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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-08T12:29:55Z</updated>
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		<title>新左翼 (日本)</title>
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				<updated>2020-05-17T09:39:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* アナ革連（ARF）系 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;日本の'''新左翼'''（しんさよく）とは、[[日本]]での「'''[[新左翼]]'''」と呼ばれる[[政治思想]]や政治運動、政治勢力のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1960年代]]以降に[[欧米]]などの先進国と同様に、日本でも従来の[[日本共産党]]や[[日本社会党]]などを「'''[[既成左翼]]'''」と呼んで批判し、より[[急進主義|急進的]]な革命や[[暴力革命]]を掲げて、直接行動や実力闘争を重視した運動を展開した諸勢力が、特に[[大学生]]などを中心に台頭した。特に[[安保闘争]]や[[ベトナム]]反戦運動などに大きな影響を与えたが、[[安保闘争#70年安保|70年安保]]以降は内部の[[内ゲバ]]や爆弾闘争などの[[テロリズム]]もあり、影響力は低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「新左翼」とは総称であり、多数の党派や支持者を含み、その定義や範囲は立場によっても変化する。反政府、反[[帝国主義]]、反[[日本共産党|共産党]]、[[スターリン主義]]批判などの基本路線では一致していたが、[[イデオロギー]]的には[[アナキズム]]、[[マルクス主義]]（[[レーニン主義]]、[[トロツキズム]]、[[毛沢東主義]]）、[[構造改革派]]などの幅をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本においては、[[ヨシフ・スターリン]]が創設した[[コミンテルン]]（第三インターナショナル）日本支部の系譜であった[[日本共産党]]による方針や、同党の[[二段階革命論]]及び[[一国社会主義論]]、[[日本社会党]]の[[平和革命]]論を拒否し、独自の[[社会主義]]運動を追求すると主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コミンテルン]]系譜の[[共産党]]を、[[スターリニズム|スターリン主義]]として批判する立場に立っているタイプは、「一国社会主義」を掲げる[[ヨシフ・スターリン]]と敵対し、「[[永続革命論|世界革命]]」を主張した[[レフ・トロツキー]]([[トロツキズム]])の復権や、「真の[[マルクス・レーニン主義]]」あるいは「[[反スターリン主義]]」を思想的旗印にする（主に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]系各派、あるいは[[共産主義者同盟]]系各派）。また、スターリン主義発生のルーツを[[レーニン主義]]にまで遡って批判する[[解放派]]は、「前衛党指導主義」を批判し、「大衆の自然発生性」を評価した「[[ローザ・ルクセンブルク]]主義」を掲げている。新左翼は、理想主義的ラジカリズムを掲げ、社会党・共産党の「議会革命」方針に「暴力革命」を対置・強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新左翼の運動は、世界的に「[[ステューデント・パワー]]」が高揚した[[1968年]]を頂点に一定の大衆的支持を得たが、[[1970年代|70年代]]に入り支持が離れていくにつれて、爆弾闘争などのテロリズムと激しい左翼運動内部の抗争(いわゆる[[内ゲバ]])を繰り広げていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[共産主義]]が持つ「独裁主義体制」を批判し、共産主義的新左翼の側からは「反共的極左」と呼ばれる'''無政府主義'''（[[アナキズム]]）が存在し、共産主義者と抗争を繰り返した。彼らは、[[カール・マルクス]]と敵対した[[ミハイル・バクーニン]]の影響を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本の新左翼の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
==== スターリン批判とハンガリー動乱 ====&lt;br /&gt;
[[1956年]][[ソ連共産党]]第20回大会において、全ソ労評議長としてスターリンに仕えた[[ニキータ・フルシチョフ]]党第1書記が、スターリンの[[独裁]]・個人崇拝・[[粛清]]を暴露し（[[スターリン批判]]）、国際共産主義運動の玉座から引き摺り下ろした。[[日本共産党]]をはじめとする西側の各共産党指導部は、この批判に対して無反応であった。しかし、各国共産党内のとりわけ青年・学生部分は重大事と受け止め、1956年の[[ハンガリー動乱]]の衝撃によって、急進的な学生を中心に[[コミンテルン]]直流の共産党からの訣別が加速されることになった。日本でも、[[黒田寛一]]、[[太田竜]]らが、それまで在籍した共産党から訣別して、[[1957年]]に[[日本トロツキスト連盟]]（58年に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]に改組）を結成した。しかし、トロツキスト連盟組織内部において、[[トロツキズム]]を受容し国際組織[[第四インターナショナル]]に加盟することを主張するグループ（太田竜、[[西京司]]ら）と、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系＝[[反スターリン主義]]による[[前衛党]]建設」を主張するグループ（黒田寛一、[[本多延嘉]]ら[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]派）に分裂していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1960年代 ===&lt;br /&gt;
==== ブントと1960年安保闘争 ====&lt;br /&gt;
一方、同時期である[[1955年]]に日本共産党は[[日本共産党第6回全国協議会|第6回全国協議会]]（六全協）を開催し、[[毛沢東思想|中国革命]]に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の[[武装闘争]]路線を正式に放棄した。これに不満を持つ学生党員は、[[1958年]]に[[共産主義者同盟]]（ブント）を結成し、「暴力革命」路線を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]、[[岸信介]]内閣が[[日米安全保障条約]]の永続化を目指すと、普段は政治と接点のない一般国民の間からも激しい反発の声が上がった。日本社会党・日本共産党が、突出した闘争で支持者が離れることを恐れて請願デモしか行わない中、共産主義者同盟（ブント）に結集した[[全日本学生自治会総連合]]は、国会突入などの実力行使で一部の国民から喝采を浴びた（60年[[安保闘争]]）。「闘わない既成左翼、闘う新左翼」とは、この頃新左翼の側から発生した表現である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安保闘争は連日数十万人のデモが国会を包囲する未曾有の高揚を示したが、日米安全保障条約は成立。一方で岸内閣は総辞職する。共産主義者同盟（ブント）は「条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、四分五裂の分裂を開始することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 革共同全国委の分裂と革労協の形成 ====&lt;br /&gt;
[[1963年]]、[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]（革共同）の第3次分裂が起こり、いわゆる[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が成立する。また、[[1965年]]には、日本社会党の青年組織である[[社会主義青年同盟]]の武装闘争派が公然たる分派として「解放派」を名乗り、[[1969年]]に[[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]（革労協）を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中核派と革労協が、大衆運動および実力行使を重視するのに対し、革マル派は組織形成と理論・党建設を重視するなど、路線が対極をなしていた。革マル派は「他党派の解体が自派の拡大、ひいては革命運動の前進につながる」といった論理で他党派の活動家を襲撃し、それに対して他党派も報復したため、次第に「[[内ゲバ]]」が激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 全共闘運動 ====&lt;br /&gt;
日米安全保障条約は、10年ごとに更新されることになっており、[[1970年]]の更新が迫っていた時期に更新を阻止すべく、あるいは学生管理に抗議し（[[学園闘争]]）、あるいは[[1972年]]に迫った[[沖縄返還]]を問題視して、新左翼諸党派は、[[全学共闘会議]]（全共闘）に介入していく。全共闘は[[アナキスト]]に近い[[ノンセクト・ラジカル]]（急進的無党派）色の強い運動だったが、運動に党派の力学が介入し、それに応じて党派の主導権争いが激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1970年代 ===&lt;br /&gt;
==== アナキストの新展開 ====&lt;br /&gt;
アナキストは戦後は[[日本アナキスト連盟]]が存在したが、広報以外にさしたる活動もしておらず、個々の活動家やグループが各地に活動組織を形成していた。結社的、サークル的傾向の関東・東京のアナキストに対して、より活動的だったのは関西のアナキストであった。[[アナキスト]]に多い小結社志向を越えて、1969年に黒色ブントと呼ばれた統一組織としての[[アナキスト革命連合]] (ARF) を結成し、対権力や対マルクス派新左翼諸派の中でも、精力的な組織的活動を展開した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ブントの分裂 ====&lt;br /&gt;
1970年、日米安全保障条約は自動更新され、学園闘争も当局側が勝利し、一般学生は急速に運動から離れて行った。学生運動においても、中軸的存在である[[共産主義者同盟]]（ブント）が、革命戦争路線の[[赤軍派]]を最左翼に、それと正反対の[[叛旗派]]、[[情況派]]（後の遠方派）を最右翼とし、[[共産主義者同盟戦旗派|戦旗派]]（荒派）、[[共産主義者同盟 (全国委員会)|烽火派]]、その他（神奈川県左派、南部地区委員会の合同による[[共産主義者同盟蜂起派|蜂起派]](連合戦旗派)等）へと分裂し、四分五裂状態となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争 ====&lt;br /&gt;
[[1972年]]以降、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]や[[革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]の内ゲバが約100人の死者を出すまでに激しくなった。また、[[赤軍派]]の流れをくむ[[連合赤軍]]がの12人もの仲間を「粛清」の名の下に殺す[[山岳ベース事件]]を起こし、最後には[[あさま山荘事件]]を起こす。そのため一般学生の運動離れが決定的となる。地下に潜った一部の[[黒ヘル]]の過激グループは、[[東アジア反日武装戦線]]を結成し、爆弾闘争を計画、一部を実行し多数の死傷者をだした（[[三菱重工爆破事件]]など）。爆破計画の多くは、構成員の逮捕などにより、未遂に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後 ===&lt;br /&gt;
[[学生自治]]の伝統のある[[大学]]では、[[1990年代]]半ばまで新左翼が一定の影響力を残したが、近年では大学側が攻勢に出て排除される場合が多い。「自治会」側が大学側の攻勢にほとんど対抗しえていないのは、「内ゲバ」をこととする新左翼諸党派による大学の暴力支配（他党派の活動家やノンセクト活動家などを暴力的に排除することが日常的に行われていた）や新左翼自身のテロや殺人を行ってきた「負の歴史」によって、一般学生の支持を失っていることが最大の原因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代に入り、ソ連などの「社会主義国家」群崩壊によって、その内部事情が明らかになるにつれ、組織・運動から離れていった者も少なくない。21世紀に入ってからは高齢化という問題も浮上した。新左翼諸派はさらなる孤立化を防ぎ、若手の獲得のため非合法活動を控え、ソフトな合法活動に力を入れているのが最近のすう勢である。若手獲得・組織拡大の具体的方法には、セクト色を隠し労働組合や市民運動を通しての組織拡大、地方議会への進出、青年組織を再建しその拡大に重点を置くといった方法がある。中核派が、同派と関係のある「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会」を通して、2005年に反対運動を繰り広げたことや、2004年に開催された「11.7全国労働者総決起集会」で、過去最高の約2,350人を動員した（平成17年　警察白書より）ことなどはその代表例と言える。また、革マル派はセクト色を隠し、同派系の団体を通しての反戦運動・反基地運動に取り組んだり、同派と関係のない他団体が主催する集会に参加したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方議員を抱えている党派は中核派、[[日本労働党]]、[[緑の党]]（三橋派）、[[市民の党]]（旧「[[MPD・平和と民主運動]]」「大衆党」「[[平和:市民]]」）、[[日本共産党 (左派)]]（「人民の星」派）、旧[[共産主義労働者党]]など。旧[[社会主義労働者党]]や旧[[マルクス主義青年同盟]]も国政選挙や知事選挙に出馬したが、当選者を出すには至らなかった。現在では新左翼各派は独自の候補者を出馬させることは少なく、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの[[既成左翼]]の候補者を支援することが多い。（ただし、日本共産党を支持することは滅多にない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、新左翼が使用する基本的外国語は、[[ドイツ語]]だった。例、パルタイ、ブント、ケルン、ゲヴァルトetc。これはマルクスとエンゲルスがドイツ語を使用し、またマルクスと関係の深い哲学が[[ヘーゲル]]をはじめ、[[ドイツ観念論]]や[[ヘーゲル左派]]などドイツ系の哲学であり、原書がドイツ語だったことによる。[[英語]]の使用頻度が高くなるのは、[[日本赤軍]]など海外で活動するグループの登場以降である。新左翼における文法語学から、実用語学への転換ともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 新左翼からの転向 ====&lt;br /&gt;
左翼から[[右翼]]へ転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する（[[マルクス主義青年同盟]]→[[民主統一同盟]]など）。新左翼運動から環境主義運動へ軸足を移す者も多い、いわゆる'''赤から緑'''へと言う傾向である。[[共産主義者同盟]]（[[ブント]]）の戦旗日向派は[[市民団体]]の[[ブント (市民団体)|ブント]]へと改称し共産主義を放棄しNGOを名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、一部はオカルト界にも進出し、[[オウム真理教]]を台頭させる土壌作りを果たすことにもなった。（詳細については[[日本原住民論]]、[[反日亡国論]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な新左翼党派 ==&lt;br /&gt;
1960年代は[[5流13派]]、それ以降は無数の党派が生まれた。&lt;br /&gt;
5流とは、[[革共同]]系、[[共産同]]系、[[社青同]]（[[革労協]]）系、[[構造改革|構改派]]系（[[ソ連派]]も含まれる）、[[毛沢東思想|中国派]]系。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 革共同系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的共産主義者同盟全国委員会]]（中核派）&lt;br /&gt;
* [[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]（革マル派）&lt;br /&gt;
* 日本革命的共産主義者同盟（第四インターナショナル日本支部）（第四インターナショナル統一書記局派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共産同系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟 (統一委員会)&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟 (全国委員会)蜂火派&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟戦旗派&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟叛旗派（叛旗派）&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟赤軍派]]&lt;br /&gt;
** [[連合赤軍]]&lt;br /&gt;
** [[日本赤軍]]&lt;br /&gt;
*** ムーブメント連帯&lt;br /&gt;
* 新党「革命21」準備会（旧・協同・未来）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社青同（革労協）系 ===&lt;br /&gt;
* 革命的労働者協会（社会党社青同解放派）--現代社&lt;br /&gt;
* 革命的労働者協会（解放派）--赤砦社&lt;br /&gt;
* 革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会（解放派全協または労対派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 構改派系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義労働者党（共労党）&lt;br /&gt;
* 社会主義同盟（フロント）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党|日本共産党 (日本のこえ) ]]- ソ連派&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国派系 ===&lt;br /&gt;
* 毛沢東思想研究会&lt;br /&gt;
* [[日本共産党|日本共産党 (左派)]]（日共左派）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党|日本共産党 (マルクス・レーニン主義)]]（日共ML派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アナ革連（ARF）系 ===&lt;br /&gt;
* アナキスト革命連合&lt;br /&gt;
* アナキスト社会革命戦線&lt;br /&gt;
* 無政府共産主義者同盟&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
* 高沢皓司・高木正幸・倉田計成 『新左翼二十年史-叛乱の軌跡』 新泉社、1981年8月&lt;br /&gt;
* 高木正幸 『新左翼三十年史-年表・系図・索引付』 土曜美術社、1988年11月&lt;br /&gt;
* 立花隆 『中核VS革マル（上・下）』 談社〈講談社文庫〉、1983年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成17年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』272号、2006年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成16年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』270号、2005年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「警備警察50年-警備警察50年 ～現行警察法施行50周年記念特集号～」『焦点』269号、2004年&lt;br /&gt;
* 警察庁　『昭和63年警察白書―「テロ、ゲリラ」の根絶を目指して』 1988年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党]]&lt;br /&gt;
* [[全学共闘会議]]&lt;br /&gt;
* [[学生運動]]&lt;br /&gt;
* [[全日本学生自治会総連合]]&lt;br /&gt;
* [[成田空港問題]]&lt;br /&gt;
* [[過激派]]&lt;br /&gt;
* [[ニセ「左翼」暴力集団]]&lt;br /&gt;
* [[公安警察]]&lt;br /&gt;
* [[テロリズム]]&lt;br /&gt;
* [[ゲリラ活動]]&lt;br /&gt;
* [[拠点校 (学生運動)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんさよく}}&lt;br /&gt;
[[Category:戦後日本の社会運動]]&lt;br /&gt;
[[Category:新左翼|*にほん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼|!]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼の思想・文化|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼団体|*]]&lt;br /&gt;
[[category:日本の社会主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:共産主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:無政府主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

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		<title>新左翼 (日本)</title>
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				<updated>2020-05-17T09:39:27Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 中国派系 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;日本の'''新左翼'''（しんさよく）とは、[[日本]]での「'''[[新左翼]]'''」と呼ばれる[[政治思想]]や政治運動、政治勢力のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1960年代]]以降に[[欧米]]などの先進国と同様に、日本でも従来の[[日本共産党]]や[[日本社会党]]などを「'''[[既成左翼]]'''」と呼んで批判し、より[[急進主義|急進的]]な革命や[[暴力革命]]を掲げて、直接行動や実力闘争を重視した運動を展開した諸勢力が、特に[[大学生]]などを中心に台頭した。特に[[安保闘争]]や[[ベトナム]]反戦運動などに大きな影響を与えたが、[[安保闘争#70年安保|70年安保]]以降は内部の[[内ゲバ]]や爆弾闘争などの[[テロリズム]]もあり、影響力は低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「新左翼」とは総称であり、多数の党派や支持者を含み、その定義や範囲は立場によっても変化する。反政府、反[[帝国主義]]、反[[日本共産党|共産党]]、[[スターリン主義]]批判などの基本路線では一致していたが、[[イデオロギー]]的には[[アナキズム]]、[[マルクス主義]]（[[レーニン主義]]、[[トロツキズム]]、[[毛沢東主義]]）、[[構造改革派]]などの幅をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本においては、[[ヨシフ・スターリン]]が創設した[[コミンテルン]]（第三インターナショナル）日本支部の系譜であった[[日本共産党]]による方針や、同党の[[二段階革命論]]及び[[一国社会主義論]]、[[日本社会党]]の[[平和革命]]論を拒否し、独自の[[社会主義]]運動を追求すると主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コミンテルン]]系譜の[[共産党]]を、[[スターリニズム|スターリン主義]]として批判する立場に立っているタイプは、「一国社会主義」を掲げる[[ヨシフ・スターリン]]と敵対し、「[[永続革命論|世界革命]]」を主張した[[レフ・トロツキー]]([[トロツキズム]])の復権や、「真の[[マルクス・レーニン主義]]」あるいは「[[反スターリン主義]]」を思想的旗印にする（主に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]系各派、あるいは[[共産主義者同盟]]系各派）。また、スターリン主義発生のルーツを[[レーニン主義]]にまで遡って批判する[[解放派]]は、「前衛党指導主義」を批判し、「大衆の自然発生性」を評価した「[[ローザ・ルクセンブルク]]主義」を掲げている。新左翼は、理想主義的ラジカリズムを掲げ、社会党・共産党の「議会革命」方針に「暴力革命」を対置・強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新左翼の運動は、世界的に「[[ステューデント・パワー]]」が高揚した[[1968年]]を頂点に一定の大衆的支持を得たが、[[1970年代|70年代]]に入り支持が離れていくにつれて、爆弾闘争などのテロリズムと激しい左翼運動内部の抗争(いわゆる[[内ゲバ]])を繰り広げていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[共産主義]]が持つ「独裁主義体制」を批判し、共産主義的新左翼の側からは「反共的極左」と呼ばれる'''無政府主義'''（[[アナキズム]]）が存在し、共産主義者と抗争を繰り返した。彼らは、[[カール・マルクス]]と敵対した[[ミハイル・バクーニン]]の影響を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本の新左翼の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
==== スターリン批判とハンガリー動乱 ====&lt;br /&gt;
[[1956年]][[ソ連共産党]]第20回大会において、全ソ労評議長としてスターリンに仕えた[[ニキータ・フルシチョフ]]党第1書記が、スターリンの[[独裁]]・個人崇拝・[[粛清]]を暴露し（[[スターリン批判]]）、国際共産主義運動の玉座から引き摺り下ろした。[[日本共産党]]をはじめとする西側の各共産党指導部は、この批判に対して無反応であった。しかし、各国共産党内のとりわけ青年・学生部分は重大事と受け止め、1956年の[[ハンガリー動乱]]の衝撃によって、急進的な学生を中心に[[コミンテルン]]直流の共産党からの訣別が加速されることになった。日本でも、[[黒田寛一]]、[[太田竜]]らが、それまで在籍した共産党から訣別して、[[1957年]]に[[日本トロツキスト連盟]]（58年に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]に改組）を結成した。しかし、トロツキスト連盟組織内部において、[[トロツキズム]]を受容し国際組織[[第四インターナショナル]]に加盟することを主張するグループ（太田竜、[[西京司]]ら）と、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系＝[[反スターリン主義]]による[[前衛党]]建設」を主張するグループ（黒田寛一、[[本多延嘉]]ら[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]派）に分裂していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1960年代 ===&lt;br /&gt;
==== ブントと1960年安保闘争 ====&lt;br /&gt;
一方、同時期である[[1955年]]に日本共産党は[[日本共産党第6回全国協議会|第6回全国協議会]]（六全協）を開催し、[[毛沢東思想|中国革命]]に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の[[武装闘争]]路線を正式に放棄した。これに不満を持つ学生党員は、[[1958年]]に[[共産主義者同盟]]（ブント）を結成し、「暴力革命」路線を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]、[[岸信介]]内閣が[[日米安全保障条約]]の永続化を目指すと、普段は政治と接点のない一般国民の間からも激しい反発の声が上がった。日本社会党・日本共産党が、突出した闘争で支持者が離れることを恐れて請願デモしか行わない中、共産主義者同盟（ブント）に結集した[[全日本学生自治会総連合]]は、国会突入などの実力行使で一部の国民から喝采を浴びた（60年[[安保闘争]]）。「闘わない既成左翼、闘う新左翼」とは、この頃新左翼の側から発生した表現である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安保闘争は連日数十万人のデモが国会を包囲する未曾有の高揚を示したが、日米安全保障条約は成立。一方で岸内閣は総辞職する。共産主義者同盟（ブント）は「条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、四分五裂の分裂を開始することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 革共同全国委の分裂と革労協の形成 ====&lt;br /&gt;
[[1963年]]、[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]（革共同）の第3次分裂が起こり、いわゆる[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が成立する。また、[[1965年]]には、日本社会党の青年組織である[[社会主義青年同盟]]の武装闘争派が公然たる分派として「解放派」を名乗り、[[1969年]]に[[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]（革労協）を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中核派と革労協が、大衆運動および実力行使を重視するのに対し、革マル派は組織形成と理論・党建設を重視するなど、路線が対極をなしていた。革マル派は「他党派の解体が自派の拡大、ひいては革命運動の前進につながる」といった論理で他党派の活動家を襲撃し、それに対して他党派も報復したため、次第に「[[内ゲバ]]」が激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 全共闘運動 ====&lt;br /&gt;
日米安全保障条約は、10年ごとに更新されることになっており、[[1970年]]の更新が迫っていた時期に更新を阻止すべく、あるいは学生管理に抗議し（[[学園闘争]]）、あるいは[[1972年]]に迫った[[沖縄返還]]を問題視して、新左翼諸党派は、[[全学共闘会議]]（全共闘）に介入していく。全共闘は[[アナキスト]]に近い[[ノンセクト・ラジカル]]（急進的無党派）色の強い運動だったが、運動に党派の力学が介入し、それに応じて党派の主導権争いが激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1970年代 ===&lt;br /&gt;
==== アナキストの新展開 ====&lt;br /&gt;
アナキストは戦後は[[日本アナキスト連盟]]が存在したが、広報以外にさしたる活動もしておらず、個々の活動家やグループが各地に活動組織を形成していた。結社的、サークル的傾向の関東・東京のアナキストに対して、より活動的だったのは関西のアナキストであった。[[アナキスト]]に多い小結社志向を越えて、1969年に黒色ブントと呼ばれた統一組織としての[[アナキスト革命連合]] (ARF) を結成し、対権力や対マルクス派新左翼諸派の中でも、精力的な組織的活動を展開した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ブントの分裂 ====&lt;br /&gt;
1970年、日米安全保障条約は自動更新され、学園闘争も当局側が勝利し、一般学生は急速に運動から離れて行った。学生運動においても、中軸的存在である[[共産主義者同盟]]（ブント）が、革命戦争路線の[[赤軍派]]を最左翼に、それと正反対の[[叛旗派]]、[[情況派]]（後の遠方派）を最右翼とし、[[共産主義者同盟戦旗派|戦旗派]]（荒派）、[[共産主義者同盟 (全国委員会)|烽火派]]、その他（神奈川県左派、南部地区委員会の合同による[[共産主義者同盟蜂起派|蜂起派]](連合戦旗派)等）へと分裂し、四分五裂状態となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争 ====&lt;br /&gt;
[[1972年]]以降、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]や[[革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]の内ゲバが約100人の死者を出すまでに激しくなった。また、[[赤軍派]]の流れをくむ[[連合赤軍]]がの12人もの仲間を「粛清」の名の下に殺す[[山岳ベース事件]]を起こし、最後には[[あさま山荘事件]]を起こす。そのため一般学生の運動離れが決定的となる。地下に潜った一部の[[黒ヘル]]の過激グループは、[[東アジア反日武装戦線]]を結成し、爆弾闘争を計画、一部を実行し多数の死傷者をだした（[[三菱重工爆破事件]]など）。爆破計画の多くは、構成員の逮捕などにより、未遂に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後 ===&lt;br /&gt;
[[学生自治]]の伝統のある[[大学]]では、[[1990年代]]半ばまで新左翼が一定の影響力を残したが、近年では大学側が攻勢に出て排除される場合が多い。「自治会」側が大学側の攻勢にほとんど対抗しえていないのは、「内ゲバ」をこととする新左翼諸党派による大学の暴力支配（他党派の活動家やノンセクト活動家などを暴力的に排除することが日常的に行われていた）や新左翼自身のテロや殺人を行ってきた「負の歴史」によって、一般学生の支持を失っていることが最大の原因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代に入り、ソ連などの「社会主義国家」群崩壊によって、その内部事情が明らかになるにつれ、組織・運動から離れていった者も少なくない。21世紀に入ってからは高齢化という問題も浮上した。新左翼諸派はさらなる孤立化を防ぎ、若手の獲得のため非合法活動を控え、ソフトな合法活動に力を入れているのが最近のすう勢である。若手獲得・組織拡大の具体的方法には、セクト色を隠し労働組合や市民運動を通しての組織拡大、地方議会への進出、青年組織を再建しその拡大に重点を置くといった方法がある。中核派が、同派と関係のある「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会」を通して、2005年に反対運動を繰り広げたことや、2004年に開催された「11.7全国労働者総決起集会」で、過去最高の約2,350人を動員した（平成17年　警察白書より）ことなどはその代表例と言える。また、革マル派はセクト色を隠し、同派系の団体を通しての反戦運動・反基地運動に取り組んだり、同派と関係のない他団体が主催する集会に参加したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方議員を抱えている党派は中核派、[[日本労働党]]、[[緑の党]]（三橋派）、[[市民の党]]（旧「[[MPD・平和と民主運動]]」「大衆党」「[[平和:市民]]」）、[[日本共産党 (左派)]]（「人民の星」派）、旧[[共産主義労働者党]]など。旧[[社会主義労働者党]]や旧[[マルクス主義青年同盟]]も国政選挙や知事選挙に出馬したが、当選者を出すには至らなかった。現在では新左翼各派は独自の候補者を出馬させることは少なく、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの[[既成左翼]]の候補者を支援することが多い。（ただし、日本共産党を支持することは滅多にない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、新左翼が使用する基本的外国語は、[[ドイツ語]]だった。例、パルタイ、ブント、ケルン、ゲヴァルトetc。これはマルクスとエンゲルスがドイツ語を使用し、またマルクスと関係の深い哲学が[[ヘーゲル]]をはじめ、[[ドイツ観念論]]や[[ヘーゲル左派]]などドイツ系の哲学であり、原書がドイツ語だったことによる。[[英語]]の使用頻度が高くなるのは、[[日本赤軍]]など海外で活動するグループの登場以降である。新左翼における文法語学から、実用語学への転換ともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 新左翼からの転向 ====&lt;br /&gt;
左翼から[[右翼]]へ転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する（[[マルクス主義青年同盟]]→[[民主統一同盟]]など）。新左翼運動から環境主義運動へ軸足を移す者も多い、いわゆる'''赤から緑'''へと言う傾向である。[[共産主義者同盟]]（[[ブント]]）の戦旗日向派は[[市民団体]]の[[ブント (市民団体)|ブント]]へと改称し共産主義を放棄しNGOを名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、一部はオカルト界にも進出し、[[オウム真理教]]を台頭させる土壌作りを果たすことにもなった。（詳細については[[日本原住民論]]、[[反日亡国論]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な新左翼党派 ==&lt;br /&gt;
1960年代は[[5流13派]]、それ以降は無数の党派が生まれた。&lt;br /&gt;
5流とは、[[革共同]]系、[[共産同]]系、[[社青同]]（[[革労協]]）系、[[構造改革|構改派]]系（[[ソ連派]]も含まれる）、[[毛沢東思想|中国派]]系。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 革共同系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的共産主義者同盟全国委員会]]（中核派）&lt;br /&gt;
* [[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]（革マル派）&lt;br /&gt;
* 日本革命的共産主義者同盟（第四インターナショナル日本支部）（第四インターナショナル統一書記局派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共産同系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟 (統一委員会)&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟 (全国委員会)蜂火派&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟戦旗派&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟叛旗派（叛旗派）&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟赤軍派]]&lt;br /&gt;
** [[連合赤軍]]&lt;br /&gt;
** [[日本赤軍]]&lt;br /&gt;
*** ムーブメント連帯&lt;br /&gt;
* 新党「革命21」準備会（旧・協同・未来）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社青同（革労協）系 ===&lt;br /&gt;
* 革命的労働者協会（社会党社青同解放派）--現代社&lt;br /&gt;
* 革命的労働者協会（解放派）--赤砦社&lt;br /&gt;
* 革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会（解放派全協または労対派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 構改派系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義労働者党（共労党）&lt;br /&gt;
* 社会主義同盟（フロント）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党|日本共産党 (日本のこえ) ]]- ソ連派&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国派系 ===&lt;br /&gt;
* 毛沢東思想研究会&lt;br /&gt;
* [[日本共産党|日本共産党 (左派)]]（日共左派）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党|日本共産党 (マルクス・レーニン主義)]]（日共ML派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アナ革連（ARF）系 ===&lt;br /&gt;
* [[アナキスト革命連合]]&lt;br /&gt;
* [[アナキスト社会革命戦線]]&lt;br /&gt;
* [[無政府共産主義者同盟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
* 高沢皓司・高木正幸・倉田計成 『新左翼二十年史-叛乱の軌跡』 新泉社、1981年8月&lt;br /&gt;
* 高木正幸 『新左翼三十年史-年表・系図・索引付』 土曜美術社、1988年11月&lt;br /&gt;
* 立花隆 『中核VS革マル（上・下）』 談社〈講談社文庫〉、1983年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成17年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』272号、2006年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成16年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』270号、2005年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「警備警察50年-警備警察50年 ～現行警察法施行50周年記念特集号～」『焦点』269号、2004年&lt;br /&gt;
* 警察庁　『昭和63年警察白書―「テロ、ゲリラ」の根絶を目指して』 1988年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党]]&lt;br /&gt;
* [[全学共闘会議]]&lt;br /&gt;
* [[学生運動]]&lt;br /&gt;
* [[全日本学生自治会総連合]]&lt;br /&gt;
* [[成田空港問題]]&lt;br /&gt;
* [[過激派]]&lt;br /&gt;
* [[ニセ「左翼」暴力集団]]&lt;br /&gt;
* [[公安警察]]&lt;br /&gt;
* [[テロリズム]]&lt;br /&gt;
* [[ゲリラ活動]]&lt;br /&gt;
* [[拠点校 (学生運動)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんさよく}}&lt;br /&gt;
[[Category:戦後日本の社会運動]]&lt;br /&gt;
[[Category:新左翼|*にほん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼|!]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼の思想・文化|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼団体|*]]&lt;br /&gt;
[[category:日本の社会主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:共産主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:無政府主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E5%B7%A6%E7%BF%BC_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)&amp;diff=385480</id>
		<title>新左翼 (日本)</title>
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				<updated>2020-05-17T09:38:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 構改派系 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;日本の'''新左翼'''（しんさよく）とは、[[日本]]での「'''[[新左翼]]'''」と呼ばれる[[政治思想]]や政治運動、政治勢力のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1960年代]]以降に[[欧米]]などの先進国と同様に、日本でも従来の[[日本共産党]]や[[日本社会党]]などを「'''[[既成左翼]]'''」と呼んで批判し、より[[急進主義|急進的]]な革命や[[暴力革命]]を掲げて、直接行動や実力闘争を重視した運動を展開した諸勢力が、特に[[大学生]]などを中心に台頭した。特に[[安保闘争]]や[[ベトナム]]反戦運動などに大きな影響を与えたが、[[安保闘争#70年安保|70年安保]]以降は内部の[[内ゲバ]]や爆弾闘争などの[[テロリズム]]もあり、影響力は低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「新左翼」とは総称であり、多数の党派や支持者を含み、その定義や範囲は立場によっても変化する。反政府、反[[帝国主義]]、反[[日本共産党|共産党]]、[[スターリン主義]]批判などの基本路線では一致していたが、[[イデオロギー]]的には[[アナキズム]]、[[マルクス主義]]（[[レーニン主義]]、[[トロツキズム]]、[[毛沢東主義]]）、[[構造改革派]]などの幅をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本においては、[[ヨシフ・スターリン]]が創設した[[コミンテルン]]（第三インターナショナル）日本支部の系譜であった[[日本共産党]]による方針や、同党の[[二段階革命論]]及び[[一国社会主義論]]、[[日本社会党]]の[[平和革命]]論を拒否し、独自の[[社会主義]]運動を追求すると主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コミンテルン]]系譜の[[共産党]]を、[[スターリニズム|スターリン主義]]として批判する立場に立っているタイプは、「一国社会主義」を掲げる[[ヨシフ・スターリン]]と敵対し、「[[永続革命論|世界革命]]」を主張した[[レフ・トロツキー]]([[トロツキズム]])の復権や、「真の[[マルクス・レーニン主義]]」あるいは「[[反スターリン主義]]」を思想的旗印にする（主に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]系各派、あるいは[[共産主義者同盟]]系各派）。また、スターリン主義発生のルーツを[[レーニン主義]]にまで遡って批判する[[解放派]]は、「前衛党指導主義」を批判し、「大衆の自然発生性」を評価した「[[ローザ・ルクセンブルク]]主義」を掲げている。新左翼は、理想主義的ラジカリズムを掲げ、社会党・共産党の「議会革命」方針に「暴力革命」を対置・強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新左翼の運動は、世界的に「[[ステューデント・パワー]]」が高揚した[[1968年]]を頂点に一定の大衆的支持を得たが、[[1970年代|70年代]]に入り支持が離れていくにつれて、爆弾闘争などのテロリズムと激しい左翼運動内部の抗争(いわゆる[[内ゲバ]])を繰り広げていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[共産主義]]が持つ「独裁主義体制」を批判し、共産主義的新左翼の側からは「反共的極左」と呼ばれる'''無政府主義'''（[[アナキズム]]）が存在し、共産主義者と抗争を繰り返した。彼らは、[[カール・マルクス]]と敵対した[[ミハイル・バクーニン]]の影響を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本の新左翼の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
==== スターリン批判とハンガリー動乱 ====&lt;br /&gt;
[[1956年]][[ソ連共産党]]第20回大会において、全ソ労評議長としてスターリンに仕えた[[ニキータ・フルシチョフ]]党第1書記が、スターリンの[[独裁]]・個人崇拝・[[粛清]]を暴露し（[[スターリン批判]]）、国際共産主義運動の玉座から引き摺り下ろした。[[日本共産党]]をはじめとする西側の各共産党指導部は、この批判に対して無反応であった。しかし、各国共産党内のとりわけ青年・学生部分は重大事と受け止め、1956年の[[ハンガリー動乱]]の衝撃によって、急進的な学生を中心に[[コミンテルン]]直流の共産党からの訣別が加速されることになった。日本でも、[[黒田寛一]]、[[太田竜]]らが、それまで在籍した共産党から訣別して、[[1957年]]に[[日本トロツキスト連盟]]（58年に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]に改組）を結成した。しかし、トロツキスト連盟組織内部において、[[トロツキズム]]を受容し国際組織[[第四インターナショナル]]に加盟することを主張するグループ（太田竜、[[西京司]]ら）と、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系＝[[反スターリン主義]]による[[前衛党]]建設」を主張するグループ（黒田寛一、[[本多延嘉]]ら[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]派）に分裂していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1960年代 ===&lt;br /&gt;
==== ブントと1960年安保闘争 ====&lt;br /&gt;
一方、同時期である[[1955年]]に日本共産党は[[日本共産党第6回全国協議会|第6回全国協議会]]（六全協）を開催し、[[毛沢東思想|中国革命]]に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の[[武装闘争]]路線を正式に放棄した。これに不満を持つ学生党員は、[[1958年]]に[[共産主義者同盟]]（ブント）を結成し、「暴力革命」路線を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]、[[岸信介]]内閣が[[日米安全保障条約]]の永続化を目指すと、普段は政治と接点のない一般国民の間からも激しい反発の声が上がった。日本社会党・日本共産党が、突出した闘争で支持者が離れることを恐れて請願デモしか行わない中、共産主義者同盟（ブント）に結集した[[全日本学生自治会総連合]]は、国会突入などの実力行使で一部の国民から喝采を浴びた（60年[[安保闘争]]）。「闘わない既成左翼、闘う新左翼」とは、この頃新左翼の側から発生した表現である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安保闘争は連日数十万人のデモが国会を包囲する未曾有の高揚を示したが、日米安全保障条約は成立。一方で岸内閣は総辞職する。共産主義者同盟（ブント）は「条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、四分五裂の分裂を開始することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 革共同全国委の分裂と革労協の形成 ====&lt;br /&gt;
[[1963年]]、[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]（革共同）の第3次分裂が起こり、いわゆる[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が成立する。また、[[1965年]]には、日本社会党の青年組織である[[社会主義青年同盟]]の武装闘争派が公然たる分派として「解放派」を名乗り、[[1969年]]に[[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]（革労協）を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中核派と革労協が、大衆運動および実力行使を重視するのに対し、革マル派は組織形成と理論・党建設を重視するなど、路線が対極をなしていた。革マル派は「他党派の解体が自派の拡大、ひいては革命運動の前進につながる」といった論理で他党派の活動家を襲撃し、それに対して他党派も報復したため、次第に「[[内ゲバ]]」が激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 全共闘運動 ====&lt;br /&gt;
日米安全保障条約は、10年ごとに更新されることになっており、[[1970年]]の更新が迫っていた時期に更新を阻止すべく、あるいは学生管理に抗議し（[[学園闘争]]）、あるいは[[1972年]]に迫った[[沖縄返還]]を問題視して、新左翼諸党派は、[[全学共闘会議]]（全共闘）に介入していく。全共闘は[[アナキスト]]に近い[[ノンセクト・ラジカル]]（急進的無党派）色の強い運動だったが、運動に党派の力学が介入し、それに応じて党派の主導権争いが激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1970年代 ===&lt;br /&gt;
==== アナキストの新展開 ====&lt;br /&gt;
アナキストは戦後は[[日本アナキスト連盟]]が存在したが、広報以外にさしたる活動もしておらず、個々の活動家やグループが各地に活動組織を形成していた。結社的、サークル的傾向の関東・東京のアナキストに対して、より活動的だったのは関西のアナキストであった。[[アナキスト]]に多い小結社志向を越えて、1969年に黒色ブントと呼ばれた統一組織としての[[アナキスト革命連合]] (ARF) を結成し、対権力や対マルクス派新左翼諸派の中でも、精力的な組織的活動を展開した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ブントの分裂 ====&lt;br /&gt;
1970年、日米安全保障条約は自動更新され、学園闘争も当局側が勝利し、一般学生は急速に運動から離れて行った。学生運動においても、中軸的存在である[[共産主義者同盟]]（ブント）が、革命戦争路線の[[赤軍派]]を最左翼に、それと正反対の[[叛旗派]]、[[情況派]]（後の遠方派）を最右翼とし、[[共産主義者同盟戦旗派|戦旗派]]（荒派）、[[共産主義者同盟 (全国委員会)|烽火派]]、その他（神奈川県左派、南部地区委員会の合同による[[共産主義者同盟蜂起派|蜂起派]](連合戦旗派)等）へと分裂し、四分五裂状態となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争 ====&lt;br /&gt;
[[1972年]]以降、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]や[[革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]の内ゲバが約100人の死者を出すまでに激しくなった。また、[[赤軍派]]の流れをくむ[[連合赤軍]]がの12人もの仲間を「粛清」の名の下に殺す[[山岳ベース事件]]を起こし、最後には[[あさま山荘事件]]を起こす。そのため一般学生の運動離れが決定的となる。地下に潜った一部の[[黒ヘル]]の過激グループは、[[東アジア反日武装戦線]]を結成し、爆弾闘争を計画、一部を実行し多数の死傷者をだした（[[三菱重工爆破事件]]など）。爆破計画の多くは、構成員の逮捕などにより、未遂に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後 ===&lt;br /&gt;
[[学生自治]]の伝統のある[[大学]]では、[[1990年代]]半ばまで新左翼が一定の影響力を残したが、近年では大学側が攻勢に出て排除される場合が多い。「自治会」側が大学側の攻勢にほとんど対抗しえていないのは、「内ゲバ」をこととする新左翼諸党派による大学の暴力支配（他党派の活動家やノンセクト活動家などを暴力的に排除することが日常的に行われていた）や新左翼自身のテロや殺人を行ってきた「負の歴史」によって、一般学生の支持を失っていることが最大の原因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代に入り、ソ連などの「社会主義国家」群崩壊によって、その内部事情が明らかになるにつれ、組織・運動から離れていった者も少なくない。21世紀に入ってからは高齢化という問題も浮上した。新左翼諸派はさらなる孤立化を防ぎ、若手の獲得のため非合法活動を控え、ソフトな合法活動に力を入れているのが最近のすう勢である。若手獲得・組織拡大の具体的方法には、セクト色を隠し労働組合や市民運動を通しての組織拡大、地方議会への進出、青年組織を再建しその拡大に重点を置くといった方法がある。中核派が、同派と関係のある「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会」を通して、2005年に反対運動を繰り広げたことや、2004年に開催された「11.7全国労働者総決起集会」で、過去最高の約2,350人を動員した（平成17年　警察白書より）ことなどはその代表例と言える。また、革マル派はセクト色を隠し、同派系の団体を通しての反戦運動・反基地運動に取り組んだり、同派と関係のない他団体が主催する集会に参加したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方議員を抱えている党派は中核派、[[日本労働党]]、[[緑の党]]（三橋派）、[[市民の党]]（旧「[[MPD・平和と民主運動]]」「大衆党」「[[平和:市民]]」）、[[日本共産党 (左派)]]（「人民の星」派）、旧[[共産主義労働者党]]など。旧[[社会主義労働者党]]や旧[[マルクス主義青年同盟]]も国政選挙や知事選挙に出馬したが、当選者を出すには至らなかった。現在では新左翼各派は独自の候補者を出馬させることは少なく、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの[[既成左翼]]の候補者を支援することが多い。（ただし、日本共産党を支持することは滅多にない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、新左翼が使用する基本的外国語は、[[ドイツ語]]だった。例、パルタイ、ブント、ケルン、ゲヴァルトetc。これはマルクスとエンゲルスがドイツ語を使用し、またマルクスと関係の深い哲学が[[ヘーゲル]]をはじめ、[[ドイツ観念論]]や[[ヘーゲル左派]]などドイツ系の哲学であり、原書がドイツ語だったことによる。[[英語]]の使用頻度が高くなるのは、[[日本赤軍]]など海外で活動するグループの登場以降である。新左翼における文法語学から、実用語学への転換ともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 新左翼からの転向 ====&lt;br /&gt;
左翼から[[右翼]]へ転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する（[[マルクス主義青年同盟]]→[[民主統一同盟]]など）。新左翼運動から環境主義運動へ軸足を移す者も多い、いわゆる'''赤から緑'''へと言う傾向である。[[共産主義者同盟]]（[[ブント]]）の戦旗日向派は[[市民団体]]の[[ブント (市民団体)|ブント]]へと改称し共産主義を放棄しNGOを名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、一部はオカルト界にも進出し、[[オウム真理教]]を台頭させる土壌作りを果たすことにもなった。（詳細については[[日本原住民論]]、[[反日亡国論]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な新左翼党派 ==&lt;br /&gt;
1960年代は[[5流13派]]、それ以降は無数の党派が生まれた。&lt;br /&gt;
5流とは、[[革共同]]系、[[共産同]]系、[[社青同]]（[[革労協]]）系、[[構造改革|構改派]]系（[[ソ連派]]も含まれる）、[[毛沢東思想|中国派]]系。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 革共同系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的共産主義者同盟全国委員会]]（中核派）&lt;br /&gt;
* [[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]（革マル派）&lt;br /&gt;
* 日本革命的共産主義者同盟（第四インターナショナル日本支部）（第四インターナショナル統一書記局派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共産同系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟 (統一委員会)&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟 (全国委員会)蜂火派&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟戦旗派&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟叛旗派（叛旗派）&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟赤軍派]]&lt;br /&gt;
** [[連合赤軍]]&lt;br /&gt;
** [[日本赤軍]]&lt;br /&gt;
*** ムーブメント連帯&lt;br /&gt;
* 新党「革命21」準備会（旧・協同・未来）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社青同（革労協）系 ===&lt;br /&gt;
* 革命的労働者協会（社会党社青同解放派）--現代社&lt;br /&gt;
* 革命的労働者協会（解放派）--赤砦社&lt;br /&gt;
* 革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会（解放派全協または労対派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 構改派系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義労働者党（共労党）&lt;br /&gt;
* 社会主義同盟（フロント）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党|日本共産党 (日本のこえ) ]]- ソ連派&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国派系 ===&lt;br /&gt;
* [[毛沢東思想研究会]]&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (左派)]]（日共左派）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (マルクス・レーニン主義)]]（日共ML派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アナ革連（ARF）系 ===&lt;br /&gt;
* [[アナキスト革命連合]]&lt;br /&gt;
* [[アナキスト社会革命戦線]]&lt;br /&gt;
* [[無政府共産主義者同盟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
* 高沢皓司・高木正幸・倉田計成 『新左翼二十年史-叛乱の軌跡』 新泉社、1981年8月&lt;br /&gt;
* 高木正幸 『新左翼三十年史-年表・系図・索引付』 土曜美術社、1988年11月&lt;br /&gt;
* 立花隆 『中核VS革マル（上・下）』 談社〈講談社文庫〉、1983年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成17年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』272号、2006年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成16年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』270号、2005年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「警備警察50年-警備警察50年 ～現行警察法施行50周年記念特集号～」『焦点』269号、2004年&lt;br /&gt;
* 警察庁　『昭和63年警察白書―「テロ、ゲリラ」の根絶を目指して』 1988年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党]]&lt;br /&gt;
* [[全学共闘会議]]&lt;br /&gt;
* [[学生運動]]&lt;br /&gt;
* [[全日本学生自治会総連合]]&lt;br /&gt;
* [[成田空港問題]]&lt;br /&gt;
* [[過激派]]&lt;br /&gt;
* [[ニセ「左翼」暴力集団]]&lt;br /&gt;
* [[公安警察]]&lt;br /&gt;
* [[テロリズム]]&lt;br /&gt;
* [[ゲリラ活動]]&lt;br /&gt;
* [[拠点校 (学生運動)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんさよく}}&lt;br /&gt;
[[Category:戦後日本の社会運動]]&lt;br /&gt;
[[Category:新左翼|*にほん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼|!]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼の思想・文化|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼団体|*]]&lt;br /&gt;
[[category:日本の社会主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:共産主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:無政府主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E5%B7%A6%E7%BF%BC_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)&amp;diff=385479</id>
		<title>新左翼 (日本)</title>
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				<updated>2020-05-17T09:37:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 社青同（革労協）系 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;日本の'''新左翼'''（しんさよく）とは、[[日本]]での「'''[[新左翼]]'''」と呼ばれる[[政治思想]]や政治運動、政治勢力のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1960年代]]以降に[[欧米]]などの先進国と同様に、日本でも従来の[[日本共産党]]や[[日本社会党]]などを「'''[[既成左翼]]'''」と呼んで批判し、より[[急進主義|急進的]]な革命や[[暴力革命]]を掲げて、直接行動や実力闘争を重視した運動を展開した諸勢力が、特に[[大学生]]などを中心に台頭した。特に[[安保闘争]]や[[ベトナム]]反戦運動などに大きな影響を与えたが、[[安保闘争#70年安保|70年安保]]以降は内部の[[内ゲバ]]や爆弾闘争などの[[テロリズム]]もあり、影響力は低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「新左翼」とは総称であり、多数の党派や支持者を含み、その定義や範囲は立場によっても変化する。反政府、反[[帝国主義]]、反[[日本共産党|共産党]]、[[スターリン主義]]批判などの基本路線では一致していたが、[[イデオロギー]]的には[[アナキズム]]、[[マルクス主義]]（[[レーニン主義]]、[[トロツキズム]]、[[毛沢東主義]]）、[[構造改革派]]などの幅をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本においては、[[ヨシフ・スターリン]]が創設した[[コミンテルン]]（第三インターナショナル）日本支部の系譜であった[[日本共産党]]による方針や、同党の[[二段階革命論]]及び[[一国社会主義論]]、[[日本社会党]]の[[平和革命]]論を拒否し、独自の[[社会主義]]運動を追求すると主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コミンテルン]]系譜の[[共産党]]を、[[スターリニズム|スターリン主義]]として批判する立場に立っているタイプは、「一国社会主義」を掲げる[[ヨシフ・スターリン]]と敵対し、「[[永続革命論|世界革命]]」を主張した[[レフ・トロツキー]]([[トロツキズム]])の復権や、「真の[[マルクス・レーニン主義]]」あるいは「[[反スターリン主義]]」を思想的旗印にする（主に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]系各派、あるいは[[共産主義者同盟]]系各派）。また、スターリン主義発生のルーツを[[レーニン主義]]にまで遡って批判する[[解放派]]は、「前衛党指導主義」を批判し、「大衆の自然発生性」を評価した「[[ローザ・ルクセンブルク]]主義」を掲げている。新左翼は、理想主義的ラジカリズムを掲げ、社会党・共産党の「議会革命」方針に「暴力革命」を対置・強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新左翼の運動は、世界的に「[[ステューデント・パワー]]」が高揚した[[1968年]]を頂点に一定の大衆的支持を得たが、[[1970年代|70年代]]に入り支持が離れていくにつれて、爆弾闘争などのテロリズムと激しい左翼運動内部の抗争(いわゆる[[内ゲバ]])を繰り広げていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[共産主義]]が持つ「独裁主義体制」を批判し、共産主義的新左翼の側からは「反共的極左」と呼ばれる'''無政府主義'''（[[アナキズム]]）が存在し、共産主義者と抗争を繰り返した。彼らは、[[カール・マルクス]]と敵対した[[ミハイル・バクーニン]]の影響を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本の新左翼の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
==== スターリン批判とハンガリー動乱 ====&lt;br /&gt;
[[1956年]][[ソ連共産党]]第20回大会において、全ソ労評議長としてスターリンに仕えた[[ニキータ・フルシチョフ]]党第1書記が、スターリンの[[独裁]]・個人崇拝・[[粛清]]を暴露し（[[スターリン批判]]）、国際共産主義運動の玉座から引き摺り下ろした。[[日本共産党]]をはじめとする西側の各共産党指導部は、この批判に対して無反応であった。しかし、各国共産党内のとりわけ青年・学生部分は重大事と受け止め、1956年の[[ハンガリー動乱]]の衝撃によって、急進的な学生を中心に[[コミンテルン]]直流の共産党からの訣別が加速されることになった。日本でも、[[黒田寛一]]、[[太田竜]]らが、それまで在籍した共産党から訣別して、[[1957年]]に[[日本トロツキスト連盟]]（58年に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]に改組）を結成した。しかし、トロツキスト連盟組織内部において、[[トロツキズム]]を受容し国際組織[[第四インターナショナル]]に加盟することを主張するグループ（太田竜、[[西京司]]ら）と、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系＝[[反スターリン主義]]による[[前衛党]]建設」を主張するグループ（黒田寛一、[[本多延嘉]]ら[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]派）に分裂していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1960年代 ===&lt;br /&gt;
==== ブントと1960年安保闘争 ====&lt;br /&gt;
一方、同時期である[[1955年]]に日本共産党は[[日本共産党第6回全国協議会|第6回全国協議会]]（六全協）を開催し、[[毛沢東思想|中国革命]]に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の[[武装闘争]]路線を正式に放棄した。これに不満を持つ学生党員は、[[1958年]]に[[共産主義者同盟]]（ブント）を結成し、「暴力革命」路線を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]、[[岸信介]]内閣が[[日米安全保障条約]]の永続化を目指すと、普段は政治と接点のない一般国民の間からも激しい反発の声が上がった。日本社会党・日本共産党が、突出した闘争で支持者が離れることを恐れて請願デモしか行わない中、共産主義者同盟（ブント）に結集した[[全日本学生自治会総連合]]は、国会突入などの実力行使で一部の国民から喝采を浴びた（60年[[安保闘争]]）。「闘わない既成左翼、闘う新左翼」とは、この頃新左翼の側から発生した表現である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安保闘争は連日数十万人のデモが国会を包囲する未曾有の高揚を示したが、日米安全保障条約は成立。一方で岸内閣は総辞職する。共産主義者同盟（ブント）は「条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、四分五裂の分裂を開始することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 革共同全国委の分裂と革労協の形成 ====&lt;br /&gt;
[[1963年]]、[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]（革共同）の第3次分裂が起こり、いわゆる[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が成立する。また、[[1965年]]には、日本社会党の青年組織である[[社会主義青年同盟]]の武装闘争派が公然たる分派として「解放派」を名乗り、[[1969年]]に[[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]（革労協）を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中核派と革労協が、大衆運動および実力行使を重視するのに対し、革マル派は組織形成と理論・党建設を重視するなど、路線が対極をなしていた。革マル派は「他党派の解体が自派の拡大、ひいては革命運動の前進につながる」といった論理で他党派の活動家を襲撃し、それに対して他党派も報復したため、次第に「[[内ゲバ]]」が激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 全共闘運動 ====&lt;br /&gt;
日米安全保障条約は、10年ごとに更新されることになっており、[[1970年]]の更新が迫っていた時期に更新を阻止すべく、あるいは学生管理に抗議し（[[学園闘争]]）、あるいは[[1972年]]に迫った[[沖縄返還]]を問題視して、新左翼諸党派は、[[全学共闘会議]]（全共闘）に介入していく。全共闘は[[アナキスト]]に近い[[ノンセクト・ラジカル]]（急進的無党派）色の強い運動だったが、運動に党派の力学が介入し、それに応じて党派の主導権争いが激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1970年代 ===&lt;br /&gt;
==== アナキストの新展開 ====&lt;br /&gt;
アナキストは戦後は[[日本アナキスト連盟]]が存在したが、広報以外にさしたる活動もしておらず、個々の活動家やグループが各地に活動組織を形成していた。結社的、サークル的傾向の関東・東京のアナキストに対して、より活動的だったのは関西のアナキストであった。[[アナキスト]]に多い小結社志向を越えて、1969年に黒色ブントと呼ばれた統一組織としての[[アナキスト革命連合]] (ARF) を結成し、対権力や対マルクス派新左翼諸派の中でも、精力的な組織的活動を展開した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ブントの分裂 ====&lt;br /&gt;
1970年、日米安全保障条約は自動更新され、学園闘争も当局側が勝利し、一般学生は急速に運動から離れて行った。学生運動においても、中軸的存在である[[共産主義者同盟]]（ブント）が、革命戦争路線の[[赤軍派]]を最左翼に、それと正反対の[[叛旗派]]、[[情況派]]（後の遠方派）を最右翼とし、[[共産主義者同盟戦旗派|戦旗派]]（荒派）、[[共産主義者同盟 (全国委員会)|烽火派]]、その他（神奈川県左派、南部地区委員会の合同による[[共産主義者同盟蜂起派|蜂起派]](連合戦旗派)等）へと分裂し、四分五裂状態となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争 ====&lt;br /&gt;
[[1972年]]以降、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]や[[革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]の内ゲバが約100人の死者を出すまでに激しくなった。また、[[赤軍派]]の流れをくむ[[連合赤軍]]がの12人もの仲間を「粛清」の名の下に殺す[[山岳ベース事件]]を起こし、最後には[[あさま山荘事件]]を起こす。そのため一般学生の運動離れが決定的となる。地下に潜った一部の[[黒ヘル]]の過激グループは、[[東アジア反日武装戦線]]を結成し、爆弾闘争を計画、一部を実行し多数の死傷者をだした（[[三菱重工爆破事件]]など）。爆破計画の多くは、構成員の逮捕などにより、未遂に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後 ===&lt;br /&gt;
[[学生自治]]の伝統のある[[大学]]では、[[1990年代]]半ばまで新左翼が一定の影響力を残したが、近年では大学側が攻勢に出て排除される場合が多い。「自治会」側が大学側の攻勢にほとんど対抗しえていないのは、「内ゲバ」をこととする新左翼諸党派による大学の暴力支配（他党派の活動家やノンセクト活動家などを暴力的に排除することが日常的に行われていた）や新左翼自身のテロや殺人を行ってきた「負の歴史」によって、一般学生の支持を失っていることが最大の原因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代に入り、ソ連などの「社会主義国家」群崩壊によって、その内部事情が明らかになるにつれ、組織・運動から離れていった者も少なくない。21世紀に入ってからは高齢化という問題も浮上した。新左翼諸派はさらなる孤立化を防ぎ、若手の獲得のため非合法活動を控え、ソフトな合法活動に力を入れているのが最近のすう勢である。若手獲得・組織拡大の具体的方法には、セクト色を隠し労働組合や市民運動を通しての組織拡大、地方議会への進出、青年組織を再建しその拡大に重点を置くといった方法がある。中核派が、同派と関係のある「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会」を通して、2005年に反対運動を繰り広げたことや、2004年に開催された「11.7全国労働者総決起集会」で、過去最高の約2,350人を動員した（平成17年　警察白書より）ことなどはその代表例と言える。また、革マル派はセクト色を隠し、同派系の団体を通しての反戦運動・反基地運動に取り組んだり、同派と関係のない他団体が主催する集会に参加したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方議員を抱えている党派は中核派、[[日本労働党]]、[[緑の党]]（三橋派）、[[市民の党]]（旧「[[MPD・平和と民主運動]]」「大衆党」「[[平和:市民]]」）、[[日本共産党 (左派)]]（「人民の星」派）、旧[[共産主義労働者党]]など。旧[[社会主義労働者党]]や旧[[マルクス主義青年同盟]]も国政選挙や知事選挙に出馬したが、当選者を出すには至らなかった。現在では新左翼各派は独自の候補者を出馬させることは少なく、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの[[既成左翼]]の候補者を支援することが多い。（ただし、日本共産党を支持することは滅多にない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、新左翼が使用する基本的外国語は、[[ドイツ語]]だった。例、パルタイ、ブント、ケルン、ゲヴァルトetc。これはマルクスとエンゲルスがドイツ語を使用し、またマルクスと関係の深い哲学が[[ヘーゲル]]をはじめ、[[ドイツ観念論]]や[[ヘーゲル左派]]などドイツ系の哲学であり、原書がドイツ語だったことによる。[[英語]]の使用頻度が高くなるのは、[[日本赤軍]]など海外で活動するグループの登場以降である。新左翼における文法語学から、実用語学への転換ともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 新左翼からの転向 ====&lt;br /&gt;
左翼から[[右翼]]へ転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する（[[マルクス主義青年同盟]]→[[民主統一同盟]]など）。新左翼運動から環境主義運動へ軸足を移す者も多い、いわゆる'''赤から緑'''へと言う傾向である。[[共産主義者同盟]]（[[ブント]]）の戦旗日向派は[[市民団体]]の[[ブント (市民団体)|ブント]]へと改称し共産主義を放棄しNGOを名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、一部はオカルト界にも進出し、[[オウム真理教]]を台頭させる土壌作りを果たすことにもなった。（詳細については[[日本原住民論]]、[[反日亡国論]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な新左翼党派 ==&lt;br /&gt;
1960年代は[[5流13派]]、それ以降は無数の党派が生まれた。&lt;br /&gt;
5流とは、[[革共同]]系、[[共産同]]系、[[社青同]]（[[革労協]]）系、[[構造改革|構改派]]系（[[ソ連派]]も含まれる）、[[毛沢東思想|中国派]]系。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 革共同系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的共産主義者同盟全国委員会]]（中核派）&lt;br /&gt;
* [[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]（革マル派）&lt;br /&gt;
* 日本革命的共産主義者同盟（第四インターナショナル日本支部）（第四インターナショナル統一書記局派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共産同系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟 (統一委員会)&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟 (全国委員会)蜂火派&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟戦旗派&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟叛旗派（叛旗派）&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟赤軍派]]&lt;br /&gt;
** [[連合赤軍]]&lt;br /&gt;
** [[日本赤軍]]&lt;br /&gt;
*** ムーブメント連帯&lt;br /&gt;
* 新党「革命21」準備会（旧・協同・未来）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社青同（革労協）系 ===&lt;br /&gt;
* 革命的労働者協会（社会党社青同解放派）--現代社&lt;br /&gt;
* 革命的労働者協会（解放派）--赤砦社&lt;br /&gt;
* 革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会（解放派全協または労対派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 構改派系 ===&lt;br /&gt;
* [[共産主義労働者党]]（共労党）&lt;br /&gt;
* [[社会主義同盟]]（フロント）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (日本のこえ)]] - ソ連派&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国派系 ===&lt;br /&gt;
* [[毛沢東思想研究会]]&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (左派)]]（日共左派）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (マルクス・レーニン主義)]]（日共ML派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アナ革連（ARF）系 ===&lt;br /&gt;
* [[アナキスト革命連合]]&lt;br /&gt;
* [[アナキスト社会革命戦線]]&lt;br /&gt;
* [[無政府共産主義者同盟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
* 高沢皓司・高木正幸・倉田計成 『新左翼二十年史-叛乱の軌跡』 新泉社、1981年8月&lt;br /&gt;
* 高木正幸 『新左翼三十年史-年表・系図・索引付』 土曜美術社、1988年11月&lt;br /&gt;
* 立花隆 『中核VS革マル（上・下）』 談社〈講談社文庫〉、1983年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成17年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』272号、2006年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成16年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』270号、2005年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「警備警察50年-警備警察50年 ～現行警察法施行50周年記念特集号～」『焦点』269号、2004年&lt;br /&gt;
* 警察庁　『昭和63年警察白書―「テロ、ゲリラ」の根絶を目指して』 1988年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党]]&lt;br /&gt;
* [[全学共闘会議]]&lt;br /&gt;
* [[学生運動]]&lt;br /&gt;
* [[全日本学生自治会総連合]]&lt;br /&gt;
* [[成田空港問題]]&lt;br /&gt;
* [[過激派]]&lt;br /&gt;
* [[ニセ「左翼」暴力集団]]&lt;br /&gt;
* [[公安警察]]&lt;br /&gt;
* [[テロリズム]]&lt;br /&gt;
* [[ゲリラ活動]]&lt;br /&gt;
* [[拠点校 (学生運動)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんさよく}}&lt;br /&gt;
[[Category:戦後日本の社会運動]]&lt;br /&gt;
[[Category:新左翼|*にほん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼|!]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼の思想・文化|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼団体|*]]&lt;br /&gt;
[[category:日本の社会主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:共産主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:無政府主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

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		<title>新左翼 (日本)</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 共産同系 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;日本の'''新左翼'''（しんさよく）とは、[[日本]]での「'''[[新左翼]]'''」と呼ばれる[[政治思想]]や政治運動、政治勢力のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1960年代]]以降に[[欧米]]などの先進国と同様に、日本でも従来の[[日本共産党]]や[[日本社会党]]などを「'''[[既成左翼]]'''」と呼んで批判し、より[[急進主義|急進的]]な革命や[[暴力革命]]を掲げて、直接行動や実力闘争を重視した運動を展開した諸勢力が、特に[[大学生]]などを中心に台頭した。特に[[安保闘争]]や[[ベトナム]]反戦運動などに大きな影響を与えたが、[[安保闘争#70年安保|70年安保]]以降は内部の[[内ゲバ]]や爆弾闘争などの[[テロリズム]]もあり、影響力は低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「新左翼」とは総称であり、多数の党派や支持者を含み、その定義や範囲は立場によっても変化する。反政府、反[[帝国主義]]、反[[日本共産党|共産党]]、[[スターリン主義]]批判などの基本路線では一致していたが、[[イデオロギー]]的には[[アナキズム]]、[[マルクス主義]]（[[レーニン主義]]、[[トロツキズム]]、[[毛沢東主義]]）、[[構造改革派]]などの幅をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本においては、[[ヨシフ・スターリン]]が創設した[[コミンテルン]]（第三インターナショナル）日本支部の系譜であった[[日本共産党]]による方針や、同党の[[二段階革命論]]及び[[一国社会主義論]]、[[日本社会党]]の[[平和革命]]論を拒否し、独自の[[社会主義]]運動を追求すると主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コミンテルン]]系譜の[[共産党]]を、[[スターリニズム|スターリン主義]]として批判する立場に立っているタイプは、「一国社会主義」を掲げる[[ヨシフ・スターリン]]と敵対し、「[[永続革命論|世界革命]]」を主張した[[レフ・トロツキー]]([[トロツキズム]])の復権や、「真の[[マルクス・レーニン主義]]」あるいは「[[反スターリン主義]]」を思想的旗印にする（主に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]系各派、あるいは[[共産主義者同盟]]系各派）。また、スターリン主義発生のルーツを[[レーニン主義]]にまで遡って批判する[[解放派]]は、「前衛党指導主義」を批判し、「大衆の自然発生性」を評価した「[[ローザ・ルクセンブルク]]主義」を掲げている。新左翼は、理想主義的ラジカリズムを掲げ、社会党・共産党の「議会革命」方針に「暴力革命」を対置・強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新左翼の運動は、世界的に「[[ステューデント・パワー]]」が高揚した[[1968年]]を頂点に一定の大衆的支持を得たが、[[1970年代|70年代]]に入り支持が離れていくにつれて、爆弾闘争などのテロリズムと激しい左翼運動内部の抗争(いわゆる[[内ゲバ]])を繰り広げていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[共産主義]]が持つ「独裁主義体制」を批判し、共産主義的新左翼の側からは「反共的極左」と呼ばれる'''無政府主義'''（[[アナキズム]]）が存在し、共産主義者と抗争を繰り返した。彼らは、[[カール・マルクス]]と敵対した[[ミハイル・バクーニン]]の影響を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本の新左翼の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
==== スターリン批判とハンガリー動乱 ====&lt;br /&gt;
[[1956年]][[ソ連共産党]]第20回大会において、全ソ労評議長としてスターリンに仕えた[[ニキータ・フルシチョフ]]党第1書記が、スターリンの[[独裁]]・個人崇拝・[[粛清]]を暴露し（[[スターリン批判]]）、国際共産主義運動の玉座から引き摺り下ろした。[[日本共産党]]をはじめとする西側の各共産党指導部は、この批判に対して無反応であった。しかし、各国共産党内のとりわけ青年・学生部分は重大事と受け止め、1956年の[[ハンガリー動乱]]の衝撃によって、急進的な学生を中心に[[コミンテルン]]直流の共産党からの訣別が加速されることになった。日本でも、[[黒田寛一]]、[[太田竜]]らが、それまで在籍した共産党から訣別して、[[1957年]]に[[日本トロツキスト連盟]]（58年に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]に改組）を結成した。しかし、トロツキスト連盟組織内部において、[[トロツキズム]]を受容し国際組織[[第四インターナショナル]]に加盟することを主張するグループ（太田竜、[[西京司]]ら）と、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系＝[[反スターリン主義]]による[[前衛党]]建設」を主張するグループ（黒田寛一、[[本多延嘉]]ら[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]派）に分裂していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1960年代 ===&lt;br /&gt;
==== ブントと1960年安保闘争 ====&lt;br /&gt;
一方、同時期である[[1955年]]に日本共産党は[[日本共産党第6回全国協議会|第6回全国協議会]]（六全協）を開催し、[[毛沢東思想|中国革命]]に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の[[武装闘争]]路線を正式に放棄した。これに不満を持つ学生党員は、[[1958年]]に[[共産主義者同盟]]（ブント）を結成し、「暴力革命」路線を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]、[[岸信介]]内閣が[[日米安全保障条約]]の永続化を目指すと、普段は政治と接点のない一般国民の間からも激しい反発の声が上がった。日本社会党・日本共産党が、突出した闘争で支持者が離れることを恐れて請願デモしか行わない中、共産主義者同盟（ブント）に結集した[[全日本学生自治会総連合]]は、国会突入などの実力行使で一部の国民から喝采を浴びた（60年[[安保闘争]]）。「闘わない既成左翼、闘う新左翼」とは、この頃新左翼の側から発生した表現である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安保闘争は連日数十万人のデモが国会を包囲する未曾有の高揚を示したが、日米安全保障条約は成立。一方で岸内閣は総辞職する。共産主義者同盟（ブント）は「条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、四分五裂の分裂を開始することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 革共同全国委の分裂と革労協の形成 ====&lt;br /&gt;
[[1963年]]、[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]（革共同）の第3次分裂が起こり、いわゆる[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が成立する。また、[[1965年]]には、日本社会党の青年組織である[[社会主義青年同盟]]の武装闘争派が公然たる分派として「解放派」を名乗り、[[1969年]]に[[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]（革労協）を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中核派と革労協が、大衆運動および実力行使を重視するのに対し、革マル派は組織形成と理論・党建設を重視するなど、路線が対極をなしていた。革マル派は「他党派の解体が自派の拡大、ひいては革命運動の前進につながる」といった論理で他党派の活動家を襲撃し、それに対して他党派も報復したため、次第に「[[内ゲバ]]」が激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 全共闘運動 ====&lt;br /&gt;
日米安全保障条約は、10年ごとに更新されることになっており、[[1970年]]の更新が迫っていた時期に更新を阻止すべく、あるいは学生管理に抗議し（[[学園闘争]]）、あるいは[[1972年]]に迫った[[沖縄返還]]を問題視して、新左翼諸党派は、[[全学共闘会議]]（全共闘）に介入していく。全共闘は[[アナキスト]]に近い[[ノンセクト・ラジカル]]（急進的無党派）色の強い運動だったが、運動に党派の力学が介入し、それに応じて党派の主導権争いが激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1970年代 ===&lt;br /&gt;
==== アナキストの新展開 ====&lt;br /&gt;
アナキストは戦後は[[日本アナキスト連盟]]が存在したが、広報以外にさしたる活動もしておらず、個々の活動家やグループが各地に活動組織を形成していた。結社的、サークル的傾向の関東・東京のアナキストに対して、より活動的だったのは関西のアナキストであった。[[アナキスト]]に多い小結社志向を越えて、1969年に黒色ブントと呼ばれた統一組織としての[[アナキスト革命連合]] (ARF) を結成し、対権力や対マルクス派新左翼諸派の中でも、精力的な組織的活動を展開した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ブントの分裂 ====&lt;br /&gt;
1970年、日米安全保障条約は自動更新され、学園闘争も当局側が勝利し、一般学生は急速に運動から離れて行った。学生運動においても、中軸的存在である[[共産主義者同盟]]（ブント）が、革命戦争路線の[[赤軍派]]を最左翼に、それと正反対の[[叛旗派]]、[[情況派]]（後の遠方派）を最右翼とし、[[共産主義者同盟戦旗派|戦旗派]]（荒派）、[[共産主義者同盟 (全国委員会)|烽火派]]、その他（神奈川県左派、南部地区委員会の合同による[[共産主義者同盟蜂起派|蜂起派]](連合戦旗派)等）へと分裂し、四分五裂状態となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争 ====&lt;br /&gt;
[[1972年]]以降、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]や[[革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]の内ゲバが約100人の死者を出すまでに激しくなった。また、[[赤軍派]]の流れをくむ[[連合赤軍]]がの12人もの仲間を「粛清」の名の下に殺す[[山岳ベース事件]]を起こし、最後には[[あさま山荘事件]]を起こす。そのため一般学生の運動離れが決定的となる。地下に潜った一部の[[黒ヘル]]の過激グループは、[[東アジア反日武装戦線]]を結成し、爆弾闘争を計画、一部を実行し多数の死傷者をだした（[[三菱重工爆破事件]]など）。爆破計画の多くは、構成員の逮捕などにより、未遂に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後 ===&lt;br /&gt;
[[学生自治]]の伝統のある[[大学]]では、[[1990年代]]半ばまで新左翼が一定の影響力を残したが、近年では大学側が攻勢に出て排除される場合が多い。「自治会」側が大学側の攻勢にほとんど対抗しえていないのは、「内ゲバ」をこととする新左翼諸党派による大学の暴力支配（他党派の活動家やノンセクト活動家などを暴力的に排除することが日常的に行われていた）や新左翼自身のテロや殺人を行ってきた「負の歴史」によって、一般学生の支持を失っていることが最大の原因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代に入り、ソ連などの「社会主義国家」群崩壊によって、その内部事情が明らかになるにつれ、組織・運動から離れていった者も少なくない。21世紀に入ってからは高齢化という問題も浮上した。新左翼諸派はさらなる孤立化を防ぎ、若手の獲得のため非合法活動を控え、ソフトな合法活動に力を入れているのが最近のすう勢である。若手獲得・組織拡大の具体的方法には、セクト色を隠し労働組合や市民運動を通しての組織拡大、地方議会への進出、青年組織を再建しその拡大に重点を置くといった方法がある。中核派が、同派と関係のある「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会」を通して、2005年に反対運動を繰り広げたことや、2004年に開催された「11.7全国労働者総決起集会」で、過去最高の約2,350人を動員した（平成17年　警察白書より）ことなどはその代表例と言える。また、革マル派はセクト色を隠し、同派系の団体を通しての反戦運動・反基地運動に取り組んだり、同派と関係のない他団体が主催する集会に参加したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方議員を抱えている党派は中核派、[[日本労働党]]、[[緑の党]]（三橋派）、[[市民の党]]（旧「[[MPD・平和と民主運動]]」「大衆党」「[[平和:市民]]」）、[[日本共産党 (左派)]]（「人民の星」派）、旧[[共産主義労働者党]]など。旧[[社会主義労働者党]]や旧[[マルクス主義青年同盟]]も国政選挙や知事選挙に出馬したが、当選者を出すには至らなかった。現在では新左翼各派は独自の候補者を出馬させることは少なく、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの[[既成左翼]]の候補者を支援することが多い。（ただし、日本共産党を支持することは滅多にない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、新左翼が使用する基本的外国語は、[[ドイツ語]]だった。例、パルタイ、ブント、ケルン、ゲヴァルトetc。これはマルクスとエンゲルスがドイツ語を使用し、またマルクスと関係の深い哲学が[[ヘーゲル]]をはじめ、[[ドイツ観念論]]や[[ヘーゲル左派]]などドイツ系の哲学であり、原書がドイツ語だったことによる。[[英語]]の使用頻度が高くなるのは、[[日本赤軍]]など海外で活動するグループの登場以降である。新左翼における文法語学から、実用語学への転換ともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 新左翼からの転向 ====&lt;br /&gt;
左翼から[[右翼]]へ転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する（[[マルクス主義青年同盟]]→[[民主統一同盟]]など）。新左翼運動から環境主義運動へ軸足を移す者も多い、いわゆる'''赤から緑'''へと言う傾向である。[[共産主義者同盟]]（[[ブント]]）の戦旗日向派は[[市民団体]]の[[ブント (市民団体)|ブント]]へと改称し共産主義を放棄しNGOを名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、一部はオカルト界にも進出し、[[オウム真理教]]を台頭させる土壌作りを果たすことにもなった。（詳細については[[日本原住民論]]、[[反日亡国論]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な新左翼党派 ==&lt;br /&gt;
1960年代は[[5流13派]]、それ以降は無数の党派が生まれた。&lt;br /&gt;
5流とは、[[革共同]]系、[[共産同]]系、[[社青同]]（[[革労協]]）系、[[構造改革|構改派]]系（[[ソ連派]]も含まれる）、[[毛沢東思想|中国派]]系。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 革共同系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的共産主義者同盟全国委員会]]（中核派）&lt;br /&gt;
* [[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]（革マル派）&lt;br /&gt;
* 日本革命的共産主義者同盟（第四インターナショナル日本支部）（第四インターナショナル統一書記局派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共産同系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟 (統一委員会)&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟 (全国委員会)蜂火派&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟戦旗派&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟叛旗派（叛旗派）&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟赤軍派]]&lt;br /&gt;
** [[連合赤軍]]&lt;br /&gt;
** [[日本赤軍]]&lt;br /&gt;
*** ムーブメント連帯&lt;br /&gt;
* 新党「革命21」準備会（旧・協同・未来）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社青同（革労協）系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]--現代社&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者協会（解放派）]]--赤砦社&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会]]（解放派全協または労対派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 構改派系 ===&lt;br /&gt;
* [[共産主義労働者党]]（共労党）&lt;br /&gt;
* [[社会主義同盟]]（フロント）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (日本のこえ)]] - ソ連派&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国派系 ===&lt;br /&gt;
* [[毛沢東思想研究会]]&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (左派)]]（日共左派）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (マルクス・レーニン主義)]]（日共ML派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アナ革連（ARF）系 ===&lt;br /&gt;
* [[アナキスト革命連合]]&lt;br /&gt;
* [[アナキスト社会革命戦線]]&lt;br /&gt;
* [[無政府共産主義者同盟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
* 高沢皓司・高木正幸・倉田計成 『新左翼二十年史-叛乱の軌跡』 新泉社、1981年8月&lt;br /&gt;
* 高木正幸 『新左翼三十年史-年表・系図・索引付』 土曜美術社、1988年11月&lt;br /&gt;
* 立花隆 『中核VS革マル（上・下）』 談社〈講談社文庫〉、1983年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成17年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』272号、2006年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成16年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』270号、2005年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「警備警察50年-警備警察50年 ～現行警察法施行50周年記念特集号～」『焦点』269号、2004年&lt;br /&gt;
* 警察庁　『昭和63年警察白書―「テロ、ゲリラ」の根絶を目指して』 1988年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党]]&lt;br /&gt;
* [[全学共闘会議]]&lt;br /&gt;
* [[学生運動]]&lt;br /&gt;
* [[全日本学生自治会総連合]]&lt;br /&gt;
* [[成田空港問題]]&lt;br /&gt;
* [[過激派]]&lt;br /&gt;
* [[ニセ「左翼」暴力集団]]&lt;br /&gt;
* [[公安警察]]&lt;br /&gt;
* [[テロリズム]]&lt;br /&gt;
* [[ゲリラ活動]]&lt;br /&gt;
* [[拠点校 (学生運動)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんさよく}}&lt;br /&gt;
[[Category:戦後日本の社会運動]]&lt;br /&gt;
[[Category:新左翼|*にほん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼|!]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼の思想・文化|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼団体|*]]&lt;br /&gt;
[[category:日本の社会主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:共産主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:無政府主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

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		<title>新左翼 (日本)</title>
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				<updated>2020-05-17T09:37:14Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 共産同系 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;日本の'''新左翼'''（しんさよく）とは、[[日本]]での「'''[[新左翼]]'''」と呼ばれる[[政治思想]]や政治運動、政治勢力のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1960年代]]以降に[[欧米]]などの先進国と同様に、日本でも従来の[[日本共産党]]や[[日本社会党]]などを「'''[[既成左翼]]'''」と呼んで批判し、より[[急進主義|急進的]]な革命や[[暴力革命]]を掲げて、直接行動や実力闘争を重視した運動を展開した諸勢力が、特に[[大学生]]などを中心に台頭した。特に[[安保闘争]]や[[ベトナム]]反戦運動などに大きな影響を与えたが、[[安保闘争#70年安保|70年安保]]以降は内部の[[内ゲバ]]や爆弾闘争などの[[テロリズム]]もあり、影響力は低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「新左翼」とは総称であり、多数の党派や支持者を含み、その定義や範囲は立場によっても変化する。反政府、反[[帝国主義]]、反[[日本共産党|共産党]]、[[スターリン主義]]批判などの基本路線では一致していたが、[[イデオロギー]]的には[[アナキズム]]、[[マルクス主義]]（[[レーニン主義]]、[[トロツキズム]]、[[毛沢東主義]]）、[[構造改革派]]などの幅をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本においては、[[ヨシフ・スターリン]]が創設した[[コミンテルン]]（第三インターナショナル）日本支部の系譜であった[[日本共産党]]による方針や、同党の[[二段階革命論]]及び[[一国社会主義論]]、[[日本社会党]]の[[平和革命]]論を拒否し、独自の[[社会主義]]運動を追求すると主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コミンテルン]]系譜の[[共産党]]を、[[スターリニズム|スターリン主義]]として批判する立場に立っているタイプは、「一国社会主義」を掲げる[[ヨシフ・スターリン]]と敵対し、「[[永続革命論|世界革命]]」を主張した[[レフ・トロツキー]]([[トロツキズム]])の復権や、「真の[[マルクス・レーニン主義]]」あるいは「[[反スターリン主義]]」を思想的旗印にする（主に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]系各派、あるいは[[共産主義者同盟]]系各派）。また、スターリン主義発生のルーツを[[レーニン主義]]にまで遡って批判する[[解放派]]は、「前衛党指導主義」を批判し、「大衆の自然発生性」を評価した「[[ローザ・ルクセンブルク]]主義」を掲げている。新左翼は、理想主義的ラジカリズムを掲げ、社会党・共産党の「議会革命」方針に「暴力革命」を対置・強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新左翼の運動は、世界的に「[[ステューデント・パワー]]」が高揚した[[1968年]]を頂点に一定の大衆的支持を得たが、[[1970年代|70年代]]に入り支持が離れていくにつれて、爆弾闘争などのテロリズムと激しい左翼運動内部の抗争(いわゆる[[内ゲバ]])を繰り広げていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[共産主義]]が持つ「独裁主義体制」を批判し、共産主義的新左翼の側からは「反共的極左」と呼ばれる'''無政府主義'''（[[アナキズム]]）が存在し、共産主義者と抗争を繰り返した。彼らは、[[カール・マルクス]]と敵対した[[ミハイル・バクーニン]]の影響を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本の新左翼の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
==== スターリン批判とハンガリー動乱 ====&lt;br /&gt;
[[1956年]][[ソ連共産党]]第20回大会において、全ソ労評議長としてスターリンに仕えた[[ニキータ・フルシチョフ]]党第1書記が、スターリンの[[独裁]]・個人崇拝・[[粛清]]を暴露し（[[スターリン批判]]）、国際共産主義運動の玉座から引き摺り下ろした。[[日本共産党]]をはじめとする西側の各共産党指導部は、この批判に対して無反応であった。しかし、各国共産党内のとりわけ青年・学生部分は重大事と受け止め、1956年の[[ハンガリー動乱]]の衝撃によって、急進的な学生を中心に[[コミンテルン]]直流の共産党からの訣別が加速されることになった。日本でも、[[黒田寛一]]、[[太田竜]]らが、それまで在籍した共産党から訣別して、[[1957年]]に[[日本トロツキスト連盟]]（58年に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]に改組）を結成した。しかし、トロツキスト連盟組織内部において、[[トロツキズム]]を受容し国際組織[[第四インターナショナル]]に加盟することを主張するグループ（太田竜、[[西京司]]ら）と、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系＝[[反スターリン主義]]による[[前衛党]]建設」を主張するグループ（黒田寛一、[[本多延嘉]]ら[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]派）に分裂していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1960年代 ===&lt;br /&gt;
==== ブントと1960年安保闘争 ====&lt;br /&gt;
一方、同時期である[[1955年]]に日本共産党は[[日本共産党第6回全国協議会|第6回全国協議会]]（六全協）を開催し、[[毛沢東思想|中国革命]]に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の[[武装闘争]]路線を正式に放棄した。これに不満を持つ学生党員は、[[1958年]]に[[共産主義者同盟]]（ブント）を結成し、「暴力革命」路線を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]、[[岸信介]]内閣が[[日米安全保障条約]]の永続化を目指すと、普段は政治と接点のない一般国民の間からも激しい反発の声が上がった。日本社会党・日本共産党が、突出した闘争で支持者が離れることを恐れて請願デモしか行わない中、共産主義者同盟（ブント）に結集した[[全日本学生自治会総連合]]は、国会突入などの実力行使で一部の国民から喝采を浴びた（60年[[安保闘争]]）。「闘わない既成左翼、闘う新左翼」とは、この頃新左翼の側から発生した表現である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安保闘争は連日数十万人のデモが国会を包囲する未曾有の高揚を示したが、日米安全保障条約は成立。一方で岸内閣は総辞職する。共産主義者同盟（ブント）は「条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、四分五裂の分裂を開始することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 革共同全国委の分裂と革労協の形成 ====&lt;br /&gt;
[[1963年]]、[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]（革共同）の第3次分裂が起こり、いわゆる[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が成立する。また、[[1965年]]には、日本社会党の青年組織である[[社会主義青年同盟]]の武装闘争派が公然たる分派として「解放派」を名乗り、[[1969年]]に[[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]（革労協）を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中核派と革労協が、大衆運動および実力行使を重視するのに対し、革マル派は組織形成と理論・党建設を重視するなど、路線が対極をなしていた。革マル派は「他党派の解体が自派の拡大、ひいては革命運動の前進につながる」といった論理で他党派の活動家を襲撃し、それに対して他党派も報復したため、次第に「[[内ゲバ]]」が激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 全共闘運動 ====&lt;br /&gt;
日米安全保障条約は、10年ごとに更新されることになっており、[[1970年]]の更新が迫っていた時期に更新を阻止すべく、あるいは学生管理に抗議し（[[学園闘争]]）、あるいは[[1972年]]に迫った[[沖縄返還]]を問題視して、新左翼諸党派は、[[全学共闘会議]]（全共闘）に介入していく。全共闘は[[アナキスト]]に近い[[ノンセクト・ラジカル]]（急進的無党派）色の強い運動だったが、運動に党派の力学が介入し、それに応じて党派の主導権争いが激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1970年代 ===&lt;br /&gt;
==== アナキストの新展開 ====&lt;br /&gt;
アナキストは戦後は[[日本アナキスト連盟]]が存在したが、広報以外にさしたる活動もしておらず、個々の活動家やグループが各地に活動組織を形成していた。結社的、サークル的傾向の関東・東京のアナキストに対して、より活動的だったのは関西のアナキストであった。[[アナキスト]]に多い小結社志向を越えて、1969年に黒色ブントと呼ばれた統一組織としての[[アナキスト革命連合]] (ARF) を結成し、対権力や対マルクス派新左翼諸派の中でも、精力的な組織的活動を展開した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ブントの分裂 ====&lt;br /&gt;
1970年、日米安全保障条約は自動更新され、学園闘争も当局側が勝利し、一般学生は急速に運動から離れて行った。学生運動においても、中軸的存在である[[共産主義者同盟]]（ブント）が、革命戦争路線の[[赤軍派]]を最左翼に、それと正反対の[[叛旗派]]、[[情況派]]（後の遠方派）を最右翼とし、[[共産主義者同盟戦旗派|戦旗派]]（荒派）、[[共産主義者同盟 (全国委員会)|烽火派]]、その他（神奈川県左派、南部地区委員会の合同による[[共産主義者同盟蜂起派|蜂起派]](連合戦旗派)等）へと分裂し、四分五裂状態となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争 ====&lt;br /&gt;
[[1972年]]以降、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]や[[革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]の内ゲバが約100人の死者を出すまでに激しくなった。また、[[赤軍派]]の流れをくむ[[連合赤軍]]がの12人もの仲間を「粛清」の名の下に殺す[[山岳ベース事件]]を起こし、最後には[[あさま山荘事件]]を起こす。そのため一般学生の運動離れが決定的となる。地下に潜った一部の[[黒ヘル]]の過激グループは、[[東アジア反日武装戦線]]を結成し、爆弾闘争を計画、一部を実行し多数の死傷者をだした（[[三菱重工爆破事件]]など）。爆破計画の多くは、構成員の逮捕などにより、未遂に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後 ===&lt;br /&gt;
[[学生自治]]の伝統のある[[大学]]では、[[1990年代]]半ばまで新左翼が一定の影響力を残したが、近年では大学側が攻勢に出て排除される場合が多い。「自治会」側が大学側の攻勢にほとんど対抗しえていないのは、「内ゲバ」をこととする新左翼諸党派による大学の暴力支配（他党派の活動家やノンセクト活動家などを暴力的に排除することが日常的に行われていた）や新左翼自身のテロや殺人を行ってきた「負の歴史」によって、一般学生の支持を失っていることが最大の原因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代に入り、ソ連などの「社会主義国家」群崩壊によって、その内部事情が明らかになるにつれ、組織・運動から離れていった者も少なくない。21世紀に入ってからは高齢化という問題も浮上した。新左翼諸派はさらなる孤立化を防ぎ、若手の獲得のため非合法活動を控え、ソフトな合法活動に力を入れているのが最近のすう勢である。若手獲得・組織拡大の具体的方法には、セクト色を隠し労働組合や市民運動を通しての組織拡大、地方議会への進出、青年組織を再建しその拡大に重点を置くといった方法がある。中核派が、同派と関係のある「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会」を通して、2005年に反対運動を繰り広げたことや、2004年に開催された「11.7全国労働者総決起集会」で、過去最高の約2,350人を動員した（平成17年　警察白書より）ことなどはその代表例と言える。また、革マル派はセクト色を隠し、同派系の団体を通しての反戦運動・反基地運動に取り組んだり、同派と関係のない他団体が主催する集会に参加したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方議員を抱えている党派は中核派、[[日本労働党]]、[[緑の党]]（三橋派）、[[市民の党]]（旧「[[MPD・平和と民主運動]]」「大衆党」「[[平和:市民]]」）、[[日本共産党 (左派)]]（「人民の星」派）、旧[[共産主義労働者党]]など。旧[[社会主義労働者党]]や旧[[マルクス主義青年同盟]]も国政選挙や知事選挙に出馬したが、当選者を出すには至らなかった。現在では新左翼各派は独自の候補者を出馬させることは少なく、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの[[既成左翼]]の候補者を支援することが多い。（ただし、日本共産党を支持することは滅多にない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、新左翼が使用する基本的外国語は、[[ドイツ語]]だった。例、パルタイ、ブント、ケルン、ゲヴァルトetc。これはマルクスとエンゲルスがドイツ語を使用し、またマルクスと関係の深い哲学が[[ヘーゲル]]をはじめ、[[ドイツ観念論]]や[[ヘーゲル左派]]などドイツ系の哲学であり、原書がドイツ語だったことによる。[[英語]]の使用頻度が高くなるのは、[[日本赤軍]]など海外で活動するグループの登場以降である。新左翼における文法語学から、実用語学への転換ともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 新左翼からの転向 ====&lt;br /&gt;
左翼から[[右翼]]へ転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する（[[マルクス主義青年同盟]]→[[民主統一同盟]]など）。新左翼運動から環境主義運動へ軸足を移す者も多い、いわゆる'''赤から緑'''へと言う傾向である。[[共産主義者同盟]]（[[ブント]]）の戦旗日向派は[[市民団体]]の[[ブント (市民団体)|ブント]]へと改称し共産主義を放棄しNGOを名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、一部はオカルト界にも進出し、[[オウム真理教]]を台頭させる土壌作りを果たすことにもなった。（詳細については[[日本原住民論]]、[[反日亡国論]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な新左翼党派 ==&lt;br /&gt;
1960年代は[[5流13派]]、それ以降は無数の党派が生まれた。&lt;br /&gt;
5流とは、[[革共同]]系、[[共産同]]系、[[社青同]]（[[革労協]]）系、[[構造改革|構改派]]系（[[ソ連派]]も含まれる）、[[毛沢東思想|中国派]]系。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 革共同系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的共産主義者同盟全国委員会]]（中核派）&lt;br /&gt;
* [[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]（革マル派）&lt;br /&gt;
* 日本革命的共産主義者同盟（第四インターナショナル日本支部）（第四インターナショナル統一書記局派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共産同系 ===&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟 (統一委員会)&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟 (全国委員会)蜂火派&lt;br /&gt;
** 共産主義者同盟戦旗派&lt;br /&gt;
* 共産主義者同盟叛旗派（叛旗派）&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟赤軍派]]&lt;br /&gt;
** [[連合赤軍]]&lt;br /&gt;
** [[日本赤軍]]&lt;br /&gt;
*** ムーブメント連帯&lt;br /&gt;
* 新党「革命21」準備会（旧・[[協同・未来]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社青同（革労協）系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]--現代社&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者協会（解放派）]]--赤砦社&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会]]（解放派全協または労対派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 構改派系 ===&lt;br /&gt;
* [[共産主義労働者党]]（共労党）&lt;br /&gt;
* [[社会主義同盟]]（フロント）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (日本のこえ)]] - ソ連派&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国派系 ===&lt;br /&gt;
* [[毛沢東思想研究会]]&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (左派)]]（日共左派）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (マルクス・レーニン主義)]]（日共ML派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アナ革連（ARF）系 ===&lt;br /&gt;
* [[アナキスト革命連合]]&lt;br /&gt;
* [[アナキスト社会革命戦線]]&lt;br /&gt;
* [[無政府共産主義者同盟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
* 高沢皓司・高木正幸・倉田計成 『新左翼二十年史-叛乱の軌跡』 新泉社、1981年8月&lt;br /&gt;
* 高木正幸 『新左翼三十年史-年表・系図・索引付』 土曜美術社、1988年11月&lt;br /&gt;
* 立花隆 『中核VS革マル（上・下）』 談社〈講談社文庫〉、1983年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成17年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』272号、2006年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成16年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』270号、2005年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「警備警察50年-警備警察50年 ～現行警察法施行50周年記念特集号～」『焦点』269号、2004年&lt;br /&gt;
* 警察庁　『昭和63年警察白書―「テロ、ゲリラ」の根絶を目指して』 1988年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党]]&lt;br /&gt;
* [[全学共闘会議]]&lt;br /&gt;
* [[学生運動]]&lt;br /&gt;
* [[全日本学生自治会総連合]]&lt;br /&gt;
* [[成田空港問題]]&lt;br /&gt;
* [[過激派]]&lt;br /&gt;
* [[ニセ「左翼」暴力集団]]&lt;br /&gt;
* [[公安警察]]&lt;br /&gt;
* [[テロリズム]]&lt;br /&gt;
* [[ゲリラ活動]]&lt;br /&gt;
* [[拠点校 (学生運動)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんさよく}}&lt;br /&gt;
[[Category:戦後日本の社会運動]]&lt;br /&gt;
[[Category:新左翼|*にほん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼|!]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼の思想・文化|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼団体|*]]&lt;br /&gt;
[[category:日本の社会主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:共産主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:無政府主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E5%B7%A6%E7%BF%BC_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)&amp;diff=385475</id>
		<title>新左翼 (日本)</title>
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				<updated>2020-05-17T09:36:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 主な新左翼党派 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;日本の'''新左翼'''（しんさよく）とは、[[日本]]での「'''[[新左翼]]'''」と呼ばれる[[政治思想]]や政治運動、政治勢力のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1960年代]]以降に[[欧米]]などの先進国と同様に、日本でも従来の[[日本共産党]]や[[日本社会党]]などを「'''[[既成左翼]]'''」と呼んで批判し、より[[急進主義|急進的]]な革命や[[暴力革命]]を掲げて、直接行動や実力闘争を重視した運動を展開した諸勢力が、特に[[大学生]]などを中心に台頭した。特に[[安保闘争]]や[[ベトナム]]反戦運動などに大きな影響を与えたが、[[安保闘争#70年安保|70年安保]]以降は内部の[[内ゲバ]]や爆弾闘争などの[[テロリズム]]もあり、影響力は低下した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「新左翼」とは総称であり、多数の党派や支持者を含み、その定義や範囲は立場によっても変化する。反政府、反[[帝国主義]]、反[[日本共産党|共産党]]、[[スターリン主義]]批判などの基本路線では一致していたが、[[イデオロギー]]的には[[アナキズム]]、[[マルクス主義]]（[[レーニン主義]]、[[トロツキズム]]、[[毛沢東主義]]）、[[構造改革派]]などの幅をもつ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
日本においては、[[ヨシフ・スターリン]]が創設した[[コミンテルン]]（第三インターナショナル）日本支部の系譜であった[[日本共産党]]による方針や、同党の[[二段階革命論]]及び[[一国社会主義論]]、[[日本社会党]]の[[平和革命]]論を拒否し、独自の[[社会主義]]運動を追求すると主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コミンテルン]]系譜の[[共産党]]を、[[スターリニズム|スターリン主義]]として批判する立場に立っているタイプは、「一国社会主義」を掲げる[[ヨシフ・スターリン]]と敵対し、「[[永続革命論|世界革命]]」を主張した[[レフ・トロツキー]]([[トロツキズム]])の復権や、「真の[[マルクス・レーニン主義]]」あるいは「[[反スターリン主義]]」を思想的旗印にする（主に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]系各派、あるいは[[共産主義者同盟]]系各派）。また、スターリン主義発生のルーツを[[レーニン主義]]にまで遡って批判する[[解放派]]は、「前衛党指導主義」を批判し、「大衆の自然発生性」を評価した「[[ローザ・ルクセンブルク]]主義」を掲げている。新左翼は、理想主義的ラジカリズムを掲げ、社会党・共産党の「議会革命」方針に「暴力革命」を対置・強調した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新左翼の運動は、世界的に「[[ステューデント・パワー]]」が高揚した[[1968年]]を頂点に一定の大衆的支持を得たが、[[1970年代|70年代]]に入り支持が離れていくにつれて、爆弾闘争などのテロリズムと激しい左翼運動内部の抗争(いわゆる[[内ゲバ]])を繰り広げていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[共産主義]]が持つ「独裁主義体制」を批判し、共産主義的新左翼の側からは「反共的極左」と呼ばれる'''無政府主義'''（[[アナキズム]]）が存在し、共産主義者と抗争を繰り返した。彼らは、[[カール・マルクス]]と敵対した[[ミハイル・バクーニン]]の影響を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本の新左翼の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
==== スターリン批判とハンガリー動乱 ====&lt;br /&gt;
[[1956年]][[ソ連共産党]]第20回大会において、全ソ労評議長としてスターリンに仕えた[[ニキータ・フルシチョフ]]党第1書記が、スターリンの[[独裁]]・個人崇拝・[[粛清]]を暴露し（[[スターリン批判]]）、国際共産主義運動の玉座から引き摺り下ろした。[[日本共産党]]をはじめとする西側の各共産党指導部は、この批判に対して無反応であった。しかし、各国共産党内のとりわけ青年・学生部分は重大事と受け止め、1956年の[[ハンガリー動乱]]の衝撃によって、急進的な学生を中心に[[コミンテルン]]直流の共産党からの訣別が加速されることになった。日本でも、[[黒田寛一]]、[[太田竜]]らが、それまで在籍した共産党から訣別して、[[1957年]]に[[日本トロツキスト連盟]]（58年に[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]に改組）を結成した。しかし、トロツキスト連盟組織内部において、[[トロツキズム]]を受容し国際組織[[第四インターナショナル]]に加盟することを主張するグループ（太田竜、[[西京司]]ら）と、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系＝[[反スターリン主義]]による[[前衛党]]建設」を主張するグループ（黒田寛一、[[本多延嘉]]ら[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]派）に分裂していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1960年代 ===&lt;br /&gt;
==== ブントと1960年安保闘争 ====&lt;br /&gt;
一方、同時期である[[1955年]]に日本共産党は[[日本共産党第6回全国協議会|第6回全国協議会]]（六全協）を開催し、[[毛沢東思想|中国革命]]に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の[[武装闘争]]路線を正式に放棄した。これに不満を持つ学生党員は、[[1958年]]に[[共産主義者同盟]]（ブント）を結成し、「暴力革命」路線を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1959年]]、[[岸信介]]内閣が[[日米安全保障条約]]の永続化を目指すと、普段は政治と接点のない一般国民の間からも激しい反発の声が上がった。日本社会党・日本共産党が、突出した闘争で支持者が離れることを恐れて請願デモしか行わない中、共産主義者同盟（ブント）に結集した[[全日本学生自治会総連合]]は、国会突入などの実力行使で一部の国民から喝采を浴びた（60年[[安保闘争]]）。「闘わない既成左翼、闘う新左翼」とは、この頃新左翼の側から発生した表現である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安保闘争は連日数十万人のデモが国会を包囲する未曾有の高揚を示したが、日米安全保障条約は成立。一方で岸内閣は総辞職する。共産主義者同盟（ブント）は「条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、四分五裂の分裂を開始することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 革共同全国委の分裂と革労協の形成 ====&lt;br /&gt;
[[1963年]]、[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革命的共産主義者同盟]]（革共同）の第3次分裂が起こり、いわゆる[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が成立する。また、[[1965年]]には、日本社会党の青年組織である[[社会主義青年同盟]]の武装闘争派が公然たる分派として「解放派」を名乗り、[[1969年]]に[[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]（革労協）を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中核派と革労協が、大衆運動および実力行使を重視するのに対し、革マル派は組織形成と理論・党建設を重視するなど、路線が対極をなしていた。革マル派は「他党派の解体が自派の拡大、ひいては革命運動の前進につながる」といった論理で他党派の活動家を襲撃し、それに対して他党派も報復したため、次第に「[[内ゲバ]]」が激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 全共闘運動 ====&lt;br /&gt;
日米安全保障条約は、10年ごとに更新されることになっており、[[1970年]]の更新が迫っていた時期に更新を阻止すべく、あるいは学生管理に抗議し（[[学園闘争]]）、あるいは[[1972年]]に迫った[[沖縄返還]]を問題視して、新左翼諸党派は、[[全学共闘会議]]（全共闘）に介入していく。全共闘は[[アナキスト]]に近い[[ノンセクト・ラジカル]]（急進的無党派）色の強い運動だったが、運動に党派の力学が介入し、それに応じて党派の主導権争いが激しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1970年代 ===&lt;br /&gt;
==== アナキストの新展開 ====&lt;br /&gt;
アナキストは戦後は[[日本アナキスト連盟]]が存在したが、広報以外にさしたる活動もしておらず、個々の活動家やグループが各地に活動組織を形成していた。結社的、サークル的傾向の関東・東京のアナキストに対して、より活動的だったのは関西のアナキストであった。[[アナキスト]]に多い小結社志向を越えて、1969年に黒色ブントと呼ばれた統一組織としての[[アナキスト革命連合]] (ARF) を結成し、対権力や対マルクス派新左翼諸派の中でも、精力的な組織的活動を展開した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ブントの分裂 ====&lt;br /&gt;
1970年、日米安全保障条約は自動更新され、学園闘争も当局側が勝利し、一般学生は急速に運動から離れて行った。学生運動においても、中軸的存在である[[共産主義者同盟]]（ブント）が、革命戦争路線の[[赤軍派]]を最左翼に、それと正反対の[[叛旗派]]、[[情況派]]（後の遠方派）を最右翼とし、[[共産主義者同盟戦旗派|戦旗派]]（荒派）、[[共産主義者同盟 (全国委員会)|烽火派]]、その他（神奈川県左派、南部地区委員会の合同による[[共産主義者同盟蜂起派|蜂起派]](連合戦旗派)等）へと分裂し、四分五裂状態となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争 ====&lt;br /&gt;
[[1972年]]以降、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]や[[革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]の内ゲバが約100人の死者を出すまでに激しくなった。また、[[赤軍派]]の流れをくむ[[連合赤軍]]がの12人もの仲間を「粛清」の名の下に殺す[[山岳ベース事件]]を起こし、最後には[[あさま山荘事件]]を起こす。そのため一般学生の運動離れが決定的となる。地下に潜った一部の[[黒ヘル]]の過激グループは、[[東アジア反日武装戦線]]を結成し、爆弾闘争を計画、一部を実行し多数の死傷者をだした（[[三菱重工爆破事件]]など）。爆破計画の多くは、構成員の逮捕などにより、未遂に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後 ===&lt;br /&gt;
[[学生自治]]の伝統のある[[大学]]では、[[1990年代]]半ばまで新左翼が一定の影響力を残したが、近年では大学側が攻勢に出て排除される場合が多い。「自治会」側が大学側の攻勢にほとんど対抗しえていないのは、「内ゲバ」をこととする新左翼諸党派による大学の暴力支配（他党派の活動家やノンセクト活動家などを暴力的に排除することが日常的に行われていた）や新左翼自身のテロや殺人を行ってきた「負の歴史」によって、一般学生の支持を失っていることが最大の原因と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代に入り、ソ連などの「社会主義国家」群崩壊によって、その内部事情が明らかになるにつれ、組織・運動から離れていった者も少なくない。21世紀に入ってからは高齢化という問題も浮上した。新左翼諸派はさらなる孤立化を防ぎ、若手の獲得のため非合法活動を控え、ソフトな合法活動に力を入れているのが最近のすう勢である。若手獲得・組織拡大の具体的方法には、セクト色を隠し労働組合や市民運動を通しての組織拡大、地方議会への進出、青年組織を再建しその拡大に重点を置くといった方法がある。中核派が、同派と関係のある「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会」を通して、2005年に反対運動を繰り広げたことや、2004年に開催された「11.7全国労働者総決起集会」で、過去最高の約2,350人を動員した（平成17年　警察白書より）ことなどはその代表例と言える。また、革マル派はセクト色を隠し、同派系の団体を通しての反戦運動・反基地運動に取り組んだり、同派と関係のない他団体が主催する集会に参加したりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方議員を抱えている党派は中核派、[[日本労働党]]、[[緑の党]]（三橋派）、[[市民の党]]（旧「[[MPD・平和と民主運動]]」「大衆党」「[[平和:市民]]」）、[[日本共産党 (左派)]]（「人民の星」派）、旧[[共産主義労働者党]]など。旧[[社会主義労働者党]]や旧[[マルクス主義青年同盟]]も国政選挙や知事選挙に出馬したが、当選者を出すには至らなかった。現在では新左翼各派は独自の候補者を出馬させることは少なく、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの[[既成左翼]]の候補者を支援することが多い。（ただし、日本共産党を支持することは滅多にない）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、新左翼が使用する基本的外国語は、[[ドイツ語]]だった。例、パルタイ、ブント、ケルン、ゲヴァルトetc。これはマルクスとエンゲルスがドイツ語を使用し、またマルクスと関係の深い哲学が[[ヘーゲル]]をはじめ、[[ドイツ観念論]]や[[ヘーゲル左派]]などドイツ系の哲学であり、原書がドイツ語だったことによる。[[英語]]の使用頻度が高くなるのは、[[日本赤軍]]など海外で活動するグループの登場以降である。新左翼における文法語学から、実用語学への転換ともいわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 新左翼からの転向 ====&lt;br /&gt;
左翼から[[右翼]]へ転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する（[[マルクス主義青年同盟]]→[[民主統一同盟]]など）。新左翼運動から環境主義運動へ軸足を移す者も多い、いわゆる'''赤から緑'''へと言う傾向である。[[共産主義者同盟]]（[[ブント]]）の戦旗日向派は[[市民団体]]の[[ブント (市民団体)|ブント]]へと改称し共産主義を放棄しNGOを名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、一部はオカルト界にも進出し、[[オウム真理教]]を台頭させる土壌作りを果たすことにもなった。（詳細については[[日本原住民論]]、[[反日亡国論]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な新左翼党派 ==&lt;br /&gt;
1960年代は[[5流13派]]、それ以降は無数の党派が生まれた。&lt;br /&gt;
5流とは、[[革共同]]系、[[共産同]]系、[[社青同]]（[[革労協]]）系、[[構造改革|構改派]]系（[[ソ連派]]も含まれる）、[[毛沢東思想|中国派]]系。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 革共同系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的共産主義者同盟全国委員会]]（中核派）&lt;br /&gt;
* [[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]（革マル派）&lt;br /&gt;
* 日本革命的共産主義者同盟（第四インターナショナル日本支部）（第四インターナショナル統一書記局派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 共産同系 ===&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟 (統一委員会)]]&lt;br /&gt;
** [[共産主義者同盟 (全国委員会)蜂火派]]&lt;br /&gt;
** [[共産主義者同盟戦旗派]]&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟叛旗派]]（叛旗派）&lt;br /&gt;
* [[共産主義者同盟赤軍派]]&lt;br /&gt;
** [[連合赤軍]]&lt;br /&gt;
** [[日本赤軍]]&lt;br /&gt;
*** [[ムーブメント連帯]]&lt;br /&gt;
* [[新党「革命21」準備会]]（旧・[[協同・未来]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社青同（革労協）系 ===&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者協会（社会党社青同解放派）]]--現代社&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者協会（解放派）]]--赤砦社&lt;br /&gt;
* [[革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会]]（解放派全協または労対派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 構改派系 ===&lt;br /&gt;
* [[共産主義労働者党]]（共労党）&lt;br /&gt;
* [[社会主義同盟]]（フロント）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (日本のこえ)]] - ソ連派&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国派系 ===&lt;br /&gt;
* [[毛沢東思想研究会]]&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (左派)]]（日共左派）&lt;br /&gt;
* [[日本共産党 (マルクス・レーニン主義)]]（日共ML派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アナ革連（ARF）系 ===&lt;br /&gt;
* [[アナキスト革命連合]]&lt;br /&gt;
* [[アナキスト社会革命戦線]]&lt;br /&gt;
* [[無政府共産主義者同盟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
* 高沢皓司・高木正幸・倉田計成 『新左翼二十年史-叛乱の軌跡』 新泉社、1981年8月&lt;br /&gt;
* 高木正幸 『新左翼三十年史-年表・系図・索引付』 土曜美術社、1988年11月&lt;br /&gt;
* 立花隆 『中核VS革マル（上・下）』 談社〈講談社文庫〉、1983年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成17年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』272号、2006年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「平成16年の警備情勢を顧みて―回顧と展望-」『焦点』270号、2005年&lt;br /&gt;
* 警察庁 「警備警察50年-警備警察50年 ～現行警察法施行50周年記念特集号～」『焦点』269号、2004年&lt;br /&gt;
* 警察庁　『昭和63年警察白書―「テロ、ゲリラ」の根絶を目指して』 1988年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[民主党]]&lt;br /&gt;
* [[全学共闘会議]]&lt;br /&gt;
* [[学生運動]]&lt;br /&gt;
* [[全日本学生自治会総連合]]&lt;br /&gt;
* [[成田空港問題]]&lt;br /&gt;
* [[過激派]]&lt;br /&gt;
* [[ニセ「左翼」暴力集団]]&lt;br /&gt;
* [[公安警察]]&lt;br /&gt;
* [[テロリズム]]&lt;br /&gt;
* [[ゲリラ活動]]&lt;br /&gt;
* [[拠点校 (学生運動)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんさよく}}&lt;br /&gt;
[[Category:戦後日本の社会運動]]&lt;br /&gt;
[[Category:新左翼|*にほん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼|!]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の新左翼の思想・文化|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の左翼団体|*]]&lt;br /&gt;
[[category:日本の社会主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:共産主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:無政府主義]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99&amp;diff=385474</id>
		<title>オウム真理教</title>
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				<updated>2020-05-17T09:35:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 活動 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Redirect|アレフ}}&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教1.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
'''オウム真理教'''（オウムしんりきょう）は、かつて存在した[[日本]]の（新興）[[宗教団体]]。「オウム（AUM）」とは、[[サンスクリット]]の呪文「[[オーム (聖音)|唵]]」のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1996年（[[平成]]8年）1月に宗教法人としての[[法人格]]を失ったが活動を継続。2000年（平成12年）2月には[[破産]]に伴い消滅した。同時に、新たな宗教団体'''[[アレフ]]'''が設立され、[[教義]]や[[信者]]の一部が引き継がれた。アレフは後に[[アレフ (宗教団体)|Aleph]]と改称され、また別の宗教団体[[ひかりの輪]]が分派した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[松本サリン事件]]、[[地下鉄サリン事件]]などの[[テロリズム|テロ]]を含む多くの反社会的活動（「[[オウム真理教事件]]」）を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教2.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
[[全共闘運動]]の終息後、[[反日亡国論]]を掲げる[[新左翼 (日本)|日本の新左翼]]の一部（[[太田竜]]、[[武田崇元]]など）は、オカルト界にも進出した。彼らは「天皇中心史観」に対抗する理論として[[日本原住民論]]を掲げており、「[[記紀]]以前の歴史を伝える」とされる[[古史古伝]]に兼ねてより関心を持っていた。彼らは左翼の影響を強く受けた「[[霊的ボルシェヴィキ]]」なる新機軸を打ち出し、1980年代の[[オカルトブーム]]を巻き起こすことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな最中、後に「'''オウム真理教'''」となる[[ヨーガ]]道場「'''オウムの会'''」（その後'''オウム神仙の会'''と改称）が[[1984年]]に開場された。そして[[オカルト]][[雑誌]]「[[ムー (雑誌)|ムー]]」が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた。この写真は[[座禅]]を組んだまま跳躍（膝を使って跳ねる）するというものだったが、これが後に同教団が言う所の「[[空中浮揚]]」の原型とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、雑誌「ムー」[[1985年]]11月号に[[酒井勝軍]]の予言書「神秘之日本」に基づき、[[超能力]]開発を可能にして支配的民族に進化するための石（[[ヒヒイロカネ]]）を発見したという記事を[[麻原彰晃]]（本名・[[松本智津夫]]）が読者レポートとして寄稿していた。ここで「精神文化中心の新しい時代」への期待感とともに超能力開発への期待およびそこに掲載された一番弟子とされる美人幹部の魅惑的な短パン姿などが当時精神世界やオカルト雑誌にしか居場所がなかった若者たちに大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにオウム真理教の思想的源流となったのは、[[ノストラダムスの大予言]]や[[チベット仏教]]だけでなく、これらの日本オカルト界の風潮も取り込んでいる。研究家の[[原田実]]によると、オウム真理教が[[オウム真理教の国家転覆計画|国家転覆]]をも企てた背景には、これらの左翼イデオロギーが間接的に影響しているとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オウム真理教の誕生 ===&lt;br /&gt;
[[1987年]]に[[東京都]][[渋谷区]]において、オウム神仙の会を母体とする宗教団体「オウム真理教」が設立された。また、同年11月には[[ニューヨーク]]支部も設立し、[[1989年]][[8月25日]]に[[東京都]]に[[宗教法人]]として認証された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻原は[[チベット]][[亡命政府]]の日本代表であった[[ペマ・ギャルポ]]と接触し、その助力によって、[[1987年]][[2月24日]]ならびに[[1988年]][[7月6日]]に[[ダライ・ラマ14世]]と[[インド]]で会談した。ダライ・ラマ側からすると麻原は多数の謁見者の中のひとりにすぎず、麻原を積極的に支持したわけでもない。しかし、麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「私が[[チベット]]において[[仏教]]のために実践していることを、あなたは日本において行いなさい」と麻原に告げたと主張、オウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。[[ペマ・ギャルポ]]はその後まもなくオウム真理教との関係を絶つとともに、むしろ積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても、今後は麻原と関係を持たないように進言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]]に[[東京都]]から[[宗教法人]]として認可されてから後に、[[静岡県]][[富士宮市]]に総本部を置き、日本全国各地に支部や道場を設置。富士宮市進出の際は[[山口組]]系[[後藤組]]の援助を受け、その後は後藤組組長・[[後藤忠政]]がオウムのケツモチとなった。また[[ロシア]]や[[スリランカ]]等海外にも支部を置いていた。信者は日本国内だけでも'''11,000'''人程度存在していたという。なお、登記上の主たる事務所は[[東京都]][[江東区]][[亀戸]]の新東京総本部であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 非合法活動への道程 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教3.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
教団は奇抜な選挙活動等、一部で注目を浴びていた。[[1989年]]11月に起きた'''[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]'''や[[1994年]]6月に起きた'''[[松本サリン事件]]'''、[[1995年]][[2月28日]]に起きた[[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]等では容疑団体と目され、それ以降警察から監視されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[検察]]側の主張によれば、[[1995年]]3月に、[[警察]]の全国教団施設の一斉捜査の内部情報を入手した松本（麻原）は、警察の目を逸らす為に[[東京]]で大事件を起こす事を思い付き、[[1995年]][[3月20日]]、'''[[地下鉄サリン事件]]'''を起こしたとされている。よって、この事件そのものは[[内乱]]ではなかったとされるが、[[内乱]]の時間稼ぎと考える事も出来る。却って教団の事件関与の確信を深めた[[警視庁]]は[[1995年]][[3月22日]]に上九一色村の教団本部施設への強制捜査を行った。施設からはサリン等化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布の為の軍用ヘリ等が見付かり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。事件との関与が指摘された教団の幹部クラスの信者が続々と[[逮捕]]された。東京地検は松本智津夫を17件の容疑で起訴したが、その内[[LSD (薬物)|LSD]]・[[メスカリン]]・[[覚醒剤]]・[[麻酔薬]]等薬物密造に関わる4件に付いては裁判の迅速化を図る為[[2000年]]10月5日起訴を取り下げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これら事件に関わったとされる最重要容疑者、[[平田信]]・[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]・[[菊地直子]]が未だ逃亡中であり警察が全力で捜査している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[5月16日]]には、教団代表であった松本智津夫（[[麻原彰晃]]）が[[山梨県]][[上九一色村]]（現・[[富士河口湖町]]）で逮捕される。その後[[村岡達子]]が代表代行となったが1995年10月30日東京高裁により解散命令を受け、抗告が棄却された為宗教法人としては解散する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件後 ===&lt;br /&gt;
[[1996年]]3月28日[[東京地裁]]が[[破産法]]に基き教団に[[破産宣告]]を行い、同年5月に確定する。1996年7月11日公共の利益を害する組織犯罪を行った危険団体として[[破壊活動防止法]]の適用を求める処分請求が[[公安調査庁]]より行われたが、同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認された事等もあって、処分請求は1997年1月31日[[公安審査委員会]]により棄却されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
破防法処分請求棄却後、教団は一転して活動を活発化、「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動[http://www.npa.go.jp/keibi4/it3.htm]を行ったり、パソコン販売を通じて資金調達を進めていった。一方、一連の事件については「教団がやった証拠がない」とし、一切反省せず、被害者への賠償にも応じなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教団の姿勢は社会の強い反発を招き、[[長野県]][[北佐久郡]][[北御牧村]]（現・[[東御市]]）の住民運動をきっかけに、オウム反対運動が全国的に盛り上がりを見せ、国会でもオウム対策法として[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|オウム新法]]を制定するに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[2月4日]]オウム真理教を母体として、前年に出所した[[上祐史浩]]を代表とする「宗教団体・'''アレフ'''」が設立される。アレフは更に2003年2月に「宗教団体'''アーレフ'''」と改称した。改名後、元から同じ名前で存在する企業がオウム真理教とは無関係なのに、なぜかオウム真理教と関係しているとの風評被害を浴びることになった（同様の風評被害はオウム真理教時代にも類似した名前の企業を対象に起きている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では元信者または現アーレフ信者に対する転入届の受付け拒否や退去勧告・就入学拒否等が地方自治体による違法行為として社会問題になっている。住民票不受理裁判は全て自治体側の敗訴となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年（平成19年）5月には一部の信者（上祐派）が脱会。新宗教団体「ひかりの輪」を結成した。この団体は松本智津夫の教えからの脱却を志向していると主張しているが、公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版でもその活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]（平成22年）[[3月]]に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教義 ==&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教4.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
; 無常&lt;br /&gt;
: オウム真理教は、[[修行]]による[[苦悩]]からの解放を説き、[[欲望]]・[[煩悩]]を一つずつ超越する事を[[解脱]]と呼んだ。そして、自ら日本で唯一の最終解脱者と称する松本の教説は、「無常」と「煩悩破壊」を根本とする。&lt;br /&gt;
: 「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という松本の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべてのものは無常である。したがって、すべての喜びはいつか終わりが訪れるため、煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。&lt;br /&gt;
: 逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のニルヴァーナ（煩悩破壊）である。また、そこに留まる事なく、更に全ての魂を絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによってマハーニルヴァーナ（大完全煩悩破壊）、あるいはマハーボーディニルヴァーナ（大到達真智完全煩悩破壊）へと至る。&lt;br /&gt;
; ポア&lt;br /&gt;
: ポア（ポワ）とは「[[意識]]を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。これは[[生]][[死]]とは関わりなく意識の中の煩悩的要素を弱めることと解釈できる。このポアの中で最も重要なものは死の直後、中間状態にある意識の移し替えで、これは次の生における転生先を決定することになる。&lt;br /&gt;
: したがって、[[死]]の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。これが転じて、「死をもたらすこと」も「ポア」と呼ばれていた。これが「『ポア』なる言葉の下に殺戮を正当化する」と検察側が主張する根拠となっている。&lt;br /&gt;
; シヴァ&lt;br /&gt;
: オウム真理教の主宰神は[[シヴァ大神]]である。オウム真理教に於けるシヴァ大神は「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナと同義として扱われる。[[ヒンドゥー教]]（インド神話）にも同名の[[シヴァ]]神があるが、これはシヴァ大神の化身に過ぎないとされる。また、麻原彰晃はこのシヴァ大神の変化身と見做された。&lt;br /&gt;
; 教義&lt;br /&gt;
: オウム真理教の教義は、原始ヨーガ、[[初期仏教|原始仏教]]を土台とし、[[パーリ仏典]]を土台に、[[チベット仏教|チベット密教]]の技法を取り入れている。そして、「宗教は一つの道」として、全ての[[宗教]]はヨーガ・[[仏教]]的[[宇宙観]]の一部に含まれる、と説く。その結果、キリスト教の創造主としての神は[[梵天]]（オウム真理教では神聖天と訳す）の事である、等と説かれる。&lt;br /&gt;
: 従って、オウム真理教に於いては[[儒教]]・[[道教]]・[[キリスト教]]・[[ゾロアスター教]]等ありとあらゆる宗教・[[神秘思想]]を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、仏教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。&lt;br /&gt;
: 具体的な修行法としては、出家修行者向けには[[上座部仏教]]の七科三十七道品、在家修行者向けには[[大乗仏教]]の[[波羅蜜|六波羅蜜]]、またヨーガや[[密教]]その他の技法が用いられた。&lt;br /&gt;
; 教義の柱&lt;br /&gt;
: オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。&lt;br /&gt;
:# 最終地点まで導くグル（霊的指導者）の存在&lt;br /&gt;
:# 無常に基づく正しい教義&lt;br /&gt;
:# その教義を実体験できる修行法&lt;br /&gt;
:# その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在&lt;br /&gt;
:# 修行を進めるためのイニシエーションの存在&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件と関連するとされる教義 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教5.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
オウム真理教では修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。小乗（ヒナヤーナ）、大乗（マハーヤーナ）、真言秘密金剛乗（タントラ・ヴァジラヤーナ）で、厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。ここでは4つの修行体系に分けて述べる。また、以下は教団における定義であって、通常の仏教語の定義とは違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; ヒナヤーナ&lt;br /&gt;
: ヒナヤーナとは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。&lt;br /&gt;
; マハーヤーナ&lt;br /&gt;
: マハーヤーナとは、多くの人たちが同時に高い世界を目指す道である。教団全体はマハーヤーナと規定される。ただし、ヒナヤーナ的な自己の浄化がなければ、マハーヤーナは成立しないともいう。&lt;br /&gt;
; タントラヤーナ&lt;br /&gt;
: タントラヤーナとは、マントラを唱える等の密教的な修行を指す。ただし、左道タントラなど、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。&lt;br /&gt;
; ヴァジラヤーナ&lt;br /&gt;
: ヴァジラヤーナとは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴァジラヤーナの教義の中には、'''「五仏の法則」'''と呼ばれるものがあり、「天界の法則であって人間界においてはなしえない」という注釈のもとで説かれたことがあった。これは、一般的な戒律に反する行為・言動が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。真言宗の金剛経などにも見られる教えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には、悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること、貪り多き魂を救済するためにその財産を奪うこと、嘘を使って真理に導き入れることなどが、天界の菩薩の修行として説かれている、という解説であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教義が殺人を正当化するものと解釈されたが、現在の教団においては、この五仏の法則は封印されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 活動 ==&lt;br /&gt;
教団の信者は在家信徒と出家修行者（'''サマナ'''）に分けられる。&lt;br /&gt;
在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「ステージ」制度があり、時期にもよるが、1995年時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師（小師、愛師、愛師長補、愛師長、菩師、菩師長補、菩師長）、正悟師（正悟師、正悟師長補、正悟師長）、正大師の各ステージが存在した。師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた。[[青山吉伸]]や[[上祐史浩]]に代表されるように、オウム真理教幹部には名門大学の卒業者が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム幹部の学歴 ==&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教6.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
* [[青山吉伸]]：[[大阪府立高津高校]] → [[京都大学]]法学部 → 21歳で[[司法試験]]合格(京大在学中) &lt;br /&gt;
* [[井上嘉浩]]：[[洛南高校]] → [[日本文化大学]]法学部中退 &lt;br /&gt;
* [[村井秀夫]]：[[大阪府立千里高校]] → [[大阪大学]]理学部物理学科 → 大阪大学大学院&lt;br /&gt;
* [[早川紀代秀]]：[[大阪府立三国丘高校]] → [[神戸大学]]農学部 → [[大阪府立大学]]大学院&lt;br /&gt;
* [[中川智正]]：岡山県立[[岡山朝日高校]] → [[京都府立医科大学]]&lt;br /&gt;
* [[遠藤誠一]]：北海道立[[札幌北高校]] → [[帯広畜産大学]]畜産学部獣医学科 → [[京都大学]]大学院&lt;br /&gt;
* [[土谷正実]]：東京都立[[狛江高校]] → [[筑波大学]]農林学類 → 筑波大学大学院&lt;br /&gt;
* [[豊田亨]]：[[白陵高校]] → [[東京大学]]理学部 → 東京大学大学院&lt;br /&gt;
* [[富永昌宏]]：[[灘高校]]([[大学への数学]]選手権3年連続全国1位) → [[東京大学医学部]]&lt;br /&gt;
* [[廣瀬健一]]：[[早稲田大学高等学院]] → [[早稲田大学]]理工学部応用物理学科&lt;br /&gt;
* [[端本悟]]：[[早稲田大学]]法学部中退&lt;br /&gt;
* [[村岡達子]]：[[上智大学]]&lt;br /&gt;
* [[林郁夫]]：[[慶應高校]] → [[慶應義塾大学医学部]]&lt;br /&gt;
* [[渡部和実]]：[[東京工業大学]]&lt;br /&gt;
* [[荒木浩]]：[[京都大学]]文学部&lt;br /&gt;
* [[森正文]]：[[大阪市立大学]]医学部&lt;br /&gt;
* [[上祐史浩]]：[[早稲田大学高等学院]] → [[早稲田大学]]理工学部電子通信学科 → 早稲田大学大学院修士課程&lt;br /&gt;
* 尊師:[[熊本県立盲学校高等部]]卒&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連年譜 ==&lt;br /&gt;
一連の事件での被害者数は、死者27人・重軽傷者6000人以上。日本史上最悪の組織的犯罪であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1984年]][[2月14日]] - '''麻原彰晃こと松本智津夫'''により創設される。当初は[[ヨガ]]の[[サークル]]であった。&lt;br /&gt;
* [[1987年]][[2月24日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[7月6日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[9月22日]] - オウム真理教での修行中に、富士山総本部に来ていた在家信者が死亡。遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。（[[オウム真理教在家信者死亡事件|在家信者死亡事件]]）&lt;br /&gt;
* [[1989年]][[2月10日]] - オウム真理教最初の殺人事件、[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]発生。&lt;br /&gt;
* 1989年[[8月25日]] - [[宗教法人]]化。&lt;br /&gt;
* 1989年[[11月4日]] - [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]で一家3人を殺害。&lt;br /&gt;
* [[1990年]][[2月18日]] - [[第39回衆議院議員総選挙]]に集団立候補するも全員落選。これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる。&lt;br /&gt;
* [[1991年]]5月 - 国土法違反事件（熊本県波野村）。&lt;br /&gt;
* 1991年9月 - 『[[朝まで生テレビ!]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 1991年12月 - 『[[ビートたけしのTVタックル]]』に出演。&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - このころ、数回にわたり[[創価学会]]の[[池田大作]]名誉会長、[[漫画家]]の[[小林よしのり]]、[[幸福の科学]]の[[大川隆法]]総裁、[[衆議院議員]]の[[小沢一郎]]・[[細川護熙]]、[[タレント]]の[[デーブ・スペクター]]などの[[暗殺]]を計画するも失敗。&lt;br /&gt;
* 1993年6月6日 - 男性信徒が逆さ吊り修行により死亡。遺体は、幹部らによって遺棄された。&lt;br /&gt;
* 1993年11月 - [[1994年]]12月に[[サリンプラント建設事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年1月30日 - [[薬剤師リンチ殺人事件]]が発生。&lt;br /&gt;
* 1994年[[5月9日]] - [[滝本弁護士サリン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年6月 - [[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]導入。22省庁を開設し大臣と次官を設置。当時の教祖、麻原は神聖法皇に。&lt;br /&gt;
* 1994年6月～[[1995年]]3月 - 旧ソ連製の[[AK-74]]をモデルとした[[突撃銃]]を密造（[[オウム真理教の兵器]]を参照のこと）。&lt;br /&gt;
* 1994年[[6月27日]] - [[松本サリン事件]]。[[長野県]][[松本市]]でサリンを噴霧し、7人を殺害。重軽傷660人。&lt;br /&gt;
* 1994年7月10日 - [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件]] 発生。&lt;br /&gt;
* 1994年7月15日 - 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件。&lt;br /&gt;
* 1994年9月20日 - [[江川紹子ホスゲン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月2日 - [[駐車場経営者VX襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月12日 - [[会社員VX殺害事件]]。&lt;br /&gt;
* 1995年1月4日 - 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃。（[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]]）&lt;br /&gt;
* 1995年2月28日 - [[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]で男性1人が死亡。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月17日]] - 麻原の口頭による[[尊師通達]]が発令（地下鉄サリン事件に関わった者のステージが昇格された）。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月20日]] - [[地下鉄サリン事件]]。[[東京]]の[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]（現・[[東京地下鉄]]）でサリンを撒き、12人を殺害、5,510人が重軽傷を負った。&lt;br /&gt;
* 1995年[[5月16日]] - 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。&lt;br /&gt;
* 1995年 - 宗教法人解散命令。国会で[[宗教法人法]]改正法が成立。&lt;br /&gt;
* 1996年[[6月19日]] - 麻原（松本）に代わり、松本の長男（当時3歳）と次男（当時2歳）の二人を「教祖」とする。麻原の地位は「開祖」に。&lt;br /&gt;
* [[1997年]][[1月31日]] - 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] - [[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|団体規制法]]と破産特別法が成立。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月1日]] - 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分（3年間）が効力発生。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月4日]] - 「宗教団体・アレフ」として再編。&lt;br /&gt;
* 2000年[[7月1日]] - ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕（[[シガチョフ事件]]）&lt;br /&gt;
* [[2002年]]1月 - [[上祐史浩]]が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明。&lt;br /&gt;
* 2003年[[1月23日]] - 団体規制法に基づく観察処分の期間更新（2月1日から3年）決定&lt;br /&gt;
* 2003年2月 - 「宗教団体・アーレフ」と改称した。&lt;br /&gt;
* 2008年5月20日 - 「Aleph」（アレフ）と改称した。&lt;br /&gt;
*[[2011年]][[12月31日]] - [[平田信]]が警視庁丸の内警察署に出頭。翌日に監禁致死の容疑で逮捕。その後、逮捕監禁罪（公証人役場事務長逮捕監禁致死事件）、爆発物取締罰則違反（[[島田裕巳宅爆弾事件]]）、火炎瓶取締法違反（[[オウム真理教東京総本部火炎瓶事件]]）で起訴される。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[6月3日]] - [[菊地直子]]が相模原市内の潜伏先で身柄を確保される。その後、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪（東京都庁小包爆弾事件）で起訴される。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[6月15日]] - [[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]が東京都大田区西蒲田の漫画喫茶内で身柄を確保される。これでオウム関連の特別指名手配者はすべて確保される。その後、殺人罪と殺人未遂罪（地下鉄サリン事件、会社員VX殺害事件、オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件）、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪（東京都庁小包爆弾事件）、逮捕監禁致死罪と死体損壊罪（公証人役場事務長逮捕監禁致死事件）で起訴される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公称信徒数 ===&lt;br /&gt;
* [[1985年]]12月 - 15人&lt;br /&gt;
* [[1986年]]10月 - 35人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]2月 - 600人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]7月 - 1,300人&lt;br /&gt;
* [[1988年]]8月 - 3,000人&lt;br /&gt;
* [[1995年]]3月 - 15,400人（出家1,400人、在家14,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]7月 - 5,500人（出家500人、在家5,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]12月 - 2,200人（出家900人、在家1,300人）&lt;br /&gt;
* [[2000年]] - 1,115人（教団が[[公安調査庁]]に報告した数）&lt;br /&gt;
* [[2003年]]2月 - 1,251人（教団が公安調査庁に報告した数）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム事件の謎 ==&lt;br /&gt;
オウム事件では、[[村井秀夫刺殺事件]]の真相の究明に至っていない。実行犯は特定の者の指示により決行したとして有罪確定、指示したとして起訴された者は無罪である。二つの内容対立する判決がそのままになっている。[[警察庁長官狙撃事件|国松警察庁長官銃撃事件]]に至っては、自白したとされる元オウム信者の警察官が、供述に矛盾点が多いなどとして最終的には不起訴処分となったという異例の事態となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件が与えた影響とその後 ==&lt;br /&gt;
あまりにも前代未聞な事件だったこと、オウム[[報道]]によって[[犯罪報道]]の比重が高まったために、犯罪が特に増えているわけでもないのに治安の悪化を感じる国民が増加し[[刑罰#厳罰化|厳罰化]]など以後の[[刑事政策]]に影響を与えた。 犯罪被害者の救済制度が整備されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件以後、問題がある新宗教団体に対する世間の目は、一層に厳しくなった。特に巨額の献金を要求したり、信者の離脱を許さなかったりなど、信者を抑圧しているとされる団体に対しては、情報の公開を求める動きが広がった。白装束で話題になった[[パナウェーブ研究所|パナウェーブ]]問題への対応などにも影響を与えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「'''オウム特番'''」等連日連夜繰り広げられたオウム[[報道]]によって報道の[[ワイドショー]]化が一層進んだ。特に麻原逮捕までは毎晩どこかの局で2時間程度（日によって異なるが場合によっては3～4時間の場合も）オウム関連の特番が組まれていた。その影響で1995年4月～6月クールの連続ドラマの[[視聴率]]が低下した（21時から特番を組んだ事もあり、その影響で休止になったり繰り下げとなることも多かったためである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オウム真理教を扱った番組は簡単に視聴率が取れる」として、『オウムの法則』（[[オームの法則]]と掛けたパロディとも思われる）なる用語まで登場した。実際、1995年の年間視聴率（[[ビデオリサーチ]]調べ）の上位50本の中にオウム真理教関連の番組は関東地区で16本、関西地区では10本登場している。ちなみに、この年発生した[[阪神・淡路大震災]]関連の番組は関東地区で2本、関西地区でも7本だった&amp;lt;ref&amp;gt;引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、199頁。ISBN 4062122227&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京放送|TBS]]『[[ブロードキャスター]]』のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」によると、1995年の1年間にワイドショーがオウム真理教関連の話題を報じた時間数はのべ1272時間19分5秒。2位の阪神・淡路大震災の126時間8分53秒に約10倍の差をつけての首位だった。ちなみに、この年のワイドショー全体の67.8%をオウム真理教関連の話題が占めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1995年に[[週刊新潮]]が発表した「今年を代表する男」の読者アンケートで、麻原彰晃が[[野茂英雄]]に次いで2位を獲得。また上位10人には麻原以外にも[[坂本堤]]・[[村井秀夫]]・[[上祐史浩]]とオウム事件の関係者が4人ランクインした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[森達也]]は 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』で報道機関が視聴者・読者から教団を擁護していると非難されることを恐れるあまり、教団を排斥する運動の不当性や、別件や微罪による信者の不当逮捕を報道することすらタブーになっていると指摘している。森は事件後に成立した「組織犯罪対策法」等の中に社会の治安維持上の必要がある場合に個人の私権を制限したりプライバシーを侵害する事を認めるような条項がある事を、報道機関の運動に乗せられた行き過ぎではないかと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上祐代表を中心とする「代表派」（少数派）と、麻原回帰を強める非代表派（多数派）が分裂した。代表派によれば、代表派と非代表派の会計規模は1：5とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年8月、オウム真理教の元信者である女性が北朝鮮に亡命した。[http://www.rickross.com/reference/aum/aum352.html]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスにも影響を与え、カルト団体対策の推進の理由のひとつとなり（他にスイスにおける集団自殺、フランス国内でのカルト被害報告の増加もある）、各省庁が連携してのカルト対策が立てられ、フランスはカルト団体対策の先進例の1つとなった。1995年、1999年にフランスは、国内で活動中で犯罪の多い団体のリストを作成した。当然フランスに於いてもオウムは特に危険な団体として取り扱われたが、オウムはフランスに支部を持っていなかったので[[セクト]]のリストからは漏れている（ただし、テロ事件を引き起こす前の麻原は[[ノストラダムス]]の[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集|予言書]]を手に入れるために訪仏し、現地の学者と意見を重ねていたので全くの無関係とは言い切れない。サリン事件後には、当時の学者達はフランス警察から事情聴取を受けている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
*'''[[オウム真理教]]'''が'''[[天理教]]の集金術を学んだ'''と言われている。&lt;br /&gt;
*[[日蓮]]系の'''[[冨士大石寺顕正会|顕正会]]'''が「第二のオウム」と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 共同通信社会部『裁かれる教祖』（共同通信社）&lt;br /&gt;
* 河上和雄『犯罪捜査と裁判-オウム事件を追って-』（悠々社）&lt;br /&gt;
* 治安制度研究会『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説（立花書房）&lt;br /&gt;
* 東京キララ社編集部 編 [[西村雅史]]・[[宮口浩之]]監修 『オウム真理教大辞典』 (キーワード解説) ISBN 4380032094&lt;br /&gt;
* [[麻生幾]] 『極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』 ISBN 4163525408 ISBN 4167644010&lt;br /&gt;
* [[江川紹子]]『「オウム真理教」追跡2200日』（文芸春秋）&lt;br /&gt;
* [[島田裕巳]] 『オウム―なぜ宗教は[[テロリズム]]を生んだのか』 ISBN 4901510002&lt;br /&gt;
* [[一橋文哉]] 『オウム帝国の正体』 ISBN 4104128031 ISBN 4101426236&lt;br /&gt;
* [[森達也]]『A―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』ISBN 4043625014&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・安岡卓治『A2』 ISBN 4768476821&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・[[森巣博]] 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』 集英社、2005年、75、105-108、120、151-153、196頁。ISBN 978-4087203141 &lt;br /&gt;
* [[渡辺脩]]『麻原を死刑にして、それで済むのか?―本当のことが知らされないアナタへ』ISBN 4883202879&lt;br /&gt;
* [[下里正樹]]『オウムの黒い霧―オウム裁判を読み解く11のカギ』ISBN 4575285137&lt;br /&gt;
* 渡辺脩・[[和多田進]]『麻原裁判の法廷から』ISBN 4891882824&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[オーム (聖音)]]&lt;br /&gt;
* [[カルト]]&lt;br /&gt;
* [[オカルト]]&lt;br /&gt;
* [[ヒヒイロカネ]]&lt;br /&gt;
* [[日本原住民論]]（[[反日亡国論]]）&lt;br /&gt;
* [[霊的ボルシェヴィキ]]&lt;br /&gt;
* [[東日流外三郡誌]]&lt;br /&gt;
* [[偽史運動]]&lt;br /&gt;
* [[公安調査庁]]&lt;br /&gt;
* [[内乱罪]]&lt;br /&gt;
* [[破壊活動防止法]]&lt;br /&gt;
* [[上九一色村]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
=== 公式ウェブサイト ===&lt;br /&gt;
* [http://www.aleph.to/ 宗教団体アーレフ] 反上祐派（主流派）&lt;br /&gt;
** [http://info.aleph.to/ 宗教団体アーレフ広報部]&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/alephdaihyou/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 1] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/joyualeph/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 2] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* [http://s-a-t.org/ オウム裁判対策協議会]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%ae%97%e6%95%99%e3%83%bb%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%b8%96%e7%95%8c/%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%83%95/ オープンディレクトリー: アーレフ]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%83%bb%e4%ba%89%e7%82%b9/%e7%8a%af%e7%bd%aa%e3%83%bb%e5%8f%b8%e6%b3%95/%e3%82%aa%e3%82%a6%e3%83%a0%e7%9c%9f%e7%90%86%e6%95%99/ オープンディレクトリー: オウム真理教]&lt;br /&gt;
* [http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/ カナリヤの詩]（脱会者の集い -「カナリヤの会」公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/keibi4/it0.htm オウム真理教 ～反社会的な本質とその実態～]（[[警察庁]]）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/wanted/1/oumu1.html オウム真理教関係特別手配被疑者]（警察庁）&lt;br /&gt;
* [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/ 宗教被害wiki]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%95?sid=16d3a370150b658fef6b65fec10a5e95 アーレフ]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99 オウム真理教]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:おうむしんりきよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヨーガ]]&lt;br /&gt;
[[Category:仏教系新宗教]]&lt;br /&gt;
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[[Category:アメリカ合衆国によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:イギリス内務省によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:欧州連合によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:カナダによりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロシア連邦保安庁によりテロリスト認定された組織‎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

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		<title>オウム真理教</title>
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				<updated>2020-05-17T09:34:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 事件後 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Redirect|アレフ}}&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教1.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
'''オウム真理教'''（オウムしんりきょう）は、かつて存在した[[日本]]の（新興）[[宗教団体]]。「オウム（AUM）」とは、[[サンスクリット]]の呪文「[[オーム (聖音)|唵]]」のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1996年（[[平成]]8年）1月に宗教法人としての[[法人格]]を失ったが活動を継続。2000年（平成12年）2月には[[破産]]に伴い消滅した。同時に、新たな宗教団体'''[[アレフ]]'''が設立され、[[教義]]や[[信者]]の一部が引き継がれた。アレフは後に[[アレフ (宗教団体)|Aleph]]と改称され、また別の宗教団体[[ひかりの輪]]が分派した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[松本サリン事件]]、[[地下鉄サリン事件]]などの[[テロリズム|テロ]]を含む多くの反社会的活動（「[[オウム真理教事件]]」）を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教2.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
[[全共闘運動]]の終息後、[[反日亡国論]]を掲げる[[新左翼 (日本)|日本の新左翼]]の一部（[[太田竜]]、[[武田崇元]]など）は、オカルト界にも進出した。彼らは「天皇中心史観」に対抗する理論として[[日本原住民論]]を掲げており、「[[記紀]]以前の歴史を伝える」とされる[[古史古伝]]に兼ねてより関心を持っていた。彼らは左翼の影響を強く受けた「[[霊的ボルシェヴィキ]]」なる新機軸を打ち出し、1980年代の[[オカルトブーム]]を巻き起こすことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな最中、後に「'''オウム真理教'''」となる[[ヨーガ]]道場「'''オウムの会'''」（その後'''オウム神仙の会'''と改称）が[[1984年]]に開場された。そして[[オカルト]][[雑誌]]「[[ムー (雑誌)|ムー]]」が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた。この写真は[[座禅]]を組んだまま跳躍（膝を使って跳ねる）するというものだったが、これが後に同教団が言う所の「[[空中浮揚]]」の原型とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、雑誌「ムー」[[1985年]]11月号に[[酒井勝軍]]の予言書「神秘之日本」に基づき、[[超能力]]開発を可能にして支配的民族に進化するための石（[[ヒヒイロカネ]]）を発見したという記事を[[麻原彰晃]]（本名・[[松本智津夫]]）が読者レポートとして寄稿していた。ここで「精神文化中心の新しい時代」への期待感とともに超能力開発への期待およびそこに掲載された一番弟子とされる美人幹部の魅惑的な短パン姿などが当時精神世界やオカルト雑誌にしか居場所がなかった若者たちに大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにオウム真理教の思想的源流となったのは、[[ノストラダムスの大予言]]や[[チベット仏教]]だけでなく、これらの日本オカルト界の風潮も取り込んでいる。研究家の[[原田実]]によると、オウム真理教が[[オウム真理教の国家転覆計画|国家転覆]]をも企てた背景には、これらの左翼イデオロギーが間接的に影響しているとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オウム真理教の誕生 ===&lt;br /&gt;
[[1987年]]に[[東京都]][[渋谷区]]において、オウム神仙の会を母体とする宗教団体「オウム真理教」が設立された。また、同年11月には[[ニューヨーク]]支部も設立し、[[1989年]][[8月25日]]に[[東京都]]に[[宗教法人]]として認証された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻原は[[チベット]][[亡命政府]]の日本代表であった[[ペマ・ギャルポ]]と接触し、その助力によって、[[1987年]][[2月24日]]ならびに[[1988年]][[7月6日]]に[[ダライ・ラマ14世]]と[[インド]]で会談した。ダライ・ラマ側からすると麻原は多数の謁見者の中のひとりにすぎず、麻原を積極的に支持したわけでもない。しかし、麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「私が[[チベット]]において[[仏教]]のために実践していることを、あなたは日本において行いなさい」と麻原に告げたと主張、オウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。[[ペマ・ギャルポ]]はその後まもなくオウム真理教との関係を絶つとともに、むしろ積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても、今後は麻原と関係を持たないように進言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]]に[[東京都]]から[[宗教法人]]として認可されてから後に、[[静岡県]][[富士宮市]]に総本部を置き、日本全国各地に支部や道場を設置。富士宮市進出の際は[[山口組]]系[[後藤組]]の援助を受け、その後は後藤組組長・[[後藤忠政]]がオウムのケツモチとなった。また[[ロシア]]や[[スリランカ]]等海外にも支部を置いていた。信者は日本国内だけでも'''11,000'''人程度存在していたという。なお、登記上の主たる事務所は[[東京都]][[江東区]][[亀戸]]の新東京総本部であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 非合法活動への道程 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教3.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
教団は奇抜な選挙活動等、一部で注目を浴びていた。[[1989年]]11月に起きた'''[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]'''や[[1994年]]6月に起きた'''[[松本サリン事件]]'''、[[1995年]][[2月28日]]に起きた[[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]等では容疑団体と目され、それ以降警察から監視されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[検察]]側の主張によれば、[[1995年]]3月に、[[警察]]の全国教団施設の一斉捜査の内部情報を入手した松本（麻原）は、警察の目を逸らす為に[[東京]]で大事件を起こす事を思い付き、[[1995年]][[3月20日]]、'''[[地下鉄サリン事件]]'''を起こしたとされている。よって、この事件そのものは[[内乱]]ではなかったとされるが、[[内乱]]の時間稼ぎと考える事も出来る。却って教団の事件関与の確信を深めた[[警視庁]]は[[1995年]][[3月22日]]に上九一色村の教団本部施設への強制捜査を行った。施設からはサリン等化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布の為の軍用ヘリ等が見付かり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。事件との関与が指摘された教団の幹部クラスの信者が続々と[[逮捕]]された。東京地検は松本智津夫を17件の容疑で起訴したが、その内[[LSD (薬物)|LSD]]・[[メスカリン]]・[[覚醒剤]]・[[麻酔薬]]等薬物密造に関わる4件に付いては裁判の迅速化を図る為[[2000年]]10月5日起訴を取り下げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これら事件に関わったとされる最重要容疑者、[[平田信]]・[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]・[[菊地直子]]が未だ逃亡中であり警察が全力で捜査している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[5月16日]]には、教団代表であった松本智津夫（[[麻原彰晃]]）が[[山梨県]][[上九一色村]]（現・[[富士河口湖町]]）で逮捕される。その後[[村岡達子]]が代表代行となったが1995年10月30日東京高裁により解散命令を受け、抗告が棄却された為宗教法人としては解散する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件後 ===&lt;br /&gt;
[[1996年]]3月28日[[東京地裁]]が[[破産法]]に基き教団に[[破産宣告]]を行い、同年5月に確定する。1996年7月11日公共の利益を害する組織犯罪を行った危険団体として[[破壊活動防止法]]の適用を求める処分請求が[[公安調査庁]]より行われたが、同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認された事等もあって、処分請求は1997年1月31日[[公安審査委員会]]により棄却されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
破防法処分請求棄却後、教団は一転して活動を活発化、「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動[http://www.npa.go.jp/keibi4/it3.htm]を行ったり、パソコン販売を通じて資金調達を進めていった。一方、一連の事件については「教団がやった証拠がない」とし、一切反省せず、被害者への賠償にも応じなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教団の姿勢は社会の強い反発を招き、[[長野県]][[北佐久郡]][[北御牧村]]（現・[[東御市]]）の住民運動をきっかけに、オウム反対運動が全国的に盛り上がりを見せ、国会でもオウム対策法として[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|オウム新法]]を制定するに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[2月4日]]オウム真理教を母体として、前年に出所した[[上祐史浩]]を代表とする「宗教団体・'''アレフ'''」が設立される。アレフは更に2003年2月に「宗教団体'''アーレフ'''」と改称した。改名後、元から同じ名前で存在する企業がオウム真理教とは無関係なのに、なぜかオウム真理教と関係しているとの風評被害を浴びることになった（同様の風評被害はオウム真理教時代にも類似した名前の企業を対象に起きている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では元信者または現アーレフ信者に対する転入届の受付け拒否や退去勧告・就入学拒否等が地方自治体による違法行為として社会問題になっている。住民票不受理裁判は全て自治体側の敗訴となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年（平成19年）5月には一部の信者（上祐派）が脱会。新宗教団体「ひかりの輪」を結成した。この団体は松本智津夫の教えからの脱却を志向していると主張しているが、公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版でもその活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]（平成22年）[[3月]]に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教義 ==&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教4.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
; 無常&lt;br /&gt;
: オウム真理教は、[[修行]]による[[苦悩]]からの解放を説き、[[欲望]]・[[煩悩]]を一つずつ超越する事を[[解脱]]と呼んだ。そして、自ら日本で唯一の最終解脱者と称する松本の教説は、「無常」と「煩悩破壊」を根本とする。&lt;br /&gt;
: 「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という松本の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべてのものは無常である。したがって、すべての喜びはいつか終わりが訪れるため、煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。&lt;br /&gt;
: 逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のニルヴァーナ（煩悩破壊）である。また、そこに留まる事なく、更に全ての魂を絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによってマハーニルヴァーナ（大完全煩悩破壊）、あるいはマハーボーディニルヴァーナ（大到達真智完全煩悩破壊）へと至る。&lt;br /&gt;
; ポア&lt;br /&gt;
: ポア（ポワ）とは「[[意識]]を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。これは[[生]][[死]]とは関わりなく意識の中の煩悩的要素を弱めることと解釈できる。このポアの中で最も重要なものは死の直後、中間状態にある意識の移し替えで、これは次の生における転生先を決定することになる。&lt;br /&gt;
: したがって、[[死]]の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。これが転じて、「死をもたらすこと」も「ポア」と呼ばれていた。これが「『ポア』なる言葉の下に殺戮を正当化する」と検察側が主張する根拠となっている。&lt;br /&gt;
; シヴァ&lt;br /&gt;
: オウム真理教の主宰神は[[シヴァ大神]]である。オウム真理教に於けるシヴァ大神は「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナと同義として扱われる。[[ヒンドゥー教]]（インド神話）にも同名の[[シヴァ]]神があるが、これはシヴァ大神の化身に過ぎないとされる。また、麻原彰晃はこのシヴァ大神の変化身と見做された。&lt;br /&gt;
; 教義&lt;br /&gt;
: オウム真理教の教義は、原始ヨーガ、[[初期仏教|原始仏教]]を土台とし、[[パーリ仏典]]を土台に、[[チベット仏教|チベット密教]]の技法を取り入れている。そして、「宗教は一つの道」として、全ての[[宗教]]はヨーガ・[[仏教]]的[[宇宙観]]の一部に含まれる、と説く。その結果、キリスト教の創造主としての神は[[梵天]]（オウム真理教では神聖天と訳す）の事である、等と説かれる。&lt;br /&gt;
: 従って、オウム真理教に於いては[[儒教]]・[[道教]]・[[キリスト教]]・[[ゾロアスター教]]等ありとあらゆる宗教・[[神秘思想]]を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、仏教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。&lt;br /&gt;
: 具体的な修行法としては、出家修行者向けには[[上座部仏教]]の七科三十七道品、在家修行者向けには[[大乗仏教]]の[[波羅蜜|六波羅蜜]]、またヨーガや[[密教]]その他の技法が用いられた。&lt;br /&gt;
; 教義の柱&lt;br /&gt;
: オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。&lt;br /&gt;
:# 最終地点まで導くグル（霊的指導者）の存在&lt;br /&gt;
:# 無常に基づく正しい教義&lt;br /&gt;
:# その教義を実体験できる修行法&lt;br /&gt;
:# その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在&lt;br /&gt;
:# 修行を進めるためのイニシエーションの存在&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件と関連するとされる教義 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教5.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
オウム真理教では修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。小乗（ヒナヤーナ）、大乗（マハーヤーナ）、真言秘密金剛乗（タントラ・ヴァジラヤーナ）で、厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。ここでは4つの修行体系に分けて述べる。また、以下は教団における定義であって、通常の仏教語の定義とは違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; ヒナヤーナ&lt;br /&gt;
: ヒナヤーナとは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。&lt;br /&gt;
; マハーヤーナ&lt;br /&gt;
: マハーヤーナとは、多くの人たちが同時に高い世界を目指す道である。教団全体はマハーヤーナと規定される。ただし、ヒナヤーナ的な自己の浄化がなければ、マハーヤーナは成立しないともいう。&lt;br /&gt;
; タントラヤーナ&lt;br /&gt;
: タントラヤーナとは、マントラを唱える等の密教的な修行を指す。ただし、左道タントラなど、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。&lt;br /&gt;
; ヴァジラヤーナ&lt;br /&gt;
: ヴァジラヤーナとは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴァジラヤーナの教義の中には、'''「五仏の法則」'''と呼ばれるものがあり、「天界の法則であって人間界においてはなしえない」という注釈のもとで説かれたことがあった。これは、一般的な戒律に反する行為・言動が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。真言宗の金剛経などにも見られる教えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には、悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること、貪り多き魂を救済するためにその財産を奪うこと、嘘を使って真理に導き入れることなどが、天界の菩薩の修行として説かれている、という解説であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教義が殺人を正当化するものと解釈されたが、現在の教団においては、この五仏の法則は封印されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 活動 ==&lt;br /&gt;
教団の信者は在家信徒と出家修行者（サマナ）に分けられる。&lt;br /&gt;
在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「ステージ」制度があり、時期にもよるが、1995年時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師（小師、愛師、愛師長補、愛師長、菩師、菩師長補、菩師長）、正悟師（正悟師、正悟師長補、正悟師長）、正大師の各ステージが存在した。師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた。[[青山吉伸]]や[[上祐史浩]]に代表されるように、オウム真理教幹部には名門大学の卒業者が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム幹部の学歴 ==&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教6.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
* [[青山吉伸]]：[[大阪府立高津高校]] → [[京都大学]]法学部 → 21歳で[[司法試験]]合格(京大在学中) &lt;br /&gt;
* [[井上嘉浩]]：[[洛南高校]] → [[日本文化大学]]法学部中退 &lt;br /&gt;
* [[村井秀夫]]：[[大阪府立千里高校]] → [[大阪大学]]理学部物理学科 → 大阪大学大学院&lt;br /&gt;
* [[早川紀代秀]]：[[大阪府立三国丘高校]] → [[神戸大学]]農学部 → [[大阪府立大学]]大学院&lt;br /&gt;
* [[中川智正]]：岡山県立[[岡山朝日高校]] → [[京都府立医科大学]]&lt;br /&gt;
* [[遠藤誠一]]：北海道立[[札幌北高校]] → [[帯広畜産大学]]畜産学部獣医学科 → [[京都大学]]大学院&lt;br /&gt;
* [[土谷正実]]：東京都立[[狛江高校]] → [[筑波大学]]農林学類 → 筑波大学大学院&lt;br /&gt;
* [[豊田亨]]：[[白陵高校]] → [[東京大学]]理学部 → 東京大学大学院&lt;br /&gt;
* [[富永昌宏]]：[[灘高校]]([[大学への数学]]選手権3年連続全国1位) → [[東京大学医学部]]&lt;br /&gt;
* [[廣瀬健一]]：[[早稲田大学高等学院]] → [[早稲田大学]]理工学部応用物理学科&lt;br /&gt;
* [[端本悟]]：[[早稲田大学]]法学部中退&lt;br /&gt;
* [[村岡達子]]：[[上智大学]]&lt;br /&gt;
* [[林郁夫]]：[[慶應高校]] → [[慶應義塾大学医学部]]&lt;br /&gt;
* [[渡部和実]]：[[東京工業大学]]&lt;br /&gt;
* [[荒木浩]]：[[京都大学]]文学部&lt;br /&gt;
* [[森正文]]：[[大阪市立大学]]医学部&lt;br /&gt;
* [[上祐史浩]]：[[早稲田大学高等学院]] → [[早稲田大学]]理工学部電子通信学科 → 早稲田大学大学院修士課程&lt;br /&gt;
* 尊師:[[熊本県立盲学校高等部]]卒&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連年譜 ==&lt;br /&gt;
一連の事件での被害者数は、死者27人・重軽傷者6000人以上。日本史上最悪の組織的犯罪であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1984年]][[2月14日]] - '''麻原彰晃こと松本智津夫'''により創設される。当初は[[ヨガ]]の[[サークル]]であった。&lt;br /&gt;
* [[1987年]][[2月24日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[7月6日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[9月22日]] - オウム真理教での修行中に、富士山総本部に来ていた在家信者が死亡。遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。（[[オウム真理教在家信者死亡事件|在家信者死亡事件]]）&lt;br /&gt;
* [[1989年]][[2月10日]] - オウム真理教最初の殺人事件、[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]発生。&lt;br /&gt;
* 1989年[[8月25日]] - [[宗教法人]]化。&lt;br /&gt;
* 1989年[[11月4日]] - [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]で一家3人を殺害。&lt;br /&gt;
* [[1990年]][[2月18日]] - [[第39回衆議院議員総選挙]]に集団立候補するも全員落選。これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる。&lt;br /&gt;
* [[1991年]]5月 - 国土法違反事件（熊本県波野村）。&lt;br /&gt;
* 1991年9月 - 『[[朝まで生テレビ!]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 1991年12月 - 『[[ビートたけしのTVタックル]]』に出演。&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - このころ、数回にわたり[[創価学会]]の[[池田大作]]名誉会長、[[漫画家]]の[[小林よしのり]]、[[幸福の科学]]の[[大川隆法]]総裁、[[衆議院議員]]の[[小沢一郎]]・[[細川護熙]]、[[タレント]]の[[デーブ・スペクター]]などの[[暗殺]]を計画するも失敗。&lt;br /&gt;
* 1993年6月6日 - 男性信徒が逆さ吊り修行により死亡。遺体は、幹部らによって遺棄された。&lt;br /&gt;
* 1993年11月 - [[1994年]]12月に[[サリンプラント建設事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年1月30日 - [[薬剤師リンチ殺人事件]]が発生。&lt;br /&gt;
* 1994年[[5月9日]] - [[滝本弁護士サリン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年6月 - [[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]導入。22省庁を開設し大臣と次官を設置。当時の教祖、麻原は神聖法皇に。&lt;br /&gt;
* 1994年6月～[[1995年]]3月 - 旧ソ連製の[[AK-74]]をモデルとした[[突撃銃]]を密造（[[オウム真理教の兵器]]を参照のこと）。&lt;br /&gt;
* 1994年[[6月27日]] - [[松本サリン事件]]。[[長野県]][[松本市]]でサリンを噴霧し、7人を殺害。重軽傷660人。&lt;br /&gt;
* 1994年7月10日 - [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件]] 発生。&lt;br /&gt;
* 1994年7月15日 - 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件。&lt;br /&gt;
* 1994年9月20日 - [[江川紹子ホスゲン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月2日 - [[駐車場経営者VX襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月12日 - [[会社員VX殺害事件]]。&lt;br /&gt;
* 1995年1月4日 - 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃。（[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]]）&lt;br /&gt;
* 1995年2月28日 - [[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]で男性1人が死亡。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月17日]] - 麻原の口頭による[[尊師通達]]が発令（地下鉄サリン事件に関わった者のステージが昇格された）。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月20日]] - [[地下鉄サリン事件]]。[[東京]]の[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]（現・[[東京地下鉄]]）でサリンを撒き、12人を殺害、5,510人が重軽傷を負った。&lt;br /&gt;
* 1995年[[5月16日]] - 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。&lt;br /&gt;
* 1995年 - 宗教法人解散命令。国会で[[宗教法人法]]改正法が成立。&lt;br /&gt;
* 1996年[[6月19日]] - 麻原（松本）に代わり、松本の長男（当時3歳）と次男（当時2歳）の二人を「教祖」とする。麻原の地位は「開祖」に。&lt;br /&gt;
* [[1997年]][[1月31日]] - 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] - [[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|団体規制法]]と破産特別法が成立。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月1日]] - 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分（3年間）が効力発生。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月4日]] - 「宗教団体・アレフ」として再編。&lt;br /&gt;
* 2000年[[7月1日]] - ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕（[[シガチョフ事件]]）&lt;br /&gt;
* [[2002年]]1月 - [[上祐史浩]]が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明。&lt;br /&gt;
* 2003年[[1月23日]] - 団体規制法に基づく観察処分の期間更新（2月1日から3年）決定&lt;br /&gt;
* 2003年2月 - 「宗教団体・アーレフ」と改称した。&lt;br /&gt;
* 2008年5月20日 - 「Aleph」（アレフ）と改称した。&lt;br /&gt;
*[[2011年]][[12月31日]] - [[平田信]]が警視庁丸の内警察署に出頭。翌日に監禁致死の容疑で逮捕。その後、逮捕監禁罪（公証人役場事務長逮捕監禁致死事件）、爆発物取締罰則違反（[[島田裕巳宅爆弾事件]]）、火炎瓶取締法違反（[[オウム真理教東京総本部火炎瓶事件]]）で起訴される。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[6月3日]] - [[菊地直子]]が相模原市内の潜伏先で身柄を確保される。その後、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪（東京都庁小包爆弾事件）で起訴される。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[6月15日]] - [[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]が東京都大田区西蒲田の漫画喫茶内で身柄を確保される。これでオウム関連の特別指名手配者はすべて確保される。その後、殺人罪と殺人未遂罪（地下鉄サリン事件、会社員VX殺害事件、オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件）、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪（東京都庁小包爆弾事件）、逮捕監禁致死罪と死体損壊罪（公証人役場事務長逮捕監禁致死事件）で起訴される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公称信徒数 ===&lt;br /&gt;
* [[1985年]]12月 - 15人&lt;br /&gt;
* [[1986年]]10月 - 35人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]2月 - 600人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]7月 - 1,300人&lt;br /&gt;
* [[1988年]]8月 - 3,000人&lt;br /&gt;
* [[1995年]]3月 - 15,400人（出家1,400人、在家14,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]7月 - 5,500人（出家500人、在家5,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]12月 - 2,200人（出家900人、在家1,300人）&lt;br /&gt;
* [[2000年]] - 1,115人（教団が[[公安調査庁]]に報告した数）&lt;br /&gt;
* [[2003年]]2月 - 1,251人（教団が公安調査庁に報告した数）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム事件の謎 ==&lt;br /&gt;
オウム事件では、[[村井秀夫刺殺事件]]の真相の究明に至っていない。実行犯は特定の者の指示により決行したとして有罪確定、指示したとして起訴された者は無罪である。二つの内容対立する判決がそのままになっている。[[警察庁長官狙撃事件|国松警察庁長官銃撃事件]]に至っては、自白したとされる元オウム信者の警察官が、供述に矛盾点が多いなどとして最終的には不起訴処分となったという異例の事態となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件が与えた影響とその後 ==&lt;br /&gt;
あまりにも前代未聞な事件だったこと、オウム[[報道]]によって[[犯罪報道]]の比重が高まったために、犯罪が特に増えているわけでもないのに治安の悪化を感じる国民が増加し[[刑罰#厳罰化|厳罰化]]など以後の[[刑事政策]]に影響を与えた。 犯罪被害者の救済制度が整備されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件以後、問題がある新宗教団体に対する世間の目は、一層に厳しくなった。特に巨額の献金を要求したり、信者の離脱を許さなかったりなど、信者を抑圧しているとされる団体に対しては、情報の公開を求める動きが広がった。白装束で話題になった[[パナウェーブ研究所|パナウェーブ]]問題への対応などにも影響を与えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「'''オウム特番'''」等連日連夜繰り広げられたオウム[[報道]]によって報道の[[ワイドショー]]化が一層進んだ。特に麻原逮捕までは毎晩どこかの局で2時間程度（日によって異なるが場合によっては3～4時間の場合も）オウム関連の特番が組まれていた。その影響で1995年4月～6月クールの連続ドラマの[[視聴率]]が低下した（21時から特番を組んだ事もあり、その影響で休止になったり繰り下げとなることも多かったためである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オウム真理教を扱った番組は簡単に視聴率が取れる」として、『オウムの法則』（[[オームの法則]]と掛けたパロディとも思われる）なる用語まで登場した。実際、1995年の年間視聴率（[[ビデオリサーチ]]調べ）の上位50本の中にオウム真理教関連の番組は関東地区で16本、関西地区では10本登場している。ちなみに、この年発生した[[阪神・淡路大震災]]関連の番組は関東地区で2本、関西地区でも7本だった&amp;lt;ref&amp;gt;引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、199頁。ISBN 4062122227&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京放送|TBS]]『[[ブロードキャスター]]』のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」によると、1995年の1年間にワイドショーがオウム真理教関連の話題を報じた時間数はのべ1272時間19分5秒。2位の阪神・淡路大震災の126時間8分53秒に約10倍の差をつけての首位だった。ちなみに、この年のワイドショー全体の67.8%をオウム真理教関連の話題が占めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1995年に[[週刊新潮]]が発表した「今年を代表する男」の読者アンケートで、麻原彰晃が[[野茂英雄]]に次いで2位を獲得。また上位10人には麻原以外にも[[坂本堤]]・[[村井秀夫]]・[[上祐史浩]]とオウム事件の関係者が4人ランクインした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[森達也]]は 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』で報道機関が視聴者・読者から教団を擁護していると非難されることを恐れるあまり、教団を排斥する運動の不当性や、別件や微罪による信者の不当逮捕を報道することすらタブーになっていると指摘している。森は事件後に成立した「組織犯罪対策法」等の中に社会の治安維持上の必要がある場合に個人の私権を制限したりプライバシーを侵害する事を認めるような条項がある事を、報道機関の運動に乗せられた行き過ぎではないかと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上祐代表を中心とする「代表派」（少数派）と、麻原回帰を強める非代表派（多数派）が分裂した。代表派によれば、代表派と非代表派の会計規模は1：5とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年8月、オウム真理教の元信者である女性が北朝鮮に亡命した。[http://www.rickross.com/reference/aum/aum352.html]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスにも影響を与え、カルト団体対策の推進の理由のひとつとなり（他にスイスにおける集団自殺、フランス国内でのカルト被害報告の増加もある）、各省庁が連携してのカルト対策が立てられ、フランスはカルト団体対策の先進例の1つとなった。1995年、1999年にフランスは、国内で活動中で犯罪の多い団体のリストを作成した。当然フランスに於いてもオウムは特に危険な団体として取り扱われたが、オウムはフランスに支部を持っていなかったので[[セクト]]のリストからは漏れている（ただし、テロ事件を引き起こす前の麻原は[[ノストラダムス]]の[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集|予言書]]を手に入れるために訪仏し、現地の学者と意見を重ねていたので全くの無関係とは言い切れない。サリン事件後には、当時の学者達はフランス警察から事情聴取を受けている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
*'''[[オウム真理教]]'''が'''[[天理教]]の集金術を学んだ'''と言われている。&lt;br /&gt;
*[[日蓮]]系の'''[[冨士大石寺顕正会|顕正会]]'''が「第二のオウム」と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 共同通信社会部『裁かれる教祖』（共同通信社）&lt;br /&gt;
* 河上和雄『犯罪捜査と裁判-オウム事件を追って-』（悠々社）&lt;br /&gt;
* 治安制度研究会『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説（立花書房）&lt;br /&gt;
* 東京キララ社編集部 編 [[西村雅史]]・[[宮口浩之]]監修 『オウム真理教大辞典』 (キーワード解説) ISBN 4380032094&lt;br /&gt;
* [[麻生幾]] 『極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』 ISBN 4163525408 ISBN 4167644010&lt;br /&gt;
* [[江川紹子]]『「オウム真理教」追跡2200日』（文芸春秋）&lt;br /&gt;
* [[島田裕巳]] 『オウム―なぜ宗教は[[テロリズム]]を生んだのか』 ISBN 4901510002&lt;br /&gt;
* [[一橋文哉]] 『オウム帝国の正体』 ISBN 4104128031 ISBN 4101426236&lt;br /&gt;
* [[森達也]]『A―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』ISBN 4043625014&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・安岡卓治『A2』 ISBN 4768476821&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・[[森巣博]] 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』 集英社、2005年、75、105-108、120、151-153、196頁。ISBN 978-4087203141 &lt;br /&gt;
* [[渡辺脩]]『麻原を死刑にして、それで済むのか?―本当のことが知らされないアナタへ』ISBN 4883202879&lt;br /&gt;
* [[下里正樹]]『オウムの黒い霧―オウム裁判を読み解く11のカギ』ISBN 4575285137&lt;br /&gt;
* 渡辺脩・[[和多田進]]『麻原裁判の法廷から』ISBN 4891882824&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[オーム (聖音)]]&lt;br /&gt;
* [[カルト]]&lt;br /&gt;
* [[オカルト]]&lt;br /&gt;
* [[ヒヒイロカネ]]&lt;br /&gt;
* [[日本原住民論]]（[[反日亡国論]]）&lt;br /&gt;
* [[霊的ボルシェヴィキ]]&lt;br /&gt;
* [[東日流外三郡誌]]&lt;br /&gt;
* [[偽史運動]]&lt;br /&gt;
* [[公安調査庁]]&lt;br /&gt;
* [[内乱罪]]&lt;br /&gt;
* [[破壊活動防止法]]&lt;br /&gt;
* [[上九一色村]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
=== 公式ウェブサイト ===&lt;br /&gt;
* [http://www.aleph.to/ 宗教団体アーレフ] 反上祐派（主流派）&lt;br /&gt;
** [http://info.aleph.to/ 宗教団体アーレフ広報部]&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/alephdaihyou/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 1] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/joyualeph/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 2] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* [http://s-a-t.org/ オウム裁判対策協議会]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%ae%97%e6%95%99%e3%83%bb%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%b8%96%e7%95%8c/%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%83%95/ オープンディレクトリー: アーレフ]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%83%bb%e4%ba%89%e7%82%b9/%e7%8a%af%e7%bd%aa%e3%83%bb%e5%8f%b8%e6%b3%95/%e3%82%aa%e3%82%a6%e3%83%a0%e7%9c%9f%e7%90%86%e6%95%99/ オープンディレクトリー: オウム真理教]&lt;br /&gt;
* [http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/ カナリヤの詩]（脱会者の集い -「カナリヤの会」公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/keibi4/it0.htm オウム真理教 ～反社会的な本質とその実態～]（[[警察庁]]）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/wanted/1/oumu1.html オウム真理教関係特別手配被疑者]（警察庁）&lt;br /&gt;
* [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/ 宗教被害wiki]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%95?sid=16d3a370150b658fef6b65fec10a5e95 アーレフ]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99 オウム真理教]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:おうむしんりきよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヨーガ]]&lt;br /&gt;
[[Category:仏教系新宗教]]&lt;br /&gt;
[[Category:カルト]]&lt;br /&gt;
[[Category:新新宗教]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:イギリス内務省によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:欧州連合によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:カナダによりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロシア連邦保安庁によりテロリスト認定された組織‎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99&amp;diff=385472</id>
		<title>オウム真理教</title>
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				<updated>2020-05-17T09:33:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* オウム真理教の誕生 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Redirect|アレフ}}&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教1.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
'''オウム真理教'''（オウムしんりきょう）は、かつて存在した[[日本]]の（新興）[[宗教団体]]。「オウム（AUM）」とは、[[サンスクリット]]の呪文「[[オーム (聖音)|唵]]」のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1996年（[[平成]]8年）1月に宗教法人としての[[法人格]]を失ったが活動を継続。2000年（平成12年）2月には[[破産]]に伴い消滅した。同時に、新たな宗教団体'''[[アレフ]]'''が設立され、[[教義]]や[[信者]]の一部が引き継がれた。アレフは後に[[アレフ (宗教団体)|Aleph]]と改称され、また別の宗教団体[[ひかりの輪]]が分派した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[松本サリン事件]]、[[地下鉄サリン事件]]などの[[テロリズム|テロ]]を含む多くの反社会的活動（「[[オウム真理教事件]]」）を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教2.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
[[全共闘運動]]の終息後、[[反日亡国論]]を掲げる[[新左翼 (日本)|日本の新左翼]]の一部（[[太田竜]]、[[武田崇元]]など）は、オカルト界にも進出した。彼らは「天皇中心史観」に対抗する理論として[[日本原住民論]]を掲げており、「[[記紀]]以前の歴史を伝える」とされる[[古史古伝]]に兼ねてより関心を持っていた。彼らは左翼の影響を強く受けた「[[霊的ボルシェヴィキ]]」なる新機軸を打ち出し、1980年代の[[オカルトブーム]]を巻き起こすことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな最中、後に「'''オウム真理教'''」となる[[ヨーガ]]道場「'''オウムの会'''」（その後'''オウム神仙の会'''と改称）が[[1984年]]に開場された。そして[[オカルト]][[雑誌]]「[[ムー (雑誌)|ムー]]」が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた。この写真は[[座禅]]を組んだまま跳躍（膝を使って跳ねる）するというものだったが、これが後に同教団が言う所の「[[空中浮揚]]」の原型とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、雑誌「ムー」[[1985年]]11月号に[[酒井勝軍]]の予言書「神秘之日本」に基づき、[[超能力]]開発を可能にして支配的民族に進化するための石（[[ヒヒイロカネ]]）を発見したという記事を[[麻原彰晃]]（本名・[[松本智津夫]]）が読者レポートとして寄稿していた。ここで「精神文化中心の新しい時代」への期待感とともに超能力開発への期待およびそこに掲載された一番弟子とされる美人幹部の魅惑的な短パン姿などが当時精神世界やオカルト雑誌にしか居場所がなかった若者たちに大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにオウム真理教の思想的源流となったのは、[[ノストラダムスの大予言]]や[[チベット仏教]]だけでなく、これらの日本オカルト界の風潮も取り込んでいる。研究家の[[原田実]]によると、オウム真理教が[[オウム真理教の国家転覆計画|国家転覆]]をも企てた背景には、これらの左翼イデオロギーが間接的に影響しているとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オウム真理教の誕生 ===&lt;br /&gt;
[[1987年]]に[[東京都]][[渋谷区]]において、オウム神仙の会を母体とする宗教団体「オウム真理教」が設立された。また、同年11月には[[ニューヨーク]]支部も設立し、[[1989年]][[8月25日]]に[[東京都]]に[[宗教法人]]として認証された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻原は[[チベット]][[亡命政府]]の日本代表であった[[ペマ・ギャルポ]]と接触し、その助力によって、[[1987年]][[2月24日]]ならびに[[1988年]][[7月6日]]に[[ダライ・ラマ14世]]と[[インド]]で会談した。ダライ・ラマ側からすると麻原は多数の謁見者の中のひとりにすぎず、麻原を積極的に支持したわけでもない。しかし、麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「私が[[チベット]]において[[仏教]]のために実践していることを、あなたは日本において行いなさい」と麻原に告げたと主張、オウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。[[ペマ・ギャルポ]]はその後まもなくオウム真理教との関係を絶つとともに、むしろ積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても、今後は麻原と関係を持たないように進言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]]に[[東京都]]から[[宗教法人]]として認可されてから後に、[[静岡県]][[富士宮市]]に総本部を置き、日本全国各地に支部や道場を設置。富士宮市進出の際は[[山口組]]系[[後藤組]]の援助を受け、その後は後藤組組長・[[後藤忠政]]がオウムのケツモチとなった。また[[ロシア]]や[[スリランカ]]等海外にも支部を置いていた。信者は日本国内だけでも'''11,000'''人程度存在していたという。なお、登記上の主たる事務所は[[東京都]][[江東区]][[亀戸]]の新東京総本部であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 非合法活動への道程 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教3.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
教団は奇抜な選挙活動等、一部で注目を浴びていた。[[1989年]]11月に起きた'''[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]'''や[[1994年]]6月に起きた'''[[松本サリン事件]]'''、[[1995年]][[2月28日]]に起きた[[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]等では容疑団体と目され、それ以降警察から監視されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[検察]]側の主張によれば、[[1995年]]3月に、[[警察]]の全国教団施設の一斉捜査の内部情報を入手した松本（麻原）は、警察の目を逸らす為に[[東京]]で大事件を起こす事を思い付き、[[1995年]][[3月20日]]、'''[[地下鉄サリン事件]]'''を起こしたとされている。よって、この事件そのものは[[内乱]]ではなかったとされるが、[[内乱]]の時間稼ぎと考える事も出来る。却って教団の事件関与の確信を深めた[[警視庁]]は[[1995年]][[3月22日]]に上九一色村の教団本部施設への強制捜査を行った。施設からはサリン等化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布の為の軍用ヘリ等が見付かり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。事件との関与が指摘された教団の幹部クラスの信者が続々と[[逮捕]]された。東京地検は松本智津夫を17件の容疑で起訴したが、その内[[LSD (薬物)|LSD]]・[[メスカリン]]・[[覚醒剤]]・[[麻酔薬]]等薬物密造に関わる4件に付いては裁判の迅速化を図る為[[2000年]]10月5日起訴を取り下げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これら事件に関わったとされる最重要容疑者、[[平田信]]・[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]・[[菊地直子]]が未だ逃亡中であり警察が全力で捜査している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[5月16日]]には、教団代表であった松本智津夫（[[麻原彰晃]]）が[[山梨県]][[上九一色村]]（現・[[富士河口湖町]]）で逮捕される。その後[[村岡達子]]が代表代行となったが1995年10月30日東京高裁により解散命令を受け、抗告が棄却された為宗教法人としては解散する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件後 ===&lt;br /&gt;
[[1996年]]3月28日[[東京地裁]]が[[破産法]]に基き教団に[[破産宣告]]を行い、同年5月に確定する。1996年7月11日公共の利益を害する組織犯罪を行った危険団体として[[破壊活動防止法]]の適用を求める処分請求が[[公安調査庁]]より行われたが、同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認された事等もあって、処分請求は1997年1月31日[[公安審査委員会]]により棄却されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
破防法処分請求棄却後、教団は一転して活動を活発化、「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動[http://www.npa.go.jp/keibi4/it3.htm]を行ったり、パソコン販売を通じて資金調達を進めていった。一方、一連の事件については「教団がやった証拠がない」とし、一切反省せず、被害者への賠償にも応じなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教団の姿勢は社会の強い反発を招き、[[長野県]][[北佐久郡]][[北御牧村]]（現・[[東御市]]）の住民運動をきっかけに、オウム反対運動が全国的に盛り上がりを見せ、国会でもオウム対策法として[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|オウム新法]]を制定するに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[2月4日]]オウム真理教を母体として、前年に出所した[[上祐史浩]]を代表とする「宗教団体・アレフ」が設立される。アレフは更に2003年2月に「宗教団体アーレフ」と改称した。改名後、元から同じ名前で存在する企業がオウム真理教とは無関係なのに、なぜかオウム真理教と関係しているとの風評被害を浴びることになった（同様の風評被害はオウム真理教時代にも類似した名前の企業を対象に起きている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では元信者または現アーレフ信者に対する転入届の受付け拒否や退去勧告・就入学拒否等が地方自治体による違法行為として社会問題になっている。住民票不受理裁判は全て自治体側の敗訴となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年（平成19年）5月には一部の信者（上祐派）が脱会。新宗教団体「ひかりの輪」を結成した。この団体は松本智津夫の教えからの脱却を志向していると主張しているが、公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版でもその活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]（平成22年）[[3月]]に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教義 ==&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教4.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
; 無常&lt;br /&gt;
: オウム真理教は、[[修行]]による[[苦悩]]からの解放を説き、[[欲望]]・[[煩悩]]を一つずつ超越する事を[[解脱]]と呼んだ。そして、自ら日本で唯一の最終解脱者と称する松本の教説は、「無常」と「煩悩破壊」を根本とする。&lt;br /&gt;
: 「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という松本の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべてのものは無常である。したがって、すべての喜びはいつか終わりが訪れるため、煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。&lt;br /&gt;
: 逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のニルヴァーナ（煩悩破壊）である。また、そこに留まる事なく、更に全ての魂を絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによってマハーニルヴァーナ（大完全煩悩破壊）、あるいはマハーボーディニルヴァーナ（大到達真智完全煩悩破壊）へと至る。&lt;br /&gt;
; ポア&lt;br /&gt;
: ポア（ポワ）とは「[[意識]]を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。これは[[生]][[死]]とは関わりなく意識の中の煩悩的要素を弱めることと解釈できる。このポアの中で最も重要なものは死の直後、中間状態にある意識の移し替えで、これは次の生における転生先を決定することになる。&lt;br /&gt;
: したがって、[[死]]の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。これが転じて、「死をもたらすこと」も「ポア」と呼ばれていた。これが「『ポア』なる言葉の下に殺戮を正当化する」と検察側が主張する根拠となっている。&lt;br /&gt;
; シヴァ&lt;br /&gt;
: オウム真理教の主宰神は[[シヴァ大神]]である。オウム真理教に於けるシヴァ大神は「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナと同義として扱われる。[[ヒンドゥー教]]（インド神話）にも同名の[[シヴァ]]神があるが、これはシヴァ大神の化身に過ぎないとされる。また、麻原彰晃はこのシヴァ大神の変化身と見做された。&lt;br /&gt;
; 教義&lt;br /&gt;
: オウム真理教の教義は、原始ヨーガ、[[初期仏教|原始仏教]]を土台とし、[[パーリ仏典]]を土台に、[[チベット仏教|チベット密教]]の技法を取り入れている。そして、「宗教は一つの道」として、全ての[[宗教]]はヨーガ・[[仏教]]的[[宇宙観]]の一部に含まれる、と説く。その結果、キリスト教の創造主としての神は[[梵天]]（オウム真理教では神聖天と訳す）の事である、等と説かれる。&lt;br /&gt;
: 従って、オウム真理教に於いては[[儒教]]・[[道教]]・[[キリスト教]]・[[ゾロアスター教]]等ありとあらゆる宗教・[[神秘思想]]を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、仏教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。&lt;br /&gt;
: 具体的な修行法としては、出家修行者向けには[[上座部仏教]]の七科三十七道品、在家修行者向けには[[大乗仏教]]の[[波羅蜜|六波羅蜜]]、またヨーガや[[密教]]その他の技法が用いられた。&lt;br /&gt;
; 教義の柱&lt;br /&gt;
: オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。&lt;br /&gt;
:# 最終地点まで導くグル（霊的指導者）の存在&lt;br /&gt;
:# 無常に基づく正しい教義&lt;br /&gt;
:# その教義を実体験できる修行法&lt;br /&gt;
:# その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在&lt;br /&gt;
:# 修行を進めるためのイニシエーションの存在&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件と関連するとされる教義 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教5.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
オウム真理教では修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。小乗（ヒナヤーナ）、大乗（マハーヤーナ）、真言秘密金剛乗（タントラ・ヴァジラヤーナ）で、厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。ここでは4つの修行体系に分けて述べる。また、以下は教団における定義であって、通常の仏教語の定義とは違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; ヒナヤーナ&lt;br /&gt;
: ヒナヤーナとは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。&lt;br /&gt;
; マハーヤーナ&lt;br /&gt;
: マハーヤーナとは、多くの人たちが同時に高い世界を目指す道である。教団全体はマハーヤーナと規定される。ただし、ヒナヤーナ的な自己の浄化がなければ、マハーヤーナは成立しないともいう。&lt;br /&gt;
; タントラヤーナ&lt;br /&gt;
: タントラヤーナとは、マントラを唱える等の密教的な修行を指す。ただし、左道タントラなど、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。&lt;br /&gt;
; ヴァジラヤーナ&lt;br /&gt;
: ヴァジラヤーナとは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴァジラヤーナの教義の中には、'''「五仏の法則」'''と呼ばれるものがあり、「天界の法則であって人間界においてはなしえない」という注釈のもとで説かれたことがあった。これは、一般的な戒律に反する行為・言動が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。真言宗の金剛経などにも見られる教えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には、悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること、貪り多き魂を救済するためにその財産を奪うこと、嘘を使って真理に導き入れることなどが、天界の菩薩の修行として説かれている、という解説であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教義が殺人を正当化するものと解釈されたが、現在の教団においては、この五仏の法則は封印されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 活動 ==&lt;br /&gt;
教団の信者は在家信徒と出家修行者（サマナ）に分けられる。&lt;br /&gt;
在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「ステージ」制度があり、時期にもよるが、1995年時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師（小師、愛師、愛師長補、愛師長、菩師、菩師長補、菩師長）、正悟師（正悟師、正悟師長補、正悟師長）、正大師の各ステージが存在した。師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた。[[青山吉伸]]や[[上祐史浩]]に代表されるように、オウム真理教幹部には名門大学の卒業者が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム幹部の学歴 ==&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教6.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
* [[青山吉伸]]：[[大阪府立高津高校]] → [[京都大学]]法学部 → 21歳で[[司法試験]]合格(京大在学中) &lt;br /&gt;
* [[井上嘉浩]]：[[洛南高校]] → [[日本文化大学]]法学部中退 &lt;br /&gt;
* [[村井秀夫]]：[[大阪府立千里高校]] → [[大阪大学]]理学部物理学科 → 大阪大学大学院&lt;br /&gt;
* [[早川紀代秀]]：[[大阪府立三国丘高校]] → [[神戸大学]]農学部 → [[大阪府立大学]]大学院&lt;br /&gt;
* [[中川智正]]：岡山県立[[岡山朝日高校]] → [[京都府立医科大学]]&lt;br /&gt;
* [[遠藤誠一]]：北海道立[[札幌北高校]] → [[帯広畜産大学]]畜産学部獣医学科 → [[京都大学]]大学院&lt;br /&gt;
* [[土谷正実]]：東京都立[[狛江高校]] → [[筑波大学]]農林学類 → 筑波大学大学院&lt;br /&gt;
* [[豊田亨]]：[[白陵高校]] → [[東京大学]]理学部 → 東京大学大学院&lt;br /&gt;
* [[富永昌宏]]：[[灘高校]]([[大学への数学]]選手権3年連続全国1位) → [[東京大学医学部]]&lt;br /&gt;
* [[廣瀬健一]]：[[早稲田大学高等学院]] → [[早稲田大学]]理工学部応用物理学科&lt;br /&gt;
* [[端本悟]]：[[早稲田大学]]法学部中退&lt;br /&gt;
* [[村岡達子]]：[[上智大学]]&lt;br /&gt;
* [[林郁夫]]：[[慶應高校]] → [[慶應義塾大学医学部]]&lt;br /&gt;
* [[渡部和実]]：[[東京工業大学]]&lt;br /&gt;
* [[荒木浩]]：[[京都大学]]文学部&lt;br /&gt;
* [[森正文]]：[[大阪市立大学]]医学部&lt;br /&gt;
* [[上祐史浩]]：[[早稲田大学高等学院]] → [[早稲田大学]]理工学部電子通信学科 → 早稲田大学大学院修士課程&lt;br /&gt;
* 尊師:[[熊本県立盲学校高等部]]卒&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連年譜 ==&lt;br /&gt;
一連の事件での被害者数は、死者27人・重軽傷者6000人以上。日本史上最悪の組織的犯罪であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1984年]][[2月14日]] - '''麻原彰晃こと松本智津夫'''により創設される。当初は[[ヨガ]]の[[サークル]]であった。&lt;br /&gt;
* [[1987年]][[2月24日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[7月6日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[9月22日]] - オウム真理教での修行中に、富士山総本部に来ていた在家信者が死亡。遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。（[[オウム真理教在家信者死亡事件|在家信者死亡事件]]）&lt;br /&gt;
* [[1989年]][[2月10日]] - オウム真理教最初の殺人事件、[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]発生。&lt;br /&gt;
* 1989年[[8月25日]] - [[宗教法人]]化。&lt;br /&gt;
* 1989年[[11月4日]] - [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]で一家3人を殺害。&lt;br /&gt;
* [[1990年]][[2月18日]] - [[第39回衆議院議員総選挙]]に集団立候補するも全員落選。これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる。&lt;br /&gt;
* [[1991年]]5月 - 国土法違反事件（熊本県波野村）。&lt;br /&gt;
* 1991年9月 - 『[[朝まで生テレビ!]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 1991年12月 - 『[[ビートたけしのTVタックル]]』に出演。&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - このころ、数回にわたり[[創価学会]]の[[池田大作]]名誉会長、[[漫画家]]の[[小林よしのり]]、[[幸福の科学]]の[[大川隆法]]総裁、[[衆議院議員]]の[[小沢一郎]]・[[細川護熙]]、[[タレント]]の[[デーブ・スペクター]]などの[[暗殺]]を計画するも失敗。&lt;br /&gt;
* 1993年6月6日 - 男性信徒が逆さ吊り修行により死亡。遺体は、幹部らによって遺棄された。&lt;br /&gt;
* 1993年11月 - [[1994年]]12月に[[サリンプラント建設事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年1月30日 - [[薬剤師リンチ殺人事件]]が発生。&lt;br /&gt;
* 1994年[[5月9日]] - [[滝本弁護士サリン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年6月 - [[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]導入。22省庁を開設し大臣と次官を設置。当時の教祖、麻原は神聖法皇に。&lt;br /&gt;
* 1994年6月～[[1995年]]3月 - 旧ソ連製の[[AK-74]]をモデルとした[[突撃銃]]を密造（[[オウム真理教の兵器]]を参照のこと）。&lt;br /&gt;
* 1994年[[6月27日]] - [[松本サリン事件]]。[[長野県]][[松本市]]でサリンを噴霧し、7人を殺害。重軽傷660人。&lt;br /&gt;
* 1994年7月10日 - [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件]] 発生。&lt;br /&gt;
* 1994年7月15日 - 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件。&lt;br /&gt;
* 1994年9月20日 - [[江川紹子ホスゲン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月2日 - [[駐車場経営者VX襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月12日 - [[会社員VX殺害事件]]。&lt;br /&gt;
* 1995年1月4日 - 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃。（[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]]）&lt;br /&gt;
* 1995年2月28日 - [[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]で男性1人が死亡。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月17日]] - 麻原の口頭による[[尊師通達]]が発令（地下鉄サリン事件に関わった者のステージが昇格された）。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月20日]] - [[地下鉄サリン事件]]。[[東京]]の[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]（現・[[東京地下鉄]]）でサリンを撒き、12人を殺害、5,510人が重軽傷を負った。&lt;br /&gt;
* 1995年[[5月16日]] - 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。&lt;br /&gt;
* 1995年 - 宗教法人解散命令。国会で[[宗教法人法]]改正法が成立。&lt;br /&gt;
* 1996年[[6月19日]] - 麻原（松本）に代わり、松本の長男（当時3歳）と次男（当時2歳）の二人を「教祖」とする。麻原の地位は「開祖」に。&lt;br /&gt;
* [[1997年]][[1月31日]] - 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] - [[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|団体規制法]]と破産特別法が成立。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月1日]] - 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分（3年間）が効力発生。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月4日]] - 「宗教団体・アレフ」として再編。&lt;br /&gt;
* 2000年[[7月1日]] - ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕（[[シガチョフ事件]]）&lt;br /&gt;
* [[2002年]]1月 - [[上祐史浩]]が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明。&lt;br /&gt;
* 2003年[[1月23日]] - 団体規制法に基づく観察処分の期間更新（2月1日から3年）決定&lt;br /&gt;
* 2003年2月 - 「宗教団体・アーレフ」と改称した。&lt;br /&gt;
* 2008年5月20日 - 「Aleph」（アレフ）と改称した。&lt;br /&gt;
*[[2011年]][[12月31日]] - [[平田信]]が警視庁丸の内警察署に出頭。翌日に監禁致死の容疑で逮捕。その後、逮捕監禁罪（公証人役場事務長逮捕監禁致死事件）、爆発物取締罰則違反（[[島田裕巳宅爆弾事件]]）、火炎瓶取締法違反（[[オウム真理教東京総本部火炎瓶事件]]）で起訴される。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[6月3日]] - [[菊地直子]]が相模原市内の潜伏先で身柄を確保される。その後、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪（東京都庁小包爆弾事件）で起訴される。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[6月15日]] - [[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]が東京都大田区西蒲田の漫画喫茶内で身柄を確保される。これでオウム関連の特別指名手配者はすべて確保される。その後、殺人罪と殺人未遂罪（地下鉄サリン事件、会社員VX殺害事件、オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件）、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪（東京都庁小包爆弾事件）、逮捕監禁致死罪と死体損壊罪（公証人役場事務長逮捕監禁致死事件）で起訴される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公称信徒数 ===&lt;br /&gt;
* [[1985年]]12月 - 15人&lt;br /&gt;
* [[1986年]]10月 - 35人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]2月 - 600人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]7月 - 1,300人&lt;br /&gt;
* [[1988年]]8月 - 3,000人&lt;br /&gt;
* [[1995年]]3月 - 15,400人（出家1,400人、在家14,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]7月 - 5,500人（出家500人、在家5,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]12月 - 2,200人（出家900人、在家1,300人）&lt;br /&gt;
* [[2000年]] - 1,115人（教団が[[公安調査庁]]に報告した数）&lt;br /&gt;
* [[2003年]]2月 - 1,251人（教団が公安調査庁に報告した数）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム事件の謎 ==&lt;br /&gt;
オウム事件では、[[村井秀夫刺殺事件]]の真相の究明に至っていない。実行犯は特定の者の指示により決行したとして有罪確定、指示したとして起訴された者は無罪である。二つの内容対立する判決がそのままになっている。[[警察庁長官狙撃事件|国松警察庁長官銃撃事件]]に至っては、自白したとされる元オウム信者の警察官が、供述に矛盾点が多いなどとして最終的には不起訴処分となったという異例の事態となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件が与えた影響とその後 ==&lt;br /&gt;
あまりにも前代未聞な事件だったこと、オウム[[報道]]によって[[犯罪報道]]の比重が高まったために、犯罪が特に増えているわけでもないのに治安の悪化を感じる国民が増加し[[刑罰#厳罰化|厳罰化]]など以後の[[刑事政策]]に影響を与えた。 犯罪被害者の救済制度が整備されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件以後、問題がある新宗教団体に対する世間の目は、一層に厳しくなった。特に巨額の献金を要求したり、信者の離脱を許さなかったりなど、信者を抑圧しているとされる団体に対しては、情報の公開を求める動きが広がった。白装束で話題になった[[パナウェーブ研究所|パナウェーブ]]問題への対応などにも影響を与えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「'''オウム特番'''」等連日連夜繰り広げられたオウム[[報道]]によって報道の[[ワイドショー]]化が一層進んだ。特に麻原逮捕までは毎晩どこかの局で2時間程度（日によって異なるが場合によっては3～4時間の場合も）オウム関連の特番が組まれていた。その影響で1995年4月～6月クールの連続ドラマの[[視聴率]]が低下した（21時から特番を組んだ事もあり、その影響で休止になったり繰り下げとなることも多かったためである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オウム真理教を扱った番組は簡単に視聴率が取れる」として、『オウムの法則』（[[オームの法則]]と掛けたパロディとも思われる）なる用語まで登場した。実際、1995年の年間視聴率（[[ビデオリサーチ]]調べ）の上位50本の中にオウム真理教関連の番組は関東地区で16本、関西地区では10本登場している。ちなみに、この年発生した[[阪神・淡路大震災]]関連の番組は関東地区で2本、関西地区でも7本だった&amp;lt;ref&amp;gt;引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、199頁。ISBN 4062122227&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京放送|TBS]]『[[ブロードキャスター]]』のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」によると、1995年の1年間にワイドショーがオウム真理教関連の話題を報じた時間数はのべ1272時間19分5秒。2位の阪神・淡路大震災の126時間8分53秒に約10倍の差をつけての首位だった。ちなみに、この年のワイドショー全体の67.8%をオウム真理教関連の話題が占めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1995年に[[週刊新潮]]が発表した「今年を代表する男」の読者アンケートで、麻原彰晃が[[野茂英雄]]に次いで2位を獲得。また上位10人には麻原以外にも[[坂本堤]]・[[村井秀夫]]・[[上祐史浩]]とオウム事件の関係者が4人ランクインした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[森達也]]は 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』で報道機関が視聴者・読者から教団を擁護していると非難されることを恐れるあまり、教団を排斥する運動の不当性や、別件や微罪による信者の不当逮捕を報道することすらタブーになっていると指摘している。森は事件後に成立した「組織犯罪対策法」等の中に社会の治安維持上の必要がある場合に個人の私権を制限したりプライバシーを侵害する事を認めるような条項がある事を、報道機関の運動に乗せられた行き過ぎではないかと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上祐代表を中心とする「代表派」（少数派）と、麻原回帰を強める非代表派（多数派）が分裂した。代表派によれば、代表派と非代表派の会計規模は1：5とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年8月、オウム真理教の元信者である女性が北朝鮮に亡命した。[http://www.rickross.com/reference/aum/aum352.html]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスにも影響を与え、カルト団体対策の推進の理由のひとつとなり（他にスイスにおける集団自殺、フランス国内でのカルト被害報告の増加もある）、各省庁が連携してのカルト対策が立てられ、フランスはカルト団体対策の先進例の1つとなった。1995年、1999年にフランスは、国内で活動中で犯罪の多い団体のリストを作成した。当然フランスに於いてもオウムは特に危険な団体として取り扱われたが、オウムはフランスに支部を持っていなかったので[[セクト]]のリストからは漏れている（ただし、テロ事件を引き起こす前の麻原は[[ノストラダムス]]の[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集|予言書]]を手に入れるために訪仏し、現地の学者と意見を重ねていたので全くの無関係とは言い切れない。サリン事件後には、当時の学者達はフランス警察から事情聴取を受けている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
*'''[[オウム真理教]]'''が'''[[天理教]]の集金術を学んだ'''と言われている。&lt;br /&gt;
*[[日蓮]]系の'''[[冨士大石寺顕正会|顕正会]]'''が「第二のオウム」と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 共同通信社会部『裁かれる教祖』（共同通信社）&lt;br /&gt;
* 河上和雄『犯罪捜査と裁判-オウム事件を追って-』（悠々社）&lt;br /&gt;
* 治安制度研究会『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説（立花書房）&lt;br /&gt;
* 東京キララ社編集部 編 [[西村雅史]]・[[宮口浩之]]監修 『オウム真理教大辞典』 (キーワード解説) ISBN 4380032094&lt;br /&gt;
* [[麻生幾]] 『極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』 ISBN 4163525408 ISBN 4167644010&lt;br /&gt;
* [[江川紹子]]『「オウム真理教」追跡2200日』（文芸春秋）&lt;br /&gt;
* [[島田裕巳]] 『オウム―なぜ宗教は[[テロリズム]]を生んだのか』 ISBN 4901510002&lt;br /&gt;
* [[一橋文哉]] 『オウム帝国の正体』 ISBN 4104128031 ISBN 4101426236&lt;br /&gt;
* [[森達也]]『A―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』ISBN 4043625014&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・安岡卓治『A2』 ISBN 4768476821&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・[[森巣博]] 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』 集英社、2005年、75、105-108、120、151-153、196頁。ISBN 978-4087203141 &lt;br /&gt;
* [[渡辺脩]]『麻原を死刑にして、それで済むのか?―本当のことが知らされないアナタへ』ISBN 4883202879&lt;br /&gt;
* [[下里正樹]]『オウムの黒い霧―オウム裁判を読み解く11のカギ』ISBN 4575285137&lt;br /&gt;
* 渡辺脩・[[和多田進]]『麻原裁判の法廷から』ISBN 4891882824&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[オーム (聖音)]]&lt;br /&gt;
* [[カルト]]&lt;br /&gt;
* [[オカルト]]&lt;br /&gt;
* [[ヒヒイロカネ]]&lt;br /&gt;
* [[日本原住民論]]（[[反日亡国論]]）&lt;br /&gt;
* [[霊的ボルシェヴィキ]]&lt;br /&gt;
* [[東日流外三郡誌]]&lt;br /&gt;
* [[偽史運動]]&lt;br /&gt;
* [[公安調査庁]]&lt;br /&gt;
* [[内乱罪]]&lt;br /&gt;
* [[破壊活動防止法]]&lt;br /&gt;
* [[上九一色村]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
=== 公式ウェブサイト ===&lt;br /&gt;
* [http://www.aleph.to/ 宗教団体アーレフ] 反上祐派（主流派）&lt;br /&gt;
** [http://info.aleph.to/ 宗教団体アーレフ広報部]&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/alephdaihyou/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 1] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/joyualeph/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 2] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* [http://s-a-t.org/ オウム裁判対策協議会]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%ae%97%e6%95%99%e3%83%bb%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%b8%96%e7%95%8c/%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%83%95/ オープンディレクトリー: アーレフ]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%83%bb%e4%ba%89%e7%82%b9/%e7%8a%af%e7%bd%aa%e3%83%bb%e5%8f%b8%e6%b3%95/%e3%82%aa%e3%82%a6%e3%83%a0%e7%9c%9f%e7%90%86%e6%95%99/ オープンディレクトリー: オウム真理教]&lt;br /&gt;
* [http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/ カナリヤの詩]（脱会者の集い -「カナリヤの会」公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/keibi4/it0.htm オウム真理教 ～反社会的な本質とその実態～]（[[警察庁]]）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/wanted/1/oumu1.html オウム真理教関係特別手配被疑者]（警察庁）&lt;br /&gt;
* [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/ 宗教被害wiki]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%95?sid=16d3a370150b658fef6b65fec10a5e95 アーレフ]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99 オウム真理教]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:おうむしんりきよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヨーガ]]&lt;br /&gt;
[[Category:仏教系新宗教]]&lt;br /&gt;
[[Category:カルト]]&lt;br /&gt;
[[Category:新新宗教]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:イギリス内務省によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:欧州連合によりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:カナダによりテロリスト認定された組織]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロシア連邦保安庁によりテロリスト認定された組織‎]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99&amp;diff=385471</id>
		<title>オウム真理教</title>
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				<updated>2020-05-17T09:32:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: /* 前史 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Redirect|アレフ}}&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教1.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
'''オウム真理教'''（オウムしんりきょう）は、かつて存在した[[日本]]の（新興）[[宗教団体]]。「オウム（AUM）」とは、[[サンスクリット]]の呪文「[[オーム (聖音)|唵]]」のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1996年（[[平成]]8年）1月に宗教法人としての[[法人格]]を失ったが活動を継続。2000年（平成12年）2月には[[破産]]に伴い消滅した。同時に、新たな宗教団体'''[[アレフ]]'''が設立され、[[教義]]や[[信者]]の一部が引き継がれた。アレフは後に[[アレフ (宗教団体)|Aleph]]と改称され、また別の宗教団体[[ひかりの輪]]が分派した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[松本サリン事件]]、[[地下鉄サリン事件]]などの[[テロリズム|テロ]]を含む多くの反社会的活動（「[[オウム真理教事件]]」）を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沿革 ==&lt;br /&gt;
=== 前史 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教2.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
[[全共闘運動]]の終息後、[[反日亡国論]]を掲げる[[新左翼 (日本)|日本の新左翼]]の一部（[[太田竜]]、[[武田崇元]]など）は、オカルト界にも進出した。彼らは「天皇中心史観」に対抗する理論として[[日本原住民論]]を掲げており、「[[記紀]]以前の歴史を伝える」とされる[[古史古伝]]に兼ねてより関心を持っていた。彼らは左翼の影響を強く受けた「[[霊的ボルシェヴィキ]]」なる新機軸を打ち出し、1980年代の[[オカルトブーム]]を巻き起こすことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな最中、後に「'''オウム真理教'''」となる[[ヨーガ]]道場「'''オウムの会'''」（その後'''オウム神仙の会'''と改称）が[[1984年]]に開場された。そして[[オカルト]][[雑誌]]「[[ムー (雑誌)|ムー]]」が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた。この写真は[[座禅]]を組んだまま跳躍（膝を使って跳ねる）するというものだったが、これが後に同教団が言う所の「[[空中浮揚]]」の原型とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、雑誌「ムー」[[1985年]]11月号に[[酒井勝軍]]の予言書「神秘之日本」に基づき、[[超能力]]開発を可能にして支配的民族に進化するための石（[[ヒヒイロカネ]]）を発見したという記事を[[麻原彰晃]]（本名・[[松本智津夫]]）が読者レポートとして寄稿していた。ここで「精神文化中心の新しい時代」への期待感とともに超能力開発への期待およびそこに掲載された一番弟子とされる美人幹部の魅惑的な短パン姿などが当時精神世界やオカルト雑誌にしか居場所がなかった若者たちに大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにオウム真理教の思想的源流となったのは、[[ノストラダムスの大予言]]や[[チベット仏教]]だけでなく、これらの日本オカルト界の風潮も取り込んでいる。研究家の[[原田実]]によると、オウム真理教が[[オウム真理教の国家転覆計画|国家転覆]]をも企てた背景には、これらの左翼イデオロギーが間接的に影響しているとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オウム真理教の誕生 ===&lt;br /&gt;
[[1987年]]に[[東京都]][[渋谷区]]において、オウム神仙の会を母体とする宗教団体「オウム真理教」が設立された。また、同年11月には[[ニューヨーク]]支部も設立し、[[1989年]][[8月25日]]に[[東京都]]に[[宗教法人]]として認証された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻原はチベット亡命政府の日本代表であった[[ペマ・ギャルポ]]と接触し、その助力によって、[[1987年]][[2月24日]]ならびに[[1988年]][[7月6日]]に[[ダライ・ラマ14世]]と[[インド]]で会談した。ダライ・ラマ側からすると麻原は多数の謁見者の中のひとりにすぎず、麻原を積極的に支持したわけでもない。しかし、麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「私が[[チベット]]において[[仏教]]のために実践していることを、あなたは日本において行いなさい」と麻原に告げたと主張、オウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。[[ペマ・ギャルポ]]はその後まもなくオウム真理教との関係を絶つとともに、むしろ積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても、今後は麻原と関係を持たないように進言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]]に[[東京都]]から[[宗教法人]]として認可されてから後に、[[静岡県]][[富士宮市]]に総本部を置き、日本全国各地に支部や道場を設置。富士宮市進出の際は[[山口組]]系[[後藤組]]の援助を受け、その後は後藤組組長・[[後藤忠政]]がオウムのケツモチとなった。また[[ロシア]]や[[スリランカ]]等海外にも支部を置いていた。信者は日本国内だけでも'''11,000'''人程度存在していたという。なお、登記上の主たる事務所は[[東京都]][[江東区]][[亀戸]]の新東京総本部であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 非合法活動への道程 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教3.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
教団は奇抜な選挙活動等、一部で注目を浴びていた。[[1989年]]11月に起きた'''[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]'''や[[1994年]]6月に起きた'''[[松本サリン事件]]'''、[[1995年]][[2月28日]]に起きた[[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]等では容疑団体と目され、それ以降警察から監視されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[検察]]側の主張によれば、[[1995年]]3月に、[[警察]]の全国教団施設の一斉捜査の内部情報を入手した松本（麻原）は、警察の目を逸らす為に[[東京]]で大事件を起こす事を思い付き、[[1995年]][[3月20日]]、'''[[地下鉄サリン事件]]'''を起こしたとされている。よって、この事件そのものは[[内乱]]ではなかったとされるが、[[内乱]]の時間稼ぎと考える事も出来る。却って教団の事件関与の確信を深めた[[警視庁]]は[[1995年]][[3月22日]]に上九一色村の教団本部施設への強制捜査を行った。施設からはサリン等化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布の為の軍用ヘリ等が見付かり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。事件との関与が指摘された教団の幹部クラスの信者が続々と[[逮捕]]された。東京地検は松本智津夫を17件の容疑で起訴したが、その内[[LSD (薬物)|LSD]]・[[メスカリン]]・[[覚醒剤]]・[[麻酔薬]]等薬物密造に関わる4件に付いては裁判の迅速化を図る為[[2000年]]10月5日起訴を取り下げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これら事件に関わったとされる最重要容疑者、[[平田信]]・[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]・[[菊地直子]]が未だ逃亡中であり警察が全力で捜査している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]][[5月16日]]には、教団代表であった松本智津夫（[[麻原彰晃]]）が[[山梨県]][[上九一色村]]（現・[[富士河口湖町]]）で逮捕される。その後[[村岡達子]]が代表代行となったが1995年10月30日東京高裁により解散命令を受け、抗告が棄却された為宗教法人としては解散する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件後 ===&lt;br /&gt;
[[1996年]]3月28日[[東京地裁]]が[[破産法]]に基き教団に[[破産宣告]]を行い、同年5月に確定する。1996年7月11日公共の利益を害する組織犯罪を行った危険団体として[[破壊活動防止法]]の適用を求める処分請求が[[公安調査庁]]より行われたが、同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認された事等もあって、処分請求は1997年1月31日[[公安審査委員会]]により棄却されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
破防法処分請求棄却後、教団は一転して活動を活発化、「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動[http://www.npa.go.jp/keibi4/it3.htm]を行ったり、パソコン販売を通じて資金調達を進めていった。一方、一連の事件については「教団がやった証拠がない」とし、一切反省せず、被害者への賠償にも応じなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教団の姿勢は社会の強い反発を招き、[[長野県]][[北佐久郡]][[北御牧村]]（現・[[東御市]]）の住民運動をきっかけに、オウム反対運動が全国的に盛り上がりを見せ、国会でもオウム対策法として[[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|オウム新法]]を制定するに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[2月4日]]オウム真理教を母体として、前年に出所した[[上祐史浩]]を代表とする「宗教団体・アレフ」が設立される。アレフは更に2003年2月に「宗教団体アーレフ」と改称した。改名後、元から同じ名前で存在する企業がオウム真理教とは無関係なのに、なぜかオウム真理教と関係しているとの風評被害を浴びることになった（同様の風評被害はオウム真理教時代にも類似した名前の企業を対象に起きている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では元信者または現アーレフ信者に対する転入届の受付け拒否や退去勧告・就入学拒否等が地方自治体による違法行為として社会問題になっている。住民票不受理裁判は全て自治体側の敗訴となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年（平成19年）5月には一部の信者（上祐派）が脱会。新宗教団体「ひかりの輪」を結成した。この団体は松本智津夫の教えからの脱却を志向していると主張しているが、公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版でもその活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]（平成22年）[[3月]]に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教義 ==&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教4.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
; 無常&lt;br /&gt;
: オウム真理教は、[[修行]]による[[苦悩]]からの解放を説き、[[欲望]]・[[煩悩]]を一つずつ超越する事を[[解脱]]と呼んだ。そして、自ら日本で唯一の最終解脱者と称する松本の教説は、「無常」と「煩悩破壊」を根本とする。&lt;br /&gt;
: 「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という松本の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべてのものは無常である。したがって、すべての喜びはいつか終わりが訪れるため、煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。&lt;br /&gt;
: 逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のニルヴァーナ（煩悩破壊）である。また、そこに留まる事なく、更に全ての魂を絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによってマハーニルヴァーナ（大完全煩悩破壊）、あるいはマハーボーディニルヴァーナ（大到達真智完全煩悩破壊）へと至る。&lt;br /&gt;
; ポア&lt;br /&gt;
: ポア（ポワ）とは「[[意識]]を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。これは[[生]][[死]]とは関わりなく意識の中の煩悩的要素を弱めることと解釈できる。このポアの中で最も重要なものは死の直後、中間状態にある意識の移し替えで、これは次の生における転生先を決定することになる。&lt;br /&gt;
: したがって、[[死]]の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。これが転じて、「死をもたらすこと」も「ポア」と呼ばれていた。これが「『ポア』なる言葉の下に殺戮を正当化する」と検察側が主張する根拠となっている。&lt;br /&gt;
; シヴァ&lt;br /&gt;
: オウム真理教の主宰神は[[シヴァ大神]]である。オウム真理教に於けるシヴァ大神は「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナと同義として扱われる。[[ヒンドゥー教]]（インド神話）にも同名の[[シヴァ]]神があるが、これはシヴァ大神の化身に過ぎないとされる。また、麻原彰晃はこのシヴァ大神の変化身と見做された。&lt;br /&gt;
; 教義&lt;br /&gt;
: オウム真理教の教義は、原始ヨーガ、[[初期仏教|原始仏教]]を土台とし、[[パーリ仏典]]を土台に、[[チベット仏教|チベット密教]]の技法を取り入れている。そして、「宗教は一つの道」として、全ての[[宗教]]はヨーガ・[[仏教]]的[[宇宙観]]の一部に含まれる、と説く。その結果、キリスト教の創造主としての神は[[梵天]]（オウム真理教では神聖天と訳す）の事である、等と説かれる。&lt;br /&gt;
: 従って、オウム真理教に於いては[[儒教]]・[[道教]]・[[キリスト教]]・[[ゾロアスター教]]等ありとあらゆる宗教・[[神秘思想]]を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、仏教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。&lt;br /&gt;
: 具体的な修行法としては、出家修行者向けには[[上座部仏教]]の七科三十七道品、在家修行者向けには[[大乗仏教]]の[[波羅蜜|六波羅蜜]]、またヨーガや[[密教]]その他の技法が用いられた。&lt;br /&gt;
; 教義の柱&lt;br /&gt;
: オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。&lt;br /&gt;
:# 最終地点まで導くグル（霊的指導者）の存在&lt;br /&gt;
:# 無常に基づく正しい教義&lt;br /&gt;
:# その教義を実体験できる修行法&lt;br /&gt;
:# その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在&lt;br /&gt;
:# 修行を進めるためのイニシエーションの存在&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件と関連するとされる教義 ===&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教5.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
オウム真理教では修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。小乗（ヒナヤーナ）、大乗（マハーヤーナ）、真言秘密金剛乗（タントラ・ヴァジラヤーナ）で、厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。ここでは4つの修行体系に分けて述べる。また、以下は教団における定義であって、通常の仏教語の定義とは違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; ヒナヤーナ&lt;br /&gt;
: ヒナヤーナとは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。&lt;br /&gt;
; マハーヤーナ&lt;br /&gt;
: マハーヤーナとは、多くの人たちが同時に高い世界を目指す道である。教団全体はマハーヤーナと規定される。ただし、ヒナヤーナ的な自己の浄化がなければ、マハーヤーナは成立しないともいう。&lt;br /&gt;
; タントラヤーナ&lt;br /&gt;
: タントラヤーナとは、マントラを唱える等の密教的な修行を指す。ただし、左道タントラなど、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。&lt;br /&gt;
; ヴァジラヤーナ&lt;br /&gt;
: ヴァジラヤーナとは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴァジラヤーナの教義の中には、'''「五仏の法則」'''と呼ばれるものがあり、「天界の法則であって人間界においてはなしえない」という注釈のもとで説かれたことがあった。これは、一般的な戒律に反する行為・言動が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。真言宗の金剛経などにも見られる教えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的には、悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること、貪り多き魂を救済するためにその財産を奪うこと、嘘を使って真理に導き入れることなどが、天界の菩薩の修行として説かれている、という解説であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この教義が殺人を正当化するものと解釈されたが、現在の教団においては、この五仏の法則は封印されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 活動 ==&lt;br /&gt;
教団の信者は在家信徒と出家修行者（サマナ）に分けられる。&lt;br /&gt;
在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「ステージ」制度があり、時期にもよるが、1995年時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師（小師、愛師、愛師長補、愛師長、菩師、菩師長補、菩師長）、正悟師（正悟師、正悟師長補、正悟師長）、正大師の各ステージが存在した。師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた。[[青山吉伸]]や[[上祐史浩]]に代表されるように、オウム真理教幹部には名門大学の卒業者が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム幹部の学歴 ==&lt;br /&gt;
[[Image:オウム真理教6.jpg|400px|thumb|オウム真理教]]&lt;br /&gt;
* [[青山吉伸]]：[[大阪府立高津高校]] → [[京都大学]]法学部 → 21歳で[[司法試験]]合格(京大在学中) &lt;br /&gt;
* [[井上嘉浩]]：[[洛南高校]] → [[日本文化大学]]法学部中退 &lt;br /&gt;
* [[村井秀夫]]：[[大阪府立千里高校]] → [[大阪大学]]理学部物理学科 → 大阪大学大学院&lt;br /&gt;
* [[早川紀代秀]]：[[大阪府立三国丘高校]] → [[神戸大学]]農学部 → [[大阪府立大学]]大学院&lt;br /&gt;
* [[中川智正]]：岡山県立[[岡山朝日高校]] → [[京都府立医科大学]]&lt;br /&gt;
* [[遠藤誠一]]：北海道立[[札幌北高校]] → [[帯広畜産大学]]畜産学部獣医学科 → [[京都大学]]大学院&lt;br /&gt;
* [[土谷正実]]：東京都立[[狛江高校]] → [[筑波大学]]農林学類 → 筑波大学大学院&lt;br /&gt;
* [[豊田亨]]：[[白陵高校]] → [[東京大学]]理学部 → 東京大学大学院&lt;br /&gt;
* [[富永昌宏]]：[[灘高校]]([[大学への数学]]選手権3年連続全国1位) → [[東京大学医学部]]&lt;br /&gt;
* [[廣瀬健一]]：[[早稲田大学高等学院]] → [[早稲田大学]]理工学部応用物理学科&lt;br /&gt;
* [[端本悟]]：[[早稲田大学]]法学部中退&lt;br /&gt;
* [[村岡達子]]：[[上智大学]]&lt;br /&gt;
* [[林郁夫]]：[[慶應高校]] → [[慶應義塾大学医学部]]&lt;br /&gt;
* [[渡部和実]]：[[東京工業大学]]&lt;br /&gt;
* [[荒木浩]]：[[京都大学]]文学部&lt;br /&gt;
* [[森正文]]：[[大阪市立大学]]医学部&lt;br /&gt;
* [[上祐史浩]]：[[早稲田大学高等学院]] → [[早稲田大学]]理工学部電子通信学科 → 早稲田大学大学院修士課程&lt;br /&gt;
* 尊師:[[熊本県立盲学校高等部]]卒&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連年譜 ==&lt;br /&gt;
一連の事件での被害者数は、死者27人・重軽傷者6000人以上。日本史上最悪の組織的犯罪であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[1984年]][[2月14日]] - '''麻原彰晃こと松本智津夫'''により創設される。当初は[[ヨガ]]の[[サークル]]であった。&lt;br /&gt;
* [[1987年]][[2月24日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[7月6日]] - ダライ・ラマ14世とインドで会談&lt;br /&gt;
* [[1988年]][[9月22日]] - オウム真理教での修行中に、富士山総本部に来ていた在家信者が死亡。遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。（[[オウム真理教在家信者死亡事件|在家信者死亡事件]]）&lt;br /&gt;
* [[1989年]][[2月10日]] - オウム真理教最初の殺人事件、[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]発生。&lt;br /&gt;
* 1989年[[8月25日]] - [[宗教法人]]化。&lt;br /&gt;
* 1989年[[11月4日]] - [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]で一家3人を殺害。&lt;br /&gt;
* [[1990年]][[2月18日]] - [[第39回衆議院議員総選挙]]に集団立候補するも全員落選。これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる。&lt;br /&gt;
* [[1991年]]5月 - 国土法違反事件（熊本県波野村）。&lt;br /&gt;
* 1991年9月 - 『[[朝まで生テレビ!]]』に出演。&lt;br /&gt;
* 1991年12月 - 『[[ビートたけしのTVタックル]]』に出演。&lt;br /&gt;
* [[1993年]] - このころ、数回にわたり[[創価学会]]の[[池田大作]]名誉会長、[[漫画家]]の[[小林よしのり]]、[[幸福の科学]]の[[大川隆法]]総裁、[[衆議院議員]]の[[小沢一郎]]・[[細川護熙]]、[[タレント]]の[[デーブ・スペクター]]などの[[暗殺]]を計画するも失敗。&lt;br /&gt;
* 1993年6月6日 - 男性信徒が逆さ吊り修行により死亡。遺体は、幹部らによって遺棄された。&lt;br /&gt;
* 1993年11月 - [[1994年]]12月に[[サリンプラント建設事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年1月30日 - [[薬剤師リンチ殺人事件]]が発生。&lt;br /&gt;
* 1994年[[5月9日]] - [[滝本弁護士サリン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年6月 - [[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]導入。22省庁を開設し大臣と次官を設置。当時の教祖、麻原は神聖法皇に。&lt;br /&gt;
* 1994年6月～[[1995年]]3月 - 旧ソ連製の[[AK-74]]をモデルとした[[突撃銃]]を密造（[[オウム真理教の兵器]]を参照のこと）。&lt;br /&gt;
* 1994年[[6月27日]] - [[松本サリン事件]]。[[長野県]][[松本市]]でサリンを噴霧し、7人を殺害。重軽傷660人。&lt;br /&gt;
* 1994年7月10日 - [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件]] 発生。&lt;br /&gt;
* 1994年7月15日 - 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件。&lt;br /&gt;
* 1994年9月20日 - [[江川紹子ホスゲン襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月2日 - [[駐車場経営者VX襲撃事件]]。&lt;br /&gt;
* 1994年12月12日 - [[会社員VX殺害事件]]。&lt;br /&gt;
* 1995年1月4日 - 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃。（[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]]）&lt;br /&gt;
* 1995年2月28日 - [[目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件]]で男性1人が死亡。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月17日]] - 麻原の口頭による[[尊師通達]]が発令（地下鉄サリン事件に関わった者のステージが昇格された）。&lt;br /&gt;
* 1995年[[3月20日]] - [[地下鉄サリン事件]]。[[東京]]の[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]（現・[[東京地下鉄]]）でサリンを撒き、12人を殺害、5,510人が重軽傷を負った。&lt;br /&gt;
* 1995年[[5月16日]] - 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。&lt;br /&gt;
* 1995年 - 宗教法人解散命令。国会で[[宗教法人法]]改正法が成立。&lt;br /&gt;
* 1996年[[6月19日]] - 麻原（松本）に代わり、松本の長男（当時3歳）と次男（当時2歳）の二人を「教祖」とする。麻原の地位は「開祖」に。&lt;br /&gt;
* [[1997年]][[1月31日]] - 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却。&lt;br /&gt;
* [[1999年]] - [[無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律|団体規制法]]と破産特別法が成立。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月1日]] - 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分（3年間）が効力発生。&lt;br /&gt;
* 2000年[[2月4日]] - 「宗教団体・アレフ」として再編。&lt;br /&gt;
* 2000年[[7月1日]] - ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕（[[シガチョフ事件]]）&lt;br /&gt;
* [[2002年]]1月 - [[上祐史浩]]が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明。&lt;br /&gt;
* 2003年[[1月23日]] - 団体規制法に基づく観察処分の期間更新（2月1日から3年）決定&lt;br /&gt;
* 2003年2月 - 「宗教団体・アーレフ」と改称した。&lt;br /&gt;
* 2008年5月20日 - 「Aleph」（アレフ）と改称した。&lt;br /&gt;
*[[2011年]][[12月31日]] - [[平田信]]が警視庁丸の内警察署に出頭。翌日に監禁致死の容疑で逮捕。その後、逮捕監禁罪（公証人役場事務長逮捕監禁致死事件）、爆発物取締罰則違反（[[島田裕巳宅爆弾事件]]）、火炎瓶取締法違反（[[オウム真理教東京総本部火炎瓶事件]]）で起訴される。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[6月3日]] - [[菊地直子]]が相模原市内の潜伏先で身柄を確保される。その後、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪（東京都庁小包爆弾事件）で起訴される。&lt;br /&gt;
*[[2012年]][[6月15日]] - [[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]が東京都大田区西蒲田の漫画喫茶内で身柄を確保される。これでオウム関連の特別指名手配者はすべて確保される。その後、殺人罪と殺人未遂罪（地下鉄サリン事件、会社員VX殺害事件、オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件）、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪（東京都庁小包爆弾事件）、逮捕監禁致死罪と死体損壊罪（公証人役場事務長逮捕監禁致死事件）で起訴される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公称信徒数 ===&lt;br /&gt;
* [[1985年]]12月 - 15人&lt;br /&gt;
* [[1986年]]10月 - 35人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]2月 - 600人&lt;br /&gt;
* [[1987年]]7月 - 1,300人&lt;br /&gt;
* [[1988年]]8月 - 3,000人&lt;br /&gt;
* [[1995年]]3月 - 15,400人（出家1,400人、在家14,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]7月 - 5,500人（出家500人、在家5,000人）&lt;br /&gt;
* [[1997年]]12月 - 2,200人（出家900人、在家1,300人）&lt;br /&gt;
* [[2000年]] - 1,115人（教団が[[公安調査庁]]に報告した数）&lt;br /&gt;
* [[2003年]]2月 - 1,251人（教団が公安調査庁に報告した数）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オウム事件の謎 ==&lt;br /&gt;
オウム事件では、[[村井秀夫刺殺事件]]の真相の究明に至っていない。実行犯は特定の者の指示により決行したとして有罪確定、指示したとして起訴された者は無罪である。二つの内容対立する判決がそのままになっている。[[警察庁長官狙撃事件|国松警察庁長官銃撃事件]]に至っては、自白したとされる元オウム信者の警察官が、供述に矛盾点が多いなどとして最終的には不起訴処分となったという異例の事態となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件が与えた影響とその後 ==&lt;br /&gt;
あまりにも前代未聞な事件だったこと、オウム[[報道]]によって[[犯罪報道]]の比重が高まったために、犯罪が特に増えているわけでもないのに治安の悪化を感じる国民が増加し[[刑罰#厳罰化|厳罰化]]など以後の[[刑事政策]]に影響を与えた。 犯罪被害者の救済制度が整備されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件以後、問題がある新宗教団体に対する世間の目は、一層に厳しくなった。特に巨額の献金を要求したり、信者の離脱を許さなかったりなど、信者を抑圧しているとされる団体に対しては、情報の公開を求める動きが広がった。白装束で話題になった[[パナウェーブ研究所|パナウェーブ]]問題への対応などにも影響を与えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「'''オウム特番'''」等連日連夜繰り広げられたオウム[[報道]]によって報道の[[ワイドショー]]化が一層進んだ。特に麻原逮捕までは毎晩どこかの局で2時間程度（日によって異なるが場合によっては3～4時間の場合も）オウム関連の特番が組まれていた。その影響で1995年4月～6月クールの連続ドラマの[[視聴率]]が低下した（21時から特番を組んだ事もあり、その影響で休止になったり繰り下げとなることも多かったためである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オウム真理教を扱った番組は簡単に視聴率が取れる」として、『オウムの法則』（[[オームの法則]]と掛けたパロディとも思われる）なる用語まで登場した。実際、1995年の年間視聴率（[[ビデオリサーチ]]調べ）の上位50本の中にオウム真理教関連の番組は関東地区で16本、関西地区では10本登場している。ちなみに、この年発生した[[阪神・淡路大震災]]関連の番組は関東地区で2本、関西地区でも7本だった&amp;lt;ref&amp;gt;引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、199頁。ISBN 4062122227&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京放送|TBS]]『[[ブロードキャスター]]』のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」によると、1995年の1年間にワイドショーがオウム真理教関連の話題を報じた時間数はのべ1272時間19分5秒。2位の阪神・淡路大震災の126時間8分53秒に約10倍の差をつけての首位だった。ちなみに、この年のワイドショー全体の67.8%をオウム真理教関連の話題が占めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1995年に[[週刊新潮]]が発表した「今年を代表する男」の読者アンケートで、麻原彰晃が[[野茂英雄]]に次いで2位を獲得。また上位10人には麻原以外にも[[坂本堤]]・[[村井秀夫]]・[[上祐史浩]]とオウム事件の関係者が4人ランクインした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[森達也]]は 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』で報道機関が視聴者・読者から教団を擁護していると非難されることを恐れるあまり、教団を排斥する運動の不当性や、別件や微罪による信者の不当逮捕を報道することすらタブーになっていると指摘している。森は事件後に成立した「組織犯罪対策法」等の中に社会の治安維持上の必要がある場合に個人の私権を制限したりプライバシーを侵害する事を認めるような条項がある事を、報道機関の運動に乗せられた行き過ぎではないかと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上祐代表を中心とする「代表派」（少数派）と、麻原回帰を強める非代表派（多数派）が分裂した。代表派によれば、代表派と非代表派の会計規模は1：5とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年8月、オウム真理教の元信者である女性が北朝鮮に亡命した。[http://www.rickross.com/reference/aum/aum352.html]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスにも影響を与え、カルト団体対策の推進の理由のひとつとなり（他にスイスにおける集団自殺、フランス国内でのカルト被害報告の増加もある）、各省庁が連携してのカルト対策が立てられ、フランスはカルト団体対策の先進例の1つとなった。1995年、1999年にフランスは、国内で活動中で犯罪の多い団体のリストを作成した。当然フランスに於いてもオウムは特に危険な団体として取り扱われたが、オウムはフランスに支部を持っていなかったので[[セクト]]のリストからは漏れている（ただし、テロ事件を引き起こす前の麻原は[[ノストラダムス]]の[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集|予言書]]を手に入れるために訪仏し、現地の学者と意見を重ねていたので全くの無関係とは言い切れない。サリン事件後には、当時の学者達はフランス警察から事情聴取を受けている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
*'''[[オウム真理教]]'''が'''[[天理教]]の集金術を学んだ'''と言われている。&lt;br /&gt;
*[[日蓮]]系の'''[[冨士大石寺顕正会|顕正会]]'''が「第二のオウム」と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 共同通信社会部『裁かれる教祖』（共同通信社）&lt;br /&gt;
* 河上和雄『犯罪捜査と裁判-オウム事件を追って-』（悠々社）&lt;br /&gt;
* 治安制度研究会『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説（立花書房）&lt;br /&gt;
* 東京キララ社編集部 編 [[西村雅史]]・[[宮口浩之]]監修 『オウム真理教大辞典』 (キーワード解説) ISBN 4380032094&lt;br /&gt;
* [[麻生幾]] 『極秘捜査―政府・警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』 ISBN 4163525408 ISBN 4167644010&lt;br /&gt;
* [[江川紹子]]『「オウム真理教」追跡2200日』（文芸春秋）&lt;br /&gt;
* [[島田裕巳]] 『オウム―なぜ宗教は[[テロリズム]]を生んだのか』 ISBN 4901510002&lt;br /&gt;
* [[一橋文哉]] 『オウム帝国の正体』 ISBN 4104128031 ISBN 4101426236&lt;br /&gt;
* [[森達也]]『A―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』ISBN 4043625014&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・安岡卓治『A2』 ISBN 4768476821&lt;br /&gt;
* [[森達也]]・[[森巣博]] 『ご臨終メディア－質問しないマスコミと一人で考えない日本人』 集英社、2005年、75、105-108、120、151-153、196頁。ISBN 978-4087203141 &lt;br /&gt;
* [[渡辺脩]]『麻原を死刑にして、それで済むのか?―本当のことが知らされないアナタへ』ISBN 4883202879&lt;br /&gt;
* [[下里正樹]]『オウムの黒い霧―オウム裁判を読み解く11のカギ』ISBN 4575285137&lt;br /&gt;
* 渡辺脩・[[和多田進]]『麻原裁判の法廷から』ISBN 4891882824&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[オーム (聖音)]]&lt;br /&gt;
* [[カルト]]&lt;br /&gt;
* [[オカルト]]&lt;br /&gt;
* [[ヒヒイロカネ]]&lt;br /&gt;
* [[日本原住民論]]（[[反日亡国論]]）&lt;br /&gt;
* [[霊的ボルシェヴィキ]]&lt;br /&gt;
* [[東日流外三郡誌]]&lt;br /&gt;
* [[偽史運動]]&lt;br /&gt;
* [[公安調査庁]]&lt;br /&gt;
* [[内乱罪]]&lt;br /&gt;
* [[破壊活動防止法]]&lt;br /&gt;
* [[上九一色村]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
=== 公式ウェブサイト ===&lt;br /&gt;
* [http://www.aleph.to/ 宗教団体アーレフ] 反上祐派（主流派）&lt;br /&gt;
** [http://info.aleph.to/ 宗教団体アーレフ広報部]&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/alephdaihyou/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 1] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
* [http://blog.livedoor.jp/joyualeph/ 宗教団体アーレフ 代表派サイト 2] 上祐派（代表派）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* [http://s-a-t.org/ オウム裁判対策協議会]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%ae%97%e6%95%99%e3%83%bb%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%b8%96%e7%95%8c/%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%83%95/ オープンディレクトリー: アーレフ]&lt;br /&gt;
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%83%bb%e4%ba%89%e7%82%b9/%e7%8a%af%e7%bd%aa%e3%83%bb%e5%8f%b8%e6%b3%95/%e3%82%aa%e3%82%a6%e3%83%a0%e7%9c%9f%e7%90%86%e6%95%99/ オープンディレクトリー: オウム真理教]&lt;br /&gt;
* [http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/ カナリヤの詩]（脱会者の集い -「カナリヤの会」公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/keibi4/it0.htm オウム真理教 ～反社会的な本質とその実態～]（[[警察庁]]）&lt;br /&gt;
* [http://www.npa.go.jp/wanted/1/oumu1.html オウム真理教関係特別手配被疑者]（警察庁）&lt;br /&gt;
* [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/ 宗教被害wiki]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%95?sid=16d3a370150b658fef6b65fec10a5e95 アーレフ]&lt;br /&gt;
** [http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99 オウム真理教]&lt;br /&gt;
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{{デフォルトソート:おうむしんりきよう}}&lt;br /&gt;
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[[Category:ロシア連邦保安庁によりテロリスト認定された組織‎]]&lt;/div&gt;</summary>
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				<updated>2020-05-17T09:31:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;はかいこうせん: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''とあるオウム教徒'''（とあるおうむきょうと）は、[[ユアペディア]]における[[スパイ|工作員]]。「とある[[オウム教徒]]」は通称であり、正式名称ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
非常に多数のアカウントを所有しており、いずれもユアペディアの各記事（主に[[ウィキペディア]]関連）において、[[オウム真理教]]に関連した事実無根の記述をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウント名の殆どは意味不明な名称である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==所有アカウント==&lt;br /&gt;
*{{User2|0信}}&lt;br /&gt;
*{{User2|が下記の確認用の質問に}}&lt;br /&gt;
*{{User2|、。。。英。。}}&lt;br /&gt;
*{{User2|者ス可パ}}&lt;br /&gt;
*{{User2|ノ人}}&lt;br /&gt;
*{{User2|土鮮}}&lt;br /&gt;
*{{User2|こタ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とあるおうむきようと}}&lt;br /&gt;
[[Category:ユアペディアン]]&lt;br /&gt;
[[Category:2ちゃんねらー]]&lt;br /&gt;
[[Category:オウム真理教]]&lt;br /&gt;
[[Category:工作員]]&lt;br /&gt;
[[Category:蛆虫]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>はかいこうせん</name></author>	</entry>

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