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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-04-05T13:00:21Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>木津尚子</title>
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				<updated>2008-07-30T21:42:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;よーろーのたき: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''木津尚子'''は、[[ウィキペディア日本語版]]で利用者:Aphaiaのアカウント名を用いて編集を行っている、フリーの研究者、[[ウィキホリック]]。[[ウィキメディア財団]]の選挙管理委員を歴任。かつては荻窪出身と名乗っていたが、現在は京都在住。管理アカウントを所有している。ウィキマニアにも毎年参加しており、ウィキペディア日本語版の代表を務めている。[[2ちゃんねる]]にも名無しで出没している。東京都立大学卒業後、大阪大学大学院で修士号を得てその後博士課程へ進んだ。単位取得満期退学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://wikimania2007.wikimedia.org/wiki/Presenters/Naoko_Kizu&lt;br /&gt;
1994年から大阪大学大学院博士過程に在籍といってお茶を濁しているが、単位取得満期退学のために博士号は得ていない。年齢を逆算すると二年間の空白が生まれるが、この時期に放送大学大学院で学んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
規約に違反する多重アカウントを堂々と用いながら、管理者権限の剥奪が一切議論されない不思議な人でもある。[[mixi]]においても鰤端末とToki-hoの両方のアカウントを使い分けており、mixiの規約違反すら平然と行っている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:image:Benutzer_Aphaia.jpg]] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://d.hatena.ne.jp/Britty &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
利用者:Skylab,利用者:KIZUなどの[[ソックパペット]]を使っては、すぐウィキブレイクする手段が特徴。利用者:Toki-Hoは未だ手放していない。最近使い出したソックパペットは、利用者:Co.kyotoであるとも言われている。正体が暴かれたことに対し、２ちゃんねるの趣味一般板で名無し書き込みで反応している。将来的には、利用者:Aphaiaを放棄する可能性も示唆されている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
概して&amp;quot;鉄の女&amp;quot;というような印象をもって捉えられがちだが、自らの容貌を揶揄するあだ名を目にしただけで涙をこぼすなど、意外にナイーヴな一面を持つ。関西オープンソース2007で、福井利器に向かって「先生」と言った。師弟関係はアレフ内では強固のようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==近況==&lt;br /&gt;
「木津尚子」のはてなキーワードは、はてなによって削除されており、さらに野田憲太郎の編集権を剥奪した。これは犯罪者から「過去の犯罪を暴露されたので削除してください」という申し出に答えたも同然であり、はてなが最初から日本語版ウィキペディアと共謀している可能性も明らかとなった（もとよりプライベートモードを放置している段階でわかっていたことではあるが）。はてなからのプレスリリースは、未だない。同名のアカウントが日本語版ウィキペディアで取得されたが、理由開示もされずにUsernameblockedとなった（[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%9C%A8%E6%B4%A5%E5%B0%9A%E5%AD%90 該当ページ]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
利用者:Hatukanezumi垢で議論を誘導し、それに利用者:Aphaia垢で答えるといった一人二役が特徴で、未だにばれないと思っているらしい。利用者:Co.kyotoはもともと雑草取り垢であったが、管理者に就任している。これが靴下だとばれるとはスタッフ一同思っていなかったらしく、利用者:YassieはMLまで来て自作弁明を慌てふためきながら用意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局9月のAphaiaへの無期限ブロックは年単位靴下であった利用者:co.kyotoが出している。つまり、「自分で自分に無期限ブロックを出している」のである。又、[[ウィクショナリー]]にてあるユーザーが調査を行った所、会話ページでの注意を差し戻している事から恐らく同一人物と思われる。[http://ja.wiktionary.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Aphaia&amp;amp;diff=next&amp;amp;oldid=146130]バカとしか言いようがないであろう。ちなみにish-kaが[[Chakuwiki]]で彼女の真似をしているｗｗｗﾌﾞｯｗｗｗ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== Alex!!助けてやれよ!! ==&lt;br /&gt;
http://www.flickr.com/photos/alexsh/sets/72157601245838508/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
VIP PARTYとあるので、彼女は私人ではない。立派に「公人」である。ALEXが撮った人物が、まさか日本人に執拗に嫌がらせをしているとは、知らないままなのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[Facebook]]でAlexを名乗るソックパペットを作り、[[野田憲太郎]]の個人情報を盗もうとしたが、ばれてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.policejapan.com/contents/syakai/20070608/index3.html ウィキペディア日本語版のナゾ]&lt;br /&gt;
*[http://wiki.spc.gr.jp/Wikipedia/ 市民団体＠wiki (SPC避難所)]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:きすなおこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア]]&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアで新規作成を禁止された記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>よーろーのたき</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%B4%8E%E5%B1%B1%E4%BC%B8%E5%A4%AB&amp;diff=34212</id>
		<title>崎山伸夫</title>
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				<updated>2008-07-30T21:38:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;よーろーのたき: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ウィキペディア]]ユーザーの一人。1970年生まれ。&lt;br /&gt;
某電機メーカー勤務の傍ら、ウィキペディアなどで政治活動を行う。政治的信条は主に左翼思想である。敵対者・批判者はあくまでも排除するという強引な考えの人なので、うっかり近寄られたら一歩退く必要がある。（と考えられてきた。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高木浩光とはなんら親交が無いのに、決別したことで知られる。[http://d.hatena.ne.jp/HiromitsuTakagi/20040614]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== かいたぉ！ ==&lt;br /&gt;
文末には必ず、かいたぉ！をつける。&lt;br /&gt;
*http://twitter.com/sakichan/statuses/807889166&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことがバレて、野田憲太郎たたきを止めた。打たれ弱い東大卒。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著作など ==&lt;br /&gt;
*通信傍受法時代の「盗聴」、現代思想 1999年10月号 P.190-195、青土社 &lt;br /&gt;
*コンテンツの規制は正当なのか、 インターネットマガジン 1999年9月号 P.329、インプレス&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>よーろーのたき</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E8%A6%8F%E5%8B%9D&amp;diff=34210</id>
		<title>小西規勝</title>
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				<updated>2008-07-30T21:25:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;よーろーのたき: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''小西 規勝'''（こにし のりかつ、[[1964年]] - ）は、性風俗関係者を差別している[[チンカス]][[ウィキホリック]]。'''変人'''、'''鮮人'''、'''廃人'''の3'''つの要素を兼ね備えた'''、'''無敵のDQNである'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版の管理者だったが、[[wiki:Wikipedia:管理者の解任/ＮｉＫｅ 20080110|解任された]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[チンカス性犯罪者の一覧|チンカス性犯罪者]]としても知られており、自分の気に食わない[[ウィキペディアン]]を男女問わず[[強姦]]していることでも有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 攻撃法 ==&lt;br /&gt;
[[2ちゃんねる]]と日本語版WPを往復し、[[Yourpedia]]に別IPで攻撃しにくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
43歳を過ぎてる[[ウィキペディア]]で一番の横暴で極悪非道な管理者だった。[[ウィキペディア日本語版]]で'''利用者:ＮｉＫｅ'''のアカウント名を用いて編集を行っている。多数の年単位靴下で偽装することもあるが、毎回どのユーザーにもばれている。頭が悪い。利用者:Numberで夜間に編集する癖がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時差から2ちゃんねるとウィキペディア日本語版を往復して、せっせと攻撃ノルマをこなしていることが確認されている。[http://p2.chbox.jp/read.php?host=hobby9.2ch.net&amp;amp;bbs=hobby&amp;amp;key=1189583876&amp;amp;ls=all ]無期限ブロックを誰彼かまわずやった後に、名無しで書き込みに来るのが特徴。マイメログッズをばらされた後は２ちゃんへの投稿量が一時的に減っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:''559 ：名無しの愉しみ ：sage ：2007/09/13(木) 14:25:58 ID:??? ''&lt;br /&gt;
:''2007年9月13日 (木) 04:36 ＮｉＫｅ (会話 | 投稿記録) Sevenyear (会話 | 投稿記録) を無期限ブロックしました ？'' ''(sockpuppet: WP:NODA 嫌がらせ投稿だけの荒らしアカウント)''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
SevenyearのIPホストが野田の使うものでなかったことが法廷で証明された場合、小西とその一味の2ちゃん上の工作行為が確定する(Sevenyearは米国の大学からアクセスしている）。公開プロクシならさっさと無期限規制するのに、なぜか無期限規制はされていない。つまりは、sevenyearの使ったIPは公開プロクシではないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
''561 名前：名無しの愉しみ[sage] 投稿日：2007/09/13(木)'' ''14:50:07'' ''ID:???'' ''SevenyearsじゃなくてSevenyearというところがやっぱり野田犬だな''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんなことも書かれているが、クラッキング防止の画像に表示される文字列にはsevenyearが含まれる。そういうことも知らないようなので、２ちゃんねると日本語版WPを往復している小西の書き込みであることは明白であろう。一生懸命人に向かって「犬」と呼ぶ癖が直らないらしい。そして、散々２ちゃんねるで罵倒した後に、電脳コイルを見るのが唯一の娯楽。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
USENユーザーが速攻で差し戻しに来たようなので、小西の使うプロバイダはUSENなのだろう。こんな40代の味方は誰もいない。利用者:間久部緑郎が使う靴下「利用者:Number」を共有しており、せっせと野田叩きを行っている悲しい人生って惨めだね。ぷ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者としての横暴かつ不適切すぎるやり方と（後述する）余りにも悪質な手口で多くの利用者を敵に回し、2008年、めでたく解任の憂き目にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 対処法 ==&lt;br /&gt;
*小西が論破された場合&lt;br /&gt;
:無期限ブロックは行わないが、即座に「荒らし」判定を行う。&lt;br /&gt;
*小西が論破した場合&lt;br /&gt;
:無期限ブロックを行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
大阪府立大学を卒業し、現在もとらのあな梅田に通うをたっぷりの大阪在住者。勤務中に[[mixi]]にログインしている（証拠は残っている）。[[日本放送協会|NHK]]職員であるかどうかは不明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[と学会]]を妄信しているらしく、と学会（特に[[山本弘]]）に関する批判的な記述全てに「憶測」、「個人的な意見」と世迷いごとをほざきながらリバートを行う。崇拝対象にこれほど不利益をもたらす存在も珍しい。しかも、差し戻しとリバートに集中する自分に陶酔していながら、ウィキペディア内の自分の利用者ページ内での自己紹介文で差し戻しやリバートばかりしている訳ではないといった旨の発言も行うなど、その人格は浅はかで醜悪極まりない。と学会の人々となんらかの接点があって、テーブルトーク人脈で知り合っている可能性が最も濃厚。（高校在学時代から続くをたく人脈をたどると、と学会につながる）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年7月には、「かつては大阪が日本の首都であった時代」を知らなかったことがばれ、ネタにされている。彼以外にも知らなかったユーザーがおり、複数アカウントを使用している疑惑がある。最近では意図的に攻撃的な言動が目立つ、このような行為は管理人として失格であり相手利用者に対してとても失礼な行為である。管理アカウントを持つ利用者もこれを認めている。管理アカウントを持ちなおかつ[[sysop]]である。中国人・朝鮮人を問わず在日がよく行う捏造の典型的な例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またＮｉＫｅこと小西は性風俗関係者に対して異常なまでに[[誹謗中傷]]を行っており、[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%81%B7%E6%A5%AD%E5%B7%AE%E5%88%A5&amp;amp;diff=3541964&amp;amp;oldid=3541436 この編集]のように性風俗関係者の人権を蹂躙する編集をウィキペディアで行っている。なおＮｉＫｅこと小西が性風俗関係者を差別しているのは[[wiki:ノート:職業差別|このノート]]での発言を読めば明らかである。その反面、日本語版で'''過剰なまでに'''増加している性風俗記事について、小西はノータッチにしているという不自然な点もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この利用者が攻撃的な理由は、このアカウントを複数人で回して使っている可能性があるからである。小西の同人全員がこのアカウントを使うと考えるのが妥当である。それでも、主に使う者が小西規勝であることには変わりはない。43才にもなって一生懸命mixiを覗き、執拗に「野駄犬」と2chで煽り続ける彼の姿は、典型的なをたくの負の側面を照らしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼の弁論術は以下のとおりである。&lt;br /&gt;
*お書きになられた記事に出典がありません。出典の提示をお願いいたします。&lt;br /&gt;
*出典の提示方法が間違っています。もう一度方針を読んでください。&lt;br /&gt;
*ページ数をお書きください。&lt;br /&gt;
*'''面倒なことに『私の手元にはちゃんと書いたものがある』では解決しないこともあります。'''&lt;br /&gt;
*私はその本を持っていませんので、除去します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような弁論術を展開する人間がWEBを元に記事を翻訳及び作成したところ、実に中途半端な日本語が出来てしまい、それを指摘すると機械的に無期限ブロックを行ったことで話題となった。在日であるがために英語力の低さは管理者として致命的である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[wiki:ノート:超絶技巧練習曲集 (ブライアン・ファーニホウ)|チンカス小西の発言その1]]&lt;br /&gt;
*[[wiki:Wikipedia:削除依頼/Category:ドナトーニの楽曲|チンカス小西の発言その2]]&lt;br /&gt;
*[[wiki:ノート:笑わぬ二十日鼠|チンカス小西の発言その3]]&lt;br /&gt;
:専門職に向かって喧嘩を売る小西の失態の数々。靴下（利用者:Number）使って楽しいかい？　43さいこにしくん。もう君に味方する人は、台湾人2人だけだと言うのに。最近では「自分が見たことも聞いたこともない作品に向かってクレームを出す」変人と化しているようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年現在、小西はT.Saitoと同じく下働きに降格。その際、利用者:ＮｉＫｅのアカウントを福井利器に売却。現在は福井が使っている。小西規勝の現在のアカウントは利用者:FOXi。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[性風俗産業に対する差別]]&lt;br /&gt;
*[[Yourpedia:性風俗関係者を差別しないように]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[wiki:利用者:Penpen/メモ/性風俗関係者を差別しないように|性風俗関係者を差別しないように]]&lt;br /&gt;
小西規勝は上の2つの関連項目及び1つの外部リンクに書いてある事実をまったく理解できない。それは小西が性風俗関係者に対し言われなき偏見を持っているからである。そのくせ、性風俗関係の大量の記事作成については、一切触れていない。17歳の玉子おばちゃんに萌えているからだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こにしのりかつ}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアの管理者]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;br /&gt;
[[Category:チンカス]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>よーろーのたき</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%9F%B3%E6%A5%BD&amp;diff=34209</id>
		<title>ロシアの現代音楽</title>
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				<updated>2008-07-30T21:21:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;よーろーのたき: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{クラシック音楽}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ロシア]]の現代音楽はソビエト時代を完全に含む20世紀以降のロシア音楽をさす。ロシア・アヴァンギャルドの生みの親とされるアレクサンドル・スクリャービン以降、幅広く開花した。経緯は、スターリン政権の介入以後様々な屈折を経て現在に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レーニン政権時代 ==&lt;br /&gt;
ソビエト連邦建国当時は音楽家への強制はほとんどなく、作曲家は競うようにしてスクリャービンの後継をになえる前衛作曲家になることを夢見た。セルゲイ・プロトポポフ、ニコライ・ロスラヴェツ、アレクサンドル・モソロフ、ニコライ・オブホフ、イワン・ヴィシネグラツキー、ほか総勢で20人くらいの作曲家が活動していたことが後日確認された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時代にロシア・アヴァンギャルドの作曲家達が次々と野心的な作品を作曲していた事実が西側に知られるようになったのは1990年代以降であり、楽譜出版も遅れてしまった。ソ連当局は彼らの存在を音楽事典からも抹消していたことが明らかとなった。収容所送りになるのを防ぐため、作曲家に対して楽譜の破棄すらも求めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロシア・アヴァンギャルドの作曲家達は総て共通の目的を持っていたわけではない。ロスラヴェツは新しい和音をテーマに創作を続けたが、モソロフのテーマはノイズと反復（まだこのころにはミニマリズムと言う概念すらなかった）であった。オブホフはマルチメディア的な音楽を夢見たらしいが、クロワソノールと呼ばれる創作楽器で資金が底をつくことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スターリン政権時代 ==&lt;br /&gt;
スターリンが政権を取ると、彼はグルジア民謡しか歌うことの出来ないくらい音楽的素養に欠けていたので、彼より素養のあるものは粛清の可能性を持つものとみなされるようになった。この時代の恐怖政治はショスタコーヴィチの苦悩時代と一致する。彼がアヴァンギャルドを捨てたのは身を守るため以外の何物でもなかった。『ムツェンスク郡のマクベス夫人』以降や『第9交響曲』以降の危機はこの作曲者をより保守的なものに向かわせた反面、徐々に音楽の中へ隠し絵的、メタ音楽な技法を織り込んでいくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ショスタコーヴィチはまだ国家からショパンコンクール出場を命じられるだけ共産党員と仲が良かったからペンを折ることがなく済んだが、彼以外の音楽家は多かれ少なかれ作風を曲げた。アレクサンドル・モソロフの手紙はスターリンによってゴミ箱行きになり、モソロフには「民謡風の合唱曲」を作ることが命じられて、没年までその業務にしぶしぶついた。サムイル・フェインベルクとアナトリー・アレクサンドロフはあっさりと共産党員の味方につき、彼らも「調性的」な作風で没年まで孤立を余儀なくされた。ソ連時代、西側の楽譜は総て「貸し出し」制になり、共産党員の許可がないとストラヴィンスキーの楽譜すら入手できなくなった。この時代に「情報を遮断された」ピアニストとヴァイオリニストの育成を国家予算で賄うことにもつながった。要は、総ての実験が打ち切られたのだ。（レフ・ブラセンコは「コンクールに勝つためなら、総ての合宿費が支給された」と述べる。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方でかつてのロシア音楽の演奏伝統は国家の手によって鍛えられた演奏家の手で、強引に守り抜かれることになった。現在でもソ連時代の作曲家の解釈の直伝は、ロシアでないと学べないと言われている。総ての作品が政治的に正しいことを証明するため、チャイコフスキーの序曲1812年がグリンカの作品を切り貼りして演奏されると言う事態に発展していた（スヴェトラーノフとゴロヴァノフがこの版で演奏）が、この問題はゴロヴァノフのCDが復刻されるまで一般市民には公表されていなかった。ショスタコーヴィチの死後、共産党を皮肉る合唱とピアノの曲「反形式主義的ラヨーク」が発見されたのも、その類である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作風は曲げられても音楽家の命だけは守らねばならない、という危機感はすべての音楽家にあったようである。また、元から調性に親近感を持つ「古典的な」音楽家は優遇されたので、その系列の音楽家と反体制派のスターリン政権の証言は当然異なる。ティホン・フレンニコフは共産党員全員に根回しを行い、収容所行きを回避させるために数々の要職をしぶしぶ歴任した。彼の作品がヴァディム・レーピンとエフゲニー・キーシンによって1987年に来日公演が開かれたのも、その功績が国家の手で称えられたからであった。もちろん、反体制派からは称えられていない。その彼の作風は「政治的に極めて正しい社会主義リアリズム」であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期を耐えた作曲家は優れた古典の演奏技術で知られる者（フレンニコフ、スヴェトラーノフ、ティシチェンコ、シチェドリン）を多く含む。ペレストロイカ以降は優れた古典の演奏技術で知られる作曲家ではなく、創造的な自作自演で知られる者（ゴルリンスキー、シェグラコフ、サフロノフ）に取って代わられた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 雪解け時代 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時代に入ると、唯一共産主義者として入国を許可されたルイジ・ノーノが楽譜をロシアに持ち込めたことで、ポスト・セリエル以降の情報が非公式ながら入手できた。依然として現代音楽の演奏を行った演奏家はブラックリストには入れられていたものの（アナトール・ウゴルスキの証言）、シベリア送りになることまではもはやなかった。この事情を反映してアリフレート・シニートケが「未だ古い音楽が聴衆や共産党員の間で聞かれ続けるのかはなぜか」、というシンプルな問いから、複数の様式が素材や構造の枠を飛び越えて共存する多様式主義を確立。『合奏協奏曲第1番』を初めとする作品群を次々と世に送り出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またテルミンなどの「伝統的電子楽器」も、ヨーロッパではあっけなく演奏伝統が滅んでいたものの、ロシア本国では密かに演奏伝統が継承されていた。テルミンのプロとして現在も楽器を操れる作曲家や演奏家が複数人確認出来る。アレクサンドル・ヴスティンは現在も現役のテルミンのプロ奏者であり、その技術を応用した電子作品も残されている。西側よりかなり遅れ、演劇的あるいは即興的な作風を世に問うマルティノフやグバイドゥーリナのような作曲家も出現した。数少なくロシアの入国を許可されたロック・グループやジャズ・バンドもロシアの音楽を鍛える一員になったことは否めない。その影響が国際的に知れ渡るきっかけになったのがニコライ・カプースチンの1990年代以降の創作活動である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴァレンチン・シルベストロフは1960年代に西側で作品発表を行っていたのがソ連当局にばれ、報告された後に作曲家連盟から除名されたが、彼はその後前衛色を総て捨て旋法的で聞きやすい作風を「自ら」選択した。アルヴォ・ぺルトの「ティンティナブリ様式」は宗教的な帰依のために開発された。両氏の様式の選択は、国家の手によって強制されたものではない。この時期に西側から前衛運動が停滞し、ソ連の看板となっていたショスタコーヴィチが亡くなった。世界のどこに行っても通用する大黒柱を失ったソ連の音楽界は1980年代以降、作曲と演奏の両面で迷走することになる。典型的な例が「チャイコフスキーコンクールの審査員やモスクワ音楽院の留学生に、多くのアジア人を受け入れたこと」である。当時のソ連は北朝鮮からの留学生も、政治的な取引の元で一定数受け入れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ショスタコーヴィチの没後、ガリーナ・ウストヴォルスカヤは地味に創作活動を続けていたが、世界的に再評価されるのはソ連崩壊以後である。シルベストロフやぺルトも、この時代には音盤化がなされず母国がソ連邦からの独立を果たせなかったこともあり、知名度が高くはなかった。演劇性の拡張に努めたウラディーミル・マルティノフや、「オペラ・オラトリオ」といった新たな形式を模索したニコライ・カレートニコフの存在がクローズアップされたのは1990年代であったが、カレートニコフはロシア当局の監視下に置かれたまま、その悲劇的な生涯を閉じている。現在もロシア語圏以外への紹介は、極めて少ない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ペレストロイカ以降 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソ連崩壊後、現代音楽の情報は完全に解禁された。モスクワ現代音楽アンサンブルの創立は1990年、モスクワ現代音楽スタジオの創立は1993年であり、ソ連崩壊まで現代音楽のアンサンブルを組むことすら、逮捕の口実になりえたのである。これらの現代音楽アンサンブルの創立の著しい遅延は、ロシアの若い演奏家へ計り知れないダメージを与えた。日本でも同様の現象が見られるが、「ロシア人の演奏家なのに、ロシアの現代作曲家を知らない」ということも依然として稀ではない。シニートケの音楽が日本やアメリカなどの資本主義国で広く聴かれるようになったのもこの時期であり、スウェーデンのBISレーベルはシニートケ全集を直後にスタートさせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国境すらも大きく変わり、ソフィア・グバイドゥーリナはタタールスタン共和国の作曲家、アラム・ハチャトゥリアンはグルジア生まれのアルメニアの作曲家と言った具合に、ソ連から独立に成功した共和国か独立を望む共和国の音楽家は、国家間では一切の連携を絶つことになった。コンクールの応募状況ですら、ロシア連邦内の共和国は切り離されて個別にカウントされる。これは作曲のみならず、演奏も同様の現象が生じている。それでもモスクワで学んだ音楽家の指導力に未だ依存している背景は変わっていない。そのために独立に成功した共和国は独自に現代音楽を奨励しようと言う動きが若干見られる模様である。近年のCall for Scoresにはウズベキスタンからの問い合わせすら珍しくない。バルト三国はそれまでモスクワの楽壇ともコンタクトがあったが、これを機に独自の路線を歩むことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代にはセルゲイ・ベリンスキー、アリフレート・シニートケ、モイセイ・ヴァインベルグらが相次いで亡くなり、またも大きな精神的支柱をロシアは失うことになった。活動に制限がなくなったため、国際コンクールへの挑戦も自由に行うことが出来るようになった。恐らく、コンスタンチン・シュモレヴィッチはロシア人初のガウデアムス音楽週間入選を果たすことが出来たが、これは留学先のフランスからの投函であった。ヴァレリー・ヴォロノフもルトスワフスキ作曲賞を2000年に得ている。アメリカのピアニスト、イヴァ・ミカショフはアメリカ人として初めてウクライナ人の作曲家のオレクサンダ・シチェティンスキー（シェチンスキ）に委嘱を授けた。シチェティンスキーはその後国際的な作曲賞を次々と制した（セロツキ、ルトスワフスキ、ルクセンブルク、デユティユ、マーラーの総てで入賞または優勝）ことで、楽壇の評判をさらった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モスクワ現代音楽アンサンブルがツアーを行った際、前半をロシア・アヴァンギャルドの作品、後半をアレクサンダー・ヴスティンからアレクセイ・シオウマクまでの世代をカヴァーした演奏会がイギリスで行われており、ロシアの新しい世代の作曲家達は2002年以降もオランダ、ポーランド、ドイツなどで定期的に上演され、高い評価を得ている。近年先輩格のボリス・フィラノフスキから、アレクセイ・シオウマクがサンクトペテルブルクで、Structural Resistance Groupを結成し、グループで動き出した。この時期はモスクワ音楽院で教鞭を取るウラジミール・タルノポルスキーが次々と世界に俊英を送り出したことも特筆される。ようやく指導陣が最先端の音楽語法をリアルタイムで継承できることになった、良い証明である。（それでも、旧共産党時代の「体制派」が一蹴されたわけではない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この世代に該当する作曲家はヴァディム・カラシコフ、ドミトリ・コゥリャンスキ、アレクセイ・シオウマク、アントン・サフロノフ、アッラ・ケッセルマン、ドミトリ・シェグラコフ、オルガ・アルシナ、オルガ・ボチヒナ、マリナ・コルコヴァ、ニコライ・クルスト、ウラジミル・ゴルリンスキーなどが挙げられる。当局によって海外活動を制限されることがなくなったため、学生でこぞって数々の国際マスタークラスに参加しており、以前では考えられない師事暦を持つ作曲家も増えた。ヴェラ・イヴァノヴァはロシアからアメリカ合衆国にわたって作曲を続けた、最初の成功例である。単なる偶然なのか、聞き苦しさや陰鬱な雰囲気に彩られた作品を多く見かけるのは、スターリン体制下の音楽家への不当な冷遇を想起させる。女性であっても、相当な音響の爆発が認められる点も特筆される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では国内で最も優秀とみなされた作曲家をDAAD研修プログラムで渡独させ、ベルリンで創作させることも行われている。この恩恵を受けた作曲家に、A.サフロノフ、D.クルリャンツキー、S.ネフスキーがいる。その中のD.クルリャンツキーがロシア人初のガウデアムス大賞に輝いたことにより、大きな歴史の変化がロシアから起きたと考えられている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*International Festival of Contemporary Music MOSCOW FORUM[http://www.ccmm.ru/ ]の1994年以降の冊子。 &lt;br /&gt;
*ensemble aleph第3回フォーラム発行のLog Book及びCDから、クリャンツキィーとネフスキィーのコメント。現在のロシア音楽の動向を知る上で貴重である。[http://www.ensemblealeph.com/Forums/forum5EN.html ] &lt;br /&gt;
*Tribune of Contemporary Music[http://iscmrussia.ru/index30.html ]の2005年以降の冊子。 &lt;br /&gt;
*Gaudeamus Music Week catalog&amp;amp;bulletin, issue from 1990. &lt;br /&gt;
*現代音楽のパサージュ　松平頼暁著、ぺルトのティンティナブリ様式に関する詳細な説明アリ。 &lt;br /&gt;
*ロディオン・シチェドリンと武満徹の対談。武満徹全集に含まれる。ロシアの共産党時代の教育や活動の制限について語られている。 &lt;br /&gt;
*1945年以降の前衛（改訂版のみ）ポール・グリフィス著、改訂版のみソ連崩壊後の著述が多い。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://iscmrussia.ru/ ISCMロシアセクション]&lt;br /&gt;
*[http://www.proarte.ru/us/about/ プロアルテ]&lt;br /&gt;
*[http://www.ccmm.ru/ CCMM]&lt;br /&gt;
*[http://www.human.niigata-u.ac.jp/~masami/MusicTop.htm 現代ロシア音楽]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 余談 ==&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版の在日朝鮮人管理者竹麦魚は[[野田憲太郎]]に敵意を持っているため、ウィキペディア日本語版の本項目を削除した。竹麦魚の顔写真はすでに流出しているので、身元を突き止めるのは簡単だろう。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>よーろーのたき</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%9F%B3%E6%A5%BD&amp;diff=34208</id>
		<title>ロシアの現代音楽</title>
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				<updated>2008-07-30T21:19:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;よーろーのたき: 新しいページ: '{{クラシック音楽}}  ロシアの現代音楽はソビエト時代を完全に含む20世紀以降のロシア音楽をさす。ロシア・アヴァンギャルド...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{クラシック音楽}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ロシア]]の現代音楽はソビエト時代を完全に含む20世紀以降のロシア音楽をさす。ロシア・アヴァンギャルドの生みの親とされるアレクサンドル・スクリャービン以降、幅広く開花した。経緯は、スターリン政権の介入以後様々な屈折を経て現在に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== レーニン政権時代 ==&lt;br /&gt;
ソビエト連邦建国当時は音楽家への強制はほとんどなく、作曲家は競うようにしてスクリャービンの後継をになえる前衛作曲家になることを夢見た。セルゲイ・プロトポポフ、ニコライ・ロスラヴェツ、アレクサンドル・モソロフ、ニコライ・オブホフ、イワン・ヴィシネグラツキー、ほか総勢で20人くらいの作曲家が活動していたことが後日確認された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時代にロシア・アヴァンギャルドの作曲家達が次々と野心的な作品を作曲していた事実が西側に知られるようになったのは1990年代以降であり、楽譜出版も遅れてしまった。ソ連当局は彼らの存在を音楽事典からも抹消していたことが明らかとなった。収容所送りになるのを防ぐため、作曲家に対して楽譜の破棄すらも求めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロシア・アヴァンギャルドの作曲家達は総て共通の目的を持っていたわけではない。ロスラヴェツは新しい和音をテーマに創作を続けたが、モソロフのテーマはノイズと反復（まだこのころにはミニマリズムと言う概念すらなかった）であった。オブホフはマルチメディア的な音楽を夢見たらしいが、クロワソノールと呼ばれる創作楽器で資金が底をつくことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スターリン政権時代 ==&lt;br /&gt;
スターリンが政権を取ると、彼はグルジア民謡しか歌うことの出来ないくらい音楽的素養に欠けていたので、彼より素養のあるものは粛清の可能性を持つものとみなされるようになった。この時代の恐怖政治はショスタコーヴィチの苦悩時代と一致する。彼がアヴァンギャルドを捨てたのは身を守るため以外の何物でもなかった。『ムツェンスク郡のマクベス夫人』以降や『第9交響曲』以降の危機はこの作曲者をより保守的なものに向かわせた反面、徐々に音楽の中へ隠し絵的、メタ音楽な技法を織り込んでいくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ショスタコーヴィチはまだ国家からショパンコンクール出場を命じられるだけ共産党員と仲が良かったからペンを折ることがなく済んだが、彼以外の音楽家は多かれ少なかれ作風を曲げた。アレクサンドル・モソロフの手紙はスターリンによってゴミ箱行きになり、モソロフには「民謡風の合唱曲」を作ることが命じられて、没年までその業務にしぶしぶついた。サムイル・フェインベルクとアナトリー・アレクサンドロフはあっさりと共産党員の味方につき、彼らも「調性的」な作風で没年まで孤立を余儀なくされた。ソ連時代、西側の楽譜は総て「貸し出し」制になり、共産党員の許可がないとストラヴィンスキーの楽譜すら入手できなくなった。この時代に「情報を遮断された」ピアニストとヴァイオリニストの育成を国家予算で賄うことにもつながった。要は、総ての実験が打ち切られたのだ。（レフ・ブラセンコは「コンクールに勝つためなら、総ての合宿費が支給された」と述べる。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方でかつてのロシア音楽の演奏伝統は国家の手によって鍛えられた演奏家の手で、強引に守り抜かれることになった。現在でもソ連時代の作曲家の解釈の直伝は、ロシアでないと学べないと言われている。総ての作品が政治的に正しいことを証明するため、チャイコフスキーの序曲1812年がグリンカの作品を切り貼りして演奏されると言う事態に発展していた（スヴェトラーノフとゴロヴァノフがこの版で演奏）が、この問題はゴロヴァノフのCDが復刻されるまで一般市民には公表されていなかった。ショスタコーヴィチの死後、共産党を皮肉る合唱とピアノの曲「反形式主義的ラヨーク」が発見されたのも、その類である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
作風は曲げられても音楽家の命だけは守らねばならない、という危機感はすべての音楽家にあったようである。また、元から調性に親近感を持つ「古典的な」音楽家は優遇されたので、その系列の音楽家と反体制派のスターリン政権の証言は当然異なる。ティホン・フレンニコフは共産党員全員に根回しを行い、収容所行きを回避させるために数々の要職をしぶしぶ歴任した。彼の作品がヴァディム・レーピンとエフゲニー・キーシンによって1987年に来日公演が開かれたのも、その功績が国家の手で称えられたからであった。もちろん、反体制派からは称えられていない。その彼の作風は「政治的に極めて正しい社会主義リアリズム」であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時期を耐えた作曲家は優れた古典の演奏技術で知られる者（フレンニコフ、スヴェトラーノフ、ティシチェンコ、シチェドリン）を多く含む。ペレストロイカ以降は優れた古典の演奏技術で知られる作曲家ではなく、創造的な自作自演で知られる者（ゴルリンスキー、シェグラコフ、サフロノフ）に取って代わられた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 雪解け時代 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時代に入ると、唯一共産主義者として入国を許可されたルイジ・ノーノが楽譜をロシアに持ち込めたことで、ポスト・セリエル以降の情報が非公式ながら入手できた。依然として現代音楽の演奏を行った演奏家はブラックリストには入れられていたものの（アナトール・ウゴルスキの証言）、シベリア送りになることまではもはやなかった。この事情を反映してアリフレート・シニートケが「未だ古い音楽が聴衆や共産党員の間で聞かれ続けるのかはなぜか」、というシンプルな問いから、複数の様式が素材や構造の枠を飛び越えて共存する多様式主義を確立。『合奏協奏曲第1番』を初めとする作品群を次々と世に送り出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またテルミンなどの「伝統的電子楽器」も、ヨーロッパではあっけなく演奏伝統が滅んでいたものの、ロシア本国では密かに演奏伝統が継承されていた。テルミンのプロとして現在も楽器を操れる作曲家や演奏家が複数人確認出来る。アレクサンドル・ヴスティンは現在も現役のテルミンのプロ奏者であり、その技術を応用した電子作品も残されている。西側よりかなり遅れ、演劇的あるいは即興的な作風を世に問うマルティノフやグバイドゥーリナのような作曲家も出現した。数少なくロシアの入国を許可されたロック・グループやジャズ・バンドもロシアの音楽を鍛える一員になったことは否めない。その影響が国際的に知れ渡るきっかけになったのがニコライ・カプースチンの1990年代以降の創作活動である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴァレンチン・シルベストロフは1960年代に西側で作品発表を行っていたのがソ連当局にばれ、報告された後に作曲家連盟から除名されたが、彼はその後前衛色を総て捨て旋法的で聞きやすい作風を「自ら」選択した。アルヴォ・ぺルトの「ティンティナブリ様式」は宗教的な帰依のために開発された。両氏の様式の選択は、国家の手によって強制されたものではない。この時期に西側から前衛運動が停滞し、ソ連の看板となっていたショスタコーヴィチが亡くなった。世界のどこに行っても通用する大黒柱を失ったソ連の音楽界は1980年代以降、作曲と演奏の両面で迷走することになる。典型的な例が「チャイコフスキーコンクールの審査員やモスクワ音楽院の留学生に、多くのアジア人を受け入れたこと」である。当時のソ連は北朝鮮からの留学生も、政治的な取引の元で一定数受け入れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ショスタコーヴィチの没後、ガリーナ・ウストヴォルスカヤは地味に創作活動を続けていたが、世界的に再評価されるのはソ連崩壊以後である。シルベストロフやぺルトも、この時代には音盤化がなされず母国がソ連邦からの独立を果たせなかったこともあり、知名度が高くはなかった。演劇性の拡張に努めたウラディーミル・マルティノフや、「オペラ・オラトリオ」といった新たな形式を模索したニコライ・カレートニコフの存在がクローズアップされたのは1990年代であったが、カレートニコフはロシア当局の監視下に置かれたまま、その悲劇的な生涯を閉じている。現在もロシア語圏以外への紹介は、極めて少ない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ペレストロイカ以降 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソ連崩壊後、現代音楽の情報は完全に解禁された。モスクワ現代音楽アンサンブルの創立は1990年、モスクワ現代音楽スタジオの創立は1993年であり、ソ連崩壊まで現代音楽のアンサンブルを組むことすら、逮捕の口実になりえたのである。これらの現代音楽アンサンブルの創立の著しい遅延は、ロシアの若い演奏家へ計り知れないダメージを与えた。日本でも同様の現象が見られるが、「ロシア人の演奏家なのに、ロシアの現代作曲家を知らない」ということも依然として稀ではない。シニートケの音楽が日本やアメリカなどの資本主義国で広く聴かれるようになったのもこの時期であり、スウェーデンのBISレーベルはシニートケ全集を直後にスタートさせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国境すらも大きく変わり、ソフィア・グバイドゥーリナはタタールスタン共和国の作曲家、アラム・ハチャトゥリアンはグルジア生まれのアルメニアの作曲家と言った具合に、ソ連から独立に成功した共和国か独立を望む共和国の音楽家は、国家間では一切の連携を絶つことになった。コンクールの応募状況ですら、ロシア連邦内の共和国は切り離されて個別にカウントされる。これは作曲のみならず、演奏も同様の現象が生じている。それでもモスクワで学んだ音楽家の指導力に未だ依存している背景は変わっていない。そのために独立に成功した共和国は独自に現代音楽を奨励しようと言う動きが若干見られる模様である。近年のCall for Scoresにはウズベキスタンからの問い合わせすら珍しくない。バルト三国はそれまでモスクワの楽壇ともコンタクトがあったが、これを機に独自の路線を歩むことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代にはセルゲイ・ベリンスキー、アリフレート・シニートケ、モイセイ・ヴァインベルグらが相次いで亡くなり、またも大きな精神的支柱をロシアは失うことになった。活動に制限がなくなったため、国際コンクールへの挑戦も自由に行うことが出来るようになった。恐らく、コンスタンチン・シュモレヴィッチはロシア人初のガウデアムス音楽週間入選を果たすことが出来たが、これは留学先のフランスからの投函であった。ヴァレリー・ヴォロノフもルトスワフスキ作曲賞を2000年に得ている。アメリカのピアニスト、イヴァ・ミカショフはアメリカ人として初めてウクライナ人の作曲家のオレクサンダ・シチェティンスキー（シェチンスキ）に委嘱を授けた。シチェティンスキーはその後国際的な作曲賞を次々と制した（セロツキ、ルトスワフスキ、ルクセンブルク、デユティユ、マーラーの総てで入賞または優勝）ことで、楽壇の評判をさらった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モスクワ現代音楽アンサンブルがツアーを行った際、前半をロシア・アヴァンギャルドの作品、後半をアレクサンダー・ヴスティンからアレクセイ・シオウマクまでの世代をカヴァーした演奏会がイギリスで行われており、ロシアの新しい世代の作曲家達は2002年以降もオランダ、ポーランド、ドイツなどで定期的に上演され、高い評価を得ている。近年先輩格のボリス・フィラノフスキから、アレクセイ・シオウマクがサンクトペテルブルクで、Structural Resistance Groupを結成し、グループで動き出した。この時期はモスクワ音楽院で教鞭を取るウラジミール・タルノポルスキーが次々と世界に俊英を送り出したことも特筆される。ようやく指導陣が最先端の音楽語法をリアルタイムで継承できることになった、良い証明である。（それでも、旧共産党時代の「体制派」が一蹴されたわけではない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この世代に該当する作曲家はヴァディム・カラシコフ、ドミトリ・コゥリャンスキ、アレクセイ・シオウマク、アントン・サフロノフ、アッラ・ケッセルマン、ドミトリ・シェグラコフ、オルガ・アルシナ、オルガ・ボチヒナ、マリナ・コルコヴァ、ニコライ・クルスト、ウラジミル・ゴルリンスキーなどが挙げられる。当局によって海外活動を制限されることがなくなったため、学生でこぞって数々の国際マスタークラスに参加しており、以前では考えられない師事暦を持つ作曲家も増えた。ヴェラ・イヴァノヴァはロシアからアメリカ合衆国にわたって作曲を続けた、最初の成功例である。単なる偶然なのか、聞き苦しさや陰鬱な雰囲気に彩られた作品を多く見かけるのは、スターリン体制下の音楽家への不当な冷遇を想起させる。女性であっても、相当な音響の爆発が認められる点も特筆される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では国内で最も優秀とみなされた作曲家をDAAD研修プログラムで渡独させ、ベルリンで創作させることも行われている。この恩恵を受けた作曲家に、A.サフロノフ、D.クルリャンツキー、S.ネフスキーがいる。その中のD.クルリャンツキーがロシア人初のガウデアムス大賞に輝いたことにより、大きな歴史の変化がロシアから起きたと考えられている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*International Festival of Contemporary Music MOSCOW FORUM[http://www.ccmm.ru/ ]の1994年以降の冊子。 &lt;br /&gt;
*ensemble aleph第3回フォーラム発行のLog Book及びCDから、クリャンツキィーとネフスキィーのコメント。現在のロシア音楽の動向を知る上で貴重である。[http://www.ensemblealeph.com/Forums/forum5EN.html ] &lt;br /&gt;
*Tribune of Contemporary Music[http://iscmrussia.ru/index30.html ]の2005年以降の冊子。 &lt;br /&gt;
*Gaudeamus Music Week catalog&amp;amp;bulletin, issue from 1990. &lt;br /&gt;
*現代音楽のパサージュ　松平頼暁著、ぺルトのティンティナブリ様式に関する詳細な説明アリ。 &lt;br /&gt;
*ロディオン・シチェドリンと武満徹の対談。武満徹全集に含まれる。ロシアの共産党時代の教育や活動の制限について語られている。 &lt;br /&gt;
*1945年以降の前衛（改訂版のみ）ポール・グリフィス著、改訂版のみソ連崩壊後の著述が多い。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://iscmrussia.ru/ ISCMロシアセクション]&lt;br /&gt;
*[http://www.proarte.ru/us/about/ プロアルテ]&lt;br /&gt;
*[http://www.ccmm.ru/ CCMM]&lt;br /&gt;
*[http://www.human.niigata-u.ac.jp/~masami/MusicTop.htm 現代ロシア音楽]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>よーろーのたき</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E8%B6%85%E7%B5%B6%E6%8A%80%E5%B7%A7%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%9B%B2%E9%9B%86_(%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%82%A6)&amp;diff=34207</id>
		<title>超絶技巧練習曲集 (ファーニホウ)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E8%B6%85%E7%B5%B6%E6%8A%80%E5%B7%A7%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%9B%B2%E9%9B%86_(%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%82%A6)&amp;diff=34207"/>
				<updated>2008-07-30T21:15:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;よーろーのたき: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{クラシック音楽}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''超絶技巧練習曲集'''　('''Etudes transcendantales''')は[[ブライアン・ファーニホウ]]の作曲した[[ソプラノ]]、[[フルート]]、[[オーボエ]]、[[ハープシコード]]、[[チェロ]]のための組曲である。全9曲からなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 成立 ==&lt;br /&gt;
ファーニホウの連作集「発明の牢獄」のIntermedio IIとして構想された。アーノルト・シェーンベルク?のピエロ・リュネールの楽器法に対する一つの「反」回答のようなものとして作曲された。そのため、ピエロではメゾであった音域が上げられ、ピアノの代わりにモダンチェンバロが用いられる。フルート、オーボエは各種を持ち替える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、この作品で歌われるテクストはエルンスト・マイスターとアルルン・モルが海難事故?のメタファーについて語ったものが使われている。ドイツ語で「、、沈む、、」と語られるシーンではチェロのピチカートのグリッサンドが使われており、描写性が加味されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソプラノは曲の後半でクラベスを用いなければならない。そのセクションでは、ソプラノは人が溺れる際の擬音に似た子音の羅列を発声する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 初演 ==&lt;br /&gt;
[[1985年]]、[[イタリア]]の[[ヴェニス]]で[[ヌイウ・アンサンブル]]によって初演された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書法 ==&lt;br /&gt;
この作品はファーニホウの作風の第二期の頂点にあったことも含めて、考えられないほどの高度な非合理時価&amp;lt;ref&amp;gt;1/4を、'''わざわざ5/20と呼んで、さらに連符で要所が区切られる'''ほど徹底している。アタックポイントがここまで厳密なのは、第二期のみ。&amp;lt;/ref&amp;gt;が用いられることでも知られる。「非合理小節&amp;lt;ref&amp;gt;本人は&amp;quot;irrational&amp;quot; time-signatureと述べており、本来は「非合理的拍子記号」である。しかし、ファーニホウのこの作品は一小節ごとに拍子が絶えず変化しており、「非合理的拍子記号を用いた小節」を「非合理小節」と便宜上呼んでも、差し支えはない。&amp;lt;/ref&amp;gt;」の使用も頻出する。[http://www.idrs.org/Publications/DR/DR9.2/DR9.2.Post.html ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この作品ではオクターブ関係も同一のピッチから、一つの楽器は極限的な動きをする一方、もう片方の楽器はロングトーンと沈黙が多用されるデュオが発想の源泉になっている。非合理時価は時として五重にまで編みこまれ、ソロのみではアタックポイントが知覚出来ない書法を極限まで追及している。非合理時価がかけられた楽器同士のシンクロナイズドが頻繁に指示されており、「重奏での超絶技巧」を要求する練習曲と言う意味で、19世紀のヴァーチュオシティーとは事情が全く異なる。TACETのままの楽器も多い前半から、後半に向けて徐々に密度が上げられ終曲でようやく全ての楽器が動的に「カデンツァ」を奏する。重低音もチェンバロのみかつ作品全体が高音域を多用するため、全体的に透明感が漂う。シュプレッヒシュティンメはほぼ用いられず、終曲で残りのテクストを音読する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徹底的に「反ピエロ・リュネール」を掲げたこの作品から、「オン・ステラ・マグニチュード(1994)」でピエロ・リュネールを再評価するまでに11年かかっている。ラストのクオドリベットでは全ての作品が一小節に圧縮されるが、この技法は「まったくもって時間なし」や「エクソルディウム」などの近年の技法にも繋がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出版 ==&lt;br /&gt;
ペータース社から(EP7310)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*■Richard ToopがエトセトラからのCDリリースのときに寄せたライナーノート, 1994 18:35&lt;br /&gt;
*■James Boros&amp;amp;Richard Toop, Brian Ferneyhough Collected writings, Harwood Academic Publishers, 1995 18:35&lt;br /&gt;
*■1987年のドナウエッシンゲン音楽祭による「発明の牢獄」全曲演奏のときに寄せられた本人のプログラムノート, 1987 18:35&lt;br /&gt;
*■La Revue Entretemps N° 03 (ircam, 1987) 18:35&lt;br /&gt;
*http://en.wikipedia.org/Etudes_Trancendentales&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==余談==&lt;br /&gt;
[[小西規勝]]は[[福井利器]]に利用者:ＮｉＫｅのアカウントを売った。その後、福井利器は徹底的に野田憲太郎をストーキングしている。その実態は、ウィキペディア日本語版の本項目で確認できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{music-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:ファーニホウの楽曲]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:室内楽曲]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:声楽曲]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>よーろーのたき</name></author>	</entry>

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		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E8%B6%85%E7%B5%B6%E6%8A%80%E5%B7%A7%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%9B%B2%E9%9B%86_(%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%82%A6)&amp;diff=34206</id>
		<title>超絶技巧練習曲集 (ファーニホウ)</title>
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				<updated>2008-07-30T21:11:08Z</updated>
		
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{クラシック音楽}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''超絶技巧練習曲集'''　('''Etudes transcendantales''')は[[ブライアン・ファーニホウ]]の作曲した[[ソプラノ]]、[[フルート]]、[[オーボエ]]、[[ハープシコード]]、[[チェロ]]のための組曲である。全9曲からなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 成立 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファーニホウの連作集「発明の牢獄」のIntermedio IIとして構想された。アーノルト・シェーンベルク?のピエロ・リュネールの楽器法に対する一つの「反」回答のようなものとして作曲された。そのため、ピエロではメゾであった音域が上げられ、ピアノの代わりにモダンチェンバロが用いられる。フルート、オーボエは各種を持ち替える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、この作品で歌われるテクストはエルンスト・マイスターとアルルン・モルが海難事故?のメタファーについて語ったものが使われている。ドイツ語で「、、沈む、、」と語られるシーンではチェロのピチカートのグリッサンドが使われており、描写性が加味されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソプラノは曲の後半でクラベスを用いなければならない。そのセクションでは、ソプラノは人が溺れる際の擬音に似た子音の羅列を発声する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 初演 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1985年、イタリアのヴェニスでヌイウ・アンサンブル?によって初演された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書法 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この作品はファーニホウの作風の第二期の頂点にあったことも含めて、考えられないほどの高度な非合理時価&amp;lt;ref&amp;gt;1/4を、'''わざわざ5/20と呼んで、さらに連符で要所が区切られる'''ほど徹底している。アタックポイントがここまで厳密なのは、第二期のみ。&amp;lt;/ref&amp;gt;が用いられることでも知られる。「非合理小節&amp;lt;ref&amp;gt;本人は&amp;quot;irrational&amp;quot; time-signatureと述べており、本来は「非合理的拍子記号」である。しかし、ファーニホウのこの作品は一小節ごとに拍子が絶えず変化しており、「非合理的拍子記号を用いた小節」を「非合理小節」と便宜上呼んでも、差し支えはない。&amp;lt;/ref&amp;gt;」の使用も頻出する。[http://www.idrs.org/Publications/DR/DR9.2/DR9.2.Post.html ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この作品ではオクターブ関係も同一のピッチから、一つの楽器は極限的な動きをする一方、もう片方の楽器はロングトーンと沈黙が多用されるデュオが発想の源泉になっている。非合理時価は時として五重にまで編みこまれ、ソロのみではアタックポイントが知覚出来ない書法を極限まで追及している。非合理時価がかけられた楽器同士のシンクロナイズドが頻繁に指示されており、「重奏での超絶技巧」を要求する練習曲と言う意味で、19世紀のヴァーチュオシティーとは事情が全く異なる。TACETのままの楽器も多い前半から、後半に向けて徐々に密度が上げられ終曲でようやく全ての楽器が動的に「カデンツァ」を奏する。重低音もチェンバロのみかつ作品全体が高音域を多用するため、全体的に透明感が漂う。シュプレッヒシュティンメはほぼ用いられず、終曲で残りのテクストを音読する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徹底的に「反ピエロ・リュネール」を掲げたこの作品から、「オン・ステラ・マグニチュード(1994)」でピエロ・リュネールを再評価するまでに11年かかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出版 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペータース社から(EP7310)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*■Richard ToopがエトセトラからのCDリリースのときに寄せたライナーノート, 1994 18:35&lt;br /&gt;
*■James Boros&amp;amp;Richard Toop, Brian Ferneyhough Collected writings, Harwood Academic Publishers, 1995 18:35&lt;br /&gt;
*■1987年のドナウエッシンゲン音楽祭による「発明の牢獄」全曲演奏のときに寄せられた本人のプログラムノート, 1987 18:35&lt;br /&gt;
*■La Revue Entretemps N° 03 (ircam, 1987) 18:35&lt;br /&gt;
*http://em.wikipedia.org/Etudes_Trancendentales&lt;br /&gt;
==注==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{music-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[Category:ファーニホウの楽曲]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
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		<author><name>よーろーのたき</name></author>	</entry>

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