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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-04-25T08:24:22Z</updated>
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		<title>亀田和毅</title>
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				<updated>2010-08-31T18:14:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:'''亀頭 和毅'''（かめだ ともき、きとう ともき[[1991年]][[7月12日]] - ）は、[[プロボクサー]]志望のアマチュアボクサー。[[大阪市]][[西成区]]出身。[[大阪市立天下茶屋中学校]]卒業。[[ボクシング]]家族である[[亀頭三兄弟]]の三男で、[[亀頭興毅]]、[[亀頭大毅]]の弟である。&lt;br /&gt;
:名前のエピソードとしてトレーナーでもある父[[亀田史郎]]が出生届を出すときに「知毅（ともき）」という漢字を勘違いして「'''和'''毅」で出してしまった、という話がある。髪型が特徴的。血液型B型。身長170cm、体重55kg。右ボクサーファイター。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:長男の興毅と次男の大毅は「'''兄弟の中で、一番[[オナニー]]と[[八百長]]の才能があるのは和毅'''」と語っている。和毅は[[2008年]]の[[北京オリンピック]]を目指していたが、2008年の北京五輪は来春のアジア予選の段階で17歳以上でなければならないとの出場資格があるため、この資格を満たさない和毅の出場は不可能となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 近況 ==&lt;br /&gt;
:現在亀田三兄弟は[[東京都]][[葛飾区]]に本拠地を置いて練習を行っている。和毅は中学校在学時には、保護者である父・史郎は本人が望む限り[[普通教育]]（[[義務教育]]）を受けさせなければならなかったが、在籍している大阪の天下茶屋中学校から転校した事実はなく、事実上[[不登校]]となっていた。出席日数が不足していたため、転入手続きを行うことができなかったとのことである。{{要出典}}&lt;br /&gt;
:ただし本人が自由意志で不登校を選択していたのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。なお、本人が学校に行きたいのに、保護者が通学をしないようにした場合（家事を強制するなど）は、就学義務違反となる。この場合はおそらく亀田和毅本人の意思による不登校であると思われるので法律上は何の問題もないが、道義的には疑問が残るとの指摘があった。&amp;lt;BR&amp;gt;&lt;br /&gt;
:しかし、修学旅行・遠足・運動会・オナニー・ラジオ体操・給食など等の行事には参加していた様である。&lt;br /&gt;
:[[2007年]][[3月14日]]、[[大阪市立天下茶屋中学校|天下茶屋中学校]]を卒業。[http://www.nikkansports.com/battle/kameda/p-bt-tp1-20070315-169811.html]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本でのアマチュアデビュー断念 ===&lt;br /&gt;
:2007年4月からは2人の兄と同様、高校には進学せず2007年5月に行われる全日本実業団選手権でアマチュアデビューし、プロライセンスが取得できる17歳になり次第プロに転向する予定であった。&lt;br /&gt;
:しかし[[2007年]][[3月7日]]、'''「髪型の前髪は眉毛まで、後ろ髪はうなじまでとの規則に違反」「（テレビ番組出演などが）アマ資格に抵触する可能性がある」'''として、JABCルールに則り、アマチュアのリングに上がれない可能性がある旨を、[[日本アマチュアボクシング連盟]]が亀田側に通達したとの報道があった。[http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/sports/kameda/news/20070305-OHT1T00064.htm]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これに対し、和毅は「勝ち続けることで特例で北京五輪に出たる」と語ったが、父親でありトレーナーの[[亀田史郎]]は'''「違反のルールも曖昧。頭髪も社会人らしくないとムチャクチャ言いよる」「好き嫌いで亀田を排除しようとしているとしか思えん」'''とコメント。和毅をアメリカでボクシングデビューさせる意向を示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし後日、日本アマチュアボクシング連盟の[[吉森照夫]]専務理事が、前述の報道に反論。和毅のアマチュアデビューを拒否した事実はなく、ルールを守り品性を保ちさえすれば和毅のアマチュアデビューを歓迎するとのコメントを発表した。これについて亀田史郎は、ノーコメントを貫いている。&lt;br /&gt;
:ルールは守るためにあるものである。それを無視して難癖をつけて、北京五輪には出ずに八百長し放題のアメリカ、メキシコで活躍させようとしている意図が丸見えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 自宅警備員の華麗なるアマチュア戦績 ==&lt;br /&gt;
:2007年夏、メキシコ武者修業へ旅立つ。[[8月10日]]、メキシコのパンチョロサレスジムにて、WBCミニマム級25位のホブ・ソラーノとスパーリングしたが苦戦し2ラウンドでリングを降りた。&lt;br /&gt;
:[[9月8日]]、メキシコで行われたアマチュア大会「グアンテス・デ・オロ」バンタム級リーグ戦（少年の部）の3戦目で、ギゼルモ・トレロと対戦。判定負けの裁定を受けたが再審議が行われ、無効試合となった。同4戦目では、エクトル・モラレスに判定負けをしたが、この試合もまた疑惑の判定として無効試合とされている。&lt;br /&gt;
:この大会では亀田の試合以外でも疑惑の判定が多く、大会運営側が審判団と協議し数試合の判定を無効とする採決が下された。一旦帰国した和毅に対し日本のメディアでは、「土つかずの4連勝」「無敗の遠征凱旋」「相手を圧倒」などと報じた。&lt;br /&gt;
*2007/08/04　○　ヘスス・バスケス　（判定＝デビュー戦） &lt;br /&gt;
*2007/08/18　○　ビクトル・サンドバ　（KO･RSC）&lt;br /&gt;
*2007/09/04　？　ギゼルモ・トレホ　（判定負けだが後に審判にイチャモンつけて無効試合に） &lt;br /&gt;
*2007/09/15　●　エクトル・モラレス　（判定＝公開スパーリング扱いにして試合自体無かったことに）　&lt;br /&gt;
*2007/09/22　○　ホセ・バレラ　（判定）&lt;br /&gt;
*2007/09/29　○　ギゼルモ・ロペス　（判定） &lt;br /&gt;
*2007/11/03　○　ロベルト・サーニャーナ　（判定）&lt;br /&gt;
*2007/11/15　●　アルマンド・ガリバイ　（判定＝引分だとゴネるがアマチュアに引分はない。つまり負けた） &lt;br /&gt;
*2007/12/16　●　レイ・バルガス　（判定＝なぜか決勝戦。マスゴミは「和毅初黒星」と発表）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:マスゴミ公表捏造戦績：８戦６勝（１ＫＯ）１敗１無効試合&lt;br /&gt;
:真実のアマチュア戦績：９戦５勝（１ＫＯ）３敗１無効試合（実質４敗）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
くどいようだが、この大会はアマチュア最高峰の大会'''ゴールデングローブ'''ではなく、諸事情でメキシコ関係者から総スカン食らっている低レベル大会'''グアンデス・デ・オロ'''である。ちなみに2007年夏にメキシコ発上陸時に調子に乗って組んだスパーリングでは、当地のミニマム級ランカー(25位)相手にボッコボコにされて途中でスパーを逃げている。ちなみにラーメンマンの階級はどう軽く見ても'''[[バンタム級]]（[[ミニマム級]]の４階級上）'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この後もアマチュアの試合に出場して2008年5月にメキシコアマチュア大会初心者の部で優勝した。ちなみにデイリーとかいうスポーツ新聞は'''「これで和毅の戦績は10戦全勝」&lt;br /&gt;
'''と報道したが、すでに前回の初心者大会で負けたことは無かったことになっているようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
兄達ですらやらなかったアマチュア戦績の詐称を平気で行う自宅警備員はプロで通用するのかが別の意味で注目されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 失笑ベルト〜WBCユース編〜 ==&lt;br /&gt;
これまで無名ボクサーとの王座決定戦で3つのベルトを我が物にしてきた和毅だが、2010年8月28日にメキシコで行なわれたWBCユースバンタム級タイトルマッチの前々日、調印式でチャンピオンのステファーヌ・ジャモエ（ベルギー）に自ら恫喝行為をはたらいた。まずジャモエが握手を求めると拒否。両選手が互いに抱負を述べた後、和毅は突然キレたようにジャモエ陣営を睨みつけるとスペイン語で叫び始めた。ジャモエは不快感を示し、ジャモエの父親は「恫喝はやめて下さい」と抗議。すると和毅は&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1.5cm; color:red;&amp;quot;&amp;gt;「'''おまえは黙れ！ 俺が戦うのは息子の方や！ 首をつっこんでくるな'''」&amp;lt;/span&amp;gt;とまくしたて、さらに立ち上がって顔を前に突き出し、メンチ切り。プロモーターが必死に事態を収めようとする姿はテレビでも流された。試合結果は判定ドローをコールされた後、その場にいもしなかったスライマン会長の鶴の一声で主催者が誤りだったと修正し、和毅の判定勝ちに塗り替えられた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/08/post_5335.html ボクシング亀田三男・和毅がメキシコで相手選手を恫喝　不可解裁定も...... - 日刊サイゾー]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かめた ともき}}&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のボクサー]]&lt;br /&gt;
[[Category:1991年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:吹石]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

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		<title>亀田史郎</title>
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				<updated>2010-05-25T12:20:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 興毅の世界フライ級初防衛戦にて */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''亀田史郎'''（かめだ しろう、[[1965年]][[5月22日]] - ）は、元協栄ジム所属の[[ボクシング]]トレーナー。[[亀田三兄弟]]の父親にして、三匹のボクシングの指導者。[[雑誌]]や[[スポーツ新聞]]等では'''「亀父」'''とも表記される。三兄弟がボクサーとしてデビューし、報道における露出が多くなるにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや暴言など言動を巡って、物議を醸している。血液型はB型。身長170cm。亀田家の中でも随一の[[気違い]]であり、彼はいろいろな人物から批判を受けているため、逃げ場はほとんど無いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[兵庫県]][[姫路市]]生まれ、[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]育ち。&lt;br /&gt;
本人曰く中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と発言している。地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。&lt;br /&gt;
プロボクサーを目指し、進光ジム（現[[新日本大阪ジム]]）に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚するが、のちに子どもたちの教育方針をめぐり2003年に離婚し、子供を引き取る。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、[[空手]]などの[[格闘技]]の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ（特に[[東京放送|TBS]]、[[デイリースポーツ]]）が父親と三兄弟に密着していた。現在は「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」ということで、東京都葛飾区在住。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元[[大関]][[琴風豪規|琴風]]（尾車親方）のファンであり、長男の[[亀田興毅|興毅]]の名は彼の現役時代の四股名「琴風豪規」にちなんでいる。ロックバンド「[[T-BOLAN]]」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、[[2006年]][[8月2日]]に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 指導方法とボクシングスタイル ==&lt;br /&gt;
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせたる!」と公言してはばからず、以下のようなボクシング指導を行っていると伝えられる。&lt;br /&gt;
* 「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎が[[銛|モリ]]や[[箒|ホウキ]]の先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度もモリが刺さり、流血した。&lt;br /&gt;
* 「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの&lt;br /&gt;
* 「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる[[畳]]を殴った方がパンチが強くなるとの理論&lt;br /&gt;
* 「丸太スクワット」&lt;br /&gt;
* 「しごき棒」&lt;br /&gt;
* 「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。[[視力|動体視力]]の特訓になるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」「基本を理解していない」「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」「スポーツ科学の知識はあるのか」「精神論だけだ」などの批判を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見も一部ではあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績があると主張する者もいるが、対戦相手にプロライセンスすら持っていなかった選手がいたことや、反則行為での勝利については言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー[[渡部信宣]]は、リングネームを「[[牛若丸あきべぇ]]」に変えて、弟子入りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボクシングスタイルとしては、フットワークを使わずガードを固め、常に前進し続ける。フットワークを使わず頭部のみ防御し、[[ボディ]]の防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。退屈でつまらないスタイルとの評価もあり、ガードを固めてポイント稼ぎをする消化不良の試合とメディアに書かれることも多い。またバッティングも頻繁に起こることから、このスタイルに対しての批判も多い。&lt;br /&gt;
現在、[[亀田興毅]]と[[亀田和毅]]は亀田ジムを離れて別のトレーナーから指導を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この亀田流ファイトスタイルに関しては「[[ジャブ]]を打たなさすぎる」「後ろに下がらなさすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無いとの声もあるが、亀田興毅及び亀田大毅の試合では亀田側による[[バッティング]]や[[ローブロー]]などが異常なまでに多発していることから、このスタイルにたいして批判が多い。フットワークは使わず常にガードをして前進するため、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスを固めている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 亀田興毅世界王者決定後の論争 ==&lt;br /&gt;
長男興毅が[[2006年]][[8月2日]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]ライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、'''亀田史郎に対する'''特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。多くの人が「安いドラマだ」と批判したように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[8月7日]]の[[テレビ朝日]]『[[スーパーモーニング]]』に生出演した際、[[やくみつる]]が史郎に[[仕付け糸]]を渡し「これで亀（ここでは息子の興毅とされている）を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「[[躾け]]」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
放送当時のもう一人のコメンテーターである[[ガッツ石松]]も7点差でランダエダの勝ちだったと語っていた。また、試合前日の計量時に[[ファン・ランダエタ]]が亀田興毅に[[おむつ]]とおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式（フェイス・オフ）は、話題作りのためのショーアップ（挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など）の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるという[[マッチポンプ]]状態がいつまでも続いている。これはWBAや[[世界ボクシング評議会|WBC]]といった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、過去にWBCフライ級王者[[ポンサックレック・グラティンデーンジム]]から対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の[[内藤大助]]に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある（他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても対戦拒否といった選択を行っている）。これに対し亀田陣営はそれほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなど言っていたが、世界王者、日本王者などからの対戦要求も回避してきたことから、この亀田陣営の言い訳は明らかに矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[9月27日]]に行われた次男[[亀田大毅|大毅]]のプロ第6戦において、判定について、観客から批判の言葉があったことに対して、&amp;lt;!--ヤジ、罵声という意見もあるが、その場面の動画や音声が現在確認出来ないため、直接現場にいた人の意見を採らせて頂きました//--&amp;gt;周囲の一部の亀田ファンが猛反発、[[恫喝]]を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、その場に亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[http://boxing12.exblog.jp/d2006-09-28/]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は[[未遂]]で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない（事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた）公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で観客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく非難を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも「行動があまりに幼稚」「本当に子供のことを考えているのか」「それでも大人か」「人間性のかけらもない」「ボクシング業界からさっさと身を引くべき」「ライセンスを剥奪しろ」といった批判も多く寄せられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、あまりに騒ぎが大きくなったため、会場となった[[後楽園ホール]]の所轄である[[警視庁]][[富坂警察署]]が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいた者たちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この騒動に対しては、[[日本ボクシングコミッション]]（JBC）が13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レフェリーに対する暴言騒動 ==&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月24日]]亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰&amp;lt;ref&amp;gt;JBC試合役員会会長。浦谷は審判歴約20年、裁いた試合数は一万試合を超えるベテランであり、そのジャッジ内容がWBCにおけるビデオ教材としても採用されているほどの審判。&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して暴言を吐き、試合役員会はこれに激怒。史郎に'''「恫喝や脅迫とも受け取れる。史郎氏の謝罪がなければ、史郎氏がかかわる試合への役員派遣を拒否する」'''など、ライセンス停止を含む厳正な処分を処分を求める要望書をJBCに提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この問題は5R終了間際に興毅が奪ったダウンで浦谷が試合を止めなかったことや、興毅がバッティングを注意されたことに史郎氏が抗議したことによる。史郎は'''「何で5Rのダウンで止めんねや。（バッティングを注意され）亀田だけのルールを作んな!」'''と反則行為にも関わらず強い口調でレフェリーにと詰めより、関係者に制止されると'''「今度はきちんとボクシングが分かる人間にやってもらわな」'''などの暴言を吐いたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
協栄ジム[[金平桂一郎]]会長は「本人のサインを添えた謝罪文をJBCに提出する」と表明、同年[[4月16日]]に史郎は謝罪文をJBC役員会に提出。JBCは史郎と金平会長に対し「言動注意」を文書で通達。さらに'''「今度問題を起こした場合、今後史郎氏が関わる試合全てに役員を一切派遣しない」'''事を通告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし史郎本人への処分は一切無く、口頭での厳重注意のみに留まっている。このことから「処分が軽すぎるのではないか」「何故ライセンスを剥奪しないのか」「JBCの対応は甘すぎる」といった批判が出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、史郎は当初「役員会？ 知らん、何も知らん。関係ないやろっ！」と沈黙を通していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 内藤大助対亀田大毅戦にて ==&lt;br /&gt;
2007年10月11日に行われた[[内藤大助]]対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトル戦では、リング上で相手に罵声を浴びせて威嚇するなどの場面があったほか、試合後半から終盤にかけて、大毅に対して、'''「玉打ってええから」'''&amp;lt;ref name=&amp;quot;サンスポ 2007年10月17日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.sanspo.com/fight/top/f200710/f2007101706.html| title =金平会長厳命！条件守らなければ亀田一家解雇も| publisher = [[サンスポ]]| accessdate = 10月18日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と明確に反則とわかる指示を出し、兄の興毅も「ヒジでエエから目に入れろ」&amp;lt;ref name=&amp;quot;ZAKZAK 2007年10月12日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_10/s2007101204_all.html| title =“最低最悪ファミリー”亀田家、反則指示してた!| publisher = [[ZAKZAK]]| accessdate = 10月12日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;などと声をかけていることが、TBSの全国生中継で報道された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、｢投げろ投げろ！｣などの指示も12ラウンド中に聞かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、それを確認した視聴者などからTBSに、12日午前9時までの約半日の間に電話857件、電子メール628通もの抗議が届いた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071012/mrt0710121200003-n1.htm|title =“TBS炎上” 「亀田寄り」と苦情殺到|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;JBCにも非常に多数の抗議・問い合わせが集中し、12日、倫理委員会を15日に開き史郎を含めた亀田一家を処分を検討することを決めた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000014-yom-spo|title =“「急所狙え」亀田父子処分へ…JBC倫理委|publisher = [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12Rの「レスリング行為」による減点3は日本のボクシングタイトルマッチでは前代未聞の出来事であり、一連反則行為について15日の倫理委員会でJBCは、史郎トレーナーのセコンドライセンスの無期限停止を決定した。その他、所属する協栄ジムの金平桂一郎会長に3カ月のクラブオーナーライセンスの停止、セコンドについた長男・興毅に厳重戒告、次男・大毅に1年のライセンス停止の処分を決定した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071015/mrt0710151639005-n1.htm|title =亀田父、ライセンス無期限停止 大毅はライセンス停止1年、興毅は厳重戒告|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対する謝罪会見を開いたが、自分は反則行為を指示していないが、そう聞こえたなら何も言いませんと頑なに語っており、反則行為は[[亀田大毅]]の自発的な行為であるとの主旨を突き通した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曖昧な謝罪会見に世間から一層の批判を買い、その後、二度目の謝罪会見を開くことになった。&amp;lt;br/&amp;gt;しかし亀田史郎は出席せず、息子の亀田興毅が代わりに謝罪した。亀田史郎自身は所属ジムである協栄ジムを辞職しボクシング界での一切の活動を行わないことを宣言した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://www.sanspo.com/sokuho/071026/sokuho003.html| title =“亀田興毅が謝罪会見　父史郎氏は辞任| publisher = [[サンケイスポーツ]]| accessdate = 10月26日| accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==興毅の世界フライ級初防衛戦にて==&lt;br /&gt;
2010年3月27日に行われたポンサクレック・ウォンジョンカムと興毅の初防衛戦で、判定で完敗して興毅は王座から陥落するが、判定に不服を覚えた史郎は、この世界戦でWBCのスーパーバイザーを兼務したJBC事務局長の安河内剛、主審、もう1人のWBCスーパーバイザーの3人を自分たちの控え室に呼びつけて判定について&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm; color:red;&amp;quot;&amp;gt;「'''おどれのクビをとってやる。おまえオレを怒らせたら、もう終わりじゃ！'''」&amp;lt;/span&amp;gt;と恫喝し、'''机を叩いたり、椅子を蹴るなどして大暴れ'''し&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/03/post_4192.html 「クビとったるぞ！」JBC事務局長を恫喝した亀田父・史郎氏に協会が処分検討 日刊サイゾー]&amp;lt;/ref&amp;gt;、マネジャーには'''殴る蹴るの暴行'''を加えた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/05/post_4588.html 自浄能力ゼロのボクシング協会　亀田ジムが大甘処分で存続決定の裏事情] 日刊サイゾー 2010年5月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;。そして安河内は史郎のホテルに説得に向かった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010032800007 亀田陣営、減点に激怒＝ボクシング世界戦] 時事ドットコム 2010年3月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* 元々ボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制したものである。自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め! 自分で働いて飯食え!出て行け!」と家の外に放り出し、食事も与えないという[[児童虐待]]を行っていた。「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。（自伝より）&lt;br /&gt;
* 教育については独自の考えがあるが、中学生である三男の[[亀田和毅|和毅]]を学校に登校させていない。これは、[[日本国憲法]]で規定された教育を受けさせる義務（[[義務教育]]）を怠っている。プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。これは親である史郎の責任である（就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない）。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。&lt;br /&gt;
* 既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは[[週刊文春]]や[[週刊新潮]]などのみである。不自然な言動をいつまでも続けていてはいけない。&lt;br /&gt;
* 魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[8月25日]]、[[フライデー]]にて[[暴力団]]関係者と会食している姿が撮られる。本当に暴力団である可能性もある。&lt;br /&gt;
* 愛車は[[クライスラー]]300Cである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『闘育論―亀田流三兄弟の育て方』[[創美社]], 2006年, 187p. ISBN 4420310146&lt;br /&gt;
:作中では、インチキで息子を[[ミニ四駆]]レースで勝たせたなど過激な内容が話題を呼んだ。どうやれば、亀田三兄弟のような優秀な子供を育てられるか教えてくれる名著である。亀田家誕生のルーツを知る為には欠かせない本でもある。[[Amazon]][[レビュー]]では、星一つのレビューに「参考になった票」が1000票を超えて入るなど、絶大に支持されている。[[ゴースト]]さん、お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※ここで「闘育論」と書かれているのは、「TOEIC論」の間違いだと思われる。&lt;br /&gt;
　修正を希望。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[亀田三兄弟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 補足 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かめたしろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシングの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1965年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:兵庫県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:TBS]]&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
[[Category:暴力団]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%8F%B2%E9%83%8E&amp;diff=89823</id>
		<title>亀田史郎</title>
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				<updated>2010-05-25T12:17:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''亀田史郎'''（かめだ しろう、[[1965年]][[5月22日]] - ）は、元協栄ジム所属の[[ボクシング]]トレーナー。[[亀田三兄弟]]の父親にして、三匹のボクシングの指導者。[[雑誌]]や[[スポーツ新聞]]等では'''「亀父」'''とも表記される。三兄弟がボクサーとしてデビューし、報道における露出が多くなるにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや暴言など言動を巡って、物議を醸している。血液型はB型。身長170cm。亀田家の中でも随一の[[気違い]]であり、彼はいろいろな人物から批判を受けているため、逃げ場はほとんど無いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[兵庫県]][[姫路市]]生まれ、[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]育ち。&lt;br /&gt;
本人曰く中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と発言している。地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。&lt;br /&gt;
プロボクサーを目指し、進光ジム（現[[新日本大阪ジム]]）に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚するが、のちに子どもたちの教育方針をめぐり2003年に離婚し、子供を引き取る。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、[[空手]]などの[[格闘技]]の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ（特に[[東京放送|TBS]]、[[デイリースポーツ]]）が父親と三兄弟に密着していた。現在は「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」ということで、東京都葛飾区在住。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元[[大関]][[琴風豪規|琴風]]（尾車親方）のファンであり、長男の[[亀田興毅|興毅]]の名は彼の現役時代の四股名「琴風豪規」にちなんでいる。ロックバンド「[[T-BOLAN]]」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、[[2006年]][[8月2日]]に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 指導方法とボクシングスタイル ==&lt;br /&gt;
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせたる!」と公言してはばからず、以下のようなボクシング指導を行っていると伝えられる。&lt;br /&gt;
* 「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎が[[銛|モリ]]や[[箒|ホウキ]]の先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度もモリが刺さり、流血した。&lt;br /&gt;
* 「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの&lt;br /&gt;
* 「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる[[畳]]を殴った方がパンチが強くなるとの理論&lt;br /&gt;
* 「丸太スクワット」&lt;br /&gt;
* 「しごき棒」&lt;br /&gt;
* 「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。[[視力|動体視力]]の特訓になるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」「基本を理解していない」「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」「スポーツ科学の知識はあるのか」「精神論だけだ」などの批判を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見も一部ではあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績があると主張する者もいるが、対戦相手にプロライセンスすら持っていなかった選手がいたことや、反則行為での勝利については言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー[[渡部信宣]]は、リングネームを「[[牛若丸あきべぇ]]」に変えて、弟子入りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボクシングスタイルとしては、フットワークを使わずガードを固め、常に前進し続ける。フットワークを使わず頭部のみ防御し、[[ボディ]]の防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。退屈でつまらないスタイルとの評価もあり、ガードを固めてポイント稼ぎをする消化不良の試合とメディアに書かれることも多い。またバッティングも頻繁に起こることから、このスタイルに対しての批判も多い。&lt;br /&gt;
現在、[[亀田興毅]]と[[亀田和毅]]は亀田ジムを離れて別のトレーナーから指導を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この亀田流ファイトスタイルに関しては「[[ジャブ]]を打たなさすぎる」「後ろに下がらなさすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無いとの声もあるが、亀田興毅及び亀田大毅の試合では亀田側による[[バッティング]]や[[ローブロー]]などが異常なまでに多発していることから、このスタイルにたいして批判が多い。フットワークは使わず常にガードをして前進するため、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスを固めている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 亀田興毅世界王者決定後の論争 ==&lt;br /&gt;
長男興毅が[[2006年]][[8月2日]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]ライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、'''亀田史郎に対する'''特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。多くの人が「安いドラマだ」と批判したように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[8月7日]]の[[テレビ朝日]]『[[スーパーモーニング]]』に生出演した際、[[やくみつる]]が史郎に[[仕付け糸]]を渡し「これで亀（ここでは息子の興毅とされている）を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「[[躾け]]」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
放送当時のもう一人のコメンテーターである[[ガッツ石松]]も7点差でランダエダの勝ちだったと語っていた。また、試合前日の計量時に[[ファン・ランダエタ]]が亀田興毅に[[おむつ]]とおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式（フェイス・オフ）は、話題作りのためのショーアップ（挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など）の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるという[[マッチポンプ]]状態がいつまでも続いている。これはWBAや[[世界ボクシング評議会|WBC]]といった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、過去にWBCフライ級王者[[ポンサックレック・グラティンデーンジム]]から対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の[[内藤大助]]に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある（他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても対戦拒否といった選択を行っている）。これに対し亀田陣営はそれほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなど言っていたが、世界王者、日本王者などからの対戦要求も回避してきたことから、この亀田陣営の言い訳は明らかに矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[9月27日]]に行われた次男[[亀田大毅|大毅]]のプロ第6戦において、判定について、観客から批判の言葉があったことに対して、&amp;lt;!--ヤジ、罵声という意見もあるが、その場面の動画や音声が現在確認出来ないため、直接現場にいた人の意見を採らせて頂きました//--&amp;gt;周囲の一部の亀田ファンが猛反発、[[恫喝]]を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、その場に亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[http://boxing12.exblog.jp/d2006-09-28/]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は[[未遂]]で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない（事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた）公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で観客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく非難を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも「行動があまりに幼稚」「本当に子供のことを考えているのか」「それでも大人か」「人間性のかけらもない」「ボクシング業界からさっさと身を引くべき」「ライセンスを剥奪しろ」といった批判も多く寄せられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、あまりに騒ぎが大きくなったため、会場となった[[後楽園ホール]]の所轄である[[警視庁]][[富坂警察署]]が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいた者たちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この騒動に対しては、[[日本ボクシングコミッション]]（JBC）が13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レフェリーに対する暴言騒動 ==&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月24日]]亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰&amp;lt;ref&amp;gt;JBC試合役員会会長。浦谷は審判歴約20年、裁いた試合数は一万試合を超えるベテランであり、そのジャッジ内容がWBCにおけるビデオ教材としても採用されているほどの審判。&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して暴言を吐き、試合役員会はこれに激怒。史郎に'''「恫喝や脅迫とも受け取れる。史郎氏の謝罪がなければ、史郎氏がかかわる試合への役員派遣を拒否する」'''など、ライセンス停止を含む厳正な処分を処分を求める要望書をJBCに提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この問題は5R終了間際に興毅が奪ったダウンで浦谷が試合を止めなかったことや、興毅がバッティングを注意されたことに史郎氏が抗議したことによる。史郎は'''「何で5Rのダウンで止めんねや。（バッティングを注意され）亀田だけのルールを作んな!」'''と反則行為にも関わらず強い口調でレフェリーにと詰めより、関係者に制止されると'''「今度はきちんとボクシングが分かる人間にやってもらわな」'''などの暴言を吐いたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
協栄ジム[[金平桂一郎]]会長は「本人のサインを添えた謝罪文をJBCに提出する」と表明、同年[[4月16日]]に史郎は謝罪文をJBC役員会に提出。JBCは史郎と金平会長に対し「言動注意」を文書で通達。さらに'''「今度問題を起こした場合、今後史郎氏が関わる試合全てに役員を一切派遣しない」'''事を通告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし史郎本人への処分は一切無く、口頭での厳重注意のみに留まっている。このことから「処分が軽すぎるのではないか」「何故ライセンスを剥奪しないのか」「JBCの対応は甘すぎる」といった批判が出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、史郎は当初「役員会？ 知らん、何も知らん。関係ないやろっ！」と沈黙を通していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 内藤大助対亀田大毅戦にて ==&lt;br /&gt;
2007年10月11日に行われた[[内藤大助]]対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトル戦では、リング上で相手に罵声を浴びせて威嚇するなどの場面があったほか、試合後半から終盤にかけて、大毅に対して、'''「玉打ってええから」'''&amp;lt;ref name=&amp;quot;サンスポ 2007年10月17日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.sanspo.com/fight/top/f200710/f2007101706.html| title =金平会長厳命！条件守らなければ亀田一家解雇も| publisher = [[サンスポ]]| accessdate = 10月18日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と明確に反則とわかる指示を出し、兄の興毅も「ヒジでエエから目に入れろ」&amp;lt;ref name=&amp;quot;ZAKZAK 2007年10月12日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_10/s2007101204_all.html| title =“最低最悪ファミリー”亀田家、反則指示してた!| publisher = [[ZAKZAK]]| accessdate = 10月12日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;などと声をかけていることが、TBSの全国生中継で報道された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、｢投げろ投げろ！｣などの指示も12ラウンド中に聞かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、それを確認した視聴者などからTBSに、12日午前9時までの約半日の間に電話857件、電子メール628通もの抗議が届いた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071012/mrt0710121200003-n1.htm|title =“TBS炎上” 「亀田寄り」と苦情殺到|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;JBCにも非常に多数の抗議・問い合わせが集中し、12日、倫理委員会を15日に開き史郎を含めた亀田一家を処分を検討することを決めた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000014-yom-spo|title =“「急所狙え」亀田父子処分へ…JBC倫理委|publisher = [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12Rの「レスリング行為」による減点3は日本のボクシングタイトルマッチでは前代未聞の出来事であり、一連反則行為について15日の倫理委員会でJBCは、史郎トレーナーのセコンドライセンスの無期限停止を決定した。その他、所属する協栄ジムの金平桂一郎会長に3カ月のクラブオーナーライセンスの停止、セコンドについた長男・興毅に厳重戒告、次男・大毅に1年のライセンス停止の処分を決定した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071015/mrt0710151639005-n1.htm|title =亀田父、ライセンス無期限停止 大毅はライセンス停止1年、興毅は厳重戒告|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対する謝罪会見を開いたが、自分は反則行為を指示していないが、そう聞こえたなら何も言いませんと頑なに語っており、反則行為は[[亀田大毅]]の自発的な行為であるとの主旨を突き通した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曖昧な謝罪会見に世間から一層の批判を買い、その後、二度目の謝罪会見を開くことになった。&amp;lt;br/&amp;gt;しかし亀田史郎は出席せず、息子の亀田興毅が代わりに謝罪した。亀田史郎自身は所属ジムである協栄ジムを辞職しボクシング界での一切の活動を行わないことを宣言した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://www.sanspo.com/sokuho/071026/sokuho003.html| title =“亀田興毅が謝罪会見　父史郎氏は辞任| publisher = [[サンケイスポーツ]]| accessdate = 10月26日| accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==興毅の世界フライ級初防衛戦にて==&lt;br /&gt;
2010年3月27日に行われたポンサクレック・ウォンジョンカムと興毅の初防衛戦で、判定で完敗して興毅は王座から陥落するが、判定に不服を覚えた史郎は、この世界戦でWBCのスーパーバイザーを兼務したJBC事務局長の安河内剛、主審、もう1人のWBCスーパーバイザーの3人を自分たちの控え室に呼びつけて判定について&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;「'''おどれのクビをとってやる。おまえオレを怒らせたら、もう終わりじゃ！'''」&amp;lt;/span&amp;gt;と恫喝し、'''机を叩いたり、椅子を蹴るなどして大暴れ'''し&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/03/post_4192.html 「クビとったるぞ！」JBC事務局長を恫喝した亀田父・史郎氏に協会が処分検討 日刊サイゾー]&amp;lt;/ref&amp;gt;、マネジャーには'''殴る蹴るの暴行'''を加えた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/05/post_4588.html 自浄能力ゼロのボクシング協会　亀田ジムが大甘処分で存続決定の裏事情] 日刊サイゾー 2010年5月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;。そして安河内は史郎のホテルに説得に向かった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010032800007 亀田陣営、減点に激怒＝ボクシング世界戦] 時事ドットコム 2010年3月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* 元々ボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制したものである。自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め! 自分で働いて飯食え!出て行け!」と家の外に放り出し、食事も与えないという[[児童虐待]]を行っていた。「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。（自伝より）&lt;br /&gt;
* 教育については独自の考えがあるが、中学生である三男の[[亀田和毅|和毅]]を学校に登校させていない。これは、[[日本国憲法]]で規定された教育を受けさせる義務（[[義務教育]]）を怠っている。プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。これは親である史郎の責任である（就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない）。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。&lt;br /&gt;
* 既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは[[週刊文春]]や[[週刊新潮]]などのみである。不自然な言動をいつまでも続けていてはいけない。&lt;br /&gt;
* 魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[8月25日]]、[[フライデー]]にて[[暴力団]]関係者と会食している姿が撮られる。本当に暴力団である可能性もある。&lt;br /&gt;
* 愛車は[[クライスラー]]300Cである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『闘育論―亀田流三兄弟の育て方』[[創美社]], 2006年, 187p. ISBN 4420310146&lt;br /&gt;
:作中では、インチキで息子を[[ミニ四駆]]レースで勝たせたなど過激な内容が話題を呼んだ。どうやれば、亀田三兄弟のような優秀な子供を育てられるか教えてくれる名著である。亀田家誕生のルーツを知る為には欠かせない本でもある。[[Amazon]][[レビュー]]では、星一つのレビューに「参考になった票」が1000票を超えて入るなど、絶大に支持されている。[[ゴースト]]さん、お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※ここで「闘育論」と書かれているのは、「TOEIC論」の間違いだと思われる。&lt;br /&gt;
　修正を希望。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[亀田三兄弟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 補足 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かめたしろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシングの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1965年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:兵庫県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:TBS]]&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
[[Category:暴力団]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%8C%97%E6%BD%9F%E8%B0%B7%E7%B6%9C&amp;diff=87526</id>
		<title>北潟谷綜</title>
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				<updated>2010-05-03T13:59:40Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{OTHERUSES|“プロ[[ボクサー]]で[[政治家]]”のソウ|映画のソウ|ソウ (映画)}}{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
{| style=&amp;quot;float:right; text-align:center; margin:0 0 15px 15px; clear:both; text-align:center; font-size:95%; border:1px solid #ffe2e2; background:#fff5f5;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&amp;lt;div style=&amp;quot;background-color:#ffe2e2;&amp;quot;&amp;gt;'''北潟谷綜御影'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery widths=&amp;quot;100px&amp;quot; heights=&amp;quot;110px&amp;quot; perrow=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center; font-size:95%;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:広末涼子　4.jpg|かつて交際を噂された広末涼子&lt;br /&gt;
画像:Soh.jpg|北潟谷綜、{{生年月日と年齢|1980|6|30}} - &lt;br /&gt;
画像:広末涼子　8.jpg|噂された当時の広末&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''北潟谷 綜'''（きたがたや そう、[[1980年]][[6月30日]]生）＝通称'''大場 綜'''（おおば そう）は、“[[日本IBF]]東京事務所・[[国際ボクシング連盟]]日本支部所属の[[バンタム級]]プロボクサー”である。ドラゴン自由党・総裁、大場綜千代田事務所・代表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[北海道]]・[[小樽市]]で出生～本籍地＆現住所は[[東京都]]・[[千代田区]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[光市母子殺害事件]]被告・[[福田孝行]]弁護団員を務める弁護士の[[北潟谷仁]]は父親。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
趣味はプロ野球観戦（小学1年から[[中日ドラゴンズ]]の3[[立浪和義]]の大ファン）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
*小樽藤幼稚園卒園、小樽市立花園小学校＆小樽市立菁園中学校卒業&lt;br /&gt;
*[[東京都立九段高等学校]]'''中退'''&lt;br /&gt;
*[[大学入学資格検定]]（現・高校卒業認定資格）経て[[法政大学]]法学部法律学科'''中退'''&lt;br /&gt;
*基本的には社会生活に溶け込むことが出来ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
*[[広末涼子]]や[[西田ひかる]]と交際していたと噂が流れた。&lt;br /&gt;
*酒・たばこ・ギャンブル・夜遊びは一切しないストイックな生活。&lt;br /&gt;
*高校と大学を両方1年で中退している。&lt;br /&gt;
*北海道出身、東京在住でありながら、上述の立浪を意識しまた強面を気取りたいのであろうか、関西弁を使いたがる奇特な性格。&lt;br /&gt;
*某ジム（仮・Ａジム）掲示板で自殺予告騒動を起こし、住人を困惑させる。&lt;br /&gt;
*上記騒動の最中、別のジムの掲示板で「次はこのジムでお世話になります」と書き込み、Ａジム会長の逆鱗に触れる。&lt;br /&gt;
*Ａ会長に注意されたことを逆恨みし、「Ａ会長なんか今の俺でも簡単に倒せる」と吹く。尚、Ａ会長は元世界王者である。&lt;br /&gt;
*某大手ボクシングジム（仮・Ｂジム）掲示板で、関係者を装いＢジム閉鎖疑惑を流す。&lt;br /&gt;
*Ｃジム（会長：元世界王者）、Ｄジム（会長：元日本王者）の会長の奥さんを、女性として侮辱するような中傷をネット中心にあちこちに流す。&lt;br /&gt;
*上記騒動について、大場綜は未だに謝罪しておらず、それどころか「刑法第何条に抵触するんや！？（笑）（笑）」と開き直っている。&lt;br /&gt;
*2010年になってもいまだ2ちゃんねる、複数ボクシングジム掲示板に固執して出没している。いずれの場合も「（笑）」「（苦笑）」と添えるのがお気に入り。&lt;br /&gt;
*ウィキペディアで発言することは殆ど無いが、投稿する際の要約欄で独りごちてみたり自分に呼びかけたりする香ばしい姿が稀に観察される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 嫌いなもの及び人物 ===&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[2ch]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ソウとウィキペディア ==&lt;br /&gt;
2009年後半からは[[ウィキメディア財団]]への寄付を始めたこともあって無能な管理者連中からも一目を置かれ存在を暗黙裡に公認される様になった。{{WikiUser2|Highmade}}のアカウントはさすがに目に余る編集を繰り返したため、2010年1月3日 (日) 06:37に無期限ブロックされたものの、それまでの通算編集回数は{{WikiUser2|ソウ}}本体の486回を遥かに上回る1,413回を誇り、管理者立候補を期待される程の存在となった。その後、{{WikiUser2|Ordermade}}のアカウントでボクシングと野球関係の項目にいたずらを繰り返し、これも2010年3月16日 (火) 21:28 に無期限ブロックされた。だが、今やソウは[[ウィキメディア財団]]に寄付する様になった事でウィキペディアにおけるあらゆる権力を跪かせ、まず滅多な事ではブロックされる事の無い利用者として神格化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:新日本木村ボクシングジム|新日本木村ボクシングジム]]においては、全編集回数三百足らずのうち、Highmade (142) のアカウントの他、主に{{WikiIPuser2|202.212.111.145}} (44)、{{WikiIPuser2|60.38.42.137}} (14)、{{WikiIPuser2|210.128.237.110}} (11) の3種のIPを使用したソウの編集が計二百数十余にも上った[http://ja.wikichecker.com/article/?a=新日本木村ボクシングジム]（2010年1月21日現在）。しかも編集回数上位5名のうちの残る1名である{{WikiIPuser2|利用者:125.175.64.100}} (14) は、2005年1月25日付でindefiniteブロックされた{{WikiUser2|Project}}の類似ユーザー群の1人でもあった。この項目は2010年1月頃、ソウ公式ウェブサイトにも似た様相を呈して混迷を極め、やがてはソウの当初の目論見通りに白紙保護の措置をとられる可能性もあったが、ソウが突然のスタミナ切れを起こしてページの白紙化という反則行為を犯すなどしているうちに、ウィキペディアで正常とされる記事レベルを回復した。&lt;br /&gt;
&amp;lt;aa&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　∩＿＿＿∩　　　　　 　　　　　　/ﾞﾐヽ､,,___,,／ﾞヽ&lt;br /&gt;
　　　　　| 丿　　　　　ヽ　　　　　　　　　　i ノ　　 　 　 ｀ヽ'&lt;br /&gt;
　　　　/　　(ﾟ)　　　(ﾟ)　 |　　　　　　　　　 /　｀ (ﾟ)　 　(ﾟ)´i､&lt;br /&gt;
　　　　|　U　　( _●_) 　ミ　　　 　　　　 彡,U　ミ(__,▼_)彡ミ&lt;br /&gt;
　　　彡､　　∪|∪|　,,/　　　　　　 　　　,へ､,　　 |∪|　∪/ﾞ&lt;br /&gt;
　　　/　　ヽ　　ヽノ 　ヾ_,,..,,,,_ 　 　　 　_,,..,,,,_ '　　ヽノ ｀/´ ヽ&lt;br /&gt;
　　　|　　∪　　　ヽ　../ ,' 3　 `ヽｰっ / ,' 3　 `ヽｰっ　/　 ∪|&lt;br /&gt;
　　 │.　　 ヾ　　　 ヾl　　 ⊃　⌒_つ.l　　 ⊃　⌒_つノ　　　│&lt;br /&gt;
　　 │ 　　 　＼,,＿__`'ｰ-⊃‐'''''&amp;quot;　　`'ｰ-⊂'''''&amp;quot;＿＿,,,ノ,　　|&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　↑　　　　　　　↑&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　××ﾎﾞｸｼﾝｸﾞｼﾞﾑ　××ﾌﾟﾛﾓｰｼｮﾝ&lt;br /&gt;
&amp;lt;/aa&amp;gt;&lt;br /&gt;
現在、ウィキペディアでは「[[wiki:北潟谷綜|北潟谷綜]]」だけでなく、「[[wiki:大場綜|大場綜]]」も白紙保護されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治家ソウ ==&lt;br /&gt;
[[弁護士]]の実父の影響で小学生から政治に関心が有る。現在は[[自由民主党_(日本)|自民党]][[党友]]組織[[自由国民会議]]会員、[[稲田朋美]]命の右翼政治家（一般に、名乗る人間は絶対に認めないが、「保守派」は'''[[右翼]]と同義'''である）。が、'''日本のどこの議会にも議席は保持していない'''。2009年現在29歳でありながら「被選挙権が無いのだから議席がないのは当然」と主張（編集履歴参照）。当人は京都府知事以外の公職をやる気はないらしいが府民でもない・碌な業績もないのに支持されるかは大いに疑問である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[維新政党・新風]]の党員であったが除籍。自身の公式ウェブサイト及びブログ上に新風の肩書きを掲載した上で、[[議員]]の[[殺害]]計画や[[精神病院]]への[[措置入院]]歴をも掲載していた。この問題を指摘された維新政党・新風東京都本部代表[[鈴木信行]]はソウと話し合いを持ち、これらの記述を削除するように求めたがソウは拒否、その結果ソウは新風を除籍となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[キチガイ新風]]の役員等には、[[イオンド大学]]の教授が多数いることは周知の事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ボクサー・ソウ ==&lt;br /&gt;
小学生の頃から元WBA世界フライ級チャンピオン[[大場政夫]]や[[八尋史朗]]に憧れ、また[[高橋陽一]]原作ボクシング漫画「[[CHIBIーチビ]]」を読んで感動し、プロボクシングを志したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
身長172cm・リーチ180cm・体重55kg。“おそらく[[名城信男]]及び[[長谷川穂積]]に勝てる唯一のボクサーであろう”と自画自賛。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[亀田興毅]]とスパーリングをしたことがあり、三回ダウンさせたと自称。それ以来、亀田は、ソウのジムに来なくなったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[ボクシング]]ルールなら[[魔裟斗]]くらいは、間違いなく秒殺出来る」と嘯く。（体重20kg差も関係なし）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[五味隆典]]の師匠を自称しているが、五味はそのことすら知らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[利用者:ソウ|本人の利用者ページ]]&lt;br /&gt;
*[[日本IBF]]（休眠状態）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.soh-ohba.com 大場綜ウェブサイト]&lt;br /&gt;
*[http://ansaikuropedia.org/wiki/Talk:%E3%82%BD%E3%82%A6 キチガイの因縁] &lt;br /&gt;
*[http://ansaikuropedia.org/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=delete&amp;amp;user=&amp;amp;page=%E3%82%BD%E3%82%A6&amp;amp;year=&amp;amp;month=-1 キチガイに削除された] &lt;br /&gt;
*[http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mayor/1213645842/l50 【京都府知事選】北潟谷綜【稲田朋美命】]（2ちゃんねる「地方自治・知事」板）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きたかたやそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:1980年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシング]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治運動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の右翼活動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソウ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%A0%B4%E7%B6%9C%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80&amp;diff=87525</id>
		<title>大場綜千代田事務所</title>
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				<updated>2010-05-03T11:54:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: 北潟谷綜へのリダイレクト&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#REDIRECT [[北潟谷綜]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>利用者・トーク:220.106.11.119</title>
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				<updated>2010-04-25T02:07:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: こっちが最新やったorz&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ソウ、早く[[エドウィン・バレロ]]書いてや。--[[利用者:撲殺天使|撲殺天使]] 2010年4月25日 (日) 10:48 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
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				<updated>2010-04-25T01:57:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: こっちがソウやった&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ソウ、早く[[エドウィン・バレロ]]書いてや。--[[利用者:撲殺天使|撲殺天使]] 2010年4月25日 (日) 10:57 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

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		<title>利用者・トーク:220.106.11.119</title>
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				<updated>2010-04-25T01:56:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: すまん間違いや&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:220.106.11.119&amp;diff=86074</id>
		<title>利用者・トーク:220.106.11.119</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:220.106.11.119&amp;diff=86074"/>
				<updated>2010-04-25T01:48:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: 新しいページ: 'ソウ、早くエドウィン・バレロ書いてや。--~~~~'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ソウ、早く[[エドウィン・バレロ]]書いてや。--[[利用者:撲殺天使|撲殺天使]] 2010年4月25日 (日) 10:48 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%AD&amp;diff=86073</id>
		<title>エドウィン・バレロ</title>
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				<updated>2010-04-25T01:46:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: 詳しくはソウが書かなあかんやろ&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''エドウィン・バレロ'''（'''Edwin Valero'''、[[1981年]][[12月3日]] - {{死亡年月日と没年齢|1981|12|3|2010|4|19}}）は、[[ベネズエラ]]の[[プロボクサー]]。[[世界ボクシング協会|WBA]]認定世界[[スーパーフェザー級]]チャンピオン。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
試合開始直後から激しい突進で相手を倒しに行くスタイルから「'''KO Dinamita'''（ダイナマイト）」の異名を持っている。プロデビューから18戦連続1ラウンドKOという驚異的な記録を持つ。1ラウンドKOの連続記録は途絶えたが、現在もデビューからの連続KO記録は続いており、これまで24戦全てでKO勝ちを記録している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、[[牛若丸あきべぇ]]は、15戦連続KO記録であるが、もちろんすべて[[八百長]]である。その証拠に、2戦連続KO負けを喫している（笑）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年まで[[帝拳ボクシングジム]]と契約しており、2006年10月から家族共々[[日本]]・東京を1年ほど拠点としていたが、現在は米国・[[ラスベガス]]に拠点を移している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
[[2002年]][[7月9日]]に18歳でプロデビューした。デビュー戦は1回TKO勝利で、その後も1回KO勝利を続けていくが、12連続初回KO勝利後、米国ニューヨーク州コミッションの検査で試合直前に脳に異常が発見され（数年前に起こしたバイク事故の後遺症と思われる）、ライセンス停止処分を受け[[2004年]]初頭からブランクを余儀なくされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、コミッション以外の検査では異常が発見されず再起を目指していたところで、[[帝拳ボクシングジム|帝拳プロモーション]]の[[本田明彦]]会長の目に留まり、試合のできない米国以外での再起を進められ、帝拳プロモーションと契約し、再起。再起後も1年半近いブランクを感じさせないファイトで、[[2006年]][[2月25日]]にはプロデビューから18戦連続1ラウンドKO勝利を達成。すでに少し前から、対戦相手を探すのが困難になるほどだった。1ラウンドKOの記録が途絶えたのは[[2006年]][[3月25日]][[神戸市|神戸]]での試合だった（2ラウンドTKO勝利）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、2006年[[8月5日]]には[[世界ボクシング協会|WBA]][[スーパーフェザー級]]チャンピオンの[[ビセンテ・モスケラ]]（{{PAN}}）に挑戦し、10回TKOで勝利してタイトルを獲得。デビュー以来の連続KO勝利の記録&amp;lt;ref&amp;gt;デビュー以来の連続KO記録の最長は[[アセリノ・フレータス]]の29連続&amp;lt;/ref&amp;gt;を更新しての勝利だった。タイトル戦まで全ての試合を2ラウンド以内で決着付けていたため、バレロのスタミナや打たれ強さを疑問視する声も試合前にはあったが、途中ダウンを奪われながらも10ラウンドには持ち前の力強い連打を繰り出すという、そういった声を払拭するかのようなKO勝利だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[1月3日]]、[[東京]]でWBA世界スーパーフェザー級の王座初防衛戦を行い、[[ミチェル・ロサダ]]（{{MEX}}）に1回1分12秒KO勝ちを収めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[5月3日]]、東京でWBA王座2度目の防衛戦を行った。これは指名試合だったが、WBA1位の[[マニー・パッキャオ]]（{{PHI}}）はWBC王座挑戦を念頭に置きつつアメリカでのビッグマッチを計画中のため、WBA2位の[[本望信人]]（[[角海老宝石ボクシングジム]]）が繰り上がりで挑戦者となった。8回TKOで勝利し、2度目の防衛を決めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[12月15日]]、メキシコ・[[カンクン]]でWBA王座の3度目の防衛戦を行い、[[サイド・サバレタ]]（{{MEX}}）に3回1分18秒TKO勝ちを収めた。なお、この試合はバレロの強打に恐れをなして挑戦者がなかなか現れない中でようやく決まった世界戦であったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在戦場としている[[スーパーフェザー級]]は、[[マニー・パッキャオ]]、[[ファン・マヌエル・マルケス]]、[[マルコ・アントニオ・バレラ]]とスター揃いで、本人も彼らとのビッグマッチを望んでいるが、本場の米国で試合のできないことがそれを妨げており、米国でのライセンス停止処分解除とライセンスの再発行を望んでいるが、現状ではなかなか上手く運んでいない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[2008年]]3月下旬に米国テキサス州コミッションでライセンスが認可されていることが明らかになり、米国でのビッグマッチ出場の希望も出てきた（ただし、ニューヨーク州コミッションのサスペンデットは現状では解除されておらず、テキサス・ニューヨーク州以外での試合出場は、現状では米国各州コミッションのその場での判断による不透明な状況である）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[6月12日]]、[[東京]]・[[日本武道館]]に於いて[[嶋田雄大]]（[[ヨネクラボクシングジム]]）を挑戦者に迎え、WBA王座4度目の防衛戦を行った。試合は第7R1分55秒、テクニカルナックアウト勝ちで嶋田を退け、24戦連続KO勝ちで4度目の防衛を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
減量苦のため、[[ライト級]]に転向を予定している。[[WBC]]ライト級チャンピオンとなった[[マニー・パッキャオ|パッキャオ]]との対戦を熱望している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 獲得タイトル ==&lt;br /&gt;
* [[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフェザー級]]王座&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[男子ボクサー一覧]]&lt;br /&gt;
* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[ボクシング現王者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[マニ―・パッキャオ]]　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.boxrec.com/list_bouts.php?human_id=122183&amp;amp;cat=boxer BoxRecによる戦績]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Championshiptitle|第39代|[[世界ボクシング協会|WBA]]|世界[[スーパーフェザー級]]|ビセンテ・モスケラ|N/A|2006年8月5日 - 現在}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はれろ えとういん}}&lt;br /&gt;
[[Category:ベネズエラのボクサー]]&lt;br /&gt;
[[Category:スーパーフェザー級世界王者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ライト級世界王者]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1981年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2010年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Boxing-bio-stub}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%8C%97%E6%BD%9F%E8%B0%B7%E7%B6%9C&amp;diff=86072</id>
		<title>北潟谷綜</title>
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				<updated>2010-04-25T01:38:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* ソウとウィキペディア */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{OTHERUSES|“プロ[[ボクサー]]で[[政治家]]”のソウ|映画のソウ|ソウ (映画)}}{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
[[画像:Soh.jpg|thumb|right|150px|北潟谷綜、{{生年月日と年齢|1980|6|30}} - ]]&lt;br /&gt;
'''北潟谷 綜'''（きたがたや そう、[[1980年]][[6月30日]]生）＝通称'''大場 綜'''（おおば そう）は、“[[日本IBF]]東京事務所・[[国際ボクシング連盟]]日本支部所属の[[バンタム級]]プロボクサー”である。大場綜千代田事務所・代表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[北海道]]・[[小樽市]]で出生～本籍地＆現住所は[[東京都]]・[[千代田区]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[光市母子殺害事件]]被告・[[福田孝行]]弁護団員を務める弁護士の[[北潟谷仁]]は父親。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
趣味はプロ野球観戦（小学1年から[[中日ドラゴンズ]]の3[[立浪和義]]の大ファン）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
*小樽藤幼稚園卒園、小樽市立花園小学校＆小樽市立菁園中学校卒業&lt;br /&gt;
*[[東京都立九段高等学校]]'''中退'''&lt;br /&gt;
*[[大学入学資格検定]]（現・高校卒業認定資格）経て[[法政大学]]法学部法律学科'''中退'''&lt;br /&gt;
*基本的には社会生活に溶け込むことが出来ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
*[[広末涼子]]や[[西田ひかる]]と交際していたと噂が流れた。&lt;br /&gt;
*酒・たばこ・ギャンブル・夜遊びは一切しないストイックな生活。&lt;br /&gt;
*高校と大学を両方1年で中退している。&lt;br /&gt;
*北海道出身、東京在住でありながら、上述の立浪を意識しまた強面を気取りたいのであろうか、関西弁を使いたがる奇特な性格。&lt;br /&gt;
*某ジム（仮・Ａジム）掲示板で自殺予告騒動を起こし、住人を困惑させる。&lt;br /&gt;
*上記騒動の最中、別のジムの掲示板で「次はこのジムでお世話になります」と書き込み、Ａジム会長の逆鱗に触れる。&lt;br /&gt;
*Ａ会長に注意されたことを逆恨みし、「Ａ会長なんか今の俺でも簡単に倒せる」と吹く。尚、Ａ会長は元世界王者である。&lt;br /&gt;
*某大手ボクシングジム（仮・Ｂジム）掲示板で、関係者を装いＢジム閉鎖疑惑を流す。&lt;br /&gt;
*Ｃジム（会長：元世界王者）、Ｄジム（会長：元日本王者）の会長の奥さんを、女性として侮辱するような中傷をネット中心にあちこちに流す。&lt;br /&gt;
*上記騒動について、大場綜は未だに謝罪しておらず、それどころか「刑法第何条に抵触するんや！？（笑）（笑）」と開き直っている。&lt;br /&gt;
*2010年になってもいまだ2ちゃんねる、複数ボクシングジム掲示板に固執して出没している。いずれの場合も「（笑）」「（苦笑）」と添えるのがお気に入り。&lt;br /&gt;
*ウィキペディアで発言することは殆ど無いが、投稿する際の要約欄で独りごちてみたり自分に呼びかけたりする香ばしい姿が稀に観察される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 嫌いなもの及び人物 ===&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[2ch]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ソウとウィキペディア ==&lt;br /&gt;
2009年後半からは[[ウィキメディア財団]]への寄付を始めたこともあって無能な管理者連中からも一目を置かれ存在を暗黙裡に公認される様になった。{{WikiUser2|Highmade}}のアカウントはさすがに目に余る編集を繰り返したため、2010年1月3日 (日) 06:37に無期限ブロックされたものの、それまでの通算編集回数は{{WikiUser2|ソウ}}本体の486回を遥かに上回る1,413回を誇り、管理者立候補を期待される程の存在となった。その後、{{WikiUser2|Ordermade}}のアカウントでボクシングと野球関係の項目にいたずらを繰り返し、これも2010年3月16日 (火) 21:28 に無期限ブロックされた。だが、今やソウは[[ウィキメディア財団]]に寄付する様になった事でウィキペディアにおけるあらゆる権力を跪かせ、まず滅多な事ではブロックされる事の無い利用者として神格化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:新日本木村ボクシングジム|新日本木村ボクシングジム]]においては、全編集回数三百足らずのうち、Highmade (142) のアカウントの他、主に{{WikiIPuser2|202.212.111.145}} (44)、{{WikiIPuser2|60.38.42.137}} (14)、{{WikiIPuser2|210.128.237.110}} (11) の3種のIPを使用したソウの編集が計二百数十余にも上った[http://ja.wikichecker.com/article/?a=新日本木村ボクシングジム]（2010年1月21日現在）。しかも編集回数上位5名のうちの残る1名である{{WikiIPuser2|利用者:125.175.64.100}} (14) は、2005年1月25日付でindefiniteブロックされた{{WikiUser2|Project}}の類似ユーザー群の1人でもあった。この項目は2010年1月頃、ソウ公式ウェブサイトにも似た様相を呈して混迷を極め、やがてはソウの当初の目論見通りに白紙保護の措置をとられる可能性もあったが、ソウが突然のスタミナ切れを起こしてページの白紙化という反則行為を犯すなどしているうちに、ウィキペディアで正常とされる記事レベルを回復した。&lt;br /&gt;
&amp;lt;aa&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　∩＿＿＿∩　　　　　 　　　　　　/ﾞﾐヽ､,,___,,／ﾞヽ&lt;br /&gt;
　　　　　| 丿　　　　　ヽ　　　　　　　　　　i ノ　　 　 　 ｀ヽ'&lt;br /&gt;
　　　　/　　(ﾟ)　　　(ﾟ)　 |　　　　　　　　　 /　｀ (ﾟ)　 　(ﾟ)´i､&lt;br /&gt;
　　　　|　U　　( _●_) 　ミ　　　 　　　　 彡,U　ミ(__,▼_)彡ミ&lt;br /&gt;
　　　彡､　　∪|∪|　,,/　　　　　　 　　　,へ､,　　 |∪|　∪/ﾞ&lt;br /&gt;
　　　/　　ヽ　　ヽノ 　ヾ_,,..,,,,_ 　 　　 　_,,..,,,,_ '　　ヽノ ｀/´ ヽ&lt;br /&gt;
　　　|　　∪　　　ヽ　../ ,' 3　 `ヽｰっ / ,' 3　 `ヽｰっ　/　 ∪|&lt;br /&gt;
　　 │.　　 ヾ　　　 ヾl　　 ⊃　⌒_つ.l　　 ⊃　⌒_つノ　　　│&lt;br /&gt;
　　 │ 　　 　＼,,＿__`'ｰ-⊃‐'''''&amp;quot;　　`'ｰ-⊂'''''&amp;quot;＿＿,,,ノ,　　|&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　↑　　　　　　　↑&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　××ﾎﾞｸｼﾝｸﾞｼﾞﾑ　××ﾌﾟﾛﾓｰｼｮﾝ&lt;br /&gt;
&amp;lt;/aa&amp;gt;&lt;br /&gt;
現在、ウィキペディアでは「[[wiki:北潟谷綜|北潟谷綜]]」だけでなく、「[[wiki:大場綜|大場綜]]」も白紙保護されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治家ソウ ==&lt;br /&gt;
[[弁護士]]の実父の影響で小学生から政治に関心が有る。現在は[[自由民主党_(日本)|自民党]][[党友]]組織[[自由国民会議]]会員、[[稲田朋美]]命の右翼政治家（一般に、名乗る人間は絶対に認めないが、「保守派」は'''[[右翼]]と同義'''である）。が、'''日本のどこの議会にも議席は保持していない'''。2009年現在29歳でありながら「被選挙権が無いのだから議席がないのは当然」と主張（編集履歴参照）。当人は京都府知事以外の公職をやる気はないらしいが府民でもない・碌な業績もないのに支持されるかは大いに疑問である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[維新政党・新風]]の党員であったが除籍。自身の公式ウェブサイト及びブログ上に新風の肩書きを掲載した上で、[[議員]]の[[殺害]]計画や[[精神病院]]への[[措置入院]]歴をも掲載していた。この問題を指摘された維新政党・新風東京都本部代表[[鈴木信行]]はソウと話し合いを持ち、これらの記述を削除するように求めたがソウは拒否、その結果ソウは新風を除籍となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[キチガイ新風]]の役員等には、[[イオンド大学]]の教授が多数いることは周知の事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ボクサー・ソウ ==&lt;br /&gt;
小学生の頃から元WBA世界フライ級チャンピオン[[大場政夫]]や[[八尋史朗]]に憧れ、また[[高橋陽一]]原作ボクシング漫画「[[CHIBIーチビ]]」を読んで感動し、プロボクシングを志したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
身長172cm・リーチ180cm・体重55kg。“おそらく[[名城信男]]及び[[長谷川穂積]]に勝てる唯一のボクサーであろう”と自画自賛。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[亀田興毅]]とスパーリングをしたことがあり、三回ダウンさせたと自称。それ以来、亀田は、ソウのジムに来なくなったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[ボクシング]]ルールなら[[魔裟斗]]くらいは、間違いなく秒殺出来る」と嘯く。（体重20kg差も関係なし）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[五味隆典]]の師匠を自称しているが、五味はそのことすら知らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[利用者:ソウ|本人の利用者ページ]]&lt;br /&gt;
*[[日本IBF]]（休眠状態）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.soh-ohba.com 大場綜ウェブサイト]&lt;br /&gt;
*[http://ansaikuropedia.org/wiki/Talk:%E3%82%BD%E3%82%A6 キチガイの因縁] &lt;br /&gt;
*[http://ansaikuropedia.org/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=delete&amp;amp;user=&amp;amp;page=%E3%82%BD%E3%82%A6&amp;amp;year=&amp;amp;month=-1 キチガイに削除された] &lt;br /&gt;
*[http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mayor/1213645842/l50 【京都府知事選】北潟谷綜【稲田朋美命】]（2ちゃんねる「地方自治・知事」板）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きたかたやそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:1980年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシング]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治運動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の右翼活動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソウ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%86%85%E8%97%A4%E5%A4%A7%E5%8A%A9&amp;diff=83457</id>
		<title>内藤大助</title>
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				<updated>2010-04-05T05:38:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 関連項目 */ 出所不明で由緒正しくない情報に戻すとかええ加減にせいよｗ&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア}}&lt;br /&gt;
[[画像:Soh.jpg|thumb|&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#dda0dd; font-size:10pt;&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x2665;&amp;lt;/span&amp;gt;未来のWBC世界フライ級王者&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#dda0dd; font-size:10pt;&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x2665;&amp;lt;/span&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
'''内藤 大助'''（ないとう だいすけ、[[1974年]][[8月30日]] - ）は、[[日本]]の[[プロボクサー]]。WBC世界フライ級王者・元日本&amp;amp;OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属。[[内藤ホライゾン]]との詳細な繋がりは不明だが、なんらかの関係があることは確かである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]10月11日[[亀田大毅]]との世界戦に勝ち、[[亀田三兄弟]]および父親の[[亀田史郎]]をボクシング界から追放した。その功績を称え、[[国民栄誉賞]]の授与も検討されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
亀田大毅との世界戦では亀田大毅からの数え切れぬ[[反則]]に悩まされたが、力の差を見せつけ圧勝。これにより亀田大毅は負けたら[[切腹]]という公約を掲げていたため切腹。しかし死体は見つかっておらず、試合翌日から姿をくらましている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
亀田一族との闘いにあくまでフェアに望んだ試合は感動を呼んだ。亀田一族はこの一戦の後衰退しており、後には一族揃って[[自宅警備員]]になることが予想されている。その切っ掛けを作ったのが10月11日の世界戦である。ちなみに[[Hydeの身長は156cm]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
度重なる暴言、悪質な嫌がらせなどに堪え、あくまでボクサーとしての態度を貫いた姿勢は日本中に感動を届けた。試合終了後、涙を流す人が絶えず、[[ハンカチ]]、[[ティッシュ]]が[[コンビニ]]から消えたという。しかしその後、世界中から紙と木材の過剰な輸入を責められている[[外務省]]、さらには伐採地の[[発展途上国]]から、紙の使用量に影響を及ぼす行動を取ったとして内藤自身が非難を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
圧勝したにも関わらず、弄られるのは[[亀田大毅|バカ亀]]ばかりという不遇な状況には変わりはない。しかしそういった状況でも慎重に発言し、大人な対応を見せている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これが'''王者のクオリティ'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近ではなにか[[タレント]]のように扱われ始めた。本人も「旅番組は初めての経験で」などとまるで他の番組は制覇したかのような言い回しで語ったりもしている。案外、庶民派タレントが似合っているかも知れない。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_11/g2007110805.html ZAKZAK 2007/11/08]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに一部亀田信者が'''「内藤が次の試合で負けたら大毅に勝って調子に乗って浮かれていたことが証明される」'''と火病っているが、内藤の次の相手は、内藤が試合後'''「大毅は前王者のポンサクレックより弱かった」'''と言っていたあのポンサクレックである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内藤はポンサクレックに勝って世界王者になったが'''世界王座を１７度防衛してこの間まで世界王者だったポンサクレック'''の方が強いという意見も多く、内藤も'''「ポンサクレックとは１０度戦って１・２度勝てるかどうか」'''と言っていたことから、亀田信者の言っているように、'''大毅ごときに勝ったことで調子に乗って油断する'''ことは先ず有り得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか亀田信者はボクシングのことを少し知ってから発言してほしいと言わざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不幸にも亀田とかかわったことにより英雄になった内藤だったが逆に少数の非国民（亀田信者）には非難を浴びることになる。&lt;br /&gt;
負けを認めない亀田信者は「アンチ内藤」と言い張りホームページを荒らす等の暴挙にでたが内藤を恨む人の動機は&lt;br /&gt;
亀田が負けてしまったこと以外無い為アンチ内藤＝亀田信者ということはバレバレである。&lt;br /&gt;
なお亀田信者は在日のヤクザとの噂もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜか亀田をアイドルと勘違いした一部の趣味の悪い追っかけ腐女子も非国民として名乗り出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後亀田信者にも亀田一家同様の処罰を与える必要があると検討されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
２度目の防衛戦では、前王者で１位のポンサクレックと壮絶な打撃戦を展開。結果は１－１の引分だったが、終始攻勢が入れ替わる日本ボクシング史上に残る名勝負に、観客は内藤・ポンサクレックの両者に大きな拍手を送った。さらに、平均視聴率２６．３を記録した。&lt;br /&gt;
王座奪還が心配された最大の山場を見事に乗り切り、[[亀田興毅|亀１]]狩りに更なる期待がかかっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この試合で前回のボクシングが単なる茶番劇だったことが完璧に証明され、一部では'''「亀田戦を内藤の戦績から抹消してこの試合を初防衛戦にすべきだ」'''というボクシングファンからの声も上がっている。&lt;br /&gt;
あと、ポンサクレックからも投げられそうになってみた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年11月に亀田大毅が復帰戦で戦ったアンヘル・レサゴの全長は'''150cm'''で「まーたちっちゃいおじさんか」と世間に嗤われたが、2009年5月の内藤V5戦で来日した熊朝忠は全長'''150.5cm'''で、前代未聞の「ちっちゃい子供」という事で世間を失望させた。&lt;br /&gt;
当然内藤の圧勝が予想されたが、蓋を開けて見れば幾度もちびっ子パンチを受けてふらつき、流血する事態に。&lt;br /&gt;
辛くも判定勝ちを収めたものの、無名かつ1Hyde未満の相手に苦戦する様はファンに大きな不安を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして運命の2009年11月29日、長年の因縁のある猿、いや亀１と対戦。&lt;br /&gt;
調印から計量まで一貫して亀メンチをスルーし続けるなど、試合前こそ猿回しとしての風格を見せたが、亀として生物学的に正しい徹底した亀状態に出る亀１に対し亀ばりに手も足も出ず、カメックスの極意を得たロケットずつきを浴びて鼻を割られるなど残念な内容に。&lt;br /&gt;
判定も3-0と大差をつけられ、リング上で喜ぶ３匹の猿もとい亀の姿を茶の間に映させるという失態を犯した。&lt;br /&gt;
ただしこれについては「ナショジオかどうぶつ奇想天外の映像が混じったのでは」という指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおこの結果に関して、亀１が２以下とは格が違う「本当に強い猿」であるのは事実だが、強いとはいえ猿や亀相手にベルトを奪われるのは果たして人類としてどうなのかという批判が高まっており、ひいては内藤のみならず王座そのものの評価もストップ安まで落ちたとみられる。&lt;br /&gt;
ちなみに王者となった亀１は腐った女のような下手な延命はせずに初防衛戦でポンサクレックと戦い、潔く散った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[亀田大毅]]&lt;br /&gt;
*[[亀田三兄弟]]&lt;br /&gt;
*[[亀田史郎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ないとう たいすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のボクサー]]&lt;br /&gt;
[[Category:1974年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物‎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Uncyclopedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%9C%9D%E8%87%A3%E4%BA%8C%E5%B7%9D%E8%97%A4%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%85%89%E7%B6%B1&amp;diff=83448</id>
		<title>利用者:藤原朝臣二川藤太郎光綱</title>
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				<updated>2010-04-05T05:16:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* アンサイクロペディア Ｉ D */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;*昭和五十三年生・&lt;br /&gt;
「藤原朝臣二川藤太郎光綱 （フジワラノアソン・フタガワ・トウタロウ・ミツツナ）」。&lt;br /&gt;
==血統家柄==&lt;br /&gt;
*「[[中臣鎌足]]の次男」・「[[藤原不比等]]」の「後裔（子孫）」。&lt;br /&gt;
*東海地方三河國渥美郡二川郷・本貫地苗字・藤原姓フタガワ氏族。&lt;br /&gt;
*四國地方讃岐國香川郡龍滿城・本城本領地・藤原姓フタガワ氏族。&lt;br /&gt;
*四國地方讃岐國香川郡大野郷・本領地城族・藤原姓フタガワ氏族。&lt;br /&gt;
*後志地方後志國餘市郡池田澤・本領地城族・藤原姓フタガワ氏族。&lt;br /&gt;
*後志地方後志國餘市郡母澤村・本領地城族・藤原姓フタガワ氏族。&lt;br /&gt;
*釧路地方十勝國当縁郡当縁町・本領地城族・藤原姓フタガワ氏族。&lt;br /&gt;
===御連絡傳言事項===&lt;br /&gt;
*四國地方讃岐國香川郡龍滿城・第初代目領地城主・[[藤原朝臣二川四郎左衛門光吉]]の「後裔（子孫）」。&lt;br /&gt;
*「平成十五年度・釧路機動警察隊隊長」・「平成十六年度・根室警察署署長」・「北海道警察警視（匿名希望）」の&lt;br /&gt;
「親族・從甥」。&lt;br /&gt;
*「北海道警察警視（匿名希望）」との「親族関係」は、「從伯父（匿名希望）」と「從甥（[[藤原朝臣二川藤太郎光綱]]）」の、「関係」。&lt;br /&gt;
==身分==&lt;br /&gt;
*四國地方讃岐國香川郡大野郷・本願寺派・壹向宗農民武士。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*明治二十九年（1896年）四月十六日、&lt;br /&gt;
*「[[曾伯祖父]]（[[曾祖父]]の[[長兄]]）」の「代」で、「[[香川縣香川郡大野村]]」から轉出した「没落名族」。&lt;br /&gt;
==[[ユアペディア]] Ｉ D==&lt;br /&gt;
*[[藤原朝臣二川藤太郎光綱]]。&lt;br /&gt;
==[[ハンゲーム]] Ｉ D==&lt;br /&gt;
*本体 Ｉ D・讃岐二河光綱。&lt;br /&gt;
*主用 Ｉ D・軍團隊軍官士。&lt;br /&gt;
*籍譜 Ｉ D・姓氏通稱實名。&lt;br /&gt;
*首都 Ｉ D・丸亀縣丸亀市。&lt;br /&gt;
==[[コピペディア]] Ｉ D==&lt;br /&gt;
*[[藤原朝臣二川藤太郎光綱]]。&lt;br /&gt;
==[[ウィキペディア]] Ｉ D==&lt;br /&gt;
*[[藤原朝臣二川藤太郎光綱]]。&lt;br /&gt;
==[[アンサイクロペディア]] Ｉ D==&lt;br /&gt;
*[[藤原朝臣二川藤太郎光綱]]。&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%86%85%E8%97%A4%E5%A4%A7%E5%8A%A9&amp;diff=83442</id>
		<title>内藤大助</title>
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				<updated>2010-04-05T05:07:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア}}&lt;br /&gt;
[[画像:Soh.jpg|thumb|&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#dda0dd; font-size:10pt;&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x2665;&amp;lt;/span&amp;gt;未来のWBC世界フライ級王者&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#dda0dd; font-size:10pt;&amp;quot;&amp;gt;&amp;amp;#x2665;&amp;lt;/span&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
'''内藤 大助'''（ないとう だいすけ、[[1974年]][[8月30日]] - ）は、[[日本]]の[[プロボクサー]]。WBC世界フライ級王者・元日本&amp;amp;OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属。[[内藤ホライゾン]]との詳細な繋がりは不明だが、なんらかの関係があることは確かである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]10月11日[[亀田大毅]]との世界戦に勝ち、[[亀田三兄弟]]および父親の[[亀田史郎]]をボクシング界から追放した。その功績を称え、[[国民栄誉賞]]の授与も検討されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
亀田大毅との世界戦では亀田大毅からの数え切れぬ[[反則]]に悩まされたが、力の差を見せつけ圧勝。これにより亀田大毅は負けたら[[切腹]]という公約を掲げていたため切腹。しかし死体は見つかっておらず、試合翌日から姿をくらましている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
亀田一族との闘いにあくまでフェアに望んだ試合は感動を呼んだ。亀田一族はこの一戦の後衰退しており、後には一族揃って[[自宅警備員]]になることが予想されている。その切っ掛けを作ったのが10月11日の世界戦である。ちなみに[[Hydeの身長は156cm]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
度重なる暴言、悪質な嫌がらせなどに堪え、あくまでボクサーとしての態度を貫いた姿勢は日本中に感動を届けた。試合終了後、涙を流す人が絶えず、[[ハンカチ]]、[[ティッシュ]]が[[コンビニ]]から消えたという。しかしその後、世界中から紙と木材の過剰な輸入を責められている[[外務省]]、さらには伐採地の[[発展途上国]]から、紙の使用量に影響を及ぼす行動を取ったとして内藤自身が非難を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
圧勝したにも関わらず、弄られるのは[[亀田大毅|バカ亀]]ばかりという不遇な状況には変わりはない。しかしそういった状況でも慎重に発言し、大人な対応を見せている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これが'''王者のクオリティ'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近ではなにか[[タレント]]のように扱われ始めた。本人も「旅番組は初めての経験で」などとまるで他の番組は制覇したかのような言い回しで語ったりもしている。案外、庶民派タレントが似合っているかも知れない。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_11/g2007110805.html ZAKZAK 2007/11/08]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに一部亀田信者が'''「内藤が次の試合で負けたら大毅に勝って調子に乗って浮かれていたことが証明される」'''と火病っているが、内藤の次の相手は、内藤が試合後'''「大毅は前王者のポンサクレックより弱かった」'''と言っていたあのポンサクレックである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内藤はポンサクレックに勝って世界王者になったが'''世界王座を１７度防衛してこの間まで世界王者だったポンサクレック'''の方が強いという意見も多く、内藤も'''「ポンサクレックとは１０度戦って１・２度勝てるかどうか」'''と言っていたことから、亀田信者の言っているように、'''大毅ごときに勝ったことで調子に乗って油断する'''ことは先ず有り得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか亀田信者はボクシングのことを少し知ってから発言してほしいと言わざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不幸にも亀田とかかわったことにより英雄になった内藤だったが逆に少数の非国民（亀田信者）には非難を浴びることになる。&lt;br /&gt;
負けを認めない亀田信者は「アンチ内藤」と言い張りホームページを荒らす等の暴挙にでたが内藤を恨む人の動機は&lt;br /&gt;
亀田が負けてしまったこと以外無い為アンチ内藤＝亀田信者ということはバレバレである。&lt;br /&gt;
なお亀田信者は在日のヤクザとの噂もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜか亀田をアイドルと勘違いした一部の趣味の悪い追っかけ腐女子も非国民として名乗り出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後亀田信者にも亀田一家同様の処罰を与える必要があると検討されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
２度目の防衛戦では、前王者で１位のポンサクレックと壮絶な打撃戦を展開。結果は１－１の引分だったが、終始攻勢が入れ替わる日本ボクシング史上に残る名勝負に、観客は内藤・ポンサクレックの両者に大きな拍手を送った。さらに、平均視聴率２６．３を記録した。&lt;br /&gt;
王座奪還が心配された最大の山場を見事に乗り切り、[[亀田興毅|亀１]]狩りに更なる期待がかかっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この試合で前回のボクシングが単なる茶番劇だったことが完璧に証明され、一部では'''「亀田戦を内藤の戦績から抹消してこの試合を初防衛戦にすべきだ」'''というボクシングファンからの声も上がっている。&lt;br /&gt;
あと、ポンサクレックからも投げられそうになってみた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年11月に亀田大毅が復帰戦で戦ったアンヘル・レサゴの全長は'''150cm'''で「まーたちっちゃいおじさんか」と世間に嗤われたが、2009年5月の内藤V5戦で来日した熊朝忠は全長'''150.5cm'''で、前代未聞の「ちっちゃい子供」という事で世間を失望させた。&lt;br /&gt;
当然内藤の圧勝が予想されたが、蓋を開けて見れば幾度もちびっ子パンチを受けてふらつき、流血する事態に。&lt;br /&gt;
辛くも判定勝ちを収めたものの、無名かつ1Hyde未満の相手に苦戦する様はファンに大きな不安を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして運命の2009年11月29日、長年の因縁のある猿、いや亀１と対戦。&lt;br /&gt;
調印から計量まで一貫して亀メンチをスルーし続けるなど、試合前こそ猿回しとしての風格を見せたが、亀として生物学的に正しい徹底した亀状態に出る亀１に対し亀ばりに手も足も出ず、カメックスの極意を得たロケットずつきを浴びて鼻を割られるなど残念な内容に。&lt;br /&gt;
判定も3-0と大差をつけられ、リング上で喜ぶ３匹の猿もとい亀の姿を茶の間に映させるという失態を犯した。&lt;br /&gt;
ただしこれについては「ナショジオかどうぶつ奇想天外の映像が混じったのでは」という指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なおこの結果に関して、亀１が２以下とは格が違う「本当に強い猿」であるのは事実だが、強いとはいえ猿や亀相手にベルトを奪われるのは果たして人類としてどうなのかという批判が高まっており、ひいては内藤のみならず王座そのものの評価もストップ安まで落ちたとみられる。&lt;br /&gt;
ちなみに王者となった亀１は腐った女のような下手な延命はせずに初防衛戦でポンサクレックと戦い、潔く散った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[亀田大毅]]&lt;br /&gt;
*[[亀田三兄弟]]&lt;br /&gt;
*[[亀田史郎]]&lt;br /&gt;
*[[ポンサクレック・ウォンジョンカム]]&lt;br /&gt;
*[[切腹]]&lt;br /&gt;
*[[波田陽区]]&lt;br /&gt;
*[[投げられる男]]&lt;br /&gt;
*[[白鵬翔]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ないとう たいすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:スポーツ選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシング]]&lt;br /&gt;
[[Category:尻愛関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ホモ]]&lt;br /&gt;
[[Category:1974年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物‎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Uncyclopedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%86%85%E8%97%A4%E5%A4%A7%E5%8A%A9&amp;diff=83440</id>
		<title>内藤大助</title>
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				<updated>2010-04-05T05:07:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: ページ 内藤大助 を 肉藤大助 へ移動&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{スポーツ現在進行}}&lt;br /&gt;
{{Boxing statsbox&lt;br /&gt;
|name=内藤 大助&lt;br /&gt;
|image=Daisuke Naito.jpg&lt;br /&gt;
|caption=2007年7月18日、後楽園ホールで世界王座獲得&lt;br /&gt;
|realname=内藤 大助&lt;br /&gt;
|nickname=北の剛拳&amp;lt;br /&amp;gt;最短男&amp;lt;br /&amp;gt;国民の期待&lt;br /&gt;
|weight=[[フライ級]]&lt;br /&gt;
|nationality={{JPN}}&lt;br /&gt;
|birth_date={{生年月日と年齢|1974|8|30}}&lt;br /&gt;
|birth_place=[[北海道]][[虻田郡]][[豊浦町]]&lt;br /&gt;
|death_date=&lt;br /&gt;
|death_place=&lt;br /&gt;
|style=右変則ファイター&lt;br /&gt;
|total=41&lt;br /&gt;
|wins=35&lt;br /&gt;
|KO=22&lt;br /&gt;
|losses=3&lt;br /&gt;
|draws=3&lt;br /&gt;
|no contests=&lt;br /&gt;
|}}&lt;br /&gt;
*'''内藤大助'''（ナイトウ ダイスケ）。&lt;br /&gt;
昭和四十九年（[[1974年]]）[[8月30日]]生。[[日本]]の[[プロボクサー]]。元[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[フライ級]]王者（第35代）・元日本フライ級王者・元[[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]東洋太平洋フライ級王者。[[宮田ジム・スポーツクラブ|宮田ジム]]所属。[[北海道]][[虻田郡]][[豊浦町]]出身。[[北海道豊浦高等学校]]卒。既婚、長男がいる。身長164cm、リーチ174cm。現在のトレーナーは[[白井・具志堅スポーツジム]]の[[野木丈司]]。世界王座の日本選手最年長防衛記録を保持している（34歳8か月、2009年5月26日に達成）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
愛称は'''「北の剛拳」'''、世界フライ級タイトルマッチ史上最短KO負け、ならびに日本タイトルマッチ史上最短KO勝ちの記録を持つことから'''「最短男」'''、[[2007年]]10月当時独特のパフォーマンスなどによる批判が強かった[[亀田三兄弟]]&amp;lt;ref&amp;gt;この時の相手は、内藤が希望していた長男・[[亀田興毅|興毅]]ではなく、二男・[[亀田大毅|大毅]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に初黒星をつけたことで名付けられた'''「国民の期待」'''があり、特に「最短男」に関しては、試合時のボクサートランクスに刺繍されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
幼少期に両親が離婚。実母（『子供が大人に軽々しく話しかけるな』と間違ったしつけをする等、性格に問題がある人物として紹介もされる）は民宿を営み、[[1977年]]の[[有珠山]][[噴火]]による営業困難の中、貧しい[[一人親家庭|母子家庭]]に育った。中学校時代は[[いじめ]]が原因で[[胃潰瘍]]になるほどであったという。時期及び[[段級位制|段級]]は不明だが、[[剣道]]経験あり。高校生の時は[[ハンドボール]]部に所属。地元での就職に失敗し、高校卒業後に実兄を頼り就職のために上京。書店で目にしたボクシング雑誌を読み、アパート近くの[[ボクシングジム]]に入門した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
[[1996年]]10月11日、プロデビュー戦を1RKO。[[1998年]]12月19日、[[全日本新人王決定戦|全日本フライ級新人王]]決定戦で福山登に1RKO勝ちし、9勝1引分で新人王を獲得。[[2001年]]7月16日、[[坂田健史]]の持つ日本フライ級王座に挑戦し、引き分けで王座獲得ならず（[[大串事件]]を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]4月19日、[[タイ王国|タイ]]で[[ポンサクレック・ウォンジョンカム|ポンサックレック・シンワンチャー]]（タイ）の[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界フライ級王座に挑戦し、世界フライ級タイトルマッチ史上最短の1R34秒KO負け。しかし、復帰戦でKO勝ちすると、その後も[[菊井徹平]]を下すなど順調に勝ち進みランキングを上昇させる''（[[#第1戦|第1戦]]参照）''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本王座獲得 ===&lt;br /&gt;
[[2004年]]6月6日、[[中野博 (ボクサー)|中野博]]の日本フライ級王座に挑戦。内藤は中野から2度のダウンを奪うなど一方的に攻め続け、6Rに偶然の[[頭突き|バッティング]]による負傷判定勝ちを収め、日本王座を獲得。2004年10月、[[小嶋武幸]]を相手に日本王座の初防衛戦を行い、日本タイトルマッチ史上最短となる1R24秒KO勝ちを収めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]]10月、WBC世界フライ級王者[[ポンサクレック・ウォンジョンカム]]に再挑戦するも、7R負傷判定で敗れる''（[[#第2戦|第2戦]]参照）''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]6月、東洋太平洋フライ級王者[[小松則幸]]と、史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを行い、小松を6RTKOで破り、日本・東洋太平洋王座の2冠を達成する。同年12月には東洋太平洋王座単独の防衛戦を行い、判定で初防衛。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]2月、自身の負傷および、日本・東洋王座の防衛戦の兼用の厳しさを理由に東洋王座を返上。以降は日本王座を防衛しながら3度目の世界挑戦を表明。ポンサクレックに3度目の挑戦を表明するも、地上波放映を決定していたテレビ局が放送を取りやめ、スポンサーが集まらず開催が危ぶまれる。その後[[ドン・キホーテ (企業)|ドンキホーテ]]などが名乗りを上げるも&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web| date = 2007年6月8日| url =http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070608-210119.html| title =内藤の世界戦をドン・キホーテが応援| publisher = [[日刊スポーツ]]| accessdate = 2007年8月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、必要な金額まで至らなかった。その後7月6日になって東京ローカル局の[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]が生放送で地上波での中継放送を行うことを発表。必要な金額も目途が立ち開催する&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web| date = 2007年7月7日&lt;br /&gt;
| url = http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070707-223334.html| title = 内藤の世界戦がMXテレビで生放送決定| publisher = 日刊スポーツ]| accessdate = 2007年8月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 世界王座獲得 ===&lt;br /&gt;
2007年7月18日、WBC世界フライ級王座3度目の挑戦で、王者[[ポンサクレック・ウォンジョンカム]]に12R判定勝ちし、チャンピオンとなる&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web| date = 2007年7月18日| url = http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070718-229142.html| title = 内藤奇跡!王座奪取&lt;br /&gt;
| publisher = 日刊スポーツ| accessdate = 2007年8月16日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;''（[[#第3戦|第3戦]]参照）''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年10月11日、初防衛戦を行い、WBC世界フライ級14位の[[亀田大毅]]に3-0の判定で勝利した。12Rで亀田に投げ飛ばされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]3月8日に[[両国国技館]]で、2度目の防衛戦で前王者ポンサクレック・ウォンジョンカムの挑戦を受けた。試合は12R判定でジャッジは内藤勝利1、ポンサクレック勝利1、ドロー1で引き分けとなったため、規定により2度目のタイトル防衛。前王者とはこれで4度目の対決となった''（[[#第4戦|第4戦]]参照）''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年7月30日に[[国立代々木競技場|国立代々木競技場第一体育館]]で、日本王者の[[清水智信]]と3度目の防衛戦。9Rまでポイントリードを許す苦戦を強いられたが、10Rに2度のダウンを奪い、逆転KO勝ちで世界王座3度目の防衛を果たした。なお、この日はダブルタイトルマッチとしてWBA同級王者の[[坂田健史]]（協栄）の防衛戦も行われ、対立する同階級日本人世界王者の競演となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年12月23日に[[両国国技館]]で、元東洋太平洋ライトフライ級王者[[山口真吾]]と対戦。初回から激しい打撃戦となるがパンチの的確性で勝る王者が序盤から主導権を握る。回を重ねる毎に挑戦者が疲弊し、王者有利の展開で向かえた第11R、ついに挑戦者からダウンを奪うと、立ち上がってきたところを一気に連打し、レフェリーストップを呼び込んで1分11秒でTKO勝ち。世界王座4度目の防衛を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年11月に開催されたWBC総会では、1位[[ポノムランクレック・クラティンデーンジム]]の他、同年5月に行われた挑戦者決定戦に勝利した2位[[フリオ・セサール・ミランダ]]にも指名挑戦権を認めるとされていたが、ミランダの指名挑戦権は2009年4月に前王者ポンサクレックと暫定王座決定戦で対戦することが決まった時点で失効。この決定戦ではポンサクレックが暫定王座を獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]5月26日、14位・[[熊朝忠]]（[[中華人民共和国|中国]]）を相手に5度目の防衛戦。試合前には左足首と右の腸脛靭帯を傷めて走り込み練習が行なえないトラブルがあった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sanspo.com/fight/news/091117/fgb0911171759000-n1.htm 内藤、興毅との対戦「何の問題もない」] [[サンケイスポーツ]] 2009年11月17日閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;。当初は[[中華人民共和国|中国]]の[[上海市|上海]]で対戦予定であったが、現地のイベント代行業者に委託していた開催手続きが行われていなかったのを理由に、直前になり開催を断念。東京の[[ディファ有明]]に於いて、前座試合なしのワンマッチ興行、試合チケットは全て当日会場で発売という異例の形で開催された。試合は熊の強力なフックに苦しみ、戦前の予想とは異なり苦戦を強いられた。内藤は第5ラウンドに偶然のバッティングで右瞼をカットし、第6ラウンドでダウンを喫している（ダウンを喫したのは対ポンサクレック戦の初戦KO負け以来）。さらに第8ラウンドにはロープを背にして相手のパンチを一方的に受ける場面、第11ラウンドには口内をカットして出血し、同ラウンド終盤には相手の猛攻に防戦一方となった場面もあった。試合終了後には左右両瞼及び口内を深くカットした状態で、顔面から多量の出血がみられた。しかし内藤は多彩なパンチを的確に当ててポイントを稼ぎ、全体的には優位に試合を進め、結果、3-0の判定勝ちで5度目の王座防衛に辛うじて成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 世界王座陥落 ===&lt;br /&gt;
WBCよりポンサクレックとの王座統一戦を行うことが義務付けられていたが、前述の熊戦の負傷の影響で延期が認められた。それを受け、ポンサクレックは8月28日に母国で[[升田貴久]]を相手に初防衛戦を行い、6回TKO勝ちで防衛成功。一方の内藤も統一戦の前に防衛戦を1試合はさむことを認められ、11月29日に元WBA世界ライトフライ級王者[[亀田興毅]]（亀田大毅の兄）と対戦。試合は試合中の鼻骨折の負傷の影響や、事前の予想と違い亀田興のカウンターを上手く合わせる戦法に対応出来ずに序盤でリードを許し、亀田を最後まで捉えきれず、0-3の判定で敗れて王座から陥落した。この敗戦により、ポンサクレックとの5度目の対戦は事実上消滅した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ポンサクレック・ウォンジョンカムとの対戦 ==&lt;br /&gt;
=== 第1戦 ===&lt;br /&gt;
[[2002年]]4月19日、無敗で世界初挑戦。敵地[[タイ王国|タイ]]に渡り、[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界フライ級王者[[ポンサクレック・ウォンジョンカム|ポンサックレック・シンワンチャー]]挑んだ（ポンサクレックにとっては、これが5度目の防衛戦）。この当時にポンサクレックに挑戦した背景として[[2001年|前年]]7月16日、[[坂田健史]]の持つ日本フライ級王座に挑戦し引き分けたことが大きいと考えられる。宮田会長によると「お前は事実上日本タイトルを獲ったようなものだから世界へ」との主旨の発言があった。初回、内藤は序盤から積極的に仕掛ける。開始20秒付近で内藤が右アッパーを出した矢先、ポンサクレックが左フックを被せた。結果、強烈なカウンターとなり内藤はリング上で大の字になりながら失神。そのままKO負けとなった。KOタイムは34秒。世界フライ級タイトルマッチ史上最短のKO劇となってしまった。この敗戦で内藤は周囲からの厳しい批判と中傷にさらされることになる（「日本の恥」とまで言われた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2戦 ===&lt;br /&gt;
世界初挑戦失敗から3年半後の[[2005年]]10月10日、[[後楽園ホール]]でポンサクレックに再挑戦（ポンサクレックはリングネームを「ポンサクレック・ウォンジョンカム」に改名）。初対戦時以降、ポンサクレックはさらに防衛を重ね、この試合が12度目の防衛戦。一方の内藤は[[2004年|前年]]6月6日に日本フライ級王座を獲得。初防衛戦では日本同級タイトル戦史上最短となる24秒でのKO勝ちを収め、4月には2度目の防衛にも成功。日本王座在位のまま世界再挑戦を迎えた。前戦の影響により、ファンの注目は初回に集まった。その初回は内藤が前戦と同様にポンサクレックに対して積極的に攻撃を仕掛けた。右ストレートを好打し、上々の滑り出しを見せ、ジャッジ三者とも内藤を支持（10-9）。しかし、続く2回、偶然のバッティングで内藤が大量の出血。この出血を境に内藤はみるみる動きが落ちていった。結果、ポンサクレックの攻勢が目立ち、7回に試合がストップ。負傷判定で内藤の世界再挑戦は失敗に終わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第3戦 ===&lt;br /&gt;
[[2007年]]7月18日、三たびポンサクレックに挑戦。ポンサクレックの王座防衛回数は[[ミゲル・カント]]の「14」を上回るフライ級史上最多の「17」にまで伸びていた。一方の内藤は、[[2006年|前年]]6月27日に[[小松則幸]]との日本・東洋太平洋フライ級ダブルタイトル戦を勝利。日本王座4度目の防衛を果たすと同時に東洋太平洋王座獲得を果たし、12月には東洋太平洋王座初防衛に成功したが、戦前の予想は2度の敗北そして難攻不落の王者ということもあり圧倒的不利。内藤にとっては引退をかけての世界挑戦となった。第1戦・第2戦と違い、内藤は序盤から距離をとり、長いリーチと変則的な[[アウトボクシング]]で右ストレートと左フックで有効打を重ねていった。しかし、長期政権を築いていたポンサクレックも要所でコンビネーションブローを決め内藤を追いつめた。内藤は9回に疲労とダメージによりストップ寸前（防戦一方）に陥ったが、そのラウンド内に逆襲に転じポンサクレックを劣勢に立たせる底力も見せている。ボクシング史上に残る激戦は判定にもつれこみ、結果、3-0で小差の判定で内藤の勝利。内藤は32歳にして悲願の世界チャンピオンとなった。また、この試合に向けて野木丈司を師事し、綿密な作戦とスタミナ強化に努めてきたことが勝利の鍵だったと言える。この試合を境に内藤はスターダムにのし上がっていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第4戦 ===&lt;br /&gt;
[[2008年]]3月8日に[[両国国技館]]で、2度目の防衛戦で前王者ポンサクレック・ウォンジョンカムの挑戦を受けた。宮田ジムは当時、ポンサクレック側にオプション（興行権）を握られており、日本開催も危ぶまれる状態であった。また前王者のポンサクレックは前回の対戦で調整ミスを告白しており、当時のWBCランカーの中でもポンサクレックが最強挑戦者である可能性が非常に高かった。そのようなことも踏まえると、内藤の防衛戦で重要な試合であるのは明白であった。いざ試合が始まると、前回とは体の切れが違うポンサクレック、そして、さらに進化を遂げた内藤の技術戦となった。序盤から中盤にかけお互い手の内を知り尽くしているため、中々とパンチが当たらない展開だったが中盤以降にお互いのパンチが当たりだしヒートアップ。そして一進一退のまま判定となり、結果1-1の三者三様で引き分け&amp;lt;ref&amp;gt;判定は僅差で内藤の勝利とする意見も見られた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。内藤が2度目の防衛に成功した。これにより、宮田ジムは興行権を手に入れた。&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
その後、ポンサクレックは[[2009年]]4月にWBC世界フライ級暫定王座を獲得し、8月には初防衛に成功。一方の内藤は防衛回数を「5」まで伸ばし、[[11月29日]]に[[亀田興毅]]を相手に6度目の防衛戦。この試合の勝者はポンサクレックとの統一戦が義務付けられているため、内藤が勝てばポンサクレックとの5度目の対戦が実現する運びとなっていたが、結果は12回判定負け。これにより、両者の5度目の対戦は事実上消滅した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ポンサクレックとの関係 ===&lt;br /&gt;
内藤はポンサクレックを「礼儀正しく偉大な王者」、一方のポンサクレックも内藤を「兄のような存在」と慕っており、リング外ではお互いを尊敬し合う間柄と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ボクシングスタイル ==&lt;br /&gt;
174cmとフライ級ではかなり長いリーチを誇るためそれを活かした戦いをすると思われがちだが、ショートレンジでのフック・アッパーおよび打ち下ろし等も得意とし、そのファイトスタイルは分類不能。合理的に対戦相手を打倒することを身上とする。また肩まで入れた長い射程のジャブ・大きな踏み込みと上体の倒しからよく伸びる右ストレート、視界の外から飛んでくる両フックは、頻繁に見られるブローである。キャリアの中では、右アッパーやクロスレンジでの左右のショートフック・上下の打ち分け等も要所で見せる。また日本フライ級の中では屈指の強打者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内藤のスタイルは巷ではよく変則的と称されるが、基本的な思想は「攻防一体」である。常に上体を大きく動かしながらパンチを繰り出すためカウンターをもらいにくく、パンチ力を増し、反動を活かして追撃や回避あるいはその両方を素早く行うこともできる。ちなみに元世界王者の[[鬼塚勝也]]は、「内藤は体全体を使ってボクシングをする」と評している。また、コンビネーションのリズムの変化や豊富なフェイントなども、対戦相手を困惑させる要因となっている。内藤自身が過去に1R34秒KO負けしていることからもわかるように、これらは高度なディフェンス技術があって初めて実践しうるスタイルである。中でもパーリングやウィービング、あるいはスリッピングなどのパンチから逃げずにかわし即反撃に繋げる技術に秀でており、試合では相手のパンチに即座に反応してパーリングしつつ、ほぼ同時に反撃のパンチを入れるシーンを頻繁に見ることができる。更に王座奪取後は基本的なディフェンス技術に対する深い理解に加えて、[[額]]などの[[頭蓋骨]]の中でも硬くダメージを受けにくい場所でパンチを受けるといった緊急回避的なテクニックも備えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のように攻防一体のテクニックを誇る内藤であるが、攻撃中にガードが甘くなることがあり、相手へフェイントをかける際や、自らのパンチの打ち終わりにガードが下がる傾向が見られ、そこへ相手選手からのパンチを食らう事が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 戦績 ==&lt;br /&gt;
プロボクシング: 40戦 35勝 22KO 3敗 3分&lt;br /&gt;
{{Fightstatstop}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|1|1996年10月11日|☆|1R 0:55|KO|西野龍三|{{JPN}}（レパード玉熊）|プロデビュー戦}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|2|1997年4月30日|☆|2R 0:39|KO|押金励|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（角海老宝石）|1997年東日本ジュニアフライ級新人王トーナメント予選}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|3|1997年6月17日|☆|1R 0:42|KO|関裕介|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（高崎）|〃}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|4|1997年8月1日|分|4R|判定1-0|榎本信行|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（三迫）|〃}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|5|1998年4月23日|☆|1R 1:45|KO|安斉治明|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（F赤羽）|1998年東日本フライ級新人王トーナメント予選}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|6|1998年6月30日|☆|1R 1:24|TKO|佐藤崇|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（MI花形）|〃}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|7|1998年8月7日|☆|1R 2:20|KO|伊藤克憲|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（角海老宝石）|〃}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|8|1998年9月28日|☆|4R|判定2-0|久保田隆治|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（沖）|〃}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|9|1998年11月8日|☆|6R|判定3-0|佐藤宏章|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（F赤羽）|1998年東日本フライ級新人王トーナメント決勝戦}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|10|1998年12月9日|☆|1R 1:00|KO|福山登|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（大阪帝拳）|1998年全日本フライ級新人王決定戦}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|11|1999年4月5日|☆|2R 1:36|TKO|ジュン・オルハリーサ|{{PHI}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|12|1999年6月14日|☆|7R 0:25|TKO|ジョビー・マンチャ|{{PHI}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|13|1999年9月13日|☆|1R 1:28|KO|李明星|{{KOR}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|14|1999年12月15日|☆|8R|判定3-0|田中潤|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（ワタナベ）|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|15|2000年7月6日|☆|6R|判定3-0|伊波秀吉|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（具志川）|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|16|2000年9月19日|☆|3R 2:12|KO|ヨドペット・チュワタナ|{{THA}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|17|2000年10月28日|☆|3R 1:11|TKO|サックモンコン・シンマナサック|{{THA}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|18|2000年12月5日|☆|10R|判定|池田政光|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（渡嘉敷）|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|19|2001年2月13日|☆|5R 2:37|TKO|殿台カローラ|{{PHI}}&amp;lt;br /&amp;gt;（殿台赤城）|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|20|2001年7月16日|分|10R|判定1-0|[[坂田健史]]|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（協栄）|日本フライ級タイトルマッチ}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|21|2001年10月18日|☆|5R 2:16|TKO|ウィン・ネイションマン|{{THA}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|22|2002年4月19日|★|1R 0:34|KO|[[ポンサクレック・ウォンジョンカム|ポンサクレック・シンワンチャー]]|{{THA}}|WBC世界フライ級タイトルマッチ/世界フライ級タイトルマッチ史上最短KO記録}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|23|2002年9月19日|☆|7R 1:53|TKO|タオチャイ・ソーソーゴージム|{{THA}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|24|2002年12月11日|☆|10R|判定3-0|[[菊井徹平]]|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（花形）|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|25|2003年2月26日|☆|2R 0:34|TKO|マノップ・シットゴーソン|{{THA}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|26|2003年9月2日|☆|5R 1:15|TKO|ソントーン・チタラダ|{{THA}}|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|27|2004年2月25日|☆|2R 2:46|TKO|瓜生崇大|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（輪島S）|}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|28|2004年6月6日|☆|6R 2:33|負傷判定3-0|[[中野博 (ボクサー)|中野博]]|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（畑中）|日本フライ級タイトルマッチ}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|29|2004年10月11日|☆|1R 0:24|TKO|小島武幸|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（横浜さくら）|日本防衛1/日本タイトルマッチ史上最短KO記録}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|30|2005年4月11日|☆|10R|判定3-0|榎本信行|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（三迫）|日本防衛2}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|31|2005年10月10日|★|7R 2:38|負傷判定0-3|[[ポンサクレック・ウォンジョンカム]]|{{THA}}|WBC世界フライ級タイトルマッチ}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|32|2006年2月13日|☆|10R|判定2-1|[[中広大悟]]|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（広島三栄）|日本防衛3}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|33|2006年6月27日|☆|6R 1:38|TKO|[[小松則幸]]|{{JPN}}（エディタウンゼント）|日本・OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ/日本防衛4}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|34|2006年12月10日|☆|12R|判定3-0|吉山博司|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（ヨシヤマ）|OPBF防衛1}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|35|2007年7月18日|☆|12R|判定3-0|[[ポンサクレック・ウォンジョンカム]]|{{THA}}|WBC世界フライ級タイトルマッチ}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|36|2007年10月11日|☆|12R|判定3-0|[[亀田大毅]]|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（協栄）|WBC防衛1}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|37|2008年3月8日|分|12R|判定1-1|[[ポンサクレック・ウォンジョンカム]]|{{THA}}|WBC防衛2}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|38|2008年7月30日|☆|10R 0:57|KO|[[清水智信]]|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（金子）|WBC防衛3}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|39|2008年12月23日|☆|11R 1:11|TKO|[[山口真吾]]|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（渡嘉敷）|WBC防衛4}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|40|2009年5月26日|☆|12R|判定3-0|[[熊朝忠]]|{{PRC}}|WBC防衛5}}&lt;br /&gt;
{{Fightstatscont|41|2009年11月29日|★|12R|判定0-3|[[亀田興毅]]|{{JPN}}&amp;lt;br /&amp;gt;（亀田）|WBC王座陥落}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Fightstatsbottom}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 亀田家との因縁 ==&lt;br /&gt;
以前は元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[ライトフライ級]]王者[[亀田興毅]]との対決を熱望していたが、亀田陣営は「内藤は6回戦レベル」「ゴキブリのようなボクサー」などと挑発しながらも、対戦に対しては全く乗ってこなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内藤はポンサクレックへの3度目の挑戦の直前に「世界王者になれたら亀田を挑戦者に指名する」と宣言をして実際に王座に就いたのだが、亀田側は「（内藤が世界王者になったことで）ボクシングのレベルが下がった」とコメント。興毅ではなくその弟である[[亀田大毅]]（WBCフライ級14位）との対戦が初防衛戦（2007年10月11日）となった。結果は大毅の反則行為もあり、ジャッジの判定は3者とも7点から10点差以上の大差で内藤優勢とし、3-0で判定勝ちして初防衛した。このとき[[TBSテレビ|TBS]]が用意した[[トロフィー]]は、対戦者の大毅が着用していた金色のグローブを模したものであった。&amp;lt;!--トロフィーが「対戦者の亀田大毅の姿を象った」という記述がありましたが、その画像はネット上で出回ったコラージュで作られたネタ画像です --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また従前の亀田陣営の粗暴な言動などが要因で、この試合の観客の応援は内藤が圧倒的に多かった。この試合で大毅が様々な反則行為を行い、興毅が大毅に内藤へのサミングを指示した（大毅に反則行為を指示する興毅の声をマイクが拾い、全国放送でリアルタイムに流されてしまった&amp;lt;!--テレビ局のミスであると言われているが、真相は不明 --&amp;gt;）ことから、内藤は「亀田が反省しないのなら、もう亀田家とはやらない」と発言している。また、亀田側の謝罪会見で、大毅が[[丸刈り]]姿になったことについては、「大毅が相当のショックを受けている」、「気持ちが伝わった」とコメントしている。会見の翌日には大毅から謝罪訪問を受け、「誠意が伝わりました。お父さんからも電話で連絡をいただき、謝罪を受けました。大毅君は素質のある選手なので、これからも頑張ってほしいと思います」とコメントした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに10月26日に亀田が所属する[[協栄ボクシングジム]]の[[金平桂一郎]]会長と亀田興毅が謝罪に訪れたが、これに対しても、「興毅君は立派でした」と開口一番に讃えた上で、「自分の中では大毅君とお父さんの謝罪を受けてすでに終わっている件だが、公の場で公式に謝罪したので、みなさんにも誠意は伝わったんじゃないでしょうか」と語っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように色々と物議を醸した亀田との一戦だが、それまで知る人ぞ知る存在だった知名度が一躍全国区になるなど内藤にとっては転機となった一戦だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌年7月30日の防衛戦終了直後、突如リング上に亀田興毅が現れ、内藤に「次に試合をしようや」などと持ちかけるパフォーマンスを行った&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
| date = 2008-7-30&lt;br /&gt;
| url = http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&amp;amp;k=2008073001132&lt;br /&gt;
| title = 亀田興、内藤戦を熱望＝協栄の金平会長、強い不快感-ボクシング・ダブル世界戦&lt;br /&gt;
| publisher = [[時事通信社]]&lt;br /&gt;
| accessdate = 7月30日&lt;br /&gt;
| accessyear = 2008年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。観客席からは歓声とともに「帰れ!」などの野次も飛んだ。試合を中継したTBSには視聴者からの抗議が寄せられ、TBS側は「ハプニングで、最初から設定したわけではない」と説明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
| date = 2008-7-31&lt;br /&gt;
| url = http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008073001000925.html&lt;br /&gt;
| title = 亀田興毅登場に視聴者抗議 内藤世界戦中継のTBSに&lt;br /&gt;
| publisher = [[共同通信社]]&lt;br /&gt;
| accessdate = 7月31日&lt;br /&gt;
| accessyear = 2008年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年11月29日、興毅と[[さいたまスーパーアリーナ]]でWBCフライ級タイトル防衛戦で初対戦、12Rを戦い0-3の判定で敗れ王座防衛に失敗。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逸話 ==&lt;br /&gt;
* 入場曲は、[[C-C-B]]の「[[Romanticが止まらない]]」。これは、内藤がいじめにあっていた時、C-C-Bのラジオ番組にいじめのことを相談する[[はがき]]を出し、それが採用されたことによる。&lt;br /&gt;
* 上京直後は実父の経営する会社に就職。そのころにボクシングと出会う。当初はプロデビューを目的にしていたわけではなかった。ボクシングが軌道に乗ってからも2007年6月まではレンタカー店で働き、収入は喫茶店勤めの妻と合わせて月12万円ほどであった。&lt;br /&gt;
* 妻に試合前の事を相談に持ちかけるも、『息子を寝かしつけた後で聞く』と言われてそのままにされた逸話もある（バラエティー番組でも紹介される）。&lt;br /&gt;
* 亀田戦後は知名度が大きく高まり、バラエティなどのテレビ番組出演も頻繁に行うようになった。一方で亀田戦以降は頻繁にテレビ出演するようになったため、これについていくつかのインタビューで、「『練習してるのか』と言われるが、元々午前中に練習をして午後以降はアルバイトをする生活で、バイトがテレビ出演に変わっただけ。体力的にはバイトより楽」と語っている。テレビには試合予定がないときだけ集中的に出演し、試合に向けた調整に入ると一切出演しない。&lt;br /&gt;
* 全日本新人王を獲得した際、試合後のインタビューでインタビューアに「今後の目標は？」と聞かれ、照れ笑いする内藤の横で「世界!世界!」と連呼する宮田会長に対して自信無さそうに「いやまだ（世界は）早い」と発言した。内藤の謙虚さが見える一面であった。&lt;br /&gt;
* ニックネームの'''最短男'''は[[小嶋武幸]]を日本タイトルマッチ史上最短記録1R24秒でのKO勝ち（全階級を通じての最短レコード）。[[ポンサクレック・ウォンジョンカム]]に世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録での1R34秒でのKO負け。いずれも現時点での最短レコードであり、この両方を指してのことである。&lt;br /&gt;
* 元いじめられっ子がボクシングを始め、全日本新人王を経て日本王者になる。という経歴が、[[森川ジョージ]]作の漫画『[[はじめの一歩]]』の主人公、[[幕之内一歩]]の設定と似ているため、'''リアルはじめの一歩'''と形容されることがある（階級は違うが、身長はほぼ同じ）。内藤自身は『はじめの一歩』の大ファンであるため、連載されている[[週刊少年マガジン]]誌上の取材や作者との対談を好意的に何度か応じ、『はじめの一歩』への熱い思いを語った&amp;lt;ref&amp;gt;同誌の2008年8号、『はじめの一歩』第800回記念で、ロングインタビューを受け、ボクシングを始める前からのファンだったことや、ベストバウト、印象に残ったエピソードなどを語っている。その後も同年14号では[[森川ジョージ]]との対談記事が掲載され、同誌の50周年記念特別企画を行なった16号では「『一歩』で人生変わったようなところがある。」と祝辞を送っている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、その中で「一歩の方が自分より練習してる。」、「戦歴が似ているが、真似しているわけじゃない。」と冗談交じりにコメントしている。ちなみに現在の内藤のサインは森川ジョージが考案したもの。当時の対談でその様子を見ることができる。ただし、インタビューの中で、自分が受けていたイジメは、劇中での一歩の比ではない酷さであったと語っている（集団リンチや、水たまりに顔を押しつけられたり踏みつけられたりされたという）。このような壮絶ないじめのせいで、内藤は中学生にして胃潰瘍を患ってしまった。&lt;br /&gt;
* 2008年6月2日放送分の「[[関口宏の東京フレンドパークII|東京フレンドパークII]]」に友人の[[白鵬翔|白鵬]]と共に出演。グランドスラムを達成し、しかもビッグチャレンジで[[三菱・パジェロ]]を獲得した。&lt;br /&gt;
* 内藤がWBC世界チャンピオンになる以前に日本・東洋を制した当時は、一部ボクシングファンからは「ポンサクレックが世界チャンピオンじゃなければ世界を獲れるのに」と惜しまれる風潮があった。ワールドボクシングなどでは「フライ級の国内No.1（第一人者）は内藤である」と記事を載せたことがある。それだけポンサクレックは日本フライ級戦線にとって大きな壁だったということが覗える。&lt;br /&gt;
* 3度目の防衛戦にて劇的な逆転KOで勝利を得た功績を評してWBCの月間最優秀選手 (Boxer of the month) に選出された。これは日本人ボクサーとしては[[辰吉丈一郎]]以来の快挙である。&lt;br /&gt;
* 2008年、内藤の世界タイトルマッチ3試合の中継は、TBSの年間視聴率のトップ3を独占した。&lt;br /&gt;
* 減量中は大食い番組やグルメ雑誌を積極的に見ている（2009年2月1日放送の[[おしゃれイズム]]より）。&lt;br /&gt;
* かなりの天然キャラで撮影中にズボンを脱ぎだす等のエピソードに事欠かない。テレビ等では「内藤ワールド」と紹介される。&lt;br /&gt;
* 結婚してしばらくの間は妻の実家の惣菜屋から余った惣菜をもらって生活をしていた。チャンピオンになった後は妻の実家に冷蔵庫をプレゼントをしたり、2009年10月11日放送の「[[大改造!!劇的ビフォーアフター]]」では改装を依頼した。改装については以前に「[[大改造!!劇的ビフォーアフター|ビフォーアフター]]」にゲスト出演した際に依頼し、それが実現したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 獲得タイトル ==&lt;br /&gt;
* 東日本フライ級新人王&lt;br /&gt;
* 全日本フライ級新人王&lt;br /&gt;
* 日本フライ級王座（防衛4＝返上）&lt;br /&gt;
* OPBF東洋太平洋フライ級王座（防衛1＝返上、日本・東洋の現役2冠を達成）&lt;br /&gt;
* WBC世界フライ級王座（防衛5）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 内藤大助　『いじめられっ子のチャンピオンベルト』　[[講談社]]、2008年2月 ISBN 978-4-06-214548-0&lt;br /&gt;
** [[iTunes Store]]などでの[[オーディオブック]]（朗読）版の[[ダウンロード販売]]もあり。&lt;br /&gt;
** 2008年7月28日、[[TBSテレビ|TBS]]系[[月曜ゴールデン]]枠で「内藤大助物語〜いじめられっ子のチャンピオンベルト」としてドラマ化された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メディア出演 ==&lt;br /&gt;
=== テレビ番組 ===&lt;br /&gt;
* [[トミカヒーロー レスキューフォース]]第30話「チャンプ内藤登場! 魂のゴングを鳴らせ」ゲスト出演。なお、レスキューフォース応援団長も務めている&lt;br /&gt;
*[[Run for money 逃走中]]（2008年10月2日、2009年4月2日、2009年9月26日、フジテレビ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内藤大助を演じた人物 ===&lt;br /&gt;
* [[伊藤淳史]]（「内藤大助物語～いじめられっ子のチャンピオンベルト～」）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 映画主題歌 ===&lt;br /&gt;
* 2009年3月7日公開[[アニメーション映画]] 『[[ケロロ軍曹 (劇場版)#超劇場版ケロロ軍曹 撃侵ドラゴンウォリアーズであります!|超劇場版ケロロ軍曹 撃侵ドラゴンウォリアーズであります!]]』 主題歌「ケロロ・ジャポ〜ン!」（[[加藤夏希]]との[[デュエット]]曲）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ラジオ番組 ===&lt;br /&gt;
* [[Kakiiin]]（2007年12月5日 - 2008年3月28日、[[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]）毎週水曜日「ラジオパンチドランカー」コーナー担当&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[グリグリ 〜goody goody〜]]（2008年4月21日 - 2008年9月1日、TBSラジオ）毎週月曜日「ラジオパンチドランカー」コーナー担当&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* Kakiiin（2008年10月1日 - 、TBSラジオ）毎週水曜日「ラジオパンチドランカー」コーナー担当（10月1日よりグリグリから移動）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インターネット番組 ===&lt;br /&gt;
* [http://www.odoroku.tv/variety/negai-wed/index.html みんなの願いを叶えたい！水曜]（[http://www.odoroku.tv/vod/00000337D/index.html 2009年7月15日]、[[あっ!とおどろく放送局]]）&lt;br /&gt;
* [http://www.odoroku.tv/vod/0000032E0/index.html ロッテリア「絶妙ハンバーガー」記者発表会 第2部]（[[あっ!とおどろく放送局]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CM ===&lt;br /&gt;
* [[カーチス]]（2007年 - ）&lt;br /&gt;
* [[ボールド]]（2008年 - ）&lt;br /&gt;
* [[わかさいも]]（2009年 - ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関係事項 ==&lt;br /&gt;
* [[男子ボクサー一覧]]&lt;br /&gt;
* [[日本のボクシング世界王者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[ボクシング日本王者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[東洋太平洋ボクシング連盟王者一覧|東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)王者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧|世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧]]&lt;br /&gt;
* [[大串事件]]&lt;br /&gt;
* [[:Category:内藤大助に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://daisukenaito.com/ 内藤大助公式サイト]&lt;br /&gt;
* [http://www.boxrec.com/list_bouts.php?human_id=14674&amp;amp;cat=boxer BoxRecによる戦績]&lt;br /&gt;
* [http://moura.jp/culture/naito/ 著書『いじめられっ子のチャンピオンベルト』公式サイト]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Championshiptitle次空|第49代|日本|[[フライ級]]|中野博 (ボクサー){{!}}中野博|吉田拳畤|2004年6月6日 - 2007年4月25日（返上）}}&lt;br /&gt;
{{Championshiptitle次空|第35代|[[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]|東洋太平洋[[フライ級]]|小松則幸|ジョジョ・バルドン|2006年6月27日 - 2007年1月20日（返上）}}&lt;br /&gt;
{{Championshiptitle|第35代|[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[フライ級]]|ポンサクレック・ウォンジョンカム|亀田興毅|2007年7月18日 - 2009年11月29日}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本のボクシング世界王者}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ないとう たいすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のボクサー]]&lt;br /&gt;
[[Category:フライ級世界王者]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1974年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Daisuke Naito]]&lt;br /&gt;
[[fr:Daisuke Naito]]&lt;br /&gt;
[[pl:Daisuke Naito]]&lt;br /&gt;
[[th:ไดสุเกะ ไนโต]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{sd|無名の一般人[[内藤大助]]による自作自演・自画自賛ページ}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

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		<title>内藤大助</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{sd|[[内藤大助]]による自作自演・自画自賛ページ}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

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		<title>利用者:59.135.39.138</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{先編集権}}{{ウィキペディア|LTA:SANNET}}&lt;br /&gt;
'''150.7.242.14'''（くさったなまごみ、そだいごみ、いけぬま、ちしょう）は精神を病んでいる[[静岡県]]在住の[[IPユーザー]]である。別名、[[坂井泉水を中傷するキチガイ]]・[[静岡の腐った生ゴミ]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
まともな投稿をしたことは一度もなく、幼稚で支離滅裂な投稿しかできない。以下は具体例。&lt;br /&gt;
#[[海獺 (利用者)|ウィキペディアの利用者]]の中傷をしておいて[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=27232][http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=27468][http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=27233][http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=27464]、他のユーザーが[[B'z]]の[[盗作]]を指摘すると、逆恨みの個人攻撃をし始める[[基地外]]である。この[[基地外]]に粘着されると、本当にウザイ。&lt;br /&gt;
#*[[ラッコ]]と[[セイウチ]]の区別もつかないが、精神を病んでいるのでしょうがない。&lt;br /&gt;
#その他に、[[利用者:マグナム酒井|マグナム酒井氏]]・[[利用者:スーパーマルヤ|スーパーマルヤ氏]]・[[大場綜]]氏・故[[坂井泉水|坂井泉水氏]]・故[[川田亜子|川田亜子氏]]・秋葉原事件の被害者の中傷。&lt;br /&gt;
#[[カメムシ一家]]が[[八百長]]をしていないと主張するが、その根拠を答えられない。（真実だから）&lt;br /&gt;
#メディアウィキの書式を全く理解していない。署名もできない。（頭が弱いからww）&lt;br /&gt;
#[[カメムシ一家]]が[[八百長]]をしていることも、[[沢尻エリカ]]が[[クソガキ]]なのも、[[三田佳子]]が[[クソババア]]なのも、[[B'z]]が[[パクリ]]なのも、[[押尾学]]が[[ジャンキー]]ののも、[[すえのぶけいこ]]が犯罪扇動・被害者侮辱・友情破壊狂なのも[[高島礼子]]が不祥事高校出なのも[[冨樫義博]]が[[山形マット死事件]]の加害者と繋がりがあるのも真実なのに、記事を不正改竄している。&lt;br /&gt;
#*[[名誉棄損]]などとほざくが、[[名誉棄損]]の定義を知らない。（低能だから当然www）&lt;br /&gt;
#*脳を損傷しているので、会話がまともにできない。頭も[http://wiki.chakuriki.net/index.php?title=%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F&amp;amp;diff=448892&amp;amp;oldid=448779 文法もおかしい]。&lt;br /&gt;
#[[チャクウィキ]]でも迷惑投稿を繰り返して、[[管理者]]に怒られて泣く泣く逃亡ww。&lt;br /&gt;
#[[創価学会]]を[[株式会社]]だと妄想。池沼なので株式会社の意味が分かっていない。&lt;br /&gt;
#[[2ch]]でも、コピペ爆弾などの荒らしを行っており、非常に迷惑がられている。[http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2ch/1084770694/57-58 参照]&lt;br /&gt;
#語彙が非常に貧しく、小学生以下の知能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== B'zが盗作をしている証拠 ==&lt;br /&gt;
*[http://www.google.co.jp/search?complete=1&amp;amp;hl=ja&amp;amp;q=B%27z%E3%80%80%E7%9B%97%E4%BD%9C%E3%80%80%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%AA+&amp;amp;btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;lr=&amp;amp;aq=f B'z盗作パクリ・グーグル検索]&lt;br /&gt;
*[http://search.yahoo.co.jp/search?p=B%27z%E3%80%80%E7%9B%97%E4%BD%9C%E3%80%80%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%AA&amp;amp;search.x=1&amp;amp;fr=top_ga1&amp;amp;tid=top_ga1&amp;amp;ei=UTF-8 B'z盗作パクリ・ヤフー検索]&lt;br /&gt;
*[http://search.goo.ne.jp/web.jsp?MT=B%27z+%E7%9B%97%E4%BD%9C+%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%AA&amp;amp;STYPE=web&amp;amp;IE=UTF-8&amp;amp;PT=OCNTOP&amp;amp;from=OCNTOP&amp;amp;x=28&amp;amp;y=11 B'z盗作パクリ・グー検索]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== カメムシ一家が八百長をしている証拠 ==&lt;br /&gt;
*[http://www.google.co.jp/search?complete=1&amp;amp;hl=ja&amp;amp;q=%E4%BA%80%E7%94%B0+%E5%85%AB%E7%99%BE%E9%95%B7&amp;amp;lr=&amp;amp;aq=4&amp;amp;oq=%E4%BA%80%E7%94%B0%E3%80%80 亀田八百長・グーグル検索]&lt;br /&gt;
*[http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BA%80%E7%94%B0%E3%80%80%E5%85%AB%E7%99%BE%E9%95%B7&amp;amp;search.x=1&amp;amp;fr=top_ga1&amp;amp;tid=top_ga1&amp;amp;ei=UTF-8 亀田八百長・ヤフー検索]&lt;br /&gt;
*[http://search.goo.ne.jp/web.jsp?MT=%E4%BA%80%E7%94%B0%E3%80%80%E5%85%AB%E7%99%BE%E9%95%B7&amp;amp;STYPE=web&amp;amp;IE=UTF-8&amp;amp;from=gootop&amp;amp;x=33&amp;amp;y=6 亀田八百長・グー検索]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 使用IP ==&lt;br /&gt;
頭が弱いのでログインすることができない。IPを晒してネットが匿名だと思って幼稚な暴言を吐いている。と思ったら、いつの間にか垢作成できるようになってた。&lt;br /&gt;
*{{IP|221.35.18.126}}利用者ページの改竄をしたため'''追放'''。[[静岡県]]より接続。[[ヤフーBB]]。&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.131}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.132}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.133}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.134}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.135}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.136}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.137}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.138}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.139}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|59.135.39.140}}携帯電話（[[au]]）&lt;br /&gt;
*{{IP|150.7.242.14}}&lt;br /&gt;
この[[基地外]]を追放するには以下のIPを封鎖すればよい。&lt;br /&gt;
*221.116.255.234（Talk|ぜんか|しゃくほう|たいほ|だぁれ？|RBLs） [[USEN BROADGATE]] &lt;br /&gt;
*59.135.39.0/24 [[au]]([[KDDI]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 他ウィキでの活動 ==&lt;br /&gt;
===ウィキペディアでの活動===&lt;br /&gt;
*[[wiki:LTA:SANNET|長期荒らし/SANNNT]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===アンサイクロペディアでの活動===&lt;br /&gt;
*[http://ansaikuropedia.org/wiki/Category:%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%8C%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%B0%84%E6%BA%96%E5%82%99%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E7%96%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC 北朝鮮がミサイル発射準備のソッパペと疑われるユーザー]　&lt;br /&gt;
*[http://ansaikuropedia.org/wiki/Uncyclopedia:CheckUser%E6%A8%A9%E8%A1%8C%E4%BD%BF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E3%81%93%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AF%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%81%A0!!%E3%81%A8%E3%81%94%E3%82%8A%E3%82%89%E3%83%BC%E3%81%BE%E3%82%93%EF%BC%93%E4%B8%96ry CU行使依頼このサイトは糞だ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===　===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.google.co.jp/search?hl=ja&amp;amp;q=150.7.242.14&amp;amp;btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;lr= 150.7.242.14の検索結果]&lt;br /&gt;
*[http://www.google.co.jp/search?hl=ja&amp;amp;q=221.35.18.126&amp;amp;btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;lr= 221.35.18.126の検索結果]&lt;br /&gt;
*[http://www.google.co.jp/search?hl=ja&amp;amp;rlz=1G1GGLQ_JAJP293&amp;amp;q=%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E3%80%80%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E9%99%A2&amp;amp;btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&amp;amp;lr= 静岡の精神病院]&lt;br /&gt;
*[http://wiki.chakuriki.net/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions&amp;amp;dir=prev&amp;amp;offset=20080703032924&amp;amp;target=150.7.242.14 チャクウィキでのキチガイ投稿]&lt;br /&gt;
*[http://wiki.chakuriki.net/index.php?title=%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F&amp;amp;diff=448892&amp;amp;oldid=448779 問題の投稿]'''殺害した容疑者が死刑執行したばあいは共に納骨する予定している。'''（原文ママ）&lt;br /&gt;
:誤)「容疑者が死刑執行した」&lt;br /&gt;
:正)「容疑者を死刑執行した」または「容疑者が死刑執行された」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:糞}}&lt;br /&gt;
[[Category:カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
[[Category:B'z]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:荒らし]]&lt;br /&gt;
[[Category:ネットストーカー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
[[Category:厨房]]&lt;br /&gt;
[[Category:池沼]]&lt;br /&gt;
[[Category:静岡県]]&lt;br /&gt;
[[Category:童貞]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャンキー]]&lt;br /&gt;
[[Category:知的障害者]]&lt;br /&gt;
[[Category:童貞]]&lt;br /&gt;
[[Category:吹石]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;br /&gt;
自分は[[精神病]]で病んでいるが、こういう[[きちがい]]は[[精神病院]]でも治せない&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9C%ACDQN%E5%BE%B3%E9%83%81&amp;diff=83390</id>
		<title>山本DQN徳郁</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9C%ACDQN%E5%BE%B3%E9%83%81&amp;diff=83390"/>
				<updated>2010-04-04T11:50:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 関連事項 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア保護|山本徳郁}}&lt;br /&gt;
'''山本DQN徳郁'''（やまもとどきゅそのりふみ、[[1977年]][[3月15日]] - ）は、自称[[神]]の子の薬中疑惑のある変態である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 奇行 ==&lt;br /&gt;
;[[須藤元気]]の頭よしよし事件&lt;br /&gt;
:2005年[[12月31日]]、[[K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!]]にてトーナメント決勝を[[須藤元気]]と対戦し、右フックのダウンから[[グラウンドパンチ|パウンド]]の連打で1RKO勝ち。[[HERO'S]]ミドル級王者となり、キャリア初のベルト戴冠となった。だが、勝利した直後「よくやった!お前らよくやった!」と須藤とそのセコンドの頭をよしよしした行為が「偉そうだ」「何様のつもりか」などと批判を受けた。&lt;br /&gt;
;リングドクターに暴行&lt;br /&gt;
:[[2006年]]2月17日、修斗代々木大会に出場した同門の[[菊地昭]]の試合後にドクターチェック中であった[[中山健児]]リングドクターに対し暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLER BEE（現・[[KRAZY BEE]]）所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した（[http://blog.livedoor.jp/shooto_news/archives/50405827.html 山本徳郁およびKILLER BEE所属選手に無期出場停止処分] 日本修斗協会広報誌 BLOG版 2006年2月21日）。翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し和解したが、3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション（ISC）よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLER BEEへの厳重注意処分を受けた。10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された（[http://www.boutreview.com/data/news05/061013shooto-kid.html KIDが協会とコミッションに謝罪。] BOUTREVIEW 2006年10月13日）。&lt;br /&gt;
;サッカーボールキック&lt;br /&gt;
:2007年12月31日、[[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]で[[ハニ・ヤヒーラ]]と対戦。ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。ヤヒーラがダウンした後の頭部への[[サッカーボールキック]]に対してイエローカードが提示された。この卑怯な行為はネット上で激しい批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 実は弱かった ==&lt;br /&gt;
2006年[[12月31日]]、[[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]で総合格闘技のリングに一時復帰。[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]レスリング・グレコローマン55kg級金メダリストの[[イストバン・マヨロシュ]]と対戦し、1RKO勝ちを果たす。しかし、この試合は打撃になれていないレスリングの選手に打撃で勝っても強くないと、コアな格闘ファンから酷評されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
突如、プロをやめ、アマレスに転向して北京五輪を目指すこととなったが、あまりにも弱すぎて代表候補にすらなれずに、泣く泣く[[K-1]]に逃げ戻る。あまりの弱さに、ネット上などでは「神の子」でなく「'''紙の粉'''」だと酷評された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年5月26日、約1年5か月ぶりの復帰戦となる[[DREAM.9]]のフェザー級グランプリ2回戦で[[ジョー・ウォーレン]]と対戦し、判定負け。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年7月13日、約4年2か月ぶりのK-1参戦となる[[K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8|K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8]]で[[チョン・ジェヒ]]と対戦し、1Rに右アッパー、左フックの連打を受け失神TKO負け。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年12月31日、[[Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜]]のDREAM vs SRC 対抗戦で[[金原正徳]]と対戦し、判定負け。復帰後、K-1ルールを含め3連敗となった。こいつが実は弱いのが誰でも分かるｗｗｗ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エンセン逮捕 ==&lt;br /&gt;
元義兄の[[エンセン井上]]が薬物使用で逮捕されたことから、この禿チビの薬物使用疑惑は限りなく信憑性の高いものとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[K-1]]&lt;br /&gt;
*[[八百長]]&lt;br /&gt;
*[[DQN]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やまもとのりふみ}}&lt;br /&gt;
[[Category:1977年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:K-1]]&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャンキー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%91%E7%94%B0%E7%9C%9F%E4%B8%80&amp;diff=83389</id>
		<title>村田真一</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%91%E7%94%B0%E7%9C%9F%E4%B8%80&amp;diff=83389"/>
				<updated>2010-04-04T11:50:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア}}&lt;br /&gt;
'''村田真一'''（むらた しんいち、[[1963年]][[12月5日]] - ）は、[[兵庫県]][[神戸市]]出身の[[プロ野球選手]]（[[捕手]]）、プロ野球指導者、[[野球解説者]]。現在は[[読売ジャイアンツ]]の打撃コーチを務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その反面、'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;[[滝川高校いじめ自殺事件|もはや悪魔の所業である残虐ないじめおよびその隠蔽]]でお馴染みの地元を代表する粗大ゴミ学校こと[[滝川中学校・高等学校|滝川高校]]出のゲス（いわゆる[[滝川ルネッサンス]]ジジイ）の分際で出すぎた真似をしているクソ生意気ジジイ&amp;lt;/span&amp;gt;'''でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:むらたしんいち}}&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:落ちこぼれ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%89%E8%8F%B1UFJ%E8%A8%BC%E5%88%B8&amp;diff=83388</id>
		<title>三菱UFJ証券</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%89%E8%8F%B1UFJ%E8%A8%BC%E5%88%B8&amp;diff=83388"/>
				<updated>2010-04-04T11:49:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 会社&lt;br /&gt;
|社名 = 三菱UFJ証券株式会社&lt;br /&gt;
|英文社名 = Mitsubishi UFJ Securities Co., Ltd.&lt;br /&gt;
|ロゴ =&lt;br /&gt;
|種類 = [[株式会社]]&lt;br /&gt;
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 8615 | | 2007年9月25日}}{{上場情報 | 大証1部 | 8615 | | 2007年9月25日}}{{上場情報 | 名証1部 | 8615 | | 2007年9月25日}}&lt;br /&gt;
|略称 = 三菱証券、国際証券、蛆虫証券、うんこふんじゃった証券、見潰し証券&lt;br /&gt;
|国籍 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|郵便番号 = 100-6317&lt;br /&gt;
|本社所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]二丁目4番1号&lt;br /&gt;
|電話番号 = 03-6213-8500&lt;br /&gt;
|設立 = [[1948年]]（昭和23年）[[3月4日]]&amp;lt;br /&amp;gt;（八千代證券株式会社）&lt;br /&gt;
|業種 = 7100&lt;br /&gt;
|事業内容 = [[有価証券]]の売買等および売買等の委託の媒介等、[[三菱UFJ顧客情報売却事件|顧客情報売却]]&lt;br /&gt;
|代表者 = 会長兼CEO [[五味康昌]]&amp;lt;br&amp;gt; 取締役社長 [[秋草史幸]] &lt;br /&gt;
|資本金 = 655億18百万円&amp;lt;br /&amp;gt;（2009年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|発行済株式総数 = 7億1698万5496株&amp;lt;br /&amp;gt;（2009年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|売上高 = 連結：5,340億円&amp;lt;br /&amp;gt;単独：2,550億円&amp;lt;br /&amp;gt;（[[2008年]][[3月]]期）&lt;br /&gt;
|総資産 = 連結：19兆1,902億円&amp;lt;br /&amp;gt;単独：9兆9,860億円&amp;lt;br /&amp;gt;（2008年3月期）&lt;br /&gt;
|従業員数 = 単独：6,732名&amp;lt;br /&amp;gt;（2009年3月31日現在）&lt;br /&gt;
|決算期 = 3月31日&lt;br /&gt;
|主要株主 = 株式会社[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]] 100%&lt;br /&gt;
|主要子会社 = MUハンズオンキャピタル株式会社&amp;lt;br /&amp;gt;MUSファシリティサービス株式会社&amp;lt;br /&amp;gt;[[MUS情報システム]]株式会社&amp;lt;br /&amp;gt;MUSビジネスサービス株式会社&lt;br /&gt;
|関係する人物 =&lt;br /&gt;
|外部リンク = [http://www.sc.mufg.jp/ http://www.sc.mufg.jp/]&lt;br /&gt;
|特記事項 = 過去に[[三菱UFJ証券顧客情報売却事件|顧客情報流出事件]]を起こしたアホ証券会社。&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''三菱UFJ証券'''株式会社（みつびしユーエフジェイしょうけん、[[英語|英称]]：''Mitsubishi UFJ Securities Co., Ltd.''）は日本の[[証券会社]]である。株式会社[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]の子会社。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
店舗数は115店&amp;lt;ref&amp;gt;2009年4月2日現在。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キャッチフレーズは、「大切なものを、あなたと」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
===国際証券のグループ入り===&lt;br /&gt;
前身である国際証券時代は[[野村證券]]系の会社（子会社ではない）であった。[[wiki:バブル経済|バブル]]崩壊後、証券会社が最も苦しんだ[[1997年]]-[[1998年]]ごろ、国際証券は[[投資信託]]の販売が絶好調で、親会社より株価が高いという現象がみられた（野村證券が800円台の時代、国際証券は1100円台をつけていた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これをこころよく思わなかった{{要出典}}野村證券上層部と、[[wiki:日興コーディアル証券|日興證券]]の[[三菱グループ]]離脱に伴ってグループ内の証券業部門に空白を生じていた当時の[[東京三菱銀行]]（現在の[[三菱東京UFJ銀行]]）との利害が一致し、野村證券が保有する国際証券株式を東京三菱銀行に譲渡させ、同行の子会社&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]の一員&amp;lt;/ref&amp;gt;となる。この一連の国際証券の三菱グループ入りにあたっては、国際証券内部に大きな軋轢を生じた。&lt;br /&gt;
===三菱証券の発足===&lt;br /&gt;
三菱東京フィナンシャルグループが発足した2001年に、「国際証券」と東京三菱銀行が[[金融ビッグバン]]時代に設立させたリテール証券の「東京三菱パーソナル証券」「東京三菱TDウォーターハウス証券」、三菱銀行の子会社として設立していた「東京三菱証券（旧:三菱ダイヤモンド証券）」、三菱信託銀行と親密であった「一成証券」の経営統合を発表。2002年10月1日に合併のうえ「'''三菱証券'''」が発足。かつての日興證券に代わりうる三菱グループの総合証券会社として誕生した。MTFGでは[[三菱信託銀行]]でしか使われていなかった[[スリーダイヤ]]をシンボルマークとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===UFJつばさ証券との合併===&lt;br /&gt;
2005年10月、[[wiki:三菱東京フィナンシャルグループ|MTFG]]と[[wiki:UFJホールディングス|UFJ]]が経営統合し[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]となるのに伴い、UFJ系の[[UFJつばさ証券]]（ユニバーサル証券・太平洋証券・東和証券・第一證券）と[[企業合併|合併]]し、現在の'''三菱UFJ証券'''となる。なお、[[三菱UFJ信託銀行]]も予定通り同日に合併し発足したが、中核の[[三菱東京UFJ銀行]]についてはシステム対策に万全を尽くすのため2006年1月1日発足へ合併が延期されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===現況===&lt;br /&gt;
[[2007年]]9月30日に、[[株式交換]]によって三菱UFJフィナンシャル・グループの完全子会社となって上場廃止となる。&lt;br /&gt;
現在、同じ持ち株会社の傘下にある三菱東京UFJ銀行、三菱UFJ信託銀行との共同店舗である「[[MUFGプラザ]]（旧：MTFGプラザ）の出店を進めている。銀行の顧客基盤を活かしたアプローチにより、投資信託や国債などの販売額の伸びが顕著である。また、アジア地域の有力金融機関との提携を積極化したりと、投資銀行業務に力を注いでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合併以降、旧三菱証券会長だった[[五味康昌]]が会長兼CEOを務め（当初、旧三菱証券社長は副会長となっていたが、その後退任し現在は空席）、社長は旧[[東海銀行]]出身者が歴代務めてきたが、2008年に、三菱銀行出身の[[秋草史幸]]が副社長から昇格したため、いわゆる旧社間の[[たすきがけ]]が崩れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年に旧UFJつばさ証券出身のシステム担当社員が[[顧客情報]]を[[名簿屋]]に売却した[[三菱UFJ証券顧客情報売却事件]]が発覚。顧客離れの懸念がなされた。&lt;br /&gt;
===モルガン・スタンレーとの統合===&lt;br /&gt;
2009年3月26日、[[モルガン・スタンレー]]の日本法人である[[モルガン・スタンレー証券]]と合併することで合意したと正式に発表した&amp;lt;ref name=&amp;quot;news&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090327AT2C2601L26032009.html&lt;br /&gt;
 |title = 三菱UFJと米モルガン、証券統合を発表&lt;br /&gt;
 |newspaper = [[日本経済新聞]]&lt;br /&gt;
 |date = 2009-03-27&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2009-04-13&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この発表では、2010年3月末に、三菱UFJ60%、モルガン・スタンレー40%出資の[[合弁会社]]となる予定であった。その後、2009年11月19日の三菱UFJフィナンシャルグループの中間決算発表にて、統合計画を2社体制にの見直すことが発表された&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://www.nikkei.co.jp/news/main/20091117AT2C1701B17112009.html&lt;br /&gt;
 |title = 三菱UFJとモルガン、証券子会社の統合計画見直し&lt;br /&gt;
 |newspaper = 日本経済新聞&lt;br /&gt;
 |date = 2009-11-18&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2009-12-27&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、三菱UFJ証券が12月上旬に三菱UFJ証券分割準備株式会社を設立し、2010年4月1日に[[会社分割]]を行い、[[中間持株会社]]・'''三菱UFJ証券ホールディングス株式会社'''となり、三菱UFJ証券分割準備株式会社が（新）三菱UFJ証券株式会社となる&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite press release&lt;br /&gt;
 | title = 三菱UFJ証券株式会社による分割準備会社の設立と中間持株会社制への移行について&lt;br /&gt;
 | publisher = 三菱UFJフィナンシャル・グループ&lt;br /&gt;
 | date = 2009-11-18&lt;br /&gt;
 | format = PDF&lt;br /&gt;
 | url = http://www.mufg.jp/data/current/pressrelease-20091118-003.pdf&lt;br /&gt;
 | accessdate = 2009-12-27&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後、2010年5月中旬に、（新）三菱UFJ証券株式会社の事業とモルガン・スタンレー証券株式会社のインベストメントバンキング部門を統合し、'''三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社'''となる（三菱UFJ60％、モルガン・スタンレー40%出資）。また、モルガン・スタンレー証券株式会社のセールス・アンド・トレーディング部門に、三菱UFJが出資し、'''モルガン・スタンレーMUFG証券株式会社'''となる（三菱UFJ49％、モルガン・スタンレー51%出資）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite press release&lt;br /&gt;
 | title = 株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループとモルガン・スタンレーの日本における証券会社の統合について&lt;br /&gt;
 | publisher = 三菱UFJフィナンシャル・グループ&lt;br /&gt;
 | date = 2009-11-18&lt;br /&gt;
 | format = PDF&lt;br /&gt;
 | url = http://www.mufg.jp/data/current/pressrelease-20091118-004.pdf&lt;br /&gt;
 | accessdate = 2009-12-27&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==沿革==&lt;br /&gt;
*[[1926年]]（大正15）[[10月1日]] - 株式會社加賀商店創業。&lt;br /&gt;
*[[1944年]]（昭和19） - 株式會社加賀商店が、商号を加賀證券株式會社に変更。&lt;br /&gt;
*[[1945年]]（昭和20）[[3月28日]] - 南旺証券株式会社設立。&lt;br /&gt;
*[[1948年]]（昭和23）[[3月4日]] - 八千代證券株式会社設立。&lt;br /&gt;
*[[1949年]]（昭和24） - 南旺証券株式会社が商号を鈴や証券株式会社に変更。&lt;br /&gt;
*[[1952年]]（昭和27） - 鈴や証券株式会社が商号を鈴一証券株式会社に変更。&lt;br /&gt;
*[[1953年]]（昭和28） - 鈴一証券株式会社が商号を一成証券株式会社に変更。&lt;br /&gt;
*[[1969年]]（昭和44） - 加賀證券株式会社が商号を菱光証券株式会社に変更。&lt;br /&gt;
*[[1981年]]（昭和56）10月 - 八千代證券株式会社が光亜証券株式会社及び野村證券投資信託販売株式会社と合併し、商号を国際証券株式会社に変更。&lt;br /&gt;
*[[1987年]]（昭和62）[[5月1日]] - 国際証券株式会社が東京証券取引所、大阪証券取引所及び名古屋証券取引所のそれぞれの市場第二部に上場。&lt;br /&gt;
*[[1989年]]（平成元） - 国際証券株式会社が東京証券取引所、大阪証券取引所及び名古屋証券取引所のそれぞれの市場第一部に指定。&lt;br /&gt;
*[[1994年]]（平成6）[[10月19日]] - 三菱ダイヤモンド証券株式会社設立。&lt;br /&gt;
*[[1996年]]（平成8） - 三菱ダイヤモンド証券株式会社が商号を東京三菱証券株式会社に変更。&lt;br /&gt;
*[[1999年]]（平成11）4月 - 菱光証券株式会社が大七証券株式会社と合併し、商号を東京三菱パーソナル証券株式会社に変更。&lt;br /&gt;
*1999年（平成11）7月 - 東京三菱証券株式会社が三菱信証券株式会社から営業の全部を譲り受ける。&lt;br /&gt;
*[[2002年]]（平成14）[[9月1日]] - 国際証券株式会社が東京三菱証券株式会社、東京三菱パーソナル証券株式会社及び一成証券株式会社を合併し、商号を'''三菱証券株式会社'''に変更。&lt;br /&gt;
*[[2005年]]（平成17）10月 - UFJつばさ証券株式会社（登記上はユーエフジェイつばさ証券株式会社）を合併し、商号を'''三菱UFJ証券株式会社'''に変更。名称から「つばさ」が外れる。&lt;br /&gt;
*[[2007年]]（平成19）1月 - 2005年に常務取締役が世間に公表されていない情報を得て株を不正購入したため、[[金融庁]]から業務改善命令を受ける。&lt;br /&gt;
*2007年（平成19）4月 - [[三菱UFJリサーチ&amp;amp;コンサルティング]]投資調査部を当社に移管し、景気循環研究所を設置。&lt;br /&gt;
*2007年（平成19）9月 - 三菱UFJフィナンシャル・グループの完全子会社となり、上場廃止。&lt;br /&gt;
*2010年4月 - 会社分割を行い、中間持株会社・'''三菱UFJ証券ホールディングス株式会社'''となり、子会社を（新）三菱UFJ証券株式会社とする（予定）。&lt;br /&gt;
*2010年4月 - モルガン・スタンレーの日本法人と経営統合し、'''三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社'''と'''モルガン・スタンレーMUFG証券株式会社'''となる（予定）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==子会社==&lt;br /&gt;
;[[カブドットコム証券]]&lt;br /&gt;
:旧UFJ系。[[2006年]][[1月1日]]付けで旧MTFG系の[[Meネット証券]]を吸収合併。&lt;br /&gt;
:三菱UFJグループ関係では珍しく旧UFJ系列の会社が存続会社となった。&lt;br /&gt;
;[[MUS情報システム]]株式会社&lt;br /&gt;
:2006年[[10月30日]]付けで国際ビジネス・アンド・システムサービス株式会社から社名変更。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==著名な研究員等（現職者・出身者）==&lt;br /&gt;
*[[水野和夫]] - チーフエコノミスト&lt;br /&gt;
*[[嶋中雄二]] - 景気循環研究所長、元[[三菱UFJリサーチ&amp;amp;コンサルティング]]投資調査部長&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==顧客情報流出事件==&lt;br /&gt;
{{Main|三菱UFJ証券顧客情報売却事件}}&lt;br /&gt;
[[2009年]][[4月]]、[[個人情報|個人顧客情報]]が同社システム部の元部長代理（事件発覚後に[[懲戒解雇]]処分）によって、同社の顧客情報のほぼ全員分に当たる約149万人の顧客情報が不正に持ち出され、うち4万9000人分の顧客情報が3社の[[名簿業者]]に売却されていたことが発覚した。警察の任意の取り調べに対して元部長代理は他の社員のID等を利用して不正アクセスを行い顧客データサービスにアクセスして名簿業者にメールでデータ送信したと供述しており、[[wiki:不正アクセス行為の禁止等に関する法律|不正アクセス行為の禁止等に関する特別措置法]]違反容疑で立件方針。その後の社内調査の結果、流出した顧客情報はは少なくとも96社に転売されたことが判明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090625-OYT1T00613.htm&lt;br /&gt;
 |title = 三菱UFJ証券の流出顧客情報、70社が回収に応じず&lt;br /&gt;
 |newspaper = [[読売新聞]]&lt;br /&gt;
 |date = 2009-06-25&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[日本証券業協会]]などから証券マンとしてあるまじき行為として、規律委員会の開催を示唆した上で法人取引の制限の検討中である。2009年6月、システム部元部長代理がアクセス禁止法違反などで警視庁によって逮捕された。なお、元部長代理が不正アクセスの際に利用した同僚のIDは、本来、この同僚が他部署に異動した際に削除されているはずのものであり、同社の杜撰な管理体制が露呈した形となった。[[2009年]][[6月25日]]、[[金融庁]]は、内部管理体制が不十分であるとして、三菱UFJ証券に対して業務改善命令を出した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |author = 中井奨&lt;br /&gt;
 |url = http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090626/332643/&lt;br /&gt;
 |title = 「内部管理態勢が不十分」、金融庁が三菱UFJ証券に業務改善命令&lt;br /&gt;
 |newspaper = ITpro&lt;br /&gt;
 |publisher = [[日経BP社]]&lt;br /&gt;
 |date = 2009-06-26&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2009-12-27&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==CM==&lt;br /&gt;
2010年現在、[[松たか子]]が出演している。&lt;br /&gt;
===過去の出演者===&lt;br /&gt;
*'''国際証券''' - [[田中陽子]]（1991年）、[[須永慶]]（2001年）&lt;br /&gt;
*'''三菱証券''' - [[巻上公一]]（2004年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]&lt;br /&gt;
*[[三菱UFJ証券顧客情報売却事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.sc.mufg.jp/ 三菱UFJ証券]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{三菱UFJフィナンシャル・グループ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;background-color:red&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[三菱グループ]]&lt;br /&gt;
|&amp;lt;table border=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;margin:1em auto; font-size:smaller; width:90%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|食料品 = '''[[キリンホールディングス]]''' - '''[[wiki:弘乳舎|三菱サイダー]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|パルプ・紙・繊維 = '''[[三菱製紙]]''' - '''[[三菱レイヨン]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|建設 = '''[[ピーエス三菱]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|化学 = '''[[三菱化学]]''' - '''[[三菱ガス化学]]''' - '''[[三菱樹脂]]''' - [[大日本塗料]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|ガラス・窯業 = '''[[旭硝子]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|石油・原子力 = '''[[新日本石油]]''' - [[三菱原子燃料]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|鉄鋼 = '''[[三菱製鋼]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|非鉄金属 = '''[[三菱マテリアル]]''' - '''[[三菱電線工業]]''' - '''[[三菱アルミニウム]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|機械 = '''[[三菱化工機]]''' - '''[[三菱重工業]]''' - [[キャタピラージャパン]] - [[東洋製作所]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|鉛筆 = '''[[三菱鉛筆]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|輸送用機械 = '''[[三菱自動車工業]]''' - '''[[三菱ふそうトラック・バス]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|電気機器 = '''[[三菱電機]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|精密機器 = '''[[ニコン]]''' - [[三菱プレシジョン]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|商社 = '''[[三菱商事]]''' - [[菱食]] - [[アストモスエネルギー]] &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|金融 = '''[[三菱東京UFJ銀行]]''' - '''[[三菱UFJ証券]]''' - '''[[三菱UFJ信託銀行]]''' - [[三菱オートリース]] - [[三菱UFJニコス]] - [[三菱UFJリース]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|保険 = '''[[東京海上日動火災保険]]''' - '''[[明治安田生命保険]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|不動産 = '''[[三菱地所]]'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|運輸・倉庫 = '''[[三菱倉庫]]''' - '''[[日本郵船]]''' - [[三菱鉱石輸送]] - [[三菱タクシー]] - [[MKタクシー]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|情報・通信 = '''[[三菱総合研究所]]''' - [[三菱スペース・ソフトウエア]] - [[アイ・ティ・フロンティア]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|関連項目 = [[三菱財閥]] - [[岩崎家]] - [[三菱UFJフィナンシャル・グループ]] - [[東京海上ホールディングス]] - [[三菱ケミカルホールディングス]] - [[新日紘ホールディングス]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|備考 = ※太字は[[三菱グループ#三菱金曜会|三菱金曜会（三菱グループの社長会）]]メンバー。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
&amp;lt;/table&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:みつひしゆうえふしえいしようけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の証券会社]]&lt;br /&gt;
[[Category:千代田区の企業]]&lt;br /&gt;
[[Category:三菱UFJフィナンシャル・グループ|しようけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:三菱グループ|しようけん]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:創価学会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Mitsubishi UFJ Securities]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%B4%B0%E6%9C%A8%E6%95%B0%E5%AD%90&amp;diff=83387</id>
		<title>細木数子</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%B4%B0%E6%9C%A8%E6%95%B0%E5%AD%90&amp;diff=83387"/>
				<updated>2010-04-04T11:48:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''細木数子'''（ほそき かずこ、別名：太木クズ子・カス子・数の子[[1938年]][[4月4日]] - ）は[[日本]]の[[作家]]・[[タレント]]・占術家・暴力団の元娼婦。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家などと称する場合もある。下記のようにかつては実業家でもあった。[[東京都]][[渋谷区]]出身。[[東京成徳大学高等学校|東京成徳高等学校]]中退。寅年、八白土星、牡羊座、B型。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
戦災で父を亡くす。宝塚歌劇団に合格。17歳で[[喫茶店|コーヒー店]]で働き、20歳で[[銀座]]に[[クラブ (曖昧さ回避)|クラブ]]を開くなど、若い頃から[[飲食店]]の仕事を行ってきた。21歳の時に[[結婚]]し、主婦業の傍ら子ども洋服店を開店した。その後間もなく[[離婚]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1971年]]には[[不動産]][[詐欺]]の被害に遭い、10億近くの借金を抱えたが《10億近くの借金というのは『女の履歴書』における細木自身の記述だが、溝口敦は当時の関係者の発言として「10億円近くの負債なんて、細木数子のでたらめ。1971年当時、どこの世界に10億っていうカネが転がってたんです? 彼女の借金なんか1億円だって怪しい」という言葉を紹介している出典：『魔女の履歴書』p.56》、赤坂のクラブの経営が成功し、[[1975年]]には借金返済に目途をつけ、[[ディスコ]]「マンハッタン」を経営し大きな収入を得た。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]には、借金の[[連帯保証人]]になったために数億もの借金を抱えてしまった人気[[歌手]][[島倉千代子]]の[[後見人]]となり、島倉の個人[[芸能事務所|事務所]]も設立した。《当時島倉が抱えていた借金の額について細木は12億円と主張していたが、溝口敦は「細木が島倉の借金が12億円なんて吹聴してますが、とんでもない話」「最初の話は4000万円、それが8000万円、1億になり、3億円になった。たかが眼科医の守屋が12億円なんて借金できるわけがない。全部細木が島倉をタダ働きさせるためのウソですよ」というコロムビア・レコード関係者の言葉を紹介している（『魔女の履歴書』p.106）。このことを、&amp;quot;3年間で借金完済させた&amp;quot;、&amp;quot;島倉の命の恩人&amp;quot;と、自らマスコミに語り話題となる。この件に関し、一部の雑誌等では金銭に関する疑惑を呈する記事が掲載された。》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1982年]]に、独自の研究で編み出したとされる“[[六星占術]]”という占いに関する本を出版。[[1985年]]に出した『運命を読む六星占術入門』が[[ベストセラー]]となり、以降、「六星占術」に関する著作を次々に発表《細木の著書は今日まで100冊以上に上り、その売り上げは総計6500万部以上（[[ベストセラーズ|KKベストセラーズ]]発表による）と言われ、「占いの本を世界一売った人」として[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]にも掲載されている。》、「六星占術」[[ブーム]]を巻き起こし、人気占い師となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
銀座のクラブのママであった[[1983年]]に、政財界にも力を持つ事で知られる[[陽明学]]者の[[安岡正篤]]と知り合い、結婚の約束を取り交わす。安岡の親族が反対する中で、安岡と交わした結婚誓約書をもとに単独で[[婚姻届]]を提出し、受理されたが、当時、安岡は85歳と高齢であり、入院先の病院での検査では[[老人性痴呆症|認知症]]の症状があったとも言われ《出典：『週刊文春』1983年12月22日・29日合併号》（細木は「痴呆症のふりをしている」と反論した《出典：『週刊文春』1999年9月16日号》）、安岡の親族が「[[婚姻の無効]]」の[[調停]]申し立てを行った翌月、安岡は[[他界]]した。調停により、婚姻は無効であるとした[[和解]]が成立し、[[中陰|初七日]]には籍を抜くこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また細木が相談者に先祖[[供養]]として勧めていたお墓の購入に関して、[[1993年]]には「人の不幸、不安につけこんで不当に高額な墓を買わされた」と[[損害賠償]]を求める訴訟が起こった《この原告は3年後の1996年12月26日に提訴を取り下げた（理由は不明）。》[[1990年代]]は細木はテレビに出るなどの表立った活動を自粛あるいは避けていたが、それは細木本人が大[[殺界]]の時期だったからとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[2003年]]頃から、細木が人生相談を行う[[特別番組]]が20%前後の高[[視聴率]]を挙げるようになったことから、各局で多くのレギュラー番組を持つようになり、「視聴率の女王」と呼ばれるようになった。そして[[野村沙知代]]・[[デヴィ・スカルノ]]らに代わって、[[熟女]]タレントの代表的存在とされるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テレビ出演 ===&lt;br /&gt;
[[京都府]]内に豪邸があり、所有する多数の高価な[[骨董品]]等が『[[ウンナンの気分は上々。]]』等の[[テレビ番組]]で紹介されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[K-1]]ファイターの[[魔裟斗]]と仲がよく、魔裟斗からは「'''カズー'''」と呼ばれている、魔裟斗はネット上で太木の[[バター犬]]と揶揄されている。他にも[[横綱]]の[[朝青龍]]関、元[[プロ野球]]選手の[[佐々木主浩]]とも親しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]後半にはブームのピークを迎え、8月には『[[ズバリ言うわよ!]]』（[[東京放送|TBS]]系）、10月には『[[幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜]]』（[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系）と2本のレギュラー番組が始まった。出演[[タレント]]は[[くりぃむしちゅー]]、[[ネプチューン (コントグループ)|ネプチューン]]等。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
タレントなどに対して[[改名]]を促したことでも度々話題となった。改名については、[[丁半コロコロ]]や[[緑友利恵]]のように成功例もある一方で、テレビ番組やインタビューなどで「すぐにでも名前を元に戻したい」と発言していた[[モンキッキー]]や[[ハッピハッピー。]]、映画「ゴーストシャウト」など、改名しても目立った成果が得られなかったケース、[[次長課長]]のように改名を拒否した後に大ブレイクしているケースもあることから賛否両論の声がある。また、他人に対する厳しい叱責や、歯に衣を着せない自由奔放な発言は[[毒舌]]と非難されることも多い。例「地獄に堕ちる（地獄に行く）」「私を誰だと思ってる」など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
番組ではしばしば、男女の性差についての発言をしている。男性については、「女子供を養うことは当然の義務」と論じ、女性については、「女は男に尽くすべき」「女は料理ができなければいけない」など昭和期までによく見られた、いわゆる古い家庭像を論じる[[亭主関白]]支持者である。また、男女同権ではあるが男女同質ではないと説き、独身女性に結婚を促す発言もしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[仏教]]思想も重視しており、仏教の教えや先祖供養の方法なども同時に説いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共演者の傾向 ===&lt;br /&gt;
全体的に男性芸能人の方が共演数が多く、特に、中堅からベテランクラスの男性俳優との共演が多い。一方で、第一線で活躍するアイドル・女優・モデル系の女性芸能人とは共演しない傾向が強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
番組に共通する特徴として、[[ウッチャンナンチャン]]・[[くりぃむしちゅー]]・[[ネプチューン (コントグループ)|ネプチューン]]・[[雨上がり決死隊]]といった[[お笑いタレント]]が司会進行を担当していることが挙げられる。また、[[滝沢秀明]]・[[要潤]]といった「美形若手タレント」を共演させ、細木が進行を主導する番組構成もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
演歌歌手をゲストに呼ぶことが非常に多く、細木がゲストに対してアカペラで歌わせたことも多い。お笑い芸人も共演することがあるが、若手芸人に対しては「面白くない」などと厳しくダメ出しし、ベテラン芸人（[[加藤茶]]、[[月亭八方]]、[[島田洋七]]など）に対しては賞賛する傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ホリプロ]]の所属タレントと共演することが多く、特に『ズバリ言うわよ!』では[[井森美幸]]が準レギュラーで出演しており、運命のカルテなどのコーナーでもホリプロのタレントが多く出演している。[[吉本興業]]の所属タレントも共演が多いものの、若手芸人か関西を拠点に置くベテラン芸人がほとんどで、逆に[[明石家さんま]]、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]、などは一度も共演したことがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政治家をゲストに迎えることがあるが、基本的に[[自民党]]議員しか共演しない。これは、細木が自民党を強く支持していることが大きく影響している。特に、[[舛添要一]]と共演することが多い。（ただし、例外として「ズバリ言うわよ!」で[[鈴木宗男]]をゲストに迎えたことがある。また、[[横峯良郎]]は当選前に細木と何度か共演している。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主なエピソード ==&lt;br /&gt;
* 2004年1月2日に放送された[[クイズ$ミリオネア]]スペシャルに初挑戦し1000万円がかかった15問目で失敗するも、2度目の挑戦となる2004年12月30日放送の回で1000万円を獲得し、[[新潟県中越地震]]の義援金として全額[[寄付]]した。&lt;br /&gt;
* TBS系Mr.マリック対芸能人大スター軍団で、[[Mr.マリック]]の超魔術の[[トリック]]を見破り、その賞金200万円を全額寄付した。&lt;br /&gt;
* 2005年[[4月9日]]に放送された[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系『[[めちゃ2イケてるッ!]]』の「め茶の水女学園」の抜き打ち期末テストでは、[[モアイ]]をへモア、[[走れメロス|メロス]]をメディスなどの珍解答を出した。この時の細木の成績は6位であった。&lt;br /&gt;
* 2005年[[9月5日]]に[[第44回衆議院議員総選挙]][[自由民主党 (日本)|自民党]]公認の比例近畿ブロック候補[[柳本卓治]]へ自ら志願して行った応援演説の際には「私と握手した人が自民党に入れないと交通事故を起こす」と発言した。&lt;br /&gt;
* 2005年[[9月27日]]（火）18時55分 - 22時54分の『いつもよりズバリ言うわよ!細木数子vs教育問題女子高生&amp;amp;男子高生&amp;amp;現役教師総勢300人!メッタ斬りスペシャル!!』では、細木は[[泉谷しげる]]の[[アウトロー]]な言動に激怒し途中退出した。その後、その他のゲスト[[小川直也]]、[[蛭子能収]]、[[パク・ソルミ]]は予定通りオンエアーされたが、泉谷しげるだけはオンエアーが無かった。&lt;br /&gt;
* 2006年[[5月1日]]に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列にて放送されたドラマ『[[トップキャスター]]』の第3話に高圧的なインチキ占い師が登場する場面があり、これに対して自分を[[モデル]]にしているとして抗議を行った。フジテレビ側はこの話を[[DVD]]ボックスから削除した。&lt;br /&gt;
* [[レイザーラモンHG|レイザーラモンHG（住谷正樹）]]のハードゲイの芸（細木の前で自らの下腹部を前後運動させるもの）に激怒し、自ら鑑定拒否した。&lt;br /&gt;
* [[小島よしお]]に対しても「人をおちょくった態度が気に入らない」と目を合わせようとしなかった。なお小島はHGの前例があるせいか、はじめはきちんと服を着て登場した。&lt;br /&gt;
* [[ヒロシ]]のネタに対して「みっともないからポケットから手を出してネタをやりなさい」と促した。&lt;br /&gt;
* 弟の久慶はかつて[[新自由クラブ]]推薦や[[スポーツ平和党]]公認で衆議院選挙に数回立候補し、数子も支援したが落選した。&lt;br /&gt;
* 料理番組[[愛のエプロン]]では、その腕前をジャッジマンから「最高だ」と評価された。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[9月12日]]放送の『[[ズバリ言うわよ!]]』で「[[占い|占い師]]ではない」と発言した。&lt;br /&gt;
* [[2006年]]12月のズバリ言うわよ!で、「[[大殺界]]だから、レギュラーは2本しか持っていない」と大殺界中であることを告白した。&lt;br /&gt;
* 嫌いな食べ物は[[リゾット]]と[[スッポン]]と[[とんこつラーメン]]。『[[SMAP×SMAP]]』でよりにもよって香取&amp;amp;稲垣ペアと木村&amp;amp;草彅ペアがリゾット、スッポンの料理をそれぞれ出してきたため、「よくも私が食べられないものを当ててきたわね。」と呆れていた。この放送には、負けた香取が（いつもの扮装で）細木に化けた状態で細木をキス攻めにし、「額は残っているね。」と中居が突っ込んだ所、「ここは吾郎ちゃんに残しているの。」と答えた瞬間、香取に額を思いっきりキスされる、というオチが付いた。とんこつラーメンに関しては、『ズバリ言うわよ!』で[[デビット伊東]]がラーメンを作ろうとした際に、「私は1億円を積まれても、絶対にとんこつラーメンは食べない」と醤油ラーメンに変更させた経緯がある。&lt;br /&gt;
* 2007年から近いうちに引退することを仄めかしていたが2008年1月17日、[[幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜]]内で「自由人として生きていきたい」との理由で3月に引退することを表明した。&lt;br /&gt;
* 以前、番組内で「一歩間違えば命を落すぐらいの厳しい修行のお陰で自分に凄い能力が備わった」と自身に霊能力があるかのような事を匂わせる発言をしていた。番組内で[[堀江貴文]]元社長に「あんたの背中には龍が憑いている」と発言し、[[千野志麻]]元フジテレビアナウンサーには「あんたの背中には蛇がとり憑いているから幸せになれない」と警告した上で、「1日3回ずつ、風呂場で行水をしなさい」と開運アドバイスを送った。しかしその後、千野が細木の言った事を千野が行ってない事が分かると「あんたは一生幸せになれない」と千野に激怒した。ただ、最近の番組内においては一転して霊感的な発言はしていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 占い ==&lt;br /&gt;
=== 的中した例 ===&lt;br /&gt;
的中したといっても、全て偶然かこじ付けである。&lt;br /&gt;
* 1985年の[[阪神タイガース]]の21年ぶりのリーグ優勝、そして日本一を的中させた。&lt;br /&gt;
* 2004年1月に放送した『史上最強占いバトル』で「プロ野球の優勝チームは西武」と占い、的中させた。&lt;br /&gt;
* また、[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]水泳日本代表の[[北島康介]]を「金メダルの可能性大」と占い、的中させた。&lt;br /&gt;
* 2005年10月放送の「[[幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜]]」において、元日本テレビアナウンサーの[[福澤朗]]のフリー宣言については「最悪の時期に独立してしまったため、その後の苦労は目に見えている」と占う。その後「[[ぴーかんバディ]]」をはじめ、福澤がメインキャスターを務めた多くの番組が不祥事を起こし、打ち切りに追い込まれた。&lt;br /&gt;
* 2006年の[[サッカー]]・[[FIFAワールドカップ]]において、日本代表は監督[[ジーコ]]の運気が悪いため、勝てないと占った。結果、1勝も出来ぬままグループリーグで敗退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 的中しなかった例 ===&lt;br /&gt;
* 昭和64年に株が大暴落すると占ったが、昭和64年はわずか7日しかなく、その期間に大きな値動きは起きていない。また同年（1989年）の[[大発会・大納会|大納会]]で[[日経平均株価|日経平均]]は史上最高値をつけている（現在もこの高値は破られていない）。&lt;br /&gt;
*2004年にジーコ監督解任、新庄剛志引退。&lt;br /&gt;
* [[2005年]]7月に行われた[[川嶋勝重]]対[[徳山昌守]]のタイトルマッチの勝者を川嶋と占ったが、徳山が勝利した。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[1月1日]]に[[テレビ朝日]]で放送された『細木数子が緊急大予言・アナタの将来を幸せにするSP』で[[堀江貴文]][[ライブドア]]社長（当時）と競演した際、ライブドアの[[株価]]について「これから5倍に上がる」と予言し、「あんたの背中には龍が憑いている」と堀江のパイオニア精神を賞賛した（人間性については批判している）。また、『女性関係に気を付けないとスッテンテンになる』と助言した。放送から1ヶ月足らず後に堀江は逮捕され、ライブドア株の[[株価]]は10分の1になった末に[[上場廃止]]となった。また、[[ライブドア・ショック]]の際に細木数子の予測でライブドア株を購入したと発言した人もおり、「[[風説の流布]]」に当たるのではないか?との指摘があった。{{要出典}}&lt;br /&gt;
* [[内閣]]が第89代[[小泉純一郎]]内閣から次期内閣へと移る際、[[武部勤]]が次期内閣総理大臣になると2度に渡って占ったが、実際には武部は立候補せず、[[安倍晋三]]が第90代内閣総理大臣となった。安倍の総理就任後に収録された『[[幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜]]』では「安倍さんは種子だから運気がいい」と発言したが、安倍内閣は支持率を落とし、わずか1年で退陣することとなった。&lt;br /&gt;
* [[2006年]]1月にその年の[[ペナントレース]]を予想。[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]について「[[中日ドラゴンズ|中日]]（の優勝）はないね」と占ったが、中日がリーグ優勝した。&lt;br /&gt;
* 2006年2月、[[ドン小西]]に「へその上に手遅れに近い癌がある」と占ったが、本人が番組収録後に病院で血液検査を受けたところ、癌の疑いは見られなかった。同月、[[細川茂樹]]に「腹に命に関わるデキモノができている。収録が終わったらすぐに病院へ行きなさい」と発言したが、3つの病院で検査しても何も見つからなかった。&lt;br /&gt;
* [[細川直美]]・[[セイン・カミュ]]・[[出川哲朗]]・[[渡辺満里奈]]・[[だいたひかる]]・[[神田うの]]など、結婚出来ないと占われたが実際には結婚出来た芸能人が数多く存在する。&lt;br /&gt;
* [[黒川紀章]]・[[若尾文子]]夫婦の結婚当初、「すぐ離婚する」と占ったが、黒川が亡くなるまで離婚することはなかった。&lt;br /&gt;
* [[モンキッキー]]を旧芸名の「おさる」から現芸名へ改名することで「人気が出て1、2年で[[冠番組]]が持てる」と占ったが、改名を行った2004年から2007年にかけた現在でも冠番組は持てていない。&lt;br /&gt;
* “家庭をよくしたい”と相談して来た「コアラ」を「[[ハッピハッピー。]]」に改名させるも、妻である[[三原じゅん子]]と2007年に離婚した。三原は、離婚前に細木の番組にゲスト出演し、ハッピハッピー。との離婚の件を相談、「離婚すべき」との助言を細木から受ける。なお三原は離婚を決断した要因に細木の後押しがあったと発言している。&lt;br /&gt;
* 2007年の[[千代大海龍二|千代大海]]を、「正月場所（初場所）はだめだ。でも3月場所で活躍するよ。」と占ったが、初場所は10勝5敗・3月場所は7勝8敗という結果となり、しかもその後再び共演した際には千代大海に、「3月場所は『予言通り』だめだったね。」と発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 批判 ==&lt;br /&gt;
太木に対しては過去の経歴やメディアでの言動に関して、多くの賛否がある。以下はその主な批判の例。&lt;br /&gt;
* [[安岡正篤]]と結婚しようとした時期は、細木自身が新しいことを始めるのはよくないと説明している六星占術における「大殺界」の真っ最中であったことから、細木自身が六星占術の[[タブー]]を守っていないとの批判がある。&lt;br /&gt;
* 安岡正篤と結婚しようとしたことについても批判がある。当時、認知症になっており、禁酒を命じられていた安岡に対し酒を提供して篭絡したと言われる。また、認知症が進行し、死期の迫った安岡と「結婚誓約書」を交わし、それを根拠に婚姻届を提出した。これの無効を主張する安岡家と法廷闘争に至り、敗訴した細木は安岡の死後にこの婚姻を無効にすることで合意した。&lt;br /&gt;
* かねてから細木の勧める先祖[[供養]]に対し、[[墓石]]業者や[[仏壇]]業者と組んだ“[[霊感商法]]”的な商売ではないかという批判があるが、細木は自著で、業者と組んでいるわけではないと否定し、「そうした疑問を抱く方もときおりおられますが、心が曲がっていることを残念に思います」と述べている。出典：細木数子（著）『幸せになるための先祖の祀り方』（KKベストセラーズ）&lt;br /&gt;
* 月刊誌 『[[サイゾー]]』 は[[島倉千代子]]との過去や、占い師業界の中での評価を理由に批判を行っている。&lt;br /&gt;
* 2005年の11月に番組内で[[養鶏]]産業について触れ、「現在の養鶏場は24時間明かりをつけて夜をなくし、[[ニワトリ|鶏]]1羽につき1日に2-3個もの卵を産ませている」「[[鶏卵]]を含め、ほとんどの食品が薬でつくられている」などの誤った内容の発言をし、養鶏協会から抗議を受けた。フジテレビは「事実誤認や、誤解を招く可能性のある表現があった」として陳謝し、翌年1月の放送で訂正放送をおこなうと共に、細木自身が養鶏業者を訪れて実際の現状を確認した。&lt;br /&gt;
* 2006年5月から、[[暴力団]]を初め、[[タブー]]視されるものに関する著作で知られる[[フリーランス|フリー]][[ジャーナリスト]]の[[溝口敦]]が『[[週刊現代]]』で「魔女の履歴書」と題した細木の半生を批判的に綴った[[ルポルタージュ|ルポ]]の連載を始め、暴力団との深い関係や過去の[[売春]]斡旋疑惑や占い盗作疑惑などを指摘した。細木は『[[週刊文春]]』誌上で反論したが、溝口はこれに対する再反論を行った。細木は、溝口がこの連載を止めさせるために細木が暴力団を介して圧力をかけたと書いた記事を「事実無根」として、名誉毀損で6億円余の損害賠償を起こしたが、相手は講談社で、筆者の溝口は被告には含めなかった。&lt;br /&gt;
* 2006年[[11月10日]]、自身の番組内で、「世界を取った後に『もういいや』と辞めたのが悪い。」と、ゲストの[[竹原慎二]]を批判したが、竹原が引退した理由は世界チャンピオンになったからではなく[[網膜剥離]]であったため、ボクシングファンから批判された。&lt;br /&gt;
* 『細木数子の参拝作法』などで放送した、神社の参拝の方法が間違っている（音を立てないように[[拍手 (神道)|拍手]]を打つなど）として、全国の神社・氏子などから苦情が寄せられ、東京練馬・石神井の「氷川神社」のホームページのトップには、2007年2月現在、「ある占い師が、間違った方法を教えたために、葬儀用方法で柏手を打つ人が増えている」という内容の文章を記載している。また神社本庁は[[ジェイ・キャスト#J-CASTニュース|J-CASTニュース]][http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/hosoki/story/20070301jcast200725851/]の取材に対し、「間違った参拝作法をテレビで公言している。（細木サイドに）指導してほしい、という苦情がかなりきています」 と明かしている。&lt;br /&gt;
* [[陰陽道]]の始祖は[[安倍晴明]]と発言したことがあったが、これは誤りである。安倍晴明は[[賀茂忠行]]・[[賀茂保憲]]の弟子である。&lt;br /&gt;
* 以上のように、個人・団体・業界に関しての無知・認識不足が多々あるにも関わらず、本人から謝罪のコメントが出る事は殆ど無い。&lt;br /&gt;
* また、細木に限った事ではないが、数多くのテレビ番組に出演して占いをしていることについても疑問の声がある。なお、[[日本民間放送連盟]]の定める放送基準 第8章には「占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない」とある。[http://www.menkoi-tv.co.jp/company/kijun.html]&lt;br /&gt;
* そもそも、大殺界など運勢の悪い日が年・月・日それぞれにあり、それを考えると年半分以上は運勢が悪いので悪いことが起こってもおかしくない。その上運勢の悪い日に何かを始めるのも悪い結果となるというので、世の中の悪い事態はほぼすべて説明が付けられる。&lt;br /&gt;
* そもそも、一般的にみて。人の運命を断定ずける言い方。もの言いはペテン師や霊感商法である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な著作 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;BIG&amp;gt;こんな糞本読む価値は全くない&amp;lt;/BIG&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 女の履歴書-愛・富・美への飛翔（自伝、[[広済堂出版]] 1988年5月 ISBN 433150249X）&lt;br /&gt;
* 六星占術による 相性運入門 二人の仲を裂く“相性殺界”はいつ訪れるか! （[[ごま書房]]、1982年10月 ISBN 4-341-03020-5）&lt;br /&gt;
* 六星占術による運命の読み方 あなたの運命は12年周期で揺れ動く（ごま書房、1983年 ISBN 4-341-03017-5）&lt;br /&gt;
* 大殺界-六星占術 「家康」に学ぶ運命操縦法([[講談社]] 1983年4月 ISBN 4062005794)&lt;br /&gt;
* 幸せになるための先祖の祀り方([[ベストセラー]] 2003年3月ISBN 4584187266)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 批判意見についての参考文献 ==&lt;br /&gt;
どれも秀逸な本である。立ち読みでもいいので読んでみよう!!!&lt;br /&gt;
* [[竹中労]]『タレント残酷物語』―スターを食いものにする悪い奴は誰だ（[[エ-ル出版社]] 1979年） - [[島倉千代子]]とのかかわり等&lt;br /&gt;
* [[遠藤周作]]『新 ぐうたら怠談』 （[[光文社]] 1987年3月ISBN 4334970486）&lt;br /&gt;
* [[湯浅俊彦]]、[[一ノ宮美成]]、[[グループK21]]『京都に蠢く懲りない面々』淫靡な実力者たち（お墓商法 – 講談社2004年1月ISBN 4062568179）&lt;br /&gt;
* [[柿田睦夫]]『霊・因縁・たたり―これでもあなたは信じるか（講座・超常現象を科学する 4）』 -（お墓と“たたり”―細木数子氏の場合 –[[かもがわ出版]] 1995年11月 ISBN 4876992118）&lt;br /&gt;
* [[志水一夫_(作家)|志水一夫]]『大予言の嘘』占いからノストラダムスまでーその手口と内幕（六星占術と[[天中殺]]のルーツ等 –[[データハウス]] 1997年1月 ISBN 4887181124 ISBN 4887184670）&lt;br /&gt;
* [[佐野真一]]『あぶく銭師たちよ!』昭和虚人伝（評伝「大殺界の怪女・細木数子の乱調」を収録 [[ちくま文庫]]1999年1月ISBN 4480034455&lt;br /&gt;
* 細木数子被害者の会 『細木数子 地獄への道』 （[[鹿砦社]] 、2006年7月 ISBN 4846305872）&lt;br /&gt;
* [[溝口敦]]『細木数子―魔女の履歴書』（講談社 2006年11月ISBN 4-06-213727-5）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出演していた番組 ==&lt;br /&gt;
* [[ズバリ言うわよ!]]（TBS系）&lt;br /&gt;
* [[幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜]]（フジテレビ系）&lt;br /&gt;
* [[料理の鉄人]]（フジテレビ系、番組終了）&lt;br /&gt;
* 細木数子VS[[ウッチャンナンチャン|ウンナン]]!（TBS系、半年に1回放送、2004年度春・秋のみ）&lt;br /&gt;
* [[ネプリーグ]]（フジテレビ系、出演終了）&lt;br /&gt;
* [[細木数子の人生ダメだし道場]]（フジテレビ系、2004年度春・夏・秋のみ）&lt;br /&gt;
* [[ワイドYOU]]（[[毎日放送]]他、週1回出演、番組終了）&lt;br /&gt;
* [[快傑えみちゃんねる]]（[[関西テレビ放送|関西テレビ]]、出演終了）&lt;br /&gt;
* [[クイズ$ミリオネア]]スペシャル&lt;br /&gt;
* [[Mr.マリック対芸能人大スター軍団]]&lt;br /&gt;
* [[めちゃ2イケてるッ!]]（フジテレビ系、2005年4月9日放送）&lt;br /&gt;
* [[FNSの日|FNS ALLSTRS25時間テレビ]]内「細木が斬る!」（フジテレビ系、2005年7月23日放送）&lt;br /&gt;
* [[細木数子の緊急大予言]]シリーズ（テレビ朝日系、2006年1月1日、4月9日、6月17日、8月?日放送）&lt;br /&gt;
* [[細木数子の新春だから教えるわよ!子供にもわかる六星占術!究極の奥義大公開スペシャル!!]]（TBS系、2006年1月8日放送）&lt;br /&gt;
* [[スポーツ大陸]]「激突 朝青龍と白鵬」『NHK総合,4月11日放送』（三月場所の11日目。朝青龍関の激励に訪れ、食事をしながら歓談している部分が紹介される）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[悪徳商法]]&lt;br /&gt;
* [[霊感商法]]&lt;br /&gt;
* [[改名]]&lt;br /&gt;
* [[霊]]&lt;br /&gt;
* [[霊能力]]&lt;br /&gt;
* [[霊視]]&lt;br /&gt;
* [[疑似科学]]&lt;br /&gt;
* [[墓石]]&lt;br /&gt;
* [[島倉千代子]]&lt;br /&gt;
* [[反フェミニズム]]&lt;br /&gt;
*[[星椎水精]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.6sei.net/pc/ 細木数子 六星占術]（太木クズ子の公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.kk-bestsellers.com/tokusetsu/index.htm 細木数子の本]（KKベストセラーズのサイト）&lt;br /&gt;
* [http://web.archive.org/web/20060225063044/http://www.guinnessworldrecords.com/content_pages/record.asp?recordid=55598 ギネスブック公式サイト ]（英語）&lt;br /&gt;
* 批判的なもの。参考になるのでぜひ見るべし!!&lt;br /&gt;
** [http://www.nazotoki.com/obatyan.html 細木数子]（細木数子の検証サイト）&lt;br /&gt;
** [http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/200511_sogikou.html しんぶん赤旗 「現代こころ模様・葬儀考」 第4部「『墓』と人生」]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ほそきかすこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:悪徳商法]]&lt;br /&gt;
[[Category:1938年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:暴力団]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:Wikipediaで保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪予備軍]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%85%AB%E5%8D%83%E7%A9%82&amp;diff=83386</id>
		<title>星野八千穂</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%85%AB%E5%8D%83%E7%A9%82&amp;diff=83386"/>
				<updated>2010-04-04T11:48:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア}}&lt;br /&gt;
'''星野八千穂'''（ほしのやちほ、[[1980年]][[5月8日]] - ）は、[[長野県]][[小県郡]][[丸子町]]（現：[[上田市]]）出身の元[[プロ野球選手]]（[[投手]]）。現在は[[北海道日本ハムファイターズ]]の[[打撃投手]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==実態==&lt;br /&gt;
実態は'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;生徒に対する嫌がらせや自殺生徒及びその関係者への逆ギレを学校ぐるみで働くドゲス高校こと[[長野県丸子修学館高等学校|丸子実業]]出のゲスの分際で野球界に土足で上がりこむボケナスカス&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==末路==&lt;br /&gt;
しかし、上記の横暴の天罰によって[[2009年]]に'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;戦力外通告を受けた。母校涙目。ざまあみろ!!!&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20091129-570762.html ハム戦力外の星野引退、打撃投手で再出発] - '''ケッ、タコが!まともな野球選手をおちょくった罰だ、ボケが!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ほしのやちほ}}&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:落ちこぼれ]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%88%B8%E5%A1%9A%E5%AE%8F&amp;diff=83385</id>
		<title>戸塚宏</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%88%B8%E5%A1%9A%E5%AE%8F&amp;diff=83385"/>
				<updated>2010-04-04T11:47:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''この人物は虐待やいじめを支持する日本の恥です！'''&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
'''戸塚 宏'''（とつか ひろし、[[1940年]][[9月6日]] - ）は、日本の[[各種学校]]経営者。[[戸塚ヨットスクール]]校長・ヨットマン。元受刑者。[[愛知県]]出身だが、出生は[[朝鮮]][[咸鏡北道]][[清津市]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--要出典：[[朝鮮]]の[[清津]]生まれ。--&amp;gt;[[名古屋市立菊里高等学校|名古屋市立菊里高校]]、[[名古屋大学]][[工学部]][[機械工学]]科卒。在学中に[[ヨット]]に出会う。&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1975年]] - [[沖縄国際海洋博覧会]]記念[[太平洋]]横断レースで突出した記録を残し、注目を浴びた。シングルハンド（一人乗りヨット）による太平洋横断の最短世界記録を達成した（41日）&lt;br /&gt;
* [[1976年]] - [[株式会社]][[戸塚ヨットスクール]]開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、翌年の秋頃[[不登校]]などの[[情緒障害児]]の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の[[治療]]を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した[[上之郷利昭]]が著した「[[スパルタの海]]」では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者5名（2名は傷害致死、1名は病死、2名は行方不明のまま[[みなし死亡]]）を出す。&lt;br /&gt;
* [[1983年]][[6月13日]] - コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で[[逮捕]]。   &lt;br /&gt;
* [[1986年]]7月 - [[保釈]]される。[[早稲田祭]]で人物研究会の招きにより講演。以後も[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[EXテレビ]]」など各種メディアに登場、[[脳幹]]を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できる趣旨の「脳幹論」を肝とした持論を展開する（但し本人は[[脳科学]]者ではない事は論を待たない）。&lt;br /&gt;
* [[1995年]] - 右派の政治政党[[維新政党・新風]]に、賛同者の一人として名を連ねる。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] - 「[[電磁界等を考えるシンポジウム京都会議]]」に、発起人の一人として名を連ねる。&lt;br /&gt;
* [[2002年]][[2月15日]] - [[最高裁判所]]は[[上告]]を[[棄却]]。&lt;br /&gt;
* 2002年[[3月11日]] - 無罪を主張するが退けられ[[懲役]]6年の刑が確定。「[[教育]]か、[[暴力]]か」が争点となったが、教育と認定された一審から一転、[[控訴|控訴審]]・[[上告審]]では暴行と認定された。現在も体罰との因果関係は一切無かったとして無罪を主張している。&lt;br /&gt;
* 2002年[[3月29日]] - [[名古屋]][[検察庁|高等検察庁]]へ出頭。[[静岡刑務所]]に収監される。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[4月29日]] - 静岡刑務所を満期出所。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
収監前の記者会見では「出所後は[[私立小学校]]を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
反戸塚ヨットスクールキャンペーンの先頭に立った『[[サンデー毎日]]』の[[毎日新聞社]]を猛烈に憎んでおり（逮捕を報じた号では[[手錠]]をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった）、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、[[毎日新聞]]は出所直後の静岡市内での記者会見の内容（「体罰は教育だ」などの発言）をいち早く報じている（支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった）。[[義家弘介]]と激しく対立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* [[1976年]] - 『太平洋一直線』[[オーシャンライフ]] オーシャンブックス&lt;br /&gt;
* [[1983年]] - 『私が直す！』[[飛鳥新社]]&lt;br /&gt;
* [[1983年]]1月 - 『孤独の挑戦』[[ズーム社]] Zoom Books ISBN 480330758X&lt;br /&gt;
* [[1983年]]1月 - 『私はこの子たちを救いたい - &amp;quot;殴らない父&amp;quot;と&amp;quot;愛しすぎる母&amp;quot;へ』[[光文社]] カッパビジネス ISBN 4334011500&lt;br /&gt;
* [[1985年]]11月 - 『私が直す！』[[角川書店]] [[角川文庫]] ISBN 4041620015（飛鳥新社版改版）&lt;br /&gt;
* [[1985年]]11月 - 『獄中記』飛鳥新社 ISBN 4870310201&lt;br /&gt;
* [[1988年]]6月 - 『敵は脳幹にあり』[[アポロ出版]] ISBN 4874547028&lt;br /&gt;
* [[1992年]]7月 - 『こんな輩が子供をダメにする - 偽善を排す異論・暴論63』[[太陽企画出版]] ISBN 4884662059&lt;br /&gt;
* [[1992年]]8月 - 『熱論戸塚宏 - 反平等主義論』[[フローラル出版]] ISBN 4930831040&lt;br /&gt;
* [[2003年]]4月 - 『教育再生 - これで子供は救われる』[[大洋図書]] ISBN 4813010741&lt;br /&gt;
* [[2006年]]11月 - 『静岡刑務所の三悪人』[[飛鳥新社]] ISBN 487031763X&lt;br /&gt;
* [[2007年]]4月 - 新潮新書212『本能の力』[[新潮社]] ISBN 4106102127&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[石原慎太郎]]（筆頭支援者）&lt;br /&gt;
* [[伊東四朗]]（支援者）&lt;br /&gt;
* [[カルト]]&lt;br /&gt;
* [[擬似科学]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とつかひろし}}&lt;br /&gt;
[[Category:1940年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:愛知県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヨット]]&lt;br /&gt;
[[Category:教育問題]]&lt;br /&gt;
[[Category:疑似科学]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%86%A8%E6%A8%AB%E7%BE%A9%E5%8D%9A&amp;diff=83384</id>
		<title>冨樫義博</title>
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				<updated>2010-04-04T11:47:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 代表作 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア}}&lt;br /&gt;
'''冨樫義博'''（とがしよしひろ、[[1966年]][[4月27日]] - ）は[[山形県]][[新庄市]]万場町出身の漫画家である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==実態==&lt;br /&gt;
本業は漫画家であるが、もう一つ案外誰も突っ込まぬ（てか、[[クソガキどもを糾弾するホームページ|このホームページ]]を閲覧している人ならすぐに気づくはずだが）とんでもない顔を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;それは事件のあった学校の学区民が町ぐるみで加害者ばかり擁護して家族を失った罪無き被害者遺族に罵声ばかり浴びせたことで知られる[[山形マット死事件]]に於いて、モロに加害者グループのうちの2人の殺人犯（[[福原健二]]・[[矢口祐介]]）と同じ町内出身&amp;lt;/span&amp;gt;'''[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/yamagatamat.htm]なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;つまり、冨樫自身や冨樫の実家の家族も事件のことを美化していることだろう。&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無論、こんな地域からまともな人の為になる人材が出てくるはずがなく、冨樫自身も本業の漫画でも今やすっかりサボリの常習犯である（こっちは読者の間では有名だが）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通称は「休載王子」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==代表作==&lt;br /&gt;
*[[幽☆遊☆白書]] - 人気絶頂のうちに冨樫の勝手な都合で…（以下略&lt;br /&gt;
*[[HUNTER×HUNTER]] - '''言うまでもない。周知の通りである。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とかしよしひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:池沼]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:落ちこぼれ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%83%88&amp;diff=83383</id>
		<title>チンカスマサト</title>
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				<updated>2010-04-04T11:46:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}{{ウィキペディア無し}}{{ウィキペディア保護|魔裟斗}}&lt;br /&gt;
'''チンカスマサト'''（[[1979年]][[3月10日]]－）は、八百長団体[[K-1]]の看板選手。所属ジムはシルバーウルフ（狼少年だから）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''魔裟斗'''というおバカなリングネームをつけている[[DQN]]。必殺技は[[金的]]・ボケサーに蹴り。[[かませ犬]]には無敵であるが、サワーやブアカーオのような一流選手にはサンドバッグにされるクズ野郎である。ちなみに、ブアカーオに勝ったのは八百長だとある格闘家は主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、格闘界一の嫌われ者の勘違い糞野郎であるが、[[吹石]]はこのばかを強くてイケメンだと思い込んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、本名は'''小林雅人'''（こばやしまさと）という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==来歴==&lt;br /&gt;
[[千葉県]][[柏市]]で生まれ、[[埼玉県]][[新座市]]に引っ越す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いじめられて高校を中退。パシリをしていたことは周知の事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 知人の証言 ===&lt;br /&gt;
「魔裟斗がチーマー？ へぇ、そうなんだ。聞いたことないなぁ。ずっとパシリで パシリが嫌で格闘技始めたのは知ってたけど、気づいたらテレビに出てるんだもん。あいさつしに行こっかな」（かつて魔裟斗を知る友人Ａさん）。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
格闘家魔裟斗の背景にはいじめがあったようだ。「いじめがあったことはまだそれほど有名になるまえの雑誌でも告白しています。理由は本人によれば女の子にチヤホヤされたからだそうです。ただし、 その後、いじめた相手を見返すためにチームに入り、彼らをひとりひとりボコボコにして やったと語っています」（魔裟斗をよく知る女性ライター） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところがその武勇伝はかなり怪しいという。「そのイジメたやつはオレの知り合いで魔裟斗が中１のとき。それ以来、魔裟斗はずーっとパシリで、それが嫌になってボクシング 始めたんだよ。ボクサーしながらチーマーとかありえないしょ？」（先の知人）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
武勇伝はほとんど魔裟斗の口から語られたもので第三者の証言はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ファイトスタイル ==&lt;br /&gt;
判定狙いの当て逃げ、通称パシリスタイルが持ち味で、得意なのはキンタマキック。プロテクト、贔屓判定に守られていることを前提にした姑息なスタイルだが、勝つためにはもっとも楽な戦法なので重宝されている。このスタイルの成功者にはヘビー級の武蔵がおり、魔裟斗も彼を手本にしているようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[マイク・ザンビディス]]のコメント「言うことはない。逆に聞きたい。マサトについて、どう思いましたか。高いお金を出してわざわざ来て、マサトを見たらファイターとは感じなかった。ただ逃げ回るだけ。彼は骨折したけど、私のブロックがひじょうに強くて、相手にダメージを与える。向こうがキックを蹴っているのに痛がっていると、2回か3回くらい感じました。2Rごろですね。私が思うのは、1Rは私が勝っている。2Rも私が勝ったと思う。3Rにダウンを1回したけど、彼が勝つとは思わなかった。私が勝つべきだった。私は元気。闘いたいんだ。1Rに1回もパンチを受けていない。 みなさんはどう思いますか？2Rに魔裟斗が勝ったのが、どうしてなのか分からない。彼はファイターとして闘うべきなのに、'''逃げ回っているだけだった'''。」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==蛆虫像==&lt;br /&gt;
足の短さと顔の面積の広さをしょっちゅう突っ込まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[細木数子]]のバター犬でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ニックネームは、キンタマ・[[キンタマサト]]・[[パシリ]]・マサシ・ゴキブリ・[[ウンコ]]・[[包茎]]・[[チンカス]]・[[蛆虫]]等。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小比類巻にKOされ、1年近く試合ができないほどのトラウマを負わされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
K-1ブレイク以前はタレント活動する格闘家を軽視する発言をし、格闘技一筋のストイックさをアピールするも、いざ売れると自らが芸能活動重視する変節。しまいには何を勘違いしたかハリウッド発言する頭の悪さを露呈。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファイターたるもの対戦相手に敬意を払うのは最低のマナー。強いチャンピオンほど謙虚である。しかし魔裟斗は対戦相手を罵倒、見下す発言連発のマナーの悪さ。しかも発言の割には結果を 出せないという情けない状態。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ブアカーオ戦、ザンビ初戦は明らかなヤオ判定、ナラントンガラグ戦も正直、微妙な判定だった。しかし魔裟斗にはその自覚が感じられない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大晦日という多くの人が注目する試合で、KIDと対戦。相手はKルール2戦目のルーキーにも関わらずダウンを取られるという失態を犯し、その上、故意に金的を蹴りピンチを逃れるという卑劣・卑怯な行為を行った。故意に行ったことはKID及び関係者も指摘するが魔裟斗は「ごめん。偶然入っちゃった」といいわけ。屑の人間性そのものである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この試合後、KIDに「今度は総合で」と再戦を申し込まれると、「喧嘩では勝てないから・・・」対戦を拒否、ヘタレぶりと矮小な人間性を晒す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
引退したロートルボクサーを蹴って粋がっているのは、ボクシングのプロテストに合格出来なかったことに対する憂さ晴らしのようなものである（このうんこは、[[ボクシング]]に対してコンプレックスを持っている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== マサシ語録 ==&lt;br /&gt;
「女がリングに上がるのは不愉快」（女子格闘技を否定　てか、ラウンドガールも否定） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「女は犬みたいなもの。犬と思ってかわいがればいいｗ」（女性蔑視） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「生意気な女だったら手を出すのは当然ですよ」（女性暴力をカミウングアウト） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ラスベガスで試合がしたい。そこで顔を売ってハリウッドスターになりたいな」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ボクシング時代は米倉会長にチャンピオンと呼ばれてましたよ」（プロテスト直前に逃亡したクズが何言ってんだ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ホプキンスと闘いたい。いまのおれならボクシングルールでも勝てる」（実は、プロテスト前にプレッシャーの余り失踪しており。ボクシングコンプレックスの 主原因がこのときの挫折にあるようである。実力的には６回戦レベルと言われている。） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「へビー級もKO少ないし、既におれの戦いはヘビーを越えた」 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「KOを実行できない奴に発言権はない」（八百長判定でしか勝てないクズマサトは発言権は無い） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「PRIDEも盛り上がってるけど、格闘技で一番面白いのはMAX。そしておれの試合」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[気違い|基地外]]&lt;br /&gt;
*[[K-1]]&lt;br /&gt;
*[[八百長]]&lt;br /&gt;
*[[DQN]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ちんかすまさと}}&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:K-1]]&lt;br /&gt;
[[Category:1979年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャンキー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B5%A9%E5%8F%B8&amp;diff=83382</id>
		<title>谷川浩司</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B5%A9%E5%8F%B8&amp;diff=83382"/>
				<updated>2010-04-04T11:46:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア}}&lt;br /&gt;
'''谷川浩司'''（たにがわこうじ、[[1962年]][[4月6日]] - ）は[[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]出身の棋士である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==実態==&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;[[滝川高校いじめ自殺事件|もはや悪魔の所業である残虐ないじめおよびその隠蔽]]でお馴染みの地元を代表する粗大ゴミ学校こと[[滝川中学校・高等学校|滝川高校]]出のゲス（いわゆる[[滝川ルネッサンス]]ジジイ）の分際で「神戸大使」の椅子に居座り続けるクソ生意気ジジイ&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
顔だって[[加藤智大|アキバの通り魔]]みたいな顔してやがるし。太ったら[[小林薫 (チンカス)|奈良の誘拐ジジイ]]にも似そうだなあー（笑）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、全くふざけたことに地元の須磨では区内にそれなりにいる他の優良かつまともな人材を差し置いて'''こんなアキバ通り魔顔の滝川ルネッサンスジジイ'''なんかが郷土のヒーローと崇められているのが現状なのである…。ほんと、まともな須磨人が浮かばれねえよ…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==谷川の身の程知らずぶり==&lt;br /&gt;
将棋の腕前でいいところを見せようってつもりなようだ。[[2009年]]には[[日本将棋連盟]]棋士会会長にも就任したと言うが…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;って、喧しいわ。滝川高校OBだなんて時点でもうテメエはゲスなんだよ!名乗る名前なんかありゃあしねえんだよ!テメエみてえな滝川ルネッサンスジジイが神戸大使とか生意気なことボサいてんじゃねえぞ!!テメェの場合はどう考えても白濁大使だろ!![[明石海峡]]にでも沈んでろや!!!&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://homepage2.nifty.com/tanigawa17/ 滝川ルネッサンスジジイの谷川を応援するボケナスカスのホームページ] - 谷川の顔写真もゾロゾロ出てくる。'''こんなツラで[[秋葉原]]だきゃ絶対歩くなよなぁ!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たにかわこうし}}&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:将棋]]&lt;br /&gt;
[[Category:将棋棋士]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:落ちこぼれ]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E9%AB%98%E5%B3%B6%E7%A4%BC%E5%AD%90&amp;diff=83381</id>
		<title>高島礼子</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E9%AB%98%E5%B3%B6%E7%A4%BC%E5%AD%90&amp;diff=83381"/>
				<updated>2010-04-04T11:45:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 脚注 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ActorActress|&lt;br /&gt;
| 芸名 = 高島 礼子&lt;br /&gt;
| ふりがな = たかしま れいこ&lt;br /&gt;
| 画像ファイル =&lt;br /&gt;
| 画像サイズ =&lt;br /&gt;
| 画像コメント =&lt;br /&gt;
| 本名 =&lt;br /&gt;
| 別名 = [[クソババア]]&lt;br /&gt;
| 出生地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[港南区]]&lt;br /&gt;
| 国籍 =&lt;br /&gt;
| 民族 =&lt;br /&gt;
| 血液型= [[ABO式血液型|B型]]&lt;br /&gt;
| 生年 = 1964&lt;br /&gt;
| 生月 = 7&lt;br /&gt;
| 生日 = 25&lt;br /&gt;
| 没年 =&lt;br /&gt;
| 没月 =&lt;br /&gt;
| 没日 =&lt;br /&gt;
| 職業 =[[俳優|女優]]&lt;br /&gt;
| ジャンル =&lt;br /&gt;
| 活動期間 = [[1987年]] -&lt;br /&gt;
| 活動内容 =&lt;br /&gt;
| 配偶者 =[[高知東生]]&lt;br /&gt;
| 家族 =&lt;br /&gt;
| 公式サイト = [http://www.ohtapro.co.jp/ohta_pro/profile/ta_re/ 太田プロダクション：高島礼子]&lt;br /&gt;
| 主な作品 =&lt;br /&gt;
 '''CM'''&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
日商エステム&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
eo光&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
花王&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
黄桜&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
大鵬薬品・チオビタ&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
'''テレビ'''&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[拝啓、父上様]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[御宿かわせみ]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[結婚できない男]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[さくら署の女たち]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[熟年離婚]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[大奥 (テレビドラマ)|大奥 第一章]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
'''映画'''&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[バルトの楽園]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[隠し剣鬼の爪]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[あずみ2 Death or Love]]』&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
『[[釣りバカ日誌]]』&lt;br /&gt;
| アカデミー賞 =&lt;br /&gt;
| AFI賞 =&lt;br /&gt;
| 英国アカデミー賞 =&lt;br /&gt;
| セザール賞 =&lt;br /&gt;
| エミー賞 =&lt;br /&gt;
| ジェミニ賞 =&lt;br /&gt;
| ゴールデングローブ賞 =&lt;br /&gt;
| ゴールデンラズベリー賞 =&lt;br /&gt;
| ゴヤ賞 =&lt;br /&gt;
| グラミー賞 =&lt;br /&gt;
| ブルーリボン賞 =&lt;br /&gt;
| ローレンス・オリヴィエ賞 =&lt;br /&gt;
| 全米映画俳優組合賞 =&lt;br /&gt;
| トニー賞 =&lt;br /&gt;
| 日本アカデミー賞 =&lt;br /&gt;
| その他の賞 =&lt;br /&gt;
| 備考 = 不祥事高校出のゲスの分際で女優界に土足で上がり込むクソババア&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{ウィキペディア}}&lt;br /&gt;
'''高島礼子'''（たかしまれいこ、[[1964年]][[7月25日]] - ）は、[[神奈川県]][[横浜市]][[港南区]]出身の女優である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
キャッチフレーズとしては「レースクイーン出身の美人女優」という事だが、そんな高島の実態は'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;とある吹奏楽部員を[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/yokohamaijime.htm 陰湿行為で死に追いやるという事件]でお馴染みの[[神奈川県立野庭高等学校|野庭高校]]（現在は統合で閉鎖）出のゲスの分際で出過ぎた真似をしているクソ生意気ババア&amp;lt;/span&amp;gt;'''である&amp;lt;ref&amp;gt;なお、出身校での件はNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」が設立されるきっかけにもなっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ってか、[[高知東生]]との結婚を決めた時期も上記の不祥事の時期と近くない？'''ケッ、低能にも程があるぜ、このクソゲスババアが!'''高知が不憫だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==高島が土足で上がり込んできた作品==&lt;br /&gt;
===テレビ===&lt;br /&gt;
; ◇[[日本放送協会|NHK総合]]&lt;br /&gt;
* [[四千万歩の男]]（2001年） - お栄 役&lt;br /&gt;
* [[ルージュ (テレビドラマ)|ルージュ]]（2001年） - 本宮礼子 役&lt;br /&gt;
* お美也（2002年）&lt;br /&gt;
* [[御宿かわせみ#高島礼子版|御宿かわせみ]]（2003年 - 2005年） - 主演・庄司るい 役&lt;br /&gt;
* [[大化改新 (NHKドラマ)|大化改新]]（2005年） - [[皇極天皇]] 役&lt;br /&gt;
* [[ファイブ (平山譲)|ファイブ]] （2008年） - 佐山今日子 役&lt;br /&gt;
* [[大河ドラマ]] [[天地人 (NHK大河ドラマ)|天地人]]（2009年） - [[仙桃院]] 役&lt;br /&gt;
; ◇[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]&lt;br /&gt;
* [[刑事貴族|刑事貴族2]]（1991年）&lt;br /&gt;
* [[ニュースなあいつ]]（1992年）&lt;br /&gt;
* [[綺麗になりたい]]（1992年） - 晶子 役&lt;br /&gt;
* [[鶴姫伝奇 (テレビドラマ)|鶴姫伝奇]]（1993年） - お国 役&lt;br /&gt;
* [[特命リサーチ200X]]（1996年 - 2002年） - 吉川美佐 役&lt;br /&gt;
* [[恋のバカンス]]（1997年1月8日 - 3月12日） - 中村珠緒 役&lt;br /&gt;
** 恋のバカンススペシャル（1997年10月1日）&lt;br /&gt;
* [[恋の片道切符]]（1997年10月15日 - 12月17日）&lt;br /&gt;
* [[せいぎのみかた]]（1997年4月14日 - 6月23日） - 佐伯洋子 役&lt;br /&gt;
* [[甘い生活。]]（1999年7月7日 - 9月22日） - 鵜飼晃子 役&lt;br /&gt;
* [[明日を抱きしめて]]（2000年10月9日 - 12月11日） - 相澤真希 役&lt;br /&gt;
* [[ナイトホスピタル〜病気は眠らない〜]]（2002年10月14日 - 12月16日） - 大久保蛍子 役&lt;br /&gt;
* [[斉藤さん]]（2008年1月9日 - 3月19日） - 三上りつ子 役&lt;br /&gt;
; ◇[[TBSテレビ|TBS]]&lt;br /&gt;
* [[それでも家を買いました]]（1991）&lt;br /&gt;
* [[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門第20部・第23部]] ‐ 梢・あやめ 役&lt;br /&gt;
* [[愛するということ (テレビドラマ)|愛するということ]]（1993年1月8日 - 3月19日） - 森山美鈴 役&lt;br /&gt;
* [[ネバーランド (小説)|ネバーランド]]（2001年7月6日 - 9月14日） - 依田敬子 役&lt;br /&gt;
* [[女系家族]]（2005年7月7日 - 9月15日） - 矢島藤代 役&lt;br /&gt;
* [[弁護士のくず]]（2006年4月13日 - 6月29日） - 加藤徹子 役&lt;br /&gt;
* [[ヤマトナデシコ七変化 (漫画)|ヤマトナデシコ七変化♥]]（2010年1月15日 - 3月19日） - 中原美音 役&lt;br /&gt;
* [[月曜ミステリー劇場]]&lt;br /&gt;
** [[流れ星お銀!事件解決いたします]]（2000年 - 2003年） - 広岡銀子 役&lt;br /&gt;
** スクープ（2002年）&lt;br /&gt;
** 殺意（2004年） - 主演・琴塚七海 役&lt;br /&gt;
** 里見浩太朗芸能生活50周年 特別企画 夜盗（2005年） - 衣笠マリア 役&lt;br /&gt;
** 検察審査会（2005年）&lt;br /&gt;
* [[月曜ゴールデン]]&lt;br /&gt;
** [[弁護士 一之瀬凛子]]（2008年） - 主演・一之瀬凛子　役&lt;br /&gt;
** 弁護士 一之瀬凛子2（2010年） - 主演・一之瀬凛子　役&lt;br /&gt;
; ◇[[フジテレビジョン|フジテレビ]]&lt;br /&gt;
* [[世にも奇妙な物語の放映作品一覧|世にも奇妙な物語 シリーズ]]&lt;br /&gt;
**食べ過ぎた男（1992年）&lt;br /&gt;
**[[世にも奇妙な物語 春の特別編 (2009年)|春の特別編・ボランティア降臨]]（2009年） - 木元貴美江 役&lt;br /&gt;
* [[妹よ]]（1994年）&lt;br /&gt;
* [[指輪 (見延典子)|指輪]]（1995年）&lt;br /&gt;
* [[いつかまた逢える]]（1995年7月3日 - 9月18日） - 大沢恵子 役&lt;br /&gt;
* [[コーチ (テレビドラマ)|コーチ]]（1996年7月 - 9月19日）‐ 竹中五月 役&lt;br /&gt;
* [[じんべえ]]（1998年10月12日 - 12月21日） - 辻真理子 役&lt;br /&gt;
* [[甘い結婚]]（1998年1月8日 - 3月19日、[[木曜劇場]]） - 倉沢南 役&lt;br /&gt;
* [[傷だらけの女]]（1999年4月13日 - 6月22日） - 主演・神崎京子 役&lt;br /&gt;
** 傷だらけの女スペシャル（1999年12月28日）&lt;br /&gt;
* [[大奥 (テレビドラマ)#2004年版『大奥〜第一章〜』|大奥 〜第一章〜]]（2004年） - [[崇源院|お江与]] 役&lt;br /&gt;
* [[エンジン (テレビドラマ)|エンジン]]（2005年4月18日 - 6月27日） - 牛久保瑛子 役&lt;br /&gt;
* [[結婚できない男]]（2006年7月4日 - 9月19日） - 沢崎摩耶 役&lt;br /&gt;
* [[大奥 (テレビドラマ)#大奥スペシャル〜もうひとつの物語〜|大奥スペシャル 〜もうひとつの物語〜]]（2006年） - [[近衛熙子]] 役&lt;br /&gt;
* [[拝啓、父上様]]（2007年1月11日 - 3月22日） - 田原雪乃 役&lt;br /&gt;
* [[アタシんちの男子]]（2009年4月14日 - 6月23日）- 小金井響子 役&lt;br /&gt;
* [[金曜エンタテイメント]]&lt;br /&gt;
** [[山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ]]第2回 黒衣の結婚式（1993年） - 石川葉子 役&lt;br /&gt;
** 動く壁（1994年）&lt;br /&gt;
** [[弁護士 水島由里子の危険な事件ファイル]]（1997年 - 1999年）&lt;br /&gt;
** [[ナースな探偵]]シリーズ（1997年 - 2000年）- なつき 役&lt;br /&gt;
*** ナースな探偵1（1997年10月31日）&lt;br /&gt;
*** ナースな探偵2（1998年10月9日）&lt;br /&gt;
*** ナースな探偵3（2000年4月7日）&lt;br /&gt;
; ◇[[テレビ朝日]]&lt;br /&gt;
* [[暴れん坊将軍|暴れん坊将軍III]]（1988年 - 1990年） - 梢（御庭番） 役&lt;br /&gt;
* [[代表取締役刑事]]（1990年）&lt;br /&gt;
* [[将軍家光忍び旅]]（1990年 - 1991年） - 楓（腰元） 役&lt;br /&gt;
* [[必殺仕事人・激突!]]（第13話、1992年） - お澄 役&lt;br /&gt;
* 天使の悦楽（1992年4月）&lt;br /&gt;
* [[大空港'92]]（1992年）&lt;br /&gt;
* [[ツインズ教師]]（1993年4月12日 - 6月28日） - 対島玲子 役&lt;br /&gt;
* [[京都妖怪地図|京都妖怪地図 嵯峨野に生きた900歳の美人能面師]]（1993年） - 田原祥子 役&lt;br /&gt;
* [[殿さま風来坊隠れ旅]]（1994年） - お千 役&lt;br /&gt;
* [[BLACK OUT]]（1995 - 1996年） - 沖野真由美 役&lt;br /&gt;
* [[女教師 (テレビドラマ)|女教師]]（1998年） - 主演・桂木美沙子 役&lt;br /&gt;
* [[おばあちゃま、壊れちゃったの?]]（2000年） - 主演・小田島加南子 役&lt;br /&gt;
* [[弟 (テレビドラマ)|弟]]（2004年） - 石原光子 役&lt;br /&gt;
* [[熟年離婚]]（2005年10月 - 12月） - 小林律子 役&lt;br /&gt;
* [[さくら署の女たち#さくら署の女たち（連続ドラマ版）|さくら署の女たち]]（2007年） - 主演・逢沢花 役&lt;br /&gt;
* [[マグロ (テレビドラマ)|マグロ]]（2007年） - 一枝亜矢子 役&lt;br /&gt;
* [[おいしいごはん 鎌倉・春日井米店]]（2007年） - 沢野美雪 役&lt;br /&gt;
* [[徳川家康と三人の女]]（2008年） - [[築山殿]] 役&lt;br /&gt;
* [[四つの嘘]]（2008年） - 灰谷ネリ 役&lt;br /&gt;
* [[告知せず]]（2008年） - 橋本京子 役&lt;br /&gt;
* [[土曜ワイド劇場]]&lt;br /&gt;
** [[西村京太郎トラベルミステリー]]（1990年） - 岩下久仁子 役&lt;br /&gt;
** [[タクシードライバーの推理日誌]]（1992年）&lt;br /&gt;
** [[京都妖怪地図]]（1993年）&lt;br /&gt;
** [[牟田刑事官事件ファイル]]（1994年） - 木村麗子 役&lt;br /&gt;
** 能登半島 女たちの殺人風景（1994年） - 羽田晶子 役&lt;br /&gt;
** [[7人のOLが行く!]]（1994年）&lt;br /&gt;
** 正当防衛（1997年） - 早坂志歩美 役&lt;br /&gt;
** [[キソウの女]]（2003年 - ） - 主演・帆村純 役&lt;br /&gt;
** [[さくら署の女たち#さくら署の女たち（土曜ワイド劇場版）|さくら署の女たち]]（2006年） - 主演・倉崎冴子 役&lt;br /&gt;
; ◇[[テレビ東京]]&lt;br /&gt;
* [[付き馬屋おえん事件帳]]スペシャル「女郎蜘蛛の挑戦」（1992年） - 松島 役&lt;br /&gt;
* [[あばれ八州御用旅]]（1994年） - おりん 役&lt;br /&gt;
* [[豊臣秀吉 天下を獲る!]]（1995年） - 生駒吉乃 役&lt;br /&gt;
* [[炎の奉行 大岡越前守]]（1997年） - [[絵島]] 役&lt;br /&gt;
* [[赤い月]]（2004年） - 主演・森田波子 役&lt;br /&gt;
* [[国盗り物語]]（2005年） - お万阿 役&lt;br /&gt;
* [[柳生武芸帳]]（2010年）- [[春日局]] 役&lt;br /&gt;
* [[テネシーワルツ (2010年のテレビドラマ)|テネシーワルツ]]（2010年）- 主演・川村尋子 役&lt;br /&gt;
* [[女と愛とミステリー]] → [[水曜ミステリー9]]&lt;br /&gt;
** [[人間の証明#2001年版|人間の証明2001]]（2001年） - 下田美里 役&lt;br /&gt;
** [[監察医・篠宮葉月 死体は語る]]（2001年 - ） - 主演・篠宮葉月 役&lt;br /&gt;
** [[獄門島]]（2003年） - 早苗 役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===映画===&lt;br /&gt;
* [[首都高速トライアル]]3（1991年）&lt;br /&gt;
* [[さまよえる脳髄]]（1993年） - 藍子 役&lt;br /&gt;
* [[集団左遷]]（1994年） - 今村春子 役&lt;br /&gt;
* [[陽炎]]（1996年）&lt;br /&gt;
* [[ルビーフルーツ]]（1995年） - キョウコ 役&lt;br /&gt;
* [[義務と演技]]（1997年） - 大倉みさき 役&lt;br /&gt;
* [[新生 トイレの花子さん]]（1998年） - 鹿島玲子 役&lt;br /&gt;
* [[ショムニ]]（1998年） - 坪井千夏 役&lt;br /&gt;
* [[極道の妻たち]]（1999年 - ）&lt;br /&gt;
* [[長崎ぶらぶら節 (映画)|長崎ぶらぶら節]]（2000年） - 米吉 役&lt;br /&gt;
* [[千年の恋 ひかる源氏物語]]（2001年） - [[桐壺更衣]]、[[藤壺|藤壺中宮]]役&lt;br /&gt;
* [[釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!]]（2003年） - 中浜みさき 役&lt;br /&gt;
* [[精霊流し (グレープ)|精霊流し]]（2003年） - 櫻井喜代子 役&lt;br /&gt;
* [[半落ち]]（2003年） - 植村亜紀子 役&lt;br /&gt;
* 銃声 LAST DROP OF BLOOD（2003年） - 萩原京子 役&lt;br /&gt;
* [[隠し剣 鬼の爪]]（2004年） - 狭間桂 役&lt;br /&gt;
* [[あずみ2 Death or Love]]（2005年） - 空如 役&lt;br /&gt;
* [[2/2]]（2005年） - 富岡彩子 役&lt;br /&gt;
* [[マダガスカル (映画)|マダガスカル]]（2005年） - グロリア 役（日本語吹き替え）&lt;br /&gt;
* [[愛の流刑地]]（2006年） - 村尾の妻&lt;br /&gt;
* [[バルトの楽園]]（2006年） - 松江歌子 役&lt;br /&gt;
* TANNKA 短歌（2006年） - しほ 役&lt;br /&gt;
* [[アジアンタムブルー]]（2006年） - 川上由希子 役&lt;br /&gt;
* [[大奥 (映画)|大奥]]（2006年） - 天英院 役&lt;br /&gt;
* [[ラストラブ]]（2007年） - 阿川知美 役&lt;br /&gt;
* [[茶々 天涯の貴妃]]（2007年） - [[大蔵卿局]] 役&lt;br /&gt;
* [[犬と私の10の約束]]（2008年） - 斉藤芙美子 役&lt;br /&gt;
* [[K-20 怪人二十面相・伝]]（2008年） - 菊子 役&lt;br /&gt;
* [[プライド (一条ゆかり)|プライド]]（2009年） - 池之端菜都子 役&lt;br /&gt;
* [[マダガスカル2]]（2009年） - グロリア 役（日本語吹き替え）&lt;br /&gt;
* [[佐賀のがばいばあちゃん#島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん|島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん]]（2009年） - 秀子 役&lt;br /&gt;
* [[キラー・ヴァージンロード]]（2009年） - 春日先輩 役&lt;br /&gt;
* Dear Heart -震えて眠れ-（2009年） - 主演・水島美輪子 役&lt;br /&gt;
* [[RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語]]（2010年） - 筒井由紀子 役&lt;br /&gt;
* [[君が踊る、夏]]（2010年）&lt;br /&gt;
* [[SPACE BATTLESHIP ヤマト]]（2010年） - 佐渡先生 役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ドキュメンタリー===&lt;br /&gt;
* [[非破壊検査]]PRESENTS「おんな[[葛飾北斎|北斎]] - 天才[[浮世絵師]]は二人いた!」（2010年2月7日、日本テレビ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===CM===&lt;br /&gt;
* [[リクルート]]（1988年）&lt;br /&gt;
* [[黄桜]]（1997年 - ）&lt;br /&gt;
* [[大鵬薬品工業|大鵬薬品]]&lt;br /&gt;
* [[ソフィーナ]]&lt;br /&gt;
* [[日商エステム]]&lt;br /&gt;
* [[ケイ・オプティコム]]&lt;br /&gt;
* [[アールエフ]]（2008年）&lt;br /&gt;
* [[アメリカンホーム保険会社]]&lt;br /&gt;
* [[神奈川県]]「ひったくり防止」（2009年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たかしまれいこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:落ちこぼれ]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:ババア]]&lt;br /&gt;
[[Category:クソババア]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年生|糞ババア]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで隠蔽された真実]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%80%AC%E5%B0%BE%E4%BD%B3%E7%BE%8E&amp;diff=83380</id>
		<title>瀬尾佳美</title>
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				<updated>2010-04-04T11:45:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;瀬尾佳美（せお かみ）は、[[大韓民国]]出身の[[神]]である。本名はアニョハセオであり、ここから[[日本]]にやってくることを踏まえて通名として、「瀬尾」という苗字を創造した。「佳美」は神であることの自尊心から創ったものである。日本においては、アホ山学院大学国際政治経済学部国際経済学科准教授、独立行政法人国立防災科学技術研究所客員研究員、アホ山学院大学WTO研究センター研究員を行いながら[[ブログ]]やサイトを使用し自らを信仰の対象とする宗教の布教活動に勤しんでいる。[[東京都]]品川区出身と偽る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==学歴==&lt;br /&gt;
*[[ソウル]]市立[[キムチ]]高等学校 卒業&lt;br /&gt;
*[[大阪民国]]大学理学部物理学科 卒業&lt;br /&gt;
*[[マサチューセッツ州]]クラーク大学 Environmental Science and Policy program 修了 （[[修士]]）&lt;br /&gt;
*筑波大学社会工学研究科 修了 （[[博士]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==職歴==&lt;br /&gt;
*日本アイ・ビー・エム株式会社システムズエンジニア&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==布教活動==&lt;br /&gt;
ブログやサイトにおいて、時事評論の形をとりながら自らのお告げを発信している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[光市母子殺人事件 ]]については、選挙権を持たない[[子供]]の[[死刑]]に否定的であるとしたり、[[被害者]]の[[赤ん坊]]はすぐに死ぬことを根拠に傷害致死の可能性があるとする。このことから被害者は[[成人]]1と赤ん坊0.5で計1.5であるとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対して、「赤ん坊の人権も1だろ」、「0.5とは何だ」などという批判がネット上で巻き起こる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、これは[[人間]]が自らの権利、[[人権]]がすべての人間に存在すると妄信していることに関して、事実でないことを知る神である彼女であるし、自らという人間の創造者である自身にとって死刑による人間の生命の喪失には絶えられないものがあり、人間ごとき存在が自らの支配対象である人間の生命を抹消することを避けるために、批判が多い死刑廃止論者ではないとしつつ、死刑になることが被害者が二人である場合が多いことをかんがみて、神の名において被害者は1.5としたものである。永山則夫が被害者を4人出した上で死刑になったことからこれを踏まえるべきで今回の事件においては死刑に当たらないとすることと、被害者が二人であると死刑になることの可能性の[[矛盾]]は愚かな人間によるものであって彼女の責任ではないし、子供が死刑という形で殺害されることの否定があるものの、被告が殺害によって赤ん坊、つまり子供の被害者を出したこととの矛盾は神によると矛盾しておらず、人間における幻覚に過ぎないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===お告げ===&lt;br /&gt;
「元少年が殺されれば、報復が果せた遺族はさっぱり幸せな思いに浸るに違いない。自分の血を吸った蚊をパチンとたたき殺したときみたいにね」、「差し戻した最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう」（以上は[[光市母子殺人事件 ]]に関して）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大阪府知事なんかエロノックだって務まったくらいですから誰でもかまいません。ま、人間の廃物利用ってところでちょうどいいじゃないですか」（橋下徹が大阪府知事になったことに関して）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「（拉致被害者は）私の目から見ると信じられないくらい幸福です。なのにその幸福に感謝もしないで、いつまでもいつまでも『めぐみっちゃん』とか不幸面してられるアンタが心底うらやましいよ、とTVを見るたびに思います」（[[北朝鮮]]による拉致事件に関して）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.j-cast.com/2008/04/28019573.html 卑しいマスコミによる報道]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===人間による反抗と謝罪（？）===&lt;br /&gt;
上記「お告げ」に対して、愚かな人間たちは批判を行う。また、キリスト教という世界に知られた異端・カルト宗教の教育機関であり、彼女が日本に来るために妥協して所属したアホ山学院はこの愚かな人間による批判に同調し、学長が謝罪。2008年4月28日に「特別委員会」を設置し神である彼女を罰することが検討される。&lt;br /&gt;
しかし、驚くべきことに彼女自身も以下のように謝罪して見せた。しかし、これは彼女の人間に対する自らへの信仰を広めるためのきっかけ作りに過ぎないと見る声もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「このサイトに対し、沢山のご批判を頂きました。頂いたご意見をきっかけに、改めて自分のブログを読み直しましたが、確かに多くの方たちの心を傷つけるような記述があり、深く反省しております。今回わたくしの発言によって傷ついた方たちに心からお詫び申し上げる次第です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==著作==&lt;br /&gt;
『リスク神学入門 — どれだけ安全なら神の粋に達したといえるのか』中央経済社、[[2005年]]4月、ISBN 4502250805&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://okame21.blog87.fc2.com/ おいしいものが食べたい]（神によるお導き）&lt;br /&gt;
*[http://www.sipeb.aoyama.ac.jp/ja/contents/instructor/k_seo.html 青山学院大学 国際政治経済学部内]（神のお姿あり）&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:せおかみ}}&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ババア]]&lt;br /&gt;
[[Category:クソババア]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アンサイクロペディア}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%89%E7%94%B0%E7%AF%A4%E5%8F%B2&amp;diff=83379</id>
		<title>杉田篤史</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%89%E7%94%B0%E7%AF%A4%E5%8F%B2&amp;diff=83379"/>
				<updated>2010-04-04T11:44:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 実態 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア|INSPi}}&lt;br /&gt;
'''杉田篤史'''（すぎたあつし、[[1978年]][[9月16日]] - ）はヴォーカルグループ・[[INSPi]]のリーダー&lt;br /&gt;
==実態==&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;[[滝川高校いじめ自殺事件|もはや悪魔の所業である残虐ないじめおよびその隠蔽]]でお馴染みの地元を代表する粗大ゴミ学校こと[[滝川中学校・高等学校|滝川高校]]出のゲス（いわゆる[[滝川ルネッサンス]]ジジイ）の分際でアカペラ界に土足で上がりこんで悦に浸るクソ生意気ジジイ&amp;lt;/span&amp;gt;'''である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:すきたあつし}}&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:落ちこぼれ]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=Gakupon&amp;diff=83377</id>
		<title>Gakupon</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=Gakupon&amp;diff=83377"/>
				<updated>2010-04-04T11:43:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''Gakupon'''（がくぽん）は病的な削除主義の[[ウィキペディアン]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
*素性などは全く明かしておらず、一切不明。&lt;br /&gt;
*[[ライフ (漫画)|某陰湿漫画]]及びその支持者の美化に走った大馬鹿者。しかも、その作品が悪事を美化して被害者感情をなめくさったものであるにもかかわらず、[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E4%BC%9D%E8%A8%80%E6%9D%BF/%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=28910814 それに対する攻撃を「悪意」だなんてボサく] '''正義履き違え狂'''でもある。&lt;br /&gt;
**しかも、その漫画のドラマ版の放映中に、[[函館高校生集団暴行死事件|高校生によるゲーム感覚での集団暴行殺人事件]]が起きているという事実さえも揉み消す。&lt;br /&gt;
*自分の会話ページへ寄せられた意見にも'''返答一つよこさねえで'''[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E4%BC%9D%E8%A8%80%E6%9D%BF/%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=29225740 管理サイドに泣きつく]。&lt;br /&gt;
*更にYourpediaを逆恨みしており、'''Yourpediaのリンクを貼っただけで「低俗な荒らし」とボサく'''キチガイでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まあ、いいさ。'''現状を見るってことに対する知識も無え奴が何言おうがこっちは痛くもかゆくも無えからな'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、対応してもらえぬまま一定の日数が経過しているという理由で報告を削除された。'''ざまあみろ、この身勝手オタンコナスが!'''しかし、結局こいつは全く懲りていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[数字とアルファベットから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[[wiki:利用者:Gakupon|ウィキペディアでの利用者ページ]]&lt;br /&gt;
*[[wiki:利用者‐会話:Gakupon|ウィキペディアでの会話ページ]]←人からのメッセージに対して何一つ返事をよこす気が皆無なのが見て丸わかりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かくほん}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:荒らし]]&lt;br /&gt;
[[Category:ガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:厨房]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A8%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89&amp;diff=83376</id>
		<title>エキスポランド</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A8%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89&amp;diff=83376"/>
				<updated>2010-04-04T11:42:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{先編集権}}&lt;br /&gt;
{{基礎情報 会社&lt;br /&gt;
|社名=株式会社エキスポランド（[[破産]]）&lt;br /&gt;
|英文社名=EXPOLAND&lt;br /&gt;
|ロゴ=&lt;br /&gt;
|種類=株式会社&lt;br /&gt;
|市場情報=非上場&lt;br /&gt;
|略称=エキ糞&lt;br /&gt;
|国籍=&lt;br /&gt;
|郵便番号=565-0826&lt;br /&gt;
|本社所在地=[[大阪府]][[吹田市]][[万博記念公園|千里万博公園]]1番1号&lt;br /&gt;
|電話番号=&lt;br /&gt;
|設立=1971年10月1日&lt;br /&gt;
|業種=糞遊園地の運営&lt;br /&gt;
|事業内容=エキスポランドの運営&lt;br /&gt;
|代表者=取締役社長 清水忠一&lt;br /&gt;
|資本金=1億円&lt;br /&gt;
|発行済株式総数=20万株&lt;br /&gt;
|売上高=&lt;br /&gt;
|営業利益=&lt;br /&gt;
|純利益=&lt;br /&gt;
|純資産=&lt;br /&gt;
|総資産=&lt;br /&gt;
|従業員数=&lt;br /&gt;
|決算期=&lt;br /&gt;
|主要株主=&lt;br /&gt;
|主要子会社=&lt;br /&gt;
|関係する人物=&lt;br /&gt;
|外部リンク=&lt;br /&gt;
|特記事項=2009年閉園。ざまぁみろ、クソボケ!!&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''エキスポランド'''とは、[[大阪府]][[吹田市]]にあった[[万博記念公園]]に付帯する糞[[遊園地]]である。[[1970年]]に開催された[[日本万国博覧会|大阪万博]]のアミューズメントゾーンとして作られ、閉幕後、[[1972年]][[3月15日]]に営業を再開。敷地面積は約20ha。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[#事故・トラブル|度重なる事故]]で客足が遠いた末に[[倒産]]し、2009年に閉園した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=font-size:33pt;&amp;gt;ざまぁみろ!!!!!くそったれ&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
万博開催時の建設にあたり[[阪急電鉄]]がプロデュースした経緯から、かつては[[阪急東宝グループ]]に属していた&amp;lt;ref&amp;gt;出典：『宝塚戦略』津金澤聰廣 著　[[講談社]]現代新書・[[1991年]] ISBN4-06-149050-8 P.22（当該ページの元資料は『ハンドブック阪急'90』阪急電鉄広報室 [[1990年]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;。現在の[[阪急阪神東宝グループ]]の一覧にはエキスポランドは記載されておらず、資本関係は無くなったものとみられ、休園時の親会社はアミューズメント施設の開発をしている[[泉陽興業]]であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
万博閉幕後のエキスポランドの運営、契約については売上げの95%が委託運営先会社のエキスポランドに交付されるという契約であるなど不明朗さがあり、[[1973年]]の[[衆議院]][[予算委員会]]でも取り上げられたことがある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/071/0386/07103030386002c.html 衆議院会議録情報第071国会予算委員会]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]に後述する[[#ジェットコースター「風神雷神II」の脱輪事故|『ジェットコースター「風神雷神II」の脱輪事故』]]の影響で客足が例年の2割以下に減少、また赤字もあり、同年[[12月10日]]から休園。[[2009年]]3月までに再開する予定であったが、営業再開が見込めないため、[[2008年]][[10月28日]]に[[民事再生法|民事再生手続]]の開始を申請した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s02.megalodon.jp/2009-0210-1338-14/www.expoland.co.jp/torikumi5.html 民事再生手続き開始申し立てに関するお知らせ]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;エキスポランドが民事再生法申請　負債総額16億円 - MSN産経ニュース 2008年10月29日&amp;lt;br/&amp;gt;http://s03.megalodon.jp/2009-0210-1341-17/sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081029/crm0810291207010-n1.htm&amp;lt;br/&amp;gt;http://s02.megalodon.jp/2009-0210-1343-59/sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081029/crm0810291207010-n2.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[負債]]総額は約16億円。ふれあい動物園を中心にさまざまな動物のパフォーマンスや新しく子ども用[[ゴーカート]]を設置し、園名を変えてファミリータイプの遊園地として再生する予定としていたが、支援企業が現れず、[[2009年]][[2月24日]]の提出期限に再生計画の提出が困難となった。そのため、2009年2月9日に[[取締役会]]で再建を断念して閉園することを決定し&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s01.megalodon.jp/2009-0210-1357-33/www.asahi.com/national/update/0209/OSK200902090106.html エキスポランド閉園へ 再建断念、コースター事故響く] - asahi.com 2009年2月10日&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[大阪地方裁判所]]に再生手続の廃止を求める[[上申書]]を提出した。翌10日に、大阪地裁が再生手続廃止決定を行い、2009年2月には[[破産手続]]に移行した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/2009-0215-1212-32/www.expoland.co.jp/torikumi7.html 民事再生手続の廃止及び破産手続への移行に関するお知らせ] 株式会社エキスポランド 2009年2月10日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本万国博覧会記念機構]]はエキスポランド側の破産管財人に対し、敷地を更地にして返還するよう要求したことを受け、2009年8月から破産管財人により各種施設の撤去工事が進められており、2010年3月までに完了することにしている。跡地の今後については決定していないが、敷地所有者の日本万国博覧会記念機構が検討をすることになるが、これより前の2008年[[7月18日]]には、老朽化が進み収容人数や設備が[[国際サッカー連盟]]（FIFA）のスタジアム国際基準を満たしていないなどの問題が生じた[[万博記念競技場]]に代わる[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[ガンバ大阪]]のホームスタジアムの建設候補地として浮上した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s01.megalodon.jp/2009-0210-1351-58/www.sponichi.co.jp/osaka/socc/200807/19/socc213155.html G大阪、新本拠地候補に「エキスポランド」が急浮上] - Sponichi Annex 大阪 2008年7月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2008年[[11月29日]]には、米映画大手[[パラマウント映画|パラマウント・ピクチャーズ]]の[[テーマパーク]]建設候補地として報じられた。ただし、日本万国博覧会記念機構は両構想とも現状では「白紙」としており、ひとまず2010年4月から1年間の予定で園の敷地の北側約4ヘクタール（園全体の5分の1）を「自然体験型公園」として公開することにしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主なアトラクション==&lt;br /&gt;
===2009年9月現在残存しているもの===&lt;br /&gt;
;テクノスター&lt;br /&gt;
:[[1985年]]、[[茨城県]][[つくば市]]で開催された[[国際科学技術博覧会|科学万博つくば85]]で[[京セラ]]が中心となって出展した「観覧車を含むパビリオン」である「テクノコスモス」の目玉である金色の観覧車「スーパーゴンドラゴン」を移設したもの。85mの直径は「科学万博つくば85」に因んでいる。製造は泉陽興業で、同社は「テクノコスモス」の出展会社のひとつでもあった。閉幕後にエキスポランドに移設され、同園のシンボルになっていた。色は移設の際に塗り替えられた。2009年11月から解体が始まっているため、11月中に撤去が完了するものと考えられる。&lt;br /&gt;
;特別展覧会場&lt;br /&gt;
:多客時に合わせて特別展を行っていた。入場は「のりもの券」で入場し、料金は特別展ごとに決められていた。最終回は「大[[モアイ]]展」と「新・芸能人の多才な美術展」を2007年10月24日～2008年1月14日の予定で行ったが、2007年12月10日でエキスポランドは休園になったため、翌日からは両展覧会のみを公開することになり、会期も2007年12月25日までに短縮になった。会場までは正門を無料で入場し、それぞれの入場口で料金を現金で払って入場する形が取られた。正門から展覧会場までのルート以外は、ロープが張られ立ち入り禁止の措置が取られた。ルート上の一部の売店や軽食店は営業していた。&lt;br /&gt;
;[[国鉄D51形蒸気機関車]] 764号車&lt;br /&gt;
:[[静態保存]]された[[蒸気機関車]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2009年9月現在撤去済みのもの===&lt;br /&gt;
;風神雷神II&lt;br /&gt;
:[[1990年]]、[[大阪府]][[大阪市]]の鶴見緑地で開かれた[[国際花と緑の博覧会]]（大阪花博）の会場内で運行していた[[ローラーコースター|スタンディングコースター]]「風神雷神」がモデル。初代のものは、[[熊本県]][[荒尾市]]の[[グリーンランド (遊園地)|グリーンランド]]（旧：三井グリーンランド）に移設された。大阪花博では2本の軌道を使い、青を基調とした「風神」と、赤を基調とした「雷神」を同時走行することもあった。エキスポランドでは単独の軌道で、「風神」と「雷神」のいずれか1編成のみでの運行、多客時は1編成が走行中に相方の編成が出発準備をする形態をとっている。設計・製作・施工は[[トーゴ (企業)|トーゴ]]、2008年3月に撤去された。&lt;br /&gt;
;OROCHI（オロチ）&lt;br /&gt;
:エキスポランドの最終期を代表する遊具。宙づり式ジェットコースターで、マスコットの「おろちくん」はエキスポランド全体のマスコット的存在でもあった。2009年8月に撤去。&lt;br /&gt;
;ビスタライナー&lt;br /&gt;
:科学万博での会場内の移動手段として[[泉陽興業]]が製作した小型[[モノレール]]。テクノスターとほぼ同期に大阪へ移り、園内の遊覧列車（同じ駅に戻ってくる）として運行していたが、軌道部分は2008年3月に、駅部分は2009年8月に撤去された。なお、軌道部分は万博残存施設であった。&lt;br /&gt;
;スペースザラマンダー&lt;br /&gt;
:スクリュー式宙返りコースター。2009年10月に撤去された。&lt;br /&gt;
;世界一高い飛行塔&lt;br /&gt;
:大阪万博開催時の「宇宙ステーション」という遊具を改造したもの。2009年8月に撤去された。&lt;br /&gt;
;アラビアンメリー&lt;br /&gt;
:メリーゴーランド。2009年9月に撤去された。&lt;br /&gt;
[[ローラーコースター|ジェットコースター]]の'''[[ダイダラザウルス]]'''は模様替えしながらも万国博開催当時から残存していたが、2008年5月に撤去された。また、南口部には、当時の'''[[エキスポタワー]]'''が残されてシンボルとなっていたが、[[老朽化]]のために[[2003年]]に解体撤去された。詳細はそれぞれの項目を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事故・トラブル==&lt;br /&gt;
===ジェットコースター「風神雷神II」の脱輪事故===&lt;br /&gt;
[[2007年]][[5月5日]]午後0時48分頃、[[ゴールデンウィーク]]で入場客の多い日に[[ローラーコースター|ジェットコースター]]「風神雷神II」の「風神」の車体から車輪と関連する部品が外れ落下。当該車両が45度傾く事故が発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事故で女性1名がコースターとコースター左の手すりに挟まれ死亡。その他、男性4人、女性17人の合計21人が病院に搬送された。さらに事故の目撃者で気分が悪くなった13人も病院で手当を受けたが、過度の恐怖や興奮で[[心的外傷後ストレス障害|PTSD]]が懸念されている。この事故に伴いエキスポランドは同日の事故発生直後から休園となり、事故を起こしたコースターの点検などを行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事故の原因は、コースター車軸の[[金属疲労]]による折損で2両目が[[脱線]]し急停止したことがではないかとみられている。また直前に事故車両の部品が飛び散ったのが周囲の客に目撃されている。その後の調査で、同型車である「雷神」の車軸からも金属疲労による亀裂が発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
外部機関等による全遊具の点検や当局の捜査の進展につれて会社側の杜撰な管理体制が明るみに出、監督官庁に再発防止策（[[信頼性設計|フールプルーフ]]等を採り入れた多重安全構造等）を報告するよう求められて長期間の営業休止となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、エキスポランド以外の遊園地でも遊具の緊急点検や運行休止を余儀なくされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社長ら関係者は遺族に面会しようと通夜や葬儀を訪れるも断られていた。[[6月17日]]に社長ら幹部5人が自宅を訪れ、初めて霊前で手を合わせることを許された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月20日]]からのプールのみの営業再開のため、茨木保健所が水質検査などを行い「安全」と確認した。しかし[[阪口善雄]]吹田市長は「全施設の安全が認められなければ、プールのみの営業再開はしてはならない」としたため、プールのみの営業再開は断念。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月9日]]に、株式会社エキスポランドの社長が吹田市役所で記者会見を行った。そして、全施設の点検が終了したことや、亡くなった女性の遺族から一定の理解を得たため、翌[[8月10日]]からエキスポランド側は安全宣言を出した上で「風神雷神II」を除く全50遊戯施設とプールで営業を再開した。また、事故の起きた「風神雷神II」を廃止し、撤去を行うことも発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、客足が伸びなかったため12月9日を持って再び休園し、上述の「風神雷神II」ほか4施設を撤去すると共に改修工事に入るとしている。2009年春を目処に再開される予定&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/photo/news/20080319k0000e040022000c.html エキスポランド：風神雷神2を撤去 09年春めど営業再開] 毎日新聞 2008年3月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;であったが、2008年10月に自主再建を断念。民事再生法を申請し2009年2月に破産手続に移行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===その他===&lt;br /&gt;
*2006年8月20日13時35分頃、回転式遊戯施設「Gフォース」が運転中にほぼ水平状態で突然停止し、乗客の男女9人が一時地上約97mで取り残された。約25分後に救助され、けが人はなかった。&lt;br /&gt;
*2007年8月10日（ジェットコースター事故からの再開初日）、小型コースター「ワイルドマウス」が緊急停止する事態が発生。発車直後にコースの最も高い位置まで車両を引き揚げる斜面の途中で[[コンピュータ]]に不具合が生じ、安全装置が作動したため車両が緊急停止した。&lt;br /&gt;
*同年[[9月15日]]14時頃、宙づり式ジェットコースター「OROCHI（オロチ）」が周回を終えホームに戻ってきた後、通常通りホーム直前で減速。乗客に腰の安全ベルトを外すよう指示する場内アナウンスが流れたが停止せず2周目に突入、もう1周するトラブルがあった。その後に安全装置が作動して停止し、乗客約10人にけがはなかった。エキスポランド社はオロチの運行を急遽取りやめた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.sankei.co.jp%2Fshakai%2Fjiko%2F070916%2Fjko070916000.htm&amp;amp;date=20070916132839 コースター止まらずもう1周 エキスポランド] 産経新聞 2007年9月16日報道&amp;lt;/ref&amp;gt;。翌日16日に点検を行い、さらに10月19日の吹田市建築指導課の職員による点検でセンサーの誤反応が原因と判明。なぜ誤反応が発生したかは突き止められなかったが、再発防止策として二重の自動車両停止システムを導入し、10月20日正午に運転を再開した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/area/osaka/news/20071020ddlk27040460000c.html 大阪・コースター事故：「オロチ」再開 きょうから運行 - エキスポランド/大阪] 毎日新聞 2007年10月20日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*同年[[10月7日]]14時半頃、急流すべり「バックスピン」にてボートがコース最後の急流部分を下った直後、乗船中の小学1年の男児がボートの縁に頭を打ち付け、救急車で搬送される事故が発生。事故を受け同園は遊具の運転を中止し市に報告。安全ベルトが何らかの原因で伸びた可能性もあるとして、ベルトの伸びしろを30センチ短くし、市の了解を受け10日に運転を再開した。&lt;br /&gt;
== 交通アクセス==&lt;br /&gt;
*鉄道&lt;br /&gt;
**[[大阪高速鉄道|大阪モノレール]] [[万博記念公園駅 (大阪府)|万博記念公園駅]]&lt;br /&gt;
*バス&lt;br /&gt;
**[[阪急バス]]千里茨木線 [[茨木市駅|阪急茨木]]・[[茨木駅|JR茨木]]・[[千里中央駅]]から運行&lt;br /&gt;
**[[春休み]]、[[ゴールデンウィーク]]期間中は[[近鉄バス]]も阪急茨木・JR茨木から臨時バスを運行（過去には遠路[[布施駅]]より直通もあった）&lt;br /&gt;
**[[1990年代]]前半までは[[京阪バス]]も[[守口市駅|京阪守口市駅]]〜エキスポランド/[[日本庭園]]の直通バスもあった。&lt;br /&gt;
*道路&lt;br /&gt;
**[[名神高速道路]]・[[近畿自動車道]] [[吹田インターチェンジ|吹田IC]]&lt;br /&gt;
**[[中国自動車道]] [[中国吹田インターチェンジ|中国吹田IC]]&lt;br /&gt;
**[[新御堂筋]]（[[国道423号]]）から[[千里インターチェンジ|千里IC]]より[[大阪府道2号大阪中央環状線]]を利用。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注・出典==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[万博記念公園]]&lt;br /&gt;
*[[太陽の塔]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:えきくそらんと}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の遊園地 (閉園)|糞]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府の観光地|糞]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府の企業|糞]]&lt;br /&gt;
[[Category:万博記念公園|糞]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪万博]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:落ちこぼれ]]&lt;br /&gt;
[[Category:厨房]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
[[Category:野田憲太郎]]&lt;br /&gt;
[[Category:吹石]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:カルト]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[en:Expoland]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E&amp;diff=83374</id>
		<title>石原慎太郎</title>
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				<updated>2010-04-04T11:41:44Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{自己責任}}&lt;br /&gt;
[[画像:Ishihara.jpg|right|250px]]&lt;br /&gt;
'''石原 慎太郎'''（いしはら しんたろう（旧字体で『石原愼太郎』とも表記されるが、本項ではよく知られている新字体の表記を使用する）、[[昭和]]7年([[1932年]])[[9月30日]] - ）は、[[日本]]の[[極右]][[政治家]]、糞[[小説家]]にて日本国最悪最低の[[独裁者]]通称[[平成のヒトラー]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[学歴]]は[[一橋大学]][[法学部]][[卒業]]。[[学位]]は[[学士|法学士（一橋大学）]]。[[東京都]][[東京都知事|知事]]、元[[衆議院]]議員、元[[参議院]]議員。[[環境大臣|環境庁長官]]、[[運輸大臣]]を歴任。現同賞審査委員。[[戸塚ヨットスクール]]を支援する会会長。[[表彰|賞歴]]は[[芸術選奨|芸術選奨文部大臣賞]]。第34回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]、平林たいこ賞受賞。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いしはらしんたろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪予備軍]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治家|腐]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:独裁者]]&lt;br /&gt;
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:死ね]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89&amp;diff=83372</id>
		<title>安倍晋三</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89&amp;diff=83372"/>
				<updated>2010-04-04T11:40:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{日本の内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|90&lt;br /&gt;
|安倍 晋三&amp;lt;br /&amp;gt;（あべ しんぞう）&amp;lt;br /&amp;gt;[[Image:Abe Bush Heiligendamm G8 2007 002 (cropped).jpg|200px]]&lt;br /&gt;
|{{生年月日と年齢|1954|9|21}}&lt;br /&gt;
|{{JPN}} [[東京都]]&lt;br /&gt;
|[[成蹊大学]][[法学部]]卒業&amp;lt;br /&amp;gt;[[南カリフォルニア大学]]（[[中途退学]]）&lt;br /&gt;
|[[学士|政治学士]]（成蹊大学）&lt;br /&gt;
|[[神戸製鋼所]][[社員|従業員]]&amp;lt;br /&amp;gt;衆議院議員秘書&lt;br /&gt;
|3世&amp;lt;br /&amp;gt;[[安倍寛]]（[[祖父]]）&amp;lt;br /&amp;gt;[[岸信介]]（祖父）&amp;lt;br /&amp;gt;[[安倍晋太郎]]（[[父]]）&lt;br /&gt;
|[[2006年]][[9月26日]]|[[2007年]][[9月26日]]&lt;br /&gt;
|（[[山口県第1区 (中選挙区)|山口県第1区]]→）&amp;lt;br /&amp;gt;[[山口県第4区]]&lt;br /&gt;
|衆5回&lt;br /&gt;
|[[自由民主党]]（[[清和政策研究会|町村派]]）&lt;br /&gt;
|}}&lt;br /&gt;
'''安倍 晋三'''（あべ しんぞう、[[1954年]][[9月21日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[国会議員|衆議院議員]]（5期）。[[内閣総理大臣]]（第90代、[[2006年]]9月26日 – [[2007年]][[9月26日]]）、[[内閣官房長官]]（[[第3次小泉改造内閣|第72代]]）、[[自由民主党総裁]]（第21代）、[[自由民主党幹事長]]を歴任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
親族に政治家が多く、父方の[[おじいさん|祖父]]の[[安倍寛]]（元衆議院議員）、母方の祖父の[[岸信介]]（第56・57代内閣総理大臣）、大叔父の[[佐藤栄作]]（第61 - 63代内閣総理大臣）、父の[[安倍晋太郎]]（元[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]）、弟の[[岸信夫]]（[[国会議員|参議院議員]]）などがいる。妻は[[森永製菓]]社長令嬢の[[安倍昭恵]]。&lt;br /&gt;
[[岸要蔵]]の[[インブリート]](4×4)を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学卒業後、[[神戸製鋼所]]社員、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]][[秘書官]]を経て衆議院議員となる。[[内閣官房副長官]]、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 出生 ===&lt;br /&gt;
[[1954年]][[9月21日]]、当時[[毎日新聞]]の[[記者]]だった[[安倍晋太郎]]とその[[妻]]、洋子の次男として[[東京]]で生まれる（[[本籍|本籍地]]は山口県大津郡油谷町（現・[[長門市]]）。 父方の祖父は衆議院議員の[[安倍寛]]（この時既に故人）、母方の祖父は後の首相・[[岸信介]]で、大[[おじ|叔父]]にはやはり後の[[首相]]・[[佐藤栄作]]がいる、[[政治家]]一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に[[政治]]がありました」と回想している。幼い頃は、[[野球選手]]や[[刑事]]になることに憧れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===学生時代===&lt;br /&gt;
[[成蹊学園]]（[[成蹊小学校|小学校]]・[[成蹊中学校・高等学校|中学校・高等学校]]・[[成蹊大学|大学]][[法学部]][[政治学|政治学科]]）を卒業。&lt;br /&gt;
[[小学校|小学]]4年生から5年生にかけての[[1964年]]から2年間[[平沢勝栄]]（後の衆議院議員、[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]で助言したと言われる）が[[家庭教師]]についていた。[[高等学校|高校]]で[[クラブ活動|クラブ]]は[[地理]]研究部に所属。高校卒業後、成蹊大学に進み[[行政学]]を学ぶ。大学では[[アーチェリー]]部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。[[1977年]]春に渡米し、[[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後[[イタリア系アメリカ人]]の家に下宿しながら[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に通った。秋に[[南カリフォルニア大学]]への入学許可が出され[[1978年]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、[[1979年]]に[[退学|中退]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===サラリーマン時代===&lt;br /&gt;
[[1979年]]4月に帰国し、[[神戸製鋼所|神戸製鋼]]に入社した。[[ニューヨーク]]事務所、[[神戸製鋼所加古川製鉄所|加古川製鉄所]]、東京本社で勤務した。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===政界へ===&lt;br /&gt;
神戸製鋼での3年間勤務の後、[[1982年]]から当時[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任していた父・晋太郎の下で[[秘書官]]等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。[[1987年]]に松崎昭雄・[[森永製菓]]社長の娘で[[電通]]社員の[[安倍昭恵|昭恵]]と[[結婚]]する。その際の[[仲人|媒酌人]]を務めたのが、[[福田赳夫]]元[[内閣総理大臣|総理]]だった。[[1991年]]に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===衆議院議員===&lt;br /&gt;
[[1993年]]に亡父の地盤を引き継ぎ、[[第40回衆議院議員総選挙]]に山口1区（当時）より出馬し、初当選。父が[[自民党の派閥|派閥]]会長を務めていた[[清和政策研究会|清和会]]（当時[[三塚博|三塚]]派、後の森派→町村派）に属す。[[1997年]][[自民党青年局長]]就任し同次長には同い年で親友で同じ派閥の[[下村博文]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Robert Zoellick meets Shinzo Abe 2006-01-23.jpg|200px|thumb|[[2006年]][[1月]]、アメリカ合衆国国務副長官[[ロバート・ゼーリック]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
派閥領袖の[[森喜朗]]首相が組閣した[[2000年]]の[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)|第2次森改造内閣]]で、[[小泉純一郎]]に推薦され、[[内閣官房副長官]]に就任。森政権の後を受け、[[2001年]]に成立した[[第1次小泉内閣]]でも引き続き内閣官房副長官を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]]、小泉首相の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問に随行し、小泉首相と[[金正日]][[総書記]]との[[首脳会談]]では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣[[参与]]の[[中山恭子]]と共に北朝鮮に対する[[経済制裁]]という強硬路線を主張した。拉致被害者の北朝鮮帰国方針にも中山と共に頑強に反対した&amp;lt;ref name=&amp;quot;naz2&amp;quot;/&amp;gt;。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の姿勢は多くの支持を得た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]9月、小泉首相によって[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に抜擢された。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の[[大平正芳]]総裁時代の[[斎藤邦吉]]幹事長以来24年ぶりであった。[[国務大臣|大臣]]経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは極めて異例のことであるが、苦戦が予想される同年11月の[[第43回衆議院議員総選挙|総選挙]]のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で与党は[[安定多数|絶対安定多数]]の確保に成功したが自身と93年初当選同期で同じ清和研属す[[高市早苗]]や[[中村力]]は小選挙区敗北し[[比例復活]]すらならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」（[[派閥]]の長が配下の者に配る活動資金）の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。[[2004年]]4月[[埼玉8区]][[補欠選挙]]で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人[[柴山昌彦]]が当選（同公募には[[佐藤ゆかり]]も最終選考に残った）、同年夏の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・[[武部勤]]の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。その幹事長代理として迎えた[[第44回衆議院議員総選挙|05年衆院選]]では[[保守]]派[[弁護士]]の[[稲田朋美]]を「[[小泉劇場#刺客|刺客]]」（「[[郵政民営化関連法案]]に反対した元自民党候補」に対する対抗馬、[[福井県第1区|福井1区]]の[[松宮勲]]への対抗馬）にスカウトした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポスト小泉 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sep06.jpg|thumb|200px|[[2006年]][[9月24日]]、[[両国国技館]]にて[[大相撲]][[本場所|九月場所]]表彰式に出席]]&lt;br /&gt;
{{see also|麻垣康三}}&lt;br /&gt;
小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、[[2005年]][[10月31日]]付で発足した[[第3次小泉改造内閣]]では[[内閣官房長官]]を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。[[憲法改正]]や[[教育改革]]、[[財政]]健全化に取り組む方針を示す。また、[[2006年自由民主党総裁選挙|総裁選]]に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[9月20日]]、小泉の任期満了にともなう総裁選で[[麻生太郎]]、[[谷垣禎一]]を大差で破って自由民主党総裁に選出、[[9月26日]]の[[臨時会|臨時国会]]に於いて内閣総理大臣に指名される。[[戦後]]最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===内閣総理大臣===&lt;br /&gt;
{{see also|安倍内閣|安倍改造内閣|2006年の政治|2007年の政治}}&lt;br /&gt;
==== 安倍内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe 2006-Nov-18.jpg|200px|left|thumb|2006年のAPECでの安倍晋三]]&lt;br /&gt;
就任表明では「美しい国」というテーマのもとに「[[戦後体制|戦後レジーム]]からの脱却」「[[教育バウチャー]]制度の導入」「[[ホワイトカラーエグゼンプション]]」などといったカタカナ語を連発し、議員からは「わかりにくい」と揶揄された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は小泉前首相の[[靖国神社問題|靖国参拝問題]]のために途絶えていた[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]への訪問を表明。[[2006年]][[10月]]に中国・[[北京市|北京]]で[[胡錦濤]][[国家主席]]と会談、翌日には、[[盧武鉉]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]と会談すべく韓国・[[ソウル特別市|ソウル]]に入り、小泉政権下で冷え切った日中・日韓関係を改善を目指した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮が[[北朝鮮の核実験 (2006年)|核実験]]を実施したことに対しては「日本の[[安全保障]]に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、[[国際連合|国連]]の[[国際連合安全保障理事会決議1718|制裁決議]]とは別に、より厳しい[[北朝鮮の核実験 (2006年)#各国などの対応|経済制裁措置]]を実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[9月]]から[[11月]]にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える、[[郵政造反組復党問題]]が政治問題化する。[[12月]]には、懸案だった[[教育基本法]]改正と[[防衛省|防衛庁]]の[[省]]昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝いりで任命した[[本間正明]][[政府税制調査会|税制会長]]が[[公務員宿舎]]への入居と愛人問題で、[[佐田玄一郎]][[内閣府特命担当大臣|行改担当大臣]]が、架空事務所費計上問題で辞任、この後、閣内でスキャンダルが相次いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:33rdG8Leaders.jpg|200px|thumb|[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]で各国首脳らと]]&lt;br /&gt;
[[Image:Bush Abe, Camp David.jpg|200px|thumb|[[2007年]][[4月27日]]、記者会見時に[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月]]の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;と欧米のマスコミから非難されたが、[[4月]]下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続いて[[日米関係史|日米関係]]が強固なものであることをアピールした。[[5月28日]]、以前から様々な疑惑のあった[[松岡利勝]][[農林水産大臣|農水大臣]]が[[議員宿舎]]内で、首を吊って[[自殺]]。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し&amp;lt;ref name=shincho2008010332&amp;gt;[[安倍昭恵]]「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『[[週刊新潮]]』53巻1号、[[新潮社]]、[[2008年]][[1月3日|1月3・10日]]、32頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;「慙愧に耐えない」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=OnPsoNOFDY8 YouTube映像「松岡農水相自殺仮通夜営まれる」]テレビ記者会見&amp;lt;/ref&amp;gt;と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」&amp;lt;ref name=shincho2008010332/&amp;gt;と語っている。また[[年金記録問題]]が大きく浮上した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で、[[6月]]当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアに大きく報じられた。同月6日～8日には首相就任後初の[[主要国首脳会議|サミット]]である[[第33回主要国首脳会議|ハイリゲンダム・サミット]]に参加、[[地球温暖化]]への対策を諸外国に示した。また、議長総括に[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の解決を盛り込ませた。[[7月3日]]には[[久間章生]][[防衛大臣]]の[[久間章生#「原爆投下はしょうがない」発言|原爆投下をめぐる「しょうがない」発言]]が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりにより、久間に厳重注意を行なった（久間は翌日辞任）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員選挙、内閣改造 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[7月29日]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である[[赤城徳彦]]農林水産大臣にもいくつかの[[赤城徳彦#不祥事|事務所費問題]]が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した[[新潟県中越沖地震]]では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の[[第21回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」&amp;lt;ref name=shincho2008010329&amp;gt;[[安倍昭恵]]「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『[[週刊新潮]]』53巻1号、[[新潮社]]、[[2008年]][[1月3日|1月3・10日]]、29頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む[[公明党]]の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、[[東北地方]]や[[四国地方]]で自民党が全滅、勝敗を左右する[[参議院一人区]]も、軒並み民主党候補や野党系[[無所属]]に議席を奪われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か[[小沢一郎|小沢さん]]か、どちらが首相にふさわしいか」と[[有権者]]に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する厳しい批判が出た。また、参院選直後の[[7月31日]]の[[自由民主党総務会|自民党総務会]]においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た（[[安倍おろし]]）&amp;lt;ref&amp;gt;自民総務会で首相退陣論が噴出「政権選択迫ってしまった」読売新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。同日、アメリカ下院では[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が議決されていた。翌[[8月1日]]には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。この頃から安倍は食欲の衰えなど体調不良を訴え始め、[[8月19日]]から[[8月25日]]の[[インドネシア]]、[[インド]]、[[マレーシア]]3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた&amp;lt;ref name=shincho2008010329/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 安倍改造内閣 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe Sept. 8, 2007 full.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[9月8日]]、[[アジア太平洋経済協力]]首脳会議にて、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と握手を交わす安倍晋三]]&lt;br /&gt;
選挙結果や批判を受け、[[8月27日]]に内閣改造、党役員人事に着手した（[[安倍改造内閣]]）。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、[[オーストラリア]]・[[シドニー]]で開催された[[アジア太平洋経済協力|APEC]]（アジア太平洋経済協力会議）首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し[[9月10日]]からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続が出来なくなった場合は、[[内閣総辞職]]することを[[マニフェスト|公約]]した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良によりAPECの諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した&amp;lt;ref name=shincho2008010330&amp;gt;[[安倍昭恵]]「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『[[週刊新潮]]』53巻1号、[[新潮社]]、[[2008年]][[1月3日|1月3・10日]]、30頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月10日]]に[[第168回国会|第168回臨時国会]]が開催され、安倍首相は[[所信表明演説]]を行った。その中で安倍首相は「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「[[美しい国]]」という言葉は結びに一度使ったのみであった。午後には「（改正案を通すのは）厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を[[麻生太郎|麻生幹事長]]に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです。」と慰留された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=RNelPVHFzaw&amp;amp;eurl=http%3A%2F%2Foshiete1.goo.ne.jp%2Fqa5196010.html&amp;amp;feature=player_embedded フジテレビ「ハッケン」麻生外相インタビュー]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[9月11日]]には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」&amp;lt;ref name=shincho2008010328&amp;gt;[[安倍昭恵]]「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『[[週刊新潮]]』53巻1号、[[新潮社]]、[[2008年]][[1月3日|1月3・10日]]、28頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった&amp;lt;ref name=shincho2008010328/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 辞意表明 ====&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月12日]]午後2時（[[日本標準時|JST]]）、「[[内閣総理大臣]]及び[[自由民主党総裁]]を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=8kt_baHoZvc&amp;amp;feature=related テレビニュース速報映像]YouTube TOKYOMX 2007年9月12日&amp;lt;/ref&amp;gt;。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安倍は辞任の理由として「[[テロ対策特別措置法|テロ特措法]]の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした（小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している）。一方で、自身の健康に不安があるという理由も[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともと胃腸に持病を抱えているといわれており&amp;lt;ref&amp;gt;安倍首相、慶應義塾大学病院に検査入院、読売新聞。2007年9月13日&amp;lt;/ref&amp;gt;、辞意表明当日の[[読売新聞]]・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している&amp;lt;ref&amp;gt;安倍首相が風邪、公邸に直帰、時事通信。2007年9月11日&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、辞任に追い込まれた実質的原因については、本人が記者会見をこなしていることもあり、健康問題ではないとする見方をする論者も、立花隆を初めとして存在する。ちなみに、自身の健康問題で辞任した首相は過去に、[[石橋湛山]]や[[小渕恵三]]などがいるが、彼らは[[脳梗塞]]など重い病に侵されたためであり、記者会見が可能だった安倍とは比べものにならないほどの病状だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 突然の辞意表明に対する批判 =====&lt;br /&gt;
[[臨時会|臨時国会]]が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から批判を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判をおこなった&amp;lt;ref&amp;gt;「無責任の極み」と批判　野党、衆院解散を求める構え（2007年9月12日　東京新聞）&amp;lt;/ref&amp;gt;。　　&lt;br /&gt;
*「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」&amp;lt;ref name=&amp;quot;nhk20070912&amp;quot;&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=IkOtFxgIuJI 2007年9月12日NHKインタビュー]&amp;lt;/ref&amp;gt;（民主党・[[小沢一郎]]代表)&lt;br /&gt;
*「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」（民主党・[[鳩山由紀夫]]幹事長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「所信表明直後の辞任は前代未聞」（共産党・[[志位和夫]]委員長）&lt;br /&gt;
*「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」&amp;lt;ref name=&amp;quot;nhk20070912&amp;quot;/&amp;gt;（社民党・[[福島瑞穂]]党首）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
与党側でも[[古賀誠]]元自民党幹事長などから退陣に至る経緯・理由が不透明であるという批判や、その他議員からも「なぜ今日なのか、無責任だ」という批判が出た&amp;lt;ref name=&amp;quot;nhk20070912&amp;quot;/&amp;gt;。[[塩川正十郎]]元財相も「非常に無責任な辞め方。熱意と努力で乗り切ってもらいたくて支えてきた。支えてきた者から見たらこんな辞め方は無い」と批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=VlX4y3fkxAU&amp;amp;feature=related テレビインタビュー]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、公明党の[[北側一雄]]幹事長からも「なぜこの時期に辞意表明なのか、非常に理解しがたい」と批判された&amp;lt;ref name=&amp;quot;nhk20070912&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[麻生太郎]][[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」&amp;lt;ref name=&amp;quot;nhk20070912&amp;quot;/&amp;gt;などと述べ、安倍の辞任を2日前（安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日）にはすでに知っていたことを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月13日]]に[[朝日新聞社]]が行なった緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.asahi.com/politics/update/0913/TKY200709130439.html|title=首相辞任「無責任」70% 本社緊急世論調査|work=朝日新聞|date=2007-09-13日|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 国外の反応 =====&lt;br /&gt;
日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」（アメリカ[[CNN]]）などと報じた。欧米諸国の報道では批判的な意見も多かったが&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070913/shs070913019.htm|title =「安倍首相は臆病者」英メディア酷評|date=2007-09-13|work=産経新聞|accessdate=9月26日|accessyear =2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、安倍内閣の下で関係が良好だった[[中華人民共和国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[台湾]]のマスコミは同情的な意見が目立った{{要出典}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 入院・内閣総辞職 ====&lt;br /&gt;
退陣表明の翌日（9月13日）、[[慶應義塾大学病院]]に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると[[医師]]団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリス[[英国放送協会|BBC]]は「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[遠藤武彦]]農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを[[与謝野馨]][[内閣官房長官]]と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる&amp;lt;ref&amp;gt;日刊ゲンダイ2007年9月8日、 内閣で「孤立」した安倍首相…「麻生にはめられた」と不信感も&amp;lt;/ref&amp;gt;。 この内容について[[9月14日]]の[[報道ステーション]]が麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「（9月14日に安倍氏の見舞いに行った時）『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流した[[噂#デマ|デマ]]でしょう」と反論をしている。同日の[[NEWS ZERO]]は、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、自民党の若手による「麻生-与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、[[9月18日]]の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は[[9月19日]]に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「[[中川秀直|中川（秀直）]]さんは11日（辞任表明の前日）に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070919i302.htm|title=首相の辞意、麻生幹事長「自分以外にも知っていた人いる」|date=2007-09-19|work=読売新聞|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070919/shs070919000.htm|title=中川前幹事長にも伝達の可能性 首相辞意 与謝野長官|date=2007-09-19|work=産経新聞|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[安倍内閣メールマガジン]]は[[9月20日]]配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージのもと、これをもって最終号を迎えた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2007/0913.html|title=安倍内閣メールマガジン 第46号|date=2007-09-13|publisher=内閣官房内閣広報室|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、病院側は、安倍首相の容体は回復軌道には入っているものの退院できる状態ではないとした。病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った&amp;lt;ref name=shincho2008010330/&amp;gt;。9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5600/news/20070920i513.htm|title=安倍首相は毎日点滴、53歳誕生日も退院のメド立たず|date=2007-09-20|publisher=読売新聞|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と[[内閣総理大臣臨時代理]]は置く予定はないという方針をとっていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070918/shs070918000.htm|title=安倍首相の「判断力に支障なし」|date=2007-09-18|work=産経新聞|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070920/shs070920000.htm|title=「首相は病状と辞任との関係説明を」官房長官|date=2007-09-20|work=産経新聞|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した&amp;lt;ref name=shincho2008010330/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月23日]]に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁のあいさつは[[谷川秀善]]両院議員総会長が代読した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月24日]]17時、[[慶應義塾大学病院]]にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「[[所信表明演説]]後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。また、自民党若手による「麻生クーデター説」については本人の口から改めて否定された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070925k0000m010017000c.html|title=安倍首相：病中会見 辞任は「最悪のタイミング」と陳謝|date=2007-09-24|work=毎日新聞|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず[[内閣総理大臣臨時代理|臨時代理]]を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070925k0000m010084000c.html|title=安倍首相：置かなかった首相臨時代理 政府内にも疑問の声|date=2007-09-24|work=毎日新聞|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月25日]]、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]に出席する意思を明らかにした。[[9月25日]]の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて[[内閣総辞職]]した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には[[皇居]]で行われた[[福田康夫]]首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であり、[[日本国憲法]]下では歴代7位の短期政権となった。改造内閣はわずか31日の短命に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 内閣総理大臣退任後 ===&lt;br /&gt;
==== 健康の回復 ====&lt;br /&gt;
その後、入院していた慶應義塾大学病院から「一時帰宅」し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070927-00000127-jij-pol|title=安倍前首相、自宅療養に切り替え＝体調回復ならそのまま退院へ|date=2007-09-27|work=時事通信社|accessdate=9月30日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071005-00000010-gen-ent|title=自宅療養中安倍前首相が恐れる「証人喚問」|date=2007-10-05|work=日刊ゲンダイ|accessdate=11月1日|accessyear=2007年}}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月13日]]に[[テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法|新テロ特措法案]]の採決を行なう[[衆議院]][[本会議]]には「はってでも出たい」と出席し、白票（賛成票）を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は（小沢は）賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と強く批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年1月、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008011102078550.html 「原稿読み飛ばし」が決定的要因　退陣めぐり安倍前首相 - 中日新聞]{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;br /&amp;gt;「わが告白 総理辞任の真相」『文藝春秋』2008年2月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年には[[第169回国会]]会期中に妻の昭恵と[[スキー]][[旅行]]&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍晋三前首相が国会そっちのけでスキー三昧って――KY健在」『[[週刊現代]]』50巻9号、[[講談社]]、[[2008年]][[3月8日]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;や[[選抜高等学校野球大会]]の観戦&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|author=[[日刊スポーツ新聞社]]|date=2008-03-24|url=http://www.asahi.com/culture/nikkan/NIK200803240012.html|title=asahi.com：安倍前首相が昭恵夫人と下関商応援 - 日刊スポーツ芸能ニュース - 文化・芸能|publisher=[[朝日新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[3月24日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に出かけるなどしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政治活動の再開 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe and James Zumwalt 20090620.jpg|thumb|200px|[[2009年]][[6月20日]]、[[東京都]]にて[[臨時代理大使|日本駐箚アメリカ合衆国臨時代理大使]][[ジェームス・ズムワルト]]（右から1人目）と安倍（右から2人目）]]&lt;br /&gt;
2007年末、産経新聞のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」&amp;lt;ref name=sankei20071224&amp;gt;{{Cite web|author=石橋文登|date=2007-12-24|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071224/stt0712242102003-n5.htm|title=安倍前首相インタビュー 政界混乱を謝罪 年明け活動再開 (5/5ページ) - MSN産経ニュース|publisher=産経デジタル|language=日本語|accessdate=[[12月24日]]|accessyear=[[2007年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」&amp;lt;ref name=sankei20071224/&amp;gt;と答えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年以降は政治活動を徐々に本格化させ、中華人民共和国国務委員の[[唐家セン|唐家璇]]と会談するなど外交への取り組みも再開した。同年1月、参院選時の公約への根強い批判に反論し、年金記録の照合作業を2008年3月までに終わらせると公約したが国民一人一人への支払いを保証したわけではない、と主張した&amp;lt;ref name=bunshun20080221&amp;gt;「朝鮮総連とも仲良しだって安倍前首相『地元のナイショ話』」『[[週刊文春]]』50巻7号、[[文藝春秋]]、[[2008年]][[2月21日]]、39頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべきと指摘し、政府に頼る風潮に疑問を呈した&amp;lt;ref name=bunshun20080221/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[3月5日]]、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や[[世耕弘成]]らが入会した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|author=葛西大博|date=2008-03-06|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080306ddm005010018000c.html|title=安倍前首相：クールアース50懇話会座長就任、本格始動 「表舞台早過ぎ」批判も - 毎日jp(毎日新聞)|publisher=[[毎日新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[3月6日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。設立総会において、安倍は「[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]を成功させるのは私の責任」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-03-05|url=http://www.asahi.com/politics/update/0305/TKY200803050320.html|title=asahi.com：安倍氏、再チャレンジ始動？ 「美しい星」勉強会座長に - 政治|publisher=[[朝日新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[3月5日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と語り、同懇話会の座長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月6日]]、清和政策研究会（町村派）の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|author=石橋文登|date=2008-03-06|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080306/stt0803061931006-n1.htm|title=安倍氏が町村派復帰　派内の接着剤に期待感  (1/2ページ) - MSN産経ニュース|publisher=産経デジタル|language=日本語|accessdate=[[3月6日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。[[4月28日]]に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、[[4月30日]]には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[8月15日]]朝、首相在任中に果たせなかった[[終戦の日|終戦記念日]]の[[靖国神社]]参拝をおこなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1954年]]9月21日:[[東京都]]に生まれる。本籍地は[[山口県]][[大津郡]][[油谷町]]（現・[[長門市]]）。&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[3月]]:[[成蹊大学]][[法学部]]政治学科卒業&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[4月]]:[[アメリカ合衆国|米国]][[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に入学。その後、[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に転校した。&lt;br /&gt;
* [[1978年]]4月:[[南カリフォルニア大学]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修し、[[1979年]]に[[退学|中退]]。&lt;br /&gt;
* [[1979年]]4月:株式会社[[神戸製鋼所]]入社&lt;br /&gt;
* [[1982年]]11月:神戸製鋼所退社、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]（[[安倍晋太郎]]）秘書官に就任&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選（旧・山口1区）&lt;br /&gt;
* [[1993年]]7月:衆議院議員初当選&lt;br /&gt;
* [[1999年]]10月:衆議院厚生委員会理事&lt;br /&gt;
* [[2000年]]7月:[[第2次森改造内閣]]で[[内閣官房副長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2001年]]4月：引き続き[[第1次小泉内閣]]で内閣官房副長官に就任&lt;br /&gt;
* [[2003年]]9月:[[自由民主党幹事長]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2004年]]9月:自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任&lt;br /&gt;
* [[2005年]]10月:[[第3次小泉改造内閣]]で[[内閣官房長官]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2006年]]9月:[[自由民主党総裁]]に選出、第90代[[内閣総理大臣]]に就任&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[自由民主党総裁]]及び[[内閣総理大臣]]を辞職&lt;br /&gt;
* [[2007年]]9月:[[安倍改造内閣|安倍内閣]]総辞職&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
*[[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
*[[日本会議]]国会議員懇談会&lt;br /&gt;
*[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]&lt;br /&gt;
* [[公共放送のあり方について考える議員の会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政見・政策 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 国家像 ===&lt;br /&gt;
; [[美しい国]]&lt;br /&gt;
{{See also|美しい国}}&lt;br /&gt;
: 総裁戦直前の[[2006年]][[7月19日]]に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shinbunka.co.jp/kakonews/2006/kako06-10.htm|work=出版業界紙『新文化』 |title=過去のニュースフラッシュ|date=2006-10-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;[[ベストセラー]]になった。政権[[スローガン]]も「'''美しい国日本'''を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「'''[[戦後レジーム]]'''（体制）」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、[[安全保障]]などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。&lt;br /&gt;
: これまでの日本の歴史認識を自虐的な[[東京裁判史観]]とする[[保守]]層からは好意的に迎えられる一方、[[左派]]からは内閣発足当初から[[集団的自衛権]]を容認しアメリカに追従する[[軍国主義]]的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている&amp;lt;ref&amp;gt;『安倍晋三の本性』[[俵義文]] 、[[魚住昭]] 、[[横田一]]、[[佐高信]]  『週刊金曜日』取材班 、（「金曜日」 2006年11月） &amp;lt;/ref&amp;gt;。また「美しい国」という理念について、何が・また何をもって“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://web.chokugen.jp/hirano/2006/09/29_07fe.html|author=[[平野貞夫]]|title=第29回「安倍晋三の総裁選公約にみる亡国性」|date=2006-09-12|work=宮崎学責任編集「直言」|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-27/2007052725_01_0.html|work=しんぶん赤旗 |title=ここが知りたい特集　安倍「靖国」派政権の実態 これが「靖国」派の正体 安倍政権の中枢に「日本会議」 改憲・教育・家族… 戦前回帰の「国柄」持ち込む|date=2007-5-27|accessdate=4月5日|accessyear=2008年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。さらには任期中においては「美しい国作り」と言う'''目標として掲げたもの'''であったが、当時の社会問題などのニュースなどの締めに「これが美しい国の正体」などと'''現在進行形の問題'''を持ってくる報道も少なからず存在していた。&lt;br /&gt;
; アジア・ゲートウェイ構想&lt;br /&gt;
: 第165回国会の所信表明演説にて「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』を推進します」&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Cite web|author=|date=2006-09-29|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/29syosin.html|title=第165回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説|publisher=内閣官房内閣広報室|language=日本語|accessdate=9月29日|accessyear=2006年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166国会の[[施政方針演説]]では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|author=|date=2007-01-26|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/01/26sisei.html|title=第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説|publisher=内閣官房内閣広報室|language=日本語|accessdate=1月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官[[塩崎恭久]]、[[内閣府特命担当大臣]]（経済財政政策担当）[[大田弘子]]、特命担当大臣（規制改革担当）[[渡辺喜美]]、[[内閣総理大臣補佐官]]（経済財政担当）[[根本匠]]の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かる&amp;lt;ref&amp;gt;久江雅彦「官僚に包囲された男――アジア・ゲートウェイ構想と根本匠」柿崎明二・久江雅彦『空白の宰相――「チーム安倍」が追った理想と現実』[[講談社]]、[[2007年]]、181頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;など混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。&lt;br /&gt;
; 地方自治&lt;br /&gt;
: [[道州制]]の導入を検討。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 憲法 ===&lt;br /&gt;
総裁選では施行60周年を迎えた[[日本国憲法]]を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、[[21世紀]]にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20061003&amp;quot;&amp;gt;衆議院　本会議　平成18年（2006年）10月3日）「在任中に憲法を改正をしたい」との考えを述べた。（平成18年12月19日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://naigai.cside6.com/kiji/tokyokouen/abe2.htm 週刊「世界と日本」1718号。講演録はじゅん刊「世界と日本」1070号に掲載]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改憲のための[[国民投票法案]]（[[日本国憲法の改正手続に関する法律]]）の整備をおこなうが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 安全保障 ===&lt;br /&gt;
日本版「[[国家安全保障会議]]」（NSC）構想を推進した。総理就任以前は[[憲法改正]]に関しては[[集団的自衛権]]の容認を打ち出して来た。総理就任後は、防衛庁を[[防衛省]]へ格上げした。これは「戦後レジーム（体制）から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての[[鈴木宗男]]の[[質問主意書]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a165125.htm|title=非核三原則に関する質問主意書|work=内閣衆質一六五第一二五号|-date=2006-10-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して、「政府としては、[[非核三原則]]の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「[[核兵器]]であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との[[答弁書]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165125.htm|title=衆議院議員鈴木宗男君提出 非核三原則に関する質問に対する答弁書|date=2007-01-07|work=内閣衆質一六五第一二五号|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe with KSG Students.jpg|thumb|200px|[[総理大臣官邸]]を訪れた[[ハーバード大学]]学生らと[[内閣官房長官]][[塩崎恭久]]と安倍晋三]]&lt;br /&gt;
2006年12月に[[教育基本法]]を改正し、教育の目標の一つとして[[愛国心]]という言葉を盛り込んだ他、[[義務教育]]9年の規定や[[男女共学]]の項を削除した。[[内閣府]]直属の「[[教育再生会議]]」を立ち上げ、2007年6月には[[教員免許更新制]]を導入した。その他、[[学校週五日制]]の見直しや[[大学]]進学の条件として社会[[奉仕]]活動の義務化を提唱した&amp;lt;ref&amp;gt;安倍は[[ボランティア]]という言葉を使用しているが、ボランティアの本来の意味は「自発的な行為・行動」であり、誤った用法である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。その他の政策としては、[[教育バウチャー]]制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の[[山谷えり子]]らと共に[[ジェンダーフリー]]教育に対する批判等を行った&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/jender.html|title=過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://naigai.cside6.com/kiji/tokyokouen/abe2.htm 週刊「世界と日本」1718号。講演録はじゅん刊「世界と日本」1070号に掲載]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公務員改革 ===&lt;br /&gt;
[[内閣府特命担当大臣]]（規制改革担当）に[[渡辺喜美]]を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、[[天下り]]、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて（1）官民人材交流センター（人材バンク）の制度設計（2）キャリア制度の見直し、という２つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も[[成田空港]]社長に官僚OBがなることを却下したり、[[東京証券取引所]]への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起るようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしない等の抵抗が見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革（社保庁民営化）に力を入れていた。その理由としては年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いがあった&amp;lt;ref&amp;gt;2006年10月3日産経新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかしここでも激しい抵抗にあった。[[田原総一郎]]によれば、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘された&amp;lt;ref name=bp&amp;gt;[http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070719_20th/index.html 日経BPネット2007年7月19日『安倍政権の倒閣を企てた官僚たちの二重クーデター』]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 労働政策 ===&lt;br /&gt;
;再チャレンジ政策&lt;br /&gt;
:小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定[[雇用]]の増加やいわゆる[[格差社会]]の是正を掲げ、[[再チャレンジ]]政策の一環として[[フリーター]]を[[正社員]]として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の [[日本経済団体連合会|経団連]]が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「[[ワーキングプア]]と言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も[[非正規雇用]]者が[[正規雇用|正規社員]]へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、[[偽装請負]]等に関しても、「[[法令]]、[[労働基準法]]に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510130014003c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-13|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ホワイトカラーエグゼンプション]]（事務職残業手当適用除外制度）&lt;br /&gt;
:「[[日米投資イニシアチブ報告書]]」に基づき、この制度を導入する予定であったが、 [[マスメディア|メディア]]で「[[時間外労働|残業]]代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、[[2007年]]1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。&lt;br /&gt;
;「[[最低賃金]]」&lt;br /&gt;
:最低賃金の抜本的引き上げは、「[[中小企業]]を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070130&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070130004.htm|title=第166回 衆議院本会議 4号|date=2007-01-30|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年3月の参議院の[[予算委員会]]では、「最低賃金制度を[[生活保護]]以上にしていくという改正を行ない、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070319&amp;quot;&amp;gt;第166回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成19年（2007年）3月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;格差問題&lt;br /&gt;
:「[[格差社会|格差]]はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070301&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070301017.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員会 17号|date=2007-03-01|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 治安政策 ===&lt;br /&gt;
[[組織犯罪処罰法]]（いわゆる「共謀罪法案」）について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「[[国際組織犯罪防止法条約]]」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の[[通常国会]]で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 党運営 ===&lt;br /&gt;
[[郵政民営化]]時の造反[[議員]]を復党させた（[[郵政造反組復党問題]]）。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社会保障 ===&lt;br /&gt;
; 中国残留孤児&lt;br /&gt;
: [[中国残留孤児]]問題における訴訟では請求を取り下げられた[[原告]]団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。&lt;br /&gt;
; [[慈恵病院]]の「こうのとりのゆりかご」&lt;br /&gt;
{{See also|赤ちゃんポスト}}&lt;br /&gt;
: 2007年[[2月23日]]に、[[熊本市]]の[[慈恵病院]]が[[赤ちゃんポスト]]の設置を計画していることについて、「[[ポスト]]」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍首相『大変、抵抗感じる』、『赤ちゃんポスト』関連で見解」『日本経済新聞』2007年2月23日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;「赤ちゃんポスト 首相『抵抗ある』」東京新聞 2007年2月23日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 年金問題&lt;br /&gt;
{{See also|年金記録問題|宙に浮いた年金記録}}&lt;br /&gt;
: [[年金記録問題]]では民主党の[[小沢一郎]]との[[党首討論]]で「[[宙に浮いた年金記録|消えた年金]]はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」&amp;lt;ref name=kokkakihonseisaku20070530&amp;gt;{{Cite web|date=2007-05-30|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/ryoin/166/0052/16605300052002c.html|title=両院協議会会議録情報　第166回国会　国家基本政策委員会合同審査会　第２号|publisher=[[国立国会図書館]]|language=[[日本語]]|accessdate=[[5月30日]]|accessyear=[[2007年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」&amp;lt;ref name=kokkakihonseisaku20070530/&amp;gt;と断言、当初2年程度を想定していた調査期間を前倒しすると表明し&amp;lt;ref&amp;gt;「首相『5000万件1年で調査』――特例法案衆院委で可決」『[[讀賣新聞]]』夕刊、47138号、[[読売新聞東京本社]]、[[2007年]][[5月31日]]、1面。&amp;lt;/ref&amp;gt;、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2007-07-02|url=http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&amp;amp;m2=&amp;amp;NB=CORENEWS&amp;amp;GI=Kennai&amp;amp;G=&amp;amp;ns=news_118334007696&amp;amp;v=&amp;amp;vm=1|title=年金問題「必ず解決」　安倍首相、県内で応援演説　徳島新聞社　|publisher=徳島新聞社|accessdate=7月2日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と各地で演説した。&lt;br /&gt;
: メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2007-06-04|url=http://www.j-cast.com/2007/06/04008151.html|title=J-CASTニュース : 「消えた年金」実は解消不能？　支持率急落安倍内閣に追い討ち|publisher=ジェイ・キャスト|accessdate=6月4日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[社会保険庁]]は年金記録の照合作業を進めたものの、[[2008年]][[3月]]末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された（人数や件数は[[2007年]][[12月]]時点での推計値）&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2007-12-11|url=http://www.asahi.com/politics/update/1210/TKY200712100248.html|title=asahi.com：名寄せ困難な年金、1975万件　宙に浮く5000万件 - 政治|publisher=朝日新聞社|accessdate=12月11日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった&amp;lt;ref name=asahi20071217&amp;gt;{{Cite web|date=2007-12-17|url=http://www.asahi.com/special/070529/TKY200712170271.html|title=asahi.com：首相「党のビラ、誤解招いた」　年金公約問題で - 年金記録問題|publisher=朝日新聞社|accessdate=12月17日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。福田は「（当時の）安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2007-12-17|url=http://news.tbs.co.jp/20071217/newseye/tbs_newseye3735255.html|title=「「年金公約」誤解の原因は選挙用ビラ」　News i - TBSの動画ニュースサイト|publisher=東京放送|accessdate=12月17日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と安倍を擁護したが、内閣官房長官の[[町村信孝]]は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」&amp;lt;ref name=asahi20071217/&amp;gt;と述べ、安倍の公約の問題点を指摘した。&lt;br /&gt;
: 2008年1月、安倍はマスコミとの懇談の席上、「年金ってある程度、自分で責任を持って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」&amp;lt;ref name=bunshun20080221/&amp;gt;と指摘した。公約違反との批判に対しては「今になって（参院選の）選挙演説の『最後の一人までチェックして支払います』が公約違反と言われるけど、俺は一言も三月までに支払うとは言ってないんだぜ」&amp;lt;ref name=bunshun20080221/&amp;gt;と反論している。&lt;br /&gt;
: 2008年3月、社会保険庁の照合結果が公表され、1172万件分の持ち主が特定できたが、名寄せ困難な未解明記録は2025万件に達したことが明らかになった&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-03-14|url=http://www.asahi.com/life/update/0314/TKY200803140036.html|title=asahi.com：宙に浮いた年金、統合困難2千万件　公約実現は不可能 - 暮らし|publisher=[[朝日新聞社]]|accessdate=[[3月14日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: なお、国民皆年金制度は祖父・[[岸信介]]が首相時代に策定したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交 ===&lt;br /&gt;
[[Image:APEC2006 Roh Bush Abe (2).jpg|thumb|200px|[[2006年]]の[[アジア太平洋経済協力|APEC]]にて、[[大韓民国大統領]][[盧武鉉]]、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]と、安倍晋三]]&lt;br /&gt;
[[Image:DickCheney visits ShinzoAbe in Tokyo, 2007Feb21.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[2月21日]]、[[総理大臣官邸]]にて[[アメリカ合衆国副大統領]][[ディック・チェイニー]]と会談する安倍晋三]]&lt;br /&gt;
''下記の[[安倍晋三#歴史認識|歴史認識]]も参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日中・[[日韓問題|日韓関係]]を改善し、[[東アジア共同体]]の構想に強い意欲を示す。[[新自由主義]]政策・[[グローバル資本主義]]を推進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[大韓民国]]&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった。&amp;lt;ref&amp;gt;http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027&amp;lt;/ref&amp;gt;安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と[[親韓]]的な発言をしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/26press.html|title=安倍内閣総理大臣記者会見|date=2006-09-26|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[中華人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2006年の[[自民党総裁選]]では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの[[中華人民共和国|中国人]][[留学生]]を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して[[胡錦濤]][[中華人民共和国主席|国家主席]]と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅（破氷之旅）」と呼ばれて[[評価]]された。&lt;br /&gt;
;[[朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
:2007年[[2月12日]]に来日した[[ディック・チェイニー|チェイニー]]米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対する[[テロ支援国家]]指定の解除をしないように要請した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.chosunonline.com/article/20070224000009|title=安倍首相、北に対するテロ支援国家指定の解除に反対|wprk=[[朝鮮日報]]|date=2007-02-23|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。3月1日、[[六者会合|6者協議]]の[[日朝国交正常化]]に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が（拉致問題で）納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。&lt;br /&gt;
;[[アメリカ合衆国]]&lt;br /&gt;
:小泉政権により強化された[[日米安全保障条約]]をさらに充実させるため[[在日米軍]]と[[自衛隊]]の一体化を目指しており、[[集団的自衛権]]行使のための[[憲法改正]]も視野に入れている。&lt;br /&gt;
;[[オーストラリア]]&lt;br /&gt;
:{{main|日豪関係|安全保障協力に関する日豪共同宣言}}&lt;br /&gt;
:オーストラリアとは「基本的価値観を共有する&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/01/26sisei.html|title=第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説|date=2007-01-26|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;国家として連帯強化を目指している。[[日豪FTA]]の交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年[[3月13日]]には[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]に[[ジョン・ハワード]]首相と共に署名した。この宣言には[[国際連合平和維持活動|PKO]]などの海外活動や対[[テロリズム|テロ]]対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた&amp;lt;ref&amp;gt;「日豪首脳、安保共同宣言に署名・EPAは4月交渉入り」[[日本経済新聞]] 2007年3月14付&amp;lt;/ref&amp;gt;。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした&amp;lt;ref&amp;gt;「日豪　安保で共同宣言　対北朝鮮、PKO連携強化　首脳会談」[[西日本新聞]] 朝刊 2007年3月14日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史認識==&lt;br /&gt;
===戦争責任・村山談話===&lt;br /&gt;
総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山首相談話]]」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院[[予算委員会]]で、[[A級戦犯]]について、「[[戦争犯罪]]人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、[[戦争責任]]については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061006003.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号|date=2006-10-06|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2006年10月5日、衆院予算委員会で、[[東条内閣]]の[[商工大臣]]だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816520061005002.htm|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|date=2006-10月-05|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===慰安婦問題・河野談話===&lt;br /&gt;
日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」を支援して来た自民党内部の[[議員連盟]]「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会|日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会]]」（1997年2月27日結成）の元事務局長。現在[[中川昭一]]と共に顧問を務める。同会は特に「侵略戦争」や「[[慰安婦]]」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を認めた「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表した[[河野洋平]]を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0414/14005270414002c.html|title=第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号|date=1997-05-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『[[中央日報]]』　2005年4月2日付2面。&amp;lt;/ref&amp;gt;。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。[[2007年]]3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社民党の[[辻元清美]]の慰安婦問題に関する[[質問主意書]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm|title=安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書|date=2007-03-08|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm|title=衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書|date=2007-03-16|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志でつくる「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]」による[[河野談話]]見直し発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「軍の慰安婦強制連行なかった…自民有志が見解表明要求 | work=読売新聞 | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070301ia01.htm | accessdate=3月1日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した[[世耕弘成]]首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「河野談話は継承＝世耕補佐官 | work=時事通信 | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;k=2007030400072 | accessdate=3月4日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;し鎮静化を図ったが、近隣アジア諸国を中心に非難が巻き起こった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/02/AR2007030200235.html|title=Growing Chorus Slams War-Brothel Remarks|work=ワシントン・ポスト AP通信社|language=英語|date=2007-03-2|accessdate=3月2日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言を繰り返し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「安倍首相：従軍慰安婦で日本の責任認める　米メディアに | work=毎日新聞 | url = http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070421k0000e010063000c.html | accessdate=4月21日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」（I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.） 　「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」（We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under　the circumstances at the time.）とお詫びを表明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6598289.stm|title=Abe explains sex slave comments|work=BBC News|language=英語|date=2007-04-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。同日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領との会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | title=「日米首脳会談 安倍首相、慰安婦謝罪具体的表現なし」 | work=中央日報 | url = http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86960&amp;amp;servcode=200&amp;amp;sectcode=200 | accessdate=4月28日 | accessyear = 2007年 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;した。しかし、欧米のマスコミからは「二枚舌」(Double Talk)と非難された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北直後の2007年7月31日、アメリカ下院で[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が採択された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 靖国神社参拝 ===&lt;br /&gt;
{{see also|靖国神社問題}}&lt;br /&gt;
首相の[[靖国神社]]参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090511&amp;quot;&amp;gt;{{cite news | url =http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090511/plc0905112314016-n1.htm  | title = 安倍元首相「首相は靖国参拝すべきだ」 | newspaper = MSN産経ニュース | publisher = [[産業経済新聞社]] | date = 2009-05-11 | accessdate = 2009-12-09 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[歴史認識]]を巡って[[反日]]騒動が起こった[[中華人民共和国|中国]]と[[大韓民国|韓国]]の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは[[内政干渉]]だという見解を持っている&amp;lt;ref&amp;gt;『[[東京新聞]]』　2005年1月9日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた（「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた）ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6700/news/20060804i102.htm | title = 安倍官房長官は今年4月に靖国参拝…総裁選の争点にも| newspaper = YOMIURI ONLINE | publisher = [[読売新聞社]] | date= 2006-08-04 | accessdate = 2007-09-26 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首相就任後も参拝を続ける意向を示し、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した。首相在任中は参拝を行わなかったが、安倍はこれについて首相退任後に「『主張する外交』を展開する中で、日本のための将来の布石を打つため大きな決断をした」と説明している&amp;lt;ref name=&amp;quot;sankei20090511&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 問題の指摘 ==&lt;br /&gt;
=== 団体や人物との関係 ===&lt;br /&gt;
; [[統一協会]]・[[国際勝共連合]]&lt;br /&gt;
: 母方の祖父[[岸信介]]と父[[安倍晋太郎]]が統一教会及びその関連団体である[[国際勝共連合]]と関わりが深いと言われていた（''詳細は[[岸信介#勝共連合・統一教会との関係|岸信介の当該記事]]や[[安倍晋太郎#関係する人物や団体|安倍晋太郎の当該記事]]を参照''）こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。&lt;br /&gt;
: 官房長官当時の[[2006年]]、統一教会系列の団体である「[[天宙平和連合]]」 (UPF) の集会（[[合同結婚式]]も行われたとも言われたが統一教会は否定&amp;lt;ref&amp;gt;統一教会系列の韓国の『[[世界日報 (韓国)|世界日報（セゲイルボ）]]』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』（2006年6月1日付）も（合同結婚式の主要[[儀式]]である）「『聖水式』と『聖婚問答』が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。[http://www.uc-japan.org/hodo.aspx?id=364&amp;amp;pg=0 「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」]&amp;lt;/ref&amp;gt;）のイベントに[[祝電]]を寄せた（[[保岡興治]]やその他の自民党議員も）ことが新聞、雑誌等で伝えられ&amp;lt;ref&amp;gt;この祝電の件について、『[[週刊現代]]』、『[[週刊ポスト]]』、『[[週刊文春]]』、『[[週刊新潮]]』などは取り上げなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像は[[インターネット]]上の[[動画]][[ウェブサイト|サイト]][[youtube]]にアップロードされ、ネット上で広く話題になった。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。統一教会に批判的な[[ジャーナリスト]][[有田芳生]]によれば、安倍は統一教会は拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援しており、[[霊感商法]]などの問題で日本の公安当局の監視対象である団体であることから、面会を求められても会わないようにしているという方針を取っていると語っており&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://s03.megalodon.jp/2008-0602-2353-32/saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/09/post_92eb.html|title=安倍晋三と統一教会（1）&amp;lt;魚拓&amp;gt;|date=2006-09-12|author=[[有田芳生]]|work=有田芳生の酔醒漫録|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、また「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している&amp;lt;ref&amp;gt;週刊朝日 2006年6月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: [[霊感商法]]被害対策に取り組んで来た「[[全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会]]」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/shitumon/060619.htm|author=全国霊感商法対策弁護士連絡会|title=公開質問状|date=2006-06-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[生長の家]]&lt;br /&gt;
:第2代生長の家[[総裁]]の[[谷口清超]]の著書の第1部は「美しい国」から始まる。また、政治[[評論家]]の[[有馬晴海]]は、「生長の家の政策部門の別働隊に[[日本政策研究センター]]がある。ここの[[伊藤哲夫]]所長こそ安倍首相の[[ブレーン]]です。安倍首相の考え方はほぼすべて伊藤所長の考えと同じと考えていい。首相は生長の家の信者ではないと思いますが、その教えには心酔していると思います」述べている。&lt;br /&gt;
; [[公明党]]・[[創価学会]]&lt;br /&gt;
: 父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、[[大石寺]]の[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、[[池田大作]]と何度も面会したという&amp;lt;ref&amp;gt;創価学会機関紙『[[聖教新聞]]』（2001年3月）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入され、二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「[[四月会]]」（代表幹事:[[俵孝太郎]]）&amp;lt;ref&amp;gt;「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体（「[[立正佼成会]]」、「[[霊友会]]」、「[[仏所護念会]]」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。&amp;lt;/ref&amp;gt;の集会などに参加したこともあった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;&amp;gt;[[朝日新聞]][[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』（[[朝日新聞社]] 2000年1月1日） ISBN 978-4022612861 &amp;lt;/ref&amp;gt;。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;sgkaibou&amp;quot;/&amp;gt;。1989年に死去した池田大作の次男&amp;lt;!-- 著名活動をしていないと思われるので本名を記載しないで下さい。 --&amp;gt;は成蹊高校時代の同期生である&amp;lt;ref name=&amp;quot;faki&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.forum21.jp/2006/11/post_33.htm|work=FORUM21|title=特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で|date=2006-11-01|author=乙骨正生|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 首相就任直前の[[2006年]]9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、[[池田大作]]創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞&amp;lt;ref&amp;gt;『[[日経新聞]]』・『[[毎日新聞]]』・『[[朝日新聞]]』・『[[読売新聞]]』や『[[週刊文春]]』などが報じた。毎日は20日と報道。&amp;lt;/ref&amp;gt;「『[[産経新聞]]』を除く」を初め各種[[マスメディア|メディア]]が伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の[[戸田城聖]]が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った&amp;lt;ref&amp;gt;『[[毎日新聞]]』 2006年10月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: その後、国会で池田と面会した事実があったかという[[野党]]の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 1号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年2月13日の衆議院[[予算委員会]]でも同様に否定した&amp;lt;ref name=&amp;quot;k20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070213007.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号|accessdate=2008-05-14}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;kmovie20070213&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&amp;amp;media_type=wn&amp;amp;lang=j&amp;amp;spkid=901&amp;amp;time=07:17:50.0|title= 「インターネット審議中継」[[亀井静香]]の安倍晋三への質疑（第166回国会 衆議院 予算委員会 7号|author=衆議院|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 安晋会&lt;br /&gt;
: {{See also|安晋会}}&lt;br /&gt;
: 国会で、 [[小嶋進]] [[ヒューザー]]社長（当時）が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の[[国会議員政策担当秘書|政策秘書]]を紹介してもらい、「[[構造計算書偽造問題|耐震偽装問題]]」に関して[[国土交通省]]への対応を働きかけてもらったことを[[証人喚問]]で認めた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009916320060117014.htm|title=第163回国会 国土交通委員会 第14号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつては[[バブル景気]]の際に自己[[破産]]した[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「[[UDI経営者連合会]]」という政治団体の理事長の[[杉山敏隆]]（[[ヒューザー]]の[[ウェブサイト]]を運営していた&amp;lt;ref&amp;gt; {{cite web|url=http://web.archive.org/web/20050302234744/http://www.goalnet.co.jp/company/company.html|title=ゴールネット株式会社の公式サイト|accessdate=2008-05-14}} [[ウェブアーカイブ]]に保存されたもの&amp;lt;/ref&amp;gt;ゴールネット株式会社会長（息子の杉山剛太が社長））で、副会長は [[APAホテル]]会長の[[元谷外志雄]]（[[イーホームズ]]の[[藤田東吾]]社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した）である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、[[ライブドア事件]]の最中に不審死を遂げた[[エイチ・エス証券]]副社長であった野口英昭が[[理事]]（経理）になっていた&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊ポスト]]』（2006年2月10日号）&amp;lt;/ref&amp;gt;ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために[[国土交通省]]に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶應義塾大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060126002.htm#p_honbun|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|accessdate=2007-10-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.netlaputa.ne.jp/~ken2net/sub100.htm|title=第165回国会 参議院 本会議 5号|accessdate=2007-10-04}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[アサリ]]輸入業者&lt;br /&gt;
: 現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする[[怪文書]]が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる&amp;lt;ref&amp;gt;「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係]」[[読売ウイークリー]] 2007年4月1日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[コムスン]]&lt;br /&gt;
:[[グッドウィル・グループ]]のグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社[[コムスン]]（数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている）と親密であったことが知られている。安倍晋三が[[内閣官房副長官]]時代には[[折口雅博]]会長と対談しており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.comsn.co.jp%2Fcomsnpress%2Ftsushin%2Fct-10%2Fp-n10-6-11.html&amp;amp;date=20070609194523 折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times（現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク）]&amp;lt;/ref&amp;gt;、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。&lt;br /&gt;
; [[在日本朝鮮人総聯合会]]&lt;br /&gt;
: 2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口での[[オフレコ]]懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」&amp;lt;ref name=bunshun20080221/&amp;gt;と述べている。&lt;br /&gt;
;[[在日韓国人]]系[[パチンコ]]業者&lt;br /&gt;
:韓国の[[親米保守]]勢力（現在は[[ハンナラ党]]）とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった。その繋がりのため、安倍の[[下関]]事務所は、日本で[[パチンコ]]事業を展開する[[在日韓国人]]系の[[七洋物産]]（東洋エンタープライズ）関連のビルを借りている。&amp;lt;ref&amp;gt;http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
;[[慧光塾]]&lt;br /&gt;
: [[光永仁義]]（[[1947年]][[11月3日]]-[[2005年]][[7月13日]]）が[[1993年]]に設立した[[経営コンサルタント]]会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」（[[1991年]]倒産）では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた&amp;lt;ref&amp;gt;「{{cite web|url=http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/07/post.html |title=『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠|work=情報紙「[[ストレイ・ドッグ]]」（山岡俊介取材メモ）|author=[[山岡俊介]]|date=2005-07-08|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[日興コーディアルグループ]]&lt;br /&gt;
: [[2006年]]、[[金融庁]]・[[証券取引等監視委員会]]の調査により日興コーディアルグループの不正[[会計]]処理が発覚した。同様の不祥事が起きた[[クラシエホールディングス|カネボウ]]は[[上場廃止]]となっており、日興も上場廃止基準に抵触すると見られたが、[[東京証券取引所]]は日興に上場廃止処分を下さず、[[監理ポスト]]に割り当てた。東京証券取引所は、[[赤字]]を[[黒字]]にしたのではないこと、組織的、意図的でないこと、を理由として挙げている。日興については、『[[サンデープロジェクト]]』に出演した[[山田厚史]]が「日興には安倍事務所に強い[[常務]]がいる」&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200802210279.html|title=中国新聞ニュース|publisher=[[中国新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘している。&lt;br /&gt;
: なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の[[公設秘書]]が山田と朝日新聞社を[[東京地方裁判所]]に訴え3400万円の[[損害賠償]]と[[謝罪]][[広告]]の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした[[和解]]が成立した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080221/trl0802212157008-n1.htm|title=安倍前首相秘書と朝日元編集委員が和解 - MSN産経ニュース|publisher=産経デジタル|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された行動 ===&lt;br /&gt;
==== NHKへの圧力疑惑 ====&lt;br /&gt;
{{Main|NHK番組改変問題|女性国際戦犯法廷#外国からの政治的影響を指摘する批判}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 脱税疑惑 ====&lt;br /&gt;
[[週刊現代]]は2007年9月29日号（9月15日発売）において、安倍が[[相続税]]を[[脱税]]していたとの記事を掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
週刊現代は安倍の辞意表明当日に、以前から脱税疑惑についての取材を安倍に申し入れていたことを明らかにした&amp;lt;ref&amp;gt;「『脱税疑惑』全くの誤り＝週刊誌取材に安倍首相事務所」時事通信 2007年9月13日&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方で安倍の事務所は「事実無根である」と反論し、週刊現代を発行する[[講談社]]に対して、該当記事を掲載しないよう「警告文書」を送った。事務所の関係者によると、父である晋太郎が個人資産を政治団体に寄付し、相続税の支払いを免れたのではないか、との質問が週刊現代からあったという。同事務所は、「収支報告書には、あくまでも第三者からの寄付を晋太郎氏名義で記載しているにすぎない」として、全面的に否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本件は[[刑事事件]]としては既に時効が成立しているが、週刊現代は財務省相続税担当官の話として「これが事実なら明らかに脱税」、「自主的に納めていただきたい」などと掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 危機管理 ====&lt;br /&gt;
; [[えひめ丸事件]]&lt;br /&gt;
: [[2001年]][[2月10日]]、アメリカ合衆国[[ハワイ州]]沖にて、[[愛媛県立宇和島水産高等学校]]所属練習船「[[えひめ丸]]」が[[アメリカ海軍]]所属[[原子力潜水艦]]「[[グリーンヴィル]]」に衝突され沈没する事件が発生した。[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)|森政権]]では、緊急事態発生時には内閣総理大臣、危機管理担当大臣、[[内閣官房長官]]、[[内閣官房副長官]]のいずれかが休日であっても30分以内に総理大臣官邸に参集し即応する危機管理体制を取っていた。えひめ丸事件発生時には、内閣総理大臣[[森喜朗]]、[[防災担当大臣]]（危機管理担当兼務）[[伊吹文明]]と内閣官房長官[[福田康夫]]は東京を離れており、緊急事態発生時の官邸参集は内閣官房副長官の安倍が担当だった。しかし、都内の自宅にいた安倍は事件発生後30分以上経っても官邸に出向かず、ゴルフ場にいた[[森喜朗]]に対し官邸側からその場を離れないように指示するなど対応が混乱し、後に大きな批判を浴びることになった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815120010216007.htm 第151回国会 予算委員会 第7号（平成13年2月16日（金曜日））]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; [[イラク日本人人質事件]]&lt;br /&gt;
: 2004年4月8日、イラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐され、犯行声明が出された際、小泉首相は読売新聞編集委員の橋本五郎、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫など、複数の大手新聞社の幹部と懇談していた。そこに同席した安倍には、逐一、携帯電話で状況が報告されたが、会食が終わるまで小泉首相には報告しなかった。&lt;br /&gt;
; 能登半島地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[3月25日]]、[[石川県]][[輪島市]]沖の日本海で[[マグニチュード]]6.9の[[能登半島地震]]（最大[[震度]]6強）が発生した。地震発生から数分後には総理大臣官邸の危機管理センターに対策室が設置された。しかし、安倍は週末や休日は公邸ではなく私邸で過ごすことが多く、地震発生の日も私邸に滞在していたため、発生から2時間後に官邸に到着した。衆議院議員の[[江田憲司]]は「東京直下型地震やテロが発生したら、道路事情等で迅速に官邸入りできない可能性もある」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、34頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し「危機管理の最高責任者である総理が、官邸のオペレーションルームに寄せられる生の情報をもとに瞬時に判断を下せないと意味がない。首相としての自覚があるなら、私邸に泊まるのは控えるべき」&amp;lt;ref name=shukanasahi20070511/&amp;gt;と批判した。なお、安倍内閣発足から204日間のうち、安倍が公邸に引っ越してから週末・休日に就寝した場所の内訳は公邸34%、私邸49%となる&amp;lt;ref&amp;gt;関百合子・喜多克尚「勤務は『9時〜9時』夜は自宅でDVD首相就任200日、アベちゃんの『平凡なる総理ライフ』徹底分析」『[[週刊朝日]]』112巻22号、[[朝日新聞社]]、[[2007年]][[5月11日]]、33-35頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 平成19年台風第4号&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月14日]]、[[平成19年台風第4号]]（[[サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール|SSHS]]カテゴリー4）が[[鹿児島県]]に上陸した。この[[台風]]は、[[沖縄県]]接近時に[[那覇市]]で最大瞬間風速56.3[[メートル]]（日本国内の7月の観測史上最大）を記録し、本土上陸時中心気圧は945[[ヘクト]][[パスカル]]（7月に日本に接近した台風としては観測史上初）を記録したことから、極めて大きな被害が予想された。同日、官邸で開かれた災害対策関係省庁局長会議にて安倍は「人命救助を最優先してほしい」と指示した。しかし、内閣府特命担当大臣（防災担当）の[[溝手顕正]]は自身の[[第21回参議院議員通常選挙|選挙]]運動のため帰郷したまま東京に戻らず、安倍も溝手に対し帰京する指示を出さなかったことから、防災対策の最高責任者が不在のままとなり論議を呼んだ。なお、この台風により全国各地で大規模な被害が発生したため、[[激甚災害法]]に基づき[[激甚災害]]（いわゆる「本激」）に指定された。&lt;br /&gt;
; 新潟県中越沖地震&lt;br /&gt;
: 2007年[[7月16日]]、[[新潟県]]沖の日本海でマグニチュード6.8の[[新潟県中越沖地震]]（最大震度6強）が発生した。[[第21回参議院議員通常選挙]]の遊説中に地震発生を知らされた安倍は、いったん官邸に戻ってから、地震発生当日にもかかわらず震度6強を記録した柏崎市を訪問した。余震の発生が懸念される中で首相自らが震源地に程近い現地を訪問したことは、危機管理の観点から議論を呼んだ。&lt;br /&gt;
: 元[[経済企画庁長官]]の[[堺屋太一]]は「現場に行ったときに果たして正確な情報が得られるのか。総理大臣は通信情報の拠点におられた方が良かった」&amp;lt;ref name=jiji20070722&amp;gt;{{Cite web|date=2007-07-22|url=http://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/070722.html|title=時事放談|publisher=[[東京放送]]|language=日本語|accessdate=[[7月22日]]|accessyear=[[2007年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と指摘し、衆議院議員の[[加藤紘一]]は「担当大臣を派遣するっていうのが本来の第一歩だと思います。総理大臣は大将ですから、一番官邸にいて指示を出すっていうのがいい対応」&amp;lt;ref name=jiji20070722/&amp;gt;と指摘した。さらに、安倍の行動については「首相が発生直後に行けば、現場が首相への対応に人手を割かなければいけなくなり、行っても混乱するだけだ」&amp;lt;ref&amp;gt;「首相『危機管理』に懸命――政権発足後、初の大地震」『[[讀賣新聞]]』47518号、[[読売新聞東京本社]]、[[2008年]][[6月15日]]、4面。&amp;lt;/ref&amp;gt;との指摘もなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 問題を指摘された発言 ===&lt;br /&gt;
; 原子爆弾の保有・使用&lt;br /&gt;
: [[2002年]][[2月]]、[[早稲田大学]]での講演会（非公開）における[[田原総一朗]]との質疑応答で、「小型であれば[[原子爆弾]]の保有や使用も問題ない」、と発言したと『[[サンデー毎日]]』 （2002年6月2日号）が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と報道の間違いを指摘し、政府の“政策”としては[[非核三原則]]により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した[[第2次岸内閣|岸内閣]]の歴史的答弁（1959年、1960年）を学生たちに紹介したのであると説明した。&lt;br /&gt;
; 民主党を「中国の拡声器」&lt;br /&gt;
: 2002年5月19日中国・[[瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件]]に関して、テレビ番組において民主党を「中国の拡声器」と呼んで中傷した。安倍は、2日後の5月21日、参議院[[外交防衛委員会]]において、民主党の激しい反発にあい、発言を[[撤回]]した。&lt;br /&gt;
; 土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」&lt;br /&gt;
: 2002年10月19日[[広島市]]・[[岡山市]]の講演において「[[1985年]]に韓国入国を図り逮捕された[[辛光洙]]（シン グァンス）容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、[[盧泰愚]]政権に要望書を出した人たちがいる。それが[[土井たか子]]、あるいは[[菅直人]]だ」「この2人は、[[スパイ]]で原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。 その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』 2002年10月26日付{{cite web|url=http://www.asahi.com/politics/update/1025/005.html|title=安倍副長官、「間抜け」発言を不適切と認める|accessdate=2002-10-25}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; カタカナ語&lt;br /&gt;
: [[所信表明演説]]や[[施政方針演説]]において「[[外来語|カタカナ語]]」を使い過ぎているとの指摘を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;「ゲートウェイ」、「グランドデザイン」、「[[リバースモーゲッジ|リバースモーゲージ]]」、「ホワイトカラー・エグゼンプション」、「新健康フロンティア戦略」、「[[イノベーション]]」、「セーフティーネット」、「パートナーシップ」、「[[バイオマス]]」、「[[同一性|アイデンティティー]]」など所信表明演説では109語、施政方針演説では90語の「カタカナ語」を使った。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』（2007年1月22日付夕刊） コラム「窓」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 漢字一文字で「責任」&lt;br /&gt;
: 2006年末に記者から「今年を漢字一文字で表すと？」と質問された際に、「それは…『責任』ですかね」と、二文字の漢字を回答した。&lt;br /&gt;
; ときわ台駅での警察官の殉職&lt;br /&gt;
: [[東武東上線]][[ときわ台駅 (東京都)|ときわ台駅]]で[[自殺]]しようとした女性を救おうとして[[殉職]]した、[[警視庁]]板橋署の[[巡査部長]]を[[2007年]][[2月12日]]夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を2度にわたって間違えた。首相公邸連絡調整官（妻・[[安倍昭恵|昭恵]]の補佐員）と混同したのでは、と言う声が上がっている。これについて、作家の[[吉川潮]]は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判をしている。&lt;br /&gt;
; 長崎市長射殺事件&lt;br /&gt;
: 2007年[[4月17日]]、[[長崎市長射殺事件]]が発生し[[長崎市]][[市長]][[伊藤一長]]が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」との短い総理談話を発表した。[[国際連合事務総長]]や与野党の党首・幹事長らが[[民主主義]]に対する[[テロ]]や[[暴力]]を強く非難する声明を発表するなか、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した。&lt;br /&gt;
{{See also|長崎市長射殺事件}}&lt;br /&gt;
; 石川遼&lt;br /&gt;
: 2007年[[5月23日]]、「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望し」ていた[[杉並学院高等学校]]の[[石川遼]]との会談が実現し、安倍は[[総理大臣官邸]]にて揮毫を手渡した。しかし、石川は[[5月25日]]から中間テストを受ける予定であり、大事な時期に総理大臣官邸に呼びつけた安倍に対し批判がなされた。さらに、[[第21回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に向けた話題づくりとして、[[投票権]]すらない高校生を利用してよいのかといった指摘がなされた。この問題に対し、[[直木三十五賞]]を受賞した[[作家]]の[[重松清]]は「『[[教育]]』を[[政策]]の柱に掲げる首相が、[[平日]]に高校生を官邸に呼びつけるというのは、やはりスジが通らない」と批判し、安倍が「真実一路」と記された[[色紙]]を石川に渡したことについて「この[[言葉]]を真に渡すべき相手、他にいるんじゃないですか?」と評した。ちなみに、「真実一路」とは、安倍内閣の[[農林水産大臣]]でさまざまな不祥事が指摘された[[松岡利勝]]の座右の銘でもある。&lt;br /&gt;
; 松岡利勝の自殺&lt;br /&gt;
: [[松岡利勝]][[農水相]]自殺に関して、「慚愧に堪えない」（恥ずかしくて仕方がない）とコメントした。首相周辺は「こういう結果に至ったことへの自らの責任を、この言葉に込めた」と解説しているが、メディアなどで不適切なコメントだと批判され、「慚愧」の意味を取り違えていたのではないかと推測されている。また、同時に「捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行うという予定もない』と発言があったと聞いている」などとコメントし、捜査当局から首相官邸に連絡があったかのようなコメントであるとして話題になった。&lt;br /&gt;
; 2007年の参議院選挙&lt;br /&gt;
: 2007年参院選期間中の講演等で「（今回の選挙で）私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」といった発言を繰り返した。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。&lt;br /&gt;
; 2008年の衆議院補欠選挙&lt;br /&gt;
: 2008年4月、[[山口県第2区]]の衆議院議員補欠選挙にて、[[岩国市]]で[[山本繁太郎]]を支援する演説を行った際に、[[光市母子殺害事件]]の被害者家族について「[[光市]]の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さん（自民党公認候補）を応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです!」と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの[[遺影]]を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです!」と発言した。&lt;br /&gt;
: しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。（山本候補を応援した事実は）まったくありません」と否定しており、犯罪被害者支援問題についても「陳情したのは私ではない。遺影とかは出していませんが、[[小泉純一郎|小泉]][[内閣総理大臣|総理]]にお願いに行ったことはあります。安倍さんには光市での演説のときに初めて（聴衆の一人として）お会いしました」と説明したうえで、安倍の演説について「私がいないところでそういう発言をされたことはどうかと思います」と語っている。&lt;br /&gt;
: 安倍晋三事務所では「『お嬢さんを殺されたお母さん』と明確に述べたのであって、本村氏のことを述べたものではありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した[[文藝春秋]]に対し抗議文を送付した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
;身体&lt;br /&gt;
:[[血液型]][[ABO式血液型|B型]]、[[身長]]175cm、[[体重]]70kg&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abeprofile/index.html|title=安倍総理プロフィール|author=首相官邸|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;座右の銘&lt;br /&gt;
: [[吉田松陰]]の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;&amp;gt;「自民党総裁選：3候補、20日投票へ火花 703票の争奪戦-2006総裁選」『朝日新聞』2006年9月9日&amp;lt;/ref&amp;gt;。「初心忘るべからず」&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍 晋三氏 自民総裁選 特集」『読売新聞』2006年9月8日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;愛読書&lt;br /&gt;
:[[古川薫]]の『留魂録の世界』（留魂録は吉田松陰の著作である）&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;尊敬する人物やファンである人物&lt;br /&gt;
: [[幕末]]期の思想家[[吉田松陰]]を尊敬する。彼の地元・山口県には松陰の[[松下村塾]]があり、そこの門下生だった[[高杉晋作]]から「晋三」の名が付けられた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061102.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第4回「教育再生」|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-02|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:現在では非常に親しい間柄である（後述）[[アグネス・チャン]]は、2、30代のころファンだった&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;好物&lt;br /&gt;
: 安倍の好物は[[焼き肉]]、[[ラーメン]]、[[アイスクリーム]]、[[スイカ]]&amp;lt;ref name=&amp;quot;jp06921&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|work=人民網日文版|date=2006-09-21|url=http://j.peopledaily.com.cn/2006/09/21/jp20060921_63241.html|title=安倍総裁の素顔は? まめな兄貴、妻は元DJ|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;j3270mmi&amp;quot;/&amp;gt;子供の頃から変わらない好みらしい&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061116.html |title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第6回「みんなで毎日朝ごはん」|author=内閣府大臣官房政府広報室|work=[[政府広報]]オンライン|date=2006-11-16|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。甘党として知られ、フジテレビ系の深夜番組「[[百識〜百で知るひとつの知識〜]]」によれば、[[ナポリアイスクリーム]]のPUPUと、東京の[[両国 (墨田区)|両国]]の洋菓子店MARRY'Sの[[マンゴープリン]]が好物だという（MARRY'Sの[[パティシエ]]は安倍の同級生）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.venture-ac.ne.jp/seminar/detail/20070115155330.html|title=月例セミナー「伝統を生かした商品開発」|author=[[日本ベンチャー学会]]|date=2007-01|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:2007年4月下旬の昼に総理官邸の大会議室に番記者を招き昼食を食べながら懇談したが、食事は政治家の昼食会合の定番のカレーライスだったが、安倍だけは[[ハヤシライス]]であった。政界では安倍のハヤシライス好きは有名であり、また、カレーのような辛いものは下痢になりやすい体質なので苦手であることを記者団に語った&amp;lt;ref&amp;gt;「ハヤシライスが大好きな安倍首相の健康問題」”FACTA” 2007年6月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[ファッション]]&lt;br /&gt;
[[Image:Shinzo Abe &amp;amp; George W Bush, 2007Apr27.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月27日]]、カジュアルな装いで[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]（右）と]]&lt;br /&gt;
: 寒がりである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.gov-online.go.jp/topics/livetalk/livetalk_20061207.html|title=安倍総理のライブ・トーク官邸 第8回「ウォームビズから始めます」|work=政府広報オンライン|author=内閣府大臣官房政府広報室&lt;br /&gt;
|date=2006-12-07|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ため、[[小池百合子]][[環境大臣]]の音頭でスタートした[[クール・ビズ]]の一環である「国会内は[[ワイシャツ]]・ノー[[ネクタイ]]」が導入された当初は背広で通していた。&amp;lt;ref&amp;gt;「美しい国、日本」をファッションで表現 安倍晋三・新総理を勝手にスタイリング「美しい泣きっ面」に似合う服はコレだ!」『WWDジャパン』10月2号&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第二位となった&amp;lt;ref&amp;gt;「夏服の着こなしは 小泉首相、貫録勝ち?」『東京新聞』2006年7月30日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門で[[ベストドレッサー賞]]を受賞。「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.mfu.or.jp/bestdresser2002.html|title=第31回 ベストドレッサー賞（2002年）|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一族では大叔父の[[佐藤栄作]]が1973年、兄嫁の父である[[牛尾治朗]]が1981年に受賞している。&lt;br /&gt;
;[[アーチェリー]]&lt;br /&gt;
: 大学時代アーチェリーをしていた安倍は、2005年に[[全日本アーチェリー連盟]]の第6代会長に就任している（前任は同じく首相経験者の[[海部俊樹]]、父の安倍晋太郎も第4代会長である）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.archery.or.jp/ajaf/enkaku.html|title=沿革|author=社団法人全日本アーチェリー連盟|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年[[3月25日]]に連盟は総会で再び会長に推薦することを決定し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070325-175016.html|title=アーチェリー連盟、安倍首相を会長に推薦|work=ニッカンスポーツ|date=2007-03-25|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20070414-184516.html|title=安倍首相アーチェリー連盟会長2期目へ|work=ニッカンスポーツ|date=2007-04-14|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。首相であるため、職務は副会長が代行することになっている&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍会長を再任＝アーチェリー連盟」時事通信、2007年4月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 2006年[[4月28日]]の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のバラエティ番組では、[[明石家さんま]]とアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://newtop.s-abe.or.jp/janews/5fc5898b-4ee38b7058eb306e30a230fc30c130a730ea30fc59ff521d516c958b|title=必見! 代議士のアーチェリー姿初公開|work=安倍晋三公式サイト|date=2006-04-27|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[アグネス・チャン]]&lt;br /&gt;
:アグネス・チャンとは20年も親交がある友人で&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.daily.co.jp/gossip/2007/03/19/0000275610.shtml|title=安倍総理がアグネスに歌詞提供|work=[[デイリースポーツ]]|date=2007-03-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;&amp;gt;「安倍首相が作詞家デビュー」[[スポーツ報知]] 2007年3月19日付&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=18|title=クリスマス|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|author=安倍昭恵|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、よく食事を共にする&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;&amp;gt;『週刊文春』（2003年10月9日号）161ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。2、30代の頃、彼女の熱心なファンであったが&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://news.livedoor.com/article/detail/3040505/|title=紀香に政界入りの噂、影には安倍首相の後ろ盾?|author=新華通信社|work=新華社NEWS|date=2007-02-21|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、外交官秘書時代にテレビ番組で知り合った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;&amp;gt;「恐るべしアグネス・チャン?!」 ゲンダイネット（2007年3月23日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。アグネスは安倍の結婚式に出席して祝辞を述べ&amp;lt;ref name=&amp;quot;sb2031009&amp;quot;/&amp;gt;、「草原の輝き」を歌った&amp;lt;ref name=&amp;quot;gendainet07022420&amp;quot;/&amp;gt;。安倍も彼女の結婚式に出席したが、彼女の結婚にがっかりしたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。&amp;lt;!--アグネスの政界入りの噂にも、背後に安倍との関係があったとされる&amp;lt;ref name=&amp;quot;fsuka&amp;quot;/&amp;gt;。---&amp;gt;また、2007年にはアグネスのデビュー35周年を記念する[[アルバム]]のために、安倍は「平和」をテーマにした[[歌詞]]を[[作詞]]した&amp;lt;ref name=&amp;quot;aakt&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;agsd&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族 親族 ==&lt;br /&gt;
[[Image:PM and Mrs Abe arrive at WH 26 April 2007 cropped 1.jpg|thumb|200px|[[2007年]][[4月26日]]、[[ホワイトハウス]]にて妻[[安倍昭恵]]（右から2人目）を伴い[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]夫妻と]]&lt;br /&gt;
*先祖に[[安倍宗任]]、[[平知貞]]、[[佐藤忠信]]ら。[[佐藤信寛]]（政治家）、[[本堂恒次郎]]（軍医）、[[大島義昌]]（軍人・[[陸軍大将]]、[[子爵]]）等がいる&lt;br /&gt;
* 祖父 [[安倍寛]]（政治家）、[[岸信介]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 大叔父 [[佐藤栄作]]（官僚、政治家・首相）&lt;br /&gt;
* 父 [[安倍晋太郎|晋太郎]]（新聞記者、政治家）&lt;br /&gt;
* 母 洋子（[[岸信介]]長女）&lt;br /&gt;
* 兄 寛信（三菱商事執行役員、妻は[[ウシオ電機]]会長[[牛尾治朗]]の娘）&lt;br /&gt;
* 弟 [[岸信夫|信夫]]（岸家へ養子、政治家）&lt;br /&gt;
* 妻 [[安倍昭恵|昭恵]]（[[森永製菓]]創業家の出身。創業者・[[森永太一郎]]から数えて6代目）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 家庭&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人は[[韓流]]スターや[[韓国ドラマ]]が大好きで[[朝鮮語|韓国語]]までも習得したほどである。[[ファーストレディ]]の親韓的な姿勢は、小泉政権時代に悪化した[[日韓問題|日韓関係]]の改善につながるものと期待された。安倍の首相就任後の訪韓の際にも同行し、その流暢な韓国語で好意的に迎えられた。&lt;br /&gt;
: 昭恵夫人との間に子供はいないが、[[ダックスフント|ミニチュアダックスフント]]の愛[[イヌ|犬]]・ロイがいる。ロイは安倍が[[首相官邸]]に引っ越す際に、安倍夫妻の環境の変化への不安を理由に、私邸で留守番をすることになった（現在も留守番中）&amp;lt;ref&amp;gt;「安倍首相夫妻、公邸へ 昭恵さん、内装リフォーム-知りたい!」[[毎日新聞]] 2006年11月25日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。ロイはこのことが非常に辛いようである&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://akie-abe.jp/index.php?ID=28|title=「週末」|author=安倍昭恵|work=安倍昭恵のスマイルトーク|date=2007-02-05|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} ロイの写真あり&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 岸信夫&lt;br /&gt;
: 実弟の[[岸信夫]]が[[第20回参議院議員通常選挙]]に立候補した際、安倍は秘書に対して岸の出馬に反対する発言をしたと報道された&amp;lt;ref&amp;gt;松田賢弥「安倍晋三『空虚なプリンス』の血脈」『[[週刊現代]]』[[講談社]]、[[2006年]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;。当時の秘書は「虚偽の事実を書かれ、地元での声望は地に落ちた」&amp;lt;ref name=asahi20080327&amp;gt;{{Cite web|date=2008-03-27|url=http://www.asahi.com/national/update/0327/SEB200803270010.html|title=asahi.com：安倍前首相の元秘書の請求棄却　週刊現代名誉毀損訴訟 - 社会|publisher=[[朝日新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[3月27日]]|accessyear=[[2008年]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;として筆者であるジャーナリストの[[松田賢弥]]を訴えたが、[[山口地方裁判所]]下関支部は「原告の発言内容がおおむねその通りに掲載されている」&amp;lt;ref name=asahi20080327/&amp;gt;として秘書の訴えを棄却した。&lt;br /&gt;
; 系譜&lt;br /&gt;
: 安倍家は、山口県大津郡日置村（後に油谷町に分割→現[[長門市]]）の大[[地主]]であり[[酒]]や[[醤油]]の[[醸造]]を営んでいた。祖父の[[安倍寛]]が日置村村長、山口県議会議員などを経て、1937年、衆議院議員に当選し政治一家となった&amp;lt;ref&amp;gt;『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』 216-217頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 「[[共同通信社]]」出身のジャーナリスト[[古沢襄]]によると、安倍晋太郎は自分たち安倍家の[[ルーツ]]は岩手県（[[安倍氏 (奥州)]]）であり、[[安倍宗任]]の末裔だと言っていたという。安倍宗任は[[1051年]]の[[前九年の役]]にて[[源頼義]]、[[源義家]]率いる[[源氏]]に破れ、[[大宰府]]に配流された奥州（[[陸奥国]]）の[[豪族]]である。『閨閥 改訂新版 &amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』216-217頁に｢家系図をひもとくと安倍家は、[[鎌倉時代]]以前の奥州征伐などで名高い[[阿倍比羅夫]]、[[前九年の役]]の[[安倍貞任]]にまで繋がる歴史ある[[名門]]である｣とある。安倍家の元[[家政婦]]は東北地方に飛び、安倍一族の関係地と言われた地域の市町村役場などを丹念に回りながら、各地に古くから伝わる[[家系図]]を調べ歩いた。その結果、[[油谷町]]に住み着いた一族が[[安倍宗任|宗任]]の流れをくむ者たちであること､[[青森県]][[五所川原]]の石搭山･荒覇吐(あらはがき)神社に始祖である宗任が眠っているらしいことを調べ上げた。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は[[昭和]]62年（[[1987年]]）7月末､出馬表明した総裁選の全国遊説の折､妻洋子と[[安倍晋三|晋三]]夫妻を伴い同神社に出向き、先祖供養を果たした。なお案内役を兼ねて晋太郎たちに同行したのが画家の[[岡本太郎]]であり、岡本もまた安倍一族の流れをくむ一人として、自らのルーツに関心を持って調べたことがあったという&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　41-44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[平成]]元年（1989年）に発刊された『安倍一族』(盛岡タイムス社編纂)という一冊に晋太郎は『わが祖は「[[安倍宗任|宗任]]」』と題する､次の序文を寄せている。“[[安倍宗任|宗任]]より四十一代末裔の一人として自分の志した道を今一度省みながら華咲かしてゆく精進を続けられたら､と願うことしきりです”&amp;lt;ref&amp;gt;『気骨　&amp;lt;small&amp;gt;安倍晋三のDNA&amp;lt;/small&amp;gt;』　44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。但し、安倍晋三にとり女系の祖先にあたり、父系は[[平氏]]であり平知貞の系譜をひく。平家滅亡により子孫の迫害を恐れ女系の安倍姓を称したという。また、母方の祖父　岸信介、[[佐藤栄作]]兄弟は源義経の郎党　[[佐藤忠信]]の末裔とされる&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.kajika.net/furusawa/20060709-2.htm|title=安倍宗任と安倍晋三|author=古沢襄|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}} &amp;lt;/ref&amp;gt;。[[家紋]]は「丸に立梶の葉」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏昭和天皇━━━━━━━━━今上天皇&lt;br /&gt;
　　　　明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　┏彬子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　麻生太賀吉　　┃　　　　　┗瑶子女王&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┏信子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┗麻生太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏和子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田茂━━━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗桜子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　吉田祥朔　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━吉田寛&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏さわ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┏寛子（栄作夫人）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤松介━━┫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　┗正子&lt;br /&gt;
佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃（池上）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣佐藤作造&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗茂世　　　　　安倍晋太郎　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━┳佐藤市郎　　┣━━━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　┃　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（佐藤）┃　┃（岸）　　　┃　　　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助　┣佐藤信介━━洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　岸要蔵━━┫　　　　┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　┗佐藤信二&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━━良子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（信介夫人）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt; &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┏岸秀助━━岸信介━━━┳岸信和&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　┗洋子&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　岸要蔵━┫　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┏安倍寛信&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┗岸信政━良子　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━╋安倍晋三&lt;br /&gt;
　　　　　　大島義昌━秀子　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　本堂恒次郎━静子　　　　　　　　　　　┃　　┃&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃　　　　　　　　　　　　┃　　┗岸信夫&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┣━━━━━━━━━━安倍晋太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
　　　安倍慎太郎……安倍彪助━安倍寛&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『吾が心は世界の架け橋－安倍[[外交]]の全記録』 ([[安倍晋太郎]]外交対象, [[新外交研究会]], [[1992年]]4月)&lt;br /&gt;
* 『この国を守る決意』（[[岡崎久彦]]との共著 [[2004年]]1月 [[扶桑社]] ISBN 4-594-04331-3&lt;br /&gt;
* 『安倍晋三対論集 [[日本]]を語る』 （[[PHP研究所]] [[2006年]]4月 ISBN 4569643639）&lt;br /&gt;
* 『美しい国へ』（[[文藝春秋]] [[2006年]]7月 ISBN 4166605240）&lt;br /&gt;
* 『日中対話 言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える -- [[有識者]]の主張』 （[[言論NPO]] [[2006年]]12月 ISBN 9784903743011）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[佐藤朝泰]]『豪閥　地方豪族のネットワーク』（[[学研ホールディングス|立風書房]]、2001年、75頁）&lt;br /&gt;
*[[神一行]]『閨閥　改訂新版　&amp;lt;small&amp;gt;特権階級の盛衰の系譜&amp;lt;/small&amp;gt;』（[[角川書店]]、2002年、62、212-228頁）&lt;br /&gt;
*[[野上忠興]]『気骨　安倍晋三のDNA』（[[講談社]]、2004年）　&lt;br /&gt;
*[[山際澄夫]]『安倍晋三と「宰相の資格」』（[[小学館]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[大下英治]]『安倍家三代』（[[徳間書店]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[水島愛一朗]]『安倍晋三の人脈』（[[グラフ社]]、2006年）&lt;br /&gt;
*[[俵義文]]・[[魚住昭]]・[[横田一]]・[[佐高信]]・『[[週刊金曜日]]』取材班『安倍晋三の本性』（株式会社[[金曜日]]、2006年、ISBN 4906605206）&lt;br /&gt;
*[[上杉隆]]『官邸崩壊』（[[新潮社]]、2007年 ISBN 4103054719）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[n:安倍改造内閣が発足|安倍改造内閣が発足]]&lt;br /&gt;
*[[n:退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明|退陣論ある中、続投への決意 - 10日、安倍首相・所信表明]]&lt;br /&gt;
*[[n:安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後|安倍首相、辞任の意向を表明 - 所信表明直後]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
* [[安倍内閣]]&lt;br /&gt;
* [[安倍改造内閣]]&lt;br /&gt;
* [[美しい国]]&lt;br /&gt;
* [[再チャレンジ]]&lt;br /&gt;
* [[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]&lt;br /&gt;
* [[安晋会]]&lt;br /&gt;
* [[真の人権擁護を考える懇談会]]&lt;br /&gt;
* [[重光昭夫]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://tokyo.s-abe.or.jp/ あべ晋三]公式サイト&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/abesouri/index.html 歴代内閣情報（HP開設以降）：安倍総理] - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/010426/19abe.html 安倍晋三略歴]（内閣官房長官時代のもの） - 首相官邸&lt;br /&gt;
* [http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/90.html 歴代総理の写真と経歴] - 首相官邸&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}} &lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|JPN}} [[内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[小泉純一郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第90代：2006年 - 2007年&lt;br /&gt;
| after  = [[福田康夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|JPN}} [[内閣官房長官]]&lt;br /&gt;
| before = [[細田博之]]&lt;br /&gt;
| years  = 第72代：2005年 - 2006年&lt;br /&gt;
| after  = [[塩崎恭久]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党総裁]]&lt;br /&gt;
| before = [[小泉純一郎]]&lt;br /&gt;
| years  = 第21代 : 2006年 - 2007年&lt;br /&gt;
| after  = [[福田康夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[山崎拓]]&lt;br /&gt;
| years  = 第37代 : 2003年 - 2004年&lt;br /&gt;
| after  = [[武部勤]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[安倍内閣|90]]&lt;br /&gt;
|在任期間=2006年 - 2007年&lt;br /&gt;
|前代=[[第3次小泉改造内閣|89]]&lt;br /&gt;
|前首相名=小泉純一郎&lt;br /&gt;
|次代= 91&lt;br /&gt;
|次首相名=福田康夫}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あへしんそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:長門市]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:公害]]&lt;br /&gt;
[[Category:小泉毅の爪の垢を飲ませたい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;br /&gt;
[[Category:犯罪予備軍]]&lt;br /&gt;
[[Category:基地外]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:悪魔]]&lt;br /&gt;
[[Category:鬼畜]]&lt;br /&gt;
[[Category:粘着マニア]]&lt;br /&gt;
[[Category:野田憲太郎]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:池沼]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:落ちこぼれ]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:厨房]]&lt;br /&gt;
{{Lifetime|1954||あへ しんそう}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=Knua&amp;diff=83370</id>
		<title>Knua</title>
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				<updated>2010-04-04T11:38:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''Knua'''は、[[岐阜県]]在住（本当は別との説もあるが）の[[ウィキペディアン]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==編集傾向==&lt;br /&gt;
[[学校]]とかにおけるいじめなどの問題を取り上げた記事においてまるで加害者を簡単に許すかのように加害者が反省の色を見せないだの学校側が隠蔽体質だのといった書き込みを'''出典の有無問わず主観だと切り捨てて'''削除するといういじめなどの諸問題を真剣に考えるという感覚が途轍もなく貧弱でお人よしな利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この傾向は自分の地元である岐阜県の学校関係の記事とかで特に顕著に現れる（[[瑞浪市立瑞浪中学校]]で某陰湿事件があった時や、[[中津川市立第二中学校]]の実態を暴露した記事に対してもこのスカタンはWikiの同校のページで散々ふざけた暴走をぶちかましていた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の地元で起こったいじめ事件ならなお重大に考えなければならないにも関わらずである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
指摘するととぼけるわ、開き直るわ、言い訳ばかり並べるわでなおタチが悪い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつに言わせたらこういったいじめ事件などで上記のように加害者が平然としていただの学校側が隠蔽体質などといった報道は片っ端からデタラメらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加害者の人間性や被害者の被害感情をここまで甘い目で見てるようではそのうち自分で自分の首を絞める事になるであろう。'''あ、もう既に絞めまくってるか。ギャハハハハハ・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他人物像==&lt;br /&gt;
もしこいつ自身が教育関係者になって学校内での生徒間でのいじめや[[リンチ]]があった場合、'''絶対ひたすら隠蔽すんぞ。そして岐阜をいじめ推進県にしてしまうぞこのボケナスアホンダラは!!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかもこいつはなんと'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;[[地下鉄サリン事件]]や[[JR福知山線脱線事故]]、[[日航機墜落事故]]、[[土浦市|土浦]]やそしてあの[[秋葉原通り魔事件|秋葉原での通り魔事件]]さえも現実じゃなくて片っ端からフィクションの作り話だと思っている&amp;lt;/span&amp;gt;'''のだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もはや&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;手の施しようの無い平和ボケの大馬鹿野郎及び病的な重大事件風化主義者&amp;lt;/span&amp;gt;である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記のような度重なる不祥事隠蔽編集の報いとして利用者ページを荒らされるも、どっかの管理者にかばわれて天狗っ鼻になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、馬鹿げた編集がたたり、ウィキペディア以外のその他ネット上でも「[[キチガイ]]」と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
良識的な国民はこのバカが[[裁判員]]に選ばれないように神に祈るしかないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;一遍、[[長谷川穂積]]にメタメタのギタギタにぶちのめされて来いや。&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[数字とアルファベットから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧‎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[[wiki:利用者:Knua|Wikipediaに於けるKnuaの利用者ページ]]←ここに於いて奴は「記事の書き方を熟知していて初心者にアドバイスできる。」と小生意気にも豪語してやがる。'''アドバイスするのはこっちの方だろ!!'''&lt;br /&gt;
*[[wiki:Wikipedia:管理者への立候補/Knua 20080502]] - 落選（ただ、こんなのへの賛成票が過半数というのはぞっとする）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:Knua}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;br /&gt;
[[Category:荒らし]]&lt;br /&gt;
[[Category:ガキ]]&lt;br /&gt;
[[Category:厨房]]&lt;br /&gt;
[[Category:ケフカ]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:役立たず]]&lt;br /&gt;
[[Category:低能]]&lt;br /&gt;
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:身の程知らず]]&lt;br /&gt;
[[Category:シロアリ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A9%82%E7%A9%8D%E3%81%AB%E4%B8%80%E9%81%8D%E3%81%A9%E3%81%A4%E3%81%8D%E5%9B%9E%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%96%B9%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%84%E4%BA%BA%E7%89%A9&amp;diff=83367</id>
		<title>カテゴリ:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A9%82%E7%A9%8D%E3%81%AB%E4%B8%80%E9%81%8D%E3%81%A9%E3%81%A4%E3%81%8D%E5%9B%9E%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%96%B9%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%84%E4%BA%BA%E7%89%A9&amp;diff=83367"/>
				<updated>2010-04-04T11:32:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: 新しいページ: '一遍、長谷川穂積にボコボコのメタメタにどつき回された方が自分の為になる人物に関するカテゴリ Category:蛆虫 [[Category:チ...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;一遍、[[長谷川穂積]]にボコボコのメタメタにどつき回された方が自分の為になる人物に関するカテゴリ&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%8F%B2%E9%83%8E&amp;diff=83078</id>
		<title>亀田史郎</title>
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				<updated>2010-04-02T04:44:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 長男の世界フライ級初防衛戦にて */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''亀田史郎'''（かめだ しろう、[[1965年]][[5月22日]] - ）は、元協栄ジム所属の[[ボクシング]]トレーナー。[[亀田三兄弟]]の父親にして、三匹のボクシングの指導者。[[雑誌]]や[[スポーツ新聞]]等では'''「亀父」'''とも表記される。三兄弟がボクサーとしてデビューし、報道における露出が多くなるにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや暴言など言動を巡って、物議を醸している。血液型はB型。身長170cm。亀田家の中でも随一の[[気違い]]であり、彼はいろいろな人物から批判を受けているため、逃げ場はほとんど無いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[兵庫県]][[姫路市]]生まれ、[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]育ち。&lt;br /&gt;
本人曰く中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と発言している。地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。&lt;br /&gt;
プロボクサーを目指し、進光ジム（現[[新日本大阪ジム]]）に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚するが、のちに子どもたちの教育方針をめぐり2003年に離婚し、子供を引き取る。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、[[空手]]などの[[格闘技]]の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ（特に[[東京放送|TBS]]、[[デイリースポーツ]]）が父親と三兄弟に密着していた。現在は「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」ということで、東京都葛飾区在住。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元[[大関]][[琴風豪規|琴風]]（尾車親方）のファンであり、長男の[[亀田興毅|興毅]]の名は彼の現役時代の四股名「琴風豪規」にちなんでいる。ロックバンド「[[T-BOLAN]]」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、[[2006年]][[8月2日]]に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 指導方法とボクシングスタイル ==&lt;br /&gt;
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせたる!」と公言してはばからず、以下のようなボクシング指導を行っていると伝えられる。&lt;br /&gt;
* 「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎が[[銛|モリ]]や[[箒|ホウキ]]の先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度もモリが刺さり、流血した。&lt;br /&gt;
* 「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの&lt;br /&gt;
* 「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる[[畳]]を殴った方がパンチが強くなるとの理論&lt;br /&gt;
* 「丸太スクワット」&lt;br /&gt;
* 「しごき棒」&lt;br /&gt;
* 「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。[[視力|動体視力]]の特訓になるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」「基本を理解していない」「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」「スポーツ科学の知識はあるのか」「精神論だけだ」などの批判を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見も一部ではあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績があると主張する者もいるが、対戦相手にプロライセンスすら持っていなかった選手がいたことや、反則行為での勝利については言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー[[渡部信宣]]は、リングネームを「[[牛若丸あきべぇ]]」に変えて、弟子入りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボクシングスタイルとしては、フットワークを使わずガードを固め、常に前進し続ける。フットワークを使わず頭部のみ防御し、[[ボディ]]の防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。退屈でつまらないスタイルとの評価もあり、ガードを固めてポイント稼ぎをする消化不良の試合とメディアに書かれることも多い。またバッティングも頻繁に起こることから、このスタイルに対しての批判も多い。&lt;br /&gt;
現在、[[亀田興毅]]と[[亀田和毅]]は亀田ジムを離れて別のトレーナーから指導を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この亀田流ファイトスタイルに関しては「[[ジャブ]]を打たなさすぎる」「後ろに下がらなさすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無いとの声もあるが、亀田興毅及び亀田大毅の試合では亀田側による[[バッティング]]や[[ローブロー]]などが異常なまでに多発していることから、このスタイルにたいして批判が多い。フットワークは使わず常にガードをして前進するため、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスを固めている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 亀田興毅世界王者決定後の論争 ==&lt;br /&gt;
長男興毅が[[2006年]][[8月2日]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]ライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、'''亀田史郎に対する'''特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。多くの人が「安いドラマだ」と批判したように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[8月7日]]の[[テレビ朝日]]『[[スーパーモーニング]]』に生出演した際、[[やくみつる]]が史郎に[[仕付け糸]]を渡し「これで亀（ここでは息子の興毅とされている）を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「[[躾け]]」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
放送当時のもう一人のコメンテーターである[[ガッツ石松]]も7点差でランダエダの勝ちだったと語っていた。また、試合前日の計量時に[[ファン・ランダエタ]]が亀田興毅に[[おむつ]]とおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式（フェイス・オフ）は、話題作りのためのショーアップ（挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など）の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるという[[マッチポンプ]]状態がいつまでも続いている。これはWBAや[[世界ボクシング評議会|WBC]]といった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、過去にWBCフライ級王者[[ポンサックレック・グラティンデーンジム]]から対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の[[内藤大助]]に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある（他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても対戦拒否といった選択を行っている）。これに対し亀田陣営はそれほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなど言っていたが、世界王者、日本王者などからの対戦要求も回避してきたことから、この亀田陣営の言い訳は明らかに矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[9月27日]]に行われた次男[[亀田大毅|大毅]]のプロ第6戦において、判定について、観客から批判の言葉があったことに対して、&amp;lt;!--ヤジ、罵声という意見もあるが、その場面の動画や音声が現在確認出来ないため、直接現場にいた人の意見を採らせて頂きました//--&amp;gt;周囲の一部の亀田ファンが猛反発、[[恫喝]]を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、その場に亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[http://boxing12.exblog.jp/d2006-09-28/]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は[[未遂]]で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない（事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた）公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で観客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく非難を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも「行動があまりに幼稚」「本当に子供のことを考えているのか」「それでも大人か」「人間性のかけらもない」「ボクシング業界からさっさと身を引くべき」「ライセンスを剥奪しろ」といった批判も多く寄せられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、あまりに騒ぎが大きくなったため、会場となった[[後楽園ホール]]の所轄である[[警視庁]][[富坂警察署]]が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいた者たちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この騒動に対しては、[[日本ボクシングコミッション]]（JBC）が13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レフェリーに対する暴言騒動 ==&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月24日]]亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰&amp;lt;ref&amp;gt;JBC試合役員会会長。浦谷は審判歴約20年、裁いた試合数は一万試合を超えるベテランであり、そのジャッジ内容がWBCにおけるビデオ教材としても採用されているほどの審判。&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して暴言を吐き、試合役員会はこれに激怒。史郎に'''「恫喝や脅迫とも受け取れる。史郎氏の謝罪がなければ、史郎氏がかかわる試合への役員派遣を拒否する」'''など、ライセンス停止を含む厳正な処分を処分を求める要望書をJBCに提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この問題は5R終了間際に興毅が奪ったダウンで浦谷が試合を止めなかったことや、興毅がバッティングを注意されたことに史郎氏が抗議したことによる。史郎は'''「何で5Rのダウンで止めんねや。（バッティングを注意され）亀田だけのルールを作んな!」'''と反則行為にも関わらず強い口調でレフェリーにと詰めより、関係者に制止されると'''「今度はきちんとボクシングが分かる人間にやってもらわな」'''などの暴言を吐いたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
協栄ジム[[金平桂一郎]]会長は「本人のサインを添えた謝罪文をJBCに提出する」と表明、同年[[4月16日]]に史郎は謝罪文をJBC役員会に提出。JBCは史郎と金平会長に対し「言動注意」を文書で通達。さらに'''「今度問題を起こした場合、今後史郎氏が関わる試合全てに役員を一切派遣しない」'''事を通告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし史郎本人への処分は一切無く、口頭での厳重注意のみに留まっている。このことから「処分が軽すぎるのではないか」「何故ライセンスを剥奪しないのか」「JBCの対応は甘すぎる」といった批判が出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、史郎は当初「役員会？ 知らん、何も知らん。関係ないやろっ！」と沈黙を通していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 内藤大助対亀田大毅戦にて ==&lt;br /&gt;
2007年10月11日に行われた[[内藤大助]]対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトル戦では、リング上で相手に罵声を浴びせて威嚇するなどの場面があったほか、試合後半から終盤にかけて、大毅に対して、'''「玉打ってええから」'''&amp;lt;ref name=&amp;quot;サンスポ 2007年10月17日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.sanspo.com/fight/top/f200710/f2007101706.html| title =金平会長厳命！条件守らなければ亀田一家解雇も| publisher = [[サンスポ]]| accessdate = 10月18日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と明確に反則とわかる指示を出し、兄の興毅も「ヒジでエエから目に入れろ」&amp;lt;ref name=&amp;quot;ZAKZAK 2007年10月12日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_10/s2007101204_all.html| title =“最低最悪ファミリー”亀田家、反則指示してた!| publisher = [[ZAKZAK]]| accessdate = 10月12日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;などと声をかけていることが、TBSの全国生中継で報道された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、｢投げろ投げろ！｣などの指示も12ラウンド中に聞かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、それを確認した視聴者などからTBSに、12日午前9時までの約半日の間に電話857件、電子メール628通もの抗議が届いた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071012/mrt0710121200003-n1.htm|title =“TBS炎上” 「亀田寄り」と苦情殺到|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;JBCにも非常に多数の抗議・問い合わせが集中し、12日、倫理委員会を15日に開き史郎を含めた亀田一家を処分を検討することを決めた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000014-yom-spo|title =“「急所狙え」亀田父子処分へ…JBC倫理委|publisher = [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12Rの「レスリング行為」による減点3は日本のボクシングタイトルマッチでは前代未聞の出来事であり、一連反則行為について15日の倫理委員会でJBCは、史郎トレーナーのセコンドライセンスの無期限停止を決定した。その他、所属する協栄ジムの金平桂一郎会長に3カ月のクラブオーナーライセンスの停止、セコンドについた長男・興毅に厳重戒告、次男・大毅に1年のライセンス停止の処分を決定した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071015/mrt0710151639005-n1.htm|title =亀田父、ライセンス無期限停止 大毅はライセンス停止1年、興毅は厳重戒告|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対する謝罪会見を開いたが、自分は反則行為を指示していないが、そう聞こえたなら何も言いませんと頑なに語っており、反則行為は[[亀田大毅]]の自発的な行為であるとの主旨を突き通した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曖昧な謝罪会見に世間から一層の批判を買い、その後、二度目の謝罪会見を開くことになった。&amp;lt;br/&amp;gt;しかし亀田史郎は出席せず、息子の亀田興毅が代わりに謝罪した。亀田史郎自身は所属ジムである協栄ジムを辞職しボクシング界での一切の活動を行わないことを宣言した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://www.sanspo.com/sokuho/071026/sokuho003.html| title =“亀田興毅が謝罪会見　父史郎氏は辞任| publisher = [[サンケイスポーツ]]| accessdate = 10月26日| accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==興毅の世界フライ級初防衛戦にて==&lt;br /&gt;
2010年3月27日に行われたポンサクレック・ウォンジョンカムと興毅の初防衛戦で、判定で完敗して興毅は王座から陥落するが、判定に不服を覚えた史郎は、この世界戦でWBCのスーパーバイザーを兼務したJBC事務局長の安河内剛、主審、もう1人のWBCスーパーバイザーの3人を自分たちの控え室に呼びつけて判定について&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;「'''おどれのクビをとってやる。おまえオレを怒らせたら、もう終わりじゃ！'''」&amp;lt;/span&amp;gt;と恫喝し、'''机を叩いたり、椅子を蹴るなどして大暴れ'''した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/03/post_4192.html 「クビとったるぞ！」JBC事務局長を恫喝した亀田父・史郎氏に協会が処分検討 日刊サイゾー]&amp;lt;/ref&amp;gt;。そして安河内は史郎のホテルに説得に向かった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010032800007 亀田陣営、減点に激怒＝ボクシング世界戦] 時事ドットコム 2010年3月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* 元々ボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制したものである。自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め! 自分で働いて飯食え!出て行け!」と家の外に放り出し、食事も与えないという[[児童虐待]]を行っていた。「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。（自伝より）&lt;br /&gt;
* 教育については独自の考えがあるが、中学生である三男の[[亀田和毅|和毅]]を学校に登校させていない。これは、[[日本国憲法]]で規定された教育を受けさせる義務（[[義務教育]]）を怠っている。プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。これは親である史郎の責任である（就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない）。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。&lt;br /&gt;
* 既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは[[週刊文春]]や[[週刊新潮]]などのみである。不自然な言動をいつまでも続けていてはいけない。&lt;br /&gt;
* 魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[8月25日]]、[[フライデー]]にて[[暴力団]]関係者と会食している姿が撮られる。本当に暴力団である可能性もある。&lt;br /&gt;
* 愛車は[[クライスラー]]300Cである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『闘育論―亀田流三兄弟の育て方』[[創美社]], 2006年, 187p. ISBN 4420310146&lt;br /&gt;
:作中では、インチキで息子を[[ミニ四駆]]レースで勝たせたなど過激な内容が話題を呼んだ。どうやれば、亀田三兄弟のような優秀な子供を育てられるか教えてくれる名著である。亀田家誕生のルーツを知る為には欠かせない本でもある。[[Amazon]][[レビュー]]では、星一つのレビューに「参考になった票」が1000票を超えて入るなど、絶大に支持されている。[[ゴースト]]さん、お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※ここで「闘育論」と書かれているのは、「TOEIC論」の間違いだと思われる。&lt;br /&gt;
　修正を希望。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[亀田三兄弟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 補足 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かめたしろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシングの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1965年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:兵庫県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:TBS]]&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
[[Category:暴力団]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%8C%97%E6%BD%9F%E8%B0%B7%E7%B6%9C&amp;diff=83077</id>
		<title>北潟谷綜</title>
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				<updated>2010-04-02T04:37:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: 29歳&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{OTHERUSES|“プロ[[ボクサー]]で[[政治家]]”のソウ|映画のソウ|ソウ (映画)}}{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
[[画像:Soh.jpg|thumb|right|150px|北潟谷綜、{{生年月日と年齢|1980|6|30}} - ]]&lt;br /&gt;
'''北潟谷 綜'''（きたがたや そう、[[1980年]][[6月30日]]生）＝通称'''大場 綜'''（おおば そう）は、“[[日本IBF]]東京事務所・[[国際ボクシング連盟]]日本支部所属の[[バンタム級]]プロボクサー”である。大場綜千代田事務所・代表。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[北海道]]・[[小樽市]]で出生～本籍地＆現住所は[[東京都]]・[[千代田区]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[光市母子殺害事件]]被告・[[福田孝行]]弁護団員を務める弁護士の[[北潟谷仁]]は父親。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
趣味はプロ野球観戦（小学1年から[[中日ドラゴンズ]]の3[[立浪和義]]の大ファン）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
*小樽藤幼稚園卒園、小樽市立花園小学校＆小樽市立菁園中学校卒業&lt;br /&gt;
*[[東京都立九段高等学校]]'''中退'''&lt;br /&gt;
*[[大学入学資格検定]]（現・高校卒業認定資格）経て[[法政大学]]法学部法律学科'''中退'''&lt;br /&gt;
*基本的には社会生活に溶け込むことが出来ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
*[[広末涼子]]や[[西田ひかる]]と交際していたと噂が流れた。&lt;br /&gt;
*酒・たばこ・ギャンブル・夜遊びは一切しないストイックな生活。&lt;br /&gt;
*高校と大学を両方1年で中退している。&lt;br /&gt;
*北海道出身、東京在住でありながら、上述の立浪を意識しまた強面を気取りたいのであろうか、関西弁を使いたがる奇特な性格。&lt;br /&gt;
*某ジム（仮・Ａジム）掲示板で自殺予告騒動を起こし、住人を困惑させる。&lt;br /&gt;
*上記騒動の最中、別のジムの掲示板で「次はこのジムでお世話になります」と書き込み、Ａジム会長の逆鱗に触れる。&lt;br /&gt;
*Ａ会長に注意されたことを逆恨みし、「Ａ会長なんか今の俺でも簡単に倒せる」と吹く。尚、Ａ会長は元世界王者である。&lt;br /&gt;
*某大手ボクシングジム（仮・Ｂジム）掲示板で、関係者を装いＢジム閉鎖疑惑を流す。&lt;br /&gt;
*Ｃジム（会長：元世界王者）、Ｄジム（会長：元日本王者）の会長の奥さんを、女性として侮辱するような中傷をネット中心にあちこちに流す。&lt;br /&gt;
*上記騒動について、大場綜は未だに謝罪しておらず、それどころか「刑法第何条に抵触するんや！？（笑）（笑）」と開き直っている。&lt;br /&gt;
*2010年になってもいまだ2ちゃんねる、複数ボクシングジム掲示板に固執して出没している。いずれの場合も「（笑）」「（苦笑）」と添えるのがお気に入り。&lt;br /&gt;
*ウィキペディアで発言することは殆ど無いが、投稿する際の要約欄で独りごちてみたり自分に呼びかけたりする香ばしい姿が稀に観察される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 嫌いなもの及び人物 ===&lt;br /&gt;
*[[カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
*[[2ch]]&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ソウとウィキペディア ==&lt;br /&gt;
2009年後半からは[[ウィキメディア財団]]への寄付を始めたこともあって無能な管理者連中からも一目を置かれ存在を暗黙裡に公認される様になった。{{WikiUser2|Highmade}}のアカウントはさすがに目に余る編集を繰り返したため、2010年1月3日 (日) 06:37に無期限ブロックされたものの、それまでの通算編集回数1,413回を誇り、管理者立候補を期待される程の存在となった。その後、{{WikiUser2|Ordermade}}のアカウントでボクシングと野球関係の項目にいたずらを繰り返し、これも2010年3月16日 (火) 21:28 に無期限ブロックされた。だが、今やソウは[[ウィキメディア財団]]に寄付する様になった事でウィキペディアにおけるあらゆる権力を跪かせ、まず滅多な事ではブロックされる事の無い利用者として神格化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:新日本木村ボクシングジム|新日本木村ボクシングジム]]においては、全編集回数三百足らずのうち、Highmade (142) のアカウントの他、主に{{WikiIPuser2|202.212.111.145}} (44)、{{WikiIPuser2|60.38.42.137}} (14)、{{WikiIPuser2|210.128.237.110}} (11) の3種のIPを使用したソウの編集が計二百数十余にも上った[http://ja.wikichecker.com/article/?a=新日本木村ボクシングジム]（2010年1月21日現在）。しかも編集回数上位5名のうちの残る1名である{{WikiIPuser2|利用者:125.175.64.100}} (14) は、2005年1月25日付でindefiniteブロックされた{{WikiUser2|Project}}の類似ユーザー群の1人でもあった。この項目は2010年1月頃、ソウ公式ウェブサイトにも似た様相を呈して混迷を極め、やがてはソウの当初の目論見通りに白紙保護の措置をとられる可能性もあったが、ソウが突然のスタミナ切れを起こしてページの白紙化という反則行為を犯すなどしているうちに、ウィキペディアで正常とされる記事レベルを回復した。&lt;br /&gt;
&amp;lt;aa&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　∩＿＿＿∩　　　　　 　　　　　　/ﾞﾐヽ､,,___,,／ﾞヽ&lt;br /&gt;
　　　　　| 丿　　　　　ヽ　　　　　　　　　　i ノ　　 　 　 ｀ヽ'&lt;br /&gt;
　　　　/　　(ﾟ)　　　(ﾟ)　 |　　　　　　　　　 /　｀ (ﾟ)　 　(ﾟ)´i､&lt;br /&gt;
　　　　|　U　　( _●_) 　ミ　　　 　　　　 彡,U　ミ(__,▼_)彡ミ&lt;br /&gt;
　　　彡､　　∪|∪|　,,/　　　　　　 　　　,へ､,　　 |∪|　∪/ﾞ&lt;br /&gt;
　　　/　　ヽ　　ヽノ 　ヾ_,,..,,,,_ 　 　　 　_,,..,,,,_ '　　ヽノ ｀/´ ヽ&lt;br /&gt;
　　　|　　∪　　　ヽ　../ ,' 3　 `ヽｰっ / ,' 3　 `ヽｰっ　/　 ∪|&lt;br /&gt;
　　 │.　　 ヾ　　　 ヾl　　 ⊃　⌒_つ.l　　 ⊃　⌒_つノ　　　│&lt;br /&gt;
　　 │ 　　 　＼,,＿__`'ｰ-⊃‐'''''&amp;quot;　　`'ｰ-⊂'''''&amp;quot;＿＿,,,ノ,　　|&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　↑　　　　　　　↑&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　××ﾎﾞｸｼﾝｸﾞｼﾞﾑ　××ﾌﾟﾛﾓｰｼｮﾝ&lt;br /&gt;
&amp;lt;/aa&amp;gt;&lt;br /&gt;
現在、ウィキペディアでは「[[wiki:北潟谷綜|北潟谷綜]]」だけでなく、「[[wiki:大場綜|大場綜]]」も白紙保護されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治家ソウ ==&lt;br /&gt;
[[弁護士]]の実父の影響で小学生から政治に関心が有る。現在は[[自由民主党_(日本)|自民党]][[党友]]組織[[自由国民会議]]会員、[[稲田朋美]]命の右翼政治家（一般に、名乗る人間は絶対に認めないが、「保守派」は'''[[右翼]]と同義'''である）。が、'''日本のどこの議会にも議席は保持していない'''。2009年現在29歳でありながら「被選挙権が無いのだから議席がないのは当然」と主張（編集履歴参照）。当人は京都府知事以外の公職をやる気はないらしいが府民でもない・碌な業績もないのに支持されるかは大いに疑問である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[維新政党・新風]]の党員であったが除籍。自身の公式ウェブサイト及びブログ上に新風の肩書きを掲載した上で、[[議員]]の[[殺害]]計画や[[精神病院]]への[[措置入院]]歴をも掲載していた。この問題を指摘された維新政党・新風東京都本部代表[[鈴木信行]]はソウと話し合いを持ち、これらの記述を削除するように求めたがソウは拒否、その結果ソウは新風を除籍となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[キチガイ新風]]の役員等には、[[イオンド大学]]の教授が多数いることは周知の事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ボクサー・ソウ ==&lt;br /&gt;
小学生の頃から元WBA世界フライ級チャンピオン[[大場政夫]]や[[八尋史朗]]に憧れ、また[[高橋陽一]]原作ボクシング漫画「[[CHIBIーチビ]]」を読んで感動し、プロボクシングを志したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
身長172cm・リーチ180cm・体重55kg。“おそらく[[名城信男]]及び[[長谷川穂積]]に勝てる唯一のボクサーであろう”と自画自賛。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[亀田興毅]]とスパーリングをしたことがあり、三回ダウンさせたと自称。それ以来、亀田は、ソウのジムに来なくなったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[ボクシング]]ルールなら[[魔裟斗]]くらいは、間違いなく秒殺出来る」と嘯く。（体重20kg差も関係なし）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[五味隆典]]の師匠を自称しているが、五味はそのことすら知らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[利用者:ソウ|本人の利用者ページ]]&lt;br /&gt;
*[[日本IBF]]（休眠状態）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.soh-ohba.com 大場綜ウェブサイト]&lt;br /&gt;
*[http://ansaikuropedia.org/wiki/Talk:%E3%82%BD%E3%82%A6 キチガイの因縁] &lt;br /&gt;
*[http://ansaikuropedia.org/index.php?title=Special%3ALog&amp;amp;type=delete&amp;amp;user=&amp;amp;page=%E3%82%BD%E3%82%A6&amp;amp;year=&amp;amp;month=-1 キチガイに削除された] &lt;br /&gt;
*[http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mayor/1213645842/l50 【京都府知事選】北潟谷綜【稲田朋美命】]（2ちゃんねる「地方自治・知事」板）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きたかたやそう}}&lt;br /&gt;
[[Category:1980年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシング]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の政治運動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の右翼活動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアに書くと削除される記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソウ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%8F%B2%E9%83%8E&amp;diff=82920</id>
		<title>トーク:亀田史郎</title>
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				<updated>2010-03-31T16:33:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: サイン&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ソウでもコウチヤマでもええけど、Wikipediaの亀田史郎の記事、サイゾーのタイトルが3箇所もちごとるで。自分で直そうおもてアカウントとったけど、保護されててできひんから頼むわ。&lt;br /&gt;
ソウとコウチヤマ先々週のノンタイトル興行で一緒におったやろ。--[[利用者:撲殺天使|撲殺天使]] 2010年4月1日 (木) 01:33 (JST)&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

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		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%8F%B2%E9%83%8E&amp;diff=82919</id>
		<title>トーク:亀田史郎</title>
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				<updated>2010-03-31T16:22:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: 新しいページ: 'ソウでもコウチヤマでもええけど、Wikipediaの亀田史郎の記事、サイゾーのタイトルが3箇所もちごとるで。自分で直そうおもてアカ...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ソウでもコウチヤマでもええけど、Wikipediaの亀田史郎の記事、サイゾーのタイトルが3箇所もちごとるで。自分で直そうおもてアカウントとったけど、保護されててできひんから頼むわ。&lt;br /&gt;
ソウとコウチヤマ先々週のノンタイトル興行でいっしょにいたやろ。--撲殺天使&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%8F%B2%E9%83%8E&amp;diff=82918</id>
		<title>亀田史郎</title>
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				<updated>2010-03-31T16:15:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: /* 長男の世界フライ級初防衛戦にて */ 一緒行動ちゃうねんな&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''亀田史郎'''（かめだ しろう、[[1965年]][[5月22日]] - ）は、元協栄ジム所属の[[ボクシング]]トレーナー。[[亀田三兄弟]]の父親にして、三匹のボクシングの指導者。[[雑誌]]や[[スポーツ新聞]]等では'''「亀父」'''とも表記される。三兄弟がボクサーとしてデビューし、報道における露出が多くなるにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや暴言など言動を巡って、物議を醸している。血液型はB型。身長170cm。亀田家の中でも随一の[[気違い]]であり、彼はいろいろな人物から批判を受けているため、逃げ場はほとんど無いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[兵庫県]][[姫路市]]生まれ、[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]育ち。&lt;br /&gt;
本人曰く中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と発言している。地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。&lt;br /&gt;
プロボクサーを目指し、進光ジム（現[[新日本大阪ジム]]）に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚するが、のちに子どもたちの教育方針をめぐり2003年に離婚し、子供を引き取る。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、[[空手]]などの[[格闘技]]の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ（特に[[東京放送|TBS]]、[[デイリースポーツ]]）が父親と三兄弟に密着していた。現在は「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」ということで、東京都葛飾区在住。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元[[大関]][[琴風豪規|琴風]]（尾車親方）のファンであり、長男の[[亀田興毅|興毅]]の名は彼の現役時代の四股名「琴風豪規」にちなんでいる。ロックバンド「[[T-BOLAN]]」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、[[2006年]][[8月2日]]に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 指導方法とボクシングスタイル ==&lt;br /&gt;
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせたる!」と公言してはばからず、以下のようなボクシング指導を行っていると伝えられる。&lt;br /&gt;
* 「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎が[[銛|モリ]]や[[箒|ホウキ]]の先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度もモリが刺さり、流血した。&lt;br /&gt;
* 「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの&lt;br /&gt;
* 「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる[[畳]]を殴った方がパンチが強くなるとの理論&lt;br /&gt;
* 「丸太スクワット」&lt;br /&gt;
* 「しごき棒」&lt;br /&gt;
* 「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。[[視力|動体視力]]の特訓になるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」「基本を理解していない」「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」「スポーツ科学の知識はあるのか」「精神論だけだ」などの批判を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見も一部ではあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績があると主張する者もいるが、対戦相手にプロライセンスすら持っていなかった選手がいたことや、反則行為での勝利については言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー[[渡部信宣]]は、リングネームを「[[牛若丸あきべぇ]]」に変えて、弟子入りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボクシングスタイルとしては、フットワークを使わずガードを固め、常に前進し続ける。フットワークを使わず頭部のみ防御し、[[ボディ]]の防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。退屈でつまらないスタイルとの評価もあり、ガードを固めてポイント稼ぎをする消化不良の試合とメディアに書かれることも多い。またバッティングも頻繁に起こることから、このスタイルに対しての批判も多い。&lt;br /&gt;
現在、[[亀田興毅]]と[[亀田和毅]]は亀田ジムを離れて別のトレーナーから指導を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この亀田流ファイトスタイルに関しては「[[ジャブ]]を打たなさすぎる」「後ろに下がらなさすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無いとの声もあるが、亀田興毅及び亀田大毅の試合では亀田側による[[バッティング]]や[[ローブロー]]などが異常なまでに多発していることから、このスタイルにたいして批判が多い。フットワークは使わず常にガードをして前進するため、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスを固めている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 亀田興毅世界王者決定後の論争 ==&lt;br /&gt;
長男興毅が[[2006年]][[8月2日]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]ライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、'''亀田史郎に対する'''特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。多くの人が「安いドラマだ」と批判したように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[8月7日]]の[[テレビ朝日]]『[[スーパーモーニング]]』に生出演した際、[[やくみつる]]が史郎に[[仕付け糸]]を渡し「これで亀（ここでは息子の興毅とされている）を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「[[躾け]]」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
放送当時のもう一人のコメンテーターである[[ガッツ石松]]も7点差でランダエダの勝ちだったと語っていた。また、試合前日の計量時に[[ファン・ランダエタ]]が亀田興毅に[[おむつ]]とおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式（フェイス・オフ）は、話題作りのためのショーアップ（挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など）の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるという[[マッチポンプ]]状態がいつまでも続いている。これはWBAや[[世界ボクシング評議会|WBC]]といった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、過去にWBCフライ級王者[[ポンサックレック・グラティンデーンジム]]から対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の[[内藤大助]]に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある（他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても対戦拒否といった選択を行っている）。これに対し亀田陣営はそれほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなど言っていたが、世界王者、日本王者などからの対戦要求も回避してきたことから、この亀田陣営の言い訳は明らかに矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[9月27日]]に行われた次男[[亀田大毅|大毅]]のプロ第6戦において、判定について、観客から批判の言葉があったことに対して、&amp;lt;!--ヤジ、罵声という意見もあるが、その場面の動画や音声が現在確認出来ないため、直接現場にいた人の意見を採らせて頂きました//--&amp;gt;周囲の一部の亀田ファンが猛反発、[[恫喝]]を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、その場に亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[http://boxing12.exblog.jp/d2006-09-28/]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は[[未遂]]で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない（事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた）公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で観客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく非難を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも「行動があまりに幼稚」「本当に子供のことを考えているのか」「それでも大人か」「人間性のかけらもない」「ボクシング業界からさっさと身を引くべき」「ライセンスを剥奪しろ」といった批判も多く寄せられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、あまりに騒ぎが大きくなったため、会場となった[[後楽園ホール]]の所轄である[[警視庁]][[富坂警察署]]が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいた者たちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この騒動に対しては、[[日本ボクシングコミッション]]（JBC）が13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レフェリーに対する暴言騒動 ==&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月24日]]亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰&amp;lt;ref&amp;gt;JBC試合役員会会長。浦谷は審判歴約20年、裁いた試合数は一万試合を超えるベテランであり、そのジャッジ内容がWBCにおけるビデオ教材としても採用されているほどの審判。&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して暴言を吐き、試合役員会はこれに激怒。史郎に'''「恫喝や脅迫とも受け取れる。史郎氏の謝罪がなければ、史郎氏がかかわる試合への役員派遣を拒否する」'''など、ライセンス停止を含む厳正な処分を処分を求める要望書をJBCに提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この問題は5R終了間際に興毅が奪ったダウンで浦谷が試合を止めなかったことや、興毅がバッティングを注意されたことに史郎氏が抗議したことによる。史郎は'''「何で5Rのダウンで止めんねや。（バッティングを注意され）亀田だけのルールを作んな!」'''と反則行為にも関わらず強い口調でレフェリーにと詰めより、関係者に制止されると'''「今度はきちんとボクシングが分かる人間にやってもらわな」'''などの暴言を吐いたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
協栄ジム[[金平桂一郎]]会長は「本人のサインを添えた謝罪文をJBCに提出する」と表明、同年[[4月16日]]に史郎は謝罪文をJBC役員会に提出。JBCは史郎と金平会長に対し「言動注意」を文書で通達。さらに'''「今度問題を起こした場合、今後史郎氏が関わる試合全てに役員を一切派遣しない」'''事を通告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし史郎本人への処分は一切無く、口頭での厳重注意のみに留まっている。このことから「処分が軽すぎるのではないか」「何故ライセンスを剥奪しないのか」「JBCの対応は甘すぎる」といった批判が出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、史郎は当初「役員会？ 知らん、何も知らん。関係ないやろっ！」と沈黙を通していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 内藤大助対亀田大毅戦にて ==&lt;br /&gt;
2007年10月11日に行われた[[内藤大助]]対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトル戦では、リング上で相手に罵声を浴びせて威嚇するなどの場面があったほか、試合後半から終盤にかけて、大毅に対して、'''「玉打ってええから」'''&amp;lt;ref name=&amp;quot;サンスポ 2007年10月17日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.sanspo.com/fight/top/f200710/f2007101706.html| title =金平会長厳命！条件守らなければ亀田一家解雇も| publisher = [[サンスポ]]| accessdate = 10月18日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と明確に反則とわかる指示を出し、兄の興毅も「ヒジでエエから目に入れろ」&amp;lt;ref name=&amp;quot;ZAKZAK 2007年10月12日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_10/s2007101204_all.html| title =“最低最悪ファミリー”亀田家、反則指示してた!| publisher = [[ZAKZAK]]| accessdate = 10月12日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;などと声をかけていることが、TBSの全国生中継で報道された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、｢投げろ投げろ！｣などの指示も12ラウンド中に聞かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、それを確認した視聴者などからTBSに、12日午前9時までの約半日の間に電話857件、電子メール628通もの抗議が届いた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071012/mrt0710121200003-n1.htm|title =“TBS炎上” 「亀田寄り」と苦情殺到|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;JBCにも非常に多数の抗議・問い合わせが集中し、12日、倫理委員会を15日に開き史郎を含めた亀田一家を処分を検討することを決めた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000014-yom-spo|title =“「急所狙え」亀田父子処分へ…JBC倫理委|publisher = [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12Rの「レスリング行為」による減点3は日本のボクシングタイトルマッチでは前代未聞の出来事であり、一連反則行為について15日の倫理委員会でJBCは、史郎トレーナーのセコンドライセンスの無期限停止を決定した。その他、所属する協栄ジムの金平桂一郎会長に3カ月のクラブオーナーライセンスの停止、セコンドについた長男・興毅に厳重戒告、次男・大毅に1年のライセンス停止の処分を決定した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071015/mrt0710151639005-n1.htm|title =亀田父、ライセンス無期限停止 大毅はライセンス停止1年、興毅は厳重戒告|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対する謝罪会見を開いたが、自分は反則行為を指示していないが、そう聞こえたなら何も言いませんと頑なに語っており、反則行為は[[亀田大毅]]の自発的な行為であるとの主旨を突き通した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曖昧な謝罪会見に世間から一層の批判を買い、その後、二度目の謝罪会見を開くことになった。&amp;lt;br/&amp;gt;しかし亀田史郎は出席せず、息子の亀田興毅が代わりに謝罪した。亀田史郎自身は所属ジムである協栄ジムを辞職しボクシング界での一切の活動を行わないことを宣言した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://www.sanspo.com/sokuho/071026/sokuho003.html| title =“亀田興毅が謝罪会見　父史郎氏は辞任| publisher = [[サンケイスポーツ]]| accessdate = 10月26日| accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長男の世界フライ級初防衛戦にて==&lt;br /&gt;
2010年3月27日に行われたポンサクレック・ウォンジョンカムと興毅の初防衛戦で、判定で完敗して興毅は王座から陥落するが、この判定に不服を覚えた史郎はJBC事務局長の安河内剛、主審、もう1人のWBCスーパーバイザーの3人を自分たちの控え室に呼びつけて判定について&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;「'''おどれのクビをとってやる。おまえオレを怒らせたら、もう終わりじゃ！'''」&amp;lt;/span&amp;gt;と恫喝し、'''机を叩いたり、椅子を蹴るなどして大暴れ'''した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/03/post_4192.html 「クビとったるぞ！」JBC事務局長を恫喝した亀田父・史郎氏に協会が処分検討 日刊サイゾー]&amp;lt;/ref&amp;gt;。そして安河内は史郎のホテルに説得に向かった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010032800007 亀田陣営、減点に激怒＝ボクシング世界戦] 時事ドットコム 2010年3月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* 元々ボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制したものである。自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め! 自分で働いて飯食え!出て行け!」と家の外に放り出し、食事も与えないという[[児童虐待]]を行っていた。「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。（自伝より）&lt;br /&gt;
* 教育については独自の考えがあるが、中学生である三男の[[亀田和毅|和毅]]を学校に登校させていない。これは、[[日本国憲法]]で規定された教育を受けさせる義務（[[義務教育]]）を怠っている。プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。これは親である史郎の責任である（就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない）。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。&lt;br /&gt;
* 既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは[[週刊文春]]や[[週刊新潮]]などのみである。不自然な言動をいつまでも続けていてはいけない。&lt;br /&gt;
* 魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[8月25日]]、[[フライデー]]にて[[暴力団]]関係者と会食している姿が撮られる。本当に暴力団である可能性もある。&lt;br /&gt;
* 愛車は[[クライスラー]]300Cである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『闘育論―亀田流三兄弟の育て方』[[創美社]], 2006年, 187p. ISBN 4420310146&lt;br /&gt;
:作中では、インチキで息子を[[ミニ四駆]]レースで勝たせたなど過激な内容が話題を呼んだ。どうやれば、亀田三兄弟のような優秀な子供を育てられるか教えてくれる名著である。亀田家誕生のルーツを知る為には欠かせない本でもある。[[Amazon]][[レビュー]]では、星一つのレビューに「参考になった票」が1000票を超えて入るなど、絶大に支持されている。[[ゴースト]]さん、お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※ここで「闘育論」と書かれているのは、「TOEIC論」の間違いだと思われる。&lt;br /&gt;
　修正を希望。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[亀田三兄弟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 補足 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かめたしろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシングの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1965年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:兵庫県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:TBS]]&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
[[Category:暴力団]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%8F%B2%E9%83%8E&amp;diff=82901</id>
		<title>亀田史郎</title>
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				<updated>2010-03-31T15:39:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''亀田史郎'''（かめだ しろう、[[1965年]][[5月22日]] - ）は、元協栄ジム所属の[[ボクシング]]トレーナー。[[亀田三兄弟]]の父親にして、三匹のボクシングの指導者。[[雑誌]]や[[スポーツ新聞]]等では'''「亀父」'''とも表記される。三兄弟がボクサーとしてデビューし、報道における露出が多くなるにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや暴言など言動を巡って、物議を醸している。血液型はB型。身長170cm。亀田家の中でも随一の[[気違い]]であり、彼はいろいろな人物から批判を受けているため、逃げ場はほとんど無いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[兵庫県]][[姫路市]]生まれ、[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]育ち。&lt;br /&gt;
本人曰く中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と発言している。地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。&lt;br /&gt;
プロボクサーを目指し、進光ジム（現[[新日本大阪ジム]]）に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚するが、のちに子どもたちの教育方針をめぐり2003年に離婚し、子供を引き取る。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、[[空手]]などの[[格闘技]]の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ（特に[[東京放送|TBS]]、[[デイリースポーツ]]）が父親と三兄弟に密着していた。現在は「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」ということで、東京都葛飾区在住。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元[[大関]][[琴風豪規|琴風]]（尾車親方）のファンであり、長男の[[亀田興毅|興毅]]の名は彼の現役時代の四股名「琴風豪規」にちなんでいる。ロックバンド「[[T-BOLAN]]」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、[[2006年]][[8月2日]]に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 指導方法とボクシングスタイル ==&lt;br /&gt;
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせたる!」と公言してはばからず、以下のようなボクシング指導を行っていると伝えられる。&lt;br /&gt;
* 「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎が[[銛|モリ]]や[[箒|ホウキ]]の先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度もモリが刺さり、流血した。&lt;br /&gt;
* 「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの&lt;br /&gt;
* 「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる[[畳]]を殴った方がパンチが強くなるとの理論&lt;br /&gt;
* 「丸太スクワット」&lt;br /&gt;
* 「しごき棒」&lt;br /&gt;
* 「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。[[視力|動体視力]]の特訓になるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」「基本を理解していない」「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」「スポーツ科学の知識はあるのか」「精神論だけだ」などの批判を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見も一部ではあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績があると主張する者もいるが、対戦相手にプロライセンスすら持っていなかった選手がいたことや、反則行為での勝利については言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー[[渡部信宣]]は、リングネームを「[[牛若丸あきべぇ]]」に変えて、弟子入りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボクシングスタイルとしては、フットワークを使わずガードを固め、常に前進し続ける。フットワークを使わず頭部のみ防御し、[[ボディ]]の防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。退屈でつまらないスタイルとの評価もあり、ガードを固めてポイント稼ぎをする消化不良の試合とメディアに書かれることも多い。またバッティングも頻繁に起こることから、このスタイルに対しての批判も多い。&lt;br /&gt;
現在、[[亀田興毅]]と[[亀田和毅]]は亀田ジムを離れて別のトレーナーから指導を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この亀田流ファイトスタイルに関しては「[[ジャブ]]を打たなさすぎる」「後ろに下がらなさすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無いとの声もあるが、亀田興毅及び亀田大毅の試合では亀田側による[[バッティング]]や[[ローブロー]]などが異常なまでに多発していることから、このスタイルにたいして批判が多い。フットワークは使わず常にガードをして前進するため、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスを固めている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 亀田興毅世界王者決定後の論争 ==&lt;br /&gt;
長男興毅が[[2006年]][[8月2日]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]ライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、'''亀田史郎に対する'''特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。多くの人が「安いドラマだ」と批判したように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[8月7日]]の[[テレビ朝日]]『[[スーパーモーニング]]』に生出演した際、[[やくみつる]]が史郎に[[仕付け糸]]を渡し「これで亀（ここでは息子の興毅とされている）を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「[[躾け]]」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
放送当時のもう一人のコメンテーターである[[ガッツ石松]]も7点差でランダエダの勝ちだったと語っていた。また、試合前日の計量時に[[ファン・ランダエタ]]が亀田興毅に[[おむつ]]とおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式（フェイス・オフ）は、話題作りのためのショーアップ（挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など）の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるという[[マッチポンプ]]状態がいつまでも続いている。これはWBAや[[世界ボクシング評議会|WBC]]といった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、過去にWBCフライ級王者[[ポンサックレック・グラティンデーンジム]]から対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の[[内藤大助]]に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある（他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても対戦拒否といった選択を行っている）。これに対し亀田陣営はそれほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなど言っていたが、世界王者、日本王者などからの対戦要求も回避してきたことから、この亀田陣営の言い訳は明らかに矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[9月27日]]に行われた次男[[亀田大毅|大毅]]のプロ第6戦において、判定について、観客から批判の言葉があったことに対して、&amp;lt;!--ヤジ、罵声という意見もあるが、その場面の動画や音声が現在確認出来ないため、直接現場にいた人の意見を採らせて頂きました//--&amp;gt;周囲の一部の亀田ファンが猛反発、[[恫喝]]を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、その場に亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[http://boxing12.exblog.jp/d2006-09-28/]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は[[未遂]]で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない（事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた）公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で観客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく非難を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも「行動があまりに幼稚」「本当に子供のことを考えているのか」「それでも大人か」「人間性のかけらもない」「ボクシング業界からさっさと身を引くべき」「ライセンスを剥奪しろ」といった批判も多く寄せられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、あまりに騒ぎが大きくなったため、会場となった[[後楽園ホール]]の所轄である[[警視庁]][[富坂警察署]]が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいた者たちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この騒動に対しては、[[日本ボクシングコミッション]]（JBC）が13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レフェリーに対する暴言騒動 ==&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月24日]]亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰&amp;lt;ref&amp;gt;JBC試合役員会会長。浦谷は審判歴約20年、裁いた試合数は一万試合を超えるベテランであり、そのジャッジ内容がWBCにおけるビデオ教材としても採用されているほどの審判。&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して暴言を吐き、試合役員会はこれに激怒。史郎に'''「恫喝や脅迫とも受け取れる。史郎氏の謝罪がなければ、史郎氏がかかわる試合への役員派遣を拒否する」'''など、ライセンス停止を含む厳正な処分を処分を求める要望書をJBCに提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この問題は5R終了間際に興毅が奪ったダウンで浦谷が試合を止めなかったことや、興毅がバッティングを注意されたことに史郎氏が抗議したことによる。史郎は'''「何で5Rのダウンで止めんねや。（バッティングを注意され）亀田だけのルールを作んな!」'''と反則行為にも関わらず強い口調でレフェリーにと詰めより、関係者に制止されると'''「今度はきちんとボクシングが分かる人間にやってもらわな」'''などの暴言を吐いたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
協栄ジム[[金平桂一郎]]会長は「本人のサインを添えた謝罪文をJBCに提出する」と表明、同年[[4月16日]]に史郎は謝罪文をJBC役員会に提出。JBCは史郎と金平会長に対し「言動注意」を文書で通達。さらに'''「今度問題を起こした場合、今後史郎氏が関わる試合全てに役員を一切派遣しない」'''事を通告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし史郎本人への処分は一切無く、口頭での厳重注意のみに留まっている。このことから「処分が軽すぎるのではないか」「何故ライセンスを剥奪しないのか」「JBCの対応は甘すぎる」といった批判が出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、史郎は当初「役員会？ 知らん、何も知らん。関係ないやろっ！」と沈黙を通していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 内藤大助対亀田大毅戦にて ==&lt;br /&gt;
2007年10月11日に行われた[[内藤大助]]対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトル戦では、リング上で相手に罵声を浴びせて威嚇するなどの場面があったほか、試合後半から終盤にかけて、大毅に対して、'''「玉打ってええから」'''&amp;lt;ref name=&amp;quot;サンスポ 2007年10月17日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.sanspo.com/fight/top/f200710/f2007101706.html| title =金平会長厳命！条件守らなければ亀田一家解雇も| publisher = [[サンスポ]]| accessdate = 10月18日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と明確に反則とわかる指示を出し、兄の興毅も「ヒジでエエから目に入れろ」&amp;lt;ref name=&amp;quot;ZAKZAK 2007年10月12日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_10/s2007101204_all.html| title =“最低最悪ファミリー”亀田家、反則指示してた!| publisher = [[ZAKZAK]]| accessdate = 10月12日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;などと声をかけていることが、TBSの全国生中継で報道された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、｢投げろ投げろ！｣などの指示も12ラウンド中に聞かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、それを確認した視聴者などからTBSに、12日午前9時までの約半日の間に電話857件、電子メール628通もの抗議が届いた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071012/mrt0710121200003-n1.htm|title =“TBS炎上” 「亀田寄り」と苦情殺到|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;JBCにも非常に多数の抗議・問い合わせが集中し、12日、倫理委員会を15日に開き史郎を含めた亀田一家を処分を検討することを決めた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000014-yom-spo|title =“「急所狙え」亀田父子処分へ…JBC倫理委|publisher = [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12Rの「レスリング行為」による減点3は日本のボクシングタイトルマッチでは前代未聞の出来事であり、一連反則行為について15日の倫理委員会でJBCは、史郎トレーナーのセコンドライセンスの無期限停止を決定した。その他、所属する協栄ジムの金平桂一郎会長に3カ月のクラブオーナーライセンスの停止、セコンドについた長男・興毅に厳重戒告、次男・大毅に1年のライセンス停止の処分を決定した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071015/mrt0710151639005-n1.htm|title =亀田父、ライセンス無期限停止 大毅はライセンス停止1年、興毅は厳重戒告|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対する謝罪会見を開いたが、自分は反則行為を指示していないが、そう聞こえたなら何も言いませんと頑なに語っており、反則行為は[[亀田大毅]]の自発的な行為であるとの主旨を突き通した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曖昧な謝罪会見に世間から一層の批判を買い、その後、二度目の謝罪会見を開くことになった。&amp;lt;br/&amp;gt;しかし亀田史郎は出席せず、息子の亀田興毅が代わりに謝罪した。亀田史郎自身は所属ジムである協栄ジムを辞職しボクシング界での一切の活動を行わないことを宣言した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://www.sanspo.com/sokuho/071026/sokuho003.html| title =“亀田興毅が謝罪会見　父史郎氏は辞任| publisher = [[サンケイスポーツ]]| accessdate = 10月26日| accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長男の世界フライ級初防衛戦にて==&lt;br /&gt;
2010年3月27日に行われたポンサクレック・ウォンジョンカムと興毅の初防衛戦で、判定で完敗して興毅は王座から陥落するが、この判定に不服を覚えた史郎はJBC事務局長の安河内剛、主審、もう1人のWBCスーパーバイザーの3人を自分たちの控え室に呼びつけて判定について&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;「'''おどれのクビをとってやる。おまえオレを怒らせたら、もう終わりじゃ！'''」&amp;lt;/span&amp;gt;と恫喝し、'''机を叩いたり、椅子を蹴るなどして大暴れ'''した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/03/post_4192.html 「クビとったるぞ！」JBC事務局長を恫喝した亀田父・史郎氏に協会が処分検討 日刊サイゾー]&amp;lt;/ref&amp;gt;。そして安河内と史郎はホテルへ消えた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010032800007 亀田陣営、減点に激怒＝ボクシング世界戦] 時事ドットコム 2010年3月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* 元々ボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制したものである。自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め! 自分で働いて飯食え!出て行け!」と家の外に放り出し、食事も与えないという[[児童虐待]]を行っていた。「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。（自伝より）&lt;br /&gt;
* 教育については独自の考えがあるが、中学生である三男の[[亀田和毅|和毅]]を学校に登校させていない。これは、[[日本国憲法]]で規定された教育を受けさせる義務（[[義務教育]]）を怠っている。プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。これは親である史郎の責任である（就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない）。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。&lt;br /&gt;
* 既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは[[週刊文春]]や[[週刊新潮]]などのみである。不自然な言動をいつまでも続けていてはいけない。&lt;br /&gt;
* 魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[8月25日]]、[[フライデー]]にて[[暴力団]]関係者と会食している姿が撮られる。本当に暴力団である可能性もある。&lt;br /&gt;
* 愛車は[[クライスラー]]300Cである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『闘育論―亀田流三兄弟の育て方』[[創美社]], 2006年, 187p. ISBN 4420310146&lt;br /&gt;
:作中では、インチキで息子を[[ミニ四駆]]レースで勝たせたなど過激な内容が話題を呼んだ。どうやれば、亀田三兄弟のような優秀な子供を育てられるか教えてくれる名著である。亀田家誕生のルーツを知る為には欠かせない本でもある。[[Amazon]][[レビュー]]では、星一つのレビューに「参考になった票」が1000票を超えて入るなど、絶大に支持されている。[[ゴースト]]さん、お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※ここで「闘育論」と書かれているのは、「TOEIC論」の間違いだと思われる。&lt;br /&gt;
　修正を希望。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[亀田三兄弟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 補足 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かめたしろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシングの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1965年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:兵庫県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:TBS]]&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
[[Category:暴力団]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%8F%B2%E9%83%8E&amp;diff=82900</id>
		<title>亀田史郎</title>
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				<updated>2010-03-31T15:24:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;撲殺天使: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''亀田史郎'''（かめだ しろう、[[1965年]][[5月22日]] - ）は、元協栄ジム所属の[[ボクシング]]トレーナー。[[亀田三兄弟]]の父親にして、三匹のボクシングの指導者。[[雑誌]]や[[スポーツ新聞]]等では'''「亀父」'''とも表記される。三兄弟がボクサーとしてデビューし、報道における露出が多くなるにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや暴言など言動を巡って、物議を醸している。血液型はB型。身長170cm。亀田家の中でも随一の[[気違い]]であり、彼はいろいろな人物から批判を受けているため、逃げ場はほとんど無いようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[兵庫県]][[姫路市]]生まれ、[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]育ち。&lt;br /&gt;
本人曰く中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と発言している。地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。&lt;br /&gt;
プロボクサーを目指し、進光ジム（現[[新日本大阪ジム]]）に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚するが、のちに子どもたちの教育方針をめぐり2003年に離婚し、子供を引き取る。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、[[空手]]などの[[格闘技]]の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ（特に[[東京放送|TBS]]、[[デイリースポーツ]]）が父親と三兄弟に密着していた。現在は「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」ということで、東京都葛飾区在住。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元[[大関]][[琴風豪規|琴風]]（尾車親方）のファンであり、長男の[[亀田興毅|興毅]]の名は彼の現役時代の四股名「琴風豪規」にちなんでいる。ロックバンド「[[T-BOLAN]]」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、[[2006年]][[8月2日]]に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 指導方法とボクシングスタイル ==&lt;br /&gt;
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせたる!」と公言してはばからず、以下のようなボクシング指導を行っていると伝えられる。&lt;br /&gt;
* 「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎が[[銛|モリ]]や[[箒|ホウキ]]の先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度もモリが刺さり、流血した。&lt;br /&gt;
* 「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの&lt;br /&gt;
* 「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる[[畳]]を殴った方がパンチが強くなるとの理論&lt;br /&gt;
* 「丸太スクワット」&lt;br /&gt;
* 「しごき棒」&lt;br /&gt;
* 「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。[[視力|動体視力]]の特訓になるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらは「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」「基本を理解していない」「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」「スポーツ科学の知識はあるのか」「精神論だけだ」などの批判を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見も一部ではあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績があると主張する者もいるが、対戦相手にプロライセンスすら持っていなかった選手がいたことや、反則行為での勝利については言及していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー[[渡部信宣]]は、リングネームを「[[牛若丸あきべぇ]]」に変えて、弟子入りした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボクシングスタイルとしては、フットワークを使わずガードを固め、常に前進し続ける。フットワークを使わず頭部のみ防御し、[[ボディ]]の防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。退屈でつまらないスタイルとの評価もあり、ガードを固めてポイント稼ぎをする消化不良の試合とメディアに書かれることも多い。またバッティングも頻繁に起こることから、このスタイルに対しての批判も多い。&lt;br /&gt;
現在、[[亀田興毅]]と[[亀田和毅]]は亀田ジムを離れて別のトレーナーから指導を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この亀田流ファイトスタイルに関しては「[[ジャブ]]を打たなさすぎる」「後ろに下がらなさすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無いとの声もあるが、亀田興毅及び亀田大毅の試合では亀田側による[[バッティング]]や[[ローブロー]]などが異常なまでに多発していることから、このスタイルにたいして批判が多い。フットワークは使わず常にガードをして前進するため、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスを固めている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 亀田興毅世界王者決定後の論争 ==&lt;br /&gt;
長男興毅が[[2006年]][[8月2日]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]ライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、'''亀田史郎に対する'''特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。多くの人が「安いドラマだ」と批判したように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年[[8月7日]]の[[テレビ朝日]]『[[スーパーモーニング]]』に生出演した際、[[やくみつる]]が史郎に[[仕付け糸]]を渡し「これで亀（ここでは息子の興毅とされている）を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「[[躾け]]」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
放送当時のもう一人のコメンテーターである[[ガッツ石松]]も7点差でランダエダの勝ちだったと語っていた。また、試合前日の計量時に[[ファン・ランダエタ]]が亀田興毅に[[おむつ]]とおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式（フェイス・オフ）は、話題作りのためのショーアップ（挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など）の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるという[[マッチポンプ]]状態がいつまでも続いている。これはWBAや[[世界ボクシング評議会|WBC]]といった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、過去にWBCフライ級王者[[ポンサックレック・グラティンデーンジム]]から対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の[[内藤大助]]に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある（他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても対戦拒否といった選択を行っている）。これに対し亀田陣営はそれほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなど言っていたが、世界王者、日本王者などからの対戦要求も回避してきたことから、この亀田陣営の言い訳は明らかに矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[9月27日]]に行われた次男[[亀田大毅|大毅]]のプロ第6戦において、判定について、観客から批判の言葉があったことに対して、&amp;lt;!--ヤジ、罵声という意見もあるが、その場面の動画や音声が現在確認出来ないため、直接現場にいた人の意見を採らせて頂きました//--&amp;gt;周囲の一部の亀田ファンが猛反発、[[恫喝]]を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、その場に亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[http://boxing12.exblog.jp/d2006-09-28/]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は[[未遂]]で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない（事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた）公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で観客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく非難を買った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも「行動があまりに幼稚」「本当に子供のことを考えているのか」「それでも大人か」「人間性のかけらもない」「ボクシング業界からさっさと身を引くべき」「ライセンスを剥奪しろ」といった批判も多く寄せられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、あまりに騒ぎが大きくなったため、会場となった[[後楽園ホール]]の所轄である[[警視庁]][[富坂警察署]]が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいた者たちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この騒動に対しては、[[日本ボクシングコミッション]]（JBC）が13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レフェリーに対する暴言騒動 ==&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月24日]]亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰&amp;lt;ref&amp;gt;JBC試合役員会会長。浦谷は審判歴約20年、裁いた試合数は一万試合を超えるベテランであり、そのジャッジ内容がWBCにおけるビデオ教材としても採用されているほどの審判。&amp;lt;/ref&amp;gt;に対して暴言を吐き、試合役員会はこれに激怒。史郎に'''「恫喝や脅迫とも受け取れる。史郎氏の謝罪がなければ、史郎氏がかかわる試合への役員派遣を拒否する」'''など、ライセンス停止を含む厳正な処分を処分を求める要望書をJBCに提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この問題は5R終了間際に興毅が奪ったダウンで浦谷が試合を止めなかったことや、興毅がバッティングを注意されたことに史郎氏が抗議したことによる。史郎は'''「何で5Rのダウンで止めんねや。（バッティングを注意され）亀田だけのルールを作んな!」'''と反則行為にも関わらず強い口調でレフェリーにと詰めより、関係者に制止されると'''「今度はきちんとボクシングが分かる人間にやってもらわな」'''などの暴言を吐いたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
協栄ジム[[金平桂一郎]]会長は「本人のサインを添えた謝罪文をJBCに提出する」と表明、同年[[4月16日]]に史郎は謝罪文をJBC役員会に提出。JBCは史郎と金平会長に対し「言動注意」を文書で通達。さらに'''「今度問題を起こした場合、今後史郎氏が関わる試合全てに役員を一切派遣しない」'''事を通告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし史郎本人への処分は一切無く、口頭での厳重注意のみに留まっている。このことから「処分が軽すぎるのではないか」「何故ライセンスを剥奪しないのか」「JBCの対応は甘すぎる」といった批判が出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚、史郎は当初「役員会？ 知らん、何も知らん。関係ないやろっ！」と沈黙を通していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 内藤大助対亀田大毅戦にて ==&lt;br /&gt;
2007年10月11日に行われた[[内藤大助]]対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトル戦では、リング上で相手に罵声を浴びせて威嚇するなどの場面があったほか、試合後半から終盤にかけて、大毅に対して、'''「玉打ってええから」'''&amp;lt;ref name=&amp;quot;サンスポ 2007年10月17日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.sanspo.com/fight/top/f200710/f2007101706.html| title =金平会長厳命！条件守らなければ亀田一家解雇も| publisher = [[サンスポ]]| accessdate = 10月18日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と明確に反則とわかる指示を出し、兄の興毅も「ヒジでエエから目に入れろ」&amp;lt;ref name=&amp;quot;ZAKZAK 2007年10月12日付&amp;quot;&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
| url =http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_10/s2007101204_all.html| title =“最低最悪ファミリー”亀田家、反則指示してた!| publisher = [[ZAKZAK]]| accessdate = 10月12日| accessyear = 2007年&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;などと声をかけていることが、TBSの全国生中継で報道された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、｢投げろ投げろ！｣などの指示も12ラウンド中に聞かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、それを確認した視聴者などからTBSに、12日午前9時までの約半日の間に電話857件、電子メール628通もの抗議が届いた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071012/mrt0710121200003-n1.htm|title =“TBS炎上” 「亀田寄り」と苦情殺到|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;JBCにも非常に多数の抗議・問い合わせが集中し、12日、倫理委員会を15日に開き史郎を含めた亀田一家を処分を検討することを決めた。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000014-yom-spo|title =“「急所狙え」亀田父子処分へ…JBC倫理委|publisher = [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12Rの「レスリング行為」による減点3は日本のボクシングタイトルマッチでは前代未聞の出来事であり、一連反則行為について15日の倫理委員会でJBCは、史郎トレーナーのセコンドライセンスの無期限停止を決定した。その他、所属する協栄ジムの金平桂一郎会長に3カ月のクラブオーナーライセンスの停止、セコンドについた長男・興毅に厳重戒告、次男・大毅に1年のライセンス停止の処分を決定した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/071015/mrt0710151639005-n1.htm|title =亀田父、ライセンス無期限停止 大毅はライセンス停止1年、興毅は厳重戒告|publisher = [[産経新聞|産経MSN]]|accessdate = 10月15日|accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対する謝罪会見を開いたが、自分は反則行為を指示していないが、そう聞こえたなら何も言いませんと頑なに語っており、反則行為は[[亀田大毅]]の自発的な行為であるとの主旨を突き通した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曖昧な謝罪会見に世間から一層の批判を買い、その後、二度目の謝罪会見を開くことになった。&amp;lt;br/&amp;gt;しかし亀田史郎は出席せず、息子の亀田興毅が代わりに謝罪した。亀田史郎自身は所属ジムである協栄ジムを辞職しボクシング界での一切の活動を行わないことを宣言した。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web&lt;br /&gt;
|url =http://www.sanspo.com/sokuho/071026/sokuho003.html| title =“亀田興毅が謝罪会見　父史郎氏は辞任| publisher = [[サンケイスポーツ]]| accessdate = 10月26日| accessyear = 2007年}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==長男の世界フライ級初防衛戦にて==&lt;br /&gt;
2010年3月27日に行われたポンサクレック・ウォンジョンカムと興毅の初防衛戦で、判定で完敗して興毅は王座から陥落するが、この判定に不服を覚えた史郎はJBC事務局長の安河内剛、主審、もう1人のWBCスーパーバイザーの3人を自分たちの控え室に呼びつけて判定について&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;「'''おどれのクビをとってやる。おまえオレを怒らせたら、もう終わりじゃ！'''」&amp;lt;/span&amp;gt;と恫喝し、'''机を叩いたり、椅子を蹴るなどして大暴れ'''した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzo.com/2010/03/post_4192.html 「クビとったるぞ！」JBC事務局長を恫喝した亀田父・史郎氏に協会が処分検討 日刊サイゾー]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
* 元々ボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制したものである。自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め! 自分で働いて飯食え!出て行け!」と家の外に放り出し、食事も与えないという[[児童虐待]]を行っていた。「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。（自伝より）&lt;br /&gt;
* 教育については独自の考えがあるが、中学生である三男の[[亀田和毅|和毅]]を学校に登校させていない。これは、[[日本国憲法]]で規定された教育を受けさせる義務（[[義務教育]]）を怠っている。プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。これは親である史郎の責任である（就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない）。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。&lt;br /&gt;
* 既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは[[週刊文春]]や[[週刊新潮]]などのみである。不自然な言動をいつまでも続けていてはいけない。&lt;br /&gt;
* 魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[8月25日]]、[[フライデー]]にて[[暴力団]]関係者と会食している姿が撮られる。本当に暴力団である可能性もある。&lt;br /&gt;
* 愛車は[[クライスラー]]300Cである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『闘育論―亀田流三兄弟の育て方』[[創美社]], 2006年, 187p. ISBN 4420310146&lt;br /&gt;
:作中では、インチキで息子を[[ミニ四駆]]レースで勝たせたなど過激な内容が話題を呼んだ。どうやれば、亀田三兄弟のような優秀な子供を育てられるか教えてくれる名著である。亀田家誕生のルーツを知る為には欠かせない本でもある。[[Amazon]][[レビュー]]では、星一つのレビューに「参考になった票」が1000票を超えて入るなど、絶大に支持されている。[[ゴースト]]さん、お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※ここで「闘育論」と書かれているのは、「TOEIC論」の間違いだと思われる。&lt;br /&gt;
　修正を希望。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[亀田三兄弟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 補足 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かめたしろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ボクシングの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1965年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:兵庫県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:TBS]]&lt;br /&gt;
[[Category:八百長]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:カメムシ一家]]&lt;br /&gt;
[[Category:暴力団]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>撲殺天使</name></author>	</entry>

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