件について誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑が出来るという基準によっていたが、本判決は「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、本件のような場合は原則・死刑適用、例外・死刑回避という判断の枠組みを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 福田孝行から大月孝行へ ==&lt;br /&gt;
[[Image:大月純子1.jpg|300px|thumb|大月　純子]]&lt;br /&gt;
[[人権屋]]の[[プロ市民]]、[[大月純子]]が福田を養子にし、改姓させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 社会への影響 ==&lt;br /&gt;
=== TVで懲戒請求呼びかけ ===&lt;br /&gt;
弁護士・[[橋下徹]]が光市母子殺害事件弁護団に対し2007年5月27日放送の『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に[[弁護士会]]に対して[[懲戒請求]]をかけてもらいたいんですよ」と懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた。これによりTVを見た視聴者らから約7558通の懲戒請求書（2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍を上回る）が弁護士会に殺到することになった（しかしながら、橋下自身は「時間と労力を費やすのを避けた」「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので……」等の理由で懲戒請求はしていない）。これに反発した光市母子殺害事件弁護団のうち、足立修一・今枝仁ら4人は2007年9月に橋下に損害賠償を求めて広島地裁に提訴し、現在は争点整理手続が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この懲戒請求呼びかけについて[[江川紹子]]からは「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もある。実際、懲戒請求をした側が敗訴し、50万円の慰謝料を支払うよう求める判決が出ているケースもある。橋下は、そういう負担やリスクを説明せず、ただ「誰でも簡単に」できると、気楽なノリでしゃべっている」と批判されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
懲戒請求の具体的内容については、web上で専用のテンプレートが作成・公開され、それに基づく懲戒請求が多かった旨弁護団は主張しており、その内容は弁護団の法廷戦術を根拠に「弁護士にふさわしいとは思えない」といったものであった。&lt;br /&gt;
しかし、これらの懲戒請求は弁護団を懲戒するだけの事由及び信憑性が無かった為各弁護士会で次々としりぞけられており、現在のところ懲戒処分された弁護士は1人もいない。これに対し橋下は2007年12月9日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「7000通も（懲戒）請求が出てるのに何にも意味が無いんだ」と懲戒請求制度及び弁護士会の態度に不満を洩らしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 最高裁判決前の福田孝行の会見 ==&lt;br /&gt;
1999年に、山口・光市で母子を殺害した罪に問われ、死刑を言い渡されている当時18歳の元少年について、20日に最高裁の判決が下される。判決を前に、福田は現在の心境などを語った。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広島拘置所の接見室で、記者の質問に対し、「僕自身、殺意がなかった。強姦ではないという主張をしています」と話したのは、1999年の光市母子殺害事件で、殺人などの罪に問われている、犯行当時18歳の福田。現在は、30歳になっている。福田は、面談で「死姦というのは、一般的に言われるようなこととは一線を画している。変質者　というか、そのような人のみが行う行為を思っていたので、自分は言えませんでした。吉田鑑定書、その中の遺体所見では、『姦淫』とは書いてあるが、『強姦』とは書かれていない。捜査機関が作ったもので、証拠があると言われて認めてしまったけど、事実としては強姦はしていない」と話した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福田は、会社員・本村 洋さんの自宅で、妻・弥生さんの首を絞め、殺害したあとに乱暴した。当時生後11カ月だった長女・夕夏ちゃんも、首をひもで絞めて殺害した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]]3月、本村 洋さんは「きちんと、犯した罪に対して相当する罰を与えるような判決を下してくれることを信じています」と話していた。1・2審ともに無期懲役の判決だったが、[[2006年]]、最高裁がそれを破棄した。[[2008年]]の差し戻し審では、死刑が言い渡され、福田は上告した。その判決が、20日に下される。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福田は「僕がどうこう言えるわけではないですが、裁判官の判断で決めるわけですが、厳正な対処を望みます。傷害致死であって、死刑が適用ないなら回避してほしい。素直な思いとしては、怖いと思います」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記者の目を見て、落ち着いた丁寧な言葉づかいで答えた福田。2008年の差し戻し審では、これまで犯行事実を認め、謝罪していたにもかかわらず、それを翻し、判決文では、死刑を免れることを企図して、旧供述を翻したうえ、虚偽の弁解を弄していると批判された。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本村 洋さんは「彼も、どこかでこの判決を覚悟していたんじゃないかなというほど、落ち着いた顔だったというふうには、印象を受けました」と話していた。死刑判決後、傍聴席の本村さんに対し、頭を下げたことについて、元少年は「ずっと心残りだった。1審、2審含めて、本村さんの方に深く礼をなすことができなかった。僕自身、どこかこだわりがあった。頭を下げたところで、命が戻ってくるわけではないという、変な逡巡があった」と話した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件から13年。3日後に迫った判決の日を、どのように過ごすのかという問いには「落ち着いて受けるしかない。どのような内容であれ、僕自身の不備なので、それを相手のせいにしないで、自分のことを棚に上げて、相手をどうこう言うことは控えたい」と答えた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※事件概要 &lt;br /&gt;
* アパートで主婦、本村弥生さん（当時23歳）を[[強姦|暴行]]目的で襲って[[殺害]]。[[遺体]]を[[屍姦|陵辱]]後、母の[[遺体]]に泣きながらはって寄ってくる夕夏ちゃん（同11カ月）を持ち上げて床に叩きつけ　それでもなお母の所へ来ようとするところを絞殺。財布を盗んだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山口地裁は（1）犯行時は18歳と30日で発育途上（2）法廷で涙を浮かべた様子から更生可能性あり（3）生育環境に同情すべき点あり、などから無期懲役を言い渡した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 死刑確定(2012年2月20日) ==&lt;br /&gt;
山口県光市で[[1999年]]に母子2人が殺害された事件で、殺人や強姦致死などの罪に問われ、差し戻し後の控訴審で死刑となった元会社員大月孝行被告（30）（犯行時18歳1か月　旧姓:福田）について、最高裁第1小法廷（金築誠志裁判長）は[[2012年]][[2月20日]]、被告の上告を棄却する判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福田孝行に死刑が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決によると、大月被告は[[1999年]]4月、排水検査の作業員を装って近所の会社員本村洋さん方を訪れ、妻弥生さん（当時23歳）を乱暴目的で襲って、抵抗されたことから両手で首を絞めて殺害した。泣きやまなかった長女の夕夏ちゃん（同11か月）も、ひもで首を絞めて殺し、弥生さんを屍姦した後、財布を盗んで逃走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最高裁によると、記録が残る[[1966年]]以降、犯行時少年で死刑が確定したのは12人。60～70年代は被害者が1人のケースもあったが、連続射殺事件の[[永山則夫]]・元死刑囚（犯行時19歳）の判決確定（[[1990年]]）以降は、いずれも被害者数が4人だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弁護団「判断誤った」、最高検「判決は妥当」光市事件最高裁判決 ===&lt;br /&gt;
山口県光市母子殺害事件の弁護団は2月20日、死刑を選択した最高裁判決を「判断を誤っており、極めて不当だ」とする声明を発表した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
声明は「'''強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされた'''のに、裁判所は無視した。被告は虐待で成長が阻害されており実質的には18歳未満で、死刑は憲法や少年法に反する」と批判。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官全員一致の判決でなかった点にも「強く非難されなければならない」とした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、最高検の岩橋義明公判部長は「少年時の犯行とはいえ、社会に大きな衝撃を与えた凶悪事件で、死刑が是認された判決は妥当と考える」とするコメントを出した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弁護団のコメントに対するネット上の反応 ===&lt;br /&gt;
* 明らかになったのは反省してない本心がこもった手紙だ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 「[[強姦]]目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされた」 &lt;br /&gt;
:ああ確かにそうだな &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* その手紙こそ本人が自覚を持って事件を起こした客観的証拠なのに腐った弁護士どもはいい加減に被害者を冒涜するのはやめろ！ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* こりゃ死刑当然 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 「強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされたのに」　されてねぇから無視されたんだろうに、妄想で騙せるのは自分だけだぞ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* まぁ、殺意もレイプ目的でもないのに、他人の家にあがりこみ、二人を殺して死姦する奴なんて、死刑にしてもらわないと怖くて仕方ないです &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 弁護士のキチガイ言動が死刑判決に影響したようなもんだなｗｗ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 当初の供述通り殺意を認めて真摯に反省しているふりをしていたら死刑判決は出なかったかも弁護団はとにかく小細工しすぎた &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 今日、知り合いの弁護士にこの話を振ったらありゃしょうがないよ、死刑にならなきゃだめでしょｗとか言ってた &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 甘えようとしたら、うっかり殺しちゃった＝だから殺意ないよｗww死んじゃったから生き返らせようとチンポ入れて中出しした＝強姦目的じゃないよｗ &amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
ってことなんだろう。連中の中では &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 弁護団の頭の中だけだよ、明らかにされたってのは。そういうのを通常、勘違いって言うんだよ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*　裁判官はどう判定したの？ &lt;br /&gt;
:簡単に言うと「支離滅裂な言い訳」と判断。当然殺意も強姦目的も認定されました。最大の敗因は弁護団だろう。ｗ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 最大の敗因はあの手紙だろ。つまりは自業自得。次点がこの弁護団の差し戻し以降の戦略ミス。手紙のせいで「反省してます」が使えなくなったからってあれはないわ… &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* あの手紙のあとに無期懲役の判決を出してるんだぜ。日本の裁判官の無能っぷりをなめんじゃねえ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 手紙で差し戻しになったが、それがすべてじゃないな。あのまま反省が進んでいることを見せたら、無期の可能性もあった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ドラえもん戦術も通用しなかったなw醜悪で無能な連中だわ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 少年は反省しかかってたのに「ドラえもん」とか変な入れ知恵するから死刑になったんだ。弁護団はアホか？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 福田が全く反省してないから最高裁が高裁に差し戻し再審理させたんだぞ。ドラえもん言い出したのはそこから。永山基準適用されそうになくなったからだよ。福田が反省してたとかあり得ないから。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1人だけ反対した宮川光治裁判官 ===&lt;br /&gt;
最高裁判所の裁判官4人中、3人の多数意見による結論となった。[[宮川光治]]裁判官(弁護士出身）は死刑事件では極めて異例の反対意見を述べ、「犯行時の精神的成熟度のレベルはどうだったか審理を尽くし、再度、量刑判断を行う必要がある」と主張。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれ、死刑回避の事情に該当し得る」として審理差し戻しを求めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金築裁判官は「少年法が死刑適用の可否について定めているのは18歳未満か以上かという形式的基準で、精神的成熟度の要件は求めていない」と説明。あらためて判決の正当性を主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 「戒告は裁量権の逸脱に当たらない」国旗国歌不起立訴訟　処分の妥当性、宮川だけが反対 ====&lt;br /&gt;
卒業式などで国旗掲揚、国歌斉唱の際に起立しなかったことを理由に東京都教育委員会から戒告、停職の懲戒処分を受けた教職員らが都に処分の取り消しと損害賠償を求めた訴訟2件で、最高裁第１小法廷（金築誠志裁判長）は[[2012年]][[1月16日]]、「戒告処分までは基本的に懲戒権者の裁量の範囲」との初判断を示した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その上で、教員2人に対する戒告処分の取り消しを認めた東京高裁判決を破棄。別の同高裁判決で停職処分が容認された教員2人については1人の停職を取り消し、もう1人については過去の処分歴などから取り消しを認めなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
校長が起立を命じた職務命令については最高裁が昨年5月以降、合憲との結論を示しており、今回は戒告、停職とした処分に裁量権の逸脱、乱用があったかどうかが争点となった。同小法廷は、戒告処分について「処分自体が教職員の法的地位に不利益を及ぼすものではない」と指摘し、「過去の処分歴の有無にかかわらず、処分は相当」と結論付けた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することは、事案の性質などを踏まえた慎重な考慮が必要」と指摘。停職処分を受けた原告のうち1人は、不起立行為以外で過去に懲戒処分を3回を受けていることなどから「一連の非違行為の内容や頻度をかんがみると、停職処分は相当」とし、取り消し請求を認めなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判官5人のうち4人の多数意見による結論。'''宮川光治'''裁判官（弁護士出身）は反対意見で「戒告処分でさえも、裁量権の範囲の逸脱に当たる」と述べた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 死刑判決後の本村洋さんの会見 ==&lt;br /&gt;
－－判決前の心境は&lt;br /&gt;
:「非常に精神的に落ち着かない状況だった。努めて特別なことをせず、いつも通りの日常を直前まで続けた。たくさんの取材依頼があったが、お応えできずに迷惑をかけた。明日は判決内容をしっかり墓前で伝えたいと思う」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－弁護団への思いは&lt;br /&gt;
:「殺意の否認は非常に残念だが、逆風の中で熱心に弁護されたことは立派なことだと思う。被告にとっても、最後まで自分の命を助けようと足を運ぶ弁護士と接することで感謝の気持ちが芽生え、反省の一歩になる。弁護のテクニックなどでいかがかと思うことはあったが、弁護士の役割を果たされたと思う」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－被告に言いたいことは&lt;br /&gt;
:「彼のしたことは許されない。きっちりと罪を償わないといけない。判決をしっかり受け止め、罪を見つめ、反省した状態で刑を堂々と受け入れ、全うしてもらいたい。これが私の伝えたいことです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－この裁判が13年間注目されたのは、本村さんが素直な思いを話してきたことを世論が重く受け止めたからだと思うが、今後、社会に向けてどのような活動したいか&lt;br /&gt;
:「私が色々な方と手を携えてやった活動が正しかったか、正しくなかったかは私が言うことではなく、歴史が判断することだと思うが、何もしなければ始まらない。小さな一歩でも始めれば、社会が変ると実感できた。司法制度を変えることができたのは良かったと思う。今後は、市井の会社員なのできちんと仕事をして、納税をして、一市民として社会の役に立てるようにしたい。特に社会に出て、活動することは考えていない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－判決後、家族とどのようなやり取りをしたのか&lt;br /&gt;
:「判決が述べられた後、（死亡した妻の弥生さんの）お母さんに『長い間お疲れさまでした』と声をかけ、お母さんから『ありがとうございました』と言われた。自分の父親からは『よくがんばった』と背中をたたかれた。また裁判が始まる前、（弥生さんの）お父さんから手紙をもらった。普段あまりしゃべらない方だが、『今まで何も言わなかったけど、よくがんばってきたね』という直筆の手紙をいただき、それがすごくうれしかった。いつも会見の場に私しかでないが、後ろから親族、家族に支えられていたということを改めて痛感した」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－未執行の死刑囚が増えている。執行の現状についてはどのように思われているか&lt;br /&gt;
:「わたしごときが言っていいのか分からないが、法律を読めば死刑確定から半年以内に執行することが法務大臣の責務。法務大臣の思想信条で死刑執行しないことが決まるのは法律違反をしていることになり、おかしなことだと思う。日本は死刑がある。その国の法務大臣は死刑執行の書類にサインすることが最大の役目だと思う。それを放棄したり、責任から逃げる人は法務大臣には適していないと思っている。確かに冤罪（えんざい）の可能性がある事件や、再審請求されている事件は慎重に考えるべきだが、法務大臣の思想信条によって死刑執行が円滑に進まないという事態は避けなければいけないと思う」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－13年間、どうして公の場で強くいられることができたのか&lt;br /&gt;
:「私はそんなに強い人間ではない。本当に強い人は、自分の弱さを明るみに出せる。私は弱い人間だから、堅苦しく話してしまう。決して強い人間ではないし、聖人君子ではない。話しながらも悩み、どきどきしながら発言している」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－奥様の結婚指輪をネックレスにしたという話をしていたが、そのネックレスは？&lt;br /&gt;
:「今もしている。棺おけに入るまでしていこうと思っている」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－亡くなった2人に言葉をかけるとしたら、どんな言葉をかけるか&lt;br /&gt;
:「私と家庭を持ってもらい、私の子として生まれてきてくれたことに感謝している。守ってあげられなかったことの自責の念が強いが、こうして社会の皆さんに関心をよせていただき、刑事司法制度に影響を与えることができたことなどを、数少ない罪滅ぼしの一つとして報告したい。そしてやはり、妻と娘のように、無残にも人生をたたれてしまうような犯罪の被害者が生まれなくなることを切に願う。一番いいことは犯罪がなくなることで、そのことを社会には知っていただくことができたと思っている」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だと思う。社会から人が減るし、多くの人が悩むし、血税を使って裁判が行われる。結局得られるものはマイナスのものが多い。そういった中から、マイナスのものを社会から排除することが大事で、結果として、妻と娘の命が今後の役に立てればと思う。そのためにできることをやってきたということを（亡くなった２人に）伝えたい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
－－今はどのような生活を送られているのか&lt;br /&gt;
:「私自身、2009（平成21）年にある女性と籍を入れて、細々と家庭を持っている。それには色々な理由があるが、私自身、1人で生きていくことがとてもつらくなり、精神的にまいっていた。そしてとてもすばらしい方と出会えたこともあった。いろいろ悩んだし、相手も考えたと思うが、私を支えてくれるということで、今、細々とだが、2人で生活している。その彼女は命日には一緒にお墓に行って、手を合わせてくれている。その人のおかげで、こういった場に立てる。感謝している」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 死刑判決に対する[[北海道新聞]]の[[社説]] ==&lt;br /&gt;
犯行時の被告の精神的な未熟さや複雑な家庭環境など事件解明のカギを握る点について必ずしも十分な審理が行われたとは言い難い。立ち直りの可能性や少年への死刑の是非など、少年犯罪を裁く上でさまざまな課題を残したといえる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛する家族を突然奪われた遺族の憤りは当然だろう。極刑を求める感情も理解はできる。だが、メディアやネットで量刑の不満や被告が殺意否認に転じたことへの批判が噴出、弁護団への中傷、懲戒請求など異常な事態が続いた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いかに凶悪な犯罪だろうと被告には公正な裁判を受ける権利がある。その権利や弁護活動が脅かされるのなら法治国家は成り立たない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最高裁は被告の犯行を「甚だ悪質で酌量の余地は全くない」と断定した。被告が殺意否認に転じたことも「不合理な弁解であり、真摯な反省の情をうかがうことはできない」とし、18歳になったばかりだったとしても極刑は免れないとした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更生に主眼を置く少年法は、犯行時18歳未満への死刑を禁じている。一、二審が無期懲役としたのは、法の趣旨や判例に照らし合わせたからだろう。それと比べ、最高裁判決の厳しさに驚かされる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一部世論の高まりが判決に影響を及ぼしたことは否定できまい。更生の可能性を探るよりも、遺族感情への配慮と、年齢より犯行の悪質性を重く見る視点が、今後の裁判に影響を与えることが危惧される。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4人の裁判官の中で宮川光治裁判官は「年齢に比べて被告の精神的成熟度は低く、死刑回避の事情に該当し得る」と指摘。審理を差し戻し精神鑑定の再評価を求めた。裁判官は少年の更生についても言及している。傾聴すべき指摘ではないか。厳罰化が犯罪の抑止につながるかどうかについても、専門家の間では意見が分かれている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
海外では死刑の廃止国が存置国数を上回り、廃止の流れが強まっている。日本では世論調査ではまだまだ存続の声が多いが、未成年への適用はもとより、死刑をめぐる国民的論議も高めていくべきだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/352158.html 北海道新聞平成24年2月21日]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大月 「死刑回避信じて取材協力したのに…実名本の販売中止を」(2012年5月) ==&lt;br /&gt;
光市母子殺害事件で死刑が確定した当時少年の大月孝行（旧姓福田）死刑囚(31)を実名で表記した本をめぐり、大月死刑囚らが著者や出版社に出版差し止めと損害賠償を求めた訴訟の判決で、広島地裁は[[2012年]][[5月23日]]、差し止め請求を退けた。損害賠償については著者らに計66万円の支払いを命じた。大月死刑囚側は控訴する方針。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
植屋伸一裁判長（森崎英二裁判長代読）は「死刑が確定しており、原告が重大な損失を受ける恐れはない」とした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大月死刑囚の弁護団は「死刑が確定しないよう努力する約束があったので取材に応じたのに、本の内容は死刑確定を前提としたもので期待と信頼を裏切られた」と主張していた。本は[[2009年]]に出版された「福田君を殺して何になる」（[[インシデンツ]]刊）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==  「2人の命を失わせたが、生きて償いたい」大月死刑囚が再審請求へ(2012年5月) ==&lt;br /&gt;
少年時の山口県光市母子殺害事件で殺人や強姦致死罪などに問われ、3月に死刑が確定した大月孝行死刑囚(31)の弁護団は[[2012年]][[5月26日]]、確定した[[広島高裁]]の差し戻し審判決に重大な誤りがあるとして秋にも同高裁に再審請求することを明らかにした。東京都内で開いた報告集会で表明した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主任弁護人の[[安田好弘]]弁護士は「8月に弁護団の会議を開いた上で、10月ごろには再審請求する方向だ」と述べた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行当時18歳1カ月だった大月死刑囚は、1審山口地裁、2審広島高裁で無期懲役とされたが、最高裁は「年齢は死刑回避の決定的事情とまではいえない」と破棄した。差し戻し審判決で高裁は死刑を言い渡し、最高裁も上告を棄却した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護団は、新たに実施した法医学や被告の精神に関する鑑定結果のほか、差し戻し上告審で採用されなかった証拠を再審開始の要件となる新証拠として提出するという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[本田兆司]]弁護団長は大月死刑囚自身の「2人の命を失わせたが、今回の事件が何だったのかを明らかにした上で、生きて償いたい」との意向を紹介。差し戻し上告審判決で述べられた反対意見についても「理解してくれる裁判官がいた」と語っているという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護団は差し戻し前の上告審から殺意や犯行態様を争い、傷害致死罪の適用を求めたが、差し戻し上告審判決は「不合理な弁解で、反省がうかがえない。少年だったことを考慮しても刑事責任はあまりに重い」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 安田弁護士「殺意は無かった。強姦も判断能力が無かったので無罪だ」(2012年10月) ==&lt;br /&gt;
山口県光市の母子殺害事件で、殺人罪や強姦致死罪などで3月に死刑が確定した大月(旧姓・福田)孝行死刑囚(31)の弁護団は[[10月29日]]、広島高裁に再審請求した。弁護団は、再審開始に必要な新証拠として、心理学者らによる精神鑑定書などを提出した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広島市内で記者会見した主任弁護人の[[安田好弘]]弁護士は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「犯行当時、死刑囚には殺意はなく、傷害致死罪が成立する。強姦についても物事が十分判断できない状態であり、無罪だ」と主張した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確定判決によると、大月死刑囚は、18歳だった1999年4月、光市の本村洋さん(36)方に侵入し、妻の弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、首を絞めて殺害して死姦し、長女夕夏(ゆうか)ちゃん(同11か月)も絞殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[屍姦]]&lt;br /&gt;
* [[死刑]]&lt;br /&gt;
* [[死刑廃止論]]&lt;br /&gt;
* [[少年法]]&lt;br /&gt;
* [[少年犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[応報刑論]]&lt;br /&gt;
* [[目的刑論]]&lt;br /&gt;
* [[教育刑論]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連書籍 ==&lt;br /&gt;
* インパクト出版会（編）『光市裁判 年報・死刑廃止2006』特集・光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか [[インパクト出版会]]、2006年10月 ISBN 4755401690&lt;br /&gt;
* 本村洋、[[本村弥生]]共著『天国からのラブレター』新潮社、2000年4月 ISBN 4104365017&lt;br /&gt;
*: 同名の映画がある。&lt;br /&gt;
* 光市裁判を考える有志の会（編）『橋下弁護士VS光市裁判被告弁護団』一般市民が見た光市母子殺害事件 STUDIO CELLO 2007年10月 ISBN 9784863210134&lt;br /&gt;
* 現代人文社編集部（編）『光市事件裁判を考える』現代人文社、2008年1月、ISBN 4877983589&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.navs.jp/index.html 全国犯罪被害者の会]&lt;br /&gt;
* [http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&amp;amp;hanreiSrchKbn=02&amp;amp;hanreiNo=33235&amp;amp;hanreiKbn=01 最高裁判所第三小法廷 平成18年06月20日 (平成14(あ)730)]&lt;br /&gt;
* [http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&amp;amp;hanreiSrchKbn=01&amp;amp;hanreiNo=3862&amp;amp;hanreiKbn=03 広島高等裁判所 平成14年03月14日(平成12(う)66)]&lt;br /&gt;
* [http://www.ritsumei.ac.jp/ritsnet/tobira/column01.html 法学のトビラ 第1回 年長少年に対する死刑の是非 安達光治]&lt;br /&gt;
* [http://www.geocities.jp/waramoon2000/boader.html 死刑になる犯罪（第3版）]&lt;br /&gt;
* [http://www.jca.apc.org/hikarisijiken_houdou/ 「光市事件」報道を検証する会]&lt;br /&gt;
（以下は弁護団の光市事件懲戒請求扇動問題広報ページ）&lt;br /&gt;
* [http://wiki.livedoor.jp/keiben/d/%b8%f7%bb%d4%bb%f6%b7%ef%ba%b9%cc%e1%c1%b0%b9%b5%c1%ca%bf%b3%c8%bd%b7%e8%c1%b4%ca%b8 光市事件差戻前控訴審判決全文]&lt;br /&gt;
* [http://wiki.livedoor.jp/keiben/d/%b8%f7%bb%d4%bb%f6%b7%ef%a4%ce%b7%d0%b2%e1 光市事件の経過]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ひかりしほしさつかいしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪|ひかりしほし]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の絞殺事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の死姦事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の少年犯罪|ひかりしほし]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件|ひかりしほし]]&lt;br /&gt;
[[Category:1999年の日本の事件|ひかりしほし]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚|ひかりしほし]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E8%B5%A4%E7%9F%B3%E5%BC%A5&amp;diff=406658</id>
		<title>赤石弥</title>
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				<updated>2024-02-01T03:06:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:赤石弥1.jpg|300px|thumb|殺人犯・赤石 弥]]&lt;br /&gt;
'''赤石 弥'''（あかいし わたる、[[1966年]] - [[2015年]][[8月20日]]）とは、[[熊本県]][[人吉市]]の[[県立球磨工業高校]]3年の荒川真侑子さん(当時17歳)を[[強姦]]目的で殺害した、[[静岡県]][[浜松市]]の47歳無職である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 熊本県人吉市殺人事件の経緯 ==&lt;br /&gt;
[[Image:荒川真侑子.jpg|300px|thumb|殺害された[[県立球磨工業高校]]3年の荒川 真侑子さん(当時17歳)]]&lt;br /&gt;
[[熊本県警]]は[[2014年]][[6月7日]]、同県[[人吉市]]内の山中で変死体が発見されたと発表した。性別や年齢などは不詳。遺体はうつぶせの状態で倒れており、遺体は体が隠れる程度の大きさのビニールシートで覆われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]に住む[[県立球磨工業高校]]3年・荒川真侑子さん(17)が、[[2014年]][[5月4日]]から行方不明になっている。[[熊本県警]]は、別の事件で逮捕された[[静岡県]]の赤石 弥の供述に基づき7日夕方、[[人吉市]]の山中で身元不明の遺体が発見されたと発表した。警察は、行方不明になっている女子高校生の可能性が高いとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]下原田町493の[[コンビニエンスストア]]「[[セブンイレブン]]・人吉下原田町店」([[国道219号]]沿い)の倉庫裏側にて、[[女子高生]]の[[自転車]]が発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子生徒殺害をほのめかした無職・赤石 弥（47）＝別の女性に対する[[強制わいせつ]]で逮捕＝が、[[インターネット]]を通じて荒川さんと知り合ったことが8日、県警への取材で分かった。警察は司法解剖の結果、遺体は、10〜20代の女性で、死因と身元については、わからなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
30歳離れた2人は、荒川さんが行方不明になった[[5月4日]]の朝、電話でやりとりをし、行動を共にしていたことが新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]の山中で見つかった遺体について、県警人吉署捜査本部は10日、5月から行方不明になっていた県立球磨工業高校3年の荒川真侑子さん（17）＝同市下原田町＝と確認した。一部白骨化していた事から、死因は不明だったが、[[DNA鑑定]]などで、行方不明の女子高校生・荒川 真侑子さん(17)と確認された。前日の[[5月3日]]、サッカー部の顧問に「あすは法事で休む」と伝えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊本県人吉市の山中で見つかった遺体が県立高校3年荒川真侑子さん（17）と確認された10日午後、地元には改めて悲しみが広がった。高校は「いちるの望みを持っていたが、事実を受け入れなければならない。ご冥福を心からお祈りします」などとするコメントを出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤石は荒川さんとインターネットのコミュニティーサイトで知り合って進路相談などに応じ、遅くとも3月ごろにはメールや電話などでやりとりしていたとみられる。調べに対して「人吉市には荒川さんに会うために来て、[[5月4日]]に[[レンタカー]]に乗せて高塚山に行った。荒川さんと口論となり、カッとなって殺した」などと供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弱みつけ込み肉体要求 女子高生を待ち受ける ===&lt;br /&gt;
[[Image:赤石弥2.jpg|300px|thumb|殺人犯・赤石 弥の自宅]]&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]で、女子高生の荒川真侑子さん(17)の遺体が発見された事件。荒川さんを殺害したと供述した赤石弥(47)が、[[2014年]]1月に別の少女と「自殺サイト」を通じて出会っていたことが明らかになった。赤石は1月下旬に[[愛知県]]内で[[沖縄県]]の18歳未満の少女にみだらな行為をしたとして、青少年保護育成条例違反で逮捕されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「赤石は荒川さんともネットを通じて知り合い、少女とは[[自殺サイト]]を介してエロ行為に及んでいる。少女の自殺願望を利用したとみられています」(捜査事情通)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 熊本・高3遺体。レンタカー途中返却。不明当日に ===&lt;br /&gt;
熊本県人吉市の山中から同市の県立高校3年、荒川真侑子(まゆこ)さん(17)の遺体が見つかった事件で、殺害したという趣旨の供述をした浜松市浜北区、無職、赤石弥(わたる)(47)＝別の強制わいせつで逮捕＝が予定を1日早め、荒川さんが不明となった[[5月4日]]に[[レンタカー]]を返していたことが捜査関係者などへの取材で分かった。県警人吉署捜査本部は、同日午前に殺害し急いで市内を出た可能性があるとみて調べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤石は2～4日に市内のホテルに滞在。2日昼ごろ市内のレンタカー会社で5日までの予定で乗用車を借り、4日午前中に返却してJR[[人吉駅]]に向かった。4日には荒川さんと[[携帯電話]]で通話していた。捜査本部は赤石が荒川さんとレンタカーで市内を移動していたとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、県警が遺体発見現場付近から荒川さんの携帯電話を見つけていたことも、捜査関係者への取材で分かった。赤石は荒川さんとインターネットで知り合って携帯電話でやり取りをしており、県警は通信内容などの解析を進める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
荒川さんの遺体が見つかった同市の高塚山の山中で遺留品を捜索したところ、荒川さんの携帯電話などの所持品が見つかった。携帯電話は4日から電源が切れた状態だった。県警はメールの通信内容やネットへの接続状況などを調べ、赤石とのやり取りを裏付ける方針。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 熊本・高3事件：赤石、シートを事前購入 ===&lt;br /&gt;
[[Image:赤石弥3.jpg|400px|thumb|赤石 弥の新聞記事]]&lt;br /&gt;
荒川さんを殺害したという趣旨の供述をした浜松市浜北区、無職、赤石弥＝別の女性への強制わいせつで逮捕＝が、遺体を覆っていたビニールシートを事前に購入していた。県警人吉署捜査本部は、購入の目的などを調べる方針。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビニールシートは荒川さんが行方不明になった[[5月4日]]より前に赤石が購入していた。赤石は2～4日に人吉市のホテルに滞在し、2日に借りたレンタカーを予定より1日早い4日午前中に返却して、JR[[人吉駅]]に向かっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遺体は同市の高塚山の山中で見つかり、ビニールシートで覆われていた。赤石は「荒川さんを殺害して現場に放置した」という趣旨の供述をしており、捜査本部は4日午前中に荒川さんを殺害し、発覚を恐れて所持していたビニールシートで遺体を隠し、急いで市外へ逃げたとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 荒川真侑子さんと関わりがあった人の声 ==&lt;br /&gt;
近所の主婦（60）は「大事に育てていたお父さんのことを思うと、かわいそうでならない」と絶句。「違う人であってくれればと思っていた。今でも信じられない」と声を詰まらせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
荒川さんとよくあいさつを交わしたという別の女性（58）は「本当にかわいそう。こんな事件がもう起きないようにとしか言えない」と声を落とし、「今はインターネットがあるから、田舎も都会も変わらない。本当にひどい事件だ」と憤った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 殺人犯・赤石 弥 ==&lt;br /&gt;
赤石 弥は高校を中退後に一人暮らしを始め[[調理師]]をやったり自動車部品の工場などで働くなどしていたが、数年前に体調を崩してからは働いていなかった。家族が赤石 弥について語ったところによると、非常に疲れやすく、ちょっとした軽作業でも 5 分、10 分ごとに休憩を取らないと仕事にならない程だった。20 代の頃に結婚を考えている女性がいると家族に紹介したが破談となったという。破談となった理由はわかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここ数年は[[生活保護]]費を受給していた。その金で愛知や熊本まで出かけて事件を起こした疑い。赤石は47歳で関係者の話によればここ何年かは仕事はしておらず無職だった。赤石については「心身の具合が悪かった」と話す人もいて仕事ができないとして居住している行政から支給される生活保護費を受給していたことが新たにわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近所の人が一部マスコミのインタビューに対し、「 不良じみたような人ではないです。真面目な方で、とても素直な方 」と語っており、また、近所の清掃活動にも積極的に参加していたという証言もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月上旬頃に「電話のかかる音が気になる」や「精神的につらい。気分転換に旅に出る」というメールを家族に送っている事が分かった。また、4月下旬には「5月の4、5日には戻る」というメールを送っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月16日に逮捕された容疑の様に、淫行や強制わいせつなどで逮捕されている事から、性犯罪の常習者である可能性は極めて高いと思われる。1 月から自宅へ殆ど帰宅していなかったという報道もあり、他にも淫行やわいせつ事件などの余罪がある可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1 月にネットで知り合いみだらな行為に及んだ少女とは「 自殺サイト 」知り合ったとされる。連絡を取るうちに愛知県で会う事になり、少女を車に乗せて浜松市へ移動したが少女が通報し保護されたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 熊本・高3遺体容疑者宅を捜索。別の女性事件で ===&lt;br /&gt;
浜松市浜北区西美薗、無職、赤石弥の自宅を別の女性への強制わいせつで家宅捜索した。捜査本部は赤石が荒川さんを殺害して遺体を遺棄したとみており、容疑が固まり次第、殺人と死体遺棄容疑で再逮捕する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査員6人が同日午前9時50分ごろから赤石容疑者宅に入って捜索を始め、午後0時10分ごろに終えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤石の逮捕容疑は[[5月3日]]午後6時ごろ、人吉市内のホテルでマッサージの50代女性にわいせつな行為をしたとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 別の少女連れ込み未遂も。浜松の自宅寄り付かず ===&lt;br /&gt;
赤石 弥は、[[浜松市]]浜北区の一軒家で1人暮らしだった。[[2014年]]1月下旬に別の[[女子高生]]を自宅に連れ込もうとしてから[[5月16日]]に逮捕されるまで、自宅に寄り付いていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤石は1月下旬、[[インターネット]]で知り合った[[沖縄県]]内の[[女子高生]]と[[愛知県]]内のホテルで会った後、[[浜松市]]の自宅に連れ込もうとした際にけんかとなり、[[女子高生]]が警察に通報した。[[女子高生]]から事情を聴いた[[静岡県警]]が、[[愛知県]]青少年保護育成条例違反事件として捜査を始めると行方をくらまし、約3カ月後に捜査員が自宅近くの[[ファミリーレストラン]]にいるところを見つけ、逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
JR[[浜松駅]]から北約12キロの住宅地にある自宅は、築約30年の木造平屋建て。大家の女性は「二十数年前から1人で住んでいた。家賃は4万円ぐらい。親が払っているのか、滞納することもなかった」と話す。最近は働いている様子はなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大家の女性によると、物音を立てることもなく、周囲とのトラブルもなかった。地域で行う草刈りや側溝の掃除にも参加していた。近くに住む80代の女性は「会うとあいさつをしてくれたし、愛想がいい。いい人だと思っていた」、70代の女性も「真面目な感じの人。こんなことになるとは信じられない」と驚きを隠さなかった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 女子高生殺害、初公判。48歳男、ロープで首絞める(2015年6月) ===&lt;br /&gt;
[[熊本県]][[人吉市]]で[[2014年]]、県立高校3年の女子生徒＝当時17歳＝を殺害したとして、殺人などの罪に問われた住所不定、無職、赤石 弥被告(48)の[[裁判員裁判]]が[[2015年]][[6月4日]]、[[熊本地裁]]([[溝国禎久]][[裁判長]])で開かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被告は起訴内容を大筋で認める方針で、量刑が争点となる見通し。起訴状によると、[[2014年]][[5月4日]]午後0時15分ごろ、[[人吉市]]の高塚山山中で、女子生徒の首を背後からロープで絞めて窒息死させたとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者によると、赤石被告は以前、[[静岡県]]に住んでいた。趣味や関心を共有する人たちが[[インターネット]]上で質問や意見などを書き込んで交流する「コミュニティーサイト」で女子生徒と知り合い、連絡を取っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判は8日に結審し、12日に判決言い渡しの予定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 女子高校生殺害事件、被告が拘置所で自殺(2015年8月) ==&lt;br /&gt;
2014年5月、[[熊本県]][[人吉市]]の山林で高校3年の女子生徒を殺害した罪などに問われている49歳の被告が、[[熊本市]]内の[[拘置所]]で自殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[熊本刑務所]]によると、[[8月18日]]の夜、[[熊本市]]中央区にある[[熊本刑務所]]の京町拘置支所で、男の被告が勾留されていた独居房で首に下着を巻きつけて扉にもたれかかっているのを巡回していた職員が見つけ、病院に搬送されたが、20日、死亡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死亡したのは、赤石 弥被告(49)。2015年6月の1審の判決で懲役18年を言い渡され、[[福岡高等裁判所]]に控訴していた。遺書などは見つかっていないが、警察は現場の状況から自殺したとみて調べている。[[熊本刑務所]]の明石雅美所長は「被告や受刑者の行動、心情の把握を徹底し、再発防止に努めたい」とコメントしている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あかいし わたる}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:人吉市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年5月]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:浜松市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1966年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2015年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF&amp;diff=406657</id>
		<title>パナソニック</title>
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				<updated>2024-02-01T02:59:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
{{基礎情報 会社&lt;br /&gt;
|社名= パナソニック株式会社&lt;br /&gt;
|英文社名= Panasonic Corporation&lt;br /&gt;
|ロゴ= [[画像:Panasonic logo (Blue).svg|250px|ロゴ]]&lt;br /&gt;
|種類= [[株式会社]]&lt;br /&gt;
|市場情報= {{上場情報|東証1部|6752}}{{上場情報|大証1部|6752}}{{上場情報|名証1部|6752}}{{上場情報|NYSE|PC|}}&lt;br /&gt;
|略称= PC、Pana、パナ&lt;br /&gt;
|国籍= {{JPN}}&lt;br /&gt;
|郵便番号= 571-8501&lt;br /&gt;
|本社所在地= [[大阪府]][[門真市]]大字門真1006番地&lt;br /&gt;
|電話番号= &lt;br /&gt;
|設立= {{jdate|2008|10|1}}&lt;br /&gt;
|業種= 3650&lt;br /&gt;
|統一金融機関コード= &lt;br /&gt;
|SWIFTコード= &lt;br /&gt;
|事業内容= AVCネットワーク38%&amp;lt;br /&amp;gt;アプライアンス12%&amp;lt;br /&amp;gt;デバイス13%&amp;lt;br /&amp;gt;パナソニック電工・パナホーム17%&amp;lt;br /&amp;gt;日本ビクター7%&amp;lt;br /&amp;gt;その他13%&lt;br /&gt;
|代表者= 代表取締役社長 [[大坪文雄]]&amp;lt;br /&amp;gt;代表取締役副社長 [[野村淳二]]&lt;br /&gt;
|資本金= 2,587億4000万円&lt;br /&gt;
|売上高= 連結：7兆7655億円&amp;lt;br /&amp;gt;単体：4兆2492億円&amp;lt;br /&amp;gt;（2009年3月期）&amp;lt;ref&amp;gt;http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn090515-4/jn090515-4-4.pdf&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|営業利益= 連結：729億円&amp;lt;br /&amp;gt;単体：－577億円&amp;lt;br /&amp;gt;（2009年3月期）&amp;lt;ref&amp;gt;http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn090515-4/jn090515-4-4.pdf&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|純利益= 連結：－3790億円&amp;lt;br /&amp;gt;単体：－563億円&amp;lt;br /&amp;gt;（2009年3月期）&amp;lt;ref&amp;gt;http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn090515-4/jn090515-4-4.pdf&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|総資産= &lt;br /&gt;
|従業員数= 連結：310,581名&amp;lt;br /&amp;gt;単体：44,814名&amp;lt;br /&amp;gt;（2008年6月30日現在）&lt;br /&gt;
|決算期= &lt;br /&gt;
|主要株主= &lt;br /&gt;
|主要子会社= [[パナソニック電工]]ほか多数&amp;lt;br /&amp;gt;{{See|パナソニックグループ}}&lt;br /&gt;
|関係する人物= [[松下幸之助]]（創業者）&lt;br /&gt;
|外部リンク= [http://panasonic.co.jp/ panasonic.co.jp]&lt;br /&gt;
|特記事項= {{jdate|1935|12|15}}前身の[[松下電器産業]]が創業する。&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''パナソニック株式会社'''（[[英語|英称]]: '''Panasonic Corporation'''）とは、[[日本]]の[[電機メーカー|総合家電メーカー]]である。[[事業持株会社]]として[[パナソニック電工]]、[[パナホーム]]などを傘下に持つ。本社は[[大阪府]][[門真市]]。創業者は[[松下幸之助]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長らく'''松下電器産業株式会社'''（まつしたでんきさんぎょう 英称: '''Matsushita Electric Industrial Co.Ltd'''）という社名を用いていたが、[[2008年]][[10月1日]]よりブランドイメージの統一などを目的として主なブランド名の1つであった'''パナソニック'''を社名に採用し、会社名を変更した。詳細は[[#社名変更|社名変更]]を参照。&lt;br /&gt;
グローバルブランドスローガンは「'''Panasonic ideas for life'''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
同根兄弟会社の[[パナソニック電工]]を連結対象に収めた現在、関連会社も含め、家電製品の他にも産業機器、通信機器など電気機器を中心に多角的な事業を展開している。その経営スタイルや社風から同業の[[東芝]]や[[ソニー]]との比較をされることが多く、特にソニーが好調の際にはソニー型経営を褒め称える書籍が増え、逆の状況では松下型経営を褒め称える書籍が[[書店]]に並ぶなど、良きにつけ悪しきにつけ世間では両社をライバルだとみなす傾向が強い。これは[[ビデオテープレコーダ|VTR機]]での[[ベータマックス|ベータ]]・[[VHS]]競争の印象が強いためだと思われる（ただし、ソニー主導とされる[[次世代DVD]]、[[Blu-ray]]をパナソニックが支持する等、必ずしも対立関係とは限らない）。確かにオーディオ・ビジュアル製品では、現在でも両者は直接の最大のライバルのひとつである。しかし、パナソニックの販売製品全体の中でソニーと競合する製品は多くなく（特にソニーは[[白物家電]]を販売していない）、これは[[映画]]事業や[[コンピュータゲーム|ゲーム事業]]・[[金融機関|金融事業]]へと展開するソニー側から見ても同じことが言える（パナソニックも映画事業やゲーム事業に一時参入したが早期に撤退、金融事業も松下時代に撤退している）。現在の戦略は様々な規格で日系他社と争いつつも、一方で分野によっては（[[液晶]]パネルなど）[[東芝]]や日立、[[ミネベア]]などと提携・合弁・事業移管を行っている。また[[wiki:知的財産|知財]]活動も盛んで、[[アメリカ合衆国|米国]]出願件数では[[IBM]]に続き、毎年、[[キヤノン]]と出願件数を争っており、技術力の高さも窺える。現在では[[薄型テレビ]]、[[デジタルカメラ]]、[[DVDレコーダー]]の新・[[三種の神器 (電化製品)|三種の神器]]に力を入れて製造・販売している。かつては他社が取り入れた評判のよい技術をすぐに自社製品化して対抗商品を開発するため「マネした電器」とも揶揄されていたが、現在は独自技術を前面に打ち出した事業展開を行っている&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、シャープの「[[ヘルシオ]]」に対しての「ビストロ」、[[富士通ゼネラル]]の「[[nocria]]」に対しての「エアロボ」、三洋電機の「[[エネループ]]」に対しての「充電式EVOLTA」など最近の商品でも同業他社のヒット商品のコンセプトと似せ、後追いした商品はまだ多い。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==パナソニックの評価==&lt;br /&gt;
*日本[[東洋経済新報社]]が発表する速報！就職人気企業ランキング100!――2010年卒業生が選んだ「就職したい会社」にて総合33位。&lt;br /&gt;
*米国[[フォーチュン誌]]が発表する2008年[[フォーチュン・グローバル500]]では売上高ランキングで世界72位。&lt;br /&gt;
*英国[[フィナンシャル・タイムズ]]紙が発表する世界の企業の時価総額をランキングする2008年[[フィナンシャル・タイムズ・グローバル500]]では世界145位。&lt;br /&gt;
*米国[[ビジネスウィーク]]誌が発表する世界の企業のブランド価値をランキングした2008年[[ビジネスウィーク・トップブランド・ベスト100]]では世界78位。&lt;br /&gt;
*米国[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]誌が発表する売上高、利益、資産、時価総額の4つの要素を基にランキングしている2008年[[フォーブス・グローバル2000]]では世界150位。&lt;br /&gt;
*加国[[コーポレートナイツ]]誌が発表する世界の主要企業約1800社の中から環境的、社会的、企業運営的に優れている会社を評価2009年世界で最も持続可能性のある企業100社に選ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==年表==&lt;br /&gt;
*1917年6月 - [[松下幸之助]]が[[大阪府]]東成郡（今の[[大阪市]][[東成区]]）[[猪飼野]]の借家で電球用ソケットの製造販売を始める。当時は松下幸之助の妻“むめの”と妻の弟である[[井植歳男]]（後の[[三洋電機]]の創業者）の3人で営業していた。&lt;br /&gt;
*1918年[[3月7日]] - 大阪市[[北区 (大阪市)|北区]]西野田大開町（今の大阪市[[福島区]]大開2丁目）に移転。松下電気器具製作所を創立する。&lt;br /&gt;
*1921年 - 最初の商品「国民ソケット」を発売。&lt;br /&gt;
*1927年 - 自転車用角型ランプを販売。この商品から「ナショナル (National)」の[[商標]]を使用しはじめる。&lt;br /&gt;
*1931年 - [[ラジオ]]の生産を開始。&lt;br /&gt;
*1932年 - ラジオの重要部の[[特許]]を買収し、同業メーカーに無償で公開。戦前のエレクトロニクス業界の発展に寄与。&lt;br /&gt;
*1933年 - [[大阪府]][[北河内郡]]門真町（現・[[門真市]]）に大規模工場を建設して移転。[[事業部制]]を導入。&lt;br /&gt;
*1935年 - 松下電器産業に改組、''松下電器（現・[[パナソニック電工]]）''などを分社化。「国民ソケット」発売。&lt;br /&gt;
*1937年 - 「ナショナル」のロゴ書体「[[ナショ文字]]」制定（[[1987年]]に使用中止）。&lt;br /&gt;
*1941年 - [[軍需産業]]に参入。木造[[船]]や木造[[飛行機]]を生産する。&lt;br /&gt;
*1946年 - [[第二次世界大戦]]後、[[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) により[[財閥解体|制限会社]]の指定を受けた。しかし、軍需産業とみなされたことと大資本のため統廃合の制限がされた松下電工（当時 松下航空工業）以外の分社を再統合（合併）して事業部制に戻し、[[洗濯機]]などの製造を開始した。&lt;br /&gt;
*1947年 - [[財閥解体|制限会社]]の指定を受けたことに伴い、専務取締役の井植歳男が公職追放。同氏が、[[兵庫県]][[加西郡]][[北条町 (兵庫県)|北条町]]（現・[[加西市]]）の松下航空工業北条工場と自転車用発電ランプの製造権、職員の一部を引き継ぎ[[三洋電機]]として独立。&lt;br /&gt;
*1952年 - [[オランダ]]の[[フィリップス]]と提携し、松下電子工業を設立。&lt;br /&gt;
**1月 - 新日本放送（現在の[[毎日放送]]=[[MBSラジオ]]）の[[ラジオ番組]]『[[歌のない歌謡曲]]』を[[スポンサー|番組提供]]開始。以後今日まで50余年にわたり、全国の[[民間放送|民放]][[ラジオ|AMラジオ]]（[[Japan Radio Network|JRN]]）を通じパナソニック製品の宣伝を続けている。&lt;br /&gt;
**この後各工場の新設、拡充が相次ぐ。&lt;br /&gt;
*1954年 - 戦争でほぼ壊滅状態にあった[[日本ビクター]]と資本提携する。その際ビクターを吸収したりせず、ビクターとは競争しながら発展していくという関係をとることになった。その理念は社長が変わった後も続いていたが、[[2007年]]秋に資本関係を解消する事に合意した（同年8月に総額350億円の第三者割当増資を[[ケンウッド]]、[[スパークス・グループ]]に行い、松下の保有比率は36.90%となり連結子会社から外れ、持分法適用関連会社となった）。&lt;br /&gt;
*1955年 - 「Pana Sonic」ブランドを、単体[[スピーカー]]ユニット8P-W1（のちに国内向けは「EAS-20PW09」に型番変更）の輸出に初めて使用。&lt;br /&gt;
*1957年 - 全国の“街の電器屋さん”が加盟する日本で最初の系列店ネットワーク「ナショナル店会（後の[[パナソニックショップ|ナショナルショップ]]制度）」が発足。高度成長期の強大な販売網として機能し、ピーク時には全国で約5万店にまで増加したが、後継者不足や量販店との競争激化により現在は約1万8000店にまで減少している。&lt;br /&gt;
*1961年&lt;br /&gt;
**1月 -  [[松下正治]]副社長が社長に就任。&lt;br /&gt;
*1964年 - 『[[熱海会談]]』。系列店への熾烈な販売ノルマや、テレビの不良品などが問題化し、3日間に亙って紛糾。幸之助が会長兼営業本部長代行としてトップセールスに復帰する契機になる。&lt;br /&gt;
*1965年 - 完全週休2日制を実施、新販売制度（[[流通]]経路の短縮主体）。高度成長路線に乗る。&lt;br /&gt;
*1966年 - 英字表記の「NATIONAL」ロゴを国内向け製品に、「PANASONIC」ロゴを海外向け製品、および国内向けトランジスタラジオに使用開始。「ナショナル」が米国で商標登録されており使用できなかったことがその動機だが、「パナソニック」に落ち着くまでに、1964年5月に「NATIONAL PANASONIC（ナショナル・パナソニック）」で米国への輸出が認められ、以後、「KADOMAX（カドマックス）」、「マツシタ」、「マーツ」を経て「パナソニック」となっている。&lt;br /&gt;
*1969年 - 東京電気化学工業（現・[[TDK]]）と提携。&lt;br /&gt;
*1970年 - [[日本万国博覧会]]に松下館を出展。当時の文化の資料を収め5000年後の開封を目指した[[タイムカプセル]]を展示した。&lt;br /&gt;
*1971年 - 「PANASONIC」ロゴを、現在の「Panasonic」へ変更。&lt;br /&gt;
*1973年 - 「NATIONAL」ロゴを、現在の「National」へ変更。パナファコム株式会社（現：株式会社[[PFU]]）を設立。&lt;br /&gt;
*1977年&lt;br /&gt;
**2月 - [[山下俊彦]]取締役が社長に就任。&lt;br /&gt;
**VHS方式の[[ビデオテープレコーダ]]（[[マックロード]]）を発売。[[蛍光灯]]「[[パルック]]」発売。&lt;br /&gt;
*1986年&lt;br /&gt;
**2月 - [[谷井昭雄]]専務が社長に就任。&lt;br /&gt;
**「パナソニック/Panasonic」ブランドを国内でも使用開始。初使用した製品は[[MSX]]2パソコン「FS-A1」。またこの頃から「松下電器」の独自制定書体も使われなくなり、一般的な[[ゴナ]]系の書体に変更される。&lt;br /&gt;
*1987年 - [[富士通]]FM-Rの[[OEM]]仕様のデスクトップPC「[[Panacom]]M500/700」を発売&amp;lt;ref&amp;gt;本製品は開発元がパナファコム([[PFU]])であり、富士通ブランド、松下ブランド、そして事務系の内田洋行ブランドの3種類のブランドで販売されている。又、日立製作所のパーソナルワークステーション『FLORA』は、内田洋行とPanafacomが合併する以前、PanafacomによってOEM供給されていたものである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*1988年 - [[テレビ]]・[[ビデオテープレコーダ|ビデオデッキ]]・[[CDラジカセ]]・[[ミニコンポ]]などのAV家電部門が、ナショナルブランドからパナソニックブランドへ移行する。&lt;br /&gt;
*1989年 - 新しいスタイルの[[パナソニックショップ|ナショナルショップ]]チェーン「パナック」を立ち上げ。&lt;br /&gt;
**[[4月27日]] - 創業者[[松下幸之助]]が逝去。享年94。&lt;br /&gt;
**[[8月1日]] - 本社技術部門の大規模な改革。&lt;br /&gt;
*1990年 - [[ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ|MCA]]社（現・ユニバーサル・スタジオ）を子会社化。&lt;br /&gt;
*1991年&lt;br /&gt;
**10月 - [[デジタルコンパクトカセット|DCC]]デッキ RS－DC10を発売。&lt;br /&gt;
*1993年&lt;br /&gt;
**2月 - [[森下洋一]]専務が社長に就任。&lt;br /&gt;
**[[フィリップス]]との合弁解消、[[クロスライセンス契約]]に移行。&lt;br /&gt;
*1994年&lt;br /&gt;
**[[3月20日]] - [[3DO]] REAL (FZ-1) 発売。&lt;br /&gt;
*1995年 - MCA社への出資分80%を[[シーグラム]]社に売却。&lt;br /&gt;
**4月 - 光ディスク[[Phase-change Dual|PD]]を開発。&lt;br /&gt;
*1997年 - [[社内カンパニー|社内分社制]]を導入（関連する事業部を統合・集約）。&lt;br /&gt;
*2000年&lt;br /&gt;
**6月 - [[中村邦夫]]専務が社長に就任。森下社長は会長に、[[松下正治]]会長は名誉会長に、松下正幸副社長は副会長に就任した。将来の社長候補と目されていた創業者・幸之助の直孫である松下正幸が副会長に就任したことにより、松下一族による社長世襲はほぼ霧消したといえる。&lt;br /&gt;
**10月 - 同社初の[[DVDレコーダー]]「DMR-E10」発売。&lt;br /&gt;
*2001年 - 松下電子工業を吸収合併し、社内分社として「半導体社」「ディスプレイデバイス社」「照明社」の3部門を設ける。また、同社傘下にある[[宮田工業]]（[[自転車]]や[[消火器]]などのメーカー）の保有株式の半数を[[モリタ]]へ譲渡。[[任天堂]]と共同開発商品[[ニンテンドーゲームキューブ#互換機「Q」|DVD/GAME Player Q]]発売。&lt;br /&gt;
*:長年にわたって続けてきた[[太陽電池]]の研究開発を取りやめ、家庭用の[[燃料電池]]事業に特化することを決断。経営危機さなかのやむを得ない判断ではあったが、これが大きな誤算となる。&lt;br /&gt;
*2002年 - 業績悪化により、2001年度末までに13000人を[[退職勧奨|早期退職]させ、企業[[年金]]を減らす[[リストラ|事業の再構築]]を推し進めた。[[村山敦]]副社長は、『[[しんぶん赤旗]]』や週刊誌などの批判に対し、「私はこれだけの人が会社を去って、これだけ摩擦やトラブルが極小であったケースは稀まれであると思う。皆さん方は、人を大切にするやり方で、この特別ライフプラン制度をやりきったと、自信を持って胸を張って頂きたい。」と自賛した。しかし実態は、退職を拒むと再教育と称して草むしりなどの雑用をさせたケースもあったという。&lt;br /&gt;
*2003年 - グローバルブランドをPanasonicに統一、グローバルブランドスローガン「'''Panasonic ideas for life'''」の導入。&lt;br /&gt;
*2004年 - [[アルカリマンガン乾電池|アルカリ乾電池]]以来40年ぶりとなる新型の乾電池「[[オキシライド乾電池]]」を開発。&lt;br /&gt;
**[[4月1日]] - 戦後長らく独立路線であった松下電工を再び子会社化。ブランド戦略や経営戦略、研究開発にいたるまで統一的に展開することになり、互いの重複事業の再編と家電の営業部門の統合を行った。その結果、両社の共同経営会社の[[パナホーム]]も松下電器産業直轄の子会社となり、松下電工とともに松下電器産業の住宅・電気設備のセグメント（電工・パナホーム）として組織上の再編が行われた。&lt;br /&gt;
**[[7月31日]] - 同社初の[[Blu-ray Disc]]方式の[[BDレコーダー|レコーダー]]を発売。&lt;br /&gt;
*2005年&lt;br /&gt;
**ソフトウェア特許侵害を主張して[[ジャストシステム]]を告訴。一審で勝訴したものの控訴され、松下製品の不買運動なども発生。二審において逆転敗訴で決着&amp;lt;ref&amp;gt;尚、前出のPanafacom及びFM-Rシリーズ及び日立製作所のFLORAパーソナルワークステーションには[[ジャストシステム]]の[[一太郎]]Ver.4及び[[wiki:花子 (グラフィックソフト)|花子]]Ver.2がバンドル及び対応商品が販売されていた。尚、元来この製品群は一太郎のバンドルを前提で開発されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**同社傘下の[[松下興産]]株式を[[大和ハウス工業]]へ譲渡との話が出たものの、条件が折り合わず断念。結局は金融機関の債務免除を経てアメリカの投資ファンド、エートス・ジャパンへと譲渡。松下興産は、その後、不動産事業の譲渡などを通じ、実質的に[[MID都市開発]]に事業を継承した。&lt;br /&gt;
** 1985年から1992年製の[[ストーブ|FF式石油温風機]]による[[一酸化炭素|CO中毒]]事故で死亡者が出たことが発覚。無償修理が発表されたが、発表後も事故が発生。→詳細は[[#FF式石油温風機の欠陥問題|後述]]&lt;br /&gt;
**1月 - [[オリンパス]]と一眼レフ[[デジタルカメラ]]の共同開発で合意したと発表。&lt;br /&gt;
**2月 - [[プラズマディスプレイ]]の開発に関して[[日立製作所]]と提携し、同社と合弁で特許管理会社を設立する他、原材料の調達や電子部品の開発などを共同で行うことを発表。&lt;br /&gt;
**3月 -石油暖房機、[[石油ファンヒーター]]、[[石油ストーブ]]、石油[[給湯機]]の生産、販売は終了し、[[パナソニックショップ|ナショナルショップ]]には[[コロナ (暖房器具)|コロナ]]製の[[石油ファンヒーター]]が供給された。&lt;br /&gt;
**12月 - [[リコール (一般製品)|リコール]]済み石油温風機で死亡事故発生。松下グループはこの月、松下電工、Panasonicブランドの割り当てを含め、全商品のCMを自粛し、お詫びCMを10日間放映し、総時間数は約80時間にも及んだ。&lt;br /&gt;
**[[12月7日]] - [[大韓民国|韓国]]の[[サムスン電子|サムスンSDI]]は同社の[[プラズマディスプレイ]]パネル (PDP) 関連の[[特許]]9件を侵害されたとして、松下電器を相手取り、米[[ロサンゼルス]]の[[連邦地方裁判所|連邦地裁]]に提訴したのをきっかけに、両社双方提訴したが、2008年1月に和解している。&lt;br /&gt;
*2006年&lt;br /&gt;
**6月 - [[大坪文雄]]専務が社長に就任。中村邦夫社長が会長に就任。&lt;br /&gt;
**10月 - 翌年3月までに家庭用[[ガス器具]]の生産、販売を終了すると発表。なお、家庭用[[燃料電池]]の'''ライフエル'''および[[Thin &amp;amp; Economical System |TES]]の端末である[[浴室暖房乾燥機]]の生産は続行、アフターサービスおよび部品供給はこれまで通り行う。[[ガス器具]]の売り上げは130億円だった。[[リンナイ]]、[[ノーリツ]]、[[パロマ (企業)|パロマ]]に比べ規模が小さく、収益の上がる見込みなしと判断し、[[ガス器具]]からの撤退を決定した。近年、ガス器具の部品管理が家電部品部門に統合されるなど、会社内での電化商品の販売推進の経営方針もあり、ガス器具部門の衰退が伺えていた。ガス器具撤退に伴い『ナショナルガス器具』の看板を販売店は降ろすことになり、[[パナソニックショップ|ナショナルショップ]]には2007年3月に[[リンナイ]]ガス器具が供給されることになっている。なお、[[2008年]]に[[ガスファンヒーター]]の生産販売を[[ノーリツ]]に移行した。&lt;br /&gt;
** 時期不詳 - アナログ放送からデジタル放送への移行に伴い、同社で製造しているテレビ・録画機器のうち、[[地上デジタルテレビジョン放送]]非対応モデルの生産を全て終了すると発表。&lt;br /&gt;
**12月-グループ会社の[[日本ビクター]]の所有する株式を大手音響機メーカー[[ケンウッド]]に売却する方針で最終調整と報道される&lt;br /&gt;
*2006年12月 - グループ会社の日本ビクターの所有する株式を大手音響機メーカーケンウッドに売却する方針で最終調整。&lt;br /&gt;
本文はまだ不確定のため非表示化。 &lt;br /&gt;
*2007年&lt;br /&gt;
**2月 - [[VHS]]単体機の生産終了。（最終機種は[[DIGA#アナログチューナーのみ搭載のビデオデッキ最終モデル]]を参照）&lt;br /&gt;
**3月 - ポータブル[[MD]]プレーヤーおよびポータブル[[MD]]レコーダーの生産を終了。（最終機種:SJ-MJ500.SJ-MJ99.SJ-MJ100.SJ-MR270.SJ-MR240.SJ-MR50）&lt;br /&gt;
**4月 - [[地上デジタルテレビジョン放送]]非対応DVDレコーダーの生産を終了。（最終機種：[[DIGA#2006.E5.B9.B4.E6.98.A5.E3.83.A2.E3.83.87.E3.83.AB|DMR-EH75V]]）&lt;br /&gt;
** [[7月1日]] - 松下提供[[ラジオ番組]]「[[Panasonic Melodious Library]]」放送開始（[[TOKYO FM]]制作・[[JFN]]38局ネット。毎週日曜10:00~10:30）。&lt;br /&gt;
**8月 - [[ブラウン管]]テレビの国内向け生産終了。（最終機種：[[タウ (テレビ)|TH-21/25FA8]]）&lt;br /&gt;
**:以上を以って、[[地上デジタルテレビジョン放送]]非対応製品の生産を全て終了した。&lt;br /&gt;
**10月頃 - ポータブル[[CD]]プレーヤーの生産を終了。（最終機種：SL-CT520.SL-SX482.SL-PH660）&lt;br /&gt;
**11月頃 - [[携帯音楽プレーヤー|ヘッドホンステレオ]]の生産を終了。（最終機種：[[RQシリーズ (ヘッドホンステレオ)|RQ-CW02]]）&lt;br /&gt;
*2008年&lt;br /&gt;
**[[1月10日]] - 同年10月1日より、社名を松下電器産業株式会社から「パナソニック株式会社」に変更し、[[白物家電]]に使われてきた「ナショナル」ブランドを全廃して「パナソニック」ブランドに統合すると発表。松下やナショナルが付くグループ会社も基本的にパナソニックを冠にした企業名に変更することを発表。&lt;br /&gt;
**[[4月24日]] - パイオニアとPDPのパネル・モジュールの開発と戦略的な生産供給に関する包括提携を行うことで基本合意した。PDPの自社生産から撤退したパイオニアに対して松下がパネルを供給。開発および生産の効率アップとコスト競争力の増強に繋げる。5月をメドに正式に提携を行う。&lt;br /&gt;
**[[4月28日]] - 一部報道により、松下と三洋電機が資本提携を検討中と伝えられるが、この当時は否定した。11月1日にも再び報道された。&lt;br /&gt;
**[[5月15日]] - ナショナルブランド最後の新製品である縦型洗濯乾燥機「NA-FR80S1/FR70S1」を発売。&lt;br /&gt;
**[[6月26日]] - 同日の株主総会で、社名を「パナソニック株式会社」への変更と、ブランドの「パナソニック」への原則統一が正式に決定。同時に系列店（[[パナソニックショップ]]）で（看板より）「National」ロゴの撤去作業を開始。&lt;br /&gt;
** [[6月30日]] - （この日製造・出荷・発売分を最後に）松下製白物家電における「ナショナル」商標の公式使用を全て終了（翌[[7月1日]]以降製造・出荷・発売分より、全ての松下製品商標を「パナソニック」に統一）。&lt;br /&gt;
**[[8月25日]] - 旧来の「ナショナル」製品在庫を[[9月30日]]までに完全ゼロとする計画を発表。&lt;br /&gt;
**[[9月16日]] - （[[10月1日]]の社名変更日に発売される）新生「パナソニック」白物家電を一斉に公式発表（製造開始時期の関係から旧社名での表記となった）。&lt;br /&gt;
**[[9月27日]] - [[大阪府]][[門真市]]の松下本社屋上にあった「松下電器」の切り抜き文字を完全撤去。&lt;br /&gt;
**[[10月1日]] - '''パナソニック株式会社に商号変更。'''企業グループ名も[[パナソニックグループ]]となった。同時に白物家電を中心に一部製品から撤退（冷凍庫単体機、ワインセラーなど）。&lt;br /&gt;
**[[10月]] - SDオーディオプレーヤー（[[D-snap]]）の生産を終了。（最終機種：SV-SD870N）&lt;br /&gt;
**:以上を以って、テープレコーダーを除く全てのポータブルオーディオプレーヤーの生産を終了した。これにより事実上、ほぼポータブルオーディオ市場から撤退した。&lt;br /&gt;
**[[11月7日]] - 経営再建中の[[三洋電機]]買収に向けた交渉を開始すると正式に公表する（成立すれば[[日立製作所]]を抜いて売上高約11兆円の国内最大手電機メーカーへと成長）。パナソニックの三洋買収の狙いは、三洋が持つ世界シェアトップの[[リチウムイオン電池]]と、世界7位の太陽電池事業にある。2005年 - 2006年にかけて、三洋電機のメインバンクかつ大株主である三井住友銀行がパナソニックに救済を依頼するも、交渉に至らずにいたが、今回は三井住友の打診に大坪社長自らが動いた。大坪は会見で「世界経済の厳しさは増し、さらなる成長のエンジンが必要だった」と語った。だが、背景には、エネルギー技術の戦略を早期に軌道修正する必要に迫られていたことがあげられる。&lt;br /&gt;
*2009年&lt;br /&gt;
**[[3月]] - 1994年制定のパナソニックショップキャラクター「パナ坊」の公式使用を2010年3月31日を以て完全終了する事が決定。パナソニックショップ各店へ配布された同年4月発行のパナソニック各製品カタログにその旨の文書を同封。&lt;br /&gt;
**4月 - 経営再建中の三洋電機を本年6月1日よりパナソニックグループの傘下に収める（パナソニックの子会社とする）事が正式決定（「SANYO」ブランドは子会社化後も存続）。**11月4日 - 三洋電機株の[[TOB]]（株式公開買付）開始。同年[[12月28日]]までに三洋はパナソニックグループの傘下に入る事が公式決定し、パナソニックは（売上高では[[日立製作所]]を上回る）世界有数の巨大電機メーカーとなった。&lt;br /&gt;
**[[12月21日]] - TOBの結果、三洋電機の62.27%の株式を取得し、三洋電機はパナソニックの子会社となる。&lt;br /&gt;
* [[2010年]]（平成22年）&lt;br /&gt;
** [[3月31日]] - 旧ナショナルショップ時代から続いてきた[[パナソニックショップ]]のマスコットキャラクター「パナ坊」の公式使用を完全終了（パナソニックショップ全店で看板・カタログ・チラシ類等からのパナ坊絵柄削除完了）。&lt;br /&gt;
*[[2011年]]（平成23年）&lt;br /&gt;
** [[4月1日]] - パナソニック電工、三洋電機を完全子会社化。これに伴い三洋系列店「[[スマイるNo.1ショップ]]」一部店舗において「Panasonic」への看板掛け替えを開始。&lt;br /&gt;
** [[6月10日]] - 「SANYO」ブランドで発売していたポータブルカーナビゲーション「[[ゴリラ (カーナビゲーション)|Gorilla]]」を「Panasonic」ブランドで発売開始（4機種を皮切りに、8月上旬までに9機種を順次発売開始）。発売元も当社のオートモーディブシステム社に移管。&lt;br /&gt;
** [[7月28日]] - 子会社化した三洋電機の白物家電事業を[[中華人民共和国|中国]]の家電大手[[ハイアール]]に約100億円で売却する旨を公式発表（これにより親会社パナソニックと重複する三洋事業のリストラを加速）。&lt;br /&gt;
** [[8月31日]] - パナソニック電工を2012年1月1日付けで吸収合併することを発表。&lt;br /&gt;
** [[9月30日]] - 三洋系列店「[[スマイるNo.1ショップ]]」検索サイトを（パナソニックショップ等への移行に伴い）この日限りで閉鎖。同時に「SANYO」製品はこの日までにぼぼ生産を終了し親会社「Panasonic」製品へ統合（今後も生産を継続する三洋製品はブランドを「SANYO」から「Panasonic」へ切替）。&lt;br /&gt;
** [[10月18日]] - 三洋の白物家電事業のうち冷蔵庫・洗濯機部門を中国の家電大手「[[ハイアール]]」へ約100億円で売却する旨と三洋グループ洗濯機・冷蔵庫生産部門社員をハイアールへ移籍させる旨が正式決定。&lt;br /&gt;
** [[10月25日]] - 「SANYO」ブランドで発売されていたサイクロン式[[掃除機]]「airsis（エアシス）」を「Panasonic」ブランドで発売開始（モデルはMC-SXD410）。発売元は当社のランドリー・クリーナービジネスユニットへ移管。&lt;br /&gt;
** 10月下旬 - 「SANYO」ブランドにて「おどり炊き」の愛称で発売されていた可変[[圧力]]IHジャー炊飯器を「Panasonic」ブランドで発売開始（モデルはSR-SX101/SX181/SB101/SB181/SA101/SA181の6機種）。発売元は当社のキッチンアプラインスビジネスユニットへ移管。尚、前述の6機種が自社初の圧力IHジャー炊飯器となった。&lt;br /&gt;
** [[12月1日]] - 旧「スマイるNo.1ショップ」より衣替えしたパナソニックショップの一部を「スーパーパナソニックショップ」へ新規認定し、スーパーパナソニックショップ検索サイトへ掲載開始。&lt;br /&gt;
** [[12月15日]] 「SANYO」ブランドで発売されていたライスブレッドクッカー「[[GOPAN]]」を「Panasonic」ブランドで発売開始（モデルはSD-RBM1000）。発売元は圧力IHジャー炊飯器と同じく、当社のキッチンアプライアンスビジネスユニットへ移管。&lt;br /&gt;
** [[12月23日]] - [[大阪府]][[守口市]]にある三洋電機本社社屋より「SANYO」ロゴ看板を撤去。2日後の[[12月25日]]に「Panasonic」看板取付。&lt;br /&gt;
* 2012年（平成24年）&lt;br /&gt;
** [[1月1日]] - パナソニック電工を吸収合併（同時にパナソニック電工子会社はほとんどがパナソニック傘下となる）。この日より三洋グループの工場・営業拠点看板を（従来の「SANYO」から）「Panasonic」へ掛け替え。&lt;br /&gt;
** [[2月10日]] - VHS方式の家庭用ビデオテープレコーダの日本国内向けの生産・販売終了を発表。&lt;br /&gt;
** [[3月31日]] - この日を以て三洋の「SANYO」商標廃止。&lt;br /&gt;
** 4月1日 - 三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」の[[パナソニックショップ]]への吸収合併完了。三洋製品はこの日以降商標を「Panasonic」に完全統一して出荷。&lt;br /&gt;
** [[6月27日]] - [[津賀一宏]]専務が社長に就任。大坪文雄社長が会長に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「このままでは非常事態に…」(2012年12月) ==&lt;br /&gt;
6万2690人――。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大手企業の社員数ではない。過去2年半にパナソニックを去った社員の数だ。来年3月末までにあと8000人減る予定。年中行事のようなリストラでコストを切り詰めてきたが、長年のけん引役だったテレビに代わる成長事業が見えない32万人の巨大企業に市場は容赦はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「一体、株主を何だと思っているのか」。今年7月後半。ある投資銀行幹部はパナソニックの社長に就任して日が浅い津賀一宏（56）に、初対面の場で強烈なパンチを浴びせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その時点で時価総額は1兆3千億円。4年前の4分の1以下だ。「全く反論の余地はなかった」という津賀は、技術畑の出身で長らく研究所で会社人生を送ってきた。投資家という「社外の目」が予想以上に厳しいことを初めて肌で感じた瞬間だ。だが、日を追うごとに現実の厳しさを知ることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「このままでは自主経営が許されない非常事態がおきる」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4～9月期の決算発表を1カ月後に控えた[[10月3日]]。大阪府門真市にある本社1階の講堂で津賀はいら立っていた。怒りの矛先はそこに集まった幹部クラスの社員。「こののんびりムードは何なんだ」。2007年3月末に1兆5千億円あった余裕資金は5年間で2兆5千億円も減り、今や1兆円の借金を抱える。それなのに危機感が一向に伝わってこない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして[[10月31日]]。パナソニックは今期の最終赤字が7650億円になるとの見通しを発表。ムーディーズ・ジャパンは11月20日、パナソニックの格付けを2段階下げた。もう1段下がれば「投機的」水準だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すでに投機的と格付けされ、銀行から協調融資を受けるシャープより危機レベルは低いといえるが「最悪の場合、資金調達は銀行融資以外になくなる」（津賀）。戦後の混乱期にしか経験したことのない事態だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある40歳代の社員はこう語る。「社員に危機感がないって冗談じゃない。経営陣は改革、改革って毎日言うけど、そのたびに組織が変わる。もう改革という言葉に我々は疲れたんだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
相談役の[[中村邦夫]]（73）が社長時代、「聖域無き構造改革」を掲げてから12年余り。津賀は肥大化した本社を戦略立案に特化したスリムな組織に変えようとしている。しかし改革が半ば常態化してしまった社内で、真に必要な改革はできるのか。津賀の苦悶が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「こりゃあ、荒れるぞ」(2012年12月) ==&lt;br /&gt;
パナソニックの新体制が発足した6月末、最高財務責任者(CFO)常務の[[河井英明]]（58）は資金繰りに頭を悩ませていた。[[社債]]などの債務は1兆円を超える。格付けが引き下げられる中、すでに新たな社債発行も難しくなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「このままではまずい」。悩んだ河井はついにパナソニックでは長年、禁じ手だった手段を部下に指示した。「銀行と融資枠契約を結ぶようすぐ検討に入ってくれ。額は6000億だ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ふつうの企業では銀行から融資を受けるのは当たり前。しかし、パナソニックという企業では事情が異なる。豊富な資金を背景に「松下銀行」とまで言われてきた同社にとって、銀行頼みは屈辱的なこと。特にメーンバンクの[[三井住友銀行]]とは、大阪経済界の代表どうしで張り合ってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんなプライドを優先できる余裕はもはやなくなったのかもしれない。河井の号令から3か月たった9月末、ようやく三井住友銀などと融資枠契約を結ぶことが取締役会で承認された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした状況からいち早く脱したい――。数日後、社長の津賀一宏（56）は幹部らを集めた会議で、資金をひねり出すための全社プロジェクトを自ら立ち上げた。「これ以上、資本市場の信頼を失えば、まさに会社存続の危機だ」。事業戦略を練り直すのも大事だが、まずは今期末までにキャッシュ2000億円を捻出することが最重要課題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、今期に7650億円の最終赤字を計上する見通しと発表した10月31日午後。日系証券会社のある[[債券]][[ファンドマネージャー]]は、目の前のモニター画面にくぎ付けになった。「こりゃあ、荒れるぞ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パナの社債発行残高はすでに9300億円で国内最大規模。投資家にとってその信用力が魅力だったが、この日を境に評価は一変する。「もう信用できない」。夕方の取引開始直後からパナ債の売り注文が殺到。社債市場に“パナソニック・ショック”が走った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2年で1兆5000億円の赤字という未曽有の危機。それは[[松下幸之助]]が興し、長らく家電製品で日本の家庭を支えたパナソニックの産業界、市場での地位が大きく変わったことを象徴する出来事なのかもしれない。ある主力取引銀行の元首脳は感慨深げにこう語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あれだけ銀行なんか関係ないと言ってた頑固なパナさんも、ようやく我々のいう事を聞く気になったわけや。津賀さんには期待してるよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==社名変更==&lt;br /&gt;
世界展開により、「松下」「ナショナル」「パナソニック」の名称を使い分けることによるデメリットが年々増大し、ブランドイメージの統一が課題となっていた。&lt;br /&gt;
そこで、松下幸之助の存命中から海外で知名度の高い「パナソニック」への統一が検討されていたが、幸之助が激怒したため棚上げになった。幸之助の死後もその状況は続いたが、2008年6月26日の株主総会において、社名の「松下電器産業株式会社」から「'''パナソニック株式会社'''」への変更と、グループ会社名称の「パナソニック」への統一（一部例外あり）が承認され、同年[[10月1日]]に実施された。なお、「ナショナル」ブランドから「パナソニック」ブランドへの移行は、2008年7月1日発売の新製品から先行実施された。なお、[[中国語]]の表示では社名変更後も従来通り「松下電器産業株式会社」・「松下」の表記を使用している。松下電器は日本国外において自社のブランド名「パナソニック」が浸透していることを考慮し、[[2008年]][[10月1日]]をもって社名を『'''パナソニック株式会社'''（英称 '''Panasonic Corporation'''）』に変更し、「ナショナル」ブランドも[[2009年]]度までに廃止し「パナソニック」へ一本化する意向を、同年[[1月10日]]の記者会見で（[[大坪文雄]]社長が自ら）公式発表した&amp;lt;ref name=&amp;quot;panasonic-jn080110-4&amp;quot;&amp;gt;[http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn080110-4/jn080110-4.html 松下電器産業株式会社が「パナソニック株式会社」に社名を変更 | プレスリリース | ニュース | 松下電器産業株式会社]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[6月26日]]の2008年度定例株主総会にて採決がなされ、社名変更は全会一致で正式決定した&amp;lt;ref name=&amp;quot;panasonic-jn080626-2&amp;quot;&amp;gt;[http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn080626-2/jn080626-2.html 「パナソニック株式会社」への社名変更が正式決定 | プレスリリース | ニュース | 松下電器産業株式会社]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この社名変更関連費用はグループ全体で約300億円と推定されている。&lt;br /&gt;
:その第一段階として、これまで日本国内向けの松下製[[白物家電]]に使われてきた「ナショナル」ブランドは2008年6月30日製造・出荷・発売分限りで公式使用を完全終了。同年7月1日以降製造・出荷・発売の松下製白物家電（松下電工の製品含む）は（以前の「ナショナル」ではなく）全て「パナソニック」ロゴに変更されている（一部の「ナショナル」ブランド製品は品番を変更せずに「パナソニック」ロゴにのみ変更されているものがある。その第1号は[[電球形蛍光灯]]「パルックボールプレミアQ（クイック）」シリーズと細環型[[蛍光灯]]「スリムパルックプレミア」シリーズ）。旧来の「ナショナル」製品は現在全て「在庫・展示品限り」となっており、「ナショナル」製品は完売次第、店頭から完全消滅する予定。なお、松下製白物家電各製品カタログは2008年8月発行分まで表紙ロゴは「National」のままだったが、一部製品（[[エコキュート]]・[[IHクッキングヒーター]]）は（2008年7月発行分より）索引欄に「ブランド」項が新設され「Panasonic」も併記され始めた。なお（2008年）翌9月発行分より松下製白物家電カタログの表紙ロゴは全て「Panasonic ideas for life」に変更されている（シェーバーカタログは松下製白物家電のトップを切って同年8月発行分より表紙記載の商標を「Panasonic ideas for life」に変更。[[取扱説明書]]裏表紙における「松下電器産業株式会社」という社名表記は2008年9月30日製造・出荷・発売分限りで終了。翌10月1日以降製造・出荷・発売分からは「パナソニック株式会社」に変わっている）。なお、系列店については（2008年度定例[[株主総会]]において）パナソニック（株）への社名変更が正式決定した2008年[[6月26日]]以降、看板・シャッターから「National」の文字を外し、「Panasonic」ロゴのみを表記した新デザインへの変更作業を順次開始。2009年度までには全[[パナソニックショップ]]の看板・シャッターが新デザインに切り替わる。さらにパナソニックショップキャラクター「パナ坊」の公式使用は2010年3月31日を以て完全終了する（「パナソニック」へのブランド統一に当たり「パナ坊」作者との契約を解除する為）。松下電工（現：[[パナソニック電工]]）など、「松下」や「ナショナル」を冠する子会社も、松下電器本体の社名変更と同時に社名を一斉に変更し、企業グループも松下グループから[[パナソニックグループ]]に呼称変更した。さらに、パナソニック提供番組についても、社名変更に伴い、2008年[[10月]][[改編]]時に、「ナショナル」を冠した番組名称が、「パナソニック」を冠するものへ変更された（「[[パナソニック ドラマシアター|ナショナル劇場]]」から「'''[[パナソニック ドラマシアター]]'''」へ）&amp;lt;ref&amp;gt;番組名に「ナショナル」を冠していなかった「[[歌のない歌謡曲]]」については、名称変更はしていないが、番組のオープニング曲は[[三木鶏郎]]作曲のCMソング「明るいナショナル」から[[嵐 (ジャニーズ)|嵐]]の「[[Step&amp;amp;Go]]」に変更された。&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、パナソニックでは自社が運営する[[財団法人]]（[[松下政経塾]]、[[松下教育研究財団]]など）や[[松下記念病院]]といった関連系列団体の名称は維持し、グループ各社の社名変更後もこれらの関連系列団体の名称は変更しないことを表明していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;panasonic-jn080110-4&amp;quot; /&amp;gt;が、松下教育研究財団を[[パナソニック教育財団]]とするなど一部の団体は名称変更した。&lt;br /&gt;
===中国語の社名===&lt;br /&gt;
中国語圏においては当分の間「松下」「松下電器産業」の名称を継続して使用する。公式の解釈は「中国での社名については仮名を使用できない」とのことである。話によると「パナソニック」は中国語の音訳が「怕那索尼哥・怕那索尼克」（ソニーを恐れる）という不味い意味になるので、音訳を回避し、現在のまま英表記「Panasonic」と漢字名「松下」を続けるということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==商標==&lt;br /&gt;
;&amp;lt;span style=&amp;quot;color:blue;&amp;quot;&amp;gt;Panasonic&amp;lt;/span&amp;gt;（パナソニック）&lt;br /&gt;
: Pan a Sonicより。「全ての」の意の「''PAN''」と「[[音]]」を意味する「''SONIC''」からなる。海外で「National」の[[商標]]が登録されていたことと、「ナショナル」という響きが「[[国家主義]]」と取られかねないため（[[形容詞]]で'''「国立」「国家の」'''の意）に海外向けのブランドとして制定。「松下電器の音をあまねく世界へ」という意味が込められている。1955年に輸出用スピーカーのブランドとして用いられたのが初めで、1961年から対米輸出品に用いられた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/business/update/0110/OSK200801100070.html 松下電器、社名も「パナソニック」に　ブランド名と統一] asahi.com 2008年1月10日&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただし、1955年当時は「PanaSonic」、1961年からは「PANASONIC」であった。&lt;br /&gt;
:1971年に表記を現在の「Panasonic」へ変更。フォントは[[Helvetica]]ファミリーの１つ「Helvetica Black」を使用。欧米で最も有名なサンセリフ体を使うことで、Helveticaを見るたびにPanasonicを想起することを狙ったもの。定番書体を逆手に取った戦略である。（Nationalも同じフォントを使用。）&lt;br /&gt;
:2008年7月以降、現在では全世界的に全ての部門に於いて「Panasonic」に統一されている。またグローバルブランドスローガンとして「'''Panasonic ideas for life'''」を導入している。（なお、このスローガンは国際的に「Panasonic」ロゴの下に表記されるが、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[カナダ]]では「Panasonic」ロゴの下ではなく、右側に表記される。）&lt;br /&gt;
:日本国内では、1927年以降全ての部門に「National」ブランドを使用していたが、日本国外で商標の関係で用いることができないこと、また保守的なイメージの刷新を狙うという理由で、[[1986年]]より映像・音響機器部門（放送業務用機器も含む）に「Panasonic」ブランドの使用を開始した。この後20年以上に渡り、白物家電部門や松下電工（当時）などの「National」ブランドと、映像・音響機器部門の「Panasonic」ブランドが併用されていたが、2008年10月1日に社名を「松下電器産業株式会社」から「パナソニック株式会社」に変更すると同時に、全ての部門を「Panasonic」ブランドで統一した。なお[[1988年]]までは[[MSX]]2パソコンや[[カーオーディオ]]を除いた映像・音響機器は「National」ブランドを使用していたが、同年に発売された[[カラーテレビ]]「[[VIERA#PANACOLOR X（パナカラーイクス）|PANACOLOR X]]」、[[ビデオテープレコーダ|ビデオデッキ]]「[[マックロード]] NV-F70」から全面的に「Panasonic」ブランドへ移行した。&amp;lt;!--[[IBM]]の5550シリーズを手がけていた。ソニーがまだvaioのパソコンに参入する前、IBM5535などをソニー社内で使っていたこともある。OEM受託製品として、別の場所で記載した方がいいでしょう--&amp;gt;&lt;br /&gt;
:社名変更直前の2008年9月当時では、松下電工製品を含め、電子機器、制御機器、カーナビや盗難防止装置などの自動車用電化製品、通信機器などにも「Panasonic」が使われていた。電気鉛筆削り機も「Panasonic」を使用していた。なお、[[1960年代]] - [[1970年代]]にかけて、国内で販売される[[トランジスタラジオ]]に「National Panasonic」を使用（1960年代後半にはトランジスタテレビにも使用）。2003年4月までは「National/Panasonic」、「National/Panasonic/Technics」という表記もされていた（[[保証書]]では表記されているものもある）が現在は併記は認められず、「Panasonic」「National」「Technics」を使用する。&lt;br /&gt;
:このパナソニックというブランド名があったためか、電産・電工の商品名に「パナ○○」（パナカラー、パナホーム、パナコラン([[高周波治療器]]。[[細川隆一郎]]の「パナコランで肩コラン」というテレビCMでも有名になった)、パナピック(レコードシートを応用した製品)など）といったものが多くつけられていた。&lt;br /&gt;
:なお、「パナソニック」は香港の関連会社「信興集團」の販売品では「樂聲牌」と表記され、台湾では「國際牌」と表記される場合がある。&lt;br /&gt;
:ナショナルのブランドで発売されていたものを単にパナソニックのブランドに変更したのみの商品は品番の末尾にPを付けている。パナソニック電工が製造する美容・健康商品も同様だが、同社の他の商品は品番の変更なしにブランドを変更している。&lt;br /&gt;
;&amp;lt;span style=&amp;quot;color:red;&amp;quot;&amp;gt;National&amp;lt;/span&amp;gt;（ナショナル）&lt;br /&gt;
:松下幸之助が新聞記事上にあった『インターナショナル』の文字に注目し、「国民 (national) のための」という意味を込めて命名された。日本においては音響機器で限定的に「Panasonic」や「Technics」ブランドが導入されたものの、戦前昭和初期の1927年から2008年の「パナソニック」への社名変更発表まで長らく「National」が電産・電工製品の主軸ブランドであった。『明るいナショナル』で始まるテレビやラジオの[[一社提供|一社提供番組]]（[[冠スポンサー番組]]）を含む各種[[広告]]や販売網（ナショナルショップ、ナショナル店会）の強力な展開もあり、[[家庭用電気機械器具|家電製品]]のトップブランドとして、日本国内で幅広く浸透していたブランドであったが、社名変更後は使用されていない。海外ではナショナルを「インターナショナル」と呼ばれることがある。&lt;br /&gt;
:先の松下電工（当時）との事業統合により、両社ともオレンジ色のNationalロゴへ変更された。それ以前は電産が赤色、電工が青色 - 黄色だった。また、[[乾電池]]においては一般市販品の[[マンガン乾電池]]はナショナル（その後、デザイン・型番は変更せず、パナソニックブランドに切り替わる）。海外の逆輸入品・非市販品の[[マンガン乾電池]]（[[リモコン]]など商品への添付用）、一般市販品・非市販品の[[アルカリマンガン乾電池|アルカリ乾電池]]・[[オキシライド乾電池]]、リチウム電池（電気うき用のピン型を除く）、[[二次電池]]がパナソニックを用いている（[[パナソニック充電式ニッケル水素電池]]）。&lt;br /&gt;
:この「ナショナル」ブランド使用は2008年6月30日製造・出荷、発売分を以て終了し、翌7月1日より順次「パナソニック」への一本化を開始した。「ナショナル」商品は2008年7月以降「在庫・展示品限り」となっており、無くなり次第（同年9月30日をもって）店頭から消えると共に、翌2009年内に「ナショナル」ブランドは完全に消滅する見込み。とはいえ、松下電器・電工時代に全国津々浦々で販売された「ナショナル」ブランドの商品は（特に、[[電球]]などの[[消耗品]]や配線器具に至っては）膨大な数であり、[[2010年]][[年度|度]]以降も、暫くの間[[市場]]に残る可能性がある（ただ、品番・デザインは変更せずに「Panasonic」ロゴや「パナソニック電工」のみに変更された商品もある）。現に調理器具などの分野では2009年1月までまだブランド変更が行われていない商品もあった。&lt;br /&gt;
:パナソニックに社名変更した2008年10月以降、一部の白物家電カタログで掲載されている「ナショナル」商品（推奨部品・消耗品を含む）には「National」ロゴを付けている。ウェブサイトでの商品案内では「ナショナルのブランドです」と表記されている。&lt;br /&gt;
;[[Technics]]（テクニクス）&lt;br /&gt;
:1970〜1990年代に主に使われていたハイエンド系（高級）音響機器のブランド。2000年代に入り、「テクニクス」ブランドの使用は縮小され、現在は[[ディスクジョッキー|DJ]]機器にのみ使用されている。日本国内で音響機器への「パナソニック」ブランド投入前は比較的低価格の音響機器にも使われていた。また姉妹品として[[電子オルガン]]の[[テクニトーン]]も存在していた。&lt;br /&gt;
;RAMSA（ラムサ）&lt;br /&gt;
:業務用の音響（[[Public Address|PA]]）機材に使用。現在はパナソニックの商品の一部となっている。&lt;br /&gt;
;Quasar&lt;br /&gt;
:[[北米]]特定商品ブランド。[[1974年]]に米国の[[モトローラ]]社から一部事業を買収した際に、同社がカラーテレビに使用していたブランドを引き継いだ。&lt;br /&gt;
;&amp;lt;span style=&amp;quot;color:blue;&amp;quot;&amp;gt;Rasonic&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
:香港の関連会社「信興電工工程有限公司」（SHUN HING ELECTRIC WORKS AND ENGINEERING CO., LTD.）が展開する[[中華人民共和国]]と[[香港]]の特定商品ブランド。漢字表記は「楽信牌（{{lang|zh-hant|樂信牌}}/{{lang|zh-hans|乐信牌}}）」[[:en:Rasonic]]参照。&lt;br /&gt;
:この他、会社の黎明期には松下から「マーツ」（MURZ）[http://syasinsyuu.cool.ne.jp/denki2/8.jpg]や、所在地の門真市と最大の英語読みを引っ掛けて「KADOMAX」のブランド名[http://www.japanradiomuseum.jp/MTsuper.html#TEN%20PR-20%E5%9E%8B]も使用されていたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===以前のブランドスローガン===&lt;br /&gt;
'''企業スローガン'''&lt;br /&gt;
*'''社会とともに歩む技術のナショナル'''（1970年代）&lt;br /&gt;
*'''世界に伸びる技術のナショナル'''（1960年代後半 - 1970年代）&lt;br /&gt;
*'''丈夫で豊かな暮らしをひろげる'''（1960年代前半）&lt;br /&gt;
*'''技術でひらく 世界の繁栄'''（1970年代後半 - [[1986年]]まで）&lt;br /&gt;
*'''心を満たす先端技術'''、'''''Human Electronics'''''（'''ヒューマン・エレクトロニクス'''）（1987年 - 1994年頃まで）&lt;br /&gt;
*'''あなたとともに豊かな未来へ'''（[[1995年]] - [[2000年]]まで）&lt;br /&gt;
*'''あなたとともに 豊かな21世紀を'''（[[2001年]] - [[2003年]]まで）&lt;br /&gt;
'''Nationalブランド'''&lt;br /&gt;
*「'''○○は National'''」（○○には、それぞれの製品カテゴリーが入る）というテロップを、サウンドロゴと共に使用していた（正月シーズンは「'''今年もよろしく National'''」）。（1980年頃 - 1987年初頭）&lt;br /&gt;
**1987年の'''''Human Electronics'''''採用時からは、「'''''Human Electronics''''' '''○○は National'''」に変更された。（1987年 - 1990年初頭）&lt;br /&gt;
*'''あたらしい'''（ナショナルブランド）この頃から社名変更まで『ナショナル』のサウンドロゴが使われる（1990年 - 1994年）&lt;br /&gt;
*'''いつも、いっしょ。'''（1995年 - 2003年）&lt;br /&gt;
*'''Nのエコ計画'''（2003年 - 2008年、社名変更前まで）&lt;br /&gt;
'''Panasonicブランド'''&lt;br /&gt;
*'''Panasonic いつも SOMETHING NEW'''（[[1987年]] - [[1989年]]初頭）&lt;br /&gt;
*::パナソニックブランドで販売されるAV機器のみに使用された[[キャッチコピー]]。[[ジョージ・ルーカス]]がイメージキャラクターとして起用され、CMの最後に彼がこのスローガンを言っていた。&lt;br /&gt;
*'''''Human Electronics''''' '''Panasonic OA''' （[[1988年]] - [[1989年]]初頭）OA機器のみに使用された。&lt;br /&gt;
**'''''Human Electronics''''' '''Panasonic''' （1989年 - [[1991年]]初頭）&lt;br /&gt;
*'''''What's New by Panasonic'''''（パナソニックブランド）（1995年 - 2003年）&lt;br /&gt;
;昭和30年代 - 40年代（1955年 - 1974年）には、松下電器産業（現：パナソニック）の一社提供番組で流れた[[三木鶏郎]]作のCMソング『[[パナソニック ドラマシアター|明るいナショナル]]』で一世を風靡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===商品一覧===&lt;br /&gt;
廃止されたものも含む。&lt;br /&gt;
====AV機器====&lt;br /&gt;
=====現在=====&lt;br /&gt;
;[[VIERA]]（ビエラ）&lt;br /&gt;
: 液晶/プラズマテレビ。現在業界No.1の売り上げを誇る。「VIERA」以前の主要テレビブランドについては、[[VIERA#ブランドの変遷|ブランドの変遷]]を参照。&lt;br /&gt;
;[[DIGA]]（ディーガ）&lt;br /&gt;
:2003年以降の[[DVDレコーダー|DVD/BDレコーダー]]全般。操作性追求。「ビエラ」同様業界No.1の売り上げだったが、2007年度はシャープのハイビジョンレコーダー「AQUOS」シリーズに1位の座を明け渡した。&lt;br /&gt;
;[[DIGICAM]]（デジカム）&lt;br /&gt;
:DV・DVDビデオカメラ全般。「愛情サイズ」などで知られている。&lt;br /&gt;
;[[LUMIX]]（ルミックス）&lt;br /&gt;
:デジタルカメラ全般（[[D-snap]]は含まない）。元祖「手ブレ補正」モデル。[[浜崎あゆみ]]のCMで話題に。&lt;br /&gt;
;[[D-dock]]（ディードック）&lt;br /&gt;
:ミニコンポ全般。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=====過去=====&lt;br /&gt;
;[[トランザム]]&lt;br /&gt;
:[[ブラウン管]]式ポータブルテレビ。かつてジェシーこと[[高見山大五郎]]がCMに出演したことでも知られる。&lt;br /&gt;
;[[マックロード]]&lt;br /&gt;
:[[VHS]][[ビデオテープレコーダ|ビデオ]]デッキ全般。パナソニックブランド以降消極的な表記となり、近年になってカタログからも消えてしまった。&lt;br /&gt;
;れんたろう&lt;br /&gt;
:[[1989年]] - [[1990年代]]初頭、一部のVHS Hi-Fi対応ビデオデッキに使われていたマックロードのサブネーム。CMキャラクターには[[ウッチャンナンチャン]]が起用されていた。&lt;br /&gt;
;録画王→ビデオ画王&lt;br /&gt;
:一部のビデオデッキに付けられたマックロードのサブネーム。1990年代初頭に使用された。&lt;br /&gt;
;DREAM&lt;br /&gt;
:初期の[[DVD]]プレーヤー、2001年〜2002年ごろのDVDレコーダー。現在は廃止された。&lt;br /&gt;
;COUGAR（クーガ）&lt;br /&gt;
:1970年代に販売されていた、ソニーの[[スカイセンサー (ラジオ)|スカイセンサー]]に対抗した高性能[[トランジスターラジオ]]のシリーズ。[[深夜放送]]ブームから[[BCL]]ブームへの過渡期の商品。ジャイロアンテナ（回転式の[[バーアンテナ]]）などの派手な[[ギミック]]や大径スピーカーを装備。「吠えろ、クーガ」「狙え、クーガ」などのキャッチコピーでも話題になった。&lt;br /&gt;
;PROCEED（プロシード）&lt;br /&gt;
:前記「COUGAR」シリーズのマルチバンド機種の後継シリーズ。よりBCL用途に特化されていた。ジャイロアンテナを継承。&lt;br /&gt;
;マリン&lt;br /&gt;
:1970年代前半に販売されていた防水携帯ラジオ。テレビCMは、銭湯で野球中継に興じる中高年男性たちという演出。AMのみの小型廉価版も発売された。&lt;br /&gt;
;pepper（ペッパー）&lt;br /&gt;
:1970年代後半に販売されていた薄型携帯ラジオのシリーズ。テレビCMには当初、[[ピンク・レディー]]が起用されていた。一部の機種には[[太陽電池]]が内蔵されていた機種（薄型携帯ラジオとしては世界初）も存在していた。&lt;br /&gt;
;マイソニック&lt;br /&gt;
:1960年代に販売されていた[[オープンリール|オープンリールテープレコーダー]]のシリーズ&amp;lt;ref&amp;gt;独立行政法人[[産業技術総合研究所]] - [http://unit.aist.go.jp/tohoku/techpaper/pdf/4591.pdf テープレコーダーRQ-303マイソニックのデザインプロセス（PDF）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;MAC（マック）&lt;br /&gt;
:1970年代に販売されていたモノラル[[ラジオカセットレコーダー|ラジカセ]]のシリーズ（一部にステレオ機も存在した）。インパクトのある多数のテレビCMでも話題になった。一方で同社の当時のステレオラジカセは「STEREO-4400」（RS-4400）などのように「STEREO-4XXX」と呼ばれていた。&lt;br /&gt;
;スナッピー&lt;br /&gt;
:1970年代中頃に販売されていた、初心者向け低価格モノラル[[テープレコーダー]]。型式はRQ-55。丸みのある愛らしいデザインと、機能別に色分けされた操作ボタンが特徴だった。テレビCMには[[フィンガー5]]が起用されていた。&lt;br /&gt;
;youシリーズ&lt;br /&gt;
:1970年代前半から中期の[[コンポーネントステレオ|システムコンポ]]のシリーズ。'''you-3'''、'''you-5'''、他。最後の'''you-oZ'''および'''you-oZ DD'''は低価格商品として後記の'''Vシリーズ'''と併売。&lt;br /&gt;
;Vシリーズ&lt;br /&gt;
:1970年代中期から後半のシステムコンポのシリーズ。'''V-3、V-5、V-7''' / '''V-33、V-55、V-77'''。&lt;br /&gt;
;ビックGMシリーズ&lt;br /&gt;
:1970年代末期から1980年頃のシステムコンポのシリーズ。従来の大型コンポーネントステレオからミニコンポが主流に変化する過渡期の商品であり、テレビCMでは、後記のコンサイスコンポとの選択を提案する演出がされた。&lt;br /&gt;
;コンサイス&lt;br /&gt;
:1970年代後期から1980年代中期頃にかけて販売されていたテクニクスブランドの[[ミニコンポ]]。テレビCMには当初、[[小林亜星]]が起用されていた。&lt;br /&gt;
;DISCO（ディスコ）&lt;br /&gt;
:1970年代末期から1980年代初頭にかけて販売されていたステレオラジカセのシリーズ。当時の「[[竹の子族]]」御用達となった。&lt;br /&gt;
;Way（ウェイ）&lt;br /&gt;
:[[ヘッドホンステレオ]]。ソニーが[[ウォークマン]]を発売すると、ナショナルは[[東芝]]（「ウォーキー」）や[[アイワ]]（「カセットボーイ」）と共にいち早くこの市場に参入した。[[サザンオールスターズ]]をCMキャラクターにするなどの広告展開が行われたが、ウォークマンの名称があまりにも広がったためか「Way」のブランド名称は早々に消えてしまった。その後、ナショナルブランドで発売されるヘッドホンステレオには「GO（ゴー）」、「JUMP（ジャンプ）」のブランド名称が付けられたがパナソニックブランドになると「[[RQシリーズ (ヘッドホンステレオ)|RQ-]]」から始まる型番のみとなり、特にシリーズ名称は付けられていない。&lt;br /&gt;
;The 3（ザ・サード）&lt;br /&gt;
:1980年代前期に販売されていたアイワの「キャリングコンポ」などに対抗するためのシリーズ。3ピースのセパレートミニコンポ風スタイルを用いた3電源対応のラジカセ型パーソナルオーディオシステムでありキャリングハンドルが装備されていた。テレビCMにはサザンオールスターズが起用された。後に更に小型化した「The 3 Mini（ザ・サードミニ）」が追加された。&lt;br /&gt;
;STATION（ステーション）&lt;br /&gt;
:1980年代前期に販売されていた大型ステレオラジカセのシリーズ。専用のガラス戸付ラックがオプションとして用意されていた。&lt;br /&gt;
;ラブコール&lt;br /&gt;
:1980年代中期に販売されていたミニステレオラジカセ。CMキャラクターには[[近藤真彦]]などが起用されていた。&lt;br /&gt;
;[[RESTY]]（レスティ）&lt;br /&gt;
:[[1992年]]から[[1996年]]頃まで使用されていた[[ミニコンポ|コンポーネントシステム]]の名称。一時期、[[CHAGE and ASKA]]や[[福山雅治]]をCMキャラクターに起用していた。廉価モデルで'''RESTY MINI（レスティ ミニ）'''というのも存在していた。現在は使用されていない。&lt;br /&gt;
;[[カンガルー]]&lt;br /&gt;
:一般的なラジカセの形状であるが、ラジオ・カセット部分を小型ヘッドホンステレオとして取り外して使用できる特徴を持っている。&lt;br /&gt;
;[[D-snap]]（ディースナップ）&lt;br /&gt;
:SDカードを使用したポータブルオーディオプレーヤー。2008年の新モデルを最後に姿を消している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====白物家電====&lt;br /&gt;
=====現在=====&lt;br /&gt;
;エレックさん&lt;br /&gt;
:[[電子レンジ]]全般。現在も使用されているが、[[オーブン]]機能付機種の発売時には「オーブンエレック」となり、敬称部分が省略されるようになった。&lt;br /&gt;
;ビストロシリーズ&lt;br /&gt;
:レンジ。&lt;br /&gt;
;エアロボシリーズ（輸出向けでは「ACロボット」や「Etherea」（アセリア）等の名称で発売されている）[[エアコン]]。&lt;br /&gt;
;[[パルック]]シリーズ&lt;br /&gt;
:[[蛍光灯]]。最近は従来のシリーズより明るさが長期間持続する世界初の「プレミアコーティング」技術を採用した「[[パルックプレミア]]」シリーズが登場。なお白色蛍光灯は「ハイライト」、[[電球形蛍光灯]]は「パルックボールYOU（螺旋状のものは“パルックボールスパイラル”）」という商品名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=====過去=====&lt;br /&gt;
;愛妻号&lt;br /&gt;
:洗濯機/[[衣類乾燥機]]。&lt;br /&gt;
:1980年代に「うず潮」に代わって命名された。現在は使用されていない。&lt;br /&gt;
:一時期[[食器洗い機]]が「キッチン愛妻号」を名乗っていたが、これも現在は使用していない。&lt;br /&gt;
;うず潮&lt;br /&gt;
:[[洗濯機]]。各メーカーとも愛称をつけていたが「青空」（[[日立製作所]]）、「銀河」（[[東芝]]）、「千曲」（[[三菱電機]]）など漢字2文字が多い中で、強烈なインパクトを放った。現在は廃止された。&lt;br /&gt;
;The Big&lt;br /&gt;
:家庭用大型[[冷蔵庫]]。松下がかつて伝統的にラインアップしていた、家庭用2ドア大型冷蔵庫、および家庭用両開き3ドア大型冷蔵庫に付けられていた。現在はこれ以上の容量が一般的になり、廃止された。なお両開き5ドアの機種は'''Quintet'''とされていた。&lt;br /&gt;
;The R&lt;br /&gt;
:一部の大型冷蔵庫に付けられていた名称。&lt;br /&gt;
;隼（はやぶさ）&lt;br /&gt;
:[[掃除機]]。現在は使用していない。CMでは[[円谷プロダクション]]が特撮を手がけていた。&lt;br /&gt;
;エオリア (Eolia)&lt;br /&gt;
:[[エアコン]]。[[スクロール]]式[[コンプレッサー]]採用の機種から採用された。なお、かつては「楽園」だった。[[コマーシャルソング|CMソング]]は[[徳永英明]]の『[[風のエオリア]]』。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====その他====&lt;br /&gt;
;[[UniPhier]]（ユニフィエ）&lt;br /&gt;
:パナソニックが推進する、システムLSIを核にしたデジタル家電向けの統合プラットフォーム。&lt;br /&gt;
;[[strada]]&lt;br /&gt;
:[[カーナビゲーション]]システム。かつては、旧九州松下電器生産モデルのポータブルナビゲーションシステムは「'''デルNAVI'''」だった。&lt;br /&gt;
;[[VIGIN]]（ビギン）&lt;br /&gt;
:車載テレビ。業界で初めてデジタルチューナー専用端子を設けた。&lt;br /&gt;
;キングコング、 A1シリーズ&lt;br /&gt;
:[[MSX]]規格のパソコン（生産終了）。初代A1は、国内でのパナソニック単独ブランドの第1号商品である。&lt;br /&gt;
;WOODY&lt;br /&gt;
:デスクトップパソコン&lt;br /&gt;
:ディスプレー一体型デスクトップパソコンのCF-31から使われ始めたが、ミニタワー型となったCF-233PDにはWOODYの称号は付けられなかった。大容量光学ドライブであるPDを装備していたのが特徴。イメージキャラクターとして[[ウッディー・ウッドペッカー]]を使用していた。WOODYという呼称は、1970年代に同社から販売されていたカラーテレビにも使用されていた。&lt;br /&gt;
;[[Let'snote]]&lt;br /&gt;
:コンシューマ向け[[ノートパソコン]]のブランドだったが、現在は法人向けにも使われている。&lt;br /&gt;
;PRONOTE&lt;br /&gt;
:ノートパソコン全般、のちに法人向けだけのブランドだったが、現在はLet's noteに統合されている。&lt;br /&gt;
;[[TOUGHBOOK]]&lt;br /&gt;
:過酷な条下でも使用可能なノートパソコンのブランド。以前は、&amp;quot;PRONOTE FG&amp;quot;だった。&lt;br /&gt;
;hito&lt;br /&gt;
:ノートパソコン&lt;br /&gt;
:''Human Information Technology Operation''の頭文字と日本語の「人」にかけたもの。現在は廃止された。&lt;br /&gt;
;[[SD-Jukebox]]&lt;br /&gt;
:SDオーディオ対応の携帯電話/[[D-snap]]などで音楽を楽しむためのパソコンソフト。一般家電量販店やナショナル・パナソニックショップおよびインターネットなどで入手できる（SE版のみで取り寄せとなる場合が多い）。&lt;br /&gt;
;おたっくす&lt;br /&gt;
:パーソナル[[ファクシミリ|ファックス]]。旧九州松下電器が製造していたもので、旧松下電送システムの「Panafax」と競合していたが、両社の合併で[[パナソニック コミュニケーションズ]]が発足したことにより、家庭用機は「おたっくす」、業務用機は「Panafax」と棲み分けが図られた。また、旧松下通信工業から同社に移ったデジタル[[コードレス電話機]]「おうち電話Ru・Ru・Ru」とは子機が共通化されている。&lt;br /&gt;
;G1, OZMA, オズマシリーズ&lt;br /&gt;
:カーオーディオのブランド（生産終了）&lt;br /&gt;
;パナワードU1、 U1PRO、 [[スララ]]シリーズ&lt;br /&gt;
:パーソナルワープロのブランド（生産終了）&lt;br /&gt;
;RJXシリーズ&lt;br /&gt;
:[[アマチュア無線]]機器（ラジオ事業部の分野撤退で終了）&lt;br /&gt;
;RJシリーズ&lt;br /&gt;
:[[市民ラジオ]]（同上）&lt;br /&gt;
;[[PanaX]]&lt;br /&gt;
:システムLSIやマイコンのオンボードデバッグ環境。&lt;br /&gt;
;[[Debug Factory]]&lt;br /&gt;
:システムLSIやマイコンのオンボードデバッグ環境。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====ガス器具====&lt;br /&gt;
;[[エネファーム]]&lt;br /&gt;
: 都市ガスによる家庭用[[燃料電池]]。[[東京瓦斯|東京ガス]]、[[東邦瓦斯|東邦ガス]]、[[西部瓦斯|西部ガス]]向けの商品&amp;lt;ref&amp;gt;[[大阪瓦斯|大阪ガス]]向けは「東芝燃料電池システム」と「ENEOSセルテック」製を採用。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ビルトインコンロ]]&lt;br /&gt;
:まかせタッチ。ガラストップが高効率バーナー、魚焼きをスイッチを押せば勝手に焼き上がるというもの。&lt;br /&gt;
;[[テーブルコンロ]]&lt;br /&gt;
:高効率バーナーや魚焼きをスイッチを押せば勝手に焼き上がるというもの。&lt;br /&gt;
;[[ガス給湯機]]&lt;br /&gt;
:簡易24時間風呂機能や酸素発生機能を装備し話題となった。&lt;br /&gt;
;[[ガスファンヒーター]]&lt;br /&gt;
:東京ガスや大阪ガス、東邦ガスといった大手[[都市ガス]]会社のブランドで販売していた。最近はガラスフロントパネルを装備し[[アレルバスター]]という空気清浄機能を装備している。過去に[[空気清浄機]]とガスファンヒーターを合体させたものが登場し話題となった。[[2008年]]に[[ノーリツ]]に製造販売を移管した。&lt;br /&gt;
;[[ガス衣類乾燥機]]&lt;br /&gt;
:早い乾太くんというネーミングで知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===キャラクター===&lt;br /&gt;
;ナショナル坊や&lt;br /&gt;
:[[1950年代]]に登場したナショナルショップ（現：[[パナソニックショップ]]）のキャラクター。テレビなどの広告に登場したほか、店頭に人形が置かれたりしていた（一部店舗では、現在も店内に人形を置いている所がある）。ナショナルから発売されたミキサーのキャラクター「トマト坊や」を基にして誕生した。2003年に、現行キャラクターのパナ坊とテレビCMで共演し「復刻版ナショナル坊や」の貯金箱が当たるキャンペーンが実施された。&lt;br /&gt;
;パナ坊&lt;br /&gt;
:[[1994年]]登場の現行キャラクター。テレビCM「ナショナルのお店（現：パナソニックのお店）」「パナソニックフェア」（いずれも[[アニメーション|アニメ]]作品）に登場。[[デザイナー]]は[[絵本]][[作家]]の[[五味太郎]]。全国の[[パナソニックショップ]]各店では営業車の車体の多くにこの「パナ坊」が描かれている。ただし、パナソニックへの社名変更後は、CMおよびパナソニック特選品カタログに登場していない。また'''2010年3月31日をもって公式使用を終了'''することが決定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==日本国内工場・研究所==&lt;br /&gt;
*主要工場&lt;br /&gt;
**門真工場&lt;br /&gt;
**山形工場&lt;br /&gt;
**草津工場&lt;br /&gt;
**神戸工場&lt;br /&gt;
**砺波工場&lt;br /&gt;
**魚津工場&lt;br /&gt;
**長岡工場&lt;br /&gt;
**他に14工場。&lt;br /&gt;
*研究所&lt;br /&gt;
**先端技術研究所（京都府相楽郡・けいはんな[[関西文化学術研究都市]]）&lt;br /&gt;
**ネットワーク開発センター（東京都品川区）&lt;br /&gt;
**半導体デバイス研究センター（大阪府高槻市）&lt;br /&gt;
**他に2研究所。&lt;br /&gt;
なお、これらの数字はパナソニック電工、[[パナソニック プラズマディスプレイ]]など連結子会社を含まない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==スポーツ関係==&lt;br /&gt;
企業スポーツやスポーツへの協賛に比較的積極的である。&lt;br /&gt;
また、夏と冬の[[オリンピック]]の公式スポンサーで、[[1988年]]の[[カルガリーオリンピック]]から始まり、同年の[[ソウルオリンピック]]、[[1992年]]の[[アルベールビルオリンピック]]・[[バルセロナオリンピック]]、1994年の[[リレハンメルオリンピック]]、1996年の[[アトランタオリンピック]]、1998年の[[長野オリンピック]]、2000年の[[シドニーオリンピック]]、2002年の[[ソルトレイクシティオリンピック]]、2004年の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]、2006年の[[トリノオリンピック]]、そして2008年の[[北京オリンピック]]まで夏季・冬季連続で12大会連続・20年連続でAV機器カテゴリーのTOPスポンサー（「'''T'''he '''O'''lympic '''P'''artner」の略。最高位のオリンピックスポンサーのこと。日本企業ではパナソニックのみ）を務めている&amp;lt;ref&amp;gt;オリンピックスポンサーには、2000年のシドニーオリンピックまで東芝も立候補していたが、いずれもパナソニックが権利を獲得した。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年にロンドンで開かれたIOC総会にて、引き続き2009年から2016年までの8年間、TOPスポンサーとなる契約を締結した。&lt;br /&gt;
*国際スポーツへの協賛&lt;br /&gt;
**[[オリンピック]] - 公式TOP[[スポンサー]]&lt;br /&gt;
**[[フォーミュラ1]] (F1) - [[トヨタF1|パナソニック・トヨタ・レーシング]] のチーム・タイトルスポンサー&lt;br /&gt;
**[[AFCチャンピオンズリーグ]] - [[2006年]]よりスポンサー&lt;br /&gt;
*プロスポーツとの関連&lt;br /&gt;
**[[ガンバ大阪]] - マネジメント・パートナーおよびユニフォーム・スポンサー。&lt;br /&gt;
*企業スポーツ（実業団スポーツ）&lt;br /&gt;
**[[野球]] - [[パナソニック野球部]]（[[日本野球連盟 (社会人野球)|日本野球連盟]]）&lt;br /&gt;
**[[バスケットボール]] - 「[[パナソニックトライアンズ]]」（[[日本バスケットボールリーグ]]）&lt;br /&gt;
**[[バレーボール]] - 「[[パナソニック・パンサーズ]]」（[[Vリーグ (日本)|Vリーグ]]）&lt;br /&gt;
*その他&lt;br /&gt;
**[[ブラジル]]・[[サントスFC]] - ユニフォーム・スポンサー&lt;br /&gt;
**[[中華人民共和国|中国]]・全国卓球大会「パナソニック・グランプリ（{{lang|zh-cn|松下乒乓球大奖赛}}）」 - 1991年よりタイトルスポンサー&lt;br /&gt;
**[[石川遼]] - 所属プロゴルファー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==不祥事==&lt;br /&gt;
===FF式石油温風機の欠陥問題===&lt;br /&gt;
{{see|松下電器FF式石油温風機欠陥問題}}&lt;br /&gt;
===松下製リチウムイオン充電池回収問題===&lt;br /&gt;
{{see|松下電器産業#松下製リチウムイオン充電池回収問題}}&lt;br /&gt;
===所得隠しの発覚===&lt;br /&gt;
取引先からの部品の仕入れ価格について、割引があったにもかかわらず原価のまま経費計上していたとして、[[大阪国税局]]から[[2008年]][[3月]]期までの数年間で計約1億5,000万円の所得隠しを指摘されたことが、[[2010年]][[6月]]に発覚した。差額分は取引先に[[プール]]されており、隠蔽に当たると判断された模様である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/biz/news/20100601dde041040059000c.html 所得隠し：パナソニックが1億5000万円]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== グループ会社・関連団体 ==&lt;br /&gt;
{{See|パナソニックグループ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==グループイメージソング==&lt;br /&gt;
;『Step&amp;amp;GO』&lt;br /&gt;
:[[嵐 (ジャニーズ)|嵐]]によるタイアップソングで、『We're gonna step and go』という曲が基になっている。歌詞では、「Rollin' Rollin' on」の部分を「Panasonic」と歌い、「forever feel my soul!」の部分を「ideas for life」（パナソニックのスローガン）と歌っている。&lt;br /&gt;
:この曲は企業CMの他、提供番組の『[[パナソニック ドラマシアター]]』および『[[歌のない歌謡曲]]』で、長年親しまれてきた『明るいナショナル』に代わる新オープニング曲として使用されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==社章==&lt;br /&gt;
;以下、社章の名称はいずれも通称である。&lt;br /&gt;
*M矢 … 松下電気器具製作所時代の1920年、松下幸之助がアルファベットの「M」と矢のイラストをデザインとする商標を考案した&amp;lt;ref&amp;gt;幸之助が[[石清水八幡宮]]を参詣した際、破魔矢からヒントを得た。[http://panasonic.co.jp/history/person/025.html 松下幸之助の生涯：25. M矢の商標を制定　1920年（大正9年）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この商標は商品や広告でのマークに使用されたほか、1943年まで社章として使用された。また松下電工では、現在のパナソニック電工に社名変更するまで「M矢」を社章として用いていた。&lt;br /&gt;
*三松葉 … アルファベットを用いた「M矢」が戦時下では好ましくないということで、1943年に、三枚の松葉をデザインしたものに社章を改訂した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://panasonic.co.jp/history/person/076.html 松下幸之助の生涯：76. M矢の社章を三松葉に改訂　1943年（昭和18年）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。2008年の社名変更まで使用された。&lt;br /&gt;
*Panasonic … 現在の社章。パナソニックへの社名変更を機に、ブランドロゴとして使われていたものを社章にも制定した。グループ企業・団体のうちパナソニックがつくものは、すべて社章を「Panasonic」に変更している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主なスポンサー番組==&lt;br /&gt;
===現在放送中（2008年10月現在）===&lt;br /&gt;
*'''一社提供'''&lt;br /&gt;
**[[パナソニック ドラマシアター]]（[[TBSテレビ|TBS]]系列、旧称・ナショナル劇場、ナショナルゴールデンアワー）&lt;br /&gt;
**パナソニック ドラマスペシャル（TBS系列、[[月曜ゴールデン]]枠で不定期放送されるスペシャルドラマ、旧称・ナショナルドラマスペシャル、現社名変更前はNational名義）&lt;br /&gt;
***上記2つの番組が同日に放送されると、TBS系列の月曜日午後8時から午後11時までの枠がパナソニックグループ提供枠の独占状態となる。&lt;br /&gt;
**女子才彩（[[BS-TBS]]）&lt;br /&gt;
**[[二人の食卓 〜ありがとうのレシピ〜]]（[[テレビ朝日]]系列、現社名変更前はNational名義 CMは白物家電のみ）&lt;br /&gt;
**以下は単発特番「[[パナソニックスペシャル]]」&lt;br /&gt;
***[[HAPPY Xmas SHOW]] - 2003年より年に1回放送（[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列）&lt;br /&gt;
***地球新世紀〜月尾嘉男の文明大冒険〜（TBS系列）&lt;br /&gt;
***岡本行夫のニッポンという国へ（BS-TBS）&lt;br /&gt;
**[[歌のない歌謡曲]]（[[MBSラジオ]] - [[Japan Radio Network|JRN]]系列）&lt;br /&gt;
**[[Panasonic Melodious Library]]（[[エフエム東京|TOKYO FM]] - [[全国FM放送協議会|JFN]]系列）&lt;br /&gt;
*'''複数社提供'''&lt;br /&gt;
**[[ズームイン!!SUPER]]（日本テレビ系列、月曜日）&lt;br /&gt;
**[[日曜洋画劇場]]（テレビ朝日系列）&lt;br /&gt;
**[[報道ステーション]]（テレビ朝日系列、金曜のみ）&lt;br /&gt;
**[[上沼恵美子のおしゃべりクッキング]]（ABCテレビ - テレビ朝日系列）&lt;br /&gt;
== 松下家役員一覧 ==&lt;br /&gt;
*[[松下正治]] - 取締役相談役名誉会長&lt;br /&gt;
*[[松下正幸]] - 代表取締役副会長&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な大手顧客・パナソニック製品使用箇所 ==&lt;br /&gt;
*下記の9社の放送局で、パナソニック製のテレビマスター（主調整室・MBSとKTVを除く。TVOはアナログ放送のみ）装置およびモニターを使用している。&lt;br /&gt;
**[[テレビユー山形]] (TUY)&lt;br /&gt;
**[[テレビ山梨]] (UTY)&lt;br /&gt;
**[[テレビ信州]] (TSB)&lt;br /&gt;
**[[北陸放送]] (MRO)&lt;br /&gt;
**[[福井放送]] (FBC)&lt;br /&gt;
**[[毎日放送]] (MBS)&lt;br /&gt;
***[[wiki:ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]（MBSテレビ） - 番組コーナー「キッチンぷいぷい」においてパナソニック製[[IHクッキングヒーター]]を使用。&lt;br /&gt;
**[[関西テレビ放送]] (KTV) &lt;br /&gt;
**[[テレビ大阪]] (TVO) &lt;br /&gt;
**[[テレビ和歌山]] (WTV)&lt;br /&gt;
*下記の4社でパナソニック製の車載テレビを、観光&amp;amp;スーパーハイデッカーバス車両に搭載（最新車は[[ワンセグ]]チューナー搭載）。&lt;br /&gt;
**[[岩手県交通]]&lt;br /&gt;
**[[岩手県北自動車]]&lt;br /&gt;
**[[はとバス]]&lt;br /&gt;
**[[奈良交通]]&lt;br /&gt;
*[[東海道新幹線]] - [[東京駅]]や[[新大阪駅]]など、[[東海旅客鉄道|JR東海]]・東海道新幹線の駅構内に設置されているフルカラーの列車案内装置は、パナソニックが製造している。&lt;br /&gt;
*[[西三荘駅]] - [[京阪電気鉄道]][[京阪本線]]にあるパナソニック本社の最寄り駅。[[2000年]]ごろまでは車内放送で「西三荘、松下前」とアナウンスしていた。隣の[[守口市駅]]は[[三洋電機]]の本社最寄り駅である。京阪電鉄とパナソニックは関係が深く、[[京阪特急]]の[[テレビカー]]に積まれるテレビは代々パナソニック製であり、また一般車両も含めて電車内で使われている放送機器類は全てパナソニック製である。&lt;br /&gt;
*[[全日本空輸|ANA]] - 機内のビデオ&amp;amp;オーディオシステムはパナソニック製である。&lt;br /&gt;
*[[近江鉄道|近江鉄道バス]] - [[滋賀県]]にある[[西武グループ]]のバス事業者。県内の社員食堂で使用された[[天ぷら]]油を特定の車両の燃料として供給している。&lt;br /&gt;
*[[いわて県民情報交流センター|アイーナ]] - 館内の廊下に設置されているプラズマ・液晶ディスプレイはパナソニック製（[[シャープ]]製もあり。なお同館内の[[岩手県立図書館]]で使用されているプラズマ・液晶ディスプレイは[[ビクター]]製）。また館内照明器具及び非常口誘導灯は[[パナソニック電工]]製。またアイーナ会議室には[[DIGA]]が置かれており（但し地デジモデルではなく2006年製の「かんたんDIGA」DMR-ES30V=地上アナログチューナーのみ内蔵）、毎年7月~8月にかけて開催される「[[夏の高校野球岩手大会実況中継|夏の高校野球岩手＆全国大会]]」TV中継[[パブリックビューイング]]に用いられている（AV&amp;amp;PAアンプも「RAMSA」ブランド製品使用）。&lt;br /&gt;
*[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]・[[西日本旅客鉄道|JR西日本]] - 管内主要駅においてパナソニック製のプラズマ・液晶ディスプレイを、列車運行情報伝達手段として使用。&lt;br /&gt;
*[[東京ドーム]] - ここで使用されている換気・空調装置は[[パナソニック エコシステムズ]]製。&lt;br /&gt;
*[[ビコム]] - 取材及びソフト制作用としてパナソニック製ハイビジョンカメラを使用。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[パナソニックセンター東京]]&lt;br /&gt;
*[[パナソニックセンター大阪]]&lt;br /&gt;
*[[パナソニック リビング ショウルーム東京]]&lt;br /&gt;
*[[パナソニック リビング ショウルーム大阪]]&lt;br /&gt;
*[[パナソニックショップ]]（特約店）&lt;br /&gt;
*[[パナソニックグループ]] - グループ企業の一覧&lt;br /&gt;
*[[住友グループ]] - 関係が深い。&lt;br /&gt;
*[[スター・ツアーズ]] - [[東京ディズニーランド]]のアトラクションのスポンサー。&lt;br /&gt;
*[[モンスターズ・インク“ライド&amp;amp;ゴーシーク!”]] - [[東京ディズニーランド]]のアトラクションのスポンサー。「スター・ツアーズ」と共に、2009年4月15日より提供・スポンサーとなる。&lt;br /&gt;
*[[インディ・ジョーンズ・アドベンチャー]] - [[東京ディズニーシー]]のアトラクションのスポンサー&lt;br /&gt;
*[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]] - オフィシャル・マーケティング・パートナー&lt;br /&gt;
*[[wiki:ターミネーター2|ターミネーター2:3-D]] - ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのアトラクションのスポンサー&lt;br /&gt;
*[[セットトップボックス]]&lt;br /&gt;
*[[白浜エネルギーランド]]&lt;br /&gt;
*[[トヨタF1]] - タイトルスポンサーのF1チーム。&lt;br /&gt;
*[[パナソニック モバイルコミュニケーションズ]]（携帯電話）&lt;br /&gt;
*[[エフエムもりぐち]] - 大阪府[[守口市]]と門真市を[[放送対象地域]]とする[[西日本]]で最初の[[コミュニティ放送|コミュニティ放送局]]。通称「FM HANAKO」。パナソニックも出資しており、門真・守口市境に跨るパナソニック本社敷地内に送信所を設置している。その関係もあってか、パナソニック野球部が[[都市対抗野球大会]]に出場する場合、実況生中継を放送する。&lt;br /&gt;
*[[半導体メーカー売上高ランキング]]&lt;br /&gt;
*[[半導体・製造装置メーカー売上高ランキング]]&lt;br /&gt;
*[[浜崎あゆみ]]&lt;br /&gt;
*[[綾瀬はるか]]&lt;br /&gt;
*[[小雪 (女優)|小雪]]&lt;br /&gt;
*[[石川遼]]&lt;br /&gt;
*[[中村邦夫]]&lt;br /&gt;
*[[大坪文雄]]&lt;br /&gt;
*[[小川和弘]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==備考==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://panasonic.co.jp/ パナソニック ホームページ]&lt;br /&gt;
*[http://panasonic.jp/ パナソニック 商品サイト]&lt;br /&gt;
*[http://club.panasonic.jp/ パナソニック 会員コミュニティ「Club Panasonic」]&lt;br /&gt;
*[http://panasonic.biz/ panasonic.biz（ビジネスサイト）]&lt;br /&gt;
*[http://www.panasonic.net/ グローバルサイト]&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はなそにつく}}&lt;br /&gt;
[[Category:パナソニック|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の電気機器メーカー]]&lt;br /&gt;
[[Category:映像機器メーカー]]&lt;br /&gt;
[[Category:音響機器メーカー]]&lt;br /&gt;
[[Category:携帯電話メーカー]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のガス器具メーカー]]&lt;br /&gt;
[[Category:コンピュータ企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロボット関連企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:カメラメーカー・ブランド]]&lt;br /&gt;
[[Category:多国籍企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:半導体企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府の企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:東証一部上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:大証一部上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:名証一部上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:NYSE上場企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:門真市]]&lt;br /&gt;
[[Category:テレビ]]&lt;br /&gt;
[[Category:クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー]]&lt;br /&gt;
[[Category:日経平均株価]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[en:Panasonic]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=4%E6%9C%881%E6%97%A5&amp;diff=405799</id>
		<title>4月1日</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=4%E6%9C%881%E6%97%A5&amp;diff=405799"/>
				<updated>2023-10-24T03:18:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 誕生日 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''4月1日'''（しがつついたち）は[[グレゴリオ暦]]で年始から91日目（[[閏年]]では92日目）にあたり、[[年末]]まであと274日ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、日本や一部の国では4月1日が[[会計年度]]の初日であるため、政府機関、企業などで多くの制度の変更、新設、発足が行われ、個人レベルでも異動や新入学など大きな変化が起こる日である。ただし、運用の都合で先の変化が4月の第1週や4月1日を含む3月の最終週の月曜日に行われることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{カレンダー_4月}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
[[1867年]] - パリ[[万国博覧会]]開幕。日本からは[[江戸幕府|幕府]]と薩摩政府（[[薩摩藩]]）が出展。&lt;br /&gt;
* 1867年 - [[シンガポール]]が[[イギリス]]の[[イギリスの海外領土|直轄植民地]]となる。&lt;br /&gt;
* [[1897年]] - [[伝染病]]予防法公布。&lt;br /&gt;
* [[1921年]] - [[北大阪電気鉄道]]（現・[[阪急電鉄]][[阪急京都本線|京都本線]]・[[阪急千里線|千里線]]）[[十三駅]]～[[豊津駅 (大阪府)|豊津駅]]間が開業。&lt;br /&gt;
* [[1925年]] - [[ヘブライ大学]]開校。&lt;br /&gt;
* [[1937年]] - [[アデン]]が[[イギリス]]の直轄植民地となる。&lt;br /&gt;
* [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]：米軍が[[沖縄]]上陸。（[[沖縄戦]]）&lt;br /&gt;
* 1945年 - [[阿波丸事件]]。&lt;br /&gt;
* [[1946年]] - [[アラスカ]]・[[アリューシャン列島]]沖を震源として地震が発生、アラスカ・[[ハワイ]]を[[津波]]が襲来。初めて「津波」の呼称が国際的に使われる。&lt;br /&gt;
* [[1949年]] - [[ニューファンドランド島]]が[[カナダ]]の連邦政府に加入。&lt;br /&gt;
* 1949年 - [[エール共和国|エール]]が[[イギリス連邦]]を脱退し、[[アイルランド共和国]]成立。&lt;br /&gt;
* [[1952年]] - 雑誌『少年』で[[手塚治虫]]の漫画『[[鉄腕アトム]]』が連載開始。&lt;br /&gt;
* 1952年 - [[ラジオ関西]]開局&lt;br /&gt;
* [[1954年]] - [[広島平和記念公園]]完成。&lt;br /&gt;
* [[1955年]] - ラジオ東京テレビ（KRT。現・[[東京放送]]=TBS）開局。&lt;br /&gt;
* [[1959年]] - [[札幌テレビ放送]]（STVテレビ）、[[四国放送]]テレビ（JRT）他[[民間放送]][[テレビ局]]が各地に開局。&lt;br /&gt;
* [[1962年]] - [[高等専門学校]]が設置される。&lt;br /&gt;
* [[1963年]] - [[福島テレビ]](FTV)開局。&lt;br /&gt;
* [[1964年]] - 日本の海外渡航自由化&lt;br /&gt;
* [[1965年]] - 戦後初の日本国産旅客機[[YS-11]]の国内初就航([[東京国際空港|東京]]～[[徳島飛行場|徳島]]～[[高知空港|高知]])。&lt;br /&gt;
* [[1968年]] - 「[[国際勝共連合]]」発足（韓国 [[1月13日]]）。会長に[[統一教会]]の初代会長・[[久保木修己]]、名誉会長に[[笹川良一]]。 [http://www.asahi-net.or.jp/~AM6K-KZHR/wgendai.htm]&lt;br /&gt;
* [[1969年]] - [[1970年]] - [[中京テレビ放送]](CTV)、[[福岡放送]](FBS)他[[UHF]][[テレビ局]]が各地に開局。&lt;br /&gt;
* [[1970年]] - [[エフエム大阪]]開局&lt;br /&gt;
* [[1972年]] - [[札幌市]]・[[川崎市]]・[[福岡市]]が[[政令指定都市]]に移行。&lt;br /&gt;
* [[1975年]] - [[細川たかし]]が[[シングル]]『[[心のこり]]』で[[演歌歌手]]デビュー。&lt;br /&gt;
* [[1976年]] - [[アップル・コンピュータ]]社が[[スティーブ・ジョブズ]]と[[スティーブ・ウォズニアック]]により設立される。&lt;br /&gt;
* [[1977年]] - 日本教育テレビ（NETテレビ）が社名変更され社名が全国朝日放送に（愛称[[テレビ朝日]]）。&lt;br /&gt;
* [[1979年]] - [[イラン革命]]により[[イラン・イスラム共和国]]が成立。&lt;br /&gt;
* [[1979年]] - [[後楽園球場]]の巨人阪神戦で初めて[[スピードガン]]が使用される。&lt;br /&gt;
* [[1980年]] - [[広島県]][[広島市]]が10番目の[[政令指定都市]]になり、[[中区 (広島市)|中区]]・[[南区 (広島市)|南区]]・[[西区 (広島市)|西区]]・[[安芸区]]・[[東区 (広島市)|東区]]・[[安佐南区]]・[[安佐北区]]・[[佐伯区]]の8[[行政区]]が設置された。&lt;br /&gt;
* 1980年 - [[松田聖子]]が[[シングル]]『[[裸足の季節]]』で[[歌手]]デビュー。&lt;br /&gt;
* [[1981年]] - [[千葉県]][[浦安市]]と[[四街道市]]が市制施行。&lt;br /&gt;
* [[1982年]] - [[読売新聞]]朝刊に[[植田まさし]]の[[4コマ漫画]]「[[コボちゃん]]」が連載開始&lt;br /&gt;
* 1982年 - [[熊本県民テレビ]](KKT)が開局&lt;br /&gt;
* [[1985年]] - [[日本電信電話公社]]が[[民営化]]、NTT（[[日本電信電話]]）発足&lt;br /&gt;
* 1985年 - [[日本専売公社]]が民営化、[[日本たばこ産業]]（JT）発足&lt;br /&gt;
* [[1986年]] - [[雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律|男女雇用機会均等法]]施行&lt;br /&gt;
* [[1987年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]が分割民営化、[[JR]]グループ7社が発足。&lt;br /&gt;
* [[1989年]] - [[消費税]]導入。税率3%。&lt;br /&gt;
* 1989年 - [[宮城県]][[仙台市]]が11番目の政令指定都市に移行。[[青葉区 (仙台市)|青葉区]]・[[宮城野区]]・[[若林区]]・[[太白区]]・[[泉区 (仙台市)|泉区]]の5行政区が設置された。&lt;br /&gt;
* 1989年 - [[福井放送]](FBC)が[[All-nippon News Network|ANN]]に正式加盟。&lt;br /&gt;
* [[1990年]] - 大阪市で[[国際花と緑の博覧会]]開幕。[[9月30日]]まで。&lt;br /&gt;
* 1990年 - [[テレビ金沢]](KTK)、[[長崎文化放送]](ncc)開局。&lt;br /&gt;
* 1990年 - [[明石短期大学]]が神戸文化短期大学と改称。&lt;br /&gt;
* [[1991年]] - [[TVQ九州放送|ティー・エックス・エヌ九州（TVQ。現・TVQ九州放送）]]開局。[[テレビ東京]]をキー局とする[[TXN]]列島縦貫ネットワークが完成する。&lt;br /&gt;
* 1991年 - [[岩手めんこいテレビ]](mit)、[[長野朝日放送]](abn)、[[長崎国際テレビ]](NIB)開局。&lt;br /&gt;
* 1991年 - 日本初の民間[[衛星放送|衛星テレビ局]]・[[WOWOW]]（当時の正式社名・JSB日本衛星放送）本放送開始。有料テレビ放送の先駆け。&lt;br /&gt;
* [[1992年]] - [[千葉県]][[千葉市]]が政令指定都市に移行。[[稲毛区]]・[[中央区 (千葉市)|中央区]]・[[花見川区]]・[[緑区 (千葉市)|緑区]]・[[美浜区]]・[[若葉区]]の6行政区が設置された。&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - [[山形テレビ]](YTS)が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列（[[フジネットワーク|FNS]]・[[フジニュースネットワーク|FNN]]）からテレビ朝日系列（[[All-nippon News Network|ANN]]）に[[ネットチェンジ]]。&lt;br /&gt;
* [[1994年]] - [[鹿児島讀賣テレビ]](KYT)、[[エフエム栃木]](RADiO BERRY)開局。&lt;br /&gt;
* [[1995年]] - [[愛媛朝日テレビ]](eat)開局。&lt;br /&gt;
* 1995年 - [[JR神戸線]]全線復旧&lt;br /&gt;
* [[1996年]] - [[東京三菱銀行]]発足。&lt;br /&gt;
* 1996年 - 国内初の商用検索サイト『[[Yahoo! JAPAN]]』がサービスを開始。&lt;br /&gt;
* [[1997年]] - 消費税 5%に。&lt;br /&gt;
* 1997年 - テレビアニメ『[[ポケットモンスター (アニメ)|ポケットモンスター]]』放送開始。2002年11月まで（その間に[[ポケモンショック]]で4ヶ月休止した）。&lt;br /&gt;
* 1997年 - [[さくらんぼテレビジョン]](SAY)、[[高知さんさんテレビ]](KSS)開局。&lt;br /&gt;
* 1997年 - [[大阪高速鉄道大阪モノレール線]][[大阪空港駅]]～[[柴原駅]]間が延伸開業。&lt;br /&gt;
* [[1998年]] - 日本版[[金融ビッグバン]]スタート。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] - [[とちぎテレビ]](GYT)開局。[[全国独立UHF放送協議会|独立UHF放送局]]では最後の開局。&lt;br /&gt;
* [[2000年]] - [[介護保険制度]]・[[成年後見制度]]施行（[[高齢化社会]]のための制度）。&lt;br /&gt;
* [[2001年]] - [[三井住友銀行]]発足。&lt;br /&gt;
* 2001年 - [[戦争犯罪]]の罪に問われていた[[ユーゴスラビア]]大統領[[スロボダン・ミロシェビッチ]]が警察の特殊部隊に投降。&lt;br /&gt;
* [[2002年]] - [[みずほ銀行]]、[[みずほコーポレート銀行]]発足。システムトラブル多発。&lt;br /&gt;
* 2002年 - [[配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律|DV防止法]]が全面施行。&lt;br /&gt;
* 2002年 - [[学習指導要領]]の見直しが図られ、完全週5日制の[[ゆとり教育]]スタート。&lt;br /&gt;
* [[2003年]] - [[郵政事業庁]]が[[日本郵政公社]]に。&lt;br /&gt;
* 2003年 - [[埼玉県]][[さいたま市]]が13番目の政令指定都市に移行。[[西区 (さいたま市)|西区]]・[[北区 (さいたま市)|北区]]・[[大宮区]]・[[見沼区]]・[[中央区 (さいたま市)|中央区]]・[[桜区]]・[[浦和区]]・[[南区 (さいたま市)|南区]]・[[緑区 (さいたま市)|緑区]]の9行政区が設置された。&lt;br /&gt;
* 2003年 - [[三岐鉄道北勢線|北勢線]]の運営が[[近畿日本鉄道]]から[[三岐鉄道]]に移管。&lt;br /&gt;
* [[2004年]] - 日本航空が[[日本航空インターナショナル]]、[[日本エアシステム]]が[[日本航空ジャパン]]に。 &lt;br /&gt;
* 2004年 - [[帝都高速度交通営団]]が民営化され、[[東京地下鉄]]株式会社（東京メトロ）に。 &lt;br /&gt;
* 2004年 - [[松下電器産業]]が、[[オキシライド乾電池]]を販売 &lt;br /&gt;
* 2004年 - [[日本育英会]]、財団法人[[日本国際教育協会]]、財団法人[[内外学生センター]]、[[国際学友会]]、財団法人[[関西国際学友会]]が合併し、[[日本学生支援機構]]設立。 &lt;br /&gt;
* [[2005年]] - [[静岡県]][[静岡市]]が14番目の政令指定都市になり、[[駿河区]]・[[葵区]]・[[清水区]]の3行政区が設置された（現在の15政令指令都市の中では行政区が一番少ない）。&lt;br /&gt;
* 2005年 - [[個人情報保護法]]全面施行。 &lt;br /&gt;
* 2005年 - [[ペイオフ (預金保護)|ペイオフ]]全面解禁。 &lt;br /&gt;
* 2005年 - 埼玉県[[岩槻市]]がさいたま市と合併。旧岩槻市域は、行政区の一つ[[岩槻区]]に。 &lt;br /&gt;
* 2005年 - [[ZONE (バンド)|ZONE]]が[[日本武道館]]でのラストコンサートをもって解散。&lt;br /&gt;
*2005年‐プロ野球パリーグの新球団である[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]が本拠地である[[フルキャストスタジアム宮城]]での初戦（[[県営宮城球場]]をリニューアルしての柿落とし）を行う。（対西武戦）&lt;br /&gt;
* 2005年 - [[オキナワ マリオット リゾート&amp;amp;スパ]]が[[沖縄県]][[名護市]]に開業。&lt;br /&gt;
* [[2006年]] - [[大阪府]][[堺市]]が15番目の政令指定都市になり、[[堺区]]、[[中区 (堺市)|中区]]、[[東区 (堺市)|東区]]、[[西区 (堺市)|西区]]、[[南区 (堺市)|南区]]、[[北区 (堺市)|北区]]、[[美原区]]の7行政区が設置された。&lt;br /&gt;
* 2006年 - [[地上デジタルテレビジョン放送]]が始まっている地域の放送区域で[[ワンセグ]]が本放送開始。&lt;br /&gt;
* 2006年 - [[地域団体商標登録]]出願受付開始。 &lt;br /&gt;
* 2006年 - [[ハイウェイカード]]廃止&lt;br /&gt;
* 2006年 - [[和歌山電鐵貴志川線|貴志川線]]の運営が[[南海電気鉄道]]から[[和歌山電鐵]]に移管。&lt;br /&gt;
* 2006年 - [[瀬戸内市病院事業部]]に[[病院事業管理者]]が赴任。&lt;br /&gt;
* [[2007年]] - [[新潟県]][[新潟市]]・[[静岡県]][[浜松市]]が同時に16番目・17番目の政令指定都市になり、新潟市には[[北区 (新潟市)|北区]]・[[東区 (新潟市)|東区]]・[[中央区 (新潟市)|中央区]]・[[江南区 (新潟市)|江南区]]・[[秋葉区]]・[[南区 (新潟市)|南区]]・[[西区 (新潟市)|西区]]・[[西蒲区]]の8行政区が、浜松市には[[中区 (浜松市)|中区]]・[[南区 (浜松市)|南区]]・[[東区 (浜松市)|東区]]・[[浜北区]]・[[西区 (浜松市)|西区]]・[[北区 (浜松市)|北区]]・[[天竜区]]の7行政区が、それぞれ設置された。&lt;br /&gt;
* 2007年 - デジタルラジオ＆インターネットラジオで、クラシック専門局[[OTTAVA]]が開局。&lt;br /&gt;
== 誕生日 ==&lt;br /&gt;
* [[1578年]] - [[ウイリアム・ハーベー]]、[[医学者]]（+ [[1657年]]）&lt;br /&gt;
* [[1764年]] - [[エクリプス_(競走馬)|エクリプス]]、サラブレッド[[三大始祖]]の1頭（+ [[1789年]]）&lt;br /&gt;
* [[1815年]] - [[オットー・フォン・ビスマルク]]、[[プロイセン]]首相・[[ドイツ帝国]]初代宰相（+ [[1898年]]）&lt;br /&gt;
* [[1873年]]（[[ユリウス暦]]3月20日） - [[セルゲイ・ラフマニノフ]]、[[作曲家]]・[[ピアニスト]]（+ [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[1892年]] - [[大ノ里萬助]]、[[大相撲]][[力士]]（+ [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* [[1897年]] - [[我妻栄]]、[[法学者]]（+ [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[1920年]] - [[三船敏郎]]、[[映画俳優]]（+ [[1997年]]）&lt;br /&gt;
* [[1922年]] - [[元良誠三]]、[[船舶工学|船舶工学者]]&lt;br /&gt;
* [[1926年]] - [[升味準之輔]]、[[政治学者]]&lt;br /&gt;
* [[1927年]] - [[ジャック・マイヨール]]、[[フリーダイバー]]&lt;br /&gt;
* [[1928年]] - [[古在由秀]]、[[天文学者]]&lt;br /&gt;
* 1928年 - [[塩沢とき]]、[[俳優|女優]]（+ [[2007年]]）&lt;br /&gt;
* [[1929年]] - [[ミラン・クンデラ]]、[[小説家]]&lt;br /&gt;
* [[1933年]] - [[石原藤夫]]、[[SF作家]]&lt;br /&gt;
* [[1934年]] - [[坂口力]]、[[政治家]]&lt;br /&gt;
* [[1937年]] - [[瓦力]]、政治家&lt;br /&gt;
* [[1938年]] - [[近藤昭仁]]、元[[プロ野球選手]]・[[プロ野球監督|監督]]&lt;br /&gt;
* [[1939年]] - [[アリ・マッグロー]]、女優&lt;br /&gt;
* [[1941年]] - [[伊藤エミ]]、元[[歌手]]（[[ザ・ピーナッツ]]）&lt;br /&gt;
* 1941年 - [[伊藤ユミ]]、元歌手（ザ・ピーナッツ）&lt;br /&gt;
* 1941年 - [[阿部豪一]]、[[洋画家]]&lt;br /&gt;
* 1941年 - [[浜田輝男]]、[[実業家]]・[[北海道国際航空]]創業者（+ [[2000年]]）&lt;br /&gt;
* [[1942年]] - [[サミュエル・R・ディレイニー]]、SF作家&lt;br /&gt;
* [[1944年]] - [[倉石功]]、[[俳優]]&lt;br /&gt;
* [[1954年]] - [[林真理子]]、[[小説家]]&lt;br /&gt;
* [[1958年]] - [[川上弘美]]、小説家&lt;br /&gt;
* [[1959年]] - [[クリスティアン・ティーレマン]]、[[指揮者]]&lt;br /&gt;
* [[1961年]] - [[くじら (声優)|くじら]]、[[声優]]&lt;br /&gt;
* 1961年 - [[高橋克実]]、俳優&lt;br /&gt;
* 1961年 - [[羽場裕一]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[1964年]] - [[栗山龍]]、性犯罪者&lt;br /&gt;
* [[1967年]] - [[相原勇]]、[[タレント]]&lt;br /&gt;
* 1967年 - [[鷲尾いさ子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[1968年]] - [[桑田真澄]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 1968年 - [[ユリオカ超特Q]]、[[お笑いタレント]]&lt;br /&gt;
* [[1969年]] - [[関川浩一]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[1971年]] - [[伊藤智恵理]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[1971年]] - [[中野信治]]、[[レーシングドライバー]]&lt;br /&gt;
* [[1973年]] - [[八木沼純子]]、[[フィギュアスケート]]選手・スポーツコメンテーター&lt;br /&gt;
* [[1975年]] - [[脇阪薫一]]、[[レーシングドライバー]]&lt;br /&gt;
* [[1977年]] - [[モンテプリンス]]、[[競走馬]]&lt;br /&gt;
* [[1979年]] - [[ハギノカムイオー]]、[[競走馬]]&lt;br /&gt;
* [[1980年]] - [[竹内結子]]、[[女優]]&lt;br /&gt;
* [[1981年]] - [[細川慎弥]]、[[レーシングドライバー]]&lt;br /&gt;
* [[1986年]] - [[宮本駿一]]、[[歌手]]&lt;br /&gt;
* [[1988年]] - [[マジックナイト]]、[[競走馬]]&lt;br /&gt;
* [[1989年]] - [[杉本有美]]、[[ファッションモデル]]&lt;br /&gt;
* 1989年 - [[宇浦冴香]]、[[歌手]]&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - [[岡本圭人]]、[[歌手]]&lt;br /&gt;
* [[2000年]] - [[パワーズコート]]、[[競走馬]]&lt;br /&gt;
* [[2001年]] - [[ヤマニンシュクル]]、[[競走馬]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 忌日 ==&lt;br /&gt;
* [[1607年]]（[[慶長]]12年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]）- [[松平忠吉]]、[[清洲城]]主・[[徳川家康]]の四男（* [[1580年]]）&lt;br /&gt;
* [[1802年]] - [[ジョゼフ・デュプレシ]]、[[画家]]（* [[1725年]]）&lt;br /&gt;
* [[1917年]] - [[スコット・ジョプリン]]、[[作曲家]]（* [[1868年]]）&lt;br /&gt;
* [[1922年]] - [[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]]、[[オーストリア・ハンガリー帝国]]最後の皇帝（* [[1887年]]）&lt;br /&gt;
* [[1940年]] - [[ジョン・アトキンソン・ホブソン]]、[[経済学者]](* [[1858年]])&lt;br /&gt;
* [[1968年]] - [[レフ・ランダウ]]、[[物理学者]]（* [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[1973年]] - [[横山操]]、画家（* [[1920年]]）&lt;br /&gt;
* [[1980年]] - [[五味康祐]]、[[小説家]]（* [[1921年]]）&lt;br /&gt;
* [[1987年]] - [[春日照代]]、[[漫才師]]（* [[1935年]]）&lt;br /&gt;
* [[2002年]] - [[シモ・ヘイヘ]]、[[軍人]]・[[狙撃手]]（* [[1905年]]）&lt;br /&gt;
* [[2003年]] - [[鯨岡兵輔]]、[[政治家]]（* [[1915年]]）&lt;br /&gt;
* 2003年 - [[レスリー・チャン]]（張國榮）、俳優（* [[1956年]]）&lt;br /&gt;
* [[2004年]] - [[中谷一郎]]、俳優（* [[1930年]]）&lt;br /&gt;
* [[2006年]] - [[松本竜助]]、[[お笑いタレント]]（* [[1956年]]）&lt;br /&gt;
* 2006年 - [[アイ高野]]、[[歌手]]（* [[1951年]]）&lt;br /&gt;
* 2006年 - [[松平勇雄]]、政治家（* [[1907年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 記念日・年中行事 ==&lt;br /&gt;
* [[エイプリルフール]]（四月馬鹿・万愚節）&lt;br /&gt;
* イギリス、日本などで[[会計年度]]・[[学校年度]]（[[年度]]）が始まる日である。 日本では法律上、この日生まれの人は「[[学齢|早生まれ]]」として扱われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*綿抜（わたぬき）、更衣（[[衣替え]]）&lt;br /&gt;
*:かつては、冬の間に防寒として着物に詰めた綿を[[4月1日 (旧暦)|旧暦4月1日]]に抜いていた。ここから、 「四月一日（四月朔日）」と書いて「わたぬき」と読む姓も存在する。&lt;br /&gt;
*トレーニングの日&lt;br /&gt;
*:スポーツ用品メーカー・[[ミズノ]]の直営店・エスポートミズノが[[1994年]]に制定。年度始めから[[トレーニング]]を始めようという日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクションのできごと ==&lt;br /&gt;
* [[1939年|昭和14年]] - [[大日本帝国海軍]][[中将]]・[[次官]]高野五十六暗殺未遂事件（『[[紺碧の艦隊]]』）&lt;br /&gt;
* [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - [[地球連邦軍]]、[[V作戦]]を発動（『[[機動戦士ガンダム]]』）&lt;br /&gt;
* [[コズミック・イラ|C.E.]]70年 - エイプリルフール・クライシス発動（『[[機動戦士ガンダムSEED]]』）&lt;br /&gt;
=== 誕生日 ===&lt;br /&gt;
* [[1168年]] - ヒノエ(藤原湛増)、ゲーム『[[遙かなる時空の中で3]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[1742年]]？ - [[P. D. Q. バッハ]]、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の21番目の息子'''とされている'''作曲家（+ [[1807年]]？）&lt;br /&gt;
* [[1861年]] - 米田一基、ゲーム・アニメ『[[サクラ大戦シリーズ]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[1960年]] - [[キン肉マンの登場人物#キン肉マン|キン肉マン（キン肉スグル）]]、[[キン肉マンの登場人物#キン肉マンスーパー・フェニックス|キン肉マンスーパー・フェニックス（フェニックスマン）]]、[[キン肉マンの登場人物#キン肉マンゼブラ|キン肉マンゼブラ（パワフルマン）]]、[[キン肉マンの登場人物#キン肉マンマリポーサ|キン肉マンマリポーサ（盗人ジョージ）]]、[[キン肉マンの登場人物#キン肉マンビッグボディ|キン肉マンビッグボディ（ストロングマン）]]、[[キン肉マンの登場人物#キン肉マンソルジャー|キン肉マンソルジャー（ソルジャーマン）]]　[[漫画]]・[[アニメ]]『[[キン肉マン]]』の登場人物&lt;br /&gt;
* [[1961年]] - 前原圭一、ノベルゲーム・アニメ『[[ひぐらしのなく頃に]]、[[ひぐらしのなく頃に解]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[1976年]] - 御坊茶魔、[[漫画]]・[[アニメ]]『[[おぼっちゃまくん]]』の主人公&lt;br /&gt;
* [[1978年]] - [[フレッドとジョージ・ウィーズリー]]『[[ハリー・ポッター]]』シリーズに登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[1984年]] - 小島有希、[[漫画]]・[[アニメ]]『[[ホイッスル!]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[1987年]] - 田中一郎、テレビドラマ『[[特急田中3号]]』で[[田中聖]]（[[KAT-TUN]]）が演じる主人公&lt;br /&gt;
* [[1989年]]（アニメ） - 木之本桜、[[漫画]]・[[アニメ]]『[[カードキャプターさくら]]』の主人公&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - [[バッドばつ丸]]、[[サンリオ]]のキャラクター&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - 若宮康光、ゲーム・アニメ『[[高機動幻想ガンパレード・マーチ]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[1996年]] - ブリード・加賀／加賀丈太郎、アニメ『[[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]』シリーズに登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[1999年]](8歳) - 18代目おしりかじり虫、『[[みんなのうた]]』で放送された楽曲『[[おしりかじり虫]]』の主人公&lt;br /&gt;
* [[2001年]]（起動日）- [[絡繰茶々丸]]、[[漫画]]・[[アニメ]]『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 七耀暦1177年 - オリビエ・レンハイム、[[ゲーム]]『[[英雄伝説VI「空の軌跡」|英雄伝説・空の軌跡]]』シリーズに登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[コズミック・イラ|C.E.]]16年 - [[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#ジョージ・グレン|ジョージ・グレン]]、アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』に登場するキャラクター（+ C.E.53年）&lt;br /&gt;
* 生年不明 - チャイくん、『[[てのりくま]]』のキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 福沢祐麒、[[小説]]・[[漫画]]・[[アニメ]]『[[マリア様がみてる]]』の主人公・福沢祐巳の年子の弟&lt;br /&gt;
* 生年不明 - へろへろ、[[漫画]]・[[アニメ]]『[[へろへろくん]]』の主人公&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 山田花太郎、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 浅野啓吾、漫画・アニメ『BLEACH』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 面堂終太郎、漫画・アニメ『[[うる星やつら]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - [[ボボボーボ・ボーボボ (架空のキャラクター)|ボボボーボ・ボーボボ]]、漫画・アニメ『[[ボボボーボ・ボーボボ]]』の主人公&lt;br /&gt;
* 生年不明 - [[パタリロ・ド・マリネール8世]]、[[漫画]]・[[アニメ]]『[[パタリロ!]]』の主人公&lt;br /&gt;
* 生年不明 - [[桜木花道]]、[[漫画]]・[[アニメ]]『[[スラムダンク]]』の主人公&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 四月一日君尋、[[漫画]]『[[XXXHOLiC]]』の主人公の一人&lt;br /&gt;
* 生年不明([[ドカベン (スーパースターズ編)|ドカベン スーパースターズ編]]基準ならば[[1977年]]) - [[岩鬼正美]]、[[漫画]]『[[ドカベン (漫画)|ドカベン]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - [[ウソップ]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - リーヤ、漫画・アニメ『[[赤ずきんチャチャ]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - [[寿]]　みな＆なみ、小説・漫画・アニメ『[[はっぴぃセブン]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 小狼、漫画『[[ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-]]』の主人公&lt;br /&gt;
* 生年不明 - サクラ、漫画『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』のヒロイン&lt;br /&gt;
* 生年不明 - エイプリル、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - [[正宗]]、[[漫画]]・『[[ストレンジ・プラス]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 桜花蛮奉、漫画『[[Mr.FULLSWING]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 石崎了、漫画･アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - グレート・ブリテン、漫画･アニメ『[[サイボーグ009]]』の007&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 清原千春、ゲーム『[[君が主で執事が俺で]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - [[聖闘士星矢の登場人物#聖闘士候補生、従者、雑兵など|貴鬼]]、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 児玉憲太郎、漫画・アニメ『[[MAJOR]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 桜井晴、オンラインゲーム『[[ときめきメモリアルONLINE]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 田沢信一郎、漫画・アニメ『[[魁!!男塾]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - アキリーズ・ポーランドウッド、ゲーム・アニメ『[[絢爛舞踏祭]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* 生年不明 - 神坂春姫、ゲーム・漫画・アニメ『[[はぴねす!]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
== 関連項目==&lt;br /&gt;
{{新暦365日|3|31|4|2|[[3月1日]]|[[5月1日]]|[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]|0401|4|01}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[af:1 April]]&lt;br /&gt;
[[an:1 d'abril]]&lt;br /&gt;
[[ar:1 أبريل]]&lt;br /&gt;
[[ast:1 d'abril]]&lt;br /&gt;
[[bat-smg:Balondė 1]]&lt;br /&gt;
[[be:1 красавіка]]&lt;br /&gt;
[[be-x-old:1 красавіка]]&lt;br /&gt;
[[bg:1 април]]&lt;br /&gt;
[[bn:এপ্রিল ১]]&lt;br /&gt;
[[bpy:এপ্রিল ১]]&lt;br /&gt;
[[br:1añ Ebrel]]&lt;br /&gt;
[[bs:1. april]]&lt;br /&gt;
[[ca:1 d'abril]]&lt;br /&gt;
[[ceb:Abril 1]]&lt;br /&gt;
[[co:1 d'aprile]]&lt;br /&gt;
[[cs:1. duben]]&lt;br /&gt;
[[csb:1 łżëkwiôta]]&lt;br /&gt;
[[cv:Ака, 1]]&lt;br /&gt;
[[cy:1 Ebrill]]&lt;br /&gt;
[[da:1. april]]&lt;br /&gt;
[[de:1. April]]&lt;br /&gt;
[[el:1 Απριλίου]]&lt;br /&gt;
[[en:April 1]]&lt;br /&gt;
[[eo:1-a de aprilo]]&lt;br /&gt;
[[es:1 de abril]]&lt;br /&gt;
[[et:1. aprill]]&lt;br /&gt;
[[eu:Apirilaren 1]]&lt;br /&gt;
[[fa:۱ آوریل]]&lt;br /&gt;
[[fi:1. huhtikuuta]]&lt;br /&gt;
[[fiu-vro:1. mahlakuu päiv]]&lt;br /&gt;
[[fo:1. apríl]]&lt;br /&gt;
[[fr:1er avril]]&lt;br /&gt;
[[frp:1ér avril]]&lt;br /&gt;
[[fur:1 di Avrîl]]&lt;br /&gt;
[[fy:1 april]]&lt;br /&gt;
[[ga:1 Aibreán]]&lt;br /&gt;
[[gd:1 an Giblean]]&lt;br /&gt;
[[gl:1 de abril]]&lt;br /&gt;
[[he:1 באפריל]]&lt;br /&gt;
[[hi:1 अप्रैल]]&lt;br /&gt;
[[hr:1. travnja]]&lt;br /&gt;
[[ht:1e avril]]&lt;br /&gt;
[[hu:Április 1]]&lt;br /&gt;
[[hy:Ապրիլի 1]]&lt;br /&gt;
[[ia:1 de april]]&lt;br /&gt;
[[id:1 April]]&lt;br /&gt;
[[ie:1 april]]&lt;br /&gt;
[[ig:April 1]]&lt;br /&gt;
[[ilo:Abril 1]]&lt;br /&gt;
[[io:1 di aprilo]]&lt;br /&gt;
[[is:1. apríl]]&lt;br /&gt;
[[it:1 aprile]]&lt;br /&gt;
[[jv:1 April]]&lt;br /&gt;
[[ka:1 აპრილი]]&lt;br /&gt;
[[kk:Сәуірдің 1]]&lt;br /&gt;
[[ko:4월 1일]]&lt;br /&gt;
[[ksh:1. Apprill]]&lt;br /&gt;
[[ku:1'ê avrêlê]]&lt;br /&gt;
[[la:1 Aprilis]]&lt;br /&gt;
[[lb:1. Abrëll]]&lt;br /&gt;
[[li:1 april]]&lt;br /&gt;
[[lmo:01 04]]&lt;br /&gt;
[[lt:Balandžio 1]]&lt;br /&gt;
[[mk:1 април]]&lt;br /&gt;
[[ml:ഏപ്രില്‍ 1]]&lt;br /&gt;
[[mr:एप्रिल १]]&lt;br /&gt;
[[ms:1 April]]&lt;br /&gt;
[[nah:Tlanāuhti 1]]&lt;br /&gt;
[[nap:1 'e abbrile]]&lt;br /&gt;
[[nds:1. April]]&lt;br /&gt;
[[nds-nl:1 april]]&lt;br /&gt;
[[new:अप्रिल १]]&lt;br /&gt;
[[nl:1 april]]&lt;br /&gt;
[[nn:1. april]]&lt;br /&gt;
[[no:1. april]]&lt;br /&gt;
[[nov:1 de aprile]]&lt;br /&gt;
[[nrm:1 Avri]]&lt;br /&gt;
[[oc:1èr d'abril]]&lt;br /&gt;
[[pam:Abril 1]]&lt;br /&gt;
[[pl:1 kwietnia]]&lt;br /&gt;
[[pt:1 de Abril]]&lt;br /&gt;
[[ro:1 aprilie]]&lt;br /&gt;
[[ru:1 апреля]]&lt;br /&gt;
[[scn:1 di aprili]]&lt;br /&gt;
[[sco:1 Aprile]]&lt;br /&gt;
[[se:Cuoŋománu 1.]]&lt;br /&gt;
[[sh:1.4.]]&lt;br /&gt;
[[simple:April 1]]&lt;br /&gt;
[[sk:1. apríl]]&lt;br /&gt;
[[sl:1. april]]&lt;br /&gt;
[[sq:1 Prill]]&lt;br /&gt;
[[sr:1. април]]&lt;br /&gt;
[[su:1 April]]&lt;br /&gt;
[[sv:1 april]]&lt;br /&gt;
[[sw:1 Aprili]]&lt;br /&gt;
[[ta:ஏப்ரல் 1]]&lt;br /&gt;
[[te:ఏప్రిల్ 1]]&lt;br /&gt;
[[tg:1 апрел]]&lt;br /&gt;
[[th:1 เมษายน]]&lt;br /&gt;
[[tl:Abril 1]]&lt;br /&gt;
[[tr:1 Nisan]]&lt;br /&gt;
[[tt:1. Äpril]]&lt;br /&gt;
[[uk:1 квітня]]&lt;br /&gt;
[[ur:1 اپریل]]&lt;br /&gt;
[[uz:1 aprel]]&lt;br /&gt;
[[vec:1 de apriłe]]&lt;br /&gt;
[[vi:1 tháng 4]]&lt;br /&gt;
[[vls:1 april]]&lt;br /&gt;
[[wa:1î d' avri]]&lt;br /&gt;
[[war:Abril 1]]&lt;br /&gt;
[[zh:4月1日]]&lt;br /&gt;
[[zh-yue:4月1號]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=1964%E5%B9%B4&amp;diff=405798</id>
		<title>1964年</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=1964%E5%B9%B4&amp;diff=405798"/>
				<updated>2023-10-24T03:17:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 4月 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{yearbox|&lt;br /&gt;
 前世紀=19 |&lt;br /&gt;
 世紀=20 |&lt;br /&gt;
 次世紀=21 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 前10年紀2=1940 |&lt;br /&gt;
 前10年紀1=1950 |&lt;br /&gt;
 10年紀=1960 |&lt;br /&gt;
 次10年紀1=1970 |&lt;br /&gt;
 次10年紀2=1980 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 3年前=1961 |&lt;br /&gt;
 2年前=1962 |&lt;br /&gt;
 1年前=1963 |&lt;br /&gt;
 年=1964 |&lt;br /&gt;
 1年後=1965 |&lt;br /&gt;
 2年後=1966 |&lt;br /&gt;
 3年後=1967 |&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{YearInTopicBefore2003}}&lt;br /&gt;
1964年（昭和39年）は、[[西暦]]（[[グレゴリオ暦]]）による、[[水曜日から始まる閏年]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 他の紀年法 ==&lt;br /&gt;
{{他の紀年法}}&lt;br /&gt;
* 干支：[[甲辰]]&lt;br /&gt;
* [[元号一覧 (日本)|日本]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
**[[昭和]]39年&lt;br /&gt;
**[[皇紀]]2624年&lt;br /&gt;
* [[中華民国]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
**[[中華民国暦]]53年&lt;br /&gt;
* [[朝鮮]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
**[[主体暦|主体]]53年&lt;br /&gt;
* [[仏滅紀元]]：2506年-2507年&lt;br /&gt;
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]：1383年8月15日-1384年8月26日&lt;br /&gt;
* [[ユダヤ暦]]：5724年4月16日-5725年4月26日&lt;br /&gt;
* [[修正ユリウス日]](MJD)：38395-38760&lt;br /&gt;
* [[リリウス日]](LD)：139236-139601&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
=== 1月 ===&lt;br /&gt;
* [[1月3日]] - 連続殺人犯の{{偽リンク|西口彰}}が[[逮捕]]される（[[1966年]][[8月15日]]、死刑確定→[[1970年]][[12月11日]]、死刑執行）。&lt;br /&gt;
* [[1月24日]] - [[日本]]政府が{{偽リンク|公共料金}}値上げの1年間凍結を発表する。&lt;br /&gt;
* [[1月27日]] - [[中華人民共和国|中国]]と[[フランス]]が{{偽リンク|国交}}樹立する。&lt;br /&gt;
* [[1月29日]] - [[冬季オリンピック|第9回冬季オリンピック]]・インスブルック大会（{{偽リンク|オーストリア}}）が開幕する。&lt;br /&gt;
* [[1月30日]] - {{偽リンク|南ベトナム}}で、{{偽リンク|グエン・カーン}}将軍主導の無血軍事{{偽リンク|クーデター}}により、{{偽リンク|ズオン・バン・ミン}}首相が{{偽リンク|タイ}}に追放される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2月 ===&lt;br /&gt;
* [[2月7日]] - [[ビートルズ]]が初訪米する。&lt;br /&gt;
* [[2月11日]] - [[中華民国]]（[[台湾]]）政府、[[中国]]と国交を結んだ[[フランス]]と{{偽リンク|断交}}する。&lt;br /&gt;
* 2月11日 - {{偽リンク|ギリシャ}}と[[トルコ]]が{{偽リンク|キプロス}}で戦闘を開始する。&lt;br /&gt;
* [[2月27日]] - {{偽リンク|富士航空}}が運航する{{偽リンク|コンベア240}}が{{偽リンク|大分空港}}で着陸に失敗する。この事故により、42人が死傷した（{{偽リンク|富士航空機墜落事故}}）。&lt;br /&gt;
* [[2月23日]] - [[日本国有鉄道]]が予約システム「{{偽リンク|マルス101}}」の利用を開始した。これにより[[新幹線]]以外の列車の指定席のコンピューター予約が可能となる。&lt;br /&gt;
* [[2月29日]] - {{偽リンク|日本鉄道建設公団法}}が公布・施行される。&lt;br /&gt;
* [[2月?日]] - [[ドイツ|西ドイツ]]司法省、{{偽リンク|オデッサ・ファイル}}を匿名の告発者から送られ、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]戦犯の追及に活用を開始する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[3月4日]] - [[大阪府警]][[曽根崎警察署]]の[[警察官]]が停車命令を無視した[[運転手|ドライバー]]を[[暗殺]]する。&lt;br /&gt;
* [[3月6日]] - [[コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)|コンスタンティノス2世]]が[[ギリシャ王国]]国王に就任する。&lt;br /&gt;
* [[3月8日]] - [[マルコムX]]が[[アフロアメリカン統一機構]] (OAAU) を結成した。&lt;br /&gt;
* [[3月18日]] - [[シャープ|早川電機]]（現・[[シャープ]]）が[[トランジスタ]]を、[[ソニー]]が[[ダイオード]]を用いた[[電卓|電子式卓上計算機]]を完成したと発表する。&lt;br /&gt;
* [[3月21日]] - [[エドウィン・O・ライシャワー|ライシャワー]]米大使が日本人少年に刺され負傷する（[[ライシャワー事件]]）。&lt;br /&gt;
* [[3月27日]] - [[アラスカ州]]南部を[[震源]]とする[[マグニチュード]]9.2の[[地震]]が発生する。125人が死亡し、[[アンカレッジ]]等に大きな被害を受ける。&lt;br /&gt;
* [[3月30日]] - [[ブラジル]]で軍事[[クーデター]]が発生。[[アメリカ合衆国]]の援助を受けた軍部により、ジョアン・ゴウラール[[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]]が追放され、この後ブラジルは21年間[[独裁政権]]支配となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 ===&lt;br /&gt;
* [[4月1日]] - [[日本人]]の海外観光渡航が自由化される。ただし年1度、所持金500[[アメリカドル|USドル]]までの制限が付く。&lt;br /&gt;
* [[4月7日]] - [[IBM]]、[[汎用コンピューター]][[System/360]]を発表する。&lt;br /&gt;
* [[4月11日]] - [[ブラジル]]議会、[[ウンベルト・アレンカール・デ・カステロ・ブランコ|カステロ・ブランコ]]を大統領に選出する。&lt;br /&gt;
* [[4月12日]] - 財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部・[[東京12チャンネル]]（現在の[[テレビ東京]]）が開局する。&lt;br /&gt;
* [[4月15日]] - [[北日本航空]]、[[日東航空]]、[[富士航空]]の3社が合併、[[日本国内航空]]を設立する。&lt;br /&gt;
* [[4月17日]] - [[ニューヨーク万国博覧会 (1964年)|ニューヨーク万国博覧会]]で、初代[[フォード・マスタング]]が発表される。&lt;br /&gt;
* 4月17日 - [[ニューヨーク]]に[[シェイ・スタジアム]]が開業される。&lt;br /&gt;
* [[4月26日]] - [[タンガニーカ]]と[[ザンジバル]]が合併し、[[タンザニア]]が成立する。&lt;br /&gt;
* [[4月28日]] - 日本、[[経済協力開発機構|OECD]]に正式加盟される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月 ===&lt;br /&gt;
* [[5月1日]] - [[BASIC]]言語の[[プログラム (コンピュータ)|コンピュータープログラム]]が初めて実行される。&lt;br /&gt;
* [[5月22日]] - [[日本サイクリング協会]]、[[文部省]]より[[財団法人]]認可。のちこの日は2009年に記念日「サイクリングの日」となる。&lt;br /&gt;
* [[5月24日]] - [[ペルー]]で行われた[[サッカー]][[サッカーペルー代表|ペルー]]対[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]で観客が暴徒化、翌日までに319人が死亡、500人が負傷する惨事。&lt;br /&gt;
* [[5月27日]] - [[富士スバルライン]]開通&lt;br /&gt;
* 5月27日 - [[インド]]初代首相[[ジャワハルラール・ネルー]]の死亡に伴い、グルザーリー・ラール・ナンダーが2代目首相に就任。&lt;br /&gt;
* [[5月28日]] - [[パレスチナ解放機構]] (PLO) 設立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[6月1日]] - 三菱系3社の合併により[[三菱重工業]]が発足する。&lt;br /&gt;
* [[6月3日]] - [[大韓民国|韓国]]で[[朴正煕]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]政権に反対する大規模デモ発生。韓国政府、[[ソウル特別市]]に[[戒厳令]]を発布する。&lt;br /&gt;
* [[6月8日]] - [[山形空港]]が開港する。&lt;br /&gt;
* [[6月12日]] - [[南アフリカ連邦]]で、[[ネルソン・マンデラ]]ほか7名が[[終身刑]]を言い渡され、[[ロベン島]]に収監される。&lt;br /&gt;
* [[6月16日]] - 「[[新潟地震]]」が発生する。死者26人。&lt;br /&gt;
* [[6月19日]] - [[太平洋]]横断[[海底ケーブル]]が完成する。&lt;br /&gt;
* [[6月22日]] - 日米航空交渉が開始される。&lt;br /&gt;
* [[6月25日]] - [[カトリック教会]]、[[経口避妊薬]]の使用を非難する声明を発表する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 ===&lt;br /&gt;
* [[7月1日]] - 日本国の[[外務省]]、[[旅券|パスポート]]発給業務を都道府県に移管する。&lt;br /&gt;
* [[7月2日]] - [[リンドン・ジョンソン|ジョンソン]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が[[公民権法]]に署名する。&lt;br /&gt;
* [[7月6日]] - [[マラウィ]]、[[イギリス]]からの独立を発表する。&lt;br /&gt;
* [[7月13日]] - [[全国こども電話相談室]]が放送開始される。&lt;br /&gt;
* [[7月14日]] - [[勝島倉庫火災]]が発生する（消防職員18人、消防団員1人が殉職。負傷158人）。&lt;br /&gt;
* [[7月15日]] - [[名神高速道路]]の[[尼崎インターチェンジ|尼崎]]-[[栗東インターチェンジ|栗東]]間が開業する。&lt;br /&gt;
* [[7月21日]] - [[首里幼女誘拐殺人事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 8月 ===&lt;br /&gt;
* [[8月1日]] - [[大島空港]]が開港する。&lt;br /&gt;
* [[8月2日]] - [[トンキン湾事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[8月10日]] - [[大塚製薬]]が開業する。&lt;br /&gt;
* [[8月24日]] - [[高島忠夫長男殺害事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[8月29日]] - [[帝都高速度交通営団|営団]][[東京地下鉄日比谷線|日比谷線]]が全線開通される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 9月 ===&lt;br /&gt;
* [[9月1日]] - [[ホテルニューオータニ]]、[[東京プリンスホテル]]開業。&lt;br /&gt;
* [[9月8日]] - 日本が[[ジュネーヴ条約 (曖昧さ回避)|道路交通に関するジュネーブ条約]]に加盟、日本人の[[国際運転免許証]]の利用が可能となる。&lt;br /&gt;
* [[9月10日]]&lt;br /&gt;
**[[福岡県]][[粕屋町]]で自衛隊の[[ヘリコプター]]が墜落。8人死亡。&lt;br /&gt;
**[[愛知県]][[犬山市]]上空で[[航空自衛隊]]の戦闘機が衝突。&lt;br /&gt;
* [[9月15日]] - [[埼玉県]][[岩槻市]]で、9月10日のヘリ墜落事故の葬儀参列者を載せた航空自衛隊のヘリコプターがまたも墜落。6人死亡。&lt;br /&gt;
* [[9月16日]] - [[気象庁]][[富士山レーダー]]完成&lt;br /&gt;
* [[9月17日]] - [[東京モノレール羽田線|東京モノレール]]開業（片道250円）。&lt;br /&gt;
* [[9月19日]] - [[福岡ソフトバンクホークス|南海]]、2リーグ分裂後最短で[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝決める（[[1990年]]に[[読売ジャイアンツ|巨人]]が最短優勝記録を更新。戦後2番目の最短優勝は[[2003年]]の[[阪神タイガース|阪神]]）。&lt;br /&gt;
* [[9月20日]] - [[日本]]と[[カナダ]]の間で、3か月以内の滞在について[[査証]]および料金を免除する協定が発効。&lt;br /&gt;
* [[9月21日]] - [[マルタ]]が[[イギリス]]から独立。&lt;br /&gt;
* [[9月23日]] - [[読売新聞]]が[[九州]]に進出、[[読売新聞西部本社|西部本社]]で発行開始。&lt;br /&gt;
* [[9月30日]] - 阪神、2年ぶりのリーグ優勝。9月16日から9連勝し、ペナントレース最終日に優勝を決める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 ===&lt;br /&gt;
* [[10月1日]] - [[東海道新幹線]]が開業する（[[東京駅|東京]]～[[新大阪駅|新大阪]]の間。運賃・料金は合算で[[ひかり (列車)|ひかり]]2,480円、[[こだま (列車)|こだま]]2,280円）。同時に[[1964年10月1日国鉄ダイヤ改正|大ダイヤ改正]]を実施する。&lt;br /&gt;
* 10月1日 - [[伊豆スカイライン]]が開通する。&lt;br /&gt;
* [[10月3日]] - [[日本武道館]]が開館する。&lt;br /&gt;
* [[10月4日]] - [[大分県道・熊本県道11号別府一の宮線|やまなみハイウェイ]]が開通する。&lt;br /&gt;
* [[10月10日]] - [[夏季オリンピック|第18回夏季オリンピック]][[東京オリンピック|東京大会（東京オリンピック）]]が開幕する。&lt;br /&gt;
* [[10月16日]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]の[[タス通信]]、[[ニキータ・フルシチョフ|フルシチョフ]]がソ連[[閣僚会議議長]]及び[[ソビエト連邦共産党]][[第1書記]]を辞任したと報じる。[[アレクセイ・コスイギン|コスイギン]]がソ連閣僚会議議長、ソビエト連邦共産党第1書記には[[レオニード・ブレジネフ|ブレジネフ]]がそれぞれ選出された。&lt;br /&gt;
* 10月16日 - [[中華人民共和国]]が自国の[[ロプノール|ロプノール湖]]で初の[[核実験]]を行う。&lt;br /&gt;
* [[10月24日]] - 第18回夏季オリンピック東京大会（東京オリンピック）が閉幕する。&lt;br /&gt;
* 10月24日 - [[ザンビア]]が[[イギリス]]から独立する。&lt;br /&gt;
* [[10月25日]] - [[池田勇人]]首相、東京オリンピック閉会式の翌日に退陣を表明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 11月 ===&lt;br /&gt;
* [[11月2日]] - [[公明党]]が正式発足する。&lt;br /&gt;
* [[11月3日]] - [[アメリカ合衆国大統領選挙]]で、[[民主党 (アメリカ合衆国)|民主党]]の[[リンドン・ジョンソン]]大統領が、[[共和党 (アメリカ合衆国)|共和党]]の[[バリー・ゴールドウォーター]]候補を破り再選される。&lt;br /&gt;
* [[11月5日]]&lt;br /&gt;
**[[1944年]]に処刑された[[リヒャルト・ゾルゲ]]に[[ソ連邦英雄|ソ連邦英雄勲章]]が授与される。&lt;br /&gt;
**[[仙台空港]]が開港する。&lt;br /&gt;
* [[11月8日]] - [[パラリンピック|東京パラリンピック]]が開催。&lt;br /&gt;
* [[11月9日]]&lt;br /&gt;
**[[国会 (日本)|第47臨時国会]]召集（[[12月18日]]閉会）。&lt;br /&gt;
**池田勇人[[自民党総裁]]が後継に[[佐藤榮作]]を指名。その日のうちに[[首班指名]]を経て第1次佐藤榮作内閣が発足。&lt;br /&gt;
* [[11月15日]] - [[シンザン]]号、[[菊花賞]]を制して日本[[競馬]]史上2頭目の[[三冠 (競馬)#日本クラシック三冠|三冠馬]]となる。&lt;br /&gt;
* [[11月17日]] - [[公明党]]が結党する。&lt;br /&gt;
* [[11月28日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[火星]]探査のために[[マリナー4号]]を打ち上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 12月 ===&lt;br /&gt;
* [[12月1日]] - [[駒沢オリンピック公園|東京都立駒沢オリンピック公園]]が開園する。&lt;br /&gt;
* 12月1日 - [[帯広空港]]が開港する。&lt;br /&gt;
* [[12月21日]] - [[国会 (日本)|第48国会]]召集（[[1965年]][[6月1日]]閉会）。&lt;br /&gt;
* [[12月23日]] - [[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]の[[金田正一]]投手が巨人に移籍。これが国鉄身売りのきっかけとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 芸術・音楽・文化 ==&lt;br /&gt;
* 1964年の文学&lt;br /&gt;
** [[芥川龍之介賞|芥川賞]]&lt;br /&gt;
*** 第51回（1964年上半期） - [[柴田翔]]『されどわれらが日々──』&lt;br /&gt;
*** 第52回（1964年下半期） - 該当作品なし&lt;br /&gt;
** [[直木三十五賞|直木賞]]&lt;br /&gt;
*** 第51回（1964年上半期） - 該当作品なし&lt;br /&gt;
*** 第52回（1964年下半期） - [[永井路子]]『炎環』、[[安西篤子]]『張少子の話』&lt;br /&gt;
* 1964年の映画&lt;br /&gt;
** [[モスラ対ゴジラ]]&lt;br /&gt;
** [[宇宙大怪獣ドゴラ]]&lt;br /&gt;
** [[三大怪獣 地球最大の決戦]]&lt;br /&gt;
** [[日本一のホラ吹き男]]&lt;br /&gt;
* 1964年のスポーツ&lt;br /&gt;
** [[日本プロ野球|プロ野球]]&lt;br /&gt;
*** [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]の優勝 - [[阪神タイガース]]&lt;br /&gt;
*** [[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]の優勝 - [[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]&lt;br /&gt;
*** [[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]の優勝 - 南海ホークス（4勝3敗）&lt;br /&gt;
** [[大相撲]]（幕内最高優勝）&lt;br /&gt;
*** 初場所 - [[大鵬幸喜]]&lt;br /&gt;
*** 春場所 - 大鵬幸喜&lt;br /&gt;
*** 夏場所 - [[栃ノ海晃嘉]]&lt;br /&gt;
*** 名古屋場所 - [[富士錦猛光]]&lt;br /&gt;
*** 秋場所 - 大鵬幸喜&lt;br /&gt;
*** 九州場所 - 大鵬幸喜&lt;br /&gt;
** [[競馬]]&lt;br /&gt;
*** [[シンザン]]が史上2頭目の[[三冠馬]]を達成&lt;br /&gt;
* 1964年のテレビ&lt;br /&gt;
** 「[[赤穂浪士 (NHK大河ドラマ)]]」（出演：[[長谷川一夫]]、[[滝沢修]]、[[尾上梅幸 (7代目)]] ）&lt;br /&gt;
** 「[[ひょっこりひょうたん島]]」&lt;br /&gt;
** 「[[木島則夫]][[モーニングショー]]」&lt;br /&gt;
** 「[[忍者部隊月光]]」&lt;br /&gt;
* 1964年のアニメ&lt;br /&gt;
** [[1月21日]] [[0戦はやと]]放映開始&lt;br /&gt;
** [[6月7日]] [[少年忍者風のフジ丸]]放映開始&lt;br /&gt;
** [[8月3日]] [[ビッグX]]放映開始&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1964年の雑誌&lt;br /&gt;
** 『[[平凡パンチ]]』創刊&lt;br /&gt;
** 『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』創刊&lt;br /&gt;
* 1964年の漫画&lt;br /&gt;
** [[サイボーグ009]]、[[週刊少年キング]]で連載開始&lt;br /&gt;
** [[オバケのQ太郎]]、[[週刊少年サンデー]]で連載開始&lt;br /&gt;
* 1964年の音楽&lt;br /&gt;
** 7月、[[マイルス・デイヴィス]]初来日&lt;br /&gt;
* 1964年のヒット曲&lt;br /&gt;
** [[美空ひばり]]『[[柔 (美空ひばりの楽曲)|柔]]』&lt;br /&gt;
** [[坂本九]]『[[明日があるさ]]』&lt;br /&gt;
** [[村田英雄]]『皆の衆』&lt;br /&gt;
** [[都はるみ]]『アンコ椿は恋の花』&lt;br /&gt;
** [[ペギー葉山]]『学生時代』&lt;br /&gt;
** [[江利チエミ]]『新妻に捧げる歌』&lt;br /&gt;
** [[青山和子]]『愛と死をみつめて』&lt;br /&gt;
** [[岸洋子]]『夜明けのうた』&lt;br /&gt;
** [[園まり]]『何も云わないで』&lt;br /&gt;
** [[コロムビア・ローズ]]『智恵子抄』&lt;br /&gt;
** [[井沢八郎]]『あゝ上野駅』&lt;br /&gt;
** [[ザ・ピーナッツ]]『[[ウナ・セラ・ディ東京]]』&lt;br /&gt;
** [[西田佐知子]]『[[東京ブルース]]』 - この年は、タイトルに &amp;quot;東京&amp;quot; のつく楽曲が目立った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 誕生 ==&lt;br /&gt;
=== 1月 ===&lt;br /&gt;
* [[1月1日]] - [[ジミー大西]]、[[タレント]]・[[画家]]&lt;br /&gt;
* 1月1日 - [[増田明美]]、元[[マラソン]]選手&lt;br /&gt;
* [[1月4日]] - [[竹内力]]、[[俳優]]&lt;br /&gt;
* 1月4日 - [[アレクサンドル・ファデーエフ]]、[[フィギュアスケート]]選手&lt;br /&gt;
* [[1月7日]] - [[ニコラス・ケイジ]]、俳優&lt;br /&gt;
* 1月7日 - [[オレステス・キンデラン]]、元野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月10日]] - [[福王昭仁]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[1月11日]] - [[水城まさひと]]、[[4コマ漫画|4コマ]][[漫画家]]&lt;br /&gt;
* [[1月13日]] - [[ホセ・ヌーニェス]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月15日]] - [[源五郎丸洋]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月16日]] - [[西岡剛 (投手)|西岡剛]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月19日]] - [[殊能将之]]、[[推理作家]]&lt;br /&gt;
* [[1月20日]] - [[南果歩]]、[[女優]]&lt;br /&gt;
* 1月20日 - [[藤木義勝]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[1月22日]] - [[鈴木哲 (野球)|鈴木哲]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月25日]] - [[妹尾青洸]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[1月26日]] - [[山口竜一]]、[[騎手]]（[[ホッカイドウ競馬]]）&lt;br /&gt;
* [[1月27日]] - [[折原みと]]、漫画家・少女[[小説家]]&lt;br /&gt;
* [[1月30日]] - [[川添智久]]、[[音楽家|ミュージシャン]]（元リンドバーグ）&lt;br /&gt;
* [[1月31日]] - [[光原伸]]、漫画家&lt;br /&gt;
* 1月31日 - [[真矢みき]]、女優（元[[宝塚歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]主演スター）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2月 ===&lt;br /&gt;
* [[2月1日]] - [[磯野貴理]]、タレント&lt;br /&gt;
* [[2月2日]] - [[樋口了一]]、[[シンガーソングライター]]&lt;br /&gt;
* [[2月3日]] - [[片瀬清利]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[2月4日]] - [[石原真理子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[2月5日]] - [[竹内都子]]、タレント（[[ピンクの電話]]）&lt;br /&gt;
* [[2月7日]] - [[平松八千代]]、[[シンガーソングライター]]&lt;br /&gt;
* [[2月11日]] - [[サラ・ペイリン]]、[[アラスカ州]]知事&lt;br /&gt;
* [[2月13日]] - [[出川哲朗]]、[[お笑いタレント]]&lt;br /&gt;
* 2月13日 - [[宮本和知]]、元プロ野球選手・タレント&lt;br /&gt;
* [[2月16日]] - [[稲田秀樹]]、TVドラマ・映画プロデューサー&lt;br /&gt;
* 2月16日 - [[ベベット]]、[[サッカー選手]]&lt;br /&gt;
* [[2月17日]] - [[マイク・キャンベル (投手)|マイク・キャンベル]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[2月19日]] - [[樋口雅子]]、[[声優]]&lt;br /&gt;
* 2月19日 - [[月山栄珠]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[2月20日]] - [[遊佐未森]]、[[シンガーソングライター]]&lt;br /&gt;
* [[2月21日]] - [[ハイヒールモモコ]]、[[漫才師]]・タレント&lt;br /&gt;
* [[2月25日]] - [[橋本じゅん]]、俳優・声優&lt;br /&gt;
* [[2月26日]] - [[廣田浩章]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[2月27日]] - [[小林透]]、[[ベーシスト]]・[[作曲家]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[3月3日]] - [[C-C-B|米川英之]]、ミュージシャン、ギタリスト、元C-C-B&lt;br /&gt;
* [[3月6日]] - [[上部康明]]、[[死刑囚]]（+ [[2012年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月8日]] - [[平松愛理]]、シンガーソングライター&lt;br /&gt;
* 3月8日 - [[円谷浩]]、俳優（+ [[2001年]]）&lt;br /&gt;
* 3月8日 - [[反町康治]]、サッカー監督・元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[3月12日]] - [[陣内貴美子]]、元[[バドミントン]]選手・タレント&lt;br /&gt;
* [[3月14日]] - [[リチャード・ミグリオーレ]]、騎手&lt;br /&gt;
* 3月14日 - [[雨宮かずみ]]、声優&lt;br /&gt;
* [[3月18日]] - [[かないみか]]、声優&lt;br /&gt;
* 3月18日 - [[菅野よう子]]、[[作曲家]]&lt;br /&gt;
* [[3月19日]] - [[沖田真子]]、[[ビニ本]]、[[裏本]]モデル&lt;br /&gt;
* [[3月21日]] - [[江國香織]]、小説家&lt;br /&gt;
* [[3月23日]] - [[大木裕之]]、[[映像作家]]・[[現代美術家]]&lt;br /&gt;
* 3月23日 - [[川村幸也]]、死刑囚（+ [[2009年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月30日]] - [[トレイシー・チャップマン]]、[[歌手]]・シンガーソングライター&lt;br /&gt;
* [[3月31日]] - [[鶴久政治]]、[[ミュージシャン]]（元[[チェッカーズ]]）&lt;br /&gt;
* 3月31日 - [[バルビーノ・ガルベス]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 ===&lt;br /&gt;
* [[4月1日]] - [[栗山龍]]、性犯罪者&lt;br /&gt;
* [[4月4日]] - [[小沢章一]]、高校野球指導者（+ [[2006年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月5日]] - [[境鶴丸]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]]&lt;br /&gt;
* [[4月6日]] - [[大西ユカリ]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[4月7日]] - [[カルロス・トシキ]]、[[オメガトライブ#1986オメガトライブ / カルロス・トシキ&amp;amp;オメガトライブ|1986オメガトライブ、カルロス・トシキ&amp;amp;オメガトライブ]]、鷹橋敏輝、歌手&lt;br /&gt;
* 4月7日 - [[ラッセル・クロウ]]、俳優&lt;br /&gt;
* 4月7日 - [[山岡三子]]、テレビキャスター&lt;br /&gt;
* [[4月9日]] - [[永島昭浩]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[4月11日]] - [[ブレット・セイバーヘイゲン]]、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[4月12日]] - [[ルーク篁]]、ミュージシャン&lt;br /&gt;
* 4月12日 - [[加藤哲郎 (野球)|加藤哲郎]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[4月13日]] - [[西崎幸広]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[4月14日]] - [[ホ・ジュノ]]、俳優&lt;br /&gt;
* 4月14日 - [[山崎たくみ]]、声優&lt;br /&gt;
* [[4月18日]] - [[長原成樹]]、お笑いタレント&lt;br /&gt;
* [[4月20日]] - [[ジミー・ジョーンズ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 4月20日 - [[ロザリン・サムナーズ]]、[[フィギュアスケート]]選手&lt;br /&gt;
* [[4月21日]] - [[村山喜彦]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]アナウンサー&lt;br /&gt;
* [[4月22日]] - [[武田康]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 4月22日 - [[茅弘二]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[4月23日]] - [[石塚理恵]]、声優&lt;br /&gt;
* [[4月24日]] - [[山本シュウ]]、[[ラジオ]][[パーソナリティ]]・[[ディスクジョッキー|DJ]]&lt;br /&gt;
* [[4月26日]] - [[竹内恒雄]]、[[音楽評論家]]・[[日本]]における[[ABBA]]第一人者&lt;br /&gt;
* [[4月26日]] - [[国木田かっぱ]]、タレント・テレビキャスター&lt;br /&gt;
* [[4月28日]] - [[バリー・ラーキン]]、元メジャーリーガー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月 ===&lt;br /&gt;
* [[5月1日]] - [[にわのまこと]]、漫画家&lt;br /&gt;
* 5月1日 - [[羽生田忠克]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* 5月1日 - [[青井要]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月5日]] - [[高山みなみ]]、声優・ミュージシャン&lt;br /&gt;
* [[5月6日]] - [[荒木大輔]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月6日]] - [[宮脇“JOE”知史]]、[[ドラマー]] ([[ZIGGY]])&lt;br /&gt;
* [[5月10日]] - [[山川周一]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月11日]] - [[遠田誠治]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 5月11日 - [[ビリー・ビーン (1964年生の外野手)|ビリー・ビーン]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月13日]] - [[久本朋子]]、タレント&lt;br /&gt;
* [[5月14日]] - [[エド・はるみ]]、お笑い芸人&lt;br /&gt;
* [[5月16日]] - [[関谷亜矢子]]、日本テレビアナウンサー&lt;br /&gt;
* [[5月18日]] - [[成田剣]]、声優&lt;br /&gt;
* [[5月19日]] - [[ルイス・アキーノ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月20日]] - [[ジェフ・シュワーズ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月22日]] - [[嶋大輔]]、俳優&lt;br /&gt;
* 5月22日 - [[マイア・ウソワ]]、[[フィギュアスケート]]選手&lt;br /&gt;
* [[5月24日]] - [[藤田和日郎]]、漫画家&lt;br /&gt;
* [[5月25日]] - [[大山正篤]]、ドラマー（元ZIGGY）&lt;br /&gt;
* [[5月26日]] - [[ウィリー・フレーザー]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 5月26日 - [[本間立彦]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月27日]] - [[レイモンド・ヤング]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月30日]] - 古市コータロー、ミュージシャン（[[ザ・コレクターズ]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[6月2日]] - [[高柳出己]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[6月3日]] - [[斎藤哲也]]、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー&lt;br /&gt;
* 6月3日 - [[ネルソン・リリアーノ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 6月3日 - [[出津孝一]]、[[騎手]]&lt;br /&gt;
* [[6月7日]] - [[徳永善也]]、ミュージシャン（元チェッカーズ）（+ [[2004年]]）&lt;br /&gt;
* 6月7日 - [[永井利光]]、[[GLAY]]、[[氷室京介]]のサポートドラマー。&lt;br /&gt;
* 6月7日 - [[相場勤]]、元野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月9日]] - [[薬師丸ひろ子]]、女優・歌手&lt;br /&gt;
* 6月9日 - [[高田誠 (野球)|高田誠]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月11日]] - [[安芸旭雅士]]、元大相撲力士&lt;br /&gt;
* 6月11日 - [[ジャン・アレジ]]、[[フォーミュラ1|F1]][[レーサー]]&lt;br /&gt;
* 6月11日 - [[畠山準]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 6月11日 - [[畑山俊二]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月16日]] - [[仲田幸司]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月19日]] - [[温水洋一]]、俳優&lt;br /&gt;
* 6月19日 - [[ケビン・シュワンツ]]、元[[オートバイ]][[レーサー]]、ケビン・シュワンツ・スズキ・スクール (KSSS) 校長&lt;br /&gt;
* [[6月21日]] - [[畝龍実]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 6月21日 - [[石井浩郎]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月22日]] - [[阿部寛]]、俳優&lt;br /&gt;
* 6月22日 - [[笘篠誠治]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月23日]] - [[智ノ花伸哉|玉垣親方]]、元[[小結]]智ノ花&lt;br /&gt;
* 6月23日 - [[古久保健二]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 6月23日 - [[森士]]、高校野球指導者&lt;br /&gt;
* [[6月24日]] - [[野々村真]]、タレント&lt;br /&gt;
* 6月24日 - [[陸奥北海勝昭]]、元大相撲力士、[[世話人]]&lt;br /&gt;
* 6月24日 - [[高橋昭一]]、[[政治活動家]]、[[メディアプランナー]]、[[アニメーション]]制作者&lt;br /&gt;
* [[6月25日]] - [[猪俣隆]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月26日]] - [[トミ・マキネン]]、[[ラリー]]ドライバー&lt;br /&gt;
* [[6月28日]] - [[ケビン・ライマー]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月29日]] - [[御子柴進]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 ===&lt;br /&gt;
* [[7月2日]] - [[鴨志田穣]]、フリージャーナリスト・カメラマン・エッセイスト（+ [[2007年]]）&lt;br /&gt;
* 7月2日 - [[ホセ・カンセコ]]、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* 7月2日 - [[オジー・カンセコ]]、元メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* [[7月3日]] - [[桜井敏治]]、声優&lt;br /&gt;
* 7月3日 - [[大久保学]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* 7月3日 - [[芦田多恵]]、[[ファッションデザイナー]]&lt;br /&gt;
* [[7月6日]] - [[頓田国満]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月7日]] - [[藤島康介]]、漫画家&lt;br /&gt;
* 7月7日 - [[堤真一]]、俳優&lt;br /&gt;
* 7月7日 - [[清水雅治]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月8日]] - [[八代英輝]]、[[弁護士]]（[[国際弁護士]]）&lt;br /&gt;
* [[7月9日]] - [[可愛かずみ]]、歌手・タレント（+ [[1997年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月10日]] - [[高橋雅裕]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 7月10日 - [[松谷竜二郎]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月11日]] - [[今野隆裕]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 7月11日 - [[染宮修支]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月12日]] - [[青野厚司]]、[[アニメーター]]&lt;br /&gt;
* [[7月13日]] - [[村田晃嗣]]、[[政治学者]]・[[同志社大学]]助教授&lt;br /&gt;
* [[7月14日]] - [[椎名桔平]]、俳優&lt;br /&gt;
* 7月14日 - [[新谷博]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月15日]] - [[柱谷哲二]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[7月17日]] - [[長江健次]]、タレント&lt;br /&gt;
* [[7月19日]] - [[近藤真彦]]、歌手・[[レーシングドライバー]]&lt;br /&gt;
* 7月19日 - [[村石雅行]]、[[ドラマー]]&lt;br /&gt;
* [[7月20日]] - [[渡瀬ミク]]、[[AV女優]]、[[裏本]]モデル&lt;br /&gt;
* [[7月21日]] - [[安田朗]]、[[イラストレーター]]、[[ストリートファイター2]]キャラクターデザイン&lt;br /&gt;
* 7月21日 - [[大田勇治]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月22日]] - [[内村光良]]、タレント（[[ウッチャンナンチャン]]）&lt;br /&gt;
* 7月22日 - [[藤本修二]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月23日]] - [[金子誠一]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月24日]] - [[バリー・ボンズ]]、メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* 7月24日 - [[よしもとばなな]]、小説家&lt;br /&gt;
* [[7月25日]] - [[高島礼子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[7月27日]] - [[植田幸弘]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月28日]] - [[阿波野秀幸]]、元プロ野球選手、現[[横浜ベイスターズ]]コーチ&lt;br /&gt;
* 7月28日 - [[ボブ・ミラッキ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 8月 ===&lt;br /&gt;
* [[8月2日]] - [[紡木たく]]、漫画家&lt;br /&gt;
* [[8月3日]] - [[栗田聡]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[8月7日]] - [[ギュウゾウ]]、[[電撃ネットワーク]]、[[DJ]]&lt;br /&gt;
* [[8月10日]] - [[高橋ひろ]]、歌手・作曲家（+ [[2005年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月13日]] - [[戸川京子]]、女優（+ [[2002年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月15日]] - [[麻生祐未]]、女優&lt;br /&gt;
* 8月15日 - [[中村光一]]、ゲームクリエイター・[[ドラゴンクエスト]]制作者&lt;br /&gt;
* [[8月18日]] - [[いとうまい子]]、タレント&lt;br /&gt;
* [[8月20日]] - [[桐島かれん]]、女優・タレント・歌手（[[サディスティック・ミカ・バンド]]）&lt;br /&gt;
* [[8月23日]] - [[ジェフ・マント]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[8月24日]] - [[キップ・グロス]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[8月27日]] - [[則竹裕之]]、[[ドラマー]]（元[[T-SQUARE]]）&lt;br /&gt;
* [[8月29日]] - [[YOU (タレント)|YOU]]、タレント&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 9月 ===&lt;br /&gt;
* [[9月1日]] - [[ルイス・ロペス (1964年生の内野手)|ルイス・ロペス]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* 9月1日 - [[デービット・ウエスト]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月2日]] - [[キアヌ・リーヴス]]、俳優&lt;br /&gt;
* 9月2日 - [[和木ちえり]]、タレント&lt;br /&gt;
* [[9月3日]] - [[上領亘]]、ミュージシャン、ドラマー&lt;br /&gt;
* [[9月4日]] - [[荻野目慶子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[9月7日]] - [[テイ・トウワ]]、ミュージシャン&lt;br /&gt;
* 9月7日 - [[アンディ・フグ]]、[[K-1]][[格闘家]]（+ [[2000年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月13日]] - [[三原じゅん子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[9月16日]] - [[松井成行]]、お笑い芸人、[[シンデレラ・エキスプレス]]&lt;br /&gt;
* [[9月18日]] - [[橋本武広]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月23日]] - [[稲葉浩志]]、([[B'z]])&lt;br /&gt;
* 9月23日 - [[イジリー岡田]]、お笑いタレント&lt;br /&gt;
* 9月23日 - [[床嶋佳子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[9月24日]] - [[ラファエル・パルメイロ]]、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[9月25日]] - [[井上喜久子]]、声優&lt;br /&gt;
* 9月26日 - [[関清和]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月27日]] - [[川相昌弘]]、元プロ野球選手、現[[中日ドラゴンズ]]コーチ&lt;br /&gt;
* 9月27日 - [[岸谷五朗]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[9月29日]] - [[山下容莉枝]]、女優&lt;br /&gt;
* 9月29日 - [[阿井英二郎]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月30日]] - [[石井章夫]]、元野球選手&lt;br /&gt;
* 9月30日 - [[ダグ・ジェニングス]]（登録名D・J）、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 ===&lt;br /&gt;
* [[10月2日]] - [[藤岡大樹]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[10月4日]] - [[牧野美千子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[10月5日]] - [[橋本聖子]]、[[国会議員|参議院議員]]・元[[近代オリンピック|オリンピック]]日本代表、 日本スケート連盟会長。&lt;br /&gt;
* 10月5日 - [[藤原啓治]]、声優&lt;br /&gt;
* [[10月7日]] - [[藤本茂喜]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[10月10日]] - [[住吉善則]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[10月12日]] - [[彦野利勝]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[10月13日]] - [[小野坂昌也]]、声優&lt;br /&gt;
* 10月13日 - [[加瀬竜哉]]、[[ミュージシャン]]&lt;br /&gt;
* 10月13日 - [[荒井幸雄]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[10月14日]] - [[旭道山和泰]]、元大相撲[[小結]]力士、元[[国会議員|衆議院議員]]&lt;br /&gt;
* [[10月19日]] - [[マニュエル・ルグリ]]、[[バレエ]]ダンサー&lt;br /&gt;
* [[10月20日]] - [[山口智子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[10月24日]] - [[内藤善弘]]、作家&lt;br /&gt;
* 10月24日 - [[ポール・ワイリー]]、[[フィギュアスケート]]選手&lt;br /&gt;
* [[10月25日]] - [[石井丈裕]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[10月26日]] - [[野村義男]]、ミュージシャン&lt;br /&gt;
* 10月26日 - [[プリンセス・プリンセス|渡辺敦子]]、ミュージシャン（元[[プリンセス・プリンセス]]）&lt;br /&gt;
* 10月26日 - [[山口憲一]]、ミュージシャン（wface、元[[マジック (バンド)|MAGIC]]）&lt;br /&gt;
* [[10月27日]] - [[前田耕司]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[10月28日]] - [[琴富士孝也]]、元大相撲力士・[[関脇]]&lt;br /&gt;
* 10月28日 - [[田中弘太郎]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[10月29日]] - [[ヤスミン・ル・ボン]]、[[イギリス]]の[[モデル (職業)|モデル]]&lt;br /&gt;
* [[10月30日]] - [[呂明賜]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 10月30日- [[日出郎]]、タレント、歌手、声優&lt;br /&gt;
* [[10月31日]] - [[マルコ・ファン・バステン]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 11月 ===&lt;br /&gt;
* [[11月1日]] - [[木場弘子]]、元TBSアナウンサー&lt;br /&gt;
* 11月1日 - [[西原理恵子]]、漫画家&lt;br /&gt;
* [[11月2日]] - [[プリンセス・プリンセス|中山加奈子]]、ミュージシャン・作詞家（元[[プリンセス・プリンセス]]）&lt;br /&gt;
* [[11月3日]] - [[神取忍]]、プロレスラー&lt;br /&gt;
* 11月3日 - [[向井亜紀]]、タレント&lt;br /&gt;
* [[11月4日]] - [[水谷優子]]、声優&lt;br /&gt;
* [[11月6日]] - [[蜷川みほ]]、[[俳優|女優]]&lt;br /&gt;
* 11月6日 - [[依田政彦]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[11月10日]] - [[清水宏次朗]]、俳優・歌手&lt;br /&gt;
* 11月10日 - [[ケニー・ロジャース]]、[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[11月11日]] - [[中西圭三]]、シンガーソングライター&lt;br /&gt;
* [[11月12日]] - [[河野景子]]、元[[横綱]][[貴乃花光司|貴乃花]]夫人・元フジテレビアナウンサー&lt;br /&gt;
* [[11月14日]] - [[久保こーじ]]、作曲家&lt;br /&gt;
* [[11月16日]] - [[二谷友里恵]]、元女優&lt;br /&gt;
* 11月16日 - [[ドワイト・グッデン]]、元メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* 11月16日 - [[松原靖]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 11月16日 - [[大順将弘]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[11月17日]] - [[マリナ・チェルカソワ]]、[[フィギュアスケート]]選手&lt;br /&gt;
* [[11月26日]] - [[中竹和也]]、元騎手・調教師&lt;br /&gt;
* [[11月27日]] - [[杉田かおる]]、女優・タレント&lt;br /&gt;
* [[11月29日]] - [[愛華みれ]]、女優&lt;br /&gt;
* 11月29日 - [[上杉裕世]]、[[マットペインター]]&lt;br /&gt;
* [[11月30日]] - [[獣神サンダー・ライガー]]、プロレスラー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 12月 ===&lt;br /&gt;
* [[12月1日]] - [[竹内海南江]]、タレント・レポーター&lt;br /&gt;
* 12月1日 - [[サルバトーレ・スキラッチ]]、元[[サッカー選手]]&lt;br /&gt;
* [[12月3日]] - [[パンチ佐藤]]、タレント、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* 12月3日 - [[KUROKO]]、タレント&lt;br /&gt;
* 12月3日 - [[神保悟志]]、[[俳優]]&lt;br /&gt;
* 12月3日 - [[マルコ・テンペスト]]、[[奇術師]]&lt;br /&gt;
* [[12月6日]] - [[林家たい平]]、[[落語家]]&lt;br /&gt;
* [[12月8日]] - [[長与千種]]、プロレスラー&lt;br /&gt;
* [[12月11日]] - [[寺西秀人]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[12月12日]] - [[アロンゾ・パウエル]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[12月13日]] - [[hide]]、[[ギタリスト]]（元[[X JAPAN]]）シンガーソングライター（+ [[1998年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月14日]] - [[藤岡宣男]]、[[声楽家]]&lt;br /&gt;
* 12月14日 - [[須藤満]]、[[ベーシスト]](T-SQUARE)&lt;br /&gt;
* 12月14日 - [[大善尊太|富士ヶ根親方]]、元小結大善&lt;br /&gt;
* 12月14日 - [[坂本勝美]]、元騎手・調教師&lt;br /&gt;
* [[12月15日]] - [[高橋克典]]、俳優・歌手&lt;br /&gt;
* [[12月21日]] - [[恵俊彰]]、タレント（[[ホンジャマカ]]）&lt;br /&gt;
* [[12月22日]] - [[中野英雄]]、俳優&lt;br /&gt;
* 12月22日 - [[高知東生]]、俳優&lt;br /&gt;
* 12月22日 - [[江原啓之]]、スピリチュアル・カウンセラー&lt;br /&gt;
* [[12月23日]] - [[小沢和義]]、俳優&lt;br /&gt;
* 12月23日 - [[越和宏]]、[[スケルトン (スポーツ)|スケルトン]]選手&lt;br /&gt;
* [[12月27日]] - [[藤井尚之]]、ミュージシャン（元チェッカーズ）&lt;br /&gt;
* [[12月29日]] - [[鶴見辰吾]]、俳優&lt;br /&gt;
* 12月29日 - [[浅井健一]]、ミュージシャン（元BLANKEY JET CITY）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 没年 ==&lt;br /&gt;
=== 1月 ===&lt;br /&gt;
* [[1月1日]] - [[ビシャラ・アル・フーリー]]、[[レバノン]]大統領（* [[1890年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月14日]] - [[浅川伯教]]、[[彫刻家]]・[[陶磁器]]研究家（* [[1884年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月29日]] - [[アラン・ラッド]]、[[俳優]]（* [[1913年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2月 ===&lt;br /&gt;
* [[2月6日]] - [[エミリオ・アギナルド]]、初代[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]]（* [[1869年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月8日]] - [[エルンスト・クレッチマー]]、[[精神医学|精神医学者]]（* [[1888年]]）&lt;br /&gt;
* 2月8日 - [[細萱戊子郎]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[中将]]（* 1888年）&lt;br /&gt;
* [[2月10日]] - [[オイゲン・ゼンガー]]、[[航空宇宙工学|航空宇宙工学者]]（* [[1905年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[3月9日]] - [[パウル・フォン・レットウ＝フォルベック]]、[[ドイツ陸軍]]の[[少将]]（* [[1870年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月18日]] - [[ジークフリード・エドストレーム]]、[[国際オリンピック委員会]]会長（* 1870年）&lt;br /&gt;
* 3月18日 - [[ノーバート・ウィーナー]]、[[数学者]]（* [[1894年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月23日]] - [[ピーター・ローレ]]、俳優（* [[1904年]]）&lt;br /&gt;
* 3月23日 - [[清水秀雄]]、元[[プロ野球選手]]（* [[1918年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 ===&lt;br /&gt;
* [[4月5日]] - [[ダグラス・マッカーサー]]、[[アメリカ合衆国軍|米軍]]の[[将軍]]・[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]総司令官（* [[1880年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月5日]] - [[三好達治]]、[[詩人]]（* [[1900年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月14日]] - [[レイチェル・カーソン]]、『[[沈黙の春]]』の著者として有名な[[生物学者]]（* [[1907年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月18日]] - [[朝倉文夫]]、[[彫刻家]]（* [[1883年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月24日]] - [[ゲルハルト・ドーマク]]、[[生化学|生化学者]]（* [[1895年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月26日]] - [[堤康次郎]]、[[実業家]]・[[西武グループ]]創業者（* [[1889年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月 ===&lt;br /&gt;
* [[5月6日]] - [[佐藤春夫]]、[[小説家]]・[[詩人]]（* [[1892年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月7日]] - [[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ]]、[[建築家]]・[[近江兄弟社]]共同創設者（* 1880年）&lt;br /&gt;
* [[5月8日]] - [[野村吉三郎]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[軍人]]・[[太平洋戦争]]開戦時の駐米大使・[[参議院|参議院議員]]（* [[1877年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月17日]] - [[出羽湊利吉]]、[[大相撲]]の[[力士]]・元[[関脇]]（* 1907年）&lt;br /&gt;
* [[5月21日]] - [[ジェイムス・フランク]]、[[物理学者]]（* [[1882年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月27日]] - [[ジャワハルラール・ネルー]]、初代[[インド]][[首相]]（* [[1889年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月29日]] - [[大野伴睦]]、[[政治家]]、元[[衆議院]]議長（* [[1890年]]）&lt;br /&gt;
* 5月29日 - [[小林やと]]、元長寿日本一 享年118（* [[1846年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[6月3日]] - [[フランス・エーミル・シランペー]]、[[小説家]]（* [[1888年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月26日]] - [[ヘリット・リートフェルト]]、建築家（* 1888年）&lt;br /&gt;
* [[6月29日]] - [[エリック・ドルフィー]]、[[ジャズ]]の[[サックス]]・[[フルート]]奏者（* [[1928年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 ===&lt;br /&gt;
* [[7月1日]] - [[ピエール・モントゥー]]、[[指揮者]]（* [[1875年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月7日]] - [[リリアン・コープランド]]、[[陸上競技]]選手（* [[1904年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 8月 ===&lt;br /&gt;
* [[8月6日]] - [[セドリック・ハードウィック]]、俳優（* [[1893年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月12日]] - [[イアン・フレミング]]、小説家（* [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月21日]] - [[パルミーロ・トリアッティ]]、[[イタリア共産党]]の指導者（* [[1893年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 9月 ===&lt;br /&gt;
* [[9月2日]] - [[フランシスコ・クラヴェイロ・ロペス]]、[[ポルトガルの大統領|ポルトガル大統領]]（* [[1894年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月11日]] - [[川野彰子]]、小説家（* [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* 9月11日 - [[山本礼三郎]]、俳優（* [[1902年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月28日]] - ハーポ・マルクス、[[コメディアン]]・[[マルクス兄弟]]（* [[1888年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 ===&lt;br /&gt;
* [[10月15日]] - [[コール・ポーター]]、[[作曲家]]（* [[1891年]]）&lt;br /&gt;
* [[10月20日]] - [[ハーバート・フーヴァー]]、第31代[[アメリカ合衆国大統領]]（* [[1874年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 11月 ===&lt;br /&gt;
* [[11月6日]] - [[ハンス・フォン・オイラー＝ケルピン]]、[[化学者]]（* [[1873年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月8日]] - [[三遊亭金馬 (3代目)|3代目三遊亭金馬]] 、落語家（*[[1894年]]） &lt;br /&gt;
* [[11月10日]] - [[ジミー・ドッド]]、俳優（*[[1910年]]） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 12月 ===&lt;br /&gt;
* [[12月6日]] - [[コンスエロ・ヴァンダービルト]]、[[マールバラ公]]夫人（* [[1877年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月11日]] - [[アルマ・マーラー]]、作曲家[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の妻（* [[1879年]]）&lt;br /&gt;
* 12月11日 - [[サム・クック]]、[[ソウルミュージック]]・[[リズム・アンド・ブルース|R&amp;amp;B]]の[[歌手]]（* [[1931年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月14日]] - [[フランシスコ・カナロ]]、[[タンゴ]]の[[ヴァイオリニスト]]・[[指揮者]]（* 1888年）&lt;br /&gt;
* [[12月17日]] - [[ヴィクトール・フランツ・ヘス]]、物理学者（* [[1883年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月21日]] - [[カール・ヴァン・ヴェクテン]]、[[写真家]]（* [[1880年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月29日]] - [[三木露風]]、詩人（* [[1889年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ノーベル賞 ==&lt;br /&gt;
* [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[チャールズ・タウンズ]]、[[ニコライ・バソフ]] 、[[アレクサンドル・プロホロフ]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[ドロシー・ホジキン]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[コンラート・ブロッホ]]、[[フェオドル・リュネン]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[ジャン＝ポール・サルトル]]（辞退して受賞せず）&lt;br /&gt;
* [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[マーティン・ルーサー・キング]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクションの出来事 ==&lt;br /&gt;
* 冬? - [[四日市市|四日市]]、[[名古屋市|名古屋]]を破壊した[[ゴジラ (架空の怪獣)|ゴジラ]]に[[モスラ (架空の怪獣)|モスラ]]が立ち向かう（『[[モスラ対ゴジラ]]』）&lt;br /&gt;
* 1月 - 宇宙怪獣[[キングギドラ]]が襲来。富士山麓で[[ゴジラ (架空の怪獣)|ゴジラ]]、[[モスラ (架空の怪獣)|モスラ]]、[[ラドン (架空の怪獣)|ラドン]]と交戦する。他にも[[松本市|松本]]、[[横浜市|横浜]]、[[東京]]が破壊される（『[[三大怪獣 地球最大の決戦]]』）&lt;br /&gt;
* [[8月24日]] - バーチャスミッション開始。 （[[メタルギアソリッド3]]）&lt;br /&gt;
* [[8月30日]] - スネークイーター作戦開始。 （メタルギアソリッド3）&lt;br /&gt;
* [[9月2日]]- ネイキッドスネーク、ザ・ボス抹殺に成功。スネークイーター作戦終了（メタルギアソリッド3）。&lt;br /&gt;
* [[12月17日]] - 浪速大学医学部の[[里見脩二]]助教授が辞表を書く（『[[白い巨塔]]』）。&lt;br /&gt;
* 不明 - 宇宙怪獣[[ドゴラ]]が出現する（『[[宇宙大怪獣ドゴラ]]』）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 誕生日 ===&lt;br /&gt;
* [[1月3日]] - [[室井慎次]]、テレビドラマ・映画『[[踊る大捜査線]]』に登場する人物&lt;br /&gt;
* [[8月7日]] - [[野比のび太]]、アニメ・漫画『[[ドラえもん]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
* [[12月4日]] - 邑輝一貴、アニメ・漫画『[[闇の末裔]]』に登場するキャラクター&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:1964年|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:1960年代]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和30年代]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%A0%97%E5%B1%B1%E9%BE%8D&amp;diff=405797</id>
		<title>栗山龍</title>
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				<updated>2023-10-24T03:16:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''栗山 龍'''（くりやま りゅう、[[1964年]][[4月1日]] - ）は、[[バッキー事件]]の主犯。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
「ダイヤルQ2」で大成功し、巨万の富を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
SMクラブ「クラリス」、AVメーカー「バッキービジュアルプランニング」などを経営していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[長野刑務所]]で服役中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071219/trl0712191120001-n1.htm 「卑劣極まりない犯行」 AV撮影で強姦致傷の被告に懲役18年2007.12.19 11:20 産経新聞]&lt;br /&gt;
*[http://lazyemon.tripod.com/person.html バキ人物表]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス|くりやまりゆう]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:性犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=405796</id>
		<title>バッキー事件</title>
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				<updated>2023-10-24T03:06:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''バッキー事件'''（バッキーじけん）とはビデオ制作会社「[[バッキービジュアルプランニング]]」による[[AV女優]]や素人モデルに対する強姦致傷事件。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経過 ==&lt;br /&gt;
[[2004年]]6月下旬、[[バッキービジュアルプランニング]](以下バッキー)は[[東京都]][[豊島区]]の[[居酒屋]]でAV女優に[[薬物]]（[[脱法ドラッグ]]）を吸わせ、同区西池袋のマンションに連れ込み猥褻行為を撮影しながら[[肛門]]に[[浣腸]]器具を挿入、器具を破裂させ直腸穿孔、肛門裂傷により全治4ヶ月の重傷を負わせた。処置が遅ければ死亡していた可能性もある悪質な犯行であり、警察が動くこととなった（直腸穿孔の40%は手術後死亡すると言われている）。12月16日、上記の疑いで、[[栗山龍]]代表、H責任者ら8人が強制わいせつの疑いで逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この会社は以前から監禁、陰毛焼き、水責め、強制飲酒を含む暴行系ビデオを大量に製作し、さらに「監禁友の会」を発足してDVD購入者を対象とした撮影参加エキストラの公募を行っていた。いずれも撮影の詳細について女優には殆ど知らされずにこうした暴行ビデオの撮影が強行されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕された関係者は証拠不十分で処分保留のまま釈放されたがこの事件以降、池袋署の組織犯罪対策本部が本腰をいれて、バッキー壊滅に向けて動き出すことになった。バッキーに出演した女優が次々と警察の説得で被害届を提出し、2005年3月には関係者らが再び逮捕される。撮影スタッフに罪をなすりつけていた栗山龍代表も2006年2月に強姦致傷容疑で逮捕・起訴された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主犯とされる会社代表の栗山龍と監督の男は[[東京地方裁判所]]に起訴され、2007年10月5日には会社代表の栗山龍の論告求刑公判が開かれた。論告では、軽いレイプものの撮影であると言い一人の女性に対し2、30人で暴行を加えたり、手足を縛り顔を水中に沈めたりするなど、演出の度を越えた暴力の実態が明らかになった。被告人に反省の色もみられず情状酌量の余地はないとして検察は[[懲役]]20年を求刑したが、その際も被告人はうすら笑いを浮かべていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後2007年12月19日に、会社代表の栗山龍に対しては一審・二審で'''懲役18年'''の判決が言い渡された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 犯行内容 ==&lt;br /&gt;
* 女優に通常のAV撮影と思い込ませ契約書にサインさせた後数十人の男が乗り込んできてレイプ暴行を行う&lt;br /&gt;
* やめてと懇願する女優を無視して撮影を強行して陵辱暴行をし続ける&lt;br /&gt;
* 女優が精神崩壊して精神病院で壁にむかって謝り続けている&lt;br /&gt;
* 女優が酒を4L以上無理矢理飲ませれ急性アルコール中毒で意識を失い口や鼻から嘔吐し脳幹麻痺で脱糞し続ける&lt;br /&gt;
* 女優にドラッグを吸わせてマンションに連れ込み肛門を故意に破裂させた後放置し女優は人口肛門を余儀なくされる&lt;br /&gt;
* 女の首を絞めて逆さまにしたり虫をマンコに詰め込んだり風呂や便器にためた水に押し込んで呼吸困難にさせる&lt;br /&gt;
* 竹刀で殴られたりドロップキックされて泣きじゃくる女優を爆笑したり陰毛を燃やし屋上から落とそうとする&lt;br /&gt;
* 女優がようやく撮影終了と告げられスタッフに労われ安堵するも第二ラウンドが開始され女優を完全崩壊させる&lt;br /&gt;
* 懲役20年を求刑された代表はうすら笑いを浮かべていた &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== シリーズ内容 ==&lt;br /&gt;
* 子宮破壊シリーズ &lt;br /&gt;
* セックオン・ザドラッグ(女優にクスリをキメさせてやる) &lt;br /&gt;
* 水地獄(水責め) &lt;br /&gt;
* うんこ大戦(スカトロ) &lt;br /&gt;
* 露出狂想曲(露出モノ)がメイン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バッキービジュアルプランニングと言う会社で製作された「問答無用強制子宮破壊12」というAVが存在します。そのAVには美咲天使と言う女優がロートで強制的に酒を飲まされ、失神→脱糞の医学的にほぼ死亡コース確定の映像が収録されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかも、バッキービジュアルプランニングは現在、「コレクター」と名を変えいまだにAV製作を続けています。また、美咲天使は当時19歳ですので、このAV製作者は未成年に飲酒を飲ませている事になります。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20人近くの男に中出しされ続け、後半に入り焼酎を原液のまま4リットル以上 漏斗で無理やり飲まされる。その後意識を失い嘔吐。 口から鼻からも嘔吐。肺にも焼酎が入ってしまった様子。意識は無いのにゲホゲホ。心肺機能の停止,数時間後に死亡。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[中里見博]] 『ポルノグラフィと性暴力 新たな法規制を求めて』 [[明石書店]] ISBN 9784750325248 2007年3月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[問答無用 強制子宮破壊]]&lt;br /&gt;
* [[水責め]]&lt;br /&gt;
* [[急性アルコール中毒]]&lt;br /&gt;
* [[スナッフフィルム]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はつきいしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:2004年の日本の事件]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%AA%E6%88%90%E5%B9%B4%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=405663</id>
		<title>未成年犯罪者の一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%9C%AA%E6%88%90%E5%B9%B4%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=405663"/>
				<updated>2023-09-25T03:27:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* か行 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''未成年犯罪者の一覧'''は、[[少年犯罪|未成年犯罪]]者を集めた一覧である。未成年犯罪者とは、未成年（19歳以下）で罪を犯した者のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あ行 ==&lt;br /&gt;
*[[青山洋介]] あおやまようすけ 1984.04.12 名古屋5000万円恐喝中学生 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[穐山彰慶]] あきやまあきよし 1980.11.25 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[浅野麻衣子]] あさのまいこ 1991.12.31 小平市告発逆恨み女子中学生 2006年12月 &lt;br /&gt;
*[[安食亮輔]] あじきりょうすけ 1987.08.22 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[東真一郎]] あずましんいちろう 1982.07.07 神戸連続児童殺人犯　酒鬼薔薇聖斗 1997年9月 &lt;br /&gt;
*[[飯塚正幸]] いいづかまさゆき 1980.10.09 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[飯塚雄大]] いいづかゆうだい 1987.07.10 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[石川祐樹]] いしかわゆうき 1984 栃木県鹿沼市中学いじめ自殺事件の犯人 1999年4～11月 &lt;br /&gt;
*[[伊知地萌子]] いちじもえこ 1998 青山学院中等部少女暴行事件首謀者 2012年5月 ‎ &lt;br /&gt;
*[[市澤主税]] いちざわちから 1980.12.03 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[伊津和真]] いづかずま 1994.01.12 亀岡事故の加害者 2012年4月23日&lt;br /&gt;
*[[井出拓人]] いでたくと 1985.07.11 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[伊藤大祐]] いとうだいすけ 1993.07.01 JR成田線暴力冤罪狂言事件の犯人、国籍詐称疑惑 2010年&lt;br /&gt;
*[[今西寿希也]] いまにしときや 1994.03.14 亀岡事故の加害者 2012年4月23日&lt;br /&gt;
*[[上田ユウチ]] うえだゆうち 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[内田拓摩]] うちだたくま 1981.02.23 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[梅沢昭博]] うめざわあきひろ 1980.07.28 栃木県須藤さん67日間暴行虐殺犯 1999年12月頃 &lt;br /&gt;
*[[大倉翼]] おおくらつばさ 1986.09.24 石川県金沢市老夫婦強盗殺害犯 2004年9月 &lt;br /&gt;
*[[大竹修]] おおたけおさむ 1984 栃木県鹿沼市中学いじめ自殺事件の犯人 1999年4～11月 &lt;br /&gt;
*[[大竹和久]] おおたけかずひさ 1979.03.14 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[大場忍]] おおばしのぶ 1979～1980 仙台市アルバイト女性殺人事件 2000年12月&lt;br /&gt;
*[[おかやまりゅうせい]] 1996.03.05 複数wiki荒らし犯 2007年～現在&lt;br /&gt;
*[[岡田健太郎]] おかだけんたろう 1990～1991 岐阜県中津川市女子中学生殺害高校生 2006年4月 &lt;br /&gt;
*[[荻津智志]] おぎつさとし 1981.06.24 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[小倉譲]] おぐらじょう 1971.05.11 足立区女子高生監禁コンクリート詰め殺人犯 1989年1月 &lt;br /&gt;
*[[尾崎雄一]] おざきゆういち 1971～1972 愛知県岡崎市珍走団恐喝犯 2000年10月頃 &lt;br /&gt;
*[[小山田圭吾]] おやまだけいご 1969.01.27 全裸緊縛強制食糞ミュージシャン 1980年代前半&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== か行 ==&lt;br /&gt;
*[[梶ヶ谷茜]] かじがやあかね 1982.10.27 横浜市高校いじめ自殺事件の加害者 1998年頃 &lt;br /&gt;
*[[鍛冶辰也]] かじたつや 1987.07.07 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[柏倉諒]] かしわくらりょう 1988.01.18 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[加藤彩花]]　かとうあやか　1989　[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B8%82%E9%82%A8%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 市邨いじめ事件]の犯人　2006年8月&lt;br /&gt;
*[[加藤正樹]] かとうまさき 1970～1971 愛知県岡崎市珍走団恐喝犯 2000年10月頃 &lt;br /&gt;
*[[加藤龍馬]] かとうりょうま 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[金井敦志]] かないあつし 1980.10.03 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[神谷卓磨]] かみやたくま 1980～1981 愛知県西尾市いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[亀田大毅]] かめだだいき 1989.01.06 WBCフライ級における反則行為の犯人 2007年10月11日&lt;br /&gt;
*[[河渕匡由]] かわぶちただよし 1975 長良川河川敷連続暴行殺人犯 1994年 &lt;br /&gt;
*[[貴島朋征]] きじまともゆき 1985.04.20 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[木村束磨呂]] きむらつかまろ 1998.01.03 [[大津市中2いじめ自殺事件]]主犯 2011年10月&lt;br /&gt;
*[[久代昌範]] くしろまさのり 1984.05.24 名古屋5000万円恐喝中学生 2000年頃&lt;br /&gt;
*[[栗田恭平]] くりたきょうへい 1989 会津若松・母親殺人事件 2007年5月15日&lt;br /&gt;
*[[小網武里]] こあみたけさと 1997･04･05 大津市中2いじめ自殺事件主犯 2011年10月&lt;br /&gt;
*[[小池哲輝]] こいけてつき 1992.01.16 東京都北区ホームレス焼殺未遂犯 2007年5月 &lt;br /&gt;
*[[小池博之]] こいけひろゆき 1988.01.08 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[河野邦夫]] こうのくにお 1986.01.15 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[高野良彦]] こうのよしひこ 1983.07.30 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[国分榮太郎]] こくぶんえいたろう 1986～1987 福島県郡山市強姦事件の犯人 2002年9月 &lt;br /&gt;
*[[小島茂雄]] こじましげお 1968.08.20 名古屋アベック殺人犯 1988年2月 &lt;br /&gt;
*[[小島道慈]] こじまみちじ 1980.08.28 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[小林正人]] こばやしまさと 1975 長良川河川敷連続暴行殺人犯 1994年 &lt;br /&gt;
*[[駒井俊介]] こまいしゅんすけ 1987～1988 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[小森淳]] こもりあつし 1975.10.23 長良川河川敷連続暴行殺人犯 1994年 &lt;br /&gt;
*[[今田訓]] こんださとし 1978.08.13 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== さ行 == &lt;br /&gt;
*[[斉藤みらの]]　さいとうみらの　1989　[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B8%82%E9%82%A8%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 市邨いじめ事件]の犯人　2006年8月&lt;br /&gt;
*[[佐々木雅人]] ささきまさひと 1985～1986 札幌市高校生誤認嫉妬殺人事件の犯人 2001年6月 &lt;br /&gt;
*[[佐藤和文]] さとうかずふみ 1979.02.05 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[佐藤将真]] さとうしょうま 1989.08～1990.03 函館市高校生集団殺人犯2007年8月 &lt;br /&gt;
*[[佐藤浩輝]] さとうひろき 1991.04.15 東京都北区ホームレス焼殺未遂犯 2007年5月 &lt;br /&gt;
*[[佐野有香]]　さのゆか　1989　[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B8%82%E9%82%A8%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 市邨いじめ事件]の犯人　2006年8月　&lt;br /&gt;
*[[沢尻エリカ]] さわじりえりか 1986.04.08 クローズド・ノート事件の犯人 2007年9月29日&lt;br /&gt;
*[[嶋田りさ]] しまだりさ 大宮中学いじめ自殺事件の犯人&lt;br /&gt;
*[[白土春香]] しらとはるか 1981.01.05 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[菅原東吾]] すがわらとうご 1980.12.23 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[杉山肇]] すぎやまはじめ 1978～1979 青梅市珍走団集団暴行犯 2001年 &lt;br /&gt;
*[[鈴木広宣]] すずきひろのぶ 1981 千葉市少女撲殺焼殺事件の犯人 2003年10月 &lt;br /&gt;
*[[鈴木良]] すずきりょう 1983.11.18 大津市障害者殺人犯 2001年3月 &lt;br /&gt;
*[[鈴村泰史]] すずむらやすふみ 1982.04.24 愛知県西尾市女子高生ストーカー殺人犯 1999年8月9日 &lt;br /&gt;
*[[関絵美]] せきえみ 1980.09.01 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[嶋田りさ]] しまだりさ　1993.04～1994.03　さいたま市立中学ネットいじめ自殺事件の犯人　2008年10月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== た行 ==&lt;br /&gt;
*[[高山駿]] たかやましゅん 1985.08.08 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[竹越充]] たけこしみつる 1987.09.17 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年&lt;br /&gt;
*[[谷口誠一]] たにぐちせいいち [[ネオ麦茶事件]]の犯人 2000年 &lt;br /&gt;
*[[田中健貴]] たなかけんき 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[丹下弥生]]　たんげやよい　1989　[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B8%82%E9%82%A8%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 市邨いじめ事件]の犯人　2006年8月&lt;br /&gt;
*[[丹野寿人]] たんのすみひと 1979～1980 仙台市アルバイト女性殺人事件 2000年12月 &lt;br /&gt;
*[[辻直樹]] つじなおき 1984～1985 名古屋５０００万円恐喝中学生 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[辻菜摘]] つじなつみ 1992.11.21 佐世保市級友斬殺犯 2004年7月 &lt;br /&gt;
*[[土屋沙世]] つちやさよ 1992～1993 岐阜県瑞浪中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[土屋茉耶]] つちやまや 1989.01.11 札幌市道立高校ネットでいじめ犯行声明 2006年3月 &lt;br /&gt;
*[[筒井ヨシエ]] つついよしえ 1970.07.12 名古屋アベック殺人犯 1988年2月 &lt;br /&gt;
*[[堤翔吾]] つつみしょうご 滝川高校いじめ自殺事件 2007年7月3日&lt;br /&gt;
*[[高志健一]] たかしけんいち 1968.01.27 名古屋アベック殺人犯 1988年2月&lt;br /&gt;
*[[木賊あかね]]　とくさあかね　1989　[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B8%82%E9%82%A8%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 市邨いじめ事件]の犯人　2006年8月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== な行 ==&lt;br /&gt;
*[[内藤由季]] ないとうゆき 1981.03.05 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[長岡正樹]] ながおかまさき 1978.05.10 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[中島順司]] なかじまじゅんじ 1968 福島県郡山市強姦事件の主犯 2002年9月 &lt;br /&gt;
*[[中村幸子]] なかむらゆきこ 1983 痴漢でっち上げ女子高生 2000年2月 &lt;br /&gt;
*[[中屋聡一郎]] なかやそういちろう 1979.01.07 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[夏山英二]] なつやまえいじ 1984.05.09 名古屋５０００万円恐喝中学生 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[西村依里香]]　にしむらえりか　1989　[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B8%82%E9%82%A8%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 市邨いじめ事件]の犯人　2006年8月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== は行 == &lt;br /&gt;
*[[萩原克彦]] はぎわらかつひこ 1980.06.05 栃木県須藤さん67日間暴行虐殺犯 1999年12月頃 &lt;br /&gt;
*[[萩原裕治]] はぎわらゆうじ 1981.08.08 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[橋本真生]] はしもとまお 1982.04.03 横浜市高校いじめ自殺事件の加害者 1998年頃 &lt;br /&gt;
*[[初田昌司]] はつだまさし 1985.08.26 大津市障害者殺人犯 2001年3月 &lt;br /&gt;
*[[服部英之]] はっとりひでゆき 1987 福島県郡山市強姦事件の犯人 2002年9月 &lt;br /&gt;
*[[早川友]]　はやかわゆう　1989　[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B8%82%E9%82%A8%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 市邨いじめ事件]の犯人　2006年8月&lt;br /&gt;
*[[原拓馬]] はらたくま 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[坂東愛子]]　ばんどうあいこ　1989　[http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%B8%82%E9%82%A8%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 市邨いじめ事件]主犯　2006年8月&lt;br /&gt;
*[[平間龍治]] ひらまりゅうじ 1975～1976 仙台市アルバイト女性殺人事件 2000年12月 &lt;br /&gt;
*[[広瀬美香]] ひろせみか 1983.02.28 横浜市高校いじめ自殺事件の加害者 1998年頃 &lt;br /&gt;
*[[福田孝行]] ふくだたかゆき 1981.03.15 山口県光市母子殺害屍姦事件の犯人 1999年4月 &lt;br /&gt;
*[[福原健二]] ふくはらけんじ 1979.10.05 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月&lt;br /&gt;
*[[藤本裕明]] ふじもとひろあき 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[古川昭太郎]] ふるかわしょうたろう 1986.01.29 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[保母冬妃]] ほぼふゆき 1992～1993 岐阜県瑞浪中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[本間直人]] ほんまなおと 1979.08～1980.01 足立区監禁暴行金銭強奪段ボール詰め殺人犯 2004年1月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ま行 ==&lt;br /&gt;
*[[前澤宏樹]] まえさわひろき 1983.06.01 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[増田知晃]] ますだともあき 1983 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[松田雄一]] まつだゆういち 1990 長崎市幼児突き落とし殺人犯 2003年7月 &lt;br /&gt;
*[[松本崇彰]] まともとたかあき デマツイート犯人 [[2012年]][[12月7日]]&lt;br /&gt;
*[[三浦美香]] みうらみか 1984.04～1984.06 足立区監禁暴行金銭強奪段ボール詰め殺人犯 2004年1月 &lt;br /&gt;
*[[水口舞]] みずぐちまい 1989.09.15 伊豆の国市母親毒殺未遂女子高生 2005年10月 &lt;br /&gt;
*[[湊伸治]] みなとしんじ 1972.12.16 足立区女子高生監禁コンクリート詰め殺人犯 1989年1月 &lt;br /&gt;
*[[宮沢雄飛]] みやざわゆうひ 1980.07.26 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[宮野裕史]] みやのゆうし 1970.04.30 足立区女子高生監禁コンクリート詰め殺人犯 1989年1月 &lt;br /&gt;
*[[村上博紀]] むらかみひろき 1980.10.29 栃木県須藤さん67日間暴行虐殺犯 1999年12月頃 &lt;br /&gt;
*[[眼鏡恐竜]] めがねきょうりゅう 1999.11.11 ウィキペディア荒らし犯 2011年～現在&lt;br /&gt;
*[[森貝真彦]] もりかいまさひこ 1988.04.24 札幌市道立高校ネットでいじめ犯行声明 2006年3月 &lt;br /&gt;
*[[森崎和哉]] もりざきかずや 1980.10.29 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年&lt;br /&gt;
*[[森次徹信]] もりつぐてつのぶ 1997.04.10 DQN鉄道ヲタク（犯罪は線路侵入・女性盗撮など）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== や行 ==&lt;br /&gt;
*[[矢口祐介]] やぐちゆうすけ 1980.02.28 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[谷田亮祐]] やつだりょうすけ 1987.04.25 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[山口高明]] やまぐちたかあき 1985.08.08 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[山崎信行]] やまざきのぶゆき 1987.08.22 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[山下洋介]] やましたようすけ 1978～1979 名古屋集団引ったくり犯 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[山下連]] やましたれん 1993 亀岡事故の加害者 2012年&lt;br /&gt;
*[[山田浩平]] やまだこうへい 1979～1980 名古屋集団引ったくり犯 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[山田晃也]] やまだこうや 1997･05･16 大津市中2いじめ自殺事件主犯 2011年10月&lt;br /&gt;
*[[横山菜月]] よこやまなつき 1991.10.09 小平市告発逆恨み女子中学生 2006年12月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ら行 ==&lt;br /&gt;
*[[龍造寺リエ]] りゅうぞうじりえ 1971.01.20 名古屋アベック殺人犯 1988年2月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== わ行 ==&lt;br /&gt;
*[[渡邊恭史]] わたなべやすし 1971.12.18 足立区女子高生監禁コンクリート詰め殺人犯 1989年1月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[クソジジイの一覧]]&lt;br /&gt;
* [[クソババアの一覧]]&lt;br /&gt;
* [[クソガキの一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{蛆虫}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みせいねんはんさいしや}}&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:クソガキ|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:一覧]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:辻井伸行の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:野田憲太郎にレイプされるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%AC%E3%82%AD%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=405662</id>
		<title>クソガキの一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%AC%E3%82%AD%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=405662"/>
				<updated>2023-09-25T03:26:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* か行 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''クソガキの一覧'''は、クソガキを集めた一覧である。この一覧では、大事件を起こした未成年が記載されているが、既に成人している場合もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あ行 ==&lt;br /&gt;
*[[青山洋介]] あおやまようすけ 1984.04.12 名古屋5000万円恐喝中学生 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[穐山彰慶]] あきやまあきよし 1980.11.25 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[浅野麻衣子]] あさのまいこ 1991.12.31 小平市告発逆恨み女子中学生 2006年12月 &lt;br /&gt;
*[[安食亮輔]] あじきりょうすけ 1987.08.22 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[東真一郎]] あずましんいちろう 1982.07.07 神戸連続児童殺人犯 酒鬼薔薇聖斗 1997年9月 &lt;br /&gt;
*[[安藤里穂]] あんどうりほ 1992～1993 岐阜県瑞浪中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[飯塚正幸]] いいづかまさゆき 1980.10.09 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[飯塚雄大]] いいづかゆうだい 1987.07.10 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[石川祐樹]] いしかわゆうき 1984.00.00 栃木県鹿沼市中学いじめ自殺事件の犯人 1999年4～11月 &lt;br /&gt;
*[[市澤主税]] いちざわちから 1980.12.03 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[井出拓人]] いでたくと 1985.07.11 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[伊藤大祐]] いとうだいすけ 1993.07.01 JR成田線暴力冤罪狂言事件の犯人、国籍詐称疑惑 2010年&lt;br /&gt;
*[[大場忍]] おおばしのぶ 1979～1980 仙台市アルバイト女性殺人事件 2000年12月 &lt;br /&gt;
*[[岡田健太郎]] おかだけんたろう 1990～1991 岐阜県中津川市女子中学生殺害高校生 2006年4月&lt;br /&gt;
*[[おかやまりゅうせい]] 1996.03.05 複数wiki荒らし犯 2007年～現在 &lt;br /&gt;
*[[荻津智志]] おぎつさとし 1981.06.24 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[小倉譲]] おぐらじょう 1971.05.11 足立区女子高生監禁コンクリート詰め殺人犯 1989年1月 &lt;br /&gt;
*[[尾崎雄一]] おざきゆういち 1971～1972 愛知県岡崎市珍走団恐喝犯 2000年10月頃 &lt;br /&gt;
*[[小山田圭吾]] おやまだけいご 1969.01.27 全裸緊縛強制食糞ミュージシャン 1980年代前半&lt;br /&gt;
*[[ORESAMAkingudamu2012]] おれさまきんぐだむ2012 YouTubeスパム投稿犯 2012年～2013&lt;br /&gt;
*[[OMANKOMANZIRU]] おまんこまんじる YouTubeスパム投稿・無断転載常習犯 2013年3月頃～現在&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== か行 ==&lt;br /&gt;
*[[@kaiwkx]] かいわ 1997.10.27 作家誹謗中傷個人情報晒し事件の犯人 2016年3月&lt;br /&gt;
*[[梶ヶ谷茜]] かじがやあかね 1982.10.27 横浜市高校いじめ自殺事件の加害者 1998年頃 &lt;br /&gt;
*[[鍛冶辰也]] かじたつや 1987.07.07 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[柏倉諒]] かしわくらりょう 1988.01.18 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[片桐操]] かたぎりそう 1947.00.00 少年ライフル魔 1965年7月29日&lt;br /&gt;
*[[加藤正樹]] かとうまさき 1970～1971 愛知県岡崎市珍走団恐喝犯 2000年10月頃 &lt;br /&gt;
*[[加藤龍馬]] かとうりょうま 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[金井敦志]] かないあつし 1980.10.03 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[神谷卓磨]] かみやたくま 1980～1981 愛知県西尾市いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[亀田大毅]] かめだだいき 1989.1.6 WBCフライ級における反則行為の犯人 2007年10月11日&lt;br /&gt;
*[[河渕匡由]] かわぶちただよし 1975.00.00 長良川河川敷連続暴行殺人犯 1994年 &lt;br /&gt;
*[[貴島朋征]] きじまともゆき 1985.04.20 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[木村束磨呂]] きむらつかまろ [[大津市中2いじめ自殺事件]]主犯 2016年9月&lt;br /&gt;
*[[工藤千江梨]] くどうちえり 2002.6.21 [[青森中2女子いじめ自殺事件]]主犯 2015年9月&lt;br /&gt;
*[[河野邦夫]] こうのくにお 1986.01.15 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[高野良彦]] こうのよしひこ 1983.07.30 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[国分比瀘一]] こくぶんひろかず 1986～1987 福島県郡山市強姦事件の犯人 2002年9月 &lt;br /&gt;
*[[小島茂雄]] こじましげお 1968.08.20 名古屋アベック殺人犯 1988年2月 &lt;br /&gt;
*[[小島道慈]] こじまみちじ 1980.08.28 神奈川県津久井町中学いじめ自殺の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[小林正人]] こばやしまさと 1975.00.00 長良川河川敷16人連続暴行放火殺人犯 1994年 &lt;br /&gt;
*[[駒井松芳]] こまいまつやす 1987～1988 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[小森清康]] こもりきよやす 1971.10.23 長良川河川敷16人連続暴行放火殺人犯 1994年 &lt;br /&gt;
*[[未地岡永喜]] いまぢおかえいき 1978.08.13 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== さ行 ==&lt;br /&gt;
*[[Sysop]] さいそっぷ [[Chakuwiki]]のむらまさと同一人物。 &lt;br /&gt;
*[[佐々木雅人]] ささきまさひと 1985～1986 札幌市高校生誤認嫉妬殺人事件の犯人 2001年6月&lt;br /&gt;
*[[佐藤和貴]] さとうかずたか　1995 埼玉県川口市同級生女子を男子5人でいじめ　その二年後新たないじめにより男子一人が転校&lt;br /&gt;
*[[佐藤和文]] さとうかずふみ 1979.02.05 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[佐藤将真]] さとうしょうま 1989.08～1990.03 函館市高校生集団殺人犯2007年8月 &lt;br /&gt;
*[[佐藤浩輝]] さとうひろき 1991.04.15 東京都北区ホームレス焼殺未遂犯 2007年5月 &lt;br /&gt;
*[[沢尻エリカ]] さわじりえりか 1986.4.8 クローズド・ノート舞台挨拶乱入殺人事件の犯人 2007年9月29日&lt;br /&gt;
*[[白土春香]] しらとはるか 1981.01.05 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[菅原東吾]] すがわらとうご 1980.12.23 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[杉山肇]] すぎやまはじめ 1978～1979 青梅市珍走団集団暴行犯 2001年 &lt;br /&gt;
*[[鈴木広宣]] すずきひろのぶ 1981.00.00 千葉市少女撲殺焼殺事件の犯人 2003年10月 &lt;br /&gt;
*[[鈴木良]] すずきりょう 1983.11.18 大津市障害者殺人犯 2001年3月 &lt;br /&gt;
*[[鈴村泰史]] すずむらやすふみ 1982.04.24 愛知県西尾市女子高生ストーカー殺人犯 1999年8月9日&lt;br /&gt;
*[[スパイ撲滅委員会]] すぱいぼくめついいんかい 2002.02.20 ユアペディア史上最悪の荒らし犯 2011年～現在 &lt;br /&gt;
*[[関絵美]] せきえみ 1980.09.01 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[嶋田りさ]] しまだりさ 1993.04～1994.03 さいたま市立中学ネットいじめ自殺事件の犯人 2008年10月&lt;br /&gt;
*[[指定山崎]] していやまざき ウィキペディア史上最悪の荒らし犯、クズ 2018年5月30日～現在&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== た行 ==&lt;br /&gt;
高橋柊也   たかはししゅうや  2016・8・22 埼玉県東松山河川敷暴行死事件&lt;br /&gt;
*[[高志健一]] たかしけんいち 1968.01.27 名古屋アベック殺人犯 1988年2月&lt;br /&gt;
*[[高山駿]] たかやましゅん 1985.08.08 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[竹越充]] たけこしみつる 1987.09.17 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年&lt;br /&gt;
*[[谷口誠一]] たにぐちせいいち 毒[[ネオ麦茶]]殺人事件の犯人 2010年 &lt;br /&gt;
*[[田中健貴]] たなかけんき 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[丹野寿人]] たんのすみひと 1979～1980 仙台市アルバイト女性殺人事件 2000年12月 &lt;br /&gt;
*[[辻直樹]] つじなおき 1984～1985 名古屋5000万円恐喝中学生 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[辻菜摘]] つじなつみ 1992.11.21 佐世保市級友斬殺犯 2004年7月 &lt;br /&gt;
*[[土屋沙世]] つちやさよ 1992～1993 岐阜県瑞浪中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[土屋茉耶]] つちやまや 1989.01.11 札幌市道立高校ネットで1йいじめ犯行声明 2006年3月 &lt;br /&gt;
*[[筒井ヨシエ]] つついよしえ 1970.07.12 名古屋アベック殺人犯 1988年2月 &lt;br /&gt;
*[[堤翔吾]] つつみしょうご 滝川高校職員大量殺人事件 2005年&lt;br /&gt;
*[[徳勝もなみ]]とくかつもなみ 佐世保女子高生殺害事件 2014年7月26日&lt;br /&gt;
*[[泊優稀]] とまりゆうき 1996.02.20 複数wiki荒らし犯 2011年～現在&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== な行 ==&lt;br /&gt;
*[[内藤由季]] ないとうゆき 1981.03.05 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[長岡正樹]] ながおかまさき 1978.05.10 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[中島順司]] なかじまじゅんじ 1968.00.00 福島県郡山市強姦事件の主犯 2002年9月 &lt;br /&gt;
*[[中村幸子]] なかむらゆきこ 1983.00.00 痴漢でっち上げ女子高生 2000年2月 &lt;br /&gt;
*[[中屋聡一郎]] なかやそういちろう 1979.01.07 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[夏山英二]] なつやまえいじ 1984.05.09 名古屋5000万円恐喝中学生 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[西尾真由美]] にしおまゆみ 1992～1993 岐阜県瑞浪中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== は行 == &lt;br /&gt;
*[[萩原克彦]] はぎわらかつひこ 1980.06.05 栃木県須藤さん67日間暴行虐殺犯 1999年12月頃 &lt;br /&gt;
*[[萩原裕治]] はぎわらゆうじ 1981.08.08 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[橋本真生]] はしもとまお 1982.04.03 横浜市高校いじめ自殺事件の加害者 1998年頃 &lt;br /&gt;
*[[初田昌司]] はつだまさし 1985.08.26 大津市障害者殺人犯 2001年3月 &lt;br /&gt;
*[[HATUNEMIKUDAISUKIDA3]] はつねみくだいすきだ3 YouTube荒らし犯 2010年頃～現在&lt;br /&gt;
*[[服部英之]] はっとりひでゆき 1987.00.00 福島県郡山市強姦事件の犯人 2002年9月 &lt;br /&gt;
*[[原拓馬]] はらたくま 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[平間龍治]] ひらまりゅうじ 1975～1976 仙台市アルバイト女性殺人事件 2000年12月 &lt;br /&gt;
*[[広瀬美香]] ひろせみか 1983.02.28 横浜市高校いじめ自殺事件の加害者 1998年頃 &lt;br /&gt;
*[[福田孝行]] ふくだたかゆき 1981.03.15 山口県光市母子殺害屍姦事件の犯人 1999年4月 &lt;br /&gt;
*[[福原健二]] ふくはらけんじ 1979.10.05 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[藤本裕明]] ふじもとひろあき 1992～1993 福岡県筑前町中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[古川昭太郎]] ふるかわしょうたろう 1986.01.29 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年&lt;br /&gt;
*[[Fromm]] ふろーむ 1993.05.20 複数wiki荒らし犯 2006年～現在 &lt;br /&gt;
*[[保母冬妃]] ほぼふゆき 1992～1993 岐阜県瑞浪中学いじめ自殺事件の犯人 2006年10月 &lt;br /&gt;
*[[本間直人]] ほんまなおと 1979.08～1980.01 足立区監禁暴行金銭強奪段ボール詰め殺人犯 2004年1月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ま行 ==&lt;br /&gt;
*[[前澤宏樹]] まえさわひろき 1983.06.01 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[増田知晃]] ますだともあき 1983.00.00 北埼玉郡集団暴行殺人犯 1999年5月 &lt;br /&gt;
*[[松田雄一]] まつだゆういち 1990.01.00 長崎市幼児突き落とし殺人犯 2003年7月 &lt;br /&gt;
*[[Muttley]] まっとれー 1955.09.09 - Chakuwikiの荒らし管理者&lt;br /&gt;
*[[松本智津夫]] まつもとちずお 1955.03.02 [[オウム真理教|オウム事件]]関連 麻原彰晃 1989年～1995年&lt;br /&gt;
*[[三浦美香]] みうらみか 1984.04～1984.06 足立区監禁暴行金銭強奪段ボール詰め殺人犯 2004年1月 &lt;br /&gt;
*[[水口舞]] みずぐちまい 1989.09.15 伊豆の国市母親毒殺未遂女子高生 2005年10月 &lt;br /&gt;
*[[湊伸治]] みなとしんじ 1972.12.16 足立区女子高生監禁コンクリート詰め殺人犯 1989年1月 &lt;br /&gt;
*[[宮沢雄飛]] みやざわゆうひ 1980.07.26 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年 &lt;br /&gt;
*[[宮野裕史]] みやのゆうし 1970.04.30 足立区女子高生監禁コンクリート詰め殺人犯 1989年1月 &lt;br /&gt;
*[[村上博紀]] むらかみひろき 1980.10.29 栃木県須藤さん67日間暴行虐殺犯 1999年12月頃&lt;br /&gt;
*[[眼鏡恐竜]] めがねきょうりゅう 1999.11.11 ウィキペディア荒らし犯 2011年～現在 &lt;br /&gt;
*[[森貝真彦]] もりかいまさひこ 1988.04.24 札幌市道立高校ネットでいじめ犯行声明 2006年3月 &lt;br /&gt;
*[[森崎和哉]] もりざきかずや 1980.10.29 神奈川県津久井町中学いじめ自殺事件の犯人 1994年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== や行 ==&lt;br /&gt;
*[[矢口祐介]] やぐちゆうすけ 1980.02.28 山形県新庄市いじめマット殺人事件の犯人 1993年1月 &lt;br /&gt;
*[[谷田亮祐]] やつだりょうすけ 1987.04.25 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[山口高明]] やまぐちたかあき 1985.08.08 千葉県市原市中学いじめ自殺事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[山崎信行]] やまざきのぶゆき 1987.08.22 川口市中学いじめ事件の加害者 2000年 &lt;br /&gt;
*[[山下洋介]] やましたようすけ 1978～1979 名古屋集団引ったくり犯 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[山田浩平]] やまだこうへい 1979～1980 名古屋集団引ったくり犯 2000年頃 &lt;br /&gt;
*[[山田晃也]] やまだこうや 大津市中2いじめ自殺事件主犯 2011年10月&lt;br /&gt;
*[[山本真梨菜]] やまもとまりな 2002 [[青森中2女子いじめ自殺事件]]副主犯 2015年9月&lt;br /&gt;
*[[横山菜月]] よこやまなつき 1991.10.09 小平市告発逆恨み女子中学生 2006年12月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ら行 ==&lt;br /&gt;
*[[龍造寺リエ]] りゅうぞうじりえ 1971.01.20 名古屋アベック殺人犯 1988年2月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== わ行 ==&lt;br /&gt;
*[[渡邊恭史]] わたなべやすし 1971.12.18 足立区女子高生監禁コンクリート詰め殺人犯 1989年1月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[クソガキ殿堂入りの一覧]]&lt;br /&gt;
*[[クソジジイの一覧]]&lt;br /&gt;
*[[クソババアの一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{蛆虫}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:くそかき}}&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:クソガキ|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:一覧]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:辻井伸行の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:野田憲太郎にレイプされるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=1968%E5%B9%B4&amp;diff=405661</id>
		<title>1968年</title>
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				<updated>2023-09-25T02:50:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 8月 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{yearbox|&lt;br /&gt;
 前世紀=19 |&lt;br /&gt;
 世紀=20 |&lt;br /&gt;
 次世紀=21 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 前10年紀2=1940 |&lt;br /&gt;
 前10年紀1=1950 |&lt;br /&gt;
 10年紀=1960 |&lt;br /&gt;
 次10年紀1=1970 |&lt;br /&gt;
 次10年紀2=1980 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 3年前=1965 |&lt;br /&gt;
 2年前=1966 |&lt;br /&gt;
 1年前=1967 |&lt;br /&gt;
 年=1968 |&lt;br /&gt;
 1年後=1969 |&lt;br /&gt;
 2年後=1970 |&lt;br /&gt;
 3年後=1971 |&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{YearInTopicBefore2003}}&lt;br /&gt;
1968年（昭和43年）は、[[西暦]]（[[グレゴリオ暦]]）による、[[月曜日から始まる閏年]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 他の紀年法 ==&lt;br /&gt;
{{他の紀年法}}&lt;br /&gt;
* 干支：[[戊申]]&lt;br /&gt;
* 日本（月日は一致）&lt;br /&gt;
** [[昭和]]43年&lt;br /&gt;
** [[皇紀]]2628年&lt;br /&gt;
* [[中華民国]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
** [[中華民国暦]]57年&lt;br /&gt;
* [[朝鮮]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
** [[主体暦|主体]]57年&lt;br /&gt;
* [[仏滅紀元]]：2510年10月2日～2511年10月12日&lt;br /&gt;
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]：1387年9月30日～1388年10月10日&lt;br /&gt;
* [[ユダヤ暦]]：5728年3月30日～5729年4月10日&lt;br /&gt;
* [[修正ユリウス日]](MJD)：39856～40221&lt;br /&gt;
* [[リリウス日]](LD)：140697～141062&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
=== 1月 ===&lt;br /&gt;
* [[1月4日]] - [[オリコンチャート]]が開始される。&lt;br /&gt;
* [[1月5日]] - チェコで[[ノボトニー]]第1書記が解任される。後任に[[アレクサンデル・ドゥプチェク]]が[[チェコスロヴァキア共産党]]第一書記に就任、[[プラハの春]]が始まる。&lt;br /&gt;
* [[1月5日]] -[[公定歩合]]が引き上げられる（1銭7厘）。&lt;br /&gt;
* [[1月9日]] - [[東京オリンピック|東京五輪]]銅メダルの[[円谷幸吉]]が自殺を告げる。&lt;br /&gt;
* [[1月16日]] -英首相が緊縮政策を発表し、[[スエズ]]以東の英駐留軍の[[1971年]]までの撤退を発表する。&lt;br /&gt;
* [[1月17日]] -[[空母エンタープライズ|米原子力空母エンタープライズ]]寄港阻止闘争が始まる。&lt;br /&gt;
* [[1月20日]] -北海道の[[美唄炭鉱]]でガス爆発が発生し、16人が死亡した。&lt;br /&gt;
* [[1月21日]] -米B52が[[グリーンランド]]沖に墜落し、水爆4個が行方不明になる。&lt;br /&gt;
* [[1月21日]] - [[青瓦台襲撃未遂事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[1月22日]] - [[北朝鮮]][[プエブロ号事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[1月27日]] - [[佐藤栄作]][[総理大臣]]、[[国会]]答弁で[[非核三原則]]に触れる。&lt;br /&gt;
* [[1月29日]] -[[東京大学|東大]]医学部、無期限のストライキに突入。[[東大闘争]]が始まる。&lt;br /&gt;
* [[1月30日]] - [[ベトナム戦争]]において、[[南ベトナム]]の[[共産主義|共産]][[ゲリラ]]が蜂起。[[テト攻勢]]が開始する。&lt;br /&gt;
* [[1月31日]] - [[ナウル]]が独立される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2月 ===&lt;br /&gt;
[[Image:逮捕直前の金嬉老.jpg|450px|thumb|逮捕の直前、インタビューに応じる金嬉老。]]&lt;br /&gt;
* [[2月6日]] - [[2月17日|17日]] - [[冬季オリンピック|グルノーブルオリンピック]]大会が開幕する。&lt;br /&gt;
* [[2月15日]] -[[1967年]]の[[アメリカ合衆国|米]]国際収支が赤字に。35億7000万円で戦後2番となる。&lt;br /&gt;
* [[2月16日]] -[[ロシア|ソ連]]が{{偽リンク|大陸棚主権宣言}}。&lt;br /&gt;
* [[2月21日]] - [[2月20日]]に[[静岡県]]{{偽リンク|清水市}}で[[暴力団]]2人を射殺した{{偽リンク|金嬉老}}が{{偽リンク|人質}}を取り、{{偽リンク|寸又峡温泉}}の{{偽リンク|旅館}}に88時間に亘り立て籠もる（[[金嬉老事件]]）。&lt;br /&gt;
* [[2月21日]] -{{偽リンク|九州えびの地震}}が発生する。&lt;br /&gt;
* [[2月23日]] - [[中曽根康弘]]{{偽リンク|運輸大臣}}、[[閣議]]で不要不急の{{偽リンク|海外旅行}}の自粛を求める発言をする。&lt;br /&gt;
* [[2月23日]] -[[倉石忠雄]]{{偽リンク|農林大臣}}が「憲法は他力本願」発言で辞任される。&lt;br /&gt;
* [[2月25日]] - [[京都市]]など{{偽リンク|電話市外局番}}075地域の{{偽リンク|市内局番}}が3桁に変更される。&lt;br /&gt;
* [[2月26日]] -[[成田空港]]阻止{{偽リンク|三里塚闘争}}集会が開かれるが、[[警察|警官隊]]と乱闘し{{偽リンク|戸村一作}}委員長が重傷する。&lt;br /&gt;
* [[2月29日]] -{{偽リンク|マクナマラ}}[[アメリカ合衆国|米]]国防長官が辞任する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[3月2日]] - {{偽リンク|新潟総合テレビ}}が設立される。 　&lt;br /&gt;
* [[3月3日]] - {{偽リンク|尾道大橋}}が開通する。&lt;br /&gt;
* [[3月11日]] - [[ソニー]]が[[磁気]]に敏感に反応する「{{偽リンク|マグネトダイオード}}」を開発した。　&lt;br /&gt;
* [[3月26日]] - [[岡山放送|テレビ岡山]]が設立される。&lt;br /&gt;
* [[3月30日]] - [[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ系]]{{偽リンク|全国ネット}}で初の野球アニメ『[[巨人の星]]』が放送開始される。&lt;br /&gt;
* [[3月31日]] - {{偽リンク|ジョンソン大統領}}、{{偽リンク|ベトナム戦争}}での北爆一部停止を発表した。同時に、{{偽リンク|ベトナム戦争}}対策に集中するため、同年の{{偽リンク|大統領選挙}}に立候補しない意思を表明する。 　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 ===&lt;br /&gt;
* [[4月1日]] - 「[[国際勝共連合]]」が発足する（韓国 [[1月13日]]）。会長に[[世界基督教統一神霊協会|統一教会]]の初代会長・[[久保木修己]]、名誉会長に[[笹川良一]]。 [http://www.asahi-net.or.jp/~AM6K-KZHR/wgendai.htm]&lt;br /&gt;
* [[4月4日]] - [[キング牧師|マーティン・ルーサー・キング]]が暗殺される。&lt;br /&gt;
* [[4月7日]] - [[神戸高速鉄道]]東西線、南北線が開業される。[[阪急電鉄]]・[[阪神電気鉄道]]・[[山陽電気鉄道]]が東西線への乗り入れを通じて相互直通運転を開始し、[[神戸電鉄]]が南北線に乗り入れを開始する。&lt;br /&gt;
* [[4月18日]] - [[東京都]][[千代田区]]に日本初の[[超高層ビル]]である[[霞が関ビルディング|霞が関ビル]]が完成する。高さ147メートル。 &lt;br /&gt;
* [[4月25日]] - [[東名高速道路]]、[[東京インターチェンジ|東京IC]]-[[厚木インターチェンジ|厚木IC]]、[[富士インターチェンジ|富士IC]]-[[静岡インターチェンジ|静岡IC]]、[[岡崎インターチェンジ|岡崎IC]]-[[小牧インターチェンジ|小牧IC]]各区間が開通、小牧ICで[[名神高速道路]]と接続される。&lt;br /&gt;
* [[4月29日]] - [[ニューヨーク]]・[[ブロードウェイ]]のビルトモア劇場で、[[ミュージカル]]『[[ヘアー (ミュージカル)|ヘアー]]』が開演する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月 ===&lt;br /&gt;
* [[5月1日]] - [[日商]]と[[岩井産業]]が合併を調印し、[[日商岩井]]が設立する。&lt;br /&gt;
* [[5月16日]] - [[十勝沖地震#1968年十勝沖地震|十勝沖地震]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[5月21日]] - [[6月20日]] - [[フランス|仏]]で、この日の一千万人が参加したと言われる[[ゼネラル・ストライキ]]を頂点とした学生の街頭占拠と労働者のストライキが一ヶ月に渡って続発した[[五月革命]]が勃発する。&lt;br /&gt;
* [[5月24日]] - [[経団連]]第3代会長に[[植村甲午郎]]が就任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[6月2日]] - [[福岡市]]の[[福岡空港|板付基地]]で夜間離発着の訓練中だった[[アメリカ合衆国空軍|米空軍]]の[[F-4 (戦闘機)|F-4ファントム戦闘爆撃機]]が、[[九州大学]]に建設中の大型電算機センターに墜落する。&lt;br /&gt;
* [[6月5日]] - [[ロバート・F・ケネディ]]が暗殺される。最大の州である[[カリフォルニア|カリフォルニア州]]での予備選に勝利した直後の5日、ロサンゼルスのアンバサダーホテルの調理場で銃撃を受け右脳を損傷、翌6日の早朝に死亡した（[[ロバート・F・ケネディ|ロバート・F・ケネディ暗殺事件]]）。&lt;br /&gt;
* [[6月16日]] - [[横須賀線電車爆破事件]]が発生する。1人死亡、12人負傷。&lt;br /&gt;
* [[6月21日]] - [[日産レンタカー|日産観光サービス]]（いわゆる[[日産レンタカー]]）所有の{{偽リンク|日産・エコー}}（GHC240・長尺車）が[[名神高速道路]]で横転する事故が発生。1人死亡、9人負傷。プロペラシャフトが変速機側で焼き切れて、折れたシャフトが地面に刺さったのが原因だった。&lt;br /&gt;
* [[6月21日]] - [[都営地下鉄]]1号線（現：[[都営地下鉄浅草線]]）の[[大門駅 (東京都)|大門駅]]-[[泉岳寺駅]]間が開通する。&lt;br /&gt;
* [[6月26日]] - [[小笠原諸島]]が日本に復帰される。&lt;br /&gt;
* [[6月27日]] - [[チェコスロヴァキア]]で[[二千語宣言]]が公表される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 ===&lt;br /&gt;
* [[7月1日]] - [[郵便番号]]制度が実施される。&lt;br /&gt;
* [[7月5日]] - [[琉球銀行若松支店強盗事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[7月7日]] - [[第8回参議院議員通常選挙]]。[[石原慎太郎]]が参院選挙の全国区でトップ当選したほか、いわゆる[[タレント議員]]が全員当選する。&lt;br /&gt;
* [[7月12日]] - [[東京都|東京都内]]で[[東京・女性連続殺人事件|女性連続殺人事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[7月14日]] - プラハの春：[[プラハの春#ワルシャワ会談（7月14日-7月15日）|ワルシャワ会談]]。&lt;br /&gt;
* [[7月23日]] - [[パレスチナ解放人民戦線]]が[[エル・アル航空]]の[[ボーイング707]]型機を[[ハイジャック]]した（[[エル・アル航空機ハイジャック事件]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 8月 ===&lt;br /&gt;
* [[8月1日]] - 「[[週刊少年ジャンプ]]」が創刊する。&lt;br /&gt;
* [[8月8日]] - [[札幌医科大学]]で日本初（世界30例目）の[[心臓移植]]が[[和田寿郎]]によって行われた。日本初の[[レシピエント]]は移植83日後[[タン]]を詰まらせ死亡した（[[和田心臓移植事件]]）。&lt;br /&gt;
* [[8月12日]] - 民放で初めての[[独立UHF局]]「[[岐阜放送]]」が開局する。&lt;br /&gt;
* [[8月18日]] - [[岐阜県]]の[[国道41号]]で[[集中豪雨]]のために[[土砂崩れ]]が起こり、[[観光バス]]2台が[[飛騨川]]に転落して乗客107人中104人が死亡した（[[飛騨川バス転落事故]]）。&lt;br /&gt;
* [[8月20日]] - [[ワルシャワ条約機構]]軍がチェコスロヴァキアに軍事介入する（[[プラハの春#軍事介入とその帰結（チェコ事件）|チェコ事件]]）。&lt;br /&gt;
* [[8月24日]] - [[フランス]]、[[サハラ砂漠]]にて[[水爆実験]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 9月 ===&lt;br /&gt;
* [[9月11日]] - [[仙台市|仙台市議会]]に市電廃止反対の東北大生らが乱入する。&lt;br /&gt;
* [[9月13日]] - [[アルバニア]]が[[ワルシャワ条約機構]]を脱退する。&lt;br /&gt;
* [[9月18日]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[王貞治]]選手への投球をめぐり、[[阪神タイガース|阪神]]の[[ジーン・バッキー]]投手と巨人の[[荒川博]]コーチが乱闘する（バッキー・荒川事件）。&lt;br /&gt;
* [[9月26日]] - [[厚生省]]、[[熊本県]]水俣湾周辺と[[新潟県]]阿賀野川流域の有機水銀中毒「[[水俣病]]」を[[公害|公害病]]と認定する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 ===&lt;br /&gt;
* [[10月1日]] - [[日本国有鉄道]]で大規模[[ダイヤグラム#ダイヤ改正|ダイヤ改正]]（「[[ヨンサントオ]]」）。東京地区、大阪地区に[[自動券売機]]を導入。[[国鉄485系電車|485系]]・[[国鉄583系電車|583系]]などがデビューを飾る。&lt;br /&gt;
* 10月1日 - [[道路交通法]]が改正され、違反点数制度を導入する。&lt;br /&gt;
* [[10月5日]] - [[矢板市尊属殺人事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[10月8日]] - 巨人が[[後楽園球場]]の[[広島東洋カープ|広島]]戦に勝ち、4年連続で[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]を制覇する（V4）。&lt;br /&gt;
* [[10月12日]] - [[10月27日|27日]] - [[メキシコシティ]]で第19回夏季オリンピック[[メキシコオリンピック]]が開幕する。&lt;br /&gt;
* [[10月14日]] - [[徳島ラジオ商殺し事件]]で第4次再審が請求される。&lt;br /&gt;
* [[10月15日]] - [[北九州市]][[小倉区]]（当時）の[[カネミ倉庫]]が製造した[[こめ油]]「カネミライスオイル」に[[ポリ塩化ビフェニル|PCB]]（のちに[[ダイオキシン]]の一種も判明）が混入し中毒症状を発生した（[[カネミ油症事件]]）。&lt;br /&gt;
* [[10月17日]] - [[川端康成]]が[[ノーベル文学賞]]を受賞する。&lt;br /&gt;
* [[10月20日]] - [[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]で巨人がプロ野球史上初の4年連続日本一を達成する。&lt;br /&gt;
* [[10月21日]] - [[国際反戦デー]]で[[新宿駅]]を学生が占拠する（別名「新宿解放区」・[[騒乱罪]]適用）。&lt;br /&gt;
* [[10月23日]] - [[明治]]百年記念式典が開催される（実際は明治元年（[[1868年]]）から100年たったという意味なので、年号としては「明治101年」に相当する）。&lt;br /&gt;
* [[10月25日]] - [[和田アキ子]]が歌手デビューを飾る。&lt;br /&gt;
* [[10月?日]] - 米、[[北爆]]を全面停止する（[[1972年]]に再開）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 11月 ===&lt;br /&gt;
[[Image:昭和43年11月21日の東京大学.jpg|150px|thumb|1968（昭和43）年11月21日、[[大学紛争]]が激化する東京・[[本郷]]の東大構内で過激派学生が、 ただ今腕立て伏せで筋トレ中。傍らに[[ゲバ棒]]を置いて武闘訓練にも余念がないは[[反日共系]]の学生。翌日は[[日共系]]も決起集会を開いて衝突必至とみられたが「暴力否定」の一般学生の呼び掛けもあって流血の惨事は免れた。]]&lt;br /&gt;
* [[11月1日]] - [[テレビ静岡]]が開局。&lt;br /&gt;
* [[11月5日]] - [[1968年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[共和党 (アメリカ)|共和党]]候補の[[リチャード・ニクソン]]が当選。&lt;br /&gt;
* [[11月9日]] - [[イリノイ州]]で[[イリノイ地震 (1968年)|イリノイ地震]]が発生。&lt;br /&gt;
* [[11月10日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]統治下の[[琉球政府]]初の公選となる[[第1回行政主席通常選挙]]で、[[屋良朝苗]]が[[行政主席]]に当選。&lt;br /&gt;
* [[11月14日]] - [[皇居]]の新宮殿が落成。&lt;br /&gt;
* [[11月22日]] - [[日本航空サンフランシスコ湾着水事故]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[11月30日]] - [[第2次佐藤内閣第2次改造内閣|第2次佐藤第2次改造内閣]]が発足。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br clear=&amp;quot;all&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 12月 ===&lt;br /&gt;
* [[12月1日]] - [[大気汚染防止法]]、[[騒音規制法]]を施行。&lt;br /&gt;
* [[12月10日]] - [[東京都|東京]]の[[府中市 (東京都)|府中市]]で[[三億円事件|三億円強奪事件]]が発生する。&lt;br /&gt;
* [[12月19日]] - [[村山雅美]]隊長率いる第9次越冬隊が、日本人として初めて[[南極点]]に到達。&lt;br /&gt;
* [[12月22日]] - [[中華人民共和国]]、[[毛沢東]]の指示により[[上山下郷運動]]が開始。&lt;br /&gt;
* [[12月24日]] - [[アポロ8号]]が月を周回し、[[月]]の地平線から昇る[[地球]]の写真が撮られる。&lt;br /&gt;
* [[12月27日]] - [[都営地下鉄三田線|都営地下鉄6号線]]（現在の三田線）、[[志村駅]]（現在の[[高島平駅]]）-[[巣鴨駅]]間が開業。&lt;br /&gt;
* [[12月31日]] - 海面気圧世界最高記録（1083.8hPa）を記録。[[ロシア]]、中央[[シベリア]]高原のアガタ（Agata / 北緯67度、東経93度）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 芸術・文化・ファッション ==&lt;br /&gt;
=== 1968年のスポーツ ===&lt;br /&gt;
==== 野球 ====&lt;br /&gt;
;'''プロ野球'''&lt;br /&gt;
*[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝　[[読売ジャイアンツ]]&lt;br /&gt;
*[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝　[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]&lt;br /&gt;
*[[1968年の日本シリーズ|日本シリーズ]]優勝　読売ジャイアンツ（4勝2敗）&lt;br /&gt;
;'''高校野球'''&lt;br /&gt;
*[[選抜高等学校野球大会|春]]優勝　[[埼玉県立大宮工業高等学校|大宮工業]]（埼玉県）&lt;br /&gt;
*[[全国高等学校野球選手権大会|夏]]優勝　[[興國高等学校|興國]]（大阪府）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 大相撲（幕内最高優勝） ====&lt;br /&gt;
*初場所　[[佐田の山晋松]]&lt;br /&gt;
*春場所　[[若浪順]]&lt;br /&gt;
*夏場所　[[玉の海正洋|玉乃島正夫]]&lt;br /&gt;
*名古屋場所　[[琴櫻傑將]]&lt;br /&gt;
*秋場所　[[大鵬幸喜]]&lt;br /&gt;
*九州場所　大鵬幸喜&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== オリンピック ====&lt;br /&gt;
* [[冬季オリンピック|グルノーブル]]37カ国参加、日本はメダル獲得ゼロ（全員最下位）。&lt;br /&gt;
* [[夏季オリンピック|メキシコシティ]]112カ国参加、日本は金メダル11個、銀メダル・銅メダル各7個獲得。体操「男子団体競技」などで金メダル、バレーボールで男女ともに銀メダル、男子サッカーで銅メダル獲得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1968年の映画 ===&lt;br /&gt;
*[[怪獣総進撃]]&lt;br /&gt;
*[[ガメラ対宇宙怪獣バイラス]]&lt;br /&gt;
*[[2001年宇宙の旅]]&lt;br /&gt;
*[[猿の惑星]]（原題：PLANET OF THE APES）&lt;br /&gt;
*[[黒部の太陽]]&lt;br /&gt;
*[[ブリット]]&lt;br /&gt;
*[[肉弾 (映画)|肉弾]]&lt;br /&gt;
*[[神々の深き欲望]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1968年の文学 ===&lt;br /&gt;
==== 芥川賞 ====&lt;br /&gt;
*第59回（1968年上半期） - 大庭みな子 『三匹の蟹』 &lt;br /&gt;
*第60回（1968年下半期） - 該当作品なし &lt;br /&gt;
==== 直木賞 ====&lt;br /&gt;
*第59回（1968年上半期） - 該当作品なし &lt;br /&gt;
*第60回（1968年下半期） - [[陳舜臣]]『青玉獅子香炉』、[[早乙女貢]]『僑人の檻』 &lt;br /&gt;
==== ベストセラー ====&lt;br /&gt;
*佐賀潜『民法入門』&lt;br /&gt;
*佐賀潜『刑法入門』&lt;br /&gt;
*[[司馬遼太郎]]『[[竜馬がゆく]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1968年のテレビ ===&lt;br /&gt;
*[[大河ドラマ]] [[竜馬がゆく (NHK大河ドラマ)|竜馬がゆく]]&lt;br /&gt;
*[[キイハンター]]&lt;br /&gt;
*[[巨人の星]]&lt;br /&gt;
*[[マイティジャック]]&lt;br /&gt;
*[[怪奇大作戦]]&lt;br /&gt;
*[[夜のヒットスタジオ]]&lt;br /&gt;
*[[3時のあなた]]&lt;br /&gt;
*[[おやじ太鼓]]&lt;br /&gt;
*[[お昼のゴールデンショー]]&lt;br /&gt;
*[[コント55号の世界は笑う]]&lt;br /&gt;
*[[お笑い頭の体操]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
=== 1968年のアニメ ===&lt;br /&gt;
[[Image:サイボーグ009.jpg|200px|thumb|4月5日放映開始の『サイボーグ009』。]]&lt;br /&gt;
*[[1月3日]] [[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)|ゲゲゲの鬼太郎]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[2月1日]] [[わんぱく探偵団]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[3月30日]] [[巨人の星]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[4月1日]] [[アニマル1]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[4月5日]] [[サイボーグ009]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[4月6日]] [[あかねちゃん]]、[[ファイトだ!!ピュー太]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[4月21日]] [[怪物くん]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[9月3日]] [[サスケ (アニメ)|サスケ]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[10月1日]] [[夕やけ番長]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[10月2日]] [[ドカチン]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[10月3日]] [[バンパイヤ]]、[[佐武と市捕物控]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[10月7日]] [[妖怪人間ベム]] 放映開始&lt;br /&gt;
*[[10月21日]] [[ジョニーサイファー]] 放映開始&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1968年の漫画 ===&lt;br /&gt;
*5月 - [[つげ義春]]の[[ねじ式]]が『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』6月増刊号「つげ義春特集」に発表され、漫画界のみならず世間に衝撃を与える。&lt;br /&gt;
*8月1日 - 『[[週刊少年ジャンプ|少年ジャンプ]]』が創刊され、『[[ハレンチ学園]]』が連載開始。&lt;br /&gt;
*10月 - [[ゴルゴ13]]、[[ビッグコミック]]で連載開始。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1968年の流行語 ===&lt;br /&gt;
*[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]]&lt;br /&gt;
*[[グループ・サウンズ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1968年の音楽 ===&lt;br /&gt;
*帰ってきたヨッパライ（[[フォーク・クルセダーズ]]）&lt;br /&gt;
*星影のワルツ（[[千昌夫]]）&lt;br /&gt;
*恋の季節（[[ピンキーとキラーズ]]）&lt;br /&gt;
*小樽のひとよ（[[鶴岡雅義と東京ロマンチカ]]）&lt;br /&gt;
*サウンド・オブ・サイレンス（[[サイモンとガーファンクル]]）&lt;br /&gt;
*花の首飾り（[[ザ・タイガース]]）&lt;br /&gt;
*エメラルドの伝説（[[ザ・テンプターズ]]）&lt;br /&gt;
*恋のしずく（[[伊東ゆかり]]）&lt;br /&gt;
*伊勢佐木町ブルース（[[青江三奈]]）&lt;br /&gt;
*恋はみずいろ（[[ポール・モーリア]]）&lt;br /&gt;
*愛の奇跡（[[ヒデとロザンナ]]）&lt;br /&gt;
*ゆうべの秘密（[[小川知子 (女優)|小川知子]]）&lt;br /&gt;
*虹色の湖（[[中村晃子]]）&lt;br /&gt;
*愛のさざなみ（[[島倉千代子]]）&lt;br /&gt;
*薩摩の女（[[北島三郎]]）&lt;br /&gt;
*天使の誘惑（[[黛ジュン]]）&lt;br /&gt;
*花と蝶（[[森進一]]）&lt;br /&gt;
*盛り場ブルース（森進一）&lt;br /&gt;
*長崎ブルース（青江三奈）&lt;br /&gt;
*好きになった人（[[都はるみ]]）&lt;br /&gt;
*釧路の夜（[[美川憲一]]）&lt;br /&gt;
*たそがれの銀座（[[黒沢明とロス・プリモス]]）&lt;br /&gt;
*思案橋ブルース（中井昭・[[高橋勝とコロラティーノ]]）&lt;br /&gt;
*今は幸せかい（[[佐川満男]]）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 誕生 ==&lt;br /&gt;
=== 1月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1月1日]] - [[伊崎寿克]]、[[声優]]&lt;br /&gt;
* [[1月4日]] - [[松尾潔]]、[[音楽プロデューサー]] 、[[作詞家]]&lt;br /&gt;
* 1月4日 - [[高見素直]]、放火犯&lt;br /&gt;
* [[1月5日]] - [[朝日昇]]、元[[総合格闘家]]（現東京イエローマンズ代表）&lt;br /&gt;
* 1月5日 - [[谷下和人]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[1月8日]] - [[ブル中野]]、元女子[[プロレスラー]]&lt;br /&gt;
* 1月8日 - [[ウラディミール・マラーホフ]]、[[バレエ]]ダンサー&lt;br /&gt;
* 1月8日 - [[足立亘]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月11日]] - [[内海光司]]、[[俳優]]（元[[光GENJI]]）&lt;br /&gt;
* 1月11日 - [[小泉淳嗣]]、元[[サッカー選手]]&lt;br /&gt;
* [[1月13日]] - [[CHARA]]、[[ミュージシャン]]&lt;br /&gt;
* 1月13日 - [[長山洋子]]、[[演歌歌手]]&lt;br /&gt;
* 1月13日 - [[三浦りさ子]]（旧姓・設楽）、[[タレント]]（[[三浦知良]]夫人）&lt;br /&gt;
* [[1月14日]] - [[松居直美 (タレント)|松居直美]]、タレント&lt;br /&gt;
* 1月14日 - [[村上和幸]]、元野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月17日]] - [[瀬名秀明]]、[[SF作家]]&lt;br /&gt;
* [[1月19日]] - [[川井郁子]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]]&lt;br /&gt;
* [[1月20日]] - [[木下博勝]]、[[医師]]&lt;br /&gt;
* [[1月21日]] - [[岡田展和]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 1月21日 - [[アルトゥール・ドミトリエフ]]、[[フィギュアスケート]]選手&lt;br /&gt;
* [[1月22日]] - [[HEATH]]、[[X JAPAN]]ベーシスト&lt;br /&gt;
* [[1月23日]] - [[葉加瀬太郎]]、[[ヴァイオリン奏者]]&lt;br /&gt;
* [[1月24日]] - [[林葉直子]]、元[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]&lt;br /&gt;
* 1月24日 - [[風岡尚幸]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月25日]] - [[t-kimura]]（木村貴志）、[[ミュージシャン]]（[[m.o.v.e]]、元[[Favorite Blue]]）&lt;br /&gt;
* [[1月26日]] - [[宮崎萬純]]、[[女優]]&lt;br /&gt;
* [[1月29日]] - [[秋元宏作]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[1月30日]] - [[ぜんじろう]]、[[お笑いタレント]]&lt;br /&gt;
* [[1月31日]] - [[酒井光次郎]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[2月1日]] - [[佐藤祐樹]]、元[[騎手]]&lt;br /&gt;
* [[2月2日]] - [[ショーン・エリオット]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]&lt;br /&gt;
* [[2月4日]] - [[佐々木蔵之介]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[2月5日]] - [[ロベルト・アロマー]]、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* 2月5日 - [[矢部達哉]]、[[ヴァイオリニスト]]&lt;br /&gt;
* [[2月9日]] - [[野田浩司]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* 2月9日 - [[山田勉 (投手)|山田勉]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[2月9日]] - [[石井英明]]、[[俳優]]・[[声優]]&lt;br /&gt;
* [[2月12日]] - [[チャイナ・フィリップス]]、[[女優]]・[[ミュージシャン]]（[[ウィルソン・フィリップス]]）&lt;br /&gt;
* [[2月13日]] - [[岡田達也]]、舞台[[俳優]]（[[演劇集団キャラメルボックス]]）&lt;br /&gt;
* 2月13日 - [[後藤俊哉]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]報道局記者・[[アナウンサー]]&lt;br /&gt;
* 2月13日 - [[秋山美紀]]、元[[仙台放送]][[アナウンサー]]・[[慶應義塾大学]]専任講師&lt;br /&gt;
* [[2月15日]] - [[山崎邦正]]、お笑いタレント&lt;br /&gt;
* [[2月16日]] - [[中原薫]]、[[歌手]]&lt;br /&gt;
* 2月16日 - [[信達谷圭]]、[[俳優]]&lt;br /&gt;
* 2月16日 - [[小林ゆき (モーターサイクルジャーナリスト)|小林ゆき]]、モーターサイクルジャーナリスト&lt;br /&gt;
* [[2月17日]] - [[舞の海秀平]]、元大相撲[[小結]][[力士]]・タレント・大相撲解説者&lt;br /&gt;
* [[2月18日]] - [[カイル・アボット]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[2月20日]] - [[いしのようこ]]、女優&lt;br /&gt;
* [[2月21日]] - [[家富ヨウジ]]、[[俳優]]・[[声優]]&lt;br /&gt;
* [[2月22日]] - [[佐々木主浩]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 2月22日 - [[オルマリ・ロメロ]]、野球選手&lt;br /&gt;
* [[2月23日]] - [[山本圭一]]、お笑いタレント（元[[極楽とんぼ]]）&lt;br /&gt;
* 2月23日 - [[横山典弘]]、騎手&lt;br /&gt;
* [[2月24日]] - [[内匠政博]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[2月25日]] - [[日高奈留美]]、[[声優]]&lt;br /&gt;
* [[2月27日]] - [[マット・ステアーズ]]、メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* [[2月28日]] - [[安宅美春]]、ミュージシャン・作曲家（元[[KIX-S]]）&lt;br /&gt;
* [[2月29日]] - [[飯島直子]]、女優&lt;br /&gt;
* 2月29日 - [[日下千帆]]、[[フリーアナウンサー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[3月1日]] - [[相楽晴子]]、女優&lt;br /&gt;
* 3月1日 - [[大塚賢一]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[3月2日]] - [[ダニエル・クレイグ]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[3月3日]] - [[デニス・ペトロフ]]、[[フィギュアスケート]]選手&lt;br /&gt;
* [[3月4日]] - [[ジョバンニ・カラーラ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[3月5日]] - [[広永益隆]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[3月6日]] - [[真田雅則]]、元[[サッカー選手]]&lt;br /&gt;
* [[3月11日]] - [[大沢たかお]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[3月12日]] - [[川端一彰]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[3月13日]] - [[奥井雅美]]、[[シンガーソングライター]]&lt;br /&gt;
* [[3月15日]] - [[カヒミ・カリィ]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[3月16日]] - [[柴田佳主也]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[3月17日]] - [[新田恵利]]、タレント（元[[おニャン子クラブ]]）&lt;br /&gt;
* [[3月17日]] - [[SHIHO (セクシーアイドル)|SHIHO]]、歌手・アイドル&lt;br /&gt;
* [[3月18日]] - [[三木眞一郎]]、声優&lt;br /&gt;
* 3月18日 - [[清山宏明]]、元騎手・[[調教助手]]&lt;br /&gt;
* [[3月19日]] - [[米崎薫臣]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[3月21日]] - [[リック・デハート]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[3月22日]] - [[ラモン・マルティネス]]、元メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* 3月22日 - [[前川和也]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[3月24日]] - [[斉藤一美]]、[[文化放送]]アナウンサー&lt;br /&gt;
* 3月24日 - [[和田圭市]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[3月27日]] - [[ウエノコウジ]]、ミュージシャン、ベーシスト（[[Radio Caroline]]、元[[thee michelle gun elephant]]）&lt;br /&gt;
* [[3月28日]] - [[アイリス・チャン]]、[[ジャーナリスト]]（+ [[2004年]]）&lt;br /&gt;
* 3月28日 - [[三渡洲アデミール]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* 3月28日 - [[SABE]]、[[漫画家]]（+ [[2009年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月29日]] - [[黒田洋介]]、[[脚本家]]、小説家&lt;br /&gt;
* [[3月30日]] - [[セリーヌ・ディオン]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[3月31日]] - [[小川直也]]、プロレスラー、元[[柔道家]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[4月1日]] - [[桑田真澄]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[4月2日]] - [[峠恵子]]、シンガーソングライター&lt;br /&gt;
* 4月2日 - [[森絵都]]、[[小説家]]&lt;br /&gt;
* [[4月3日]] - [[金本知憲]]、プロ野球選手（[[阪神タイガース]]）&lt;br /&gt;
* 4月3日 - [[神保絵利子]]、[[岐阜放送]][[アナウンサー]]&lt;br /&gt;
* [[4月4日]] - [[岩崎久則]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[4月7日]] - [[神山雄一郎]]、競輪選手&lt;br /&gt;
* [[4月10日]] - [[張鍾薫]]、野球選手&lt;br /&gt;
* [[4月11日]] - [[岡林洋一]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[4月12日]] - [[五十嵐章人]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 4月12日 - [[芹澤裕二]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 4月12日 - [[宇川直宏]]、[[グラフィックデザイナー]]・[[映像作家]]・[[ビデオジョッキー|VJ]]・[[現代美術]]家&lt;br /&gt;
* [[4月14日]] - [[小沢健二]]、ミュージシャン&lt;br /&gt;
* 4月14日 - [[長谷部裕]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[4月16日]] - [[佐藤幸彦]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[4月19日]] - [[ムスワティ3世]]、[[スワジランドの国王一覧|スワジランド国王]]&lt;br /&gt;
* [[4月20日]] - [[紀里谷和明]]、[[写真家]]・[[映画監督]]&lt;br /&gt;
* [[4月24日]] - [[大鶴義丹]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[4月26日]] - [[植木通彦]]、[[競艇]]選手&lt;br /&gt;
* 4月26日 - [[望月一]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[4月28日]] - [[生稲晃子]]、女優（元・おニャン子クラブ）&lt;br /&gt;
* [[4月29日]] - [[カーニー・ウィルソン]]、[[タレント]]・[[ミュージシャン]]（[[ウィルソン・フィリップス]]）&lt;br /&gt;
* 4月29日 - [[塩崎兼一]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[4月30日]] - [[佐野重樹]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 4月30日 - [[川邉忠義]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[5月2日]] - [[笛吹雅子]]、日本テレビ放送網アナウンサー&lt;br /&gt;
* 5月2日 - [[緑川光]]、声優&lt;br /&gt;
* 5月2日 - [[水尾嘉孝]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[5月3日]] - [[イバン・クルーズ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月4日]] - [[菊池桃子]]、女優・歌手&lt;br /&gt;
* [[5月5日]] - [[森川美穂]]、女優・歌手&lt;br /&gt;
* 5月5日 - [[渡部篤郎]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[5月6日]] - [[嶋尾康史]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 5月6日 - [[フィル・クラーク (内野手)|フィル・クラーク]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月8日]] - [[K DUB SHINE]]、[[ヒップホップ]][[MC (ヒップホップ)|MC]]&lt;br /&gt;
* 5月8日 - [[黒崎久志]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[5月9日]] - [[原田雅彦]]、元・[[スキージャンプ]]選手&lt;br /&gt;
* [[5月10日]] - [[高木晃次]]、プロ野球選手（[[千葉ロッテマリーンズ]]）&lt;br /&gt;
* [[5月12日]] - [[木村重太郎]]、野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月13日]] - [[山本勝則]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月15日]] - [[琴ノ若晴將]]、元大相撲力士・[[関脇]]、現・佐渡ヶ嶽親方&lt;br /&gt;
* [[5月16日]] - [[下柳剛]]、プロ野球選手（阪神タイガース）&lt;br /&gt;
* 5月16日 - [[奈良原浩]]、元プロ野球選手（[[中日ドラゴンズ]]コーチ）&lt;br /&gt;
* [[5月17日]] - [[城之内早苗]]、演歌歌手（元おニャン子クラブ）&lt;br /&gt;
* [[5月18日]] - [[飯田哲也]]、元プロ野球選手（[[東京ヤクルトスワローズ]]コーチ）&lt;br /&gt;
* [[5月19日]] - [[アラン・ジンター]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月21日]] - [[荒川義之]]、[[調教師]]（JRA）&lt;br /&gt;
* [[5月23日]] - [[中島ヒロト]]、ラジオパーソナリティ&lt;br /&gt;
* 5月23日 - [[杉浦正則]]、元野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月25日]] - [[ホセ・カレーニョ]]、[[バレエ]]ダンサー&lt;br /&gt;
* [[5月26日]] - [[岩井由紀子]]、元タレント（元おニャン子クラブ）&lt;br /&gt;
* 5月26日 - [[隆濤剛]]、元大相撲力士&lt;br /&gt;
* 5月26日 - [[有隅昭二]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[5月27日]] - [[あずまきよひこ]]、[[漫画家]]&lt;br /&gt;
* 5月27日 - [[ジェフ・バグウェル]]、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[5月28日]] - [[カイリー・ミノーグ]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[5月31日]] - [[鈴木京香]]、女優&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[6月1日]] - [[夏川結衣]]、女優&lt;br /&gt;
* 6月1日 - [[橋本恵子]]、女優&lt;br /&gt;
* 6月1日 - [[星安出寿保世]]、元大相撲力士&lt;br /&gt;
* [[6月3日]] - [[長嶋三奈]]、[[スポーツキャスター]]&lt;br /&gt;
* [[6月5日]] - [[原田裕花]]、元バスケットボール選手&lt;br /&gt;
* 6月5日 - [[山崎昭史]]、元バスケットボール選手&lt;br /&gt;
* [[6月6日]] - [[ドミニク・ブフ]]、騎手&lt;br /&gt;
* [[6月8日]] - [[琴錦功宗]]、元[[関脇]]力士&lt;br /&gt;
* [[6月10日]] - [[神奈延年]]、声優&lt;br /&gt;
* 6月10日 - [[沼田祐介]]、声優&lt;br /&gt;
* [[6月11日]] - [[アロイス・リテンシュタイン]]、[[リヒテンシュタイン]][[皇太子]]&lt;br /&gt;
* [[6月13日]] - [[河合美智子]]、女優&lt;br /&gt;
* 6月13日 - [[森口博子]]、歌手・タレント・女優&lt;br /&gt;
* [[6月14日]] - [[大塚寧々]]、女優&lt;br /&gt;
* 6月14日 - [[小坂勝仁]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[6月16日]] - [[サミー・ソーサ]]、[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* 6月16日 - もこな（旧名: もこなあぱぱ）、漫画家（[[CLAMP]]）&lt;br /&gt;
* [[6月17日]] - [[原井和也]]、元プロ野球選手、[[佐野まり]]、アーティスト&lt;br /&gt;
* [[6月18日]] - [[谷田部憲昭]]、ミュージシャン（元[[マジック (バンド)|マジック]]）&lt;br /&gt;
* [[6月20日]] - [[鷺沢萠]]、[[小説家]]（+ 2004年）&lt;br /&gt;
* 6月20日 - [[バリー・スパークス]]、ミュージシャン&lt;br /&gt;
* [[6月22日]] - [[柳美里]]、小説家&lt;br /&gt;
* 6月22日 - [[中村日出夫 (野球)|中村日出夫]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月26日]] - [[千葉一伸]]、声優&lt;br /&gt;
* 6月26日 - [[パオロ・マルディーニ]]、サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[6月28日]] - [[三浦隆志]]、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]アナウンサー&lt;br /&gt;
* [[6月29日]] - [[中村良二]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[6月30日]] - [[山下真]]、[[奈良県]][[生駒市|生駒市長]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[7月1日]] - [[Cup's]] 内田幸宏・内田宣宏、元双子のロックデュオ&lt;br /&gt;
* 7月1日 - [[森田チアキ]]、声優&lt;br /&gt;
* 7月1日 - [[小島圭市]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* 7月1日 - [[榊原勝也]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月5日]] - [[赤松健]]、漫画家&lt;br /&gt;
* 7月5日 - [[アンディ先生]]、[[マジシャン]]&lt;br /&gt;
* [[7月6日]] - [[大西結花]]、女優&lt;br /&gt;
* 7月6日 - [[湊富士孝行]]、大相撲元力士、現・立田川親方&lt;br /&gt;
* 7月6日 - [[祐木毅]]、元バスケットボール選手&lt;br /&gt;
* [[7月7日]] - [[チャック・ノブロック]]、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[7月9日]] - [[松下由樹]]、女優&lt;br /&gt;
* 7月9日 - [[青柳進]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月10日]] - [[ガブリエラ・ペレス]]、バレーボール選手&lt;br /&gt;
* 7月10日 - [[チバユウスケ]]、歌手、作曲家（[[The Birthday]]、元[[Thee Michelle Gun Elephant]]）&lt;br /&gt;
* [[7月11日]] - [[近藤サト]]、フリーアナウンサー&lt;br /&gt;
* [[7月12日]] - [[青嶋文明]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[7月13日]] - [[南央美]]、声優&lt;br /&gt;
* [[7月14日]] - [[佐藤弘道]]、タレント・元体操のお兄さん&lt;br /&gt;
* 7月14日 - [[デリック・メイ (野球)|デリック・メイ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月15日]] - [[比嘉栄昇]]、ミュージシャン（[[BEGIN]]）&lt;br /&gt;
* [[7月16日]] - [[西村秀嗣]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月18日]] - [[西村龍次]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月20日]] - [[長谷高成泰]]、元野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月21日]] - [[永野吉成]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月22日]] - [[薬師寺保栄]]、タレント・元[[プロボクサー]]&lt;br /&gt;
* [[7月23日]] - [[ゲイリー・ペイトン]]、元バスケットボール選手&lt;br /&gt;
* [[7月24日]] - [[内藤尚行]]、元プロ野球選手、[[野球解説者]]・タレント&lt;br /&gt;
* [[7月25日]] - [[真鍋勝己]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[7月26日]] - [[小島奈津子]]、フリーアナウンサー&lt;br /&gt;
* [[7月31日]] - [[島田律子]]、[[タレント]]、[[エッセイスト]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 8月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[8月1日]] - [[成田昭次]]、ミュージシャン（元[[男闘呼組]]）&lt;br /&gt;
* 8月1日 - [[長谷川滋利]]、元メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* 8月1日 - [[ジル・トレナリー]]、[[フィギュアスケート]]選手&lt;br /&gt;
* [[8月3日]] - [[大塚賢一]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[8月5日]] - [[コリン・マクレー]]、[[モータースポーツ]]（[[ラリー]]）選手（+ [[訃報 2007年#9月|2007年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月6日]] - [[山下和輝]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 8月6日 - [[ダリル・スコット]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 8月6日 - [[山尾伸一]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[8月8日]] - [[前上博]]、[[死刑囚]]&lt;br /&gt;
* [[8月9日]] - [[堀田延]]、[[放送作家]]&lt;br /&gt;
* [[8月10日]] - [[北澤豪]]、元[[サッカー選手]]&lt;br /&gt;
* [[8月12日]] - [[遊佐浩二]]、声優&lt;br /&gt;
* [[8月12日]] - [[網浜直子]]、タレント&lt;br /&gt;
* 8月12日 - [[武田久美子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[8月14日]] - [[平畠啓史]]、お笑いタレント ([[DonDokoDon]]) &lt;br /&gt;
* [[8月15日]] - [[宍戸勝]]、俳優&lt;br /&gt;
* 8月15日 - [[内山智之]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 8月15日 - [[ヴォルフガング・ティルマンス]]、[[写真家]]&lt;br /&gt;
* [[8月16日]] - [[前田耕陽]]、俳優・タレント（元男闘呼組）&lt;br /&gt;
* 8月16日 - [[殿村誠士]]、[[写真家]]&lt;br /&gt;
* [[8月17日]] - [[はたけ]]、ミュージシャン、作曲家（[[シャ乱Q]]）&lt;br /&gt;
* [[8月18日]] - [[勘坂康弘]]、実業家&lt;br /&gt;
* [[8月20日]] - [[白鳥由里]]、声優&lt;br /&gt;
* 8月20日 - [[小島茂雄]]、無期懲役囚&lt;br /&gt;
* [[8月21日]] - [[タフィ・ローズ]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[8月22日]] - [[佐野量子]]、元タレント（[[武豊]]夫人）&lt;br /&gt;
* 8月22日 - [[羽野晶紀]]、女優・タレント（[[和泉元彌]]夫人）&lt;br /&gt;
* [[8月23日]] - [[森保一]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* 8月23日 - [[大至伸行]]、[[シャンソン]][[歌手]]、元大相撲力士&lt;br /&gt;
* [[8月24日]] - [[きただにひろし]]、歌手&lt;br /&gt;
* 8月24日 - [[高嶋ちさ子]]、[[ヴァイオリニスト]]&lt;br /&gt;
* [[8月25日]] - [[三井ゆり]]、タレント（[[野口五郎]]夫人）&lt;br /&gt;
* [[8月28日]] - [[古川昌明]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[8月29日]] - [[小川輝晃]]、俳優、声優&lt;br /&gt;
* [[8月30日]] - [[布川智子]]、元[[アイドル]]（元[[おニャン子クラブ]]）&lt;br /&gt;
* [[8月31日]] - [[野茂英雄]]、元メジャーリーガー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 9月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[9月2日]] - [[緒方耕一]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[9月4日]] - [[マイク・ピアッツァ]]、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[9月8日]] - [[近藤真市]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 9月8日 - [[吉田太]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月10日]] - [[旭豊勝照]]、元大相撲力士・[[関脇]]、現・立浪親方&lt;br /&gt;
* [[9月11日]] - [[倉田てつを]]、俳優&lt;br /&gt;
* 9月11日 - [[成本年秀]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月12日]] - [[木田優夫]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月13日]] - [[バーニー・ウィリアムス]]、メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* [[9月14日]] - [[渡辺真起子]]、女優&lt;br /&gt;
* [[9月15日]] - [[鈴木将方]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[9月16日]] - [[内野聖陽]]、俳優&lt;br /&gt;
* 9月16日 - [[マーク・エーカー]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月18日]] - [[旭豪山和泰]]、元大相撲力士&lt;br /&gt;
* 9月18日 - [[黒須隆]]、元野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月19日]] - [[モンキッキー]]、お笑いタレント&lt;br /&gt;
* [[9月21日]] - [[伊藤文乃]]、[[ヴァイオリニスト]]&lt;br /&gt;
* [[9月23日]] - [[阿部和重]]、小説家&lt;br /&gt;
* [[9月24日]] - [[羽田美智子]]、女優&lt;br /&gt;
* 9月24日 - [[正岡邦夫]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[9月25日]] - [[ウィル・スミス]]、俳優&lt;br /&gt;
* 9月25日 - [[レジー・ジェファーソン]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[9月26日]] - [[岡中勇人]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[9月28日]] - [[ミカ・ハッキネン]]、[[レーシングドライバー]]&lt;br /&gt;
* 9月28日 - [[レーナ・マリア]]、[[歌手]]&lt;br /&gt;
* 9月28日 - [[藪恵壹]]、メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* 9月28日 - [[内田浩一]]、[[調教助手]]、元騎手&lt;br /&gt;
* 9月28日 - [[コーネリオ・ヴェラスケス]]、騎手&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[10月1日]] - [[水本勝己]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* 10月1日 - [[吉井晃]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[10月2日]] - [[ダンナ小柳]]、お笑いタレント（[[電撃ネットワーク]]）&lt;br /&gt;
* [[10月7日]] - [[トム・ヨーク]]、ミュージシャン（[[レディオヘッド]]）&lt;br /&gt;
* [[10月13日]] - [[渡辺美奈子]]、[[茨城放送]][[アナウンサー]]&lt;br /&gt;
* [[10月15日]] - [[野中政宏]]、声優&lt;br /&gt;
* [[10月15日]] - [[鈴江晴彦]]、元[[栃木放送]]、現[[岐阜放送]][[アナウンサー]]&lt;br /&gt;
* 10月15日 - [[足利豊]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[10月16日]] - [[藤井将雄]]、プロ野球選手（[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]）（+ [[2000年]]）&lt;br /&gt;
* [[10月17日]] - [[小幡洋子]]、元歌手&lt;br /&gt;
* [[10月18日]] - [[大嶽直人]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[10月19日]] - [[名幸一明]]、元プロ野球選手、審判&lt;br /&gt;
* 10月19日 - [[佐藤友昭]]、高校野球指導者&lt;br /&gt;
* [[10月26日]] - [[井森美幸]]、[[タレント]]&lt;br /&gt;
* 10月26日 - [[スコット・ライディ]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[10月28日]] - [[尾崎魔弓]]、女子[[プロレスラー]]&lt;br /&gt;
* [[10月29日]] - [[つんく]]、[[音楽プロデューサー]]・歌手（[[シャ乱Q]]）&lt;br /&gt;
* 10月29日 - [[山下しげのり]]、お笑いタレント（[[ジャリズム]]）&lt;br /&gt;
* [[10月30日]] - [[清春]]、[[ミュージシャン]]　元（[[黒夢]]、[[SADS]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 11月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[11月1日]] - [[山崎はるか]]、[[作家]]・[[コンピュータ技術者]]&lt;br /&gt;
* 11月1日 - [[パク・シニャン]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[11月3日]] - [[高岩成二]]、俳優&lt;br /&gt;
* 11月3日 - [[ポール・クアントリル]]、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[11月4日]] - [[名倉潤]]、お笑いタレント（[[ネプチューン (コントグループ)|ネプチューン]]）&lt;br /&gt;
* [[11月4日]] - [[〆さばアタル]]、漫才師（[[〆さば]]）&lt;br /&gt;
* [[11月5日]] - [[松村高明]]、元[[プロ野球選手]]&lt;br /&gt;
* [[11月7日]] - [[山崎武司]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 11月7日 - [[西川将人]]、[[旭川市]]長&lt;br /&gt;
* [[11月10日]] - [[奈部川勉]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[11月12日]] - [[久川綾]]、[[声優]]&lt;br /&gt;
* 11月12日 - [[サミー・ソーサ]]、メジャーリーガー&lt;br /&gt;
* [[11月13日]] - [[奥野僚右]]、元サッカー選手&lt;br /&gt;
* [[11月15日]] - [[福井晴敏]]、[[小説家]]&lt;br /&gt;
* [[11月16日]] - [[クリス・ヘイニー]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[11月17日]] - [[岡田圭右]]、漫才師・お笑いタレント（[[ますだおかだ]]）&lt;br /&gt;
* 11月17日 - [[大浦龍宇一]]、俳優&lt;br /&gt;
* [[11月18日]] - [[ダレル・ウィットモア]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[11月24日]] - [[yukihiro]]、[[ドラマー]]、[[L'Arc〜en〜Ciel]]、[[acid android]]&lt;br /&gt;
* 11月24日 - [[デイヴ・ハンセン]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[11月25日]] - [[高津臣吾]]、プロ野球選手、元[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[11月26日]] - [[潮崎哲也]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[11月28日]] - [[ken]]、[[ギタリスト]]、[[L'Arc〜en〜Ciel]]、[[SONS OF ALL PUSSYS]]&lt;br /&gt;
* 11月28日 - [[スコット・シェルドン]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[11月30日]] - [[ウチダトモヒロ]]、[[作家]]・[[作曲家]]&lt;br /&gt;
* 11月30日 - [[松本梨香]]、[[声優]]・[[俳優|女優]]・[[歌手]]　&lt;br /&gt;
* 11月30日 - [[小林薫 (チンカス)|小林薫]]、[[死刑囚]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 12月 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[12月5日]] - [[渕崎ゆり子]]、声優&lt;br /&gt;
* [[12月5日]] - [[土橋勝征]]、元[[プロ野球選手]]・プロ野球コーチ&lt;br /&gt;
* [[12月6日]] - [[矢野輝弘]]、プロ野球選手（[[阪神タイガース]]）&lt;br /&gt;
* [[12月8日]] - [[マイク・ムッシーナ]]、[[メジャーリーガー]]&lt;br /&gt;
* [[12月9日]] - [[カーチス・シュースター]]、[[キックボクサー]]&lt;br /&gt;
* [[12月9日]] - [[カート・アングル]]、[[プロレスラー]]&lt;br /&gt;
* [[12月10日]] - [[荻野目洋子]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[12月10日]] - [[渡辺潤]]、[[漫画家]]&lt;br /&gt;
* [[12月12日]] - [[菅原祥子]]、声優&lt;br /&gt;
* 12月12日 - [[藤森夕子]]、タレント（元[[C.C.ガールズ]]）&lt;br /&gt;
* 12月12日 - [[杉山賢人]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[12月14日]] - [[勝間和代]]、経済評論家、公認会計士&lt;br /&gt;
* [[12月17日]] - [[斎藤充弘]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[12月18日]] - [[山根善伸]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[12月22日]] - [[ディナ・メイヤー]]、女優&lt;br /&gt;
* [[12月24日]] - [[チェ・ジンシル]]、女優&lt;br /&gt;
* [[12月25日]] - [[緒方孝市]]、プロ野球選手&lt;br /&gt;
* 12月25日 - [[スコット・ブレット]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[12月27日]] - [[濱田マリ]]、タレント（元[[モダンチョキチョキズ]]）&lt;br /&gt;
* [[12月28日]] - [[亀井猛斗]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[12月30日]] - [[坊西浩嗣]]、元プロ野球選手&lt;br /&gt;
* [[12月31日]] - [[林まゆみ]]、[[将棋]][[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]&lt;br /&gt;
* 12月31日 - [[まこと (ミュージシャン)|まこと]]、ミュージシャン、[[作詞家]]、（シャ乱Q）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 死去 ==&lt;br /&gt;
=== 1月 ===&lt;br /&gt;
* [[1月7日]] - [[伊藤小坡]]、[[日本画家]]（* [[1877年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月9日]] - [[円谷幸吉]]、[[マラソン]]選手・[[東京五輪]][[マラソン]][[銅メダル|銅メダリスト]]（* [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月27日]] - [[藤田嗣治]]、[[画家]]（* [[1886年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月29日]] - [[所美都子]]、[[女性学者]]（* [[1939年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2月 ===&lt;br /&gt;
* [[2月2日]] - [[トゥリオ・セラフィン]]、[[指揮者]]（* [[1878年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月13日]] - [[イルデブランド・ピツェッティ]]、[[作曲家]]（* [[1880年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[3月2日]] - [[斎藤達雄]]、[[俳優]]（* [[1902年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月12日]] - [[小杉義男]]、俳優（* [[1903年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月16日]] - [[マリオ・カステルヌオーヴォ＝テデスコ]]、作曲家（* [[1895年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月27日]] - [[ユーリ・ガガーリン]]、[[宇宙飛行士]]（* [[1934年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 ===&lt;br /&gt;
* [[4月1日]] - [[レフ・ランダウ]]、[[物理学者]]（* [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月4日]] - [[マーティン・ルーサー・キング]]、牧師・黒人運動指導者（* 1929年）&lt;br /&gt;
* [[4月7日]] - [[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]、[[フォーミュラ1|F1]][[レーサー]]（* [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月8日]] - [[ハロルド・バブコック]]、[[天文学者]]（* [[1882年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月 ===&lt;br /&gt;
* [[5月8日]] - [[小沢佐重喜]]、[[衆議院議員]]・[[小沢一郎]]の父（* [[1898年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月14日]] - [[ハズバンド・キンメル]]、元[[米太平洋艦隊]]司令長官（* [[1882年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月19日]] - [[山口薫]]、[[画家]]（* [[1907年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月24日]] - [[花柳徳兵衛]]、[[日本舞踊|日本舞踊家]]（* [[1908年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[6月1日]] - [[ヘレン・ケラー]]、教育家・[[社会福祉事業|社会福祉事業家]]（* [[1880年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月4日]] - [[アレクサンドル・コジェーヴ]]、[[思想家]]（* [[1902年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月6日]] - [[ロバート・ケネディ]]、[[ニューヨーク州]]選出上院議員・元米司法長官（* [[1925年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月9日]] - [[森清 (千葉県の政治家)|森清]]、衆議院議員・[[実業家]]（* [[1905年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月15日]] - [[ウェス・モンゴメリー]]、[[ジャズ]]・[[ギタリスト]]（* [[1923年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月22日]] - [[山岡萬之助]]、[[法学者]]・[[日本大学]]名誉総長（* [[1876年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月26日]] - [[山崎巌]]、衆議院議員（* [[1894年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 ===&lt;br /&gt;
* [[7月19日]] - [[子母澤寛]]、[[小説家]]（* [[1892年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月20日]] - [[ヨーゼフ・カイルベルト]]、[[指揮者]]（* [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月28日]] - [[オットー・ハーン]]、[[化学者]]・物理学者（* [[1879年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月30日]] - [[ヨン・レイフス]]、作曲家（* [[1899年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月31日]] - [[天羽英二]]、[[外交官]]（* [[1887年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 8月 ===&lt;br /&gt;
* [[8月16日]] - [[熊谷一弥]]、[[テニス]]選手（* [[1890年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月23日]] - [[木山捷平]]、[[小説家]]・[[詩人]]（* [[1904年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 9月 ===&lt;br /&gt;
* [[9月7日]] - [[ルーチョ・フォンタナ]]、[[美術家]]・[[画家]]・[[彫刻家]]（* [[1899年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月21日]] - [[広津和郎]]、小説家（* [[1891年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月27日]] - [[ウィリアム・ヒューム＝ロザリー]]、[[金属学|金属学者]]（* [[1899年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 ===&lt;br /&gt;
* [[10月2日]] - [[マルセル・デュシャン]]、[[美術家]]（* 1887年）&lt;br /&gt;
* [[10月4日]] - [[今村均]]、元[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[大将]]（* [[1886年]]）&lt;br /&gt;
* [[10月11日]] - [[村上昭夫]]、詩人（* [[1927年]]）&lt;br /&gt;
* [[10月25日]] - [[村岡花子]]、[[翻訳家]]・[[児童文学者]]（* [[1893年]]）&lt;br /&gt;
* [[10月27日]] - [[リーゼ・マイトナー]]、物理学者（* 1878年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 11月 ===&lt;br /&gt;
* [[11月6日]] - [[シャルル・ミュンシュ]]、[[指揮者]]（* [[1891年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月8日]] - [[箕作祥一]]、元[[日本大学]]教授（* [[1920年]]）&lt;br /&gt;
* 11月8日 - [[黒田チカ]]、日本初の女性[[化学者]]（* [[1884年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月11日]] - [[ジャンヌ・ドゥメッシュー]]、[[オルガニスト]]・[[ピアニスト]]・[[作曲家]]（* [[1921年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月15日]] - [[北村徳太郎]]、元衆議院議員（* 1886年）&lt;br /&gt;
* 11月15日 - [[バージニア・リー・バートン]]、[[絵本作家]]（* [[1909年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月17日]] - [[マーヴィン・ピーク]]、[[ファンタジー]]小説家（* [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月25日]] - [[アプトン・シンクレア]]、小説家（* 1878年）&lt;br /&gt;
* [[11月28日]] - [[イーニッド・ブライトン]]、[[児童文学作家]]（+ [[1897年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月26日]] - [[アルノルト・ツヴァイク]]、小説家（* 1887年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 12月 ===&lt;br /&gt;
* [[12月1日]] - [[中村天風]]、[[哲学者]]（* 1876年）&lt;br /&gt;
* [[12月10日]] - [[カール・バルト]]、[[神学者]]（* 1886年）&lt;br /&gt;
* [[12月13日]] - [[佐藤千夜子]]、[[歌手]]（* 1897年）&lt;br /&gt;
* [[12月16日]] - [[双葉山定次]]、大相撲第35代[[横綱]]（* [[1912年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月20日]] - [[マックス・ブロート]]、作家、芸術評論家・パトロン、作曲家（* [[1884年]]）&lt;br /&gt;
* 12月20日 - [[ジョン・スタインベック]]、[[小説家]]（* [[1902年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月30日]] - [[トリグブ・リー]]、初代[[国際連合事務総長]]（* [[1896年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ノーベル賞 ==&lt;br /&gt;
* [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[ルイ・アルヴァレ]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[ラルス・オンサーガー]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[ロバート・W・ホリー]]　[[ハー・ゴビンド・コラナ]]　[[マーシャル・ニーレンバーグ]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[川端康成]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル平和賞|平和賞]] -[[国際労働機関]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:1968年|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:1960年代]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和40年代]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>小島茂雄</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E5%B3%B6%E8%8C%82%E9%9B%84&amp;diff=405660"/>
				<updated>2023-09-25T02:49:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: ページの作成:「'''小島 茂雄'''（こじま しげお、1968年8月20日 - ）は、名古屋アベック殺人事件の主犯。  ==来歴== 長野県東筑摩郡山...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''小島 茂雄'''（こじま しげお、[[1968年]][[8月20日]] - ）は、[[名古屋アベック殺人事件]]の主犯。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==来歴==&lt;br /&gt;
[[長野県]]東筑摩郡山形村出身。父は名古屋市バス運転手、母は保母。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学卒業後、うどん屋店員、内装工、居酒屋店員、ヤクザ、トラック運転手、鳶職など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[岡山刑務所]]で服役中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こしましけお}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヤクザ]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口組]]&lt;br /&gt;
[[Category:弘道会]]&lt;br /&gt;
[[Category:長野県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1968年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=405659</id>
		<title>名古屋アベック殺人事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=405659"/>
				<updated>2023-09-25T02:31:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: /* 現在の犯人の状況 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''名古屋アベック殺人事件'''（なごやアベックさつじんじけん）とは、[[1988年]][[2月23日]]から[[2月25日|25日]]にかけて[[愛知県]][[名古屋市]][[緑区 (名古屋市)|緑区]]で起きた、[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]・[[集団強姦]][[事件]]。被害者が襲撃された場所の名前から「'''大高緑地公園アベック殺人事件'''」（おおたかりょくちこうえんアベックさつじんじけん）とも呼ばれる。人間が行ったとは思えない残忍な手口と身勝手な犯行動機で、日本中を震撼させた。犯人グループ計6名の大半が未成年であったことから、[[少年法]]改正に多大な影響を与えた事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
=== 事件発覚 ===&lt;br /&gt;
[[1988年]][[2月23日]]早朝、[[愛知県]][[名古屋市]][[緑区 (名古屋市)|緑区]]の大高緑地公園で、通行人が破壊された乗用車を発見し、驚いて警察に通報した。車はフロントガラスや窓ガラスを粉々に割られ、車中には血のついた下着も残されていた。[[愛知県警察|愛知県警]]捜査1課が捜査を開始し、車の所有者の三女と、同じ理髪店で働く男性の、若い男女1組が前日夜外出したまま行方不明となっていることが明らかとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件発生状況 ===&lt;br /&gt;
1988年2月23日未明、大高緑地公園の駐車場に車を停車していた理容師（男性・当時19歳）と理容師見習い（女性・当時20歳）は、突然2台の車に退路を塞がれた。2台の車に乗っていたのは、[[鳶職|とび職]]A（当時19歳）、唯一の成人B（当時20歳）、とび職C（当時17歳）、[[無職]]D（当時18歳）、E子（当時17歳）、F子（当時17歳）の6人であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6人は日頃から「バッカン」と称して[[アベック]]を襲っては金品を奪っており、この日も名古屋市[[港区 (名古屋市)|港区]]の金城埠頭で2台の車を襲い、計8万6000円余りを奪っていた。勢いづいた6人はさらにデートをしているアベックの車を物色。大高緑地公園の駐車場で理容師見習い所有の車に狙いを定めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公園での暴行状況(1) ===&lt;br /&gt;
Aら6人は木刀や鉄パイプを持って運転席近くに行き、更に窓ガラスを力一杯殴り付け、「降りて来い」と怒鳴り、理容師を引きずり出した。理容師が「何ですか」と言うと、Cは「金を出せ」と言って木刀で同人の頭部を力一杯殴打した。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
理容師は頭から血を流し悲鳴をあげながら、頭を両手で押さえてその場に座り込んだ。A、B、D、F子はCに加勢し「金は、いくらある。金を出せ」などと因縁を付けて、金品を要求しながら、鉄パイプや木刀などで理容師の全身をめった打ちに殴打し、その傍ら、車の窓ガラス、テールランプ、前照灯、ボンネットなどを叩き壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理容師が気を失うと、E子とF子はシンナーを入れたビニール袋で、助手席にいた理容師見習いの頭部を殴打した。袋が破れシンナーが理容師見習いの頭にかかると、E子は｢シンナーが無くなったがや」などと因縁を付けて、理容師見習いの髪の毛を強く引っ張り、車から引き出し、髪の毛をつかんだまま、ハイヒールを履いた足で理容師見習いの足、背、腹などを多数回にわたり蹴り付けた。F子とCは、木刀で理容師見習いの両腕部や背部などを殴り付けた。F子は、6人の犯行に怯え切って全く無抵抗の状態の理容師見習いに「裸になれ」と言って、理容師見習いに自ら上半身の衣服を脱がさせたうえ、左右上腕部を木刀で殴り付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、E子とF子は、木刀で理容師の左右上腕部を殴打し、ハイヒールを履いた足で足蹴にし、さらにハイヒールを脱いでそのかかとで頭部を殴打した。E子はハイヒールのかかとで理容師の頭部を数十回強打しながら「正座しろ」と言って理容師を正座させ、木刀でその全身を強打した。理容師は、殴られるたびに左右に倒れたり、手をついたりした。Bは理容師の左足を右足で二、三回、回し蹴りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公園での暴行状況(2) ===&lt;br /&gt;
Aら6人が理容師、理容師見習い両名にこのような暴行・脅迫を加えて30分ほどした午前5時ころ、CとDは「この女、輪姦（まわ）しちゃろか」と言って、理容師見習いを輪姦しようとした。F子は「やったれ、やったれ」と煽った。C、Dは理容師見習いを上半身裸体のまま、駐車場から50メートルほど離れた藪の中に連行した。Cは恐怖に震える理容師見習いに「全部脱げ」と言って、下半身の衣服も脱ぐよう命じた。C、Dは後からやってきたBとともに、全裸にされた理容師見習いを次々に集団[[レイプ]]した。その間に、駐車場ではE子とF子が車から現金1万1553円と櫛、ぬいぐるみを奪い、Aは狂ったように車を破壊していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後B、C、E子、F子が理容師見習いを探しに行き、輪姦された直後の理容師見習いを発見した。理容師見習いは下半身の衣服を着て現場へ連行される前の姿だった。4人は現場から、上半身裸体の理容師見習いを連れて駐車場に戻った。E子とF子は理容師見習いに「素っ裸になれ」などと言って、全裸になるよう命じた。しかし理容師見習いが躊躇したため、E子がスカート、F子がパンティストッキングとパンティを剥ぎ取り、理容師見習いを再び全裸にした。理容師見習いは抵抗する気力も失せて、なされるがままであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Cは全裸にされた理容師見習いの両手をつかみ、振り回してその場に転倒させると、E子、F子とともに理容師見習いの腰や足を足蹴にした。Aは「やきを入れたれ」と言い、B、E子、F子とともに代わる代わる「熱いか、熱いか」と言いながら、タバコの火を理容師見習いの肩、腹、背中、乳房などに押しつけた。理容師見習いは泣きながら「熱い、やめて」と哀願したが、F子は「ばかやろう、ぶりっこするんじゃない」と言いながら、その背中にタバコの火を押し付け、CとE子は、ライターの火で理容師見習いの髪の毛を焼いた。さらにE子は理容師見習いの髪の毛をつかみ引っ張ってその場に仰向けに倒し、ハイヒールを履いた左足で理容師見習いの左腕、F子が同様にハイヒールを履いた足で右腕を踏み付け、Cが理容師見習いの両足首を持って広げ、陰部にシンナーをかけタバコの火を腹部付近につけた。理容師見習いは放心状態であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3人が理容師見習いの手足を離すと、理容師見習いは全裸のまま立ち上がったが、E子はそこをまた拳で腹を殴りつけ、B、C、F子も加勢して拳で殴打したり、足蹴にしたりした。殴打があまりに長く続いたので、理容師見習いの顔がみるみる変形していくのを目の当たりにした理容師は、命の危険を感じ「お願いです。彼女だけは助けてやって下さい」と泣いて懇願したという。しかしAらは理容師の腹を蹴りあげ、黙らせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Aら6人はこうした暴行を午前6時頃まで続けたあと「警察に行かれると困る」として、2人を拉致することに決めた。6人は理容師を先に1台目の車に閉じ込めたうえで、暴行のため全裸にされていた理容師見習いに服を着るよう命じた。理容師見習いが服を着終わると2台目の車に連れ込んで公園を出発した。2人とも放心状態で、理容師見習いは車内で泣き続けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害者拉致から殺害決定までの状況 ===&lt;br /&gt;
午前7時30分頃、6人は理容師、理容師見習い2人を連行して愛知県[[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[弥富町]]（現[[弥富市]]）のドライブインに立ち寄り、今後の行動について話し合った。「車の修理代、どうしょう」「俺、金ないよ。どうやって弁償すんの」など、話題は主に2人のことではなく、車のことだったという。Aは「顔を見られている。警察に逮捕されるのは嫌だ。男（理容師）は怪我もひどいし殺っちゃおう。女（理容師見習い）はどこかに売り飛ばし金にするが、それが出来ない時は女も殺そう」と提案し、他の者たちも同意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 殺害決定から男性殺害前までの状況 ===&lt;br /&gt;
A、C、D、E子、F子は、理容師、理容師見習いを連行し、午前9時40分ころ、名古屋市内のホテルに赴いた。Dは夜になったら連絡を受けることにして、同ホテルで、他の4人と別れた。 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
一方、同ホテルに残ったA、C、E子、F子は、怯えきって全く無抵抗の理容師、理容師見習いを連行して205号室に入り、CとE子がこの両名を見張り、AとF子が203号室に入って、午後5時ころまで過ごした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Cは、同室において、理容師見習いがそれまでの被告人らの犯行により畏怖しているのに乗じ、レイプした。 Aは、同ホテルから理容師見習いを売り飛ばす当てについて、知人に電話をかけたが、確たる当てがないとの返事で、理容師見習いも殺害するほかないと考えた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後5時ころ、Aが車両を運転し、助手席にF子、後部座席にC、E子が乗車して、理容師、理容師見習いをその間に挟んで押し込め、同ホテルを出発した。 E子は、その車中で理容師、理容師見習い両名の所持金が足りないと因縁を付けて、手拳で2人を殴打した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
A、C、E子、F子ら4人は、理容師、理容師見習いを連行し、午後6時頃、名古屋市熱田区西野町一丁目の喫茶店に入った。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
AとCが、同店の電話とその近くの公衆電話で、ポケットベルを利用してDと連絡を取った。その間E子、F子が理容師、理容師見習いを見張っていた。その後Aの知り合いの暴力団組員を尋ねたが、同人は不在であった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
そこでAら4人は、同市緑区大高町の洗車場に赴き、AとF子は一連の犯行発覚を防ぐため、車両を洗車した。洗車を終えたAは、理容師、理容師見習いを安心させるため「お前らは、いずれ帰したる」などと嘘を言い、A車両後部座席に乗車させた理容師に対し、Aが口述して被告人らの車を破損したので弁償する旨をメモに書かせた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
F子は、Aの意図を察知し、またCは、Aから同人の意図を教えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 男性殺害状況 ===&lt;br /&gt;
24日午前3時頃、Aは理容師、理容師見習いに「今から送って行くが、ちょっと寄るところがあるので、道を覚えられたら困るから目隠しさせてくれ」と偽って、Cに命じて2人を目隠しさせた。A、C、E子、F子の4人はAのアパートに立ち寄り、死体を埋める穴を掘るスコップを持ち出し、首を絞めるビニールロープを買い、殺害準備をして[[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]][[長久手町]]の卯塚公園墓地に向かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午前4時30分頃、4人は理容師、理容師見習い2人を連行し、卯塚公園墓地に到着した。Aは理容師を下車させて正座させ「お前、今からどうなるか分かってるだろう」と、殺害することを宣告した。Cが「助けて下さい」と命乞いする理容師の両腕を縛り、F子が口にガムテープを貼って抵抗も声をあげることも出来ないようにした。そしてA、C両名が理容師の首にビニールロープを二重に巻きつけ、首の後ろで交差させ、左右から綱引きのように力一杯締め上げた。理容師は身体をふらつかせて仰向けに、さらにうつ伏せに倒れた。しばらくしてAらは理容師を足蹴にして生死を確かめ、まだ生きていることを確認すると、さらにロープを引いて絞め続けて絶命させた。しかもすぐには死なせず「苦しいか」などと言いながら、わざと20分以上もかけるという残忍さであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理容師がこのようにして殺害されていく間、理容師見習いは目隠しをされたまま、E子、F子に見張られ車内に監禁されていた。理容師見習いは周囲の状況に不安を感じ、また理容師の身に異変が起きたことに気づいて、E子、F子両名に「お兄さん（理容師見習いの理容師への呼称）、どこへ行っているんですか」と尋ねた。しかしE子、F子は「離れたところで話をしている。」などと誤魔化しながら、理容師見習いが声を出せないよう、その口にガムテープを6、7枚も貼り付けて黙らせた。さらに、目隠しやテープを外せないよう、両手首もガムテープで縛った。理容師見習いは「何をするんですか、本当にやめて下さい」と顔を動かして哀願したが、これを無視されガムテープを貼り付けられると、観念したように静止した。しかし理容師が絶命する瞬間、うなだれていた顔を一瞬上げたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 男性殺害後から女性殺害前までの状況 ===&lt;br /&gt;
A、Cはこうして理容師を殺害し終えると、その遺体をトランクに積み込んだ。理容師見習い殺害は既に夜が明けていたため翌晩にすることにした。E子とF子が理容師見習いの口に貼ったガムテープを剥がすと、理容師見習いは、理容師の死体が入れられる物音を聞いて「何を入れているんですか」と聞いたが、誰も返答しなかった。A、Cが車に乗り込むと、理容師見習いは「お兄さんはどこへ行ったか」と尋ねた。Cは「家の近くで降ろした」と嘘を言ったが、理容師見習いは不審そうに首を傾げていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この後4人は残る理容師見習いを連行して同墓地を出発した。移動中理容師見習いは相変わらず目隠しをされたまま、鼻をすすって泣き続けていた。Cは車中で理容師見習いの胸を触ったりし、E子に注意された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
24日午前11時過ぎ頃、金城埠頭に来た時、理容師見習いは「外に出たい」と言った。Cが両手をほどき目隠しを外し、見張りながら下車させた。理容師見習いはCの隙を見て海へ飛び込み自殺を図ったが、Cに捕まり阻止され、車に引き戻された。理容師見習いは車中で「お兄さん、殺されたの、それだけ教えて」と泣きながら尋ねたが、Cは「家の近くで降ろした」と嘘を言ってごまかした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後4人は理容師見習いを連行してAのアパートに入り、理容師見習い殺害に出発するまでの時間を過ごした。午後2時頃、Cはそこで、意気消沈状態の理容師見習いの乳房や陰部を弄んだうえレイプした。Aはどうせ今夜殺してしまう女なのだから、やりたいだけやればいいとこれを黙認した。またF子はこの時「ごゆっくりね」と声をかけたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性殺害準備状況 ===&lt;br /&gt;
午後10時頃、4人は理容師見習いを連行して車でAのアパートを出発し、10時40分頃Bと再度合流した。5人は土地勘のある三重県の山中で理容師見習いを殺害し、2人の死体を遺棄することを決めた。Bが合流後は、車中で理容師見習いはCの膝の上に座らされていた。5人は現地へ向かう途中で理容師見習いの目隠し用タオル、殺害用ロープ、懐中電灯、食事などを購入した。途中で理容師見習いにも食事を分け与えたが、理容師見習いは口にしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
25日午前2時頃、理容師見習いを連行した5人は、[[三重県]][[阿山郡]][[大山田村 (三重県)|大山田村]]（現[[伊賀市]]）の山中に到着した。F子は前記のタオルで理容師見習いに目隠しをしたうえ、E子とともに理容師見習いが逃げたり目隠しを外したりしないよう、左右から両腕をつかんで見張りながら車中で待機した。A、B、Cの3名は理容師、理容師見習い両名の遺体を遺棄する穴を掘り始めた。E子は、理容師見習いが穴が掘り上がるまで待たされている間「最期にして欲しいことはあるか」と聞いた。理容師見習いは「1人で生きていくの辛い、帰してもらっても、飛び降りて死ぬつもりだった」「お兄さん殺されたのわかってるから、1人で生きてるの悪い」「最後にお兄さんの顔が見たい、お兄さんと一緒に埋めて」などと答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
A、B、Cは1時間ほどかかって、深さ約1メートル、縦横約1.5メートルの穴を掘り終え、Bが穴に入って深さを確認した。Aら3人が車に戻ると、理容師見習いは目隠しされたまま頬に涙を流していた。E子は「ねえ、こいつ死ぬ前に彼氏の顔見たいって」とAらに告げた。Cは途中で買った食事を理容師見習いに与えたが「これを私と一緒に埋めて、殺されるんでしょ」「お兄ちゃんと一緒に天国で食べますから」「お兄ちゃんが死んじゃってるのに、私だけ生きていてもしょうがない」「死ぬ覚悟は出来ている、お兄ちゃんと一緒に埋めて」などと言った。さらに再び「最後にお兄ちゃんの顔を見せて下さい」と言った。Aは理容師見習いに理容師の遺体を見せることに同意し、Cに「見せてやれ」と言った。Cは目隠しされたまま理容師見習いを下車させたが、理容師見習いは自分で目隠しを取ることは許されず、Cに手を引かれてトランクまで歩かされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Cは理容師見習いの目隠しを外し、トランクの中の理容師の遺体を懐中電灯で照らして対面させた。理容師見習いは泣きながら理容師の遺体を見つめており、その両手を縛っていたロープを解いた。続いて握った状態の両手を離そうとしたが、既に死後硬直していて出来なかった。E子、F子は理容師見習いのこの様子を見て「あっはっは、こいつ泣いてるぅ」と笑った。Aは2人の身元が分かるような証拠を無くすため、理容師見習いに理容師の遺体の着衣から免許証やキャッシュカードなどを捜し出させて取り上げた。続いてA、B、Cの3人で、理容師の遺体をトランクから出し地面に置いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性殺害状況 ===&lt;br /&gt;
午前3時頃、Aは理容師見習いに「それじゃ殺ろうか」と、これから殺害することを宣告した。E子とF子は理容師見習いに「ほら、服脱ぎな、服で身元が分かっちゃうだろ」「全部脱げよ」などと言って、全裸になるよう命じた。理容師見習いはうろたえ「なぜ私だけ？お兄ちゃんは着たままなのに」と言って抵抗したが、Aに「早く脱げ」と恫喝され沈黙した。Aはさらに「服はトランクに詰めとき」と、脱いだ衣服を理容師見習いに自ら車のトランクに入れさせるよう命じた。理容師見習いは理容師の遺体が出されて空になったトランクに向かってセーター、スカート、パンティストッキング、靴を順に脱いで入れた。Aら5人は理容師見習いを取り囲むにしながらこの様子を見つめていた。理容師見習いは最後にパンティ1枚になったところで「お願い、下着だけは付けさせて」と哀願した。Aらは「まあいいやろ」と同意し、理容師見習いはパンティ1枚だけは脱がずに身に着けたままでいることを許された。Cは理容師見習いが脱いだ衣服を入れ終わるとその目前でトランクを閉め、理容師見習いに再び目隠しをした。この時理容師見習いは目隠しをされたまま「こんなことしても無駄よ、やがて警察に逮捕されるわ」と叫んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Aは殺害用ロープを持ち、Bは懐中電灯で照らしながら、Cが理容師見習いの両腕を後ろ手にして掴んで歩かせた。Aら3人はこのようにして、目隠しされて1人では歩けない理容師見習いを前述の穴まで連行すると、地面に座るよう命じた。理容師見習いは尻を地面につけ、両膝を立てて抱えこむようにして腰を下ろし「やるなら早くして下さい、一気に殺して下さい」と言った。これが理容師見習いの最期の言葉となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
A、C両名は理容師見習いの首にビニールロープを二重に巻き付け「準備完了」と言った。そしてAの「引っ張れ」という合図で、鼻歌交じりに力一杯締め上げた。理容師見習いは「ぐぅー」「げぼっげぼっ」というようなうめき声をあげ、回転してうつ伏せに倒れ、両足を痙攣させていた。その間、一度ロープが外れ、Aらは巻き直して再度締め続けた。この間AはBに「綱引きだぜ、Bちゃんも引っ張りや」と言いながらロープを引っ張り、Bはタバコを吸いながら、笑ってこの様子を見ていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
AはBに、死んだかどうかを確認させ、Bは「脈がないぜ、もう死んでるんじゃないか」と答えた。しかしAは「念のためもう一回やる、この紐はほどけやすいので、男の手に巻いてあった紐で縛り直す」と言い、理容師の両手を縛っていたロープを持ってきて、理容師見習いの首を三重巻きにして再び締め続けた。理容師見習いは手足をバタバタさせていたがやがて静止した。5分ほどして再びBに生死を確かめさせ「30秒に1回くらい動いてる」と答えたので、なおもロープを引っ張り続けた。このようにして理容師見習いを窒息死させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「一気に殺して」という理容師見習いの哀願を無視し、理容師同様すぐには死なせず、完全に殺すまで30分以上もかけたという。この間、E子、F子は車中から、窓を開け閉めしながらこの光景を見物していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死体遺棄状況 ===&lt;br /&gt;
理容師見習いが完全に絶命すると、2人の死体は上記の穴に埋められた。AとCは車に戻り、まず理容師の死体を穴の所に運び、反動をつけて穴の中に投げ込んだ。続いてうつ伏せに倒れていた理容師見習いの死体から首を絞めたロープと目隠しをしたタオルを外し、穴まで運んで同様に反動をつけて、理容師の死体の上に投げ込んだ。A、B、Cは2人の死体に土をかけて埋没させ、さらにその上で飛び跳ねて土を固め、枯れ木や落ち葉をかぶせるなどして死体を遺棄し、午前3時30分頃現場を離れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、名古屋市内に戻った5人は[[犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪|証拠隠滅]]のため同市内の荒子川とその近くのごみ箱に、殺害に使ったロープ、理容師と理容師見習いの免許証、理容師見習いの着ていたセーター、スカート、靴を捨てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 逮捕及び死体発見状況 ===&lt;br /&gt;
27日、目撃証言から[[愛知県警察|愛知県警]]はAらを逮捕。供述通りに、[[三重県]][[阿山郡]][[大山田村 (三重県)|大山田村]]（現[[伊賀市]]）の山林から、理容師、理容師見習い2人の遺体が発見された。遺体は頭を一部、土の中から露出させ、折り重なるように埋められていた。2人とも全身に激しい殴打の跡があった。理容師はジャンパーにジーパンと失踪当時の着衣のままであったが、理容師見習いは上記の経緯により身に着けていたのはパンティ1枚だけという全裸に近い姿で、首に紐状のもので絞められた跡も残っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
[[1989年]][[6月28日]]、[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]でAに[[死刑]]、Bに[[懲役]]17年、Cに無期懲役、Dに懲役13年、E子・F子の2人に懲役5～10年の不定期刑の有罪判決が言い渡された。AとBは控訴し、[[1996年]][[12月16日]]、名古屋高裁は一審判決を破棄。Aは無期懲役、Bは懲役13年に減刑すると言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害者遺族たちのその後 ==&lt;br /&gt;
=== 理容師遺族のその後 ===&lt;br /&gt;
[[新潮45]] 2003年10月号に掲載された「反省し『シャバ』に戻った少年少女のそれから」という記事によると、理容師の父は1993年ごろ、名古屋市内のマンションの一室で誰にも看取られることなく、机に突っ伏したまま息を引き取っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 理容師見習い遺族のその後 ===&lt;br /&gt;
同記事によると、理容師見習いの父は他の子供たち一家と暮らしているが、母は事件から9年後の97年11月、59歳の若さで他界している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年たちのその後 ==&lt;br /&gt;
=== 主犯Aの近況 ===&lt;br /&gt;
主犯Aの近況については何度か報道されている。[[月刊現代]][[2006年]]7月号などに掲載された元弁護人の話によると、Aは[[刑務所]]に入所後、遺族に作業賞与金と謝罪の手紙を送り続け、[[2005年]]には理容師見習いの父親から「頑張りなさいよ」と書かれた手紙を受け取ったという。[[共同通信社]]の[[2008年]][[11月29日]]の報道によれば、Aは1989年の名古屋地裁での判決、つまり死刑判決を受けてから、2人の被害者の遺族へ謝罪の手紙を書き始め、[[岡山刑務所]]に収監された[[1997年]]以降は作業賞与金（刑務作業に支払われる給与）も添えて送るようになり、2005年3月以降は理容師見習いの父親と文通を行っているという。[http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008112901000138.html]。ただし、理容師の方は、上記のように親権者である父親が、Aが収監されるずっと以前に既に故人となっており、母親は離婚しており兄弟もおらず、手紙や金を送っている「遺族」とされる相手が理容師とどんな続柄なのかは全く不明であった。2018年、理容師の母親が手紙を「中身は毎年、同じことの繰り返し。捨てている」と断じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 元弁護人の発言 ===&lt;br /&gt;
1996年より主犯少年らの弁護人に選任された[[安田好弘]]弁護士は、Aの高裁での無期判決時は「ヘラヘラ笑いながら『綱引きだぜ』などと言って殺したのではない。殺す時、震えて震えてどうしようもないからタバコを吸うんです」などとTV番組のインタビューで発言している。なお、2006年にも同じ趣旨の発言をした記録が存在している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=K6rsRBD7Y7g 【安田好弘】【名古屋アベック殺人】無期刑になった元少年]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、冒頭陳述書などによると、理容師見習い殺害時Aがタバコを吸っていたなどという記述はなく、何を根拠にこのような発言をしたのか、意図は不明である。&lt;br /&gt;
「心身耗弱としての減刑」を図ったとみるのが有力な説である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共犯者たちの出所後 ===&lt;br /&gt;
上記の[[新潮45]] 2003年10月号記事によると、C、D、E子、F子の4人は既に刑期を終え出所したが、当人及び親たちも、誰1人として遺族の元を訪れ謝罪した者はいないとのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民事裁判で和解した賠償金も、出所した4人のうちCは出所後すぐ行方をくらませ消息不明で完全未払い。Dも同様に一銭も支払わず、遺族に自分の居場所を隠したまま、結婚し妻子をもうけ平穏な生活を送っている。E子、F子は一部支払ったもののやはり完済することなく住居を変更し、現住所は同様に遺族に通知していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
親たちについては、Aの親とE子の親は完済したが、Bの親は最初から親権放棄で調停の席にもつかなかった。C、Dの親はいずれも息子の公判に顔も出さず、賠償を支払う意思も無い。F子の親は一部未払いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同記事によると、Dはインタビューに対し「事件にばかり引きずられていてもアレでしょう、前に進めないと思う」「娘が同じ目にあったら許さないと思う。許さないんじゃないでしょうか」「賠償金については親が示談したが、親とも連絡をとらなくなって、忘れてるというかそれで終わってる」「被害者の墓参り?行く時間がないので難しいね」などと答え、事件への悔恨も、償いの意思も全くない態度を隠そうともしなかったとのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは2003年の時点でのことであるが、その後も遺族への謝罪、賠償金の支払いなどについて何らかの動きがあったという新たな情報は2009年7月末現在確認されていない。上記の山口母子殺人の弁護士も、主犯A以外の犯人については一切関わっておらず、出所した共犯者たちの現状については全く言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 現在の犯人の状況 ===&lt;br /&gt;
* [[小島茂雄]] - 文中A 主犯。1審死刑→2審無期懲役→確定。反省したふりをして死刑を免れ服役中。&lt;br /&gt;
* 高志健一 - 文中B 1審懲役17年→2審懲役13年→確定。&lt;br /&gt;
* 徳丸信久 - 文中C 1審無期懲役→確定。2021年、仮釈放不許可。&lt;br /&gt;
* 近藤浩之 - 文中D 1審懲役13年→確定、出所して現在[[岸和田市]]在住。反省の色無し。&lt;br /&gt;
* 筒井良枝 - 文中E 1審懲役5~10年不定期→確定。現在[[示談屋]]の夫と同居。事件当時主犯のオンナ。&lt;br /&gt;
* 龍造寺リエ - 文中F 1審懲役5~10年不定期→確定。[[1998年]]出所。夫の暴力に耐え切れず一時フィルターに駆け込む&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 漫画化作品 ==&lt;br /&gt;
下記の単行本、雑誌において、この事件の短編漫画が掲載された。&lt;br /&gt;
*「現代猟奇伝(3)」 桜桃書房 1990年8月&lt;br /&gt;
*「日本列島ウラ事情 Vol. 1」 マイウェイ出版 2003年6月&lt;br /&gt;
*「衝撃王 Vol. 1」 バウハウス 2003年11月&lt;br /&gt;
*「凶悪犯罪ファイル4 謀虐惨鬼編」 竹書房 2007年5月&lt;br /&gt;
 コンビニ販売の実話コミック本。取り上げられている5事件中の1話として、この事件が収録された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 雑誌掲載記事 ==&lt;br /&gt;
*[[オール読物]] 文芸春秋社 1989年8月号&lt;br /&gt;
「惨殺の構図」と題して、検察による冒頭陳述書が収録されている。加害者6人及び被害者2人の経歴、本件の前に起こした2件の恐喝未遂及び恐喝事件、及び本件の犯行内容が記述されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文庫本 ==&lt;br /&gt;
*「新潮45」編集部「殺戮者は二度わらうー放たれし業、跳梁跋扈の9事件」 新潮文庫 2004年6月&lt;br /&gt;
**取り上げられている9事件中の1話として、上記の「新潮45」の記事が収録されている。本件の犯行内容及び、理容師見習遺族、D、Aの母親へのインタビューなどで構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[少年犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[安田好弘]] - 当事件を担当した弁護士&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:なこやあへつくさつしんしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代の殺人事件 (戦後)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:1988年の日本]]&lt;br /&gt;
[[Category:緑区 (名古屋市)]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>佐川 一政</title>
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				<updated>2023-02-14T03:23:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''佐川 一政'''（さがわ いっせい、[[1949年]][[4月26日]] - [[2022年]][[11月24日]]）は、[[パリ人肉事件]]の元[[被疑者]]の日本人[[小説家]]。[[神戸市]]出身。[[和光大学]]人文学部文学科卒業、1976年[[関西学院大学]]大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、1980年[[パリ大学|パリ第3大学]]大学院比較文学専攻修士課程修了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祖父は[[朝日新聞]]論説委員、父は[[伊藤忠商事]]から出向の[[栗田工業]]元社長、[[佐川明]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
生まれた時は父親の手のひらに乗るほどの[[未熟児]]だった。出生1年後には腸炎を患い、[[カリウム]]と[[カルシウム]]の静脈注射で命を長らえるような状態であり、両親は果たして何歳まで生きられるかと心配したが、虚弱体質だったものの順調に成長していった。内向的な性格ということもあり、文学では『[[嵐が丘]]』『[[戦争と平和]]』などのほか、[[シェークスピア]]に興味を示し、音楽では[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]や[[ヘンデル]]を愛した芸術少年だった。すでに小学生の頃、幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされ、人肉を食することに興味を抱いていたといわれ、高校時代にはある精神科医にたびたび相談したが、取り合ってもらえなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした佐川の、一般常識から見れば異常な性癖はやがて表に表れることになる。和光大学在学時代には中年の[[ドイツ人]]女性宅に無断に入り、逮捕されたが、父親が支払った示談金により、告訴はされなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]に[[フランス]]に留学、パリ第3大学に在籍していたが、その最中の[[1981年]][[6月11日]]、佐川は同大学の女性留学生（当時25歳）を銃で殺害し、彼女の遺体と性交渉後、その[[肉]]を貪った（[[パリ人肉事件]]）。佐川は犯行を自供したが、[[精神鑑定]]の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不[[起訴]]処分となった。その後、アンリ・コラン[[精神病院]]に[[措置入院]]されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の[[唐十郎]]に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」（『文藝』1982年11月号）で第88回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1984年]]に帰国。[[東京都立松沢病院]]に入院。松沢病院側の診断結果では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論であった。金子副院長は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとコメントしている（Tokyo Journal[[1992年]]9月号）。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
15ヶ月後で退院し、マスコミに有名人として扱われ、小説家になったが、上記の通り日本の病院と警察がそろって刑事責任を追求すべきという方針であったのに、フランス警察の方針によりそれが不可能になった事から、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きた（週刊マーダーケースブック2号）。両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することなり、母親は神経症の病気を患ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[修士号]]を持っており&amp;lt;ref&amp;gt;多くの大学では内規で、犯罪行為など大学の名誉を汚す行為をおこなった者に対しては、学位を取り消す規定が設けられている。しかしながらかれは[[不起訴]]処分を受けており、現在彼が学位を保持し続けているかは不明である。&amp;lt;/ref&amp;gt;、修士論文のテーマは「[[川端康成]]と[[ヨーロッパ]][[20世紀]][[前衛芸術]]運動の比較研究」であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==エピソード==&lt;br /&gt;
*[[ローリングストーンズ]]が佐川のパリ事件を歌にしている。1983年の[[マキシシングル|12インチシングル]]「Too Much Blood」がそれである（12インチシングルとしては日本では未発売）。事件発覚時に[[ミック・ジャガー]]はパリに滞在しており、ニュースの全容を知り、ショックを受け、本作を書き下ろしたのだった。ジャケットはミック・ジャガーの驚愕の表情で、あたかもホラー映画の一場面のように恐ろしい映像である。通常バージョンは同年発売されたLP『[[アンダーカバー]]』B面1曲目にも収録されている（のちにCD化）。発売はいずれも[[ローリング・ストーンズ・レコード]]から。&lt;br /&gt;
*松沢病院退院後、ある[[落語]]会にゲストとして出席した。[[大喜利]]に出演するためである。楽屋は佐川が一歩足を踏み入れてから、重苦しい雰囲気に包まれた。あたかも楽屋全員が声を潜めて佐川の行動を監視するようである。テーブルに置かれた差し入れのお菓子を前にして、佐川が「これ、私も食べてもいいですか?」と言葉を発すれば全員がビクリと反応した。佐川が「この肉、固すぎてあまりうまくないですねえ」と感想を述べたらまたビクリと反応した。異常にピリピリした空気となっていた。&amp;lt;br&amp;gt;この会の出演者の一人で、奇行で知られる落語家の[[川柳川柳]]（六代目[[圓生]]の二番弟子）が楽屋に到着した。そのようないやな雰囲気を知らない川柳は、初対面の佐川を見るなり、肩を叩いて明るく声をかけた。「'''よぉ! [[食道楽]]'''（くいどうらく）!!」&lt;br /&gt;
*特殊漫画家の[[根本敬]]が、結婚後、東京圏西部の新興住宅地のマンションに引越ししたところ、すぐ近所に佐川が住んでおり、以後、親交を結んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『霧の中』話の特集、1984（彩流社、2002年5月）、ISBN 4882027461&lt;br /&gt;
*『生きていてすみません－僕が本を書く理由』北宋社 1990&lt;br /&gt;
*サンテ 角川書店, 1990&lt;br /&gt;
*カニバリズム幻想 北宋社, 1991&lt;br /&gt;
*蜃気楼 河出書房新社, 1991&lt;br /&gt;
*喰べられたい 確信犯の肖像 ミリオン出版, 1993 &lt;br /&gt;
*華のパリ愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド アイピーシー, 1994&lt;br /&gt;
*少年A ポケットブック社, 1997&lt;br /&gt;
*殺したい奴ら 多重人格者からのメッセージ データハウス, 1997&lt;br /&gt;
*まんがサガワさん オークラ出版, 2000&lt;br /&gt;
*霧の中の真実 鹿砦社, 2002&lt;br /&gt;
*業火 作品社, 2006&lt;br /&gt;
*極私的美女幻想 ごま書房, 2008&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共著&lt;br /&gt;
*狂気にあらず!? 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定 [[コリン・ウィルソン]],[[天野哲夫]] 第三書館, 1995 &lt;br /&gt;
*饗 カニバル コリン・ウィルソン [[柳下毅一郎]]翻訳・構成 竹書房, 1996&lt;br /&gt;
*『パリ人肉事件　無法松の一政』[[根本敬]] 河出書房新社, 1998&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出演作品&lt;br /&gt;
*『実録SEX犯罪ファイル』（1998-05-12・宇宙企画）&lt;br /&gt;
*『エロのから騒ぎ　～Much Ado About Eros～　第２期生』（2003-08-24・V&amp;amp;R）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[カニバリズム]]&lt;br /&gt;
* [[パリ人肉事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さかわ いつせい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:食人者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1949年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:神戸市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>佐川一政</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''佐川 一政'''（さがわ いっせい、[[1949年]][[4月26日]] - [[2022年]][[11月24日]]）は、[[パリ人肉事件]]の元[[被疑者]]の日本人[[小説家]]。[[神戸市]]出身。[[和光大学]]人文学部文学科卒業、76年[[関西学院大学]]大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、80年[[パリ大学|パリ第3大学]]大学院比較文学専攻修士課程修了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祖父は[[朝日新聞]]論説委員、父は[[伊藤忠商事]]から出向の[[栗田工業]]元社長、[[佐川明]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
生まれた時は父親の手のひらに乗るほどの[[未熟児]]だった。出生1年後には腸炎を患い、[[カリウム]]と[[カルシウム]]の静脈注射で命を長らえるような状態であり、両親は果たして何歳まで生きられるかと心配したが、虚弱体質だったものの順調に成長していった。内向的な性格ということもあり、文学では『[[嵐が丘]]』『[[戦争と平和]]』などのほか、[[シェークスピア]]に興味を示し、音楽では[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]や[[ヘンデル]]を愛した芸術少年だった。すでに小学生の頃、幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされ、人肉を食することに興味を抱いていたといわれ、高校時代にはある精神科医にたびたび相談したが、取り合ってもらえなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした佐川の、一般常識から見れば異常な性癖はやがて表に表れることになる。和光大学在学時代には中年の[[ドイツ人]]女性宅に無断に入り、逮捕されたが、父親が支払った示談金により、告訴はされなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]に[[フランス]]に留学、パリ第3大学に在籍していたが、その最中の[[1981年]][[6月11日]]、佐川は同大学の女性留学生（当時25歳）を銃で殺害し、彼女の遺体と性交渉後、その[[肉]]を貪った（[[パリ人肉事件]]）。佐川は犯行を自供したが、[[精神鑑定]]の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不[[起訴]]処分となった。その後、アンリ・コラン[[精神病院]]に[[措置入院]]されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の[[唐十郎]]に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」（『文藝』1982年11月号）で第88回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1984年]]に帰国。[[東京都立松沢病院]]に入院。松沢病院側の診断結果では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論であった。金子副院長は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとコメントしている（Tokyo Journal[[1992年]]9月号）。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
15ヶ月後で退院し、マスコミに有名人として扱われ、小説家になったが、上記の通り日本の病院と警察がそろって刑事責任を追求すべきという方針であったのに、フランス警察の方針によりそれが不可能になった事から、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きた（週刊マーダーケースブック2号）。両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することなり、母親は神経症の病気を患ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[修士号]]を持っており&amp;lt;ref&amp;gt;多くの大学では内規で、犯罪行為など大学の名誉を汚す行為をおこなった者に対しては、学位を取り消す規定が設けられている。しかしながらかれは[[不起訴]]処分を受けており、現在彼が学位を保持し続けているかは不明である。&amp;lt;/ref&amp;gt;、修士論文のテーマは「[[川端康成]]と[[ヨーロッパ]][[20世紀]][[前衛芸術]]運動の比較研究」であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==エピソード==&lt;br /&gt;
*[[ローリングストーンズ]]が佐川のパリ事件を歌にしている。1983年の[[マキシシングル|12インチシングル]]「Too Much Blood」がそれである（12インチシングルとしては日本では未発売）。事件発覚時に[[ミック・ジャガー]]はパリに滞在しており、ニュースの全容を知り、ショックを受け、本作を書き下ろしたのだった。ジャケットはミック・ジャガーの驚愕の表情で、あたかもホラー映画の一場面のように恐ろしい映像である。通常バージョンは同年発売されたLP『[[アンダーカバー]]』B面1曲目にも収録されている（のちにCD化）。発売はいずれも[[ローリング・ストーンズ・レコード]]から。&lt;br /&gt;
*松沢病院退院後、ある[[落語]]会にゲストとして出席した。[[大喜利]]に出演するためである。楽屋は佐川が一歩足を踏み入れてから、重苦しい雰囲気に包まれた。あたかも楽屋全員が声を潜めて佐川の行動を監視するようである。テーブルに置かれた差し入れのお菓子を前にして、佐川が「これ、私も食べてもいいですか?」と言葉を発すれば全員がビクリと反応した。佐川が「この肉、固すぎてあまりうまくないですねえ」と感想を述べたらまたビクリと反応した。異常にピリピリした空気となっていた。&amp;lt;br&amp;gt;この会の出演者の一人で、奇行で知られる落語家の[[川柳川柳]]（六代目[[圓生]]の二番弟子）が楽屋に到着した。そのようないやな雰囲気を知らない川柳は、初対面の佐川を見るなり、肩を叩いて明るく声をかけた。「'''よぉ! [[食道楽]]'''（くいどうらく）!!」&lt;br /&gt;
*特殊漫画家の[[根本敬]]が、結婚後、東京圏西部の新興住宅地のマンションに引越ししたところ、すぐ近所に佐川が住んでおり、以後、親交を結んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『霧の中』話の特集、1984（彩流社、2002年5月）、ISBN 4882027461&lt;br /&gt;
*『生きていてすみません－僕が本を書く理由』北宋社 1990&lt;br /&gt;
*サンテ 角川書店, 1990&lt;br /&gt;
*カニバリズム幻想 北宋社, 1991&lt;br /&gt;
*蜃気楼 河出書房新社, 1991&lt;br /&gt;
*喰べられたい 確信犯の肖像 ミリオン出版, 1993 &lt;br /&gt;
*華のパリ愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド アイピーシー, 1994&lt;br /&gt;
*少年A ポケットブック社, 1997&lt;br /&gt;
*殺したい奴ら 多重人格者からのメッセージ データハウス, 1997&lt;br /&gt;
*まんがサガワさん オークラ出版, 2000&lt;br /&gt;
*霧の中の真実 鹿砦社, 2002&lt;br /&gt;
*業火 作品社, 2006&lt;br /&gt;
*極私的美女幻想 ごま書房, 2008&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共著&lt;br /&gt;
*狂気にあらず!? 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定 [[コリン・ウィルソン]],[[天野哲夫]] 第三書館, 1995 &lt;br /&gt;
*饗 カニバル コリン・ウィルソン [[柳下毅一郎]]翻訳・構成 竹書房, 1996&lt;br /&gt;
*『パリ人肉事件　無法松の一政』[[根本敬]] 河出書房新社, 1998&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出演作品&lt;br /&gt;
*『実録SEX犯罪ファイル』（1998-05-12・宇宙企画）&lt;br /&gt;
*『エロのから騒ぎ　～Much Ado About Eros～　第２期生』（2003-08-24・V&amp;amp;R）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[カニバリズム]]&lt;br /&gt;
* [[パリ人肉事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さかわ いつせい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:食人者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1949年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:神戸市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:性犯罪者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7&amp;diff=403530</id>
		<title>加藤智大</title>
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				<updated>2023-02-14T03:20:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:加藤智大　1.jpg|400px|thumb|加藤 智大]]&lt;br /&gt;
'''加藤 智大'''（かとう ともひろ、[[1982年]][[9月28日]] - [[2022年]][[7月26日]]）は、[[日本]]の偉大なる[[革命家]]。[[小泉毅]]、[[金川真大]]、[[引寺利明]]らとともに「'''ネ申'''」と呼ばれている。[[派遣社員]]や[[期間従業員]]を資本家や経営者から解放するために、[[秋葉原通り魔事件]]を起こして、[[新自由主義]]的[[資本主義]]体制に対して反旗を翻した。身長167cm、血液型O型。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* [[青森県]]五所川原市生まれ、[[青森市]]育ち。&lt;br /&gt;
* 事件当時は仕事の関係で[[静岡県]]裾野市在住だった。&lt;br /&gt;
* [[青森市立佃中学校]]在学中は成績優秀だったが、当時からすぐキレる性格やナイフを持ち歩く癖などで周囲を困らせていた。&lt;br /&gt;
* [[青森県立青森高等学校]]では成績順位が一気にガタ落ち。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]3月、[[中日本自動車短期大学]]自動車工学科卒業。&lt;br /&gt;
* [[2014年]]、「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」という言葉を遺し、実弟（享年28）が自殺した。&lt;br /&gt;
* 2022年7月26日、東京拘置所で死刑執行。39歳没。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアでの扱い ==&lt;br /&gt;
[[アンサイクロペディア]]では彼を神格化しており、この偉大なる人物を揶揄する垢は問答無用でリネームされたうえ追放されてしまう。&lt;br /&gt;
なぜか[[市橋達也]]教授は削除されずに残っていることから、何者かによる隠蔽工作活動と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
* 1998年3月　青森市立佃中学校卒業&lt;br /&gt;
* 1998年4月　青森県立青森高等学校入学&lt;br /&gt;
* 2001年2月　青森県立青森高等学校卒業&lt;br /&gt;
* 2001年4月　中日本自動車短期大学自動車工学科入学&lt;br /&gt;
* 2003年3月　中日本自動車短期大学自動車工学科卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『解』（批評社、2012年7月）&lt;br /&gt;
*『解+ 秋葉原無差別殺傷事件の意味とそこから見えてくる真の事件対策』（批評社、2013年4月）&lt;br /&gt;
*『東拘永夜抄』（批評社、2014年1月）&lt;br /&gt;
*『殺人予防』（批評社、2014年8月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
*『RIVER』（2012年3月）&lt;br /&gt;
*『ぼっちゃん』（2013年3月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
*[[学歴厨]]&lt;br /&gt;
*[[童貞]]&lt;br /&gt;
*[[上部康明]] - [[1999年]]に[[山口県]][[下関市]]で類似事件を起こしていた&lt;br /&gt;
*[[菅野昭一]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かとうともひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:刑死した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:神]]&lt;br /&gt;
[[Category:英雄]]&lt;br /&gt;
[[Category:1982年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>名古屋アベック殺人事件</title>
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				<updated>2023-01-31T03:32:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''名古屋アベック殺人事件'''（なごやアベックさつじんじけん）とは、[[1988年]][[2月23日]]から[[2月25日|25日]]にかけて[[愛知県]][[名古屋市]][[緑区 (名古屋市)|緑区]]で起きた、[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]・[[集団強姦]][[事件]]。被害者が襲撃された場所の名前から「'''大高緑地公園アベック殺人事件'''」（おおたかりょくちこうえんアベックさつじんじけん）とも呼ばれる。人間が行ったとは思えない残忍な手口と身勝手な犯行動機で、日本中を震撼させた。犯人グループ計6名の大半が未成年であったことから、[[少年法]]改正に多大な影響を与えた事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
=== 事件発覚 ===&lt;br /&gt;
[[1988年]][[2月23日]]早朝、[[愛知県]][[名古屋市]][[緑区 (名古屋市)|緑区]]の大高緑地公園で、通行人が破壊された乗用車を発見し、驚いて警察に通報した。車はフロントガラスや窓ガラスを粉々に割られ、車中には血のついた下着も残されていた。[[愛知県警察|愛知県警]]捜査1課が捜査を開始し、車の所有者の三女と、同じ理髪店で働く男性の、若い男女1組が前日夜外出したまま行方不明となっていることが明らかとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件発生状況 ===&lt;br /&gt;
1988年2月23日未明、大高緑地公園の駐車場に車を停車していた理容師（男性・当時19歳）と理容師見習い（女性・当時20歳）は、突然2台の車に退路を塞がれた。2台の車に乗っていたのは、[[鳶職|とび職]]A（当時19歳）、唯一の成人B（当時20歳）、とび職C（当時17歳）、[[無職]]D（当時18歳）、E子（当時17歳）、F子（当時17歳）の6人であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6人は日頃から「バッカン」と称して[[アベック]]を襲っては金品を奪っており、この日も名古屋市[[港区 (名古屋市)|港区]]の金城埠頭で2台の車を襲い、計8万6000円余りを奪っていた。勢いづいた6人はさらにデートをしているアベックの車を物色。大高緑地公園の駐車場で理容師見習い所有の車に狙いを定めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公園での暴行状況(1) ===&lt;br /&gt;
Aら6人は木刀や鉄パイプを持って運転席近くに行き、更に窓ガラスを力一杯殴り付け、「降りて来い」と怒鳴り、理容師を引きずり出した。理容師が「何ですか」と言うと、Cは「金を出せ」と言って木刀で同人の頭部を力一杯殴打した。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
理容師は頭から血を流し悲鳴をあげながら、頭を両手で押さえてその場に座り込んだ。A、B、D、F子はCに加勢し「金は、いくらある。金を出せ」などと因縁を付けて、金品を要求しながら、鉄パイプや木刀などで理容師の全身をめった打ちに殴打し、その傍ら、車の窓ガラス、テールランプ、前照灯、ボンネットなどを叩き壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理容師が気を失うと、E子とF子はシンナーを入れたビニール袋で、助手席にいた理容師見習いの頭部を殴打した。袋が破れシンナーが理容師見習いの頭にかかると、E子は｢シンナーが無くなったがや」などと因縁を付けて、理容師見習いの髪の毛を強く引っ張り、車から引き出し、髪の毛をつかんだまま、ハイヒールを履いた足で理容師見習いの足、背、腹などを多数回にわたり蹴り付けた。F子とCは、木刀で理容師見習いの両腕部や背部などを殴り付けた。F子は、6人の犯行に怯え切って全く無抵抗の状態の理容師見習いに「裸になれ」と言って、理容師見習いに自ら上半身の衣服を脱がさせたうえ、左右上腕部を木刀で殴り付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、E子とF子は、木刀で理容師の左右上腕部を殴打し、ハイヒールを履いた足で足蹴にし、さらにハイヒールを脱いでそのかかとで頭部を殴打した。E子はハイヒールのかかとで理容師の頭部を数十回強打しながら「正座しろ」と言って理容師を正座させ、木刀でその全身を強打した。理容師は、殴られるたびに左右に倒れたり、手をついたりした。Bは理容師の左足を右足で二、三回、回し蹴りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公園での暴行状況(2) ===&lt;br /&gt;
Aら6人が理容師、理容師見習い両名にこのような暴行・脅迫を加えて30分ほどした午前5時ころ、CとDは「この女、輪姦（まわ）しちゃろか」と言って、理容師見習いを輪姦しようとした。F子は「やったれ、やったれ」と煽った。C、Dは理容師見習いを上半身裸体のまま、駐車場から50メートルほど離れた藪の中に連行した。Cは恐怖に震える理容師見習いに「全部脱げ」と言って、下半身の衣服も脱ぐよう命じた。C、Dは後からやってきたBとともに、全裸にされた理容師見習いを次々に集団[[レイプ]]した。その間に、駐車場ではE子とF子が車から現金1万1553円と櫛、ぬいぐるみを奪い、Aは狂ったように車を破壊していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後B、C、E子、F子が理容師見習いを探しに行き、輪姦された直後の理容師見習いを発見した。理容師見習いは下半身の衣服を着て現場へ連行される前の姿だった。4人は現場から、上半身裸体の理容師見習いを連れて駐車場に戻った。E子とF子は理容師見習いに「素っ裸になれ」などと言って、全裸になるよう命じた。しかし理容師見習いが躊躇したため、E子がスカート、F子がパンティストッキングとパンティを剥ぎ取り、理容師見習いを再び全裸にした。理容師見習いは抵抗する気力も失せて、なされるがままであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Cは全裸にされた理容師見習いの両手をつかみ、振り回してその場に転倒させると、E子、F子とともに理容師見習いの腰や足を足蹴にした。Aは「やきを入れたれ」と言い、B、E子、F子とともに代わる代わる「熱いか、熱いか」と言いながら、タバコの火を理容師見習いの肩、腹、背中、乳房などに押しつけた。理容師見習いは泣きながら「熱い、やめて」と哀願したが、F子は「ばかやろう、ぶりっこするんじゃない」と言いながら、その背中にタバコの火を押し付け、CとE子は、ライターの火で理容師見習いの髪の毛を焼いた。さらにE子は理容師見習いの髪の毛をつかみ引っ張ってその場に仰向けに倒し、ハイヒールを履いた左足で理容師見習いの左腕、F子が同様にハイヒールを履いた足で右腕を踏み付け、Cが理容師見習いの両足首を持って広げ、陰部にシンナーをかけタバコの火を腹部付近につけた。理容師見習いは放心状態であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3人が理容師見習いの手足を離すと、理容師見習いは全裸のまま立ち上がったが、E子はそこをまた拳で腹を殴りつけ、B、C、F子も加勢して拳で殴打したり、足蹴にしたりした。殴打があまりに長く続いたので、理容師見習いの顔がみるみる変形していくのを目の当たりにした理容師は、命の危険を感じ「お願いです。彼女だけは助けてやって下さい」と泣いて懇願したという。しかしAらは理容師の腹を蹴りあげ、黙らせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Aら6人はこうした暴行を午前6時頃まで続けたあと「警察に行かれると困る」として、2人を拉致することに決めた。6人は理容師を先に1台目の車に閉じ込めたうえで、暴行のため全裸にされていた理容師見習いに服を着るよう命じた。理容師見習いが服を着終わると2台目の車に連れ込んで公園を出発した。2人とも放心状態で、理容師見習いは車内で泣き続けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 被害者拉致から殺害決定までの状況 ===&lt;br /&gt;
午前7時30分頃、6人は理容師、理容師見習い2人を連行して愛知県[[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[弥富町]]（現[[弥富市]]）のドライブインに立ち寄り、今後の行動について話し合った。「車の修理代、どうしょう」「俺、金ないよ。どうやって弁償すんの」など、話題は主に2人のことではなく、車のことだったという。Aは「顔を見られている。警察に逮捕されるのは嫌だ。男（理容師）は怪我もひどいし殺っちゃおう。女（理容師見習い）はどこかに売り飛ばし金にするが、それが出来ない時は女も殺そう」と提案し、他の者たちも同意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 殺害決定から男性殺害前までの状況 ===&lt;br /&gt;
A、C、D、E子、F子は、理容師、理容師見習いを連行し、午前9時40分ころ、名古屋市内のホテルに赴いた。Dは夜になったら連絡を受けることにして、同ホテルで、他の4人と別れた。 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
一方、同ホテルに残ったA、C、E子、F子は、怯えきって全く無抵抗の理容師、理容師見習いを連行して205号室に入り、CとE子がこの両名を見張り、AとF子が203号室に入って、午後5時ころまで過ごした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Cは、同室において、理容師見習いがそれまでの被告人らの犯行により畏怖しているのに乗じ、レイプした。 Aは、同ホテルから理容師見習いを売り飛ばす当てについて、知人に電話をかけたが、確たる当てがないとの返事で、理容師見習いも殺害するほかないと考えた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後5時ころ、Aが車両を運転し、助手席にF子、後部座席にC、E子が乗車して、理容師、理容師見習いをその間に挟んで押し込め、同ホテルを出発した。 E子は、その車中で理容師、理容師見習い両名の所持金が足りないと因縁を付けて、手拳で2人を殴打した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
A、C、E子、F子ら4人は、理容師、理容師見習いを連行し、午後6時頃、名古屋市熱田区西野町一丁目の喫茶店に入った。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
AとCが、同店の電話とその近くの公衆電話で、ポケットベルを利用してDと連絡を取った。その間E子、F子が理容師、理容師見習いを見張っていた。その後Aの知り合いの暴力団組員を尋ねたが、同人は不在であった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
そこでAら4人は、同市緑区大高町の洗車場に赴き、AとF子は一連の犯行発覚を防ぐため、車両を洗車した。洗車を終えたAは、理容師、理容師見習いを安心させるため「お前らは、いずれ帰したる」などと嘘を言い、A車両後部座席に乗車させた理容師に対し、Aが口述して被告人らの車を破損したので弁償する旨をメモに書かせた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
F子は、Aの意図を察知し、またCは、Aから同人の意図を教えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 男性殺害状況 ===&lt;br /&gt;
24日午前3時頃、Aは理容師、理容師見習いに「今から送って行くが、ちょっと寄るところがあるので、道を覚えられたら困るから目隠しさせてくれ」と偽って、Cに命じて2人を目隠しさせた。A、C、E子、F子の4人はAのアパートに立ち寄り、死体を埋める穴を掘るスコップを持ち出し、首を絞めるビニールロープを買い、殺害準備をして[[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]][[長久手町]]の卯塚公園墓地に向かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午前4時30分頃、4人は理容師、理容師見習い2人を連行し、卯塚公園墓地に到着した。Aは理容師を下車させて正座させ「お前、今からどうなるか分かってるだろう」と、殺害することを宣告した。Cが「助けて下さい」と命乞いする理容師の両腕を縛り、F子が口にガムテープを貼って抵抗も声をあげることも出来ないようにした。そしてA、C両名が理容師の首にビニールロープを二重に巻きつけ、首の後ろで交差させ、左右から綱引きのように力一杯締め上げた。理容師は身体をふらつかせて仰向けに、さらにうつ伏せに倒れた。しばらくしてAらは理容師を足蹴にして生死を確かめ、まだ生きていることを確認すると、さらにロープを引いて絞め続けて絶命させた。しかもすぐには死なせず「苦しいか」などと言いながら、わざと20分以上もかけるという残忍さであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理容師がこのようにして殺害されていく間、理容師見習いは目隠しをされたまま、E子、F子に見張られ車内に監禁されていた。理容師見習いは周囲の状況に不安を感じ、また理容師の身に異変が起きたことに気づいて、E子、F子両名に「お兄さん（理容師見習いの理容師への呼称）、どこへ行っているんですか」と尋ねた。しかしE子、F子は「離れたところで話をしている。」などと誤魔化しながら、理容師見習いが声を出せないよう、その口にガムテープを6、7枚も貼り付けて黙らせた。さらに、目隠しやテープを外せないよう、両手首もガムテープで縛った。理容師見習いは「何をするんですか、本当にやめて下さい」と顔を動かして哀願したが、これを無視されガムテープを貼り付けられると、観念したように静止した。しかし理容師が絶命する瞬間、うなだれていた顔を一瞬上げたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 男性殺害後から女性殺害前までの状況 ===&lt;br /&gt;
A、Cはこうして理容師を殺害し終えると、その遺体をトランクに積み込んだ。理容師見習い殺害は既に夜が明けていたため翌晩にすることにした。E子とF子が理容師見習いの口に貼ったガムテープを剥がすと、理容師見習いは、理容師の死体が入れられる物音を聞いて「何を入れているんですか」と聞いたが、誰も返答しなかった。A、Cが車に乗り込むと、理容師見習いは「お兄さんはどこへ行ったか」と尋ねた。Cは「家の近くで降ろした」と嘘を言ったが、理容師見習いは不審そうに首を傾げていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この後4人は残る理容師見習いを連行して同墓地を出発した。移動中理容師見習いは相変わらず目隠しをされたまま、鼻をすすって泣き続けていた。Cは車中で理容師見習いの胸を触ったりし、E子に注意された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
24日午前11時過ぎ頃、金城埠頭に来た時、理容師見習いは「外に出たい」と言った。Cが両手をほどき目隠しを外し、見張りながら下車させた。理容師見習いはCの隙を見て海へ飛び込み自殺を図ったが、Cに捕まり阻止され、車に引き戻された。理容師見習いは車中で「お兄さん、殺されたの、それだけ教えて」と泣きながら尋ねたが、Cは「家の近くで降ろした」と嘘を言ってごまかした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後4人は理容師見習いを連行してAのアパートに入り、理容師見習い殺害に出発するまでの時間を過ごした。午後2時頃、Cはそこで、意気消沈状態の理容師見習いの乳房や陰部を弄んだうえレイプした。Aはどうせ今夜殺してしまう女なのだから、やりたいだけやればいいとこれを黙認した。またF子はこの時「ごゆっくりね」と声をかけたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性殺害準備状況 ===&lt;br /&gt;
午後10時頃、4人は理容師見習いを連行して車でAのアパートを出発し、10時40分頃Bと再度合流した。5人は土地勘のある三重県の山中で理容師見習いを殺害し、2人の死体を遺棄することを決めた。Bが合流後は、車中で理容師見習いはCの膝の上に座らされていた。5人は現地へ向かう途中で理容師見習いの目隠し用タオル、殺害用ロープ、懐中電灯、食事などを購入した。途中で理容師見習いにも食事を分け与えたが、理容師見習いは口にしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
25日午前2時頃、理容師見習いを連行した5人は、[[三重県]][[阿山郡]][[大山田村 (三重県)|大山田村]]（現[[伊賀市]]）の山中に到着した。F子は前記のタオルで理容師見習いに目隠しをしたうえ、E子とともに理容師見習いが逃げたり目隠しを外したりしないよう、左右から両腕をつかんで見張りながら車中で待機した。A、B、Cの3名は理容師、理容師見習い両名の遺体を遺棄する穴を掘り始めた。E子は、理容師見習いが穴が掘り上がるまで待たされている間「最期にして欲しいことはあるか」と聞いた。理容師見習いは「1人で生きていくの辛い、帰してもらっても、飛び降りて死ぬつもりだった」「お兄さん殺されたのわかってるから、1人で生きてるの悪い」「最後にお兄さんの顔が見たい、お兄さんと一緒に埋めて」などと答えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
A、B、Cは1時間ほどかかって、深さ約1メートル、縦横約1.5メートルの穴を掘り終え、Bが穴に入って深さを確認した。Aら3人が車に戻ると、理容師見習いは目隠しされたまま頬に涙を流していた。E子は「ねえ、こいつ死ぬ前に彼氏の顔見たいって」とAらに告げた。Cは途中で買った食事を理容師見習いに与えたが「これを私と一緒に埋めて、殺されるんでしょ」「お兄ちゃんと一緒に天国で食べますから」「お兄ちゃんが死んじゃってるのに、私だけ生きていてもしょうがない」「死ぬ覚悟は出来ている、お兄ちゃんと一緒に埋めて」などと言った。さらに再び「最後にお兄ちゃんの顔を見せて下さい」と言った。Aは理容師見習いに理容師の遺体を見せることに同意し、Cに「見せてやれ」と言った。Cは目隠しされたまま理容師見習いを下車させたが、理容師見習いは自分で目隠しを取ることは許されず、Cに手を引かれてトランクまで歩かされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Cは理容師見習いの目隠しを外し、トランクの中の理容師の遺体を懐中電灯で照らして対面させた。理容師見習いは泣きながら理容師の遺体を見つめており、その両手を縛っていたロープを解いた。続いて握った状態の両手を離そうとしたが、既に死後硬直していて出来なかった。E子、F子は理容師見習いのこの様子を見て「あっはっは、こいつ泣いてるぅ」と笑った。Aは2人の身元が分かるような証拠を無くすため、理容師見習いに理容師の遺体の着衣から免許証やキャッシュカードなどを捜し出させて取り上げた。続いてA、B、Cの3人で、理容師の遺体をトランクから出し地面に置いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女性殺害状況 ===&lt;br /&gt;
午前3時頃、Aは理容師見習いに「それじゃ殺ろうか」と、これから殺害することを宣告した。E子とF子は理容師見習いに「ほら、服脱ぎな、服で身元が分かっちゃうだろ」「全部脱げよ」などと言って、全裸になるよう命じた。理容師見習いはうろたえ「なぜ私だけ？お兄ちゃんは着たままなのに」と言って抵抗したが、Aに「早く脱げ」と恫喝され沈黙した。Aはさらに「服はトランクに詰めとき」と、脱いだ衣服を理容師見習いに自ら車のトランクに入れさせるよう命じた。理容師見習いは理容師の遺体が出されて空になったトランクに向かってセーター、スカート、パンティストッキング、靴を順に脱いで入れた。Aら5人は理容師見習いを取り囲むにしながらこの様子を見つめていた。理容師見習いは最後にパンティ1枚になったところで「お願い、下着だけは付けさせて」と哀願した。Aらは「まあいいやろ」と同意し、理容師見習いはパンティ1枚だけは脱がずに身に着けたままでいることを許された。Cは理容師見習いが脱いだ衣服を入れ終わるとその目前でトランクを閉め、理容師見習いに再び目隠しをした。この時理容師見習いは目隠しをされたまま「こんなことしても無駄よ、やがて警察に逮捕されるわ」と叫んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Aは殺害用ロープを持ち、Bは懐中電灯で照らしながら、Cが理容師見習いの両腕を後ろ手にして掴んで歩かせた。Aら3人はこのようにして、目隠しされて1人では歩けない理容師見習いを前述の穴まで連行すると、地面に座るよう命じた。理容師見習いは尻を地面につけ、両膝を立てて抱えこむようにして腰を下ろし「やるなら早くして下さい、一気に殺して下さい」と言った。これが理容師見習いの最期の言葉となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
A、C両名は理容師見習いの首にビニールロープを二重に巻き付け「準備完了」と言った。そしてAの「引っ張れ」という合図で、鼻歌交じりに力一杯締め上げた。理容師見習いは「ぐぅー」「げぼっげぼっ」というようなうめき声をあげ、回転してうつ伏せに倒れ、両足を痙攣させていた。その間、一度ロープが外れ、Aらは巻き直して再度締め続けた。この間AはBに「綱引きだぜ、Bちゃんも引っ張りや」と言いながらロープを引っ張り、Bはタバコを吸いながら、笑ってこの様子を見ていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
AはBに、死んだかどうかを確認させ、Bは「脈がないぜ、もう死んでるんじゃないか」と答えた。しかしAは「念のためもう一回やる、この紐はほどけやすいので、男の手に巻いてあった紐で縛り直す」と言い、理容師の両手を縛っていたロープを持ってきて、理容師見習いの首を三重巻きにして再び締め続けた。理容師見習いは手足をバタバタさせていたがやがて静止した。5分ほどして再びBに生死を確かめさせ「30秒に1回くらい動いてる」と答えたので、なおもロープを引っ張り続けた。このようにして理容師見習いを窒息死させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「一気に殺して」という理容師見習いの哀願を無視し、理容師同様すぐには死なせず、完全に殺すまで30分以上もかけたという。この間、E子、F子は車中から、窓を開け閉めしながらこの光景を見物していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死体遺棄状況 ===&lt;br /&gt;
理容師見習いが完全に絶命すると、2人の死体は上記の穴に埋められた。AとCは車に戻り、まず理容師の死体を穴の所に運び、反動をつけて穴の中に投げ込んだ。続いてうつ伏せに倒れていた理容師見習いの死体から首を絞めたロープと目隠しをしたタオルを外し、穴まで運んで同様に反動をつけて、理容師の死体の上に投げ込んだ。A、B、Cは2人の死体に土をかけて埋没させ、さらにその上で飛び跳ねて土を固め、枯れ木や落ち葉をかぶせるなどして死体を遺棄し、午前3時30分頃現場を離れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、名古屋市内に戻った5人は[[犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪|証拠隠滅]]のため同市内の荒子川とその近くのごみ箱に、殺害に使ったロープ、理容師と理容師見習いの免許証、理容師見習いの着ていたセーター、スカート、靴を捨てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 逮捕及び死体発見状況 ===&lt;br /&gt;
27日、目撃証言から[[愛知県警察|愛知県警]]はAらを逮捕。供述通りに、[[三重県]][[阿山郡]][[大山田村 (三重県)|大山田村]]（現[[伊賀市]]）の山林から、理容師、理容師見習い2人の遺体が発見された。遺体は頭を一部、土の中から露出させ、折り重なるように埋められていた。2人とも全身に激しい殴打の跡があった。理容師はジャンパーにジーパンと失踪当時の着衣のままであったが、理容師見習いは上記の経緯により身に着けていたのはパンティ1枚だけという全裸に近い姿で、首に紐状のもので絞められた跡も残っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
[[1989年]][[6月28日]]、[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]でAに[[死刑]]、Bに[[懲役]]17年、Cに無期懲役、Dに懲役13年、E子・F子の2人に懲役5～10年の不定期刑の有罪判決が言い渡された。AとBは控訴し、[[1996年]][[12月16日]]、名古屋高裁は一審判決を破棄。Aは無期懲役、Bは懲役13年に減刑すると言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害者遺族たちのその後 ==&lt;br /&gt;
=== 理容師遺族のその後 ===&lt;br /&gt;
[[新潮45]] 2003年10月号に掲載された「反省し『シャバ』に戻った少年少女のそれから」という記事によると、理容師の父は1993年ごろ、名古屋市内のマンションの一室で誰にも看取られることなく、机に突っ伏したまま息を引き取っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 理容師見習い遺族のその後 ===&lt;br /&gt;
同記事によると、理容師見習いの父は他の子供たち一家と暮らしているが、母は事件から9年後の97年11月、59歳の若さで他界している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年たちのその後 ==&lt;br /&gt;
=== 主犯Aの近況 ===&lt;br /&gt;
主犯Aの近況については何度か報道されている。[[月刊現代]][[2006年]]7月号などに掲載された元弁護人の話によると、Aは[[刑務所]]に入所後、遺族に作業賞与金と謝罪の手紙を送り続け、[[2005年]]には理容師見習いの父親から「頑張りなさいよ」と書かれた手紙を受け取ったという。[[共同通信社]]の[[2008年]][[11月29日]]の報道によれば、Aは1989年の名古屋地裁での判決、つまり死刑判決を受けてから、2人の被害者の遺族へ謝罪の手紙を書き始め、[[岡山刑務所]]に収監された[[1997年]]以降は作業賞与金（刑務作業に支払われる給与）も添えて送るようになり、2005年3月以降は理容師見習いの父親と文通を行っているという。[http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008112901000138.html]。ただし、理容師の方は、上記のように親権者である父親が、Aが収監されるずっと以前に既に故人となっており、母親は離婚しており兄弟もおらず、手紙や金を送っている「遺族」とされる相手が理容師とどんな続柄なのかは全く不明であった。2018年、理容師の母親が手紙を「中身は毎年、同じことの繰り返し。捨てている」と断じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 元弁護人の発言 ===&lt;br /&gt;
1996年より主犯少年らの弁護人に選任された[[安田好弘]]弁護士は、Aの高裁での無期判決時は「ヘラヘラ笑いながら『綱引きだぜ』などと言って殺したのではない。殺す時、震えて震えてどうしようもないからタバコを吸うんです」などとTV番組のインタビューで発言している。なお、2006年にも同じ趣旨の発言をした記録が存在している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=K6rsRBD7Y7g 【安田好弘】【名古屋アベック殺人】無期刑になった元少年]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、冒頭陳述書などによると、理容師見習い殺害時Aがタバコを吸っていたなどという記述はなく、何を根拠にこのような発言をしたのか、意図は不明である。&lt;br /&gt;
「心身耗弱としての減刑」を図ったとみるのが有力な説である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共犯者たちの出所後 ===&lt;br /&gt;
上記の[[新潮45]] 2003年10月号記事によると、C、D、E子、F子の4人は既に刑期を終え出所したが、当人及び親たちも、誰1人として遺族の元を訪れ謝罪した者はいないとのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民事裁判で和解した賠償金も、出所した4人のうちCは出所後すぐ行方をくらませ消息不明で完全未払い。Dも同様に一銭も支払わず、遺族に自分の居場所を隠したまま、結婚し妻子をもうけ平穏な生活を送っている。E子、F子は一部支払ったもののやはり完済することなく住居を変更し、現住所は同様に遺族に通知していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
親たちについては、Aの親とE子の親は完済したが、Bの親は最初から親権放棄で調停の席にもつかなかった。C、Dの親はいずれも息子の公判に顔も出さず、賠償を支払う意思も無い。F子の親は一部未払いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同記事によると、Dはインタビューに対し「事件にばかり引きずられていてもアレでしょう、前に進めないと思う」「娘が同じ目にあったら許さないと思う。許さないんじゃないでしょうか」「賠償金については親が示談したが、親とも連絡をとらなくなって、忘れてるというかそれで終わってる」「被害者の墓参り?行く時間がないので難しいね」などと答え、事件への悔恨も、償いの意思も全くない態度を隠そうともしなかったとのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは2003年の時点でのことであるが、その後も遺族への謝罪、賠償金の支払いなどについて何らかの動きがあったという新たな情報は2009年7月末現在確認されていない。上記の山口母子殺人の弁護士も、主犯A以外の犯人については一切関わっておらず、出所した共犯者たちの現状については全く言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 現在の犯人の状況 ===&lt;br /&gt;
* 小島茂夫 - 文中A 主犯。1審死刑→2審無期懲役→確定。反省したふりをして死刑を免れ服役中。&lt;br /&gt;
* 高志健一 - 文中B 1審懲役17年→2審懲役13年→確定。&lt;br /&gt;
* 徳丸信久 - 文中C 1審無期懲役→確定。2021年、仮釈放不許可。&lt;br /&gt;
* 近藤浩之 - 文中D 1審懲役13年→確定、出所して現在[[岸和田市]]在住。反省の色無し。&lt;br /&gt;
* 筒井良枝 - 文中E 1審懲役5~10年不定期→確定。現在[[示談屋]]の夫と同居。事件当時主犯のオンナ。&lt;br /&gt;
* 龍造寺リエ - 文中F 1審懲役5~10年不定期→確定。[[1998年]]出所。夫の暴力に耐え切れず一時フィルターに駆け込む&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 漫画化作品 ==&lt;br /&gt;
下記の単行本、雑誌において、この事件の短編漫画が掲載された。&lt;br /&gt;
*「現代猟奇伝(3)」 桜桃書房 1990年8月&lt;br /&gt;
*「日本列島ウラ事情 Vol. 1」 マイウェイ出版 2003年6月&lt;br /&gt;
*「衝撃王 Vol. 1」 バウハウス 2003年11月&lt;br /&gt;
*「凶悪犯罪ファイル4 謀虐惨鬼編」 竹書房 2007年5月&lt;br /&gt;
 コンビニ販売の実話コミック本。取り上げられている5事件中の1話として、この事件が収録された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 雑誌掲載記事 ==&lt;br /&gt;
*[[オール読物]] 文芸春秋社 1989年8月号&lt;br /&gt;
「惨殺の構図」と題して、検察による冒頭陳述書が収録されている。加害者6人及び被害者2人の経歴、本件の前に起こした2件の恐喝未遂及び恐喝事件、及び本件の犯行内容が記述されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文庫本 ==&lt;br /&gt;
*「新潮45」編集部「殺戮者は二度わらうー放たれし業、跳梁跋扈の9事件」 新潮文庫 2004年6月&lt;br /&gt;
**取り上げられている9事件中の1話として、上記の「新潮45」の記事が収録されている。本件の犯行内容及び、理容師見習遺族、D、Aの母親へのインタビューなどで構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[少年犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[安田好弘]] - 当事件を担当した弁護士&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:なこやあへつくさつしんしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代の殺人事件 (戦後)]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:1988年の日本]]&lt;br /&gt;
[[Category:緑区 (名古屋市)]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>喜納尚吾</title>
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				<updated>2023-01-31T03:15:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:喜納尚吾1.jpg|300px|thumb|喜納 尚吾]]&lt;br /&gt;
[[Image:喜納尚吾2.jpg|300px|thumb|喜納 尚吾]]&lt;br /&gt;
'''喜納 尚吾'''（きな しょうご、[[1983年]] - ）とは、[[2013年]]～[[2014年]]にかけて[[新潟県]]内で女性6人を強姦、うち3人を殺害した、通称「'''新潟ハイエースレイプ殺人鬼'''」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鬼畜男、この1年間で女性2人強姦、1人強姦未遂、1人殺害。他にも女性2人を殺して燃やしたり川に捨てたり ==&lt;br /&gt;
新発田市のパート従業員、徳永希さん(22)の遺体遺棄事件は[[2014年]][[7月31日]]、急展開を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新発田署で同日行われた捜査本部の記者会見で、徳永さんは連れ去られた後、間もなく殺害されたとの見方を示した。一方、同市内であった2つの遺体発見については、慎重に関連を調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺人などの疑いで逮捕された同市大栄町、無職、喜納尚吾(31)＝別の女性に対する強姦罪などで起訴＝は、[[2013年]][[11月22日]]夜、同市緑町にある徳永さんの自宅近くで、単独で自分の自動車に徳永さんを乗せて連れ去り、間もなく殺害したとみている。殺意については、「大きくとらえて殺意があったという方向で捜査を進めている」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
喜納の認否については明らかにしなかったが、周囲への捜査による総合的判断だとした。徳永さんと喜納に接点はなかったとみており、事前に徳永さんの家の前にいたなど計画性については、まだ判明していないとした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行の細かい点については、被害者のプライバシーや捜査上の問題から、コメントできないとし、多くを語らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余罪については「捜査している」とだけ述べ、詳しい説明はなかった。同市内では別の20代の女性も2014年1月から行方不明になり、市内の川で4月、遺体で見つかった。また、2013年9月、同市内の駐車場で自動車4台が燃える火事があり、車内から20代の女性の遺体が発見された。いずれも県警は、事件と自殺の両面から捜査していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
喜納は2013年8～12月に同市内で女性が被害に遭った3事件で、強姦やわいせつ目的略取などの罪で起訴され勾留中。 2013年5月に[[新発田市]]に夫婦で引っ越してきた後、8月に女性2人を拉致・強姦した後、女性拉致・殺人や別の女性を強姦するため拉致しようとした事件を起こしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 新潟ハイエースレイプ殺人鬼、沖縄出身の喜納尚吾の犯歴 ==&lt;br /&gt;
* 石垣島出身、野球部所属。[[沖縄県立八重山商工高等学校]]中退して[[少年院]]に進学&lt;br /&gt;
* [[2009年]] - 友人宅放火で懲役3年食らう&lt;br /&gt;
* [[2012年]] - 出所後宮城→新潟に移り住み&lt;br /&gt;
* [[2013年]]8月 - 30代女性を車で拉致ってレイプ。その後10代女性を車で拉致ってレイプ&lt;br /&gt;
** 9月 - 女性を車ごと拉致ってレイプ→殺害して車を放火&lt;br /&gt;
** 11月 - 新発田で20歳女性を車で拉致ってレイプ→殺害し遺体を雑木林に遺棄&lt;br /&gt;
** 12月 - 女性拉致失敗&lt;br /&gt;
* [[2014年]]1月 - 女性を拉致ってレイプ　→殺害し遺棄&lt;br /&gt;
** 5月 - 女性を監禁→逮捕&lt;br /&gt;
** 6月 - 裁判所から逃走もすぐに逮捕&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地裁逃走の男ほかの2女性死亡にも関与か ==&lt;br /&gt;
2014年6月に[[新潟地方裁判所]]から一時逃走した31歳の男が、新潟県新発田市で22歳の女性を殺害したとして逮捕された事件で、警察はこのほかにも、2013年から2014年にかけて市内で20代の女性2人が相次いで死亡していたことについても男が関わっていたとみて捜査している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新潟県新発田市の無職、喜納尚吾(31)は2014年6月、勾留の手続きをしていた新潟地方裁判所から逃げ出したが、まもなく取り押さえられた。警察は、喜納が2013年11月に市内のパート従業員の22歳の女性を車で連れ去り殺害したとして、殺人などの疑いで31日に逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件で、2014年4月に遺体が見つかった現場に残された[[DNA型]]が、喜納のものと一致していた。31日夜に接見した弁護士によると、「身に覚えがない」と話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新発田市では2014年4月には、3か月近く前から行方が分からなくなっていた20歳の女性が市内の川から白骨化した遺体で見つかった。現場から採取されたDNA型が喜納のものと一致した。さらに2013年9月には、市内のアパートの駐車場で焼けた車の中から20代の女性が遺体で見つかり、現場に残されたものから関与が疑われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 新潟の強姦致死　32歳男に無期懲役判決(2015年12月) ==&lt;br /&gt;
[[新潟県]][[新発田市]]で4人の女性を次々に襲い、うち1人を死亡させたとして強姦致死罪などに問われた喜納尚吾被告(32)の[[裁判員裁判]]の判決公判が2015年[[12月10日]]、[[新潟地裁]]で開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[竹下雄]][[裁判長]]は検察側の求刑通り無期懲役を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
喜納被告は、パート従業員の女性＝当時22歳＝が2014年4月、白骨化した遺体で見つかった強姦致死事件については関与を否認し、弁護側は無罪を主張していた。他の強姦事件や地裁からの逃走未遂事件など4つの事件は起訴内容を認めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きな しようこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:シリアルキラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:沖縄県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:新潟県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:2013年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:1983年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E5%9C%AD&amp;diff=403475</id>
		<title>小室圭</title>
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				<updated>2023-01-31T03:10:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:小室圭1.jpg|300px|thumb|小室 圭]]&lt;br /&gt;
'''小室 圭'''（こむろ けい、[[1991年]][[10月5日]] - ）とは、[[眞子内親王]]の配偶者である。NY弁護士。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[国立音楽大学附属小学校]]&lt;br /&gt;
:小室圭は10歳ごろに父親が他界し、菓子店にパート勤務していた母親が女手ひとつで育てた。自宅は[[横浜市]]にあったが、小中学校時代は国立にある学校に通学するために母子ともに国立市に移り住んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* カナディアン・インターナショナル・スクール&lt;br /&gt;
:中学校高校は東京の[[品川区]]に所在するカナディアン・インターナショナル・スクールに通学。同校は1988年設立の比較的新しいインターナショナルスクールで、カナダ式の教育プログラムを採用。&lt;br /&gt;
:入学の難易度は中程度だが、相当高い英語力を要求される。&lt;br /&gt;
:また他のインターナショナルスクール同様、学費が年間180万円、初年度納入金がおよそ270万円程度と学費が高く、母子家庭母親の収入だけでは通学は不可能であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[国際基督教大学]]教養学部アーツ・サイエンス学科 - 偏差値65&lt;br /&gt;
:高校卒業後は、国際基督教大学（ICU）の教養学部に進学。同大の入学試験は英語の成績に重点が置かれており高い英語力を求められるが、インターナショナルスクール出身だけあって英語は得意だった。&lt;br /&gt;
:在学中の[[TOEIC]]の点数も950点と、海外の一流大学に留学できるほどの高得点を記録（満点は990点）&lt;br /&gt;
:大学在学中の2010年には「湘南江の島 海の王子」として、イベントや観光キャンペーンに携わっている。&lt;br /&gt;
:同大在学中に眞子さんとは同級生になり、その後交際に発展。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[三菱東京UFJ銀行]]&lt;br /&gt;
:大学卒業後は三菱東京UFJ銀行に就職し、丸の内支店に勤務。&lt;br /&gt;
:だが早期で銀行を退職し都内の法律事務所に転職し、海外での弁護士資格の取得を視野に入れている&lt;br /&gt;
:また[[一橋大学]]大学院国際企業戦略科に入学して、国際経営戦略や金融戦略、経営財務や経営法務なども学んでいる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 『三菱東京UFJ銀行』の元同僚、職場での小室圭に感じた「違和感」 ==&lt;br /&gt;
「眞子さまは、10月28日に東京都江東区の有明コロシアムで行われた『全日本テニス選手権』の試合を観戦されました。得点が入るたびに感心したご様子で、熱心に拍手を送られていましたよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
秋篠宮家の長女・眞子さまの近況をそう話すのは、とある皇室担当記者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
来年の秋ごろまでには、[[国際基督教大学]]（ICU）時代の同級生である小室圭さんと結婚する見通しで、10月23日に26歳の誕生日を迎えられた眞子さま。皇族として生活を送られるのは残り1年ほどとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「来秋に予定されているご結婚までは、一般の結納にあたる『[[納采の儀]]』をはじめ、皇室の慣例に従ったさまざまな儀式が続きます。正式に結婚したあとの眞子さまは、皇室を離れて一般国民と同様に住民登録、さらに選挙権なども与えられて、“夫”となる小室さんと生活をともにされる予定です」(皇室ジャーナリスト)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小室さんは現在、[[一橋大学]]大学院で経営法務を学ぶ傍ら、'16年8月から都内の奥野総合法律事務所でパラリーガルとして勤務している。しかし一部では、すでに海外での仕事を探しているという報道もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《将来のことにつきましては宮さまとご相談しながら考えて参りたいと思います》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月3日の婚約会見では、こう発言していたことからも、今の職場を離れる日も近いかもしれない。そんな小室さんは、現在の法律事務所に入所する前の'14年7月から2年弱の期間、大学卒業後に新卒社員として『[[三菱東京UFJ銀行]]』に勤務していたのだが、当時についての詳しい話は今までまったく報道されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回、かつて同じ職場で働いていたAさんが、小室さんの知られざる“銀行員時代”のエピソードを明かしてくれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は小室さんが入行してから数か月の間、同じ職場で働いていました。職場は[[千代田区]]内の丸の内支社で、いわゆる銀行業務をする支店ではなく、主に丸の内周辺にある会社を相手にしている法人営業の部署でした。丸の内支社に配属される新卒社員は、[[東京大学]]や[[京都大学]]、私立なら[[慶應]]や[[早稲田]]など高学歴が多く、英語などの語学が堪能な人が珍しくありませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学・高校とインターナショナルスクール、大学はICUを卒業していて英語が堪能な小室さんも“エリート行員”として配属された。部員40名ほどの法人営業部では、担当になった会社相手に営業する日々だったという。充実した日々を送っていたのかと思いきや、Aさんによると、小室さんはほかの行員と“雰囲気”が異なっていたと証言する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「丸の内支社は優秀な行員が集まるところなので、基本的にモチベーションが高い人たちが多いのですが、小室さんからはあまり感じられませんでした。小室さんは他人と交流しない人で、例えば、トイレや廊下で会っても挨拶をせず、私と視線をあえて合わさないようにしているようでした。いま思えば、眞子さまとの結婚が決まっていたことで、親しくできないなどの事情があったのだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そうAさんが話すように、小室さんは学生時代に眞子さまにプロポーズをしている。同僚と親しくすることで、交際が知られてしまう可能性を考慮していたのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あるとき、社内の食堂で小室さんを含めた部長や社員など10名ほどでお昼ご飯を食べる機会がありました。みんなで和気あいあいと話をしている中で、小室さんは会話に入らず、黙々と食事に集中していました。彼の家族や彼女、大学時代の話などをまったく聞いたことがなかったので、プライベートの情報をよほど言いたくなかったのでしょうね」(Aさん、以下同)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同僚とのコミュニケーションを控えていたことも関係してか、思わぬ“陰口”を叩かれていたことも……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ある日、彼の上司が“小室は英語ができるけど、業務のほうがあんまり……”と“嫌み”を言っていました。その上司が英語が得意ではなかったこともありますし、法人営業部では日本人を相手にすることが多く、英語を使う機会がないので、語学堪能なことで上司から反感を買うことがあるんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
優秀であるがゆえに、小室さんもつらい思いをしていたのかもしれない。その一方で、新入行員ということで仕事上のコミュニケーションをうまくとれなかった時期もあったそう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼が書類の整理を頼まれた際に、私のデスク横の空いているスペースで何の断りもなくいきなり始めたときは驚きました。普通は“すみません、横の机使います”と、ひと言くらいあるものですから。さらに担当の会社を訪問する際には、支社が契約している運転手つきの車に乗せてもらうのですが、通常は事前に地図を用意して運転手と軽く打ち合わせをします。しかし、小室さんは地図を用意せず、打ち合わせもしようとしなかったので、運転手が困った様子だったのを見たことがあります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新人時代の小室さんは、こんな“ハプニング”の当事者になったこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「部内でクライアントとの重要書類が紛失したことがあったのですが、その会社の担当が小室さんでした。彼はその書類を女性行員に“渡しました”と冷静に主張していて、慌てる様子もない。女性のほうは“見当たらない”とパニックになって大泣きしてしまい、その日は部内全員でデスクやゴミ箱などを探すことになりました。担当だった小室さんは、もっと取り乱すのが普通なのに図太い人だと思いましたね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、書類の件は特別な手続きで対処したことで事なきを得たそうだが、Aさんの中には小室さんへの“違和感”がたまっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小室圭母子の致命的欠陥は贅沢とたかり体質 ==&lt;br /&gt;
各週刊誌は、結婚延期でなく中止だという流れだろうという各マスコミの報道もあってか、眞子様が抵抗されているとか、紀子さまとすきま風が吹いているとか、LINEで小室氏と連絡を取っているとか、すんなり辞退してくれないという小室氏に関係者がため息をついているとかいうものが多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで、この眞子様と小室氏との結婚がなぜ皇室にとっても困るし、眞子様にとっても不幸なものになりそうかといえば、小室氏の母親のトラブルとか、母親の信心をめぐる問題とか、父親と祖父の自殺とかも心配だが、根本的な問題は、経済的に元内親王として品格を保ち、期待される役割を果たしていっていただくことがいまのところ絶望的だと言うことだと思う。そこをもう少し考えるべきだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
眞子様は結婚されても皇室と関係なく庶民としての生活を送られるわけではない。テロや誘拐、変質者に狙われやすい立場だから、必要に応じてSPがついたりもするが、まず、それなりにセキュリティの高いお住まいに住んでもらいたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公務をされないとはいえ、宮中の行事や親戚とのお付き合いに呼ばれる。[[黒田清子]]さまでもそうだが、皇族や旧皇族関係の人が減っているなかで、[[伊勢神宮]]祭主とか準公的な名誉役職につくことが切実な問題として期待されているのだから、実家にそれなりの資産があって、配偶者もエリートサラリーマンとして程度の収入がないと成り立たないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
黒田さんの場合は、[[学習院]]に子供の時から通っていたというのだからそれなりの資産があり、母親が住んでいるのもいわゆる億ションであり、都庁のエリート職員だから安定しているし、将来において黒田氏は皇室関係者としての仕事についてもこなせそうである。ただ、それでも、お子様がおられたら、庶民並みの教育というわけにもいかないだろうから、大変だったと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[昭和天皇]]の皇女が、[[東久邇]]、[[鷹司]]、[[池田]]、[[島津]]。[[三笠宮家]]が[[近衛]]、[[裏千家]]といったところと結婚されているのと比べれば大違いだ（これらの方も戦後はたいへん苦労されたが、これは異常事態のなかでの話だ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それと比べると、小室家は庶民的なマンションに住み、母親にはパート程度しか収入がなく、祖父を抱えている。そして本人はパラリーガルという[[弁護士]]のアシスタントだから、いまや弁護士でも過剰で生活苦と言われるなかで、大企業サラリーマンのように将来の年功序列での昇給が望める仕事でない。そして、かつて勤めていた銀行でも現在の事務所の関係者からも、残念ながらあまり有能という評判は聞こえてこない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なかには、アメリカに夫婦で留学して[[MBA]]でもとったらという提案をする人もいるが、その原資は眞子様に税金から支払われるであろう1億6000万円の一時金から出すしかなさそうである（支援者をみつけるという手もあるがろくなことはあるまいし、皇室関係者がそういうことをすることは好ましくもない）。当然、住むところもこの一時金、目当てになるだろうから、1億6000万円は最初の数年で使い果たしてしまいかねない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
眞子さまも働けばという人もいるが、少なくとも、これまでのところ、キャリアウーマンとしてバリバリ仕事をするというようには育てられないし難しいのではないかという人が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、公務を引き続きしていただいて給与を払う仕組みをつくってはだが、それは、配偶者に少なくとも普通のエリートサラリーマン程度の収入と実家のことを心配する必要はない程度の資産があるならそれでやっていけるだろうが、小室氏の場合には当てはまらない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかも、小室氏やその母親が実直で簡素な生活をしてきたのかといえば、まったく違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自殺した公務員に残された母子家庭が、祖父が父親の後追い自殺したがゆえに手に入った少しの遺産、住宅ローンについていた生命保険でそのまま住めたマンション、わずかばかりの遺族年金、それに母親のパート収入という状況で、インターナショナル・スクールに通い、都内の私立大でも授業料が高いICUに入り、自宅通学が無理なのでやはりかなり高額といわれる寮に入り、アメリカに私費留学し、アナウンス学校に通いといった、かなりの高所得者でも躊躇する超贅沢な学業をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当然に背伸びしているので、母親が金回りのよい男性と婚約して、必要金額以上の金を無心していたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もし、小室氏が同様の家庭環境で、公立高校から国公立大学に進み、アルバイトしながら大学を出て、語学も工夫しながらエコノミーに学び、まっとうな就職をしているというなら、それでも眞子様との結婚がなんとかうまくいくように工夫し応援したいが、小室氏母子の過去の行状からすれば、そんな気も起きない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、これからも母子ともに経済的なサイズに合わない贅沢な生活をし、おねだりをすることもありうると予想しても失礼ではあるまい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、どう考えても1億6000万円を当てにせざるを得ないし、それも早々に使い切りかねない客観状況である。そして、そもそも、税金から払われる一時金が、母子の非常識な生活を支えることを想定したものでなく、元皇族としての品格を保ち、準公務のようなこともこなしていただくことが目的であることを考えれば、支出の正当性も問われるのではなかろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そうなれば、一時金制度の見直しも視野に入れた議論が必要になってくるのではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 眞子さまと小室圭さん、水面下に破談のシナリオ。宮内庁を決意させた「小室家の新興宗教」 ==&lt;br /&gt;
眞子さまと“海の王子”小室圭さんとの結婚延期。その水面下では、破談へのシナリオが描かれている。宮内庁にそれを決意させたのは、小室家と新興宗教との関わりが大きかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
去る2月6日、明らかとなった眞子さま（26）と小室圭さん（26）の「結婚延期」。この発表は世間を驚かせた以上に、秋篠宮家のみならず皇室の深いトラウマとなりそうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
圭さんの父と祖父が相次いで不幸な亡くなり方をしていたこと、母・佳代さん（51）と元婚約者との間に430万円を超す金銭トラブルがあること、佳代さんがある時期に霊媒師に心酔していたという事実、祖母・角田八十子(かくたやそこ)さん（故人）と新興宗教の関係……。お二人が婚約内定の記者会見をされた昨年9月からこちら、そういった内情が報じられてきたのはご存じの通りである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連の報道が宮内庁に「延期」を促し、と同時に、延期とは名ばかりの穏やかな破談に向けて台本が綴られ始めたのが、2月6日ということになる。皇室ジャーナリストの山下晋司氏は宮家の苦悩を慮るようにして、こう話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「皇室経済法第6条にある通り、たとえご結婚で皇籍を離れるとしても、皇族であった方々には品位の保持に努めていただくという趣旨から、一時金（今回は約1億5000万円）が支給されることになっています。難しいのは、この『品位』とは何だろうかということ。究極的には、多くの国民の目から見て、皇族の地位にあった方にふさわしい振舞をされていると判断できるか否かなのだと思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮内庁の関係者によると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「借金と、その『ふさわしい振舞』は両立しないということになる。だから破談に向けて進み始めたわけです。あと、カネの問題と同じか、ひょっとしたらそれ以上に、新興宗教や霊媒師の存在を宮内庁は恐れたんでしょう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この点、前出・山下氏は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信仰の自由は憲法が保障するところです。結婚相手やその家族が宗教に関わっていたからと言って、一概に悪いと決めつけることはできません。ただ、その宗教の性質、その宗教との関わり方が、多くの国民が眉をひそめるような類であれば、問題がないとは言えないのだろうというふうに思います」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とし、結局は品位の問題に行き当たると指摘するのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佳代さんの実家・角田一家が40年以上前に暮らしていたのは神奈川県藤沢市である。当時を知る近隣住民によると、「同じ藤沢市の片瀬から越してこられました。(圭さんから見て)曾祖父母、祖父母、佳代さん、その弟の6人住まいだったようです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6畳ひと間とも言われる間取りでの生活は、決して裕福ではなかったことの証左だ。そんななか、佳代さんの母・角田八十子さんは病気と闘っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼女は若いころから[[リウマチ]]にかかって、例えば風呂に独りで入れず、家族に助けてもらうような状態だったんです」と、事情を知る関係者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「メンタルの方も辛かったのでしょう。『[[大山ねず命神示]](おおやまねずのみことしんじ)教会』という宗教に救いを求めた。この教会については、当時この地域でかなり流行っていて入信している家が多かったこともありますね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[横浜市]]に本部を置く[[大山ねず命神示教会]]は、[[稲飯定雄]]を教祖とする新興宗教である。1946年――。医師から喉頭がんを宣告されて苦しむ稲飯の枕元に女神が現れた。その女神の言う通り、一心不乱に「大山ねず命」と稲飯は連唱。その結果、神の使者としての力を授けられ、布教活動を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時代が下り、信者およそ80万を擁するこの教会を一躍有名にした不名誉な出来事がある。87年、藤沢市で起ったバラバラ殺人事件だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
取材をした記者によれば、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「男と女が、ミュージシャンの男を殺して死体を解体した猟奇的な一件です。のこぎりで胴体から頭を切断し、腹部を切開して内臓を取り出す。その内臓は塩で揉んで数センチ角にしたりと、3日3晩、不眠不休で切り刻んで行った。“取り憑いた悪魔を祓うため”というのが、この『儀式』に至った理由ですね。女は被害者の妻、男は被害者の従兄であるほか、3人は共に教会の信者だった。事件の数年前に脱会してはいますが……」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、八十子さんも、この事件をきっかけに脱会するに至ったという。ともあれ、当の教会に、小室一家が信者であるか否かについて尋ねると、「信者籍の有無については一切確認ないし回答いたさないこととしております」という答えが返ってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
続いて、[[霊媒師]]について話してくれるのは、一時、小室佳代さんと圭さんとが毎日のようにやってきていた[[喫茶店]]のオーナーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「彼女が“とってもいい人がいるから、今度連れてくる”と言って、占い師だか霊媒師みたいな女を連れて店に来た。店に入るなり“私が見た場所と同じだ”とか言い出したんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
透視や予知夢の類を口にした恰好だが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「店の片隅を指差し、佳代さんに向かって“ほら、そこにお父さんが来てるよ、こっち見て笑ってる”なんて言う。お父さんってのは亡くなった旦那さんですよ。佳代さんを完全に操っている印象を受けました。佳代さんと同じくらいの歳に見えたから、当時30代くらいかな。あの[[霊媒師]]の言うことを聞いて生活してるという感じでしたよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に、このオーナーは、“ある相談事”に触れて、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「佳代さんの旦那さんが亡くなったすぐ後に、旦那さんのお父さんも後を追うようにして亡くなりましたよね。そのせいで、旦那さんの実家と関係が悪くなった。圭君には土地や財産をもらう権利があるのにそうならないし、かと言って[[弁護士]]を雇うお金もないんだと。そんな状況で私に対し、“代わりに旦那の実家に行ってもらえないか”と相談をしてきたんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長年通ってくれた常連であり、同情する気持ちも強かった。だから、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「快く引き受けました。慣れないスーツを着て、菓子折りに[[鳩サブレ]]を持って旦那さんの実家に行きました。実家からしても、どこの誰だかわからないヤツが来ても困るだろうから、佳代さんに委任状みたいなものを書いてもらった上で。佳代さんの言い分を伝え、財産について交渉して帰ってきたんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それからしばらくして……佳代さんが来店し、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いきなりカネが入った封筒を差出し、“今回のことについては、もう首をつっこまないでくれ”と言ってきた。幾ら入ってたかはわかりませんが、せいぜい1枚か2枚でしょう。わざわざ話し合いに出掛けて、挙句にそんなことを言われたら心外ですよ。とにかく封筒を突き返して“もう二度と来ないでくれ”って言って帰ってもらった。それ以来、一切交流はないです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:こむろ けい}}&lt;br /&gt;
[[Category:一橋大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:国際基督教大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:横浜市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1991年生]]&lt;br /&gt;
[[Category: 三菱UFJフィナンシャル・グループの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:農]]&lt;br /&gt;
[[Category:Tc79929]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E5%85%89&amp;diff=403474</id>
		<title>松永光</title>
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				<updated>2023-01-31T03:07:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松永 光'''（まつなが ひかる、[[1928年]][[11月23日]] - [[2022年]][[10月11日]]）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の元[[衆議院議員]]。[[文部大臣]]、[[通商産業大臣]]、[[大蔵大臣]]を歴任した。第45代[[衆議院議長]]・文部大臣を務めた[[松永東]]の養子。[[勲一等]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[長崎県]][[南高来郡]][[南串山町|南串山村]]（現：[[雲仙市]]）出身。[[1947年]]に[[東京都立九段高等学校|東京都立九段中学校]]を卒業し、[[中央大学]][[法学部]]昼間部に入学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[早稲田大学]][[法学部]]夜間部に移り、[[1951年]]に卒業する。同年、[[旧司法試験|司法試験]]に合格し、[[1954年]]に福岡[[地方検察庁]][[検察官|検事]]に就任するが、翌[[1955年]]に退官し、[[弁護士]]を開業する。養父の[[秘書]]を務めるうちに政界を志し、[[1969年]]の[[第32回衆議院議員総選挙]]に自由民主党公認で出馬し、初当選。以降、連続当選10回。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1984年]]、[[第2次中曽根内閣]]の文部大臣として初入閣。[[1989年]]、[[第1次海部内閣]]の通産大臣&amp;lt;ref&amp;gt;1990年2月の第39回衆議院総選挙には現職の通産大臣で出馬して当選なるも定数3名で1位が社会党の[[和田静夫]]であった。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;を経て、[[1998年]][[1月30日]]、[[第2次橋本内閣改造内閣]]において、[[大蔵省|大蔵省金融検査官]]の[[汚職]]事件で監督責任をとって辞任した[[三塚博]]蔵相の後任として大蔵大臣に就任する。三塚の後任蔵相候補には、[[梶山静六]]、[[森喜朗]]、[[亀井静香]]など、派閥の大幹部や実力者たちの名が挙がっていたが、[[不良債権]]問題などの難題に加え、相次ぐ汚職への対処も期待され、衆議院[[予算委員会|予算委員長]]で法律家出身の松永が浮上した。しかし、必ずしも金融通でなかった松永にとって、不良債権問題などは荷が重すぎた感が否めず、大蔵省不祥事の解決でも存在感が希薄であった。同年7月の[[第18回参議院議員通常選挙]]で自民党が敗北したため、橋本内閣は総辞職し、それに伴って退任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所属派閥は、[[政策科学研究所 (派閥)|中曽根派・渡辺派]]を経て、[[志帥会]]。親族にも[[政治家]]が多く、「高潔な[[法律家]]」というイメージを押し出し[[選挙]]には比較的強かったが、[[1991年]]地元の[[浦和市]]において自身が支持しなかった[[相川宗一]]（当時[[自由民主党]][[埼玉県議会]]議員）が市長に当選して以降、相川及び相川を支持した[[浜田卓二郎]]との泥沼の政争が続いた。その後の浦和市長選挙に際しては相川に対して自身の系列市議らを対抗馬として擁立し、[[保守]]分裂[[選挙]]を招くなどしたため次第に信望を失っていった。その結果自身の支持基盤も弱まり、[[2000年]]6月の[[第42回衆議院議員総選挙]]では若手の[[武正公一]]（[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]）に敗れることになった。[[2003年]]10月の[[第43回衆議院議員総選挙]]では新設された[[埼玉県第15区|選挙区]]に移って返り咲きを目指したが、再び落選した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後自ら選挙に立候補することはなくなったが、「松永系」と呼ばれる自民党系さいたま市議会議員のグループの要として、「反相川」を掲げて政治活動を行った。[[2001年]]のさいたま市長選挙では旧[[大宮市]]長[[新藤享弘]]を支援。更に[[2005年]]の市長選挙では自民党県議[[中森福代]]を支援し、相川批判を続けた。選挙時には国会議員時代と同様自らマイクを握って街頭に立ち、意気軒昂な様子を見せた。2001年・2005年の市長選挙ではいずれも相川の当選となったが、2009年の市長選挙では衆議院議員を辞職して立候補した中森を再び支援。中森は落選となったが、相川も落選（当選は[[清水勇人]]）。長年の宿願を達成する形となった。また衆議院議員選挙では相川と縁の深い武正に対抗し、自民党の[[金子善次郎]]を支援している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
[[1999年]]11月、[[勲一等旭日大綬章]]受章。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
* [[松山千恵子]] 義姉（松永東の実娘）。[[埼玉県]]初の女性[[代議士]]。[[厚生]][[政務次官]]・[[郵政]][[政務次官]]を歴任。&lt;br /&gt;
* [[松山義雄]]　義兄（千恵子の夫）。[[弁護士]]。[[埼玉県]][[副知事]]。[[衆議院議員]]。&lt;br /&gt;
* [[舟橋功一]]　千恵子の娘・浩子の夫。弁護士。元[[埼玉県]]議会議員。前・[[川越市|川越市長]]（[[2009年]][[2月7日]]退任）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[文部大臣]]|第105代：1984年 - 1985年|[[森喜朗]]|[[海部俊樹]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[通商産業大臣]]|1989 - 1990|[[梶山静六]]|[[武藤嘉文]]}}&lt;br /&gt;
{{先代次代|[[大蔵大臣]]|第104代：1998|[[橋本龍太郎]]（兼任）|[[宮澤喜一]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつなか ひかる}}&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の弁護士]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の検察官]]&lt;br /&gt;
[[Category:長崎県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:埼玉県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1928年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>佐川一政</title>
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				<updated>2023-01-31T03:05:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''佐川 一政'''（さがわ いっせい、[[1949年]][[6月11日]] - [[2022年]][[11月24日]]）は、[[パリ人肉事件]]の元[[被疑者]]の日本人[[小説家]]。[[神戸市]]出身。[[和光大学]]人文学部文学科卒業、76年[[関西学院大学]]大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、80年[[パリ大学|パリ第3大学]]大学院比較文学専攻修士課程修了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祖父は[[朝日新聞]]論説委員、父は[[伊藤忠商事]]から出向の[[栗田工業]]元社長、[[佐川明]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
生まれた時は父親の手のひらに乗るほどの[[未熟児]]だった。出生1年後には腸炎を患い、[[カリウム]]と[[カルシウム]]の静脈注射で命を長らえるような状態であり、両親は果たして何歳まで生きられるかと心配したが、虚弱体質だったものの順調に成長していった。内向的な性格ということもあり、文学では『[[嵐が丘]]』『[[戦争と平和]]』などのほか、[[シェークスピア]]に興味を示し、音楽では[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]や[[ヘンデル]]を愛した芸術少年だった。すでに小学生の頃、幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされ、人肉を食することに興味を抱いていたといわれ、高校時代にはある精神科医にたびたび相談したが、取り合ってもらえなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした佐川の、一般常識から見れば異常な性癖はやがて表に表れることになる。和光大学在学時代には中年の[[ドイツ人]]女性宅に無断に入り、逮捕されたが、父親が支払った示談金により、告訴はされなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]に[[フランス]]に留学、パリ第3大学に在籍していたが、その最中の[[1981年]][[6月11日]]、佐川は同大学の女性留学生（当時25歳）を銃で殺害し、彼女の遺体と性交渉後、その[[肉]]を貪った（[[パリ人肉事件]]）。佐川は犯行を自供したが、[[精神鑑定]]の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不[[起訴]]処分となった。その後、アンリ・コラン[[精神病院]]に[[措置入院]]されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の[[唐十郎]]に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」（『文藝』1982年11月号）で第88回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1984年]]に帰国。[[東京都立松沢病院]]に入院。松沢病院側の診断結果では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論であった。金子副院長は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとコメントしている（Tokyo Journal[[1992年]]9月号）。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
15ヶ月後で退院し、マスコミに有名人として扱われ、小説家になったが、上記の通り日本の病院と警察がそろって刑事責任を追求すべきという方針であったのに、フランス警察の方針によりそれが不可能になった事から、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きた（週刊マーダーケースブック2号）。両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することなり、母親は神経症の病気を患ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[修士号]]を持っており&amp;lt;ref&amp;gt;多くの大学では内規で、犯罪行為など大学の名誉を汚す行為をおこなった者に対しては、学位を取り消す規定が設けられている。しかしながらかれは[[不起訴]]処分を受けており、現在彼が学位を保持し続けているかは不明である。&amp;lt;/ref&amp;gt;、修士論文のテーマは「[[川端康成]]と[[ヨーロッパ]][[20世紀]][[前衛芸術]]運動の比較研究」であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==エピソード==&lt;br /&gt;
*[[ローリングストーンズ]]が佐川のパリ事件を歌にしている。1983年の[[マキシシングル|12インチシングル]]「Too Much Blood」がそれである（12インチシングルとしては日本では未発売）。事件発覚時に[[ミック・ジャガー]]はパリに滞在しており、ニュースの全容を知り、ショックを受け、本作を書き下ろしたのだった。ジャケットはミック・ジャガーの驚愕の表情で、あたかもホラー映画の一場面のように恐ろしい映像である。通常バージョンは同年発売されたLP『[[アンダーカバー]]』B面1曲目にも収録されている（のちにCD化）。発売はいずれも[[ローリング・ストーンズ・レコード]]から。&lt;br /&gt;
*松沢病院退院後、ある[[落語]]会にゲストとして出席した。[[大喜利]]に出演するためである。楽屋は佐川が一歩足を踏み入れてから、重苦しい雰囲気に包まれた。あたかも楽屋全員が声を潜めて佐川の行動を監視するようである。テーブルに置かれた差し入れのお菓子を前にして、佐川が「これ、私も食べてもいいですか?」と言葉を発すれば全員がビクリと反応した。佐川が「この肉、固すぎてあまりうまくないですねえ」と感想を述べたらまたビクリと反応した。異常にピリピリした空気となっていた。&amp;lt;br&amp;gt;この会の出演者の一人で、奇行で知られる落語家の[[川柳川柳]]（六代目[[圓生]]の二番弟子）が楽屋に到着した。そのようないやな雰囲気を知らない川柳は、初対面の佐川を見るなり、肩を叩いて明るく声をかけた。「'''よぉ! [[食道楽]]'''（くいどうらく）!!」&lt;br /&gt;
*特殊漫画家の[[根本敬]]が、結婚後、東京圏西部の新興住宅地のマンションに引越ししたところ、すぐ近所に佐川が住んでおり、以後、親交を結んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『霧の中』話の特集、1984（彩流社、2002年5月）、ISBN 4882027461&lt;br /&gt;
*『生きていてすみません－僕が本を書く理由』北宋社 1990&lt;br /&gt;
*サンテ 角川書店, 1990&lt;br /&gt;
*カニバリズム幻想 北宋社, 1991&lt;br /&gt;
*蜃気楼 河出書房新社, 1991&lt;br /&gt;
*喰べられたい 確信犯の肖像 ミリオン出版, 1993 &lt;br /&gt;
*華のパリ愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド アイピーシー, 1994&lt;br /&gt;
*少年A ポケットブック社, 1997&lt;br /&gt;
*殺したい奴ら 多重人格者からのメッセージ データハウス, 1997&lt;br /&gt;
*まんがサガワさん オークラ出版, 2000&lt;br /&gt;
*霧の中の真実 鹿砦社, 2002&lt;br /&gt;
*業火 作品社, 2006&lt;br /&gt;
*極私的美女幻想 ごま書房, 2008&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共著&lt;br /&gt;
*狂気にあらず!? 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定 [[コリン・ウィルソン]],[[天野哲夫]] 第三書館, 1995 &lt;br /&gt;
*饗 カニバル コリン・ウィルソン [[柳下毅一郎]]翻訳・構成 竹書房, 1996&lt;br /&gt;
*『パリ人肉事件　無法松の一政』[[根本敬]] 河出書房新社, 1998&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出演作品&lt;br /&gt;
*『実録SEX犯罪ファイル』（1998-05-12・宇宙企画）&lt;br /&gt;
*『エロのから騒ぎ　～Much Ado About Eros～　第２期生』（2003-08-24・V&amp;amp;R）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[カニバリズム]]&lt;br /&gt;
* [[パリ人肉事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さかわ いつせい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:食人者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1949年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:神戸市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:性犯罪者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>佐川 一政</title>
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				<updated>2023-01-31T03:03:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''佐川 一政'''（さがわ いっせい、[[1949年]][[6月11日]] - [[2022年]][[11月24日]]）は、[[パリ人肉事件]]の元[[被疑者]]の日本人[[小説家]]。[[神戸市]]出身。[[和光大学]]人文学部文学科卒業、1976年[[関西学院大学]]大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、1980年[[パリ大学|パリ第3大学]]大学院比較文学専攻修士課程修了。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祖父は[[朝日新聞]]論説委員、父は[[伊藤忠商事]]から出向の[[栗田工業]]元社長、[[佐川明]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
生まれた時は父親の手のひらに乗るほどの[[未熟児]]だった。出生1年後には腸炎を患い、[[カリウム]]と[[カルシウム]]の静脈注射で命を長らえるような状態であり、両親は果たして何歳まで生きられるかと心配したが、虚弱体質だったものの順調に成長していった。内向的な性格ということもあり、文学では『[[嵐が丘]]』『[[戦争と平和]]』などのほか、[[シェークスピア]]に興味を示し、音楽では[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]や[[ヘンデル]]を愛した芸術少年だった。すでに小学生の頃、幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされ、人肉を食することに興味を抱いていたといわれ、高校時代にはある精神科医にたびたび相談したが、取り合ってもらえなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした佐川の、一般常識から見れば異常な性癖はやがて表に表れることになる。和光大学在学時代には中年の[[ドイツ人]]女性宅に無断に入り、逮捕されたが、父親が支払った示談金により、告訴はされなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]に[[フランス]]に留学、パリ第3大学に在籍していたが、その最中の[[1981年]][[6月11日]]、佐川は同大学の女性留学生（当時25歳）を銃で殺害し、彼女の遺体と性交渉後、その[[肉]]を貪った（[[パリ人肉事件]]）。佐川は犯行を自供したが、[[精神鑑定]]の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不[[起訴]]処分となった。その後、アンリ・コラン[[精神病院]]に[[措置入院]]されたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がる。佐川は劇作家の[[唐十郎]]に依頼するも、唐は佐川が望んでいなかった小説版「佐川君からの手紙」（『文藝』1982年11月号）で第88回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1984年]]に帰国。[[東京都立松沢病院]]に入院。松沢病院側の診断結果では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論であった。金子副院長は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとコメントしている（Tokyo Journal[[1992年]]9月号）。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
15ヶ月後で退院し、マスコミに有名人として扱われ、小説家になったが、上記の通り日本の病院と警察がそろって刑事責任を追求すべきという方針であったのに、フランス警察の方針によりそれが不可能になった事から、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きた（週刊マーダーケースブック2号）。両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することなり、母親は神経症の病気を患ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[修士号]]を持っており&amp;lt;ref&amp;gt;多くの大学では内規で、犯罪行為など大学の名誉を汚す行為をおこなった者に対しては、学位を取り消す規定が設けられている。しかしながらかれは[[不起訴]]処分を受けており、現在彼が学位を保持し続けているかは不明である。&amp;lt;/ref&amp;gt;、修士論文のテーマは「[[川端康成]]と[[ヨーロッパ]][[20世紀]][[前衛芸術]]運動の比較研究」であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==エピソード==&lt;br /&gt;
*[[ローリングストーンズ]]が佐川のパリ事件を歌にしている。1983年の[[マキシシングル|12インチシングル]]「Too Much Blood」がそれである（12インチシングルとしては日本では未発売）。事件発覚時に[[ミック・ジャガー]]はパリに滞在しており、ニュースの全容を知り、ショックを受け、本作を書き下ろしたのだった。ジャケットはミック・ジャガーの驚愕の表情で、あたかもホラー映画の一場面のように恐ろしい映像である。通常バージョンは同年発売されたLP『[[アンダーカバー]]』B面1曲目にも収録されている（のちにCD化）。発売はいずれも[[ローリング・ストーンズ・レコード]]から。&lt;br /&gt;
*松沢病院退院後、ある[[落語]]会にゲストとして出席した。[[大喜利]]に出演するためである。楽屋は佐川が一歩足を踏み入れてから、重苦しい雰囲気に包まれた。あたかも楽屋全員が声を潜めて佐川の行動を監視するようである。テーブルに置かれた差し入れのお菓子を前にして、佐川が「これ、私も食べてもいいですか?」と言葉を発すれば全員がビクリと反応した。佐川が「この肉、固すぎてあまりうまくないですねえ」と感想を述べたらまたビクリと反応した。異常にピリピリした空気となっていた。&amp;lt;br&amp;gt;この会の出演者の一人で、奇行で知られる落語家の[[川柳川柳]]（六代目[[圓生]]の二番弟子）が楽屋に到着した。そのようないやな雰囲気を知らない川柳は、初対面の佐川を見るなり、肩を叩いて明るく声をかけた。「'''よぉ! [[食道楽]]'''（くいどうらく）!!」&lt;br /&gt;
*特殊漫画家の[[根本敬]]が、結婚後、東京圏西部の新興住宅地のマンションに引越ししたところ、すぐ近所に佐川が住んでおり、以後、親交を結んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『霧の中』話の特集、1984（彩流社、2002年5月）、ISBN 4882027461&lt;br /&gt;
*『生きていてすみません－僕が本を書く理由』北宋社 1990&lt;br /&gt;
*サンテ 角川書店, 1990&lt;br /&gt;
*カニバリズム幻想 北宋社, 1991&lt;br /&gt;
*蜃気楼 河出書房新社, 1991&lt;br /&gt;
*喰べられたい 確信犯の肖像 ミリオン出版, 1993 &lt;br /&gt;
*華のパリ愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド アイピーシー, 1994&lt;br /&gt;
*少年A ポケットブック社, 1997&lt;br /&gt;
*殺したい奴ら 多重人格者からのメッセージ データハウス, 1997&lt;br /&gt;
*まんがサガワさん オークラ出版, 2000&lt;br /&gt;
*霧の中の真実 鹿砦社, 2002&lt;br /&gt;
*業火 作品社, 2006&lt;br /&gt;
*極私的美女幻想 ごま書房, 2008&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共著&lt;br /&gt;
*狂気にあらず!? 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定 [[コリン・ウィルソン]],[[天野哲夫]] 第三書館, 1995 &lt;br /&gt;
*饗 カニバル コリン・ウィルソン [[柳下毅一郎]]翻訳・構成 竹書房, 1996&lt;br /&gt;
*『パリ人肉事件　無法松の一政』[[根本敬]] 河出書房新社, 1998&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出演作品&lt;br /&gt;
*『実録SEX犯罪ファイル』（1998-05-12・宇宙企画）&lt;br /&gt;
*『エロのから騒ぎ　～Much Ado About Eros～　第２期生』（2003-08-24・V&amp;amp;R）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[カニバリズム]]&lt;br /&gt;
* [[パリ人肉事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さかわ いつせい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:食人者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1949年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:神戸市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%89%87%E5%B1%B1%E7%A5%90%E8%BC%94&amp;diff=403471</id>
		<title>片山祐輔</title>
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				<updated>2023-01-31T03:00:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:片山祐輔1.jpg|thumb|350px|片山　祐輔]] &lt;br /&gt;
'''片山 祐輔'''（かたやま ゆうすけ、[[1982年]][[5月10日]] - ）は、[[PC遠隔操作ウイルス事件]]の犯人。旧姓は丑田（うしだ）。[[学習院中等科]]&amp;amp;[[学習院高等科]]卒業、[[東京電機大学]]中退。猫好き。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
証拠不十分につき一時保釈され警察の誤認逮捕かとも言われたが、保釈中の本人からの偽装メール送信により、犯人であることが確定し自供した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親は[[IBM]]のエリート社員で、数学・鉄道関連の著作もある[[丑田俊二]]氏（1950年～2009年）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 東京・江東区の片山祐輔容疑者を逮捕 ==&lt;br /&gt;
PC遠隔操作ウィルス事件で、[[警視庁]]などの合同捜査本部は、[[2013年]][[2月10日]]、[[威力業務妨害]]の疑いで、[[東京都]][[江東区]]の片山祐輔（かたやま・ゆうすけ）容疑者（30）を逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は、[[2005年]]にも、「[[エイベックス・グループ・ホールディングス]]」を標的とした殺害予告を大手掲示板サイト「[[2ちゃんねる]]」に書き込んだとして逮捕された前科を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同容疑者は、2012年、遠隔操作ウィルスに感染させた[[愛知県]]内の男性のPCを遠隔操作し、「2ちゃんねる」上に「[[コミケ]]で大量殺人する」などと書き込み、運営者側の業務を妨害した疑いがもたれているため、今回の逮捕に至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同容疑者は、警察にメールを遠隔操作で送り、猫の首輪に遠隔操作プログラムなどが入った[[SDメモリーカード]]を仕込み、警察関係者を挑発するなどしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合同捜査本部は、遠隔操作ウィルスによりこれまで4名の誤認逮捕があったが、猫の首輪にSDメモリーカードを仕込む姿が防犯監視カメラに捉えられており、同容疑者とそっくりなため、犯人は同容疑者であると特定している。また、同捜査本部は、4名の誤認逮捕の経緯も含め、全容解明を目指すと発表している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 平成17年にも逮捕。大手レコード会社社長らの殺害予告容疑 ==&lt;br /&gt;
遠隔操作ウイルス事件で、警視庁などの合同捜査本部に威力業務妨害容疑で逮捕された東京都江東区に住む片山祐輔が、平成17年にインターネット掲示板に大手レコード会社社長らの殺害予告を書き込んだとして、脅迫容疑などで逮捕されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同罪などで起訴され、懲役1年6月の実刑判決を受けた。真犯人は神奈川県藤沢市の江の島で見つかった記録媒体に「以前、事件に巻き込まれたせいで、無実にもかかわらず人生の大幅な軌道修正をさせられた」などと残しており、合同捜査本部は警察などへの逆恨みから犯行を計画したとみて詳しい動機を調べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山はネット掲示板「２ちゃんねる」に仙台市の女児の殺害予告を書き込んだとして、宮城県警に17年10月に脅迫容疑で逮捕。同様に大手レコード会社社長に対しても殺害予告などをしたとして、警視庁に同年11月に再逮捕されるなどしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真犯人は昨年10月に報道機関などに送った犯行声明メールでも、「私の目的」として「『警察・検察を嵌めてやりたかった、醜態を晒させたかった』という動機が100％です」とつづっており、合同捜査本部が関連を調べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 「猫」「首輪」の検索履歴…PC遠隔(2013年7月) ==&lt;br /&gt;
パソコン遠隔操作事件で、威力業務妨害罪などで起訴された元IT関連会社社員・片山祐輔(31)が今年1月、事件で使われたウイルスの情報が入った記録媒体を首輪に取り付けた猫の存在が公になるその3日前、携帯電話で「猫　首輪」などと検索していた形跡があることがわかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側が10日、立証予定事実を記した書面や証拠などを弁護側に開示し、判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神奈川・江の島の首輪を付けた猫の存在は1月5日、「真犯人」から報道機関などに届いたメールで明らかになった。警視庁が片山の携帯電話を押収して解析した結果、同2日に「江の島」「猫　首輪」という言葉の検索履歴が残っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このほか、片山の派遣先のパソコンに、ウイルス作成に使われたコンピューター言語「[[C#]]（シー・シャープ）」を利用するためのソフトをインストールした形跡があったことや、「被告が派遣先でC#を使っていたのを見たことがある」とする元同僚の供述調書も開示された。被告側はこれまで、「被告はC#を扱う能力もない」と説明していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 現実空間に唯一残った痕跡、救われた警察。誤認誘う挑発。新たな「劇場型」異例の経過 ==&lt;br /&gt;
知らぬ間にパソコンが乗っ取られ、犯人に仕立て上げられる遠隔操作ウイルス事件が、誤認逮捕の発覚から約4カ月を経て、「真犯人」とみられる片山祐輔の逮捕という新局面を迎えた。捜査は全容解明に向けて大きく動き出したが、事件は警察の捜査力に大きな疑問符を突き付ける結果に。警察をあざ笑い、捜査を振り回した「新たな劇場型犯罪」を振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すべての始まりは[[2012年]][[6月29日]]、[[横浜市]]の[[ホームページ]]に書き込まれた、小学校への襲撃予告だった。[[神奈川県警]]は[[IPアドレス]]などから東京都内の少年の犯行と断定。県警は7月1日、[[威力業務妨害]]容疑で逮捕した。少年は逮捕後も「何もやっていない」と否認したが、送検後に一転して容疑を認める上申書を提出。[[家裁送致]]され、[[保護観察処分]]が決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月29日]]には[[大阪市]]などのHPに無差別殺人予告が届き、[[大阪府警]]が8月、[[吹田市]]内の男性を逮捕。その後も警視庁が幼稚園への殺害予告メールで[[福岡市]]の男性を、[[三重県警]]がネット掲示板「[[２ちゃんねる]]」に[[伊勢神宮]]への爆破予告を書き込んだとして津市の男性を、それぞれ逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「醜態さらさせたい」 ===&lt;br /&gt;
だが、9月下旬、事態が一変する。襲撃・爆破予告の書き込みに使われたパソコンから新種のウイルスが検出され、遠隔操作できる状態だったことが判明。大阪、津に続き、東京地検も逮捕した男性を釈放した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして10月、サイバー犯罪に詳しい落合洋司弁護士と報道機関に、犯行声明メールが届いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私が真犯人です」と題したメールは、13件の殺害・襲撃予告への関与を示唆。「『（警察に）醜態をさらさせてやりたかった』という動機が100％」ともつづっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察当局はメールに列挙された13件の犯行予告を実際に確認。[[10月18日]]には、警察トップの[[片桐裕]][[警察庁長官]](当時)が誤認逮捕を認める事態に発展した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4都府県警は合同捜査本部を設置し、誤認逮捕された4人に相次いで謝罪。検察は男性3人の[[起訴取り消し]]や[[不起訴処分]]の手続きを取り、少年の保護観察処分も取り消された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月に公表された捜査の検証結果では、インターネット上の住所にあたる「IPアドレス」を過大評価し、供述を十分吟味しなかった不手際を、それぞれの都府県警が認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 初めて見せた「動揺」 ===&lt;br /&gt;
真犯人は2012年11月、報道機関などに再度メールを送りつけた。「ミスをしました。ゲームは私の負けのようです」などとし、自殺をほのめかす内容だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時点で、合同捜査本は真犯人が8月下旬、匿名化ソフトを使わずにネット掲示板に書き込むミスをしていたことをつかんでいた。真犯人が初めて見せた「動揺」だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、真犯人が動き出したのは、年の改まったばかりの元日午前0時すぎ。[[産経新聞]]記者などに「謹賀新年」と記したパズル形式のメールが送られてきた。解読していくと、袋に入れられた記録媒体の写真が出現。合同捜査本部は写真の位置情報などから[[東京都]][[奥多摩町]]の[[雲取山]]の山頂付近を捜索したが、記録媒体は見つからなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1月5日]]には「新春パズル～延長戦～」とするパズル付きのメールを送信。真犯人が示唆した通りに[[神奈川県]][[藤沢市]]の[[江の島]]で首輪の付いたネコが見つかり、記録媒体が回収された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真犯人は5日のメールで「もうメールはしない」と終結を宣言したが、江の島の防犯カメラがネコと接触する片山をとらえていた。警察当局は結果的に「現実空間」に残した唯一の痕跡に救われる形となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 捜査の壁にいらだつ捜査本部「ネコに首輪つけただけ」ウイルス一致で急展開 ==&lt;br /&gt;
「ネコに首輪をつけただけで、何の罪に問えると言うんだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警視庁と大阪府警、神奈川、三重両県警の合同捜査本部はいらだっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遠隔操作ウイルス事件の威力業務妨害容疑で逮捕された東京都江東区の会社員、片山祐輔(30)の存在は1月中旬、既に浮上していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同月5日に産経新聞記者などに送りつけられた「真犯人」からのメールに、神奈川県藤沢市の江の島のネコに首輪をつけたことを示唆する内容があり、防犯カメラの解析から片山容疑者が特定されたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「上層部が、『早く逮捕しろ』と注文をつけてきた。だが、防犯カメラで判明したのは、ネコに首輪をつけた人間であって、誤認逮捕してしまった4人のパソコンを遠隔操作した人物そのものではない。そんないらだちが、現場の捜査員にはあったんです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察関係者は、こう打ち明ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、警察は4人を誤認逮捕した上、2人には自白まで強いたことで、異例の謝罪や捜査の検証結果公表を余儀なくされたため、“メンツ”を保ち、起死回生を図りたい思いがあり、それが警察上層部の早期逮捕の指示の背景にはあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ウイルスが一致 ===&lt;br /&gt;
「いくつかの新聞社やテレビ局が、片山の存在に気付きつつあるようだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察幹部は、焦りを募らせていた。2月に入ると、片山が「ネコに首輪をつけた人物」として特定されたことに、報道各社が気付き、片山容疑者宅周辺の取材に動いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、ウイルスの設計図とされる「[[ソースコード]]」を記録した[[マイクロSDカード]]（記録媒体）付きの首輪をネコにつけるよう、「知らない男に頼まれた」と片山が“言い訳”をすれば、それを覆すだけの材料を、合同捜査本部は持ち合わせていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それだけに、逮捕への決め手がないまま片山の存在を報道されることを、警察幹部は恐れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「片山がウイルスの『設計図』を持っていたことなどを根拠に、ウイルス保管罪の適用も考えました。でも、ウイルス保管罪は他人に“感染”させる目的があることを立証する必要がある。検察は首を縦に振りませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察関係者は現場の苦悩を、こう振り返った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ウイルスが愛知のPCを遠隔操作していたものと一致したことで、捜査は急転直下で進展することとなったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大きな十字架に ===&lt;br /&gt;
警視庁には現在、「捜査支援分析センター」という聞き慣れない部署がある。平成21年4月の組織改編で刑事部に置かれたものだが、その任務の中核の一つが「画像解析」だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年11月に[[東京都]][[板橋区]]で主婦が刺殺された強盗殺人事件など、あまたの事件で防犯カメラが威力を発揮しており、その画像を解析して、事件解決に貢献しているのが、同センターなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[2005年]]にロンドンで起きた同時爆破テロでも、防犯カメラが威力を発揮した。防犯カメラは、捜査ツールとして世界中で必要不可欠なものとなっています」（捜査幹部）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、一方で遠隔操作ウイルス事件は、後手後手にまわったサイバー捜査に大きな課題も突き付けた。警察幹部はつぶやく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「結局、従来通り防犯カメラに頼って容疑者にたどり着く捜査になってしまった。サイバー捜査で容疑者を割り出せなかったことは、警察にとって大きな十字架になるかもしれない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前代未聞の誤認逮捕を生んだ遠隔操作ウイルス事件が、全容解明に向けて大きく動いた。汚名返上を図りたい警察当局の捜査は、どう進められたのか。その流れを追ってみた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== いじめのつらい過去。裁判傍聴ライター「裁判官の言葉、届かなかったのか…」 ==&lt;br /&gt;
「いじめられていた」「殴られたり蹴られたり…」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遠隔操作ウイルス事件で、威力業務妨害容疑で逮捕された片山祐輔は平成18年、[[脅迫罪]]などで実刑判決を受けたことがある。その公判では、片山が少年時代から経験したつらい過去の一端が明らかにされた。傍聴した裁判ライター、[[阿曽山大噴火]]さん(38)は、片山の更生を願う裁判官の姿を思い出すという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あの時の男か」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
阿曽山さんは片山逮捕を知り、かつて傍聴した裁判の記憶がよみがえった。当時の取材ノートには“生きづらさ”や“孤独”を抱えた姿が記録されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法廷で証人となった母親は「中学に入ると学校での出来事を話さなくなり、表情もなくなった。逮捕後、初めていじめられていたことを明かされた」と証言。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山も「殴られたり蹴られたり、のこぎりで頭を切られたりした」と話した。阿曽山さんは「心配させたくない気持ちもあったのだろうが、逮捕でいじめを知るなど親子のコミュニケーションは十分ではなかったようだ」と振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公判で片山は生きる苦しみを淡々と語った。起訴事実を認めた上で、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大学でサークルに入ったが『空気が読めない。ノリが変』と言われ、友達ができなかった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分は企業が求める人物像と違う。社会に必要ない人間だと感じ、むしゃくしゃしていた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ネットで注目されたかった」と打ち明けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな片山に対し、検察官は「人間関係を改善しようとする努力が足りない」などと厳しく批判。阿曽山さんは「検察官は一方的だった。片山は反抗的な態度こそ見せなかったが、検察への怒りが、今回の動機になった可能性がある」と推察する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
阿曽山さんの目には、裁判官は片山の更生を親身に願っているように映った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人付き合いが苦手なのは個性だ。できる仕事はある」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「世間に迷惑をかけない生き方をすべきだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「見えを張る必要はない」。そう諭し続けたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1年半の懲役後、片山はIT会社に就職し、職場には友人もいたとされる。裁判官の言葉通り、更生は順調そうに見えたが、やはり同じ過ちを繰り返したのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「裁判になれば傍聴したい」という阿曽山さん。片山が真犯人であったのか、そうであれば何が本人を突き動かしたのかを見極めるつもりだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ちらつく過信と自己顕示欲。現実空間に現れて墓穴 ==&lt;br /&gt;
遠隔操作を行っていた直接的な証拠がない中、警視庁などが片山祐輔の逮捕にこぎ着けた。逮捕前日の9日夜まで「早期逮捕」を主張する警察と、「時期尚早」とする検察がぶつかり合う一方、片山は同じ日、後手後手の捜査を感じ取っていたかのように東京・浅草の「ネコカフェ」にいた。「サイバー空間」から「現実空間」に姿をさらすミスを犯したとみられる片山。その心中には「過信」と「自己顕示欲」がちらつく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は9日、放し飼いにされたネコと自由に触れ合える空間で、ネコを抱きかかえ、猫じゃらしで遊ぶ姿が目撃されていた。2日前にも別のネコカフェを訪問。店の従業員は「ほかの客との接点はなかった」と振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真犯人は動機やウイルスの「設計図」など、証拠が詰まった記録媒体を「現実空間」である江の島のネコに託した。防犯カメラにはネコと片山が戯れる様子が写っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は、[[学習院中等科]]及び[[学習院高等科]]を卒業後、[[東京電機大学]]を4年で中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
専門学校でパソコンを学んでいた平成17年には、大手レコード会社社員への殺害予告事件で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「『のまネコ』の使用を即時中止しろ。さもなくば社員を刃物で殺害する」。レコード会社のネコを模したキャラクターが、ネット掲示板「２ちゃんねる」に登場するネコのイラストに似ているとしてネット上で要求した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両事件に共通するのは強い「自己顕示欲」だ。犯罪心理学に詳しい元東海学院大教授の長谷川博一氏は「人間関係が希薄で、思考や好みが偏りやすい性格」と推察。「人間関係が苦手な部分を、ネコで補っていたのではないか」と指摘する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20年2月から勤務しているIT関連会社によると、片山は2012年12月から病気を理由に休職。社長の目にも「マニアックで思い込みが強い」と見えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
報道機関などに送りつけられたメールは、警察を小ばかにする内容が徐々にエスカレートした。長谷川氏は「自己顕示欲が強まり、ミスするまで警察への挑発を続けざるを得なくなったのではないか」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==片山の意見書==&lt;br /&gt;
※誤字もそのまま掲載&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この機会に、私の現在の率直な心境を、裁判官・検察官の方に聞いていただきたいです。私が２月10日に自宅から拉致され、監禁され続ける生活が、すでに227日目になります。家族と会うこともできません。私は絶対、犯罪になど関わっていません。227日。無実の人間を拘束することを許せる日数ではありません。この失った時間を誰が返してくれるのでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京拘置所での毎日の暮らしは、「生活」とは言えません。1日の大半を部屋に閉じこめられ、ただ待たされているだけの毎日です。１ヶ月にたった１回のこの公判前整理手続も、あまり進展しているように思えません。１ヶ月、また次の１ヶ月、出口の見えないトンネルの中で前進すらしていない、そんな気分です。毎日が無為に過ぎていくこと、苦痛というより痛みそのものです。拷問と同じです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
健康上、必要な診察も、東京拘置所では満足に受けられません。歯科は申し込んで２ヶ月待たされました。また、私は斜視が進行中のため、半年に一度眼科で検査を受け、矯正用のプリズム入りメガネを処方してもらわないといけないのですが、東京拘置所の眼科では、そういった特別な検査はできないと言われました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一体いつ「日常」に帰ることができるのか。父が死んでから４年、母と２人で生活してきました。その平穏な生活がこのような形で破壊されるなど想像もしていませんでした。現在私がいる立ち位置から見れば、これまでの平凡で平穏な生活が何より貴重で幸せなものだったのだと感じています。母は私の無実を信じてくれていて、帰りを待ってくれています。母のためにも、１日でも１秒でも早く帰りたい、帰らないといけないと、いつも強く思っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人生という観点から見ても、私は現在31才です。30代という時期、将来のために、キャリアを積み重ねなくてはなりません。その貴重な時間を、なぜ自分はこんなところで浪費させられているのか？という焦りでいっぱいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本当に、監禁された毎日が、ガマンできないレベルに達しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この裁判の争点は、「犯人性」の部分だということは、理解しています。雲取山や江ノ島に関する矛盾については、弁護人が主張してくれているとおりなので、ここでは触れません。私の使用したPCに、断片的ながらも何らかの痕跡があるとされていることについて、私から補足的にコメントしたいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、検察の証明予定事実には、全く覚えのない検索履歴や、ダウンロード・起動した覚えのないソフトウェアの記録について言及されています。それが1ヶ所１台のみのPCからではなく、私の職場、自宅から出ていて、またネットカフェからの通信記録もあるとのこと。片山が触ったPC複数がそう都合よく同じ犯人に利用されるわけがない、だから片山が犯人だ、というニュアンスが、検察主張からは読み取れます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これについて、ひとつ心当たりがあります。私は、USBメモリによく使うポータブルアプリケーションをいくつも入れて持ち歩いていました。ポータブルアプリケーションとは、PCにインストールすることなく、USBメモリから起動できるソフトです。Webブラウザやメールソフト、圧縮解凍ソフト等です。自宅では複数のPCを使っていて、またネットカフェ等で使う際も、各ソフトの環境設定をそのまま使い回せるので重宝していました。職場ではUSBメモリの使用が禁止されているので、USBメモリの中身と同一のコピーを、オンラインストレージを利用するなどして職場PCに転送し、同様に使っていました。それら、よく使っていたポータブルアプリケーションの中のどれかがウイルス感染していたとしたら、複数のPCが感染してしまった可能性が高いです。iesysそのものなのか、もっと別のウイルスなのかは分かりませんが、遠隔操作および画面監視を受けていたのだと思います。私が雲取山や江ノ島に行こうとしていた、また行ったことを、犯人は把握できていたと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は無実です。無実である以上、証拠には、現時点で弁護人が指的してくれている部分以外にも、多数の矛盾が隠れているはずです。私は自分自身でそれら大量の証拠に全部目を通し、矛盾点を指的していきたいです。しかし囚われの身である現在、それは困難です。限られた面会時間に、フォークリフトでも無いと運べない量の証拠書類を全て打ち合わせすることは不可能に近いです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
保釈が認められ自由の身となれば、そういう積極的な活動をして無実を証明したいです。それをさせないために、「罪証隠滅の怖れが」などと理屈を付けて、保釈を妨害する検察に対しては強い怒りを感じます。隠滅できる証拠など無いということを検察も分かってはいるのでしょう。既存の証拠の矛盾を見つける活動まで、検察の論理では「罪証隠滅」と言うのでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初公判が始まれば保釈を認めていただけると思っていますが、それでは遅いのです。争点整理が行われていて主張を固めなくてはならない現時点で自由に動けるようにならなければ、フェアな戦いができません。ここに来て「人質司法」という言葉の意味をよく理解できました。権力側が、無実を主張して戦おうとする人を鎖でしばりつけて一方的に殴り続けるのと同じ行為だと理解しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私のシンプルな今の願いは、早く解放されたい、家に帰りたい、日常に戻りたい、それだけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大野裁判長、北村裁判官、大西裁判官には、最終的には公正で完全な無罪判決を出していただけることを確信しています。どのような妨害があれど、私が無実である以上、無罪という決論に収束するものと確信しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 名門・学習院の中・高等科を卒業後、東京電機大学に進学、父親は元IBMのエンジニア丑田俊二 ==&lt;br /&gt;
オタク風の人物がひも状のおもちゃでネコをあやし、満面の笑みで膝に抱きかかえてなでる。時に生ビールをすすり、携帯電話でネコを撮影?。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕前日、自らが報道機関に尾行されていることも知らず、東京・浅草の「猫カフェ」でくつろぐ容疑者の姿。NHKなど、大手メディアで紹介された「PCなりすまし事件」の真犯人、片山祐輔容疑者(30歳・以下呼称略)の映像や写真に驚きを覚えた人も多いのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無断で撮影された同店の店長が言う。「たしかに2月9日の午後3時頃から約1時間、ソファ席に座りました。生ビール1杯を注文して、ネコと楽しそうに遊んでいた。ネコ好きのお客様という以上の印象はありません。困惑しているのは、マスコミ3社に店内で盗撮されたことです。報道後、『お前の店が盗撮してマスコミに売ったのか』というクレームが殺到しています。うちは勝手に撮られただけなのに・・・・・・。NHKさんには『映像を使わないでください』と申し入れました。そもそも、逮捕前にもかかわらず、なぜマスコミは犯人をつけていたのか、疑問です」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜ犯人を知っていたのか。それは、他ならぬ警察が、マスコミに事前に伝えていたからだ。警察の捜査を嘲笑い、ついに逮捕された片山とはどういう人物なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は名門・学習院の中・高等科を卒業後、東京電機大学に進学。4年時に退学してコンピュータの専門学校に進んだ。高校時代の同級生が印象を語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「当時の彼は存在感がありませんでした。こんな大きなことをしでかすような人とは思えなかった」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親の[[丑田俊二]]氏はIBMにエンジニアとして勤めるかたわら、アマチュアの数学研究者として著述業も行っていた。福島大学経済学部経営学科→日本IBMにSEとして入社→人事部に異動したエリート社員。本業以外にも鉄道や数学関係の著書を出版している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年1月定年を目前に急死。祐輔は父親が死亡した際に丑田から片山に改姓、それまでと同様に母親との生活を続け、2歳違いの弟は結婚して実家を離れた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のまネコ事件でも父親は1800万円を[[エイベックス]]に支払ってる。父親は証人尋問でエイベックスの被害総額1800万円も「できる限り被害弁償したい」と述べた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 精神科女医のつぶやき 片田珠美(23)世の「非モテ男」に捧ぐ ==&lt;br /&gt;
遠隔操作ウイルス事件で逮捕された片山祐輔容疑者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年1月、この連載の19回目で取り上げた遠隔操作ウイルス事件で、容疑者の男が逮捕された。容疑を否認しており、真相は捜査の進展を待たねばならないが、モテなさそうというのが第一印象である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういえば、2012年10月に連載8回目で取り上げた[[ｉＰＳ騒動]]男も、モテそうになかった。彼が性愛的に満たされていたら、虚言によって自己愛や自己顕示欲を満たそうとするようなことはなかったのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろん、モテないから反社会的行為に走るというのはあまりにも短絡的な発想だ。だが、モテるか、モテないかは、特に男性にとって、「レゾン・デートル（存在価値）」に関わる一大事のようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たとえば、今日は[[バレンタインデー]]だが、チョコがゼロだったらどうしようという不安を抱いている男性が多い。こうした男性心理を利用して、キャバクラなどでは、「あなただけよ」という甘いささやきとともにバレンタインチョコが手渡されるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なかには、「バレンタインデー粉砕デモ」を実施する「革命的非モテ同盟」のような団体もある。「日本におけるリア充（＝現実生活が充実している人）バレンタイン文化に反対するため」という目的には、モテない男の恨みつらみがこめられているように見える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 警察、事実上の敗北宣言。ウイルス作成容疑での立件見送り(2013年6月) ==&lt;br /&gt;
一連のPC遠隔操作ウイルス事件で逮捕・起訴された元IT関連会社員・片山祐輔（31）が6月10日、2012年8月に他人のPCを操作して[[AKB48]]への襲撃予告を書き込んだとして追送検された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまで片山は威力業務妨害やハイジャック防止法違反など7件の事件で逮捕・起訴されていたが、この追送検で捜査は事実上の終結。事件の本丸である「ウイルス作成容疑」での立件は見送られることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山が関わったとされる事件は、当然ながら全て遠隔操作ウイルスが絡んでいる。にもかかわらず、肝心のウイルスの出どころが解明できなかったのは致命的だ。確かな物証を得られないまま捜査が終了したことは、警察の事実上の敗北宣言ともいえるが、これについて捜査関係者は「片山が取り調べを拒否し、供述を得られなかったため」と説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、これは事実と異なる。片山は取り調べそのものは拒否しておらず、あくまで「録画・録音しなければ取り調べに応じない」と頑なに主張していただけだ。それを拒んで実質的に取り調べを拒否していたのは当局側である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「証拠が完全にそろっていない状態で見込み逮捕し、取り調べで心理的プレッシャーを与えて自白を引き出すという昔からの手法から脱却できていない。取り調べ可視化は現在議論中の案件ではあるものの、実際にこういった自白ありきの案件で録画・録音されて困るのは捜査側。そんな強引な取り調べは現在も行われている。たび重なる再逮捕で4ヶ月も勾留し、彼の社会的地位を脅かすことでプレッシャーを与えたが、片山は最後まで折れなかった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2014年3月保釈 ==&lt;br /&gt;
[[Image:片山祐輔2.jpg|300px|thumb|保釈された片山祐輔]]&lt;br /&gt;
[[Image:片山祐輔3.jpg|300px|thumb|保釈された片山祐輔]]&lt;br /&gt;
[[Image:ゆうちゃんを救う会1.jpg|300px|thumb|ゆうちゃんを救う会]]&lt;br /&gt;
[[Image:ゆうちゃんを救う会2.jpg|300px|thumb|ゆうちゃんを救う会]]&lt;br /&gt;
[[Image:ゆうちゃんを救う会3.jpg|300px|thumb|ゆうちゃんを救う会]]&lt;br /&gt;
[[Image:ゆうちゃんを救う会4.jpg|300px|thumb|ゆうちゃんを救う会]]&lt;br /&gt;
[[Image:ゆうちゃんを救う会5.jpg|300px|thumb|ゆうちゃんを救う会]]&lt;br /&gt;
5日夜、[[東京拘置所]]に勾留されていた片山祐輔が保釈され、[[司法記者クラブ]]で会見を行った。片山被告は、[[伊勢神宮]]への爆破予告など10件の事件ーいわゆるPC遠隔操作事件で逮捕・起訴されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4日の段階で一度認められていた保釈だったが、検察側の不服申し立てで停止に。さらにきょうになって検察側の手続き上のミスが発覚し、高裁があらためて勾留の停止を決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''冒頭発言'''&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
この1年間、本当に緊張と、いろんなことの連続で本当に疲れ果てました。まだまだ闘いは長いですけれど、頑張って闘っていきたいと思います。無罪を取るところがゴールということで、現時点はまだ道半ばだと思います。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''質疑応答'''&lt;br /&gt;
ー保釈された、今の印象は。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：やっぱり正直に申し上げるとストロボが眩しいです（笑）。拘置所を出るところから目が痛いです。そういった意味でも、気持ち的な意味でも、自由というのは眩しいものだなと。夜なのに眩しいです（笑）。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤博史弁護士：ジェットコースターのようだったよね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：昨日、午後2時くらいに小池弁護士の面会がありまして、高裁が保釈を認めるということで、「今日中に出られる」という風に思っていたところ、呼び出しが来ない来ない来ない…。もう夕食も抜いて、悶々としていたところ、午後７時過ぎくらいに刑務官から告知があって、高検の検事が最高裁に特別抗告したので、保釈が止まっちゃったと言われ、それでもうがくっときて。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨日の午後から、今まで情動の上下が激しいという状況でしたが、出てくることが出来てよかったです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：朝からの経緯は？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：今朝、裁判所に着いて、弁護人と面会して、特別抗告されて執行が停止されたという経緯の説明は受けました。&lt;br /&gt;
お昼を食べて出廷した後でOKが出たというところで、良かった〜、という感じですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー無罪を訴える気持ちをお話いただきたいのですが。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：私はやってない、身に何の覚えもない。本当に１年と20日くらい前ですね…毎日ノートに日数を書いていたので、今日で389日目になりますが、まさに&amp;quot;寝耳に水&amp;quot;の家宅捜索と逮捕でした。昨年の２月10日は。警察とマスコミから尾行を受けていたことすら全く気づいていなくて、前日に行った猫カフェで正面から写真を撮られていることにすら気が付かなかったです。寝耳に水の逮捕でした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー裁判では他に真犯人がいて、むしろ遠隔操作されていたと主張されていましたが。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：身に覚えのないアクセス履歴のようなものが多すぎる。たとえば事件に関する報道についてものすごく多く見ていると。検察側は「多数」とか「頻繁に」アクセスしたと主張していているんですが、遠隔操作事件が騒がれ始めた頃、Yahoo!ニュースのヘッドラインをクリックして見ていたことはありますが、多数と言われるほどは見ていない。記録を精査してもらったところ、何万回という、人力では不可能な回数、報道記事をアクセスして見ているということだったとか、落合弁護士のブログや部落解放同盟のサイトを見たとか、全く覚えがないんです。そういう見に覚えがないアクセス記録があるということは、やはり遠隔操作されていた可能性が高いのではないか、それしか考えられない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー真犯人が別にいると？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：はい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー真犯人に言いたいことは？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：自首して欲しいですが、それが無理なら、「片山さんが犯人ではないですよ」的なアクションをしてくれることを１%くらいは期待しているのですが、結局１年経っても何もしてくれないわけで。ラストメッセージで言っているとおりで、犯人は何が起こっても静観するのかなと、そんなふうに思っちゃったりもしています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーメディアにも随分いろいろなことを書かれてきたと思います。例えば首輪付けるところの決定的な場面があるとか、そういうような今までの報道について思うこと、メディアの人達に言いたいことは？また、これからやりたいことは？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：メディアの方に対しても、ちょっと、正直な気持ち、怒りたい気持ちはあります。でもやはり警察発表ですね、「嘘の大本営発表」と私は呼んでいますけど、ありもしないものが出たと、そうやってメディアの人を騙した警察が一番悪いのではないかとも思います。もちろん一番悪いのは真犯人だと思いますけど…。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これからのことは、やはり、私はIT業界で仕事をしてきて、私に出来る仕事といえばITくらいしかないので、この先どうやって生きていこうか、IT業界に戻るのは難しいのではないかと思っていますが、しばらく執筆なり講演するなり、そういったことで食べていけたらいいなと思っています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーこれから数日は？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：おいしいものを食べて、ゆっくりお風呂に入って、自由を満喫したいです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：去年、2月10日に逮捕されたあと、私に「桜の花見はできますか」と言っていましたが、今度は本当にできそうですね。私が庭の桜の枝を折ってきて、今年の花見はこれだよって、接見室で花を見たんですけど（笑）。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー2回の公判出られて、検察の主張への感想は。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：これまでの公判前整理手続きが多数回行なわれて、証明予定事実というのが出てきていて、検察の主張はすでに見ていて、新しい事は言っていないなと。なので、公判が始まったから、検察の言っていることに対して印象が変わったといったことはないですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー検察が言っていることを聞いていて、ああいうことで犯人にされちゃうのかなという不安があったと思いますが。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：そうですね。いろいろな面で証拠上矛盾しているところがあると思う。たとえば江ノ島の猫の首輪から出てきたDNAは別人のものだったりとか。様々な面の矛盾点がそこかしこにあるにも関わらず、屁理屈で誤魔化していると。「他人のDNAが混入しただけだ」とか。そもそも私のDNAが出ないことが重要なわけで、他人のDNAはどうでもいい。そういう論調で、屁理屈で証拠の矛盾をごまかしていると思います。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー今後、そういうことも積極的にメディアに対しても発信していきたい？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：そうですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー佐藤弁護士：データの解析を特別弁護人と行なわなければならない。片山さんのパソコンの中から出たものをデータベースの形で持っているので、その解析の作業がとりあえずのすごく大事な作業で、きょうの証言を破る、自分が遠隔操作されてたんだという根拠を見つけていくんだ、という話をしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：自分もあまりウイルスとかセキュリティの知識は無いですが、自分の使っていたパソコンのことですので、やはりおかしいところがあれば、特別弁護人ではなく、まず自分で気づくべきだと。何かおかしいところを少しでも探してきたいと思っています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー犯人への心当たりのようなものは？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：ないですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー検察側は、パソコンにウイルスを作成した途中の形跡が残っていると。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：やはり私のPCが遠隔操作されていた以上、何が合ってもおかしくないわけです。ファイルを置くのも盗むのも、消すのも自由だったわけですから、犯人が使ったウイルスはiesys（アイシス）だけとは限らないと思います。そこら辺で拾ったウイルスを亜種みたいな形にして使っていたのかもしれませんし、今後解析してみなければわかりませんけれども、何らかの形で、iesysまたはiesys以外のウイルスで操られていたことが100%だと思います。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーそのときは、自分のパソコンが遠隔操作されていると、そんなことは夢にも思わなかった？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：全くわからなかったです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー検察側としては遠隔操作は無い、という主張をしている。ありえないことはないと思う？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：そもそも「ファイル・スラック」という言葉自体は今日知ったのですが…まあ原理を聞いた限り、上書きされて残ったスペースなわけなので、遠隔操作されて、ファイルを置かれて、消されて、他のファイルが上書きされて、残ったスペースにデータが残るということは十分ありうることだと思うんです。遠隔操作ではファイル・スラックのスペースは自由に残せないという主張は良くわからないというのが正直なところです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：さきほどiesysを作成する途中のファイルが見つかったと言ったけれども、私たちの理解が正しければ、iesysのソースコードが送られてきために、iesys自体の保存先のフォルダがFというのがはわかってた。それで、片山さんの派遣先のPCを見たら、本来のフォルダと違うFがあったという説明があって、それが極めて特殊なフォルダだと言ってたんだけど、片山さんからは見えないフォルダですよ。そこに上書きをすると、ファイル・スラックというところに残るだけの話なので。だからFにいかにも意味がありそうで結びつくんだけど、片山さんからは全く見えないフォルダですからね、そこに犯人がそこにアクセスして何度か上書きしてれば、ファイル・スラックに痕跡は残ると。iesysたどり着く文字列が共通してたからiesys関連のものだと言っているだけですよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：まあ、Fに心当たりが無いわけではないんです。一応、自前で持ち込んでいたポータブル・アプリケーションを起動するのに、TrueCryptボリュームを使ったり、サブストコマンドを実行してりして、仮想ドライブという形で使うことはしていたんです。その際にFドライブというのに心当たりがないわけではないんです。ただ、vprojフォルダなどは隠しフォルダになっていたので、自分では見えなかった。佐藤先生の主張を訂正させていただきます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：それが検察の主張のキーだということは今日の証人でわかったのだが、犯人がそういうことをすれば断片は残る。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：そうですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー無罪を取る自身はありますか？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：もちろん。それ以外は考えていません。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー片山さんと面識のある人物と言う可能性は。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：ないのではないかなと。私が想像しているのは、犯人がiesysではないウイルスを何十人にもばらまいていて、その何十人かを調べていたところ、前科のある私を見出した、じゃあこいつをスケープゴートにしようと、仕立てあげていったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー江ノ島と雲取山についての説明は？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：ただ普通に行っただけなんです。冒頭陳述でも言いましたが、雲取山については１ヶ月前からネットで下調べしていたので、犯人が私の画面を監視していたりすれば、私がそこに行こうとしていることを掴むことはできると思います。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー１時間の冒頭陳述をなぜ自分でやりたいと？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：弁護人の勧めですが、自分で言いたいこともいくらでもありましたし、やってよかったと思っていますけども、前例の無いことだという説明は受けました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：片山さんは相当努力してくれたんですね。テーマも与えて、少しずつ作って行って。面会もして。いい経験になったと思う。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーもし自分が犯人だったら絶対これは無いなと言えるようなものはあれば。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：まあ、雲取山ですね。埋められなかった。スコップなんか持ってなかった。山頂に複数の人がいて、それなりに交流もあって、人が横で鍋出している所で穴を掘っていたら目立ちますよ。私が滞在してた3、40分に、最初は３人、多い時には６、７人にはなっていて、山頂で一人になったことはない。私はコンビニおにぎりで食事を済ませたんですけど…。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー検察から特別抗告という手続きが踏まれたことについて &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：やはり最後の悪あがきという風にしか思えませんでした。何がなんでも外には出すまいという姿勢が感じられます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー勾留が長くて、気持ちが折れそうになったことは？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：ないですね。早い段階で佐藤弁護士と知り合えたことが大きかった。とりあえず拒否しなさいと。検察の取調官と人間関係を形成するまえに、弁護士と仲良くなっておけたので、いい方向になったのかなと思う。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：ほんとに感謝しないといけないのは隣の竹田真弁護士ですからね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：たまたま当番弁護士として来て頂いて、最初の２ヶ月間、土日も休まず、一日も休まず面会にきてくださいまして。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：私は厳しい父親みたいな感じだったんだけど、甘えられる竹田さんのサポートがあったんだね（笑）。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー検察が外に出したくないのはなぜだと思う？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：冒頭陳述でも言いましたが、「鬼殺銃蔵(おにごろしじゅうぞう)２」のアカウントは生きている。仮に私が犯人だったら、そのメールアドレスを使って、私が真犯人ですよというようなメール出すような工作をするのではないか。検察はそこを恐れているのだろうな思います。でも私はパスワードも知らないので、何の手出しもできない。検察の言葉で言うなら、虚偽の真犯人を作り出すおそれがあるということではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分のパソコンには各種アカウントのパスワードをメモしてテキストにして置いてあったんで、それが盗まれてたならやりたい放題ですね。たとえば、iesysのテストに使われた、「したらば」のオート6682のアカウント、確かに私が開設したものなんですが…。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー保釈保証金1,000万の原資は？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：それはお母さんが出してくださいました。昨日連絡を受けて、すぐ用意してくださいと。事前に裁判所から言われたのは1000万円で大変だったんですけど、すぐお母さんが準備してくれて、私のところに振り込まれて。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーいま、法廷に立たれている際のご心境は？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：まだ本格的に追及はされていないといいますか、今後、被告人質問なんかでの追及は心にダメージを受けそうですけど、捜査段階では早い段階で取り調べを拒否してしまっていたので、検察官からの追及という点で、このひと言ってることおかしいというのは、去年の３月５日…まさに今日ですね。水倉検事の取り調べだけですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後検察官が私と直接対面して、どう言って来るのか、それにどう対応するか、ちゃんと心構えをしなければいけないなと思っています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：3月5日、ものすごく疲れましたと言ったので、ダメージ受けたのかなと思ったんですけど、随分反論をしたんですけどいろいろなことを言われちゃったと。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーどんなことを？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：もう証拠の評価からすると有罪だ。君はどうするのが得か考えてみなと。やっているけど認めないか、やっていないから認めないか、いくつか選択肢があるけれど、どうするのが得か考えてみなとというところから始まって。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その前の私は特捜部所属だ。今は刑事部に応援に来ていると。それ自体は威圧的ではなく、ただの自己紹介だったかもしれないが、その後もいろいろと…例えばC#に関するスキルも、僕はウイルスなんか作る能力ないと言っても、こっそり勉強してた可能性もあるっていうので、そんなの悪魔の証明ですよって言い返してやったんですけどね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも水倉検事は雲取山を知らなかった。あまりメジャーでない山に、犯人と同じ山に偶然に登った、おかしいじゃないかと言ったんですけど、いや雲取山知らないんですか？東京都最高峰ですよ？と言い返してやりました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういうことの言い返しの連続で疲れました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ーお母様にはどんなことを？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：まあ…ただいまと。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士：家族で最初に会ったのは、車の後部座席で握手した弟さんです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー弟さんとは？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：世間話程度ですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー過去の冤罪について勉強したことは？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：はい。たとえば足利事件、松本サリン事件についても、本を差し入れてもらったり、国策捜査関連ですね。鈴木宗男さんや佐藤優さんの。読書はここ1年で500冊は超えていると思います。江川さんの書かれた村木さんの事件も熟読しました。本の差し入れは竹田先生が…。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹田弁護士：だいぶ漫画も多かったですが（笑） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー体調はどうですか？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：悪くはないですが、歯の治療が……穴が空いている。拘置所は３ヶ月待ちだったので早く行きたい。会社の保険はもう使えないので、早く国民健康保険に入って必要な診察をうけないと。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ー逮捕されて容疑者になって、今も裁判が継続中で、世の中的には疑いもあると思うが、今、一番誰に対して何を言いたい？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告：まあ、家族に対して、今も信じてくれていて、ありがとうと言いたいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== PC遠隔操作事件「片山被告人の身柄拘束は懲役刑よりひどい」[[江川紹子]]さんが批判弁護士を探す ===&lt;br /&gt;
[[パソコン遠隔操作事件]]で[[威力業務妨害罪]]などで起訴され、[[東京拘置所]]に勾留されていた片山祐輔被告人が2014年[[3月5日]]、保釈された。逮捕されたのは2013年の2月だから、身柄の拘束期間は1年以上に及んだことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告人の裁判は、[[地裁]]の第2回公判が終わったばかりで、本格的な審理はこれからだ。片山被告人は「私は遠隔操作の被害者だ」と主張し、無罪を訴えている。保釈直後に開かれた記者会見でも「私はやってない」と述べ、自らの主張の根拠をしっかりした口調で語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その会見には、弁護人経由で片山被告人にインタビューした記事を公開するなど、この事件に関するレポートを精力的に発表しているジャーナリストの江川紹子さんも参加していた。会見が終わった後、1年以上にもわたった片山被告人の勾留について聞いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「裁判所の保釈許可の判断は遅すぎた」 ===&lt;br /&gt;
1年以上となった片山被告人の勾留について、どうお考えでしょうか？&lt;br /&gt;
:江川紹子さん(以下、江川) - 本当に長かったなと思います。それと、やっぱり[[検察]]側が少し異常じゃないか、という感じがしますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
保釈が決まったあとに検察が[[特別抗告]]し、いったん保釈の執行が止められたものの、検察側の手続きミスが判明し、結局、[[東京高裁]]によって保釈が許可されました。&lt;br /&gt;
:江川 - それは慣れないことをやるからでしょう。つまり、異常なことをやるから、こういうミスもするんじゃないでしょうか。ふだん、高裁が保釈決定を出しているのに、そんな特別抗告をするなんてことはあまり聞いたことがないですよね。弁護人が特別抗告するのは聞いたことがあるけど。そういう異常なことをやろうとするから、こういうミスをするんじゃないですかね。&lt;br /&gt;
:[[南アフリカ]]で、[[殺人罪]]で[[起訴]]されている[[オスカー・ピストリウス]]選手なんかは、たしか昨年2月14日に逮捕されて、22日に保釈されているんですよね。8日間くらいで保釈されているんですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告人の逮捕(昨年2月10日)と同じ時期でした。&lt;br /&gt;
:江川 - そうなんですよ。だから、あのケースとの差があまりにも大きい。やはり日本では、まだまだ「身柄拘束」を、検察が自分たちの有利に運ぶように使っている気がします。彼(片山被告人)なんかは接見禁止もついていましたから、弁護人以外、誰とも会えない、しかも新聞も読めないと。これって、懲役刑よりひどいですよ。&lt;br /&gt;
:やはり日本の「人質司法」というか、長期間の「身柄拘束」って罰だと思うんですよね。だから、裁判をやる前から罰を加えるということを、もうちょっと改めるべきだと思うんですよね。&lt;br /&gt;
:今回、ようやく高裁が(保釈許可について)まともな判断をしたけれども、やっぱり遅すぎた気がしますよね。今回の高裁の決定は非常に筋が通っていて、まっとうだと思うので、こういう判断をもう少し早くできるように、裁判所にやってもらいたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 片山の犯行確定 ==&lt;br /&gt;
=== 「真犯人」メール、片山被告が自ら送信か(2014年5月) ===&lt;br /&gt;
パソコンの遠隔操作事件で、16日、自分が「真犯人」だとするメールが報道機関などに送られたが、このメールは、現在公判中の片山祐輔被告が自ら送ったとみられることが分かった。東京地検は片山被告の保釈の取り消しを求めることを検討している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元会社員の片山祐輔被告は、他人のパソコンを遠隔操作し、殺害予告メールを送った罪などに問われているが、裁判で無罪を主張していて、片山被告は今年3月に保釈されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件をめぐって、16日、片山被告の裁判が開かれている時間帯に、自分が「真犯人」だとするメールが報道機関などに送られ、メールには、自分が片山被告のパソコンをウイルスに感染させ、片山被告の犯行に見せかけたなどと書かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、捜査関係者によると、片山被告が16日の裁判よりも前に、都内の河川敷で不審な行動をとっているのが捜査員に目撃され、片山被告がいた場所にスマートフォンが埋められているのが見つかったという。さらに、このスマートフォンを解析したところ、真犯人を名乗るメールのアドレスの痕跡があったという。時間をずらしてメールを送信するタイマー機能を使うなどして、片山被告自身が、真犯人を装うメールを送ったとみられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした事態を受けて、[[東京地検]]は片山被告の保釈の取り消しを裁判所に対して求めることを検討している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パソコン（PC）の遠隔操作ウイルス事件で、威力業務妨害などの罪に問われて公判中の元IT関連会社社員片山祐輔被告（32）＝保釈中＝と弁護側との連絡が取れなくなっていることが19日、分かった。主任弁護人の佐藤博史弁護士が記者会見で明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士によると、同日午前10時20分ごろの電話を最後に連絡が取れない状態になっているという。事件をめぐっては、「真犯人」を名乗るメールが16日、報道機関などに届いた。片山被告は「送ったのは私ではない。真犯人から送られた信ぴょう性は高い」と主張。検察側に公訴取り消しの申し立てをした後、19日午後2時から佐藤弁護士とともに記者会見する予定だったが現れなかった。申し立ては予定通り行われ、会見には同弁護士のみが出席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士によると、メールが片山被告の自作自演だとする報道を受けて電話した後、音信不通になった。片山被告は電話で、やや驚いた様子だったが、「これから弁護士事務所に向かう」と答えていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 遠隔操作事件の片山被告「私が真犯人」と認める ===&lt;br /&gt;
パソコンの遠隔操作事件で、19日から連絡が取れなくなっていたインターネット関連会社の元社員、片山祐輔被告から19日夜、弁護団に連絡があり、片山被告は「私が真犯人だ」と認め、先週、報道各社などに届いたメールを自分が送ったと話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パソコンの遠隔操作事件では、インターネット関連会社の元社員、片山祐輔被告(32)が威力業務妨害などの罪に問われ、ことし3月に保釈され、裁判では一貫して無罪を主張。この事件について、自分が真犯人と主張するメールが今月16日、片山被告が裁判に出廷中に報道各社などに届き、警視庁などは、片山被告がその前日に、都内の荒川の河川敷に埋めたとみられる携帯電話で送ったとみていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告は19日の午前10時20分すぎの電話のあと連絡が取れなくなり、午後に予定されていた会見にも姿を見せなかったが、19日午後9時半ごろ、弁護団に連絡があった。その中で、片山被告は「自分が真犯人だ」と認め、今月16日に届いたメールを自分が送ったと話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京地方検察庁]]は19日、被告に対する保釈の取り消しを請求し、裁判所は早ければ20日中にも保釈を取り消すかどうか判断を示すとみられる。東京地検は、保釈の取り消しが認められた場合には、被告の身柄を拘束して直ちに勾留することにしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 誤認逮捕の4警察本部。執念の尾行2カ月半 ===&lt;br /&gt;
[[PC遠隔操作事件]]で、無罪を主張し続けた片山祐輔(32)に一連の事件への関与を認めさせたのは、誤認逮捕という苦渋を味わった[[警視庁]]、大阪、神奈川、三重の4警察本部の合同捜査本部による執念ともいえる追跡劇だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年5月15日夕、[[東京都]][[江戸川区]]の[[荒川]]河川敷。合同捜査本部の捜査員の目は、不審な動きをする片山に注がれていた。地面に何かを埋めるような仕草。後で掘り返す時のためか、歩幅を測るようにして埋めた場所を確認している。捜査員らは、この一部始終をビデオに収めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「まさか警察官に見張られているとは思わなかった」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山は、真犯人を装うメールを送ったスマートフォンを埋める姿を目撃されていたことを知り、[[佐藤博史]]弁護士にそう漏らした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、合同捜査本部は複数の捜査員で片山が保釈された2014年3月5日から行動確認を続けていた。警視庁から投入されたのは、捜査1課で誘拐などの捜査に当たる精鋭の「特殊班」の捜査員。相手に感づかれずに尾行するプロだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌16日午前11時37分。片山が東京地裁の公判に出廷中、「真犯人」からのメールが報道関係者らに一斉に届いた。前日の不審な行動との関連にぴんときた捜査員が同日午後3時ごろ、河川敷の現場を掘り返すと、ポリ袋に入ったスマホが見つかった。令状を取った上で確認すると、真犯人メールと同じ内容のメールが同時刻に送信されていた。スマホの付着物からは片山の[[DNA]]型も検出。「真犯人」とつながった瞬間だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一時は大きく揺らいだ威信。ある警察幹部は「被告は公判のたびにタイマー機能で真犯人メールを送るつもりだったのでは。これで一区切りだ」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 片山被告「2ちゃんねるのニュース速報プラスのスレッドを見て、『バレた』とパニックになった」 ===&lt;br /&gt;
――19日午前10時頃、[[NHK]]と[[日本テレビ]]で報道があったが、その頃の心境は？ &lt;br /&gt;
:今のところ順調だろうと。全くばれていないだろう、と &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――[[マスコミ]]から弁護人に問い合わせがあり、10時22分にあなたに電話をして、検察が保釈の取り消し請求をするらしいと伝えたが、弁護人の事務所に向かうと言ったまま行方を断った。その後午後9時半すぎまでに何をしていのか。&lt;br /&gt;
:佐藤弁護士の電話を聞いて、びっくりした。その場で[[スマホ]]のネットニュースのヘッドラインと[[2ちゃんねる]]を見た。2ちゃんねるのニュース速報プラスにスレッドが立っていた。「元会社員自身が送信か」とあり、「今、テレビに出た」「河川敷に埋めたんだって」「片山の自作自演だって」とあったのを読んで、「バレた」とパニックになった。スマホを握りしめたまま、選択肢を考えたが、すぐに「もう死ぬしかない」と思った。&lt;br /&gt;
:パニックになって、訳も分からず自転車で走り回って、気がついたら錦糸町の公園にいた。その前に酒を大量に買っていた。トイレで首を吊ろうとしたら、バックルが破断してしまった。[[亀戸]]の[[ドンキホーテ]]でベルト2本ネクタイ1本を買って、JRに乗って山の方に行って、人がいないところで死のうと思った。中央線で高尾まで行って、京王線に乗り換えた。酔っ払っていて、このまま山に登るのは無理だと思った。電車に飛び込むことも考えたが、リフトを使って山を登った。しばらく歩いて谷に入った。斜面を使って首を吊ろうと、滑り落ちたり転げたりしてみたがダメだった。 &lt;br /&gt;
:辺りが暗くなったので、やっぱり電車に飛び込んで死んだ方が早いと思い、月明かりを頼りに下山した。どこで飛び込もうかと思案した。快速がとまらない小さい駅がいいと、1つ1つ降りて確かめた。カメラもなさそうな駅があったので、ホームの下に入って、首を数十センチ差し出せば死ねる、次の電車が来たら死のう、次の電車が来たら死のうと思いながら迷って踏み出せないまま2時間近くが経った。佐藤先生に謝ったら死ねるのか、と思って電話をした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――その駅は？ &lt;br /&gt;
:酔っ払っていたので曖昧だが、おそらく「山田」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――電話では何と言ったか。 &lt;br /&gt;
:「すいません。全部僕が犯人だったんです。今までだましていました。死のうと思ったが死ねない」と。佐藤先生からは「そうか、でも死んじゃダメだ」と強く諭された。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――自殺未遂も演技だと言う人がいるが。 &lt;br /&gt;
:もう、本当に死ぬしかないと、本気で考えていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
――警察に目撃されていなかったらどうなったと思うか &lt;br /&gt;
:見つけられなかったと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 佐藤博史弁護士会見 ===&lt;br /&gt;
PC遠隔操作事件で、連絡が取れなくなっていた片山祐輔の保釈が取り消され、その身柄が拘束されたことを受けて、主任弁護人をつとめる佐藤博史弁護士が5月20日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見を開いた。片山が一連の事件の犯行を認めたことについて、無罪を主張してきた佐藤弁護士は「完全にだまされた」と述べながらも、「否定的な感情はない」と心境を語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士によると、19日午前10時すぎから連絡が取れなくなった片山は、公園で自殺を図ったものの死にきれず、電車で東京の[[高尾山]]に行って、[[チューハイ]]を飲みながら山中をさまよっていた。その後、駅のホーム下の避難スペースから電車に飛び込んで自殺を図ろうとしたが、思いとどまり、同日夜に佐藤弁護士に電話をかけてきたという。翌20日になって佐藤弁護士の事務所に入り、そこで東京地検に身柄を拘束された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
16日に真犯人を名乗るメールを送ったことについて、片山は、母親から「一日も早く前のような平和な生活が送りたい」と言われたことが動機になった、と佐藤弁護士に明かした。しかし、メールを送ったスマートフォンが荒川の河川敷から見つかったとの報道を聞いて、一連の事件の真犯人しか知りえないパスワードを使った事実が発覚すると思い、すべて認めることを決意したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記者会見で、佐藤弁護士と報道陣との間にあった主なやりとりは次の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告人はどんな言葉で犯行を認めたのか？&lt;br /&gt;
:「すいません、私が真犯人です」ということだった。今回の真犯人メールだけでなく、それ以前の事件もやったということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日、身柄が拘束された時の片山被告人の様子は？&lt;br /&gt;
:(行方不明になった)昨日は動揺していたが、今朝会った時に変わった様子はなかった。「昨日はチューハイの缶を飲みっぱなしで山をさまよった」と言っていた。食事も昨夜、寝る前にとったが、今朝はとってないようだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤弁護士の率直な感想は？&lt;br /&gt;
:片山さんに「申し訳ありません」と言われたが、正直なところ、全く裏切られたような否定的な感情はない。片山さんは「今までの弁護人を解任して、国選弁護人を頼もうと思いました」と言っていたが、私は即座に「あなたを見捨てない」と応じた。私自身は、否認している被疑者が「実はやってました」と告白することに何回か遭遇している。それをもとに弁護するのが弁護士だ。裏切られたと非難するものでもない。意外なほど冷静でいられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件を起こした動機は？&lt;br /&gt;
:(16日に送られた)ラストメッセージに警察や検察への恨みを書いているが、最初(の動機)はそういうものではなかったそうだ。16日の会見では、「真犯人はサイコパス」と言っていたが、今日は「自分がそうなんだ」と言っていた。サイコパスは嘘が平気でつけるということだ。意図的ではなく、ごく自然にできている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親は何と言っているか？&lt;br /&gt;
:今日、(片山被告人が)私の事務所に着いてから、電源を切っていたスマホをあけて、読んでみたところ、その中に母親から、「あなたが真犯人だったとしても受け入れる」ということが書いてあった。(片山被告人は)「母親に合わせる顔がない」と言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告人は、涙を見せていたのか？&lt;br /&gt;
:涙はまったく見せてない。変な感じではなかった。ただ、お母さんに電話していた時にちょっと涙ぐんでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨日の会見では、無実は揺るがないといっていたが、正直どう思っているか？&lt;br /&gt;
:昨日の段階では、「(送られてきたのは)真犯人からのメールで間違いない」と言った。片山さんが送ったものではないということも確信していたので、無実の確信も揺るがなかった。その半分は正しかったが、半分は完全に裏切られた。特別弁護人の指導のもとに、（片山被告人は）市販のPCを買って、アクセスのデータも残していたが、真相としては、別に秘密のPCを持っていた。さらに埋めたスマホをもっていた。完全に私たちを欺いていた。それまでに私たちが知らされていた事実を前提にすれば、無実の主張を続けることができたのだが・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連の犯行の動機が分からないが？&lt;br /&gt;
:わかりやすく説明するのは、彼自身にも難しいのではないか。給料が安かったと言っているが、そんなに極端に仕事に不満があるようにも思えない。母親と一緒にささやかに暮らすのが彼の日常だ。何の不満もないはずなのに、何らかの出来心でやってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犯行は一人でやったことなのか？&lt;br /&gt;
:直接は聞いてない。だけど、間違いなく彼一人だと思う。もし複数人いれば、今回みたいなことを自分でやる必要もない。ほかの人にさせればいいだけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告人を信じた理由は？&lt;br /&gt;
:当初、「片山さんが犯人」という徹底的な証拠があるように言われたが、裁判の間も決定的な証拠が示されなかった。悔しまぎれではなく、今回の真犯人メールがなかったら、私は自信をもって無罪弁論をしただろう。刑事弁護の怖さかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スマホからはDNAが出た。なぜそんなものを埋めたのか？&lt;br /&gt;
:15日に自転車でバス停に向かい、そこからバスに乗り込んだ。一緒に乗り込む人も降りる人もいなかったそうだ。河川敷は見晴らしがいいので、尾行はなかったと思った。ポールが50メートル間隔で立っていて、150メートル先に本を読んでいる男性がいたが、その人は自分が到着する前からいたので、大丈夫だと思って、埋めたと言っている。ただ、下見に2、3回行っているので、そこが(発覚した)真相ではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の（真犯人メールに使った）スマートフォンは、どうやって入手したのか？&lt;br /&gt;
:(SIMカードは)秋葉原で手に入れたと言っていた。まったく足のつかないものを買った、と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜ河川敷にスマートフォンを埋めたのか？&lt;br /&gt;
:彼が法廷に臨んでいるときに発信させる目的だったからだ。発信した基地局がわかるので、別の場所でなければいけなかった。警察が自宅に捜索に入るということや、スマホの回収も考えないといけないので、河川敷になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
メール送信の詳しい方法は聞いているか？&lt;br /&gt;
:名前は聞いていないが、スマートフォンにソフトをインストールしたと言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自作自演のメール」を送ることを考えた時期は？&lt;br /&gt;
:保釈される前から考えていたと言っていた。保釈後、与えられた以外の秘密のパソコンを持っていて、それでメールを作り続けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片山被告人は最後までだまし続けるつもりだったのか？&lt;br /&gt;
:有罪判決に備えて、収監後にメールが届く設定をしておくというのが、元々の計画だったと言っていた。最後までだますつもりだったんだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
保釈後、捜査当局から行動確認されることについて、佐藤弁護士は注意をしたのか？&lt;br /&gt;
:行動確認はされているよ、と伝えた。今から話すとマンガみたいな話だが、真犯人からのメールがやがて届くと、この事件は「サドンデス」になると話していた。そのときに向けて万全の体制もとっていた。本当は、われわれにとって「デス」だったわけだが・・・。&lt;br /&gt;
:だけど、彼の真意はまったく違った。逆に言うと、彼は、私たち以上に尾行とかを計算していたと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それならば、なぜ？&lt;br /&gt;
:河川敷に下見に行ったときも、ものすごく警戒していたが、誰もいない安全な場所だと考えたようだ。(捜査陣が)スマートフォンを掘り返したのはたぶん、埋めた直後ではない。真犯人メールが届いたから、片山の行動を振り返ってみようということで、真相が明らかになったのだと思う。すばらしい勘だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スマホを河川敷に埋めた以外に、「自作自演」したとは言っていないのか？ たとえば落合洋司弁護士に何かが送られたり・・・。&lt;br /&gt;
:「あれはまったく自分ではない」と。まったく無関係だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側の立証と、片山さんが今回話された真実と違うところはあるか？&lt;br /&gt;
:(遠隔操作に使用されたプログラムの)[[iesys]](アイシス)を作ったのが、乙社のパソコンであるというのも、「そうだ」と言っていた。アイシスをつくるくらいの技術はあったんだと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パソコンの遠隔操作など細かいことはやるが、肝心なところで感覚が鈍いというか、ぬけているという面はあったか?&lt;br /&gt;
:ものすごく子どもっぽいと言うべきだと思う。母親を安心させるために「真犯人メール」を送って、裁判を「ジ・エンド」に導くという考えは、ちょっとどこかがぬけている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サイバー犯罪に一石を投じた今回の事件を、どう考えるか？&lt;br /&gt;
:彼はリアルな空間である[[江ノ島]]に姿を現して、尻尾を捕まえられたわけだ。今回もスマホを埋めたところを地道な捜査官が目撃して、掘り当てたために見つかった。&lt;br /&gt;
:片山さんは、江ノ島に行ったときに「まさか防犯カメラがあるとは思わなかった」という。どう考えても、マンガみたいな弁解で、予想しろよと言いたくなるが・・・。&lt;br /&gt;
:サイバー空間で行動していた間は尻尾を捕まえられなかった。サイバー空間の犯罪には、まだ残念ながら有効な手立てはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
保釈金はどうなる？&lt;br /&gt;
:1000万円は母親が出した。生活のための蓄えだから、彼はすごく気にしていた。&lt;br /&gt;
:彼には「没収されないようにするけど、おそらく今回の証拠隠滅は破格の行為なので、保釈金の召し上げがない、ということは考えられない」と伝えた。彼はすごく悔いていた。そこにも考えが及ばないというか、後悔先に立たずというやつだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後の最後に、佐藤さんのところに連絡がきたということについては？&lt;br /&gt;
:私は片山さんの無実をずっと信じていた。片山さんとしても、私に電話するのは、ずいぶん勇気がいったと思う。叱られるんじゃないかということも含めて、最後の別れのつもりで電話をかけてきている。だけど、私はさっき言ったように、片山さんをそのまま受け止めることができた。&lt;br /&gt;
:こうなった以上は取り調べの可視化は求めないで、起訴後の取り調べに応じる。片山さんにもそういう必要なことはやろうと伝えた。捜査機関を翻弄したわけだから。捜査側としても、どこで捕まえ損ねたかという問題が多分あると思う。そういうことについて、片山さん自身が協力すべきだ、と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別れるときに声をかけたのか？&lt;br /&gt;
:「お別れだよ」って、握手した。彼に触れることは、たぶんないので&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 片山被告人の最終意見陳述「私自身が弱く未熟だった」 ===&lt;br /&gt;
PC遠隔操作事件で、威力業務妨害などの罪に問われている片山祐輔被告人。弁護側の最終弁論が[[2014年]][[11月27日]]、[[東京地裁]]で開かれ、片山被告人の最終意見陳述もおこなわれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下、最終意見陳述の全文。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先日の[[検察官]]の論告を受けて、私は改めて、自分の罪を重く受け止めています。被害者の方々には筆舌に尽くしがたい苦痛を与えてしまい、人生を狂わせることをしてしまったのだと改めて思い知らされました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は逮捕されてから長いこと否認をし続けていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一転して認めるに至った発端は確かに、真犯人メールの件で言い逃れができなくなったことです。再収監されてしばらくは、「あれさえバレなければ」という気持ちを、正直、捨てることができないでいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその後、被害者の方々の調書を読み、また証言を聞き、心理カウンセリングを受け、また、家族と本心から語り合うことで、内省を深めることができました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
半年前の私とは異なり、今では「こうなって良かった」と思っています。もし仮に、間違った無罪を獲得することに成功しても、一生心の中に矛盾をかかえて生きていかなくてはならず、ずっと心に闇をかかえたまま生きていく人生になっていたと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察官の論告の中で、再犯の可能性について言及されています。9年前の事件の時、私は確かに反省して懲りたはずなのに、再びあやまちを犯してしまいました。その理由が自分でも分かりませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カウンセリングを受けた結果、自分の中にあった怒りやトラウマの正体や、あるいはもっと幼い頃から他者とは何かが違うと思ってきた障害の正体が分かり、自分でも分からなかったこの事件の動機を正しく把握することができたと思います。私は、自分の中にあった怒りの矛先を、全く間違った方向に、しかも犯罪という間違った方法で、向けていました。その怒りの正体も分からず、手段のためには目的を選ばないような犯行をくり返したのは、他の誰が悪いわけでもなく、私自身が弱く未熟だったからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昔の事件の時とは異なり、自分の中の何が問題だったのかを理解した今、そしてこれから先、犯罪に走ることはもうしません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これからは自分の罪と正しく向き合い、社会復帰を目指したいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ハッカー]]&lt;br /&gt;
* [[ハッキング]]&lt;br /&gt;
* [[ハッカー文化]]&lt;br /&gt;
* [[ライフハック]]&lt;br /&gt;
* [[ブリコラージュ]]&lt;br /&gt;
* [[クラッカー (コンピュータセキュリティ)|クラッカー]] (cracker)&lt;br /&gt;
* [[ウィザード]] (wizard)&lt;br /&gt;
* [[ギーク]] (geek)&lt;br /&gt;
* [[ナード]]&lt;br /&gt;
* [[ハッカージャパン]]&lt;br /&gt;
* [[Phrack]]&lt;br /&gt;
* [[カルト・オブ・ザ・デッド・カウ]]&lt;br /&gt;
* [[ハッカーインターナショナル]]&lt;br /&gt;
* [[ザ・ハッカー]]（アメリカ映画）&lt;br /&gt;
* [[中国紅客連盟]]&lt;br /&gt;
* [[アノニマス (集団)|アノニマス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かたやま　ゆうすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:2012年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:捜査特別報奨金制度]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネット犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:おたく]]&lt;br /&gt;
[[Category:情報技術者]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都区部出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1982年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%B9%85%E9%96%93%E4%B8%89%E5%8D%83%E5%B9%B4&amp;diff=403470</id>
		<title>久間三千年</title>
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				<updated>2023-01-31T02:54:42Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''久間 三千年'''（くま みちとし、[[1938年]][[1月9日]] - [[2008年]][[10月28日]]）とは、'''[[1992年]]（平成4年）に2人の小学1年生[[女児]]を強姦して[[殺害]]した犯人'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大まかな人となりは、'''[https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E4%B9%85%E9%96%93%E4%B8%89%E5%8D%83%E5%B9%B4　久間三千年（Enpedia）]'''にて。詳細は、[[飯塚事件]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:くまみちとし}}&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:刑死した人物]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:福岡県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:1938年生]]&lt;br /&gt;
[[カテゴリ:2008年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>加賀山領治</title>
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				<updated>2023-01-31T02:53:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''加賀山 領治'''（かがやま りょうじ、[[1950年]][[1月3日]] - [[2013年]][[12月12日]]）とは、[[2000年]]に中国人女子留学生を刺殺、[[2008年]]に[[大阪市]]北区の複合商業施設「Ｄ・Ｄハウス」で会社員を刺殺した[[死刑囚]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== いきなり刺して逃走、男性殺害と留学生殺害に共通点(2008年2月) ==&lt;br /&gt;
「生活費に困り、盗み目的でＤ・Ｄハウスに行き、犯行に使う道具を点検中に会社員がトイレに入ってきた。警察に突き出されると思った」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｄ・Ｄハウスの2階共用トイレで会社員森永彰さん(30)を殺害したとして殺人容疑で逮捕された加賀山領治(58)は逮捕直後、大阪府警の調べにそう供述した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加賀山はバッグに入れていたドライバーを床に落とし、直後に偶然トイレに入ってきた森永さんに「泥棒でもするんか」と見とがめられ、殺意を抱いた。加賀山はバッグを現場に残したまま逃走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年7月の留学生殺人事件では、犯人の男は中国人留学生の韓穎さん(当時24)のバッグを奪った後、取り押さえようとした会社員を刃物で刺し、さらに追いかけてきた韓さんも振り向きざまに刺して殺害した。現場には犯人のものとみられる自転車や眼鏡などが残されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両事件に共通するのは、まず犯人の目的が金品にあるところだ。そしていずれの犯人もあらかじめ刃物を携帯しており、抵抗にあうなど想定どおりに事態が進まなくなったとみるや、いきなり被害者を刃物で襲っている。さらに現場に盗みの道具などを遺留したまま逃走している点も似ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加賀山は[[2003年]]ごろ、生活に困って[[大阪市]][[西成区]]で[[ホームレス]]生活をしていたという。その後自立支援センターに入所し、大阪市此花区の会社で一時働いていた。会社員殺害事件時は無職で、同区の公団住宅で１人で暮らしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 衝動的殺意？犯行わずか1分間。大阪キタ・男性殺害 ==&lt;br /&gt;
森永さんが現場のトイレに入ってから胸を刺されて逃げ出すまでの時間が1分間だったことが、府警による現場付近の防犯ビデオの分析からわかった。殺人容疑で逮捕された加賀山領治(58)は「盗みの準備を目撃され、警察に突き出されると思った」と供述しており、府警は、衝動的に殺意を抱いて犯行に及んだとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
府警が施設内に設置された複数の防犯ビデオを解析したところ、加賀山容疑者は2月1日午後10時13分、1階エスカレーター付近に姿を見せた。どの店にも立ち寄らずに2階に向かい、2分後に共用トイレに入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
森永さんがトイレに入ったのはその40秒後。森永さんはトイレに入ってから1分後、血で染まったシャツの胸の部分を押さえながら逃げ出した。その2秒後に加賀山が刃物を隠すように片手をわきの下に挟みながら立ち去っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加賀山は盗みを計画し、バッグの中に入れていたドライバーや粘着テープなど犯行に使う道具を点検しようとしていた。ドライバーを床に落としたのとほぼ同時に森永さんがトイレに入ってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加賀山は「『泥棒でもするんか』と言われ、バッグの中を見られそうになったので刺した」と供述。防犯ビデオの分析結果と供述による犯行の経緯はほぼ一致しており、府警は加賀山容疑者がＤ・Ｄハウスの営業終了後に盗みに入ろうと準備していたところを目撃され、犯行に及んだとの見方を強めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 8年前の殺人に関与か、DNA一致。大阪の刺殺事件容疑者 ==&lt;br /&gt;
大阪・梅田の商業施設「Ｄ・Ｄハウス」で神戸市の会社員森永彰さん(30)が刺殺された事件で、[[曽根崎署]]捜査本部に殺人容疑で逮捕された無職加賀山領治(58)のDNA型が、2000年7月に大阪市で中国人女子留学生が刺殺された事件の遺留物のDNA型と一致した。 大阪府警は、加賀山が留学生刺殺に関与した疑いがあるとみて追及する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
留学生刺殺事件は2000年7月29日午前1時ごろ発生。大阪市中央区の路上で、アルバイト先から帰宅途中の韓穎さん＝当時24歳＝が自転車の男に奪われたバッグを取り戻そうと追い掛け、腹部を包丁で刺されて間もなく死亡した。府警は強盗殺人容疑で捜査している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男は犯行後、自転車で約100メートル離れた公園まで行き、血の付いたバッグを捨て、現金を抜いた財布を公園から約200メートルの民家わきに捨てていた。曽根崎署捜査本部は加賀山のDNA型を警察庁のデータベースに照会した結果、遺留物のDNA型と一致した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大阪ＤＤハウス事件の死刑囚の刑を執行。谷垣法相が命令(2013年12月) ==&lt;br /&gt;
加賀山死刑囚は[[平成12年]]7月、大阪市中央区の路上で中国人女子留学生の韓頴(ハンイン)さんのバッグを強奪し、ナイフで刺殺。助けに入った会社役員の足を刺した。さらに[[平成20年]]2月、同市北区の複合ビル「Ｄ・Ｄ　ＨＯＵＳＥ」の2階トイレ内で、会社役員の森永彰さんにナイフを突きつけて「金を出せ」と脅し、胸などを刺して殺害した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1、2審では殺意の有無などが争点となったが死刑判決を受け、2012年7月、最高裁第3小法廷が上告を棄却。死刑が確定していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死刑執行について、経営していた[[串カツ]]屋などで約2年間、韓さんを雇っていた大阪市都島区の大島矢洲男さん(71)は「死刑は当然。遺族の方も落胆していたし、執行は遅いぐらいだ」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、2審大阪高裁で加賀山死刑囚の国選弁護人を務めた佐野喜洋(よしひろ)弁護士(大阪弁護士会)は「裁判所の判断なので、やむを得ないのかとも思うが…」と無念さをにじませた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 連続殺人の男ら2人、死刑執行…確定死刑囚は129人に(2013年12月) ==&lt;br /&gt;
[[谷垣禎一]][[法相]]は12日午前、[[1986年]]に[[山梨]]・[[新潟]]両県で2人を殺害した藤島光雄死刑囚(55)＝[[東京拘置所]]＝と、[[2000年]]と[[2008年]]に[[大阪市]]で2人を殺害した加賀山領治死刑囚(63)＝[[大阪拘置所]]＝の2人の死刑を執行したと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨年12月末の政権交代後では、今年2、4、9月に続く4回目の執行で、今年に入ってからの執行は計8人になった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
谷垣法相は前回[[9月12日]]の執行から約3カ月で執行命令を出したことになる。今回の執行により確定死刑囚は129人となった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確定判決によると、藤島死刑囚は[[1986年]]3月、[[山梨県]][[笛吹市]](旧[[春日居町]])の前妻宅で祖母(当時73歳)と口論になり、浴槽に押し込んで殺害。5日後、逃走資金を得るため、前妻の知人男性(同26歳)を新潟市内のホテルに呼び出し、金を脅し取って殺害した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加賀山死刑囚は[[2000年]]7月、[[大阪市]]中央区の路上で[[中国人]]留学生の女性(同24歳)からバッグを奪って刺殺。取り押さえようとした男性(同34歳)にもけがをさせた。[[2008年]]2月には大阪市北区の商業用トイレで強盗目的で男性会社員(同30歳)を刺殺した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記者会見した谷垣法相は「いずれも誠に身勝手な理由から被害者の尊い人命が奪われた極めて残忍な事案だ。十分な審議を経た上で死刑が確定しており、慎重な検討を加えた上で執行した」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かかやま りようし}}&lt;br /&gt;
[[Category:2000年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2008年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:刑死した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:宮崎県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1950年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2013年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E7%BE%8E%E7%94%B1%E7%B4%80&amp;diff=403468</id>
		<title>上田美由紀</title>
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				<updated>2023-01-31T02:50:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:上田美由紀1.jpg|300px|thumb|上田　美由紀]]&lt;br /&gt;
[[Image:上田美由紀2.jpg|300px|thumb|上田　美由紀]]&lt;br /&gt;
[[Image:上田美由紀3.jpg|300px|thumb|上田　美由紀]]&lt;br /&gt;
'''上田 美由紀'''（うえだ みゆき、[[1973年]][[12月21日]] - [[2023年]][[1月14日]]）は、鳥取連続不審死事件の犯人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[鳥取県]][[鳥取市]]を中心におこった連続不審死事件である。[[2009年]]に発覚した（事件は[[2004年]]から2009年にかけて、計6件）。元スナックホステス・上田美由紀（2009年当時、35歳）の周辺で6人の不審死が起こり、注目された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[Image:鳥取連続不審死.jpg|500px|thumb|鳥取連続不審死事件]]&lt;br /&gt;
2009年11月に上田美由紀が別件の詐欺罪で逮捕された後に一連の不審死に関する捜査が行われた。[[2010年]]1月に上田美由紀は強盗殺人罪で逮捕され、最終的に2人の殺害した罪で起訴された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 一連の不審死事件 ===&lt;br /&gt;
; 42歳男性不審死事件&lt;br /&gt;
: [[2004年]]（[[平成]]16年）5月13日、上田美由紀の交際相手で、読売新聞鳥取支局に勤めていた男性記者（42歳）が段ボールに詰められた状態で鳥取市内で列車に轢かれ死亡した。段ボールには「出会って幸せだった」などのようなことが書かれており、鳥取県警は文面の様子などから遺書と判断し、男性記者の死因を「自殺」と処理して司法解剖などは行わなかった。男性記者は女との金銭トラブルがあり、同僚などから重々借金をしていた。&lt;br /&gt;
; 27歳男性不審死事件&lt;br /&gt;
: [[2007年]]（平成19年）8月18日、上田美由紀の家族と共に貝を採りに鳥取砂丘近くの海岸に出かけた会社員の男性（27歳）が海で溺れて病院に搬送、約10日後に死亡した。男性は泳げなかった。上田美由紀とは2001年頃にスナックで知り合い、2005年頃から同居するようになった。男性は上田美由紀から日常的に熱湯をかけられるなどの暴行を受けていた。&lt;br /&gt;
; 41歳男性不審死事件&lt;br /&gt;
: [[2008年]]（平成20年）2月、鳥取市郊外の山中で鳥取県警所属の男性警察官（41歳）が首つり死しているのが発見。男性は上田美由紀が働いていたスナックの常連客であり、2人の間で金銭トラブルがあったという。&lt;br /&gt;
; 矢部和実さん(当時47歳)不審死事件（起訴事案）&lt;br /&gt;
: [[2009年]]（平成21年）4月11日早朝、[[北栄町]]沖の日本海でトラック運転手の矢部和実さん(当時47歳)の水死体を発見。遺体からは睡眠導入剤、肺からは水死の場合入るはずのない砂が検出された。&lt;br /&gt;
; 58歳男性不審死事件&lt;br /&gt;
: 同年9月、上田美由紀と同じアパートに住んでいた無職の58歳男性が女の車を使って運転していたら鳥取駅前で乗用車と衝突。上田美由紀は「相手と示談する」といい、男性から8万円もらったが、その後、ことは進展せず、男性が示談相手ともめることになった。そして、1ヶ月後に男性が突如体調が悪くなり、10月27日に死亡。前日にはこん睡状態に陥っていた。男性は上田美由紀のスナックの常連客で、自宅の鍵を上田美由紀に預けていたという。&lt;br /&gt;
; 円山秀樹さん(57歳)不審死事件（起訴事案）&lt;br /&gt;
: 同年10月6日、自営業の円山秀樹さん(57歳)が「集金に行く」といい、車でどこかへ出発、翌日の午後2時、自宅から約4km離れている鳥取市内の[[摩尼川]]でうつ伏せの状態で死亡しているのが発見された。しかし、川は溺れるはずのない水深約20cmで顔を押し付けた可能性があり、遺体から睡眠導入剤が検出された。円山秀樹さんは上田美由紀とその同居人に140万円ほどの未収金があり、前日の発言はこのことだと思われる。現場から約10m離れたあたりに円山秀樹さんの車が発見され、カーナビの走行記録をみたところ、自宅を出発してから事務所そこから約7km離れた上田美由紀の自宅へ行き、数度、上田美由紀の自宅敷地を出入りし発見現場に到着。その後は移動していない模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 電気工事業の円山さんとは4年前から知り合い ===&lt;br /&gt;
鳥取県警が強盗殺人容疑で逮捕した元スナック従業員上田美由紀と、被害者の電気工事業円山（まるやま）秀樹さんは少なくとも4年前から知り合いだった。上田は円山さんに家電製品の修理を頼んでおり、2人の間で商品がやりとりされたのは今回が初めてだったという。県警は、円山さんが未払い代金の支払いを再三求めたことが、殺害のきっかけになった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上田に電気業者の紹介を頼まれた鳥取市に住む男性が、リフォーム関係の仕事で知り合いだった円山さんを紹介。上田は2005年後半以降、円山さんに家電製品の出張修理を何度か依頼しており、その際は代金未払いはなかったという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、2009年8～9月、上田は、同居する元自動車セールスマンの男(46)＝詐欺罪などで起訴＝と一緒に、初めて円山さんから代金後払いでテレビやDVDレコーダーなど12点、約123万円相当の商品を入手。しかし、代金を支払わず、新品のままリサイクル店などに転売し、現金化した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
円山さんは最後の商品を渡した2009年9月2日以降、上田や男に督促。行方不明になる前日の2009年10月5日には、円山さんから上田と男が使う携帯電話に計4回電話をかけていた。円山さんの姿はたびたび、上田らが住むアパートでも目撃されており、円山さんは知人に、代金回収のために訴訟を起こすとも話していた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
円山さんの再三の支払い要求に対し、「現金書留で代金を送った」「親が払う」などと言うものの、上田と男は代金を払わなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警が今回、上田を殺人容疑ではなく、強盗殺人容疑で逮捕したのは、上田が円山さんを殺すことで、未払い代金の支払いを免れ、財産上、不法な利益を得たとみているためだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警の調べに対し、上田と男は、円山さんが行方不明になった2009年10月6日午前、円山さんと一緒に、円山さんの遺体が発見された摩尼（まに）川まで行っていたことを認める供述をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2件目強盗殺人罪で上田起訴(2010年3月) ==&lt;br /&gt;
鳥取県沖の日本海で2009年4月に水死体で見つかった同県若桜町のトラック運転手矢部和実さん(47)を借金返済を免れるために殺害したとして、鳥取地検は3月24日、鳥取市の元スナック従業員上田（うえた）美由紀を強盗殺人罪で起訴し、発表した。上田は同市の電気工事業円山（まるやま）秀樹さん(57)に対する強盗殺人罪でも起訴されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地検は、上田が起訴内容を認めているかどうかについて明らかにしていないが、捜査関係者によると、上田容疑者は取り調べに対し、円山さんの事件も含めて黙秘を続けているという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上田は2009年4月4日午前7時半～同10時40分ごろ、矢部さんから借りた270万円の返済を免れるため、睡眠導入剤などを飲ませて意識がもうろうとした矢部さんを同県北栄町の海岸に誘い、おぼれさせて殺害した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地検は、上田がひとりで矢部さんを殺害したとみている。上田が矢部さんに睡眠導入剤を飲ませた場所については特定できていないが、どのように飲ませたかについては、「公判で明らかにする」としている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、鳥取県警は、上田の隣人で、2009年10月に死亡し、円山さんや矢部さんと同じく体内から睡眠導入剤が検出された無職田口和美さん(58)についても、事件に巻き込まれた可能性があるとみて捜査を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 上田に新たな詐欺容疑。8回目逮捕(2010年4月) ==&lt;br /&gt;
鳥取県警鳥取署は4月12日、鳥取県の連続不審死をめぐって2件の強盗殺人罪などで起訴された鳥取市福部町の元スナック従業員上田（うえた）美由紀と、別の詐欺罪などで起訴された元自動車セールスマンの男(46)を新たな詐欺容疑で再逮捕した。上田の逮捕は通算8回目で、詐欺容疑について否認している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人は2009年8～9月、鳥取市内の中古車販売店で軽乗用車4台(計約130万円相当)、農機具販売店で発電機など8点(計83万3千円相当)を転売目的で詐取した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鳥取不審死、捜査本部を解散。無職男性死亡は立件せず(2010年5月) ==&lt;br /&gt;
鳥取県で死亡した男性3人の体内から相次いで睡眠導入剤が検出された連続不審死事件を捜査している鳥取県警は5月10日、捜査本部を解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男性2人の死については強盗殺人容疑で元スナック従業員上田美由紀が逮捕、起訴された。しかし、3人目の男性について、県警は病死と判断した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
起訴状によると、上田は2009年4月、借金返済を免れる目的で同県若桜町のトラック運転手矢部和実さん(当時47)を同県北栄町の海岸で殺害、同10月には家電製品代金の代金支払いを免れるために鳥取市の電気工事業円山（まるやま）秀樹さん(57)を同市の川で殺害した、とされている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警は、上田被告の隣人で、2009年10月に自宅で倒れ、死亡が確認された無職田口和美さん(58)についても死亡した状況に不審な点があるとして捜査してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== “西の毒婦”上田美由紀のおぞましき“籠絡セックス” ==&lt;br /&gt;
男たちから金を巻き上げ、次々と殺害したといわれる“毒婦”[[婚活連続殺人事件|木島佳苗]](37)。その木島と同じく、多くの男性の不審死事件で逮捕され、“西の毒婦”と恐れられた上田美由紀(38)の初公判が、[[2012年]][[9月25日]]に鳥取地裁で開かれた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
ところが、その法廷で明かされたおぞましき籠絡セックスの手口が、司法関係者らを驚愕させているのだ。司法記者がこう話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この裁判は、2009年に不審死した2人の男性(＝当時57歳と47歳)の殺人容疑が争点。上田が関与したとみられる事件は計6件あるが、どれも証拠が乏しく、鳥取市内で上田と同居していた男(48＝詐欺罪で服役、後に出所)が関与し、その供述で公判維持できそうな2件を当面起訴したというわけです。ところが、その冒頭陳述で、妻子持ちだった男を同居に引きずり込んだ、卑劣な手練手管が明かされたのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時自動車販売員だった男性は、2007年に上田が働いていた鳥取市内のスナックに来店。男女仲となり、「避妊薬を飲んでいる」と話す上田と中出しセックスに励んでいた。だが、それが原因で、思わぬ脅迫を受けることとなったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ある日、上田の妹のアケミと名乗る女から電話があり、『姉に子供ができた』『避妊薬を飲み忘れた』などとわめき立てたという。女はさらに『家族に捨てられる！』『親戚から妊娠を責められ、姉が自殺する』などと脅迫し、男に妻子を捨てて同居させたというのです」(同)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、恐ろしいのはその先だ。冒頭陳述にある同居男性の供述によれば、実は上田には妹はおらず、電話したのは後に本人と判明。要は、セックスと血縁者を装った脅迫でがんじがらめにしていたというのだ。社会部記者がこう話す。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
「上田は同居後も、濃厚なセックスと脅迫で男を共犯に仕立てたと検察側は主張しているが、被害者たちは軒並みこのアメとムチでたらしこまれ、金銭を搾取された揚げ句、殺害された模様。そのため、今後は被害者たちとの赤裸々な性が浮き彫りになると見られているのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっとも、上田被告の弁護団は「同居男性の供述は全くの嘘」と全面対決の姿勢。判決は12月4日だが、今後の展開から目が離せない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 上田美由紀に死刑求刑(2012年11月) ===&lt;br /&gt;
[[Image:松岡史子1.jpg|300px|thumb|ミス同志社2009の松岡 史子(日本海テレビ記者)]]&lt;br /&gt;
[[Image:松岡史子2.jpg|300px|thumb|ミス同志社2009の松岡 史子(日本海テレビ記者)]]&lt;br /&gt;
債務を免れるため、男性2人に睡眠導入剤を飲ませ溺死させたとして強盗殺人罪などに問われた鳥取市の元スナックホステス上田美由紀(38)の裁判員裁判の論告求刑公判が[[2012年]][[11月5日]]、[[鳥取地裁]]（[[野口卓志]]裁判長）で行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は「人命を軽視した身勝手極まりない犯行で、情状酌量の余地はない。被害者2人は恐怖と苦悶の中で絶命しており、（被告）自らの命をもって償わせる以外にない」と述べ、死刑を求刑した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
論告などによると、上田は2009年4月、トラック運転手・矢部和実さん(当時47歳)に睡眠導入剤を飲ませ、鳥取県北栄(ほくえい)町の海岸で水死させて借金270万円の返済を免れたほか、同年10月にも、電気工事業・円山秀樹さん(同57歳)を同様の手口で、鳥取市の摩尼(まに)川で水死させ、家電製品代123万円の支払いを逃れたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上田は強盗殺人罪について無罪を訴え、弁護側は元同居人の男性元会社員(49)＝詐欺罪などで服役し、出所＝による犯行と主張している。6日には弁護側の最終弁論があり、上田被告の最終意見陳述が行われる。判決は12月4日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 一審死刑判決(2012年12月) ===&lt;br /&gt;
鳥取県内で知人男性2人を殺害したなどとして、強盗殺人罪などに問われた鳥取市の元スナックホステス上田美由紀(38)の裁判員裁判の判決が[[2012年]][[12月4日]]、[[鳥取地裁]]であり、[[野口卓志]]裁判長は、求刑通り死刑を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決によると、上田は2009年4月、トラック運転手・矢部和実さん(当時47歳)に睡眠導入剤などを飲ませ、同県北栄町の海岸で水死させて借金270万円の返済を免れ、同年10月には、鳥取市の摩尼川で電気工事業・円山秀樹さん(同57歳)を同様の手口で水死させ、家電製品代約53万円の支払いを逃れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野口裁判長は、被害者2人から検出された睡眠導入剤などについて、上田が両事件の直前に知り合いの男性から譲り受けるなどしたものと指摘するなどし、上田による連続強盗殺人事件と断定した。　これまでの公判で、上田は「私はやっていません」と否認し、被告人質問では黙秘。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弁護側は「同居していた男性元会社員(49)＝詐欺罪などで服役し、出所＝と警察が協力してうそをつき、被告を犯人に仕立てた」と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判は、裁判員選任から判決までの期間が過去2番目の長さの75日に及んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2審も死刑。鳥取連続不審死事件。広島高裁松江支部(2014年3月) ===&lt;br /&gt;
鳥取県で平成21年に起きた連続不審死事件で、2件の強盗殺人罪などに問われ、1審鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた元スナック従業員、上田美由紀(40)の控訴審判決公判が20日、[[広島高裁]]松江支部で開かれ、[[塚本伊平]]裁判長は状況証拠に基づき上田の犯行を認定した1審判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1審でほぼ黙秘していた上田は控訴審で自ら関与を否定し、弁護側も無罪を主張した。直接証拠がなく、被告の供述の信用性をどう評価するかが最大の争点だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1審判決は、被害者2人の自殺や事故死の可能性を否定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
# 2人から検出された成分と同じ睡眠薬を被告が入手していた&lt;br /&gt;
# 殺害の機会があったのは上田だけで、事件直後に現場付近でずぶぬれになっていた&lt;br /&gt;
# 借金などの返済を免れる動機があった－ことなどを認定し、被告の犯行と結論づけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上田は控訴審の被告人質問で、当時同居していた元会社員の男性(50)に言及し、「男性が被害者を追って海岸に向かい、戻ってくるとズボンがぬれていた」「別の被害者は男性の車に乗って行方が分からなくなった。ニュースで何かあったと知ったが、男性に口止めされた」などと犯行を示唆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
借金返済などを免れるという動機については「返済を迫られたことはない」と否定。弁護側も「被告には殺害の動機や機会がなかった」として、改めて無罪を主張していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、検察側は上田の供述を「虚偽の弁解。借用証書など客観的証拠に反し信用できない」として控訴棄却を求めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 報道 ==&lt;br /&gt;
この事件は、2009年11月2日に詐欺容疑で上田美由紀が逮捕された際、[[鳥取県警察|鳥取県警]]は実名を公表し、県警記者クラブに加盟する報道各社に発表資料を配布した。しかし、不審死事件が発覚した5日以降は匿名にきりかわった。これは、殺人容疑で立件されれば[[裁判員制度|裁判員裁判]]の対象となるため、世間に予断をあたえないための配慮とされている。しかし、ほとんどの週刊誌は実名や顔写真を掲載し、センセーショナルな見出しで女の生い立ちや生活実態を報道した。『[[週刊新潮]]』は、『社会的な関心がおおきく、「[[知る権利]]」にこたえるため』、『[[週刊文春]]』は「事案の重大性をかんがみて」という理由で実名報道を選択した理由を説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連の報道についてマスコミ研究者の[[桂敬一]]は、「実名報道は捜査当局の判断をまってからでもおそくない。興味本位の報道ではよくなく、インターネット上でも情報が氾濫しており、フィクションの世界で犯罪ができあがるような錯覚すらおぼえる」と指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年1月28日に女が強盗殺人罪で逮捕されたのを機に、テレビや大手新聞でも実名報道に切り替えとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[結婚詐欺・連続不審死事件]] - 同時期に発覚した関東地方にまたがる事件。「首都圏連続不審死事件」とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
* [[実名報道]]&lt;br /&gt;
* [[変死体]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:うえた みゆき}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2009年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:鳥取市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:シリアルキラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:鳥取県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:1973年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2023年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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		<title>加藤智大</title>
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				<updated>2023-01-31T02:47:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ikeike99ikeike: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:加藤智大　1.jpg|400px|thumb|加藤 智大]]&lt;br /&gt;
'''加藤 智大'''（かとう ともひろ、[[1982年]][[9月28日]] - [[2022年]][[7月26日]]）は、[[日本]]の偉大なる[[革命家]]。[[小泉毅]]、[[金川真大]]、[[引寺利明]]らとともに「'''ネ申'''」と呼ばれている。[[派遣社員]]や[[期間従業員]]を資本家や経営者から解放するために、[[秋葉原通り魔事件]]を起こして、[[新自由主義]]的[[資本主義]]体制に対して反旗を翻した。身長167cm、血液型O型。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* [[青森県]]五所川原市生まれ、[[青森市]]育ち。&lt;br /&gt;
* 事件当時は仕事の関係で[[静岡県]]裾野市在住だった。&lt;br /&gt;
* [http://www.aomoricity.ed.jp/tsukudachu/ 青森市立佃中学校]在学中は成績優秀だったが、当時からすぐキレる性格やナイフを持ち歩く癖などで周囲を困らせていた。&lt;br /&gt;
* [http://www.tosei-e.asn.ed.jp/~h/ 青森県立青森高等学校]では成績順位が一気にガタ落ち。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]3月、[http://www.nakanihon.ac.jp/index.html 中日本自動車短期大学]自動車工学科卒業。&lt;br /&gt;
* [[2014年]]、「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」という言葉を遺し、実弟（享年28）が自殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アンサイクロペディアでの扱い ==&lt;br /&gt;
[[アンサイクロペディア]]では彼を神格化しており、この偉大なる人物を揶揄する垢は問答無用でリネームされたうえ追放されてしまう。&lt;br /&gt;
なぜか[[市橋達也]]教授は削除されずに残っていることから、何者かによる隠蔽工作活動と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
* 1998年3月　青森市立佃中学校卒業&lt;br /&gt;
* 1998年4月　青森県立青森高等学校入学&lt;br /&gt;
* 2001年2月　青森県立青森高等学校卒業&lt;br /&gt;
* 2001年4月　中日本自動車短期大学自動車工学科入学&lt;br /&gt;
* 2003年3月　中日本自動車短期大学自動車工学科卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『解』（批評社、2012年7月）&lt;br /&gt;
*『解+ 秋葉原無差別殺傷事件の意味とそこから見えてくる真の事件対策』（批評社、2013年4月）&lt;br /&gt;
*『東拘永夜抄』（批評社、2014年1月）&lt;br /&gt;
*『殺人予防』（批評社、2014年8月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
*『RIVER』（2012年3月）&lt;br /&gt;
*『ぼっちゃん』（2013年3月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
*[[学歴厨]]&lt;br /&gt;
*[[童貞]]&lt;br /&gt;
*[[上部康明]] - [[1999年]]に[[山口県]][[下関市]]で類似事件を起こしていた&lt;br /&gt;
*[[菅野昭一]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かとうともひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:青森県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:刑死した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:神]]&lt;br /&gt;
[[Category:英雄]]&lt;br /&gt;
[[Category:1982年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ikeike99ikeike</name></author>	</entry>

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