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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-04-13T15:32:05Z</updated>
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		<title>アメリカ合衆国</title>
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				<updated>2015-10-13T03:49:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;{{基礎情報 国|&lt;br /&gt;
  略名 =アメリカ合衆国|&lt;br /&gt;
  日本語国名 =アメリカ合衆国|&lt;br /&gt;
  公式国名 ='''{{lang|en|United States of America}}'''|&lt;br /&gt;
US.png|100px|アメリカ合衆国の国章]]|&lt;br /&gt;
  国章リンク   =([[アメリカ合衆国の国章|国章 (表)]])|&lt;br /&gt;
  標語         =''{{lang|la|E Pluribus Unum}}'' （1776年 - 現在）&amp;lt;br/&amp;gt;（ラテン語: 多数から1つへ）&amp;lt;br/&amp;gt;''{{lang|en|In God We Trust}}'' （1956年 - 現在）&amp;lt;br/&amp;gt;（英語: 我ら神を信ず）|&lt;br /&gt;
  位置画像     =LocationUSA.png|&lt;br /&gt;
  公用語       =[[英語]]（事実上。25州が英語のみを、3州が英語に加えて別の言語を公用語に定めている。）|&lt;br /&gt;
  首都         =[[ワシントンD.C.]]|&lt;br /&gt;
  最大都市     =[[ニューヨーク]]|&lt;br /&gt;
  元首等肩書   =[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]|&lt;br /&gt;
  元首等氏名   =[[バラク・オバマ]]|&lt;br /&gt;
  首相等肩書   =首相|&lt;br /&gt;
  首相等氏名   =なし|&lt;br /&gt;
  面積順位     =3|&lt;br /&gt;
  面積大きさ   =1 E12|&lt;br /&gt;
  面積値       =9,631,418|&lt;br /&gt;
  水面積率     =4.9%|&lt;br /&gt;
  人口統計年   =2006|&lt;br /&gt;
  人口順位     =3|&lt;br /&gt;
  人口大きさ   =1 E8|&lt;br /&gt;
  人口値       =300,007,997|&lt;br /&gt;
  人口密度値   =31|&lt;br /&gt;
  GDP統計年元  =2005|&lt;br /&gt;
  GDP値元      =12兆4,388億|&lt;br /&gt;
  GDP統計年MER =2005|&lt;br /&gt;
  GDP順位MER   =1|&lt;br /&gt;
  GDP値MER     =12兆4,388億|&lt;br /&gt;
  GDP統計年    =2005|&lt;br /&gt;
  GDP順位      =1|&lt;br /&gt;
  GDP値        =12兆3,600億|&lt;br /&gt;
  GDP/人       =41,399|&lt;br /&gt;
  建国形態     =[[独立]]&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;amp;nbsp;-&amp;amp;nbsp;宣言&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;amp;nbsp;-&amp;amp;nbsp;承認|&lt;br /&gt;
  建国年月日   =[[イギリス]]より&amp;lt;br/&amp;gt;[[1776年]][[7月4日]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[1783年]][[9月3日]]|&lt;br /&gt;
  通貨         =[[アメリカ合衆国ドル|USドル]] ($)|&lt;br /&gt;
  通貨コード   =USD|&lt;br /&gt;
  時間帯       =-5 から -11|&lt;br /&gt;
  夏時間       =-4 から -9 または 無し|&lt;br /&gt;
  国歌名       =星条旗|&lt;br /&gt;
  ccTLD        =US .EDU .GOV .MIL .UM|&lt;br /&gt;
  国際電話番号 =1|&lt;br /&gt;
  注記         =注: この表のデータは、50州とワシントンD.C.のみで、属領を含まない。&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''アメリカ合衆国'''（あめりかがっしゅうこく、the United States of America）、通称'''アメリカ'''または'''米国'''（べいこく）は、[[北アメリカ大陸]]および北[[太平洋]]に位置する連邦[[共和国]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
北アメリカ大陸中央部の[[大西洋]]と[[太平洋]]に挟まれた'''本土'''以外に、大陸北部の[[アラスカ]]、太平洋の[[ハワイ諸島]]、[[アリューシャン列島]]を国土とする。さらに本国の他に、[[プエルトリコ]]や[[グアム島]]などを領有する。北は[[カナダ]]、南は[[メキシコ]]と隣接、西は海を隔てて[[ロシア]]と接する。50[[州]]、1[[ワシントンD.C.|特別区]](連邦政府直轄地)からなり、[[資本主義]]、[[民主主義]]、[[共和制]]、[[大統領制]]、[[二院制]]を採用している[[連邦]][[国家]]の1つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少数の[[ネイティブ・アメリカン]]と呼ばれる先住民以外の殆どの国民が、主にユーラシア大陸からの[[移民]]もしくはアフリカ大陸から連れて来られた[[奴隷]]の子孫である。また[[1776年]]に独立した世界史的に見て比較的新しい国の1つで、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 国名 ==&lt;br /&gt;
正式名称は、''{{lang|en|(The) United States of America}}'' （&amp;lt;small&amp;gt;英語: &amp;lt;/small&amp;gt;発音 ザ・ユーナイティド・ステイツ・オヴ・アメリカ）。通称は、''{{lang|en|United States}}''、略称は、'''&amp;lt;span lang=&amp;quot;en&amp;quot; title=&amp;quot;United States&amp;quot;&amp;gt;U.S.&amp;lt;/span&amp;gt;''' または '''&amp;lt;span lang=&amp;quot;en&amp;quot; title=&amp;quot;United States of America&amp;quot;&amp;gt;USA&amp;lt;/span&amp;gt;'''。[[口語]]では''{{lang|en|America}}'' または ''{{lang|en|The States}}'' と呼ぶ場合もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本語]]による正式名称は、'''アメリカ合衆国'''。通称は、'''アメリカ'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[幕末]]や[[明治]]初期には'''メリケン'''と呼ばれた。&amp;quot;{{lang|en|American}}&amp;quot;の発音がそのように聞こえたためと考えられる（[[小麦粉]]はメリケン粉とも呼ばれるが、これも同様に&amp;quot;{{lang|en|American}}&amp;quot;に由来する）。このため、メリケンの漢字表記「'''米利堅'''」の最初の一文字を取って'''米国'''と略称され始める。ただし、日本語でのより一般的な漢字表記は'''亜米利加'''であり、これが由来だとする説もある。また、現在でもメリケンは一部で蔑称として用いられることがある。中国語・韓国語では「美国」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国名の ''{{lang|en|America}}'' は、[[アメリカ大陸]]の名、すなわち、[[イタリア]]人の[[探検家]][[アメリゴ・ヴェスプッチ]]の[[ラテン語]]名から付けられた。その詳細については、[[アメリカ州]]を参照のこと。日本語の「合衆国」という表記の由来や意味については、[[合衆国]]を参照のこと。「アメリカ合衆国」の代わりに、より正確な訳であるとして「[[アメリカ合州国]]」を使用する人たちもいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
* 詳細は'''[[アメリカ合衆国の歴史]]'''を参照&lt;br /&gt;
===新大陸===&lt;br /&gt;
[[イタリア]]（[[ジェノヴァ]]）人の[[クリストファー・コロンブス]]は[[スペイン]][[女王]][[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]の承諾を受け、[[大西洋]]周りによる[[アジア]]諸国の発見を志したが、[[1492年]]に現在の[[西インド諸島]]を発見した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[イタリア]]人の[[ジョン・カボット]]が北アメリカ大陸の東海岸を探検し、[[イギリス]]が[[ニューイングランド]][[植民地]]の領有を宣言した。その後[[フランス]]人の[[ジャック・カルティエ]]が[[セントローレンス川]]を遡り、その一帯をフランスが領有化（[[ヌーベルフランス]]植民地）するなど、ヨーロッパ人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、そして先住民の放逐と虐殺がはじまった。彼らは先住民であるネイティブ・アメリカンを虐殺、追放して彼らの土地を奪っていった。[http://en.wikipedia.org/wiki/Native_Americans_in_the_United_States#Removal_and_reservations]&lt;br /&gt;
[[Image:Washington Crossing the Delaware.png|thumb|220px|right|独立戦争当時のワシントン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===独立===&lt;br /&gt;
この様に北アメリカの多くがヨーロッパ各国の植民地となり、また、[[アフリカ大陸]]より多くのアフリカ人が[[奴隷]]労働力として強制的に連れて来られ、この様な状況は独立後も続いた。その後[[1775年]]に、イギリス植民地の13州による[[アメリカ独立戦争|独立戦争]]が勃発する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1776年]]に[[独立宣言]]を行い、[[1778年]]に[[連合規約]]を締結（批准・発効は[[1781年]]）、[[1783年]]に独立を達成した。[[1787年]][[9月17日]]には、連合規約に代えて、さらに中央集権的な[[アメリカ合衆国憲法]]が激論の末に制定され、[[1789年]][[3月4日]]発効した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:US-Präsident Lincoln u. Kabinett.jpg|thumb|220px|right|リンカーン大統領（左から3人目）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===南北戦争===&lt;br /&gt;
その後は勢力圏を拡大していき、[[メキシコ]]への侵略や[[スペイン]]など諸外国との戦争、[[ルイジアナ買収]]、[[アラスカ]]の[[ロシア]]からの買収などにより多くの新しい州と海外領土を合衆国に加えていった。その間の[[1861年]]から[[1865年]]まで内戦（[[南北戦争]]）を経験する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その最中の[[1862年]]には[[エイブラハム・リンカーン]]により[[奴隷解放宣言]]がなされたが、法の上での[[アフリカ系アメリカ人]]や先住民などのその他の少数民族に対する[[人種差別]]はその後も100年以上に渡り続くことになる。なお、リンカーンは南北戦争終結後に[[暗殺]]される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===領土の拡大===&lt;br /&gt;
[[Image:Wilson announcing the break in the official relations with Germany.jpg|thumb|220px|right|ドイツとの外交関係断絶を発表するウィルソン大統領]]&lt;br /&gt;
[[1898年]]には[[ハワイ王国]]を軍事的恫喝にて併合し、また同年[[米西戦争]]に勝利して[[グアム]]、[[フィリピン]]、[[プエルトリコ]]を植民地とした。その後ヨーロッパで勃発した[[第一次世界大戦]]にはイギリスや[[フランス]]、大日本帝国などの列強諸国とともに連合国側として参戦し、戦後は[[ウッドロウ・ウィルソン]]大統領の主導によって[[国際連盟]]設立に大きな役目を担ったが、[[モンロー主義]]を唱える[[アメリカ合衆国上院|上院]]の反対により加盟はしなかった。また、これにより他の戦勝国とともに5大国の一員として注目されることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===世界恐慌===&lt;br /&gt;
続く[[1920年代]]には都市部で[[バブル経済]]に基づく空前の繁栄「'''轟く20年代'''」（[[w:Roaring Twenties|Roaring Twenties]]）が起こるが、[[1929年]]10月29日[[ウォール街]]のニューヨーク株式取引所で起った株の大暴落「[[w:Black Tuesday|ブラック・チューズデー]]」がきっかけとなり、[[1939年]]まで続く[[世界恐慌]]が始まった。この世界恐慌は後に[[ドイツ]]や[[イタリア]]、[[日本]]などにおける軍事政権や独裁政権の成立の大きなきっかけとなっただけでなく、アメリカ国内においても労働者や失業者による暴動が頻発するなど大きな社会的不安を招いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二次世界大戦===&lt;br /&gt;
[[Image:Attack on Pearl Harbor Japanese planes view.jpg|thumb|220px|right|[[日本海軍]]による[[真珠湾攻撃]]を受ける[[アメリカ海軍]]基地]]&lt;br /&gt;
[[1939年]]9月にヨーロッパにおいて開戦した[[第二次世界大戦]]においては、[[1941年]]12月の[[大日本帝国]]（現在の[[日本]]）による[[真珠湾]]攻撃の後に、イギリスやソビエト連邦、[[中華民国]]や[[オーストラリア]]などが中心となって構成された[[連合国]]の一員として参戦した。しかし主な戦場から本土の距離が離れていたために、[[日本海軍]]機による[[アメリカ本土空襲]]などの、数回に渡る日本海軍による西海岸への攻撃以外には本土に被害を受けることなく、事実上の連合諸国への軍事物資の供給工場として機能し、併せて大日本帝国やドイツなどの[[枢軸国]]との戦闘でも大きな役割を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1945年]]8月には、[[イタリア]]やドイツなど枢軸国からの[[亡命]]科学者の協力を得て完成させた[[原子爆弾]]を世界で初めて実戦に使用し、大日本帝国の[[広島市|広島]]と[[長崎市|長崎]]に投下した。大戦中には[[日系アメリカ人]]に対する、いわゆる[[日系人の強制収容]]などの自国民に対する人種差別的な政策も行われた。この政策に対しては、後に政府が過ちを認め、大統領が日系アメリカ人に対し正式に謝罪することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===冷戦===&lt;br /&gt;
[[Image:Leonid Brezhnev and Richard Nixon talks in 1973.png|thumb|220px|ソ連の[[レオニード・ブレジネフ]]書記長と会談する[[リチャード・ニクソン]]大統領]]&lt;br /&gt;
[[Image:Tomcat escorts Bear.jpg|right|220px|thumb|[[ソ連空軍]]の[[Tu-95]]爆撃機を追う[[アメリカ海軍]]の[[F-14]][[戦闘機]]]]&lt;br /&gt;
連合国の戦勝国の1国となった上に、主な戦場から本土が離れていたことから国土に殆ど被害を受けなかったこともあり、大戦終結後は[[1950年代]]後半にかけて未曾有の好景気を享受することとなった。しかし、戦後すぐに始まった[[冷戦]]による[[共産主義]]への脅威を受けて、一時[[ジョセフ・マッカーシー]]上院議員らに主導された[[赤狩り]]旋風（[[マッカーシズム]]）が巻き起きた他、[[1960年代]]には[[ジョン・F・ケネディ]]大統領や公民権運動指導者の[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア]][[牧師]]、[[ロバート・ケネディ]][[司法長官]]など要人の暗殺事件が度々起こるなど、政治的な混乱も続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、冷戦においては、[[ソビエト連邦]]を盟主とする[[共産主義]]陣営に対抗する[[資本主義]]陣営の盟主として、「自由と民主主義の保護」の美名の下、[[ベトナム戦争]]や[[グレナダ侵攻]]など世界各地の紛争に積極的に介入する。特にベトナム戦争への介入は西側、東側諸国を問わず世界的に大きな非難を呼び、あわせて国内世論の分裂を招いた。また、単に｢反共産主義的｣であるという理由だけで、[[アジア]]や[[南アメリカ]]諸国をはじめとする世界各国の右派軍事独裁政府を支援し、その結果、それらの国の国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、長引く冷戦時代を通して軍部と軍需産業を中心とした経済界が結びつき「[[軍産複合体]]」を形成し、アメリカの政治、経済、軍事政策に深く関わる構図も生まれた。こうしたアメリカの戦争を止められない性質を揶揄して「戦争中毒」と呼ぶ論調も存在する。アメリカの軍需産業・軍需経済・軍事政策の関連性と歴史と国の経済に対する比率や影響力については[[アメリカの軍需経済と軍事政策]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===人種差別===&lt;br /&gt;
[[Image:ColoredDrinking.jpg|thumb|220px|right|有色人種専用の水飲み場（1950年頃）]]&lt;br /&gt;
[[Image:UH-1D helicopters in Vietnam 1966.jpg|thumb|right|220px|ベトナム戦争で前線に降下するアメリカ軍のヘリコプター]]&lt;br /&gt;
また、「自由と民主主義の橋頭堡」を自称するものの、1862年の奴隷解放宣言以降、第二次世界大戦後に至っても法の上での白人種による人種差別が認められており、[[1960年代]]にはこの様な状態に抗議する[[アフリカ系アメリカ人]]を中心に、法の上での差別撤廃を訴える[[公民権運動]]が行なわれた。これらの運動の結果、[[1964年]]7月に[[リンドン・ジョンソン]]大統領の下で公民権法（人種・宗教・性・出身国による差別禁止）が制定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、その後も現在に至るまで[[先住民]]や[[ユダヤ系]]移民、非白人系移民とその子孫（アフリカ系アメリカ人、[[ヒスパニック]]、日系アメリカ人など）などの少数民族に対する人種差別問題は解決されておらず、大きな社会問題として残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===貿易赤字===&lt;br /&gt;
また、[[1965年]]から[[1975年]]の10年に渡り行われたベトナム戦争における事実上の敗退前後には、深刻な[[麻薬]]汚染とそれがもたらした治安の悪化に悩ませられるようになった。また、[[石油ショック]]以降の原油の値上がりによって基幹産業の1つである[[自動車]]産業などが大きな影響を受け、[[1970年代]]以降は日本などの先進工業国との貿易赤字に悩ませられることとなる。[[1980年代]]に入ると、日本との[[貿易摩擦]]が表面化し日本製品をホワイトハウス前で議員がハンマーで叩き壊すというデモンストレーション（[[ジャパンバッシング]]）も生まれた。近年は、[[中華人民共和国]]に対する貿易赤字が膨張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「世界の警察」===&lt;br /&gt;
[[1991年]]のソ連崩壊に伴う冷戦終結後は、唯一の『[[超大国]]』、『覇権国家』となり、「世界の警察」を自認した。その後も日本や[[韓国]]、[[サウジアラビア]]やドイツなど国外に多くの基地を持ち続け、[[パナマ]]侵攻や[[湾岸戦争]]など、各国の紛争や戦争に積極的に派兵した。特に[[中東]]地域においては、[[ユダヤ系]]アメリカ人やイスラエル系[[ロビイスト]]の影響力により露骨に[[イスラエル]]寄りの姿勢を保つため、中東の[[アラブ]]系、[[イスラム]]系国家の国民から多くの反発を買うことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===現在===&lt;br /&gt;
[[画像:National Park Service 9-11 Statue of Liberty and WTC fire.jpg|thumb|220px|right|炎上する[[世界貿易センタービル]]と[[自由の女神]]]]&lt;br /&gt;
[[2001年]][[9月11日]]に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]後、[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]政権は「[[テロ支援国家]]」として[[イラン]]、[[イラク]]、[[北朝鮮]]を名指しで非難し[[アメリカのアフガニスタン侵攻|アフガニスタン侵攻]]、[[イラク戦争]]へとつながったが、イラク戦争には「石油を狙った侵略行為」であると批判する声も存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ同時多発テロ事件を境として、アメリカを取り巻く環境ないしはアメリカの世界への対応は劇的に変化し、国際情勢や各国間の関係にも大きな変化がおこっている。現在も“アメリカの死活的利益擁護のためには武力行使を含むあらゆる手段を選択”と宣言している。同時多発テロ後のアメリカは全体主義の傾向が強まりつつあると言われており2005年以降、テロ対策を目的に連邦情報機関が大統領令に基づき具体的な法令的根拠・[[令状]]なしに、国内で[[盗聴]]・[[検閲]]等の監視活動を行っていることについては批判の声もあがっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国際連合|国連]]の意向を無視するなど、アメリカ同時多発テロ事件以降のブッシュ政権のイラク戦争に至るまでの強引な姿勢は、世界中で[[反米]]感情を引き起こした。だが2006年秋の[[中間選挙]]で民主党が大勝したことや、イラク問題が泥沼化した中でブッシュ政権はこれまでのような強引な姿勢を継続するのはきわめて難しくなった。今後アメリカはより国際協調を重視する路線に移行する可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]、民主党の[[バラク・オバマ]]がブッシュの後継を任ずる共和党の[[ジョン・マケイン]]を破り、大統領に就任。覇権主義からの脱却が期待されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地理 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Honolulu-Oahu.jpg|thumb|220px|right|ホノルル]]&lt;br /&gt;
[[Image:Lightmatter sanfrancisco.jpg|thumb|220px|right|サンフランシスコ]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ''詳細は[[アメリカ合衆国の地理]]を参照'' --&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[北アメリカ大陸]]の中央部と北西にあり、カナダを挟んだ飛び地となっている[[アラスカ]]および、[[太平洋]]上の諸島である[[ハワイ諸島]]などで構成される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国土面積は、長らく936.4万平方キロメートルとされ、日本（37.8万キロメートル）の約25倍とロシア、カナダ、[[中華人民共和国]]に次ぐ、世界第4位の面積とされてきた。しかし、[[2002年]]に[[アメリカ合衆国統計局]]が面積を963.1万平方キロメートルと発表し、中華人民共和国の959.7万平方キロメートルを抜いて、世界第3位になった。突然、値が増加したのは、これまでの統計に水面積（特に[[五大湖]]と[[ミシシッピ川]]）が含まれていなかったのをアメリカ合衆国統計局が追加したからである。&amp;lt;!--日本でこの変化に一番戸惑ったのは、[[地理]]教育関係者と[[受験産業]]である。これによって急遽、教科書や塾のテキストを変更せざるを得なくなったからである。。実際、一部の中学・高校の過去に出題された入試問題で「次のX国の国名を書きなさい。X国は世界第4位の面積を持つ国で……」などの記述を確認することができる。日本の教育現場での話までは書く必要はないのでは？--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ本土は東側の[[大西洋]]、南側の[[メキシコ湾]]と[[メキシコ合衆国]]、西側の[[太平洋]]、北側の[[カナダ]]で囲まれる。大陸の東側に南北に[[アパラチア山脈]]、大陸の西寄りには南北に[[ロッキー山脈]]があり、山岳地帯となっている。アパラチア山脈とロッキー山脈の間は大平原になっており、農業や牧畜業が盛んである。大陸の南東端には[[フロリダ半島]]がある。また北西部の[[カナダ]]との国境地域には[[五大湖]]と呼ばれる湖がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最北部が[[北極圏]]に属する[[アラスカ]]は1年中を通じて冷涼な気候である。一方、太平洋上の諸島である[[ハワイ]]は温暖な気候で、ビーチリゾートとして人気がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アパラチア山脈の東側は[[ニューヨーク]]、[[ワシントンD.C.]]、[[ボストン (マサチューセッツ州)|ボストン]]などの都市があり人口集中地帯になっている。また、ロッキー山脈の西側の太平洋沿岸にも[[ロサンゼルス]]、[[サンフランシスコ]]、[[シアトル]]などの大都市がある。[[五大湖]]沿岸には[[シカゴ]]や[[デトロイト (ミシガン州)|デトロイト]]などの大都市があるが、大陸の中西部には大都市が比較的少ない。ハワイ諸島では最大の都市である[[ホノルル]]が太平洋における交通の要所として栄えている。また、その多くが[[北極圏]]となっており、離島も多く存在するアラスカには、陸路での往来が不可能な小都市も存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地方行政区分 ==&lt;br /&gt;
''詳細は[[アメリカ合衆国の地方行政区画]]を参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国は、50の州 (state)、1の地区 (district)で構成されるが、その他に、[[プエルトリコ]]などの海外領土（事実上の[[植民地]]）を有する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 州 ===&lt;br /&gt;
独立当時、13の植民地にそれぞれ州が置かれた。[[1959年]]に[[ハワイ州]]が州に昇格されるまでの間、各地方の割譲、侵略、買収、併合を経て、現在は50州を持つ。なお、[[アメリカ合衆国の国旗|星条旗]]の帯は独立当時の13州を、星は現在の50州を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[アーカンソー州]]&lt;br /&gt;
* [[アイオワ州]]&lt;br /&gt;
* [[アイダホ州]]&lt;br /&gt;
* [[アラスカ州]]&lt;br /&gt;
* [[アラバマ州]]&lt;br /&gt;
* [[アリゾナ州]]&lt;br /&gt;
* [[イリノイ州]]&lt;br /&gt;
* [[インディアナ州]]&lt;br /&gt;
* [[ウィスコンシン州]]&lt;br /&gt;
* [[ウェストバージニア州]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[オクラホマ州]]&lt;br /&gt;
* [[オハイオ州]]&lt;br /&gt;
* [[オレゴン州]]&lt;br /&gt;
* [[カリフォルニア州]]&lt;br /&gt;
* [[カンザス州]]&lt;br /&gt;
* [[ケンタッキー州]]&lt;br /&gt;
* [[コネチカット州]]&lt;br /&gt;
* [[コロラド州]]&lt;br /&gt;
* [[サウスカロライナ州]]&lt;br /&gt;
* [[サウスダコタ州]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[ジョージア州]]&lt;br /&gt;
* [[テキサス州]]&lt;br /&gt;
* [[テネシー州]]&lt;br /&gt;
* [[デラウェア州]]&lt;br /&gt;
* [[ニュージャージー州]]&lt;br /&gt;
* [[ニューハンプシャー州]]&lt;br /&gt;
* [[ニューメキシコ州]]&lt;br /&gt;
* [[ニューヨーク州]]&lt;br /&gt;
* [[ネバダ州]]&lt;br /&gt;
* [[ネブラスカ州]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[ノースカロライナ州]]&lt;br /&gt;
* [[ノースダコタ州]]&lt;br /&gt;
* [[バージニア州]]&lt;br /&gt;
* [[バーモント州]]&lt;br /&gt;
* [[ハワイ州]]&lt;br /&gt;
* [[フロリダ州]]&lt;br /&gt;
* [[ペンシルバニア州]]&lt;br /&gt;
* [[マサチューセッツ州]]&lt;br /&gt;
* [[ミシガン州]]&lt;br /&gt;
* [[ミシシッピ州]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[ミネソタ州]]&lt;br /&gt;
* [[ミズーリ州]]&lt;br /&gt;
* [[メイン州]]&lt;br /&gt;
* [[メリーランド州]]&lt;br /&gt;
* [[モンタナ州]]&lt;br /&gt;
* [[ユタ州]]&lt;br /&gt;
* [[ルイジアナ州]]&lt;br /&gt;
* [[ロードアイランド州]]&lt;br /&gt;
* [[ワイオミング州]]&lt;br /&gt;
* [[ワシントン州]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 連邦政府直轄地 ===&lt;br /&gt;
* [[ワシントンD.C.]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 海外領土 ===&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国の海外領土には、準州(テリトリー)、直轄領と自治領の他に、[[自由連合州]](コモンウェルス)という形態がある。&lt;br /&gt;
; ハワイ諸島周辺（オセアニア）&lt;br /&gt;
: [[ミッドウェー諸島]]（直轄領） - ハワイ諸島の北西&lt;br /&gt;
: [[ウェーク島]]（直轄領 / 無人島） - ハワイ諸島の西&lt;br /&gt;
: [[ジョンストン島]]（直轄領 / 無人島） - ハワイ諸島の南西&lt;br /&gt;
; ミクロネシア（オセアニア）&lt;br /&gt;
: [[北マリアナ諸島]]（自由連合州）&lt;br /&gt;
: [[グアム]]（準州）&lt;br /&gt;
; ポリネシア（オセアニア）&lt;br /&gt;
: [[アメリカ領サモア]]（準州） - サモア諸島東部&lt;br /&gt;
: [[ハウランド島]]（直轄領 / 無人島） - サモア諸島の北西&lt;br /&gt;
: [[ベーカー島]]（直轄領 / 無人島） - サモア諸島の北西&lt;br /&gt;
: [[パルミラ環礁]]（直轄領 / 無人島） - サモア諸島の北東&lt;br /&gt;
: [[ジャーヴィス島]]（直轄領 / 無人島） - サモア諸島の北東&lt;br /&gt;
: [[キングマン・リーフ]]（直轄領 / 無人島） - サモア諸島の北東&lt;br /&gt;
; カリブ海&lt;br /&gt;
: [[プエルトリコ]]（自由連合州）&lt;br /&gt;
: [[アメリカ領ヴァージン諸島]]（属領）&lt;br /&gt;
: [[ナヴァッサ島]]（直轄領 / 無人島） - ハイチとジャマイカの間&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--=== 独立自治領 ===&lt;br /&gt;
* [[イロコイ連邦]]（独立自治領）--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 代表的な都市 ===&lt;br /&gt;
''[[アメリカの都市圏人口の順位]]''と''[[アメリカの主な都市人口の順位]]''も参照。&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[アトランタ]]&lt;br /&gt;
* [[アトランティックシティ]]&lt;br /&gt;
* [[アナハイム]]&lt;br /&gt;
* [[アルバカーキ]]&lt;br /&gt;
* [[アンカレッジ]]&lt;br /&gt;
* [[インディアナポリス]]&lt;br /&gt;
* [[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]&lt;br /&gt;
* [[オースティン]]&lt;br /&gt;
* [[オーランド]]&lt;br /&gt;
* [[オクラホマシティ]]&lt;br /&gt;
* [[カンザスシティ]]&lt;br /&gt;
* [[クリーブランド]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]&lt;br /&gt;
* [[コナ]]&lt;br /&gt;
* [[サクラメント (カリフォルニア州)|サクラメント]]&lt;br /&gt;
* [[サンアントニオ]]&lt;br /&gt;
* [[サンディエゴ]]&lt;br /&gt;
* [[サンノゼ (カリフォルニア州)|サンノゼ]]&lt;br /&gt;
* [[サンフランシスコ]]&lt;br /&gt;
* [[シアトル]]&lt;br /&gt;
* [[シカゴ]]&lt;br /&gt;
* [[ジャクソンビル]]&lt;br /&gt;
* [[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]]&lt;br /&gt;
* [[シラキューズ (ニューヨーク州)|シラキュース]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[シンシナティ (オハイオ州)|シンシナティ]]&lt;br /&gt;
* [[スーフォールズ]]&lt;br /&gt;
* [[セントポール (ミネソタ州)|セントポール]]&lt;br /&gt;
* [[セントルイス]]&lt;br /&gt;
* [[ソルトレイクシティー]]&lt;br /&gt;
* [[ダラス]]&lt;br /&gt;
* [[タンパ]]&lt;br /&gt;
* [[デトロイト]]&lt;br /&gt;
* [[デンバー]]&lt;br /&gt;
* [[ナッシュビル]]&lt;br /&gt;
* [[ニューオーリンズ]]&lt;br /&gt;
* [[ニューヨーク]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]&lt;br /&gt;
* [[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]&lt;br /&gt;
* [[バーミングハム (アラバマ州)|バーミングハム]]&lt;br /&gt;
* [[ピッツバーグ]]&lt;br /&gt;
* [[ヒューストン]]&lt;br /&gt;
* [[フィラデルフィア]]&lt;br /&gt;
* [[フェアバンクス]]&lt;br /&gt;
* [[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]&lt;br /&gt;
* [[フォートワース]]&lt;br /&gt;
* [[プロビデンス (ロードアイランド州)|プロビデンス]]&lt;br /&gt;
* [[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]&lt;br /&gt;
* [[ボストン]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[ホノルル]]&lt;br /&gt;
* [[ボルチモア]]&lt;br /&gt;
* [[マイアミ]]&lt;br /&gt;
* [[ミネアポリス]]&lt;br /&gt;
* [[ミルウォーキー]]&lt;br /&gt;
* [[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]&lt;br /&gt;
* [[ラスベガス]]&lt;br /&gt;
* [[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]&lt;br /&gt;
* [[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]&lt;br /&gt;
* [[ロサンゼルス]]&lt;br /&gt;
* [[ロチェスター]]&lt;br /&gt;
* [[ワシントンD.C.]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地方区分 ===&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[東海岸]]&lt;br /&gt;
* [[西海岸]]&lt;br /&gt;
* [[ニューイングランド]]&lt;br /&gt;
* [[ディープサウス]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国北西部|アメリカ北西部]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国北東部|アメリカ北東部]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ南西部]]&lt;br /&gt;
|valign=top|&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国西部|アメリカ西部]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国北部|アメリカ北部]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国南部|アメリカ南部]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国中西部|アメリカ中西部]]&lt;br /&gt;
* [[サンベルト]]&lt;br /&gt;
* [[バイブル・ベルト]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治 ==&lt;br /&gt;
''詳細は[[アメリカ合衆国の政治]]を参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:FordNixonBushReagenCarter.jpg|thumb|220px|right|歴代大統領（左から[[ジェラルド・フォード]]、[[リチャード・ニクソン]]、[[ジョージ・ブッシュ]]、[[ロナルド・レーガン]]、[[ジミー・カーター]]）]]&lt;br /&gt;
50の州とコロンビア特別区で構成される連邦制。それぞれの州は高度な自治権を持っているが、連邦政府の有する権限は非常に強大である。連邦政府は、立法、行政、司法の[[権力分立|三権分立制]]をとるが、その分立の程度が徹底しているのが大きな特徴。[[元首]]であり、行政府のトップである[[大統領]]は、[[間接選挙]]で[[アメリカ合衆国大統領選挙|選出される]]。任期は4年。行政府は、大統領と各省長官が率いる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[議会]]は、[[アメリカ合衆国上院|上院]]と[[アメリカ合衆国下院|下院]]から構成される[[両院制]]（二院制）である。上院は、各州から2議席ずつの計100議席、任期は6年で2年ごとに3分の1ずつ改選。下院は、各州の人口を考慮した定数の合計435議席（その他に投票権のない海外領土の代表など5人）からなり、任期は2年。上院、下院ともに、一般的に、上院は上流層の意見を反映し、下院は中流下流層の意見を反映している。大統領は上下両院のバランスをとる役割を期待されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議席は歴史背景から[[共和党 (アメリカ)|共和党]]と[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の二党寡占になっており、[[二大政党制]]が確立している。なお、基本的に東西両海岸沿いに民主党支持者が多く、中部に共和党支持者が多いと言う地域的特色があると言う調査結果が出ている。他にも少数政党はいくつか存在するが二大政党を覆す程には至らず、時折選挙戦で旋風を起こす程度である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカにおいて、経済・産業・社会保障・福祉・保険・医療・学校教育・科学・技術、外交、軍事などの国や社会を構成する様々な要素に関する考え方・政策と、政治的主張と運動をする集団としての政党は、建国以後の歴史の中で様々な変遷をして、[[アメリカの選挙の歴史]]として表面的に現象してきた。アメリカが政治・軍事・産業・経済・科学・技術の分野で世界で最大の規模と力を持ち世界に多大な影響を与えるので、アメリカの政治と政策と、政治的主張と運動をする集団としての政党を長期的な時系列で認識し、その歴史的変遷を知ることは、アメリカと世界各国の政府・議会・国民が共存共栄してゆくために、どのような協力と働きかけが最適解または有効であるかを考えるための必要条件であると言う意見もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[新保守主義 (アメリカ)]]&lt;br /&gt;
* [[キリスト教右派]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外交==&lt;br /&gt;
[[Image:US Presidential Visit to Afghanistan 2006 - welcoming ceremonies.jpg|thumb|220px|right|左からブッシュ大統領、[[アフガニスタン]]の[[ハミド・カルザイ]]大統領、ブッシュ夫人、[[コンドリーザ・ライス]]国務長官]]&lt;br /&gt;
第二次世界大戦前は、[[モンロー主義]]に代表されるような[[孤立主義]]政策をとることも多かったものの、大戦終結後は、戦勝国となった上に国土に殆ど被害を受けなかったこともあり、大戦後に起きた冷戦において、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営に対抗する、日本やイギリスなどの資本主義陣営の事実上の盟主的存在として、「自由と民主主義の保護」の名の下、朝鮮戦争やベトナム戦争など世界各地の紛争に積極的に介入する。また、冷戦中は単に｢反共産主義的｣であるという理由だけで、南アメリカの[[キューバ]]や[[チリ]]、アジアの[[南ベトナム]]や[[フィリピン]]をはじめとする世界各国の軍事独裁政府を支援し、その結果、それらの国の国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソ連崩壊に伴う冷戦終結後は、唯一の『超大国』となり、強大な軍事力を背景に[[パナマ侵攻]]や[[ソマリア]][[内戦]]、[[イラク戦争]]など、各国の紛争や戦争に積極的に派兵し、またその当事国となった。また、1970年代以降は、ユダヤ系企業やこれらの企業に雇われた[[ロビイスト]]などの影響から、特に中東地域において露骨にイスラエル寄りの姿勢を保つ上、冷戦終結後はイラクや[[イラン]]、[[シリア]]などの中東のイスラム系国家を対立視することが多いことから、イスラム系国家の国民から多くの反発を買うことになった。その上、近年ではその覇権国家的な振る舞意がや[[フランス]]や[[スペイン]]などの友好国からさえも反発を買い、多くの批判を浴びる結果となっている。アメリカの戦争と外交政策の関連性と影響力と歴史については[[アメリカの戦争と外交政策]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本との関係===&lt;br /&gt;
[[Image:Commodore Perry expedition LOC LC-USZ62-8127.jpg|thumb|220px|right|日本に来航したペリー]]&lt;br /&gt;
[[Image:Pearl Harbor- Nakajima B5N2 over Hickam- 80G178985.jpg|thumb|220px|right|真珠湾攻撃]]&lt;br /&gt;
[[Image:US Yokota Air Base 1 Tokyo Japan.jpg|thumb|220px|right|在日アメリカ空軍の[[横田基地]]]]&lt;br /&gt;
[[Image:Junichiro Koizumi p062906pm-0396-398h.jpg|right|thumb|220px|[[小泉純一郎]]前首相とブッシュ大統領]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※[[日米関係史]]''および''  [[日本駐箚アメリカ合衆国大使|駐日大使]]''も参照のこと''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本との外交関係は、アメリカの建国が比較的近年であったこともあり、その歴史こそ浅いが太平洋を隔てた隣国と言うこともあり非常に緊密である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[19世紀]]に日本で[[明治維新]]を起こすきっかけの一つとなった、[[1854年]]2月のアメリカ海軍の[[マシュー・ペリー]][[提督]]率いる「[[黒船]]」の来航を経て、同年3月に[[日米和親条約]]を締結し正式な[[国交]]を樹立した。その後[[1859年]]6月に[[日米修好通商条約]]を結んだことにより、両国間の本格的な通商関係も開始された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後20世紀に入り、[[日露戦争]]の後の[[1905年]]9月に行われた[[ポーツマス条約]]締結時の仲介などを経て、両国間においての貿易、投資や人事的交流が急増するなどその関係を深める。しかし[[1920年代]]に、アメリカで日本人[[移民]]を狙い撃ちにした[[人種差別]]法案である[[排日移民法]]が施行された他、[[1930年代]]に行われた日本の[[中国大陸]]進出政策に対する親中国派のフランクリン・D・ルーズヴェルト政権による過剰な反発や、[[第2次世界大戦]]勃発後の[[1940年]]6月にフランスの[[ヴィシー政権]]が[[ドイツ]]と休戦したことに伴い、日本軍が[[仏領インドシナ]]進出したことに対して不快感を示し、同政権が対日禁輸政策を取るなどその関係は急速に冷え込んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後両国間の関係が冷え込んだことを背景に、[[1941年]][[12月7日]]に[[日本海軍]]により行われた[[ハワイ]]のの[[オアフ島]]にあるアメリカ軍基地に対する攻撃、いわゆる「[[真珠湾攻撃]]」以降、両国は[[枢軸国]]と[[連合国]]に別かれ敵対関係になり、主に太平洋戦線において戦火を交えることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1945年8月の日本の連合国に対する敗戦に伴い連合国の主要な占領国として参加し、[[1951年]]9月に交わされた[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]の発効までの間、イギリスやフランスなどの連合国とともに日本の占領統治を行った。以降2国間で同盟関係（[[日米安全保障条約]]、'''日米同盟'''）を構築してソ連や中華人民共和国などの軍事的脅威に対して共同歩調をとり続けるなど、極めて友好的な関係を築いている。なお、日本にとって、アメリカは軍事的同盟を正式に結んでいる唯一の国でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、この同盟関係の下で日本が自主的な[[外交]]、軍備を怠ってきたことや、冷戦時代にアメリカが起こしたベトナム戦争において、[[嘉手納基地]]や[[横田基地]]などの日本国内の[[アメリカ軍]][[基地]]が出撃基地として利用されてきたこと、日本国内のアメリカ軍基地周辺において[[在日アメリカ軍]]兵士による日本人女性に対する[[レイプ]]や[[強盗]]、殺人事件が多発していることなどから、同盟関係に対する批判も少なからず存在する。しかし、同盟関係の下で、日本が冷戦下においても周辺諸国からの直接的な軍事侵攻を受けることがなかったことや、同盟関係が代表するようなアメリカとの密接な関係の下、日本製品の主な輸出先や日本企業の主な投資先として日本が恩恵を得てきたのもまた事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
冷戦が終結した現在もなお日米関係は国際政治や経済活動において不動の地位を築きつつあり、両国間の貿易や投資活動はその規模の大きさから両国経済だけでなく世界経済に大きな影響力を持つほか、[[2006年]]10月に発生した[[北朝鮮]]による核実験における対応や、同国による[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致事件]]でも共同歩調をとっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===加盟している主な国際機構===&lt;br /&gt;
*[[国際連合]]（[[国際連合安全保障理事会|安保理]][[常任理事国]]）&lt;br /&gt;
*[[北大西洋条約機構]]&lt;br /&gt;
*[[太平洋共同体]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===その他===&lt;br /&gt;
*[[主要国首脳会議]]メンバー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 法律 ==&lt;br /&gt;
===州法===&lt;br /&gt;
各州が独自の立法機関を設置し州法を有する。連邦法は全州にわたって効力を有するものとして上位に位置するものではあるが、各州の自治が歴史的に尊重されていたこともあり、日本における地方自治体の条例に比べると、各州法の地位はかなり高い。合衆国憲法により、連邦法を制定することができる分野は、国家としての対外的な規律に関わる問題や、州を跨ぐ通商に関連する事項等に限定されていることから、[[会社法]]や[[刑法]]などの一般的法律も州法において規定されている。また各州はそれぞれ独自の[[憲法]]を有する。これらの影響により現在も[[禁酒法]]がところにより残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「法のもとの平等」===&lt;br /&gt;
[[Image:Lyndon Johnson signing Civil Rights Act, 2 July, 1964.jpg|thumb|220px|right|公民権法に署名する[[リンドン・B・ジョンソン]]大統領、ジョンソンの真後ろが公民権運動指導者の[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア]][[牧師]]]]&lt;br /&gt;
[[アメリカ独立宣言|独立宣言]]には『すべての人民は法のもとに平等である』とうたわれていたが、女性、奴隷および先住民が真の法のもとの平等を勝ち取ったのは建国から200年近くも後のことである。アメリカ合衆国で[[女性参政権]]が認められたのは[[1920年]]であり、アフリカ系アメリカ人と先住民族が法のもとに他の人種と同等の権利を保証されるようになるまでには20世紀半ばの[[公民権運動]]の勃興を待たねばならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
19世紀後半以降にアメリカ合衆国への移民が増加するに従い、[[アングロ・サクソン人|アングロ・サクソン系]]以外の移民を制限するための法律が連邦議会で次々に可決された。[[1882年]]に中国人（当時の国名は[[清]]）の移民を禁止する[[中国人排斥法]]（[[:en:Chinese Exclusion Act (United States) |Chinese Exclusion Act]]）が制定され、[[1924年]]には日本で「[[排日移民法]]」として知られている[[:en:Immigration Act of 1924|ジョンソン・リード移民法]]が制定されて、新たに移民できる外国人の数を合衆国内にすでに居住している同じ人種の人口によって決めることで実質的にアジアと[[東ヨーロッパ|東欧]]および[[南ヨーロッパ|南欧]]からの移民を制限した。連邦レベルで移民の人種的制限が完全に撤廃されたのは[[1965年]]の[[:en:Immigration and Nationality Act of 1965|ハート・セラー移民帰化法]]においてである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次世界大戦が勃発すると、西海岸沿岸州に居住する[[日系アメリカ人]]は敵性外国人として[[市民権]]を剥奪され、[[強制収容所]]に送られた（詳しくは[[日系人の強制収容]]を参照）。また同じ理由から、アメリカの影響下にあった[[ラテンアメリカ]]13カ国の日系人もアメリカに強制連行された。この一連の強制収容により多くの日系人が財産や生活の基盤を失い、戦後7年が過ぎた[[1952年]]の[[:en:Immigration and Nationality Act|マッカラン・ウォルター移民帰化法]]の施行まで市民権は回復されなかった。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--「歴史」にも人種差別についての記述があるので、そちらにまとめてください。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===その他===&lt;br /&gt;
また「自由の国」を自称しているとはいえ、上記のように法の上での人種差別が近年まで残っていた。また。ピューリタニズム・キリスト教原理主義者の考えの影響から、性や同性愛、中絶に関する問題には厳しく、州によっては[[婚前交渉]]や[[同棲]]が認められておらず、刑罰の対象となる場合もある。また[[妊娠]][[中絶]]を合法化すべきかどうか、[[死刑]]制度を認めるかどうかなどの点で宗教的価値観などの多様性を背景とした国家レベルでの議論が繰り返されている。アメリカの人権問題と人権状況と人権政策と歴史については[[アメリカの人権と人権政策]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経済 ==&lt;br /&gt;
''詳細は[[アメリカ合衆国の経済]]を参照''&lt;br /&gt;
[[Image:Photos NewYork1 032.jpg|thumb|220px|right|ニューヨーク証券取引所]]&lt;br /&gt;
[[Image:Apollo 15 flag, rover, LM, Irwin.jpg|thumb|220px|right|月に着陸したアポロ15号]]&lt;br /&gt;
[[Image:2006 Cadillac DTS.jpg|thumb|220px|right|[[キャディラック]]DTS]]&lt;br /&gt;
[[Image:B777-200LR DSC04302.JPG|thumb|220px|right|[[ボーイング777]]]]&lt;br /&gt;
経済規模は [[国内総生産]]（GDP）で[[世界一の一覧|世界第1位]]である。しかし、1人当たりのGDPに換算すると、世界第4位である。大きな経済規模を持ち、その技術開発力と生産力、消費力で世界経済を引っ張る存在である反面、アメリカ文化が資本主義社会の基本である「[[大量生産]]・[[大量消費]]」の側面を強く持っており、他の先進国と比べても1人当たりの資源消費量が格段に大きいこともあり、「[[地球環境問題]]や[[健康|健康問題]]の深刻化をもたらした」などと批判されることも多い。アメリカの環境問題と環境状況と環境政策と歴史については[[アメリカの環境と環境政策]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[自動車]]や航空機、[[コンピュータ]]など主な工業品の生産、販売数で長年世界一を保っており、その消費量の多さのため世界中の企業が進出している。また、これらの企業が上場する[[ニューヨーク証券取引所]]は世界最大の取引高を誇っている。その為世界経済に与える影響力は非常に大きいものがある。アメリカの経済問題と経済状況と経済政策と歴史については[[アメリカの経済と経済政策]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、軍事産業や重工業だけでなく、小売やサービス業に至るまで多くの大企業が軍を大きな顧客とするという、いわゆる[[軍産複合体]]体質が諸外国への頻繁な軍事介入の理由の一つだと指摘されることも多い。しかし、現代においては戦争が起こっても必ずしも軍事産業界が潤うわけではないこと、軍事介入自体が国家財政を圧迫することを論拠とし、軍産複合体の存在自体を否定する主張も存在する。アメリカの軍需産業・軍需経済・軍事政策の関連性と歴史と国の経済に対する比率や影響力については[[アメリカの軍需経済と軍事政策]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[訴訟]]国家としても知られる。いわゆる'''[[マクドナルド・コーヒー事件]]'''はその代表的な例である。国内に[[弁護士]]が約90万人もおり、弁護士の宣伝、営業活動が法的に認められていることから、彼らの多くは営業活動に大変熱心であり、'''アンビュランス・チェイサー'''（日本語で救急車の追跡者の意味）などと呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]に大統領となった新自由主義者の[[ロナルド・レーガン|レーガン]]は、インフレの抑制、減税による投資促進、[[規制緩和]]の促進などにより、経済の供給サイドの強化を図る「[[レーガノミックス]]」を行った。[[インフレーション|インフレ]]抑制は前政権から続いていたマネーサプライに照準を合わせた[[金融政策]]を実施したが、国防費の増大と大幅減税により財政収支が悪化、また高金利からドルレートが上昇し、経常収支の赤字が拡大した（'''[[双子の赤字]]'''）。金融が緩和する過程で株価は上昇をはじめ[[M&amp;amp;A]]がブームとなったが、[[ブラックマンデー]]により株高経済は一旦調整した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1990年代]]は、日本の経済が長期低迷に陥り、「[[失われた10年]]」と呼ばれたのとは対照的に、アメリカ経済は非常に良好なパフォーマンスを示すようになり、「[[ニューエコノミー]]」と呼ばれた。低インフレと高成長を両立し、労働生産性も上昇したことから、アメリカ経済は新たな局面に入った、と言われた。[[1991年]]3月の景気の谷の後、[[2001年]]3月まで10年にわたって景気拡大を続け、世界経済のけん引役となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]]に入ると、[[ITバブル]]の崩壊によって、好調だったアメリカ経済は減速する。2001年[[9月11日]]には同時多発テロが発生し、アメリカ経済の減速に拍車をかけた。1980年代から続いている資産膨張を背景にした消費増大はいまや、アメリカ経済の根幹となっており、金融政策への依存度が高まっている。このように一時は減速したものの最近では再び安定した成長を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 国民 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ''詳細は[[アメリカ合衆国の国民]]を参照'' --&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Image:Grand Entry Omaha.jpg|thumb|220px|right|[[パウワウ]]に参加する先住民]]&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国は元々先住民族である[[インディアン|ネイティブ・アメリカン]]が住んでいた土地に、16世紀からは[[ヨーロッパ]]からの植民者が、17～19世紀には[[奴隷貿易]]により[[アフリカ]]からの黒人[[奴隷]]が、19世紀からは[[アジア]]からの移民が入って来て、さらに人種間で混血が起ったため、「[[人種のるつぼ]]」と呼ばれてきたが、実際には異人種が融け合って生活する社会が形成されるよりも、「[[ゲットー]]」と称されるアフリカ系アメリカ人居住地域や[[チャイナタウン]]が代表するように、むしろ人種による住み分けが起きていることから、近年ではアメリカ合衆国を色々な野菜が入ったサラダに例えて「人種のサラダボウル」と呼ぶことが多くなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中で人種差別問題、特に[[ヘイトクライム]]と呼ばれる人種差別主義者による凶悪犯罪が頻繁に発生し、大きな社会問題となっている他、[[アメリカ合衆国南部|南部]]や中西部を中心に[[KKK]]などの人種差別的な団体が未だ半ば公然と活動している地域も存在する。また、[[アフリカ系]]の[[死刑]]執行率が[[ヨーロッパ系]]に比べて極端に高いなど、裁判制度の不公平性も問題となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Condoleza Rice Colin PowellGeorge W. Bush Donald Rumsfeld.jpg|right|thumb|220px|多人種から構成されるブッシュ政権の閣僚、左から[[コンドリーザ・ライス]]、[[コリン・パウエル]]、[[ジョージ・W・ブッシュ]]、[[ドナルド・ラムズフェルド]]]]&lt;br /&gt;
現在も合法違法を問わず移民が多く、また2000年度の[[合計特殊出生率]]も2.1と先進国の中では高い（移民層の出生率が2.71と高いが、アメリカ合衆国で生まれた女性の出生率も1.98と先進国の中ではかなり高いなど、人口は自然増、社会増双方の要因により増加し続けている。[[2006年]]には総人口が3億人を超えたと公式に発表された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人種 ===&lt;br /&gt;
世界でも有数の多民族国家である。[[2005年]]の人口統計によると、白人（[[ヨーロッパ]]系、[[北アフリカ]]系、[[中東]]系、[[中央アジア]]系、[[ラテン]]系）74.7%（2億1530万人）、サハラ以南のアフリカ系（黒人）12.1%（3490万人）、アジア系（[[東アジア]]、[[東南アジア]]、[[南アジア]]系）4.3％（1250万人）、アメリカン・インディアン0.8％（240万人）、太平洋地域の先住民系0.1％（40万人）、2つ以上の人種を祖先とする国民1.9％（560万人）、その他6％（1730万人）。ヒスパニック系（全ての人種）は14.5％（4190万人）となっている。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--[[w:Demographics of the United States#Racial Groups]]から--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===治安===&lt;br /&gt;
合衆国の犯罪発生率は、地域、州によって大きく異なる。例えば、凶暴犯罪（殺人、強姦、強盗、加重暴行）の2002年時点の発生件数&amp;lt;!-- U.S. Census Bureau --&amp;gt;は、人口10万人あたり合衆国平均は495人だが、州ごとの分布はノースダコタ州の78人から、コロンビア特別区の1,633人まで、20倍以上のばらつきがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Reagan_assassination.jpg|220px|thumb|[[1980年]]に発生したロナルド・レーガン大統領暗殺未遂後のワシントン・[[ヒルトン]]・ホテル前の混乱]]&lt;br /&gt;
他の先進諸国に比べて、都市部、地方にかかわらず[[銃]]や[[麻薬]]による[[犯罪]]が蔓延しているというのが現実である。成年者による銃犯罪だけでなく、[[中学校]]や[[高等学校]]において生徒が銃を乱射する事件が毎年のように発生する事態を招いている。このため銃を購入できる年齢を18歳から21歳に引き上げたり、一部の学校では学校の建物に入る際に金属探知機によるセキュリティーチェックを行ったりしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[アメリカ合衆国憲法]][[権利章典 (アメリカ)|修正条項第２条]]により民間人も[[自衛]]のために銃の使用が許可されている国（ただし、この条項は民兵の武装を認めているだけで、ごく普通の一般市民の武装について言及しているわけではない、という学説もあることに留意）とはいえ、街中の銃販売店で比較的簡単に銃が手に入るという現実は[[銃社会]]を助長させている。銃愛好家の団体[[全米ライフル協会]]は強力な政治的発言力を持つ事実上の圧力団体であり、銃規制につながる立法を再三阻止している。なお、過去数度に渡り何人もの大統領が銃によって暗殺されているほか、銃犯罪による死者の数が、[[2000年]]以降に限っても毎年年間10,000人を大きく超えるなど、世界でも例を見ない銃犯罪大国である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本人]][[観光]]客や駐在員、[[留学生]]などがこれらの犯罪に巻き込まれ死亡するケースが毎年のように起きている。小さい子供が家族の所有する、安全装置を解除された銃で遊んでいるうちに誤って自分や友人、家族を撃ち殺してしまう事故も後を絶たない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお2007年現在、同国は[[武器貿易条約]]を採択していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===所得格差===&lt;br /&gt;
[[Image:Bev hills.jpg|thumb|220px|right|カリフォルニア州の高級住宅街、[[ビバリーヒルズ]]]]&lt;br /&gt;
一時期は『アメリカン・ドリーム』と持てはやされた上昇神話も現在では[[貧富の差]]がほぼ固定化されてしまったため、死語となりつつある。また公的な社会保険制度が整備されておらず大半の国民は民間の医療保険に頼っているが、零細自営業者や中小企業に雇用されている労働者は安価で良質の医療保険に入ることが大変難しく、4000万人は社会保障にすら入っていないといわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その恩恵を受けることのない低所得者層を中心に、[[ファストフード]]の過剰摂取や栄養学の知識の欠如により肥満になっている人が先進国の中で最も多く（2003−2004年度には未成年の17.1％が太り気味で、成年の32.2％が肥満という調査結果が出ている&amp;gt;）、社会問題化している。また[[クレジットカード]]が広く普及していることから、恒常的にカードローンに依存する人々が増えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==言語==&lt;br /&gt;
主記事：[[:en:Languages of the United States|Languages of the United States]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国には法で定められた[[公用語]]はないが、英語が事実上の国語となっている。2003年には、約2億1500万人（5歳以上の全国民の82％）が家庭で英語のみを使用している英語を母語としない国民の多くも英語を日常的に使用しており、英語の知識は[[市民権]]取得の必須条件である。[[スペイン語]]の話者は英語についで多く、国内でもっとも学習者の多い外国語でもある。近年増加傾向にある中南米スペイン語諸国からの移民である[[ヒスパニック]]には、英語を殆ど喋ることのできない者も多いため、[[銀行]]の[[ATM]]などではスペイン語が選択できるようになっているものも多い。長年にわたる先住民の同化政策の結果、先住民の言語を話せる人口は非常に少なくなっており、中には絶滅した言語もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ人の中には英語を連邦の正式な公用語とすることを希望する者が多く、実際25州が英語を公用語に指定している。しかし、ニューメキシコ、ルイジアナ、メイン、ハワイの4州では行政上英語以外の言語が事実上の第二言語とされている。[[ハワイ州]]では州憲法により[[ハワイ語]]が公用語とされており、[[ルイジアナ州]]と[[メイン州]]では[[フランス語]]が行政上の第二言語である。合衆国加入当時からスペイン（メキシコ）系住民の多い[[ニューメキシコ州]]は常にスペイン語を非公式な第二公用語としてきた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 宗教 ==&lt;br /&gt;
[[プロテスタント]]58%、[[カトリック教会|カトリック]]21%、など（2003年現在）。キリスト教信仰者の比率は、1990年調査時の86.2%から2003年調査時の79%へと年々減少傾向にある。2001年の宗教分布は、[[プロテスタント]] 52%、[[カトリック教会|カトリック]] 24.5%、[[無宗教]] 13.2%、[[ユダヤ教]] 1.3%、その他、[[イスラム教]]、[[仏教]]、[[不可知論]]、[[無神論]]、[[ヒンドゥー教]]、[[ユニテリアン]] (Unitarian Universalist)がそれぞれ0.5%から0.3%である。なお、[[キリスト教原理主義]]も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宗教的な理由から[[進化論]]を否定する者が多く、公立校で進化論を教えるなら[[創造科学]]も合わせて教えるべきとする宗教団体が州の教育委員会を相手取り論争を起こした例が数件ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==食生活==&lt;br /&gt;
===世界の料理===&lt;br /&gt;
アメリカの国民は先住民の他、世界各国からの移民とその子孫によって構成されているため、都市部では世界各国の料理やそれらをアメリカ風にアレンジしたものを気軽に楽しむことが可能である。[[イタリア料理]]や[[中華料理]]、[[メキシコ料理]]（[[テクス・メクス料理]]）などが非常にポピュラーなものとして日常的に楽しまれている他、[[1980年代]]以降は[[寿司]]や[[照り焼き]]をはじめとする[[日本料理]]が都市部を中心に人気を博しており、日本料理のレストランで食すことができるだけでなく、[[スーパーマーケット]]などで[[豆腐]]や[[醤油]]、[[麺類]]などの食材を調達することも可能である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ファストフード===&lt;br /&gt;
[[Image:Burger King Whopper Combo.jpg|thumb|220px|right|バーガーキングのハンバーガー]]&lt;br /&gt;
高度にマニュアル化されたファストフードチェーンにより提供される[[ハンバーガー]]や[[ホットドッグ]]、[[タコス]]などのファストフードや、[[冷凍食品]]などの[[インスタント食品]]が安価かつ手軽な事実上の「国民食」として広く食されているものの、脂肪分や塩分、糖分の多さなどから上記のように低所得者層を中心に[[肥満]]や[[心臓病]]などの原因となっており、これらのチェーン店の従業員の低賃金と合わせて深刻な社会問題となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====主なファストフードチェーン====&lt;br /&gt;
*[[マクドナルド]]&lt;br /&gt;
*[[バーガーキング]]&lt;br /&gt;
*[[タコベル]]&lt;br /&gt;
*[[ケンタッキーフライドチキン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ベジタリアニズム===&lt;br /&gt;
社会的、宗教的および[[心霊主義]]的な理由からベジタリアニズムを奨励する運動は19世紀から存在したが、[[1960年代]]に環境主義や[[東洋思想]]への関心が国内で高まるのと同時にベジタリアニズムへの関心もかつてない高まりを見せた。現在、1％から2.8％のアメリカ人が肉、家禽、魚を全く食べないと回答している。普通米国でベジタリアンというと卵と乳製品は摂る[[ベジタリアニズム#種類|オボ・ラクトベジタリアニズム]]を指すことが多いが、中には動物性の食品を一切摂らない[[ベジタリアニズム#種類|ヴィーガン]]もいる。ベジタリアンは[[西海岸]]と[[東海岸]]に比較的多く、中西部や[[アメリカ合衆国南部|南部]]には比較的少ない。また、ベジタリアンの人口は都市部に集中している。ベジタリアンが多い地域では、ベジタリアン向けの料理をメニューに明記しているレストランやベジタリアン料理専門のレストランも見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ人の成人のベジタリアンを対象とした2002年のアンケートによると、ベジタリアンになった最も大きな理由の内訳は「健康のため」が32％、「食肉に添加された化学物質やホルモンを避けたいから」が15％、「肉が嫌い」が13％、「動物が好きだから食べられない」が11％、「動物の権利のため」が10％、「宗教上の理由」が6％、「環境に配慮して」が4％、「減量のため」が3％、「世界の[[飢餓]]問題を解消するため」が1％と回答した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 有機食品 ===&lt;br /&gt;
近年、他の先進国と同じくアメリカ合衆国でも[[有機農法|有機食品]]への関心が高まっている。アメリカ合衆国で生産される食料の約2％は有機農法に従って生産されている。米国国内での過去10年間の有機食品の売り上げは年率20％の成長率を見せている。2005年の有機食品の総売上は128億ドルを計上した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ''詳細は[[アメリカ合衆国の文化]]を参照'' --&amp;gt;&lt;br /&gt;
===大衆消費文化===&lt;br /&gt;
[[Image:Sleepingbeautycastle50.jpg|thumb|220px|right|ディズニーランド]]&lt;br /&gt;
第二次世界大戦以前より今日まで、世界を席巻する主要な大衆消費&amp;quot;文化&amp;quot;の母国としてより強く認識されている。大量に供給され短期間に消費される[[音楽]]や[[テレビ]]番組、[[ハリウッド映画]]などの[[娯楽]]、[[自動車]]、[[ファストフード]]や[[コカ・コーラ]]等に代表される大量消費文化が、世界のどの国にもまして他国にも良くも悪くも影響力を及ぼし得る国である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、近年においては、国内において禁煙運動が進み[[タバコ]]の消費量が減ったことから、アメリカのタバコ製造会社が、中南米や東欧諸国、中華人民共和国などの[[発展途上国]]を中心とした市場開拓を積極的に行っていることや、大手衣類メーカーが製造コスト低減のために、同じく発展途上国において未成年の労働者を大量に使っていたことなどが大きな批判を浴びている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、これらの娯楽・消費文化は、言葉どおり良くも悪くも経済活動と密接に繋がっているため、各国において消費意欲を喚起し、その結果アメリカ経済ひいては各国の経済を牽引する存在となっていることも事実である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====アメリカの消費文化====&lt;br /&gt;
[[Image:Coca Cola sixpack.JPG|thumb|220px|right|コカコーラ]]&lt;br /&gt;
[[Image:StarbucksOdeonParis.jpg|thumb|220px|right|スターバックス]]&lt;br /&gt;
[[Image:Wal-Mart in Madison Heights.jpg|thumb|220px|right|ウォルマート]]&lt;br /&gt;
[[Image:Diamond Limos2.jpg|thumb|220px|right|リンカーン・タウンカー・リムジン]]&lt;br /&gt;
[[Image:KanyeWest.jpg|thumb|220px|right|カニエ・ウェスト]]&lt;br /&gt;
[[Image:Hefner2006.jpg|thumb|220px|right|ヒュー・へフナー]]&lt;br /&gt;
=====食文化=====&lt;br /&gt;
* [[ファストフード]]&lt;br /&gt;
** [[ハンバーガー]]&lt;br /&gt;
*** [[マクドナルド]]&lt;br /&gt;
*** [[バーガーキング]]&lt;br /&gt;
** [[ホットドッグ]]&lt;br /&gt;
** [[コカコーラ]]&lt;br /&gt;
** [[ペプシ]]&lt;br /&gt;
* [[ソウルフード (アフリカ系アメリカ人)|ソウルフード]]&lt;br /&gt;
* [[スターバックス]]&lt;br /&gt;
* [[スーパーマーケット]]&lt;br /&gt;
** [[ウォルマート]]&lt;br /&gt;
** [[Kマート]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=====ファッション=====&lt;br /&gt;
* [[ジーンズ]]&lt;br /&gt;
** [[リーバイス]]&lt;br /&gt;
* [[GAP]]&lt;br /&gt;
* [[ナイキ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=====自動車・バイク=====&lt;br /&gt;
* [[ゼネラル・モーターズ]]（GM）&lt;br /&gt;
** [[キャディラック]]&lt;br /&gt;
* [[フォード]]&lt;br /&gt;
** [[リンカーン (自動車)|リンカーン]]&lt;br /&gt;
* [[リムジン]]&lt;br /&gt;
* [[ハーレー・ダビッドソン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====アメリカの芸術と文化====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=====音楽・映画=====&lt;br /&gt;
* [[MTV]]&lt;br /&gt;
* [[ロックンロール]]&lt;br /&gt;
** [[エルヴィス・プレスリー]]&lt;br /&gt;
* [[ヒップホップ]]&lt;br /&gt;
** [[スヌープ・ドッグ]]&lt;br /&gt;
** [[Gラップ]]&lt;br /&gt;
* [[リベラーチェ]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ映画]]&lt;br /&gt;
** [[アメリカン・ニュー・シネマ映画]]&lt;br /&gt;
* [[シンプソンズ]]&lt;br /&gt;
* [[PLAYBOY]]&lt;br /&gt;
** [[ヒュー・ヘフナー]]&lt;br /&gt;
* [[ストリップ]]&lt;br /&gt;
* [[チアガール]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=====文学=====&lt;br /&gt;
*[[F・スコット・フィッツジェラルド]]&lt;br /&gt;
*[[アーネスト・ヘミングウェイ]]&lt;br /&gt;
*[[レイモンド・チャンドラー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=====芸術=====&lt;br /&gt;
* [[アンディ・ウォーホル]]&lt;br /&gt;
* [[ロイ・リキテンスタイン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===先住民の文化===&lt;br /&gt;
先住民はしばしば開拓者や建国初期のアメリカ人が新大陸で生き延びるのに多大な貢献をしてきた。[[ポカホンタス]]、[[スクァント]]（[[:en:Squanto|Squanto]]）、[[マサソイト]]酋長、[[サカガウィア]]らは米国の建国神話に欠かせない存在である。初期の開拓者の男性たちは未知の土地で生存するためにしばしば先住民のサバイバルの知恵を身につけた。彼らの中には先住民の女性を妻とした者が少なくなく、結果として多くのアメリカ人が先住民の血を引いている。米国の重要な作物である[[トウモロコシ]]、[[カボチャ]]や[[ウリ]]、[[インゲンマメ]]は先住民族が昔から栽培していたものである。現代の防寒着[[アノラック]]やパーカは[[北極圏]]のイヌイットや[[エスキモー]]の防寒着を元にしており、[[カヤック]]や[[カヌー]]は現在でも先住民族の使っていたもののデザインを忠実に受け継いでいる。大平原の先住民族の伝統的な携帯保存食料[[:en:Pemmican|ペミカン]]は世界各国の南極探検隊にも採用された。 [[:en:University at Buffalo, The State University of New York|バッファロー大学]]のドナルド・A・グリンド博士（Donald A. Grinde Jr.）をはじめとする歴史学者らは、アメリカ合衆国の民主制度は[[イロコイ連邦]]の民主制度がモデルとなっていると主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先住民族はしばしば米国のロマンティックなシンボルとして用いられてきた。先住民族に由来する名前は、米国の地名や野生動物の名称によく見られる。[[ニューヨーク]]のタマニー・ホール（[[:en:Tammany Hall|Tammany Hall]]）という[[民主党 (アメリカ)|民主党]][[マシーン (政治)|マシーン]]は先住民の言葉を政治に好んで用いた。近年になって差別的という意見が大多数を占めるまでは、大学や高校などがスポーツチームのマスコットに先住民族のキャラクターを採用することも珍しくなかった。しかし先住民族の存在が国家の利益の障害であると見なされると、彼らの人権は近代化の名のもとに踏みにじられてきた。1960年代に入り、[[公民権運動]]を通して人種差別に対する国民の意識が高まり、[[心霊主義]]や環境主義に対する関心が高まってようやく、先住民族の文化が再評価されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 音楽 ===&lt;br /&gt;
様々な国から来た移民たちが持ち寄った[[楽器]]や[[リズム]]を組み合わせ発生した、古くは[[カントリーミュージック]]や[[ジャズ]]、近年では[[ロックンロール]]や[[ヒップホップ]]などの様々なジャンルの音楽の発祥地、本場として知られており、世界的に著名なアーティストを多数輩出している。また、これらの音楽と踊りを組み合わせたショーである[[ミュージカル]]の本場としても有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、これらの音楽を楽しむために[[レコード]]や[[ジュークボックス]]、[[ドルビーラボラトリーズ|ドルビー]]や[[iPod]]などの様々な音響機器、技術を生み出している他、[[MTV]]やクラシックチャンネルなどの音楽専用[[ケーブルテレビ]]チャンネルも生み出すなど、音楽とその関連業種は現在においても大きな外貨獲得元となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===科学技術===&lt;br /&gt;
軍や軍需産業による先端技術開発への投資が活発な他、大学などの研究機関が行う各種研究に対しての企業による寄付なども盛んに行われていることから、先端技術や種々の学問においては世界的に見て一、二を争うものが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[第二次世界大戦]]を通じて、政治的・人種的迫害を受けたヨーロッパの知識人の多くがアメリカに移住したため、戦後はアメリカがヨーロッパに取って代わり世界の先端的な科学技術や学問の中心になったという事実がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スポーツ ==&lt;br /&gt;
[[画像:MLB game.JPG|thumb|right|220px|メジャーリーグの試合光景：[[イチロー]]（[[シアトル・マリナーズ]]）対[[石井一久]]（[[ロサンゼルス・ドジャース]]）]]&lt;br /&gt;
[[Image:NASCAR practice.jpg|thumb|right|220px|NASCAR]]&lt;br /&gt;
[[Image:World Wrestling Entertainment.jpg|thumb|220px|right|WWEで戦うTAJIRI]]&lt;br /&gt;
アメリカ独自の[[スポーツ]]で、アメリカ以外における競技人口が少ない[[アメリカンフットボール]]（[[NFL]]）、[[アングロアメリカ]]と[[中南米]]の一部、[[東アジア]]に競技人口が集中している[[野球]]（[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]）、[[北半球]]の高緯度地方に競技人口が集中している[[アイスホッケー]]（[[NHL]]）や世界的に競技人口が多い[[バスケットボール]]（[[NBA]]）のトップリーグはアメリカ4大スポーツと呼ばれ、これらのスポーツは[[プロ]]、[[アマチュア]]を問わず人気が高い。他にも[[プロレス]]（[[WWE]]）や[[総合格闘技]]（[[UFC]]）、[[モータースポーツ]]（[[NASCAR]]や[[インディカー]]）、[[ゴルフ]]などの人気が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
反面、[[ヨーロッパ]]や[[南アメリカ]]、[[アジア]]やアフリカなど世界中で人気が高く、世界的なスポーツの代表格である[[サッカー]]や、同じくヨーロッパや南アメリカを中心に世界中で高い人気を誇る[[フォーミュラ1]]などの人気が低いのが特徴である&amp;lt;!--基本的に自国、もしくは自国の選手が一番の地位につけないスポーツは人気がないと言われている--&amp;gt;&amp;lt;!--サッカーについては、有望な若手をアメフトに取られるから弱いのか、自国の選手が一番の地位につけないから人気がないのか、どちらが原因でどちらが結果であるのかが難しいところです。サッカーは女の子にはとても人気のある（参加者の多い）スポーツであり、高校、大学には女子フットボールのプログラムが無いためか、米国の女子プロサッカーおよびサッカー選手は男子よりも評価が高いのです。--&amp;gt;（ただしサッカーにおいては、アメリカ代表は[[FIFAランキング]]で上位にランクされている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、近年はメジャーリーグやプロレス、モータースポーツなどで日本人選手が多数活躍しており、新人賞やその他の賞を獲得するほど活躍している選手も多い。&lt;br /&gt;
2015年は日本に３連勝した&lt;br /&gt;
女子サッカーと女子バレーボールと男子野球で&lt;br /&gt;
''[[アメリカ合衆国のスポーツ]]も参照。''&lt;br /&gt;
===アメリカで活躍している日本人選手===&lt;br /&gt;
*[[野茂英雄]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[松井秀喜]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[イチロー]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[松坂大輔]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[城島健司]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[松井稼頭央]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[田口壮]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[井口資仁]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[井川慶]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[岩村明憲]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[大家友和]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[大塚晶則]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[斎藤隆]]（メジャーリーグ）&lt;br /&gt;
*[[田臥勇太]]（[[NBADL]]）&lt;br /&gt;
*[[福藤豊]]（NHL）&lt;br /&gt;
*[[松浦孝亮]]（モータースポーツ）&lt;br /&gt;
*[[TAJIRI]]（WWE）&lt;br /&gt;
*[[船木勝一]]（WWE）&lt;br /&gt;
*[[鈴木健三]]（WWE）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 祝祭日 ==&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国の祝祭日は、州によって異なり、下記は一般的な祝祭日を記載したものである。日本における祝祭日と比べると必ずしも全ての祝祭日が休日となるとは限らない傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{|border=&amp;quot;1&amp;quot; frame=&amp;quot;box&amp;quot; rules=&amp;quot;all&amp;quot; align=&amp;quot;center&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ '''祝祭日'''&lt;br /&gt;
|-bgcolor=&amp;quot;#efefef&amp;quot;&lt;br /&gt;
!日付||日本語表記||現地語表記||備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1月]] 第3月曜日||nowrap|[[マーティン・ルーサー・キング誕生日]]||nowrap|Martin Luther King Day||[[公民権運動]]の指導者の[[マーティン・ルーサー・キング]]の誕生日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2月]] 第3月曜日||[[大統領の日]]||President's Day||昔の大統領、特に[[ジョージ・ワシントン|ワシントン]]や[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン]]を称える日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[5月]] 最終月曜日||[[戦没将兵追悼記念日]]||Memorial Day||戦死した軍人を追悼する日。伝統的に夏の始まりを示す&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[7月4日]]||[[アメリカ独立記念日|独立記念日]]||Independence Day&amp;lt;br/&amp;gt;慣用：&amp;quot;the 4th of July&amp;quot;||連合13州による全会一致の宣言（通称[[アメリカ独立宣言]]）を採択した日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[9月]] 第1月曜日||[[労働者の日]]||Labor Day||労働者の功績を称える日。伝統的に夏の終わりを示す。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[10月]] 第2月曜日||[[コロンブス・デー]]||Columbus Day||アメリカを「発見」した[[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]を称える日。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[11月11日]]||[[復員軍人の日]]||Veterans Day||アメリカのために働いた軍人を称える日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|nowrap|[[11月]] 第4木曜日||[[感謝祭]]||Thanksgiving Day||秋の収穫に感謝する日。伝統的に休暇シーズンの始まりを示す。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[12月25日]]||[[クリスマス]]||Christmas||[[イエス・キリスト]]の生誕を祝う日。冬期休暇を祝う日でもある&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 軍事 ==&lt;br /&gt;
{{see also|アメリカ軍}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Iraq-m1 abrams.jpg|thumb|220px|right|イラクに展開する陸軍の[[M1エイブラムス]][[戦車]]]]&lt;br /&gt;
世界最大の[[軍事国家]]で、世界全体の軍事費の40%をアメリカ1国だけで占めており、[[軍需産業]]はアメリカの最も重要な産業の1つとなっている。また、日本やドイツ、[[大韓民国]]、[[サウジアラビア]]、[[トルコ]]、[[イギリス]]などの同盟関係にある国に[[基地]]を持つ。強大な軍事力を持つアメリカ軍の基地があることが、これらの国とその周辺国の軍事バランスを保つことに大きく貢献している一方、それらの基地に駐屯する兵士による[[レイプ]]や[[強盗]]などの凶悪[[犯罪]]が後を絶たず大きな問題となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]11月現在、[[イラク]]国内や[[アフガニスタン]]国内で現地の反政府勢力や武装集団と事実上の実戦状態にあり、特にイラクには現在も10万人以上の兵士が駐屯し、ほぼ毎日武装勢力によるテロ等で戦死者が出ている。[[2007年]]1月にはアメリカ軍の戦死者が3000人に達し、同時多発テロの犠牲者の人数を超えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===実戦部門=== &lt;br /&gt;
[[Image:P-51 F-15.jpg|thumb|220px|right|空軍のP-51とF-15戦闘機]]&lt;br /&gt;
*[[アメリカ陸軍|陸軍]]&lt;br /&gt;
*[[アメリカ海軍|海軍]]&lt;br /&gt;
*[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]&lt;br /&gt;
*[[アメリカ空軍|空軍]]&lt;br /&gt;
*[[アメリカ沿岸警備隊|沿岸警備隊]]&lt;br /&gt;
**沿岸警備隊は、平時においては、[[アメリカ国土安全保障省|国土安全保障省]]の管轄下にあるが、戦時には、[[アメリカ国防総省|国防総省]]の指揮を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===その他===&lt;br /&gt;
[[Image:USNavyROTC.jpg|thumb|220px|right|海軍士官候補生の卒業式]]&lt;br /&gt;
* 最年少の兵士は18歳である。志願するには高等学校卒業程度の学力を有する事を要する。&lt;br /&gt;
* アメリカ合衆国の[[市民権]]（[[国籍]]）あるいは[[永住権]]を持ち、同国内に居住している18～26歳までの男性は、「Selective Service System」と呼ばれる選抜徴兵制度に、郵便局で登録することが義務付けられている。&lt;br /&gt;
* 大学で一般学生に混じって授業を受けながら、同時に軍事訓練を積み軍人教育を受ける[[士官]]候補生課程が存在する。卒業後数年間は軍役に就き、大学在学中も非常事態時には召集される可能性がある。在学中は学費全額支給に加え奨学金数百ドルを受け取り、卒業後は士官レベルで入隊することができるため奨学金の競争率は高い。&lt;br /&gt;
* 2005年度の軍事費（予算・見積額）は、4,236 億ドル。&lt;br /&gt;
**GDP比は、3.2%であり、国防総省の支出した金額は、2003年の歳出の43%を占める。&lt;br /&gt;
* 兵器の輸出も世界の47%を占め世界一であり、以下2位[[ロシア]]18%、3位[[フランス]]、4位ドイツ、5位[[イタリア]]、6位[[中華人民共和国]]、7位イギリスが続く（2000年-2003年）。&lt;br /&gt;
** 資料[http://www.fas.org/man/crs/ CRS]&amp;gt;[http://www.fas.org/man/crs/#sec General National Security]&amp;gt;[http://www.fas.org/man/crs/RL32547.pdf Conventional Arms Transfers](PDFファイル）&amp;gt;P25,28&lt;br /&gt;
* 世界の軍需企業上位100社のうちアメリカ企業は42社(2002年)&lt;br /&gt;
** 資料[http://www.sipri.org/ ストックホルム国際平和研究所]&amp;gt;..&amp;gt;[http://web.sipri.org/contents/milap/milex/aprod/sipridata.html 軍需企業トップ100]&amp;gt;[http://www.sipri.org/contents/milap/milex/aprod/top100/bycountry.htm 国別]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Albatross birds at Northwest Hawaiian Islands National Monument, Midway Atoll, 2007March01.jpg|thumb|220px|right|[[:en:Papahānaumokuākea Marine National Monument|パパハーナウモクアーケア海洋国定公園]]と[[アホウドリ]]、ハワイ州]]&lt;br /&gt;
== 自然環境 ==&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国では、在来種だけで約17,000種の植物が確認されており、[[カリフォルニア州]]だけで5,000種の植物が現存する。 世界で最も高い木（[[セコイア]]）、最も大きな木（[[セコイアデンドロン]]）、最も古い木（[[:en:Bristlecone pine|ブリッスルコーンマツ]]）は同州に存在する。動物界では400種以上の哺乳類、700種以上の鳥類、500種以上の爬虫両生類、90,000種以上の昆虫が確認されている。[[ベーリング海峡]]で[[ユーラシア大陸]]と、[[パナマ地峡]]で[[南アメリカ大陸]]とつながっているため、[[旧北区]]と[[新熱帯区]]とは同じ種や近縁の種を共有している。[[ロッキー山脈]]は低地の生物にとって[[遺伝子流動]]の障害となっており、ロッキー山脈の東と西では異なる種の動植物が分布する。[[熱帯]]から北極圏にまたがる国土のため、米国は多様な動植物相を持つ。[[ハワイ諸島]]とカリフォルニア州は世界的な[[生物多様性]]のホットスポットである。しかし、約6,500種の[[外来種]]が作為的あるいは非作為的に持ち込まれて帰化しており、少数の脅威的外来種が固有の動植物の生存を脅かし、甚大な経済的被害をもたらしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Limeyellowstone.jpg|thumb|220px|right|イエローストーン国立公園]]&lt;br /&gt;
米国における動植物の保護の歴史は長い。[[1872年]]に[[イエローストーン国立公園]]が世界初の国立公園に制定されて以来、連邦政府は57の国立公園とその他の国有地を保護してきた。一部の地域では、人の影響を受けていない環境を長期的に保存するために原野地域（[[:en:Wilderness|wilderness]] areas）が指定されている。連邦政府は国土の28.8％にあたる総面積1,020,779マイル（2,643,807&amp;amp;nbsp;km²）を保護しており、大部分は国立公園や国定森林として保護されているが、一部は[[原油]]や[[天然ガス]]、鉱産資源の採掘や牛の放牧のために賃貸されている。[[1973年]]には固有の動植物と生息地を保護するために絶滅危惧種保護法（[[:en:Endangered Species Act|the Endangered Species Act]]）が制定された。この法律に従って絶滅危惧種と絶滅危機種の現状を観察し、種の存続に不可欠な生息地を保護する機関が米国鳥獣保護局（The [[:en:U.S. Fish and Wildlife Service|U.S. Fish and Wildlife Service]]）である。また、個々の州も独自に種と生態系の保全を行っており、連邦と州の協力を促す制度も存在する。鳥獣保護局や国立公園局、森林局などを統括する[[:en:United States Department of the Interior|内務省]][[:en:United States Secretary of the Interior|長官]]は大統領に任命されるため、生態系の保全も行政の他の部門と同じく政権の優先事項に大きく左右される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年現在、アメリカ合衆国の[[化石燃料]]の消費による[[二酸化炭素]]の排出量は世界一である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===動植物===&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--書きかけです&lt;br /&gt;
==== ほ乳類 ====&lt;br /&gt;
[[北米の哺乳類一覧]]&lt;br /&gt;
==== 爬虫・両生類 ====&lt;br /&gt;
[[北米の爬虫類一覧]]&lt;br /&gt;
[[北米の両生類一覧]]&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
==== 鳥類 ====&lt;br /&gt;
国鳥は[[ハクトウワシ]] bald eagle。詳細については、[[米国の野鳥一覧]]を参照。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
==== 魚類 ====&lt;br /&gt;
[[北米の魚類一覧]]&lt;br /&gt;
==== 無脊椎動物 ====&lt;br /&gt;
[[北米のチョウ一覧]]&lt;br /&gt;
[[北米の昆虫一覧]]--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[北米]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国関係記事の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国の地方行政区画]]&lt;br /&gt;
* [[全米ライフル協会]]&lt;br /&gt;
* [[ハクトウワシ]]（国鳥）&lt;br /&gt;
* [[CIA]]&lt;br /&gt;
* [[FBI]]&lt;br /&gt;
* [[イロコイ連邦]]&lt;br /&gt;
*[[汎アメリカ主義]]&lt;br /&gt;
*[[アメリカ帝国]]&lt;br /&gt;
*[[東京アメリカンクラブ]]&lt;br /&gt;
*[[アメリカンスクール・イン・ジャパン]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国の通信]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国の交通]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国の国際関係]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アメリカ合衆国を舞台にした作品 ==&lt;br /&gt;
===映画===&lt;br /&gt;
[[:Category:アメリカ合衆国の映画作品]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ゲーム===&lt;br /&gt;
*[[GUILTY GEAR]]（ソルのステージが[[自由の女神像]]）&lt;br /&gt;
*[[タイムクライシス4]]（[[サンフランシスコ]]、[[ワイオミング州]]他が舞台。また敵の[[アメリカ軍|同国の軍]]の架空の部隊ハーメルン大隊が侵略しようとしていた。）&lt;br /&gt;
桃太郎電鉄USA&lt;br /&gt;
パワフルメジャーリーグ&lt;br /&gt;
(両方ともコナミ)&lt;br /&gt;
くにおドッチボール。Gacktがやった時にタクミが謎の軍団の事裏面と言っていた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commons&amp;amp;cat|United States|United States}}&lt;br /&gt;
* 政府&lt;br /&gt;
** [http://www.usa.gov/ アメリカ合衆国政府] {{en icon}}&lt;br /&gt;
** [http://www.house.gov/ アメリカ合衆国下院] {{en icon}}&lt;br /&gt;
** [http://www.senate.gov/ アメリカ合衆国上院] {{en icon}}&lt;br /&gt;
** [http://www.whitehouse.gov/ ホワイトハウス] {{en icon}}&lt;br /&gt;
** [http://www.supremecourtus.gov/ アメリカ合衆国最高裁判所] {{en icon}}&lt;br /&gt;
** [http://japan.usembassy.gov/tj-main.html 在日米国大使館] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
*** [http://aboutusa.japan.usembassy.gov/ アメリカ早分かり]（在日米国大使館）{{ja icon}}&lt;br /&gt;
* 日本政府&lt;br /&gt;
** [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/ 日本外務省 - アメリカ合衆国] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
** [http://www.us.emb-japan.go.jp/j/html/file/index.html 在米日本大使館] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
* 観光&lt;br /&gt;
** {{Wikitravel|li=n}}&lt;br /&gt;
** [http://www.discoveramerica.com/jp/ アメリカ合衆国公式観光ウェブサイト] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
* その他&lt;br /&gt;
** [http://www.jetro.go.jp/world/n_america/us/ JETRO - アメリカ合衆国]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アメリカ}}&lt;br /&gt;
{{国連安全保障理事会理事国}}&lt;br /&gt;
{{G8}}&lt;br /&gt;
{{OECD}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あめりかかつしゆうこく}}&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:海洋国家]]&lt;br /&gt;
[[Category:G8加盟国]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%9C%9D&amp;diff=307585</id>
		<title>ヴィクトリア朝</title>
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				<updated>2015-10-13T03:48:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Image:Victoria-sm.jpg|350px|thumb|[[ヴィクトリア女王]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''ヴィクトリア朝'''（ヴィクトリアちょう、''Victorian era''）は、[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]が[[イギリス]]を統治していた[[1837年]]から[[1901年]]の期間を指す。この時代は[[イギリスの歴史|イギリス史]]において[[産業革命]]による経済の発展が成熟に達した[[イギリス帝国]]の絶頂期であるとみなされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、ここで用いる「朝」は&amp;quot;時代&amp;quot;の意であり、「王朝」を指し示す物ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概観==&lt;br /&gt;
ヴィクトリア朝は上のような社会の変化の観点から、'''初期'''（1837年から[[1850年]]）、'''中期'''（1850年から[[1870年代]]）、'''後期'''（1870年代から1901年）の3期に分類されることが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期は、ヴィクトリア朝以前の[[1832年]]に行われた[[第一次選挙法改正]]や[[1846年]]の[[穀物法]]廃止などに見られる様に、産業資本家の勢力が伸張した時代である。中期には[[1860年]]の[[英仏通商条約]]、および[[ウィリアム・グラッドストン|グラッドストン]]首相のもとでの[[自由貿易]]体制が整えられ、イギリス帝国は絶頂期を迎えた。後期には、イギリス国内の生産設備老朽化や、資本集中の遅れから[[重化学工業]]への転換が遅れた一方、[[アメリカ合衆国]]や[[ドイツ]]などの工業力が向上し、イギリスの経済覇権に揺らぎが見え始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==政治==&lt;br /&gt;
[[帝国主義]]政策は[[植民地]]紛争の増加をもたらし、[[ボーア戦争]]、[[アフガン戦争]]などが発生した。国内において政治改革と[[参政権]]の拡大によって政治方針は次第に[[リベラル]]になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴィクトリア初期の下院は[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]と[[保守党 (イギリス)|保守党]]の二大[[政党]]により支配されていた。[[1850年代]]の後半にはホイッグが[[自由党 (イギリス)|自由党]]に改組されている。[[メルボルン子爵ウィリアム・ラム|メルボルン卿]]、[[ロバート・ピール|サー・ロバート・ピール]]、[[ダービー伯エドワード・ジョフリー・スミス・スタンレー|ダービー卿]]、[[パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル|パーマストン卿]]、[[ウィリアム・グラッドストン]]、[[ベンジャミン・ディズレーリ]]及び[[ロバート・ガスコイン＝セシル (第3代ソールズベリー侯)|ソールズベリー卿]]といった多くの著名な政治家がこれらの党を率いた。[[アイルランド]]への自治権付与に関する問題がヴィクトリア後期で大きな政治問題となり、グラッドストンや[[チャールズ・スチュワート・パーネル|パーネル]]などの政治家が問題の解決をはかった。[[アイルランド問題]]の根本的な解決は[[第一次世界大戦]]後の[[アイルランド自由国]]建国まで持ち越されることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パーマストン首相は[[バーミンガム]]で購入された爆弾による[[フランス]]皇帝[[ナポレオン3世]]の暗殺計画であるオルシーニの陰謀の処理を巡って[[1858年]]1月に辞任に追い込まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1866年]]7月、[[初代ラッセル伯ジョン・ラッセル|ラッセル]]の[[イギリスの首相|首相]]辞任を要求した[[ロンドン]]の怒れる群集が[[ハイドパーク]]から警察によって排除された。彼らは鉄の[[レール]]をはがし、花壇を踏み荒らした。このような騒擾により、ダービーとディズレーリはさらなる議院改革の必要性を確信する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1875年]]、[[エジプト]]がその負債を支払う資金を捻出させるため、英国は[[スエズ運河]]のエジプト領土を購入する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1882年]]、英軍が最重要貿易路であり[[インド]]への通路でもある[[スエズ運河]]を囲む地域を占領したのち、エジプトはイギリスの[[保護国|保護領]]となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1884年]]、ロンドンの中流知識階層の一団が[[社会主義]]の発展を目指して[[フェビアン協会]]を設立。クエーカー・エドワード・ピーズ17歳、ヘイブロック・エリス25歳及びエディス・ネスビット26歳が参加していた。[[ジョージ・バーナード・ショー]]、[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H.G.ウェルズ]]は後にこの会に参加することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1887年]][[11月13日]]日曜日、多くが社会主義者と失業者から成る数万人の群衆が[[トラファルガー広場]]に集結し、政府に対してデモを行った。市警察長官サー・[[チャールズ・ウォーレン]]は武装した兵士と2000名の警察官に処理を命じた。暴動が発生し、数百人の負傷者と2人の死亡者が発生した。この事件は「血の日曜日」事件と名づけられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件==&lt;br /&gt;
[[Image:Crystal Palace interior.jpg|thumb|200px|1851年の万国博覧会会場となった[[水晶宮]]の内部]]&lt;br /&gt;
[[1851年]]、世界初の[[国際博覧会|万国博覧会]]となった[[ロンドン万国博覧会 (1851年)|ロンドン万国博覧会]]がロンドンの[[ハイド・パーク (ロンドン)|ハイド・パーク]]で開催され、国際的な注目を集め成功裏に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1888年]]、「[[切り裂きジャック]]」として知られる連続殺人犯がロンドンの路上の[[娼婦]]を殺し死体を損壊する事件がおき、世界的に[[マスメディア|メディア]]を騒がせ、ヒステリーを生んだ。新聞はこの[[死神]]を利用して、[[失業者]]の苦境に注目を集め、[[警察]]と政治的指導者を攻撃した。殺人鬼は結局つかまらなかったが、この事件はサー・[[チャールズ・ウォーレン]]を辞任に追い込んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both;&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==科学、技術及び工学==&lt;br /&gt;
[[Image:Bristol csb from bw evening.jpg|thumb|200px|[[クリフトン吊り橋]]&amp;lt;Br&amp;gt;[[ブリストル]]郊外　1864年完成]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[産業革命]]は既に勢いづいていたが、[[工業化]]の効果が[[20世紀]]の[[大衆社会]]を生み出すのはまさにこの時期である。産業革命は[[イザムバード・キングダム・ブルネル]]らによって国中の[[鉄道]]網を発達させ、[[工学]]に大きな前進をもたらした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴィクトリア朝では今日のように[[科学]]が学問分野となるまでに成長した。[[大学]]における科学の知的専門職が増えると共に、ヴィクトリア朝の多くの紳士たちが[[博物学]]に身を捧げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[チャールズ・ダーウィン]]の『[[種の起源]]』が[[1859年]]に発刊され、民衆のものの考え方に非常に大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1863年]]1月、グラッドストン総理大臣が[[ロンドン地下鉄]]を開通させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1882年]]、[[白熱電球|白熱電灯]]が[[ロンドン]]の街路に導入された。しかしあらゆる場所に行き渡るには、なお何年もの時間がかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==文化==&lt;br /&gt;
[[Image:JWW TheLadyOfShallot 1888.jpg|thumb|200px|『シャロットの女』[[ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス]]作&amp;lt;Br&amp;gt;[[アルフレッド・テニスン]]の詩を基に創られた]]&lt;br /&gt;
[[画像:Turner, J. M. W. - The Fighting Téméraire tugged to her last Berth to be broken.jpg|thumb|200px|戦艦テメレール号　[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ジョゼフ・ターナー]]作&amp;lt;Br&amp;gt;1838年]]&lt;br /&gt;
ヴィクトリア女王の治世1837年から1901年は英国の黄金期であるばかりでなく、英国の美術にとっても黄金期、爛熟期であった。公私とも円満だった女王と[[アルバート (ザクセン＝コーブルク＝ゴータ公子)|アルバート公]]夫妻に象徴されるように、この時代には家庭の平和と、いや増す繁栄があり、それらが絵画が花開く条件につながっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時代は[[ジョン・コンスタブル|コンスタブル]]、[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ターナー]]、[[エドウィン・ランドシーア|ランドシーア]]、[[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ|ロセッティ]]、[[ジョン・エヴァレット・ミレー|ミレー]]、[[エドワード・バーン＝ジョーンズ|バーン＝ジョーンズ]]、[[フレデリック・レイトン|レイトン]]、[[ジョージ・フレデリック・ワッツ|ワッツ]]及び[[ジェームズ・ホイッスラー|ホイッスラー]]らを生んだ。彼らはヴィクトリア女王の治世の間、生存していた（コンスタブルは例外で、ヴィクトリア女王の即位の年に死亡した）。およそ11,000名の一般に認められた画家が誕生した。凡庸な者も多かったが、高い才能と美術的な完成度を持つものも数多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時代は膨大な数の美術品を生み出し、一般大衆が[[展覧会]]に殺到した。その中には絵画の立派なコレクションを持つ富裕層もいた。ヴィクトリア女王は英国の芸術家を後援した。数多くの芸術家が貴族と同等の人間関係をもって上流社会と交わるという名誉ある地位を占めた。その結果、ヴィクトリア朝の英国は、これに先立ついかなる偉大な芸術時代とも比肩する創造性の開花を見ることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴィクトリア朝は多くの人に、感傷、過度の上品さ、装飾過剰を連想させる。しかし、ヴィクトリア朝の画家はいまだかつてない産業革命の成果と、全面的な社会や道徳観の変化をうまく描き出した。[[チャールズ・ディケンズ|ディケンズ]]や[[ジョージ・エリオット]]の[[小説]]、[[オスカー・ワイルド]]の[[演劇]]、及び[[アルフレッド・テニスン|テニスン]]や[[ロバート・ブラウニング|ブラウニング]]の詩は、ヴィクトリア朝の画家に相手役を持っていた。この時期はエスタブリッシュメントと[[進歩主義]]的趣味の分離が始った。進歩主義は[[アバンギャルド]]の近代的な思想を生み出す。芸術家のグループが拡大し、[[ラファエル前派]]、Clique、[[セントジョーンズウッド派]]、[[クランブルックコロニー]]、[[ニューリン学派]]として知られる集団が生まれた。ラファエル前派は、詳細と真実は、人生と芸術の両方において重要だと信じた。絵画において人と物は理想化されてはならない、いぼやしみの全てに至るまで実物のリアリティーを反映していなければならない、と考えた。一部の画家は単に独立を好み、コロニーや団体に所属するのを避けた。英国の芸術においては、多様性と[[個人主義]]こそが魅力を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴィクトリア朝の画家たちは、さまざまな社会的・教育的背景を持つ幅広い層にも理解できるように作品を作ることを選んだ。これにより、娯楽と共に文化的向上を提供したのである。ヴィクトリア朝の芸術は大衆的芸術だった。絵画は、テクノロジーが絵画に競合するアトラクションを提供する今日そうである以上に、社会でより幅広く議論されていたのだった。ヴィクトリア朝芸術の並外れた豊かさ、多様性、複雑さは、裕福で複雑な社会を反映していた。絵画は、後にヴィクトリア時代として知られることになる英国の富と力の絶頂期の理想、社会構造、上昇志向を背景としていなければならなかった。産業革命も芸術に強い衝撃を与えた。[[ロマン主義]]と[[リアリズム]]はどちらも、この時代の力強い変化への反応と考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴィクトリア朝における特記すべき文化の項目は以下のとおり：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===文学===&lt;br /&gt;
====小説====&lt;br /&gt;
*[[エリザベス・ギャスケル]]&lt;br /&gt;
*[[ジョージ・ギッシング]]&lt;br /&gt;
*[[ジョージ・エリオット]]&lt;br /&gt;
*[[トマス・ラブ・ピーコック]]&lt;br /&gt;
*[[チャールズ・ディケンズ]]&lt;br /&gt;
*[[アーサー・コナン・ドイル]]&lt;br /&gt;
*[[ウィルキー・コリンズ]]&lt;br /&gt;
*[[オスカー・ワイルド]]&lt;br /&gt;
*[[シャーロット・ブロンテ]]（カラー・ベル）&lt;br /&gt;
*[[エミリー・ブロンテ]]（エリス・ベル）&lt;br /&gt;
*[[アン・ブロンテ]]（アクトン・ベル）&lt;br /&gt;
*[[ウォルター・スコット]]&lt;br /&gt;
*[[ウィリアム・メイクピース・サッカレー]]&lt;br /&gt;
*[[ルイス・キャロル]]&lt;br /&gt;
*[[ロバート・ルイス・スティーブンソン]]&lt;br /&gt;
*[[トマス・ハーディ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====詩====&lt;br /&gt;
*[[アルフレッド・テニスン]]&lt;br /&gt;
*[[ウィリアム・モリス]]&lt;br /&gt;
*[[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ]]&lt;br /&gt;
*[[アルジャーノン・チャールズ・スインバーン]]&lt;br /&gt;
*[[マシュー・アーノルド]]&lt;br /&gt;
*[[クリスティーナ・ロセッティ]]&lt;br /&gt;
*[[エミリー・ブロンテ]]&lt;br /&gt;
*[[ライオネル・ジョンソン]]&lt;br /&gt;
*[[アーネスト・ダウソン]]&lt;br /&gt;
*[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W.B.イェイツ]]（若い時の）&lt;br /&gt;
*[[トマス・ハーディ]]&lt;br /&gt;
*[[ジェラルド・マンリー・ホプキンス]]&lt;br /&gt;
*[[A.E.ハウスマン]]&lt;br /&gt;
*[[ロバート・ブラウニング]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論・随筆====&lt;br /&gt;
*[[トーマス・カーライル]]&lt;br /&gt;
*[[マシュー・アーノルド]]&lt;br /&gt;
*[[ジョン・ラスキン]]&lt;br /&gt;
*[[ジョン・スチュアート・ミル]]&lt;br /&gt;
*[[ウォルター・ペイター]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===演劇===&lt;br /&gt;
*[[メアリ・シェリー]]の『[[フランケンシュタイン]]』及び吸血鬼小説の新しいジャンルの翻案ものの舞台。1849年、フランケンシュタインと吸血鬼の物語は最終的に『フランケンシュタイン;または吸血鬼の犠牲者』として融合する。1887年、フランケンシュタインの怪物と吸血鬼が北極まで追跡されるという演劇『モデルマン』がロンドンで公演される。&lt;br /&gt;
*オスカー・ワイルドのウィットとドラマ。『[[真面目が肝心]]』など。&lt;br /&gt;
*[[ヘンリック・イプセン]]のロンドン公演に関する論争。[[ジェームズ・ジョイス]]や[[ジョージ・バーナード・ショー]]らはこの冷酷なノルウェー人の新しいドラマチックな様式を支持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===音楽===&lt;br /&gt;
*ギルバートと[[アーサー・サリヴァン|サリバン]]のオペレッタ&lt;br /&gt;
*[[エドワード・エルガー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===美術===&lt;br /&gt;
*建築における[[ゴシック様式]]の復興&lt;br /&gt;
*[[ジョン・ラスキン]]、英国における最初の美術批評家&lt;br /&gt;
*美術における[[ラファエル前派]]（一部はラスキンによって触発された）&lt;br /&gt;
*The Clique&lt;br /&gt;
*[[ウィリアム・モリス]]の[[アーツ・アンド・クラフツ]]運動&lt;br /&gt;
*アメリカの画家[[ジェームズ・マクニール・ホイッスラー]]の美的観念の影響&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==宗教と道徳==&lt;br /&gt;
[[Image:Punch-A Court for King Cholera.png|thumb|250px|right|コレラ王の宮廷&amp;lt;Br&amp;gt;『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』　1852年]]&lt;br /&gt;
信仰においては:&lt;br /&gt;
*ヴィクトリア女王の治世の初期に起こった[[オックスフォード運動]]／トラクト運動&lt;br /&gt;
*[[1865年]]、[[ウィリアム・ブース]]が[[ロンドン]]で[[救世軍]]を始める。&lt;br /&gt;
*[[1890年代]]に[[神智学]]やその他の[[オカルト]]趣味が勃興。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴィクトリア朝は今日では多くの矛盾の一つと考えられている。幅広い層で威儀や節度が洗練されていったことと、嘆かわしい現象の拡大は、矛盾しているように見える。こうした現象には、[[売春]]、[[児童労働]]、および、今日では[[労働者]]階級の搾取や[[帝国主義]]による植民地の搾取と考えられる活動にほとんどの基盤を置く経済を含む。このため、''ヴィクトリア朝的価値観''という表現は、長短あわせ持つ、という意味で使われることがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
''ヴィクトリア朝的''という用語は、非常に厳しいがしばしば偽善的な道徳的基準、などといった幅広い意味合いを持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==食材==&lt;br /&gt;
一年間を通しての主な食材は以下の通りである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1月:&amp;lt;魚&amp;gt;ニゴイ/欧州産のヒラメ/コイ/マダラ/カニ/イセエビ/ウグイ(コイ科の淡水魚)/ウナギ/カレイ/モンツキダラ/ニシン/ヤツメウナギ/ ロブスター/ムール貝/カキ/パーチ(スズキに近いパーチ科の淡水魚)/カワカマス/プレイス(ツノガレイ属の魚)/クルマエビ/エビ/ガンギエイ/キュウリウオ /シタビラメ/スプラットイワシ/チョウザメ/テンチ/サカタザメ/大型ヒラメ/ホワイティング(タラ科の食用魚)&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/肥育羊肉/羊肉/豚肉/子牛肉/鹿肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;肥育鶏/鶏/肥育鳩/1歳未満の若雌鳥/飼兎/七面鳥&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;ライチョウ/野兎/ヤマウズラ/キジ/タシギ/野ガモなどの野禽※野生の鶏との訳も/ヤマシギ&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;ビート/ブロッコリー/キャベツ/ニンジン/セロリ/チャービル/ カラシナ(クレソン)/促成栽培されたキュウリ/エンダイブ(キクヂシャ)/レタス/サトウニンジン/ジャガイモ/サボイキャベツ/ホウレンソウ/カブ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;リンゴ/ブドウ/カリン/木の実(ナッツ)/オレンジ/ナシ/クルミ/砂糖漬けされた果物(外国産)/アーモンドやレーズンなどのドライ・フルーツ/フレンチ・プラム又はスペイン・プラム/プルーン/イチジク/ナツメヤシ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2月:&amp;lt;魚&amp;gt;ニゴイ/欧州産ヒラメ/コイ/マダラ(まだ買えるかもしれないが1月時よりは劣る)/カニ/イセエビ/ ウグイ/ウナギ/カレイ/モンツキダラ/ニシン/ヤツメウナギ/ロブスター/ムール貝/カキ/パーチ(スズキに近いパーチ科の淡水魚)/カワカマス/ツノガレイ/クルマエビ/ エビ/ガンギエイ/キュウリウオ/シタビラメ/スプラットイワシ/チョウザメ/テンチ/サカタザメ/大型ヒラメ/ホワイティング(タラ科の食用魚)&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/肥育羊肉/羊肉/豚肉/子牛肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;肥育鶏/雛鳥/小鴨/鳩(肥育又は野生)/卵を伴った1歳未満の若雌鳥/七面鳥/野鳥(この時期だけのもの)&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;ライチョウ/野兎/ヤマウズラ/キジ/タシギ/ヤマシギ&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;ビート/ブロッコリー(紫、白)/芽キャベツ/ キャベツ/ニンジン/セロリ/チャービル/カラシナ(クレソン)/促成栽培されたキュウリ/エンダイブ(キクヂシャ)/ インゲンマメ/レタス/サトウニンジン/ジャガイモ/サボイキャベツ/ホウレンソウ/ カブ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;リンゴ(ゴールデン又はオランダ産青リンゴ)/ブドウ/カリン/ 木の実(ナッツ)/オレンジ/ナシ/クルミ/アーモンドやレーズンなどのドライ・フルーツ(外国産)/フレンチ・プラム又はスペイン・プラム/プルーン/イチジク/ナツメヤシ/砂糖漬けされた果物&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月:&amp;lt;魚&amp;gt;ニゴイ/欧州産ヒラメ/コイ/カニ/イセエビ/ウグイ(コイ科の淡水魚)/ウナギ/カレイ/ モンツキダラ/ニシン/ヤツメウナギ/ロブスター/ムール貝/カキ/パーチ(スズキに近いパーチ科の淡水魚)/カワカマス/ プレイス(ツノガレイ属の魚)/クルマエビ/エビ/ガンギエイ/キュウリウオ/シタビラメ/スプラットイワシ/チョウザメ/テンチ/ サカタザメ/大型ヒラメ/ホワイティング(タラ科の食用魚)&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/肥育羊肉/羊肉/豚肉/子牛肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;肥育鶏/雛鳥/小鴨/鳩(肥育又は野生)/卵を伴った1歳未満の若雌鳥/七面鳥/野鳥(この時期だけのもの)&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;ライチョウ/野兎/ヤマウズラ/キジ/タシギ/ヤマシギ&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;ビート/ブロッコリー(紫、白)/芽キャベツ/ キャベツ/ニンジン/セロリ/チャービル/カラシナ(クレソン)/促成栽培されたキュウリ/エンダイブ(キクヂシャ)/ インゲンマメ/レタス/サトウニンジン/ジャガイモ/サボイキャベツ/ハマナ/ホウレンソウ/ カブ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;リンゴ(ゴールデン又はオランダ産青リンゴ)/ブドウ/カリン/ 木の実(ナッツ)/オレンジ/ナシ/クルミ/アーモンドやレーズンなどのドライ・フルーツ(外国産)/フレンチ・プラム又はスペイン・プラム/プルーン/イチジク/ナツメヤシ/砂糖漬けされた果物&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月:&amp;lt;魚&amp;gt;欧州産ヒラメ/コイ/ザルガイ(トリガイも含む)/カニ/マトウダイ/カレイ/アイナメ(リング(北欧産のタラ科の食用魚))/ロブスター/ボラ/赤ヒメジ/ムール貝/カキ/パーチ(スズキに近いパーチ科の淡水魚)/クルマエビ/サケ(品薄で高価)/ニシンダマシ(シャッド(ニシン科の食用魚))/エビ/ガンギエイ/キュウリウオ/シタビラメ/テンチ/ 大型ヒラメ/ホワイティング(タラ科の食用魚)&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/子羊肉/羊肉/子牛肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;雛鳥/小鴨/鶏/子兎/鳩/1歳未満の若雌鳥/兎&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;野兎&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;ブロッコリー/セロリ/レタス/新タマネギ/サトウニンジン/ ハツカダイコン/小ぶりのサラダ菜/ハマナ/ホウレンソウ/芽キャベツ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;リンゴ/木の実(ナッツ)/ナシ/促成栽培されたサクランボ/その他タルト用の果物/ルバーブ/ ドライフルーツ/砂糖漬けされた果物&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月:&amp;lt;魚&amp;gt;コイ/チャブ/カニ/イセエビ/マトウダイ/ニシン/ロブスター/サバ/ボラ/赤ヒメジ/クルマエビ/サケ/ニシンダマシ(シャッド(ニシン科の食用魚))/キュウリウオ/シタビラメ/カワマス/大型ヒラメ&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/子羊肉/羊肉/子牛肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;雛鳥/小鴨/鶏/ガチョウの若鳥/子兎/1歳未満の若雌鳥/ 兎&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;アスパラガス/豆類/新キャベツ/ニンジン/カリフラワー/ カラシナ(クレソン)/キュウリ/レタス/エンドウ豆/新ジャガイモ/サラダ菜/ ハマナ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;リンゴ/青いアプリコット/サクランボ/カランツなどのタルト用の果物/ スグリ/メロン/ナシ/ルバーブ/イチゴ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月:&amp;lt;魚&amp;gt;コイ/イセエビ/ニシン/ロブスター/サバ/ボラ/カワカマス/ クルマエビ/サケ/シタビラメ/テンチ/カワマス/大型ヒラメ&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/羊肉/子牛肉/雄鹿肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;雛鳥/小鴨/鶏/ガチョウの若鳥/子兎/チドリ/ 1歳未満の若雌鳥/兎/七面鳥の雛/ツグミ&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;アーティチョーク/アスパラガス/豆類/キャベツ/ニンジン/キュウリ/ レタス/タマネギ/サトウニンジン/エンドウ豆/ジャガイモ/ハツカダイコン/小ぶりのサラダ菜/ ハマナ/ホウレンソウ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;アプリコット/サクランボ/カランツ/スグリ/メロン/ネクタリン/ モモ/ナシ/パイナップル/ラズベリー/ルバーブ/イチゴ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月:&amp;lt;魚&amp;gt;コイ/イセエビ/マトウダイ/カレイ/モンツキダラ/ニシン/ロブスター/ サバ/ボラ/カワカマス/プレイス(ツノガレイ属の魚)/クルマエビ/サケ/エビ/シタビラメ/ チョウザメ/テンチ/サカタザメ&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/子羊肉/羊肉/子牛肉/雄鹿肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;雛鳥/小鴨/鶏/ガチョウの若鳥/子兎/チドリ/ 1歳未満の若雌鳥/兎/七面鳥の雛/サバクヒタキ/野生の小鴨/TD&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;アーティチョーク/アスパラガス/豆類/キャベツ/ニンジン/ カリフラワー/セロリ/カラシナ(クレソン)/エンダイブ(キクヂシャ)/レタス/マッシュルーム/タマネギ/ エンドウ豆/ハツカダイコン/小ぶりのサラダ菜/ハマナ/芽キャベツ/カブ/セイヨウナツカボチャ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;アプリコット/サクランボ/カランツ/イチジク/スグリ/メロン/ ネクタリン/ナシ/パイナップル/プラム/ラズベリー/イチゴ/出盛りのクルミの酢漬け&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月:&amp;lt;魚&amp;gt;欧州産ヒラメ/コイ/チャブ/イセエビ/カニ/マトウダイ/ウナギ/カレイ/小ウナギ/ ニシン/ロブスター/ボラ/カワカマス/クルマエビ/サケ/エビ/ガンギエイ/シタビラメ/ チョウザメ/サカタザメ/カワマス/大型ヒラメ&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/子羊肉/羊肉/子牛肉/雄鹿肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;雛鳥/小鴨/鶏/ガチョウの若鳥/鳩/チドリ/ 1歳未満の若雌鳥/兎/七面鳥の雛/ツグミ/野生の小鴨&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;子兎/ライチョウ/クロライチョウの雄&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;アーティチョーク/アスパラガス/豆類/ニンジン/キャベツ/ カリフラワー/セロリ/カラシナ(クレソン)/エンダイブ(キクヂシャ)/レタス/マッシュルーム/タマネギ/ エンドウ豆/ジャガイモ/ハツカダイコン/ハマナ/小ぶりのサラダ菜/芽キャベツ/カブ/ 種々の調理用ハーブ/セイヨウナツカボチャ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;カランツ/イチジク/ヘイゼルナッツ/スグリ/ブドウ/メロン/ クワの実/ネクタリン/モモ/ナシ/パイナップル/プラム/ラズベリー/ クルミ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月:&amp;lt;魚&amp;gt;欧州産ヒラメ/コイ/マダラ/ウナギ/カレイ/ロブスター/ボラ/カキ/ プレイス(ツノガレイ属の魚)/クルマエビ/ガンギエイ/シタビラメ/大型ヒラメ/ホワイティング(タラ科の食用魚)/シラウオ&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/子羊肉/羊肉/豚肉/子牛肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;雛鳥/鴨/鶏/ガチョウ/ヒバリ/鳩/1歳未満の若雌鳥/ 兎/小鴨/七面鳥&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;クロライチョウの雄/雄鹿/ライチョウ/野兎/ヤマウズラ/キジ&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;アーティチョーク/アスパラガス/豆類/芽キャベツ&amp;quot;cabbage sprouts&amp;quot;/ニンジン/ セロリ/レタス/マッシュルーム/タマネギ/エンドウ豆/ジャガイモ/サラダ菜/ ハマナ/芽キャベツ&amp;quot;sprouts&amp;quot;/トマト/カブ/セイヨウナツカボチャ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;ヨーロッパスモモ/ドメスチカスモモ/イチジク/ヘイゼルナッツ/ブドウ/メロン/ クロサクランボ/クワの実/ネクタリン/モモ/ナシ/プラム/ マルメロ/クルミ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10月:&amp;lt;魚&amp;gt;ニゴイ/欧州産ヒラメ/マダラ/カニ/ウナギ/カレイ/タイリクスナモグリ/モンツキダラ/ ロブスター/ボラ/カキ/プレイス(ツノガレイ属の魚)/クルマエビ/ガンギエイ/シタビラメ/テンチ/大型ヒラメ/ ホワイティング(タラ科の食用魚)&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/羊肉/豚肉/子牛肉/鹿肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;雛鳥/鶏/ガチョウ/ヒバリ/鳩/1歳未満の若雌鳥/兎/ 小鴨/七面鳥/ヒドリガモ/マガモ&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;クロライチョウの雄/ライチョウ/野兎/ヤマウズラ/キジ/タシギ/ ヤマシギ/雌鹿&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;アーティチョーク/ビート/キャベツ/カリフラワー/ニンジン/セロリ/ レタス/マッシュルーム/タマネギ/エンドウ豆/芽キャベツ/トマト/カブ/ セイヨウナツカボチャ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;リンゴ/ヨーロッパスモモ(黒色種又は白色種)/イチジク/ヘイゼルナッツ/ ブドウ/ナシ/マルメロ/クルミ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月:&amp;lt;魚&amp;gt;欧州産ヒラメ/コイ/マダラ/カニ/ウナギ/タイリクスナモグリ/モンツキダラ/カキ/カワカマス/ シタビラメ/テンチ/大型ヒラメ/ホワイティング(タラ科の食用魚)&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/羊肉/子牛肉/雌鹿肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;家禽&amp;gt;雛鳥/鶏/ガチョウ/ヒバリ/鳩/1歳未満の若雌鳥/兎/ 小鴨/七面鳥/ヒドリガモ/マガモ&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;野兎/ヤマウズラ/キジ/タシギ/ヤマシギ&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;ビート/キャベツ/ニンジン/セロリ/レタス/遅蒔きキュウリ/タマネギ/ジャガイモ/サラダ菜/ホウレンソウ/芽キャベツ/種々のハーブ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;リンゴ/ヨーロッパスモモ/クリ/ヘイゼルナッツ/ブドウ/ナシ/クルミ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月:&amp;lt;魚&amp;gt;ニゴイ/欧州産ヒラメ/コイ/マダラ/カニ/ウナギ/ウグイ/タイリクスナモグリ/モンツキダラ/ ニシン/ロブスター/カキ/パーチ(スズキに近いパーチ科の淡水魚)/カワカマス/エビ/ガンギエイ/スプラットイワシ/シタビラメ/ テンチ/サカタザメ/大型ヒラメ/ホワイティング(タラ科の食用魚)&lt;br /&gt;
&amp;lt;肉&amp;gt;牛肉/肥育羊肉/羊肉/豚肉/鹿肉&lt;br /&gt;
&amp;lt;鳥&amp;gt;肥育鶏/雛鳥/鶏/ガチョウ/鳩/1歳未満の若雌鳥/兎/ 小鴨/七面鳥/ヒドリガモ/マガモ&lt;br /&gt;
&amp;lt;猟鳥獣&amp;gt;野兎/ヤマウズラ/キジ/タシギ/ヤマシギ&lt;br /&gt;
&amp;lt;野菜&amp;gt;ブロッコリー/キャベツ/ニンジン/セロリ/セイヨウニラネギ/タマネギ/ ジャガイモ/サトウニンジン/スコッチケール/カブ/冬ホウレンソウ&lt;br /&gt;
&amp;lt;果物&amp;gt;リンゴ/クリ/ヘイゼルナッツ/ブドウ/カリン/オレンジ/ナシ/ クルミ/ドライフルーツ(アーモンドや干しブドウ等)/イチジク/ナツメヤシ/砂糖漬けされた果物&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
* [http://www.vssj.jp/ 日本ヴィクトリア朝文化研究学会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ういくとりあちよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:イギリスの歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:イギリス帝国]]&lt;br /&gt;
[[Category:イギリスの文化]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヨーロッパの社会史]]&lt;br /&gt;
[[Category:19世紀のヨーロッパ史]]&lt;br /&gt;
[[Category:時代区分]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B&amp;diff=307584</id>
		<title>同性愛</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B&amp;diff=307584"/>
				<updated>2015-10-13T03:48:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
'''同性愛'''（どうせいあい）とは、[[男性]]同士または[[女性]]同士の間での親愛や性愛、その[[性的指向]]を指す。同性愛の性質を持っている人のことを'''同性愛者'''、英語で'''ホモセクシュアル'''&amp;lt;ref&amp;gt;あるいは、ホモセクシャルとも。&amp;lt;/ref&amp;gt; (homosexual) という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概説 ==&lt;br /&gt;
同性愛に対して[[異性愛]]を「ヘテロ・セクシュアル」(heterosexual)、[[両性愛]]を「バイ・セクシュアル」(bisexual) という。また、性的対象を持たない[[無性愛]]は英語で asexual と表記し、代表的な辞書には「エイセクシュアル（[[アセクシュアル]]、asexual の英語訛り）」という発音が掲載されているが、日本では「ア・セクシュアル」と言うことが少なくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ホモ」という略語は、とくに同性愛者でない異性愛者の間では頻繁に使われている。なお、「ホモセクシャル」の略語ではあるが、「ゲイ」と同様に男性の同性愛者のみを指すことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ゲイ」の語は、稀に男性だけでなく女性の同性愛者も含んだ「同性愛者一般」という意味で用いられることもあり、さらに[[性的少数者]]一般を指す言葉として代表させる表現でもある。。性的少数者一般を指す単語としては、[[LGBT]] (I) が推奨されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、同性愛者に対する異性愛者の受容といった観点においての心理学的なアプローチでは、男性同性愛者と女性同性愛者に対して、女性異性愛者は双方の受容傾向に差は見られなかったが、男性異性愛者については男性同性愛者に対してのみ受容の傾向が有意に低いという実験結果が複数の実験で出ている&amp;lt;ref name=&amp;quot;first&amp;quot;&amp;gt;『同性愛者における他者からの拒絶と受容―ダイアリー法と質問紙によるマルチメソッド・アプローチ 臨床心理学研究の最前線 1』石丸径一郎、ミネルヴァ書房、2008年&amp;lt;/ref&amp;gt;。これについては、男性と女性の「性の対象」としての視線に慣れているかいないか、言い換えれば、女性は水着のグラビアなどを筆頭に性的な対象としての視線に晒されることが多くある程度耐性がついているが、男性にはそれがついておらず自身が性の対象になる可能性のある男性同性愛者に対して拒絶感があるからではないかという推察もある&amp;lt;ref name=&amp;quot;first&amp;quot; /&amp;gt;。ちなみに、カミングアウトされた経験がある（つまり友人といった他人から自身は同性愛者であると告げられたことがある）人は、全体的に受容傾向が強いとする実験結果が出ている&amp;lt;ref name=&amp;quot;first&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ホモセクシュアル ===&lt;br /&gt;
{{Main|ホモ}}&lt;br /&gt;
ホモと略されることも多く、同性愛（者）を意味する語。歴史的に侮蔑的な意味合いが強い為、同性愛者の中には略語表現を嫌う人が多く、報道においてもこの語は避けられる傾向にある。一般的に（学術的意味がない用例では）「ホモ」と言えば同性愛者を意味する場合が多い。日常における日本語では特に（単純な意味での）男性の同性愛者を指す場合が多い。対義語はヘテロセクシュアル (heterosexual)＝異性愛。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ゲイ ===&lt;br /&gt;
男性同性愛者のことを特にゲイと呼ぶ。この言葉には差別的な意味の内包される場合があり、しばしばそうした使い方をされる。広義には性別を問わず同性愛者全てを含むが、日本語社会では単にゲイという場合は、レズビアンと区別し、男性同性愛者のみを指すことがほとんどである。ただし、[[アメリカ合衆国]]などの[[英語圏]]ではゲイが男性同性愛者を指す場合とレズビアンも含め全同性愛者をゲイと呼称する場合がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
英単語の gay に由来する。この単語は「陽気な」「派手な」などの意味を持つ。例えば[[広島市]]への[[原子爆弾|原爆]]投下で有名な[[B-29]]「[[エノラ・ゲイ]]」(Enola Gay) 号の名前の意味は「陽気なエノラ（機長の母親の名）」となる。この単語が同性愛者を意味するようになったのは少なくとも[[19世紀]]以降で、おそらく実際にはそれ以前からだと考えられている。[[ヴィクトリア朝]]の[[イギリス]]では、[[売春婦]]・[[男娼]]が &amp;quot;gay&amp;quot; と呼ばれていた（これは彼らが gaily、つまり「派手に」「華やかに」着飾っていたからである）。それが語源となり、全ての男性の同性愛者を指して用いられるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== レズビアン ===&lt;br /&gt;
女性同性愛者のことをレズビアンと呼ぶ。日本では「レズ」という略語も用いられるが、歴史的に含まれてしまった侮蔑的ニュアンスを嫌い、意図的に「ビアン」と略す者もいる。男性同性愛者ほど顕在的なものではないにしろ、レズビアンに対する嫌悪感を抱く人も存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
語源は[[ギリシア]]の[[レスボス島]]に因む。[[古代ギリシア]]時代にこの島に住んでいた詩人の[[サッポー]]が、少女の教育を担っていたと考えられる宗教的女性結社の指導者で、[[アプロディーテー|アプロディタ]]女神への讃歌や官能的な[[恋愛]]の詩を多数作り、古代において恋愛詩の閨秀詩人として著名だったためである。サッポー自身が女性同性愛者だったという明確な証拠はない。伝説では、サッポーは美青年への恋に失恋したため、崖より身を投げて自殺したともされ、またその作品からしても、同性愛だったかどうかは疑問が存在する。しかし後世、混同が起こり、女性同性愛は「サフィズム」とも呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛感情の素因 ===&lt;br /&gt;
「生育環境が同性愛感情を育む要因を持っており、よい出会いに恵まれたならば、異性愛感情を抱いた可能性がある人」を同性愛者と定義する考え方がある。言い換えるなら、「生物学的にどうしても異性愛感情を抱き得ないというわけではない人」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ジークムント・フロイト|フロイト]]の考えによれば全ての人間はこの意味での同性愛者である。これは、彼が「先天的にはいかなる対象とも不可逆的に結びついているわけではない[[幼児性欲]]が、後天的にいかなる対象に結びつけられるか」が同性愛/異性愛を決定すると考えていたことによる。ただし、フロイト自身はこの意味で同性愛者という言葉を使ったことはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
より穏当な意見の人々からも、同性愛に抑圧的でない文化においては同性愛感情を経験したことがある人が多く見られることから、この意味での同性愛者の割合は極めて高いと見積もられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、この定義における「同性愛者（ホモセクシャル）」は「異性愛者（ヘテロセクシャル）」と背反な概念ではないため、その大部分は「両性愛者（バイセクシャル）」と見なすこともできる。「両性愛者」を除く狭い意味での「同性愛者」、すなわち「生物学的にどうしても同性以外に恋愛感情を抱き得ない人」はより少ない。厳密なパーセンテージについては諸説あるが、人口の10%を超えるとする報告は最近では見られない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛感情の経験 ===&lt;br /&gt;
同性愛感情を有している、もしくは有していた人のことを同性愛者と定義する考え方もある。上で述べたようにこの定義における同性愛者の割合は文化依存性が高い{{要出典}}。しかし、同性愛に抑圧的な文化においては、調査の回答者が同性愛感情の経験を隠そうとする可能性も高い。この意味での同性愛者の割合は実は安定しており、それを公にする人の割合が異なるだけではないかという指摘もある。唯一確実だと見なされていることは、この定義のもとで、同性愛者が人口の100%を占める文化や、0%の文化は知られていないということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wellings が1994年のイギリスで行った調査によれば、この意味での同性愛者は人口の約6%だった。両性愛者を除く狭い意味での同性愛者は男性の約1%、女性の約0.5%だった。また、欧米にて2006年の匿名下における研究では母数の20%に人がいくぶんかの同性愛感情を抱いたことを報告しているが、自身を同性愛者としてラベリングしている人はごくわずかだったとされる&amp;lt;ref name=&amp;quot;McConaghy et al&amp;quot;&amp;gt;McConaghy et al., 2006&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性に対する性欲 ===&lt;br /&gt;
これは定義とは言いがたい物ではあるが、これは同性愛であるとする、ないとするで意見が分かれがちである。いわゆる同性の画像、映像に性欲を抱く人、同性の身体やその一部に性欲を抱く人のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くの場合、（同性に対して恋愛感情を持つ）同性愛者から見ると、「これは同性愛には含めない」と考える人が多く（同性には一切性欲を感じない）、異性愛者から見ると、「これは同性愛の一種である」と考える人が多いようである。&lt;br /&gt;
* 前者の人から見た場合、これらの人は単に性欲を感じているだけであり、実際に同性に対して恋愛感情がある訳ではなく、単純に生理的な欲求の対象としていると感じられるため、実質的な同性愛ではないとしている事が多い。なんとなれば、恋愛感情という極めて個人的で繊細な主観を以って選択的に対象へ臨む行動様式、つまり「ほれた、すき」を抜きにしており、たとえば異性愛者がいちいち雑誌の異性グラビア頁に恋愛しないのと同等である、といえよう。&lt;br /&gt;
* 逆に後者の人から見た場合、これらの人は多かれ少なかれ、異性ではない同性に性的な感情を抱いていると感じられるため、同性愛の一種と見なしている事が多い。同性愛者とは常に必ず同性を、なんらかの感情、対象として視野においている、という前提の固定観念に基いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性間性行為の経験 ===&lt;br /&gt;
同性間の性行為、すなわち同性同士での性的な接触を取り上げて、その経験の有無によって homosexuality を定義しようとする考え方もある。ただし、この場合日本語においては同性「愛」となっているので言語上の問題がある。また、異性愛者に関しては、性行為がなくても異性愛者と呼ぶことを（異性愛者とも呼ばないほど自然に）受け入れるのに対し、同性愛者を性行為の経験の有無によって定義するのは非対称であり、整合性はないといえ、同性愛をもっぱら性行為のみに限定しようとする多数派意識の反映という指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この定義を、感情経験といった主観的なものに比べて[[科学]]的な優れた尺度であると考える人もいる。しかし、幾つかの点で問題もある。&lt;br /&gt;
* 同性間の性交行為は文化・制度的に強く規制されることも多く、感情という内面的なものに比べて文化・制度が影響しやすい&lt;br /&gt;
* 同性間の性行為に及ぶに必要とされるパートナーは、人口密度の低い地域では全く見つけられない可能性がある。&lt;br /&gt;
そのため、同性愛の生物学的な側面を検討する上ではこの定義は役に立たないと考える人もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、同性愛感情が無くても同性間の性交行為をすることは可能であるので、このことが統計的なズレをもたらしている可能性もあると指摘される。単なる興味本位や、制度的な強制、[[売春]]、[[強姦]]、刑務所や寄宿舎などで異性と接する機会がない場合など、そのような事態は実際に知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この定義における同性愛者の割合については様々な報告がある。&lt;br /&gt;
* [[ニューギニア]]の[[サンビア族]]では、男性同士の性交行為が[[通過儀礼]]として制度化されている。しかしこれをもって、男性の100%が同性愛者であるとするのは間違いである。&lt;br /&gt;
* 上のイギリスにおける調査では、男性の3.6%、女性の1.7%だった。両性愛者を除くと、男性の1%、女性の0.5%だった。&lt;br /&gt;
* 1992年のアメリカ国家世論調査センターによる調査では、男性の2.8%、女性の1.4%だった。&lt;br /&gt;
* 1995年のアメリカ合衆国における[[ハーバード大学]]による調査では、男性の6.2%、女性の3.6%だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 動物の同性愛 ===&lt;br /&gt;
{{Main|動物の同性愛}}&lt;br /&gt;
人間以外の生物においても同性愛と解釈できる行動は決して珍しいものではなく、オス同士で互いに[[精子]]をかけ合う[[クジラ]]をはじめ、[[サル|猿]]や[[昆虫]]の間で見られた等多数の例が報告されている。2006年にノルウェーのオスロ自然史博物館では、世界で初めて「生物の同性愛」をテーマとした展示会が開催された。同性愛的行動が確認された動物は1500種以上であり、そのうち500種の同性愛が立証されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 同性愛と社会 ==&lt;br /&gt;
=== 同性愛に関する法と政治 ===&lt;br /&gt;
{{Main|ヘイトクライム|同性結婚}}&lt;br /&gt;
日本国外においては同性愛自体が合法である国と違法である国が存在する。同性愛が合法である地域の中には同性結婚を認めている地域（[[スペイン]]や[[オランダ]]、[[カナダ]]など）や、婚姻とは別の形でパートナーシップ制度や内縁関係を認めている国（アメリカの一部の州、イギリス、[[オーストラリア]]など）がある。一方で合法であっても同性カップルに関する認知制度がなく、同性カップル自体は社会制度上認められていない（言い換えれば同性パートナーは異性同士の婚姻者に認められている、もしくは適用される権利を受けることができず、また配偶者と認められないためパートナーが死亡した場合にはパートナーの遺産を相続する権利もない）地域（[[日本]]や[[中華人民共和国]]、アメリカの多くの州など）も多く存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[サウジアラビア]]など[[イスラム教]]国家では同性愛は違法である場合が多い（イスラム教徒が多数を占める国であっても[[トルコ]]などは社会的認知制度はないものの合法）。違法である国においては[[リベリア]]のように軽犯罪に分類される国はほとんどなく、多くの国で重罪と見なされ、場合によっては終身刑が適用される国（シンガポールや[[インド]]など）、さらには死刑が適用される国（[[イラン]]、サウジアラビアなど）もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年12月に、[[国連総会]]において「性的指向と性自認に基づく差別の撤廃と人権保護の促進を求める」旨の声明が出された。日本はこれに賛同している。なお賛同した66か国中アジア圏で賛同した国は日本のみで、先進諸国のなかでもアメリカは賛同しなかった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://gayjapannews.com/news2008/news145.htm 国連総会に人権と性的指向・性自認に関する声明提出＝日本含む66カ国が賛同 - ゲイジャパンニュース]&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただしアメリカは後にオバマ政権に移行したこともあり賛同する方針に転換している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/world/america/090319/amr0903191049006-n1.htm 同性愛差別の根絶に賛同　国連宣言でオバマ米政権 - MSN産経ニュース]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では、1872（明治5）年に発令された「鶏姦律条例」および1873（明治6）年に発令された「改定律例」では男性同士の肛門性交（鶏姦）が犯罪とされた（後者の第266条では懲役刑）。しかし、1880（明治13）年に発令された刑法ではこのような規定がなくなった。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://dajokan.ndl.go.jp/SearchSys/index.pl 日本法令索引 明治前期編]&amp;lt;/ref&amp;gt;現代日本の法において、同性愛は犯罪とは定義されておらず、[[法務省]]は性的指向による差別をなくす呼びかけを行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日本における同性愛に関する裁判 ====&lt;br /&gt;
日本において同性愛に関する判例として[[東京都青年の家事件]]（府中青年の家事件）がある。この事件では、同性愛者の権利を擁護する団体の公共施設の利用を「同性愛者同士による性的行為」ないし「青少年の健全な育成に悪い影響を与える」として拒否した事に対する民事訴訟事件だったが、1審の[[東京地方裁判所]]（1994年3月30日判決）は東京都の処分は不当なものだったと認め、「同性愛は異常性欲の1つではなく異性愛と同様に人間の性的指向の一つである」として、東京都の処分は社会の偏見によるもので、[[地方自治法]]が禁じる正当な理由なく不当な差別的扱中による違法行為とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
控訴審の[[東京高裁]]（1997年9月16日判決）は「一般国民はともかくとして、都教育委員会を含む行政当局としては、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心だったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。」として、行政側の処分は同性愛者という社会的地位に対し怠慢による無理解から、不合理な差別的取り扱いをしており違憲違法だったとして東京都の敗訴が確定した。そのため、日本の裁判所は同性愛は人間の持つ性的指向であり、異常なものではないとの司法判断を示しているといえる。この他、同性愛に関する事件として、[[ローレンス対テキサス州事件]]などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛者の精神疾患 ===&lt;br /&gt;
1989年のアメリカ保健社会福祉省調査によれば思春期の自殺者のうち約30%が同性愛者を含めたセクシャルマイノリティである。また、ロンドン大学の調査ではイギリスの同性愛者・両性愛者の3人に2人がうつ病や他の精神疾患を抱えやすいという結果が出ている。日本でも、同性愛者の約6割が自殺を考えたことがあるという研究結果{{要出典}}があり、同性愛者の置かれた社会状況が同性愛者の精神状況に影響を与えているものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文化・宗教における同性愛の位置づけ ===&lt;br /&gt;
同性愛に対する文化・宗教の態度は様々である。文化・宗教で同性愛に言及する場合、そのほとんどは男性同性愛への言及であり、女性同性愛についての記述は非常に限られている。同性愛を公認したり、寛容な文化であっても、生殖により子供が作れるわけではないことなどから、同性愛が異性愛と同等に位置づけられないことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 宗教における同性愛 ====&lt;br /&gt;
同性愛に対する宗教上の解釈も人や宗派によりさまざまであるが、同性愛をさほどタブー視しない[[仏教]]に比べ、概ね欧米の伝統的な文化では同性愛は否定的に評価されている。同性愛を表向き禁止している文化・宗教は幾つか存在し、例えば、[[アブラハムの宗教]]の中の少なからぬ宗派は同性愛を禁じている。欧米の否定的評価は、この宗教的倫理によるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[キリスト教]]の中でも比較的保守的な宗派においては、『[[レビ記]]』で不倫や刺青を入れること、豚肉を食べること等と並んで男性間の性行為を死刑と定めている（20章13節）ことなどを根拠に同性愛を禁じている場合が多い。そのためヨーロッパでは中世・近世を経て近代に至るまで、同性愛者に対する厳しい迫害が行われ、多数の者が処刑された。現代では、同性愛は異性愛と同様に神の意思に従った自然な存在であると考える進歩的な宗派もある。同性間の性的行為についても、容認している教派と許されないとする教派に分かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、イスラム教も教義上は同性愛については否定的な見解を示している信者が少なくない。[[クルアーン]]の7章80節〜81節と26章162節〜166節には、預言者[[ルート]]（[[聖書]]では[[ロト (聖書)|ロト]]）が男性に性欲を抱く人々を非難する記述がある。これを受けてイスラム教国では同性愛が犯罪として処罰の対象となり、現在でも[[サウジアラビア]]や[[イラン]]のように同性愛者を死刑に処する国や地域も存在する。その一方、前近代[[イスラーム]]において同性間性行為が許容された地域があり、同性間性行為を謡った詩なども多く詠まれている。現代では同性愛差別に反対しているムスリムも存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、仏教においては、[[源信 (僧侶)|源信]]著『[[往生要集]]』に同性愛者が落ちる地獄についての記述があるのを除けば、ほとんどの宗派が同性愛を禁じていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日の日本で、一般に向けて強制的に行使すれば、[[人権侵害]]や[[テロ]]行為等の[[犯罪]]となるような宗教上の禁止事項に実質的な意味はまったくないが、禁止や罪となる理由が「[[聖典]]に書かれているから」といったものである以上、これにより聖典の信頼性が問われることはやむを得ないところがある。現時点では、聖典の作成者、及び作成経緯などを含め、その成立については、各宗派の信者からの推定のみに留まっており、諸説に実証があるというわけではない。すなわち、「神」が判断したのではなく、「神」の判断と思い込んだ考え方の異なる複数の人間の判断である可能性が聖典には常に横たわっている。「神」と呼ばれる存在の解釈ひとつをとっても、あらゆる宗派や教義によって多少、もしくは大きく異なっており、一貫しているわけではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 制度化された同性愛 ====&lt;br /&gt;
歴史的には、中世から近世初期にかけての日本の武士や、古代ギリシア・[[古代ローマ]]のように、男性間の同性愛行為が制度化されていたり、公然と行われた文化も存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古代ギリシアでは、制度化されていた[[少年愛]]を同性愛として含めると、同性愛は単なる恋愛・性愛のバリエーションの一つだったともいえる。異性愛との区別自体がなく、同性と肉体関係を持っても同性愛者という概念自体が存在しなかったという。当時のギリシアにおける自由民成人男性の性対象は女性、少年、奴隷、外国人のうちどれを選んでもよく、むしろ生涯で片方の性にしか性欲が湧かないことは通常ではないとされていたという。但し、制度少年愛における同性愛的関係は、概ね成人男性と思春期前後の少年のあいだで結ばれるもので、これらが集団の結束を強固にする目的があったり、何らかの意味で現代的な同性愛とは異なるものだと指摘する見方もある。&lt;br /&gt;
周辺時代に登場する主な史説に、[[アレクサンドロス大王]]の[[ヘファイスティオン]]との同性愛関係や[[ユリウス・カエサル]]の[[スエトニウス]]による[[ニコメデス4世]]との関係などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ニューギニア]]ではサンビアなどメラネシアの幾つかの社会で通過儀礼の一環として男性同士の[[フェラチオ]]や肛交が定められているという。但し、これは同性どうしの行為という意味では一般的であるが、これが社会的な義務観念であることから、「性愛」ないし「愛情」をともなう同性愛の行為であるとは必ずしもいえない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日本文化における同性愛 ====&lt;br /&gt;
日本においても、場所や状況によっては同性愛が公然と行われた。古くから寺院においては、女人禁制の掟があり、女性と性交渉をすることは禁じられていたが、同性間での性交渉を禁じる掟というものはなく、同性を性的対象と見なすことには隔たりがなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平安時代末期には貴族や武士の間にも[[男色]]が広がり、中世の武家社会では主従関係の価値観と重ね合わせられ、[[衆道]]が大いに流行した。戦国時代の武家社会では、[[織田信長]]をはじめとして名だたる武将の多くが寵愛する[[小姓]]を男色相手にしていたという。同性を性的対象と見なさなかった[[豊臣秀吉]]は、むしろ例外的な存在だったと言われている。秀吉が農民出身のため武家社会における男色の風習になじめなかったこともその一因として考えられるが、庶民や農民階層においても、男色行為は行われていた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://allabout.co.jp/relationship/homosexual/closeup/CU20040530A/ 近世ニッポンは男色天国 歴史の授業で習えなかった同性愛]&amp;lt;/ref&amp;gt;。男色は江戸時代に入ってからは町人の間でも流行するが、江戸時代中期以降[[薩摩藩]]など一部の地方・社会を除いて下火になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポルノ雑誌・マンガ等における同性愛 ====&lt;br /&gt;
雑誌やマンガ等における男性同性愛や、ポルノ雑誌の「レズもの」における女性同性愛者などに対しては、往々にして異性愛者のホモフォビアが反映しているという指摘や、娯楽的観点を重視しすぎており現実の同性愛者に対する誤解・偏見を招くという批判もある。また、男性ヌードの媒体が少ない日本においては、ゲイ産業にその捌け口を求める女性が少なからず存在することが、異性愛者と同性愛者とのトラブルの火種となっているとも考えられる。一方で、[[やおい]]に女性としての性愛への視点を見いだす女性同性愛者の存在や、これらの作品をきっかけとして同性愛運動に関心を抱くヘテロセクシャルの人も多く、単純に評価を下すことはできない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛者同士のコミュニケーションや運動 ===&lt;br /&gt;
{{Main|ゲイ・タウン|発展場|ゲイ向け風俗店|ゲイ雑誌}}&lt;br /&gt;
古来から、通過儀礼として社会的に同性愛が認められている場合を除き、自己が同性愛者であると公に明かす行為には、ためらう人が多い。ゆえに、同性愛者同士のコミュニケーションは時・場所が異性愛者同士のそれと比べて少なく、ウェブサイトの掲示板や、同性愛者を客層とするバーなど狭い範囲に限られている。&lt;br /&gt;
近年では、自己に誇りを持とうとするための運動として、[[ゲイ・パレード]]のようなイベントや、インターネット上でのコミュニケーションや、同性愛者への[[差別]]意識撤廃などを訴える運動が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 偏見と実像 ==&lt;br /&gt;
=== 同性愛は少数派か ===&lt;br /&gt;
近年の多くの英米の調査では人口の2-13%（50人に1人から8人に1人）の割合で同性愛者が存在しているという&amp;lt;ref name = ACSF1992&amp;gt;ACSF Investigators (1992). AIDS and sexual behaviour in France. ''Nature, 360,'' 407–409.&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name = Billy1993&amp;gt;Billy, J. O. G., Tanfer, K., Grady, W. R., &amp;amp; Klepinger, D. H. (1993). The sexual behavior of men in the United States. ''Family Planning Perspectives, 25,'' 52–60.&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name = Binson1995&amp;gt;Binson, D., Michaels, S., Stall, R., Coates, T. J., Gagnon, &amp;amp; Catania, J. A. (1995). Prevalence and social distribution of men who have sex with men: United States and its urban centers. ''Journal of Sex Research, 32,'' 245–254.&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name = Bogaert2004&amp;gt;{{Cite journal| author = Anthony F. Bogaert | date = 7 September 2004 | title = The prevalence of male homosexuality: the effect of fraternal birth order and variations in family size | journal = Journal of Theoretical Biology | volume = 230 | pages = 33-37  | url = http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&amp;amp;_udi=B6WMD-4CP12C3-2&amp;amp;_user=1069287&amp;amp;_rdoc=1&amp;amp;_fmt=&amp;amp;_orig=search&amp;amp;_sort=d&amp;amp;view=c&amp;amp;_acct=C000051273&amp;amp;_version=1&amp;amp;_urlVersion=0&amp;amp;_userid=1069287&amp;amp;md5=bf01088ebb68ca801a0a08011876fb5d | doi = 10.1016/j.jtbi.2004.04.035}}  {{en icon}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name = Fay1989&amp;gt; Fay, R. E., Turner, C. F., Klassen, A. D., &amp;amp; Gagnon, J. H. (1989). Prevalence and patterns of same-gender sexual contact among men. ''Science, 243,'' 338–348.&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name = Johnson1992&amp;gt;Johnson, A. M., Wadsworth, J., Wellings, K., Bradshaw, S., &amp;amp; Field, J. (1992). Sexual lifestyles and HIV risk. ''Nature, 360,'' 410–412.&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name = Laumann1994&amp;gt;Laumann, E. O., Gagnon, J. H., Michael, R. T., &amp;amp; Michaels, S. (1994). ''The social organization of sexuality: Sexual practices in the United States.'' Chicago: University of Chicago Press.&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name = Sell1995&amp;gt;Sell, R. L., Wells, J. A., &amp;amp; Wypij, D. (1995). The prevalence of homosexual behavior in the United States, the United Kingdom and France: Results of national population-based samples. ''Archives of Sexual Behavior, 24,'' 235–248.&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name = Wellings1994&amp;gt;Wellings, K., Field, J., Johnson, A., &amp;amp; Wadsworth, J. (1994). ''Sexual behavior in Britain: The national survey of sexual attitudes and lifestyles.'' London, UK: Penguin Books. &amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;aftenposten&amp;quot;&amp;gt; [http://www.aftenposten.no/english/local/article633160.ece Norway world leader in casual sex, Aftenposten]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;guardianpoll&amp;quot;&amp;gt; [http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2008/oct/26/relationships Sex uncovered poll: Homosexuality, Guardian]  {{en icon}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。性的少数者（性的マイノリティー）は、おおよそ概念上で少数者とされているものであり、実際はそれほど少数ではないと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
概念上[[マイノリティー]]となる最大の理由は、多くの同性愛傾向を持つ人々が、その偏見から、社会的に及ぼす影響や自身が被る不利を考慮し、同性が好きであることは普通に言い出せる現状にはないと個人的レベルで判断した結果、隠すための努力をする、隠すために最善を尽くすことを選択するからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一般世間において異性愛規範や結婚規範が強いために、同性愛者でありながらそれを隠すために異性と交際したり、結婚をして子供をもうけたりしている者も決して少数派ではない（[[偽装結婚]]）。このケースでは配偶者も夫や妻が同性愛者であることに気づかないことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでに存在した同性愛の歴史などについては[[#文化・宗教における同性愛の位置づけ]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛は習癖か ===&lt;br /&gt;
同性愛をただその方向に習癖として流れたのだと考える向きは未だ根強いが、同性愛はそうあろうとしてあったり、認知するからあるものではなく、傾向として無意識的にあるものだということがわかっている。同性愛傾向について『私にはそういう趣味はない』といったような言い回しをすることには大きな語弊がある。同性愛は[[性的指向]]であり、意志によって始めたり終わらせたりすることができるような類のものではないからである。しかし、こうした無意識の性傾向が、いつ頃からどのように形成されるのかについては、脳説、[[ホルモンシャワー]]説など諸説、多くの推測や研究があるものの、未だ断定に至るようなメカニズムはわかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[#同性愛と医療]]で述べる通り、現在、同性愛は国際医学会や[[世界保健機関]] (WHO)、日本精神神経医学会といった専門医による見解によって、治療の対象外であり疾病ではないとするのが有力となっている。しかし、一部でこれを治療が極めて困難な精神的な病だと考えている人もいる。一部の心理学の分野では、男性同性愛者のケースにおいて、妊娠時における母親方のストレスや幼少期における長期にわたる父性方の愛情欠如、あるいは父性そのものの存在の無知、コミュニケーション不足、暴力、それらから受ける心的ショックなどによって同性愛になるという学説がある。この心理学における説（同性愛者が訴えた説ではない）は、男性同性愛者当事者においても、幼少期における経験談などから多くの一致を見ることができるとする当事者は少なくないという。ただ、この心理学の説のように男性の愛情のない環境が原因で同性愛の傾向性が形成されていったと仮定しても、それは幼児が意識的に同性愛になることを選考するのでなく、可逆性の低い傾向性を環境によって無意識に備えたということでしかないため、性的指向という部分では変わりはないといえる。同性愛に関し、多方面からさまざまな研究が成されている今日において、性的指向理論自体を合理的に覆すのは困難になっているのは現状としてあるといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛と環境ホルモン ===&lt;br /&gt;
19世紀以後に開発・使用された人工的な[[化学物質]]が人間および動物の同性愛化に影響を与えているという説があるが、少なくとも現時点ではいわゆる[[環境ホルモン]]の人体への影響は極小のものであると考えられており、この点に関して、本説は[[疑似科学]]に近い。この説は[[医学]]界・[[心理学]]界等の大勢の評価を得ている説ではなく、週刊誌や実用書等で扱われたものであるが、化学物質が開発される遥か以前から同性愛が存在することに関しては説明できないため、同性愛の存在そのものに関する根源的な原因説にはなりえない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本説がもしも事実であれば、一般販売されている[[農薬]]汚染・[[肥料]]汚染された食品、[[化粧品]]や[[石鹸]]、[[ペンキ]]等の工業品などを通じて、同性愛傾向を備える可能性が高くなるということになるが、これには[[遺伝子]]の持つ[[免疫]]力の強さに応じて個人差が出るという。つまり、この裏づけには人の遺伝子の免疫力への影響度そのものの検証データが必要となってくる。しかし、現在までのところこうしたことに関する信頼性の高い確実なデータが提示されているわけではない。また現状として現代社会においても、それらの製品によって、何ら影響を受けた形跡のない異性愛者がほとんどであることからも、この説の信憑性は低い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛と医療 ===&lt;br /&gt;
同性愛を含む人間の性的な傾向は、自律神経をつかさどる脳の機能に規定される可能性が有力であり、さかんに研究がなされている。特に有名なものとしてはスウェーデンの研究がある&amp;lt;ref&amp;gt; [http://www.pnas.org/cgi/content/full/102/20/7356?maxtoshow=&amp;amp;HITS=10&amp;amp;hits=10&amp;amp;RESULTFORMAT=1&amp;amp;author1=Savic&amp;amp;andorexacttitle=and&amp;amp;andorexacttitleabs=and&amp;amp;andorexactfulltext=and&amp;amp;searchid=1&amp;amp;FIRSTINDEX=0&amp;amp;sortspec=relevance&amp;amp;fdate=5/1/1996&amp;amp;resourcetype=HWCIT Brain response to putative pheromones in homosexual men] {{en icon}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、国際医学会や WHO、[[DSM-4]] などでは、同性愛は「異常」「倒錯」「精神疾患」とは見なさず、治療の対象から外されている。同性愛などの性的指向については発達障害などとは別のもので、矯正しようとするのは間違いとの見方が主流となっている。一人一人の中で、「同性指向」と「異性指向」がある一定の割合で存在しているというのが人間という「種」の基本的性質であり、そのパーセンテージは自分の意志で簡単に変えたり選んだりできない可変性の低いものになっている。また、日本精神神経医学会は、「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」という見解を宣言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように、現在の専門医の見解では同性愛そのものは疾患ではない。しかしながら同性愛であることにより一般社会規範との適合性等から思い悩み、精神疾患を発祥したという場合は、通常の精神疾患である。精神科に一定期間通院し申請することにより、[[精神障害者手帳]]、及び[[障害基礎年金]]を受け取ることができる。&lt;br /&gt;
:''[[#同性愛者の精神疾患]]も参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛者と異性装 ===&lt;br /&gt;
同性愛者は[[異性装]]をすると信じていたり、異性装者は同性愛者であると信じていたりする人がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
身体的に男性の[[性同一性障害]]者 (MtF-GID) とゲイを混同していた場合、一定数のゲイが女装をしているように見えたり、身体的に女性の性同一性障害者 (FtM-GID) がレズビアンの中にとけ込んでいることにより、レズビアンの服装傾向がより男性的に見えるという可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、実際には大部分の同性愛者は異性装をしない。性同一性障害者とは異なり彼らは心理的に身体と性認識が一致しているため、もともと異性の服を着る性的傾向にない。総体的に異性装が標準であるかのような感覚は、一部の者や限られた場所にしか通っておらず、まったく無関係の者が非常に多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ゲイ・タウン]]の文化の中には、[[ドラァグ・クイーン]]のように故意に奇異な女装をしてショーとして見せ、面白がるという習慣がある。しかし、こうしたイベントやクラブを好まず、まったく出向かない男性同性愛者は多く、一部には、ゲイ・パレードの服装やパフォーマンスなどによるデモンストレーションのし方に対して批判的なゲイもいる。すなわち、極少数のゲイが見せ物として女装をするのである。そのほか、異性愛者好みのゲイが、パートナーとの違和感を和らげるために異性装をするケースがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男装をするレズビアンもまた、多いというわけではない。男性的な服装を好むレズビアンも一定数存在しているが、現在の日本の文化では、かなりボーイッシュな服装であっても女性の服装として通例になっているため、見えにくい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当然ながら露出度の高低で性的指向は判断できず、一部の男性同性愛者が[[ゲイ・クラブ]]（ゲイ・タウン）や[[ゲイ・パレード]]などのイベント、及び限られた男性同性愛者専用の場所などにおいて、身体を露出させることでアピールを行うことがある。オーストラリアの[[マルディグラ]]と呼ばれるゲイ・イベントでは、体を鍛えたり、夜の[[クラビング]]で体のラインを際立たせて見せるために小さめのシャツを着ることで、街中で自分の体のアピールを行う。しかし、一般公共の日常場面においても、常時、敢えてセックスアピールを欠かさずに露出度の高い服装をするという傾向は、最近の日本ではほとんど見られない。同性愛者の服装には、異性愛者同様、極めて広い個人差があるのが実態である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ゲイと女性性 ===&lt;br /&gt;
ゲイならば必ずしも女性的というわけではない。大部分のゲイは見た目や立ち居振る舞いでは異性愛者の男性と区別がつかない。ある一個人を先入観なく見たとして、女性的と感じる例はそれほど多くはない。むしろ行動において男らしさを過剰なほど強調するゲイも少なくないし、外見においては異性愛者の男性よりもいかつい男性的な要素を強調するゲイが目立つ。短髪・髭・筋肉を強調して男臭く決めたゲイ男性のことをさして「いかにもホモらしい」という意味で、「イカホモ」と呼ぶことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、内面的、文化的に男性的とされる性質がやや薄い傾向が全体的に見てあるという説がある。一部のゲイの間で使われる独特の、極端化され強調された女性言葉の存在がある。これが一般にもっともよく知られる俗に「[[オネエ言葉]]」と呼ばれるもので、「……だわ」「……よね」といった、現代日本にあってはむしろ女性は使うことが少ない極端な女性言葉である。当人が必ずしもそれを女性的な言葉と意識して使っているとは限らないが、端から見てゲイの女性性を裏付けるように見えるのは事実である。一部の当事者においては、女性性が強いゲイが、その指向を隠そうという意識が極度に薄く、オープンな場合、その女性性は周囲にかなりはっきり感じられるほど強く、もっといかにもわかりやすいものになるはずであるとしている。すべてのゲイがオネエ言葉を使用しているわけではないが、わかりやすくインパクトも強いためか、メディアなどを通じ一般にゲイの[[プロトタイプ理論|プロトタイプ]]的な傾向として認知されてしまっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オネエ言葉ほどではないものの、語尾やイントネーションの女性性、また、話し方だけではなく、何気ない仕草や日常動作の体の動き方などの女性性などもゲイに多い特徴として挙げられる。異性愛者の男性においても、[[男性語]]を使わない優しい口調で物腰が柔らかく、温厚で低姿勢な態度をとる人々は少なからず存在するが、オネエ言葉のプロトタイプ的傾向認知同様、女性性がゲイに顕著な特徴であるという感覚が一般にあるために、行動に女性性が漂うこと、あるいは男性性が希薄なだけでゲイである可能性を疑われる事態が発生する場合がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大部分のゲイは、ゲイに対する社会の差別意識（[[ホモフォビア]]）が根強いため、自分が同性愛者であることを公に知られることを恐れている。不当な差別から身を守るために自分の女性性は見せないようにすることが多い。そう考えた場合に男らしさを過剰なほど強調するのもこうした差別への防御反応であるという見方もできる。ただ実際に無意識的に女性性が薄いゲイも割合存在しているため一概にはまとめることはできない。主にオネエ言葉を使い、仕草が女性的なゲイがゲイとして一般社会に認知されやすい傾向にある中、同性愛のこうした繊細さには、しばしば同性愛者同士でさえ盲目になってしまうことさえあるほどである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにゲイは男らしさから女らしさまでをさまざまな割合と形で内包しており、その幅広さはポジションによってはマイノリティー（性的少数者）の中のマイノリティーといったところに位置してしまうこともある。しかしどんな当事者にとっても自分本来の恋愛観や性に対する傾向は意識的には周りと違うと判ってはいても、異性愛者にとっての通念と同じく無意識なものであることには変わりはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== レズビアンと男性性 ===&lt;br /&gt;
レズビアンに関してもほぼ同様である。しかし服装に関して言えば、女性の場合は社会的に許容される服装の幅が比較的広いため、伝統的な基準では相当にボーイッシュな服装でも男装とは見なされないので、男性の場合とは少々事情が異なる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行動に関しても、異性愛女性の中に男性的な振る舞いをすることを好む者が存在するのと同様に、男性的なレズビアンは一定数存在すると見ることもできる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「異性装」ではないにしても「ボーイッシュ」という程度の男性的な服装が女性全体に比べて有意に多いと言う指摘もある。それは世間的にレズビアンについて FTM（心が男性の性同一性障害者）のイメージが紛れ込んでいるために、「レズビアンは男性的傾向の強い人が多い」という印象が増幅されている可能性がある。しかし、FTM の人間が女性を恋愛対象にしている場合、その状態は「異性愛」であるといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛者と異性恐怖症 ===&lt;br /&gt;
特にレズビアンに対し、[[男性恐怖症]]ではないかという誤解が見受けられる。この誤解にもとづいて、男性恐怖症が治れば男性と付き合えるという「助言」をする異性愛者もいる。実際には男性の友人を持っているレズビアンは少なくないのであり、男性嫌悪を抱き女性のみのつきあいを望むレズビアン（セパレイティストと呼ばれる）はかなり限られた存在である。また、過去に男性との交際も経験し、しっくりこなかったなどの理由で自分がレズビアンであるという自覚を持った人も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[女性恐怖症]]のゲイもまた、多いというわけではない（逆にゲイであれば女性と良い友だちになれると思い込むのも早計である）。『ゲイ 新しき隣人たち』（モートン・ハント著、窪田高明訳、河出書房新社）では、男性同性愛者の場合、約半数はいずれかの時点で女性との性交を経験しており、女性に関心も性的感情もまったく抱いたことのない男性のゲイは、全体の四分の一に過ぎないとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 同性愛における性役割 ===&lt;br /&gt;
一般的な異性愛の「男役」「女役」の性役割の概念を同性愛者に適用していうならば、そのような状態に近いカップルとそうでないカップルが存在するということになる。しかし、基本的に同性愛者が恋愛対象として惹かれるのは同性であり、同性として惹かれるポイントがなければ成り立たないということである。また、必ずしも同性である相手に異性的なものを見出して惹かれ合っているとは限らない。&lt;br /&gt;
同性愛カップルに男役と女役を見出そうという視点は、「恋愛に於いては両人の間に異性性が横たわっている」という異性愛者の一般的な概念上の視点で同性愛カップル両人の差異を咀嚼した結果、概ね「一方が男性として、他方が女性として振る舞っている」と判断するものであると考えられる。実際には、一般的な男女の概念を同性愛者に完全に当て嵌めることが難しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人は文化的、内面的の両方で男性的な部分と女性的な部分とを複雑な割合で内包している。同性愛カップルにおいて、両人に内包されるこうした男性的な部分の度合い・女性的な部分の度合いが完全に一致するということは当然のことながら希である。一方が相手に比べてやや男性的で、相手がやや女性的であるというような、異性関係的なものがあるカップルから、ほとんどそうしたものがない友情の延長上にあるような、兄弟のようなカップルまであり、そのバランスは人によりさまざまである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
セックスの際に、「男役」と「女役」に近い概念があるが、これもおおよそ性別的な概念というよりも、「リードする側」と「される側」というものに過ぎないと考えるのが妥当である。一般に前者は タチ（または セメ）、後者は ネコ（または ウケ）と呼ばれ、どちらも可という者は リバ と呼ばれる。こうした役割概念は人によっては、あまりはっきり持っていない者もおり、また相手や気分によって役割が頻繁に入れ替わるという者も少なくない。当然ながら、こうした「行為」の役割は、外見上のイメージ（見た目の男性性・女性性）及び、精神的な役割などと必ずしも一致するというものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで、男性同性愛者はセックスの際、[[アナルセックス]]（肛門性交）を行うというイメージが一般的にあるようであるが、すべての男性同性愛者がアナルセックスをするわけではない。一部の当事者においては、アナルセックスに嫌悪感などがあったり、まったく興味を示さず、しないという男性同性愛者は少なくない、としている。&lt;br /&gt;
アナルセックスをせず、その他の体への愛撫だけで終わらすセックスのことを、一部の男性同性愛者間では「バニラセックス」と呼ぶことがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===同性愛者と HIV===&lt;br /&gt;
平成20年における日本での HIV の新規感染者のうち男性が94%で、感染経路は同性間の性的接触が7割を占めている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/body/090219/bdy0902190042000-n1.htm HIV感染　年間1113人で過去最高]　MSN産経ニュース、2009年2年19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。これは男性同士の性的接触は出血を起こしやすいためであると言われている。しかしながら、日本では、HIV が発症しエイズ患者になった際の異性愛者の患者数は同性愛者の患者数と大差がなくなる&amp;lt;ref&amp;gt;2006年の統計においてエイズ患者の感染経路は異性間感染が42%、同性間感染が28%となっている。同年の HIV 感染経路の割合は異性間感染が36%、同性間感染が45%。ただし2008年統計では異性間感染が34.1%、同性間感染が43.9%となっている。これは同年の同性間接触が過去最高だったのに対し、異性間接触は過去4位にとどまったため。&amp;lt;/ref&amp;gt;。これは異性愛者の多くが HIV 検査に行かないために、発見が遅れ、発症してから自分がエイズだったと気づくもの（いきなりエイズと呼ばれる）であり、今後の日本が対処すべき大きな課題のひとつだと言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本国外においては、人口当たりの感染者数が極めて高い割合に上るとされている[[ワシントンD.C.]]における検査結果では、同性愛者間の性的接触と異性愛者間の性的接触との感染経路の割合はおよそ4:3となっている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/03/14/AR2009031402176_pf.html At Least 3 Percent of D.C. Residents Have HIV or AIDS, City Study Finds; Rate Up 22% From 2006] {{en icon}} - 同レポートでは貧困層や黒人層においてHIVの感染率が他の階層に比べ際立って高いこと、黒人女性の58%については異性間交渉での感染であることなどを報告している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。同レポートでは「同性間での接触が主要な感染経路に変わりは無い」としているが、また日本ほど大幅な差はないことを示している。またタイにおいては現状の感染経路の8割は異性間交渉によるものとされており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.avert.org/aidsthai.htm HIV and AIDS in Thailand] {{en icon}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;他の国の例としては、中国では異性愛者間の感染が圧倒的に多いとされる[http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=24305 レコードチャイナ：＜エイズ＞上半期に4000人が死亡、感染経路は「性交渉」が増加 - 中国]&amp;lt;/ref&amp;gt;、少なくとも HIV 自体が同性愛者のみの病気であるという認識は誤りであるといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本に限定して言えば、男性同性愛者での HIV 陽性患者数が高い割合で増加しているという“指摘”があり、検査やセーファーセックスの徹底など、HIV 予防に対する危機感をもった高い意識付けは、今後より多くの同性愛者にとって極めて重要な課題であるといえる。（ここで、男性同性愛者での HIV 陽性患者数が高い割合で増加していることを、“事実”ではなく“指摘”というにとどめたのは、厚生労働省が毎年発表する HIV 感染者数のもとになっているHIV検査の受診者数全体（母集団）を構成する異性愛者数と同性愛者数の割合が不確定であるため、一概に同性愛者（特に男性同性愛者）のみでHIV感染が広がっているとは言い難いとの指摘が各報道機関等によってなされているためである。）一方で、日本の義務教育段階における性教育は、もっぱら異性愛者中心に行われており、同性愛者に対する性教育がほとんど施されていないことは周知の事実である。HIV 感染拡大に対する予算のうち同性愛者への予算振り分けがあまりに少ないことを指摘する見解&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.j-cast.com/2009/06/21043556.html なぜ増える「エイズ感染」　同性愛者対策に遅れ？  J-CASTニュース]&amp;lt;/ref&amp;gt;もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連文献 ==&lt;br /&gt;
* 『クィア・サイエンス―同性愛をめぐる科学言説の変遷』（サイモン・ルベイ著、伏見憲明]]監修、玉野真路・岡田太郎訳、勁草書房、2002年） ISBN 4326601507&lt;br /&gt;
* 『同性愛の基礎知識』（伊藤悟、あゆみ出版、1996年）&lt;br /&gt;
* 『同性愛者として生きる』（伊藤悟 他、明石書店、1998年）&lt;br /&gt;
* 『同性愛がわかる本』（伊藤悟、明石書店、2000年）&lt;br /&gt;
* 『同性愛って何？』（伊藤悟、緑風出版、2003年）&lt;br /&gt;
* 『310人の性意識―異性愛者ではない女たちのアンケート調査』（性意識調査グループ、七つ森書館、1998年）&lt;br /&gt;
* 『江戸の性愛術』渡辺信一郎、新潮社）&lt;br /&gt;
* 『同性愛者における他者からの拒絶と受容―ダイアリー法と質問紙によるマルチメソッド・アプローチ 臨床心理学研究の最前線 1』（石丸径一郎、ミネルヴァ書房、2008年）&lt;br /&gt;
* 『同性愛入門［ゲイ編］』（伏見憲明、ポット出版、2003年）&lt;br /&gt;
* 『戦後日本女装・同性愛研究 中央大学社会科学研究所研究叢書』（矢島正見、[[中央大学]]出版部、2006年）&lt;br /&gt;
* 『ゲイ@パリ 現代フランス同性愛事情』（及川健二、長崎出版、2006年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Male homosexuality|ゲイ}}&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Lesbianism|レズビアン}}&lt;br /&gt;
* [[キンゼイ報告]]&lt;br /&gt;
* [[ホモソーシャル]]&lt;br /&gt;
* [[ニューハーフ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://gayjapannews.com/ ゲイジャパンニュース] - ゲイ関連ニュース、サイト主催の[[特定非営利活動法人|NPO法人]]による活動などを紹介&lt;br /&gt;
* [http://home.nyc.rr.com/kitamaru/majitame.html まじめでタメになるゲイ講座] - [[ジャーナリスト]]・北丸雄二のサイト&lt;br /&gt;
* [http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken03.html 法務省 - 人権擁護局 「人権週間・強調事項」]&lt;br /&gt;
* [http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031901000264.html 47NEWS「オバマ氏、同性愛差別根絶に賛同  ブッシュ前政権の方針転換」]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とうせいあい}}&lt;br /&gt;
[[Category:性的指向]]&lt;br /&gt;
[[Category:同性愛| とうせいあい]]&lt;br /&gt;
[[Category:心理学]]&lt;br /&gt;
[[Category:恋愛]]&lt;br /&gt;
[[Category:性の文化]]&lt;br /&gt;
[[Category:性的嗜好]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6&amp;diff=307583</id>
		<title>第二次世界大戦</title>
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				<updated>2015-10-13T03:48:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''第二次世界大戦'''（だいにじせかいたいせん）は、[[1939年]]から[[1945年]]にかけて[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]と[[枢軸国]]の二つの陣営で行われた人類史上二度目の[[世界大戦]]。主な戦場は'''ヨーロッパ戦線'''と'''アジア・太平洋戦線'''の二つ。戦争は連合国の勝利で終わった。'''第二次大戦'''ともいい、今日の日本では単に「[[戦後]]」といった場合、第二次世界大戦（[[太平洋戦争]]・[[大東亜戦争]]）より後を指すことが多い。両陣営合わせて数千万人の死者を出した他、動員された人数、戦費、戦場の規模など、現在に至るまで人類史上最大の[[戦争]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ソビエト連邦]]と[[アメリカ合衆国]]は、第二次世界大戦から世界を指導する[[超大国]]となる。このことは後に45年続いた[[冷戦]]の構図をもたらした。[[国際連合]]の設立にはそのような対立を防ぐ期待があった。第二次世界大戦から生れた[[民族自決]]はその後の[[アジア]]と[[アフリカ]]における[[脱植民地化]]の動きを加速し、一方西ヨーロッパでは[[欧州連合の歴史|統一]]への動きが始まる。&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;toclimit-3&amp;quot; style=&amp;quot;font-size:90%;&amp;quot;&amp;gt;__TOC__&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[大日本帝国|日本]]、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ドイツ]]、[[イタリア王国|イタリア]]などによって構成される[[枢軸国]]と、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[アメリカ合衆国]]、[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]]、[[中華民国]]などが構成する[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の間の戦争。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ヨーロッパ]]では、[[1939年]][[8月23日]]に[[独ソ不可侵条約#秘密議定書|秘密条項]]を持った[[独ソ不可侵条約]]が締結され、同年[[9月1日]]早朝 ([[中央ヨーロッパ夏時間|CEST]]) 、[[ナチス・ドイツ]]軍が[[ポーランド侵攻|ポーランドへ侵攻]]し、9月3日にイギリス・フランスがドイツに[[宣戦布告]]した事により開始された。9月17日にはソ連軍が東からポーランドへ侵攻し、ポーランドは独ソ両国により独ソ不可侵条約に基づいて分割・占領された。さらに[[ソ連]]は[[バルト三国]]及び[[フィンランド]]に領土的野心を示し、11月30日からフィンランドへ侵攻して[[冬戦争]]を起こし、この侵略行為を非難され[[国際連盟]]から除名されながらも&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,762112-2,00.html Minus a Member] at Time magazine on Monday, Dec. 25, 1939 &amp;lt;/ref&amp;gt;[[1940年]]3月にはフィンランドから領土を割譲させた。バルト三国にはソ連はまず軍隊を駐留させ、1940年6月には40万以上の大軍で侵攻。8月には[[バルト諸国占領|バルト三国を併合]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ軍は1940年5月10日からヨーロッパ西部へ侵攻を開始。同年6月からイタリアが参戦。6月14日ドイツ軍は[[パリ]]を占領、フランスを降伏させた。さらに同年8月から[[ドイツ空軍]]の[[爆撃機]]・[[戦闘機]]がイギリス本土空爆（[[バトル・オブ・ブリテン]]）を開始。[[イギリス空軍]]戦闘機隊と激しい[[空中戦]]となる。その結果、9月半ばにドイツ軍のイギリス本土[[上陸作戦]]は中止された。[[1941年]]6月22日、[[独ソ不可侵条約]]を破棄してドイツ軍はソ連へ侵入し、[[独ソ戦]]が始まった。それ以降、ソ連は連合国側に立って参戦する事となった。ドイツ軍は[[ウクライナ]]を経て同年12月、[[モスクワ]]に接近するが、ソ連軍の反撃で後退する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アジアでは、[[1937年]][[7月7日]]の[[蘆溝橋事件]]以降、日中間の戦争状態が続いていた。日本は[[阿部信行]][[内閣]]当時、ヨーロッパの戦争への不介入方針を掲げたが、同内閣総辞職後、[[松岡洋右]]ら親独派が中心に1940年9月、[[日独伊三国軍事同盟]]を締結し、枢軸国側に立つ事になった。1941年[[12月8日]]([[日本標準時|JST]])、日本海軍機が[[ハワイ]]の[[真珠湾攻撃|真珠湾を攻撃]]した事で、日本とアメリカ合衆国が参戦。12月9日には中華民国が宣戦布告し、[[太平洋戦争]]（[[大東亜戦争]]）が始まる。さらに12月11日にはドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告。戦争は世界的規模で戦われるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1942年]]中盤までは、枢軸国が有利だった。ドイツ軍はヨーロッパの大半及び北アフリカの一部を占領。大西洋ではドイツ海軍の潜水艦・[[Uボート]]が連合軍の輸送船団を攻撃していた。日本軍も東南アジアから中部大平洋の島々を広範囲に占領し、日本海軍[[機動部隊]]はインド洋でも交戦した。しかし、1942年6月の[[ミッドウェー海戦]]で日本海軍がアメリカ海軍に敗北。[[1943年]]2月には[[ヴォルゴグラード|スターリングラード]]でドイツ第6軍が敗北。以降は連合国側が優勢に転じ、同年5月、北アフリカのドイツ・イタリア両軍が敗北。7月にはイタリアが連合国に降伏。アメリカ・イギリスの大型[[戦略爆撃機]]によるドイツ本土空襲も激しくなる。さらに[[1944年]]6月、フランスに連合軍が上陸し、東からはソ連軍が攻勢を強めていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
太平洋では日本は占領していた島々をアメリカ軍に攻撃され、1944年7月にはマリアナ諸島の[[サイパン島]]がアメリカ軍に占領された。これにより、日本本土の大半はアメリカ軍の新型戦略爆撃機[[B-29]]の行動範囲内に含まれ、首都東京は同年11月から空襲の被害を受けるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1945年]]になると連合軍が東西からドイツ本土へ侵攻。同年4月30日、[[ナチス]]の指導者[[アドルフ・ヒトラー]]の自殺。5月2日のソ連軍による[[ベルリン]]占領を経て5月8日、ドイツが連合国に降伏。日本はその後も戦い続けたが、同年6月にはアメリカ軍は[[沖縄]]を占領。[[8月6日]]に広島、[[8月9日]]には長崎に[[原子爆弾]]がB-29から投下された。さらに同日、ソ連が[[日ソ中立条約]]を破棄して参戦。中国北東部・[[満州]]や[[朝鮮半島]]北部、[[南樺太]]へ侵攻してきた。日本は1945年[[8月15日]]に降伏。[[日本の降伏]]をもって第二次世界大戦は終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 参戦国 ===&lt;br /&gt;
{{Main|第二次世界大戦の参戦国}}&lt;br /&gt;
[[枢軸国]]の中核となったのは[[ナチス・ドイツ]]、[[大日本帝国]]、[[イタリア王国]]の3か国、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の中核となったのは[[アメリカ合衆国]]、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]]、[[中華民国]]の5か国である。大戦末期には当時世界に存在した国家の大部分が連合国側に立って参戦した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 背景 ==&lt;br /&gt;
{{main|第二次世界大戦の背景}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヴェルサイユ体制と世界恐慌 ===&lt;br /&gt;
[[画像:German losses after WWI.svg|thumb|240px|ドイツがヴェルサイユ条約によって喪失した領土]]&lt;br /&gt;
[[1919年]]6月28日、[[第一次世界大戦]]のドイツに関する講和条約、[[ヴェルサイユ条約]]が締結され、翌年1月10日同条約が発効。'''ヴェルサイユ体制'''が成立した。その結果、ドイツや[[オーストリア]]は領土の一部を喪失し、それらは[[民族自決]]主義のもとで誕生した[[ポーランド]]、[[チェコスロヴァキア]]、[[リトアニア]]などの領土に組み込まれた。しかしそれらの領域には多数のドイツ系住民が居住し、少数民族の立場に追いやられたドイツ系住民処遇問題は、新たな民族紛争の火種となる可能性を持っていた。また、ドイツはヴェルサイユ条約において巨額の[[戦争賠償]]を課せられた。[[1923年]]1月11日、フランスが賠償金支払いの滞りを理由に[[ルール占領]]を強行し、ドイツでは社会不安が引き起こされ、[[ハイパーインフレーション]]が発生。マルク紙幣の価値は戦前の1兆分の1にまで下落した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国は、[[1920年代]]にはイギリスに代わって世界最大の工業国としての地位を確立し、第一次世界大戦後の好景気を謳歌していた。しかし[[1929年]]秋、アメリカ経済は生産過剰に陥り、それに先立つ農業不況の慢性化や合理化による雇用抑制と複合して同年10月24日、株価が大暴落。ヨーロッパに飛び火して[[世界恐慌]]へと発展した。英仏両国はその対策として[[ブロック経済]]体制を築き、アメリカは[[ニューディール政策]]を打ち出してこれを乗り越えようとした。しかし、広大な植民地市場や豊富な資源を持たないドイツやイタリアではこのような解決策は不可能だった。両国の国民は絶望感と被害者意識をつのらせ、[[ファシズム]]、[[ナチズム]]の運動が勢力を得る下地が形作られた&amp;lt;ref&amp;gt;油井大三郎・古田元夫著、『世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ』 中央公論社 1998年 p.191&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファシズムの台頭 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Benito Mussolini and Adolf Hitler.jpg|thumb|ヒトラーとムッソリーニ]]&lt;br /&gt;
イタリアにおいて、ファシズムの政治体制が最初に形成された。第一次世界大戦後、経済が悪化し政情不安に陥っていたイタリアでは、1922年10月28日、[[ファシスト党]]党首[[ベニート・ムッソリーニ]]が[[ローマ進軍]]を行い、国王[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]の協力もあって権力を獲得した。1925年、議会制民主主義を潰し、1935年10月、[[第二次エチオピア戦争|エチオピア侵略]]を進め、それが元で1937年12月11に国際連盟を脱退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツでは[[1933年]]1月30日、ヴェルサイユ体制打破とナチズムを掲げる[[アドルフ・ヒトラー]]が首相に就任。翌1934年8月2日、ヒンデンブルグ大統領が死去すると[[総統]]に就任。[[独裁]]的権力を掌握した。ヒトラーは経済的には軍備増強と公共事業により総需要を喚起し世界恐慌を克服した。国際関係では、1933年10月19日[[国際連盟]]を脱退。1935年3月16日、ヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して[[ドイツ再軍備宣言|再軍備を宣言]]。1936年3月にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていた[[ラインラント進駐|ラインラント地方に軍隊を進駐]]させた。同年10月、イタリアとの間に「ベルリン・ローマ枢軸」の協定が結ばれ、同年11月25日には日本と[[日独防共協定]]を結び、翌1937年11月にはイタリアがその協定に参加。その後、これら3国の関係は[[日独伊三国軍事同盟]]へと発展してゆく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本は米英との協調外交を指向していたが、[[満洲]]、[[内モンゴル]]（満蒙）の支配権を巡り次第に対立するようになる。日本は[[昭和金融恐慌]]以後の苦境からの脱出を図り、円ブロック形成・拡大するため大陸進出を推進した。1931年9月18日、[[関東軍]]の謀略による[[柳条湖事件]]を契機に[[満州事変]]が勃発し、1932年3月1日、日本の傀儡政権[[満州国]]を樹立した。それが元で1933年3月27日には[[国際連盟]]を脱退。満洲事変後の1933年5月31日、日本は中国と停戦協定を結ぶが、1937年7月7日、北京郊外で[[盧溝橋事件]]が発生し[[日中戦争]]（[[日華事変]]）が勃発した。米英は日本の行動に反発し、日本は次第にナチス・ドイツへの接近を強めていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 宥和政策とポーランド問題 ===&lt;br /&gt;
第一次世界大戦で受けた膨大な損害への反動から、英仏両国は戦争忌避と平和の継続を求め、また圧力を強めつつあった共産主義及びソビエト連邦をけん制する役割を[[ナチス・ドイツ]]に期待し、彼らの軍備拡張政策に対し[[宥和政策]]を取っていた。ヒトラーは、周辺各国におけるドイツ系住民の処遇問題に対して民族自決主義を主張し、ドイツ人居住地域のドイツへの併合を要求した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1938年3月12日、ドイツは軍事的恫喝を背景にして[[アンシュルス|オーストリアを併合]]した。&lt;br /&gt;
次いでヒトラーは、[[チェコスロヴァキア]]の[[ズデーテン]]地方に狙いを定め、英仏伊との間で同年9月29日に開催された[[ミュンヘン会談]]で、[[ネヴィル・チェンバレン]]英首相と[[エドアール・ダラディエ]]仏首相は、ヒトラーの要求が最終的なものであることを確認して妥協し、ドイツはズデーテン地方を獲得。その後1939年3月15日、ドイツ軍はプラハを占領し、チェコを保護国とした。さらにポーランドがチェコのテシェン地方を、ハンガリーがルテニア地方を獲得し、チェコスロバキアは解体された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒトラーの要求はこれに止まらず、1939年3月22日には[[リトアニア]]から[[メーメル]]地方を割譲。さらにポーランドに対し、[[東プロイセン]]への通行路[[ポーランド回廊]]及び国際連盟管理下の自由都市[[ダンツィヒ]]の回復を要求。英仏にとって前年のミュンヘン会談が妥協の限界であり、ヒトラーにとってミュンヘン会談の成功は、更なる要求への一歩でしかなかった。ミュンヘン会談での合意を反故にされた英仏は、宥和政策を捨て1939年年3月31日、ポーランドとの間に軍事援助を約束。ドイツとの対決姿勢をみせることになる。同年4月28日、ドイツは1934年締結の[[ドイツ・ポーランド不可侵条約]]を破棄し、ヨーロッパに戦争の危機が迫る。そんな中、各国は外交上の駆け引きを展開し、ドイツはソビエト連邦と1939年8月23日、[[独ソ不可侵条約]]を締結。反共のナチス・ドイツと共産主義ソビエト連邦は相容れない、と考えていた世界中を驚かせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この条約には[[独ソ不可侵条約#秘密議定書|秘密議定書]]が有り、独ソ両国によるポーランド分割、またソ連は[[バルト3国]]、[[フィンランド]]、[[ルーマニア]]への領土的野心を示し、ドイツはそれを黙認した。一方、ポーランドは英仏からの軍事援助を頼みに、ドイツの要求を強硬に拒否。ヒトラーは武力による問題解決を決断する。[[1939年]][[9月1日]]未明、ドイツ軍はポーランドへ侵攻を開始し、[[9月3日]]、英仏両国はポーランドとの援助協約に基づきドイツに宣戦布告。ここに'''第二次世界大戦が勃発'''した&amp;lt;ref&amp;gt;ここでは第二次世界大戦の背景として基本的な要因のみをあげる。より詳しくは[[第二次世界大戦の背景]]を参照のこと。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経過（欧州・北アフリカ） ==&lt;br /&gt;
大戦は、1939年に[[ナチス・ドイツ]]が[[ポーランド]]へ侵攻したことに始まる。1940年にはドイツが北欧侵攻や[[日独伊三国軍事同盟]]で勢いが増し、1941年にはドイツ軍は[[ソビエト連邦]]に侵攻。同年末には[[日本]]と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]が参戦してドイツの戦況に影響を与えた。1942年にはドイツ、[[イタリア]]の枢軸国は徐々に行き詰まり、1943年には[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が優勢になり、枢軸国は北アフリカを放棄し、イタリアが降伏。1944年には連合国の勢いが更に増し、枢軸国は次々と降伏。1945年にドイツ軍は総崩れとなり、追い込まれたヒトラーは自殺。ナチス・ドイツは降伏して欧州における戦争は終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1939年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1939 map de.png|thumb|ドイツとソビエトのポーランド侵攻直後（1939年）]]&lt;br /&gt;
9月1日未明、ドイツ軍は[[戦車]]と機械化された歩兵部隊、[[戦闘機]]、[[急降下爆撃機]]など[[機動部隊]]約150万人、5個軍で[[ポーランド侵攻]]&amp;lt;ref&amp;gt;なおこの時、ドイツによる事前の宣戦布告は行われなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。ドイツ軍は北部軍集団と南部軍集団の2つに分かれ、南北から[[首都]][[ワルシャワ]]を挟み撃ちにする計画であった。&lt;br /&gt;
ポーランド陸軍は、総兵力こそ100万を超えるが、戦争準備ができておらず、小型戦車と騎兵隊が中心で近代的装備にも乏しく、ドイツ軍戦車部隊と[[ユンカース]][[Ju-87]]急降下爆撃機の連携による[[電撃戦]]で殲滅された。ただ、当時のドイツ軍は、まだ実戦経験が乏しく、9月9日のポーランド軍の反撃では思わぬ苦戦を強いられる場面も有った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソビエト連邦は[[独ソ不可侵条約]]の[[独ソ不可侵条約#秘密議定書|秘密議定書]]に基づき、9月17日、ポーランドへ東から侵攻。[[カーゾン線]]まで達した。一方、ポーランドとの相互援助協定が有るにも関わらず、イギリスとフランスは、ソ連に対し宣戦布告はしていない。また両国はドイツには宣戦布告したが、救援のためポーランドまで進軍してドイツ軍と交戦はしていない。またヒトラーとしては、以前から宥和政策を実施し、反共産主義という点で利害が一致していた英仏両国が、宣戦布告してくるとは想定していなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国際連盟管理下の自由都市[[ダンツィヒ]]は、ドイツ海軍練習艦[[シュレスヴィヒ・ホルシュタイン (戦艦)|シュレースヴィッヒ・ホルシュタイン]]の砲撃と陸軍の奇襲で陥落し、9月27日、ワルシャワも陥落。10月6日までに、ポーランド軍は降伏した。ポーランド政府はルーマニア、パリを経て、ロンドンへ亡命した。ポーランドは独ソ両国に分割され、ドイツ軍占領地域から、[[ユダヤ人]]の[[ゲットー]]への強制収容が始まった。ソ連軍占領地域でも[[カティンの森事件]]で25,000人のポーランド人が殺害され、[[1939年]]から[[1941年]]にかけて、約180万人が殺害又は国外追放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ポーランド侵攻後、ヒトラーは西部侵攻を何度も延期し、翌年の春まで[[西部戦線]]に大きな戦闘はおこらなかった事（[[まやかし戦争]]）もあり、イギリス国民の間に、「たぶん[[クリスマス]]までには停戦だろう」という、根拠の無い期待が広まった。11月8日には[[ミュンヘン]]の[[ビヤホール]]「ビュルガー・ブロイケラー」で、家具職人ゲオルグ・エルザーによるヒトラー暗殺を狙った爆破事件が起きるが、その日、ヒトラーは早めに演説を終了したため難を逃れた。なお、国防軍内の反ヒトラー派将校による[[ヒトラー暗殺計画]]も、その後何回か計画されたが、全て失敗に終わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソ連は[[バルト3国]]及び[[フィンランド]]に対し、相互援助条約と軍隊の駐留権を要求。9月28日[[エストニア]]と、10月5日[[ラトビア]]と、10月10日[[リトアニア]]とそれぞれ条約を締結し、要求を押し通した。しかしフィンランドはソ連による基地使用及び[[カレリア]]地方の割譲などの要求を拒否。そこでソ連は[[レニングラード]]防衛を理由に、11月30日からフィンランドに侵攻（[[冬戦争]]）。この侵略行為により、ソ連は[[国際連盟]]から除名処分となる。さらに12月中旬、フィランド軍の反撃でソ連軍は予想外の大損害を被った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1940年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1940 map de.png|right|thumb|ドイツのフランス占領（1940年）]]&lt;br /&gt;
2月11日、前年からフィンランドに侵入したソ連軍は総攻撃を開始。フィンランド軍防衛線を突破した。その結果3月13日、フィンランドは[[カレリア]]地方などの領土をソ連に割譲して講和した。&lt;br /&gt;
さらに[[ソビエト連邦|ソ連]]は[[バルト三国]]に圧力をかけ、ソ連軍の通過と親ソ政権の樹立を要求し、その回答を待たずに3国へ侵入。そこに親ソ政権を組織して反ソ分子を逮捕・虐殺・シベリア収容所送りにし、ついに[[バルト諸国占領|これを併合]]した。同時にソ連は[[ルーマニア]]に[[ベッサラビア]]を割譲するように圧力をかけ、[[1940年]]6月にはソ連軍がベッサラビアと[[ブコビナ]]北部に侵入し、領土を割譲させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月、ドイツは中立国であった[[デンマーク]]と[[ノルウェー]]に突如侵攻し（[[北欧侵攻]]）占領した。しかし、ノルウェー侵攻で脆弱なドイツ海軍は多数の水上艦艇を失った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月10日、[[西部戦線]]のドイツ軍は、戦略的に重要な[[ベルギー]]や[[オランダ]]、[[ルクセンブルグ]]の[[ベネルクス]]3国に侵攻（[[オランダにおける戦い (1940年)|オランダにおける戦い]]）。オランダは5月15日に降伏し、政府は王室ともどもロンドンに亡命。また[[ベルギー]]政府もイギリスに亡命し、5月28日にドイツと休戦条約を結んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Fort de Schoenenbourg main entrance 11-2005.jpg|left|thumb|マジノ線の要塞]]&lt;br /&gt;
[[画像:Nazi-parading-in-elysian-fields-paris-desert-1940.png|left|thumb|パリでパレードを行うドイツ軍]]&lt;br /&gt;
ドイツ軍は、フランスとの国境沿いに、外国からの侵略を防ぐ楯として期待されていた巨大要塞・[[マジノ線]]を迂回。アルデンヌ地方の深い森を突破し、フランス東部に侵入。[[電撃戦]]で瞬く間に制圧し（[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]）、フランス/イギリスの連合軍を[[英仏海峡]]の[[ダンケルク]]へ追い詰めた。&lt;br /&gt;
一方、イギリス海軍は英仏連合軍を救出するため[[ダイナモ作戦]]を展開。その際、ドイツ軍が妨害をしなかったため、約3万人の捕虜と多くの兵器類は放棄したものの、精鋭部隊は撤退させる事に成功。6月4日までにダンケルクから約34万人もの英仏連合軍を救出した。イギリスの[[ウィンストン・チャーチル]]首相は後に出版された回想録の中で、この撤退作戦を「第二次世界大戦中で最も成功した作戦であった」と記述した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにドイツ軍は首都パリを目指す。敗色濃厚なフランス軍は散発的な抵抗しか出来ず、6月10日にはパリを放棄。同日、フランスが敗北濃厚になったのを見て[[ムッソリーニ]]のイタリアも、ドイツの勝利に相乗りせんとばかりに、イギリスとフランスに対し宣戦布告した。6月14日、ドイツ軍は戦禍を受けてないほぼ無傷のパリに入城した。6月22日、フランス軍はパリ近郊[[コンピエーニュの森]]においてドイツ軍への降伏文書に調印した。&amp;lt;ref&amp;gt;この調印に際してドイツ軍は第一次世界大戦時に当時のドイツ軍が連合軍に対する降伏文書に調印した[[国際寝台車会社#食堂車2419D|食堂車]]を特別に調印場所として用意した。&amp;lt;/ref&amp;gt;なお、その生涯でほとんど国外へ出ることが無かったヒトラーが自らパリへ赴き、パリ市内を自ら視察し即日帰国した。その後、ドイツによるフランス全土に対する占領が始まった直後、講和派の[[フィリップ・ペタン]]元帥率いる政権[[ヴィシー政権]]が樹立される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、ロンドンに亡命した元国防次官兼陸軍次官の[[シャルル・ド・ゴール]]が「[[自由フランス]]国民委員会」を組織する傍ら、ロンドンの[[英国放送協会|BBC]]放送を通じて対独抗戦の継続と親独的中立政権であるヴィシー政権への抵抗を国民に呼びかけ、イギリスやアメリカなどの連合国の協力を取り付けてフランス国内の[[レジスタンス]]を支援した。&amp;lt;ref&amp;gt;法的にはペタン元帥率いるヴィシー政府は合法的な正統政府であり、ド・ゴールの自由フランス亡命政府は、新政府の方針に反旗を翻し、脱走した陸軍将校ド・ゴールによる非合法的政府ともいえる。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月3日、イギリス海軍[[H部隊]]がフランス植民地[[アルジェリア]]のメルス・エル・ケビールに停泊中のフランス海軍艦船を、ドイツ側戦力になることを防ぐ目的で攻撃し、大損害を与えた（[[メルセルケビール海戦|カタパルト作戦]]）。アルジェリアのフランス艦艇は、[[ヴィシー]]政権の指揮下にあったものの、ドイツ軍に対し積極的に協力する姿勢を見せていなかった。それにも拘らず、連合国軍が攻撃を行って多数の艦艇を破壊し、多数の死傷者を出したために、親独派のヴィシー政権のみならず、[[ド・ゴール]]率いる自由フランスさえ、イギリスとアメリカの首脳に対し猛烈な抗議を行った。また、イギリス軍と[[自由フランス軍]]は9月に西アフリカの[[ダカール]]攻略作戦（[[ダカール沖海戦|メナス作戦]]）を行ったが失敗に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西ヨーロッパから連合軍を追い出したドイツは、イギリス本土への上陸を目指し、上陸作戦「[[アシカ作戦]]」の前哨戦として、ドイツ空軍総司令官[[ヘルマン・ゲーリング]]は、8月13日から本格的に対イギリス航空戦「[[バトル・オブ・ブリテン]]」を開始するよう指令。この頃、イギリス政府はドイツ軍の上陸と占領に備え、王室と政府をカナダへ避難する準備と、都市爆撃の激化に備えて[[学童疎開]]を実施。イギリス国民と共に、国家を挙げてドイツ軍の攻撃に抵抗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリス空軍は、[[スーパーマリン スピットファイア|スピットファイア]]や[[ホーカー ハリケーン]]などの戦闘機や、当時実用化されたばかりの[[レーダー]]を駆使して激しい空中戦を展開。ドイツ空軍は、[[ハインケル]]He-111やユンカース[[Ju-88]]などの爆撃機で、当初は軍需工場、空軍基地、レーダー施設などを爆撃していたが、やがてロンドンなど、イギリスの諸都市に対して無差別爆撃を行った。[[メッサーシュミット]][[Bf-109]][[戦闘機]]の航続距離不足で爆撃機を十分護衛できず、爆撃隊は大損害を被り、また開戦以来、電撃戦で大戦果を上げてきた急降下爆撃機も大損害を被った。その結果、ドイツ空軍は9月15日以降、昼間のロンドン空襲を中止。その後、ヒトラーはイギリス上陸作戦を無期延期にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参戦したイタリアは9月、北アフリカの植民地[[リビア]]から[[エジプト]]へ、10月には[[バルカン半島]]の[[アルバニア]]から[[ギリシャ]]へ、準備をきちんとせず性急に侵攻したが、11月にはイタリア東南部の[[タラント]]軍港が、[[航空母艦]]から発進したイギリス海軍機の夜間爆撃に遭い、イタリア艦隊は大損害を被った。またギリシャ軍の反撃に遭ってアルバニアまで撃退され、12月にはイギリス軍に逆にリビアへ侵攻されるありさまであった。&lt;br /&gt;
この年には枢軸国の日本、ドイツ、イタリアが日独伊三国同盟を結んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1941年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1941 map de.png|thumb|ドイツのバルカン半島侵攻（1941年）]]&lt;br /&gt;
イギリスは[[イベリア半島]]先端の[[植民地]]&amp;lt;ref&amp;gt;アフリカ方面では、アフリカ大陸に広大な植民地を持つフランスが降伏したことに伴い、北部のフランス植民地、[[アルジェリア]]と[[チュニジア]]、[[モロッコ]]、アフリカの東沖[[マダガスカル]]島などがヴィシー政権の管理下となった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[ジブラルタル]]と、[[北アフリカ]]の[[エジプト]]・[[アレキサンドリア]]を地中海の東西両拠点とし、[[クレタ島]]や[[キプロス]]など[[地中海]]&amp;lt;ref&amp;gt;イギリスのウィンストン・チャーチル首相は地中海のことを「ヨーロッパの下腹」と呼んだ。&amp;lt;/ref&amp;gt;を確保して枢軸国軍に対する反撃を企画していた。2月までに北アフリカ・リビアの東半分[[キレナイカ]]地方を占領し、ギリシャにも進駐した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方ドイツ軍は、劣勢のイタリア軍支援のため、[[エルヴィン・ロンメル]]陸軍[[大将]]率いる「[[ドイツアフリカ軍団]]」を投入。2月14日にリビアの[[トリポリ (リビア)|トリポリ]]に上陸後、迅速に攻撃を開始し、イタリア軍も指揮下に置きつつイギリス軍を撃退した。4月11日にはリビア東部の[[トブルク]]を包囲したが、占領はできなかった。さらに5月から11月にかけて、エジプト国境のハルファヤ峠で激戦になり前進は止まった。ドイツ軍は88ミリ砲を駆使してイギリス軍戦車を多数撃破したが、補給に問題が生じて12月4日から撤退を開始。12月24日にはベンガジがイギリス軍に占領され。翌年1月6日にはエル・アゲイラまで撤退する。&lt;br /&gt;
[[画像:Rommel with his aides.jpg|left|thumb|180px|砂漠の狐ことロンメル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月6日、ドイツ軍は[[ユーゴスラビア|ユーゴスラビア王国]]や[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]などの[[バルカン半島]]（[[バルカン半島の戦い]]）諸国や[[ギリシア]]など[[エーゲ海]]島嶼部に相次いで侵攻。続いてクレタ島に空挺部隊を降下（[[クレタ島の戦い]]）させ、大損害を被りながらも同島を占領した。ドイツはさらにジブラルタル攻撃を計画したが[[中立国]]スペインはこれを認めなかった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[6月22日]]、ドイツは不可侵条約を破り、北はフィンランドから南は黒海に至る線から、イタリア、ルーマニア、ハンガリーなど他の枢軸国と共に約300万の軍で対ソ侵攻作戦（[[バルバロッサ作戦]]）を開始。[[独ソ戦]]が始まった。ソ連首相[[スターリン]]は情報部から、ドイツ軍の動向を繰り返し警告されていたが、それらはイギリスが意図的に流した[[偽情報]]と考え、侵攻に備えていなかった。そのため開戦当初、[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]（[[赤軍]]）の前線部隊は混乱し、膨大な数の戦死者、捕虜を出し敗北を重ねる。ドイツ軍は7月16日に[[スモレンスク]]、9月19日に[[キエフ]]を占領。さらに北部のレニングラードを包囲し、10月中旬には首都[[モスクワ]]に接近。市内では一時混乱状態も発生し、ソ連政府は約960㎞離れたクイビシェフへ疎開を余儀なくされた。しかし、その頃からドイツ軍は泥まみれの悪路に難儀し、さらに戦線が伸びきって補給に問題が生じ、前進は鈍った。またソ連軍の新型[[T-34]][[中戦車]]、[[KV-1]][[重戦車]]、「[[カチューシャ (兵器)|カチューシャ]]」ロケット砲などに苦戦。また、冬に備えた装備も不足したまま、11月には例年より早い[[冬将軍]]の到来で厳しい寒さに見舞われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ポーランドとフィンランド侵攻、バルト3国併合などの理由で、それまでソ連と距離をおいていた連合国側は、独ソ戦開始後、ソ連を連合国に受け入れることを決定。武器供与法にしたがって膨大な物資の援助が始まる。一方、ドイツは日本に対し、東から対ソ攻撃を行うよう働きかけるが、日本は独ソ戦開始前の1941年4月13日には[[日ソ中立条約]]を締結していた。また南方の資源確保を目指した日本政府は、東南アジア・太平洋方面進出を決め、対ソ参戦を断念する。[[リヒャルト・ゾルゲ]]など、日本に送り込んだ[[スパイ]]の情報により、日本の対ソ戦放棄を知ったソ連は、極東ソ連軍の一部をヨーロッパに振り分け、これがその後、影響を与える事となった。ドイツ軍は厳寒のなか、11月19日、南部の[[ロストフ]]も占領し、モスクワ近郊約23kmにまで迫ったが12月5日、ソ連軍は反撃を開始してドイツ軍を150km以上も撃退した。ナチス・ドイツは開戦以来、かつて無い深刻な敗北を喫した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[12月7日]]（現地時間）、日本海軍機が[[ハワイ]]を攻撃し[[太平洋戦争]]が勃発。それを受けて12月11日、ドイツ、イタリアがアメリカに宣戦布告。[[アメリカ合衆国]]が連合国の一員として正式に参戦し、ここにきて名実ともに世界大戦となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1942年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1941-1942 map de.png|thumb|ドイツのソビエト侵攻（1941年から1942年）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Germans in Stalingrad.jpg|left|thumb|スターリングラードで戦うドイツ兵]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東部戦線では、モスクワ方面のソ連軍の反撃はこの年の春までには衰え、戦線は膠着状態となる。ドイツ軍は、5月から南部のハリコフ東方で攻撃を再開する。さらに夏季攻勢[[ブラウ作戦]]を企画。ドイツ軍の他、ルーマニア、ハンガリー、イタリアなどの枢軸軍は6月28日から攻撃を開始し、[[ドン川]]の湾曲部から[[ボルガ川]]西岸の[[ヴォルゴグラード|スターリングラード]]&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[ヴォルゴグラード]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;、コーカサス（[[カフカス]]）地方の油田地帯を目指す。一方ソ連軍は後退を続け、スターリングラードへ集結しつつあった。7月23日、ドイツ軍はコーカサスの入り口の[[ロストフ]]を占領。8月9日、[[マイコプ]]油田を占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ海軍の[[カール・デーニッツ]]潜水艦隊司令官率いる[[Uボート]]は、イギリスとアメリカを結ぶ海上輸送網の切断を狙い、北大西洋を中心にアメリカ、[[カナダ]]沿岸や[[カリブ海]]、インド洋にまで出撃し、多くの連合国の艦船を撃沈。損失が建造数を上回る大きな脅威を与えた。しかし、米英両海軍が航空機や艦艇による哨戒活動を強化したため、逆に多くのUボートが撃沈され、その勢いは限定される事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月23日から[[スターリングラード攻防戦]]が開始された。まず空軍機で爆撃し、9月13日から市街地へ向けて攻撃が開始。連日壮絶な市街戦が展開された。しかし、10月頃よりドイツ軍の勢いが徐々に収まってゆく。11月19日、ソ連軍は反撃を開始し、同23日には逆に枢軸軍を包囲する。12月12日、[[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]]元帥は南西方向から救援作戦を開始し、同19日には約35㎞まで接近するが、24日からのソ連軍の反撃で撃退され、年末には救援作戦は失敗する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北アフリカ戦線では、[[エルヴィン・ロンメル]]将軍率いるドイツ・イタリアの枢軸軍が、この年の1月20日から再度攻勢を開始。6月21日、前年には占領できなかった[[トブルク]]を占領。同23日には[[エジプト]]に侵入し、30日には[[アレクサンドリア]]西方約100㎞のエル・アラメインに達した。しかし、補給の問題と燃料不足で進撃を停止する。10月23日から開始された[[エル・アラメインの戦い]]でイギリス軍に敗北し、再び撤退を開始。11月13日、イギリス軍はトブルクを、同20日には[[ベンガジ]]を奪回する。同盟国イタリア軍は終始頼りなく、事実上一国のみで戦うドイツ軍は、自らの攻勢の限界を見る事となる。さらに西方のアルジェリア、モロッコに11月8日、アメリカ軍が上陸し、東西から挟み撃ちに遭う形になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政権取得以後、ナチス・ドイツ政府によってドイツ国内、また開戦後の占領地では過酷な[[恐怖政治]]が行われていた。秘密国家警察[[ゲシュタポ]]、[[ナチス親衛隊]]が国民生活を監視し、反政府的言動を厳しく弾圧したので、一般国民がナチス政権に反対する事はあまりに危険であった。この年の1月20日、ベルリン郊外ヴァンゼーで、「ユダヤ人問題の最終的解決」について協議したヴァンぜー会議を行った。ワルシャワなど[[ゲットー]]のユダヤ人住民に対し、この年の7月から[[アウシュヴィッツ＝ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ＝ビルケナウ]]や[[トレブリンカ強制収容所|トレブリンカ]]、[[ダッハウ強制収容所|ダッハウ]]などの[[強制収容所]]への集団移送が始まった。収容所に併設された軍需工場などで強制労働に従事させ、[[ガス室]]を使って大量殺戮を実行したとされる。大量殺戮は「[[ホロコースト]]」と呼ばれ、1945年にドイツが連合国に降伏する直前まで継続された。最終的に、ホロコーストによるユダヤ人（他にシンティ・[[ロマ人]]や[[同性愛]]者、[[精神障害者]]、[[政治犯]]など数万人を含めた）の死者は諸説あるが、数百万人に達すると言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1943年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war europe 1943-1945 map de.png|right|thumb|連合国に東西から追い詰められるドイツ（1943年から1945年）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Sovietic T34 battle of kursk.jpg|right|thumb|[[クルスク]]の戦いで破壊されたソ連の[[T-34]]戦車]]&lt;br /&gt;
1月10日、スターリングラードを包囲したソ連軍は、総攻撃を開始、包囲されたドイツ第6軍は2月2日、10万近い捕虜を出し降伏。歴史的大敗を喫した。勢いに乗ったソ連軍はそのまま進撃し、2月8日クルスク、2月14日ロストフ、2月15日にはハリコフを奪回する。しかし、3月には、[[マンシュタイン]]元帥の作戦でソ連軍の前進を阻止し、同15日ハリコフを再度占領した。7月5日からの[[クルスク]]の戦いは、史上最大の戦車同士の戦闘となった。ドイツ軍はソ連軍の防衛線を突破できず、予備兵力の大半を使い果たし敗北。以後ドイツ軍は、東部戦線では二度と攻勢に廻ることは無く、ソ連軍は9月24日スモレンスクを占領。11月6日にはキエフを占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北アフリカ戦線では、西のアルジェリアに上陸したアメリカ軍と、東のリビアから進撃するイギリス軍によって、独伊枢軸軍は[[チュニジア]]のボン岬で包囲された。5月13日、ドイツ軍約10万、イタリア軍約15万は降伏し、北アフリカの戦いは連合軍の勝利に終わる。連合国軍はさらに7月10日、イタリア本土の前哨[[シチリア島]]上陸作戦（[[ハスキー作戦]]）を開始し、シチリア島内を侵攻。8月17日にはイタリア本土に面した海峡の街[[メッシナ]]を占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:442 regimental combat team.jpg|left|thumb|フランス領内を進軍するアメリカ軍日系人部隊]]&lt;br /&gt;
連戦連敗を重ね、完全に劣勢に立たされたイタリアでは、元駐英[[大使]]王党派のディーノ・グランディ[[伯爵]]が、7月24日の大評議会で、ファシスト党指導者[[ベニート・ムッソリーニ]]の戦争指導責任を追及した。この動きにムッソリーニの娘婿[[ガレアッツォ・チアーノ]]外務大臣ら、多くのファシスト党閣僚が賛同。孤立無援となったムッソリーニは翌25日午後、国王エマヌエーレ3世から解任を言い渡され、同時に憲兵隊に逮捕され投獄された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月3日]]、イタリア本土上陸も開始された。同日、ムッソリーニの後任、[[ピエトロ・バドリオ]]元帥率いるイタリア新政権は連合国に対し休戦。[[9月8日]]、連合国はイタリア降伏を発表した。[[ローマ]]は直ちにドイツ軍に占領され、国王とバドリオ首相ら新政権は、連合軍占領地域の南部[[ブリンディジ]]へ脱出した。逮捕後、新政権によって[[アペニン山脈]]の[[グラン・サッソ]]山のホテルに幽閉されたムッソリーニは同月12日、ヒトラー直々の任命で、[[ナチス親衛隊]][[オットー・スコルツェニー]][[大佐]]率いる特殊部隊によって救出された。9月15日、ムッソリーニはイタリア北部で、ヒトラーの保護下ナチス・ドイツの傀儡政権「[[イタリア社会共和国]]（サロ政権）」を樹立し、同地域はドイツの支配下に入る。一方、南部のバドリオ政権は10月13日、ドイツへ宣戦布告した。&lt;br /&gt;
[[画像:Gaulle002.jpg|left|thumb|[[チュニジア]]戦線におけるド・ゴール]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[イタリア戦線]]と、その後のヨーロッパ戦線での戦いで、アメリカ陸軍の[[日系アメリカ人]]部隊[[第442連隊戦闘団]]は、アメリカ軍内における深刻な[[人種差別]]を跳ね除け、死傷率314%という大きな犠牲を出しながら、アメリカ陸軍部隊史上最多の[[勲章]]を受けるなど歴史に残る大きな活躍を残した。これは戦後、日系アメリカ人の地位向上に大きく貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、フランスの降伏後、亡命政権・自由フランスを指揮していた[[シャルル・ド・ゴール]]は、ヴィシー政権側につかなかった自由フランス軍を率い、イギリス、アメリカなど連合国軍と協調しつつ、[[アルジェリア]]、[[チュニジア]]などのフランス[[植民地]]やフランス本国で対独抗戦・[[レジスタンス]]を指導した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにこの年、連合国の首脳及び閣僚は1月14日[[カサブランカ]]、8月14 - 24日[[ケベック]]、10月19 - 30日[[モスクワ]]、11月22 - 26日[[カイロ (エジプト)|カイロ]]、11月28 - 12月1日[[テヘラン]]など相次いで会議を行なった。今後の戦争の方針、枢軸国への無条件降伏要求、戦後の枢軸国の処理が話し合われた。しかし、連合国同士の思惑の違いも次第に表面化する事になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1944年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Normandy Invasion, June 1944.jpg|thumb|[[フランス]]の[[ノルマンディー]]に上陸する連合軍]]&lt;br /&gt;
[[画像:Paris1944.jpg|thumb|パリ市内を行く自由フランス軍と連合軍の装甲車]]&lt;br /&gt;
この年の1月、ソビエト軍はレニングラードの包囲網を突破し、900日間におよぶドイツ軍の包囲から解放した。4月には[[クリミア]]、[[ウクライナ]]地方のドイツ軍を撃退、6月22日からは[[バグラチオン作戦]]が行われ、虚を突かれたドイツ[[中央軍集団]]は後退。ソ連はほぼ完全に開戦時の領土を奪回することに成功し、更に[[バルト三国]]、[[ポーランド]]、[[ルーマニア]]などに侵攻していった。&lt;br /&gt;
[[1944年]]8月1日、ポーランドの首都[[ワルシャワ]]では、ソ連軍の呼びかけによりポーランド国内軍やワルシャワ市民が蜂起（[[ワルシャワ蜂起]]）するが、亡命政府系の武装蜂起であったためソ連軍はこれを救援せず、一方ヒトラーはソ連が救援しないのを見越して徹底鎮圧を命じ、その結果約20万人が死亡して10月2日、蜂起は失敗に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、本格的な反攻のチャンスを伺っていた連合軍は6月6日、アメリカ陸軍の[[ドワイト・D・アイゼンハワー|ドワイト・アイゼンハウアー]]将軍指揮の元、北フランス[[ノルマンディー]]地方にアメリカ軍、イギリス軍、カナダ軍、そして（1940年以降ロンドンにあったフランス亡命政権「[[自由フランス]]」の指導者[[シャルル・ド・ゴール]]将軍率いる）自由フランス軍など、約17万5000人の将兵、6,000以上の艦艇、延べ12,000機の航空機を動員した大陸反攻作戦「オーバーロード作戦」（[[ノルマンディー上陸作戦]]）を開始。多数の死傷者を出す激戦の末、上陸を成功させた。1940年6月の[[ダンケルク]]撤退以来約4年ぶりに西部戦線（フランス戦線）が再び構築された。この上陸の2日前、6月4日にはイタリアの首都ローマが解放された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敗北を重ねるドイツでは、ヒトラーを暗殺し連合軍との講和を企む声が強まり1944年7月20日、国内予備軍司令部参謀長[[伯爵]][[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]][[大佐]]らによる[[ヒトラー暗殺計画]]が実行されたが失敗した。疑心に苛まれたヒトラーは、反乱グループとその関係者約7,000人を逮捕させ、約200人を処刑させた。また、北アフリカ戦線の指揮官で国民的英雄でもある[[エルヴィン・ロンメル]][[元帥]]の関与を疑い、自殺するか裁判を受けるか選択させた上で10月14日、ロンメルは自殺した。&amp;lt;ref&amp;gt;なお、国民の士気の低下を恐れて陸軍の[[英雄]]、ロンメルの死の真相は公にされず、戦傷によるものと発表され、1944年10月18日、盛大な[[国葬]]が営まれた。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノルマンディーのドイツ軍は、必至の防戦により何とか連合軍の進出を食い止めていたが、7月25日の[[コブラ作戦]]で、ついに戦線は突破され、ファレーズ付近で包囲されたドイツ軍は壊滅的状態になった。8月には連合軍はパリ方面へ進撃を開始。また8月16日には南フランスにも連合軍が上陸している（[[ドラグーン作戦]]）。8月25日、自由フランス軍と[[レジスタンス]]によってパリは解放された。その際、ドイツ軍はパリを戦禍から守るべくほぼ無傷のまま明け渡したため、多くの歴史的な建築物や、市街地は大きな被害を受けることはなかった。フランスが解放された事により、親独ヴィシー政権は崩壊。指導者[[フィリップ・ペタン]]将軍は逮捕され、その後[[死刑]]判決を受けた。また、ドイツ軍の占領に協力したいわゆる「対独協力者」の多くが死刑になり、何人かの者は国外に逃亡した。また女性は頭髪を丸坊主にされるなどの制裁を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月3日、イギリス軍は[[ベルギー]]の首都[[ブリュッセル]]を解放した。次いで一撃でドイツを降伏に追い込むべくイギリス軍の[[バーナード・モントゴメリー|モントゴメリー]]元帥は9月17日、[[オランダ]]の[[ナイメーヘン]]付近でライン川支流を越える[[マーケット・ガーデン作戦]]を実行するが、拠点の[[アルンヘム]]を占領できず失敗する。また補給が追いつかず、連合軍は前進を停止。ドイツ軍は立ち直り、1944年中に戦争を終わらせる事は不可能になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Me 262A-1a.jpg|left|thumb|Me262ジェット戦闘機]]&lt;br /&gt;
またこの頃、ドイツ軍はかねてから開発中だった、世界初の実用ジェット戦闘機[[メッサーシュミットMe262]]やジェット爆撃機[[アラド]][[Ar234]]、同じく世界初の[[飛行爆弾]][[V1飛行爆弾]]、次いで世界初の超音速で飛行する弾道[[ミサイル]][[V2ロケット]]など、新兵器を実用化させ、ロンドンやイギリス本土及びヨーロッパ大陸各地の連合軍に対し実戦投入したものの、圧倒的な物量を背景にした連合軍の勢いを止めるには至らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10月9日、スターリンとチャーチルはモスクワで、バルカン半島における影響力について協議した。両者間では、ルーマニアではソ連が90%、ブルガリアではソ連が75%の影響力を行使する他、ハンガリーとユーゴスラビアは影響力は半々、ギリシャではイギリス・アメリカが90%とした。&amp;lt;ref&amp;gt;油井大三郎・古田元夫著、「世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ」（中央公論社 1998年）pp.104-105、および[[ウィンストン・チャーチル]]著、佐藤亮一訳、『第二次世界大戦』第四巻第19章（[[河出書房新社]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、12月16日からドイツ軍はベルギー、[[ルクセンブルグ]]の森林地帯[[アルデンヌ]]地方で、西部戦線における最後の反攻（[[バルジの戦い]]）を試みる。ドイツ軍の、少ない戦力ながら綿密に計画された反攻計画が功を奏し、冬の悪天候をついた突然の反撃により、パニックに陥った連合軍を一時的に約130km押し戻した。しかし、連合軍の拠点バストーニュを占領できず、天候の回復とその後、体勢を立て直した連合国軍の反撃に遭い後退を余儀なくされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、この年の7月から、戦後の世界経済体制の中心となる金融機構について、アメリカ・[[ニューハンプシャー州]]の[[ブレトン・ウッズ]]で45か国が参加した会議が行われ、ここでイギリス側のケインズが提案した清算同盟案と、アメリカ側のホワイトが提案した通貨基金案がぶつかりあった。当時のイギリスは戦争によって沢山の海外資産が無くなっていた上に、33億ポンドの債務を抱えていたため清算同盟案を提案したケインズの案に利益を見出していた。しかし戦後アメリカの案に基づいた[[ブレトン・ウッズ協定]]が結ばれることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1945年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Prisoners liberation dachau.jpg|thumb|連合軍による強制収容所解放を祝うユダヤ人]]&lt;br /&gt;
1月12日、ソ連軍は[[バルト海]]から[[カルパチア山脈]]にかけての線で攻勢を開始。1月17日[[ポーランド]]の首都[[ワルシャワ]]、1月19日[[クラクフ]]を占領し、1月27日には[[アウシュビッツ]][[強制収容所]]を解放した。その後、2月3日までにソ連軍は[[オーデル川]]流域、ドイツの首都[[ベルリン]]まで約65kmのキュストリン付近に進出した。ポーランドは、1939年9月以降独ソ両国の支配下に置かれていたが、今度はその全域がソ連の支配下に入った。2月4日から11日まで、[[クリミア半島]]のヤルタで米英ソ3カ国首脳による[[ヤルタ会談]]が行われた。そこでドイツの終戦処理、ポーランドをはじめ東ヨーロッパの再建、ソ連の対日参戦及び[[南樺太]]や[[千島列島]]・[[北方領土]]の帰属問題が討議された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西部戦線のドイツ軍は1月16日、アルデンヌ反撃の開始地点まで押し返された。その後、連合軍は3月22日から24日にかけて相次いで[[ライン川]]を渡河し、イギリス軍はドイツ北部へ、アメリカ軍はドイツ中部から南部へ進撃する。4月11日には[[エルベ川]]に達し、4月25日にはベルリン南方約100km、エルベ川のトルガウで、米ソ両軍は握手する。南部では4月20日[[ニュルンベルク]]、30日には[[ミュンヘン]]、5月3日にはオーストリアの[[ザルツブルク]]を占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3月15日から、[[ハンガリー]]の首都[[ブダペスト]]奪還と、油田確保のため[[春の目覚め作戦]]を行うが失敗する。この作戦で組織的兵力となりうる軍部隊をほぼ失ったヒトラーは、「ドイツは世界の支配者たりえなかった。ドイツ国民は栄光に値しない以上、滅び去るほかない」と述べ、ドイツ国内の生産施設を全て破壊するよう「焦土命令」（または「ネロ指令」）と呼ばれる命令を発する。しかし、軍需相[[アルベルト・シュペーア]]はこれを聞き入れず破壊は回避された。これ以降ヒトラーは体調を崩し、定期的に行っていたラジオ放送の演説も止め、ベルリンの地下壕に篭もり、国民の前から姿を消す。ソ連軍はハンガリーからオーストリアへ進撃し4月13日、首都[[ウィーン]]を占領した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4月16日、ベルリン正面のソ連軍の総攻撃が開始され、ベルリン東方[[ゼーロウ高地]]以外の南北の防衛線を突破される。4月20日、ヒトラーは最後の誕生日を迎え、[[ヘルマン・ゲーリング]]、[[ハインリッヒ・ヒムラー]]、[[カール・デーニッツ]]らナチスの要人はそれを祝った。しかしその夜、彼らはベルリンから退去し始めた。4月25日、ソ連軍はベルリンを完全に包囲（詳細は[[ベルリンの戦い]]参照）した。このような絶望的状況の中、ドイツ軍はまともな武器も持たない[[ヒトラー・ユーゲント]]など少年兵や老人の志願兵を中心に最後の抵抗を進めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Stars &amp;amp; Stripes &amp;amp; Hitler Dead2.jpg|left|thumb|ヒトラーの自殺を報じるアメリカ軍の新聞]]&lt;br /&gt;
ベルリンを脱出したゲーリングは4月23日、連合軍と交渉すべく、ヒトラーに対し国家の指導権を要求する。[[マルティン・ボルマン]]にそそのかされたヒトラーは激怒し、ゲーリング逮捕を命令するが果たされなかった。4月28日にはヒムラーが、スウェーデンのベルナドッテ伯爵を通じ、連合軍と休戦交渉を試みているニュースがヒトラーのもとに届く。彼はヒムラーの官職の一切を剥奪する。&lt;br /&gt;
一方、開戦前からのヒトラーの盟友、（イタリア降伏後はドイツの傀儡状態となっていた）[[ムッソリーニ]]は逃亡中、スイス国境の[[コモ湖]]付近の村で[[パルチザン]]に捕えられた。[[4月28日]]、愛人のクラレッタ・ペタッチと共に射殺され、その死体は[[ミラノ]]中心部の広場で逆さ吊りで晒された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盟友ムッソリーニが無残にも処刑され、長年共にいた側近の多くが降伏もしくは国内外に逃亡し、追い詰められたヒトラーは、自分の死体を見世物にされたり、宿敵スターリンの手に渡ることを恐れ、[[4月30日]]15時30分頃、ベルリンの地下壕内で、前日結婚した[[エヴァ・ブラウン]]と共に[[ピストル]]自殺（毒薬を飲んでとの説もある）。死体は遺言に沿って焼却された。ヒトラーは遺言で大統領兼国防軍総司令官にデーニッツ海軍元帥を、首相に[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]宣伝相を、ナチス党首および遺言執行人にマルティン・ボルマン党総務局長を指定していたが、ゲッベルスもヒトラーの後を追い5月1日、妻と6人の子供を道連れに自殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連合軍がドイツ国内、オーストリアへ進撃するにつれ、[[ダッハウ]]、ザクセンハウゼン、ブーフェンヴァルト、ベルゲンベルゼン、フロッセンビュルク、マウトハウゼンなど、各地の[[強制収容所]]が次々に解放され、収容者とおびただしい数の死体が発見された。[[ユダヤ人]]絶滅計画をはじめ、ナチスの[[恐怖政治]]、[[ホロコースト]]の実行過程が明るみに出された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Wilhelm Keitel Kapitulation.jpg|thumb|ベルリンでソ連軍に対する降伏文書に署名する[[ヴィルヘルム・カイテル]][[陸軍]][[元帥 (ドイツ)|元帥]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月2日、首都[[ベルリン]]市はソ連軍に占領された。そのときベルリンの女性の多くがソ連兵に[[強姦]]された。ある医師の推定では、ベルリンで[[レイプ]]された10万の女性のうち、その後死亡した人が1万前後、その多くは自殺だった（「ベルリン陥落1945」アントニー・ビーヴァー著白水杜）。また[[東プロイセン]]、[[ポンメルン]]、[[シュレージェン]]での被害者140万人の死亡率は、さらに高かったと推定される。全体で少なくとも200万のドイツ人女性がレイプされ、繰り返し被害を受けた人もかなりの数に上ると推定される（同上より）。ドイツ以外でも、ソ連軍は侵攻した[[ポーランド]]、[[ユーゴスラビア]]、[[オーストリア]]、[[ハンガリー]]でも大規模な暴虐・略奪行為を行い、スイス公使館の報告によると、ハンガリー女性の半数以上が強姦されたという 。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月7日]]、ドイツのほとんどが連合軍に占領され、もはやドイツ軍の兵力も指揮系統も破綻し、ヒトラーの遺言に基づき、彼の跡を継いで指導者となったデーニッツ海軍元帥がソ連を除く連合国に無条件降伏し、[[アルフレート・ヨードル]]上級大将がアイゼンハウアーの司令部に赴き、デーニッツ政府代表として降伏文書に署名した。翌5月8日にはソ連に対しても無条件降伏し、同日[[ベルリン]]市内のカールスホルスト([[:de:Karlshorst|Karlshorst]]) の工兵学校におけるソ連軍に対する降伏式で陸軍代表[[ヴィルヘルム・カイテル]]元帥、海軍代表[[ハンス＝ゲオルク・フォン・フリーデブルク]]提督、空軍代表[[ハンス＝ユルゲン・シュトゥムプフ]] ([[:de:Hans-Jürgen Stumpff|Hans-Jürgen Stumpff]])上級大将 による降伏文書への調印がなされ、ここに1939年9月1日から始まった、ヨーロッパでの戦争は終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Potsdam conference 1945-4.jpg|left|thumb|会談途中でイギリス首相が抜けたポツダム会談の写真]]&lt;br /&gt;
その後7月17日から、ベルリン南西[[ポツダム]]にて、依然交戦中の日本の終戦と日本降伏後の処理を協議する[[ポツダム会談]]が行われた。イギリスのウィンストン・チャーチル首相&amp;lt;ref&amp;gt;会談途中、7月25日の総選挙でチャーチル率いる保守党が労働党に敗北し、[[クレメント・アトリー]]と交代する。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[4月12日]]のルーズベルト大統領の急死に伴い、副大統領から昇格・就任したアメリカの[[ハリー・S・トルーマン]]大統領、ソビエト連邦のヨシフ・スターリン首相が出席した。この会談で日本に対し降伏を勧告する[[ポツダム宣言]]の発表と、ドイツの戦後分割統治が取り決められた[[ポツダム協定]]の締結が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経過（アジア・太平洋） ==&lt;br /&gt;
1941年、日本軍の[[真珠湾]]攻撃で始まる。1942年前半までは日本が破竹の勢いで進撃し、広大な占領地を得た。しかし、[[珊瑚海海戦]]、[[ミッドウェー海戦]]で敗退し、勢いが止まる。1943年には、ソロモン諸島やニューギニアで消耗戦を強いられた。一方、米軍は同年11月から中部太平洋で本格的反攻を開始。1944年には、マリアナ諸島のサイパン島を占領。日本本土の大半は米軍の新型[[戦略爆撃機]][[B-29]]の行動範囲内に入る。日本海軍連合艦隊は壊滅し、神風特攻隊による攻撃が始まる。1945年になると、B-29の本土空襲が激化し、軍需産業と国民の戦意に打撃を与えた。さらに硫黄島、沖縄が陥落。広島・長崎への[[原子爆弾]]投下、ソ連参戦を受け、天皇の意思により日本は[[ポツダム宣言]]を受諾。8月15日終戦となったが、ソ連軍の攻撃は終戦後も続き、日本は北方領土を占領された。9月2日、米戦艦[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]艦上で[[降伏文書]]に調印し、日本は正式に降伏した。1941年12月8日（日本時間）から1945年9月2日までの戦争を、[[大東亜戦争]]（当時の日本政府による呼称）若しくは、[[太平洋戦争]]（当時の連合国による呼称）と呼ぶ。また、地理的正確さを重視して、[[アジア・太平洋戦争|アジア太平洋戦争]]と呼ぶ論者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本の参戦 ===&lt;br /&gt;
1939年8月の独ソ不可侵条約締結は日本に衝撃を与え、当時の[[平沼騏一郎]]内閣は総辞職。その後もヨーロッパの戦争に不介入の方針をとっていたが、1940年6月、フランス降伏、枢軸国の勢力が拡大するに及んで[[近衛文麿]]内閣は同年9月27日、日独伊三国同盟を締結した。親独ヴィシー政権成立後、中国への援助ルート遮断を目的に日本軍は北部[[仏印進駐]]を開始した。アメリカとの戦争回避のため、日米交渉が1941年4月から開始されたが、軍部の強硬姿勢や[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領の対日強硬策などにより交渉は難航した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1941年6月の独ソ戦開始後、陸軍の一部には対ソ参戦を目指す北進論もあったが、[[ノモンハン事件]]での敗北後は北進に消極的な意見が強く、また資源確保には南進が重要であり、[[蘭印]]（[[オランダ]]領インド、現[[インドネシア]]）からの軍事物資大量買付け交渉が失敗すると、同年7月28日の南部仏印進駐を開始した。アメリカは対抗措置として在米日本資産を凍結。さらに石油禁輸に踏み切った。これによってアメリカ・イギリス・中華民国・オランダとの関係がいっそう冷え込み、日本ではそれぞれの国の英語の頭文字をとって[[ABCD包囲網]]と呼んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
外務省は同年晩秋まで日米交渉を続けたが、同年10月18日、強硬派の陸軍大将[[東条英機]]内閣が成立。中国からの撤退で妥協する事は不可能となった。&lt;br /&gt;
[[11月26日]]、アメリカの[[コーデル・ハル]]国務長官から[[来栖三郎 (外交官)|来栖三郎]][[特命全権大使]]、[[野村吉三郎]]駐米大使に通称[[ハル・ノート]]が手渡された。中国大陸から全面撤退すべし、との強硬な撤退要求を受け、日本政府はこれを、全占領地からの撤退要求と解釈。事実上の[[最後通牒]]と認識し、日米交渉は完全に決裂した。同日、日本海軍機動部隊は[[南千島]]の[[択捉島]][[単冠湾]]（ヒトカップ湾）からハワイに向け出港した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月1日の[[御前会議]]で、事実上軍部に牛耳られていた日本政府は対英米蘭開戦を決定。こうして日本は第二次世界大戦へ参戦する事となった。なお、日本政府がハル・ノートの内容に憤慨し、野村吉三郎大使に対しアメリカ政府との交渉打ち切りを指示していた事を、既にアメリカ政府は[[暗号解読]]によって察知していたといわれている。また、当時ナチスドイツに対し劣勢だったイギリスの[[ウィンストン・チャーチル]]首相、中華民国の[[蒋介石]]総統らによるアメリカ参戦の要望も強かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1941年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war asia 1937-1942 map de.png|thumb|占領地域を広げる日本（1937年から1942年）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Carrier shokaku.jpg|thumb|[[真珠湾]]攻撃に向かう[[零式艦上戦闘機]]]]&lt;br /&gt;
[[12月8日]]（[[日本標準時|JST]]）、6隻の[[航空母艦]]から発進した日本海軍機による当時のアメリカ自治領[[ハワイ]]・[[真珠湾]]のアメリカ海軍太平洋艦隊に対する攻撃（[[真珠湾攻撃]]）が行われた。日本海軍は、アメリカ太平洋艦隊をほぼ壊滅させたが、第2次攻撃隊を送らず、[[オアフ島]]の燃料タンクや港湾設備を徹底的に破壊しなかった事、攻撃当時アメリカ[[空母]]が出港中で、空母と艦載機を破壊できなかった事が、後の戦況に影響を及ぼす事になる。[[画像:Attack on Pearl Harbor Japanese planes view.jpg|left|thumb|[[日本海軍]]による[[真珠湾攻撃]]で雷撃を受ける[[アメリカ海軍]][[戦艦]]（1941年）]]&lt;br /&gt;
[[画像:Loss of HMS Prince of Wales and HMS Repulse.jpg|thumb|日本海軍の攻撃を受けるイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋艦レパルス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
12月10日、日本海軍双発爆撃機隊（[[九六式陸上攻撃機]]と[[一式陸上攻撃機]]）の巧みな攻撃により、当時世界最強の海軍を自認していた[[イギリス海軍]][[東洋艦隊 (イギリス)|東洋艦隊]]の、当時最新鋭の戦艦[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]と巡洋戦艦[[レパルス (巡洋戦艦)|レパルス]]を一挙に撃沈した（[[マレー沖海戦]]）。なお、これは史上初の航空機の攻撃のみによる行動中の戦艦の撃沈であり、この成功はその後の世界各国の戦術に大きな影響を与えた。なお、当時のイギリス首相チャーチルは後に「第二次世界大戦中にイギリスが最も大きな衝撃を受けた敗北だ」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリス軍への攻撃は宣戦布告無く開始され、アメリカ政府への宣戦布告文書交付は、駐米[[大使館]]での暗号文書き起こし、大使館員のタイプ遅延などのため、[[外務省]]の指令時間より1時間近くも遅れた。このため、英米への攻撃が「だまし討ちだ」と、その後長年に渡ってアメリカ政府によって喧伝される事となった（なお、1939年9月のドイツとソ連のポーランド攻撃は完全に宣戦布告が行なわれかったが、このように喧伝されることは無かった。さらに、戦時国際法では期限のない最後通牒を、事実上の宣戦布告とみなすことは可能、とするのが通説であることに鑑みれば、ハル・ノートを突きつけられた時点で、これは宣戦布告に等しい、とみなす考えも有る。[[最後通牒]]の項も参照されたし）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かねてより参戦の機会を窺っていたアメリカは、真珠湾攻撃を理由に連合軍の一員として正式に参戦した。また、既に日本と[[日中戦争]]（[[支那事変]]）で戦争状態の中華民国は12月9日、日独伊に対し正式に宣戦布告（詳細は「日中戦争」の項を参照）。12月11日には、日本の対連合国へ宣戦を受け、日本の同盟国ドイツ、イタリアもアメリカへ宣戦布告。これにより、戦争は名実ともに世界大戦としての広がりを持つものとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Japanese troops enter Hong Kong.jpg|thumb|香港に入城する日本陸軍]]&lt;br /&gt;
当時日本海軍は、短期間で勝利を重ね、有利な状況下でアメリカ軍をはじめ、連合軍と停戦に持ち込むことを画策。そのため、負担が大きくしかも戦略的意味が薄い、という理由でハワイ諸島への上陸は考えていなかった。しかし、ルーズヴェルト大統領以下、当時のアメリカ政府首脳は、日本軍のハワイ上陸を本気で危惧し、ハワイ駐留軍の本土への撤退を想定していた。さらに、日本海軍空母部隊によるアメリカ本土西海岸空襲、アメリカ本土侵攻の可能性が高い、と分析していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[帝国陸軍|日本陸軍]]は12月8日、タイ国国境に近いイギリス領[[マレー半島]]&amp;lt;ref&amp;gt;当時はイギリスの植民地。&amp;lt;/ref&amp;gt;・コタバルへ上陸し、[[シンガポール]]を目指し半島を南下。同日、日本陸海軍機が[[フィリピン]]&amp;lt;ref&amp;gt;当時はアメリカの植民地。&amp;lt;/ref&amp;gt;の米軍基地を攻撃し、12月10日には[[ルソン島]]へ上陸。さらに太平洋のアメリカ領グアム島も占領。12月23日にはウェーク島も占領。[[画像:Salween River near Burma.jpg|left|thumb|[[ミャンマー|ビルマ]]国境付近で日本軍と戦う中国兵]]&lt;br /&gt;
ボルネオ（[[カリマンタン島|現カリマンタン]]）島&amp;lt;ref&amp;gt;当時はイギリスとオランダの植民地&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[ジャワ島]]と[[スマトラ島]]&amp;lt;ref&amp;gt;オランダの植民地。&amp;lt;/ref&amp;gt;などにおいて、イギリス・アメリカ・オランダなど連合軍に対する戦いで大勝利を収めた。12月25日にはイギリス領[[香港]]を占領した。しかし日本軍は、ポルトガル植民地[[東ティモール]]と、香港に隣接する[[マカオ]]には、中立国植民地を理由に侵攻しなかった。&amp;lt;ref&amp;gt;しかし後にポルトガル政府の暗黙のもと、両地を事実上統治下においた。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国戦線において、中国国民党の蒋介石率いる中華民国政府は、アメリカやイギリス、ソ連からの豊富な軍需物資、戦闘機部隊や軍事顧問など、人的援助を受けた。日本軍は、地の利が有る国民党軍の攻撃に足止めされ、中国共産党軍（[[八路軍]]と呼ばれた）は[[ゲリラ]]戦を展開、絶対数の少ない日本軍を翻弄し、泥沼の消耗戦を余儀なくされた。なお、[[満洲国]]&amp;lt;ref&amp;gt;1932年に日本の協力の元に設立された「五族協和」を国是とした日本の事実上の[[傀儡政権]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;や[[汪兆銘政権|中華民国南京国民政府]]&amp;lt;ref&amp;gt;1940年3月、日本の協力の元に[[汪兆銘]]を首班として南京に設立された政権。&amp;lt;/ref&amp;gt;も、日本と歩調を合わせて連合国に対し宣戦布告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1942年 ===&lt;br /&gt;
東南アジア唯一の独立国だった[[タイ王国]]は、当初は中立を宣言していたが12月21日、日本との間に[[日泰攻守同盟条約]]を締結し、事実上枢軸国の一国となった事で、この年の[[1月8日]]からイギリス軍やアメリカ軍が[[バンコク]]など都市部への攻撃を開始。これを受けてタイ王国は[[1月25日]]にイギリスとアメリカに宣戦布告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2月、日本海軍[[伊号第一七潜水艦]]が、アメリカ西海岸[[カリフォルニア州]]・サンタバーバラ市近郊エルウッドの製油所を砲撃。製油所の施設を破壊した。続く同6月、[[オレゴン州]]のアメリカ海軍基地を砲撃し被害が出た事も有り、アメリカは本土への日本軍上陸を危惧した。一方、早期和平を意図していた日本はアメリカ本土侵攻の意図は無かった。しかし、これらアメリカ本土攻撃がもたらした日本軍上陸に対するアメリカ政府の恐怖心と、無知による人種差別的感情が、[[日系人の強制収容]]の本格化に繋がったとも言われる。[[画像:WWII SF posters.gif|left|thumb|[[サンフランシスコ]]市内に張り出された日本軍機による空襲時の[[シェルター]]への避難案内と日系アメリカ人に対する強制退去命令]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本海軍は、同月に行われた[[ジャワ沖海戦]]でアメリカ、イギリス、[[オランダ海軍]]を中心とする連合軍諸国の艦隊を打破する。続く[[スラバヤ沖海戦]]では、連合国海軍の巡洋艦が7隻撃沈されたのに対し、日本海軍側の損失は皆無と圧勝した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2月15日]]には、イギリスの東南アジアにおける最大の拠点[[シンガポール]]が陥落。[[画像:Yamashita and Percival discuss surrender terms.jpg|right|thumb|降伏交渉を行う日本軍の[[山下奉文]]大将とシンガポール駐留イギリス軍のアーサー・パーシバル中将]]&lt;br /&gt;
また、3月の[[バタビア沖海戦]]でも日本海軍は圧勝し、相次ぐ敗北によりアジア地域の連合軍艦隊はほぼ壊滅した。まもなく[[ジャワ島]]に上陸した日本軍は疲弊したオランダ軍を制圧し同島全域を占領。この頃、フィリピンの日本軍はコレヒドール要塞を制圧し、太平洋方面の連合国軍総司令官[[ダグラス・マッカーサー]]は多くのアメリカ兵をフィリピンに残したままオーストラリアに逃亡した。また、日本陸軍も3月8日、イギリス植民地ビルマ（現在は[[ミャンマー]]）首都[[ラングーン]]（現在は[[ヤンゴン]]）を占領。日本は連戦連勝、破竹の勢いで占領地を拡大した。しかし、4月18日、空母[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]から発進した米陸軍の双発爆撃機[[B-25 (航空機)|B-25]]による東京空襲（[[ドーリットル空襲]]）は、日本の軍部に衝撃を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Surrender of American troops at Corregidor.jpg|left|thumb|日本軍に降伏する[[フィリピン]]駐留のアメリカ軍兵士]]&lt;br /&gt;
日本海軍航空母艦を中心とした機動艦隊は[[インド洋]]にも進出し、空母搭載機がイギリス領[[セイロン]]&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[スリランカ]]&amp;lt;/ref&amp;gt;の[[コロンボ]]、トリンコマリーを空襲、さらにイギリス海軍の航空母艦[[ハーミーズ (空母・初代)|ハーミーズ]]、重巡洋艦コーンウォール、ドーセットシャーなどに攻撃を加え多数の艦船を撃沈した（[[セイロン沖海戦]]）。[[画像:HMScornwall2.jpg|left|thumb|日本軍の攻撃を受け沈むイギリス海軍巡洋艦「コーンウォール」]]&lt;br /&gt;
イギリス艦隊は大打撃を受けて、日本海軍機動部隊に反撃ができず、当時植民地だった[[アフリカ]]東岸[[ケニア]]の[[キリンディニ]]まで撤退した。なお、この攻撃に加わった潜水艦の一隻である[[伊号第三〇潜水艦]]は、その後8月に戦争開始後初の[[遣独潜水艦作戦]]（第一次遣独潜水艦）としてドイツ&amp;lt;ref&amp;gt;正式にはドイツ占領下のフランス。&amp;lt;/ref&amp;gt;へと派遣され、[[エニグマ (暗号機)|エニグマ暗号機]]などを持ち帰った。イギリス軍は、敵対する親独フランス・ヴィシー政権の植民地、アフリカ沖の[[マダガスカル]]島を、日本海軍の基地になる危険性のあったため、[[南アフリカ]]軍の支援を受けて占領した（[[マダガスカルの戦い]]）。この戦いの間に、日本軍の[[特殊潜航艇]]がディエゴスアレス港を攻撃し、イギリス海軍の戦艦を1隻大破させる等の戦果をあげている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本軍は第二段作戦として、アメリカ・オーストラリア間の[[シーレーン]]を遮断し、オーストラリアを孤立させる「米豪遮断作戦」（[[FS作戦]]）を構想した。5月には、日本海軍の[[特殊潜航艇によるシドニー港攻撃]]が行われ、オーストラリアの[[シドニー]]港に停泊していたオーストラリア海軍の船艇1隻を撃沈した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月7日、8日の[[珊瑚海海戦]]では、日本海軍の空母機動部隊とアメリカ海軍の空母機動部隊が、歴史上初めて航空母艦の艦載機同士のみの戦闘を交えた。この海戦でアメリカ軍は大型空母[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]を失ったが、日本軍も小型空母[[祥鳳 (空母)|祥鳳]]を失い、大型空母[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]も損傷した。この結果、日本軍はニューギニア南部、ポートモレスビーへの海路からの攻略作戦を中止。陸路からの[[ポートモレスビー作戦|ポートモレスビー攻略作戦]]を推進するが、オーウェンスタンレー山脈越えの作戦は困難を極め失敗する。海軍上層部は、アメリカ海軍機動部隊を制圧するため中部太平洋の[[ミッドウェー島]]攻略を決定する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:USS Lexington brennt.jpg|right|thumb|[[珊瑚海海戦]]で日本海軍の攻撃を受け炎上するアメリカ海軍の空母[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]]]&lt;br /&gt;
[[画像:HiryuBurning.jpg|left|thumb|[[ミッドウェー海戦]]で[[急降下爆撃機]]の爆撃を受け炎上する日本海軍の空母[[飛龍 (空母)|飛龍]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
6月4日 - 6日にかけての[[ミッドウェー海戦]]では、日本海軍機動部隊は作戦ミスと油断により主力正規空母4隻（[[赤城 (空母)|赤城]]、[[加賀 (空母)|加賀]]、[[蒼龍 (空母)|蒼龍]]、[[飛龍 (空母)|飛龍]]）を一挙に失い（米機動部隊は正規空母1隻（[[ヨークタウン (CV-5)|ヨークタウン]]）を損失）。加えて300機以上の艦載機と多くの熟練パイロットも失った。この敗北は太平洋戦争（大東亜戦争）の転換点となった。この海戦後、日本海軍保有の正規空母は[[瑞鶴]]、[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]のみとなり、急遽空母の大増産が計画されるが、終戦までに完成した正規空母は4隻（[[大鳳 (空母)|大鳳]]、[[天城 (空母)|天城]]、[[雲龍 (空母)|雲龍]]、[[葛城 (空母)|葛城]]の4隻）のみであった（なお、アメリカは終戦までに[[エセックス級航空母艦|エセックス級空母]]を14隻戦力化させている）。日本軍の圧倒的優位だった空母戦力は拮抗し、アメリカ海軍は予想より早く反攻作戦を開始する。また、[[大本営]]は、相次ぐ勝利に沸く国民感情に水を差さないようにするため、この海戦の大敗をひた隠しにする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:E14Y Type 0 Reconnaissance Seaplane Glen E14Y-11s.jpg|right|thumb|アメリカ本土空襲を行った大日本帝国海軍の零式小型水上偵察機]]&lt;br /&gt;
9月には日本海軍の[[伊一五型潜水艦]][[伊号第二五潜水艦]]の[[潜水艦搭載偵察機]]零式小型水上偵察機がアメリカ西海岸のオレゴン州を2度にわたり空襲、火災を発生させるなどの被害を与えた（[[アメリカ本土空襲]]）。この空襲は、現在に至るまでアメリカ合衆国本土に対する唯一の外国軍機による空襲となっている。相次ぐ敗北に意気消沈する国民に精神的ダメージを与えないため、アメリカ政府も、爆撃があった事実をひた隠しにする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Marines rest in the field on Guadalcanal.jpg|left|thumb|[[ガダルカナル島]]での[[アメリカ海兵隊]]]]&lt;br /&gt;
8月7日、アメリカ海軍は最初の反攻として、[[ソロモン諸島]]のツラギ島および[[ガダルカナル島]]に上陸、完成間近であった飛行場を占領した。これ以来、ガダルカナル島の奪回を目指す日本軍と米軍の間で、陸・海・空の全てにおいて一大消耗戦が繰り広げることとなった（[[ガダルカナル島の戦い]]）。同月に行われた[[第一次ソロモン海戦]]ではアメリカ、オーストラリア海軍などからなる連合軍は日本海軍による攻撃で重巡4隻を失う敗北を喫する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[第二次ソロモン海戦]]で日本海軍は空母[[龍驤 (空母)|龍驤]]を失い敗北し、島を巡る戦況は泥沼化する。10月に行われた[[南太平洋海戦]]では、日本海軍機動部隊が意地を見せ、アメリカ海軍の空母[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]を撃沈、[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]を大破させた。先立って[[サラトガ (空母)|サラトガ]]が大破、[[ワスプ (CV-7)|ワスプ]]を日本潜水艦の雷撃によって失っていたアメリカ海軍は、一時的に太平洋戦線での稼動可能空母が0という危機的状況へ陥った。日本は[[瑞鶴]]以下5隻の稼動可能空母を有し、数の上では圧倒的優位な立場に立ったが、度重なる海戦で熟練搭乗員が消耗し、補給戦が延びきったことにより、新たな攻勢に打って出る事ができなかった。[[画像:USS Wasp (CV-7) brennt.jpg|right|thumb|[[伊19]]潜水艦の放った魚雷が命中、炎上するアメリカ海軍の空母[[ワスプ (CV-7)|ワスプ]]]]&lt;br /&gt;
それでも、数少ない空母を損傷しながらも急ピッチで使いまわした米軍と、ミッドウェーのトラウマもあってか空母を出し惜しんだ日本軍との差はソロモン海域での決着をつける大きな要因になったといえる。その後行われた[[第三次ソロモン海戦]]で、日本海軍は戦艦2隻を失い敗北した。アメリカ海軍はドイツの[[Uボート]]戦法に倣って、[[潜水艦]]による[[通商破壊]]作戦を実行。日本軍の物資・資源輸送船団を攻撃。ガダルカナル島では補給が途絶え、餓死する日本軍兵士が続出した。長引く消耗戦により、1国でイギリス、アメリカ、オーストラリア、中華民国を相手にする日本は次第に守勢に回るようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1943年 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Second world war asia 1943-1945 map de.png|thumb|280px|太平洋上の拠点を失う日本（1943年から1945年）]]&lt;br /&gt;
1月、日本海軍は[[ソロモン諸島]]の[[レンネル島沖海戦]]でアメリカ海軍の重巡洋艦[[シカゴ (CA-29)|シカゴ]]を撃沈する戦果を挙げたが、島の奪回は絶望的となっていた。2月には、日本陸軍はガダルカナル島から撤退（[[ケ号作戦]]）した。半年にも及ぶ消耗戦により、日米両軍に大きな損害が生じた。ソロモン諸島での戦闘は依然続き、7月の[[コロンバンガラ島沖海戦]]で、日本海軍艦艇は巧みな雷撃によりアメリカ艦隊に勝利するが、日本軍は物量に勝る連合軍によって次第に圧迫されていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Yamamoto h63430.jpg|left|thumb|[[山本五十六]][[連合艦隊司令長官]]]]&lt;br /&gt;
4月18日、日本海軍の[[連合艦隊司令長官]]の[[山本五十六]][[海軍大将]]&amp;lt;ref&amp;gt;戦死後海軍[[元帥]]となる。&amp;lt;/ref&amp;gt;が、前線視察のため訪れていた[[ブーゲンビル島]]上空で[[アメリカ海軍情報局]]による[[暗号解読]]を受けた[[ロッキード]][[P-38 (航空機)|P-38]]戦闘機の待ち伏せを受け、乗機の[[一式陸上攻撃機]]を撃墜され戦死した（詳細は「[[海軍甲事件]]」を参照）。しかし大本営は、作戦指導上の機密保持や連合国による宣伝利用の防止などを考慮して、山本長官の死の事実を5月21日まで伏せていた。この頃日本海軍の暗号の多くはアメリカ海軍情報局により解読されており、アメリカ軍は日本海軍の無線の傍受と暗号の解読により、撃墜後間もなく山本長官の死を察知していたことが戦後明らかになった。なお、日本政府は「元帥の仇は増産で（討て）」との標語を作り、山本元帥の死を戦意高揚に利用する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月には北太平洋[[アリューシャン列島]]の[[アッツ島]]にアメリカ軍が上陸。日本軍守備隊は全滅し（[[アッツ島の戦い]]）、[[大本営発表]]で初めて「[[玉砕]]」という言葉が用いられた。。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ニューギニア島]]でも激戦が続いていたが、物資補給の困難から、8月頃より日本軍の退勢となり、年末には同方面の日本軍の最大拠点、[[ラバウル]]は孤立化し始める。一方、初戦の敗退を乗り越え、戦力を整えたアメリカ軍はこの年の11月からいよいよ反攻作戦を本格化させ、南西太平洋方面連合軍総司令官の[[ダグラス・マッカーサー]]が企画した「飛び石作戦（日本軍が要塞化した島を避けつつ、重要拠点を奪取して日本本土へと向かう）」を開始する。11月には[[ギルバート諸島]]のマキン島、[[タラワ島]]の戦いで日本軍守備隊が全滅、同島はアメリカ軍に占領された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Greater East Asia Conference.JPG|thumb|300px|大東亜会議に参加した各国首脳]]&lt;br /&gt;
11月に日本の[[東條英機|東条英機]]首相は、満洲国、[[タイ王国]]、フィリピン、[[ミャンマー|ビルマ]]、[[自由インド仮政府]]、[[汪兆銘政権|南京国民政府]]などの首脳を東京に集めて[[大東亜会議]]を開き、[[大東亜共栄圏]]の結束を誇示する。しかしこの年の年末には、完全に態勢を立て直したアメリカ軍に加え、イギリス軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍、中華民国軍など、数カ国からなる連合軍と、さしたる味方もなく1国で戦う上、兵士の補給や兵器の生産、軍需物資の補給に困難が生じる日本軍との力関係は、連合国有利へと傾いていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1944年 ===&lt;br /&gt;
[[ミャンマー|ビルマ]]方面では日本陸軍とイギリス陸軍との地上での戦いが続いていた。3月、インド北東部アッサム地方の都市でインドに駐留する[[英印軍]]の主要拠点である[[インパール]]の攻略を目指した[[インパール作戦]]とそれを支援する[[第二次アキャブ作戦]]が開始された。スバス・チャンドラ・ボース率いる[[インド国民軍]]まで投入し、劣勢に回りつつあった戦況を打開するため9万人近い将兵を投入した大規模な作戦であった。しかし、補給線を無視した無謀・杜撰な作戦により約3万人以上が命を失う（大半が餓死によるもの）など、日本陸軍にとって歴史的な敗北となった。これ以降、ビルマ方面での日本軍は壊滅状態となる。同作戦の失敗により翌年、[[アウン・サン]]将軍率いるビルマ軍に連合軍へ寝返られ、結果として翌年に日本軍はビルマを失うことになる。&lt;br /&gt;
[[画像:WorldWarII SaipanandTinian1.jpg|left|thumb|サイパンに上陸するアメリカ兵]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月頃には、米軍による通商破壊などで南方からの補給が途絶えていた中国戦線で日本軍の一大攻勢が開始される（[[大陸打通作戦]]）。作戦自体は成功し、中国北部とインドシナ方面の陸路での連絡が可能となったが、中国方面での攻勢はこれが限界であった。6月からは中国・[[成都]]を基地とする[[B-29 (航空機)|B-29]]による北九州爆撃が始まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連合国軍に対し各地で劣勢に回りつつあった日本の陸海軍は、本土防衛のためおよび戦争継続のために必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた地点・地域である[[絶対国防圏]]を設けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:cabinet of Hideki Tojo.jpg|thumb|東條首相と閣僚]]&lt;br /&gt;
6月、最重要地点[[マリアナ諸島]]にアメリカ軍が来襲する。日本海軍はこれに反撃し、[[マリアナ沖海戦]]が起きる。ミッドウェー海戦以降、再編された日本海軍機動部隊は空母9隻という、日本海軍史上最大規模の艦隊を編成し迎撃したが、アメリカ側は15隻もの空母と艦艇、日本の倍近い艦載機という磐石ぶりであった。航空機の質や防空システムで遅れをとっていた日本軍は惨敗を喫する。旗艦[[大鳳 (空母)|大鳳]]以下空母3隻、多くの艦載機と搭乗員を失った日本海軍機動部隊は壊滅した。しかし、戦艦部隊はほぼ無傷で、10月末の[[レイテ沖海戦]]ではそれらを中心とした艦隊が編成される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
陸上では、艦砲射撃、空爆に支援されたアメリカ海兵隊の大部隊が[[サイパン島]]、[[テニアン島]]、[[グアム島]]に次々に上陸。[[7月]]、[[サイパン島]]では3万の日本軍守備隊が玉砕。多くの非戦闘員が死亡した。続く[[8月]]、[[テニアン島]]、[[グアム島]]が連合軍に占領され、アメリカ軍は日本軍が使用していた基地を改修し、大型爆撃機の発着可能な滑走路の建設を開始した。この結果、日本の[[東北地方]]北部と[[北海道]]を除く、ほぼ全土がB-29の航続距離内に入り、本土空襲の脅威を受けるようになる。この年の11月24日から、サイパン島の基地から飛び立ったアメリカ空軍のB-29が東京の[[中島飛行機]][[武蔵野]]製作所を爆撃し、本土空襲が本格化する。太平洋上の最重要拠点・サイパンを失った打撃は大きく、この段階で日本の勝利の可能性は完全に無くなったといってよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカやイギリスのような大型[[戦略爆撃機]]の開発を行っていなかった日本軍は、当時日本の研究員だけが発見していた[[ジェット気流]]を利用し、気球に爆弾をつけてアメリカ本土まで飛ばすいわゆる[[風船爆弾]]を開発。アメリカ本土へ向けて約9,000個を飛来させた。しかし与えた被害は市民数名の死亡、数ヶ所に山火事を起こす程度であった。また、日本海軍は、この年に進水した艦内に攻撃機を搭載した潜水空母「[[伊四〇〇型潜水艦]]」で、当時アメリカ管理下の[[パナマ運河]]を、搭載機の水上攻撃機「[[晴嵐]]」で攻撃する作戦を考案したが、これも戦況の悪化により中止された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:USS White Plains attack by Tokkotai unit 25.10.1945 kk1a.jpg|right|thumb|レイテ沖海戦から始まった特攻。写真は護衛空母[[ホワイト・プレインズ (護衛空母)|ホワイト・プレインズ]]に突入する零戦52型]]&lt;br /&gt;
独裁体制を強化する[[東條英機|東条英機]]首相兼陸軍大臣に対する反発は強く、この年の春頃、[[中野正剛]]などの政治家や、海軍将校などを中心に倒閣運動が行われた。さらに、近衛文麿元首相の秘書官[[細川護貞]]の戦後の証言によると、当時現役の海軍将校で和平派の[[高松宮宣仁親王]]黙認の暗殺計画もあったと言われている。しかし計画が実行されるより早く、サイパン島陥落の責任を取り、東条英機首相兼陸軍大臣率いる内閣が総辞職。[[小磯国昭]]陸軍大将と[[米内光政]]海軍大臣を首班とする内閣が発足した。&lt;br /&gt;
[[画像:Princeton burning.jpg|left|thumb|レイテ沖海戦で日本機の攻撃を受け沈没するアメリカ空母プリンストン]]&lt;br /&gt;
[[画像:Lowering the flag on Zuikaku.jpg|thumb|left|アメリカ軍の攻撃を受け沈没しつつある空母瑞鶴（10月25日14時14分沈没）。]]&lt;br /&gt;
日本は大量生産設備が整っておらず、武器弾薬の大量生産も思うように行かず、その生産力はアメリカ、イギリス一国のそれをも大きく下回っていた。また本土の地下資源も少なく、石油、[[鉄鉱石]]などの物資をほぼ外国や勢力圏からの輸入に頼っていた。連合軍による通商破壊戦で、外地から資源を輸送する船舶の多くを失い、航空機燃料や艦船を動かす重油の供給もままならない状況であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10月には、アメリカ軍はフィリピンの[[レイテ島]]への進攻を開始した。日本軍はこれを阻止するために艦隊を出撃させ、[[レイテ沖海戦]]が起きる。日本海軍は空母瑞鶴などを米機動部隊をひきつける囮に使い、戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]、[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]を主力とする戦艦部隊（栗田艦隊）で、レイテ島上陸部隊を乗せた輸送船隊の殲滅を期した。この作戦は成功の兆しも見えたものの、結局栗田艦隊はレイテ湾目前で反転し、失敗に終わった。この海戦で日本海軍連合艦隊は、空母4隻と武蔵以下戦艦3隻、重巡6隻など多数の艦艇を失い事実上壊滅。組織的な作戦能力を喪失した。また、この戦いにおいて初めて[[神風特別攻撃隊]]が組織され、米海軍の[[護衛空母]]撃沈などの戦果を上げている。アメリカ軍はフィリピンへ上陸し、日本陸軍との間で激戦が繰り広げられた。戦争準備が整っていなかった開戦当初とは違い、[[M4中戦車]]や[[火炎放射器]]など、圧倒的な火力かつ大戦力で押し寄せるアメリカ軍に対し、日本軍は敗走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1945年 ===&lt;br /&gt;
1月にはアメリカ軍は[[ルソン島]]に上陸した。2月には、首都[[マニラ]]を奪回。日本は南方の要所であるフィリピンを失い、南方から日本本土への資源輸送の安全確保はほぼ不可能となり、資源の乏しい日本の戦争継続は厳しくなった。&amp;lt;ref&amp;gt;日本は1940年以来、[[ヴィシー政権]]との協定をもとに[[フランス領インドシナ]]に進駐し続けていたが、前年の連合軍のフランス解放、[[シャルル・ド・ゴール]]によるヴィシー政権と日本の間の協定の無効宣言が行われたことを受け、進駐していた日本軍は[[3月9日]]、「明号作戦」を発動してフランス植民地政府及び駐留フランス軍を武力で解体し、インドシナを独立させた。なお、この頃においてもインドシナ駐留日本軍は戦闘状態に陥る事は少なく、かなりの戦力を維持していたので連合軍も目立った攻撃を行わず、また日本軍も兵力温存のため目立った軍事活動を行なわなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Iwo Jima amtracs.jpg|left|180px|thumb|硫黄島で日本軍の攻撃により擱座したアメリカ軍のLVT]]&lt;br /&gt;
[[画像:Tadamichi Kuribayashi1.jpg|180px|left|thumb|硫黄島で戦死した[[栗林忠道]]陸軍大将]]&lt;br /&gt;
2月から3月後半にかけて[[硫黄島の戦い]]が行われた。圧倒的戦力を有する米海兵隊と島を要塞化した日本軍守備隊の間で太平洋戦争（大東亜戦争）中最大規模の激戦が繰り広げられ、両軍合わせて5万名近くの死傷者（米軍の死傷者が日本軍を上回った）を出した末に、[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]は陥落した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:B-29s dropping bombs.jpg|thumb|[[焼夷弾]]を投下するアメリカ軍の[[ボーイング]][[B-29]]戦略爆撃機]]&lt;br /&gt;
前年末から、アメリカ陸軍航空隊の[[ボーイング]][[B-29]]爆撃機による日本本土への空襲が本格化していた。日本軍は単発エンジンの戦闘機で体当たりするなど必死に迎撃したが、8,000m以上の高々度を高速で飛来し、武装も強固なB-29を撃墜するのは至難の業であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[3月10日]]未明、[[東京大空襲]]によって、一夜にして10万人もの市民の命が失われ、約100万人が家を失った。それまでは軍需工場を狙った高々度精密爆撃が中心であったが、[[カーチス・ルメイ]]少将が爆撃隊の司令官に就任すると、夜間[[無差別爆撃]]で[[焼夷弾]]攻撃が行われるようになった。[[東京]]、[[大阪]]、[[名古屋]]の3大都市の他、[[仙台市|仙台]]、[[横浜市|横浜]]、[[神戸]]、[[福岡市|福岡]]、[[岡山市|岡山]]、[[富山市|富山]]、[[徳島市|徳島]]、[[熊本市|熊本]]、[[佐世保市|佐世保]]など、全国の中小各都市も空襲にさらされる事になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ軍は占領した硫黄島を、[[B-29]]護衛の[[P-51 (航空機)|P-51D]]戦闘機の基地、また損傷・故障してサイパンまで帰還不能のB-29の不時着地として整備した。この結果、B-29迎撃はさらに困難となった。迎撃する戦闘機、熟練した操縦士も、底をついていた日本軍は、十分な反撃もできなかった。当時ドイツの技術を参考にジェット機「橘花」を開発し、敗戦直前の8月7日に初飛行に成功するが、結局実用化には至らなかった。また、連合軍の潜水艦攻撃や、機雷敷設により日本は沿岸の制海権も失っていく。アメリカ軍空母機動部隊は日本沿岸の艦砲射撃や、[[艦載機]]による空襲、機銃掃射を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[4月1日]]、連合軍は[[沖縄本島]]へ上陸。多数の民間人をも動員した凄惨な地上戦が行われた。支援のため沖縄に向かった戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]も4月7日に撃沈。残るはわずかな空母、戦艦のみとなり、ここに日本海軍連合艦隊は完全に壊滅した。連合軍の艦艇に対する[[神風特別攻撃隊]]による攻撃が毎日のように行われ、連合軍艦艇に甚大な被害を与える。日本軍は[[練習機]]さえ動員し、必死の反撃を行うが、やがて特攻への対策法を編み出した連合軍艦艇に対し、あまり戦果を挙げられなくなっていた。沖縄戦は両軍と民間人に死傷者数十万人を出し、日本国内で民間人を巻き込んだ地上戦となった。日本の軍民総動員の反撃で、アメリカ軍に大きな被害を与えたが、6月23日には沖縄は陥落する。&lt;br /&gt;
[[画像:Battleship Yamato sinking.jpg|thumb|180px|left|米軍航空隊の爆撃で炎上する大和（1945年4月7日）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
満洲国は南方戦線から遠く、[[日ソ中立条約]]により、ソ連との間で戦闘にならず、開戦以来平静が続いたが、前年の末には、[[昭和製鋼所]]（鞍山製鉄所）などの重要な工業地帯が、中華民国領内発進のB-29の空襲を受け始めた。また、同じく日本軍の勢力下にあった[[ミャンマー|ビルマ]]では開戦以来、元の宗主国イギリスを放逐した日本軍と協力関係にあったが、日本軍が劣勢になると、ビルマ国軍の一部が日本軍に対し決起。3月下旬には「決起した反乱軍に対抗する」との名目で、指導者[[アウン・サン]]はビルマ国軍を[[ラングーン]]に集結させたが、集結後日本軍に対する攻撃を開始。同時に他の勢力も一斉に蜂起し、イギリス軍に呼応した抗日運動が開始され、5月にラングーンから日本軍を放逐した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[5月7日]]、唯一の同盟国ドイツが連合国に降伏。ついに日本はたった一国で連合国と戦う事になる。内閣は[[鈴木貫太郎]]首相の下で、連合国との和平工作を始めたが、このような状況に陥ったにもかかわらず、敗北の責任を回避し続ける[[大本営]]の議論は迷走を繰り返す。一方、「神洲不敗」を信奉する軍の強硬派はなおも[[本土決戦]]を掲げ、「日本国民が全滅するまで一人残らず抵抗を続けるべきだ」と[[一億玉砕]]を唱えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すでに2月、[[ヤルタ会談]]の密約、ヤルタ協約で、ソ連軍は満州、朝鮮半島、樺太、千島列島へ北方から侵攻する予定でいた。次いで7月17日から[[ドイツ]]の[[ベルリン]]郊外の[[ポツダム]]で、米英ソによる首脳会談が行われた。同26日には、日本の無条件降伏と、戦後処理に関する[[ポツダム宣言]]が発表された。鈴木内閣は、中立条約を結んでいたソ連による和平仲介に期待し、同宣言を黙殺する態度に出た。このような降伏の遅れは、その後の本土空襲や[[原子爆弾]]投下、日本軍や連合軍の兵士だけでなく、日本やその支配下の国々の一般市民にも更なる惨禍をもたらすことになった。もしここで、ポツダム宣言をすぐに受け入れて降伏していれば、少なくとも[[広島市|広島]]・[[長崎市|長崎]]への原爆投下は無かったかも知れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またアメリカ、イギリスを中心とした連合軍による、[[九州]]地方上陸作戦「オリンピック作戦」、その後関東地方への上陸作戦も計画されたが、日本の軍民を結集した強固な反撃で、双方に数十万人から百万人単位の犠牲者が出ることが予想され、計画は実行されなかった。&lt;br /&gt;
[[画像:Atomic cloud over Hiroshima.jpg|thumb|[[広島市|広島]]に投下された原子爆弾のきのこ雲]]&lt;br /&gt;
[[画像:UrakamiTenshudoJan1946.jpg|thumb|原子爆弾で破壊された[[長崎市|長崎]]の[[浦上天主堂]]]]&lt;br /&gt;
アメリカの[[ハリー・S・トルーマン]]大統領は、日本本土侵攻による自国軍の犠牲者を減らす名目と、日本の分割占領を主張するソ連の牽制目的、日本の降伏を急がせる目的、さらに非[[白人]]種への[[人種差別]]意識も影響し、史上初の原子爆弾の使用を決定。[[8月6日]]に[[広島市への原子爆弾投下]]、次いで[[8月9日]]に[[長崎市への原子爆弾投下]]が行われ、投下直後に死亡した十数万人にあわせ、その後の放射能汚染などで20万人以上の死亡者を出した。なお、当時日本でも、独自に原子爆弾の開発を行っていたが、必要な資材・原料の調達が不可能で、ドイツ、イタリアなどからの亡命科学者と資金を総動員した、アメリカの[[マンハッタン計画]]には遠く及ばなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソビエト連邦は、上記のヤルタ会談での密約を元に、締結後5年間（[[1946年]]4月まで）有効の[[日ソ中立条約]]を破棄、[[8月8日]]、[[ソ連対日宣戦布告|対日宣戦布告]]し翌9日、[[満州国]]へ侵攻を開始した（[[8月の嵐作戦]]）。当時、満洲国駐留の日本の関東軍は、主力を南方へ派遣し、弱体化していたため総崩れとなり、組織的な抵抗もできずに敗退した。逃げ遅れた日本人開拓民の多くが混乱の中で生き別れ、後に[[中国残留孤児]]問題として残る事となった。また、ソ連参戦で満洲と朝鮮北部、南樺太などの戦いで日本軍人約60万人が捕虜として[[シベリア]]へ抑留された（[[シベリア抑留]]）。彼らはその後、ソ連によって過酷な環境で重労働をさせられ、6万人を超える死者を出した。満洲・南樺太・朝鮮半島に住む日本人女性は、流刑囚から多く結成されたソ連軍によって集団的に[[強姦]]され（ソ連軍による組織的強姦）、満洲から引き上げる日本人女性の一部は中華民国国民党軍や中国共産党軍に拉致され慰安婦にされるなど、多大な被害を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような事態にいたってもなお日本軍部指導層は降伏を回避しようとし、[[御前会議]]での議論は迷走した。しかし鈴木首相が[[昭和天皇]]に発言を促し、天皇自身が和平を望んでいることを直接口にした事により、議論は収束した。[[8月14日]]、同宣言受諾の意思を通告し、翌[[8月15日]]正午の昭和天皇による[[玉音放送]]をもってポツダム宣言受諾を表明、全ての戦闘行為は停止された（[[日本の降伏]]）。なお、この後[[鈴木貫太郎内閣]]は総辞職した。敗戦と玉音放送の実施を知った一部の将校グループが、玉音放送が録音された[[レコード]]の奪還をもくろんで8月15日未明、[[宮内省]]などを襲撃する事件（[[宮城事件]]）を起こし、鈴木首相の私邸を襲った。また玉音放送後、[[厚木基地]]の一部将兵が徹底抗戦を呼びかけるビラを撒いたり、停戦連絡機を破壊するなどの抵抗をした他は大きな反乱は起こらず、ほぼ全ての日本軍は戦闘を停止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Shigemitsu-signs-surrender.jpg|left|thumb|降伏文書に調印する日本全権。中央で署名を行っているのは[[重光葵]]外務大臣。その左後方に侍しているのは[[加瀬俊一 (1925年入省)|加瀬俊一]]大臣秘書官]]&lt;br /&gt;
翌日、連合軍は中立国[[スイス]]を通じ、占領軍の日本本土受け入れや、各地の日本軍の武装解除を進めるための停戦連絡機の派遣を依頼。19日には日本側の停戦全権委員が[[一式陸上攻撃機]]でフィリピンのマニラへと向かう等、イギリス軍やアメリカ軍に対する停戦と武装解除は順調に遂行された。しかし、少しでも多くの日本領土略奪を画策していたスターリンの命令で、ソ連軍は日本の降伏後も[[樺太|南樺太]]・[[千島列島|千島]]への攻撃を継続した。8月22日には樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」がソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け大破、沈没した。[[北方領土]]の[[択捉島]]、[[国後島]]は8月末、[[歯舞諸島]]占領は9月上旬になってからであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の後ろ盾を失った満洲国は崩壊し[[8月18日]]、退位した皇帝の愛新覚羅溥儀ら満洲国首脳は日本への逃命を図るが、侵攻してきたソ連軍に身柄を拘束された。8月28日、連合国軍による日本占領部隊の第一弾としてアメリカ軍の先遣部隊が[[厚木]]飛行場に到着。8月30日、[[連合国軍最高司令官総司令部]]（GHQ/SCAP）の総司令官として連合国の日本占領の指揮に当たるアメリカ陸軍の[[ダグラス・マッカーサー]]大将も同基地に到着、続いてイギリス軍やオーストラリア軍、中華民国軍、ソ連軍などの日本占領部隊も到着した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[9月2日]]、[[東京湾]]内停泊のアメリカ海軍戦艦[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]艦上において、イギリスやアメリカ、中華民国、オーストラリア、フランス、オランダなど連合諸国17カ国の代表団臨席&amp;lt;ref&amp;gt;8月8日に参戦したばかりのソビエト連邦の代表団も戦勝国の一員として臨席した。&amp;lt;/ref&amp;gt;の元、日本政府全権[[重光葵]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]、[[大本営]]全権[[梅津美治郎]]参謀総長による対連合国降伏文書への調印がなされ、ここに1939年9月1日より、足かけ7年にわたって続いた第二次世界大戦はついに終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 戦時下の人々の暮らし ==&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
戦争に反対する言論、特に思想犯を政府は[[特別高等警察]]（[[特高]]）を使って弾圧した。単に戦争に反対しない、というだけではなく、積極的に戦争に協力する態度が要求された。人々は戦争が始まると「欲しがりません勝つまでは」、「ぜいたくは敵だ」等という[[国家総力戦]]の標語（[[スローガン]]）を掲げ、ピリピリとした空気のなかで生活を送った。ガソリンの不足で町には木炭自動車が走り、電気を浪費するため[[パーマネント]]も禁止となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物価や物品の統制がなされ、贅沢品はもちろん生活必需品も不足し、窮乏生活を余儀なくされた。食料の[[配給制度]]が実施され、敗戦の色が濃くなってくると配給量も徐々に減らされ、その質も悪化していった。&lt;br /&gt;
また熟練工が戦場に動員され、代わりに学生が工場に動員あるいは徴兵（[[学徒動員]]）され、兵器製造や戦場にも駆り出された。子供の遊びにまでも戦争の影響があらわれ、戦意発揚の意図のもと戦争を題材にした[[紙芝居]]、[[玩具]]などが出回り、空き地では戦争ごっこが定番になった。学校の教科書にも戦争関連の問題が載るようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本土に対する空襲は1944年6月の九州北部から始まり、さらに同年11月からは東京・名古屋・大阪方面も空爆にさらされ、沿岸地域では米軍艦による艦砲射撃も加えられるなど、戦争の災禍があらゆる国民に及ぶようになった。&lt;br /&gt;
そして沖縄では一般国民が米軍の、南[[樺太]]や[[北方領土]]の島々ではソ連軍の直接侵攻を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ドイツ ===&lt;br /&gt;
総統[[アドルフ・ヒトラー]]は、戦争中盤までは国民の生活水準をある程度考慮していた。その一方で、秘密警察[[ゲシュタポ]]の監視により、国民の反政府・反戦的な言動は徹底的に弾圧した。[[スターリングラードの戦い]]でドイツ軍が大敗すると、ミュンヘンの大学生による反戦運動が表面化した。その時期、宣伝大臣[[ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]による有名な「[[総力戦布告演説]]」が行なわれ、政府による完全な統制経済・総力戦体制が開始され、軍需大臣[[アルベルト・シュペーア]]の尽力もあり、[[1944年]]には激しい[[戦略爆撃]]を受けながらもドイツの兵器生産はピークに達する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連合軍による空襲はすでに1940年から開始され、1942年にはケルン市が1,000機以上による大空襲に遭った。1943年には昼はアメリカ軍爆撃機が軍事目標を、夜はイギリス軍爆撃機がドイツ各都市を無差別爆撃した。そのためドイツ国民は、自宅のベッドに寝ている時間よりも、地下室や防空壕で過ごす時間の方が長い、とまで言われた。1944年の[[クリスマス]]の時期には、プレゼントを巡って「実用性を考えれば、棺桶が一番だ。」というブラックユーモアが流行した。総力戦体制の確立後、歌劇場、劇場、サーカス、キャバレーなど庶民の娯楽の場が次々と閉鎖に追い込まれた。そのような苦しい状況下において、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]率いる[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]や[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]といったドイツのみならず世界を代表する楽団は[[1945年]]の敗戦直前まで何とか活動を続けた。&amp;lt;ref&amp;gt;中川右介 『カラヤンとフルトヴェングラー』 幻冬舎新書、2007年、112頁。 ISBN 978-4-344-98021-1&amp;lt;/ref&amp;gt;ナチスが支援していた[[バイロイト音楽祭]]も、規模を縮小しながら1944年まで行われた。芸術の町[[ドレスデン]]が1945年2月、徹底的な[[無差別爆撃]]に遭った事で、ドイツの芸術にあたえた衝撃は計り知れない（[[ドレスデン爆撃]]の項目を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敗戦間際、[[ソ連軍]]の残虐な報復から逃れるために西部へ避難するドイツ人が続出した。[[ベルリンの戦い]]の頃には、少年や老人までもが[[義勇兵]]として武器を取りソ連軍と戦った。そのような状況で、ゲシュタポや[[ナチス親衛隊]]はなおも国民や兵士を監視し、逃亡と見なした者を処刑して回ったという。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
; ドイツ占領下の国々&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== イギリス ===&lt;br /&gt;
開戦当初は戦争とは思えないほど平穏な日々だったが、フランスの降伏後は、単独でナチス・ドイツと戦った。ドイツ軍の上陸を想定し、沿岸地域の住民に対し様々な対策を試みた。1940年8月下旬からはロンドンをはじめ、各都市がドイツ空軍爆撃機の夜間無差別爆撃に遭い、多くの市民が死傷した。又、ドイツ海軍Uボートによる通商破壊により生活物資の供給は逼迫、困窮した生活を余儀なくされた。1944年には、戦争がイギリスに有利になり、国民生活にも徐々に余裕が出てきたが、同年6月8日からはドイツ軍が新たにV-1飛行爆弾でロンドンやイギリス南東部を攻撃し、さらに9月13日からはV-2ロケットでの攻撃も加わり、市民に死傷者が出た。戦争が有利に展開したのに再度防空壕への避難を余儀なくされ、特にV-2は当時の戦闘技術で迎撃不可能だったので、市民への心理的影響は決して小さく無かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アメリカ ===&lt;br /&gt;
戦線から遠く離れてるため戦火に巻き込まれずにすんだが、しかし国民のほぼ1割が最前線に投入され、そのためビジネスの減少を招き国債が増発される一方、国民のほとんどを労働者が占めるアメリカでは生活保障がなく、終戦まで失業者が増える一方であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 影響 ==&lt;br /&gt;
=== 概要 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Yalta summit 1945 with Churchill, Roosevelt, Stalin.jpg|right|thumb|200px|ヤルタ会談における連合国首脳]]&lt;br /&gt;
[[画像:World_War_II_Casualties.svg|right|thumb|300px|第二次世界大戦の死亡者数]]&lt;br /&gt;
第二次世界大戦の結果、ファシスト・イタリアが倒れ、ドイツと日本が降伏した。犠牲者数は世界でおよそ6,000万人と言われる。主要参戦国における死亡者数の概数は、ソ連2,000万人（軍人1,300万人・市民700万人）、中国1,350万人（350万人・1,000万人）、ドイツ730万人（350万人・380万人）、ポーランド540万人（12万人・530万人）、フランス60万人（25万人・36万人）、イギリスおよびイギリス連邦50万人（45万人・6万人）、日本210万人（170万人・38万人）、アメリカ40万人（40万人・0.17万人）、イタリア40万人（33万人・8万人）と推定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敗戦国となった枢軸諸国にはアメリカ軍を中心とする戦勝国の軍隊が[[進駐]]した。敗戦国への処遇は[[第一次世界大戦]]の戦後処理の反省に基づいたものとなった。第一次世界大戦の戦後処理では、敗戦国ドイツの軍備解体が不徹底であったため、ドイツは再度第二次世界大戦を挑むことができた。しかし第二次世界大戦の戦後処理では敗戦国の軍備は徹底して解体され、敗戦国が他国に対して再度侵略行為を行うことは不可能となった。一方で、敗戦国への[[戦争賠償]]の要求よりも経済の再建が重視された。[[西ヨーロッパ]]では[[マーシャル・プラン]]が実施され、日本では[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による政治経済体制の再構築が行われた。戦後、敗戦国は経済的には復興したが、軍事力においては限られた影響力しか持たない状態が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ東部を含む[[東ヨーロッパ]]および[[外蒙古]]・[[朝鮮半島]]北部などにはソ連軍が進駐した。ソ連は東ヨーロッパで戦前の政治指導者を粛清・追放し、代わって親ソ連の[[共産主義]]政権を樹立させた。中国でも[[中国共産党]]が[[国共内戦]]に勝利し、世界はアメリカ・西ヨーロッパ・日本を中心とする[[資本主義]]陣営と、ソビエト・東ヨーロッパ・中国を中心とする共産主義陣営とに再編された。この政治体制は[[ヤルタ会談]]から名前を取って'''ヤルタ体制'''とも呼ばれる。そしてその後も二つの陣営は1990年代に至るまで[[冷戦]]と呼ばれる対立を続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次世界大戦の直接の原因となったドイツ東部国境外におけるドイツ系住民の処遇の問題は、最終的解決を見た。問題となっていた諸地域から[[ドイツ人追放|ドイツ系住民の大部分が追放]]されたことによってである。ドイツはヴェルサイユ条約で喪失した領土に加えて、中世以来の領土であった[[東プロイセン]]や[[シュレジエン]]などを喪失し、ドイツとポーランドとの国境は[[オーデル・ナイセ線]]に確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦勝国となったアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国はその後[[核兵器]]を装備するなど、軍事力においても[[列強]]であり続けた。この5か国を[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の常任理事国として1945年10月24日、[[国際連合]]が創設された。国際連合は、勧告以上の具体的な執行力を持たず指導力の乏しかった[[国際連盟]]に代わって、経済、人権、医療、環境などから軍事、戦争に至るまで、複数の国にまたがる問題を解決・仲介する機関として、国際政治に関わっていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが戦勝国も国力の疲弊にみまわれた。[[東南アジア]]では、日本が占領した植民地をアメリカ、イギリス、フランス、オランダが奪回し、[[宗主国]]の地位を回復したが、一方で、日本軍占領下での独立意識の鼓舞による独立運動の激化、本国での植民地支配への批判の高まりといった状況が生じ、疲弊した宗主国にとって植民地帝国の維持は困難となった。その後[[1960年代]]までの間に、多くの植民地が[[独立]]を果たした。その意味においても、世界を一変させた戦争であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 戦争裁判 ===&lt;br /&gt;
第一次世界大戦の戦後処理では敗戦国の戦争指導者の責任追及はうやむやにされたが、第二次世界大戦の戦後処理では、国際軍事裁判所条例に基づき、[[戦争犯罪人]]として逮捕された敗戦国の戦争指導者らの「共同謀議」、「平和に対する罪」、「戦時犯罪」、「人道に対する罪」などが追及された。ドイツに関しては[[ニュルンベルク裁判]]が、日本に関しては[[極東国際軍事裁判]]（東京裁判）が開廷された。ドイツでは[[ヘルマン・ゲーリング]]ら、[[ナチス]]の閣僚、党員、軍人、関係者ら訴追され、[[ホロコースト]]や[[捕虜]][[虐待]]などに関して、それぞれ[[絞首刑]]、終身[[禁固刑]]、20年の禁固、10年の禁固、無罪などの判決が下された。日本では戦争開始の罪、中国、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ソビエト連邦への侵略行為を犯したとして、[[東条英機]]ら28名が[[戦犯]]として訴追され、絞首刑、終身禁固、20年の禁固、7年の禁固刑などの判決が下された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この裁判では、戦勝国の行為については審理対象外とされたため、連合国側が枢軸国側に対して戦時中行なった[[国際法]]違反の[[戦争犯罪]]―広島・長崎への原爆投下、[[ドレスデン爆撃|ドレスデン大空襲]]、[[ハンブルク空襲|ハンブルク大空襲]]、[[東京大空襲]]・[[大阪大空襲]]など、民間人に対する無差別戦略爆撃は、連合国側の爆撃の方が、枢軸国のものより遥かに大規模であった。また大戦初期のソ連による[[ポーランド]]&amp;lt;ref&amp;gt;[[カティンの森事件]]については[[1992年]]にロシア政府が謝罪した。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[フィンランド]]に対する侵略。大戦末期の[[ベルリン]]など、ドイツ国内におけるソ連兵による虐殺、捕虜虐待、残虐行為や略奪行為。さらに中立条約を結んでいた日本や満洲国に対する侵攻・略奪行為。降伏後の日本の[[北方領土]]に対する侵攻・占拠-などについての責任追及は全く行われていない。&lt;br /&gt;
また、[[東ヨーロッパ|東欧]]諸国の[[ドイツ人追放|ドイツ系少数民族の追放]]やドイツ兵や日本兵の[[シベリア抑留]]など戦後の事例について、戦勝国側の加害責任を訴える声も大きいものの、同じく不問とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また東京裁判においては、投獄されていた[[岸信介]]がアメリカとの政治取引で釈放された。また[[サンフランシスコ講和条約]]締結後は、終身禁固刑を受けた戦犯も釈放される一方、上官命令でやむをえず捕虜虐待を行った兵士が処刑されたりするなど、概して裁判が杜撰であった点は否めない。さらに「人道に対する罪」という交戦時には無かった事後法によって裁くなど、原理的な疑義も指摘されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では、それら連合軍の残虐な行為が全く裁かれなかった事を、戦勝国の[[エゴ]]、勝者の敗者に対する[[復讐]]裁判として否定する意見が存在する。また、日本に対する戦争裁判を[[罪刑法定主義]]や[[法の不遡及]]に反することを理由として否定する意見もある。[[罪刑法定主義]]や[[法の不遡及]]を守りながら[[日本の戦争犯罪]]を裁けるのか、あるいは裁くべきなのか、またその判決が世界に受け入れられるのか、人道罪を否定した場合、虐殺など戦争犯罪を止めることができるのか、など難問は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヨーロッパ ===&lt;br /&gt;
[[画像:Iron Curtain Final.svg|thumb|鉄のカーテン（但し、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]発足後のため[[シュチェチン|シュテッティン]]が境ではない）]]&lt;br /&gt;
マーシャルプランへの不参加をソ連が表明して、更に参加を希望していたチェコスロバキアなどの東欧諸国に圧力をかけて不参加を強要させた。9月には東欧や仏伊の共産党により[[コミンフォルム]]を結成し、西側に対抗する姿勢をとった。これによりヨーロッパの分裂が決定的になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヤルタ体制の中で東欧諸国は否応なく、チャーチルが名づけたところの「[[鉄のカーテン]]」の向こう側である共産主義体制に組み込まれることとなり、ドイツという共通の敵を失ったソビエトとアメリカは、その同盟国を巻き込む形でその後[[1980年代]]の終わりまで半世紀近く[[冷戦]]という対立抗争を繰り広げた。また、フランスやイギリス、ソビエトなどの主要連合国はアメリカに倣い核兵器の開発・製造を急ぐこととなり、後に成立した中華人民共和国やインド、[[パキスタン]]などがこれに続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ヨーロッパ全域 ====&lt;br /&gt;
* 二度の世界大戦の原因の一つとして挙げられるのが、[[ザールラント]]（ドイツ領、戦間期は、自由市）及び[[アルザス]]・[[ロレーヌ]]&amp;lt;ref&amp;gt;[[普仏戦争]]でのフランスの敗戦でドイツ領に併合、第一次世界大戦後、フランス領に復帰する。&amp;lt;/ref&amp;gt;で産出される[[石炭]]及び[[鉄鉱石]]をめぐっての争いであった。そのため、[[石炭]]、[[鉄鉱石]]を共同管理することによって、戦争を回避する目的で、[[1951年]]に、[[欧州石炭鉄鋼共同体]]（ECSC）が結成された。&lt;br /&gt;
* [[1958年]]に[[ベネルクス]]（[[オランダ]]、[[ベルギー]]、[[ルクセンブルク]]）、イタリア、西ドイツ、フランスが[[欧州経済共同体]] (ECC) 、[[欧州原子力共同体]] (EURATOM) が結成され、[[1967年]]に拡大、発展する形で、EEC、ECSC、EURATOMと[[欧州共同体]] (EC) に統合した。&lt;br /&gt;
* ECは、[[1973年]]に、[[デンマーク]]、[[イギリス]]、[[アイルランド]]、[[1981年]]に、[[ギリシャ]]、[[1986年]]には、[[スペイン]]と[[ポルトガル]]が加盟し、12か国体制へ発展した。&lt;br /&gt;
* ECは、[[1993年]][[11月1日]]のマーストリヒト条約[[欧州連合]]（EU）に発展した。2007年1月1日には、旧東欧圏である[[ルーマニア]]と[[ブルガリア]]が加盟し、27か国体制へと発展を遂げた（詳細は、欧州連合を参照のこと）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ドイツ ====&lt;br /&gt;
[[画像:Nuremberg-1-.jpg|thumb|ニュルンベルグ裁判]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界を戦争の渦に巻き込んだアドルフ・ヒトラーは敗戦直前に自殺。残虐行為を実行した親衛隊の長官[[ハインリッヒ・ヒムラー]]、ナチスイデオロギーの宣伝相[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]も同じく自殺し、残された[[ヘルマン・ゲーリング]]などナチス首脳部の一部は、連合軍による国際軍事裁判（[[ニュルンベルク裁判]]）によって裁かれ、ゲーリング、[[リッペントロープ]]外相、[[ヴィルヘルム・カイテル]]元帥ら12名に絞首刑の判決が下された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他にも、ヒトラーお抱えの映画監督と言われた[[レニ・リーフェンシュタール]]や、ナチス占領下のフランスで、ナチス高官の愛人の庇護のもと自堕落な生活を送っていた[[ココ・シャネル]]など、国籍を問わず、ドイツの犯罪行為に加担したと考えられる[[芸術家]]や[[実業家]]なども[[非ナチ化裁判]]で罪を問われ、活動を禁止された者が数多くいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 領土の喪失&lt;br /&gt;
:* 第一次世界大戦後も領有していた東プロイセンやシュレジエン、ナチス政権が回復した旧ドイツ帝国の領土である[[ダンツィヒ]]や[[ポーランド回廊]]など、[[オーデル・ナイセ線]]以東の広大なドイツ領を喪失した。&lt;br /&gt;
:* ナチス政権が[[ミュンヘン会談]]によりチェコスロバキアから獲得していたドイツ人居住地域の[[ズデーテン|ズデーテン地方]]はチェコスロバキアに返還された。&lt;br /&gt;
:* これらの地域からドイツ人は追放され、大量のドイツ避難民が移動する中で多くの死者が出た（[[ドイツ人追放]]）。&lt;br /&gt;
:* この他、大戦中にドイツが併合した地域&amp;lt;ref&amp;gt;その多くが第一次世界大戦までの旧ドイツ帝国領だった。&amp;lt;/ref&amp;gt;は、フランス（[[アルザス地域圏|アルザス]]・[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]）・デンマーク（[[シュレスウィヒ]]・[[ホルスタイン]]）・[[ベルギー]]・[[ルクセンブルク]]の諸国にそれぞれ返還された。&lt;br /&gt;
:* 西部の[[ザールラント州|ザールラント]]は自由州として分離され、フランスの管理下に置かれたが、その後、1957年に住民投票で西ドイツに復帰した。&lt;br /&gt;
:* ナチス政権が併合したオーストリアはドイツの被占領地域から分離され、[[1955年]]の[[オーストリア国家条約]]でドイツとの合併は永久に禁止された。&lt;br /&gt;
; 東西分割[[画像:Besatzungszonen ohne text.gif|right|200px|thumb|4カ国が占領したドイツ ベルリンはソ連占領地域に囲まれていた]][[画像:Occupiedberlin.png|right|200px|thumb|'''ベルリンの占領区分''' [[アメリカ合衆国|アメリカ]]（空色）、[[イギリス]]（薄紫）、[[ソビエト連邦|ソ連]]（赤）、[[フランス]]（青）]][[画像:Berlin Wall 1961-11-20.jpg|right|thumb|建設中の[[ベルリンの壁]]（1961年）]]&lt;br /&gt;
:* 前記の境界変更を行った上で、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国によりドイツ全土の分割統治が始まり、中央政府は消滅した。&lt;br /&gt;
:* ドイツ東部のソ連占領地域内にある旧首都ベルリンについては、全土の分割とは別に改めて上記の4か国&amp;lt;ref&amp;gt;アメリカ・イギリス・フランス管理エリアとソ連管理エリア。&amp;lt;/ref&amp;gt;により東西分割された（[[1990年]]に再統一）。やがて1948年には[[ベルリン封鎖]]が起こり、ソ連と他の3か国の対立が激化した。&lt;br /&gt;
:* 1948年にはソ連占領地域に[[ドイツ民主共和国]]（東ドイツ）が、1949年には他の3か国の占領地域に[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]（西ドイツ）が成立して、民族分断が確定し、東西冷戦の最前線となった。&lt;br /&gt;
; 高官の国外逃亡と責任逃避&lt;br /&gt;
: 終戦直前に[[アドルフ・アイヒマン]]などの多くのドイツ政府高官が、自らの身を守るためにドイツ国内外のナチス支持者&amp;lt;ref&amp;gt;一部の[[西ドイツ]]の政府高官もその逃亡に有形無形の援助を行った。&amp;lt;/ref&amp;gt;や[[バチカン]]の助けを受けスペインや[[アルゼンチン]]、[[チリ]]などの友好国に逃亡し、そのまま姿を消した。その一部はその後[[イスラエル諜報特務局]]や、「ナチ・ハンター」として知られる[[サイモン・ヴィーゼンタール]]などの手で居場所を突き止められ、逮捕された後にイスラエル政府などによって裁判にかけられたものの、残る多くは現在に至るまで逃げおおせ、姿を消したままである。&lt;br /&gt;
; 賠償&lt;br /&gt;
: ソ連は戦争により被った膨大な被害に対する[[戦争賠償|賠償]]として、ドイツ東部における自国占領地帯で工業施設の解体・移送を行なった。このことが東ドイツの発展を阻害し東西ドイツの経済格差を生み出す要因となった。また、[[ダイムラー・ベンツ]]や[[クルップ]]、[[メッサーシュミット]]など、ドイツの戦争遂行に加担し、強制労働に駆り出されたユダヤ人を利用した企業は、膨大な賠償金の支払いを課せられることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== オーストリア ====&lt;br /&gt;
* 1938年にドイツによって併合（合邦）されたドイツとは分断され、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国によりオーストリア全土が分割占領された。&lt;br /&gt;
* これとは別に、首都の[[ウィーン]]もドイツのベルリンと同じく上記の4か国により分割占領された。&lt;br /&gt;
* ただし、ドイツとは異なり、ナチスによる併合により消滅していた中央政府が復活し、第二共和制が発足して、文民統治を維持した。&lt;br /&gt;
* その後、冷戦の激化にもかかわらずオーストリア政府は国家統一の維持に成功し、1955年のオーストリア国家条約により主権を回復した。&amp;lt;ref&amp;gt;[[永世中立国]]宣言、ドイツとの合邦を永久に禁止した。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* ドイツへの併合に協力し、その後オーストリア・ナチス党の指導者になった。&amp;lt;ref&amp;gt;さらにドイツの外務大臣にも就任した。&amp;lt;/ref&amp;gt;[[アルトゥル・ザイス＝インクヴァルト]]は、連合軍による戦争裁判・ニュルンベルグ裁判で裁かれ[[死刑]]になった。&lt;br /&gt;
* 冷戦終結後、国家分断の危険から遠ざかるにつれて第2次大戦以前にドイツに併合され、（選挙でそれを望んだのはオーストリア国民だが）多くのオーストリア人がそのままドイツ軍の一員として戦争行為に加担したことに対する戦争責任について問い直す動きが見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ギリシャ ====&lt;br /&gt;
1942年から内戦状態になり（[[ギリシャ内戦]]）、終戦後はイギリスとソ連の秘密協定によって西側の勢力下に置かれようとしていた。その後はアメリカ合衆国の支援の下、軍事独裁政権が成立、国王が亡命、1974年にキプロスでの[[クーデター]]が失敗し、その余波で軍事政権が崩壊、国民投票によって[[君主制]]が廃止、[[共和制]]に移行した。冷戦期には[[北大西洋条約機構]]に加盟した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イタリア ====&lt;br /&gt;
; 領土の喪失&lt;br /&gt;
:* 第一次世界大戦で獲得した「[[未回収のイタリア]]」のうち、[[トリエステ]]は国連管理下の自由市となった。&lt;br /&gt;
:* その後、1954年にトリエステ自由市の半分以上を占める[[イストリア半島]]を[[ユーゴスラビア]]（現在は[[スロベニア]]とクロアチア ――この時に[[リエカ]]（フィウメ）を獲得――）に割譲し、[[トリエステ市]]を含む北西部がイタリアに復帰した。&lt;br /&gt;
:* [[エーゲ海]]東部のドデカネーズ諸島を[[ギリシア]]に割譲した。&lt;br /&gt;
:* 参戦前の1939年に宣言した[[アルバニア]]併合が無効とされ、アルバニアの独立が完全に回復された。&lt;br /&gt;
:* 戦争中にイギリス軍に占領された[[トリポリ (リビア)|トリポリ]]、[[キレナイカ]]&amp;lt;ref&amp;gt;共に現在の[[リビア]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[ソマリランド]]&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[ソマリア]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;等のアフリカ植民地を放棄し、これらの地域はイギリスの委任統治領になった。&lt;br /&gt;
; 共和制移行&lt;br /&gt;
:* [[コミンテルン]]の活動と、ファシズム独裁への揺り返しから共産主義的な雰囲気が支配していた1946年に行われた共和制移行を問う国民選挙によって、その政権奪取よりファシスト党とそれを率いるムッソリーニに対し友好的な態度を取り続けていた[[ウンベルト2世]]は廃位され、国外追放となり、[[サヴォイア家]]のイタリア王国は終焉を迎え[[共和制]]に移行した。&lt;br /&gt;
:* なお、新たに制定された憲法で、元国王であるウンベルト2世およびその直系男子のイタリア再入国を禁止する条項が制定された。この条項が破棄され、「元王族」となったサヴォイア家のメンバーがイタリアに再び入国できるようになるまでには50年以上の年月がかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フィンランド ====&lt;br /&gt;
大戦中に[[ソビエト連邦]]からの侵略（[[冬戦争]]）に対抗するため、[[ナチス・ドイツ]]の協力を仰いだ事で敗戦国扱いを受け、侵略者ソ連から戦争犯罪に問われる事になった。しかし、ドイツの支援はフィンランドにとってはやむを得ない選択であった。何の落ち度も無かったにも関わらず、1939年から1940年にかけてのソ連の不当な攻撃が”敵の敵は味方”と言う感情にフィンランドを貶めたといえる。不運だったのは1941年6月からの[[継続戦争]]において、フィンランドに味方する近隣諸国はいなかった事。[[スウェーデン]]を除き北欧は[[ナチス]]の旗の下にあった。スウェーデンは中立を守りきったがフィンランドにはそれが不可能であった。それでもフィンランドは自己の生存権のため、ドイツの[[レニングラード包囲戦]]には深く加わらず、ドイツの敗戦時には、連合国に寝返り、国内からナチスの勢力を追い払った。ソ連は勝利国として、フィンランドに対し、制裁と戦争法廷による戦争犯罪の追求を行ったが、[[フィンランド人]]にとっては、不当な制裁であり、ソ連と戦った[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム|マンネルヘイム]]将軍らは国家の[[英雄]]とたたえられている。しかしソ連は戦後も勝利国としてフィンランドへの干渉を強めて行く事となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イギリス ====&lt;br /&gt;
[[画像:1945 liberation of Hong Kong at Cenotaph.jpg|right|thumb|日本軍撤退後の香港（1945年）中華民国の[[中華民国の国旗|青天白日滿地紅旗]]とイギリスの[[ユニオンジャック]]が確認できる]]&lt;br /&gt;
イギリスは第二次世界大戦を通じて約十一億ポンドの海外資産をすべて失い、戦争が始まったとき七億六千万ポンドであった対外債務は、終戦時、三十三億ポンドに膨れ上がった&amp;lt;ref&amp;gt;[[中西輝政]]『大英帝国衰亡史』、PHP研究所、1997年 ISBN4-569-55476-8&amp;lt;/ref&amp;gt;こともあり、イギリス経済は疲弊してしまった。追い打ちを掛けるかのように日本の敗戦からの二日後の8月17日、アメリカ合衆国は[[レンドリース法]]を停止し対英援助を打ち切った。窮地に陥ったイギリス政府は戦後復興のために、1945年12月[[英米金融協定]]を調印したがこれにより大英帝国内部の特恵関税制度が否定され、経済面から大英帝国の崩壊が始まった。イギリス経済の疲弊により植民地を維持することが困難になり、また、各地の独立運動も相俟って、大英帝国は崩壊した。そして、[[ミャンマー]]などを除く元植民地の多くはその後も[[イギリス連邦]]の一員としてイギリスとの絆を保っている。&lt;br /&gt;
* 日本の敗戦により[[シンガポール]]、[[マレー半島]]や[[香港]]などの日本の占領下に置かれた植民地がイギリスの手に戻り、前記の2地域は[[1960年代]]に至るまで、香港は[[1997年]]に至るまでイギリスの植民地であった。&lt;br /&gt;
* インドは戦後もイギリスによる統治がしばらく続いたものの、独立運動の激化により1947年8月15日にインドは独立した。&lt;br /&gt;
* 敗戦国のイタリアが[[トリポリ (リビア)|トリポリ]]、[[キレナイカ]]（共に現在のリビア）、[[イタリア領ソマリランド|ソマリランド]]（現在の[[ソマリア]]）等のアフリカの植民地を放棄し、これらの地域はその後しばらくの間イギリスの委任統治領になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フランス ====&lt;br /&gt;
[[画像:Philippe Pétain cpe.png|thumb|フィリップ・ペタン]]&lt;br /&gt;
* ヴィシー政権は崩壊し、首班の[[フィリップ・ペタン]]元帥は逮捕され[[死刑]]判決を受けたが、その後政権を担った自由フランスの指導者ド・ゴールにより[[終身刑]]に減刑された。また、[[ココ・シャネル]]など多くの対独協力者が断罪され、投獄されたり死刑となった。&lt;br /&gt;
* モロッコやアルジェリアなどのアフリカの植民地を回復したが、戦後のフランスの国力低下に伴いそのほとんどが独立することになる。&lt;br /&gt;
* 本土がドイツに占領された後より、事実上日本の影響下にあったフランス領インドシナ（[[ベトナム]]）では、日本の降伏直後に独立運動指導者の[[ホー・チ・ミン]]がベトナム民主共和国の独立を宣言したが、植民地支配復活を狙うフランスとの間に第一次インドシナ戦争が起こり、さらに後の[[ベトナム戦争]]へつながる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ソビエト ====&lt;br /&gt;
; ヨーロッパ地域&lt;br /&gt;
:* ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。旧東プロシアのケーニスベルクとその周辺は、[[カリーニングラード]]と改称して現在もロシアの”飛び地”として領有。&lt;br /&gt;
:* 開戦前に併合したエストニア、ラトビア、リトアニアの[[バルト諸国占領|バルト三国への支配]]、ルーマニアから獲得した[[ベッサラビア]]（現在の[[モルドバ]]）の領有を復活させた。&lt;br /&gt;
:* 上記の新領土内の非ロシア人の住民を追放して、ロシア人などを入植させる国内移住政策が進められた。&lt;br /&gt;
:* 進駐した[[ソ連軍]]の軍事的な恫喝により、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]、[[ポーランド]]、[[チェコスロバキア]]、[[ルーマニア]]、[[ブルガリア]]などに親ソ共産政権を樹立し、[[衛星国]]とし影響下においた。&lt;br /&gt;
:* [[チェコスロヴァキア]]ではソ連支配に対する抵抗が強かったが、非[[共産党]]系の[[政治家]]を暗殺、処刑するなどして共産党が政権を手に入れた後、[[ソ連型社会主義]]をモデルにした国家政策が急速に進められた。[[ハンガリー]]では、[[1956年]]にソ連支配に抵抗する[[ハンガリー動乱]]が勃発したが、ソ連はソ連軍などワルシャワ条約機構軍を介入して圧殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; バルト三国&lt;br /&gt;
{{main|バルト諸国占領}}&lt;br /&gt;
: [[ロシア革命]]後に独立を果たした[[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]の[[バルト三国]]は[[独ソ不可侵条約]]に基づき、ソ連軍が一方的に進駐し、その圧力の下で、1940年にソビエト連邦に強制的に併合された。その後はナチス・ドイツの占領下に入るなどしたものの、大戦終了後に再びソビエト連邦に併合され、追放・処刑された三国の住民の代わりに、多くのロシア人が流入し居住することになる。エストニア、ラトビアの国境も変更され、ソ連の一共和国になった。再度の独立は冷戦後の[[1991年]]まで待たねばならず、ロシア系住民の処遇問題、エストニア、ラトビアはロシアと国境問題を抱えることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 極東地域&lt;br /&gt;
:* 日本領の[[南樺太]]（[[サハリン]]南部）を占領し、さらに日本降伏後の1945年8月18日から[[千島列島]]へ侵攻し、[[色丹島]]・[[歯舞群島]]を9月5日までに占領した。1946年2月2日に、これら南樺太および千島列島の領有を宣言する。なお、これに対して日本は公的には認めておらず、[[択捉島]]、[[国後島]]、色丹島、歯舞群島の[[北方領土]]については日本の領有を主張し、南樺太と[[得撫島]]（ウルップ島）以北については帰属未確定としている（詳細は[[北方領土]]を参照）。&lt;br /&gt;
:* 日本が旧満洲に持っていた各種権益のうち、関東州の[[旅順]]・[[大連市|大連]]の両港租借権や旧[[東清鉄道]]（[[南満州鉄道]]の一部）の管理権の継承を中華民国に認めさせた。これは中華人民共和国の成立後、1955年まで続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポーランド ====&lt;br /&gt;
1939年にソ連に占領された東部地域は回復されず、そのままソ連領&amp;lt;ref&amp;gt;現在はリトアニア、[[ベラルーシ]]、[[ウクライナ]]。&amp;lt;/ref&amp;gt;に編入された。その代償として、ポーランド回廊をドイツから回復した上、[[オドラ川]]（オーデル川）および[[ナイセ川|ニセ川]]（ナイセ川）以東の旧ドイツ領やダンツィヒ自由市（現在の[[グダニスク]]）を併合し、ポーランド領土は大きく西方へ移動した。失った東部領は新たに得た西部領の2倍に及び、東部領から追われたポーランド人が旧ドイツ領から追放されたドイツ人のかわりに西部領に住み着く人口の大移動が起こった。&lt;br /&gt;
その後、この新たなドイツ＝ポーランド国境（[[オーデル・ナイセ線]]）の承認が、戦後に成立した西ドイツ政府の大きな政治課題となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、国連の総会のポーランドの代表権問題が生じ、当時はソ連が支持する[[ルブリン政権]]とアメリカ・イギリスが支持する[[亡命政権]]の二重権力状態にあった。その後に亡命政権の閣僚の三分の一を入れ、連合政権を作る事で妥協が図られた。その後、ソ連の強い軍事的な影響力の元に共産主義系の勢力が政府の実権を握り、亡命政権系の政治家は逮捕されたり亡命に追いやられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== チェコスロバキア ====&lt;br /&gt;
* ナチス・ドイツにより解体状態だった国家が再建され、[[ズデーテン地方]]も回復した。なお、この際に起こったドイツ人住民の集団追放はその後の西ドイツとの関係に影を落とした。&lt;br /&gt;
* ドイツの保護国だったスロバキアはチェコと一体となった共和国に復帰した。ハンガリーに奪われた南部の領土は回復したが、一部はソビエト領（現在のウクライナ）として併合された。&lt;br /&gt;
* 当初、[[共産党]]系と非[[共産党]]系の閣僚を含む政府が成立したが、[[ソ連軍]]の圧力の下、非[[共産党]]系の[[政治家]]は次々と暗殺、処刑あるいは辞任に追い込まれて、[[1948年]]に事実上の共産党の単独政権が成立し、その後、[[ソ連型社会主義]]をモデルにした国家政策が急速に進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ハンガリー ====&lt;br /&gt;
第一次世界大戦後に失ったチェコスロバキア（[[ブラチスラヴァ|ブラチスラバ]]を含む）や[[ユーゴスラビア]]&amp;lt;ref&amp;gt;現在の[[セルビア]]の[[ボイボディナ自治州]]などが範囲。&amp;lt;/ref&amp;gt;の[[ハンガリー人]]居住地域を併合したが、敗戦により無効とされ、第一次大戦後の国境線まで後退した。ヤルタ会談におけるチャーチルとスターリンの秘密協定に基づいて、ソ連の勢力圏とされ[[ハンガリー社会主義労働者党]]の[[一党独裁]]によるハンガリー人民共和国が成立し、ソ連の衛星国となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ユーゴスラビア ====&lt;br /&gt;
* 戦争中にハンガリーへ割譲した北部地域を回復した。&lt;br /&gt;
* 第一次世界大戦後にイタリアに併合されていたリエカ（フィウメ）やイストリア半島を占領し、国連管理の[[トリエステ]]自由市を経て[[1954年]]に正式併合した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポルトガル ====&lt;br /&gt;
* 中立国であったにもかかわらず、軍事的、政治的圧力を受け事実上連合国の基地として使用されていた[[アゾレス諸島]]と、同じく事実上日本に占領されていた植民地の[[東ティモール]]は両軍の撤退により回復された。&lt;br /&gt;
* また、大戦中を通じその地位が保全されたマカオとインドの[[ゴア州|ゴア]]も、引き続き植民地として統治していくこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アルバニア ====&lt;br /&gt;
* 1939年にイタリア（ムッソリーニ政権）が強行した併合が取り消され、独立を回復した。&lt;br /&gt;
* ユーゴスラビアと同様、[[パルティザン]]闘争によって自国領土の大半を解放したアルバニア共産党（1948年から[[アルバニア労働党]]）による[[アルバニア人民共和国]]が成立し、王制が廃止されて[[エンヴェル・ホッジャ]]が指導する社会主義政権が成立した。&lt;br /&gt;
* その後、ユーゴスラビアとの関係が悪化して1948年に国交を断絶し、ソ連との関係を深めた。また、ギリシャ内戦で敗れた共産主義ゲリラのギリシャ民主軍 (EDS) に出撃拠点を提供し、その敗退後はメンバーの亡命を受け入れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スイス ====&lt;br /&gt;
大戦中は、中立を維持していた[[スイス]]だが、スイスの中立にも負の側面があったことを否定することができない。1点目は、[[ホロコースト]]から逃れたユダヤ人の亡命問題と財産の返還の問題である。2点目は、[[ナチス]]略奪金塊問題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 大戦中に30万人に近い亡命者を受け入れた。スイスの人口に比較すればかなりの人数の亡命者を受け入れた形であるが、他方で、「救命ボートは満員だ」として、ユダヤ人の入国を認めなかった。その人数は亡命が認められた数が21,858人であったのに対して24,000人が断られた。&lt;br /&gt;
* 大戦中に[[ドイツ]]は、中立国を中心に各国と[[金塊]]の取引を行ったが、その約8割はスイスとの取引であった。問題は、金塊の出所であり、すでに1941年の段階で、占領下においた[[ベルギー]]からの略奪品であろうという情報が広まっていたにもかかわらず、スイスは1943年までドイツの金を受け取り、[[スイスフラン]]と交換していた。事実上、[[スイス中央銀行]]は略奪金塊の「洗浄装置」の役割を果たしていた。&amp;lt;ref&amp;gt;森田安一『物語 スイスの歴史』（中公新書、2000）pp.241-243&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他にもスイス領の町をドイツ領の町と間違えられたためにスイスの一般市民がアメリカの爆撃機により[[誤爆]]されたことが挙げられる。この誤爆では、死者40人、負傷者多数を出したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== バチカン ====&lt;br /&gt;
大戦中はバチカンは中立を維持していた。しかし大戦勃発直前に教皇に登位した[[ピウス12世]]はナチスのホロコーストを黙認したと非難されることがある。イスラエルはピウス12世はユダヤ人を保護したとして評価しているが、「教皇がナチスを非難していればホロコーストの犠牲者は少なくなったはず」との声も根強い。さらにピウス12世は死後[[ヨハネ・パウロ2世]]によって[[列福]]されたことが、さらに波紋を呼んでいる。また、大戦終結時に多くのナチス党員がドイツから逃亡するのに対して、バチカンが有形無形の援助を行ったとの証言がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スウェーデン ====&lt;br /&gt;
スウェーデンは、ナチス・ドイツの[[チェコスロバキア併合]]を目の当たりにした頃から危機意識を強め、[[スウェーデン社会民主労働党]]政権の元で大規模な軍備の増強を行っていた。すでにスウェーデンは、ナチスの台頭によって開戦は避けられぬものと考えていた。1939年にナチスは、スウェーデンと[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]に対し不可侵条約を申し入れたがスウェーデンとノルウェーは拒否する。&amp;lt;ref&amp;gt;デンマークは受諾した。&amp;lt;/ref&amp;gt;1940年、ナチス・ドイツが不可侵条約を破棄し北欧に宣戦布告（[[北欧侵攻]]）するとスウェーデンは他国への援助を一切拒否し、[[武装中立]]を貫いた。しかし戦後、スウェーデンの中立は利己的なものとして非難されている。開戦期には、枢軸国寄り、後期は連合国寄りである。もっとも単なる中立ではなく、両者に対する和平交渉仲介も行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 武装中立政策を取っていたものの、第一次世界大戦時と同様義勇軍を組織していた。なお、戦火に見舞われた近隣のデンマークやノルウェー、フィンランドのレジスタンスを匿うと同時にユダヤ人を保護したことはその後大きな賞賛を受けた。&lt;br /&gt;
* 武装中立化においてスウェーデンは、50万人の国民軍を形成することに費やした。これによってナチスの侵攻を食い止めることを前提とするものであった。しかしスウェーデン政府は、上記の通り、ナチスに対する義勇軍を黙認し、デンマーク、ノルウェー、フィンランドに対するレジスタンスの保護及び支援を行い、ナチス・ドイツの敗勢以後は連合国との連係を強め、最終的には連合軍の勝利に貢献した。ただしこの中立は、初期にはナチスに譲歩し、後期は連合国の要求に応じるなど中立性に欠けるものとして、戦後、国内外から非難された。&lt;br /&gt;
* 大戦期にスウェーデン政府は外交交渉を頻繁に行った。対戦初期、ナチス・ドイツの侵攻に対し、ナチスと面識のある元探検家[[スヴェン・ヘディン]]をドイツへ派遣し、直接ヒトラーからスウェーデン侵攻の意図が無いことを確認させることに成功した。大戦末期には[[大日本帝国]]と連合国に対するスウェーデン外務省仲介による和平交渉も行っている。また、スウェーデン王家の一族であるスウェーデン[[赤十字]]社副総裁[[フォルケ・ベルナドッテ]]を通じて、[[ハインリヒ・ヒムラー|ヒムラー]]と和平交渉も行っている。さらにフィンランド救済のためにソ連との和平交渉仲介も行われたが、結果的にスウェーデンの和平交渉はすべて失敗に終わった。1944年には[[ラウル・ワレンバーグ]]によるユダヤ人救出も行われた。&lt;br /&gt;
* スウェーデンの軍備拡大は必ずしも対ナチス・ドイツを対象としたものではなく、中立を宣言した様にナチスに対し敵愾心を持っていた訳ではなかった。戦争開始時点では、ソ連のフィンランドに対する圧力に重点がかかっており外交にもそれが優先されていた。[[ソ芬戦争]]においては、ナチスの支援の元、フィンランドとの軍事同盟が構想されていた。しかしソ連の抗議によって破談する。ナチス・ドイツが北欧侵攻を開始したことでスウェーデンは中立を余儀なくされたのである。&amp;lt;ref&amp;gt;フィンランドへの義勇軍は、ナチスではなくソ連に向けられていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;しかし大戦後は、伝統的な武装中立に回帰し、対ソ連への外交戦争が開始されるのである（[[ノルディックバランス]]）。スウェーデンの外交戦略はすでにナチス・ドイツではなく、戦後の[[冷戦|東西冷戦]]に向けられていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== デンマーク ====&lt;br /&gt;
ナチス・ドイツによる侵攻を経験したデンマークは戦後、中立政策から、集団安全保障に安全保障の方針を切り替えることになった。その時にはスウェーデンの外相[[ウンデーン]]の提唱した[[スカンジナビア軍事同盟]]に共鳴したが、スウェーデンが設立の意思がないことが分かると、[[北大西洋条約機構]]に加盟した。しかし、これはデンマークの安全保障を補完するものであり、対米追随を意味するものではなかった。デンマークの安全保障はいわゆる[[ノルディックバランス]]と呼ばれるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナチス・ドイツ占領中アメリカの保護下にあった[[グリーンランド]]は返還された。また[[アイスランド]]は独立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ノルウェー ====&lt;br /&gt;
ナチスドイツの侵攻を受けたノルウェーは従来安全保障を英国に依存していたが、第2次世界大戦後はアメリカに依存するようになった。[[北大西洋条約機構]]にも加盟し、西側諸国の一員になった。しかし、ソ連を刺激しないように国内に米軍基地をおかず、さらに非核政策をとるなど他の北欧諸国同様、[[ノルディックバランス]]と呼ばれる中立政策を志向した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナチスドイツ占領中、ヒトラーが「ノルウェー人は純粋な[[アーリア人]]種である」と唱えたため、「[[レーベンスボルン政策]]」がとられ、多くのノルウェー人女性とドイツ人SS将校との間の混血児が生まれた。ノルウェー政府はそれに対し隔離政策など迫害政策をとった。後にノルウェー政府はこの政策を「過ちである」と謝罪賠償した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東アジア ===&lt;br /&gt;
東アジアでは、国内の対立を抗日という同一目標により抑えていた中国大陸の中国国民党と中国共産党の両勢力は、再び内戦状態（[[国共内戦]]）となり、アメリカが政府内の共産主義[[シンパ]]の策動を受け中国国民党への支援を縮小したこともあり、ソビエトの支援を受けた中国共産党勢力が最終的に勝利した。その後中国共産党は[[1949年]]に[[北京市|北京]]を首都とした[[中華人民共和国]]を建国し、中国国民党は[[台湾島]]に逃れることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方[[朝鮮半島]]では、領土分割され支配権を放棄し撤退した日本に替わり、[[38度線]]を境に南をアメリカやイギリスをはじめとする連合国が、北をソ連が統治することになり、その後それぞれ「[[大韓民国]]」と「[[朝鮮民主主義人民共和国]]」として独立を果たす。しかし、ソ連のスターリンから承認を受けた[[金日成]]率いる北朝鮮軍が[[1950年]]に突如、大韓民国に侵略を開始。ここに[[朝鮮戦争]]が勃発することになる。なお、開戦後50年以上経った現在も南北朝鮮の間の戦争は公式には終結しておらず、大韓民国側に立つ[[国連軍]]と北朝鮮との間での一時的な休戦状態が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日本 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Divide-and-rule plan of Japan.png|thumb|140px|アメリカ国立公文書館の計画書による[[日本の分割統治計画]]案。]]&lt;br /&gt;
; 連合国による占領&lt;br /&gt;
: {{main|連合国軍占領下の日本}}&lt;br /&gt;
:* 敗戦後直ちにイギリス、アメリカ、フランス、ソ連などを中心とした連合国諸国による占領が開始され、司令部となる[[連合国軍最高司令官総司令部]]（GHQ）が東京に置かれた。&lt;br /&gt;
:** 当初は連合国諸国による[[日本の分割統治計画]]があったが、実際に分割されたのは旧大日本帝国領土の[[朝鮮半島]]で、南北をそれぞれ北朝鮮と韓国として分割独立させた。現在の日本国の国境区分は基本的にはアメリカを中心とした[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]の占領となった、ただし、支配ではなく主権、法の制定などは全て日本が維持しており国家は継続されていた、。イギリス、アメリカ、中華民国、フランスなどのいわゆる西側諸国が現在の韓国を、そして共産主義国のソ連によって旧大日本帝国の領土であった北朝鮮が分割占領されたわけである。&lt;br /&gt;
:* GHQによる間接政治のもと、[[日本国憲法|新憲法制定]]、[[農地改革]]、[[財閥解体]]などの大規模な国家改造が行われた。&lt;br /&gt;
:* 駐留したアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍の兵士による日本人女性への[[強姦]]、[[殺人]]、[[略奪]]事件が多発するも、この蛮行は現在も不問とされている。その強姦によって生まれた混血児を収容する為に、[[岩崎弥太郎]]の孫娘である[[沢田美喜]]の努力により[[エリザベス・サンダースホーム]]が出来る。そして[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]はアメリカ軍兵士の性行為の相手をする[[慰安婦]]を日本において募集している。&amp;lt;!--このように戦後の戦争裁判で正義として登場した国家がその裁判で断罪した内容と同じ行為を占領地において実際に行っているということは、戦勝国の自己正当化の記録としても興味深い。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
:* GHQは[[1952年]]、[[日本国との平和条約]]が発効するまで存続していた。この条約により、日本は[[ソビエト連邦]]、[[中華人民共和国]]など共産圏の国を除く連合国との講和が完了し事実上の[[主権]]を回復した。しかし同時に締結された[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]]によって進駐軍のうち米軍は日本に駐留継続することとなった（[[在日米軍]]）。&lt;br /&gt;
; 領土の喪失&lt;br /&gt;
:* [[日清戦争]]以後に獲得した海外領土を全て失うこととなり、[[関東州]][[租借地]]を中華民国（中国、以下同）に返還した。&lt;br /&gt;
:** [[台湾]]・[[澎湖諸島]]における実効支配を喪失し、中国による統治が開始された。&lt;br /&gt;
:* 韓国併合以降の朝鮮半島の実効支配を喪失し、アメリカ・ソ連軍両軍による分割占領状態になった。これが[[1948年]]以降の南北分断、そして1950年の[[朝鮮戦争]]につながっていく。&lt;br /&gt;
:* [[委任統治]]後に併合を宣言していた[[南洋諸島]]の実効支配を喪失し、アメリカによる[[信託統治]]に移行した。&lt;br /&gt;
:* [[沖縄戦]]によりアメリカ軍に占領されていた[[沖縄島]]をはじめとする[[琉球諸島]]（[[大東島]]・[[沖大東島]]を含む）や[[先島諸島]]（[[尖閣諸島]]を含む）は日本の潜在的主権を維持したままアメリカ軍政下に入った。一時は[[奄美諸島]]もアメリカの施政権の下におかれたが、[[1972年]]までに全ての地域が日本に復帰した。&lt;br /&gt;
:** しかし[[沖縄返還]]後も、[[沖縄県]]をはじめとする日本各地にアメリカ軍基地が残り犯罪や騒音など多くの問題を起こしている。&lt;br /&gt;
:* [[小笠原諸島]]・[[火山列島]]・[[南鳥島]]・[[沖ノ鳥島]]もアメリカの施政権下に入った。これらの地域では一部の欧米系住民以外の民間人居住を認めなかったが、[[1968年]]に日本に復帰した。&lt;br /&gt;
:* 南[[樺太]]・[[千島列島]]の実効支配を喪失し、ソ連による統治が開始された。ただし、日本政府は法的にはこの地域の帰属を未確定と主張している。また、日本政府は千島列島南部の[[国後島]]・[[択捉島]]について、[[日露和親条約]]により平和的手段で領有が確定していた固有の領土と主張し、[[北海道]]の属島である[[歯舞群島]]・[[色丹島]]とともに支配を続けるソ連に対して返還を強く求めることになった（[[北方領土]]問題）。&lt;br /&gt;
; 戦犯問題[[画像:Japanese General Tomoyuki Yamashita 03.jpg|right|thumb|拘留される[[山下奉文]]陸軍大将]]&lt;br /&gt;
: 1946年には、[[極東国際軍事裁判]]（東京裁判）が開廷され、[[戦争犯罪人]]は、戦争を計画し遂行した平和への罪（A級）、捕虜虐待など通例の戦争犯罪（B級）、虐殺など人道に対する罪（C級）としてそれぞれ処断された。また日本国内だけでなく日本以外のアジア各地でも裁判が行われ多くが処刑された。&lt;br /&gt;
:* 勝者が敗者を裁くという構図のもと、きちんとした証拠も弁護人も不十分なまま、杜撰な手続き、裁判中の度重なる[[通訳]]のミスや恣意的な裁判進行などにより処罰・処刑（[[偽証罪]]が無かったため私怨による密告だけを元に処刑されたものがほとんどとする意見もある）が行なわれたと言われ、批判されている。&lt;br /&gt;
:* その一方でこの裁判を全否定することは、戦後日本が築き上げてきた国際的地位や、多大な犠牲の上に成り立った平和主義を破壊するものとして、東京裁判を肯定（もしくは一部肯定）する意見もある。また、もし日本人自身の手で行なわれていたら、もっと多くの人間が訴追されて死刑になっただろうとする説もある&amp;lt;ref&amp;gt;半藤一利「昭和史」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:* この裁判で処刑された人々（特に[[A級戦犯]]）が、[[1978年]][[10月17日]]に「昭和殉難者」（国家の犠牲者）として[[靖国神社]]に合祀されることとなり、後にこの扱いを巡って議論を引き起こすことになる（[[靖国神社問題]]、[[A級戦犯合祀問題]]）。&lt;br /&gt;
; 戦時賠償・抑留問題&lt;br /&gt;
: 日本の戦時賠償についての詳細は''[[日本の戦争賠償と戦後補償]]''を参照&lt;br /&gt;
:* 対戦国や植民地下においた諸国との[[戦時賠償]]については、[[日本国との平和条約]]の締結以後、国家間での賠償が進められた。&lt;br /&gt;
:* 満洲国瓦解時にソ連軍により約60万人もの日本軍将兵が捕虜となり、違法にソ連領土内で[[強制労働]]させられその多くが栄養失調や凍死で死亡した（[[シベリア抑留]]）。&lt;br /&gt;
:* この他[[中国残留孤児]]・残留婦人問題、在日アメリカ軍基地&amp;lt;ref&amp;gt;沖縄を始めとする各地にアメリカ軍の基地が存在しており、[[騒音]]問題やアメリカ軍人による日本人女性への強姦などアメリカ兵による犯罪が多発していることもあり、返還が議論されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;等の問題が現在も残っている。&lt;br /&gt;
; 近隣諸国との関係&lt;br /&gt;
: 日本は「アジアの列強植民地の解放」という名目で、当時欧米列強諸国の植民地であったマレー半島やシンガポール、中国大陸などアジアのほぼ全域に進出、欧米列強諸国の植民地政府を廃止し占領、軍政下においた。また、占領地のなかのいくつかの地域については、日本に友好的な指導者を後押して独立させた。&lt;br /&gt;
: しかし戦争当初の目的として資源確保のためにこれらの地を占領した日本にとって&amp;lt;!--当時の日本は--&amp;gt;それまでの宗主国の持っていたような資源・資産面など対植民地での優位な状態を保つことが出来ず、これらの地においては軍政の名において当初の目的以上に搾取することを余儀なくされ、各地に人的・資源的に過酷な状態を招いた。日本はこれらの国々に戦後賠償としての意味合いも含め、[[政府開発援助]]（ODA）を行うことになる。&lt;br /&gt;
:* なかでも、第二次世界大戦以前から統治・戦争状態が長かった後に戦勝国となる中華民国に代わり現在中国大陸を統治する[[中華人民共和国]]や、現在[[中華民国]]の統治下にある[[台湾]]を別として[[大韓民国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国]]といった当時、併合した国や保護下においた地域にその後できた三国との間に対しては遺恨を残すことになった。朝鮮民主主義人民共和国以外では[[日本の戦争賠償と戦後補償|戦時賠償問題]]が国際法上既に決着している一方で、これらの国の国内事情も絡んで、現在でも[[歴史認識]]などの問題 &amp;lt;ref&amp;gt;[[南京大虐殺]]を巡っての論争や、[[靖国神社問題]]、[[歴史教科書問題]]、[[慰安婦|慰安婦問題]]などがある&amp;lt;/ref&amp;gt;で日本側が非難されることが多く、中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国では激しい反日教育が行われている。又、大韓民国では日本統治時代の親日派の子孫の財産を没収する[[親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法]]や[[日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法]]の制定など、反日的政策が実行されている。（[[特定アジア]]の項も参照。）&lt;br /&gt;
; 皇室制度[[画像:Macarthur hirohito.jpg|thumb|昭和天皇と連合国軍最高司令官総司令部のマッカーサー総司令官]]&lt;br /&gt;
:* [[天皇制]]を維持するか否か（[[国体]]問題）は、連合国占領軍の大きな課題であったが、長年の間多くの国民の支持を受け続けていた天皇制を廃止すると逆に占領統治上の障害が生じるとして、連合国内の一部の反発を退け、北東アジアにおける共産主義の伸張を食い止める目的もあり、天皇制は維持されることに決定され、[[昭和天皇の戦争責任]]も追及されずに終わった。&lt;br /&gt;
:* 上記の決定に伴い、[[昭和天皇]]は[[統帥権]]の放棄を行うなど戦前に儀礼的に就いていた全ての地位から退き、新たに「国民の象徴」という地位を持つことになった。&lt;br /&gt;
:* 天皇制こそ維持されたものの、アメリカの指導により[[華族|華族制度]]が廃止され、また、[[直系]]の[[皇族]]以外は皇族としての地位を失う（[[臣籍降下]]）ことになった。&lt;br /&gt;
:* [[1910年]]の[[日韓併合]]と同時に日本の[[王公族]]となった[[李王家]]の継承者である[[李垠]]は、これに合せて臣籍降下され事実上李王家は廃絶された。その後大韓民国が設立された後も[[李承晩]]大統領の妨害などもあり王位に戻ることはなかった。&lt;br /&gt;
; 新憲法&lt;br /&gt;
: 連合国軍最高司令官総司令部の[[マッカーサー]]総司令官の指示、決裁の元、アメリカ人がその大勢を占める総司令部の民政局長である[[コートニー・ホイットニー]]らの手によって新憲法の草案が作成された。それを基に日本政府案が作られ、[[帝国議会]]での審議を経て、1946年11月3日に「[[日本国憲法]]」として公布された。&lt;br /&gt;
:* アメリカはこれ以前にも影響下に置いた中南米の国々に、アメリカにとって有利な内容を含む憲法&amp;lt;ref&amp;gt;軍隊の非保有、法律制定に対するアメリカ大使の同意権など。&amp;lt;/ref&amp;gt;を半ば強要したことがあり、日本国憲法の制定もこれに習ったものだとの見方がある。また、日本国憲法が軍隊廃止条項をもつことから、冷戦時代は日米間の軍事協力に不都合なものとなり、冷戦後には国連などによる国際協力体制で軍事力の行使を含む[[平和維持活動]]を求められた際に問題となっている。このため冷戦時代より、この憲法が日本を不当に押さえ込む「[[押し付け憲法論|押し付け憲法]]」と考え、改憲により「[[自主憲法論|自主憲法]]」に変えようという主張・勢力が成立当初から存在したが、近年では[[自由民主党]]や[[民主党]]の保守系議員の一部を中心にその動きが盛んである。一方、[[日本社会党]]などの左翼政党はこれを軍備放棄の政策として歓迎（[[日本共産党]]は1960年代まで自主軍備や[[天皇制]]反対の立場から憲法改正を主張）、現在でも[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]、日本共産党などは[[護憲]]を主張しており、これらの間で「[[憲法改正論議]]」が冷戦時代から現在にかけて議論されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 満洲国 ====&lt;br /&gt;
* 満洲国は1945年8月のソ連軍の侵攻後に、事実上の宗主国である日本が連合国に降伏したため瓦解し、その後、[[中国東北部]]の支配権はソ連の占領を経て中華民国に返還された。&lt;br /&gt;
* 皇帝である愛新覚羅溥儀は8月に退位し、その後日本へ逃亡する途中に侵攻してきたソ連軍に一緒に行動していた側近・[[閣僚]]とともに捕らえられ、その後1950年に中華民国の国民党政府ではなく、ソ連と友好的関係にあった中華人民共和国の中国共産党政府に引き渡され戦犯として服役した。&lt;br /&gt;
* なお、皇室の一部は戦後日本に逃れたものの、溥儀の退位と逮捕、その弟である[[愛新覚羅溥傑]]などの主要皇族の逮捕に伴い皇室も事実上消滅した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中華民国 ====&lt;br /&gt;
[[画像:ROC Taiwan delegates.jpg|right|thumb|中華民国[[国民議会]]代表（1946年）]]&lt;br /&gt;
* 清代以来日本が租借していた[[関東州]]を全て回収し、崩壊した満洲国に代わり満洲全土での主権を回復した。ただし、同盟国であるソ連の要請により、旅順・大連両港や旧東清鉄道の租借権が改めて貸与された。&lt;br /&gt;
* フランスから[[広州湾租借地]]の返還を受けたが、イギリス領や同国租借地を含む[[香港]]はイギリス支配に復帰した。なお、[[マカオ]]は中立国のポルトガル領であったことのみならず、租借地や戦争で奪い取った地でないこともあり、ポルトガル領のままとなった。&lt;br /&gt;
* [[日清戦争]]で失った[[台湾島]]を日本から回復し、台湾島の住民も当初はこれを歓迎した。しかし、当時国共内戦を戦っていた中国国民党による過度な大陸への物資輸出と大陸からの[[インフレ]]波及により、台湾経済は混乱した。また、中国国民党は日本人に代わる特権階級として振舞い、台湾島住民の排斥と腐敗が横行した。中華民国政府による急速な[[中国化]]政策の推進は、台湾島住民との間に緊張を高めた。こうして[[1947年]]に[[二・二八事件]]が発生した。&lt;br /&gt;
[[画像:Chiang Kai-shek 1946.jpg|thumb|right|台湾島を訪れた[[蒋介石]]と[[宋美齢]]夫人（1946年）]]&lt;br /&gt;
* 上記のように、終戦以降連合国および戦勝国としての正式な地位は、日中戦争（支那事変）から長い間日本軍に対しての戦いを続けていた中国国民党の蒋介石率いる[[中華民国]]にあった。しかし戦後4年経った1949年に、ソビエト連邦の支援の下[[国共内戦]]に勝利した中国共産党が[[北京市|北京]]に[[中華人民共和国]]を樹立し、敗北した国民党は中国大陸から台湾島に遷都した。その後冷戦下で東西両陣営による政治的駆け引きが行われた末に中華民国が[[1971年]]に国際連合から追放されたことで、戦後20年以上の時を経て、戦勝国と国際連合の[[常任理事国]]としての地位を終戦時には国家として存在していなかった「中華人民共和国」が引き継いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東南アジア ===&lt;br /&gt;
東南アジア地域では日本軍を排斥した欧米各国が植民地に対する支配の回復をはかったが、様々な要因&amp;lt;ref&amp;gt;宗主国の国力の疲弊とそれに伴い直接支配がもはや利益を齎さないと判断され放棄された、日本軍占領下での独立意識の鼓舞による独立運動の激化、日本軍統治下で創設された対日協力軍の独立軍への転化、戦前から独立が予定されていた、本国で人道上の理由により植民地支配への批判が高まったなどがある。&amp;lt;/ref&amp;gt;により、大戦後に多くの東南アジアの植民地は独立を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== タイ ====&lt;br /&gt;
第二次世界大戦以前より独立国であった[[タイ王国]]は、日本軍との一悶着の末、枢軸側として参戦したが、その裏では在米タイ公使館の[[セーニー・プラーモート]]が[[ピブン]]政権と絶縁し東南アジア向けの反日放送を行ったり、ピブン内閣の実力者[[プリーディー・パノムヨン]]らが在日大使館を中心に日本内外に広範なスパイ網を構築し、情報提供によって米軍の日本本土空襲を支援するなど、連合軍側への鞍替えに向けた活動も行っていた。これはいわゆる「[[自由タイ]]」抗日運動として知られている&amp;lt;ref&amp;gt;これらの活動については日本語書籍では市川健二郎著『自由タイの指導者達 日本占領下のタイの抗日運動』勁草書房、1987年 ISBN 4326350733 や[http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db/nanpou/honbun12.html 同氏による論文等]を参照。[[タイ語]]では {{lang|th|ดร.วิชิตวงศ์ ณ ป้อมเพชร: ''ตำนานเสรีไทย'' เริงไชย พุทธาโร บรรณาธิการ, กรุงเทพฯ: แสนด่าว, 2546}} ISBN 9749590651 が自由タイに関する古典的著作とされている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。自由タイはタイ国内ではピブーンによって半ば公認された活動となっていき、日本の敗戦の色が濃くなると、また日本と結んだ条約で内政が悪化するとピブーンは1943年首都を日本軍の影響が少なく、陸軍の部隊のある[[ペッチャブーン]]に移転する計画を秘密裏に画策、民族主義的な思想の持ち主であった[[ルワン・ウィチットワータカーン|ルワン・ウィチット]]は1943年10月30日外相を解任され、代わりに自由タイのメンバーとして知られていた[[ディレーク・チャイヤナーム|ディレーク]]が外相に任命された&amp;lt;ref&amp;gt; {{lang|th|[http://www.cabinet.thaigov.go.th/cab_10.htm คณะรัฐมนตรีคณะที่ ๑๐: ๗ มีนาคม ๒๔๘๕ - ๑ สิงหาคม ๒๔๘๗] - [http://www.cabinet.thaigov.go.th/ สำนักเลขาธิการคณะรัฐมนตรี]}} &amp;lt;/ref&amp;gt;。1945年8月16日、プリーディーが摂政の立場で「対英・対米への宣戦布告は無効であった」との宣言が出された&amp;lt;ref&amp;gt;赤木攻『タイ政治ガイドブック』Meechai and Ars Legal Consultants CI.,LTD.、1994年、p258&amp;lt;/ref&amp;gt;。こうしたタイの二重外交は戦後、アメリカの政策と相まって成功しアメリカはタイを敗戦国とすることを避けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、イギリスはほとんど敗戦国として処理したといえる。イギリスは終戦時、速やかに平和条約を結ぶことは拒否&amp;lt;ref&amp;gt;{{lang|en|Terwiel B.J.: ''Thailand's Political History'', Bangkok: River Books, 2005, p.279, ISBN 9749863089}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、さらに米を賠償させた上で翌年の1946年1月1日にようやく平和条約を結ぶことを許した&amp;lt;ref&amp;gt;村嶋英治著『現在アジアの肖像9 ピブーン 独立タイ王国の立憲革命』岩波書店、1996年、p.245、 ISBN 4000048643&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、タイ王国は戦時中に回復した[[フランス領インドシナ]]の一部、イギリス領マレーおよびビルマの旧タイ領土を再びフランス、イギリスに取られた形となった。しかしながら、連合諸国による本格占領とこれに乗じた植民地化を免れ、続いて独立国としての立場を堅持することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フランス領インドシナ ====&lt;br /&gt;
[[画像:Ho Chi Minh at Lijang River (China) in 1961.jpg|right|thumb|ホー・チ・ミン]]&lt;br /&gt;
日本から独立が与えられていた[[フランス領インドシナ]]（ベトナム）では、日本の降伏直後に、[[ベトナム独立同盟会]]（ベトミン）が[[インドシナ共産党]]の主導下で[[ベトナム八月革命|八月革命]]を引き起こし、ベトナム帝国からの権力争奪闘争を各地で展開した。その後、[[9月2日]]に、[[ホー・チ・ミン]]が[[ハノイ]]でベトナム民主共和国の建国を宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、旧植民地の再支配を謀るフランスは独立を認めず、9月末には[[サイゴン]]の支配権を奪取したことで、ベトミンと武力衝突した。その後、ベトミンはフランスとの交渉による解決を試み、1946年3月にはフランス連合内での独立が認められた。だが、フランスはベトナムが統一国家として独立することを拒否し、[[コーチシナ共和国]]の樹立などベトナムの分離工作を行なった。これにより、越仏双方が抱く意見の相違は解決されず、同年12月にハノイで越仏両軍が衝突したことで、[[第一次インドシナ戦争]]が勃発した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== オランダ領東インド ====&lt;br /&gt;
オランダ領東インド （[[インドネシア]]）では、日本の軍政に協力していた独立派が日本の降伏直後に[[スカルノ]]を大統領とするインドネシア共和国の独立を宣言し、オランダとの独立戦争に突入した（[[インドネシア独立戦争]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争には、元日本軍将兵、約2,000名が[[義勇兵]]として独立軍に参加している。インドネシアの国営英雄墓地では、その戦争により戦死した約1,000名の日本軍将兵が埋葬され、6人の日本人が独立名誉勲章（[[ナラリア勲章]]）を受章した。この戦争の結果、1949年12月のハーグ円卓会議により、オランダは正式にインドネシア独立を承認した（[[デン・ハーグ|ハーグ]]協定）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イギリス領マラヤ ====&lt;br /&gt;
イギリスはマレー半島に居住する各民族に平等の権利を与え、シンガポールを除く海峡植民地とイギリス領マラヤ諸州からなる「マラヤ連合案」を提示した。[[華僑]]とインド系住人はこれに賛成したが、マレー人には不評で、その結果、[[ダトー・オン]]を党首とする形で、[[統一マレー国民組織]] (UMNO) が結成された。&lt;br /&gt;
[[画像:Merdeka 1957 tunku abdul rahman.jpg|right|thumb|独立宣言をする[[トゥンク・アブドゥル・ラーマン]]]]&lt;br /&gt;
イギリスは、1946年に発足したマラヤ連合との間で[[1947年]]にマレー人の特権を認める連邦協定を結び、1948年に[[マラヤ連邦]]が発足した。しかし華僑はこれに不満で、同年主として華僑からなる[[マラヤ共産党]]の武装蜂起が始まった。だが、マラヤ共産党の弾圧、その後各民族系政党が集まった（UMNO、マレーシア・インド人会議 (MIC)、[[マレーシア華人協会]] (MCA)）アライアンスの結成と独立の準備は着々と進んでいった。[[1955年]][[7月]]の総選挙で圧倒的な勝利を収め（52議席中51議席をアライアンスが占めた）、[[1957年]][[8月31日]]にマラヤ連邦は[[マレーシア]]として完全独立を果たした（詳細は、''[[統一マレー国民組織]]''を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、[[シンガポール]]は戦後イギリスの直轄植民地となり、その後は自治国となり完全独立をめざすこととなった。[[サラワク州|サラワク]]と北ボルネオ（現在の[[サバ州]]）も戦後イギリスの直轄植民地となり、段階的に自治の供与が始まった。多大な石油資源を持つ[[ブルネイ]]は保護領のままで、その独立は[[1980年代]]まで持ち越されることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アメリカ領フィリピン ====&lt;br /&gt;
戦前、独立に向けての準備が進められていたが、日本の占領によって日本の傀儡政権が誕生する。終戦後に再びアメリカの統治下に戻され、その後1946年[[7月4日]]に[[マニュエル・ロハス]]を初代大統領に[[フィリピン共和国]]として独立を果たした。しかしアメリカ軍基地が国内に残され、多くのアメリカ資本が居座るなどアメリカの影響は残され、事実上アメリカの植民地状態が継続されたままであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南アジア ===&lt;br /&gt;
==== イギリス領インド ====&lt;br /&gt;
[[画像:Gandhi Jinnah 1944.jpg|right|thumb|150px|ジンナーとガンディー]]&lt;br /&gt;
[[画像:Mountbatten.jpg|thumb|right|thumb|150px|ルイス・マウントバッテン]]&lt;br /&gt;
イギリスは戦後もしばらくの間はインドを統治し続けたが、大戦によりイギリスの国力は疲弊し、大英帝国を維持することが出来なくなった&amp;lt;ref&amp;gt;[[長崎暢子]]「第9章 ガンディー時代」p.422 [[辛島昇]]編『南アジア史』（山川出版社 2004年）、英領インドが成立して以来、対英負債を抱えてきたのは常にインドである。（省略）だが、第二次世界大戦は長い間の債務関係を一挙に逆転させ、今度はイギリスが、1945年に13億ポンドという膨大な負債をインドに対して持つ債務国となった&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[マハトマ・ガンディー]]や[[ジャワハルラール・ネルー]]らインド国民会議派が指導する独立運動の激化並びに[[ヒンズー教徒]]と[[イスラム教徒]]との間の宗教対立にイギリス政府は耐え切れなくなったことも相俟って、[[アトリー]]は1947年2月20日、インドから1948年6月までに撤退することを決断し、[[ルイス・マウントバッテン]]を最後のインド総督として派遣した&amp;lt;ref&amp;gt;Ibid. p.422 &amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マウントバッテンはネルー達に、ヒンズー教徒が多いインドとイスラム教徒が多い東西パキスタンに分割独立する案を受諾させ、また藩王国が印パに所属する過程が円滑に進むように、[[イギリス連邦]]に加盟することまでも受諾させる事に成功した&amp;lt;ref&amp;gt;Ibid. p.422-423 &amp;lt;/ref&amp;gt;。そして、アトリーが当初宣言した予定より1年早い1947年8月15日、イギリス領インドは、ヒンズー教徒が多いインドと、イスラム教徒が多い、[[パキスタン]]に分割独立した（東パキスタンを構成する[[バングラデシュ]]は1971年、パキスタンより独立した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしこの様なイギリスの都合に合わせ性急に行われた分割独立が、その後のインドとパキスタン両国の間における対立を引き起こし、その後も両国は対立を続けることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オーストラリア・ニュージーランド ===&lt;br /&gt;
イギリスの植民地である両国は安全保障をシンガポールを拠点とするイギリス軍に依存していたが、マレー作戦およびシンガポール陥落以後に、オーストラリアが日本軍に[[ダーウィン (オーストラリア)|ダーウィン]]空爆や[[シドニー]]湾攻撃などの被害に遭ったことを受け、安全保障のパートナーを宗主国の英国からアメリカに変更。[[ANZUS]]が成立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中東・北アフリカ ===&lt;br /&gt;
==== イスラエル ====&lt;br /&gt;
[[オスマン帝国]]領をイギリスとフランスで分割した[[サイクス・ピコ協定]]によってパレスチナはイギリスの委任統治領となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1929年]]に始まった第5アリヤ（パレスチナへのユダヤ人の移住）は、雨垂れ式であったが、ヒトラーが権力の座についたことで、1933年から36年の4年間で、164,267人のユダヤ人が合法的に移住した&amp;lt;ref&amp;gt;ウリ・ラーナン他著、滝川義人訳『イスラエル現代史』p.87&amp;lt;/ref&amp;gt;。その結果、パレスチナにおけるユダヤ人人口は、40万人に達した。そのことが、土着していたアラブ人との対立を招く結果となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホロコーストと[[アトリー]]政権の親ユダヤ政策が、パレスチナの混迷をさらに招く形となった。1945年8月、トルーマンは、アトリーに書簡を送り、ホロコーストで生き残ったユダヤ人10万人のパレスチナ移住許可を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリスは、フランスとは異なり&amp;lt;ref&amp;gt;1943年に、[[レバノン]]と[[シリア]]は独立を達成した。&amp;lt;/ref&amp;gt;、パレスチナの委任統治を継続したが、パレスチナの治安情勢の悪化と[[エクソダス号事件]]によって、委任統治を放棄することを検討しだした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1948年]][[5月16日]]、イスラエルは、独立を宣言。同時に、[[第一次中東戦争]]が勃発した。イスラエルは、国連決議よりも割り当てられた領域よりも広い領域の確保に成功するとともに、この戦争がパレスチナ難民問題を生み出す契機となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== サウジアラビア ====&lt;br /&gt;
イギリスの後援で造られた[[ヒジャーズ]]王国を滅ぼして、[[アラビア半島]]を統一した国家であり、この国の[[石油]]資源は、1933年に設立された石油会社を介してアメリカの資本の支配下にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ヨルダン ====&lt;br /&gt;
1950年までは[[トランスヨルダン]]という国名であって、1946年に独立したものの、外交・軍事の実権はイギリスにあり、イスラエルと同時期にイギリス・フランスの委任統治領として成立した国家であったが、1950年に占領していたヨルダン川西岸を自国領にすると宣言し、その後国名を[[ヨルダン]]と変えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イラク ====&lt;br /&gt;
[[イラク王国]]はイギリスの委任統治領から1932年に独立したものの、国内でのイギリス軍の移動の自由が認められイギリスによる[[石油]]資源の支配が行われているなど外交・軍事の実権はイギリスにあった。これに対し[[アラブ民族主義]]者はイギリスからの独立を企てドイツに接近した。国内は乱れ、[[1941年]]3月末にはついにアラブ民族主義者の軍幹部が決起し親英派の国王側近が追い出される事態となった（[[1941年イラク政変]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしイラクでの利権喪失とイラクの石油が枢軸国の手に落ちることを恐れたイギリスは軍を侵攻させ、1か月余りの後に再びイラクを占領した（[[イギリス・イラク戦争]]）。以後、第二次大戦後までイラクはイギリス軍の占領下に置かれ、ヴィシー政権支配下のシリアへの侵攻と、イラク同様にドイツ側に落ちる恐れのあった[[イラン]]への侵攻はイラクから行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次大戦後もイラクは英米の同盟国として振舞い、ソ連を封じ込める[[中央条約機構|バグダッド条約機構]]の一員となるものの、[[1958年]]にアラブ民族主義の青年将校によるクーデターが勃発し共和国が誕生し、王室は滅ぼされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イラン ====&lt;br /&gt;
{{main|イラン進駐 (1941年)}}&lt;br /&gt;
第二次世界大戦中、米英からソ連に対する軍事物資援助のルートになっていたことで、北半分にソ連軍、南半分にイギリス軍が進駐していた。しかし終戦後、ソ連軍がなかなか撤退する気配を見せなかったので、イラン政府が1946年1月にソ連軍の撤退を求めて[[国連安全保障理事会]]に提訴した。その後翌年にソ連軍は撤退した。しかしこの結果、[[アゼルバイジャン]]の地方政権が半年後に崩壊してしまう契機となった。&amp;lt;ref&amp;gt;油井大三郎・古田元夫著、「世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ」（中央公論社 1998年）pp.207-210&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== レバノン ====&lt;br /&gt;
第一次世界大戦終了後、[[サイクス・ピコ協定]]により、[[シリア]]と[[レバノン]]はフランスの、[[ヨルダン]]と[[パレスチナ]]はイギリスの[[委任統治]]領となった。だが、第二次大戦中、本国フランスがナチス・ドイツに占領されたこともあり、独立の準備が進んでいたシリアやレバノンは、フランスからの独立を模索することとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ビシャラ・アル・フーリー]]が中心となり、[[1943年]]にフランスからの独立を達成し、自由経済政策を推進し、レバノンは経済的な繁栄を誇った。しかし、[[1948年]]、[[ユダヤ人]]の手により、[[イスラエル]]が建国されると同時に勃発した[[第一次中東戦争]]により、[[アラブ]]側は敗退を余儀なくされ、10万人規模の[[パレスチナ]][[難民]]がレバノンに流入した。このことが、レバノンの各宗派間のバランスの上に成り立っていた政治運営を困難にさせた面は否定できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、各宗派間の対立が周辺諸国（シリア、イラン、イスラエル）の介入を招き寄せる結果となり、現在の混迷の原因もこの大戦に起因している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== トルコ ====&lt;br /&gt;
1946年8月にソ連が[[黒海]]から[[地中海]]を通る要衝である[[ボスフォラス海峡]]と[[ダーダネルス海峡]]の管理を[[トルコ]]に要求したために、一時的にソ連との対立が激化した。しかしその後にはソ連が要求を取り下げたので米ソ対立は緩和していった。&amp;lt;ref&amp;gt;油井大三郎・古田元夫著、「世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ」（中央公論社 1998年）pp.212-213&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== エジプト ====&lt;br /&gt;
[[エジプト]]もイスラエルと同様にイギリスの委任統治領にあり、1922年にイギリス側の一方的独立宣言と1936年[[イギリス・エジプト条約]]により形式的に独立に近づいていたが、[[スエズ運河]]一帯にはイギリス軍が駐留し、元来エジプト領だった[[スーダン]]の統治をめぐってイギリスに従属的立場に置かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、1956年[[ガマール・アブドゥン＝ナーセル]]はスエズ運河の国有化を宣言、英仏イスラエルの三カ国はナセルの行為に反発し、[[第二次中東戦争]]が勃発した。米ソ両大国の英仏イスラエルに対する反発により、エジプトはスエズ運河の国有化に成功しアラブ地域の盟主の地位を確立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南北アメリカ ===&lt;br /&gt;
その全てが連合国、もしくは中立国であった中南米諸国は、[[ブラジル]]などいくつかの国が連合国の一員としてヨーロッパ戦線に派兵を行ったが、その本土が直接戦争による被害を受けることはほとんどなかった&amp;lt;ref&amp;gt;{{main|:en:Ecuadorian-Peruvian war}}&lt;br /&gt;
ただし、例外として、枢軸と連合関係なく、ペルーとエクアドルは領土の問題で軍事衝突が起こった為、事実上南米大陸では戦争は起きている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後においては、共産主義思想の浸透を懸念したアメリカが、ただ「反共産主義的である」という理由だけで[[チリ]]や[[キューバ]]、[[ブラジル]]、[[ドミニカ共和国]]、中米など多くの軍事独裁政権に対し経済的、政治的な援助を行った（[[PBSUCCESS作戦]]、[[チリ・クーデター]]、[[コンドル作戦]]）。それだけではなく、そもそもこうした政権の成立の過程にもアメリカ合衆国による介入がある場合が殆どだった。その結果、冷戦の終結によってアメリカがこれらの軍事独裁政権に対する援助を中止した[[1990年代]]初頭までの長きに渡って（[[1959年]]に起きた[[キューバ革命]]によって社会主義政権になったキューバを除いた）ほとんどの中南米諸国の国民は、腐敗した軍事独裁政権下で不安定な政治と富の独占、そしてそれがもたらす貧困にあえぐこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アメリカ合衆国 ====&lt;br /&gt;
戦中、国家主導の軍事増産が経済回復をもたらし、景気刺激政策が定着していった。しかし[[ミリタリー・ケインジアン・エコノミー]]というようにきわめて軍事色が強くなった。同じ時期に軍や官僚機構と癒着し、1950年代に「[[軍産複合体]]」と批判されるような構造を作り出すこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 日本占領&lt;br /&gt;
:* 日本の占領を連合軍の中で中心的に行い、アメリカにとって有益となる占領政策を行った。連合軍による日本占領の終了後もアメリカ軍基地を数多く残し、また、政財界に大きな影響力を堅持するなど日本を実質的な影響下におくことに成功した。&lt;br /&gt;
:* イタリア上陸時にアメリカ軍が[[マフィア]]を使ったように、[[暴力団]]を、占領下における左翼勢力を押さえ込むための暴力装置として活用し、そのことによって暴力団に大きな資金が転がり込み、勢力を飛躍的に伸ばす結果を生んだ。&lt;br /&gt;
:* 日本領土である沖縄や小笠原諸島、奄美諸島をアメリカ軍の施政権下に置いた。&lt;br /&gt;
:* 撤退した日本軍に代わり朝鮮半島の南部を占領した。大韓民国の独立後も朝鮮戦争期を経て現在に至るまで同地域にアメリカ軍基地を残したままである。&lt;br /&gt;
; フィリピン統治[[画像:Wake island 1945 surrender.jpg|thumb|[[ウェーク島]]でアメリカ軍に降伏する日本軍の兵士（1945年）]]&lt;br /&gt;
:* 日本の場合と異なりこちらは[[左翼|左派]]色の強い抗日[[ゲリラ]]がアメリカの支配にも抵抗するがアメリカはこれを激しく弾圧する。&lt;br /&gt;
:* 戦前から植民地として統治していたフィリピンにおいても日本と同じくアメリカ軍基地を残した他、多くの権益を残し政財界に対し大きな影響力を残した。&lt;br /&gt;
; 太平洋諸島統治&lt;br /&gt;
:* [[日本]]による[[委任統治]]後に併合を宣言していた[[南洋諸島]]を日本が放棄し、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]による[[信託統治]]に移行した。&lt;br /&gt;
:* [[ミクロネシア連邦]]を[[1986年]]に、[[パラオ]]を冷戦後の[[1994年]]に独立。[[グアム]]や、[[サイパン]]を含む[[北マリアナ諸島]]などはその後もアメリカの統治下にある。&lt;br /&gt;
:* [[1898年]]以降自治領としていた[[ハワイ諸島]]の実効支配を戦争終結後も続け、[[1950年]]には州に昇格させた。この結果[[19世紀]]末にアメリカに侵略されたハワイは完全にアメリカに組み込まれることになった。&lt;br /&gt;
; マフィアとの協力&lt;br /&gt;
: 連合国軍のイタリア上陸時における、イタリア系[[マフィア]]の現地協力組織による連合軍に対する情報提供や後方支援の他、アメリカ国内の港湾地域における対[[スパイ]]活動と引き換えに、アメリカ当局が当時アメリカ国内に収監されていたイタリア系マフィアの指導者の多くを減刑、もしくは釈放したことにより、戦後それらの組織がアメリカ国内で大きな力を持つことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 新たに登場した兵器・戦術・技術 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Fusée V2.jpg|right|thumb|[[V2ロケット]]]]&lt;br /&gt;
[[画像:KawanishiH6K.jpg|thumb|right|九七式飛行艇]]&lt;br /&gt;
[[画像:Bachem Ba349 rockets.jpg|thumb|大戦末期に開発されたロケット戦闘機バッフェム [[Ba 349 (航空機)|Ba349a ナッター]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一次世界大戦は工業力と人口が国力を左右したが、第二次世界大戦はそこに科学技術の差が明確に加わることとなった。戦争遂行のために資金・科学力が投入され、多くのものが長足の進歩を遂げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 兵器&lt;br /&gt;
: 電子兵器（[[レーダー]]、[[近接信管]]）や[[ミサイル]]、[[ジェット機]]、[[ジープ|4輪駆動車]]、[[核兵器]]などの技術が新たに登場した。電子兵器と4輪駆動車を除く3つは大戦の後期に登場したこともあって戦局に大きな影響を与えることはなかったが、レーダーは大戦初期のバトル・オブ・ブリテンあたりから本格的に登場し、その優劣が戦局を大きく左右した。また、アメリカやドイツ、日本などがこぞって開発を行った核兵器（原子爆弾）の完成とその利用は、日本の降伏を早めるなど大きな影響を与え、その影響は[[冷戦]]時代を通じ現代にも大きなものとなっている。なお、大戦中期に[[暗号解読]]と[[弾道]]計算のために[[コンピュータ]]が生み出された。&lt;br /&gt;
: 第一次世界大戦時に本格的な実用化が進んだ[[航空機]]は、大戦直前に実用化された日本の[[零式艦上戦闘機]]やドイツの[[メッサーシュミットBf109]]のような近代的な全金属製戦闘機だけでなく、[[川西航空機]][[九七式飛行艇]]のような[[飛行艇]]や、[[アブロ ランカスター]]や[[ボーイング]][[B-29]]などの大型爆撃機、大型[[グライダー]]、ジェット機など、さまざまな形で戦場に導入された。これらの航空機において導入されたさまざま技術は、戦後も軍用だけでなく民間でもさかんに使用されることになった。&lt;br /&gt;
: また、アメリカの[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]][[DC-3]]やボーイング[[B-17]]に代表されるような、量産工場での大量生産を前提として設計された大型航空機の出現による機動性の向上は、[[ロジスティクス]]（兵站）をはじめ戦場における距離の概念を大きく変えることになった。また、[[ジープ]]などの本格的な4輪駆動車の導入や[[バイク]]や[[サイドカー]]の導入など、地上においても機動性に重点をおいた兵器が数々登場し、その技術は広く民間にも浸透している。&lt;br /&gt;
; 戦術&lt;br /&gt;
: 戦車やそれを補佐する急降下爆撃機を中心にした[[電撃戦]]（ドイツ）、航空母艦やその艦載機による機動部隊を中心とした海上作戦（日本）、[[ボーイング]][[B-29]]やB-17のような4発エンジンを持った大型爆撃機による都市部への無差別爆撃（アメリカ、イギリス）や、[[V1飛行爆弾|V1]]や[[V2ロケット|V2]]などの弾道ミサイルによる攻撃（ドイツ）、戦闘機を敵艦に突進させるなどとした[[神風特別攻撃隊]]（日本）、非戦闘民に対する核兵器の使用（アメリカ）などは、第二次世界大戦中だけでなくその後の戦争戦術にも大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
; 技術・代用品の開発・製造&lt;br /&gt;
: [[絹]]に替わるものとして[[ナイロン]]が生まれたように、[[天然ゴム]]にかわる[[合成ゴム]]の開発製造、[[人造石油]]の開発・製造などが行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 評価 ==&lt;br /&gt;
=== 帝国主義の終焉と植民地解放 ===&lt;br /&gt;
第二次世界大戦は帝国主義が極限に達したことで勃発したが、結果的に帝国主義を終焉させ植民地解放を促す契機となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長年、イギリス、オランダ、フランス、アメリカなど[[白人]]諸国家の[[植民地]]統治下にあったアジア地域は、緒戦の日本軍の勝利と占領により、一時的に白人[[宗主国]]支配から切り離された。これにより非白人国が白人の宗主国を打倒した事実を、植民地統治下の住民が直接目にする事となった。これは被植民地住民にとって、宗主国・白人に対する劣等感を払拭する大きな力になったと、後年に[[中華民国総統]]・[[李登輝]]、[[マレーシア]]・[[マハティール・ビン・モハマド]]首相、[[インドネシア]]・[[スカルノ]]大統領など、当時の被植民地出身の首脳らが述べている。そして日本軍の敗北後、白人宗主国勢力がアジア地域に戻ってきた際、現地住民らは、一部日本軍兵士も含め、独立運動に立ち上がった。彼らは日本軍の遺棄兵器を、終戦直後の権力空白時に入手し、それが独立運動推進に寄与したとされる。以上の諸点から、日本がアジア各国の植民地解放を結果的に促進したとする見解がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また連合国の勝利で大日本帝国が崩壊し、同帝国統治下の朝鮮、その他太平洋諸国が独立し、台湾、満州国は中華民国領土へ復帰した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、戦場とならなかった[[サハラ砂漠|サハラ]]以南の[[アフリカ]]諸国（[[ブラックアフリカ]]）の独立運動がアジア地域より遅く、1960年代以降本格化した事は、この戦争の存在と大きく関係しているという意見も有るが、それはサハラ以南の地域では白人の宗主国が戦後も残存し、また経済・社会発展がアジア地域より遅れていたに過ぎない、という反論も有る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東ヨーロッパにおいては戦勝国・ソビエト連邦が同地域のほとんどを占領し、[[バルト諸国占領|バルト三国などを併合]]し、[[ポーランド]]、[[ドイツ]]、[[ルーマニア]]などから領土を獲得すると共に、[[ポーランド]]、[[チェコスロバキア]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]、[[ハンガリー]]、[[ルーマニア]]、[[ブルガリア]]などに親ソ共産主義政権を樹立させた。戦後冷戦下においてこれらの国を「衛星国」という名の新たな植民地として支配する事になり、その状態は1991年まで続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大戦と民衆 ===&lt;br /&gt;
第一次世界大戦は[[国家総力戦]]と呼ばれたが、第二次世界大戦で、一般民衆はさらに戦争と関わる事を余儀なくされた。戦場の拡大による市街地戦闘の増大や航空機による[[戦略爆撃]]、無差別爆撃。ナチスドイツによるホロコーストなど一民族への大量虐殺、日本軍による中国での大規模な破壊・略奪・虐殺を行った「三光作戦&amp;lt;ref&amp;gt;これは日本語として不自然な漢語由来の名称であるから作戦自体が中華民国及び中国共産党の[[プロパガンダ]]であるとする主張もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;」（[[燼滅作戦]]）など、戦争の様相は第一次世界大戦より過酷なものとなり、空前絶後の被害を受けた。さらに、侵略者に対し、占領下の民衆らによる[[パルチザン部隊|パルチザン]]・[[レジスタンス]]など[[ゲリラ]]的に抵抗する活動が開始され、民衆自身が直接戦闘に参加した。しかし、それは時として正規軍関係者からの過酷な報復を招いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、婦女子の産業・軍事への進出が第一次世界大戦当時より促進された。しかしこのことが多くの国において[[参政権]]を含む女性の権利獲得に大きな役割を果たした面もある。また[[原子爆弾]]や[[焼夷弾]]などの大量破壊兵器の登場は、多くの民衆を戦闘に巻き込んだ事から、彼らの反戦意識を向上させ、戦後の[[反戦運動]]や[[反核運動]]へ繋がっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 『よい戦争』 ===&lt;br /&gt;
特に[[1970年代]]以降のアメリカでは、[[ベトナム戦争]]との対比で、第二次世界大戦を「よい」戦争 (good war) とみる風潮が広まった。「民主主義対[[ファシズム]]」の単純な構図でアメリカが前者を守る正義を行ったとみる。この動きを多数の大衆インタビューにより、[[スタッズ・ターケル]]は『よい戦争 ([[:en:The Good War|The Good War]])』[http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794959761]としてまとめた。この本はその後[[ピューリッツァー賞]]を受賞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、戦後の冷戦構造の中でアメリカは、上記のソビエト連邦の動きに対抗するべく「反共産主義的」であるとの理由だけで、[[チリ]]や[[ボリビア]]などの中南米諸国や、[[大韓民国|韓国]]、[[フィリピン]]、[[南ベトナム]]などのアジア諸国のファシズム的な軍事独裁政権を支援した。そのためにこれらの国は長きに渡り混乱と貧困の中に置かれた。日本の占領過程では暴力団を手先として使ったり、東條内閣の[[商工大臣]]であった[[岸信介]]や中国大陸で海軍の威を借りて現地人に対する略奪行為を指揮していた[[児玉誉士夫]]などを、一度は戦犯容疑者としながら従順で利用価値があるとみるや釈放し復権させるなど、影響圏に収めた国々で自らの利益を優先した行動をとった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主主義と戦争 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Japaneseamericaninternmentcenter-flag.jpg|left|thumb|[[カリフォルニア州]]のマンザナー日系人強制収容所]]&lt;br /&gt;
大戦中「民主主義の武器庫」を自称していたアメリカは、それとは裏腹に深刻な[[人種差別]]を抱えていた。人手不足から被差別人種である[[アフリカ系アメリカ人]]（[[黒人]]）も従軍することになったが、大戦中に将官になったものが1人もなく、大半の兵は後方支援業務に就かされる&amp;lt;ref&amp;gt;実際の戦闘に参加したものは5%に過ぎなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;など差別は解消されなかった。&amp;lt;ref&amp;gt;アメリカ政府によるアフリカ系アメリカ人に対する法的な差別の解消は、[[1960年代]]に活発化した[[公民権運動]]とそれの結果による[[公民権法]]の成立を経なければならなかった。ただし、現実の差別解消はその後数十年経った現在もなお完全に実現されたとは言い難く法の下では平等であっても社会的な生活階層に占める人種割合や下位の社会階層から抜け出る事が人種により差が残る等世俗慣習として差別は依然として残っている。アメリカ政府はアメリカは自由で平等な国であるので、差別は国内には存在しないとしている。&amp;lt;/ref&amp;gt;参戦によっても差別構造が変わらなかったのは、主に[[コードトーカー|暗号担当兵]]として多くが参戦した[[ネイティブ・アメリカン]]（[[先住民]]）&amp;lt;ref&amp;gt;ナバホ族の難解な言語をそのまま暗号としてを用いた。[[コードトーカー]]参照&amp;lt;/ref&amp;gt;も同様であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、根強い[[黄禍論]]に基づいて繰り広げられた[[日系人]]に対する差別は、対日戦の開戦後に強行された[[日系人の強制収容]]により一層酷くなった。これは第二次世界大戦におけるアメリカの汚点の一つであり、問題解決には戦後数十年もの時間を要し、日系アメリカ人については[[1988年]]の「市民の自由法」（日系アメリカ人補償法）、日系ペルー人に至っては[[1999年]]まで待たなければならなかった。また、現在でもこれらの大戦時の日系人への差別行為の歴史については、アメリカ史の触れられたくない部分として、アメリカ社会では語ろうとする事さえ[[タブー]]視される事が珍しくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で[[第442連隊戦闘団]]などの[[日系アメリカ人]]部隊の果敢な戦いぶりは、戦後日系アメリカ人に対する見方を大きく変える原動力となったが、あくまで印象が変わったという程度であり、現在においても、非公式な場での差別発言やアメリカ政府が日本政府に強硬に要求する態度に、アメリカ優位のものの見方が現れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、敗戦国・日本に対し、大戦中戦争を指導するどころか、経験した事も無い戦後生まれが多数を占める現在においても、「謝罪と賠償は相続される」との観点（この論理からは、日本は、未来永劫謝罪と賠償をしなければならないとされている）から{{要出典}}&amp;lt;!-- 団体の責任が構成員の変動の影響を受けないという当然の法理が国家において適用されず、このような異様な観点からの説明が必要となるというのはいかにも不自然なので、事実かどうか検証の必要があるのではないか。 --&amp;gt;、大戦当時は国家として存在すらしていなかった中華人民共和国や大韓民国によって謝罪と賠償を求める[[ロビー活動]]が、当該国内や日本国内、日本の最大輸出先であるがゆえ、日本に対し大きな影響力を持つアメリカ国内においても活発であり、また金銭面の誘惑からそれに同調、加担するアメリカの議員も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第二次世界大戦を題材とした作品一覧 ==&lt;br /&gt;
{{see|第二次世界大戦を題材とした作品一覧}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&amp;lt;div class = &amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
; 総記&lt;br /&gt;
:* [[福田和也]]『第二次大戦とは何だったのか？』筑摩書房 2003年 ISBN 4-480-85773-7&lt;br /&gt;
:* [[油井大三郎]]・[[古田元夫]] 『世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ』中央公論社 1998年 ISBN 4-12-403428-8&lt;br /&gt;
:* [[防衛研究所|防衛庁防衛研究所]]戦史部編 『[[戦史叢書]]』 朝雲新聞社&lt;br /&gt;
:* J.M.ロバーツ 『世界の歴史9 第二次世界大戦と戦後の世界』 [[五百旗頭真]]訳 創元社 2003年 ISBN 4-422-20249-9&lt;br /&gt;
:* [[軍事史学会]]編 『第二次世界大戦 &amp;lt;small&amp;gt;発生と拡大&amp;lt;/small&amp;gt;』 錦正社 1990年&lt;br /&gt;
; 回顧録・評伝&lt;br /&gt;
:* ウィンストン チャーチル『第二次大戦回顧録』[[毎日新聞社]]（翻訳）毎日新聞社 ISBN 4-1220-3864-2&lt;br /&gt;
:* [[産経新聞]]「ルーズベルト秘録」取材班 『ルーズベルト秘録』[[扶桑社]] 2000年 ISBN 4-594-03015-7&lt;br /&gt;
:* [[ロベール・ギラン]]『アジア特電 1937~1985―過激なる極東』矢島翠訳毎日新聞社1986年&lt;br /&gt;
:* [[田久保忠衛]]『戦略家ニクソン』[[中央公論社]]1996年 ISBN 4-12-101309-3&lt;br /&gt;
:* [[春名幹男]]『秘密のファイル [[アメリカ中央情報局|CIA]]の対日工作』[[新潮社]] [[2003年]] ISBN 4-7641-0454-7&lt;br /&gt;
:* [[ロバート・ホワイティング]]『東京アンダーワールド』 [[勁文社]] / [[角川文庫]] 2000年 ISBN 4-04-247103-X&lt;br /&gt;
:* 立作太郎『平時国際法論』（日本評論社）&lt;br /&gt;
:* 川上忠雄『第二次世界大戦論』（風媒社） ISBN 4-8331-0207-2&lt;br /&gt;
:* [[ズビグネフ・ブレジンスキー]]『「大いなる失敗―20世紀における共産主義の誕生と終焉』 [[伊藤憲一]]訳 飛鳥新社 1989年&lt;br /&gt;
; 各国史&lt;br /&gt;
:* [[武田龍夫]] 『物語 北欧の歴史』 中公新書 1993年 ISBN 4-12-101131-7&lt;br /&gt;
:* 萩原宜之 『ラーマンとマハティール』 岩波書店 1996年&lt;br /&gt;
:* 森田安一 『物語 スイスの歴史』 中公新書 2000年 ISBN 4-12-101546-0&lt;br /&gt;
:* ウリ・ラーナン他『イスラエル現代史』滝川義人訳 明石書店 2004年 ISBN 4-7503-1862-0&lt;br /&gt;
:* 堀口松城 『レバノンの歴史』 明石書店 2005年 ISBN 4-7503-2231-8&lt;br /&gt;
:* 辛島昇編 『南アジア史』 山川出版社 2004年 ISBN 4-634-41370-1&lt;br /&gt;
:* [[中西輝政]] 『大英帝国衰亡史』 PHP研究所 1997年 ISBN 4-569-55746-8&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦の背景]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦の参戦国]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦の会談・会議]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦に関連する人物の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦を題材とした作品一覧]]&lt;br /&gt;
* [[第二次世界大戦に関する映画の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[:Category:第二次世界大戦期の政治家]]&lt;br /&gt;
* [[:Category:第二次世界大戦期の軍人]]&lt;br /&gt;
* [[日本のユダヤ人]]&lt;br /&gt;
* [[フー・ファイター]]&lt;br /&gt;
* [[竹槍事件]]&lt;br /&gt;
* [[ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム]] - 厭戦化工作&lt;br /&gt;
* [[日本国との平和条約]]&lt;br /&gt;
* [[終戦記念日]]&lt;br /&gt;
* [[対日戦勝記念日]]&lt;br /&gt;
* [[光復節]]&lt;br /&gt;
* [[解放記念日]]&lt;br /&gt;
* [[ヨーロッパ戦勝記念日]]&lt;br /&gt;
* [[朝鮮戦争]]&lt;br /&gt;
* [[中国残留日本人孤児]]&lt;br /&gt;
* [[中国山西省日本軍残留問題]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アドルフ・ヒトラー}}&lt;br /&gt;
{{ナチ党}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD&amp;diff=307582</id>
		<title>ドイツ民主共和国</title>
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				<updated>2015-10-13T03:47:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;[[1949年]]、[[第二次世界大戦]]の結果、ソ連の占領下にあったドイツ東側地区、および[[ベルリン]]東部に成立した共和国(面積11万平方Km、首都ベルリン)。[[1973年]][[国連連合]]に加盟。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通称は東ドイツ。[[1990年]][[ドイツ連邦共和国]]に吸収・統合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:アンサイクロペディアで新規作成を禁止された記事|といつ]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドイツ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>ドイツ</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''ドイツ連邦共和国'''、通称'''ドイツ'''は、[[ヨーロッパ]]中部にある[[連邦]]制の[[共和国]]である。首都は[[ベルリン]]。北は[[デンマーク]]、東は[[ポーランド]]、[[チェコ]]、南は[[オーストリア]]、[[スイス]]、西は[[フランス]]、[[ルクセンブルク]]、[[ベルギー]]、[[オランダ]]と国境を接する。また、北部は、北西側が[[北海]]、北東側は[[バルト海]]に面する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
領域は[[1990年]]の[[ドイツ再統一]]によって、[[ドイツ民主共和国]]（旧東ドイツ）を構成していた15県および[[東ベルリン]]が6州としてドイツ連邦共和国に編入されて、現在の16州となった。[[2008年]]まで6年連続で世界最大の輸出額を誇る工業大国･輸出大国であり、[[アメリカ合衆国]]、[[日本]]、[[中華人民共和国]]に次いで世界第4位（為替レート換算値による）の[[国内総生産|GDP]]を誇る[[経済大国]]である。世界の先進7ヶ国（[[G7]]）の一つ。[[フランス]]と並ぶ[[欧州連合]] (EU) の中核国である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 国名 ==&lt;br /&gt;
[[ドイツ語]]での正式名称は、''{{lang|de|Bundesrepublik Deutschland}}'' （ブンデスレプブリーク・ドイチュラント）。通称は、''{{lang|de|Deutschland}}''。略称は、'''&amp;lt;span lang=&amp;quot;de&amp;quot; title=&amp;quot;Bundesrepublik Deutschland&amp;quot;&amp;gt;BRD&amp;lt;/span&amp;gt;'''（ベーエルデー）。{{lang|de|Bundes}}は「連邦」の意、{{lang|de|Republik}}は「共和国」の意である。{{lang|de|Deutsch}}の原義は「民衆、大衆」という意味で、[[フランク王国]]時代に[[ラテン語]]系の言語ではなく、[[ゲルマン語]]系の語を用いる[[ゲルマン人]]系一般大衆をこう呼んだことに由来する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公式の英語表記は''{{lang|en|Federal Republic of Germany}}''。通称は''Germany''。略称は'''FRG'''。Germanyは民族名の「ゲルマン」から来ている。&lt;br /&gt;
日本語表記は'''ドイツ連邦共和国'''。通称は'''ドイツ'''。'''独逸'''、'''獨乙'''などと表記され、'''独'''（獨）と訳される。中国語では'''徳意志'''、'''徳国'''となる。「ドイツ」は原語（ドイチュラント）、若しくは[[オランダ語]]の「Duits」が起源だといわれている。&lt;br /&gt;
フランスやスペイン、ポルトガルではそれぞれアルマーニュ（Allemagne）、アレマニア（Alemania）、アレマーニャ（Alemanha）と呼ばれるが、これはゲルマン人の一派である[[アレマン人]]に由来する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地理 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ''詳細は[[ドイツの地理]]を参照'' --&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[File:Deutschland topo.png|thumb|ドイツの地形図]]&lt;br /&gt;
ドイツの地形は北から南へ、大きく5つの地域に分けられる。北ドイツ低地、中部山岳地帯、南西ドイツ中部山岳階段状地域、南ドイツアルプス前縁地帯、バイエルン・アルプスである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北ドイツ低地は全体的に標高100m以下の平坦な地域で、[[エルベ川]]などの川沿いにはリューネブルクハイデと呼ばれる大きな丘陵地がある。バルト海沿岸は平坦な砂浜や、断崖をなす岩石海岸となっている。中部山岳地帯は、おおよそ北は[[ハノーファー]]の辺りから南は[[マイン川]]におよぶ地域で、ドイツの西部と中部に広がり、ドイツを南北に分けている。地形的に峡谷や低い山々、盆地など変化にとんでおり、山地としては西部のアイフェル丘陵とフンスリュック山地、中央部の[[ハルツ山地]]、東部のエルツ山脈がある。南西ドイツ中部山岳階段状地域には[[オーデンヴァルト]]や、ドイツ語で「黒い森」を意味する[[シュヴァルツヴァルト]]の標高1000mを超える広大な森林がある。アルプスはドイツ国内ではもっとも標高が高い地域で、南部の丘陵や大きな湖の多いシュヴァーベン＝バイルン高原に加えて、広大な堆石平野とウンターバイエルン丘陵地、そしてドナウ低地を包括している。ここにはアルプスの山々に囲まれた絵のように美しい数々の湖や観光地があり、[[オーストリア]]との国境地帯にはドイツの最高峰[[ツークシュピッツェ]]（標高2962m）がそびえ立つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツにおける火山活動は[[先カンブリア代]]に収束している。先カンブリア代末から始まった[[カレドニア造山運動|カレドニア変動]]や、後期[[古生代]]におこった[[バリスカン造山運動|バリスカン（ヘルシニアン）変動]]はいずれも主要活動帯がドイツを横切っているものの、地表には痕跡が残っていない。バリスカン変動は2000kmにおよぶ規模の大陸間の変動であった。現在のドイツの地形を決定したのは[[新生代]]における[[褶曲運動]]である。[[アルプス山脈|アルプス]]変動帯の活動により、最南部は標高1200mにいたるまで隆起した。ドイツにおけるアルプス変動帯は東アルプスと呼ばれている。同時に西部フランス国境に近いライン川に相当する位置に、[[ライン地溝]]を形成する。ライン地溝は、約500kmに渡って南北に伸びる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ北部（[[北ヨーロッパ平野]]）の地表は[[氷河地形]]の典型例である。[[最終氷期]]においては北緯51度線に至るまで[[氷河]]が発達し、ヨーロッパを横切る数千km規模の末端堆石堤を残した。その100から200kmの海岸線方面には[[モレーン]]が残る。末端堆石堤とモレーンの北側にそっていずれも氷食性の[[レス]]が堆積し、農業に適した肥沃な土壌が広がる。いっぽう、モレーンの南側は土地が痩せている。ドイツに残る長大な河川はいずれも最終氷期の河川に由来するが、ポーランドの[[ヴィスワ川]]、ポーランド国境に伸びる[[オーデル川]]、[[エルベ川]]、ドイツ西部の[[ヴェーザー川]]が互いに連結し、網目状の流路を形成するなど、現在とは異なる水系が広がっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
{{main|ドイツの歴史}}&lt;br /&gt;
{{ドイツの歴史}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは[[石器]]などが発見された地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層では[[ハイデルベルク原人]]の化石が、4万年前の地層では[[ネアンデルタール人]]の化石が確認されている。[[新人]]は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに[[青銅器文明]]に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民族によって[[ドナウ川]]流域に[[ハルシュタット文明]]と呼ばれる[[鉄器文明]]が栄えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[紀元前58年]]から[[51年]]までの[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]の[[ガリア遠征]]などを経て[[ゲルマン人]]は傭兵や農民として[[ローマ帝国]]に溶け込んで行き、紀元後[[375年]]には[[西ゴート族]]の移動を初めとする大移動によって現在のヨーロッパに定着する。[[西ローマ帝国]]の滅亡後、ケルト系民族を北方に追いやったゲルマン人は各地に王国を建てたが、[[フランク王国]]が統一した。[[843年]]の[[ヴェルダン条約]]によって三分割されたうちの1つである[[東フランク王国]]が現在のドイツの原型となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東フランク王国の国王[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]（[[ザクセン公国|ザクセン朝]]）は[[962年]]'''[[アウグストゥス (称号)|アウグストゥス]]'''（古代[[ローマ帝国]]皇帝の称号）を得て、いわゆる[[神聖ローマ帝国]]と呼ばれるゆるやかな連合体を形成した。しかし[[中世]]におけるドイツには国家としての統一や民族意識はほとんどなく、各地に[[領邦国家]]が分立した歴史は現在に続く連邦主義の基盤となっている。各領邦は近隣諸国に比べて弱体で、また[[宗教改革]]では新旧両教に分かれて互いに争ったため[[三十年戦争]]ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊された。1600万人いたドイツの人口が戦火によって600万人に減少したと言われる。それまで国名にドイツが冠されていなかったが、[[15世紀]]からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国（Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と称し、対ドイツ搾取的な教皇サイドからの自立の姿勢を示した。[[1667年]]に[[ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ]] ([[:de:Samuel von Pufendorf]]) が著した書[[ドイツ帝国憲法について]] (Über die Verfassung des deutschen Reiches) において初めて、'''ドイツ帝国'''という呼称が確定できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西南部の[[シュヴァーベン]]地方の[[ホーエンツォレルン城]]一帯出身の東北部の[[プロイセン]]領邦君主[[ホーエンツォレルン家]]は[[17世紀]]半ばから勢力を拡大し、[[1701年]]には[[プロイセン王国]]を形成した。ドイツ人は[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]による侵略を経て民族意識と統一国家への志向を強め、[[19世紀]]前半にはプロイセンに主導的な役割を期待する機運が高まった。[[1806年]]まで神聖ローマ皇帝位を世襲していたオーストリア（その後はドイツ連邦議長国）は、ハンガリーやチェコなど非ドイツ人地域を多く領有するため、「[[大ドイツ主義]]」派（オーストリアから非ドイツ人地域を分離させたうえで統一ドイツの中心とする）にも与することができなかった。「[[小ドイツ主義]]」派のホーエンツォレルン家とオーストリアの[[ハプスブルク家]]はドイツ統一の役割を争ったが、[[1871年]]、プロイセン国王[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]の戴冠によってドイツは、ドイツ系オーストリアを除く、小ドイツとしての[[ドイツ国]]（[[ドイツ帝国]]）として統一され、[[ベルリン]]を首都とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1918年]]、[[第一次世界大戦]]の敗北によってドイツは[[共和制]]に移行したが、[[ヴァイマル共和政]]は小党乱立により政局は不安定で、驚異的な[[インフレ]]など経て[[1931年]]には、[[アドルフ・ヒトラー]]の指導下で極右的[[民族主義]]や[[ユダヤ人]]の排斥、再軍備を唱える[[国家社会主義ドイツ労働者党]]（ナチス党）が選挙で国民からの支持を受け[[1933年]]に政権を握ると、[[ナチス・ドイツ]]となり、軍事力の増強や周辺諸国の併合などを行った。[[1939年]]9月に緊張関係にあった隣国ポーランドと開戦し、[[第二次世界大戦]]が始まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1945年]]、第二次世界大戦に敗北したドイツは[[オーデル・ナイセ線]]以東の、[[東プロイセン]]や[[シュレジェン]]地域を領土として完全に喪失。これにより、戦前の領土の25%を失うこととなった。さらには[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[ソビエト連邦]]の四カ国に分割占領され、[[1949年]]、[[ボン]]を暫定的な首都とする'''ドイツ連邦共和国'''（'''[[西ドイツ]]'''）とベルリンの東部地区（東ベルリン）を首都とする'''[[ドイツ民主共和国]]'''（東ドイツ）に分裂した。[[冷戦]]の時代を通じて東西ドイツは[[資本主義]]と[[共産主義]]が対立する最前線となったが、[[1989年]]ソビエト連邦の[[ペレストロイカ]]に端を発した東ドイツの民主化運動（[[東欧革命]]）をきっかけに[[ベルリンの壁崩壊|ベルリンの壁が崩壊]]し、翌[[1990年]]、[[ドイツ再統一|再統一]]を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以降、旧東ベルリンを中心とするベルリンの再開発・インフラ整備と、ボンからベルリンへの連邦政府機関移転による実質的な首都機能移転が順次進められ、[[2001年]][[5月2日]]にベルリンへの首都機能移転が完了した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東西の経済格差がそれまでの順調な成長を妨げている。一方で、歴史的に統一されたドイツが周辺諸国に対して脅威となってきた問題を懸念する見方もあったが、反対に米ソによってドイツが冷戦後の強国の一つになることを容認されたとの分析もある。実際、統一ドイツは[[フランス]]と共に[[欧州連合]]の中核国として発言力を増し続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治 ==&lt;br /&gt;
{{main|ドイツの政治}}&lt;br /&gt;
[[File:Berlin reichstag CP.jpg|thumb|200px|[[国会議事堂 (ドイツ)|国会議事堂]]]]&lt;br /&gt;
国家[[元首]]は、[[連邦大統領 (ドイツ)|連邦大統領]]で、その権能は儀礼的なものに限られる。任期5年で、[[ドイツ連邦議会]]（下院）の全議員と各州議会代表の選挙人とで構成される[[連邦会議 (ドイツ)|連邦会議]]において選出される。ドイツ連邦議会の解散権は[[連邦大統領 (ドイツ)|連邦大統領]]にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行政府の長である[[連邦首相 (ドイツ)|連邦首相]]は、任期4年で、大統領の提案を受け連邦議会で選出され、下院の信任を必要とする[[議院内閣制]]を採用する。内閣の閣僚は、首相の指名に基づき、大統領が任命する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[議会]]は[[両院制]]。国民の[[直接選挙]]で選出される[[ドイツ連邦議会|連邦議会]]と、[[上院]]に相当する州政府の代表の[[連邦参議院]]とで構成される。下院は、603議席（ただし[[小選挙区比例代表併用制]]の関係で[[超過議席]]([[:en:Overhang seat|en]])が出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わる）で任期4年。上院は、69議席で各州政府が任命する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地方行政区分 ===&lt;br /&gt;
{{main|ドイツの地方行政区分}}&lt;br /&gt;
ドイツには16の[[連邦州]]がある。[[ベルリン]]と[[ハンブルク]]は都市州と呼ばれ、各々単独で連邦州を形成する。[[ブレーメン]]と[[ブレーマーハーフェン]]も合わせて都市州となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{地域区分表|CONTENTS=&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[バーデン＝ヴュルテンベルク州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Baden-Württemberg|Baden-Württemberg]]&lt;br /&gt;
		|POP=10,717,419&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[シュトゥットガルト]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Stuttgart|Stuttgart]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#0f0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;15&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[バイエルン州|バイエルン自由州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Freistaat Bayern|Freistaat Bayern]]&lt;br /&gt;
		|POP=12,443,893&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[ミュンヘン]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:München|München]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#00f;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;16&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ベルリン]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Berlin|Berlin]]&lt;br /&gt;
		|POP=3,387,828&lt;br /&gt;
		|CAPJ=&lt;br /&gt;
		|CAPL=&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#ff0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;6&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ブランデンブルク州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Brandenburg|Brandenburg]]&lt;br /&gt;
		|POP=2,567,704&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[ポツダム]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Potsdam|Potsdam]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#f00;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;7&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ブレーメン州|自由ハンザ都市ブレーメン]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Freie Hansestadt Bremen|Freie Hansestadt Bremen]]&lt;br /&gt;
		|POP=663,213&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[ブレーメン]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Bremen|Bremen]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#0f0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;4&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ハンブルク|自由ハンザ都市ハンブルク]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Freie und Hansestadt Hamburg|Freie und Hansestadt Hamburg]]&lt;br /&gt;
		|POP=1,734,830&lt;br /&gt;
		|CAPJ=&lt;br /&gt;
		|CAPL=&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#ff0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;3&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ヘッセン州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Hessen|Hessen]]&lt;br /&gt;
		|POP=6,097,765&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[ヴィースバーデン]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Wiesbaden|Wiesbaden]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#ff0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;12&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[メクレンブルク＝フォアポンメルン州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Mecklenburg-Vorpommern|Mecklenburg-Vorpommern]]&lt;br /&gt;
		|POP=1,719,653&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[シュヴェリーン]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Schwerin|Schwerin]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#0f0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;2&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ニーダーザクセン州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Niedersachsen|Niedersachsen]]&lt;br /&gt;
		|POP=8,000,909&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[ハノーファー]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Hannover|Hannover]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#00f;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;5&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ノルトライン＝ヴェストファーレン州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Nordrhein-Westfalen|Nordrhein-Westfalen]]&lt;br /&gt;
		|POP=18,075,352&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[デュッセルドルフ]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Düsseldorf|Düsseldorf]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#f00;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;9&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ラインラント＝プファルツ州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Rheinland-Pfalz|Rheinland-Pfalz]]&lt;br /&gt;
		|POP=4,061,105&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[マインツ]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Mainz|Mainz]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#00f;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;13&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ザールラント州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Saarland|Saarland]]&lt;br /&gt;
		|POP=1,056,417&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[ザールブリュッケン]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Saarbrücken|Saarbrücken]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#ff0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;14&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ザクセン州|ザクセン自由州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Freistaat Sachsen|Freistaat Sachsen]]&lt;br /&gt;
		|POP=4,296,284&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[ドレスデン]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Dresden|Dresden]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#0f0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;11&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[ザクセン＝アンハルト州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Sachsen-Anhalt|Sachsen-Anhalt]]&lt;br /&gt;
		|POP=2,494,437&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[マクデブルク]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Magdeburg|Magdeburg]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#ff0;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;8&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[シュレースヴィヒ＝ホルシュタイン州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Schleswig-Holstein|Schleswig-Holstein]]&lt;br /&gt;
		|POP=2,828,760&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[キール (都市)|キール]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Kiel|Kiel]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#f00;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;1&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
	{{地域区分表列&lt;br /&gt;
		|NAMEJ=[[テューリンゲン州|テューリンゲン自由州]]&lt;br /&gt;
		|NAMEL=[[:de:Freistaat Thüringen|Freistaat Thüringen]]&lt;br /&gt;
		|POP=2,355,280&lt;br /&gt;
		|CAPJ=[[エアフルト]]&lt;br /&gt;
		|CAPL=[[:de:Erfurt|Erfurt]]&lt;br /&gt;
		|ETC=&amp;lt;span style=&amp;quot;color:#f00;&amp;quot;&amp;gt;■&amp;lt;/span&amp;gt;10&lt;br /&gt;
	}}&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主要都市 ===&lt;br /&gt;
ドイツは地方分権の歴史が長いため、[[ロンドン]]や[[パリ]]、[[東京]]の様な首都への一極集中はしていない。人口は2006年のデータを使用。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:Skyline Frankfurt am Main.jpg|thumb|200px|ドイツ経済の中心地[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]は、[[欧州中央銀行]]（ECB）や国際的な[[フランクフルト国際空港|ハブ空港]]を持つ。]]&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!width=&amp;quot;30px&amp;quot;|  !! 都市 !! 州 !! 人口 &lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''1'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot; colspan=&amp;quot;2&amp;quot; | '''[[ベルリン]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 3,404,037&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''2'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot; colspan=&amp;quot;2&amp;quot; | '''[[ハンブルク]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,754,182&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''3'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''[[ミュンヘン]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[バイエルン州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,294,608&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''4'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''[[ケルン]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[ノルトライン＝ヴェストファーレン州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 989,766&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''5'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''[[フランクフルト・アム・マイン]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[ヘッセン州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 652,610 	&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''6'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''[[シュトゥットガルト]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[バーデン＝ヴュルテンベルク州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 593,923 &lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''7'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''[[ドルトムント]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot; rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; | [[ノルトライン＝ヴェストファーレン州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 587,624&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''8'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''[[エッセン]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 583,198&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''9'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''[[デュッセルドルフ]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 577,505&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''10'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| '''[[ブレーメン]]'''&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[ブレーメン州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 547,934&lt;br /&gt;
|-----&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外交 ==&lt;br /&gt;
=== 日本との関係 ===&lt;br /&gt;
{{main|日独関係}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
来日した最初のドイツ人の一人に、[[江戸時代]]に[[徳川綱吉]]とも会見した[[博物学者]][[エンゲルベルト・ケンペル]]がいる。ケンペルが著した浩瀚（こうかん）な『日本誌』は詳細な紀行文にして博物誌であり[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]も愛読した。その後来日して西洋医学を伝えた[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト]]もドイツ人であり、[[江戸幕府]]が崩壊した後、[[明治]]年間も日本人は盛んにドイツから[[医学]]を学んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
直接の外交は、[[幕末]]年間に[[プロイセン王国]]の[[軍艦]]が[[品川 (東京都)|品川]]沖に来航した事に始まり、[[アメリカ合衆国]]の[[マシュー・ペリー]]のように武力で外交を開こうとした。このため、[[1911年]]まで（即ち幕末から明治まで）の日独関係は、[[不平等条約]]で結ばれていた。しかし、後述のように文化交流では重要な国となった。更に、歴史的経過を見ると、[[ドイツ帝国]]成立（[[1871年]]）と[[明治維新]]（[[1868年]]）が、ほぼ同じ時期に起こった点も大きい。&amp;lt;!--この外にも、1848年革命と黒船来航（1853年）、アドルフ・ヒトラーの政権掌握（1933年）と昭和天皇の政権掌握（1927年）もほぼ同じ時期。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====大日本帝国憲法下====&lt;br /&gt;
[[戦前]]日本（[[大日本帝国]]）の初期に当たる[[1870年代]]から[[1880年代]]までの日本では、[[ドイツ帝国]]の文化や制度が熱心に学ばれ、[[近代化]]の過程に大きな影響を与えた。この為、日本の近代化は「ドイツ的近代化」であるとも言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[伊藤博文]]は、[[大日本帝国憲法]]の作成にあたって[[ベルリン大学]]の[[憲法学者]][[:en:Heinrich Rudolf Hermann Friedrich von Gneist|グナイスト]]と[[ウィーン大学]]の[[ローレンツ・フォン・シュタイン|シュタイン]]に師事し、[[歴史法学]]を研究している。当時の[[帝国大学|東京帝国大学]]がヨーロッパから招聘した教員にはドイツ人が多く、[[1876年]]に[[エルヴィン・フォン・ベルツ]]が来日したのを初め、[[哲学]]では[[夏目漱石]]もその教えを受けて「ケーベル博士」と親しまれた[[ラファエル・フォン・ケーベル]]、化学では[[ゴットフリード・ワグネル]]などがいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
工学においては、[[大久保利通]]の命を受けた[[井上省三]]が、ザガン市のカール・ウルブリヒト工場で紡績の[[生産技術]]を学び、日本に伝えている。その知識は現代の日本の[[製造業]]の礎となった。軍事においても、[[大日本帝国陸軍]]は、[[普仏戦争]]後、軍制をフランス式からプロイセン式へと変え、その制度と理論による近代化に努め、[[日露戦争]]の勝利に繋がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日清戦争]]後には、ドイツは、[[ロシア帝国]]や、[[フランス]]とともに、日本に対し[[三国干渉]]を行った。さらに[[第一次世界大戦]]が勃発すると日本が[[日英同盟]]により[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側に与したため、ついに[[ドイツ帝国]]、[[オーストリア・ハンガリー帝国]]など[[中央同盟国]]側とは[[山東半島]]や[[ミクロネシア]]、[[地中海]]などで戦火を交えるに至った（→[[第一次世界大戦下の日本]]）。又、[[ナチス・ドイツ]]は、[[日中戦争]]では[[蒋介石]]政権に最新の兵器と[[軍事顧問]]団を送り込み、日本軍を苦しめた。このように、[[1871年]]から[[1945年]]までの日独関係は、必ずしも友好関係で一貫していたのではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ドイツは第一次世界大戦で敗れると、ドイツ帝国は崩壊して[[ヴァイマル共和制]]が成立し、[[植民地]]を全て失い、[[ヴェルサイユ条約]]によって莫大な賠償金を課せられていた。そして、植民地を持たない・植民地の少ない日本とドイツは、[[世界恐慌]]時代には植民地の多い[[イギリス]]や[[フランス]]と対立し、利害を共有する日独両国は親近感を深めて、[[日独伊三国軍事同盟]]へと発展し、[[第二次世界大戦]]では[[枢軸国]]（同盟国）として共に戦うこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、文化面では、第一次世界大戦中においてすら、[[捕虜収容所]]において人道的に扱われたドイツ軍捕虜を通じて、ゴム製品や[[洋菓子]]などの生産のノウハウが日本に導入されたり、クラシック音楽・ドイツ体操などが捕虜収容所周辺地域に伝授されるなどの、文化交流があったことも重要といえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====日本国憲法下====&lt;br /&gt;
[[戦後]]日本（[[日本国憲法]]下の日本）も、技術・経済面での交流は活発で、日本にとってヨーロッパ最大の貿易相手国となっている。特にドイツの[[自動車]]は日本でも高い人気があり、日本の輸入車の販売数上位3つは[[フォルクスワーゲン]]、[[メルセデス・ベンツ]]、[[BMW]]が占めている。文化や制度の面では戦前ほどの影響力を持たなくなったものの、[[クラシック音楽]]では[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]や[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]をはじめとするドイツ（および[[オーストリア]]）の作曲家の楽曲が愛好されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]]1月から[[2000年]]9月までは「ドイツにおける日本年」と定められて日本が総合的に紹介され、また[[2005年]]と[[2006年]]には「日本におけるドイツ年」の諸企画が行われ、新しい形の日独交流が形成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経済 ==&lt;br /&gt;
{{main|ドイツの経済}}&lt;br /&gt;
[[File:S-Klasse_W221.jpg|thumb|200px|[[メルセデス・ベンツ Sクラス]]。世界第4位、欧州第1位の[[国内総生産|GDP]]を擁するドイツは、世界有数の輸出国である。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対米ドル為替レートによる単純換算値では、ドイツは[[アメリカ合衆国]]、[[日本]]、[[中国]]に次ぐ世界第4位の[[国内総生産|GDP]]を誇る経済大国であり、[[欧州連合|EU]]加盟国第一の経済力を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ経済の主要産業は工業で、[[自動車]]、[[化学]]、[[機械]]、[[金属]]、[[電気製品]]などである。ドイツは戦前から[[科学]]技術に優れており、ガソリン自動車や[[ディーゼルエンジン]]を発明したのはドイツ人であった。また現在見られる液体燃料[[ロケット]]（[[スペースシャトル]]、[[ソユーズ]]、[[アリアン]]、[[H-IIA]]など、固体ロケット[[M-Vロケット]]等を除く）は戦時中にナチスが開発した技術が基礎となっている。現在でも技術力には定評があり、自動車は[[メルセデス・ベンツ]]、[[ポルシェ]]、[[BMW]]、[[アウディ]]、[[フォルクスワーゲン]]といったブランドが世界的に有名であり、人気も高い。その他、化学・薬品大手の[[バイエル (企業)|バイエル]]、電機大手の[[シーメンス]]、[[ルフトハンザドイツ航空]]、[[ドイツ銀行]]、経営管理ソフトウェア大手の[[SAP AG|SAP]]、光学機器メーカーの[[カール・ツァイス]]、[[ライカ]]、世界最大の[[映画用カメラ]]メーカーである[[アーノルド&amp;amp;リヒター]]、人工透析で世界シェア40%の[[フレゼニウス]]など、世界的に活動している大企業は多い。近年は[[再生可能エネルギー]]産業を急成長させており&amp;lt;ref name=&amp;quot;REpromotion1&amp;quot;&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/070110/TKY200705110187.html 朝日新聞、2007年05月11日の記事]（ドイツにおける再生可能エネルギー導入の状況）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;REpromotion2&amp;quot;&amp;gt;[http://www.eic.or.jp/news/?act=view&amp;amp;word=&amp;amp;category=&amp;amp;oversea=1&amp;amp;serial=18985 EICネット、2008.07.31 の記事]（再生可能エネルギーが電力消費量の14.2%にまで増加、雇用増大、売り上げ250億ユーロに）&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[太陽電池]]の[[Qセルズ]]社が[[太陽光発電#世界各国の状況|世界一のシェアを保有している]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旧西ドイツは日本同様、[[第二次世界大戦]]後に急速な経済発展を成し遂げたが、[[1990年]]の東西統一以降旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]への援助コストの増大、社会保障のためのコスト増大などが重荷となって経済が低迷。また旧東ドイツでは市場経済に適応できなかった旧国営企業の倒産などで失業が増え、旧東側では失業率が17.2%に達し、深刻な問題となっていた。また企業が人件費の安い[[ポーランド]]や[[チェコ]]などへ生産拠点を移転させようとしているために、ますます失業が増えるのではないかとの懸念もある{{要出典}}。しかしこの数年はGDPは増加傾向であり&amp;lt;ref name=&amp;quot;GDPtrend&amp;quot;&amp;gt;[http://www.destatis.de/jetspeed/portal/cms/Sites/destatis/Internet/EN/Content/Statistics/TimeSeries/EconomicIndicators/NationalAccounts/Content100/kvgr111graf0,templateId=renderPrint.psml DEStatis,GDPのトレンド]&amp;lt;/ref&amp;gt;、失業率も減少して2008年の時点では1992年以来の低水準となっている&amp;lt;ref name=&amp;quot;smam_unemploymenttrend&amp;quot;&amp;gt;[http://jp.ibtimes.com/article/biznews/081127/24348.html 11月の独失業者数、減少続く－1万人減（IBTimes）]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交通 ==&lt;br /&gt;
; [[航空]]&lt;br /&gt;
: 欧州でも屈指の大手航空会社[[ルフトハンザドイツ航空]]が世界各国に航空路線を持っている。また、[[フランクフルト国際空港]]は欧州でも有数の[[ハブ空港]]である、また、[[エア・ベルリン]]などの[[格安航空会社]]もある。&lt;br /&gt;
; [[鉄道]]&lt;br /&gt;
: [[ドイツ鉄道]]（DB, Deutsche Bahn）が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車[[ICE]]や都市間を結ぶ[[インターシティ]]、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている。また、都市部では近郊電車の[[Sバーン]]や地下鉄（[[Uバーン]]）、[[路面電車]]の路線網が発達している。なお[[ヴッパータール]]には、現在運行している世界最古の[[モノレール]]がある。&amp;lt;!--ヴッパータールのモノレール＝懸垂式「鉄道」--&amp;gt;&lt;br /&gt;
; [[道路]]&lt;br /&gt;
: 自動車大国であるだけに道路網も発達しており、[[アウトバーン]]と呼ばれる[[高速道路]]が主要都市を結んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 軍事 ==&lt;br /&gt;
{{main|ドイツ連邦軍}}&lt;br /&gt;
[[ドイツ連邦軍]]と国境警備隊が国防をになっているほか、相互防衛条約に基づき6万強の米軍が駐留している。ドイツは[[欧州連合]]及び[[NATO]]の主要構成国であり、ロシアなど東方諸国を主たる仮想敵国としてきた。時代の移り変わりとともに、政府は連邦軍の主任務を、従来の国土防衛から「国際紛争への対処」に移行させる方針を発表。内容としては、[[2010年]]までに紛争地においてNATO即応部隊などに参加する「介入軍」、平和維持活動にあたる「安定化軍」、両軍の後方支援を担当する「支援軍」の3つに再編成するものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ドイツでは現在も[[徴兵制度]]が有り、健康な満18歳以上の男子には9カ月の兵役義務が課せられている（長男、次男は強制的義務だが、三男からは兵役か奉仕活動か選択することができる）。しかし、基本法によって所定の手続きを経れば[[良心的兵役拒否]]が認められ、兵役義務を回避できる。その場合は10～12カ月間代替役務として老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動に従事することが義務づけられる。兵役拒否者は年々増加しており、近年その数は全体の4割近くにのぼっている。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%85%B5%E5%BD%B9%E6%8B%92%E5%90%A6#.E3.83.89.E3.82.A4.E3.83.84]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
軍当局は徴兵制を廃止したいと考えており、何度か徴兵制の廃止を政府に提案している。しかし、徴兵制を廃止すると、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまう。それは、つまりは安い費用で賄えた福祉関係者がいなくなってしまうのと同義であり、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念から、未だに徴兵制の廃止が実現できていない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 国民 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ''詳細は[[ドイツの国民]]を参照'' --&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[File:Germany demography.png|thumb|200px|ドイツ中央政府は、ドイツ人口は2050年までに約7千5百万人に縮まるだろうと予測している。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ゲルマン系の[[ドイツ語]]を母語とする[[ドイツ人]]が多数を占め、他に[[バウツェン]]にはスラヴ系の[[ソルブ人]]が、[[シュレースヴィヒ]]にはゲルマン系の[[デンマーク人]]などがおり、帰化[[ポーランド人]]も多数居住している。ドイツ人は欧州諸民族の例にもれず厳密には混成民族であるが、主流であるゲルマン系と言語が一致しているため、おおむね自他ともにゲルマン民族として認識されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ国籍を持たない外国人労働者とその子孫は全人口の9%を占める。最も多いのが[[トルコ人]]で171万人に上るが、国籍法改正以降ドイツ国籍を取得する人が急増し、ドイツ国内のトルコ系人口は281万人にもなる。経済情勢の悪化などから、[[ネオナチ]]などによる外国人襲撃など[[人種差別]]が深刻な問題となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==言語==&lt;br /&gt;
[[公用語]]は[[ドイツ語]]。地域によっては[[デンマーク語]]、[[ソルブ語]]なども使用されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===言語の一覧===&lt;br /&gt;
現在、[[エスノローグ]]はドイツ連邦共和国内に以下の言語の存在を認めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[ドイツ語]]（国家公用語）&lt;br /&gt;
*[[低ザクセン語]]（[[北ドイツ]]）&lt;br /&gt;
*[[上ザクセン語]]（[[ザクセン州]]）&lt;br /&gt;
*[[アレマン語]]（[[バーデン＝ヴュルテンベルク州]]）&lt;br /&gt;
*[[バイエルン語]]（[[バイエルン州]]）&lt;br /&gt;
*[[リンブルフ語]]（[[ノルトライン＝ヴェストファーレン州]]の一部）&lt;br /&gt;
*[[マインツ語]]（[[マインツ市]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 宗教 ==&lt;br /&gt;
[http://www.remid.de/remid_info_zahlen.htm REMID（ドイツ語）]の2006年の統計によると、[[キリスト教徒]] (68%) のうち、[[プロテスタント]] (32.7%) 、[[カトリック教会|カトリック]] (31.4%) で、[[イスラム教]] (4.0%) 、[[ユダヤ教]] (0.25%) 、[[無宗教]]もしくは[[無神論]] (29.6%) 等となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 教育 ==&lt;br /&gt;
{{main|ドイツの教育}}&lt;br /&gt;
教育課程は初等教育4年、中等教育以降は職業人向けと高等教育向けの学校とに厳格に分けられている。いわゆる「[[マイスター制]]」である。12歳までは基礎学校（義務教育）で、子供の能力の見極めが重要になる。13歳から15歳では、就職のための専門的な職業教育が行われる。大学への進学を希望する場合は、[[ギムナジウム]]という進学校に進学し、大学進学に必要な[[アビトゥア資格]]の取得を目指す。日本においては、俗に「ドイツでは工業職人がマイスターと呼ばれ、尊敬を受けている」という話がまことしやかに語られているが、正確ではない。第二次世界大戦後の高度成長の過程においては確かに事実であったが、近年では多くの子供たちがギムナジウムに進学する傾向が見られ、これがドイツの財政（教育費）を圧迫する原因にもなっている。また、工業職人のイメージが強いマイスター制度だが、これも近年ではコンピュータ技術者といった従来のイメージとは異なる職種の学校が増えつつある。近年、国際化によりマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう学校制度に疑問が上がり、近年は義務教育から[[アビトゥア資格]]取得までの義務教育から中等教育を一貫した[[シュタイナー教育|シュタイナー学校]]や[[総合学校]]が広まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼ全てが州立大学で、基本的に学費は納める必要がない（ただし、州により学費徴収を行うケースもある）。しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 環境への取り組み ==&lt;br /&gt;
{{Main|ドイツの環境への取り組み}}&lt;br /&gt;
ドイツは世界的に環境先進国といわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任といる面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、1998年に[[緑の党 (ドイツ)|緑の党]]が連立政権参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1986年　廃棄物発生防止・処理規正法&lt;br /&gt;
:産業廃棄物等の発生源によって規制する規則&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1991年6月　包装材廃棄物政令&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1994年10月　「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」(廃棄物リサイクル促進法)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1996年10月　同法施行&lt;br /&gt;
:製造業者の関与を深める法体系を作った&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2002年1月　[[デポジット制]]の制定&lt;br /&gt;
:環境にやさしくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在では[[量り売り]]、デポジット制などの努力により、ごみの大幅な減量に成功している。ドイツのごみ排出量は日本の4分の1、特に包装物は10分の1である。&lt;br /&gt;
こうした環境への姿勢が近隣諸国に影響を及ぼし、1994年12月に[[EUの包装材指令]](2001年までに加盟各国で廃棄物リサイクル促進法を法制化することを求めるEU指令)がくだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツは[[循環経済法|循環社会]]への転換を果たしているといわれている。ごみの排出回避、素材・エネルギーの再利用、環境に配慮した処理法、また「排出者責任」は企業責任と明確にしているなど、廃棄物が巡る経済を実現している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== DSD ===&lt;br /&gt;
Duales　System　Deutschlandの略で、1991年にドイツの企業が協力して設立した、プラスチック、缶、ビン、紙などを回収・リサイクルする組織。国内に195の分別工場を有し、現在17500企業が払う20億ユーロのライセンス料で共同処理を行っている。ここからリサイクルされたものを使用した商品は、[[グリューネプンクト]]が表示され、販売価格にリサイクル価格が上乗せされる。この制度をデュアルシステムという。デュアルシステムはドイツを手本にEU圏内で広がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フリーライダーの存在、コストの問題、普通ごみの混入など課題もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文学 ==&lt;br /&gt;
{{main|ドイツ文学}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 哲学 ==&lt;br /&gt;
{{main|ドイツの哲学}}&lt;br /&gt;
*[[超越論的哲学]]：[[カント]]&lt;br /&gt;
*[[ドイツ観念論]]：[[ヘーゲル]]、[[フィヒテ]]、[[シェリング]]&lt;br /&gt;
*[[生の哲学]]：[[ショーペンハウアー]]、[[ニーチェ]]&lt;br /&gt;
*[[現象学]]：[[フッサール]]、[[ハイデガー]]&lt;br /&gt;
*[[解釈学]]：[[ディルタイ]]、[[ガダマー]]&lt;br /&gt;
*その他[[マルティン・ルター|ルター]]、[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]など[[哲学者]]名を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 音楽 ==&lt;br /&gt;
ドイツは[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]や[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]を初めとする、作曲家や演奏家を多数輩出している。[[ベルリン・フィル]]をはじめとする世界クラスの[[オーケストラ]]や[[音楽祭]]も多い。文学と同じく[[オーストリア]]と併せた括りで（相互の移動や各時代における国民意識など分離して考えることが困難なため）世界最大の[[クラシック音楽]]大国とされている。 [[オペラ]]、[[演奏会|コンサート]]、[[演劇]]への関心も強く、ある程度の規模の街には国立ないし州立の劇場、オーケストラがおかれている。各地の放送局が所有しているオーケストラも総じてレベルが高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ポピュラー音楽]]については、[[1979年]]、[[ジンギスカン (グループ)|ジンギスカン]]の『[[ジンギスカン (曲)|Dschinghis Khan（ジンギスカン）]]』『[[めざせモスクワ|めざせモスクワ(Moskau)]]』や、1980年代に[[w:de:Nena (Band)|NENA]]（[[ネーナ]]）が[[アメリカ合衆国]]などでもヒットさせた『99 Luftballons』（[[ロックバルーンは99]]）などが知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また最近では、旧・東ドイツの都市[[ライプツィヒ]]の聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成された[[w:de:die Prinzen|Die Prinzen]]（[[ディー・プリンツェン]]）が、[[2002年]]の[[サッカー]]「[[2002 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ日韓大会]]」で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーである[[オリバー・カーン]]をモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ロック (音楽)|ロック音楽]]では、主なミュージシャンとして[[プログレッシヴ・ロック]]の[[タンジェリン・ドリーム]]、[[テクノ]]の元祖[[クラフトワーク|クラフトヴェルク]]、 [[ハード・ロック]]の[[スコーピオンズ]]や[[マイケル・シェンカー・グループ]]、[[ヘヴィ・メタル]]の[[アクセプト (バンド)|アクセプト]]、[[ハロウィン (バンド)|ハロウィン]]、[[ブラインド・ガーディアン]]、[[フェア・ウォーニング (バンド)|フェア・ウォーニング]]、[[ガンマ・レイ]]の[[カイ・ハンセン]]、[[ラムシュタイン]]などの名が挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[テクノ]]や[[トランス (音楽)|トランス]]などのクラブ系音楽では、野外[[レイブ (音楽)|レイヴ]]『[[ラブパレード]]』や屋内レイヴ『[[メイデイ (音楽イベント)|MAYDAY]]』が開催されるなど、ドイツ国内に広く普及している。テクノでは[[ベルリン]]の[[トレゾア]]や[[ケルン]]の[[コンパクト (レコードレーベル)|コンパクト]]など優良なレーベルも多く、世界中から数多くのアーティストが曲をリリースしている。トランスの分野では、[[東ベルリン]]出身のDJ・[[ポール・ヴァン・ダイク|Paul van Dyk]]が「DJ Magazine」誌の人気投票で1位を獲得しているほか、EU（欧州委員会）よりヨーロピアン・ボーダーブレーカーズ賞を受賞した“Cascada”をはじめ、“Baracuda”“Groove Coverage”など国内外で活躍するドイツ人アーティストも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[電子音楽]]、[[エレクトロニカ]]、[[サウンドアート]]なども盛んであり、[[坂本龍一]]とのコラボレーションでも知られる[[w:de:Alva Noto|Alva Noto]]が主催するレーベル[[w:de:Raster-Noton|Raster-Noton]]など注目度が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 美術 ==&lt;br /&gt;
'''[[ロマン主義|ドイツ・ロマン派]]'''の[[カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ]]、[[フィリップ・オットー・ルンゲ]]などの画家名や[[ドイツ表現主義]]などの項目を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一次世界大戦中から戦後、ドイツは'''[[表現主義]]'''や[[新即物主義]]を生み出し、[[デザイン]]や[[建築]]でも'''[[バウハウス]]'''を中心に革新的な動きを起こした。[[バウハウス]]に集った[[ヴァルター・グロピウス]]、[[ハンネスマイヤー]]、[[ミース・ファン・デル・ローエ]]、[[ヨハネス・イッテン]]、[[ピエト・モンドリアン]]、[[ワシリー・カンディンスキー|ヴァシリー・カンディンスキー]]、[[モホリ＝ナジ・ラースロー|モホリ・ナギ]]といった美術家・建築家らは、合理主義・表現主義・[[構成主義]]といった美術観・建築観に基づくデザインを生み出し、今日のデザイン分野への影響は甚大である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢、およびナチスの「[[退廃芸術]]」排除の政策から、主だった美術家・建築家はアメリカ合衆国などに移民し、ドイツの芸術は打撃を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1960年代以降、[[フルクサス]]や[[ヨゼフ・ボイス]]、[[アンゼルム・キーファー]]、[[ゲルハルト・リヒター]]など、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び存在感を高めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スポーツ ==&lt;br /&gt;
{{Main|ドイツのスポーツ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== サッカー ===&lt;br /&gt;
{{See also|ドイツのサッカー選手一覧}}&lt;br /&gt;
ドイツは[[サッカー]]が非常に盛んな国である。通常ドイツのスポーツ競技団体はドイツスポーツ連盟（DSB）に加盟しているが、[[ドイツサッカー協会|ドイツサッカー連盟]]（DFB）は会員数630万人以上を数え、他の団体に比しても規模が大きい事で知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[FIFAワールドカップ]]においては[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]が3度の優勝と4度の準優勝（旧西ドイツ時代を含む）を誇るなど、現在も安定した強さを誇るヨーロッパ屈指の強豪国である。またワールドカップ優勝3回は5回の[[ブラジル]]、4回の[[イタリア]]に次いで第3位の記録である。[[2006年]]には1974年の[[1974 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・西ドイツ大会]]以来32年ぶりに[[2006 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]が地元開催され、3位入賞を果たした。[[サッカードイツ女子代表|女子代表]]も2003年、2007年の[[FIFA女子ワールドカップ]]を連覇している強豪である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国内のクラブチームの活動も盛んで、トップリーグである[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|フースバル・ブンデスリーガ]]（連邦リーグ）は欧州屈指のレベルを誇り、[[バイエルン・ミュンヘン]]等の名門クラブが鎬を削っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ウィンタースポーツ ===&lt;br /&gt;
寒さが厳しい地方ではウィンタースポーツが盛んで、[[冬季オリンピック]]にも毎回多数のすぐれた選手を輩出している。なお、[[1936年]]にはオーストリアとの国境付近の町[[ガルミッシュ＝パルテンキルヒェン|ガルミッシュパルテンキルヒェン]]で冬季オリンピックが開催されている（[[ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック]]）。また、西ドイツと東ドイツを含んだ冬季オリンピックでのメダル獲得数が1番であることでも知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== モータースポーツ ===&lt;br /&gt;
古くから[[自動車]]産業が盛んなことから[[モータースポーツ]]の伝統国の1つとして知られ、1950年代までグランプリレースなどを席巻した[[メルセデス・ベンツ]]、1980年代を中心にスポーツカーの分野で数度のチャンピオンを獲得し、[[ル・マン24時間レース]]においては最多勝を誇る[[ポルシェ]]（近年では[[アウディ]]）、1960年代から2000年代にかけ[[ヨーロッパツーリングカー選手権]]（ETCC）で最多勝（18勝）を挙げるなど[[ツーリングカー]]の分野において圧倒的な強さを持つ[[BMW]]の3社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自動車会社各社の活躍に比べれば見劣りする感はあるが、優秀な[[レーシングドライバー]]を数多く輩出している国でもある。また世界的に有名な難関コースを持つ[[サーキット]]・[[ニュルブルクリンク]]があるのもドイツである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 世界遺産 ==&lt;br /&gt;
ドイツ国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された文化遺産が30件、自然遺産が1件ある。さらにポーランド、イギリスにまたがって2件の文化遺産が登録されている。詳細は、[[ドイツの世界遺産]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
*映画の分野については、敗戦後の米国の占領政策の影響もあり、隣国フランスや米国ほど盛んとは言い難い。しかしながら、2003年に公開された[[グッバイ、レーニン!]]は、ドイツ統一をテーマにすえた作品として[[ベルリン国際映画祭]]で最優秀ヨーロッパ映画賞を受賞し、注目を集めた。&lt;br /&gt;
* [[ビール]]が主たる[[酒|アルコール飲料]]である（ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気）。[[ミュンヘン]]の[[オクトーバー・フェスト]]は世界最大のビール祭りだといわれる。&lt;br /&gt;
* [[ソーセージ]] (Wurst) ・[[ハム]] (Schinken) ・[[チーズ]] (Käse) などの冷製食品・カルトエッセン（Kaltessen; 火を通さない食事）などに地域ごとの特色がある。&lt;br /&gt;
* [[民族衣装]]などの伝統文化保全に強い関心が集まっている。&lt;br /&gt;
*[[ワイン]]は白ワインが主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。→[[ドイツ料理]]も参照。&lt;br /&gt;
*かつてはすべての州で、「閉店法」により、（空港や駅構内の売店、ガソリンスタンド併設のコンビニを除く）小売店は平日（月曜～土曜）は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、[[2006年]]の[[2006 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部州では閉店法自体が撤廃されるところも出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ・イタリア・ギリシャ・中国など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。&lt;br /&gt;
*カルト団体対策&amp;lt;br /&amp;gt;宗教的多様性と国家干渉主義の両方の伝統を持つ中央ヨーロッパ。とりわけ旧東ドイツの各州においてゼクト（カルト）団体が増加しているドイツでは、予防啓発とゼクト脱退者保護の政策が、地方レベルで実施されている。ゼクト担当委員のポストが各州に創設された。中央レベルでは、教会法人格の取得に関する認証基準が定められた。情報交換を目的とした作業会議が、州職員と州代表者の間で何度も開かれた。とはいえ市民社会には秩序があり、国家宗教は揺らいでいないため、この問題への関心は限定的である。現在のところ、禁止されたゼクトはない。その上、国家権力の行動の幅は狭くなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[ナチス・ドイツ]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ関係記事の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ人の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ法]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ連邦共和国基本法]]（憲法）&lt;br /&gt;
* [[ドイツ民法]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ移民法]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツの地方行政区分]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツの市町村一覧]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ統一]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ植民地帝国]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ再統一]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツの国旗]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツの国章]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツの国歌]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ文学]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ料理]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツのワイン]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ観光街道]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
; 政府&lt;br /&gt;
* [http://www.bundesregierung.de/ ドイツ連邦共和国政府] {{de icon}}{{en icon}}&lt;br /&gt;
* [http://www.bundespraesident.de/ ドイツ大統領府] {{de icon}}{{en icon}}&lt;br /&gt;
* [http://www.bundeskanzlerin.de/Webs/BK/DE/Homepage/home.html ドイツ首相府] {{de icon}}{{en icon}}&lt;br /&gt;
* [http://www.tokyo.diplo.de/Vertretung/tokyo/ja/Startseite.html 在日ドイツ大使館] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 日本政府&lt;br /&gt;
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/germany/ 日本外務省 - ドイツ] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
* [http://www.de.emb-japan.go.jp/nihongo/ 在ドイツ日本大使館] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; その他&lt;br /&gt;
* [http://www.jetro.go.jp/world/europe/de/ JETRO - ドイツ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ヨーロッパ}}&lt;br /&gt;
{{G8}}&lt;br /&gt;
{{EU}}&lt;br /&gt;
{{OECD}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:といつ}}&lt;br /&gt;
[[Category:ドイツ|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:G8加盟国]]&lt;br /&gt;
[[Category:欧州連合加盟国]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E9%A6%96%E9%83%BD&amp;diff=307580</id>
		<title>首都</title>
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				<updated>2015-10-13T03:47:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''首都'''（しゅと）とは、一国の中心となる[[都市]]のことを指す。ほとんどの場合にはその国の[[中央政府]]が所在し、[[国家元首]]等の国の最高指導者が拠点とする都市のことである。ただ、場合によっては、中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が首都とされることもある。'''首府'''・'''国都'''・'''都'''などとも呼ばれ、また、[[帝国|帝制国家]]や[[王国|王制国家]]の場合は[[帝都]]・[[王都]]等の称がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 字義 ==&lt;br /&gt;
「首」はかしら（頭）くび、こうべ、かみ（上位:首座）、かなめ（要）、かしら（魁帥）、おさ（長）などの意。「都」はみやこ、[[天子]]の宮城のある首府をあらわす。[[周]]代の行政上の区画では君主の[[宗廟]]のある場所を都（ト・ツ）といい、無い場所を[[邑]]（イウ）と呼んだ。「都」は寄せ合わせ残らず集める意。[[曹丕]]文「頃撰二遺文、一都爲二一集」。「京」はみやこ（帝都）切り立った高い場所、丘、高い、多い、くじら（鯨＝京）などの意。「[[京師]]」は天子の居ますみやこ、京は大、師は衆、大衆のおる所の意、春秋成十三「公如京師」。「京都」は[[晋 (王朝)|晋]]の時代、[[司馬師|景王]]の諱を避けて京師を京都としたことによる、魏志文帝紀「任城王薨於京都」。みやこを首にたとえる成語には「首善之區」があり、[[漢書]]・儒林傳序に「故教化之行也，建首善自京師始」とある。英語Capitalの語源はラテン語kaputであり印欧語の「頭」あるいは「ウシの頭」をあらわす。Capitalは「[[資本主義|資本]]」とも翻訳される。Metropolisは[[ギリシャ語]]で&amp;quot;mother city&amp;quot; の意（mētēr ｢母｣+pólis ｢都市｣）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では京、洛などと表記され、[[幕末]]から戦前にかけては「帝都」、戦後は「首都」と呼称することが多い。「帝都」の字句は幕末期の文書:[[船中八策]]に登場している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 類義語 ==&lt;br /&gt;
=== 主都 ===&lt;br /&gt;
漢字検定テキストなどによっては、「主都」は「首都」の誤字･誤用とされている&amp;lt;ref&amp;gt;「必携漢字検定ハンドブック10級～2級」松村武久 三修社 P.176、「知らなかったではすまされない日本語の常識･非常識」学際国語研究グループ編P.72など&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただし、「主」はきみ（君主）国家の元首やあるじ、ぬし（家長）、つかさどり（宰）まもり（守）すべる（領）ひと、神や神霊のやどるところ、神などをあらわす意であり、帝都を主都と表記しても字義的には誤りではないと解することもできる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、国の首都とは別に、その地域のおもだった都市（[[プライメイトシティ]]）を指して「主都」と記述することがある（例：[[ドイツ]]の[[バイエルン州|バイエルン]]の主都である[[ミュンヘン]]）。「都」ではなくその地域でのおもだったムラ（邑）という意味で「主邑」（しゅゆう）との表現がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本のキリスト教では「主都」を冠する会派がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 首都圏 ===&lt;br /&gt;
「首都」の他に「首都圏」という用語もある。「首都」はひとつの'''都市'''であるのに対して、「首都圏」は首都とその周辺に広がる都市の群、即ち'''圏域（[[都市圏]]）'''を指す。いわば、「首都」は'''点'''であるのに対して「首都圏」は'''面'''であることになる。首都圏を1個の[[行政区分|地方行政区分]]とする例（[[フィリピン]]の[[マニラ首都圏]]、[[インド]]の[[デリー首都圏]]）もあれば、日本のように一部の[[法律]]に定義される程度の事例まで存在する。また、中国の[[北京市]]など、首都の地方行政区分の区域を広げる例もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本の首都 ==&lt;br /&gt;
日本の首都について直接定める法令はないが、日本の現状や様々な理由から[[東京]]とされる。[[東京都]]からは何度か日本の首都がどこかを法的に明確にすべきだとの要望が出されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 世界の首都 ==&lt;br /&gt;
[[ドイツ]]などのように憲法や法律で首都を具体的に指定している国が多い。ただし、[[オランダ]]や[[ボリビア]]、[[タンザニア]]などのように、法的に定められている首都と実際に[[首都機能]]が置かれている都市が違う場合もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 複都制 ==&lt;br /&gt;
首都と呼べる都市を複数持つ国もある。現在日本でも首都が地震や災害などで機能しなくなる事を防ぐ為、首都機能をバックアップする為に近畿圏に副首都を設置・整備する[[副首都構想]]がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本・中国・朝鮮における歴史的な[[複都制]] ===&lt;br /&gt;
古代の東アジアでは、中国の[[唐]]が[[長安]]と[[洛陽]]と[[太原]]の三都制（後には[[鳳翔]]と[[成都]]を加えた五都制となる）を採用しており、さらに日本（天武朝など）や[[渤海 (国)|渤海]]などの諸国がそれを模倣したように、複都制が広く行われた。この類型の中には、首都が移動するという場合もある。複都制を採っていた[[唐]]も、実質的には[[長安]]が第一首都（正都）であってその他の都は名目上（副都）にとどまっていたが、時には皇帝は[[長安]]を離れて[[洛陽]]に移動し、後者が正都としての機能を果たすこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[鎌倉時代]]後期・[[江戸時代]]の日本でも[[首都機能]]が分散されており、名目上の首都（天皇のいる[[京都|京]]）と、行政機関所在地（幕府のある[[江戸]]）とが別々に置かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 近代・現代における複都制 ===&lt;br /&gt;
==== 複数の首都がある事例 ====&lt;br /&gt;
[[三権分立]]の観点から、国家の中枢機能を複数の都市に分割している国がある。&lt;br /&gt;
* [[南アフリカ共和国]]では、国会は[[ケープタウン都市圏|ケープタウン]]（[[ケープタウン|ケープタウン都市圏]]）、行政府は[[プレトリア]]（[[ツワネ|ツワネ都市圏]]）、最高裁判所は[[ブルームフォンテーン]]（[[マンガウング|マンガウング地方自治体]]）に所在する。同国の首都は行政機関が置かれている[[プレトリア]]であるとするのが通例であるが、厳密にいうと南アフリカ共和国には首都が三つあるということになる。&lt;br /&gt;
* [[チリ]]では、行政府と最高裁判所は[[サンティアゴ・デ・チレ]]にあり、同市がチリの首都とみなされている。ただし、国会は[[バルパライソ]]に所在しており（1990年移転）、同市はチリの立法首都だということになる。&lt;br /&gt;
* [[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]では、主要な行政府と国会は[[ベルリン]]にあり、[[憲法]]にあたる[[ドイツ連邦共和国基本法]]の第22条(1)では「ドイツ連邦共和国の首都は[[ベルリン]]である」と規定されている。ただし、最高裁判所にあたる[[連邦憲法裁判所]]（Bundesverfassungsgericht） や[[連邦裁判所 (ドイツ)|連邦裁判所]]（Bundesgerichtshof）は[[バーデン＝ヴュルテンベルク州]]の[[カールスルーエ]]にある。また、[[中央銀行]]である[[ドイツ連邦銀行]]は[[ヘッセン州]]の[[フランクフルト・アム・マイン]]に置かれている。&lt;br /&gt;
** 東西統一以前のドイツ連邦共和国（西ドイツ）は、[[ボン]]を暫定首都としていた。東西統一後の首都をボンのままとするかそれともベルリンにするかは大きな議論となったが、結局は伝統的な首都であるベルリンを再度統一ドイツの首都とすることで落ち着いた。しかし、もとの暫定首都であったボンに対する配慮から、1994年に「ベルリン・ボン法（「ドイツ統一のための1991年6月20日の連邦議会の決議」実施に関する法律) 」が定められ、ボンは連邦首都 (Bundeshauptstadt)であるベルリンと並んで国家の中枢機能を保持する「連邦市 (Bundesstadt)」であると規定された。それにより、ボンには教育学術省、郵政省、環境省、食糧農林省、経済協力省、[[ドイツ連邦国防省|国防省]]、研究技術省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。事実上、ボンはドイツの副都（第2首都）だということになる。&lt;br /&gt;
* [[スイス連邦]]では、行政府と国会は[[ベルン]]にあり、同市がスイスの首都とみなされている。ただし、最高裁判所にあたる[[連邦裁判所 (スイス)|連邦最高裁判所]]は[[ローザンヌ]]にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
稀な例であるが、時期によって首都を移動させる国もある。&lt;br /&gt;
* 王制時代の[[リビア]]（1951〜1963年はリビア連合王国、1963〜1969年は[[リビア王国]]）では、[[トリポリ]]と[[ベンガジ]]の2つの首都を置いており、国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[王国]]では、[[王宮]]所在地と首都が一致しないことがある。&lt;br /&gt;
* かつての[[ラオス王国]]（1945-1975）では、首都は[[ヴィエンチャン]]であったが、国王は[[ルアンパバーン]]（ルアンプラバン）に居住しており、後者はラオスの「王都」と呼ばれていた。これも、「複都制」の類型のひとつとみなすことができよう&amp;lt;ref&amp;gt;[[タイ王国]]の現在の首都は[[バンコク]]であるが、現国王の[[ラーマ9世]]の主要な居住地は、[[プラチュワップキーリーカン県]]のリゾート地[[チャアム＝フワヒン|ホアヒン]]にある[[クライカンウォン宮殿]]である。ただし、クライカンウォン宮殿はあくまで離宮であり、一般に国王自身の療養のための一時的な滞在と説明されている。また、タイの場合、宮殿、離宮あるいはその他の王室の住居がタイ国内各地に存在する。国王の形式上の住居はバンコクにある[[王宮 (バンコク)|王宮]]であり、国王やその家族が実質的に住居し公務が行われる場所は同じくバンコクの[[チットラダー宮殿]]である。そのため、クライカンウォン宮殿への国王の一時滞在という事例は、首都と王宮所在地が必ずしも一致しない例とはなり得ないするのは難しい。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[スワジランド|スワジランド王国]]では、首都である[[ムババーネ]]には政府と最高裁判所が存在し、国王の居住する王宮と議会（リバンドラ）は[[ロバンバ]]にある。なお、スワジランドの国王は単なる儀礼的地位ではなく、政治の実権を握っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
稀な事例ではあるが、首都と、実権を握る国家元首の常住地が異なっている場合もある。&lt;br /&gt;
* かつての[[アフガニスタン・イスラム首長国]]([[ターリバーン]]政権の[[アフガニスタン]])では、首都はこれまで通り[[カーブル]]であったが、[[国家元首]]([[アミール|首長]]/[[アミール|アミール・アル＝ムウミニーン]])である[[ムハンマド・オマル]]はターリバーンの発祥地である[[カンダハール]]を離れることはなく、さらに国家の最高指導機関である最高評議会もカンダハールにおかれており、カーブルの政府機関はカンダハールのオマルの承認なしにはいかなる政策も実行することはできない状態に置かれた。この時期のアフガニスタンでは事実上、カーブルとカンダハールの二つの首都が存在し、しかも前者は後者に従属していたということができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 名目上の首都と事実上の首都の分離 ====&lt;br /&gt;
[[憲法]]や[[法律]]で首都を規定している国家では、憲法や法律で規定された名目上の首都と、国家機関が集中する事実上の首都が異なる例が存在する。&lt;br /&gt;
* [[オランダ]]：憲法上の首都である[[アムステルダム]]と、国家機関所在地であり国家元首である国王（現在は[[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス女王]]）の常住地（事実上の首都）である[[デン・ハーグ|ハーグ]]。&lt;br /&gt;
* [[ボリビア]]：憲法上の首都であり最高裁判所所在地である[[スクレ (ボリビア)|スクレ]]と、行政府と国会の所在地である[[ラパス]]。1826年の建国から1890年まではスクレが名実ともにボリビアの首都であったが、1899年にラパスを拠点とした勢力が革命によって政権を掌握し、翌年に議会と政府をスクレからラパスに遷した。&lt;br /&gt;
* [[モンテネグロ]]：憲法上の首都である[[ツェティニェ]]と、国家機関所在地（事実上の首都）である[[ポドゴリツァ]]。&lt;br /&gt;
* [[ベナン]]：憲法上の首都である[[ポルトノボ]]と、国家機関所在地（事実上の首都）である[[コトヌー]]。&lt;br /&gt;
* [[スルプスカ共和国|スルプスカ共和国（セルビア人共和国）]]（連邦国家[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]のふたつの構成体国家のうちのひとつ）：憲法上の首都である[[イストチノ・サラエヴォ|イストチノ・サラエヴォ（東サラエヴォ）]]と、国家機関所在地（事実上の首都）である[[バニャ・ルカ]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[遷都]]を宣言したにもかかわらず、新首都に国家機関の移転が進まず、実際の首都機能の大半が未だ旧首都にとどまっている事例もある。&lt;br /&gt;
* [[スリランカ]]：1985年に[[コロンボ]]から[[スリジャヤワルダナプラコッテ]]に遷都したが、現在も国会議事堂、森林局などが新首都に移転しただけで、大統領府をはじめ行政機関の大半はコロンボにとどまっている。&lt;br /&gt;
* [[インド]]：従来は[[デリー]]（[[デリー首都圏|インド首都圏]]）の[[オールドデリー|オールドデリー地区]]が首都であったが、新首都として建設された[[ニューデリー|ニューデリー地区]]に移転。但しニューデリーはオールドデリーと同じく、未だにデリー（正式にはデリー首都圏）の一角をなす行政区分となっているため、法定上の首都はデリーとしている。なお、日本ではニューデリー（地区）とデリー市本体を一括にせず、個別の自治体扱いとして区分されている場合が多い。&lt;br /&gt;
* [[タンザニア]]：法律上の首都である[[ドドマ]]と、旧首都で今でも国家機関の多くが置かれている[[ダルエスサラーム]]。&lt;br /&gt;
* [[コートジボワール]]：1983年に[[アビジャン]] から[[ヤムスクロ]]に遷都されたが、行政官庁などの移転は進まず（在コートジボワール日本大使館も[[アビジャン]]にある[http://www.mofa.go.jp/mofaj/link/zaigai/country/cote_d.html]）、実質上の首都機能は現在も同国最大都市であるアビジャンが果たしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それとは逆に、新たな都市を建設して首都機能の主要部分を移転するという事例もある。この場合、[[遷都]]は宣言されない。また、法的な首都の方にも首都機能の一部は残ることになる。&lt;br /&gt;
* [[マレーシア]]：首都は[[クアラルンプール]]であるが、連邦政府および連邦裁判所はクアラルンプールの南郊約25kmの場所に建設された新行政首都[[プトラジャヤ]]へ移転した。ただし、連邦議会議事堂は移転せずにクアラルンプールにとどまっており、法律上の首都はクアラルンプールのままである。事実上、マレーシアはクアラルンプールとプトラジャヤの複都制を採っていることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政治的な事情により、事実上の首都と形式上の首都が異なる国もある。極端な場合、実際には統治していない場所を政治的理由から首都と主張することもある。事実上の首都は「[[臨時首都]]」などの名称で呼ばれることもある。&lt;br /&gt;
* [[中華民国]]（[[台湾]]）は、実質上の首都は[[台北市|台北]]であるが、同国政府は台北は「臨時首都」に過ぎず、あくまで首都は[[南京市|南京]]であると主張する。もちろん現在の南京は[[中華人民共和国]]の支配下にあるが、[[中華民国]]は大陸を支配していた時代には南京に首都を置いていたことに由来する。&lt;br /&gt;
* [[朝鮮民主主義人民共和国]]の首都は[[平壌]]であるが、[[1972年]]までは憲法上の首都はソウルであり、平壌は統一までの臨時首都とされていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これも政治的な事情により、事実上の首都が国際的には認知されていないという場合もある。&lt;br /&gt;
* [[イスラエル]]は、国会の決議により[[エルサレム]]を首都に選定し、国家機関の多くもエルサレムに置かれている。しかし、[[国際連合]]や諸外国の多くはこれを認めず、[[テルアビブ]]を首都と見なし、在外公館（[[大使館]]など）を同市に置いている（[[エルサレム#首都問題]]を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*日本：[[明治天皇]]が二度目の[[東京行幸]]で[[東京城]]に住みついて以来、「天皇の存する所＝首都」という意味でも日本の首都は事実上[[京都]]から[[東京]]に[[遷都]]したが、「[[行幸]]」は「（天皇の）'''外出'''」と言う意味であり、出発時に京都民に「留守を頼む」と言ったという真偽不明な話もあって、名目上の日本の首都はいまだに京都にあるという考え方をする者もある（[[東京奠都]]参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 都市国家 ==&lt;br /&gt;
[[都市国家]]については、1つの[[都市]]が[[主権]]を持ち国家となっているため、国家と都市と首都が同義である。[[シンガポール]]、[[モナコ]]がその事例であり、前者は首都シンガポール市がそのままシンガポールという国家、モナコは首都モナコ市がそのままモナコ公国という国家になっている。こうした国家では、[[地方自治体]]が存在しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 首都が存在しない国 ==&lt;br /&gt;
面積の小さな[[ミニ国家]]では、首都が存在しない場合もある。&lt;br /&gt;
* [[ナウル|ナウル共和国]]の首都は通例、政府機関が位置する[[ヤレン]]であるとされているが、同国には「都市」と呼べるものが存在せず、さらにヤレンもナウルの「地区」にしかすぎず、その上にナウル政府も自国の「首都」の存在を公認していないため、ナウルには首都は存在しないとする方が正確である。&lt;br /&gt;
* [[バチカン市国]]は通例は都市国家であるとみなされているが、実際にはバチカンは[[ローマ]]の北西部に位置する丘の上の城壁に囲まれた約0.44km²の範囲を指しており、「バチカン市」というような単独の都市を構成しているわけではない。この場合も、バチカン市国には首都は存在しないとする方が正確である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 首都と主要都市 ==&lt;br /&gt;
首都は、国政の中心として交通の便が良い場所が選定されることが多い。したがって、首都と[[国家]]内最大都市は、必ずしも一致しない。首都が最大都市かつ経済の中心地である国（例：[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[フランス]]、[[ロシア|ロシア連邦]]、[[イギリス]]など）もあれば、首都と最大都市（もしくは経済・行政中心地、憲法上の首都）が異なる国もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
外国[[大使館]]は基本的に首都に置かれるが、[[イスラエル]]のように、承認に係る事情から外の都市に置かれる例もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[政治]]の中心地と[[経済]]の中心地（その国の最大都市であることが多い）を分離する場合もある。パキスタン最大の都市[[カラチ]]（旧首都）は人口1200万人を超える（非公式推計では2000万人に達するともいわれる）が、首都[[イスラマバード]]は人口80万人程度であるという極端な例もある。これらの中には、それまで政治中枢と経済中枢を兼ねていた首都が過密になりすぎ、また一極集中の弊害も無視できなくなったために、別の場所に新都市を建設して遷都したという例もある。以下、「首都」とある都市はすべてその国の政治中枢である。&lt;br /&gt;
* [[中華人民共和国]]：首都[[北京市|北京]]と、経済中枢都市である[[上海市|上海]]&lt;br /&gt;
* [[中華民国]]：首都[[台北市]]と、最大都市[[新北市]]&lt;br /&gt;
* [[フィリピン]]：首都[[マニラ]]と、最大都市[[ケソン]]&lt;br /&gt;
* [[ベトナム]]：首都[[ハノイ]]と、最大都市[[ホーチミン市]]（旧称：サイゴン。旧[[南ベトナム|ベトナム共和国]]と旧[[南ベトナム|南ベトナム共和国]]の首都）&lt;br /&gt;
* [[ミャンマー]]：首都[[ネピドー]]と、最大都市[[ヤンゴン]]（旧称：ラングーン。旧首都）&lt;br /&gt;
* [[インド]]：首都[[デリー]]と、最大都市[[ムンバイ]]&lt;br /&gt;
* [[スリランカ]]：首都[[スリジャヤワルダナプラコッテ]]と、最大都市[[コロンボ]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[パキスタン]]：首都[[イスラマバード]]と、最大都市[[カラチ]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[カザフスタン]]：首都[[アスタナ]]と、最大都市[[アルマトイ]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[アラブ首長国連邦]]：首都[[アブダビ]]と、経済・観光の中心都市[[ドバイ]]&lt;br /&gt;
* [[リヒテンシュタイン]]:首都[[ファドゥーツ]]と、最大都市[[シャーン]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[イタリア]]：首都[[ローマ]]と、経済の中心都市[[ミラノ]]&lt;br /&gt;
* [[サンマリノ]]：首都[[サンマリノ]]と、最大都市[[セラヴァッレ]]&lt;br /&gt;
* [[ドイツ]]：首都[[ベルリン]]と、経済の中心都市[[フランクフルト]]&lt;br /&gt;
* [[スイス]]：首都[[ベルン]]と、経済の中心都市[[チューリヒ]]&lt;br /&gt;
* [[マルタ]]:首都[[バレッタ]]と、最大都市[[ビルキルカラ]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[モンテネグロ]]:憲法上の首都[[ツェティニエ]]と、事実上の首都かつ最大都市[[ポドゴリツァ]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[トルコ]]：首都[[アンカラ]]と、最大都市[[イスタンブル]]（かつての東ローマ帝国・オスマン帝国の首都）&lt;br /&gt;
* [[イスラエル]]：首都[[エルサレム]]（[[国際連合|国連]]および多くの外国は認めていない）と、経済中枢都市であり同国最大の都市圏の中心都市である[[テルアビブ]]（[[国際連合|国連]]などが同国の首都とみなしている都市）&lt;br /&gt;
* [[スーダン]]：首都[[ハルツーム]]と、最大都市[[オムドゥルマン]]&lt;br /&gt;
* [[モロッコ]]：首都[[ラバト]]と、最大都市[[カサブランカ]]&lt;br /&gt;
* [[ベナン]]：憲法上の首都[[ポルトノボ]]と、事実上の首都[[コトヌー]]&lt;br /&gt;
* [[カメルーン]]：首都[[ヤウンデ]]と、最大都市[[ドゥアラ]]&lt;br /&gt;
* [[赤道ギニア]]：首都[[マラボ]]と、最大都市[[バタ]]&lt;br /&gt;
* [[ガンビア]]：首都[[バンジュール]]と、最大都市[[セレクンダ]]&lt;br /&gt;
* [[コートジボワール]]：首都[[ヤムスクロ]]と、最大都市[[アビジャン]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[ナイジェリア|ナイジェリア連邦共和国]]：首都[[アブジャ]]と、最大都市[[ラゴス]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[タンザニア]]：首都[[ドドマ]]と、最大都市[[ダルエスサラーム]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[マラウイ]]：首都[[リロングウェ]]と、最大都市[[ブランタイヤ]]&lt;br /&gt;
* [[南アフリカ共和国]]：行政府所在地として首都のひとつである[[プレトリア]]と、最大都市[[ヨハネスブルグ]]&lt;br /&gt;
* [[アメリカ合衆国]]：首都[[ワシントンD.C.]]と、最大都市[[ニューヨーク]]&lt;br /&gt;
* [[カナダ]]：首都[[オタワ]]と、最大都市[[トロント]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[トリニダード・トバゴ]]：首都[[ポートオブスペイン]]と、最大都市[[サンフェルナンド (トリニダード・トバゴ)|サンフェルナンド]]&lt;br /&gt;
* [[ベリーズ]]:首都[[ベルモパン]]と、最大都市[[ベリーズシティ]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[ブラジル]]：首都[[ブラジリア]]と、最大都市[[サンパウロ]]&lt;br /&gt;
* [[エクアドル]]：首都[[キト]]と、最大都市[[グアヤキル]]&lt;br /&gt;
* [[ボリビア]]：憲法上の首都[[スクレ (ボリビア)|スクレ]]、事実上の首都[[ラパス]]と、経済の中心都市[[サンタクルス]]&lt;br /&gt;
* [[オーストラリア]]：首都[[キャンベラ]]と、最大都市[[シドニー]]&lt;br /&gt;
* [[ニュージーランド]]：首都[[ウェリントン]]と、最大都市[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[パラオ]]: 首都[[マルキョク]]（人口約400人）と、最大都市[[コロール (都市)|コロール]]（旧首都）&lt;br /&gt;
* [[リビア]]: 首都[[トリポリ]]（[[トリポリタニア]]）と、東部の行政中心地[[ベンガジ]]（[[キレナイカ]]）、かつての王室[[アルバイダ]]（キレナイカ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 傾向 ==&lt;br /&gt;
一般に、首都は[[過密]]地になりやすい。これは、国家機関（日本でいうところの[[国会議事堂]]、[[日本の行政機関|中央省庁]]、[[最高裁判所]]）が置かれているために、国家機関の周りに企業が密集するためである。このように、本来、首都は[[政治]]と[[行政]]の中心地であるが、[[経済]]の中心地になることも珍しくない（例：[[特別区|東京特別区]]、[[パリ]]、[[バンコク]]、[[ソウル特別市|ソウル]]）。こういう経過に至った国家では、首都を移転すること（[[遷都]]）によって、経済の中心地ではない都市を新しく首都に選定することもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、[[ブラジリア]]（[[ブラジル]]）や[[キャンベラ]]（[[オーストラリア]]）のように、何もない原野などに国家機関だけを建設した場合は、この限りではない。[[ベリーズ]]の首都である[[ベルモパン]]に至っては、人口が1万人程度である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 首都名の持つ意味 ==&lt;br /&gt;
首都は政治と行政の中心地であるので、政界などではしばしば首都名をその国の中央政府を指すのに使われる。例えば「ワシントン」はアメリカ政府を指し、「北京」は中国政府を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 特別市 ==&lt;br /&gt;
1[[市]]単独で広域自治体（[[県]]や[[州]]）を構成する市は、'''[[特別市]]'''と称される。特に首都は過密化しやすい点から、特別市となっている所が多い。また、首都以外でも、首都に伍する過密都市（大抵は1つ）は、特別市とされる所もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1市単独で「県」を構成する首都&lt;br /&gt;
** [[パリ|パリ市]]（[[フランス]]）&amp;lt;ref&amp;gt;[[フランスの県|県]]の上位行政区画である[[フランスの地域圏|地域圏]]（この場合は[[イル・ド・フランス地域圏]]）の区域には含まれる。なお、フランスの地域圏はほかの国における州相当の地方行政区画であり、フランスの地理・歴史・文化・観光に関する日本語の文献では「州」ないしは「地方」と訳される場合が多い。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[ブカレスト]]（[[ルーマニア]]）&lt;br /&gt;
** [[バンコク]]（[[タイ王国|タイ]]）&amp;lt;ref&amp;gt;行政区分上は首都府であり県ではないが、事実上県として扱われることが多い。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 1市単独で「州」またはそれと同等の「行政単位」を構成する首都&lt;br /&gt;
** [[ジャカルタ|ジャカルタ特別市]]（[[インドネシア]]）&lt;br /&gt;
** [[ソウル特別市]]（[[大韓民国]]）&lt;br /&gt;
** [[北京市]]（[[中華人民共和国]]）&lt;br /&gt;
** [[台北市]]（[[中華民国]]（[[台湾]]））&lt;br /&gt;
** [[平壌|平壌直轄市]]（[[朝鮮民主主義人民共和国]]）&lt;br /&gt;
** [[モスクワ|モスクワ市]]（[[ロシア連邦]]）&lt;br /&gt;
** [[ウィーン|ウィーン市]]（[[オーストリア]]）&lt;br /&gt;
** [[ベルリン|ベルリン市]]（[[ドイツ]]）&lt;br /&gt;
** [[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア市]]（[[ブルガリア]]）&lt;br /&gt;
** [[ブエノスアイレス]]（[[アルゼンチン]]）&lt;br /&gt;
** [[ワシントンD.C.]]（[[アメリカ合衆国]]）&lt;br /&gt;
** [[ハバナ|ハバナ市]]（[[キューバ]]）&lt;br /&gt;
** [[ボゴタ]]（[[コロンビア]]）&lt;br /&gt;
** [[サンティアゴ・デ・チレ]]（[[チリ]]）&lt;br /&gt;
** [[ブラジリア|ブラジリア市]]（[[ブラジル]]）&lt;br /&gt;
** [[メキシコシティ]]（[[メキシコ]]）&lt;br /&gt;
* 1市単独で「郡」を構成する首都&lt;br /&gt;
** [[ザグレブ]]（[[クロアチア]]）&lt;br /&gt;
** [[ベオグラード]]（[[セルビア]]）&lt;br /&gt;
* 首都以外で、1市単独で「州」を構成する市&lt;br /&gt;
** [[釜山広域市]]、[[大邱広域市]]、[[仁川広域市]]、[[光州広域市]]、[[大田広域市]]、[[蔚山広域市]]（大韓民国）&lt;br /&gt;
** [[南浦特級市|南浦直轄市]]、[[咸興市|咸興直轄市]]、[[清津市|清津直轄市]]（朝鮮民主主義人民共和国）&lt;br /&gt;
** [[新北市]]、[[高雄市]]、[[台中市]]、[[台南市]]（中華民国（台湾））&lt;br /&gt;
** [[上海市]]、[[天津市]]、[[重慶市]]（中華人民共和国）&lt;br /&gt;
** [[サンクトペテルブルク|サンクトペテルブルク市]]（ロシア連邦）&lt;br /&gt;
** [[ハンブルク|自由ハンザ都市ハンブルク]]（ドイツ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、首都であっても国内のほかの主要都市同様、上位の広域自治体の管轄区域内に含まれるケースも少なからず見られる。たとえば、カナダの場合は連邦政府の直轄行政地区が存在せず、同国の首都オタワは行政上[[オンタリオ州]]内の一都市としての位置づけである。また、イタリアの首都ローマは[[ローマ県]]、およびその上位地方行政区画である[[ラツィオ州]]の区域にそれぞれ属し、同時にその県都ならびに州都でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文献情報 ==&lt;br /&gt;
*「首都の特質と首都機能再配置の諸形態」山口広文 国会図書館レファレンス2003.4[http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200304_627/062703.pdf]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;vertical-align:top&amp;quot;&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
* [[首都機能]]&lt;br /&gt;
* [[首都機能移転]]&lt;br /&gt;
* [[首都圏]]&lt;br /&gt;
* [[首都の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[かつての首都の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[日本の首都]]&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
* [[遷都]]&lt;br /&gt;
* [[中央集権]]&lt;br /&gt;
* [[プライメイトシティ]]&lt;br /&gt;
* [[世界都市]]&lt;br /&gt;
* [[古都]]&lt;br /&gt;
* [[帝都]]&lt;br /&gt;
* [[メトロポリス]]&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
* [[行政の中心]]&lt;br /&gt;
* [[州都]]&lt;br /&gt;
* [[県庁所在地]]&lt;br /&gt;
* [[商都]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しゆと}}&lt;br /&gt;
[[Category:都市]]&lt;br /&gt;
[[Category:行政]]&lt;br /&gt;
[[Category:首都|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E3%83%91%E3%83%AA&amp;diff=307579</id>
		<title>パリ</title>
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				<updated>2015-10-13T03:47:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
'''パリ'''（'''Paris'''、'''巴里'''、英語では「パリス」と発音）は、[[フランス]]の[[首都]]であり、[[イル＝ド＝フランス地域圏]]の[[州都|首府]]である。[[ロンドン]]、[[ニューヨーク]]、[[東京]]と並びトップ水準の[[世界都市]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Paris-Landsat001.jpg|thumb|left|300px|{{ランドサット}}]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パリ盆地のほぼ中央に位置し、市内を[[セーヌ川]]が貫く。市役所はセーヌ川右岸の北緯48度52分00秒、東経2度19分59秒に位置する。行政上では、一[[コミューン|市]]単独で[[県]]を構成する[[首都#特別市|特別市]]であり、中心部から順に20個の[[パリの行政区|行政区]]に分割される。市域は西部の[[ブローニュの森]]と東部の[[ヴァンセンヌの森]]を併せて105.40平方キロメートルと、世界の大都市の中でも狭い部類に入る。更に旧城壁部分（純粋な市街地）の面積となると86.99平方キロメートルしかない。そのため市街地エリアに限定した人口密度は2万5000人近くに達する。ヨーロッパ随一の過密都市である。市域人口は1950年代の約290万人をピークに長くドーナツ化現象によって減少し続けたが、ここ数年は減少が下げ止まり微増傾向に転じている。特に、再開発が進む南部や移民流入の著しい東部での人口増加が目立っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスの政治・経済・文化の中心である上、世界四大都市にも挙げられるほどの[[世界都市]]であり、歴史的な建造物や[[美術館]]を数多く抱えるため「芸術の都」、「花の都」などと呼ばれる、世界屈指の[[観光都市]]としての顔も持つ。歴史的に戦火を巧みに避けてきたため&amp;lt;!--[[第二次世界大戦]]において、空襲やその他の戦災を奇跡的に免れることができたため → 必ずしもそうではなく、ナポレオン1世の頃からフランスはパリを戦火から守るため首都陥落の前には必ず降伏してきたのが大きな理由です --&amp;gt;、パリは街全体が数多くの由緒ある歴史的建造物を有する一つのテーマパークのような存在になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古くから宗教・文化面などにおいて欧州各地、そして世界中から人を集める多民族集住地区であった。1960年代以降旧植民地であったアフリカ中部・北部やインドシナ半島、更に近年は中近東や東欧、中国などからの移民も増えてきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--[[ダリシスト]]とよばれる[[風水]]のような魔よけの都市構造と似ている。←出典を示してください--&amp;gt;&lt;br /&gt;
パリっ子は'''パリジャン (Parisien) '''（男性）・'''パリジェンヌ (Parisienne) '''（女性） と呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
{{See also|フランスの歴史}}&lt;br /&gt;
=== 語源 ===&lt;br /&gt;
[[語源]]はパリシー (Parisii) と呼ばれるガリア人部族。Parisiiは「田舎者」、「乱暴者」を意味する。ローマ人が入ってくる以前のこの土地の先住民である。欧州の言語の中で古い時代の痕跡をとどめている[[ギリシャ語]]ではΠαρίσι（パリーズィ）、[[イタリア語]]で Parigi（パリージ）と発音される。[[フィンランド語]]では Pariisi（パリーシ）と発音されるのはここからだという説がある。Lutetia (Parisiorum) 「（パリシーたちの）ルテティア」とも呼ばれていた。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- パリをこよなく愛する日本人である早川雅水は、自著の中で「パリ」の[[語源]]を Par 「等しい」+ Isis 「（エジプトの女神）[[イシス]]」と説明しているが、これは誤りである。 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 古代 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Ar&amp;amp;egrave;nes de lut&amp;amp;egrave;ce maquette.jpg|thumb|ルテチアの円形劇場（模型）]]&lt;br /&gt;
セーヌ川の中洲[[シテ島]]は古くからセーヌ川の渡河点であり、[[紀元前3世紀]]ごろからパリシー族の集落ルテチアがあった。[[紀元前1世紀]]、[[ガリア戦争]]の結果ルテチアは[[古代ローマ|ローマ]]支配下に入った。ローマ時代のルテチアはシテ島からセーヌ左岸にかけて広がっており、円形劇場や公衆浴場などが築かれた。しかしローマが衰退すると左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になった。このころからルテチアに代わり「パリ」と呼ばれるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== フランス王国首都 ===&lt;br /&gt;
[[5世紀]]末に[[フランク族]]の王[[クロヴィス1世]]はパリを征服し、[[508年]]にはパリを[[メロヴィング朝]][[フランク王国]]の首都とした。しかしクロヴィス1世の死後王国はいくつかに分裂したため、パリは現在のフランスよりも狭い範囲の都でしかなかった。シャルルマーニュ（[[カール大帝]]）以降の[[カロリング朝]]フランク王国の中心は[[ライン川]]流域にあり、パリは一地方都市でしかなかった。[[885年]]から[[886年]]にかけてパリは[[ヴァイキング]]の襲撃を受けた。このときフランク王シャルル3世（[[カール3世 (フランク王)|カール3世]]）は金銭を支払って講和を結んだため信望を失い、代ってパリ伯の権威が上昇することになった。このころからセーヌ右岸側にも市街地が拡大した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Plan de Paris 1223 BNF07710747.png|thumb|1223年のパリ]]&lt;br /&gt;
[[西フランク王国]]が断絶すると、[[987年]]にパリ伯[[ユーグ・カペー]]がフランス王に推挙されたことから、パリはフランス王国の首都となった。王権の強化にしたがって首都も発達し、[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]の時代にはパリを囲む城壁が築かれた。このころのパリは初期[[スコラ学]]の中心の一つでもあり、[[11世紀]]頃からパリ大司教座聖堂付の学校が発達し、のちの[[パリ大学]]につながっていった。パリ大学は[[ヨーロッパ]]最古の大学のひとつであり、特に[[神学]]の研究で著名であった。右岸に中央市場「レ・アル（Les Halles）」が作られたもこのころである。こうして左岸は大学の街、右岸は商人の街という現在まで続く町の原型が定まった。[[12世紀]]にはパリ水運商人組合が結成された。後にその商人頭は事実上の市長として市政を司るようになり、[[エティエンヌ・マルセル]]のように王に匹敵する権力を持つものも現れた。市の規模が大きくなるにつれ、城壁は何度か壊され市域が拡大していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Les Tr&amp;amp;egrave;s Riches Heures du duc de Berry octobre.jpg|thumb|「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」に描かれた15世紀のルーヴル宮殿]]&lt;br /&gt;
[[百年戦争]]後半にはパリはオルレアン派とブルゴーニュ派の対立で混乱に陥った後、[[イングランド]]と同盟したブルゴーニュ公の支配下に入った。しかし[[1436年]]にはフランス軍に奪還され、翌[[1437年]]、[[シャルル7世]]は改めてパリをフランスの首都と定めた。しかしこの後もフランス王はパリには住まず、[[ロワール渓谷]]の城を好むようになった。[[ユグノー戦争]]の時代にはパリは[[カトリック]]派の拠点であり、[[1572年]]には[[サン・バルテルミの虐殺]]が起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[アンリ4世]]の即位によりパリは名実ともにフランスの首都の座を回復した。これ以降パリ市内では[[テュイルリー宮殿]]、[[リュクサンブール宮殿]]、[[廃兵院]]などの大規模建築が相次いで作られた。しかし[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]はパリ郊外の[[ヴェルサイユ]]に造営した離宮に政治の本拠を移し、[[ルイ16世 (フランス王) |ルイ16世]]の治世の末期までヴェルサイユが政治の中心となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1789年]][[7月14日]]、パリ市内で発生した[[バスティーユ襲撃]]によって[[フランス革命]]が勃発した。[[ヴェルサイユ行進]]でルイ16世が強制的にパリのチュイルリー宮殿に戻されてからは、革命の重要な事件の多くがパリで発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 19世紀 ===&lt;br /&gt;
[[19世紀]]のパリは政治的には安定しなかったものの、[[産業革命]]の到来により経済的、文化的には繁栄した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1837年]]にはパリ（現在の[[サン・ラザール駅]]）-[[サン＝ジェルマン＝アン＝レー]]間に[[鉄道]]が開通し、以後各方面への鉄道路線が次々と開業した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[フランス第二帝政|第二帝政]]下ではセーヌ県知事[[ジョルジュ・オスマン]]によって[[パリ改造]]が行なわれた。中世以来の狭い路地を壊して道路網を一新したほか、上下水道の設置など都心部の[[再開発]]や[[インフラストラクチャー]]の整備が行なわれた。これによりパリは近代都市として生まれ変わった。現在のパリ市中心部の姿はほぼこの時の状態をとどめている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Disderi 3.jpg|thumb|パリ・コミューンの[[バリケード]]]]&lt;br /&gt;
[[普仏戦争]]で[[ナポレオン3世]]の主力軍が敗北すると、パリは[[1870年]]9月から[[プロイセン]]軍に包囲された。翌[[1891年]]1月に政府は降伏したが、パリの労働者らはこれを認めず蜂起した。3月には史上初の労働者階級の政権[[パリ・コミューン]]が発足したが、ヴェルサイユ政府軍の攻撃によりわずか2ヶ月で崩壊した。コミューンの最後はパリ市内での[[市街戦]]となり、大きな被害を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
19世紀末から20世紀初めにかけて、パリでは数会の[[パリ万国博覧会|万国博覧会]]が開かれた。[[1889年]]の万博では[[エッフェル塔]]が建てられ、[[1900年]]には[[メトロ (パリ)|メトロ]]が開業した。この時代を[[ベル・エポック]]（よき時代）と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 20世紀 ===&lt;br /&gt;
[[第一次世界大戦]]の緒戦では[[ドイツ帝国|ドイツ]]軍がパリの目前にまで迫り、政府が一時[[ボルドー]]に避難するほどであったが、[[マルヌ会戦]]の勝利により辛くも陥落を免れた。大戦後半には[[パリ砲]]による砲撃を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦間期にはパリは芸術の都としての地位を回復した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Nazi-parading-in-elysian-fields-paris-desert-1940.png|thumb|パリに入城したドイツ軍]]&lt;br /&gt;
しかし[[第二次世界大戦]]が勃発すると、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]開始から1ヶ月で政府はパリを放棄せざるを得なくなり、[[1940年]]6月14日にはドイツ軍がパリをほぼ無血で占領した。6月23日には[[アドルフ・ヒトラー]]がパリに入った。占領下のパリでは[[レジスタンス運動]]に身を投じる者がいる一方で、積極的にドイツ軍に協力する市民もいた。後者は後に[[対独協力者]]として糾弾されることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ノルマンディー上陸作戦]]から2ヶ月半後の[[1944年]]8月25日、パリは[[連合国#第二次世界大戦|連合国]]軍と[[自由フランス]]軍によって[[パリの解放|解放]]された。このときドイツ軍のパリ駐留部隊を指揮していたフォンコルティッツ将軍はヒトラーからパリを破壊するよう命令されていたが、これを拒んで部隊を無抵抗で退却させ、自身は降伏した。この英断によりフォンコルティッツは戦後、フランスから名誉パリ市民号を贈られている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後のパリでは主に郊外（[[バンリュー]]）で人口が急増した。環状高速道路ペリフェリックをはじめとする[[高速道路]]網や、郊外と都心を直結する鉄道[[RER]]などが整備され、[[ラ・デファンス]]地区がオフィス街として開発された。一方で豊かな都心と貧しい郊外という構図が生まれ、[[失業]]や治安の悪化が社会問題となった。[[2005年]]には[[2005年パリ郊外暴動事件|パリ郊外暴動事件]]が発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 行政区画の変遷 ===&lt;br /&gt;
フランス革命後の地方自治制度では、パリ市は[[セーヌ県]]（当初の名称はパリ県）に属する一[[コミューン]]であり、同県の県庁所在地であった。市域は現在より狭く、ほぼ[[メトロ (パリ)|メトロ]][[パリメトロ2号線|2号線]]、[[パリメトロ6号線|6号線]]の内側に相当する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1860年]]に市域が拡張されてほぼ現在の範囲となり、同時に20の[[パリの行政区|行政区]]が設けられた。[[1968年]]にはセーヌ県が廃止され、パリ市は単独で県と同格の自治体とされた。[[1976年]]に[[イル＝ド＝フランス地域圏]]が発足すると、パリはその首府となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Demography 6col|765px|1801|1851|1881|1926|1999|2005|54万7800|105万3000|224万0000|287万1000|212万5946|215万4000}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- この上二行あける --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地理 ==&lt;br /&gt;
=== 行政区 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Arrondissements-de-Paris.png|thumb|right|300px|パリの行政区]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パリは、一市単独で[[フランスの地方行政区画|県]]を構成する[[コミューン]]、いわゆる特別市である。市内は20の[[パリの行政区|行政区]]に区分されている。区は、パリ市街地の1区から、右回りの渦巻状に番号が付けられている。1～4、8～12、16～20区は右岸に、5～7、13～15区は左岸に位置する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br style=&amp;quot;clear:both;&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
==== 各地域 ====&lt;br /&gt;
[[画像:ArcDeTriomphe.JPG|right|200px|thumb|凱旋門]]&lt;br /&gt;
[[画像:Champs-Elysees-InSummer.JPG|right|200px|thumb|シャンゼリゼ通り]]&lt;br /&gt;
[[画像:Palais_garnier_bs.jpg|right|200px|thumb|オペラ・ガルニエ（オペラ座） ]]&lt;br /&gt;
[[画像:Tour_eiffel_at_sunrise_from_the_trocadero.jpg|right|200px|thumb|エッフェル塔]]&lt;br /&gt;
括弧内の数字は区を示す。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--（括弧内の数字は区。特に観光名所となっている地域は斜体とした）： &amp;lt;br /&amp;gt;→ 斜体は機種によっては表示されません--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;右岸&lt;br /&gt;
*[[シャンゼリゼ通り]] (8)&lt;br /&gt;
:凱旋門からチュイルリーまで続く、パリを代表する目抜き通り。&lt;br /&gt;
*[[シテ島]] (1, 4)&lt;br /&gt;
:パリ発祥の地であり、[[ノートルダム大聖堂  (パリ) |ノートルダム大聖堂]]など歴史的建造物も多い。&lt;br /&gt;
*パッシー (16)&lt;br /&gt;
:高級住宅地。&lt;br /&gt;
*オペラ界隈 (2)&lt;br /&gt;
:デパートや高級ブティック、銀行などが立ち並び、日本人街でもある。日本料理店や日本の生活雑貨店が並ぶ。&lt;br /&gt;
*マレ (3, 4)&lt;br /&gt;
:貴族の館が集中して残る地域であり、現在は裕福なユダヤ系住民が多く住む。美術館やギャラリーも多い。お洒落な[[同性愛|ゲイ]]の集まる地域でもある。&lt;br /&gt;
*バスティーユ (4, 11, 12の各境)&lt;br /&gt;
:[[フランス革命]]の発端となった場所として有名だが、今では若者が集まる歓楽街となっている。[[オペラ・バスティーユ]]もある。&lt;br /&gt;
*オベルカンプ (11)&lt;br /&gt;
:同じく歓楽街だが、比較的新しい。テクノ音楽やゲームなど新しい文化を紹介する場として認識され、日本のアニメショップなども複数見られる。&lt;br /&gt;
*ピガール、ブランシュ (18)&lt;br /&gt;
:モンマルトルのふもとに位置する。高級キャバレー「ムーラン・ルージュ」があるが、その他は怪しげな[[キャバレー]]やいかがわしい[[セックス]]ショップが多く並ぶ性的歓楽街でもある。昔から猥雑な界隈であり、[[永井荷風]]の「ふらんす物語」にも描かれている。&lt;br /&gt;
*[[モンマルトル]] (18)&lt;br /&gt;
:パリを見下ろす高台。パリ市に編入されたのは1860年以後だが、現在ではパリを代表する名観光地となっている。2001年のフランス映画『[[アメリ]]』の舞台にもなった。[[サクレ・クール寺院]]が一番の高台にそびえ、そこから西側へ行くにつれテルトル広場やムーラン・ド・ラ・ギャレットなど観光名所が多く並ぶ。寺院東側は[[観光]]地ではなく[[アフリカ]]系移民が多く暮らすシャトー・ルージュ地区。&lt;br /&gt;
*ベルシー (12)&lt;br /&gt;
:昔は[[倉庫]]街だったが今は再開発が進み、[[フランス経済・財政・産業省|大蔵省]]やベルシー公園、[[ワイン]]倉庫街を改造したレストラン街などが新しい観光地となっている。&lt;br /&gt;
*ベルヴィル (11, 20)&lt;br /&gt;
:[[アラブ]]系、アフリカ系、[[ユダヤ]]系（労働者系の）、[[中国]]系（[[華僑]]）など、主に労働者系の多くの[[移民]]が暮らす地域。安くて異国的なレストランなどが集中する。&lt;br /&gt;
*バルベス (18)&lt;br /&gt;
:ベルヴィルと同じくアラブ系やアフリカ系の移民が多く暮らす。有名な安物服屋やアフリカ系商店街があり、人口密度も多く、駅前は常に混雑している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;左岸&lt;br /&gt;
*[[モンパルナス]] (14)&lt;br /&gt;
:庶民的な雰囲気を残す左岸の地域。&lt;br /&gt;
*サンジェルマン・デ・プレ (5, 6)&lt;br /&gt;
:歴史的地区であり、美術学校に近いことからギャラリーも多い。[[ジャン＝ポール・サルトル|サルトル]]ら哲学者が集まった場所として有名な2軒のカフェがある。カルチエ・ラタンに隣接する。&lt;br /&gt;
*[[カルチエ・ラタン]] (5, 6)&lt;br /&gt;
:[[ソルボンヌ大学]]をはじめ大学が集中しており、昔から学生街として有名。カルチエは「地区」、ラタンとは「[[ラテン語]]」のことであり、「ラテン語を話す  (= 教養のある) 学生が集まる地区」という意味が語源。羅典区。&lt;br /&gt;
*エッフェル塔とシャン・ド・マルス公園 (7)&lt;br /&gt;
:パリを代表する観光名所としてあまりに有名。セーヌ川の観光船のうち有名な2つの船の発着点ともなっており、観光客が集中する。&lt;br /&gt;
*トルビヤック (13)&lt;br /&gt;
:いわゆる中華街だが実際は[[ベトナム]]系が多く、中華・ヴェトナム料理店が並ぶ。昔はゴブラン織りで栄えたが、今は高層ビルが林立する再開発地域である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 川、運河 ===&lt;br /&gt;
==== 川 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Small_1330-Paris.jpg|right|200px|thumb|セーヌ川]]&lt;br /&gt;
*[[セーヌ川]]&lt;br /&gt;
:パリ市内を横断する川であり、[[パリのセーヌ河岸]]は[[世界遺産]]に登録されている。パリではセーヌ川の北部を右岸、南部を左岸という。パリ市中心部にある川中島であるシテ島は、パリ市発祥の地である。シテ島の東にもうひとつサン・ルイ島という島がある。セーヌ川は重要な運路であり、パリ市内では観光船のほか運搬船も多く行き来する。パリ市東部郊外のごく近い場所でセーヌ川とマルヌ川が合流し、ベルシーからパリに入り、途中サン・ルイ島とシテ島を抜け、アンヴァリッドのあたりで南西に折れ曲がり、そのまま15区と16区を抜けていく。パリを抜けた後は蛇行を繰り返し、ノルマンディー地方を経て大西洋へと流れていく。パリ市内には多くの橋がかかっており、歴史やいわくのある橋も多い。詳細は[[セーヌ川]]の項を参照。&lt;br /&gt;
*ビエーヴル川&lt;br /&gt;
:13区のトルビヤック地区やゴブラン地区には、セーヌ川の支流であるビエーヴル川という自然の川がかつて流れていた。今は下水道として完全に地下化してしまい、現在の一般の地図上でその存在を確認することは出来ないが、古地図などで見ることが出来る。国立ゴブラン織り製作所は、この川の上に存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 運河 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Paris canal saint-martin ecluse01.jpg|right|200px|thumb|サン・マルタン運河]]&lt;br /&gt;
*[[サン・マルタン運河]]&lt;br /&gt;
:パリ東部セーヌ右岸を南北に流れる[[運河]]。セーヌ川に面したサン・マルタン運河の出入口はアルスナル港と言う。ここからバスティーユ広場を経て、運河は地下水道となる。10区に入ったあたりで、運河は地上に顔を出す。この辺りには水位を上下するための水門がいくつかある。10区の運河沿いにはかつて革製品などの町工場が多く並んでいたが、今はそれらの工場は衰退しており、徐々に再開発の動きが進んでおり、最近は、景観を生かしてレストランが並ぶ。10区と19区の境にある[[地下鉄]]2番、5番、7番のジョレス駅およびスタリングラッド駅付近にあるラ・ヴィレット運河まで出たところで、サン・マルタン運河の名称は終わる。今はサン・マルタン運河を走る運搬船はほとんどないが、観光船が走っている。&lt;br /&gt;
*ウルク運河&lt;br /&gt;
:サン・マルタン運河と一続きの運河だが、ラ・ヴィレット運河より以北はこの名称になる。パリ19区からパンタン市へ、さらに遠方のウルク川へと繋がっている。メトロ5番は、終点、ボビニー・パブロピカソ駅手前でこのウルク運河沿いの地上部を走る。ラ・ヴィレット公園の手前でサン・ドニ運河と分岐（合流）している。&lt;br /&gt;
*サン・ドニ運河&lt;br /&gt;
:ラ・ヴィレット公園の手前でサン・ドニ運河と分岐・合流している。パリ市内では19区のごく一部を流れる。パリ郊外のオーベルヴィリエ市、サン・ドニ市を経て、パリ北部で蛇行するセーヌ川下流と合流する。ウルク運河経由で水路をショートカットするためにつくられており、運搬船が頻繁に行き来している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 広場、公園、森 ===&lt;br /&gt;
==== 広場 ====&lt;br /&gt;
[[画像:Fontaine-place-de-la-concorde-paris.jpg|right|200px|thumb|コンコルド広場]]&lt;br /&gt;
[[Image:PlaceBastille20040914B_commons.jpg|thumb|right|200px|バスティーユ広場]]&lt;br /&gt;
[[Image:Colonne_de_Vendôme_cropped.jpg|thumb|right|200px|ヴァンドーム広場]]&lt;br /&gt;
[[Image:Paris-Arc-de-Triomphe001.jpg|thumb|right|200px|シャルル・ド・ゴール広場]]&lt;br /&gt;
*[[コンコルド広場]] (1)&lt;br /&gt;
:パリの中心部、チュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれて位置する。歴史ある広場で、フランス革命の後にはルイ16世や[[マリー・アントワネット]]の処刑が行われた。現在は[[ツール・ド・フランス]]の終着点としても知られ、最終日には多くのファンが集まる。&lt;br /&gt;
*ヴァンドーム広場 (1)&lt;br /&gt;
:[[ナポレオン2世]]の記念柱が立っている。この広場および隣接するサントノレ通りには高級宝石店や高級ブティックが並ぶ。&lt;br /&gt;
*バスティーユ広場 (4, 11, 12の各境)&lt;br /&gt;
:[[フランス革命]]の発端となった[[バスティーユ]]要塞があった場所で、要塞は革命後に取り壊されて現在の広場となった。広場中央には革命の記念柱が立っている。広場に面してオペラ・バスティーユがある。サン・マルタン運河出入口のアルスナル港にも面している。&lt;br /&gt;
*ヴォージュ広場 (4)&lt;br /&gt;
:バスティーユ広場のすぐ近くだが奥まった場所にあり、赤い煉瓦と石造りの美しい建物に囲まれたほぼ正方形の広場である。その赤い建物の一角には[[ヴィクトル・ユーゴー]]の住んだ家がある。フランス革命前は国王（ロワイヤル）広場と呼ばれていた。&lt;br /&gt;
*サン・ミッシェル広場 (6)&lt;br /&gt;
:カルチエ・ラタンの中心部に位置し、セーヌ川および対岸のシテ島、ノートルダム寺院に面している。本屋などが多くあるほか、広場裏手には安手のレストランが立ち並ぶ。&lt;br /&gt;
*シャルル・ド・ゴール広場（エトワール広場） (8)&lt;br /&gt;
:凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを含め放射状に道路が伸びる、パリの顔とも言うべき広場。元はエトワール広場と呼ばれたが、[[第二次世界大戦]]後[[シャルル・ド・ゴール]]将軍をたたえて現在の呼称となった。通常はエトワール広場の呼称でも通じる。[[1860年]]のパリ拡張以前はパリの西の玄関だった。&lt;br /&gt;
*レピュブリック広場 (3, 10, 11)&lt;br /&gt;
:訳すと共和国広場。庶民的な地区に位置するが、広場としてはきわめて大きいそれの一つ。マニフェスタシオン（デモ）がある際にはほとんどここが起点となる。&lt;br /&gt;
*ナシオン広場 (11,12) &lt;br /&gt;
:エトワール広場と同じく道が放射状に伸びる、1860年以前のパリの東の玄関。かつてカルーゼル凱旋門が置かれていたが現在同門はルーヴル正面に移され、現在ナシオン広場には2つの柱が立っている。[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]の恐怖政治時代にはここで多数の反体制者がギロチンで処刑された。&lt;br /&gt;
*テルトル広場 (18)&lt;br /&gt;
:モンマルトルがパリに編入される以前はこの広場が村の中心だった。現在は絵描きが多く並ぶ一大観光名所となっている。&lt;br /&gt;
*イタリー広場 (13)&lt;br /&gt;
:パリの南の玄関口。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 公園、庭園 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Jardindetuileries.jpg|right|200px|thumb|テュイルリー庭園]]&lt;br /&gt;
[[Image:Senat.jpg|right|200px|thumb|リュクサンブール庭園]]&lt;br /&gt;
[[Image:Champ-de-Mars 2005-07.jpg|right|200px|thumb|シャン・ド・マルス]]&lt;br /&gt;
[[Image:Paris parc de la villette01.jpg|200px|thumb|ラ・ヴィレット公園]]&lt;br /&gt;
公園はパーク (Parc)、庭園はジャルダン (Jardin) と呼ばれ区別されている。&lt;br /&gt;
*テュイルリー庭園 (1)&lt;br /&gt;
:パリの中心部、ルーヴル宮の正面に位置する。かつて[[テュイルリー宮殿]]があった。&lt;br /&gt;
*リュクサンブール庭園 (6)&lt;br /&gt;
:リュクサンブール宮殿（現在のフランス上院議会）の正面に位置する庭園。カルチエ・ラタンに隣接し、学生たちの憩いの場でもある。&lt;br /&gt;
*シャン・ド・マルス (7)&lt;br /&gt;
:[[エッフェル塔]]に登ると先ず目に入るのが眼下に広がるこの公園の全景である。かつては軍事演習場だったところ、1889年のパリ万博の会場にもなった。&lt;br /&gt;
*モンソー公園 (8)&lt;br /&gt;
:1860年のオスマン公によるパリ大改造で公園に整備された。&lt;br /&gt;
*ベルヴィル公園 (20)&lt;br /&gt;
:庶民的なベルヴィル地区に位置する。高台になっており、パリを一望できるとても眺めの良い公園。&lt;br /&gt;
*ビュット・ショーモン公園 (19)&lt;br /&gt;
:同じく1860年のパリ大改造で整備され、昔の石切場跡を公園にした。&lt;br /&gt;
*植物園 (5) &lt;br /&gt;
:その名の通り[[植物園]]で、[[動物園]]も併設する（ただしヴァンセンヌの森の動物園よりは小さい）。敷地内には自然史博物館がある。&lt;br /&gt;
*モンスーリ公園 (14)&lt;br /&gt;
:これも1860年のパリ大改造で整備された。14区の外れにあり、[[国際大学都市]]に面している。&lt;br /&gt;
*[[ジョルジュ・ブラッサンス]]公園 (15) &lt;br /&gt;
:馬市場、家畜市場の跡を整備した公園で、銀色の巻貝のような劇場を併設する。馬市場の跡の19世紀の鉄骨屋根のテントの下では、定期的に古本市が開かれる。&lt;br /&gt;
*[[ラ・ヴィレット公園]] (19)&lt;br /&gt;
:庶民的な地区に属するが、かつての食肉処理場跡および旧鉄道用地の広大な敷地を再開発して公園とした。広大な敷地内にはサン・ドニ運河（サン・マルタン運河に繋がる）が流れる。代表的な建物として、食肉処理場時代の19世紀の鉄骨建築ホールをそのまま流用したグランド・アール（見本市会場）、科学産業都市（博物館）および音楽都市（[[クラシック音楽|クラシック]]用コンサートホール）、ZENITH（[[ロック (音楽) |ロック]]・[[ポピュラー音楽|ポップス]]用コンサートホール）、[[パリ音楽院]]現校舎などがある。&lt;br /&gt;
*アンドレ・シトロエン公園 (15)&lt;br /&gt;
:[[自動車]]会社[[シトロエン]]の工場跡および鉄道敷地跡を整備して公園にした。大きな芝生の広場がある公園で、現代的なデザインである。&lt;br /&gt;
*ベルシー公園 (12)&lt;br /&gt;
:[[フランソワ・ミッテラン]]元大統領により整備された。新大蔵省の建物に面している。付属のベルシー体育館ではスポーツのほかコンサートなども行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 森 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Lac supérieur bois de boulogne.jpg|right|200px|thumb|ブローニュの森の池]]&lt;br /&gt;
パリには東西2つの大きな森があり、パリ市民の憩いの地となっている。現在はこの森もパリ市の敷地に含まれる。&lt;br /&gt;
*[[ブローニュの森]] (16)&lt;br /&gt;
:パリの西側に位置する。16区の高級住宅街パッシーやオートゥイユ、近郊の高級住宅市街に面し、高級社交場でもあるオートゥイユ競馬場なども併設する、高級的な雰囲気の漂う森である。ただし夜暗くなってからは[[同性愛|ゲイ]]の人達が集うことでも知られる。&lt;br /&gt;
*[[ヴァンセンヌの森]] (12)&lt;br /&gt;
:パリの東側に位置する。こちらは庶民的な森として知られ、アフリカ・[[オセアニア]][[博物館]]のほか、[[動物園]]、[[農場]]（パリ唯一の農場）、パーク・フローラル（花公園）などを併設する。中世の砦だったヴァンセンヌ城もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 四大墓地 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Monmartre_Cemetery.JPG|thumb|right|200px|モンマルトル墓地]]&lt;br /&gt;
パリは東西南北に4つの主要な[[墓地]]があり、多くの著名人が眠っている。&lt;br /&gt;
* [[ペール・ラシェーズ墓地]] (20)： 東&lt;br /&gt;
* [[パッシー墓地]] (16)： 西&lt;br /&gt;
* [[モンパルナス墓地]] (14)： 南&lt;br /&gt;
* [[モンマルトル墓地]] (18)： 北&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他、パリ中心部に位置する[[パンテオン (パリ) |パンテオン]]にも[[ジャン＝ジャック・ルソー|ルソー]]や[[ヴォルテール]]、[[ヴィクトル・ユーゴー]]、[[ルネ・デカルト|デカルト]]といった偉人たちが埋葬されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 郊外 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Paris - Blick vom großen Triumphbogen.jpg|right|200px|thumb|ラ・デファンス]]&lt;br /&gt;
パリの[[郊外]]には[[ヴェルサイユ]]など有名な観光地がいくつかあり、そのほとんどはパリから日帰りで往復できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
16-17区に繋がるセーヌ川下流の西部方面には閑静な高級住宅地が広がっている。逆に18～20区から繋がる北東方面は低所得層の集まる地価の安い郊外となっており、近年は犯罪増加などの問題を抱えている。フランスで単に「郊外（[[バンリュー]]）」という場合、こうした地域を婉曲的に指すことが多い。その他の方面の郊外は一般的なベッドタウンとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パリより[[電車]]で各30分ほど離れた郊外にはいくつかの[[衛星都市]]があり、近代建築によって町の機能が整えられている。中でも[[ラ・デファンス]]には「新凱旋門[[グランダルシュ]]」をはじめ[[高層ビル]]群が集中しており、多数の企業オフィスを抱える新都心となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
詳細は[[イル・ド・フランス地域圏]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 観光名所 ==&lt;br /&gt;
[[Image:Parigi 015.jpg|right|200px|thumb|ノートルダム大聖堂]]&lt;br /&gt;
[[Image:Les_Invalides_Paris.jpg|right|200px|thumb|アンヴァリッド]]&lt;br /&gt;
[[Image:Paris.moulin.750pix.jpg|right|200px|thumb|ムーラン・ルージュ]]&lt;br /&gt;
*建造物&lt;br /&gt;
**[[エトワール凱旋門|凱旋門]]&lt;br /&gt;
**[[エッフェル塔]]&lt;br /&gt;
**[[エリゼ宮]]&lt;br /&gt;
**[[ガルニエ宮]]（オペラ座） &lt;br /&gt;
**[[オテル・デ・ザンヴァリッド|アンヴァリッド]]（廃兵院） &lt;br /&gt;
**[[ノートルダム大聖堂 (パリ) |ノートルダム大聖堂]]&lt;br /&gt;
**[[オペラ・バスティーユ]]&lt;br /&gt;
**[[ポンピドゥー・センター]]&lt;br /&gt;
**[[サクレ・クール寺院]]&lt;br /&gt;
**[[マドレーヌ寺院]]&lt;br /&gt;
**[[パンテオン (パリ) |パンテオン]]&lt;br /&gt;
**[[シャイヨ宮]]&lt;br /&gt;
*美術館&lt;br /&gt;
**[[ルーヴル美術館]]&lt;br /&gt;
**[[オルセー美術館]]&lt;br /&gt;
**[[オランジュリー美術館]]&lt;br /&gt;
**[[ロダン美術館 (パリ) |ロダン美術館]]&lt;br /&gt;
**[[マルモッタン美術館]]&lt;br /&gt;
*その他&lt;br /&gt;
**[[ムーラン・ルージュ]]&lt;br /&gt;
**[[プランタン]]&lt;br /&gt;
**[[ラ・デファンス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交通 ==&lt;br /&gt;
=== 空港 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Airport_cdg_t1tubes.jpg|left|200px|thumb|複雑に交差するド・ゴール空港の移動回廊]]&lt;br /&gt;
*[[シャルル・ド・ゴール国際空港]]&lt;br /&gt;
:パリ北部郊外ロワッシーに位置する、[[TGV]]の駅とも直結する、フランスの玄関口である。現在拡張工事が続けられている。3つのターミナル（主なものは2つ）よりなり、[[エールフランス航空]]と[[日本航空]]、[[全日空]]が[[成田空港]]と[[関西国際空港]]、[[中部国際空港]]から直行便を運行している他、[[アエロフロート]]航空が[[モスクワ]]経由便を運航している。&lt;br /&gt;
*[[オルリー空港]]&lt;br /&gt;
:パリ南部オルリー市にある空港。かつては最も主要な空港だったが、シャルル・ド・ゴール空港にその座を譲った。とはいえ現在も国際空港として機能しており、主にヨーロッパ近隣諸国のほかアフリカ・[[中近東]]方面の便が発着している。Orly-sud（南）とOrly-ouest（西）の2つのターミナルがある。&lt;br /&gt;
*[[ル・ブルジェ空港]]&lt;br /&gt;
:最も初期に作られた空港で、[[1927年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]人の[[チャールズ・リンドバーグ]]が世界初の[[大西洋]]無着陸横断飛行を行ったときに着陸したのがこの空港である。現在は初夏に行われるパリ・エアショーの会場として知られている。&lt;br /&gt;
*ヘリポート&lt;br /&gt;
:15区南部端れ、セーヌ川沿いのペリフェリック（環状道路）の外側に位置する。[[ヘリポート]]はパリ市内の敷地である。パリ市内上空は飛行禁止区域のため、[[ヘリコプター]]はパリ市の境界すれすれを飛ぶことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉄道 ===&lt;br /&gt;
==== ターミナル駅 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Paris_GareDeLyon_FacadeEtTourDeLHorloge.JPG|right|200px|thumb|時計台のついたリヨン駅駅舎]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- [[Image:GareDuNord20040914_CopyrightKaihsuTai.JPG|right|200px|thumb|北駅構内]] --&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Image:Garedelest.jpg|right|200px|thumb|東駅駅舎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[リヨン駅 (パリ) |リヨン駅]] (12)&lt;br /&gt;
:[[リヨン]]・[[マルセイユ]]、&amp;lt;!---[[スペイン]]---&amp;gt;、[[スイス]]、[[イタリア]]方面&lt;br /&gt;
*ベルシー駅 (12)&lt;br /&gt;
:リヨン駅の近くにある駅。当駅から出た線路はリヨン駅からのものと合流するため方面は同じだが、イタリア方面への国際夜行列車および乗用車運搬用列車が発着。&lt;br /&gt;
*[[パリ北駅|北駅]] (10)&lt;br /&gt;
:[[ロンドン]]行[[ユーロスター]]、[[ブリュッセル]]・[[ケルン]]・[[アムステルダム]]行[[タリス]]、[[TGV]]&amp;lt;!--2007年5月現在、ブリュッセル行きTGVの殆どはイルドフランス連絡線経由で運行。北駅発の設定はレアケース--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[パリ東駅|東駅]] (10)&lt;br /&gt;
:[[ストラスブール]]、[[ドイツ]]方面&lt;br /&gt;
*[[モンパルナス駅]] (15)&lt;br /&gt;
:[[ブルターニュ]]地方、[[ボルドー]]方面[[TGV]]&lt;br /&gt;
*[[サン・ラザール駅 (パリ) |サン・ラザール駅]] (8)&lt;br /&gt;
:西部方面&amp;lt;!--、[[上野駅]]のモデルとなった。{{要出典}}--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[オーステルリッツ駅 (パリ) |オーステルリッツ駅]] (13)&lt;br /&gt;
:[[オルレアン]]・[[トゥール]]方面のほか、フランス南部・[[スペイン]]へ向う夜行列車のほとんどが発着。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市内には[[メトロ (パリ) |メトロ]]（地下鉄）と[[RER]]（高速地下鉄）がくまなく走っている。14番まであり、運営はRATP（パリ市営交通）が行っている。2006年にパリ市最南端で[[トラム (パリ) |トラム]]（路面電車）が開通した。このほか郊外を結ぶトラムがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
詳細は「[[パリの交通]]」を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 道路 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Champs-Élysées.jpg|right|200px|thumb|シャンゼリゼ通り]]&lt;br /&gt;
[[Image:Rue_du_Faubourg_St_Honore_dsc00792.jpg|right|200px|thumb|フォーブールサントノレ通り]]&lt;br /&gt;
[[Image:Paris-bld-saint-germain.jpg|right|200px|thumb|サンジェルマン通り]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
パリの道路の種類には、主に以下のものがある。&lt;br /&gt;
*リュー Rue： &amp;lt;br /&amp;gt;最も一般的な道。&lt;br /&gt;
*ブールヴァール Boulevard (Bd.)： &amp;lt;br /&amp;gt;大通り。かつての城壁を壊してその跡を道路として整備したもの。&lt;br /&gt;
*アヴニュー Avenue (Av.)： &amp;lt;br /&amp;gt;並木通り。主に街の中心となる通り。&lt;br /&gt;
*ケ Quai： &amp;lt;br /&amp;gt;河岸。&lt;br /&gt;
この他、歩行者用の道路パッサージュ Passage（アーケードの商店街が多い）や、行き止まり道を示すアンパッスImpasseなどがある。!--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 主な一般道 ====&lt;br /&gt;
*[[シャンゼリゼ通り]]&lt;br /&gt;
:[[エトワール凱旋門|凱旋門]]のあるエトワール広場とパリ中心部の[[コンコルド広場]]を結ぶ、パリで最も有名な目抜き通り。フランス一周自転車[[ロードレース]]「[[ツール・ド・フランス]]」はここがゴールとなる。&lt;br /&gt;
*フォーブール・サントノレ通り&lt;br /&gt;
:有名ブランドのブティックが並ぶ。&lt;br /&gt;
*リヴォリ通り&lt;br /&gt;
:ルーヴル宮北側に沿って市内最中心部を横断する道路。&lt;br /&gt;
*サンタントワーヌ通り&lt;br /&gt;
:リヴォリどおりとバスティーユを結ぶ、パリ中心部横断道路の一つ。&lt;br /&gt;
*フォーブール・サンタントワーヌ通り&lt;br /&gt;
:バスティーユとナシオン広場を結ぶ通り。&lt;br /&gt;
*ヴァンセンヌ大通り&lt;br /&gt;
:ナシオンからパリ最東端ヴァンセンヌ門までを結ぶ目抜き通り。目抜きと言ってもシャンゼリゼ通りのようには栄えておらず市の外れではあるが、決して寂れてはおらずパリの東の玄関の品格を保った通りである。週2回、パリ最大規模の朝市が開かれる。&lt;br /&gt;
*オペラ通り&lt;br /&gt;
:ガルニエ宮（オペラ座）からルーヴル宮に向かって伸びる通り。高級ブティックやホテルなどが立ち並ぶが、付近は[[日本人街]]でもある。&lt;br /&gt;
*グラン・ブールヴァール&lt;br /&gt;
:1860年のオスマン公によるパリ大改造で生まれたブールヴァールのうち、9-10区の北部沿いの一部の通りを指す。メトロ8番と9番が走っている。&lt;br /&gt;
*サンジェルマン通り&lt;br /&gt;
:サンジェルマン・デ・プレからカルチエ・ラタンを通る、左岸の代表的な通り。&lt;br /&gt;
*[[ムフタール通り]]&lt;br /&gt;
:パリ5区にある道路であり、多くのレストランや市場などが立ち並んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 主な車輛専用道 ====&lt;br /&gt;
[[Image:Boulevard_périphérique_de_Paris.png|right|200px|thumb|ペリフェリック]]&lt;br /&gt;
*ヴォワ・エスプレス&lt;br /&gt;
:河岸沿いの一部は、パリを横断する一方通行専用の高速バイパス道路となっている。&lt;br /&gt;
*[[ブルヴァール・デ・マレショー]]&lt;br /&gt;
:パリ市内最外周部を囲んで走る道路のうち、一般道をまとめてこう呼ぶ。ティエールの城壁の後に作られたブルヴァール。ペリフェリックより少し内側に位置する。&lt;br /&gt;
*ペリフェリック&lt;br /&gt;
:パリ市内最外周部を囲んでいる環状高速道路で、現在はこれがパリ市の境界となっている。（2つの森など一部の区間を除く。これらの区間は地下化されている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 姉妹都市・提携都市 ==&lt;br /&gt;
*{{flagicon|Spain}} [[マドリード]]、[[スペイン]]&lt;br /&gt;
*{{flagicon|Italy}} [[ローマ]]、[[イタリア]]、1956年&lt;br /&gt;
*{{flagicon|Japan}} [[京都市]]、[[日本]]、1958年&lt;br /&gt;
*{{flagicon|Japan}} [[東京都]]、日本、1982年&lt;br /&gt;
*{{flagicon|South Korea}} [[ソウル]]、[[大韓民国]]、1991年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== モットー ==&lt;br /&gt;
パリ市民のモットーは “''Fluctuat nec mergitur'' (Il tangue mais ne coule pas)”、「たゆたえど沈まず」である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経済 ==&lt;br /&gt;
フランスにおける経済の中心地であり、多くの大企業や国営企業が本社を構える。観光が大きな産業となっているフランスにおいても最も多くの観光客を迎え入れる街である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化 ==&lt;br /&gt;
「芸術の都」という異名が言い表すように、パリは[[絵画]]から[[彫刻]]、[[ファッション]]、[[音楽]]に至るまで、さまざまな芸術の世界的な中心地として名を馳せている。特に近年は[[パリコレクション]]やクッキングコンペの開催にみられるように、フランスを代表する服飾文化や食文化の分野で世界的な情報発信地となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== パリを代表する施設・企業 ==&lt;br /&gt;
各節とも日本語での五十音順。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 企業本社 ===&lt;br /&gt;
*[[LVMH]]&lt;br /&gt;
*[[エールフランス]]&lt;br /&gt;
*[[フランス国鉄]] (SNCF)&lt;br /&gt;
*フランス・テレコム&lt;br /&gt;
*[[BNPパリバ]]&lt;br /&gt;
*[[ルノー]]&lt;br /&gt;
*[[ロレアル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ファッション ===&lt;br /&gt;
*[[アニエス・ベー]]&lt;br /&gt;
*[[エルメス]]&lt;br /&gt;
*[[クリスチャン・ディオール]]&lt;br /&gt;
*クリスチャン・ラクロワ&lt;br /&gt;
*[[ケンゾー]]（[[高田賢三]]）&lt;br /&gt;
*[[コム・デ・ギャルソン]]（[[川久保玲]]）&lt;br /&gt;
*[[ジバンシィ]]&lt;br /&gt;
*[[シャネル]]&lt;br /&gt;
*[[ジャン＝ポール・ゴルチエ]]&lt;br /&gt;
*[[ルイ・ヴィトン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== スポーツ ===&lt;br /&gt;
*ベルシー体育館&lt;br /&gt;
*サンドニ・スタッド・ド・フランス（サッカー競技場）&lt;br /&gt;
*[[パリ・サンジェルマン]]（サッカーチーム）&lt;br /&gt;
*[[ロンシャン競馬場]]&lt;br /&gt;
*[[オートゥイユ競馬場]]&lt;br /&gt;
*[[ヴァンセンヌ競馬場]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オペラ・舞台・音楽 ===&lt;br /&gt;
*オディオン座&lt;br /&gt;
*[[オペラ＝コミック座]]&lt;br /&gt;
*[[ガルニエ宮|オペラ・ガルニエ]]（日本で「オペラ座」と呼ぶのはこちら）&lt;br /&gt;
*[[オペラ・バスティーユ]]&lt;br /&gt;
*オランピア劇場&lt;br /&gt;
*ゲテ・モンパルナス劇場&lt;br /&gt;
*[[コメディ・フランセーズ]]&lt;br /&gt;
*サル・ガボー&lt;br /&gt;
*サル・ドゥ・ヴュ＝コロンビエ&lt;br /&gt;
*サル・プレイエル&lt;br /&gt;
*サル・リシュルー&lt;br /&gt;
*シテ・ドゥ・ラ・ミュジーク&lt;br /&gt;
*シャイヨー国立劇場&lt;br /&gt;
*[[シャトレ座]]&lt;br /&gt;
*[[シャンゼリゼ劇場]]&lt;br /&gt;
*テアトル・デュ・ラ・ヴィル&lt;br /&gt;
*パリ市立劇場&lt;br /&gt;
*ボビノ劇場&lt;br /&gt;
*マデレーン座&lt;br /&gt;
*モガドール劇場&lt;br /&gt;
*ユシット座&lt;br /&gt;
*ラ・シガール&lt;br /&gt;
*ラ・スプレンディド&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{commons|Paris}}&lt;br /&gt;
{{ウィキポータルリンク|パリ}}&lt;br /&gt;
上述までの既出のリンクを除く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*スポーツ&lt;br /&gt;
**[[全仏オープン|全仏オープン テニス]]&lt;br /&gt;
**[[ダカール・ラリー|パリ＝ダカール・ラリー]]&lt;br /&gt;
**[[パリオリンピック_ (1900年) |1900年パリ オリンピック]]&lt;br /&gt;
**[[パリオリンピック_ (1924年) |1924年パリ オリンピック]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*施設&lt;br /&gt;
**[[パリの宗教施設の一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*音楽教育機関&lt;br /&gt;
**[[パリ国立高等音楽・舞踊学校]]&lt;br /&gt;
**[[エコールノルマル音楽院]]&lt;br /&gt;
**[[スコラ・カントルム]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*テレビ局&lt;br /&gt;
**[[フランス・テレビジョン]]&lt;br /&gt;
**[[TF1]]&lt;br /&gt;
**[[カナルプリュス]]&lt;br /&gt;
*ラジオ局&lt;br /&gt;
**[[Radio FG]]&lt;br /&gt;
**NRJ&lt;br /&gt;
**France Inter&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*催事&lt;br /&gt;
**[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1978]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*出来事&lt;br /&gt;
**[[フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
*演奏団体&lt;br /&gt;
**[[パリ管弦楽団]]&lt;br /&gt;
**[[フランス国立管弦楽団]]&lt;br /&gt;
**フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団&lt;br /&gt;
**[[アンサンブル・アンテルコンタンポラン]]&lt;br /&gt;
*研究機関&lt;br /&gt;
**[[IRCAM]]&lt;br /&gt;
**GRM&lt;br /&gt;
**CCMIX&lt;br /&gt;
 --&amp;gt;&amp;lt;!-- 楽団や研究機関は都市と不可分の関連項目とはいえないのではないかと --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- * [http://www.cybartv.org/html/whoweare.htm Paris left bank live style 1950-70] --&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [http://www.aeroportsdeparis.fr/ADP/en-GB/Passagers/ パリの空港] （英語・フランス語）&lt;br /&gt;
* [http://www.abcparislive.com パリのウェブカム]&lt;br /&gt;
* [http://www.cyberikono.net/www_bridgesofparis/index_jp.html パリの橋] &lt;br /&gt;
* [http://paris-japan.com/home.jsf パリの日本人コミュニティー]&lt;br /&gt;
* [http://www.pausenberger.com/paris.html Paris pictures]&lt;br /&gt;
{{FranceDep}}&lt;br /&gt;
{{夏季オリンピック開催都市}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:パリ|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%AF%86%E5%BA%A6&amp;diff=307578</id>
		<title>人口密度</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%AF%86%E5%BA%A6&amp;diff=307578"/>
				<updated>2015-10-13T03:46:42Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''人口密度'''（じんこうみつど）とは、人口統計において、単位面積当たりに居住する人の数により定義される数値である。&lt;br /&gt;
[[都市化]]、土地利用の度合いなどの目安となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[File:World population density 1994.png|thumb|right|450px|1994年の世界の人口密度の分布図。ピンクの領域が最も高い人口密度の領域を表す。茶色の領域は、その次に密度が高い。&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
灰色： ＜ 2 人/km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
緑色： ＜ 2〜10 人/km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
オレンジ色：　＜　11〜40 人/km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
赤： 41〜100 人/km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
茶色： 101〜500 人/km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
ピンク： 500〜  人/km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
大抵は1平方キロメートルあたりの人口、即ち人口を面積（平方キロメートル）で割った値で表される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地形については、対象地域内に人の居住できない水域や山岳地を多く含むところでは見かけ上の人口密度は低くなる。代表的な例としては、日本国外では[[香港]]、日本では[[札幌市]]・[[仙台市]]・[[静岡市]]・[[浜松市]]・[[京都市]]・[[神戸市]]・[[広島市]]・[[北九州市]]などがある。これらの都市は皆山地を多く含んでいる。また、この欠点を補うものとして[[可住地面積]]や[[人口集中地区]]に対する人口密度という考え方がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
面積については、小さい方が極端な値になりやすく、広域になるほど平均的になる。これは、例えば、東京中心部の局地的な狭い範囲の過密地区の人口密度（場所によっては2万人弱/km²）と、ある程度の面積規模をもつ[[特別区|東京23区]]（約14,389人/km²）（2011年3月1日現在）と、周辺部も含めた広い地域（人口密度はさらに低くなる）とでは、人口密度が異なるのに対応する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他、例えば[[シンガポール]]の場合、面積だけで見れば東京23区に近い広さをもつが、独立した都市国家である特性から、国内に軍用・民間用の空港を多く保有していたり、水源のためのダムや森林地帯を確保するなど土地の利用の仕方が大きく異なっており、実際の居住地域の人口密度は非常に高い例もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==世界の人口密度==&lt;br /&gt;
[[File:Male, the capital of Maldives.jpg|thumb|right||モルジブの首都である[[マレ]]（左下）は、人口密度が世界一であると言われる。]]&lt;br /&gt;
[[File:Mongolia562.jpg|thumb|right|モンゴルは、国連に加盟している国の中で最も人口密度が低い。]]&lt;br /&gt;
{{Main|国の人口密度順リスト}}&lt;br /&gt;
以下に、主な地域の人口密度を示す。2005年度データにて作成。単位は人/km²。ただし、[[シンガポール]]など、極端に面積の小さいものは除いてある。&lt;br /&gt;
*1位 [[バングラデシュ]] 985&lt;br /&gt;
*2位 [[台湾]] 643　※2012年&lt;br /&gt;
*3位 [[韓国]] 480&lt;br /&gt;
*4位 [[オランダ]] 393&lt;br /&gt;
*5位 [[日本]] 343&lt;br /&gt;
*6位 [[ベルギー]] 341&lt;br /&gt;
*7位 [[インド]] 336&lt;br /&gt;
*8位 [[スリランカ]] 316&lt;br /&gt;
*9位 [[フィリピン]] 277&lt;br /&gt;
*10位 [[ベトナム]] 254&lt;br /&gt;
*11位 [[イギリス]] 246&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
都市国家や、あまりにも狭小な国の人口密度を語ることは学術面からみて適切でない。そのため、それらは以下の別枠で扱うこととする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（以下、何年度のデータか不明）&lt;br /&gt;
* [[モナコ]] 22,021（2011年）&lt;br /&gt;
* [[シンガポール]] 6,430&lt;br /&gt;
* [[バチカン市国]] 2,000&lt;br /&gt;
* [[マルタ]] 1,260&lt;br /&gt;
* [[モルジブ]] 1,070&lt;br /&gt;
* [[バーレーン]] 987&lt;br /&gt;
* [[バルバドス]] 642&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 世界の主な都市の人口密度 ===&lt;br /&gt;
*[[マレ]]（[[モルディブ]]の首都）35,000 人/km²（世界一とされる） &lt;br /&gt;
*[[マカオ]] 18,000 人/km²&lt;br /&gt;
*:半島部（約8.7km²）で約60,000人弱/km²の人口密度があり、世界でもトップクラスの過密地帯となっている。&lt;br /&gt;
*[[香港]] 6,688 人/km²&lt;br /&gt;
*:香港は山岳地を多く抱えるため、単純密度は東京23区よりも低いが可住地の人口密度は非常に高い。地区によっては 50,000人/km²を超え、高層マンションなどの集合建築が密集している。&lt;br /&gt;
*[[ムンバイ]]（インド、旧名ボンベイ） 27,200人/km²（面積438km²、人口推定1,190万人）&lt;br /&gt;
*:数百km²と比較的広い面積を持ちながら2万人/km²以上の密度を示す、世界でもトップクラスの過密都市。&lt;br /&gt;
*[[ソウル特別市]] （韓国） 17,000人/km²（面積621km²、人口1,028万人）&lt;br /&gt;
*:東京23区と比較的近い面積。&lt;br /&gt;
*[[メトロ・マニラ]]（フィリピン） 15,600人/km²（面積636km²、人口993万人）&lt;br /&gt;
*[[特別区|東京23区]] 14,389人/km²（面積621.98km²、人口895万人）&lt;br /&gt;
*:もっとも密度が高い[[特別区]]は、[[豊島区]]で21,870人/km²、次が[[中野区]]で20,120人/km²。&lt;br /&gt;
*[[大阪市]]（24区） 11,990人/km²（面積222.30km²、人口267万人）&lt;br /&gt;
*:もっとも密度が高い区は[[城東区]]で20,000人/km²弱。大都市にしては市域面積が比較的狭いうえ、人が集中しやすい区がかなり偏っているため、梅田を抱える北区や、難波や心斎橋を抱える中央区などの夕方から夜間にかけての人口密度は東京の各区を越える。&lt;br /&gt;
*[[上海市|上海]]&lt;br /&gt;
*:人口密度は2,100人/km²だが、上海特別市は面積が6,340km²（群馬県の面積に近い）と広大なため、各区によって人口密度は異なる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他、人口過密で知られた地域の人口密度 ===&lt;br /&gt;
*[[端島 (長崎県)|端島]]（通称「軍艦島」、[[長崎県]][[長崎市]]（旧[[高島町 (長崎県)|高島町]]））&lt;br /&gt;
*:面積0.063km²。人口が最盛期を迎えた[[1960年]]（[[昭和]]35年）には5,267人の人口がおり、人口密度は83,600人/km²と世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達した。&lt;br /&gt;
*[[イスロテ島]]{{enlink|Santa Cruz del Islote}}（[[コロンビア]]）&lt;br /&gt;
*:面積0.01km²。人口は1,247人で、人口密度は124,700 人/km²となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ヨーロッパの主な都市の人口密度===&lt;br /&gt;
ヨーロッパの都市の人口密度はそれほど高くない。たとえヨーロッパ各国の首都と比べても、むしろ日本の地方都市のほうが高い人口密度をもつ[[過密]]状態であることが多い。ただし[[パリ]]や[[ロンドン]]中心部の限られた範囲において、局所的に東京23区平均を超える高い人口密度が観察される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[パリ]] 20,560人/km²（面積105.40km²、人口216.7万人）&lt;br /&gt;
*:20,560人/km²は、ブーローニュ、ヴァンセンヌの森を含む人口密度。20区合計のみの密度は 24,928人/km²もっとも密度が高い11区(3.67km²)で40,000人強/km²。&lt;br /&gt;
*:パリのみでは東京23区を大きく上回る非常に高い人口密度をもつが、市域が100km²強と比較的狭い範囲に限られる。周辺3県を含めた人口密度では、面積723km²（東京23区は621.98km²）に対して8,500人/km²（東京23区は14,389人/km²）と東京23区の6割強ほどの人口密度しかない。&lt;br /&gt;
*:パリ（1区から20区）は1920年代に人口がピークとなり、最盛期に人口は約290万人、密度は32,000人/km²を超えた。その後、周辺部への人口の拡散で中心部の人口は減少し、現在（2006年末頃）の人口はおよそ217万人ほどになっている。近年は人口減少が底を打ち微増となっている。増加しているのは主に東部の11区や13区、20区といった移民の多いエスニックエリアであり、既にパリ市内では人口のおよそ5人に1人が移民や有色人種、外国籍の人々などで占められていると言われる。&lt;br /&gt;
*[[ロンドン]]／[[大ロンドン]]　4,782人/km²（面積1,579km²、人口755万人）（2005年現在）（インナーロンドン：9,300人/km²、アウターロンドン3,600人/km²）&lt;br /&gt;
*:もっとも人口密度の高い[[ロンドン特別区|行政区]]（特別区、バラ/borough）は中心部の高級ブティック・住宅街の[[ケンジントン&amp;amp;チェルシー王立区|ケンジントン&amp;amp;チェルシー]]で、およそ16,200人/km²である。&lt;br /&gt;
*:[[大ロンドン]]の行政区や人口推移について：大ロンドン(Greater London)とはグレーター・ロンドン・オーソリティ(Greater London Authority)が管轄する行政区である。大きさはやや扁平な直径50km圏をカバーしており、「市」よりは「首都」と呼ぶのが相応しい。管轄域は2つの市（シティ：city）と31の[[ロンドン特別区|行政区]]（バラ：London borough）に分かれ、住民登録・行政サービスなどは区役所(London Borough Councils)が扱う。市として区別されるのは『ウェストミンスター』と『シティ』のみ。[[シティ・オブ・ロンドン]]は、ロンドン塔周辺の城壁に囲まれた地域のみを指した時期が長く、古くはこの地域のみをロンドンと呼んでいた。これがいわゆる金融街の『シティ』（オブ・ロンドン）である。いっぽう王室・政治の拠点であるウェストミンスターは『[[シティ・オブ・ウェストミンスター]]』であり、[[シティ・オブ・ロンドン]]と並んで古くから英国の中心都市である。これら2市と中心部5ボローを合わせて「セントラル・ロンドン」と呼ぶ。このほか31ある[[ロンドン特別区|行政区]]のうち、とくに2市と12[[ロンドン特別区|行政区]]を合わせて「インナー・ロンドン」、その他を「アウター・ロンドン」と区別することが多い。過去のインナーロンドンの人口は1900年代前半には過去最多の840万人余りに達した。過去のドーナツ化現象の指摘もあるが、東京のそれと違って人口移動距離は短く、中心部のセントラル・ロンドンから隣接地区へ移動する程度である。インナー・ロンドン全体の人口密度はアウターロンドンよりも高い。ただしロンドンを管轄する行政区が近年みなおされているため、長期的な人口統計を比較する際、対象エリアの把握に注意が必要である（[[大ロンドン]]の項参照）。&lt;br /&gt;
*:グローバル化やEU統合、移民や留学生の誘致政策により、ロンドンへの外国人の流入が続いている。この影響でネイティブの英国市民の中には、住宅価格・物価が高騰しているロンドンを諦め、郊外または地方都市など「住みやすい」地域へ脱出する者も少なくない（81,500人が流出／2005）。[[大ロンドン]]発行のマニフェスト「[[ロンドン・プラン]]」のための人口統計によると、ネイティブの流出が続くものの外国人流入がそれを上回り、域内は人口増加傾向にある。2030年頃までに815万人前後にまで到達すると予想する研究者がいる。ロンドンにおいて人口密度が比較的高い理由は、歴史地区が高密度に商業開発されることがなく、古い高級住宅が貴族または高所得者によって継続的に所有・賃貸されている結果と思われる。事実、厳しい開発規制もあって域内の大半の建物が10階建を超えることが稀である。事務所としての利用が限られるこれら古い建築群が住宅として利用されるため、[[ドーナツ化現象]]が起きずにむしろ中心部ほど人口密度が高い。アウター・ロンドンにおいては都市の無秩序な拡大を阻止するために設置された森林帯「[[グリーンベルト]]」の保護政策などが人口密度に影響している。このほか公共交通機関の未発達も、ロンドン中心部の人口を押し上げている。鉄道・地下鉄の本数・所要時間ともに需要に応えているとは言えず、通勤時間を減らすには中心部に住むしかない。地形の特徴も無視できない。英国は地質学的に世界でも最古の岩盤が表れている地域であり、風雨にさらされた平らな国土が人口密度低下に貢献している。ロンドン中心部では、[[リージェンツ・パーク]]の北側にある標高わずか64m&amp;lt;ref&amp;gt;Ordnance Survey Explorer Map 1:25 000 Scale&amp;lt;/ref&amp;gt;の[[プリムローズ・ヒル]]が、平らな土地、低く広がる街並みを見渡せるというので名所になるほど、土地も建物も低いのである。&lt;br /&gt;
*[[マンチェスター]]（イギリス）：3,815人/km²&lt;br /&gt;
*[[デュッセルドルフ]]（ドイツ）：2,675人/km²&lt;br /&gt;
*[[ストラスブール]]（フランス）：3,485人/km²&lt;br /&gt;
*[[ボローニャ]]（イタリア）：2,643人/km²&lt;br /&gt;
*[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]（スペイン）：5,981人/km²&lt;br /&gt;
*[[ストックホルム]]（スウェーデン）：4,125人/km²&lt;br /&gt;
*[[ウィーン]]（オーストリア）：3,931人/km²&lt;br /&gt;
*[[デン・ハーグ]]（オランダ）：5,752人/km²&lt;br /&gt;
*[[コペンハーゲン]]（デンマーク）：5,707/km²（中心部のみ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==日本の人口密度==&lt;br /&gt;
日本の人口密度は2005年（平成17年）で343人/km²で、人口1,000万人以上を有する国の中では、[[バングラデシュ]]（2005年で985人/km²）、[[大韓民国|韓国]]（同493人/km²）、[[オランダ]]（同393人/km²）に次いで4番目（注：[[台湾]]の627人/km²を含めると5番目）の人口密度をもつ。&lt;br /&gt;
ただし近年では日本の人口は減少傾向にあり、また途上国や新興国の人口増加により日本の人口密度を上回る国が増加している(2012年時点では、台湾を含めて9番目になっている)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===人口の偏在===&lt;br /&gt;
;平野部への偏在&lt;br /&gt;
:日本は山地を多く含む国であり、人口は都市部や平野部に集中している。日本の[[過疎地域]]のデータによれば、2006年4月時点で過疎市町村となっている地域の面積は 204,329km²で全国面積に対する割合は54.1%、そこに居住する人口は約1064万人で全人口に対する割合は 8.3%、この地域での人口密度は52人/km²となっている。逆に、残り45.9%(173,506km²)の地域に、総人口の91.7%（約1億1711万人）の人が住み、この地域での平均密度は675人/km²となる。&lt;br /&gt;
;[[太平洋ベルト|太平洋ベルト地帯]]への偏在&lt;br /&gt;
:人口の約60％が集中している。&lt;br /&gt;
;関東地方への偏在&lt;br /&gt;
:[[関東地方]]（一都六県）の場合、人口は約4,150万人（2005年10月）と日本の総人口の約1/3(32%)の人が住み、平均人口密度は1,280人/km²となっている。&lt;br /&gt;
;都市部・大都市圏への偏在&lt;br /&gt;
:都市化の目安となる[[人口集中地区]]の統計によれば、2000年（平成12年）に、[[人口集中地区|DID]]地区の面積は12,457km²（[[新潟県]]の面積とほぼ同じ）、そこに居住する人口は約8,280万人で総人口の約2/3(65.2%)、この地域での平均人口密度は6,647人/km²となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本の都道府県の人口密度===&lt;br /&gt;
平成17年（2005）[[国勢調査]]時のデータ。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable sortable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! !! 地名 !! 人口密度&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1 || [[北海道]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 73&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2 || [[青森県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 154&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 3 || [[岩手県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 93&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 4 || [[宮城県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 325&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 5 || [[秋田県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 103&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 6 || [[山形県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 133&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 7 || [[福島県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 154&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 8 || [[茨城県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 507&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 9 || [[栃木県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 313&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 10 || [[群馬県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 318&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 11 || [[埼玉県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,827&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 12 || [[千葉県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,149&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 13 || [[東京都]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 5,541&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 14 || [[神奈川県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 3,515&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 15 || [[新潟県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 197&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 16 || [[富山県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 264&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 17 || [[石川県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 282&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 18 || [[福井県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 198&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 19 || [[山梨県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 199&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 20 || [[長野県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 163&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 21 || [[岐阜県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 199&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 22 || [[静岡県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 488&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 23 || [[愛知県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,367&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 24 || [[三重県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 306&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 25 || [[滋賀県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 401&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 26 || [[京都府]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 574&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 27 || [[大阪府]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 4,652&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 28 || [[兵庫県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 661&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 29 || [[奈良県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 391&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 30 || [[和歌山県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 226&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 31 || [[鳥取県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 175&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 32 || [[島根県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 114&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 33 || [[岡山県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 275&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 34 || [[広島県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 340&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 35 || [[山口県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 250&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 36 || [[徳島県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 199&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 37 || [[香川県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 545&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 38 || [[愛媛県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 263&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 39 || [[高知県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 115&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 40 || [[福岡県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,009&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 41 || [[佐賀県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 359&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 42 || [[長崎県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 371&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 43 || [[熊本県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 251&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 44 || [[大分県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 193&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 45 || [[宮崎県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 151&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 46 || [[鹿児島県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 194&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 47 || [[沖縄県]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 581&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====上位10位====&lt;br /&gt;
*1位[[東京都]]　&lt;br /&gt;
*2位[[大阪府]]&lt;br /&gt;
*3位[[神奈川県]]&lt;br /&gt;
*4位[[埼玉県]]&lt;br /&gt;
*5位[[愛知県]]&lt;br /&gt;
*6位[[千葉県]]&lt;br /&gt;
*7位[[福岡県]]（以上7都府県が1,000人以上）&lt;br /&gt;
*8位[[兵庫県]]&lt;br /&gt;
*9位[[沖縄県]]&lt;br /&gt;
*10位[[京都府]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下位10位====&lt;br /&gt;
*38位[[長野県]]&lt;br /&gt;
*39位[[福島県]]&lt;br /&gt;
*40位[[宮崎県]]&lt;br /&gt;
*41位[[青森県]]&lt;br /&gt;
*42位[[山形県]]&lt;br /&gt;
*43位[[高知県]]&lt;br /&gt;
*44位[[島根県]]&lt;br /&gt;
*45位[[秋田県]]（以下100人未満）&lt;br /&gt;
*46位[[岩手県]]&lt;br /&gt;
*47位[[北海道]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本の主な市町村の人口密度===&lt;br /&gt;
平成17(2005)年[[国勢調査]]時のデータ。市町村合併などによる人口・面積の変動があった場合は加減を行った上で計算。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====上位====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 埼玉県[[蕨市]] || 13,727.45&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[武蔵野市]] || 12,816.87&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[狛江市]] || 12,256.49&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[西東京市]] || 11,970.66&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 大阪府[[大阪市]] || 11,835.63&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 大阪府[[守口市]] || 11,584.05&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[三鷹市]] || 10,728.24&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 大阪府[[門真市]] || 10,725.24&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 大阪府[[豊中市]] || 10,627.35&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[国分寺市]] || 10,244.25&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====下位====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北海道[[滝上町]] || 4.39&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北海道[[上川町]] || 4.16&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 山梨県[[早川町]] || 4.15&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北海道[[西興部村]] || 3.97&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北海道[[音威子府村]] || 3.88&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北海道[[中川町]] || 3.54&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 長野県[[王滝村]] || 3.53&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北海道[[占冠村]] || 3.18&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 奈良県[[上北山村]] || 2.93&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北海道[[幌加内町]] || 2.54&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 福島県[[檜枝岐村]] || 1.75&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===日本の主な区の人口密度===&lt;br /&gt;
2009年10月1日の推計人口と、2009年10月1日の国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」の面積により人口密度を計算。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====上位====&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[中野区]] || 20,175.75&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[豊島区]] || 20,107.53&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[荒川区]] || 19,822.25&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 大阪府大阪市[[城東区]] || 19,641.69&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[目黒区]] || 18,294.63&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 大阪府大阪市[[阿倍野区]] || 17,945.74&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[墨田区]] || 17,762.04&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[文京区]] || 17,668.17&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 大阪府大阪市[[西成区]] || 17,635.24&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 東京都[[新宿区]] || 17,438.62&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===政令指定都市の人口密度===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[大阪市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 11,972.81&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[川崎市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 9,742.61 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[横浜市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 8,348.41 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[名古屋市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 6,885.44 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[さいたま市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 5,773.53&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[堺市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 5,574.36 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[福岡市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 4,216.68 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[千葉市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 3,481.41&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[神戸市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 2,776.08&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[相模原市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 2,199.32&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[北九州市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 2,019.55&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[熊本市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,896.53&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[京都市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,772.33&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[札幌市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,693.35 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[仙台市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,316.03 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[広島市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,288.82&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[新潟市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 1,118.35&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[岡山市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 890.48&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[浜松市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 538.12&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[静岡市]]&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align: right;&amp;quot;| 509.10&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他の用法 ==&lt;br /&gt;
イベントで狭い会場に大人数の人がいる様子を「[[過密]]状態」、逆にまばらな様子を&lt;br /&gt;
「[[過疎]]状態」として表現する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、これによってイベントの規模を表現することがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんこうみつと}}&lt;br /&gt;
[[Category:人口]]&lt;br /&gt;
[[Category:密度]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本関連一覧]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%AF%9D%E5%B1%8B%E5%B7%9D%E5%B8%82&amp;diff=307577</id>
		<title>寝屋川市</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%AF%9D%E5%B1%8B%E5%B7%9D%E5%B8%82&amp;diff=307577"/>
				<updated>2015-10-13T03:46:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''寝屋川市'''（ねやがわし）は、[[大阪府]][[北河内 (大阪府)|北河内]]地域に位置する[[市]]。[[特例市]]の中では最も面積が狭く、同府[[吹田市]]に次ぎ2番目に[[人口密度]]が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市名は本市を流れる[[一級河川]][[寝屋川]]に由来。寝屋川の名は、[[御伽草子]]の「[[鉢かづき]]」に登場する主人公・初瀬姫の父である藤原実高の別荘が源流地付近にあり、[[高野街道]]を行く旅人に宿を提供して「寝屋」(旧 [[交野郡]]寝屋村。現 寝屋川市寝屋)と呼ばれるようになったことに由来する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地理 ==&lt;br /&gt;
大阪府の東北部、[[淀川]]左岸に位置し、[[大阪市]]域の中心から15km、[[京都市]]域の中心から35kmの距離にある。南北は7.22&amp;amp;nbsp;km、東西は6.89&amp;amp;nbsp;km、面積は 24.73km2。市域の東部は[[交野市]]、西部は淀川を境にして[[高槻市]]、[[摂津市]]に接し、南部は[[守口市]]と[[門真市]]、[[大東市]]、[[四條畷市]]、北部は[[枚方市]]に隣接し、[[北河内 (大阪府)|北河内]]地域の中心部に位置している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市の地勢は、東部丘陵地帯と西部平坦地帯の二つに大きく分けることができる。東部丘陵地帯は、[[生駒山]]系の一部で、海抜は約50m、西部平坦部はおもに[[沖積層]]からなる海抜2～3mの平地で北河内の低湿地帯とよばれている。最高点は、石宝殿古墳周辺で109.6m、最低点は[[深北緑地]]内で0.1m。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 河川: [[淀川]]、[[寝屋川]]、[[古川 (大阪府)|古川]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 隣接している自治体 ===&lt;br /&gt;
* [[守口市]]、[[門真市]]、[[大東市]]、[[四條畷市]]、[[摂津市]]、[[高槻市]]、[[交野市]]、[[枚方市]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の北河内地域の6市全てに接している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
* [[1869年]]([[明治]]2年) [[讃良郡]]河内屋北新田が河北村に改称。&lt;br /&gt;
* [[1883年]](明治16年) [[茨田郡]]池田下村、池田中村、池田川村が合併して池田村となる。&lt;br /&gt;
* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] [[町村制]]施行により、茨田郡友呂岐村、九個荘村、[[交野郡]]水本村、讃良郡豊野村、寝屋川村が発足。&lt;br /&gt;
** 友呂岐村 - 太間村、木屋村、郡村、田井村、石津村、平池村、三井村が合併。&lt;br /&gt;
** 九個荘村 - 点野村、仁和寺村、黒原村、対馬江村、葛原村、高柳村、池田村、大利村、神田村が合併。&lt;br /&gt;
** 水本村 - 寝屋村、打上村、燈油村が合併。&lt;br /&gt;
** 豊野村 - 秦村、国松村、太秦村、高宮村、少路村が合併。&lt;br /&gt;
** 寝屋川村 - 木田村、堀溝村、河北村、萱島流作新田が合併。&lt;br /&gt;
* [[1896年]](明治29年)4月1日 [[北河内郡]]が成立。&lt;br /&gt;
* [[1943年]]([[昭和]]18年)[[2月1日]] 九個荘村が[[町制]]施行。北河内郡九個荘町となる。&lt;br /&gt;
* 1943年(昭和18年)4月1日 北河内郡九個荘町、友呂岐村、豊野村、寝屋川村が合併し、北河内郡'''寝屋川町'''が発足。&lt;br /&gt;
* [[1951年]](昭和26年)[[5月3日]] 寝屋川町が[[市制]]施行。大阪府下17番目の市、'''寝屋川市'''となる。&lt;br /&gt;
* [[1961年]](昭和36年)[[6月28日]] 北河内郡水本村を編入。&lt;br /&gt;
* [[2001年]]([[平成]]13年)4月1日 [[特例市]]に移行。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 行政 ==&lt;br /&gt;
* 市長：馬場好弘 (2015年5月28日まで)&lt;br /&gt;
* 市の日：[[7月30日]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 立法 ==&lt;br /&gt;
=== 市議会 ===&lt;br /&gt;
* 定数：28名 &lt;br /&gt;
* 任期：2011年（平成23年）5月1日 - 2015年（平成27年）4月30日&lt;br /&gt;
* 議長：梶本孝志 （公明党市会議員団、4期）&lt;br /&gt;
* 副議長：北川健治（新風ねやがわ議員団、3期）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!会派名!!議席数!!議員名（◎は幹事長）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 新風ねやがわ議員団 || align=&amp;quot;right&amp;quot; | 7 || ◎南部創、北川光昭、池真一、榎本桂子、北川健治、廣岡芳樹、山崎菊雄&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[公明党]]市会議員団 || align=&amp;quot;right&amp;quot; | 7 || ◎高田政廣、池添義春、岡由美、梶本孝志、住田利博、野々下重夫、村上順一&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 新生ねやがわクラブ議員団 || align=&amp;quot;right&amp;quot; | 6 || ◎板東敬治、宮本正一、井川晃一、上田健二、松本順一、安田勇&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[日本共産党]]市会議員団 || align=&amp;quot;right&amp;quot; | 5 || ◎中林和江、中谷光夫、太田徹、田中久子、松尾信次&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[結いの党]] || align=&amp;quot;right&amp;quot; | 1 || 杉本健太&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[無所属]] || align=&amp;quot;right&amp;quot; | 1 || 小西順子&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 計 || align=&amp;quot;right&amp;quot; | 27 || 	 &lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年（平成24年）12月16日に行われた[[第46回衆議院議員総選挙]]に、市議の[[吉羽美華]]が[[大阪府第1区|大阪1区]]から出馬。吉羽の辞職により、市議会は現在'''欠員1'''となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== [[大阪府議会]]（寝屋川市選挙区） ===&lt;br /&gt;
* 定数：3名&lt;br /&gt;
* 任期：2011年（平成23年）4月30日 - 2015年（平成27年）4月29日&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!氏名!!会派名!!当選回数&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北川法夫 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]大阪府議会議員団 || align=&amp;quot;center&amp;quot; | 7&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 肥後洋一朗 || [[公明党]]大阪府議会議員団 || align=&amp;quot;center&amp;quot; | 1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 北口裕文 || 府民クラブ || align=&amp;quot;center&amp;quot; | 4&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
2015年の府議選から、定数は3から'''2'''に変更される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 行政機関 ==&lt;br /&gt;
=== 警察署 ===&lt;br /&gt;
* [[大阪府警察|大阪府警]][[寝屋川警察署]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 消防機関 ===&lt;br /&gt;
[[枚方寝屋川消防組合]]が寝屋川市と枚方市の消防を担当している。また消防本部、緊急情報管理センターなどは[[枚方市]]にある。&lt;br /&gt;
* 寝屋川消防署&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地方運輸局 ===&lt;br /&gt;
[[近畿運輸局]][[大阪運輸支局]](陸事)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経済 ==&lt;br /&gt;
市内の商業は小売中心となっている。大型商業施設は、[[京阪電気鉄道|京阪]]寝屋川市駅前、香里園駅前や国道沿いに集中立地している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鉄道駅前では寝屋川市駅前の[[アドバンスねやがわ]]・[[フレスト寝屋川店]]、東寝屋川駅前の[[イズミヤ]]、香里園駅の[[フレスト]]香里園店、香里園駅前のライフなどのスーパーマーケットが立地する。また、核テナントを持たない商業施設かほりまち香里園などもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国道170号]](大阪外環状線)沿いに、[[イオンモール寝屋川]](イオン)、[[アル・プラザ]]、[[島忠|ホームズ]]などのSSM([[スーパーマーケット|スーパースーパーマーケット]])が立地。[[大阪府道21号八尾枚方線]]沿いには寝屋川デポマート([[ライフコーポレーション|ライフ]]・[[上新電機|ジョーシン]]・[[コーナン]])、[[コジマ]]、[[ヤマダ電機]]など大手家電量販店や、それを含めた複合店が立地する。[[京都府道・大阪府道13号京都守口線|大阪府道13号京都守口線]]沿いには[[エディオン]]、[[コーナン]]、[[万代百貨店]]、[[業務スーパー]]などの中規模店が立地する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国道1号]]バイパス・[[第二京阪道路]]が開通以降、沿線では計画的なまちづくりが進行し、[[寝屋川北インターチェンジ]]付近にはスーパービバホームplus、アル・プラザと50の専門店を有するビバモール寝屋川（市内随一の規模）が開店し、[[京阪バス]]が寝屋川市駅、香里園駅を結んで運行している。更に[[四條畷市]]境には新たにイオンモールが建設予定となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地域振興の取り組みから国の地域通貨の構造改革特区指定を受け、現在では市内の各商店街で使用することができる。地域通貨とは別に大型店と小規模店専用券で構成された「元気わくわく商品券」のようにプレミアを付けた商品券も存在し、大規模店が小規模店と連携を取り、日常の買い物を楽しむ工夫をしているのが特徴的である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 産業 ===&lt;br /&gt;
* [[エクセディ]](自動車の[[クラッチ]]。バス・トラック向けは独占)&lt;br /&gt;
* 日本科学冶金(DVDピックアップ世界シェアNo.1)&lt;br /&gt;
* [[オンキヨー]](オーディオメーカー・スピーカーシェア日本No.1)&lt;br /&gt;
* [[シソ|大葉]]の生産(日本シェアNo.3)&lt;br /&gt;
* カタギ食品(ゴマ日本シェアNo.1)&lt;br /&gt;
* アキツ精機(文化財防災機器シェアNo.1)&lt;br /&gt;
* 本荘ケミカル([[リチウム]]化合物、[[ストロンチウム]]化合物、[[臭素]]化合物、[[タウリン]]、[[水素化ゲルマニウム|ゲルマンガス]]等の日本の代表的メーカー)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主な宿泊施設 ===&lt;br /&gt;
==== シティホテル ====&lt;br /&gt;
* 寝屋川トレンドホテル&lt;br /&gt;
* ホテルニューコマンダー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ビジネスホテル ====&lt;br /&gt;
* インペリアル香里園&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 郵便 ===&lt;br /&gt;
'''[[集配郵便局]]'''&lt;br /&gt;
* [[寝屋川郵便局]]&lt;br /&gt;
'''無集配郵便局'''&lt;br /&gt;
{{col|&lt;br /&gt;
* 寝屋川成田東が丘郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川成田郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川香里三井郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川国松郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川田井郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川石津南郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川寿郵便局|&lt;br /&gt;
* 寝屋川池田東郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川池田郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川大利郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川清水郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川高柳郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川高柳五郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川神田郵便局|&lt;br /&gt;
* 寝屋川対馬江郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川池田北郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川点野郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川香里郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川香里西之町郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川打上郵便局|&lt;br /&gt;
* 寝屋川出雲郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川萱島東郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川萱島郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川豊野郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川高宮郵便局&lt;br /&gt;
* 寝屋川明和郵便局}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 納税 ===&lt;br /&gt;
市･府民税と固定資産税と都市計画税そして軽自動車税を納税出来る場所は、以下のとおりである。&lt;br /&gt;
* 市役所・各市民センター・京阪寝屋川市構内にある、「市役所サービス処ねやがわ屋」&lt;br /&gt;
* 市内にある銀行・信託銀行・信用金庫・労働金庫・農協&lt;br /&gt;
* 近畿圏内のゆうちょ銀行（三重県は除く）&lt;br /&gt;
* コンビニエンスストア（セーブオンも対応）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地域 ==&lt;br /&gt;
=== 人口 ===&lt;br /&gt;
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.48％減の238,244人であり、増減率は府下43市町村中29位、72行政区域中51位。&lt;br /&gt;
{{人口統計|code=27215|name=寝屋川市}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地区 ===&lt;br /&gt;
旧村名が大字となり、それが現行住居表示の際に町名の基礎になっている事が多い。なお、[[1966年]]（昭和41年）から開始された住居表示変更は、[[2005年]]（平成17年）までに完了した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''北西部'''&lt;br /&gt;
香里北之町&lt;br /&gt;
香里南之町&lt;br /&gt;
香里西之町&lt;br /&gt;
香里新町&lt;br /&gt;
松屋町&lt;br /&gt;
日新町&lt;br /&gt;
寿町&lt;br /&gt;
豊里町&lt;br /&gt;
田井町&lt;br /&gt;
田井西町&lt;br /&gt;
音羽町&lt;br /&gt;
緑町&lt;br /&gt;
石津(中町・東町・南町・元町)&lt;br /&gt;
木屋町&lt;br /&gt;
木屋元町&lt;br /&gt;
太間町&lt;br /&gt;
太間東町&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''北東部'''&lt;br /&gt;
東香里園町&lt;br /&gt;
香里本通町&lt;br /&gt;
郡元町&lt;br /&gt;
美井町&lt;br /&gt;
美井元町&lt;br /&gt;
境橋町&lt;br /&gt;
三井南町&lt;br /&gt;
成田町&lt;br /&gt;
成田(西町・南町・東町・東が丘)&lt;br /&gt;
末広町&lt;br /&gt;
国松町&lt;br /&gt;
川勝町&lt;br /&gt;
八幡台&lt;br /&gt;
三井が丘(1~5丁目)&lt;br /&gt;
明徳(1~2丁目)&lt;br /&gt;
池の瀬町&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''中心部西側～西部'''&lt;br /&gt;
東大利町&lt;br /&gt;
大利元町&lt;br /&gt;
大利町&lt;br /&gt;
北大利町&lt;br /&gt;
錦町&lt;br /&gt;
成美町&lt;br /&gt;
清水町&lt;br /&gt;
池田1～3丁目&lt;br /&gt;
池田(旭町・新町・本町・中町・東町・西町・北町・南町)&lt;br /&gt;
長栄寺町&lt;br /&gt;
桜木町&lt;br /&gt;
若葉町&lt;br /&gt;
平池町&lt;br /&gt;
葛原1・2丁目&lt;br /&gt;
葛原新町&lt;br /&gt;
高柳1～7丁目&lt;br /&gt;
高柳栄町&lt;br /&gt;
春日町&lt;br /&gt;
対馬江(西町・東町)&lt;br /&gt;
宝町&lt;br /&gt;
仁和寺町&lt;br /&gt;
仁和寺本町(1～6丁目&lt;br /&gt;
点野1～6丁目&lt;br /&gt;
黒原(旭町・新町・城内町・橘町)&lt;br /&gt;
御幸(西町・東町)&lt;br /&gt;
上神田1・2丁目&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''中心部東側～東部'''&lt;br /&gt;
早子町&lt;br /&gt;
八坂町&lt;br /&gt;
豊野町&lt;br /&gt;
幸町&lt;br /&gt;
本町&lt;br /&gt;
初町&lt;br /&gt;
日の出町&lt;br /&gt;
木田町&lt;br /&gt;
中木田町&lt;br /&gt;
昭栄町&lt;br /&gt;
出雲町&lt;br /&gt;
秦町&lt;br /&gt;
[[太秦]](桜ヶ丘・高塚町・中町・東が丘・緑が丘・元町)&lt;br /&gt;
宇谷町&lt;br /&gt;
寝屋1・2丁目&lt;br /&gt;
寝屋南1・2丁目&lt;br /&gt;
寝屋(北町・新町)&lt;br /&gt;
打上(新町・高塚町・中町・南町・宮前町・元町)&lt;br /&gt;
梅が丘1・2丁目&lt;br /&gt;
寝屋川公園&lt;br /&gt;
明和1・2丁目&lt;br /&gt;
高倉1・2丁目&lt;br /&gt;
高宮1・2丁目&lt;br /&gt;
高宮(新町・栄町・あさひ丘)&lt;br /&gt;
小路(北町・南町)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''南部'''&lt;br /&gt;
下木田町&lt;br /&gt;
木田元宮1・2丁目&lt;br /&gt;
大成町&lt;br /&gt;
讃良(西町 東町)&lt;br /&gt;
楠根(北町　南町)&lt;br /&gt;
堀溝1・2丁目&lt;br /&gt;
堀溝北町&lt;br /&gt;
新家1・2丁目&lt;br /&gt;
河北(東町 西町 中町)&lt;br /&gt;
中神田町&lt;br /&gt;
下神田町&lt;br /&gt;
東神田町&lt;br /&gt;
萱島東1～3丁目&lt;br /&gt;
萱島(信和町・本町・南町・桜園町)&lt;br /&gt;
南水苑町&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
==== 保育所 ====&lt;br /&gt;
;寝屋川市立保育所&lt;br /&gt;
*寝屋川市立たちばな保育所・寝屋川市立ひまわり保育所・寝屋川市立すみれ保育所・寝屋川市立さくら保育所・寝屋川市立なでしこ保育所・寝屋川市立たんぽぽ保育所・寝屋川市立さつき保育所・寝屋川市立かえで保育所・寝屋川市立さざんか保育所・寝屋川市立コスモス保育所・寝屋川市立ひなぎく保育所|ひなぎく・寝屋川市立しらゆり保育所・寝屋川市立すずらん保育所・寝屋川市立あざみ保育所・寝屋川市立もくれん保育所&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 小学校 ====&lt;br /&gt;
===== 寝屋川市立小学校 =====&lt;br /&gt;
[[昭和30年代]]まで東、西、南、北、第五の5つの小学校があった。[[高度経済成長]]期に集合団地や住宅地が次々に造成され、ベッドタウンとなり人口が急増した。そのため小学校就学人口が急激に増え、校舎増築、重層化などでは追いつかなくなり、次々と新しい小学校が建設された。しかし、高度経済成長期が終わり、更に今般の少子化に伴い小学生も減少し続けたため、1中学校2小学校を基本とし、統廃合による財源を教育環境の充実に転換した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
統合だけに留まらず、[[小中一貫教育]]を視野に入れ、[[文部科学省]]のモデル校となる学校や、英語教育特区の指定を受けるなどの取り組みを行っている。&lt;br /&gt;
{{div col|3}}&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立点野小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立桜小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立和光小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立池田小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立啓明小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立神田小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立西小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立南小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立成美小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立堀溝小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立木田小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立楠根小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立東小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立石津小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立木屋小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立田井小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立第五小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立三井小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立中央小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立国松緑丘小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立北小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立宇谷小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立明和小学校]]&lt;br /&gt;
*[[寝屋川市立梅が丘小学校]]&lt;br /&gt;
{{div col end}}&lt;br /&gt;
[[2005年]][[4月1日]]に以下の統廃合が行われた。&lt;br /&gt;
* 明徳小学校と三井小学校が統合され、三井小学校が存続&lt;br /&gt;
* 池田第二小学校と[[寝屋川市立池の里小学校|池の里小学校]]が統合され、池田第二小学校を桜小学校と名前を変え存続&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 私立小学校 =====&lt;br /&gt;
* [[大阪聖母学院小学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中学校 ====&lt;br /&gt;
===== 寝屋川市立中学校 =====&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第一中学校|第一中学校]] - 校区：[[寝屋川市立東小学校|東]]と[[寝屋川市立中央小学校|中央]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第二中学校|第二中学校]] - 校区：[[寝屋川市立池田小学校|池田]]と[[寝屋川市立桜小学校|桜]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第三中学校|第三中学校]] - 校区：[[寝屋川市立北小学校|北]]と[[寝屋川市立田井小学校|田井]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第四中学校|第四中学校]] - 校区：[[寝屋川市立明和小学校|明和]]と[[寝屋川市立梅が丘小学校|梅が丘]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第五中学校|第五中学校]] - 校区：[[寝屋川市立神田小学校|神田]]と[[寝屋川市立和光小学校|和光]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第六中学校|第六中学校]] - 校区：[[寝屋川市立第五小学校|第五]]と[[寝屋川市立国松緑丘小学校|国松緑丘]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第七中学校|第七中学校]] - 校区：[[寝屋川市立南小学校|南]]と[[寝屋川市立堀溝小学校|掘溝]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第八中学校|第八中学校]] - 校区：[[寝屋川市立西小学校|西]]と[[寝屋川市立点野小学校|点野]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第九中学校|第九中学校]] - 校区：[[寝屋川市立啓明小学校|啓明]]と[[寝屋川市立成美小学校|成美]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立第十中学校|第十中学校]] - 校区：[[寝屋川市立三井小学校|三井]]と[[寝屋川市立宇谷小学校|宇谷]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立友呂岐中学校|友呂岐中学校]] - 校区：[[寝屋川市立木屋小学校|木屋]]と[[寝屋川市立石津小学校|石津]]&lt;br /&gt;
* [[寝屋川市立中木田中学校|中木田中学校]] - 校区：[[寝屋川市立木田小学校|木田]]と[[寝屋川市立楠根小学校|楠根]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 私立中学校 =====&lt;br /&gt;
* [[大阪聖母女学院中学校・高等学校|大阪聖母女学院中学校]]（※中高併設）&lt;br /&gt;
* [[同志社香里中学校・高等学校|同志社香里中学校]]（※中高併設）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 高等学校 ====&lt;br /&gt;
===== 大阪府立高等学校 =====&lt;br /&gt;
* [[大阪府立寝屋川高等学校|寝屋川高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[大阪府立北かわち皐が丘高等学校|北かわち皐が丘高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[大阪府立西寝屋川高等学校|西寝屋川高等学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 私立高等学校 =====&lt;br /&gt;
* [[大阪聖母女学院中学校・高等学校|大阪聖母女学院高等学校]]（※中高併設）&lt;br /&gt;
* [[同志社香里中学校・高等学校|同志社香里高等学校]]（※中高併設）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 高等専門学校 ====&lt;br /&gt;
* [[大阪府立大学工業高等専門学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 大学 ====&lt;br /&gt;
;私立大学&lt;br /&gt;
* [[大阪電気通信大学]]&lt;br /&gt;
* 大阪電気通信大学短期大学部&lt;br /&gt;
* [[摂南大学]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 特別支援学校 ====&lt;br /&gt;
* [[大阪府立寝屋川支援学校]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 今後の都市計画 ==&lt;br /&gt;
[[高度経済成長]]期に形成された密集市街地の整備事業(萱島、大利・池田・香里)や再開発(香里園駅東地区、寝屋川市駅東地区、萱島駅東地区)、寝屋川市駅東地区と萱島駅東地区は都市再生本部の[[都市再生緊急整備地域]]に[[政令]]指定され、都市再生プロジェクト(第3次決定)においては、寝屋川大東線沿線の密集市街地再生の対象地域になっている。その他大阪府警察寝屋川待機宿舎、豊野団地の建替も予定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大規模な市街地開発事業では寝屋南地区の土地区画整理事業も事業中である。寝屋南地区の他にも[[第二京阪道路]]沿線市街化調整区域は段階的に整備される&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 寝屋川市駅東地区 ===&lt;br /&gt;
[[大阪外環状線]]・[[大阪府道21号八尾枚方線|八尾枚方線]]までのシンボルロード「寝屋川駅前線」(幅員32m～25m)の整備をし、広域幹線道路との結節点となる寝屋川市駅のターミナル性を高める。この道路は歩道にゆとり(片側10m)をもたせることにより、人の滞留を計り、商業の活性化に繋げるものである([[2008年]]度着工2010年度事業完了予定)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 香里園駅東地区 ===&lt;br /&gt;
[[関西医科大学]]香里病院の建替に伴い、周辺の再開発を行っている。住宅、商業施設、病院、ケア付住宅等福祉系施設、フィットネス等健康増進施設を配置する。[[2005年]]7月都市計画審議会に都市計画案を諮問、2005年度末本組合設立、その後権利変換計画認可、既存建築物解体着手。関西医科大学香里病院は2005年[[11月]]に一旦廃止し、高層化して建替を行い、[[2010年]][[7月1日]]再開した。また、東側バスターミナル飽和状態解消ために、駅前広場が設置され、八尾枚方線と木屋交野線の間に新道を建設、現道の拡幅も行って渋滞の解消を図る。一帯は「香里園かほりまち」と名付けられ、[[2011年]]3月に街開き、香里園駅とエスカレーターで接続された。今後も北側の整地が行われ、新たにタワーマンションが1棟建設される予定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 合併協議会 ===&lt;br /&gt;
[[平成の大合併]]で[[枚方市]]、[[交野市]]との合併が協議され、京阪間の[[政令指定都市]]を模索した時期もあった(「北河内市構想」)。京阪間のベッドタウンとして発展したが昼間の賑わいには乏しい3市が、一つになって、文化や産業の集まる核ができれば、住民の居住地への愛着が高まると期待されたが、住民側の要望が無く、北河内全体の協力関係の強化(例えば救急体制)を充実させ住民生活の向上を図っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交通 ==&lt;br /&gt;
2005年度に京阪本線立体交差に係る国の調査予算が採択され、設計も行なわれ始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉄道路線 ===&lt;br /&gt;
京阪電気鉄道京阪本線が市中心部を、JR片町線(学研都市線)が市東部を貫く。&lt;br /&gt;
*中心となる駅：[[寝屋川市駅]]&lt;br /&gt;
* [[京阪電気鉄道]]&lt;br /&gt;
** [[京阪本線]] [[萱島駅]] - [[寝屋川市駅]] - [[香里園駅]]&lt;br /&gt;
京阪本線は萱島駅は準急停車駅、寝屋川市駅と香里園駅は通勤快急・快速急行停車駅となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
朝のラッシュ時、準急は、萱島から京橋までノンストップ(所要時間8分)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寝屋川市駅からの快速急行(通勤快急)は、朝のラッシュ時は京橋までノンストップ(所要時間9分～12分)で、非常に利便性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、寝屋川市駅・香里園駅に停車する快速急行によって、京都市内中心部への利便性も高くなっている(おおむね1時間に2～3本だが、枚方市駅での準急→特急のような乗り継ぎも不要で、寝屋川市駅→[[祇園四条駅]]まで約38分)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、萱島駅から大阪方面は複々線となり、[[寝屋川車庫]]からの出庫の関係で、[[淀屋橋駅|淀屋橋]]・[[京阪中之島線|中之島線]]方面の普通・区間急行の大多数が萱島駅始発となっている為、非常に利便性が高い。また、これらの始発電車は、京都方面からの準急と接続する為、乗継駅としても重要な地位を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、京阪電気鉄道は、大阪市の商業の中心といえる、梅田・難波へ直通していない(中之島線[[大江橋駅]]は東梅田地区及び[[JR東西線]][[北新地駅]]に、[[渡辺橋駅]]は堂島・西梅田地区にそれぞれ近接している)。そのため、JR[[大阪駅]]へは[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]まで行き[[大阪環状線]]へ、[[大阪市営地下鉄御堂筋線|御堂筋線]][[難波駅|なんば駅]]へは淀屋橋駅まで行き[[大阪市営地下鉄]][[御堂筋線]]へ、それぞれ乗換が必要となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新幹線への乗車は、[[山陽新幹線]]は淀屋橋駅まで行き、大阪市営地下鉄御堂筋線を経由するか(利便性優先)か、京橋駅まで行き、[[大阪環状線]]と、さらに[[大阪駅]]で[[JR京都線]]に乗り換えて[[新大阪駅]]へ行く(料金優先)ことが多く、東海道新幹線は[[丹波橋駅]]まで行き[[近鉄京都線]]を経由する(利便性優先)か、[[東福寺駅]]で[[奈良線]]に乗り換えて(料金優先)、[[京都駅]]から乗車する場合が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[西日本旅客鉄道]]&lt;br /&gt;
** [[片町線]](学研都市線) [[東寝屋川駅]]&lt;br /&gt;
区間快速が停車し、朝ラッシュ時の京橋方向や夕帰宅時の場合、区間快速に乗車すると、乗継が不要である。普通電車に乗車した場合は四条畷駅または住道駅で快速に乗り継ぐと早く京橋駅や北新地駅に着く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[交野市]]の[[星田駅]]や[[四條畷市]]の[[忍ケ丘駅]]も市境近くにあるため利用する市民もいる。&lt;br /&gt;
更に、市南端の河北地区は大東市の[[四条畷駅]]が最寄駅となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片町線(学研都市線)は[[JR東西線|東西線]]に直通し、大阪都心や[[尼崎市|尼崎]]・[[神戸市|神戸]]・[[宝塚市|宝塚]]方面をダイレクトに結ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 大阪府庁への連絡 ====&lt;br /&gt;
[[京阪本線]][[寝屋川市駅]]→[[天満橋駅]]→(徒歩5分)→[[大阪府庁舎|大阪府庁]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== バス路線 ===&lt;br /&gt;
* [[京阪バス]]&lt;br /&gt;
** 京阪本線の寝屋川市駅・香里園駅・萱島駅を拠点として市内全域に路線網を持つ。同市内に[[京阪バス寝屋川営業所]]があるが、「[[タウンくる]]」以外の寝屋川市駅東ターミナルからの路線は基本的には[[京阪バス交野営業所]]管轄となっている。これは交野営業所のエリアが京阪本線より東側としていることによるものである。なお寝屋川市の南端に位置する猪鼻橋/堀溝地区（163号線沿い）は[[京阪バス門真営業所]]のエリアである。また同市内を中心に[[コミュニティバス]]「タウンくる」が運行されている。また、茨木方面の一部の便は[[京阪バス高槻営業所]]が管轄している。&lt;br /&gt;
* [[近鉄バス]]&lt;br /&gt;
** 萱島駅よりバスが発着。ロータリー整備予定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 道路 ===&lt;br /&gt;
主要道路同士の接続点において交通渋滞が頻発しているため、[[第二京阪道路]]の整備や、主要地方道[[京都府道・大阪府道13号京都守口線|京都守口線]]と[[大阪府道15号八尾茨木線|府道八尾茨木線]]の交点の立体交差化等の事業が行われており、解消が期待されている。[[2001年]]に都市計画道路千里丘寝屋川線が開通し、寝屋川市駅を中心とした[[大阪外環状線]]([[国道170号]])、京都守口線、八尾茨木線、[[大阪府道18号枚方交野寝屋川線|枚方交野寝屋川線]]、[[大阪府道21号八尾枚方線|八尾枚方線]]による環状道路が形成され、駅を周辺の各道路の渋滞が緩和した。また豊野交差点の改良により東西の交通渋滞も緩和された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後、[[寝屋川市駅]]より都市計画道路寝屋川駅前線が第二京阪道路開通時期までに外環状線・八尾枚方線結節点となる秦八丁交差点まで開通予定。更に第二京阪道路へのアクセス道路が6路線整備中である。国道170号以東は鉄道と道路の立体交差が行なわれていないが、主要道路とは跨線橋によりオーバーパスされており、ボトルネックとなっている[[香里園駅]]付近に関して、現在立体交差化予算が計上された(しかし、大阪府の財政改革により事業廃止の動きが強まっている)。また、香里園駅周辺も再開発事業により道路や広場の再整備が行われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 一般有料道路 ====&lt;br /&gt;
*[[第二京阪道路]]&lt;br /&gt;
**[[寝屋川北インターチェンジ]]&lt;br /&gt;
**[[寝屋川南インターチェンジ]]&lt;br /&gt;
*[[鳥飼仁和寺大橋有料道路]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 一般国道 ====&lt;br /&gt;
'''太字'''は直轄&lt;br /&gt;
* '''[[国道1号]]'''&lt;br /&gt;
* '''[[国道163号]]'''&lt;br /&gt;
* [[国道170号]](大阪外環状線)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 主要地方道 ====&lt;br /&gt;
* [[京都府道・大阪府道13号京都守口線|大阪府道13号京都守口線]](旧国道1号)&lt;br /&gt;
* [[大阪府道15号八尾茨木線]]&lt;br /&gt;
* [[大阪府道18号枚方交野寝屋川線]]&lt;br /&gt;
* [[大阪府道19号茨木寝屋川線]]&lt;br /&gt;
* [[大阪府道20号枚方富田林泉佐野線]]&lt;br /&gt;
* [[大阪府道21号八尾枚方線]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 一般府道 ====&lt;br /&gt;
* [[大阪府道148号木屋交野線]]&lt;br /&gt;
* [[大阪府道149号木屋門真線]]&lt;br /&gt;
* [[大阪府道154号私市太秦線]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==&lt;br /&gt;
[[成田山大阪別院明王院]](成田山不動尊)&lt;br /&gt;
* 車ごと祈祷をする交通安全祈祷で有名。&lt;br /&gt;
* 個人だけでなく関西の運輸業を営む多くの会社も祈祷を受ける。&lt;br /&gt;
* [[初詣]]([[1月]])&lt;br /&gt;
* [[節分|節分祭]]([[2月3日]])&lt;br /&gt;
打上川治水緑地(以下 打上川治水緑地にて開催)&lt;br /&gt;
* 寝屋川まつり([[8月]])&lt;br /&gt;
* 元気いきいきスポーツまつり([[10月]])&lt;br /&gt;
* エコフェスタ([[11月]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な公園 ==&lt;br /&gt;
寝屋川再生ワークショップを行い、その結果としてせせらぎ公園など水辺再生の計画が進行している。これらの成果が「川の日ワークショップ」に於いて[[2006年]]、[[2002年]]グランプリ、2005年準グランプリ、その他地域作りの賞を受賞。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国営[[淀川河川公園]]、府営寝屋川公園、打上川治水緑地、寝屋川緑地のような大きな公園も点在しており、住宅都市を象徴していると言える。これらも川に関連する公園であることがうかがえる。寝屋川公園はスポーツ公園機能を備える。&lt;br /&gt;
* [[淀川河川公園]](太間公園)、寝屋川公園、打上川治水緑地、寝屋川治水緑地、南寝屋川公園、ABC公園、田井西公園&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出身有名人 ==&lt;br /&gt;
* [[神谷けいこ]]([[俳優|女優]])&lt;br /&gt;
* [[北川石松]](元[[環境大臣|環境庁長官]])&lt;br /&gt;
* [[関本賢太郎]](プロ野球選手・阪神)&lt;br /&gt;
* [[奥村政佳]](歌手・[[RAG FAIR]])&lt;br /&gt;
* [[吉村由美]](歌手・[[PUFFY]])&lt;br /&gt;
* [[杉浦太陽]]・[[杉浦タカオ]]（兄弟）（俳優）&lt;br /&gt;
* [[上原浩治]](メジャーリーグ投手・[[ボストン・レッドソックス]])&lt;br /&gt;
* [[松岡康暢]]([[ロアッソ熊本]]・サッカー選手)&lt;br /&gt;
* [[田所諒]]  ([[ファジアーノ岡山]]・サッカー選手)&lt;br /&gt;
* [[藤本敏史]]([[FUJIWARA]]・お笑いタレント)&lt;br /&gt;
* [[原西孝幸]]([[FUJIWARA]]・お笑いタレント)&lt;br /&gt;
* [[柴原央明]](JRA[[騎手]])&lt;br /&gt;
* [[柴山雄一]](NAR騎手→JRA騎手)&lt;br /&gt;
* [[津川友美]](タレント、元[[大阪パフォーマンスドール]])&lt;br /&gt;
* 坂優也([[作曲]]：[[編曲家]])&lt;br /&gt;
* [[内藤剛志]]（[[俳優]]）&lt;br /&gt;
* [[中村正人]](ミュージシャン・[[DREAMS COME TRUE]])&lt;br /&gt;
* [[中村ゆり]](女優・元[[YURIMARI]])&lt;br /&gt;
* [[西田二郎]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]・[[テレビディレクター]])&lt;br /&gt;
* [[逢坂浩司]]([[アニメーター]])&lt;br /&gt;
* [[松下さゆみ]]([[漫才]]師 [[さゆみ・ひかり]]。[[宮川大助・花子]]の娘)&lt;br /&gt;
* [[金田達也]](漫画家)&lt;br /&gt;
* [[海原やすよ・ともこ]](漫才師)&lt;br /&gt;
* 山崎華奈(劇団四季・女優)&lt;br /&gt;
* [[多田かおる]]([[漫画家]])&lt;br /&gt;
*[[中嶋慶子]]（タレント）&lt;br /&gt;
* [[又吉直樹]]([[ピース　(お笑いコンビ)|ピース]])[[吉本興業]]東京所属&lt;br /&gt;
* [[田中一彦 (お笑い)|田中一彦]](マラドーナ)吉本興業大阪所属&lt;br /&gt;
* [[なんばよこやま]] 吉本興業大阪所属&lt;br /&gt;
* [[豪栄道豪太郎]] ([[大相撲]]力士)&lt;br /&gt;
* 佐野精一郎 三洋電機社長&lt;br /&gt;
* [[藤原時]]([[藤崎マーケット]])吉本興業大阪所属&lt;br /&gt;
* [[小松則幸]](プロボクサー)&lt;br /&gt;
* [[鶴直人]](プロ野球選手・阪神)&lt;br /&gt;
* [[酒井茉耶]]([[秋田放送]]アナウンサー)&lt;br /&gt;
*[[大端絵里香]]（元[[吉本新喜劇]]座員）&lt;br /&gt;
* [[大谷澪]](女優)&lt;br /&gt;
* [[中村信博 (ライター、ラリードライバー)|中村信博]]([[作家]]、[[ライター]]、[[ラリー]]選手)&lt;br /&gt;
* [[山口夕輝]](NMB48 TeamN所属)&lt;br /&gt;
* [[桂春之輔]]([[落語家]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[日本の地方公共団体一覧]]&lt;br /&gt;
* [[北河内郡]]&lt;br /&gt;
* [[北河内 (大阪府)|北河内]]&lt;br /&gt;
* [[鉢かづき]] - [[御伽草子]]の話の一つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.city.neyagawa.osaka.jp/ 寝屋川市役所]&lt;br /&gt;
* [http://www.kourien-saikaihatu.jp/ 香里園駅東地区市街地再開発組合]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{大阪府の自治体}}&lt;br /&gt;
{{日本の特例市}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ねやかわし}}&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府の市町村]]&lt;br /&gt;
[[Category:寝屋川市|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:特例市]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=2000%E5%B9%B4&amp;diff=307576</id>
		<title>2000年</title>
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				<updated>2015-10-13T03:46:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Image:2000年2.jpg|500px|thumb|2000年]]&lt;br /&gt;
[[Image:2000年3.jpg|500px|thumb|2000年]]&lt;br /&gt;
'''2000年'''（2000 ねん）は、[[西暦]]（[[グレゴリオ暦]]）による、[[土曜日から始まる閏年]]。400年ぶりの[[世紀末]]閏年（[[20世紀]]最後の年）である。'''Y2K'''と表記されることもある（&amp;quot;''Year 2000''&amp;quot; の略。&amp;quot;2000&amp;quot; を &amp;quot;''2[[キロ|K]]''&amp;quot; で表す）。また、'''[[ミレニアム]]'''とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 他の紀年法 ==&lt;br /&gt;
[[Image:2000年4.jpg|500px|thumb|2000年]]&lt;br /&gt;
* [[干支]]：[[庚辰]]（かのえ たつ）&lt;br /&gt;
* [[日本]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
** [[平成]]12年&lt;br /&gt;
* [[大韓民国]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
** [[大韓民国 (年号)|大韓民国]]82年&lt;br /&gt;
** [[檀紀]]4333年&lt;br /&gt;
* [[中華民国]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
** [[中華民国暦]]89年&lt;br /&gt;
* [[朝鮮民主主義人民共和国]]（月日は一致）&lt;br /&gt;
** [[主体暦|主体]]89年&lt;br /&gt;
* [[仏滅紀元]]：2542年 - 2543年&lt;br /&gt;
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]：1420年9月24日 - 1421年10月4日&lt;br /&gt;
* [[ユダヤ暦]]：5760年4月23日 - 5761年4月5日&lt;br /&gt;
* [[UNIX時間|Unix Time]]：946684800 - 978307199&lt;br /&gt;
* [[ユリウス通日|修正ユリウス日]](MJD)：51544 - 51909&lt;br /&gt;
* [[リリウス日]](LD)：152385 - 152750&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
=== 1月 ===&lt;br /&gt;
[[Image:2000年5.jpg|500px|thumb|2000年]]&lt;br /&gt;
* [[1月1日]] - 2000年代最初の日。[[2000年問題]]の発生が注目されたが大きな問題は起きず。&lt;br /&gt;
* 1月1日 - [[大阪府]][[寝屋川市]]・[[枚方市]]などで[[市外局番|電話番号]]が大幅改正（[[市外局番]]が「0720」から「072」へ変更され、2桁だった[[市内局番]]は頭に「8」が付く3桁になった）。&lt;br /&gt;
* [[1月6日]] - [[トヨタ自動車]]、「[[トヨタ・エスティマ|エスティマ]]」をモデルチェンジ。&lt;br /&gt;
* [[1月9日]] - [[長澤まさみ]]が第5回[[東宝シンデレラ]]に選ばれる。&lt;br /&gt;
* [[1月10日]] - [[成人の日]]。いわゆる[[ハッピーマンデー制度]]の最初の適用。&lt;br /&gt;
* 1月10日 - 米[[AOL|アメリカ・オンライン]]、米[[タイム・ワーナー]]買収を発表。&lt;br /&gt;
* 1月中旬 - ボリビアで[[コチャバンバ水紛争]]勃発。&lt;br /&gt;
* [[1月17日]] - トヨタ自動車が「[[トヨタ・WiLL Vi|Will Vi]]」を発売（11月には「[[トヨタ・オリジン|オリジン]]」を発売）。&lt;br /&gt;
* [[1月24日]] - [[スズキ (企業)|スズキ]]が「[[スズキ・スイフト|スイフト]]」を発売。元は「[[スズキ・カルタス|カルタス]]」の国外仕様の名称であり、「カルタス」のモデルチェンジを機に名称を変更した。&lt;br /&gt;
* [[1月26日]] - [[サザンオールスターズ]]、「[[TSUNAMI]]」発売。CDシングル歴代売り上げ1位（レコード等の累計では3位）。&lt;br /&gt;
* [[1月28日]] - [[新潟少女監禁事件]]、9年2か月に渡る少女の監禁が発覚。&lt;br /&gt;
* [[1月30日]] - 『[[仮面ライダークウガ]]』放送開始。[[仮面ライダーシリーズ]]が約10年振りに復活し、[[平成仮面ライダーシリーズ]]の第1作目となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2月 ===&lt;br /&gt;
[[Image:2000年6.jpg|500px|thumb|2000年]]&lt;br /&gt;
* [[2月2日]] - 日付に使われる数字が全て偶数の日。[[888年]][[8月28日]]以来、約1100年ぶりである。&lt;br /&gt;
* [[2月6日]] - [[大阪府]][[都道府県知事|知事]]選で[[太田房江]]が当選（日本初の女性知事誕生）。&lt;br /&gt;
* [[2月12日]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]・[[長嶋茂雄]]監督の背番号3が復活。&lt;br /&gt;
* [[2月13日]] - [[グリコ・森永事件]]時効。&lt;br /&gt;
* 2月13日 - [[長崎屋火災|10年前の店舗火災]]の影響で業績が悪化した[[長崎屋]]が[[会社更生法]]の適用を申請。[[キョウデン]]がスポンサーとなる。&lt;br /&gt;
* [[2月17日]] - [[Microsoft Windows 2000]]日米欧同時発売。&lt;br /&gt;
* [[2月22日]] - [[東京証券取引所]]で[[ヤフー (企業)|ヤフージャパン]]が1億6790万0000円の最高値を記録。&lt;br /&gt;
* [[2月29日]] - 2000年問題のうち[[2000年問題#2000年2月29日|閏日問題]]が発生、コンピュータの不具合が複数発生する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[3月2日]] - [[兵庫県]][[神戸市]]で[[テレクラ放火殺人事件]]が発生。4名死亡。男2人を逮捕。男1人を重要指名手配。&lt;br /&gt;
* [[3月4日]] - [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]が「[[PlayStation 2|プレイステーション2]]」発売。&lt;br /&gt;
* [[3月8日]] - [[東京地下鉄日比谷線|営団地下鉄日比谷線]][[中目黒駅]]で[[日本の鉄道事故 (2000年以降)#営団地下鉄日比谷線列車脱線衝突事故|脱線事故]]（[[営団日比谷線脱線衝突事故]]）。5人が死亡、60人以上が重軽傷。&lt;br /&gt;
* [[3月11日]] - [[徳島自動車道]]が全線開通し、四国4県を結ぶエックスハイウェイが完成。&lt;br /&gt;
* [[3月18日]] - [[台湾]]の総統選挙が行われ、[[民主進歩党|民進党]]の[[陳水扁]]が当選。&lt;br /&gt;
* 3月18日 - 兵庫県津名郡淡路町と東浦町（現・[[淡路市]]）で[[淡路花博]]（ジャパンフローラ2000）開幕。&lt;br /&gt;
* [[3月27日]] - [[小渕恵三]][[首相]]の決裁に基づき、第1回[[教育改革国民会議]]を開催。&lt;br /&gt;
* 3月27日 - 『[[NHKニュース7]]』において[[リアルタイム字幕放送]]が開始される。&lt;br /&gt;
* [[3月30日]] - [[マツダ]]が高級セダン「[[マツダ・センティア|センティア]]」の生産を終了（これによりマツダの[[後輪駆動]]セダンが消滅）。&lt;br /&gt;
* [[3月31日]] - [[有珠山]]が23年ぶりに[[噴火]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 ===&lt;br /&gt;
[[Image:2000年7.jpg|500px|thumb|2000年]]&lt;br /&gt;
* [[4月1日]] - [[地方分権一括法]]施行（いわゆる地方分権改革）。[[民事再生法]]、[[介護保険制度]]も施行。&lt;br /&gt;
* [[4月2日]] - 小渕首相、[[脳梗塞]]で緊急入院。その後、[[5月14日]]に死去。&lt;br /&gt;
* [[4月4日]] - [[小渕内閣 (第2次改造)|小渕内閣]]総辞職。&lt;br /&gt;
* [[4月5日]] - [[森喜朗]]が首班指名され、[[第1次森内閣]]発足。小渕内閣の全閣僚再任。&lt;br /&gt;
* [[4月7日]] - [[宝塚歌劇団]]によって「[[あさきゆめみし|源氏物語あさきゆめみし]]」（[[宝塚歌劇団86期生|第86期生]]の初舞台公演）が上演される。&lt;br /&gt;
* [[4月10日]] - 東京ドームで[[橋本真也]]が[[小川直也]]と「橋本真也34歳、負けたら即引退試合」を行い敗北し、公約どおり引退。ゴールデンで生放送され、25.4%と高視聴率。&lt;br /&gt;
* [[4月21日]] - [[愛媛県]][[宇和島市]]の窃盗事件の裁判で、真犯人が見つかり一転して[[検察]]側が[[無罪]]を論告。&lt;br /&gt;
* [[4月25日]] - [[海上自衛隊]]の[[たかなみ型護衛艦]]1番艦[[たかなみ (護衛艦・2代)|たかなみ]]が[[IHI|アイ・エイチ・アイ]]マリンユナイテッド浦賀工場にて起工。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 5月 ===&lt;br /&gt;
[[Image:2000年8.jpg|500px|thumb|2000年]]&lt;br /&gt;
* [[5月1日]] - [[豊川市主婦殺人事件]]。17歳少年が主婦殺害。&lt;br /&gt;
* 5月1日 - [[第一火災海上保険]]が経営破綻。日本初の[[損害保険]]会社の経営破綻。&lt;br /&gt;
* [[5月3日]] - [[西鉄バスジャック事件]]発生。&lt;br /&gt;
* [[5月7日]] - [[ウラジーミル・プーチン]]がロシア大統領に就任。&lt;br /&gt;
* [[5月9日]] - [[三菱自動車工業]]が「[[三菱・ランサー#6代目（2000年-2010年）|ランサーセディア]]」を発売（「[[三菱・ランサー|ランサー]]」のフルモデルチェンジに際し、「[[三菱・ミラージュ|ミラージュ]]」と統合）。&lt;br /&gt;
** [[11月18日]]、「[[三菱・リベロ|リベロ]]」の後継となるワゴンタイプを「[[三菱・ランサーワゴン|ランサーセディアワゴン]]」として発売。&lt;br /&gt;
** [[2001年]][[2月3日]]、スポーツモデルを「[[三菱・ランサーエボリューション#ランサーエボリューションVII|ランサーエボリューションⅦ]]」として発売。&lt;br /&gt;
* [[5月10日]] - [[声優]]の[[塩沢兼人]]が自宅の階段から転落、[[脳挫傷]]により急逝、46歳没。&lt;br /&gt;
* [[5月15日]] - [[森喜朗]]首相、[[神の国発言]]。&lt;br /&gt;
* 5月15日 - 京都メル友女性殺害事件の容疑者逮捕。[[メル友]]女性を金銭目的で連続殺人。&lt;br /&gt;
* [[5月24日]] - [[ストーカー行為等の規制等に関する法律|ストーカー規制法]]公布。&lt;br /&gt;
* 5月24日 - [[トヨタ自動車]]が「[[トヨタ・Opa|Opa]]」を発売（同日、「[[トヨタ・RAV4|RAV4]]」がモデルチェンジ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[6月1日]] - [[ハノーヴァー万国博覧会|ハノーバ万博]]がドイツで開幕（〜10月31日）。&lt;br /&gt;
* 6月1日 - [[大規模小売店舗立地法]]が施行。&lt;br /&gt;
* [[6月8日]] - 5月14日に死去した、小渕前首相の[[自由民主党 (日本)|自民党]]合同葬が、日本武道館にて行われる。&lt;br /&gt;
* [[6月10日]] - [[群馬県]][[新田郡]][[尾島町]]（現・[[太田市]]）の化学工場で[[爆発]][[事故]]が発生、死者4人、けが人多数。爆発音は現場から30kmほど離れた[[前橋市]]、[[高崎市]]、[[埼玉県]][[熊谷市]]、[[栃木県]][[佐野市]]まで観測。&lt;br /&gt;
* [[6月12日]] - 栃木県[[宇都宮市]]の宝石店で強盗放火殺人事件が発生。店員6名が死亡。無職の男を逮捕。&lt;br /&gt;
* [[6月13日]] - [[朝鮮半島]]の分断後55年で初の[[南北首脳会談]]。&lt;br /&gt;
* [[6月16日]] - 皇太后崩御 （[[香淳皇后]]）享年97（歴代の皇后中最長の在位であり、神話時代を除き最長寿）。&lt;br /&gt;
* [[6月21日]] - [[岡山金属バット母親殺害事件]]。野球部員の17歳少年が練習中の後輩をバットで殴り、自宅で母親を殺害して逃亡。後日、[[秋田県]]で逮捕された。&lt;br /&gt;
* [[6月25日]] - [[第42回衆議院議員総選挙]]（6月13日公示）。&lt;br /&gt;
* [[6月26日]] - [[ヒトゲノム]]、ドラフト配列の終了を宣言。&lt;br /&gt;
* [[6月29日]] - [[雪印集団食中毒事件]]発覚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 ===&lt;br /&gt;
* [[7月1日]] - [[日産自動車]]の宇宙航空事業部が[[IHI|石川島播磨重工業]]に譲渡され、[[IHIエアロスペース]]として分離独立。&lt;br /&gt;
* [[7月7日]] - [[舞浜駅]]前にショッピング施設「[[イクスピアリ]]」がオープン。その隣に日本初のディズニーホテル「[[ディズニーアンバサダーホテル]]」がオープン。&lt;br /&gt;
* 7月7日 - [[ダイハツ工業]]が軽自動車派生のミニバン「[[ダイハツ・アトレー7|アトレー7]]」を発売（同時にトヨタへ「[[トヨタ・スパーキー|スパーキー]]」として供給開始）。&lt;br /&gt;
* [[7月8日]] - [[三宅島]]雄山噴火。&lt;br /&gt;
* [[7月12日]] - [[そごう]]が[[民事再生]]手続開始の申立て。&lt;br /&gt;
* [[7月17日]] - [[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[アナハイム]]にある[[ディズニーランド]]が開園45周年。&lt;br /&gt;
* [[7月19日]] - 新[[日本銀行券|紙幣]][[二千円紙幣|2000円札]]発行、表「[[沖縄県]][[首里城]]の守礼門」・裏「[[紫式部]]と[[源氏物語]]」。&lt;br /&gt;
* [[7月21日]] - 21世紀夢の技術展（通称：ゆめテク）[http://www.nikkei.co.jp/events/yumetech/aim.html]が[[東京国際展示場]]で開催（〜8月6日）。&lt;br /&gt;
* 7月21日 - [[九州]]・[[沖縄県|沖縄]]で[[第26回主要国首脳会議]]（九州・沖縄サミット）が開催される（23日までの3日間）。&lt;br /&gt;
* [[7月23日]] - ゴルフの[[タイガー・ウッズ]]が[[全英オープン (ゴルフ)|全英オープン]]に優勝。史上最年少（24歳）での[[グランドスラム (ゴルフ)|グランドスラム]]達成。&lt;br /&gt;
* [[7月25日]] - [[コンコルド]][[コンコルド墜落事故|墜落事故]]。[[エールフランス]]4590便が[[パリ]]郊外のホテルに激突して114人死亡。&lt;br /&gt;
* 7月25日 - アメリカの仲介により7月11日から続いていた[[イスラエル]]と[[パレスチナ]]の中東和平交渉が決裂。聖地[[エルサレム]]の帰属権をめぐり対立。&lt;br /&gt;
* [[7月28日]] - [[四国縦貫自動車道]]が全線開通。&lt;br /&gt;
* [[7月31日]] - [[山口母親殺害事件]]で母親を殺害した16歳の少年が「母親を殺した」と110番通報。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 8月 ===&lt;br /&gt;
* [[8月1日]] - 新[[五百円硬貨]]発行。&lt;br /&gt;
* [[8月14日]] - [[大分一家6人殺傷事件]]、犯人は15歳の少年。&lt;br /&gt;
* 8月14日 - [[オスカー級原子力潜水艦#クルスク沈没事故と余波|ロシア原子力潜水艦事故]]発生。乗組員118人は全員死亡。&lt;br /&gt;
* [[8月23日]] - [[富士重工業]]が「[[スバル・インプレッサ|インプレッサ]]」をモデルチェンジ。&lt;br /&gt;
* [[8月28日]] - トヨタ自動車が「[[トヨタ・カローラ|カローラ]]」をモデルチェンジ。ワゴンには「[[トヨタ・カローラフィールダー|フィールダー]]」のサブネームが与えられる。同時に「[[トヨタ・スプリンター|スプリンター]]」は生産終了（「[[トヨタ・スプリンターカリブ|カリブ]]」は継続生産）。&lt;br /&gt;
* [[8月30日]] - 日産自動車が「[[日産・ブルーバードシルフィ|ブルーバードシルフィ]]」を発売（[[1959年]]以来生産されてきた「[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]」の事実上の後継車）。&lt;br /&gt;
* [[8月31日]] - [[ニューレオマワールド|レオマワールド]]がこの日限りで休園。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 9月 ===&lt;br /&gt;
* [[9月1日]] - [[東京ディズニーランド]]に[[ディズニー]]映画『[[くまのプーさん]]』をモチーフにした新アトラクション「[[東京ディズニーランドのアトラクション#プーさんのハニーハント|プーさんのハニーハント]]」がオープン。&lt;br /&gt;
* 9月1日 - 1994年夏からのアメリカ株式市場の高騰が、この日(S&amp;amp;P500指数で1530.09)大天井をつける。&lt;br /&gt;
* [[9月2日]] - 7月から続いていた[[三宅島]]・雄山の噴火により全島避難。&lt;br /&gt;
* [[9月11日]] - [[名古屋市]]を中心に[[東海地方]]で記録的な集中豪雨が発生する（[[東海豪雨]]）。&lt;br /&gt;
* [[9月13日]] - [[本田技研工業]]が「[[ホンダ・シビック|シビック]]」/「[[ホンダ・シビックフェリオ|シビックフェリオ]]」をモデルチェンジ（[[10月26日]]にはミニバン「[[ホンダ・ストリーム (自動車)|ストリーム]]」を発売）。&lt;br /&gt;
* [[9月15日]] - [[シドニーオリンピック]]開幕（〜10月1日）。&lt;br /&gt;
* [[9月22日]] - 「[[教育改革国民会議]]中間報告 -[[教育を変える17の提案]]-」（中間報告）が発表。&lt;br /&gt;
* [[9月23日]] - 「[[Microsoft Windows Millennium Edition|Microsoft Windows Me]]」日本語版発売。&lt;br /&gt;
* [[9月24日]] - シドニーオリンピック女子マラソンで、[[高橋尚子]]がオリンピック最高記録で金メダルを獲得。&lt;br /&gt;
* 9月24日 - 巨人が[[1996年]]以来4年ぶりに[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝決める。&lt;br /&gt;
* 9月24日 - そごう東京店（有楽町そごう）が閉店。&lt;br /&gt;
* [[9月26日]] - [[東京地下鉄南北線|営団地下鉄南北線]][[目黒駅]] - [[溜池山王駅]]と[[都営地下鉄三田線]]目黒駅 - [[三田駅 (東京都)|三田駅]]が同時に全線開業。両線は目黒駅 - [[白金高輪駅]]を共用し、ともに目黒駅から[[東急目黒線]]へ直通。&lt;br /&gt;
* [[9月29日]] - [[みずほフィナンシャルグループ]]発足（日本初の[[金融持株会社|銀行持株会社]]）。&lt;br /&gt;
* [[9月30日]] - [[DDIセルラーグループ]]・[[日本移動通信]]、[[AMPS#日本|TACS]]方式携帯電話のサービスを終了。これにより[[第一世代携帯電話|第一世代（アナログ）携帯電話]]は日本からすべて消滅。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 ===&lt;br /&gt;
* [[10月1日]] - 第二電電・[[ケイディディ|KDD]]・[[日本移動通信]]が合併し[[KDDI]]が発足。合併当初の商号は株式会社ディーディーアイ。&lt;br /&gt;
* [[10月6日]] - [[鳥取県西部地震]]。&lt;br /&gt;
* 10月6日 - [[ユーゴスラビア]]の[[スロボダン・ミロシェヴィッチ]]政権が崩壊。&lt;br /&gt;
* [[10月8日]] - [[リトアニア]]で[[2000年リトアニア議会選挙|議会選挙]]が実施される。社会民主連立政党が勝利。&lt;br /&gt;
* [[10月8日]] - [[千代田生命保険]]が更生特例法適用を申請し経営破綻。生保の更生特例法適用申請の第一号。&lt;br /&gt;
* [[10月10日]] - [[筑波大学]][[名誉教授]]の[[白川英樹]]に[[ノーベル化学賞]]を贈られることが決定される。&lt;br /&gt;
* [[10月13日]] - [[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]の[[藤井将雄]]投手が肺がんで死去。&lt;br /&gt;
* [[10月16日]] - [[SHOP99]]設立。&lt;br /&gt;
* [[10月20日]] - [[協栄生命保険]]が更生特例法適用を申請し経営破綻。負債総額は4兆5297億円で、戦後最悪の倒産となった。&lt;br /&gt;
* [[10月23日]] - ボードゲーム「[[モノポリー]]」の世界選手権（第11回）で日本代表の[[岡田豊]]が優勝。[[1988年]]の[[百田郁夫]]に続き日本人としては2人目の快挙。&lt;br /&gt;
* [[10月27日]] - [[中川秀直]]官房長官が、スキャンダル騒動の責任を取り辞任。後任に[[福田康夫]]が就任。&lt;br /&gt;
* [[10月28日]] - 巨人、ダイエーを4勝2敗で下し「[[2000年の日本シリーズ|ON対決]]」を制す。&lt;br /&gt;
* [[10月29日]] - [[レバノン]]で開催された、[[サッカー]][[AFCアジアカップ2000|アジアカップ]]で、[[サッカー日本代表|日本代表]]が2大会ぶり2度目の優勝。&lt;br /&gt;
* [[10月30日]] - トヨタ自動車が「[[トヨタ・マークII|マークII]]」をモデルチェンジ（[[2001年]]に登場した「[[トヨタ・ヴェロッサ|ヴェロッサ]]」が姉妹車となる。11月には「[[トヨタ・クルーガー|クルーガー]]」を発売）。&lt;br /&gt;
* [[10月31日]] - シンガポール機が[[台湾]][[中正国際空港]]（現・[[台湾桃園国際空港]]）で離陸に失敗して墜落炎上、83人死亡（[[シンガポール航空006便墜落事故]]）。&lt;br /&gt;
*10月31日 - [[Raphael]]の[[ギターリスト]]兼リーダーの華月が渋谷区[[恵比寿]]の自宅で死亡しているのが発見される。死因は睡眠剤の過剰摂取による中毒死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 11月 ===&lt;br /&gt;
* [[11月3日]] - 第13回[[全国健康福祉祭|ねんりんピック]]2000大阪開催（〜[[11月6日]]）。[[大阪ドーム]]で総合開会式。&lt;br /&gt;
* [[11月4日]] - [[前期旧石器時代]]の文化が日本にも存在していたとして注目された、[[宮城県]][[築館町]]（現・[[栗原市]]）の上高森遺跡の捏造が発覚。&lt;br /&gt;
* 11月4日 - [[ギリシャ]]で日本人ツアー客の乗ったバスが乗っ取られる。&lt;br /&gt;
* [[11月7日]] - [[2000年アメリカ合衆国大統領選挙|米大統領選]]で[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]と[[アル・ゴア|ゴア]]の大接戦。&lt;br /&gt;
* [[11月8日]] - [[ハーグ事件]]で国際手配になっていた[[日本赤軍]]最高幹部の[[重信房子]]を[[大阪]]で逮捕。&lt;br /&gt;
* [[11月11日]] - [[オーストリアケーブルカー火災事故]]。トンネル内の火災で日本人ツアー客10人含む155人が死亡。&lt;br /&gt;
* [[11月13日]] - マツダがSUV「[[マツダ・トリビュート|トリビュート]]」を発売（「[[スズキ・エスクード|エスクード]]」の[[OEM]]だった「[[マツダ・プロシードレバンテ|プロシードレバンテ]]」の事実上の後継車）。&lt;br /&gt;
* [[11月19日]] - [[ペルー]]の[[アルベルト・フジモリ|フジモリ]]政権が崩壊。&lt;br /&gt;
* [[11月24日]] - ストーカー規制法施行。&lt;br /&gt;
* [[11月28日]] - [[少年法]]改正案が成立。&lt;br /&gt;
* 11月28日 – [[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]第21回大会で[[ボカ・ジュニアーズ]]が優勝、20世紀最後に悲願達成。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 12月 ===&lt;br /&gt;
* [[12月1日]] - [[日本における衛星放送#BSデジタル|BSデジタル]]放送開始。&lt;br /&gt;
* [[12月4日]] - [[新宿]][[歌舞伎町]]のビデオ店で爆発事件（→[[歌舞伎町ビデオ店爆破事件]]）。17歳の少年による犯行。&lt;br /&gt;
* [[12月8日]] - [[カルフール]]幕張が開店。&lt;br /&gt;
* [[12月12日]] - [[都営地下鉄大江戸線]]が全線開通。&lt;br /&gt;
* [[12月16日]] - [[渋谷駅]]近くで17歳の少年がバットを振り回し、通行人が重軽傷を負う。&lt;br /&gt;
* [[12月17日]] - [[京福電気鉄道|京福電鉄]][[えちぜん鉄道勝山永平寺線|越前本線]]で[[京福電気鉄道越前本線列車衝突事故|正面衝突事故]]。1人死亡、25人重軽傷。&lt;br /&gt;
* [[12月22日]] - 「[[教育改革国民会議]]報告 -[[教育を変える17の提案]]-」（最終報告）が発表。&lt;br /&gt;
* [[12月25日]] - 錦糸町そごうが閉店。&lt;br /&gt;
* [[12月30日]] - [[世田谷一家殺害事件]]発生。&lt;br /&gt;
* 12月30日 - [[フィリピン]]の[[マニラ]]首都圏で連続爆弾テロ。22人死亡、100人以上負傷。&lt;br /&gt;
* [[12月31日]] - [[20世紀]]最終日。&lt;br /&gt;
* 12月31日 - [[インターネット博覧会]]（通称：インパク）が開幕。&lt;br /&gt;
* 12月31日 - [[東京都]][[世田谷区]]二子玉川の[[ナムコ・ワンダーエッグ]]が閉園。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 天候・天災・観測等 ==&lt;br /&gt;
* [[3月31日]]の[[有珠山]]噴火、[[7月8日]]の[[三宅島]]噴火、[[9月4日]]の[[北海道駒ヶ岳|駒ヶ岳]]（[[北海道]]）の噴火と火山[[噴火]]が相次ぐ。&lt;br /&gt;
* [[7月30日]] - [[三宅島]]近海で火山噴火によるM6.4クラスの地震発生。&lt;br /&gt;
* [[9月11日]] - [[東海地方]]で[[集中豪雨]]。[[秋雨前線]]と[[台風]]14号が重なったため被害が広がった（[[東海豪雨]]）。&lt;br /&gt;
* [[10月6日]] - [[鳥取県西部地震]]&lt;br /&gt;
* 夏季（6月 - 8月）は全国的に[[猛暑]]となり、特に北日本では前年に続き著しい高温になった。また、少雨傾向であった。&lt;br /&gt;
* 冬季（前年12月 - 2月）は冬型の気圧配置が長続きしなかった。1月はアリューシャン低気圧が発達せず記録的な高温になったが、1月下旬からは2月は寒気の影響を受けやすかったため、2月は低温で推移した。冬全体の気温は全国的に平年並みであった。&lt;br /&gt;
* 台風の日本上陸が14年ぶりにゼロ。&lt;br /&gt;
* [[太陽活動]]の[[黒点]]極大期を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 芸術・文化・ファッション ==&lt;br /&gt;
=== 2000年のスポーツ ===&lt;br /&gt;
* [[シドニーオリンピック]]&lt;br /&gt;
** 柔道の[[谷亮子|田村亮子]]念願の金メダル&lt;br /&gt;
** 金5、銀8、銅5の計18個のメダルを獲得&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 野球 ====&lt;br /&gt;
* [[日本プロ野球|プロ野球]]（[[2000年の日本シリーズ]]）&lt;br /&gt;
** [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝 - [[読売ジャイアンツ]]&lt;br /&gt;
** [[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝 - [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]&lt;br /&gt;
** [[2000年の日本シリーズ|日本シリーズ]]優勝 - 読売ジャイアンツ [[長嶋茂雄]]と[[王貞治]]両監督とのON対決で注目が集まる&lt;br /&gt;
* [[日本の高校野球|高校野球]]&lt;br /&gt;
** [[第72回選抜高等学校野球大会|春]]優勝 - [[東海大学付属相模高等学校|東海大相模]]（[[神奈川県]]）&lt;br /&gt;
** [[第82回全国高等学校野球選手権大会|夏]]優勝 - [[智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校|智弁和歌山]]（[[和歌山県]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== サッカー ====&lt;br /&gt;
* [[2000年のJリーグ|Jリーグ]]&lt;br /&gt;
** [[日本プロサッカーリーグ#過去の優勝チーム|J1 1stステージ]]優勝 - [[横浜F・マリノス]]&lt;br /&gt;
** J1 2ndステージ優勝 - [[鹿島アントラーズ]]&lt;br /&gt;
** [[Jリーグチャンピオンシップ|J1チャンピオンシップ]]年間総合優勝 - 鹿島アントラーズ&lt;br /&gt;
** [[2000年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]優勝 - 鹿島アントラーズ&lt;br /&gt;
** [[日本プロサッカーリーグ#過去の上位チーム|J2 年間]]優勝 - [[コンサドーレ札幌]]&lt;br /&gt;
* [[天皇杯全日本サッカー選手権大会]]&lt;br /&gt;
** 優勝 - 鹿島アントラーズ（大会3冠）&lt;br /&gt;
* [[UEFA欧州選手権2000|UEFA欧州選手権]]優勝 - [[サッカーフランス代表|フランス]]&lt;br /&gt;
* [[AFCアジアカップ2000|AFCアジアカップ]]優勝 - [[サッカー日本代表|日本]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 相撲 ====&lt;br /&gt;
* 大相撲（幕内最高優勝）&lt;br /&gt;
** 初場所 - [[武双山正士]]&lt;br /&gt;
** 春場所 - [[貴闘力忠茂]]&lt;br /&gt;
** 夏場所 - [[魁皇博之]]&lt;br /&gt;
** 名古屋場所 - [[曙太郎]]&lt;br /&gt;
** 秋場所 - [[武蔵丸光洋]]&lt;br /&gt;
** 九州場所 - 曙太郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== プロレス ====&lt;br /&gt;
* [[プロレス大賞]]MVP - [[桜庭和志]]（[[高田道場]]）&lt;br /&gt;
* [[G1 CLIMAX|G1クライマックス]]優勝 - [[佐々木健介]]（2回目）&lt;br /&gt;
* [[世界最強タッグ決定リーグ戦]]優勝 - [[スティーブ・ウィリアムス]]&amp;amp;[[マイク・ロトンド]]組「バーシティクラブ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== モータースポーツ ====&lt;br /&gt;
* [[フォーミュラ・ニッポン|全日本選手権フォーミュラ・ニッポン]] - [[高木虎之介]]&lt;br /&gt;
* [[全日本F3選手権]] - [[セバスチャン・フィリップ]]&lt;br /&gt;
* [[全日本GT選手権]] - [[道上龍]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ゴルフ ====&lt;br /&gt;
* 男子賞金王 - [[片山晋呉]]&lt;br /&gt;
* 女子賞金王 - [[不動裕理]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 競馬（JRA7大競走） ====&lt;br /&gt;
* [[皐月賞]] - [[エアシャカール]]（[[武豊]]）&lt;br /&gt;
* [[天皇賞|天皇賞（春）]] - [[テイエムオペラオー]]（[[和田竜二]]）&lt;br /&gt;
* [[東京優駿]] - [[アグネスフライト]]（[[河内洋]]）&lt;br /&gt;
* [[菊花賞]] - エアシャカール（武豊）&lt;br /&gt;
* [[天皇賞|天皇賞（秋）]] - テイエムオペラオー（和田竜二）&lt;br /&gt;
* [[ジャパンカップ]] - テイエムオペラオー（和田竜二）&lt;br /&gt;
* [[有馬記念]] - テイエムオペラオー（和田竜二）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年の音楽 ===&lt;br /&gt;
* [[バラード]]が大ヒット。[[サザンオールスターズ]]『[[TSUNAMI]]』、[[福山雅治]]『[[桜坂 (曲)|桜坂]]』、[[MISIA]]『[[Everything (MISIAの曲)|Everything]]』、[[浜崎あゆみ]]『[[SEASONS]]』、[[小柳ゆき]]『[[あなたのキスを数えましょう 〜You were mine〜]]』、[[B'z]]『[[今夜月の見える丘に]]』、[[倉木麻衣]]『[[Secret of my heart]]』など。&lt;br /&gt;
* [[モーニング娘。]]の2000年発売シングルでは『[[恋のダンスサイト]]』『[[ハッピーサマーウェディング]]』『[[恋愛レボリューション21]]』が[[ミリオンセラー|ミリオンヒット]]を記録。&lt;br /&gt;
* [[SADS]]『[[忘却の空]]』ヒット&lt;br /&gt;
* [[aiko]]『[[ボーイフレンド (aikoの曲)|ボーイフレンド]]』ヒット&lt;br /&gt;
* [[ポルノグラフィティ]]『[[サウダージ (曲)|サウダージ]]』ヒット&lt;br /&gt;
* [[SMAP]]『[[らいおんハート]]』がミリオンセラー達成（SMAPとしては二枚目）。&lt;br /&gt;
* [[香取慎吾|慎吾ママ]]『[[慎吾ママのおはロック]]』ヒット&lt;br /&gt;
* [[癒し]]音楽・[[オムニバス]][[アルバム]]『[[〜the most relaxing〜 feel|feel]]』『[[image (コンピレーション・アルバム)|image]]』ヒット&lt;br /&gt;
* [[平井堅]]、『[[楽園 (平井堅の曲)|楽園]]』でブレイク。&lt;br /&gt;
* [[倉木麻衣]]が『[[Love, Day After Tomorrow]]』でブレイク。デビューの仕方や曲調、歌い方などが似ていたことから、一時は[[宇多田ヒカル]]のパクリとも言われた（[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]・[[浜田雅功]]がこの発言をしてしまい、トラブルが発生した）。この後、[[矢井田瞳]]も[[椎名林檎]]と比較され、同様のことを言われていた。&lt;br /&gt;
* '''the end of genesis T.M.R.evolution turbo type D'''として活動していた[[西川貴教]]が再び[[T.M.Revolution]]としての活動を再開。&lt;br /&gt;
* [[TUBE]]が初の[[ハワイ]]限定シングル『[[SHA LA LA / Remember Me]]』で現地のチャート4位を記録。日本でも『[[虹になりたい]]』でスマッシュヒットを記録。ベストアルバム『[[TUBEst III]]』でもミリオンを記録するなどのヒット。&lt;br /&gt;
* [[2月2日]] - [[演歌]]歌手の[[氷川きよし]]が『[[箱根八里の半次郎]]』でデビュー。&lt;br /&gt;
* [[3月31日]] - [[SPEED]]が解散。&lt;br /&gt;
* [[5月3日]] - [[矢井田瞳]]が『Howling』でインディーズデビュー、[[7月12日]]に『[[B'coz I Love You]]』でメジャーデビューを果たした。&lt;br /&gt;
* [[6月1日]] - '''TUBE'''がアジア人としては初となる「[[アロハスタジアム]]」でのライブを開催。2万以上を動員した。&lt;br /&gt;
* [[7月5日]] - [[BLANKEY JET CITY]]が解散。&lt;br /&gt;
* [[8月9日]] - この日発売された[[Whiteberry]]の『夏祭り』が[[オリコンチャート|オリコン]]最高位3位になり、「ティーンエイジ・ガールズ・バンド」という新たなジャンルが確立された。&lt;br /&gt;
* [[8月20日]] - サザンオールスターズ[[茅ヶ崎ライブ]]開催。2日間に渡りボーカル[[桑田佳祐]]の地元である茅ヶ崎公園野球場で5万5000人以上を動員した。なお、20日の茅ヶ崎ライブの模様は[[WOWOW]]が5時間に渡り生中継をしておりWOWOW史上最高の視聴率を記録している。&lt;br /&gt;
* [[11月15日]] - [[THE YELLOW MONKEY]]が、[[2001年]][[1月8日]]に[[東京ドーム]]にてライブ公演後、活動休止することを発表した。&lt;br /&gt;
* [[12月6日]] - [[倖田來未]]が『[[TAKE BACK]]』でデビュー。&lt;br /&gt;
* [[12月27日]] - [[LUNA SEA]]が[[12月26日]]27日の[[東京ドーム]]公演をもって終幕。LUNA SEAに「解散」という文字は合わないというメンバーの意向があり、「解散」ではなく「終幕」と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年の映画 ===&lt;br /&gt;
* 『[[ドラえもん のび太の太陽王伝説]]』&lt;br /&gt;
* 『[[ジュブナイル (映画)|ジュブナイル]]』&lt;br /&gt;
* 『[[ゴジラ×メガギラス G消滅作戦]]』&lt;br /&gt;
* 『[[映画おじゃる丸 約束の夏 おじゃるとせみら]]』&lt;br /&gt;
* 『[[ホワイトアウト (小説)|ホワイトアウト]]』&lt;br /&gt;
* 『[[ブリタニック (映画)|ブリタニック]]』&lt;br /&gt;
* 『[[きかんしゃトーマス 魔法の線路]]』&lt;br /&gt;
* 『[[クロスファイア]]』&lt;br /&gt;
* 『[[劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年の文学 ===&lt;br /&gt;
* [[芥川龍之介賞|芥川賞]]&lt;br /&gt;
** 第123回（2000年上半期） - [[町田康]] 『きれぎれ』、[[松浦寿輝]] 『花腐し』&lt;br /&gt;
** 第124回（2000年下半期） - [[青来有一]] 『聖水』、[[堀江敏幸]] 『熊の敷石』&lt;br /&gt;
* [[直木三十五賞|直木賞]]&lt;br /&gt;
** 第123回（2000年上半期） - [[船戸与一]]『[[虹の谷の五月]]』、[[金城一紀]]『[[GO (小説)|GO]]』&lt;br /&gt;
** 第124回（2000年下半期） - [[山本文緒]]『プラナリア』、[[重松清]]『[[ビタミンF (小説)|ビタミンF]]』&lt;br /&gt;
* [[ベストセラー]]&lt;br /&gt;
** 『[[ハリー・ポッターと秘密の部屋]]』日本語版（著：[[J・K・ローリング]]、訳：[[松岡佑子]]、[[静山社]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年のテレビ ===&lt;br /&gt;
==== テレビに関する出来事 ====&lt;br /&gt;
* [[12月1日]] - [[BSデジタル放送]]開始。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== テレビドラマ ====&lt;br /&gt;
* [[NHK大河ドラマ]]『[[葵 徳川三代]]』&lt;br /&gt;
* 1月 - 3月 - [[TBSテレビ|TBS]]系ドラマ「[[ビューティフルライフ|Beautiful Life]]」&lt;br /&gt;
* 1月 - 3月 - [[フジテレビジョン|フジ]]系[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9ドラマ]]『[[二千年の恋]]』&lt;br /&gt;
* 4月 - 6月 - TBS系ドラマ『[[池袋ウエストゲートパーク]]』&lt;br /&gt;
* 4月 - 6月 - [[フジテレビジョン|フジ]]系ドラマ『[[ショムニ (テレビドラマ)|ショムニ]]』第2シリーズ&lt;br /&gt;
* 4月 - 9月 - [[フジテレビジョン|フジ]]系ドラマ『[[ナースのお仕事|ナースのお仕事3]]』&lt;br /&gt;
* 4月 - 6月 - フジ系月9ドラマ『[[天気予報の恋人]]』&lt;br /&gt;
* 4月 - 6月 - TBS系[[日曜劇場]]『[[サラリーマン金太郎#TBSドラマ版|サラリーマン金太郎2]]』&lt;br /&gt;
* 4月 - 6月 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系ドラマ『[[伝説の教師]]』&lt;br /&gt;
* 4月 - 9月 - [[連続テレビ小説|NHK連続テレビ小説]]『[[私の青空]]』&lt;br /&gt;
* 7月 - 9月 - フジ系月9ドラマ『[[バスストップ (テレビドラマ)|バスストップ]]』&lt;br /&gt;
* 7月 - 9月 - 日本テレビ系ドラマ『[[フードファイト]]』&lt;br /&gt;
* 10月 - 2001年3月 - NHK連続テレビ小説『[[オードリー (テレビドラマ)|オードリー]]』&lt;br /&gt;
* 10月 - 12月 - フジ系月9ドラマ『[[やまとなでしこ (テレビドラマ)|やまとなでしこ]]』&lt;br /&gt;
* 10月 - 12月 - TBS系日曜劇場『[[オヤジぃ。]]』&lt;br /&gt;
* 10月 - 12月 - 日本テレビ系ドラマ『[[新宿暴走救急隊]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== バラエティなど諸分野 ====&lt;br /&gt;
* 4月20日 - 『[[クイズ$ミリオネア]]』日本放送開始（フジテレビ系）&lt;br /&gt;
* 7月8 - 9日 - 『[[FNS27時間テレビ|2000FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島 家族 愛 LOVEYOU]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 特撮 ====&lt;br /&gt;
* 1月 - 2001年1月 - 『[[仮面ライダークウガ]]』（[[テレビ朝日]]系）。[[平成仮面ライダーシリーズ]]の第1作で、2012年9月放映予定の『[[仮面ライダーウィザード]]』まで続く。&lt;br /&gt;
* 2月 - 2001年2月 - 『[[未来戦隊タイムレンジャー]]』（テレビ朝日系）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年のアニメ ===&lt;br /&gt;
* [[1月10日]] - 『[[六門天外モンコレナイト]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[2月6日]] - 『[[ニャニがニャンだーニャンダーかめん]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[4月2日]] - 『[[デジモンアドベンチャー02]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[4月3日]] - 『[[へろへろくん]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[4月4日]] - 『[[魔法陣グルグル]]』の第2期アニメが放映開始。&lt;br /&gt;
* [[4月5日]] - 『[[タイムボカン2000 怪盗きらめきマン]]』放送開始。&lt;br /&gt;
* [[4月8日]] - 『[[サクラ大戦TV]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[4月18日]] - 『[[遊☆戯☆王デュエルモンスターズ]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[4月19日]] - 『[[ラブひな]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[7月7日]] - 『[[とっとこハム太郎]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[7月21日]] - 『[[BRIGADOON まりんとメラン]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[10月3日]] - 『[[はじめの一歩]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[10月4日]] - 『[[GEAR戦士電童]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[10月7日]] - 『[[真・女神転生デビチル]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[10月16日]] - 『[[犬夜叉]]』放映開始。&lt;br /&gt;
* [[10月22日]] - 『[[学校の怪談]]』放映開始。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年のラジオ ===&lt;br /&gt;
* [[愛知国際放送|RADIO-i]]、[[新潟県民エフエム放送|FM PORT]]、[[岐阜エフエム放送|Radio 80]]の3局が開局。&lt;br /&gt;
* [[ツー快!お昼ドキッ]]（[[CBCラジオ]]）放送開始。（ - 2009年4月3日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年のゲーム ===&lt;br /&gt;
* [[3月4日]] - [[ソニー・コンピュータエンタテインメント|SCEI]]が[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]の[[次世代機]]「[[PlayStation 2|プレイステーション2]]」を発売。&lt;br /&gt;
* [[7月7日]] - SCEIが「[[PS one]]」を発売。&lt;br /&gt;
* 7月7日 - [[スクウェア]]がプレイステーション用ソフト『[[ファイナルファンタジーIX]]』を発売。&lt;br /&gt;
* [[8月26日]] - [[エニックス]]がプレイステーション用ソフト『[[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち]]』を発売。&lt;br /&gt;
* [[12月9日]] - [[バンダイ]]が「[[ワンダースワンカラー]]」を発売。&lt;br /&gt;
* [[12月14日]] - [[任天堂]]が[[ゲームボーイカラー]]専用ソフト『[[ポケットモンスター クリスタルバージョン]]』を発売。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年の流行 ===&lt;br /&gt;
* [[ミレニアム]]ブーム&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 流行語 ====&lt;br /&gt;
* [[新語・流行語大賞]]&lt;br /&gt;
** 大賞 - おっはー（[[香取慎吾|慎吾ママ]]）、[[IT革命]]&lt;br /&gt;
** 特別賞 - 「最高で金 最低でも金」（[[谷亮子|田村亮子]]）&lt;br /&gt;
** 「官」対「民」、[[Qちゃん]]（[[高橋尚子]]）、ジコ虫（[[ACジャパン|AC]]）、[[キレる17歳|一七歳]]（[[少年犯罪]]）、[[パラパラ]]、「めっちゃ悔し〜い」（[[田島寧子]]）、「私的には…」（[[飯島愛]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年のファッション ===&lt;br /&gt;
* [[ジーンズ]]や[[学生服]]をずりさげて履く[[腰パン]]が流行する。&lt;br /&gt;
* 厚底ブーツ、[[ミュール]]流行。[[ヘアーエクステンション]]が普及する。&lt;br /&gt;
* 高校を卒業した[[ギャル]]として、「オネギャル」が注目される。[[主婦の友社]]より「[[S Cawaii!]]」（エスカワイイ！）創刊&lt;br /&gt;
* [[ユニクロ]]の流行広がる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年の教育 ===&lt;br /&gt;
* '''観点別評価'''が一般的となる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2000年の世相 ===&lt;br /&gt;
* [[警察不祥事]]・[[食品事故]]・[[医療ミス]]の多発と隠蔽など社会信用失墜の年。&lt;br /&gt;
* [[児童虐待]]・[[少年犯罪]]（[[キレる17歳|17歳の相次ぐ凶行]]）が深刻化。また、[[社会問題]]となっていた[[ストーカー]]行為を[[規制]]するための法律（[[ストーカー規制法]]）も施行された。&lt;br /&gt;
* [[今年の漢字]]「'''金'''」 - [[シドニーオリンピック]]で女子[[柔道]]の[[田村亮子]]、女子[[フルマラソン]]の[[高橋尚子]]が[[金メダル]]を獲得。また、[[金大中]]と[[金正日]]による初の[[南北首脳会談]]が実現。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 誕生 ==&lt;br /&gt;
=== 1月 - 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[1月8日]] - [[ノア・サイラス]]、[[俳優|女優]]、[[声優]]&lt;br /&gt;
* [[1月10日]] - [[荒木博斗]]、[[子役]]&lt;br /&gt;
* [[1月11日]] - [[阿部紗英]]、子役&lt;br /&gt;
* [[1月30日]] - [[鈴木渓佑]]、[[ジュニアアイドル]]&lt;br /&gt;
* [[2月1日]] - [[星野亜門]]、子役&lt;br /&gt;
* [[2月3日]] - [[斎藤安里奈ダイアナ]]、子役タレント&lt;br /&gt;
* 2月3日 - [[杉浦花菜]]、子役&lt;br /&gt;
* [[2月11日]] - [[森田想]]、子役&lt;br /&gt;
* [[2月15日]] - [[太田力斗]]、子役&lt;br /&gt;
* 2月15日 - [[羽鳥世那]]、子役&lt;br /&gt;
* [[3月1日]] - [[片岡千之助]]、[[歌舞伎]]役者&lt;br /&gt;
* [[3月2日]] - [[藤崎直]]、子役&lt;br /&gt;
* 3月2日 - [[松田亜美 (子役)]]&lt;br /&gt;
* [[3月4日]] - [[田口華]]、子役、ファッションモデル、[[さくら学院]]メンバー&lt;br /&gt;
* [[3月8日]] - [[武田航介]]、子役[[モデル (職業)|モデル]]&lt;br /&gt;
* [[3月10日]] - [[川嶋紗南]]、子役&lt;br /&gt;
* [[3月14日]] - [[松浦未唯]]、子役&lt;br /&gt;
* [[3月18日]] - [[小田切美織]]、子役&lt;br /&gt;
* [[3月29日]] - [[松島海斗]]、子役&lt;br /&gt;
* [[3月30日]] - マリウス葉、[[Sexy Zone]]のメンバー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 - 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[4月1日]] - [[くるみ (プロレスラー)|くるみ]]、[[プロレスラー]]（[[アイスリボン]]所属）&lt;br /&gt;
* [[4月7日]] - [[石井蒼月]]、子役&lt;br /&gt;
* [[4月7日]] - [[山田海遊]]、子役&lt;br /&gt;
* [[4月9日]] - [[ジャッキー・エヴァンコ]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[4月11日]] - [[モーガン・リリー]]、女優&lt;br /&gt;
* [[4月14日]] - [[平野美宇]]、[[卓球]][[選手]]&lt;br /&gt;
* [[4月15日]] - [[岡田結実]]、子役タレント&lt;br /&gt;
* [[4月18日]] - [[嶋村るい]]、子役&lt;br /&gt;
* [[4月30日]] - [[樋渡結依]]、子役&lt;br /&gt;
* [[5月4日]] - [[大前喬一]]、子役&lt;br /&gt;
* [[5月5日]] - [[阿部圭吾]]、子役&lt;br /&gt;
* [[5月8日]] - [[三好杏依]]、子役&lt;br /&gt;
* [[5月14日]] - [[ルチアーノ・ピシチーニ]]、[[ギタリスト]]&lt;br /&gt;
* [[5月20日]] - [[澁谷武尊]]、子役&lt;br /&gt;
* [[5月22日]] - [[玉水友哉]]、子役&lt;br /&gt;
* [[6月2日]] - [[工藤優]]、子役&lt;br /&gt;
* [[6月16日]] - [[渡邉奏人]]、子役&lt;br /&gt;
* [[6月18日]] - [[松田りおな]]、子役&lt;br /&gt;
* [[6月24日]] - [[熊谷瑠衣]]、子役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 - 9月 ===&lt;br /&gt;
* [[7月5日]] - [[小俣絵里佳]]、子役モデル&lt;br /&gt;
* [[7月8日]] - [[佐藤佳奈子]]、子役&lt;br /&gt;
* [[7月26日]] - [[グッドイヤー旭飛]]、子役&lt;br /&gt;
* [[8月12日]] - [[アキレアス＝アンドレアス]]、[[ギリシャ]]の王子&lt;br /&gt;
* [[8月27日]] - [[濱田龍臣]]、子役&lt;br /&gt;
* [[8月29日]] - [[浜辺美波]]、子役&lt;br /&gt;
* [[8月31日]] - [[小西結子]]、子役&lt;br /&gt;
* [[9月17日]] - [[飯野芹菜]]、子役&lt;br /&gt;
* [[9月21日]] - [[川口和宥]]、子役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 - 12月 ===&lt;br /&gt;
* [[10月16日]] - [[八木優希]]、子役&lt;br /&gt;
* [[10月18日]] - [[鏑木海智]]、子役&lt;br /&gt;
* [[10月23日]] - [[上田瑠星]]、子役&lt;br /&gt;
* [[11月9日]] - [[中島凱斗]]、子役、モデル&lt;br /&gt;
* [[11月10日]] - [[マッケンジー・フォイ]]、女優、モデル&lt;br /&gt;
* [[11月15日]] - [[岡亮]]、子役&lt;br /&gt;
* [[11月20日]] - [[コニー・タルボット]]、歌手&lt;br /&gt;
* [[11月29日]] - [[黒宮れい]]、ジュニアアイドル&lt;br /&gt;
* [[12月3日]] - [[鍋本凪々美]]、子役&lt;br /&gt;
* [[12月7日]] - [[前田旺志郎]]、[[まえだまえだ]]、子役&lt;br /&gt;
* [[12月9日]] - [[當銘竜基]]、子役モデル&lt;br /&gt;
* [[12月12日]] - [[坂田惟仁]]、子役&lt;br /&gt;
* [[12月18日]] - [[清水優哉]]、子役&lt;br /&gt;
* 12月18日 - [[須賀さくら]]、子役&lt;br /&gt;
* [[12月19日]] - [[小島涼]]、子役モデル&lt;br /&gt;
* [[12月27日]] - [[フランシス (ハロー!プロジェクト)|フランシス]]、[[大小姐]]&lt;br /&gt;
* [[12月28日]] - [[仲川みきえ]]、子役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 死去 ==&lt;br /&gt;
=== 1月 - 3月 ===&lt;br /&gt;
* [[1月5日]] - [[小島剛夕]]、[[漫画家]]（* [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月13日]] - [[丸木俊]]、[[画家]]（* [[1912年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月19日]] - [[ヘディ・ラマー]]、[[俳優|女優]]・[[発明家]]（* [[1913年]]）&lt;br /&gt;
* 1月19日 - [[ベッティーノ・クラクシ]]、[[イタリアの首相|イタリア首相]]（* [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* 1月19日 - [[ジョージ・レドヤード・ステビンズ]]、[[植物学者]]・[[遺伝学者]]（* [[1906年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月23日]] - [[成田きん]] 長寿の双子として知られた人物（* [[1892年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月27日]] - [[フリードリヒ・グルダ]]、[[ピアニスト]]（* [[1930年]]）&lt;br /&gt;
* [[1月28日]] - [[どんと]]、[[ミュージシャン]]、[[ボ・ガンボス]]のヴォーカル（* [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月3日]] - [[二階堂進]]、[[政治家]]（* [[1909年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月4日]] - [[ロナルド・ロバートソン]]、[[フィギュアスケート]]選手（* [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月7日]] - [[新山志保]]、[[声優]]（* [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月9日]] - [[荒井注]]、[[コメディアン]]（[[ザ・ドリフターズ|ドリフターズ]]）（* [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月10日]] - [[加藤一 (画家)|加藤一]]、[[画家]]（* [[1925年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月12日]] - [[チャールズ・モンロー・シュルツ]]、[[漫画家]]（* [[1922年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月15日]] - [[進藤武松]]、[[彫刻家]]（* [[1909年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月19日]] - [[フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー]]、[[芸術家]]・[[画家]]・[[建築家]]（* [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* [[2月27日]] - [[伊賀上良平]]、[[プロ野球選手]]（* [[1917年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月1日]] - [[田中澄江]]、脚本家・作家（* [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月3日]] - [[岡道男]]、文学研究者（* [[1931年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月7日]] - [[鶴岡一人]]、プロ野球選手、野球指導者（* [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* 3月7日 - [[ウィリアム・ドナルド・ハミルトン]]、[[生物学者]]（* [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月9日]] - [[イーヴォ・ロビッチ]]、[[クロアチア]]の歌手（* [[1923年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月15日]] - [[粟津號]]、俳優（* [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月18日]] - [[永井道雄]]、教育社会学者・元文部大臣（* 1923年）&lt;br /&gt;
* [[3月23日]] - [[カール・シャウプ]]、租税法学者（* [[1902年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月24日]] - [[越智伊平]]、[[政治家]]（* [[1920年]]）&lt;br /&gt;
* [[3月27日]] - [[河盛好蔵]]、[[フランス文学者]]・[[評論家]]（* [[1902年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 4月 - 6月 ===&lt;br /&gt;
* [[4月2日]] - [[トンマーゾ・ブシェッタ]]、マフィアから当局の協力者となった人物（* [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月3日]] - [[ミルコ・ボボツォフ]]、[[チェス]]選手（* [[1931年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月12日]] - [[仁内建之]]、声優（* [[1933年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月15日]] - [[エドワード・ゴーリー]]、[[絵本作家]]（* [[1925年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月21日]] - [[山本穰]]、[[プロ野球選手]]（* [[1958年]]）&lt;br /&gt;
* [[4月23日]] - [[杉浦茂]]、漫画家（* [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月3日]] - [[中田喜直]]、[[作曲家]]（* [[1923年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月4日]] - [[仲木繁夫]]、[[映画監督]]（* 生年不明）&lt;br /&gt;
* 5月4日 - [[ハイセイコー]]、[[競走馬]]（*[[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月5日]] - [[奥野高廣]]、[[歴史学者]]（* [[1904年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月10日]] - [[塩沢兼人]]、[[声優]]（* [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月13日]] - [[ジャンボ鶴田]]、[[プロレスラー]]（* [[1951年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月14日]] - [[小渕恵三]]、第84代[[内閣総理大臣]]（* [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* 5月14日 - [[三浦洋一 (俳優)|三浦洋一]]、[[俳優]]（* [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月20日]] - [[ジャン＝ピエール・ランパル]]、[[フルート奏者]]（* [[1922年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月21日]] - [[マーク・R・ヒューズ]]、ハーバライフ創立者（* [[1956年]]）&lt;br /&gt;
* 5月21日 - [[エーリッヒ・ミールケ]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]国家保安相（* [[1907年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月26日]] - [[山村聰]]、[[俳優]]（* [[1910年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月28日]] - [[ドナルド・デービス]]、[[計算機科学]]研究者（* [[1924年]]）&lt;br /&gt;
* [[5月30日]] - [[池真理子]]、歌手（* [[1917年]]）&lt;br /&gt;
* 5月30日 - [[井上大輔]]、[[ジャッキー吉川とブルーコメッツ]]メンバー・[[作曲家]]（* [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月6日]] - [[梶山静六]]、政治家（* [[1926年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月8日]] - [[宇佐美一夫]]、プロ野球選手（* [[1914年]]）&lt;br /&gt;
* 6月8日 - [[大館勲]]、プロ野球選手（* [[1917年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月9日]] - [[ジョージ・シーガル]]、[[彫刻家]]・[[画家]]（* [[1924年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月10日]] - [[ハーフィズ・アル＝アサド]]、[[シリア]]前大統領（* [[1930年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月16日]] - [[香淳皇后]]、[[昭和天皇]]の皇后（* [[1903年]]）&lt;br /&gt;
* 6月16日 - [[長持栄吉]]、プロ野球選手（* [[1918年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月19日]] - [[竹下登]]、第74代内閣総理大臣（* [[1924年]]）&lt;br /&gt;
* 6月19日 - [[飯田徳治]]、プロ野球選手（* [[1924年]]）&lt;br /&gt;
* [[6月22日]] - [[滝沢修]]、俳優（* [[1906年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 7月 - 9月 ===&lt;br /&gt;
* [[7月2日]] - [[ジェームズ・グローガン]]、[[フィギュアスケート]]選手（* [[1931年]]）&lt;br /&gt;
* 7月2日 - [[青江三奈]]、[[歌手]]（* [[1941年]]）　&lt;br /&gt;
* [[7月4日]] - [[植田正治]]、[[写真家]]（* [[1913年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月6日]] - [[ウワディスワフ・シュピルマン]]、[[ピアニスト]]（* [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月16日]] - [[森下重好]]、[[プロ野球選手]]（* [[1920年]]）&lt;br /&gt;
* 7月16日 - [[ウィリアム・フート・ホワイト]]、[[社会学者]]（* [[1914年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月20日]] - [[アイベン・アール]]、[[画家]]（* [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月22日]] - [[真木洋子]]、女優（* [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月23日]] - [[小倉遊亀]]、[[画家]]（* [[1895年]]）&lt;br /&gt;
* [[7月24日]] - [[オスカー・シュムスキー]]、[[ヴァイオリニスト]]（* [[1917年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月3日]] - [[マッスル北村]]、ボディビルダー・タレント（* [[1960年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月6日]] - [[谷村昌彦]]、俳優（* [[1927年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月12日]] - [[ロレッタ・ヤング]]、女優（* [[1913年]]）&lt;br /&gt;
* 8月12日 - [[秋山登]]、プロ野球選手（* [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月14日]] - [[今西正男]]、[[声優]]（* [[1931年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月17日]] - [[E・H・エリック]]、[[タレント]]（* [[1929年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月24日]] - [[タチアナ・リアブーシンスカ]]、[[バレエ]]ダンサー（* [[1916年]]または[[1917年]]）&lt;br /&gt;
* 8月24日 - [[アンディ・フグ]]、[[格闘家]]（* [[1964年]]）&lt;br /&gt;
* [[8月31日]] - [[ルシール・フレッチャー]]、[[脚本家]]・[[作家]]（* [[1912年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月1日]] - [[たがわ靖之]]、漫画家（* [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月9日]] - [[福谷たかし]]、漫画家（* [[1952年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月16日]] - [[田部輝男]]、プロ野球選手（* [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月20日]] - [[徳間康快]]、実業家・映画プロデューサー（* [[1921年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月22日]] - [[坂井三郎]]、[[撃墜王]](* [[1916年]])&lt;br /&gt;
* [[9月23日]] - [[工藤栄一]]、[[映画監督]]（* [[1929年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月24日]] - [[ガブリエル・バンサン]]、[[絵本作家]]（* [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* 9月24日 - [[バジル・バーンステイン]]、[[社会学者]]・[[言語学者]]（* [[1924年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月25日]] - [[浪越徳治郎]]、[[指圧師]]（* [[1905年]]）&lt;br /&gt;
* [[9月30日]] - [[ハワード・ウィンストン]]、プロボクサー（* [[1939年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 10月 - 12月 ===&lt;br /&gt;
* [[10月4日]] - [[芹川有吾]]、[[アニメーション演出家]]、[[脚本家]]（* 1931年）&lt;br /&gt;
* [[10月12日]] - [[ミヤコ蝶々]]、[[俳優|女優]]、[[漫才師]]（* 1920年）&lt;br /&gt;
* [[10月13日]] - [[藤井将雄]]、[[プロ野球選手]]（* [[1968年]]）&lt;br /&gt;
* [[10月15日]] - [[稲垣人司]]、高校野球指導者（* [[1932年]]）&lt;br /&gt;
* [[10月22日]] - [[新山彰忠]]、プロ野球選手（* [[1939年]]）&lt;br /&gt;
* [[10月31日]] - [[真鍋博]]、イラストレーター（* 1932年）&lt;br /&gt;
* 10月31日 - [[華月 (Raphael)|華月]]、[[Raphael]]（* [[1981年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月2日]] - [[ロバート・コーミア]]、小説家（* [[1925年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月5日]] - [[高野光]]、プロ野球選手（* [[1961年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月9日]] - [[東千代之介]]、[[俳優]]（* [[1926年]]）&lt;br /&gt;
* 11月9日 - [[茶川一郎]]、[[俳優]]（* [[1927年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月14日]] - [[東野英心]]、[[俳優]]（* [[1942年]]）&lt;br /&gt;
* [[11月26日]] - [[小坂善太郎]]、[[政治家]]（* [[1912年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月3日]] - [[小平忠]]、[[政治家]]（* [[1915年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月5日]] - [[鈴木その子]]、[[美容家]]（* [[1932年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月11日]] - [[白石勝巳]]、[[プロ野球選手]]（* [[1918年]]）&lt;br /&gt;
* [[12月25日]] - [[ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン]]、論理学者（* [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* 12月25日 - [[田村勲]]、プロ野球選手（* [[1957年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 時期不明 ===&lt;br /&gt;
* 月日不詳 - [[森マックス]]、医学博士、埼玉中央病院皮膚科部長（* [[1919年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ノーベル賞 ==&lt;br /&gt;
* [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[ジョレス・アルフョーロフ]]、[[ハーバート・クレーマー]]、[[ジャック・キルビー]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[アラン・ヒーガー]]、[[アラン・マクダイアミッド]]、[[白川英樹]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[アービド・カールソン]]、[[ポール・グリーンガード]]、[[エリック・カンデル]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[高行健]]&lt;br /&gt;
* [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[金大中]]&lt;br /&gt;
* [[アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞|経済学賞]] - [[ジェームズ・ヘックマン]]、[[ダニエル・マクファデン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクションのできごと ==&lt;br /&gt;
* [[1月29日]] - 長野県九郎ヶ岳の超古代遺跡から200体余りのグロンギ怪人が復活、及び霊石アマダムを内蔵したベルト『アークル』が発掘される。（『[[仮面ライダークウガ]]』）&lt;br /&gt;
* 1月? - オジャママンの正体が判明され、オジャママンは全員逮捕。その直後オオボラー大彗星が地球目掛けて襲う。それを知ったオジャママンメンバー・ゲキガスキーの勧めで、オジャママンはアンドロメダマ号に搭乗、アンドロメダマ号は大彗星に特攻し、大彗星は破壊されるが、オジャママンは全員脱出し失踪。（『[[タイムパトロール隊オタスケマン]]』）&lt;br /&gt;
* 6 - 7月 - 廃棄物13号事案生起（『[[WXIII 機動警察パトレイバー]]』）&lt;br /&gt;
* 7月 - [[ゴジラ (架空の怪獣)|ゴジラ]]が[[根室市]]に上陸。同時期、[[茨城県]][[鹿島灘]]沖の[[日本海溝]]で6 - 7000万年前のものと思われる巨大岩塊が発見される。数日後、茨城県[[東海村]]にゴジラ出現。自衛隊と交戦する。同日、岩塊が飛行を開始し、東海村のゴジラを撃退。後に巨大UFOとしての正体を現し、東京・[[西新宿]]の[[東京オペラシティ|オペラシティ]]に飛来。同日深夜、上陸してきたゴジラと交戦。さらに、宇宙人が変化した宇宙怪獣[[ゴジラ2000 ミレニアム#オルガ|オルガ]]とゴジラが交戦、新宿は火の海となる。（『[[ゴジラ2000 ミレニアム]]』）&lt;br /&gt;
* [[8月30日]] - ダンとソガを乗せた宇宙船スコーピオン号が第4惑星に到着。（『[[ウルトラセブン]]』）&lt;br /&gt;
* [[9月13日]] - 南極で[[セカンドインパクト]]発生。これによる災害とその後の世界的紛争で全人口の半数が死亡。地軸の変動で日本から季節が失われ、1年中夏が続くようになる。（『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』）&lt;br /&gt;
* 12月 - ゴールドマン事件（『[[ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド|ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド2、ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド]]』）&lt;br /&gt;
* 12月25日 - 物理学者・春原隆が原子爆弾を作り始める。（『[[天国に一番近い男|さらば天国に一番近い男]]』）&lt;br /&gt;
* [[12月31日]] - 世界各地で[[バイオテロ]]が発生。後にこの事件は'''血の大みそか'''と名付けられる。（『[[20世紀少年]]』）&lt;br /&gt;
* 日付不明 - [[警視庁]]に勤務する刑事[[相棒の登場人物#特命係|亀山薫]]が指名手配犯[[相棒の登場人物#犯人（被疑者・被告人・服役囚等）|阿部貴三郎]]に人質として捕えられたため、捜査一課から特命係に左遷される。（『[[相棒]]』）&lt;br /&gt;
* 日付不明 - [[ゼビウス]]軍が地球に襲撃。[[ガンプ]]が支配する。&lt;br /&gt;
* 日付不明 - 第5世代コンピューター[[フォルツォイクロン]]が発明され、ロボット革命が起きる（[[勇者警察ジェイデッカー]]）。&lt;br /&gt;
* 日付不明 - 英米同時バイオテロ事件（別名、飛行船事件）発生。[[ホワイトハウス]]が炎上、[[ロンドン]]はほぼ壊滅。犠牲者は2030年の第17次報告によると、[[アメリカ合衆国]]6万4300人（大統領と全閣僚を含む）、[[イギリス]]371万8917人。（[[HELLSING]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:2000年|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2&amp;diff=307575</id>
		<title>衆議院</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2&amp;diff=307575"/>
				<updated>2015-10-13T03:46:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Image:Syugiin_gijyo.jpg|thumb|衆議院議場]]&lt;br /&gt;
[[Image:Syugiin_gijyo2.jpg|thumb|与党席側から見た議場]]&lt;br /&gt;
'''衆議院'''（しゅうぎいん）は、[[日本]]の[[国会 (日本)|国会]]を構成する[[議院]]の一つ。英訳は'''The House of Representatives'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本国憲法]]下では[[参議院]]と共に[[両院制|両院制（二院制）]]&amp;lt;ref&amp;gt;両院制（二院制）とは、[[議会]]が各別の議決権を持つ2つの議院により構成され、両議院の議決の一致により議会の意思形成を行う制度のこと。&amp;lt;/ref&amp;gt;の国会を構成する。[[大日本帝国憲法]]下では[[貴族院 (日本)|貴族院]]と共に[[帝国議会]]を構成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本国憲法下の衆議院 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 選挙権 ===&lt;br /&gt;
*[[選挙#選挙権|選挙権]]：20歳以上の日本国民。&lt;br /&gt;
*被選挙権：25歳以上の日本国民。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 任期 ===&lt;br /&gt;
任期は4年（ただし、[[衆議院解散|解散]]時には任期満了前に議員資格を失う）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地位 ===&lt;br /&gt;
;参議院との違い&lt;br /&gt;
:衆議院の任期（4年）は参議院の任期（6年）より短く、また衆議院は任期途中での解散があるため、より忠実に民意を反映できると解されている。このため、参議院に対して優越的地位に立つ（[[衆議院の優越]]）。&lt;br /&gt;
;「衆議院の優越」の例&lt;br /&gt;
:#衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした'''[[法律]]案'''は、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる（[[日本国憲法第59条|憲法59条2項]]）。&lt;br /&gt;
:#'''[[予算]]'''の議決、'''[[条約]]'''の承認、'''[[内閣総理大臣]]の指名'''について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合に、[[両院協議会]]を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の議決から一定期間内に議決しないときは、衆議院の議決を国会の、議決とする（[[日本国憲法第60条|憲法60条2項]]、[[日本国憲法第61条|61条]]、[[日本国憲法第67条|67条2項]]）。&lt;br /&gt;
:#予算案は、先に衆議院に提出され、審議される（'''予算先議権'''、[[日本国憲法第60条|憲法60条1項]]）。&lt;br /&gt;
:#内閣不信任決議は、衆議院のみが行える（[[日本国憲法第69条|憲法69条]]）。内閣不信任決議案の可決（又は信任決議案の否決）は、[[内閣総辞職]]、又は衆議院の解散の効果を伴う。&lt;br /&gt;
:#会期の決定について、両議院の議決が一致しないとき、又は参議院が議決しないときは、衆議院の議決したところによる（[[国会法]]13条）。&lt;br /&gt;
:※ 憲法改正での優越権は無い。また、個々の[[国務大臣]]に対する[[不信任決議]]を行うこともできるが、法的効果はない。&lt;br /&gt;
;内閣との関係&lt;br /&gt;
:内閣は衆議院を解散することができる。衆議院で内閣不信任決議案を可決（又は内閣信任決議案を否決）した場合、10日以内に衆議院を解散しない限り、総辞職をしなければならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 選出方法 ===&lt;br /&gt;
衆議院議員の選挙（[[衆議院議員総選挙|総選挙]]）は、'''[[小選挙区比例代表並立制]]'''によって行われる。小選挙区比例代表並立制とは、選挙人が[[小選挙区制|小選挙区]]と[[比例代表制|比例代表]]のそれぞれに1票ずつ投票する制度。小選挙区から300人、比例代表から180人の計480人を選出する。被選挙人（立候補者）は、小選挙区と比例代表の双方に立候補することができる（[[重複立候補制度]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1993年]]の選挙までは、[[中選挙区制]]（[[大選挙区制]]の一種）で行われていた。詳細については項目「[[衆議院議員総選挙]]」を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 定数 ===&lt;br /&gt;
衆議院議員の定数は、'''480人'''（[[2007年]][[1月26日]]（第166回国会召集日）現在）。[[議員定数|議員の定数]]は、[[公職選挙法]]に定められている（第4条第1項）。&lt;br /&gt;
==== 定数の推移 ====&lt;br /&gt;
日本国憲法が施行されて、初めて召集された第1回国会は、第22回総選挙（[[1947年]][[4月25日]]執行）で選出された議員により構成された。この総選挙は、第92回帝国議会で新憲法に考慮して改正した衆議院議員選挙法（同年[[3月31日]]公布）に基づいて行われた。選出方法は中選挙区制で、定数は'''466人'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1950年]]に衆議院議員選挙法を廃止して、新たに公職選挙法を制定した。このときは、選出方法・定数とも変わらず、中選挙区制・定数'''466人'''と定められた。[[1953年]]には[[奄美群島]][[本土復帰|復帰]]により1増の'''467人'''、[[1964年]]に19増の'''486人'''、[[1971年]]には[[沖縄]]復帰により5増の'''491人'''となり、[[1975年]]に20増の'''511人'''と増員された後は、この定数が[[1986年]]まで続いた。定数是正の直接の理由は、産業構造の変化に伴い、都市部への人口集中が起こったことから[[一票の格差]]が問題とされるようになったことである。ただ、増員ばかりが続いた背景には、減員が現職議員の失職に繋がるものであることや、与党にとって不利な定数変更とならないことに配慮した、などの点が指摘されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1983年]]、一票の格差が3倍以上に達する場合には憲法14条に反するとも解される[[最高裁判所]]の判決が出された。これを受けて、1986年に初めての減員を含む8増7減（8選挙区で1人ずつ増員し、7選挙区で1人ずつ減員。差し引き1増）の'''512人'''となる。さらに、[[1992年]]には9増10減（9選挙区で1人ずつ増員し、10選挙区で1人ずつ減員。差し引き1減）の'''511人'''となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1993年]]、いわゆる政治改革の一つとして選挙制度改革が論じられた。その結果、従来の中選挙区制は廃止し、[[小選挙区比例代表並立制]]が導入された。同時に定数も改定され、511人から'''500人'''（小選挙区300人、比例代表200人）に大幅減員された。[[2000年]]に比例代表の定数について20削減され、[[2005年]]現在の定数は'''480人'''（小選挙区300人、比例代表180人）となっている。これは、国民27万人あたり1議席の割合となり、世界的に見ると人口の割には定数がかなり少ない部類に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 会派 ===&lt;br /&gt;
[[Image:House of Representatives of Japan - by Party (JA).svg|thumb|right|400px|衆議院会派別勢力図]]&lt;br /&gt;
議員は、院内では[[会派]]（[[院内会派]]）を作って行動することが多い。院内会派とは、2人以上の院所属議員で結成する団体のことである。政党とほぼ重なるものの、2つ以上の政党で一つの会派を作ったり、無所属議員が院内会派に所属することもある。その院の各委員会の委員数や、発言・質問の時間配分、法案提出権などは、政党ではなく会派の所属議員数によって左右される。衆参両院とも、慣例により議長と副議長は会派を離脱する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[9月25日]]現在の、衆議院における会派別勢力は以下の通り。&lt;br /&gt;
* [[自由民主党]]・無所属会（略称は、自民。以下同じ） 305&lt;br /&gt;
* [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・無所属クラブ（民主） 113&lt;br /&gt;
* [[公明党]]（公明） 31&lt;br /&gt;
* [[日本共産党]]（共産） 9&lt;br /&gt;
* [[社会民主党 (日本)|社会民主党]]・市民連合（社民） 7&lt;br /&gt;
* [[国民新党]]・[[そうぞう]]・無所属の会（国民） 6&lt;br /&gt;
* 無所属（無） 9&lt;br /&gt;
* 欠員 0&lt;br /&gt;
* 計 480&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 役員等 ===&lt;br /&gt;
衆議院の役員は議長、副議長、仮議長、常任委員長、事務総長とされている（日本国憲法第58条および[[国会法]]第16条）が、衆議院では、これに特別委員長、憲法調査会会長、政治倫理審査会会長を加えた八職を「役員等」としている。&lt;br /&gt;
==== 議長・副議長 ====&lt;br /&gt;
詳細は記事「[[衆議院議長]]」にゆずり、ここでは概要のみ述べる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議長は、議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する（国会法第19条）。副議長は、議長に事故があるとき又は議長が欠けたときは、議長の職務を行う（国会法第21条）。議長及び副議長とも各々一人で（国会法第17条）、任期は各々議員としての任期までとなる（国会法第18条）。現職は[[第163回特別国会|第163回国会]]召集の当日（2005年[[9月21日]]）に選任された。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!役職!!氏名!!所属会派（出身会派）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[衆議院議長|議長]]||[[河野洋平]]||無所属（[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|副議長||[[横路孝弘]]||無所属（[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・無所属クラブ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*議長及び副議長がともに又はいずれかが欠けた場合は、直ちに選挙をしなければならない（国会法第23条）。&lt;br /&gt;
*総選挙後に召集される国会では、召集当日に議長及び副議長がともにないので、まずその選挙をおこなう（国会法第6条、衆議院規則第3条及び同第9条）。&lt;br /&gt;
**召集当日に選挙が出来なかった例が、第1回、第29回、第37回、第45回及び第127回国会にある（衆議院先例集38号）。&lt;br /&gt;
*衆参の議長は[[三権の長]]で唯一[[親任官|親任式]]の対象ではないが、議長、副議長は、就任の際、[[天皇]]に面会のうえ挨拶をし、辞任の際には、挨拶の記帳をする（衆議院先例集51号）こととなっている。&lt;br /&gt;
*第50回帝国議会において議長は不偏不党厳正公平であるべきとの決議が全会一致で可決され、以後おおむね議長及び副議長は就任に際し党籍を離脱している（衆議院先例集65号）。&lt;br /&gt;
*議長は[[内閣総理大臣]]の親任式に列席する（衆議院先例集69号）。&lt;br /&gt;
**第21回国会の[[鳩山一郎]]内閣総理大臣の親任式の際は、議長が欠けていたので[[原彪之助|原彪]]副議長が列席した例がある（衆議院先例集69号）。&lt;br /&gt;
===== 仮議長 =====&lt;br /&gt;
議長および副議長に共に事故があるときは仮議長を選挙し議長の職務を行わせることになっている（国会法第22条）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 委員長 ====&lt;br /&gt;
委員長は、委員会の議事を整理し、秩序を保持する（国会法第48条）。&lt;br /&gt;
===== 常任委員長 =====&lt;br /&gt;
常任委員長は、本会議で委員の中から選挙（国会法第25条）もしくは議長において指名（衆議院規則第15条第1項）で選任されるが、後者の場合がほとんどである。この場合、事前に各[[会派]]間で協議された常任委員長各会派割当てと会派申出の候補者に基づいておこなわれる。委員の選任は、総選挙後初めて召集される会期の始めに行われる（国会法第42条および衆議院委員会先例集9号）か、国会法または衆議院規則の改正により必要となったとき（衆議院委員会先例集10号）のみであり、その他の場合は異動とみなし、委員の辞任と補欠選任で対処することになっている。また、多くの会派は、毎年秋に召集される臨時会の冒頭で各委員の構成を見直すことを例としていることから、実際に委員の構成が大きく変わるのは総選挙後の国会と毎年秋に召集される臨時会であり、常任委員長が選任されるのはその際である。現職は[[第165回臨時国会|第165回国会]]冒頭に議長によって指名された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
常任委員長は、各議院において特に必要があると認めるときは、その院の議決をもって（すなわち本会議において）、常任委員長を解任することができる（国会法30条の2）。委員会でも、不信任動議を可決することは可能であるが、この動議は法的拘束力をもたず、解任するためには本会議における解任決議を成立させる必要がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、委員長の不信任動議が可決されたのは、衆議院では過去に2例存在し、1948年12月の予算委員長に対するものと、2007年6月の懲罰委員長に対する例がある。解任決議が可決された事例は衆議院では実例がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 2007年9月10日現在の常任委員長&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!役職!!氏名!!所属会派&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[内閣委員会|内閣委員長]]||[[中野清]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[総務委員会|総務委員長]]||[[渡辺博道]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[法務委員会|法務委員長]]||[[下村博文]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[外務委員会|外務委員長]]||[[平沢勝栄]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[財務金融委員会|財務金融委員長]]||[[原田義昭]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[文部科学委員会|文部科学委員長]]||[[佐藤茂樹]]||[[公明党]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[厚生労働委員会|厚生労働委員長]]||[[茂木敏充]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[農林水産委員会|農林水産委員長]]||[[宮腰光寛]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[経済産業委員会|経済産業委員長]]||[[東順治]]||公明党&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[国土交通委員会|国土交通委員長]]||[[竹本直一]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[環境委員会|環境委員長]]||[[小島敏男]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[安全保障委員会|安全保障委員長]]||[[嘉数知賢]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[国家基本政策委員会|国家基本政策委員長]]||[[衛藤征士郎]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[予算委員会|予算委員長]]||[[逢沢一郎]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[決算行政監視委員会|決算行政監視委員長]]||[[枝野幸男]]||民主党・無所属クラブ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[議院運営委員会|議院運営委員長]]||[[笹川堯]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[懲罰委員会|懲罰委員長]]||[[池田元久]]||民主党・無所属クラブ&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 特別委員長 =====&lt;br /&gt;
特に必要があると判断された場合、特別委員会を設けることができる（国会法第45条）。第167回国会では6特別委員会が設置され、特別委員長は各委員会委員の互選によって選出された。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!役職!!氏名!!所属会派&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|災害対策特別委員長||[[鈴木恒夫]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長||[[棚橋泰文]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|沖縄及び北方問題に関する特別委員長||[[藤村修]]||民主党・無所属クラブ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|青少年問題に関する特別委員長||[[玄葉光一郎]]||民主党・無所属クラブ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員長||[[深谷隆司]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長||[[山本拓 (政治家)|山本拓]]||自由民主党･無所属会&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 憲法審査会会長 ====&lt;br /&gt;
憲法審査会は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査するため、[[第167回国会]]から設けられた。ただし、憲法改正原案の審査については2010年5月18日から可能になる。しかし、実際には第167回国会で野党側の要求により、憲法審査会規程について制定することを見送ることになったことから、当分休眠状態が続く見込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 政治倫理審査会会長 ====&lt;br /&gt;
政治倫理審査会は、政治倫理の確立のため、議員が「行為規範」その他の法令の規定に著しく違反し、政治的道義的に責任があると認めるかどうかについて審査する（国会法第124条の3）。&lt;br /&gt;
政治倫理審査会会長は総選挙後に召集される国会で委員の互選によって選出される。現職は第168回国会にて選出された。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!役職!!氏名!!所属会派&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|政治倫理審査会会長||[[愛知和男]]||自由民主党・無所属会&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 事務総長 ====&lt;br /&gt;
事務総長は、議長の監督の下に、議院の事務を統理し、公文に署名する（国会法第28条）。本会議において国会議員外より選挙（国会法第27条）されるが、その手続を省略し議長において指名（衆議院規則第16条第1項）することができることとなっている。手続を省略する場合がほとんどである。現職は2003年[[11月27日]]に選挙された。[[事務総長 (国会)]]の記事も参照。詳しい説明がある。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!役職!!氏名!!前職&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|事務総長||駒崎義弘||衆議院事務次長&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大日本帝国憲法下の衆議院 ==&lt;br /&gt;
=== 選挙権 ===&lt;br /&gt;
;選挙権&lt;br /&gt;
:日本内地（北海道から沖縄にいたる）に居住する25歳以上で、当時日本国籍（台湾・朝鮮半島出身者を含む）を有する男子のみに与えられていた。時期によっては、1年以上その府県内において一定額以上の直接国税を納めている者に制限していた。俗に外地と呼ばれる台湾や朝鮮半島・樺太、および得撫島以北の千島列島などの地域では選挙区が無い為選挙は行なわれず（[[1945年]]4月、樺太・朝鮮・台湾に選挙法が施行されて男子住民に選挙権が与えられたが、終戦のためこれによる選挙は行われなかった。後段に詳述）、外国在日本人には選挙権が無かった。また、[[皇族]]、華族の戸主、現役軍人には選挙権はなかった。&lt;br /&gt;
;被選挙権&lt;br /&gt;
:30歳以上の日本内外地出身を問わず、日本国籍の男子なら立候補出来た。時期によって、1年以上その府県内において直接国税を一定額以上を納めている者に限定していたことがあった。ただ、当時選挙区は日本内地にしか無く、1945年の法改正で外地に選挙区が設置され選挙出馬が可能になったが、終戦により実行される事は無かった。また、皇族、華族の戸主、現役軍人には被選挙権はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; &lt;br /&gt;
|+ '''選挙権・被選挙権における&amp;lt;BR&amp;gt;直接国税納税額'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!実施年!!選挙権!!被選挙権&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1890年]]||15円以上||15円以上&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1902年]]||10円以上||制限なし&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1920年]]||3円以上||制限なし&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1928年]]||制限なし||制限なし&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 定数 ===&lt;br /&gt;
定数は衆議院議員選挙法によって定められていた。[[1889年]]に衆議院議員選挙法によって300人と定められた後、増員が繰り返され、[[1925年]]に466人となった（実際に466人が選出されたのは1928年の総選挙）。1945年4月の樺太・朝鮮・台湾への選挙法施行で31人が追加され497人となったが、そのための選挙は行われなかった。敗戦後、大選挙区制が採用された1945年12月の選挙法改正で468人とされたが、うち2人を占める沖縄県は米軍の統治下に置かれて選挙法が施行されなかったので、[[1946年]]4月の戦後第1回総選挙（第22回総選挙）は沖縄を除く466人について実施され、新憲法下に継承された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 選挙区 ===&lt;br /&gt;
==== 小選挙区制（第1次） ====&lt;br /&gt;
1889年の衆議院議員選挙法では北海道と沖縄県を除いた区域を[[区]]（[[市制]]施行以降の[[市]]）・[[郡]]を単位に257の選挙区に分け、1選挙区から1人を選出する[[小選挙区制]]を原則としたが、43選挙区は2人区とされ、全体で定数300人となった。投票方法について1人区においては当然に1名単記とされたが、2人区では2名連記が採用された。第1回総選挙（1890年[[7月1日]]執行）から第6回総選挙（[[1898年]][[8月10日]]執行）までがこの選挙法によって行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 大選挙区制（第1次） ====&lt;br /&gt;
[[1900年]]、[[第2次山縣内閣|第2次山県有朋内閣]]により選挙法が改正され選挙権・被選挙権が拡大されるとともに、従来の小選挙区制から原則として1つの府県を1つの選挙区としてそれぞれから2人～12人を選出する大選挙区制に改められた。ただし、市部や離島は1選挙区として郡部からは分離され、東京市・京都市・大阪市（のち横浜市も追加）を除いて定数1人の小選挙区とされた。これにより総定数は369人となったが、1902年に[[第1次桂内閣|第1次桂太郎内閣]]の下で再度選挙法が改正されて、この間に新たに発足した市が郡部選挙区から分離して総定数は381人となった。このうち、札幌区・小樽区・函館区を除く北海道と沖縄県への施行は当初は見合わされ、得撫島以北の千島列島を除く北海道全域には1903年、沖縄県には[[1912年]]にようやく選挙法が施行された。この改正から大選挙区においても単記制が採用された。第7回総選挙（1902年8月10日執行）から第13回総選挙（1917年4月20日執行）までがこの選挙法によって行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 小選挙区制（第2次） ====&lt;br /&gt;
[[大正デモクラシー]]の下での普選運動の高まりに対して[[原内閣|原敬内閣]]は[[1919年]]に選挙法を改正して、納税額による選挙権の制限を残しながらも選挙権の拡大を図るとともに、大選挙区となっていた郡部選挙区を分割して、従来から事実上の小選挙区であった市部・離島と合わせて小選挙区を原則とする選挙制度に改めた。総定数は464と大幅に増員され374の選挙区が設定されたが、そのうち68選挙区が2人区、さらに11選挙区は3人区とされて、小選挙区制の原則からは大きく逸脱したものであった。第14回総選挙（1920年5月10日執行）および第15回総選挙（[[1924年]]2月20日）がこの選挙法によって行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中選挙区制 ====&lt;br /&gt;
[[護憲運動|第2次護憲運動]]の高まりの下で行われた第15回総選挙で[[護憲三派]]が勝利することによって発足した[[加藤高明内閣]]が1925年に衆議院議員選挙法を全面改正することによって[[普通選挙]]（ただし男子のみ）が実現した。この改正衆議院議員選挙法を一般に[[普通選挙法]]と呼ぶ。北海道から沖縄県までの全国（得撫島以北の千島列島および小笠原島を除く）に1選挙区の定数を3人～5人とする122選挙区が設定され、総定数は466となった。直前の小選挙区制とも府県を1選挙区とする大選挙区制とも違うという意味で中選挙区制と呼ぶ。第16回総選挙（1928年2月20日執行）から第21回総選挙（[[1942年]]4月30日執行）までの総選挙がこの選挙法によって行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前述の通り、この選挙法は[[植民地]]である樺太・朝鮮・台湾には実施されていなかったが、[[第二次世界大戦]]末期の1945年4月に選挙法が改正されてこれらの地域にも議席が配分されて（樺太：3人、朝鮮：23人、台湾：5人）、衆議院の総定数は497人となった。選挙権・被選挙権は当該地域に居住する日本人だけでなく朝鮮人や台湾人などにも当然に与えられたが、選挙権については「引続キ一年以上直接国税十五円以上ヲ納ムル者」という制限があった。この改正にかかわらず、8月の日本の敗戦によってこれによる選挙は結局行われなかった。また、得撫島以北の千島列島と小笠原島には最後まで選挙法が施行されなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 大選挙区制（第2次） ====&lt;br /&gt;
敗戦後、占領軍の指導の下に行われた「民主化」の一環として[[幣原内閣|幣原喜重郎内閣]]によって1945年12月に衆議院議員選挙法が改正されて女性に選挙権が与えられるとともに、都道府県を単位とする大選挙区制が導入された。1900年の大選挙区制とは違い、各都道府県全域を1選挙区とすることを原則に総定数468人を沖縄県を含む各都道府県の人口（1945年[[11月1日]]の人口調査による）に基づいて配分された。これにより15人以上が配分される東京都・大阪府・兵庫県・新潟県・愛知県・福岡県および北海道の7都道府県についてはこれを分割して2選挙区とした。この結果，各選挙区では4人～14人の議員（沖縄県は2人）を選挙することとなり、定数10人以下の選挙区では2名、11人以上の選挙区では3名を連記して投票する制限連記が採用された。これによる総選挙は1946年4月10日に執行された（第22回総選挙）が、米軍の直接統治下に置かれた沖縄県には実施されず、実際にはこれを除いた466人について選挙が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新憲法施行を控えた1947年3月の衆議院議員選挙法改正により中選挙区制が復活し、同年4月25日に執行された第23回総選挙はこの復活した中選挙区制によって行われたので、大選挙区制による総選挙は第22回のみに終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 任期 ===&lt;br /&gt;
1890年第1回総選挙のから[[1932年]]第19回総選挙で選出された議員の任期は4年（ただし、解散時には任期満了前に議員資格を失う）。1900年の衆議院議員選挙法の改正によって、1902年の第7回総選挙以降において選出された議員は議会開会中に任期を終了しても閉会となるまで在任となった。そのような例として、第9回総選挙において選出された議員がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[衆議院議員任期延長ニ関スル法律]]の制定によって、[[1941年]]2月以降は任期は5年となった（ただし、解散時には任期満了前に議員資格を失う）。任期5年の議員の例として、[[1937年]]第20回総選挙において選出された議員がある。議員の任期を4年とする日本国憲法の施行によって、1947年5月以降、衆議院議員任期延長ニ関スル法律は死文化したが、同法は[[1954年]]5月まで存在した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
=== 参照 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 代議士 ===&lt;br /&gt;
大日本帝国憲法の下では、衆議院議員が国民から選出される民選議員であるのに対して、[[貴族院議員]]は旧[[公家]]・旧[[大名]]などの[[華族]]や、天皇に任命された元官僚や大学教授などの学識経験者、高額納税者などから選出される非民選議員だった。そこで、当時の人々は、国民の代表として政治に参加することを許された衆議院議員のことを、敬意と親しみを込めて'''代議士'''（だいぎし）と呼んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本国憲法では、貴族院は廃止され、選挙された議員からなる参議院（[[参議院議員]]）が誕生した。これにより、すべての国会議員が「全国民を代表」（43条1項）する民選議員となったものの、今日でも衆議院議員を指して代議士と呼び、参議院議員は一般に代議士と呼ばない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この特別な呼称に、憲法に衆議院の優越が定められていることも相俟って、国会議員の間には「衆議院議員は参議院議員より格上」という意識・風潮があるとされる。なお、日本国憲法施行以後、内閣総理大臣はすべて、衆議院議員が指名されている。憲法上は、参議院議員も内閣総理大臣に指名されることができる（憲法67条1項「内閣総理大臣は、''国会議員の中から''国会の議決で、これを指名する。」）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Wiktionary|衆議院}}&lt;br /&gt;
*[[衆議院の優越]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院議員総選挙]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院小選挙区一覧]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院議員一覧]]&lt;br /&gt;
*[[国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
*[[日本の政党一覧]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院解散]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院議長]]&lt;br /&gt;
*[[両院協議会]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院事務局]]&lt;br /&gt;
*[[事務総長 (国会)]]&lt;br /&gt;
*[[国会インターネット審議中継]]&lt;br /&gt;
*[[一票の格差]]&lt;br /&gt;
*[[下院]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index.htm 衆議院]&lt;br /&gt;
*[http://www.shugiintv.go.jp/index.cfm 衆議院インターネット審議中継]&lt;br /&gt;
*[http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=29777 国会会議録検索システム]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本国憲法|しゆうきいん]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院|*]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[de:Japanisches Unterhaus]]&lt;br /&gt;
[[en:House of Representatives of Japan]]&lt;br /&gt;
[[fi:Japanin alahuone]]&lt;br /&gt;
[[fr:Chambre des représentants du Japon]]&lt;br /&gt;
[[id:Majelis Rendah Jepang]]&lt;br /&gt;
[[it:Camera dei Rappresentanti del Giappone]]&lt;br /&gt;
[[ko:중의원]]&lt;br /&gt;
[[nl:Lagerhuis (Japan)]]&lt;br /&gt;
[[pl:Izba Reprezentantów (Japonia)]]&lt;br /&gt;
[[pt:Casa dos Representantes do Japão]]&lt;br /&gt;
[[zh:日本众议院]]&lt;br /&gt;
[[zh-classical:眾議院]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E5%93%A1&amp;diff=307574</id>
		<title>国会議員</title>
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				<updated>2015-10-13T03:45:44Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''国会議員'''（こっかいぎいん）とは、[[国会 (日本)|国会]]を構成する[[議員]]。[[日本]]では、[[衆議院]]議員と[[参議院]]議員から成る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本 ==&lt;br /&gt;
[[Image:House of Representatives of Japan - by Party (JA).svg|thumb|right|300px|衆議院会派別勢力図]]&lt;br /&gt;
[[Image:House of Councillors - by Party (JA).svg|thumb|right|300px|参議院会派別勢力図]]&lt;br /&gt;
;この節で、[[国会法]]は条数のみ記載する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===概要===&lt;br /&gt;
選挙区選出議員も比例代表区選出議員も[[日本国憲法]][[日本国憲法第43条|第43条]]より、一部の地域、政党団体の代表ではなく、国民全体の代表とされ、その様な行動を期待される。&lt;br /&gt;
; &amp;lt;span id=&amp;quot;衆議院議員&amp;quot;&amp;gt;[[衆議院]]議員&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
: [[任期]]は4年であるが、[[衆議院解散|解散]]の場合には期間満了前に任期は終了する&amp;lt;ref&amp;gt;[[日本国憲法第45条]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。衆議院議員の任期は[[衆議院議員総選挙|総選挙]]の期日から起算するが、任期満了による総選挙が衆議院議員の任期満了の日前に行われたときは前任者の任期満了の日の翌日から起算する&amp;lt;ref&amp;gt;[[公職選挙法]]第256条&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: [[参政権|選挙権]]は[[成年|20歳以上]]の[[日本国民]]、[[参政権|被選挙権]]は25歳以上の日本国民に与えられる&amp;lt;ref&amp;gt;公職選挙法第9条第1項、公職選挙法第10条第1項第1号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; &amp;lt;span id=&amp;quot;参議院議員&amp;quot;&amp;gt;[[参議院]]議員&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
: 任期は6年で解散がなく3年ごとに半数を改選する&amp;lt;ref&amp;gt;[[日本国憲法第46条]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。選挙が行われる年は必ず3で割れる年になる（最初が1947年のため）。参議院議員の任期は前の[[参議院議員通常選挙|通常選挙]]による参議院議員の任期満了の日の翌日から起算するが、通常選挙が前の通常選挙による参議院議員の任期満了の日の翌日後に行われたときは通常選挙の期日から起算する&amp;lt;ref&amp;gt;[[公職選挙法]]第257条&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 選挙権は20歳以上の日本国民、被選挙権は30歳以上の日本国民に与えられる&amp;lt;ref&amp;gt;公職選挙法第9条第1項、公職選挙法第10条第1項第2号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[議員定数]]については、[[公職選挙法]]により規定されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本国憲法第48条|憲法48条]]により、衆議院議員と参議院議員を兼ねることはできない。これは両議院の独立を担保するためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国会議員資産公開法]]に基づき、国会議員は当選後に[[資産公開制度|資産公開]]が義務付けられており、100日以内に所属議院の議長に対し、任期開始日時点の保有資産の報告書を提出しなければならない。資産の対象は土地・建物、預貯金、有価証券、ゴルフ会員権などである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
辞職には、所属する議院の許可が必要である（[[s:国会法#107|107条]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 特権 ===&lt;br /&gt;
国会議員には憲法により3つの特権が認められている。&lt;br /&gt;
; [[不逮捕特権]]&lt;br /&gt;
: 両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中[[逮捕]]されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない（[[日本国憲法第50条|憲法50条]]）。&lt;br /&gt;
:: 各議院の議員は、院外における現行犯罪の場合を除いては、会期中その院の許諾がなければ逮捕されない（[[s:国会法#33|33条]]）。&lt;br /&gt;
:: 各議院の議員の逮捕につきその院の許諾を求めるには、内閣は、所轄裁判所又は裁判官が令状を発する前に内閣へ提出した要求書の受理後速かに、その要求書の写を添えて、これを求めなければならない（[[s:国会法#34|34条]]）。&lt;br /&gt;
:: 内閣は、会期前に逮捕された議員があるときは、会期の始めに、その議員の属する議院の議長に、令状の写を添えてその氏名を通知しなければならない（[[s:国会法#34の2|34条の2]]第1項）。&lt;br /&gt;
:: 内閣は、会期前に逮捕された議員について、会期中に勾留期間の延長の裁判があつたときは、その議員の属する議院の議長にその旨を通知しなければならない（34条の2第2項）。&lt;br /&gt;
:: 議員が、会期前に逮捕された議員の釈放の要求を発議するには、議員二十人以上の連名で、その理由を附した要求書をその院の議長に提出しなければならない（[[s:国会法#34の3|34条の3]]）。 &lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
; 免責特権&lt;br /&gt;
: 議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われることはない（[[日本国憲法第51条|憲法51条]]）。&lt;br /&gt;
; 歳費特権&lt;br /&gt;
: 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の[[歳費]]を受ける（[[日本国憲法第49条|憲法49条]]）。歳費や手当については[[国会法]]や[[国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律]]などに規定がある。&lt;br /&gt;
:: 議員は、一般職の国家公務員の最高の給与額（地域手当等の手当を除く。）より少なくない歳費を受ける（[[s:国会法#35|35条]]）。 &lt;br /&gt;
:: 議員は、別に定めるところにより、退職金を受けることができる（[[s:国会法#36|36条]]）。 &lt;br /&gt;
:: 議員は、公の書類を発送し及び公の性質を有する通信をなす等のため、別に定めるところにより手当を受ける（[[s:国会法#38|38条]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: なお、主な内訳は、&lt;br /&gt;
:* 月収130万1000円（年間1561万2000円）&lt;br /&gt;
:* 歳費手当（つまりボーナス）は年間635万4480円&lt;br /&gt;
:* 文書通信交通滞在費は月100万円（年間1200万円）&lt;br /&gt;
: 合計3429万480円の歳費が毎年国会議員1人1人に支払われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の待遇 ===&lt;br /&gt;
その他の国会議員の待遇としては、&lt;br /&gt;
* 個人給与を国費で負担する[[公設秘書]]として、公設第一秘書、公設第二秘書、および[[国会議員政策担当秘書]]の3人を置くことが[[s:国会法#132|132条]]により認められること&lt;br /&gt;
* [[JR]]全線無料（[[新幹線]]・[[特別急行列車|特急]]等の料金も含む。また[[グリーン車]]も可）&lt;br /&gt;
* [[航空機]]は月4往復分無料&lt;br /&gt;
* 家賃が10万円以下程度の[[議員宿舎]]（立地や設備等の面で、世間の相場や社会通念に照らし合わせて著しく廉価である）&lt;br /&gt;
などである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
優遇しすぎと批判のある特権もあるが、[[中田宏]]が著書『国会の中はこうなっている』で述べたところに拠れば、JRの議員パスや航空運賃の無料分は民間で言う通勤手当に相当する費用支給と指摘されている。選挙区に関係なく一律定額支給である点を鑑みれば詭弁であるとの反論も成り立つ。また、議員宿舎については、地方選出議員の通勤や、有事における国会の緊急召集などの観点から、宿舎の存在自体に批判があるわけではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 公務員兼職の制限 ===&lt;br /&gt;
:; 国会法第39条 &lt;br /&gt;
:: 議員は、内閣総理大臣その他の国務大臣、内閣官房副長官、内閣総理大臣補佐官、副大臣、大臣政務官及び別に法律で定めた場合を除いては、その任期中国または地方公共団体の公務員と兼ねることができない。ただし、両議院一致の議決に基づき、その任期中内閣行政各部における各種の委員、顧問、参与その他これらに準ずる職に就く場合は、この限りでない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 各種記録 ===&lt;br /&gt;
* 最年長在職公選議員　[[尾崎行雄]]　94歳3ヶ月&lt;br /&gt;
* 最年少選出公選議員　[[原陽子]]　25歳4ヶ月&lt;br /&gt;
* 最多当選回数議員　[[尾崎行雄]]　25回&lt;br /&gt;
* 最多得票当選議員　[[石原慎太郎]]　301万2553票（1968年参院選全国区）&lt;br /&gt;
* 最低得票当選議員　川本達　11票（1892年衆院長崎6区）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 名誉議員の称号 ===&lt;br /&gt;
国会或いは都道府県、市町村議会においては、議員として一定年数を務め、功労ある者には[[名誉議員]]の[[称号]]を贈る制度がある。国会議員としては[[尾崎行雄]]、[[三木武夫]]が衆議院名誉議員の称号を贈られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 国会議員の法案可否の積極公開によるメリット ==&lt;br /&gt;
政治の透明性推進と有権者の投票判断の向上に向けて、国会議員が法案可否に賛成したか、反対したかをインターネット上等で積極的に公開してはどうかとの指摘がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
有権者側から政治家として最も重要な法案への関与の判別がしにくいため、有権者が政治家を選ぶ基準が曖昧になり、知名度やイメージなどが、政治活動より完全に先行してしまっているとの指摘が、国会議員と有権者の双方からある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[国会議員一覧]]（元国会議員の一覧）&lt;br /&gt;
**[[衆議院議員一覧]]（現職）&lt;br /&gt;
**[[参議院議員一覧]]（現職）&lt;br /&gt;
*[[国会議員政策担当秘書]]&lt;br /&gt;
*[[衆議院小選挙区一覧]]&lt;br /&gt;
*[[地方議会議員]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.shugiin.go.jp/ 衆議院]&lt;br /&gt;
*[http://www.sangiin.go.jp/ 参議院ホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こつかいきいん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>照屋寛徳</title>
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				<updated>2015-10-13T03:45:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''照屋 寛徳'''（てるや かんとく、[[1945年]][[7月24日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]、[[弁護士]]（登録番号：13361）。[[社会民主党_(日本 1996-)|社会民主党]]所属の[[衆議院議員]]（4期）、社会民主党[[国会対策委員会|国会対策委員長]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[参議院議員]]（1期）、社会民主党副党首・企画委員長を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
[[サイパン島]]の米軍捕虜収容所で生まれる。[[1968年]]、[[琉球大学]]法文学部を卒業。[[1972年]]、[[司法修習]]を終え[[弁護士]]登録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]]、[[沖縄県議会]]議員選挙に[[無所属]]（[[日本社会党]]推薦）で出馬し、当選。2期目の任期途中に辞職し、[[1995年]]の[[第17回参議院議員通常選挙]]に無所属（社会・[[公明党|公明]]・[[沖縄社会大衆党]]推薦）で出馬。[[保守]]系無所属の[[大城真順]]を破り、当選した。[[2001年]]の[[第19回参議院議員通常選挙]]では[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]の[[西銘順志郎]]に敗れ、落選。その後、[[社会民主党_(日本 1996-)|社会民主党]]に入党。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]、[[第43回衆議院議員総選挙]]に[[沖縄県第2区]]から社民党公認で出馬し、当選。[[第44回衆議院議員総選挙|44]]・[[第45回衆議院議員総選挙|45]]回の総選挙でも沖縄2区で再選を果たした。[[2010年]]、社民党国会対策委員長に就任。[[福島瑞穂]]党首の4選後、照屋の党幹事長への起用が持ち上がったが、照屋が社民党歴の浅さを理由に辞退している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、同党からの全立候補者中唯一となる選挙区での当選を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発言 ==&lt;br /&gt;
=== [[普天間基地移設問題]] ===&lt;br /&gt;
* 沖縄県[[名護市]]の市長選で米軍基地移設に反対する[[稲嶺進]]が当選したことを受けて、[[平野博文]][[内閣官房長官]]が「民意を斟酌しなければならない理由はない」と発言したことに対して、照屋は「けしからんどころか、ぶん殴りたい。政治家としての感覚を疑う」と平野を激しく非難した。&lt;br /&gt;
* 2010年4月23日、沖縄県庁で仲井真弘多知事と会談した際に「今この政権の中で、官邸や外務、防衛の大臣、官僚たちが（同県名護市の）辺野古現行案で決着させようとしている動きがある」と指摘した上で、「沖縄にとっても最悪の選択で、認めるわけにはいかない。たとえ連立政権が現行案に戻るようなことがあっても、拒否してほしい」と知事に求めた。&lt;br /&gt;
* 2010年10月29日、那覇市で開かれた同年11月の沖縄県知事選において社民党が推薦する[[伊波洋一]]前宜野湾市長を支援するためパーティーにおいて、「沖縄は『公職選挙法特区』ですから。逮捕を覚悟で腹をすえてやってもらいたい」「街頭行動を頑張ってもらいたい。公選法を守ろうと思っている人は（今日の飛行機の）最終便で（帰っていい）」「万一逮捕されたら弁護士は私でなく福島みずほを呼んで下さい」などと明言した。このパーティには福島みずほ党首ら党幹部に加え、全国の地方組織から週末のビラ配りなどのために沖縄に来た約90人が参加していた。その場では誰一人この発言を問題視する者はいなかったが、朝日新聞の取材に対しては「士気を高めるために冗談で言った」と述べ、本気で選挙違反を促したものではないと釈明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 沖縄独立運動 ===&lt;br /&gt;
* 2013年4月1日、自身のブログで「沖縄は一層日本国から独立した方が良い、と真剣に思っている」と発言した。&lt;br /&gt;
*2013年5月15日の沖縄の本土復帰41年周年にあわせ、沖縄の日本からの独立を目指す「[[琉球民族独立総合研究学会]]」が設立されたが、照屋は自身のブログで『沖縄、ついにヤマトから独立へ』と題した文書を公表し、沖縄独立運動を先鋭化させた。なお沖縄の独立をめぐっては5月8日に[[中国共産党]]の機関紙、[[人民日報]]が、政府系シンクタンク・[[中国社会科学院]]の研究員らが執筆した「歴史的に未解決の琉球問題を再び議論できる時が来た」との論文を掲載し、また人民日報傘下の国際情報紙・[[環球時報]]が5月11日の社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」などと中国政府に提案し、国際問題に発展していたが、照屋の行動は中国共産党に歩調を合わせるものだった。沖縄県民からは「独立が『沖縄の総意』とは思わないでほしい」と危惧する声があがっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 社民党の照屋寛徳議員「沖縄、ついにヤマトから独立へ」、県民「沖縄の総意とは思わないでほしい」 ==&lt;br /&gt;
&amp;quot;社民・照屋議員「沖縄は独立した方がいい」中国紙に同調、県民からは危惧の声&amp;quot; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沖縄の本土復帰から41年を迎える2013年[[5月15日]]、沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」が設立される。これに関して、衆院沖縄2区選出の社民党の照屋寛徳国対委員長が自身のブログで&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
『沖縄、ついにヤマトから独立へ』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と題した文書を公表した。沖縄の独立をめぐっては中国共産党の機関紙、[[人民日報]]傘下の国際情報紙である環球時報が11日の社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」などと中国政府に提案したが、歩調を合わせるような一連の動きに、県民からも「独立が『沖縄の総意』とは思わないでほしい」と危惧する声があがっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
照屋氏は、研究学会の設立を伝える[[4月1日]]の地元メディアの報道に対して、同日付のブログで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「明治いらいの近現代史の中で、時の政権から沖縄は常に差別され、いまなおウチナーンチュ（沖縄出身者）は日本国民として扱われていない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
との認識を表明。 そのうえで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「沖縄は日本国から独立した方が良い、と真剣に思っている」と強調し、独立の研究学会設立に対して「大いに期待し、賛同する」との姿勢を打ち出した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした主張について沖縄在住のジャーナリスト、[[惠隆之介]]氏は「照屋氏の見方は一部の[[左翼]]勢力の歴史観をもとにしたもの。県民の7、8割は今のまま日本の統治下にあるのがいいと思っている」と反論。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インターネットの普及によって若い世代を中心に、一部の極端な主張が地元メディアから「沖縄の総意」として扱われることへの反発も広がっているという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
惠氏はまた、明治以降の沖縄に対して日本が国を挙げて近代化に努め、当時の県民が感謝していた事実をあげ、「歴史の中で日本もアメリカもすべて敵というのは尋常な感覚ではない」と指摘。「照屋氏は議員のバッジを返上して主張すべきだ」と批判した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、学会は5月15日午後、沖縄県庁で記者会見を開いたあと県内の大学施設で発会式を行う予定。独立を前提に他国の事例などを研究、国連機関への訴えなど「実践」も行うという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沖縄の帰属をめぐっては8日付の人民日報が「琉球王国は明清両朝の時期には属国だった」とし、先の大戦の敗戦で日本の「琉球の領有権」はなくなったと主張する論文を掲載した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「沖縄独立」への賛意をブログで表明したことについて、照屋氏は14日中の産経新聞の取材には応じなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政策 ==&lt;br /&gt;
* 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛同する。&lt;br /&gt;
* 2013/3/14 参議院会館開催の「[[排外・人種侮蔑デモに抗議する国会集会]]」を呼びかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属団体・議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]（幹事）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://terukan.ti-da.net/ テルヤ寛徳のブログ]（公式ブログ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box&lt;br /&gt;
| title = [[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党国会対策委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[辻元清美]]&lt;br /&gt;
| years = 第9代 : 2010 -&lt;br /&gt;
| after = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
{{社会民主党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:てるや かんとく}}&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:沖縄県選出の参議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:沖縄県選出の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の弁護士]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の死刑廃止論者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1945年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:反日主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:キチガイ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>沖縄県</title>
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				<updated>2015-10-13T03:45:14Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''沖縄県'''（おきなわけん）は、[[日本]]の南西部、かつ最西端に位置する[[都道府県|県]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東シナ海]]と[[太平洋]]（[[フィリピン海]]）にある160の[[島]]からなる県で、[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は、[[沖縄本島]]の[[那覇市]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[日本列島]]の南、[[南西諸島]]の内[[琉球諸島]]を占める地域である。南西諸島のうち、屋久島、種子島、トカラ列島、奄美群島は鹿児島県に所属する。それより南で大東諸島や尖閣諸島まで含む。気候は大部分の地域で[[亜熱帯]]に属し、[[宮古島]]・[[多良間島]]・[[石垣島]]・[[西表島]]・[[与那国島]]・[[波照間島]]・[[沖大東島]]などでは最寒月平均気温が18[[°C]]以上の[[熱帯]]に属する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歴史的には、[[明治|明治時代]]の[[沖縄県の歴史#琉球処分|琉球処分]]までは、[[薩摩藩]]を通じた日本の影響および中国大陸にある国家の[[冊封]]を受けた「両属」の国家体系を採る[[琉球王国]]であった。そのため、他の[[都道府県]]とは異なる文化・習俗が根付いており、これらを生かした観光産業が盛んである。また、国内有数の長寿地域としても知られ、その特有の食生活などを有する反面、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]統治時代に根付いた[[食文化]]も色濃い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[太平洋戦争]]では、地上戦（[[沖縄戦]]）の末に[[アメリカ軍]]（米軍）が占領した後、[[1972年]]（昭和47年）までの四半世紀にわたり、一貫して米軍の施政権下に置かれた。[[沖縄返還|沖縄の本土復帰]]後も、東アジアの軍事的抑止において地政学的・戦略的に重要とされることなどから、多くの米軍基地（[[在日米軍]]）が所在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[中華人民共和国]]および[[中華民国]]（[[台湾]]）では、その帰属が日本にあるべきではないとする主張がある（[[中華民国#沖縄県への認識]] 、[[中国人による沖縄県への認識]]を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 社民党の照屋寛徳議員「沖縄、ついにヤマトから独立へ」、県民「沖縄の総意とは思わないでほしい」 ==&lt;br /&gt;
&amp;quot;社民・照屋議員「沖縄は独立した方がいい」中国紙に同調、県民からは危惧の声&amp;quot; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沖縄の本土復帰から41年を迎える2013年[[5月15日]]、沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」が設立される。これに関して、衆院沖縄2区選出の社民党の[[照屋寛徳]]国対委員長が自身のブログで&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
『沖縄、ついにヤマトから独立へ』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と題した文書を公表した。沖縄の独立をめぐっては中国共産党の機関紙、[[人民日報]]傘下の国際情報紙である環球時報が11日の社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」などと中国政府に提案したが、歩調を合わせるような一連の動きに、県民からも「独立が『沖縄の総意』とは思わないでほしい」と危惧する声があがっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
照屋氏は、研究学会の設立を伝える[[4月1日]]の地元メディアの報道に対して、同日付のブログで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「明治いらいの近現代史の中で、時の政権から沖縄は常に差別され、いまなおウチナーンチュ（沖縄出身者）は日本国民として扱われていない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
との認識を表明。 そのうえで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「沖縄は日本国から独立した方が良い、と真剣に思っている」と強調し、独立の研究学会設立に対して「大いに期待し、賛同する」との姿勢を打ち出した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした主張について沖縄在住のジャーナリスト、[[惠隆之介]]氏は「照屋氏の見方は一部の[[左翼]]勢力の歴史観をもとにしたもの。県民の7、8割は今のまま日本の統治下にあるのがいいと思っている」と反論。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インターネットの普及によって若い世代を中心に、一部の極端な主張が地元メディアから「沖縄の総意」として扱われることへの反発も広がっているという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
惠氏はまた、明治以降の沖縄に対して日本が国を挙げて近代化に努め、当時の県民が感謝していた事実をあげ、「歴史の中で日本もアメリカもすべて敵というのは尋常な感覚ではない」と指摘。「照屋氏は議員のバッジを返上して主張すべきだ」と批判した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、学会は5月15日午後、沖縄県庁で記者会見を開いたあと県内の大学施設で発会式を行う予定。独立を前提に他国の事例などを研究、国連機関への訴えなど「実践」も行うという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沖縄の帰属をめぐっては8日付の人民日報が「琉球王国は明清両朝の時期には属国だった」とし、先の大戦の敗戦で日本の「琉球の領有権」はなくなったと主張する論文を掲載した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「沖縄独立」への賛意をブログで表明したことについて、照屋氏は14日中の産経新聞の取材には応じなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 名称 ==&lt;br /&gt;
「おきなわ」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき（沖）な（魚）は（場）」を由来とする説（[[伊波普猷]]）と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき（沖・遠い）なは（場所）」を由来とする説（[[東恩納寛惇]]）とがあるが、いずれも定説には至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沖縄という名称自体は古く、淡海三船（おうみのみふね）著『唐大和上東征伝（とうだいわじょうとうせいでん）』（779成立）に、753年（天平勝宝5）遣唐使一行が阿児奈波島（沖縄島）に漂着したと記されており、本来日本では沖縄と呼称していた。のちに中国側からの呼称に従って琉球と呼ばれるようになったようである。この琉球の語源についてもまだ明らかになっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[琉球処分]]の際、[[明治|明治政府]]内では「'''琉球県'''」の名称も検討された。これは[[1879年]]（明治12年）、[[琉球藩]]を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の[[伊藤博文]]から太政大臣の[[三条実美]]に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、[[中国語]]由来の琉球に対し、沖縄は[[琉球語]]（[[沖縄方言]]）の「うちなー」由来の名称であり、こちらのほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は[[沖縄本島]]を指す言葉であったが、沖縄県設置により鹿児島県[[奄美群島]]を除く[[琉球諸島]]が沖縄と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった&amp;lt;ref&amp;gt;『琉球史辞典』[[中山盛茂]] 著、琉球文教図書、1969年&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地理・地域 ==&lt;br /&gt;
49の有人島と多数の[[無人島]]からなり、0.01km&amp;amp;sup2;以上の面積を有する島は160島存在する。最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ。&lt;br /&gt;
南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北のトカラ列島までと、奄美群島と沖縄諸島および先島諸島の3つに大きく分けられる。沖縄本島と先島諸島の伊良部島との間は直線で約250km、与那国島と台湾の間は約100kmであるのに対し、奄美大島と屋久島の間は約200kmである。&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;width:60%;text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+沖縄県の端&amp;lt;span style=&amp;quot;font-weight:normal&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
!&lt;br /&gt;
!島&lt;br /&gt;
!所属自治体&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
!位置&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!最北端&lt;br /&gt;
|[[硫黄鳥島]]&lt;br /&gt;
|[[久米島町]]&lt;br /&gt;
|有人島に限れば[[伊平屋島]]&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|{{Location map many|Japan Ryukyu Islands&lt;br /&gt;
|width = 250&lt;br /&gt;
|float = center&lt;br /&gt;
|label = 硫黄鳥島&lt;br /&gt;
|pos = right&lt;br /&gt;
|mark1size = 8&lt;br /&gt;
|lat1_deg = 27|lat1_min = 52.45&lt;br /&gt;
|lon1_deg = 128|lon1_min = 13.6&lt;br /&gt;
|label2 = 波照間島&lt;br /&gt;
|pos2 = bottom&lt;br /&gt;
|mark2size = 8&lt;br /&gt;
|lat2_deg = 24|lat2_min = 2.4&lt;br /&gt;
|lon2_deg = 123|lon2_min = 47.25&lt;br /&gt;
|label3 = 北大東島&lt;br /&gt;
|pos3 = bottom&lt;br /&gt;
|mark3size = 8&lt;br /&gt;
|lat3_deg = 25|lat3_min = 56.7&lt;br /&gt;
|lon3_deg = 131|lon3_min = 18.4&lt;br /&gt;
|label4 = 与那国島&lt;br /&gt;
|pos4 = top&lt;br /&gt;
|mark4size = 8&lt;br /&gt;
|lat4_deg = 24|lat4_min = 28.1&lt;br /&gt;
|lon4_deg = 123|lon4_min = 0.3&lt;br /&gt;
|label5 = 那覇市&lt;br /&gt;
|mark5 = Blue 000080 pog.svg&lt;br /&gt;
|pos5 = bottom&lt;br /&gt;
|mark5size = 8&lt;br /&gt;
|lat5_deg = 26|lat5_min = 12.7&lt;br /&gt;
|lon5_deg = 127|lon5_min = 40.8&lt;br /&gt;
|label6 = 伊平屋島&lt;br /&gt;
|label6_size = 80&lt;br /&gt;
|pos6 = left&lt;br /&gt;
|mark6size = 5&lt;br /&gt;
|lat6_deg = 27|lat6_min = 2.4&lt;br /&gt;
|lon6_deg = 127|lon6_min = 58.1&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!最南端&lt;br /&gt;
|[[波照間島]]&lt;br /&gt;
|[[竹富町]]&lt;br /&gt;
|日本最南端の有人島&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!最東端&lt;br /&gt;
|[[北大東島]]&lt;br /&gt;
|[[北大東村]]&lt;br /&gt;
|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!最西端&lt;br /&gt;
|[[与那国島]]&lt;br /&gt;
|[[与那国町]]&lt;br /&gt;
|日本最西端の島&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
離島が多いものの、離島の医療は人材的・経済的理由から不足気味であり、[[病院]]がなく[[診療所]]のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の[[沖縄本島]]への空輸を[[陸上自衛隊]]や[[海上保安庁]]が行っている。なお、[[宮古島]]、[[石垣島]]には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
県庁所在地である那覇市の1,000km圏内には[[台北市|台北]]、[[福岡市|福岡]]、[[上海市|上海]]、[[福州市|福州]]、1,500km圏内には[[大阪市|大阪]]、[[ソウル特別市|ソウル]]、[[マニラ]]、[[香港]]等があり、[[東アジア]]・[[東南アジア]]と[[日本]]との接点とも言える位置にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沖縄本島の中部・南部は[[那覇市]]・[[沖縄市]]を中心として都市化・人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している（''[[沖縄本島#中南部都市圏]]'' も参照）。そのため[[人口密度]]は全国で第9位で、[[三大都市圏]]の都府県を除くと[[福岡県]]に次いで2番目に多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「九州地方」または「九州・沖縄地方」の一部として扱う場合のほか、九州地方とは区別する場合もある。''[[九州#「九州」の由来]]''も参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地質 ===&lt;br /&gt;
琉球諸島は太平洋側の[[琉球海溝]]と東シナ海側の[[沖縄トラフ]]に挟まれる。琉球海溝は[[フィリピン海プレート]]が[[ユーラシアプレート]]に潜り込むことによりできたもので、これは[[南海トラフ]]と同様の成因である。沖縄トラフはユーラシアプレート上にできた窪みである。琉球諸島の島々はサンゴが発達してできた石灰岩から成るため、雨水の浸食により洞窟が多く見られる。石垣島にある沖縄県最高峰の[[於茂登岳]]（標高526m）の岩石はサンゴの基盤である花崗岩が露出したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自然 ===&lt;br /&gt;
;[[生物]]&lt;br /&gt;
:[[亜熱帯]]で[[生物]]に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には[[山原]]（やんばる）と呼ばれる[[森林]]が広がっており、[[ノグチゲラ]]、[[ヤンバルクイナ]]、[[ヤンバルテナガコガネ]]といった[[天然記念物]]等貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、[[慶良間諸島]]等が[[沖縄海岸国定公園]]に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が[[西表石垣国立公園]]に指定されており、[[マングローブ]]林が広がるほか、[[イリオモテヤマネコ]]等の貴重な生物が生息している。なお、[[環境省]]が指定する[[日本の重要湿地500]]のうち、54か所が沖縄県内にある。これは、[[北海道]]（61か所）に次いで日本で2番目に多い。&lt;br /&gt;
;[[大雨]]と[[水不足]]&lt;br /&gt;
:[[2005年]]（平成17年）から[[2007年]]（平成19年）各年の[[6月]]に[[梅雨前線]]の影響で大雨と[[雷]]が沖縄本島を襲い、各地で冠水、[[土砂崩れ]]、[[崖崩れ]]等が相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、[[梅雨]]と[[台風]]による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候・地形的に水不足に陥りやすい。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の[[1972年]]（昭和47年）に約96万人と増加し、需給関係から[[1990年代]]前半までしばしば水不足による[[断水]]が行われた。特に[[昭和56-57年沖縄渇水|1981-1982年の渇水]]では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また[[1997年]]（平成9年）に気候に左右されず安定して水の供給が可能な[[海水淡水化]]施設が[[北谷町]]に完成し、[[2005年]]（平成17年）に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。&lt;br /&gt;
;[[地震]]&lt;br /&gt;
:「地震大国」と言われる日本において、[[九州]]などと同じく、一年あたりの（有感）地震回数が少なく、また気候や人口密度などの面から最も地震に関する[[リスク]]が少ない地域の一つとされていた（地震の発生度や発生時の被害の大きさを示す地震地域係数が日本で唯一「0.7」の都道府県となっているが、この値は後年見直される可能性もある）。しかし、[[損害保険料率算出機構]]の最新の統計集では2等地となっており、特段リスクが低い地域と見なされなくなった。過去には[[1771年]]の[[八重山地震]]による[[大津波]]で、[[先島諸島]]に多大な被害が生じている。最近では[[2010年]]（平成22年）の[[沖縄本島近海地震|沖縄本島近海で発生した地震]]で約100年ぶりに沖縄本島で震度5以上を観測し、[[勝連城跡]]の城壁の一部が崩壊した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 気候 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;font-size:smaller&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{Climate chart|[[那覇市]]&lt;br /&gt;
|15|20|107&lt;br /&gt;
|15|20|120&lt;br /&gt;
|17|22|161&lt;br /&gt;
|19|24|166&lt;br /&gt;
|22|27|232&lt;br /&gt;
|25|29|247&lt;br /&gt;
|27|32|141&lt;br /&gt;
|27|32|241&lt;br /&gt;
|26|30|261&lt;br /&gt;
|23|28|153&lt;br /&gt;
|20|25|110&lt;br /&gt;
|16|21|103&lt;br /&gt;
|float = right&lt;br /&gt;
|clear = both&lt;br /&gt;
|source = [http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=91&amp;amp;prec_ch=%89%AB%93%EA%8C%A7&amp;amp;block_no=47936&amp;amp;block_ch=%93%DF%94e&amp;amp;year=&amp;amp;month=&amp;amp;day=&amp;amp;elm=normal&amp;amp;view= 気象庁 那覇（1981年 - 2010年の平均値）]&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
日本国内における気候区分では[[南日本気候]]に属する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宮古島]]・[[多良間島]]・[[石垣島]]・[[西表島]]・[[与那国島]]・[[波照間島]]・[[沖大東島]]は[[熱帯]]性気候で[[ケッペンの気候区分]]では[[熱帯雨林気候]] (Af) に、それ以外の地域では[[亜熱帯]]性で[[温暖湿潤気候]] (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000[[ミリメートル|mm]]以上で、年間平均気温は約22[[°C]]となっている。しかし、最高気温が35°Cを超える[[猛暑日]]になることはほとんど無い。これは、沖縄は陸地面積が狭く、周りを海に囲まれていて（[[海洋性気候]]）、また、東京や大阪のような大都市が無く、[[ヒートアイランド現象]]が起こらないためである。また沖縄は台風[[銀座]]と呼ばれており、毎年多くの[[台風]]が接近する。月別で注目すると、降水量は[[梅雨]]入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。梅雨明け頃には、[[夏至南風]]（沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ）と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる[[季節風]]として知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]（昭和52年）[[2月17日]]に、[[久米島]]の測候所で初めて[[雪]]が観測された（実際には[[霙|'''みぞれ''']]であったが、分類上は雪と同じ扱いとして記録される）。これは沖縄県で唯一、[[気象庁]]が公式に発表した降雪記録であると同時に、日本における降雪の南限記録となった。過去にも[[琉球王国]]の正史とされる『球陽』によると、[[1774年]]、[[1816年]]、[[1843年]]、[[1845年]]、[[1857年]]に、沖縄県の領域で、降雪があったことを記録している。1999年12月20日およびその前後に、那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、地元のNHKでもその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で、現在も公式な降雪記録とはなっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;width:90%;margin:0 auto;font-size:small;text-align:center;white-space:nowrap&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+沖縄県内各地の気象データ&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|平年値&amp;lt;br&amp;gt;（月単位）&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;8&amp;quot;|[[沖縄諸島]]&lt;br /&gt;
![[大東諸島|大東&amp;lt;br&amp;gt;諸島]]&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[宮古諸島]]&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;6&amp;quot;|[[八重山諸島]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;5&amp;quot;|[[沖縄本島]]&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[伊是名島|伊&amp;lt;br&amp;gt;是&amp;lt;br&amp;gt;名&amp;lt;br&amp;gt;島]]&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[渡嘉敷島|渡&amp;lt;br&amp;gt;嘉&amp;lt;br&amp;gt;敷&amp;lt;br&amp;gt;島]]&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[久米島|久&amp;lt;br&amp;gt;米&amp;lt;br&amp;gt;島]]&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[南大東島|南&amp;lt;br&amp;gt;大&amp;lt;br&amp;gt;東&amp;lt;br&amp;gt;島]]&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[宮古島|宮&amp;lt;br&amp;gt;古&amp;lt;br&amp;gt;島]]&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[多良間島|多&amp;lt;br&amp;gt;良&amp;lt;br&amp;gt;間&amp;lt;br&amp;gt;島]]&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[石垣島]]&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[西表島]]&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[波照間島|波&amp;lt;br&amp;gt;照&amp;lt;br&amp;gt;間&amp;lt;br&amp;gt;島]]&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[与那国島|与&amp;lt;br&amp;gt;那&amp;lt;br&amp;gt;国&amp;lt;br&amp;gt;島]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
![[国頭村]]&amp;lt;br&amp;gt;奥&lt;br /&gt;
![[名護市]]&lt;br /&gt;
![[金武町]]&lt;br /&gt;
![[那覇市]]&lt;br /&gt;
![[南城市]]&amp;lt;br&amp;gt;糸数&lt;br /&gt;
!登野城&lt;br /&gt;
!伊原間&lt;br /&gt;
![[祖納 (竹富町)|祖納]]&lt;br /&gt;
![[大原 (竹富町)|大原]] &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[ケッペンの気候区分|気候区分]]&lt;br /&gt;
|[[温暖湿潤気候|Cfa]]&lt;br /&gt;
|Cfa &lt;br /&gt;
|Cfa&lt;br /&gt;
|Cfa&lt;br /&gt;
|Cfa&lt;br /&gt;
|Cfa&lt;br /&gt;
|Cfa&lt;br /&gt;
|Cfa&lt;br /&gt;
|Cfa&lt;br /&gt;
|[[熱帯雨林気候|Af]]&lt;br /&gt;
|Af &lt;br /&gt;
|Af&lt;br /&gt;
|Af&lt;br /&gt;
|Af&lt;br /&gt;
|Af&lt;br /&gt;
|Af&lt;br /&gt;
|Af &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[気温|平均&amp;lt;br&amp;gt;気温]]&amp;lt;br&amp;gt;([[セルシウス度|°C]])&lt;br /&gt;
!最暖&amp;lt;br&amp;gt;月&lt;br /&gt;
|26.7&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.8&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
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|28.9&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|27.1&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.3&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|26.7&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.8&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.5&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.7&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|29.0&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|29.5&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.8&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.9&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.9&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.9&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|28.8&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!最寒&amp;lt;br&amp;gt;月&lt;br /&gt;
|14.5&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|16.3&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|16.2&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|17.0&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|15.2&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|16.1&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|15.3&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|16.7&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|17.7&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|18.0&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|18.4&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|18.6&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|18.3&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|18.3&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|18.0&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|18.8&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|18.4&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[降水量]]&amp;lt;br&amp;gt;([[ミリメートル|mm]])&lt;br /&gt;
!最多&amp;lt;br&amp;gt;月&lt;br /&gt;
|309.5&amp;lt;br&amp;gt;（6月）&lt;br /&gt;
|248.2&amp;lt;br&amp;gt;（8月）&lt;br /&gt;
|228.8&amp;lt;br&amp;gt;（5月）&lt;br /&gt;
|260.5&amp;lt;br&amp;gt;（9月）&lt;br /&gt;
|253.3&amp;lt;br&amp;gt;（6月）&lt;br /&gt;
|269.9&amp;lt;br&amp;gt;（6月）&lt;br /&gt;
|268.8&amp;lt;br&amp;gt;（5月）&lt;br /&gt;
|263.9&amp;lt;br&amp;gt;（6月）&lt;br /&gt;
|200.6&amp;lt;br&amp;gt;（5月）&lt;br /&gt;
|262.5&amp;lt;br&amp;gt;（8月）&lt;br /&gt;
|249.6&amp;lt;br&amp;gt;（8月）&lt;br /&gt;
|261.6&amp;lt;br&amp;gt;（8月）&lt;br /&gt;
|250.6&amp;lt;br&amp;gt;（9月）&lt;br /&gt;
|273.6&amp;lt;br&amp;gt;（8月）&lt;br /&gt;
|284.1&amp;lt;br&amp;gt;（8月）&lt;br /&gt;
|197.7&amp;lt;br&amp;gt;（9月）&lt;br /&gt;
|293.2&amp;lt;br&amp;gt;（9月）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!最少&amp;lt;br&amp;gt;月&lt;br /&gt;
|138.3&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|96.2&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|78.3&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|102.8&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|111.7&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|97.5&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|124.1&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|119.0&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|84.7&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|130.8&amp;lt;br&amp;gt;（1,7月）&lt;br /&gt;
|127.2&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|126.3&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|122.3&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|141.6&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|137.6&amp;lt;br&amp;gt;（3月）&lt;br /&gt;
|106.2&amp;lt;br&amp;gt;（12月）&lt;br /&gt;
|138.5&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[日照時間|日照&amp;lt;br&amp;gt;時間]]&amp;lt;br&amp;gt;（[[時間]]）&lt;br /&gt;
!最長&amp;lt;br&amp;gt;月&lt;br /&gt;
|239.2&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|245.7&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|218.1&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|238.8&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|210.1&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|289.8&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|230.5&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|255.4&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|278.8&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|246.7&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|199.1&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|264.5&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|245.6&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|253.2&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|245.4&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|259.3&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|258.9&amp;lt;br&amp;gt;（7月）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!最短&amp;lt;br&amp;gt;月&lt;br /&gt;
|78.3&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|86.2&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|88.3&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|87.1&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|93.0&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|91.5&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|87.8&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|77.4&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|114.5&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|82.6&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|73.9&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|82.1&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|70.5&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|74.5&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|86.5&amp;lt;br&amp;gt;（2月）&lt;br /&gt;
|91.9&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|55.7&amp;lt;br&amp;gt;（1月）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|colspan=19 style=text-align:left|&lt;br /&gt;
*1981年から2010年まで（ただし金武町、多良間島は1971年から2000年まで）の平均値&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 島嶼 ===&lt;br /&gt;
沖縄県に属する[[島嶼]]のうち、面積上位20位以内の島を挙げた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|url = http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201110/shima.pdf&lt;br /&gt;
|title = 島面積（2011年10月1日現在）&lt;br /&gt;
|format = PDF&lt;br /&gt;
|publisher = 国土地理院&lt;br /&gt;
|pages = 1,9 - 10&lt;br /&gt;
|accessdate = 2012-02-01&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;width:28%;float:right;text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+南西諸島の位置&lt;br /&gt;
|{{Ryukyu Islands Labelled Map}}&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;width:60%;float:left;text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
! !!島嶼!!面積 (km&amp;amp;sup2;)&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;11&amp;quot;|&lt;br /&gt;
! !!島嶼!!面積 (km&amp;amp;sup2;)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!1&lt;br /&gt;
|[[沖縄本島]]&lt;br /&gt;
|1208.19&lt;br /&gt;
!11&lt;br /&gt;
|[[多良間島]]&lt;br /&gt;
|19.75&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2&lt;br /&gt;
|[[西表島]]&lt;br /&gt;
|289.28&lt;br /&gt;
!12&lt;br /&gt;
|[[渡嘉敷島]]&lt;br /&gt;
|15.31&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!3&lt;br /&gt;
|[[石垣島]]&lt;br /&gt;
|222.63&lt;br /&gt;
!13&lt;br /&gt;
|[[伊是名島]]&lt;br /&gt;
|14.16&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!4&lt;br /&gt;
|[[宮古島]]&lt;br /&gt;
|159.26&lt;br /&gt;
!14&lt;br /&gt;
|[[波照間島]]&lt;br /&gt;
|12.77&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
!5&lt;br /&gt;
|[[久米島]]&lt;br /&gt;
|59.11&lt;br /&gt;
!15&lt;br /&gt;
|[[北大東島]]&lt;br /&gt;
|11.94&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!6&lt;br /&gt;
|[[南大東島]]&lt;br /&gt;
|30.57&lt;br /&gt;
!16&lt;br /&gt;
|[[黒島 (沖縄県竹富町)|黒島]]&lt;br /&gt;
|10.02&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!7&lt;br /&gt;
|[[伊良部島]]&lt;br /&gt;
|29.08&lt;br /&gt;
!17&lt;br /&gt;
|[[下地島]]&lt;br /&gt;
|9.54&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!8&lt;br /&gt;
|[[与那国島]]&lt;br /&gt;
|28.91&lt;br /&gt;
!18&lt;br /&gt;
|[[小浜島]]&lt;br /&gt;
|7.84&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!9&lt;br /&gt;
|[[伊江島]]&lt;br /&gt;
|22.77&lt;br /&gt;
!19&lt;br /&gt;
|[[屋我地島]]&lt;br /&gt;
|7.81&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!10&lt;br /&gt;
|[[伊平屋島]]&lt;br /&gt;
|20.59&lt;br /&gt;
!20&lt;br /&gt;
|[[粟国島]]&lt;br /&gt;
|7.64&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
{{沖縄諸島}}&lt;br /&gt;
{{宮古諸島}}&lt;br /&gt;
{{八重山諸島}}&lt;br /&gt;
{{尖閣諸島}}&lt;br /&gt;
{{大東諸島}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自然公園 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:万座毛.jpg|thumb|right|沖縄海岸国定公園（[[万座毛]]）]]&lt;br /&gt;
*[[国立公園]] &lt;br /&gt;
**[[西表石垣国立公園]]&lt;br /&gt;
*[[国定公園]]&lt;br /&gt;
**[[沖縄海岸国定公園]]&lt;br /&gt;
**[[沖縄戦跡国定公園]]&lt;br /&gt;
*[[都道府県立自然公園|県立自然公園]] &lt;br /&gt;
**久米島県立自然公園&lt;br /&gt;
**伊良部県立自然公園&lt;br /&gt;
**渡名喜県立自然公園&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地形 ===&lt;br /&gt;
;山岳&lt;br /&gt;
*[[於茂登岳]] (526m) - 沖縄県の最高峰。&lt;br /&gt;
*[[与那覇岳]] (503m) - 沖縄本島最高峰。&lt;br /&gt;
*[[古見岳]] (470m)&lt;br /&gt;
*[[城山 (沖縄県)|城山]] (177m)&lt;br /&gt;
;河川&lt;br /&gt;
本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、[[流域面積]]が小さいことが挙げられる。現在、沖縄本島北部では[[赤土]]の流出、中南部では畜舎からの[[排水]]等の影響による河川[[汚染]]が問題となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本県には国内で唯一、[[一級河川]]が存在しない。[[二級河川]]の開発は知事の要請に基づき[[沖縄振興特別措置法]]により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている。&lt;br /&gt;
*[[浦内川]] - 沖縄県最長の川&lt;br /&gt;
*[[塩川 (沖縄県)|塩川]] - 日本で唯一塩分を含む川&lt;br /&gt;
*[[源河川]]&lt;br /&gt;
*[[国場川]]&lt;br /&gt;
*[[比謝川]]&lt;br /&gt;
*[[羽地大川]]&lt;br /&gt;
*[[宮良川]]&lt;br /&gt;
;湖沼・干潟等&lt;br /&gt;
*[[大池 (沖縄県)|大池]] - 沖縄県最大の自然湖&lt;br /&gt;
*[[福上湖]] - 沖縄県最大の[[人造湖]]&lt;br /&gt;
*[[漫湖]]&lt;br /&gt;
*[[泡瀬干潟]]&lt;br /&gt;
*[[池間湿原]]&lt;br /&gt;
*[[名蔵アンパル]]&lt;br /&gt;
*[[八重干瀬]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地域区分 ===&lt;br /&gt;
[[1896年]]（明治29年）[[4月1日]]の[[郡制]]施行に伴い、[[国頭郡]]、[[中頭郡]]、[[島尻郡]]、[[宮古郡]]、[[八重山郡]]の5郡が設置された。現在もその旧郡の境界をもって5地域（5地区）に分ける慣例が残っている。ただし、島尻郡が[[沖縄本島]]周囲の離島全てを含む形となっているため、[[伊平屋島]]と[[伊是名島]]は旧島尻郡の中心の那覇から遠くなっており、航路で近い国頭郡の枠に入れる例が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行政による地域区分では、旧郡による5地地域において中頭地区に入る浦添市を南部広域市町村圏に入れている。また、島尻郡の離島は別扱いとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沖縄県は11市・5郡・11町・19村あり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 沖縄諸島 ====&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;width:38%;float:right;text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+沖縄本島に属する市町村の位置&lt;br /&gt;
|{{Okinawa Island Labelled Map}}&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
;北部広域市町村圏&lt;br /&gt;
旧国頭郡の範囲に、島尻郡の伊平屋島と伊是名島を加えた範囲。旧郡の名称から「国頭地区」とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
*[[名護市]]&lt;br /&gt;
*[[国頭郡]]&lt;br /&gt;
**[[国頭村]] - [[大宜味村]] - [[今帰仁村]] - [[本部町]] - [[恩納村]] - [[宜野座村]] - [[金武町]] - [[東村]]&lt;br /&gt;
*[[伊江島]]（[[国頭郡]]） - [[伊江村]]&lt;br /&gt;
*[[伊平屋島]]（[[島尻郡]]） - [[伊平屋村]]&lt;br /&gt;
*[[伊是名島]]（島尻郡） - [[伊是名村]]&lt;br /&gt;
;中部広域市町村圏&lt;br /&gt;
{{See also|沖縄都市圏}}&lt;br /&gt;
旧中頭郡の範囲から浦添市を除いた範囲。&lt;br /&gt;
*[[沖縄市]]&lt;br /&gt;
*[[うるま市]]&lt;br /&gt;
*[[宜野湾市]]&lt;br /&gt;
*[[中頭郡]]&lt;br /&gt;
**[[北谷町]] - [[嘉手納町]] - [[西原町]] - [[読谷村]] - [[北中城村]] - [[中城村]]&lt;br /&gt;
;南部広域市町村圏&lt;br /&gt;
{{See also|那覇都市圏}}&lt;br /&gt;
沖縄本島にある旧島尻郡部分に浦添市を含めた範囲。以前は宜野湾市、西原町も中部ながら南部広域圏に属していた。また西原町も南部広域圏には属していないものの一部の事務組合には南部と合同になることもある。&lt;br /&gt;
*[[浦添市]]&lt;br /&gt;
*[[那覇市]]&lt;br /&gt;
*[[豊見城市]]&lt;br /&gt;
*[[糸満市]]&lt;br /&gt;
*[[南城市]]&lt;br /&gt;
*[[島尻郡]]&lt;br /&gt;
**[[与那原町]] - [[南風原町]] - [[八重瀬町]]&lt;br /&gt;
;離島&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;width:38%;float:right;text-align:center&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+沖縄本島以外の市町村&lt;br /&gt;
|{{Okinawa Prefecture Labelled Map}}&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
いずれも島尻郡、南部広域市町村圏に属しており、「南部離島」とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
*[[久米島]] - [[久米島町]]&lt;br /&gt;
*[[慶良間諸島]]&lt;br /&gt;
**[[渡嘉敷島]] - [[渡嘉敷村]]&lt;br /&gt;
**[[座間味島]] - [[座間味村]]&lt;br /&gt;
*[[粟国諸島]]&lt;br /&gt;
**[[粟国島]] - [[粟国村]]&lt;br /&gt;
**[[渡名喜島]] - [[渡名喜村]]&lt;br /&gt;
*[[大東諸島]]&lt;br /&gt;
**[[北大東島]] - [[北大東村]]&lt;br /&gt;
**[[南大東島]] - [[南大東村]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 先島諸島 ====&lt;br /&gt;
;宮古支庁&lt;br /&gt;
旧宮古郡の範囲&lt;br /&gt;
*[[宮古島市]]&lt;br /&gt;
*[[宮古郡]]&lt;br /&gt;
**[[多良間村]]&lt;br /&gt;
;八重山支庁&lt;br /&gt;
旧八重山郡の範囲&lt;br /&gt;
*[[石垣市]]&lt;br /&gt;
*[[八重山郡]]&lt;br /&gt;
**[[竹富町]] - [[与那国町]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 米軍基地 ===&lt;br /&gt;
{{See also|在日米軍|普天間基地移設問題}}&lt;br /&gt;
*主な米軍基地 - [[嘉手納基地]]、[[普天間基地]]など&lt;br /&gt;
[[ファイル:Okinawa bws.png]]&amp;lt;br&amp;gt;クリックすると大きな画像が現れます。（[[media:Okinawa bw.png|白黒]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
*[[1429年]] - [[尚巴志]]による[[三山時代|三山]]統一。[[琉球王国]]が成立。&lt;br /&gt;
*[[1500年]] - [[尚真王]]、[[八重山諸島]]を征服。さらに[[1522年]]には与那国島を征服し王府の支配下に置く。&lt;br /&gt;
*[[1609年]] - [[薩摩藩]]による[[薩摩の琉球侵攻|侵攻]]、以降はこれ以降、琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣した。[[奄美群島]]は王府の支配から切り離され薩摩の直轄地へ。&lt;br /&gt;
*[[1872年]]（[[明治]]5年）-  [[沖縄県の歴史#琉球処分|琉球処分]]により琉球王国が[[琉球藩]]に再編される。&lt;br /&gt;
*[[1879年]]（明治12年）3月 - [[琉球藩]]が廃止され、王府の支配が終了。沖縄県が設置される。&lt;br /&gt;
*[[1945年]]（昭和20年） - [[沖縄戦]]。沖縄本島南部を中心に住民に多数の犠牲者が出る。日本政府の統治から切り離されアメリカの統治下へ。&lt;br /&gt;
*[[1972年]]（昭和47年）5月15日 - 日本に復帰する（[[沖縄返還]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人口 ==&lt;br /&gt;
2010年度の[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]結果より前回の2005年度と比較して、沖縄県の人口は2.3%増加し、[[都道府県]]別で全国第4位の人口増加率となった。[[国立社会保障・人口問題研究所]]は、2025年に143万3千人まで増加すると予測している。2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高であるが、社会増加率は各年により増減が変動する。また2010年度の[[合計特殊出生率]]は1.87人と1975年度以来連続で全国1位を維持している。年齢構成に関しては、14歳以下の人口（年少人口）の割合が17.8%と全都道府県で最も高く、また65歳以上の人口（老年人口）は17.4%と最も低い。老年人口割合が20%以下の都道府県は本県のみで、年少人口が老年人口を上回った唯一の都道府県である。[[粗死亡率]]は男女ともに全国で最も低いが、[[年齢調整死亡率]]は全国平均に近く。沖縄県在住の[[外国人]]は、[[国籍]]別で2010年現在[[アメリカ合衆国|アメリカ]]（[[在日米軍|米軍]]とその関係者は含まれない。）が最も多いが、[[中華人民共和国|中国]]・[[韓国]]籍の外国人も増加傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治・行政 ==&lt;br /&gt;
:''※ [[沖縄返還]]以前の沖縄における統治機構は、「[[琉球政府]]」および「[[琉球列島米国民政府]]」を参照。''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 知事 ===&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot; border=&amp;quot;1&amp;quot; frame=&amp;quot;box&amp;quot; rules=&amp;quot;all&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;3&amp;quot;&lt;br /&gt;
|colspan=&amp;quot;8&amp;quot; bgcolor=&amp;quot;#99FFFF&amp;quot;|'''沖縄県公選知事'''&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!代&lt;br /&gt;
!氏名&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;width:8em&amp;quot;|在職期間&lt;br /&gt;
!期&lt;br /&gt;
!出身地&lt;br /&gt;
!最終学歴&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#eee&amp;quot;|1&lt;br /&gt;
|[[屋良朝苗]]&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;やら ちょうびょう&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|[[1972年]]（昭和47年）[[5月15日]]&amp;lt;br&amp;gt;- [[1976年]]（昭和51年）[[6月24日]]&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|[[中頭郡]][[読谷村]]&lt;br /&gt;
|[[広島高等師範学校]]卒業&amp;lt;br&amp;gt;（現・[[広島大学]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#eee&amp;quot;|2&lt;br /&gt;
|[[平良幸市]]&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;たいら こういち&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|[[1976年]]（昭和51年）[[6月25日]]&amp;lt;br&amp;gt;- [[1978年]]（昭和53年）[[11月23日]]&lt;br /&gt;
|1&lt;br /&gt;
|中頭郡[[西原町]]&lt;br /&gt;
|[[沖縄師範学校]]卒業&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#eee&amp;quot;|3&lt;br /&gt;
|[[西銘順治]]&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;にしめ じゅんじ&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|[[1978年]]（昭和53年）[[12月13日]]&amp;lt;br&amp;gt;- [[1990年]]（平成2年）[[12月9日]]&lt;br /&gt;
|3&lt;br /&gt;
|[[島尻郡]][[知念村]]&amp;lt;br&amp;gt;（現・[[南城市]]）&lt;br /&gt;
|[[東京大学]][[法学部]]卒業&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#eee&amp;quot;|4&lt;br /&gt;
|[[大田昌秀]]&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;おおた まさひで&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|[[1990年]]（平成2年）[[12月10日]]&amp;lt;br&amp;gt;- [[1998年]]（平成10年）[[12月9日]]&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|島尻郡[[具志川村]]&amp;lt;br&amp;gt;（現・[[久米島町]]）&lt;br /&gt;
|[[アメリカ合衆国|米]]・[[シラキューズ大学]]大学院修了&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#eee&amp;quot;|5&lt;br /&gt;
|[[稲嶺恵一]]&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;いなみね けいいち&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|[[1998年]]（平成10年）[[12月10日]]&amp;lt;br&amp;gt;- [[2006年]]（平成18年）[[12月9日]]&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|[[関東州]][[大連市|大連]]&amp;lt;br&amp;gt;（現・[[中華人民共和国|中国]]・[[遼寧省]][[大連市]]）&lt;br /&gt;
|[[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;background:#eee&amp;quot;|6&lt;br /&gt;
|[[仲井眞弘多]]&amp;lt;br&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;なかいま ひろかず&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
|[[2006年]]（平成18年）[[12月10日]]&amp;lt;br&amp;gt;- 現職&lt;br /&gt;
|2&lt;br /&gt;
|[[大阪府]][[大阪市]]&lt;br /&gt;
|東京大学[[工学部]]卒業&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
ちなみに現知事の仲井眞は中国に対し自身を中国渡来系と称し、かつて訪中の折には中国政府に対し「蔡」姓を称していたという&amp;lt;ref&amp;gt;『月刊誌WiLL』2012年11月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 議会 ===&lt;br /&gt;
*[[議員定数]] 48人&lt;br /&gt;
*任期 [[2008年]]（平成20年）[[6月25日]] - [[2012年]]（平成24年）[[6月24日]]&lt;br /&gt;
沖縄県議会議員選挙は[[統一地方選挙]]では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである（他は[[東京都]]、[[茨城県]]）。これは、日本復帰後の選挙が[[1972年]]（昭和47年）[[6月25日]]に行われたことによるためで、他の2都県（議会の解散）とは事情が異なる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 財政 ===&lt;br /&gt;
==== 2010年度 ====&lt;br /&gt;
*標準財政規模 3522億3300万円&lt;br /&gt;
*[[財政力指数]] 0.29（都道府県平均 0.49）&lt;br /&gt;
**財政力指数が0.3未満のEグループ（7自治体）に分類されている&lt;br /&gt;
*経常収支比率 88.5%（都道府県平均 91.9%）&lt;br /&gt;
**財政の硬直化が進んでいることを示す指標である&lt;br /&gt;
*将来負担比率 99.3%（都道府県平均 220.8%）&lt;br /&gt;
*[[実質公債費比率]] 11.2%（都道府県平均 13.5%）&lt;br /&gt;
*人口100,000人当たりの職員数 1,422.06人（都道府県平均1,133.74人）&lt;br /&gt;
*[[ラスパイレス指数]] 99.2（都道府県平均 99.3）&lt;br /&gt;
;地方債残高&lt;br /&gt;
*普通会計分の地方債現在高 6800億3400万円&lt;br /&gt;
*上記以外の特別会計分の地方債（企業債）現在高 1537億1900万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 2009年度 ====&lt;br /&gt;
*財政力指数 0.30 （47都道府県平均 0.52）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経済・産業 ==&lt;br /&gt;
=== 産業 ===&lt;br /&gt;
[[2009年]]（[[平成]]21年）度の県内総生産は3兆7211億円である。一人あたり県民所得は204万5000円（全国平均の73%）であり、高知県に次いで全都道府県中下から2番目である。また[[失業率]]は日本一高い。産業別人口の割合では、全国平均と比べて加工業を主とした[[第二次産業]]の比率が日本一低く、[[サービス業]]を主とする[[第三次産業]]の割合が[[東京都]]に次いで2番目に高いという特徴がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
離島県であることから、生産できない[[生鮮食品]]・[[家電製品]]・[[自動車]]等、他都府県から移入する必要があるものは輸送費の分だけ本土に比べ割高となってしまう。そのため、本土の[[地方]]と比べて、特別[[物価]]が低くはなっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沖縄県は元来、[[サトウキビ]]栽培が盛んで、近年は[[観光業]]が発達していて、経済の中心になっている。また、観光業以外に目立った産業のない沖縄県の経済は、[[米軍基地]]の経済（軍雇用者所得、軍用地料、米兵向け商店・飲食店など）に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5％から低下したものの、現在でも5.2％を占めている。米軍基地には、オフィスや病院、ショッピングモールなどの施設があり、約9000人前後の県民が基地施設に勤務していて、県庁に次ぐ人気の高い就職先になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 農業・漁業 ====&lt;br /&gt;
日本唯一の熱帯・亜熱帯性気候を生かし、[[マンゴー]]、[[アセロラ]]、[[パイナップル|パイン]]、[[ドラゴンフルーツ]]等のトロピカルフルーツや、[[サトウキビ]]、[[タバコ]]、[[ツルレイシ|ゴーヤー]]（ニガウリ）といった農作物が生産されている。また、[[マグロ]]、[[ブリ]]や[[クルマエビ]]の養殖も盛んである&amp;lt;ref&amp;gt;生活情報センター編集部編　『さかなの漁獲・養殖・加工・輸出入・流通・消費データ集2005』　生活情報センター、2005年&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 工業 ====&lt;br /&gt;
近年の[[石油]]需要・[[原油価格]]の高騰から植物資源を燃料に充てられる[[バイオエタノール]]が脚光を浴び、沖縄県が主な産出のサトウキビが選択肢の一つとして注目されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 観光業 ====&lt;br /&gt;
本県の主な産業として、伝統・歴史・自然を生かした[[観光業]]が挙げられる。ただし、沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の[[海水浴場]]の多くは、[[ワイキキビーチ]]と同様に[[人工海浜]]であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。観光客数は国内外合わせて5,690,000人（国内：5,443,800人、海外：246,200人）である。訪れる外国人観光客は、[[中華民国|台湾]] (75%) 、[[アメリカ合衆国|米国]] (11%) 、[[大韓民国|韓国]] (4%) 、[[香港]] (2%) 、[[中華人民共和国|中国]] (2%) という比率になっている。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]]（平成12年）に[[主要国首脳会議]]が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 情報 ====&lt;br /&gt;
[[1998年]]（平成10年）から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、[[海底ケーブル]]の陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange 等の呼びかけを行い[[コールセンター]]やIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして[[箱物行政]]といった批判も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 優遇税制・特例 ===&lt;br /&gt;
経済振興のため、数々の特例が設定されている。&lt;br /&gt;
* [[ガソリン税]]（本土より1[[リットル]]当たり7円引き）や、[[沖縄自動車道]]の通行料金（本土より[[沖縄自動車道#通行料金|約4割引]]）などが軽減されている。&lt;br /&gt;
* 沖縄県発着の航空便に関しては、[[航空機燃料税]]が50%減免されていることもあり、県外の同一距離路線に比べて5000円程度安くなっているため、結果として観光客誘致にも寄与している。&lt;br /&gt;
* 観光においては、[[沖縄の観光戻税制度|観光戻税制度]]、のちの[[特定免税店制度 (沖縄)|特定免税店制度]]が他県にはない特徴的な優遇税制である。&lt;br /&gt;
* [[酒税]]の軽減措置がある（→[[泡盛#沖縄県酒造組合連合会の独自基準導入と経緯|泡盛]]、[[オリオンビール#歴史|オリオンビール]]参照）。&lt;br /&gt;
* [[2002年]]（平成14年）4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇（[[法人税]]の控除、[[特別土地保有税]]の非課税、[[事業所税]]の課税標準の特例）と大地震等の災害の可能性の低さを理由に、いくつかの企業が特別地区への移動を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 企業 ===&lt;br /&gt;
県内では、本州等で展開している[[企業]]の地域会社が多数存在する。&lt;br /&gt;
;電気通信事業者&lt;br /&gt;
:[[電気通信事業者]]では、携帯電話の [[Au (携帯電話)|au]] のサービスを提供する地域会社として[[沖縄セルラー電話]]がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業であることから、同社の過半数株式を所有する [[KDDI]] だけでなく、地元企業の[[沖縄電力]]のほか県内の財界人・有力企業も出資している。沖縄県独自のサービスも展開していることもあり、県内では他県では[[市場占有率]]が首位の[[NTTドコモ]]を抑えている（[[2005年]]（平成17年）現在の市場占有率は49%）。なお、同社は政治的な配慮により[[ドミナント規制]]対象外だったが、のちに au 本体 ([[KDDI]]) が対象となっている。&lt;br /&gt;
:また、[[アステル]]グループの[[PHS]]サービスを提供していた沖縄電力グループの旧[[アステル沖縄]]を引継ぎ、[[2005年]]（平成17年）[[1月25日]]に事業を開始した[[ウィルコム沖縄]]（[[本州]]などでPHSサービスを提供する[[ウィルコム]]（旧DDIポケット）の子会社）がある。&lt;br /&gt;
;酒類&lt;br /&gt;
:[[ビール]]メーカーとして県内で大きな市場占有率を持つ[[オリオンビール]]が存在する。なお、同社は県内における酒税減免措置にのった県内市場の高い占有率を成しているが、日本全体で見た場合の市場占有率は1%程度であるため[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律|独占禁止法]]に抵触しないとされる。&lt;br /&gt;
;新聞&lt;br /&gt;
:新聞は輸送事情の関係から、本土の全国紙は現地印刷が開始された[[日本経済新聞]]を除き、当日の朝に配送することが不可能なため（本土における夕刊配達の時間帯に朝刊が配達される状態）、[[地方紙]]である[[沖縄タイムス]]および[[琉球新報]]が購読率の大半を占めている。&lt;br /&gt;
;金融&lt;br /&gt;
:金融機関は、店舗数では県内の[[地方銀行]]のほか[[郵便局]]（[[ゆうちょ銀行]]）や[[JAバンク]]（[[沖縄県農業協同組合|JAおきなわ]]）が圧倒的である。[[都市銀行]]については[[みずほ銀行]]那覇支店が店舗として唯一存在するほか、[[三菱東京UFJ銀行]]が那覇市に法人営業所を設置しているのみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 沖縄県に本社を置く主要企業 ====&lt;br /&gt;
;製造業&lt;br /&gt;
:*[[南西石油]]（[[西原町]]）&lt;br /&gt;
:*[[りゅうせき]]（[[浦添市]]）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄コカ・コーラボトリング]]（浦添市）&lt;br /&gt;
:*[[オリオンビール]]（浦添市）&lt;br /&gt;
:*[[ヘリオス酒造]]（[[名護市]]）&lt;br /&gt;
:*[[琉球セメント]]（浦添市）&lt;br /&gt;
:*[[コーラルバイオテック]]（[[那覇市]]）&lt;br /&gt;
:*[[ブルーシールアイスクリーム|フォーモスト・ブルーシール]]（浦添市）&lt;br /&gt;
:*[[おっぱ乳業]]（[[今帰仁村]]）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄製粉]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄ハム総合食品|沖縄ハム]]（[[読谷村]]）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄ホーメル]]（[[中城村]]）&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;小売業&lt;br /&gt;
:*[[サンエー (沖縄県)|サンエー]]（[[宜野湾市]]）&lt;br /&gt;
:*[[金秀商事]]（西原町）&lt;br /&gt;
:*[[イオン琉球]]（旧・琉球ジャスコ）（[[南風原町]]）&lt;br /&gt;
:*[[リウボウインダストリー]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄ファミリーマート]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[ローソン沖縄]]（浦添市）&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;電力&lt;br /&gt;
:*[[沖縄電力]]（浦添市）&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;情報通信業&lt;br /&gt;
:*[[ウィルコム沖縄]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[CSKコミュニケーションズ]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄セルラー電話]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[プロトデータセンター]]（宜野湾市）&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;マスコミ&lt;br /&gt;
:*[[琉球新報]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄タイムス]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[琉球放送]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄テレビ放送]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[琉球朝日放送]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[ラジオ沖縄]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[エフエム沖縄]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;金融業&lt;br /&gt;
:*[[琉球銀行]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄銀行]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄海邦銀行]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[コザ信用金庫]]（沖縄市）&lt;br /&gt;
:*[[おきなわ証券]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[OCS (信販)|OCS]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;運輸&lt;br /&gt;
:''※[[バス会社]]については[[#バス]]を参照。''&lt;br /&gt;
:*[[日本トランスオーシャン航空]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[琉球エアコミューター]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄岡崎運輸]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄交通]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;建設&lt;br /&gt;
:*[[國場組]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
;観光&lt;br /&gt;
:*[[かりゆし (企業)|かりゆし]]（那覇市）&lt;br /&gt;
:*[[ザ・テラスホテルズ]]（名護市）&lt;br /&gt;
:*[[沖縄ツーリスト]]（那覇市）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 沖縄県に拠点事業所を置く主要企業 ====&lt;br /&gt;
;工場&lt;br /&gt;
:*[[日本鉄工]]（糸満市）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生活・交通 ==&lt;br /&gt;
=== 警察 ===&lt;br /&gt;
* [[沖縄県警察]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 交通 ===&lt;br /&gt;
==== 空港 ====&lt;br /&gt;
島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。県内には、以下の表の空港と[[伊是名場外離着陸場]]があるほか、[[在日米軍]]が[[基地]]として利用する[[嘉手納基地|嘉手納飛行場]]、[[普天間基地|普天間飛行場]]などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 鉄道路線 ====&lt;br /&gt;
太平洋戦争前には沖縄本島に[[沖縄県営鉄道]]、[[沖縄電気]]（[[路面電車]]）、[[沖縄軌道]]、[[糸満馬車軌道]]が存在したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も[[沖縄戦]]で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、[[2003年]]（平成15年）に[[沖縄都市モノレール線]]（ゆいレール）那覇空港 - 首里間が開業した&amp;lt;ref&amp;gt;これにより電車が走っていない都道府県は[[徳島県]]だけになった&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[2006年]]（平成18年）に那覇 - 名護間に鉄道を建設する構想が明らかになったが、日本政府が建設費の一部（または全部）を負担することを除き、建設や運営の主体や手法について具体的なことは何ら決定していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全都道府県の中で唯一、[[JR]]各社の路線が敷設されていない。これは[[日本国有鉄道|国鉄]]時代から同様であるが、かつての[[鉄道小荷物]]については[[琉球海運]]などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた。なお、JRの営業拠点としては那覇市に[[九州旅客鉄道]]（JR九州）[[九州旅客鉄道沖縄支店|沖縄支店]]が設置されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 路線バス ====&lt;br /&gt;
[[鉄道]]が[[沖縄都市モノレール]]（ゆいレール）しか存在しない沖縄県では、現在も[[バス (交通機関)|バス]]が主要な[[公共交通機関]]として利用されている。しかし、近年は[[自家用車]]の増加により年々利用客は減少傾向にある。また日本で唯一、[[国鉄バス]]→[[JRバス]]が一度も定期旅客営業を行ったことがない都道府県である。&lt;br /&gt;
;一般乗合・一般貸切兼業&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
*沖縄本島&lt;br /&gt;
**[[琉球バス交通]]&lt;br /&gt;
**[[沖縄バス]]&lt;br /&gt;
**[[那覇バス]]&lt;br /&gt;
**[[東陽バス]]&lt;br /&gt;
**沖縄中央観光&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
*宮古諸島&lt;br /&gt;
**[[宮古協栄バス]]&lt;br /&gt;
**[[八千代バス・タクシー]]&lt;br /&gt;
**[[共和バス]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
*八重山諸島&lt;br /&gt;
**[[東運輸]]&lt;br /&gt;
**[[西表島交通]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;br/ style=&amp;quot;clear: left;&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
;一般貸切専業&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
*沖縄本島&lt;br /&gt;
**[[中部観光バス]]&lt;br /&gt;
**大東交通&lt;br /&gt;
**ワールドトランス&lt;br /&gt;
**平安座総合開発&lt;br /&gt;
**沖宮観光バス&lt;br /&gt;
**結&lt;br /&gt;
**サクシードプランニング&lt;br /&gt;
**美ら島&lt;br /&gt;
**國和第一ハイヤー&lt;br /&gt;
**翔陽&lt;br /&gt;
**沖縄南観光&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
**ハイウエイ沖縄&lt;br /&gt;
**太陽交通&lt;br /&gt;
**カリー観光&lt;br /&gt;
**ロケーションファースト&lt;br /&gt;
**アンドインディー&lt;br /&gt;
**フジさくら観光&lt;br /&gt;
**Island Limousines&lt;br /&gt;
**タワダロケーションサービス&lt;br /&gt;
**ダイトウ&lt;br /&gt;
**沖縄ツーリスト&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
*伊江島&lt;br /&gt;
**[[伊江島観光バス]]&lt;br /&gt;
*久米島&lt;br /&gt;
**久米島交通&lt;br /&gt;
*八重山諸島&lt;br /&gt;
**[[平田観光]]&lt;br /&gt;
**かびら観光交通&lt;br /&gt;
**トラベル派遣&lt;br /&gt;
**竹富島交通&lt;br /&gt;
**[[コハマ交通]]&lt;br /&gt;
**ちゅら島交通&lt;br /&gt;
**いりおもて観光&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;br/ style=&amp;quot;clear: left;&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
;特定&lt;br /&gt;
*沖縄本島&lt;br /&gt;
**那覇空港グランドサービス&lt;br /&gt;
**[[那覇バス]]&amp;lt;!--那覇空港にてスカイマークのランプバスを運行。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*八重山諸島&lt;br /&gt;
**[[東運輸]]&lt;br /&gt;
**かびら観光交通&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 道路 ====&lt;br /&gt;
*本土復帰後、[[1978年]]（昭和53年）[[7月29日]]までは、車輌は右側通行だった。''※ [[730 (交通)]]も参照。''&lt;br /&gt;
*沖縄本島、特に[[那覇都市圏]]では[[渋滞]]が激しく、県内の1km当たりの渋滞損失額は[[三大都市圏]]の都府県に次いで大きい。&lt;br /&gt;
;高速道路&lt;br /&gt;
*[[沖縄自動車道]]&lt;br /&gt;
*[[那覇空港自動車道]]&lt;br /&gt;
;一般国道&lt;br /&gt;
*[[国道58号]]&lt;br /&gt;
*[[国道329号]]&lt;br /&gt;
*[[国道330号]]&lt;br /&gt;
*[[国道331号]]&lt;br /&gt;
*[[国道332号]]&lt;br /&gt;
*[[国道390号]]&lt;br /&gt;
*[[国道449号]]&lt;br /&gt;
*[[国道505号]]&lt;br /&gt;
*[[国道506号]]&lt;br /&gt;
*[[国道507号]]&lt;br /&gt;
;県道&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 港湾 ====&lt;br /&gt;
航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。石垣市の石垣港は、[[中華人民共和国|中国]]と[[中華民国|台湾]]との中継港として使われている。&lt;br /&gt;
;[[重要港湾]]&lt;br /&gt;
*[[那覇港]]&lt;br /&gt;
*[[運天港]]&lt;br /&gt;
*[[金武湾港]]&lt;br /&gt;
*[[中城湾港]]&lt;br /&gt;
*[[平良港]]&lt;br /&gt;
*[[石垣港]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 医療・福祉 ===&lt;br /&gt;
;[[災害拠点病院]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄県災害拠点病院]]&lt;br /&gt;
;[[保育所]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄県保育所一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
;大学&lt;br /&gt;
[[国立大学|国立]]&lt;br /&gt;
*[[琉球大学]]（本部は[[西原町]]であるが、キャンパスの敷地は西原町、[[中城村]]及び[[宜野湾市]]の3[[市町村]]にまたがっている）&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[公立大学|公立]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄県立看護大学]]（[[那覇市]]）&lt;br /&gt;
*[[沖縄県立芸術大学]]（那覇市）&lt;br /&gt;
*[[名桜大学]]（[[名護市]]、[[2010年]]（平成22年）3月まで私立大学であった）&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--バグ回避用--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[私立大学|私立]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄大学]]（那覇市）&lt;br /&gt;
*[[沖縄国際大学]]（[[宜野湾市]]）&lt;br /&gt;
*[[沖縄キリスト教学院大学]]（西原町）&lt;br /&gt;
*[[沖縄科学技術大学院大学]]（仮称、[[国頭郡]][[恩納村]]に設置予定となっている）&lt;br /&gt;
;短期大学&lt;br /&gt;
*[[沖縄女子短期大学]]（那覇市）&lt;br /&gt;
*[[沖縄キリスト教短期大学]]（西原町、沖縄キリスト教学院大学と併設）&lt;br /&gt;
;高等専門学校&lt;br /&gt;
[[国立高等専門学校機構|国立]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄工業高等専門学校]]（名護市）&lt;br /&gt;
;高等学校・中学校・小学校・その他の学校&lt;br /&gt;
以下の一覧記事を参照されたい。&lt;br /&gt;
*[[沖縄県特別支援学校一覧]] &lt;br /&gt;
*[[沖縄県専修学校一覧]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄県高等学校一覧]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄県中学校一覧]] &lt;br /&gt;
*[[沖縄県小学校一覧]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄県幼稚園一覧]] &lt;br /&gt;
*[[沖縄県英語学校一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== マスメディア ===&lt;br /&gt;
==== 新聞 ====&lt;br /&gt;
2大[[県紙]]のシェアが併せて約7割弱に達し、[[先島諸島]]では独自の地元紙が発行される。[[全国紙]]（一般紙）は下記の事情もあり、他県と比べシェアが極めて低い。&lt;br /&gt;
;県紙&lt;br /&gt;
*[[沖縄タイムス]]&lt;br /&gt;
*[[琉球新報]]&lt;br /&gt;
;先島諸島のローカル紙&lt;br /&gt;
*[[八重山毎日新聞]]、[[八重山日報]]（[[八重山諸島]]）&lt;br /&gt;
*[[宮古毎日新聞]]、[[宮古新報]]（[[宮古諸島]]）&lt;br /&gt;
;全国紙&lt;br /&gt;
[[読売新聞]]、[[毎日新聞]]、[[朝日新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]の各社が当県に総・支局を設置している。[[2008年]]（平成20年）[[11月1日]]より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、[[全国紙]]では唯一、朝夕刊とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社と西部本社で発行された新聞をそれぞれ販売、産経は大阪本社発行版が販売されている。これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む（前日の夕刊と同時配達）。また先島諸島や[[大東諸島]]については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。&lt;br /&gt;
;スポーツ紙&lt;br /&gt;
[[スポーツ新聞]]は、[[日刊スポーツ]]と[[スポーツニッポン]]（[[新報スポニチ]]）が当県で現地印刷を行っているが、両紙とも[[本州]]などで発行される新聞とは異なり、10～12ページで発行されている（沖縄県には[[公営競技]]の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか、[[番組表]]も非掲載）。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは、東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが、価格は定価より50円上乗せした180円となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 放送局 ====&lt;br /&gt;
*[[NHK沖縄放送局]] - 旧[[沖縄放送協会]]&lt;br /&gt;
*[[琉球放送]] (RBC)（テレビ：[[Japan News Network|JNN]] ラジオ：[[Japan Radio Network|JRN]]）&lt;br /&gt;
*[[沖縄テレビ放送]] (OTV) ([[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]])&lt;br /&gt;
*[[琉球朝日放送]] (QAB) ([[All-nippon News Network|ANN]])&lt;br /&gt;
*[[ラジオ沖縄]] (ROK) ([[全国ラジオネットワーク|NRN]])&lt;br /&gt;
*[[エフエム沖縄]] ([[JAPAN FM NETWORK|JFN]])&lt;br /&gt;
*[[AFN]] - 在日米軍放送。本州や長崎県にある各局と違い、中波 (AM) ラジオだけでなくテレビおよびFMラジオでも番組を制作し放送している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== テレビ放送における特記事項 =====&lt;br /&gt;
;先島諸島・大東諸島における特記事項&lt;br /&gt;
:大東諸島では長らく県内のテレビ放送が受信できなかったため、アナログ放送では[[関東地方|関東広域圏]]を放送対象とするテレビ局のうち[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[テレビ東京]]を除く各局の放送を、[[小笠原諸島]]向けに送信されている衛星回線を使用し中継していた（このほか、[[NHK衛星第1テレビジョン|NHK衛星第1]]・[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK衛星第2]]テレビも地上波で中継）。なお、県内の話題については電話回線を利用した字幕情報が必要に応じて挿入されていた。その後、[[2011年]]（平成23年）初頭から敷設工事が進められた海底光ケーブルで送られてくる信号で沖縄本土からのテレビ放送波を送ることができるようになり、同年7月のNHK沖縄放送局・民放各局のデジタル中継局の開局によって、RBC は本島のテレビ放送開始から51年、OTV は本島の開局から52年、QAB は本島の開局から16年でようやく視聴可能になった（詳細は[[大東諸島#テレビ]]を参照）。&lt;br /&gt;
:なお、琉球朝日放送 (QAB) は大東諸島だけでなく、[[先島諸島]]でもかつてアナログ放送での受信は不可能であったが、宮古島および石垣島ではケーブルテレビの自主放送により[[テレビ朝日]]の番組を時差放送していた。[[2009年]]（平成21年）10月21日、デジタル新局として QAB の中継局が設置され、本島の開局から14年でようやく視聴可能になった。&lt;br /&gt;
;ネットワーク系列局の空白&lt;br /&gt;
:県内には、日本テレビ・テレビ東京両系列の放送局が置かれていない（全国で唯一、クロスネット局を含めた日本テレビ系列が放送対象地域外となっている都道府県でもある）が、これらの系列各局により制作された番組の一部は県内の他系列に属する放送局で、ローカル枠で放送されている。&lt;br /&gt;
:日本テレビでは、系列局のない県内におけるニュース取材を行う目的で[[日本テレビ那覇支局]]を設置している。なお、同局系列の系列局については[[南西放送]]が開局予定だったが実現しなかった。&lt;br /&gt;
;他県と隔絶しているゆえの事象&lt;br /&gt;
:県内の全ての[[ケーブルテレビ局]]では、アナログ・デジタルとも地形や技術上などの問題もあり、[[区域外再放送|県外民放の再配信]]は一切行われていない。また[[琉球新報]]・[[沖縄タイムス]]の[[番組表]]も鹿児島県を含めた県外民放はラジオを含め一切掲載されていない&amp;lt;ref&amp;gt;以前は他地域での経営上の理由（ケーブルテレビ局側における設備上のコストや県内既存局の圧力）などで再送信されなかったケースもたびたびあったが本土の県庁所在地の中心部のケーブルテレビ局は4大系列とも再送信されることが一般的である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;その他&lt;br /&gt;
:近隣のテレビ局と豊見城市にある送信所を直線で結ぶ位置にある沖縄県庁の庁舎は、電波の転送路を妨害しないよう庁舎の屋上部分を曲線的に窪ませた形状となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== AMラジオ局について =====&lt;br /&gt;
[[沖縄本島]]北部・[[先島諸島]]および大東諸島では夜間～早朝を中心に近隣国の混信をまともに受けやすいため、FM電波を使って中継放送が行われている。沖縄本島周辺では夜間のみ関東から九州にかけてのラジオ局が受信できるほか、本島北部の一部では昼間でも[[RKB毎日放送]]・[[南日本放送]]が受信できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== FMラジオ局について =====&lt;br /&gt;
FM沖縄は現在先島諸島、大東諸島では中継局がないため直接受信不可（なお宮古島では地元の[[エフエムみやこ|コミュニティFM局]]が同局の一部の番組を放送）。NHK-FM は現在大東諸島では中継局がないため直接受信不可。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== [[識別信号|コールサイン]]について =====&lt;br /&gt;
[[アメリカ合衆国]]の施政権下では '''KSxx''' を用いていたが、本土復帰（[[1972年]]（昭和47年））以降は '''JOxx''' を用いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ケーブルテレビ ====&lt;br /&gt;
*[[:Category:沖縄県のケーブルテレビ局|沖縄県のケーブルテレビ局]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化・スポーツ ==&lt;br /&gt;
沖縄県は、[[琉球王国]]成立以前から、[[琉球民族]]が多数を占める地域であり、日本や中国などの[[東アジア]]の影響も受けた、日本本土とは違う独自の[[文化]]を築き上げてきた。また[[太平洋戦争]]後から[[沖縄返還]]に至るまで、長期間[[アメリカによる沖縄統治|米軍に統治]]されていたため、[[アメリカ]]の文化（特に食文化）も深く浸透している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 宗教 ===&lt;br /&gt;
[[アニミズム]]を基本としており、本土の[[神道]]の原形（[[古神道]]）に近いと言われる。[[琉球神道]]とも言われ、本土の[[神社]]に当たるものとして[[御嶽 (宗教)|御嶽]]がある。また、[[祖先崇拝]]の風も強く残る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[仏教]]は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、[[葬式]]の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒の数は、本土に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、本土のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別に[[ユタ]]を呼ぶ事例もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[墓]]は、自然のほら穴等を使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた[[亀甲墓]]へと変わり、現在では[[破風墓]]が一般的である。また、遺骨の処理方法も[[風葬]]や[[洗骨]]をする独特の風習があったが、近年では保健所等の指導や婦人運動の結果、多くの地域で[[火葬]]が実施されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[キリスト教]]は、[[アメリカによる沖縄統治|アメリカ統治時代]]の影響もあり、[[長崎県]]ほどではないが比較的浸透していて、人口当たりのキリスト教会の数は本土に比べて多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 言語・方言 ===&lt;br /&gt;
沖縄県の伝統的な諸方言（琉球方言）は、地理的・歴史的な経緯から日本本土の諸方言とは異なる部分が多く、[[琉球語]]として区別されることもある。ただし、その場合でも日本本土の言語とは系統を同じくすることから[[日本語族]]に属しているとされる。方言の地域差も大きく、沖縄県内では大まかに[[国頭方言]]、[[沖縄方言]]、[[宮古方言]]、[[八重山方言]]、[[与那国方言]]に分けられるが、それら諸方言の間でもそれぞれ別言語とされることがあるほどの違いがある。明治から昭和中期まで強力な標準語普及運動が推進されたことに加え、戦後のマスメディアや学校教育の発展に伴いそれらを通じて標準語に接する機会が圧倒的に増えたため、2010年代現在では中年層以下では標準語が土着の方言の影響を受けて変化した[[ウチナーヤマトグチ]]が一般的となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人種・民族 ===&lt;br /&gt;
古来より日本本土とは同族と認識されてきたが、地理的・歴史的・文化的な経緯から[[琉球民族]]とする主張もある。人種的には先史時代から10世紀にかけて[[南九州]]から移入したとされ、[[分子生物学]]の研究でも本土と遺伝的に近いことが確かめられている。北琉球と呼ばれることもある[[沖縄諸島]]の住民は、分子生物学的（[[Y染色体]]による系統分析）にほぼ[[九州]]、[[本州]]、[[四国]]の住民と同じである。南琉球である[[先島諸島]]の住民は、Y染色体DNA の系統の1つである O2b の純度が高く、沖縄諸島以北とはやや異なる独自の特徴を示しているが、最も近接するのは沖縄諸島である。（[[日本人#Y染色体による系統分析]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 名字 ===&lt;br /&gt;
沖縄の名字の多くは、地名に由来する｡琉球王国時代では、王族、士族らは現在の名字に相当する'''家名'''を名乗り、[[領地]]が変わるたびにそれも変化した。[[薩摩藩]]による侵攻以降、薩摩藩の[[政策]]と[[琉球王府]]の[[施策]]により、日本風の二字姓家名からいわゆる沖縄風の三文字姓に改名した家系が多い。琉球処分後、一般庶民にも姓を名乗ることが許され、また明治以降は琉球語読みの名字の多くは日本語読みに改まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 建築 ===&lt;br /&gt;
沖縄県の伝統的な建築は、主に琉球王国時代に発展した。建造物の多くは建築様式や素材・技術などで他地域の建築（主に[[日本建築]]・中国建築）との類似点が多く見られるが、風土等の面で異なるために独自の発展が見られる。王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋（ヌチジャー）、庶民は主に穴屋（アナヤー）と呼ばれる掘立[[小屋]]に住居を構えていた。また住居以外には、[[城壁]]や[[橋梁]]等の石造建築物に[[琉球石灰岩]]が多く使用された。その後、沖縄戦により失われた物も多いが、戦後導入された[[ツーバイフォー工法]]などの規格住宅に置き換わっている例も多い。現在は台風に強い[[鉄筋コンクリート]]の建物が造られ、過去に水不足による[[断水]]を幾度と経験したことから、屋上に給水タンクを設置し、また壁の[[塗装]]色が様々な住宅が多いのも特徴である。&lt;br /&gt;
*[[重要伝統的建造物群保存地区]]&lt;br /&gt;
**[[渡名喜島]]（渡名喜村）&lt;br /&gt;
**[[竹富島]]（竹富町）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 芸能等 ===&lt;br /&gt;
琉球王国時代に広まった琉球古典音楽は、中国に起源をもつ[[三線]]を始め、[[琉球舞踊]]や日本芸能である[[能]]、[[狂言]]等の要素を取り入れた[[組踊]]が発展し、さらに[[琉歌]]による文学的表現も確立させた。琉球処分後には庶民にも三線音楽が普及し、現在でも[[民謡]]が盛んに歌われるほか、ポピュラー系の音楽ジャンルにも影響を及ぼしている。また、[[エイサー]]は[[浄土宗]]の[[念仏]]が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない[[創作エイサー]]へも発展している。太平洋戦争中までは[[琉球競馬]]が盛んに行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 衣装 ===&lt;br /&gt;
伝統的衣装である[[琉装]]のほか、近年では[[アロハシャツ]]に似た[[かりゆしウェア]]も見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 武術 ===&lt;br /&gt;
以前から存在していた沖縄固有の武術「[[手 (沖縄武術)|手（ティー）]]」と、琉球王国時代に伝来した[[中国武術]]により融合して誕生したのが、[[手 (沖縄武術)|唐手]]（からて、トゥーディー）であり、後の[[空手道]]に発展した。戦後、空手を習得したアメリカ軍人や、日本から海外へ渡った[[空手家]]により、次第に世界へと普及した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広義の[[琉球古武術]]は、徒手空拳術（空手）と武器術から成る。一般的に古武術は後者を指すが、空手と武器術は互いに密接な関係にある。[[棒術]]、[[トンファー]]術など様々だが、中でも[[ヌンチャク]]を用いた武器術は世界的にも有名である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 馬術 ===&lt;br /&gt;
{{Main|琉球競馬}}&lt;br /&gt;
速さではなく、美しさを競う[[古式競馬]]。琉球競馬（ンマハラシー）は300-500年ほど前から行われ、明治以降は全県民的な催事となったが、太平洋戦争で途絶えた。2013年から[[沖縄こどもの国]]にて行われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 料理 ===&lt;br /&gt;
仏教の影響が弱かったことから、本土のように[[肉食]]の禁忌がなかったため、早くから肉料理が発達した。中国の影響からか特に[[豚肉]]料理が伝統的に発達している。[[牛]]、[[馬]]、[[猪]]、[[鳥]]の肉を食べるが、祝いの席などで山羊の刺身、山羊汁、チーイリチーをふるまうことが多い、山羊の肉と血液を調理するチーイリチャーは、沖縄ならではのものといえる。古くから諸外国との貿易で繁栄した海洋王国のためか、琉球料理には、遠い[[北海道]]産の[[コンブ|昆布]]も多く使われる。&lt;br /&gt;
*[[ゴーヤー]]&lt;br /&gt;
*[[チャンプルー]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄そば]]&lt;br /&gt;
*[[泡盛]]&lt;br /&gt;
*[[アバサー]]（[[ハリセンボン]]）&lt;br /&gt;
*[[グルクン]]（県魚）&lt;br /&gt;
また、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている。&lt;br /&gt;
*[[タコライス]]&lt;br /&gt;
*[[スパム]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 差別 ===&lt;br /&gt;
王府の管轄下にあったニンブチャー（チョンダラー）以外には[[被差別民]]がいなかったため、本土の[[部落差別]]にあたるものはない。しかし、都市部以外では[[シマ社会]]の旧習が今も色濃く残っており、[[男尊女卑]]や、部外者排斥の傾向が見られる。また、沖縄固有の歴史的事情に起因する差別も知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、本土ではかつて、沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった。1903年には展覧会で沖縄出身の遊女を[[アイヌ]]や[[台湾原住民]]などとともに異民族として「展示」し、沖縄県民の反発を招く事件が起こった（詳細は[[人類館事件]]を参照）。大正から昭和初期にかけて沖縄から本土への出稼ぎが増加した際には、標準語や本土の習慣・時間感覚に不慣れな者が多かったことなどを背景に、求人告知や商店の入口で「琉球人お断り」と但し書きされる事例があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 奄美出身者差別 ====&lt;br /&gt;
地理的・文化的に近い[[奄美群島]]は、琉球王国の侵略を受け服属したのは約1世紀半であったが、[[島津氏]]によって本土勢力の支配下となり明治維新で鹿児島県に属した後も、沖縄との人的交流が盛んな地域であった。しかし、[[太平洋戦争]]後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと、「日本国民」に戻った奄美出身者の人権を制限する施策が、沖縄本島住民の陳情により次々と導入された。また、[[沖縄タイムス]]などのマスコミも[[差別]]を助長するような報道を行い、民間に差別感情が広まった。&lt;br /&gt;
{{Main|沖縄の奄美差別}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アメラジアン差別 ====&lt;br /&gt;
アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもは[[アメラジアン]]と呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人・軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多い。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえないといった差別を受けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慰霊の日の前後に公立校では[[反米]]的な学習が展開されるため、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と迫害される[[いじめ]]を浴びる。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別・偏見のまなざしが向けられている。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が[[産業廃棄物|産廃]]の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症、[[性器]]の発赤といった健康被害が多発した時には、沖縄県は[[ダイオキシン]]や[[ポリ塩化ビフェニル|PCB]]の検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ハンセン病者差別 ====&lt;br /&gt;
沖縄県は[[ハンセン病]]が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めているが、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった。[[シマ社会|シマ]]ではハンセン病者（「クンチャー」と呼ばれ、これは[[乞食]]を意味する琉球方言である）を[[ガマ (洞窟)|ガマ]]、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう[[呪い]]をかけた。昭和50年代に[[火葬場]]が増えてから沖縄にも本土式の葬儀が広まったが、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い（「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない）が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した。癩療養所設置を阻止するための暴動（嵐山事件）が起きたり、療養所設置を求めた[[青木恵哉]]ら患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らによりようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園（現在の[[国立療養所沖縄愛楽園]]）は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
感染性への誤解も根強く、[[琉球新報]]は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し（後に他紙記者により「沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点」と指弾される）、また[[らい予防法]]廃止前に行われた世論調査では住民の87％がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 精神障害者差別 ====&lt;br /&gt;
復帰前の調査では、沖縄は精神障害の有病率が本土の2倍との結果が得られ、近年でも精神的疾病、性暴力、家族内暴力、学校内暴力、自殺などが全国トップレベルである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が[[座敷牢]]に閉じこめる[[私宅監置]]は、本土では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった。精神障害は悪霊（[[マジムン]]）によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で、[[ユタ]]信仰の影響を受け土着化したキリスト教である[[沖縄キリスト教福音]]はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、[[統合失調症]]や[[てんかん]]には[[悪霊ばらい|悪霊払い]]を行っている。「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、ユタは精神障害者に近いというとらえ方から、精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い。精神異常を来した者のうち、神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ、社会に受けいれられる「肯定的な狂気」として存在できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 自衛官差別 ====&lt;br /&gt;
[[職業差別]]として、[[自衛官]]に対する差別がある。[[本土復帰]]に伴い[[自衛隊]]が沖縄にやってきたとき、自衛官たちは人殺し呼ばわりされ、差別の凄まじさから[[自衛隊員]]の子供は半年以上も学校を学校に通うことが出来なかったほどである。また、様々な行事から閉めだされた上に、参加が許可されても[[自衛隊]]を名乗ることを許されなかった。自治体ですら自衛官やその家族の住民登録を拒否する、ゴミの処理も受け付けないなどの、差別を長年に渡って続けてきた。[[那覇ハーリー]]で自衛隊を名乗り参加することが許されたのは復帰後30年近く経過した2001年のことであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== スポーツ ===&lt;br /&gt;
==== スポーツクラブ ====&lt;br /&gt;
*[[U・スターズ|沖縄スターズ]]&lt;br /&gt;
*[[安仁屋ベースボールトライ]]&lt;br /&gt;
*[[FC琉球]]（[[サッカー]][[日本フットボールリーグ|JFL]]）&lt;br /&gt;
*[[沖縄かりゆしFC]]（サッカー[[九州サッカーリーグ]]）&lt;br /&gt;
*[[琉球ゴールデンキングス]] - 2007 - 08年シーズンより[[日本プロバスケットボールリーグ|bjリーグ]]に新規参入のプロ[[バスケットボール]]チーム。&lt;br /&gt;
*[[琉球コラソン]]（[[日本ハンドボールリーグ]]）&lt;br /&gt;
*[[琉球ボクシングジム]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 主なスポーツイベント ====&lt;br /&gt;
*[[おきなわマラソン]]&lt;br /&gt;
*[[宮古島トライアスロン]]&lt;br /&gt;
*[[ツール・ド・おきなわ]]&lt;br /&gt;
*[[NAHAマラソン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スポーツ施設 ====&lt;br /&gt;
[[日本野球機構|日本プロ野球]]の[[キャンプ (日本プロ野球)|春季キャンプ]]地が沖縄県に集中しており、[[2011年]]（平成23年）は、12球団中10球団（1軍のみ）が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園・[[野球場]]を挙げた。&lt;br /&gt;
*[[沖縄県営奥武山公園]]&lt;br /&gt;
**[[那覇市営奥武山野球場]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄県総合運動公園]]&lt;br /&gt;
*[[浦添運動公園]]&lt;br /&gt;
**[[浦添市民球場]]&lt;br /&gt;
*[[宜野湾市立野球場]]&lt;br /&gt;
*[[北谷公園野球場]]&lt;br /&gt;
*[[沖縄市野球場]]&lt;br /&gt;
*[[宜野座村営野球場]]&lt;br /&gt;
*[[名護市営球場]]&lt;br /&gt;
*[[久米島野球場]]&lt;br /&gt;
*[[宮古島市民球場]]&lt;br /&gt;
*[[石垣市営球場]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 沖縄県を舞台とした作品 ==&lt;br /&gt;
;映画&lt;br /&gt;
*[[狼やくざ 殺しは俺がやる]]（[[1971年の日本公開映画|1971年]]、[[東映]]）&lt;br /&gt;
*[[沖縄やくざ戦争]]（[[1976年の日本公開映画|1976年]]、東映）&lt;br /&gt;
*[[空手バカ一代 (映画) |空手バカ一代]]（[[1977年の日本公開映画|1977年]]、東映）&lt;br /&gt;
*[[涙そうそう (映画)]]（[[2006年の日本公開映画|2006年]]、[[東宝]]）&lt;br /&gt;
*[[カフーを待ちわびて]]（[[2009年の日本公開映画|2009年]]、[[エイベックスグループ|エイベックス]]）&lt;br /&gt;
;アニメ&lt;br /&gt;
* 対馬丸 さようなら沖縄（[[1982年]]、対馬丸製作委員会）&lt;br /&gt;
*白旗の少女 琉子（[[1988年]]、共同映画全国系列会議）&lt;br /&gt;
*かんからさんしん（[[1989年]]、かんからさんしん製作委員会）&lt;br /&gt;
*[[ストラトス・フォー]]（[[2003年]]、[[UHFアニメ]]）&lt;br /&gt;
*[[あそびにいくヨ!]]（[[2010年]]）&lt;br /&gt;
*[[エウレカセブンAO|エウレカセブンAO]]（[[2012年]]、[[毎日放送|MBS]]）&lt;br /&gt;
:ドラマ&lt;br /&gt;
ちゅらさん(2001年他。NHK)2014年12月にえりぃはゲゲゲの女房のしげるとご成婚した&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[沖縄慰霊の日]] - 条例によって沖縄戦の慰霊の日と定められた沖縄県の休日。&lt;br /&gt;
*[[沖縄県の観光地]]&lt;br /&gt;
*[[日本の地方公共団体一覧]]&lt;br /&gt;
*[[日本の地理]]、[[日本の地域]]&lt;br /&gt;
*[[日本列島]]、[[南西諸島]]、[[琉球諸島]]&lt;br /&gt;
*[[本土]]、[[離島]]&lt;br /&gt;
*[[島]]、[[島国]]、[[島の一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.pref.okinawa.lg.jp/ 沖縄県]（公式サイト）&lt;br /&gt;
*[http://www.okinawastory.jp/ 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語] - 沖縄観光コンベンションビューロー&lt;br /&gt;
*[http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/tochitai/tousho.html 沖縄県の島しょ別面積一覧]　沖縄県を構成する160の[[島]]の名称と面積の一覧表 - 沖縄県土地対策課&lt;br /&gt;
*[http://yaplog.jp/u-sugu/archive/719 イオンモール沖縄ライカムでやりたいこと]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{s-start}}&lt;br /&gt;
{{s-bef|before=[[琉球藩]]|表記=前}}&lt;br /&gt;
{{s-ttl|title=行政区の変遷&lt;br /&gt;
|years=[[1879年]] - [[1945年]]&amp;lt;br/&amp;gt;|years2=第1次沖縄県}}&lt;br /&gt;
{{s-aft|after=[[琉球列島米国軍政府]]|表記=次}}&lt;br /&gt;
{{s-bef|before=[[琉球列島米国民政府]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[琉球政府]]|表記=前}}&lt;br /&gt;
{{s-ttl|title=行政区の変遷&lt;br /&gt;
|years=[[1972年]] -&amp;lt;br/&amp;gt;|years2=第2次沖縄県}}&lt;br /&gt;
{{s-aft|after=-----|表記=次}}&lt;br /&gt;
{{end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本の都道府県}}&lt;br /&gt;
{{日本の地域}}&lt;br /&gt;
{{沖縄県の自治体}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おきなわけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の都道府県]]&lt;br /&gt;
[[Category:沖縄県|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6&amp;diff=307571</id>
		<title>日本列島</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6&amp;diff=307571"/>
				<updated>2015-10-13T03:44:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;{{otheruses||NHKの番組|お元気ですか日本列島}}&lt;br /&gt;
[[画像:Satellite image of Japan in May 2003.jpg|thumb|210px|日本列島（衛星画像）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''日本列島'''（にほんれっとう、にっぽんれっとう）は、[[ユーラシアプレート]]の東端に位置し、[[太平洋]]西部にある[[日本海溝]]に沈む手前の地帯において隆起した[[弧状列島]]。広義の日本列島は[[樺太]]（[[サハリン]]）、[[北海道]]、[[本州]]、[[四国]]、[[九州]]の主要5島とまた、[[千島列島]]や[[南西諸島]]・[[伊豆諸島]]などの[[島嶼]]からなる。まれに、[[台湾島]]を含めることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
狭義の日本列島は、現在[[日本]]が実効支配している領域を指す。ただし、[[小笠原諸島]]に関しては、日本列島に含めるのは、地理学的に不適切である（詳細は「[[#意識の中の日本列島]]」）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古くは、[[沿海州]]や[[朝鮮半島]]などの[[ユーラシア大陸]]東岸と地続きであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==成り立ち==&lt;br /&gt;
現在の日本列島は、主に[[付加体]]とよばれる[[海洋]]でできた[[堆積物]]からなっている。かつて日本付近はアジア大陸の端で、[[古生代]]には大陸から運ばれてきた[[砂]]や[[泥]]が[[堆積]]していた（現在の北陸北部、岐阜県飛騨地方、山陰北部など）。そこへ、はるか沖合で[[海洋プレート]]の上に堆積した[[珊瑚]]や[[放散虫]]などからなる[[岩石]]（[[石灰岩]]や[[チャート (岩石)|チャート]]）が移動してきて、それが[[海溝]]で潜り込むときに、陸からの堆積物と混合しながらアジア大陸のプレートに押しつけられて加わった（付加）。この付加が断続的に現在まで続いたため、日本列島は日本海側から太平洋側に行くほど新しい岩盤でできている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユーラシア大陸（[[ユーラシアプレート]]）と[[太平洋プレート]]、[[フィリピン海プレート]]が、今から約5億4,000万年前に衝突して東側の一部が膨れあがって日本列島の原形が出来た。その後、2,100万～1,100万年前、長崎県[[対馬]]南西部付近を中心に時計回りに40～50度移動した。又同時に、北海道[[知床半島]]沖付近を中心にこちらは時計回りと反対回りに40～50度移動して今の日本列島の形になったという。「観音開きモデル説」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不完全ながらも今日の弧状列島の形をして現れたのは、[[第三紀]][[鮮新世]]の初め頃であった。そして、現在の姿と環境を整えたのは、[[第四紀]][[更新世]]の終末から[[完新世]]の初頭にかけてであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更新世の終末から、日本列島に人類が姿を現しはじめたと考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第四紀の初めのころの日本列島は、日本海の一部は[[湖]]であったが、大陸と陸続きであった。最終[[氷河期]]に起こった数回の氷期が進むにつれて、現在の[[海峡]]のある地帯が[[浸食]]によって、次第に低い地形となっていった。そのために、氷期には陸橋となっていた地帯が、間氷期には海峡となって、湖であった日本海に海水が流入するようになっていった。マイナス約60mの[[宗谷海峡]]が海水面下に没したのは、約1万3,000年から1万2,000年前であることから、ほぼこの時期に日本は、完全に大陸から離れて[[弧状列島]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''縄文時代人'''が活躍を開始し始めたのはこの頃からであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==気候==&lt;br /&gt;
およそ200万年前に始まる更新世は氷河時代とも呼ばれ、現在よりも寒冷な時期（氷期）と温暖な時期（間氷期）とが交互に繰り返し訪れた。厳しい気候変化の時代でもあった。それに伴う地形の変化や火山の爆発などで起こる地殻の変動も激しかった。氷河期の最盛期には、気温年平均で摂氏7から8度も低下した。その影響で、南北両極に氷河が発達したのは当然ながら、北半球の高山や広い範囲に氷河が発達し、海水が少なくなって海水面が低下した。その低下量は、現海水面から約140mもなった。ところが、最終の氷河期を越えると世界的に気候は、温暖化の時期を迎え、厚く堆積していた氷河が溶け始め、海水面は次第に上昇してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[地質年代]]区分の説明&lt;br /&gt;
**第三紀は、約6,500万年前から約170万年前の間であり、さらに、暁新世、始新世、漸新世、中新世、鮮新世と区分される。鮮新世は、510万年前から170万年前までをさす。&lt;br /&gt;
**第四紀は、170万年前から現在までであり、更新世・完新世とにわけられ、'''人類の時代'''又は人類紀とも呼ばれる。更新世は、氷期として知られ、完新世は、後氷期として知られている。日本では更新世を洪積世、完新世を沖積世とよぶこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人類 ==&lt;br /&gt;
氷期には海が後退し、日本列島と大陸は、陸橋で繋がっていた。約7万年前に北の陸橋を渡って来たのは、[[マンモス]]、[[ヘラジカ]]、[[トナカイ]]、[[ヒグマ]]、[[ナキウサギ]]、[[キタキツネ]]などで、南の陸橋を渡ってきたのは、[[ナウマンゾウ]]、[[オオツノシカ]]、[[カモシカ]]、[[ニホンジカ]]、[[ツキノワグマ]]、[[ニホンザル]]などである。動物たちがわたって来たということは、それらを追って大陸の旧石器時代人も、当然、渡ってきたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、[[火山灰]]に覆われた日本は、酸性土壌のため、[[化石]]が残りにくく、化石人骨の発見も少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつては[[愛知県]][[豊橋市]]で発見された「牛川人」が最も古い（約20万年前の[[旧人]]）とされていたが、[[2001年]]の再鑑定によって、人骨である可能性がほぼ否定されている（ナウマンゾウなどの獣骨と見られている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今世紀初頭にこれまで化石人骨とされてきた標本の再鑑定が実施された後では、本州で最古の人骨は、[[静岡県]][[浜松市]]で発掘された'''[[浜北人]]'''（約1万4,000年前）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
比較的良好な保存状態で発見された[[沖縄県]][[八重瀬町]]港川採石場で発見された'''[[港川人]]'''は、1万8,000年前の[[新人]]である。後期更新世か後期旧石器時代の当たる。眼窩上や眉間の隆起が発達したやや原始的で頑丈な頭と顔、小柄な体格、華奢な上半身比較的頑丈な下半身の特徴を持ち、縄文人に繋がる特徴を備えているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==動物・植物==&lt;br /&gt;
&amp;lt;table border=&amp;quot;1&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;caption&amp;gt;日本列島の年表&amp;lt;/caption&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;th colspan=&amp;quot;3&amp;quot;&amp;gt;地質時代&amp;lt;/th&amp;gt;&amp;lt;th&amp;gt;年代&amp;lt;/th&amp;gt;&amp;lt;th&amp;gt;日本の化石&amp;lt;/th&amp;gt;&amp;lt;th&amp;gt;備考&amp;lt;/th&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;3&amp;quot;&amp;gt;先カンブリア時代&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;46億年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td rowspan=&amp;quot;6&amp;quot;&amp;gt;古生代&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;カンブリア紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;5億7500万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;オルドビス紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;5億900万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;シルル紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;4億4600万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;[[クサリサンゴ]]&amp;lt;br&amp;gt;[[三葉虫]]&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;デボン紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;4億1600万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;石炭紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;3億6700万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;[[サンゴ]]&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;ベルム（二畳）紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;2億8900万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;&amp;gt;中生代&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;三畳紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;2億4700万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;ジュラ紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;2億1200万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;[[魚竜]]&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td colspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;白亜紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;1億4300万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;[[首長竜]]&amp;lt;br&amp;gt;[[アンモナイト]]&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td rowspan=&amp;quot;7&amp;quot;&amp;gt;新生代&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td rowspan=&amp;quot;5&amp;quot;&amp;gt;第三紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;暁新世&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;6500万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;始新世&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;漸新世&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;[[炭田]]の形成&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;中新世&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;2万4000年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;[[四国海盆]]の形成&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;鮮新世&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;&amp;amp;nbsp;&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;日本海の拡大&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;&amp;gt;第四紀&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;更新世&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;1万8000年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;ナウマン象&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;日本海側の&amp;lt;br&amp;gt;褶曲帯の形成&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;tr&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;完新世&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;1万年前&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;化石&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;td&amp;gt;[[平野]]の形成&amp;lt;/td&amp;gt;&amp;lt;/tr&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/table&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==意識の中の日本列島==&lt;br /&gt;
現在日本列島は[[日本|日本国]]の主要な領土である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よって日本国民の意識では「日本列島」とは「日本国」とほぼ同義である。特にメディアなどでは「列島」と略すことが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[小笠原諸島]]は地理学的には日本列島の範囲ではない。また、学術的には日本列島の範囲とみなされることのある[[樺太]]（[[サハリン]]）・[[千島列島]]・[[歯舞諸島]]などは[[ロシア|ロシア連邦]]が、[[台湾島]]は[[中華民国]]政府が実効支配している。（このうち、南千島と歯舞・色丹は日本政府が返還を要求しており、北千島と南樺太については日本政府は帰属未定であると主張している。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第二次世界大戦]]前までは、当時日本が統治していた[[マリアナ諸島]]までも含めることがあったが、[[小笠原諸島]]と同様に、学術的なものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年では、政治的な問題に触れるおそれがあるので、樺太や台湾島を日本列島に含むのは、通常古い学術書のみに限られる。ただし、千島列島は今でも日本列島の範囲に含めることがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[地質時代]]&lt;br /&gt;
* [[付加体]]&lt;br /&gt;
* [[日本]]&lt;br /&gt;
* [[四島]]&lt;br /&gt;
* [[日本沈没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[藤田和夫]]　『変動する日本列島』　[[岩波書店]]〈[[岩波新書]]〉、1985年、ISBN 4-00-420306-6。&lt;br /&gt;
* [[平朝彦]]　『日本列島の誕生』　岩波書店〈岩波新書〉、1990年、ISBN 4-00-430148-3。&lt;br /&gt;
* [[斎藤靖二]]　『日本列島の生い立ちを読む』、岩波書店〈シリーズ自然景観の読み方8〉、1992年、ISBN 4-00-007828-3。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://unit.aist.go.jp/igg/rg/igi-rg/beta/sl-support/sl-supportJ.html 20万分の1日本シームレス地質図]（独立行政法人産業技術総合研究所）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の島|*00にほんれつとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の地形|にほんれつとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:東アジアの地形|にほんれつとう]]&lt;br /&gt;
{{earth-sci-stub|にほんれつとう}}&lt;br /&gt;
{{japan-geo-stub|にほんれつとう}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=LIVE-GYM&amp;diff=307570</id>
		<title>LIVE-GYM</title>
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				<updated>2015-10-13T03:44:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;font color=&amp;quot;white&amp;quot;&amp;gt;'''LIVE-GYM'''(ライブ・ジム)は、[[日本]]の[[ロック (音楽)|ロック]][[ユニット]]、[[B'z]]の[[演奏会|コンサート]]の呼称である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
=== ライブの人気 ===&lt;br /&gt;
B'zのライブは人気と定評があり、圧倒的な支持を集めている&amp;lt;ref name=&amp;quot;oriconstyle&amp;quot;&amp;gt;、『oricon style、「人にすすめたくなるライブ」』オリコン・エンタテインメント、[[2005年]]・[[2006年]]にて2年連続1位を獲得。特に、2005年は男女共に1位と圧倒的な支持を得た（2006年も男性1位、女性2位）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、敢行されたライブツアーは、2009年現在まで20本を超えているものの、そのおよそ半分は映像作品化されておらず、{{CURRENTYEAR}}年現在まで公式にリリースされているライブ映像作品は10本程度である（CDの特典として収録されたものを除く）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのライブ映像作品は、全て10万枚を超える高水準の売上を記録しており（特に[[2007年]]までの作品は全て20万枚を超えている）、そのうち4本の作品が、その作品がリリースされた年のオリコン年間音楽[[VHS]]/[[DVD]]チャートで1位を獲得している。また2007年までの全作品が、年間ランキング10位以内にランクインしており、{{CURRENTYEAR}}年現在までも最低順位は12位である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その人気のため、チケット入手は困難になることが多い。ホール公演は、ファンクラブ（[[B'z Party]]）会員優先予約だけで席が埋まってしまい、一般発売が行われないこともある。なお、1998年から2000年頃までは、公演地の地元のファンに考慮して、ファンクラブ優先予約を行わずに告知を地元とファンクラブに限定した、一般発売のみでチケット発売が行われていたが、この方法でチケットを発売したところ、地元のファンクラブ会員がチケットを入手出来ないなど不公平が生じたため、現在の発売方法に変更された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 『LIVE-GYM』という名称の由来 ===&lt;br /&gt;
元々、[[ビーイング]]所属のアーティストのツアータイトルには、必ず「LIVE ○○」とつける習慣があり、B'zもツアータイトルを考える際に、「ライブは体を動かすから、体育会系みたいなもの　→　体育をする為の施設＝体育館」という意味で、体育館の英語表記「gym(nasium)」の「GYM」を取り、「LIVE-GYM」となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
過去には、B'zが[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務めた[[ラジオ番組]]『[[B'z WAVE-GYM]]』（[[東海ラジオ]]）や、[[B'z party|ファンクラブ]]イベントとして、未発表ビデオ上映会『VIDEO-GYM』と言うものもあった。これらの名称は、この『LIVE-GYM』にちなんで付けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 客出し曲 ===&lt;br /&gt;
毎回、「LIVE-GYM」の終演後に客出し曲（EDSE/エンディング・エスイー）として、自身の曲を会場に流しているが、2000年以降のツアーでは、未発表曲を流している。メンバー曰く「ファンサービスも兼ねている」とのこと。この未発表曲は、大抵そのライブ後に発売されるシングルの[[2nd beat]]や3rd beat、または次作のアルバムに収録される。今までその曲がライブで演奏された事はなかったが、2008年のACTIONツアーにて、2002年度のLIVE-GYMのEDSEであった『New Message』が演奏された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ライブ会場 ===&lt;br /&gt;
「LIVE-GYM'98 SURVIVE」の頃から、[[アリーナ]]や[[ドーム球場#コンサート会場としてのドーム球場|ドーム]]公演の前に、地方を中心とした[[コンサートホール|ホール]]公演が開催されている。これは「大きな会場ばかりでやっているとバンドが惰性化するから」「小さい、大きいも関係なくどこでもできるバンドでいたい」というメンバーの意向によるものである。また、国内の[[ライブハウス]]では、「LIVE-GYM」が開催されたことはない（[[#SHOWCASE|SHOWCASE]]や、海外公演では行われている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ライブの恒例事項 ===&lt;br /&gt;
[[司会|MC]]の最初に、「B'zのLIVE-GYMにようこそ!」と謳われ、ライブの最後には、稲葉の「せーの!」の掛け声と共に、客とバンド陣共に皆で「おつかれー!」と叫ぶのが恒例となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ライブの種類 ==&lt;br /&gt;
LIVE-GYMには、'''アルバムツアー'''と'''Pleasureツアー'''の2種類がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アルバムツアー ===&lt;br /&gt;
アルバムツアーとは、そのツアーの前後にリリースされた、[[スタジオ・アルバム|オリジナルアルバム]]からの楽曲がメインの[[セットリスト]]になっているライブツアーである。アルバムツアーのタイトルは、そのアルバム名、またはアルバム名を文字ったものになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Pleasureツアー ===&lt;br /&gt;
LIVE-GYMには、アルバムツアーとは別に「'''Pleasure'''」と名前の付いたツアーがある。[[1991年]]~[[1993年]]、[[1995年]]、[[1997年]]、[[2000年]]、[[2003年]]、[[2008年]]に行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々の発端は、[[1991年]]に行われた『B'z LIVE-GYM Pleasure'91』である。このツアーは『今まではアルバムの曲を中心にツアーを行ってきたが、今まで発表した楽曲を一度見直し、今まで演奏しなかった曲なども披露しよう』というコンセプトで行われた。最初の時点ではシリーズ化するつもりは無かったが、このツアーが非常に好評だったため、このPleasureツアーは2003年まで続けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、15周年となる2003年のライブツアー「The Final Pleasure &amp;quot;IT'S SHOWTIME!!&amp;quot;」を最後にPleasureシリーズを一時凍結することが宣言された。その理由としてはメンバーは、「ヒット曲も多くなり、周りのスタッフから、『普段のツアーでも、Pleasureシリーズみたいだね。』と言われる事が多くなり、それならばわざわざ『Pleasure』と名前を付けなくてもいいのではないか」と説明。その一方で、「『Pleasure』の名前を使用しなくなるというだけで、このツアーと同じようなコンセプトのツアーを行わなくなるわけではない」とも明言していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、デビュー20周年となる[[2008年]]9月に「B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 &amp;quot;GLORY DAYS&amp;quot;」として復活することとなった。この復活についてメンバーは「（Pleasureを封印してからの）この5年間でヒット曲や定番曲でない曲にもスポットを当てれるようになった。その影で、逆に昔のメジャーな曲をやらなくなっているので、今だとPleasureをちょうどいい感じで出来る。」とコメントしている。ただし、「次のPleasureシリーズはいつやるかはわからない。」とも発言してる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
B'zには「[[LADY NAVIGATION|Pleasure'○○ 〜人生の快楽〜]]」（○○には年代が入る）という楽曲があり、「Pleasure」シリーズで多く演奏されている（1993年、1997年除く。ただし1993年はオープニングに[[器楽曲|インスト]]バージョンが披露されている）公演される年ごとに、歌詞の一部を変更されるが、それぞれの歌詞は繋がっており、時系列順で物語が展開されている。音源化されたものは、'91バージョンがシングル『LADY NAVIGATION』の[[2nd beat]]に、'98バージョンがベスト・アルバム『[[B'z The Best &amp;quot;Treasure&amp;quot;]]』に、2008年バージョンがベスト・アルバム『[[B'z The Best &amp;quot;ULTRA Pleasure&amp;quot;]]』に収録されている。それ以外はCD化はされていないが、DVD等のライブ映像作品に収録されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1992年以降の「Pleasure」シリーズには、[[サブタイトル]]が必ず付いている。そのサブタイトルは、そのライブでメインに披露される曲名になっている（1995年除く）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== SHOWCASE ===&lt;br /&gt;
'''SHOWCASE'''（ショーケース）とは、B'zが開催する小規模のライブの呼称である。LIVE-GYMとは区別されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基本的には、LIVE-GYM開催の数日前にシークレットライブとして1回のみ行われる。これは実際に観客を入れた公開リハーサルを兼ねており、選曲や構成、アレンジなどの最終チェックが行われている。SHOWCASEは、開催される地域の新聞広告とラジオでしか告知されず、またライブハウスもしくはホールという比較的小規模な会場で行われるため、チケット入手が非常に困難である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== B'z In Your Town ====&lt;br /&gt;
SHOWCASEには「B'z In Your Town」とタイトルの付くツアーがある。[[2007年]]と[[2009年]]に開催された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年の夏に、初の複数会場での「SHOWCASE 2007-19-」が、6都市の[[Zepp]]で開催された。この後にLIVE-GYMが控えていたという訳ではなく、公開リハーサルの含みを持たせないSHOWCASEは初となった。その後、会場をホールへと移し「SHOWCASE 2007-B'z In Your Town-」を開催。これらのSHOWCASEツアーが開催された理由は、バンドメンバーの「ライブをやりたい」という一言と「この後の[[夏フェス]]に出演する予定があり、それに向けての肩慣らし」とのこと。その後「[[サマーソニック|SUMMER SONIC'07]]」に出演した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年にも「SHOWCASE 2009-B'z In Your Town-」を開催、その後「SUMMER SONIC'09」に出演した。2009年のSHOWCASEツアーは、2007年に開催した際、チケットの転売・オークションなどが問題となったため、SHOWCASEとしては初めてスケジュールがオフィシャルで事前告知され、クレジットカード決済での購入限定、当日の身分証明の確認などの対策が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして2009年発行の会報誌内で、「B'z In Your Town」をシリーズ化することが宣言された。「地元のファンにも優先的にB'zのライブに来てもらう」というコンセプトのツアーとのこと。このシリーズにおいては、イベントで演奏される曲以外は、長い間演奏されていなかったアルバム曲や2nd beatなどのコアな楽曲が選曲される傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== LIVE-GYMが音楽イベント初開催となった会場 ==&lt;br /&gt;
「LIVE-GYM」が開催された会場が、[[こけら落し|杮落し]]もしくは音楽イベント初開催となるケースが多くある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでに「LIVE-GYM」開催で、杮落しもしくは音楽イベント初開催となった会場&lt;br /&gt;
*[[ナゴヤドーム]]（1997年）&lt;br /&gt;
*[[横浜国際総合競技場]]（現・日産スタジアム、1999年）&lt;br /&gt;
*[[札幌ドーム]]（2001年）&lt;br /&gt;
*[[広島ビッグアーチ]]（2002年）&lt;br /&gt;
*[[新潟スタジアム]]（現・東北電力ビッグスワンスタジアム、2002年）&lt;br /&gt;
*[[大分スポーツ公園総合競技場]]（現・九州石油ドーム、2002年）&lt;br /&gt;
*[[神戸総合運動公園ユニバー記念競技場]]（2008年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公演一覧 ==&lt;br /&gt;
本節では、『LIVE-GYM』『SHOWCASE』という名前が冠されていないライブについても、B'zが出演した特記事項のある公演ならば記述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== デビュー（1988年）～1993年 ===&lt;br /&gt;
{|class=wikitable style=font-size:small&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;12%&amp;quot;| 日程&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;21%&amp;quot;| ツアータイトル&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;35%&amp;quot;| 会場&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;20%&amp;quot;| 備考&lt;br /&gt;
! EDSE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1989年]]4月2日・3日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;SF Rock Station FINAL EVENT 『THANK YOU TM NETWORK』&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[三重県|三重]]・[[合歓の郷]]&lt;br /&gt;
| 当時[[TM NETWORK]]がレギュラー出演していた[[東海ラジオ]]の番組、「[[SF Rock Station]]」から卒業することにあたって行われたフェス。B'zとして初のライブであり、TM NETWORK・[[FENCE OF DEFENSE]]と競演。演奏曲は「だからその手を離して」,「it's not a dream」,「ハートも濡れるナンバー」の3曲（都合により、バックの演奏はボーカルとギターの音を抜いたカラオケで行なわれた）。&lt;br /&gt;
| なし&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1989年6月1日 - 6月5日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM #00 &amp;quot;[[OFF THE LOCK]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国3ヶ所3公演&amp;lt;br /&amp;gt;&amp;gt;愛知芸術創芸センター、大阪厚生年金会館中ホール、[[日本青年館]]&lt;br /&gt;
| 初の単独ライブ。単独デビューライブとしては異例のホール会場のみで開催された。&lt;br /&gt;
| Nothing To Change&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1989年10月14日 - 10月28日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z BAD CLUB GYM&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国3ヶ所3公演&amp;lt;br /&amp;gt;名古屋ボトムライン、[[CLUB CITTA'|クラブチッタ川崎]]、大阪つかしんテントイン&lt;br /&gt;
| ダンスナンバーを中心とした企画ライブ。ライブハウスで行なわれた。&lt;br /&gt;
| 不明&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1989年10月26日 - 12月23日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM #001 &amp;quot;OFF THE LOCK&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国12ヶ所14公演&amp;lt;br /&amp;gt;福岡・都久志会会館、熊本郵便貯金会館小ホール、[[仙台市民会館]]小ホール、 川口市民会館イベントホール、秋田・児童会館、[[青森市民ホール]]、[[道新ホール]]、[[渋谷公会堂]]、愛知勤労会館、[[宇都宮市文化会館]]小ホール、[[大阪国際交流センター]]、 渋谷公会堂、[[名古屋市公会堂]]&lt;br /&gt;
| 初の全国ツアーを開催。総動員数15,980人。&lt;br /&gt;
| OFF THE LOCK&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1989年10月29日 - 11月4日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z CAMPUS-GYM &amp;quot;OFF THE LOCK&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
|全国 2ヶ所2公演&amp;lt;br /&amp;gt;[[美作大学短期大学部|美作女子短期大学]]、[[名古屋芸術大学]]&lt;br /&gt;
| B'z唯一の学園祭ライブ。&lt;br /&gt;
| OFF THE LOCK&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1990年]]10月29日 - 11月4日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM &amp;quot;[[BREAK THROUGH]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国21都市22公演&amp;lt;br /&amp;gt;[[さいたま市文化センター|浦和市文化センター]]、[[千葉県文化会館]]、神奈川県立県民ホール、宇都宮市文化会館、高崎市文化会館、[[長野県県民文化会館]]小ホール、[[熊本市民会館]]、[[長崎市公会堂]]、福岡郵便貯金ホール、[[新潟県民会館]]、[[金沢市文化ホール]]、大阪厚生年金会館、[[広島県立文化芸術ホール|メルパルクホール広島]]、[[岡山市民会館]]、渋谷公会堂、[[電力ビル#電力ホール|仙台電力ホール]]、[[青森市文化会館]]、秋田市文化会館、[[札幌市民会館]]、愛媛県民文化会館サブホール、名古屋市民会館&lt;br /&gt;
| 現在と異なるビジュアル系メイクの時代。総動員数35,217人。&lt;br /&gt;
| ゆうべのCriyng～This is my truth～&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1990年3月17日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;COME ON JTB B'z WAVE-GYM SPECIAL EVENT&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[静岡県]][[掛川市]]エキシビジョンホール&lt;br /&gt;
| [[B'z WAVE-GYM]]の公開録音&lt;br /&gt;
| なし&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1990年10月4日 - [[1991年]]2月10日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '90〜'91 &amp;quot;[[RISKY (アルバム)|RISKY]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国42ヶ所49公演&amp;lt;br /&amp;gt;[[調布市グリーンホール]]、長野県民文化会館、[[鹿児島県文化センター]]、熊本市民会館、沖縄市民会館、[[大宮ソニックシティ]]、桐生産業文化会館、神奈川県立県民ホール、[[群馬音楽センター]]、[[山梨県立県民文化ホール]]、千葉県文化会館、名古屋市民会館、浜松市民会館、メルパルクホール福岡、九州厚生年金会館、長崎市公会堂 、[[神戸国際会館]]、[[徳島市立文化センター]]、[[仙台市泉文化創造センター|仙台イズミティ21]]、[[秋田県民会館]]、室蘭文化センター、札幌市民会館、[[岩手県民会館]]、習志野市文化ホール、川崎市教育文化会館、[[郡山市民文化センター]]、青森市文化会館、[[松山市民会館]]、高松市民会館、大阪厚生年金会館、[[大分文化会館]]、メルパルクホール広島、メルパルクホール福岡、石川厚生年金会館、福井市公会堂、富山市公会堂、新潟県民会館、宇都宮市公会堂、岡山市民会館、[[名古屋国際会議場|名古屋センチュリーホール]]、静岡市民文化会館、渋谷公会堂、[[中野サンプラザ]]、渋谷公会堂  &lt;br /&gt;
| 初のロングツアー。序盤はアルバム未発売の状態だった。総動員数92,135人。このツアーより「B'zのチケットは、取り難い。」と言われるようになる。&lt;br /&gt;
| It's Raining…&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1991年5月3日 - 8月17日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM &amp;quot;[[LADY NAVIGATION|Pleasure '91]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国35ヶ所41公演&amp;lt;br /&amp;gt;千葉県文化会館、神戸国際会館、[[京都会館]]第一ホール、[[山形県県民会館]]、秋田県民会館、函館市民会館、札幌厚生年金会館、八戸市公会堂、青森市文化会館、長崎市公会堂、大分文化会館、[[佐賀市文化会館]]、熊本市民会館、[[福岡サンパレス]]、郡山市民文化センター、[[仙台サンプラザ]]、大宮ソニックシティ、愛媛県民文化会館、香川県民ホール、高知県民文化ホール、[[倉敷市民会館]]、メルパルクホール広島、徳山市民会館、福井フェニックスプラザ、石川厚生年金会館、[[群馬県民会館]]、新潟県民会館、[[長野県県民文化会館]]、那覇市民会館、沖縄市民会館、鹿児島市民文化第一ホール、九州厚生年金会館、[[大阪城ホール]]、[[日本武道館]]、[[名古屋市総合体育館|名古屋レインボーホール]]、日本武道館  &lt;br /&gt;
| 初のPleasureツアー。初の日本武道館公演を開催。「JUST ANOTHER LIFE」として映像作品化。総動員数121,328人。&lt;br /&gt;
| Good-bye Holy Days&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1991年10月4日 - [[1992年]]4月30日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '91～'92 &amp;quot;[[IN THE LIFE]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国52ヶ所66公演&amp;lt;br /&amp;gt;調布グリーンホール、浦和市文化センター、神戸国際会館、福岡サンパレス、鹿児島市民文化会館、熊本市民会館、旭川市民文化会館、北海道厚生年金会館、静岡市民文化会館、宇都宮市文化会館、山梨県立県民文化ホール、大宮ソニックシティ、八王子市民会館、大分文化会館、徳山市文化会館、倉敷市民会館、[[広島厚生年金会館]]、姫路市文化センター、高知県民文化ホール、愛媛県民文化ホール、徳島文化ホール、香川県民ホール、新潟県民会館、[[市川市文化会館]]、秋田県民会館、青森市文化会館、渋谷公会堂、大阪厚生年金会館、長崎市公会堂、佐賀市文化会館、九州厚生年金会館、宮崎市民会館、沼津市民文化センター、磐田市民会館、渋谷公会堂、群馬県民会館、仙台サンプラザ、岩手県民会館、山形県民会館、富山市公会堂、石川厚生年金会館、福井フェニックスプラザ、長野県民文化会館、名古屋センチュリーホール、[[和歌山県民文化会館]]、川崎市立教育文化会館、郡山市民文化センター、北見市民会館、釧路市民会館、帯広市民会館、苫小牧市民文化ホール、[[東京ベイNKホール]]、[[沖縄コンベンションセンター]]&lt;br /&gt;
| 謎のバンドZ'bが登場。後に稲葉が精神的にきつかった時期と語っている。総動員数124,842人。&lt;br /&gt;
| 憂いのGYPSY（Instrumental）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1992年7月18日 - 8月28日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM Pleasure '92 &amp;quot;[[BLOWIN'|TIME]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国3ヶ所12公演&amp;lt;br /&amp;gt;[[横浜アリーナ]]、大阪城ホール、名古屋レインボーホール、横浜アリーナ、大阪城ホール&lt;br /&gt;
| 初のアリーナツアー。360度開放ステージでバックステージにも観客を動員。今ツアーからロック色がより強くなる。これ以降98年以外の全てのライブに参加する、キーボーティスト[[増田隆宣]]が初参加。総動員数120,000人。&lt;br /&gt;
| Pleasure'91（Piano ver.）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1993年]]1月30日 - 6月30日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '93 &amp;quot;[[RUN (アルバム)|RUN]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国21ヶ所49公演&amp;lt;br /&amp;gt;浦和市文化センター、大阪フェスティバルホール、名古屋センチュリーホール、広島厚生年金会館、福岡サンパレス、中野サンプラザ、大宮ソニックシティ、新潟県民会館、石川厚生年金会館、愛媛県民文化会館、香川県県民ホール、青森市文化会館、札幌厚生年金会館、倉敷市民会館、長野県民文化会館、札幌厚生年金会館、仙台サンプラザ、沖縄コンベンションセンター、福岡サンパレス、鹿児島市民文化第一ホール、名古屋レインボーホール、[[国立代々木競技場]]第一体育館、大阪城ホール&lt;br /&gt;
| 稲葉の空中フライング演出が話題に。総動員数139,108人。&lt;br /&gt;
| さよならなんかは言わせない（Instrumental）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1993年7月31日 - 8月1日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 静岡県弁天島海浜公園・[[渚園]]&lt;br /&gt;
| 初の野外ライブ。単独ライブとして当時では異例の2日間で10万人を動員。松本のギター爆破パフォーマンスで大きな話題に。「LIVE RIPPER」として映像作品化&lt;br /&gt;
| ONE FOR THE ROAD&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1994年～1998年 ===&lt;br /&gt;
{|class=wikitable style=font-size:small&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;12%&amp;quot;| 日程&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;21%&amp;quot;| ツアータイトル&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;35%&amp;quot;| 会場&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;20%&amp;quot;| 備考&lt;br /&gt;
! EDSE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1994年]]2月9日 - 7月2日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '94 &amp;quot;[[The 7th Blues|The 9th Blues]]&amp;quot;&amp;amp;lt;PART 1&amp;amp;gt;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国37ヶ所55公演&amp;lt;br /&amp;gt;川口リリアホール、倉敷市民会館、[[島根県民会館]]、[[鳥取県立県民文化会館]]、神戸国際会館、和歌山県民文化会館、名古屋センチュリーホール、市川市文化会館、四日市市文化会館、京都会館第一ホール、新潟県民会館、群馬県民会館、長野県民文化会館、[[徳島県立産業観光交流センター|アスティとくしま]]、高知県民文化ホール、熊本市民会館、長崎市公会堂、大分文化会館、九州厚生年金会館、神奈川県立県民ホール、[[茨城県立県民文化センター]]、宇都宮市文化会館、山梨県民文化ホール、釧路市民文化会館、帯広市民文化ホール、北海道厚生年金会館、[[山形市総合スポーツセンター]]、郡山市民文化センター、秋田県民会館、岩手県民会館、[[福岡国際センター]]、沖縄コンベンションセンター、名古屋レインボーホール、日本武道館、大阪城ホール、[[広島サンプラザ]]、横浜アリーナ &lt;br /&gt;
| &amp;amp;lt;PART 2&amp;amp;gt;とあわせてB'z史上最長のツアーに。今ツアーから稲葉と松本の立ち位置が現在のようになる。総動員数178,350人。&lt;br /&gt;
| Don't Leave Me（Instrumental）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1994年9月28日 - 12月24日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '94 &amp;quot;The 9th Blues&amp;quot;&amp;amp;lt;PART 2&amp;amp;gt;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国18ヶ所32公演&amp;lt;br /&amp;gt;青森市文化会館、愛媛県民文化会館、香川県民ホール、宮崎市民会館、鹿児島市民文化第一ホール、大宮ソニックシティ、北見市民会館、旭川市民文化会館、函館市民会館、福井フェニックスプラザ、石川厚生年金会館、静岡市民文化会館、横浜アリーナ、名古屋レインボーホール、大阪城ホール、国立代々木競技場第一体育館、[[仙台市体育館]]、[[北海道立産業共進会場|月寒グリーンドーム]]&lt;br /&gt;
| アリーナ公演ではTIMEツアー以来の360度開放ステージに。千秋楽のみ「[[いつかのメリークリスマス]]」を演奏。総動員数137,895人。&lt;br /&gt;
| Don't Leave Me（Instrumental）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1994年[[12月25日]]&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;SECRET GIG &amp;quot;Merry Xmas メリーさんの羊が一匹・聖しこの夜&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[札幌市|札幌]]ペニーレーン24&lt;br /&gt;
| ツアーの打ち上げを兼ねたシークレットライブ。千秋楽の観客から抽選で招待された。&lt;br /&gt;
| Don't Leave Me（Instrumental）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1995年]]7月7日 - 8月25日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM Pleasure '95 &amp;quot;BUZZ&amp;lt;nowiki&amp;gt;!!&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国7ヶ所12公演&amp;lt;br /&amp;gt;山形市総合スポーツセンター、[[舞洲スポーツアイランド]]、[[横浜スタジアム]]、[[ナゴヤ球場]]、[[福岡ドーム]]、[[真駒内屋外競技場|真駒内オープンスタジアム]]、[[千葉マリンスタジアム]]&lt;br /&gt;
| 初のスタジアムツアー（山形市総合スポーツセンターのみアリーナ公演）。未発表曲「[[LOVE PHANTOM]]」が大きな話題になる。「&amp;quot;BUZZ!!&amp;quot; THE MOVIE」として映像作品化。売上はVHSのライブ映像作品史上最高の売り上げを記録した。総動員数280,000人。&lt;br /&gt;
| 7/7～7/30･･･ONE FOR THE ROAD, 8/13～8/25･･･消えない虹（English Version）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1996年]]3月10日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '96 &amp;quot;spirit LOOSE&amp;quot; SHOWCASE&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[渋谷]] [[Shibuya O-East|ON AIR EAST]]&lt;br /&gt;
| 初のSHOWCASE。アンコールではKISSの「デュース」をカバー&lt;br /&gt;
| ミエナイチカラ（Piano Version）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1996年7月7日 - 7月6日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '96 &amp;quot;[[LOOSE|spirit LOOSE]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国19ヶ所44公演&amp;lt;br /&amp;gt;グリーンドーム前橋、[[浜松アリーナ]]、広島グリーンアリーナ、[[ワールド記念ホール]]、アスティとくしま、愛媛県県民文化会館、横浜アリーナ、[[新潟市産業振興センター]]、[[石川県産業展示館]]、名古屋レインボーホール、仙台市体育館、盛岡アイスアリーナ、国立代々木競技場第一体育館、大阪城ホール、真駒内アイスアリーナ、大阪城ホール、名古屋レインボーホール、日本武道館、マリンメッセ福岡、鹿児島アリーナ、沖縄コンベンションセンター&lt;br /&gt;
| B'z主演のオープニングムービーが話題に。総動員数273,322人。&lt;br /&gt;
| ミエナイチカラ（Piano Version）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1997年]]3月10日 - 4月2日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM Pleasure '97 &amp;quot;[[FIREBALL (B'zの曲)|FIREBALL]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国5ヶ所9公演&amp;lt;br /&amp;gt;グリーンドーム前橋、[[ナゴヤドーム]]、[[東京ドーム]]、[[福岡ドーム]]、[[大阪ドーム]]&lt;br /&gt;
| 初のドームツアー。ナゴヤドーム公演は杮落としとなった。「DO-ME」「Calling」が先行披露された。総動員数314,000人。&lt;br /&gt;
| Calling（Piano Version）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1997年12月29日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE '97 &amp;quot;[[Go! Go! Heaven|GO GO HEAVEN]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[横浜市|横浜]] CLUB HEAVEN&lt;br /&gt;
| ライブタイトルは[[SPEED]]の曲名から。&lt;br /&gt;
| Survive（Guitar Solo Version）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1998年]]1月7日 - 6月6日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '98 &amp;quot;[[SURVIVE]]&amp;quot;''' &amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
|全国21ヶ所49公演&amp;lt;br /&amp;gt;秋田県民会館、函館市民会館、高知県民文化ホール、滋賀県立文化産業交流会館、長崎市公会堂、三重サンアリーナ、浜松アリーナ、マリンメッセ福岡、 広島グリーンアリーナ、アスティとくしま、大阪城ホール、横浜アリーナ、名古屋レインボーホール、新潟市産業振興センター、石川県産業展示館、鹿児島アリーナ、沖縄コンベンションセンター、国立代々木競技場第一体育館、真駒内アイスアリーナ、盛岡アイスアリーナ、[[宮城県総合運動公園総合体育館|宮城県総合体育館]]、国立代々木競技場第一体育館、大阪城ホール、マリンメッセ福岡&lt;br /&gt;
| アニメムービー、瞬間移動、セット崩壊などエンターテイメント色が強いツアー。総動員数342,000人&lt;br /&gt;
| Survive（Guitar Solo Version）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 1999年～2003年 ===&lt;br /&gt;
{|class=wikitable style=font-size:small&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;12%&amp;quot;| 日程&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;21%&amp;quot;| ツアータイトル&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;35%&amp;quot;| 会場&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;20%&amp;quot;| 備考&lt;br /&gt;
! EDSE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1999年]]6月30日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE '99 &amp;quot;B'Zepp&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[Zepp]] SAPPORO&lt;br /&gt;
| ライブハウス[[Zepp]]では初のライブ。&lt;br /&gt;
| 夢のような日々&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1999年7月9日 - 9月25日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM '99 &amp;quot;[[Brotherhood]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国19ヶ所24公演&amp;lt;br /&amp;gt;札幌つどーむ、東京ドーム、[[大館樹海ドーム]]、ナゴヤドーム、福岡ドーム、大阪ドーム、[[横浜国際総合競技場]]、香川県県民ホール、宮崎市民文化ホール、沖縄コンベンション劇場、石川厚生年金会館、仙台イズミティ21、稚内総合文化センター、大分グランシアタ、倉敷市民会館、徳山市文化会館、京都会館第一ホール&lt;br /&gt;
| バンド演奏に重点を置いたツアー。9月には「EXTRA」と題した追加公演も。また、初めて横浜国際総合競技場にてライブを行なった。「once upon a time in 横浜」として映像作品化。総動員数約50万人。&lt;br /&gt;
| 夢のような日々&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2000年]]6月16日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;juice Guellira Live&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 札幌チサンホテル駐車場&lt;br /&gt;
| PV収録も兼ねた路上ライブ。「ZERO」,「[[ギリギリchop]]」も披露。&lt;br /&gt;
| なし&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2000年5月30日 - 8月20日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 &amp;quot;[[juice (B'zの曲)|juice]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国19ヶ所21公演&amp;lt;br /&amp;gt;富山オーバードホール、[[なら100年会館]]、青森市民文化会館、日本武道館、長野Mウェーブ、広島サンプラザ、アスティとくしま、[[宮城県総合運動公園総合体育館]]、札幌つどーむ、ナゴヤドーム、福岡ドーム、千葉マリンスタジアム、大阪ドーム&lt;br /&gt;
| The 9th Bluesツアー以来の360度開放ステージ。ステージ後方の席は、観客がステージの演出を手伝「演出協力席」を設定。&amp;lt;br /&amp;gt;この演出の一部から、会場では多くの観客がペンライト会場に持ってくるという珍事も発生。(現在では、ペンライト等は使用禁止)&amp;lt;br /&amp;gt;また、8月9日の[[千葉マリンスタジアム]]公演では大雨が降り&amp;lt;ref&amp;gt;『[[B'z The Best &amp;quot;ULTRA Pleasure&amp;quot;]]』の特典DVDに大雨の中での「[[LOVE PHANTOM]]」のライブ映像が収録されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;、アリーナ（グラウンド）は雨水が足元から10cm程溜まり、かつステージ付近に雷が落ちスタッフに怪我人が出たため、短縮・打ち切りに。総動員数451,500人。&lt;br /&gt;
| Thinking of you&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2001年]]2月22日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2001 &amp;quot;コブシヲニギレ&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| Zepp OSAKA&lt;br /&gt;
| 未発表曲「Logic」を初披露。&lt;br /&gt;
| 美しき世界&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2001年2月26日 - 8月8日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2001 &amp;quot;[[ELEVEN (アルバム)|ELEVEN]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国29ヶ所46公演&amp;lt;br /&amp;gt;[[さいたまスーパーアリーナ]]、浜松アリーナ、マリンメッセ福岡、広島グリーンアリーナ、長野Ｍウェーブ、国立代々木競技場第一体育館、宮城県総合運動公園総合体育館、山形市総合スポーツセンター、サンドーム福井、横浜アリーナ、盛岡アイスアリーナ、日本武道館、マリンメッセ福岡、アスティとくしま、鹿児島アリーナ、神戸ワールド記念ホール、沖縄コンベンションセンター、沖縄市民会館、根室市総合文化会館、[[札幌ドーム]]、西武ドーム、ナゴヤドーム、大阪ドーム、福岡ドーム、鳥取県民文化会館、長良川国際会議場、和歌山県民文化会館&lt;br /&gt;
| 札幌ドームは杮落とし公演となる。8月7日の岐阜公演をもって全都道府県完全制覇となった。総動員数620,344人。&lt;br /&gt;
| 美しき世界&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2001年8月25日・26日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM in [[台北|Taipei]] 2001&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全1ヶ所2公演&amp;lt;br /&amp;gt;台北南港101&lt;br /&gt;
| 初の海外ツアー。現地で人気の高かった「夢見が丘」を演奏。&lt;br /&gt;
| 美しき世界&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2001年8月29日・30日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM in [[香港|Hong Kong]] 2001&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全1ヶ所2公演&amp;lt;br /&amp;gt;香港国際展示Hall3&lt;br /&gt;
| 2回目の海外ツアー。現地で人気の高かった「夢見が丘」を演奏。&lt;br /&gt;
| 美しき世界&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2002年]]6月17日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2002 &amp;quot;SAPPORO DEVIL&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| Zepp SAPPORO&lt;br /&gt;
| タイトルは[[ELEVEN (アルバム)|ELEVEN]]収録曲「TOKYO DEVIL」から。 &lt;br /&gt;
| New Message&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2002年6月27日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;[[2002 FIFAワールドカップ|2002 FIFA World Cup KOREA/JAPAN Official Concert International Day]]&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]]&lt;br /&gt;
| [[エアロスミス]]と競演。アンコールではエアロスミスとセッション。&lt;br /&gt;
| 不明&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2002年7月8日 - 10月3日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2002 &amp;quot;[[GREEN (アルバム)|GREEN]] ～GO★FIGHT★WIN～&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国1ヶ所18公演&amp;lt;br /&amp;gt;福江文化会館、福島県文化センター、山梨県立県民文化ホール、さいたまスーパーアリーナ、ナゴヤドーム、[[広島広域公園陸上競技場]]、札幌ドーム、[[静岡県小笠山総合運動公園スタジアム]]、[[大分スポーツ公園総合競技場]]、沖縄コンベンションセンター、福岡ドーム、[[新潟スタジアム]]、横浜国際総合競技場、大阪ドーム、宮城県総合運動公園総合体育館&lt;br /&gt;
| W杯の会場を中心とした野外ツアー。[[ビリー・シーン]]が参加。「a BEAUTIFUL REEL.」として映像作品化。総動員数564,734人。&lt;br /&gt;
| New Message&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2002年9月22日 - 9月24日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2002 &amp;quot;Rock n' [[カリフォルニア州|California]] Roll&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全2ヶ所2公演&amp;lt;br /&amp;gt;Canes Bar&amp;amp;Grill、The Palace&lt;br /&gt;
| 初のアメリカ公演。この模様はインターネットでも中継された。タイトルには寿司の「カリフォルニア巻き」が掛けられており、「カリフォルニア巻きも日本で出来ており、自分達も日本で出来たバンドである。」と言う意味が込められている。未CD音源化の「Logic」も演奏された。&lt;br /&gt;
| 不明&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2002年10月5日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2002 &amp;quot;Rock n' California Roll in Tokyo&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[日比谷野外音楽堂]]&lt;br /&gt;
| アメリカツアー開催を記念した凱旋記念公演。音漏れを聴くために会場の外には3000人もの人が集まった。&lt;br /&gt;
| 不明&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2003年]]6月26日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2003 &amp;quot;IT'S SHOWCASE&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 新木場[[STUDIO COAST]]&lt;br /&gt;
| 「[[LADY NAVIGATION]]」を約10年ぶりに演奏。5年ぶりに[[徳永暁人]]をベーシストに起用。&lt;br /&gt;
| 眩しいサイン&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2003年7月8日 - 9月21日&lt;br /&gt;
&amp;lt;th&amp;gt; &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM The Final Pleasure &amp;quot;[[IT'S SHOWTIME!!]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&amp;lt;/th&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国22ヶ所23公演&amp;lt;br /&amp;gt;函館市民会館、小樽市民会館、帯広市民文化ホール、仙台サンプラザ、青森市文化会館、秋田県民会館、佐渡中央文化会館、新潟県民会館、石川厚生年金会館、熊本市民会館、宮崎市民文化ホール、鹿児島市民文化ホール、長野県県民文化会館、香川県県民ホール、 愛媛県民文化会館、島根県民会館、ふくやま芸術文化ホール、倉敷市民会館、姫路市文化センター、神戸国際会館、びわこホール、静岡県弁天島海浜公園・渚園&lt;br /&gt;
| 事実上のファンクラブツアー。「これまでのライブのリバイバル」をコンセプトに行われた。10年ぶりの渚園となった最終公演は台風の影響で豪雨だったため、曲数や演出等が一部カットとなった。9月21日(最終日)の渚園公演時にはサッポロファクトリーホール、[[仙台国際センター]]、パシフィコ横浜、名古屋市公会堂、ZEPP大阪、福岡 キューズの全国6ヶ所で[[クローズドサーキット]]も行われた。「Typhoon No.15」として映像作品化。&lt;br /&gt;
| 眩しいサイン&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2003年10月12日 - 10月23日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN [[北米|NORTH AMERICA]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全5ヶ所7公演&amp;lt;br /&amp;gt;House of Blues、House of Blues、The Fillmore、Showbox、Commodore Ballroom&lt;br /&gt;
| 西海岸中心としたライブハウスツアー。&lt;br /&gt;
| 不明&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2003年11月13日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2003 &amp;quot;[[BIG MACHINE]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[川崎市|川崎]][[CLUB CITTA']]&lt;br /&gt;
| タイトルにひねりがないのはB'z曰く「考えたタイトルがくだらない」から（例：「ビックリマシーン」etc.）&lt;br /&gt;
| もうはなさない&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2003年11月20日 - 12月27日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BIG MACHINE&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国6ヶ所12公演&amp;lt;br /&amp;gt;さいたまスーパーアリーナ、ナゴヤドーム、福岡ドーム、大阪ドーム、札幌ドーム、東京ドーム&lt;br /&gt;
| 初の5大ドームツアー。日本のコンサートでは初のモトライダーによる空中飛翔演出が登場。「いつかのメリークリスマス」を9年ぶりに演奏。&lt;br /&gt;
| もうはなさない&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2004年～2008年 ===&lt;br /&gt;
{|class=wikitable style=font-size:small&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;12%&amp;quot;| 日程&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;21%&amp;quot;| ツアータイトル&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;35%&amp;quot;| 会場&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;20%&amp;quot;| 備考&lt;br /&gt;
! EDSE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2005年]]4月15日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2005 &amp;quot;[[網走市|網走]]番外編&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 網走市民会館&lt;br /&gt;
| タイトルは映画「[[網走番外地]]」が由来。&lt;br /&gt;
| Dear my lovely pain&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2005年4月7日 - 9月19日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2005 &amp;quot;[[THE CIRCLE|CIRCLE OF ROCK]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国27ヶ所41公演&amp;lt;br /&amp;gt; 釧路市民文化会館、旭川市民文化会館、青森市文化会館、會津風雅堂、佐賀市文化会館、大分グランシアタ、愛媛県県民文化会館、高知県立県民文化ホール、上越文化会館、長野県松本文化会館、群馬県民会館、鳥取県立県民文化会館、京都会館、宮城県総合運動公園総合体育館、真駒内アイスアリーナ、長野エムウェーブ、エコパアリーナ、神戸ワールド記念ホール、広島グリーンアリーナ、サンドーム福井、幕張メッセ・イベントホール、鹿児島アリーナ、沖縄コンベンションセンター、福岡ドーム、東京ドーム、ナゴヤドーム、大阪ドーム&lt;br /&gt;
| 初の円形ステージ。ドームではフロアが可動式となり、最高速度20km/hで回転していた。&lt;br /&gt;
| Dear my lovely pain&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2006年]]6月29日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2006 &amp;quot;[[横須賀市|横須賀]]MONSTER&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[横須賀芸術劇場]]&lt;br /&gt;
| この日のみ「MVP」の振り付けは稲葉による直接指導。&lt;br /&gt;
| BUDDY&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2006年7月2日 - 8月29日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2006 &amp;quot;[[MONSTER (アルバム)|MONSTER'S GARAGE]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国11ヶ所17公演&amp;lt;br /&amp;gt;奄美文化センター、延岡総合文化センター、[[山口市民会館]]、長岡市立劇場、盛岡市民文化ホール、山形県県民会館、札幌ドーム、福岡Yahoo! Japanドーム、東京ドーム、ナゴヤドーム、京セラドーム大阪&lt;br /&gt;
| スタッフが一新されたツアー。二度目の5大ドーム公演も行った。9年ぶりのファンクラブイベント「Treasure Land」も同時開催。「MONSTER'S GARAGE」として映像作品化。&lt;br /&gt;
| BUDDY&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2006年9月1日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z Premium LIVE&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| [[大阪市|大阪]][[湊町リバープレイス|なんばHatch]]&lt;br /&gt;
| 初の招待制ライブ。この模様は様々な媒体で配信された。セットリストはMONSTER'S GARAGEとほとんど同じ。[[HOME (B'zの曲)|HOME]]の英語バーションを初披露した。&lt;br /&gt;
| BUDDY&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2007年]]6月18日 - 7月4日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2007 &amp;quot;19&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国6ヶ所6公演&amp;lt;br /&amp;gt;Zepp Sapporo、Zepp Sendai、Zepp Tokyo、Zepp Fukuoka、Zepp Osaka、Zepp Nagoya&lt;br /&gt;
| 初の複数会場でのSHOWCASE。2007年は「（楽曲製作に専念する為）ツアーは無し」と明言していたが、SUMEER SONIC '07へ出演するためのリハーサルも兼ねてメンバーが「ライブをやりたい」と提案し、急遽決定した。その為、タイトルも「急遽決まったことと、19年目なので、そのまま『19』。何も考えてなく、ひねりも全くなし」との事。「[[ARIGATO (B'zの曲)|ARIGATO]]」が初めて演奏された。&lt;br /&gt;
| Have you ever seen the rain?&lt;br /&gt;
（[[クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル|Creedence Clearwater Revival]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2007年7月9日 - 8月8日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2007 &amp;quot;B'z In Your Town&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
|全国7ヶ所7公演&amp;lt;br /&amp;gt; [[ふくやま芸術文化ホール]]、鳥栖市民文化会館、[[宮崎市民文化ホール]]、[[フェニックスプラザ|福井フェニックスプラザ]]、[[金沢市観光会館]]、[[森のホール21|松戸市文化会館 森のホール21]]、[[宇都宮市文化会館]]&lt;br /&gt;
| 先にZeppにて行なわれた、SHOWCASEの第2弾。-19-と共にシングル曲は極力演奏されず、過去のアルバム曲や2nd beat中心によるコアな選曲となった。尚宮崎公演は台風の影響で交通機関が麻痺し、公演途中やアンコールに会場に到着、また最終的に会場まで到着出来なかった観客が数多くいた。 &lt;br /&gt;
| Have you ever seen the rain?&lt;br /&gt;
（Creedence Clearwater Revival）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2008年]]1月25日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2008 &amp;quot;清武ACTION&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 宮崎県・[[清武町]]文化会館&lt;br /&gt;
| 2007年に行われたSHOWCASEの流れを汲んだコアな楽曲を大いに含んだセットリストであった。5年ぶりに[[バリー・スパークス]]がベーシストとして起用された。&lt;br /&gt;
| 希望の歌&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2008年1月28日 - 8月17日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2008 &amp;quot;[[ACTION]]&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国35ヶ所53公演&amp;lt;br /&amp;gt;長崎ブリックホール、熊本市民会館、鹿児島市民文化ホール、島根県民会館、倉敷市民会館、京都会館、[[長良川国際会議場]]、苫小牧市民会館、釧路市民文化会館、長野県松本文化会館、山梨県立県民文化ホール、香川県県民ホール、高知県立県民文化ホール、愛媛県県民文化会館、郡山市民文化センター、奥州市文化会館、青森市文化会館、秋田県民会館、三重県営サンアリーナ、さいたまスーパーアリーナ、長野ビッグハット、日本武道館、ホットハウススーパーアリーナ、サンドーム福井、朱鷺メッセ 新潟コンベンションセンター、横浜アリーナ、アスティとくしま、北海道立総合体育センター きたえーる、日本ガイシホール、大阪城ホール、神戸ワールド記念ホール、広島グリーンアリーナ、エコパアリーナ、マリンメッセ福岡、沖縄コンベンションセンター&lt;br /&gt;
| [[2007年]][[12月5日]]に発売されたアルバム、「[[ACTION]]」の楽曲を中心としたツアー。ホール＆アリーナクラスの会場で開催された。 5年ぶりに[[バリー・スパークス]]をベーシストに起用。&amp;lt;!--今ツアー、過去のライブのEDSEだった「[[New Message]]」が演奏された。LIVE-GYMで過去のライブのEDSEを演奏したのは今ツアーが初である。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 希望の歌(ホール公演)&lt;br /&gt;
National Holiday(アリーナ公演)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 2008年9月6日 - 9月21日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
|全国3ヶ所6公演&amp;lt;br /&amp;gt;[[神戸総合運動公園ユニバー記念競技場|神戸ユニバー記念競技場]]、[[豊田スタジアム]]、[[日産スタジアム]]{{Color|#FF0000|}}&lt;br /&gt;
| 2003年に凍結された「Pleasure」シリーズを、デビュー20周年を記念して、スタジアムクラスの会場で開催。直前まで行われていたACTIONツアーからは選曲がほぼ総入れ替えとなっている。総動員数は、アルバムツアーのACTIONと合わせて約75万人。&amp;lt;br/&amp;gt;9/20・21の横浜公演終演後は[[朝日新聞]]が[[号外]]を発行し、地元の駅前([[新横浜駅]]・[[小机駅]])で配布した。&lt;br /&gt;
| いつかまたここで&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 2009年～現在 ===&lt;br /&gt;
{{予定|section=&amp;quot;1&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
{|class=wikitable style=font-size:small&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;12%&amp;quot;| 日程&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;21%&amp;quot;| ツアータイトル&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;35%&amp;quot;| 会場&lt;br /&gt;
! width=&amp;quot;20%&amp;quot;| 備考&lt;br /&gt;
! EDSE&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2009年]]7月20日 - 8月5日&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国8ヶ所8公演&amp;lt;br /&amp;gt;[[石橋文化センター|石橋文化ホール]]、[[岸和田市立浪切ホール]]、[[いわき芸術文化交流館アリオス|いわきアリオス]]、[[市原市市民会館]]、[[まつもと市民芸術館]]、土岐市文化プラザ　サンホール、[[アルカスSASEBO]]、[[米子コンベンションセンター]]&lt;br /&gt;
| SHOWCASEとしては初めて、事前に公式サイトなどで開催の告知が行われた。&lt;br /&gt;
| MY LONELY TOWN&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[2010年]]1月14日 - 3月7日&amp;lt;br&amp;gt;{{Color|#FF0000|（予定）}}&lt;br /&gt;
! &amp;lt;big&amp;gt;B'z LIVE-GYM 2010 &amp;quot;Ain't No Magic&amp;quot;&amp;lt;/big&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 全国11ヶ所19公演&amp;lt;br /&amp;gt;青森市文化会館、大館市民文化会館、[[仙台サンプラザホール]]、福島県文化センター、旭川市民文化会館、北海道厚生年金会館、函館市民会館、福岡Yahoo!JAPANドーム、ナゴヤドーム、京セラドーム大阪、東京ドーム&lt;br /&gt;
| 本公演から座席がＳＳ席、Ｓ席、Ａ席、Ｂ席、Ｃ席と区分けされ、座席の値段もＳＳ席からＣ席まで、値段が低くなっていく料金体系となる。&lt;br /&gt;
| ひとりじゃないから -Theme Of LIVE-GYM-　(B'zの二人が今回のLIVE-GYMのテーマ曲として書き下ろした楽曲。今後も使用されて行くかは不明)&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ライブ映像作品 ==&lt;br /&gt;
=== 正式なライブ映像作品 ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! タイトル&lt;br /&gt;
! 元となったライブ&lt;br /&gt;
! リリース日&lt;br /&gt;
! No:&lt;br /&gt;
! 備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[JUST ANOTHER LIFE]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM &amp;quot;Pleasure '91&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[1991年]][[12月11日]] (VHS/LD)&lt;br /&gt;
| BMVR-24 (VHS)&amp;lt;br /&amp;gt;BMLR-24 (LD)&lt;br /&gt;
| DVD化されていない。&amp;lt;br/&amp;gt;1992年度オリコン年間VHSチャート第1位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[LIVE RIPPER]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[1993年]][[12月9日]] (VHS/LD)&amp;lt;br /&amp;gt;[[2001年]][[3月14日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMVR-1003 (VHS)&amp;lt;br /&amp;gt;BMLR-1003 (LP)&amp;lt;br /&amp;gt;BMBD-1003 (DVD)&lt;br /&gt;
| DVD版では「さよならなんかは言わせない」が追加収録されている。&amp;lt;br/&amp;gt;1994年度オリコン年間音楽VHSチャート第1位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[&amp;quot;BUZZ!!&amp;quot; THE MOVIE]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM Pleasure '95 &amp;quot;BUZZ!!&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[1996年]][[1月1日]] (VHS/LD)&amp;lt;br /&amp;gt;[[2001年]][[3月14日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMVR-5001 (VHS)&amp;lt;br /&amp;gt;BMLR-5001 (LP)&amp;lt;br /&amp;gt;BMBD-5001 (DVD)&lt;br /&gt;
| DVD版では「もう一度キスしたかった」「裸足の女神」が追加収録されている。&amp;lt;br/&amp;gt;1996年度オリコン年間音楽VHSチャート第1位。VHSとしてリリースされたライブ映像作品では歴代1位の売り上げを記録している。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[once upon a time in 横浜 〜B'z LIVE GYM'99 &amp;quot;Brotherhood&amp;quot;〜]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM '99 &amp;quot;Brotherhood&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[2000年]][[8月2日]] (VHS)&amp;lt;br /&amp;gt;[[2001年]][[3月14日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMVR-5003 (VHS)&amp;lt;br /&amp;gt;BMBD-5003 (DVD)&lt;br /&gt;
| 初のアルバムツアー映像化である。元々は過去のライブ映像で[[ベストアルバム]]ならぬベストVHSを製作する予定だったが、圧倒的にBrotherhoodツアー横浜公演映像化の要望が多かったため、それに応える形となった。&amp;lt;br/&amp;gt;2000年度オリコン年間音楽VHSチャート第5位。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
DVDでは松本ソロ名義の「GO FURTHER」、稲葉ソロ名義の「遠くまで」が追加収録されている。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[a BEAUTIFUL REEL. B'z LIVE-GYM 2002 GREEN 〜GO★FIGHT★WIN〜]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM 2002 &amp;quot;GREEN ～GO★FIGHT★WIN～&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[2002年]][[11月27日]] (VHS/DVD)&lt;br /&gt;
| ONVX-5014 (VHS)&amp;lt;br /&amp;gt;ONBD-5014〜5 (DVD)&lt;br /&gt;
| 一部ドキュメンタリー映像が挿入されている。&amp;lt;br/&amp;gt; DVDではアメリカ公演のダイジェストなどが追加収録されている。&amp;lt;br/&amp;gt;2003年度オリコン年間音楽DVDチャート第1位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[Typhoon No.15 〜B'z LIVE-GYM The Final Pleasure &amp;quot;IT'S SHOWTIME!!&amp;quot; in 渚園〜]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM The Final Pleasure &amp;quot;IT'S SHOWTIME!!&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[2004年]][[2月25日]] (VHS/DVD)&lt;br /&gt;
| ONXV-5016〜7 (VHS)&amp;lt;br /&amp;gt;ONBD-5016〜8 (DVD)&lt;br /&gt;
| DVDでは2003年の活動ダイジェストを挟んで、1曲目「アラクレ」までの道のりを追ったドキュメント映像が追加収録されている。&amp;lt;br/&amp;gt;2004年度オリコン年間音楽DVDチャート第2位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[B'z LIVE-GYM 2006 &amp;quot;MONSTER'S GARAGE&amp;quot;]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM 2006 &amp;quot;MONSTER'S GARAGE&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[2006年]][[12月20日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| ONBD-5019〜21 (DVD)&lt;br /&gt;
| 2007年度オリコン年間音楽DVDチャート第2位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[B'z LIVE in なんば]]'''&lt;br /&gt;
| B'z Premium LIVE&lt;br /&gt;
| [[2008年]][[2月20日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMBV-5001 (DVD)&lt;br /&gt;
| 元々Network Live用の映像だったが、そこが抑えていた権利期限が切れたのでリリースすることになった&amp;lt;ref name=&amp;quot;bewith77&amp;quot;&amp;gt;B'z Partyの会報「be with! Vol.77」参照&amp;lt;/ref&amp;gt;。&amp;lt;br/&amp;gt;2008年度オリコン年間音楽DVDチャート第7位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[B'z LIVE-GYM Hidden Pleasure 〜Typhoon No.20〜]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM Pleasure '92 &amp;quot;TIME&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;RUN&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '94 &amp;quot;THE 9TH BLUES -Part1-&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '94 &amp;quot;THE 9TH BLUES -Part2-&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '96 &amp;quot;Spirit LOOSE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM Pleasure '97 &amp;quot;FIREBALL&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z SHOWCASE '97 &amp;quot;GO! GO! HEAVEN&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '98 &amp;quot;SURVIVE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '99 -Brotherhood- SHOWCASE &amp;quot;B'zepp&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '99 &amp;quot;Brotherhood -Extra-&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 &amp;quot;juice&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z SHOWCASE 2001 &amp;quot;コブシヲニギレ&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM 2001 &amp;quot;ELEVEN&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z SHOWCASE 2002 &amp;quot;SAPPORO DEVIL&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BIG MACHINE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM 2005 &amp;quot;CIRCLE OF ROCK&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[2008年]][[12月10日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMBV-5002〜4 (DVD)&lt;br /&gt;
| 結成20周年を記念して過去のライブ映像から30曲以上を選りすぐり収録したもの。&amp;lt;br&amp;gt;2009年度オリコン年間音楽DVDチャート第11位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-]]'''&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM 2008 -GLORY DAYS-&lt;br /&gt;
| [[2009年]][[2月25日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMBV-5005～5006 (DVD)&lt;br /&gt;
| 2009年度オリコン年間音楽DVDチャート第12位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CD特典 ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!タイトル&lt;br /&gt;
!元となったライブ&lt;br /&gt;
!リリース日&lt;br /&gt;
!No:&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[SPLASH!]]'''[CD+DVD]&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM 2005 &amp;quot;CIRCLE OF ROCK&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[2006年]][[6月7日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMBV-5011〜13 (DVD)&lt;br /&gt;
| 3種類の初回限定盤(グリーン、ブルー、イエロー)の特典として、それぞれ「愛のバクダン」「パルス」「Fever」が収録された。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[B'z The Best &amp;quot;ULTRA Pleasure&amp;quot;]]'''[2CD+DVD]&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM Pleasure '92 &amp;quot;TIME&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;RUN&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '94 &amp;quot;THE 9TH BLUES -Part1-&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '96 &amp;quot;Spirit LOOSE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM Pleasure '97 &amp;quot;FIREBALL&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM '98 &amp;quot;SURVIVE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 &amp;quot;juice&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM 2001 &amp;quot;ELEVEN&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BIG MACHINE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; B'z LIVE-GYM 2005 &amp;quot;CIRCLE OF ROCK&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[2008年]][[6月18日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMBB-8020 (DVD)&lt;br /&gt;
| それぞれのライブ映像から1曲ずつ選りすぐられて収録されている。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[B'z The Best &amp;quot;ULTRA Treasure&amp;quot;]]'''[2CD+DVD]&lt;br /&gt;
| B'z SHOWCASE 2007 &amp;quot;19&amp;quot; at Zepp Tokyo&lt;br /&gt;
| [[2008年]][[9月17日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMBB-8024 (DVD)&lt;br /&gt;
| [[#SHOWCASE|SHOWCASE]]としては初の公式映像作品化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[MAGIC (B'zのアルバム)|MAGIC]]'''[CD+DVD]&lt;br /&gt;
| B'z SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-&lt;br /&gt;
| [[2009年]][[11月18日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMCV-8029 (DVD)&lt;br /&gt;
| ドキュメンタリー映像のひとつとして2009年のSHOWCASEの映像を一部収録。その他、SUMMER SONIC'09に出演したときの映像も一部収録している。&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!タイトル&lt;br /&gt;
!元となったライブ&lt;br /&gt;
!リリース日&lt;br /&gt;
!No:&lt;br /&gt;
!備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''[[The true meaning of &amp;quot;Brotherhood&amp;quot;?]]'''[DVD]&lt;br /&gt;
| B'z LIVE-GYM '99 &amp;quot;Brotherhood&amp;quot;&lt;br /&gt;
| [[2001年]][[3月14日]] (DVD)&lt;br /&gt;
| BMBD-5003 (DVD)&lt;br /&gt;
| VHSではただのドキュメンタリー作品だが、DVDでは特典として京都会館第一ホールでの「JAP THE RIPPER」が収録されている。2000年度オリコン年間音楽VHSチャート第1位。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''B'z Official Bootleg'''&lt;br /&gt;
| [[1998年]]までに敢行されたライブ&lt;br /&gt;
| (非売品) (VHS)&lt;br /&gt;
| (不詳) (VHS)&lt;br /&gt;
| 1998年9月に何の告知もなしに突然[[B'z Party]]会員に発送された10周年記念品。当時のライブ映像が細切れで収録されており、それを観ながらB'zのメンバーがコメントするという[[ドキュメンタリー]]もの。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| '''B'z Official Bootleg Hidden Treasure ～Typhoon No.20～'''&lt;br /&gt;
| [[2008年]]までに敢行されたライブ&lt;br /&gt;
| (非売品) (DVD)&lt;br /&gt;
| BZVS-0001 (DVD)&lt;br /&gt;
| 2008年9月1日現在、正規登録を完了したB'z Party会員全員に20周年記念品として発送されたドキュメンタリー作品。随所に当時のライブ映像が細切れで収録されている。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== サポートメンバー一覧 ==&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;2&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 人名&lt;br /&gt;
| パート&lt;br /&gt;
| 参加公演名&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[明石昌夫]]&lt;br /&gt;
| [[ベース (弦楽器)|ベース]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[マニピュレーター|マニピュレート]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM #00 &amp;quot;OFF THE LOCK &amp;lt;br /&amp;gt;LIVE-GYM #001 &amp;quot;OFF THE LOCK&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM &amp;quot;BREAK THROUGH&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '90～'91 &amp;quot;RISKY&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM &amp;quot;Pleasure '91&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '91～'92 &amp;quot;IN THE LIFE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '92 &amp;quot;TIME&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '93 &amp;quot;RUN&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '94 &amp;quot;The 9th Blues&amp;quot;&amp;lt;PART 1.2&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '95 &amp;quot;BUZZ!!&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '96 &amp;quot;Spirit LOOSE&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '97 &amp;quot;FIREBALL&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[徳永暁人]]&lt;br /&gt;
| ベース&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM '98 &amp;quot;SURVIVE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt;  LIVE-GYM 2003 The Final Pleasure &amp;quot;IT'S SHOWTIME!!&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2005 &amp;quot;CIRCLE OF ROCK&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2006 &amp;quot;MONSTER'S GARAGE&amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2007 -19-&amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2007 -B'z In Your Town-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[満園庄太郎]]&lt;br /&gt;
| ベース&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM '99 &amp;quot;Brotherhood&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure 2000 &amp;quot;juice&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2001 &amp;quot;ELEVEN&amp;quot;  &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM in Taipei 2001 &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM in Hong Kong 2001&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[ビリー・シーン]]&lt;br /&gt;
| ベース&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2002 &amp;quot;GREEN ～GO★FIGHT★WIN～&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2002 &amp;quot;Rock n' California Roll&amp;quot; &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[バリー・スパークス]]&lt;br /&gt;
| ベース&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN NORTH AMERICA&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BIG MACHINE&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2008 &amp;quot;ACTION&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure 2008 &amp;quot;GLORY DAYS&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[阿部薫 (ドラマー)|阿部薫]]&lt;br /&gt;
| [[ドラムセット|ドラム]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM #00 &amp;quot;OFF THE LOCK &amp;lt;br /&amp;gt;LIVE-GYM #001 &amp;quot;OFF THE LOCK&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM &amp;quot;BREAK THROUGH&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[田中一光]]&lt;br /&gt;
| ドラム&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM '90～'91 &amp;quot;RISKY&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM &amp;quot;Pleasure '91&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '91～'92 &amp;quot;IN THE LIFE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '92 &amp;quot;TIME&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '93 &amp;quot;RUN&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '94 &amp;quot;The 9th Blues&amp;quot;&amp;lt;PART 1.2&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[デニー・フォンハイザー]]&lt;br /&gt;
| ドラム &lt;br /&gt;
| LIVE-GYM Pleasure '95 &amp;quot;BUZZ!!&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '96 &amp;quot;Spirit LOOSE&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '97 &amp;quot;FIREBALL&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[黒瀬蛙一]]&lt;br /&gt;
| ドラム&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM '98 &amp;quot;SURVIVE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '99 &amp;quot;Brotherhood&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure 2000 &amp;quot;juice&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2001 &amp;quot;ELEVEN&amp;quot;  &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM in Taipei 2001 &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM in Hong Kong 2001&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[シェーン・ガラース]]&lt;br /&gt;
| ドラム&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2002 &amp;quot;GREEN ～GO★FIGHT★WIN～&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2002 &amp;quot;Rock n' California Roll&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2003 The Final Pleasure &amp;quot;IT'S SHOWTIME!!&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN NORTH AMERICA&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BIG MACHINE&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2005 &amp;quot;CIRCLE OF ROCK&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2006 &amp;quot;MONSTER'S GARAGE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2007 -19-&amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2007 -B'z In Your Town- &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2008 &amp;quot;ACTION&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure 2008 &amp;quot;GLORY DAYS&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[広本葉子]]&lt;br /&gt;
| [[キーボード (楽器)|キーボード]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM #00 &amp;quot;OFF THE LOCK &amp;lt;br /&amp;gt;LIVE-GYM #001 &amp;quot;OFF THE LOCK&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM &amp;quot;BREAK THROUGH&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '90～'91 &amp;quot;RISKY&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM &amp;quot;Pleasure '91&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '91～'92 &amp;quot;IN THE LIFE&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[増田隆宣]]&lt;br /&gt;
| キーボード&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM Pleasure '92 &amp;quot;TIME&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '93 &amp;quot;RUN&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '94 &amp;quot;The 9th Blues&amp;quot;&amp;lt;PART 1.2&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '95 &amp;quot;BUZZ!!&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM '96 &amp;quot;Spirit LOOSE&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure '97 &amp;quot;FIREBALL&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt;LIVE-GYM '99 &amp;quot;Brotherhood&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure 2000 &amp;quot;juice&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2001 &amp;quot;ELEVEN&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM in Taipei 2001 &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM in Hong Kong 2001 &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2002 &amp;quot;GREEN ～GO★FIGHT★WIN～&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2002 &amp;quot;Rock n' California Roll&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2003 The Final Pleasure &amp;quot;IT'S SHOWTIME!!&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN NORTH AMERICA&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BIG MACHINE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2005 &amp;quot;CIRCLE OF ROCK&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2006 &amp;quot;MONSTER'S GARAGE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2007 -19-&amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2007 -B'z In Your Town- &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2008 &amp;quot;ACTION&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure 2008 &amp;quot;GLORY DAYS&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[大島こうすけ|大島康祐]]（ex.[[WANDS]]）&lt;br /&gt;
| キーボード&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM '98 &amp;quot;SURVIVE&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[大田紳一郎]]&lt;br /&gt;
| [[ボーカル]]&amp;lt;br/&amp;gt;ギター&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BIG MACHINE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2005 &amp;quot;CIRCLE OF ROCK&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2006 &amp;quot;MONSTER'S GARAGE&amp;quot;&amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2007 -19-&amp;lt;br /&amp;gt; SHOWCASE 2007 -B'z In Your Town- &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2008 &amp;quot;ACTION&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM Pleasure 2008 &amp;quot;GLORY DAYS&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 高原裕枝&lt;br /&gt;
| コーラス&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM Pleasure '92 &amp;quot;TIME&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 中村優子&lt;br /&gt;
| コーラス&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM Pleasure '92 &amp;quot;TIME&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 澤野博敬&lt;br /&gt;
| [[トランペット]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 澤田秀浩&lt;br /&gt;
| トランペット&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[野村裕幸]]&lt;br /&gt;
| [[トロンボーン]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 吉田じゅんべい&lt;br /&gt;
| [[サクソフォーン]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM Pleasure '93 &amp;quot;JAP THE RIPPER&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本国外のライブを行った都市 ==&lt;br /&gt;
{| border=&amp;quot;1&amp;quot; cellpadding=&amp;quot;1&amp;quot; cellspacing=&amp;quot;0&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 都市名&lt;br /&gt;
| 国名&lt;br /&gt;
| 公演名&lt;br /&gt;
| 公演日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[台北市]]&lt;br /&gt;
| [[台湾]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM in Taipei 2001&lt;br /&gt;
| 2001年8月25日～8月26日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[香港]]&lt;br /&gt;
| [[中華人民共和国]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM in Hong Kong 2001&lt;br /&gt;
| 2001年8月29日～8月30日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[サンディエゴ]]&lt;br /&gt;
| [[アメリカ合衆国]]、[[カリフォルニア州]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2002 &amp;quot;Rock n' California Roll&amp;quot;&lt;br /&gt;
| 2002年9月22日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[ロサンゼルス]] &lt;br /&gt;
| アメリカ合衆国、カリフォルニア州&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2002 &amp;quot;Rock n' California Roll&amp;quot; &amp;lt;br /&amp;gt; LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN NORTH AMERICA&amp;quot;&lt;br /&gt;
| 2002年9月24日 &amp;lt;br /&amp;gt; 2003年10月14日～15日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[ラスベガス]]&lt;br /&gt;
| アメリカ合衆国、[[ネバダ州]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN NORTH AMERICA&amp;quot;&lt;br /&gt;
| 2003年10月12日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[サンフランシスコ]]&lt;br /&gt;
| アメリカ合衆国、カリフォルニア州&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN NORTH AMERICA&amp;quot;&lt;br /&gt;
| 2003年10月18日～19日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[シアトル]]&lt;br /&gt;
| アメリカ合衆国、[[ワシントン州]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN NORTH AMERICA&amp;quot;&lt;br /&gt;
| 2003年10月21日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]&lt;br /&gt;
| [[カナダ]]、[[ブリティッシュコロンビア州]]&lt;br /&gt;
| LIVE-GYM 2003 &amp;quot;BANZAI IN NORTH AMERICA&amp;quot;&lt;br /&gt;
| 2003年10月23日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献・出典 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;font-size: 90%&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{B'z}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:らいふしむ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:B'z]]&lt;br /&gt;
[[Category:ビーイング]]&lt;br /&gt;
[[Category:ポピュラー音楽のコンサート]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://a62c7c05838141131.awsglobalaccelerator.com/mediawiki/index.php?title=%E4%B9%85%E4%BF%9D%E3%81%93%E3%83%BC%E3%81%98&amp;diff=307569</id>
		<title>久保こーじ</title>
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				<updated>2015-10-13T03:44:01Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;でんじゃらすんだ: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''久保''不正'' こー保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''&amp;lt;font color=&amp;quot;red&amp;quot;&amp;gt;保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''じ'''（くぼ こーじ、英語表記：'''Cozy Kubo'''、本名：'''久保 浩二'''、[[1964年]][[保''不正''保''不正''保''不正''11月14日]] - ）は、[[日本]]の[[音楽プロデューサー]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[キーボーディスト]]、[[マニピュレーター]]。[[東京都]]出身。[[東京都立小山台高等学保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''校]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
17歳（高校3年生時）[[ローディー]]の仕事を始める&amp;lt;ref&amp;gt;この時初めて携わったアーティストは[[桑名正博]]である [htt保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''保''不正''p://buzzleague.blog.so-net.ne.jp/2012-10-28| 久保こーじのBUZZ LEAGUE: 大将] 2012年10月29日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt; 、その後[[TM NETWORK]]の[[1985年]]発売のアルバム「'''[[CHILDHOOD'S END]]'''」にシーケンサーのプログラマーとして参加する。その後引き続き、TM NETWORK、[[小室哲哉]]のマニピュレーター、サポートキーボーディストとして活躍する。ちなみに当初は主にギター、ベースを弾いており、キーボードは最後に触れた。そのため、プログラミングなどは小室から学んだという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]]から[[1990年]]頃までTM NETWORKの他に[[B'z]]のローディーの仕事も行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1991年]]発売のTMNのアルバム「'''[[EXPO (アルバム)|EXPO]]'''」においては、数曲を小室と共同でアレンジを行い、小室哲哉ソロアルバム「'''[[Hit Factory]]'''」では小室、そしてシンクラビアのオペレーターの[[日向大介]]と『'''T.C.D Hits'''』というユニットを結成し、アレンジ・演奏を担当する。[[1994年]]のTMNの[[東京ドーム]]での“終了”ライブにおいて、[[RHYTHM RED]]ツアー、[[EXPO (アルバム)|EXPO]]ツアーで[[シンセベース]]を担当していた[[浅倉大介]]に替わって、久保がシンセベースを演奏している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20代前半で自身のバンド「'''13's Paradise'''」を結成し、その後バンド名変更・メンバーチェンジを行う。[[1992年]]3月ソロアルバム「'''COZY'''」をリリースし、ソロアーティストとしてもデビューを果たす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年春、[[伊集院光]]とともにARAKAWA RAP BROTHERS（荒川ラップブラザーズ）を結成し、シングル1枚とミニアルバム1枚を発表した。同年10月からは、[[オールナイトニッポン]]のパーソナリティを務め、その縁でニッポン放送の女性ディレクターと結婚、2児を授かる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]]には先の「'''13's Paradise'''」の後身にあたる自身のバンド『'''[[No!Galers]]'''』を結成し、ファーストアルバムをリリースする。『'''No!Galers'''』は久保のバックバンドだけでなく、当時の[[小室ファミリー]]のバックバンドも兼ねていた。ちなみにバンド名の由来は、メンバーに小室がいつまでたってもギャラをくれないからであった。『'''No!Galers'''』のギタリスト[[木村建]]は再始動後のTM NETWORKの曲でギターを担当している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
久保は小室の片腕または'''1番弟子'''と呼ばれ（後者は、本人も話しのネタにしていた）、[[鈴木あみ]]、[[安室奈美恵]]、[[hitomi]]、[[篠原涼子]]、[[木村佳乃]]、[[知念里奈]]らの楽曲の作曲・プロデュースも担当していた。また小室が司会を務めていた『'''[[TK MUSIC CLAMP]]'''』（[[フジテレビジョン|フジテレビ]]）にもレギュラー出演していた。小室哲哉とのユニット[[tk-trap]]としても、[[1996年]]に[[幕張メッセ]]で開催された『'''[[日本オラクル|ORACLE]] OPEN WORLD'''』内でライブを行い、[[TM NETWORK]]の『'''[[CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜|CAROL]]'''』などをカバーした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Rojam Entertainment]]のプロデューサーとしてゲームソフトの音楽などを手掛けた後、[[2000年]]頃から小室と袂を分け、独自にプロデュース活動を始めている。No!Galersの2代目ボーカル・HIROSHI（蛭間弘；CLUBFOLKではヒルマフィロシ）とともに、高輪サウスの芸名で[[フォークデュオ]]の[[CLUBFOLK]]を結成。[[お台場]]のハイカラ横丁のテーマソングとなる「'''ハイカラマン'''」を発表した。[[東放ミュージックカレッジ]]にも講師などとして関わり、後進の育成に尽力している。[[2002年]]にアコースティックユニット[[種々]]をプロデュース、[[2006年]]には新人アーティスト[[真崎ゆか]]をデビューさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年の6月頃からふたたび小室と共同のアレンジが復活してきた（AAAなど）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参加バンド、ユニット ==&lt;br /&gt;
*[[Hit Factory|T.C.D Hits]]&lt;br /&gt;
*TK-COZY-MST&lt;br /&gt;
*[[No!Galers]]&lt;br /&gt;
*PARASIGHT&lt;br /&gt;
*GET OFF&lt;br /&gt;
*13's Paradise&lt;br /&gt;
*ARAKAWA RAP BROTHERS&lt;br /&gt;
*[[tk-trap]]&lt;br /&gt;
*中堅工房&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 楽曲提供、プロデュース ==&lt;br /&gt;
*[[本城未沙子]]&lt;br /&gt;
*[[林原めぐみ]]&lt;br /&gt;
*[[東京パフォーマンスドール]]&lt;br /&gt;
*[[NoseWater]]&lt;br /&gt;
*[[大賀埜々]]&lt;br /&gt;
*[[天方直実]]&lt;br /&gt;
*[[安室奈美恵]]&lt;br /&gt;
*[[hitomi]]&lt;br /&gt;
*[[鈴木あみ]]（現:鈴木亜美）&lt;br /&gt;
*[[篠原涼子]]&lt;br /&gt;
*[[木村佳乃]]&lt;br /&gt;
*[[円谷憂子]]&lt;br /&gt;
*[[中川晃教]]&lt;br /&gt;
*[[Licca]]&lt;br /&gt;
*[[CASCADE]]&lt;br /&gt;
*[[知念里奈]]&lt;br /&gt;
*[[籐子]]&lt;br /&gt;
*[[Zoie]]&lt;br /&gt;
*[[CELINA]]&lt;br /&gt;
*[[坂口実央]]&lt;br /&gt;
*[[L☆IS]]&lt;br /&gt;
*[[小林勇人]]&lt;br /&gt;
*[[種々]]&lt;br /&gt;
*[[真崎ゆか]]&lt;br /&gt;
*[[t.a.p.]]&lt;br /&gt;
*[[仲間由紀恵]]&lt;br /&gt;
*[[羽田惠理香]]（元CoCoのメンバー）&lt;br /&gt;
など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 編曲 ==&lt;br /&gt;
*[[AAA (音楽グループ)|AAA]]&lt;br /&gt;
*[[中山忍]]&lt;br /&gt;
*[[大谷健吾]]&lt;br /&gt;
*[[観月ありさ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他（マニピュレーター等） ==&lt;br /&gt;
*[[渡辺美里]] &amp;lt;ref&amp;gt;1991年発表のアルバム『Lucky』の他、複数のベストアルバムに収録されている楽曲『JUMP』のシンセプログラミングを「久保浩二」名義で担当&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ソロアルバム ==&lt;br /&gt;
* '''COZY''' （TK TRACKS LABEL Produced by [[小室哲哉|Tetsuya Komuro]]）&lt;br /&gt;
*: 1996年6月26日発売（[[規格品番]]：MECQ-15008）&lt;br /&gt;
# BROKEN WAY&lt;br /&gt;
#: 作詞・作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# NOT &amp;quot;Rock'n Roll&amp;quot;, BUT Rock'n Roll!&lt;br /&gt;
#: 作詞・作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# 恋はDEN-DE★DE&lt;br /&gt;
#: 作詞：本城未佐子、作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# AFRICA&lt;br /&gt;
#: 作詞：本城未佐子、作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# PRINCESS&lt;br /&gt;
#: 作詞・作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# あの娘はシルエット&lt;br /&gt;
#: 作詞・作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# 我愛イ尓〜はるか昔の物語〜&lt;br /&gt;
#: 作詞・作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# 彼女のノックはきこえない&lt;br /&gt;
#: 作詞・作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# レ・ゲ&lt;br /&gt;
#: 作詞：本城未佐子、作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# 星に願いを&lt;br /&gt;
#: 作詞：久保浩二・本城未佐子、作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
# OVER THE DREAM (she's so far)&lt;br /&gt;
#: 作詞・作曲・編曲：久保浩二&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== インターネット放送 ==&lt;br /&gt;
*石川よしひろ＆久保こーじのギリギリウィークエンド（[[あっ!とおどろく放送局]]、2007年7月8日 - 9月30日）&lt;br /&gt;
*夜遊びメールバトル水曜（あっ!とおどろく放送局、2007年10月3日 - 12月26日）&lt;br /&gt;
*ギリギリですけどそれが何か？（あっ!とおどろく放送局、2008年1月8日 - 2008年12月23日）&lt;br /&gt;
*〔特別番組〕年末ギリギリ総集編もやりますが何か？（あっ!とおどろく放送局、2008年12月30日）&lt;br /&gt;
*FRIDAY's 毎週金曜日夜21:00〜生放送（[[WALLOP]]、2012年4月6日 - 現在放送中）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[オールナイトニッポン]]  ※1992年10月 - 1994年3月 木曜日2部パーソナリティ。&lt;br /&gt;
*[[石川よしひろ]]  ※ 上記 オールナイトニッポンパーソナリティ時代から、親交の深い人物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.discovery-e.co.jp/entertainment/artist_05.html ディスカバリー・エンターテインメントによるプロフィール]&lt;br /&gt;
*[http://buzzleague.blog.so-net.ne.jp/ 久保こーじのBUZZ　LEAGUE (so-netブログ)]&lt;br /&gt;
*{{Twitter|cozykubo}}&lt;br /&gt;
*{{Facebook|cozykubo}}&lt;br /&gt;
*[http://www.hachiku.co.jp/ 久保こーじのBUZZ LEAGUE ◎ COZY KUBO]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{B'z}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:くほ こうし}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のミュージシャン]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の作曲家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の編曲家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のキーボーディスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:小室哲哉]]&lt;br /&gt;
[[Category:1964年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ディスカバリー・エンターテインメント]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>でんじゃらすんだ</name></author>	</entry>

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